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2021年5月29日付朝日新聞「be フロントランナー」で、地図研究家の今尾恵介(いまおけいすけ)さんが紹介されていました。今尾恵介さんは中学1年の社会科授業で、地形図に一目ぼれし、大型書店で地形図を買い始めたそうです。中2の時、物理学者で地図エッセイストとして有名だった堀淳一さんの『地図のたのしみ』を母親が買ってきてくれたそうで、ますます地図の興味がかきたてられたとの事です。「鉄道好きの仲間はいましたが、地図の話ができる友人はいなかった。堀さんの本を読んで、こんなにそっくりな趣味の人がいたんだって驚きました。新旧の地図を比較する面白さや、外国の地形図の美しさを教えてくれたのもこの本です」今尾さんは明治大学時代、同大交響楽団で打楽器を担当されていました。その後もバイトの延長で管楽器の専門誌パイパーズ編集部に就職されました。趣味で地図の収集は続け、CDや楽譜を輸入販売する業務を担当してからは、そのノウハウで海外から地形図を個人輸入されました。31歳でフリーランスになり、地図に関する文章を書かせてほしいと見本をつけて出版社に直接送って売り込み、返事をくれたうちの1社から『地図の遊び方』を出してもらったそうです。「デジタル地図は確かに利便性は高い。心配なのは、人々の頭の中が出発地と目的地だけになってしまうことです」とあります。「たとえば、少し前までJR常磐線に佐貫(茨城県)という駅がありました。(現在は龍ケ崎市駅に改称)。そこの改札に、『当駅はマザー牧場の最寄り駅ではありません』と貼りだされていたんです。千葉県にあるマザー牧場の最寄り駅は内房線の佐貫町駅。想像すると、マザー牧場に行こうとしてスマホに佐貫と入力したとたんに二つの駅名が出てきて、うっかり佐貫駅をタップしてしまう人が少なくなかったのでしょう」「アナログの時代なら、まず地図を調べたはずなんですよ。それで内房線が東京湾沿いに房総半島を南下していると分かれば、電車に乗りながら、そろそろ海が見えるはずだとか、木更津だとか考えるはず。今は途中が抜け落ちているから、窓から筑波山が見えても間違いに気づかない。こうなると、そもそも日本列島がどんな形をしていても構わないってことになる」ーーーーーーーーーーーーーー私は今尾恵介さんの「地図帳の深読み/今尾恵介/帝国書店」を持っています。読むと地図帳の見方が変わります。帝国書院の地図は、「最新基本地図ー世界・日本ー15訂版/帝国書院」、「地図で訪ねる歴史の舞台ー日本ー最新版/帝国書院」、「旅に出たくなる地図 景観地図日本 三訂版/帝国書院」、「旅に出たくなる地図 世界編最新版/帝国書店」を持っており、調べるときに使います。↑ 2021年5月29日付朝日新聞「be フロントランナー」。地図研究家の今尾恵介(いまおけいすけ)さん。ーーーーーーーーーーーーーーー↑「地図帳の深読み/今尾恵介/帝国書店」↑「最新基本地図ー世界・日本ー15訂版/帝国書院」長く使ってきたので、表紙が取れて無くなってしまった。↑「地図で訪ねる歴史の舞台ー日本ー最新版/帝国書院」。↑「旅に出たくなる地図 景観地図日本 三訂版/帝国書院」。↑「旅に出たくなる地図 世界編最新版/帝国書店」。
2021.07.05
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2021年2月28日付朝日新聞で、「福岡伸一博士さんと考える『コロナ時代の生き方』」という記事がありました。青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さんがウイルスについて述べられた事がまとめられています。「ウイルスは構造が単純なので、生命が誕生した38億年前から存在してたと勘違いされがちだが、実は私たち多細胞生物が生まれてから現れた。私たちの細胞の中にあるゲノムの一部がちぎれ飛んだ『私たちの遺伝子のかけら』がウイルスなのだという。生命は通常、親から子、孫へと垂直に遺伝子を伝えていくが、ウイルスは水平に遺伝情報を渡し、しかも種を超えて伝えることができる。いわば遺伝情報の『運び屋』として生体の間を渡り歩いている。ウイルスは大半が無害で、自ら移動することはできない。だから新型コロナウイルスも人間が運び、人間が増やして広めている。『ウイルスは本体、私たちを含む大きな生命圏の一部で、完全に撲滅したり、排除したりすることはできない」「ウイルスを『正しく畏(おそ)れる』ことに尽きる」と(福岡教授)は話す。自然の一部であるウイルスに対して畏敬の念を持つのと同時に、自分自身の体の免疫システムを信じることが大切だという」「人間とウイルスとの間に『動的平衡(どうてきへいこう:変わらないために絶え間なく変わるという意味)』を成立させるためには、このウイルスにかかって回復した人が増え、ワクチンが普及することで集団の中に免疫が広がる事が必要になる。人間の側の免疫システムがウイルスに対する平衡(つりあうこと)状態を獲得することで、このウイルスを乗り越え、日常的なものとして受容できる状態に達するのだという」ーーーーーーーーーーーーーーーー福岡伸一博士の本ですが、初めて読んだのが「生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書」でした。この本の中で、「動的平衡:ダイナミック・イクイリブリアム:DYNAMIC EQUILIBRIUM)」の詳しい説明がされていました。その後、少しずつ福岡博士の本を買っては読んできました。今本棚に置いているのは、下記の本です。1)「生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書」2)「せいめいのはなし/福岡伸一/新潮文庫」3)「ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで/福岡伸一/文春文庫」4)「生命と記憶のパラドクス 福岡ハカセ、66の小さな発見/福岡伸一/文春文庫」5)「やわらかな生命 福岡ハカセの芸術と科学をつなぐ旅/福岡伸一/文春文庫」6)「変わらないために変わり続ける 福岡ハカセのマンハッタン紀行/福岡伸一/文春文庫」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー福岡博士がニューヨークのロックフェラー大学で研究していた時代の話が面白いのですが、特に私が記憶に残っている部分を紹介します。1)「ルリボシカミキリの青」P172~174「活字の未来」という文章があります。福岡ハカセが「生物と無生物のあいだ」の本で、マンハッタンの摩天楼を船の上から眺めて驚いた事を書いた話が記載されています。ハドソンリバーの埠頭から出発し、エンパイアステートビルまでの風景を書いた原稿を編集部に出したところ、ゲラ刷りとマンハッタンの地図のコピーが手元に送られてきて、「見える順番が違います」というメモが付いていたそうです。出版社の校正者が原稿をチェックし、遊覧船から見える建物の順番を調べて、順番の間違いを指摘したそうです。「確かに校正者さんの言うとおり、観光船で上っていくと、33丁目にあるエンパイアステートビルは、42丁目のクライスラービルよりずっと前に見える。国連本部が見えるのはそのあとである。でも私は、いろいろと考えた末、この部分は、書いたときの流れを尊重してもらって、このままとした」「書き手、編集者、校正者。この間のてまひまが活字というものを支えているのである」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2)「変わらないために変わり続ける」P26~28。「となりの神さま」という文章があります。福岡博士が、ロックフェラー大学主催のルイス・トマス文学賞の授賞式に参加されたときのことが書いてあります。「授賞式のあと、ちょっとしたサプライズがあった。福岡ハカセは公演が聞き取れるようオーディトリアムのかぶりつきに座っていたのだが、となりに上品な老夫婦二組が座っていた。司会者がおもむろに紹介を行った。本日は、過去の受賞者もお見えになっています。こちら、オリバー・サックスとフリーマン・ダイソンさんです。えええ!サックスは、『レナードの朝』(デ・ニーロ主演で映画にもなった、ダンスシーンが切ない)、『妻と帽子をまちがえた男』、『火星の人類学者』などの著者として有名な神経学者で日本でもファンが多いはず。そしてダイソンは数学の天才で宇宙物理学者。代表作は『宇宙をかき乱すべきか』。なんといってもダイソン球の発案者である。もし宇宙のかなたに高度な文明があるとすれば恒星のエネルギーを補足するための巨大な天蓋を作っているはずだという仮説。その後、スター・トレックをはじめ数々のSFで引用された。私たちの世代にとっては、まさに神さま。サックスもダイソンももうかなり高齢のはずだが、スーツに身を包んで若々しかった。いやあ、うれしいなあ」私はオリバー・サックスさんの本が好きで、上記の本は全部読みました。特に「火星の人類学者」はお気に入りです。↑ 青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さん。↑ 2021年2月28日付朝日新聞、「福岡伸一博士さんと考える『コロナ時代の生き方』」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 私が持っている福岡伸一さんの本。1)「生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書」2)「せいめいのはなし/福岡伸一/新潮文庫」3)「ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで/福岡伸一/文春文庫」4)「生命と記憶のパラドクス 福岡ハカセ、66の小さな発見/福岡伸一/文春文庫」5)「やわらかな生命 福岡ハカセの芸術と科学をつなぐ旅/福岡伸一/文春文庫」6)「変わらないために変わり続ける 福岡ハカセのマンハッタン紀行/福岡伸一/文春文庫」
2021.07.04
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作家の田辺聖子さんですが、1964年に芥川賞を受賞され、多くの小説、随筆を書かれました。2019年6月6日、91歳で亡くなられました。2021年6月8日の朝日新聞1面に、田辺聖子さんが第二次世界大戦の終戦前後に記した日記が見つかったとの記事がありました。社会面にはより詳しい記事がありましたが、驚いたのは、田辺聖子さんの日記で1965年8月15日の終戦時の部分が写真で紹介されていた事です。その日は筆圧が違い、「何事ぞ! 悲憤慷慨(ひふんこうがい)その極を知らず」と、日本が戦争に負けた日の心情がそのまま文字に現れている感じがしました。偶然にも、社会面の田辺聖子さんの日記記事の隣は、「A級戦犯 太平洋に散骨」という記事が並んでいました。「日本の戦争指導者を裁いた極東国際軍事裁判でA級戦犯となった7人への死刑が1948年に執行された直後、火葬された遺骨を米軍将校が太平洋に散骨した、との報告が記載された米公文書が見つかった。米軍占領下でのA級戦犯の遺骨の扱いが詳しく記された貴重な資料だ」というリードの記事がありました。東条元首相など7人の骨は、米軍の連絡機に積まれ、太平洋上を横浜の東約30マイルまで進む、米少佐が広範囲に散骨したことが書かれていました。2021年6月9日付朝日新聞の文化欄に、田辺聖子さんの日記について記事があり、作家・小川洋子さんは田辺聖子さんの日記を読んで、「アンネの日記」を思い出したと書かれています。2021年6月10日付朝日新聞の広告欄に、「文藝春秋 7月特別号」として、「田辺聖子『十八歳の日の記録』独占掲載」と紹介されていたので、早速本屋で購入して読みました。1945年4月1日から1946年12月31日までの日記ですが、終戦前から終戦後の田辺さんの出来事、心情が綴られています。学校生活、グンゼ工場での労働、焼夷弾で家が焼けた事、終戦、父親の死、母親の苦労、通学定期券が盗まれた事、クラスで首席になったことなどが書かれています。文章の中に、作家になりたいが、なれるだろうかという不安が記されており、心の揺れが出ています。日記の中で、田辺聖子さんが「エスガイの子」という小説を当時書いたと記されていました。「エスガイ」とは何だろうと疑問に思っていましたが、「文藝春秋2021年7月号 p330」に、ノンフィクション作家の梯久美子(かけはしくみこ)さんの『十八歳にして田辺聖子はすでに田辺聖子だった』という記事があり、その中で「小説の執筆にいそしむ余裕があった。『エスガイの子』という小説を完成させたことが書かれているが、エスガイとはテムジン(ジンギスカン)の父の名である」とあり、「エスガイ」の意味が分かりました。田辺聖子さんの「十八歳の日の日記」を読んでみると、田辺さんは作家になるのが当然であった人だなあと思いました。書くことが好きで、見た事、考えた事が自然と文章に現れてくる人なのでしょう。昔読んだ田辺聖子さんの小説は、古本屋に売ったのですが、「私の大阪八景/田辺聖子/角川文庫」は手元に残しています。戦争時代の大阪での生活が小説として書かれています。「十八歳の日の日記」と一緒に読むと、田辺さんの学生生活が想像できます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー文藝春秋 2021年7月特別号 「田辺聖子『十八歳の日の記録』」 ↑ p240~241。田辺聖子『十八歳の日の記録』昭和20年4月ヨリ。ー若き日は過ぎ去り易いーけれども多彩であり、豊なる収穫がある。それ故に、”若き日”は尊い。「空襲」、「敗戦」、「父の死」、「夢」を鮮烈に綴った76年前の日記発見。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2021年6月8日付 朝日新聞1面。「田辺聖子さん 戦争刻んだ日記」↓ 社会面。「田辺聖子さん 終戦前後 時代見つめる目」/「A級戦犯 太平洋に散骨」↓ 田辺聖子さんの日記。1945年8月15日、終戦日の部分。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2021年6月9日付 朝日新聞 文化欄 「自立した女性とは 少女の模索」「田辺聖子さん日記 後の作品への視点」ーーーーーーーーーーーーー↓ 2021年6月10日付 朝日新聞 文藝春秋2021年7月特別号 広告↓ 「田辺聖子 『十八歳の日の記録』」ーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 「私の大阪八景/田辺聖子/角川文庫」以前読んでいた田辺聖子さんの小説は、古本屋に売ってしまい、今手元に残しているのはこの本。
