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7月の旅なのに3ヶ月も過ぎ、季節は秋になった最近、アップするエネルギーがダウンしている覚書のブログなので、記憶を辿るのもボケ防止になるかも 高知2泊目は、高知城の近くだった。朝市に行くとき城の周りを歩いた 高知城(別名鷹城)は、慶長16年(1611年)初代土佐藩主山内一豊公が築いた南海の名城。江戸時代、土佐藩の藩庁が置かれた江戸時代に建造された天守や本丸御殿、追手門等が現存し、城跡は国の史跡に指定されている。 日本100名城に選定されている。 日曜朝市 元禄3年(1690年)以来,300年以上の歴史を持つ土佐の日曜市。年末年始とよさこい祭り期間を除く毎週日曜日開催されている。高知のお城下追手筋において,全長約1300mにわたり,約420店が軒を並べている新鮮な野菜や果物はもちろん,金物,打ち刃物,植木なども売られており,市民と県外からの観光客などもあわせると1日に約17000人が訪れる生活市 この日は小雨模様だったが、5時起きで行った この日、3時間ぐらいの寝不足で、 頭はぼーっとしてちょっとだけ買い物し、 ホテルへ戻り、朝食までベットへ直行した。 早朝だったからか、客足は少なく売り手は、 手持無沙汰の様子である 朝市と言うものの、商品が無くなるまで開いているそうだ 高知は生姜の産地だと言う ホンの少し買ってきたが、確かに良い品で 次回があったら沢山買って来たくなった 高知市内は「市電」があり、今回乗る事は無かったが 懐かしい風景である この旅最終日、どんなコースで徳島へ帰るのか、わくわくしながら車上の人になった。 高知の海岸線を走るらしい事がわかった 市内から凡そ1時間走った頃安芸市の市街地を外れたところにある「伊尾木洞 」に着いた 周辺が海だった頃、波の浸食することにより出来た天然の洞で 高さは約5m、幅は3mぐらいの広さで全長は約40m その奥は渓谷に続いていて普段は 足を浸すくらいの水が流れ出ている また洞の壁には貝の化石が見られるところもある 「伊尾木洞」は観光地の一つだが、 虚空にとって「秘境」であり、少し不気味な所だったが、 空気が涼しいのは良かった。何となく黙々と歩いた。 周辺には、秋のような色の田園風景があった 東北の海岸近くでよく見た看板が、 高知の地にもある、ここが海に近い事がわかった 安芸から室戸に向かって、太平洋岸を走り室戸岬で休憩を取った。 当初、室戸に1泊する予定だったが、コースが逆になり、今回室戸はパスかなと思っていたが、時間的に余裕があると言うので、室戸周りで徳島へ帰ることになった。 御厨人窟(みろくど)と神明窟(しんめいくつ) 国道55号沿いに弘法大師が修行中の住居としていた御厨人窟と、難行を重ねたと伝えられる神明窟の二つの洞窟が並んである 御厨人窟で聞こえる波の音は、環境省選定「残したい日本の音風景100選」にも選ばれている また、御厨人窟と神明窟周辺は、『地球の成長過程が分かる 室戸の地層』の一つでもある御厨人窟と神明窟は隆起した海食洞であり、駐車場として使われている平地は波食台、背後の切り立った崖は海食崖である。 空海が修業した場所と聞けば興味はあるが、窟とか洞等は余り好みではない。 一人旅ではまず来られない場所なので、車の旅の素晴らしさであり、この場に縁があったことは、感謝である こういう所が今流行りの 「パワースポット」と言うのだろうか?? 室戸岬の突端近くにある「乱礁遊歩道」を歩いた 海が深いだろうか、海水の色が綺麗だった この岩の名前が確か「烏帽子岩」と聞いた 神奈川県の茅ヶ崎海岸にも同じ名前の岩がある 確かに良く似た形をしている 旅の終わりにここで出会った「美しいトンボ」 この後、一路徳島へ向かって海岸線を走ったこの旅では何キロ走ったのだろう? 彼女との車旅は、毎回免許のない虚空を乗せて、何処までも連れってってくれる 疲れているはずだが、疲れたと言わない超人である 今回も素晴らしい旅だった、 狭いと言われる日本だが、行くところ知らない町、新しい発見がある だから旅は止められない 持つべきものは良き友達・・・ありがとう
2016年10月23日
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高知1泊目のホテル朝食 ビュフェ式・・普段朝食べないが、付いているとなると欲と二人ずれで食べ過ぎ 勝手気ままな性格の腹具合になる この日も、四国県人にお任せの観光コース 始めに行ったところは有名な「桂浜」 美しく広い浜辺である、秋ならば ここでゆっくり波の音を聞いていたい 夏の海は、鳥になった目で眺めるのが良い ここは海水浴場ではないらしく 泳ぐ人は見なかった 「竜馬記念館」の上から不思議な海が見えるっと ここの職員から聞いたので、目を凝らして見ていると この写真では見難いが、ラインの当たりに 左側の道路に走る車が、海の中に確かに見えた 何時もなのか?この時期だからなのか? 聞かなかった 光の屈折なのだろうか?? 年中無休で「竜馬」が ここにいる 海岸の道側を見ると、海に向かって延々と「お墓」があった 窓外には「川」がある 高知にはもう一つ有名な「四万十川」があり 水のきれいな土地なのだろう 「仁淀川」と言う、この川はこの日又縁がある 何処を走っているのかわからない虚空 ランチタイムの頃 海・川・山を越えて着いたところは 町から離れた里にある「ピザ」屋さん お客が一杯期待出来る 先ずは飲み物~果物がたっぷりのジュース 名前は???忘れたが、 とっても美味しかった事は覚えてる 3人でピザ2枚オーダーした 厚さも程々、大きいピザだった 野菜が一杯入った、美味しいピザだった みんな「おいしい」には足が向くのだろう 食後また車上の人になり、次は何処へ??? 満腹のお腹の為に「歩く」のコースらしい!!! 家に帰ってからこの滝の事を調べてみた 大樽の滝 深い緑に囲まれ、幻想的な雰囲気を醸す大樽の滝は、落差34m、日本の滝百選にも選ばれた県下屈指の名瀑で。四季折々の趣きに富み、夏は納涼に、また秋の紅葉も一段と美しく、訪れる人々の目を楽しめる。 仁淀川の支流の大桐川水系大樽谷川水域にある。今から4億年以上前の花崗岩で形成された岩肌を流れ落ちている。落差は34メートル。越知市街地の近郊にあり、水源の山は標高200メートル程度の低山である。 滝の名は大きな樽の水を撒いたように豪快に流れ落ちることに由来する。滝の上部には囲炉裏ヶ淵、中樽、上樽などの淵が点在し悲恋物語など伝説が残っており、囲炉裏ヶ淵には大蛇が棲んでいたとの伝承もある。駐車場より約500メートル(徒歩約15分) 歩き始めて直ぐ、滝を見たので「これ」!!?? だと思ったら「まだまだ先よ」っと言われて付いてゆく フィトンチットに包まれた道を上る 自然の絵画にしばし見惚れる 上に同じ…又見惚れる 汗ばみながら歩いていたら、上の方から水の音が見える これが本物落差34m「大樽の滝」 滝のミストが、全身を包むように感じられる 思わず「心地よーーーい」と声が出た 何処ででも経験出来る事ではない 暑い夏だったからか、離れがたい気持ちになった 現物は大きな滝だったが、カメラは捉えられない 水の音を聞きながら、眺めながら戻る この道を歩きながら、紅葉の秋を想像した この世の極楽だろう!!!!! 降りたところで不思議な風景を見た 水が苔のようなものを伝い流れている 時々膨らんで、ホタルのような色になって弾けたり、 自然の営みの奥深さを目の当たりにした ??????3人であれ!!「何だった」??? また暫く車に乗って、以前から行って見たかった 「沈下橋」へ 欄干のない「橋」車を見ると「どきっと」する 「大丈夫」??? 橋の桁は頑丈に作られている、激流にも耐えるだろう 仁淀川である 浅尾沈下橋越知町 浅尾沈下橋は仁淀川本流にある。川の長さや流域面積が、吉野川や四万十川に次ぐ四国第3の河川であり水質の良さもトップクラス。水辺の利用率は全国1位を誇り、おだやかな流れを利用した川遊びの様子が伺える。ほかにも数か所の沈下橋があり、周囲の自然とマッチした日本の原風景ともいうべき景観を見ることができる。 四国の川には「沈下橋」が沢山あるようだ 橋の向こうで人の姿があり、何かやってる??? この季節「鮎釣り」???だろうか??? 見てるだけで心楽しい 光り輝く水の波頭 橋の上から見ていたら、 この奥からボートがやって来て 下って行った、気持ちよかった ↓ 沈下橋の上からこの町の家並みを見た どこも立派な造りの家である 大雨が降っても、この橋は川の中なのだろうか?? 集落は大丈夫なのだろうか??? 覚書「生命へのまなざし」多田富雄対談集「 高 野 聖 」 五来 重
2016年10月15日
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内子のゲストハウスは、朝食が付いていない前日に予約をすれば、朝食を出すお店に予約をして貰える 宿から少し離れているが、朝の散歩を兼ねて お店に出掛けた 驚きの朝食が用意されていた 朝から作る人は大変だろうと、感謝しながら頂いた どれもこれも手抜きのない美味しさである ご馳走様でした(1000円也) 内子に別れをして、高知へ向かう 窓外の景色に見惚れる。山の中、一面の田園など。 旅好きの友人が一度行きたかったと言う、 不思議!?な所に到着 この旅は、終わるまで四国の秘境??の連続、 (そう思うのは虚空の勝手!!)全てお任せの旅の良さを満喫 ここは、宇和町にある 「ギャラリー喫茶こけむしろ」 静寂に包まれた、ここに何があるの??と言うようなカフェ。 50年ほど前までは棚田、段畑で木が 生い茂っていた山に、 この店のオーナーが、 5年以上の歳月をかけて植え育てた苔が周囲を覆う。 11年目になるとのことで、最近は苔が安定しているとのことである 相当なマイノリティー(^-^) この日幸いオープンしていた、よかった!!! オーナー自らオーダーを取りに来る。 部屋の中に「こけむしろ」??? ガラス越しに映って見える不思議??? 部屋の向こう側が見える・・テーブルが浮いてる お茶が出てくるまで周辺を散策した このお抹茶、お菓子付きで500円也(安価) このお菓子が程よい甘みで、美味しかった 「こけむしろ」でたっぷり時間を楽しんだ後、 初めて見る四万十川に感動しながら、先を急ぐ。 ランチ時間が過ぎ、空腹を感じたころ、 道の駅「あぐり窪川」があった。 この道の駅は、高岡郡四万十町平串の国道56号沿いにあり、 一般に高幡多地域と呼ばれ、四万十川や西南大規模公園、 足摺岬などの恵まれた自然環境の中にあった。 何はともあれ、麺が食べたかった!! 四国なので「うどん」である この日食べたうどんは「青のり?岩のり?」 どちらだったか海藻たっぷりだった。 食べたいものを食べたとき、胃の腑が喜んだ。 この日の夕飯は、決まっていた!! 高知と言えば「ひろめ市場」 高知市の中心に位置し高知城から徒歩2分、 日曜市にも隣接した観光施設となっている。 土佐藩家老の屋敷跡付近にあり, 屋敷が消えた維新後もその一帯は親しみを込めて 「弘人屋敷(ひろめやしき)」と呼ばれていたことから, その名をとり「ひろめ市場」と名づけられた。 ひろめ市場の中は「お城下広場」や「龍馬通り」 など7ブロックからなり, 土佐を味わう飲食店、活きのいい鮮魚店、 ユニークな雑貨店・・・ 様々な個性・特長を持つ60以上の店舗が集まり、 市場というより「屋台村」といった雰囲気である。 市場のドアを開けると、 人のざわめきが押し寄せてくる。 小さな店が並んでいるので、何を買ったらよいのか、 4人それぞれ好みで手にする。 見るもの見るもの食欲をそそる。 相談しながら、食べられる量を気にしながら、 食べる場所を選ぶ。 流石ここは高知、「かつをのたたき」を作っている店 インド料理店の人が、 飲み物一人500円でテーブル提供すると言う。 広場から少し奥なので、 落ち着くかもしれないとそこに決めた。 食べ物は何を持って入っても良い。 昔、香港の魚市場で、似たような店があった事、 那覇の国際通りの市場で食べた事を思い出した ↓ かつお・鮪の刺身他 お寿司・ご飯類 あれやこれなど色々、彼方此方の店から運んだ 何が美味しかった?みんな美味しかった 満腹であった ↓ 屋台村は落ち着かない!買いに行かねばならない…面倒 ずぼら人間の虚空は、又行くかどうか?! この日、若い一人が次の日の仕事で 帰ることになって、駅で見送った 夜遅い列車でなので、気になったが 仕事で必要とされている環境も、仕方のない事なのだ それでも、2泊十分楽しかったと後日連絡があった この旅で、最も行きたかった「高知」へ行けた日本の中で虚空にとって、一番遠かった「高知」これで47都道府県全て行った人生の記念すべき日になった この後、3人で秘境??(^-^)の旅の続きへ行く
2016年09月03日
