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外交に平和主義の哲学、 経済に大局的な流れをみつめた有効な政策 保阪正康「保守リベラルの系譜と内容」を語る 「学識の前尾繁三郎」 平和的外交に尽力した「護憲の宮澤喜一」、 クリーンなハト派であり続けた「人格の伊東正義」、 日中国交正常化を成し遂げた「政治的誠実の大平正芳」、 行動力で保守政治を牽引した「闘志の男・田中六助」。 札幌在住の保阪正康氏が、「宏池会の系譜に学ばぬ首相に失望した」と、書いたようだ。 「現代ビジネス」のネット配信にして、『週刊現代』2022年11月12日号に掲載記事の紹介であるようだ。 「宏池会は優れた政治家の宝庫でした」。「宏池会を創設した池田勇人」と書き始める。 「田中六助」は直接承知していないが、前尾は衆院議長、大平は田中内閣の外務大臣から総理に、宮澤喜一は池田勇人秘書官から総理に昇りつめた。 「保守リベラルを体現してきた派閥」とする大方の受け止め方に根差して、穏健な外交、歴史を画する経済政策、護憲も大きな柱であった。 しかし、である。続きはネットを読んでみてはいかが。 https://news.yahoo.co.jp/articles/35bc8c52d4e5ea4d5dc7d191b888eb1fc7759a11 「自前の世界観、歴史観、政策論争を国民に提起することにも期待」 「外交面では宏池会的な平和主義の哲学が見られない」 「経済にしても、アベノミクスの弊害がいかに国民を窮地に追いやっているかという大局的な流れを見極めて現在に有効な政策を打つという構えがない」。 「人を見る目がない。人事も拙劣です」。 「伊藤昌哉のような優秀なブレーンがいない」「政策集団としてブレーンを引きつける魅力がなく、ブレーンをつくる能力もない」。 さて、申す方が<無い物ねだり>でしょうか!!!。
2022年11月04日
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地元経済人が支える「常連客に配布」 58年で700号迎えた『月刊おたる』2xxx-xxx-xxxxx 2022年9月26日 『月刊おたる』は通巻700号を発酵した。 創刊は1964年。「陰るまちに新しい風」の思い入れで、米谷裕司という人が担当した。 米谷には「地元経済界の重鎮たちが、詩人として注目を集めていた米谷さんに声をかけた」。特集を組んだ『北海道新聞』朝刊(2022年11月5日配布)は伝えている。 通巻700号はネットがいち早く伝えた。道内配布紙も11月5日土曜日の朝刊で、17&18面を当てて特集した。 1964年から数えて58年。その半世紀にはさまざまな転機を重ねている。 1)発酵部数減、創刊者の死。 2)地域経済の推移により当初は9000部、90年代に1万部超も、2010年には3000弱。 3)創刊者、米谷裕司氏の死をうけ、山本一博氏が継承し、現在は藤森五月氏が引き継ぐ。 58年、通巻700号、発行部数3000部弱 その継承には<偶然ともいえる地域経済界あげての尊い努力>があった。 4)廃刊の危機には地元経済人の奮起 5)「小樽愛」「こころの友」「小樽の悪口は書かない」 6)1部330円。30部購入すると1万円弱。書店で売らずに経営者がまとめて購入し、常連客に配布。 世情、継続のモーメントに編集者の個性と独創性を指摘する声が少なくない。 しかし、それのみでは持続しがたいことを道内には最盛期には「80年代20誌以上あったものが廃刊、休刊相次ぐ」と報じている。 廃刊の要因。景気低迷、インターネットの普及の影響。などなどと指摘する。 7)経済人のもつ、あるいは小樽特有と言ってよいのかも知れない<顕著な文化に対する理解と文化活動への投資>。 8)定期購読者300人ながら、その7割が道外在住の小樽出身者 9)「(『月刊あたる』の)文学性 ネットに負けない魅力」と評価する、地域の文化風土。 現代の担当者はコメントする。 「月刊おたるは、小樽の財産。(巻頭の言葉にある)読書の『こころの友』になれるように」。 その言葉は尊い。また、背景で支える執筆者、広告主、定期購読者、常連客への感謝をこめ、まとめ買いして手渡す経済人の存在は、実に<重く>かつ<貴重>な存在ではないか。注目したい。
2022年10月28日
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支流合流の微高地 埋蔵文化財包含地・暁善寺遺跡 尾幌川流域221031 1968年9月の第一土曜日。釧路市立郷土博物館の澤四郎次長が前触れもなく拙宅に顔を出された。 「遺物を見せてください」。1955年頃から、ハナマメ、ソラマメ、ダイコン、ニンジンなど栽培のため春耕する土の中から出土した遺物があった。 1933年3月の火災で焼失堂宇を、釧路~根室間の鉄道駅に近く、伏流水があって井戸掘削も可能。そうした立地条件をもとに移設した寺院境内地の一角に包含地は位置する。 澤次長は一点、一点を確認しながら「フムフム」。 「これ、町教委に引き継ぐわ、良いかい」。「ここは暁善寺というお寺だったかい?」。 結果が「縄文(中期)」「縄文(晩期)」「続縄文(前半期)」「続縄文(後半期)」「擦文」の、「遺物包含地」ということになった。 「暁善寺遺跡」。「尾幌川にそそぐ小河川 左岸の微高地」。「登録番号 M03-008」「厚岸町尾幌455・459・462」が所在地ということになった。 所在地は当時「八号線二七番地」であったが、その後の字名・地番改正で分筆された。 現地は1933年以来の年々の耕作で攪乱してしまっていた。鍬で掘りすすんだ土おこしを「ケンサキスコップ」で深く掘るようにもなり、攪乱はいっそうすすんだことになるのだが。 「尾幌川にそそぐ小河川 左岸の微高地」とは、遺物包含地の立地をよくぞ言い当てている。 北海道二級河川の尾幌川本流にそそぐルークシュポール川、ポンルークシュポール川、オタクッパウシ川が合流している。 包含地の西には本流にそそぐ自然小流が一筋、南には泥炭低地の表層水をあつめる小流跡が「池」を残していた。 遺物が出土した地点は、国土地理院地図で10.1~10.5メートルの地点にあたる。 ところが「池」というべきか川跡の地点は9.3メートルで、そこには「明確な高低差」があった。 2021年時点ではさすがに両地点の傾斜は緩やかとなり、筆者が児童期に感じた落差は緩和され、ゆるやかな状態にはなってる。水平源したかのようでもある。 1967年。1952年かに文化財保護法が施行されて四半世紀。 自治体の教育委員会も義務教育学校の校舎建設がひとまず完了。社会教育も公民館活動から埋蔵文化財の確認調査期に入る。 そのハシリ。そう言えるのかも知れない、1967年。折から「新釧路市史編さん事業」に着手した釧路市が、「道東海岸村総合調査」と銘打って実施した調査。 その一環で、たまたま博物館学芸職員の目にとまった遺物包含地の一。そういう時代のめぐりあわせ。そういことになる。
2022年10月25日
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どうやら順番は三通、あるようで 宝船に乗船する七福神221015. まずは尊い牡蠣様のお名前。恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊。 数日前、夜中に目をさまし記憶をたどってみるも、「毘沙門天」が思い出せずに、「六福神」。 そもそも順番があるではないか。と。ここまで記載している「橋南春採湖プロムナード33」の第一クールに当てはめてみた。 日銀跡=恵比寿、かもめホール=大黒天、ここで魚市場跡には弁財天、啄木離釧の地=毘沙門、知人屋敷神群=福禄寿、知人岬私設公園=寿老人、弁天ケ浜踏切=布袋尊。 一か所、「魚市場跡=弁財天」とするには、いささか抵抗があった。 オーソドックスには、「1)恵比寿、2)大黒天、3)毘沙門天、4)弁財天、5)福禄寿、6)寿老人、7)布袋尊」の順からゆくと、「魚市場跡=毘沙門天」がふさわしい。 しかし、ここには旧下渡船跡の「入舟乗降階段」が今も残っている。コンクリートで強固に固められた岸壁の一所に、1950年ころまで持続した航路の存在を証明する手段となっている。 七福神中、唯一の女神が衣装の「裳」を引きずり、洋上から岸壁に「大股」で昇殿させるのは、芸がない。ここは階段をシズシズと昇ってほしい、のだ。 すると、宝船に乗船の順番を変更しなくてはいけない。 ネット情報 https://mshabit.info/7fukujin_narabikata/ 「四季おりおり快適生活」221015 05:50閲覧。 その記載は「よく見かける一般的な並び方はありますが、それも1つではなく3パターンほどあります」。 「パターン3:毘沙門天と弁才天が入れ替わる順番」 「3つ目のパターンは、パターン1では4番目だった弁才天が3番目になる並び方」。 「1)恵比須 2)大黒天 3)弁才天 4)毘沙門天 5)布袋尊 6)福禄寿 7)寿老人」を示す。 そうなのだ。「橋南春採湖プロムナード33」の第一クール=「釧路川水際線プロムナード」は、「四季おりおり快適生活」が示す「3つ目のパターン」で配置してみることに。 すると、「1)日銀跡=恵比寿、2)かもめホール=大黒天、3)魚市場跡=弁財天、4)啄木離釧の地=毘沙門、5)知人屋敷神群=布袋尊、6)知人岬私設公園=福禄寿、7)弁天ケ浜踏切=寿老人」となる。 因みに写真の「二葉の里歴史の散歩道」。 1)饒津j神社(にぎつ神社)=恵比寿、2)明星院=毘沙門天、3)鶴羽根神社=弁財天、4)広島東照宮=福禄寿、5)尾長天満宮=寿老人、6)國前寺=大黒天、7)聖光寺=布袋尊。
2022年10月13日
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タイトルは長いながら「5株880円」「10株1690円」221013 「苗 苗木 山菜 行者ニンニク 5株 / 家庭菜園 行者ニンニクの苗 行者ニンニク苗 行者にんにく苗 行者にんにくの苗 ぎょうじゃ 栄養豊富 自給自足 植物 有用植物苗880」https://shopping.yahoo.co.jp/?store_id=kokkaen&page_key=2019n-p3-0016&dp_yjc=t&dp_cpn=t&sc_e=yttreco_l_3x2_01 商品情報には「商品情報 山深くで修業を行う行者たちが、荒行を行う体力を保つために食べたと言われています。通常のニンニク以上に強い辛味と香りがあり、お浸し・炒め物に!行者ニンニクの苗」。 ほかにも「お届け状態 素掘苗」、「分類 多年草」「収穫期(約) 4〜5月」 「日照 半日陰」「耐寒性 強/寒冷地でも地植えOK」の情報を多数掲載。 むすびの「耐寒性 強/寒冷地でも地植えOK」があるところを読むと、初年度は「食べすずにそのまま直植え可能」とも読める。 事柄はそれほど甘くはないが、ここはいつぞや記載「『化学肥料と加里はダメ』 <ギョウジャニンニク 行者大蒜>の土つくり2121001 」を、思い出していただくことに。 それにしても「5株880円」「10株1690円」が理解され、広く受容されることを。
