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南関町(なんかんまち)という町名は古代よりこの地に置かれた関所に由来するそうです。 筑後国と肥後国の国境という交通の要地に位置し、この町を通る豊前街道の関所と南関番所が置かれていました。この道が豊前街道になるようですね。豊前街道とは、肥後・熊本(熊本市)を起点として北上し、植木・山鹿から南関を経て豊前・小倉(北九州市)に至る道の熊本での呼び方だそうです。こちらは南関町公民館の裏にある坂道です。この坂海の上にあるのは、「史跡豊前街道南関御茶屋跡」だそうです。標石柱も建立されていました。この御茶屋跡は、1852年(嘉永5年)に建てられたもので、参勤交代時に藩主の休憩所、宿泊所として用いられた建物だそうです。だから、一般庶民が道中に立ち寄って、お茶と団子を食べていた施設ではありません。当時の建物構造を残していることから史跡に指定されたようです。なかなか渋い建物ですね。さらにこの近くには、南関城跡(鷹ノ原城跡)呼ばれる遺構が残っいます。この城は、慶長5年(1600年)加藤正次によって築かれたと伝えられ、加藤正次は加藤清正の家臣で大津山城代であったが、慶長5年(1600年)鷹ノ原城を築いて居城としたそうです。鷹ノ原城の築城にあたっては築城の名手、加藤清正が縄張りしたと伝えられています。元和元年(1615年)一国一城令によって廃城となりました。この丘陵が、鷹ノ原城のあったところです。南関町、時間をかけてゆっくり散策すると色々と発見のありそうな町でした。【了】人気ブログランキング「なんかん」突破(その3) 豊前街道
2019年04月06日
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南関町のキャラクターはこの「なんかんトッパ丸」だそうです。刀の代わりに南関そうめんを持っていて、冠木門入りのあげを下げています。トッパ丸は、難関を突破しようと頑張っている人を応援するのが大好きな、ちょっとやんちゃな男の子という設定だとか(→→→こちら)。こちらの建物は、南関町役場です。こちらは南関町公民館です。南関町、もうひとつのキャラクターは、NHK大河ドラマの主人公? 金栗四三のようです。【つづく】人気ブログランキング「なんかん」突破(その2) トッパ丸
2019年04月05日
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熊本県の西北端部にあるこの町。南関(なんかん)と読みます。ということで、南関町に行って、「なんかん突破」に挑戦してみました。まず、立ち寄ったのが、ここ「特産品センターなんかん「いきいき村」」に立ち寄りました。何本も立っている、この「のぼり」南関町の名物は、この「南関あげ」(→→→こちら)だそうです。この「南関あげ」、1637から38年にかけて起こった島原の乱の後、人口が減少したために、四国伊予松山地方の人々が大勢移住してきた際に、あげの製法を知る者がおり、そこから始まったと伝えられています。【つづく】人気ブログランキング「なんかん」突破(その1) 南関あげ
2019年04月04日
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西鉄天神大牟田線にある花畑駅。名前らしい飾りつけが行われていました。人気ブログランキング花畑駅 西鉄天神大牟田線
2019年04月01日
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JR九州の豊肥本線にある「平成駅」です。1992年(平成4年)7月15日 に 開業した駅だそうです。1980年(昭和55年)に「熊本市南部土地改良組合」(第1期)としてこの地区を造成し、1990年(平成2年)に造成事業を完了したことから、住所を「熊本市平成(1 - 3丁目)」に改称したそうです。そして、熊本市南部土地改良組合や熊本丸食(サンリブシティくまなん)などが鉄道会社に新駅の請願をしことから、平成駅ができたそうです。そのことを記念した記念碑が駅前に建立されていました。この近くにあったマンションです。マンションの名前も平成となっていますね。さて、いよいよ明日、新しい年号が発表されるようですが、どんな年号になるのか楽しみですね。そして、災害の多かった平成の時代とは違い、災害のない平静な時代を招いてくれるような年号にして欲しいですね。人気ブログランキング平成駅 JR九州豊肥本線
2019年03月31日
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久留米市六ツ門町にある久留米六角堂広場(久留米シティプラザ)では、開花宣言が出されたばかりのサクラが満開に咲いて、そして、「くるっぱふわふわ」もセッティングされていました。こちらは、ホームレスの人たちへの炊き出しではありません。宝恵駕籠行列の皆さんに振る舞われる豚汁(こちらでは「ぶたじる」と呼ぶ人が多いです)。商店街のアーケドの中を宝恵駕籠行列のみなさんがやって来ました。福娘のみなさんは沿道の人に福笹を配っています。そして、行列は六角堂広場の中へ。福娘の皆さんはステージへ、本当はHKB48の皆さんだったりして。これから「恋の宝恵行列ブルース」を歌ってくれるのか。駕籠行列のみなさんは一休み。稚児の子供とお話ししている駕籠担ぎのお兄さん。こちらのみなさんは早速、豚汁いただいています。ステージの上には、福娘の皆さん以外にも、着ぐるみとそしておじいちゃんが登壇。この人は主催者の「久留米宝恵駕委員会」の実行委員長さんということで、偉い人みたいです。実行委員長あいさつの後は、福娘のみなさんが一人ずつ自己紹介。みなさんこの宝恵駕籠行列が久留商人のお祭りということで、久留米市立久留米商業高校の女生徒の方でした。マイクを握っている方は、久留米商業高校の教員だそうです。こちらの着ぐるみは久留米商業高校のマスコット、「キューちゃん」。学校にもゆるキャラがいるのですね。そんなお姉さんたちを見ながら、豚汁を食べている稚児役の子供たちです。このあと、宝恵駕籠行列は西鉄久留米駅まで行って、出発点の日吉神社まで戻るそうです。【了】人気ブログランキングくるめ宝恵祭り(その3) 六角堂広場
2019年03月28日