2021.06.23
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1990年、私はシンガポールに行き、生活を始めました。毎日、英語と中国語に接することができました。中国語の勉強になるかと思い、本屋で中国語のドラえもんを2冊購入しました。出版社は香港の「児童図書公司」で、「ドラえもん」の漫画のタイトルは「機器猫小叮当(ジーシエーマオシャオディンダン)」です。最近のドラえもんは「哆啦A梦(ドゥオラーエーモン」と呼ばれていますが、当時は「小叮当(シャオディンダン)」でした。のび太は「大雄(ダーシオン)」、静香ちゃんは「宣静(イーシン)」、ジャイアンは「技安(ジーアン)」、スネ夫は「阿福(アーフー)」でした。日本で小学館の「SHOGAKUKAN ENGLISH COMICS」1~4巻を購入し、英語のドラえもんも読みました。「ドラえもん/藤子・F・不二雄 第6巻」にある「のび太のおよめさん」の一場面につき、日本語、中国語、英語を比較して掲示してみます。↑ 「機器猫小叮当(ジーシエーマオシャオディンダン)」11巻、12巻。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1)ドラえもん:小叮当(シャオディンダン)。↓ 小叮当(シャオディンダン)。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2)のび太:大雄(ダーシオン)。ーーーーーーーーーーーーーーーー3)源静香:源宣静(ユェンイーシン)。ーーーーーーーーーーーーー4)ジャイアン:技安(ジーアン)。ーーーーーーーーーーーーーーーーー5)スネ夫:阿福(アーフー)。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 小学館の「SHOGAKUKAN ENGLISH COMICS」1~4巻。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 「ドラえもん/藤子・F・不二雄 第6巻」。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ ドラえもん 第6巻 のび太のおよめさん より。 日本語、中国語、英語の比較。↑ スネ夫の孫の「スネ太郎」は「福太郎」、のび太の孫の「ノビスケ」は「大助」になっている。
2021.06.15
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2021年4月4日、脚本家の橋田寿賀子さんが95歳で亡くなられました。橋田さんの作品では、私は「おしん」、「渡る世間は鬼ばかり」、「春よ、こい」などがすぐに思い浮かびます。私は「おしんの心/橋田壽賀子/小学館文庫」を持っています。橋田寿賀子さんの体験談や考え方が書いてあり、一部は考えが古いと感じる部分もありますが、脚本家になる過程で色々と苦労されたことが分かります。「おしんの心」第3章に橋田さんがどのように脚本家になられたかが書いてあります。橋田さんの父の仕事の関係で、9歳まで朝鮮に住んでおり、その後大阪の女学校を卒業し、日本女子大の国文学科に入ります。戦争が終わって2年目の1947年に卒業しましたが、母親が勝手に婿を決めており、結婚式をするという話に驚き、東京に残るため東大と早稲田大を受けて、合格した早稲田の国文科に通う事にしました。母親は怒り、仕送りが無くなりましたが、東京にいた祖母が学費を援助したそうです。早稲田に学生演劇の劇団があり、加入すると演劇が面白くなり、2学期から早稲田の芸術科に転科します。1950年、橋田さんが25歳の時、友人から「松竹の試験があり、おカネくれて、脚本の書き方を教えてくれるそうだ」との話を聞き、試験に臨みます。1200人の応募者が殺到し、まず50人が採用され、脚本養成所の研究期間を経て、最後の6人に残ったそうです。女性は橋田さんだけでした。松竹の大船撮影所脚本部に勤めることになりましたが、徒弟制度の職場で、女性が活躍するのは難しかったそうです。京都撮影所脚本部に移ってからも、脚本家の先生や先輩の下働きばかりで、脚本の先生の家に行くと、「お茶を汲め」とか「お酌をしろ」とかいわれ、先生の奥さんからからは、皿洗い、台所の掃除などこき使われたそうです。大船撮影所に戻るも状況は変わらず、脚本を書けば、監督や男性陣に徹底的に書き直され、抵抗すると冷や飯ぐらいの生活になりました。10年目に秘書室に配置転換されたとき、会社を辞めたそうです。松竹を辞めた1960年頃はちょうどテレビの草創期で、テレビ局に原稿を持ち込みました。3年後に持ち込み原稿が、日本テレビのプロデューサーの目にとまり、初めてテレビドラマを執筆することができたそうです。p70~71には、テレビプロデューサーの石井ふく子さんと出会ったことが書かれています。当時、石井ふく子さんは「東芝日曜劇場」(TBS) のプロデューサーとして近寄りがたい人で、橋田さんよりひとつ年下ですが、脚本を石井さんにある程度書いて渡すたびに、がんがん怒られ、映画用の台詞ではなく、ホームドラマ用の台詞を使うように徹底的に叩き込まれたとの事です。「私は石井さんに、ドラマを書く上でのエネルギーとなる血を全部、入れ替えられたのだと思います。そして、彼女と出会ったことで、私はテレビにはまったといってもいいかもしれません」と書いてあります。2021年4月7日付の朝日新聞朝刊に、「橋田寿賀子さんを悼む」として、俳優の泉ピンコさんと、テレビプロデューサーの石井ふく子さんが橋田さんの思い出を語っています。印象的だった部分は、石井ふく子さんの次の話です。「一度だけ途中で『書くと言ったけど、書けない』と(橋田さんから)言われました。もう何十年も前の話です。『好きな人ができた。頭の中がいっぱいで』と言うのです。お相手は(TBSの)私と同じ部署の人でした。放っておけなくて、その同僚を呼び出して橋田さんの電話番号をお教えしました。後日、橋田さんからお礼と交際の報告がありました。その報告を受けて私がすかさず言ったのは『これで台本は書けるわよね』でした。橋田さんはしっかり書き上げました。そのお相手が、ご主人になった岩崎嘉一さんです。以降、お友達としても長いお付き合いが続きました。」↑ 「おしんの心/橋田壽賀子/小学館文庫」↑ 橋田寿賀子さんは若い頃、ユースホステルに泊まりながら日本を旅行したそうです。多い時には、年の半分も泊まり、色々な人と話をしました。それが脚本を書く上でとても役に立ったそうです。↑ 2021年4月7日付 朝日新聞朝刊。↑ 橋田寿賀子さん(右)と泉ピン子さん。
2021.06.12
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2021年3月24日、「北の国から」などのドラマで有名な俳優、田中邦衛(たなかくにえ)さんが88歳で亡くなりました。テレビの追悼番組では、「北の国から」の「初恋」が放送され、今まで再放送で何度も見たのに、見入ってしまいました。初恋の女の子の家族が夜逃げをしたり、長男の純役の吉岡秀隆さんが東京に行くので、父の黒板五郎役の田中邦衛さんがトラックの運転手にお礼のお金を入れた封筒を渡すのですが、運転手は純に「受け取れない」と言って封筒を返します。封筒の中のお札には、五郎さんが働いたときに付いた土が付着していました。学生の頃、ドラマの影響もあり、富良野へ遊びに行きました。妻も同様に、ドラマを見て富良野へ行ったことがあると言っていました。2021年4月3日の朝日新聞朝刊には、「不器用な父 光った五郎役 田中邦衛さん『北の国から』21年」という見出しがあり、田中邦衛さんが紹介されていました。「役者人生の転機となり代表作となった1981年開始の主演ドラマ『北の国から』は、フジテレビが予算と期間をかけて制作した。東京から郷里の北海道・富良野に戻り、幼い淳と蛍を育てながら、大自然の中で生きる中年男・黒板五郎を演じた。」「五郎役には、高倉健さんや藤竜也さんらスター俳優も候補に挙がっていた。脚本を書いた倉本聰さんは「誰が一番情けないか」で田中さんに決めたという。」「そんな田中さんも、五郎を演じるには苦労したそうだ。『なんでそんなに顔で表現しようとするのかなあ、クニさんは。そういうのは全部邪魔なんだ』。演出した杉田成道さんからそう駄目出しを受けたこともあったという。」2021年4月4日の朝日新聞朝刊には、「田中邦衛さんを悼む 寄稿 倉本聰(脚本家)」があり、上記の話が倉本さんの言葉で書かれています。「『北の国から』が始まるとき、主人公の候補は数人いた。その中から我々は最も情けないのは誰なんだろうと考え、満場一致で邦さんに決まった。僕にはしかしやや不安があった。当時の邦さんの演技には、笑わそうという邪心が習性のようにあったからである。青大将(加山雄三さん主演の若大将シリーズでの田中邦衛さんの役)は捨ててください、と最初に僕は云い、邦さんはムッとしてボソボソ何か云った。しかし彼はたちまち事を理解し、ぐんぐん自分を変えていった。邦さんはどんどん変化した。そんな田中邦衛が逝ってしまった。」↑ 2021年4月3日 朝日新聞朝刊。ーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 2021年4月4日 朝日新聞朝刊。
2021.06.11
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ジャーナリストで作家であり、文芸春秋社で編集長などをされた半藤一利(はんどうかずとし)さんが、2021年1月12日に90歳で亡くなられました。ブログにすぐ書こうと思っていましたが、あっという間に時間が経ってしまいました。2021年1月15日付の朝日新聞朝刊に、ノンフィクション作家の保坂正康(ほさかまさやす)さんが「半藤一利さんを悼む」という文章を書かれています。半藤さんは東京大学のボート部に所属し、全日本選手権の決勝で慶応大学に敗れて、ヘルシンキ五輪(1952年)の出場を逃し、「50センチの差で五輪に行けなかった」といつまでも言っていたそうです。半藤さんが昭和28年(1953年)、文芸春秋に入社し、すぐに「坂口安吾の原稿をとってこい」と言われ、群馬の坂口安吾氏の家で酒を飲んで寝泊まりした事から編集者の歩みが始まったそうです。司馬遼太郎氏、松本清張氏なども担当されました。半藤さんは千人単位の人に会い、戦争体験も数多く聴いており、人間観察に優れていたそうです。昭和の参謀と言われた瀬島龍三氏に取材した後、半藤さんは保坂さんに「瀬島氏がうそをつくときの顔、わかるか?」と聞いたそうです。頭の中で考えていたことを言っている人は、声の調子や目の動きなどから全てわかるとの話でした。そのため証言は信用に足る部分だけを使っていたそうです。1989年にベルリンの壁が崩壊した後、半藤さんは奥様と一緒に壁を見に行きました。壁の前で、東西冷戦が終わったという感慨の大きさで、体が自然と能の舞を始め、周りに人だかりができ、終わったら拍手が起きたそうです。私はベルリンの壁が崩壊して数年後にオランダからベルリンに行きました。ベルリンの壁は少し残っており、路上には露天商が、ベルリンの壁のかけらや東ドイツの品物を売っていました。東ドイツの軍の帽子やバッジを買ったのですが、帰国後に祖父に帽子を見せると、興味を持ってすぐに帽子を被った姿が強く記憶に残っています。25年くらい前の話ですが、夏休みに田舎に帰り、祖父の家で半藤一利さんの「モノンハンの夏」を読んでいると、祖父が本のタイトルに気が付き、「モノンハンでどのような戦いがあったのか、手短かに教えてほしい」と言うので、本の内容をかいつまんで話した事があります。祖父は戦時中、中国には行っていましたが、当時ソ連の動きはよく分からなかった」との事でした。私の本棚にある半藤一利さんの本を紹介します。半藤さんは沢山の本を出されていますので、持っている本はまだ一部ですが、今後も少しずつ買い増して読もうと思います。あの戦争がなぜ起きて、何があったのか、もっと知りたいと思います。↑ 2021年1月15日 朝日新聞朝刊。作家の半藤一利(はんどうかずとし)さん。2021年1月12日。老衰のため90歳で死去した。↑ 2021年1月15日 朝日新聞朝刊。↑ 「モノンハンの夏/半藤一利/春秋文庫」祖父がモノンハンの戦いについて色々と聞いてきたので、本の内容を説明した思い出がある。↑ 私の本棚に入れている半藤一利さんの本。ーーーーーーーーーーーー↑ 「幕末史/半藤一利/新潮文庫」、「昭和史 1926→1945/半藤一利/平凡社」、「昭和史 戦後篇 1945→1989/平凡社」↑「日本型リーダーはなぜ失敗するのか/半藤一利」、「『昭和』を振り回した6人の男たち/半藤一利編著/小学館文庫」↑「指揮官と参謀 コンビの研究/半藤一利/文春文庫」、「漱石先生ぞな、もし/半藤一利/文春文庫」↑ 「昭和史が面白い/半藤一利編著/文春文庫」、「モノンハンの夏/半藤一利/文春文庫」↑「ソ連が満州に侵攻した夏/半藤一利/文春文庫」、「真珠湾の日/半藤一利/文春文庫」↑「日本のいちばん長い日/半藤一利/文春文庫」、「あの戦争と日本人/半藤一利/文春文庫」↑「昭和史裁判/半藤一利、加藤陽子/文春文庫」、「聯合艦隊司令長官 山本五十六/半藤一利/文春文庫」↑「太平洋戦争/日本軍艦戦記/半藤一利/文春文庫」、「三国志談義/安野光雅・半藤一利/文春文庫」↑ 「十二月八日と八月十五日/半藤一利編著/文春文庫」、「仁義なき幕末維新 われら賊軍の子孫/菅原文太・半藤一利/文春文庫」↑「歴史探偵 昭和史をゆく/半藤一利/PHP文庫」、「山県有朋/半藤一利/PHP文庫」↑「日本海軍の興亡/半藤一利/PHP文庫」、「ドキュメント 太平洋戦争への道/半藤一利/PHP文庫」↑「完本・列伝・太平洋戦争/半藤一利/PHP文庫」、「レイテ沖海戦/半藤一利/PHP文庫」↑ ルンガ沖夜戦/半藤一利/PHP文庫」、「聖断/半藤一利/PHP文庫」↑ 「安吾さんの太平洋戦争/半藤一利/PHP文庫」、「原爆の落ちた日 決定版/半藤一利・湯川豊/PHP文庫」↑ 「アメリカはいかに日本を占領したか/半藤一利/PHP文庫」
2021.06.10
