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スイスの旅八日目ラインの滝観光後、約50km先のチューリッヒのホテルへ向かう。平成26年7月27日(日) 17:08バスの後部座席から「Neuhausen am Rheinfall ZOLL Jestetten」ラインの滝近くのノイウハウゼン・アム・ラインファルから南下してイェシュテッテンへこの辺りはスイス国内。畑にはヒマワリが咲き乱れていたバスの後部座席から後方を撮影4号線のツォル通りこの辺りは道路を挟んで、スイスとドイツの国境にあたる道を挟んで線路(西)はスイス側、道路の右側はドイツ側道路を挟んで右側(東)の小麦畑はドイツ国内17:15スイスからドイツ国内へ入るがバスはスルー車内では添乗員の庄司さんが今回の旅についてのお礼等の挨拶 ①天気には恵まれなかったが ②参加者の協力により無事全日程を終了したことに感謝 ③また次回の旅もトラピックスをご利用下さい 等々 ドイツ国内の27号線へ入いり、振り返る国境を振り返るドイツのイェシュテッテン(Jestetten)へ向けて南下17:27この鉄道の駅は「???」、列車車体に「SBB CFF FFS」スイス国内に入ると道路は4号線に戻る(ドイツ国内は27号線)17:40チューリッヒ市内へ入りレストランへ17:45 ~ 19:10レストランでツアー最後の晩餐会。黒ビール 6.9 SFr.(約800円)をオーダービーフカレー風?とポテト19:10夕食を終えレストラン外へ出るレストラン前の、Wallisellenstrasse 通りに、トラムトラムの運転席は中央19:15バスに乗車してホテルへ向かう19:40ラディソンBLUエアポートホテルへ到着ホテルへ到着後、空港内のMIGROS(スーパー)で土産物を購入。一日の歩行数は、16,000歩でした。7月28日(月)スイスの旅九日目9:00ホテルのレストランで朝食をとる。10:14ホテルのチェックアウトをしてフロント前に集合10:50ホテルに隣接した、チューリッヒ国際空港へ移動、搭乗手続きへ11:20出国手続きをして搭乗ゲートへ向かう嫁さんと旅をすると土産が大変、出発前に最後の買い物12:02搭乗機は、13:00 発 Tokyo NRT LX-0160 便 搭乗ゲート E57 を確認 12:25チューリッヒ国際空港は工事中機内へ入るが、搭乗予定の4名が搭乗しなかったので4人の荷物を降ろすとのことで遅れる15:37一時間遅れの14時に離陸、日本への飛行時間は約11時間50分。長い旅が始まる。離陸後1時間半後に機内食の昼食20:23(現地時間)モンゴル上空7月29日(火)スイスの旅十日目6:20 (日本時間)ロシアのハバロフスク上空へ6:48機内食の朝食8:50チューリッヒでの出発は遅れたが、ほぼ予定の時間に成田空港へ到着ツアー仲間、添乗員の方にお礼を述べ空港外へ8:51J2パーキングへ連絡、愛車を配車願い自宅へ帰る昼間のため都内で渋滞していたが自宅へは、11時半に無事帰宅。今回のスイス旅行チューリッヒを発着に、左回り(反時計)でバス移動、途中2つの絶景列車に乗車。宿泊ホテルは連泊で自由時間もありゆっくりできたが、天気が今一でアルプス5大名峰はマッターホルンとユングフラウヨッホの2つのみが見れた。このため、2001年6月の写真も一部追加しました。参加者の中には昭和12年生まれの御夫妻が二組、5年生まれの元大学教授(男性1人旅)はスイスパスを利用して一部単独行動、また10年代生まれの女性1人旅の方もおられたが皆さん元気であった。再度、スイス旅行をしたいとの願いから 400 SFr. 残したが今回の旅の動線(エクセルで作成)この旅行をした時期ブログの作成をしておらず、新型コロナウイルスの影響で外出自粛となりブログネタが無くなったため、2014年の写真を取り出しこのブログをアップしました。今回のブログ作成で、資料等を取り出し思い出しながら4回目の旅を堪能しました。ブログを終了し、再度スイス旅行をのんびりとしたい心境になりましたが、連れ合いが???。スイス旅行の旅にお付き合い願いありがとうございました。 スイスの旅ー完
2020.09.20
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スイスの旅八日目世界遺産のザンクト・ガレンの散策後は、最後の観光地「ラインの滝」へ。平成26年7月27日(日) 15:00旧市街の建物の装飾や出窓を注目しながら散策し良かったが、出窓の配置図が欲しかった。今後は、事前配布を希望する一時間半のザンクト・ガレン観光を終える。最初バスを降りたときは小雨であったが途中から雨も上がりよかった散策前に、旧市街地の地図、出窓の配置図を配布されることを希望このマークは?15:05街角の噴水。このあとバスに乗車、ザンクト・ガレンを後にする15:37ザンクト・ガレンから北西方向の約120km先にある、ラインの滝へ向けて高速道路を走る15:57左前方はヒマワリ畑であった。バスの車窓から後方を見るバスの車窓から後方を見る。後方左方向にはドイツ、オーストリアとの国境にあるボーデン湖(Bodenーsee)がある16:02川はライン川堰か?道路脇に、日産・ベンツ車の広告版値段は、23,990 SFr.(約280万円)、ベンツは、34,900 SFr.(約408万円)16:06シャフハウゼンの町へ入るライン川の下流側16:15ラインの滝駐車場へ到着スイスのドイツ語圏にあるシャフハウゼン郊外には、全長約1,200キロメートルのライン川唯一の滝「ラインの滝」があります。実はヨーロッパには著名な瀑布は多くはなく、滝が大河で見られることは非常に貴重である。かつて詩人ゲーテもその景観を讃えたラインの滝。ヨーロッパ最大の水量が迫力ある景観と轟音を生み出す観光案内図下の駐車場から約一時間の自由時間で上流側(赤線)へ向かう落差は約23メートルと決して高くない滝は、150メートルもの横幅いっぱいに、毎秒約600立方メートルの水がしぶきと轟音と共に流れています。この水量は世界三大瀑布と比べても、数ポイント少ないだけなのです滝つぼに最も近づくなら遊覧船に乗船すること、南北両岸から便が出ているライン川沿いに上流へ進む有料の観光列車?雪解け水量がアップする5~6月が最も迫力あるが、滝の見学は通年可能下流の駐車場を望む、建物は南岸のボート乗り場水量が多く水しぶきが飛ぶ滝の真ん中にある岩へ登るコースのボート水しぶきの中船着場へ岩の上の展望台にはスイス国旗が立つ展望台をズームアップ。入場制限があるのか川岸では鴨が休憩対岸は、Schloss Laufen(ラウフェン城)ラインの滝の上に進む中央が展望台この展望台もいつかは!日夜連続の浸食により、岩の根元が浸食されいつかは崩れるのではないかと思いながら南側のボート乗り場の上に駐車場上流側に架線が立つ橋。人も通行できる橋なのか多くの観光客が歩いていた。橋の右側に、スイス国鉄の新駅「ノイハウゼン・ラインファル」ができた16:37列車車体に「SBB CFF FFS」Schaffhausen ⇔ Zurich の列車列車車体に「SBB CFF FFS」スイス国内にはスイス国鉄・私鉄の国内列車から国際長距離列車まで、様々な種別の列車が運行している。氷河特急などの特殊な列車を除けば、予約も追加料金も要らない列車が殆どである 電気機関車の車体にも「SBB CFF FFS」IC InterCity(インターシティ)はヨーロッパではおなじみの種別で、その名の通りの「都市間特急」としてスイスでは1982年に運行を開始した対岸の北側にある、Schloss Laufen(ラウフェン城)大きな水車滝の落差を利用した水力発電もあるのだが滝のそばは水しぶきと轟音がすごい滝の中央の展望台へ上る観光客川の水深が解らないが多くの人が次から次と登っているが、私は足元が震える滝があるため、かつて川を下り荷物を運んでいた船はここで止まり、一旦荷物を陸へ上げる必要があった。”陸揚げの町”、それがシャフハウゼンの始まりです。商人たちはここに家や倉庫を造り、町は発展していきました。その後、19世紀後半に滝の落差を利用した水力発電が開始され、町の工業化は推進されたと滝沿いのシャフハウゼンの民家ライン川の下流側を望む日本人は滝と言えば、山・渓谷にある高いところから落下を考えるが、ここラインの滝は平地にある滝でその迫力がない。世界三大瀑布のブラジルの「イグアスの滝」へ2009年に行ったがやはりスケールが違う南側のボート乗り場、レストラン17:00約45分の観光で、駐車場へ戻り振り返る17:03シャフハウゼンの街も、ザンクト・ガレンと同じように、出窓や壁画が美しい家、絶景スポット・円形城塞ムノートなど見所一杯の歴史ある素敵な町ですと、今後チューリッヒからも近いのでツアーに組み込まれるのではチューリッヒのホテルへ向かう。 スイスの旅-続く
2020.09.19
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スイスの旅八日目小雨の中、世界遺産ザンクト・ガレンの散策を続ける。平成26年7月27日(日) 14:00修道院の中庭から「大聖堂」旧市街の中心的存在で、1755~1768年に現在の大聖堂が建設された。観光客も無料で入れるので聖堂内へ入る大聖堂内に入ると目の前に、豪華絢爛なバロック様式の内装。バロック建築の傑作と称される大聖堂、豪華な装飾が施された内部は息をのむ美しさである。天井画や柱の彫刻など細かいところまでしっかりと装飾が施されていて大変見応えがある。中央に祭壇がある天井画は、ヨゼフ・ヴァネンマッハーが手掛けた。天井は美しいフレスコ画でうめつくされ、ザンクト・ガレンや修道院にとって大事な聖ガルスや旧約聖書を題材として、雲の層で分けながら華麗に描かれている天井画にも繊細な彫刻も真っ白な柱には淡いエメラルドグリーンの花飾り模様。ロココ様式の傑作といわれている壮麗なパイプオルガン中央に通る身廊真っ白な柱には淡いエメラルドグリーンの花飾り模様、繊細な木の彫刻大聖堂に隣接してある「修道院図書館」(写真はネットから)。時間の関係で、ツアーは内部へは入らずスルー。世界遺産に登録されている修道院地区が観光のハイライトで、特に旧市街のランドマークである大聖堂のほか、約16万冊の蔵書数を誇る修道院図書館は必見。1767年に建造されたバロック様式の装飾が見事な図書館のホールには思わず息を飲む14:11大聖堂を出、ガルス広場へ右側の出窓の下にユニークな彫刻ガルス広場周りの建物を追うおとぎの国のような建物が建ち並ぶガルス広場に立つ「聖ガルス像」別の角度から「聖ガルス像」出窓を見上げる噴水の上に聖ガルス像出窓のデザインもいろいろとガルス広場の近くにケーブルカー乗り場があったのだが旧市街にはヨーロッパらしい歴史ある建物が並び、中世時代にタイムスリップしたような気分を味わえる。また、可愛らしい雑貨屋さんやお菓子屋さんなども多くあるのでショッピングにも最適なエリアガルス広場の南東方向から修道院、右の尖塔二つは大聖堂屋根上の風見鶏の装飾聖ローレンツェン教会の尖塔を見上げるマリアをズームアップ聖ローレンツェン教会の尖塔がそびえる大聖堂を南側から望む、中央は大聖堂のファサード大聖堂のメインの入り口には彫刻の像聖ローレンツェン教会の尖塔を見上げる旧市街にはいろんな出窓もあったが、店先の装飾もいろなものが競い合うように楽器のデザインであるがカフェ店?ウイスキー、ビ―ル樽聖ローレンツェン教会のファサード旧市街を歩くと豪華な装飾や建物から突き出た出窓がある建物がたくさんある14:40マルクト広場が見える通りをかえ散策レストランが並ぶ建物の装飾や出窓を注目しながら散策し良かったが、出窓の配置図が欲しかった木組みの家と出窓荘厳な出窓窓を装飾で飾った家屋上には鉢植えの緑2、3階の出窓のデザインが異なるシンプルなデザインだが、花?出窓で有名なものは「ペリカンの家」「怪獣の家」の装飾の出窓だが見つけることは出来なかった通りで出窓が競い合う旧市街には装飾出窓をもつ中世からの家が多い。ガイドブックに写真が記載されていたが「???」旧市街一帯はかつて城塞に囲まれていたため、16~18世紀頃の古い民家が多数残っており、昔の富の象徴であった装飾出窓をもつ中世の家も多いザンクト・ガレン修道院指定地区の案内図ショッピングに最適な歩行者天国になるムルター(Multergasse)通り15:00マルクト広場へ戻る 台座には「VADIAN 1484-1551」この像はヨアヒム・ヴァンディアン(Joachim Vadian)でヒューマニスト、しかも医者であり学者であり、ザンクト・ガレンの市長であり、宗教改革を行った人物でもある スイスの旅-続く
2020.09.18
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スイスの旅八日目小雨の中、マイエンフェルトのハイジの里を約1時間の予定であったので足早に散策。ハイジの里の後は、世界遺産のザンクト・ガレンへ。平成26年7月27日(日) 10:38マイエンフェルトは、チューリッヒから鉄道で1時間ほどの『アルプスの少女ハイジ』の舞台となった街。ハイジの記念碑の泉やハイジたちの家を再現したハイジハウス、ハイジたちが冬に過ごした村のモデルとなったハイジドルフなどを散策するハイジの里ハイキングが人気『ハイジ』の舞台として知られるマイエンフェルト村を望むヤギの小屋ニワトリも放し飼い少年とヤギのモニュメントヤギの小屋子供たちもツアー仲間の方が一緒に記念撮影ハイジの家でお土産(蜂蜜、チョコレート)を購入紫陽花美味しそうなリンゴも雨に濡れ放牧された牛11:151時間強の散策でハイジの里を後にする車窓からのマイエンフェルト村小雨の中、村を通り抜ける11:29バスの後部座席から、マイエンフェルト村を見る11:47ザンクト・ガレンへの途中、サルガンス(Sargans)駅前のレストランで昼食。店内にピザを焼く大きな釜火は薪を燃やしメインは「チキン料理」で、白ワインを飲む 3 SFr. と安かった誰かが与えたパンをハトが追う12:34サルガンス(Sargans)駅二階建ての列車であろうか13:37ザンクト・ガレンの町へ到着。16万人の都市圏人口を抱える東部スイスの中心都市で、ザンクト・ガレン州の首都。町の歴史は古く、西暦612年にアイルランドの僧ガールスによって築かれた。以来、修道院を中心に町が発展し、現在では古きを伝える旧市街と、モダンな街並みが混然一体となって独自性の高い文化を築き上げている。チューリッヒから鉄道で約1時間10分で来れる13:50小雨の中を傘を指して進む。繊維産業が盛んで、テキスタイル分野では国際的にも重要な地位をしめているほか、酪農製品の集散地でもある。約一時間半のザンクト・ガレン観光へ修道院教区や14万冊もの資料が保管された修道院図書館は、1983年に世界遺産に登録されたマルクト広場 この像の台座には「VADIAN 1484-1551」ヨアヒム・ヴァンディアン(Joachim Vadian)でヒューマニスト、しかも医者であり学者であり、ザンクト・ガレンの市長であり、宗教改革を行った人物でもあるマルクト広場を振り返る。この広場から、修道院まで西にオーベラ-堀通り、東にブルク堀通りまで円形に広がる区域が旧市街。中央にメインストリーのマルクト通りマルクト広場から南に向かってマルクト通りを進む、前方に大聖堂が見えてくる。メインストリーになるのは修道院への参道であるマルクト通で、この界隈にはレストランやブテックが軒を連ね、観光客で賑わっている旧市街を歩くと、豪華な装飾や建物から突き出た出窓がある建物がたくさんある。これは繊維産業が発展し、街が賑わいを見せていた17~19世紀に暮らしていたお金持ちの貿易商たちの家々がそのまま残っている。出窓は当時の金持ちが競って造ったと「ベイ・バルコニー」と呼ばれる出窓は、旧市街になんと111個もあるとか旧市街地は、赤い石畳の道と美しいファサードを持つ家が立ち並び、中世情緒にあふれた町並みがつづいている聖ローレンツェン教会のファサード入り口は隣にある扉建物には出窓、大聖堂が近くなる歩いてきたマルクト通りを振り返るカラフルな屋根と聖ローレンツェン教会の尖塔屋根瓦もカラフルなデザイン右が大聖堂のメイン入り口大聖堂前から修道院を望む、中庭には芝生が敷きしめられ修道院の中庭から大聖堂2つの尖塔が印象的な大聖堂の上部を望む聖処女マリアの戴冠式彫刻には金も施されている修道院の中庭聖ローレンツェン教会の尖塔見飽きることのない家並みが続く建物のフレスコ画木組みの可愛らしい建物が多い同じような窓が続く家14:02古きを伝える旧市街と、モダンな街並みが混然一体となって独自性の高い文化を築き上げている スイスの旅-続く
2020.09.17
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スイスの旅八日目今日も曇り空だが、スイス最後の観光日。今日の移動距離はサン・モリッツから、マイエンフェルト約105km、ザンクトガレン約69km、途中ライン滝観光後、チューリッヒへ約120kmの計、約300kmのバス移動。今日の移動は黄色の線平成26年7月27日(日) 6:49宿泊ホテルは、サン・モリッツの街の西側に位置する。サン・モリッツで連泊すると無料乗車券(バス・ロープウェイ・ケーブル)がもらえる。雨が降っていなかったので、朝食前に朝散歩へ出かけるホテル向かい側の民家今日も山の頂は雲の中。サン・モリッツは年間90%は晴れというが今回は二日とも雨&曇りサン・モリッツ湖は坂が多い道路標識サン・モリッツの街の西側に位置する、Champfer 1825m雪解け水が流れる民家の中に教会宿泊ホテルの5つ星「ジャルディ-ノ マウンテン」サン・モリッツ湖の南側にあるベルニナ・アルプスの山頂も雲の中サン・モリッツ湖湖畔まで約4kmあるが湖方向へ行くことにサン・モリッツ湖昨日行ったベルニナ・アルプスは今日も雲の中サン・モリッツ湖7:00出発時間が8時のためこの辺りで戻ることに。湖畔の周りの花庭先に咲く花花の美しさから「アルプスの女王」と愛称される「エリンギウム・アルピナム」ズームアップ玄関先アザミアザミをズームアップサン・モリッツ湖湖畔アテネオリンピック(2004年)のマラソンで優勝した野口みずきもこの湖畔を走り合宿したワレモコウナデシコノコギリソウノコギリソウルピナスを追う嫁さん南の山の雲はまだ厚い装飾された窓7:08ホテルへ戻るホテルの食堂8時にホテルを出発約105キロ先の、ハイジの里として知られる「マイエンフェルト」へサン・モリッツ湖湖畔を走りサン・モリッツ湖から西方向へ走り山間部へ絶景なのだが、雲が下がり8:23Julierpass(2284m)、この先から北上峠を下り集落へ8:55集落の周りに牧草地が広がるのどかな風景である教会が建つ9:26高速道路を走り、対向車線の標識Thusis:7km、St.Moritz:67km、西方向の、San Bernardino:51km、Lugano:125km9:32Zurich:136km、St.Gallen(ザンクト・ガレン):118km、Chur:16km10:00マイエンフェルトへ到着。ハイジを記念して造られた「ハイジの泉」ここも1999年依頼、二度目の訪問日本語で「本日はご来店いただき有り難うございました。ぜひ又お越しください」 heidihof雨に濡れたリンゴ洋ナシ?日本人学生の集団ハイジ・ファンが多い日本人女性旅行者はじめ多くの人々がハイキングに訪れるマイエンフェルトは、バート・ラガッツ(モダンで洗練された温泉リゾート)の東約3km、ライン川を挟んだ対岸にある人口約1,600人の小さな村で、1880年に発表されたスイス人女性作家ヨハンナ・シュピリの名作『ハイジ Heidi』の舞台として有名。美しい山々に囲まれ、村の周辺には牧草地とぶどう畑が広がっている10:35ハイジの牧場入り口 スイスの旅-続く
2020.09.16
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スイスの旅七日目。ディアボレッツァ展望台を続けて散策。平成26年7月26日(土) 12:16頂上のホテル、レストランで昼食をとるスイスの旅で雪は初めて、雪の中で記念写真右側の谷は先程行ったモルテラッチ氷河。尾根を挟んで中央にディアボレッツァ展望台。ロープウェイでのぼりスキー場が広がるスズキも世界戦略でこのような場所でも宣伝展望台頂上駅内にてロープウェイを待つ、雪の中からゴンドラが現われるこのステージは、天気がよければビューポイントであるのでは13時のロープウェイに乗り下山雪の中湖が見える氷河色の湖、天気が良いとよりコバルトブルーに125人乗りの大型ゴンドラで約10分で麓へ下りるロープウェイから左前方に、白い湖のラーゴ・ビアンコ(Lago Bianco 2234m)、手前に黒い湖のレイ・ネイル(Lei Nair 2223m)が見えるベルニナ特急路線が見える牧草地には牛が13:15ロープウェイの麓駅周りに咲く雲の中から125人乗りのゴンドラが下って来る麓は雨だが展望台は雪まだ雨の、Diavolezza(ディアボレッツァ)駅正面の坂の上にロープウェイ乗り場、踏切の左側には駐車場がありツアーバスはここまでくるサン・モリッツ行きが入線13時25分発のサン・モリッツ行きに乗車13:30隣駅の、無人駅 Bernina Suot を通過車窓から、サン・モリッツ駅方面車窓からのモルテラッチ氷河13:35Morteratsch(モルテラッチ)駅手前のこの辺りは、鉄撮りの人気ポイントである。路線が曲がり、前方にモルテラッチ氷河が入り鉄道とのコラボが良いため、いつもカメラマンが群がっていると13:43氷河の溶け水は白濁した川となり、スイス人はこれをグレッチャー・ミルヒ(氷河のミルク)と呼んでいる14:08サンモリッツ駅へ到着。この後は自由時間となり、希望者はオプショナルツアー『ムオタスムラーシュ展望台と湖畔レストランディナー』 @\12,000 へ。我々は自由行動とし、添乗員から無料周遊券(ケーブルカー、ロープウェイに乗り放題)をもらい、雨の中ピッツ・ナイル(Piz Nail)へ3夫婦で行くことにする有名ブランド店が軒を連ねる、サーラス通り。サン・モリッツ駅から歩いて、途中サーラス通りを抜けケーブルカー乗り場へ向かう。この通りにはチョコレート店もあり土産で購入した14:31ドルフ地区ピッツ・ナイル展望台へ上るケーブルカー乗り場近くの学校広場を中心に、湖の傾斜地を利用して東西横長に広がっている。町はリゾート色が強く、観光的な見どころは少ないサン・モリッツは、年間9割が晴れると言われ、世界的に有名な高級スキーリゾートで1928年、1948年の2回にわたり冬季オリンピックが開催され、すばらしいスキー場とホテルが揃っている。また、スイスのお金持ちたちの別荘地としてもつとに有名で、夏や冬には思い思いに着飾った別荘族が町にあふれかえる14:39サン・モリッツ麓駅 標高 1846mサン・モリッツの中心であるcoopのある学校広場のすぐ裏手のケーブルカー乗り場から片道約40分程。麓の矢印から頂上の矢印まで無料周遊券を使用して上る。最終便は16:0014:55コルビリア(Corviglia) 標高2486m麓駅からチャンタレーラ(Chantarella)で乗り換え、コルビリア(Corviglia)までくる。ここでロープウェイに乗り換え終点まで上る空は曇り空で山の上が晴れることは期待できず、ロープウェイ乗り場へ山頂へのロープウェイの時刻表、上りの最終便は16:2014:57ロープウェイに乗車係員の背中には、piz nail 3057m頂上駅が見えて来る15:15ピッツ・ナイル頂上駅 標高3057mピッツ・ナイルはスイス東南部、エンガディン地方、サン・モリッツ付近の山。「ピッツ・ナイル」とはロマンシュ語で「黒い峰」を意味し、サン・モリッツのハウスマウンテンと呼ばれる。麓のサン・モリッツからケーブルカーとロープウェイを乗り継いで山頂駅まで約40分で上がることができる。山頂からベルニナ・アルプスの景観が広がり、天気の良い日はモンテローザやマッターホルンを望むこともできる。現在地は黄色の矢印山頂駅付近にアルプスに生息する野生の山羊、マウンテン・ゴートの彫像がたつこのマウンテン・ゴートの像は、ピッツ・ナイルのシンボル。運がよければ実物の野生マウンテン・ゴートも見かけるかもしれない各方面への所要時間以前1999年に来た時は山頂駅周辺にはお花畑が広がっていたが、マウンテンバイク?のコースになり様変わりしていたと(妻曰く)。岩場に咲いていた高山植物この写真は昔?15:21雨も降っており、花も無いので山頂駅から下ることにロープウェイの最終便は16:5016:00ロープウェイで雲の中を下り、この場所(赤の矢印)はケーブルカー乗り換え場所のコルビリア(Corviglia) 標高 2486mバーベキューをしている写真があったが16:05ケーブルカーに乗り換え下山。この辺りはハイキングコースになっており高山植物が見れるのだが雨が降っておりあきらめるケーブルカーからサン・モリッツ湖を見下ろす16:20ケーブルカー乗り場近くのcoopへ立ち寄りショッピング。今夜の夕食も各自でとる必要があるので、3夫婦で宴会をすることに。そのためcoopへ立ち寄りワイン、つまみ、パンを購入、64.9 SFr.と安かった17:10ショッピング後、バスへ乗るためサン・モリッツ駅へ戻る。サン・モリッツの町は、湖からの急な傾斜地を利用して町が階段状に造られており、駅は一番低いところにある。このため帰りは息ゼエゼエの上り坂になるので要注意と17:27バスに乗車してホテルへ戻る17:30ホテル近くのバス停留所まだ雨が降る中ホテルへ到着。このあと、我々の部屋で3夫婦合同で夕食を兼ね宴会をすることに18:00 ~ 22:00 懇親会スイスの旅も後一日になり、日本から持参したソーメンを作り食べ、酒を飲みながらこれまでの旅の感想を述べあいながら盛り上がった。Tさんご夫妻は東広島市から、Sさんご夫妻は磐田市から参加されたと。Sさんの奥さんは左腕を骨折、養生をしての参加であったので旦那さんの親切さが伝わってきた。今日も一日小雨であったが無事日程も終了。歩行数は、18,500歩でした。 スイスの旅-続く
