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はい!旅館に着きました!そしてお楽しみの夕食です。ちょいと時間がなくて料理名はすべてカット、写真のみでお送りします(笑)とてもおいしかったんだけど・・・予想通り、私達には量が多すぎ残念だけど折角の上州牛、3枚も残してしまいましたもうお腹いっぱいで、食事前に温泉に行って食後に露天風呂に行こうと話していた姑はギブアップ^^;私だけ露天風呂に行ってきましたこのお宿は、大浴場と露天風呂が少し距離があって、それぞれ別の場所なのです。姑は食事前にマッサージを受けていて、私は夜9時に予約していたので、露天で気持ち良くお湯につかった後にマッサージもう、最高でしたよ~~~午後10時に部屋に帰ると、お布団で寝ながらダンナと姑が話していました。滅多にないよなぁ、と思い、たまには息子と水入らずってのも姑は嬉しかったんじゃないかな。そして次の日は石段!!姑は膝が悪いので全部は登りませんでしたが、お宿の方から行くとちょうど200段目くらいから。少なかったから苦もなくクリア(^^)伊香保の名物石段も登ったし、満足満足帰り道、ハルナグラスというガラス工房にも寄って(工房はやってなかったけど)綺麗なコップを買ってきました。あとはひたすら埼玉へ初めての姑、ダンナとの3人旅。なかなか楽しかったです
2014年09月18日
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それで(←いきなり昨日の続き。)榛名湖でボートに乗って、ふーいい汗かいたぜーとか言いながら駐車場の方を見ると・・・あっ!!一気に興奮いた私は、そのまま走り出していた、ダンナと姑置いて(^^;)何が私をそんなに興奮させたのかと言うと・・・馬っワタクシ、実はなんの役にも立たないが乗馬検定5級というものを持っていたりする。あんまり昔のことなんでもう忘れたが。お馬さん、昔から好きなのよね~~父が競馬好きで、私はあまり賭け事はよく分からなかったけど、サラブレットが本当に美しくて、馬が大好きになった。で、結婚して間もない頃かな、乗馬クラブに3日間通って検定を受けたのでしたダンナが馬使いのおじさんに「昔馬に乗ってた」なんて言っちゃうもんだから・・・「じゃ自分でできるね?」って。「できません~~~(><;)」でも、手綱を持たせてもらって、おじさん引っ張ってくれないから(笑)自分でなんとか操縦(?)。なかなか気持ち良かったですよ~~~久々に馬に乗れて気持ち良かった~~~そして、旅館に到着。伊香保温泉の森秋旅館。床の間にはかけじくとお花手前にちょっと写っているのは空気清浄機。これは嬉しいお楽しみの晩ご飯は、また後ほどP.S 今日の地震はうちの方は震度5弱。ズン!!って縦揺れで、ひどく大きな地震でした。 びっくりしたな~~~もうあまり大きな地震はおきてほしくないなあ。
2014年09月16日
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埼玉から群馬の伊香保まで、実は車でそう遠いわけではないのね。朝からいいお天気!!9時過ぎに、姑を乗せて出発~まずは姑が行きたいと言っていた水沢うどんのお店へ。田丸屋さん。土日は予約できないと言われたのだけど、高齢だし膝が悪い姑が待つのもかわいそうなので、2,000円で個室をチャージ。予約は11時30分から、ちょっと早めに着いたけどお部屋に案内していただいた。うわっ、ちゃんと椅子席だし、お庭の景色は見えるし、お部屋の飾りも素敵だし、最高やん大部屋は帰りに見たらもう人でいっぱいで、とても雑然としていた。家族でゆったり食事をすることができて、姑も大喜び!!もちろん食事もおいしいうどんもさることながら・・・姑が以前来て、とてもおいしかったということで頼んだしんこ餅・・・もう、本当に美味!!上新粉のもっさり感とあまからのタレが絶妙舞茸の天ぷらは姑と半分こ。お塩で食べるのが好きなので、おいしかったダンナは天ぷらなどもついているセットメニューを注文。食事後、すぐそこの水澤観音へ。え、これ登って行くのお母さん大変ですよね、と言ったら、「大丈夫、向こう側に駐車場があってそこからは楽に行けるから」というので車を移動。さすが姑、よく知っています六角堂。くるくるまわすのだ。3回回すんだって。3人で、くるくるまわりった~それから、榛名湖へ!!お天気がよくて絶好のドライブ日より。途中で展望台があり、立ち寄ってみたいい空でしょう赤城山とか、随分遠くの方まで見えるみたい。(←山とか全然分からない人。)榛名湖に着くと、やっぱりボートでしょう、ってことで、パンダちゃんの足こぎボートに乗り(笑)77歳と46歳と42歳で、湖の上をこいださでも、湖上からの景色も美しいそしてこの後!!私を興奮させる出会いが!!もうそれを見た瞬間、「うわーーーーーっ」と走って行ったのさでは、明日はそこから(^^)
2014年09月15日
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今日は出張だった。それが実家の隣町。ってことで昨夜のうちに「明日の夕方顔出すね」と母にメールをしておいた。何せ・・・しばらく顔見せてないし・・・3月のお彼岸はガソリンショックで行けなくて、その後でお線香をあげに行って・・・それ以来。短い時間でも、顔を見てお話ができれば喜んでくれるかと思って1日中講義を聞いていたら折からの風邪のせいか頭痛がしてきてそれでも実家に向かって玄関を開けたら・・・「たくさん作ったよーーーー」と、開口一番この台詞(笑)そう、いつも実家に行くと忙しい私のためにたくさんおかずを作ってくれるのだが、そして実はそれを期待していたわけだが、今日も期待通り「もう一生懸命作ったけどさ、よく考えたらいつもと同じだった」いや、それでいいのです。私の好物だから。ちなみに今日のメニュー。餃子。(←自分じゃ包んだりするヒマがない。)春巻き。(←揚げ物はなかなか・・・)ピーマンの肉詰め。(←あ、これはこの前作った。)えびチリ。(←母の新ニューお披露目。)ゆで卵。(←なぜかたくさんゆでてあった。サラダ用に4つもらってきた。)ご飯。(←家に帰ってから炊かなくていいようにいつも用意してくれる。)ありがたや・・・(T人T)弟が「随分頑張って作ってたよ。」と母がいない時に教えてくれて、本当にありがたいなぁと。自分のことで頭がいっぱいでなかなか会いに行かない我が儘娘なのだが(><;)初めて目にした、母の日に送ったマグカップ。割ったらもったいないから眺めているだけだそうな(^▽^;)また買ってやるから、いいから使え~っ父にお線香をあげて・・・。母も弟もちらも元気で良かった。ん?ちら?そうそう、今日も無理矢理写真を撮ってきた~最後にお披露目「早くお外に出してニャン。」 by ちら
2011年06月17日
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午前中、指揮法のレッスンだった。終わって地元に戻り、買い物しようとお店に入った後で、携帯に着信があったことに気づいた。レッスンだったからマナーモードにしていたのだ。母からの着信。電話をしてみると、叔父が危ないとのこと。何日か前に母から電話でその話を聞いていたのだが、今日は日曜日だし、会えるのならば来て欲しい、とのことだった。なのでそのまま叔父の病院に直行。うちは親戚がみな同じ市内に住んでいる。実家がある市でもある。行ってみると、母と叔母が叔父の手を握っていた。叔父は随分前から認知症で、家庭では介護しきれず、近くの施設に入っていた。そこでは随分良くしてもらったそうだ。叔父は酸素も点滴もしていなかった。親戚で話し合って、無理な延命はせず、自然に任せるとの結論を出したそうだ。半目は開いていて、口を開けて呼吸をしている。時々呼吸が止まるとどきっとするが、時間が経つとまた呼吸が始まる。私も手を握る。「お前たち(私と弟)は家が近くて随分かわいがってもらったんだから・・・」と母が言う。親戚で、一番最初に亡くなったのは父だ。そしてその後に伯母。5人兄弟の父は4男坊、伯母は一番下。下の2人が最初に逝ってしまい、今ベッドで寝ているのは長兄だ。御年、79歳。でも、父も伯母も叔父も幸せだと思う。みんながお見舞いにかけつけて声をかけていってくれる。遠くに住んでいる私のいとこ達も来ていた。仲がよい親戚だった。いとこ達とは、年頃になって疎遠になったけど、こうして年を経て親の介護や死の問題が出てきてまた、会う機会が増えてきている。覚悟はしているけど、また、別れが来るのは、切なく寂しい。
2011年01月30日
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この曲、知っている人いるかな?沢田聖子(しょうこ)さんは旦那がファンで、結構CDを持っている。ある時、旦那が聴いていた音楽の歌詞がとても衝撃的だったので「誰の曲?なんて曲?」って聞いて、初めて知った。「息子からの伝言」これ、9.11の曲なのだ。アメリカ同時多発テロの時の・・・。今日、たまたま人に聴かせる機会があった。あの衝撃的な事件もどんどん過去のものとなる。でも歴史はひきずっていて、今また別の騒動が起きているし、起きなくていい戦争も起きた。でも、「よく知らない」っていう世代がだんだん大人になってきている。アーティストとはたいしたもので、こうして、素敵なメロディに乗せてメッセージを伝え続ける。それでまた、私たちは思いを新たに、知らない世代はこんなことが、と思う。大事なことだと思う。あの日、まだアパートに住んでいた私はお風呂上がりだった。旦那が「アメリカで大変なことが起きてるよ、ビルに飛行機が激突したらしい」というので驚いて、テレビに向かった。当時まだ視力が悪く、お風呂上がりで眼鏡をしていなかったのでめいっぱいテレビの画面に顔を近づけた。その瞬間。2機目の飛行機がビルに突っ込んだ・・・一度目は偶然、2度目は必然・・・これって、誰が言った言葉だったっけ。NHKのアナウンサーも一瞬絶句した。私も旦那も顔を見合わせた。そしてわかった、「テロだ」って。第3次世界大戦・・・そんな言葉が頭をよぎった。その後の悲劇は・・・もう思い出したくもない。戦いはいつの時代だって残酷だ。そして一番苦しむのは、なんの罪もない、一般市民。「息子からの伝言」は、朝早くからビルで真面目に働いていた「彼」が、突然の爆風に驚き、何がなんだかわからないまま命を落とす。母は瓦礫の中から早く息子を捜したかった。1週間後、彼は四角い体になって見つかった。歌詞は言う。 失っても取り戻せるものものもある。失ったら取り戻せないもの、それは、命。著作権の関係とかあるから歌詞をちゃんと載せられないけど、この曲を初めて聴いた時は衝撃的だった。曲は至ってシンプルで、美しいメロディだったから。この曲、なるべく多くの人に知ってほしいな、って思った。
2010年09月13日
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なんだこのタイトル。ひつじは今晩宝塚星組の全国ツアーin大宮に行ってきたのだが・・・長くなるので観劇記録は明日に今日の話は家に帰ってからのことだ。なぜかダンナがずっと歌っている。ダンナ 「♪ がらがらへ~びがやって来る~~」 妻 「・・・・・・・・・・・・・・。」ダンナ 「♪ お腹をすかせてやってくるぅ~~~」 妻 「・・・・・・・・・・・・・・。」ダンナ 「♪ あ~いつらは~グルメじゃない~」・・・・・たまりかねて妻は聞いた。 妻 「・・・・・・・・・・なんでその歌なんだ。」平然とダンナは答えた。ダンナ 「う~ん、なんかそんな気分(^▽^)」・・・・・どんな気分なのだ、ダンナよ(ー_ー;)さらに妻は気づいた。夫のまゆげがげじげじだった。妻は、夫の眉毛にうるさい。っちゅーか、うっとおしい(ー”ー;)(←放っておくと村山元総理になりそう。)(←故に時々妻が眉毛を切る係。)(←ダンナは激しく抵抗。)(←押さえつけて眉毛の長さを整える鬼妻。) 妻 「なんなのよその眉毛!!デビルマンも真っ青だよ!!」すると夫は真剣に反論した!! 夫 「デビルマンは元から真っ青ですよ!!」・・・・・・そうだった(ー_ー;)(←完敗。)なんなんだーうちの会話はー!!!