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内子町の宿は、13軒あると言う「芳我家」の分家「中芳我邸」の「蔵」を民宿にしたゲストハウス一日一組のみと言う貴重な宿ここを奥へと入って行くこの中芳我邸は、見学料が200円いるが、宿泊者は勿論無庭が広く、奥まで見る価値あるらしいが、我々は見なかったが、部屋の入口蔵とは言え、この日は30数度あり、窓も開けられないので冷房と扇風機を強力にする落ち着いた10畳の和の部屋である涼しくなってきたのでちょっとティータイム階段を上がると、ロフトにベットルームがある和室は4人は布団が敷けるので、6人迄は宿泊可能日頃ベット生活の二人がロフトで寝た町歩きの後、調べて来てくれた蕎麦屋へランチに行ったここも古い建物で、和の雰囲気が一杯和室にあった「照明」の柔らかい灯りに魅せられ思わずカメラを手にした玄関わきには、使い方も知らない昔の電話機部屋のあちこちに見とれていたら、お待ちかねのそば定食が出てきた思わず「美味しそーーう」と声が出るこの豪華な定食は、残り一人分のみで、3人は少し副菜が少ない定食申し訳なくも、先にこの世を去るであろう虚空に、最後の定食が供され、感謝この店の手洗いがちょっと良い・・・女性用男性用・・・誰もいなかったので急いでパチリランチの後、暑い町を散策し、陽が落ちるまで少し部屋で休憩その後、直ぐ近くにある「ドイツレストラン」へディナーに行く街灯が点りはじめていた重要伝統的建造物群保存地区の中に「ドイツレストラン」とは外も中も違和感のない素敵なお店予約をしていなかったが、一番奥の離れのようなテーブルが空いていた早速メニューを見ながら、あれもこれもと、この4人で旅をするのは、初めてである食欲全開、うれしくて、楽しくて、乾杯トマトとチーズの何とかと野菜のキッシュワインは「白」「ウインナーシュニッツェル」だと思うが、ウイーンで食べたものとは、ほど遠い感じの別物でも美味しいのでこれも良しこのウインナーは別格の美味、さすがドイツ人のオーナーシェフの手作り勿論、お変わりしたこれが何だったのか名前が思い出せないが、不思議な美味しさで4人共あっという間に完食他にも食べたと思うが、カメラ忘れてここまで最後にサービスのデザートに何かの飲み物が出た写真が無いと思い出せないワインも4人で1本、二人はアルコール飲めないと言っていたが初に近いワインだったらしい二人とも飲めば飲めるものだと、よろこんで、夜のお喋りが満開だったよかったよかったお店の閉店までお邪魔してしまった外は、街灯を頼りに宿までほろ酔い歩き首都圏では、こんな漆黒に近い闇は見られないこんな闇夜は、旅の価値の真骨頂明日が楽しみ 覚書「快挙」白石一文
2016年08月27日
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二日目は四人揃って旅の始まり三人は運転できるので、虚空は後ろの席で、窓外をのんびり眺める事約二時間初めての休憩タイム「石鎚山」サービスエリアここのトイレはわかりやすく、とても良い出口には気の利く一言も効果抜群うっかり後ろを振り向いてしまうティータイムなので、地場産のジュースを飲み比べ果汁100%でどれもちょっと酸味が強いが、美味しい石鎚山から約90分で目的地「内子町」に到着虚空には内子と聞いても全く初めての所何があるのかも知らず付いてきた来てビックリ、大好きな古い町並みだった 内子町は、愛媛県のほぼ中央松山からやく40キロ南西に位置する 江戸時代大洲藩又は、新谷藩領であった 明治時代1889年内子村と知清村が合併し、内子町が発足 かつて製蝋で栄えた中心地区には商家造りが多く残り、往時を伝える歴史的町並は「内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、町では、これまでの町並み保存の枠を越え、町全体の歴史的景観や自然、風致を活かした地域づくりを目指している宿にチェックインして、早速街の散策とランチに出掛ける旧家を自由に見学できる昔懐かしい薪を使う竃関東はまだまだ梅雨が明けず、曇りが多くグレーの日々だった四国は梅雨も明け、日差しが強く空が大きく広かった気温は高かったが、湿度が無く、爽やかな夏空 1889年に建てられた豪商本芳我家の屋敷江戸後期から木蝋生産を始めたとされる 輸出するほど隆盛を極め上芳我家を筆頭に、分家が相次ぎ下芳我家や中芳我家等と呼ばれる分家が13家出来た ↑の漆喰彫刻誰もいない家の軒先には、取れたてらしい「桃」がごろごろ一人1個を買って宿で食べたが、とても美味しかった買って帰りたい程だった昔のとうきび、種にもなります、ポップコーンにもなりますと書いてある…200円手つくり竹とんぼ…100円この色は、空高くまで飛んでゆきそうな気持になる13軒の一つ「下芳我家」この日閉店していた 覚書「螺旋階段」山本譲司
2016年08月21日
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ここ数年夏の旅は少ないが、今回はメンバーの都合で夏になった出掛けてみれば、夏も捨てたものではない誰と旅をするかが一義なのだこの日はまだ関東は梅雨が明けていない、それらしく少し曇りがち離陸して直ぐ見えてきた物以前も見て、何か調べたら、アクアラインの「風の塔」と言う換気設備であると同時に、トンネル内災害の時の緊急避難所になっている上からみると「円形」で換気筒は門松の竹を二本組み合わせたような形になっている海面に浮いている変なものに見える雲を抜けると、そこには青い空の世界待ちかねた「富士山」の頭が泡のような雲から見えた夏の富士山は、影のように見える「あたまを雲の上にだし・・・」全身は雲のマントで隠れている頭だけでも見られてうれしかった揺れる事も無く、目的地へ何と言う島着陸も難なく成功、海の際ここは「徳島阿波踊り空港」・・今回の旅友2人が出向えてくれた早速徳島市内の「ホテル」へ直行、チェックイン後、3人でティータイム&軽食に向かう仕事中の一人を待つ間、あれこれ近況報告で瞬く間に3時間4人目の友人が、仕事から迎えにきていよいよ1回目の夕食へと行く先ずは、「牛蒡天・鱧の湯引き」で乾杯(お茶)どれもこれも安くて新鮮で美味しい4人それぞれ好きな定食をオーダー(鯵刺身)刺身盛り合わせうな丼にぎり定食満腹になって、ホテルへ帰るホテルの部屋で、明日からの旅程の相談と、近況の事で話が尽きない一人は自宅へ帰るので、明日の時間を考え話をストップ3人はそれぞれ大浴場へと・・そして翌朝、ホテルの朝食、全員和食ゆっくりティータイムを取っていよいよ出発今回四国を車で旅する、しかも4人連れ何処へ連れて行ってくれるのだろうわくわくの始まり覚書 「恋文」連城三紀彦「光媒の花」道尾秀介「運のつき」養老孟子
2016年08月14日
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高松へ往路は新幹線・瀬戸大橋線で行った 出来たら帰り道はルートを変えたいと調べたら、海上ルートを見つけた船好きの虚空としては乗ってみたくなり、情報を集めた高松発神戸行きの大型フェリーがあった、しかも午後発なので、余裕のある帰り時間である 徳島へ帰る友人に、帰る日の午前中、船のチケットの購入に付き合って貰ったその後、2回目の(前回アップした)「蕎麦屋」へ行けた 船の甲板から見ると 大型フェリーと名の通り、船には沢山のコンテナが積み込んである 船内は乗客も少なく、寝そべるには広すぎる部屋 ここは、女性専用の椅子部屋があり、隣には同じく、女性専用の和室と言うか、絨毯部屋もある こちらは一般椅子部屋であり、ここが一番人が多かった 船内の移動は、この階段を利用する・・・甲板が4階にある全体に豪華な作りで、フェリーとしては乗り心地満点である この日は少し霞がかかっていたが、海は穏やかで、船は揺れもなっかた 瀬戸内海は、島の多いことが目に取れた島から島へと、さよならするのよーーー 初めて小豆島を目の当たりに出来た ここだけ途中下船する、そして乗船する人が結構いる 若い団体が乗ってきた手に手に「楽器」を持っている 乗船後4時間余りで「明石大橋」の下を潜ると言う、アナウンスがあった。時間は18:30分頃、既に夕日は落ちている 橋の下を潜る寸前 あっという間に過ぎ、ブレてしまった、とても狭く、スリムに見える 上から見た大橋 くぐり抜けた 乗船客が甲板に大橋を見に上がっていた 夜の帳に溶け込みそうな 空から 全長3,911m、中央支間1,991mで世界最長の吊り橋である。明石海峡大橋の主塔の高さは海面上298.3mであり、国内では東京スカイツリー(634.0m)、東京タワー(332.6m)、横浜ランドマークタワー(296.3m、海抜は300mで同じ高さとなる)を超える高さの構造物である。1986年着工1998年(平成10年)4月5日に供用が開始された。建設費は約5,000億円。着工から竣工に至るまでの施工における事故死者はいなかった。 覚書 「神の守り人」上 上橋菜穂子「草原の風」下 宮城谷昌光
2015年10月10日
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高松に着いた日は、ホテルにチェックインし、すぐ琴電で「長尾」まで行く 友人の車で迎えて貰い、展覧会会場へ 時間が遅く、閉館間際なので、絵の鑑賞はザーーットで終わる その足で友人の自宅へ行く、彼女は住職夫人 ここで暫く時間を潰す ここへ来ると何時もこの池の周りを散策する、この日は「曼珠沙華」が美しい お嬢さんが連休で里帰りしていたので、3人で夕食に行く びっくりするほど、山海の珍味が次から次へと並ぶ 高松は食の宝庫なのだろうか うどん県なのは知っているが、来るたび美味の食事に巡り合う友人がグルメなので、行く先々大満足である まず始めに出てきたのが、「湯葉うに」 ハモの湯引き 刺身盛り合わせ 牛ロース鉄板焼き ベイナスの味噌焼き 締めは、「ハマチの丼」 最後まで頬が落ちないよう押さえながら頂いた 御馳走様でした 次の日と、その次の日二日続けて「蕎麦屋」のランチ 理由は後ほど・・・ 二日とも大満足・・・この蕎麦屋の店主は拘りの真骨頂予約必至・相席不可・時間2時間のみ 2回目の「そば尽くし定食」 2000円也 (手前左から・・ソバ飯・そば味噌焼き・そば焼き・・・上・・鴨焼き・厚焼き卵・そばパスタ) 十割そばおろし付き コーヒー又は紅茶 そば羊羹 味も、もてなしも、満点・・・蕎麦屋さんは拘る人が多い中でもトップクラス 蕎麦屋を出ると、白鷺が3羽あちこちにいた・・・急いでカメラを出す鷺は大好きな鳥である、うっとり見とれてしまう すくっと立ったこの姿素敵 別の所にいた1羽が場所を移動した 蕎麦屋は、左にある小さな家「福得妙満」 連続蕎麦屋に行った理由 1回目・・鳴門の陶芸家の友人が急に時間が出来たと来てくれたのでランチ蕎麦やへ2回目・・徳島の山の中で「蕎麦屋」をやっている友人が、展覧会を見るため、山を降りてきた。蕎麦好きなので是非行こうと予約を入れた 急なお知らせ 陶芸家の「個展」が今日からやっている詳しくはここをクリック 場所はここ
2015年10月03日
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ヴェトナムハノイがアップ出来ていない・・・その間に旅があちこちへ 秋が深まるまで、旅行を予定していなかったが・・・・・・ さぬきの友人の父上が、60年描き続けた作品の一部を 「回顧展」として展覧会を開催されるというので、 見たい気持ちが疼き、新幹線に乗ってしまった 連休の最終日だったが、自由席はがらがらである 白鷺城・・・「姫路城」が白じろとしていた 間もなく刈り入れの稲穂が、緑濃い 瀬戸大橋を渡る列車から、瀬戸の島々が見える ここは何島立派な家並み 高松が近くなった、風景が一変する 岡山から乗ってきた「マリンライナー」 高松の駅構内にこんな二人(3人)が出迎える 今回の旅のメインテーマ 「回顧展」会場 8日目の閉館前なので、来客は少なくじっくり見せてもらった、 27才から88才までの55点が展示されていた現在91歳 になられ、矍鑠とされている素晴らしい人生を送られている、幸せな方である絵の一枚一枚どれを見ても、精魂込められた作品見せてもらう側も幸せである 会場の写真は拡大してみて 幸せな二人 源平合戦絵巻1985年の作品横長の巻物・・・写真では伝えられない精巧な絵巻物・・・・・感動 思い切って出掛けてよかった 旅は何時何処へ行っても後悔はない この旅、まだまだ続く 覚書 「夢の守り人」 上橋菜穂子「虚空の守り人」 上橋菜穂子「星降る街の物語」 木崎さと子 「草原の風」上・中 宮城谷昌光
2015年10月02日
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大晦日から宿泊で来ると云う家族の為に、食事の支度やら、なんやら年末は、寝る時間も少なく、ばたばたと、新年が来てしまった 大晦日から元旦のお天気は、プレゼントのように快晴で、気温も下がらず気持の良い日だった天に感謝 久々の大人数で、出しても出しても瞬く間に消える食べ物 百人一首・麻雀・ポーカー・マジック等・et cetera賑やかに大晦日・元旦が過ぎた やっと、自分の時間が取れたのは、日付が変わる頃 旅日記が年内に終われなかったので、取り急ぎアップ 寺町を散策しているうち 「龍馬通り」と云うのを見つけた矢印に沿って、結構上がって行く(息があがる程)・・・とここを観光化したのは、何時だろう龍馬に因んだ置き物(ブーツ)がある・・・ここからは、市内が一望できる 帰りの下り道には、寺町なので墓が沢山ある・・・・・この辺りには、十字の墓は、殆んど見られない 民家の干柿が、季節を教えている 下りたところに「若宮稲荷」の鳥居が並ぶ この日上から見た、長崎最後の夕日は美しかった 4泊の長崎出発の前に「物産展」を見付けたここで「土産物」を買い、空港へ行く 長崎の小さな豚まんは、家族の好物でよく買ったこの日、取材らしい バスで大村空港へ・・・もう直ぐ この下は、雲仙か島原あたりだろうかゴルフ場が沢山見えた・・・住んでいた頃はよく行った事を想い出した ここはどのあたりだろう宇宙の色空を飛ぶ度、色んな色を見られるのが、飛行機好きにはうれしい この旅は、8泊だった今回も、行く先々には、友人が待っていてくれた良き友たちとの再会は、何時もうれしく、別れがちょっとねーー誰とでも「一期一会」 昨年は、国内の旅が多かったが、今年はどうなるのだろう気分で出歩くので、先の事は判らない判っているのは、何時でも旅へのスタンバイが出来ている事である旅発作が来たら、また何処かを彷徨うのだろう明日の事は自分にもわからない 今年も、このブログを続けて行くのだろうか
2013年01月01日
