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ナチスと隕石仏像 ヒムラーこそナチスをカルト的結社に仕立て上げようとした張本人であった。(172ページ)著者・編者浜本 隆志=著出版情報集英社出版年月2017年7月発行著者は、関西大学名誉教授で、ヨーロッパ文化論・比較文化論に詳しい浜本隆志さん。2012 年、シュトゥットガルト大学の研究グループが発表した「隕石仏像」は、1938 年にナチスのチベット探検隊が持ち帰ったものだとする論文を発表した。本書は、その審議の検証から始まり、ナチス、とくにヒムラーの人種差別の裏にあるオカルト主義に斬り込んでいく。冒頭、アーリア人種主義を信奉していたナチスの親衛隊長官ヒムラーが、そのルーツをたどるべく、1938 年 4 月、チベットへ探検隊を派遣した史実を紹介する。チベットには隕石信仰があり、そこで隕石(隕鉄)を原料に作られた仏像が、件の「隕石仏像」であり、これを探検隊のメンバがドイツに持ち帰ったというのが、冒頭の学説である。だが、浜本さんは仏像の作りを細かに分析し、ヨーロッパ人による贋作だと結論づける。浜本さんによれば、アーリア人としての共通祖先をもつことの確証として、この隕石仏像を捏造したのではないかというのだ。ただ、ドイツやチベットの正史に、隕石仏像は登場した。もちろん、アーリア人という概念自体が、非科学的なものである。後半は、こうしたナチスのオカルト主義について、わかりやすい説明が続く。アーリア人をはじめとする、ナチスのオカルト主義の中心にいたのが、親衛隊長官ヒムラーである。ヒトラーでさえ、そこまでオカルトに傾倒していなかったとされる。ヒムラーは裕福な家庭に生まれ、父は教師だった。子ども時代は病弱であったものの、勤勉で優しい性格で、第一次大戦が勃発すると、祖国を守るために積極的に入隊した。戦後、農学を学び、リヒャルト・ヴァルター・ダレの人種論と農業論を結合した独特な「血と大地」思想に影響されていく。ヒトラーによるミュンヘン一揆の当時は大した活躍もなく、逮捕も免れたヒムラーだったが、その後、ヒトラーのために親衛隊を組織、強化していく。ドイツ軍が第二次大戦に突入し、ポーランドを占領すると、ユダヤ人の国外退去を進めた。だが、これも思うように進まず、ゲットーを作って隔離したり、最後には、強制収容所でホロコーストを起こす。戦争末期には連合国との調停に乗り出すが、実戦や外交の経験がないヒムラーは何もできず、最後にはイギリス軍の捕虜になってしまった。イギリス軍の待遇に我慢ができなかったヒムラーは、服毒自殺する。21 世紀の今日においても、人種差別や民族迫害は続いている。かつて隕石仏像を捏造し、いわゆるアーリア人に比べて背が低く、劣等感に苛まれていたであろうハインリッヒ・ヒムラーを、私たちは笑うことができるであろうか。彼のように優しく頭が良く空想力のある人間が、同じ轍を踏まないとは限らない。オウム真理教による連続テロ事件が連想される。「ナチスは悪」「オカルトはトンデモ」と思考停止してはいけないと感じる。
2018.07.23
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データ分析の力 因果関係に迫る思考法 新聞やテレビで主張されていることの多くは、相関関係を誤って解釈して因果関係のごとく示されているもの(42ページ)著者・編者伊藤公一朗=著出版情報光文社出版年月2017年4月発行著者は、シカゴ大学でデータ分析の理論と応用について大学院生に講義をしている伊藤公一朗さん。冒頭で、「新聞やテレビで主張されていることの多くは、相関関係を誤って解釈して因果関係のごとく示されているもの」(42 ページ)と指摘しているが、まさにそのことが気になって本書を購入した。だが、物事を判断するには、相関関係より因果関係が必要になる場面がほとんどだ。そこで、因果関係を証明するためには、原因を適用する介入グループと、何もしない比較グループを用意する。伊藤さんは、この 2 つのグループ分けを行うには、ランダム化比較試験(Randomized Cintrolled Trial: RCT)が最適だという。そして、実際に北九州市で行った RCT の実験結果から、電力料金の値上げという介入によって電力消費量が下がるという結果が導かれた。現実社会では、RCT を行うことが難しいケースが多い。たとえば、70 歳を境に医療費の自己負担は 3 割から 1 割に減るが、これが医療サービスに影響を与えるかどうかを調べるとき、ランダム抽出は難しいから、RD デザイン法を用いる。しかし、RD デザインをはじめとする自然実験手法では、仮定が成り立つことを数学的に証明することはできず、あくまでも議論を積み重ねていくしかないという。また、この方法で測定できる因果関係は、あくまでも「境界線付近にいる人」に関しての因果関係である。この他も、集積分析、パネル・データ分析といった自然実験手法を紹介する。第5章は実践編として、データ分析をビジネスや政策形成に活かした事例を紹介する。ビジネスとしては、ネットでタクシーを配車する Uber が、RCT を使って需要曲線を明らかにしたケースが興味深い。また、「RCT などの科学的な方法で因果関係を示すことの実務的な利点は、イデオロギー論争などを超えた、データ分析の結果に基づく政策議論ができること」(234 ページ)だという。その通りであろう。第7章では、データ分析の不完全性や限界を説明している。とかく統計分析が万能であるかのような言説が流れる中、伊藤さんの解説は良心的である。ただ、数式を用いないという制限を課しているなか、取り上げたテーマが多すぎて、新書のページ数ではやや消化不良に感じたことである。
2018.07.19
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聖☆おにいさん(15) イエス「やっぱ今の時代、救世主を名乗るからには、素手で隕石を止める筋肉がないといけないと思うんだ!!」著者・編者中村 光=著出版情報講談社出版年月2018年6月発行オイルを塗るボディービルダーは、塗油するキリスト教徒の同業者なのか!?落語は憑依芸? そして、父さん(鳩)の小咄は、まくらから入るのだが‥‥イエスが設置した宅配ボックスは、アーク(契約の箱)にしか見えないうえ、例の石板はデータ化してマイクロ SD カードに収めてあるという。今日も立川は平和です。そして、実写ドラマ化が絶賛進行中。
2018.07.18
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データサイエンス入門 ビッグデータの扱いは分析において注意すべき点は、ビッグデータが持つバイアスである。(53ページ)著者・編者竹村彰通=著出版情報岩波書店出版年月2018年4月発行著者は、滋賀大学データサイエンス教育研究センター長で、数理統計学がご専門の竹村彰通さん。データ構造に関わるプログラミング技術を整理しているところで、復習の意味で本書を買った。ビッグデータや人工知能(機械学習)といった流行の基盤にデータサイエンスがあることを紹介し、非科学的なデータの羅列に騙されないよう統計学や確率論に限界があることにも触れており、理系の方にも文系の方にも、入門書としておすすめする。冒頭で、「データ処理、データ分析、価値創造の 3 つの要素をデータサイエンスの 3要素と呼ぶ」「データサイエンスは機械学習によるビッグデータからの価値創造ということもできる」(2 ページ)と定義する。質の良いデータが大量に得られれば、機械学習が良い性能を発揮する。プログラマの多くが認識しているところではあるが、逆に考えると、偏ったデータを大量に与えれば、AI の判断も偏ったものになる。これが AI の落とし穴である。話は大数法則や正規分布、中心極限定理へと続くが、高校数学で苦労した人も、どうか頑張って読んでいってほしい。また、統計を技術(How-To)として覚えた人も、基本法則や定理を思い起こしてほしい。第2章では、データに「間隔尺度」と「順序尺度」があることを紹介している。プログラムでデータを扱う場合、型宣言などのデータ属性の定義を行うが、これと関係する。そして、「ビッグデータの扱いは分析において注意すべき点は、ビッグデータが持つバイアスである」(53 ページ)と指摘する。多くの場合、ビッグデータは集めやすいデータ集合だからである。相関関係と因果関係の違いについても説明している。わかりやすい例として、Twitter でも話題になった 2017 年 7 月 22 日に放送された NHK スペシャル「AI に聞いてみた どうすんのよ!? ニッポン」を取り上げている。竹村さんは、データに基づく意志決定は可能であるとしながらも、人間の五感で得られる情報を全てデータ化できているわけではないから、「『経験と勘に基づく』意志決定を、相反するものと考えることは誤り」(89 ページ)「十分なデータがあれば唯一の合理的な判断ができるという考え方も正しくない。それはデータがあっても将来の不確実性が大きい場合があるから」(90 ページ)と指摘する。付録として、統計学周辺やコンピュータの歴史が述べられている。どんな学問を学ぶにしても、歴史を振り返っておくことは大切だ。「おわりに」では、本書で触れていない最新の情勢を羅列している。IPA がデータサイエンティストとのスキルを盛り込んだ「ITSS+」を公表していることは未見であった。
2018.07.17
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AI vs.教科書が読めない子どもたち AIでは絶対に代替できない仕事の多くは、女性が担っている仕事です。(259ページより)著者・編者新井紀子=著出版情報東洋経済新報社出版年月2018年2月発行著者は、法学士であり数学者で、「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクタを務める新井紀子さん。冒頭、新井さんは「AI が神になる?――なりません。AI が人類を滅ぼす?――滅ぼしません。シンギュラリティが到来する?――到来しません」(1 ページ)と力強く否定する。その理由は、このあとに丁寧に解説されるのだが、本書は、AI(人工知能)というテクノロジーに過大な評価や、過剰な警戒を喧伝する昨今の風潮に、論理的な一石を投じるものである。私は前回の AI ブームのとき、エキスパートシステム構築に関わっていたのだが、今回のブームが前回と何が同じで何が違っているのか、本書を読んでよく理解できた。そして本書が問題提起するのは、「AI では対処できない新しい仕事は、多くの人間にとっても苦手な仕事である可能性が非常に高い」(4 ページ)という厳然たる事実である。1960 年代に始まった推論型 AI から、1980 年代のエキスパートシステム、そして現代のクイズ王「ワトソン」、リアルタイム物体検出システム「YOLO」が紹介される。そして、2011 年 2 月、ワトソンがクイズ番組『ジョパディ!』のチャンピオンを破ったというニュースが世界を駆け巡った頃、ワトソンの 3500 分の 1 の予算で「東ロボくん」プロジェクトはスタートする。プロジェクト開始から 6 年で、東ロボくんは、大学受験生の上位 20%の成績を修め、数学では東大模試(理系)で偏差値 76.2 という驚異的な得点を叩き出した。新井さんは、東ロボくんは東大には合格できないが、MARCH クラスなら合格できるし、将来ホワイトカラーを目指す若者たちの仕事を肩代わりするのではないかという仮説を立てる。19 世紀イギリスのラッダイト運動に代表されるように、人類は過去何度か、仕事を奪われる局面に遭遇した。だが新井さんは、AI の台頭は、そういった過去の事例とは「質的な違いを感じる」(68 ページ)という。そして、「数年後には半沢直樹はいなくなる」という予測を 2013 年に披露した。事実、2016 年 10 月、ジャパンネット銀行がローンの与信審査を完全自動化した。東ロボくんには、推論型、エキスパートシステム、ディープラーニングと、持てる AI 技術は全て投入された。それでも総合偏差値は 50 代後半が精一杯。新井さんは、偏差値 65 を達成することは不可能という。かりにスーパーコンピュータを使っても偏差値は上がらないだろうし、そもそもビッグデータとしてセンター試験の過去問題すべてを学習させても、これが限界なのである。2014 年のセンター試験・英語で、東ロボくんの成績は急落した。一方、本物の受験生の平均点はほとんど変わらなかった。受験生が「常識」ととらえていることを、東ロボくんに学習させることはできなかったのだ。英語の例文を 150 億文も学習させたのにもかかわらず。新井さんは「けれど、AI は意味を理解しているわけではありません。AI は入力に応じて『計算』し、答えを出力しているに過ぎません」(107 ページ)という。つまり、数式化できない「常識」を扱うことができない。AI がコンピュータ・プログラムである限り、たとえスーパーコンピュータや量子コンピュータを動員したとしても、この原理原則は変わらないのだ。新井さんは、数学は 4000 年の歴史を通して、論理、確率、統計の 3 つだけしか獲得できなかったという。演算は、すべて論理の産物である。スマホからスパコンまで、コンピュータは全て論理回路だけで演算をこなしているのだ。だが、超越数を語るには、いまの数学では役不足なのが明らかだし、意味を記述する手段も持たない。数学では、「私はあなたが好きだ」と「私はカレーライスが好きだ」の意味の違いを記述できないのだ。新井さんは、意味が理解できないことが、「真の意味での AI が実現できない大きな壁」(120 ページ)になっていると指摘する。そして、自動作曲や機械翻訳の実例を挙げ、シンギュラリティが到来しないことを明快に説明する。また、Google や IBM が AI 技術を無償公開していることに触れ、AI 技術で儲けることができない表れだと指摘する。東ロボくんと並行して、新井さんは人間が数学の問題を解く能力を解析するために、大学生数学基本調査を実施した。ところが予想外に成績が振るわず、さらに 2 万 5 千人の中高校生の基礎的読解力(RST;リーディングスキルテスト)を調査することにした。その結果、AI がまだ到達していない「同義分判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定」について、生徒たちもまた到達していないという事実が明らかになった。新井さんは、「中学生の半数は、中学校の教科書が読めていない状況」(215 ページ)と判断した。新井さんは、「ドリルと暗記で定期テストを乗りきったりすることはできます。けれども、レポートの意味や、テストの意味は理解できません。AI に似ています。AI に似ているということは、AI に代替されやすい能力だということです」(230 ページ)と警鐘を鳴らす。けれども、読解力を向上させるための科学的な手段は見つかっていないという。新井さんの説明は最後まで論理的であり、読者を裏切らない。ここまで読んで、私はこう感じた――読解力、意味を理解する能力は、AI が達成できていない、すなわち数学的に記述できないものである以上、それを養う手段もまた、現代数学では記述できないはずである。となると、数学的でない手段、すなわち再現性のない手段を導入してはどうか。たとえば、最前線で研究している学者や芸術家との対話、旅行やスポーツといったレジャー。こういった「遊び」を心から楽しむことが、AI で代替できない能力を養う王道なのではないか。
2018.07.16
