おしゃれ手紙

2022.05.26
XML
カテゴリ: 父の麦わら帽子
音符 私の母は、歌の好きな人だった。
家は貧しかったけれど、母の大らかで陽気な歌声に、どれだけ家が明るかったのかと最近よく思う。

私が子どもの頃、今から60年以上前は、テレビもない時代。
自分で歌うのが唯一の楽しみとあって、歌の好きな母は、地域のコーラスグループに入っていて、月に何回か、夜になると練習に出かけた。

場所は、小学校の音楽教室。(小学校(1)の左端にあった。)
先生は、中学校の音楽の先生。
コーラス部員は、小学生や中学生の親たちだった。
半月
田舎の夜は暗く
「暗ろーてきょてーから、(暗くて怖いから)はるなちゃん、ついて来て」と私に頼む母。


子どもの帰った夜の小学校は、がらんとした寂しい建物だった。
私は、音楽室の隅っこに座り、歌う大人たちを時々見ながら持って来た本を読んだ。

いろんな歌を聞いたが、特に耳に残っている歌がある。

♪あわれ白拍子~ 花の命~・・・という出だしの歌だ。
がらんとした教室の中で聞く歌は寂しく、60年以上経ったた今も、耳に残っている。


過ぎし日の明け暮れは露に似て
今宵別れの舞い衣 しずやしず~
静(しずか)の小袖は露に濡れ、かざす扇の重たさよ。
ああ、今に残る~ 
よしや 吉野の舞い塚あわれ~

 先日、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で捕らわれた静御前が舞い踊ったのは有名な下の曲。

♪しづやしづ
 しづの苧環(をだまき)繰り返し
 むかしを今に なすよしもがな♪
 吉野山 嶺の白雪 ふみわけて
 入りにし人の 跡ぞ恋しき


 いつも私を、静、静、
 苧環(をだまき)の花のように美しい静
 そう呼んでくださった義経様
 幸せだったあのときに戻りたい
 吉野山で雪を踏み分け

 残されたあのときの義経様の足跡が、
 いまも愛しくてたまらない。

放送されるテレビの歌番組の多い昨今だが、昔は何もなかったから、自分たちが歌うしかなかった。
何も知らずに聞いていた、あの歌には深い意味があったのだなとしみじみ思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.05.26 00:01:29
コメント(0) | コメントを書く
[父の麦わら帽子] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Favorite Blog

リピート購入してみ… New! yasu07270207さん

蔵春閣 de Jaz… New! maki5417さん

★ もう夏至。べった… New! sunkyuさん

【6/29(土)乙… New! machiraku_hokkaidoさん

マイ・インターン New! ジャスティン・ヒーハーフーさん

Comments

七詩 @ Re:5/17-3:茨城県・水戸市:保和苑/水戸黄門の格さんの墓(06/17) 天狗党騒動やそれに続く抗争や粛清、桜田…
天地 はるな @ Re[1]:「光る君へ」定子&清少納言「香炉峰の雪」(04/22) 七詩さんへ 定子の清少納言への問いかけ…
七詩 @ Re:「光る君へ」定子&清少納言「香炉峰の雪」(04/22) 定子の母は漢詩の名手で伊周も学才に優れ…

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: