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昼前頃から晴れたのに、風は強く冷たかった。一度コートを着なくなると、寒くなっても着られない。別に誰かに何かをいわれるわけではないのに。 新しいコンピュータにも慣れてきた。ATOKを入れた。最初から入っていることえりに遜色が特にあるわけではないのだが。 詩人の金子光晴が、生まれて後にも先にも初めて、自殺を考えた時のことを書いている。 「そのときも僕は、僕のねているベッドの下で地球がうごいているのを感じた。胸がいっぱいになったが、のどまでつまっているその感情は、悲哀ではなくて羽目を外して、世界中びっくりするような大笑いの発作の前のような気持ちであった。それから僕はすこしばかりではあるが、これから着々とすすめてゆこうと思っている計画に、それを決行する勇気が加わってきた」(金子光晴『ねむれ巴里』p.253) アドラーはしばしば生きる喜びという言葉を使っている。楽しいことばかりではないが、何があっても金子がいうような勇気を持って生きたい。 Fickrでは日本からの参加者は皆が桜の写真をアップしている。これは豆桜。小さな花で、下を向いて咲いている。
2008年03月31日
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雨が降り出し、外に出そびれたまま、仕事。郵便局から小包。ドアホンが鳴った時に、わかった。アドラー・セレクションの2冊目、『教育困難な子どもたち』が届く。もうすぐ書店に並ぶ。この瞬間のために仕事をしているといえないことはない。一冊の本を完成するために、命を削る思いがするが、そんなことも忘れてしまう。同時に、出版のために多くの人の尽力があったことを忘れてはならないと思う。子どもたちの自身を取り戻すために、親や教師に何ができるか?アドラーがウィーン市教育研究所で行った連続講義、待望の邦訳!第一次大戦後、ウィーンに児童相談所網を作ったアドラーは、教育困難とされた子どもたちと親のカウンセリングを精力的に行った。本書では、多くの事例を通して、所属感と自信を失った子どもたちに勇気を与える方法を考察する。 写真は28日の日記の中で書いた片栗の花。乱獲で希少種になっているようだ。地下茎が澱粉を蓄える。
2008年03月30日
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早朝、妻は東京の息子のところへ出かけた。週末は娘と過ごすことになる。 新しいコンピュータ(MacBook Air)を手に入れる。サブマシンどころか二年前から使っているコンピュータとは比べ物にならないほど処理速度が速く驚く。システムも(今のところ)安定している。まだ外に持ち出すためのケースを手に入れてないので、クッション入りのA4の小包用封筒を買ってきた。ディスクドライブがついてないので、今のコンピュータも使い続けることになる。なにしろ、これは僕の闘病期間中ずっと入院する度に、病院に持ち込んだもので思い出深いものである。 午前中、原稿をずっと書いていたが、桜が気になって出かける。まだ咲き初め。目の高さにある桜を見つけて撮ってみたが、思うように撮れない。 二年前に入院した時、ずっと寝たきりだったのだが、ようやくベッドサイドにあるソファまで歩く(といっても数歩)ことを許された。その時、窓から見た桜並木のことが印象に残っている。でも今となってはそのとき桜が咲いていたのかも、記憶が曖昧になっていてよくわからない。人が歩くのを見て、またあんなふうに歩けるのだろうかと思ったことはよく覚えている。 写真は近所で毎年咲く桃の花。
2008年03月29日
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夕方疲れて少し眠って起き上がろうとしたらふらつく。熱もなく、血圧も少し高いくらいだったので大丈夫と思おうとしたが、調子がいい日が続いてきたので不安になる。もう一度寝たら、元に戻ったようだ。重量オーバーでブザーが鳴る直前のエレベータのような状態だったのだろう。 朝早くから原稿を書き続ける。昼から近くの植物園に出かける。「片栗の花が満開ですよ」と声をかけられる。前回きたときにはまだ咲いてなかった花が咲いている。満開だった花が盛りを過ぎている。できるものなら毎日でも通いたいくらいだが、なかなかそういうわけにもいかない。別の人にコノハナザクラのことを教えてもらったあ。近年は痛みが激しいようだ。「去年は花を咲かしたのですけどね。今年はどうでしょうね」。背の高い木なので気がつかなかったはずもないのに、手術を前にしていた僕は不思議にこの桜のことを覚えていない。
2008年03月28日