2022年10月09日
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高度成長期に輩出 女流作家にとっての第四学校、実家、祖父宅221008。 少々、図版が大きめのキライはあるも、赤で「原田留五郎家」、青で第四学校。 そして図面には読み取れないが『大正五年 釧路電話番号簿』で「西幣舞四四番地」の位置に黄色で「原田宗二郎家」。 うち、赤で「原田留五郎家」は女流作家 原田康子女史の実家にあたる。彼女は昭和5年夏に東京から同伴されてこの家に落ち着いた。 15歳で城山にあった高等女学校に入学、地元新聞社で初の女性記者を経て嫁ぐまで、この実家でフランス文学を読み続けた。 実家の東には「第4高等小学校」「運動場」の記載を読むことができる。雑穀取扱商としてその名をとどろかせた原田家が、「教育施設のために」と学校建設用地を提供したことがわかっている。康子女史が小学校高等科にすすむころには、市立の女子高等小学校がすでに開校していたから、彼女は13歳から16歳までの4年間を「久寿里 くすり 橋」をわたり城山の校舎に通学した。 その道すがら、必ずしも通学路とは申しがたいが現在の栄 さかえ 町三丁目に「原田宗二郎家」があって祖父母の家ということになる。 初代・惣吉-二代・宗二郎ー三代・留五郎、そして惣吉以来四代、ひ孫にあたる長女が原田康子女史ということ。 「原田留五郎家」。昭和5年発効と目される『釧路市街図』にこの記載を見たとき、「原田留五郎宅こそ康子女史の実家」。かく、確信をしていた。だが、確証はなかった。 2022年10月8日午後、マチなかで開かれた講演会を聞かせてもらった。演者は見覚えのある「私のなかの歴史 愛のかたち、文学に」と題する『北海道新聞 夕刊』(平成19年4月10日号)が配布された。 企画記事は康子女史の回顧録を掲載したもの。演者の注目点とは別に「原田一族」のなかに次の記載を読んだ。 「本物の私は1928年(昭和3年)、母と父留五郎の間に六人きょうだいの長女して東京で生まれました」。 当初から抱いていた憶測は、合致していた。 学校の校舎と運動場を一括寄付した敷地を目前に、そこを見守るように配置されていた原田康子女史の実家。 市街図から作業仮説として憶測していたポイントが、ここに紹介の紙面記載で裏付けられた。 実はこの記事の末尾を一度、授業で紹介してことがある。 そうではあるがそのとき、冒頭の記載の「母と父留五郎の間に六人きょうだいの長女」を、ほぼ記憶していなかった。 この7月14日にこの地を訪問し、憶測を裏杖づけるためには、「私のなかの歴史 愛のかたち、文学に」を探しあてねば。 その思いが、はからずも叶ったということになる。
2022年10月07日
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少雪寒冷の冬、日照不足に湿潤低温、劣悪を示唆の自然環境 厚岸町上尾幌・尾幌担当区界 釧路営林署210920 『釧路営林署 開庁60周年』を偶然にみつけて、内容の点検。思い知らされる劣悪を示唆の自然環境。 水産資源に配慮した「防霧林」「魚つき林」「土砂崩壊防備」の重要な役割を指摘(14p)するも、自然環境の厳しさ、劣悪さは事実。 他方で寒冷地、日中気温の寒暖差が生み出す「質の差別化」はそれほど明確ではないうようで。経営環境の厳しさをうかがわせる。 三、管轄区域ならびに機構 (管轄区域)「釧路市、釧路村、鶴居村と厚岸町尾幌、上尾幌地区、標茶町阿歴内塘路地区など十九万六千ヘクタール」 (国有林面積)「釧路市四ヘクタール、釧路村六千七百五十四ヘクタール、厚岸町四千百六十七ヘクタール、標茶町千四百七十二ヘクタール、鶴居村一万三千八百十二ヘクタール、合計二万六千二百八ヘクタールであり」「釧路団地、雪裡団地にそれぞれ一万三千ヘクタール前後分布している」。 (機構)「釧路、上尾幌、尾幌、昆布森、幌呂、雪裡第一、雪裡第二の七担当区事務所」 「上尾幌・雪裡造林、雪裡苗畑、上尾幌製品の各事業所を置いて実行している」(12p) (1)地況 ロ 水系「釧路団地には尾幌川が厚岸湾に注ぐほか、釧路川支流の別保川があるがいずれも水量は少ない」。ハ 地質土壌 「(釧路団地)昆布森は、上尾幌は白亜紀、上尾幌阿歴内の第四紀、尻羽岬の古第三紀よりなるが、いずれも火山灰が覆い、土地母材となっている」。(14p)ニ 気象 「南部は海岸性気象であるが、海岸近くでは四~九月まで海霧が発生し、霧日数年百十日におよぶので日照時間が少なく湿潤低温で植物生育を阻害している」。 「冬期は積雪少なく晴天が多いが風と寒気のため冷涼で土壌は森林内でも凍結する」。 「そのため寒風害の危険が大きい」 『釧路営林署 開庁60周年記念誌』(昭和43年 釧路営林署)
2022年09月19日
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ハワイの豚 沖縄の食糧事情を救う 220907 NHK「ちむどんどん」寛大の「ハワイの豚」伏線回収に朝ドラファン興奮「いい話」「賢秀!早く暢子に豚を卸せ!」 世に沖縄では、「鳴き声とヒズメ以外は残さずに食べる」とされている「豚」。 そもそも沖縄では豚の飼育が取り組まれたいた。アメリカ軍の攻撃で、その豚が全滅した後の話。 復活の話は次のようになっているようで。 沖縄県公文書館で紹介中。https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/6229 それとは別にNHK朝ドラマを紹介するページは、以下のように記載。 「戦後、ハワイの沖縄移民たちが太平洋戦争によって全滅の危機に陥った沖縄の養豚業を助けるため、嵐の恐怖にも負けず船で550頭に豚を贈ったという話を披露」。 「それは、戦後の沖縄の食糧難を助けたいという一心で敢行された命懸けの航海だったと力説」。 要をえているのかも。
2022年09月17日
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「金の卵」の中学生、集団就職 北海道ではどうであったか220916 「集団就職」もしくは「集団就職列車」。 耳に覚えのあるお方は、今やどれほどの年齢層になっていることになるのか。 井沢八郎さん「あゝ上野駅」や島倉千代子「東京だよおっ母さん」などの歌謡曲。その背景にあることを、思い描いておきたい。 その説明には、次のような指摘がある。 「高度経済成長期に地方の中学・高校の卒業生たちが、臨時列車に乗って大都市圏に働きに出た『集団就職』」。 「一般に『東北』から東京に向かう光景として語られてきた『集団就職』のイメージが捉え直される」。でわ、端緒と終末。 「人手不足 を解消する雇用政 策として 行われた 『集団就職』は、1954 年 (昭和 29 年) 4 月青森駅から出発した集団就. 職列車によるものが初めて」。 「1975年3月24日、盛岡発の集団就職列車が上野駅に到着しました。これが最後の集団就職列車となり、日本の高度経済成長も終わりを迎えること」になるとも。 昭和12年生まれほどの新制中学校卒業者から、1975年3月の高卒者と申すと昭和32年生まれ。そういうことになるのであろうか。 1960年前後にこの集団集団就職列車に乗った、生徒たちはには「金の卵」の称があった。彼、彼女たちのなかにあった、発言。 「私たちのときは仕事の選択肢がなかったのよ。生きてゆくにはこれしかなかったのよ」と「いった淡々とした語り」。 公的記録は、真に少ないのだそうだ。「集団就職」を扱った著者たちは、当時の体験者に面接し、「九州や復帰前後の沖縄から京阪神・名古屋へ向かった人々を中心に証言」を集めたのだと、申す。 ある意味、内在する制約。そこからアプローチの方法と背景を考えてゆくことにしたい。
2022年09月15日
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「マグロの釧路か、釧路の鮪か」、その残照 入舟高木家船見櫓210504. 釧路川左岸の入舟岸壁を歩いていて、気が付いた。 釧路内燃機製作所の背後に見える塔屋の家構い。写真の建造物は「船見櫓」では、ないか?。 「(釧路市道)入舟臨港通」で見つけた塔屋を、「(同)入舟6線」の通りに回ってみても、明確にはわからない。 でも、どうやら「高木商店」の社屋に位置するように読める。 昭和62年頃に遡る。当時は木造3階ての建造贓物があって、改築することになった。 その7とき、3階部分は畳6畳間ほどの空間で、釧路川に面した北と西には広く窓が開かれており、河口に寄港するマグロ漁船の漁模様を確認する設備となっていた。 河口で僚船が振る旗の標識。それが暗号化されたものであったかどうかは不明ながら、その質量を理解して「電信」で相場の確認に奔走。 そうしたことを聞かされていた。解体のときには写真の撮影に追われ、解体した家屋材は「市設魚揚場」に保存するということであった。 確かに、改築後に新装なった建物に、どのような装備が施されたものか、確認しないまま職場を離れたままになっていた。 時は、30年が流れた。 令和になった2021年5月、釧路川下渡船の「入舟乗降口」を確認するべく、現地に赴いた。 旧釧路臨港鉄道線跡の桜並木に見とれていたが、目を転じて見上げた地点には、どうやら「船見櫓」。ひそかに「入舟高木家船見櫓」。かく呼称することにしている、のだが。
2022年09月14日
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「石油禁輸」解除は二段階で 木炭自動車の終末220913 1949(昭和24)年 「GHQの占領政策の転換から石油に関する制約が解かれると、翌50(昭和25)年から輸入が再開」。 1952(昭和27)年「燃料油の配給及び価格統制が撤廃され、燃料事情は急激に好転」と。 https://www.jacar.go.jp/glossary/tochikiko-henten/qa/qa35.html アジア歴史資料センター「「公文書に見る戦時と戦後 -統治機構の変転-」 7月13日の夕方。釧路湿原シニア大学の講座を終えての帰り道。 路線バスの停留所に待ち人が居られて。「そうだ去る日、『木炭自動車の話』をしてくださったヒト」。 思い出して一声かけさせてもらった。「バス会社に入ってサー、まもなく(木炭で走るバスは)なくなった」。 「あそこ(幣舞橋のこと)(幣舞橋のこと)を渡るとき、バスが動かなくなってしまってサー」「(自分は)なにもしなかったが、運転手はたいへんだったぁー」と続けてくださった。 念頭に「木炭自動車、その終末は、いつなのか」。かく過=よぎ った。彼女は「(木炭で走るバスに載っていたのは)そんなに、長い期間ではなかったけどサー」。 その場では、「あのね、木炭バスに乗って、サー、その歳の正月は迎えたの?」。 それから「次の年」は、どうだったー、正月を迎えても乗っていたかーい。 思い出してもらうことを約したところでバスは到着したが・・・・・。 帰宅して反芻。ネットで調べると、冒頭の記載があった。 彼女の入社の年にGHQは我が国への「(石油)輸入が再開」されていたのだ。釧路市のバス会社にも「輸入が再開」の恩恵があった、はず。 「今日もバスは止まらないかしら」。15歳乙女の杞憂は、それほど長くは続かなかったはず。今度は聞いてみよう。 「あのさー、厳島神社の祭典のころにも木炭自動車は走っていたかーい」。