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内なる宇宙(下) ハント「好奇心は大切だよ。でも、肝腎なのは客観性だ。そこを忘れてはいけない」著者・編者ジェームズ・P・ホーガン=著出版情報東京創元社出版年月1997年8月発行後編――救出されたジーナは、記憶が書き換えられ、ハントたちをスパイするように刷り込まれた。日本アニメにもよくありますね。ヒロインがヒーローの敵側に取り込まれる話が。ホーガンの面白いところは、それを超能力や魔法ではなく、ホーガン流の科学的舞台装置でやり遂げてしまうところ。本作は、あくまでハード SF なのです。物語は、新興宗教の指導者で巨悪ポジションのユーベリアスが、かつての政治的指導者が兵器工場としていた惑星アッタンへ向かうところで佳境を迎える。向上としての機能を失ったはずのアッタンに、果たして何があるのか!?ハントはついに、宗教指導者の豹変ぶりは狐憑きではなく、「内なる宇宙=エントヴァース」に由来するものだという仮説に至る。一行は、全知全能ヴィザーのバックアップを得てエントヴァースへ転移したはずだった。だがそこで、思わぬ危機に直面する――そして、物語は大団円を迎える。なお、ホーガン自身は冒頭で、ファンタジーは書けないと言っているが、『造物主の掟』(1983 年)はファンタジーの要素を取り入れていた。本作に登場するエントヴァースは、それを超えた舞台設定になっており、それを比較するのも面白いだろう。エントヴァースには超能力や魔法のような力が存在するが、これを打ち破るのに、同じ力ではなく、「スター・ウォーズ」をヒットさせたアメリカという国の遊園地や攻撃ヘリを持ち出すのは、イギリス人特有のジョークであろう。本作の真骨頂は、コンピュータ・ネットワークや人工知能が人間に及ぼす副次作用を仮説提起しているところにある。そこには、サイバーパンクのような難しさはないし、『攻殻機動隊』や『マトリックス』のような厭世観もない。科学は常にハッピーエンドをもたらす。私たち技術屋は、ハント博士やダンチェッカー博士と同じく、これらのシステムを「便利な道具」としてしか見ていない。だが、皆さんはどうだろうか。ネットに常時接続し、Siri やスマートスピーカーを使い、スマホのカメラを通してみる仮想現実に慣れることで、何か生活の変化は起きていないだろうか――いや、変化は起きていても自覚はないだろう。そこから「内なる宇宙」が始まる‥‥
2018.07.16
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内なる宇宙(上) ガルース「いったい、地球でいっさい例外のないことというのが何か一つでもあるのかね?」著者・編者ジェームズ・P・ホーガン=著出版情報東京創元社出版年月1997年8月発行『星を継ぐもの』『ガニメデの優しい巨人』『巨人たちの星』三部作の続編である。1981 年の『巨人たちの星』から 10 年ぶりとなる。単独でも面白い SF だが、これら三部作を読んでからどうぞ。作者のジェイムズ・ P ・ホーガンは、わが国にファンの多いイギリスのハード SF 作家だ。1978 年 4 月に出版されたデビュー作『星を継ぐもの』は、日本では 1981 年の星雲賞海外長編賞を受賞(本作も星雲賞受賞)。後にアニメ界で活躍する岡田斗司夫、庵野秀明、板野一郎らが参加した日本 FS 大会の大阪開催シリーズ(DICON)の 1986 年大会に、ホーガンは招かれた。そして、1991 年 4 月まで放映された NHK アニメ『ふしぎの海のナディア』の最終回タイトルは「星を継ぐもの‥‥」である。上述の三部作は、1 つの物語の最終局面で、あらたな「謎」が浮かび上がるという、いかにも日本人好みの展開になっている。アメリカ SF にはない凝った構成である。シャーロック・ホームズと同じで、日本人はイギリス人と通じる部分があるのかもしれない。本作は、冒頭でホーガン自身が述べているように、『巨人たちの星』に続く謎は無いとされていた。円環の理(→魔法少女まどか☆マギカ)は閉じたはずだった。だが、ジェヴレンの混乱はどうなったか――。物語は、ホーガンと同じイギリス人作家トールキンが描くようなファンタジー世界から始まる。一方、ジェヴレンでは新興宗教が興り、狐憑きのような教祖が民衆を扇動していた。こうした宗教は、人工知能システム「ジェヴェックス」を取り上げられ無気力になっていたジェヴレン人に浸透しつつあり、統治を任されたガニメアンのガルースの手に負えない状況になっていた。ガルースは、やむを得ず、旧知の地球人物理学者ヴィクター・ハント博士に助けを求める。ハントは、生物学者クリス・ダンチェッカー、フリージャーナリストのジーナらをともない、ジェヴレンを訪問する。ジェヴレンへ到着するなり事故に巻き込まれたハントは、薬物やセックスといった闇の世界に迷い込み、一方、ジーナは、ジェヴェックスやヴィザーが提供する仮想現実の恐るべき副作用について気づく。そして、ジーナが闇の勢力に連れ去られるところで、上巻が終わる――どうです?ヒロインが敵に連れ去れてるなんて、日本アニメの脚本のようでしょう(笑)。
2018.07.15
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玉村警部補の巡礼 「歩き遍路至上主義者と比べ、連環遍路至上主義者は他人に寛容だ。それは小乗仏教より大乗仏教の方がおおらかなのと似ている。とかく原理主義者が自分たちの主張に拘泥すると平和が壊れる。キリスト教とイスラム教が仏教と同じくらいに他人に寛容だったら、世界の紛争は十分の一に減っていただろう」(加納警視正)著者・編者海堂尊=著出版情報宝島社出版年月2018年4月発行テレビ・ドラマ化された『ナイチンゲールの沈黙』で活躍する玉村誠警部補が、リフレッシュ休暇で四国遍路に出掛けた。そこへ、上司の加納達也警視正が無理矢理に同行する。遍路の途中、2 人は次々に事件に巻き込まれる――。まず徳島では、賽銭泥棒の容疑者として逮捕された女性の無実を証明する。次の高知では、10 年前に起きた政治家秘書殺害事件の容疑者の鉄壁のアリバイを突き崩す。銀塩時代のカメラを知る各位は、ニヤリとさせられるトリックが仕組まれている。そして愛媛では、蚊を信仰する謎の寺院で失血死体に遭遇。海堂先生がホラー小説を書くわけもなく、本編でも活躍する Ai の専門家、放射線科医の島津吾郎が滞在先の道後温泉から召還され、死因を探る。4県目の香川では、ひょうげ祭りに爆破予告があり、これを未然に防ぐのだが、背後には闇の組織が――なお、ひょうげ祭りも屋島水族館も実在している。とくに屋島水族館は、2006 年に事業譲渡され新屋島水族館として営業再開しているところも物語と同じである。4 本の短編は、小気味の良いテンポで進み事件を解決してゆく。加納と玉村のデコボココンビの温泉ミステリーというだけで笑えるのだが、四国遍路という実体に対する虚構のブレンドが絶妙である。宗教という禁忌領域でこれをやるのが、海堂ワールドの真骨頂。ちなみに、わが家は真言宗であるが、最後に単行本書き下ろしの高野山エピソードがある。金剛峯寺や奥ノ院のユーモアのある描写は珠玉の出来映え。好奇心と笑いとで、最後まで楽しく読むことができた。
2018.06.13
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夜間大気光のふしぎ 街明かりがまったくない山の中にいても、空と山の境界がはっきり見えるのは、夜の空から光が来ているためです。(18ページ)著者・編者鈴木臣=著出版情報幻冬舎メディアコンサルティング出版年月2018年3月発行著者は、オーロラや地磁気の観測研究を続け、夜間大気光を測定する高感度カメラを開発した塩川和夫さんと、『機動戦士ガンダム』の影響で地球科学を志したという鈴木臣さん。天体写真を撮影していた頃、背景となる夜空は快晴のはずなのに、なぜか雲のような筋が写っていることがよくあった。当時は気にも留めていなかった。オーロラを観測を行ったことがあるのだが、それとも違う――これが「夜間大気光」である。「街明かりがまったくない山の中にいても、空と山の境界がはっきり見えるのは、夜の空から光が来ているため」(18 ページ)という。地上から 80~400 キロメートル上空、密度が地上の 10 億分の 1 しかない大気が、太陽の紫外線を受けて発光するのが大気光の基本原理である。「1990 年代になると、カメラのイメージング技術の向上によって、大気光という非常に微弱な光を撮像することが可能になり」(49 ページ)、大気光の研究が進んだ。本書の口絵にカラー写真が掲載されているが、大気重力波、大気潮汐波・惑星波・伝搬性電離層攪乱・赤道域プラズマバブルなど、さまざまな大気光があることが明らかになってきている。
2018.06.12
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ムダヅモ無き改革 プリンセスオブジパング 第2巻 御門葩子「だったら、ツモらせなきゃいいじゃない」著者・編者大和田秀樹(漫画家)=著出版情報竹書房出版年月2018年4月発行著者は『機動戦士ガンダムさん』『大魔法峠』でお馴染みの大和田秀樹さん。シリーズ累計250 万部を突破した政治+麻雀アクション漫画の新章がスタートした。ライジングサンでトランプに勝利した御門葩子は、ポツダム政令で禁じられていた闘牌を再び打てるようになる。御門葩子と比良坂菊理はインターハイを軽々と勝ち抜け、日本代表として赤の広場の闘牌場へ。初戦で闘う相手は、女子高生総統、台湾の蔡英文――今回のシリーズは女子高生がテーマなんですね(笑)。蔡英文チームが使う怪しい技の正体は――。
2018.04.24
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ムダヅモ無き改革 プリンセスオブジパング 第1巻 人間性はともかく、バイタリティだけは歴代大統領の中でも屈指!!ドナルド・トランプという男だ!!!著者・編者大和田秀樹(漫画家)=著出版情報竹書房出版年月2018年2月発行著者は『機動戦士ガンダムさん』『大魔法峠』でお馴染みの大和田秀樹さん。シリーズ累計250 万部を突破した政治+麻雀アクション漫画の新章がスタートした。登場するのは、ご存じ、第45 代アメリカ大統領D・トランプ(ワ○ピースのパロディかw)――これほど大和田絵にマッチするキャラもいないだろう。対するは、最強 DNA をもつプリンセス葩子(はこ)――彼女をして、「あの日から‥‥私は麻雀を打つことを禁じられている」と言わしめた「あの日」とは、昭和 20 年 9 月 27 日――連合国軍最高司令官・マッカーサー元帥と、あの方が会談した日である。そして、数日前、GHQ 本部の地下闘牌場での神代の麻雀が行われていたのだ。『疾風の勇人』でお馴染みの面々も登場する。このときから麻雀を撃つことを禁じられた一族の末裔、御門葩子にニューヨークへの招待が。トランプタワー闘牌の間で待っていたのは、ファーストフードを愛するドナルド・トランプ大統領。麻雀についてはド素人の葩子は、トランプの攻撃で瀕死の状態だったが、やがて牌の「声」が聞こえるようになる。それにしても、竹書房よ、この設定は禁じ手やろ。死ぬ気か――政治だけでなく歴史も楽しめるストーリーは流石(笑)。
2018.04.22
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宇宙気流 ジャンツ博士「君と同じように感じてるんだよ。フロリナを一人で死なせるなんて、耐えられないっていうんだ」(331ページ)著者・編者アイザック・アシモフ=著出版情報早川書房出版年月1977年6月発行惑星フロリナ原産の繊維「カート」は、高級品として金より高値で取り引きされていた。その貿易を独占していた惑星サークの貴族たちは、フロリナの住民を農奴として酷使することで、銀河系の盟主として台頭してきた惑星トランターと対等に渡り合おうとした。そんななか、惑星が破壊されるという警告を発して地球人の空間分析家が姿を消す。ある日、フロリナで、最下層カーストの女性ヴァローナは、白痴の男性リックを拾って面倒を見るようになる。最初、自分で食事も摂ることができなかったリックだが、徐々に記憶を取り戻し、ヴァローナと司政官テレンスとともに、陰謀の渦に巻き込まれてゆく。四大貴族のファイフと娘サミア、トランター大使アーベル、空間分析局のジャンツ博士――さまざまな人物の思惑が渦巻く中、物語は意外な結末を迎える。本書はアシモフの銀河帝国シリーズの一部であり、年代的には『宇宙の小石』と『暗黒星雲のかなた』の間に当たる。1952 年に書かれたものだが、サークの貴族は黒人、フロリナの農奴は白色人種という設定になっている。なぜ肌や瞳の色が異なるサーク人とフロリナ人は相容れないのか、地球の歴史の記憶が失われた遠い未来社会では、その理由も忘れられてしまった。これはリックの記憶喪失とダブらせている。ロシア革命を逃れアメリカに移住したアシモフの皮肉は、21 世紀になった今でも通用する。エピローグで、リックは地球へ旅立つ。神経衝撃針のおかげで出自の恐怖を断ち切ることができたから、故郷に帰れると彼は言う。そんなリックに、ジャンツ博士はテレンスがフロリナに残ることを告げる。最後のジャンツ博士の台詞を読んで、小松左京の SF 映画『日本沈没』の最後で田所博士が、「私ほど一途に、この島に惚れぬいたものはいないはずだ。この島が滅びるときに、この私がいてやらなければ、ほかに誰が‥‥」と泣きながら言った台詞を思い出した。
2018.02.22
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ニッポン宇宙開発秘史 私は決して貧乏に価値があると言いたいわけではありません。大事なのはあくまでも「志」であり、「志」があれば貧乏という逆境もむしろプラスに働くということを言いたかったわけです。(188ページより)著者・編者的川泰宣=著出版情報NHK出版出版年月2017年11月発行著者は、JAXA 名誉教授の的川泰宣さん。日本のロケットの父、糸川英夫博士の研究室に入り、数々の宇宙開発の現場に立ち会い、優れた啓蒙活動から「宇宙教育の父」とも称される方だ。冒頭、的川さんは、なぜ人は宇宙に惹かれるのか、と問いかけ、そこには、「好奇心」「冒険心」「匠の心」という 3 つの心があるからだと説く。そして、大学院生時代、ドイツで V2 ロケットを開発したフォン・ブラウン博士に問いかけ、「月や火星に行くためだったら、私は悪魔とでも手を握ったはずです」という強烈な回答を得たエピソードや、糸川博士が佐渡島へ行く途中で船酔いになって、ベビーロケットの発射試験場が秋田県になったエピソードを紹介する。まさに「宇宙開発秘史」であり、ドンドン引き込まれる。糸川博士は、名著『逆転の発想』にあるとおり、奇想天外のアイデアを思いつく先生だったらしい。ペンシルロケットを水平発射型にしたのも、当時、日本のレーダーは性能が低く、ロケットを追跡できなかったから。そこで、水平に発射して、吸い取り紙を破った時刻をもとに、加速度などを計測したという。糸川博士に対してマスコミがネガティブキャンペーンを展開したエピソードも記されている。本書では社名を出していないが、記憶では朝日新聞社である。予算も人材も無いなか進んでいた日本初の人工衛星打ち上げプロジェクトへの波及を懸念した糸川博士は、55 歳の若さで東大を辞職した。半世紀遡って、アメリカのロケットの父、ロバート・ゴダードもニューヨークタイムスから「狂人」扱いされたという。ちょうど今週、iPS論文の不正をめぐり、ノーベル賞受賞者で京都大学 iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授の責任を問う記事が共同通信から配信された。半世紀を経て、マスコミは、また有能な科学者を退場させようとしているのだろうか。まったく酷い話である。第3章では、すだれコリメーターで有名な X 戦天文学の小田稔博士を紹介する。世界で初めて「はくちょう座 X1」を発見し、その源がブラックホールではないかという仮説を立てたのは小田博士だった。そして、日本のお家芸となる X線天文衛星の初号機「はくちょう」――はくちょうが活躍していた頃、各国の X線天文衛星が壊れるというアクシデントが発生する。心ないマスコミは、これを「日本が妨害電波を出したためではないか」(109 ページ)という記事にしたそうである。1985 年には、ハレー彗星探査衛星「さきがけ」「すいせい」が成功し、ヨーロッパやアメリカの探査衛星のガイド役を担った。はじめ、固体燃料ロケットで地球外に探査衛星を飛ばすことなどできるわけがないと考えていたアメリカの科学者たちも舌を巻いたという。ちょうどこの時期、内之浦発射場で、太陽系ができた 45 億年前の物質を取ってこれるかどうかで、理学系と工学系の若手研究者の間で言い争いがあったという。ロケット開発をしていた工学部出身の若手は、「アメリカやソ連でさえ手を付けていない分野だからといって、なぜ日本にはできないと最初から決めつけるのか」「他国にできないことを日本がやってみせたらおかしいのか」「じゃあ俺たちが計画を作ってやる」(152 ページ)と言ってのけ、はやぶさ計画が立ち上がる。しかし、はやぶさ計画についた予算は、欧米に比べたら数分の一。そこで、プロジェクトチームは、探査機をコンポーネントに分け、町工場に直接発注した。的川さんは、「町工場の職人さんたちは、太陽系の始まりとかそういったことにはあまり興味がありません。ひたすら『難しいものを作る』ということに専念」していることにカルチャーショックを覚えたという。冒頭で「匠の心」を挙げたのは、そのことがあるからだとか。はやぶさプロジェクトは苦難の連続だった。帰還軌道に乗った後も故障が続き、コントロールセンターには、京都の飛行神社をはじめ、いろんなお札が掲げられたという。だが、ついにすべてのイオンエンジンが停止してしまう。そんななか、設計図にはないはずのイオンエンジン同士を繋ぐ仕組みが用意されていた。このルール違反が、はやぶさを地球まで帰すことにつながった。はやぶさが持ち帰ってきた微粒子のうち、数十%はまだ分析しないまま残っているそうだ。「今から 50 年後、100 年後には、人類の分析技術が遥かに進歩すると予想されるので、そのときのために残してある」(187 ページ)という。夢は続く――。的川さんは、はやぶさ成功の原動力として、「適度な貧乏」を挙げている。「予算が少ないので手分けして全国を回って作った探査機だからこそ、システムの隅々までみんなが知っていた。だからこそ、「はやぶさ」のようなトラブルに際してもアイデアの「引き出し」を使うことができたのです」(188 ページ)。「しかし、誤解のないようにあえて付け加えますが、私は決して貧乏に価値があると言いたいわけではありません。大事なのはあくまでも「志」であり、「志」があれば貧乏という逆境もむしろプラスに働くということを言いたかったわけです」(188 ページ)。電算屋として思う――自社開発のシステムは、本当に自社の人間がシステムの隅々まで理解しているか。どこかブラックボックスになっていやしないか。さて、次は糸川博士の『逆転の発想』を読むことにしよう。