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朝早く起きて原稿書き。昼前にはもう一日が終わったような気がする。比較するわけにはいかないが、学生の頃は、50枚とか100枚の原稿のために何年もかかったのに、その何倍も短期に書くというのは、力がいる。体力がたぶん一番必要で、毎日、書き続けられるように気持ちを安定させることも必要である。他のいろいろなことがおざなりになってしまうのも問題。 昨日の語学についての話の続きだが、この言語を学ぶことによって最終的にどうしたいのかという目標設定は重要だろう。必ずしも、会話できることが目標であることはない。僕は、本は読めても、話せないことを残念に思うのだが、会話か読書かという二者択一を迫られたらためらわず読書の方を僕なら取るが、会話を選びたくないわけではない。僕の知人はワーキングビザを取って、ドイツに行ってしまった。一年後、どんなふうになっているか楽しみである。そんな思い切ったことは今の僕にはできないので、話を聞いて、驚くと共にうらやましくもあった。 庭に咲いていた木瓜の花。去年までこれが木瓜というのを知らなかった。写真を撮り始めて一年。去年撮ったのと同じ写真が撮れるのが嬉しい。
2008年03月27日
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歯科へは、もうかれこれ五ヶ月通っている。麻酔注射を使わないので時間がかかったが、次回で一段落するのでは、と期待している。しかし、「次は」と治療は永遠に続きそうな気もする。今日は治療の途中長く待たなければならなかったが、本を持っているので平気だった(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド孤独のアリア』)。 何を読んでも、仕事がらみになってしまうので、関係のなさそうな本を寝る前に読もうと思って、『語学はやり直せる!』(黒田龍之介、角川ONEテーマ21)を読む。しっかりと付箋を何枚もつけることになったが、語学は小さい時から始めないといけないとか、留学しないといけないという「常識」を否定してあっておもしろいと思った。このような「常識」を語る人は、子どもの頃に勉強を始めなかった人、留学経験のない人なのだろう。要は、僕と同じなのだが、力がつかなかったとしても、僕はそのことを理由にしようと思ったことはない。ギリシア語などという古典語を学んでいて、留学する国がもはやなかったということもあるのだが。中学生からギリシア語やラテン語を学んでいる研究者には太刀打ちできないと思ったことはあるので、常識論者の気持ちはわかるようにも思う。しかし、それをいっても仕方ないのである。過去に戻るわけにいかないから。 写真は春虎の尾。
2008年03月26日
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娘が誕生日にファンキーモンキーベイビーズのDVDがほしいというので、久しぶりにプレイステーションで(別の)DVDを再生しようとしたところ、画面に色がつかない。そういうえば、しばらく前、テレビが前から不調だったがいよいよ駄目になったので、買い換えた時に、電気屋さんが繋ぎ直してくれたのだった。配線については何もわからないが、テレビの背面を見て、愕然、5本あるケーブルのうち3本しか繋いでない。すぐにこれが原因であることはわかったが、それにしても、向こうはプロだからどうしてこれで接続できたと思ったかはわからない。きっと次のところに回らないといけないので、作業を急いだのだろうが、後ですぐにわかることなのに黙っているというのはひどい。必要なケーブルを手に入れ、娘が帰ってくる時には無事写るようになっていて、娘は喜んでくれた。一緒に見ようという。 イタリアの出版社が出しているe-magizeで僕の写真をインタビュー記事と共に掲載したいという申し出。著作権の問題はクリアしたが、なお問題があって実現するかはわからない。100枚写真を用意しないといけない。締切が間近だと断ろうと思ったが、来月の半ばなので受けようかと思う。 外には行かないのに締切のある仕事がいくつもあって忙しい。考え事ばかりしているので、眠りが浅い。今朝も4時くらいから原稿を書いていた。 写真はミヤマカタバミ。通常のカタバミよりは大きい。最初見た時はまだ閉じていたのに、再びどうなっているか見たらこんなふうに開いていた。Your face brightened up...というタイトルをつける。
2008年03月25日
