仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.08.19
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カテゴリ: 東北
明治の維新政権は、欧米に範を求め近代化を推進する一方で、国民の意識統一のため過去の政体を持ち出す王政復古という、一見矛盾した側面もあった。

天皇親政の一元支配をめざした王政復古は、明治政権発足当時と時代背景が似ていた古代の大化の改新に求めたものである。

大化の改新の頃は、日本は唐や半島の政変にしばしば巻き込まれ、国際社会で行動するにあたって自国の制度の遅れも自覚された時代だ。この時代を乗り切る上で、国としての体裁を明確にする必要から、中国に倣った律令を取り入れた。社会的な秩序保持ができる国であることをアピールしたかったのである。付随して、国家の成り立ちを対外的に明確に示す必要もあったため、「修史」作業も同時に行った。

我が国なりの律令が整い、修史が成って古事記と日本書紀が示されたのはほぼ同時期で、これが我が国「天皇制」の出発でもあった。

明治新政府の発足に力を注いだ元勲たちは、モデルとした古代の一時代には「大化改新」の名をつけ、自分たちには「明治維新」との対語をつくり、明治維新における「律令」として憲法制定を、また、記紀の編纂にまねて「国史の修史」作業を急いだ。国史の神話部分は、記紀を基本に再構成し、「明治の神話」を学校教育に取り入れ、神代から万世一系の天皇を戴く誇り高い国民と教えたのだ。

この「神話」導入は、近代科学としての歴史学研究とは別のものと考えられたが、とりわけ原始・古代史の研究に際しては大きな制約となった。

こうした統制は昭和にますます厳しくなる。昭和12年には文部省が「国体の本義」を著し、神話に始まる大和朝廷を万古不易の国体とし、国内各地の歴史は語る必要のないものとし、とりわけ「あづま・みちのく」は未開の扱いを受けることとなった。中でも、奥羽は戊辰戦争で朝敵の名をかぶせられた。

「あづま・みちのく」は記紀では「東夷」「蝦夷」の呼び名で出るが、当時はさほど重大な意味を持っていなかった。中国で使われる四囲の諸国に対する常套用語を日本も真似して使用しただけで、実質的な感覚は「東の人たち」「北の人たち」程度に過ぎなかったと思われる。

ところが明治政府はその言葉を持つ意味を、とりわけ「朝敵」が多い東国一帯を指す「東夷」は「あずまの未開地」の意味で利用したのだ。さらに、東北地方を指す「蝦夷」はまさに大和民族とは別の文化果てるところとして語ろうとした。そして、これらの地にあったさまざまな文化を、学問的な成果とは別次元で消し去ったのだ。



この論争は縄文時代の概念に関する重大なものだが、その後立ち消えになっていた。

明治政府は国の始まりを神話で語ったことで、石器時代はもとより、縄文も弥生時代も一部の学者だけが許された分野となり、一般には全く知らされなかった。歴史を神話で語るには不必要、むしろ害悪だったのだ。

近代という時代が、東北の古代史を封印したのである。

■相原精次『封印された「あずま・みちのく」の古代史 東ニッポン歴史再発見』洋泉社、2011年 から(当ジャーナルで要約)





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最終更新日  2013.08.20 00:22:03
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