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いい天気だったのに昼までは頑張ろうと思って机から離れなかった。その後昼食をとったらひどい睡魔に襲われた。日が少し長くなったとはいえ、目が覚めたら日が傾き始めていてもったないことをしたように思った。今日も夕食の支度をしながら家族の帰りを待つ。 有吉玉青の『身がわり』読了。有吉は母、佐和子とロンドンに出かけたことがあった。その時ヒースロー空港で日航の支店長が出迎え、その時渡された名刺を母は娘に「あなたが持っていなさい」と渡した。後に、ロンドンに滞在中母の訃報を聞き急遽帰国することになった時、有吉は母から渡され、パスポートケースにしまわれていた名刺のことを思い出し、支店長に翌日の便を取ってもらうことができた。「母は、母は、こんなことのために、私にあの名刺を渡したのだろうか?」(p.165) 虫の知らせというようなことをいう人があるかもしれない。無論、こんな出来事は何事もなければ忘れ去られるのだが。 アドラーがこんなことを書いている(いずれもDer Sinn des Lebensから)。「この地球の上でくつろぐ人は、人生の快適なことだけではなく、不快なことも自分に属していることを確信している」「自信があり、人生の課題と対決する前になった人は焦燥したりしない」
2007年01月31日
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今日も気持のいい日で外を長く歩く。毎日、身体のために歩いているのだが、たまにはそういうことを考えないで歩きたい。それと共に片時も脳裏を離れない病気のことも忘れたい。病気が治れば、と思うのをやめることにした。治らないかもしれないし、この身体と折り合いをつけて生きていくしかないから。そう思ってから少しふっきれた。 夜眠る前耳鳴りがすることがある。血の流れが聞こえているのだろうか。 退院した後は闘病記をたくさん読んだが(今も読むが)、最近は少し傾向が違う。『「病い」の存在論』(得永幸子、地湧社)、『病床の心理学』(ヴァン・デン・ベルク)など。
2007年01月30日
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『身代わり 母・有吉佐和子との日々』(新潮社)を読んでいると、この母親は無邪気で子どものような人だと感心する。好奇心も旺盛である。ふと若く死んだ母のことを思い出した。でも考えてみれば、有吉は53歳、母は49歳で亡くなったのだが、僕自分の今の歳を考えたら、まだまだ大人になりきれてないところがあるようにも思う。では大人とは何なのかと問われて答えがあるわけではない。 プラトンがこんなことを書いている。正しい生き方とは何か。それは一種の遊びを楽しみながら生きることである(『法律』803e)。いくつになっても遊べるのは子どもだろ。 同じプラトンの対話篇にはこんなことも書いてある。 年とった神官がいった。「あなた方ギリシア人はいつでも子どもだ。ギリシア人に老人はいない」 この言葉の意味を問うたソロンに神官は答えた。「あなた方は皆、心が若いのだ」(『ティマイオス』22b) 昼間、少し歩く。日の光が眩しかった。
2007年01月29日
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今日も図書館へ出かけた。コンピュータで調べ貸し出しされていないことを確認して行ったのに開架に見当たらなかった。スタッフにそのことをいうと驚き、時間をかけて調べられたのだが見つからなかった。本が「ない」ということは本が「ある」かという確認があってわかることである。がっかりして何も借りなかった。帰り道、人の知識も同じだろう、と思っていた。知らないことすら知らないことはたくさんあるだろう。このことについて知らないということを知っているのはそれに比べるとはるかに知っているといえる。知らないといえば知らないのだが。 宮内勝典は高校生時代学校に行かずに、部屋に閉じこもってひたすら本を読んでいた。今でいう不登校生徒だったが、「不登校がつづくので、担任の先生が様子を見にきたこともあった。だが部屋中に積まれた本の山を見て、なにも言わず、灰皿の下に千円札をそっと挟んで帰ったいったこともある。当時の千円は、現在の二、三万に相当すると思うが」(『海亀通信』p.233) 高校生の時、受験勉強もそこそこに哲学の本を読んでいたが、そのことについて何もいわず英語の原書を貸してくれた先生があったことを思い出した。学校のことも喫煙のことも大人がいってきかせるまでもなく、本人はそのことの意味を重々承知しているだろう。
2007年01月28日
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気が高ぶって朝方まで眠れなかったが、常より遅くまで寝られたので、予想していたほど眠くはなく仕事を進めることができた。もっと早起きをして、午前中だけ仕事をして、後はゆっくり過ごそうというようなことを考えていたことがあるが、体調がよければ読んだり、書いたりしている。時々身体にごく小さい内出血の痕を見つけることがある。薬が効いていることなのだろう。効いているというより効きすぎていると思うのが鼻で、常時軽く充血している。これがなかなか苦しいが薬を飲まないわけにはいかない。これさえなければ完治したのではないかと思えるくらい調子がいい時もあるのだが。 今日は図書館へ行く。近くにあるのでありがたい。何冊か借りたのだが、たまたま母親のことを書いたものが重なった。 一つは安岡章太郎の『海辺の光景』。精神病院に危篤の母を看取る話。若い頃読んでいるはずだが、母を亡くし、その後思いがけず精神科に勤務する経験を経た今では同じものを読んでも違う思いがするだろう。 もう一つは有吉玉青の『身代わり 母・有吉佐和子との日々』。有吉佐和子のものはあまり読んだことがないが、『和宮様御留』は印象に残っている。皇妹和宮の身替りとなって徳川家に降嫁した少女フキの生涯を描いたもの。読み終えた時、暗い土蔵の中にフキを見た気がした。なぜそんなふうに思ったかは今となっては思い出せないのだが。佐和子は急性心不全で五三歳で亡くなっている。
2007年01月27日
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昨日は診察でテンションが高かったが、今日は疲れていてあまり進まなかったが、次回の診察日に今後の方針をはっきり決めようという話になったからかふっきれたようで、身体の調子はよかった。心臓とは関係がないといわれているので安心はしているが呼吸が苦しいことがあって、昨日は待っている間も辛かった。どうやら緊張するとよくないらしい。今日は普通に息ができる。 一日を区切りとして生きればいいのだろう。朝生まれ、夜死ぬ。次の日、目が覚めれば幸い。 澁澤龍彦の『高丘親王航海記』。高丘親王は天竺を目指すが、病に冒される。天竺まで海を泳いで渡り、ひた走る虎がいることを聞く。親王はその虎の腹中におさまって、天竺を目指すという。「まるで牛車にゆられて、ゆるゆると物見遊山に行くようなものじゃ。虎がわたしのかわりに、わたしを腹中にかかえて、天竺まではこんでくれるとは、なんたる妙案だろう」 高校生の時宗教の時間に、初めて聞いた釈迦の飢虎投身の話を思い出す。ある晩、親王は草原の上に身を横たえ、一晩中、弥勒の宝号をとなえ虎のくるのを待ったが、その日は虎にめぐり会えなかった。「なかなか死ぬのもうまくいかない。いやなに、あすこそは」 そしてあくる晩…… アドラーのテキストを読んでいると厳しい言葉が多い。「いつもただちに満足することを要求する人は、人生に敵意を感じることを止めることはない」「人生にあまりに期待するので、他の人よりも容易に失望する人がいる」
2007年01月26日
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今日は診察ということで朝からいつになくテンションが高かったが、診察がかなり遅れていて待ち時間が長く疲れてしまった。待合室というのが別にあるわけではなく、診察室の前に長椅子が置いてあるだけだが、人が多いとすわれないことも稀にある。健康な人でも同じだが、長く待つのはとりわけ患者には辛い。僕がかかっている7診は循環器内科で高齢の人が多い。僕は若い方だろう。でも誰も文句もいわず、粘り強く待っている(ついでながら内科はこんなふうに1から7まで分かれているのだが、「4診」というのはないことに気がついた。こんなことにこだわる人があるということか)「わしの名前を覚えてくれたんか」と診察室の前のいすにすわって待っていた男性が、中に入るように名前を呼ばれた時、うれしそうに話される。声を聞いただけなのでよくわからなかったのだが、中待合室に入るように名前を呼ぶために診察室から出てきたスタッフが明らかにその人の名前を確認する前に顔を覚えていて、その人に声をかけたのだろう。名前を覚えてもらえるのはうれしい。一個の人格として認められた思いがするからだ。入院していた時に、患者の名前を覚えているものですか、と看護師さんにたずねたことがあった。さすがに検査のために二日だけ入院した人の名前は覚えられないことがあるが、大抵覚えているということだった。 昨日の夜、家人と、このまま手術を受けなかったらどれくらい生きられるだろうという話をしていた。何年生きたら満足かという問いに僕は即答できなかった。欲が出てくる。入院中、自宅療養で外に出られなくても原稿を書く生活はしたい、と主治医に訴えたことがあったが、今はそれ以上のことを求めている。うかうか時を過ごしたら10年生きても満足できないだろうし、その間懸命に生きればもっと、と思うだろう。
2007年01月25日
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受診。心電図を取るので予約の時間より早く行く。初めてのことだったので、どれくらい待たないといけないのか、どれくらいかかるのかわからなかったので余裕を持っていったが、誰も待っている人はなく、検査は5分ほどで終わった。幸い異常は認められなかった。 バイパス手術は次回の受診日に決めることになった。少し命拾いしたような気がしないわけではない。しかし手術は不可避。10年後のこと(考えられない遠い未来のように思える)を考えての選択である。できたら長く生きてみたい。目下、不義理をして迷惑をかけてばかりだが、必ず元気になるので許してもらえたら、と思う。手術の日まで生き長らえますように。