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花粉症ではなく、どうやら風邪だったようである。かなりよくなってきた。朝、起きると、すぐにコンピュータに向かう。電源を落とすことはないので、すぐにキーボードを打ち始める。眠っている間にあれこれ考え事をしている。 昨夜はskypeで息子と話す。中学生の時に英語を一緒に勉強するべく、テキストまで買ったのに果たせず(息子には僕でなくても先生がたくさんいたから)今まできたが、初めて教えられることが出てきた。 写真はユキワリイチゲ(雪割一華)。もうこれまで何度も撮ったのに、この花をうまく表せない。花に見えるが、実は萼。夏には消えてしまう。英語のタイトルはbefore they get to sleep...にした。 先日から書いている八木誠一のフロント構造について考え続けている。A→B→C…アルファベットは人格。→はAはAとして完結せず、Bにその存在を負っているということ。そしてそのBもCに、CはDに。そして、理論的にはこれは円環となる(A→B→C…A)。AはBにgiveするだろうが、getできるかはわからない(八木のいうフロント授与とフロント同化)。だからA→←BではなくB→Cと書いてみた。Bではない誰かから返ってくるかもしれないが、そのことを期待してBにgiveするのもおかしいだろう。しかし、Bの意志とは関わりなく、Aはその存在からgetできるとも考えることができる。 八木は、フロント同化及びフロント授与についていうが、前者は、相手側の授与(の意志)の有無に関わりなく、可能である。
2008年03月24日
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土曜は、地元の写真の会を見学させてもらった。ベテランの方ばかりで、どの写真にも驚嘆。 今日は、昼から読書会。今回からプラトンの『ソクラテスの弁明』を読み始める。大学で教えていた頃、ギリシア語で読んだ時のことを懐かしく思い出す。午前中、近くの植物園に行くと、前回たずねた時には開花していなかった花がたくさん咲いていて驚く。写真は16日に撮ったもの。もう一度次の時に撮ろうと思っていたが、「次」はなかった。Flickrにはonce-in-a-lifetime chanceというタイトルをつけた。 遅くまで原稿を書いていたのと、土曜、日曜、予定があって少し疲れる。
2008年03月23日
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外で仕事をしようと思ってコンピュータを持ち出して出かけたのにいつも行く店が定休日であることを失念していた。目下、書き下ろしの未完原稿が二つあって、そのうち一つをプリントアウトしてみた。 昨日、書いたことの続きだが、人のあり方を図で表すと□の中の一辺が実線ではなく破線になっている。破線のところは他者に開かれていて、:を|にするためには他者との結びつきが必要である。ところがその他者も同じように一辺が他者に開かれた破線になっているから(一人では生きていけないという意味)、その人も別の他者に結びつく必要がある。人は一人では生きていけないが、A→B→C…というふうになる。アドラーがいうMitmenschlichkeitという言葉は、人と人とが(Menschen)が結びついている(mit)という意味だが、八木誠一のいうフロント構造の議論と関連させて目下あれこれと考えている(八木はこの構造を円環と見ることなどはまた改めて)。 写真はユキワリソウ。この花にはいろいろな種類がある。前に違う色のをFlickrに載せたら、紫のが好きだというコメントをウィーンの人が書いていたのを思い出したので、載せたら喜んでもらえた。
2008年03月21日
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日が変わる数分前に出版社に、アドラー・セレクションの三冊目として出版されるアドラーの翻訳(原題"Menschenkenntnis")を送ることができた。別に日が変わってからでもよさそうなものだが、ふとあとがきに2008年3月19日にという日付を入れてみたくなった。近刊の『教育困難な子どもたち』には2008年1月20日という日付を入れた。母の命日である。気が張っていたのか、すぐに取りかからなければならない仕事がいくつかあるのに今日は昏々と寝てしまった。祝日であることを知らず、家人に笑われる。 このところずっとアドラーと毎日接していて、アドラーは1937年に死んだ人ではあるが、本を読んでいるとアドラーの人格を感じられる。そのことを八木誠一という聖書学者が、フロントという言葉を使って説明している。フロントというのは、人が他者と出会う面という意味である。そこで僕はアドラーと接したわけである。このフロントは、同時に、他者へ開かれている。死者の場合は、このフロントが新しくはならない。とはいえ、こちら側が変われば、例えば、同じアドラーが書いたものを読んでいても、違う意味を読み取ることは可能である。生きた人であれば、常に変わり続けていく。そしてその変化にこの私が関わることは可能である。私の中に他者は入り込むが、他者の中にも私は入り込む。 咳が止まらず、調子はよくないが、一つ荷物を下ろせて安堵。
2008年03月20日