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高松から来た時の「あさひ号」に乗って、帰りは「宇野」経由で「岡山」を目指す予定では高松へ船で行き、「瀬戸大橋線」で岡山へ行く心算で、チケットを買っていた・・・無駄になったチケットは数百円で済む 「直島」から「宇野」までの船が結構あり、20分で行ける事がわかった「宇野」からJR乗り継ぐと「岡山」まで約50分「高松」経由で行くと、2時間以上は掛かる お天気が良ければ、瀬戸大橋線を乗るのも良いが、この日は「雨」になったので、行程を変更・・・してよかった 雨の「直島」と・・・・・又来る事があるのだろうか先の事はわからない この日の船内も「閑散」としている・・・・・帰りは岡山まで同宿の女性(うどんの人)と一緒であった 雨の瀬戸内海は波静かで、どんよりとしている3日前とは、別の場所かと思える風景に変貌・・・お陽様の威力を知る 「宇野」から「岡山」へは 「茶屋町」で乗り換える ここ岡山で彼女と別れ、また一人に戻る「岡山」では「九州新幹線」の開通を賑々しくPR中 「博多」に着くと、とても賑わっている「博多」は何十年振りだろう修学旅行で来た以来だ 博多で丁度ランチタイムになった駅ビルのレストラン街を歩くと、内容豊富、値段も低めワクワクするも、行列が殆んど並んで食べるのは好きでない仕方なく、暫く駅周辺を散策して時間を潰す駅前は、ビル街でこれと言って魅力が無い何処かへ観光に行こうにも、時間が足りない ぶらぶらしていたら、ランチタイムからずれたので、再度レストラン街へ・・・予想通り人が少なくなっている、先程並んでいた客もいない 「博多の名物」と聞いていた「もつ鍋」に挑戦・・初めての食べ物 出て来た・・・恐るおそる食べる・・・美味しいー油濃いかと思ったが、とてもさっぱりしていて、味も良い完食した・・・また食べたい物になった 食後、今日からの目的地・・・・・「長崎」へこの列車も何時以来だろう乗った事はあるにはあるが、記憶が無い 隣の車両も空いている 窓外を眺めながら、今日からの長崎を思う 諫早湾だーーー懐かしい 続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2012年12月20日
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まず余談昨日期日前選挙に行った、毎回思う事がある選挙会場に居並ぶ「高齢者」達は誰なのだろうなんであんなに多くの人が座って居るのだろう入口には、説明者らしき人が数人この人達が、出てくると「お疲れ様でした」「御苦労さまです」っとのたまう何故なのだろう選挙とは自分の意思で行ので、出入り口の挨拶など必要無いと思う・・・・・・ この人達の日当も税金から出るのだろうか ここから旅日記本村エリアの中をぶらぶらして、人がいなそうな所へ行ってみた 一本外れたところに入ったら漁港らしき湊があるお向えには、少し紅葉した島も見える周囲は誰もいない これだから散歩が止められない 穏やかな夕暮れを眺めていたら、職人分の若い男性がやってきた神戸からやって来た靴職人、家プロジェクトの近くで手作り靴の店を開いている・・・・・ちょっと休憩時間だと云う 話し好きらしく彼は、自分の事、家族の事、仕事の事等30分以上、海を眺めながら話してくれた段々暗くなって行くので、別れたこの旅は、何故か若い人と縁があり、話を聞く時間がこれからも続く・・・旅は出会いである 今日こそ、夕食を食べる店を探さなければと湊の近くで小さな店があったので、聞いて見たら今日は特別、19時まで営業すると云う 近くにはここ以外、食堂が無い事が判ったうどんを一緒に食べた彼女が、帰ってくるはずなので、急いで宿へ帰る宿では、昨夜の大学生が居て、「食事に行こう」と誘われる昼に出会った「うどんの彼女」の事を大学生は知らないので経緯を話し、二人で待つ暗くなっても帰ってこない店は6時には入りたいと思うぎりぎりまで待てど来ないので、仕方なく二人で行く 店は広いような、狭いような、雑然としている 二人で入ると、「予約で席が無いので、奥へ」と言われて入ったのが 幼稚園児が座る椅子席だったそれでも行く先もないので、呆れながら二人で座るオーダーする寸前玄関に入って来たのがうどんの彼女我々をみて「何故ここに居るの」と云うこちらこそ「何故」と聞いたら、「自転車で食べるところ探していたらここがあったから・・」だと云う返事・・・・・一緒に夕食食べる約束は彼女忘れてる・・・・・ま、いいか この店、カレー・スパゲッティ―・等お手軽メニューばかりなので、カレーを食べた オーダーする時、うどんの彼女が「今日は誕生日なので、飲み物御馳走させて」と云われたが、この店の飲み物はこれといってないので、気持だけ頂く食後、少し四方山話をしていたらホットケーキにクリームを載せて「おめでとうございます」の言葉とともに奥から店の人がやって来た先程に話を聞いていたらしい心の籠った、気の利いたサービスで、うれしくなってハッピバスデイの歌を歌って盛り上がった ケーキ お店を出て湊へ行ったら、こんな風景になっていた この夜の宿では、ケーキの効果で、3人で夜遅くまで話しが続くうどんの彼女が職場の悩みが大きく、旅に出た事・帰ってからどうするか思案中ここまでで、職場の悩みを3人から聞く皆悩んで大きくなるのだ悩みは人生のエキスにする、エキスの中味は自分で決める 女子大生は、豊な生活があり、謳歌中等々 生きるとは、それぞれ今を生きるしかないのだと、教えられた
2012年12月15日
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海辺でゆったりして、ぼーっと眺めていたら約束の時間に、民宿のオーナーがやって来たこの島で一番美味しい「うどん屋」で、昼食を食べなさいっと、云う 予定もない身なので、言われるままに車に乗る 車で少し行ったところで、男性が手を振り、車を止めるオーナーが降りて行く・・・・・何か話している 傍らに女性がいるやがて、女性とオーナーが乗って来た 彼女は、岡山から朝の便で直島に来た・・・歩いていたらこの島が気に入ったので岡山へ帰るつもりが宿泊したくなった・・・・・地元の男性と相談していたらオーナーの車が通りかかったのを見て、止めた・・・・・そして交渉の結果1泊する事になった・・・・・ランチはまだだったので、わたくしと一緒に「うどん屋」へ行く事になった・・・・と云うので、急にお連れが出来た旅は道連れの、面白い出会いである彼女は、東京から来た人で、岡山に予約したホテルへ、急遽キャンセルの電話をしていた 二人で一緒に食べた「うどん」がこれオーナーが「肉うどん」を食べなさいと云うので素直にそうしたわたくし肉はあまり食べたくないが、後で感想を聞かれるだろうから・・・ 味は「はっきり言えば」普通であった・・・・・この島では、何処で食べたら良いのか判らないのでここで良かった 食事が終わったころ、又オーナーが車で迎えに来てくれたその後、島の中をドライブし、あれこれ案内される彼女は行きたい所があるようで、先ずは宿まで帰る彼女は宿の自転車に乗って、道案内を聞き、出掛けて行った・・・・・夕食を一緒に食べる約束をして・・・・ わたくしは、オーナーが是非見ろと云う薦めに応じて「家プロジェクト」と云う島を上げての観光行事に、連れて行かれ、チケットを買い、この家に連れてこられたこの中に何があるのか、説明ないまま、そこで別れる行列に並ぶと、15分間隔で中に入る中の事は、ここで書くのは、ミステリーの答えを書くのと同じになるので止めておくが、びっくりするほどの事ではない時間潰しの遊びと思えば良いのかな この家の一部 直島の民宿を予約する時、どのエリアの宿にするか決め手となったのはここの地区「本村エリア」が、古い家並みがあると知ったから・・・旅先で何時も魅力を感じるのは、旧市街地・古い家並みの町である このエリアにある家並みの中に「家プロジェクト」と称して6軒の家に何らかの仕掛けを作り、又は、そのままを見せる事で観光事業として、人を寄せる手段にしている簡単に云ってしまえば、覗く・覗きの拡大判かなーーーー 島を歩く理由の一部として、時間つぶしには良いかもしれないが入場料6軒で1000円とは・・・・・どう判断するのか人それぞれであろう 感心したのは、この地区の住民が、挙ってこのプロジェクトを盛り上げている事である 民宿の前にある家の腰の曲がった高齢な女性が、洗濯物を取りながら「家プロジェクト」に「行きましたか」と声を掛けてこられた「まだです」と言ったら「是非行って下さい、面白いですよ」と云う この浸透ぶりには、びっくりである直島の住民が、生きる為の団結を見た思いである 本村エリアの家並色々 何処も覗かなくても、この町を歩くだけで、旅の気分は充実出来るしっとりして、古き良き昔を彷彿とさせるに十分な場所である 少し離れると、直ぐ海が見える 八幡神社から下りて行く 仁王様でなく、不思議な人が 下りた所には「極楽寺」があった この日の夜、面白い出会いがあった・・・・・続く
2012年12月13日
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乗船客は少ないが、フェリーなので、結構車が 乗っている上陸の為の準備が整った・・・間もなく蓋(架け橋)が降りる 陸と繋がったら直ぐに人が降りて行く 港に何か変な物が鎮座ましましている赤い南瓜だそうだ・・・南瓜の産地まさか聞いて見ると、これが「芸術」なのだとか理解不能 このところ雨が続いて、美しい夕日は、久し振りだと聞く神々しい 三角の島が、強力な主張を演じているともあれ夕日を背景に、これこそ、自然の「芸術」 次の日、宿のオーナーが、この地まで車で送ってくれた何の目的もないので、ランチまで適当に時間を潰す 何故ここに鳥居が埋まっているのか判らずじまい 波静か、人もいない、プライベートビーチ気分こんなにゆったり浜辺を歩いた事無いかもしれないこれは僥倖なのだと、この時間を楽しむ 砂浜には、沢山の貝殻が散在しているきれいな物を選んで、拾ってみる事にした何時の間にか、手一杯になり、何時も持ち歩く、袋に入れる この時、なーーーんにも考えず、空白の中で、ただただ美しい海をを眺め、きれいな貝を見つける事だけに夢中だった ここにも黄色い南瓜があった・・・何か違和感(草間弥生作) 海に無数の「ダイヤ」が瞬く この浜の海は、本当に美しく、見あきない 松並木もあった 今回、何故「直島」を選んだのか・・・全く意味は無く、時間があるので、島に行ってみたくなった、単純な気持だった宿は、ネットで民宿を予約・・・この民宿は「女性専用」だったので気に入った初日は、京都の大学生一人が先客だった・・・わたくし、旅先で自ら声を掛ける事は少ない。この日も挨拶のみ・・・彼女からも掛けてこないので、交流なし この宿は、食事が付いていない、オーナーが、夕食の出来る店を紹介して呉れたので、遅めに行ってみる所が、暗くてわかり難い。困っていると、男性が一人やはり探していると云う二人で探し、見つける事が出来た この島の夜は、早く、暗く、健康的な暮らしであるこの時期、客も少なく、夜は店も殆んど開いていない事が判った見つけた店に行っていると、宿の先客の女性と、別の女性が既に出来上がっていた 東京から来たと云う女性が、人懐っこく、一緒に飲もうを言う飲むつもりなく、食事をする予定だったが、付き合って「ワイン」を飲む彼女は、長く働いた自分への褒美に「ベネッセホテル」に宿泊していると云う1泊 37000円だそうだ・・・それだけ出して宿泊する価値は「殆んど無し」だと云う答え・・・自己満足だけだと云う事だったプライベートビーチが付いているのが、価値あるとか 色んな生き方があるものだ、彼女は何か悩む事が多く、気持の切り替えにここを選んだと言っていた この旅は、悩める女性3人との出会いがあった妙な旅である続く・・・・・・・・・・
2012年12月09日
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2泊の徳島から、「高徳線」で高松へ2泊共にした友人は、バスで大阪経由で目的地へ彼女と涙の別れをして、ここから完全な一人旅である 列車は客がこんなに少ない・・・経営が大丈夫 徳島自慢の「眉山」と別れをする 「坂東」ここだったのかホームに「鳥居」 1時間半余りで「高松」へ着いた、窓外を眺めていたら、時間を忘れる 高松港に立っている、タワービルの上のレストランで今日の1食目「ランチ」を食べる高い場所からみると、昨日までの曇天がすっきりとした上天気であるこの山は歴史に名高い「屋島」・・・・・眉山に似ている海は、波一つ無く見える 食べた物は和食 食後、初めての「直島」行きの港へ・・・この大きな船らしい大きな「バス」が船から出て来た 瀬戸内海の島に行くの初めてなので、こんな言葉を見ると実感が湧いてくる 乗って驚く船内もがらがら・・・この時期は、人が動かないのだろうか 両脇にある客室も、この通り 定時に船は動き始め・・・高松港を離れる 船好きのわたくしは、久々の船旅で、心わくわくであるこの旅で読もうと持ってきた、数冊の本に手が出ない海を見ているだけで、うれしくてうれしくて ビルの上から見た「屋島」が、目の前にくっきり横たわる 瀬戸内海は、こんなにも島が多い事を再確認そして美しい風景が点在している港から離れると、少し波が出てくる 進路左の空に「おもしろい」形の雲が 美しい島々の姿が見あきる事が無いこの「航路」 右にはこんな「島」が 遠景に微かに「瀬戸大橋」 が見える 直島が見えて来た 続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2012年12月08日