2022年09月13日
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小説『海霧 UMIGIRI』の舞台 原田御殿界わい220914. 豆選別場写真&支援システム地図。 写真「十勝雑穀集荷場」 『昭和7年 釧路市制施行十周年写真帳』掲載。 橋本正一家 橋本物産 十勝国大津湊から釧路港に移転 浪花町四丁目2 職業紹介所 現在のハローワーク、女性就労斡旋 浪花町五丁目2 道庁出張所 農産物品質検査所の機能を体したか 浪花町六丁目1 釧路保育園 飯田要次郎の経営、のち釧路信金理事長 浪花町七丁目2 小池愛三家 豆腐店経営、大豆入手に好適位置か 浪花町七丁目2 高橋駒吉家 豆等級別選別場を経営、写真中央に座す 浪花町七丁目5 明治38年に鉄道が釧路~帯広間開業、ついで池北線が明治40年に開業して十勝、網走の雑穀、木材が釧路港に集荷。 小豆、大手亡、グリーンピースなどの等級別選別を施す作業が港頭で展開される時代を迎えた。 集荷対象の大豆を手にしやすい地点を背景にしたか、歌人で著名だった小池愛三氏は豆腐店を経営の跡も示される。 取り扱い事業者が十勝国大津港から釧路港に移転し、仲介を果たす。他方で選別場の求める従事者斡旋の枠組み。 かつ女性従事者を多数必要としたため幼児の保育措置を担う釧路保育園が記載されている。
2022年09月12日
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USA 新自由主義 極右 政権、顔の方向=誰の利益を政策に220911 2015年夏か、安保法制の議論がすすむ時点から、「この政権、誰の利益を政策に」と思いめぐらしてきた。 国会を150日間かの長期にわたり延長をして、参議院の委員会。 その最後の場面は答弁席に自衛隊出身の防衛大臣、臨時委員長席にこれまた自衛隊出身の議員がマイクを握りしめて強行採決。 中谷―佐藤のコンビがすすめた光景は、大いに<異常>とも言える<目を疑う姿>。 前後してすすんだ国家秘密法(スパイ防止法)や秘密保護法(特定秘密の保護に関する法律)の制定。 それらともあいまって、<この国は自衛隊が政権をまもるため国民を敵視する>に転じたのかと、思いめぐらすようになった。 政権の向かっている方向。 アメリカ合衆国・・・・古くはイギリス、ドイツ、戦後は突然、USA一辺倒に。 新自由主義・・・・・・学歴は4大卒、年収で5000万円超の階層が支持。 極右・・・・・・・・・この<顔つき>がなかなか、見えなかった。小佐野賢治氏や児玉誉士夫氏亡きいま、森友学園などその存在は小さいと受け止め、さてどこに。 そこに一発の弾痕dせ、<開蓋>の思い。 往時電信柱にも貼り紙のあった「国際勝連合」。多数の「合同結婚式」の異様が白日にさらされるとは。 10日朝、テレビで視聴。 「サンモニ」識者 島田紳助さん例に『民間なら引退』」。見出しの詳報は、下記。 <改めて旧統一教会の問題点を指摘>。 <1つは霊感商法などの「反社会性」>。<もう1つは「反日性」とし「日本の弱者に食いついて『朝鮮半島を支配していた贖罪(しょくざい)でもって日本は金を出すべきだ』っていう形で入り込んできた」と説明>、と。 https://news.yahoo.co.jp/articles/1160290ecdd95ead339eb6d5de4d09a982832ee8 世の動き。 注意深く、読み解いてゆくことにしよう。とにもかくにも情報を集め、自身で思慮。とにもかくにも、全員が投票所に足をはこぼう。
2022年09月11日
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共楽座 大正初期の芝居小屋 一葉の写真から220910。記載してみましたですよ。 共楽座 きょうらくざ 米町13番地、現在の釧路市米町公園駐車場に開設した演劇場。開設の時期は大正2年8月とみられ、昭和3年の新聞記事では「跡地」とあって他の地に移転していた。た。 ルネサンス様式といわれる美しい劇場は、ひときわ釧路町民の目をひきつけたに違いない。おしゃれな建物に背いて「芝居小屋」の名で呼ばれる。映画を上映する「活動写真館」とは明らかに区別されていた。 「釧路第一劇場共楽座」と紹介する画像も残る。この劇場は「政友会」という政党の有志が建設運動を立ち上げて建設されており、「政談演説会」が開かれて支持者は熱弁を聞いた。 「日本演劇のハナ」とうたわれた松井須磨子や川上音二郎らが釧路町に来ているが、政党間のライバル意識をうつし釧路駅に近い末広座という劇場と競いあった。その末広座が大正7年に焼失した跡地に共楽座は移る。そこで「恵比寿座」の名で開業した。
2022年09月10日
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エリザベス女王死去 世界から追悼の声相次ぐ 2022年9月10日 21時34分70年にわたって在位 96歳 安らかにトラス首相(英国)「女王は現代の英国を築く礎となり、女王の治世下で国が成長、繁栄した」バイデン大統領(米)「一人の君主以上の存在で、一つの時代を定義づけた」「女王は何世代もの英国人にとって安らぎと誇りの源だった」トルドー首相(加)「女王陛下の知恵、思いやり、温かさを私たちはいつまでも忘れず、大切にしていく」 「カナダとその人への奉仕は、わが国の歴史の重要な一部として永遠に残る」モディ首相(印)「彼女の温かさと親切さを忘れることはない」「国家と国民を奮い立たせるリーダーシップを発揮した。公人としての威厳や良識を体現した」マクロン大統領(仏)「女王は70年以上にわたり、英国の継続と団結を体現してきた」ショルツ首相(独)「何百万人もの人々の模範となり、インスピレーションを与えてくれる存在」「第二次大戦の惨禍の後、独英の和解に尽力した彼女の功績は忘れられない」「特に彼女の素晴らしいユーモアを恋しく思います」最後に「月刊ゲンダイ」のネット記事2022年9月10日 14:03配信「エリザベス英女王の国葬が「弔問外交」の場に…先行される岸田首相もくろみ外れ大誤算」https://news.yahoo.co.jp/articles/bb67c8dcf9f9cb44e5beb634a5bae2f680b622c5(記事内容)「岸田首相がもくろむ「弔問外交」のお株を奪われそうな展開だ」。「英国のエリザベス女王(享年96)が8日(現地時間)に逝去。世界中から弔意が寄せられている」。(英メディアによると、女王の国葬は2週間以内に営まれる見通し)「英君主として最長の70年にわたる在位期間を誇る女王の国葬には、各国首脳や王室関係者の参列が見込まれる」。「」岸田首相が起死回生を狙う安倍元首相の国葬(27日実施)が、ますますかすんでしまいかねない。
2022年09月09日
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https://activo.jp/users/8774 団体名 特定非営利活動法人 浪花町十六番倉庫 法人格 NPO法人 HPのURL http://ww6.et.tiki.ne.jp/~n16bansouko 代表者 理事長 久島 貞一 設立年 2000年 住所 〒085-00xx 北海道釧路市浪花町5丁目5番地 電話番号 xxx-xxx-xxxxx 北の風に吹かれて~独り漫遊記~ 釧路にもあった煉瓦倉庫 https://blog.goo.ne.jp/five-colors1213/e/32e0247ea2277917b40dc8fa539937d3 そんな倉庫群の一つであり、代表格とも言える「浪花町十六番倉庫」と呼ばれるこの倉庫は、釧路市出身の作家で、代表作「挽歌」で知られる原田康子さんの曾祖父が、明治43年(1910年)に、豆類の保管倉庫として建設したものです。 その後、様々な用途に用いられ、平成11年(1999年)、「倉庫を創造空間として再生し、釧路の遺産として守りたい」と願う市民有志により、「NPO法人浪花町十六番倉庫」が発足し、翌12年(2000年)に多目的コミュニティスペースとして運営が開始され、ライブや演劇、展覧会など、様々なイベントが開催されています。
2022年09月08日
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「<原田御殿>その界わい ぶぶる釧路の街歩き2nd」。近く案内されるようですが、7月に続く2度目の催事。 「どうしましょう、か?」。そう聞かれ、最初は「女流作家育んだ、原田家の舞台」。そうしたタイトルで考えました。 しかし、「面白みに欠けるのでは?」。 そう考えて、さらに一ひねり。2007年頃「観光講座」で「佐賀衆と原田文学」の題材で話をしたこと思い出しました。 新たに浮かんだ構想が「<原田御殿>その界わい」。 小説『海霧 UMIGIRI』の頂点に位置する家業の繁栄を支えた構成要素をたどってみます。 ポイントは十勝及び北見・網走の雑穀が、鉄道輸送を通じ釧路港に集荷されるシステムそのものにあるのですが。 しかし、「集めた素材」をただ、通過させる枠組みではなかったのです。 そこに注目しておきたいとおもいますね、今回のツアーでは。 「選穀 せんこく」という枠組み。集荷した雑穀を、選別し等級の付加価値を加えて「外貨」を稼ぐ。 そうした営為が展開された領域があるのです。 「石炭が育て、鉄道が支えた北海道東部都市の中心街」。そこの<吸引力>を高めたい。 各人が「出来ることを通じて、多くのプログラムを提案したい」。「やってみたい!!」。その有志の期待に応えて、催事が計画されています。 「<原田御殿>その界わい」 近く案内される「ぶぶる釧路の街歩き2nd」。主催者の公表に先立ち、その事前紹介です。
2022年09月07日
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公園設計 本多博士講演 第六植物園 8月23日 二面 第六には天然植物園附け外国樹木園である。 公園内の樹木は年々盗伐其の他で伐られたそうであるが、其れでも一寸見た丈で喬木から灌木までものを数ふると三十餘種あるから之を基礎として ▲天然植物園を作る・・・・・・位置は忠魂碑、運動場等の後方・・・・・・天然植物園とは北海道全体にある樹木を出来得る丈け此處に蒐集して以て天然は植物園を作るのである。是れ差したるも困難な事でもないない。 而して之らの樹木に対しては、札を附けて片仮名と羅典語とを以て其の名を書いて置くる。札は巾三寸に長さ四寸五分のトタン板にて作くり、白く塗った上に黒く書く。之が一番見るに便利で永く保存されるやうである。又た札の附け方は大な木には四五尺位の高さに釘を以て打付け、打ち付けるに餘りに ▲可哀想な細い木には枝などに掛け、更らに掛けることもできない灌木類に対しては別に札を掛けるが良い。 喬木・・・丈(たけ)の高い木。植物学では、幹が木質化して堅く、直立して、少なくとも高さ三メートル以上の木をいう。 灌木・・・丈が低く、幹が発達しない木本植物。ツツジ、ナンテンなどの類で、幹と枝とが区別しにくく、二~三メートル以内のもの。現在では低木という。
