世田米は、内陸と沿岸の中継地点として発展し、街道沿いに町家を並べ後ろに土蔵を立てるようになった。金田一京助は、世田米は、アイヌ語で「セタ・オマ・イ」、犬(セタ)がいるところ、と解釈している。世田米に犬頭山(いぬがしらやま)があるからと述べられているが、犬と世田米の関係はわからない。
一方で宍戸さんは、地形由来の説に着目し、「せ・た」で狭い土地の前の意、「せ」は気仙川の川の瀬で、気仙川の瀬の前の土地、と考える。
世田米駅という地名は江戸時代の宿駅の名残である。交通の要衝だった世田米の役割を今に伝え、新たなにぎわいを創出するため、古民家を改修した「まちや世田米駅」で2016年オープン。
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