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2021年5月中に買って読んだ本です。ゴールデンウィークに神保町の本屋へ行き、沢山買いました。自分にとって今興味がある分野の本です。会社の行き帰りは、電車の中でひたすら本を読みます。それ以外に、古本屋で本を買ったり、図書館で資料本を借りたり、面白そうな雑誌を購入したり、新聞を読んで切り抜きをしています。残りの時間にブログを書きます。部屋の本棚は3重にして本を置いています。ベッドの下も周りも本だらけなので、本を少し処分することにしました。65冊選んで古本屋に持っていきました。↑ 「にっぽんのカワセミ/監修:矢野亮、編集:ポンプラボ/カンゼン」カワセミの行動と今までの研究について、詳しく書かれている。カラー写真も満載。↑ 「フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔/高橋昌一郎/講談社現代新書」フォン・ノイマンをはじめ、ハンガリーから天才がどんどん輩出したが、理由はなんだろうと思う。↑ 「調べる技術・書く技術/野村進/講談社現代新書」調べて、取材し、構成を考えてノンフィクションを書く流れが詳しく書かれている。p247~254で、「本文で紹介したノンフィクション作品および主な参考文献」が紹介されている。↑ 「伝わるノートマジック/西寺郷太/スモール出版」以前から購入しようか迷っていたが、今回買うことにした。西寺さんの書いたノートを見ると、とても楽しい。ノートに書くことで頭が整理されている。↑ 「始めるノートメソッド/西寺郷太/スモール出版」西寺さんのノート術、第2弾です。「僕のノート作りとは ある情報を見開き数枚の紙にまとめて、人に説明できるまで理解すること」。↑ 「推し、燃ゆ/宇佐美りん/河出書房新社」第164回芥川賞受賞作。2021年本屋対象ノミネート。ものすごく話題になったので、本を買って読んだが、私にとってはとても難しい話だった。↑ 「アニメを作ることを舐めてはいけない 「Gーレコ」で考えた事/富野由悠季/角川書店」「Gのレコンギスタ」制作について詳しく書かれている。巻末資料も付いている。↑ 安彦良和 マイ・バック・ページズ/安彦良和、石井誠/太田出版」石井誠さんが安彦良和さんにロングインタビューし、安彦さんの全仕事を記した本。↑ 「死ぬほど以外かすり傷/幻冬舎編集者/箕輪厚介/マガジンハウス」箕輪さんの仕事の仕方は、驚く話ばかり。↑ 「日本観光列車ガイド2021/谷崎竜/イカロス出版」早く観光列車に乗りたいと心底思う。↑ 「古写真を見て歩く 江戸・東京歴史探訪ガイド改訂版/「江戸楽」編集部著/メイツ出版」幕末・江戸の写真と現代の写真が対比されており、とても分かりやすい。↑ 「地形がわかる東海道五十三次/監修:大石学/朝日新聞出版」いつか東海道を歩きながら、史跡を見ていきたい。↑ 「浮世絵の解剖図鑑/牧野健太郎/エクスナレッジ」浮世絵の解説がとても分かりやすい。ーーーーーーーーーーー↑ 図書館で借りている資料本。いつもリュックサックに入れており、必要な時に取り出して読む。↑ 「the Japan times alpha」 契約をしたので、毎週家に送られてくる。↑ 新聞紙を読んでいて、気になる記事はちぎって棚に置いておく。必要な時に見直す。ーーーーーーーーーーー2021年5月に古本屋で買った本。↑ 「別冊歴史REAL 歩く・観る・学ぶ 江戸の大名屋敷/原史彦/洋泉社」↑ 「カラー版 古地図で読み解く 城下町の秘密/男の隠れ家編集部/三栄書房」↑ 「タモリさんに学ぶ『人生の後半』を生きるコツ/内藤誼人」ーーーーーーーーーーーーーーーーーー今回、古本屋に持って行った65冊の本。
2021.05.31
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経済関係の雑誌は、面白そうな記事があれば購入して読んでいます。「日経エンタテインメント!2021年4月号/日経BPマーケティング」では、「広がる『少年ジャンプ』ワールド」という特集があり、<徹底研究>アニメ『呪術廻戦』」で詳しくアニメが紹介されています。私は『呪術廻戦』をマンガやテレビで見た事は無いのですが、人気が急上昇しているということを聞き、雑誌を読んで内容を知ることにしました。p60では、松原みきさんの「真夜中のドア」が世界チャート1位になった紹介と、デジタル化で旧譜が”宝の山”になることが書いてあります。「1979年発売の松原みき『真夜中のドア/Stay with me』の再生数が、世界中で急上昇したのだ。その人気は、世界で3億2000万人以上のユーザーが利用するSPotifyのグローバルバイラルチャートで15日連続一位を獲得するほどだった」発売元のポニーキャニオンデジタル戦略担当のエグゼウティヴ・プロデューサーの今井一成さんのコメントがあり、「海外のインフルエンサーが椅子に乗ってくるくる回る動画をTicTokに上げたとき、『真夜中のドア』を使用したんです。さらにRainych(レイニッチ)というインドネシアのYouTuberがカバー動画を上げたことも、大きな要因になりました。これらがネットで話題になると、『真夜中のドア』の再生数も大きく伸びていったのです」と書いてあります。「我々レコード会社は日々データ分析を行い、そこを救い上げ、より大きな波にしていくことが重要になります。『真夜中のドア』もデータ分析ツールでSPotifyの海外再生数の急増を見つけ、プロモーションを行っていきました」「『真夜中のドア』のように、いつどこでどんな曲のヒットの芽がうまれるかは誰にも分からない。だからこそ(過去の楽曲である)カタログを充実させることが重要になります。見方を変えれば、レコード会社が所有する数々の音源は、ストリーミング時代において『宝の山』なのです。今井氏が注目している曲は、尾崎亜美さんの「純情」だそうです。私は学生の頃、尾崎亜美さんのレコード「Air Kiss」をテープに入れて聴いていました。この中に「純情」が入っています。とてもテンポが良い歌です。ーーーーーーーーーーーーーーーーー「日経ビジネス 2021年5月17日/日経BP」では、「航空・鉄道5社、前期計2兆円近い赤字。ワクチン頼み、薄氷の黒字計画」の記事が気になりました。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↑「日経エンタテインメント!2021年4月号/日経BPマーケティング」「広がる『少年ジャンプ』ワールド」<徹底研究>アニメ「呪術廻戦」↑ p60。40年前の歌謡曲が世界チャート1位。↑ 松原みきさんの「真夜中のドア/Stay with me」紹介。↑ 尾崎亜美さんの「純情」が紹介されている。アルバム「Air Kiss」収録曲。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↑「日経ビジネス 2021年5月17日/日経BP」
2021.05.30
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山雑誌「ワンダーフォーゲル」ですが、2021年6月 158号をもって休刊することになりました。今回は「夏山大縦走への招待」として「渡り鳥のように山頂から山頂へ。山登りの醍醐味は縦走にあり!北海道から九州まで、日本全国の名縦走ルートをピックアップ。この夏、憧れのあの縦走路をあるいてみませんか?」と表紙にあります。コロナ禍が落ち着けば、ぜひ山に行きたいと思います。休刊の理由が書いてないので分かりませんが、雑誌が休刊になるのは淋しいです。面白い記事がある雑誌は買うようにしていますが、雑誌の金額よりも、記載されている情報の価値の方が、はるかに高いと思っています。↑ ワンダーフォーゲル 2021年6月号(通巻158号)/山と渓谷社。
2021.05.28
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画家の山下清さん(1922年~1971年)ですが、色々な地域を旅し、放浪の画家、日本のゴッホと呼ばれていました。テレビでは芦屋雁之助さんが「裸の大将放浪記」で山下清さんを演じられていたことを思い出します。山下清さんに関する本ですが、下記3冊を持っています。①「ヨーロッパぶらりぶらり/山下清/ちくま文庫/筑摩書房/1994年9月21日発行」②「日本ぶらりぶらり/山下清/ちくま文庫/筑摩書房/1998年4月23日発行」③「裸の大将 遺作 東海道五十三次/山下清/小学館/2000年7月1日発行」山下清さんの絵の描き方ですが、「裸の大将 遺作 東海道五十三次/山下清/小学館/2000年7月1日発行」に次の記載があります。山下清さんの親戚の方の文章です。「テレビドラマの『裸の大将放浪記』では、放浪先で絵を描き、さまざまな感動を残すストーリーとなっているが、実際の放浪ではほとんど絵を描いていない。旅先で見た風物を自分の脳裏に鮮明に焼きつけ、実家や八幡学園(千葉県市川市)に帰ってから自分の記憶によるイメージを描いていたのである」。私が何度も繰り返して読んだ本に、「火星の人類学者/オリヴァー・サックス/訳者:吉田利子/早川書房/2001年4月15日発行」があります。何度も読んだので、中の一部分が外れてしまい、2冊目を購入しました。この本のp271から「神童たち」という章があり、一度見た景色は何年たっても忘れずに、詳細まで記憶を呼び起こして絵を書くことができる少年の話が載っていました。サヴァン症候群と呼ばれるそうで、この本を読むと、放浪の画家・山下清さんの事を思い出します。↑ 画家の山下清さんに関する手持ちの本。↑「ヨーロッパぶらりぶらり/山下清/ちくま文庫/筑摩書房/1994年9月21日発行」山下清さんは1961年(昭和36年)6月、八幡学園の顧問医師の式場隆三郎先生とともに、ヨーロッパを巡る旅に出た。山下さんは当時39歳だった。ドイツ、スウェーデン、デンマーク、オランダ、イギリス、フランス、スイス、イタリアを回った。↑ 山下清さんが描いた「スイスの湖畔」。↑「日本ぶらりぶらり/山下清/ちくま文庫/筑摩書房/1998年4月23日発行」↑ この本のp204から「山下清年譜」がある。我孫子駅の弥生軒で働いたことも書いてある。↑ 「裸の大将 遺作 東海道五十三次/山下清/小学館/2000年7月1日発行」↑ 山下清さん。↑ 山下清さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 「火星の人類学者/オリヴァー・サックス/訳者:吉田利子/早川書房/2001年4月15日発行」繰り返して読んで本が傷んだので、2冊目を購入した。↑ 「神童たち」の章に関する絵。サヴァン症候群の少年が、一度見た景色の記憶を思い出して、詳細部分まで描いたもの。・
2021.02.28
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「武漢日記 封鎖下60日の魂の記録/方方 Fang Fang/飯塚容+渡辺新一訳/河出書房新社」を読みました。武漢で発生した新型コロナウイルスにより街が約2か月封鎖されましたが、武漢に住む作家の方方さんが、その期間の出来事をブログの日記に書いていました。読んでみると、方方さんのブログが当局にどんどん消されていったり、色々なところから来るメールやブログの攻撃に耐えたり、反論したりする姿ばかりが記憶に残りました。中国でここまでブログが書けた事に驚きました。↑「武漢日記 封鎖下60日の魂の記録/方方 Fang Fang/飯塚容+渡辺新一訳/河出書房新社」↑ 武漢に住む作家の方方さんの紹介。↑ 武漢の位置。↑ 武漢の地図。ーーーーーー↑ 武漢日記の広告 2020年9月13日付朝日新聞。
2020.09.14
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「秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本/J・ウォーリー・ビギンズ/光文社新書」「続 秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本/J・ウォーリー・ビギンズ/光文社新書」を購入して読みました。昭和30年代に撮影された日本全国の鉄道カラー写真が沢山掲載されており、ページをめくる度に驚きます。1957年撮影された広島の原爆ドームや、原爆の爆心地の写真はとても印象に残りました。紹介文は次の通りです。J・ウォーリー・ヒギンズ氏ですが、1927年に米国ニュージャージー州生まれ。コルゲート大学卒業、ミシガン大学で修士課程修了後、1956年に初来日、1958年に本格的に来日以降、日本に在住。国鉄の顧問を務め、現在はJR東日本国際事業本部顧問。東京都在住。日本全国をくまなく巡り、当時貴重だったカラーフィルムで鉄道写真を撮り続ける。2007年度日本写真協会賞特別賞受賞。著書に「発掘カラー写真 昭和30年代鉄道原風景路面電車編/東日本私鉄編/西日本私鉄編/国鉄編」「発掘カラー写真 昭和30年代乗り物のある風景 東日本編/西日本編」「発掘カラー写真 昭和40年代鉄道風景 東日本編/西日本編」(以上、JTBパブリッシング)など多数。海外の鉄道写真も撮影し、日・米・英などで出版している。↑ 元祖、カラー「撮り鉄」ヒギンズ氏がつぶさに記録した昭和30年代。日本とも鉄道とも早くから縁のあった私が、駐留米軍の軍属として日本の土を踏んだのは、1956年3月31日だった。羽田についたのは午前2時頃で、軍用バスで横須賀まで移動した。入国前に、すでに広島の呉に配属された友人から日本の鉄道システムについてあれこれ聞いていた私は、入国前から、日本国内での電車での旅の仕方を考えていた。そんなこともあって、バスの車窓から見える京急の線路にワクワクしたものだ。深夜の事で、電車は走っていなかったが、それでも道路と平行して走る線路が見えたのを覚えている。(「はじめにー自己紹介」より)↑ 元祖「カラー撮り鉄」ヒギンズ氏が歩いて、愛した、昭和30年代の日本。「旅行に行く先々では、基本的には日本語しか通じない。他の国では、現地の言葉が出来ず話が通じないと判明した段階で、まわりから放り出されてしまうことは珍しくない。ところが、日本はちがった。まったく話の通じない私を目の前にして、ああ言っているんだろう、こう言っているんだろうと、みんなが私を巡ってあれこれ相談しているのがわかる。彼らは決して放り出さずに、こちらの要望を推察してくれた。そして、これかな、と思うものを持ってきてくれたり、してくれたりするのだが、それがほとんどの場合、こちらの期待以上だった。これが、私が日本を好きになった大きなきっかけだ。」(「はじめにー前作をだしてから」より)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 「秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本/J・ウォーリー・ビギンズ/光文社新書」上野広小路(1957年3月) 当時の東京の乗用車の台数は、まだ決して多いとは言えなかった。そう考えると、ここ上野広小路に集まっていた車の数の大きさには驚かされる。↑ P242~243 行楽(レジャー)↑ P243 向ヶ丘遊園(神奈川県)1964年5月17日。これはすごく面白い1枚だと思う。日本には写真が好きな人が沢山いるのがよくわかる写真でもある。人は自分が楽しいと思うことをするものだ。カメラを構えている人たちにとっては、女性たちを撮るのが楽しいんだ。それも日本の文化の一面だと思う。歌舞伎とか能こそが日本の文化だと信じ込んでいる人もいるけれど、好きなことをさせたら人々が何をするかっていうのも、文化の一端ではないだろうか。↑ P291 相生(あいおい)通り(広島県広島市)1957年4月26日。道路にはほとんど車がない。自動車が線路に立ち入らないための障壁や標識が必要なかったのどかな時代の光景だ。↑ 「続 秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本/J・ウォーリー・ビギンズ/光文社新書」鴨宮(神奈川県)1963年8月14日。お盆の時期に公開された新幹線。見物客が奥の方までぎっしりだ。↑ P372~373。(原爆の)爆心地付近(広島県)1957年4月26日。 広島平和記念公園周辺。これはグラウンド・ゼロの付近を撮った写真だ。グラウンド・ゼロとは爆発のあった直下の事を指す。このあたりが一番熱がひどかったということになる。