2010年04月26日
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今日は、妻の愛をむげに断った夫の話である。ひつじは遠距離通勤である。車で1時間かけて通勤している。前の職場は片道約50kmで高速通勤。・・・いつか事故で死ぬんじゃないかとマジで思った。ま、それに比べりゃ今はまだいいんだが。一般道で片道30km弱だし。(←でも肩凝り腰痛悪化。)だが、万が一ということもある。それで妻は、夫を安心させようと思って明るく言った。妻 「私に万が一のことがあったら、寂しくないように化けて出て背後霊になってやるからの(^▽^)」・・・そんな妻の愛を、夫はむげに断った。夫 「・・・・・・重いのぉ。」なんてこったい夫 「そんなことより、気をつけて運転しなさい。」おお、ありがたいことを言ってくれる・・・と思って振り向くと、夫はバービーボーイズの曲を聴きながら音楽に乗って変な動きをしていた。(←のりのりのつもりらしい。)妻には、誰かに呪いでもかけているような動きにしか見えなかった。そんな夫の真似をしてみせたら、夫はこう言った。夫 「・・・畑でも耕してるのか?」・・・・・・似た者夫婦かもしれない。それは、ちょっと、やだ。
2010年03月08日
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くぅ~、週初めからもうダウン(><;)ああ・・・もっとパソコンに精通していたら・・・ああ・・・もっと職場が近かったら・・・ああ・・・今日の○○が6分の5じゃなかったら・・・金曜は6分の0なのに・・・(←分かる人にしか分からない。)早く終われ、木曜日のイベント(T_T)(←チーフの人。)さて、今日はひつじ家の旦那の話である。旦那は、天然パーマである。頭がもこもこしている。ま、最近後頭部が薄くなってきたがな(ー_ー)(←本人否定。)(←デジカメで後頭部画像見せた妻。)(←悪魔。)(←でもまったく気にしない脳天気な夫。)そんなひつじ家(←どんな?)の、よくある朝のやりとりである。妻は6時過ぎに起きてお弁当を作って仕事に行く支度をする。夫は7時くらいにのぼーっと起きてくる。今朝も、7時くらいにとんとんとんと2階から降りてきた。そしてリビングに入ってくる。夫 「おはよー。ご飯食べたか?(ー▽ー)」(←必ずこう聞く。私は食いしん坊か。ーーメ)妻は夫を見る。だいたいは「食べたよ。」と答える。が、何度かに1回は、こう言う。妻 「博士、また実験に失敗したんですね。」夫は答える。夫 「ん。(ー_ー)」そして何事もなかったように静かに朝の時間が流れる。・・・朝の夫の頭は、実験に失敗してぼんって爆発した時の博士の頭に、良く似ている。
2010年02月22日
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・・・今日は、お風呂の栓を抜きませんでした!!エヘン!!(←3度目の正直。)(←ダンナがふたを開ける瞬間、巻き舌でドラムロール。)(←お湯が見えた瞬間「ぱんぱかぱーん」とファンファーレ。)・・・と、こんな馬鹿なことを書いているが・・・実は悲しいことがあった。ここから急にしんみりしてしまうのだが・・・おじさん(父の妹の旦那さん)が、今日亡くなった。去年の秋から、もう長くはないと聞かされていた。そんなにしょっちゅう会っていたわけではないけど、小さい頃からずっと知っているから・・・悲しい・・・一昨年の4月に私の父が亡くなり、同じ年の12月に叔母が亡くなった。その約1年後になるんだな。たった1年とちょっとの間に両親を亡くしてしまった従兄たちのことを思うと胸が痛む。実は、叔母が病気になるより先におじさんは癌を患っていた。医者からは余命宣告もされていた。それが、新薬(?)か何かのおかげで、奇跡的に助かったのだそうだ。そして叔母を送り、今自らも旅立って行った・・・私の実家の親戚は家が近いせいもあってみんな仲がよい。安らかに眠って下さい、おじさん。来週の告別式に行こうと思っている。天国に行く順番で仕方のないこととはいえ、別れは、とても辛い。
2010年01月27日
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夜の8時半くらいに家に帰って来たらば・・・ダンナが寝室で寝ている。「具合が悪くててのぉ~~~~~」と弱々しい声を出す。「熱はないと思うんだが・・・」と言うので手を近づけると・・・熱いわっ!!ただ、まだ37度5分。おそらく今夜中にまだ上がると思うのだが・・・夕方帰ってきて、下痢と嘔吐もひどかったそうだ。ウィルス性胃腸炎か、それとも新型インフルエンザか・・・ダンナの職場では新型インフルエンザが流行っているのだ。仮に明日の朝熱が下がったとしても、明日は仕事を休ませて医者に連れて行き、インフルエンザの検査を受けてもらう。陰性が確認されないと私も仕事に行けないのだ家族が新型インフルエンザの疑いがある場合、自宅で待機しなくてはいけない。明日、熱が下がっているといいのだけど・・・日頃熱を出すことがほとんどないだけに、とても心配だ。今年の1月に私が季節性のインフルエンザをやった時も辛かったもんなぁ。たいしたことありませんように(T人T)
2009年09月30日
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久々に仕事で熱中症になった今日の午後(T_T)家に帰ってぐったり・・・でも休む暇なく家事をやらねば・・・ということで、1日おきに部屋干ししているので、まずかかっている洗濯物をしまっていたら、だんなが帰ってきた。「疲れたーーーー(><;)」と妻が連呼するので、いろいろ手伝ってくれたさ。でも、できることには限りがあるのだが・・・。(ご飯運んだりご飯運んだりご飯運んだり・・・あ、それしかない)毎日刑事もののDVDを見ているだんなは、珍しくテレビでやっている中日戦を見ながらこう言った。「試合が終わったら2階に行っちゃうよ。洗濯物干すの手伝わなくていいの?」・・・大変よい心がけです。ほめてつかわしましょう。(←いつの時代の人。)妻は言った。「手伝ってくれるの??」夫は勢いよく返事をした。「うんにゃまげ!!」妻「・・・・・・・・・・?」うんにゃまげ??????凡人のひつじにはどうしても理解できなかったのであった・・・相変わらずおそるべし、ひつじダンナ・・・。
2009年09月08日
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うちの母だよっ!! (←にしおかすみこ風に。)←もはや古いという話も。今日は出張で実家の近くまで行ったので、帰りにひょっこり実家に寄ってみた。・・・玄関も窓も開いている。お~い、と声をかけて家に入るが返事がない。誰もいないのかな?と思っているとお風呂の前でちらが伸びていた。「ちぃ~~~らぁ~~~」と白くて長い毛をぐりぐりしていたら、お風呂から人の気配が・・・がらっと開いて、母がびっくりしてひとこと。「あれ?どうしたん?」出張で近くに来た旨を伝えると「言ってくれれば色々用意しといたのに~~(おかず系ね。)」と言ってくれるので、時間が読めなくて寄れるか分からなかったしさ、と言い訳をした。ちょっと顔を見られればいいやと思っていたのでで、出てきた母からなんだか酢のにおいが・・・「いやぁ~酢を水で薄めてカビを取ってるんだけど、よく取れるわぁ~」とかなりご満悦な様子。・・・良かったねぇ。でもねぇ。ものすごく酢のにおいがぷんぷんですよっ・・・お酢を水で薄めて拭くと、お風呂のカビがよく取れるそうでございます・・・。隣の部屋の事務所(すっごい小さな部屋。昔の私のピアノ部屋。)から弟が出てきて、「来てたんか~。何か飲むか~。」と相変わらずのんびり声をかけてくれた。仕事が早く終わって(不景気で仕事もそんなにないようだ。町の水道屋さん。)資格試験の勉強をしていたようだ。弟と母、そしてちらの顔を見られたので良かった・・・そこに父はいないけど・・・仏壇にお線香をあげて、父の笑顔の写真に見入る。相変わらず泣けてくる。あれから1年2ヶ月。それぞれみんな元気になったけど、今でも、思い出すとすぐ泣ける。さてさて(^▽^;)母と言えば、最近すっかり携帯のメールが普通になってしまいつまらないと思う私だった。以前はこんなメールを送ってきたり娘もびっくり母からのメールその1はたまたこんなメールも送ってきたり娘もびっくり母からのメールその2もう大丈夫かな~と思った頃にこんなメールが来たり忘れた頃にやってくる母からの不思議なメールしていたものだがなぁ。この前なんか旅行に行ってとても良い部屋に泊まったらしく嬉しくて「見て見て~ムービー撮っちゃった~~」と何度も見せられた・・・・・ムービーとは・・・母よ、進化したのぉ。ま、母が元気なことは嬉しい限りだ。また変なメールをいつでも送ってけろ。
2009年06月23日
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母の日には姑をご飯に食べに連れて行くので、今日のうちに実家に行ってきた昨日から祖母が泊まりに来ているというので、行きがけにお花屋さんに寄り母の分と祖母の分のカーネーションの花束を作ってもらった2人ともとっても喜んでくれた母の分はそのうち父の仏壇にも飾ってもらうってことで(^^)祖母は88歳だがとっても元気!!白内障の手術をしてから目もすっかりよくなり、すらすら本が読める。(←すごい。)耳も遠くない。元気にカラオケやらグランドゴルフを楽しんでおられる・・・。いつまでも元気でいてほしいなぁ。「はい、お小遣い」とお小遣いをくれる。もういい年だし働いているんだからいいんだよ、と言っても「孫に小遣いあげるのが楽しみなんだよ~」とおっしゃるので、ありがたくいただいた。お婆ちゃん、ありがとう!!(早速化粧水と乳液買いました><;) 今日のちらちゃんはガラスに写った自分の顔にみとれるナルシスト そこをすかさず捕獲する悪魔のわたし! 「なにすんねん。」と関西弁で怒っているような気がする・・・。悪魔の手を逃れ畑に向かったちらが何やらいきんでいる・・・ 「見ちゃいやん」とか言ってくれたら笑える。もちろんちゃんと・・・証拠隠滅も忘れない。「前足でちょいちょいや!」で、時々すりすり~って寄ってくるからたまらなくかわいいんだ~(←親バカ。)
2009年05月05日
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今日は母が来るので朝からせっせとお掃除私より先に起きてさっさと仕事に行った旦那は、新聞を片づけてくれたらしく、少し部屋が広くなっていた・・・うち新聞2つとってるから(東京中日スポーツと毎日新聞。)結構散らかるのね(^_^;)すると母から電話があり、もう少ししたら家を出るとこのこと。うちまで40分くらいかな。しかし、次の言葉を聞いてぎょっとなった。「車、クラウンで行くから。」実はこのクラウン、かれこれ20年近く乗っているのだ。実家は商売をしているため軽のワゴンや軽トラック、それから大きなトラックもある。弟は「親父が初めて新車で買った車だから、整備して何年でも乗る。」と言っていたのだが、どうも最近調子が悪く、JAFを呼んだり色々あったらしい。なので、廃車にすることを決めたのだ。3月まで乗るというのだが・・・車、止まるんだよね?大丈夫なのか、母よ?!心配の旨伝えると、母は涼しい声でこう答えた。「大丈夫だよ、何かあったらJAF呼ぶからさ♪」・・・・・・何かがあることが前提なのですね(T_T)まぁそんなこんなで、とりあえず無事に着いた、ほっ。お土産はでこぽん・・・の妹。・・・・・・・妹??なんだそりゃ?(ー△ー;)「お店の人がでこぽんの妹って言ったんだけど、なんだろうねぇ?」・・・・・・分かってから買ってください。(T_T)敷地内3軒分のでこぽんの妹と、姑には仏花を持ってきてくれた。(あんまり手みやげ持ってくると姑はすごく気を遣ってしまうので少量だそうだ。)とりあえず混む前にと、近くのイオンに行く。「ひつじちゃんの本、イオンに積んであるんだよね。今日はそれ買うんだ♪」「え、この前ゲットした分は?」「もうない。」・・・・・・母よ、どんだけやり手なんだ(T_T)イオンの本屋ではここ2週間ほど「16冊」から変わっていなかったのだが(←チェック済)、今日行ってみたら、なんと12冊になっていた!!嬉しい~~♪誰か買ってくれたんだ、4人も!!(多分4冊まとめ買いは身内以外しないだろう。)母も良かったねぇ、と言ってくれた。そして母は5冊持ってレジに並んだ・・・。すごいでもありがたや。いつも感謝です、母よ(T人T)そしてその後は予定通りお寿司を食べた姑が栗のケーキが好きだと言うので、モンブランを買って帰宅。うちに姑も呼んで3人でおしゃべり。天気がいいのでこれから歩きに行くと姑が言うので、ケーキは持って帰ってもらい、母と2人でケーキを食べた。母はモンブラン、私は昨日もらったでかいイチゴのケーキおいしかったわぁ~♪夕方用事があるというので母も帰ることになったのだが、ふと心配そうにこう言った。「エンジンかかるかな?!」・・・・・・だからクラウンで来るなとあれほど(T_T)「でも大丈夫。ダメならJAF呼ぶから♪」結局それかい!!・・・無事にエンジンかかった。(T_T)・・・さっき「無事に着いたよ~。」と電話が来たので一安心。短い時間だったけど、うちにはなかなか来ないので来てくれて良かった♪そしてこれが母が今日5冊まとめ買いしてくれた私の小説です。ゆるやなか時の中で 上原由美著 文芸社