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警察の交通規制の体制も整ったのか、いよいよ宝恵駕籠行列の出発です。先頭は、子供旗行列です。その後ろは福娘のみなさん。実はこの人たちは、久留米商業校に通う女子高生の中から選抜された皆さんです。そして、宝恵山車が続きます。宝恵駕籠行列の主役の宝恵駕籠。乗っているのは新一年生の皆さんだそうです。日吉神社を出発して、久留米の大通り、明治通りを行進します。スピーカーを持っている人は「ホーエー、ホーエー」という掛け声を出して行列の歩調を整えています。福娘のみなさんは、沿道で見ている人たちに福笹を配ってくれます。MoMo太郎も、一番可愛い福娘さんから福笹いただきました(やっぱり、MoMo太郎から出したラブビームを感じてくれたんですね)。中にはクマ笹が入っているそうです。宝恵駕籠は30台あるそうです。信号待ちで、ちょっと一休み。乗っている稚児役の子供たち、揺られて乗り物酔いするかも。続いての集団です。行進するには、やっぱり太鼓のリズムが必要ですね。こちらの大人たちは、惣裁判衆というそうです。かなりの行列が続きます。こちらも山車ですね。車高が高すぎて、歩道の標識にぶつからないように注意ですね。【つづく】人気ブログランキングくるめ宝恵祭り(その2) 宝恵駕籠行列
2019年03月27日
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春分の日の3月21日、久留米を代表する商人たちの伝統行事「くるめ宝恵祭り(ほうえまつり)」が開催されました。今年で63回目を迎える「久留米宝恵駕籠行列」の出発前の様子です。久留米宗社の日吉神社境内に集まって、指導役のおじさんから諸注意をうける宝恵駕籠行列の参加者のみなさん。先頭を務める福娘のみなさんは整列してちゃんと聞いていますが、駕籠を担ぐお兄さんや駕籠に乗る稚児役の新一年生のみなさんは、ちょっとくつろぎモード。宝恵山車の担当も出発前は、くつろぎモードですね。でも山車の上に座ってる子供はちょっと緊張気味かも。お彼岸ということで、ぼた餅を販売していました。出発前までは、まだ時間がありそうなので、日吉神社にお参りしておきました。【つづく】人気ブログランキングくるめ宝恵祭り(その1) 宝恵駕籠行列出発前
2019年03月26日
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こちらの建物は、国登録有形文化財の大牟田市庁舎本館です。大牟田空襲で焼け残った本館は市民の歴史とともに歩み、景観的にも市のシンボルという建物だそうです。屋上には戦時中の防空監視哨が残り、時代を感じますね。しかし、この市庁舎、1936年完成で、バリアフリー対策は不十分。かつ、診断の結果、耐震性は基準に達していないと指摘されているそうで、大牟田市は解体して、新庁舎を建設する予定だそうです。登録有形文化財でも、文化庁に届け出れば改修や解体もできるそうですが、これだけの建物、なんとか太田市のシンボルとして存続する手立てを考えて欲しいと思うのは、MoMo太郎だけですかね。人気ブログランキングへ大牟田市役所
2019年03月11日
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久留米市の中心の中心というとこの「六ツ門町」になります。むかしは、このあたりには、2009年(平成21年)2月28日まで久留米井筒屋が営業し、ダイエー六ツ門店などもあったエリアです。「六ツ門」と呼ばれるは、江戸時代、この地に番所があり毎日朝夕の六ツ時(今の6時)に門を開閉したことに由来するのだそうです。 そして、ちょっと昔の名残で、飲食店なども残っています。この店の名前、ちょっとオジサンのスケベ心を誘うかも。やっぱり、こういうクラブなんかあるみたいですが、久留米にもこんなお店を利用できる方がいるってことですね。こちらは普通のごはん屋さんみたいですが、なぜか値段が隠されていました。人気ブログランキング六ツ門町
2019年03月10日
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熊本県菊池郡菊陽町にある「鼻ぐりの井手公園」です。「鼻ぐりの井手」とは、随分変な名前の公園ですね。公園自体はこんな感じです。これが公園のシンボルなんでしょうか。一見、岩のようでしたが、実はコンクリート製。「馬場楠井手の鼻ぐり」という鼻ぐり井手のことが説明されていました(→→→こちら)。加藤清正が新田開発を目的に「馬場楠井手」を慶長13年(西暦1608年)に造った時に、水路底に貯まる土砂を流し去るために造った水路の施設だということのようです。形状が牛の鼻輪に似ているため「鼻ぐり井手」と呼ばれているそうです。そして、実際はこんな構造物です。人気ブログランキング馬場楠井手の鼻ぐり
2019年03月09日
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2月24日は、久留米市にある福岡県青少年科学館も無料で公開されていました。中庭にある展示物です。水の流れを見せているようでした。こちらはパラボラアンテナの原理を説明する模型です。中は子供で一杯てしたのでなかなか撮影できませんでした。こちらは子供たちに科学実験の様子をみせるステージでした。人気ブログランキングへ福岡県青少年科学館
2019年03月08日
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2月24i日に無料で公開されていた久留米美術館。美術館の庭園には見事な梅園がありました。枝垂れ梅も咲いていました。こちらは八重の梅ですね。美術館と梅です。久留米市美術館、風景そのものが美術館かもしれません。人気ブログランキング梅と美術館
2019年03月07日
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久留米市美術館です。2月24日は天皇陛下在位30周年の記念で、久留米市美術館は無料で入館できました。久留米市美術館の全景です。噴水があって、いかにも美術館という感じですね。久留米市美術館は、もともとブリヂストンの創業者石橋正二郎が自身の出身地である久留米市に寄贈した美術館が前身だそうです。1956年の開館から2016年9月末までは「石橋美術館」の名前で石橋財団が運営していたそうです。そして、どういう経緯かわかりませんが、財団が美術館の運営から撤退し、改装および収蔵作品の入れ替えを経て2016年11月から「久留米市美術館」の名前で久留米市立の美術館として新規開館したそうです。美術館の二階から建物の裏側の池を撮影しました。美術館に展示されているものも立派ですが、こういう庭園もまたいいですね。人気ブログランキング久留米市美術館 本日は無料
2019年03月06日
