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風の吹かない夏の夜は泣きたいのを懸命にこらえてるようで、空にはみかん飴そっくりの月が浮かんでいる。角の取れた柔らかな月に照らされて、いつもはお喋りな蝉たちも今夜は慰める言葉を失っているようだ。俺は公園のベンチに腰を掛ける。仕事帰りの疲れた心が両足のリズムを奪い、部屋にたどり着くには今日一日の後悔が重すぎる。空を柔らかに染めるみかん色はただ何も言わずに微笑んでいる。いつもは口笛でごまかしてしまえば何とかなるのだけれど、歌詞を忘れてしまった夜には歩みを止めて俺は公園の一部になるのだ。 俺は錆びついたブランコで。俺は風を映す鉄棒で。俺は動きを止めた銀杏の木で。 今夜もそんな一日で、俺はポケットからタバコを取り出して口にくわえる。泣きたい夜の代わりに額の汗が頬を伝って涙みたいだ。自分が何かに悲しんでいるみたいで気になるが、それを拭うのも億劫になっている。「そろそろ、いい加減、風が吹いても良さそうなもんだね。」制止した夏の夜が話しかけてくる。俺は答える代わりにタバコに火をつける。タバコが湿ってるようで嫌になるが、ガスライターの炎が嘘みたいに青く美しく涼しげで少しだけ救われる。 青は救済の色だ。 俺の汗にはお構いなしに夏の夜は俺を見下ろし話し続ける。「風が吹けば雨が・・・・」その時、何かに名前を呼ばれたような気がして振り返った。ふと隣を見ると犬が居た。犬はベンチの横に初めから居たような顔をして俺を見ている。ブルドックと何かを掛け合わせたような風体は一見こわおもてなのだが、よく見れば愛嬌のある顔をしている。首輪をしているところを見ると、大方どこからか逃げ出して来たのか、または飼い主が繋ぎそこねたのか。俺と目が合うとトコトコと歩いてきて当然のように俺の隣に飛び乗ってきた。そして、もう一度俺を見て舌を出しながらその場にしゃがんだ。まるで、昔からの知り合いのように俺たちは蒸し風呂のような公園で黙ってベンチに座っている。それは、夏の夜の世慣れた話なんかよりよっぽど素敵に思えた。汗と一緒にタバコの煙を吐き出しながら俺は彼に話しかける。「今夜は暑いね。あんまり暑くて飛び出してきたのかい?」彼は何も答えない。ただベンチにしゃがみ込んでいる。「俺はね、花屋さんなんだよ。あんまりそうは見られないけれど。」構わずに俺は話し続ける。自分のありったけのことを構わず話し続ける。みかん色した夜空は相変わらずに優しげに俺と彼を包んでいる。汗が滲んで目に入るのもお構いなしに俺は彼に話し続ける。彼は何も答えない。でも、決して居心地は悪くなさそうだ。ひとしきり話し終えて、俺は言葉をなくしてしまう。所詮は30分で語り尽くしてしまう人生なのだ。いくぶん自虐的に笑って、俺は4本目のタバコに火を付ける。風のない夏の夜、蒸し風呂の空にみかん飴のお月様。砂場には忘れ去られた三輪車、片方だけの子供の靴。人の気配の消えた公園は、昼間の思い出でだけで生きている。 全てが動きを止めてしまった夜の公園のベンチには取り残された二つの影が街灯に揺れている。額から吹き出し続ける汗だけが、ひそかに脈打つ彼の背中だけが、埋没する時間をわずかに動かしていた。・・・今夜は中々出口が見つけられない・・・そう思った瞬間、ペタンと寝ていた彼の耳が立ち上がり彼の両目が空を見上げた。俺もつられて彼の見ている方を見上げる。しばらくして、銀杏の葉がかすかに揺れて風が駆け抜けた。少し乱暴な風は熱と一緒に何かを運び去ってくれた。彼は俺を見て何か言いたげで。俺も彼を見て何か言いたくて。でも何も言えなくて。 ちょうどタバコも吸い終えて、俺はベンチから立ち上がる。彼もベンチを降りて、俺の足下に立っている。そして二人で並んで歩く。公園の出口で俺は彼に話しかける。「俺はたまにあそこにいるから。」彼は俺を見ている。「それから君の名前を考えたんだ。”ブサイク”でいいかい?」俺が笑うと、ブサイクは初めてワンと吠えた。それが嬉しいのか、怒っているのか分からないけれど。そして、俺は真っ直ぐに、彼は右に曲がっていった。一度吹いた風は、今度は優しく吹き続け俺の背中を柔らかく押し続ける。みかん色したお月様は相変わらずに俺を包み込み、なぜ人が友達を作りたがるのか、少しだけ分かったような気がした。
2011年08月14日
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疲れた体を引きずって部屋の鍵を開ける。右手にぶら下げた弁当の袋が、暗くて狭い玄関で行き場を失い、カサカサと途方に暮れる。そんな彼の心配事をよそに、部屋に入ると俺はコートのままでソファに腰を下ろす。自分自身をテーブルの上に積み重ね、タバコを一本取り出すと、表通りの街灯は今日一日を安っぽく照らし出した。月の光は半分で俺の中の何かを見つけて笑っている。コートのポケットからライターを取り出し、かすかな音で灯す炎は何かに似ているみたいだ。「例えば希望?」「冗談だろう。」薄明かりの中、はき出す煙は紫色で踊りながらに宙を舞い俺を包み込む。 「おかえり。今日はどうだったかい。良い一日だったかい?」いつものように夜が話しかけてくる。闇は少しだけ色を深めて、空気の密度がほんのりと濃くなる。「いつも通りだよ。たいした一日じゃない。」俺は目を閉じてタバコの煙をゆっくりと吐き出す。「それにしては、ケーキなんて洒落たものがあるな。」夜はテーブルの上に目を走らせる。「あぁ、友達が職場に復帰したんだ。ちょっとしたお祝いさ。」 「二人で食べないのかい?」「いいんだよ。俺の勝手なお祝いだから。」 「たいした友人だな。そいつもお前を友達と思っているのかい。」「さぁね、ただ、嬉しかっただけさ。」 「相変わらずだな。」「相変わらずだよ。」夜が口をへの字に曲げて黙り込んでしまうと、闇がほんの少しだけ深くなった。俺たちはよく似た兄弟のようだ。 「そうそう。」と、今度は俺が夜に話しかける。「弁当屋に面白いばぁさんがいたよ。」「若い連中に混じって、白髪頭で頑張ってた。」夜は気のない素振りで、それでも話に耳を傾けている。「レジの中央に陣取って、微動だにしないんだ。」「若い連中が4~5人で忙しく弁当を作ってるのに、背筋をピンと伸ばして真っ直ぐ前を見てるんだ。まるで昔のコメディ映画に出てくる軍人さんみたいだったよ。」「真っ赤な可愛らしい制服を着てさ。」「それから、受け答えが傑作なんだ。それこそ、軍人みたいに大きな声で、ロッピャクゴジュウエンになります!って叫ぶんだ。」俺はその滑稽な姿を思い出して含み笑いと一緒に煙を吐き出す。夜はじっと俺を見ている。俺は続ける。「注文を店に響くような大声で厨房に言うんだけど、若い連中、誰も返事をしないんだ。ありゃ、相当嫌われてるんだね。」「それでも、彼女は気にしないで背筋を伸ばして真っ直ぐ前に向き直るんだ。」「なんで、あんなに頑張るかねぇ。」夜は何も答えない。「まったく、赤い制服でさ・・・。」「大きな声でさ・・・・。」俺は突然、言葉をなくしてしまう。話したい事は山ほどあるのに、伝えたいことは山ほどあるのに。俺は言葉をなくしてしまう。空中をさまようように口だけが無様に動き続ける。 「お前は・・・・」夜の声で、俺は自分の話が終わってることに気がつく。 「そのばぁさんが好きなんだね。」俺は右手に燻るタバコをもみ消す。赤い塊がゆっくりと色褪せてゆく。 「あぁ・・・・。」「俺は彼女の事が好きだなぁ。」夜は少しだけ笑ったみたいだ。 「お前は・・・。」「うん?」 「相変わらずだな。」「相変わらずだよ。」夜はため息まじりに静かに笑い部屋を出て行く。俺はもう一本タバコを取り出し口にくわえる。「相変わらずさ。」ふと外を見ると、 街灯の灯りに浮かび上がる小さな公園の桜が降り積もる雪のように見えた。 花屋モンタはお疲れモードそれもそのはず、14連勤の後、通常週勤、そして14連勤に突入中ってことは・・・・何日勤務で何日休み???まぁ、考えると、明日お布団から出られなくなるので、ここは春の花の力を借りてそんなこんなでお休みなさい
2011年04月06日
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僕の田舎は山形でして。福島も宮城も岩手もお隣さんなのです。人ごとではない。震災も原発も。山形にも福島や宮城からの避難してきた人達が身を寄せていて、母親は近くの体育館に毎日炊き出しに行ってるとのこと。東京に住む僕の周りの話題はもっぱら原発事故の方で、それも致し方のないことだと思う。そんな僕も母親に電話をかける。「母ちゃん、原発は大丈夫かい?」「原発はもちろん心配だけれど、テレビの偉い先生が言ってることはよくわかんねぇ。それよりも、目の前で苦労している人達の方が母ちゃんには大事だ。ああでもない、こうでもないって難しいこという人はいっぱいいるけれど、あたしらが原発に何か出来ることはないからね。もちはもち屋に任せて、あたしは炊き出しを一生懸命やる。お前も、東京にいて仕事あって何にもできねぇべ。んだから、節電、できるだけでいいから募金しろ。まずは人だべ。人間は笑顔になったら何でもできるもんだ。その為に母ちゃんは一生懸命炊き出しすんだ。母ちゃんにとって、原発はその後だ。」 いくつになっても、母親は母親だ。全ての人の思いが、立場を超えて同じ方向へ大きな力になりますように。そして、子供達の笑顔が溢れて原発も被災地も包み込みますように。切に、切に。
2011年03月30日
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冷たい風が路地を通ると身体がだんだんと乾いてくる。慣れ親しんだ名前さえただの記号だよと今夜の月は半分でこちらを向いて笑っている。世界中が自分とは無関係に動いていくことが心地よくもあり悲しくもある。大きな忘れもものは大きすぎて忘れてしまった。笑えば何とかなると笑おうとしたのだが何に笑って良いのか分からなくて途方に暮れてしまう。忙しくて、切なくて、乾いた冬がやってくる。こんな夜は 大西順子トリオ「Cruisin’」から「メランコリア」で。・・・いろいろな意味で疲れてしまって。疲れている場合ではないのだけれど。この曲をつくったエリントンはどんな気持ちで書いたのだろう。元気なときはただひたすらに美しい曲なのだけれど。こんな夜に聴く時は、半分だけの月のように感情がざわついてくる。美しくて、切なくて、悲しくて、夜のしじまに届く光は半分で。こんな夜には・・・。
2010年11月30日
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花屋は「お彼岸モード」に突入なのです御徒町を訪れるお墓参り軍団に菊を売って売って売りまくるのですそれにしても、お彼岸に30度はないよね墓の下もビックリでしょなので、今夜は第四夜で少しだけ菊の海から抜け出したい読んで下さるいや、いや、せっかくだから読んでってでわでわ 彼女の笑顔に魅了されながらも僕はピアノに集中する。可愛らしい花の微笑みとは対照的に彼女の音は熱く、一音一音が明確な意志を持って語りかけてくる。意識を音に集中しないとヤケドしそうな勢いだ。ワンフレーズ演奏しただけで彼女がいかに優れたベース弾きかが分かる。音は深く、ウッドベースのような音色で的確にビートを刻んでくる。早いパッセージは少し走りすぎのような気もしたが、デュオのリズムの薄さを考慮して、弦を強めに弾き空間にアクセントを付けてゆく。僕はと言えば、可愛い女の子に良く思われたいという下手な意識が音を曇らせ、迫ってくる容赦のないレベルの違いに心は焦り、次第に両手の動きは鈍くなっていく。唇を固く結んで、少し歪んだ彼女の横顔が、そのまま鏡のように僕のピアノを現していた。固く閉じた彼女の心と歪んだピアノの音は僕を更なる袋小路に追い込んでいく。泣き入りギブアップ5秒前。その時、真っ白な迷宮入りの頭に聞き慣れたお師匠さんの声が聞こえてきた。「難しい事を考えることはない。ジャズってのは会話だよ。」「音階という言語とコードという文法を使った会話なんだ。」力強く、それでいていつものように優しく声は続く。「ジャズを演奏するときに大切なことは相手の話を良く聞くことさ。そして、誠実に答えることだ。」ピアノとベースの音を縫うようにお師匠さんの言葉が響いてくる。「きちんと相手の声を聞いていれば、相手の望むことも分かってくる。誠実に答えていれば自分のことも分かってくれるさ。」彼女のラインの早さに違和感を覚えながらも、僕の左手は必死についていこうと足掻き続ける。彼女は相変わらず唇を固く結んだままだ。「きちんと相手の声さえ聞いていれば・・・・」僕は自分に言い聞かせて、彼女の音に注意深く耳を傾ける。そして、自分の音と彼女の音の距離を確かめる。僕の心と彼女の心の距離を確かめる。「相手の望むことも・・・・」すると、彼女が意識的に早いラインを取ってることが分かってくる。もともと、アフタービートを意識しすぎて遅れ気味な僕の左手を考えて、彼女はラインのスピードを絶妙にコントロールしている。思いきって僕は左手のテンポを元に戻す。遅れ気味の左手と、絶妙に早いラインは繰り返すたびに微妙なズレを起こして、心地よいスイング感とスピードを生んだ。「いいかい、ジャズは1+1が無限の世界なんだ。じゃなきゃ、ジャズを演奏する意味なんてないよ。そうだろう。」彼女は顔を上げると、僕の顔をしばらく眺めて「うん!」と大きく頷き、微笑みながらウィンクをした。「だから、最低限のルールをしっかりと守りながら、色々な事に囚われるな。お前のギアは常にニュートラルにしておくんだ。ナチュラルに相手を心で感じろ。それが出来たら、お前の指は鍵盤の上で勝手に踊り出すさ。」お師匠さんの声が次第に小さくなってゆく。「いいかい、これは音楽に限った話じゃないぜ。」声は薄くなり、代わりに笑顔だけが浮かび上がる。「お前の人生の話だ。」 その瞬間、彼女のベースが僕の中で光の粒のように弾けだし、自由を手に入れた僕の両手は鍵盤の上を彼女の手を取り踊り始めた。彼女は本当に嬉しそうに何回も「うん。うん。」と頷きながら、僕たちの「ブルー・モンク」はエンディングへと向かっていった。・・・・・もう少し続きます。 今夜は、セロニアス・モンク!!アルバムは「セロニアス・ヒムセルフ」残念ながら、「ブルー・モンク」は入ってないのだけれど、ソロピアノの名盤です。ジャズピアニストで一番好きなピアノ弾きは?ジャズのアルバムで一番好きなアルバムは?答えはたくさんありすぎて言えません!になってしまうのだけれど、あえてソロピアノに限定ならばこのアルバム。僕はとにかくモンクが好きで、あまり楽しいことがなかった高校時代に救いのようになってました。モンクの音は、僕の心にいつも鋭角的に入ってくる。それは、あらゆるものの中心であり、また対極のよう。他のピアニストにはない一音の響きがあって、それは全ての異なる感情を内包して僕の意識に楔を打っていく。僕の心の中には今でも、そしていつもモンクの一音がある。なので、ソロピアノ!でも、最後の「モンクス・ドリーム」はコルトレーンのテナーとウェーバーのベースのトリオで、これはソロに負けないくらい素晴らしい演奏です。モンクの鋭角的な音にコルトレーンの繊細な音は非常にマッチしていて、ウェバーのベースがまとめるみたいな。言葉では言い尽くせないモンクの世界は、今でも僕の世界の一部になってます。というよりは、僕の中心になっている。ということで、今夜もお付き合いありがとう。そろそろ、秋の気配も感じる夜です。素敵な秋になりますように。
2010年09月17日