2018.02.07
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われはロボット スーザン・キャルビン「わたしはロボットが好きです。人間よりもずっと好きです」著者・編者アイザック・アシモフ=著出版情報早川書房出版年月2004年8月発行ロボット工学の三原則第一条 ロボットは人聞に危害を加えてはならなレ。また、その危険を看過することによって、人聞に危害を及ほしてはならなレ。第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。――ロボット工学ハンドブック、第56版、西暦 2058 年アイザック・アシモフのロボット SF短編を、US ロボット社の主任ロボ心理学者スーザン・キャルヴィンの回顧録という形でまとめている。物語は、1996 年に製作された子守ロボット「ロビイ」から始まる。欧米のロボット SF にはフランケンシュタイン・コンプレックスが付きまとうが、アシモフは「ロビイ」で早くもその問題を払底する。主人公の母にその役割を負わせたのは、『フランケンシュタイン』の作者であるメアリー・シェリーの生い立ちを意識しているのではないか。そう感じさせる名作である。続いて、グレゴリイ・パウエルとマイケル・ドノバンのコンビが太陽系でロボットを巡る騒動を収める「堂々めぐり」「われ思う、ゆえに‥‥」「野うさぎを追って」が続く。この 3編は、ロボット工学の三原則を巡るミステリー要素が強く、後の長編シリーズにつながる。また、アシモフのキリスト教に対する立ち位置がよく分かる作品となっている。次に、読心ロボット・ハービイの物語だ。このエピソードは、後の長編『夜明けのロボット』で引用される。本編では、ハービイはロボット工学の三原則のジレンマに陥り、研究所長のラニング博士もそれを見破ることができず、スーザン・キャルヴィンに「うそつき!」と罵られて終わる。アシモフの SF 世界では、コンピュータの作業もロボット(陽電子頭脳)が担当する。だが、陽電子頭脳では、人間に危害を及ぼす可能性があるハイパージャンプ(ワープ)宇宙船の設計ができない。スーザン・キャルヴィンが、意図せずこのハードルを超えてしまう話――「逃避」。市長選に立候補した高潔な法律家スティーブン・バイアリイは、果たしてロボットなのか――スーザン・キャルヴィンやラニング博士が、US ロボット社の命運を賭けて、その謎解きに挑む「証拠」。スーザン・キャルビンはバイアリイに向かって、こう言う。「わたしはロボットが好きです。人間よりもずっと好きです。もし行政長官の能力をそなえたロボットが製作されたら、それは行政官として最高のものになるでしょうね。ロボット三原則によれば、彼は、人間に危害を加えることはできないし、圧政をしくことも、汚職を行なうことも、愚行にはしることも、偏見をいだくこともできないのですからね」。バイアリイは、2044 年、初代の世界統監に就く。そのころ世界を動かしていたのはマシン――今で言うスーパーコンピュータ――だった。そして、マシンは非常に複雑になったロボットの頭脳=陽電子頭脳だった。だが、世界の動向がおかしい。そう感じたバイアリイは、引退したスーザン・キャルビンを呼び出す――「災厄のとき」。スーザン・キャルビンは言った。「でも、マシンは一個人のためにではなく、人類全体のために働く、そこで第一条はこうなります。〈マシンは人類に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人類に危害を及ぼしてはならない〉」――これこそ、35 年後に刊行される『ロボットと帝国』で、ロボット・ダニール・オリヴォーが再発見した第零法則である。バイアリイのポジションは、10 年後に発表された『二百周年を迎えた男』のロボット・アンドリュウや、ロボット・ダニール・オリヴォーによく似ている。こうして、ロボットの物語は『鋼鉄都市』へ続いてゆく。スーザン・キャルヴィンは 1982 年生まれ、2064 年死去という設定だから、今年(2018 年)、36 歳となる。学位をとったのは 2008 年だ。研究者として脂ののった頃だろうか。現実世界は陽電子頭脳ではなく、人工知能がトレンドであるが――本編の最後にスーザン・キャルビンはこう言った。「わたしの人生はもうおわり。このあとを見とどけるのはあなた方ですよ」。
2018.02.05
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新聞記者 スクープを抜かれたら抜き返さなければ。(82ページより)著者・編者望月衣塑子=著出版情報KADOKAWA出版年月2017年10月発行著者は、東京新聞社会部記者の望月衣塑子氏。父親は業界紙の記者をしており、イデオロギー的に読売新聞が嫌い。母親は演劇関係者で、「肉体は滅びても魂はずっと存在していくと信じていた」方で、気功や断食をしていたという。両親とも癌を煩い他界。小学校の頃は漫画『ガラスの仮面』に夢中になり演劇を志していたが、中学 2 年生の時に読んだ『南ア・アパルトヘイト共和国』に興味を持ち、ジャーナリストを目指したそうだ。慶應義塾大学法学部を卒業後、中日新聞社に入社し、愛知県内の新聞専売店で新人研修がスタートする。この研修について、「男性社員の大半はげっそりしていた」とコメント。千葉支局、横浜支局を経て社会部で東京地方検察庁特別捜査部を担当するが、日本歯科医師連盟のヤミ献金事件をスクープしたことで特捜から事情聴取を受け、取材経費を使いすぎていることもあり、内勤に回されたと嘆いている。手元にこのときのスクラップ記事が残っているが、そうした事実があったのかは分からない。そして、望月さんは、「下を向いてばかりもいられない。スクープを抜かれたら抜き返さなければ」(82 ページ)と決意を新たにする。内勤の不満から転職も考えたと書いているが、「移籍をほぼ決めていたときに、父から『読売だけは嫌なんだよ』と言われた」(101 ページ)ことにより、現職に留まったという。「学生運動にのめり込んでいた父へのちょっとした抵抗」(37 ページ)もあったはずなのに、大いなる矛盾である。そして、転職することを「移籍」と記していることにも注目――スポーツ選手か芸能人の気分なのだろうか。2017 年 2 月、森友学園を巡る朝日新聞の記事を見て、日本歯科医師連盟の事件の時に社会部長をしていた編集局長にメールで直訴。政治部の取材チームに合流した。社内人脈を使うのは得意のようだ。本書で紹介されている取材源は、活動家の菅野完氏、天下り斡旋で辞職した文部科学省事務次官の前川喜平氏、レイプ告発が安倍政権によってもみ消されたと話題の詩織さん、等々、どう控えめに見ても偏っている。加えて、取材源の秘匿が微塵も感じられない。菅義偉官房長官との質疑応答はネットでも話題になっているが、望月さんは「最終的に会見時間は 37 分を超え、私は 23 回の質問を重ねていた。思いに駆られて夢中で聞いたら結果的にこうなった」と自慢げに記している。だがしかし、具体的な回答を得られたかの記述が一切無い。感情で取材をする方だという印象を強くした。望月さんは、「昼夜を問わず取材ができるかどうかは、熱意があるかどうか。パッション、情熱をぶつけられるかどうか」(65 ページ)、「インタビュー取材の経過とともに、前川さんが抱く思いに対して感情を移入させていく自分がいた。なにかが自分の中で燃え盛ってくる。こうなってくると、もう私のぺースだ」(138 ページ)などと書いているが、ここに、読者の「知る権利」を守るジャーナリズムは微塵も感じられない。本書の前に産経新聞社が著した『新聞記者 司馬遼太郎』を読んだ。そこには 15 年間、新聞記者を務めた経験のある司馬氏が、自身の理想の新聞記者像として、「職業的な出世をのぞまず、自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は決してむくいられる所はない。紙面に出たばあいはすべて無名であり、特ダネをとったところで、物質的にはなんのむくいもない。無償の功名主義こそ新聞記者という職業人の理想だし同時に現実でもある」という一文を紹介している。望月さんを司馬遼太郎氏と比較するのは酷かもしれないが、同じプロである。『新聞記者』というタイトルは、何か壮大な皮肉のように感じる。残念なことである。
2018.02.04
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新聞記者 司馬遼太郎 「職業的な出世をのぞまず、自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は決してむくいられる所はない。紙面に出たばあいはすべて無名であり、特ダネをとったところで、物質的にはなんのむくいもない。無償の功名主義こそ新聞記者という職業人の理想だし同時に現実でもある」(223ページ)著者・編者産業経済新聞社=著出版情報文藝春秋出版年月2013年6月発行望月衣塑子氏の著書『新聞記者』が店頭になく、先に産経新聞が著した『新聞記者 司馬遼太郎』を読了。あとがきで、司馬遼太郎氏が亡くなって 10 日後、「司馬を『文学作家』としてもて囃すのはお門違いだ」と書いた東京新聞に対し、本書は「首肯しがたい」と否定。ただし、本書の刊行は 2001 年。文庫本化は 2013 年のことなので、望月衣塑子氏の記事をめぐる産経新聞の批判とは全く関係がない。おそらく、両社の社風の違いなのだろう。本書は、司馬遼太郎氏の、産経新聞を中心に 15 年ほど勤めた記者時代のエピソードを、関係者から集めた内容。ワシは司馬史観が好きではないし、産経新聞をヨイショするつもりも更々ないが、社会部や政治部の記者をやったことがない司馬遼太郎氏が、なぜあらゆる分野の人物から巧みに話を聞き出し、社会に影響を及ぼしているのかを、東京新聞の記者女史は考察した方がよろしいかと。司馬遼太郎氏は、京都で寺や大学の取材を担当していた。戦後の福井大地震の際、現地に特派員として派遣され、京都に戻ってからは京大のツテで地震の専門家に取材している。また、寺社のツテで、金閣寺放火事件の真相もスクープしている。それを望月衣塑子氏より若い時にやってのけている。もちろん、時の権力者を批判することも怠らない。産経新聞のコラムでお盆の話を取り上げ、「吉田さん(吉田茂首相)はじめ再軍備派の御一統、高野槙の 1 つも持って、トクと今後の心構えでもご懇談あればお盆の真義も現代的に生きようというものだ」とユーモアたっぷりにチクリ。福井大地震の際、司馬遼太郎氏が現場で出会ったうだつの上がらない老記者は、春になると田んぼから出てくるカエルを取材するのだが、その記事が他社より常に早いという。老記者は「カエルも総理大臣もおなじですよ。大臣に会うばかりでは新聞はできない」(219 ページ)――これが産経の社風なのか。司馬史観を好きになれないのは、ワシはマルクスの唯物史観に毒されており、その流れを汲む心理歴史学の実在を信じて疑わないからである。だが、現地に足を運び、自分の目で状況を見聞し、地元の人の話に耳を傾けるスタイルには深く共感する。司馬氏は後輩記者に、「新聞記者は火星人の眼と地下の人の眼の両方を持たないといけない」(183 ページ)と語ったことがある。大局的な見方と、庶民感覚ともに大事だ、という心構えである。その後輩記者は、司馬氏を「社会のメカニズムと、それを動かす人間の虚と妄と慾を、外科手術の達人のように、冷静に、鋭く脈分けする。決して対象におぼれない。しかも既成の観念にとらわれず、自分のメスで切りこむ。恐るべき知性のひとだ」(184 ページ)と評する。それは、新聞記者を辞めた後も、「桑原武夫、吉川幸次郎、貝塚茂樹、湯川秀樹といった京都大学が生み出した碩学たちとも交際があった」(201 ページ)があったからだろう。このあと、東京新聞・望月衣塑子氏の著書『新聞記者』を読んだのだが、新聞記者としての決定的な違いが、この「知性」を備えているかどうかである。司馬氏は、1962 年 2 月、朝日新聞に、新聞記者の理想像として「職業的な出世をのぞまず、自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は決してむくいられる所はない。紙面に出たばあいはすべて無名であり、特ダネをとったところで、物質的にはなんのむくいもない。無償の功名主義こそ新聞記者という職業人の理想だし同時に現実でもある」(223 ページ)という文章を書いている。巻末に、記者時代のコラムが掲載されている。政治風刺から空飛ぶ円盤の話まで、時流を分析する目は流石としか言いようがない。
2018.02.03
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魔法陣グルグル2 第9巻 フリルでゴーレムが台無しに!!著者・編者衛藤ヒロユキ=著出版情報スクウェア・エニックス出版年月2017年12月発行勇者ニケと魔法使いククリによる魔法ギリとの戦いから(わずか)2週間――世界は再び魔王の力に屈しようとしていた。トマの工夫を突破して勇者たちの前に現れたのは、ラッパ吹きの少女――将来、天使になるそうです。天使はラッパを吹く構図が多いが、このラッパ吹きは微妙にピッチのずれたメロディーを流す。ズックニィに到着した勇者ニケの一行は、ラッパ吹きが目の敵にしていた尻使い――「魔法は尻から出る!!」(初代グルグル 16 巻)のフラグを回収する。ミグミグ族のパルから空飛ぶ魔法を授かったニケとククリは、魔法使いデリダに再会し、ケムリの塔へ向かう。ケムリの塔の門番ケルベロスは――この名前に、この絵面はねーだろうというガッカリ感。ついにケムリの塔内部へ!
2018.02.02
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魔法陣グルグル2 第8巻 ニケ「へには、へをだ!!」著者・編者衛藤ヒロユキ=著出版情報スクウェア・エニックス出版年月2017年6月発行勇者ニケと魔法使いククリによる魔法ギリとの戦いから(わずか)2週間――世界は再び魔王の力に屈しようとしていた。怒りのダンジョンを攻略した勇者一行は、フリルの精霊フリルラと、精霊に仕えるメイネ(45 歳)に出会う――キタキタオヤジが戦線離脱したかと思いきや、メイネさんの絵面も強烈――そして、ズックニィにある強大な力「マキニカ」の探索に向かう。
2018.02.01
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魔法陣グルグル2 第7巻 ニケ「オレは、おもしろおかしい勇者だ」著者・編者衛藤ヒロユキ=著出版情報スクウェア・エニックス出版年月2017年1月発行勇者ニケと魔法使いククリによる魔法ギリとの戦いから(わずか)2週間――世界は再び魔王の力に屈しようとしていた。愛の町エボルに到着した勇者一行。町長に頼まれ、スポーツダンジョンに転がっているウンコを「勇者のさすまた」で処理。一方、キタキタオヤジは、愛の女神の像の前でキタキタ踊りを踊り続ける。こんなことで、勇者の呪いは解けるのか!?いつの間にか勇者一行から離れた天才魔法使いデキルコは、レイドを追って、闇魔法最高峰のカヤと対峙する。怒りのダンジョン、戦闘用フリル、シトラスちゃん‥‥謎が謎を呼ぶ超展開!?
