MoMo太郎日記

MoMo太郎日記

2018年10月29日
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テーマ: 九州発見♪(524)
カテゴリ: 川の流れに
九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。

それを記念する施設です。

江戸初期の浮羽地方は、筑後川の沿岸にありながら土地の地盤が高く水利が極めて不便で、お米がとれなかったそうです。
そのため、栗林次兵衛・本松平右衛門・山下助左衛門・重富平左衛門・猪山作之丞の五人の庄屋は、筑後川の水をこの大石から取り入れて水田を開くことを計画したそうです。

その五人の庄屋を奉る大石水神社がありました。

五人の庄屋は、寛文三年(1663)9月にこの大石堰の計画を久留米藩に提出しました。しかしながら水路筋にあたる11カ村から「大石村から水路を開削して導水すれば、洪水時に導水路にあたる村は多大な被害を受ける」と反対運動にあいます。

それでも、久留米藩の土木技術者丹羽頼母がこの計画を改めて精査し、藩としてこ大石堰の建設を決定しました。

他方で藩は「計画通りに導水できなかったときは5人の庄屋全員を磔の刑にする」と表明しました。5人の庄屋は「成功せず徒労に帰したならば、誅罰を加えて世の見せしめにされたい」と答えました。で大石堰が失敗し、五人の庄屋さんが処刑されたので、神社で慰霊されたわけではありません。



寛文四年(1664)1月、藩営事業として工事が始められ3月中旬に開通。翌年寛文5年に溝幅が拡張され、続いて6年、7年と拡張工事が実施されました。更に灌漑面積を拡大するため、延宝2年(1674)難工事の末、大石堰が無事完成しました。

今も下流域一帯、約2,000ヘクタールに及ぶ水田地帯を潤しています。

この大石堰建設をモデルにしたのが、帚木蓬生の歴史小説『水神』(→→→ こちら です)です。

五庄屋の偉業を称えた三堰の碑(さんえんのひ)です。ここで言う三堰とは袋野、大石、長野の三堰を指しているそうです。


【碑文の紹介】
筑後川は諸史にあらわれ、実に天下の大水なり。我が米府の東辺にて河に随って邑するものを、生葉郡となし、其の次を竹野郡となし、又た其の次を山本郡となす、三郡を合して国は総べて称して上郡という。上郡の地は河の近くして水は乏し、農耕は利あらず、民は大に苦しめり。
 郡人に夏梅村庄屋次兵衛。清宗村庄屋平右衛門。高田村庄屋助左衛門・今竹村庄屋平左衛門・菅村庄屋作之丞というがあり、皆乞う慷慨にして器幹あり、相謀りでおもえらく、河を堰かば必ず水を得ん、水を得ば貧は憂ゆるに足らずと。
 既にして又おもえらく築鑿の事は大難なり、府に請うといえども必ずゆるされざらん、然りといえども、郡は今将に枯滅せんとす、郡が枯滅すれば、死するにしかざるなり、等しく死せば大功に死せんと、議合えり、すなわち血をすすりて相誓い、死を決して将に府に請わんとしたり。
 近隣の諸庄屋等之を聞き相奮って身を投じ、其の員に入らんと請いしに、五庄屋はきかずして曰く、後れたり、員は益すべからざるなりと。諸庄屋は皆大に怒り、将に別に上書して以て其の事を阻まんとしたれば、郡中は?々たり。五庄屋は皆吉井大庄屋田代氏の管下に属せり。田代氏の同職なる石井氏は、田代氏と同閭にして相善し、之を聞きて大いに憂之、すなわち二人相共に喩解すること多方にして、和は成りたり。
 是に於て寛文初年を以て、五庄屋及び諸庄屋の某々すべて十三人は連署して府にもうして曰く、水来らずば極刑に就かんと、府は大いに之を壮なりとし立どころに其の請いをゆるす。

 府より其の功を賞して、物を賜いしこと差あり。五庄屋を賞するには年税各々二百石を免ぜんことを以てしたるに、皆拝して曰く、水を得んことは小人の素願なるが賞を受くることは欲する所に非ざるなりと、辞して受けざりしかば、人は益々其の義なること 高しとしたり。
 其の後八年にして郡に又袋野理の挙あり。袋野は郡の最東の地に在り、田代名は重栄と其の千名は重仍とは相与に久しく河水の別に堰くべぎを相し、十二壬子に上議して府にもうしたれば、府よりゆるされたり。
 すなわち堰を獺の瀬に作り、巌をうがつこと千間、匿溝を造りて以て大に水を取りしかば、また美田数百町を得たり。此の堰と大石と長野の堰は、国中にて之を上郡の三大堰と稱せり。三堰とも皆奇功にして雄大、鬼作に非ざれば即ち神造にて、絶えて人力の及ぶ所には非ざるなり。
 上郡はもとやせ地なり、寛文は今によりて百六・七十年、上郡が今に至りても、沃土膏壌と稱せらるる者は、三堰にて水を得つつあるを以てなり。上郡の吏民が大に国になすことありたるは、何ぞそれ盛んなるや。袋野には宝暦の碑ありてすでに立てり、大石と長野には未だ立てし石あらず、今年重栄の玄孫なる重陟、及びかの五庄屋の後えい等石を大石壇上に立てんとし、余に碑文を製せんことを請いたり。
  銘して曰く。一国の大利を起して、万歳の鴻美を垂れたり、数子の偉功は、水のごとく遠く山のごとくたかし。                   文政10年丁亥冬11月                                石梁樺島勇七公礼撰

                  男小助孝継書

【つづく】



筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。


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最終更新日  2018年10月29日 00時10分16秒
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