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そんな訳で、路上労働者には異常に辛い夏になっております。しかも、忙しいならまだしも。普通に考えたって、炎天下の中ですよ、庭いじりをしようという酔狂な人はそんなにいないわけです。そんな、花屋モンタの罰ゲームにも似た、安月給炎天下耐久一人我慢大会は果てしなく続くのです。ロマンチックな秋の夜を祈りつつの第三夜。でわでわ、お暇なら! 受け取った鍵を手の中で遊ばせながら、僕は部室へと向かう。この大学は都会の真ん中にあって、いわゆるキャンパスというものがない。だから、綺麗に刈り込まれた芝生に寝転んだり、爽やかな風の吹くベンチで愛を囁いたり、静かな木陰で思索に耽ったりというキャンパスライフを夢見てしまうと、かなりがっかりしてしまうことになる。悲しいくらいに特徴のないビルは、大学の名前が彫り込まれたプレートを見過ごしてしまうと、鳥の頭を持たずとも3歩目で忘れ去られるだろう。どちらかというと、入り口にタイムカードがないのが不思議なくらいだ。部室はこの悲哀に満ちた学舎の屋上にあった。お盆の時期もあって部室には人影もなく、備え付けのアップライトピアノだけが僕を歓迎してくれた。所狭しと置いてある楽譜や譜面台、アンプなどを掻き分けて窓を開けると屋上らしい涼しい風が入ってきた。さほど思い入れもないサークルだったけれど、誰もいない音に溢れた空間は悪くなかった。退部届を机に置いてピアノに腰をかける。キザっぽくて照れくさかったけれど、僕なりの「さようなら」をしようと思った。何を弾こうかとしばらく鍵盤の上に何も考えずに指を遊ばせる。しばらくして自然と浮かんできたメロディはセロニアス・モンクの「ブルー・モンク」だった。カーテンを揺らす夏の風がピアノに合わせてハミングしてるみたいで心地よかった。ふと、頬を撫でる風の流れが変わった。風の行方に目をやると、いつのまにか部室のドアが開いていて、そこにハードケースに抱えられるように立っている見知らぬ女の子がいた。その時、とっさに花を思ったのは、彼女の着ていたワンピースの柄のせいもあるが、短めの髪に大きな瞳でハードケースを背に凛と立つ彼女は確かに美しい花を連想させた。驚いた僕が腰を浮かせると、彼女は形の良い唇に右手の人差し指をあて、左手で”そのまま”と僕を制した。彼女は「タンタンタン」と、ピアノに合わせてリズミカルにつぶやき、近くのパイプ椅子に腰を掛けると慎重すぎるくらいの丁寧さでベースを取り出し、アンプを引き寄せてコードのプラグとヘッドフォンを差し込んだ。磨き上げられたサンバーストのフェンダー・ジャズベースは夏の空を美しく映し出し、彼女の膝の上で楽しそうに笑っている。どうみてもアンバランスな組み合わせも、まるで仲の良い双子のように見えた。相変わらず「タンタンタン」とリズミカルにチューニングを合わせると、今度は瞳を閉じて僕の音と自分の音の距離感を確かめるように細い指を太い弦に走らせる。そして、僕のピアノが佳境に入りかけた瞬間、首を左右に激しく振ってヘッドフォンを外すと同時に右足でコードを蹴り上げた。柔らかなワンピースの花が揺れると部屋の空気が重低音に弾けた。彼女は「良し!」と大きな声を出すと、僕を見て微笑んだ。その微笑みはハードな音色が一層引き立てる、美しい花そのものだった。・・・・・まだ、続く。 ということで、もう少し続くのですが・・・・・勘弁・・・・。今夜はパット・マルティアーノ「EXIT」から「COME SUNDAY」です。初めて「COME SUNDAY」を聴いたときに「40才くらいで、この演奏が似合う男になってればいいなぁ!」と真剣に、そりゃ真剣に思ったものです。数あるギタリストの名演の中でも、この演奏は特別なのです。聴いていると、あらゆる感情が波のようにやってくるみたいな。果たして、この演奏が似合う男になれる日は来るのか!!!う~~ん、まだ難しいね。と言うことで、秋の到来を期待しつつ眠るのです。まだまだ、罰ゲームは続きそうだけれど。それでは、続きはまた近々!読んで下さる方にはホントに感謝です。おやすみなさい。
2010年09月07日
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さて、さて、続きです。なんか、一つの事を思い出したら、次々と走馬燈のように思い出してしまって。人生を駆け巡る走馬燈はちょっと早いとして、とりあえず思い出すままつらつらと。なので、長くなったらごめんなさい。読んで下さる方には最大級の感謝を!それでは、第二夜。・・・・何夜までいくのだろう・・・・。 うだるような夏の日、付き人やアルバイトで忙しく幽霊部員も同然だった僕はサークルに放置してあるわずかな荷物を引き取りに、半年ぶりにジャズ研に顔を出した。 前日の電話で、部長の田崎さんに退部の意志を伝えた。「そうかぁ、モンタ辞めちゃうのかぁ。」電話の向こうで、田崎さんが飄々とした声で言う。「そうだな。腰を入れてやるのなら、付き人一本でやった方がいいかもね。モンタが辞めちゃうのは寂しいけれど、残念ながら俺には止める理由が見つからない。」彼は電話の向こうで笑いながらタバコに火を付ける。 昔は名門と言われたサークルも今や名ばかりになってしまっていた。楽器よりも、遊ぶ方が大切な連中との温度差は僕を孤島に置き去りにしていった。ある日、大学合同の大きなライブイベントが一ヶ月後に迫っても、なかなか腰を上げない先輩たちに僕の不満が爆発した。その瞬間、僕は自分の椅子を失ってしまった。 話したこともない部長から学食に呼び出されたのは、それから数日経ってからのことだった。週に一回、顔を出せば良い方で、サークルの雑務は副部長に任せっきりなのだが、彼が顔を出すと自然と人が集まった。入りたての僕は話の輪には加われず、いつも遠くから見ているだけだった。学食のテーブルの上に置かれた灰皿とコーヒーカップが離れ小島のようで、僕は少し寂しくなる。「モンタ聞いたよ。お前暴れたんだって。」部長の言い方があまりにも自然で、どこか飄々としていて、緊張した心と固まった身体を溶かしてくれた。「僕は、ただジャズがやりたいだけなんです。」声がスムーズに喉から音になった事に自分でも驚いた。タバコの煙を揺らしながら部長は優しく微笑んでいる。「僕は海にも山にも行かなくてもいいんです。ただ、ジャズがやりたいんです。」部長は自分の言葉を確かめるように少し間を置いて「モンタの言うことも分かるよ。でもね、ここは大学のサークルなんだ。みんながみんなモンタみたいに考えてる訳じゃないよ。遊び半分で学生生活を楽しみたい。それだって間違った考えじゃないぜ。」「まぁ、ジャズやってるって言ったら女にモテそうだしね。」部長はとぼけた顔を作りながら笑った。つられて僕も笑顔になる。なぜ、この人の周りに人が集まるのかが分かるような気がした。「言い過ぎました。部長の言うこと分かります。すいませんでした。」と、僕は頭を下げた。部長は美味しそうにコーヒーを飲みながら新しいタバコに火を付けた。「あいつらだって悪い奴らじゃないんだよ。」「はい。モテたいのが少し強いだけですよね。」「そうそう、遊び盛りなんだよ。モンタと違って。お前はちょっと固すぎ。」「そういう、部長はどうなんですか?」「そいつはお袋に聞いてくれ。多分、お前の爪の垢を欲しがるだろうよ。」「それじゃ、お世話になってるお礼も兼ねて、小瓶に溜めてお袋さんにプレゼントします。」「よしてくれよ。俺は人一倍女にモテたいんだ。」今度は二人で同時に笑う。そして、椅子を僕の方に寄せて、バックからノートを取り出すと「熱いジャズ少年に心ばかしのプレゼントだよ。」と田崎さんから手渡された紙には知らない名前と電話番号が書いてあった。「何ですか、これ?」と僕。「ライブがただで楽しめる魔法の番号さ!しかも、とびきりのやつだ。」とぼけた顔で嬉しそうに彼は続ける。「とにかく、ダイヤルを回して俺の紹介だと言えばいいよ。それで、モンタの数多い悩みの一つは解消されるはずだから。」そう言うと、悪戯っぽくウィンクをして僕の肩を軽く叩いた。僕とお師匠さんの橋渡しをしてくれたのが田崎さんだった。付き人が忙しくなり、次第にサークルとの距離を置き始めた僕に、それでも田崎さんはマメに電話をかけてきてくれた。「お~い、飯はちゃんと食ってるかぁ。」それが、彼の決まり文句だった。それは僕にとって、心が温かくなる魔法の言葉だった。「俺は実家暮らしだからさ。遠慮すんなよ。貧乏学生。」彼と音楽やとりとめのない話をしながら食事をするひとときは、僕にとって何よりのご馳走だった。 翌日、部室の鍵を受け取りに待ち合わせの学食に行くと、いつものように黒いジャケットと黒いジーンズ、AC/DCのロゴ入りTシャツを着た田崎さんがいた。その服装が彼の定番で、と言うより僕はその服装しか見たことがないのだけれど。だから、最初の頃は彼を見るたびに、クローゼットの中に1ダースのAC/DCのTシャツと1ダースの田崎さんがハンガーで吊されているような妄想をしたものだ。定番だけあって、細身で長身の身体にぴったり似合っている。肩まで伸ばした黒髪も一見するとジャズドラマーには見えない。まるで、絵に描いたロックスターだ。鍵を受け取ると「俺も後で部室に行くから待ってろよ。久しぶりに一発やろうぜ。」親指を突き立てて、ニヤリと笑うと忙しそうに何処かへ行ってしまった。去り際に「それから・・・。う~ん、まぁ、いいや。とにかく後でな。」と意味不明な言葉を残した。・・・・・・続く ますます乱文・駄文・時の運はご容赦のご勘弁。最後まで付き合って下さった方に最大級の感謝と愛を!それにしても、昔の事なれどよく覚えているものだと自分に感心です。続きは近々。もし、よろしければ。おやすみなさい。暑さに負けないで。
2010年08月24日
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千代丸ねぇさんが無事出産!のまことに目出度き知らせに、ここ最近の 身体的、精神的不調も吹っ飛ぶってな話ですよ。世界がいつも良い知らせで溢れていれば良いのになぁ・・・。幸せ気分に包まれて、花屋モンタは一人の女の子を思い出したのです。女の子にとんと縁のなかったジャズ時代。それでも、二人の女の子が僕の女子不毛時代を彩ってくれました。一人は、以前このブログで書いた「こと子」というヴォーカルの女の子で、もう一人はとってもいかしたベース弾き。もう、二十年も前の話だから、いくぶんおとぎ話めいてはいるけれど。思い出したからには書こうかなと。 ということで・・・。 さて、さて。 自分の気持ちを誰かに伝えるという事は難しいもので、考えれば考えるほど、悩めば悩むほどに迷宮に入り込んでしまう。助けてくれるはずの言葉は壁となって立ちはだかり、見えない糸となって、あがけばあがくほど自分自身を縛っていくのだ。そして、希望という名の船は言葉という霧の中、たどり着くべき港を見失い大海原を漂い続けることになる。あぁ・・・・。「考えても仕方がないのだ!考えるな、感じろ!」と偉人の言葉を踏み台に勢いつけてジャンプしても、自分と誰かの間には、とても薄いフィルターがあって、本当に大切なことだけがいつも取り残されてしまう。掴めそうで掴めない夏の雲のようにもどかしさだけが残る。 「愛してる!」 それが、こんな言葉なら尚のこと。これは、僕がまだとても若くて、ジャズという希望だけでお腹を満たしていた頃に出会った、言葉の神様の意地悪に悩む女の子の話。彼女の名前はひな子と言う。彼女はベースを弾いていた。小柄で可憐な彼女の印象からは(彼女の可愛らしい服装も含めて)、おおよそ「ジャズ」の匂いを感じる事は難しく、ましてやベースという楽器になると、想像力は間違いなく白旗を振ることになる。フェンダーのジャズベースを肩から下げた彼女を見ると、まるでベースという生き物に抱きしめられているようにしか見えないのだけれど、ひとたび彼女の細い指が弦を撫でると周りの空気を変えてしまうのだ。彼女の音は重く、ラインの早さはずば抜けていた。多少、主張の強すぎるきらいはあったものの、ベースから音楽全体をコントロールしてしまう激しさは彼女の敬愛するミンガスのようでイカしてた。古い言い方で照れ臭いのだけれど、「イカしてる」という言葉が一番しっくりくるのだ。 思い込んだら命がけ!即断即決・即実行!という、まこと男前の性格も、彼女のプレイスタイルに微笑ましいほど似合っていた。お花畑のような容姿とは裏腹に、何事にもスピード感溢れる彼女の事を、僕は密かに音速少女と呼んでいた。そんな魅力的な彼女ゆえに、無残に散っていった勇者の多かったこと。僕の知る限り、両手で足りないくらいの勇敢な戦士がそれこそ音速で砕け散っていった。僕が彼女に恋をしなかった事を神様に感謝したくらいだ。彼女にとって、腕を組んで歩く相手はフェンダーのジャズベースでしかなく、甘い言葉を囁く相手はセッション相手の「音」だけだった。ただし、軽薄に愛を囁こうものなら、すぐさまひじ鉄が音になって飛んでくるのだけれども。 ・・・・・続く。 ということで、長くなりそうなので続きます。んで、アルバムはジャコ・パストリアスの「ワード・オブ・マウス」から、最後の曲「John & Marry」 ベースで何でも出来る人!というのが変わらぬ印象。ウエザー・リポート時代のピーター・アースキン(Dr)とのコンビも最高だったけれど、やっぱりこのアルバム。編曲も美しい、そしてトゥーツ・シールマンスのハーモニカが凄く効いている。彼のハーモニカをメインに持ってくるあたりがセンスなんだなぁ。最後の曲はとても温かくて、ジャコの人となりを表しているみたい。この曲を聴いていると幸せな気持ちになって、良い知らせが届くような気がします。今夜は良い夢が見られそう。でわ、でわ、続きは近々。駄文・乱文でよろしければ・・・。おやすみなさい。
2010年08月02日
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それは、夏の日で。とても、とても暑い日で。前の日のテレビでは「明日は今年一番の暑さです。」とか何とか。僕らは池袋の大きな公園に明け方の5時。夏の夜明けはとても早くて、小鳥たちは待ちきれないように歌い始めていた。帰る人、これから出かける人、自衛隊の勧誘員、正体不明の酔っぱらい、抱き合う男と女、または男と男。たくさんの人達が、それぞれ、たくさんの時間を胸一杯に抱えて白みがかった空の下、誰に言われた訳でもないのに。僕らはこ汚いベンチに座って、僕は缶コーヒー、君は確かコカコーラを飲んでいた。話疲れた僕らの間に、僕のタバコの煙だけがユラユラと揺れている。君はタバコを吸わなかったから、さぞ手持ちぶさただったろう。君が夜の匂いを引き継いで僕に話す。「本当に辞めちゃうんですか。」僕は夏の朝の少し湿っぽい匂いを煙りと一緒に吸い込んで答える。「うん。決めたんだ。」「どうにか、ならないんですか。」 「どうにもならんね。」電車は動き始めたばかりの気だるさで、朝の空気を切り裂いていく。僕は入道雲を想っている。そして、海に行こうかと考えてみる。「・・・お願いします。辞めないで下さい。」「僕は多分やっていけないです・・・。」君の力ない言葉で僕の海はかき消される。「君は十分やっていけるさ。」「そして、3ヶ月もすれば、すっかり元通りさ。」君は飲み干したコカコーラの缶を握りつぶし、噴水めがけて思いっきり投げた。噴水に腰掛けて抱き合っていたカップルがこちらを睨み付ける。君は大きな声で「あなたは何も分かっていない。」そして、バックを手にすると駅に向かって早足で歩いて行った。残された僕は、今度は驚いてこちらを見る噴水のカップルに片手を上げて謝り、君の細い背中を見えなくなるまで眺めていた。それから、タバコを一本取り出して火を付けた。もう一度、海を想った。真っ白で大きな入道雲と真っ青で透明な海を想った。砂は熱く焼けていてサンダルがなければ歩けないくらいだ。僕は真夏の太陽を、その海の匂いを何とか思い描こうとした。 でも、上手くいかなかった。僕の海は永遠に消えてしまっていた。炎はタバコの半分を染め上げ、その先端は蛍の光を思い起こさせた。僕はタバコを蹴り上げる。小さな火花が一瞬、夏の花火のように輝いて、瞬く間に消えていった。しばらく、花火の消えた空間を見つめて、残りのコーヒーを飲み干すと、朝を急かす駅に向かって歩いて行った。海のことをもう一度考えようかと思ったが、代わりに口笛を吹いてごまかした。 夏になると決まって夢に見るのです。花屋モンタです。暑いですから、みなさんお気をつけて!!
2010年07月30日
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何か、自分が理不尽に不当な扱いを受けているって感じがするとこれは、もう、いけないのね・・・。周りが敵だらけに見えてしまうのです。もう、7人の敵どころじゃなくて、敵兵だらけの大運動会みたいな・・・。と、言うところで、だいぶん調子が落ちてきた。いい具合に落ちてきたところに、銀座の宝石屋さん。夏は活け込みいらないんだと。ユリがもたないから止めるんだと。4700円が勿体ないんだと。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 なので、最後の活け込みはドォーンと派手にドドォーンと派手に はい!4700円なり。 ・・・・・なんだかお疲れチック・・・・。・・・・・花までお疲れチック・・・・・。・・・・・寝ます・・・・・・。
2010年07月01日
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「Clair De Lune」 Alexis Weissenberg 例えば、静かな水面に小石を一つ放ってみる。小さな輪がゆっくりと広がっていく。水は穏やかに揺れている。 例えば、初夏の午後。 開けっ放しの窓のカーテンが風を孕んで緩やかにはためく。 小さな女の子が花を撫でようとしてお母さんにたしなめられる。「お花を触っちゃいけませんよ。」女の子は少しだけ顔を曇らせて、伸ばした小さな手を引っ込める。そして、バツが悪そうに僕を伺う。「大丈夫ですよ!」と、僕は年若いお母さんに笑顔で話しかける。小さな女の子に歩み寄って「触っても大丈夫だからね。」と、白いマーガレットを彼女の目の高さに持って行く。女の子はお母さんの笑顔を確認して、僕の笑顔を確認して、ゆっくりとマーガレットに手を伸ばす。「良かったね。いい子いい子するんだよ」お母さんの言葉にやっと安心して小さな手が花を撫でる。そして、舌足らずな言葉で「可愛いねぇ、可愛いねぇ」と、お母さんに満面の笑顔を向けた。彼女の笑顔はまるで花のように揺れている。花は花で、とても嬉しそうに彼女の小さな手で揺れている。街の色が少しだけ変わったみたいだ。自転車のチャイルドシートに乗せられた彼女は、照れくさそうに、はにかみながら「ありがとう」と言って手を振ってくれた。小さな手が柔らかく揺れるたびに、小さな笑顔が花のように揺れるたびに、僕の中の水面もゆっくりと揺れてゆく。初夏の心地よい風が僕に何かを運んできてくれる。 ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」は、僕の大好きな揺れ方をするのです。特に出だしの4小節は限りなく僕の幸せに近い心の揺れ方をする。それは、ふとした瞬間に僕の好きな空の色だったり、風の匂いだったり、好きな人を自然と好きだなと思えたりする事。分け合った綺麗な石や、分け合ったイチゴや、分け合った想いや、分け合った心が重なっていく事。そんな心のゆったりとした揺れ方に幸せを感じるのです。 それにしても、「亜麻色の髪の乙女」の邦題はちょっと頂けないなぁ・・・・。と昔から思うのですが・・・。ついでに、ワイセンベルグのジャケットも頂けないので、もうちょっと格好いい写真を最後に!! うん!ピアノ弾き!!
2010年06月05日
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風邪でもないのに微熱が続いているのです。「微熱少年」なら絵になるものを、「微熱おっさん」ではさすがに煮ても焼いても食えないのです。トムとジェリーが喧嘩を始めてから、「なぜにトムとジェリーは仲良くできないのだろう」と考え始めたのが運の尽き。一つのチーズを分け合うには、チーズが小さすぎるのか・・・はたまた・・・。トムとジェリーが仲良くなれば世界はもっと平和なのだ。そんなことは、トムもジェリーもよく分かっていて、それでもトムとジェリーは追いかけっこをする事を止められない。僕が何かを言ったにしても「余計なお世話だ!」と噛みつかれるのがオチだから。きっと問題は、彼ら自身がそれをよく知っていることなのだ。それでも彼らは止まらないし、止めるつもりもない。抱きしめ合うスヌーピーとウッドストックを横目で見ながら、彼らの追いかけっこは永遠に続くのだ。やれやれ・・・・。そして、僕のおっさんの微熱も一向に下がる気配もない。 そんな微熱にはベタな一枚が特効薬。 あぁ・・・顔は男の履歴書です!!!!アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」まぁ、ベタっていったら、これほどベタなアルバムもないのだけれど、やっぱり格好いいのです。アート・ブレイキーのドラム馬鹿一代!みたいな潔さにしびれるのです。んで、僕のかなりのジャズヒーロー!リー・モーガンのペットが冴えまくってる。やっぱりスターだね!フレーズも音の発色もずば抜けてるし、それを温かく見守る風味のベニー・ゴルソンのテナーも決まってる。ボビー・ティモンズのゴスペルみたいなファンキーなピアノもアート・ブレイキーのドラムに良く合っていて、ジミー・メリットのベースと共に力強く底を押し上げる。ベタ過ぎるくらい有名な曲なので、そして、各自のアドリブも分かりやすいので(しかも格好いい!!)、ジャズを聞き慣れない人でも楽しめること間違いなしです。それにしても、「ドラム・サンダー・組曲」なんか聴くとホントに「ドラム馬鹿!ここにあり!!」みたいな感じで嬉しくなってくる。んで、トリは「Come Rain Or Come Shine」日本語タイトルは「降っても晴れても」なんだ、そうだ!人生も「降っても晴れても」だよ!!「気にすんな!坊主!!」と、アート・ブレイキーに肩を叩かれた夜なのでした。
2010年05月31日
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もうね・・・一歩も進まないのです・・・。なんか、こうね、身体と精神がバラバラみたいで。身体が鉛のようで、首から上に80キロくらいの鉄球がくっついているみたいで。職場の悩みもあるのだけれど。なので、活力剤。 エリック・ドルフィーの「AT THE FIVE SPOT Vol.1」ジャズを聴き始めの頃は、正直言うとチャーリー・パーカー聴きながら夢の中でした。だって、何やってるか分かんなかったんだもん。んで、図書館の視聴コーナーでジャケットの格好良さに惹かれて手にした一枚がこれ!!まさに僕にとってのジャズのイメージだった。んで、レコードに針を落とすと、演奏前の客のざわめきが聞こえてきて、それを遮るようにマル・ウォルドンのピアノのリフが。続いてドルフィーの癖のあるアルトの音が一気にテンションを上げて襲いかかってくる。そんな感じ。おっ!!なんだ!!なんだ!!の感じで自分がまるでファイブ・スポットの客席に居るような錯覚を覚えたんだ。理屈抜きに格好良くて、新しい世界の扉が開いた。それまで、頭で理解しようとしていたジャズが身体全体で心全部で理解した感じなのです。あの衝撃は今でも忘れない。感じることで扉の向こう側に行けた気がする。ちなみに、ブッカー・リトルはリー・モーガンやブラウニーほどスター性はないけれど、僕の大好きなペット吹きです。エキセントリックなドルフィーのアルトに理知的でスマートな彼のペットは良く合っている。ジャズの名コンビってたくさん居るけれど、僕の中ではいまだにドルフィー・リトルのコンビが最高です。この時ばかりは、あまり好きではないマル・ウォルドンのピアノも良い具合にはまっている。・・・と、書いてきましたが、やはり頭の中に大きな虫がいて飛び出してきそうな勢いなので、この辺でやめます。早く調子が戻りますように。今夜はドルフィーの力を借りて・・・・・。おやすみなさい。
2010年05月24日
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誰にでも居心地の良い場所というものがある。心穏やかにくつろげる場所。世界で一番安心できる場所。そこは一年中、春の日だまりのように温かで、優しい風が吹いている。鼻先に柔らかな日差しの匂いを感じる。知らず知らずのうちに身体がフワフワと軽くなっていく。彼女にとって、僕の膝の上というのは、まさに理想的な約束の場所なのだろう。本を開いているときも、書き物をしているときも、まるであつらえた椅子に座るようにお構いなしに、気がつけば僕の膝の上にいる。そして、僕の顔をチラリと覗いては「当たり前でしょ!」と言わんばかりにアクビをするのだ。膝の上で、短い髪の黒い身体が小さな寝息に合わせてに上下に揺れている。僕は苦笑いで彼女のしなやかな身体を撫でる。柔らかな風が僕らの間を通り抜けていく。僕は読みかけの本を閉じて、風の行方を追う。彼女も少しだけ目を開き風を追いかける。光の粒が弾けて、木々の若葉がいっせいにお喋りを始める、そんな穏やかな春の午後。ただ、それだけのことで僕たちは一つになれるのだ。夕方になると料理のできない彼女のために僕が台所に立つ。作ってる最中、彼女はずっと僕の足下にまとわりついている。そして、作った料理を小皿に取り分けて、お気に入りの音楽を聴きながら食べるのだ。お腹いっぱいになった彼女は僕に寄り添いながら、じっと聴き入っている。言葉がなくとも、僕は彼女を感じることが出来る。優しい月の光が部屋を包む頃、僕らは一緒にベッドに入る。グレープフルーツのような月が美しい彼女を照らし出す。僕らは眠りが訪れるまで言葉のないお喋りをする。 僕たちは深いところで繋がっている。世界中が背中を向けても僕だけは彼女の味方なのだ。それは、とても幸せなことで世界とは関わりのないおとぎ話だ。きっと、運命というものが実在するとして、それは僕らの勝手知らないところでレールを敷いていくのだろう。それでも、僕は彼女を愛しているのだ。変わらずに、この先も。そんな事にはおかまいなしに、今も彼女は僕の膝の上で眠っている。少し笑いながら、幸せそうに・・・・・。 花屋モンタです母の日です忙しいですくたびれチックですなので、癒されるのはこれ ボサノバの名盤「ゲッツ・ジルベルト」ボサノバは夏みたいなイメージが強いけれど、春の穏やかな日、すごくすごく合うのですジョアン・ジルベルトの優しい声とスタン・ゲッツの歌心たっぷりのサックスが見事の一言。この二人に奥さんのジル・ジルベルトが華を添えて言うことなしの百点満点それにしても、スタン・ゲッツという人は本当に凄い。ジャズ云々よりも、歌というものを本能的に分かっているんだね。人間的にはかなり情緒不安定だったらしいけれど・・・・。んで、聴くならやっぱり一曲目「イパネマの娘」さ。実は、むかし大好きな女の子がおりまして、このCDをプレゼントしたことがあるんですいつも、CDをプレゼントするときは、その人をイメージして選ぶんだけれど、この時ばかりは僕の気持ちをジルベルト夫妻が語ってくれてたのです。「若くて、背の高いとびきりの美人が僕を気にも留めずに歩いて行くよ~~」みたいな。さて、メッセージは届いたのでしょうか・・・・なので、疲れた体に、嬉し恥ずかし癒しの一枚春のボサノバも良いですよ。しいて言うなら、冬にこたつでアイスクリームを食べるみたいと、思う花屋モンタでした。おやすみ~~~~~なさい
2010年04月26日
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もうね、何をやっても許してしまう相手というのがいるものなのですどんなにワガママを言われても許してしまうのです許さざる得ないのですそんな、僕の愛しの君は そう、プリンス君シンセの音が???だったり、曲自体が?????だったりもするのだけれど、何故か好きもう、大好き抱いて欲しいほど好きなのですなので、風邪も治ったので朝から「レッツ・ゴー・クレイジー」や「KISS」なんかでお出かけするのです。お出かけしたからには花屋の話は久しぶりうちの店には「園芸部」というものがありまして、あっつい社長と僕の二人きりなのは内緒の話。かつては、那須の塩原の高級別荘なんかに植え込みに行ったわけです。んで、実に2年ぶりの園芸部出動今回の指令は南青山の高級マンション入り口に「わすれな草」を200ポット植え込み。 まぁ、南青山で「わすれな草」どうなんだろうという疑問はさておいて。まぁ、社長得意のパワープレイで客の意向は移行して、社長の威光で行こうかなは、さておいて。心配顔のお客さんを横目にせっせせっせと植え込んでいく。気がつけば、入り口いっぱいに広がる青い青い自然の絨毯。小花が風にさわさわと、青山通りに魔法をかける。お空は飛ばない絨毯だけど、お空の青をいっぱいその身に詰め込んで、やっぱり魔法の空飛ぶ絨毯。今回は僕が魔法使い。空を地上に持ってきた。心配顔のお客さんも魔法にかかってご満悦。さて、さて次なる園芸部の仕事はというと、全く持って予定なしなのですなので、花屋モンタは魔法使いになるべく虎視眈々と次を・・・・・。あぁ、でも、やっぱり御徒町は中々放してはくれない模様 さて、例えば雨の日曜日。僕はパソコンを開いて好きな事を書いている。膝の上には大好きな人がスヤスヤと寝息をたてている。彼女の短い髪が膝の上でかすかに揺れる。安心しきって眠る彼女は猫みたいだ。僕は幸せな気持ちで髪をそっとなでる。すこしだけ笑ったみたいだ。世界が崩れ去ろうとも僕らは幸せでいつまでも双子の猫のように寄り添う。などと、幸せな妄想に耽る夜のお供は 大好きなビル・エヴァンスの「アローン」ビル・エヴァンスは不思議な人で、ジャズのフォームを借りて、別の世界を表現する人は多いけれど、彼はきちんとジャズで別の世界になっている。傑作アルバムがたくさんありすぎて、どれを紹介してみても外れはないのだけれど、幸せな雨の日、聴くならば一曲目の「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ 」 美しく、切ないバラードをさらに別の世界で演奏してます。 ビル・エヴァンスの演奏は懐が深いので、どんな感情にも合わせてくれる。 だから、何を聴いていいか分からなくなったときは迷わず聴いてみてください。 明日も東京は寒いです。 風邪などひかないように。 おやすみなさい。
2010年04月22日