2020.09.15
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スイスの旅七日目、スイス観光も今日を含め後二日になる。今日も朝から雨模様で一日天気は悪いとの予報。ツアーは「モルテラッチ氷河」「ディアボレッツァ展望台」、午後は自由時間orOPツアー。平成26年7月26日(土) 7:05宿泊ホテルの「ジャルディーノマウンテン」ホテルの周りの山にも雲がたちこめ小雨が降っていたので朝散歩はせず、ホテル内で朝食をとり集合時間を待つ。サン・モリッツ駅から約3kmに位置するホテルホテル内の廊下、集合時間の7:50 にロビーへ集合7:50に集合、バスでサン・モリッツ駅へ向かう8:34サン・モリッツ駅クール駅より至るアルブラ線の南端駅であり、この区間では1時間おきの列車運行となっている。また同様にサン・モリッツ駅からイタリアのティラノ(Tirano)駅へ至る、ベルニナ線も1時間おきの運行となっている。またサン・モリッツ駅駅は日本の「箱根登山鉄道」と姉妹鉄道となっているレーティッシュ鉄道ベルニナ線を利用。イタリアのティラノ(Tirano)行き、8:45 に乗車添乗員の庄司さんが車掌と確認このシートは?Reserviert/Riservato/ReservedMiki Travel HLC-6549 1.KI 2.KISt.Moritz ー Morteratsch 31 31名?ベルニナ特急の路線図黄色線が昨夕のティーフェンカステル(Tiefencastel)からサン・モリッツ。今日の移動は赤線のサン・モリッツから南東方向のディアボレッツァ(Diavolezza)へ2等車に乗車、先程の洒落た車掌が検札に、イタリア人か?次は目的地の「Morteratsch(モルテラッチ)駅」。この駅は無人駅で、列車は車内のボタンを押さないと通過する9:11雨の「Morteratsch(モルテラッチ)駅」へ到着旅行ガイドによると、モルテラッチは「チーズ作りの里」だと無人駅の、Morteratsch(モルテラッチ)駅サン・モリッツ方向を振り返る。雨具&傘を用意して「モルテラッチ氷河」へこの辺りにはキャンプ場があり、周辺はハイキングコースの一部になっているロケーション。Morteratsch(モルテラッチ)駅は標高1,896mにある各方面への道案内氷河へは駅から踏切を渡り南方向へVadret da Morteratsch(モルテラッチ氷河?)50 min.9:27モルテラッチ駅を振り返る。白い建物は、モルテラッチ駅前のホテルで、チーズ工房はこの裏手にある。この工房は、伝統的な手法でチーズを作っている工房、アルプ・シャウケセライ(Alp Schaukaserei)。ここで作られているチーズは4種類、計り売りもあり、併設のカフェではさまざまなチーズを味わうことができる。残念ながら今回は、「モルテラッチ氷河」観光であったので・・・・・。雨が降っていたのでツアー仲間で行った人がいたか?雨の中傘を指して進む道路脇で咲いていた「エリンギウム・アルピナム」重要保護指定種で、その美しさから「アルプスの女王」と愛称されている10:00氷河は後退しており、道路脇には年代の氷河の位置が記されていた曇り空の中「モルテラッチ氷河」が見えてきた。モルテラッチ氷河は、標高4,049mのピッツ・ベルニナから続く谷筋を覆うグラウビュンデン州最大の氷河で手が届くほどに迫る氷河からの雪解け水氷河の位置は崖上まで後退、右側に一部氷河が残るその氷河の最先端部分、氷河独特のブルー系の色を見せている。氷河は時々崩れ落ちるので近くへは立入り禁止に赤い点があるが年代ごとの氷河位置か? 7 JAHRE SPATER 2014右下には「11.juli 2014」とドイツ語で多くの観光客が写っているこの赤の線は?10:15氷河から流れ出る川、赤い旗は立入禁止区域。ここで引返すことに晴れた日のモルテラッチ氷河(写真はネットから、前年の2013.9)あれから6年現在の氷河はまだ後退しているのでは帰り道の、キンポウゲ科の花岩場に咲いていたが雨が降っているので早々に駅へ10:41この標識は?10:44ベルニナ特急のティラノ(Tirano)方向アルプスの山間を縫うように走る。特に2008年に世界文化遺産に認定された、サン・モリッツ~ティラーノ間の美観地区に広がる車窓風景は一瞬たりとも見逃せない。10:56Morteratsch(モルテラッチ)駅ベルニナ特急はクールまたはダヴォスからイタリアの町ティラーノを結ぶ路線。2時間20分で標高差1,812mを一気に下るため、飽きることなく景色の移り変わりが楽しめる。迫力のある景観と気軽に乗れる距離ということもあり、急速に人気が高まった次の11:13発のティラーノ行きに乗車してふたつ先の「Diavolezza(ディアボレッツァ)」へ定時時間にティラーノ行きが入線11:23Diavolezza(ディアボレッツァ)へ到着。乗ってきたティラーノ行きを見送る11:25Diavolezza(ディアボレッツァ)駅前からロープウェイへ乗車標高2093m → 2978m の、ディアボレッツァ展望台へ右の矢印が先程行った「モルテラッチ氷河」黄色の矢印はこれから上る「ディアボレッツァ展望台」ロープウェイからベルニナ鉄道を見下ろす。ベルニナ鉄道はまだ右方向へ上り標高2,253mの「オスピチオ・ベルニナ」へロープウェイから左前方に、白い湖のラーゴ・ビアンコ(Lago Bianco 2234m)、手前に黒い湖のレイ・ネイル(Lei Nair 2223m)11:56ディアボレッツァ展望台下は雨であったが、標高2,973mの展望台は雪であった展望台の前には、ペルス氷河(Vadret Pers)。この流れはすぐにモルテラッチュ氷河(Vadres Morteratsch)に合流する天気が良ければ眼下に氷河、眼前にピッツ・ベルニナ(4,049m)が迫るのだが観光案内板にも雪12:10山頂には山小屋風のホテルとレストラン、土産物店がある天気が良ければこのような光景がみれたのであろうが(ネットから)。左端からベラヴィスタ(Bellavista 3922m)、その右の中央が主峰ピッツ・ベルニナ(Piz Bernina 4049m)、更に右にピッツ・モルテラッチュ(Piz Morteratsch 3751m)。手前に、ペルス氷河(Vadret Pers)レストランメニュー昼食は、山頂のレストラン内で各自でとる スイスの旅-続く
2020.09.14
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スイスの旅六日目。フルカ峠を越えて、アンデルマット(Andermatt)からサン・モリッツ(St.Moritz)へ向かう。平成26年7月25日(金) 13:57昼食をするために、アンデルマット方面へ向かう14:07ここを右折して、アンデルマット駅近くのレストランへ。アンデルマットは氷河特急とゴッタルド線の路線が交差する、教会を中心とした素朴な町で交通の要所として栄えた宿場町14:10 ~ 15:00昼食は、ソーセージ料理で、ビール 4.5 SFr. を頂く。ソーセージとジャガイモの揚げ物15:02昼食を終え、オーベラルプパス(Oberalppass)、クール(Chur)方面へ向かうアンデルマットから山を上り、右下に、アンデルマットの東側の高所にある「ネッチェン(Natschen)駅」ネッチェンへ下る、山並みは3000mを超える山だが山名は?道路脇の斜面では牧草を刈り取り道路は19号線(ガッサ)で道路脇をRhB鉄道が走り、オーベラルプ湖(Oberalpsee)には釣り人がいた。湖の向こう側に「オーベラルプパス(Oberalppass)駅」があり氷河特急の最高所で、標高2,033mにある駅である15:16オーベラルプパス(Oberalppass)駅を過ぎると、スイス料理のレストラン「PIZ CALMOT」。レストランの壁面に、Oberalppass 2,048m山の斜面には放牧の牛山には残雪が残る養蜂家の巣箱15:4519号線(ガッサ)を東へ走り、道路脇に立つ教会を車窓から山の斜面の集落にも教会が建つ牧歌的な風景である16:25道路標識は、東方向に:クール(Chur)、フリムス(Flims)、 南北に:ラア(Laax)(Cons、Salums)東方向に:クール(Chur)、ライヒェナウ(Reichenau)、右方向に、フリムス(Flims)バスは高速道路の19号線を直進16:38正面の街並みはライヒェナウ(Reichenau)。ライヒェナウは二つの川の合流地点。スイスアルプスから流れ出すライン川の2つの源流が1本の川になるポイント。氷河特急から流れがぶつかり小さな渦をつくる様子も見られる。バスはこの先を左折して、トゥージス(Thusis)方面へ南下するトゥージス(Thusis)方面へ南下バスは鉄道にそって南下する道路標識は、トゥージス(Thusis) 15km、サン・モリッツ(St.Moritz) 75km トゥージスから東へ進み、道路沿いに鉄道の石橋バスのゴール、ティーフェンカステル(Tiefencastel)は直進17:05ティーフェンカステル(Tiefencastel)へ到着。ツェルマット近くのテーシュ駅を9:15に出発、サースフェーの観光後フルカ峠越えの約290km、約8時間のバス旅でした。優先席からの車窓を楽しんだバス旅であったサン・モリッツ(St.Moritz)への進行方向。この駅はスイスの一回目の旅で、ツェルマットからサンモリッツまで氷河特急へ乗車したときここを通過したのだが・・・・・旅行スケジュールでは、乗車する列車は16:47 発であったが到着が遅れたので、列車を変更、17:47 発 Regio Express RE-1153 St.Moritz へ出発まで時間があり駅周りを散策ガソリンスタンドにはコンビニも併設。ガソリンの販売はself で軽油の方が高い、また日本(165円)より30%高い215円/ℓティーフェンカステル駅近くの教会17:35逆方向のベルニナ特急クール(Chur)行き列車が20分遅れで入線。運転手は女性であった17:50我々が乗車する、サン・モリッツ行きはほぼ定時に到着。運転手は男性車両は指定の2等車に乗り、列車からのティーフェンカステル村。この町にはホテルが一つで、他にキャンプ場があるとトゥージス ~ サン・モリッツを結ぶアルブラ線の路線とその景観は世界遺産に認定されている移動が自由なので外の素晴らしい景観に歓声列車の中を動き回り進行方向の左側右側と18:01氷河特急名物の「ランドヴァッサー橋(Landwasser Bridge)」へ。氷河特急はマッターホルン・ゴッタルド鉄道とレーティッシュ鉄道というスイスの私鉄2社が、ツェルマット駅とサン・モリッツ駅の間で1930年から運行している今回の旅のパンフレットには「2つの絶景列車の旅」のタイトルがありその内の一つ。ランドヴァッサー橋は、5本の柱に支えられた石橋で長さ135m、高さ65mサン・モリッツ方面に向かう車窓からは、列車が橋の上をゆっくりカーブを描いてランドヴァッサー・トンネルへ入って行く様子が眺められる。進行方向右側の席がオススメアルブラ線の敷設と一緒につくられた橋で、1901~1902年に建設。険しい岩崖の間、ほとんど足場のないところでつくられたこの石橋は、2009年にはじめて修復工事をするまで、106年の間、ずっと補修することもなく現役で活躍してきたという鉄道建築の傑作後方車輛を振り返るランドヴァッサー・トンネルはループトンネルであるこの辺りはループしながら標高を下げる、前方にも石橋。氷河特急は4大特急の中で1番走行距離が長く、7つの谷、291の橋、91のトンネルを約8時間かけて通る路線で、世界一遅い特急列車18:05フイリズール(Filisur)駅。ダヴォス(Davos)方面への分岐点である。またこの駅で下車して、川のたもとからランドヴァッサー橋を見上げて撮影する人もいる18:55サン・モリッツ駅へ到着。ティーフェンカステル駅から約1時間の列車旅でした。サン・モリッツは、箱根登山鉄道株式会社と姉妹鉄道サン・モリッツ駅前夕食は駅近くの市内のレストランで今回の旅も終盤になる20:53ここのホテルへも2連泊今日はバス席が優先席で、バスからの車窓を楽しんだ一日であった。また一日晴天にはならなかったが、雨が降らず、今日の歩行数は、10,000歩であった。 スイスの旅-続く
2020.09.13
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スイスの旅六日目フルカ峠(Furka Pass)は、ヴァレー州のグレッチュとウーリ州のレアルプとを結ぶ、スイス・アルプスの高所にある峠。標識の標高2,436m(スイス国土地理院発表は2429m)で、ジームズ・ボンド映画の『ゴールドフィンガー』の舞台の一つとなった。平成26年7月25日(金) 12:46前方にフルカ峠があり、道路脇をフルカ山岳蒸気鉄道が走るグレッチ(Gletsch)からのフルカ峠。フルカ山岳蒸気鉄道のグレッチ駅があり、標高1762m。ここから坂道になり、九十九折の坂道を上り、フルカ峠へと進む。かつて100年前まではここまでローヌ氷河があったとグレッチ(Gletsch)を見下ろす。ローヌ渓谷を流れるローヌ川で、ローヌ氷河から流れ出る氷河の溶け水は白濁した川となる。スイス人はこれをグレッチャー・ミルヒ(氷河のミルク)と呼んでいるフルカ峠の山並みの左下がローヌ氷河だが、現在は谷に氷河はない地球温暖化で、氷河は一年に約30m ~ 40m程後退しているとバスの車窓からフルカ峠手前にあるホテルを望む急斜面に180度のカーブが連続するが、こちら側(西側)の道幅は広い急斜面に道があるため、Uターン部分(180度)は人工的に広げている山の斜面の黄色〇部分が、ホテル登山道にフルカ山岳蒸気鉄道の踏切フルカ山岳蒸気鉄道は、レアルプとオーバーヴァルトの区間を路線に持つ鉄道会社である。 標高2431mのフルカ峠を越え、ローヌ氷河の近くを通過する。 ツェルマットとサン・モリッツを結ぶグレッシャー・エクスプレスが同じルートを通っていたが、フルカベーストンネルの完成により廃線になった夏期のみの特別体験として人気の登山鉄道(写真はネットから)廃線後、この歴史ある絶景路線をあきらめられない鉄道ファンが多く、翌年にはすぐボランティアによる活動がスタート。その旧路線を修復し、電化することなく、各国に売却されていた蒸気機関車を買い戻し・整備して「フルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke(DFB)」として幻の路線を復活させました。 2000年にまずレアルプとグレッチ間が開通。続けて現在の氷河特急も走るオーバーヴァルトまで延長し、2010年からはレアルプ駅=オーバーヴァルト駅間の旧路線の全線が開通した上ってきた道を振り返る、中央の山への坂道はインターラーケン方面自転車で越える若者左が登ってきたフルカ峠への道、右側の坂道はインターラーケン方面。ローヌ渓谷のグレッチ(Gletsch)を見下ろすフルカ山岳蒸気鉄道のグレッチ(Gletsch)駅、ここから急斜面になる北西方向、ユングフラウヨッホの山々があるが、山の形で山の名が解らず残念だが、アイガー、メンヒ、ユングフラウの三名峰が見えているのでは登って来た道を振り返る。南西方向、天気が良いとドーム、マッターホルン、モンブランが見えるのだろう。白い線の道路の下をフルカ山岳蒸気鉄道の線路が見える山の中腹に、ベルヴェデーレホテルが見え、左側にローヌ氷河がある登って来た道を見下ろす(車窓から)。道路の下に、フルカ山岳蒸気鉄道の線路も見える。フルカ山岳蒸気鉄道は、かつては2160mの高所を全長1.874kmの旧フルカトンネルで抜けていた。その前後は最大勾配110パーミルのアプト式、しかも冬季は豪雪地帯ゆえ雪崩の被害を避けるために鉄橋を取り外すほどで、半年以上にわたり運休を余儀なくされる難所であった13:10フルカ峠手前の展望台へ立ち寄りトイレ休憩。この奥にあるローヌ氷河には、グロット(氷河の洞窟)で、ローヌ氷河内部の見学ができる。トイレ休憩のみで見学の時間がなくスルー19世紀末に創業の「ホテル・ベルヴェデーレ」。ベルヴェデーレとは「美しい眺め」という意味で、かつては氷河が眼前に広がっていたと駐車場からローヌ渓谷を見下ろす駐車場から見下ろすと、マーモットがいたズームアップして追いかける北西方向の、ユングフラウヨッホの山々が見える私の高度計は、標高 2,220m を指していた駐車場の裏山駐車場の上から雪解け水。フルカ峠は分水嶺になっており、この辺り(西側)の水はローヌ川となりスイス最大の湖であるレマン湖に流れフランスを経て地中海へと流れる。東側はロイス川となりライン川と合流する約15分のトイレ休憩で「ホテル・ベルヴェデーレ」を出発。13:21フルカ峠の下を新トンネル(16km)が開通して以来、それまで峠越えに2時間を要していたが約20分で通過できるようになったフルカ峠は、冬季は閉鎖しており、開通は6 ~ 10月初旬13:23フルカ峠を越え東側へ。東側の道は狭くなる、またフルカ峠が分水嶺のため、この辺りの水はロイス川となりライン川と合流してドイツを経て北海へと流れる道が狭く、ガードレールも無いので怖いアンデルマット(Andermatt)側のレストランアンデルマット(Andermatt)への道ツーリングも多いコースこの雪解け水はロイス川となり、ライン川と合流してドイツを経て北海へと流れる山の斜面には高山植物が咲き乱れる13:30渓谷をフルカ山岳蒸気鉄道が走る。かつては、“氷河(グレッシャー)”という名前の由来でもある、ローヌ氷河の眼前を通るフルカ峠越えルートを走行していましたが、1982年から新たに開通したフルカトンネルを通るルートに変更され、その旧路線は廃線となったズームアップ廃線後ボランティアの努力により、2000年にまずレアルプとグレッチ間が開通、2010年からはレアルプ駅=オーバーヴァルト駅間の旧路線の全線が開通し、夏期(6月下旬~10月上旬)のみの特別体験として人気の登山鉄道が走っているネットからSLの写真道路脇の斜面に小さな教会が建ち、ルピナスが咲く放牧されている牛、山には残雪が残る車中からレアルプ(Realp)を見下ろす道路が狭いのでツーリングのバイクは止まり、バスに譲る13:40レアルプ(Realp)の街並み、手前にレアルプ駅1982年に開通した「フルカベーストンネル(15.442km)」の出口標高1546mにある、レアルプ駅ライン川へ流れるロイス川鉄道は、ツェルマットとサン・モリッツを結ぶ、マッターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB)でスイス一回目の1999年7月に氷河特急で通過した路線である。この辺りは平地であるので、線路の中にラックレイルが無い13:53マッターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB) スイスの旅ー続く
2020.09.12
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スイスの旅六日目引き続きサースフェーの街を散策。サースフェーの位置は、ツェルマットとスイス国内最高峰のドーム(4545m)を挟んで位置しており、Stalden から南下した奥にある村平成26年7月25日(金) 10:20メインストリーにはホテル、レストランが立ち並ぶサースフェーは観光だけなら数時間で充分だが、長期滞在したくなる村であると。隣村にツェルマットがあるので隠れた観光地となっているカラマツを切り抜いて植栽に使用展望台へと進む10:26サースフェーの南の展望台から、左から、アラリンホルン(4027m)、アルプフーベル(4206m)は雲に隠れ、右にテッシュホルン(4491m)、ドーム(4545m)は雲の中。この上からは、南西方向にマッターホルンが眺望できる左のアラリンホルンからの雪解け水が糸を描くフェ―氷河が迫る、右上にテッシュホルン(4491m)カメラを東方向へ振るスイス国内最高峰のドーム(4545m)は雲の中北方向を振り返る。谷の下を、Fee Vispa 川が流れるシュターデル(穀物倉庫とネズミ返し)車は電気自動車、観光用のトレイン10:42駐車場から駐車場からのアルプフーベル、テッシュホルンは雲に隠れ駐車場そばの民家もネズミ返し11:00駐車場から東方向の山は厚い雪に覆われていた。この山は、Fletschhorn(3993m)か?頂上付近に人影がありズームアップ人の集団で十字架が建つ11:12約1時間のサースフェー観光で後にする。渓谷の道路脇に設備があるが、サースフェー村の下水処理設備であろうかバスの車窓から設備を追う狭い渓谷の道を走る。今日は優先席で最前列に席サース谷(saastal)を北上する渓谷の斜面に建つ村の教会岩盤をくりぬいたトンネル11:20車窓からの絶景を楽しむが怖い山の斜面にブドウ畑、右上には教会も建ち、山には残雪、この辺りの山も4000m級11:23サース谷(saastal)からツェルマットへの道と合流、北上してフィスプ(Visp)方面へ進むBVZ登山鉄道11:31東方向のフルカ越えで約240km先のティーフェンカステルへ向かうフィスプ(Visp)の町鉄道の陸橋、渓谷の下はローヌ(ロッテン)川山の中腹を登山鉄道、民家があるが何を生計に急な斜面を登山鉄道が走る高速道路を走り、フルカ(Furka)峠方面へ11:45道路案内板の緑色は高速道路か、E62 9号線、シンプロン(Simplon)トンエル経由でイタリアのドモドッソラ(Domdossola)、ミラノ(Milano)方面へ。イタリアとの国境も近い11:58高速道路から一般道を走り、フルカ峠へ向かう、前方は登山鉄道渓谷を東へ進む12:14道路沿いに登山鉄道が走り、前方に列車。氷河特急が走る路線である畑の中に教会が建つフルカまで、5km、前方の山を越えるのか道路沿いに教会が建つまた別の教会が建つ。バスで走り10分間の間に三つも教会があったが12:35道路のフルカ・オーバーヴァルト線(Furka・Oberwald)はフルカトンネルを通ることにより峠をバイパスしている。このトンネルは、標高2,100mの高所にあった旧トンネルを置き換える目的で建設され、1982年に開通した。ツアーは峠越えの道を行く前方にフルカ峠の九十九折の道が見える12:43登山鉄道はトンネルへ、バスはこの辺りから九十九折になる スイスの旅-続く
2020.09.11
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スイスの旅六日目。この日はバスと列車を利用してサンモリッツへ。今日の移動距離は、サースフェー約50km、ティーフェンカステル約240kmの、計290kmをバス移動。この後、レーティッシュ鉄道アルブラ線でサンモリッツへ平成26年7月25日(金) 5:34朝5時半に起床すると部屋からマッターホルンが見え、空にも雲が無く朝焼けが期待6:02しばらく部屋で待機し、6時頃から朝焼けが始まるカメラ三台で撮影ズームアップ6:11朝焼けがマッターホルン全体に6:15朝焼けが終了7:00ホテル内で朝食をとる宿泊ホテルは「アルバナ・レアル」で、ホテル内には日本料理の「富士」があるホテル内に飾られていた絵シュヴァルツ湖畔に建つ小さな礼拝堂7:23朝食を終え外へ出て、マッターフィスパ川に架かる橋の上から望む。この橋は通称「日本人橋」と呼ばれる、朝焼けのマッターホルンを望むベストスポットマッターホルン北壁(右側)には氷河ズームアップするが、これが見納めになるかカトリック教会、右手前に墓地7:55もう二度と見ないマッターホルン。出発時間が近くなりホテルへ戻る8:058時にホテルを出発してバーンホフ通りを歩き、ツェルマット駅へ向かう清掃車が走るメインストリートのバーンホフ通り8:15ツェルマット駅トランク・荷物はホテルの電気自動車で運んでくれたツェルマット駅 8:40 発の列車で隣のテーシュ駅へ移動。ツアー仲間の女性3人組と9:03テーシュ駅へ到着。ツェルマットへはガソリン車は乗り入れ禁止のためバスはここで待機9:12最初の目的地「サースフェー(Saas Fee)」へ向けて出発。今日のバス席は優先席で最前列、写真撮影には最高席前方をMG鉄道の列車が走っている列車のスピードが遅いので追いつく。氷河特急か?スイスを代表する山岳鉄道がこの氷河特急。スイスの2大アルペンリゾートであるサンモリッツからツェルマットまでをつなぐ山岳地帯をのんびりと走る。オーバーアルプ峠やいくつものトンネル、橋など、スイス中心部の大パノラマを満喫できるスイス一回目(1999年7月)の時乗車したが、のんびりと走る列車であった。所要時間8時間の長旅9:30サースフェーはツェルマットから北上し、フィスプ(Visp)手前のスタルデン(Stalden)で南下10:00サースフェー(Saas Fee)へ到着。この村は排気ガスを排出する乗り物の乗り入れが禁止されているので、手前の駐車場で下車。ドーム山をはじめ4000m級の山と氷河に囲まれた美しい村で、フェ―氷河が迫るアルプスの真珠。バス前方左側に、尖ったアラリンホルン(4027m)標高1800mにあるサースフェー(Saas Fee)は、ツェルマットよりもより素朴で、かつこじんまりした印象の村。2010年夏にはサッカー日本代表が、南アフリカへ向かう前の直前合宿を行った村として知られる。サースフェーはツェルマットのあるマッター谷と途中で分岐したサース谷(saastal)の奥にある村。スイス国内最高峰ドームをはじめ、4000m級の高峰が連なるミシャベル山群に囲まれている。一年を通じてウィンタースポーツが盛んで、特にスイスにおけるスノーボードのメッカとして人気を集めているメイン通りを進み、左:アルプフーベル(4206m)、右:テッシュホルン(4491m)、手前にフェ―氷河が迫る。画面右側にドーム(4545m)があるシュターデル(穀物倉庫とネズミ返し)稜線がきれいに見えるがドームは?民家には近代的なフレスコ画が描かれていたメインストリーにはレストラン&カフェが立ち並ぶメイン通りを進み、左屋根の上に、アルプフーベル、正面にテッシュホルン。右に、スイス国内最高峰のドームがあるが雲の中民家の庭先には野菜も植えられ、窓際は花で飾られ更にメインストリーを南に進む、正面にアルプフーベル稜線がはっきりしているがこの山は?メインストリーを振り返る民家の壁面に木彫りのモニュメントネズミ返し10:16ドルフ広場に建つ時計塔広場近くには、サース博物館があるドルフ広場から振り返る スイスの旅-続く