2022年09月06日
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本多静六博士は大正5年8月9日に来仙した。翌日から精力的な調査を始めたことが報じられている。 調査成果は8月16日の『釧路新聞』から報じられている。「公園設計」と題して。 (-)「都市と公園」「公園の要素」「様式の変遷」 (二)「英国式採用」 (三)「第一 幹線道路」 (四)「第二 歩道」 (五)「第三 遊覧船」 (六)「第四 運動場」 (七)「第五 忠魂碑」 (八)「第六 植物園」 (九)「第七 動物園」 (十)「第八 養魚池」「第九 花き園」「第十 競馬場」 (十一)「第十一 土族博物館」「第十二 家畜園」「第十三 果樹園」「第十四 雑項」 (十二)「第十四 雑項」日程早め本多博士 来釧 19160809『釧路新聞』『釧路新聞』大正5年8月16日から、博士の講演記録は12回にわけ連載された。
2022年09月04日
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あふれる水量、ささえる緑樹 「さくらの滝」に三つのストーリー―中―220822 「さくらの滝」では、サクラマスの遡上も熱いが、斜里川本流の水量、その豊かさにも見とれる。 幅の決して広くはない位置ながら、滔々と流れおちる豊かな水に、ほれぼれするのだ。 流域の平坦地には採草地が広がっているように記憶しているのであるが。 ポイントは「川がある」。そうは悟らせない広葉樹の樹林。その豊富さにあるようだ。 うっそうとした林宗。その多くは広葉樹で、針葉樹はみかけない。 樹木の保水力の豊かさ。そこに尽きるのではないか。 「森林の保水力とはどのようなことですか(森林の保水力)」。 そのようなページがあるが。 「森林の保水力は、『地下部の土壌によって発揮される力(土壌の保水力)』と『地上部の樹木を含む全体によって発揮される力(流域の保水力)』」があります」と、書く。 半面、28日日曜日にテレビ朝日系列のテレビで「ポツンと一軒家」の番組を見た。 鹿児島県の一軒家訪問であったと記憶。一面にあった棚田に水はなく、田圃は畑地に転換。 「親父が1960年ころ、杉やヒノキの針葉樹を植林して林相を換えた」。ムスコの弁。 針葉樹で地下水が枯渇。「稲穂の国、瑞穂の地」は土色の畑地に転じていた。
2022年08月28日
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1900年 明治33年 「渡辺虎蔵」 「棟札」(米町ふるさと館複製資料公開) 1907年 「渡辺虎蔵商店」 『釧路国便覧』(店舗紹介) 1909年 『釧路電話局 番号簿』(『新釧路市史 第4巻』) 1910年 「渡辺虎蔵」 『釧路港実業家銘鑑明細全図』 1916年 『釧路電話局 番号簿』(『新釧路市史 第4巻』) 1930年(推定)年 「渡辺紀一」 『釧路市街図』 1932年 昭和7年 『大日本職業別明細図 釧路市』 1977年 昭和52年3月 依田有康「釧路市に現存する明治期の一民家について」 『釧路市立郷土博物館々報』 第244号 明治33年建立と目される、釧路港東港区に現存する最古の「店舗兼木造住宅」。 佐渡国出身の渡辺虎蔵商店として海岸線の海産物一手買い付けも商いを展開。 店舗兼住宅は秋田県出身の工匠 工藤恒吉翁の施工。のち田村艶子氏が継承したところから、「旧田村邸」の呼称が残る。 土壁仕上げ瓦葺き屋根。通り庭吹き抜け天井の形式を伝え、正面両脇に「うだつ」を模した壁が配置されている。 渡辺虎蔵商店と地域&旧渡辺家邸宅 記録で読む渡辺虎蔵商店 1n 釧路港原港区 平成2年かに「ふるさと創生資金」を充てて、「米町ふうさと館」として隣接地に移転。
2022年08月27日
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1900年 明治33年 「渡辺虎蔵」 「棟札」(米町ふるさと館複製資料公開) 1907年 「渡辺虎蔵商店」 『釧路国便覧』(店舗紹介) 1909年 『釧路電話局 番号簿』(『新釧路市史 第4巻』) 1910年 「渡辺虎蔵」 『釧路港実業家銘鑑明細全図』 1916年 『釧路電話局 番号簿』(『新釧路市史 第4巻』) 1930年(推定)年 「渡辺紀一」 『釧路市街図』 1932年 昭和7年 『大日本職業別明細図 釧路市』 1977年 昭和52年3月 依田有康「釧路市に現存する明治期の一民家について」『釧路市立郷土博物館々報』 第244号 明治33年建立と目される、釧路港東港区に現存する最古の「店舗兼木造住宅」。 佐渡国出身の渡辺虎蔵商店として海岸線の海産物一手買い付けも商いを展開。 店舗兼住宅は秋田県出身の工匠 工藤恒吉翁の施工。のち田村艶子氏が継承したところから、「旧田村邸」の呼称が残る。 土壁仕上げ瓦葺き屋根。通り庭吹き抜け天井の形式を伝え、正面両脇に「卯建 うだつ =切妻屋根の両端を持上げ、袖壁と一体化させたもの 」を模した壁が配置されている。 渡辺虎蔵商店と地域&旧渡辺家邸宅 記録で読む渡辺虎蔵商店 1n 釧路港原港区 平成2年かに「ふるさと創生資金」を充てて、「米町ふうさと館」として隣接地に移転。
2022年08月26日
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脱炭素、非製造物主義、脱開発、脱成長、脱プラスチック 鉄・コンクリ・洋紙の後で・・・・-中- 東京五輪は物価高の途次に当面していた。 終了後には相次ぐ航空事故が発生したし、物価高の加重はさらに速度を増した。 「経済成長の踊り場」とも「典型期」とも言われる<不景気>に遭遇した。 わがマチで、その1965年を期してのちに建設のビル。あいついで老朽化がすすむ。 事業は撤退し、跡地は放置。所有権者は移転し、「連絡もとれない」状態という。 建物は危険を増し、建築素材が落下の恐れも。危険防止で公共が張り巡らした柵は歩道を狭める。石炭が育て、鉄道が域外をむすんで成長したマチの中心街。 太陽・水・植物でモノつくりを賄ってきた時代の次に、炭素の塊=化石燃料が動力となる時代を迎えた。 鉄筋コンクリートの建物群は、開発と成長の過程を<形>に示した製造物。モノは欲望を膨らませ、無限の可能性を示した。できないコトはない。 黒部第四ダム=「クロヨン」を眺めるケーブルカー。鉄・コンクリ・電力の繁栄像。 今、モノに耐用年数と老朽化の現実を<目のあたり>にしている。 「太陽・水・植物」と違って、「化石燃料とそれが産みだした生成物」。 それは廃墟となっても、土に還元するに途方もない時間を要するのだ。 限られた資源を<無尽蔵>に使い、結果が地球の温度を高めている。と。 産業革命後の気温変化。気候変動、極点付近の氷河の融解。海水温度の上昇。 他方、サンマが遠のき、コンブに、ウニに、赤潮に。近郊漁村の身近なところで被災が具体的に。ゲリラ豪雨、台風の居座り、線状降雨帯、洪水。
2022年08月24日
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脱炭素、非製造物主義、脱開発、脱成長、脱プラスチック 鉄・コンクリ・洋紙の後で・・・・―前―。 ビルに公営住宅。 その後は黒部第四ダムに高速道路。新幹線が開業して東京五輪。 ビルに公営住宅は老朽化の過程をすぎて、再開発の二世、三世の推移。 黒四のコンクリートはどれほどの耐用年数か。 調べてみたコトがあるような気がする。 「250年を想定」。そのように記載した見解があった。確かではない。 そのような気がした。 その後で、跡地はどうなるのだろうか。多分、設置者は放置するであろう。 政府は<軍艦島>に似て、世界文化遺産の登録を主唱し、観光業者は「廃墟ツアー」を提案している。 過疎地の観光バスは、その委託料の安さに悲鳴をあげる。 自然保護団体は、「ギリシャの神殿」でもあるまいに、撤去して「緑化、自然への複元を目指せ!!」と。21世紀の今、マチの中心街に残る「廃墟のビル」。公共が更地にして、土地所有権を公共のものに移管を求める向きをあるらしいが。 脱炭素、非製造物主義、脱開発、脱成長、脱プラスチック 鉄・コンクリ・洋紙の後で・・・・―前―。 ビルに公営住宅。 その後は黒部第四ダムに高速道路。新幹線が開業して東京五輪。 ビルに公営住宅は老朽化の過程をすぎて、再開発の二世、三世の推移。 黒四のコンクリートはどれほどの耐用年数か。 調べてみたコトがあるような気がする。 「250年を想定」。そのように記載した見解があった。確かではない。 そのような気がした。 その後で、跡地はどうなるのだろうか。多分、設置者は放置するであろう。 政府は<軍艦島>に似て、世界文化遺産の登録を主唱し、観光業者は「廃墟ツアー」を提案している。 過疎地の観光バスは、その委託料の安さに悲鳴をあげる。 自然保護団体は、「ギリシャの神殿」でもあるまいに、撤去して「緑化、自然への複元を目指せ!!」と。 21世紀の今、マチの中心街に残る「廃墟のビル」。公共が更地にして、土地所有権を公共のものに移管を求める向きをあるらしいが。
2022年08月23日
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内国にも「植民地域」&「本国地域」 社会経済視点で「環境的レイシズム」220819―後― 現代社会でロシア国のウクライナ侵攻。 どのように読み解くと良いのか、傍目ではなかなか読めてこない。 そうした中で『AERA』の電子版で、「187票差で杉並区初の女性区長、岸本聡子さんの異色経歴 『男社会に風穴あけなきゃダメ』〈週刊朝日〉」を読んだ。 人種差別。 その概念は大航海時代を経過して、人種差別のシステムは域外に拡大された。 本邦でも幕藩体制外の蝦夷地に原住のアイヌ民族が、被差別の枠組に組み込まれた。 現代の今、同胞が「原発や軍事基地化」作られたで環境媒体の周辺で、「発展」を支えるヒズミの奈辺で呻吟する。 原発事故に避難を強制された福島。 USAから施政権を変換される以前から米軍基地にあえぐ沖縄は、固定化の状況にある。 2011年3月。東日本大震災の複合被災。この時、大手電力会社の隠語で示された。 原発稼働地は「植民地」。内国にも「植民地域」&「本国地域」があるのだ。 電力会社本社所在地は「本国地域」。発電所立地地域は原発稼働地は「植民地域」。 企業エリートの<おごり 傲慢>を超えて、「体質」のような気もするが、 文明社会は環境に負荷をかけているのみならず、他人種はもとより同胞に向けても「分断=Division」と「差別=Discrimination」を、気が付かないところで<結果>しては、いまいか。
