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この日は7月の誕生会をいつもの「あっこちゃんち」で開催した。いつもは4人で行うのだが、今回は2人での開催となった。7月31日(金) 16:50あっこちゃんち所在地:神奈川県茅ヶ崎市円蔵2437-14 ☎ 0467-58-2214JR茅ヶ崎駅の北側「円蔵(えんぞう)」交差点にある焼肉店。テーブルに七輪が出てきて炭火で焼肉が楽しめます。故オーナーは桑田佳祐の従兄で、サザンファンが全国から来店と。営業日は、毎週木~日曜日で、17:00~23:30。店内には茅ヶ崎出身のサザンオールスターズ・桑田佳祐さんのグッズが飾られています。 手作りの「塩ダレ」が美味しかったですと。アルコールもキープできる。テレビでは録画されたライブを放映。写真は以前撮影したもの。ナンバープレート「ち・・45」があったが、意味はサザン結成45周年とのこと。二階にも宴会席があるとのことでチエック。階段を挟んで10人ほどが入れる部屋が二部屋あった。焼肉はハラミ、カルビ、味付けシロコロ、牛タン&上ハラミがお薦めと。高齢の二人はこの日は暑いので七輪はやめ、また肉は少なめで焼いたものを出して頂いた。旅友Kさんがオーダーした「豚足 2本」、美味しそうに食べていたが私にとってはトラウマ。約3時間ほど飲みいよいよケーキカットに。高齢のためケーキの上に巨木のローソクが立ち並んでいた。この日は食べなかったが仕上げには「冷麺 780円」も美味しい。8月6日(木) 10:30誕生会でスイカが豊作とのことで「でんすけすいか」を頂きに行こうと約束、ママさんと落ち合い我が愛車で藤沢のKさん宅へ。カラス対策で各スイカは帽子を被っていた。小玉スイカもあった。でんすけすいか帽子にはシールが。「小 直径 (約) 30cm、高さ (約) 22cm、5セット入」と。ママさん(旅友Kとは同級生だが)はお盆用に祭壇前へ供えると。暑い中マスクを装着させていただきました。重さは5キロ以上はあったか。でんすけすいか毎年、夕張メロン・らいでん西瓜などと共に、メディアに取り上げられ、北海道を代表するスイカであると。また、札幌市中央卸売市場に出荷されたスイカは、初競りで毎年、高額で取引され、過去最高額は1玉65万円であったと。名の名称「でんすけ」の由来は、1960年代から70年代にかけ、テレビで人気だった浅草の喜劇俳優・大宮敏充が演じたキャラクター「大宮デン助」の「ハゲづら」の頭と、水田の転作が始まる時代でもあり、「田を助ける(田助)」の二つの由来があると。沢山あったがすべて消費されるのであろうかと。無残な姿にならないように。田畑があるが後継者がいなく農家も減り、アパート経営に。日本の食料自給率も下がる一方になっている現状を見ると、将来はどうなっているのかと。畑の隅には咲き終わったヒマワリ。咲き終わったヒマワリの小径。栽培者から種子はご自由にといわれているとのことで頂くことにこの時期にはミツバチの飛来もなく?。正面から見上げる。11:00ひまわりの種子の利用は、ひまわりの種子は、野球の大リーガーが食べたりシャワーとして利用しているが、食用としてだけでなく様々な方法で活用されている。・栄養価の高い食材 ビタミンE、ビタミンB群、マグネシウム、鉄分、亜鉛などが豊富に含まれており、 健康維持に役立つ。・ダイエットサポート 種子に含まれる植物繊維は消化を助けるだけでなく、満腹感を与えてくれるため、 ダイエットサポートにもなる。・スナックとしての利用 焙煎してスナックとして楽しんだりオイルに加工するなど、その利用は多岐にわたる。・食用とペット用の違い 種子は、食用とペット用で異なるため、食用のものを選ぶことが重要。ひまわりの種子は、その栄養価と多様な利用方法から、健康志向の食生活に欠かせない食材となっています(ネット情報より)。Kさん、スイカ、ナスありがとうございました。帰りの国道1号は渋滞していたが、ママさんとの会話が弾み渋滞が苦にならなかった。 END
2026.08.11
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引き続き花火を追った。写真は焦点距離が30mmのためトリミング、また、絞りをf/11で撮影したため露出不足になり露出調整した。8月1日(土) 19:450394撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:5.9秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0393撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:10.6秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0395撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:6.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0397撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:9.9秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0398撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:14.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0399撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:13.8秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0400撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:10.2秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0401撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:6.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0402撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:11.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0403撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:10.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0404撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.3秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0405撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:5.3秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0406撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.2秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0408撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:10.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0409撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0410撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:11.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0412撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:6.8秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0413撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:10.2秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0414撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.6秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0415撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:8.8秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0416撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:8.6秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0417撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:14.