2020.09.13
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2020年9月5日(土)の朝日新聞広告欄に「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争/三輪田杏珠X渡邉英徳(記憶の解凍プロジェクト)/光文社新書」の紹介があり、カラーの広島市内の写真が目を引きました。写真は「1946年8月5日、原爆投下から1年、まだ焼け野原が目立つ広島市内。八丁堀の福屋デパートから南東方向を望むカップル(共同通信社提供)」と説明文が付いていました。原爆投下1年後のカラー写真を見ることに驚きました。モノクロ写真からAI技術より「自動色付け」をし、色々な情報、コメントにより手作業で色補正をしたそうです。近所の本屋さんには置いてなかったのですが、どうしてもすぐに見たかったので、週末の自宅蟄居を止めて、神保町の本屋へ行き、購入しました。読んでみると、355枚の写真がカラーになっています。印象に残った「原爆投下1年後のカップル」の写真ですが、カップルの頭上に写る建物は「右近」という旅館で、改築を経て串焼き屋「右近」として現存していることが書いてあり、驚きました。↑ 2020年9月5日(土)の朝日新聞。↑ 「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争/三輪田杏珠X渡邉英徳(記憶の解凍プロジェクト)/光文社新書」の広告。↑「1946年8月5日、原爆投下から1年、まだ焼け野原が目立つ広島市内。八丁堀の福屋デパートから南東方向を望むカップル(共同通信社提供)」。↑ モノクロ写真のカラー化。カップルの頭上に写る建物は「右近」という旅館で、改築を経て串焼き屋「右近」として現存しているとの事。↑ 「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争/三輪田杏珠X渡邉英徳(記憶の解凍プロジェクト)/光文社新書」。↑ 表紙の写真。現存する(広島市の)「本通り」商店街にて、戦前に撮影された写真。本通りは中島地区と新天地を結ぶ通りとして賑わい、両側に並ぶ広島名物の鈴蘭(すずらん)灯は、通りを歩く人々の目を楽しませていた。しかし、戦況の悪化にともなう金属供出によって姿を消した。↑ 「秘蔵カラー写真で味わう 60年前の東京・日本/J・ウォーリー・ヒギンス/光文社新書」、 「続 秘蔵カラー写真で味わう 60年前の東京・日本/J・ウォーリー・ヒギンス/光文社新書」も併せて買った。
2020.09.12
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外山滋比古(とやましげひこ)さんが2020年7月30日、胆管ガンのため96歳で亡くなられた事をニュースで知りました。外山滋比古さんは1923年、愛知県で生まれ、東京文理科大学英文科を卒業され、雑誌「英語青年」編集、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授を経て、お茶の水女子大学名誉教授になられました。文学博士で、英文学だけでなく、思考、日本語論、評論などさまざまな分野で仕事を続けられ、特に「思考の整理学」はベストセラーとして読み継がれています。この「思考の整理学」ですが、1983年に筑摩書房から「ちくまセミナー1」として刊行され、1986年に文庫本となりました。有名な話ですが、2007年に岩手県盛岡市のさわや書店店員の松本大介さんが、「思考の整理学」の本に「もっと若い時に読んでいれば・・・」というPOPを書いたのがきっかけで注目を集め、翌年には東京大学と京都大学大学生協の書籍販売で第一位を獲得し、総合売り上げが250万部を突破する超ロングセラーになりました。私は外山さんの本を4冊持っています。「思考の整理学」、「乱読のセレンディピティ」、「読みの整理学」、「ライフワークの思想」です。この中で何度も読んだのは「乱読のセレンディピティ」です。特に印象的な話はP134の「英語青年の編集」です。外山さんは大学を卒業して中学校で英語を教えていましたが、うまくいかず大学に戻り研究生をしているとき、恩師の福原麟太郎先生から月刊雑誌「英語青年」の編集職を紹介されました。編集部と言っても外山さんが一人で全てを行わないといけません。本は売れず、返品率が2割、3割、4割とどんどん膨らみ、どうすれば売れる雑誌になるのかまったくわからず、悩む状況が続きます。そんな時、編集は料理に似た加工であるというアイデアがひらめきます。料理は材料を調理して食べ物にしますが、これは編集が執筆者が書いた原稿を、うまく組み合わせておもしろい紙面にする編集と通じるところがあると考えました。「英語青年」の返品が4割5分に迫ったころ、読者を驚かす、そして買わずにいられない特集企画を立て、失敗したら退職しようと背水の陣で臨みました。「学校文法と科学文法」という二号に渡る特集で発売すると、発行1週間で売り切れ、追加注文があるも増刷できず、次号は1万2千部発行すると完売しました。最初2年間はやってくれと言われた編集の仕事を、結局12年もする事になりました。↑「思考の整理学/ちくま文庫」、「乱読のセレンディピティ/扶桑社文庫」、「読みの整理学/ちくま文庫」、「ライフワークの思想/ちくま文庫」↑「思考の整理学/ちくま文庫」 250万部を超えたベストセラー。人間には、グライダー能力と飛行機能力がある。先生と教科書に引っ張られて勉強するばかりでは、グライダーのように、空を滑空することはできても、飛行機のように自力で飛ぶことはできない。多くのグライダーのような学生に対して、論文は何でも自由に好きなものを書けというと、学生はどうしてよいかわからず途方に暮れてしまう。グライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらいいのか、学校も社会もそれを考える必要がある。↑ 2007年に岩手県盛岡市のさわや書店店員の松本大介さんが、「思考の整理学」の本に「もっと若い時に読んでいれば・・・」というPOPを書いたのがきっかけで注目を集めた。それまでこの本は数万部の売り上げだったが、その後、250万部を超えるベストセラーになった。「乱読のセレンディピティ/扶桑社文庫」P92 アメリカ人はよほどセレンディピティということばが好きらしく、町の通りの名にしたり、喫茶店の名にしたりする。辞書を見ると、セレンディピティ(serendipity)思いがけないことを発見する能力。とくに科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。セレンディピティ。〔おとぎ話 The Three Princes of Serendip (セレンディップの三皇子)の主人公がこの能力をもっていることから。イギリスの作家H・ウォルポールの造語〕(大辞林)とある。「セレンディップの三皇子」というおとぎ話はイギリスで流行した。三皇子が探すものは出てこないのに、逆に思いもかけぬものがいつも飛び出してくるという不思議な話。セレンディップはセイロン、のちのスリランカのこと。セレンディピティの例だが、イギリスの生物学者A.フレミングがブドウ球菌を培養中、偶然アオカビが混入し、結核を治す薬ペニシリンの発見になった。乱読によりセレンディピティが起こる可能性がある。「読みの整理学/ちくま文庫」P102 読書には、すでに良く知っている話を読む「アルファー読み」と、未知の内容を読む「ベーター読み」があり、最近は「アルファー読み」しかしない人が多い。「ベーター読み」は訓練しないとできない。分からない内容について一生懸命分かろうとする努力が必要。「ライフワークの思想/ちくま文庫」P10~12 日本人はこれまで、ヨーロッパに咲いた文明の”花”を切り取って、身辺に飾ることを勉強だと思い、それを模倣することをもって会社の進歩と考えてきた。大学教育なども切り花専門の花屋で、学生に押し付けてきた。これでは、いかにして花を咲かすかを考える暇は、もちろんない。どんなに貧しく、つつましい花であっても自分の育てた根から出たものには、流行の切り花とは違った存在価値がある。それが本当の意味での”ライフワーク”である。
2020.08.04
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新型コロナウイルスの影響に関する新聞記録で、前回②の続きです。新聞はthe japan times alphaで、5月22日~7月17日です。ーーーーーーーーーーー50)「the japan times alpha、5月22日」東京都は5月11日、コロナウイルスの流行期間中に休業をした中小企業に対し、補償として助成金の給付を開始した。ーーーーーーーーーーー51)「the japan times alpha、5月22日」政府とマスコミの圧力に屈する形になったが、東京都は実施したコロナウイルス検査数と陽性率を1月にさかのぼって公表した。ーーーーーーーーーーー52)「the japan times alpha、5月22日」英国政府は5月11日、今までのマスクの方針を180度転換し、国民に対して店、バス、地下鉄ではマスクを着用して口と鼻を覆うよう要請した。ーーーーーーーーーーー53)「the japan times alpha、5月22日」中小企業の約60%が、もしコロナウイルスの世界的流行が数か月以内に収束するなら、COVID-19の発生とそれに関連した休業の問題を乗り切ることができると答えた。4月26日にエヌエヌ生命保険が発表した。ーーーーーーーーーーー54)「the japan times alpha、5月29日」今年の夏、富士山は閉山することになった。コロナウイルスの拡散を防止するための措置である。静岡県は日本最高峰への4ルートのうち3ルートを管轄しているが、公式の登山時期(7月10日から9月10日)に全ルートを開けることは無いと5月18日に発表した。山梨県はすでに吉田ルート閉鎖の発表をしている。吉田ルートはとても人気があり、富士登山者の6割が利用している。(静岡県の3ルート:富士宮ルート、御殿場ルート、須走ルート)(山梨県の1ルート:吉田ルート)ーーーーーーーーーーー55)「the japan times alpha、5月29日」政府は1万人規模でコロナウイルスの抗体検査を6月から実施し、どれくらい広範囲に伝染病が拡散しているかを正確に測定すると、5月15日に厚生労働省が発表した。ーーーーーーーーーーー56)「the japan times alpha、5月29日」パンデミックにより世界経済の行方が不透明なままのため、大企業は2021年度の新入社員採用を抑制していると、共同通信社が5月16日に調査結果を発表した。ーーーーーーーーーーー57)「the japan times alpha、5月29日」28歳の三段目力士だった勝武士(しょうぶし)がコロナウイルスが引き起こした多臓器不全症で亡くなったと、5月13日に日本相撲協会が発表した。ーーーーーーーーーーー58)「the japan times alpha、5月29日」日本は新型コロナウイルスの流行が落ち着いてくる段階になれば、ビジネスを行う人の入国を認めていくと、5月15日に茂木外務大臣が発言した。ーーーーーーーーーーー59)「the japan times alpha、6月5日」安倍首相は5月25日、コロナウイルス対策で実施していた「緊急事態宣言」の解除を発表した。宣言の対象地域であった東京、千葉、埼玉、神奈川、北海道の感染者数が落ち着いてきており、経済活動の制限を終了する事にした。ーーーーーーーーーーー60)「the japan times alpha、6月5日」全日本空輸株式会社は、6月からマスクの着用を必須とする。同社は全ての搭乗者に対し、空港内と飛行機の搭乗時にマスク着用を要求し、拒否する人に対しては誰であっても搭乗できないことにした。ーーーーーーーーーーー61)「the japan times alpha、6月5日」国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長は5月25日、もしコロナウイルスの影響で東京オリンピックが2021年度も開催できなかった場合は、オリンピック自体をキャンセルすることを認めると発言した。ーーーーーーーーーーー62)「the japan times alpha、6月5日」日本のプロ野球開催がコロナウイルスの流行で延期となっていたが、6月19日から行う事を日本野球機構が5月25日に発表した。ーーーーーーーーーーー63)「the japan times alpha、6月5日」スペイン政府は5月25日、7月1日から海外観光客を受け入れるにあたり、入国者に対して課していた2週間の強制隔離を解除すると発表した。ーーーーーーーーーーー64)「the japan times alpha、6月5日」コロナウイルスの世界的な感染拡大により、航空機の多くが運休を余儀なくされている。そのような中、スペイン東部の町、テルエルにあるメンテナンス専門の空港は、運行再開に備えて整備を受けて待機する数々の航空機が集まっている。↑ スペイン東部のテルエル空港(Teruel Airport)で、ターマック・エアロセイブ・アラゴン社(Tarmac Aerosave Aragon)が旅客機のメンテナンス、補修、精密検査を行っている。(2020年5月18日撮影)ーーーーーーーーーーー65)「the japan times alpha、6月12日」厚生労働省は6月1日から、ほぼ1万人の抗体検査を開始した。ーーーーーーーーーーー66)「the japan times alpha、6月19日」新型コロナウイルスの封じ込めのためにロックダウンされていたフランスだが、5月から始まった解除が6月には第二段階に入ると発表され、飲食店の再開が許可された。パリ中心部でも「テラス席のみ」という条件でカフェやバーなどの再開が許され、花の都の象徴でもあるカフェには久しぶりに人が集まった。ーーーーーーーーーーー67)「the japan times alpha、7月17日」東京都の小池都知事は7月5日、都知事選で圧勝し再任した。ーーーーーーーーーーー68)「the japan times alpha、7月17日」イギリスでパブが再開されたが、客はおおむね適切に振る舞っていたようだと、マット・ハンコック保健大臣は7月5日に発言した。ーーーーーーーーーーー69)「the japan times alpha、7月17日」H.I.Sは1年以内に80~90店舗もしくは3分の1の店舗を閉鎖し、2021年度新卒採用も見送ると発表した。