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こちらは、柳川の町の堀を築いたという、筑後国主の田中吉政(→→→こちら)の銅像です。この田中吉政公の銅像の前にあるのが、この橋です。ここを川下りの船が通って行きます。この穴をくぐり抜けられるのが、川下りの船の幅を決めているそうです。そして、高さも低いので、乗船客も船頭さんも身をかがめて通り抜けています。こちらが、MoMo太郎が別宅としている「御花(おはな)」です。別宅というのは当然、ウソです。元は、柳川藩主だった立花家の家だったのですが、今は料亭として使われています。こちらが、川下りの終点となる沖端地区です。いつもは川下りの船がたむろしているのですが、水落しの期間は、閑散としていますね。こちらは水難除けの神様として信仰されている「沖端水天宮」です。この神社のお祭りの時に販売される木製のひょうたんの形をした水難事故防止のお守りを、柳川の子どもたちは、泳ぐときには必ず首から提げているそうです【了】人気ブログランキング
2019年03月04日
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今日は3月3日、ひな祭りですね。柳川といえば、昔から女の子が生まれると初節句に子供の健やかな成長を願い、ひな段と一緒に色とりどりの「さげもん」を飾り、盛大に祝うのが習わしです。ということで、柳川で飾られていたお雛さまととげもんの写真をアップします。こちらは西鉄柳川駅に飾られていた、お雛さまとさげもんです。こちらは、日吉神社の境内に飾られていた「さげもん」です。さげもんとは、縁起の良い鶴やウサギ、ひよこ、這い人形などの布細工と鮮やかな糸で巻き上げた「柳川まり」とを組み合わせたもので、「幸福」「健康」など、母親、祖母、親戚等の願いが込められています。このさげもんは、日吉神社の社殿に飾られていました。こちらは、かんぽの宿柳川に飾られていた、お雛さまとさげもん。豪華ですね。お雛さまもフルセットですね。お内裏様とお雛様。三人官女、五人囃子、右大臣と左大臣も揃っていました。人気ブログランキング 柳川雛祭り ”さげもんめぐり”
2019年03月03日
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柳川の水落しした時の堀の様子です。堀の中には泥が滞留していますね。この泥が「ガタ」と呼ばれて、養分を多分に含む肥料となるそうです。こちらは「柳川市総鎮守」と呼ばれる日吉神社です。毎年12月下旬から『柳川雛祭り さげもんめぐり』の最終日である4月3日まで、飾られている巨大なお多福面です。「お多福さんのような笑顔があふれる1年になってほしい」という願いが込められているそうです。皇太子殿下の御成婚を祝って、奉納されたそうです。でも、なぜ「見ざる聞かざる言わざる」なんでしょうかね。こちらは柳川のひな祭りには、欠かせない「さげもん」ですね。立派な拝殿です。日吉神社の脇を堀が流れています。普段は、川下りの船がここを通るのですが、水落し期間中は、船はやってこれませんね。こちらの茶色い建物。かの有名な松岡修造氏も卒業した「柳川高校」(→→→こちら)です。【つづく】人気ブログランキング柳川でも堀干ししていました(その2)
2019年03月02日
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堀干しは、なにも大木町だけではありません。水郷(すいきょう)柳川も堀干しを2019年2月18日16:00~27日10:00までやってます。堀干しの中でも。旧城下町で行われる堀干しを、「水落し」と呼んでいます。ここが城濠水門と呼ばれている水門で、ここから矢部川水系の二ツ川の水が堀の仲へ流れ込みます。そこで水落しの時、城濠水門を閉じます。こちらは反対側から、城濠水門です。普段は見られない、堀の中が見えてきました。こんな立て看板で、水落しのことを説明していました。この掘割は一般的な河川とは異なり、水流が極めて穏やかです。そのため掘割の中には水藻が群がり生え、底には、ちりやごみが滞留していきます。その水を生活用水として利用してきたころは、掘割の環境整備は欠かせなかったようです。こちらは堀の下流側になる沖端地区です。近くには、うなぎを食べさせてくれる店やお土産物屋さんなどが立ち並んでいる。観光スポットです。そして、沖端に設けられている二挺井樋を開放して堀の水位を下げていきます。堀から流れ出た水は、ここから沖端(おきのはた)川を経て、有明海へと流れ出て行きます。この水落し、明治の末期頃までは通常11月上旬、城内にある日吉神社の秋季の祭礼の前というのが慣例だったそうです。と言うのも水落しの期間中に捕獲した魚を料理し、親戚・知人を招いて神社で酒宴を楽しむといった風習があったからだそうです。明日は、空になった柳川の堀沿いを歩いた様子を紹介します。【つづく】人気ブログランキング柳川でも堀干ししていました(その1)
2019年03月01日
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この日は、テレビの取材も来ていました。こちらのよさげなお姉さまは、福岡のKBCラジオの「Aitaka Girl」というキャスターの方で、鯉こくを食べて、精をつけて、この後、ラジオの中継で堀の泥上げを手伝ったようです。地元では、この泥上げを「ゴミ揚げ」と呼んでいるそうです。ゴミといっても『護美」という字を当てるそうです。こちらでは、投網の実演も披露されていました。連続写真でお届けします。なにか獲物がかかったようです。ちょっと小さい魚でした。でもこのあと大きなコイを獲ったそうです。もう、春も間近い大木町の石丸山公園。木瓜(ぼけ)の花も咲いていました。クリークの水もちょっとキレイな澄んだ感じでした。【了】人気ブログランキング大木町の堀干しまつり(その4)
2019年02月28日
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堀(クリーク)の水を水田にあげるために使われた、足踏水車(踏み車)です。小学生のみなさんが体験する足踏水車での揚水作業。足踏水車を足で踏むと堀の水が水田に揚ってくるのですが、重すぎておじさんたちが手で押してお手伝いしています。小さな女の子が一生懸命。ポンプがなかった時代はこの地方の農民のみなさんはこやって田んぼに水を揚げていたのですね。想像以上に水が揚げられていました。こちらは、男の子が足踏水車に挑戦です。この足踏水車、一般には「踏み車」と呼ばれています。江戸時代の著名な農学者・大蔵永常は、その名著『農具便利論』(文政5年・1822年)のなかで、この踏車の発明者を大阪に住む京屋七兵衛と同清兵衛だとし、年代を寛文年間(1661年~1672年)のとしています。しかしこれは「踏車」といいながら、実は手廻しで、田面と水面の水位格差が余りないところで使った。足踏用のものも小型で羽根も14〜5枚であったそうです。これを改良して、水位差が大きくても揚水できるようにしたのが、大莞村(現大木町)の猪口万右衛門であったといわれそうです。この人は元文7年に生まれ文化8年(1739〜1811)に亡くなっているので、おそらく1760年代にその改良に成功したものと推定されます。こうして登場した踏車は、江戸中期の後半にかなりの勢いで普及し、踏車はもっぱら木工細工が古くから盛んであった大川で生産されていたそうです。【つづく】人気ブログランキング大木町の堀干しまつり(その3)