2018.01.31
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魔法陣グルグル2 第6巻 ニケ「いまや勇者は、おっさんの夢なのか‥‥」著者・編者衛藤ヒロユキ=著出版情報スクウェア・エニックス出版年月2016年7月発行勇者ニケと魔法使いククリによる魔法ギリとの戦いから(わずか)2週間――世界は再び魔王の力に屈しようとしていた。消えたニケ。魔物ウラスクを倒したククリ、ジュジュ、デキルコの一行は、アッタノカへ向かう。一方、ニケは、勇者を自称するオッサンたちとともに、魔王軍の塔に閉じ込められていた。ニケは、魔王に呪われ、夜になると魔物に変身するようになってしまった。なぜか、魔物になった方がカッコイイ勇者。そして、魔界のプリンス・レイドと天才魔法使いデキルコの関係は進展するのか。
2018.01.30
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魔法陣グルグル2 第5巻 キタキタオヤジ「小さく前にキタキタ」著者・編者衛藤ヒロユキ=著出版情報スクウェア・エニックス出版年月2016年1月発行勇者ニケと魔法使いククリによる魔法ギリとの戦いから(わずか)2週間――世界は再び魔王の力に屈しようとしていた。おもちゃの谷で、勇者ニケは幻の剣「勇者のさすまた」をゲット!だが、ニケは魔王の呪いに連れ去られてしまう。勇者ニケの救出に向かうククリ一行の前に、魔界のプリンス・レイドが現れる。
2018.01.28
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ロボットと帝国(下) ジスカルド「いつも振りかえってみる地球というものがなければ、過去という神を祭りあげる地球がなければ――彼らは銀河帝国を築くだろう」著者・編者アイザック・アシモフ=著出版情報早川書房出版年月1998年12月発行惑星ソラリスをめざし、グレディアがロボットたちとともに旅立ったころ、惑星オーロラのロボット工学研究所長ケルドン・アマディロが、2 世紀にわたる恨みを晴らすべく、グレディアの子孫でアマディロに自らを売り込んだレヴュラー・マンダマスとともに陰謀を巡らしていた。一方、ロボット工学研究所の所員で、死んだハン・ファストルフ博士の娘でもあるヴァジリア・エイリアナ博士は、ロボット・ジルカルド・レベントロフの特異な能力に気づいていた。惑星オーロラに戻ったグレディア一行は、ヴァジリア博士と対峙するが、ジルカルドの能力を使って危機を脱する。ジスカルドとロボット・ダニール・オリヴォーは、アマディロらが核反応増強装置を使って地球を危機に陥れようとしている陰謀に気づくが、どのような危機が訪れるのか見当もつかなかった。グレディアはロボットを連れて地球を訪れるが、この時代の地球のエネルギー源は太陽光が主流で、核融合エネルギーはほとんど使われていなかったのだ。そんな中、ダニールは、ロボット工学三原則を補足する第零法則を考えだし、それに基づいた行動をしていこうとする。グレディアは、ベイリ・ワールドで行ったように、ニューヨーク・シティで演説を行おうとする。だが、暗殺ロボットがブラスター銃を撃ってきた。狙いはグレディアではなく、ジスカルドだった。ダニールとジスカルドは、グレディアを D ・ G ・ベイリに託し、アマディロの行方を追った。そして、ついにアマディロとマンダマスを追い詰める。だが、自体は思わぬ方向へ展開する。ダニールは立ちあがった。彼はひとりぽっちになった――その肩に、銀河系を背負って。本書は、アシモフのロボット・シリーズと銀河帝国シリーズを結ぶ橋渡しの役割をしている。本書の翌年に刊行された『ファウンデーションと地球』は、1 万年以上未来の話であるが、ここで、われわれは R ・ダニール・オリヴォーに再開することになる。アシモフが描く人型ロボットは、欧米の小説によく見られるフランケンシュタイン・コンプレックスとはまったく無縁な、どちらかと言えば、日本の漫画やアニメに出てくるロボットに近い――。ダニールの名は、旧約聖書に登場する賢者で守護聖人のダニエルに由来するという。
2018.01.16
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ロボットと帝国(上) イライジャ・ベイリ「人類ひとりひとりの仕事は人類全体に貢献しているんだよ、だからそれは全体の一部となって永遠に消えることはない。その全体は――過去も現在も、そして未来も――何万年となく一枚の綴織(タピストリー)を織りなしてきた、そいつはしだいに精緻になって、おおむね美しくなった」著者・編者アイザック・アシモフ=著出版情報早川書房出版年月1998年12月発行『夜明けのロボット』から 200 年後の世界――イライジャ・ベイリは 160 年前に死去し、ハン・ファストルフ博士も昨年亡くなり、グレディアにロボット・ダニール・オリヴォーとロボット・ジスカルド・レベントロフを遺した。地球人は再び宇宙移民を開始し、植民国家連合(セツラー・ワールド)を形成し、宇宙国家(スペーサー・ワールド)を凌ぐ勢いとなった。そんな中、宇宙国家で最も新しい惑星ソラリアからの音信が途絶えた。ソラリア出身のグレディア(『はだかの太陽』参照)は、イライジャの 7 代目の子孫を名乗る D ・ G(ダニール・ジスカルド)・ベイリとともにソラリアを訪れる。そこで、一行は監督ロボットに襲われる。ロボット工学三原則があるのに、なぜ人間である D ・ G が襲われたのか。三原則に改変が加えられたという疑念は、ダニールとジスカルドに混乱をもたらした。一行はソラリアを脱出し、ベイリ・ワールドへ帰還した。グレディアは、大勢のセツラーを前にスピーチを行う。ベイリ・ワールドでグレディアは、「すべての人間に敬意をはらうだけでは充分ではない、知性ある存在にはすべて敬意をはらうべきです」とスピーチしたが、これは作者であるアシモフの祈りに等しい言葉のように感じる。アシモフは、高IQ 団体「メンサ」の副議長を務め、同じ会員だった人工知能学者マービン・ミンスキーを尊敬していた。ミンスキーはプログラミング言語LOGO を開発し、ニューラルネットワークの基礎理論「パーセプトロン」を著した。これは、現在のディープラーニングの祖先とも言える情報工学理論だ。もう一人、アシモフが敬意を表していたのは、天文学者で作家のカール・セーガンだ。アシモフは飛行機嫌いで、残念ながら、生でお会いすることはかなわなかったが、ミンスキーとセーガンの講演会には足を運んだ。知性のある人のする話は楽しい。
2018.01.15
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ジャーナリズムの原則 「ジャーナリズムのそもそもの目的は、市民の自由、そして自治に必要な情報を市民に提供することである」(13ページ)著者・編者トム・ローゼンスティール=著出版情報日本経済評論社出版年月2002年12月発行本書は、「人びとが友人、もしくは知りあいに会ったときに、まずはじめにすることのひとつは、情報を共有することである」と始まる。なぜなら「その人が自分たちと同じように情報に反応するかどうかをひとつの基準として、知りあい、友だちを選び、人物を判断する」(1 ページ)からだ。著者は、「情報が民主主義を作った」(11 ページ)という観点から、本書を執筆している。すべてのジャーナリスト、編集者だけでなく、われわれのようなネットで発信する一般人にとっても参考になる教科書である。著者は、ジャーナリズムの嚆矢を 1609 年頃のイギリスのコーヒーハウスとした。東インド会社が設立され、欽定訳聖書が出版され、欧州大陸ではケプラーやガリレオによる科学革命がはじまった時代だ。著者は、真実の定義が曖昧であることに触れたうえで、「ジャーナリズムの核心は検証の規律である」(87 ページ)と説く。つまり、「真実を追究し、それを市民に伝えるにあたって決定的に重要なのは、つまり、中立ではなく、独立である」(199 ページ)というのだ。ここで気をつけなければならないのは、英語では真実(truth)と事実(fact)は異なる概念だということだ。真実には人の判断が含まれる。著者は、「ジャーナリストは権力にたいする独立した監視役という役割をはたさなければならない」(143 ページ)と指摘する。そこで、「ジャーナリズムは大衆の批判やコメントのための公開討論の場を提供しなくてはならない」(175 ページ)という。著者は、「ジャーナリズムは、私たちの現代の地図である」(219 ページ)と指摘する。だが、ジャーナリズムも資本主義に組み込まれている以上、利潤を上げなければならない。ここで著者は、「聴視者を集めたいだけなら、街角でストリップショーをし、裸になることだ」(226 ページ)と嫌みをいう。本書の述べられている「ジャーナリズムの原則」は調査結果であり、著者の主張ではないとしている。これを信じるなら、ジャーナリズムは意見を書くことも、ある一部に利益になることを書いても構わない。だがしかし、嘘を書いてはいけない。聴視者が検証可能な真実を書かなくてはいけない。そのための材料を提供しなければならない。検証の場を用意しなければならない。――さて、現代において、わが国のジャーナリズムは、これらの原則に従っているだろうか。
2018.01.08
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宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか 「神の持ち札を見ることは難しいようだ」1942年になって、アインシュタインはこう語っている。「けれども私は一瞬たりとも、神がサイコロを振り『テレパシー』を使っている(現在の量子力学はそうだと言うが)と信じたことはない」(323ページ)著者・編者ルイーザ・ギルダー=著出版情報講談社出版年月2016年10月発行著者のルイーザ・ギルダーは、2000 年にダートマス大学を卒業した科学ジャーナリストで、8 年超に及ぶ徹底取材でものにした本書が初めての著書という。アルバート・アインシュタインという一人の天才の独創によって誕生した相対論に対し、量子論は 100 年にわたり数多くの物理学者たちの努力によって構築されていった。本書は、アインシュタインという巨大な才能に挑む多くの物理学者の交流を描いた大河ドラマである。ルイーザ・ギルダーは、「対話は科学にとって必要不可欠なものである」(17 ページ)という。本書は、脚色はあるものの、当時の科学者たちの手紙のやり取りなどの史実を元に書かれている。ネットもなく、国際電話も普及していなかった時代、科学者たちは手紙の上で議論したことは間違いないだろう。それが科学を発展させたのだ。第二次大戦前、量子力学をめぐる解釈は、デンマークの首都コペンハーゲンにあるボーア研究所から発信された「コペンハーゲン解釈」に集約されていった。だが、偉大なるアインシュタインは生涯、量子論を受け入れようとしなかった。ボーアは「アインシュタインが正しいのなら、物理学はもうおしまいだ」(232 ページ)と呟いたという。それでも、アインシュタインの科学者としての姿勢は確かなもので、1931 年、不確定性原理のハイゼンベルクと、波動力学のシュレーディンガーをノーベル賞候補として推薦した。だが、アインシュタインの推薦は他の誰とも意見が合わず、ノーベル賞委員会が大混乱に陥った結果、1931 年の物理学賞は該当者なしとなった。そして、1933 年 1 月末日、ヒトラーが政権に就くと、コペンハーゲン解釈に連なる物理学者たちは散り散りになってしまう。この頃、心を病んだパウリは心理学者ユングに接触し、テレパシーについて考えるようになる。シュレーディンガーは、統計的確率と不確定原理を混同しているアインシュタインに異議を唱えるべく、のちに「シュレーディンガーの猫」と呼ばれる思考実験を発表する。だが、アインシュタインは 1942 年、「私は一瞬たりとも、神がサイコロを振り『テレパシー』を使っていると信じたことはない」と語り、量子物理学者たちの意見を一蹴した。この結果、テレパシーやシュレーディンガーの猫についての誤った考えが、現代に伝わってしまった。アインシュタインは、それほどの影響力を持つ存在だった。1935 年、アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンは、量子論の波動関数によると、たとえ 100 億 km離れていても瞬時に情報が伝わる、すなわち、特殊相対論が述べる因果律を破るような振る舞い(量子のもつれ)をすることを指摘した。この問題は 3 人の名前の頭文字をとって「EPR パラドックス」と呼ばれ、半世紀にわたって物理学界の悩みの種となった。1960 年代に入ると、スイス CERN と米ブルックヘヴン研究所のシンクロトロンが実稼動に入った。CERN での研究に生涯を捧げることになるジョン・スチュワート・ベルは、コペンハーゲン解釈に疑問を感じていた。EPR パラドックス、隠れた変数、ベルの不等式、局所性と非局所性、そして量子の実在をめぐる議論‥‥当事者たちの論文や書簡、公の場での発言、討論などを集めた量子力学の大河ドラマは現代へと続く。
2018.01.07
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夜明けのロボット(下) イライジャ「何十億の人間のことを心配しろ。ダニール――たのむ――」著者・編者アイザック・アシモフ=著出版情報早川書房出版年月1994年6月発行次にベイリは、ファストルフ博士の娘で、博士と敵対するロボット工学研究所 RIA のヴァジリア博士、彼女に気のあるサンティリクス・グレミオニス、ファストルフ博士の弟子で RIA 所長のケルドン・アマディロ博士と続けて面談する。アマディロは、宇宙国家(スペーサー・ワールド)では個人主義の傾向が強まっていることを指摘し、その欠点を補うために RIA を設立したという。さらに、個人主義には自己愛がつきまとうと批判する。そして、12 時間後にベイリがオーロラを退去するように、議会を動かすと通告した。アマディロに足止めされたベイリ一行は、雷雨に遭遇する。まだ〈そと〉に慣れていないベイリはパニックに陥るが、ダニールのみに危険が迫っていることを告げ、2 体のロボットを逃がす。救出されたベイリは、グレディアと夜を過ごした。翌日、オーロラ政府の議長、アマディロ所長、ファストルフ博士との会談に臨み、ファストルフ博士の名誉と地球の未来は救われた。だが、ベイリには頭に引っかかることがあった――「彼がまっさきにあそこにやってきた」とは一体何者なのか。『はだかの太陽』でも、ソラリアが極端な個人主義に陥っていたことが紹介されたが、オーロラはソラリアと違ってセックス・フリーであるものの、個人主義という点においては似ている。これらの個人主義は、アマディロが言う自己愛を超え、きわめて独善的に描かれている。ジスカルドは、地球のシティと同じで、オーロラ人もロボットという壁にかこまれて暮しており、それが個人の過大評価に繋がると指摘する。一方、ベイリはしばしば、「ヨシャパテ!」(Jehoshaphat !)という感嘆語を使うが、これはもちろん旧約聖書からの引用。ヨシャパテ王は、勝ち目のない戦に際し、聖歌隊を送り込むことで勝利したという話が伝わっている(第2 歴代誌20章)。イライジャ・ベイリのイライイジャは、旧約聖書の預言者エリアの英語読み。ヨシャパテ王と同時代の人だったとされている。ベイリが、自からの欠点を克服し、事件を解決していくのは、彼の刑事としての使命感であり、公共の福祉に寄与しなければならないという義務感であろう。個人主義・自由主義のアメリカで人気を博した SF 作家のアシモフが、このような東洋人臭い主人公を描くのは意外なことだが、彼は実はロシアに生まれた。ソ連成立後にアメリカに移民したのである。その生い立ちが影響しているのだろう。本作を含む晩年の作品は、いよいよ「公共の福祉=人類社会の幸福」について深く斬り込んで行く。ロボット・ジスカルドは、ベイリとの別れ際に「さようなら、フレンド・イライジャ。これだけは憶えておいてください。“夜明けの世界”という言葉を、人々はオーロラに対して用いますが、いまこの時点から、地球こそ、まことの“夜明けの世界”だということを」と告げる。
2018.01.06