2020.07.22
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新型コロナウイルスの影響に関する新聞記録で、前回①の続きです。新聞はthe japan times alphaで、4月10日号~5月15号です。ーーーーーーーーーー29)「the japan times alpha 2002年4月10日号」志村けんさんはベテランのドタバタ喜劇コメディアンや、ロックンロールバンドでコメディーグループの「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして、1970年代、80年代の日本でお茶の間の人気者であったが、3月29日に新型コロナウイルスに起因する肺炎で死亡したと、事務所が3月30日に発表した。享年70歳であった。ーーーーーーーーーー30)「the japan times alpha 2002年4月10日号」東京オリンピック、パラリンピックは来年、今年と同じスケジュールを組み入れて実施することになった。東京オリンピック実行委員会は3月30日、オリンピックは2021年7月23日から8月8日まで、パラリンピックは8月24日から9月5日とし、今年予定されていた日程のほぼ1年後に実施する。ーーーーーーーーーー31)「the japan times alpha 2002年4月10日号」ニューヨークは3月30日、1,000床のベットがあり、きれいに改装された米海軍病院船の到着を歓迎した。コロナウイルスの世界的流行に対して必死で戦っているNY市にとって、同船は希望の光であった。ーーーーーーーーーー32)「the japan times alpha 2002年4月17日号」安倍首相は4月7日、東京、大阪と他の5県について、新型コロナウイルスの拡散防止のため、緊急事態措置の実施を宣言した。この宣言は5月6日まで効力があり、都道府県知事に強力な権限を与えることができる。市民に対して家にとどまらせることから、学校や他の施設の運営を制限することまでの広い権限がある。(対象地域は、東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県)ーーーーーーーーーー33)「the japan times alpha 2002年4月17日号」日本のソーシャルメディアユーザー達は、創造的な方法でコロナウイルスの流行を終わらせようとしている。日本の伝説的な妖怪の絵を投稿しているのだ。その絵は半身半魚の「アマビエ」で、19世紀(江戸時代)の木版画の瓦版に初めて取り上げられた。その姿だが、長い髪とクチバシを持ち、体はウロコで覆われている。「アマビエ」は肥後の国(現熊本県)の沖に現れたと言われており、「6年間は豊作が続くものの、疫病も流行るであろう。すぐに私の姿を写し取り、人々に見せよ」と予言した。妖怪漫画家で有名な水木しげる氏の娘である原口尚子さんは、「この疫病がすぐに退散することを願っています」と話した。ーーーーーーーーーー34)「the japan times alpha 2002年4月17日号」安倍首相と与党・自民党は4月3日、新型コロナウイルスの感染拡大で収入減となり苦しんでいる各世帯に対し、30万円を給付することで合意した。(その後、30万円を支給するという「生活支援臨時給付金」制度は直前で撤回となり、一人当たり10万円を全国民に支給するという「特別定額給付金」制度に変わった)。ーーーーーーーーーー35)「the japan times alpha 2002年4月17日号」イギリスのボリス・ジョンソン首相は病状が悪化し、集中治療室に入った。55歳のジョンソン首相は意識があり、すぐに人工呼吸器をつけるまでには至っていないと首相官邸が伝えた。世界で初めてコロナで感染した事が知られた首脳となった。ーーーーーーーーーー36)「the japan times alpha 2002年4月17日号」全日本空輸(ANA)と同社労働組合は3月31日、コロナウイルスの感染拡大により減便を余儀なくされたため、6,400人の客室乗務員に対し、4月から1か月に数日の休業させる事で合意したと事情通が伝えた。ーーーーーーーーーー37)「the japan times alpha 2002年4月17日号」日本政府は4月1日、1世帯当たり2枚の再利用可能な布マスクを配布すると発表した。ーーーーーーーーーー38)「the japan times alpha 2002年4月24日号」新型コロナウイルスの感染抑制のため、安倍首相が出勤70%削減の依頼をしたが、依頼後の最初の出勤日である4月13日、多くの日本人がマスクをして通常出勤をしていた。ーーーーーーーーーー39)「the japan times alpha 2002年4月24日号」共同通信社が4月13日に発表した調査結果によると、東京や他の地域でコロナウイルスの感染拡大の対策として事業休業に応じた企業に対して、80%以上の人々が政府は補償をすべきと答えた。ーーーーーーーーーー40)「the japan times alpha 2002年4月24日号」東京の隅田川や新潟県長岡など主要な花火大会が、新型コロナウイルスの感染拡大のため、主催者の決定で中止となったことが4月10日に発表された。ーーーーーーーーーー41)「the japan times alpha 2002年4月24日号」中国当局は4月8日、1,100万人が住んでいる武漢につき、11週間(76日)ぶりに都市封鎖(ロックダウン)を解除した。ーーーーーーーーーー42)「the japan times alpha 2002年5月1日、8日号」安倍内閣は4月20日、コロナウイルスの感染拡大による影響を緩和するため、2020年年度の補正予算案を見直して117.1兆円の予算とし、一人当たり10万円の現金給付も行うことを承認した。ーーーーーーーーーー43)「the japan times alpha 2002年5月1日、8日号」入管庁は4月14日、3月の外国人訪日人数は152,100人で、前年同月比94%減となったと発表した。COVID-19の感染拡大を抑えるため入国管理をより厳しくしたためである。ーーーーーーーーーー44)「the japan times alpha 2002年5月1日、8日号」ウイルスの拡散を抑えるため、政府は全国で21万室以上のホテルルームを確保し、コロナウイルス感染の症状が軽症、または無症状の人を受け入れる事にしたと、4月19日に西村経済再生担当大臣が発表した。ーーーーーーーーーー45)「the japan times alpha 2002年5月1日、8日号」パンデミックを抑えるため緊急事態宣言の対象地域となった東京都と他の6都道府県だが、約60%の労働者が継続して出社していたと、パーソル総合研究所が4月17日に発表した。ーーーーーーーーーー46)「the japan times alpha 2002年5月1日、8日号」中国は4月20日、アメリカが中国に、故意にコロナウイルスの世界拡散を行ったのではないかと主張した事に対して、根拠の無い言いがかりであると否定した。「このウイルスは全ての人類の敵であり、いつでもどこでも現れるかもしれない」と中国外務省報道官が言った。そして「他国と同様に、中国はウイルスの攻撃を受けた国であり、加害者でも加担者でもない」と付け加えた。ーーーーーーーーーー47)「the japan times alpha 2002年5月15日号」安倍首相は5月4日、緊急事態宣言の期間を5月6日から5月末まで延長することを決めた。ーーーーーーーーーー48)「the japan times alpha 2002年5月15日号」安倍首相は4月29日、ウイルス拡大のため学校が休校を余儀なくされているため、学年開始を4月から9月に変更する案を検討すると衆院予算委員会で発言した。ーーーーーーーーーー49)「the japan times alpha 2002年5月15日号」コロナウイルス感染の恐れがあるため、救急車で搬送された患者が病院で拒否される件数が、この4月は前年月比で5倍になっていたとの調査発表があった。
2020.07.21
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2020年に世界中に拡散した新型コロナウイルスですが、時系列で記録に残します。全国紙などの新聞は古紙回収に出したので、手元にある「the japan times alpha」で紹介します。1回目は、2020年1月24日号から4月3日号までです。ーーーーーーーーーーーーー1)「the japan times alpha 2002年1月24日号」タイを訪問中の中国人が新型コロナウイルスに感染していることが確認されたと、タイ衛生当局が1月13日に発表した。このウイルス株は中国の中央部(武漢)での肺炎発生と関連している。武漢から来た旅行者は、ウイルス感染者としてタイの病院に入院させられた。ーーーーーーーーーーーーーー2)「the japan times alpha 2002年1月31日号」中国当局は新型コロナウイルスの発生により4人目の死者が出たと発表した。人から人へ感染するケースが見られ、特に旧正月の旅行ラッシュの始まりにより、急速にもっと広範囲に感染が広がる事を、1月20日付で中国保健局が認めた。ーーーーーーーーーーーーーー3)「the japan times alpha 2002年2月7日号」死に至るウイルスが発生した中国中央部の武漢から、206人の日本国籍者を乗せたチャーター機が出発し、東京に1月29日朝到着した。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー4)「the japan times alpha 2002年2月14日号」2月4日までに中国本土における新型コロナウイルスの感染者数が2万人を超え、425人の死者数が出たことを受け、中国の最高指導部はコロナウイルス発生の対応につき、「欠点と困難」があったと認めた。(新聞の写真:2月4日、中国中央にある湖北省の省都・武漢で、展示会場にベッドが搬入され、病院として使う事になった)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー5)「the japan times alpha 2002年2月21日号」新型コロナウイルスの感染が疑われていた日本人の男性1人が中国の武漢で死亡したと、2月8日に日本の外務省が発表した。ウイルスにより死亡した最初の日本人と思われる。その60代の男性は1月22日から重症の肺炎で入院していたと日本政府筋が話した。ーーーーーーーーーーーー6)「the japan times alpha 2002年2月21日号」死の危険があるコロナウイルスの感染拡大を止めるために、中国が旧正月中、外国行きのグループ旅行を全て禁止したため、日本の主要な百貨店は、免税販売の売り上げが下がったと発表した。ーーーーーーーーーーーー7)「the japan times alpha 2002年2月28日号」政府がダイヤモンドプリンセス号の乗客に関し、日本人43人を含む99人が検査で陽性反応であったと発表したことを受け、厚生労働省は2月17日、COVID-19ウイルスに感染しているかもしれないと不安に思っている人々に対してガイドラインを公表した。ガイドラインでは、症状が出た人は在宅を促し、症状がひどくなったら政府が設置した特別相談センターに電話をすることになっており、熱が37.5度以上でかつ4日以上続いたり、呼吸が困難になったり、だるく感じる場合に相談を求めるようアドバイスが書いてある。(写真:2月18日、東京。通勤者の多くはマスクをしている)ーーーーーーーーーーーー8)「the japan times alpha 2002年2月28日号」新型コロナウイルス流行の対応強化のため、東京マラソン参加者はエリートランナーと車椅子の競技者に限定すると、2月17日に主催者が発表した。ーーーーーーーーーー9)「the japan times alpha 2002年2月28日号」中国は2月17日、1年で一番大きい政治の会議である3月の全国人民代表大会(全人代)を延期する事になると発表した。ーーーーーーーーーー10)「the japan times alpha 2002年3月6日号」厚生労働省が「ダイヤモンド・プリンセス号」の23人の乗客に対し、コロナウイルスCOVID-19の必須検査を受けさせないまま下船させてしまったと、2月22日に加藤勝信厚生労働大臣が発表した。ーーーーーーーーーー11)「the japan times alpha 2002年3月6日号」世界保健機構「WHO : World Health Organization」は2月24日、ウィルスはまだ世界的大流行を引き起こしていないが、引き起こす可能性はあると述べた。この数週間で、どのように新型ウイルスが世界中に拡散して、広範囲に恐怖と混乱を引き起こしたかが示されたとWHОのテドロス事務局長が発言した。ーーーーーーーーーー12)「the japan times alpha 2002年3月6日号」国連の専門機関(ICAO:国際民間航空機関)の試算によると、日本は新型コロナウイルスから生じた国際航空規制のため、1月~3月の観光収入が140億円の損失になる可能性がでてきた。ーーーーーーーーーー13)「the japan times alpha 2002年3月13日号」安倍首相が全ての学校に対し、急遽4月上旬まで休校するように要請を出したが、その4日後の3月2日から、全都道府県のほぼすべての学校が、新型コロナウイルスのさらなる感染拡大を防止するためとして休校となった。