仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2012.11.19
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カテゴリ: 仙台
〔前回( 明治11年仙台日日新聞事件(社主の獄中自殺)(その1) (2012年11月18日)に続く〕

逸見英夫『明治・大正・昭和 仙台じけん帳』(河北新報社、2002年)から当ジャーナル要約(同書第4話「社主、獄中で謎の切腹~新聞記者筆禍事件」)。

■関連する過去の記事
仙台・宮城県の新聞概史 (2012年11月10日)


(続き)
高瀬は水戸藩士で24歳の時仙台に来る。涌谷出身で後に仙台区長、宮城郡長を務めた十文字信介の招聘に応じて、仙台日日新聞社に入社したという。湯治、同社には、社長須田、副社長立花(但木)良治、主筆怡土信吉(福岡出身)のほか、記者2人、探訪記者1人。

須田と高瀬が最初にあった晩、高瀬が酔って議論を吹き掛けたが、須田が高瀬という男は使いようが悪いと役に立たないが任せれば仕事を成す人物と、立花に語ったという。入社3日目、高瀬は新聞改良論を述べ、新聞に傍訓を付ける、用紙は西洋紙に刷る、活版職工を上京させ技術習得させる、記者も外に出て取材させる、などの改革案を提案。須田も喜んで早速実行した。高瀬も翌朝から県令、師範学校長、裁判官、武官などを訪問。怡土主筆と相談して、雑報という欄を設け、戯文を加えたのも高瀬の意見による。



そんな高瀬に期待しての編集長抜擢だったが、4月23日、高瀬は獄中の須田に編集長の任に堪えられないとの文を提出。須田は24日高瀬を元の印刷長にもどし、15歳の少年、雲野香右衛門を仮編集長に任命した。

しかし5月14日、こんどは雲野が宮城上等裁判所検事局より呼び出され、5月1日に掲載の記事について咎められた。23日再び呼び出されて5日間の禁獄と罰金5円を言い渡される。問題の記事とは、社長の須田らが刑に処せられたのを揶揄して仙台裁判所官吏を誹謗した、というのである。雲野が収監されたのは、禁獄30日の伊藤欽一郎が出獄した日でもあった。旧藩時代の牢が使用されていて成年も未成年も一緒の牢獄では、あと10日入牢しなければならない須田は寂しそうだった、と後に語っている。

入獄と言っても昼間は外出が許されていた。雲野が午後4時頃牢舎に帰ると、渡辺という老獄丁(刑務官)が牢の前で腰を抜かしている。雲野が急いで牢の中に飛び込むと、須田が剃刀で腹を切り、立ち上がって腸をつかみ出してちぎろうとしていた。驚いて飛びかかると恐ろしい力で突き飛ばされた。その時、村上獄丁が背後に回り剃刀を須田の手から取り上げた。すぐに医師の中目斉が呼ばれ、須田は運び出されたが、雲野の布団の上で切腹したので雲野は血生臭い布団でその一夜を過ごすこととなる。

後で聞くと、渡辺が須田の牢前に来て雑談をして、渡辺が「少し顔でも剃ったらさっぱりするでしょう」というと、須田が剃刀を貸してくれと言ったので、渡辺が差し入れたという。

仙台日日新聞はこの年明治11年5月26日午前3時30分に須田平左衛門が死去したと報じている。享年38歳。なぜ切腹したかは、当時から多くの人々が推測しているが、真相は不明である。





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最終更新日  2012.11.19 21:05:39コメント(0) | コメントを書く


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