MoMo太郎日記

MoMo太郎日記

2018年11月21日
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テーマ: 九州発見♪(524)
カテゴリ: 川の流れに
九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。


床島堰とは、筑後川の中流にある恵利堰、床島堰、佐田堰のことをまとめていいます。しかし、恵利堰というのが、筑後川の本川にあるので、恵利堰と呼んでいることが多いようです。場所は下の地図をみてください。筑後川に桂川と佐田川という二本の支流が流れ込む付近にこの床島堰は作られています。

こちらは恵利堰の横あった祠と説明板です。

2012年にこの恵利堰ができて300年経ったようです。
元々、この堰の建設は、上流にある大石堰ができ水田開発が進んだことに刺激され、ここに堰を建設し干ばつに苦しむこのあたり田畑を救うため、ここでも五人の庄屋、 高山六右衛門 秋山新左衛門 、鹿 毛甚右衛門 中垣清右衛門 丸林善左衛門 が宝永7年5月(1710年)に久留米藩へ請願したことから始まったそうです。

しかし、この床島付近は川幅が広く、また深く、流れは急であり、それに加えて福岡、久留米両藩の境にあって、なかなか着手されなかったことに加え、福岡領の村民は、筑後川に堰を設け床島に水門を設ければ、洪水時には、当地は水没するとして徹底的な抗議のみならず工事の妨害も行った。
とはいえ、久留米藩士、 草野又六 が普請総裁として堰の建設を行い、1714年(正徳4年)堰は完成し2000haの水田が潤ったそうです。

こちらは対岸の耳納連山です。

ちなみに、現在の恵利堰は、昭和28年の大出水により災害を被り、昭和40年3月に復旧したものだそうです。そして、これが現在の恵利堰です。

下流側からみると堰の様子がよくわかります。

堰の横にあるこの水路は、魚道といって魚が堰に遮られることなく上流と下流を行き来できるようにしたものでしょう。

恵利堰の少し上流にある水の取り入れ口です。

この取り入れ口からの水路です。なかなか広い水路ですね。この水路を床島用水と呼ばれています。

ここが桂川を横断するところ。



こちらが桂川にある樋門です。


この樋門の横には立派な石碑がありました。

桂川床島用水魚道完成記念碑だそうです。揮毫は建設大臣、山崎拓でした。

こちらは桂川を渡り、佐田川へ向かう水路です。この先にあるのが桂川の下を抜けてきた水路とつながる水門です。

そして、こちらが佐田川にある床島用水の水門です。



左から右に流れているのが佐田川で、水がありませんが、手前の広い水路が床島用水です。川の橋みたいになっています。

この神社は、大堰神社という神社で、

床島堰起工に貢献した5人の庄屋、鏡村(現福岡県久留米市北野町金島)高山六右衛門、八重亀村(現久留米市北野町八重亀)秋山新左衛門、高島村(現久留米市北野町金島)鹿毛甚右衛門、稲数村(現久留米市北野町稲数)中垣清右衛門、早田村(現久留米市田主丸町八幡)丸林善左衛門、そして、床島堰難工事の普請総裁判(指揮官)にあたった草野又六が奉られています。

筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。



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筑後川を行く(その35) 床島堰





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最終更新日  2018年11月21日 00時10分11秒
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