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突然ですが、下記の場所にブログを移転しました。ご迷惑をおかけします。 新しいブログでお待ちしています。 京都だより http://kishimi.cocolog-nifty.com/
2008年08月30日
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今日は受診。血液の凝固度を測るための採血をする。そのため予約時間より早く行ったが、今日はあまり待つことなく早い時間に番が回ってきた。経過は順調で、気にかかっていた冠動脈造影検査のための入院についてたずねたが、なお一年は必要ないという答えが返ってきてありがたかった。 鷺草を初めて見た。名前通りで鷺が飛んでいるように見える。
2008年08月29日
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息子からよる電話。電話を切る前に、あの本を読んだという。あの本というのは、新刊の『アドラーに学ぶ―生きる勇気とは何か』のことである。「死んだ弟の話なんか、聞いたことがない。それにおばあさんの話も」。僕には生まれてすぐ亡くなった弟がいる。弟のことも祖母のことも息子に話したことはなかった。当然のことながら、息子が知らない話は多い。 今日は昼間仕事にならなかった。
2008年08月28日
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今日は疲れてしまった。夕方から仕事再開。朝、いつもの池にいくと、蓮の葉がたくさん折られていた。都会でチューリップの花が切られたら、ニュースになるだろうに。折られた茎に花火がさしこまれていたのも何日か前に見たことがある。 夜、歩いている時に思った。元気になってくるにつれて、欲が深まってきている、と。何時間でも仕事を続けられる(原稿を書き続けられる)強靱が体力がほしいと思ってしまう。今週は金曜日に病院に行くことになっている。今回は採血をする。 蓮の中をのぞいてみた。蓮の奥に盛夏に咲いていた蓮の花が見えた気がした。知っている人は少ないだろうが、子どもの頃、テレビドラマに出てきたタイムトンネルのことを思い出した。
2008年08月27日
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今朝ははっきりしない天気だったので傘を持って出かけた。傘があると写真を撮るのには不便なのだが、急に雨に降られ、カメラを濡らすわけにはいかない。コスモスを撮るには風が強く、向日葵はもうほとんどが頭を垂れていた。ずいぶん長くピントを合わせては、シャッターを切らないということを繰り返していた時、目の前にこの鳥が現れた。モズではないかと思ったが、違うかもしれない。セッカならスズメだし…鳥の名前をまったく知らない。望遠レンズもないので諦めていたが、思いがけず、こんなふうに撮れて嬉しく、一日心が晴れやかになった。向日葵の種をねらって鳥が集まるのなら、しばらく通おうかと思った。蝶や蜻蛉と違って、近づいて撮ることができないので、難しいと思った。 アドラーの翻訳の続き。「誰かが植木鉢をちょっとした振動でも通行人の頭に落ちるような窓際に置くことと、それを通行人に投げつけるというのでは同じではない。しかし、不注意な人による行動様式には、しばしば犯罪者と同じ敵意が根底にありうるということを見誤ってはいけない」とアドラーが書いているので驚いて、どういうことなのだろう、とあれこれ考えながら訳していると、なかなか進まなかった。とてもゴールまでたどり着けないと今回も思っていたが、ゴールが少し見えてきた。マラソンのように、強い精神力がいる。もちろん、精神主義で訳せるはずもないわけだが。
2008年08月26日
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今日は涼しかったので、仕事が進んだ。朝、早く目が覚めてしまい、夜が明けるまで原稿を書いたり、翻訳をしたりして過ごしてから出かける。 もう長く毎日アドラーの講義を受けている気がしている。翻訳者がこんなことをいってはいけないのかもしれないが、すぐにはアドラーの意図がわからないことはあって、考え込んでしまう。同じ時代に生きて、質問ができたらよかったのに、といつも思う。 セセリチョウは時速60キロで飛ぶといわれている。目にも止まらぬ速さで飛び回り、時折、こうして花に止まったところを撮った。シャッター速度はかなり速いのになお脚が少しぶれている。花の名前は調べてみたがわからなかった。
2008年08月25日