2022年08月20日
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内国にも「植民地域」&「本国地域」 社会経済視点で「環境的レイシズム」220819-前-現代社会でロシア国のウクライナ侵攻。どのように読み解くと良いのか、傍目ではなかなか読めてこない。そうした中で『AERA』の電子版で、「187票差で杉並区初の女性区長、岸本聡子さんの異色経歴 『男社会に風穴あけなきゃダメ』〈週刊朝日〉」を読んだ。その「異色経歴」。そこに、「環境NGOでの活動を通じ、『環境的レイシズム(環境的人種差別)』という概念に出会い、衝撃を受けた」と、いうのだ。その論を要約すると、1)有色人種、女性、子どもなど経済力の弱い社会的マイノリティほど2)原発や軍事基地化の近くに住まざるを得ない傾向が高く、3)汚染や健康の被害も集中しやすい。4)そればかりではなく環境問題を考える上で、5)科学的要因に限らず政治的な力関係へ着目が重要と気づいた経験、環境的レイシズムの、「レイシズム」=「レイシズムとは「人種差別」や「人種主義」と訳される」。モノの本によると「1970年代から1980年代にかけて米国で発展した環境正義運動」にして、「ノースカロライナ州ウォーレン郡の有害なPCB廃棄物に対処する、キリスト教連合教会 (UCC) の人種正義委員会の前委員長であるベンジャミン・チャビスによって1982年に導入」とも、説明されている、が。この概念。人種差別とはいわないが、社会経済史的枠組みの中に本邦の近世後期に始まる。近代社会を経て、現代においてもなお存在するではないか。「同一労働同一賃金」を理念としながらも、危険個所や危険部署の危険な現場を長時間労働、低賃金で雇用しているではないか。規制緩和で「派遣社員制度」が認められる時代になった。海外技能実習生の投入なくして経営が立ち行かなくなる「賃金を価格形成に反映できない業種」。若者たちは「勝ち組=正規雇用」&「負け組=非正規雇用」。その分岐点で、煩悶している。文明社会は環境に負荷をかけているのみならず、他人種はもとより同胞に向けても「分断=Division」と「差別=Discrimination」を、気が付かないところで<結果>しては、いまいか。
2022年08月19日
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戦いは環境&文化芸術を破壊、取り返しがつかない210818 「機構変動対策 揺れる先進国」と「ロの侵攻 欧州は『石炭回帰』」の見出しが大きく、道内配布紙の夕刊一面に。 新聞リードの記載。「欧州ではロシアのウクライナ侵攻が『石炭回帰』を生み」と書き始め、「米国の二酸化炭素(CO2)規制に待ったをかけた」。 2022年後半に欧州は「新枠組み『気候クラブ』のテコに対策を加速する絵を描くが」と続ける。 そこの記載のオチは、「鍵となる新興国を引き込む力に欠けるのが実情だ」と、受ける。 背景には「日本は独自の解釈で35年以降も(石炭火力発電所を)利用をつづける方針」で、そのことが「石炭回帰」を促す要因になっている、とも。 なんといっても、ウクライナ問題を間にロシア天然ガスなどこまでのエネルギー輸入を規制する経済制裁の影響をうけている。 戦争は環境も、文化も、芸術も破壊してきた。芸術・文化は破壊されて債権がむつかしく、環境破壊は自然の復元力に期待して、ある意味、無策ではなかった、か。 ここへきて、人類が産業革命以来、環境を破壊してきた結果が、ジワジワどころか過激に気候変動の形で具現化している。 そういうことではないか。別な言葉で表現するに、「これまで戦争とは物理的に環境を加配した」。今や「戦争と核はは自然閑居や芸術・文化を科学的にも破壊し、しかも取り返しができない」。 SDGS=Sustainable Development Goalsを「持続開発な開発目標」から、「人類が存続するための目標群」と読み替える論点と知恵を傾聴しては、どうか。
2022年08月17日
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三年ぶり、風・雨・雷を凌いで20分 京洛の送り火220816 「大」「妙法」「舟形」「鳥居形」「左大文字」。どうも、この五種と数えるらしく。 京の東山、北山、西山に浮かびあがる"炎" .。20時を期して点火され、着火直後の勢いとともに、静かに消えてゆく"送り火"の厳粛。 燃える炎は20分。 しかし、そこに至る道筋は長い。割木の用意で、こちらは乾燥の妙。草刈り、火床の整備、設営。 早朝から保管していた「割木」などを山頂に運び、夕方から点火の準備に入る。 スタッフはそれぞれの保存会で、50人ほどの陣容。、「左大文字」は、特別。 午後7時頃、門前通で門火=かがり火 篝火を焚く。 その門火を「『丈』の親火松明と手松明かり」に移して、山上の火床に点火する、と。 起源・発祥の時期は定かではないらしい。 慶長8=1603年の日記には記載されていた。そういうことながら。 いつの歳も京都盆地の盂蘭盆は暑かった。特に近年は暑い。 ここ2年の「部分点か」が、「三年ぶりの全体点火」。加えて今年は、午後7時台にはときならぬ雨、風、そして雷の追加。 時ならぬ暑さに天変が加わるもを、モノともせず、見事に着火。営々と存続。 祖先のために、京洛市民のために、観に洛都にもどる方のために。 自身の都合で、やれ「中止」「休止」の声高らかの地、それとは異なるネバリ強さ。 この季節、九段下の神社さんを参拝される政治家各位。前々日から神社宿坊に寝泊り。 五度の食事を、いもめし、麦飯、掌の粥にみそ汁の一汁一飯、二度の<すいとん>の食事で往時をしのぶ。 8月15日瞬時の参拝にとどめず、「戦没者の英霊とアジアの人々のため」に「深いお詫び」を申しあげる。 そうされてはどのようなものであろうか。賢明な諸兄姉のお考えをうけたまわりたい。
2022年08月15日
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伊藤整筆「撃墜九機は見つからなかった」 日記で綴る「1942 大日本帝国の分岐点(前編)」220813HNKG. 時節柄、太平洋戦争の関連番組は多い。なかでも出色。そう思えるのが、新・ドキュメント太平洋戦争 「1942 大日本帝国の分岐点」の前後編。番組制作に時間をかけている。 全国に散在する戦中期の日記。記者夫人、その連れ合いの記者当人。著名作家で知られる人物の手になる<若き日の記載>。 「戦時」に関するキーワードを収集し、「月別頻出数」の棒グラフも登場。1941年12月が出現数のピークになっている点が興味深い。 1941年12月8日の真珠湾攻撃。明けて42年、ルソウ、シンガポールの攻略と戦果が続く。 しかし同年4月には米軍の反撃が始まり、東京都の杉並、新宿の民家の上空スレスレに米軍機が通過して「帝都空襲」の片鱗を見せる。 このころ、大手新聞紙面の変節が表面化する。「大本営発表」の記事が並ぶ時代。 帝都襲撃の米軍機友軍が攻撃。新聞に「九機撃墜」との記事が。 それを読んだ伊藤整は、落下した機体を探しにそれらしき、地点を訪問。しかし、機体はみつからず。 ここぞと思う地点では、「憲兵が厳重な警戒」と。 伊藤は思う。 「成果をあげたなら、必ずその戦果があるはずだ」。 今日、8月15日は77回目のポツダム宣言受託の日。 戦争とはゲームではなく、主権者が<貧困と生命危機に当面した現実>であることを。
2022年08月13日
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技術300の伝承、青年会の継承システム 二手に分かれ競う8月16日花火220813「よみがえる新日本紀行」。 人口7000人のマチが、8月16日ばかりは5万人の人手で賑わう。 代々つづく家柄の長男のみ、30歳までの年齢、人物見識の査定。加入を認められた青年が「荒町」&「元町」の二手に分かれる。 互いに向後に打ち上げながら、最後は仕掛け花火の華やかさ。その後には「おわり」の花火文字。 なんと言っても出色。 技術300の伝承、青年会の継承システム。その根本は、次の3点か。 「事故を起こさずに打ち上げる」 「相手を圧倒する技術力をみせつける」。 「花火の里にふさわしい名所を維持する人材育成」(最後に「番組案内」) 新日本紀行から42年、花火の里・浅川町を再訪した。 300年以上守り継がれてきた花火は今も町の暮らしに息づいている。家の軒下に吊るされた花火の殻は古くからの魔よけ。 この風習をもとに町の名物を発案した人は子どもの頃からの大の花火好き。冠婚葬祭に合わせた“花火の出張打ち上げ”も健在だ。お盆の花火大会は昨年はコロナ禍のため中止に。町の人たちは今年こそ伝統の夜空の彩りを楽しみたいと大会開催を待ちわびる。 【語り】森田美由紀 https://www4.nhk.or.jp/P6876/
2022年08月12日
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技術300の伝承、青年会の継承システム 二手に分かれ競う8月16日花火220813「よみがえる新日本紀行」。 福島県浅川町(ふくしまけん・あさかわまち)。 ここは「花火の里」にふさわしい、今も継承の二つの行事が受け継がれている。 ひとつは<乳児誕生を祝う打ち上げ花火>。そして二は8月16日、<盂蘭盆の送り火>と重ねる仕掛け花火の大会。 その継承には代々、青年会が中核の役割を果たしてきた。 詳細はひとまず置くとして、盂蘭盆の送り火は「からくり」と言う名の仕掛け花火を含む豪華な催事。 この日、ムラを出た次、三男に娘たちも里帰りする。(最後に「番組案内」) NHKBS4K 午後0時00分~ 午後0時38分選「盆・花火の里~福島県・浅川町~」 昭和54年、福島県浅川町を訪ねた新日本紀行が鮮やかな4K映像になってよみがえる。 地元青年会が二手に分かれ趣向を凝らした手作り花火を競い合う町の夏が描かれている。
2022年08月11日
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「マツブの入荷は、前年同期の半分」 自然はモノ申しているや220808『北海道新聞』夕刊2022年=8トン、同21年同期=17トン。「すしネタや刺身に使われるマツブの入荷は、前年同期の半分ほど」。22年8月8日付の道内配布紙夕刊が一面で、報じていた。札幌中央卸売市場での話として。特に日高管内。「(マツブ)生産地の日高管内からの入荷が少なく、同じ太平洋岸でも漁獲減に地域差があるとする」。(掲示図で見るとおり)釧路管内が横ばいで、日高は25%の減少と。ツブの漁獲量減少は道内全体全体に及ぶことで、昨年の5600トンから、今年は4600トンで1000トンの減少ということ、なのだ。2021年にはとうとう釧路管内が、日高管内の漁獲量を上回ることに。それほど、日高の減少が顕著なのだ・2021年9月、太平洋岸で発生の赤潮が要因か。研究機関の栽培水試の見解は「(減少への)直接の影響や、その深刻度は分かっていない」 と言うこと。「直接の影響」には調査に着手するし、「深刻度」については「成育中のツブ貝が多く死んでいるかどうか」にある。「マツブ」&「ケツブ」漁獲漁減少が報じられているのは、「すしネタや刺身に使われるマツブ」。ほかにも加工食品=珍味にむけられる「ケツブ」というのがあって、安価。でも、その「ケツブ」が、漁獲量は「昨年の半分以下」、しかし価格は「昨年の倍以上に上昇した」。「ツブ貝の成長は遅く、成育中のツブ貝が多く死んでいると水揚げ回復には相当な時間がかかる」(道立総合研究機構栽培水試=室蘭)は、見通している。