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夢の中で僕は彼女と南の国にいる。彼女は空色のワンピースを風になびかせ僕を見て微笑んでいる。風は穏やかで、彼女はとても幸せそうだ。夕日が世界の向こう側にゆっくりと落ちていく。僕らはただ微笑んで見つめ合っている。 夢の中で僕らは東長崎のアパートに帰ろうとしている。僕は彼女を自転車の後ろに乗せている。僕の腰に手を回して、僕らは夜の道を走っている。彼女は嬉しそうに星を見ている僕にはそれが分かる。前かごに乗せたスーパーの袋も嬉しそうに笑っている。 夢の中で僕らは夜の上野公園にいる。花見の客もまばらな深夜にしっかりと手を繋いで散り際の桜を眺めている。そして、大きな幹に両手を回してかつて偉大な画家の幸せな写真を真似している。残り少ない桜の花が僕たちを祝福している。 夢の中僕らはとても幸せで、そこには色んなものが溢れている。厚く覆った雲でさえ温かな予感に満ちている。そして幸福は永遠に続いていく。 夢の中では彼女の笑顔はいつも僕の隣にあって手を伸ばせば触れることが出来る。手を伸ばせば彼女の肩を抱きしめることが出来る。そして言えなかった言葉を囁く事が出来る。そう、夢の中では。 日替わりお天気ですっかり風邪をひきました、花屋モンタです。夢を見たのです。なかなか幸せな夢でした。大好きな女の子が出てくる夢で少しは調子が戻ったのです。彼女は僕の魔法使い。黒いマントを制服に変えて、僕に幸せな呪文を唱えてくれる。そして、今夜はもう一人。 ねぇさんから、恥ずかしながらも、もったいなくも、ジャズ評論のお墨付きを頂いたにも関わらず、今夜もクラシック。今夜はグレン・グールドの「ゴルトベルグ変奏曲」!!・・・・ではなくて、モーツアルトのピアノソナタ第10番ハ長調。好きなんです。彼のピアノ。音の輪郭がはっきりしていて、ほとんどペダルを使わない。作曲家の意志は平気で無視するわ、リズムを勝手に変えちゃうわの無茶ぶり!!それでも、彼のピアノは音自体が生きてるみたいに響いてくる。最初は聴いてて気持ち悪かったくらい。バッハ好きは有名で、特にゴルトベルグ変奏曲は圧巻を通り越して凄まじいけど、僕は彼の弾くモーツアルトも大好きなんです。彼自身はモーツアルトに否定的みたいだったけれど。彼の下手な装飾を省いたモーツアルトを聴いていると反対にモーツアルトがいかに優れた音楽家だったかが良く分かる。彼の弾く甘くないモーツアルトは極上のエスプレッソみたいで大好きなんです。と、風邪で調子が悪くなってきたので今夜はここまで。おやすみなさい!さぁ、今夜も素敵な夢を見るのだよ。
2010年04月15日
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今日は嬉しい日。大切な人の一方通行の便り。どうやらサイコロの目が7で止まったらしい。そんな嬉しい春の夜。 頑ななくらい真っ直ぐで、強くて、その何倍もか弱くて、人生という得体の知れない化け物に常に真剣で、人間という得体の知れない感情に常に真剣で、だからこそ生きづらくて。彼女は僕の励ましや喜びなど必要ないのだと思う。それどころか、沸き上がるは嫌悪という感情だけだと思う。それでも、僕は嬉しいんだ。涙が出るほど嬉しいんだ。一方通行の彼女の便りは満開の桜を僕に運んでくれた。それがどのような種類の感情であろうと、見えない糸で繋がっている。確かに、昼の星は目には見えない。今夜は最上級の幸せでおやすみなさい・・・と、思ったのだけれども、眠れそうもないんで・・・・今の気分はこんな感じの まさに、ジャケット通り内容もファンキーで格好良し知らず知らずに踊り出すようなジミー・スミスのオルガンはジャズの楽しさを理屈抜きに教えてくれる無理矢理ダンスを強要されても興ざめしてしまうのだけれど、彼のオルガンは「踊りたいやつは踊ってもいいぜ」そんな感じで自然体のファンキーなのです。照れくさくて踊れない人も彼のグルービーは優しく包んでしまう。今宵はしばし、ジミー・スミスに祝福されながら・・・・今夜は少し踊ろうかな
2010年04月04日
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(サティ・ピアノ・ワークス ピアノはパスカル・ロジェ)クラシックが無性に聴きたくなるときがあるのです。もう、そうなると数少ない名曲コレクションから「なんでもいいやえいっ」ってな感じでMP3プレイヤーに放り込んで御徒町を闊歩するのですそんな僕はClassic Weekに突入でも、だいたい聴く曲は決まっていてラベル・ドビッシー・ストラビンスキー・サティをメインディッシュにバッハ・モーツァルト・ショパンなどがサイドメニューという「お手軽クラシックコース」ジャズやブルースは僕にとって血肉のようなもの。クラシックは・・・薬です。凝り固まった感情をほぐしてくれる薬のようなものなのです。心の奥底を揺さぶって、絡み合った感情の糸を正常な状態に戻してくれる。例えば、サティの「グノシェンヌ」や「ジムノペディ」を聴くとき、僕は想像もつかない場所にいる。例えば、ドビッシーの「月の光」や「亜麻色の髪の乙女」を聴くとき、僕は忘れ物を思い出す。例えば、バッハの「ゴルトベルグ変奏曲」や「無伴奏チェロ組曲」を聴くとき、僕は身体が軽くなっていくのを感じる。言えなかった言葉や伝えたかった想い。あの日の情景が鮮やかに浮かび上がる。泣いたこと、笑ったこと。 泣きたかったこと、笑いたかったこと。春の夕暮れは甘い匂いに包まれて、秋の陽射しは慎ましく切なかった。夏の焼け付く太陽はそれ自体の香りが強く、冬の重い雲の中に誰かの温もりを感じて。あらゆる現在や過去の感情が波のように押し寄せて、感情の渦は僕の中の毒を消し去ってくれる。僕は僕の右手を右手と感じることが出来る。僕は僕の心を僕の心と感じることができる。僕は自分の翼を感じることが出来る。僕は、まだ飛べるのだ・・・・きっと。 ということで、Classic Weekはあんまり良い状態とはいえないのですが、毒も彼方に去った模様そんな僕の叶わぬ望みの一つがショルティ指揮のストラビンスキー「春の祭典」を生で聴きたかったのです。ショルティの「春の祭典」はジャズのお師匠さんに教えて貰ったのだちなみに、紹介したアルバムは僕が初めて買ったクラシックのアルバムです。これも、エイヤッって感じで買ったのを覚えてます基本、クラシックはエイヤッで聴いたり、買ったりするのです今夜もクラシックの夜は続いているので、エイヤッってな感じで眠るのですおやすみなさい
2010年04月02日
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「カノン」はハッペルベルが作曲した超有名なクラシックの名曲。僕はこの曲が大好きで、特に12月になると無性に聴きたくなるのです。今は3月だけど、今夜はハッペルベルの「カノン」そして、カノンは僕が大好きな女の子の一番好きな曲。 人に思いを伝えるということは中々難しいもので、それが好きな人となると尚更。軽口はいくらでも言えるのだけれど、本当の気持ちを伝えようとすると言葉が喉に引っかかって上手く出てこない。そして、タイミングの悪い恋愛が一つ。彼女は僕のはす向かいにあるお店で働いていた。軽い挨拶から言葉を交わすようになって、いつしか彼女の黒い制服を目で追うようになっていた。明るく元気で、気が強く、それでいて、どこか頼りなげで寂しげな彼女の笑顔は水が地面に染みこむように僕の色を染めていった。初めて言葉を交わした日から、桜が咲き、雨がアスファルトを湿らせて、蝉の声も遠くに聞こえる頃、恋に落ちている自分に気がついた。 ゆっくりと、少しずつ。まるで、桜の花びらが地面に落ちていくように、柔らかな雨が空から静かに降りてくるように僕は恋に落ちたのだ。ときおり、目が合うと微笑えんでくれる彼女の笑顔はかけがいのない僕の宝物になった。自分の気持ちが大きくなるにつれ、反対に口から出る言葉は軽いものになっていく。そして、彼女と話すたびにもどかしさだけが残った。彼女は誰にも優しかったし、微笑みは僕だけのものではなかったから、本当の気持ちを伝えて関係が壊れるのが怖かった。それでも、僕は彼女と色んな話がしてみたかったし、何よりもその笑顔を自分だけに向けてほしかった。夏の日、思いきって知り合いの店に食事に誘った。待ち合わせに現れた彼女は少し恥ずかしそうで、その分いつもよりお喋りだった。綺麗な色のワンピースが背の高い彼女によく似合っていた。隣を歩く楽しそうな彼女を横目で見ながら、僕は久しぶりに幸せな気持ちで歩いた。いつもの見慣れた街が見知らぬ風景に見えるほどに。二人でお酒を飲みながら、くだらない話で僕らは笑った。頬を染めながら、一生懸命話してくれる彼女はいつもに増して綺麗だった。店の明かりを消してからは、知り合いも加わりとりとめのない話で笑いあった。終電もなくなり、お互い翌日の仕事のために、僕は彼女をタクシーに乗せた。深夜になり、暑さもずいぶんと和らいで火照った顔に夜の風が心地よかった。予期せぬ知り合いの参加で用意してあった言葉は言えなかったものの、僕は満足だった。彼女の笑顔や声、そのしぐさを思い出すだけで幸せで満たされた。 ・・・・と、ここまでは何か良い展開になりそうなお話なのだけど・・・・。数日後に彼女と電話をしていたら、僕の知り合いを好きになったと言われまして。もう、ショックでしたよ。一瞬、電話口で固まるくらいショックでしたよ。その後の会話を覚えていないくらいにね。だって、蝋人形みたいだったんだもん。んで、電話を切った後に僕は近くの公園に行って、死ぬほど笑った。死ぬほど笑った後で、やっぱり彼女のことが大好きな自分がいた。夜の風はすっかり秋めいて、涙を秋のせいにした。それから、タバコに火をつけて知り合いと並んで歩く彼女を想像してみた。悪くなかった。背が高くて、お洒落な僕の知り合いは彼女にぴったりのパートナーに思えた。二人の姿を想像すれば想像するほどに僕の気持ちは後退っていった。そして、フィルターの焦げる匂いで我に返り、僕は口笛を吹きながら部屋に戻った。その夜に限って、タバコの匂いがいつまでもまとわりついた。 カノンという曲は、いくつかの旋律が浮かんでは消えていくのだけれども、主旋律を聴きながら消えたメロディーを感じることができる不思議な曲。追いかけっこという派手なものではなく、今の旋律を消えた旋律が優しく抱きしめるような美しい曲です。決して交わらない旋律なのに、お互いが優しく見守っているような。僕はカノンを聴くと彼女を思うのです。そして、少しだけ幸せになるのです。今夜は3月だけどカノン。
2010年03月22日
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もし僕が、運良く庭付きの家を手に入れたらシンボルツリーはミモザにするのです大好きなんです夢のような花初めて見たときからこの花に夢中なんです。桜には特別な思い入れがあるのだけれど、植えるならミモザ春の風に気持ち良さそうに揺れているミモザを見ていると無条件に幸せになる そして、今日は僕にとって幸せなお客さん。御徒町では珍しい、本当に園芸好きなお客さん。年の頃は50歳くらいで、自分の知識を自慢することもなく、ただ植物について控えめだけど熱心に話してくれる。そんなお客さんは御徒町では珍しいのです。どっちかというと、花が好きな自分が好きなお客さんばっかりだからだいたい、花は人間に綺麗だと思われたくて咲いているわけではなくて、人間を癒す為に良い香りを発してるわけではないのです。彼らは、次の世代を残す事にしか関心がない。それを手助けしてくれる、様々な虫を呼ぶためだけに長い年月をかけて色をまとい、香りを振りまいてるわけなのです。花自体は植物の生殖器でしかない。まったく夢のない話みたいだけれどね。でも、そういうことを全部わかった上で、花の美しさに魅了される人が本当に花好きなのだと思う。花屋が言うのも何だけれど、全く持って環境の違うところに小さな鉢に押し込められて、彼らにしてみればいい迷惑なんだろうなだから、花屋は自然を不自然な形に歪めて商売しているのだとも思うわけです・・・。だから、一生懸命に世話をしなければならんとです自分の環境に植物を近づけるのではなく、その植物の素性をきちんと知り、特性を把握して、自分が植物に近づいていく。真剣に植物と向き合うことは、ただ「可愛い、可愛い」ではなくて、植物と同じ目線で語り合うことなのだきっとね花束やアレンジは、花を束ねたり挿したりすることではなく、お客さんの思いを束ねたり挿したりすることだと思う。そこには確かに贈る人への思いがなければいけない。園芸は植物と対等に尊敬の念を忘れずに真剣に向き合わなければいけない。そう考えると、花屋も深いなと改めて思ったというお話でしたまぁ、何だかんだ言っても単純に花は綺麗なんだけどねんで、そのお客さんが帰った後で、小さな女の子がチューリップの鉢植えをジッと見ていて、目が合って微笑みかけたら、照れくさそうに「チューリップきれい」って走って行ったのさその、女の子が一番正解を知っているような気がして、敵わないなときっと、人間も花と一緒で根本的なところで美しいのだ
2010年03月11日
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今夜は音楽 いつの頃からか心の中に空洞がある。思い出せないくらい昔から。生きている現状が雨だろうと、晴れだろうと、そんなことにはおかまいなしに、心の穴は大きな口を開いている。そして、僕を待っている。僕は満たされることのない空洞と共に生活している。それはいま、この瞬間も。彼女の歌声を聴くとき、僕はそれを強く感じる。彼女が囁くとき、僕は海の中にいる。彼女が叫ぶとき、僕は空を飛んでいる。彼女を感じるとき、僕は親しい友達に抱きしめられている気分になる。彼女の心の中には、僕より遙かに大きくて暗い穴が口を開いている。どんなに素晴らしい音楽を創造しても、どんなにたくさんの賞賛を得ても、彼女の大きな穴を何かで埋めることは出来なかった。いつも彼女は暗い闇の中に呑み込まれてしまう。闇は決して彼女を放しはしないのだ。そして、両手で抱えきれないほどの孤独だけが残った。だから、彼女は歌うしかなかった。いっときでも闇の恐怖を紛らわすためには、絶望的な孤独を振り払うためには。深い穴の底に堕ちてしまわないように。例えば寒い夜、例えば雨の日曜日。自分ではどうしようもない感情に襲われると、僕は目を閉じて彼女の歌声に耳を傾ける。深い穴に堕ちてしまわないように。自分を救うために。 ということで、今夜は僕の好きなジャニスです。彼女の歌声を聴いてると正直こう思う。世の中、歌わなくてもいい人が多すぎる。もちろん、音楽の素晴らしさはそれだけではないのだけれど・・・・・。明日からはまた冬の日。風邪に気をつけて頑張りますそして、おやすみなさい
2010年03月05日
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の、タイトル通り、意外と好調なのです何が好調かって。最近、物覚えが良いのですよもちろん、植物のことなのですがこれが、びっくりするくらいの出来の良さんで、何を覚えるのかと言いますと・・・・。植物の種類って、もぉ~~~、頭から煙りが出るくらいにたくさんあるのです。それを昔々、リンネってぇ偉い学者さんが分かりやすいように分類分けしたわけですよ分類分けって山本山みたいってぇのは置いといて。間違ってたらごめんなさいよんで、例えば菊はキク科だったり、アジサイはユキノシタ科だったり、桜はバラ科だったりするのです。これに、ホントは~属がつくのだけれど。去年までは、これを覚えるのがホントに一苦労で、それこそ頭から煙りどころか味噌が飛び出るくらいだったのです。それがなぜか、なにゆえか、今年はスラスラ頭に入るのだそれに併せて、育成方法までスラスラスラ~~なのですよなんか、頭良くなったみたいな、誤解をするほどに。でも、考えてみれば、これは初めての経験ではなくて、ピアノを弾いてるときも同じようなことがありました。ある課題が弾けなくて弾けなくて、もう弾けなくて・・・・。んでも一心不乱で引き続け、ある日、朝起きたら突然弾けるようになってとかねそういうのって、ちょっとしたご褒美みたいで嬉しい話は戻りまして、別に~科が分からなくても花屋さんは出来るのだけれど(実際、切り花中心の花屋さんは知らない人が多い)~科と育て方をセットにして覚えると、植物全体が見えてくる・・・ような気がする365日、葉っぱを触って、土をいじって、花を見ればどういう状態なのか一発で分かるくらいまで行きたいなぁということで、苗もの専門な僕は遠い港を目指して航海中なのであります。それにしても、幸せ40越えてから学べる喜び仕事が楽しければ、人生の半分以上は楽しいのだから
2010年03月01日
