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離散数学入門 整数の誕生から「無限」まで トークンの歴史が、シュメール人が用いた楔形文字に繋がるのだろう。(13ページ)著者・編者芳沢 光雄=著出版情報講談社出版年月2019年12月発行離散数学は、物事を「数える」ことから始まり、現代の暗号理論、プログラム理論をはじめ、さまざま分野で注目されている数学である。整数の概念の誕生、あみだくじ、正多面体の回転、麻雀大会の組合せなど、豊富な例と問題を通して、離散数学の基礎的な概念をわかりやすく解説する。
2020.01.17
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ムダヅモ無き改革 プリンセスオブジパング 7 御門葩子「私の臣民に、よくも好き勝手にやってくれたじゃない」著者・編者大和田秀樹=著出版情報竹書房出版年月2019年12月発行著者は『機動戦士ガンダムさん』『大魔法峠』でお馴染みの大和田秀樹さん。シリーズ累計250 万部を突破した政治+麻雀アクション漫画の新章は、麻雀高校女子ワールドカップだ。ロックフェラー財閥の次期党首候補クロエ・ロックフェラーとの闘牌をクサナギブレードの力で競り勝った御門葩子は準決勝に駒を進める。対するは、『ムダヅモ無き改革』にも登場した“ガスの魔女”ユリア・ティモシェンコ――首脳級の麻雀力をもつ元ウクライナ首相だ。序盤戦で御門葩子が見せたのは、星一徹の‥‥大和田さん独特の、見開き大ゴマに大爆笑!
2020.01.02
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あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠 数理モデルは、あくまでツールである。私たちは、ツールに使われることなく、きちんと使いこなさなければならない。(311ページ)著者・編者キャシー・オニール=著出版情報インターシフト出版年月2018年6月発行著者は、データサイエンティストのキャシー・オニールさん。ハーバード大学で数学の博士号を取得し、バーナードカレッジ教授を経て、ヘッジファンドに転職。数学の能力を活かし成果を上げるが、サブプライム・ローン問題を目の当たりにして、数学がもつ破壊力に気づく。本書では、正しく数学を使っているにも関わらず、有害なモデルを作り出す仕組みを「数学破壊兵器(Weapons of Math Destruction:WMD)」と呼ぶ。大量破壊兵器の Mass と数学の Math をかけているのは、オニールさんのユーモアだ。現在の AI は公平性を理解できない。AI に学習させるための数理モデルを誤れば、AI が出力する結果も偏ったものになる。また、定量化できない人間的スキルも評価されない。それでも大量のデータを瞬時に処理する AI が役に立つ場面は多い。私たちは、AI がツールであることを認識し、常に必要なデータを与えて有効活用することで、だれにも公平で豊かな生活がやって来ることを目指すべきであろう。オニールさんは、かつて野村克也監督が実践して見せたような ID野球を引き合いに、「野球のモデルは公平である。というのも、ある程度の透明性が保たれているからだ」(29 ページ)と説く。野球モデルの場合はデータが絶えず更新される。モデルは、物事を単純化したものなので、何か重要な情報が無視されることになる。場合によっては、モデル制作者の価値観や欲望が反映されることがある。たとえば再犯モデルが算出する高リスク者とは、「無職であったり、法に反する行為をしたことのある友人や家族に囲まれた生活を送らざるをえない地域の出身であったりする可能性が高い。質問票の評価スコアが高いせいで、その人物の刑期は長くなり、刑務所で犯罪仲間に囲まれて過ごす時間も長くなる―そのこと自体が、刑務所に戻ってくる可能性を高める」(44 ページ)。このことがフィードバックとなり、再犯モデルの正しさを証明してしまうのだ。そして、どのようなアルゴリズムで算出しているのか、外部に開示されない。オニールさんは、「不透明であること、規模拡大が可能であること、有害であること―この 3 つが数学破壊兵器の 3 大要素」(50 ページ)と指摘する。第2章では、ヘッジファンドで働いていた頃を振り返り、「サブプライム住宅ローン自体は、数学破壊兵器ではなかった。あくまで金融商品であって、モデルではなく、数学はほとんど関与していなかった」(66 ページ)と説明する。しかし、「数学は、消費者を煙に巻くために使用され」(66 ページ)、「同時に大勢の人が破産することはない」(67 ページ)という前提が崩れた結果、規模拡大の特性が働き、数学は開閉器が誕生した。次に、データサイエンティストとしてビッグデータの世界に転職したオニールさんは、「金融の世界とビッグデータの世界は、あらゆる点で似ていた」(76 ページ)という。「アルゴリズムの働きにより、敗者は敗者の人生から抜け出せなくなる」(78 ページ)というのは、実感する。負の連鎖だ。第3章でオニールさんは、US ニューズによる大学ランキングを引き合いに出し、これが数学は開閉器となった経緯を解説する。代理データを用いて組み上げられたモデルは、実際の人々の営みに比べると、遥かに単純な作りになってしまうことを指摘する。また、学費をモデルの公式から外したことで、大学経営者はより多くの資金をランキング評価項目の改善のために投入できることになったのだ。第5章では、AI を使った犯罪予測モデルを取り上げる。迷惑犯罪は、貧しい地区ならたいていの場所で見られる、地域特有の犯罪であり、地域によっては反社会的行動(ASB)とも呼ばれている。残念ながら、このような軽犯罪までモデルに組み入れてしまうと、分析結果が歪む恐れがある。迷惑犯罪データが多発すれば、その区画に配備される警官の数は増える。すると、その区画で逮捕される人数はさらに増える。こうして、有害なフィードバックが生まれる。警察が巡回すればするほど、ある特定の地域の有罪率は高まり、モデルで人種を区別していなくても、結果は偏ることになる。私たちは、自分たちが扱っているツールは科学的かつ公平であると信じ込み、貧しい 人々を犯罪者に仕立て上げるのだ。数学破壊兵器は効率性を重視する傾向にある。私たちは、公平性を守るために少しばかり効率性を犠牲にしなければならない。なぜなら、公平性や信頼性は、AI が評価するための定量化が難しいことだからだ。第6章、第7章では就職や仕事に使われる AI モデルを取り上げる。オニールさんは、「公平性と合法性の問題を脇に置いたとしても、適性検査は、仕事能力の予測には役に立たないことが研究によって示されている」(165 ページ)という。そして、企業がデータを利己的に使用している様は、まるで骨相学のような疑似科学だと指摘する。第8章では信用の格付けを、第9章では健康プログラムを扱う。こうしたモデル作成者は、公平性やチームのためではなく、効率性と収益性の最適化が目的としている。オニールさんは、「データを取捨選択し、公平とは何かを判断するのは、マシンにとって完全に未知の領域であり、あまりに複雑すぎる。そのような芸当ができるのは、人間だけだ」(233 ページ)と指摘する。また、起業が従業員の健康管理をしているように見せかけて、「健康スコアに基づく選別が行われるようになるだろう」(262 ページ)と警鐘を鳴らす。なぜなら、BMI(体格指数)が 2 世紀も前に、医療や人体に関する知識のない数学者によって考案されたものだからだ。「ウェルネス・プログラムについては、個人の成功体験が大々的に広告されているわりには、医療費の削減につながっていないことも明らかになっている」(265 ページ)という。第10章では、AI モデルが民主主義の土台を壊すと警鐘を鳴らす。たとえば、Facebook は、「現代版の都市広場のようでありながら、その実、同社のソーシャルネットワーク上で利用者に何を見せ、何を知らせるのかを、自社の利害に即して決定している」(269 ページ)と指摘する。そして、有権者個人をスコアリングすることは、少数の有権者の重要度を高め、それ以外の人々を脇役に追いやることになり、民主主義の土台を壊す行為と警鐘を鳴らす。最終章で、オニールさんは、数学破壊兵器の武装解除を提案する。人間による意思決定には欠陥も多いが、進化しうるという点が大きな長所である。数理モデルはあくまでツールであり、私たちはツールに使われることなく、きちんと使いこなさなければならない。オニールさんは、「医師の職業倫理を謳った『ヒポクラテスの誓い』のように、データサイエンティストも、実務に就く時に職業倫理や任務について宣誓すべき」(308 ページ)と提案する。知識や情報は、いつも足りているとは限らない。知識や情報が足りないときに、「何かが足りない」と気づいてこそ、データサイエンティストはその職務をまっとうできる。数学破壊兵器を手懐け、だれにも公平で、豊かな生活が送れるようにしたいものである。
2019.12.17
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シュメル神話の世界 神々が、自らの代わりに働く存在である人間をなにからつくったかといえば、粘土からであった。(37ページ)著者・編者小林登志子=著出版情報中央公論新社出版年月2008年12月発行アニメ『Fate/Grand Order』で古代メソポタミアが登場する。『ギルガメッシュ叙事詩』は読んだことはあるが、せっかくの機会なので古代メソポタミア神話の概要を知っておこうと思い、本書を購入した。シュメル神話には、『旧約聖書』のノアの箱舟のモデルとなった洪水伝説や、エデンの園、天岩屋や神無月に似た話など、世界各地の神話の起源を感じさせる。主メル神話に登場する神々は、原初の海ナンム女神のように自然の威力を人格化したもののほか、戦の神イナンナ女神(イシュタル神)、英雄ビルガメシュ神(ギルガメシュ神)、ニンウルタ神のように都市を守護する神々が存在するのが特徴だ。シュメル文明は紀元前 2000 年前後に滅んでしまうが、その神話は後の世界各地の神話の原型となり、都市文明は現代にも受け継がれている。神話を創ったシュメル人は、紀元前 4 千年頃に登場した民族で、いまも出自が不明。シュメル語の解読はできているものの、その系統の不明のままだ。シュメル人が信奉する大いなる神々は、自然の威力を人格化したもので、これは世界各地に見られる。だが、都市を守護する神々も存在しており、これはシュメル神話特有だ。各都市には神殿と、神々が天から降臨して休息するジクラトと呼ばれる塔が設けられた。シュメル神話では、最初に存在したのは「原初の海」ナンム女神である。古代ギリシア神話の混沌カオスに似ている。沖積平野であるシュメル地方には石材や鉱物資源はなく、木材もまた輸入していた。