2007年01月25日
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いよいよ明日受診。手術について結論が出るか不明。前回は見送りになったが、手術の話になる前に血圧測定をしたところ150まで上がってしまった。 昨日図書館で借りてきた『死との対面』(安岡章太郎、光文社)を半分ほど読む。安岡が心筋梗塞を患ったことは、水上勉の著書で知っていたので、あまり期待もしないで読み始めたがおもしろい。若い頃脊椎カリエスで寝たきりの生活が何年も続いたが、病床で腹ばいで原稿を書き始めたのが、安岡の作家としての人生の始まりだった。数行しか書けない日もあったが、毎日書き続けていると枕元に書き上げた原稿用紙が何枚か溜まるようになった。「オレは一体何のためにこんなことを」というのが口癖だったが、書き上げた原稿用紙がかなりの厚みになって溜まっているのを見てある日「おや」と思った。「そうだ、おれはオレはこれを書くために、生きている……」(p.61)。集中して書いていると、痛みも忘れた。 テレビ番組のデータ捏造が問題になっているが、捏造どころかイラク戦争開始の際の大義名分は、大量破壊兵器の存在だったのに、結局見つからなかったことは記憶に新しい。小泉前首相はこんなことまでいっていた。「「フセイン大統領が見つかっていないからといってフセインが存在しなかったといえるか」と。結論が先に決まっていたら、それらしいデータを作るか、さらにデータがなくても決めたことはやり遂げないといけないのだろう。 食生活を今のままで納豆を食べることだけを新たに始めるというところが多くの人が納豆に飛びついた理由だろう。聞くだけで英語が上達するという広告もよく見かける。ありえないと思うのだが。湯川秀樹が中間子論にたどり着いた頃の日記が公開されたが、日頃の努力があっての直観、インスピレーションだろう。
2007年01月24日
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「<永遠>の感覚―時間に使役されることからの解放―自分に戻ること―<いま・ここ>を喜ばしい気持で抱きとること」(辻邦生『夏の光満ちて』p.173) 自分の身体のことなのに自分に起こっていることがわからないのははがゆいことだ。横になった方がいいと考えて横になることがあるが、そんな時はひどく不安になる。今日やろうと思っていた仕事を先延ばしにしては後悔する。 今日は頑張ったので、この時間、いつもよりも満足感がある。それでも午前中は逃げ出したい気持で一杯だった。本を買いに行くことくらいなのだが、必要な本はもうかなり揃え、読む進むことだけが残っていて、新しい本を手に入れる資力も時間もないのだが。結局、夕方までコンピュータの前を離れなかったので出かけるチャンスを逸してしまった。 昨日は夜寝る前、お腹が減ってつらかった。寝る5時間前から何も食べてはいけないなどと本には書いてある。そんなことはできるとは思わないが、理屈としてはわかる。食事の摂生に関しては我ながら意志が強いと思う。 2時頃には仕事を終えて横になった。ぼんやりする意識の中で食べ物が浮かぶ。夢なら食べてもいいんだ、と食べ始めたら途端寝てしまったようだ。残念。
2007年01月23日
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今日は午前中翻訳の仕事。昼からは茫然。何もできず外にも出られなかった。ようやく夕方外に出かける。空気が冷たく、雨まで降り出したので引き返そうかと思ったが、そのまま歩き続ける。雲間に月が見え隠れした。『古寺巡礼』に和辻哲郎がこんなことを書いている。「昨夜父は言った。お前の今やっていることは道のためにどれだけ役立つのか、退廃した世道人心を救うのにどれだけ貢献することができるのか。この問いには返事ができなかった」 いつか僕の父がたまたま僕が手にしていた講演の案内パンフレットを見て、「お前は人助けをしているのだな」といったことがあった。実際に僕がしていたこととずれがあるようにも思ったが、大学院を終えてもいつまでも就職しない僕を見て苦言を呈していた父とは違った。 身体のせいにはしたくないが、今日するべきことを次の日にまわして寝てしまうことが多くなったように思う。 月に一度人が集う日があるのだが、その時は僕のテンションが高いといわれた。僕にとって人と話をすることは生きる喜びの一つなのに一日の長い時間を声を発することなく過ごすのでこんなふうになるのだろう。
2007年01月22日
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納豆ブームはデータ捏造ということで終わりそうである。山本七平が『「空気」の研究』で、こんなことをある本から引いている(pp.150-1)。発言者はスイスの製薬会社社員。「日本は、実にふしぎな国である。研究室または実験室であるデータが出ると、それを追求するよりも早く、何かの力がそれに作用する」 この「力」が山本がいう「空気」で、これは絶対的なものとして存在し、人を支配するように見えるというのである。このような力が働く例は日常的に見られるだろうし、その例は枚挙にいとまがない。今は国民感情という言葉も使われるようだ。 今日は気が散漫で何も手につかず、こんな時間になっても歩きにでようかとまだ迷っている。 焦らないこと。来週はいよいよ受診。今度は心電図をとることになっている。病気のことを知らずに電話をしてきた人が、声を聞いたら元気そうで、といってくれる。自営業の彼は、僕が一度、店の前を通りかかるのを見たという。元気そうに見えるのはありがたいことである。
2007年01月21日
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朝、義母がくる。僕の母は僕が四十九歳で脳梗塞で亡くなったのだが、生前に縫いかけ完成には至らなかった僕の絣の着物を見つけた義母が後を継いで縫ってくれたのである。まだ仕付け糸が残っていてその一部は母の手によるものだった。母が亡くなって25年も経っているのに、こんな形で母の遺作に接するのは不思議な気がする。 その後、選挙へ。市会議員の選挙なので、投票時間が終わればすぐに開票速報が出て、僕が投じた票がたちまち無駄になったことがわかるということはないだろう。
2007年01月21日
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今日は昼から前の家に行っていたので静かに過ごせたが、帰ったら途端に電話。投票依頼の電話である。「今回の選挙のことについてご家族やお知り合いの方はどう思ってられますか」。僕に電話をかけてきた人が僕の考えを聞かないので驚く。僕は最初から投票するものとしてカウントされているからか。「ぼくの考えならいえますが、他の人がどう思っているかわかるわけないですか」というと早くもしどろもどろ。「今回は何人選挙に出てられるのですか」「36人です」「いえ、僕がたずねたのはおたくの党から何に出ているかということです」「5人です」「名前を教えてください」「えっと、A, B,...C。あれ?」思い出せないのである。一体、僕に誰に投票するというのか。「何かを書いているときがいちばん楽しい」(辻邦生『夏の光 満ちて』pp.100) もう長い間手書きはしないのでノートを手に入れてもなかなか最後まで書かないのだが、去年の秋くらいから頑張って文字で埋めたので最後のページまで書き終わる。新しいノートに書こうとすると思いがけず緊張する。前のノートは最初の方は入院していた時に書いていたので、ノートを開くたびに入院時のことを思い出していた。新しい一歩。
2007年01月20日
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前の晩十分眠れなかったが頑張って午前中仕事に取り組む。あまりに眠いので近くのスーパーへ。納豆があるかと思って棚を見てしまう。早い時間だったからか、山積みだった。にわかに食べ始めた人たちが飽きるまで、後どれくらいかかるだろう。「太陽を河波の反映を、雲を、葡萄酒を、通りすぎる女たちの微笑を、心から楽しまなくて、どうして生きているといえるのか」(辻邦生『夏の光 満ちて』pp.61-7)『アドラーを読む』の中で人はどんな状況においても自由でいられるということを書いた。それとて必死に苦境に耐えるというのではなく、どんなふうであっても楽しめたらと思う。こんな経験はめったにできないと。澁澤の小説に描かれる高丘親王はいつも楽しめる人である。それが死ぬことであっでもである。『森有正エッセー集1』(ちくま学芸文庫)を手に入れる。全集を持っているのでいらないといえばいらないのだが。一巻には『バビロンの流れのほとりにて』と『流れのほとりにて』という二つのエッセーと同時期に書かれた日記が収めてある。
2007年01月19日
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この頃はあまり遠出をすることはないのだが、今日は本を買いに電車に乗って出かけた。ついこの間まであったはずのホームのベンチが撤去されていた。目下行われている駅舎工事の関係なのだろうか。前はすわるところを探すということはなかったのに。 選挙は終盤。家にいると選挙カーが喧しい。議員としての実績を判断するべきだと思うが、地縁、血縁に頼る選挙のようで、電話に出ると、知らない人から(名前をいわれても誰か思い出せない)投票を頼まれる。「議員の奥様からも電話があると思います」。別にしてもらう必要はない。 和辻哲郎の『倫理学』(岩波文庫)を手に入れる。今月から四冊刊行される。今日から見れば和辻の哲学にも問題があるのだろうが、学生の頃、和辻のような日本語を書きたいと思って原稿用紙に写したことがあった。 澁澤龍彦が自らの死を予感しながら書いた『高丘親王航海記』を読み終える。読んでいる間、高丘親王と作者の澁澤が生きていたので、脱力感が襲う。澁澤は高丘親王にこんなことを語らせている。私はずっと何かを求めてきたが、何を求めているかわからないところがあった。しかし、他方、自分が探し求めている者ものがすべてあらかじめわかっている気もしていた。「なにが見つかったても、少しもおどろきはしなかろうという気持が自分にはあった。