面影橋は、東京都を流れる神田川に架かる橋で、面影橋停留場のそばにあります。この橋は、古くから「於戸姫(おとひめ)」という美女の伝説で知られています。。ということでした。
伝説によると、於戸姫は戦国時代に落ち武者と暮らしていたが、ある男に誘拐されて失神し、通りがかった杉山三郎左衛門という男に助けられました。しかし、杉山三郎左衛門の友人が於戸姫の美しさに惚れて杉山三郎左衛門を殺害しようとしたため、於戸姫はその友人を刺し殺しました。そして、自分の美しさを恨んで髪を切り落とし、神田川に身を投げたというのです2。村人たちはその娘の死を哀れみ、橋からその面影を偲んだことから面影橋の名前がついたと言われています
新宿区山吹町から西方の甘泉園、面影橋の一帯は「山吹の里」といわれています。 これは、太田道灌が鷹狩りに出かけて雨にあい、農家の若い娘に蓑を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいます。後日、「七重八重 花は咲けども 山吹の み(実)の(蓑)ひとつだに 無きぞ悲しき」(後拾遺集)の古歌に掛けたものだと教えられた道灌が、無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだという伝承で、『和漢三才図会』(正徳2・1712年)などの文献から、江戸時代中期の18世紀前半には成立していたようです。
「山吹の里」の場所については、ここ以外にも荒川区町屋、横浜市金沢区六浦、埼玉県越生町、などとする説があって定かではありません。ただ、神田川対岸の新宿区一帯は、昭和63年(1988年)の発掘調査で確認された中世遺跡(下戸塚遺跡)や鎌倉街道伝承地などが集中しており、中世の交通の要衝地であったことは注目されます。
この碑は、神田川の改修工事が行なわれる以前は、面影橋のたもとにありましたが、碑面をよくみると、「山吹之里」の文字の周辺に細かく文字が刻まれているのを確認でき、この碑が貞享3年(1636年)に建立された供養塔を転用したものであることがわかります。
豊島区教育委員会
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