MoMo太郎日記

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2023年06月17日
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カテゴリ: フォトグラファー
神田川沿いを高田馬場方面に向かって歩いています。

都電の早稲田停留所の次の面影橋停留所のところで、神田川に架かる橋です。

その名の通り「面影橋」(→→→​ こちら ​)です。

面影橋といロマンチックの名前の由来をMicrosoft BingのAIに尋ねてみると、
面影橋は、東京都を流れる神田川に架かる橋で、面影橋停留場のそばにあります。この橋は、古くから「於戸姫(おとひめ)」という美女の伝説で知られています。
伝説によると、於戸姫は戦国時代に落ち武者と暮らしていたが、ある男に誘拐されて失神し、通りがかった杉山三郎左衛門という男に助けられました。しかし、杉山三郎左衛門の友人が於戸姫の美しさに惚れて杉山三郎左衛門を殺害しようとしたため、於戸姫はその友人を刺し殺しました。そして、自分の美しさを恨んで髪を切り落とし、神田川に身を投げたというのです2。村人たちはその娘の死を哀れみ、橋からその面影を偲んだことから面影橋の名前がついたと言われています
。ということでした。
なんか悲しい物語がある橋ですね。

その面影橋のそばあった、「山吹之里」(→→→​ こちら ​)という石碑です。



豊島区教育委員会の山吹の里の碑についての解説もありました。

解説文の引用です。
 新宿区山吹町から西方の甘泉園、面影橋の一帯は「山吹の里」といわれています。 これは、太田道灌が鷹狩りに出かけて雨にあい、農家の若い娘に蓑を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいます。後日、「七重八重 花は咲けども 山吹の み(実)の(蓑)ひとつだに 無きぞ悲しき」(後拾遺集)の古歌に掛けたものだと教えられた道灌が、無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだという伝承で、『和漢三才図会』(正徳2・1712年)などの文献から、江戸時代中期の18世紀前半には成立していたようです。
 「山吹の里」の場所については、ここ以外にも荒川区町屋、横浜市金沢区六浦、埼玉県越生町、などとする説があって定かではありません。ただ、神田川対岸の新宿区一帯は、昭和63年(1988年)の発掘調査で確認された中世遺跡(下戸塚遺跡)や鎌倉街道伝承地などが集中しており、中世の交通の要衝地であったことは注目されます。
 この碑は、神田川の改修工事が行なわれる以前は、面影橋のたもとにありましたが、碑面をよくみると、「山吹之里」の文字の周辺に細かく文字が刻まれているのを確認でき、この碑が貞享3年(1636年)に建立された供養塔を転用したものであることがわかります。

豊島区教育委員会

【つづく】

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文京区散策(番外編その2) 面影橋と山吹の里





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最終更新日  2023年06月17日 00時10分10秒
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