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やってきました金曜日今日もユリを片手に銀座をブラブラエルメス抜けて、コーチを抜けて、食いもんと花屋以外には興味がないのさ小汚い格好した花屋が銀座の街をかっぽかっぽするのだよ愉快、痛快、最高潮んで、今日はピンクのユリとグリーンのみ先週とは少しだけデザインを変えて、同じ高さでラウンド風に。どれ、写真と思いきや、お客さんで撮れませんでしたうん、残念それでも、今回も喜んでもらえたようでひと安心の金曜日なのでしたそれにしても、年を取って良かったなぁと思えることの一つに「あれもこれも」がなくなったこと。若いときは、もぅ、ホントに「あれもこれも」ばっかりで一つも身につかなかった。僕が不器用なせいもあるけれど。おかげで、花屋という仕事を集中してやっていこうと。そう思うと不思議なもので、世界は単純になるのです。もう、驚くほどに見えてくる。登るべき道が見えてくる気がするのです。少し前にテレビ番組で82歳の寿司職人の特集を見たのだけれど、この人は旨い寿司の事しか考えていない。神様と呼ばれてもなお、旨い寿司の事しか考えていない。その道で一流と呼ばれる人たちはそうなんだろうなぁ。僕の尊敬する植村直己や村田兆治なんかも、自分のやるべき事しか考えていない。人からどう思われようが、人がいかに賞賛しようが基本的に関係ないんだろうね。自然体で、余計な力を抜いて、自分のやるべき事に集中する。そういう境地になるのには中々大変なのだけれど、40を越えてやっとスタートラインに立てたような気がする。まだまだ、修行の途中だけれど、この年になって色々な事を勉強できたり感じたり考えたり出来るのは本当にありがたいのだ。涙が出るほど嬉しいのです。自然体で、本当に自然体で立つことが出来れば、世界の有り様はおそろしく単純なのだ。きっとね。
2010年02月19日
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「銀座はやっぱりユリ」という、ねぇさんからのお墨付きも頂き、明日の銀座の活け込みはユリに決定したのですよし明日も一発ギャフンと言わせてくるよ実際にギャフンと言う人を見たことはありませんがそんなことは、問題ナッシングなのですまぁ、40越えると親父ギャグしか出てこなくなるわけです。あぁ、昭和・・・。昭和ついでに、最近パチンコのキャラクターになって人気が再沸騰しているみたいなんです僕の青春・・・・あぁ、明日のジョー・・・・。高校時代、部屋一面にお気に入りのレコードジャケットを飾っていて、ジャズ一色の部屋の中、でもメインには明日のジョーのポスターが貼ってありました。大好きなんですいまだに大好きなんですぞっこんなんですしかも、パチンコ人気に便乗してか、深夜枠ながらの再放送なのですなので、初めてブルーレイなるものを買ってきたよこれからは、気合い一発入れるときゃぁ、ジョーと段平に活を入れてもらうのさそいじゃ、ジョーを見習って僕もそろそろ明日のための・・・・・寝ますちなみに、格闘技にはあんまり興味がないけれど、けっこうマニアなボクシングファンなのです
2010年02月18日
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と、いうことで、今日は金曜日ヴァレンタインは言うに及ばず、ハナキンさえも別世界の僕には、金曜日は何の日か銀座の宝石屋さんとのガチンコ勝負DAYなのでありますもうね、今回はね、文句のもの字も言わせないからねもうね、御徒町~有楽町間を花を持って電車2往復はごめんだからねもうね、可愛いからって言われっぱなしは嫌だかんね今回は先方様のご希望通り白いユリとグリーンだけんで、こんな感じ活け込みはどうしても一週間は保たせなければいけないのねだから、どうしても開いてない花をつかうのです。特にこの時期は、外からのお客さんを考えて、部屋の中は暖房で異常なくらいの暑さなのです。結果、開いてる花だとせいぜい3日が精一杯。 でも、閉じてる花だと地味になってしまう。特にユリは咲いてないとホントに地味だから。しかも、相手は宝石屋ある程度、華やかでないと速攻クレームなのですだもんで、咲いてるユリと咲いてないユリを組み合わせて、咲いた時のバランスを考えて。なかなか活け込みは難しいしかも、花屋にあるまじきくらいに僕はユリが苦手なの・・・・とほほそれでも、何とかこなしてきました今回はクレームもなく(当たり前だけど)、マネージャーもご機嫌さんでお見送りやったよ勝ったよ完勝だよ一足お先に金メダルだよバンクーバー・・・・んでも、花材は3000円だよ・・・・原価でね・・・・・まさに、試合に勝って勝負に負けた金曜日まぁ、明日があるさねっ
2010年02月12日
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子供というものは、実に色んなものになりたいものでかくいう僕も昔はスキーの選手(この辺が北国)だったり、プロ野球の選手だったり、もっと以前の青っ洟時代はガンバの大冒険のガンバだったり、訳もわからずキリンだったりと時代は前後して、その中でもなりたかったものにラジオのDJがあります僕の小学生時代と中学生時代はラジオの時代でありまして、常にどこかしらにチューニングを合わせてましたほら、なんせ山形は民放2局だからさんで、天下の悪法「ドリフ禁止令」など、テレビに関する「我が家法」を親父が制定してましたのでまぁ、話は戻って、僕がラジオに夢中になってた時代、実に良い音楽の先生がたくさんいたのです。お気に入りはNHK・FMのサウンドストリート。確か月曜日が佐野元春で火曜日が坂本龍一、んで金曜日が渋谷陽一だったような。初めてボブ・ディランやヴェルヴェット・アンダーグランドを聴いたのは月曜日だったし、ディーボやペンギン・カフェ・オーケストラを聴いたのは火曜日だった。んで、ドアーズやツェッペリンやデープ・パープル、クラッシュやストラングラーズ、もちろんストーンズ、ビートルズ、ジャニスにジミヘンなんかを聴いたのは金曜日だった。彼らの選曲はまるで魔法だったよ。次から次にラジオのスピーカーから聞こえてくる魔法の音は僕を虜にしたんだ。ちょうどその頃、レンタルレコード(う~ん、昭和)が流行始めた時で、僕はあらゆるラジオ番組をエアチェックしながら、まめまめしくメモを取りまして、お店に走ったものでしただって、小学生だったり、中学生だったりだったから、レコードが買えなかったの小遣い全然なかったからねだから、一枚レンタルするのに1週間くらい悩みましたさその一枚をカセットにダビングして、擦り切れるまで聴いたもんです話が飛んじゃったけど、僕も魔法使いになりたいと思った。自分のお喋りと選曲で誰かを魔法にかけたいと思った。それで、僕が幸せになったように。今はあんまりラジオを聞かなくなってしまったけれど、たまに店に置いてあるラジオから、あの頃夢中になった曲が流れてくると、幸せな時代を思い出して心がくすぐったくなる。やっぱり、ラジオは今でも魔法をかけてくれるのだんで、これも確か中1の時にラジオで聴いて、これはあまり悩まずお年玉で買ったのね。(写真小っちゃ)ドナルド・フェイゲンの「ザ・ナイト・フライ」曲はかっこいいし、アレンジ完璧。ミュージシャンの演奏もずば抜けてる洗練されたサウンドに、ドナルド君の少し泥臭いヴォーカルがホントにマッチしてますいま聴いても全然古さを感じないし、音の入れ具合のセンスが抜群なのです。有名なアルバムだから言うまでもないとは思うけれどちなみに僕の中のDJのイメージはいまだにこのジャケットなのです。ちょーかっこいいホントちょーちょーかっこいいこんな大人になりたかった・・・・いやまだ間に合う・・・かなまぁ、とりあえず、僕はこっちの魔法使いを目指しますまだまだだねぇ・・・・とほほへたっぴぃ
2010年02月07日
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なんか、久しぶりにジャズ聴いたほんとに久しぶり聴いたのは小曽根真のアルバム最近MP3プレーヤーを買いまして安くて良いよZENは最初は高音が抜けすぎるのと、ヘッドフォンが最悪で「あちゃ~」感アリアリだったけど、イコライザーで調整して、ヘッドフォンを変えたら劇的に良くなったなにしろ、メディアプレーヤーからそのまま落とせるのが楽ちんなのです。僕は絶望的に機械オンチだかんね。難しい事は出来ないと威張るのだよパソコン変えてからというもの、いまだにブログにパソコンから写真をアップできない冬の空。それは置いといて。小曽根真はお気に入りのピアノ弾きで、その昔ゲイリーバートンのアルバムで弾いてた時から好きなのです。とにかく怪しくないの。というか危なくないの。例えば、ハンク・ジョーンズみたいに安定感があって外さない。んで、面白さもあって、スリリングで、歌心がスイングするこのアルバムはベースとドラムも強烈なテクニシャンなんだけど、嫌味のない演奏で、特に「Before I Was Born」や「Christmas Song」のスローな曲のサポートは見事本当にリラックスできるのだ。以前、書いた宝石屋の活け込みで御徒町~銀座を2往復。訳のわからぬクレームにモンタ怒りの鉄拳だったのが、帰りの電車でこれ聴いてナチュラルに戻ることができました落ち着いて我に返ると大した事はないのだね。だいたいは。ということで、ありがとう小曽根真よちなみ「Christmas Song」はナットキングコールのが秀逸です。ごめんね、小曽根真よちなみに、ちなみに、ねぇさん。胎教にも良しと見た機会があったらリラックスしておくんなさい。っていうか送れよな話ですな。それから、今日は久しぶりに仲良しさんが来て、綺麗になっててビックリした。女の子はあなどれないねでわでわ、おやすみなさいじゃなくて、勉強しますはい
2010年02月05日
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東京の雪は、やはり東京の雪で、積もらずに翌朝には地面を濡らす程度でした。 良かったね懐かしい人の事を思い出し眠れなくなったついでに、今まで自分に関わりのあった人の数を羊の代わりに数えていたら悲しくなって、ますます眠れなくなったかつて親友と呼べた人。人生の師匠と敬った人。全てを懸けて愛した人。お世話になった人。お世話をした人。みんな、僕の人生から居なくなってしまった。まぁ、愕然とするよね。そりゃ、怖くて眠れなくなる。理由は様々あれども、決定的なのは自分が人に対して臆病だから。心を開けないしねぇその割に外面は良いからねそれでも、仕事やこのブログのおかげでだいぶ変わってきたのだけれど。だから、友達の多い人や愛情の豊かな人に会うとホントに羨ましくなる。羨ましくて羨ましくて自分が嫌になる。仲間とワイワイ楽しむのが苦手。一人だけ別の世界に弾き飛ばされたみたい。でも、楽しかったね!またね!なんて言ってみる。んで、帰り道。もう一度、口の中で呟いてみる。悲しくなる。それでも、やっと40を過ぎて笑えるようになりました根っこの部分は高校生の頃とは変わってないのだろうけれど。ただ、仕事の方は花屋になって本当に幸せなのです覚えることが多すぎて、ネットで植物図鑑を開くたびに頭が迷宮入りしてしまうのだけれど。没頭していると色んな雑音が消えていく。一番やっかいな自分の声も消えていく。久々な感覚。ジャズに夢中になっていた時以来のもの。それにしても、ネットは便利。知りたいことを瞬時に教えてくれるもの。調べる手間も大事なのだけれど、40過ぎては時間がないのだ。40過ぎても、まだまだ勉強できる幸せ。それに、スペインやタイなど世界中がお隣さん最近は切り花よりも苗ものにばっかり興味があって、花束・アレンジがおろそかになってしまっているような・・・。と、ここで、昔作ったアレンジをアップしようと思ったら、まぁ大変写真の登録が出来ないでやんのなので、携帯で撮った春の花でお茶を濁します。花だけ春だねぇ
2010年02月03日
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東京は大雪です。とは言っても、東京の大雪なのだけれども。それでも、雪の風情は東京でも、山形でも、スペインでも、タイでも、さほど変わらないのだろう。と、思うと何だか不思議。そして、何だか嬉しい。僕は子供の頃から雪の降る夜が大好きで明かりを消して、目を閉じて、しばらく雪の音に耳を傾け、そのまま夢の中に入っていったものです。雑音のない世界では、雪は本当にしんしんと降るのです。布団の中で目を閉じると小さく囁くように「しんしん、しんしん」と降るのです。それは何かおとぎ話めいて、ちいさな僕は何だか切なくて、嬉しくて、ときめいて、優しくて、いつの間にかに眠ってしまうのです。今夜は思いもかけないプレゼント。疲れた体を横たえて、静かに瞳を閉じながら、いっとき子供に返って、優しい眠りがやってくるまで。おやすみなさい。
2010年02月01日
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世の中は不況なわけですよ。おかげさまで、活け込みが2軒も減ってしまったのです飲み屋さんは不況の煽りを受けて小さな店に、広告会社は不況の煽りを受けて小さな事務所に、おじいさんは山に芝刈りに、おばぁさんは川に洗濯に・・・・。あぁ、日本残酷昔話。オヤジさんが倒れてからというもの、苗もの専門となってしまい、ただでさえ花束・アレンジは何処やら・・・あぁ、何処やら。そんな中、飛び込んできた活け込み話銀座の宝石屋さんからの依頼なわけですいわく、「フロアの中央にね・・・」うん「センターテーブルがあって」うん、うん「そこに、ど~~~んと」うん、うん、うん「それで、予算は・・・」きたーーーーーーー「5000円」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁぁぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。「交通費込みの5000円で」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ネットで調べてから出直せっつーのどこぞに、そんな価格破壊活け込みがあるっつーの・・・んっ・・・あれ・・・ちょっと・・・まさか・・・「わかりました!引き受けましょう!!」・・・・・・・・・・・・社長・・・・・・・・・・・。ということで、5000円-300円(電車代)の活け込みがめでたくスタートしたわけです。まぁ、いつも花の注文をしてくれる、かなり上客だから仕方ないのだけれど。んで、行ってきました金曜日。こんな感じでやってきた。(実際はもうちょい綺麗なのさっホントだもん)んで、帰ってきたら、クレームでやんの「うちの店のイメージに合わないんですけど・・・」泣けてきたよ。かなり予算的にも頑張ったんだぜいベイベ何でも、シックでゴージャスで華やかなのが良いんだって。うん、普通にビックリなので、社長の許しを得て、ユリを5本追加したとさちなみにユリは5本で4000円です。どういうこっちゃんで、思うのね。いくら、社長の許しを得て、花を豪華にしたとしても、利益が出ないとホントに虚しい。んで、いつも思うのは、僕は花屋なので花を売ってお金をもらう商売なのです。それで、ご飯が食べられる。だから、一番大切なのはお金。ただ、お金と同じくらい花が大切だから花屋なのだ。お金と同じくらい本が大切だから本屋なので、お金と同じくらい雑貨が大切だから雑貨屋さんなのだ。そういう事をきちんと考えているお店はきっと良い店なのだと思う。なんか、ブログ再開してまだ慣れてないや。乱文・駄文はいつもと同じだけれど、あと少しで落ち着きます。ちなみに、5000円-300円-300円で4400円の花でした疲れた・・・・
