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February 6, 2010
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カテゴリ: MILANO ~ミラノ~
porta nuova.JPG


再びミラノへ戻りましょう。

こちらはアンティーカ・ポルタ・ヌォーヴァと呼ばれる、ミラノの古い城門のひとつ。

ミラノの地図を見ると、大聖堂を中心に、同心円を描くように町が拡張しているのがわかりますが、こちらはローマ時代のミラノの東の入り口だったところ。

場所的にはちょうど、ミラノのファッションストリートであるモンテナポレオーネやスピーガ通りが分かれるマンゾーニ通りがプッブリチ公園にぶつかるところです。


写真は公園側からチェントロ方面に向かって門を撮ったもの。古いアーチをくぐってゆくと、マンゾーニ通りに入り、すぐ左手にスピーガ通りが分かれ、もう少しまっすぐ歩くと右手にアルマーニビル、左手にモンテナポレオーネ通りが分かれます。

つまり、いわずと知れたファッションストリートというワケですね

ミラノに行く度に、何度となく訪れたこの通りですが、今でこそ華やかなこの一画はその昔、ペストが大流行した時、「ミラノで一番荒れ果てた場所」だったんですって





chiesa di s.francesco.jpg



にぎやかなファッションストリート界隈の喧騒を忘れさせる静かな教会も、あのペストの大流行をひそかに見つめてきた歴史の証人。

ちなみに、「あのペスト」とは、17世紀に北イタリアを襲った大流行のことで、この流行でミラノの人口の3分の2が命を落としたといわれています。
このときの流行は別名「マンゾーニのペスト」と呼ばれているのですが、そのゆえんというのが、マンゾーニが残したイタリア歴史小説の傑作「いいなづけ」の中で、いわゆる「パンデミック」に陥ったミラノの惨状が非常にリアルに描かれているから。

私も、いいなづけを読む前と後では、イタリア、特にロンバルディア地方への見方が大きく変わったような気がします。華やかな現在のミラノや周辺都市からは想像もつかない悲惨な過去が、小説を通して鮮やかに目の前に再現されたからです。

この教会やミラノの名所旧跡の、ガイドブックが紹介しきれない世界を教えてくれる「いいなづけ」は、私にとってのミラノをさらに興味深いところにしてくれています。

「いいなづけ」に書かれている、当時のこのあたりの惨状をちょっと、引用してみます。





そのあたりはペストが猖獗(しょうけつ)をきわめ、遺棄された死体が放つ悪臭がいかにも甚だしかったので、生き残った僅かの人々もその地を出払うことを余儀なくされたのであった。

そうした人っ子一人見かけぬうらぶれた光景はそこを通って行くレンツォに悲哀の感を与えずにはおかなかった。だがそれと同時に恐怖と吐き気も催させた。つい最近まで人が住んでいた名残りやら残り物やらが目に付いたからである。

(中略)それはなんという町、なんという人々だったろう!恐怖と疑心暗鬼のために、通りに面したありとあらゆる門は閉ざされている。すっかり開けひろげた門は無人の家か、よそ者が闖入した家だった。課と思うと釘付けになった門もあれば封印された門もある。それは家中からペストで死人や病人が出た証しであった。

また中には木炭で十字の印が描きなぐってある門もある。それは死体収容人たちへの合図で、運び出すべき死体がまだ中に残っているという符号なのである。

(略)いたるところ襤褸が、それもなんとも吐き気を催させる、膿のたまった繃帯や襁褓(むつき)や、毒に汚染した藁や敷布などが、窓から投げ棄てられていた。

時には、途上で突然行き倒れて死亡し、車が来て片付けるまでそのまま路上に放置された死骸や、あるいは逆に車から投げ出されて落っこちた死骸や、また中には窓から抛り出された死骸まで転がっていた・・・・(アレッサンドロ・マンゾーニ「いいなづけ」(平川&祐弘訳)第34章より)



ちょっと長くなりましたが、この恐ろしい光景が繰り広げられていた界隈こそが、現在のトレンディスポット、マンゾーニ通りとモンテナポレオーネが交差する場所、現在の地下鉄モンテナポレオーネ駅周辺だったということがわかります

そして、さらに興味深いのは、この場所から歩いて数分のところに、小説を書いた マンゾーニ氏本人の家 があったこと

小説に描かれた「マンゾーニのペスト」がミラノを襲ったのは1629年のこと。マンゾーニ自身が生まれる100年以上も前の出来事ですが、小説を書きながら、自宅の近所でこんな恐ろしい光景が繰り広げられていたという史実を、マンゾーニ自身はどのように思っていたのでしょうか。



最初は「いいなづけ」の世界に描かれているミラノを探そうとして、そしてその世界の断片が見つかると今度はそれを描いたマンゾーニの世界が知りたくなる。。

マンゾーニ通りやモンテナポ周辺については何度もブログに書いておきながら、行くたびにまた、違う発見ができてしまうんですよね。。



今日はいつになくマニアックな長文エントリーにお付き合いくださってありがとうございます~。
すっかり「マンゾーニ・スパイラル」にハマりこんでしまった私。まだまだミラノは私をひきつけてやまないようです








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Last updated  February 7, 2010 12:12:10 AM
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