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6時過ぎ、個展を閉めて作家の車で山の中へ 徳島での定宿「どんぐり家」へ向かう 町を抜けるのに、渋滞があったりして時間がかかる 吉野川を渡って暫く行くと、いよいよ山の中の道 夜のこの道は2回目なので、気持は楽である 友人は、2回目の「どんぐり家」だが、夜は初めてで 緊張と恐怖で体が固まっている 確かにこの道は、実力が無いと運転できない しかも、この日の運転の作家は、夜は初めてだと云う 途中、大きな角のある「鹿」が道の真ん中に立ちはだかって車をジーーーーット眺めていて、動かないにらめっこが数分して、ゆっくり山の中へ入って行った 狸が3匹、車の前を横切ったり びっくりだったが、楽しかった ここで聞いた話し タヌキは沢山いる、鹿も多く、出会った鹿はこの辺りでは皆知っているとか やっとのことでどんぐり家に着いたら美弥ちゃんが、ほかほかの「鍋」を作って待っていてくれた よく食べました・・・・・食べ残り この山に生息する動物(鹿)の、こんがり焼き 美弥ちゃん「恵心」の柿を使ったデザート美味しかった・・・・・おかわり頂戴 友人と二人で「VIP」ルームで宿泊寒い山の中での「五右衛門風呂」にも入り、夜中には 満点の★☆☆星にも出会え、満足して眠った 目が覚めたら、寝坊のわたくしを置いて、母屋に行って、いなかった この日の「蕎麦ランチ」今までで、一番美味しかった蕎麦が締まっていた気がする どんぐり家の前庭 薪窯が悠然と ここのオーナーがのんびりと、あちこち手入れしたり動物の管理をしたりする常連さんに、声を掛けている彼らの日常 今回は1泊で、徳島へ帰る作家女史は、昨夜夜中に一人で帰って行った道に迷って、困ったらしいでも、無事辿り着いてよかった 午後から、美弥ちゃんの車で、個展会場へ行く 昨夜通った道 徳島の町が一望 吉野川が美しい 続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2012年12月04日
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この旅に行くきっかけは、 徳島の「陶芸家」の友人から 個展開催の「葉書」が届いた事から始まった 共通の友人たちも、行こうと云う 10月に続く連続の旅だったが、ご縁だから、一期一会だから お誘いには、出来る限り乗る事にしているので・・・乗った 開場の階段を上がると素敵な設いがある 清々とした、見事な空間が広がる 作品を自立させ、際立たせる場所 彼女(作者後姿)は何を思う 彼女は今、香のけむりに嵌っている 香炉 彼女の作品に、 灯りは欠かせない 普段使いの食器も多々ある 作品を見れば感じられる「人と為り」 手のぬくもり、優しさ、どの作品からも見て取れる 作品に秘めた情熱は、手にした人だけの喜び 思い切って飛んできてよかったこんなに素敵な時間を貰えたのだから
2012年12月02日
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初日は羽田から徳島空港へ友人と二人旅である、5月にも尾道・徳島へ一緒だった 大好きな友人である日頃から、面倒を見てくれる、得難い人 羽田空港で見た「タラップ」こうしてポツンと置いてあると、お腹を空かせて口を開いている何だか不明な物体に見える 羽田は何時も忙しい 以前にも見たが、この尖がりは何だろう 国際線が出来たので、滑走路が広々している 上空は見て飽きない 徳島空港に着いたら、もう一人の友人が、迎えに来てくれていた この友人とも長い付き合いで、尊敬出来・そして頼もしい人である 5月の旅も、今回の3人だった・・・良き人との出会いは、人生を豊にする この日も彼女の車である 東北の旅で運転を担って貰った1ヶ月振りの再会だった 珍しい年である、今年3回も一緒に旅が出来た 時間が押しているので、簡単にランチにする 徳島ラーメンを食べる 食べた事のない味・・・でも美味しい焼豚でなく、煮豚肉が入っている、それも珍しい 徳島は、肉が入るのが特徴らしい、結構良い蕎麦もつるっとしている また食べたい 友人二人が食べたのは、色々乗っている こてこてラーメン 空港の外へ出て、初めて知った 徳島空港は「徳島阿波踊り空港」と云う 数年前に乗った時全く気付かなかった さあいよいよ、今年最後の旅が始まったわくわくどきどきである
2012年12月01日
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どんぐり家の庭に置いてあったこれは聞いたら「青唐辛子」のタネを植えたもの時間が経つと「芽が出て」 「膨らんで」もうじき畠に植えるのだそうだこの青トウガラシが、あの美味しい瓶詰に加工されるわけかここの作物は、無農薬なので、みんな美味しいこうして口に入るまでには、時間がかかるのだっと目にして実感出来た食べ物を疎かにしては「勿体ない」事もよーーくわかった 忙しそうな「美弥ちゃん」この母屋は「100年以上」前から建っている屋敷だそうだ・・・貫禄充分 VIPルーム前にある「蜂の小屋」今年はまだ蜂が蜜を作りに来ていないここ数年、蜂が減ってると、報道で聞いていたがこの山でもそうらしいここの蜂は、自然の「日本蜂」だそうだとても貴重な蜂らしい・・・・・ちょっと寂しい庭にある「瓢箪池」に「鯉」元気に泳いでいたあっ・・・笹舟だ 懐かしい 夕陽の落ちる頃、賑わっていたこの庭に居た人々が帰って行き、泊まるわたくしと、ここの人だけが残ったこれからが「至福」の時間 あああああーーーー 急いで上に上がってみる暫く見られた直線の陽も、だんだん消えてゆく・・・・ここのオーナーが言っていた・・・・「珍しい夕日だ」 今回この道を何回行ききしただろうこれが最後・・・・これからバス停まで送って貰い悪名高い「高速バス」で「大阪」まで行く 今年の山では、「雀・燕」など普通の鳥が激減している「烏」だけが元気だそうだその他、長年住んでいる人にだけが感じられる生態系・植物等の変化が相当あると云う 東北だけでなく、四国の山の中にさえ何らかの影響が来ていると、山の人々が言っていた
2012年08月24日
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この時、どんぐり家では3泊した1泊目は、陶芸家・美弥ちゃんの3人で「VIPルーム」で寝た二人は良く働く現役なので、布団に入ったら瞬く間に一日何もせず、ぶらぶらしていた、わたくし一人眠れず、漆黒の闇の外へ、懐中電灯を照らしながら月・星を見に出たこの夜の星は、見事にきらめき外に布団を敷いて、寝ながら見たい程だった さてさて、ここでお世話になった食事の一部の写真を蕎麦が御飯より好きなわたくしは、ランチの「蕎麦定食」を毎日食べさせて貰うベテラン蕎麦打ち担当の男性 隣の台所では、かの美弥ちゃんが孤軍奮闘中・・・天ぷらを揚げているこの家族と、ご一緒のテーブルで賑やかに・・・ 夕食膳には、お洒落な箸置きがしし鍋が特に美味しい手作り蒟蒻の刺し身等地産地消の食品が殆んど味付けが抜群 朝食 二日目のランチ蕎麦定食陶芸家ささべっちと美弥ちゃんと、話しながらゆったりランチ蕎麦定食、何回食べても美味しくて・・・・リピーターが後を絶たないのも頷ける 食後、ここで作った出来たての「お茶」をご馳走になる今まで飲んだ事が無い「香・味」共絶品であった生茶葉からここまで出来た所では20分の1に縮小したのだと云う・・・・滅多にお目にかかれない貴重なお茶を頂いた有難う 続く・・・・・
2012年08月22日
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浮世を離れ、休息のひとときを過ごすにはここは絶好の場所であるこの道を過ぎれば、気分が高まってくる あら2年前と変わっている色んな所がリニューアルしてどんぐり家の手作り食品は、確かに美味しい取り寄せも出来るので、時々お願いしているどんぐり家アクセスアドレスこの部屋がメインの座敷・・・・間もなくここで蕎麦定食が この道はアアアアア何処へ行く道・・・・・ーあーーーあそうだよーーうこの小屋へーーーの、細い道だーーーよ人にとって無くてはならない、必需の場所・・広々と作ってある但し夜中は、相当勇気がいる見える部屋が宿泊「VIP」ルーム蝶ちょともしばし戯れる、非日常の時間がある 薪が並んでいる ここで使っている ここでも どんぐり家では日常に「薪」が必要なのだここは、2年前に作られた「五右衛門風呂」初めての時はドキドキしたが、入ってみると、温泉並みの「いい湯だなーーー」であるこのご時世「五右衛門風呂」は世界遺産・・・まさか
2012年08月18日
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今日8月17日、お盆も終わったお盆中は、生鮮食料品の市場が休みなので休み前に買いだめしておいた・・・・・殆んど出掛けずジーーット引き篭り生活をして、体がなまってしまった特に今日は、この夏一番の暑さのような気がする・・ ・さあ、旅の続きを・・・・・昨夜のたこ焼きパーティから一夜明けて早朝、横浜の友人は北陸へ旅発った・・・美弥ちゃんが車で、バス停迄送って行ってくれたわたくし寝ていて見送らずこの家の陶芸家は、朝から仕事で出て行った彼女は今夜、仕事が終わったらどんぐり家へ来てくれる事になっている どんぐり家へ行くのは3回目である今回も美弥ちゃんの車で連れてって貰う「吉野川」を渡る いよいよ山道がやってきた ここからが、狭くて厳しい道・・・それだけに楽しみでワクワク焼山寺へは、どんぐり家へ4年前、初めて来た時友人と、歩いて行った事思い出す「遍路ころがし」と言う難所がある寺で、山道が続くもう行きたくない この辺りで車から降ろして貰い一人で歩く事にした 落ちたら死ねるカナーー痛いだけ等と想いながら・・・ トトロに会えたらいいなーーやっと見えたミステリーゾーンへの入口 瓢箪池が完成していたここを抜けると「VIP」ルームと、こんな景色が一人占め(誰もいない) 今回は何泊する事になるのか明日の事は考えない先ずは「深呼吸」
2012年08月17日
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雨のドライブで、車のお掃除が出来た一緒に旅した友人と、最後の夜を迎えたのは鳴門の「陶芸家」M・Sさんのお宅彼女は、友人の友人だが、友人になって数年になる人の縁は異なもの味なもの若いM・Sちゃんから、色んな事を教えられた人の輪が増えると、知恵の輪が大きくなる但し、その人は、縁ある人であればであるこの徳島と縁を繋いだ友人は、今、大阪で新しい縁の輪を増やしているらしい この日のお宅は、何度かアップしているが今の季節の周囲の風景は、初めて見たこれ何若しかして この風景全て、その若しかしての「鳴門金時芋」畠秋が楽しみだ この日のディナーは「たこ焼き」パーティーであったスタート・緊張の時間ひっくり返すまでの時間みんなの目が鉄板に集中もう少し待ってと・・・制されるこちらには「美弥ちゃん」持参の垂涎ものの刺し身等・・・美弥ちゃんは、M・Sちゃんと同時進行の友人・生粋の徳島県人数年前からアップしているので知る人ぞ知るトトロの里「どんぐり家」の重鎮で住人この後、どんぐり家編でアップ予定 さあいよいよひっくり返す時間到来・・・はじめては難しい、でも面白いいよいよ試食時間みんなの手がうずうず余りの美味しさに、みんな無口になり、黙々と頂く数回焼くうちに、お腹が満足し、手の動きがゆっくりになる焼いたものが余り始め、最後の焼きになる頃は、お喋りも、笑いも大きな声になって、みんな余裕で満足な表情 ああああああああーーーーー食べた・食べた美味しかった・・・・美弥ちゃん・MSちゃん本当にありがとう、ご馳走様でした 長時間の運転をして、一緒に旅してくれたさぬきの友人が、夜遅く帰って行ったまた、何処かで会いましょう この日は、M・Sちゃんのお宅で、4人で雑魚寝面白かった・・・・ありがとう この夜の空には「美系」の月が瞬いていた
2012年08月10日
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記憶が消えないうちにと、気にしながら ぐずぐずアップで、旅から2カ月余り過ぎてしまった気候が盛夏となり、益々グータラしてしまうこの頃である今回から、いよいよ四国への道すがらの風景になる初めて渡る「 しまなみ海道」気持わくわくであるしまなみ海道が出来て、13年になる、全長60キロの距離を繋いでいるこの海道は中・四国の距離を、どれほど近くした事だろう 海峡部の橋梁として新尾道大橋、因島大橋、生口橋、多々羅大橋、大三島橋、伯方・大島大橋(伯方橋、大島大橋)、来島海峡大橋(来島海峡第一大橋・来島海峡第二大橋・来島海峡第三大橋)の10本(尾道大橋を含めて11本とすることもある)がある。総事業費7,464億円。 この日は、朝からお天気のご機嫌よくなく、雨がぱらぱらしていた 3人での徳島鳴門をめざして出発この橋から沢山の立派な橋を渡って行く 徳島方面へこの辺りで大雨になってきた吉野川のサービスエリアに着いたら、雨は殆んど上がった吉野川は何時何処から見ても雄大で、美しいさあ、鳴門が近くなってきた 尾道を出て徳島への所要時間は、5時間弱、慌てずゆっくり食事もした久々の3人旅で、気持も豊今回不参加のもう一人が居ないのでちょっと盛り上がりに欠ける、雰囲気ではあるが・・・よしとしよう
2012年08月01日
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尾道の下町を歩いた後、ホテルへチェックインこのホテルは、山の上にある尾道の印象は、昔見た映画から、坂の多い町だと思っていた確かに山に沿って家があり、坂が多い日本の地形は、四方が海に囲まれているので、何処へ行っても良く似た風景がある長崎・函館・横須賀・神戸・東京都内・・・坂・・と言う町名が沢山あるわたくしも、長崎に5年住んだ事があるが、坂の町の生活は、足が丈夫でないと辛い一番辛かったのは、自転車に乗れない事だった家族全員の自転車を持って行ったが、持ち帰る事は無かった海に沿った坂道は、風景としては味わいがあるので、映画などには使われやすいのだろう ホテルから歩いて行ける場所に、「千光寺」と」言う寺があった3人で、散歩がてら行ってみる千光寺は、広島県尾道市東土堂町の千光寺公園内にある真言宗系の単立寺院。本尊は千手観音。中国三十三観音第十番札所、中世以前の寺歴は判然としない。戦国時代には備後国御調郡木梨村木梨城主の杉原元恒がこの地に出城を築いている この山は、岩山らしく、そこここに大きな岩が見えた歩く道で、写生をしている人を見かけ、ゆったりしたゆとりの時間を楽しむそういえば、下から車で上がって来る時、ロープウエイの乗り場があった寺の道から一望できる・・・・「しまなみ海道」の橋が見える 尾道は「寺院」がとても多い・・・何故だろう山陽本線が真下を時々通る 形の良い、「鐘楼」ここからは、文学にひたる ここがロープウエイの頂上 この日の宿の部屋の窓から夜には夜景がベランダへ出て、部屋を見ると 温泉に入り、部屋へ帰ったら、待ちかねた夕餉が待っていた今回の旅で一番豪華な食事で、高級な一夜である右に見える明るい所は、尾道の駅前落ち着いた灯りの夜景は久しぶり 尾道について・・・瀬戸内海(対岸の向島との間はその狭さから尾道水道と呼ばれる)に面し、古くから海運による物流の集散地として繁栄していた。明治時代には山陽鉄道が開通し鉄道と海運の接点ともなり、広島県東部(備後地方)で最大の都市となるが、昭和40年代初頭には工業都市化で急速に発展し旧城下町で平地に恵まれた福山市に中心地の座を明け渡した。ただし、現在も備後都市圏の有力都市のひとつとなっている。「坂の街」「文学の街」「映画の街」として全国的に有名である。文学では林芙美子、志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表した。映画では小津安二郎監督の「東京物語」が尾道で撮影された。
