仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.05.30
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カテゴリ: 東北
是非来たかったところ。日没直前の広域農道をひたすら走り、交差点を高山稲荷神社方向に折れて進みます。

チェスボロー号記念公園は、道の左手小高い丘にありました。慰霊碑や碑文。また、展望台に登ると海が見渡せます。

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画像は、上が、慰霊碑。ちょうど桜も満開でした。中段は展望台。朝の能代から日本海岸沿いにあらゆる名所を駆け抜けてきた私のヒザはボロボロでしたが、二度と来ることもなかろうと必死に登りました。下段は、展望台の上からみる慰霊碑と日本海。6時20分頃でちょうど日没の刻でしょうが、水平線上に雲がありました。

さて、解説の案内板に書いていることを転記してみます。

チェスボロー号遭難慰霊碑
この慰霊碑は、明治22年10月、交易で来航中の米船チェスボロー号が折からの暴風に遭遇し、西浜中ノ森沖の浅瀬に座礁大破、乗員23名中19名が波に呑まれ、4名が救助されたが、この時、怒濤逆巻く中、数人の漁師たちが生命を賭して救助に当たった。
特に、その中にいた工藤はんは、瀕死の米人を自分の肌で暖め、蘇生させたという美談を讃えるとともに、あえなく異国の海に消えた19名の霊を慰めるための碑である。


ちなみに、併記された英文では、Octorber 30 と日付まで明記されていました。また、a woman named Han Kudo とあるので、工藤はんが女性であることがハッキリします。

また、いくつか立派な石の碑があります。こんな詩が。

荒波に消えた人たち
生き残った人たちも
そしてその人たちのために
最善をつくした人たちも
もう誰もいない
今日もただ
鴎の声と波の音だけが
昔を偲ばせている
青森県知事 竹内俊吉 書


また別の記念碑にはこう記されています。

今から82年前すなわち明治22年10月30日
この地中の森沖において
折からの荒天のため
米国帆走船チェスボロー号が難破し
乗組員のうち悲運の死をとげたもの19名
九死に一生を得たものはわずかに4名であった
この時にあたり沿岸の住民たちが救助のために
示した献身的な行為こそは
尊い人間愛の発露であって
美しい国際親善の物語として
永久に記憶されるべきものである
先人たちの行為を誇りとし子孫に伝えるため
ここにこの碑を建てる
昭和45年8月5日
アメリカ帆走船チェスボロー号遭難慰霊碑建立協賛会会長
車力村長成田佐太郎
副会長
木造町長成田幸吉
副会長
市浦村長柏谷秀一
弘前中央高等学校長小野正文撰文
(最後のところ不正確)

■関連する過去の記事
チェスボロー号と青森・車力 (07年11月7日)





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最終更新日  2013.05.30 06:42:52
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