2022年08月10日
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「マツブの入荷は、前年同期の半分」 自然はモノ申しているや220808『北海道新聞』夕刊 2022年=8トン、同21年同期=17トン。 「すしネタや刺身に使われるマツブの入荷は、前年同期の半分ほど」。 22年8月8日付の道内配布紙夕刊が一面で、報じていた。札幌中央卸売市場での話として。 特に日高管内。 「(マツブ)生産地の日高管内からの入荷が少なく、同じ太平洋岸でも漁獲減に地域差があるとする」。 (掲示図で見るとおり)釧路管内が横ばいで、日高は25%の減少と。 ツブの漁獲量減少は道内全体全体に及ぶことで、昨年の5600トンから、今年は4600トンで1000トンの減少ということ、なのだ。 2021年にはとうとう釧路管内が、日高管内の漁獲量を上回ることに。それほど、日高の減少が顕著なのだ・ 2021年9月、太平洋岸で発生の赤潮が要因か。研究機関の栽培水試の見解は「(減少への)直接の影響や、その深刻度は分かっていない」 と言うこと。 直接の影響」には調査に着手するし、「深刻度」については「成育中のツブ貝が多く死んでいるかどうか」にある。 「マツブ」&「ケツブ」漁獲漁減少が報じられているのは、「すしネタや刺身に使われるマツブ」。 ほかにも加工食品=珍味にむけられる「ケツブ」というのがあって、安価。 でも、その「ケツブ」が、漁獲量は「昨年の半分以下」、しかし価格は「昨年の倍以上に上昇した」。 「ツブ貝の成長は遅く、成育中のツブ貝が多く死んでいると水揚げ回復には相当な時間がかかる」(道立総合研究機構栽培水試=室蘭)は、見通している。
2022年08月10日
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社会人学生の一人が疑問に、思いついたはSDGS=「人類存続のための目標群」220810 浜矩子同志社大学院教授で、経済学者の浜矩子氏が雑誌『AERA』の巻頭エッセイ「eyes」に記載している、ようで。 「もう一人の学生さんから、これまた面白い問題提起があった」。<むすび>に近いところで、かく書き起こす。 学生、といっても社会人向け授業でということゆえ、社会人学生の発言なのだが。 「そもそも、『持続可能な開発目標』というネーミングは果たして適切なのか」。 疑問点として、「問うた」というのである。 それまで自身も疑問に思っていた師匠は、思い巡らす。 「改めて別のネーミングを考えてみた。すると頭に浮かんだのが「人類存続のための目標群」。ということなのである。 これなら永く抱いていた、「なぜ「開発」にこだわるのか」。「『「開発』はどうしても進め続けなければいけないのか」。そこにも、<答え>を用意できるのだ、と。 今や、地球は深刻。 SDGS.それは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」のことだ。 さりげなく、「開発」「成長」「責任と義務」を押しつけているの感があるも。 浜氏は申す。 「地球と人類の存続のためには、開発を止める必要が出てくるかもしれない」。 「ひょっとすると、地球存続のためには人類が絶滅しないといけないか?」。 「成長」に対しては「成熟」、「開発」に向けては「折り合い」、「富裕」の対極に「安全・安心」。 「お金がないと暮らしに不安」が、「案ずることなく、カネがなくとも暮らしに不安がない」。その分岐点に暮らしているのでは。 「浜矩子 SDGS開発」https://dot.asahi.com/aera/2xxx-xxx-xxxxx.html?page=1 「浜矩子「社章化するSDGsバッジ 『持続可能な開発目標』は本当に妥当か」 22081020:15閲覧。
2022年08月09日
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江戸・佃島と佃煮 『江戸切絵図集成』に読む名物と名所220805 佃島 江戸時代、摂津国佃村の漁業者を江戸に呼び寄せ、鉄砲洲の対岸に島を築かせたことに始まる。 家康が功労を認め、同道させた漁民の移住で、「三六人衆」という名の集団もある。 佃煮 1)佃島から来江の漁業者にシラウオ漁の特権を与え、 2)漁業者はシラウオを将軍家に献上。日本橋の魚市場にも出荷したほか、 3)売り物とならない小魚に海藻類を加え、醤油と砂糖で煮詰め「佃煮 つくだに」とした。 世におなじみ「佃煮」の発祥は江戸であったらしい。『江戸切絵図集成』の解説で承知した。 「切絵図 きりえず」は 「江戸時代につくられた絵図の一種」 「特定の地域を部分的にくぎってあるもの」。 「耕地の位置や形状、秣場(まぐさば)や用水施設の位置・境界を示すのに使用」「 「大都会では、全体を1枚の絵図にした場合、取扱いに不便、あるいは詳細な内容を盛り込めないため、より便利な切絵図が発達」とする。 ために「面積についてはかならずしも正確ではない」とも。 むしろ切絵図で重要視されているのは、「受け止められた地域観」と「有意味情報の優先度」ということも。
2022年08月07日
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創造と育成、そして参加のシステムと日常生活 釧路港まつり&遊佐町少年議会220807 「3年ぶりですからねー、今日はたくさんのヒトが出ていました」。 7日夕方、来釧の友人と話をするため、滞在先のホテルから営業車で目的地に向かう車内での会話。 「どうなっているんだ、中心街は寂しいかぎり」と、友人の弁。 そこには答えず、盛時のおりの釧路港まつりを思いうけばていた。 オトコは義理もあるのか、浴衣をはおり、ウマイビールの勢いで、馴れぬ踊りの列にあった・・・・・、が。 家族やムスコ、孫は<踊りの輪>にも、そおあとの<マチの中にも連れだって歩く>は、なかった。 明けて、8月8日の朝。NHKGのニュースは伝えていた。 「山形県遊佐町の『少年議会』は、今年20年目を迎えました」「シンケンに少年町長と副町長の選挙を、高校生が行います」。 政策を述べ、政見演説を聴く高校生が投票する。候補は遊佐高と羽黒高に在籍する生徒。投票は町内の高校生のようで。 「今回の参議院議員選挙でも、遊佐町の投票率は全国一を記録しました」。放送は伝えている。 ネットでは「第20期 少年議会 令和4年」の記事も。 当選者のコメントも、敗者の論も放送は伝えているのだが。 地域の催事に多世代参加で参加する。 日本の伝統社会にあったものの、いつのまにやら消失した<仕組みと哲学、日常生活の営為&たしなみ>ではないか。 そこで喪失した<職業教育><宗教教育><環境教育><平和教育>。 社会トータルで、「創造と育成、そして参加のシステムと日常生活」が置き去りにされ、自身が孤独のなかに置き去りにされつつある。 そうしたことでは、ないだろうか。
2022年08月05日
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権現崎-松前小島-白神岬 縄文大航海の再現220806 NHKBS3 不安定な丸木舟。 しかし、北海道渡島半島部と青森県の遺跡群が結合するためには、津軽海峡の舟便。 数千年前の二点間結節が再現される。テレビの画面を懸命に追った。 青森県北津軽郡中泊町小泊 尾崎神社を背後に持つ「権現 こんげん 崎」が出発地。 渡島半島西部に位置する「(松前)小島」をめざして、西方向にすすむ航路の選択。 激しい津軽海峡流の流れに乗って東に方向を転じ、白神岬にむかって海峡を横切るプラン。 丸木舟。 前にすすめるのはレーサーで実績をもつ男女混合の6名。専任技術者が操舟するわけでもなく、家族妻子が熟練した結果。そういう読みで。 丸木舟を安定させるためには、さまざまな荷物。それに腰掛けて舟を操縦。重心低下の効果も大きい。 2022年6月2日に催行。 操縦時間は約50分強にして、走行距離は5キロ強。想定外に<東風 こち>が強く。 西から東にながれる潮流に東風が向き合って、風波が高く、ついに運航中止。 最後に「運航の三原則」。 1)竜飛崎を大きく迂回、西側にすすんで津軽海峡流に乗りかかる。 2)風向きの変わりやすい正午までには登㠶を終える。 3)「東風」のない日を選んで、運航。 科学の粋をあつめた計器、データに支えられた現代人。 永年にわたり蓄積された縄文人の、<自然を読む力>には至らなかったということなりや。
2022年08月04日
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「傷病者薬用」「爆薬補助剤」 昆布灰 沃度加里 用途で検索220804 先に末広(まびろ)地区在住者のお方が語って下さった「再話 さいは」の内容が中間報告された。 聞かせてもらって、日露戦争から戦後にかけて海岸漁村で盛況であった昆布灰(こんぶばい)、ヨード加里取得。 それについて、その用途のなかにこれまで語られなかった知見が込められていた。そのように受け止めた。 そこで、昆布灰 沃度加里 用途でネット検索をしてみて、当面、次ぎに三つの視点に注目しておいた。 1)「昆布からヨウ素を取り出す」 https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=2xxx-xxx-xxxxx3719 J-GLOBAL 2)「日本のヨウ素の歴史」 https://fiu-iodine.org/history/ ようそ学会 3)「便あり且つ本邦の昆布類は産出豊富にして加里及素」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/nikkashi1898/19/11/19_11_1044/_pdf/-char/ja Jstage 「再話」で示されたヨウ度加里の用途は「爆薬補助剤」。 「爆薬補助剤」では、近世の「硫黄搬出」につづく本道産「ヨウ度加里=昆布灰」。 海岸線で積載された昆布に点火して、昆布灰を製し、製造された品。産地からの行き先は。 最初に地域の生産量を示す統計の発掘から始めたい。 開始期、盛期、そして終末期。その集荷元にくわえて、搬出先。 そこから、その用途の特性も見てくることであろう。そう、推量を重ねておく。 (写真は「ようそ学会」 https://fiu-iodine.org/history/ 220806 10:00).