2012年07月20日
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さあこの日、初めての町「尾道」へ尾道で横浜から友人が「合流」するので、駅まで迎えに行く事になっている 彼女も初めての場所なので「ナビ」の出番であるとは言え、町中の道は何処も狭く、入り組み、車の通れる道を行くと、相当回り路になる事が判る又、駐車出来るかどうか駅前はどうなっているのだろうそこで、少し離れた所にある「スーパー」の駐車場に、車を入れた到着時間まで、町を散策する事にした先ずは、尾道駅の場所を確認する、駅前は広々として海が正面に見える、開けた所 駅から少し離れ山側に入ると、小路が何処までも続くこの車に魅せられて近くまで行った小さいのに、主張があり、華がある 尾道に「城」 友人は定時に到着四国の彼女とは、数年振りの再会なので、思わずハグハグ時間もランチタイム・・・・・二人で目星をつけておいた海の前の「レストラン」へ案内する、夕食の為に満腹にならないよう美味しいサンドウイッチを食べながら、積もる話で時間が過ぎる今夜は寝ないで話をしようと、レストランを離れる・・横浜の友人が尾道でなくてはならない、家族からの頼まれごとがあった数日前「テレビ番組」で家族が見た、この町出身のタレントが、おやつに食べていた「鶏手羽先」の燻製が食べたいので買ってきてと言われたとか3人とも見ていないので、さっぱり見当が付かない チェックインまで時間があるので、軽く考え、探して見る事に・・先ずは観光案内所に行く、一人の人が聞いた事があると言うのだ。あちこち電話してくれる、あいまいらしいが町の名前を教えて貰う、が、その店の名前が特定できない 先ずはその町内迄行き、聞いてみる事にする殆んど人が通らないので、お店・家の人等、手当たりしだい訪ねて数人の人に当たったが、知らないとの返事ばかりそこへ通りかかった高齢の女性が、あやふやらしいが、若しかしたらあの家かもと、場所を教えて下さった 先ずは行ってみようと近くまで歩いて様子を見るここらしい、何処にも名前が出ていないだから正解かもしれない この中恐るおそる入って行くやはりここだった夫婦二人の小規模経営この奥狭い所で作っている「鶏手羽燻製」が目の前あった聞いて見ると「売れすぎて、地元へは出せない、地方発送だけだ」と云う手が足りないらしく、二人とも殺気立っていた兎に角3人それぞれ買って、ほうほうの体でここを出た鶏燻製探偵団をやったーーーと言う達成感でただただテレビの反響って「恐るべし」である こんな事が旅の面白さであり、醍醐味である虚空は鶏嫌いなので、味は判らないが、食べた人は「深い味・素人には出せない味・後引く美味」と言う事だった買って来た甲斐があり、探偵ごっこの成果としては、上々である土産を片手に、また町の散策へ まだまだ・・・・・尾道続く・・・・・・
2012年07月15日
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新幹線で通過した事は何度かあるが、降りた事が無かった「広島」秋芳洞から、次の日の為に、少しでも近くまで行こうと云う事でホテルの多い広島を選択する 広島に近くなった頃には、すっかり陽も落ちている 広島に近くなると、久々の都会で、ここまでの旅気分が現実に引き戻されたような、うれしくない心境であると言っても時間はドンドン迫ってくる今夜の宿を何処にするか都会での車は、駐車する場所を選ぶのさえ難しい まずは、虚空一人で降り、ビジネスホテルで交渉する直接交渉は、予定より高い事がわかるフロワー見まわしたら、PCを見つける使うのはフリーらしい お借りする事に早速ホテルを探すと、あるある市内なら何処でも良いネット経由で予約すると、相当安く取れるじゃらんネット経由で予約を入れたこのホテルには申し訳なかったが、有難く感謝 早速待っている友人の車で、目的のホテルへこのホテルは、市内でも当日予約が安いらしくビジネスマンが多く、チェックインの時、人が並ぶ程だった チェックインしたのが9時を過ぎていた空腹も限界に来ていた 目指すは、ホテル前にある「広島焼き」の店初めて食べるので、ワクワクである 店内は満席で、カウンターが空いていた目の前で焼くのを見て楽しみが倍増である 2種類オーダーして、シェアーする「空腹は最高のご馳走である」とてもとても美味しかった 今見ても、食べたくなる 次の日のホテルの朝食ここでもお腹いっぱい頂いた 安いビジネスホテルの風景・・・我々は場違いな、ビジネスマンばかり 次からは、後半の旅あちらこちらの友人との、再会が待っている
2012年07月14日
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この旅は、珍しい所を一杯見て歩いたが、行きたいランクの上位「秋芳洞」へ行けたのは、相当うれしかった秋芳洞(あきよしどう、「しゅうほうどう」の読みは誤り)とは、秋吉台の地下100-200mにある鍾乳洞で、約1kmの観光路をもって公開されている鍾乳洞としては日本最大規模。洞奥の琴ヶ淵より洞口まで、約1kmにわたって地下川が流れ下っている。1990年前後の洞窟探検家による琴ヶ淵から奥への潜水調査の結果、東方約2.5kmにある葛ヶ穴まで連結し、総延長は約8,500mに達した。その後の探検によっても延長は伸びており、現在日本第3位にランクされている因みに、国内鍾乳洞のランク 1)龍泉洞(岩手県岩泉町)2)龍河洞(高知県土佐山田町)3)秋芳洞(山口県)初期形態が誕生した年代への考え方によって、形成史の前半にはA、B二とおりの説があるA.約110万年前に地下水面型の横穴が誕生(山麓に大きな泉があった)。地下川の侵食(掘り下げ)につづいて、約70万年前に開口。数十万年前~数万年前にかけて、地下川の上流から大量の砂礫層が流入。B.10数万年前に地下水面型の横穴が誕生(山麓に大きな泉があった)。地下川の侵食(掘り下げ)につづいて、約10万年前に開口。数万年前に地下川の上流から大量の砂礫層が流入。 8~9万年前には阿蘇カルデラの噴火によって大量の火山灰(火砕流)が秋吉台を被い、洞窟内にも二次的に流入した。以降の地史は上記A、Bいずれかに関わらず以下のように考えられている。洞内における巨大落盤。黄金柱をはじめとする多くの洞穴生成物が発達し、洞口部に滝が生じた。百枚皿がもっとも新しい時代にできた洞窟生成物の一つで、洞口部の滝をつくる岩もそうである洞窟の大きさ 総延長(測量基線):8850m(秋芳洞~風穴~葛ヶ穴)最大高低差:137m(秋芳洞~風穴)最大ホール:長さ175m×幅80m×高さ35m(千畳敷)最大地底湖:長さ60m×幅15m×深さ3m(琴ヶ淵)何処かの高校生の修学旅行季節柄か、修学旅行生の団体が沢山いたいよいよ入口へ脇には涛々と、音を立てて流れる水入ってすぐ、大きな池状の川がどのくらい深さがあるのだろう百枚皿・・・この鍾乳洞で一番の名所・・・圧巻であるここだけでも見る価値あり 黄金柱・・・照明が強く、本物の色がどうなのか・・・光ってはいたがここまでで相当アップダウンがあり、少々アップアップであるこのまま奥へ行くと、エレベーターがあり、団体の人達は迎えのバスが待っている我々は、車までかえる為、同じ道をゆっくり引き返す帰りに見つけたこんな乳洞・・・虚空は、縦ETと命名滑りやすく、暗い道を、やっと出口に着くと、やれやれである団体さんは居なくなった時間 天念記念物とは世界最大と言われる、スロベニアの「ポストイナ鍾乳洞」へ行った事があるが規模は別としても、鍾乳洞にはそれぞれ個性があるのが判る また、日本一の「龍泉洞」も行った 一つ言える事は、鍾乳洞は暑い日に行くのが最も価値あり 素晴らしかった、来て良かった「秋芳洞」と別れて今夜は何処で終わるのかなーー出発
2012年07月11日
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この日は、一度は行ってみたかった、山口県の観光名所「秋吉台・秋芳洞」へウイキペディアより抜粋秋吉台は山口県美祢市中・東部に広がる日本最大のカルスト台地である。北東方向に約16km、北西方向に約6kmの広がりを有し、台地上の総面積54km²、石灰岩の分布、総面積93km2、台地面の標高180~420mである。約3億5千万年前(古生代石炭紀)、赤道付近の古太平洋上にホットスポット起源のいくつもの海底火山が生じ、海面近くの頂上に珊瑚礁が形成された。これらの海山・珊瑚礁群は秋吉海山列と名付けられているが、秋吉台をはじめとする西南日本内帯のカルスト台地(ほかに帝釈台、阿哲台、平尾台など)のもととなり、最終的に厚さ500~1000mの石灰岩層が堆積している。厚東川によって東西二つの台地(東台と西台)に分けられ、東側地域が狭義の秋吉台は(特別天然記念物、国定公園)である。地表には無数の石灰岩柱とともに多数のドリーネ(擂鉢穴)を有するカッレンフェルトが発達し、地下には秋芳洞、大正洞、景清穴、中尾洞など、400を超える鍾乳洞がある7~10世紀の頃、秋吉台東部でわが国最古の銅山、長登銅山が開発され、精錬が行われた。長登の地名は、奈良の大仏鋳造に本地産の銅が献納されたことをいう「奈良登り」の訛と伝えられている。 以後、中世~近代を通じて本地区にはいくつもの鉱山が稼行されたが、1960年坑道の出水により操業が停止され、翌々'62年長登銅山としての終焉を迎えた。秋吉台へ行く前に「大正洞」と言う所が先にあったので、行ってみる 石見銀山は、人が掘って作りだした洞であるが、ここは、鍾乳洞なので自然に出来た洞である この日も人が少なく、二人だけの散策だった頭を下げて通る場所さえあり、足元はジメッテいる 約40分程の行程だったが、余り心地良いとは言えなかった外へ出たらフォーっとする 秋吉台へと・・・・・・狭い日本と言われるが、知らない所が一杯河馬鯨馬の背のような 次回は・・・・秋芳洞へ・・・・
2012年07月07日
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若い頃から、心の恋人だった人の一人・・・吉田松陰氏他にもいるので想いがやっと叶って、松陰の生地に身を置く幸せを味わった 昨夜泊まった丸山旅館の玄関前の道路は広かった この日も行けるとこまで行こうと言うので午前中に萩を回って、次の地へ行く心算で出発をした 先ずは、この地の藩主「毛利家」の菩提寺「東光寺」へ 寺だと思ったが、鳥居があったり、灯籠が並んでいたり不思議な風景である この灯籠の数は500基~600基と言うお盆の時、この中にろうそくを灯し、幽玄の世界になるらしい 昼間のこの地は、あまり心地よいとは言い難い 松下村塾 明治維新を築いた盟友達の写真が並んでいる懐かしく切なく感じるのは、高松で見た写真の事を思い出したから・・・詳しくはここをクリックその時の写真について 時代が同じだからか、津和野の森鴎外の生家とよく似ている敷地は広く、名家だった事が偲ばれる 松陰神社では遠足らしき子供達がお弁当時間を楽しんでいた 我々も簡単なランチを食べたうどん定食・・・・美味しかった もう少しゆっくり歩く時間を取りたかったが、先が長いので、今回はこれで満足する次は・・・・・山口の観光名所
2012年06月27日
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この日、津和野で1泊する予定だったが余り見たい所が無いと云う事で、まだ陽のあるうちに「萩」迄行ってしまおうと、意見一致津和野を出たのは18時40分頃、距離にして50~60キロ約1時間位で行けそうだと言うナビに沿って行くと、判りやすい標識が出た先程歩いて居る時見た鳥居目の前に現れびっくり、大笑いである ナビの通り、萩の市内まで1時間弱で行けた着いた頃は、夜になっていたので先ず、今夜の宿を探しながら、ぐるぐる回る団体専用の感じの大きなホテルがあったので、駐車して宿代を聞いて見るも、我々の予算とはかけ離れた金額町中ながら、人の流れも無く、ホテルらしい所が見つからない小さなお店に入って聞いて見ると、親切に教えて貰う歩ける所なので行ってみた・・・客は居ないらしいが、二人用の部屋は支度が出来ているのでオーケーが出る昔ながらの旅館である駐車場もあり、とても人の良いおかみさんで、部屋を見せて貰い、ここに決めたついでに、[空腹なので何処か美味しい店は]と尋ねたら「紹介した人みんな美味しいと云ってるから」っと直ぐ近くのお店を紹介して貰った 行ってみると、夫婦二人のお店らしい「食事をしたいのですが」と言うと「御飯が無いので食事はね・・・」と云う返事「丸山旅館のおかみさんに紹介されて伺いました」と言ったら 奥の座敷から、横になっていた様子のご主人らしい板前さんが顔を出して「それじゃ今から御飯炊くから、少し待って」と言う丸山のおかみさん効果抜群 そのままカウンターの中に入り、包丁を出して手を動かし始める話し好きの夫婦で、手を動かしながら、次から次と話が出てくる そして最初に出てきた料理が・・・練りものとお造りここで聞いたのが練りもの「有塩」 刺し身「無塩」と言うそうだなるほど初めての言葉だったが、納得である熊本(牛深)長崎の漁港(野母崎)辺りでは、刺し身をむえん・ぶえんと言うらしいこのご主人は、長崎の小島の出身だったので、長崎の方言なのかもしれない 練りものとお造り(刺し身) この4品もいっぺんに出て来たのではない、ゆっくり飲みながら、話を聞きながらであるどれもすべて、蒸したり、焼いたり、目の前で調理されたものである「さざえ・ユリ根・照り焼き・おろし煮」・・・そして焼酎 写真を忘れて食べ始めた「うちわエビ」 生きていたのを蒸したもの余りの美味しさに言葉が出なかった・・・値段が判らず食べそこなった・・・払ってから、だったらもう一つ食べればよかった 「アワビ丸ごと」のお吸い物」 「茶碗蒸し」 御飯が炊けて「巻き寿司」がどんと出る・・・カメラ忘れて食べてしまった その後、寿司談議になり、生の寿司飯は「一肌」が一番美味しいと言われ一肌のすし飯で「白身の魚」を一カン食べさて貰う確かに、美味しい デザートに板さん手作りの萩で取れた「柑橘」のゼリーが出た どれもこれも掛け値なしの「絶品」であり、値段が「安い」うれしいもし「萩」へ行く事があったら、この店はお勧め話しに華が一杯咲いて、宿に帰ったのが、日にちが変わりそうな時間だった 店の名前は「小倉」・・・ビルの2階萩市吉田60 電話0830-22-5886