2009年02月15日
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今日も仕事を早退して、医者に行ってきたインフルエンザの残りのようなものらしいんだけど・・・頭が痛い、胸というか鼻の方というか変な味がする、目の奥の方が痛い・・・・・・お医者さまにはなかなか通じなかった(T_T)とりあえず引き続いてのお薬をいただき、水分をよくとって休みをとるように(←これが一番難しい。)言われた。仕事がめちゃめちゃ忙しい時期に入る。今日もコンピューター入力の仕事があったのだが、申し訳ないけど他の方にお願いをした。ああ・・・明日以降、絶対元気にならないと・・・とせっぱ詰まると具合が悪くなるのでおバカな話などおとといの夫婦の会話である。主人が「・・・ひつじは・・・言葉の選び方が変だよ。」と言った。検証その1何かの会話をしていて、夫がものすごく素っ頓狂な顔をしていたのでついこの言葉が出た。「どうしたの?なすが盆踊りしてるみたいな顔して・・・。」しばらく黙った後夫は言った。「・・・なすが盆踊りしてるの見たことがない。」・・・言われてみればそうだ。・・・私、言葉の使い方、変ですか?検証その2旦那は犬に似ている。(ぷぷぷ^m^)こたつで熱くなってもこもこはい出てきて伸びていたのでこう言った。「犬の干物みたいになってるよ?」しばらく黙った後夫は言った。「・・・犬の干物って聞いたことがない。」・・・言われてみればそうだ。・・・私、言葉の使い方、変ですか?それから色々話していて、小学校の卒業式でみんなで復唱する言葉の話になった。私「卒業生のおにーさんおねーさん、ご卒業おめでとうございます」夫・私「おめでとうございます!!」夫「そんなのやったねぇ。」私「そういえば、その文を入れ替えて遊んでたやつがいた。」夫「え?」私「だから~みんなで行ったた修学旅行、あたたかく迎えてくれた鎌倉の大仏様!って言う文と校長先生から一人一人渡された、卒業証書!これを入れ替えて・・・」夫「・・・(大爆笑)」私「校長先生から一人一人渡された、鎌倉の大仏様!」夫「それは無理だろう!!」こうして大笑いしていたアホな夫婦である。ゆるやかな時の中で 上原由美著 文芸社「この話、ひつじさんの過去のことですか?!」・・・全然違います(T_T)
2009年01月27日
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インフルエンザ4日目。熱も6度4分と平熱に戻り一安心(^_^)ただ昨日1日寝ていたせいか夜寝付けず・・・やたら熱くて、また熱が出たのかな、と思うくらい。深夜12時までラジオを聞いていい加減寝たのだけど、ず~~~っと浅い眠りの中にいたよう。寝返りをうつたびに、チャンネルが変わるように場面が変わるんだよ~(笑)実は、昨日夢の中に父が出てきた。夢だからまったくつじつまが合わず、「もう埋葬は済んでいるはずなのに2回目の埋葬をする」みたいな感じで、父の遺体が横たわっていて、私が声をかけると目はつぶっているんだけど満面の笑顔になるの今朝は・・・これもまったくつじつまが合わないのだけど、私は職場のシマの旅行に行く直前で、そこに伯父(父の兄)が現れたので私が「もうすぐお父さん来るけどよろしくね」とか言ってるんだな。それからなぜか鉄の棒につかまって伯父さんと並んでつかまり歩きしていたら父の手だけ見えた。「あ、お父さんだ」と思って手を強く握った。「手を握っていてもお父さんは私だって分からないだろうなぁ」と思ってさらに強く握ると、その手ももっと強く握り返す、といった夢だった。私は、自分の涙で目が覚めた。手にはなんとなく、重力がかかったような感覚があった。段々覚醒していきながら手に感じる重力も少なくなって、涙だけが止まらなかった。父よ、帰れるものなら帰ってきてよ。娘は今パソコンの前でひとりぼっちで涙が止まらず困っているよ。。。・・・しめっぽくなっちゃった(;_;)夜眠れないのは辛いので、今日は日中起きているつもり。ただ、いかんせん食欲がなく、少し動けばお腹もすくかなと思い洗濯など。それを部屋に干してとりあえず湿度対策。現在シーツや枕カバーなども洗濯中。さっきは髪も洗った。夜にはお風呂に入るぞーーー!!!・・・でもお腹はすかず・・・。お薬もあるので、結局10時半にお茶碗半分のご飯に生卵をかけて食べてしまった(^_^;)昨日感じた目のかすみは今日はないので一安心。視力回復の手術をしているので、目には敏感なのですよ。。。テレビを見る気もなく本を読むのも辛く・・・少しネットやって・・・どう過ごそう?!
2009年01月23日
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4月に父を亡くし、つい先日叔母を亡くした。昨日の日記ではジュエリーなど楽しいことをたくさん書いたけど、実はその夜はお通夜だった。長い間入院していて、とても苦しくて大変だったという。本人も、看病する家族も。親戚みんなが同じ市内か隣町に住んでいて仲がよいのだが、うちの母は車が運転できるし生来明るい気質の人なので、叔母とも仲が良く、随分面倒を見ていたようだ。「ひつじちゃんのお母さんには本当にお世話になって・・・」と昨日従姉に言われた。読書が好きな叔母は母に「何か本を持ってきてよ」と頼み、母は私のエッセイが載っている、文芸社の「私の宝物」を持って行ったそうだ。しかしその日から急変し、結局叔母は読むことができなかったと言う。出棺の時、棺にお花を入れていると、その本の私のエッセイの部分が切り取られて棺に入れられていた。ハードカバーなので本そのままでは棺に入れられなかったそうだ。叔母さん、天国でゆっくり読んで下さいね。来月出版される私の小説も、読んで欲しかったなぁ・・・。寂しい気持ちだけど、そんな気持ちを癒してくれる、実家のちらちゃんである。父が亡くなった時も思ったが、ちらちゃんがいてくれて良かったと、心から思う。
2008年12月14日
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今日は職場全体の納め会だった。明日は叔母のお通夜でもあるので、早々に失礼して家に帰ってきた。帰ってくると・・・何やら小包が。送り主は文芸社。「ほえ?」と思いながら開けてみると、それは私の小説のちらしだった。「文芸社 1月の新刊」とか書いてあって、「ゆるやかな時の中で」という、私の小説のタイトルがでかでかと・・・表紙と、帯の表裏の文言が書かれていた。嬉しいやら、ちと恥ずかしいやら(*^_^*)普通の書店にはなかなか並ばないので、書店注文用っていうやつですな。職場に置かせてもらおうっと♪ところで、今日も旦那と会話して思ったのだが、うちの旦那は3つの言葉で成り立っている。(←?)「ほう」「聞いてますよ」「んなことありませんよ」である。ちなみに私の口癖は「聞いてる?」である。例えばこんな会話が展開される。妻「ねぇ、聞いてる?」夫「聞いてますよ。」妻「ウソでしょ。ホントは全然聞いてなかったんでしょ。」夫「んなことありませんよ。」妻「いいや、私には分かる。今右の耳から入ってそのまま左の耳に抜けていった。」夫「ほう。」こんな調子である。さらに、「いつも3つの言葉しか言わないよね」、と言ったら、旦那がこう言った。「は~い」「ばぶ~」「ちゃ~ん!」・・・ついにいくらちゃんになってしまわれた。Dr.スランプアラレちゃんの再放送を見ている時は毎日がっちゃんだった。「・・・くぴぽーー!!!」・・・誰かこのボキャブラリーが少ない旦那をなんとかしてくれ
2008年12月12日
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今朝、叔母が亡くなった。ずっと患っていて、つい先日あと1週間もつかどうか・・・と母から聞いていた。叔母は、私の父の妹だ。私の父、そして叔母と、今年中に立て続けに二人・・・。5人兄弟の、上の3人の兄は元気だが、下の弟妹を亡くしてさぞがっくりきているだろう。お通夜、告別式が土日に行われる。それまで、特に私が何かをするということはない。そんなにしょっちゅう会うことはなかった叔母だが、父が亡くなったときは色々慰めてくれた。叔母さん、今までありがとうね。安らかに眠って下さいね。
2008年12月09日
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気が強い娘を持ったと思って諦めてもらうしかない。母と宝塚を観に行き、食事して買い物をした。お気に入りのショップで洋服を買った。そこまでは良かった!帰りの電車が信号トラブルで止まってしまっていた。とりあえず京浜東北線で大宮まで行ったが、高崎線宇都宮線のホームはごった返していた。復旧の見込みはあてにらないし駅員は全然いないし情報はないし、いい加減イライラしていた。もし電車が動いてもこのラッシュに母は耐えられないと思い、一度駅を出て、まだお腹がすいていないのでお茶でもして夕食も済ませてしまおうと思った。旦那に電話して遅くなると伝え、駅ビルの中を通りながら「また買い物したくなっちゃうじゃん。」と言ったのがいけなかった!私としては電車が動かないことへの文句のつもりであり、さっき結構高い買い物をしたので当然もう買い物するつもりなど毛頭なかった。が、母としては自分じゃ絶対買わない金額の買い物をしたばかりの娘の言葉を真に受けたのだろう、私の耳に痛いことをつらつら言い出した。…電車が止まり予定が狂ったことにイライラしていた私は、さらに痛い所を突かれて、キレてしまった。なんて言ったかは忘れたが、今日は結構母に厳しいことを言っていて(観劇中の大きなため息とか寝ていることとか…観劇好きな私にはたまらないのだ)、その延長で結構言ってしまったんだな…。私は声が通るしきびきび喋るので相当きつく聞こえただろう。じゃあラッシュでぎゅうぎゅうの電車に乗って一人で帰れば!?とまで言ったと思う。そのせいか、デパートに入り案内掲示を見ている間に少しはぐれ、すぐ見つかったのだがその後カフェに入ろうとしたら、ぽろぽろ泣いている。…母を慰めるつもりで色々計画したのに、今日1日がすべて無駄になった気がした。どの言葉が母の涙を引き出したか分からないが、母は「(父が亡くなってから)一日に一度は号泣するからそれだ」と言うばかり。私は今日はなぜか感情のコントロールができなかった。母への甘えだと分かっているのだが…。などと、実はこの文をカフェで母の目の前で携帯でうっている。…母は…今はすっかり元気になってけらけら話している(^_^;)まあ、それが母のいいところなのだが。さて。電車は動いたかな。お腹がすかないので地元の駅まで帰ることにした。…意地っ張りの娘は母にひとこと「ごめん」が言えない。母はこのブログを見ていないのでここでこっそり謝っておく。ごめん!!