だが、粘土ならばどこにでもあった。粘土から煉瓦をつくって建物を建て、粘土板に文字を刻んだ。また、最高神がもつ「天命の粘土板」には、すべての神々の役割や個々人の寿命などが書き込まれているという。古代インドの「アガスティアの葉」のようでもある。低位の神々を労働から解放するため、粘土から人を造られた。ユーフラテス河の沿岸にあった都市エリドゥは、天から地へ最初に王権が下された都市である。だが、人間が増長したため、神々は大洪水を起こし、神々を恐れ敬う慎み深いジウスドゥラを除き、人間を滅ぼした。これは、『旧約聖書』のノアの箱舟のモデルとなった。大洪水以前の 5都市は神話時代であるが、洪水以後の各王朝はシュメル人にとっての史実である。またエデンの園から流れる 4 本の河の名前にティグリスとユーフラテスが含まれていることから、エデンの園はメソポタミア地方に実在したのではないかという説もある。エンキ神の理不尽な振る舞いに怒って姿を隠してしまうニンフルサグ女神は、「記紀神話」に描かれる天照大御神が弟の須佐之男命の乱暴な仕打ちを嘆いて天岩屋に隠れた故事を連想させる。後年、ハンムラビ法典が編纂されるように、シュメルは文明社会である。ニンリル女神を手籠めにした最高神エンリルは、神々の会議で断罪され、エンリルはニップル市から所払いとなる。神々の会議は、日本の神無月に似ている。イナンナ女神は、メソポタミアの神々のなかで最も魅力的な存在だ。アッカド語でイシュタルと呼ばれる。ウルク市の本来の都市神は天空神アンだったが、いつの時代からかイナンナにその座を取って代わられた。従神イシムは常に双面で表現されている。これは、ローマ時代の神ヤヌスに符合する。小林さんは、シュメル神話の英雄として、第一にビルガメシュ神(ギルガメシュ神)、第二にニンウルタ神を挙げる。ビルガメシュ神が活躍する『ギルガメシュ叙事詩』(『ビルガメシュ神とフワワ』『ビルガメシュ神と天の牡牛』『ビルガメシュ神、エンキドゥと冥界』)では、3 分の 2 が神、3 分の 1 が人間とされ、人間の存在への根本的な問いかけを含んだ作品となっている。のちに冥界神となる。小林さんは『ギルガメシュ叙事詩』の背景を、「『絶対の無』に常人はなかなか耐えられるものではない。死んで無になる怖さが、生きている人間の心に落ち着きを与える仕掛けとしてあの世をつくりだし、あの世についての考え方をふくらませていった理由になるであろう」(245 ページ)と語る。そして、ビルガメシュの不足している面を補う有能な従者がエンキドゥである。ビルガメシュは実在の王と考えられているが、直接的な証拠は見つかっていない。もう一人の英雄、ニップル市のニンウルタ神は、『ルガル神話』の主人公である。『ルガル神話』は、ニンウルタ神のアサグ退治、ニンウルタ神によるティグリス河の治水・灌漑、ニンウルタ神による「石の戦士ども」の裁きの 3 つの部分から成っており、もともとは別の物語だった推測されている。物語が「ルガル(王)」とはじまっているように、「王」の役割をはたす神であった。紀元前 2004 年、ウル第三王朝の最後の王イッビ・シンがエラム軍の捕虜となってアンシャンに連れ去られ、シュメル人社会は崩壊した。農村に生き残ったシュメル人も、時代とともに他民族に吸収されていき、古バビロニア時代の最盛期となるバビロン第1王朝(前 1894~1595 年)の頃にはメソポタミアの住民は完全にセム語族化したのだった。だが、シュメル文明の遺産とも言える「都市」は現代まで続き、ジッグラトはバベルの塔とのモデルとなり、いまもブルジュ・ハリファのような超高層建築の建設が続いている――。
2019.12.13
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AI倫理 AI技術の登場によって倫理的に浮上する諸点のなかで肝心なのはまず、AI信仰を克服した上で、AI活用の具体策を辛抱づよく議論していくことだろう。(224ページ)著者・編者河島茂生=著出版情報中央公論新社出版年月2019年9月発行AI の第1 次ブームから現代の第3 次ブームまでを通して見てきた西垣通さんと、若手研究者の河島茂生さんが、自動運転車が暴走したり、監視カメラ等が集めたデータによって差別的な評価選別が行われたりしたとき、誰が責任をとるのかといった「AI 倫理」について論じる。Twitter で「トロッコ問題」が話題になり、現代の AI は、この問題に妥当な解答を与えなければならないと感じ、本書を購入した。ちなみに私は、第2 次ブームの時、研究者の輪の中にいた 1 人である。人間の倫理と違って AI 倫理は社会規範そのものであり、AI が自由意志を持つものではないことを常に意識しつつ、IA(Intelligence Amplifier=人知増幅機械)として活用していきたいと感じた。本書は冒頭で、「人間のつくったプログラム通りに作動する AI は所詮、他律型機械にすぎないから、自由意思とも責任とも無関係なはずなのである。それなのになぜ、AI は自律型機械のように見えるのか」(7 ページ)という問題提起を行い、この問題を解き明かしていく体裁をとっている。第1部ではまず、第1 次から第3 次までの AI ブームを振り返る。現在の第3 次ブームは、ビッグデータをディープラーニング(深層学習)にかけることが主流になっている。統計的な処理に終始するから、それまでのブームとの異なり、論理的厳密性(正確性)を放棄しているともいえる。つまり、AI の判定は、「必ずしも正確無比で 100 パーセント信頼できるとは言えない」(29 ページ)のだ。では、誤りの責任は誰が負ってくれるのだろうか――。次に、近代的な正義をあらわす倫理思想として、功利主義、自由平等主義(リベラリズム)、自由至上主義(リバタリアニズム)、共同体主義の 4 つを取り上げ、それぞれの制約について考える。2章の結論は、「『人格』という、道徳的判断をくだす主体が、近代倫理思想を組み立てる根幹をなしている」(53 ページ)ということだ。では、AI は人格を持っているか。次に、SF 作家アイザック・アシモフが提唱した有名なロボット 3 原則を紹介する。作者は、「3 原則は、安全で(1)、便利で(2)、長持ちする(3)という、機械に求められる当たり前の特性にすぎない」(58 ページ)として、「AI 倫理を考察する上で、アシモフのロボット 3 原則はほとんど頼りにならない」(59 ページ)と切って捨てる。本書では、生物の定義としてネオ・サイバネティカルな定義を採用する。つまり、生物とはオートポイエティック(自己-創出的)な存在で、ロボットや AI は、人間が設計するアロポイエティック(他者-創出的)な存在だとする。そして、「ある存在がこれから実行する行為を、(推定できても)完全に予測できないことは、その存在が自由意思をもつことの必要条件」(65 ページ)だとする。「シンギュラリティというのは、一言でいえば、汎用AI の情報処理速度が、人間の情報処理速度を超えていく時点ということになる」(90 ページ)としたうえで、カーツワイルの『ポスト・ヒューマン誕生』、ボストロムの『スーパーインテリジェンス』、ハラリの『ホモ・デウス』を引き合いに出し、シンギュラリティを否定してゆく。さらに河島さんは、フロリディの提唱する情報倫理(IE:Information Ethics)を批判する。IE は、あらゆる事物をデジタル化できることを前提としており、「IE の情報圏は、神のような超越的・俯瞰的な視点から世界の万物を見わたしているときに出現するものだろう」(128 ページ)と指摘する。西垣さんは、AI 倫理のラフスケッチとして、「まるで人間のように振る舞う無数の『AI エージェント』が組み込まれ作動している社会における、多様な倫理的諸問題を考察すること」(133 ページ)というスコープを示す。西垣さんは、「倫理とは、行動を選択するときの『正しさの基準』をあたえるもの」(145 ページ)と定義したうえで、個人の道徳観は揺れ動いており、社会規範との緊張関係から選択されるものだが、AI エージェントは社会規範を厳格に遵守して作動するものだと指摘。よって、AI 倫理とは、AI を主導してきた米国の近代的倫理思想――前述の功利主義、自由平等主義、自由至上主義、共同体主義の 4 つに絞り込まれるという。これらを組み合わせ、独自の N-LUC と名付けた。そして、AI は IA(Intelligence Amplifier=人知増幅機械)だと指摘する。第2部では AI 倫理の練習問題として、自動運転、監視選別社会、AI による創作の 3 つのテーマを取り上げる。まず自動運転だが、冒頭で話題にしたトロッコ問題のほか、サイバーテロについて考察する。西垣さんは、「各自動車メーカーや IT 企業などが極端に自社の利益のみにこだわらなければ、自動運転は AI 応用として比較的早く実現される可能性もある」(195 ページ)という。監視選別社会に潜む問題は、キャシー・オニールさんが『あなたを支配し、社会を破壊する、AI ・ビッグデータの罠』で指摘している内容と同じだ。「スコアが低い個人やスコアリングを拒否する個人がうける不利益は甚大」(206 ページ)という。西垣さんは、「生得的特性が個人のデータに含まれる場合はとくに要注意だ」(215 ページ)と警鐘を鳴らす。AI による創作については、実例を挙げながら、「AI が利用し処理するデータそのものは、コンピュータが創ったわけではない。これまでの人間の作品の蓄積」(230 ページ)と指摘する。そして、「日々苦労しながら芸術活動をおこなっているアーチストたちが、AI ロボットと対話したり、AI の創作物にふれたりすることで、おそろしく新鮮な刺激をうけることも十分ありうる」(242 ページ)という楽観論を提示する。最後に西垣さんは、「AI 技術の登場によって倫理的に浮上する諸点のなかで肝心なのはまず、AI 信仰を克服した上で、AI 活用の具体策を辛抱づよく議論していくことだろう」(224 ページ)とアドバイスする。
2019.11.30