2012年06月23日
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150年前、森鴎外はこの津和野に誕生した森鴎外は余りにも有名で、紹介は控えるこんな風景を見ながら、鴎外の誕生した家に向かう山あり、川ありの日本の典型的故郷である史跡として管理されている「森鴎外旧宅」150年前は、水道水は無かったと思われる窓が無い広くも狭くも無い、当時のつつましい作りの家である鴎外は、この家で10才まで生活していた川に見えるこの赤い色はこの橋を渡ると、西周の生家がある 山の中に鳥居が見える澄んだ水が清々と流れるのに、見とれた 西周 について・・・簡単に書けば、頭脳明晰で立派な業績を残した人 にし あまね、1829年3月7日 - 1897年(明治30年)は江戸時代後期の幕臣、明治初期の官僚、啓蒙思想家、教育者。貴族院議員。男爵。勲一等瑞宝章1862年には幕命で津田真道・榎本武揚らとともにオランダ留学し、カント哲学・経済学・国際法などを学ぶ。1865年に帰国した後、目付に就任、徳川慶喜の側近として活動する。 蔵の勉強部屋 現在の周辺風景
2012年06月19日
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半日、銀山の町をぶらつき、午後「益田」へと移動 益田は、虚空の親族に縁がある町である数十年前 「益田高校」を卒業し、そのまま一度も訪ねて居ないもし近くまで行ったら、行って来てと言われていた益田には、2年だけの生活だったが、高校を卒業したので愛着があると云う そこで今回、友人にお願いし、寄り道をして貰った 周辺は静かな町並、校舎は鉄筋の大きな建物時代の移り変わりをまの辺りにした 校門前の道は広く、 運動場も整備されて、緑の山が故郷を感じる同窓会担当の先生が、親切丁寧に対応して下さり、恐縮した訪ねてよかった ・・・益田から次への目的地「津和野」へ この辺りは「星」が近くに見えるのだろう 津和野に着いた時は、観光客が帰った時間ここがメイン通り このカトリック教会はこの町の「ランドマーク」遠藤周作氏の「女の一生」を読んでこの教会は、興味があった・・・想像に近い雰囲気 中は「畳」が敷いてあるステンドグラスがきれい ここまであちこち見て来たので、整った町並は感動が薄く、早々とこの道から離れた 少し脇に入ると、新鮮な風景がある 観光案内図で見つけた場所へ・・・・・ 津和野について明治維新前には津和野藩亀井氏の城下町であり、山間の小さな盆地に広がる町並みは、「小京都」の代表格として知られているほか、津和野駅はSLやまぐち号の終着駅でもあり、山口市・萩とセットで訪れる観光客が多い。幕末期以降の廃仏毀釈と、長崎から配流されてきたキリシタンへ、改宗の強要が実施された歴史がある。2005年9月25日、隣接していた日原町と合併(新設合併)し、新たに津和野町となった。町役場は合併前の日原町役場に置かれることとなった。津和野は「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツにもつといわれる。遠い昔、山紫水明 のこの地に住みついた人々は、群生する「つわぶき」の可憐な花に目をとどめ、その清楚で高雅な風情に魅せられ、自分たちの住む里を「つわぶきの野」・・・「つわの」と呼ぶようになったという。このような伝説をもつ当地域の歴史は古く、縄文時代までさかのぼる。町教育委員会の調査によれば、今から約9000年前の早期縄文時代から人々が住んでいたことが確認されている。これまでに町内19ヶ所で遺跡が発掘されており、石斧、土器、石器などが採集されている。 これらの発掘により、当地域は後期縄文時代には九州文化圏の影響を受けていたこと、そして、約1700年前の前期古墳時代の土器により当時、山口地方と山陰地方を結ぶ交通の要所として両方の文化が交流する重要な場所であったことなどが分かっている。続く・・・・・・
2012年06月16日
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前日銀山遺跡を見終わったのは、夕方になったこの町をもう少しゆっくり歩きたく、近くの大田市で1泊した 銀山遺跡から出て、車までの道で見た風景 丁度田植えが終わった、山間の田園 屋敷前の溝は、澄んだ水が花々を育てていた ここにも「竹林」が美しい 夕映えで、秋のような色が見られた 石見銀山後記石見銀山が世界遺産に登録されて以降、観光ルートに暮らす住民らは観光客の殺到による治安悪化や騒音などの観光公害に直面し、不安の声が上がっていた。そのため、バスでの乗り入れの制限を行うなどの対応がとられたが今度は観光客の減少が起こり、観光振興と地域生活のバランスに苦悩しているここは、相当僻地にあり、車で行くほかない難しい問題ではあるが、このまま維持して欲しいと願う 次の朝銀山に戻り、ゆっくり周囲を見て発見 銀山遺跡公園に入る手前に「羅漢寺」があった羅漢寺の前に道を挟んで「五百羅漢」があることがわかり寄ってみた 羅漢寺(らかんじ)の五百羅漢(ごひゃくらかん)は、大森の観世音寺住職 月海浄印と言う方が、銀山で働いていて亡くなられた方の供養や、労働者の安全のために発願され、多くの方の寄進によって、二十五年かかって明和三年(1766)3月に完成した。また、羅漢寺はこの五百羅漢を護(まも)るために建立された。 五百羅漢の造りは、小川を挟んだ寺向いの岩山に、三つの石窟が掘られ、小川にはそれぞれの石窟に入る石で出来た反り橋が架けられている。中央の石窟に釈迦三尊、左の石窟に阿難尊者を中心に251体、右の石窟に木蓮尊者を中心に250体が安置されている。カメラなので、外観のみ 羅漢寺 五百羅漢の中央石窟 左右に石窟があり、中に五百の羅漢さまが安置されている 五百羅漢と言えば、大分県にある「羅漢寺」埼玉県川越の「喜多院」へは行った事がある 喜多院の羅漢様は、外にあり、大きく見飽きない表情豊だった 旅は知らない事を発見する、これがうれしい旅の真骨頂次は・・・・
2012年06月15日
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石見銀山とは・・・薄々聞いていたが、行ってみて想像と異なり驚きの連続だった、入った間歩(坑道)は龍源寺間歩石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある。戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。その最盛期の当時、日本は世界の銀の1/3を産出したとも推定されるが、そのかなりの部分を占めていたという。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)と呼ばれた。明治期以降は銅などの鉱物が主に採鉱された。2007年世界遺産へ7月2日に正式登録された一般に銀山開発においては銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされたが、石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が特に評価されている日本の世界遺産登録としては14件目であり、文化遺産としては11件目、産業遺産としてはアジア初の登録となる銀山争奪歴史の記述によれば、16世紀から銀山の争奪戦が止むことなく、17世紀に入り、江戸幕府が統治する。明治になり、民間払い下げになった。鉱山から主に採掘されていた銅の価格の暴落や坑内の環境の悪化などにより1923年(大正12年)には休山するに至った。その後、日中戦争、太平洋戦争の最中、軍需物資としての銅の国産化を目論んで、1941年(昭和16年)より銅の再産出を試みるものの、1943年(昭和18年)の水害で坑道が水没する大打撃を受け、完全閉山となる。現在、銀山採掘のために掘られた「間歩」と呼ばれる「坑道」が500余り残り、大久保間歩及び龍源寺間歩の一部が一般公開されている龍源寺間歩は、御直山(おじきやま)五ヶ山のひとつ、江戸時代の中頃に開発された代官所直営の坑道で、大久保間歩に次いで長く、約600mある。そのうち一般に公開されているのは273mで、坑道の壁面 には当時のノミの跡がそのまま残っている。また、排水のため垂直に100mも掘られた竪坑も見ることができ、石見銀山絵巻等の展示もある。 このほかにも石見銀山には500を越える間歩があり、龍源寺間歩よりも規模の大きい間歩や、露頭掘り跡がたくさん残されている。 間歩(坑道)入口 この坑道は観光用か若しくは坑道と坑道を繋ぐ為の道か 広い場所もあった 間歩についての詳しい「説明画・文」が壁に貼り付けてあった その一部 30分程の行程であったが、外へ出て呼吸が楽になったここを職場として働いた人々を思うと、胸が苦しくなる 美しく見えるこの山の両側には「墓標」が沢山見られたこの鉱山での犠牲者の数は、如何ばかりだろう 橋には、ペンペン草が美しい・・・廃屋 この家は人の気配は無かったが 鉱山の帰り道、気持を立て直すに程良い距離に「洒落たカフェ」があった この日の夕日
2012年06月14日
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車は早いそんなに飛ばした感じは無かったが4時間弱で「石見銀山」に着いた先ずは腹ごしらえ・・・友人の頭には行くべき目的があった石見銀山に行ったら、寄りたいと云う店その店に行くまでの町並に、心奪われるここは、撮影所のセットではない 住民が居て、子供が居て、生活があるのだ 歩いても歩いても、静かで人の声が殆んど聞こえない この自動販売機には 驚いた町並に合わせたのか木製で囲っている如何に腐心をされたか、気もちが伝わる この日の遅いランチはここ「群言堂」(ぐんげんどう)虚空は知らなかった友人はこの店に来たかったと言う 玄関を入ると、先ずこんな感じ履物を脱いで上履きに履き替える 庭が広がる素敵 ファッションの売り場・・・着心地よさそうに見える オーダーしてお店を歩いていたら出来て出てきたのは「一汁一穀」定食 穀米と野菜のスープ質素なのに、豪華に感じるのはテーブルセッティング全体の雰囲気美味しく、十分満腹であった・・・普段が食べ過ぎだと気づく 相談の結果、この町に泊まりたくなった・・・・聞いて見たら、一軒民宿があると言うので、探しに行く交渉してみたが、家族が病床で、今日は泊まれないと言う がっかり この町、この店を時間を掛けて歩きたく他に何処か宿泊先は無いか、案内所で聞く 車で15分程の町にホテルがあると聞き、問い合わせる・・・今夜の予約を入れた安心して、いよいよ「銀山」跡に行く事にする 時間が16時近かったので、行く人は誰もなかった自然一杯のこんな道を少しづつ上がって行く40分近く歩いて目的地に到着した このトンボは何と言うのだろうこの地では結構見かけた
2012年06月10日
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倉敷のホテルへ、四国の友人が、車で迎えに来てくれた二人で中国地方をドライブの旅をしようと誘って貰った 彼女とは、二十数年の付き合いである長距離を一人で運転するのは、きっと大変だと思うが虚空は手も出せない二人旅の日程は、4泊5日宿は予約無し・・・・行きあたりばったり現地調達と、意見一致・・・いよいよ出発、5月の緑は浅くも深くも無く、あざやかに年齢でいえば、青春真っ盛りだろうか 中国自動車道を緩やかに、ひた走り「三次」で一般道へ降り、目的の「石見の国」へ この旅で最も沢山目にしたのは 「緑」である その緑を車窓から眺めながら・・・お喋りしながら 高速道路はスピードが ナビの指示に素直に走って 一般道へ降りたら、 狭い道が 殆んど車が走っていない道、地元の人の道らしい山奥にも立派な「陸橋」が どの家も、都会には少ない「瓦屋根」のどっしりとした作り 「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」・・・・思わず口ずさんでしまう日本の故郷を見た 山また山なので、「トンネル」が多い 道の駅「まほろば市」で小休止 山の上に大きな岩が ここにも吊り橋またまた・・・ 目に鮮やかな「竹林」余談・・・・この旅で沢山の竹林を見た竹は日本の何処にもある、竹の子も何処でも取れる 少し、周辺の感じが変わりつつある正面が、「石見銀山」らしい ここで、ナビを確認して、外気を味わう 後ろの方から妙な車がやってきた 何処かへ行ってしまった・・・何の車だろう それにしても、信号も無い、人もいない、車も殆んど通って無い「こんな町嫌だ、こんな町嫌だ」・・こんな歌詩を昔聞いたような旅人には魅力ある所だ 虚空は運転できないので、車の事に疎いナビは「大したものだ」ナビの通りに走ったら、ちゃんと予定時間通りに、目的地へ着けるナビが無かったら、時間が倍はかかると、友人は言った 続く・・・・・