2008年10月26日
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昨日は実家に泊まった。父の闘病中はしょっちゅう実家に帰っていて、その頃からずっと思っていたのだが・・・洗面所の収納、ひどすぎる!!約20年前建て替えた家だが、洗面所兼脱衣所のスペースがあまり取れなかった。洗濯機と洗面ユニットがあって・・・それでいっぱいいっぱい!!着替えるスペースは人1人分。洗濯機と洗面ユニットの隙間のデッドゾーンに、何やら色々積んである。よく見ると、昔使っていたスリッパ置きだったり(それも2つ^^;)、その上に板を乗せてスペースを作っていたり、そこにタオルやらドライヤーやら下着やら色々積んであって・・・どう考えても、危ない(ーー;)・・・・・・母よ(T□T;)あなたは几帳面な人が多いA型ではなかったか・・・そこで!!ずぼらなB型の娘が立ち上がった!!(←そんな大げさなものではない。)カラーボックスを買ってきてきちんと整理しようと思ったのだ。メジャー測ると、奥行きは多少余裕があるが幅は35センチでいっぱいいっぱいだ。そこで隣町のホームセンターまで車を飛ばす。(地元のホームセンターなくなってた・・・)カラーボックスって、幅44センチのものが主流なのね(^^;)なんとか35センチ幅のものを見つけ、4段と3段のものを組み合わせることにした。接続するための接続器とビスも買った。(でも、帰って開けてみたらちゃんと接続できるように穴があいていてビスもついていた~~^^;)一番下の段は取り出しにくいので、サイズの合う籐かごも買った。で。家に帰って組み立て開始!!と言うまもなく主人がせっせと作り始めてくれていた。(私は作ったことがない。)私は、今まで置いてあったものの撤去!!・・・おい、一番下、発泡スチロールの箱が土台かい・・・・・・・・・母よ(T□T;)・・・なんでこんなものが(^^;)10年物の整髪料、ムース、絶対使わない化粧品の試供品、壊れたドライヤー、カビ取り洗剤3種類、柔軟剤4種類(しかもみんな中途半端に使っている)・・・整理整頓ーーーー!!!「だってまだ使えるかな~って思って・・・」そういうものはたいてい使わないのだよ。10年もたっちゃぁダメでしょうが。母と確認しながら容赦なく使えない物は捨てる。使う物もほこりだらけだからがしがし拭く。そしてカラーボックスを設置!!ああ・・・真新しい、白いカラーボックスが光って見える一番下の段には籐のかごの中に洗濯用品とお掃除用品をまとめる。ここはドライヤー、ここは洗剤、ここは母の滅多に使わないお化粧品、ここは母と弟の下着置き場・・・いや~~~随分整理できたと思う母は、今はぴんぴん元気だけど、実は明日で還暦なのだ。力仕事してるから私より体力も腕力もあるのだが、これから身体も気をつけないといけないし、少しでも使いやすいようにした方がいいと思ったんだよね。弟もいつお嫁さんが来るか分からないし、来ても一緒には住まないだろうし、この家をいつかリフォーム・・・っていうのもまだ遠い話だろうから、今現在の生活を少し楽にしてあげたいと思って。「脱衣所が使いやすくなったらいっぱい泊まりに来てあげよう」と冗談を言いながら整理をしたのだが、やっぱりなるべく泊まりに来てあげたいなぁ。いるべき人が家にいない・・・父がいない・・・というのは、やっぱり寂しい。私にはもう母しかいない。我が儘娘ではあるが、そして今でも実家に行くとおかずを作ってもらったりご飯をごちそうになったりと世話をかけてばかりいるが、大事にしないと。本当は孫の顔を早く見せてあげたいんだけど・・・こればかりは。まだなんとも。でもきっと孫ができたら悲しみが少し薄くなるのかもしれない。今の生活だと体調を崩してばかりであまり良くないので、もう少し、待ってもらうしかないかな~。でもそんなこと言ってると私も30代が終わっちゃうしな~。う~ん。でもこればっかりは分からないから、あまり考えないようにしよう。
2008年10月05日
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・・・実家に泊まったはいいが、夜中暑くて汗だくで目が覚めた寝るときは開けっ放しにして今夜は涼しい~とか思っていたのに・・・あわてて扇風機をつけたが寝つけず、結果、寝不足・・・うちの方は新盆だけお坊様がまわって来られる。昔は毎年来てくれたんだけど、最近は新盆だけになったらしい。・・・お坊様ももうお年だしな(^_^;)何せ私が小学生の頃の習字の先生だ午前中おがんでもらった後、少しゆっくりしたら・・・今日は親戚と組合さん2名、総勢22名が集まる!!夕方5時に集合である。お寿司は前日に予約済み。今日することは・・・大量の煮物作りである。・・・ま、ずぼらな母娘はちくわとこんにゃくを大量に煮ただけだが。てんぷらはカットしちゃった(^^;)寝不足の娘がソファでくたっと意識を失っている間に、母は即席漬けを作っていた。そんで・・・みんなで集まってわいわい。今年になって何度も会った、おじちゃん、おばちゃん、おばあちゃん、そしていとこ達。昔からこうやってみんなで集まってわいわいやるのが好きな一族である。みんな好き勝手言い合って、でもとても仲が良い。楽しかったなぁ・・・。そんで、洗い物が大量だったなぁ・・・昔はおばさん方でみんなでわぁーーーーっ!!!って片づけもしたんだけど、みなさんいいお年で体の自由もきかなくなってきたし・・・「大丈夫、やるからいいよ~~~。」と言って全部引き受けた。なぁに、食器乾燥機と競争だ!!みんな帰り際に「○○ちゃん(←私)それじゃまたね~~~。」と声をかけてくれた。みなさんがずっと元気でいてくれますように。そして、家に帰って来た。疲れた~~~。でもみんなに会えて良かった。 ・・・なんかあっちゃこっちゃ向いちゃったけど、今回のお花はひまわりと薔薇ぱっと明るくなった今日のちらちゃん・・・ ・・・ぼけぼけだ(ーー;)
2008年08月14日
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今日も来た来た今日もきた。母からの不思議なメールである。最近メールにも慣れちゃって「つまんないー」と思っていたのだが、久々にGood Job!!さぁ、どこが変でしょう??「今日銀行に行った。実印画筆用なのでお願いします。」もうお分かりであろう。「実印画筆用」・・・どんな筆なのだ。・・・・・・・・・母よ(T_T)
2008年06月06日
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「農協が書類間違えてたのでまた実印が必要になりました」という内容のメールが母から来た。私が忙しいのを知っていて、書類を送るから送り返して、との内容だったのだけど、職場から実家まで1時間。昨日電話して「明日の夜、仕事帰り寄るよ~」ということで、実家に寄ってきた。「じゃおかず作っておくね~」ということで、いつもの母の手料理、春巻き・餃子・ピーマンの肉詰めをたくさんもらった。もちろん、ご飯も(^^;)四十九日が終わったが、まだ祭壇が出ていた。「片づけたくないからそのままにしてるの。」と言っていた。「どうしても毎日毎日ぴーぴー泣いちゃうよ。」私も同じさ。今日も実家に行くのに父のお墓があるお寺の前を通った。よっぽど車を止めてお墓の前に行こうかと思ったが、夜で暗いし雨も降っていたし、実家では母が待っているから、諦めて実家へ向かった。涙が出そうになった。土曜日の夜から、弟が上五島へ向かう。父の昔の仕事仲間が住んでいて、今年、父は上五島へ行こうと計画していた。それもかなわなくなった。上五島の父の仕事仲間は、父の病気を知るとすぐにお見舞いを送ってくれ、また亡くなったのを知りすぐにお香典を送ってくれた。弟は、父の写真を持って行って、父に上五島を見せてやるのだ、と言っていた。仕事があるので土曜の夜に埼玉を出て日曜の夜に帰ってくるという強行軍だ。・・・母が、家に一人になってしまう。「お母さん、私泊まりに来ようか。」と言うと、嬉しそうな声をあげて「本当??嬉しい」と言うので土曜は実家にお泊まり。本当はこの日は旦那の誕生日なのだけれど、旦那も言っておいでと言ってくれるので、母をひとりぼっちにしないように実家へ行く。土曜日は夕方までずっと仕事なのでその後実家に行ってお泊まり。何を食べようかな。どこかにおいしいものでも食べにいこうかな
2008年06月05日
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昨日は2回も父の夢を見たが、今日は見なかった。天気予報では今日の天気は。あちゃー。お通夜・告別式の時は、その前後がずっと雨。まるでこの2日だけぽっかりあいたようにだった。さすが父!!超晴れ男!!と思っていたのだが。さすがに四十九日はだめだったか・・・。と思ったら。アレレ?雨が上がった??納骨の時に少し雨が降ったけど、傘がいらない程度。やったね、父よ、やはりあなたは晴れ男!!そしてすべて順調に終了。・・・あーあ。お父さん。お墓に入っちゃったね。ちなみに、我が家には正反対の人間が一人いる。今日は仕事が野外だ!!という時は必ず雨。今日は夫婦で旅行だ!!という時も必ず雨。・・・そう言えば、結婚前のデートの時も、いつも雨。結婚式の時はチャゲアスの「はじまりはいつも雨」なんてロマンティックにかけたけど、11年も経つと「どうしてまた降らせたの~!!」と、怒ってしまう。「・・・ううう、すまんのぉ。」と認める主人も主人である。あまりに腹が立ったので、雨男ではなく妖怪雨ふらしと呼んでいる。でも、妖怪じゃちょっとかわいそうなので、一文字変えて妖精雨ふらしにしてあげた。ああ、私って、優しい妻。
2008年05月25日
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旦那も私も疲れて家に帰ってくる。・・・待っているのは、家事(T_T)旦那はご飯を作れないので食事は私が作る。だから、「お風呂はやらないも~ん。」みたいな気持ちになる。「同じ職業なんだから、私ばっかり家事やるのって不公平な気がする。」と思うものの、言ってみたことはない。まぁ旦那が早く帰ってきたら洗い物をやってくれている時もあるし、食事の片づけはしてくれるし(家に帰って座る間もなく食事を作るので食べ終わった後はぐったりして動けない・・・でも一緒に片づけるけど)確実にゴミは出してくれるし・・・文句言っちゃいけないんだよなー(T0T)分かってるんだけどさーーー(T0T)やっぱり私の方が通勤1時間かかるし(旦那は5分)、今仕事も大変なんだよぉ。確かになんちゃって主婦だけどさー。家事したくない時の方が圧倒的に多いんだけどさー。疲れてると夫婦の間が険悪になる。それも原因は、家事(@@)せめて家でのストレスはなくしたい(T_T)
2008年05月15日
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父が亡くなって、真っ先に母が気にしたのが、カーテン。和室の前の廊下には、レースしかなく、外から中が丸見え。そこで一緒に近くの家具屋さんへ。長年お世話になっている所だ。一緒にカタログを見るが、母はあまり興味がなく「なんでもいいよ~~」そして、こういうものを選ぶのが大好きな娘は、怒る。「ちゃんと選びなさいっ!!」で。「あ、渋くて和室に合いそうでいいねぇ。」と母が気に入ったのがこの柄。 私も、なかなかいいんじゃない、ということで決定。現在和室前の廊下は、レースのカーテンも新調され、めでたくこんな状況に 家具屋さんで選んでいる時、母がこう言った。「そう言えば居間のカーテンもぼろぼろなんだよねぇ・・・。」で、選んじゃいました(^^;) で、今実家の居間はこんな状況に。 ・・・カーテンをちゃんとすることで、母は多少安心したようだ。使ってね、とかっこつけてお金を出そうとしたら・・・財布の中にほとんどお金がなかったかっこわる~~~~~~~~(><;)かろうじて1万円だけ、いいよいいよと遠慮する母に渡した。うーん。お財布にお金はちゃんと入れておかねば(ーー;)
2008年05月12日