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やりなおし高校地学 地球のような巨大なものを考えるときは、『長尺の目』という大きなスケールで物事を見る必要があります。(288ページ)著者・編者鎌田浩毅=著出版情報筑摩書房出版年月2019年9月発行著者は、京都大学大学院人間・環境学研究科教授で、火山学・地球科学が専門の鎌田浩毅さん。京大の講義は毎年数百人を集める人気という。『やりなおし高校地学』とあるとおり、多少の地学の素養がある人なら楽しめる内容となっている。センター試験の問題と解答解説を挟みながら、地質・気象・天文の順に、高校地学のおさらいをする。阪神淡路大震災や東日本大震災で活動期に入った地殻変動について学びたい、地球温暖化について学びたい、という方にもおすすめする。蒲田さんは冒頭、「地学の目標を一言で表すと、『我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか』を追究することにあります」(6 ページ)と述べ、地球の誕生から現在までを俯瞰しながら、地質(地球学)をおさらいする。地磁気や地震のメカニズム、プレートテクトニクス、プルームテクトニクス、超大陸、活火山とホットスポットなど。また、地質用語としては、鍵層、示準化石、示相化石、火山岩、深成岩、カルデラ、火口、海溝、トラフなど――定義を覚えていますか?第5章「動く大気・動く海洋の構造」として、まず、対流圏から外気圏までの大気の構造を紹介し、気流の動きをおさらいする。気象に影響を与えるのは、気流だけでなく、海水の循環、とくに深層循環(コンベアーベルト)を挙げる。エルニーニョやラニーニャ現象もそうだし、コンベアーベルトで二酸化炭素も運ばれ、地球温暖化に影響を与えている。第6章は天文学だ。ビッグバンやダークマター、ダークエネルギーといった最新の知見にも触れる。主系列星、HR 図、中性子星、バルジ、ハロー――定義を覚えていますか?蒲田さんは最後に、「地球のような巨大なものを考えるときは、『長尺の目』という大きなスケールで物事を見る必要があります」と述べる(288 ページ)。地球は、短期的に見れば二酸化炭素の排出増加で温暖化しているが、長期的には関連化へ向かっている。経済学で言うなら、ミクロ経済とマクロ経済。ビジネスでは、今期利益と中長期戦略――私たちは地学を学ぶことで、複数のスケールで物事を見ていく大切さを学ぶことができる。
2019.11.16
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スレイヤーズ 第17巻 遥かなる帰路 ラン「リナにょんって混乱をもたらすん?」(197ページ)著者・編者神坂一=著出版情報KADOKAWA出版年月2019年10月発行降魔戦争の再来を食い止め、死闘の疲れを癒そうと、リナとガウリイはゼフィーリア王国の首都ゼフィーリア・シティへの里帰り。途中立ち寄ったラトカの町で、覇王(ダイナスト)の麾下ノーストに遭遇する。ノーストとの戦いは避けられたものの、リナたちは見知らぬ国ルジルテに飛ばされてしまう。「まじかー」「ないわー」――2 人は嘆く。リナとガウリイ、そして途中で出会った風使いの少女ランが加わり、一行は王都パルバッソスを脱出する。「魔に封じられた地で混沌をその身に降ろした者がこの地に現れ混乱をもたらす」という神託を受けたガルドーバとレゲンネルがリナ一行と対峙する。リナとガウリイは、遙か彼方の故郷へたどり着くことはできるのだろうか――。あとがきでL様いわく「出ちゃったよ‥‥あんなに絶対出さないって言ってた第三部‥‥」――18 年ぶりの同窓会・ 16 巻からちょうど 1 年。アニメの TRY、コミックの『水竜王の騎士』とは別の「結界の外」の世界を描く物語。ラノベというジャンルを生み出した「スレイヤーズ」の世界は、どこまで広がるのだろう‥‥
2019.11.12
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スレイヤーズ 第16巻 アテッサの邂逅 リナ・インバース「ケンカを買われて文句言うなら、最初からケンカなんて売らなきゃいーのよ」(11ページ)著者・編者神坂一=著出版情報KADOKAWA出版年月2018年10月発行降魔戦争の再来を食い止め、死闘の疲れを癒そうと、リナとガウリイはゼフィーリア王国の首都ゼフィーリア・シティへの里帰り。途中立ち寄った鍛冶の町アテッサで護衛の仕事を引き受ける。ちょうどそこへ、セイルーン王国から王女アメリカが特使としてやってきた。ほどなく、ゼルガティスが合流。一行は、セルセラス大森林を取り戻そうとするエルフの組織フォレストハウンドとのいざこざに巻き込まれる。フォレストファウンドのエルフたちは、あらゆる攻撃呪文を無効化する封魔装甲ザナッファーを身につけていた。リナの必殺技ドラグスレイブも通用しない。だが、人間に味方するエルフ、アライナに、ガウリイのブラスト・ソードの呪いを解いてもらい、加えて、アメリアがレーザーブレスを散乱させる新魔法を展開。ついにフォレストハウンドの武装解除に成功する。騒動が収まったところで、ザナッファーを追っていた獣神官ゼロスが姿を現す――。ファンタジア文庫 30 周年企画として登場した 18 年ぶりの「スレイヤーズ」正統続編――あとがきでL様いわく「言ったはずよっ! 人の心に中二魂(やみ)ある限り、スレイヤーズはいつか必ず蘇る、とっ!」――人の心の闇って、中二病だったのかよ(笑)。リナ・インバース一党が勢揃いする同窓会感あふれる特別編ということで、「邂逅」というサブタイトルが付いてるんだと。んな、無茶苦茶な。というわけで、アニメの影響も感じられる同窓会のドタバタぶりを、どうぞお楽しみください――。
2019.11.11
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宇宙はなぜ哲学の問題になるのか 無数の星をちりばめた天空は、どれほど美しい姿で私たちを魅了することができても、カントにとってそれは、現象の世界です。(96ページ)著者・編者伊藤邦武=著出版情報筑摩書房出版年月2019年8月発行著者は、哲学者で紫綬褒章を受章した伊藤邦武さん。本書では、「宇宙の中の人間の位置」を考えていくとしている。ギリシアの哲学は、宇宙を仰ぎ見ることから始まった。日本や中国の神話や、多くの国の民話も宇宙を仰ぎ見る。私は、澄み渡った星空を仰ぎ見る時の感動というのは、人類の探究心の源泉ではないかと感じる。今年(2019 年)のノーベル物理学賞が、最新宇宙論に関わった宇宙物理学者に贈られたというのも意義深い。そもそも、二足歩行で不安定な背骨の上に巨大な頭蓋骨を乗せているにもかかわらず、なぜ真上を仰ぎ見る骨格になっているのか。どう考えてもバランスが取れなくなるわけだが――神様の粋な計らいであると感じる。本書は、近代哲学の巨人カントを中心に、宇宙をめぐる哲学の流れを紹介する。第1章では、ソクラテスに始まる古代ギリシアの哲学と星座の関わりを俯瞰する。伊藤さんは、「地球中心の惑星の運行の軌跡を一つのシステムにまとめる、というこの作業を集中的に行って、科学としての天文学の基礎となる考え方を作り上げたのがギリシア人たちでした」(30 ページ)と紹介し、科学としては天動説ではあるものの、哲学としては、デミウルゴスが数学的調和を求めてカオスとコスモスに作り替えたという点に着目する。そして、プラトンが述べた正多面体の多重構造宇宙の概念は、近代の天文学者ヨハネス・ケプラーによって再び取り上げられたとしている。プラトンは、人間の魂には、欲求的部分、気概的部分、知性的部分の 3 区分があり、それぞれの長所を発揮して、調和ある全体へと至ることを「内なる正義」の実現と呼んだ。さらに、社会も同様の 3 区分からなり、それぞれの区分のもつ長所の調和あるバランスからなっているとすれば、国家社会の正義につながると述べている。つまり、美的調和が正義に繋がるという考え方である。第2章では、近代科学と近代哲学を紹介する。ニュートンの体系を哲学的な側面から理論的に補強したとして、大きくカントが取り上げられている。伊藤さんは、『純粋理性批判』『実践理性批判』の 2 冊を通じて、カントは「ガリレイやニュートンのような近代的科学の成果が、人類に共通の客観性をもつことを、哲学的吟味を通じて証明し、あわせて、ヴォルテールやルソーのような自由と平等の思想が、人類に共通の目標となるべきであること」(90 ページ)を説明しているという。カントは、宇宙の有限・無限問題を考察し、純粋理性は「世界は時間的、空間的に有限である」というテーゼと、「世界は無限である」というテーゼのどちらが正しいかを判断できない――これを含めた 4 つのアンチノミー(二律背反)を挙げ、そこから、「人間が生まれつきもっている認識の枠組みによって課せられた制約」(93 ページ)がある、すなわち、純粋理性の限界を示した。そして、「自然法則ではなく道徳法則によって支配される世界こそが、私たちの本当の世界であり、それはすでに存在する世界というよりも、これからその存在の実現が目指されるべき世界」(96 ページ)、すなわち実践理性には制約がないと説いた。さらに、私たちがそれぞれの理性の能力を発揮して、共同体の共通の原理を考案しようとするとき、その共通の原理のことを「道徳原理」としている。カントが目指した道徳原理は、今日の国際連合の理念に繋がっている。たしかに認識には限界があるが、道徳律に限界はないと思いたい。思いたいのだが、現実には、そうだろうか――。第3章では、宇宙人を話題にして、現代天文学と現代哲学へ入ってゆく。カントは、「人類と他の星の生命とが、人間社会におけると同じような道徳的連帯をもつことができる」という楽観的は宇宙市民説を唱えたが、伊藤さんは疑問を呈する。現代科学は、科学法則が宇宙のどこでも同じように成立するという普遍原則に基づいているが、宇宙のほとんどが観測不可能なダークマターやダークエネルギーに満たされていると分かった今日、宇宙全体に科学法則が通用するだろうか。ここで伊藤さんは言語哲学を紹介する。本書では触れられていないが、言語学者ノーム・チョムスキーによれば、わたしたち人類の脳にはあらかじめ普遍文法が組み込まれているから、たとえ言語が違っても相互翻訳が可能だと考える。では、まったく進化の過程が違う宇宙人と、わたしたちが遭遇したら――そもそも、われわれは彼らを知覚することができるだろうか?夜空を仰ぎ見ることは、同時に、わたしたち一人一人が独立した存在であり、ある意味、孤独であることを再認識させられる。と同時に、自分の隣にいる人が、自分と同じように価値のある存在であると信じることができる。
2019.11.04