ああ、やっぱりそうだったのか。すべてはこの一言の中に吸収されてしまいそうな予感がした」(『高丘親王航海記』p.131)。これから僕を待ち受けていることを前にして、僕もまたこんなふうに思っている。 澁澤が最終章を脱稿したのは4月20日。柳田邦男は「起き上がるのも困難なほど体力が弱っていた中で、書き上げることができたのは奇跡的と言ってよかった」といっている(柳田邦男「新・がん50人の勇気」2007年『文藝春秋』1月号、p.205)。澁澤の妻、龍子さんは「嬉しさのあまり、思わず夫に抱きついた」(ibid.)ということだが、この結末では複雑な思いが残ったのではないか、と思った。 高丘親王が雲南の湖を船で渡る時のこと。ふと親王が船端に首を伸ばして鏡のように澄んだ水面をのぞき見ると、自分の顔が映ってなかった。親王は随行の者の言葉を思い出す。「蒙のいうところによれば、湖水に顔のうつらぬものは、一年以内に死ぬという。迷信だとは思いながら、親王はどきりとした」(p.151) これを書いたほぼ一年後、8月5日に澁澤は五十九歳で亡くなった。
2007年01月18日
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過日、前の家に行ったのは西脇順三郎の詩集を持ち帰るためだったが、近くにあった辻邦生の本に目が留まった。『夏の光 満ちて』(中央公論社)。日記なのだが、毎日、一体どれくらいこれを書くのに時間を当てているのだろうと思うほど膨大な分量である。「いつでもどこでも書く、というのが、ここ何年もの仕事のやり方だった」(p.27)。辻は、モーレア島の椰子の木蔭の小屋でも、北京の冬の夜明けに無数の自転車が走っていくのを見ながら書いた。今日は仕事の合間にこの辻の日記を少し読んでみる。最初に読んだ頃のことを思い出す。辻の書いたものを読むといつも生きる喜びを感じる。久しく忘れかけていた感情である。このことに気づいたことに驚いた。病気のことばかり考えて生きてきた気がする。
2007年01月17日
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今日は夜、尼崎で研修会。R.D.レインが『自己と他者』の中で論じている「属性付与」について考えてみた。手術のことが保留になっているので来月のことがどうなるかわからないままに次回の日程も決めてきた。 夜、眠れなかったので夕方出かけるまで長く眠った。ところが電話がひっきりなしになる。父からだったらどうしようと思いながら出られなかった。たぶん、違うだろう。あれだけ鳴らして出なかったら普通は留守だと諦めるであろうに、電話が切れたと思ったらまた鳴り出した。夜、眠らない方がいけないのか。 帰りの電車で工藤美代子の『寂しい声 西脇順三郎の生涯』(筑摩書房)を読む。中学生だった工藤は西脇に会っている。「なぜ詩を書くのですか」と問うた工藤に西脇がこんなふうに答えた。「詩なんてね、いくら書いたって誰もお金をくれるわけじゃない。ただ自分が美しいものを書いたと思うだけでね」 リルケなら書かずにはいられないというところだろうが、リルケほど力が入っていないようにも聞こえる。「ただ自分が美しいものを書いたと思うだけ」とは言葉ほどには簡単なことではない。
2007年01月16日
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前の家に必要な本を取りに行く。目当ての本だけでなく何冊も持ち帰るので、マンションの方の書斎がすぐに手狭になってしまう。寒い日だったが天気が良く、田圃の中の道を歩くのは気持ちよかった。 古代カルタゴには翻訳カーストのようなものがあったという。翻訳家たちは頭を剃っていて、他の労役は免除されていた。そしてこの職業を示す入れ墨をしていた。一つの言語の翻訳をする者は、羽を閉じたオウムの絵、二つ以上だと、羽を開いたオウムの絵の。須賀淳子がこの話をある本から引いて書いている。「古代の翻訳家たちにふれたこんな文章を読んで、おもわず笑ってしまった。「他の労役はいっさい免除」という密のような条件につられたばかりに、頭をつるつるに剃られ、オウムの入れ墨なんかされて、ぼそぼそパソコンのキーボードを叩いている自分をふと想像したからである」(『須賀淳子全集第4巻』p.497) 労役を免除されても、翻訳などするものではない、と思うことがある。 須賀淳子の全集を文庫で手に入れられるのはありがたい。単行本に未収録のエッセイも読める。 時間が足りない気がしてならない。焦らないこと、といつもいい聞かせている。
2007年01月15日