2010年01月31日
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ということで、一応復活しました花屋モンタの日常です。時間のある限りは書くよ。グッドバイ・御徒町から半年も経たないうちに、おやじさん御徒町に散る。体の具合が悪くなり、急遽呼び戻しはまるで双六のスタートに戻るは、御徒町版人生ゲーム。駒込、良い店だったのだけれど・・・。朝一で近所のおばぁちゃん、磯辺巻き持ってきてくれるし。小学生の女の子は自分の部屋用の花を買いに500円握りしめてくるし。近所のおかぁさんが近所の娘さんの誕生日にアレンジを注文。それを貰った娘さんが今度は友達の誕生日に花束を注文のご近所スパイラル。広い店の中を500円花の女の子を中心に遊び場になるし。近くの公園は桜が満開だし。あぁ、ホント良い店。ファンタジィー。でもでも、しょうがないのね。恥ずかしながら戻って参りました。まけろ!まけない!猿かに合戦御徒町。そんな、こんなで間もなく復帰一周年なのねん。なので、ブログも再開。活け込みのクレームの話だったのだけれど、今日のクレームは悔し恥ずかし銀座カンカン娘なので、明日書きます。ねぇさん、ありがとね!!またやるよ。
2010年01月29日
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やっと、やっと、ネットが繋がり、書くべきことがあるのかないのかと思いながらも書いてみる冬の日、春まではあと少し。遊びに行くのも、なんや照れくさく、生来の引っ込み思案が顔を出し、夜は夜とて独り言。いろいろと考えることもあって、自分で自分を違う世界に弾き飛ばして、口笛でごまかすのが精一杯だったのですが。いま出来ることだけを懸命に、それこそ自分の声も消えてしまうくらいの勢いで前に進むしかないでしょ。40にもなって、悩む悩む(笑)世界の有り様は意外と単純で、花がやりたいのなら花をやればいいのだ。それだけのこと。生きていく、生き抜いていく。周りの雑音は気にしないで。いままでの自分の有り様を反省しながら。踏ん張りきかせて前向いて。ホントはね、握手して笑いあえる日が来れば良いと思ってる。あの日の笑顔はあの日のままに残ってる。違う街にいても春は同じように巡ってくるのだ。そう思う傲慢さに辟易しながらそれでも自分は続いていくのだ。バンザイ。バンザイ。続いていく。
2010年01月28日
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も~う、いくつ寝ると~・・・状態な一国一城のお殿様になる予定・・・。が、ですね、ですよ、開店は23日そして、準備期間は21日、22日の2デイズオンリーしかも、両日半日のみお~い間に合うんか~いと吹きすさぶ北風に叫んでみても返ってくるのは不安のみなのさっまぁ、店舗は居抜きだし、いざとなったらそのまま使うしなんとかなるやが合言葉花屋モンタでございますんで、花屋モンタは引越ししたのですそんで、ネットを繋げるのですよ実は今まで繋がっていなかったのだから、漫喫に行ってえっちらおっちら更新してたのですなので、開通したあかつきにはマメマメしく更新するのさちなみに、お店は駒込駅からとぼとぼ徒歩で12分ダッシュで向かって6~7分本駒込は5丁目の26番4号GOぜひぜひ近くにお寄りの際は・・・と何今日は宣伝なのと、いうお話でお開きなのですほんとはね、かっちょよく地図なんかをね、ビシッビッシュと貼りたいんだけれど、ほら、パソコン音痴だからさっわかんないのさと、相変わらずの能天気、前向きのみでやっていきますよそれでは、皆さんまた今度寒さに負けずに素敵な夢を
2009年02月19日
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お久しぶりの更新なので書き方もだいぶ記憶喪失気味も否めない花屋モンタでございますらりほ~~さて、360日御徒町愛で生きてきた僕ではありますがとうとう御徒町とさよならすることに・・・花屋新店舗店長に就任あぁ、めでたいスタッフは・・・・・そして、新店を飾るスタッフは・・・・・あぁ、僕一人きり・・・・あぁ、ほんとにめでたいそして、肝心勧進帳の給料は・・・・今とおんなじ・・・・あぁ、あぁ、ほんとにめでたい場所はちょこっと高級住宅地駒込ったら、意外とセレブな街なのよね奥さんぼかぁ、そんな奥様に花を売って売って売って、回って回って回って回るぅぅぅぅ~~~んのさっそんで、給料上げてもらうんだいと、決意も新たにブログを更新するのさという今回のお話。いかした4ビートを流しながら花を作るこの幸せ御徒町でお世話になった皆の衆、ほんとにほんとにありがとう御徒町で過ごした3年間は幸せでしたと、ミスターばりに御徒町引退セレモニーは涙ながらに省略いたしますでも、月曜日は活け込みに御徒町に行くんだけどねぇなにはともあれ、御徒町のお客さんに感謝そして、駒込のお客さんとの出会いを楽しみに本日はお開きみんな、みんな、幸せにそして、笑顔でね花屋モンタでした
2009年02月03日
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最近はですね。どうやら、お酒を覚えたみたいなんですよ昔はですね。ビール一缶でハイテンション炸裂のゲロッパーJBみたいにマネージャーに抱きかかえられて(マネージャーはいないけれど)舞台袖に帰っていき(公園だったりしますけど)羽織ったマントをひるがえし(普通にジャケットですけれど)踊り狂って歌いだす(まぁ、歌います)だったのですが・・・めでたく記憶が喪失してしまうところまでいけるようになりましたさすがは二度目の成人式も一年経ってやぁやぁ大人の仲間入り花屋モンタでございますゲロッパ~~んで、公園なんかで記憶が逃亡し始めると代わりに夢なんかが忍び込んでくるのです。優しげな夜に紛れてゆっくりとゆっくりと。桜が散って、葉桜の緑が風にそよいで優しく包むこんな夜は夢を見たりするのです。 僕は16歳で深い森の住人だった。僕の声は誰にも届かず誰かの声は僕に届かずそれを世界と呼ぶのなら僕は世界と長いこと音信不通だった。図書館は逃げ込んだ自意識の最後の砦だった。おとぎ話で言うのなら、そこは争いも偏見もない幸せな国で僕は幸福に暮らせるはずだった。しかし、常識的に考えてみても平日の昼間に学生服姿の少年がその場所に居ること自体が不自然な訳で人の目が怖くなると、僕は公園に逃げ込んだ。図書館の前には本当に猫の額ほどの小さな公園があって中央のどこか頼りない桜の木を挟むような形で小さなベンチが二つ置いてあるだけだった。周りを常緑樹で囲まれてどこか情けない桜の木と小さな二つのベンチだけがひっそりと息をしている。僕らは似たもの同士だった。季節の良い時には、大人たちの目が気にならなくても、僕はよく本を持って図書館を出た。とても小さな桜の蕾が薄桃色に色付き始めた頃僕はその時お気に入りだった海の写真集を持って公園に足を運んだ。公園の狭い入り口を抜けるといつものベンチには珍しく先客がいた。年は僕と同じくらいで、ただ学生服ではなく私服だった。どこか居心地の悪さと好奇心を感じながら桜越しに向かいのベンチを探る。僕は目を見張った。その頃はそんな言葉も知らなかったけれど、今で言う拒食症のように異常に痩せているのだ。髪の毛は短くて、大きな目だけが一心に本のページを追っている。洗いざらしのジーンズとシャツから見える腕と足はまるで細い糸のようだった。男の子か女の子かさえ分からなかった。胸の鼓動が早くなるのを感じた。カリブ海の真っ青な空と海は遥か彼方へと消え去ってしまった。そして、1時間くらい経って、彼(彼女)は僕を空気のように気にも留めずに公園から去って行った。僕はしばらくの間、ぼんやりと空いたベンチをただ見つめていた。それから僕は同じ時間に図書館ではなく真っ直ぐに公園に向かうようになった。海の写真集を手に、たぶん何かしらの希望を手に。彼に彼女に会いたかった。それは、もしかしたら自分を分かってもらえるかも知れないという浅はかで自分勝手な希望だったのだと思う。それがどんなに自己満足の思い込みだったにしろ僕は会いたかったのだ。週に2~3回の割合で僕は彼(彼女)を見ることができた。相変わらず先に来ていて、相変わらず僕は空気のようだったけれど。桜はようやく咲き始めた頃だった。挨拶どころか、顔さえも目さえも見てくれなかったけれど僕は同じ時間を共有している人間がいるというだけで幸せだった。桜は満開になって、満開になっても相変わらずの情けなさでそれでも何かしら二人の間をはらはらと散る桜は美しかった。それは、僕に確実に何か大切なものを思い出させてくれた。 全てが散ってしまって葉桜が優しい影を地面に落としていた。僕らはいつものように向かい合っていた。とても気持ちの良い午後で僕らの間を柔らかな風が通り過ぎた。葉桜が囁くような感じがして僕は顔を上げた。僕の視線の先に、いつからだろう、彼(彼女)がこちらを見つめていた。笑うでもなく、怒るでもなく、ただ真っ直ぐに。僕は目を逸らすことができずに彼(彼女)の大きな、大きすぎる瞳を見つめた。永遠とも思える10秒だった。それから、彼(彼女)はいつものようにベンチから腰をあげた。背中を追いかけるように僕は公園を出て行く彼(彼女)を見ていた。そして、ベンチに目を戻すと本が置いてあった。エベレストの写真集だった。ページをめくると、そこには真っ白い雪に染まった地面と対照的に真っ青な突き抜けるような空が写っていた。彼(彼女)に渡そうと急いで公園を出たけれど、もう薄い背中は見つからなかった。僕は公園に戻り、自分の海の写真集と彼(彼女)の写真集の、一番青い空と海のページを重ね合わせた。僕の海、彼・彼女の空。それから、彼(彼女)は公園に姿を見せなくなった。僕も梅雨が入る頃にはいつものように図書館に場所を移してしまった。今となっては、あの本が忘れ物なのか僕への贈り物だったのかは分からないけれど、僕の海は彼(彼女)の空に繋がっているのだ。いまも、いつまでも。 という、昔々の夢をみて公園のベンチで目を覚ましました夢の感想は風邪をひかなくて良かったなぁとんで、長くなりました。最後まで読んでくれた貴方には最大級の感謝をちょっと、お酒が入っているので、入ってなくても乱文・駄文はたぶん、おんなじだね。さて、花屋は母の日モード今年も頑張ります。みんなはゴールデン・ウィークのんびりね。素敵な夢を花屋モンタでした
2008年04月29日
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そろそろって・・・いつなんだ!と自分で突っ込む事3回転半そんな、あたしゃ~忘れてましたよ。お彼岸に年度末・・・かたっぱしから菊を売り年度末にゃ~朝から晩まで作り物。次から次へと迫りくる、ばぁちゃん・じぃちゃん・お孫さんを千切っては投げ、千切っては投げ、菊と一緒に墓まで飛ばし一息ついたら送別会の花束を、作っては売り、作っては売り薔薇と一緒に居酒屋まで投げ飛ばしそんなこんなでとりあえず花屋春の陣も無事終了お久しぶりの再開です。花屋モンタでございます再開までの数ヶ月、書ききれないこと山の如し。なので、書きませんと心に誓う春の宵それでも、相変わらずの花屋なのです。そして、相変わらずのジャズ好きで相変わらずにほわほわしてます。例え、某神奈川県まで巨大スタンド花を電車で2往復しようが例え、水満載の花瓶が顔3センチ脇を飛んでこようが例え、公園で缶チューハイ片手に記憶が飛ぼうがこのさい、ほわほわしてるのですほわほわせざる得ないのですなので、再開したからには写真もドドォ~~~ンとアップするのですアルバムもたんまり紹介するのです。と、机を叩いて口から泡を吹き飛ばし所信表明一人演説の春花屋モンタでありましたご静聴ありがとうございました。みんな、みんな素敵な夢を
2008年04月06日
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そろそろ春だしね。うめ・もも・さくらだしね。相変わらずに花屋だしね。やりますか!というお話。
2008年03月21日
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ど~も、こんばんわ花屋モンタです突然ですが、花屋モンタでのブログは今日をもって終了とさせていただきます。事情は様々ございますが、花屋モンタでの更新を難しく感じ、行進どころか後進になりつつある現状ではいかんともしがたいなぁとまぁ、最近はほとんど更新がなかったからねぇそれでも、一応ご挨拶当初は、Rにぃさんと繋がっていようと始めた日記でしたが予想外に嬉しい出会いがあり辛いことがあっても励まされたり、崩れそうな心を支えてもらったりと色んな意味で救われてきました。ほんとに感謝感激雨あられでございます約半年という短い期間ではございましたが人の想いのありがたさと難しさを改めて感じました。日記を綴りながら、懐かしい人たちや出来事を思い出すこともあり楽しかったり、恥ずかしかったり、また愛しかったりねそこには16歳の深い森の中の僕が居たり、21歳のジャズに夢中な僕が居たり、もちろん40歳の花に囲まれている自分が居たり。自分の小ささや情けなさにため息をつきながら、時には自分に誇りを持ち前進したり後進したりを繰り返し、それでも自分だけの港を目指して僕の船は大海原を漂うのだけれどRにぃさんを始め、千代丸ねぇさん、りんごっち、うさちゃん、A子ちゃん、むっちゃん、ケロちゃん、ほんとにたくさんの人にお世話になりましたとりあえず、花屋モンタとしては終りにします。それでも、ブログは楽しいので、そのうち復活しますたぶん花屋モンタではないけれど。そんで、みんなのところには遊びに参ります。でわ、でわ、みなさんお元気でまた会う日までさようなら花屋モンタでした素晴らしい日々を愛に溢れたかけがえのない日々をそして、消えることのない想いをあなたに僕に
2007年06月08日
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今日は社長がドナドナ市場担当なので19時上がりんで、チーフはお休み、2連休なので、19時から2時間は本店一人きりだったのですよ。と、いう事は・・・・やったね作り放題やり放題。何でもありの花屋一人バトル・ロワイヤルだもんで、チョコレート色のひまわりとうちの店では初見参青いバラとで渋ちんアレンジ敢行もうね、40だかんねいつまでもね、ほわほわ花ばかりではいられない訳ですよ。大人の魅力をね、こう、ビシュっとねクッション・フラワーもね、こう、ワイン色した渋い子達でまとめてね。きっと、「花時間6月号の表紙花」みたいにさっ・・・・。あらあら不思議・・・・・ど~みても、ドヨョ~ン・オーラだよね方向性は間違ってないけれど・・・。ど~みても「死と幻想6月号」の表紙だよねとってもMOMAチック。迷えるモダン・アート風味な花屋モンタでございますそんな僕は、そういえば過日「モネ展」を見に行ったわけですよ。平日にも関わらず、押すな押すなの大盛況。激込みの美術館ほど疲れるものはないのですそれでも、モネの光彩は良かったよ。光の奥にあるものを感じさせてくれました。本物を見るのは初めてで印象としては柔らかくて、甘い感じがしていたのだけれども実際に間近で見る世界は強烈な色彩の渦であり力強さであり甘いどころか危機迫るものがありましたよ。写真やシルク・スクリーン(で良いのかな?ねぇさん)では、大切な何かが抜け落ちてしまってるんだねぇ。詩でも、音楽でも、絵画でも大切なのは書いてないものを読み聴こえない音を聴いて画かれてないものを見ると、思い込んでいた若かりし頃を思い出した。それは、人の想いにも似てないかと。誰もがそれを手に入れたい。だけれども、それは永遠に明かせないもの。だから、人は例えば文章を書き音楽を奏で絵を描き恋をしたり憎んだり笑ったり泣いたりを繰り返すのだと思う。んで、永遠に埋まらない隙間をあらゆる感情で埋めていこうとするのかな。芸術の優れた作品群は端的にそれを表していると思うのです。洋の東西を問わずに芸術と人生の目指す到達点は同じような気がする。自己の存在を認識するためにはあらゆる面での爆発する意志が必要で岡本太郎の「芸術は爆発だ」は彼の切なる願いなのだねぇ。と、激込みの中、とりとめのない事を考える花屋モンタなのでありました。んで、結局最後に可愛いアレンジ作ってやっぱり出来が良かったよというお話でした