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未来の年表 人口減少日本でこれから起きること 「結婚するもしないも、子供を持つも持たないも、個人の自由だ」と語る人々が増え、子供が生まれなくなった社会の行き着く果てに待ちうけるのは、国家の消滅である。(9ページ)著者・編者河合 雅司=著出版情報講談社出版年月2017年6月発行著者は、産経新聞社の論説委員で、人口政策、社会保障政策を専門とする大正大学客員教授の河合雅司さん。第1部では、人口減少が続き、出生数も 100 万人を割っている日本で、これからどのようなことが起きるのかを「未来年表」として整理する。まず驚くのが、来年 2020 年、女性の 2 人に 1 人が 50 歳以上になることだ。河合さんは、「経済が成長し続けたとしても、少子化に歯止めがかかったり、高齢者の激増スピードが緩んだりするわけでは断じてない」(6 ページ)と指摘したうえで、それにどう対応していけばよいのかを、第2部で提案する。われわれ国民一人一人に発想の転換を迫る内容だ。河合さんは、日本の喫緊の課題を 4 つに整理する。+出生数の減少+高齢者の激増+勤労世代(20~64 歳)の激減に伴う社会の支え手の不足+これらが互いに絡み合って起こる人口減少今後の人口シミュレーションでは、高齢者の割合は増えるのだが、企業などが即戦力として期待するような比較的若い高齢者(65~74 歳)はむしろ減っていくという。IT産業における人手不足が、AI など新規技術の開発の足を引っ張るという悪循環に陥る。晩婚・晩産の影響で、育児と介護を同時に行わざるを得ない「ダブルケア」に直面する人が増え、働き盛りの介護離職も増えるだろう。河合さんは「東京一極集中は日本の破綻につながる」(79 ページ)と警鐘を鳴らす。東京は食料やエネルギーの供給を地方に頼っており、その地方から人材を吸い上げて、地方が機能しなくなったのでは、東京自身の首を絞めることに他ならないからだ。2027 年には、輸血の必要量がピークを迎える。怪我人に対する輸血は全体の 3.5%程度で、多くは癌患者に使われる。血液を必要とする高齢者が増え、一方で献血する若者が急減しており、輸血用血液の不足は深刻な社会問題となるだろう。地方人口が縮小すると、継続できない事業が出てくる。事業の存在確率80%でみると、訪問介護事業は 2 万 7500 人、救急告示病院は 3 万 7500 人、有料老人ホームは 2 万 5000 人、大学や映画館は 7 万 5000 人、公認会計士事務所は 8 万 5000 人の人口規模が必要。このため、2040 年には自治体の約半数が消滅の危機にさらされるという。急速に高齢化が進む東京圏では、介護を要する高齢者用のベッドが不足し、さらには斎場や火葬場が不足するだろう。遺族が減ると、自治体が無期限で保管している納骨堂が一杯になるかもしれない。河合さんは、高齢化と少子化とは全く種類の異なる問題としたうえで、「日本の少子高齢化と人口減少の実態は、大都市部と地方とで大きく異なっている」(126 ページ)と指摘する。つまり、大都市部では総人口はあまり減らず、高齢者の実数だけが増えていく。これに対して、地方では総人口は減少するが、高齢者の実数はさほど増えるわけではない。労働者が減ることに対し、外国人労働者や AI(人工知能)の利用が提案されているが、河合さんは「開発者たちが AI を使った未来図を描くことなく、単なる精度競争に引きずられたならば、人口減少社会の課題解決に役立たぬものにしかならない可能性だってある」(157 ページ)ちお手厳しい。河合さんは第2部で、戦略的に縮むことを提言する。「戦略的に縮む」「豊かさを維持する」「脱・東京一極集中」「少子化対策」の 4 つをキーワードとして、現段階で着手すべき「日本を救う 10 の処方箋」を示す。24 時間営業を止めるなど便利過ぎる社会からの脱却や、非居住エリアを明確化することなど、大胆な発想転換が必要であることをアピールする。そして、「時代の変遷とともに、国際情勢は変わり、日本社会の在り方もどんどん変わっていく。人口減少対策とは、こうした変化も踏まえながら、世代のリレー方式でじっくり腰を据えて議論すべきテーマ」(199 ページ)と結ぶ。
2019.09.19
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戦争の物理学 士官学校で数学と天文学、物理学を学んだナポレオンは、戦争にとって科学が重要であることを理解し、フランスの科学技術が常に時代の最先端となるよう、その振興に力を入れた。(157ページ)著者・編者バリ・パーカー=著出版情報白揚社出版年月2016年3月発行戦争が科学技術を進化させたとよく言われる。電子レンジやインターネットも戦争の産物だ。では、それより前の時代はどうだったのか――。本書は、紀元前 1286 年のカデシュの戦いにはじまり、兵器が動く仕組みとその歴史を、物理学の視点から整理し直したものである。物理学の数式は登場するが、丁寧な図版が数多く盛り込まれており、理解の助けになるだろう。本書を読むと、物理学が明確に兵器の発展に寄与するのは、ナポレオン戦争後であることが分かる。それまでは経験則で兵器を改良していた。そして、1500 人の科学者を集めたマンハッタン計画でピークを迎える。第二次大戦後、理論上、威力に限界がない水爆が登場する。一方、トランジスタの発明により、兵器の様相が一変する。こうした電子機器を破壊する電磁波爆弾(e爆弾)も登場する。物理学が進歩すればするほど、哀しいことだが、兵器はより強力になってゆく。だが、電磁波爆弾のように、殺傷能力は無く、戦争遂行能力だけを奪うような兵器もまた、物理学の産物である。戦争は無くならないだろうが、技術屋としては、戦争をするのが馬鹿馬鹿しくなるほど物理学が進歩することを願っている。紀元前 1286 年のカデシュの戦いでは、馬が引く戦車「チャリオット」が大きな役割を果たす。車輪は物理学で動く。古代ギリシャでは、バリスタ(弩砲)や、オナガーやトレビュシェットといった投石機(カタパルト)が、物理学を基に誕生した。アレクサンドロス大王は、こうした新兵器を駆使し、史上空前の大帝国を築き上げる。ここで、物理学の重要な概念である、速度、加速度、力について整理している。初期の兵器の多くは、物理学で「機械」と呼ばれるものに相当する。機械は仕事を簡単にするための装置であり、重い箱などを楽に持ち上げられるようにする長い板がその単純な例だ。弓は、エネルギー保存則によって矢を放つ。弓はエネルギーを蓄える機械だと言える。射手の筋肉の力が矢を低速で引き、弓が蓄えたエネルギーを高速で解放したのである。ローマ人はギリシャ人が使っていたバリスタやオナガーなどの兵器を利用していたが、それを改良しようとはしなかった。1066 年のヘイスティングズの戦いではクロスボウが、百年戦争の最中、1346 年のクレシーの戦いではロングボウが威力を発揮する。ロングボウの矢は標的が 90 メートル以内にあれば、鋼鉄の板を貫くことができた。火薬は中国で発明されたとされているが、酸化剤である硝石の質が悪かった。哲学者ロジャー・ベーコンは硝石の純度を高め、百年戦争最後のカスティヨンの戦いでは、大砲が威力を発揮した。科学革命の時代、タルタリアやガリレオが、投射物の運動を解析し、大砲の照準器の精度を高めた。さらにハンドキャノンや銃が登場し、戦場での犠牲者数も増加した。戦い方も変わり、相対する軍隊どうしが接近する機会は減って、遠くから撃ち合うことが多くなると、砲弾を放つ兵士が、みずからが殺した相手を目にすることはなくなった。ニュートンの研究は、直接兵器開発につながったわけではないが、光学の研究は双眼鏡となって結実し、馬入引力の法則と微積分法は弾道計算に応用された。産業革命の時代、ウィルキンソンはワットの考案した新型蒸気機関を使って、それまでより小さな労力で多くの大砲を製造できるようにした。また、ロビンズは弾丸の速さを測定するために、「弾道振り子」と呼ばれるものを発明した。ロビンズの大発見は戦争に革命を起こし、イギリスをヨーロッパ屈指の強国へと変えることになった。化学者ラヴォアジェは、火薬の製造法の改良し、フランス軍の火薬庫を満杯にした。士官学校で数学と天文学、物理学を学んだナポレオンは、戦争にとって科学が重要であることを理解し、フランスの科学技術が常に時代の最先端となるよう、その振興に力を入れた。フランス陸軍のクロード・ミニエー大尉は、円錐形の銃弾を開発し、雷管式の薬莢を備えた。すでに開発されていたライフル銃と併用することで、銃の性能は飛躍的に向上した。これら新兵器が総動員されたのが南北戦争である。継電器を使った遠距離電信、気球を使った観測、スクリュープロペラを搭載した艦船、機雷と潜水艦――決戦となったゲティスバーグの戦いでは、両軍とも 2 万 3 千人を超える死者を出すことになった。第一次世界大戦では、発明されたばかりの航空機が登場する。また、南北戦争の時に発明されていたガトリング法を改良した機関銃が活躍する。さらに、迫撃砲や高射砲、手榴弾が登場した。火炎放射器やガス兵器も投入され、兵士は恐怖した。1916 年、イギリスで「マーク I」戦車が披露されると、ロイド・ジョージは感銘を受け、すぐさま戦車の量産を命じた。無線技術も導入された。第二次世界大戦では、無線技術やレーダー技術が活躍する。イギリスで性能の高いレーダーが開発されたが、心臓部のマグネトロンを量産できないことが分かっていたチャーチルは、アメリカにマグネトロンを提供する見返りに、それを大量生産してもらった。ドイツがレーダーの威力をみくびっていたことが、イギリスに幸いした。第二次世界大戦ではジェット機が登場し、なかでもイギリスの「スピットファイア」は性能が高く、多くのドイツ軍機を撃墜した。ロケット兵器も登場した。ドイツのV2ロケットは、命中精度は低かったものの、時速およそ 3500 キロという圧倒的なスピードは住民に恐怖を与えた。無線電信では盗聴を防ぐために暗号が用いられた。ドイツのエニグマは解読が困難な暗号化装置だったが、コンピュータの父と呼ばれるイギリスのアラン・チューリングが、その解読に貢献した。原子爆弾は、リーゼ・マイトナー、レオ・シラードなど、開戦前からその可能性に気づいていた科学者がいた。ナチス・ドイツは「ウランフェアアイン」(ウラン・クラブ)を作り、原子爆弾の研究を行った。1940 年、イギリスでは MAUD 委員会が設立された。アメリカでは、真珠湾攻撃の直前にマンハッタン計画が立ち上がる。最初 30 人だった科学者は、最終的には 1500 人に膨れ上がった。原爆の開発には膨大なリソースが必要だった。一方のドイツでは、ハイゼンベルクが原子炉を機能するように研究を続けていたが、原子爆弾を製造するにはほど遠い段階にあったことがわかっている。第二次世界大戦後、水爆やミサイル、レーザー兵器の開発が進んだ。エンリコ・フェルミは、マンハッタン計画が始まる前に、核融合爆弾に気づいていた。最初の水素爆弾「マイク」の組み立てが公式に始まったのは、1952 年 9 月のことだった。原爆の威力には限界があるが、理論上、水爆の威力には限界がない。電磁波爆弾(e爆弾)は、人を死傷させずに電子機器を破壊することができる爆弾だ。著者のパーカーさんは、未来の兵器として、人の脳から出る電磁波を解読するセンサーを挙げる。「こうしたセンサーを人工衛星やドローンに搭載すれば、戦場で敵の『心を読める』ようになる時代が来るかもしれない」(408 ページ)と指摘する。そして、「20 世紀に頻繁に起きていたような悲惨な虐殺行為を起こすことなく、紛争を解決する方向へ導く技術の登場を願っている」(408 ページ)と締めくくる。
2019.09.08