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0420撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:11.9秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0423撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:9.6秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0424撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0425撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:11.8秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0428撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:9.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0429撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:6.3秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0430撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:17.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整19:59花火の打ち上げは、連続打ち上げ花火「スターマイン」や、孔雀が羽を広げたように海面から打ち上がる「水中孔雀」などが上がっていた。が、無料席からは「水中孔雀」は見れなかった。今年は新たな試みとして、キリンビールが花火文化を守ろうとして行っている取り組み「晴れ風 ACTION」と連携して企画したと。ここから、絞り:f/11 ⇨ f/8 に変更。0435-1突然、ドローンの集団が夜空へ、キリンビールの「麒麟」であろうか。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:10.9秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整。0436撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:11秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0437缶ビールのデザインであろうか、横からは明瞭に見えなかった。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:7.8秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0439ドローンで絵文字「キリンビール 晴れ風」と。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:9.9秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0440ジョッキにビールが注がれていた。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:11.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0441ジョッキが満杯に、アワが溢れる状態にはならなかった。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:7.7秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0442絵文字は「晴れ風は 花火を守り□□□」と。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:15.6秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0443スターマインの左下にドローンの絵文字があったが。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:7.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0444絵文字は「晴れ風 ACTION」と。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:7.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0446絵文字は「花火大会を未来に□□□」と。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:10.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0448これは何を描いたのか?。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:10.3秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0449撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:10.3秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0450撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:15.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0451撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:9.9秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0453撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:16.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0455撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:13.2秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0456撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:3.8秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0457撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:4.3秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0458有料席からは「水中孔雀」が見事であったのであろう。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:7.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0460撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:6.9秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整20:080462撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/8、露出時間:8.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整予定の20時10分に打上げは終了した。帰路はいつものようにメイン道路は大渋滞になり、”道の駅湘南ちがさき”経由の大廻りをして国道1号を帰った。今回も撮影に関しての反省は、 ①カメラの三脚へのセットは縦。 ②フィルターND8を利用し、絞りは「F8」。8月7日付けタウンニュースより、茅ヶ崎の夜空を彩り、観覧者約5万5千人を魅了したと。 END
2026.08.10