2019年02月27日
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堀干しまつりといえば、こうやって、堀の水を抜いて、中に残った魚を捕って、プールに入れて、大木町の良い子のみんなが捕まえるということです。もちろん、お魚のことも勉強してもうために、水槽に入れて、紹介しています。獲ったフナは、こうやって焼いて。乾燥させて、甘露煮にして食べるということです。これがMoMo太郎がいただいた、フナの甘露煮(300円)、鯉コク(100円)、そしてご飯(100円)です。フナの甘露煮、ちょっとショッパかったですが、またそれもいいお味でした。【つづく】人気ブログランキング大木町の堀干しまつり(その2)
2019年02月26日
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2月23日(土)に福岡県三潴(みづま)郡大木町にある「クリークの里石丸山公園」に行ってきました。この時期、なぜここにやってきたのか?この「堀ほしまつり」を見物にやって来ました。堀とは、大木町にあるクリークのこと。。町内の堀(クリーク)の総延長は約214.7km、総面積は約 254.4haあり、町の総面積の約14%を占めているということです。この堀(クリーク)に地域の農業用水、生活用水を貯水し、またこの堀の中に棲む、コイやフナといった魚をタンパク源として食べていたそうです。そして、むかしは、この時期に、堀の水位を下げて中の泥を上げて肥料として農地に戻していたそうです。ということで、この伝統を今に伝えようという主旨の行事が、この「堀干しまつり」ということだそうです。既にもう堀の水位が下げられて、堀干しまつりの準備は完了でした。この地方の堀(クリーク)は、所々、こういう堰で仕切られているのが特徴です。つまり、堀(クリーク)の水は集落のものということでしょうか。そして、公園の白梅もそして紅梅も、もう満開でした。堀干しまつりのオープニングセレモニーが始まりました。やっぱり子供が沢山集まっています。セレモニーに付き物といえば、やっぱり町長さんの挨拶。この町長、今年の2月6i日に町長となったばかりの新人町長だそうです。そして、セレモニーの彩りは、昭和の時代には若くて美人、そして、今も元気で麗しい女性のみなさんによる「おおき堀干し音頭」。この堀干しまつりのために創作された新民謡だそうです。振り付けも見事に決まっていました。【つづく】人気ブログランキング大木町の堀干しまつり(その1)
2019年02月25日
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酒蔵めぐり、なかなか面白かったのが、この「旭菊」です。紅白の幕を飾っているところが、なかなか雰囲気ですね。入り口には、こんな石像をお祀りしたお堂もあって、酒造りの守護なんでしょうかね。雛飾りも展示されていて、地元の名家という感じ。なぜか素人っぽいサックスの演奏もあって面白かったです。旭菊の酒蔵です。甘酒も無料でサービス。酒粕から作っているので、ドライバーの方にはご遠慮いただいてました。色々と楽しく一日遊べた「城島酒蔵びらき」来年も来てみたいと思いました。【了】人気ブログランキング呑み助の祭典「城島酒蔵びらき」(その6)
2019年02月24日
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次に訪れたのは、「池亀」の酒蔵です。こちらで人気だったのは、酒蔵のソフトクリームだそうですが、11年貯蔵の黒こうじの日本酒の「有料」試飲ができました。こちらは、「萬年亀」の酒蔵です。500円で6種類の大吟醸の試飲ができましたが、なんかさすがにちょっと飽きたかなということでパスさせてもらいました。4月7日に単独で酒蔵びらきをするそうなので、その時にチャレンジしようかな。萬年亀の貯蔵タンクです。この古い感じがいいですね。こちらは、三潴駅近くにある「独楽蔵」、会社名は杜の蔵さんです。こちらでは、甘酒の振る舞いがありました。なかなか、どこの酒蔵さんも色々と趣向を凝らして楽しめますね。【つづく】人気ブログランキング呑み助の祭典「城島酒蔵びらき」(その5)
2019年02月23日
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城島酒蔵びらきには、城島町と三潴町の8軒の酒蔵が参加しています。「城島酒蔵びらき」ではそれらの酒蔵をシャトルバスで回ることもできます。最初に行ったのは、この「筑紫の誉」です。こちらの酒蔵では、生バンドの演奏を楽しめました。「筑紫の誉」の社長さんが趣味でバンドをやっているそうですから、その付き合いでやって来られたのでしょうかね。こちらの酒蔵では、無料試飲もさせてもらえました。なかなか、コクのある旨いお酒でした。いやいやどの日本酒も美味しいものなんですけどね。こちらの酒蔵に咲いていた白梅、もう満開でした。梅の香りと日本酒、なかなかいいものでしたね。【つづく】人気ブログランキング呑み助の祭典「城島酒蔵びらき」(その4)
2019年02月22日
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今回は、豊前海の一粒牡蠣と城島のお酒が飲める「Kaki×Sake BAR」というイベントをやっていました。九州の反対側の豊前市から運ばれてきた豊前海一粒牡蠣を食べたくて、行列して買い求めました。豊前市の豊築漁協からやって来た人たちでしょうか? 牡蠣を一生懸命焼いてくれています。焼き上がった牡蠣の殻をとって出されます。こちらは牡蠣にあうように、作られた城島のお酒です。焼き牡蠣と日本酒、そして牡蠣用のポン酢醤油でいただきます。今シーズン初めての牡蠣、美味しくいただきました。我が家の場合、奥さんも愚娘も牡蠣で当った体験があるので、牡蠣を絶対、口にしないので、MoMo太郎は牡蠣はこうやって外で食べることになっています。【つづく】人気ブログランキング呑み助の祭典「城島酒蔵びらき」(その3)
2019年02月21日
