足立区は、江戸時代から、紙すき業が盛んであり、新編武蔵風土記稿にも、各村の項でそのことが述べられている。社殿南側には、千住川田浅間神社富士塚です。
この歌碑は、天保14年(1843)6月晦日、幕府の命により、地すき紙を献上した時の喜びの記念碑である。
碑文の上部に、永(永続連、同業組合の印)の題字があり、「水無月のつこもりの日公より岳のすき立仰付られる時」という前書きが続く。歌は「すきかえしせさするわさは田をつくるひなの賎らにあにしかめやも」「天保十あまり四とせ癸卯四角斉丸勇」と刻まれている。
紙すきが、稲作にも劣らない仕事であるという自讃の歌である。台座石に二十一軒の問屋石が記されている。
荒川放水路開削のため、この碑は、大正6年に移転し、再建された。
足立の紙すきを物語る貴重な資料である。(足立区教育委員会掲示より)
富士塚は文政7年(1824)築造。最近木花開耶姫命。現在地に移築される以前は、町の西北(元宿)川田耕地に、氷川社、稲荷社、浅間社が同じ境内に鎮座していた。 明治44年荒川放水路開削工事開始に伴い、大正5年5月、現在地よりやや西側に移築された。その後、東京都の水道幹線工事のため、昭和43年6月現在地に移築復元され、今日に至っている。
塚は、富士山の溶岩を積み上げ、固めて築造され、高さ3mである。
山頂に、天保2年(1831)銘の石祠が安置されている。塔碑が多く、最古の碑は、文政7年(1824)のもので丸藤惣同行富士33度大願成就とある。
この講社は、高田(早稲田)の身禄同行の枝講で、講名を、丸藤千住13夜同行と呼ぶ。講中は、千住5丁目と、千住大川町全域に及び、かつては、対岸の埼玉県を含む広範囲な地域の農民中心の講社であった。
毎年7月1日祭礼が行われる。(足立区教育委員会掲示より)
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