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今日は誕生日ということで届いたメールを読んだりしているうちに、今日のこの日を迎えられたよかったと思った。ちょうど2年前、僕は母が迎えられなかった50歳の誕生日を迎えたのだった。僕と母は誕生日が同じで、母は49歳で、脳梗塞で亡くなったのである。ところがそれから一ヶ月後に心筋梗塞で倒れた。その時、書き上げて出版社に送り校正刷が出るのを待っていたが、医師から心筋梗塞であるといわれた時に、その本の完成を見ないで死ぬのか、なんと寂しいことか、なんと人の生はあっけなく終わってしまうのか、と思っていた。一年後、バイパス手術を受けなければならなかったが、幸い、優秀な医師とスタッフに恵まれ、一命を取り留め、二年生き延びることができた。この間、多くの人に励まされたことを本当にありがたいと思っている。外での仕事をしなくなって、ずっと家にいるので、いつまでも自宅療養を続けているような気になることがあるが、二年間のブランクを取り戻すべく(そんなことはできないのだろうが)受けてきたものを返せていけたら、と思う。 時々でも思い出してもらえたらうれしいです。ありがとう。
2008年03月19日
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風邪なのか、花粉症なのかよくわからないが、今日は仕事をすることができた。もうあと一息なのに脱稿できない。 息子から朝東京に着いたという連絡。なんだかつまらないねえ、と皆で話をしていた。息子が東京に行ってから二年、僕が病気になって二年。密度があまりに濃くて、あっという間に経ったとは思えない。大学の奨学金の係から電話があった。息子が申し込んでいる。「去年は収入がなかったそうですが…」。他にいい方がないものか。印税もわずかではあるけど、収入がまったくなかったわけではない。 『はたらくわたし』(岸本葉子、成美堂出版)を仕事の合間に読む。出版社や編集者との関わりが作家サイドから書いてあって僕には興味深かった。毎月のように単行本を出版する働きぶりを読むと恥ずかしくなるが、分野も書く内容も違うので同じようなペースで書けるはずもない、と思ってみたりする。 写真は福寿草。光が差し込むと、黄金のように輝いた。
2008年03月18日
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風邪を引いてしまって、今日はずっと横になっていた。今日中に完成しようと思った原稿が書き上げられなかった。起きているのか眠っているのかよくわからず過ごす。きっと寝ていたのだろう。長い夢を見ていた。今夜、夜行で帰る息子が夕食を作ってくれている。 時々、あの頃の父は何歳だったのだろう、と思って計算することがある。すると今の僕よりも父が若いことに思い当たり驚く。いつまで経っても父にも母にも追いつけない気がする。 起きあがれるようになってよかった。 写真は、日曜の朝に撮った。梅が満開だった。いつになったら梅が咲き出すかと毎日通ったのはそんなに前のことではなかったはずである。
2008年03月17日
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父と電話で話す。声に力がない。風邪だと思っていたら、心不全だといわれた、という。父が感じた動揺は僕にはわかる。冷静に考えれば、例えば、すぐに入院するようにいわれなかったこと、飼い犬を連れて三十分近所を歩いているというのだから重篤であるわけではないのだが、少し動ければ息が切れるという事実に、心不全という病名を重ねたら、たちまち死の淵に立たされるわけだ。お前の方がもっと苦しい思いをしたはずだ、と父は何度もいう。たぶん、それは違う。 こんなことがあって、気が晴れず、朝、散歩をしたきり、後は仕事をしている。何度目かの翻訳の校正を昨日の夜、遅く完了した。今は、解説原稿を書いている。 写真は三椏。和紙の原料になるということは知っていたが、こんな花が咲くことは知らなかった。
2008年03月16日
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家族が休みの日は気が緩むのか朝起きられない。昨日の診察で疲れたのかもしれない。手術を受けた病院なので、入院したことのことをあれこれ思い出す。たった二週間しかいなかったのである。それなのに何と密度の濃い日々だったことか。一週間経つのは何と早いことか、というようには感じられなかったのは、死の淵の近くを歩いていたからだろう。次回は4月の終わりに行く。この頃には高校での講義も始まっている。今日で終わりですという日はこないであろうが、病院に行くことがmemento mori(死を忘れるな)になるという意味では、必要なことだろう。 父から電話。心臓の具合が悪い。 『日本人の良識』(ひろさちや、アスキー新書)を半分ほど。名前は知っていたが、この人の本を一度も読んだことがなかった。 写真はユキワリソウ。
2008年03月15日