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会場はピクニック気分で過ごす人たちも、そしてイベントステージでは、元気な子供たちのダンスパフォーマンスが。繰り広げられていました。そして、やっぱりこちらの大人向けゾーンで日本酒を味わなければ、呑み助の祭典「城島酒蔵びらき」に来た意味がないですね。こちらで飲みくらべチケットを購入して、飲みくらべチケット12枚綴り700円、でも西鉄の特別きっぷを使って、三潴駅までやってくると、100円割り引きになるので、600円で購入できました。試飲用のお猪口つきです。こちらはチケット3枚で一杯飲める大吟醸酒のコーナーです。そしてこちらはチケット2枚で一杯飲める純米酒のコーナーです。このコーナーでいただいた、純米酒の耶馬寒梅です。結構、辛口でMoMo太郎の好みだったです。みなさん本当にピクニック気分で、お酒を頂いていますね。角打ち(かくうち)のコーナーもありました。北九州地域が、この角打ち発祥の地らしいです。「角打ち」というのは、本来は、酒屋の店内において、その酒屋で買った酒を飲むことです。工場や炭鉱、港湾等で働く労働者が、仕事帰りに酒屋で酒を飲んでいたことが角打ち誕生の背景にあるのですね。ちなみに、居酒屋で立ったままお酒を飲む、「立ち飲み」とはちょっと味わいが違って、その酒屋で売っている缶詰やスルメをつまみに飲むことですから、こういうイベント会場だと、ちょっと本来の角打ちとはちょっと違うかも。【つづく】人気ブログランキング呑み助の祭典「城島酒蔵びらき」(その2)
2019年02月20日
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毎年、2日間で10万人以上が来場するほど大人気な九州最大の酒蔵びらき。「第25回 城島酒蔵びらき」が2019年2月16日(土)〜17日(日)の2日間、福岡県久留米市城島町にある町民の森をメイン会場に、開催されました。ということで、昨年に続いて(→→→こちら)、今年もMoMo太郎は行ってきました。西鉄三潴駅に着くと、会場に向かう無料のシャトルバスを待つ長蛇の列。駅前広場の時計台の下には、城島町、三潴町にある酒蔵の菰樽が、なんか呑み助の血が騒ぎます。「酒は城島」なるほど、福岡県では有名な酒どころなんですね。メイン会場の城島町民の森公園にかかる橋には立派な横断幕も。10万人以上が参加するというのも然り、多くの人が集まっていますね。こちが、城島酒蔵開きへの協賛の皆さまです。そして、いよいよ明日は、会場の様子を紹介します。【つづく】人気ブログランキング呑み助の祭典「城島酒蔵びらき」(その1)
2019年02月19日
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久留米市立久留米商業校のグランドです。1896年(明治29年)創立の名門高で、卒業生にはブリヂストン創業者の石橋正二郎。福岡県久留米市に本部を置く指定暴力団「道仁会」の創立者で初代組長の古賀磯次などがおられます。そのグランドの前にこんな石碑がありました。「独立山砲兵第3連隊の碑」ここはむかしこの部隊の駐屯地だったのですね。人気ブログランキングへ久留米市立久留米商業高校
2019年02月17日
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こちらの庭園は風浪宮の庭園です。なかなか風情のある趣ですね。こちらは風浪宮外苑のともいえる大川公園です。広さ5,055m2の大きな池がありました。そして、大川市出身の作曲家古賀政男の「影を慕いて」の歌碑がありました。大川市出身の音楽関係者といえば、古賀政男氏(→→→こちら)、大川栄策(→→→こちら)、陣内孝則(→→→こちら)そして野田恵(漫画「のだめカンタービレ」の主役、→→→こちら)、と多いのですが、やっぱり古賀政男が一番みたいですね。市役所の脇を流れるクリーク沿いに整備されたメロディロードという散策道があります。こちらを歩いていると、通りかがると古賀政男先生の作曲された名曲のメロディが流れてきます。【了】人気ブログランキング風浪宮大祭「おふろうさん」(その3)
2019年02月16日
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風浪宮とはどのような由緒の神社なのか、境内にあるこの「白鷲の楠」と呼ばれる大木が示すように大変歴史のある神社です。ヒントとなるのはこののほりに書いてある「神功賑海路往来」の文字です。この風浪宮、神豪皇后と航海に関係ある神社ということになります。御由緒としては次のようなことのようです。神功皇后が三韓征伐よりの帰途(西暦一九二年)軍船を筑後葦原の津(今の大川市榎津)にやってきた時、皇后の乗る船に白鷺が忽然として現われ、艮(東北)の方角に飛び去ったそうです。皇后はその白鷺こそ我が勝運の道を開き給うた少童命(わたつみのみこ=日本神話の海の神)の御化身なりとして白鷺の止った鷺見(今の大川市酒見)の里を聖地として、武内大臣に命じて仮宮(年塚の宮)を営ませ、時の海上指令であった阿曇連磯良丸を斉主として少童命を祀ったことに始まるそうです。 そのような次第で、古来より風浪の灘を除けることができるようにと、「風浪」を社号とし代々の久留米有馬藩主の崇敬を受け、また、筑後国一円の信仰をあつめているとのこです。本殿に祀られている阿曇連磯良丸(あづみのいそらまる)の木像です。神豪皇后が、三韓征伐にあたり諸神を招いたところ、海底に住むが阿曇連磯良丸が現れ、龍宮から潮を操る霊力を持つ潮盈珠・潮乾珠(日本神話の海幸山幸神話にも登場する)を借り受けて皇后に献上したところの姿を木像にしたものだそうです。というわけで、手には珠を持ち、衣服にはアワビやカキがついているそうです。そのような話が、この紙に書いてありました。こちらは、国指定重要文化財の「石造五重の塔」が置かれているところです。この石造五重の塔は、正平10(1355)年の銘記により俗に正平塔と呼ばれていて、二重基壇の上に五層の軸部と屋根とを重ねた塔身と頂上に相輪をもつ石塔です(→→→こちら)。【つづく】人気ブログランキング風浪宮大祭「おふろうさん」(その2)
2019年02月15日