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昨日は帰ってから、何も書けないほど疲れていたが、今朝は恢復していた。長い時間すわるのは疲れるようだ。自分の判断でいつでも休憩が取れるのならいいのだが。 マンションの入り口にポスターが貼ってある。マンションタイプの光ファイバーの広告なのだが、こう書いてある。「今すぐお申し込みいただけます」。あたりまえのことではないか。僕が手続きした時に、ひどく驚いたので今さらながらわかるのだが、これは「今すぐ使えます」という意味で誤読されることを故意に狙っているのではないか。僕は代理店の若い人が、「それで、工事は1月11日になります」というのを聞いて、ひどくがっかりしたのを思い出す。申し込んだ日、僕は1月か2月に手術のために入院するだろうと思っていたので、僕がいなかったら面倒なことになるだろう、と思った。簡単に騙されるものだ。工事にきた人にこの話をすると、半年かかることもあるのですから一月なら早い方だ、平然という。こういうのはビジネスというのだろうか。ソフトバンクの孫社長はホワイトプランを説明する時に、今回はひっかけや裏はない、といっていた。では最初のは「ひっかけ」や「裏」があったことを公然と認めていることになる。 市会議員の選挙が来週あるようで今朝から喧しくてかなわない。いまどき名前を連呼すれば票を入れてもらえると思っているのだろうか、と選挙の度に思う。入院していた時に病院の前に選挙事務所があって、おりしもその街の市会議員選挙があってつらかったことを思い出した。あの頃は突発的な騒音はひどく応えた。病院の前で名前を連呼する候補者が当選したかどうかは残念なことに確かめられなかった。
2007年01月14日
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月に一度、今年初めてのヴァイツゼッカーの読書会。今日は木村敏先生をはじめ6人が参加。少人数の会だが、充実している。来月は僕が担当することにした(訳をつける)。かなり難解なドイツ語なので大変。自分では読めていると思っていても、読めていないことを思い知らされる。 昨日から滞在している娘の友人が「のだめカンタービレ」を夢中に読んでいる。のだめはフランスに行ったようで、ca va?と娘に話しかけているので、フランス語を教えて遊ぶ。のだめが曲を聞いて覚えるようにフランス語を学んでいくところを興味深く読んだ。テレビのドラマは終わってしまったが、フランス編を作ったらおもしろいだろう。 夕食の時に納豆の話になり、その流れで「流言飛語」という言葉を使ったが娘たちは知らなかった。
2007年01月13日
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今日は皮膚科を受診。僕の一人前の人が年末来痛みで眠れない、ということでただちに手術ということになった。手術といっても局部麻酔をして、化膿した患部を切開。ずいぶん待たされたが、僕のアトピーはかなりよくなっているので、たいへんな人に時間を割いてください、と思いながら待っていた。心筋梗塞で入院した時本当にひどかったのだが、あの頃を思うとよくなった。夜かゆみや痛みのために眠れないことはなくなった。このストレスが心臓によかったはずはない。診察室の前の廊下で待っていたら岡田先生の姿を見かけた。気がついた時はもう遠く離れていたので後ろ姿を見ただけなのだが。循環器科は25日に診察の予約を入れている。 父から電話。午前中の診察で疲れてしまって寝ていたので電話のベルがなっているのはわかっていても起き上がれなかった。そうしたら携帯にかかってきて見れば父だったので驚いた。常はそんなことをしないから何かあったのではないか、と心配になったのだが、心配したのは父の方で僕が電話に出ないものだからかけてくれたのだった。親に心配をかけてばかりだ。 夕方、買い物。納豆があるか確かめてしまう。たしかにないものだ。朝日新聞にも消えた納豆のことについての記事があったが、こんなことは報道しなくていいから、もっと重要な問題をしっかりとりあげてほしいと思ってしまった。
2007年01月12日
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今日は光ファイバーの工事の日で、早くから(4時半、早すぎ)待っていた。待つと時間はなかなか経たないもので、9時半頃にようやくこれから行く、という連絡があった。マンションタイプのもので一月前にNTTの代理店が勧誘にやってきた。その人の説明にはいろいろと間違いがあることがわかったが、実害はなかったのでよしとしよう。工事の人が最初にきて、電話の設定をする。番号を二つに分けるところでつまずかれたようで、プロでもこんなことがあるのだ、と驚く。マンションに最初に越した時はISDNだったが自分で設定をしたことを思い出した。その後、インターネットの接続設定に別の人がくることになっていて、しばらく待っていたら、自分でやってください、と電話があった。受付がされてなかったようだ。マニュアルとCDが置いてあったのでそれを見て難なく設定完了。スピードがあまりでないので、調べたらHubが10M用のものであることがわかり交換した。下りは70MくらいとNTTのプログラムを使ったらでるが、いろいろあるネット上のプログラムを使うと25Mくらいしかない。それでもかなり速い。しかし、この速さにはすぐ慣れてしまうのだろう。 今日、工事にこられたのは若い人だったが、気を遣ってしまった。うまくいかなくて「あ~あ~けちがついたなあ」とぶつぶついいながら何度もコンピュータを再起動する様子を見ていたらちょっと気の毒になった。午前中に何軒もまわらなかっただろうに。 昨日の日記に納豆のことを書いたら、納豆がスーパーから消えたわけがわかった。それにしても人がこんなに簡単に洗脳される(とはいいすぎかもしれないが)というのは恐い話ではある。