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サザンビーチちがさき花火大会茅ヶ崎4大イベントのひとつで茅ヶ崎の夏の風物詩となっている花火大会である。連続で打ち上げる花火「スターマイン」や孔雀が羽を広げたように海面から打ち上がる「水中孔雀」など、海岸で行われる花火大会ならではの海面に映った鮮やかな花火が楽しめます。また、今年は新たな試みとしてドローンショー。主 催:サザンビーチちがさき花火大会(茅ヶ崎市観光協会内)協 賛:湘南山鉄、ランテック、お弁当の濱田屋、寒川神社、稲岡ハウジング、 チガサキフラワーゴルフ、日本精麦、大村紙業、大木医院、カギサン、 他多数開催時期 :8月1日(土) 毎年8月第1土曜日(原則)打上場所 :茅ヶ崎中海岸「サザンビーチちがさき」(茅ヶ崎漁港防波堤付近)打上時間 :午後7時20分 ~ 午後8時10分頃(約50分)打上げ数 :約2,000発有料観覧席:2,000席例年の人出:約5万人カメラの設定は下記にして、使用カメラ:Canon EOS 70D。 ① 三脚とレリーズを使用 ② 撮影モード:B(バルブ) ③ 感 度:ISO200 ④ 絞 り:F11、フィルター ND8をセット、いつもは絞りは「F8」 ⑤ ホワイトバランス:「オート」 ⑥ 手振れ補正:「OFF」 ⑦ ピント合わせ:最初にAFでピントを合わせた後「MF」に ⑧ カメラは横セット8月1日(土) 18:50撮影場所へ到着、既に多くの人が海岸で飲食しながら待機していた。昨年は台風の影響で中止になり2年振りの開催となった。サイクリングロードにはコスプレの若い子がソフトクリームを食べ歩き。東の方向にはうっすらと江の島が見えていた。風が気になっていたが弱い海風であった。撮影場所はいつものように国道134号の「浜見平入口交差点」近くに確保した。また、打上げ終了後の帰路渋滞を考え会場から離れた西側に陣取った。平塚側の砂浜にも多くの観覧者。19:25予定の時間に花火が打ち上げられ、スマホで撮影。ここからは三脚にセットした「Canon EOS 70D」で撮影。昨年はピント合わせが不十分でピンボケになったため途中で撮影画像を確認した。尚、ブログアップ写真は、カメラを三脚に横セットしたためトリミングした。0312(この番号は撮影番号)。撮影情報/焦点距離:41mm、絞り:f/11、露出時間:2.4秒、ISO-200絞り:f/11は露出不足であったため露出調整した。0321撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:9.3秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0325カメラを横にセットして撮影したのでこの縦の写真はトリミング。やはり花火撮影は縦セットがベター。撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:6.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0334撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:9.2秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0342撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:10秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0343撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:9.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0344撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.9秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0345撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:9.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0346撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.3秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0347撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:13.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0348撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:13.6秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0349撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:19.2秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0353撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:7.6秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0355撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:15秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0356撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:11.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0357撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:11.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0358撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:7.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0359撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:9.7秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0360撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:14.6秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0361撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:8秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0363撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:15.8秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0365撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:11.6秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0367撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:15.9秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0368撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.1秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0369撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.3秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0370撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:7秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0371撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.7秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0373撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:7.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0375撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:15.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0376撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:18.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0377撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:13.7秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0378撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0380撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:11.6秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0381撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:15.3秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0384撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:4.8秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0385撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:11.