2022年08月03日
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1)城山モシリヤ学コミッション 2)くしろ元町青年団 3)笑顔のニュータウン「郷土を学ぶ地域学講座」 4)史跡整備事業 5)自治体史編さん委員会 6)釧根郷土芸能振興基金 7)釧路湿原シニア大学 8)ぶぶる釧路の街を歩く会 9)尾幌川生活史研究会 10)橋北春採湖プロムナード 11)研究者恵与報文・調査報告 いつの間にやら、書類がたまる。次々と重ねてゆくに、そのうち山積みされて、なにが、なんだか所在不明に。 依頼が一段落したところで、その都度、綴じ込むシステムつくりを。そう考えて、整理の項目をメモランダムに。 レターファイルにタイトル付して、二穴のパンチで。そう考えていると、異種・異形の登場。 リーフ、パンフの「穴明けて、憚るモノ」の存在。 事務袋に突っ込んで、袋の端を二穴パンチ。綴じ込むものの、どのタイミングで入手したペーパーであるかの迷い。 ペンで、日付、相手先団体を記載してひとまず、決着。難しい。 そのとき、すぐに。それでも落第 データの保管管理220805
2022年08月02日
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どこかが違う地域発情報 脱炭素地域指定&徳島県上勝町220730―後― 「バイオマス発電」「風力・太陽光の自然再生エネルギー」は経営が表にでていて、作る立場と使う立場に分けている。 中央の需要のために、地方が負担を背負っている。 地方の環境には負荷かがかかり、他方で雇用は生じていない。 建設の投資が終わると、メンテナンスは放置され、地方への還元は貧弱。 「読んでいて、そうかなーと。よぎったことがある」。 では、何が違和感を持たせるのか。市民、とりわけ女性。地域コミュニティが前面に出てきている。経営が表にでないで、地域のそれぞれの諸階層が「なにをするのか、明確にしている」。 念頭に徳島県上勝町のことが、思い浮かんだ。 徳島県上勝町。四国南東部の高齢者の地方公共団体。 そこは「伝統食文化に着目した葉っぱビジネス」で、知られるマチたるは言い古されている。 農協の一職員が京都か金沢であったか、老舗の料亭に繁く通い、「伝統食文化と葉っぱ」を結合した。 高齢者にもパソコンをもたせて、「午前9時 自分の提供品に取引先を求める」システムが定着した。 https://www.env.go.jp/nature/satoyama/syuhourei/pdf/cjj_6.pdf 「日本・徳島県上勝町における伝統食文化に着目した葉っぱビジネス」。 そのマチに、今度は関西の大学を卒業した女性が住み着いた。 取り組んだポイントが「ゴミゼロのマチ」にすること。他の自治体では見られない、細部に分割した「分別収集」で、「ゴミゼロ=廃棄物の資源化」に取り組んだ。 ゴミゼロ。 それをめざして取り組んだ結果が、「ゴミ=20%」が資源化できずに「廃棄する」現実。 そこで提示することに。それは「作るモノの責任」の概念。 女性たちは国際組織を立ち上げて、さらなる「ゴミゼロ」をめざすことに。 そこのところを、下記のURLでたどることができる。 https://zwtk.jp/ 上勝町ゼロ・ウェイスト宣言 今や徳島県上勝町は、「四国の一隅の公共団体ではない」。 三本目の柱が、次のURL.。https://utsukushii-mura.jp/map/kamikatsu/ それは「『日本で最も美しい村』連合 上勝町」ということ。 ここには環境問題、地球温暖化に取り組む、二点が明確になっている。 「市民、とりわけ女性。地域のコミュニティが表面に出てきている」 地域の諸階層が「なにをするのか、明確」なのだ。そうではないだろうか。 「バイオマス発電」「風力・太陽光の自然再生エネルギー」は経営が表にでていて、作る立場と使う立場に分けている。 中央の需要のために、地方が負担を背負っている。 地方の環境には負荷かがかかり、他方で雇用は生じていない。 建設の投資が終わると、メンテナンスは放置され、地方への還元は貧弱。 そうではないでしょうか。
2022年07月31日
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どこかが違う地域発情報 脱炭素地域指定&徳島県上勝町220730 道内配布紙夕刊220730の「科学」紙面。「脱炭素社会 進む地域の取り組み」に注目した。 「科学が分かった」とする、Q&Aの紹介記事。 記載の事業は4点。 1)鹿追町・上士幌町で展開、経済動物排泄物のバイオマス発電。 2)風力や太陽光発電の自然再生エネルギー 3)公共施設をLED化して動力源消費量削減 4)蓄電池装置化で再生エネで島外送電から自立。 そもそも、「脱炭素社会」とはどういうことか。 5)にその対象=「地球温暖化の原因となる一酸化炭素CO2、メタンガスを除去すること」 では「脱炭素社会の意味」とは。 6)「地球温暖化の原因となるガスの排出量から、森林などによる原因ガスの吸収分を差し引いてゼロになる社会へ移行すること」。 かく記載して政府、地方公共団体、企業・団体が提案する「脱炭素地域指定制度」への参画を政策誘導しようということらしい。 読んでいて、そうかなーと。よぎったことがある。
2022年07月30日
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どこかが違う地域発情報 脱炭素地域指定&徳島県上勝町220730 道内配布紙夕刊220730の「科学」紙面。「脱炭素社会 進む地域の取り組み」に注目した。 「科学が分かった」とする、Q&Aの紹介記事。 記載の事業は4点。 1)鹿追町・上士幌町で展開、経済動物排泄物のバイオマス発電。 2)風力や太陽光発電の自然再生エネルギー 3)公共施設をLED化して動力源消費量削減 4)蓄電池装置化で再生エネで島外送電から自立。 そもそも、「脱炭素社会」とはどういうことか。 5)にその対象=「地球温暖化の原因となる一酸化炭素CO2、メタンガスを除去すること」 では「脱炭素社会の意味」とは。 6)「地球温暖化の原因となるガスの排出量から、森林などによる原因ガスの吸収分を差し引いてゼロになる社会へ移行すること」。 かく記載して政府、地方公共団体、企業・団体が提案する「脱炭素地域指定制度」への参画を政策誘導しようということらしい。 読んでいて、そうかなーと。よぎったことがある。
2022年07月30日
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「ぶぶる釧路の街歩きの会」「facebookに「ぶぶるのメンバー」 企画展関連トークイベント「北大通の記憶を伝える」220605のその後 7月14日、MOO1F内で“信濃おやき” を創業した裕子さんが呼びかけたミニツアーが催された。 多才にして多彩な5人の女性に、筆者を加えた“マチ歩き”の催事。それが135分の徒歩でMOO2Fに開く“グローカルぷらざ”さんにたどり漬いた。 そこで抹茶の接待が思いがけなくあったのだ。 解散後、直ちにお二人が提案してFaceBookのグループ機能を通じて、当日参加者の間にネットワークが組み立てられた。 「(立ち上げようと思うが)どうですかー?」のお尋ねには、「勝手に連帯するネットワーク=<勝手連>で、真に<結構ではないですかー>」。 そう申しあげておいた。 立ち上がって<旬日>。 記載の話題は広がっていますネー。 1)最初はツアーの印象。2)立ち止まったポイント。 3)舞台として描写されている作品の<読み直し>&<読後感> 4)到達段階では、作品を映画化した映像ソフトを文学館で閲覧し、その記載。 発端は6月5日午後に開催、釧路文学館主催の<郷土史家によるトークイベント>。 「北大通の記憶を伝える」の参加者が思いつかれた<一事>に出発する。 釧路文学館はA)「企画展」開催、B)「企画展関連トークイベント」。ここまでが主催者の<はからい=計らい>。 次の段階には、参加者の発意が連鎖反応した。 C)「ぶぶる釧路の街歩きの会」催行 D)「遊ぶ」の「街歩き」、「学ぶ」の「ポイントで作品の一節」、「褒める」で「抹茶+信濃ミルクお焼きの昼食」。 E)7人がfacebookに「ぶぶるのメンバー」を立ち上げて、活動記録公開。 ここまで、すすみました。
2022年07月28日
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「マチの動き」「市長選挙」「大型プロジェクト」 市内配布紙の自治体史評価220728.釧路市内をはじめ根室国をカバーしている『釧路新聞』。その「余塵」というコラムに「釧路市史」のタイトルで、自治体史の紹介があった。紹介のポイントは3点あるのだが、読ませていただき<緻密な読み>が示されていた。第一は、記載のポイント。1)「事細かくその時の市内の動き」、2)「市長選とそれを取り巻く動き」、3)「ビッグプロジェクトといわれる事業の実現までの経緯」。そこを第二に、4)「詳しく記され」、5)「その内容の詳細さを知るとどれほどの苦労があって発行までこぎつけたかうかがわれるし」、6)「釧路市にとって貴重な史料であると改めて思い知った」とも、書かれてある。それぞれの時期に、「本作りの好きな市職員」が庁内には、居たモノである。山本武雄元市長を先頭に、鳥居良四郎、布施正の全盛時代であったし、一世代遅れて寺島敏治、澤四郎などの逸材がそろっていた。担当部署に配置され、各位に言われたこと。「キミ達は税金をつかって、原稿を書く」「本代を払って買い求める本を書く」。そう言って、次の言葉が辛辣でもあった。「だから書く原稿には、20歳、30歳、40歳の年齢差はない」「部長、課長、係長の職制も関係ない」「要するに一人前の原稿を書け」。新入社員には、いさかかキツイ話で、地方自治体職員の仕事は、そんな進めかたなのだ。自身に言い聞かせたことであった。自治体史編さん事業には二度、携わった。どちらも、域外の識者に委託するのではなく、自前の記載をめざす。それが前述のポリシーであった。『釧路新聞』のコラム「余塵」。22年7月28日掲載、堀口義彦記者の<むすび>は実にマトを得ている。「(市史について)市民史料に裏打ちされた地方文化の一結晶」と『新釧路市史』の序文記載を紹介する。そのうえで、「そうだとすれば」と展開し、「今後の地方文化はどうなるのだろう」と地域の未来を案ずる。奥深い、<余塵のむすび>と読ませてもらった。
2022年07月27日
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1)安心と信頼のセーフティネットが担保されていると、余分なお金や所得を持たなくて、良い。 2)成長の持続を維持することは難しく、成熟、脱成長への哲学が必要。 3)選挙の投票率があがらないと、政治家は国民に対する緊張感を失う=主権者を甘く見る。 4)久本和明氏はライフワークの“ぐるり”を各地で取り組んでほしい。 5)かつての“活手連=勝手に連帯する”は想像以上に緻密。しかし、政権は豊富な資源を駆使して政権批判を監視し、体制維持のための逆宣伝をしている。 6)「愉しいころ」「有意味なこと」を 親子で取り組みたい、環境教育、宗教教育、職業教育、平和教育を家庭で取り組みたい。 7月24日、20時からZOOM会合にお誘いをうけて60分強。識者2人の議論と提案は熱を帯びた。 夜のZOOM会議には80人前後の参加者があったと、思う。 聞いているだけで、メモの録りようのない速度のごろん展開であったが、「質問、意見」という形で、あいつぐ<書き込み>を懸案するに、私見も含め上記のような内容であったか。 海洋異変。農産物収穫量への影響、線状降水帯は北海道東部でも発生。 これ以上、地球に負荷をかけない。 “環境活動とぐるり=未来のために、環境から考えたり、幸せから考える、オンライントーク会”の一コマ。
