仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.08.21
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カテゴリ: 東北
戊辰戦争は東北の1つのアイデンティティである。本格的に勉強しようと、ここ40年ほど(!)思っているが、なかなか手が回らない。星先生の著書を読んでいるが、夜明けを迎えた日本のうねりの中で、わが仙台・東北が目ざそうとしたもの、そして同盟諸藩の相互関係や内部事情などについて深く考えたい。

 ○ 星亮一『仙台戊辰戦史 北方政権を目ざした勇者たち』三修社 2005年

賊軍の汚名を負い白河以北の発展が遅れた、というのは私たちの世代には決まり文句にしか聞こえないことが多い。しかし、私たちの先輩たちは、どのような意味を持ってこの言葉を語り継いだのか。仙台にとって戊辰の戦いは何だったのか。

これから当ジャーナルのテーマとして行きたいが、今日は同書の終わりの方にある印象的な部分を記す。

藤原相之助は明治44年に『仙台戊辰史』を著した。私の祖父の生まれた年だ。藤原は、戊辰戦争をこう総括しているという。

 列藩同盟は利害の打算が多く、各藩内の状況も様々の行き掛かりがあって、各個人としては思慮があり実力もあり技量もあったが、団体としては脆弱であった。このため同盟が容易に破れ、戦争のたびに敗戦に終わった。
 当時の時勢において列藩同盟が5ヶ月にわたり屈せず、薩長政治家をして国政の前途に対して猛省を発せしめた効果は確かにあった。列藩同盟の余勢は五稜郭戦争に及び、武門三百年の意気を示し、東北人が自ら反省する点と、自ら重んずべき点を発見することができる。

後段の、東北人の意気に誇るべき点と反省すべき点、の語に強く惹かれる。やっぱり戊辰戦争史を学ばねばならない。

藤原相之助は、秋田仙北郡生保内村の生まれだ。つまり同盟を離脱して南部藩に攻撃された地域だ。しかし、当時子供の相之助に対して、祖父は「南部人が賊でもなければ、秋田が官軍でもない」と教え諭したという。わきまえのある祖父だ。


官軍か賊軍かという一面的な歴史観を斥け、東北にとってのこの戦いは何だったかを追求したのだろう。藤原は後年、河北新報の主筆となり、昭和23年に死去。

■関連する過去の日記
 ○ 玉澤さんと戊辰戦争 (06年5月27日)
 ○ 輪王寺宮と東北 (06年4月8日)





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最終更新日  2006.08.21 23:16:08
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編集長追記  
藤原相之助について書いたが、仙台出身の藤原作弥さんがその御令孫なのだそうだ。「み・ち・の・くホームページライブラリー」に出ていた。東北電力が委託したサイトのようだ。

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