2020.09.10
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スイスの旅五日目。 スネガ展望台から自由行動でスネガパラダイスを妻とトレッキング。ピンクの線を下り、ツェルマットの街へ戻る。ホテルを朝8時に出発して、時計方向に一周した平成26年7月24日(木) 14:22集落に入る、カフェを営業。遠方にツェルマットの町が見えてくるリンドウ系林の中に、ネズミ返しの穀物倉庫カラマツ林を下る。自転車で下る人も今日一日トレッキングのなか、雨風が無くて良かった15:01ゴルナーグラートへのGGB登山鉄道の踏切ゴルナーグラート登山鉄道ツェルマットからゴルナーグラートまで約9km、標高差1,485mを登る。登り時の進行方向右側の窓からマッターホルン山群が望めるので、列車へ乗る場合は右側の席へと民家の軒先に咲く花GGB登山鉄道を見上げる。橋の上がフィンデルバッハ駅(Findelbach)なのか?橋の上を人が歩いているマウンテンバイクで走る若者。今下って来た道を上るのか橋の上に列車が停車、フィンデルバッハ駅(Findelbach)のようだ。上からの滝は絶景ではツェルマットの村へ下り、道端に家畜?の水吞場ホテルなのか窓際を花で飾りスイスでは夏はどこの家でも家の周りを花で飾っているそれも、赤系が多いような感じがするが玄関先にも、赤のゼラニウムを主に15:22ゴルナーグラートからのGGB登山鉄道が下って来るツェルマットの北方向、カトリック教会の尖塔が見える山には雲が立ち込め木造のホテルは五階建てベランダにゼラニウム街角に 友好記念のプレートツェルマット&京都ツェルマット会2004 、5月10日 友好記念ツェルマット・妙高高原 姉妹都市提携記念 30.9.1994 24.5.199716:09メインストリートのバーンホフ通りに戻るバーンホフ通りのホテルお土産を購入に、日本人が経営する「ヴェガ(Wega)」へゼラニウムとペチュニア17:00ツェルマット駅前。買い物を終え外へ出ると雨が降っていた。バーンホフ通りを朝9時と夕刻4時に羊が通り過ぎるのだが今日は遅いメインストリートを足早に通り過ぎる。ヤギの群れが里と山を行き来する光景はバーンホフ通りの名物になっている今夜の夕食は各自でとる必要があるので、スーパーへ17:33スーパー内には、食料品、果物等を豊富に販売道路脇の花壇18:07カトリック教会マッターホルンで命を落とした登山家たちが眠る墓地の傍らに立つ教会。夏になると教会前の広場では、ヨーデルやアルペンホルンのコンサートなどさまざまなイベントが開催される教会前から、北方向(ツェルマット駅)。右側にマッターホルン博物館があるマーモットの泉カトリック教会の傍にある墓地この墓地には、マッターホルンで命を落とした登山家たちが眠る墓地でいつも花が飾られている19:27夕食は18時からホテル内でとり、今日一日よく歩いたのでビール&ワインを飲む。夕食後まだ外が明るいので出てみると、南の空にマッターホルンが見えていたが雲が東からしばらく見ていると、頂上が雲に覆われる19:39マッターホルン全体が雲に覆われる、明日の朝焼けが心配になる今日、五日目の歩行数は、24,800歩でした。明日の朝焼けを期待してベッドへ。 スイスの旅-続く
2020.09.09
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スイスの旅五日目。自由行動でお花畑のトレッキングを続ける。青の部分を下る平成26年7月24日(木) 13:16ブラウヘルト(Blauherd)を出発してから、既に3時間岩場が広がるゲンチアネラ・ゲルマニカ(リンドウ科)Gentianella germanica とは、「ドイツのリンドウ」という意味リンドウ科に属し、総丈 5~40cm、平野から標高2800mに6~10月に咲く。5枚もしくは4枚の花弁の花は、紫、薄紫、ピンクが基本で稀に白もある少し変わった色の湖「Mosjesee」が眼下にミルクを溶かしたような乳白色は、氷河が動く際に削りだすロックフラワーと呼ばれる岩石の粉が、湖の水に溶け込むことによって生み出されている。斜面にいろんな花が咲く右上にゴンドラが動くリンドウ系の花が咲き乱れる谷底にリフト乗り場13:42休憩をし、暑くなったので上着を脱ぐ13:51スネガ展望台を見上げる、リフトの下に「ライゼー(ライ湖)」があるマツムシソウナデシコ系13:59下り方向の標識には、「Findeln Eggen」、GGB登山鉄道の「 Findelbach 駅」マンテマ:ナデシコ科14:06いろんな方面への標識。ここは、Findeln Eggen 標高 2177m上ると、ブラウヘルト(Blauherd)まで、1時間15分。下ると、GGB登山鉄道の「 Findelbach 」まで、45分。ツェルマットまで2時間。後方は、スネガ展望台へ上る坂道14:16民家の前につながれた牛民家の庭先には大きなトランポリン。子供が飛び跳ねていた上空にヘリコプター前方に、Findeln Ze Gassen 村14:20集落へ入る登山道下に、ネズミ返しの穀物倉庫遠く下にツェルマットの町が見えて来るフィンデル村でカフェが営業。入り口右側に、エーデルワイスが植えられていた スイスの旅-続く
2020.09.08
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スイスの旅五日目は、途中から自由行動でトレッキング。天気は曇り空であったが、風もなく雨の心配はなさそうで助かる。山上湖のシュテリゼー(シュテリ湖)から、赤の線をツェルマットへと下る平成26年7月24日(木) 11:37山上湖のシュテリゼー(Stellisee)は標高 2500mにある。シュテリゼーに映える「逆さマッターホルン」も期待できないので早々に下ることに。このように見えるのだが(ネットから)またいつか見てみたいが・・・・・・湖畔に咲くリンドウサクラソウいろんな花が咲くリンドウ系スミレ系クモの巣センペルビブムエーデルワイス:レオントポディウム・アルピヌム(キク科)保護指定植物!12:00いろんな方向へのハイキング標識左方向:ステリゼー(Stellisee)、右方向:スネガ(Sunnegga)雲の中に入り、しばし撮影は出来ず、坂を下る。12:09下り方向の標識「Findeln Eggen」、GGB登山鉄道の「 Findelbach 駅」山肌には残雪が残るエリンギウム・アルピナム(ニンジン科)重要保護指定!美しさから「アルプスの女王」と愛称され、英語名は「Queen of the Alps」。この後、いろんな場所で何度か見たがまさにアルプスの女王!エーデルワイス黒キャベツの球:ニグリテラ・ニグラ(ラン科)保護植物指定!急な斜面に咲く高山植物雲が立ち込め花に露アネモネ系オキナグサブラウヘルト(Blauherd)からのゴンドラが動く。下は、エッケン集落クモの巣センペルビブムをズームアップナデシコ系岩壁に咲く高山植物谷底を見下ろすゲンチアネラ・ゲルマニカ(リンドウ科)Gentianella germanica とは、「ドイツのリンドウ」という意味リンドウ系12:59ブラウヘルトからのゴンドラ雲の中に入る少し変わった色の湖「Mosjesee」が眼下に雲が通り過ぎ視界が広がる。冬にはゲレンデになるコースのだろうが急な傾斜である。下はエッケン集落、いろんなハイキングコースがある13:16谷底の向こう側に、人が大勢いるが何をしているのかズームアップ、何か大会でもあるのか スイスの旅-続く
2020.09.07
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スイスの旅五日目は、スネガ展望台から自由行動。午後のOPツアー参加者 他の方は、ツェルマットへ登山電車で引返す。私は妻と二人、スネガ展望台からロープウェイでブラウヘルト(Blauherd)へ上り、お花畑をトレッキングしてツェルマットへと戻ることに。平成26年7月24日(木) 9:55スネガ展望台から、マッターホルンを見納めるが雲が多くなる10:10スネガ展望台(Sunnegga paradise) から、ブラウヘルト(Blauherd)へロープウェイを利用標高 2601mのブラウヘルト(Blauherd)へ到着。ロープウェイのチケット代は、1人 15 SFr.これからのルートは黄色の線の緩い坂を登り、山小屋(Fluhalp)下にある山上湖シュテリゼー(Stellisee)(シュテリ湖)から下るブラウヘルトを起点に、ゴンドラ、スキーリフトが3方向へ出発している。標高 3103mのロートホルン・パラダイス(Rothorn paradise)へはゴンドラを利用する。今日は曇り空のなかをトレッキング標高 2601mだが高山病の心配もなく、ブラウヘルトからトレッキングを開始。直ぐに登山道脇に花が咲き乱れる、マメ科の花いろんな高山植物が咲いており、わからない花が多く無記名で色鮮やかな、リンドウ系リンドウ系黒キャベツの球:ニグリテラ・ニグラ(ラン科)保護植物指定!アネモネこの花は初めて見る花だがクモの巣センペルビブム:センペルビブム・アラクノイイデウム(ベンケイソウ科)保護指定植物!よく似た花で「マウンテン・センペルビブム:センペルビブム・モンタヌム(ベンケイソウ科)があるが区別は?スイスの徴兵制度について。永世中立を守るために武力の行使も辞さないという姿勢が、国民皆兵の徴兵制度に表れている。兵役に耐えうるスイス国籍の男性は20歳になると15週間の新兵補充訓練を受ける。終了すると、各自に武装具一式と自動小銃、弾薬が支給される。これを各家庭に保管し、緊急時に備えるわけだ。しかもその後、2年毎に3週間の訓練を合計10回繰り返すことが義務付けらている飛行士と空防衛隊は1年毎に12日間の訓練を合計16回。各地の主要道路脇には戦車を防ぐための鉄柵が埋めてあるといわれ、各家や各アパートの地下にはシェルターが設置されている。小国スイスの防衛に対する意識は、平和ボケした日本からは想像もつかない厳しさがある。日本でも「専守防衛」の議論があるが前方に山小屋(Fluhalp)が見えて来る、後方にはフインデルン氷河が迫るクモの巣センペルビブムとリンドウ系クモの巣センペルビブムとリンドウ山小屋(Fluhalp)の後方にフインデルン氷河、手前は山上湖のシュテリゼー(Stellisee)山には残雪が残る山小屋(Fluhalp)登山道横に羊11:10ハイキング標識の見方。 ①黄色と白2色の標識 ジョギングシューズでも充分歩ける一般的なハイキングコース。標識には、行き先と所要 時間、現在地と標高などが書かれている。矢印の方向を目指して歩こう ②両端に赤いラインの入った標識 トレッキングシューズが必要な中~上級者向けのアルペンコース。軽装の場合はこのコー スは避けたいこの標識は②で、中~上級者向けのアルペンコース11:12山上湖のシュテリゼー(シュテリ湖)の上に山小屋(Fluhalp)後方の山が映っているが、さざ波があり残念湖畔の周りを散策、ワタスゲが咲く湖には小魚がいたお花畑を雲が流れる花期が7~9月で、クモの巣センペルビブムが咲き乱れている天気が良ければ山小屋(Fluhalp)まで行きたかったが、ここで下ることにする。外国人観光客もしばし湖畔で休憩、昼食には早かったが持参した軽食を食べる11:37天気が良ければ、逆さマッターホルンが映えるのだが。シュテリゼーは標高 2500mにある(ゼーはドイツ語で湖の意)天気の良い日の、カレンダー、ポスターなどによくあるアングルは、湖の一番奥から湖の中の岩を含めて撮影(ネットから)。 スイスの旅-続く
2020.09.06
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スイスの旅五日目は、午後はOPツアー or 自由時間。今日も天気予報は曇り空で、自由行動はお花畑をトレッキングすることを選択。ツェルマットも2連泊のためゆっくりできる。平成26年7月24日(木) 7:42マッターホルンの朝焼けを見るために5時半に起床するが、東の空が曇っていたのか見えず。明日の朝を期待することに。しかし、部屋から南方向にマッターホルンが見えたマッターホルンは、アルプス山脈に属する標高4,478mの山である。イタリア語では「チェルヴィーノ」、フランス語では「セルヴァン」である。山頂にはスイスとイタリアの国境が通り、麓の町はスイス側にツェルマット、イタリア側にブレイユ=チェルヴィニアよく見るこの写真は、スイスのツェルマットから臨むマッターホルンの南西側。左側が東壁で、右が北壁イタリア側のブレイユ=チェルヴィニアから見たマッターホルン(ネットから)。この写真は余り知られていないのではなかろうか8:04ホテルで朝食をとり、午前中のツアー「スネガ展望台」参加でホテルを出る。マッターフィスパ川に架かる通称「日本人橋」の上から南方向帽子を購入したがこのデザインが帽子のマークで採用されていたツェルマットのいたるところからマッターホルンが見え隠れするバンホフ通りから一歩脇道に入ると、ヴァリス地方特有のネズミ返しの付いたシュターデル(穀物倉庫)があるシュターデル(穀物倉庫)とネズミ返し。ツェルマットの村には、ヴァルザー人の伝統を受け継ぐ黒いカラマツ材で造られた高床式の穀物倉庫がいくつか残っている緩い坂道の両側に存在ネズミ返しは、柱と床の間に円盤状の石が挟んであるのが特徴。この石は「ネズミ返し」と呼ばれ、その名の通りネズミの侵入を防ぐために取り付けられたもの。村にはこのような穀物倉庫がいくつか残っているバンホフ通りツェルマット駅に面した町のメインストリート。駅の南側は、レストラン、商店、ホテルなどが並ぶ最も賑やかなエリア。夏の観光シーズンや冬のスキーシーズンは、観光客であふれ返っている。狭い通りを南へ向かっていけば、昔ながらの木造シャレーの合間にマッターホルンが見え隠れする。車はすべて電気自動車バンホフ通りを進む。朝夕は賑わうが日中は静かだとホテルの窓はゼラニウム他の花で飾られ8:27ツェルマット駅前広場にはホテルの電気自動車が待機振り返るとマッターホルン8:37村の東にある麓駅の、スネガ展望台行きケーブルカーチケット売り場。往復料金は、往復 24 SFr.であったがツアー代に含んでいたスネガ(Sunnegga)展望台、2288mへ登山電車&ロープウェイの運行状況スネガ展望台行きケーブルカー乗り場へスネガ展望台へは、ケーブルカーの地下登山鉄道でわずか3分。多くの観光客が乗車頂上駅のスネガ展望台駅から下を望む。地下登山鉄道は標高1620mから一気に2288mへ上る9:02スネガ展望台駅スネガ展望台のレストラン。この展望台からは、マッターホルンの北壁と東壁が望めるレストラン前に座るセントバーナー犬青空があるが雲が多くなってきたマッターホルンの北壁側マッターホルンの南東側で稜線の向こう側はイタリアになるゴルナーグラード展望台へのGGB登山鉄道が登る。スイスの旅(1999年7月)の時、ゴルナーグラート展望台からこの辺りの駅までトレッキングしたが、その時、小さな湖があり「逆さマッターホルン」を見たことを思い出すゴルナーグラート展望台をズームアップ。4000m級の山々のパノラマ展望台で、ツェルマットからGGB登山鉄道の終点で所要約40分。山頂にはレストランやホテル、郵便局もある。駅から少し上ると展望台(3130m)1999年7月の旅の時の写真を2枚挿入。ゴルナーグラート展望台からのマッターホルンGGB登山鉄道をバックに、スイス国内最高峰のドーム(4545m)。明日はこの裏にある村サースフェーへ行くが果たして見れるかどうかマッターホルンに雲が多くなってくるスネガ展望台の下に、澄んだ水が美しいライゼー(Leisee)、see(ゼー)は、ドイツ語で湖このライ湖にも逆さマッターホルンが綺麗に映えるが、さざ波でここは、夏になると泳いだり砂浜で日光浴を楽しむ人が多い。子供向けの遊び場で楽しむ観光客ライ湖湖畔とスネガ展望台間のリフト右側に、スネガからブラウヘルト(Blauherd)までロープウェイが延びているリフトの中から小さなライゼー(ライ湖)を見下ろす9:45レストランのオープンテラスからのマッターホルンも最高!我々夫婦はここでツアーから離れ自由行動に。ここから下るトレッキングコースもあるが、我々はロープウェイに乗りブラウヘルとへ上る スイスの旅-続く
2020.09.05
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スイスの旅、四日目標高 2525mのプレバン(BREVENT)展望台からシャモ二ーにおり、約145km先のテーシュヘ。ツェルマットへはガソリン車は進入禁止のため、テーシュから列車でツェルマットへ。平成26年7月23日(水) 15:57プランプラにはカフェ&レストランがあり向かい側のモンブランの眺望が楽しめるこの日は山の頂には雲が立ち込め、モンブランは見ることができなかったプランプラの広場。プレバン(BREVENT)から、ここまで1時間半のトレッキングコースがある。今日も天気は快晴ではなかったが、風もなく寒くなかったので助かったが天気が悪くモンブランが見えなかったので、1999年7月に登った時の写真を5枚挿入します。ロープウェイからの山頂の頂上テラス「エギーユ・デュ・ミディ」展望台からのモンブラン(Mont-Blanc) 4,810mモンブラン山塊の主峰で、万年雪に包まれる白い姿が美しい、登山家憧れの聖地エギーユ・デュ・ミディの概略図。シャモニーから二本のロープウェイを乗り継いでエギーユ・デュ・ミディの北峰駅へ上る頂上テラスを見下ろす、下界はシャモニの街頂上テラスは岩場の上に設置プレバン展望台へのロープウェイのケーブルも雲に隠れ雲の中から、突然ゴンドラが現れるここで乗り換え、シャモニーへ下る向かい側のモンブランは雲の中プランプラの広場そばの高山植物プランプラからプレバンへのケーブルは雲の中へと。シャモニーへのゴンドラへ乗車16:14シャモニーへ降り立つ。約1時間強の観光であったが肝心なモンブランの顔は見れずテレキャビン駅のチケット売り場。。プレバン(BREVENT)展望台へは、まとめ買いにすると安くなるのか?16:48テレキャビン駅から歩いて、ガイアン湖へ。シャモニーの中心地からは徒歩20分ほどの場所にあり、駅やバス停も近いので訪れやすい日本の旅行会社は、湖面に映える逆さモンブランが見られるスポットとして、ツアーに組み込まれている。今日は天気が悪く見れずモンブラン方向の雲は厚く氷河がすぐそこまで押し迫っている感ガイアン湖は横を通り過ぎバスへ17:08バスに乗車、ツェルマットへ17:30アルヴ川沿いにそって鉄道、道路が走る浄水場の取水口か?17:41シャモ二ーへ来るときも見た教会17:44青空が出てきたが、明日の天気が心配18:02トイレ休憩でドライブインへ立ち寄るが有料(各人1 SFr.)であった。ガソリンの値段 約116円/SFr.sans plomb 95 1.810 SFr. 約210円/リットルsuper 98 1.860 SFr. 約216円/リットルDiesel TECH 1.840 SFr. 約213円/リットル日本に比べ高いが、軽油も高いこの辺りはセントバーナー犬の生まれ故郷ドライブインには売店、レストランがあり、果物も販売スイカも売っていたバイキング方式のレストラン18:27ヴァリス地方の名物料理「ラクレット」。ラクレットは円盤型のチーズを半分に切り、断面を焼く。とろけたところをラクレ(こそげ落とす)して、蒸したジャガイモと食べるもの18:49シオンの道路沿いの、ヴァレールの丘の上に古城が建つ、山には残雪が残る岩場の上に古城この辺りの丘陵地にも葡萄畑が広がる19:32ヴァリス地方独特の風景が残る、エランの谷。シオンの南に切り込んでいる、ローヌ谷の枝谷。山々にはさまれ、昔ながらの風習や伝統をかたくなに守る民俗色豊かな村々が点在する谷。谷底をローヌ川が流れる20:00テーシュ(Tasch)駅へ到着。ツェルマットは電気自動車を導入し排気ガスと騒音のない環境を維持していることが、現在の人気を支えている。車で行く場合は1駅手前のテーシュの駅前駐車場に車を止めて、MG鉄道を利用するテーシュ駅構内へ掲示板には「Next Shuttle to Zermatt:16 min.、36 min.」次の列車は、20:16ツェルマット行きの列車が入線。各自トランクを持って乗車シャトル列車は渓谷を抜けツェルマットへ向けて列車内の観光案内。絶大な人気を誇るツェルマット!旅行者にとって拠点となるのは、ツェルマット(Zermatt)とシオン(Sion)。ツェルマットはマッターホルンを仰ぐアルペンリゾートで、マッターホルン観光の基地。日本人に人気が高い氷河特急の発着点でもある。「スイスで一番好きな町をひとつ挙げよ」と言われると、ツェルマットの名を挙げる人が多い20:36ツェルマット駅前。ホテルから荷物運搬用の電気自動車が迎えに、一流ホテルは馬車がやって来ると。前回来たのは15年前の1999年7月20:48ツェルマット駅から南方向へ歩いてホテルへ。出迎え用の馬車だがこれは荷物のみの運搬のようだ20:50宿泊ホテルは「アルバナ・レアル」で15年ぶりのホテルであった。ここも連泊となる水廻りを確認21:47夕食はツアーに含まれていないので、ツアー仲間のTさんご夫妻と一緒に町へ出かけるサラダ、パン、トマトフォンジュをオーダーカメラの露出が悪く色が今一ですが、料理は美味しかったトマトフォンジュお酒を飲みながら、今回の4日目までの旅の思い出で盛り上がったのでした22:37夕食を終え店先で料金は、2家族で 50 SFr.(約5,850円) でした今日の歩行数は、バス移動が長く11,000歩でした。 スイスの旅-続く
2020.09.04
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スイスの旅四日目。バスはレマン湖の丘陵地帯を通り過ぎ、モンブラン観光へと進む。平成26年7月23日(水) 12:35モントルー郊外の町山の丘陵地帯にラヴォー地区の葡萄畑。ラヴォーは、スイス・ヴォ―州ローザンヌからモントルー郊外のシヨン城にかけて広がる、レマン湖北岸の丘陵地帯を指す。ブドウ栽培が盛んに行われ、スイス有数のワイン産地となっている。ブドウ栽培はローマ時代までさかのぼる歴史を持つ。現在のブドウ畑の原形は、この地を修道院が支配していた11世紀頃に形成されたと考えられている。面積は、898ヘクタール(緩衝地帯 1408ha)で、2007年に文化遺産に登録された急斜面に葡萄畑、見張り台。バスは、九十九折の坂道を上る見張り台の後方にも葡萄畑谷間の遠方に山並み12:39峠へ向かうが途中から眼下に「古代の競技場」フランスとの国境を越え、フランスの山間部を進む。この道を走るのは、1999年7月にも来ているので二度目になる村の中に建つ教会山の中腹の斜面に民家が建つ13:15バスの車窓から、雲の合間に山が見え氷河が迫る氷河をズームアップモンブランへの山並みかシャモ二に入る、残念ながら山の頂は見えず。シャモニは標高1,035mに位置し、木をふんだんに用いたシャレ―風ホテルが並ぶフランスの山村。古くから山岳リゾートとして栄えた歴史ある街並みは、スイスの山村とは異なる趣きが魅力。アルプスの登山やハイキングの基地として多くの人が訪れ、スポーツ施設も充実している13:28シャモニーに到着、レストランへ正式にはシャモニー・モンブランと呼ばれ、ヨーロッパアルプス最高峰のモンブランの麓町。フランス領であるが、フランスの主要都市からよりもスイスのジュネーブからの方が近いモンブラン方向からの氷河。1906年にモンタンベール展望台(標高1913m)への登山列車が走り始めたのを皮切りに、次々とロープウェイが新設され、アルプス最大のリゾート地となった。1924年には第1回冬季オリンピックが開催されている。町の標高は1035mで押し迫る氷河が見える13:33シャモニー(フランス)の町へ到着、昼食会場へ軒先には、夜のイルミネーション。また、入り口には日本にでもある古い農機具が置かれていた店内に入り飲み物のオーダー、ツアーメンバーが30名のため注文も大変メインはポーク料理露出の関係で色が悪いですけど美味しかった!二人で、ワインとジュースを飲む 9 SFr.食事を終え、石臼の右に「eau non potable」とあるが???庭先には赤い実が付き山にはいたるところに、ロープウェイ、リフトすぐそこに氷河があるが、最近では温暖化から後退が著しいのでは氷河に削られて谷はU字谷に15:00プレバン(BREVENT)展望台へのロープウェイ乗り場の「テレキャビン駅」。ロープウェイを2台乗り換えて、標高2525mのプレバン(BREVENT)へ上る観光案内の電光掲示板左側がこれから上るプレバン(BREVENT) 2525m、右側がモンブラン(MONT BLANC) 4810m谷底にシャモニーの町これから上るルートシャモ二ー 標高1035mから、ロープウェイ2本でプレバン(BREVENT) 2525mへ空にはハンググライダープランプラ(PLAN PRAZ) 2000mへのロープウェイからモンブラン側眼下にシャモニーの町15:13標高2000mのプランプラ(PLAN PRAZ) でロープウェイを乗り継ぐモンブラン側の氷河氷河をズームアップシャモニーの北西方向15:15プレバン(BREVENT) 2525mへのロープウェイ乗り場ロープウェイへ乗車、雲の中へと15:29プレバン(BREVENT)展望台からのモンブラン側プレバン(BREVENT)展望台から南方向、売店もある残念ながら雲が多く山の頂は見えずここを起点に下るトレッキングコースが多くあるシャモニーに宿泊するのであれば、トレッキングもいいのだが、我々はこの後ツェルマットへ移動するので時間が無く1時間半の観光向かい側(東方向)にモンブラン 標高 4810mがあるのだが雲の中モンブランの手前にある「エギーユ・デュ・ミディ」が、雲の合間からかいま見えた展望台をズームアップ。シャモニーの街から、正午に太陽がエギーユ・デュ・ミディの真上にあるように見えるため、「午後の時計の針」の意味を持つ。ロープウェイで標高3842mに登ると360度のパノラマが広がる。エギーユは直訳すると「針峰」。尖った山頂には頂上テラスがある。この頂上テラスの状況は明日のブログにアップしますプレバン(BREVENT)展望台から南方向展望台の岩場に咲く高山植物遠く山並みを望む皆さんお揃いのマスクをつけ記念写真プレバン頂上のロープウェイ乗り場石垣の上は、プレバン展望台15:56しばし待つがモンブランは顔を出さず下りることにする スイスの旅-続く