2012年06月08日
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前回の続き・・・・・自転車で、人の少ない道を散策するこの通りは、提灯を提げている家が続く神社の祭りでもあるのだろうかそれとも年中提げているのだろうか 時代劇の一こまに出会ったような通り電線が時代劇には無理がある この辺りは「東町」古い屋敷町の観あり、立っているこれは何 この通りの家の前には石が並んでいる何だろう この家は2個石に詳しい友人に聞いて見た「道路が狭いので、車の駐車を避けるため」ではと言う意見確かに・・・それにしては、街並みにマッチして昔からあったような違和感のない風景である美的な石の設えを見た 久々、うだつ(卯建)の上がった家を見つけた 狭い道から、このあたりにしては広い通りに出た この辺の建物は、銀行・郵便局等古い洋館がある この町には珍しい「木造の西洋館」何か懐かしさがある・・・・長崎の町でよく見た建物である 上の通りを歩くと、少し狭くなって商店街が続く・・・・・そこで見かけた町に、マッチしているこの方 この通りでは有名人らしいこの店で、長ーーく「床屋」をやっていたとか今は87歳元気である、人生の色々をここで話して下さった 駅に近いアーケード街、まだ夜には間があったが人の流れが寂しく、みんな足早にいなくなる なので・・・虚空も夕食の店を探してホテル方面へ・・・・倉敷の美観地区から周辺を回ったが自転車だったので、狭くて、歩きやすい観光地だった 倉敷の周辺には、見どころがあると思うが用事が無い限り、再来しないだろうと、今の気持 次の日から・友人の車で遠路を、気の向くままドライブの旅
2012年06月06日
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今回は東海道新幹線に、5年振りに乗った 富士山は、空から見る事が多かった 5年振りに車窓から見られ、ワクワクである 車内は、日曜なのにガラガラチケットを買う時、「指定券」を買うつもりが「満席」であった仕方なく、自由席にしたら・・関西・岡山当たりで降車する客を見たら指定客は殆んど「団体」のようであるこの経験で、帰りも自由席を選択し、楽々であった 倉敷の駅を出る前の通路始まったばかりの旅なので、ここは見るだけ 初日は一人で倉敷の街を、ホテルの貸し自転車で散策貸しと云っても無料で、しかも電動なのがうれしい日常も、電動自転車がわたくしの足なのだから ホテルの位置が「美観地区」で、観光のメッカであるこうした白壁の蔵屋敷が続く 倉敷川の両サイドが美観地区の中心 この日、日曜日だからか催事があり賑わいも程々である この二人は、本物の新婚で、道行く人達からお祝いの喝采があった目立ちたがりの二人である これがかの有名な「大原美術館」倉敷へ行きたかった第一の目的は・・・ここだった気がする 予想とは少し違ったが、雰囲気はまあまあであるウィキペディア参照大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880年-1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年-1929年)に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。第二次大戦後、日本にも西洋近代美術を主体とした美術館が数多く誕生したが、日本に美術館というもの自体が数えるほどしか存在しなかった昭和初期、一地方都市にすぎなかった倉敷にこのような美術館が開館したのは画期的なことであった。ニューヨーク近代美術館の開館が1929年であったことを考えれば、創設者大原孫三郎の先見性は特筆すべきであろう。しかし、開館当初は一日の来館者ゼロという日もあったほど注目度は低かった。大原孫三郎は1880年、親の代から紡績業を営む、倉敷の名家に生まれた。日本の児童福祉の先駆者であり、岡山孤児院の創設者である石井十次との出会いが大原の人生を変えたという。プロテスタント信者であった石井の影響で自らもプロテスタントに改宗した大原は、事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷中央病院などを次々と設立した。大原にとっては美術館の創設も社会貢献の一環という認識だったようだ。 美術館正面入口・・・観光地中心にある 展示されている作品は、欧州の美術館で見た後では新鮮さは無いが、ここの建築物にはマッチしているかもしれない庭を散策したり、建物を見て歩くのもこの美術館の味である 造り酒屋の入口新酒が出来ると飾る「杉玉」これは相当古いので、現在この酒造は酒を作られていないのだろうか 続く・・・・・・・・
2012年06月02日
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四国の旅のアップが、年を越してしまった 高松へは何回も行っているが、以前から薦められ行けなかった所へ、この時やっと行けた内容も知らず場所を探し辿り着いた それがここっ 平家物語歴史館 入場料を払って、中に入って びっくり 日本最大の蝋人形館だった 午前の早い時間だったからか誰もいないたった一人で見て歩くのは余りにも勇気がいる場所だった リアル過ぎてギョッ それでも始めの部屋は、何とか通り過ぎた殆んど実物大らしく、良く見れば、素晴らしい出来であり懐かしい人達が沢山いる全て、四国出身の有名人 この先は、この館の本命「平家物語のフロア」音響も凄まじくゆっくり歩く気もちになれず、足早に通り過ぎた 平家物語の冒頭祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ この文章は、何時の世にも古さを覚えぬ人として生きる時、特に権力を持った人には常に心する名文である 平家物語は、一度は読んだり聞いたりした事がある実在の歴史物語りであるここ、高松市には「屋島・壇ノ浦」が近い この写真を見れば、話しの内容が見えてくるこの歴史館には、300体以上の蝋人形がある平家物語に興味のある人には参考になる、目で見る平家物語と言えるかもしれない この館を出て、レンタル自転車を借りていたので 周囲を回ってみた 近くには「ドック」があり、滅多に見られない風景を見る事が出来た この日帰るフライトは「夜」だったので時間がたっぷりあり町を歩く気にならず映画を見る事にした沢山の上映映画の中から「雷桜」と言うのを見た想像通り、風景が美しく、浮世を少し離れた時間が持てた この日はずーっと、不思議な世界に身を置きそのまま四国から、帰途に着いた この時の旅は、日程はたった3泊だったが中味は濃く、歴史的場面に立ち会え美味しいものにも出会い出掛けて良かった、良い旅であった 四国は何時も魅力的である
2011年01月09日
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四国の後、1日置いて「韓国へ」行ったので 四国の旅の写真が少し残っている 年内に終わりにしないと・・・ この時鳴門から 鳴門からどんぐり家へどんぐり家の事 願興寺の事 は アップしたが、 2泊目の徳島の夜の事から始める・・・ どんぐり家から徳島市内へ美弥ちゃんが車で送ってくれた市内のこの場で、その日泊めて貰う友人夫妻を夕日を見ながら待つ 友人の案内で、この日の夕食を食べに行くメニューの多さに、気持が揺らぐ4人それぞれ違ったものを取った全ての量が多くて これは、鯛のかぶと煮大きーーーイ 食後、美弥ちゃんと別れ、夫妻に市内夜景を案内して貰う夏の阿波踊りの場所になる川の橋には「イルミネーション」が美しい 橋の上に、お洒落な施しが思わず「声」が 何色か変化する 帰りに通った徳島駅前の商店街この時8時頃殆んどお店は閉めている この斜めのラインは何だろう この夜、プロ野球の日本一を決める試合が延長延長で、夜中まで放映されたこの家の夫妻は、大の野球好きわたくしどちらでもお好きにと言う気持次の日が早起きなので、途中でお開きになった彼女最後まで見ていたらしい
2010年12月26日
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明け方星を見た後、ゆっくり朝寝目覚めると、窓から眩しい日の光が 鳥の声人の声も聞こえているランチを食べにお客さんが来ているらしい どんぐり家の入口 昨夜泊った「VIPルーム」への道 ここが「VIPルーム」この敷地内の最上階にある部屋一人で極楽の一夜だった 部屋から正面にはこんな風景が 布団を畳んで、顔を洗ってランチ前のひとときを、散歩に出る この家の周りも見て歩く・・・・毎日使う「燃料」 部屋の前にあるこれって聞いてびっくり蜂が入ってる今、中では盛んに蜂蜜の製造中良く見ると小さな「蜂」が出たり入ったりしている人は気にしていないらしい邪魔さえしなければ心配ないと、言う事だった・・でもちょっと 蜜を作り、蜜を取られ(人は頂き)作業を終えて立ち去った箱には初めて見てびっくり(箱) これもミツバチ用の箱 裏の方に行くと、点々と箱が置いてあるここの蜂蜜は「日本蜜蜂」で、大変貴重な物だと聞く蜜蜂について、詳しく聞いたのは初めてで勤勉さ、女王蜂の事などびっくりする事ばかりであった 散歩から帰ったら、蕎麦を打っている人が・・この「そば粉」も徳島産のもの ランチタイムは「手打ちそば定食」手作りの「蒟蒻」「猪の燻製」に、無農薬で作った野菜などが出ている来客の皆さんと一緒に、賑やかに頂く何もかも美味しく大満足美弥ちゃんありがとう(この家の料理人) たった一夜だったが、知らない世界に入れて貰った 帰り道、唐辛子の畑で、収穫をするのを見せてもらう そして、昨日送られてきた唐辛子の味噌など・・・・ どれも美味しく、直ぐ食べてしまいそう 辛味好きの人にはたまらない品である(温かい御飯に、鍋物に、サラダに)何にでも合いそう 「どんぐり家」2年ぶり2回目である、前回は「フルコース」の食事と夢のようなホタルを見せてもらった どんぐり家の事はここをクリック
2010年11月26日
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四国へ行く為「羽田空港」から高松行きに乗った 「新国際空港」が先月オープンした空港の滑走路が広がっていた テレビのニュースで見た新滑走路 確かに「海の上」である支柱を立てて、その上に滑走路を造った大丈夫かなーーー 羽田がこんなに広くなった 乗っている飛行機の影が、船と競争しているようなニヤミス 海面が鏡になった美しい 高松からの途中「鳴門」の友人がバス停で「拾って」くれたここは、6月に伺っているので、5か月ぶりの再会である「鳴門金時」の畑の今は収穫後、茎だけが残骸として残っていた 友人は陶芸家である間もなく始まる「個展」の追い込みで忙しい ここで「どんぐりや」の美弥ちゃんと待ち合わせ どんぐりやは、2年前に行った奥深い山の「民宿」この日はここでわたくしを拾って、どんぐりやへ行く美しい鳴門の夕焼けに出会えた すっかり暮れた山道を、四方山話をしながら1時間30分程走る 山の中なので、歩くにも「懐中電灯」が無いと歩けない そんなどんぐりやは、今年「五右衛門風呂」を造られた一度入りたいと思っていたので、わくわくしながら頂くかけ流しの風呂で、心地よさは入った人だけのもの 風呂から上がってこの屋の居間へ美味しそうな夕餉が待っていた今夜の客は、わたくし一人なので客扱いでなく、気楽に仲間に入れてもらう「イノシシ」鍋が主役おいしい、おいしいとお代りする鮎の塩焼き・他この土地で取れたものばかりが並ぶ子の日、ここに並べられた瓶に入った唐辛子の味噌数種類鍋にも、御飯にも良く合って美味彼らの畑で作った「唐辛子」を使い 作品にしたというこれ欲しいのだけれど売り物はありませんかと聞いてみる 今商品化して売るつもり、と言う 後日、これらを送って貰うことにした 早朝、星を見たくて外へ出たら既に竈には「火」が入って、お湯が沸いていた天気も良く、空は満点の星であった つづく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2010年11月25日
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韓国へ行く5日前から3泊、四国への旅をした 今回のメインは、友人の寺が新築され「落慶法要」が行われるのを、見せてもらう為だった 落慶法要とは落慶(らっけい)とは、寺社などの新築、また修理の完成を祝うことである。「落」とは「落成」のことで、中国で宮廷ができた時の祭りのことであった。これが転じて寺院などを建築し新しく完成したときに転用されて言われるようになった。またその時に執行される式典を落慶法要(らっけいほうよう)、落成慶讃会(らくせいけいさんえ)、落成式(らくせいしき)などという。落慶法要では、本尊である仏像(または曼荼羅など)を安置し、本尊に魂を入れる儀式として開眼法要を行い、その工事の完成を祝い仏や宗祖、またはその寺院に機縁する祖先などに表白(ひょうびゃく)し、慶賀讃嘆するのが常となっている 人生長いか短いか、それは別としても、寺の落慶に立ち会える事は、滅多にないしかも、身近な人の寺となると、相当僥倖な出来事だと思う さぬきの「願興寺」は、友人夫妻がUターンして約7年 48年前に火災で焼けた寺を再興する為、努力をされた 彼女とのお付き合いは20年を超え、友であり、師でもある良き人、出来る人に与えられた使命を、全うされたのだと思える 詳しくは願興寺のホームページへどうぞ この日の天気は小雨が降り、稚児行列が懸念されたしかし、時間を追って、雨も小降りになり、予定通り行われたどんどん晴れ間が広がり、昼過ぎには晴天になった 山門を入ると 新しい本堂がある 本堂の正面奥に、友人が2年半掛けて書き、仕上げた曼陀羅があった 左右の壁には「八祖図」があり、これも彼女の手書きである 真言宗の法流の正系を示している。教主大日如来の説法を金剛薩?が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜である。大日如来(だいにちにょらい)金剛薩?(こんごうさった)龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)龍智菩薩(りゅうちぼさつ)金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)不空三蔵(ふくうさんぞう)恵果阿闍梨(けいかあじゃり)弘法大師 本堂正面 法要を前に、待機中の人 周囲の風景 鐘やお経の声が流れる中 いよいよ始まる・・・・「住職」がしずしずと登場・・・ 本殿は、稚児さんが・・・・ 行列を終わり、ホッとした子供たち 賑わいの後、意味不明の行事の準備が 沢山のお坊さんのお出ましである 最後に本堂へお坊さん全員集合して、本堂で儀式が始まる一般我々はここでお開きになる 彼女夫婦7年間掛けた集大成の行事が終わった