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2月9日(土)~2月11日(月・祝)の3日間、福岡県大川市にある、風浪宮(ふうろうぐう)において「風浪宮大祭」が開催されていました。筑後地方の三大祭りの一つに数えられる風浪宮例大祭は通称「おふろうさん」と呼ばれています(→→→こちらです)。邪気退散の願いを込めて昔と変わらぬ伝統衣姿で走る筑後地方の三大火祭りの一つ「裸ん行(はだかぎょう)」や、お神輿3基と共に市内を約4キロにわたり巡幸する「お潮井詣り」など行われていたのですが、あいにく三連休、仕事があって、MoMo太郎が風浪宮に参拝できたのは、最終日の2月11日(月・祝)の午後4時ごろでした。それでも、ちょっぴり、お祭りの雰囲気を味わえました。こちらが、風浪宮の鳥居です。露店なども出て、賑やかなお祭りの雰囲気でした。のぼりなども飾られて、いかにも伝統あるお祭りというところでしょうか。お祭りも終盤だというのに参詣する善男善女の方も多かったです。丁度、太鼓演奏が奉納されているところでした。まだ、寒いのにこの衣装で太鼓の演奏、若い人は元気があってよいですね。女性の方も参加されていて、一段と華やかな感じがしました。こちらが巡幸されたお神輿なんでしょう。そしてこちらが、本殿となります。次回は風浪宮とはどういう神社なのか、紹介したいと思います。【つづく】人気ブログランキング風浪宮大祭「おふろうさん」(その1)
2019年02月14日
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盛り土しているところがありました。この盛り土の中は、こんな施設になっていました。吉野ヶ里遺跡の中にあった、墓地だったようです。人骨がこの甕の中から発見されたそうです。弥生時代といえば、稲作が始まった時代。これは水田の跡を復元したものです。結構、小さな区画でお米を栽培していたんですね。遺跡ばかりではなく、ゲートボール場も完備。公園の中には小川も流れていました。2月の始めですが、菜の花も咲いていました。また、春になって来てみたい吉野ヶ里歴史公園でした。【了】人気ブログランキング佐賀県神埼市(その8) 菜の花
2019年02月12日
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広々とした吉野ヶ里歴史公園、まだまだ復元建造物はありました。こちらは幾重にも柵が巡らされて、厳重に守られているエリアです。立派な弥生時代の高層建築ですね。屋根の上の飾りも立派です。お城の原型みたいな感じでした。中に入ってみると、二階は会議場のようです。弥生時代から話し合いで物事を決める習慣があったのでしょうね。そして最上階は祭壇があって、ヒミコさまが祈りをささげているような雰囲気。ヒミコさま~!【つづく】人気ブログランキング佐賀県神埼市(その7) ヒミコさま~
2019年02月11日
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吉野ヶ里歴史公園では、当時の建物が復元されています。そして、多分、こんな暮らしぶりだったんではという感じで紹介されていました。こちらのお宅では、中では女性が髪をすいてもらっていました。もうこの時代に美容師さんという職業があったんでしょうか?こちらのお宅では、鎧を作っていたのでしょうね。弥生時代、戦争と隣り合わせの危険な時代だったということがわかりました。洗濯物が干されている様子まで復元しているのですね。こちらのお宅もお邪魔してみました。ひとり暮らしの男性のお宅でした。ベッドが置いてありました。弥生時代はみんなベッドで寝ていたのですかね。こちらは食器?いわゆる弥生式土器というものですね。こちらは炊事専用の建物のようでした。火を使うので消火器も置いてありました。弥生時代からみんな消火器を・・・。ということはないですね。こちらはのっぺら坊の二人が、(多分)、談笑しているのでしょうね。【つづく】人気ブログランキング佐賀県神埼市(その6) 弥生時代の暮らし
2019年02月10日
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佐賀県神埼市を紹介すのには、やはり吉野ヶ里遺跡(→→→こちら)を忘れてはいけないでしょう。こちらは、吉野ヶ里歴史公園東口ゲートに飾られていたマスコットです。吉野ヶ里歴史公園とは、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に見つかった国の特別史跡「吉野ヶ里遺跡」とその周辺部の117ヘクタールが公園として整備されたものです。いったん、遺跡の発掘調査を終えた後、遺跡の状態を損なわないように盛土によって保存し、その上に建物の復元や植樹を行って公園にしたものだそうです。公園には、この橋を渡って入っていきます(入園料は大人460円です)。吉野ヶ里、ここが弥生時代の「クニ」として栄えたころは、このように柵や堀、そして逆茂木(敵の侵入を防ぐため、先端を鋭くとがらせた木の枝を外に向けて並べたバリケード)で「クニ」を守っていたのですね。ということは、弥生時代って結構、戦争で危険な時代だったということですかね。そして、復元された建物があるエリアに入りました。高い物見櫓が復元されています。やっぱり、この櫓を見ると登りたくなりますよね。登れるように階段のついた櫓もありました。登ってみると、広がる佐賀平野を一望できます。広々として平野が広がっています。気持ちが良かったですよ。【つづく】人気ブログランキング佐賀県神埼市(その5) 吉野ヶ里歴史公園
2019年02月09日
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神埼市内をにあるクリークを紹介しましたょう。クリークとは昔は堀と呼ばれていた水路のことですが、聞くところによると、中国の江南地方にあるこういう水路のことをクリークと呼ぶそうで、日中戦争で彼の地で戦ってこちらに帰還してきた兵隊さんが「堀」を「クリーク」と呼ぶようになったのではとも言われています。このクリーク、よく見ると、水路ののり面が崩れていますね。規則的に水路に飛び出ているパイプは水田の地下水を排水するための「暗きょ排水」(→→→こちら)というものだそうです。こちらは結構大きなクリークですが、水の出口が狭いですね。こちらのクリークののり面も崩れていますね。クリークが多すぎて、修理するのに人手もお金も足りないのでしょうかね。横が道路になっているのに、危険な感じです。そしてこのあたりの農地ではクリークの水をポンプでくみ上げて使っているようでした。冬ですが、農地には緑が、麦を植えているようです。【つづく】人気ブログランキング佐賀県神埼市(その4) クリーク
2019年02月08日
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そして、櫛田宮の中では、こんなのぼりも飾られて、町の主だった顔役さんも集まっていました。そして、さっきは駅にいた「くねんワン」と「くねんニャン」もこちらにやって来ました。そして、今年の福男さん福女さんによる盛大な豆まきが始まりました。この豆まきの袋の中には、かなりの確率で、抽選権が入っているそうです。こちらの方でも豆まきしていました。豆まきが終わると、みなさん櫛田宮を出て、こちらの「櫛田の市」が開かれている会場に向かいます。ここで、先ほどの豆まきの袋の中に入っていた抽選券で福引きできるそうです。ちなみにMoMo太郎は豆の袋さえゲットできなかったので関係はないのですが。地元の農産物やその加工品なども販売されていて、盛況でした。こちらは、神埼の町の中にあったレトロな建物。この中でも演奏会が開催されているそうです。この建物、古賀銀行神崎支店の建物だったそうです。【つづく】人気ブログランキング佐賀県神埼市(その3) 節分祭と櫛田の市
2019年02月07日
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神埼市にある「櫛田宮(くしだぐう)」の鳥居です。長崎街道の神埼宿の石柱がありました。この鳥居の前を、長崎へ向かう坂本竜馬もシーボルトも、みんな通ったということですね。そして、時期も節分ということで、入り口には、お多福面が飾られていました。この神社、景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年 - 景行天皇60年11月7日、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父)が当地に巡幸した折に不幸が続き住人が苦しんでいると聞き、当社を建て神を祀り鎮めたのが発祥ということだそうです。 その後は災厄もなくなったことからこの地を「神幸(かむさき)」と称し現在の神埼(かんざき)の地名の起こりとなったという伝承があるそうです。 この楠は、そんな昔からこの地にあったのでしょうかね。 福岡市博多区にある博多祇園山笠電車有名な櫛田神社は、この神埼にある櫛田宮からの分祀により創建されたという説があるとか。弘安の役(1218)の際に当社から霊剣を博多の櫛田神社に移して異賊退散を祈り霊験あって元軍が退いたと伝えられているそうです。また、博多の櫛田神社の方では、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田宮を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したという説をとっているそうです。こちらが櫛田宮の拝殿です。【つづく】人気ブログランキング佐賀県神埼市(その2) 櫛田宮
2019年02月06日
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2月2日、土曜日。佐賀県神埼市に遊びに行ってきました。まあ、特になにか特別な町というわけではありませんが、あの有名な吉野ヶ里遺跡がある町です。というわけでしょうか。JR長崎本線の佐賀駅前にあったのは、卑弥呼の像です。吉野ヶ里って本当に卑弥呼が治めていた「邪馬台国」だったんでしょうかね。そして、神埼駅のホームでは、神埼市のゆるキャラ「くねんワン」と「くねんニャン」(→→→こちら)が列車を待っていました。そして、やってきたのJR九州の人気列車「ななつぼし」この「ななつぼし」に乗って、「くねんワン」と「くねんニャン」が旅に出るのかというわけでもなく、なぜか神埼駅に停車した「ななつぼし」の皆さんをお出迎えしていました。ここで、「ななつぼし」の乗客の皆さん、駅弁でも買うために停車したのかと思いましたが、誰も織りてはこず、ドアも閉まったまま。ただ、このゆるキャラを見るためだけに停車したみたいです。「ななつぼし」はさておいて、目的の神埼市の節分のお祭りに向かいました。【つづく】人気ブログランキング佐賀県神埼市(その1) ななつぼし
2019年02月05日
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この建物は九州自動車道の久留米インター近くにある「地場産くるめ」という施設です。施設の設置目的は、久留米地域の地場産業振興ということようです。久留米かすり・筑後の千葉産品売場もありました。筑後の地場産品の代表といえば、日本酒ですかね。こちらで筑後の地場産品が売られていますが、高速のインターに近いとはいえ、あまりお客さんは・・・。併設されているのは重要無形文化財「久留米絣」(→→→こちら)を展示している久留米絣資料館です。沢山の機織り機械が並んでいますが、希望者には、久留米絣の手織り体験ができるそうです。大正から昭和初期までの全盛期の久留米絣、この久留米とその周辺で生産されていたわけではなく、どうも実際は刑務所で織られていたそうですね(→→→こちらです)人気ブログランキングへ地場産くるめ
2019年02月03日
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毎月最後の日曜日に久留米ほとめき通り商店街アーケードで開催されている「くるめ日曜市」。1月27日(日)に今年初めてということでのぞきに行ってみました。ちょっと、人通りが少なかったかも。このように、「くるめ日曜市路上音楽祭」もいつも開催されているようです。腕に覚えのあるアマの人も参加できるみたいです。もう少し、陽気も良くなるとお客さんも多くなると思います。人気ブログランキングくるめ日曜市
2019年02月02日
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今は合併して久留米市になっていますが、三潴町(みづままち)にある三潴生涯学習センターです。三潴町、なかなか読めない地名ですね。むかしは「美無萬」とも記されたようです。筑後(ちくご)川中流左岸のクリーク網の発達した低湿な沖積地が広がっていた地域だったので、水沼とか水間から転じて三潴となったようです(多分)(→→→こちらを参考に)。昭和30年(1955)に三潴村と犬塚村が合併(新設合併)して三潴町となったそうです。この生涯学習センター建物の前にあった、石碑です。宮原幸雄氏という、元三潴町長を務められた方の顕彰碑でした。宮原幸雄は大正6年(1917)生まれで犬塚村の出身。34歳で犬塚村長、昭和34年(1959)~42年(1967)まで三潴町長を務め、農業の近代化、ほ場整備、能動農道整備、灌漑用水整備などに尽力し、三潴町の発展に大きく貢献したというようなことが、碑文に記されていました。人気ブログランキングへ旧三潴町の石碑
2019年02月01日