2007年05月19日
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やっとこさ、終わりましたよ。年に一度の稼ぎ時300オーバーのミニ・ブーケも滞りなく終了し、宅配便200オーバーも無事に発送今年は店頭用にアレンジもえっちら、おっちら作りまして(去年は作らしてもらえなかった)何とか「2007母の日」も無事に終了もうね、昼休みなんかナシね。朝9時の開店から夜9時の閉店までノンストップ急行。しかも、残業のありがたくないおまけ付きおにぎり左手にぱくつきながら右手に赤いカーネーション。しかも、間の悪さは天下一品。風邪もおまけにひきまして、青色吐息で卒倒寸前。それでも、何とか乗り切りました。アイロニーでトリッキーが代名詞。花屋モンタでございますんで、昨日は2週間ぶりのお休みなのでブラブラ散歩に繰り出しました。六本木の新しい美術館にモネを見に行くついでに青山から表参道あたりを日がな一日ぶ~らり、ぶ~らり。別に買い物するでなく、お天気の中をぶらぶら散歩。人気の花屋さんを3軒ほどひやかして噂のミッドタウンを見学。んで、ビックリ人が多すぎ食い物高すぎしかも、全ての店が激込みう~ん、どう考えても値段設定がやりすぎです。でも、みんな幸せ顔で並んでる。流行とはホンに怖ろしい・・・なので、貧乏花屋は表参道の人気花屋さんの近くのこれまた人気のタルト屋さんでフルーツ・タルトとマンゴーのババロアを買って帰りましたとさっそして、仲良く食べましたとさっそんな幸せな休日でした
2007年05月17日
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あれっって油断してたら何よ何5月だよ5月と言えば母の日なのよ。さて、今回は何時に帰れるのだろう・・・。と、悲嘆にくれる僕を尻目にテンションが上がりまくる熱血漢去年の「カーネーション2000本ノック」が今年は頓挫。ホッとひと息ついてたらさ、今年はミニ・ブーケを325個だとさ去年はね、カーネーションをセロハンで包むだけ。それが、今年はブーケスタイル。大変じゃない・・・・色んな花を組んでいってさきちんとラッピングしてさそれを2日で325個って・・・・。大変だよね・・・しかも、通常業務をやりながら。新たに気を遣いまくる活け込みも増えたってのに。「大丈夫大丈夫ほら2000本に比べたらさ、簡単なもんだよ」社長・・・・大変です!そんな、今年も御大臣なタクシー帰宅模様。い~え、普通に電車で帰りたい花屋モンタでございますしかし、正月からいろいろありました、花屋モンタでありますがもちろん、良い事も嬉しい事もありましたよ。少し前のことだけどコメも入れてくれるケロちゃんが彼女を連れて訪ねてきてくれた。彼女とは、かなりの遠距離恋愛で時間も3日しかないっていうのにわざわざ御徒町まで来てくれた。とても、似合いの二人ではにかみながらの笑顔がとても素敵だった。すごく、すごく元気をもらえて人の気持ちというものの偉大さを改めて感じたのですよ。感動と感謝と共にね。想いや気持ちというものは本当にすごいそれで、人生が素敵なものになってしまう魔法。だから、大切にしなきゃと思うのです。弱い心を持つ僕はすぐに、翼があることを忘れたりするのだけれど、そういう想いが僕に飛び方を思い出させてくれる。損得のない純粋な想いだけが新しい世界への鍵になるのだ。そして、雨の日曜日。彼女が新しい髪形を見せにやってきてくれた。はにかみながら、照れながら。それは、世界で一番素敵な魔法でした今夜は久しぶりに幸せな終わり方で。花屋モンタでした
2007年05月06日
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たとえばですね。花束やアレンジを作る時に何が一番大事かっつ~と、(メンタルな部分を除いてね)こりゃ、もうリズムだと思うのですよ。花を束ねるリズム。花を挿すリズム。もう、リズム・リズム・リズム!大抵、リズムが良い時は花達だってリズムにのって出来上がりには躍動感!溢れるように歌い出す。そう、大切なのはリズム。僕の生活にもリズムが重要。リズムとバランス。リズムとバランスが上手く調和してるとき僕は誰よりも上手く踊ることができる。風のように、光のように。僕はまるで詩を口ずさむように歌うことが出来る。春の日の雨のように。自在にリズムを操れば世界は僕に微笑みかけるのだ。僕のリズム。あなたのリズム。世界のリズム。リズム・リズム・リズム・・・・・・。いったい何の話かと言うと僕は幸せだと言うお話。全身全霊をかけて生きていくお話。好きな人がいるというお話。やはり、人の笑顔が好きだと言うお話。・・・まったく、らしくなかったよ!花屋モンタでした。ほわほわっと再開します。
2007年04月22日
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「心あれば心なしとぞ思い知る うれしきものは心なりけり」が、僕の2007年版おみくじでありました。場所はもちろん神田は明神!なんのこっちゃ分からんがとにかく「心」が大事と言うことね。それでも、これが難しい。心や想いというものは自分が思うようには中々いかないものです。ほんの些細な出来事や、感情ですれ違ったり簡単に破綻してしまったり。自分の想いは届くべきはずの場所から遙か彼方に着地して、相手の想いを分からずに気がついたら全く別の場所に立っていたり。(もしも、想いというものが幻想ではなく掴むべき明日の糧ならば)不安や孤独は理想と現実の間の、届かせたい明日と、届かない今日と響きあわない心と心の差異から生まれてくるもので(僕は賭けてもいい。必ず届くべき未来はあるはずだから)一人の夜に深い森は降りてきてあてどのない感情に振り回され擦り切れていく。(だから、手に入れた翼は・・・失くさないでよ)昔、僕が16歳の頃、おばさんと公園を散歩していた。ちょうど、この時期、北の街では桜が満開で大きな公園の散歩道を薄桃色で染めていた。16歳の僕は深い深い森にいて誰とも話さず、誰とも関わらず、ひたすらに世界を拒否し続けていた。おばさんは、僕のじいさんの妹の子供にあたる人で戦争中に岐阜から疎開で山形にやって来た。その時彼女も16歳だった。妻に早くに先立たれたじいさんの身の回りの世話と母親を早くに亡くした父達の面倒の一切合切を条件に。彼女は自分の与えられた役割を笑顔で懸命にこなしてきた。結婚もせずに、ずっと一人きりで。生き方の綺麗な人だった。彼女は、僕達兄弟にもたくさんの愛情を注いでくれた。僕たちはみんな彼女の事が大好きだった。厳格だった父に殴られて、家を追い出された時も彼女は優しく慰めて、そして泊めてくれた。彼女はもう一人の母親のような存在だった。だから、散歩に出ようと声をかけられて久々に外に出ようと思ったのだ。僕の3歩先を彼女が歩く。僕は黙って付いていく。春の日は穏やかで木々の隙間から光が粒になって降って来る。たまに僕を振り返り静かに笑う。その時、風が吹いて桜が舞った。彼女を桜の薄桃色の花が包み込む。風が止んで、桜を見上げ「あぁ、人生はなんて早いんだろう」と彼女はそっとつぶやいた。その時、眩しそうに桜を見上げる16歳の少女がいた。そして振り返り、少しはにかみながら「多聞ちゃん、人生は早いんだよ。」と、僕に向かって静かな笑顔で話しかけた。そこには、いつもの母親のような彼女がいた。そして、前を向いて歩いていく。何事もなかったかのように光の粒の中を歩いていく。桜色した散歩道を真っ直ぐ前を見て歩いていく。静かに、静かに。音を立てると桜が全て散ってしまうとでもいうように。会話はそれだけだった。そして、僕らは家路についた。あの頃、舞い散る桜は美しく、ただ美しく何かをつかもうとする手の先にあった。彼女を包み込んだあの桜はただ、美しく儚い夢のようだった。あと少しで40歳になろうとしている僕にはいま、あの桜を自分の中に感じることが出来る。「人生は早いんだよ」ただただ、静かに微笑む彼女の計り知れない想いを身の内に感じることが出来る。もしも、願いが叶うのならば僕はもう一度だけ彼女と桜が見たいのだ。静かに静かに・・・・。ただ、二人黙って美しく切なすぎる桜を。もし、願いが叶うのならば。
2007年04月20日
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昔、大学生だった頃今でいう合コンみたいなやつに借り出されて借り出された奴に借りがあってど~しても断れなかったのね。もうね、その頃はバイトにピアノに単位にと売れっ子のアイドル並みの忙しさでそれこそ、睡眠時間が毎日4時間あればいい方で珍しく予定のない日には、泥のように寝ていたかったわけです。それが・・・合コン・・・。有名私立女子大だか何だか知らないけれど、み~んな同じ顔にみえるわ、男の軽さに辟易するわで座が盛り上がったところで脱兎準備OK!貧乏だったからさ、テーブルの上のピザだとかパイだとかをナプキンに包んでビニールの買い物袋にジュースをしこたま詰め込んでいざ、いざ愛しのベットが待つ我が部屋へ!そんな、僕をじっと見つめる1つの視線。彼は男と女のどんよりオーラの輪の中には加わらず壁にもたれて僕を見る。背の高い男でさ。ちょっとばかしオダジョーばりの色男。んで、笑いながらに近づいてきて「どんだけ貧乏なんですか」僕も負けずに彼の目の前にはちきれんばかりの袋を差し出し「こんだけ貧乏なんです」と満面笑顔。彼の笑顔に心魅かれてひとまず大脱兎計画作戦変更。彼と一緒にテーブルの食料を強奪して隅のテーブル陣取ってほろ酔い気分で談笑タイム。どうやら、彼も借り出され組。しかも同じ年。そして、ジャズ好き。んで、昭和初期の文学好き。とどめは二人とも人嫌い。話の合わない訳がない。どんよりオーラ組を尻目にたまに寄って来る女の子を(なんせオダジョーだから)「僕達は女の子に興味がないんだ。」と追い払いビールと冷えたピザで乾杯、乾杯、また乾杯。3本目の缶ビールを開けながら「僕は迷路が大好きなんだ」と彼。それからは、世界各国のびっくり迷路話。熱く熱く迷路を語るビール片手のオダジョー風味。「なんで、そんなに迷路が好きなの?」と訪ねると「自分を見失う感覚が好きなんだ」と彼。彼に言わせると、良く出来た迷路というのは迷っているうちに自分が何処にいるのか自分が何処に行きたいのか分からなくなってきてそのうちに自分の存在自体も見失ってしまうという事らしい。そして、彼が出会ったとびきりの迷路。「その迷路はね。何もないんだ。袋小路には気の効いたトラップも何もない。」「袋小路は袋小路としての存在しかなく、そこには希望も絶望もないんだ。」「本当に全く何もない迷路なんだ。」と遠い目のオダジョー。「面白いの?」と聞くと「うん。迷路自体の面白みは全くないよ。怖ろしく広い迷路でね、ただ、柔らかい風が吹いていて、草の匂いがして、小鳥のさえずりが聞こえるくらい。」「でもね、木々の隙間からこぼれてくる太陽の光を感じながら迷っていると、本当に自分の存在がなくなっていく感覚になるんだ。」「自分という物体が風や光に溶けていって、僕は自由を感じる事が出来るんだ。」僕は途方にくれると、いつも彼の話を思い出す。彼の中の柔らかな迷路。僕の中の柔らかな迷路。僕は何かに疲れてしまうと、いつも彼の迷路を夢に見る。彼の中の穏やかな迷路。僕の中の穏やかな迷路。彼はまだ迷路の中にいるのだろうか。
2007年04月16日
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11歳のころ僕はといえば野球が好きで学校の図書室が好きで飼育係でまだ、生き難さもなくて空は晴れていて風は柔らかでそんな僕もねあと、幾つ寝るとウエルカム四十路なラプソディ~えぇ、一晩中クラッカー鳴らしまくりますよ出来れば爆竹体中に巻いて「気狂いピエロ」よろしく日本海に飛び込みますよもちろん、ねぇさん画のマーガレットふんどし一丁でこんばんわ月曜活け込み全敗でした花屋というより、前衛芸術家花屋モンタでございますでも、「勝手にしやがれ」の方が好きさて、活け込みの日は最後に休憩を取るわけです。最後の店はユリだけ配達。つまり、活け込まないで済むわけね。んで、その店までは15分くらい時間が余るわけです。なので、不忍池のほとりで一服タイムの一人反省会なわけですんで、いつも立ち寄るセブン・イレブンいい気分ここで、コーヒーを購入いたしまして反省会へレッツラゴー春だというのに気分は黄昏、春だというのに足取り重くユリを片手に店に入るとあらあら、これはフルート少女。彼女の自宅兼飲み屋さんは繁華街僕を見つけて駆け寄って僕も「よぉよぉ」彼女も「やぁ、やぁ」「おぅ、久しぶりだなぁ」と声をかければ「ちょっと、時間あるかなぁ。」と彼女。「どしたどした15分くらいなら大丈夫だぞ」と訊ねてみれば「いま、フルート持ってくるからいつものとこだよね」と、僕の返事も聞かずに愛犬連れて猛ダッシュ そんで、いつもの所で一服していますとフルート片手にソリスト登場息を切らして、隣に座り「ちょと、待ってて」深呼吸。大事そうにケースからフルートを取り出し照れながら、はにかみながら組み立てる。姿勢正して、バルブを確認。春の夜に、池のほとりのソロ・リサイタル真剣に、真っ直ぐ前見て、ドボルザーグに聖者の行進。喜びの歌から流行のポップスまで。通行人の好奇の目にも負けずに怯まずただ、ただ真っ直ぐ前を見て。一曲終えるたびに、僕の顔を不安げに覗き込む。もちろん僕も通行人には構わずに拍手喝采ブラボー、ブラボー、オォーブラボーお互いニッコリ微笑んで、池の桜は八分咲き39歳と11歳の二人並んでコンサートもちろん、やっと音が出ているくらいのフルートだけどロング・トーンは途切れがちで、お世辞にも上手いなんて言えないけれど春の柔らかな風に流れるフルートの音色は温かくて、清らかで、春の夢のように儚くて・・・。世界で一番美しい音色だった。彼女の11歳の羅針盤は迷うことなく夢の方向を向いている。ただ、真っ直ぐに、真っ直ぐに、彼女の視線そのままに。あの頃の僕のように。いつかの少年のように。これから先、彼女がクラシックをやりたいのであれば尚更、様々な現実的な問題に直面していくのだろうけれど、願わくば、彼女の羅針盤がぶれることなく夢の方向を指し示しますように。そして、豊かな人生を送れますように。15分が過ぎて、そろそろ終演。「もっと、上手くなるから、また聴いてくれる」僕は彼女の頭を撫でて「当たり前だよ。そんでもって、カーネギーでニューヨーク・デビューだ」フルートを大事そうにしまいながら「なれるかなぁ~。なりたいなぁ~。」そんで、彼女は酔客が待つ自分の店まで。僕は酔客を迎える客の店まで。別れ際に大きな声で「ありがと~」と手を振る彼女。「おぉ、サンキューな」と僕も手を振る。「ありがとう」はこっちのセリフ。出来損ないの活け込みも本日開催、村八分飲み会の事も全部忘れて元気が出たよ。こんな奇跡のような人の想いが時々僕を救ってくれる。時は春暖かな季節に温かな想い。たまに、僕は神様の存在を信じることが出来るのだ。今夜はこの辺で。花屋モンタでした今日のセレクションは耳に残る彼女のフルート。今夜は僕に素敵な夢をそして、僕の羅針盤が少しでも良い方向を指し示してくれますように