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夜明けのロボット(上) R・ダニール・オリヴォー「人間も、動物も、植物もみんな生き物ですよ、パートナー・イライジャ」著者・編者アイザック・アシモフ=著出版情報早川書房出版年月1994年6月発行未来の地球では増えすぎた人口を養うため、人々は「シティ」と呼ばれる巨大な鉄とコンクリートで覆われた都市の中に集合住宅を築き、食料とエネルギーを効率的に使うことで生き延びていた。一方、シティが完成する前に宇宙移民した人類は宇宙人と呼ばれ、人口では地球にはるか及ばないものの、ロボットを利用し、非常に高い科学技術文明を築いていた。『はだかの太陽』から 2 年後、ニューヨーク市警の私服刑事イライジャ・ベイリと息子のベントリイらのグループは、シティの外で耕作活動をするようになっていた。そんなイライジャの元に、ロボット・ジャンダー・パネルが破壊され、親地球派のロボット工学者ハン・ファストルフ博士が失脚の危機にあるというニュースがもたらされた。ベイリは再び宇宙船に乗り、宇宙人の植民惑星の中でも最強を誇り、クジラ座タウ星を回るオーロラへ向かう。宇宙船の中で、ベイリは、これまでの難事件捜査のパートナーとなったロボット・ダニール・オリヴォー、そして旧式のロボット・ジスカルド・レベントロフに出会う。オーロラに到着したベイリは、早速、ファストルフ博士と会う。博士は、スーザン・キャルビンの昔話を引き合いにだすが、この話そのものが、アシモフの『われはロボット』の短編「うそつき!」を指している。また、映画化もされた「バイセンテニアル・マン」も引用される。そして、博士は未来を確実に予測できる「心理歴史学とでも呼ぶような数理科学を確立したいと夢みることがある」と語る。また、ダニールやジャンダー・パネルといった、人間そっくりのロボットを開発したのは、「人間形態化(ヒューマンフォーミティ)を通して、さっき話した心理歴史学へ少なくとも小さな一歩を踏みだせるのではないかと思っている」からだという。心理歴史学は、アシモフの『銀河帝国』シリーズの重要なアイテムだ。これらの作品を読まなくても本作は楽しめるのだが、アシモフ・ファンを呻らせる演出であり、本作の重要な伏線となっている。
2018.01.05
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はだかの太陽 判断力がゼロなのだ。ロボットは論理的なだけで、分別がない。(165ページより)著者・編者アイザック・アシモフ=著出版情報早川書房出版年月1984年5月発行未来の地球では増えすぎた人口を養うため、人々は「シティ」と呼ばれる巨大な鉄とコンクリートで覆われた都市の中に集合住宅を築き、食料とエネルギーを効率的に使うことで生き延びていた。一方、シティが完成する前に宇宙移民した人類は宇宙人と呼ばれ、人口では地球にはるか及ばないものの、ロボットを利用し、非常に高い科学技術文明を築いていた。ある日、ニューヨーク市警の私服刑事イライジャ・ベイリは、宇宙人の植民惑星のひとつ、ソラリアで起きた史上初の殺人事件を捜査するため、宇宙船に乗って現地へ赴いた。ベイリは、再びロボット・ダニール・オリヴォーとパートナーを組み、事件の捜査に当たる。だが今回は、事件現場の一切合切が原状復帰されてしまっており、他人との接触を極端に嫌うソラリアの習俗がために、直接参考人に会ってインタビューすることもままならない。そして、なぜかダニールは、自身がロボットであることを積極的に開示しようとしない。閉鎖空間で暮らしてきたベイリにとって、ソラリアの解放された大地に立つことは、ベイリにとって苦痛でしなかった。だが、彼は持ち前の使命感に突き動かされ、ついに真犯人を突き止める。そして、その裏に隠された陰謀を知ってしまった。そしてソラリア人女性グレディアとの本書は、『鋼鉄都市』の続編だが、もちろん独立した小説として楽しめる。初めて読んだのは、『鋼鉄都市』と同じ中学生の時だ。この歳になって読み直すと、違う感想を持つ――。ソラリアは、人々が直接会って話をする必要がないほど通信インフラが充実し、仕事や家事を賄う大勢のロボットがいる。これは、現代社会そのものではないか。コミュニケーションはネットに頼り、コンピュータに向かって仕事をする毎日――直接会うことはあるものの、ネット・コミュニケーションの方が気楽だと考えている人がいるのではないか。だがしかし、ソラリア人の人間性は幼稚である。誰もが自分がその分野での第一人者だと信じているのである。共同研究などということを思いつかない。現代を活きる我々は、同じことになっていないか。相手の話をよく聞き、自分の考えをまとめることができるだろうか。さて、最後にソラリアの陰謀の正体が明かされるわけだが、大艦巨砲主義ではなくロボットを愛するオタクの皆さんには、たいへん感動的なラストになっている。そして、ここからアシモフの銀河帝国(ファウンデーション)シリーズに至るまで、1 万年に及ぶロボット愛の大河 SF がスタートするのである。
2017.12.31
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鋼鉄都市 R・ダニールはふと考えこんで、そしていった。「人間とロボットとの区別は、知性の有無の区別ほど意味のあるものではありません」(58ページより)著者・編者アイザック・アシモフ=著出版情報早川書房出版年月1979年3月発行未来の地球では増えすぎた人口を養うため、人々は「シティ」と呼ばれる巨大な鉄とコンクリートで覆われた都市の中に集合住宅を築き、食料とエネルギーを効率的に使うことで生き延びていた。一方、シティが完成する前に宇宙移民した人類は宇宙人と呼ばれ、人口では地球にはるか及ばないものの、ロボットを利用し、非常に高い科学技術文明を築いていた。ある日、ニューヨーク市警の私服刑事イライジャ・ベイリは警視総監に呼び出され、宇宙人が殺されたという前代未聞の事件の捜査を命じられる。宇宙人からの指示で、人間と見間違うほどに精巧に作られたロボット・ダニール・オリヴォーがパートナーとしてやって来た。ロボットへの反感を持っているベイリは、容疑者の見当もつかない中、捜査を始める――。ベイリは一度は間違った結論に達したものの、宇宙人ファストルフ博士や、地球人のロボット学者ジェリゲル博士、そして、懐古主義者の一員クロウサーとの対話を通じ、ついに真犯人に辿り着く。それは意外な人物であった――。本書を初めて読んだのは、たしか中学生の時である。その後、何度か読み直したが、今回ついに、ベイリの年齢を追い越してしまった。翻訳は、今の私より若くして亡くなった福島正実氏だが、氏の本格的な訳があったればこそ、大人になった今でも読める作品となっている。この歳で読み直してみると、また新しい視点が開けてくる。たとえば、地球人の宇宙人に対する劣等感は、いわゆる3K(高身長・高所得・高学歴)や、アジア人が欧米人に抱く劣等感と同じではないか。地球人はそれがために、宇宙都市へ暴動を起こしたがすぐ鎮圧されてしまう。前へ進もうということ諦め、ただ劣等感に苛まれる集団は、暴動を完遂する気構えも無いものだ。地球人がロボットに対して向ける敵意は、自分の仕事が奪われるのではないかという恐怖に由来する。これは現代社会において、人工知能に向けて同じ恐怖を感じしている人々がいる。そんな中、狭い共同住宅に住み、妻ジェシィの身を案じ、息子ベントリィの将来を考えながら上司の無理難題に応じる父親ベイリは、日本人のお父さんそのものではないか。ベイリの推理の過程で、もっとも重要な役割を果たすのは R ・ダニール・オリヴォーだ。ダニールは、アヒモフが編み出した有名な「ロボット工学三原則」に縛られており、常に論理的な存在だ。ベイリは、時には感情をぶつけ、時には思考を整理する道具としてダニールを利用した。これは、私が仕事道具としているコンピュータと関係に非常に近い。いや、本当は反対で、少年期にアシモフのロボットものを読んだ影響で、コンピュータとそういう接し方をするようになったというのが正解だろう。その影響で人工知能の研究をするようになり、ゆうきまさみ氏の漫画『究極超人あ~る』の主人公 R ・田中一郎というネーミングにニヤリとさせられ‥‥。その自分もベイリと同じで、どうやら日本という国家の枠組みから外へ出ることはできそうにもない。だがしかし、ネット世代である息子には、世界に出て行き、その目で世界を見聞きしてほしいと願っている。
2017.12.30
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シャーロック・ホームズ対伊藤博文 伊藤博文「きみがモリアーティを殺すのでなく、警察に逮捕させ裁判にかけるべきだったかどうか、それをたずねているのか? 法治国家としては絶対条件だろうな」(169ページ)著者・編者松岡 圭祐=著出版情報講談社出版年月2017年6月発行作者は、『万能鑑定士 Q』シリーズでお馴染みの松岡圭祐さん。物語は、シャーロック・ホームズとジェームズ・モリアーティ教授がライヘンバッハ滝上で戦う「最後の事件」ではじまり、伊藤博文や井上馨、ニコライ 2 世といった歴史上の人物を巻き込んでいく。史実のイベントが続くが、途中から違和感なくフィクションに入っていく絶妙のブレンド感は、日本のシャーロキアンとヒストリアンにお薦め。そして、法治主義とは何かという、現代の我々も悩み続けている大きなテーマを突きつけてくる。文庫本で 500 ページ近い大作だが、スピーディな展開に、1 日で読み終わってしまった。井上馨の勧めでイギリスへ密航した伊藤博文らは、1864 年、ロンドンで暴漢に襲われていたホームズ兄弟を助ける。柔術で暴漢を退けた伊藤博文に、まだ 10 歳だったシャーロックは感銘を受け、日本へ行きたいと言い出す。だが、長州戦争が勃発し、伊藤らは急遽、帰国の途につくことになる。明治維新後の 1882 年(明治 15 年)、憲法調査のために欧州を歴訪した伊藤は、マイクロフト・ホームズからシャーロックの居場所を聞き出し、ベーカー街221B へ向かった。ハドソン夫人とワトソンが出迎えるが、ホームズは伊藤に冷淡に接した。かつて伊藤が、攘夷の名の下に、イギリス公使館を焼き討ちしたことを知ったからだ。時は過ぎ、ライヘンバッハ滝の死闘の後、モリアーティ殺害の容疑者として死んだことになっていたホームズは、チベットへの密航を試みる。そこへマイクロフトが現れ、日本行きをすすめる。大英帝国の支配が及んでいない日本で権勢を振るう伊藤博文を頼れという兄のアドバイスに、ホームズは渋々従い、日本行きの貨物船で密航する。日本で何とか伊藤博文と出会ったホームズは、伊藤の顧問という立場で宮中を訪れる。そこで、大津事件のことを知らされる。ライヘンバッハ滝の死闘があった頃、大津でロシア皇太子ニコライが警官・津田三蔵に切りつけられるという事件が発生した。事件を日本の裁きに任せたロシア側だったが、手のひらを返したように日本に圧力を加えてきた。ホームズは、伊藤と共にこの謎に挑む。ホームズは、津田三蔵とモリアーティ教授を重ね、枢密院議長・伊藤博文に問いかける。「凶悪犯に対してであっても、私刑を加えるのは好ましくないというう考えか」。伊藤は「法治国家としては絶対条件だろうな」と応じたものの、幕末の行い全てについて裁きがあったわけではないと前置きし、師である吉田松陰の「過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ」という言葉を引用した。ホームズは、謎の解明に全力投球することを宣言する。伊藤はホームズを伴い、かつて共にロンドンへ密航した井上馨を訪ねる。2 人は、ニコライを救ったとされる車夫を訪ね、その話をホームズに伝える。ホームズは事件の謎を解き明かし、その確証を得るため、お忍びでロシア公使館に滞在しているニコライ皇太子に会う。だが、すべての謎が解けたわけではなかった。釧路に収監されていた津田が急死したのである。ホームズは、津田の死の原因を探るべく、釧路へ向かう。津田はロシアに革命を起こそうとしている第二インターナショナルに暗殺されたのではないかという情報がもたらされ、東京では警察が総力を挙げて犯人捜しに打って出る。事態は急転直下、日本はぎりぎりのところでロシアとの戦争を回避した。日本のような小国は清に打ち負かされると断言するニコライに向かい、ホームズは「日本と清が戦争した場合、日本が勝つでしょう。のみならず、あなたが皇帝になったロシアをも打ち破る」と喝破する。ホームズにかけられた嫌疑も晴れ、物語は「空き家の冒険」のイントロで締めくくられる。
2017.10.20
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聖☆おにいさん(14) 人間たちは無間地獄 怖い怖いっていうけど‥‥サービス提供しているこちら側も無間地獄ですからね‥‥著者・編者中村 光=著出版情報講談社出版年月2017年9月発行断捨離は苦行?神無月の留守番、恵比寿さんとは?ユダが買った福袋の中身は?ニッペン‥‥ってとこに、巫女さんはいるのか?今日も立川は平和です。そして、実写ドラマ化が絶賛進行中。
2017.09.23
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かしこい人は算数で考える 缶ビールに「飲酒は20歳を過ぎてから」と書いてあったことです。それを見たとたん、私は「飲酒は20歳になってから」に直すべきだと思いました。(27ページ)著者・編者芳沢 光雄=著出版情報日本経済新聞出版社出版年月2017年7月発行著者は、桜美林大学リベラルアーツ学群教授で理学博士の芳沢光雄さん。本書は、「数学ができる人は頭が良い」という決めつけているわけではない。仕事をする上で、言葉の定義を大切にし、規則を守ろうという、ごく当たり前の話を、数学サイドから述べている。新書にしては珍しい横書きだが、難しい公式や証明問題が出てくるわけではない。冒頭で「およそ数学を得意とする方々は、言葉の定義や意味を人一倍大切にします」(3 ページ)と書かれているが、およそ仕事の文書というのは論理性が要求されるから、必要な用語の定義は必ず記載されるものである。文系の文書とされている契約書も然りである。法律条文にしても、第1 条に目的が書かれており、その直後に用語の定義が記載されるものである。言葉の定義が大切という点で、14 ページでは「平均」が複数あることを紹介している。相加平均、相乗平均、調和平均、と様々な平均があることを思い出そう。三段論法にも、「定言三段論法」「仮言三段論法」「選言三段論法」の 3 つがある(132 ページ)。缶ビールに「飲酒は 20 歳を過ぎてから」と書いてあるが、字義通り解釈すると「21 歳以上」となる。そこで、芳沢さんは「飲酒は 20 歳になってから」に直すべきと提案する。これらは屁理屈ではない。用語の定義通り運用しないと、相手に意図が伝わらない恐れがある。芳沢さんは、物事を多角的に見ることが大切だと説く。単に数式を提示するのではなく、「図形的なものは縮図や拡大図、統計的なものは棒、折れ線、円、帯の各グラフ、数えることは樹形図、そして集合的なものは本項で扱ったベン図を用いるとよい」(58 ページ)とアドバイスする。ちなみに、関数のグラフを考案したのはデカルトだそうだ。言葉の定義とともに、数学では公理や定理が大切だ。芳沢さんによれば、これらの規則は「無用なトラブルや混乱を回避するため」(145 ページ)に設けたと捉えておくべきという。そして「数学では、規則(公理)が許すギリギリのところで面白い結果を得ることがよくあります。これは、ビジネスの世界でも同じではないかと思います」(149 ページ)と語る。経験上、用語と規則を正しく運用し、ど真ん中を進むのは大企業。境界ギリギリを進むのが中小零細企業だと感じる。ネットでは、野党の「ブーメラン」やマスコミの「偏向報道」で炎上することが多くなっているが、これらは概ね、言葉の定義と規則の運用を無視した結果である。仕事で同じ失敗をしないよう、他山の石としたいものである。
2017.09.11