2020.09.03
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新型コロナウイルスの関係で海外旅行も中止、日本国内も遠出ができず、ブログ取材もできないため、テレビと同様6年前に行ったスイス旅行を引き続きアップします。スイスの旅四日目は、レマン湖そばを走りシャモニー、ツェルマットへバス移動。今日の移動距離は、シャモニー約295km、ツェルマット約145kmの、計440kmと長距離。黄色の線を左回りに移動平成26年7月23日(水) 5:40この日は雨が上がり朝焼けを、ホテルの窓から望む。南方向の左側に「ユングフラウ(4158m)」、正面に「ブライトホルン(3785m)」南方向の昨日行った「ミューレン&アルメントフーベル」。雲が下がって来ていた北方向のインターラーケン朝食が7時からのため朝散歩へ出掛けるホテル裏の高台へ上る。ミューレン側が見えるが雲が下がり今日の天気も怪しい高台にあった、南方向の絵7:00氷河で削られたU字形の渓谷にあるラウターブルンネンを見下ろす。雲が下がり、ブライトホルンが隠れるシュタウプバッハの滝をズームアップメンリッヒェン(標高2230m)へのロープウェイメンリッヒェンからはクライネ・シャイデックへの「スタンダードハイキングコース」がありこのルートは2001年6月にトレッキングしたメンリッヒェンへのロープウェイ乗り場民家の花飾り昨夕歩いた道を再散歩ウェンゲンの村並み公園には、木彫りの「???」と「シュタインボック」7:14ショート散歩を終えホテルへ戻り朝食をとるホテルを8時に出発するので最後にインターラーケン方向を望む。北方向の空は青空に8:35ウェンゲン駅から登山鉄道でラウターブルンネンへ下る。車窓からの「シュタウプバッハの滝」この滝を見るのはもう何度目になるのか、この滝は落差約300mでヨーロッパでは第2の規模を誇る。そばに教会も建ち絵になるラウターブルンネンの谷にはさまざまな大きさの滝が約70本あり、ミューレン方面からの雪解け水が垂直に落ちる美しい姿は、町のどこからでも眺められる8:51ラウターブルンネン駅に到着8:58ラウターブルンネンからは、ウェンゲン、ミューレンへは観光バスは入れずここで待機。観光バスへ乗り込む9:11バスの車窓から、アイガー、メンヒを望む9:32トゥーン湖道路下を鉄道が走る(車窓より)9:58今日のバス席は後部席。高速道路を走り後方を振り返る道路脇の工事現場田園風景が広がる10:41ジュネーブ 127km、ローザンヌ 76km、イヴェルドン 42km農作業中村の尖塔は教会畑には牧草ロールが転がる10:58ドライブイン(フリブール)へ立ち寄りトイレ休憩ドライブイン内には戦闘機を設置ガソリンの値段 約116円/SFr.Sans plomb 1.869 SFr. 約217円/リットルUltimate 98 1.939 SFr. 約225円/リットルUltimate Diesel 1.999 SFr. 約232円/リットルDiesel 1.909 SFr. 約221円/リットル日本に比べ高いが、軽油はガソリンよりも高い果物の「ABRICOTS」を販売していた。1.045kg × ? SFr./kg = ? SFr.11:48高速道路を進む。畑は小麦?11:55高速道路の前方にレマン湖が見えて来る。レマン湖は、スイスとフランスにまたがる、中央ヨーロッパで2番目に大きい三日月型の湖。面積の約2/5がフランスに属し、約3/5がスイスに属す。英語での名称はジュネーブ湖という。漢字で「寿府湖」と表記される。湖水の下流はローヌ川で地中海とつながっている。上流側はドイツ語でロッテン川と呼ばれる。最大水深は310mで、近くを鉄道が走るレマン湖の丘陵地帯に「ラヴォー地区の葡萄畑」が広がり世界遺産に認定されているバスは中腹の高速道路を南下、湖畔にモントルーの町が広がるモントルーの町、遠くにフランス側の山並みが見えるがモンブラン方向12:00モントルーは、シヨン城で知られるレマン湖畔のリゾート地。モントルーは隣町のヴェヴェイとともに「スイス・リヴィエラ」と形容される温暖で風光明媚なところ。20世紀初頭から亡命貴族などが移り住み、多くの文人や芸術家にも愛されてきた。毎年7月に国際ジャズフェスティバルが開かれるほか、コンベンションシティとしても有名。今年は新型コロナウイルスで開催中止か?雲の合間から山並みがモントルーの町を振り返る。湖畔にシヨン城。前回、モントルーの町とシヨン城へ行っており、今回はスルーシヨン城は、バイロンの詩で知られる湖の古城。城は9世紀にはあったとされるが、現在の形になったのは13世紀。当初シヨン司教の所有だったが、12世紀にサヴォア家に払い下げられた。1532年、宗教改革を推進しようとしたボニヴァールはサヴォア公に捕らえられ、4年間、地下牢に幽閉された。1816年にこの城を訪れた詩人バイロンが「シヨンの囚人」をしたためたことから、この城の名が有名になった。ボニヴァールがつながれた牢の柱にバイロンの落書きが残る12:09高速道路の上の中腹にごみ焼却場 スイスの旅-続く
2020.09.02
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スイスの旅三日目の午後は、クライネ・シャイデックから小雨の中ショートハイキングコースを続ける、ここのお花畑には前回の2001年6月にも訪問しているが、その時の天気は最高であった。平成26年7月22日(火) 15:00ファルボーデン湖から更に登り、アイガーグレッチャーのお花畑へ。雨も降ったりやんだりでどうにかもち、助かるリンドウ科の「コッホ・エンツィアン」ツツジ科の「アルペンローゼ」ダクテュロリザ・マヤリス:ラン科アンテュッリス・ウルネラリア:マメ科アルプス・アネモネ:キンポウゲ科霧の中にお花畑が広がる上には氷河が迫っているピュテウマ・オルビクラレ:キキョウ科以下の写真4枚は、2001年6月撮影したものです。アイガーをバックにブルーが鮮やかなリンドウメンヒ下の氷河。時々轟音と共に崩れ落ちていたこの写真は2001年6月撮影あれから19年経った現在、氷河はどのあたりまで後退しているのかユングフラウ鉄道の登山鉄道をバックに今回の旅の写真は雨に濡れてリンドウ科ラン科の1種黄色トリカブト雫が着いた花毛ナデシコ科の1種サクシフラガ・パニクラタ:ユキノシタ科マツムシソウの仲間:マツムシソウ科リンドウとサクラソウサクラソウ科の1種残雪が残るが山は見えずこの方向の上にはメンヒが見えるのだが。ここまで小雨が降ったりしていたが風がなかったのが幸いであった15:46山の上に、アイガーグレッチャー駅がある。天気が良ければ登って行けば眺望が最高なのだがチョウノスケソウ:バラ科黒キャベツの球左側の黒い花で、保護植物指定!マンテマの1種:ナデシコ科チシマゲンゲ:マメ科ダクテュロリザ・マヤリス:ラン科黄色のアンテュッリス・ウルネラリア:マメ科と・・・・・黄色のアンテュッリス・ウルネラリアと紫色のバルツィア・アルピナスミレ科の1種アルニカ・モンタナ:キク科キク科の1種の「アルパイン・ムーン・デイジー?」イブキトラノオ:タデ科スミレ科の1種16:16ファルボーデン湖へ戻る。湖畔の左奥に小さな教会に似た建物があるが、内部では代表的なアイガーの登拳のルートを紹介展示している。アイガーやメンヒが湖面に映るミラーレイクとして観光客とハイカーの人気を集めている。正面にあるアイガーは霧の中湖畔にある、この看板は何を説明しているのか!いろんな花が咲いているがハマカンザシの1種:イソマツ科16:26クライネ・シャイデック駅は霧の中16:40クライネ・シャイデック駅そばのホテル登山列車はユングフラウヨッホから下山してきた。小雨の中約3時間のトレッキングであったが、風もなく寒くなかったのが幸いであった左側の時刻表は「jungfraujoch」方面、我々は「Lauterbrunnen」方面へ乗車。17:01発へ乗車することにする。最終電車を確認してじっくりトレッキングできるのがよい17:20車中から、ウェンゲンの町を見下ろす17:59ウェンゲン駅前へ到着町中には土産物店があり、ウインドーショッピングしながらホテルへ戻る。また、夕食も各自でする必要があるので夕食を購入ウェンゲンには約1,300人の居住者がおり、夏は5,000人、冬は10,000人に膨れ上がる店先のフラワーボックスに飾られた花ゼラニウムも軒下からぶら下がり木造のホテルが立ち並ぶカフェ、レストランもツアー仲間から紹介され、ここでお土産用のチーズを購入した。日本に比べて安かったので、3種類のチーズを300g、200g、200gと購入したが 21.8 SFr.18:26宿泊ホテルの「ビクトリア・ラウバーホルン」18:26ホテル前の庭にはバラが咲きスイス三日目の歩行数は、15,000歩でした。 スイスの旅-続く
2020.08.31
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スイスの旅三日目ミューレンからウェンゲンへ戻り、午後は自由行動でクライネ・シャイデックから雨の中「ショートハイキングコース」へ。平成26年7月22日(火) 11:36ミューレン駅構内ミューレンの街並みホテルの場所が記されていた今回見れなかったが左から、アイガー(3970m)、メンヒ(4107m)、ユングフラウ(4158m)ユングフラウヨッホにある『スフィンクス展望台』、後方にアレッチ氷河。ここへは最初のスイス旅行で行っているので、今回の午後のOPツアーには参加せず。OPツアーは『ユングフラウヨッホ・スフィンクス展望台観光(夕食付)』33,000円と高価BLM(ベルク)鉄道車内から、ベルナー・オーバーラント三山は最後まで雲に隠れ見えず12:06グリュッチアルプからロープウェイで下るラウターブルンネンの家並み12:12ロープウェイのラウターブルンネンへ到着12:21登山鉄道のラウターブルンネン駅へ移動。駅の前方に豪快に落下する『シュタウプバッハの滝』が見えるインターラーケン・オスト(東)駅行きの列車が出る12:30この登山鉄道に乗車する。急勾配を上るのでアプト式になっている駅を出るとすぐに『シュタウプバッハの滝』ラウターブルンネンの谷にはさまざまな大きさの滝が約70本あるが、なかでもこの滝は落差約300mでヨーロッパでは第2の規模を誇るミューレン方面からの雪解け水が垂直に落ちる美しい姿は、町のどこからでも眺められる登山鉄道は大きく曲がり、先程のグリュッチアルプへのロープウェイが見える登山鉄道は急勾配を上り眼下に『シュタウプバッハの滝』が見える。右崖上はミューレンで、正面の山の頂上にはまだ雲12:47ウェンゲン駅へ到着。ここで午前中のツアーは終了して解散、午後は自由行動に。駅には「k:kiosk」の看板乗車してきた登山列車がクライネ・シャイデックへ次の列車 13:24に乗車することに乗車券は、ウエンゲン ⇔ クライネ・シャイデックを購入 二人 86 SFr.駅横の広場、時間があるので昼食をとることに近くのコンビニで食料を調達して駅横で食べる13:24クライネ・シャイデックへの列車内から先程のロープウェイの頂上駅グリュッチアルプをズームアップ標高1275mのウェンゲン駅ラウターブルンネンの谷の上に位置するウェンゲンは、ユングフラウを美しく見渡せる小さな村霧の合間からメンヒ下の氷河をズームアップアルメントフーベル展望台、ケーブルカー、BLM(ベルク)鉄道のミューレン駅を見下ろす13:51クライネ・シャイデック駅へ到着、標高2061m 気温は10℃。ユングフラウヨッホ(Jungfraujoch)行きホームユングフラウ地方を代表するビューポイント、ユングフラウ登山観光に際して、ラウターブルンネン経由の西回り・グリンデルワルト経由の東回りルートの登山電車が合流する地点を指す。「小さな峠」が、クライネ・シャイデックの語源。天気が良ければ、アイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が並ぶ壮大な景観が広がる自由時間は「アイガーグレッチャー ⇒ クライネ・シャイデック」のショートハイキングコースのトレッキングに。クライネ・シャイデック駅を見下ろす。左方向が、ラウターブルンネン、右方向がグリンデルワルトへと下るこのコースは、アイガーグレッチャー駅の前にアイガーの氷河が迫るコース。気軽に歩けながらも雄大な景色を満喫できる。アイガーグレッチャー駅の周辺と尾根からクライネ・シャイデックへ下りる牧草地には花々が咲き誇る。ナデシコ系の1種小雨の中、アイガーグレッチャー駅へ緩い坂道を上る。花の名前がわからず図鑑からだが?コース脇には高山植物が咲く。リンドウ科の「コッホ・エンツィアン」。スイスアルプスの代表的な3つの花のひとつで、高山の草原に咲く、花の長さは4~5cm。代表的な3つの花は他に、「アルペンローゼ」、「エーデルワイス」があるツツジ科の「アルペンローゼ」。これも3つの花のひとつで、標高1500~3000の斜面に群生している。雨に濡れて鮮やかに咲いていた雲の下にクライネ・シャイデック駅スイス2回目(2001年6月撮影)の時もこの辺りをトレッキングしたが、その時は天気が良くアイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が良く見えたラウターブルンネン方面から登山電車が登って来る。線路沿いの牧草地には牛が放牧されているクライネ・シャイデック駅下の線路は、ユングフラウ鉄道で、標高3454mのユングフラウヨッホ駅へ上る岩場に咲く、リンドウ科の「コッホ・エンツィアン」ヒメハギの仲間:ヒメハギ科タイムの1種:シソ科キク科系の1種リンドウ系の1種14:44ファルボーデン湖ユングフラウ鉄道の登山鉄道は急な斜面へと。アイガーグレッチャー駅はこの上にあり、駅から先はトンネルになり標高3454mのユングフラウヨッホ駅へと登る。ユングフラウヨッホ駅からの下山時に、クライネ・シャイデック駅の一つ手前のアイガーグレッチャー駅で下車してショートハイキングコースをトレッキングする。この上のアイガーグレッチャー駅の標高は、2320m前回、2001年6月撮影。左から、アイガー、メンヒユングフラウヨッホ駅、アイガーグレッチャー駅からの登山電車が下って来る橙色の作業着を着た作業員が山肌に。ここから急斜面を登るとアイガーグレッチャー駅がある。線路はアプト式ファルボーデン湖は天気の良い日はコバルトブルーの湖。この湖は一見美しいオアシスのように見えるが、実は冬のスキーシーズンに人工雪をつくるために設置された貯水湖ファルボーデン湖から更に登りお花畑へ。リュウキンカの1種:キンポウゲ科、がきれいに咲いていたこの写真も前回の写真です。西洋キンバイ(シナノキンバイの仲間):キンポウゲ科紫は、バルツィア・アルピナ:ゴマノハグサ科アザミ系の1種14:58花をバックにアイガーを撮影したかったがイブキトラノオ:タデ科 スイスの旅ー続く
2020.08.30
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スイスの旅三日目。今日も残念ながら朝から天気は雨模様。午前中はツアーだが午後はOPツアー or 自由行動で、我々は自由行動でお花畑を選択。平成26年7月22日(火) 8:14宿泊したウェンゲンはラウターブルンネンの谷の上に位置する小さな村で、ユングフラウを美しく見渡せる。谷の逆斜面にあるミューレンからは、アイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が望める。これから午前中のツアーで向かい側のミュ-レンへ行く8:31ホテルで朝食後、小雨の中ホテルを出発8:52ウェンゲン駅にて。前回の13年前は少なかったが中国人観光客も多くなったクライネ・シャイデック方面の登山鉄道線路は急斜面でアプト式9:21ウェンゲン駅から、昨夜バスで着いたラウターブルンネン駅へ下る。標高1275mのウェンゲンから標高797mのラウターブルンネン駅へ。ラウターブルンネンは登山鉄道の乗り換え駅になっている谷間の町である。アルメントフーベルへはここからロープウェイでグリュッチアルプへ上る所要時間であろうか9:35ラウターブルンネンからロープウェイで標高1481mのグリュッチアルプへ。ここから、BLM(ベルク)鉄道でミューレンへ小雨の中電車は、ミューレンへ、線路沿いには放牧された牛。ミューレンはスイス二度目の時(2001年6月)に3連泊してトレッキングした懐かしい場所標高1500m辺りから見下ろす9:41途中、ヴィンターレック駅ですれちがう。ここで途中下車すれば、氷河によって削られたU字谷の美しい姿やラウターブルンネンの村が一望できる。また鉄道路線に平行するハイキングコースからユングフラウ三山の絶景が楽しめる9:50標高1634mにあるミューレン駅。ミューレンは、スイスのベルナー・オーバーランドにある伝統的なウァルザーの山村で公道は通じていない。年間通じて観光客が訪れ、村の周囲に聳えるアイガー、メンヒ、ユングフラウの3つの山の視界が有名である。村の人口は450人で、2,000人分の宿泊施設があるミューレン駅近くからアイガー方向前方斜面に、アルメントフーベルへのケーブルカーこの設備は何であったか?ケーブルカーで上るが展望台も雨であろう道端に「エーデルワイス」の大株エーデルワイスは純白の美しい花を咲かせる、スイスアルプスの妖精。エーデルワイスの花言葉は「初恋の感動」「大切な思い出」。キク科ウスユキソウ属のエーデルワイス。ウスユキソウ属は世界に30種類ほどあるようで、ヨーロッパでは1種類しか咲かないと10:00ケーブルカーのミューレン駅10:30頂上駅アルメントフーベルは標高1907m。ここから「メルヘンハイキングコース」になっており、天気が良ければ、谷をはさんでユングフラウ、メンヒ、アイガーが連なる景観が広がるコース小雨の中展望台へ、道端には花が咲き誇る露に濡れたキキョウ科の花アルメントフーベル駅を見下ろす雲海も、小雨の中、傘をさして撮影いろんな高山植物が咲く天気がよければ山々も見れ最高なのだがシルトホルン(2967m)へのロープウェイ展望台の遊技場雨の中、高山植物は目を楽しませてくれた残雪が残る山々、頂上は雲に隠れアルメントフーベルの山道からの三山。前回は毎日天気が良く、自由時間でトレッキングしたが三山がよく見えた(2001年6月撮影)。左から、アイガー(3970m)、メンヒ(4107m)、ユングフラウ(4158m)天気が良ければこのような光景が見えたのだが。前回のトレッキングでの写真、アルメントフーベルの牧草地からの三山10:54天気が悪く約30分の散策で、アルメントフーベル頂上駅へ戻る11:00ケーブルカーでミューレン駅へ下りる山小屋風の家が並ぶミューレン年間を通じて観光客が多く訪れ、2,000人分の宿泊施設がある家々は花で飾りヤナギランも咲き誇る19年前に来た時3連泊した、アルペンホテルもあった家畜の水吞場11:15シルトホルンへのロープウェイ乗り場。アルプスの壮麗な眺望が楽しめるシルトホルン山頂の展望台からは、ユングフラウの三名山をはじめ、スイスアルプスからフランス、ドイツまで四方に広がる200峰を超える山々が見渡せる。また007映画の舞台でもある回転レストラン「ピッツ・グロリア」があるシルトホルン観光は今回のツアーではコース外。天気が良ければ午後の自由時間に上る人もいたのであろうが前回来た時、シルトホルンから撮影した写真を二枚(2001年6月撮影)左から、アイガー(3970m)、メンヒ(4107m)、ユングフラウ(4158m)。左下には岩の上に「ビルク展望台(2677m)」が見える標高2967mの雪の中でロープウェイ乗り場から引き返す街角でいろんな果物を売っていた天気が悪く心配そうな添乗員の庄司さん教会も建つ軒下に薪が積まれアルメントフーベルへのケーブルカーを振り返るシルトホルンからのロープウェイ。ミューレンの下の谷に、シュテッヘルベルク乗り場がある谷をはさんだユングフラウ方向11:36外装工事中のミューレン駅 スイスの旅ー続く
2020.08.29
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スイスの旅二日目ルツェルンの市内散策後、途中昼食をとりベルンへ。スイスで最も軍事力のある州として君臨してきたベルンは、1848年スイス連邦の首都となった。その歴史の重みは、ユネスコの「世界遺産」にも指定された旧市街の街並みに感じられる。平成26年7月21日(月) 14:44高速道路を走りベルンへ15:27高速道路沿いの鉄道と田園風景15:35グランドでは子供たちがサッカー15:40ベルンへ到着『バラ公園』へ旧市街からニーデック橋を渡り左に折れると、小高い丘の上にバラ公園がある。その名の通りのバラが多い公園で、花の見頃は5~6月。旧市街の眺望を楽しむビューポイントであるバラ公園からのベルン旧市街アルプスから流れ出た清冽なアーレ川が大きくⅤ字に湾曲して、半島のように旧市街を取り囲む。市街を少し外れれば、豊かな緑が広がる自然環境もベルンの魅力。学園都市でもあり、博物館、美術館も多い。旧市街は1983年に世界遺産に登録された旧市街にある大聖堂の尖塔バラ公園入口にある「ニーデック橋」、右側が旧市街下流側の「コルンハウス橋」バラ公園内には約220種類のバラが咲き誇るしばしバラを追う15:51バラ公園から旧市街を見ながらバラを楽しんだ16:03道路標識インターラーケンまでは約40kmベルンの町を歩いていると、どうも気になることがある。熊のぬいぐるみに、熊のチョコレート熊模様の小物・・・と、「熊グッズ」がやたらショーウインド―に目立つのだ。町を見まわせばそのほかにも熊のオブジェがゴロゴロ。頭上に目をやれば、トラムの架線にまで熊が。ベルン州の旗にも熊が描かれている。因みにドイツのベルリンは「小熊」。トロリーバスの架線で熊飾りが綱渡りアルプスから流れ出たアーレ川の上流側。川の左側が『熊壕』ベルンの象徴は熊。深い壕があり覗き込むと中に熊。1994年に新しくなったという彼らの「家」は、プールもあって住み心地が良さそうだ毎年4月ごろには、その年に生まれた子熊がデビュー、市民の前にお目見えする16:16ニーデック橋を渡り世界遺産の「旧市街」へ入る。トロリーバスの架線旧市街の散策小雨の中、傘をさして右の「バラ公園」から下り左方向の「時計塔」へ巡る旧市街はトロリ―バスが走る16:24グレヒティッヒカイト通りベルン市内には100を超える噴水があり、なかでも有名なのが11基のルネサンス様式の噴水。噴水の上には、イスラエルの英雄サムソンやモーゼといった伝説の人物の像が据えられている前方に、噴水、『時計塔』が見える、人力車正義の女神の噴水目隠しをしているのは、先入観を持たず公平な目でものを見よという意味ビルの壁には飾りが他のビルの壁にもクラム通りは、ベルンのメインストリートで道の両側に石造りのアーケードが連なる。ここにも噴水モーゼの噴水「十戒」の銘版を手にしたモーゼは旧約聖書の予言者として知られている人物大聖堂スイスで最も高い100mの尖塔があり、1421年に着工された後期ゴシック様式の大聖堂で完成したのは1893年正面玄関上部には16世紀、エルハルト・キュング作の「最後の晩餐」の聖像(コピー)がある聖堂への入場は無料で、尖塔へは3Sfr.。尖塔からはベルンの旧市街が一望できる絶好のポイントベルンの町を築いた王様(ツェーリンゲン家ベルヒトルト公爵)が、最初の猟でしとめた動物が熊だった。王様は最初にしとめた動物を町の名前にしようと決めていた。それでベルンという名前になったと。熊とは、ドイツ語でベールベルンの旧市街は石造りのアーケードが連なる商店街が名物。デパートもファッションブティックも古風な同じ造りの建物の中に収まっている。なかでもユニークなのが、半地下に設けられた店舗。この入り口は、はて?アーケードの外側、道路に面して斜めにドアーがついた入口がある。階段を下りると、そこが店。秘密めいた雰囲気を生かしてか、個性的なブティックや画廊、小劇場やライブハウスなどに使われているところが多い。穴ぐらに入っていくような、ちょっと不思議な構造だアーケードの商店街にはスイーツもサムソンの噴水ライオンの口をこじ開けている巨人。戦争で活躍した男たちの力強さを象徴するもの時計塔はベルンの旧市街のシンボル的な存在。17時にからくり人形が動くと、手前に「ツェーリンゲンの噴水」ツェーリンゲンの噴水甲冑をつけた熊の兵士。ベルンの創始者であるツェーリンゲン家を象徴しているクラム通りを振り返る。噴水は約100m毎に存在する16:45クラム通りの時計塔を過ぎコルンハウス通りトラムが走るコルンハウス通りの北方向ここにも噴水が建つ子供食いの噴水子供の頭にかぶりついている食人鬼。子供に危険を警鐘する意味があったとか噴水には、熊熊熊時計塔は1191年に建造され、1250年まで町の境界を守る門として使われた。何度か修復が加えられているが、旧市街を象徴するベルン最古の建物だ。時計が取り付けられたのは1530年のこと建物にはフレスコ画三輪の人力車16:59仕掛け時計のカリヨン(組鐘)は、毎時4分前からなり始める。時計塔の下には多くの観光客が群がる鐘の音に合わせて鶏の時報、小熊のパレード、道化師などが次々と現われる様子は一見の価値あり。月や星がデザインされた時計盤も美しい17:10時計を見上げている間にツアー仲間の人がスリに遭遇。ショルダーの中の財布が盗まれたと。スリの女性は折からの警邏中の警官に逮捕添乗員と被害女性が警官に説明。被害は5万円と5万円相当の財布とか17:15約一時間半のベルンの旧市街を巡った後、バスに乗車して約62km先のウェンゲンヘ。19:12ラウターブルンネンからは、車が入れないため登山鉄道を利用して標高1275mのウェンゲンヘ19:25ウェンゲンのホテルへ到着、このホテルへも2連泊。20:00夕食はホテルのレストランで「ビーフ料理」夜もビールを飲む 4.8 SFr.スイス二日目の歩行数は、17,000歩 スイスの旅-続く