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息子が帰ってしまって家の中が静かになってしまった。夕食後、デザートの果物の皿が4つ並んでいて驚く。もう息子は帰って、いないのに。「時間の流れが違うのだ」と息子はいっていた。東京の方が速いということである。こちらでゆっくりできたのならいいのだが。 新しく本を出版すると、売れ行きがどうしても気になる。amazonにいつまでたってもきちんと登録されないので(ページがあるのだが、名前とリンクされない)何度もアクセスしてしまう。 写真は家の近くの川で撮った。子どもの頃、何も見えなくなるまで釣りをした。今はアユモドキを保護するためにここで釣りをすることは禁じられているようだが、アユモドキが釣りのために減ったとは考えられない。
2008年08月24日
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しばらく帰省していた息子がもうすぐ帰る。今回は、ゆっくりできたようでよかった。ドイツ語の辞書や他の本などを持って帰るようにいう。 『アドラーに学ぶ―生きる勇気とは何か』が刊行された。息子が夕方読み始めた。僕は、どんな感想をいわれるかと思うと針のむしろにすわっているような思いだった。「アドラーは、人間の悩みはすべて対人関係の悩みであるという。本書においては、対人関係のみならず、生の直下にあって生きる勇気を失わせかねない老い、病気、死にいかに対処するかを考察する」(本のカバー裏コピーから) 向日葵の写真を最近たくさん載せたが、蓮も元気に咲いている。 蓮の葉に雨がかかった時の様子を動画におさめた。目にもとまらぬ速さで既にある雨滴までジャンプする様子がわかるかもしれない。リンクはこちら。
2008年08月23日
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昨日の夜は、ソフトボールの観戦。娘が高校には行ってからしばらくソフトボール部に入っていて、休みの日も練習や試合に出かけていたことを思い出してしまった。結局、一度もユニフォーム姿を見ることはなかったのだが(ちょうど僕が病気で倒れた年だった)。心臓移植をした西山選手。バイパス手術で心臓を止めるだけでも、不安だったことを思う。 朝、気温が低く、長い時間歩いた。写真も撮ったが、考え事をしてばかり。机に向かっている時よりも、考えが浮かぶ。 写真は、昨日の夕方に撮った。今、向日葵園になっている隣がもうすぐコスモス園になるが、既に咲き始めている。
2008年08月22日
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2008年8月21日木曜日 今日は一日クーラーを使わないで過ごすことができた。夏の暑さはつらいが、秋風が吹き始めると、それはそれで寂しい気がする。 To Do リストが少しも減らない。フル稼働で働いている。もっとも病気前ほどの(コンピュータでいえば)メモリーの容量がない。一度に手がける(起動する、か)仕事を制限する必要がある。 夕方になると、出かけたくなって仕方ない。向日葵は早くも多くが頭を垂れている。この写真は昨日の夕方に撮ったもので、下を向いた大きな向日葵の萼(に見えるところ)に雨水が溜まっていた。そこからしたたり落ちる雨水を撮りたかったがうまくいかなかった。その代わり、そこに写っている向日葵を撮ってみた。
2008年08月21日
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3時頃強い雨が降る。危うく、洗濯物をぬらすところだった。ちょうど歩いているときに雨に降られたと娘が服を濡らして帰ってきた。雨上がりに写真を撮りに行くのは楽しい。踏切を渡るとき、ふと異界に入ったような気になる。
2008年08月20日
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午前中、息子と話し込む。楽しい時はすぐに経ってしまう。 昼から人に会う用事があって、時間まで喫茶店で仕事をしていた。僕の他に数人客がいたが、ほどなく皆帰り、バイトの人も帰ってしまった。閉店の時間にしては早いがひょっとして、と少し不安になりかけた時に、マスターが分厚い本を手に客席にすわって、一心不乱に読み出されるので驚く。僕の今の生活では、朝目が覚めたら、すぐに本を読み、訳し、原稿を書き、夜寝るまで本から離れることのない生活であり、その中で気をつけないと本を読む喜びを忘れてしまいそうになる。空いた時間に本を読むこの人の姿に心を動かされた。 夕日がきれいだったので回り道をして向日葵園に立ち寄ってから帰った。
2008年08月19日
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まだ暑いが秋の気配がする。コスモスが向日葵に混じって咲いていた。
