仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.02.16
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カテゴリ: 宮城
結球が良く締まり味も良い「結球ハクサイ」が、大正11年から「仙台ハクサイ」の名で、大量安価に全国出荷されるようになった。

作り育てたのは沼倉吉兵衛。登米町の生まれで明治13年に東京の駒場農学校に入り、18年に宮城農学校(現宮城県農業高校)の教師。ハクサイとの出会いは、28年に日清戦争から凱旋した第二師団参謀長が、芝罘(チーフー)ハクサイの種子を同校に寄贈したのが最初。

二年継続の試作では結球をつけたのは半分以下。採取方法の不完全が原因と判断した沼倉は、伊達伯爵の養種園(現在の若林区役所の地)の技師に転じたのを幸いに、再び結球ハクサイの栽培、採取の研究に取り組んだ。球形が整わず商品としての市場性が低かったが、渡辺顕二(ママ。ODAZUMA注:渡辺採取場のサイトでは渡邉穎二と表記。)(小牛田町の渡辺採取場創立者)の協力で研究を進めた。

大正3年、宮城県農会が養種園を借り受けた際に、園内温室を原種採取室に改造。;また、松島湾内の馬放島と扇谷を県から借り受け採取場を設けるなど、沼倉の努力で、仙台ハクサイが生み出された。

なお、日本のハクサイ栽培は明治8年愛知県植物栽培所に始まり、28年、愛知の野崎特四郎により中国の山東ハクサイに劣らぬ結球ハクサイが生まれ、明治天皇が賞味されたという。

当時は高級とされたこの野崎ハクサイをしのいで、仙台ハクサイが大量生産されて全国に愛されるようになったのは、沼倉のお陰である。

■逸見英夫『仙台はじめて物語』創童舎、1995年 をもとにしました。

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最終更新日  2015.02.16 20:55:26
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