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さっき「主治医からの手紙」という日記を書いたので、本日2つ目の日記♪今日は父の月命日。「仏花ばかりじゃつまらないし♪」という変なこだわりで、今日はバラの花束をゲットして行った!!1四十九日まではお花を絶やさないように・・・と、私などが思わなくても、近所の方や親戚がお花を持ってきてくれるので、結構父の祭壇のまわりは華やかであるピンクのバラも・・・すんごい華やかだった(^_^;)私はバラの花が大好きなのだ。だから、バラの花を供えさせて下さい、お父さん。そして今日は母の日。午前中、姑の所には宅急便が届いたそうだ。・・・家、目の前なのだが、以前「宅急便で届いてびっくりして、本当に嬉しかったのよ!」と話していたので、今回も宅急便に。「ありがとね」とお礼を言いに来てくれた。高い物ではないのだが、実家の母と同じ物、ということで、花を愛で、紅茶とクマちゃんでリラックスしてくれるといいなぁと。午後実家に行って母と色々話していると、実家にも宅急便が。・・・母、喜んでくれた(^^) クマちゃんかわいいって(^^;)で、さっき日記に書いたように、主治医からの手紙を読んだりして・・・。また涙ぐんだりして。弟が母の日のために買ってきたケーキを食べたり、お客様の対応をしたり、色々な書類に署名をしたり、あわただしかったがゆったりした。・・・初めての、父がいない母の日。来月は、初めての、父がいない父の日。・・・でも。父の日のプレゼントは何にしようかな。おいしい焼き鳥、買っていこうかな。・・・そして、今日のちら(^_^;)
2008年05月11日
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今日は父の月命日&母の日。本当は別のことを書こうと思ったのだけど、それは後でまた書くとして、実家に行ったらお世話になった主治医からの手紙が来ていたのでそれについて書きたい。スキルス性胃癌のためもともと弱かった腎臓が機能低下、入院生活44日で父が逝ってから今日で1ヶ月。実は父の入院中、同室の患者さんと母の間でこんな会話があったそうだ。患「お宅は先生にいくらつつんだの?」母「え?お金ですか?うちはなんにもしてないですよ。」患「そうなの?!主治医の先生がよく診てくれているからてっきり包んだのかと思ったよ。」母「・・・そういうものなんですかねぇ?なんにも知らなくて・・・」患「ここは看護師は絶対に受け取らないや。」母「渡そうとしたんですか?」患「うん。俺の主治医も最初受け取らなかったけど、最後には受け取ったよ。」母「へぇ・・・。」重病で入院していると、そういうことも必要なのかねぇ、と母と話していた。どうも、そういうお金のやりとりって、賄賂みたいで私は好きではないのだ。お金渡した人と渡さない人で、医者は差をつけるのかな???・・・なんて考えていて、結局そういうことはしないまま、父は逝った。主治医については、その言動について反発を覚えたこともあった。(過去のブログ参照)でも、父が亡くなった後、その言葉の意味を冷静に考えると、仕方のないことだと思えた。お金を渡さなかったが、主治医は父に対して本当によく診てくれたと思っている。私より年下の主治医に、私達家族は本当に感謝をして別れたのだった。入院費や保険の請求で、母はその後も病院に行くことがあった。父が亡くなった病院だが、看護師さんも主治医も病棟の方も本当に良くして下さって、私達家族は病院にとても感謝しているし、いい病院だと思っている。「せめてもの感謝の気持ちを伝えたいんだよね。」という母の気持ちで、主治医に感謝の手紙とともに、商品券を購入して、先生に渡して下さるよう病棟の受付の方に頼んだそうだ。(もちろん、商品券が入っていることはぱっと見分からないようにして。)そして今日、母から、先生から手紙をいただいたと言われ、読ませていただいた。父は文句も言わず我慢強く、色々気遣いができる本当に模範的な患者だったこと。家族の献身的な看護に、自分も色々勉強させてもらったということ。父も、私達家族も、忘れることができない患者と家族だ、ということ。そして。今自分の親も健康ではないので、いただいた商品券は、母の日と、父の日のためにありがたく使わせていただきたい、ということ。要約なのでニュアンスは伝わらないかもしれないが、これを読んで、母はまた大泣きしたそうだ。あんなにハードスケジュールの中、わざわざお返事を、しかも通り一遍ではなく、先生なりの心を込めたものであったと私は受け止めている。本当に、ありがたいことだと思った。そして主治医のご両親の健康を祈らずにはいられないなぁ、と心から思った。
2008年05月11日
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この2日間、忙しくて実家の母に電話ができなかった。前から今日(5月3日)は泊まりに行くと話していて、弟から何時頃来るか電話があった。「この2日電話できなかったけど、母は元気?」「ぴーぴー泣いてる。」・・・やっぱり。よくよく聞くと、親戚で行った旅行のビデオを、弟がきちんと残そうとDVDに録画し直し、その映像の父を見て母がぴーぴー泣いているのだと・・・。「もっと傷が癒えてから見せなよ・・・(^_^;)」と言ったのだけど、弟も仕事もあるし、仕方ないよな。というより、よくやっているよなぁと思う。私は父のことを思い出すのが辛くて現実から目を背けようとしているのに、弟は父が仕事をしている写真を拡大して飾り、ビデオをDVDに録画し、デジカメの画像をパソコンからすぐ見られるようにデスクトップにアイコンを作ったり・・・。男の子は、強いのかもしれない。さて。泊まりに行く前に旦那の晩ご飯を作っておこうとスーパーに行った。そこに、「焼き鳥」があった。忘れられない。父が病院から一時外泊した時、主治医から何を食べてもいいと言われたのだが、痰が出て吐いてしまって食べ物が喉を通らなくなってきた時だった。布団の上に座りながら、痰を吐く辛さにしかめっ面をして父が言った。「○○(←弟の名前)にうまい焼き鳥を買ってきてもらおうと思っていたんだけど、これじゃ無理だな。」元気になればまた食べられる、そう思っていたのに。元気になってほしかったのに。父は、もう帰らない。おいしいものを食べさせてあげたかった。先週実家に行った時に弟に、「父の祭壇に焼き鳥を供えてあげて」とお願いをした。でも。今目の前に売っているではないか。私は、父が好きだったやきとり、ネギが挟んであるものを3本買った。父に供えてから、母、私、弟で食べようと思う。 それから、49日まではお花を絶やさないように・・・とのことなので、おそらく実家にはお花が供えてあるのだろうけど、私も買ってみた。明るくて華やかなお花がいいな・・・日持ちがするというので、カーネーションメインで作ってもらった。 綺麗だなぁ。私は一生、焼き鳥の話をした時の父の顔を忘れないだろう。私達家族はまだ、父を失った悲しみから全然立ち直れない。それでも、毎日時は過ぎていく。私も、久々に観劇したり、エステの予約をしたり、以前の日々が戻ろうとしている。父が元気になってくれて以前の日々に戻れることを願っていたのだが。早く、もっと時が過ぎていけばいい。・・・早く、母のもとに行ってあげよう。
2008年05月03日
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実家に帰る前に、美容院に行ってきた。何ヶ月ぶりだろう・・・去年の秋ハゲちゃってそれからほとんど行かなくなって、3月からは父の看病、死と、怒濤の1ヶ月だったわけで。白髪がすごく多いのだ振り返れば小学生の頃から・・・「もぉ若白髪でぇ・・・」が通用しない歳になってきてしもうた(涙)髪がさらさらしているのが好きで、いつもヘアマニキュアだ。美容院でしてもらうが、ハゲてから、仕方なく何度か自分で染めてみた。・・・難しい。耳の上あたりなんて怖くて(><;)明るい髪色の方が白髪が目立たない。が、職場的に茶髪はNGだ。ちなみに職場的にNGなもの。(禁止ではない。してもいいが色々面倒くさい。理由はご想像下さい。)・茶髪(別にしてもいいんだろうけどぉ~ちょっといたたまれない~?)・ネイル(別にしてもいいんだろうけどぉ~後々かったるいかも?)・ピアス(別にしてもいいんだろうけどぉ~後々面倒くさいかも?)この基準だとネックレスや指輪も加えないといけないかもしれないが、これは譲れないのでしていっている。でもね。髪の色は、やっぱり黒っていいと思うのだ。軽めの色に憧れたこともあったが、今日染めてみて、「黒ってなかなかいいじゃん」と思ったのだ。ちなみに、しばらく伸ばす予定なのでそろえる程度に切ったため、主人はおろか実家の母さえ切ったことに気づかなかった(T_T)こんな感じだ。↓ ・・・この髪の長さじゃ、家族でも気づかないか(^^;)結構中はすいたのだが。↓ で、実家に行った。あ、たまたましていたブルームーンストーンのシラーが綺麗に出ていたのでぱちり★ 母は元気にしていた。良かった。猫のちらにも再会。・・・ん?なんだか小さくなった? ・・・いや、小さくなるはずがない。でももこもこ具合がなんか変・・・ あっ!!け、毛が!!毛がじぐざぐ!! そして母がこう言った。「ちらの毛、長いから切ったよ~~!!」・・・もう少し綺麗に切るとか。もう少し丁寧に切るとか。そして私は思い出す。小さい頃、母に前髪をまっすぐ切られたことを。・・・・・・・・・・母よ(T_T)
2008年04月26日
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父が病院から一時帰宅した時、ちらちゃんはいつものように父の布団の足下の方で丸くなっていた。でも、体力が落ちていた父は、ちらの重みが辛かったようだ。「・・・これ、どかしてくれ・・・。」ちらも、お父さんが久しぶりに帰ってきて嬉しかったのだろう。今ちらは、和室のお父さんの遺影を見て、何を思うだろう。ちら、もうお父さんはいないんだよ。ちらは、分かっているのかな。母は、ちらがいてくれることによって随分心が慰められているようだ。・・・・・・ちらのモップのようなもこもこした毛が、母が父の看病でちらに手をかけなかった分、えらいことになっているが。父が亡くなり、私はずっと実家にいた。その間、私もちらに心を慰められた。・・・だってこんな格好で寝ている。↓ ・・・だってこんな顔で寝ている。↓ ・・・だってこんなポーズで寝ている。↓ 今日も、ちらは実家の母の心を癒してくれているのだろう。ありがとう
2008年04月24日
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夜母に電話をした。「今日は仕事関係の○○さんが夫婦で来てくれたよ。」と嬉しそうに話した。「それでね、お線香あげて、涙を流してくれたよ。」そんな風に父の死を悼んでくれるのが、とてもありがたい。「お母さん嬉しくなったよ。」私も、聞いて嬉しくなった。「お父さんは人を裏切ったり貶めたりなんてこと、絶対にしなかった。お父さんのこと、自慢していいよ。」母はそう言った。はい。分かっています。自慢の父親ですよ。そして、自慢の両親ですよ。今朝、通勤途中車を運転していて、父のことを思い出して涙がこぼれてしまった。いかんいかん、涙を拭かねば運転が危ない。今私に何かあったら母と弟がかわいそうだ。・・・・・・・・・。そして、そんな時に限ってハンカチを忘れた。・・・ティッシュも切れていた。・・・手で、拭いた(^_^;)母と電話しながら今朝のそんな出来事を思い出していたら母が「今日市役所に行ったんだけど」と話題を変えた。「丁寧に教えてくれたよ。で、その人をよく見ると俳優さんみたいにいい男でさぁ~。」とけらけら笑っていた。「そのいい男の隣の人がまた面白い顔しててさぁ~~~(けらけら)。」・・・・・・・・・・。・・・母よ。何しに行ったのだ。「お母さん涙こぼしたり笑ったり忙しいよ。(けらけら)」・・・。私達家族の悲しみはまだまだ癒えないよね。いくらでも泣けるよね。土曜日行きます。お父さんにお線香あげに。母よ、待っていて下さい。
2008年04月23日