2007年01月11日
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今日はあまり進まなかった。 考えがうまくまとまらない時は書いてみてもむずかしくしか書けないが、アドラーが講演をした時にいわれたように、当たり前のことではないか、といわれるようなことを書けたら、といつも思う。実のところはそのように思う人にとっては少しも当たり前ではなかったことをである。 二日前からスーパーから納豆が消えてしまったのはなぜだろう。何かのテレビ番組で納豆が身体にいいと放送がされたか、逆に危険だという番組があったのか。
2007年01月10日
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息子が帰ってしまい、がっかりというか話し相手がなくなって残念である。こちらにいる間にもっと話すことがあったのに、すぐに日が経ってしまった気がする。 澁澤龍彦の『高丘親王航海記』(文藝春秋)を図書館で借りてきた。この本について柳田邦男は「起き上がるのも困難なほど体力が弱っていた中で、書き上げることができたのは奇跡的と言ってよかった」といっている。このようなことは作品の本質とは関係ないのだろうが、そんな状況で書かれた作品がどんなものか関心を持った。自分の未来を暗示するような言葉が書かれている。後の人はそれを見て、死の予感があったであろう、と思うかもしれない。それがまちがっているわけではないが、人は誰でも死ぬわけだから、死後にそんな言葉が作中にあるのを見出しても不思議ではない。作者は生き続ければ、誰もこの言葉は自分の命が長くないのを知っていたのだろう、とは思うまい。 占いがなぜ当たるか。人間があまりに不幸だからである。 図書館では澁澤の他、重信メイの『秘密 パレスチナから桜の国へ 母と私の28年』(講談社)を借りる。Paul AusterのThe Brooklyn Follies(faber and faber)を昨夜から読み始める。 実のところあまり時間がないので、どこまで読めるかわからない。誰もいない静かな昼間に今日はDer Sinn des Lebensの訳稿のチェックを進める。
2007年01月09日
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息子は今日は成人式。式そのものには出なかったようだが、その後の同じ中学校の卒業生だけが集まる会には出たようだ。いよいよ選挙権が得ることができたが、住民票を移さないと東京で投票にいけないので手続きをしてほしい、といっていた。 息子は今夜帰り、明日から学校が始まると平常の生活に戻る。7時過ぎにはもう誰もいない。その後は誰とも話すこともなく仕事。そんな日の繰り返し。こんなふうに過ごせることをありがたいと思う。診察はまだ先である。
2007年01月08日
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北條民雄は、発病以来「生への愛情」だけを見てきて、「生命そのものの絶対的なありがたさ」を知ったともいっている(『いのちの初夜』p.52)。病気になって健康のありがたさを知ったということもあるが、今後よくなる見込みがない時には、健康ではなく(それは取り戻せないのだから)生命のありがたさを知るというほうが、病の人の気持ちを適切に表すかもしれない。 年末に新聞代の集金にきた人がこんなことを話していたのを思い出した。前に狭心症の発作を体験したことがあるという。「今度苦しくなったら妻には何もするなといっているのです」。長患いをしたくないということだが、こんなことは今現に苦しくないからいえることではないか、と思う。もちろん、発作が起きた時に生に執着しても恥ずかしいことではない。「人間とは、すなわち生きているということなのだ」(北條、ibid.)。執着という言葉はあまり適当ではないかもしれない。僕の語感にすぎないかもしれないが。北條が使う、上に引いた「生への愛情」あるいは生への意志という言葉が適当かもしれない。 西川喜作医師がいう「癌妄想」は僕にはよくわかる。「私は癌ではないのではないのではないか、きっと精密検査で癌ではなかったと解放される日が来るように思えたのである」(柳田邦男『「死の医学」への序章』p.192』) 僕の場合、過日の入院の際、この目で冠状動脈が狭窄している様子を動画で見ているのに、西川と同じようなことを思ってしまうことがある。
2007年01月07日
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朝早く目が覚めたのでまだ読み残していた柳田邦男の『「死の医学」への序章』を読み上げる。この本で取り上げられている西川喜作医師の最後の日々をどう過ごしたかを読むとなんともいえない気持ちになる。闘病記の完成稿を編集者が持ってきた時、西川がすでに昏睡状態にあった。 疲れやすくなったように思う。疲労の回復のために長く眠る。幸い前のように眠れないことはあまりなくなった。起きている時は集中して仕事をする。日々、これの繰り返し。言葉が見つからなくて行き詰まったら早めに休みを取るようにしている。しかし本当はこの行き詰まりを越えた時にこそ言葉が見つかるのだが。