2010年11月24日
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2泊目の宿は、2年半前の年末に泊まった所 今回2回目なのに、何回も来た様な懐かしさがある その訳は! 朝早い時間の宿前の浜辺 ここから先は、「津田の松原」と言う松が沢山あり、散歩道として さあこの旅のもう一つの目的の場所 それがここ 高松港から小高い山の上の「ホテル」にある この「絵」 ・・・・左半分・・・・横長なので、2枚に切った 右半分 これが、全体 これは、ホテルからの依頼で描きあげた「高松港」の現在 ホテルの部屋から見た風景である そしてこれを描いたのが 曼荼羅を描いている「彼女」である 久々の日本画だったそうだが、曼荼羅と平行して描いたと言う この写真では伝えきれないが、一筆一筆丁寧な仕上げは曼荼羅と共通している 急ぎ足ながら、充実した3日であった若い彼女の活躍を見せてもらう 願興寺の「落慶法要」に向けての時間選ばれし人以外、経験する事が出来ない日々を彼女はきっと、楽しんで、明るく、豊かに過ごすであろう See You Again 続く・・・・・・・
2010年07月18日
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徳島の友人の車で案内してもらい、鳴門市内の町を歩いた 懐かしい家並みをゆっくり見て歩く 徳島には、古い町があちこちに残っている うだつの町「脇町」もその一つ 徳島へお邪魔するたび、新しい発見がある この家の並び3軒は、同じ大工さんが建てたと聞く その1軒に、その大工さんの息子家族が住んでいた 町並み歩きの後、鳴門の夜は、彼女が予約してくれた地元で取れたての「魚料理屋」で、飛びっきり美味しい夕食を頂く 4人に一人一人違う絵柄の紙マット・・・これが面白かったので、 全部アップする 最初に出てきたのは「煮あわび」一人1個・・・これが美味 お造り3種盛り「あまてかれー ・ スズキ ・ はた」一切れ一切れが、厚く大きいので、歯ごたえ満点美味しい美味しいと、皆感激 大きな「赤足海老」の焼き物、地元産のすだちが付いている くどい様だが、これが美味しいの何の 頬っぺたを押さえながらいただく これも地元の「モズク」がたっぷり 「キスの塩焼き」 「メバルの煮物」 ・・・・口へ運ぶ事が優先して、写真撮り忘れ ブルーさんの写真拝借・・・ありがとう 最後の「御飯セット」・・・これも撮りわすれ これもブルーさんの写真拝借、ありがとう 今回の徳島日帰りの旅も、車と言う足のお陰で行動範囲がすこぶる広い 案内人のブルーさんが食通なので、美味しい体験が出来た・・・・感謝
2010年07月16日
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香川の旅・・・・・・「さぬき」の友人の車で、徳島へ行く途中、地元の人も滅多に行かないと言う珍しい道を案内してくれた 昼間なので心配ないが、夜はとても走れない道だそうだ 始まりは、自然豊かな故郷の風景を見ながら 暫く行くと急に道幅が狭くなり 木々は鬱蒼とし、少し暗い感じになる ますます狭くなり、車1台がやっとである 3人なので、面白かった どの位走っただろうか少し明るさが見えてきた 急に道が広くなり、目の前に海がなんだかホットしたのも覚えている この「オーベルジュ」は、1昨年泊まった事がある宿である 思い出話をしながら、車はどんどん目的地へ その時の事 静かな人の居ない町並みを通ったり して 2時間余り掛けて着いた所この平野は ここは「鳴門金時」の産地だった 鳴門金時は「サツマイモ」の中でも特別美味しく、高価である大好きなお芋が目の前にこんなに沢山 感動である お芋畑の前にある家が、この日の目的の場所 1昨年徳島の旅のとき、友人の縁で彼女にお世話になった その人が、「陶芸作家」であり、ここで作品を作っている2年ぶりの再会である この日はやはり2年ぶりの、「どんぐりや」の美弥ちゃんも待っていてくれた 2年前のどんぐりやのこと どんぐりやのブログ これは、陶器を焼く電気の釜 再会の時間もあまり長くなく、次の再会を約してここで別れた 思い残すことなく、お芋畑をしっかり見せてもらった この「鳴門」に縁が出来たのも、横浜からこちらへ転勤で来ている友人のお陰である 縁は異なもの味なものと昔から言われている・・・本当にその通り彼女が転勤するたび、その地に縁が出来る 彼女とも約20年の付き合いである 彼女のブログ
2010年07月13日
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1泊目の宿泊は、中心地にある、ホテルである このホテルの朝食がとてもよかったごはん・お粥・うどん・パン色々・デザート各種飲み物・サラダ色々・副菜が多くて半分も食べられなかった残念朝からこんなに食べる物多くて良いのだろうか感謝感激である 全ての味付けが良く、また泊まりたい 二人の1回目のお盆 同じ時間に外国人が入って来たので何となく観察していたら こなんに種類があっても、パンとウインナー・ハム・チーズにジュースのみ欧米風の人は、何時もの内容だけで満足なのだろう 日本人の食生活は豊かであるでも、自給率は50%無い・・・ 少し早めの町を歩いてみた 発見したのは、自転車通路歩道を区切って作っている羨ましい限りであるわたくしの住む町は、広い歩道を作っても、自転車通路は無い 自転車は、エコ中のエコである 高松市は先進的な町だ ここ兵庫町は、繁華街の中心である アーケードの入口に珍しい風景を見た 魚のひき売りである子供の頃は見たことがあったが、リヤカーでの人は今は見かけなくなったしかも、女性である鮮度のよさそうな魚が、氷の中に眠っていた そして今回知ったのが、「菊池寛」氏が高松出身であった事 ウイキペディアより参照菊池 寛(きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日)は、小説家、劇作家、ジャーナリスト。文藝春秋社を創設した実業家でもある。本名は菊池 寛(きくち ひろし)。来歴 香川県香川郡高松の生まれ。菊池家は江戸時代、高松藩の儒学者の家柄だった。高松中学校を首席で卒業した後、家庭の経済的事情により、学費免除の東京高等師範学校に進んだものの、授業をサボっていたのが原因で除籍処分を受けた。友人成瀬正一の実家から援助を受けて京都帝国大学文学部英文学科に入学した。京大卒業後、時事新報社会部記者を経て、小説家となる。私費で雑誌『文藝春秋』を創刊したところ大成功を収め、富豪となった。日本文藝家協会を設立。芥川賞、直木賞の設立者でもある。
2010年07月10日
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前に来た時「琴電」は何回も利用したので、懐かしい今回も、始発から終点「琴電志度」迄たっぷりと乗った 海を見ながら走るので、退屈せず楽しめる路線である 今回ゆっくり眺めていたら、屋島を回りながら志度へ繋がっていた 約40分余りの窓外の写真を、ちょっとだけ・・・・・ 瓦町を出たら海の向こうに「屋島」が見えた やがて、陸から見る「屋島」 志度線の駅名 これも「屋島」である,角度が変わるとこんなにも違う これも「屋島」 ポカリ浮かんでいる 雲 くも 雲 この駅の後ろにチラット見えた古そうな建物もしかしたら昔の駅舎かなあーーもし次回があったら、ここで降りて見て見たい この駅を出ると、危ない家 ・・・がここもゆっくり見たいこう言う家見るの好き ちょっと待ってっと言う事も言えず電車はどんどん走る 海を見ていると、遥かかなたを想い巡る事が出来て この時の車掌さんはこの女性「新人」さんらしい颯爽と、明るく、若々しい 着いたのが終点「琴電志度」駅である僅か2両の電車だが、旅が味わえた この駅に、友人が迎えに来てくれていた 「屋島」の事(ウイキペディア参照)屋島(やしま)は香川県高松市屋島地区に位置する屋根状の平らな山。谷底に溜まった溶岩流が周りを侵食されて残ったメサの一種である[1]。名称は屋根のような平らな形状に由来し、その独特の景観は高松市のシンボルとなっている。南北に延びる屋島の山を挟んで、西側ふもとが屋島西町(やしまにしまち)、東側ふもとおよび山上が屋島東町(やしまひがしまち)、中央部ふもとが屋島中町(やしまなかまち)である。屋島は、その三町地区内に位置する台地状の山若しくは丘の名称でもある。屋島東町には、山口県の壇ノ浦ならぬ檀ノ浦(「檀」の左側は「つちへん」でなく「きへん」)があり、どちらも源平の古戦場であって紛らわしい。屋島山上からの瀬戸内海の眺めは良く、香川県の観光地となっている。屋島には7世紀に古代山城の屋嶋城(やしまのき)が建造された。また唐僧鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺もある。さらに、平氏の滅亡を決定的にした陸海の源平古戦場屋島の戦いとして有名であり、国の史跡及び国の天然記念物に指定されている。また屋島は、寿永3年(1184年)一の谷の戦いに破れた平宗盛らが安徳天皇を奉じて根拠としており、翌寿永4年(1185年)2月に起こった屋島の戦いの古戦場としても知られる。この戦いで源氏方の武者那須与一が、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした故事は特に著名である。屋島は、1934年(昭和9年)11月10日、国の天然記念物指定と史跡に同時に指定された。
2010年07月09日
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この旅の「メイン」は「曼荼羅」の作品を見せてもらう事である 曼荼羅のこと(大まかにアチコチカラの情報を参考に)「両部曼荼羅」とも言い、「金剛界曼荼羅」「大悲胎蔵生曼荼羅」という2種類の曼荼羅から成る。「金剛界曼荼羅」は「金剛頂経」、「大悲胎蔵生曼荼羅」は「大日経」という、密教の根本経典に基づいて造形されたもので、2つの曼荼羅とも、密教の根本尊である大日如来を中心に、多くの尊像を一定の秩序のもとに配置している。密教の世界観を象徴的に表わしたものである。両界曼荼羅という形にまとめたのは、空海の師である唐僧・恵果(746年-805年)であると推定されている。恵果は、密教の奥義は言葉では伝えることがかなわぬとして、唐の絵師に命じて両界曼荼羅を描かせ、空海に与えた。空海は唐での留学を終えて806年(大同元年)帰国した際、それらの曼荼羅を持ち帰っている。空海が持ち帰った曼荼羅の原本は失われたが、原本に近いとされる模写が、京都・神護寺所蔵の国宝・両界曼荼羅(通称:高雄曼荼羅)である。なお、神護寺の曼荼羅は着色本ではなく、紫色の綾に金銀泥で描かれている 願興寺の曼荼羅を製作しているのは、この寺の住職夫人である。彼女は元々日本画の画家であり、寺に入る事になった後(7年前)真言宗について多くを学び、この度の新築にあたり、曼荼羅を担当する事に覚悟を決めた 大まかに聞いてはいたが、今回作品を目の当たりにして、想像を絶する技術と作業を見せてもらった今まで感動と言う言葉を時々使ったが この曼荼羅を見せてもらった時感じた、感動は質が全く違う感動だった地が揺らぐような・・・息を呑むと言う・・・一瞬呼吸が停止するような静かなのに、奥のほうから揺すられたような・・・語彙の少ないわたくし伝えられない 世界は広いが、この曼荼羅を一人で仕上げられる人は、何人いるだろう 神護寺の曼荼羅は金銀泥で描かれているそうだが、 願興寺の曼荼羅は、特別な絹織物に下地を染め「金・プラチナ」で描かれている 見事と言う以上に凄いと、言いたい細密的に仏様を描くには、仏の加護により集中出来た事を、実感したと言う 全部で「金剛界曼荼羅」3枚、「胎蔵曼荼羅」3枚を描き、3枚を一枚に表装し、本堂の正面左右に掛けられる伺ったときは、5枚目の途中だった7月中に6枚目を完成し、表装に出すという事である完成の暁にはまた伺いたいと思う 金とプラチナを溶いて使う 描く台は巻き取り式になっている 仏を一人一人 下書きして、見ながら描いてゆく ↓ はこの布を別注で染めた後が残った 描き方の説明を聞いている →と←の所を合わせて、一枚に仕上がる 本物の素晴らしさは、写真ではとても伝えきれない残念 この他に、「真言八祖図」と言って真言宗の代表する「仏」を描いたそうだ是は既に、表装に出されていたので、見られなかった 遠い存在である曼荼羅が、この時急に身近になった四国と言う所は、不思議な所である 今夜、願興寺のホームページに載っていた写真を頂いた 最後の追い込みに入っている様子涼しい時間、朝4時から午前中を仕上げの時間にされているそうだ無事完成できる事を願いつつ・・・(追載010.7.27) 願興寺の事は
2010年07月07日
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