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天国の父からのプレゼント。本当なら、まだ父の看病をしているはずだった。だから、今日は見に行けないはずだった。父の葬儀から4日。母が大好きなフィギュアスケート。父よ、母の悲しみを少しでも紛らわすため、母が大好きなフィギュアスケートを見に行ってきます。とにかく、楽しかったのひとこと。席が結構前の方だったこともあるが、選手がよく見えて、嬉しい嬉しい♪チームヨーロッパ、チームノースアメリカ・・・立っているだけで美しい。綺麗~~~(☆_☆)練習の時、サラ・マイヤーさんがジャンプに失敗して転倒して、なかなか立ち上がれず、心配したが、本番はジャンプをばんばん決める決める。さすが!同じく練習で転倒した高橋大輔さん。本番もジャンプの失敗やミスが多くて残念。本人が一番がっくししていた。一番盛り上がったのは中野友加里さん。最初のジャンプを決めた時の盛り上がり!ほとんどノーミスだったんじゃないかな。客席も大盛り上がり!!そして浅田真央さん。ジャンプに余裕があって、手の表情も綺麗で、やっぱり、なんとなく1枚上手というか、すごいなぁ、と思った。のびやかでとても綺麗だった。真央ちゃんで優勝したのね^^;。大輔君が女性陣に頭が上がらない様子で、面白かった。本田武史さん、自分でも言っていたけど、「4分半がこんなに長いとは・・・」という感じで、滑り終わってばてばてだった(^^;)本当はまだ色々書きたいんだけど、(男子のスケートのすごさとか)頭があまり回っていないので・・・(^^;)録画している今日の試合の様子を後でじっくり見ようと思う。やっぱり、解説がないと分からないことが多い。あ、ゲストの荒川静香さん、やっぱり体全体からあふれる柔らかさ、美しさが圧巻!!みんなが期待するイナバウアー、やっぱり綺麗です。母と大満足でさいたまスーパーアリーナを出て駅まで(すぐそこ)歩く。途中、母がぽつり。「本当なら今日は来られないはずだったのにね・・・。お父さん逝っちゃったから。」2人で、涙を浮かべながら歩く。10日ほど実家に泊まっただろうか。さすがに今日は家に帰る。1週間休んだ仕事も、明日から復帰だ。たくさんの荷物を車に積む。確認して、運転席に座り、母を見ると、・・・ぽろぽろ涙を流して泣いている。「泣くなよ~~~(^^;)。」ずっと、一緒にいたもんね。お父さんがいなくなっても、私がいたもんね。でも、私も、行かなくてはいけない。でも、弟がいてくれるから、大丈夫。「また週末に来るからね。」そして家を出た。私も涙がにじんだ。母が小さく見えた。これからも大切にしなくては。追伸:今テレビを見ていたら・・・最後の表彰式、チームジャパンの斜め後ろの方に私達母娘 が映っていました。(笑)ちょっと嬉しい。
2008年04月20日
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本日2つめのブログ。ずっとずっと母の日のプレゼントを探していたんだけど・・・父が闘病中から、頑張ってる母に今年は何をプレゼントしようって・・・まさか、父が亡くなってしまうなんて。今年は、父の日は、ないんだな・・・。何かかわいいジュエリーでもと思ったが、母はあまりそういうものは身に着けないし、義母にも同じ物を毎年買っているので、ジュエリーは難しいかな、と。去年は、小さくてかわいいプリザーブドフラワー。今年は、父を亡くした悲しみを、少しでも癒してほしくて、プリザーブドの薔薇1輪と紅茶少々、そしてかわいいクマちゃんのセットに、してみた。これなら義母も、OKかな。 明日は、フィギュアスケートを見に行く。フィギュアスケート好きな母を1月に初めてショーに連れていって、大喜びしてくれた。「今度は競技会が見たい♪」と言うので、大奮発して、高いチケットを買ったのだった。しかし、父の癌宣告。父の看病のため、私達はこのチケットを諦めた。誰かに譲ろうかと思ったが、そんな余裕もなく父の病状が悪化していった。30,000円分チケットを無駄にしたっていい、父のそばにいようと思っていた。それなのに。こんなに早く逝ってしまうなんて。どんなにしんどくたって、家族みんなで一生懸命看病しようと思っていたのに。お通夜も告別式も先日終わった。今日また親戚で集まって、お昼のお寿司を食べてにぎやかに過ごした。みんなで集まってわいわいやるのが、父は好きだったからだ。明日、母とフィギュアスケートを見に行く。本当なら、父の看病をしているはずだったのに・・・「お父さんが、頑張ったから行ってこいって言ってくれてるんだよ。」母と私はそう思うことにした。
2008年04月19日
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保険関係の手続きが色々ある。うちは自営で仕事をしていたから国民年金で、将来いただける年金額もそんなに多くはないので、こつこつと自分で積んでいた年金があった。それから、癌がまわりにいないので入るつもりがなかった癌保険、今までつきあいのあった保険屋さんとご縁を切るのも申し訳なく、10年たてば10万円おりるしいいか♪と入っていた。それが、こんな風に役に立とうとは。父が亡くなり母が事業主となった。うちで働いている人(と言っても弟ともう一人:母の弟:だが)にはきちんとお給料を払わなければならない。仕事がない時期は、資金繰りが大変な仕事なのである。会社によってはその時期は社員にお給料を待ってもらったり減額するところもある。父は、絶対にそれをしない人だった。自分に残らなくてもうちで働く人の家族のために、お給料はきちんと払う、それがポリシーだった。すべて母の手にかかってきてしまった。「お父さんがいなくなってしまってどうしよう」と母がつぶやく気持ちがよく分かる。私は仕事関係のことは何も知らなかった。「一生懸命働いて得たお金だから、貯める以外は好きに使いたい」と、大好きなジュエリーをさんざん買ってきた。実家ではそんな風にしてきたのか・・・。だからと言って自分が突然倹約家になるとは思えないが、今後は、母がゆとりのある生活ができるように気遣っていきたい。「いいんだよお、お母さんはなんとかなるんだからさあ。」と、母に言われてしまうのだが。「お父さんの保険の関係で思ったよりお金がおりるんだよ、助かったよ。」と母が言っていた。保険関係の問い合わせは一通り終えたので、これから送られてくる書類を作成したり、また年金や健康保険や、もろもろの手続きがある。相続税とか、まったく関係がないので良かったわぁ♪税金かかるほど資産ないもん(笑)いらないと言うのに「今回のことで随分お金使わせちゃったし、それにお父さんがお金をやるって言ってたんだから、亡くなった時お金をあげなかったら、何やってるんだ、ってお父さんに怒られちゃう!」と、少しお金をいただくことになってしまった。だから。そのお金で、母が月々払っている郵便局の年金、65歳まであと6年もあるので、それをすべて完済してしまおうと思う。私は働いているから毎月お給料がいただける。自営業の実家の母と弟が困らないように・・・それだけが願いだ。お父さん、母と弟を見守っていて下さい。
2008年04月19日
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今日も雨。寒いなぁ。ほかほかカーペットでぬくぬく・・・私は、今日はお留守番である。母と弟はお寺に行ったり、自営で仕事をしていたので、仕事関係で色々動いている。「お父さんいなくなってどうしよう・・・」と、ふとした瞬間につぶやく母。母よ。事業主になってしまい、しんどいこともあるだろうが、まだ弟は若いのでしばらく頑張ってくれ。父と一緒に現場に行っていた母なら大丈夫。資格もあるし。。。お線香を上げにきてくれた方と色々話す母。「もうだめだって医者に言われてたらしいんだけど、都合のいいように受け止めていたんでしょうね、絶対治ると思ってたんですよ」それを聞くと、涙が出る。父が亡くなる数日前に母が電話で泣きながら言った言葉が忘れられない。「でもお父さん絶対治ると思ってたからお母さん何もしてないよお!!」・・・その時、私はなんて言ったのだろう。よく覚えてはいないが、私は言葉の言い方がきついから、もっと母に優しい言葉をかけてあげられなかったのかと、今さらながら後悔している。思えば、医者の言葉には随分反発を覚えた。最後の方は私は直接聞いていない。仕事でどうしても病院に行けなかったから、すべて母が言われた言葉だ。「お父さんはもうだめだ」←実際には別の言い方だったのだろうが・・・「今晩あたりにも」「家から何分で来られますか。娘さんはどれくらいで着きますか。」「心臓マッサージは行いますか」4人部屋から個室に移される時、母は孤独感を感じて個室に行きたくなくて、課長さんという方に感情的に反発したそうだ。「お父さんは治るって信じてるんだからっ!」「そうは言ってもねぇ、あと数日中には・・・」これらは、泣きじゃくりながら電話で母が言っていた内容で、実際の状況は分からない。ただ、これ以上母に何か言われると、母の精神が壊れていきそうな気がして、私は病院に電話した。だが、主治医がつかまらなかった。「私達はもう覚悟はしている。だから、もうこれ以上特に母には追い詰めるようなことは言わないでほしい」そう言うつもりだった。でも。今冷静になって思えば、医者や課長は決して私達を追い込むために言ったのではない。裏側には、「だから、会わせたい人がいれば今のうちに」という意図があったのだろう。弟はそれを冷静に読み取り、親戚を呼んだ。最後の日は、夕方親戚に来てもらい、さらに夜、呼吸が止まった時はもう一度来てもらってみんなで看取ったのだ。車で30分の距離も幸いした。あれだけ母が反発した個室も、3日間くらいしかいなかったが、移って良かった。気兼ねなく、大勢の親戚が来て父の体や足をさすってくれた。弟は、一晩中父に付き添うことができた。最後の3日間は、24時間必ず家族がそばにいることができたのだ。父が亡くなり、葬儀屋さんに迎えにきてもらい、病室を出た時、主治医と看護師さん数人が廊下にいたのだが、母が抱きついた人がいた。反発した、課長さんである。「ありがとう、個室にしてもらって良かったよ。」・・・母はいい人なんだなぁと、その時思った。思えば、本当に病院の方はよく面倒を見てくださった。父と母は、いつも感謝していた。父は我慢強く絶対ナースコールをしない人だったし、ありがとうの言葉を忘れなかった。仲良くなった看護師さんが父が亡くなった夜たまたま夜勤で、主治医を待つ間少し話せた。「私達も印象に残る患者さんやご家族っていらっしゃるんですけど、私きっと○○さんとご家族のことは何かの折に思い出すと思います。」とおっしゃて下さった。大切な父を失った喪失感はこれからもずっと拭い去れない。だけど、すべてがマイナスかというとそうでもない気がする。最後の数日は家族はぎりぎりの精神状態だった。そんな時、医者の言葉の意図するところまで読み取るのは難しい。きっとこれからも同じような思いをする家族がたくさんいるのだろう。でもこれは、解決できない問題なのかもしれない。ただ私達家族は、病院に心から感謝の気持ちを持つことができて、幸せだと思う。父もきっと同じ思いだと思う。「お~い、みんな元気か~い?」そう言いながら夕方うちに来てくれた伯父さん。2日間ずっと大変で疲れてるだろうに。70をとっくに過ぎているおじさんこそ疲れているだろうに。まぁ、父に会いに来たかったんだね。・・・一番あてにしていた、一番下の弟に死なれちゃったんだもんね。それも1ヶ月で。苦しみは同じ。助け合って生きていかねば。あっ!ちらよ!!お父さんの遺骨を踏み台にして高いところに~~!!!なんてことすんの~~~もお~~~(泣笑)
2008年04月18日
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外はすごい雨。父の通夜と告別式の日、この2日間はいい天気で本当に良かった。父は寒いの苦手だったもんなぁ・・・。ところで。最近「癌」のカテゴリーのブログを読んでいて、非常に気になることがある。ヨーグルトが癌になるというものだ。あるブログによると、「乳がん」と「前立腺がん」になりやすいのだとか。だが、別の癌の抑制作用もあるとか。要は、何事もバランス、ほどほどに、ということか。だが、もう私は癌に過敏だ。主人は父方母方完全に癌の家系である。しかも胃癌。(父親の2度目の癌は食道癌だった)弟は、最近一緒に暮らしてみて知ったのだが、朝食と夕食の時、必ずヨーグルトを食べ、ジョアを飲んでいる。ちょっと量が多いんじゃない?!と思っているのだが、腸が弱いので自分なりに考えて摂取しているようだ。ヨーグルトが癌になるという本も出ている、と言ったら驚いていたが、「根拠が知りたい」と言っていて、そりゃもっともだと思った。何をどう調べればいいのか。ネットに踊らされちゃいかんと思いつつ、父を亡くしたばかりの私は、今後弟や主人が癌になってしまったらどうすればいいのか、と思ってしまい、つい、癌に関する話題やブログに敏感になっている。何を信じりゃいいんじゃい!!これだけ医学が進んでなんで癌は治せないんじゃい!!これ以上、家族をうばわないでくれ!!私にはこう叫ぶしかできない!!・・・あぁ。主人は明日から仕事復帰。結構休んでしまったので今後土日もないだろう。私は、月曜から復帰予定。気持ち、切り替えていかないと・・・。