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0386撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:9.7秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0387撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:8.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0388撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:4.8秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0389撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:11.4秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0390撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:18.5秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整0392撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:12.2秒、ISO-200トリミング、露出不足で露出調整19:450391撮影情報/焦点距離:30mm、絞り:f/11、露出時間:14.5秒、ISO-200写真は焦点距離が30mmのためトリミング、絞り:f/11では露出不足で露出調整した。 ー continued ー
2026.08.09
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寒川社(宮原)の参拝を続ける。7月18日(土) 14:00神輿殿前から境内を見る。唐破風の拝殿。対の狛犬は新しく奉納されている。宮原 (ミヤバラ)高座郡寒川町宮山にある相模国一の宮寒川神社の社地であった原野を開拓したところからこの地名が付いたといわれている。村の中央を南北に中原街道が通り、北町に大山街道の近道がとおっていた。往時には旅人の往来も多く、当時のようすを思い起こさせる屋号も多く残っている。 藤沢市鳥居の傍に「奉齋正一位稲荷神社」と。稲荷神社の周りには樹々が聳えていた。逆光で判読できなかったが「関東大震災」関連の碑であった。稲荷神社の後方から。石碑の裏面には「大正十四年九月・・・」と読めたが。このように汚れた石碑は綺麗に洗うべきなのか、苔むしたままに保存するのか。後世に伝えるためには洗浄すべきかと。社務所、手水舎を見る。右側から社殿を見る。社務所は「宮原自治会館」にもなっているようだ。参拝を終え寒川社を後にした。宮原山観藏寺所在地:神奈川県藤沢市宮原1666 辺り明治期まで道を挟んで隣接する宮原寒川社を管轄してしいたとのこと。境内にはケヤキの巨木が聳えていたが上部は伐採されていた。本尊は不動三尊で、本堂安置の阿弥陀如来は獺郷(おそごう)にあった西福寺の旧本尊。山門右側の石柱に「奉 宮原山」と。左側には「献 観藏寺」と。山門を入ると右側に新しい六地蔵が並んでいた。以前あった六地蔵は文政六年(1823)で西福寺跡に移され、平成八年(1996)七月建立と。西福寺はどこにあるのか。現在の本堂は関東大震災後に改築されたものである。山号 宮原山院号 不動院宗旨 高野山真言宗創建 不明(安土桃山時代)本堂の手前、右側にあった「弘法大師堂」。祠の中には花が供えられ「弘法大師石造 文政三年(1820)」と。後方には「大師堂」と。参道の右側に並ぶ「大師堂」「六地蔵」。道路を挟んで東側に寒川社の杜がある。工場の壁面に「もやし栽培 (有)日の出園」とあったが、今でも営業しているのか。寒川社(宮原)を後にし、更に北側へ移動。寒川社から小路を北上すると道祖神があった。右側を東へ進むと中原街道の宮原交差点へ。文化財ハイキングコースでは「② 立小路(たつこうじ)の地蔵」があるのだが。道路の辻に新しく整備されていた。石塔には「道祖神 一月十四日建立 北立小路講中」と。裏面には「講中安全 五穀豊穣」と。道路脇にアジサイが植えられ奇麗に咲いていた。ブルーのガクアジサイ。これからが見頃に。坂を下った藤沢と海老名市の市境の目久尻川の先に、ごみ収集の「高座清掃施設組合第二清掃処理場」がある。稲荷社所在地:神奈川県藤沢市宮原小高いところにありビュースポットにあり柵で囲われていた。入口も鎖で、よって外から望遠で撮影した。説明板もなく詳細は不詳。中央に社があり台座に「鬼子母神堂」と書かれていた。奥には墓地がありかつてはお寺があったのか。鳥居、祠があり稲荷社であったか。墓石も並んでいた。坂の下も宮原地区で目久尻川沿いに田畑が広がっている。稲荷社をズームアップ。右側には見猿が彫られた石塔。左側には「南無妙法蓮華経」と。ローソン・スリーエフ 藤沢宮原店所在地:神奈川県藤沢市宮原1401-5稲荷社前から東側を横切る中原街道の宮原交差点の辻にあるコンビニへ。コンビニのチェーン別 店舗数ランキング三社の店舗数が約5万店で全体の約90%を占めると。お稲荷さん所在地:神奈川県藤沢市宮原コンビニの向かい側の民家の一角に鎮座しているお稲荷さん。地域地域でお稲荷さんを祀り願いごとを、将来はどうなるのであろうか。日本の伝統文化も最近の無信仰化では。14:30宮原地区から中原街道を南下。藤沢市から寒川町に入り振り返る。交差点は、「東小谷(ひがしこやと)」と、日本語は読み方が難しい。今後は、御所見北部コースの「Aコース」に挑戦予定だが暑いので、 ①豊受大神 ②塩井淵の辻 ③滝不動・皇子大神 ④子育地蔵 ⑤乗福寺 ⑥下滝谷戸の地蔵 ⑦用田寒川社 赤字が未制覇 END
2026.08.08
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文化財ハイキングコース案内板御所見北部コースのポイント御所見北部の歴史と地名明治時代六つの村が合併し、菖蒲沢にあった御所見塚にちなんで御所見村と名づけられました。江戸時代の御所見の中心は、南北に中原街道、東西に大山道が通る用田の辻で、大山詣の人々や商人のための宿や店があり、道標を兼ねた不動明王像が今も残っています。その地では農業が主で、養蚕も営まれたため台地は一面桑畑でした。明治終り頃から宮原に植木農家が現れ、戦後盛んになって今の景観を作りあげました。用田は寒川神社(寒川町)のご用田の意味とされ、菖蒲沢は菖蒲の生えていた土地を開拓したことからついた地名のようです。葛原の名は桓武天皇の第三皇子、葛原親王に由来するといわれ、皇子大神はこの親王を祀っています。また用田中条には中将姫伝説が残ります。御所見では昔ながらの様子がいたる所でうかがえ、遠い時代へと思いを誘われます。 藤沢市教育委員会御所見北部コースのポイント Aコース ①豊受大神 ②塩井淵の辻 ③滝不動・皇子大神 ④子育地蔵 ⑤乗福寺 ⑥下滝谷戸の地蔵 ⑦用田寒川社 Bコース ①用田の辻 ②立小路の地蔵 ③宮原寒川社 ④観蔵寺7月18日(土) 13:30県道45号線(中原街道)から西側の生活道路へ入る。この辺りは宮原(みやばら)地区でGoogleマップに道祖神が多く載っていたので追った。宮原は、神奈川県藤沢市の大字。江戸時代の名称は宮原村。相模國一ノ宮、寒川神社に近い野原を開拓して一村が築かれたため宮原とした。名主(みょうしゅ)は内野家。内野家は1639~1870年の200年超にわたる宮原村の名主についての史料を蔵していたと。個人宅の入口に道祖神、五輪塔が立っていた。道祖神 (光背舟形/双体立像) 「道祖神 宮原村 (安)永三午正月吉日」と。狭い生活道を北上すると道路脇に石塔が立っていた。風化していたが、双体道祖神であったか。道祖神の前にはお賽銭が置かれていた。更に農道を進むと祠が建っていたので道路脇へ駐車。この辺りは市街化調整区域か田畑が広がっていた。この宮原地域にモスク建設計画があり賛否両論でもめていると!。ネットで見ると、神奈川県藤沢市宮原のモスク建設計画をめぐり、地域住民有志が7月11日、イスラム教徒側と対話し「地域協定」の締結を目指す住民団体の発足式を市内で開いたと。モスク建設予定地は夏草が生い茂っていおりドーム屋根は高さ約12メートルという。緑地にはブドウの苗が植えられていた。この辺りは造園業の民家が多く広い敷地には苗木を植栽されている。そんな農道辻に祠が建っていた。祠の傍には枯れた切り株があった。切り株の大きさからかつては巨木が聳えていたのであろう。覆い屋の中に石祠があった。また、道路脇に野菜の直売所があった。このような直売所は消費税は関係なく100円で購入できるので8%、1%は無関係だ。小銭を持っていなかったので車へ戻り珍しい野菜を購入した。後方の民家の庭にはコキアが。天気がよければ富士山、大山が見えるスポットであろう。ビュースポットだけにモスク建設計画も。県道45号線(中原街道)へ戻り北上。ゑびすや本店所在地:神奈川県藤沢市宮原1316当店は明治28年(1895)の創業以来、藤沢市宮原で和菓子を作り続けておりますと。広い駐車場があったが通り過ぎて北側の鈴野商店(フードショップ鈴野)へ駐車。中原街道を走るたびに気になっていたこの看板。「湘南銘菓 はまぐり最中 ゑびすや本店」、幟旗にも「はまぐり最中」と。最中が好きな私にとってはいつか食べようと。店内に入り撮影許可を頂き。広々とした店内で気さくな御応対。穏やかな空気がどことなく漂う。書き込みではこのお店は、タッパーなどの保存容器を持参すると、大福なら「そのまま」収納してくださいます。包みなどをいっさい消費しないで済みますと。どこか昭和を感じさせる店内であった。”はまぐり最中”の詰め合わせも販売。私にとっての最中は埼玉県川越市の餅入り最中「福蔵」が一番だが。我が田舎の「備後最中」も最高だが今でも製造しているのか。足柄茶抹茶使用、オリジナル「すあま」 1個 120円(税込)。書き込みではこの「すあま」も美味しいと、次回購入して食したい。水まんじゅう 1パック、はまぐり最中 3個を購入940円であった。駐車場脇に稲荷社が建っていた。中原街道の寒川方面を望む。季節限定販売の「水まんじゅう (こしあん) ¥340/2個 (内税)」。つるんとのど越し冷ややか・・・。水まんじゅうを召し上がって夏本番の暑さを吹き飛ばしてください♪ と。まさにはまぐりの形で、餡がびっしりと詰まっており1個200円(内税)であった。寒川社 (宮原)所在地:神奈川県藤沢市宮原1289一帯は寒川神社の宮地であった原野を開拓して村を作ったので、宮原とよばれるようになったという。大正四年(1915)に神饌幣帛料供進神社に指定された。社号標石の丸柱に「寒川社」と。階段を登ると樹々に囲まれた境内。寒川社御祭神 品陀別命 (ほんだわけのみこと・応神天皇) 寒川比古命 寒川比女命祭 儀 元旦祭 一月一日 紀元祭 二月十一日 神立祭 七月三十日 例大祭 九月二十七日 新嘗祭 十一月二十三日 (七・五・三)由 緒 創立年月日不詳 延喜式内社・相模国一之宮寒川神社を勧請して鎮守となる。明治六年十二月村社に・ 大正四年に(1915)末社に指定される。藤扇睦伍拾周年記念事業 協賛者一覧 多くの企業、個人名が記載されていた。因みに、湘南連合神輿保存會・藤扇睦は、昭和51年(1976)に神奈川縣神輿保存會林道男様の御指導により結成したと。藤は藤沢の藤・扇は末広がり。 藤扇睦は藤沢市宮原に鎮座されている寒川社例大祭をはじめ、各地の神社例祭 湘南連合神輿保存會の神輿渡御に参加しています。会員48名。令和七年十月吉日 伍拾周年を迎えましたと。奉納 藤扇睦 顧問・相談役・特別顧問 会長・副会長・会員名 製作 朋工務店 西山朋志 令和四年三月吉日境内の奥に拝殿。境内は、南側から正面に拝殿と本殿、左手前から鐘堂、手水舎、社務所、奥に神輿殿、右手に神楽殿、稲荷神社が建つ。本殿は明神造、拝殿は入母屋造となっており明治二十七年(1894)年に再建された。左側に鐘堂があったが肝心な梵鐘の姿はなかった。この梵鐘も第二次大戦時に供出されたのであろうか?。石碑には、「大東亜戦争記録 昭和六年九月十八日満州事変勃発 昭和十二年七月七日支那事変 引続き昭和十六年十 二月八日大東亜戦争となり昭和二十年八月十五日終戦 その間の宮原地区内応召戦没者 記名 ・・・二十七名の戦没者名・・・ 昭和五十◯年十一月ニ十三日 建之」と。裏面には「応召者」が書かれていた。境内から天を仰ぐと厚木基地への飛行機が。境内の右側に「神楽殿」。かつては例大祭には神楽殿で神楽が行われ多くの人が集まっていたのであろう。社務所の手前に手水舎が建っていた。寒川社々務所正面に「拝殿」。創建時期は不明だが、神仏が習合していた江戸時代には社の西隣にある観蔵寺が別当役を務め、僧や山伏、修験者など雑多な人々が居住していたと。その後神仏の分離を経て、明治時代末、打戻の宇都母知神社との合併が取り沙汰されることもあったが、地域の人々の反対により独立維持されたと。拝殿前には右手に「阿形像」の狛犬。左手に「吽形像」の狛犬。拝殿の扁額「寒川大神」。壁面には多くの千社札が張られていた。右側の木鼻拝殿の向拝には見事な龍の彫り物が組み込まれていた。左側の木鼻拝殿の左奥に神輿殿が建っていた。神輿殿の扁額「神輿殿」と。14:00左側から社殿を見る。 ー continued ー
2026.08.07
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藤沢の遠藤から御所見地区へ。7月13日(月) 14:50遠藤富士浅間神社所在地:神奈川県藤沢市遠藤 慶應大学の西側から入れる大学の敷地の一角にある立派な神社である。平成二年(1990)四月に慶應義塾(SFC)が開設された際、浅間神社がSFCに近かったものの、移設する事無く現在地に残ったと。慶応義塾もこの際協力し、社殿を改修したとのこと。社号標石に「浅間神社」と。慶應大学の杜に囲まれた中にあり、境内にはサクラ、ツツジが植えられていた。社殿の右下に石碑が三基立っていた。由 来浅間神社は矢崎と苅込のコミヤであり「浅間さま」として地域の人々に慕われてきました。平成二年(1990)四月慶應義塾大学が当地に開設しました。浅間神社は慶應キャンパスにとり囲まれる格好となりましたが、矢崎と刈込の要所であるため移設する事無く現在地に残りました。社殿は老朽化したためこれを契機に慶應義塾の協力を得て氏子により現在の社殿が再築されました。浅間神社は以前にも増して氏子の信仰を受けると共に学問の神様として発展することでしょう。 平成三年四月吉日富士浅間神社境内ハ元官有地タリシガ明治四十五年以来御嶽神社ノ□有トナリシヲ昭和廿四年十二月氏子一同ニテ之ヲ買受ケ永遠ニ鎮座マシマス地トナス仍テ茲ニ後世ニ傳ヘントス 昭和廿六年三月 氏子一同 富士浅間神社ハ安永年間ノ創建ニシテ今ヲ去ル百六十余年木ノ花咲耶姫ヲ祀ル當社ハ元矢崎ノ氏神ナリシガ苅込一同ノ崇敬スル□トナリ明治三十年其ノ氏子トナル明治四十三年其筋ノ布告ニ依リ當社モ御岳神社ニ合祀サルルニ當リ隣地五四六五番地ニ遷シ奉リ以来二十八年社殿ノ腐朽セルニヨリ再建ノ議起ルヤ御岳神社総代ヨリ元當社敷地ノ五四六四番地ノ地上権ヲ氏子一同ニ於テ譲受ケ再建奉還ス爰ニ記念碑ヲ建立シ永遠ニ傅ヘシト云爾 昭和十二年三月十五日 氏子一同再築された社殿右側に回り込む。社殿前から見下ろす。ツツジが植えられサクラが聳えていた。慶應義塾大学の西側市道。右側の道は何度も走っているがGoogleマップで”遠藤富士浅間神社”の存在を知り訪れた。浅間神社から市道を下り、途中右方向へ進み狭い竹林へ。最上稲荷所在地:神奈川県藤沢市遠藤狭い竹林の中を進むと祠が建っていた。周りは氏子さんの手で綺麗に清掃されていた。覆い屋の中に小さい祠があった。春先には立派なタケノコが出ていた。大庭獺郷線へ出る。道路脇に新旧の道祖神が立っていた。新旧の道祖神左側の旧道祖神の側面に「弘化五戊申正月吉日」と。右側の新しい道祖神の側面には、「旧道祖神塔 尖頭角柱型 総高五十七・五糎 安山岩 右側面 弘化五戊申正月吉日 正 面 道祖神 左側面 遠藤村矢崎 氏子中」と、旧道祖神の説明が刻まれていた。いろいろと道祖神を見たが珍しい試みであった。大庭獺郷線のサルスベリ(百日紅)並木。青空に映えるサルスベリ、いつの間にか咲く時期になっていた。サルスベリは夏を象徴する花木である。右側は「無人精米所」と。この後、大庭獺郷線を西へ走り打戻地区へ。道祖神・地蔵所在地:神奈川県藤沢市打戻大庭獺郷線の打戻根下交差点を右折すると直ぐにあった道祖神。大庭獺郷線の旧道沿いに立つ道祖神。石碑型の文字道祖神と地蔵打戻交差点を振り返る。谷戸集会所所在地:神奈川県藤沢市打戻打戻交差点から約500メートル程北上するとある集会所。玄関上に「谷戸集会所」と。集会所前から南側へ戻ると辻に双体道祖神があった。双体道祖神双体道祖神の前には造花の花が供えられていた。北上してきた道を振り返る。この辺りには温室が多くあり、また、広大な果物と野菜の農園があり直売所がある。県道410号線(遠藤宮原線)の打戻大仲交差点。次の目的地はこの先にある「庚申塔 (道標)」。打戻榎戸(うちもどりえのきど)交差点変形五差路で交通量が多く撮影に苦慮した。前方から北上して来た。交差点角のカーブミラーの下に目的の「庚申塔 (道標)」があった。庚申塔 (道標)所在地:神奈川県藤沢市打戻道路際で道標には最適な場所だが、垣根で覆われてほぼ目立たない場所にある。庚申塔は、平頂方柱/文字。「庚申塔 上惣連・東 長後 / 南 一之宮 / 西 用田道 ・萬延元庚申歳 夷則吉星再建」と。 萬延元年は1860年の建立になる。離れて撮影できないので情報はネットから。次に訪れたのは、大庭獺郷線沿いにある「不動尊」。獺郷西交差点県道410号線(遠藤宮原線)と用田獺郷線が交差するここ交差点に目的の「不動尊」があった。用田獺郷線の南方向を望む。不動尊所在地:神奈川県藤沢市獺郷651交差点角にお堂があり中に二体の像が立っていた。堂の中に古い木の説明板が有り、そこには不動尊堂・子育地蔵尊堂とあると。多くのペットボトルのお供え物があった。右側:聖観音像 (光背舟形・立像) 「文化九壬申◯月吉日 xxx」。左側:不動尊像 (坐像/迦楼羅炎/ニ童子) 「獺郷村東講中 嘉永ニ年酉四月立之。県道410号線(遠藤宮原線)の西方向を望む。この辺りは片側2車線で中央分離帯がある。西側へ進み、獺郷西交差点を振り返る。県道45号線(中原街道)の宮原南交差点。ここ宮原南交差点から県道410号線を東へ進むと小田急江ノ島線の湘南台駅へと至る。15:30次の目的地が宮原南交差点の南側にあるので南下。 ー continued ー
2026.08.06
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御所見南部・遠藤地区を散策。7月13日(月) 14:00 JAさがみ遠藤支店傍の「開拓記念碑」前から北側の遠藤山崎交差点を望む。突き当りの交差点を右折し県道410号線を東へ進むと小田急江ノ島線の湘南台駅へと。JAさがみ遠藤支店前から市道辻堂駅遠藤線を南下、宝泉寺前交差点を右折して小出川沿いのアジサイロードへ。右側は片側2車線の市道辻堂駅遠藤線。小出川もこの辺りは川幅が1メートルと小川である。かつては護岸にアジサイが育っていたが護岸工事で植替えられている。一部アナベルが咲き残っていた。アジサイも咲き残り。アジサイ祭りも終わり草が伸び放題になっていた。この先が小出川の源流であろう。花とせせらぎの道小出川は、新編相模国風土記稿にもあるとおり、遠藤神明谷、遠藤琵琶島、遠藤東原の池の頭などの水源の水が集ってできた川で、茅ヶ崎の柳島で相模川に合流する一級河川です。ふるさとの生活と共に歩んできたこの川に、地域の皆さんの手でアジサイと彼岸花を植栽し、美しく護っていくことにしたもので、現在は、遠藤あじさいの会と遠藤彼岸花の会で管理をしております。 遠藤まちづくり推進協議会道路の先右奥に小出川の水路がある。この先北側は県道410号線(遠藤宮原線)があり暗渠になっているので、小出川の源流地点が分かりづらい状態になっている。味処 まるたか所在地:神奈川県藤沢市遠藤4151このレストランを利用した人は、新鮮な刺身、ボリュームのある揚げ魚、様々な海鮮丼など、美味しくてボリューム満点の海鮮料理を高く評価している。この日は月曜日で定休日であったが人気の店である。五霊大神(ごりょうたいじん)所在地:神奈川県藤沢市遠藤4238”味処 まるたか”から小径を西側へ上ると鎮座している。墓地の一角にある。元は本社のある上庭集落の飯島姓の氏神であったと言われ、現在は上庭町内が氏子である。旧地は五霊坂を登ったところ(現在の慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス内)に社屋があった。後の発掘調査で江戸時代の貨幣などが見つかっていると。石碑には「五霊大神」。裏面には「明治二十八年十月一日」と。五霊大神の周りには4本の木が植えられていた。五霊大神から北方向にある藤沢ジャンボゴルフを望む。右側の杜は慶應義塾大学湘南キャンパス。大庭獺郷線の苅込交差点手前に架かる大黒橋。大黒橋は彼岸花会場の最上流部になり、この上流側がアジサイ祭り会場になっている。小出川 ” 彼岸花 ”小出川沿い「大黒橋」からの彼岸花鑑賞コースをお楽しみください!鑑賞期間:9月下旬~10月上旬(見頃:お彼岸の頃) ~ ”人と自然がいきづくまち” 遠藤 ~大黒橋から下流側を望む。秋のお彼岸の頃には両岸に彼岸花が咲き乱れる。夏を過ぎると彼岸花の芽が出てくるので草が刈られていた。この辺りの小出川は藤沢と茅ヶ崎の市境になっており左岸は茅ヶ崎市エリア。この後、茅ヶ崎の「芹沢城之腰の道祖神」と、里山公園前の「道祖神」を見落としていたので小出橋を渡り茅ヶ崎市エリアへ。仏塔群所在地:神奈川県茅ヶ崎市芹沢小出橋を渡り百メートル程南下すると辻にある仏塔群である。ここは既に訪れており、樹々に囲まれて十数個の仏塔がある。仏塔には花が生けられていた、周りは草むらであったので入口で失礼した。仏塔群の北側には渡ってきた小出橋。近くにはお世話になる「茅ヶ崎市斎場」がある。Googleマップを見ながら目的の道祖神を探す。芹沢城之腰の道祖神所在地:神奈川県茅ヶ崎市芹沢349-3夏場は草も生い茂り、Googleマップで検索しない限り見落とす道祖神である。斎場通りから小径を南側に入るとブロックの基礎の上に道祖神があった。簡易覆い屋の中に石祠、五輪塔が集められていた。ネットでは、「石祠道祖神(流造) 年代は確認できなかったが『神奈川県の道祖神調査報告書』によると明和六(1769)年 地名は通称冠木」とあった。斎場通りを振り返る。芹沢城之腰の道祖神の次は、西側にある里山公園前の「道祖神」へ。仏塔群前を通り抜け振り返る。県立里山公園東口市立小出小学校から下った来たところにある里山公園入口。かつてここで「一時停止」を確実にやっていないとの交通違反で捕まった苦い場所である。坂を上ると県道47号線(小出中央通り)の小出小学校の西側へ。車を停めた横に道祖神らしきものがあったが。Googleマップでは目的地はここではなかった。この交差点は茅ヶ崎警察署の「一時停止」の取り締まり重点ポイントであるようで、この日もトラックの影にパトカーが待機していた。里山公園の正門前から坂を下ってくるので停止線を越える人が多く、また、小出小学校からの交通量も少ないので完全に停止しない人が多い。道路脇に車を停め目的の道祖神を探す。双体道祖神・文字道祖神所在地:神奈川県茅ヶ崎市芹沢974茅ヶ崎市芹沢地区には道祖神が多くあり、地元の方々の信仰心の篤さがうかがえる。新旧の道祖神中央の文字道祖神には「昭和五十二年九月吉日」。右側の双体道祖神は「寛政九年(1797)」の作であると。茅ヶ崎里山公園 東駐車場入口里山公園東駐車場入口の手前に庚申塔が立っていた。墓地入口に、三猿の「庚申塔」が二基、奥に「石碑」が立っていた。庚申塔の側面には「弘化三丙午年十二月吉日□之」と。石碑の碑文には、「供 養 茅ヶ崎市の道路計画に□う芹沢小林線拡幅にこの墓地二九七平方米が買収されこれを 基金とし本日ここに共有者祖先を供養しこの碑を建立するものであります。 平成二年九月ニ十三日 代表 米山正司書 下段には、米山一族 九名の氏名」が刻まれていた。14:45里山公園入口から再度小出橋を渡り大庭獺郷線へ。 ー continued ー
2026.08.05
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このブログは6月初旬から7月にかけて藤沢市の御所見地区の寺社史跡を訪れたものです。途中茅ヶ崎市北部で見落としていた史跡の一部も含んでおります。藤沢市の地区名藤沢市の人口:444,205人、面積:69.56k㎡、人口密度:6,386人/k㎡ (推計人口2026年7月1日)。また、南北に長い市で南北約12km、東西約6.5kmある。大きく区割すると。今回散策する「御所見地区」。余談だが旅友の話では、藤沢市にはJR・私鉄の駅が20数駅あると、また北側に隣接する綾瀬市は駅の無い市で、相模川を渡った平塚市には1駅と。このためアクセスが良い市で東京のベッドタウン化で内陸部の人口が増加していると。既に訪れブログアップしている寺社史蹟も多くある。7月13日(月) 13:00この日は「御所見・遠藤」への途中、小出の県道47号線(小出中央通り)・404号線へ。車を道路脇に駐車して小出交差点を振り返る。左側は小出郵便局で向かい側に、Googleマップに道祖神がある。小出郵便局前の道祖神所在地:神奈川県茅ヶ崎市芹沢834安全柵は道祖神のスペースを確保して設けられていた。文字道祖神県道47号線の北側は窪地になっていた。Googleマップでは他に「二本松の文字道祖神」があったのだが見あたらず、代わりに民家の庭先の鉢に二本の松が植えられ「ここは二本松」と。忠魂碑群所在地:神奈川県茅ヶ崎市堤1928-1 辺り小出郵便局の東側、茅ヶ崎市老人憩の家皆楽荘の脇に立っていた。忠魂碑が立ち並んでいた。中央に「殉國英霊碑」、左側に「彰忠碑」、右側に碑が三基立っていた。殉國英霊碑満州事変:1柱 支那事変:14柱 大東亜戦争:128柱の慰霊碑。裏面の碑文には、「満洲事変・支那事変・大東亜戦争 本村出身殉國諸士の忠烈を仰ぎ一同の英名を石に勒し永く後世に伝う 昭和二十八年九月 小出村 建立 下には戦死年度と多くの氏名」が刻まれていた。彰忠 希典書小出村出身の日露戦争における戦没者8柱を合祀し、日露戦争の従軍者87名の氏名も合せた記念碑。明治40年1月15日に小出村によって建立された。右から「各戦役殉國英霊碑」 「征清従軍死者之碑」 「故陸軍歩兵一等卒青木保之助小林網五郎碑」。右側の征清従軍死者之碑:日清戦役における小出村戦没者2柱の慰霊顕彰。左側の故陸軍歩兵一等卒青木保之助小林網五郎碑:青木保之助・小林網五郎。明治廿九年に建立され、それぞれに碑文が刻まれていた。県道47号線(小出中央通り)の東側に大辻交差点。この後この交差点を左折して遠藤地区へ。スマホのGoogleマップを利用し「山王神社」へ。右側はJR辻堂駅からの市道辻堂駅遠藤線で慶応義塾大学湘南キャンパス建設で整備された。田畑が広がる農道を歩き「山王神社」へと。この狭い道を下ると西側にある大谷通りへ。左側に社殿が建っていた。社殿には樹々が覆いかぶさり、案内板もないのでその存在が分かりづらかった。山王神社所在地:神奈川県茅ヶ崎市芹沢 あたり蔦等のツルをとり社殿前へ入ろうとしたが足元が悪く諦めた。神社の詳細は不詳である。樹々が芽吹く前は分かり易いのであろうがこの時期は生い茂り蜘蛛の巣もあり。冬場に再度訪れるか。新車のノート。前のノートよりより安全装置が完備している。この後訪れる、「御所見南部・遠藤」地区の案内板。文化財ハイキングコース案内板御所見南部・遠藤コースのポイント Aコース:①妙福寺 ②大法寺 ③盛岩寺 ④堂の前 ⑤子聖神社 ⑥宇都母知神社 ⑦少年の森 Bコース:①御嶽大神 ②宝泉寺 ③宇都母知神社 ④妙福寺 ⑤少年の森 藤沢市教育委員会遠藤・御所見南部の今と昔昭和30年代から遠藤南東部は開発が急速に進み、昔の面影は残っていませんが、いまでも田畑が広がる農村風景が見られ、生活のなかにも共同体としての習慣が残っています。御嶽大神や宝泉寺の付近は昔から村の中心で、歌舞伎、神楽、鉄砲馬場などの祭りにはにぎわいました。この地にも大学が進出し、大きな変化を遂げています。その建物が立つ丘陵は、御所見の打戻へ連っています。打戻は平安時代中期(十世紀)には養蚕を営む人たちが住み、宇都母知神社を祀ったと考えられています。また、自然を生かして遊び学ぶ「少年の森」もできました。獺郷(おそごう)は昔は沼地が多く、かわうそが多く生息していたのでそれが村名になったようです。丹沢山系や富士山が見渡せるのどかなこの地域では、歴史の風と新しい文化の風とが語り合っています。参考までに、御所見地区には他にも下記案内板が、皇子大神 (おうじおおかみ)前にあった。文化財ハイキングコース案内板御所見北部の歴史と地名明治時代六つの村が合併し、菖蒲沢にあった御所見塚にちなんで御所見村と名づけられました。江戸時代の御所見の中心は、南北に中原街道、東西に大山道が通る用田の辻で、大山詣の人々や商人のための宿や店があり、道標を兼ねた不動明王像が今も残っています。・・・中略・・・ 藤沢市教育委員会御所見北部コースのポイント Aコース ①豊受大神 ②塩井淵の辻 ③滝不動・皇子大神 ④子育地蔵 ⑤乗福寺 ⑥下滝谷戸の地蔵 ⑦用田寒川社 Bコース ①用田の辻 ②立小路の地蔵 ③宮原寒川社 ④観蔵寺次に訪れたのはスマホのGoogleマップで「稲荷社」へ。民家の先に小さな祠が見えていた。稲荷社所在地:神奈川県藤沢市遠藤233遠藤地域にあるお稲荷様で北側に御嶽神社がある。また「芭蕉天神宮」もありこの地域は自然が多く残り、ウォーキングするには最高であると。祠をズームアップ。車へ戻り稲荷社を振り返る。畑には里芋が植えられていたが今年の収穫はいかに。民家の間に牛舎があったのか周囲に特有のにおいが漂っていた。牛舎の入口に「湘南和牛」と書かれた幟旗が立っていた。養蚕神社(ようさんじんじゃ)所在地:神奈川県藤沢市遠藤310谷戸から東側を走る県道404号線(遠藤茅ヶ崎線)へ上ると、県道沿いにある。祠と石碑が立っていた。養蚕神社養蚕神社と窪島義翁頌徳碑明治・大正の頃は養蚕が盛んであった。養蚕業の発展を願って神社が建てられた。戦時中食糧増産のために養蚕業はできなくなった。窪島氏は、養蚕組合長、郡畜産組合長として産業振興に尽くされ村長を始め数々の公職に就かれた。その功績を讃えた碑である。碑文には先祖の孫兵衛は北条氏の家臣で後に徳川氏の軍監として関ヶ原の役に出陣、その後帰農とある。 (遠藤まちづくり推進協議会) 窪島義翁碑残念ながら判読できなかったが、碑文には「先祖の孫兵衛は北条氏の家臣で後に徳川氏の軍監として関ヶ原の役に出陣、その後帰農」とある。妙見堂所在地:神奈川県藤沢市遠藤2826-11Googleマップで訪れたがなかなか見つからず苦慮した。市道辻堂駅遠藤線の”JAさがみ遠藤支店”から入り東側の丘陵地にあった。周りは新しい住宅地で交通量がないので道路脇に駐車。周りの草が生い茂り中に立つ鳥居が目に入らなかった。3社が建っていたが残念ながら説明板がなく詳細は不詳。両側に小さい祠が建っていた。中央の祠の中を覗く。赤頭巾前掛けをした地蔵様が立っておられた。樹々が枯れていると目立つのであろうが。道路脇にも草が覆いかぶさった祠が一つあった。開拓記念碑所在地:神奈川県藤沢市遠藤4355JAさがみ遠藤支店の駐車場脇に立っている記念碑。右前方は”藤沢ジャンボゴルフ”。市道辻堂駅遠藤線の終点の遠藤山崎交差点。左折すると数百メートルで慶応義塾大学湘南キャンパスバス停へ。石碑には「耕地整理記念碑」と。未来を拓く 希望の大地この土地改良事業は、昭和四九年田畑の荒廃に危機感を抱いた秋葉原地区からの声が発端になり、その後、これに共鳴した山崎、広谷両地区が加わった。当時、小出川沿いは、耕地整理がなされていたが、これらいずれの地区も水田は強度な湿田で、畑も起伏地が多く、農道は狭小であったことから耕作放棄が多く見受けられるようになった。そのため当初は、国の補助金を得て団体営による国場及び道水路の整備を行うことを予定して準備を進めていたが、昭和六一年一月慶應大学進出と、これに併せた湘南台からの幹線道路(幅員二五メートル)の延伸決定によって、様相が一変したため、改良区内の道路幅員は六メートルを主体にメイン道路については、八メートルに設計し、都市型農地整備計画へと方向転換したのである。そして、この計画は、平成二年九月事業認可を得て工事に着手し、以来一四年六ヶ月通算三○有余年が経過、この間、組合員、権利者各位の熱意と協力によって、総面積ニ三・六ヘクタール、総工費一三億七○○○万円を費やし、平成一七年(2005)三月完成、ニ一世紀の土地利用に希望と夢をもった大地に甦ったのである。よってここに歴史的事実を碑文に収め後世に伝えるものである。 平成一七年(西暦2005年)三月吉日 藤沢市遠藤土地改良区 換地処分確定地積 二六、三二四四ヘクタール裏面には、遠藤土地改良区 役員・地権者 五十音順多くの方の氏名が刻まれていた。14:00JAさがみ 遠藤支店所在地:神奈川県藤沢市遠藤6588ここの駐車場へ車を停めさせていただいた。 ー continued ー
2026.08.04
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小園子之社からの帰路、Googleマップで調べていた寺社史蹟に立ち寄った。7月18日(土) 15:25綾瀬市立東名公園所在地:神奈川県綾瀬市早川2980-87綾瀬市にある住宅街の、子どもが走り回るには十分な広さの公園です。昭和後期につくられた第二次ベビーブームのための公園です。公園の設備にはトイレ、水飲み・手洗い場があります。遊び場には砂場、ブランコすべり台がありますと。広い公園の南側隅に朱色の祠が建っていた。南側には東名高速道路の防音壁。稲荷神社所在地:神奈川県綾瀬市早川2980-160公園南側のフェンス際に鳥居と社殿があったが説明板がなく詳細は不詳。Googleマップの書き込みでは、「社殿内には石祠と木製本殿が祀られている」とあったが、南京錠で施錠され確認できなかった。また、鳥居脇に「藤美神社」「稲荷社」二社・「蚕影社」を合祀と記された木標が設置されているとあったがこれも確認できなかった。祠の前にはペットボトルのお茶が供えられていた。東名高速道路に向かって鎮座している。東名公園は昭和後期につくられた第二次ベビーブームのための公園とあったが、現在は少子化も要因か、この日は土曜日だが子どもの姿はなかった。ここにもレンタル自転車が置かれていた。遊具越しに稲荷神社を望む。稲荷神社から東名高速道路に沿って西側へ下ると目久尻川手前の左側に庚申塔があった。高架は東名高速道の早川高架橋。庚申塔所在地:神奈川県綾瀬市早川3041-2坂を下ってきた松並木の手前に立っていた庚申塔。庚申塔は風化していた。こちらの面には、「相模國高座郡 早川村 栗原□右衛門 内藤善兵衛 他」の名が刻まれていた。目久尻川に架かる内藤橋。内藤橋の上流側を望む、左側はサイクリングロード。目久尻川は蛇行して流れている。庚申塔前から下ってきた稲荷神社方向を見る。東側の丘陵地に住宅団地がある。目久尻川に沿って下ると県立綾瀬西高等学校前の交差点角に石塔が立っていた。左側は神奈川県立綾瀬西高等学校のグランド。左に道祖神、右側に庚申塔が2基。瀬端橋(せばたばし)きまぐれ堂 駄菓子屋所在地:神奈川県綾瀬市早川瀬端橋(バス停横)交差点角に建つ駄菓子屋で、焼き立てワッフルが美味しいと。瀬端橋の袂に立っていた案内板。目久尻川 サイクリングロード 新武者寄橋から上流の小園橋までの距離表示板 目久尻川サイクリングロードは河川管理用道路を兼ねています。 管理用車両などが通行することがありますので、利用者の方はご注意願います。瀬端橋上から下流側を望む。この辺りの目久尻川も川底が深く、蛇行して流れている。下流側に「宮久保遺跡」がある。次に向かったのは道路からそれた「地蔵堂」。地蔵堂所在地:神奈川県綾瀬市早川城山公園の西側下に位置し、背後に透明で綺麗な水が湧きでていた。覆い屋の中に衣裳をまとった三体の地蔵。覆い屋の中にはほうきもあり地元の方が管理。由緒等の詳細は分からないが集落の方の信仰が篤いのであろう。城山からの湧水であろう。サラサラと音がし湧き出ており奇麗であったが、飲料水としては?。傍には柄杓がなかった。かつての小径であったのであろう。最後に訪れたのが「江川天神社」。江川天神社所在地:神奈川県綾瀬市早川808番地綾瀬市役所から”市役所南通り”を西に走ると、新武者寄橋の北側の雑木林の若干薄暗い中にひっそりとある。江川天神社 ⇦ 綾瀬市役所 0.7km 五社神社 1.02km ⇨ 武者寄橋 0.15km (目久尻川) ⇨ 綾瀬市・綾瀬市教育委員会鉄製の鳥居は紙垂で飾られていた。案内板の裏面にこの説明文があった、江川天神社祭神は菅原道真と平成輔。享保十五年(1730)に建てられた古碑があり、それには「平宰相成輔卿祠社」と彫ってありました。平成輔は京都の公卿で、後醍醐天皇の親任を受け、鎌倉幕府討滅を計画しましたが、失敗して捕えられ、鎌倉に護送される途中、元弘二年(1332)五月、早川河口で殺害されました。その故地は小田原市に現存し、同市指定史跡となっています。早川という昔の村名が、たまたまこの早川と同名なので、後世ここにも祭ったものと思われます。境内の涌き水は社によって大切に保護され、飲料水や農業用水として利用されてきました。 平成三年三月 綾瀬市教育委員会薄暗い鬱蒼とした中に建つ社殿。手水鉢側面には「文政十亥年九月□吉日」と。文政十は1827年で江戸時代末期の奉納になる。社殿も紙垂で飾られていた。周りは綺麗に清掃されており日々地元の方々が管理。鬱蒼とした杜の中に鎮座している。社殿の南側に広場があり神楽殿であろうか建物が一棟建っていた。今でもまつりが開催されているのであろうか。ズームアップ、後方は市役所南通りの新武者寄橋。広場から社殿を見上げる。入り口を見る。15:45神社は市役所南通りからの脇道沿いにある。市役所南通りの「天神森隧道」。帰路につき、県道45号線(中原街道)の新用田辻交差点。綾瀬市の北西部地区をほぼ制覇した。今後は東部、南部地区をと思っているが。 END
2026.08.03
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綾瀬市北西部の最北部へ。7月18日(土) 15:00小園子之社 (こぞのねのしゃ)所在地:神奈川県綾瀬市小園273社殿前の境内に車を停め長い階段を下り、目久尻川からの坂道へ下りる。この坂道は目久尻川の低地部から東側の丘陵地に登る急坂である。小園子之社は住宅地の小高い場所にある小さいが立派な神社。小園のほぼ中央の位置にあり標高が綾瀬市内で一番高い緑豊かな「鎮守の杜」にある。長い階段の下に社号標石、道祖神が立っていた。階段の途中から見下ろす。鳥居は木製の両部鳥居で市内唯一であると。鳥居の扁額「子之社」。左側に庚申塔が二基。右側には、地神塔。地神塔の側面には「安政四年」と。鳥居を潜ると左右にあったのは石燈籠か。左側にも同じような塔。参道沿いには古い型の石灯籠。下には「奉納 子之大明神 天明四歳」と。参道沿いには伐採され枯れた古株が数本あった。境内の駐車場。祭事用のポールが立つ参道を振り返る。神輿殿軒先に「神輿殿」と。巨木が聳える下に、小園子之社社殿社務所境内には伐採された古株が何本もあった。社務所の扁額に「子之社社務所」と。子之社小園の鎮守様で、大国主命(大己貴命)が祭られています。社殿は本殿をおおう覆殿(おおいでん)と拝殿、それと幣殿が連なっています。他に神楽殿と社務所があります。子とは北の方位をいい、子之神とは北方をつかさどる神のことをいいます。慶長十年(1605)に勧請されたという棟礼があり、現在の本殿は文久元年(1861)に建造され、さらに大正十五年(1926)に再築されたものです。 平成元年三月 綾瀬市教育委員会拝殿の前に狛犬、右側には手水舎。社務所の前に手水舎。拝殿と対の狛犬右側の狛犬「阿形像」。左側の狛犬「吽形像」。紅白の幕が張られた拝殿の内陣。拝殿前から社務所を見る。吽形像の台座には「昭和五十七年壬戍年弐月𠮷日」と。社殿左奥本殿の裏に朱色の鳥居が立ち「境内社」があった。階段横には古い手水鉢。碑には、「奉納碑 奉納 金壱千万円也 栗原正明殿 父 栗原良夫 遺志 百万円 栗原正明 平成五年六月吉日 奉納 正一位 稲荷社 壱棟 ㈱藤井工務店 奉納 山王社御嶽社八坂社 壱棟 ㈱藤井工務店 奉納 社務所屋根葺替工事 一式 ㈱□□□□ 奉納 賽銭箱 参個 ㈱□□□□」。