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そして、横武クリーク公園の一角には「くど造り」と呼ばれる家屋を復元した「葦辺の館」(アシベノヤカタ)が建っています。 「くど造り」は九州を代表する民家の構造で上から見た形が「かまど」、別名で「くど」に似ていることから名付けられているそうです。係の人の話では、クリーク公園を造るために、この建物を移設してきたとか。中も見学できますが、なかなかシブイ作りの農家の住宅という感じでした。農家にとって必須なのは、農機具小屋ですね。この小屋の中にあったのは、大正12年ごろまでもちいられた。「万右衛門車」という水路から水をくみ上げる水車です。この水車、猪口万右衛門 (いのくち-まんえもん)という人が発明したそうです、この方は、「江戸後期,久留米藩領筑後国三瀦郡中村(福岡県三瀦郡大木町)の農民。灌漑用具「万右衛門車」の発明者といわれる。庄屋猪口又兵衛の次男に生まれ,19歳のとき,同村の大工猪口勘助の養子となり家業を継ぐ。農民であった経験から,大工の技術を農具作りに生かし,商人から聞いた淀川の踏み車の話にヒントを得て安永6(1777)年,高能率の足踏み水車「万右衛門車」を発明したという。これは従来の「打桶」による水汲みよりも効率を数倍高めたので,またたく間に普及した。なお足踏み水車の発明については,宝暦3(1753)年,柳川藩中老四ケ所通久によるという説もある。<参考文献>『久留米市史』2巻,『江戸時代人づくり風土記・福岡』 」こんな感じで水をくみ上げるそうです。【了】人気ブログランキングへ横武クリーク公園(その2) 万右衛門車
2019年01月31日
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佐賀県神埼市にある横武クリーク公園です。看板の文字がやや薄れているところが残念です。いい公園なのに。むかしはここにお城があったそうです。そしてクリーク、堀がこの公園の売りですね。ここのクリークは水路が崩れないように、木柵で保護しているんですね。なかなか、広々としていました。公園の広さは6ヘクタールだそうです。地盤が弱いのか、木柵が倒れている所もありました。園内のクリークでは釣りOKです。ヘラブナが放流されているそうですが、バスもライギョも釣れるかもしれませんね。横武クリーク公園の場所は、こちらです。【つづく】人気ブログランキングへ横武クリーク公園(その1) 魚釣りOK
2019年01月30日
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久留米中央公園にある「久留米市鳥類センター」(→→→こちら)です。名前のとおり鳥類を専門とする動物園です。鳥類だけではなく哺乳類・爬虫類などの動物も少し展示されているようです。もともとは、久留米市動物園として1954年に久留米市の中心部の三本松公園に開設されたのですが、1970年にこちらに移転してきました。また、遊園地も併設されていますから、ちょっと手軽なレジャー施設でもありますね。こちらは「筒川雨水感染貯留池」です。大雨の時、このグランドに雨水を貯めて、河川の氾濫を防ぐのですね。ということは、大雨の時はこのグランドは池になるってことですか。こちらは、貯まった水を排水するポンプなんでしょうね。【了】人気ブログランキングへ久留米中央公園(その2) 久留米市鳥類センター
2019年01月27日
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久留米中央公園にある「福岡県青少年科学館(→→→こちらです)」です。青少年とありますが、大人が行っても楽しめますよ。シーズンオフですが、「市民流水プール」です。【つづく】人気ブログランキングへ久留米中央公園(その1) 福岡県青少年科学館
2019年01月26日
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福岡空港から東京へ行くのに、この日は、午後からの便にしたので、ちょっと時間があったので、福岡空港をちょっと探検してみました。ここは空港ビル3階にある「ラーメン滑走路」。福岡の有名店だけでなく、日本全国のラーメン店も出店しています。こちらは送迎デッキ。みなさん飛行機の姿を見ていますね。こちらは離陸前の全日空機。ずらりと飛行機が並んでいますね。着陸中の飛行機、早過ぎてシャッターチャンスがうまくいきませんでした。まあ連続シャッターを使えばいいのでしょうけどね。そして、その日は、夕暮れの羽田空港に到着しました。人気ブログランキングへ福岡空港を楽しんでみました
2018年12月31日
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この建物は佐賀空港。正式には「九州佐賀国際空港」というのですね。空港ビルの中です。佐賀空港、今年で開港20周年だそうです。それを記念して、空港の歴史を紹介するパネルが展示されていました。送迎デッキに登ってみると、遠くに長崎県と佐賀県の県境に位置する標高996mの多良岳が見えました。霞んでいますが、雲仙岳もうっすらと観ることができます。こちら脊振山地、雲がかかっているのは、佐賀県のほぼ中央に位置する天山(標高996m)でしょうね。ちなみに、佐賀空港の駐車場は無料です。町から遠く離れた干拓地の先端にあって、バス以外の公共交通機関もないので、車がないと来られないような場所ですから、駐車場が無料なのもしかりですね。こちらは福岡県と佐賀県との境に位置する標高1,054.6mの脊振山とその東にある九千部山(くせんぶやま)、標高は847.5mです。ちなみに脊振山山頂近くまでは車で行けるそうです。空港のすぐそばは、有明海です。海苔養殖の竿が立っています。海に広がる海苔の畑ですね。今は海苔の収穫シーズンなので、船も出ています。国際空港だけあって、中国の春秋空港の飛行機が乗り入れてます。そのうちオスプレイも仲間入りするかもしれませんね(→→→こちらです)。空港の周りは干拓地の水田が広がっています。この時は麦の播種の頃だったので、大型のトラクターなどの農業用機械が水田を耕していました。まだ、無人農業用ロボットは実用化されていなようです。頑張れ、下町ロケット、ロケット品質の佃製作所。人気ブログランキング九州佐賀国際空港を楽しんでみました
2018年12月24日
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柳川市の干拓地にあるカントリーエレベーター(→→→こちら)です。このカントリーエレベーターは、今年の9月15日に竣工したそうで、北海道を除くと全国で最大の規模となる施設だそうです。柳川の農業発展のシンボルともいえそうですね。こちらが、カントリーエレベーターへの搬入口になるみたいです。カントリーエレベーター沿いのこの水路は、旧干拓地の堤防沿いに作られたもののようですね。人気ブログランキングカントリーエレベーター
2018年12月22日
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