2020.08.28
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スイスの旅二日目は、チューリッヒ市内観光後、ルツェルン観光へ。ルツェルンの観光と言えば、「カペル橋」「旧市街」が定番で二度目の訪問である。ルツェルンは中世の面影を残す旧市街、湖から流れ出るロイス川に架かる屋根付きの橋、かなたに望む山々。ルツェルンはスイスでも指折りの風光明媚な町。ドイツ語ではルツェルンだが、フランス語ではルセルンと呼ぶ。平成26年7月21日(月) 11:30ルツェルンへ到着バスから降り、観光案内板右側にバスから降り立ち、「カペル橋」を渡り時計方向に散策四森州湖(フィーアヴァルトシュテッテ湖)がロイス川に流れ出るところに架かる「カペル橋」。 左側が四森州湖で、ロイス川には白鳥カペル橋はいつも花で飾られている四森州湖がロイス川に流れ出るところに架かる屋根付きの木橋。ゼー橋という大きな近代的な橋が駅前広場からのびているが、カペル橋はそのすぐ隣に位置する。14世紀初頭に建造され全長は約200m。ヨーロッパでは、最長、最古の木橋である。その優雅な姿は、ルツェルンのシンボル橋の途中に八角形の屋根をのせた水の塔があるが、これは灯台もかねた防衛の塔。カペル橋自体も、湖側からの敵の進入を阻むために建造された屋根の梁の部分にはルツェルンの守護聖人の生涯を描いた100枚余りの板絵がある。1993年に火災に遭い、旧市街側の一部を残してかなりの部分が焼失したが、翌年に再建された回廊を想わせるカペル橋。火災のあと再建された部分はまだ新しいが、板絵も忠実に復元されている。玉葱の尖塔は『イエズス会教会』カペル橋の上から旧市街地方向旗がなびく『旧市庁舎』カペル橋の下流側にある『シュプロイヤー橋』ロイス川に架かるもうひとつの屋根付き橋。近くに粉ひき場があったことから、粉ひき橋とも呼ばれる。建造されたのは1408年だが、嵐で崩壊し、1568年に再建されている1568年に再建されたとき、橋の中央に小さな礼拝堂が建てられたカペル橋と同じように、屋根の梁に板絵が飾られているので、渡るときに頭上に目を!17世紀に描かれたカスペーク・メークリンガーによる「死の舞踊」と呼ばれる連作で、疫病の流行に題材をとっている。ドクロの姿をした死神などが当時の死生観を彷彿とさせる1993年の火災の後で再建された新しいカペル橋よりも、中世の雰囲気がより伝わってくる年期の入った木組みシュプロイヤー橋からの上流側。四森州湖からの水量が多い、川にはいろんな施設が造られていた玉葱型の尖塔が特徴的な『イエズス会教会』。スイスで最も古い歴史を持つバロック様式教会で、1666年に完成施設の一つがパネルで紹介水力で水車を回して動力を得て・・・・・・・・・別の施設も水盤を回して歯車を回す水盤を回して動力を作りゲートを上下させるのか?散水車12:00旧市街地へ入るルツェルン市内の中心を流れるロイス川の北岸一帯が旧市街である。石畳の街並みは、中世の面影を色濃く残しているフリッチの泉が目印のカペル広場、旧市庁舎がある穀物市場広場、壁画が描かれた家々が美しいワイン市場広場など、いくつかの広場をつなぐのがカペル通りというメインストリート商店も多いのでショッピングがてらのそぞろ歩きが楽しい界隈ヒルシェン広場にも壁画の家々が建ち並ぶヒルシェン広場の噴水家の入り口には装飾品ヒルシェン広場の壁画中世の面影を色濃く残しているカペル広場カペル広場のフリッチの噴水噴水の下には花が飾られいりくんだ小径に迷ったら、とりあえず川に出るといいフレスコ画を見ているだけでも見飽きたらないワイン市場広場の壁画と噴水中世の面影を色濃く残している商店の壁画とベランダ別の商店の壁画とベランダ。今回の夜の晩酌用にワインを一本購入 11.5 SFr.穀物市場広場の旧市庁舎穀物市場広場のフレスコ画夏には川沿いのレストランやカフェが外にテーブルを並べており賑やか旧市庁舎のマークであったか?ロイス川に出、向かい側の『イエズス会教会』先程この前を歩いてきたカペル橋を見納める左側にゼー橋があり渡るとルツェルン駅がある。塔の向こう側に『カぺル橋』約一時間の市内観光で、バス乗車前にトイレへ12:35ゼー橋の上から「カぺル橋」、バスの車窓から。約112km先のベルンへ向かう12:45車窓から13:02途中、レストランで昼食バタージャガイモビール(500㎖) 6 SFr. を飲むメインはラクレット13:40デザートのアイス スイスの旅ー続く
2020.08.27
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スイスの旅二日目はチューリッヒ市内観光後、ルツェルン → ベルン → ウェンゲンヘバス移動(約230km)チューリッヒは、スイスの経済、商工業、文化を担うスイス最大の都市でチューリッヒ州の州都。スイスの空の玄関口、チューリッヒ国際空港をかかえ、ビジネス客、観光客が集まる国際都市である一方、中世の建造物も数多く残っており、古さと新しさがみごとに融合している。バーンホフ通りには金融機関やブランドショップが集まる。街は、チューリッヒ湖から流れ出すリマト川を中心に、東岸と西岸に分かれる。平成26年7月21日(月) 9:15市内にはトラムが走るバーンホフ通りを走るトラム9:25リマト川リマト川沿いでバスを降り市内観光橋の上をトラムが走るチューリッヒ湖遊覧の桟橋、中央の塔は『グロスミュンスター(大聖堂)』川沿いに歩き「グロスミュンスター(大聖堂)」リマト川沿いに、中世の雰囲気が残る歴史的建造物が点在。中央に市庁舎ミュンスター橋そばに建つ像(HANS WALDMANN)と、左奥にグロスミュンスター(大聖堂)市街地を散策中世の雰囲気が残る歴史的建造物が立ち並ぶホテル前にスイス国旗を掲揚たばこ屋のショーウインドー「葉巻」葉巻のケース?サングラス&アクセサリー店所々に出窓路地の奥に『聖ペーター教会』13世紀に建てられたロマネスク様式の塔に1534年に取り付けられた時計は、直径8.64mのヨーロッパ最大の文字盤を持つ出窓にはシンボルのライオン?チューリッヒ最古の教区教会『聖ペーター教会』リンデンホフの丘小高い丘にある展望スポット。リマト川沿いの街並みや教会群が眺められる。既に中国人観光客が訪れていたリンデンホフのビューポイントから撮影。手前に「市庁舎」、奥に「グロスミュンスター(大聖堂)」グロスミュンスター(大聖堂)62mの双子の塔は15世紀に建造され、焼失のため18世紀に再建されたもの。塔の上は展望スポットになっている。手前は市庁舎リマト川沿いに、中世の雰囲気が残る歴史的建造物が点在上記右側の教会をズームアップ丘にアジサイが咲くバラも咲き建物の壁には、フレスコ画『聖ペーター教会』を見上げる建物の窓ぎわには花を飾りショーウインドー9:59印象的な美しい尖塔の『フラウミュンスター(聖母聖堂)』853年建立された尼僧院が前身。礼拝堂にはシャガールが手掛けた美しいステンドグラスがある。残念ながら撮影禁止になっていたフラウミュンスターの壁面の飾りフラウミュンスターのファサードフラウミュンスター前のビル街パラデ広場近く、トラムが走るパラデ広場中世の雰囲気が残る歴史的建造物写真は往年の景観フラウミュンスターの尖塔、奥に双子の塔のグロスミュンスター幼稚園児が手をつなぎSAVOY HOTELフラウミュンスター(聖母聖堂)リマト川の向こうにグロスミュンスターロータリーにバスフラウミュンスター(聖母聖堂)壁面の縦の開口部(3か所)はシャガールのステンドグラスだが外からの警備は?チューリッヒ湖へのボートを係留約一時間の市内観光後、バスに乗車してチューリッヒを後にする10:40車窓からの『フラウミュンスター』、『聖ペーター教会』。次の観光地「ルツェルン」まで約55km10:55高速道路を走り、ルツェルンへ向かう。チューリッヒから20km地点、席は最後部席郊外の田園風景牧歌的な田園が広がる11:13ルツェルンまで近くなる スイスの旅ー続く
2020.08.26
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今回のシリーズは、6年前の平成26年7月に妻と行った3度目のスイス旅行です。花中心の長いシリーズになりますがよろしくお願いします。外出自粛と長梅雨でブログネタもなくなり、この旅行はブログアップをしていないので、写真を取り出し整理して二度目の旅を楽しみました。今までスイスへの旅は妻と二度行っており、1回目:1999年7月、2回目:2001年6月で、この頃の写真はまだフイルムカメラで、帰国後の写真代が約5万円と高価であったことを思い出した。今回は、カメラ(デジカメ)を三台持参して妻との撮影。ツェルマットからの「マッターホルンの朝焼け」この写真が撮りたくて!ツアー会社は、阪急交通社『trapics』trapicsから届いた「最終旅行日程表」旅行期間:2014年7月20日(日) ~ 29日(火) 10日間出発のご案内集合時間は成田空港、8:25と早いスイス全図と動線。成田空港とチューリッヒの往復直行便を利用。スイス国内は、チューリッヒから左回りにバス移動(ピンク色)、途中2つの絶景列車に乗車平成26年7月20日(日) 1日目のスケジュール集合時間が成田空港 8:25と早いため、5:40に自宅を愛車で出発して成田の駐車場へ。時間が早いため渋滞もなく順調に走り成田空港の「J2パーキング」へ 7:10 到着、駐車場から送迎してもらい第一ターミナルへ 7:20 着、集合時間の1時間前に到着した。左のページには、高山病の注意書きが書かれていた!7月20日(日) 8:40旅行会社のカウンターで受付を終え待合室で出発を待つ9:03今回のツアーはホテルへ8泊、機中泊1泊の10日間。参加者は、女性19名、男性11名、内夫婦10組の総勢30名と大所帯であったが、やはり女性が多く、男性1名が一人参加であった。ツアー代は、296,830円(サーチャージ込み)。成田空港待合室9:34搭乗機は、スイスインターナショナルエアラインズ、10:25発、LX-0161 便。スイスへは直行便を利用、所要時間約12時間25分でチューリッヒ空港へ成田国際空港を10時25分に出発し、機内食を2度食べる。15:30チューリッヒ国際空港へ到着。スイスと日本との時差はマイナス7時間(この時期はサマータイム)。入国審査後、手荷物を受け取る17:00(日本時間 24:00)ホテルは、チューリッヒ空港に隣接する『ラディソンBLUエアポート』。日本時間は深夜であるため早々にベッドへ。今日の歩行数は移動日で、約6,000歩であった。このホテルへは、帰国時の八日目(7月28日)の夜にも宿泊するスイスのホテルは枕銭が必要で、各人1 SFr.(約117円)スイスは雄大なアルプスの山々に抱かれた、おとぎの世界のような国。美しい山々の景色だけでなく、古い歴史を色濃く残す各都市の魅力に惹きつけられ、世界中から多くのツーリストが訪れている。正式名称:スイス連邦、首都:ベルン、面積:4万1,285k㎡(日本の約1/9)、人口:約804万人、通貨:SFr.(約117円)、言語:公用語はドイツ語(65%)、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語、日本との時差:-8時間(3月最終日曜~10月最終日曜のサマータイム期間中はー7時間)。スイスの旅二日目7月21日(月) 7:41朝食を食べ、宿泊の『ラディソンBLUエアポート』前にて。今日の天気は曇り空、今まで二度のスイス旅行は天気は最高であったが、今回は曇り&雨の予報ホテル前の庭先に咲いていた花今回の旅は自由時間が多いので、アイガーの麓他をトレッキングしながらの花撮影空港は、ホテルのフロントから屋内でつながっている2階からホテルのフロントを望むフロント前のロビーに立つモニュメント空港前のタクシーロビーのカウンター夜はアルコールが飲めるのか、いろんなウイスキーが並んでいた照明の中をズームアップすると「ワイン」か?このあと、9時にホテルを出発してチューリッヒ市内観光へ。 スイスの旅-続く
2020.08.25
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残暑お見舞い申し上げます!南米の旅九日目、十日目の最終ブログです。平成21年6月13日(土) 6:43リマ空港を深夜の、0:05 に出発したが機内では疲れから熟睡した。約8時間45分のフライトでロサンゼルス空港へ到着。ペルーとロサンゼルスとの時差は2時間。入国審査で指紋採取があったが今回は片手のみ入国審査後ターミナル内出発まで4時間位ありそれまでどうするか思案7:40出発ゲートを確認ロサンゼルス空港発、11:40 KE0002便で成田空港へターミナル内でビールを飲み、朝食をとりながら反省会をすることに昨夜もリマで寿司を食べたが、すしバー「Sushi」で弁当を購入Mさんご夫妻を交え反省会ロサンゼルス空港成田までの飛行時間は約11時間25分で、途中日付変更線を通過するAmerican航空機搭乗する大韓航空機どこの航空機か11:08搭乗ゲートロサンゼルス空港発、11:40 KE0002便で成田空港ーSEOUL行きペルー時間:14:47機内に入り昼食を配るペルー時間:15:24来るときにも食べた、「ビビンバ」を要求日付変更線を通過、日本時間:6月14日(日) 12:37(ペルー時間:22:37)二回目の食事が出る6月14日(日) 15:27(ペルー時間:6月14日 1:27)成田空港へ到着第一ターミナル入国審査へ手荷物受け取りスーツケースを受け取り、ツアー仲間、ツアーディレクターの森山さんに御礼を伝えバスへ。同行のMさんご夫妻とも再会を約束して別れる成田空港からは、16:20 発のバスで戸塚・藤沢・辻堂・茅ヶ崎方面へ。茅ヶ崎へは18:50 に到着11年前の南米の旅にお付き合いありがとうございました。私にとっては当時を思い出しながらの二度目の旅でしたが、地球の反対側で移動距離の長い旅であった。毎日のようにホテルへは深夜に到着、出発は早朝とハードなものであった。しかしながら、世界三大瀑布のイグアスの滝、ペルーのマチュピチュ遺跡、ナスカの地上絵と欲張りな旅であった。ペルーのクスコでは高山病にもならず無事帰れたことに感謝。ペルーには人気のチチカカ湖もあるが、あれから11年も経ちもう長距離旅は無理であろうと思いながらこのブログをまとめました。なお、今回写真を使用させていただいた旅友に対し感謝します。帰国後は折からインフルエンザが流行していたので、会社へ出社前に近くのクリニックへ立ち寄りインフルエンザのチェックをし「陰性」とのことで出社したのであった。今回の旅の動線はおまけ!私のパソコンを開いたら、この写真が一瞬日本の富士山かと思いどこから撮影したのかと、伊豆半島にしてはと思いきやチリの南部にある『オソルノ山』であると、この山はチリのシンボルとされている山で標高2660m。山頂には富士山と違い氷河があると 南米の旅-END
2020.08.20
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南米の旅八日目の後半は、昼食後ナスカから再度、450km離れたリマ空港へ北上、夜の便でロサンゼルス空港へ。平成21年6月12日(金) 11:17パンアメリカン・ハイウエィへ入るパンアメリカン・ハイウエィは、南北アメリカ大陸の国々を結ぶ幹線道路網である。 ハイウェイの整備構想が最初に提唱されたのは、1923年チリのサンティアゴで開催された第5回米州国際会議である。構想を受け、道路整備のための具体的な調整の場として、関係国をメンバーとするパンアメリカンハイウェイ会議が設置され、1925年の第1回会議以降、道路整備の進捗に合わせてこれまで不定期に開催されてきた。各国の道路整備については、計画・建設から建設費に至るまでアメリカが大幅な支援を行っており、特にその動きが顕著であった1940年代から50年代にかけてその整備が大幅に進んだハイウェイは南北アメリカ大陸のすべての国を結ぶ国際高速自動車道路。北はアラスカのフェアバンクスから南は南米最南端のフエゴ島に至る全長20万8933kmで、ほぼ全線が開通しているパンアメリカン・ハイウエィの前方に、『ミラドール(展望台)』。地上絵の研究家として有名なドイツ人女性考古学者、故マリア・ライヘ女史が地上絵の観察のために建てた20mほどのやぐらであるナスカの地上絵は、1994年12月17日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された11:30リマへのバス移動の途中、パンアメリカン・ハイウエィの横にあるミラドール(展望台)に立ち寄り、ここに昇ったが。チョット華奢な感じがし、登るのが怖い、高所恐怖症の私は尻込みしたが人数制限は10人だが重量制限が無く、使用部材も細い、基礎も大丈夫?南のチリ方向北のリマ方向やぐらの上からは「木」と「手」の地上絵の一部分が真下に見えたやはり上から見ないと分かりずらい。最近ではドローン撮影をしているのではなかろうかツアーバスやぐらの上から降りる午前中、我々もセスナ機に搭乗しこの上まで飛来したこれからリマ空港までパンアメリカン・ハイウエィを北上、ひたすら450km走る西側の太平洋側11:42リマ空港へ向けて出発11:49ミラドールを出発してから7分、水が流れている数少ない川を渡る12:56ミラドールを出発してから1時間経ち、道路に警察官が立ち取り調べ?途中ハイウエィの道端に『KEIKO FUERZA 2011』の看板が点々と。人権侵害や汚職などで刑事訴追されているペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の長女で国会議員のケイコ・フジモリ氏(32)が新党を結成し、2011年の大統領選挙への出馬をするとのこと。新党の名前は「フエルサ2011(Fuerza 2011)」で、自身が党首を務めるという宣伝ポスターなのであった。立候補の理由について「父が無罪で、国民も父を懐かしんでいると確信しており、世論調査でもそれが証明されているため」と説明、「正当な大統領候補がアルベルト・フジモリなのは明白だが」と帰国後の2年後に選挙があったが、ケイコ・フジモリ氏は決選投票で僅差で敗れた。13:22道路沿いには祠が沢山あったが、交通事故死か?道路脇に、サヤエンドウのような実がぶら下がり、赤い花が咲いていた13:40イカの町地上絵のためのフライトのもうひとつの拠点となる町イカは、リマから南へ行くこと約308キロのところにある。砂丘と渓谷と太陽という土地だが、農業地帯で、綿花、アスパラガス、柑橘系の果樹園、そしてブドウ畑などがある。市内の見どころとしてはアルマス広場に面して建つカテドラル、ラ・メルセー教会などのコロニアルな町並みがある13:58道路脇の標識は、ミラドールから2時間20分走りLIMA 276KMPISCO 44KM砂漠の中のパンアメリカン・ハイウエィを走る15:24この辺りは交通量も少なく片側一車線16:04この辺りは片側2車線で砂漠地帯が続く16:30途中、警察によるスピード違反検問に我がバスはひっかかった模様で、停車すること20分。もちろん添乗員からの説明はなくリマへの道を進めたのであった。道路脇には、露天商が立ち並ぶ警察官となにやら交渉・・・・・・16:44パンアメリカン・ハイウエィ沿いのガソリンスタンドへ立ち寄りガソリンを補給16:57太平洋岸が見える道路沿いの塔は何?砂防用か?16:58砂漠の中に養鶏場18:10ナスカで昼食を終え、出発してから7時間でリマへ。夜のリマの名所をバスから眺めた18:45そして夕食のために日本料理店の『富士』へ。ペルーには日系人口が数十万に達しており日本食のレストランも多いと久しぶりの「にぎり寿司」の夕食を楽しんだ。寿司のほかに、茶碗蒸し、味噌汁が出たがどれも美味しかった。この後は、帰国まで機内食の連続であった19:39夕食後、リマ空港へ向かう20:15リマのホルヘ・チャベス国際空港へ到着。21:02LANの出発カウンターでチェックイン22:22リマ発、0:05 LA600便でロサンゼルス空港へ。所要時間は、約8時間45分で、また日本への長い旅が始まるのだ 南米の旅-続く
2020.08.19
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南米の旅八日目、ナスカの地上絵を遊覧飛行後、ナスカ市内観光へ。平成21年6月12日(金) 7:52約30分の遊覧飛行後ナスカ空港の滑走路へ進入。最前列のためこの角度がいい着陸し左側に管制塔我々が搭乗した6人乗りセスナ機7:55かなり右に、そして左に旋回しながらの急降下の繰り返し。昨日のアルコールが残っていたのかやや酔いの症状が出てきたが、30分の遊覧飛行を大いに楽しむことが出来た。天気により、そして見る角度によりいろいろな色の地上絵が鑑賞できるのであろう。そして見えてくる絵の順番も座席の左右、そして当日の気流等により変わるのであろう滑走路を後にする。この日は快晴、地上絵は初めはもっと太い線で見えると思っていたが、かなり細い線で出来上がっているのでなかなか確認することが難しいことを実感した。いつまでも大切に子孫に残しておきたい世界遺産であったが、砂漠地帯であるので保存も大変ではなかろうか待合室内へ、まだ8時頃で観光客はまばらナスカの地上絵搭乗証明書を頂く飛行場前の土産物店、まだ観光客もまばら。店の間から出番を待つセスナ機が見える8:20ナスカ空港を出発。セスナ機への搭乗待合時間が短かったため、予想外に早くナスカの地上絵観光が完了したパンアメリカン・ハイウエィの「LIMA」「NAZCA」標識バスのフロントガラス越しのナスカの街並み街角に露天商が立ち並ぶナスカの観光は「地上絵の遊覧飛行」と「アントニーニ博物館」だろう。アントニーニ博物館は1982年からナスカで発掘を続けるイタリア発掘班の博物館で、展示品は発掘されたナスカ文化の土器、織物、楽器など。中庭にはナスカの水路や墓のレプリカがある8:30街中に入りバスから降り散策。ロータリー内の公園公園の芝生も地上絵の「サル」の図柄で植栽されていた水のない噴水ロータリー横の教会リサイズの関係で多少縦長になっておりますツアーディレクターの森山さんも旅の終盤になり多少お疲れ気味ではベンチにもナスカの地上絵このおじさんは、リマからの現地添乗員の大上氏8:38地下の洗濯場。路地裏では、数メートル下がった地下水路を利用して洗濯をする主婦の姿があった洗濯後の水を流すと、水が汚れ下流の人は使用できないのではなかろうかと8:45バスに乗車車窓から、ここの住宅も三階、四階と増設パンアメリカン・ハイウエィを走り次の観光地へ8:50現地添乗員の知り合いがやっているという、インカの土器の製作工場へ立ち寄った。真っ赤なブーゲンビリアが咲く工場へ入ると、相撲の高見山とフセインを2で割ったような顔の人の良さそうなオジサンが、土器の製作工程を丁寧に説明してくれたのだ。現地添乗員の大上氏が同時通訳で説明器も製作花瓶であろうかオジサンの作品のインカのマスク値段札は、150 Sol。1ペルーソルは約31円で4,650円と割高、値引き可能であろうが、値引き交渉は半値からか? 値段札×0.5×0.8が目標値このマスクの値段札も、150 Sol、他に 70 Sol もあったユニークなこれは何?9:20土産物店内には他にもいろんな土器類があった、約30分間の工場見学9:25建築用の日干し煉瓦であろうか時間が早いが昼食会場へ。木陰の芝生の中にはテントがいくつも張られていたがキャンプ場か?9:30昼食は中庭に花の咲く小綺麗なレストランでここにも、巨大なサヤエンドウのような実がぶら下がった木があった。現地添乗員は『ポンセアニ』と呼んでいるとのことであったが、ネットで調べてもヒットせず上記の木の葉はシダのようで涼しさを与えてくれる庭には名前は判らないが、日本のハゼに似た葉が真っ赤になっていた。日本なら紅葉だが上を見ていると、腹と頭の上が真っ赤な小鳥が飛び回っていたが鳥の名は「???」10:04昼食会場時間は早いが、今日の朝食は5時過ぎであったのでお腹も空き、ビールを飲みながら食べる前菜はオムレツ風カットすると中には肉であったか?そしてメインはハヤシライス風10:46食事を終え再度見上げると別の種類の鳥? 南米の旅ー続く
2020.08.18