本殿裏の一段高い場所に境内社が並んでいた。本殿裏右側から、左側に「宏福神 安政三辰 一八五六年」と。この宏福神は蚕影神であり養蚕業の繁栄を守る神様です。昭和初期小園の農家は生計の維持として盛んであった。然し輸出先の米国の経済不況や国内の米の大豊作により繭価が大暴落となり昭和9年小園に養蚕組合が設立され救済事業が行われた。その後太平洋戦争により桑畑は食料増産のため転作が奨められ組合員も脱退が進み生産量も減り衰退へと道をたどっていった。覆い屋の中に賽銭箱、石祠が1基あった。子之社は神奈川県神社誌によれば、元久2年(1205)創立とある現日立社敷地内に元宮様という石祠が発祥とすれば創建年は不詳である。この石祠は昭和35年に子之社に移転したものであるが笠と台石のみで、中心部の祠の部分が失われていたので移転時に補充されている。摂社 (本殿に縁故の深い神を祀った社)覆い屋の中に3社の祠。摂社 (本殿に縁故の深い神を祀った社)向って右側は ◇御嶽神社・・・火災盗難の除神向って中央は ◇山王神社・・・山の守護神向って左側は ◇八坂神社・・・無病息災幸福をもたらす神隣の祠は ◇稲荷社 ・・・五穀豊穣をもたらす神覆い屋の左の柱に「正一位稲荷大明神」と。社殿の左奥に建つ「神楽殿」。神楽殿の扁額「神楽殿」。神楽殿の前は広い広場になっており盆踊り大会も開催されるようだ。社殿の左奥には境内社がある。社殿の右側に回り込む。奥に境内社の「宏福神」が鎮座している。石碑には、「子之社 大震災復興記念」と彫られているのであろうか。こちらの石塔には、「□□□菩供養塔」と。拝殿右側からも境内へ入れた。ここでも木が伐採されており、最近の倒木により被害を予測しての対応であろうか。その入口に「小園子之社東参道」とあった。拝殿前に立つ狛犬。神社駐車場入口の幟旗に、「”伊勢神宮のお神札”と”地元の神社のお神札”をおまつりしましょう 神奈川県神社庁相模中央支部」と。15:20小園子之社の参拝を終え帰路につくことに。当神社は綾瀬市で一番高い場所にあるので境内の樹々は市内から見えるのであろう。 ー continued ー
2026.08.02
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おぎん様の墓の近くにGoogleマップで「目久尻川日時計」があったので訪れた。7月18日(土) 14:20目久尻川日時計所在地:神奈川県綾瀬市小園バス道から家庭菜園の中を抜け目久尻川の遊歩道脇にあった。生憎の曇り空で主柱の陰がなかった。目久尻川の日時計この日時計は、目久尻川総合治水対策事情で綾瀬市内の完成を記念して造られました。日時計主柱が太陽に照らされ、その影の先端が十二支の辰、巳、午、未、絵と字を結んだ線上にきた時がその時刻です。 敷石のもみじの葉は綾瀬市の木です。 日時計主柱 玄武岩肥前六方石十二支にたとえた時刻は昔広く使用されていました。 辰(たつ) 8時 巳(み) 10時 午(うま) 12時 未(ひつじ) 14時上流側から見る。敷石のデザインは綾瀬市の市木である”もみじの葉”であると。また、日時計の主柱は、玄武岩肥前六方石であると。周りは家庭菜園で同年代の方が精を出しておられた。続いて訪れたのがバス道沿いにある、地蔵堂(東光山延命寺 寺小屋跡)所在地:神奈川県綾瀬市小園61-5相模国分寺の隠居の僧が住んだと伝えられています。約1200年前に建立されたものと思われます。現在の地蔵堂は昭和47年に老朽化改築されたものですと。向かい側にバス停があったが駐車スペースがなく道路脇へ駐車。バス道で交通量が多いので道路脇から撮影。バス道のカーブ地点に鎮座している。道路を挟んで地蔵堂前に広場があったがかつての境内であろうか。切り株が二本あった。相鉄バス停「小園団地入口(地蔵堂前)」。海老名駅まで運行している路線だが始発は?。地蔵堂地蔵堂の扁額「延命寺」。小園地蔵堂もとは東光山延命寺といい、相模国分寺の隠居寺と伝えられています。創建年代は不明ですが、室町時代から江戸時代のはじめ頃にはあったと考えられます。本尊は木造の地蔵菩薩坐像(市指定文化財)です。座高が17cmとやや小ぶりですが、着衣には14世紀ごろに流行した法衣垂下の技法が用いられるなど、巧みな技法で造られた仏像だと分かります。技法から、14世紀末から15世紀前半頃の作と考えられ、市内に残る中世の本格的な作例です。同じく堂内の涅槃釈迦如来像は江戸時代の作で、寝釈迦様と呼ばれ親しまれています。4月の釈迦の日前後には、無病息災を願う伝統行事である「花まつり」を開催しています。 令和六年三月 綾瀬市・綾瀬市教育委員会木造涅槃釈迦如来像狭いスペースであるがお堂の右側には祠、石塔群があった。お堂の右側の”子育て地蔵”はいぼとり地蔵としても知られ、祠の前の石でいぼをこするといぼが取れるのだと。いぼとり地蔵とこの石でいぼをこすると取れると。石塔群の前には「アヤセ 防火用水」がある。後方は歴代住職の墓石であったのか。一部が壊れた石塔もあったが。板碑には、「相模國分寺の末寺 東光山延命寺歴代住職之墓 墓地整備を記念して建之 昭和五十四年四月八日 延命寺崇敬者一同 平成十一年四月吉日この地に移す」とあった。地蔵堂前からバス道を見る。次の目的地はここから北西方向にある小園橋の「カッパ像」。小園橋近くの道路脇へ駐車。目久尻川沿いの遊歩道に立っていた案内板、「あやせ目久尻川歴史文化ゾーン ~ 歴史と自然にふれあい未来を発見! ~ 」。ここは「小園(こぞの)橋」です。渡辺崋山が書いた「游相(ゆうそう)日記」の図中にある橋がこの小園橋だと考えられています。「游相日記」では、厚木へ向かう崋山を皆が村境で見送ったと書かれています。また、国役を課して工事をしたことから国役(くにやく)橋ともいわれていました。【目久尻川】 座間市栗原に寒川神社の御厨(みくりや)があったので、「御厨尻(みくじり)川」と呼ん だのが目久尻川になったというものや、昔、かっぱが住み着き悪さをしたため、かっ ぱを捕らえて目をくじり取ったことから「目穿(めくじり)川」となり、それが転じて 目久尻川となったという説などがあります。(御厨:供物を準備するところ)神崎遺跡公園(5.7km)➨ 国指定史跡 神崎遺跡裏面に、あやせ目久尻川歴史文化ゾーン ~ 歴史と自然にふれあい未来を発見! ~あやせ目久尻川歴史文化ゾーンとは小園・早川・吉岡の約5kmを流れる目久尻川流域は、旧石器時代から現代に至る約4万年前の人々の生活の痕跡が凝縮されているとともに、日本の原風景を思い起こさせる田畑や斜面林などの景観が広がる地域です。綾瀬市では、この一帯の歴史文化財を「あやせ目久尻川歴史文化ゾーン」として、一体的に活用しています。そんな綾瀬の目久尻川流域の豊かな歴史文化、自然にふれあってみませんか。目久尻川流域マップ小園橋 現在地辺りをズームアップ。①小園子之社 ②小園地蔵堂 ③長泉寺 ④龍洞院 ⑤宮久保遺跡 ⑥五社神社⑦城山公園・早川城山遺跡 ⑧道場窪遺跡 ⑨神明社 ⑩済運寺 ⑪正福寺⑫蟹ヶ谷公園・吉岡遺跡群 ⑬神崎遺跡公園・神崎遺跡 目久尻川の上流側を望む。目久尻川に沿った遊歩道には川底が深いので安全柵が設けられている。東側からの水路流入路。少々疲れた案内板が。目久尻川サイクリングロード距離表示板ウォーキングの歩数と時間 (歩幅約70cm)上段(歩数):新武者寄橋 ⇆ 瀬端橋 ⇆ 丸山橋 ⇆ 虚空蔵橋 ⇆ 内藤橋 ⇆ 新橋 ⇆ 小園橋下段(所要時間)小園橋を下流側から。欄干に「小園橋」と。小園橋を渡り東側へ移動。小園橋昔は目久尻川改修前の位置に架けられ、国の費用で工事をしたので、国役橋と呼ばれていたようです。ここには浜田の駅からひさご塚に出て、俗に四十坂と呼ばれる急坂を下った古道が通っていました。 昭和六十三年三月 綾瀬市教育委員会カッパ像所在地:神奈川県綾瀬市小園111小園橋の東側に広場があり「カッパの像」が設けられている。二体のカッパどこか微笑ましい光景である小園橋から上流側の遊歩道は舗装されていなかった。サイクリングロードが小園橋までで、また海老名市との市境に位置している為であろうか。小園橋は目久尻川に架かる綾瀬市の最上流部の橋である。花壇に立てられていた。「ゴデチアの引き抜き窃盗の方へ 一級河川「目久尻川」遊歩道の花壇は、神奈川県厚木土木事務所東部センターの所管 です。県の許可をいただき、遊歩道の草取り・掃き掃除や花壇などのお世話を約30年 間、先代を含めると50年以上にわたり、ボランティアで行っております。 草花の苗は、種から育苗して、何か月も世話をしながら定植しております。四季折々 の花を見て、皆さん喜んでいらっしゃいます。タウンニュースや綾瀬市ホームページ あやせネットニュースにも、たびたび掲載されております。 したがって、家で楽しむならば、ご自分で種を購入して、種まき・育苗後、花壇に植 えてください。他の所有の花を引き抜いて植えても育ちません。また、その花を見て きれいだと思われますか?」と。モラルのない不届きな人がいるのだ、被害者のお願いの文面だが窃盗者は・・・。小園橋の上流側から。川底の深さは「4.8m」と深い。14:50古東海道所在地:神奈川県綾瀬市小園1371-6古東海道の登り口に相鉄バス停「小園」がある。古東海道の登り口に説明板が立っていた。この後この道を上って「小園子之社」へ参拝したが狭かった。古東海道小園橋付近から小園地区の北端にある赤坂に至る道で、矢倉沢往還へ抜ける為の古道です。古東海道であったという伝承や、古代の浜田駅(相模国)から店屋駅(武蔵国)に至る街道の一部であったという説もありますが、道幅や道路の造りから、街道につながる道だったと考えられます。江戸時代には、田原藩士の渡辺崋山が、小園に住むお銀さまを訪ねるさいに通った道ともいわれています。古道の入口には、中世石造物の残欠や宝暦六年(1756)・上小楚根村中の銘文が入った道祖神があります。赤坂には、不動尊像が乗っている「左江戸道柏谷村」と書かれた道標(年代不明・江戸時代と推定)や昭和期に建てられた道標があり、長年にわたって人々の生活を支える道だったと考えられます。 令和六年三月 綾瀬市・綾瀬市教育委員会 ー continued ー
2026.08.01
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