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珈琲の世界史 コーヒーに熱い思いを抱く人がいる限り、きっと何十年、何百年後も、地球のどこかで誰かが、その歴史に思いを馳せながら、1杯のコーヒーを飲んでいるに違いありません。(249ページ)著者・編者旦部 幸博=著出版情報講談社出版年月2017年10月発行著者は、微生物感染症学が専門で、学生時代にコーヒーにはまったという旦部幸博さん。人気コーヒーサイト「百珈苑」 https://sites.google.com/site/coffeetambe/ を主催する。『コーヒーの科学』(講談社ブルーバックス)で書けなかったという、コーヒーの歴史を整理したものである。イエメンからコーヒーがイスラムやヨーロッパへ伝わった経緯や、オスマン帝国、清教徒革命、フランス革命、ナポレオンの大陸封鎖令、ボストン茶会事件といった有名な歴史的イベントとコーヒーの関わり合いが知ることができる。近代になると、貿易商品としてコーヒーの重要性から、国際コーヒー協定(ICA)が結ばれるに至る。戦後、コーヒー豆やインスタントコーヒーの輸入自由化された頃、私が産まれた。学生時代、個人経営の喫茶店に入り浸っていたが、これが第一次ブームの頃だ。これらの個人店は、バブル経済の加熱とともに閉店し寂しい思いをしたものだが、バブル崩壊後、スターバックスが上陸後し、再び喫茶店に足を運べるようになる。そして、現在のお気に入りはコンビニのレギュラーコーヒーだ。はるか昔、イエメンに現れたコーヒーの先祖に思いを馳せながら、今日もその香りと味を楽しむことにしよう。コーヒー豆がなるコーヒーノキの化石は、まだ発見されていない。ただ、近縁のアカネ科植物の花粉の化石から、約 1440 万年前の中央アフリカのカメルーン付近で誕生し、アフリカ大陸一帯の熱帯林に広がったと推測されている。人類がいつコーヒーを見つけたかも明らかになっていないが、コーヒーという言葉はアラビア語の「カフワ qahwah」に由来するという。これがトルコ語の「カフヴェ kahve」になり、ヨーロッパに伝わった。日本にはオランダ人が最初に持ち込んだため、オランダ語の koffie から、「コーヒー」という呼称が生まれた。「珈琲」という漢字は、中国語表記の「??」から独自に考案したものと考えられている。634~644 年頃、イスラム教徒の一派が商売のためにエチオピアに渡った。このとき、コーヒーがイスラム圏内にもたらされたと考えられている。10~11 世紀に書かれたアル=ラーズィーの「ブン」とイブン・スィーナーの「ブンクム」は、初めてコーヒーについて紹介している。その後、コーヒーは一時姿を消し、15 世紀のイエメンで「カフワ」という飲み物として現れる。カフワは、15 世紀初め、モカからイエメン各地のスーフィー教徒の間に広まる。また、イエメンを支配したオスマン帝国は、外貨獲得に役立つコーヒーノキの栽培を奨励し、コーヒーが普及する。イスラム圏に広まったコーヒは、17 世紀に入り、4 つのルートを通ってヨーロッパに上陸する。1573 年、レヴァントを旅行したドイツの医師で植物学者のレオンハルト・ラウヴォルフは、人々が「チャウベ」という飲み物を飲んでいるのを目撃し、『東方旅行の実録』(1582 年)で紹介した。これがヨーロッパ人初のコーヒー目撃情報だ。1630 年代、イギリスにコーヒーが伝わり、コーヒー 1 杯 2 ペニーという安さのコーヒーハウスでは、カフェインの薬理作用で頭をはっきりさせ人々が政治談義に花を咲かせたようである。パリのコーヒー店はフランス革命にも影響を与えた。バスティーユ襲撃の日、ジャコバン党に出入りしていたジャーナリストが、パレ・ロワイヤルの回廊にあるカフェ・ド・フォワのテラスから演説を行った。ドイツでは、バッハの「コーヒー・カンタータ」が流行し、国の資金が海外に流出することを恐れたプロイセン王フリードリヒ 2 世は、1777 年にコーヒー禁止令を布告したほどだった。17 世紀半ばにはアメリカに伝わり、ボストン茶会事件の前後でコーヒーの消費量は 7 倍に跳ね上がった。コーヒー豆不足になったアメリカでは、紅茶の代わりに薄いコーヒーが普及し、これがアメリカン・コーヒーの初まりである。ヨーロッパ列強で、最初にコーヒー栽培に手を出したのはオランダだったオランダ東インド会社は 1619 年にインドネシア・ジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)を占拠し、17 世紀半ばに中継交易に翳りが見えはじめたため、植民地の住民に、指定した作物を栽培させ、安く買い上げて利益を得る方針に切り替えた。コーヒーの覚醒作用の本体がカフェインで、そもそもヨーロッパの植物には存在しない、代用不能な成分だと判明したのはナポレオン戦争の終結後だった。1819 年にフリードリープ・ルンゲが、文豪ゲーテにもらったモカの豆からカフェインを発見。ナポレオンもコーヒーの愛飲者で、流刑中のセントヘレナでは毎食後に欠かさずコーヒーを飲んでおり、亡くなる数日前にもコーヒーが欲しいと訴えたという。ナポレオンが失脚し大陸封鎖が解かれ、ヨーロッパ全土でそれまでの不足を取り返すかのような消費拡大がおきた。ブームの中心になったのは中産階級の市民や知識人たちだった。アメリカで焙煎機の改良が相次ぎ、大量焙煎が可能になった。また、鉄道網の発達により、輸送や流通も改善された。19 世紀前半にはイエメンのコーヒーは、モカ以外の港から輸出されるようになった。ただし、どの港から出荷されても、取引時には「モカ」として高値が付き、ブランド化された。コーヒーは、政治体制にも影響を与えてきた。1791 年、コーヒー農園で働かされていたハイチの黒人奴隷が自由を求めて革命を起こし、奴隷制復活を目指して派兵されたナポレオンの遠征軍にも勝利して、1804 年に世界初の黒人奴隷の革命政権として独立を果たした。大陸封鎖令に従わなかったポルトガルは、1808 年、ナポレオンの侵攻を受け、王族は植民地ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに亡命し、ここを暫定首都とした。リオの産業やインフラは発展し、少し離れたヴァソーラスを中心にコーヒー栽培が盛んになった。1898 年、ベルギーでロブスタ種が発見され、コーヒーさび病に耐性があることが分かった。第1 次大戦に入ると、アメリカでインスタントコーヒーが普及した。戦時中はどの国でもコーヒーは軍に徴用されて、前線の兵士に支給された。カフェインが兵士の眠気防止や疲労感を軽減し、ストレスの軽減にもつながったからだ。第2 次大戦後、コーヒーの消費者離れを食い止めようと、アメリカでコーヒーブレイクが考案され、オフィスもコーヒー消費の場となった。1962 年には、コーヒーの取引価格を安定させるための国際コーヒー協定(ICA)が結ばれ、大規模で国際取引されるコモディティコーヒーが誕生した。日本は、戦後から 1980 年代頃までの間に、焙煎や抽出の技術を国内で研鑽していった結果、まるでガラパゴス島のように独特の進化をとげたコーヒー文化を持つ国に成長した。初めて文献に珈琲が登場するのは、江戸時代の 1804 年のことだ。明治に入り、1888 年、上野黒門町で「可否茶館(かひさかん)」という喫茶店が誕生する。ブラジル移民の父と呼ばれた水野龍が銀座に 1911 年 2 月に開業したのが「カフェー・パウリスタ」は、ブラジルから無償のコーヒー豆を提供され、低価格のコーヒーを出した。現在の日東珈琲だ。喫茶店では女給が働いており、これが、風俗店のようなカフェーに発展するが、戦後、GHQ によって取り締まりの対象となる。1960 年には生豆輸入が自由化、1961 年にはインスタントコーヒーが完全自由化された。1970 年代から喫茶店は増加していき、1981 年には 5 万件を超えて黄金期を迎える。だが、バブルで地価が急上昇。客単価が低い喫茶店は撤退を余儀なくされた。一方、アメリカでは、品質低下していく一方だったコーヒーに我慢できず、アルフレッド・ピートやエルナ・クヌッセンがスペシャルティコーヒーを提案した。そして 1986 年、シュルツがスターバックスのスタイルを確立した。スペシャルティコーヒーは、画一化されて品質低下していくコモディティコーヒーに対する一つのアンチテーゼであり、フェアトレードの動きも広がった。1990 年代に入ると、国際コーヒー協定が突然破綻し、コーヒー価格が大暴落を起こす。この危機に際し、スターバックスは世界進出の足掛かりとして日本に上陸した。2000 年代に入ると、スターバックスに対するアンチテーゼとして、コーヒーのサードウェーブが訪れる。旦部さんは最後に、「コーヒーに熱い思いを抱く人がいる限り、きっと何十年、何百年後も、地球のどこかで誰かが、その歴史に思いを馳せながら、1 杯のコーヒーを飲んでいるに違いありません。――そう、今のあなたや私と同じように。」(249 ページ)と締めくくる。
2019.09.04
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聖☆おにいさん第17巻 主「クソリプが不快なら、この父に言うがよい‥‥全て塩の柱にしてやろう」(52ページ)著者・編者中村 光=著出版情報講談社出版年月2019年7月発行ルシファーの力の源は 8 センチのヒール?フランス語を習得したら、高い塔を建設してはいけない?ジャンヌ・ダルクが降臨。大家の松田さんにフランス語を教える!?創造主は Twitter の鍵アカを覗くこともできるのか!?大相撲が天界大戦争に!?ヨハネは定時退社の守護聖人?現代に蘇ったフラ・アンジェリコがフレスコ画を描くと器物損壊になる?全知全能の神は、ネットにおいてもネ申であることが判明し、実写ドラマ第II紀もネット配信中。今日も立川は平和です。全 8話
2019.07.25
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ムダヅモ無き改革 プリンセスオブジパング 第6巻 ロックフェラーI世「ロックフェラー家当主に必要な資質は、豪運でも強烈なひきでもない。正しい判断力だ」著者・編者大和田秀樹=著出版情報竹書房出版年月2019年6月発行著者は『機動戦士ガンダムさん』『大魔法峠』でお馴染みの大和田秀樹さん。シリーズ累計250 万部を突破した政治+麻雀アクション漫画の新章は、麻雀高校女子ワールドカップだ。御門葩子と戦うロックフェラー財閥の次期党首候補クロエ・ロックフェラーは、神技に近いイカサマをしてみせる。そして、正しい判断力をつかんだクロエは、超レア役「大七星」でアガる。トビそうになる葩子。だが、明日萌がプロジェクションマッピングでクロエのチョンボを誘う。ゼーレ、サタデー・ナイト・フィーバー、シュレディンガーの猫、はやぶさ‥‥何もかもをネタにする大和田秀樹ワールド!