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南米の旅八日目は、今回の旅の最後の観光である『ナスカの地上絵』。ナスカの地上絵観光後、リマへ戻るので今日も早朝出発。平成21年6月12日(金) 6:28今朝も5時にモーニングコールで起き、ホテル内で朝食。今日も天気は快晴6:45ホテルを出発してナスカ空港へ向かうナスカ空港へ6:55ナスカ空港、駐機場にはセスナ機が朝日を浴びて出を待っていたバスにてナスカ空港まで20分で到着。空港には、幸い時間が早いため観光客はまだ少なかった。添乗員から余り時間を待たずに乗れそうだと。通常は2~3時間待ちは驚くことでは無いという。利用するセスナ機会社はAERO CONDOR社待合室には時間が早く他のツアー客はおらず待合室で待つこと15分ほどで搭乗出来ることにここにも、マリア・ライヘの図荷物検査の後、滑走路へ地上絵遊覧のフライトはおもにナスカ発。セスナ機で旋回するうちに、酔ってしまう場合がるので、フライト前の食事の量は少々加減するといいだろうと私にとってセスナ機に乗るのは今回が初めてであるので酔いが心配。そのため搭乗する前に一服飲む滑走に降り機の前でパイロットが待っていた。現地添乗員のアドバイスでチップを各自1ドル支払う。上空でのサービスが違うという?そして搭乗機の前でパイロットを交えて記念撮影。パイロットはベテランそうで一安心。撮影者を含めて客5人での搭乗7:23搭乗して動き出す。私の席は最前列右であるので、機の前は見えずかなりのプロペラ音の中 離陸ナスカの地上絵は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表に描かれた幾何学図形、動物絵であるナスカの山並みは緑が無く砂漠化下にパンアメリカン・ハイウエィが見えて来た緑の田園風景が広がるセスナ機の前方からの視野は視線が上で空ばかり、右の窓から見降ろす砂漠が広がるパイロットから「LEFT、RIGHT」と言われ、右下を見下ろすが地上絵は、初めもっと太い線で見えると思っていたが、かなり細い線で出来上がっているのでなかなか確認することが難しいことを実感した水が流れていないナスカ川であろうか。飛行高度は150メートル前後?離陸後1分を待たずに丘の斜面に「宇宙飛行士」が見えた。他の絵と違って小高い丘の斜面に描かれていた。上空から眺めると、丸い目をした人間が右手をあげて「ヤー」と挨拶しているように見える不思議な絵だ。ところでこの絵が描かれた時代に「宇宙飛行士」という言葉があったか、発見後の命名?線が薄いが「サル」を確認。丸い同心円状の尾の部分の上部が雨水の流れにより?、かき消されてしまっている別の角度から「サル」天気が悪いとなかなか確認できないのでは次に「イヌ」を確認。手足と尾がやけに長い感じがする平らな大地の上に「ハチドリ」が見えてきた。ズームアップして撮影。荒涼とした風景の中で、蜜を吸う長いくちばしをもったハチドリの姿が確認できた。最も保存状態の良い地上絵の一つでよく見えた機は右に左に旋回しながら飛行、下向きの「コンドル」が見えてきた。両翼を広げたコンドルの姿は雄大である。ハチドリと同様、輪郭が鮮明に残っている地上絵のひとつだ。他の線も交差しておりよく見ないと右斜め上に「クモ」の頭のみ写っていた。予備勉強していないと難しい次に「オウム」の嘴が写っていた。翼を広げたオウムと呼ばれているが、コンドルと呼ぶ人もおり、何を描いたかはっきりしない絵の一つであるとこれも他の線と交差しているが「フラミンゴ」パンアメリカン・ハイウエィ脇の砂漠の中に立つミラドール(展望台)。左側に「木」、右側に「手」が見えた約30分の飛行でナスカ空港へ旋回民家の周りに緑の田園ナスカ市街地地上絵の見学の拠点となるナスカは、標高約620メートルでリマから約444キロ。人口は約2万3000人で町自体は大きくないサッカー競技場、手前にパンアメリカン・ハイウエィが走る高度を下げ着陸態勢に7:52ナスカ空港沿いの、パンアメリカン・ハイウエィ 南米の旅-続く
2020.08.17
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南米の旅七日目、ペルーの旅と言えば、一に『マチュピチュ遺跡』、二に『ナスカの地上絵』といわれる、今回の旅の最後の訪問地へ。リマの『パチャカマック遺跡』を見学後、パンアメリカン・ハイウエィを走りナスカへ。平成21年6月11日(木) 13:25パチャカマック遺跡パチャカマ文化は600年ごろにペルー中央海岸地帯に発生したといわれる。太陽の処女の館、太陽の神殿などがあり現在も発掘が続けられている。太陽の神殿の上から太平洋を望む太陽の神殿入り口を振り返る遺跡の周りには畑も観光案内板Museo de Sitio PACHACAMACこの遺跡の見学のための遠足とのことで、現地の子供達が歓迎してくれた大きなサボテンも砂漠の中を道が続くパチャカマック遺跡の観光ルートこの像はパチャカマック遺跡の側をパンアメリカン・ハイウエィが走る13:40ツアー人数が17名のため中型観光バスでナスカへ移動これからの移動ルート。高いツアーはリマから飛行機で行くのであろうが、我々はこれからバスで約450km南下。クスコからはアンデス越えになるが道が無く、大きく迂回してナスカへ。黄色線は「パンアメリカン・ハイウエィ」パンアメリカン・ハイウエィからの太平洋に浮かぶ島タンカーも浮かぶ14:32片側二車線の道路が続く民家の集落があったが砂漠地帯なのか山には木がない14:38車窓から、砂漠の中に白い小屋が連なっていたが養鶏場とのこと丘を削ってハイウエィを整備これも養鶏場か14:51ひたすら砂漠の山をぬいながら、バスは走り続けるのであった15:02飛行機の遅れで、遅い昼食をとるためにレストランへ飛行機が大きく遅れたため、レストランでの昼食は、予定のレストランからの仕出し弁当に変わっていた。海鮮入りパエリアの如きもので、サラダ付きで非常に美味しかったデザートはフルーツの盛り合わせと豪華15:24暑いのでレストランでビールを購入しバスに持ち込み食後酒としたのであった。本来はバス車内での飲食は「ノー」であるが今回は了承してくれた。このような交通機関の遅れ等の非常時用に、食事に関するリスクマネージメントも確立しているのだと、またまた感激したのであった。この辺が現地添乗員の腕の見せ所であろうか。砂漠地帯の中を流れるこの川は?砂漠の中に建物が分散しているが17:16ガソリンスタンドでトイレ休憩ガソリンスタンドの前に巨大なサヤエンドウのような実がぶら下がった木があった。実は幅30mm、長さ400mm。現地では『ポンセアニ』と呼んでいるとのことであったがガソリンの値段は???19:38そしてバスで450kmの長旅も終わり、ナスカのホテル『HOTEL NAZCA LINES』に到着したのであった。今日一日は飛行機の遅れもあり長い旅であった。リマ空港から約7時間を要したホテル内には「ナスカの地上絵」の位置図拡大してマリア・ライヘ(1903.5.15~1998.6.8)ドイツ出身の数学者、考古学者。ペルーのナスカの地上絵を研究した。1932年に29才でペルーに渡り、クスコにあるドイツ領事の子供たちのナニー兼家庭教師として働き始めた。彼女は5か国語が話せた。ナスカの砂漠の上空を飛行中に直線と図形を発見したナスカの地上絵の研究に生涯をかけた「マリア・ライヘ女史」の肖像画測量をするマリア・ライヘ女史19:42ホテル内にはプール19:54今夜の部屋もトリプル20:13夕食はホテル内のレストランで食べる。今日は同行のMさんが誕生日前夜祭とのことで添乗員から記念品を頂くメインディッシュは「パスタと野菜の炒め物」デザートはケーキ夕食後、我々の部屋で昨夜はクスコの高地であったため飲酒できなかったので、今夜が南米の旅最後の夜でもあったので同行のMさんご夫婦を交え5人で宴会。今朝は早起きで移動距離も長く疲れていたのであろうが、24時ごろまでワイン、ウイスキーを飲み大いに盛り上がったのであったこの後、3人のいびきのコーラスで熟睡したのであった。明日も移動時間が長く、モーニングコールは5時と早い。 南米の旅-続く
2020.08.16
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南米の旅七日目は、高地のクスコから空路低地のリマへ戻りバスでナスカへ。平成21年6月11日(木) 6:44モーニングコール4時に起床、ホテルで朝食を取り誰一人遅れることなく、5:30 にホテルを出発してバスに乗車しクスコの空港へ向かった。皆さん旅慣れた方達でまだまだ元気である。疲れたとは言いながら、見逃してはならじの貪欲さを持ち続けているのであった。空港にてチェックイン後待合室へ我々のフライトは、7:35 発 LAN LPE024便を電光掲示板で確認7:13ところが7時を過ぎてもスポットに飛行機が到着しない。その内アナウンスがあり、濃霧によりリマからの便が着陸できず、上空を旋回中のため30分程度遅れる模様と。折角朝早く起きてきたのにと思いながら待つことに7:48やむ無しと待っているとその内係官がパネル表示を取り替えた。パネルには『Delayed』の下に『Canceled』と8:10この後の我が添乗員のMさんのリアクションのすばらしさに感激。全員のパスポートとeーTICKETをとっさに集め出した。次の便を予約するのは早い者勝ちなのだ。そしてカウンターでなにやら真剣に交渉。お陰で2時間遅れの 9:30 LP115便に登場できるとの情報。なにせツアーであるので18人全員が同じ便に乗る必要があるのだ。やはりクラブツーリズムは日頃の訓練が行き届いている。やれやれと一安心表示板はLP115便の案内。出発は2時間遅れの 9:30。この辺が添乗員の能力の見せ所であると実感したのであったが、やはりこの便も1時間遅れの 10:30に漸くリマに向かって離陸したのであった11:40約1時間でリマにある、ホルヘ・チャベス国際空港へ到着、ターンテーブルで荷物を待つホルヘ・チャベス国際空港ターミナル内の搭乗カウンターペルーの案内板はスペイン語と英語を併記11:52搭乗便の変更は、既にリマ空港で待つ現地添乗員には連絡が入っていた模様で無事到着を歓迎。このあとバスに乗り450kmの移動が開始されたターミナル前で今回同行されたMさんと12:14ペルー市内を移動。スケジュールでは、リマ市内観光があったが約3時間遅れたので、一路ナスカへ向かう。リマはペルーの首都で、ペルーの人口のおよそ3分の1が生活するロータリーに各国の国旗が掲揚されていたが何か大会?国際空港から市内までは車で30分ほど。リマには、旧市街のリマ地区(セントロ)と新市街のミラフローレス地区、サン・イシドロ地区がある。かつては旧市街がリマの中心だったが、オフィスが集まる中心地は新市街へと移ってきている。旧市街の古い町並みは、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。トヨタ、ホンダ、三菱自動車のディーラーも建つペルーリマでは、お金がたまると3階を増設すると車窓からの建物教会も建つ。予定では、旧市街、マヨール広場を車窓から見る予定であったがスルーバスは太平洋側を走る、パラグライダーが舞う太平洋海岸。はるかかなたには日本が・・・・・・・。昭和35年(1960)5月24日早朝来襲したチリ津波もここより南から日本へ12:41バスは海岸道路を南下。途中バスの車窓から、『恋人たちの公園』。この辺りは高級住宅街にあるミラフローレス地区。園内には恋人が抱き合っている巨大なモニュメントが有名ビル街で道路工事中一風変わった色のビル海岸沿いの丘の上にビルが建つ。リマは、チャラと呼ばれる海岸砂漠地帯に位置する都市で都市圏人口は1,095万人(2016年)道路沿いのモニュメント住宅地は丘の上にあり大津波が来ても大丈夫であろうが、地肌には木が無く砂が飛散するのではと思いながら12:45この付近はミラフローレス区。断崖絶壁の僅かな空地に高速道路が走っているそしてこの砂地とも思われる法面を、剥き出しの断崖上に大きなビルが建っているのであった。日本では安全上考えられない光景であったここにも大きなモニュメントが建設中。彼女を見上げる男性であろうか太平洋岸の海岸、小さな船が、釣り船?12:51リマの下町へ入る砂山の上には鉄塔が林立海岸沿いの砂山?の上には市民住宅が建ち並んでいた。余計な心配だが上まで道路があるのか、また電気、水道のインフラは砂山?には市民住宅が建ち並ぶがペルーには地震は?ネットで調べると2001年以降、M.5.6以上は7回発生しているが死者数が少ない(MAX596人)この辺りの建物も増築中が多い13:03高速道路へ入る13:07砂丘の斜面には植栽13:15途中、時間に追われながらも『パチャカマック遺跡』に立ち寄るこの建造物群は、ペルー海岸地帯の最も重要なスペイン期の聖地であったとのこと。当時全国各地から常時巡礼者が訪れた場所とのことであったリマから南東へ約30kmの海岸近くにあり、現在でも発掘が続けられている。インカ帝国に侵略される前にあった、イシュマ文化時代に作られたとみられるピラミッドです。この時代のピラミッドには、スロープが付いていた砂漠地帯にあるので緑が無く。一本の道がずっと続く壁は日干し煉瓦でできている現在でも発掘が続けられているたくさんの遺跡が残されている、スペイン人が宝物を探すため壊されてしまった。廻りには民家が立ち並ぶ右奥には太平洋が見える太陽の神殿13:24太陽の神殿の入り口 南米の旅-続く
2020.08.15
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オリャンタイタンボの観光後、バスで高地の町クスコへ。平成21年6月10日(水) 15:48マチュピチュからクスコの途中にあるインカの大要塞・オリャンタイタンボの村へ立ち寄る。ここまでは観光バスも来れるので、我々のバスもここで朝から待機していたインカの大要塞・オリャンタイタンボの村を観光石畳の住宅地一階部分は石を積み上げていた。石畳は中央を下げ水路に狭い通路を進む村の中の小路で少年がインカの歌を歌ってくれた一階部分の石積みは暖房対策?石積みの民家ある民家の中へ入れてもらった。ここではモルモットを食べているという。室内ではたくさんのモルモットが餌を食べていた屋根裏から、トウモロコシなどの穀物がつるされていたおまじないか?室内には祖先の頭蓋骨が祭壇に置かれていた民家の庭先には黒い鳥村の小路で土産物を売る女性と、現地添乗員の鈴木さんお土産の人形スペイン軍に侵略される中、ここオリャンタイタンボを要塞としたインカは一度も敗れなかったという。階段状のものは段々畑。これもインカを印象づける遺跡で、インカの壮大さを存分に物語ってくれていたこの建物は穀物倉庫といわれる遺跡見張り小屋と段々畑段々畑の上に、オリャンタイタンボの要塞があり多くの観光客が登っている山肌の断崖にある見張り小屋オリャンタイタンボの村の廻りの山には段々畑、要塞がある16:21オリャンタイタンボの村を約30分観光後、バスに乗り込む。この像はスペインと戦った将軍であろうか?16:31オリャンタイタンボからクスコへ向けて走る。所要時間は約62kmで1時間半16:43遠く谷底に白い棚田が見えてきた! マラスの塩田だ。バスのドライバーが現地添乗員に説明してやれと。アンデスの渓谷から突如流れ出す湧き水は高濃度の塩水であったことから、太古の昔、これを渓谷の斜面に作った塩田で天日干にすることで、塩の生産が始まったと。一見、山の残雪のようにも見えた。海から遠く離れたアンデスで唯一生産された貴重な塩は、インカ帝国時代、その生産を帝国が一括管理して、広大な領土に分配していたと伝えられているという標高3300mにある『マラスの塩田』(ネットから)クスコからの観光ツアーもあるようだ「マラス塩鉱山とモライ考古遺跡」この辺りの標高は約3000メートル。ペルー旅行で気にかかる高山病。高山病にかかると頭痛、なんとなく息苦しい(酸素が足りない感じ)、ふらっとする、手足がしびれてしまうなど。徐々に高度を上げていけば体が慣れていくが、2500メートル以上の高地など、一気に標高の高いところに移動したときに発症しやすい。予防策としては、 ①疲れないようにする ②お酒・タバコをひかえる ③ゆっくり行動する ④水分やコカ茶を多く取るようにする などが挙げられる峠に向かう途中、雪を頂いたアンデスの山々標高3500メートルクラスの山々富士山のような山が17:22峠の手前で停車して小休憩バスを降り各自撮影アンデスに沈む夕日標高は3500メートル17:29そして峠越え。旅友の腕時計の高度計は3829メートル18:57クスコのホテルへ入る。トリプルルームホテルの客室前の廊下に飾られていた絵画19:13夕食を食べながら、民族衣装に身を包んだショーを見る。高地のためアルコールは禁止と!!!料理は、ペルー名物の地鶏料理民族衣装に身を包んだインディヘナの演奏するフォルクローレの歓迎を受けた。ここで『コンドルは飛んでいく』を聴く民族衣装に身を包んだ女性若い男性も民族衣装に身を包み激しく踊っていたが、ここは高地だが馴れているのか19:26約20分のショーを見る夕食後、明日は4時にモーニングコール、5時半に出発との添乗員の声。高地であるためアルコールは控えるようにとのことで部屋へ帰り早々にベットヘ入る。明日はいよいよ今回の最後の観光地、ナスカの地上絵へリマから片道450km以上のバス移動が始まるのであった。 南米の旅ー続く
2020.08.14
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約3時間のマチュピチュ遺跡観光を満喫し、シャトルバスで下山、アグアスカリエンテス駅から列車&バスを利用して今夜の宿泊地クスコへ移動。平成21年6月10日(水) 13:01麓のマチュピチュ村マチュピチュ村の土産物店インカ風模様生地など並べたショップを覗いてみた。総じて原色が多用され、ちょっと派手目いろんな絵柄のバックアグアスカリエンテス駅発、13:58の高原列車に乗車。来る時は乗車券の合計は、39US$であったが、帰りは32US$と何故か安い乗車賃 :US$ 26.89Tax 19%: 5.11 観光の税金が高いTotal : 32.00線路沿いを流れるウルバンバ川、この川は我々が訪れた翌年豪雨で線路も流されたとウルバンバ川沿いのこの設備は、下水処理設備か浄水設備?ウルバンバ川の堰帰りの高原列車の車窓からもいくつもの遺跡が確認できたインカ道はこの上にあるのだろうか渓谷の中を流れるウルバンバ川、アグアスカリエンテス駅方面を振り返るウルバンバ川の上流側列車はゆっくりとウルバンバ川沿いを進む15:00遠く雪を頂いているアンデスの山ズームアップ前方に吊り橋が現れる民家も見える川沿いに新しい民家、衛星中継のアンテナも立つ山肌には木が無く15:06山もウルバンバ川に浸食されウルバンバ渓谷へと進む農家の建物が現れるこの辺りの山の標高は富士山並みか牧草地も広がる15:28線路沿いの田園風景農作業は冬も近くなり麦の収穫かオリャンタイタンボ駅へ近くなる15:36約1時間半でオリャンタイタンボ駅へ到着オリャンタイタンボ駅構内15:39オリャンタイタンボの街をショート散策 南米の旅-続く
2020.08.13
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マチュピチュ遺跡の後半。平成21年6月10日(水) 10:34建物越しに、『日時計(インティワタナ)』中庭越しにインティワタナが頂上に見える遠く見張り小屋と街並みが一望段々畑にはリャマを放牧草をきれいに食べていた。リャマ、ラマ、ジャマは、偶蹄目ラクダ科の動物である。体高約1.2m、体重70~140kg。南アメリカのアンデス地方に多く住む、姿はラクダと似ているが背中にコブはなく、全身が毛で覆われている。白い毛のものと茶色の毛のもの、白と茶色がまだらになったものがいる。足から頭までの体長は1m程度。寿命は20年(野生)見張り小屋と背後の山はマチュピチュ山?小屋入り口の門。倒壊を恐れてか、上部に木材が使われていたこの辺りで青銅器や土器が多く見つかったことから、この地域は技術者の居住区と言われている。そこに建つ小屋のひとつには、内部中央に丸い石がふたつあるが、使用目的ははっきり判っていない。ハイラム・ビンガムが発見した当時、彼のガイド役を務めた地元の少年がこれを石臼にして食事の準備をしたことから、石臼と呼ばれる根拠になったと言われている。最近では、これに水を張って直視出来ない神である太陽を、間接的に見るための水鏡であると説明したり、夜間の天体観測を行ったと説明したり、各種説明がなされているようだ居住区から見張り小屋、マチュピチュ山覗き窓から見張り小屋からはマチュピチュ遺跡が一望できるコンドルの神殿と牢獄のコンドルの石。盗まない・怠けない・だまさないの掟を破ると刑が下されたと右上に「見張り小屋」があり、段々畑が連なる背後はマチュピチュ山、中腹にはインカ道石壁の間を歩きリャマがのんびり草を食べていた一部家には屋根が葺かれていた遠くアンデスの山には残雪水くみ場。街の中には16の水くみ場があるという石の溝を伝って水が流れていた石段に沿って水が流れていた。水のシステムはかなり発達していたと思われ、ところどころに水くみ場がある。灌漑用水路が完備され高地にありながらも水を供給できる仕組み。石に溝を刻んだ水路や、木をくりぬいた水管がある段々畑への灌漑に利用されている太陽の神殿。マチュピチュ遺跡内で他の建物とは、明らかに違うカーブを描いた石組みの建物、それが太陽の神殿だ。よく石という素材でこんなにきれいな曲線を描けるなと感心する人も多い。石がすき間なくびっしりと積まれた太陽の神殿には、東に向いた台形の窓が2つある。ここが実際にどのように使われたかは分かっていない。神殿の下の部分は陵墓と名づけられ、ミイラの安置所だったといわれている神殿の中は工事中とのことで入れなかった。作業員は石をブラシで洗っていた遺跡の後方にワイナピチュマチュピチュ遺跡の出入口方向段々畑の通路から見張り小屋を見上げる。下から見ると傾斜は緩い感じがする段々畑では、ジャガイモ、トマト等が栽培されていた居住街が一望でき、右側に『太陽の神殿』左にマチュピチュの最高地点にある『インティワタナ』、遺跡の中に広場ワイナピチュを望むマチュピチュ遺跡をバックに最後の記念写真出入り口方向、屋根を葺いているので事務所であろうかマチュピチュ遺跡からの下山道を見下ろす11:11約3時間の散策で、マチュピチュ遺跡出口へツアー会社から「登山証明書」10.06.09 をもらう観光案内図我々は、約3時間マチュピチュのフルコース(赤+青のルート)を巡った。左斜め上が入り口、そしてワイナピチュの峰に向かい右の赤い道を歩き、そして青の道を戻り、再び赤の道に入り帰ってきたことになる12:00昼食は唯一遺跡内にある「サンクチュアリーロッジ」にて。レストラン内は満席であった12:33遺跡内で昼食後、シャトルバスで下山ホテル「サンクチュアリーロッジ」の看板 南米に旅-続く
2020.08.12
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ナタマメも成長。8月1日(土) 待ちに待った花が、ようやく咲く。白い花と思っていたが8月8日(土)開花後1週間で実が大きくなってくる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マチュピチュ遺跡の散策を続ける。平成21年6月10日(水) 9:36街の入り口を見下ろす街の入り口脇から、マチュピチュ遺跡の東側の段々畑を見下ろすより下を望み、渓谷を流れるウルバンバ川。山肌の傾斜角は45度以上か北東方向の山々街の入り口手前の下り石段(西側)9:38街の入り口の扉の内側には、色々な防衛の工夫がなされていたとの説明現地添乗員の鈴木さん街に入り、前方にそびえるワイナピチュ見張り小屋の下(西方向)には段々畑が続く。インカ人は段々畑ではジャガイモ、トマトを栽培していたと多くの観光客が、『3つの窓の宮殿』から左上の『日時計(インティワタナ)』へインティワタナは、マチュピチュの最高地点にある。下は『3つの窓の宮殿』街の中には石段が連なる建物は石を積み上げて、屋根は廃墟となりマチュピチュ遺跡入口方向の『農業地区・段々畑』遺跡から下に向って幾重にもつづく階段状の段々畑。その数には圧倒されるはずだ。段々畑のシステムには2つの働きがあるのではないかといわれている。ひとつはもちろん作物を育てるためで、もうひとつは、激しい雨による山肌の崩れを防ぐためとのことマチュピチュ遺跡内の大広場北東方向の渓谷と段々畑本神殿の右側の石が下に傾いている。地盤沈下が発生しているとのことで日本の大学の教授がこの地盤沈下調査を行っているとのことだ。途中、地盤沈下測定のワイヤーが張られていた地盤沈下が激しい箇所石組みにすき間三つの窓の宮殿。これらの岩石は、綿密に磨き上げられ積み重ねられていた三つの窓の宮殿から、見張り小屋を見上げる、左側にインカ道。後方は、標高3060mのマチュピチュ山。ワイナピチュのチケットが取れなかった人は、マチュピチュ山の登山をしていると。往復で3時間から3時間半ほど時間がかかる。山へ登るためには受付で名前を記入して、帰りも再度名前を言って受付をします。登山は午前7時から8時の入場と午前9時から10時の2回に分かれている東側の段々畑南十字星。この長斜方形の形は南十字星を表しているとのこと。旅友が腕時計の磁石を近づけてみると、東西南北を正確に指していたと。研究者の中には、ここで天体観測を行ったと考える者もいるようだ北東方向の渓谷を見下ろす南東方向の渓谷西方向の街10:05マチュピチュの入り口側九十九折の坂道は駅からから上って来た道日時計(インティワタナ)。突き出た角柱の高さは36cm。それぞれの角が東西南北に向いている。当時は太陽が消えないように、太陽を繋ぎとめるものとして、太陽信仰の重要な礼拝所であったと考えられていて、角柱の影の組み合わせで春分・秋分、冬至・夏至を判断したと推測されているとのことマチュピチュ遺跡市街区域で一番高い場所に造られたという点を考えると、当時のインカの人々が太陽に近い場所を神聖な場所と考えていたのであろうか。インカの人々は太陽暦を利用していたといわれ、種まき、収穫、祭事の日などをこれで知ることができたのではないかといわれるアンデスの山には残雪が残るワイナピチュ、この山は断崖絶壁で急勾配のため、上級者向きの登山コースとなっている。この山は「若い峰」という意味を持ち標高2700mの山近年NHKが世界で初めて高精細映像の4Kによる生中継を、2日間にわたって行った。この時二日目に、俳優の満島真之介がワイナピチュ山へ登山したが頂上付近では命綱を装着していたワイナピチュ山登山の管理センターか?聖なる岩。向こう側の山の形を写しているとか、猫を象ったとか色々言われているようだ。そう言われると、傾斜こそ違うが良く似ているようにも思えたワイナピチュ登山への入り口。ワイナピチュに登るのは登山人数の制限があるので、朝早くこないと登れない場合が多いという10:33中庭越しに、『日時計(インティワタナ)』が頂上に見える 南米の旅-続く
2020.08.11