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AIが人間を殺す日 「今から30年以上も前に発見された人工知能の根本的問題が、いまだに解決されないまま残されているのだ」(230ページより)著者・編者小林 雅一=著出版情報集英社出版年月2017年7月発行著者は、作家・ジャーナリストで、情報セキュリティ大学院大学客員准教授の小林雅一さん。『AI の衝撃 人工知能は人類の敵か』など、人工知能に関する評論書を複数刊行している。本書は、グーグルやテスラが開発している自動運転車、IBM の人工知能ワトソンを応用した自動医療診断、そして軍事の 3 つの分野を概観しながら、人工知能の限界について解説している。『AI が人間を殺す日』という扇動的なタイトルはともかく、人工知能が万能ではないことを、あらためて確認することができた。まず、グーグルやテスラなどが開発にしのぎを削る自動運転であるが、これは、交通法規に従うために古典的なルール・ベースの AI を利用しており、さらに不測の事態に対応するために統計・確率ベースの AI に加え、センサーから入ってくる様々な情報を処理するために最新のディープラーニングも搭載しているという。それでも事故はゼロにできない。小林さんは、「『正規分布(理論)上は起こり得ない』とされることが、現実世界では意外に高い確率で起きる」(99 ページ)から、原理的に事故の回避は不可能だという。2 つ目は、医療分野における自動診断だ。『IBM 奇跡の“ワトソン”プロジェクト』(スティーヴン・ベイカー、2011 年(平成 23 年)10 月)では、クイズ王に勝つことを目的に開発された AI「ワトソン」だが、毎年 150 万本も発表する医学論文を全て学習し、いまや専門医より知識を蓄えた医療AI に成長している。実際、東大では抗癌剤が効かない患者が珍しいタイプの白血病であることを言い当て、薬の種類を変えることで患者は回復した。だが、AI による診断は、診断過程の論理が見えにくいという欠点がある。また、学習するために膨大な量の個人情報(診療情報)を集めているということも、小林さんは問題視する。3 つ目の人工知能搭載兵器だが、軍事機密の壁があるとはいえ、取材の甘さが気になった。スマート核兵器に対するアンチテーゼを提起はしているものの、それと人工知能の関係については材料が乏しいように感じる。30 年以上経った現在も「モラベックのパラドックス」が解決しないのは、AI に関わる数学的な理論が進歩していないからではないか。小林さんは「AI がもたらす真の脅威とは、それが人間を殺すことではなく、むしろ人間性を殺すことなのかもしれない。私達はこれを瞥戒する必要があるのだ」(234 ページ)と結ぶが、私は順序が逆だと思う。人間が人間性を失うような方向へ進むとき、科学の申し子である AI もまた、人間性を失ってしまうのではないか。最後に小説フランケンシュタインが紹介される。小林さんは「暴走する科学技術と人間との悲劇的な関係を描いている」(235 ページ)と語るが、私の考えは違う。作者のメアリー・シェリーの母は、メアリーを産んだことで死んでしまった。また、メアリー自身も詩人パーシーと恋に落ち妊娠するが、赤ん坊は産まれると、すぐに死んでしまった。二度目の妊娠で長男を授かったとき、メアリーはフランケンシュタインを書き、この作品を「私が産んだ忌まわしい子ども」と呼んだからだ。フランケンシュタインは善良で傷つきやすい性格として描かれた。そう、科学は善良で傷つきやすいがゆえに、人類の敵ではないにもかかわらず、ときに忌まわしい存在となるのではないか――それが、30 年以上にわたって人工知能に接してきた私の感想である。
2017.09.04
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素数はなぜ人を惹きつけるのか 「原子核はゼータ関数に支配されているんですか?」「超ひも理論もゼータ関数と関係してるんですか?」(169ページ)著者・編者竹内薫=著出版情報朝日新聞出版出版年月2015年2月発行著者は、サイエンス作家で、ミステリー作家「湯川薫」としても活躍する竹内薫さん。ベストセラーになった『99.9%は仮説』(光文社新書)の著者でもある。本書には数式も登場するが、ゼータ関数がどれか、視覚的に把握しておけば楽しめる趣向になっている。これから数学を研究しようという学生さん、SF 大好きなお父さんにお勧め。なぜ、13 年ゼミと 17 年ゼミは大発生するのか――かつては 10 年ゼミや 12 年ゼミもいたらしい。素数が生存戦略に有利に働いた結果である。われわれ、システム開発の仕事をしていると、素数が暗号と深い関係にあることを知っている。だが、公開鍵暗号方式の仕組みを分かりやすく語れる技術者は少ない。竹内さんが、「数学者ジェームズ・エリスという人物であり、具体的な暗号を発明したのがクリフォード・コックスという人物でした。しかし、彼らの発明は公表されることはありませんでした」(68 ページ)と紹介しているとおり、もともとは軍事技術であったものだ。素数の発生数をグラフにすると、階段状になる。この「素数階段」を忠実に再現できるのが「リーマンの公式」だ。リーマンの公式には「ゼータ関数」と呼ばれる関数が含まれている。知っている人には、ここから話が面白くなる。SF の大道具として登場する「ダイソン球」の提唱者であるフリーマン・ダイソンは、重い原子核のエネルギーを表す公式「エネルギー準位」とゼータ関数の関連性に気付いた。また、究極理論と呼ばれる「超ひも理論」の証明にもゼータ関数が登場する。竹内さんは、「人類がまだ知らない法則みたいなものが、このゼータ関数に隠されているのではないか、というミステリアスなイメージを抱かざるを得ません」(96 ページ)と語る。もちろん、東京工業大学の「素数ネタ」も紹介されている(爆笑)。そして、最後のオチは――本書を手に取って、背表紙に記されている。通巻番号をご覧下さい。
2017.07.06
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超巨大ブラックホールに迫る これからは重力波天文学が花開くでしょう。(167ページ)著者・編者平林久=著出版情報新日本出版社出版年月2017年2月発行著者は、東京大学東京天文台(現・国立天文台)で野辺山電波天文台建設計画にかかわり、宇宙科学研究所に移って電波天文衛星「はるか」プロジェクトを成功に導いた平林久さん。電波天文学や計測機器に関する難しい話ではなく、電波天文学の発展に平林さんご自身の半生を重ねた、読みやすい科学書だ。ついでに言うと、宇宙背景輻射が発見された年に産まれた私は、本書の時系列の中に自分の歴史を重ねて読むことができた。私は中高生時代、毎夏、野辺山の近くで天体観測をしていた。この頃、FM電波を使った流星の観測を行っており、電波天文学とまではいかないにしても、アマチュア天文家として電波による天体観測には関心があった。平林さんが東大時代に心血を注いだ野辺山宇宙電波観測所の「45m ミリ波望遠鏡」と「10m 5素子ミリ波干渉計」が完成したのは、最後に観測に行った年だった。私は大学へ進学し、電算機やパソコンを利用できるようになると、人工衛星の軌道計算や電波干渉計の解像度の計算が簡単にできるようになる。「NASA の JPL(ジェット推進研究所)の電波天文学者のジェリー・レヴィさんが、TDRS衛星 1 号機の優れた通信能力をうまく使いこなせば、スペース VLBI の実験ができることに気づいていました」(60 ページ)という時代だ。私は、地球の直径より大きな干渉計が誕生することにワクワクさせられた。平林さんは、人工衛星を使った電波望遠鏡プロジェクトを、ブランデーにちなんで「VSOP計画」と名付けた。そして、時代は昭和から平成へ――平林さんは、こう振り返る。その 1989 年の 1 月、「新宿を歩いていると、駅近くのビルの電光掲示板に、新しい元号が「平成」と決まったと流れました。「『ひらなり』と読むのかな、なんだかのんびりの名前だな」と思いましたが、「へいせい」と読むのだとわかりました。ラテン系の人は h を発音しないので、「へ」は「え」となります。「ああ、僕らの『衛星』元年だな」と思いました。(69 ページ)このころ、私はシステム技術者として飯を食っていくことになる。忙しいプロジェクトの中でユーモアを忘れない姿勢は大切だ。世界初の VLBI電波天文衛星 Muses-B こと「はるか」は、1997 年 2 月、打ち上げられる。45m ミリ波望遠鏡は縁結びの神様である。2001 年 3 月、仕事でアラスカへ行き、オーロラ観測をする。電波天文学とは違うが、オーロラを再現するために可視光の波長分析をしたり、興味深い経験をした。この頃になるとパソコンの性能が向上し、波形解析のスピードも飛躍的にアップした。「はるか」の研究現場も同じだったに違いない。こうして「はるか」プロジェクトは 2006 年 3 月に完了し、翌年、平林さんは宇宙科学研究所を定年退官される。さて、オーロラ観測に行った時、よちよち歩きだった子どもは、友だち同士で野辺山まで旅行に行くようになっていた。構想から 20 年、「はるか」プロジェクトの皆さん、本当にお疲れさまでした。「はるか」は遠方銀河の超巨大ブラックホールの観測もしたのだが、平林さんは最後に、「これからは重力波天文学が花開くでしょう」(167 ページ)と書いている。電磁波とは違う「波形」の観測・研究を後進に託しているような感じだ。平林さんは剣道の有段者だ。忙しい仕事の合間を縫って、六段まで進んでいる。2005 年 12 月、イギリスを訪問した平林さんは、「実際にホーキング博士にお会いして、思い知りました。研究生活をし、気分を転換し、肉体を動かし、稽古ごとなどに励める自分は幸せなのだと。このことを大事に生かさなければいけないと思いました。自分はがんばらなければならない。もっと知的でなければ、など、と」(170 ページ)と記している。私は、来日したホーキング博士にお会いしたが、そのときは、IT 技術の可能性に舌を巻いた。平林さんは引退されたが、私の現役生活はまだ続く。私もまた、電磁波とは異なる「波形」解析の仕事に着手している。IT 技術と組み合わせることで、これからも人類の可能性に挑戦していきたい。そんな 2012 年夏、家族で野辺山を訪れ、野辺山宇宙電波観測所を見学した。
2017.06.15
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科学報道の真相 ジャーナリズムにおける客観性とは検証の規律を意味している。(243ページ)著者・編者瀬川 至朗=著出版情報筑摩書房出版年月2017年1月発行著者は、毎日新聞で科学環境部長、編集局次長などを務めた瀬川至朗さん。なぜ新聞・テレビの報道で失敗がおこるのか。そして市民の不信感を起きおこすのか――この課題に対し、STAP細胞、福島第一原発事故、地球温暖化という 3 つの題材を取り上げ、各々の報道された内容を具体的に分析し、ジャーナリズムの原則を導いていく。第一の STAP細胞については、「メディアはなぜ見抜けなかったのか」という視点で考察する。マスメディアは、理化学研究所という「権威」による記者発表を信用し、科学誌掲載という水準を超えて大々的に報道していた。その後も、研究不正のことは逐一報道したものの、マスメディア自身の「誤報」についての自己検証はおこなっていない。第二の福島第一原発事故では、「大本営発表報道は克服できるのか」という視点で考察する。事故発生当初の原子炉内の炉心浴融に関係して、マスメディアの初期報道は、政府・東京電力の記者会見の内容にほぼ沿った「発表報道」になっていた。記者会見をする原子力安全・保安院と東京電力は炉心「損傷」という言葉を使って事故の楼小化を図り、新聞報道も「本格的な炉心溶融はおきていない」というメッセージを読者に伝えた。新聞別では、朝日・毎日の二紙と読売・日経の二紙のあいだで、興なる言説を読み取ることができた。「全電源喪失」事故については、東電の「想定外」という認識を、マスメディアもそのまま踏襲した報道がつづいている。第三の地球温暖化では、「公平・中立報道」が意味するところを考察する。科学的な不確実性が指摘され、温暖化懐疑論も主張されるなかで、地球温暖化報道における公平さや中立性は絶対的なものではなく、「科学者集団からみた公平さ」「市民からみた中立性」というように、特定の立場や視点に依存した相対的なものであることをしめした。また、日本のマスメディアにおいて懐疑論の報道が少ないのは、IPCC という公的組織にたいする権威としての信頼、が背景にあることが推察された。これらに共通してみえてくるのは、日本のマスメディア(とりわけ中央の新聞・テレビ・通信社)が政府や電力会社、科学コミュニティ、科学者グループといった権威に重きをおき、権威からの情報を発表報道している姿である。もちろん、個々には明確な問題意識をもつ記者が優れた報道に取り組んでいるケースはある。ここで指摘しているのは、マスメディア報道のメインストリームとして、権威に依拠する発表報道が多いという点である。また、自身の経験から、記者や編集者が実際の仕事において強く意識するのは、読者としての一般市民ではなく、競争相手としての同業他社であり、他社の記者・編集者であるという。瀬川さんは、コヴアッチらの著作『ジャーナリズムの原則』を取り上げ、ジャーナリズムの原則は、「3.ジャーナリズムの核心は検証の規律である。【検証】」「4.ジャーナリズムの実践者は取材対象者からの独立を維持しなければいけない。【独立性】」の 2 つであると指摘する。製造業に携わっている身として、製品の品質水準として、常に validation と verification が求められる。前者は、規格・基準に沿っているか顧客要求に合っているかを検証すること。後者は正しく動作するかの検証である。ジャーナリズムもコンテンツという製品を世に送り出しているのだから、当然、validation と verification が求められるべきだろう。verification は校正といったところか。瀬川さんが指摘するのは、validation の方である。
2017.05.21
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善人ほど悪い奴はいない 善人は弱いことを自覚しているからこそ、最も卑劣で姑息なやり方で権力を求める。つまり、彼らは「数」に訴えるのである。(123ページ)著者・編者中島義道=著出版情報角川書店出版年月2010年8月発行テレビのコメンテーターや、ツイッターで入ってくるメッセージに違和感を覚える。こういうとき、しっかりした哲学を持っていないと、状況に流されかねない。まずは、ニーチェの復習だ――というわけで、怒れる哲学者、中島義道さんの作品を読むことにした。中島さんは、弱者をこう定義する――「弱者とは、自分が弱いことを骨の髄まで自覚しているが、それに自責の念を覚えるのでもなく、むしろ自分が弱いことを全身で『正当化』する人」(10 ページ)。そして、「何もしないで、たえず文句ばかり、しかも紋切り型のきれいごとばかり語っているのが善人」(36 ページ)としたうえで、ニーチェの善人批判論をテーマに、「ただ口先で『世の中おかしい』と言っているだけの人は、じつのところ悪徳商法の大家より、振り込め詐欺のプロより、道徳的に悪い。なぜなら、あらゆるスリや泥棒やサギ師は少なくとも自分が『悪い』と自覚しているが、彼らはそういう最低の善悪の自覚さえないのだ」(34 ページ)と断罪する。さらに、「善良な弱者は、もしうまくチャンスがめぐってきたら、自分も似たような悪事に走ったかもしれない、という自己批判的観点が完全に欠如しているほど自己観察眼が足りないアホ」(68 ページ)と追い打ちをかける。そういえば、作家で俳優の筒井康隆さんが『笑犬樓よりの眺望』で同じことを述べていた。中島さんは、「いつの時代においても、けっして自己批判をしない。『みんな』と同じ行動をとることに一抹の疑問も感じない」(140 ページ)といい、「こういう「幻想的平等主義」を教え込んだ張本人がいる。それは、自分は穴に隠れてこそこそ大衆を操作している卑劣きわまりない毒蜘妹たち」(133 ページ)と指摘する。ニーチェが言うタラントゥラである。「テレビの恐ろしさは、これほどの、まさに全体主義国家顔負けの『規制』がかかりながら、視聴者のほとんど(すなわち善人)にそれを気がつかなくさせてしまうことである」(13 ページ)そうだ。テレビのコメンテーターや、ツイッターで入ってくるメッセージは、善良な弱者なのだ。だから気持ちが悪い。本書は哲学書である。ハウツー本のように答えが書いてあるわけではない。読了して、感じたこと、考えたことは十人十色だろう。だが、それで良いのだ。その時点で、「『みんな』と同じ行動をとることに一抹の疑問も感じない」善良な弱者からは卒業である。
2017.05.05