2019.07.21
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ハプスブルク帝国 ヨーロッパでは、君主と諸身分の合議による政治が一般化するうち、両者が討議し合意形成を行う場が、恒常的に設けられるようになった。これが身分制議会の発端である。(49ページ)著者・編者岩崎 周一=著出版情報講談社出版年月2017年8月発行本書は新書ながら 400 ページを超える分厚いもので、「ハプスブルク帝国に関心があるか、詳しいことは何も知らない」(4 ページ)読者のために書かれたという。高校の世界史で、ハプスブルク帝国は覚えるのが大変な題材の 1 つだった。国家通史として扱われないから、教科書のあちらこちらに散発的に登場し、全貌が見えなかったからだ。だが、田中芳樹氏の『銀河英雄伝説』を読み、銀河帝国の始祖ルドルフ大帝の名が、ハプスブルク家の最初の神聖ローマ皇帝と同じであることから、その歴史を見通せるようになった。どちらも選挙で選ばれた皇帝であり、始祖から 500 年後、神聖ローマ帝国はナポレオンに滅ぼされ、銀河帝国ゴールデンバウム王朝はラインハルトによって滅ぼされる。本書は、1273 年のルドルフ 1 世の即位から始まる――。宗教改革、レコンキスタ、三十年戦争、フランス革命、ナポレオン戦争、ウィーン会議、第一次世界大戦、ナチス・ドイツ‥‥すべてハプスブルク家が関与しており、その視点から西洋史を整理し直すと、帝国主義と民主主義の違いは、通史が教えるような単純なものではないと感じる。選帝侯による選挙は、現代民主主義のそれとは異質なものである。だが、全体主義回避という目的は同じだ。そして、選帝侯全員の賛成が必要という。反対する選帝侯は、事前に入れ替えてしまったようだ。私たち日本人が、ゲルマン民族に共感を覚えるのは、こうしたメンタリティが共通しているからかもしれない。1508 年、ハプスブルク家のマクシミリアン 1 世は、神聖ローマ皇帝の戴冠を受けるべくローマへ向かうがヴェネツィア共和国の妨害を受け、トレントで戴冠式を挙げる。これ以降、ハプスブルク家の皇帝はローマで戴冠式を挙げることはなくなった。マクシミリアン 1 世は、自らがブルゴーニュ公国の一人娘マリーと結婚するなど、結婚政策で成功をおさめ、ハプスブルク家の隆盛の基礎を築いた。中世最後の騎士と呼ばれたが、フッガー家との交流を通じて得た資金で傭兵や武器を整える一方、芸術へつぎ込んだ。デューラーなどの芸術家のパトロンとなり、ウィーン少年合唱団の前身をつくった。ちなみに、マクシミリアン 1 世がマリーにダイヤモンドの指輪を贈ったのが婚約指輪の始まりとされる。この後、ハプスブルク家は「戦争は他国にさせておけ、なんじ幸いなるオーストリアよ、結婚せよ」というモットーのもとに領土拡大したとされるが、血縁者が断絶した領土を併合していったというのが史実である。わが国でも戦国時代に政略結婚が盛んに行われたが、断絶の効果の方が圧倒的であったことと同じだ。1519 年、マクシミリアン 1 世の孫、カール 5 世が神聖ローマ皇帝として即位する。母方の祖父母はグラナダを陥落させレコンキスタを完成したカトリック両王フェルナンド 2 世とイサベル 1 世。名家の血筋だ。同年、カール 5 世が支援するマゼランが世界周航へ出発する。カール 5 世は、大航海時代のスペインを版図に収め、「太陽の沈まない国」としてハプスブルク家の絶頂期に君臨した。一方で、宗教改革の嵐に晒され、ヨーロッパの覇権を競うフランス王国や、スレイマン 1 世が率いるオスマン帝国との戦乱が続き、心身ともに疲れ果て、晩年は自ら退位し修道院に隠棲した。世界周航、宗教改革、イタリア戦争、ウィーン包囲、ローマ略奪、トリエント公会議は、すべてカール 5 世が関係する。ハプスブルク家で歴史を串刺ししてみると、中世から近世へ移行しつつあるヨーロッパの姿が浮かび上がってくるではないか。カール 1 世のモットー "@Plus Ultra@プルス・ウルトラ@ruby"(ラテン語:もっと先へ)は、漫画『僕のヒーローアカデミア』で、たびたび引用される。ハプスブルク家はこの後、スペイン系とオーストリア系に分かれる。カール 5 世の息子フェリペ 2 世は、スペイン帝国の最盛期を築いた。1571 年、レパントの海戦でオスマン帝国軍を退けた。1580 年、ポルトガル王家が断絶したことから王位継承を主張し、翌年、身分制議会の決議を経てポルトガル王位に就き、イタリア半島を支配した。1584 年、わが国から派遣された天正遣欧少年使節と面会した。中南米の銀山開発により、ヨーロッパの金流通量は 2.5 倍に、銀流通量は 3 倍を超え、価格革命が起きた。しかし、複合的国制を維持するには莫大な費用がかかり、フェリペ 2 世が没した 1598 年、スペインの支払利息の総額は総収入の 3 分の 2 を占めるまでになってしまった。また、スペインの栄華は、新大陸から搾取することによって成り立っていた。一方、カール 5 世の弟フェルディナント 1 世は、オーストリア系ハプスブルク家として、神聖ローマ皇帝の位を保持しつつ、チェコとハンガリーを加え、中欧にドナウ君主国を形成していった。いまでもハンガリーやチェコの民族は複雑であるが、フェルディナント 1 世も統治に苦労してしたことが分かる。1555 年、兄の神聖ローマ皇帝カール 5 世からドイツ支配を任されたドイツ王フェルディナントは、宗教対立を収束をはかるべく、諸侯の信仰は自由であり、自領の信仰はカトリック教会とルター派から選ぶことができるとした「アウクスブルクの和議」が成立する。これにより、1521 年に神聖ローマ皇帝カール 5 世がルターを追放したヴォルムス勅令は効力を失った。ただし、この時点におけるプロテスタントはルター派のみであり、カルヴァン派は想定していなかった。こうしてハプスブルク家による宗教統一は頓挫した。このあと、プロテスタントに寛容なマクシミリアン 2 世、文化人でティコ・ブラーエやケプラーを支援したルドルフ 2 世が神聖ローマ皇帝となったが、政治は混乱した。次のマティアスは、カトリックとプロテスタントの融和を進めるが、失敗。1619 年、神聖ローマ皇帝に即位したフェルディナント 2 世の時代、弾圧に反発した急進派の貴族が皇帝代官マルティニツとスラヴァタをプラハ王宮の窓から突き落とすというプラハ窓外投擲事件事件が起き、三十年戦争の幕が切って落とされた。一方、ネーデルランド諸州は 1568 年、スペイン・ハプスブルク帝国に反乱を起こし八十年戦争が勃発していた。これが三十年戦争に合流し、戦乱がだらだらと続くことになる。戦争は、神聖ローマ帝国内におけるカトリックとプロテスタントの対立ではじまったが、後半はハプスブルク家、ブルボン家、ヴァーサ家による大国間のパワーゲームに展開してゆく。戦争中、ドイツ国土は荒廃し、1800 万人いた人口が 700 万人にまで減ってしまったといわれる。1648 年、フェルディナント 3 世がウェストファリア条約を受諾する形で、ようやく戦争は終結した。同時に、新教徒やカルヴァン派の信仰も認められ、ようやく宗教戦争に終止符が打たれた。しかし、ドイツの約 300 ある諸侯は独立した主権国家となり、神聖ローマ帝国は実質的に解体されることになる。また、1661 年、太陽王ルイ 14 世が親政を開始すると、フランス王国はドイツ諸州へ侵攻し、アルザスおよびロレーヌをほぼ占領する。帝国内では反仏感情が一気に高揚し、諸侯はハプスブルク家の支援を請う流れとなる。1683 年から 1714 年にかけ、ハプスブルク家は、第二次ウィーン包囲に端を発する対オスマン戦争、プファルツ継承戦争(9 年戦争)、スペイン継承戦争と、再び 30 年におよぶ戦争を戦った。その結果、ハプスブルク家は領土を倍増させ、神聖ローマ皇帝カール 6 世の時代、国力と勢威を大いに増した。また、ウィーンはハプスブルク君主国の首都として本格的に発展していくこととなる。1740 年、カール 6 世が没すると、ハプスブルク家の男系男子は途絶える。長女マリア・テレジアが相続するが、これをめぐってオーストリア継承戦争が勃発する。1765 年、皇帝フランツ 1 世(マリア・テレジアの夫,ハプスブルク=ロートリンゲン家の祖)が没すると、長男のヨーゼフが後を継いだ(ヨーゼフ 2 世)。マリア・テレジアが没するまでの以後 15 年間、ハプスブルク君主国はマリア・テレジア、ヨーゼフ、カウニッツの「三頭体制」により統治されることとなる(マリア・テレジアはオーストリア大公妃で、皇帝には即位していない)。一方、スペイン・ハプスブルク家はヨーロッパ屈指の名門で、そのプライドの高さがゆえに、格下の諸侯とは結婚せず、近親婚が繰り返された。 その結果、カルロス 2 世は心身に異常を来たし、スペイン・ハプスブルク家が途絶える。ここへ太陽王・ルイ 14 世が介入し、1701 年、スペイン継承戦争が勃発する。カール 6 世がスペイン王位を継承することを恐れた各国は、ルイ 14 世の孫をフェリペ 5 世として即位させ、1713 年にユトレヒト条約を結んだ。この後ナポレオンに征服されるまで、スペインはブルボン朝による支配を受けることになる。マリア・テレジアの下で外交革命が起き、長年敵対していたハプスブルク家とフランス王家の間で同盟関係が成立、政略結婚が行われた。マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットがルイ 16 世の皇后となり、フランス革命が起きた。ヨーゼフ 2 世の弟で神聖ローマ皇帝となったレオポルド 2 世は革命への介入を呼びかけたが、1792 年、ヴァルミーの戦いでオーストリア・プロイセン連合軍はフランス軍に敗れ介入は失敗した。レオポルド 2 世の長男で神聖ローマ皇帝となったフランツ 2 世はナポレオン戦争に巻き込まれ、1805 年、アウステルリッツの戦い(三帝会戦)で敗北。南西ドイツ諸侯がナポレオンを盟主としてライン同盟を結成したため、1806 年、神聖ローマ帝国皇帝を退位した。これにより神聖ローマ帝国は消滅するが、オーストリア大公の地位は残っており、初代オーストリア皇帝フランツ 1 世となった。フランツ 1 世はメッテルニヒを登用し、ナポレオン戦争の戦後処理であるウィーン会議の主導権を握った。質素な生活を好み、晩年は国民からも親しみを込められて「善き皇帝フランツ」と称された。ウィーンは繁栄を謳歌するが、それは一部の特権階層の話で、大多数の市民は半日を越える長時間労働が当然で、1842 年に制定された児童保護法において、児童の労働時間が 10~12 時間に規制されるにとどまった。このような状況はヨーロッパ中で広くみられ、ここから社会主義思想が生まれてマルクスとエンゲルスが共産主義を唱えるようになるが、これらの思潮はハプスブルク君主国にも流入し、政府は神経を尖らせた。ウィーンで 10 月革命が鎮圧され、体制刷新のためにフェルディナント 1 世が退位し、1848 年 10 月、甥のフランツがフランツ・ヨーゼフ 1 世として即位した。クリミア戦争で、敵対してきたオスマン帝国は弱体化したが、逆にハプスブルク家も友好国が一つもないという外交的孤立状態に陥った。1866 年の普墺戦争での敗北は、ハンガリーとの関係改善を促進した。皇妃エリーザベトがハンガリーに肩入れしていたことも、これを後押しした。1860 年代後半、ハプスブルク君主国の年間経済成長率は 8~10 パーセントを記録し、産業経済は活性化した。鉄道網の拡充が各地の事業・産業を有機的に結びつけ、工業株式会社が次々に誕生する「創業期」が到来した。しかし、その裏ではバブル現象が徐々に拡大していた。それは 1873 年 5 月、万国博覧会の開幕直後にウィーン証券取引所で発生した株価の大暴落によって明白となる。ここから発生した「大不況」は、1870 年代の世界経済を大きく混乱させた。工業化の進展は、都市化をさらに促した。1873 年にブダ、オーブダ、ペシュトの 3 市が合併してハンガリーの新首都ブダペシュトが誕生した。労働者たちは環境の改善を求める声を強め、繰り返しストライキやデモを展開した。初のメーデーは 1890 年のことである。衛生環境の劣悪さは、ウィーン病と呼ばれるコレラや結核が猛威を振るった。ウィーンなどでカフェ文化が栄えた一因は、人々が住み心地の悪い自宅より、カフェに憩いの場を求めたことにある。にもかかわらず、ウィーンは文化や科学の面ではヨーロッパ随一の都市であり続けた。レフ・トロツキーとヨシフ・スターリンも一時期をウィーンで過ごし、ここで初めて顔を合わせた。1914 年、ハプスブルク家のフランツ・フェルディナント大公が暗殺されたことをきっかけに、第一世界大戦が勃発する。1918 年、ハプスブルク君主国は連合国との休戦協定に調印し、権力の座から退いた。オーストリアは共和国となり、翌1919 年、ハプスブルク法が制定され、最後の皇帝カール 1 世を含むハプスブルク一族は財産没収のうえでオーストリア国外へ追放されることとなった。1921 年、カール 1 世はハンガリー王国で復位を試みるが失敗。1922 年に死去し、オットーが相続する。ヒトラーは、ドイツとオーストリアの合併を視野に入れ、オットーへの接触を試みた。だがこれは実現せず、ヒトラーはオットーを激しく敵視するようになった。1961 年、オットーは、帝位請求権の断念を表明し、オーストラリアへの帰国の許可を求めた。オーストリアの政治が混乱し、オーストリア国民党とオーストリア社会党による大連立政権は崩壊し、オットーは帰国を果たした。その後、欧州議会議員や国際汎ヨーロッパ連合会長を務めるなど、汎ヨーロッパ主義的に活動した。2011 年、オットーが死去し、長男カールが相続した。