2008年08月18日
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朝、久しぶりに涼しく感じられ、クーラーを消し窓を開けて仕事。その後、向日葵の写真を撮りに行く。もちろん、暑いけれども、昨日までの暑さとは違う。向日葵の横にコスモスが咲いていた。 福井重数さんの写真展に行く。長年にわたって撮られた野鳥の写真には強く心を動かされた。写真展は明日まで(ガレリアかめおか、17時まで)、必見。福井さんのホームページ、from-kameokaでも写真を見ることができる。うんと遠くから望遠レンズで撮ってられるのかと思ってたずねたら、10メートルくらいの距離で撮られると聞き、驚く。 「それ以上離れると、鳥の息づかいが感じられなくなります」 そう語る福井さんの笑顔がミユビシギの表情と重なった。
2008年08月17日
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息子が帰ってきて、かつていつもそうであったように過ごし始めると、家の中のいろいろなことが変わってくる。昨夜は息子は遅くまで起きていて、娘もめずらしく遅くまで友人と電話で話していた。そんな気配を感じながら横になったら、本を手にする間もなく眠ってしまったようだ。 今日も早く起きて写真を撮りに行くつもりだったが、疲れてしまったのか、8時ぐらいまで寝てしまった。 何日か前せっかく早く起きたのに空はどんよりと曇っていて、今にも雨が降り出しそうだったが出かけたところ、近くの池まで行って少し写真を撮り始めたところで中断を余儀なくされた。その時、蓮の葉に注意が向いた。最初は見てないが、いくつかの雨滴が葉の上にあって、雨が葉にかかると、雨は小さな球になって、既にある雨滴に飛んで行くのだ。転がっていくというのではなく、まさに飛んで行く。そうしていくつかある雨滴は大きくなっていった。その様子を飽くことなく眺めていたが、後で思えば、動画で記録することもできたわけである。 この写真はアメンボ。コメントをくれた人には水面を歩くイエスに喩えた人もあった。
2008年08月16日
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新刊(21日刊行)『アドラーに学ぶ―生きる勇気とは何か』(アルテ)の見本刷が届く。心筋梗塞で倒れてからの二年の間に考えたことを集約した本といえる。老い、病気、死の問題を正面から扱った。10月からの近大姫路大学看護学部での講義(生命倫理)の教科書でもある。 帰省中の息子に本を渡すと(その前に前回帰省以後に出版した訳書も渡した)どうしてこんなことができるのだと驚く。ずっと家にいるから、仕事するしかないではないか、と答える。 写真は、昨日の続き。Flickrでは、そして子どもたちが大きくなると、という題をつける。時代が新しくなったので、セピアではなくカラーにした。
2008年08月15日
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帰省中の息子も一緒に墓参り。歩いても15分くらいで行けるところにお寺がある。昨日、お経を上げにこられた住職の息子さんに挨拶する。小さい頃から知っているので、成長に驚く。 昨日、逆光に照らされた向日葵を撮るために夕方出かけた。写真のこの家族を見ていると、小さな時のことを思い出した。何かと口実を作って一緒に出かけるのを避けていた気もするが、小さな頃はそんなことはなかったかもしれない。
2008年08月14日
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朝、息子が帰ってきた。しばらく滞在する予定。何気ない話をしているのに、ふいに議論が始まる。 お盆なのに休みなく仕事。常は昼間ダイニングを占拠して仕事をするのだが、しばらく自分の部屋にこもらなければならない。 夜中に何度か目が覚めたので、流星が見えないかと外に出たが、薄い雲が空一面に広がっていた。流星群といっても、降るように見えるわけではなく、また花火のような華々しさもないが、これまでの経験では、流れ星を見てしまったという思いがじわじわと胸の中で広がっていく。 早朝に田んぼの畦道を歩く。既に暑い日になる予感はあるものの、稲についている滴を見ると、心が澄む思いがする。
2008年08月13日
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今日も朝早く起きて向日葵を見に行く。ヒメアカタテハが向日葵に停まった写真を撮ることができて、今日は一日気分がよかった。考えることがたくさんあって原稿はあまり進まなかったのだが。 新しい書き下ろしは21日に発売決定。『アドラーに学ぶ―生きる勇気とは何か』(アルテ)。乞うご期待。