ーーーーーーーーーー14)「the japan times alpha 2002年3月13日号」日本政府と中国政府は、両国が新型コロナウイルスの流行に取り組むため、中国の習近平(Xi Jinping)国家主席の日本公式訪問を延期することで合意したと、3月2日に事情通が伝えた。ーーーーーーーーーー15)「the japan times alpha 2002年3月20日号」大相撲春場所だが、続いているCOVID-19の蔓延を防ぐため、日本相撲協会は客を入れずに試合をするという前例のない決定を大会の1か月前に行い、15日間の大会は無観客試合となった。ーーーーーーーーーー16)「the japan times alpha 2002年3月20日号」3月7日、中国南東部の都市である広州市で、倒壊したホテルから52時間後に10歳の少年と母親が救助された。このホテルは新型コロナウイルスに感染した人々の隔離施設となっていた。ーーーーーーーーーー17)「the japan times alpha 2002年3月20日号」日本政府は3月9日、中国と韓国からの旅行者に対するより厳しい入国管理対策を実施した。コロナの感染拡大を防ぐ対策の一環とし、この2か国からの旅行者の入国は今月末まで禁止となる。ーーーーーーーーーー18)「the japan times alpha 2002年3月20日号」中国の習近平(Xi Jinping)国家主席は3月10日、世界的なウィルス流行の中心地である武漢を訪れた。他の国では感染が広まっている中、習氏がコロナ発生地を訪問するのは、中国において感染症の恐れが終息してきている事を示すためであった。ーーーーーーーーーー19)「the japan times alpha 2002年3月27日号」日本の国会は3月13日、安倍首相が必要と判断すれば、新型コロナウイルスの拡散に対処する「緊急事態宣言」を行うことができる時限立法を成立させた。ーーーーーーーーーー20)「the japan times alpha 2002年3月27日号」アメリカのトランプ大統領は3月12日、コロナウイルスの世界的流行のため、東京オリンピック2020を1年延期することを当局者は検討すべきで、無観客の試合をするならば、それはオリンピック大会とは言えないと発言した。ーーーーーーーーーー21)「the japan times alpha 2002年3月27日号」東京オリンピックの聖火が3月12日、古代オリンピックの発祥の地(ギリシャのヘラ神殿跡)で採火された。コロナ対策のため式は規模を縮小して実施された。↑ ウイルスを警戒する中、ギリシャでオリンピックの炎がともった。↑ ギリシャの女優であるXanthi Georgiouさんが、古代ギリシャの巫女を演じ、古代オリンピア遺跡のヘラ神殿跡で凹面鏡を使い、火を起こした。右下の写真は、オリンピック委員会のトーマス。バッハ会長。↑ ギリシャの国旗、オリンピックの旗、日本の国旗が並んで掲げられた式典会場の風景。↑ 2004年アテネオリンピック女子マラソン金メダリストの野口みずきさん(左)、2016年リオデジャネイロオリンピック射撃金メダリストのアンナ・コラカキ(Anna Korakaki)さん(右)。採火した後、アンナ・コラカキさんが女性初の聖火リレー第一走者として走った。第二走者は野口みずきさん。ーーーーーーーーーー22)「the japan times alpha 2002年4月3日号」安倍首相とオリンピック委員会のトーマス・バッハ会長は3月24日、コロナウイルスの世界的流行のため、オリンピックを1年程度延期することで合意した。ーーーーーーーーーー23)「the japan times alpha 2002年4月3日号」外務省は3月22日、コロナウイルスの感染拡大のため、アメリカへの不要不急の渡航を自粛するよう国民に要請した。ーーーーーーーーーー24)「the japan times alpha 2002年4月3日号」子供を持つ親の約70%が、コロナウイルスの発生による全国一斉休校の影響があり、困っていると答えた。東京の非営利団体が最近、調査結果を発表した。ーーーーーーーーーー25)「the japan times alpha 2002年4月3日号」欧米でコロナウイルスの封じ込め対策が行われており、3月23日時点では、世界の人口の5分の1以上の人たちが自宅に籠るよう命令や要請を受けていた。ーーーーーーーーーー26)「the japan times alpha 2002年4月3日号」コロナウイルスの発生を警告し、その後感染による病気で死亡した李医師(Dr. Li Wenliang)が公に処分を受けていたが、中国政府は同医師を無罪とした。国を統治する共産党が誤りを認めるのは驚くべき事であるーーーーーーーーーー27)「the japan times alpha 2002年4月3日号」もし新型コロナウイルスの感染拡大が続き、東京オリンピックの中止を余儀なくされた場合、年間国内総生産成長率が1.4%減ると、証券会社が予測した。ーーーーーーーーーー28)「the japan times alpha 2002年4月3日号」株式会社ファーストリテイリングは3月17日、コロナウイルスの感染拡大のため、アメリカで展開しているユニクロブランドのカジュアルファッション全50店舗を一時的ではあるがすぐに閉店すると発表した。
2020.07.20
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2020年に入り、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、大変な状況になっています。日本でも「ダイヤモンド・プリンセス号」の検疫対策や、緊急事態宣言の発表、不要不急の外出禁止など大きな動きがあり、生活や経済に大きな影響が出ています。このウイルスのため、多くの方が亡くなられました。7月に行われる予定であった「東京オリンピック2020」も1年延期となっています。新型コロナウイルスの影響について、手持ちのポケットカメラで撮った写真と新聞記事を、ブログに残しておこうと思います。4回に分け、1回目は私の撮った写真を載せ、2回目以降は新聞記事にします。新聞ですが、全国紙などは定期的に古紙回収業者に渡して手元にないため、持っている「ジャパンタイムス・アルファ」新聞の記事を紹介します。【私の撮った写真より】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1) 2020年2月28日、羽田空港発、福岡空港行飛行機の機窓。横浜市上空。横浜ベイブリッジのそばにある横浜大黒埠頭で、停泊中の「ダイヤモンド・プリンセス号」が見える。同船は2月3日に横浜港に入港したが、船内の乗客に検疫検査を実施し、陽性の患者は市内の病院に搬送され、残りの乗客は船内で待機することになった。↑ 機窓から見た横浜市。↑ 中央の橋が「横浜ベイブリッジ」。↑ 横浜ベイブリッジの手前が大黒埠頭で、「ダイヤモンド・プリンセス号」が係留中。↑ 「ダイヤモンド・プリンセス号」。乗客は船内で待機している。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2) 2020年3月27日、スーパーマーケットに行くと、棚が品薄の状態だった。コロナウイルス対策で自宅に籠る人が多く、買い占めが行われていた。↑ 納豆の棚。↑ パンの棚。↑ パンの棚。↑ 商品の品切れについてのお詫び。「こちらの商品はご好評につき完売となりました」。↑ スパゲッティーのソースが売り切れ。↑ カップ麺が売り切れ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3) 2020年4月24日夜。東京メトロ千代田線。プラットフォームにはほとんど人がいない。車両に乗っても、私ひとりしか乗っていない時もあった。普段ならば人で混雑するのに、不思議な光景。企業は、時差出勤、在宅勤務、TV会議などで対応した。↑ 東京メトロ千代田線「霞が関駅」。↑ 人がほとんどいない。いつもならば人だらけなのに。↑ 人がいないプラットフォーム。不思議な光景。↑ 電車が来て乗車するが、車両に私ひとりしか乗っていない事もあった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー4) 2020年5月8日。昼の霞ヶ関、虎ノ門界隈。コロナ発生前は人だらけだったが、発生後はほとんど人を見かけない。車も激減した。↑ 外堀通り。右は千代田区霞が関、左は港区虎ノ門。人がほとんどいない。車も少ない。↑ 奥は虎ノ門ヒルス森タワー。数人しか横断歩道を渡っていない。いつもならば交差点は人だらけ。 ↑ 環二通り。港区虎ノ門。人の姿は無し。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー5) 2020年5月12日。東京都千代田区霞が関の電光掲示板。「東京都から外出自粛要請中」、「交通閑散 速度超過注意」の文字が見えた。車の数が激減しており、車を飛ばす人が多いのかもしれない。↑ 東京都千代田区霞が関、財務省ビル前にある電光掲示。↑ 車が本当に少なくなった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー6) 2020年5月29日。新型コロナウイルスに対応する医療従事者に感謝を伝えようと、航空自衛隊のブルーインパルスが5月29日、東京の都心上空で編隊飛行を行った。航空自衛隊入間(いるま)基地(埼玉県)を離陸した6機は、午後0時40分頃から都心上空1千メートル前後を約20分飛行した。JR東京駅や東京タワー、都庁などのそばを通り、白のスモークを出して6本の線を描いた。(2020年5月30日付朝日新聞より)写真は霞が関ビル前にて、2020年5月29日12時44分、12時55分に2回撮影したもの。↑ 12時44分、1回目のブルーインパルスT-4の飛行。↑ 6機は白いスモークを出している。6機の後方に、管理をするためもう1機が平行して飛んでいる。↑ 12時46分。スモークが消えていく。↑ 12時55分、2回目のブルーインパルスの飛行。↑ ブルーインパルス。6機編隊と画面後方に1機。↑ 2回目は、先頭のT-4のスモークが無かった。↑ 2020年5月30日、朝日新聞。↑ 東京湾レインボーブリッジとブルーインパルス。
2020.07.19
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きくちゆうきさんが描かれた「100日後に死ぬワニ」をネットで見ていたのですが、2020年3月20日に100日目を迎え、終了しました。私はキャラクターの絵が好きで、話も心にすごく残りました。ネットで立ち読みした形になり、作者に悪いと思ったので、本を買いました。何度も繰り返して読むのですが、39日目の4コマ漫画をどう解釈したらよいのか、未だに分かりません。それから88日目の4コマ漫画ですが、ネズミの予知能力があったのかなと思ったりします。↑ 100日後に死ぬワニ/きくちゆうき/小学館。
2020.05.03
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2020年2月2日、娘と一緒に神保町本屋巡りをし、昼は「上海庭」で食べました。コロナウイルスの影響で、娘は留学先の上海に戻れなくなっています。↑ 神保町の「上海庭」。↑ランチを食べる。↑ 「上海庭」入口【本屋巡りをする】↑ 内山書店。↑ 中国語の「ぐりとぐら」。↑ 東京堂書店。↑ 東京堂書店のペーパーバックカフェ。↑ 「暮らしの手帳」初代編集長 花森安治 本とグッズのSTORE。↑ グッズを買う娘。↑ ボヘミアンズギルド。↑ 文房堂。↑ 文房堂の中。↑ 文房堂のギャラリーカフェに行く。↑ オシャレな空間。↑ 飲み物を注文した。↑ 荒魂書店。アイドル・歌手の写真集などいっぱいある。娘は入ったことがないというので、1階、2階を連れて回った。↑ 中国図書センター 東方書店。↑ 東方書店。この日、私が買った本。↑ 昭和40年男 2月号増刊/クレタパブリッシング/2019年12月16日発行。↑ 明治 大正 昭和 不良少女伝ー莫連女と少女ギャング団/平山亜佐子/河出書房新社。↑ 中国紀行 CKRM Vol.18 主婦の友ヒットシリーズ/2020年2月20日発行。最澄、空海がどのように中国を旅して修行したかに興味がある。↑ 絶景本棚/本の雑誌編集部/本の雑誌編集社。本棚を見るのが大好き。↑ 書斎探訪/宇田川悟/河出書房新社。
2020.03.11
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「螢草(ほたるぐさ) 菜々の剣」というNHK土曜時代ドラマがあり、2020年1月25日(土)からスタートしました。直木賞受賞作家の葉室麟(はむろりん)さんの原作です。切腹した父の無念を晴らすため、武家の出を隠した菜々(なな)が、一世一代の勝負に挑むという話で、全部で7話です。途中で延期になった回があり、最終回は2020年3月21日(土)です。妻と毎回見ていますが、ハラハラドキドキ、久しぶりに手に汗握る展開で、一週間の中で一番楽しみにしています。(二番目は「麒麟がくる」)菜々(清原果耶さん)、風早市之進(町田啓太さん)、佐知(谷村美月さん)、轟平九郎(北村有起哉さん)、幸江(南沢奈央さん)、壇浦五兵衛(松尾論さん)、船(濱田マリさん)、椎上節斎(石橋蓮司さん)、湧田の権蔵(宇梶剛士さん)、甚兵衛(苅谷俊介さん)、桂木仙之助(高田翔さん)、宗太郎(松大航也さん)、柚木弥左衛門(イッセー尾形さん)、鏑木勝重(中原丈雄さん)、日向屋孫右衛門(本田博太郎さん)などが出演されています。ドラマの最終回を見た後に本をじっくり読もうと思い、本屋で「螢草/葉室麟/双葉文庫」を買っていたのですが、妻が先に読んでしまい、事あるごとに結末を言おうとするので困っています。妻は「螢草」を読んだ後、「辛夷(こぶし)の花/葉室麟/徳間時代小説文庫」、「蜩(ひぐらし)ノ記/葉室麟/祥伝社文庫」を買って読み、面白かったので、「蜩ノ記」に続く全4部作を読むと言っています。私は小説より、作者の随筆を読むのが好きなので、「古都再見/葉室麟/新潮文庫」、「河のほとりで/葉室麟/文春文庫」を読んでいます。葉室麟さんは、1951年に福岡県北九州市小倉に生まれました。西南学院大学文学部フランス語学科を卒業で、新聞記者などをされ、2012年に「蜩ノ記」で直木賞を受賞されました。2017年に亡くなられています。2016年7月31日、私は福岡の「サザエさん通り」を歩いたとき、西南学院大学のそばを通りました。↑「螢草(ほたるぐさ) 菜々の剣」というNHK土曜時代ドラマがあり、2020年1月25日(土)からスタートしました。直木賞受賞作家の葉室麟(はむろりん)さんの原作です。上は原作本の帯で、菜々役の清原果耶さんです。↑「螢草/葉室麟/双葉文庫」。↑「辛夷(こぶし)の花/葉室麟/徳間時代小説文庫」、「蜩(ひぐらし)ノ記/葉室麟/祥伝社文庫」↑「古都再見/葉室麟/新潮文庫」、「河のほとりで/葉室麟/文春文庫」。↑ 2012年直木賞受賞作家の葉室麟(はむろりん)さん。↑ 2016年7月31日に、福岡の「サザエさん通り」を歩いた時の写真。西南学院大学の横も通った。↑ サザエさん通りの地図。↑ サザエさん通りには、修猷館(しゅうゆうかん)高校、西南学院大学、西南学院大学博物館などがある。↑ サザエさん通り。↑ サザエさんの作者・長谷川町子さんの自叙伝「サザエさん打ちあけ話に、「西南学院」や、百道(ももち)海岸でサザエさんが生まれたエピソードが描かれています。↑ サザエさん発祥の地。↑ 磯野広場。