2008年04月17日
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やっぱり、棺に思い出の品を納める時が辛かったなぁ。母が縫った浴衣、私が買ったカーディガン、日ごろ着ていた服、私と弟が小さいときに描いた父の絵、弟・私・主人の名刺、そして、母がずっとつけていた、病状日記のコピー。思い出の写真を入れようと用意したら、葬儀屋さんに「この地方では写真を入れると連れて行かれるという迷信があるので・・・」ということで、なしになった。そうなんだー。知らなかった。棺に、たくさんお花を入れた。親戚みんなでたくさん入れた。最後に、お父さんの額と頬に触れた。そこで耐え切れず、号泣。棺にすがって、号泣。母に「そろそろだよ・・・」と言われて棺を離れた。次は・・・挨拶。弟が言うことになっていた。自分で文を考えるのが苦手だから、葬儀屋にもらった文をそのまま読むのだと、家で練習していたのだが・・・低い声で一定で・・・お経にしか聞こえない。・・・弟よ、大丈夫か?!そして本番。ゆっくり、かみしめるように話す。なかなかうまく読んでいる・・・が、姉は練習の過程を知っているので・・・思わず笑いそうになってしまった。さっき号泣したばかりだと言うのに(^_^;)そうそう、日ごろ音楽など聴かない父。生演奏の奏者の方に好きな曲はありますかと聞かれ、弟が答えた。「寅さんでお願いします。」私は知らなかったのだが、親戚で旅行に行った時、(マイクロバスを借り切って行ったのだった:すごい親戚だ^^;)父が寅さんを歌ったのだそうだ。それが、唯一父が歌った曲なのだそうだ。そしてその演奏が流れた。・・・母、私、弟・・・耐え切れず、涙、涙。寅さんの曲がこんなに感動的な曲だったなんて初めて知った。火葬場。もう、涙はほとんど出なかったが、炉に入るのを見送る時は本当に、本当に寂しく思った。そして骨になった父は・・・ものすごく丈夫な骨だった!!火葬場の人にも、67歳でこの骨は、とても立派だと言われた。歯も全部自分の歯だったので、残っていた。骨が全部入らず、砕いてもらって全部入れた。父よ!あれだけ牛乳やヨーグルトが嫌いだったのに、骨は立派でしたよ!!やっぱり、魚が好きだったからかな、と母が言っていた。さすがに疲れた。でも、忙しくなくなると寂寥感が襲ってくるのかもしれない。今日も、みんないなくなると寂しいからと、私の従兄が遅くまで家にいてくれた。(本家の長男。47歳独身。頼りになる。)夜、電話してきてくれる親戚もいて・・・父がいなくなったのはさびしい、本当に本当に寂しい。でも、支えてくれる人がたくさんいるから、私達も頑張っていかなくてはいけないと、改めて思った。
2008年04月16日
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お通夜が終わった。父の仕事仲間はじめ、たくさんの方々が来てくれて・・・生花もたくさん出してくれて・・・「早すぎる」と男泣きしてくださった父の仕事仲間の方。お見舞い、そして亡くなった後自宅にも来てくれた方だ。忘れない。私と主人の職場の方々。忙しい時期にもかかわらず、そして決して近い距離ではないにもかかわらず、来てくださって嬉しかった。今日一番悲しかったのは、やはり自宅からの出棺の時だ。あぁ、お父さんが家から行っちゃうんだな・・・。親戚みんなで父の旅支度。へぇ、こんな風にするんだ。本当に昔ながらの旅支度。その土地その土地で色々なやり方がある。自分の実家の方ではこんな風にするんだと、初めて知った。そして出棺。和室から棺を庭に出す。「では、女性の方が家の中で棺を持って、男性の方は庭で受け取って下さい。」そうか、男性は庭に出るのだな、とみんなが庭のほうを見た瞬間、そこには猫のちらちゃんが。ちら、な~いすタイミング!!思わず笑えた。ちらも、お父さんを見送ってくれるんだね。ありがとう。笑えた話と言うと・・・午後、まだ親戚が来ないうちに主人が来てくれた。「すみません、アロンアルファありますか?」と母に聞いているので何事かと思えば・・・靴が、ぱっかり口をあけている!・・・夫よ、なぜもっと早く気づかない(T_T)しかも、多分、アロンアルファでくっつけたくらいでは再起不能なほどのぱっかり具合である。「すぐに買いに行ってーーー!!!」と妻に怒られる夫。それを見て大笑いする母。それを見て「お母さん笑いすぎ」と軽く抗議する主人。・・・困ったもんだ。でも。さっき布団に入った母が「ふははははははは」と一人で笑っているので、「遂に悲しみのあまりきちゃったか?!」と心配して寝室にかけつけると・・・「だって○○ちゃんの靴がおかしいんだもん」と、思い出し笑いをしていた。・・・ま、いいか。笑うのはいいことだ。きっかけをくれた旦那よ、ありがとう。
2008年04月15日
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まったくうちの家族ときたら(笑)「お父さん、おやすみ」「お父さん、お線香あげるよ」「お父さん、おはよう」と言うたびに・・・父の顔を覆っている布を取り、お父さんのおでこを手でぺたぺたする。冷たい(>_
2008年04月15日
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夕べは眠れなかった。眠りがすごく浅かったらしく、猫の鳴き声で目が覚めたり、「生花が・・・」などと手続き上の夢を見ていたり・・・。朝起きて、すごく疲れていた。鼻もつまっていて息苦しかったせいもあるかもしれない。それでも午前中家に帰り、礼服その他、必要なものを取りに行った。そして主人と別々に車2台で実家に向かった。葬儀屋との最終打ち合わせも終わった。お金などの煩雑な仕事を一切主人が引き受けてくれたので、大変助かる。父が家にいるのも明日までか・・・。納棺の時、家族と親戚で父の手や足を拭く。病院で、父の体を拭いたときを思い出してしまうのだろう。本当にお別れなんだ。納棺、そして火葬場の時が一番辛いのだろう。「お母さんが崩れないようにちゃんと支えるんだぞ。」とおじさんに言われたと弟に言ったら、「・・・3人で崩れそうだな。」と言っていた。でも、しっかりしなくては。辛いけど、父の顔をよく見ておこう。
2008年04月14日
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土日だったから、昨日今日とたくさん親戚が来てくれた。父は兄弟が多く(兄3人と妹1人)、したがって私のいとこも多く、家の中はとてもにぎやかだった。兄弟の中で父が一番健康だった。入院をしたこともなかった。そして、奥さんの中で車の運転ができるのはうちの母のみ。なので、父は兄妹の世話を夫婦でよくしていた。みんな、うちの父を頼っていたところがある。そしてびっくりするほど仲がよく、奥さん同士もとても仲がよく、私が子供の頃から親戚みんなで集まることが多い一族だった。だから、父の兄たちのショックも相当なものなのだ。それでも、おじさん達、いとこ達(みんなうちの姉弟より年上)はみんな私達を気遣って色々考えてくれる。ありがたい。ブログも。実家で色々やりながらパソコンは開いてはいるのだけど。コメントくださった方々に返事を書こうと思っても、いざ書こうとすると思考が止まってしまい、言葉が浮かぶと涙も浮かんでしまい、なかなか進まなかった。ここで改めて感謝の気持ちを表したい。みなさん本当に、ありがとうございます。感謝の言葉以外ありません。思えば去年10月。観劇した記録を残したくて始めたブログだった。楽天でブログを始めたのをきっかけに宝石熱が復活し、最近はジュエリーのことばかりを書いていた。そして。2月29日に母から電話をもらってから生活が一変した。毎日泣く日々が続いた。ジュエリーも買えなくなった。それから10日くらいして、辛いときは楽しいことを考えたほうがいいよと母に言われ、またジュエリーのショップめぐりをはじめ、綺麗な宝石を眺めて楽しい気持ちになった。丸山ワクチンを始めた。希望が芽生えた。もしかしたら直るかもと思った。電気治療器、健康食品、いいと思えるものはよく調べて、なんでも買った。結局、AHCCとフコイダンは飲んでもらえなかった。今、母が父のパジャマと下着を洗濯したものを置いていて、それを見て入院中の色々な思い出がよぎって、母と大泣きしてしまった。ある日病室に行くと、小さくなってしまった父が、ベッドに腰掛けて携帯電話を持っていた。その頃の父は、少しでも母にそばにいてほしくて、つねに母に電話をしていた。たまたま買い物に行っていた母に電話をしていたんだなぁ、と思うと、その姿を思い出すと、涙があふれて止まらない。パジャマを見ると、そんな父の姿が思い出されて泣けて泣けて仕方がない。昨日、母が倒れて、安定剤を飲ませて2階で寝かせていた。近所のおばさんが、いつもにこにこしているおばさんが、大泣きしながらお線香を上げてくれている姿を見て、私もこらえきれなくなって激しく嗚咽し、号泣になった。親戚もそのおばさんも、私を慰める言葉を見つけられず、ただ私の泣き声だけが部屋中に響いていた。それまでエプロンつけて色々仕事をしていたのに。畳に正座して、号泣していた。そしたら。2階から階段を下りる音がした。母の声がした。まだ朦朧としているような声だった。「どうしたあ?泣けちゃった?」そして後ろから抱きしめられた。一緒に泣きながら。泣き声で母を起こしてしまったらしい。なんとか落ち着きを取り戻し、母をまた寝かしつけた。昨日のことだ。父のお通夜は15日の火曜日、告別式は16日の水曜日。時間に余裕があって、準備もちゃんとできて、良かった。それが終わったら、喪失感が来るのだろうか。きっといつかは今ほどの悲しみから抜けられるのだろう。でも、今はやっぱり辛い。辛くて辛くて泣けて泣けて仕方がない。父がそこにいるからなおさらに。家族で、頑張って乗り切らねば。多くの方々の支えに、本当に、心から感謝する日々である。
2008年04月13日
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昨夜、父が亡くなった。こんなにあっけなく亡くなってしまうものなのか・・・日中来てくれた親戚たちは、みんなで意識があるのかないのか分からない父の、背中や腰や足をさすってくれていた。10数人のおじさんおばさんが個室に集まって・・・。個室に移って良かった。私は午後から休暇をとっていたので実家に向かっていて、ちょうど実家に着いた時に母から電話があった。血圧が下がっているから、夜中看護していて今家で寝ている弟と病院に来てくれ、と。そして弟が親戚に連絡して、みんなが集まったわけだ。夕方親戚は帰った。私の主人は、出張先から、少し早めに抜けてかけつけてくれた。それから数時間。心電図の、呼吸を表示する数値が0になった。親戚が再び集まり始めたためコンビニに食料を買いに行った弟を電話で呼び戻す。母がひたすら父に呼びかけ、私も呼びかけ、語りかける母に対して私の声はすでに叫びだった。看護師さんとともに医師もかけつけ、心臓マッサージを始めた。その瞬間、あぁ、この時が来てしまったんだな、と思った。心電図で心拍がなくなったのが8時45分。弟はなんとか親戚を間に合わせようと、心臓マッサージを続けてくれるよう看護師さんと医師に頼んでいた。15分くらいで終わりにする心臓マッサージを、交代しながら1時間も続けてくれた。私も、させていただいた。そして最後の一人が駆けつけた時、多くの親戚と、母と私と弟に手を握られて、父は旅立った。9時52分。主治医は、金曜は別の場所での研修日だった。夜遅いのにそこから駆けつけてくれた。感謝の言葉を伝えることができた。母と親しくしてくれた看護師さんもたまたま夜勤で、色々話すことができた。父をきれいにしてくれて、腹水も抜いてお腹を楽にしてもらった。父の顔は、とても穏やかで、まるで微笑んでいるようだった。それからもろもろの手続き、家の準備を親戚にお願いして、私たちが家に着いたのが日付を越してから。葬儀屋さんと打ち合わせをして、やっと布団に入ったのは午前3時。母は7時前には起きて色々準備をしていた。夕べ疲れて倒れるように眠った旦那をまだ寝かせたまま、私も7時半近くにやっと起きた。それから近所の方が来て・・・私と弟はお寺にお願いに行って・・・予定通り午前11時に親戚が集まって・・・母と弟とおじ(仕事を一緒にやっている)で仕事先に電話をしたりFAXを流したり・・・そして、母が倒れた。家のことを弟に任せ、母を医者に連れて行く。近所の、父と母とかかりつけの医者だ。顔見知りの看護士さんの顔を見て母が泣き出す。そしてベッドに寝かせてもらい、そのまま心電図をとる。血圧を測るが号泣してしまい、もう一度計りなおし。そして診察室へ行き、医者の顔を見て再び号泣。安定剤をもらった。私も飲んでもいいですか、と聞くと、いいですよ、と言われた。そして家に帰り、母に少しご飯を食べさせてから薬を飲ませて、今まで父に使っていた電気治療器を母に使って、寝かせた。私は、倒れる暇なんかなかった。訪問客が来て、父の顔を見せるたびに、私と弟は号泣した。親戚の方々に助けられて、なんとか今日を乗り切った。これからも号泣すると思う。いっぱい泣こうと思う。本当に立派な父だった。父に心から感謝している。これからは、ずっとずっとそばにいて見守ってくれているのだと、母と話した。