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今日は受診日。朝早く出かける。最初に採血と心電図。なぜか今日は採血があることを失念していた。去年受けた手術のことを思えば痛いとはいえないはずなのだが、針の痛みは耐え難い。結果は大きな問題はなく、順調である、と主治医の岡田先生が喜んでくださる。前の晩、遅くまで仕事をしていたら、息子に、診察を受けるのにこんな時間まで起きていてどうする、と叱られる。息子が豚の角煮を作ってくれた。前の晩から用意をしていたことに驚く。
2008年03月14日
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朝、息子が帰ってきたので、朝食を用意する。夕食は息子が作ってくれる。目下、忙しくて、じっくり話を聞きたいと昨日書いたのに時間があまりない。とはいえ、来週早々帰ってしまうので、ダイニングでコンピュータを持ち込んで仕事をしている時に、仕事の合間にあれこれ話をすることができた。僕は、自分のことをarmchair philosopher(実践しないで批評するだけの哲学者)だとは思っていないのだが、息子のようにフィールドワークをすることはなかった。戦争について思弁するだけではなく、戦跡をたずね、土地の人の話を聞くようなことは僕はしたことはなかった。 写真は、ユキワリソウ。いろいろな種類があるようだ。10日に引いた宮沢和史の歌のように、この色のユキワリソウが一面に咲いたら、きっと島は薄紅に染まるのだろう。
2008年03月13日
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二週間沖縄に行っていた息子がいったん東京に戻って明日朝、帰ってくる。沖縄で何を見て聞き、考えてきたか、じっくり聞いてみたい。 アドラー・セレクションの第2弾である『教育困難な子どもたち』は31日くらいに発売されるという連絡があった。目下、その次の訳の追い込み。校正刷りができてからも当然チェックできるが、目下の作業は、事実上初校に手を入れているので、緊張してしまう。コンピュータがなかった頃は、さぞかし翻訳は大変だったと思う。初校が訂正で真っ赤になっている訳稿を写真で見たことがあるが、そんなふうになるのはまだ訳が完成からはほど遠かったからである。今は自分のコンピュータでプリントアウトすれば、こんなふうにならずにはすむ。とはいえ、校正刷りが届くと、たしかに手を加えたくなるのは本当である。 満作を撮ってみた。そもそもこれが何なのかも実は知らなかった。葉がないのに花が咲いているのに驚いていた。しかもこれは枯れてしまったのかどうかもわからなかった。マンサクとは「まず咲く」という意味だということを知った。春が近づくとこんなふうに枯れ木の中に黄色い花を咲かせるわけである。
2008年03月12日
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今日は暖かい日になり、再び、植物園に行った。昨日は雨上がりでわずかに咲いている花もあまり開いていなかったが、今日はどの花も大きく開き、日の光を全身(というのかわからないが)を受けているように見えた。 写真はオウレン。9日の写真とは違うが、これは雄蘂しかない雄花である。 がスリー(Guthrie)というギリシア哲学の研究者が、プラトンの対話篇を初めて読んだ時のことを書いている。ソクラテスの最後の日々が描かれている『パイドン』や『ソクラテスの弁明』などの対話篇があるのだが、17歳で読んだ時、その最後のいくかの文章を読むと、今でもそうなのだが、声を詰まらせずに読むことはできないという。これこそがあるべき哲学である、とがスリーはいう。読むとすぐにわかるが、『パイドン』にある魂の不死論証は煩瑣なものである。そんな議論を読む場合も、ソクラテスの地上での最後の時間に立ち会っていることを忘れてはならないというがスリーがいっていることを読むと、哲学に限らず、本の読み方について考えさせられる。
2008年03月11日
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昼から雨が止み、日も差し始めたので、今日も近くの植物園に出かけた。この時期、まだほとんど花は咲いていないのだが、咲いていることを知っていたわずかな花を何枚も撮った。ここにはほとんど人の姿を見かけることはないのだが、めずらしく十人くらいの人の姿を見かけた。すぐに出て行かれたところを見ると、植物園なのに花がないではないかと思われたのか。たしかにそれくらい花は少なくて、実のところ、僕も昨日見たはずの花をすぐに見つけることができなかったくらいである。写真はユキワリソウ(スハマソウ)。宮沢和史の歌をふと思い出した。雪を割り咲く花が薄紅に島を染めれば…
2008年03月10日