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南米の旅六日目は、行ってみたい世界遺産ランキング 人気度トップ『マチュピチュ』へ!因みに、1位:マチュピチュ遺跡(ペルー) 2位:モンサンミッシェル(フランス) 3位:サグラダファミリア(スペイン) 4位:アンコールワット(カンボジア) 5位:ピラミッド(エジプト)平成21年6月10日(水) 午前よく見る「空中都市マチュピチュ」8:14バスを降りレストランを潜りマチュピチュ遺跡へマチュピチュの背後にそびえる峰がワイナピチュ。この山は断崖絶壁で急勾配のため、上級者向きの登山コースとなっている。この山は「若い峰」という意味を持ち標高2700mの山ズームアップすると多くの登山者が見える。近年NHKが世界で初めて高精細映像の4Kによる生中継を2日間にわたって行った。この時二日目に俳優の満島真之介がワイナピチュ山へ登山したマチュピチュ遺跡が見え始めるマチュピチュとは「老いた峰」という意味で、「空中都市」または「失われた都市」と呼ばれている。15世紀前半スペインによりインカ帝国が征服されると、スペイン軍はインカの都市をことごとく破壊し尽くしたが、標高2400メートルに造られたこのマチュピチュは、スペイン軍に見つかることなくほぼ無傷のまま残されたのだ。神秘的で幻想的で夢の世界。宮崎駿監督の作品「天空の城ラピュタ」のアニメはここマチュピチュをモデルにしたのだ今回の同行者。Mさんの奥さんは昨年スペイン旅行でお嬢さんと出会い、今回の旅となった先輩と記念写真マチュピチュの総面積は5キロ平方メートル 、そしてその3分の2が山の斜面を利用した段々畑の農地になっている。背後にワイナピチュがそびえるマチュピチュの街の最も高い位置にある見張り小屋マチュピチュは、クスコからウルバンバ川に沿っていくこと約114キロメートルのジャングルの中にある。標高およそ2280メートルの断崖の上にあることから、スペイン人の征服者の目に触れることなく残ったのであろうといわれる急な段々畑を進む。遺跡の発見はアメリカ人の考古学者ハイラム・ビンガム。1911年、ビンガムはインカの都市ビルカバンバの調査に来たところ、廃墟と化したマチュピチュを発見した。残念ながら、幻のビルカバンバではなかったが、いずれにせよすばらしい発見であったことには間違いないなぜ、わざわざ山の頂に建造したのか、どのようにして石を運んだのか、何の目的で造ったのか、どのような人々が実際に生活していたかなど、まだまだ謎多き遺跡である周辺のジャングルと合わせて、1983年にユネスコの世界複合遺産に登録された。遺跡保護のため「遺跡内には食べ物は持ち込まない」などの見学上の注意事項がいくつかあるマチュピチュ遺跡の後方の山旅行のガイドブックで見るマチュピチュ遺跡の全景前方に見張り小屋9:07天気もよく風もなく最高の天気。しばしこの辺りで休憩一般の観光ルートでは一番高い場所石に座り、爪切りを出し長く伸びた爪を切りながら遺跡を見下ろす採石場とその下に段々畑が見える。段々畑はかなりの勾配であり足がすくむ東側の渓谷を見下ろす。この急勾配によく石垣を造ったものだと感心街の入り口(右下)には多くの観光客右前方に、見張り小屋廻りの山並みを見渡す右下の「街の入り口」のすぐ左側は崖っぷち見張り小屋へこの石は葬儀用の石とのこと。この不思議な形の石台は墓地の近くにあり、人間あるいは動物がこの上で生け贄にされたのではないかと言う説があるようだ見張り小屋クスコへのインカ道インカ帝国の端から端までをつなぐ幹線道路がインカの時代に造られ、カパック・ニャンと呼ばれた。その道に沿って等間隔に設置されたのがタンボと呼ばれる旅籠で、チャスキと呼ばれる飛脚が情報を運んだといわれている。首都クスコを拠点に海抜0メートルの砂漠地帯、アンデス山脈など、国中に張りめぐらされていた「インカ道」。旅籠とか飛脚と書くと、この3月に「東海道53次」を完歩したことを思い出す石畳のインカ道その中には、ビンガムが追い求めたビルカバンバ=インカの幻の都へと続く道もあったのだろう。文明の滅亡とともにさまざまな謎も閉ざされてしまったのは残念だ。現在はガイド同行でインカトレッキングも催行されているインカ道への反対側は、見張り小屋東側にある段々畑を望むが、余りにも急斜面で写真を撮りながら足がすくむ見張り小屋から望む、南方向見張り小屋の内側、茅葺屋根であろうか。屋根の傾斜が急だ見張り小屋から南西方向を見下ろす見張り小屋からマチュピチュ遺跡の全景を見下ろす西側の渓谷マチュピチュ遺跡の全景を目に焼き付けて下る街の入り口には多くの観光客9:36街の入り口手前の段々畑 南米の旅-続く
2020.08.10
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南米の旅六日目は、いよいよ今回の旅のメインディッシュである『マチュピチュ』へ。昨夜は高度順応の為、クスコより標高の低い2800mのウルバンバにて宿泊。3000mを切ると高山病らしき弱い症状もだいぶ楽になった。ちなみにウルとはケチュア語でミミズを意味し、バンバは谷なので直訳するとミミズの谷の意。平成21年6月10日(水) 3:05モーニングコールが3:15であったが、早めに起き日本から持参のカレーを食べる旅友の腕時計は、標高 3040m、時間 3:32 3:50ホテルの外へ出暗い中「HOTEL ROYAL INKA PISAC」の看板を見上げるホテル前には近郊の観光写真またホテル内には、ピサックからマチュピチュまでのルート図が描かれていた。数字はCUSCO(クスコ)からの距離、PISAQ(ピサック)の、32kmはクスコから?OLLANTAYTAMBO(オリャンタイタンボ)これからバスで、オリャンタイタンボへ向かうが、距離は、97-32=65kmMACHUPICCHU(マチュピチュ)オリャンタイタンボから高原列車でマチュピチュへの距離は、110.5kmホテル内の暖炉バスは約一時間悪路の中走ったが、早朝出発のため皆さんバスに揺られて気持ちよく熟睡。5:30ホテルを4:30に出発、オリャンタイタンボ駅へ到着。重いスーツケースはバスに預け、必要なものだけを持ちバスを降りる。駅舎内には早朝のため人影はなくペルーレイルの時刻表時刻表を見るとクスコ ⇔ マチュピチュ間は、3本あり所要時間は約3時間。オリャンタイタンボ ⇔ マチュピチュ間の本数は、多数ある、所要時間は約1時間半。乗車賃は高価でネットでみると、往復料金で安く買えて約6,000円、通常価格は約12,600円チケット売り場クスコ ⇔ マチュピチュ間は車は走れないので、列車か徒歩になる。マチュピチュ行きの列車3種類。2003年から新しく導入された豪華列車ハイラム・ビンガム・トレイン、観光客向けのビスタドーム、シンプルな車両のバックパッカー。クスコからマチュピチュまで約114キロ。長距離バスはなく、列車を利用するのが一般的だ駅前にはカフェがあり、ピザ、エスプレッソを販売駅構内はまだ薄暗い5:48山の上には満月がディーゼル機関車ペルーレイルはビスタドームと呼ばれる列車で、オリャンタイタンボ駅からマチュピチュのふもとにあるアグアスカリエンテス駅まで乗車列車内の座席は向かい席の4席席に座りホテルからの弁当を食べる6:10チケットの確認に、列車は予定時間に出発乗車チケットには、各自の名前&パスポートナンバーが記載されていた。乗車賃 :US$ 32.77Tax 19%: 6.23 観光の税金が高いTotal : 39.00当時は英国系の企業が経営していたが6:19オリャンタイタンボ駅を出発して、最初はのどかな畑の風景と雄大なアンデスの山の景色が続く雄大なアンデスの山には雪6:36高原列車はマチュピチュに向ってゆっくり走る。この辺りから川を渡りインカ道を歩いてマチュピチュへ向かう人もいる6:40西の空には満月を過ぎた月、今日も一日天気が良さそうでひと安心6:46この駅で下車してインカ道へ向かう人が多くいる。線路が単線のため、停車してオリャンタイタンボ行き列車を待つオリャンタイタンボ行き列車とすれ違う線路脇を流れるウルバンバ川この川はこの旅を終えた翌年?に豪雨被害で線路が流出したと。今年2020年も豪雨被害があったと高原列車はウルバンバ川沿いをゆっくりと進む7:40約1時間30分ほどで目的地のアグアスカリエンテス駅に到着。列車はここで折り返すのでディーゼル機関車は方向転換するのか?マチュピチュ村にある、アグアスカリエンテス駅標高2000mにある村駅前にはお土産物屋、レストラン、マッサージ屋さんなどが軒を並べるお土産のペナントマチュピチュ村の中央に川が流れており、なんだか雰囲気は日本の温泉宿場のようだ!? ホテルから20分ほど歩いて山の中に入っていくと、露天風呂の温泉があるという7:42アグアスカリエンテス駅からマチュピチュ遺跡へのバス料金。遺跡へのアクセスはシャトルバスで登る麓からマチュピチュ遺跡を見上げるがこの辺りからは見えず8:06満員のシャトルバスは、ハイラムビンガムロードと呼ばれる九十九折の坂道を登る左前方にマチュピチュ遺跡そばにそびえる「ワイナピチュ」が見える。この山は「若い峰」という意味を持つ標高2700mの山8:13標高2280mのマチュピチュ遺跡入口。ここまで乗車したシャトルバス、麓から約20分で到着入り口にあるレストラン、いよいよマチュピチュ遺跡へ 南米の旅-続く
2020.08.09
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クスコの市内観光後、マチュピチュへ向かうために今夜の宿泊地へ。平成21年6月9日(火) 14:21クスコの中心地・アルマス広場の北東部に建つカテドラル(大聖堂)。インカ時代のビラコチャ神殿の跡に建てられたもの。1550年から建設がはじまり、完成に百年を要した。右の大塔には1659年につけられた南米で最大の鐘マリア・アンゴラがあり、その深い響きは、20km先にまで達するという。 カテドラル前からの、アルマス広場アルマス広場に面したラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会この教会は、第11代インカ皇帝ワイナ・カパックの宮殿だったとのこと。この教会はインカ時代の宮殿跡に建てられた教会で、1650年の大地震で一度崩壊しているという自由時間になり各自動き回るアルマス広場左:カテドラル、右:ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会別方向から、ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会アルマス広場街角に「マクドナルド」私は食べずらいのであまりマックは買ったことがありませんが、おなじみの赤地に黄色の文字ではなく黒字のマクドナルドの文字Mのみ。黒の地味な看板で営業をしているのは 景観保護のためとのことカテドラルインカ時代のビラコチャ神殿の跡に建てられたもので、使用されている石材は近郊のサクサイワマン遺跡から運ばれた。中にある画家マルコス・サパタ作の「最後の晩餐」には、なぜかクイ(クスコ名物のテンジクネズミ)が描かれている。まさにこの国ならではの最後の晩餐このような絵であったのか、見学しなかったので???カテドラルを正面からアルマス広場越しにラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会アルマス広場でのんびりする観光客。広場の周りには土産物店、旅行会社が立ち並ぶ14:50約30分間の自由行動の後、アルマス広場を後にする15:18クスコから今夜の宿泊地ウルバンバへバスからの車窓15:23道路下は「サクサイワマン遺跡」サクサイワマン遺跡をズームアップ15:56クスコ観光終了後、今晩の宿のあるピサックの村に向かう。突然前方の山の斜面に段々畑が現れるピサックはクスコから北東30キロメートルの山々の谷間に小さく拓けた村である。昔と変わらないインカの人々の生活を垣間見ることができるという。ピサック村の背後の急な斜面にある遺跡は、太陽の神殿や段々畑などがあり、マチュピチュの遺跡に似ていると下を流れるのが、ウルバンバ川山の斜面に段々畑とインティワンタナ遺跡がある。インカ皇帝や地位の高い僧侶などが宿泊した場所で、神聖なる儀式が行われていたのではとインカの聖なる谷「ウルバンバ渓谷」インカの聖なる谷には、ウルバンバ、オリャンタイタンボ、ピサックの遺跡やマーケットなどのインカ帝国の遺跡や村々がある。中でも、クスコから約88キロのところにあるオリャンタイタンボ遺跡は、高さ4メートル級の6個の巨石がすき間なく並んだ壁のようなものがあることで知られている。また、インディヘナたちが集まる日曜市場が有名な(火曜・木曜にも市あり)ピサックは、民族衣装に身を包んだ女性などもやってくるので地元の雰囲気を味わえるこの川はマチュピチュ方向へ流れる盆地には牧草地が広がる16:17バスは丘から下り、ウルバンバ渓谷のホテルへ到着アメリカの国旗が掲揚されていたが何かあったのか?今朝はモーニングコールが4時で、リマの出発が早かったので早めにホテルへ到着ホテル内の中庭には花が咲き誇り、遠く日本から来た我々を歓迎!ホテル廻りに咲くブーゲンビリア天気もよく明日も好天であろうか中庭に建つ像、衛星放送のアンテナもホテル入口ホテル内のホテルのペナント部屋の壁色はペルーらしい色合い。この日はツイ―ルームであったか?室内の水廻りをチェック、異常のないことを添乗員へ連絡17:35夕食はホテル内のレストランでとる。部屋に入り、日本食が恋しくなり、ホテル内での夕食前に旅友が日本から持参した味噌汁を飲むことにした。南米のホテルには電気ポットが置かれていないとの事前情報から持参の鍋でお湯を沸かす。しかし、ここは高度3000m、沸騰温度85℃。ややぬるかったが久しぶりの日本の味を満喫した同行のMさんご夫妻を我々の部屋に招待し、ワインを飲み多いに盛り上がったのであった。このあと、現地添乗員の鈴木さんからホテルの中庭から南十字星が見えるというので、千鳥足で中庭に出てみた。この南十字星は、天の川の中に位置している。たくさんの星が輝いているので、見つけにくかったが 添乗員の説明により、漸く肉眼でもハッキリ見ることができた。南十字星を見たが写真が無くアップできないのが残念。そしてまた明日は、3:15 モ-ニングコール、4:30 出発の指示が下されたのであった。 南米に旅-続く
2020.08.08
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クスコの市街地観光を続ける。平成21年6月9日(火) 12:20現在はサント・ドミンゴ教会となっているが、インカ時代には「コリカンチャ」と呼ばれる太陽の神殿があった。16世紀、征服者のスペイン人たちは神殿にあった黄金製品を本国へと持ち去ったのち上部を壊して教会を建てた。コリカンチャは、ケチュア語で「金の場所」という意味です(コリ=金、カンチャ=場所)サント・ドミンゴ教会の中庭真ん中に井戸があるが、この井戸はカテドラルの地下にある水源まで地下でつながっているとのことだ。昨年のスペイン旅行で訪れたアルハンブラ宮殿の中庭にもにていたカラフルな幕を飾り。1950年の大地震後はインカの建築を尊重するようになり、考古学調査が行われ観光公開されるようになり、インカ文化とカトリック修道院文化を違いを楽しめる16世紀、征服者のスペイン人たちは神殿にあった黄金製品を本国へと持ち去ったのち、上部を壊して教会を建てたその後の大地震でスペイン人の建てた部分は崩れたもののインカの石組みは残ったという。開口部は窓で、インカの精巧な石組観光客が触って色が変わったのか、最も小さな石組み(一遍1cmほど)。欠けた部分を補修するためだったのか、詳しいことは分かっていませんが、ここまで繊細な仕事をするインカの人に、ただただ脱帽です!現在は、観光客が触るので透明のパネルで覆われているとのこと、我々が最後であったか?ここの石組みもスペイン人征服後は、ほとんどの建物や塀は壊されましたが、残った神殿跡を修道院の一室にしたり、土台にして修道士たちが生活をしていましたインカの世界観を表した黄金の壁画。インカの人々は文字をもたなかったため、絵にすることで表現した。三層に分かれており、上にある楕円のものが太陽の神だそうだ サント・ドミンゴ教会から外を望むサント・ドミンゴ教会の外庭かつてここは金のリャマ、金の泉、金のとうもろこし等、金でできたもので覆い尽くされていたサント・ドミンゴ教会の外庭インカの建築物は地震に耐えるような見事な耐震構造になっている。例えば、壁はまっすぐではなく内側に10度傾いている、また、石を単に重ねていくのではなく石に凸凹の細工を施し、それをパズルのように組み合わせることにより、より強固な造りとなっているサント・ドミンゴ教会の外を歩き標高が3400mあるのでゆっくりと歩くサント・ドミンゴ教会の外庭クスコの山並み12:53サント・ドミンゴ教会12:58アルマス広場へアルマス広場に面したラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会。 第11代インカ皇帝ワイナ・カパックの宮殿だったとのこと。この教会はインカ時代の宮殿跡に建てられた教会で、1650年の大地震で一度崩壊しているというカテドラのそばを通り昼食会場へ前方に教会がそびえる13:16昼食はレストランへこの料理は「???」、この頃はあまり料理の写真は撮っていなかったクスコ名物は「クイ」の丸焼き、クイとはネズミ(テンジクネズミ)のこと。ペルーへ来たら是非食べてほしいと、ペルーの人々が食する好物(ネットから)13:54食事を終え路地へ14:05石畳の路地と石積の基礎路地には土産物店も14:12路地にある「12角の石」インカの石組みの特徴は「カミソリ一枚通さない」こと。ここクスコの街中の道に残る石組みはまさにその象徴的存在。いったいどうやって造ったのか。12の角の複雑な切り込みだけでなく、その周りを固める石組みも注目であるここの石組みも、石を単に重ねていくのではなく石に凸凹の細工を施し、それをパズルのように組み合わせることにより、より強固な造りとなっている路地をアルマス広場へスペイン風ベランダ14:21アルマス広場に面したラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会 南米の旅-続く
2020.08.07
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南米の旅5日目は高地のクスコ観光、標高が約3400mあるので急激な行動は控えめに。平成21年6月9日(火) 10:55タンボマチャイの沐浴場近くの草原に咲く花カラフルな絨毯を販売幼児を子守しながらの販売11:16サクサイワマン遺跡へ下りて来るクスコの町を見下ろすサクサイワマン遺跡町全体がピューマの形をしているといわれるクスコ。市内にいるときにはわからないが、空からの映像で確認できる。その頭の部分にあたるのがサクサイワマン。サクサイワマンの建築は第9代皇帝パチャクティの時代からといわれているものの、要塞なのか、宗教的な儀式のためのものなのかなどの詳細はいまだに分かっていない大小の石を積み上げているここの特徴は、なんといっても人間の背丈以上の巨石を積み上げた石組み。いったいどのようにして、3層も石を積み上げたのかと考えると非常に興味深い。また、ここの石組みもカミソリ一枚通らず、形も大きさもばらばらでありながら、パズルのようにうまく組み合っている広場に咲く茎無しタンポポ添乗員は「首無しタンポポ」と言っていたがサクサイワマン遺跡近くの丘の上に「巨大キリスト像」現地添乗員の鈴木さんここの特徴は、なんといっても人間の背丈以上の巨石を積み上げた石組み巨大キリスト像の下に多くの人が登っていたここの石組みもカミソリ一枚通らない石積みである推定360トンの巨石形も大きさもばらばらでありながら、パズルのようにうまく組み合っているこの広場で、南米3大祭りのひとつ「インティ・ライミ」が行われる。冬至の日に行われるので、時期としては6月半ばすぎ。クスコの太陽の神殿から祭りは始まり、その後、サクサイワマン遺跡にて行われる。カラフルな民族衣装とアンデスの音楽が楽しめる。「インティ」とは太陽のことで、トウモロコシで造った酒「チチャ」を太陽にささげる。皇帝がいけにえのリャマの心臓をえぐり出し、太陽にさらし、翌年の収穫を占って幕を閉じる形も大きさもばらばら山の上には鉄塔が林立サクサイワマン遺跡で記念写真急な山肌に民家が立ち並ぶズームアップ、急な傾斜に建っている民家?サクサイワマン遺跡広場11:47サクサイワマン遺跡の案内板案内板の傍に立っていた値段表?クスコ象徴の花と言っていたが花の名前は?11:55バスに乗り市街地へ12:11サクサイワマン遺跡からバスで下り市街地観光へ12:15バスから歩いて、この建物は?鐘楼を見上げる12:17サント・ドミンゴ教会(太陽の神殿)南米3大祭りのひとつ「インティ・ライミ」の開会式が行われるインカの神殿跡サント・ドミンゴ教会(太陽の神殿)現在はサント・ドミンゴ教会となっているが、インカ時代には「コリカンチャ」と呼ばれる太陽の神殿があった。16世紀、征服者のスペイン人たちは神殿にあった黄金製品を本国へと持ち去ったのち上部を壊して教会を建てたサント・ドミンゴ教会の中庭 南米の旅-続く
2020.08.06
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南米の旅5日目は、標高約3700メートルのインカ帝国の遺跡観光。街の東方を守る要塞があった『サクサイワマン城塞跡』へ。平成21年6月9日(火) 9:56左上まで観光バスで来る『ケンコー遺跡』インカの祭礼城跡と言われており整備されていたカラフルな縫製品を露天販売クスコ市街地を見下ろす狭い石組の中へ入る一枚岩をくりぬいて現地添乗員の鈴木さんが説明一枚岩の洞窟の中には石のベッドが置いてあった。これはミイラを作る台であったらしいと横穴もありいろんな設備があったのであろう洞窟から出る岩場の下をくりぬいてクスコの町を見下ろす次の遺跡へと移動10:09サクサイワマン町全体がピューマの形をしているといわれるクスコ。市内にいるときにはわからないが、空からの映像で確認できる。その頭の部分にあたるのがサクサイワマン。サクサイワマンの建築は第9代皇帝パチャクティの時代からといわれているものの、要塞なのか、宗教的な儀式のためのものなのかなどの詳細はいまだに分かっていないここの特徴は、なんといっても人間の背丈以上の巨石を積み上げた石組み。いったいどのようにして、3層も石を積み上げたのかと考えると非常に興味深い。また、ここの石組みもカミソリ一枚通らず、形も大きさもばらばらでありながら、パズルのようにうまく組み合っている方々で土産物店が営業広い広場10:22プカ・プカラ赤い要塞の意味。赤みを帯びた石灰岩を用いているためこの名前があるが、インカ時代オリジナルの呼称は伝わっていない民芸品を売る女性インカ帝国の幹線道路であったインカ道が首都クスコに入る際の関門の位置に立地し、関所および首都防衛のための軍事要塞の役割を果たしていた。約1キロメートル離れた谷の奥にタンボマチャイがある眺望がよく見張り台がある城壁に囲まれ焼きが甘い感じがするが陶芸品10:30丘を登り、標高3765m地点富士山の頂上より少し低いポイントであり、添乗員から「ゆっくり歩いて」とTAMBOMACHAY(タンボマチャイ)アルパカと手編みをする女性10:40この女性は土産物店の?折角持ってきたので杖を使用石組の間から水がわき出ていた雨期・乾季にもかかわらず、一年中水が出ている丘を登ると、両脇に民芸品を売っていた絨毯であろうかサクサイワマン遺跡からさらに丘を登る値段表がついていないので都度交渉になるそれにしてもカラフルである10:48タンボマチャイの見張り台クスコ近郊で「聖なる泉」として知られる遺跡・タンボマチャイは、サクサイワマン遺跡からさらに丘を少し登る標高3800mの遺跡ですタンボマチャイの沐浴場この泉は、インカ時代から絶えることなく流れ続け、またその水源がどこにあるのかは今でも謎のままです。インカ以後500年が過ぎても、当時のように泉は水を湛えます。周囲の丘の上には川はなく、サイフォンの原理で水をくみ上げていると言われます遺跡の中心部では、インカならではの非常に入り組んだ石組を見れます。石組が精巧であればあるほどに、その場所が聖地であったことを意味します暑い日などは飲みたくなるが、快適な旅を続けるためには手で水を感じるくらいにとどめたほうがいいと「タンボ」は宿泊施設を、「マチャイ」は休息所を意味します。かつて王族の「宿場」を兼ねた「沐浴場」であったのではと言われます 南米の旅-続く
2020.08.05
