おしゃれ手紙

2007.07.01
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テーマ: お勧めの本(7268)
カテゴリ: 昭和恋々

このごろでは盛夏でも無帽の子が多いが、私たちが小さかったころは、日射病を恐れ、戸外(そと)へ出るとき帽子を忘れないように口うるさく言われたのを憶えている。
「うたを忘れたカナリヤ」の西条八十(やそ)の詩に若かったころの母親を慕う「麦稈むぎわら)」帽子というのがある。

”母さん、僕のあの麦稈帽子、どうしたんでしょうね?
ええ夏、碓氷峠(うすいとうげ)から霧積(きりづみ)へ行くみちで渓谷へ落としたあ麦稈の帽子ですよ・・・”

ここでは「麦藁」ではなく、「麦稈」という字が使われている。
最近は、「麦稈真田(ばっかんさなだ)」といっても
誰も何のことかわからなくなってしまったが、昔は子供だって知っていた。
麦わらを真田紐のように編んだもので、これが麦わら帽子の原料だった。
岡山、広島、香川が産地として有名だったが、いまはどうなのだろう。
このごろは「日射病」という言葉さえ、あまりきかなくなった。
「昭和恋々」久世光彦

子どもの頃の遊び友達に、お祖母さんと暮らす子がいた。
彼女の家には、台の上に乗った丸い木の型が何個かあった。

当時は、何気なく思っていたのだが、あれは、頭の型だ。
あの型を使って麦わら帽子を編んでいたのだ!

麦稈真田は、岡山県南部地方で女性の副業として盛に作られたこと。
私がその友人と一緒に遊んだのが、昭和30年代の前半だったこと・・・。

友人の祖母は、間違いなく、麦稈真田で帽子を作って現金を稼いでいたのだろう。

しかし、その頃、私たち子どもは、もう誰も、麦わら帽子をかぶっていなかった。

けれども、 父たち大人は、毎日、麦わら帽子 をかぶって、山や田んぼに行っていた。

思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ


日よけ帽子 今は、日射病よりも、紫外線が怖い。
幼稚園の帽子も襟足を日光から防ぐものになっている。

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◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★7月1日 *トリビアの井戸:はかどるの語源 /六月捨(す)てえ * UP
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Last updated  2012.03.16 00:55:48
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