2007年03月26日
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街の透明度も薄れていき埃っぽい風が優しげに舞い上がる。空気は柔らかな結晶の集合体のようで手を伸ばせば掴めてしまうようだ。胸がざわついて、言い知れぬ感情が湧き上がる。切なさと喜びが街の景色に交錯する。誰かに呼ばれたような気がして振り返ったらそこには春が僕に手を振り笑ってた。こんばんわ春はあけぼの、ようよう白くなる生え際。白髪は男の履歴書です花屋モンタでございますさて、さて、ようやくお彼岸ひと段落。ばぁちゃんラッシュに墓の下トークも冬の東尋坊から春の房総に様変わり穏やかな春の日の花屋さんなのですそんなこんなで作り物。本日のリクエストは・・・・子供の為にピンク中心で可愛らしくの花束一丁。へいかしこまり何でも、初めてのピアノの発表会で弾き終わったら舞台で手渡すサプライズ模様とにかくピアノが大好きでゲームや遊びはどこ吹く風の暇さえあればピアノに向かい白と黒との鍵盤ファンタジィーそんな話を聞いたなら腰も入るというもんですよ。緊張気味に演奏を終えたお姫様を可愛い花で飾ってあげたいだので、ピンクの小ぶりのチューリップをこれでもかの10本入れてこの花特有の首の動きを活かしつつランダムにあっちを向かせ、こっちを向かせその間には、これまた淡い色したスイートピーをヒラヒラ散らし、クッションの白い小花でバランスOKグリーンは使わず、チューリップの葉っぱだけ。女の子が胸に抱えてちょうど良い大きさに揃えまして後はピンクのペーパーで甘~く、甘~くラッピング彼女にとっては大舞台彼女の顔が華やかに映えるように、とびきりの美人さんになるように、なんせ、大切な始めの一歩なのだから例え演奏が上手くいっても、いかなくても誇らしく立ってられるように僕の作った花が少しでも役に立てればねそんな幸せな想いをかみしめながら春の日の花屋は過ぎていくのでありました。今夜はこの辺で。おっしまい花屋モンタでしたさて、今夜はやるのよセレクションヴォーカリストとしては初めて名門レーベル「ヴァーブ」と契約した実力派そんでもって美人さん素敵な夜を過ごすならAKIKOの「ガール・トーク」ワオッ思わず叫ぶ美人さん数々の名ヴォーカリストとアルバムを生み出してきた「ヴァーブ」のロゴが光りますんで、ジャケットに見惚れながら聴いてみますとうんこの人上手いよまずは雰囲気が抜群。声の雰囲気というより、歌全体の雰囲気が圧倒的。リズムを自在に操るし、テクニックも群を抜いている。正直、ちょっとダサめのアレンジも何曲かあるのだけれども全体的には本当に良く出来たアルバムです。一曲目の「スプリング・キャン・リアリー・~」の切なさ美しさ。「クレイジィー・ヒー・コールズ・ミー」の可愛らしさ。極めつけは「ボーン・トゥ・ビー・ブルー」の沈み込むような哀しさ。実は僕の日記の「今夜は長いセレクション・恋愛風味」は、このアルバムを聴いて当時の事を鮮烈に思い出したの。数々の日本人、日本発のヴォーカリストは居たけれど僕にしてみればマリーン以来の衝撃でした。なるほど納得ヴァーブだよ。歌良し、ルックス良し、雰囲気良しの3拍子。軽く流して聴くも良し、じっくり腰を入れて聴くも良し。そんな素敵なアルバムです。お好きな飲み物と愛する人と聴いて欲しい。AKIKOの「ガール・トーク」名門ヴァーブと彼女の実力に衝撃を感じてください。おしまいです花屋モンタでした素敵な夢を、そして誰も悲しまない世界を・・・神様
2007年03月22日
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今日は遅いから短くねだって、疲れたんだもんお彼岸メインだったんだもんばぁちゃん厳冬の日本海なんだもん荒れ狂う波をまともに受けてフンドシ一丁だったんだもんそんな疲れ果てた僕の右手には何故かおはぎ。伏せ目がちで頬染めて、ばぁちゃんからのプレゼントできるなら、ヴァレンタインにくださいな。おはぎは必ずつぶあんでお願いします、花屋モンタでございますそれでも、朝から幸せな光景を見たよ西武線の改札までは割と急で長階段。駅まで急ぐ僕の目に上を見上げて微笑むおじいちゃん。「果たして、何を見てるんかいな」と、僕も一緒に見上げれば階段中腹5合目辺りに杖をつきつきゆっくり下りのおばぁちゃん僕が見ていたせいもあるのかはにかみながら、照れながら優しく微笑むおじいちゃんに一言。「待ちどうしいじゃろ。」おじいちゃんは微笑み崩さず「いつも待ってるから大丈夫じゃ。いつまでも待ってるから・・・。」柔らかな春の風が近くの桜をそっと撫で桜もはにかみ頬染める何気ない会話の中の優しさ。二人の距離感、空気感。そして、おばぁちゃんが言った「待ちどうしい」という言葉。う~~~ん、愛!朝っぱらから良いもの見せてもらいました。早く暖かくならないかねぇ。花屋モンタでしたやっぱり夢はチャーミーグリーンでしょ愛のある生活が僕にも、あなたにも降り注ぎますように
2007年03月21日
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ありえないよ・・・・。お彼岸初日の「菊・2000本水揚げノック」も無事にクリアして「ご先祖様感謝Day!2007・IN・御徒町!」ラフォーレ・ザ・バーゲンと化した荒れ狂うオバァチャンたちをお墓参りの名の下に菊と一緒にちぎっては投げ、ちぎっては投げ。やっとこさ、落ち着いてきた今になってお彼岸最大のメイン・イベント「ザ・お彼岸中日」まで残すところ何日なのに・・・指を切ったよかなり深いよすこぶる痛いよスプラってるよ路上のお店で桜の枝を切ってる最中桜の枝はハサミの刃を折ってしまうくらいにすこぶる堅いのよ。だもんで、ここは慎重に慎重に、慎重に・・・・。慎重すぎてハサミが滑り左手の人差し指をスパッとね。もう、それはキレイに見事に肉が桜色。「あぁ、皮膚の下にはこんな感じで肉がついてるのね・・・」と、気分は学研の科学と学習、ちょっと大人の医学版。いやぁ~、キレイに吹いたよ、真っ赤な血潮がそんな、客が引きまくってる最中に路上に真っ赤な花を咲かせつつあぁ、やっぱり王子には深紅が良く似合う花屋モンタでございますやぁ、久しぶり、みんな元気かいそれにしても、ありえないことは続くもんである事をきっかけに起こった路上相棒との御徒町騒動もはや二ヶ月。それまでは、うんと仲良し二人組み。親子ほど年の違う二人なれど親子ほど年の違う二人なれば毎週、彼の休みの前は近くの居酒屋で楽しく酔ったそれが、あることがきっかけで全くもって会話なし。どころか目さえ合わさず。御徒町路上において、「花屋無言劇」絶賛上演中の運びそれでも、何とか誤解を解いて、仲良しさんに戻ろうと試行錯誤も最初だけ。だんだん疲れてどうでも良いや。それでも、僕はこの親父さんが好きだったからね。口も悪けりゃ、話もつまんないんだけどさ。僕はこの人が好きだったんだ。ところが今日で呆れてしまったうちの花屋は4人体制。んで、チーフと親父さんは犬猿の仲だった訳です。それも、くだらない事が原因で。一年くらいの無言劇。飲みに行ってもチーフの悪口散々ぱらぱら。でも、僕はどっちも好きなのでふんふん聞いて右から左。年末お疲れさん会も、アルバイト3人+僕と彼-チーフの方程式。んで、彼の中にはこの飲み会を毎月恒例行事にしようとウキウキワクワク。ところが、事件をきっかけに年中行事は五里夢中。そこで、親父は考えた。それなら、チーフを仲間に入れよう。そこで、新たな方程式完成。アルバイト3人+親父とチーフ-僕。どうなってんの、60歳それじゃ、小学生のイジメよ。その企画をチーフに聞いて呆れるを通りこして笑ってしまったよ。力なく笑ってしまったよ。こんな人と仕事をしているのかと思ったら情けなくなってしまったよ。それでも、僕は負けないからねぇこんなことでは参らない。どころか、返って気持ちがスッキリしたよ。それまでは、いろいろグチグチ考えたりもしたのだけれどね。辞めさせたいと願う意思も確かに遠くに感じたりするのだけれど僕は負けるのが大嫌いだかんね。だので、また明日から花屋修行に精進しますってな話でしたとさっ。ところで、そんな最中にR兄さんが御徒町ご訪問ホントにホントに嬉しかったのさっ。この人は、辛い時に何も言わずにやってきてくれる。ホントにホントにいい男。この場を借りてのありがとう持つべきものは・・・・・ねっ今夜はこの辺で。明日からマメに更新します。それとセレクションもまた、遊んでくださいな。素敵な夢を・・・・そして、春の日のような穏やかな日々を
2007年03月20日
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いや~、切ったよお花じゃなくて髪の毛を。これでもかっちゅ~くらいバッサリとさっこれで本来の姿に戻ったよ。「パンチ君2007シーズン」の開幕だよそんな僕をはちきれんばかりの笑顔で迎えてくれたのはもちろん、花屋の常連さんの・・・・・インド人!・・・・・なにゆえ見た瞬間に近づいてきて僕の両手をがっしり掴み怪しさ満載日本語で「やっぱ、それだよおに~さんはそれだよ」と、千切れんばかりにシェイク・ハンド。・・・・・なにゆえしかも、見つめる瞳は潤みチックで乙女チック。・・・・・なにゆ~えタイ、フィリピン、そしてインドも制圧アジアに向けてワールドワイドでグローバル。「世界を制するには、まずはアジアから」が合言葉。花屋モンタでございますさて、今日は電車で市場にいったのさっだって、キーパーの中に花が無いんだもんよ。社長指令は「スイートピー4箱とバラを1箱を市場から奪取せよ!そして、電車で運んでこい!」・・・・相変わらずのパワープレイ・・・・それでも市場は楽しいのです。中卸の軒先の色とりどりの春の花をひやかしながらおまけに今日はセリ日和セリ場にはセリ人の活気のある声と花屋さん達の真剣な眼差し。セリ場はすり鉢状になっていてセリ台と呼ばれる、花が流れてくるコンベアが3台。セリ人が次々と花を片手に売り口上それを囲むように花屋さん達が陣取るわけです。んで、中央には3台の大きな掲示板。そこにセリ人が手にした花の最高値が表示されて懐かしのクイズ・タイムショックばりの巨大なデジタル・メーターがものすごい速さで下がってくるつまり値段が落ちてくる花屋さんたちは自分の希望の値段を一瞬のうちに判断して「買いボタン」を押すわけです。もちろん、先に買われてしまうこともあるしあんまり早くボタンを押すと他の花屋さんからブーイングを浴びせられる。まさに、そこはドドォ~ンと真剣勝負なのです高く売りたいセリ人と安く買いたい花屋さん。しかも、周りの花屋さんは全てライバルセリ場の形状といいグラディエイター真っ青の花屋闘技場。それでも見てると本当に楽しいし、夢は広がる花屋Bar。自分の店の為にセリに行って、好きな花を買ってくる。それが商売になればこんなに楽しいことはない基本は花屋ジャズを流して、料理もだすのさっ料理はスペイン料理に決定かなり腕の立つシェフも確保しかも、バーテンさんは確定済み。やってくれるかなぁ~みんなが集まる楽しいお店セリを眺めながら幸せな白昼夢に浸ってましたとさっ・・・・・5箱の花を忘れてね。社長、やっぱり電車はきついッス今夜はこの辺で花屋モンタでしたちなみに内装はねぇさん、頼んだよそれではみなさん、素敵な夢をそして、春の光に幸せな日々を今夜のセレクションはお休みなのさっなので子守唄。今夜はどんな夢を見るどうせなら素敵な眠りにつきましょう。なので、ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」「アラベスク」「月の光」でおやすみなさい
2007年03月10日
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昨日はいったい何日和そう、昨日は日本全国津々浦々、西も東もお雛様日和なのです。なので、昨日は桃の枝をさっもう、これでもかと売りさばいてまいりましたそんな僕は男塾4兄弟なのです甘酒とは無縁な生活だったわけですよ。それでも、隣の従姉の家のお雛様の衣装が素敵で、素敵で、素敵すぎて・・・・こっそり忍び込み、お雛様を思わず誘拐。自分の部屋にお招きして3日の間、ぼんやり至福に眺めていたのは我が家の秘密いや~、もう大騒ぎそんな、小さい頃から桃色吐息こんばんわ花屋モンタでございますそれにしても、目を覚ましたら空気の中にフワッとしたものがあって何だか春だ甘くて切ない春の始まり。柔らかな光と風に街は少しだけ埃っぽくて。僕の一番好きな季節。だって、春生まれだもんよ。んで、桃の節句に親子連れ。母親に手を引かれながら桃の花見る小さな女の子。自分の背丈ほどある桃の枝を掴んで放さない母親があきらめ顔の苦笑いで「それじゃ、お花を持っててね」必死の顔した女の子見る見るうちに満面笑顔やっぱり春だほんわかだ花屋モンタのほわほわ日記だ春の力を借りて、完全復活良かったねってな話でした。春なので、ルッコラのサラダを作って食べましたとさ。大量のルッコラに玉ねぎとセロリを薄くスライスして焼いたアスパラとカリカリのベーコン。最後にチェダーチーズを細かく砕いて塩、胡椒、オリーブオイルで味を調え、隠し味にはウサちゃんどうもありがとう広島名産「ザ・牡蠣醤油」フランスパンをカリッと焼いていただきま~すの、ご馳走さまでしたお腹もいっぱい幸せ気分で今夜はおっしまい。花屋モンタでした春の柔らかな光があなたを包みますようにそして、幸せでありますように調子にのってセレクション春にちなんだ演奏はたくさんあるのだけれども今夜はこの曲ビル・エヴァンス・トリオの「ポートレイト・イン・ジャズ」から「ブルー・イン・グリーン」このアルバムには「スプリング・イズ・ヒア」というタイトルそのまま!みたいな曲もあるのだけれど。美しくも切ない季節が春ならばこの曲。ただ、僕の好みというのもあるのだけれども。ベースにスコット・ラフェロ、ドラムにポール・モティアン。僕の中の「ザ・トリオ」です。ただ美しい演奏だけではなく、インター・プレイが素晴らしい。3人がひとつの意思を完全に共有して音を昇華していく。これは、キース・ジャレットのトリオにも同じことが言えるのだけれどもビル・エヴァンスのトリオの方がリリカルなのです。それにしても、この曲は色んな人たちが色んなフォームで演奏しているのだけれど、美しさと切なさをこれほど見事に同居させている演奏は他に見当たらない。そして、演奏に甘いところが一切ない。たとえば、こんな春の一日。言い知れぬ感情が湧き上がって胸が締めつけられるような夜にそっと聴いてみてください。あなたの代わりに全てを語ってくれるはずです。美しくも切ない春の夜にビル・エヴァンス・トリオ「ブルー・イン・グリーン」春の夢のようにゆっくりと・・・・暖かく・・・・。おやすみなさい。花屋モンタでした
2007年03月04日
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