2020.03.10
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ドナルド・キーンさんについて読んできた本を紹介します。キーンさんが日本語を習得し、米国海軍の通訳としてアリューシャン列島のアッツ島、キスカ島に行き、日本人兵士の玉砕を見たり、神風特攻隊が船に当たるのを目撃したり、ハワイで日本兵の日記を見つけたり、沖縄で日本人を探して洞窟に入っていったり、日本人捕虜を日本語で尋問したりという話がすごく印象に残っています。↑ 「英文収録 おくのほそ道/松尾芭蕉/ドナルド・キーン訳/講談社学術文庫」松尾芭蕉とドナルド・キーン氏の英文が収録されており、どのように訳されたかを見ると勉強になる。↑ 「日本文学史 近代篇一/ドナルド・キーン著/徳岡孝夫訳/中央文庫」近所の図書館に中央公論社の「日本文学史」が15巻まであり、調べたい部分はそこで読んでいたが、松尾芭蕉の部分はよく見るので、文庫本を買って手元に置いた。「↑ 「ドナルド・キーン自伝/ドナルド・キーン/角地幸男訳/中央文庫」学校時代から飛び級をされて、神童であったと思う。16歳でコロンビア大学に入学し、源氏物語と出会い、海軍日本語学校に入ったり、太平洋戦争を経験され、仕事が無いとされた日本語と関わりを持ち続けようとした事が書いてある。人生の縁、出会いの不思議さを思った。↑ 「果てしなく美しい日本/ドナルド・キーン/足立康訳/講談社学術文庫」アメリカ人向けに現代日本と日本人について書かれ、日本文化の紹介もされている。↑ 「街道をゆく39 ニューヨーク散歩/司馬遼太郎/朝日文庫」キーンさんがニューヨーク・コロンビア大学で退官記念式典を行うので、司馬遼太郎さんが参加した時の事が書いてある。キーンさんが「先生」と呼ぶ角田柳作教授についても紹介されている。司馬遼太郎さんは、ブルックリン橋がどのように建設されたかとか、下田に来て日米通商条約を締結したハリスの墓がニューヨークにある事など詳しく書かれており、知識の豊富さに驚かされる。↑ 「司馬遼太郎の遺産 街道をゆく/朝日新聞社編/朝日文芸文庫」「なつかしい人」という題で、ドナルド・キーンさんが司馬遼太郎さんの思い出を寄稿している。↑ 「司馬遼太郎対話集5 日本文明の形/司馬遼太郎/文春文庫/」日本人と日本文化、世界の中の日本というテーマで、司馬遼太郎さんとドナルド・キーンさんが対談をしている。↑ 「対談集 日本人への遺言 /司馬遼太郎/朝日文庫」この中のロナルド・トビさんはイリノイ大学教授で、コロンビア大学院で助手時代にドナルド・キーンさんに「出版文化の誕生と近世の大衆文化」というタイトルで講演していただいた事が書いてある。↑「二つの母国に生きて/ドナルド・キーン/朝日文庫」ドナルド・キーンさんのエッセイ集。なぜ日本に来たかという話から、日本の能などの芸術や、三島由紀夫など日本の著名な作家について書いてある。 ↑「日本人の質問/ドナルド・キーン/朝日文庫」日本人がキーンさんに、なぜ日本語を学んでいるのかとか、日本語は難しかなどと、いつも同じ内容の質問をするので、その問答集が書いてあり面白い。↑「日本人の美意識/ドナルド・キーン/金関寿夫訳/中央文庫」日本人の美意識はどこから来ているのか、日本の文学、演劇、文化の中から考察している。 ↑「日本との出会い/ドナルド・キーン/篠田一士訳/中央文庫」キーンさんの人生の分岐点が沢山あり、一か所でも別の流れに行くと、日本語ではなく他の国の勉強をしていたのではないかと思うと、日本語を選ばれた奇跡を思わずにはいられない。↑「日本語の美/ドナルド・キーン/中公文庫」この中に「司馬さんと私」というページがあり、司馬遼太郎さんが朝日新聞の編集局長に、キーンさんを雇うべき」と発言し、結局キーンさんが新聞社の社員になったという有名な話が入っている。↑「音楽の出会いとよろこび/ドナルド・キーン/中矢一義訳/中公文庫」キーンさんのクラシック好きが良く分かる。もし私にクラシックの知識がもっとあればと思った。キーンさんはアリューシャン列島に派遣されたが、筆舌につくしがたい土地であり、アッツ島作戦が完了して撤退するときは大喜びであった。しかし、キスカ作戦のため再びアリューシャンに行くことになった時は、荷物に蓄音機と詰められる限りのレコードを詰め込んで出かけたとの事。↑「日本人の戦争 作家の日記を読む/ドナルド・キーン/角地幸男訳/文春文庫」大東亜戦争が始まった1941年から終戦後の1946年まで、日本の作家がつけた日記の抜粋をまとめている。永井荷風、高見順、伊藤整、山田風太郎などの日記がある。↑「対訳 21世紀に生きる君たちへ/司馬遼太郎/ドナルド・キーン監訳/ロバート・ミンツァー訳」小学生の教科書に掲載されている「人間の荘厳さ」、「21世紀に生きる君たちへ」、「洪庵のたいまつ」が紹介されている。この中では「洪庵のたいまつ」が好きな文章。緒方洪庵が大阪で適塾を開く。オランダ語を学ぶため、日本中から希望者が集まった。生徒は毎日寝る間も惜しんでひたすらオランダ語を勉強しつづけた。洪庵の意思は生徒に受け継がれ、近代日本に大きな影響を与えた。↑「別冊太陽 日本のこころ254 ドナルド・キーン 日本の伝統文化を思う/平凡社」キーンさんの小さい頃からの写真、手紙などが掲載されていて、どのような人生だったのかが大変分かりやすく理解できる。 ↑「和樂 ニ、三月号/小学館」娘が買った雑誌で、借りて読んでいると、ドナルド・キーンさんの文章があった。↑「戦場のエロイカ・シンフォニー 私が体験した日米戦/小池政行藤原書店キーンさんが実際に体験された太平洋戦争の事が、詳しく書いてある。「昨日の戦地から 米軍日本語将校が見た終戦直後の亜細亜 松宮史朗訳 中央公論新社↑ 太平洋戦争が終結して間もなく、キーンさんなど米軍将校がお互いに手紙をやりとりしながら当時の記録を残したものをまとめた本。読んで面白かった。
2019.03.10
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2019年2月24日、日本文学研究者のドナルド・キーンさんが亡くなられました。96歳でした。日本文学を英語に翻訳され、世界に紹介されておられました。私は1991年にオランダに赴任したのですが、翌年、ドイツ事務所の女性から手紙をいただきました。日本の俳句に興味があり、有名な俳句を紹介して欲しいとの事です。俳句に関する本を持参していなかったので、すぐに思い出せる、個人的に好きな松尾芭蕉の俳句3首を英語で紹介しました。選んだ句は「古池や 蛙飛びこむ 水の音」、「しずけさや 岩にしみいる 蝉の声」、「荒海や 佐渡に横たう 天の川」です。俳句の読み方をローマ字で書き、その背景を書いてみました。山形県立石寺(山寺)の「しずけさや 岩にしみいる 蝉の声」については、ドイツに蝉がいないのではないかと思い、Japanese cicadas として蝉の絵を描き、地下に7年生活し、地上で1週間鳴いた後に死ぬとコメントをつけました。蝉の声が山の岩に広がるというような説明を入れたのですが、俳句自体をどのように訳すれば良いか自信が無くて書けませんでした。帰国した後、たまたま本屋で「英文収録 おくのほそ道 松尾芭蕉 ドナルド・キーン訳/講談社学術文庫」を購入して立石寺の英文俳句を読みました。(p120)" How stilⅼ it is here - Stinging into the stones, The locusts' trill "このような英文俳句を書けば良かったのかと思いました。蝉については "Cicadas"ではなく "Locusts"が使われており、蝉ではなくバッタをイメージしたのですが、辞書で調べるとアメリカでは"Locusts"で蝉を表すと書いてあり、17年ゼミは "Seventeen-year locusts" となっていたので納得しました。ドナルド・キーンさんの本は、太平洋戦争辺りの出来事にすごく興味があり、少しずつ読んできました。↑ the japan times 2019年2月25日付↑ ”Japanese literature scholar Keene dies at 96” 「日本文学研究者のキーン博士が96歳で逝去」。米国生まれの著名な日本文学研究者であるキーン氏は、日本の有名な作家の作品を海外に紹介してきたが、この日曜日に心不全のため、東京の病院で死去した。96歳だった。2011年3月11日の東日本大震災と津波により、東北地方の沿岸は大打撃を受けたが、それらにより直面する困難を見て、2012年に日本国籍を取得した。キーン氏は多くの日本の作家や学者と深い付き合いがあった。例えば故人であるが、三島由紀夫氏、ノーベル文学賞受賞者の川端康成氏、そして谷崎潤一郎氏である。日本文学や文化を研究する学者達の中でも一目置かれていたキーン氏は、英語、日本語、その他ヨーロッパの言語で、何百もの本を出している。その中には、約20年以上も書き続けてきた日本文学の歴史全巻を含んでいる。キーン氏の翻訳は、古典と現代作品の両方があり、能と近代小説も多い。。1922年、ニューヨーク生まれ。18歳でコロンビア大学生の時、源氏物語の英訳本を読み、日本文学に魅了された。11世紀の前期に紫式部により書かれた源氏物語は、帝の息子が主人公の恋愛物語であり、一般的に世界で一番最初の小説とされている。1940年にヨーロッパで始まった戦争に言及され、「私は源氏物語に没頭することで、戦争の新聞記事や私の周りの世界から逃避することができた」、そして「源氏物語は、面白いストーリーや興味深い登場人物がいるだけでなく、自分が現に住んでいる世界と比較して、物語の世界はとても文明的に思えて大変感動した」と、2009年のジャパンタイムスのインタビューに答えている。キーン氏が第二次世界大戦中、アメリカ海軍の日本語通訳として従事していた頃、多くの日本人捕虜への尋問をして、日本兵が残した日記を訳しているうちに、現代日本への興味も高まってきた。「平和主義者として、戦争に参加する気持ちは無かった。しかし、海軍に入隊することになってしまうが、日本語の習得に全力を注ぐ事が出来る生徒になることを望んだ」と、1994年に出版された自叙伝である"On Familiar Terms"に書かれている。↑ 2019年2月25日 朝日新聞。↑ ドイツの女性に芭蕉の俳句を紹介した手紙の下書き。 1992年9月8日になっている。↑「英文収録 おくのほそ道 松尾芭蕉 ドナルド・キーン訳/講談社学術文庫」
2019.03.09
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小学生の頃は、学研の図鑑、学研まんが、科学と学習、科学のアルバムなどを買っては、色々な話を読んでいました。特にフタバスズキリュウ発見の話はとても魅力的で、繰り返し読んだことを覚えています。フタバスズキリュウの漫画で私がすぐに思い浮かぶのは、「学研まんが 地球や生物のなぞをとく化石のひみつ/川崎てつお/昭和50年12月10日/学習研究社」です。主人公のジロー、エミ、エミの兄が化石発掘旅行に行く電車の中で、エミの兄がフタバスズキリュウの発掘の話をします。絵が劇画調に変わり、臨場感があります。昭和43年、福島県いわき市で、当時高校一年生だった鈴木直(すずきただし)さんが化石を発掘し、東京国立科学博物館の小畠郁生(おばたいくお)先生に手紙を書きます。その後、小畠教授と、同博物館の長谷川善和(はせがわよしかず)先生が現場に来られ、首長竜の骨だと思われるという事で、3年かけて化石を取り出し、それを国立博物館に移した話です。学研まんがでは、化石のひみつより3年前に、「学研まんが 恐竜のひみつ/川崎てつお/昭和47年11月25日/学習研究社」が出版されました。主人公はだいすけ、ルミ子、よしぼう、神田はかせ、エースマン、ニャーゴです。この中にも、フタバスズキリュウの発掘の様子が写真で紹介されています。日本にいた恐竜の絵ではまだ数頭しか紹介が無く、福井県の恐竜もありません。ドラえもんの漫画にフタバスズキリュウが描かれています。「ドラえもん第10巻/てんとう虫コミックス/藤子・F・不二雄/1976年4月25日/小学館」に「のび太の恐竜」の話があります。のび太が掘った石をタイム風呂敷で包むと、それは恐竜の卵で、中からフタバスズキリュウが生まれてきました。家や街で飼う事ができなくなり、結局タイムマシンでフタバスズキリュウを8千万年前に戻して別れたという話です。その後、この話が長編になりました。「大長編ドラえもんVOL.1 のび太の恐竜/てんとう虫コミックス/藤子・F・不二雄/1983年12月25日/小学館」です。「科学のアルバム 6 きょうりゅう/小畠郁生/1973年4月5日/あかね書房」には、小畠郁生(おばたいくお)先生の写真や、フタバスズキリュウの発掘の様子、小畠先生と化石を発見した鈴木直さんの写真も掲載されています。先日購入した本は「フタバスズキリュウ もうひとつの物語/佐藤たまき/2018年8月5日/ブックマン社」です。佐藤博士は小さい頃から恐竜が好きで、大学時代に首長竜に出会い、アメリカ、カナダに留学して首長竜の研究をし、フタバスズキリュウについて2006年に新属新種とする論文を発表しました。フタバスズキリュウは首の骨がほとんど残っておらず、この骨が世界ですでに発掘されていた首長竜と何が違うかという点を研究され、学会で新種と認められ、「Futabasaurus suzukii /フタバザウルス スズキ」の名付け親になりました。佐藤博士がどのようにして恐竜に興味を持ち、勉強をし、フタバスズキリュウの研究をしたかが書いてあり、面白くてあっという間に読み終わりました。【学研まんが 地球や生物のなぞをとく化石のひみつ/川崎てつお/昭和50年12月10日/学習研究社】↑ 化石発掘旅行の電車内で、エミの兄が「フタバスズキリュウ」の話をした。↓ フタバスズキリュウの発掘物語。 ↑ 主人公の鈴木直(すずきただし)さん。↑ 国立博物館の小畠郁生(おばたいくお)先生と、長谷川善和(はせがわよしかず)先生が描かれる。↑ 首長竜の骨を示唆した所。↑ 発掘やクリーニングの説明。↑ フタバスズキリュウの想像図。サメに囲まれている。【学研まんが 恐竜のひみつ/川崎てつお/昭和47年11月25日/学習研究社】↑ エースマンが故障し、加藤茶の「ちょっとだけよ」のような仕草をしているのが笑える。↑ フタバスズキリュウの発掘の様子。↑ 当時の様子。【ドラえもん第10巻/てんとう虫コミックス/藤子・F・不二雄/1976年4月25日/小学館】↑ のび太の恐竜。 フタバスズキリュウの「ピー助」。【大長編ドラえもんVOL.1 のび太の恐竜/てんとう虫コミックス/藤子・F・不二雄/1983年12月25日/小学館】【科学のアルバム 6 きょうりゅう/小畑郁生/1973年4月5日/あかね書房】↑ 小畠郁生(おばたいくお)先生の紹介。↑ フタバスズキリュウの発掘。↑ 写真の左側が小畠先生、中央が鈴木直さん。国立科学博物館のフタバスズキリュウのスペースのモニター。【フタバスズキリュウ もうひとつの物語/佐藤たまき/2018年8月5日/ブックマン社】↑ 佐藤たまき博士の紹介。↑ ノートのスケッチ。↑ 鈴木直さんと佐藤たまき先生の対談記事。↑ 谷川善和先生、真鍋真先生、佐藤たまき先生の対談記事。
