MoMo太郎日記

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2024年07月13日
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カテゴリ: 北関東の旅
考古資料館から外に出て、発掘された上高津貝塚を見ることにします。


この説明板によれば、上高津貝塚(→→→ こちら )は約4000~3000年前の縄文時代の貝塚を伴う集落の遺跡で、昭和52年(1977)に国の史跡に指定されています。

当時は海の入り江だった霞ヶ浦から得られた豊富な魚や貝・塩、周辺の動植物などを採取して生活していたムラの跡で、遺跡は、標高20~22mの東西に起る丘陵の縁辺に位置し、径約150mの平坦面を囲むようにして5地点に貝塚が分布していたようです。

丘陵の頂上部の平坦面に復原された竪穴式住居があります。

第1号竪穴式住居跡という表示がありました。

竪穴住居とは、地面を四角形に掘り込み、柱を建てて屋根を組み、葦などを屋根にした建物です。

中を覗いている人がいました。入口は低くて中に入るのは苦労しそうですね。



これは廃棄土坑というもので、縄文時代の人が食べかすなどのゴミを捨てていたところだそうです。

ここは1号墳墓と呼ばれるもので、ここに葬られていた人は身体を折り曲げられて葬られたと考えられています。

遺跡の回りには、このような森が広がっていました。縄文時代の人たちは、魚貝類だけでなく、これらの森から木の実などを採取したり、森で狩りをして食料を得ていたと考えられます。
またこの先には桜川があり、おそらくここからは、当時は入江だった霞ケ浦見えたものと思われます。

ここかせ見下ろしたところが貝塚だったようで、貝塚で発掘された魚や貝を紹介しているパネルがありました。もちろん貝や魚だけではなく食べていた動物の骨も捨てられていました。

この大きな穴は、大型炉という遺跡で、

火を燃やして物を加熱したりする施設です。大型炉の中から焼けた土器の欠片や塩を焼くときにできる不純物などが発見されており、海水を土器で煮詰めて塩をつくっていたと考えられます。
この大型炉は、炉の底を半分切り取った状態を復元しています。

こちらは、集会所や作業場として使用されていたと考えられる掘立柱建物だそうです。

こちらの施設は、貝層断面展示施設です。

中には、貝層と呼ばれる、貝殻が地中に堆積して、地層のように貝殻の層ができたものが展示されています。


貝層の断面に特殊な薬剤をつけて断面をはぎ取り、立体的に展示しているそうです。

しかし、これだけの貝や動物が日々の食用のみでなく、乾貝など大量の保存加工を行うのにもつかわれていたのかもしれません。
いわば海産物加工場的な集落で、内陸部にある縄文人の集落への食糧の供給もやっいたのではないかとも想像できますね。

いずれにせよ、これだけの遺跡、もっと時間をかけてじっくりと見学した方がよかったと反省している次第です。

(土浦市で歩いたコース)




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北関東の旅、茨城県土浦市を知る(その7) 上高津貝塚を見る





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最終更新日  2024年10月13日 00時32分10秒
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