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今朝は4時半頃から起き出して仕事。もっとも睡眠が足りてなかったので、歌人が起き出してくる頃には早くも力尽きてしまったのだが。近くにある花明山植物園に行く。先週行った時にはほとんど花は咲いていなかったのだが、今日はたくさん咲いていて、いつになくたくさんの写真を撮った。蜜蜂が飛び交い、黄蝶とムラサキシジミが飛んでいるのを見た。ムラサキシジミは目にとまらぬほどの速さで飛び去っていった。これからはまた蝶の写真も撮れるだろう。 今に始まったことではないのだが、ことに病気以後、一人で仕事をしているので、昨日のヴァイツゼッカーの研究会でのように皆で原書講読をするという機会はなく、今は(ずっとこれからも)アドラーのテキストを読んでいる時に、疑問の箇所があっても、たずねる人もなく、なかなか孤独なものである。 昨日からまた思い立ってLetter from Kyotoというブログを再開した。一年ほど何も書かないでいた。手術などいろいろなことがあったからではあるが、一番の理由は英語で書くことが容易ではないということである。ここには書かなかったが、毎日、写真に英文で説明を書いていたので、前よりは少し敷居が低くなったようには思う。 4月から7月までの聖カタリナ高校での講義日程が決まる。去年もその前の年もこの時期入院とぶつかって迷惑をかけてしまったが、今年は何事もなく講義をしたいものだ。 写真はオウレン。黄連と書く。この花もキンポウゲ科で、花弁のように見えるのは萼である。
2008年03月09日
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今日は月一回のヴァイツゼッカーの研究会の日で、遅くまで準備をしていた。外からの力によって自由を奪われることはないという意味のことが、テキストの中に書いてあって、本当にそのとおりだと文脈を離れて来し方を思い起こしていた。毎回、木村敏先生から教わることは多い。この読書会に限ることではないが、前回は雪が降っていて、帰りに雪が積もった鴨川の写真を撮ったこと、その日に高校生がホームステイにやってきたということを思い出した。その高校生は、夕方、帰った時にはもういなかった。
2008年03月08日
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今日は、ホームステイしている高校生と過ごす最後の夜。今夜は家族のことなどをずいぶんあれこれと話してくれた。本当は一月前にこんなことを聞いていたら、と思いもするのだが、話せるまでにこれだけの時間がかかったということだから、これはこれでいいのだろう。後、一月、別の家に滞在し、日本語の勉強をする。名残惜しいって英語で何というんだろう、という話になって困ってしまった。We will miss you. We will feel lonely because you are longer here...少し意味はずれるようにも思うが。 沈丁花の花が咲き出した。本当に自分で驚くほど花の名前を知らなかった。大学生の頃、星のことに詳しい友人がいて、彼がくれた本にカーライル(イギリスの歴史家)の、どうして誰も私に星のことを教えてくれなかったのだ、という言葉が引いてあった。もう今はあまり覚えてないのだが、星の名前を知ると夜空を見上げるのが楽しみになった。今は、花の名前やその由来を調べ、覚えていくのが楽しい。
2008年03月07日
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仕事山積。思うように進まず、呻吟の日々が続いている。 昨日、灯油が切れてしまった。近くにガソリンスタンドがあるので、容器を持って行った。18リットルはさすがに重い。これを手に持って階段を昇った。退院する時に鞄も持てなかったことを思いだした。回復を実感する。 今日はこのハコベの写真を撮りに出かけた。歩いて15分のところにたくさん咲いていて、これまでに二回撮りに行く機会があったが、思うような写真を撮れなかった。知らずにいたら、踏んでしまいそうなほど小さな花で難しかった。ハコベを撮るために歩いていることをふと意識したら、心が少し晴れ晴れした。
2008年03月06日
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今朝はきれいに晴れ上がっていたのに、思い立って散髪にいったら、帰りに雪嵐に会う。鴉が強い風に煽られて、何度も失速していた。 午前中に確定申告。前は何日もかかりっきりになっていたのに。来年は状況が改善していればいいのだが。 写真はセツブンソウ。絶滅危惧種とのこと。寒い冬に凛として咲いていた。
2008年03月05日
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夜、この仕事だけやり遂げてから寝ようと思ったのがよくなかったようで、眠れなくなってしまった。本を読んでいたら(『死刑』森達也、朝日出版社)、すぐに娘の部屋からアラームが聞こえてきた。 人生からの要求を困難なことではなく、刺激であると思え、とアドラーは語りかける。何があっても、それをただただ困難なことと思わず、逃げることなく向き合って、かつ深刻にならず、楽しむ。そんなことができるか… 眠れぬままに散歩に出る。途中で、カメラにバッテリーを入れるのを忘れているのに気がついて引き返す。おかげで歩く距離が増えた。カメラを持たずに出かけられなくなっていることがわかった。「どっちつかずの水滴」(というコメントをもらった」が目を引いた。
