仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.03.09
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カテゴリ: 国政・経済・法律
〔次の記事( 外国人の地方参政権を考える(その1)(10年3月9日) )から続く〕


3 立法政策として考慮すべき事柄

そこで、当ジャーナルは、特別永住者の地方参政権を立法政策の問題として捉えたい。こう考えればこそ、賛否両論の噛み合った議論ができるというものだ。政策論だからこそ、諸事情を踏まえた総合的判断をなしうることにもなる。

そして、考慮すべき事項は、いろいろあるが基本的に2点。1つは、地方自治を誰がデザインするのかという点。もう1つは、外国人に参政権を付与する積極的な必要性の視点だ。

第1の点。国民主権は日本国民が前提であるのは疑いないが、地方自治を考える際には、そこに定住する者を念頭に置いて国籍要件を多少ゆるめることも考えられる。そして、日本国民が制定する法律が条例に優越するとの担保がある限りで(94条)、条例制定を含めた地方自治に国民以外が参加することも、一定程度許されると考える余地がある、と思う。

その上で、例えば自治体によっては居住者の何割かを外国人が占める地域もある。住民に身近なサービスの内容については、こうした人を含めて定住者が決めていくことは、十分考えられる。実際に、自治とは言っても相当細かな内容まで国の法令が定めている現実からすれば、それで自治体ごとのサービス水準が根本的に異なることは有り得ない。ただ、地方議会の論議を通じて、また首長選挙を通じて、外国人の意見も反映して例えば窓口を多言語化するなどの日常の自治行政活動が、現実に住まう人々のニーズに即していくことが期待される。

第2の点。なぜ、「外国人」参政権なのか。このことを正面から問う必要がある。日本国籍を持つ者による主権行使がひとまず原則である以上、外国人に行使させても「許容される」(上記第1の点)だけではなく、それが「必要になる」というほどの積極的で構成的な理由が必要だ。そして、この点が、日本でこの問題を論じるときに、曖昧にされているきらいがあると思う。


4 定住外国人に地方参政権を付与すべきか



より本質的に議論すべきは、第2の点だ。そして、選挙権を与えるべき者、すなわち国民と同視すべき生活実態を有する定住者を考えると、まずは特別永住者が対象となるだろう。さらに、国民と同視すべき、ということを突き詰めれば、やはり国籍取得が本筋ではないかという議論がどうしても不可避だ。在日の人たちが日本国籍を取得するのに制度上の不都合があるならば、帰化を認めやすくすればよい。それこそ立法政策だ。わざわざ「外国人」であることを前提として、参政権論議を進めなければならない必然性があるのか。

帰化を否定し、在日の人たちのアイデンティティを守るべきとする立場には、加害国家日本のアイデンティティを重複させたがる進歩的日本人がいる、とされる。また、多文化共生社会という最近のキーワードの一つの象徴として取り上げるような雰囲気もあるが、これは本末転倒だとおもう。日本に生まれて日本語を話している在日の人たちに、わざわざ「外国人」とレッテルを張り直して、はい共生してますね、というような余計なお世話話だ。

外国との関係も視野に入れねばならない。地方自治体だから国際関係は遮断し考えて良い、というはずはない。一般永住者は、既に特別永住者の数を上回り、特に中国籍の人が増加しているという。海外からのナショナリズムのうねりに巻き込まれる可能性は、たとえ小さいとしても大いに考えねばならない。

言語も文化も異質の外国人が、一定のまとまりを持って定住し、日本人とどう「共生」するかが問題となる。そんな共生の場面を本当に想定して多文化共生を語っているのだろうか。そうなれば単なる国際親善レベルでは済まされない。日本語を話し列島の日常生活の中で過ごしている特別永住者の人たちとは、まったく別の問題だ。冷静に言わなければならないことだが、外国語を話し外国の思考様式や生活スタイルを持つ集団が、彼らの価値観でもって、地方レベルとはいえども我が国土において妥当する条例を制定するという事態を、日本国民は受け入れるのだろうか。その必要があると思うだろうか。

従って、一般永住者にまで対象を広げて論じるならば、(地方自治の問題とはいえども)国民主権に忠実たるべき原則を出発点に、基本的には謙抑的な姿勢で検討し、一定の許容性(第1の点)が共通認識とされることを前提に、その必要性(第2の点)を十分に検討しなければならない。特別永住者に限定して議論するならば、はじめに国籍政策を論じるのが筋である。


私は、ハッキリとした持論を有しているわけではないが、地方レベルの外国人参政権については、

 ○ 公務就任権(公務員)  立法政策(国法or条例等)→比較的広く認めて良い
 ○ 被選挙権(首長、議員) 立法政策(国法)→認めるべきでない
 ○ 選挙権(首長、議員)  立法政策(国法)→市町村の議員選挙については可?
 ○ 住民投票など      案件により認めて良い(条例等で定める)
 ○ 請願、情報公開     定住外国人にも認めるべき


という辺りで考えている。今回のテーマである選挙権については、市町村議会の議員であれば許容性を優先して良いのではないかとも思うが、それでも例えば一市町村の3割や4割が一般永住者である場合などを想定すると、難しいと思う。現行地方自治法の議会の権能を持たず、建議機能をもつ評議員会を条例で設置して、その選挙権や被選挙権を条例で外国人にも定めるのなら、問題はないと思うが。


5 議論にひそむ問題点(議論を歪めている視点)

納税を根拠にして、外国人も参政権を与えよとする議論もまだ見られるが、これはおかしいと思う。基本的に税はサービスの対価であり、国民主権の原理を基礎づけるものではない、というのが当ジャーナルの基本的態度だ。国民主権は治者と被治者の自同性に由来し、カネに由来するのではない。国内の論議一般についても言えることだが、税金を払っている国民住民が政治に主体的に関わることは当然だが、かといって、税金を払ったから参加する、という論理ではない。よく、国民の血税の使い道として...式の議論があるが、あまりにそれを強調すると、税を払わず、逆に保護費を受給している国民だって相当数いるのだが、彼らには発言権がないことになる。公の概念は、納税が基礎づけているのではなく、国民主権それ自体の話だ。かりに税がなくたって(公営企業の収入や篤志家の寄付で国家財政が賄える場合を考えよ)、国家の事務は存在しているはずだ。

また、ファンシー(空想的)なコスモポリタン論とでも言うべきか、島国日本は鎖国体制では生きられないのだから、外国人と仲良くしなければならないから、お互いに意見を言い合って行こう、などというやや無責任な論調も見受けられる。

これらは、上記の整理で言えば第1の視点から「許容」される(そうだったら良いでしょう)程度の議論にすぎない。いずれにしても、第2の視点から、必要性や、対象者の限定付けの検討は、避けて通れない。




以上、整理を試みたが、いまだに論理が混乱している気もする。憲法と政治の関係については、切り離すべきとしたが、実は憲法論議として(実体規定としての憲法というより、政体 constitution ないし国のあり方というべきか)まさに議論すべきかも知れない。また、在日と国籍の問題については、深い検討が必要だと思っている。例えば、鄭大均さんは、在日のアイデンティティを永続化させるべきでない、また、外国政府の干渉の余地を設けるべきではないとの観点で明確に付与に反対している(中央公論2010年1月号)が、私は、国際政治の視点からは、未熟にしてまだ自論を持つには至っていない。

冗長になったが、より良い整理を、次の機会に譲りたい。





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最終更新日  2010.03.10 00:34:49コメント(0) | コメントを書く
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