2008年08月12日
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今日は体調がよくて、力がみなぎっている気がした。遅くまで原稿を書いていたのだが。 駅の近くに向日葵が咲いている。何日前電車から見た時は、まだあまり咲いているように見えなかった。それでも、一輪でも二輪でも咲いていたら写真を撮れるだろうと思って、蓮を見てから、向日葵畑まで足をのばしたら、思いがけずたくさん咲いていた。 小田実の本に書いてあった話を思い出した。リンドバーグの時代、アメリカから大西洋を越えて飛んできた飛行機が畑のど真ん中に不時着した。飛行家はやってきた人をつかまえて、ここはどこだ、とたずねた。フランスとかベルギーという答えを予期していたが、その農民は空から降ってきた飛行家に動じることなくいった。「ここはジャンの畑だ」
2008年08月11日
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小田実の『世直しの倫理と論理』(岩波新書)を読み始める。冒頭、「気楽に読んで下さい」と書いてあった。病院のベッドで寝そべりながら、気楽に書いたから。「しかめつらしく、まるで世の中の苦悩を一身に背負い込んだようなこわい顔で読まないで下さい」「そのまえに、おなかのなかに何かを入れておいたほうがよい。私の考えでは、空き腹で本を読むと、衛生にわるい」 どうも、僕はいつも「こわい」顔で原稿を書いているようだ。それでは、おなかをふくらせて、横になって読もう。 でも、今日は原稿を快調に書いているので、寝てしまうと惜しい。 朝、近くの植物園へ。今はあまり花は咲いていないが、夏水仙、桧扇(昨日載せた)などきれいな花もある。暑くて、植物園の中にある水道(井戸水?)の栓をひねって顔を洗う。 『アドラー心理学入門』の中で井戸水のことを書いたが、この頃、顔を洗う時、しばらく水を出したら冷たくなるような気がすることがある。水道水だからそんなことはないのだが。冷たい井戸水が懐かしい。
2008年08月10日
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今日はヴァイツゼッカーの研究会。まだ病み上がりで(ヘルペスを病気といっていいのかわからないが、まだ抗ウィルス薬を服薬している)、疲れやすく、集中力を維持するのが難しい。ただ暑かっただけかもしれないのだが(ただ、というにはあまりに暑かった)。 来週、息子が帰ってくる。二週間ほどいられるようで、その間、勉強するために、本だけ先に宅急便で届いた。 写真は桧扇。去年初めて見た。今年も見られて嬉しい。
2008年08月09日
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明日までに読まないといけない本があって読もうとしているのだが、テレビがオリンピックの開会式を伝えていて、見てしまう。四年前のアテネの時は、まだ元気だ他、などとあれこれ思い出す。東京オリンピックの時には、授業時間に学校の体育館に据えられたテレビで競技を見た。あれからいろいろなことがあった。僕も家族も世界も。よくなったのだろうか。 今日も蓮の葉にのっている雨滴の写真。
2008年08月08日
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試験の採点の締切が8日なので今日中に成績を返送しなければならなかった。ぎりぎりまで迷っていたが、無事遅れてよかった。 今夜は家の近くの河川敷で花火大会。微熱があってどうしようか迷っていたが、歩けばすぐだからと思って出かけた。もっとも常は見ることがない多くの人出があって、倍くらいの時間がかかった。日が落ちたのに猛暑。疲れた。娘は高校3年生だったが、僕が3年生の時、花火を見ないで勉強していたことを思い出した。見たとしても一時間くらいですむというのに。花火の振動で家が揺れ、勉強には少しも集中できなかった。 写真は朝撮ったもの。よければ大きくして見てほしい(クリック→大きくして見る。日が照り始めて、雨滴が蒸発しようとする瞬間なのか。よくわからない。水滴同士が繋がろうとしているようにも見える。
2008年08月07日
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どうしようかと迷ったが、受診した。若い先生は懐疑的だったが、前回も最初はこんなふうだったといい、強くこれは(単純)ヘルペスだと主張したら、バルトレックス(抗ヘルペス剤)を処方してもらえた。これは恐ろしく高い薬だが、仕方ない。もう症状が出ているので手遅れかもしれないが、早く飲み始めたので、前回や、去年の手術後のようなことにはならないだろう(前回は、様子を見ようということになって、その間に症状が悪化した)。アトピーと相まってひどいことになって、外出するのも億劫になったほどである。「ぴりぴりしますか」「しません。痛みはないのです。でも、いつも気になります」「違和感があるのですね」(厳密にいうと、僕が感じているのは、「違和感」ではない。症状がない時に、調和感があるわけではなく、皮膚に意識が向かないというだけである。今は、ただ「存在感」がある)。自分の感覚を信じようと思った。 それにしても、強いストレスがかかるほど仕事をしたとは思えないのに、困ったものだ。