2008年03月04日
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アドラーセレクションの三冊目の訳をようやく完了。予定より遅れている。目下、訳稿をプリントアウトして校正中。解説原稿を付して、早く送らなければならない。昔、教えていた学生が後に大学で教えることになって翻訳の仕事を始めた。僕はまだその頃はまだ翻訳の仕事をしてなかったかもしれない。その学生は、毎日、翻訳した分をプリントアウトするという。それがどれくらいの分量か聞かなかったが、おそらく毎回きちんと文を練って訳す。こうやって何ヶ月か経つと、完成するわけである。 友人と話していたのだが、とりあえず、ざっと訳しておいて「後で」訳稿に手を入れるという方法は、これに対して、最後まで訳し終えるのは早いかもしれないが、「後」があるかどうかが問題である。 村上春樹はトルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』を訳すにああって、何度も繰り返しテキストを読み込んだ、と書いている。翻訳は、この読み込みから始まるので、この時間を翻訳に要する時間にいれると、かなりの時間がかかるのはいうまでもない。難しい箇所も散見し辛かったが、加速度的に訳せるページが増えた最後の日々は、毎日アドラーと対話をしているような気がして楽しかった。 写真はアセビ。馬や牛がこれを口にすると、麻痺するところから「馬酔木」と書く。名前は知っていたのに、実物と一致していなかった。
2008年03月03日
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今日も高校生と写真を撮りに行く。写真は、昨日撮った福寿草。まだ風は冷たいが、確実に春は近づいている。 残念ながら、死んでも先になくなった人に会えるという保証は、寂聴さんがいわれるほど確実なものではない。別のところで書いてられるように、死だけは経験したことがないので、それが何であるかを問われても、わからないというのが本当だろう。それでも、つまりわからなくても、あるいはそれがどんなものであっても(それは今知ることができないとしても)生きていけるか。この問いは『アドラーを読む』で扱ったが、今書いている本でも扱っているテーマの一つである。 田中美知太郎の『哲学初歩』(岩波現代文庫)のはしがきに書いている。 「古典に書かれてあることは、必ずしも意味の補足しやすいものとは限られず、読者自身の気持ちからも離れていることが多いのではないかと思われるけれども、しかしそのような距離を克服しようとする努力が、かえって思考の勉強になるのではないかとも考えられる」 古典という時、僕は最初にプラトンなどのギリシア哲学を頭に思い浮かべ、上に書いてあることをたしかにそのとおりだと思うのだが、プラトンに比べればついこの間の人といっていいアドラーの著作でも既に古典といえるかもしれないと思う。気持ちからは離れていないが、意味を取りにくい箇所は確かにある。 トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』の村上春樹による新訳が出た。まだ時間がなくて、ほんの数ページ読んだだけだが。
2008年03月02日
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今日はホームステイしている高校生と写真を撮りに行った。将来写真家になりたいという彼女はコンパクトデジカメと一眼レフでたくさん写真を撮ったようだ。思いもよらないところで、カメラを構えているのを見ると、おもしろいものだと思う。同じ空間と時間を生きても、人は違う体験をしているだろう。長くつきあっていこうと思えば、例えば何を美しいと感じるかということについて、ある程度共通したものがある方がいいのかもしれないが、まったく感じ方が違う人でも、そんなふうに感じるのか、とか、思うのか、という意外性は人生を豊かにする。 瀬戸内寂聴の『老いを照らす』(朝日新書)を読む。講演をまとめたもので、いつか講演を聴いた時のことを思い出した。長く生きてきたが、今ほど悪い時代はない、という瀬戸内の言葉にたしかにそうだと頷いてしまう。政治のことには興味がないといってはばからない哲学者のことを思う。 小田実の最後の日々について書いてあった。「もう手遅れと医者は言うんや、もっと生きたいよう、まだ死にとうないわ。寂聴さん、元気になるお経あげてや」
2008年03月01日
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