2019.07.19
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ベストセラー伝説 「ベストセラーを作るのは、目に見えちゃダメなんだよ。目に見えないけど、無いと困る本こそベストセラーになる。だから空気なんだ。空気は目に見えないけど吸わないと死んじゃう。それが本当のベストセラー」(「試験にでる英単語」著者・森一郎)(218ページ)著者・編者本橋 信宏=著出版情報新潮社出版年月2019年6月発行著者はノンフィクション作家の本橋信宏さん。1956 年生まれだ。私より 8 歳年長なのだが、当時のベストセラーが、いかに息が長かったかを思い知らされた。「冒険王」「少年画報」「学研の科学」「平凡パンチ」「でる単」「ノストラダムスの大予言」――これらを一度でも読んだことがある方に、おすすめ。これらベストセラーの裏側は、大人になった今だから理解できる。「ベストセラーを作るのは、目に見えちゃダメなんだよ。目に見えないけど、無いと困る本こそベストセラーになる。だから空気なんだ。空気は目に見えないけど吸わないと死んじゃう。それが本当のベストセラー」(「試験にでる英単語」著者・森一郎)「タイトルが一番大事。(タイトル会議は)しつこくやれ、著者だけでなく社内的にも」(伊賀弘三良・祥伝社社長)「雑誌は格調が必要。床の間が必要、そういうのがあればあとは何をやっても様になるんだな」(島地勝彦・週刊プレイボーイ元編集長)戦後の混乱期、人々は活字に飢え、印刷物なら飛ぶように売れたという。「紙は貴重な資材になり、ブローカーが暗躍する。買い占めた紙が余りすぎたので、ブローカーが本と紙を交換しようと秋田貞夫に交渉してきた」(18 ページ)。こうして誕生した秋田書店は「冒険王」を発行し、色印刷のアメリカンコミック風絵物語が子どもたちの心を掴んだ。「冒険王」から「少年チャンピオン」の編集長になった壁村耐三は、原稿が遅れている漫画の神様・手塚治虫に向かって怒鳴るような鬼編集長だった。しかし、ドカベンを柔道部から野球部へ転向させるなど、嗅覚は鋭かった。さらに、「おいっ! 手塚先生の死に水は俺たちがとってやろうじゃねえか!」と編集員に発破を掛け、スランプに陥った手塚治虫が「ブラック・ジャック」を連載する場を与えた。学研の「学習」「科学」は学校で販売されていた。なぜか――後発出版社だった学研の古岡秀人社長は、公職追放された元校長たちに目を付け、子どもの教育に役立つ本の普及に同志として力を貸して欲しいと協力を求め、彼らに営業を委託したのである。元校長たちの営業力は絶大だった。さらにトラック輸送を活用し、付録の素材は自由に選べるようにした。「でる単」の著者は、毎年東大へ大量の合格者を出していた都立日比谷高校の現役英語教師・森一郎だった。その職人芸が「でる単」を誕生させた。これに部数を奪われてはなるものかと、旺文社創業者の赤尾好夫が編集した「豆単」は、電算機を使って受験英単語の出題頻度をはじき出した。1973 年秋、祥伝社から「ノストラダムスの大予言」が発刊された。この年、石油危機が起き、光化学スモッグ、河川汚染が問題になった。1973 年暮れに「日本沈没」が映画化され、翌74 年にはユリ・ゲラーが来日、超能力騒動が起き、スプーン曲げ、こっくりさんが大流行する。高度成長期が終わり、社会の先行きが不安になった時代だった。著者の五島勉は、本書の最後に「たしかに、「恐怖の大王」が降ってきてマルスが支配する、と書かれているけれども、人類全部が滅亡する、と明記されているわけではないからだ」と記している。本橋さんは、こう思う――「ノストラダムスの大予言」を書いた五島勉は昭和 4 年生まれ、「日本沈没」を書いた小松左京は昭和 6 年生まれ。両者を担当した編集者の伊賀弘三良は昭和 3 年生まれ。いずれも昭和 1 桁世代である。この世代は 10 代の思春期のときに、親や教師が 8 月 5 日を境に 180 度主張を反転させた姿を目撃してきた。国家、体制に対してどこか不信感を持っている。1973 年の 2 冊の大ベストセラーも、いまの泰平を信じるな、という昭和 1 桁世代からのニヒルな警醒の書ではなかったか。(214 ページ)子どもの頃、本書に登場するほとんどの書籍・雑誌を読んだわけだが、大人になった今、これらの出版物は、編集者たちの汗と涙の結晶ではないか――いや、怨念すら感じた次第。出版不況と言われて久しいが、雑誌出版点数は 1970 年代の 1.5 倍、書籍出版点数に至っては 4 倍近い。子どもたちの「記憶に残る」ベストセラーは、まだまだ出せる余地はあるのではないか。なにも紙の出版物でなくてもいいだろう。作家さんと編集者さんが心血を注いだ作品が、これからも世に出ることを願わん――。
2019.07.16
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時間泥棒 コペクスキー「最初からずっと、ほしかったのはそれであって、お金ではない。われわれみな、足りないのは時間であります」(22ページ)著者・編者ジェームズ・P.ホーガン=著出版情報東京創元社出版年月1995年12月発行時代は近未来。ジェームズ・ P ・ホーガンの作品にしては、約 170 ページと薄い。主人公も科学者ではなく刑事である(アイザック・アシモフのロボット・シリーズを連想する)。それでも、時間が一定して流れなくなった場合のコンピュータ・システムへの影響を具体的に描き出しているところは、ハード SF の旗手ホーガンらしい。ホーガン入門SF としておすすめだ。ある日突然、ニューヨーク中心街一帯で時計が遅れ始めた。しかも場所によって遅れ方に違いがあり、遅れ方が一定しているわけでもない。待ち合わせに不都合が生じたのはもちろん、時刻によって足並み合わせをしている交通システムは麻痺し、コンピュータも正常に動作しなくなった。誰かが時間を盗んでいる――こうした判断がくだされ、ニューヨーク市の刑事ジョー・コペクスキーが事件解決に当たることになる。だが、いったい、だれが、どういう手段で「時間」を盗んでいるというのだろう。コペクスキーは、理論物理学者から心霊学者まで、さまざまな“有識者”に意見を求めた。コンピュータが多く稼働している場所では特に遅れが大きく、赤い霧のようなものが見えるようになった。さらに、ビルを支えている建材が脆くなり、倒壊するという事故が発生するようになる。コペクスキーはバーナード・モイナハン神父との会話の中から、突拍子もない仮説を立て、事件の解決に当たる。コンピュータ・セールスマンという経歴を持つホーガンは、時間の遅れに伴ってコンピュータの動作に支障をきたすようになる情景を細かに描き出した。私たちが使っているパソコンは、マザーボードに搭載されている水晶発振子のクロックに同期して、すべての回路が動くようにできている。このクロック=時刻が狂ったら、パソコンは動かなくなる。コンピュータ・ネットワークも同じである。ネットワーク上を行き来するデータには必ず時刻情報が付加されており、それによってデータの順序が決定される。時間は、また、哲学的な要素を内包する。理論物理学では、時間と空間を一体のものとして扱うが、時間に関する限り、逆方向に遡ることができない。時間は、あらゆる人たちに均等に与えられるという点では、どんな宗教や政治より平等主義である。だが本書では、均等である筈の時間に重み付けができることを示している。こうした技術と常識と、そしてホーガンらしい皮肉に、考えさせられることは多い。
2019.07.13
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仮想空間計画 コリガン「コンピュータというやつは外界との相互作用はうまくはできないという、単純な事実があるんだ」(93ページ)著者・編者ジェイムズ・P・ホーガン=著出版情報東京創元社出版年月1999年7月発行本書は、人工知能をめぐる科学とビジネスの対立を軸に、人工知能に学習させることができない人間の心の葛藤を、ユーモアタップリに描き出したハード SF だ。著者は、『星を継ぐもの』『創世記機械』などでお馴染みのジェイムズ・ P ・ホーガン。2010 年に亡くなっているが、本書は 1995 年に書かれたもので、人工知能の冬の時代であるにも関わらず、今日のディープラーニングを彷彿とさせる舞台設定となっている。コンピュータ・セールスマンだったホーガンの面目躍如といったところ。科学者ジョー・コリガンは、ある日、見知らぬ病院で目を覚ました。彼は記憶を失っており、自分が誰であり、どんな仕事をしていたのかも思い出せなかった。担当医師ゼールやカウンセラーの治療を受け、徐々に記憶を取り戻してゆく。彼は人工知能「オズ」の研究開発に従事しており、人工知能に学習させるために現実世界に限りなく近いヴァーチャル・リアリティの開発に従事していたのだ。だが、ドクター・ゼールの治療方針として、彼を元の職場に戻すことをせず、バーテンの仕事をするなどしてリハビリに努めさせた。ジョーは臭いを感じることができなくなっていた。そして、人々の様子や、世界の在り方にどうしようもない違和感を覚えていた。そうして 12 年の歳月が流れた。ある日、ジョーの前に現れた女性リリィが告げた。この世界はヴァーチャル・リアリティであり、私たちはそこに閉じ困られていることを。そう考えると辻褄が合う。人々の様子がおかしいのは、それは現実の人間の思考を真似るようコンピュータが作り出したアニメーションなのだが、学習過程に何らかの問題があり、現実世界の忠実な複製となっていない。なによりも臭いが感じられないのは、ジョーたち現実の人間とのインターフェースとして、嗅覚だけがシステムに実装されていなかったからだ。ジョーは世界からの脱出を試みたが、ある日突然、現実世界に戻され、そこで目覚めた。だがそこは、オズが稼動開始する直前の世界だった。ジョーは時間を遡ったのだろうか。ジョーたちを罠にはめたのは、ライバル科学者のフランク・タイロンなのか。上司のジェイスン・ P ・パインダーはジョーに助け船を出せるか。出資者であるケン・エンデルマイヤーは何を追い求めているのか――各人各様の目論見が渦巻く中、舞台はめまぐるしく変化する。はたしてジョーは現実世界に戻ることはできるのか。原題「Realtime Interrupt」のとおり、本作品はヴァーチャル世界とリアル世界を行ったり来たりする。最初は少し戸惑うかもしれないが、やがて慣れてくる。ところが、この「慣れ」がホーガンの用意したトラップで、最後のどんでん返しに、まんまと騙された。人工知能に対するトリックはもちろん、死してなお読者の心まで操ることができるとは、おそれいった。主人公のジョー・コリガンは、「コンピュータは現実世界と交流して必要な情報を拾いだすことはあまり得意じゃない」として、ヴァーチャル世界の中で、人間を模した多くのアニメーションに、本物の人間を紛れ込ませることで、人工知能を学習させようというオズ計画を立ち上げる。ジョーは続けて言う。「われわれには「常識」と呼ぶ、巨大な知識ベースという利点がある。それによってわれわれは微妙な、状況に応じた関連付けができる。それによって人間は比喩を理解するようなことがあれほどうまくできるわけだ」――これは、現代のディープラーニングが抱えている問題でもある。そして、MIT AI研究所の創設者で、実在するマーヴィン・ミンスキー博士(2016 年死去)が登場する。人工知能を研究してきた者としては、ニヤリとさせられた。オズ計画に莫大な投資をしたエンデルマイヤーら資本家側には、期待する成果があった。この成果を短期間に出そうとするのが、ジョーのライバル、フランク・タイロンである。現実のビジネスでよく出くわすシチュエーションだ。ホーガンの SF を安心して読んでいられるのは、科学はビジネスと違って、必ずしも成果が出ないこと。それでも最後には科学者が報われること――本作品は「ここでは、時間はマイペースで流れていった」と締めくくられる。私が暮らすリアル世界も、こうありたいものである。