2022年07月26日
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コロナ 外国人実習生 営農計画 2020年 「営農に影響」「生産量低下が懸念」の実態200411HTB北海道 往時の北海道は、本州側商人資本が季節労働力をともなって来道し、先住のアイヌ民族を補助労働力に組織した。 今、本道の農業は海外実習生の質量確保がないと、営農に影響、生産量低下、営農計画の練り直しを結果する。 かつて本州経済の補完地であった北海道。現今は海外実習生の補助労働力を獲得できぬと規模縮小の状態、かと。 確か、あった。そう思い出して「コロナ 外国人実習生 営農計画 2020年」で検索。 あるにはあったが、「意外だ」と受け止めたのは農林水産省の『農業生産・販売面での影響と新たな動き」など、「(外国人実習生の)受け入れ対策」がヒットしたこと。 筆者が探していたのは、北海道内テレビ局のニュース番組の場面としての報道であった。 そこで検索項目を変えた。あらたなキーワードは「コロナ 外国人研修 営農 十勝 テレビ」の項目。 ヒットしたのは20年4月11日発信の北海道テレビ朝日から、次の項目。 それは「『もうダメだ』一次産業から悲鳴•••コロナ余波」。続いて「深刻な人手不足•••実習生が来ない」という記事もあった。 「『もうダメだ』一次産業から悲鳴•••コロナ余波」。 こちらは、すでに来日して研修中の中国人実習生が離日、出国を研修期限前に申し出て、酪農家が受け入れた話題・ ここで帰しておかないと、入国禁止で難民になってします。 「深刻な人手不足•••実習生が来ない」。 こちらは本邦側の入国制限が機能して、隣邦からの入国を制限。その影響度を端的に示したもの。 日本人労働力の不足と高賃金では、農産物価格の低迷で経営の危機に、と。そういうことであろう。 北海道農業協同組合連合会のコメント。JA北海道中央会は3月末の会見・ 「全道の農家で約180人の外国人技能実習生の出入国のめどが立っていないとし、営農に影響が出ていると明らかに」。 「この人手不足について解消の見込みはなく、今後農業や水産業などで生産量低下」が懸念」、と。
2022年07月25日
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1975年から海洋資源量半減 「地球に感謝 開店!?植野食堂」220726 昨7月26日夜、18時からBSフジテレビ「SDGs特別番組 地球に感謝 開店!?植野食堂』を見ていて、訪問をうけた料理店オーナーの弁。 「1975年からみると海洋資源量は半減」。そのような趣旨のテロップが画面に登場。種の記憶はないが、「棲息する砂場が半減した」「○○の水揚げ量は減った」趣旨の発言があった。 録画しているわけではない、ナナメ視聴の上からの記載ではあるも。 気候変動は温帯気候の東京湾に及んでいるの、か。料理の素材は「世界中からおいしい魚介類が集まる豊洲市場」と紹介された、その後での発言。 それが「棲息する砂場が半減」や、「水揚げ量は減った」の話。 番組は「仲卸の方々から旬の魚や新たな楽しみ方、そして、食材を余すところなく使う方法」を教わりながら展開するのだが。 「海洋資源 半減 1975年 東京湾」のキーワードで調べてみると。 『東京湾の漁業と環境 第 4 号』(平成 25 年 3 月)や「東京湾産シャコの資源量の見積りと資源状態」(『神水試研報第11号(1990)』)などがヒットした。 一例をあげてみよう。「アサリ資源量 全国・東京湾で激減」とある。 要因こそ、1)外来種との競合, 2)乱獲, 3)水質環境の変化, 4)生息場の消失・劣化等とともに, 5)アサリの浮遊幼生の行き来による生息場間のつながり=生態系ネットワークの欠落や分断も生態系の劣化の一因 そこは<素人考え>ながら1)&2)は人的要因の直接的表現、そして3)4)5)は人的要因の間接的表現にして、地球希望の要因の「東京湾的現象」。 そして、その要因が「全国的にも=日本各地の干潟や浅場」に<敷衍 ふえん>と読み取ることはできいか。 「(アサリは)代表的な食用二枚貝」、かつ「濾過食者としての高い海水浄化能力により,環境改善の面からも着目される種」とされる。 海洋汚染は、すでに「高い海水浄化能力」の自浄作用を超え、生息の持続を許さない事態にすすんでいる、そういうことではないか。 翻って、「高い海水浄化能力」で海洋汚染物質を体内に<凝縮して蓄積>した食用二枚貝を、体内に取り込んだ国民の健康。そこには一点の懸念も、ないのであろうか。 かつて、モノレールに乗り、羽田空港沖の海浜で<潮干狩り>の放送場面をみたことが、あるが。大丈夫?。
2022年07月24日
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ひたむきな生命力 さくらの滝・斜里郡清里町220726 6月から8月。季節限定ながらあらたな名所が清里川に誕生した。 年間3000尾ほどのサクラマスがこ越えて越えて産卵にむかう。時には十数尾のサクラマスが果敢に滝に挑む。 「生命力のすごさ」。女性陣から<ため息>まじりの感嘆の声。 21世紀に入って、サクラマスの遡上が確認されたようで。 「平成14年にきよさと観光協会が行った一般公募により、この滝に「さくらの滝」という名前がつきました」と、町観光協会のHPの記載。 「海に渡ったヤマメはサクラマスとなって、毎年約3,000匹ほどが戻ってきています」。かくも、書いてある。 斜里川の支流、清里川の中流ということになるや。 足は「札弦市街から道道摩周湖斜里線を緑町方向へ5kmの地点を左折」、 「まっすぐ700m進み右折、道なりに1.7km行ったところ(小さな看板あり)の右手奥」とも。 220726 釧路湿原シニア大学のバスツアーに同道させていただいた。釧路~清里間の往復のみで6時間強。 今回は4つの班に分かれたグループでクイズ4題、ゲーム2種。見事な自主運営でスムーズな運営。 その盛り上がらせ方はハンパではなかった、ですよ。学びはじめて2年。シニア自治大学の趣旨をめざしているようで。 ひたむきな生命力 さくらの滝・斜里郡清里町220726 6月から8月。季節限定ながらあらたな名所が清里川に誕生した。 年間3000尾ほどのサクラマスがこ越えて越えて産卵にむかう。時には十数尾のサクラマスが果敢に滝に挑む。 「生命力のすごさ」。女性陣から<ため息>まじりの感嘆の声。 21世紀に入って、サクラマスの遡上が確認されたようで。 「平成14年にきよさと観光協会が行った一般公募により、この滝に「さくらの滝」という名前がつきました」と、町観光協会のHPの記載。 「海に渡ったヤマメはサクラマスとなって、毎年約3,000匹ほどが戻ってきています」。かくも、書いてある。 斜里川の支流、清里川の中流ということになるや。 足は「札弦市街から道道摩周湖斜里線を緑町方向へ5kmの地点を左折」、 「まっすぐ700m進み右折、道なりに1.7km行ったところ(小さな看板あり)の右手奥」とも。 220726 釧路湿原シニア大学のバスツアーに同道させていただいた。釧路~清里間の往復のみで6時間強。 今回は4つの班に分かれたグループでクイズ4題、ゲーム2種。見事な自主運営でスムーズな運営。 その盛り上がらせ方はハンパではなかった、ですよ。学びはじめて2年。シニア自治大学の趣旨をめざしているようで。
2022年07月23日
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「北米ロシア産と比較、日本のサケ 運動能力低い」 『北海道新聞』220505 表題の記事が朝刊一面に掲載されていた。 北海道内の秋サケ不漁が続く要因を調べて一部の専門家が、研究した。 それによると不漁要因は「環境変化など」のほか、「長年続く人工ふ化事業がサケに遺伝子的影響を与えた可能性」を指摘していると言うこと。 対策として、「環境ふ化に加え、野生魚の活用」を挙げていると、する、 つまり、「自然産卵するサケの遺伝子を取り込もうとする動きも出始めている」と、いうのだ。 踏み込んだ対応策。そこで考えられている点は、次の内容。 「親魚を『捕獲用のウライ』ですべて捕獲せずに上流に遡上させる」。そこで「自然産卵後に生まれた子たちが数年後に遡上して人工孵化の対象となることで、野生の遺伝子が取り込まれる」。 息の長い話ながら、そこをセッカチに進めていくことの是非を、問いかけているようだ。 調査はサケに「日本のサケ(シロザケ)」と「北米やロシア産のサケ」があり、両方の遺伝子を比較してみて、差異が確認された。 ここからは、さらに専門的領域の説明となる。本紙を見逃したくない(朝刊1面&4面220725記載)
2022年07月22日
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「戦後北海道開発試作図」 道内紙<北海道開発計画70年>の社説に触発220718 「戦後北海道開発試作図」なるものを考えてみた。 函館・室蘭・苫小牧・釧路・小樽に主要な重要港湾、十勝・花咲・網走・紋別・稚内・留萌と石狩湾新港も重要港湾で、そこを「藍」のマークで示してみた。 港湾築港、河川・泥炭湿地の治水、鉄道敷設、そして炭鉱の開発(炭鉱は図示いていないが)が、昭和戦前期の北海道開拓において主要施策であった。 戦後は空知に水利ダム開発。そこで上川国・空知国の水田造成の基盤が深化し、<稲作量>では、全国一の都道府県に昇りつめたでは、ないか。 炭鉱&炭田は未記載。1960年を境に閉山がすすみ、往時の石炭王国はその勢いがない。 他方で北海道農業は農業の<適地・適作主義>なるものがすすんだ。 上川・空知・胆振の水田(水色)、大豆・小豆・馬鈴薯主体の畑作(十勝 茶)、馬鈴薯・タマネギ(北網 同) 十勝南部、根釧、網走北部・宗谷にかけての酪農、日高・胆振の競走馬(薄茶) 農業の種別区分がすすんだ。そう概観してみて、いかがであろうか。 道内配布紙。22年7月18日の社説は「北海道開発の未来 あらたな価値の創造目指し」を掲げている。 冒頭、明治以来の150年を政権が示した本道への政策目的を、二つの時期に分けてみせた。 1)明治期からWarまで、「産業の開発による経済的発展」「ロシアの南下に備える」。 2)War後は「豊富な資源の開発による国民経済の復興」「外地からの引き揚げ者を受け入れる『人口問題の解決』」。 社説をここまで読んだところで、頭によぎったことがある。 1970年前後にはまだ、本州から移住した一世、二世の間で「本州を内地と呼ぶ人が多かった」。 当時、北海道近代史の研究者間では「北海道開拓=内国植民地」の規定が議論されていた。それは明治維新~War間のこと。 時代が移り1880年代。北海道経済研究所の研究員から「北海道=本州経済補完地」の語が提案されたと記憶する。これがWar後に本道経済に期待された事柄か 社説をそこまで読んだとき、ここに掲げた視点は視野にない。あるいは行間に読めということかも。
2022年07月21日
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