2008年08月06日
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またヘルペスになったかもしれない。一度、なると何度も発症するらしい。どんな時になるのですか、と過日受診した時、たずねたら、紫外線に当たった時、ストレスがかかった時ということだった。外に出ないわけにもいかないし、ストレスがかからない仕事などありえない。ストレスが3つ同時にかかったら、心筋梗塞になるといわれたこともあった。 蜻蛉とにらめっこした。母親しかかわいいと思えない顔というコメントを書いた人もあったが(あんまりだ)、接写すると、思ってもいなかった細部が見られ驚く。レンズが複眼にくっつくのではないかと思うくらい近づいた。
2008年08月05日
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今日も暑くてまだ一歩も外に出ていない。父と電話で長く話す。昨日読み始めた『パイドン』の刺激が強く、書きあぐねていた原稿が先に進みそうな予感。長いのも短いのもあるが、いくつかの原稿のファイルを常に開いていて、並行して書き進めている。本を何冊か同時に読むよりは難しい。 ファインダーをのぞいてあれこれ迷っていてはいけない、ぱっと撮るべきだと書いている写真家がいて、それもたしかにそうかとも思ったが、例えば、花の写真を撮る時には、じっくりと観察する必要がある、と昨日、蓮の絵を描いている男性を見ていて思った。蜻蛉や蝶であれば、とにもかくにも撮影できたらよしということもあるのだが。
2008年08月04日
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日曜は読書会。プラトンの『パイドン』を読み始めた。この会では日本語訳で読んでいるが、初めてギリシア語で読み通したのは、1980年の2月1日であることが、最後のページにある書き込みでわかった。そんなに前のことでもないのに記憶がいくらかあやしくなってきている。この年の4月に大学院に入った。そして秋に母が脳梗塞で倒れ得、翌年の1月に亡くなった。 会に備えて、何日も前からあれこれと本を読み、準備をする。学生の頃とは違った読み方をしていることに気づく。そうでなければこの間何をして生きてきたのかということになる。 朝、蓮を見に行く。一人の若い男性が蓮の前に立つと、鞄からカメラではなく、スケッチ帳を取り出して、写生を始めた。 池の中の魚は、この季節、蓮が咲くということを、どんなふうに受け止めているのだろう、と思った。
2008年08月03日
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最近、たまたま書店で見かけて『最後の授業』(ランダムハウス講談社)という本を読んだが、著者のランディ・パウシュ氏が先週亡くなったというニュースを聞き、驚く。インターネット上で見られるはずだが、講義のDVDがついていて、時間ができたら見るつもりだったのに忙しくて封も切ってなかった。本を読んだのでもはや知らない人ではなかった。当然、人を知る程度は様々だが、何らかの形で別れることがあれば、人は小さく死ぬのだ。 毎朝、憑かれたように蓮の写真を撮りに出かけている。
2008年08月02日
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今日は長い時間仕事をしていたからか、夜、外を歩いていたら、よく見えなくて驚いた。 読書会に備えてプラトンの『パイドン』の最初のところを読んでいた。魂は不死だと熱く語るソクラテスの言葉を読んでいたら、2004年の2月に亡くなった藤澤令夫先生のことがしきりに思い出された。今の僕はたとえ魂が不死ではないほうに賭けている。 朝、蓮を見に行くと、この写真のように蜜蜂が忙しそうに飛び回っている。この写真は小さくてわかりにくいが、オレンジ色の花粉袋が重そうに見える。
2008年08月01日
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全30件 (30件中 1-30件目)
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