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笑犬楼よりの眺望 あたしゃ、キれました。プッツンします。(429ページ)著者・編者筒井康隆=著出版情報新潮社出版年月1996年8月発行SF 作家であり俳優の筒井康隆さんが、『噂の真相』に約 10 年連載したエッセイ集。社会を揺るがす騒ぎになった「断筆宣言」をもって、この連載は終結する。およそ 30 年前の世相をネタに書かれているのだが、筒井康隆さんの筆は、マスコミの報道姿勢を批判し、出版不況を憂う。まるで 21 世紀の今の社会を風刺しているかのようだ。さすがは SF 作家だ。愛煙家である筒井さんは、禁煙運動に疑問を呈する。「煙草というのは人間を情緒的にする偉大な発見であった。だが、それをよいことにして喫煙者いじめがどんどん進行すれば世の中はどうなるか」(196 ページ)。「喫埋者に対してあれだけきびしく非難していながら、飲酒者に対して甘いのはなぜか」(198 ページ)。筒井さんは、いわゆるオタクに対して好意的である。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に際しては、「現実にいちばん影響をあたえ、現実がいちばん真似しやすい虚構とは何かといえば、それは言うまでもなくテレビ・ドラマ、特にホーム・ドラマである」「これらの虚構から悪影響を受けている人間の数の多さは、いうまでもなくアニメ・ファンの数の比ではないのである」(268 ページ)。「自分の心や平凡人の中にひそむ悪を怖いと思わないからこそ、のっペらぼうで画一的な社会になり、ミヤザキが逮捕されたとなるとミヤザキのことが連日報道される」(264 ページ)。だが、政治家に対しては容赦ない。リクルート事件に関わる国会証人喚問では、「リベート金額の非常識さを逆に証人から指摘されてととはを失い、笑い声や野次のため完全にうろがきてしまった。他の野党にも言えることだが、独自の調査をせず、新聞記事にばかり頼るからとういうことになる」(249 ページ)「野党はもっと頭のいい悪人を質問者に立てなさい」(251 ページ)マスコミの姿勢に対しては、俄然、筆が鋭くなる――「田中角栄に端を発する、マスコミの、偉いひといじめ、強いひといびりである」(67 ページ)、「差別をなくすための用語規制というのはその社会の文化的背景まで破壊するととになり、未開度が逆に進行するだけなのだ」(101 ページ)、「マスコミだけでなく日本人全体に、いじめた側を制裁することによって何かが自分の身にはね返ってくるのを恐れる感情があるように思えてならない」(114 ページ)、「泣いている遺族に向かって「今のご感想は」と訊ねる精神たるや、どのように荒廃した精神なのであろう」(224 ページ)、「おれが言いたいのは「反権力」というジャーナリスティックな姿勢もまた「権力」であるというととだ」(259 ページ)、そして、1993 年(平成 5 年)9 月、「重ねて申しますが、是非ど理解戴きたいのは、てんかんを持つ人に運転をしてほしくないという小生の気持は、てんかん差別につながるものでは決してないということです。てんかんであった文豪ドストエフスキーは尊敬するが、彼の運転する草K は乗りたくないし、運転してほしくないという、ただそれだけのことです」(425 ページ)と書いた翌月、「あたしゃ、キれました。プッツンします」(429 ページ)と「断筆宣言」する。筒井さんは、最後に、「これは現在の『ことば狩り』『描写狩り』『表現狩り』が『小説狩り』に移行しつつある傾向を感じ取った一作家のささやかな抗議である。おわりに、強く言う。文化国家の、文化としての小説が、タブーなき言語の聖域となることを望んでやまぬことを」(432 ページ)と締めくくった。本文から一部引用しただけだが、どうだろうか。2017 年(平成 29 年)の現代にも通用する省察ではないだろうか。筒井さんは、時々、Twitter に投稿をしている。「俺が断筆宣言した頃と何も変わっちゃいねーな」と苦笑いしているにちがいない。巻末に、『噂の真相』編集者の岡留安則さんによる、少し長めの解説が収録されている。この中で、中野サンプラザにおける「筒井康隆断筆祭」のエピソードが書かれている。『噂の真相』の永久スポンサーで、このイベントに 2 千万円のカンパをしたビレッジセンター社長・中村満さんの話を耳にし、私はこの頃から同社のソフトウェア「VZ エディタ」のユーザーとなった。この原稿も、後継ソフト「WZ エディタ」で書いている。肉筆だろうがワープロだろうが、書いた人の心が宿る文章は本物である――。
2017.05.04
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経営チーム革命 グループリーダーでも部長でもひとりで課題を抱えて苦しんでいる状態がけっこうありますが、他人と相談すればすぐ解決できるというものが多いものです。特に技術者に関しては、そのあたりに無器用な人が多い‥‥(170ページより)著者・編者長野恭彦=著出版情報日本経済新聞出版社出版年月2011年10月発行著者は、スコラ・コンサルトのプロセス・デザイナーで、経営者、役員、部長からなるチームをつくり、事業コンセプトの創出と実行による変革のプロセスコンサルテーションを実施している長野恭彦さん。本書は、「既存市場における成長の限界が見えている企業、競争力を失った事業の革新を課題に持つ企業、『効率追求』から『価値創造』の経営パラダイムへと転換が求められている企業、あるいは事業部門」(88 ページ)を対象に、トップと部長層から成る「戦略的経営チーム」による問題解決方法を提案する。長野さんは、右肩上がりの安定した経営環境の時代は終わりを告げ、経営と現場の橋渡しとなるべき部長が機能不全に陥っていると指摘する。私も部長職にあるので、経営と現場にの間に矛盾があることは承知している。長野さんはこれらの矛盾を、「理屈と現実」「全体と部分」「管理と自由」という分かりやすいキーワードで整理し、「部長どうしがお互いに連携することができずに、それぞれが『ひとりで頑張る』ことが当たり前になっている状況が問題の本質」(73 ページ)と指摘する。また、多くの部長と接してきた経験から、マネジメントができていないという部長が多いということを挙げる。そして、「実務とマネジメントでは求められる能力が異なります」(119 ページ)と指摘した上で、マネジメントに関する習慣を身につける環境を提案する。第4章は、設計プロセスを改善して半期で 8.5 億円の削減を達成したメーカー事例を紹介する。部署横断の CFT(Cross Functional Team)を立ち上げ、徹底的な情報共有を行うことで、迅速に問題解決できる体制を構築した。長野さんは「グループリーダーでも部長でもひとりで課題を抱えて苦しんでいる状態がけっこうありますが、他人と相談すればすぐ解決できるというものが多いものです。特に技術者に関しては、そのあたりに無器用な人が多いので、せっかくいいコンテンツを持っていても、宝の持ち腐れになりがち」(170 ページ)と指摘する。第5章は、市場が成熟して本業が先細る自動車整備会社の事例である。社長を交えたワークショップを行い、自分たちの未来を語り合うことで、あらたしい「事業の軸」が形になっていく。新しい事業の軸を現場に展開したときの現場の抵抗と、そのフォローも紹介している。第6章は、チームで「事業の軸」を定めるワークショップを行った天竜精機の事例だ。ワークショップが煮詰まったとき、顧客視点に立ち返った。長野さんは、「メーカー側からの固定的な視点で見ているだけでは、性能と価格の追求に入りこむばかりです。それが、お客様側からの視点に立ってみると、まったく別の見え方ができたのです。新しい製品コンセプトが生まれた瞬間」(225 ページ)と記す。巻末には、「人間関係の身体能力を高める『部長』のタテヨコ連携 49 のコツ」が示されている。肝心なのは、本書に記されていることを、1 つでも多く実行してみることだろう。さて、明日からの仕事で、どれから実行してみようか――。
2017.02.28
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医師の心を開く「対話力」 自分の売ろうとしている商品が、最終的には患者さんのためになると心得て、活動を行っていただきたいと思います。(130ページ)著者・編者佐藤望=著出版情報幻冬舎メディアコンサルティング出版年月2013年7月発行著者は、持田製薬やフィリップスで医療機器の営業を経験し、「医療業界に新しい風を」をモットーに株式会社メデイカ・ラインの代表取締役として、医療機器の販売、病医院の開業・開設および医業経営コンサルティング業務などを中心に事業を展開している佐藤望さん。かつて、医薬品メーカーのプロパーは価格決定権を持ち、潤沢な営業経費を使って設定営業を行っていた。現在は様々な規制や研修医制度の変化で、こうした営業はできなくなっているが、それでも佐藤さんは医療営業の原点は当時の営業スタイルにあると言う。「医療業界の営業マンがすべきことは、医師たちが入手することが難しい、これらの大切な情報をカバーし、手の届きにくい分野のお手伝いをすること」(37 ページ)と述べる。最後に、4 人の医師が求める医療業界の営業マンの姿が紹介されている。本書を通じて感じたのは、医療業界の営業マンは数字を上げるのが目的ではなく、医療者の一員として患者をサポートしていくということである。そのために医師の話に耳を傾けることが、結果的に対話力となって身につくのである。
2017.02.26
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ゴーン道場 私の考えではリーダーを際立たせる資質は3つあると思います。モチベーションを喚起すること、信頼を得ること、成果を示すことの3点です。(117ページ)著者・編者カルロス・ゴーン=著出版情報朝日新聞出版出版年月2008年11月発行著者は、日産を V 字回復に導いたカルロス・ゴーンさん。インタビュアーにゴーンさんが答える形で、職場における部下・上司・新人・女性社員の育て方から、営業や研究者のマネジメント、リーダーの育て方や、子育て、家族にまで話が及ぶ。冒頭、リーダーに求められる最も重要な能力は「共感能力」(18 ページ)だと指摘。「直接対面が苦手なためにメールを多用しているなら、マネジメントには向かないでしょう。マネジメントは人との対話ですから」(73 ページ)ともいう。自分のこととして注意したい。さらに、「一般に女性の方が共感能力は高いので、マネジメントに向いていると気づいてほしいですね」(104 ページ)とも、ゴーンさんは女性に優しい。中間管理職については、「単に上からのメッセージを下に伝えることではありません」「間に立つことでそのメッセージを豊かにする。それが、彼らが生み出す付加価値です」(76 ページ)と指摘する。なるほど。研究開発に対しては、「革新的で創造的なものづくりができる環境をつくるには、第一に目的を共有することが大事です。全員が理解できて、意欲を持てる目的がなければなりません」(78 ページ)という。また、家では仕事の話をしないというゴーンさんは、「家族が議論するなかで、子どもは理性を働かせ、自分の立場やスタンスもわかってくる。テーマは何でもいいんです。議論するというプロセスが大事で、これが将来、子どものためになるんです」(169 ページ)という。たいへん論理的な見解だが、パリ国立高等鉱業学校という工学系職業専門学校を卒業しているという経歴ならでは。現場に立脚した明快な哲学には、はっとさせられた。
2017.02.25
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数学的思考法 目先の「効果」ばかりを重視する「条件反射丸暗記」の計算で数学力が上がるなどという幻想を、まずは捨てていただかなければならない。(8ページより)著者・編者芳沢光雄=著出版情報講談社出版年月2005年4月発行著者は数学者の芳沢光雄さん。1999 年(平成 11 年)、『分数ができない大学生』に執筆参加した。全体にわたり、難しい数式などは一切無く、数学の答案採点などの事実に基づいて論理的に首尾一貫した主張が展開される。日々、勉強や仕事、家事に追われる皆さん、少し立ち止まって「数学的に考える」ことをしてみようではないか。冒頭、数学で学ぶ考え方のなかには、経済やビジネスだけでなく、社会問題であれ政治的問題であれ、身のまわりのさまざまな問題を考えるときにヒントになるものがたくさんあると説き、「目先の『効果』ばかりを重視する『条件反射丸暗記』の計算で数学力が上がるなどという幻想を、まずは捨てていただかなければならない」(8 ページ)と指摘する。たとえば数学力が高いとされるインドの教育を取り上げ、「本当に注目すべきことは、日本と比べて内容面でのレベルが高いことではない。『証明力』を鍛えるという姿勢が、初等学校から大学入試まで一貫しているということである」(28 ページ)と指摘する。芳沢さんは、「日本は『結論だけ症候群』に陥っているように見える。話す側もそうだが、聞く側も『結論だけ』しか求めていない人が大半なのではないだろうか」(47 ページ)と批判する。何が事が起きてから説明する「結果論的思考」ではなく、苦労が多くても、計画を立てたり、戦略を練ったりする「戦略的思考」をすべきだと説く。勉強や仕事の計画を立てるのは苦痛でも、旅行や好きなことを計画することを週刊にしてはどうだろうか。第3章では、数学的思考のヒントとして、要因の個数、置換、同型、類別、場合分け、相関図などを、実生活で使う場面を紹介しながら解説している。芳沢さんは、数字にはアナログ型とデジタル型の 2種類があり、扱い方が違うと指摘する。前者は計測値のように、時間などによって連続的に変化する数字。後者は ID番号などの離散的な数字を意味する。これには、目からうろこが落ちた気がした。プログラミングでは無意識に区別していたが、あらためて型宣言が大切なことを認識した。第4章では、論理的な説明について解説する。テレビに出演する批評家たちの説明が、なぜ説得力を持たなくなったかは、本章を読めば一目瞭然となる。芳沢さんは、「日本で時間の軸をあまり重視しない原因のひとつに、歴史教育があるかもしれない」(189 ページ)としたうえで、「日本の教科書は主として『何年に何が起こったのか』という事実の羅列であって、『だからその出来事が起こって、ぞれが新たな展開の萌芽となる』という流れるような記述があまり見られない」と説く。これまでも歴史年号暗記の問題は指摘されてきたが、ここまで論理的かつ明快に指摘した文章は見たことがない。また、「いろいろな説明文を書いていくうえで最も重要な能力は、「誤りや足りない点を見つけて修正する力」である。その能力が十分に備わっていれば、デタラメな文を最初に書いたとしても、最後にはきちんとしたものになるのだ」(186 ページ)とも書いている。これほど分かりやすい文章にまとめるには、芳沢さんにおいては、相当な時間を費やされたこととお察しする。世の中、目先の結果を求める流れが優位となっているが、せめて自分が自由になる時間を使って、「数学的に考える」時間をもっていきたいものである。また、世の中の先生や職場の上司にお願いしたい。生徒や部下に、「数学的に考える」時間を与えてあげてほしい。
2017.02.22
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スカラムーシュ・ムーン 野坂教授「背負うことができない人のところには重荷はこないものなのです」(132ページ)著者・編者海堂尊=著出版情報新潮社出版年月2015年7月発行『チーム・バチスタの栄光』から 10 年。医師で重粒子医科学センター・ Ai 情報研究推進室室長の海堂尊氏が描く「桜宮サーガ」が終わる。これまでのシリーズを読んできた人はニヤリとするだろうし、本書が初見の人は、微に入り細を穿った舞台設定に舌を巻くことだろう。設定や登場人物が、現実世界のカリカチュアであることは言うまでもない。冒頭、裁判人が老医師に対し、「この者を獄へ繋げ。病気で苦しむ民草を見過ごすとは何事だ。旅人が死んだのはお前のせいだ」と裁きを下す。これに対し老医師は、「それは確かに私の罪です。でも無料で薬を分けたりしたら、病院は潰れてしまいます」と答える――「桜宮サーガ」の根幹を流れているのは、医療と司法の対立構造である。医療界のスカラムーシュ(大ぼら吹き)彦根新吾医師が本書の主人公だが、これは海堂尊先生ご本人なのではないだろうか――。加賀にある養鶏会社ナナミエッグを、彦根新吾が訪問する。インフルエンザ・ワクチンの培地として、ナナミエッグに大量の有精卵を製造してほしいというのだ。応対したのは、ナナミエッグの社長の娘であり、加賀大学大学院に通う名波まどか――。会社を精算することを考えていた社長は、娘に新事業の立ち上げを託した。かくして、大学院の研究課題として、幼なじみのの真砂拓也、獣医学部の鳩村誠一の 3 人が、この事業立ち上げに着手する。インフルエンザワクチンの培地として自社の卵を供給することをこばむ父を見て一時は諦めたまどかに対し、ワクチンセンターの宇賀神総長は「ヒトを助けるためにはニワトリを犠牲にしなくてはならないとともあるのや」と真実を告げ、ついに事業がスタートする。『ナニワ・モンスター』のキャメル騒動はまだ終わっていなかった。ワクチンセンターの宇賀神義治所長とまどかの父との因縁とは。暗躍する浪速市の村雨知事と、カマイタチこと浪速地検特捜部副部長・鎌形雅史――彦根は、これら一癖も二癖もある連中と対峙しながら、極北市民病院の院長を務める世良雅志を訪れ、モンテカルロのエトワール・天城雪彦の遺産への鍵を受け取る。モンテカルロからジュネーヴ、ベネチアへ飛ぶ。帰国した彦根を待っていたのは、警察庁情報統括室室長の原田雨竜だった。すべてのシナリオが無に帰そうとしたその時、彦根たちを救ったのは、『イノセント・ゲリラの祝祭』でデモに巻き込まれたひとりの元医師だった。空港で雨竜の渡米を見送った彦根は、桧山シオンと 2 人たたずむ――「気がつくと、二人のシルエットは消えていた。そう、すべては夢まぼろしのように」(409 ページ)。海堂尊先生の旅は、まだ続きそうだ。
