おしゃれ手紙

2021.07.24
XML
カテゴリ: 昭和恋々
うす ある大阪府・堺市民の戦中・戦後<1>学童疎開の息子が欲しがったもの
ある大阪府・堺市民の戦中・戦後<2>:庭に防空壕
ある大阪府・堺市民の戦中・戦後:空襲・7.9
ある大阪府・堺市民の戦中・戦後<4>:戦後の暮らし

■ある大阪府・堺市民の戦中・戦後<5>:終戦後の暮らし・焼け跡で野菜を作る■

サツマイモの*皮*を剥いたりして食べました。
(*注*サツマイモの皮を剥いて食べるとあるが、ツルのことか?)

外米の配給の時、断る人がありましたので、待っていて分けてもらいました。
 長男(中一12歳)は、*イモ畑の取り終わった畑に行き、ひげ根を拾い、*コンロで焼きながら食べていました。
(注*落穂ひろいのイモ版)

二男(9歳)は堺東から大浜まで歩いて行き、海岸でアオサを取ってきてくれ、乾かして食べました。
カタツムリを焼いて食べたり、樫の実やヒシの実を取ってきて食べました。
「白い乳の出る草は食べられる。」と教えてもらい、野草を取ってきて食べました。
ちゅん太 三男(昭和20年生まれ)は乳不足のため、栄養失調になったり、腸炎になったり高熱を出したりしました。
 昭和21(1946)年の春になって、焼け跡で、畑を作りました。

暗いうちに起き、堺市戎町の焼け跡へ畑仕事に行きました。

レンガや瓦の片づけをし、レンガ色の畑を作りました。
 鍬の持ち方も知らない私が、畑を作りました。

空き箱に車輪を付けた車に、下肥(大小便)と三男を乗せて行きました。

バケツに縄をつけ、井戸水を汲み、水やりをしました。
焼け跡のお近くの家の下肥(大小便)もくませてもらい、畑に使いました。

「お母ちゃんの作ったナスビを売りに行く」と言ったことがありました。
鳩 子どもの教育に気を配れるようになったのは、終戦二年後くらいからです。
よく頑張ったなーと今も思います。

*注*は、天地 はるなの書いたもの。

*ゴマ塩が欲しいと便り終戦忌
*夏の日の学徒動員握り飯
*敗戦やモンペで作ったいもの味
*終戦忌知らず育って古希過ぎぬ
   以上 はるな
インク壷
親戚の家から戦争中と戦後の暮らしを書いた文章が出てきた。
書いたのは、この家の主婦、晶子。

以下の文章は、名前や、読んでいる人に分かりやすくするために、少し手を加えている。
 堺の空襲 1945年(昭和20年)7月9日
被災場所:堺市戎町・全焼
絣のもんぺ★家族★
★夫:中田 春彦 38歳:国民学校教員
☆妻:   晶子 34歳:(記録)
☆長女:  信子 15歳:女学校4年
★長男・  良一 12歳中学1年
★二男:  清二 9歳国民学校4年
☆二女:  洋子 5歳
★三男:  謙三 生後後50日(以上、仮名)
・・・・・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.07.24 00:15:11
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Favorite Blog

植物に元気をもらう。 New! **まる子**さん

レインファッション … New! りぃー子さん

ピースボート乗船ブ… New! maki5417さん

★ 東京都知事選が飛… New! sunkyuさん

【自信&プライド?… New! すずひ hd-09さん

Comments

七詩 @ Re:5/17-3:茨城県・水戸市:保和苑/水戸黄門の格さんの墓(06/17) 天狗党騒動やそれに続く抗争や粛清、桜田…
天地 はるな @ Re[1]:「光る君へ」定子&清少納言「香炉峰の雪」(04/22) 七詩さんへ 定子の清少納言への問いかけ…
七詩 @ Re:「光る君へ」定子&清少納言「香炉峰の雪」(04/22) 定子の母は漢詩の名手で伊周も学才に優れ…

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: