MoMo太郎日記

MoMo太郎日記

2023年10月19日
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カテゴリ: フォトグラファー
無料公開の都民の日に訪れた小石川後楽園。園内の散策まだ続きます。






こちらにあるのは、建立当時の姿を残す園内唯一の建物といわれる得仁堂。
光圀18歳の時、司馬遷『史記』の「伯夷列伝」を読み、伯夷、叔斉の高義を慕い、泰伯の像とともに二人の像を安置したところだそうです。
堂名は、孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁 (仁を求めて仁を得たり)」(『論語』述而第七の十四)と語ったことに由来します。

園内を歩くと、一瞬、深い山の中の道を歩いている感覚になります。

そして、これが円月橋。水戸徳川家2代藩主光圀により、賓師(客分として待遇される師)として招聘された明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋です。このあたりも光圀公の中国への関心の高さがわかりますね。

水面に映る姿が満月のように見えるので、円月橋の名がつけられたそうですが、沖縄・九州地方を除く地域の中では最古級とされる石橋です。

残念ながら、橋の上には登れませんでした。


ボランティアガイドの案内は、この後大泉水の方に出て、ガイド終了となりましたが、MoMo太郎はもう少し見たかったので、さらに園内を探検しました。

こちらはまた山に登る階段がありました。この上にも行ってみたかったのですが、パスさせてもらいました。

そして、こちらの石碑がありました。
「藤田東湖 護母致命の処」という石碑です。

藤田東湖(1806~1855)は、幕末の水戸藩士で勤王家として知られた人物です。
その藤田東湖が水戸藩江戸上屋敷で安政の大地震に遭ったのですが、その際母を助けて外に出たのです。しかし、火鉢の火を心配した母が屋内に引き返したため救い出そうとしたところ鴨居が落ちてきて、東湖は老母を下に囲い、肩で鴨居を支え、かろうじて母を庭へ出したのですが、東湖本人は力尽きて下敷きになり圧死したそうです。

その記念碑はとして建立されたもので、圧死した場所の後楽園ジムの脇に建立されたのですが、白山通りの拡幅により道路となったため、ここに移設されたそうです。

この井戸は、どんな干ばつにも枯れず、またどんな洪水でも水があふれなかったという伝説があるため、「不老水」と呼ばれているそうです。

石川後楽園にある梅林です。の梅の木を水戸の偕楽園に持って行って植えたそうです。
ちなみに水戸光圀公は号を「梅里」と称するほど梅を好んだそうです。

園内を流れる川です。この川のほとりにあるのが、


この稲田は、光圀が、農民の苦労や農業の尊さを彼の嗣子綱条の夫人に教えるために作ったとされるもので、毎年文京区内の小学生による田植えと稲刈りが行われ、光圀の教えを継承しているそうです。

園内には水戸光圀公の趣味で作られたものがかなりあるんですね。

【つづく】


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小石川後楽園(その6) 水戸光圀公の趣味です





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最終更新日  2023年10月19日 11時56分32秒
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