2007年01月06日
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昨夜も遅くまで息子と一緒に過ごした。もうすぐ東京に帰ってしまうので、あれこれと話せるのは今のうちである。 柳田邦男の中に『「死の医学」への序章』を読み始めた。この本には癌で50歳で亡くなった精神科医の西川喜作氏のことが書いてある。西川氏が残したテープの中に、犬養道子のことが語られている(p.93)。犬養は結核にかかり、ニューヨークからカリフォルニアにあるサナトリウムまで四泊五泊の汽車旅行をした。重症だったので食堂に行く元気もなく、金もなかったので、ボーイに頼んでサンドイッチとトマトジュースを差し入れてもらっていた。咳や熱のために外に出ていけないのを見たボーイたちは、駅に無線で連絡し、ロサンゼルスに着く前の、療養所のある所に近い小さな駅に、彼らの決断で特急を止めさせた。そんなアメリカ人の勇気と自由に感動した犬養は「私は彼らの励ましと友情に応えるために、治らなければならない。どうしても治るんだ」と決意した。 その犬養の気持ち、この犬養について語った西川の気持ちがよくわかる。 年賀状、メールを毎日拝読。ありがたい。
2007年01月05日
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年末からずっと根を詰めて仕事をしていたからか今日はなかなか起きられなかった。息子がダイニングにコンピュータを持ち込んできてレポートの課題に取り組んでいた。僕も同じテーブルで仕事をする。息子がキース・ジャレットのピアノを聴かせてくれた。勉強を白といったことも、勉強を教えたこともなかったが、よくこんなふうにして過ごしたことを思い出した。「頑張れといってくれたらやる気がでる」というので横で仕事をしながら時々「頑張れ」と声をかけたことも。
2007年01月04日
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正月も出かけずに仕事をしていたが、今日は妹夫婦と甥、姪がきてくれた。昨夜遅くまで起きていたため少し疲れていてあまり話せなかったのだが、若い人たちの笑い声を聞いているうちに心が晴れてきた。楽しい日だった。食事の制限をしているのであまり食べられないのだが、今日は常よりたくさん食べてしまったかもしれない。 柳田邦男が『文藝春秋』に「新・がん50人の勇気」を書いているのを読んだ。その流れで昨日から同じ柳田の『「死の医学」への序章』(新潮文庫)を読んでいる。読み進むうちに、手術の日程が決まらないので4月復帰は無理かもしれなくなってきたが、講義をしたい、と思った。
2007年01月03日
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昨日は息子と遅くまで話しこんでしまって、気がついたら4時をまわっていた。こんな時間まで起きていたことは退院以来初めてかもしれない。いつまでもいるわけではなくもうすぐ帰るからいつもこんなふうに話せるわけではない。いつまでも話していたいと思った。 夢の中に主治医が現れる。「〔手術の〕準備をしていますから」と先生。僕は「次の診察までまだ日がありますね」という。先生がそれに対して何と答えたかは覚えていない。 娘が友だちと買い物に行く。帰りはその友だちとは一緒ではないから迎えにきて、といっているのを聞きつけた息子が、僕がいってもいい、というので驚く。結局、これは実現しなかったのだが、外で妹と会うことが嫌ではないようで意外だったのである。そういえば子どもたちは小学生の頃学校で待ち合わせして一緒に帰ってきたことを思い出した。一年生の娘は学童保育に行き、そこで兄が迎えにくるまで待って、一緒に帰っていた。息子が学童保育をしている教室まで迎えにいくのではなく、外で時間を決めて待ち合わせていた。「じゃあ、いつもの木のところで待ってろよ」「うん、わかった」という二人の会話を聞いたことがある。もう10年も前の話である。
2007年01月02日
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一年の最初の日も常と変わらず仕事をしている。家人はいないので静かである。入院していた時も一日の大半はこんなふうに誰とも話さず過ごしていたことを思い出した。決して退屈したりはしない。 手術の予定も決まらないまま年を越してしまったが、今度どうなろうとも日々の生活が悔いの残るものにはならないように、できるだけのことはして過ごしたいと思っている。 夕方買い物に出かける。去年は魚を食べることが多かったが、さばが塩をかけなくてもおいしいことを発見した。今日は値下げになっていた100円のさばの切り身を買ってきた。病院の食事と同じですぐに食べ終わってしまうが、食べるために生きているのではなく、生きるために食べているのでこれでいい。
2007年01月01日
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