2018.10.18
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さくらももこさんが2018年8月15日に乳癌で亡くなられました。53歳でした。さくらももこさんの軽快な文章が好きで、読みながら思わず吹き出すことも多かったです。家にあるさくらさんの本をまとめて、床に並べてみました。数えると81冊でした。最近、田舎の母が老後の断捨離として、田舎にある本を全て売ろうとし、私の本を全て箱に詰めました。父がこっそり私に電話をして断捨離の事を教えてくれたので、びっくりした私はすぐに母に電話して、作業中断依頼をしました。母は昔も、断捨離として私のネガフィルムを全て処分しました。ネガがあると思っていたので、写真はほとんど知り合いにプレゼントし手元に持っていませんでした。河合奈保子さんを撮影した思い出のネガも無く、ショックを受けた事があります。先日田舎に帰り、詰められた30箱の封を開け、私が再度選別しました。10箱だけ残し、残りは処分することにしました。一つの箱の中に、さくらももこさんの本が7冊あります。ここに「ももこのしゃべりことば」があるので、それを含めると、持っている本は82冊になります。まだ持っていない本が色々あるので、気長に探していこうと思います。会社に入って半年後、シンガポールとマレーシアに5カ月ほど研修に行きました。シンガポールの日系レストランで酒を飲みながら、日本レコード大賞を見ました。ちびまる子ちゃんの主題歌である「おどるポンポコリン」を見た事が、ものすごく印象に残っています。オランダで生活していたとき、ホームドクター制度のため大病院に直接行けず、深夜に激痛になっても病院に行けないことが多々ありました。夜中にお腹が痛くて七転八倒し、正露丸を沢山飲んだら落ち着きました。病院に行くと盲腸だと分かりました。それから数年後、胃の辺りが激痛になりました。その頃、自分の尿を飲めば、薬が無くても自然治癒力が出ると本に書いてあったので、試しに毎朝飲んでみました。自分の尿なのに飲むとなると勇気がいりますし、飲むと必ず水のような便が出ます。痛みも落ち着いたので、飲尿は一週間でギブアップしました。一時帰国で病院に行くと、十二指腸潰瘍で傷跡が沢山写真に写っていると言われました。さくらももこさんの本を読むと、さくらさんは自分の尿を1年間飲んだと書いてあり、その忍耐力に驚きでした。↑ 家にあるももこさんの本。 (2冊は「はまじ」こと浜崎憲孝さんの本)。↑ さくらももこさんが8月15日に乳癌でなくなった記事。 2018年8月28日 朝日新聞。↑ 家にある本(1)。↑ 家にある本(2)。↑ 家にある本(3)。↑ 家にある本(4)。↑ 田舎にある本で、さくらももこさんの本7冊。 手元にはない「ももこのしゃべりことば」がある。↓ 家にある本の写真紹介。81冊。↑ さくらももこさんを悼む。 2018年8月30日 朝日新聞。↑ さくらももこさんの本が書店で売り切れ。 2018年8月31日 朝日新聞。
2018.09.08
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2018年8月号の「山と渓谷」は、創刊1000号でした。1930年に創刊号が出ています。山と渓谷の表紙の変遷についての記事があり、これを見ると時代の移り変わりが本当に良く分かります。雑誌の中にある1968年に撮影された北岳山頂の写真を見ると、山頂の足元は空き缶が沢山転がっており驚きでした。↑ 山と渓谷/山と渓谷社/999号、1000号、1001号。↑ 山と渓谷 創刊1000号。(2018年8月号)「山と渓谷」創業者である川崎吉蔵氏と家族のスナップ写真が表紙を飾る。写真は昭和23年頃、奥秩父。↑ 山と渓谷の表紙の変遷。 1930年5月21日の創刊号。↑ 創刊号~7号は表紙が同じデザインだった。8号~53号は写真が使われた。それ以外は403号までイラスト(絵画)が使用された。左は山下勇一郎氏のイラスト。東京美術学校在学中から登山をし、58年には深田久弥氏らとヒマラヤ旅行をしている。1965年に中央アンデスでクレパスに落ちて亡くなられた。↑ 右上は塚本閣治氏の絵と写真が表紙になっている。1962年に紫綬褒章を受賞されている。右下は井上俊雄氏の絵。写真やイラストを独自の感性で融合させた表紙。左は生沢朗氏で、井上靖の小説「氷壁」の挿絵も描いた。1971年には井上靖氏らとシルクロード、ヒマラヤを旅している。↑ 右は小林泰彦氏のイラスト。317号から403号まで86回、7年にわたり連載された。70年代前半のヤマケイの顔。左は近藤辰郎氏の写真。カメラマンとしてだけでなく、モデルとしても登場。404号から本格的な写真の時代になった。↑ 右は世界最強のクライマーであるラインホルト・メスナー氏。1986年に史上初の8000m峰全14座無酸素登頂を果たした。472号(1978年1月号)から1年間、表紙に登場した。撮影は1977年8月4日からイタリアのドロミテのガイスラー山群の麓、メスナーの故郷フィルネスをベースに行われた。左は70年代後半で、カメラマン新妻喜永氏がクライマーの川村晴一氏をモデルにして写真を撮っている。↑ 右は1980年代以降の紹介で、山の風景がメインとなってくる。左は一風変わったデザインの表紙として、石塚真一氏の漫画「岳」に登場する島崎三歩が表紙に載ったり、山の日のイメージキャラクター「ヤーマン」が登場している。↑ 1968年に撮影された北岳山頂の写真。山頂の足元は空き缶が沢山転がっている。
2018.09.07
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広辞苑大学が、2018年1月12日から3日間、東京・千代田区の3331 Arts Chiyodaで開校されました。廃校した千代田区立練成中学校の校舎内で、講師の講座を聴講します。1月13日は養老猛司さんの話を聞く予定でしたが、仕事を抜けることができなくなり、残念ながら出席できませんでした。14日は尾木ママこと尾木直樹さんの講座に参加しました。尾木ママが受験に失敗し続けた話や、子供との接し方など、面白い話がいっぱいでした。帰りは湯島天神で参拝し、近くの店で妻と昼食をとりました。その後は妻と別れ、私は秋葉原の古本屋に行ったり、ラジオ会館を回りました。15日は、校舎2階の体育館で、松尾貴史さん、眞形隆之さん、能町みね子さん、デッツ松田さん、米光一成さんで、「たほいや」の実演が行われました。「たほいや」は90年代にフジテレビの深夜に放送された番組で、参加者の中で親と子を決め、親が広辞苑から聞き慣れない言葉を選び、お題として出します。子は言葉の説明文をもっともらしく紙に書きます。親は広辞苑の説明文も含め全員の紙を読み上げます。参加者はどれが本当の広辞苑の説明文かを推理して当てるゲームです。当日出たお題は、「びりり」、「おむくむく」、「にゃんにゃん」、「らぶらぶ」、「ちちはくる」、「にぎりぎんたま」、「よんえっちくらぶ」でした。講座が終わると神保町に行き、三省堂で本を買いました。↑ 広辞苑大学開校のパンフレット。↑ 講師、講座案内。↑ 養老猛司さんの講座。残念ながら仕事の都合で、急に参加できなくなった。1月14日。3331 Arts Chiyoda 会場。↑ 入り口の看板。↑ 尾木ママの紹介。講義は面白く、1時間では全然足りない感じだった。↑ 湯島天神。↑ 湯島天神近くの茶房松緒で食事をすることにした。↑ 昼膳が終了したと言われたので、おばんざい手まり膳にした。↑ 昼食後、妻と別れて秋葉原へ行く。↑ 久しぶりにラジオ会館を覗く。↑ ボークスドール。↑ 1月15日、3331 Arts Chiyoda 2階の体育館会場。「たほいや」のメンバー席。↑ 広辞苑の「たほいや」説明。↑ 松尾貴史さんの紹介。↑ たほいや終了後、神保町の三省堂で本を探して購入した。
2018.01.21
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「広辞苑第七版 新村出編 岩波書店」が2018年1月12日に発売されました。今回は10年ぶりの改訂です。予約をしていたので、家に送られてきました。1万項目が追加され140ページも増えたのに、薄い紙を開発したので第六版と同じ厚さだそうです。予約特典として、三浦しをんさんの「広辞苑をつくるひと」という冊子がついており、広辞苑制作の現場の紹介がされていました。読むと広辞苑にかかわる方々の大変な努力が分かります。「しまなみ海道」など広辞苑の誤りがニュースになっていましたが、話題になることで、広辞苑を読む良い動機になると思いました。三省堂の「新明解国語辞典 第二版」も手元に置いています。昔から使っており、漢字検定の勉強などに利用していました。辞書に関する小説は2冊持っています。「船を編む 三浦しおん 光文社」は、2012年に本屋大賞を受賞しました。辞書「大渡海」の編纂を行う編集者達の大変さが伝わってきます。「”THE PROFESSOR AND THE MADMAN” , SHIMON WINCHESTER, HARPER COLLINS」は、オックスフォード英語大辞典の編纂について書かれたものです。読み始めると、いきなりロンドンの労働者が男に殺される事件が書いてあり、なぜ殺人事件が大辞典編集と関係しているのか分からないまま読み進み、途中でやっと理由が分かりました。「相原コージ編 コージ苑 第一版、第二版、第三版、相原コージ、小学館」は、4コマ漫画を辞書のように編纂してあります。下ネタが多く、好き嫌いの分かれるギャグですが、80年代後半当時の雰囲気が出ているような気がします。↑ 広辞苑 第七版。↑ 新たに1万項目を追加し、総項目数25万。↑ 広辞苑第七版と付録。↑ 予約特典の「広辞苑をつくるひと 三浦しをん 岩波書店」↑ 2018年1月19日付 朝日新聞朝刊の記事。↑ 新明解国語辞典第二版 三省堂。↑ 漢字検定を受ける時、よくチェックしていた。↑ 船を編む 三浦しをん 光文社。↑ ”THE PROFESSOR AND THE MADMAN” , SHIMON WINCHESTER, HARPER COLLINSイギリス・オックスフォード英語大辞典を編集する時の話だが、マレー博士が編纂協力者に会いに行く場面が一番面白い。↑ 相原コージ編 コージ苑 第一版、第二版、第三版、相原コージ、小学館。第三版の付録は、相原コージさんの原作を元に、他の人が作品化するという企画で、さくらももこさん、柴門ふみさんの4コマ作品もある。
2018.01.20
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毎日のように本屋に行きますが、本以外に雑誌も買います。天文ガイド、星ナビは必ず購入し、それ以外は、雑誌の内容と小遣いとを相談しながら決めます。↑ 「月刊天文ガイド」:誠文堂新光社。↑ 「月刊星ナビ」:アストロアーツ。↑ ”SKY & TELESCOPE” by SkyandTelescope.com.↑ ”ASTRONOMY” by Astronomy. com.↑ SKY & TELESCOPEの別冊。”SKYWATCH", "MARS".↑ ASTRONOMYの別冊。 "100 YEARS ASTRONOMICAL DISCOVERIES"↑ 「星の手帳」:星の手帳社。 星の手帳は1978年のVOL.1から全て持っていたが、社会人になるときに処分してしまった。全部残しておけば良かったと後悔。現在休刊。↑ 「月刊天文」:地人書館。現在休刊。これも昔は買っていた。↑ 「SKY WATCHER」: 立風書房。現在休刊。1983年に刊行されたが、最初の1年間の表紙の絵がとても素敵だった記憶がある。星空にはその月の星座の絵が浮き上がって描かれ、それを見る人たちが構図に入っていたと思う。表紙だけでも切り取って残すべきだった。↑ 「BIRDER」:文一総合出版。興味がある特集を購入している。「カワセミ類大全」はすぐに買った。↑「魅せる野鳥写真の撮りかた」。これを読むと、一眼レフカメラと望遠レンズが欲しくなる。↑ 「山と渓谷」:山と渓谷社。特に道迷い、遭難などの記事は一生懸命読んでいる。古い雑誌は置く場所が無いので全部処分した。↑ 「旅と鉄道」:天夢人。 2011年9月に復刊された。初刊から最近まで全て買っていたのだが、置く場所が無いので、これも処分した。↑ 「昭和40年男」:クレタパブリッシング。 興味がある特集の時に購入している。↑ 時刻表。 昔は鉄道旅行に行くときは必ず購入していた。JTB時刻表999号目の表紙。(2009年4月号)銀河鉄道999が描かれているので、迷わず買った。↑ 面白そうな雑誌は、店頭から消えるのが速いため,すぐに購入することにしている。サブカルチャー、絵画、歴史などが多い。どんどん増えるので、定期的に処分している。↑ "the Japan times ST". 土曜日の朝に、駅のキオスクで購入している。週刊なので、ちょうど良いボリューム。 日経と全国紙を購入していたが、最近は日経購読を止めた。新聞紙は全国紙とSTだけ。
2017.09.18
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