MoMo太郎日記

MoMo太郎日記

2024年04月10日
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カテゴリ: 旅の重さ
逗子海岸を西の端まで歩くと、山の斜面に建てられたお寺があります。

その下にある小さな公園にあった「蘆花之故地」という木製の記念碑がありました。

揮毫は、字が薄くなり見えにくくなっていましたが。文学博士藤原楚水という方のようでした。

記念碑の裏面には、徳冨蘆花の簡単な経歴が書いてりました。明治30年(1897年)から明治33年(1900年)にかけて蘆花は逗子に居住し、「不如帰」、「青山白雲」、「自然と人生」、「思ひ出の記」等の作品を書いたそうです。

不如帰(帰るに如しかず)つまり「かえりたい」と書いて「ホトトギス」と読むのは、
古代中国の蜀の望帝・杜宇が、家来の妻と不貞を働いたために退位させられます。望帝は不徳を恥じ国を逃れたものの、その後復位を望みますが叶わずに亡くなり、ホトトギスに姿を変えて「不如帰(かえりたい)」と泣いたという故事に由来するそうです。

それから、「ホトトギス」が望郷の念を募らせる鳥となったようで、蘆花の小説「不如帰」も海軍少尉の武男とその妻で結核で亡くなった浪子の物語ですから、不如帰というタイトルは、上手くつけられたものですね。

石段を登っていくと、斜面にあったお寺は「浪子不動高養寺」(→→→ こちら )というそうです。

こちら )の舞台となり、ヒロインの「浪子」から「浪子不動」と呼ばれるようになったそうです。

「高養寺」という名称も、昭和の初期、関西画壇の一人、黒住章堂が出家入道し葉山慶増院に入り、時の首相高橋是清(1854年〜1936年)と犬養毅(1855年〜1932年)の援助を受けて本堂を建立し、堂内の天井画と襖絵を描いた。寺名も後援者のそれぞれ一字をとり高養寺と改めたそうです。

境内の隅に二つの説明板がありました。MoMo太郎と同じ駅からハイキングの参加者のお姉さんが熱心に読まれていました。

「逗子海岸葛ヶ浜の隆起海食台」の説明がありました。浪子不動の下にある海岸は、7000年前の縄文時代から少しずつ波によって岩盤が削られ、こうしてできた海底の岩礁が地震で隆起したものらしいです。

そして、MoMo太郎は見落としていたのですが、この「浪子不動(高養寺)と不如帰の碑」によれば、徳富蘆花の兄蘇峰の筆で不如帰と刻まれた石柱が葛ヶ浜の隆起海食台の上に立っているそうです。その「不如帰の碑」の写真はこのリンク先(→→→ こちら) を見て下さい。

この石碑は海中に建てられていますが、干潮時には碑の傍まで歩いていくことができるそうです。

そして、つぎの目的地の披露山公園に向かって、この山道を登って行きます。


  • 註)下に添付しているGoogleの地図では、この山道を歩くコースを表示できなかったため、大回りしたコースを歩いているように見えます。また名越切通や大切岸へのコースも同様に実際に歩いたコースとは違うコースが表示されています。


(逗子市で歩いたコース)

【つづく】


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逗子を歩く(その4) 「蘆花之故地の碑」と浪子不動





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最終更新日  2024年04月10日 00時10分15秒
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