2017.02.18
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ムーンショット! ムーンショットとは、シリコンバレーの用語で、「それに続くすべてをリセットしてしまう、ごく少数の大きなイノベーション」のことをいう。(6ページ)著者・編者ジョン・スカリー=著出版情報パブラボ出版年月2016年2月発行著者は、ペプシコーラの事業担当社長からアップルの社長に転身した実業家のジョン・スカリーさん。1995 年(平成 7 年)、弟らとともに投資コンサルタントのスカリー・ブラザーズを興し、現在も起業家、メンターとして精力的に活動している。タイトルとなっている「ムーンショット」とは、シリコンバレーの用語で、「それに続くすべてをリセットしてしまう、ごく少数の大きなイノベーション」(6 ページ)のことを言うそうだ。スカリーさんは本書で、10 億ドル規模のビジネスのコンセプトを作るためにムーンショットが必要だと説く。そして、「ムーンショットは『高い志』、すなわち世界をより良い場所にしたいという思いから始まる。それは売上高や利益で測れる目標ではない。もっと高い次元にある」(73 ページ)という。さらに「10 億ドル規模のビジネスのコンセプトづくりでもっとも重視しなければならないのは、抜きんでた顧客の経験価値をつくりだすということだ」(174 ページ)と畳みかける。なぜ顧客視点を重視するかというと、スカリーさんがターゲットに据えているのは、2020 年(平成 32 年)には 20 億人以上になると言われている新興国のミドルクラスだからだ。また、自らがアップルを追われたことを振り返り、「起業家を目指すのであれば、どこかの時点で、必ず大きな失敗をすると肝に銘じておこう。どれだけ才能があっても関係ない。絶対に大きな失敗を経験する」(272 ページ)と言う。また、現在自身がメンターを務めていることに触れ、経営者がリスクを複眼的に見るためにメンターが重要な役割を果たすことを述べる。ただし、「メンターは、決断するプロセスに入りこんではいけない」(278 ページ)と釘を刺す。いささか自家薬籠的な論理ではあるが。最後に、「適応型イノベーターが知っておきたい 6項目」「革新的なビジネスをつくりあげる 10 原則」を列挙して締めくくる。いささか自家薬籠的な論理が鼻につくが、納得できる部分もあり、兎にも角にもアメリカ人の前向きな姿勢には頭が下がる。私も残りのサラリーマン人生を、こういう気持ちで過ごしたいと感じた次第。
2017.01.31
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皇太子誕生 たとえ病院はボロであっても、中身は日本一といわれる病院にしたい。(138ページより)著者・編者奥野修司=著出版情報文藝春秋出版年月2001年11月発行著者はフリー・ジャナリストの奥野修司さん。『ねじれた絆 赤ちゃん取り逃え事件の 17 年』『隠蔽 父と母の〈いじめ〉情報公開戦記』など、出産に関するルポルタージュを上梓している。本書は、皇太子殿下(今上陛下)と妃殿下(皇后陛下)の結婚から、浩宮(皇太子殿下)、礼宮(秋篠宮殿下)、紀宮(黒田清子さん)の出産に関わる医師、助産師、事務官、そして医療機器メーカーの奮闘の記録である。浩宮誕生から 40 年を経て書かれたため、すでに他界している人物も多く、資料も散逸している。だが、当時のわが国の産科医療を知り、現在の医療水準との差異を知るメルクマールとして、たいへん参考になる。昭和 21 年から始まったベビーブームで、わが国の人口は 15%も増えた。その影で、赤ちゃんの 1 割近くが死んだという。「赤ちゃんの死亡率が減少するのは、閉鎖型保育器と蘇生器(陰陽圧式レスピレーター)と、そして当時の産科領域で ME 機器を代表する分娩監視装置の普及に拠っていた。この 3 つがかろうじて揃ったのが昭和 35 年の浩宮誕生のときだった」(40 ページ)という。東大が胎児危険予知のために試作していた胎児の心音を記録する「胎児心音監視装置」が、浩宮の誕生の際、日本ではじめて使われることになった。昭和 34 年 4 月 10 日の御成婚パレードから数カ月後、皇室初の病院出産を成功させるためのプロジェクトが静かに動き始めた。だが、天皇家の脈をみるのは当学の教授だとプライドを持つ東京大学、その役目は伝統的に御用掛だとする宮内庁、さらに宮内庁病院の思惑も絡み、プロジェクトチームの組成は難航を極める。そんな中、宮内庁病院の主とも呼ばれた目崎鑛太医師が調整役を買って出る。「当時の医師たちは小児科医、産婦人科医という学閥を取り払い、持ちうるかぎりの知識と技術を集めようとした。美智子妃の出産は、いわば日本の産婦人科と小児科の総力戦でもあったのだ」(47 ページ)。「たとえ病院はボロであっても、中身は日本一といわれる病院にしたい。それが目崎氏の願いであった」(138 ページ)という。胎児心音監視装置が完成したのは、2 月初旬。浩宮誕生まで 2週間。ギリギリである。残念ながら、この胎児心音監視装置は行方知れずだという。浩宮誕生の後、胎児心音グラフが描かれた記録紙と、胎児心音と出産後の産声が記録されたオープンリールテープが皇太子家に献上された。これも目崎医師の発案という。ME 機器の開発は日進月歩だった。浩宮から 5 年半後の礼宮誕生の際は、胎児心音監視装置をはじめとする各種ME 機器は一新される。目崎医師は、限られた予算を有効に利用し、足りない分は口約束で最新機器を揃えた。Wikipedia にも載っていない目崎医師は、浩宮、礼宮、紀宮と、美智子妃の出産すべてに立ち会い、平成 9 年 12 月、90 歳の生涯を閉じる。このように黒子に徹した医師がいるのも驚きだが、皇室の出産のために ME 機器の開発に全力を投じる医師や技術者が、今日のわが国の産科医療を築いてきたのだと、あらためて考えさせられる。
2017.01.12
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聖☆おにいさん 第13巻 イエス「坊主がBOSEを‥‥」著者・編者中村 光=著出版情報講談社出版年月2016年10月発行松田ハイツのコタツのうえに、発光するマリアの姿が――スターウォーズ的な状況のなか、ブッタの母マーヤーが立川にあらわれる。聖母マリアのイコンの目が可愛くなったり、マーヤー像の脇にスタンプがあらわれたり、街に奇跡が溢れかえる――。ホテルに缶詰めになり、『黙示録』続編に取り組むヨハネ。ハンドルネーム「あ~麺」で人気ブロガーとしてオフ会に参加する十一面観音。ハイレゾのヘッドフォンで聞こえない音が聞こえるブッダは、ノイズキャンセリングヘッドフォンでとんでもないノイズを聞く羽目に。今日も旬なネタで一杯の立川です――。
2016.10.24
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心が折れる職場 心が折れる職場というものは確実にある。これが私の実感です。(3ページ)著者・編者見波利幸=著出版情報日本経済新聞出版社出版年月2016年7月発行著者は、日本のメンタルヘルス研修の草分けで、日本メンタルヘルス講師認定協会の代表理事としてメンタルヘルス講師の育成を行っている見波利幸さん。タイトルにある通り、職場の管理職に呼んでいただきたい内容だ。私も管理職として、「新型うつ」「厚生労働省版ストレスチェック」が気になっており、とくに産休・育休を管理している立場として「産後うつ」の増加を心配しており、本書を買って読んでみた。冒頭から、「心が折れる職場というものは確実にある。これが私の実感です」(3 ページ)という強烈なメッセージ――。見波さんは、その経験から、メンタル不調が発生しやすいのは、業務連絡もしにくい雰囲気の職場や、何でも理詰めで考える職場が多いと指摘する。不調は、けっして労働時間の長短によって発生するものではないともいう。また、ホワ・レン・ソウが一番重要という上司がいるが、これは、「『報告・連絡・相談』を部下に任ぜて、自分からは能動的なコミュニケーションを図る気がない」(24 ページ)と厳しい。また、成果主義についても、「社員の働きをフェアに評価できていないこと、あるいは、制度の導入の動機が、単に人件費をカットするためになってしまっている」(51 ページ)ようなことがないか、配慮すべきという。見波さんは、「上司が発する「言葉」は、部下の心の健康を維持するうえで、たいへん重要な意味を持ちます」(77 ページ)と指摘する。自分でも感じるが、社内ポジションの高いものの言葉のもつ力は大きい。それが悪い方へ傾くとパワハラになる。また、「メンタル不調者が続出するのは、上司の叱責それ自体ではなく、プロセスを認めてあげる『フォローアップ』が足りないということ」(83 ページ)ともいう。つまり、部下の承認欲求を満たすということか。何やら甘えた子どものようにも感じるが、じつは、現代社会は承認欲求を十分に満たせない環境にあるのかもしれない。これについては、後の方で「外で趣味やさまさまな活動の場を持っていると、たとえ仕事でうまくいかなくても、趣味の場で承認を補うことができます」(121 ページ)というアドバイスがある。見波さんは上司に対し、情報面のサポート、情緒面のサポート、道具的なサポート、評価面のサポートを求める。その内容は具体的で、部下を管理していく上で参考になる。見波さんは職場運営について、「仕事を進めていくうえで必要なのは適切な指導です。感情をぶつけることではありません」(188 ページ)、「絶対に口にしてはいけないのは、他人と比べる言葉です」(192 ページ)などの具体的にアドバイスする。そして最後に、「部下を育てるマインドを持っているよ司は、将来を見ます。逆に、部下に対してダメ出しばかりをするような上司は過去ばかり見ているのです」(206 ページ)と締めくくる。具体的で厳しいアドバイスの連続だが、本書を読んだ管理職がメンタル不調にならずに、部下を育てる未来志向の上司になってくれることを願う。
2016.10.16
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侵略!イカ娘(22) 「みんな担ぐでゲソ! 私は神でゲソ!!」著者・編者安部真弘=著出版情報秋田書店出版年月2016年5月発行「海の家れもん」を拠点に、今日も地球侵略活動を続けるイカ娘に、ついに最後の日がやってくる!?相澤家一行がキャンプで遭難? 褒め上手の清美が苦手とすることは? 千鶴の部屋に隠された謎とは? 正義のヒーローを目指すイカ娘の敵とは? 栄子は夏休みの宿題を終わらせられるか?全員出演の 22 巻をもって堂々の完結。9 年近い連載、本当にお疲れ様でした!
2016.05.08
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宇宙飛行士の採用基準 ライト・スタッフを見抜ける神様の目があれば、どんなにいいだろうな(154ページより)著者・編者山口孝夫=著出版情報KADOKAWA出版年月2014年7月発行著者は、JAXA 入社以来、一貫して、国際宇宙ステーション計画に従事している、宇宙工学者で心理学博士の山口孝夫さん。山口さんは、本書に「採用とは、その人の人生を引き受けること。採用する側はその覚悟を持ってほしい」(205 ページ)というメッセージを込めたという。私も先輩社員に同じことを言われた経験がある。本書は、宇宙飛行士の採用過程を具体的に紹介しながら、企業における人材採用について知見を与えてくれる良書だ。山口さんは、「ライト・スタッフを見抜ける神様の目があれば、どんなにいいだろうなと思います」(154 ページ)というが、実際に「神の目」をもつことはできないから、基準作りが大切だと指摘する。「環境面、仕事面、心理・精神面から『測るべき能力』と『測り方』が適切に模索され、評価基準がつくられなければ「適格者」を選び出すことはできません」(146 ページ)。企業の採用面接では、評価基準が明確化されていないのが実情だろう。そこで、147 ページのマトリックス表が役に立つはずだ。さらに、「いくら客観的にならなければならないとはいえ、相手の言っている言葉と感情を感じ取ることに目を閉じてしまってはいけません」(159 ページ)とアドバイスする。「ここでは面接官の資質も問われていきます」。山口さんは、工学者でありながら心理学者でもある。宇宙飛行士のパフォーマンスを上げるには、メカニズムを合理的にするだけではなく、飛行士の心の問題も扱わなければならないと指摘する。たとえば、構造設計が難しくなっても宇宙ステーションには「窓」が必要だとか、「部下の長所だけを見て、欠点には目をつぶること」(96 ページ)で褒め上手になることをあげる。また、NASA での訓練から、マネジメント層に必要な 4 つの軸として、適切なコミュニケーション、部下への配慮、マネジメントへの信頼、意思決定からなるチェックリストを紹介している(104 ページ)。これはビジネス組織運営で参考になる。採用した宇宙飛行士の育成も、組織運営の参考になる。まず、「いくらライト・スタッフを備えた適格者を選んだとしても、正しく教育されなければ宝の持ち腐れ」(162 ページ)としたうえで、訓練者(インストラクター)の重要性を説く。「インストラクターには「育てるブロ」としての訓練があるほか、指導面、人格面、知識・技量面で様々な厳しい資質要求」(163 ページ)があり、「心理学的には、信頼関係のある訓練者に、穏やかでストレスがかかっていない状況で教えられるほうが、被訓練者の頭にも入りやすく覚えやすい上に応用が利く」(165 ページ)という。信頼関係が重要なのだ。最後に山口さんは、「企業は、全力で人を採用して、全力で人を育てる。そのような風土で大切に育てられた人は、全力で会社のために働く」(205 ページ)と述べているが、これは、企業に限らず、家族、地域、国家という枠組みでも同じことが言える。これからも人を大切に育てていきたいと思う。
2016.04.14
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COPPELION 26巻 鴎外官房長官「我慢したまえ、日本の未来のためだ」著者・編者井上智徳=著出版情報講談社出版年月2016年4月発行西暦 2036 年、お台場の原子力発電所で起きたメルトダウンにより東京は死の街と化していた。遺伝子操作によって放射能に対する抗体をもって生まれた高校生・コッペリオンたちは、生存者を救出するという困難な任務に立ち向かう。お台場原発の石棺の中で、コッペリオン一行と忘れもの係が死闘を繰り広げるなか、救助された司馬博士らがコッペリオンにエールを送る。成瀬荊の突然死は防げるのか、再臨界は止められるのか。物語は大団円へ。作者の井上智徳さん、8 年間の連載、お疲れ様でした。物語の初盤で 3.11 があり、ご苦労されたことと思います。一時はお蔵入りかと思われたアニメも無事に放映され、その映像はいまでも印象に残っています。物語の結末は意外な形でしたが、これは記憶に残るお話でした。コッペリオンは今も東京で活躍していることでしょう。そして、私自身、生まれ育った東京が大好きなのです。
2016.04.11
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