2008年04月12日
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なんてもどかしい何もできない自分 段々弱っていく父に何もできない病院に行くことすらできない無理していけば行けるのに、私は逃げているのかも知れない。毎日毎日看病している母は、もう精神がぼろぼろだ。明日からまた、実家に帰ることにした。父は個室に移ったので、弟が夜中、朝までついていることにしたそうだ。家族がそばにいると、夜も眠れるのだそうだ。また痰が出始めたようで、その処理もできるし。心電図がつけられてしまい、歩いてトイレに行けないそうだ。意識はあり、弱ってはいるが今週月曜日に私が会った時とさほど変わってはいないらしい。ただ、足のむくみが出てきた。むくみがないことが、今まで救いだったのだが。仕方のないことかもしれないが、私達家族はまだ諦めたくない。医者に何を言われても、それが現実でも、良くなることを信じたい。「もう充分覚悟はしています。夜中でもすぐにかけつける心の準備もできています。先生に感謝こそすれ、恨み言や文句など言うつもりは毛頭ありません。だから、これ以上、覚悟をするようにとか、ここまでよくもった方だとか、特に母に言うのはやめていただけませんか。もう精神がぼろぼろなんです。」そう伝えるつもりで病院に電話したが、主治医がつかまらなかった。明日行ったた時に会えたら、そう言おうと思う。母は、夜、一人になったことがないと言っていいだろう。人生の中で、一晩だけあったかな・・・?程度である。その母を、こんな精神状態で一人にしてはおけない。弟は夜はずっと病院だから。弟も仕事を休んでいる。父と一緒にやっていた仕事だからある程度の融通はきくだろうが、それでも大変なことだ。明日から実家に帰る。予定になかったことだが、こうなった以上、せめて夜一緒にいてあげたい。・・・こんな風に私が実家に帰った時に、何かが起こってしまうのではないかと、実は内心ひやひやしている。それでも、電話の向こうで大泣きしている母を、どうして放っておけるだろう。弱っていく親を見るのは辛い。そして、泣いている親を見るのも、辛い。最近母と電話で、呪文のように同じ言葉を言っている。「なんとかならないものか。」本当に、なんとかならないものだろうか。
2008年04月09日
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むむむ・・・参ったなぁ。母の精神状態もいっぱいいっぱいになってしまった。夜中吐いてしまったら、その処理を看護師さんにしてもらうように昨日言った。昨日は体が動かなくなってしまい、いつもしている処理ができないと言ったから。父は、ナースコールをしたことがない。今朝5時頃、家に電話があったそうだ。父の携帯からで、「看護師が来ない」と。弟がすぐに病院に電話して、看護師さんに来てもらったそうだ。(ナースコールの形跡はなかったようで、違う物体を押していたと思われる)母は朝7時過ぎに病院に行ったそうだ。父の背中をさすりながら、母は大泣きしてしまったそうだ。今日、午後仕事の休みをもらい病院に行った。母はおらず、父の声は小さくてなんて言っているのか聞き取れなかったので、父の腰をさすっていると母が戻ってきた。私の顔を見るなり、声を出さないようにして号泣した。最初は、医者に何か絶望的なことを言われたのかと思った。でもそうではなく、今までの緊張の糸が、切れてしまったようだ。父がこれからどうなるんだろうと思うと、辛くて辛くて仕方ないのだろう。私はこう言った。良くなってるんだから大丈夫!何も食べていないのだから衰弱するのは仕方ない、だいたい点滴だけの人は寝たきりの人が多いのにお父さんは動いてるでしょ。痰も出なくなったでしょ。痛みが全然ないなんてすごいことだよ!今、胃の中で戦っているんだよ。胃液を吐いちゃうのも精神的な問題も大きいと思う。丸山ワクチンを初めて3週間、もっと重ねていったらきっと良くなるよ。そうすると食べられるようになって、体力がついてうんと楽になるから。今が大変な時だから、家族みんなで頑張らないと。お母さんはそんなにがんばり過ぎなくていいけど。でも、良くなっているんだから大丈夫だよ。もうひと頑張りだよ!私は専門家じゃないから、外れていることもあるかもしれない。でも、こんな言葉のひとつで、安心したり、精神が安定するのならいいではないか。母にこう言うことで、私だって自分を奮い立たせている。明日から仕事が忙しくなり、今までのようにサポートしてあげられない。とても気がかりなのだが、私は、ひたすら祈るしかない。
2008年04月07日
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午前中家のことをやって、午後から主人と病院へ。今朝は朝7時くらいに父から母に電話があって、「ダウンしちゃった」なんて言うから母がふっとんで病院に行ったら・・・いつも通りだったそうな。「どうしたの?」「瞳孔が開いちゃった」・・・父よ。それでは、死んでしまったことになります(T_T)訳すと、夜眠れなくてずっと目を開けていた、ということか。ありがたいことに、尿も出る。(腎臓は機能している)腹水もあまりたまらないしお腹も苦しくない。(明日は抜かないそうだ。)ねばっこい痰も、出なくなった。(これは本当にありがたい)出るのは、水?血ではないのだけど、言うなれば腹水のような色の液体が、水と一緒にはき出される。切れも良いので、以前のようなねばっこい痰ではない。水を飲むと、はき出してしまう。それが辛くて、何も飲みたがらない。なんだろう。精神的な問題?飲むと吐く、吐くのが辛い、でも飲まないと体に良くないから飲む、吐く・・・せっかく痰が治まってきたのに。丸山ワクチンを初めて約3週間。すべてがいい方向に行っているとは思わないが、でも、医者が宣告した1ヶ月は過ぎた。先週「来週当たり容態の急変があるかも」と言われたが、この週、急変なしに過ぎた。そして相変わらず、痛みがまったく、ない。でも、飲まず食わずなものだから体力が落ちて・・・もうすっかりやせこけて皮と骨なものだから、寝ていてもだるい、何してもだるい・・・今日は自分で起きあがることができなくなってしまい、「夜中のトイレ、吐いた液体の処理ができない」と、さんざんごねていた。どんなに「看護師さんを呼んで」と言っても納得しない。私達は夜泊まれない。それに、これ以上早く病院に来いなどと言われたら、母が参ってしまう。そんな言葉のやりとりで、もともと短気な私はかなりイライラしてしまった。母に対する甘えと我が儘がひどいからだ。相手は重病人で、しかも大切な父なのに。看病って、ままならない。せめて何か飲んでくれたら。そして、吐かないようになったら。いつかはこのトンネルを抜けるのかなぁ。そのゴールが、悲しい結末では絶対にありませんように!!
2008年04月06日
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2月28日に父の癌が分かってから、家族の生活は一変した。私も実家に泊まる日々が続き、母は毎日休みなく朝から晩まで病院にいる。父、母と一緒に住んでいる独身の弟は、仕事が終わると病院に来る。なので、家には遅くまで誰もいない。猫のちらは、「・・・・・・・?」と思っているだろうか。今までお母さんがいたのに。夜にならないと帰って来ない。今までお父さんがいたのに。全然、帰って来ない。おかしいにゃ~ 実家に泊まっていたある日、仕事の帰りに病院に寄り、それから母より先に実家に戻った。車のエンジンを切ると、タタタターーーーーーーーーッ!!!と走ってきて、私の足元にすりすりするちら。・・・かわいそうに。寂しいのかなぁ。よしよし。おうちを開けるからね。そしてほかほかカーペットをつけて暖かくすると、安心したのかねむねむ・・・ カーペットが熱くなったのか、しばらくするとぼろぼろのソファーの上に・・・ おおっと、なんだこの物体は(^_^;)真上から見ると、毛足が長い上に、最近まったくお手入れをしていないのでモップみたいだ・・・。ちなみにこんな顔をしてモップ・・・もとい、ちらちゃんは寝ている。 思索にふけっているような表情だが、実は何も考えていない。(多分。)昼間。ちらは、お外で、道の方を見ている。早くみんな帰って来ないかなぁ~~。 ちら、まだお姉ちゃんがおうちの中にいるよ。ちらっ!!・・・・・ん?(by ちら) ・・・ちらは、今日も家族の帰りを待っているのだろう。
2008年04月05日
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実家から家に戻った。写真を撮ってもアップできなかったので、今更だけど綺麗な桜を・・・。通勤途中の信号待ちで、あんまり綺麗なので車のなかからぱちり 夕暮れ時の桜でした♪ゆうべ鼻炎の薬を飲んだせいか、朝なかなか起きられなかった。実家とはいえ、いつもと違う環境だし仕事にも行っているので、疲れていたのかな。荷物を整理して車に積み込んで、病院へ。昨日買った低反発腰まくらは、お気に召したらしい!説明書の使い方とは違う使い方をしていたが、なんでもいい、少しでも楽になれば。病院に行くなり母が「お父さんが、今日は○○(←私の名前)は来なくていいよって言うから、なんでって聞いたらさぁ。」・・・むむ、なんでだ??「会うと別れるのが辛いって言うんだよぉー。」と言ってけらけら笑う母。なので私も父にこう言った。「あ、大丈夫、明日も来るから♪」すっかり気持ちが弱くなっちゃって。無理もない。1ヶ月寝たきりで、食事も水分もろくにとれず、どんどんやせて衰弱していく自分。痰が出るのも辛いし、大きくふくらんだおお腹も辛い。朝、とにかく早い時間に母にいてほしいのだそうだ。幸い、痛みをまったく訴えない。しんどいのは、寝疲れのせいか、どんな格好をしてもかったるいこと。少し前はぱんぱんに張ったお腹が辛かったのだけど、今はだいぶゆるんできて、腹水もそんなのたまらず楽なのだそうだ。主治医は、腹水にも栄養が入っているので、あんまりたくさん抜かないようにしよう、とのことだった。父の腰や足をさする母と私。それで少しでも楽になるのなら。夜はあまり寝られないようだが、昼間ぐーぐー寝ている。それでも熟睡ではないのかな。9時半に真っ暗になって、もう夜が長くて長くて・・・しかも家族もいないから、痰の処理も自分でやらねばならない。夜中、あまりにも寝られなくてベットの上に座っていたら、見回りに来た看護師さんがめちゃめちゃ驚いたそうだ(^_^;)次の日、母が看護師さんに聞いたのだそうだ。・・・そりゃぁ暗闇のベットの上に、眠っていると思っていた人が起きあがっていたら・・・うおお、恐がりの私は絶対に看護師さんにはなれない(T_T)今日は主人の弟夫婦が来てくれた。(私の家の隣に住んでいる^^;)主人の弟は病院事務、奥さんは元看護師さんだ。こうやってお見舞いに来てくれる気持ち、ありがたいと思う。奥さん情報で、主人が今日洗濯物を干していたそうだ!!おお!!旦那よ、成長したではないか!!夕方、じゃぁ帰るね、と父に声をかけた。父は黙って手をふる。点滴を刺した腕があまりにも細くて、切ない気持ちになる。今は水を飲んでも吐いてしまう。吐いてもいいから、食べられるものを食べようということで、今日はたまごポーロ7粒、アイスを半分食べた。少し時間がたつとひゃっくりが出たりして吐いてしまうのだが、全部戻すわけではないだろうから、少しは栄養になるだろうか。食べられるようになれば。栄養が取れれば。点滴もかなり高カロリーなものだが、やはり口から何か入れられるようになってほしい。少しずつでいいから。痛みが全然ないこと、今はこれが一番の救いであり、感謝である。
2008年04月05日
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