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南米の旅5日目からは、今回の訪問国最後のペルー。日本とペルーとの時差はマイナス14時間でサマータイムは実施していない。言語は、アルゼンチンと同じでスペイン語。平成21年6月9日(火) 4:54モーニングコールは4時で起こされたが、前夜遅く着いたのでほとんど寝れず。暗い中、ホテルを出発6:16リマ空港へ到着、朝食はホテルからの弁当出発ロビーのカウンターへ搭乗機は7:40発のクスコ(CUSCO)行き、LP019 便セキュリティー検査を受け6:59搭乗ゲートへペルー国内もラン航空が就航リマからクスコへは約1時間15分の飛行7:58予定の7:40に離陸クスコ観光後はマチュピチュへ。人気のあるペルー・ボリビアの『チチカカ湖』へはクスコから南方へ約400km。ブラジルのイグアスを交えたツアーがなかったので残念!アンデス山脈を越えクスコへとアンデス山脈は南アメリカの西側に沿って走る世界最長の山脈のひとつです。氷河、火山、草原、砂漠、湖や森といった大自然が多様な地形を作り出しています湖をズームアップ男性アテンダント国内線だが機内食の朝食がでる山頂には氷河のような残雪8:31高度を下げ始める山並みの間にクスコの町標高約3,400mのクスコ空港クスコはインカ帝国時代の都である。標高約3,400mにあるクスコ。11~12世紀ごろ建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の都として栄えた。クスコはケチュア語で「へそ」の意味。帝国内のあらゆる地方から人が集まっていたとのことで世界の中心とされていた16世紀にはスペイン人による征服がクスコにも及び、インカ帝国は崩壊してしまう。征服者たちは神殿や宮殿を破壊し黄金を略奪し、インカが築いた精巧な礎石の上にスペイン風の教会などを建設した搭乗機から荷物を下ろしインカ帝国の遺跡というとマチュピチュが有名ですが、その都は300年以上にわたってペルーのクスコにあり、マチュピチュへの玄関口でもあります。現在の町並みは、スペインに征服された後に建設されたものですが、その下地となっているのはスペインの征服者たちが破壊したインカの都の街並みです。現在の人口は42.84万人(2017年)8:56到着ターミナルへ入ると民族衣装を着て歓迎。郷愁漂うアンデスの民族音楽、フォルクローレは楽器も個性的豊か。サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」でもなじみ深いアンデスのメロディー。そのフォルクローレの演奏に欠かせない4つの楽器がある縦笛式のケーナ、長さの違う細いパイプのようなものが2層式になっているサンポーニャ、和太鼓のようなボンボ、ウクレレのような小型の弦楽器チャランゴ。前ふたつはインカ以前からアンデス地方に伝わる楽器。ボンボ、チャランゴに関しては、スペインから持ち込まれたのではないかといわれ、このアンデスの地でさらに独自のスタイルを築き上げ今に至る民族音楽のCDを$10で販売インカ帝国の?ターミナル前には観光バスが出迎え高度が高いので酸素が薄く息苦しい感あり添乗員から「激しい動きはしないように!」と注意勧告廻りの山は富士山を超える高さバスに近づいて、お土産を売る子供、手・頭にも品物が、体以外は売り物子供は土産物店から売り出しに9:15アレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港の管制塔。空港名は、ペルーのパイロットの名を冠して命名された滑走路は、3,397m×45mの一本インカ帝国は、南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心にケチュア族が築いた国。文字を持たない社会そして文明であった。首都はクスコ。世界遺産である15世紀のインカ帝国の遺跡「マチュピチュ」から、さらに1,000m程高い3,400mの標高にクスコがある。1983年12月9日、クスコの市街地は世界遺産となった9:35市街地からバスで山へ登るクスコの町を見下ろす家並みの屋根は日干し煉瓦方向を替え山肌に書かれた文字が二つズームアップ左は VIVA EL PERUとは「ペルー万歳」と書かれています右はペルーの「国章」が描かれています。一番上の丸く見えるのがオークの枝の冠であり勝利と栄光を象徴。盾の左上にはペルーを代表する動物であるビクーニャ。これはペルーの生態系を象徴、盾の右上には国花であるキナが。盾の下部には溢れだす金貨が描かれているのだと。これは豊富な地下資源を象徴先住民とアルパカ各自1ソル(約30円)支払い、アルパカと記念写真。紫外線が強いのでおばさんは陽に焼け真っ黒、流石の私も負ける黒さ9:47クスコの町を描くおじさん抽象的な絵だが別の絵も見せてくれたが、これも抽象画後ろの丘に建つ『巨大キリスト像』 南米の旅ー続く
2020.08.04
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南米の旅4日目は、ブエノスアイレスの市内観光を続ける。平成21年6月8日(月) 15:26往時の繁栄を忍ばせる建築群15:285月広場に面して建っている大聖堂『カテドラル・メトロポリターナ』18世紀中頃から建設が開始され、1827年に完成したネオ・クラシック様式の大聖堂。12人の使徒をを表す12本の柱、その上のモチーフを5月広場側からじっくりと眺めて中に入りたいと5月広場からの『カテドラル・メトロポリタ-ナ』鐘楼の時刻は15:30、5月広場へ移動5月広場からカテドラル・メトロポリターナを振り返るブエノスアイレスの中心地といえば、5月広場周辺。16世紀に作られた町は、この広場を中心にして、徐々に栄えていきます。カサ・ロサーダ(大統領府)の正面に位置することもあって、革命、大統領の演説、大規模なデモなど、様々な歴史の舞台として重要な場所となりました。周辺には、カサ・ロサーダの他にも、カテドラル・メトロポリターナという大聖堂やカビルドといわれるう市議会など、ブエノスアイレスの象徴ともいえる建造物が周りを取り囲んでいます塔の座には「25 MAYO 1810」5月広場は、1810年5月25日の独立運動のきっかけとなった五月革命に由来する。塔の上の像は、アルゼンチン独立運動の指導者の「マヌエル・ベルグラーノ将軍」で、アルゼンチンの国旗を作った将軍としても知られている“ピンクの家”の愛称で親しまれる大統領府1873年から94年にかけて建設されたスペイン・ロココ調の建物。カサ・ロサーダ(ピンクの家)とも呼ばれている。もともと要塞の役目を果たしていたもので、今でも屋上にはヘリポート、建物のいたるところにレーザーセンサーが張りめぐらされ、武力こそ持たないが近代的な要塞としての威厳を保っているペロン元大統領夫人エビータが演説したバルコニーや衛兵交代式が見ものであると。映画「エビータ」で、エバ・ペロン扮するマドンナが、この建物のバルコニーに立って「アルゼンチンよ泣かないで」を歌ったシーンで有名である15:37モンセラート地区(MONSERRAT)の治安はかなり注意が必要な地区2階建ての観光バス露天商では「甘い落花生」を販売15:44バスに乗り込み車窓からの街並み車窓から16:00バスを降り自由時間になり、ボカ地区を散策。ボカ地区は「治安が悪いことで有名」であるが、カミートの観光だけであれば、観光客が多く警察や警備員に守られているので問題は起きにくい。だが、カミートを除くと貧困層が集まる場所もあり、銃器を使った外国人観光客への強盗被害や邦人への首絞め強盗の被害などの報告。場所によってはスリも多いので注意と!ブエノスアイレスで最も有名な観光地といえばカミニート。カミートとは港沿いの下町、ボカ地区にある小さな通りのことですが、赤、青、黄、緑など、カラフルにペインティングされた家が並びますもとは、この地に生まれた有名な画家キンケラ・マルティンのアイデアによって作られた通りだとか。通りには土産物を売る屋台が並び、広場ではタンゴダンサーたちが客寄せをかねて踊ったり一緒に写真を撮ったりしているのも名物のひとつ。しかしこの日は出会わなかったボカ地区はアルゼンチンタンゴの発祥の地といわれ、中でもカミートはタンゴの名曲「カミート」の舞台となった路地。通りを囲むカラフルな色彩の家々は必見アルゼンチンのサッカーシャツ10番を着たおばさんも港には新旧の橋VUELTA DE ROCHA路線バス鉄塔もアルゼンチンカラーアルゼンチン独立戦争?カミートには、赤、青、黄、緑など、カラフルにペインティングされた家が並びます土産物店もカラフルな色彩で入り口の上には土産物店の犬吠えもせず静かに歓迎してくれたアルゼンチンの10番は、やはり、1986年のメキシコワールドカップ優勝に導いたレジェンドのディエゴ・マラドーナ、いまでもカリスマ的な人気を誇る。その後は、オルテガ、リケルメ、メッシ16:44集合場所で待つツアー仲間、土産物を路地販売16:50約45分の自由時間でボカ地区の観光を終え、バスに乗り車窓からエセイサ国際空港への途中、車窓から。ブエノスアイレスともお別れ17:33エセイサ国際空港:正式名称 ミニストロ・ピスタリーニ国際空港ラン航空カウンターへ18:37電光掲示板には、チリ、ブラジルのリオデジャネイロ、サンパウロ、米国のニューヨーク、マイアミ、アトランタ、ヒューストン、ドイツのフランクフルト、スペインのマドリードと世界各国へ飛ぶ。我々は、LP 2428 Lima 20:10発 に搭乗21:45搭乗後、1時間半で夕食の機内食が出る23:57(アルゼンチン時刻)ペルーのリマへ向けて飛ぶ飛行時間約4時間45分で、リマ空港へ到着。現地時間、23:41(アルゼンチン時間 6月9日 1:41)到着ロビーへ、多くの出迎え者が。リマの時差はブエノスアイレスより2時間あとのため2時間戻す23:54バスへ乗り込む6月9日(火) 0:4424時にホテルへ到着、明朝は出発が早いため4時にモーニングコール。この夜はツインルームへ、先輩は別の部屋へ。早々にベッドへ入るが寝つきが悪く 南米の旅-続く
2020.08.03
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昼食後、ブエノスアイレスの市内観光へ。平成2年6月8日(月) 14:23バスから降り『レコレータ墓地』へ。大きな犬を7、8匹連れたこの人は、犬の散歩を商いとしていると鉄柵で囲まれた大きな木レコレータ墓地近くの彫像この建物は「レコレータ墓地の入口門」この界隈の案内図下が『レコレータ墓地』、上が『アルゼンチン国立図書館』14:27レコレータ墓地の配置図1822年に建設されたレコレータ地区にある墓地で、彫像が施された墓が並ぶ。特に独裁政権で名をはせたペロン大統領の妻、「エビータ」ことエバ・ペロンの墓が有名だ。他にも多くの著名人の霊廟があり、豪華な墓石は一級の芸術品といえるブエノスアイレス有数の高級住宅街にある墓地で、5.5ヘクタールの土地に、4,000以上の納骨所があり、そのうちおよそ90はアルゼンチンの国家歴史モニュメントに指定され保護されている彫刻で飾られた大理石の墓など、アール・ヌーボー、バロック、ゴシック様式など様々な様式が見られ、建築的、芸術的にも高く評価されています墓地内には歴代のアルゼンチン大統領、ノーベル賞受賞者、大富豪などが埋葬されている敷地内にいっぱいに霊廟が建つ世界で最も美しい墓地の一つに数えられており、ブエノスアイレス観光のビューポイントになっている墓地内は番地になっているエバ・ペロンの墓の入り口にある男性のプレート。この男性は、エバの妹エリサの夫で「アルフレド・アリエータ(Mayor Alfredo J. L. Arrieta)」彼は1938年に軍を引退し、1946年から1950年に死去するまで、ブエノスアイレス州の上院議員を務めた人物現地添乗員から、ペロン大統領夫人 エビータについて説明を受けるEVA PERON エバ・ペロン1952 ~ 26 DE JULIO ~ 1982死去は、1952年7月26日(33歳没)だが、1982は?独裁政権で名をはせたペロン大統領の妻、「エビータ」ことエバ・ペロンの墓。人気があり、いつもバラの花が飾られているペロン大統領夫人 エビータの墓死去:1952年7月26日(33歳没)エビータの墓には多くの人が訪れており、御墓には慈善活動に熱心であった彼女を讃える多くのプレートがはめ込まれている敷地はとても広く、お墓の多くが個性的、芸術的です。彫刻の多くは、アルゼンチンの著名な彫刻家(ロラ・モラ、ルイス・ペルロッティなど)による作品です世界でも有数の美しい墓地というだけあって、まるで美術館か博物館を訪れているように感じる等身大以上の彫像犬を連れたブロンズ像足元に猫が2匹彫像が並ぶ14:46レコレータ墓地を約20分見学して、バスへ向かうバスの車窓から14:54ブエノスアイレスの中心にある7月9日大通り、世界で最も幅が広い道路である大通りの中央には白く巨大な「オベリスク」がそびえ立っている道路脇の街路樹に大きな実がついているがこの実は?現地語でパロボラッチョ(palo Borracho)と呼ばれる木、日本語訳すると「酔っぱらいの木」で並木になっていた。沖縄で「トックリキワタ」と呼ばれている木と同じ。実が徳利に似て来るので「酔っぱらいの木」と呼ぶと現地ガイド?が言っていたと14:55車窓から『コロン劇場』世界3大オペラハウスのひとつ。観客3,000人、奏者600人を収容でき、ミラノのスカラ座をしのぐ規模。バレエや演劇、コンサートなどさまざまな公演が催されている14:58ラバージュ広場に建つ『ファン・ラバレ記念塔』、建物は『州政府事務所』公園側の「コロン劇場」は工事中正面壁面に『ESCVELA PRESIDENTE ROCA』昔の大統領の名前の付いた「大統領ロカ學校」15:00州政府事務所、ファン・ラバレ記念塔塔の上の像は独立戦争の英雄「ファン・ラバレ」15:15ラバージュ広場から歩いて移動大聖堂『カテドラル・メトロポリターナ』の横に建つ『ブエノスアイレス市議会』15:165月広場に面する大聖堂『カテドラル・メトロポリターナ』1753年に崩壊後、1823年に建て直された大聖堂。アルゼンチン独立の英雄、サン・マルティン将軍が眠る棺が安置されている。大聖堂は毎日開いており、入場料は無料で定期的に無料のコンサートが開かれている大聖堂内フレスコ画彫刻の像主祭壇は19世紀に造られた木彫りの作品。その横のマリア像も見ておきたいとガイドブックにステンドグラス見上げればドームステンドグラスに照らされた教会内は広く、厳粛な空気が漂う 南米の旅-続く
2020.08.02
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南米の旅4日目、6月8日はイグアスからアルゼンチンのブエノスアイレスへ戻り市内観光。イグアスは今回の旅で一番遠い場所で、Uターンしてアルゼンチン、ペルー経由日本へ。平成21年6月8日(月)8時にホテルを出発、国境を越え「イグアスの滝国際空港」へ向かう。ブラジル側国境検問所10:18アルゼンチンにある「イグアスの滝国際空港」10:50発 ブエノスアイレス/アエロパルケ空港行き LA4023 便を利用6月8日は日本では初夏だがアルゼンチンでは冬前10:23手荷物を積み込む作業員スケジュールは10:50発であったが遅れるターミナルを離れる10:40ブエノスアイレスへ向けて離陸、所要時間約1時間50分アルゼンチンの原野大きな湖10:45牧草地帯が広がる国内線の機内11:59左右に道路が走る12:04ブエノスアイレスが近くなり下降をはじめるパラナ川沿いの田園地帯をズームアップ上記写真の右側に斜張橋12:10ブエノスアイレス近郊の住宅地か一軒の家の敷地が広い12:13左右に高速道路が走るブエノスアイレスはアルゼンチンの首都で、人口は約300万人。人口の9割以上がスペイン、イタリアを主とするヨーロッパ移民で、生活も南欧の習慣が色濃く根付いている街並みは整然と区画され、重厚な石の建物が並ぶ。そんな雰囲気に、人はここを「南米のパリ」と呼ぶ。またタンゴを生んだ町としても有名である大きな陸上競技場&サッカースタジアム空港横に『AySA浄水場』12:16アエロパルケ空港:正式名称 ホルヘ・ニューベリー空港12:27手荷物は、NO.3ターンテーブル12:49現地添乗員の女性アルゼンチンの公用語は、スペイン語で、お隣のブラジルはポルトガル語であると先程飛行機の中から見たスタジアム収容人員7万人のサッカー競技場アエロパルケ空港は市街地に近い12:55市内観光前に昼食会場のレストランへレストラン前には、炭火で焼く子ヤギ昼食はアルゼンチン名物の「アサード料理」肉料理が主で、日本人にはさっぱりしたものも欲しい13:59レストラン前にいた飼い犬14:04昼食後、市内観光へアエロパルケ空港道路の幅が広い右前方に大きな白亜のモニュメントパレルモ地区にある『スペイン人記念碑』リベルタドール通りとサルミエント通りが交わるロータリーの真ん中にある大きなモニュメント更に通りを進むロータリーに騎馬像が建つ道路脇の公園に建つ像公園の間に教会14:20モニュメント 南米の旅-続く
2020.07.31
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オプショナルツアーで「ボートクルーズ」へ参加。ツアー料金は、約30分で $120 と少々高い。平成21年6月7日(日) 14:22国立公園内のホテル14:48オプショナルツアーの駐車場へ到着。ここからジープに分乗して船着場へ現地の若い係人船着場を見下ろす15:18ゴムボートに乗る船着場で雨合羽を着て乗船、カメラも防水対策オプショナルツアー利用者は、1日300~1,000人ゴムボートでイグアス川を上流へ向かって上る波も荒くゴムボートであるので救命具も装着現地カメラマンがビデオ撮影して販売15:22前方に滝が見えてくるゴムボートは急流に逆らって進む急流のイグアス川水しぶきの白煙が上がる15:25左前方は「悪魔ののど笛」だが白煙が立ちこめて上流の先行船をズームアップイグアス川がブラジルとアルゼンチンの国境で、左:ブラジル、右:アルゼンチンアルゼンチン側の滝水面から見る滝も迫力があるズームアップメガネが曇りました水しぶきがすごいので撮影も大変何か工事をしているのか15:30前方は『悪魔ののど笛』ズームアップアルゼンチン側の滝この滝の下に近ずいたが撮影できず更に前方へ進む先行船も進む水しぶきの白煙がひどくなる15:34先程行った展望橋が見えてくる展望橋突き出した展望橋展望橋の先端部分上からも怖かったが、下から見るとゾーッとする展望橋先端下展望橋の観光客15:41悪魔ののど笛手前で引返す16時に無事ボートから上がりクルーズを終えた19:45夕食は宿泊ホテルのレストランでバイキング夕食前に3人で部屋でワインを一本のみ、夕食時もワイン一本を飲む 南米の旅-続く
2020.07.30
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イグアスの滝のブラジル側を歩く。平成21年6月7日(日) 13:27昼食後、展望台へと降りて行くイグアスの滝のブラジル側の特徴はまず、イグアスの全景が見渡せること。歩くのが苦手の人もバスとエレベーターを使えばあまり歩くことなくビューポイントへ行くことができる滝への遊歩道は1.2キロほど緩い坂道を下る観光客が多く他の団体ツアーの旗も、天気が良いので虹も発生向かい側はアルゼンチン側のイグアスの滝展望台には多くの観光客南国だけにハイビスカスも咲く滝の下にはボートがイグアスの滝は、特定の滝の名前ではなく、周辺に点在する大小275の滝の総称である。雨期に流れ落ちる水量は、毎秒6万5,000トンにも達し、世界最大量を誇る前方はアルゼンチン側の『悪魔ののど笛』我々もこの後オプショナルツアーの「ボートツアー」に参加するがここまで来るのだイグアスの滝は2段構造の滝が多く、それが大きな特徴で世界でも有数の自然景観となっている水しぶきの白煙の中に展望橋13:46遊歩道を進んで行くとやがて滝の前まで張り出している橋があるこの橋の先端まで行くと、ブラジル側からの一番迫力ある眺めを見ることができる展望橋は、イグアスの滝の2段構造の中段にあり上下に迫力がある展望橋から振り返ると展望台へのエレベーター悪魔ののど笛方向イグアス川の下流側、ツアーボートはこの下あたりまで来ると展望橋の先端から展望橋の先端から下を覗くが迫力満点だ!悪魔ののど笛悪魔ののど笛展望台、右側にアルゼンチンの国旗展望橋の先端から下流側の下を覗く展望橋の先端下を見ると足元が、ガタガタだ!展望橋を戻る左方向が「悪魔ののど笛」下流側も水量が多く迫力があるズームアップ14:01落差は10数メートルだが上段からも迫力満点の水量エレベーターで展望台へ上がる14:10展望台から見下ろす悪魔ののど笛から水しぶきの白煙展望橋を見下ろす悪魔ののど笛の上には虹が発生、右側は展望台悪魔ののど笛展望台先輩の口元へマスクを14:13イグアスの滝の幅は、2,700メートル、高さ82メートル 南米の旅-続く
2020.07.29
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アルゼンチン側のイグアスの滝からブラジル側へ移動。アルゼンチン側からはイグアスの滝の全景は見えなかったが、豪快さは感じられた!平成21年6月7日(日) 9:00悪魔ののど笛近くで見るので轟音もあり迫力満点。ステージに立っていると吸い込まれそうで足元がすくむ水しぶきの白煙がたっているので、虹も現われる悪魔ののど笛展望台休日は水量を増やすとのことで、この日は日曜日で水量が多かったこの後行くブラジル側を望むイグアスの滝とは、特定の滝の名前ではなく、周辺に点在する大小275の滝の総称である。雨期に流れ落ちる水量は、毎秒6万5,000トンにも達し、世界最大量を誇る。2段構造の滝が多くそれがイグアスの滝の大きな特徴でもあり、世界でも有数の自然景観となっている悪魔ののど笛を後にする9:33悪魔ののど笛駅からトロッコ列車で戻る9:49途中で下車して散策する遊歩道を下りながら上流側を望む名の付いた滝なのであろうがいろんな滝が連なる今までいろんな滝を見たが、流石世界三大瀑布水量が多いので迫力を感じるが渇水していると大平原にある滝右側に展望台川にはボートツアーいろんなところに展望台30分程の散策広場にいたこの鳥はゲート近くにあった案内板10:30朝入ったアルゼンチン側ゲート。駐車場からブラジル側のイグアスの滝へ移動11:11土産物店の水晶水晶で作られた盆栽値札は、R$ 31.744,80 とあったが他にもいろんな民芸品が売られていた11:48国旗はブラジル&アルゼンチンイグアス観光はブラジル側からとアルゼンチン側からの2つがあり、どちらもそれぞれに魅力がある。ブラジル側の特徴はまず、イグアスの全景が見渡せること1986年にユネスコの世界遺産に登録された館内に展示されていた写真、満月の夜には「ルナレインボー(満月に輝く虹)」が見られる可能性があると、満月の明かりで虹が出るのか?12:15滝近くにアナグマが棲んでいる人の食べ残しを食べに現れたアナグマアルゼンチン側の「悪魔ののど笛」先程行った遊歩道から展望台、この先で突然滝になる12:23ホテルのレストラン内から『悪魔ののど笛』昼食は、ホテルのレストランでバイキング悪魔ののど笛からの水しぶきの白煙が上がる13:02アルベルト・サントス・デュモン(Alberto Santos-Dumont)ブラジル出身の発明家。ヨーロッパの航空のパイオニアであり、主に飛行船の造船で有名。さらに、飛行機の公開実験にも成功しヨーロッパ初の飛行機製作者となっている。ブラジルでは飛行機の父、飛行機王と呼ばれるほど偉大な発明家であり、未完に終わったもののヘリコプターをも開発していたことで知られるまた、ブラジル有数の平和主義者であった。現在のブラジルではデュモンの名が大きく残され、その名を冠にした空港がリオデジャネイロ市内にある国内線発着空港で、サントス・デュモン空港飛び回っていた蝶蛾のようだが名前はわからず13:16昼食後ブラジル側の滝観賞に。イグアスの滝は2段構造の滝が多くそれがイグアスの滝の大きな特徴になっているイグアスの滝とは、特定の滝の名前ではなく、周辺に点在する大小275の滝の総称である滝の上には遊歩道がある後ほど乗るボートツアーはこの辺りまで来るのか滝をズームアップイグアス川にはボート13:26さかのぼってくるボート 南米の旅ー続く
2020.07.28
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南米の旅3日目の6月7日は、世界3大瀑布の一つに数えられる「イグアスの滝」をアルゼンチン側とブラジル側を終日観光。平成21年6月7日(日) 6:00ホテルからの日の出前の空ホテルのプールイグアス(ブラジル側)のホテル『HOTEL RECANTO PARK』ここへ連泊するホテル前の看板ホテル前の道路7:30ホテルを出発してイグアスの滝へホテルを出て、イグアス川を渡り国境検問所を通過。イグアスの滝は、アメリカのナイアガラの滝、ジンバブエとザンビアにまたがるビクトリアの滝とともに、世界3大瀑布のひとつとされている。ブラジルとアルゼンチンの2ヵ国にまたがる巨大な滝だ。その玄関口となるのが、フォス・ド・イグアスの町。1986年にユネスコの世界遺産に登録された8:30アルゼンチン側の「イグアスの滝」ゲートこちらのゲートはアルゼンチン側。アルゼンチンの国旗が掲げられていた入場券? $60少々高い感じがするが現地添乗員の菅野さん氏は74歳で、昭和23年に12歳で北海道から移民したと。その時の移民の船旅は48日間であったと、我々は今回飛行機で約50時間であったがこのあと、トロッコ列車に乗りアルゼンチン側の「悪魔ののど笛」へ陽気な案内所の係員トロッコ列車の駅舎トロッコ列車で「悪魔ののど笛駅」まで乗車列車が入線満員の乗客を乗せ線路沿いのイグアス川線路沿いには未舗装の道路も静かな流れのイグアス川悪魔ののど笛駅で下車。水しぶきが飛ぶので雨合羽を着て遊歩道へ。雨合羽はツアー会社からの事前の連絡で各自用意していた遊歩道を進むと「ゴゥオー」と大きな音が聞こえてきた。左前方には水しぶき亜熱帯性の密林の中を流れるイグアス川の水が、台地のふちへと吸い込まれるように消えていく。水しぶきの白煙は数キロ先からでもわかるほど遊歩道を進むとより轟音が響き、水しぶきも休日は水量を増やすとのことで、この日は日曜日で水量が多かった上流側には亜熱帯性の密林が広がる滝つぼへと水が流れ落ちる迫力満点!水しぶきが舞い上がる左方向は、ブラジル側アルゼンチン側にある滝つぼをのぞき込む展望台には多くの観光客雨合羽を着て記念写真悪魔ののど笛滝つぼへと流れ込む地響きが体に伝わってきて、水量のすごさと轟音のすさまじさは、まさにその名を象徴する滝の流れを見ていると引き込まれそうになる鳥が飛び回っていたが光の加減によって虹が発生16時からオプショナルツアーで「ボートツアー」に参加予定右後方に遊歩道が見える虹を描いてブラジル側へと流れ落ち、水しぶきをあたり一面に上げる壮大な滝の表情は変化に満ち、光の加減によってさまざまに変化する多くの鳥が飛び回っていた8:58アルゼンチン側の国旗がはためく虹も出て 南米の旅ー続く
2020.07.27
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