2019.07.09
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官僚病の起源 日本国民は1853年のペリー・ショックのためになおいっそう外的自己と内的自己とに分裂し、そして、内的自己においては欧米諸国を恨み、屈辱感をもっている(77ページ)著者・編者岸田秀=著出版情報新書館出版年月1997年2月発行著者は、精神分析者の岸田秀さん。人間は本能の壊れた動物であり「幻想」や「物語」に従って行動しているに過ぎないという「唯幻論」を展開する。岸田さんは、ご自身が気に入らないものは「精神分裂病」とレッテル貼りをするだけで、解決策は一切提示しない。本書を読んだ方で、岸田さんと感じ方のベクトルが一致するヒトは、同様にレッテル貼りをするだけで、自分は精神状態が健常であると思い込み、改善策を考えることを止めてしまうのではないだろうか。また、科学的・論理的に間違っている記述も多い。たとえば、「英語を崇拝し、英語力の価値を限りなく過大評価する外的自己と、英語を嫌悪し遠ざけようとする内的自己との葛藤」(156 ページ)が精神分裂病だというのは、医学的に間違いである。精神分裂病の名称が統合失調症に変わったのは、本書発行後の 2002 年のことなので、これはいい。症状は患者によって様々だが、妄想などの陽性症状と、感情が乏しくなる陰性症状を特徴とする。両者は「葛藤」しているわけではない。幸いなことに、岸田さんは精神分析者であり、精神科医ではない。医療過誤を起こすことはないだろう。岸田さんは、歴史には詳しくないと何度も記述しているが、その詳しくないことの上に、ご自身の専門分野である心理学の話題を積み上げるという論理構造もおかしい。常識的には、この逆である。わが国の政治や教育や社会問題に対して問題意識を持つことは必要なことだ。だが、それをラベリング(仕分け)するだけで、何ら論理的・具体的な解決策を考えないのは、思考停止である。本書を他山の石として、これからも考えることを諦めない姿勢を保っていきたい。冒頭で、「軍部官僚の失敗は軍人であるがゆえの失敗ではなく、官僚であるがゆえの失敗」(15 ページ)と断じ、官僚組織が自閉的共同体であると指摘する。岸田は、日本の成り立ちが、渡来人の影響でも、大王による統一でもなかったとし、自閉的共同体である豪族が、そのまままとまっただけだと主張する。だが、この主張に物的証拠はない。それを下地に、日本の官僚制度が自閉的共同体であると展開することは、論理的に無理があるのではないだろうか。一方で、武家政治を賞賛するが、これも根拠に乏しい。官僚病の解決策として、「ふたたび鎖国し、徳川時代のような政治体制を復活させること」(69 ページ)を主張するが、これは非現実的だまた、このような官僚制度を誕生させたのは国民の責であるとし、「日本国民は 1853 年のペリー・ショックのためになおいっそう外的自己と内的自己とに分裂し、そして、内的自己においては欧米諸国を恨み、屈辱感をもっている」(77 ページ)ためだという。本書のタイトルである「官僚病の起源」は、ここで唐突に終わる。81 ページからは、歴史を精神分析すると称し、「天孫降臨」も「神武東征」も、そういった史実はなく、日本は百済の植民地であったことを隠すために歴史が捏造されたと主張をはじめる。もちろん、何の証拠も記されていない。
2019.06.23
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コーヒーの科学 豆の中では熱によって化学反応が励起され、生豆中の成分から新たな物質が生成、さらにそれがまた別の反応を起こし‥‥と非常に複雑な化学反応が順次進行していきます。これら一連の、焙煎に伴う化学反応は「焙焦反応」と総称されます。(178ページ)著者・編者旦部 幸博=著出版情報講談社出版年月2016年2月発行日頃、コーヒーを愛飲しているが、その味や店舗に関する情報はよく目にしてきたのだが、生物学的特性や歴史については知らないままだった。本書は、コーヒー豆がなるコーヒーノキの生物学的特徴にはじまり、精製、焙煎、抽出のプロセスを科学的に説明する。とくに焙煎プロセスは化学変化であり、香味や泡、色などが、全てこの工程で生成されるということを再認識した。自宅でできる焙煎や抽出のテクニックも織り交ぜられている。全体を通して、コーヒーを科学的に知ることができ、とても勉強になった。最後に、旦部さんが提示した「コーヒーとは何か」という問いかけに対し、私は「座右の飲み物」と答えたい。自宅でも職場でも、私のデスクには常にコーヒーが置かれている。著者は、微生物感染症学が専門で、学生時代にコーヒーにはまったという旦部幸博さん。人気コーヒーサイト「百珈苑」 https://sites.google.com/site/coffeetambe/ を主催する。まず、コーヒー豆がなるコーヒーノキについて図版入りで説明が始まる。コーヒーノキは、染料の原料となるアカネや、マラリアの特効薬キニーネが発見されたキナノキが属するアカネ科の植物である。アカネ科コーヒーノキ属は北回帰線から南回帰線までのコーヒーベルトで見ることができ、125種がある。そのうち、コーヒー豆を採るために栽培されているのは、アラビカ種とカネフォーラ(ロブスタ)種の 2種だけという。中でもアラビカ種は 4 倍体で、かつ自家受粉するという珍しい植物だ。また、コーヒー豆は、ダイズやアズキなどの豆類と異なる構造をしており、胚乳が残存しており、ここにカフェインが含まれる。カフェインは、近くに生えている植物の生育を抑えたり、一部の昆虫や、ナメクジやカタツムリに対して毒性を示す。コーヒーの花は、雨によって開花が調整され、雨季と乾季がはっきり分かれる地域ほど、たくさんの花が一斉に咲く。花が散るとコーヒー豆が育ち、だいたい 8~9 ヵ月目くらいで完熟する。収穫した生豆は、精製、焙煎、抽出の加工を経て、コーヒーが作られる。最初にコーヒーを利用していたのはアラビカ種の原産地であるエチオピア西南部の人々だと考えられているが、10 世紀ペルシアの医学者アル=ラーズィー(ラーゼス)の『医学集成』にコーヒーに関する記述が初めて登場する。1723 年、フランスの海軍将校ガブリエル・ド・クリューが、パリ植物園から盗み出した 1 本の苗木を、カリブ海のマルティニーク島に伝え、栽培に成功。この 1 本の樹の子孫がカリブ海から中米一帯に広まり、世界のコーヒー生産の半分を占める最大産地になった。1867 年、スリランカでコーヒーさび病が発生し、インド中のコーヒーが壊滅的打撃を受けた。スリランカのコーヒー園は荒廃し、後に紅茶を生産することになる。ヨーロッパではナポレオン戦争後にコーヒーブームが起き、コーヒー豆の生産が本格化する。しかし、需要に供給が追いつかず、少ない豆でも作れるアメリカンや、代用コーヒーが誕生した。代用コーヒーは、ついにカフェインと同じ覚醒物質を発見できなかった代わりに、カフェインレスとして発展してゆく。産業革命の進捗とともにコーヒーの焙煎、抽出技術も進歩し、イタリアでは 1948 年にガジア社がエスプレッソマシンを開発。高圧抽出が可能になったことで、「クレマ」と呼ばれる独特の泡で表面を覆われた、現在のエスプレッソが生まれた。一方、1929 年、世界大恐慌の余波でコーヒー価格が暴落した際、ブラジル政府はネスレ社に、余剰コーヒー豆を用いた製品開発を依頼し、インスタントコーヒー「ネスカフェ」が誕生した。コーヒーは苦いというのは万国共通だ。苦み感覚は食品に潜む危険を察知するものだが、大人になるまでの食体験の中で、その食品が安全だと学習することで平気になり、味の変化の一つとして楽しむようになるようだ。また、苦味受容の遺伝子も明らかにされ、先天的に苦みをあまり感じない人は、エスプレッソやブラックコーヒーを好む傾向がわかってきた。1980 年代には、カフェ・バッハの田口護氏が、生豆の選定から抽出までの流れを一つのシステムとしてとらえ、おいしいコーヒーを科学的に考察し、定義した。コーヒーの主要な苦み成分が、カフェインではなくクロロゲン酸の加熱物であることが分かったのは、2006 年のことだった。また、コーヒーの黒い液色の正体は「コーヒーメラノイジン」と総称される、焙煎の過程で生じる水溶性の褐色色素群だという。さらに、コーヒーの香味には精製中に生じる発酵が大きく影響しているといい、発酵に関わる微生物群をコントロールすることで、香味を調節する取組みもはじまっている。コーヒーの科学は、現在進行形なのである。焙煎の時に生じる化学反応によって、コーヒーの香味や色が決定する。焙煎は、多くのプロが「もっとも重要な工程」と位置づけているという。焙煎が進むための必要条件は 2 つで、浅煎りで 180℃以上、深煎りでは 220~250℃に達する「温度」と、水分が十分に減ることだ。私も自宅で「抽出」をやる方だが、ドリップ式はクロマトグラフィーと同じ原理だという。コーヒーを淹れるプロセスは化学である。また、挽いた粉を茶こしやふるいにかけて微粉を除き、粉の大きさを揃えると驚くほど味が変わるという。試してみよう。焙煎時に作られた細胞壁表面の「どろどろ」の部分を抽出することで、コーヒーが出来上がる。また、多孔質の粉には、焙煎時に生成する二酸化炭素を主成分とするガスで満たされており、「どろどろ」にもガスが大量に溶け込んでいる。さらに、界面活性物質も混じっており、これらがお湯に触れ抽出されることで、泡ができる。焙煎から抽出は、化学的なプロセスである。コーヒーサイフォンは、サイフォンの原理を使っていないのだが、欧米では「吸引式コーヒーメーカー」「ダブル・ガラス風船型」と呼ばれているそうだ。ダッチコーヒーもオランダ由来ではなく、京都生まれの抽出法だ。旦部さんは最後に、「コーヒーと健康」について、急性作用と長期影響に分けて解説する。急性作用は、カフェインによる覚醒効果や利尿作用が代表だが、長期作用は 2 型糖尿病を減らすとか肝がんの発症リスク低下などがある。急性カフェイン中毒とカフェイン依存についても紙面が割かされている。
2019.06.16
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火星の遺跡 ハミルトン「あの男が言ったことはなにもかも現実になっている! たしかに、わたしには説明できないし、きみにも説明できないし、ここにいるだれにも説明できない。それでも、ときには科学では説明のつかないことが起こるものなんだ」(399ページ)著者・編者ジェイムズ・P・ホーガン=著出版情報東京創元社出版年月2018年12月発行本書は、火星を舞台に、紛争調停人キーラン・セインが活躍する 2部構成の SF だ。著者は、『星を継ぐもの』『創世記機械』などでお馴染みのジェイムズ・ P ・ホーガン。2010 年に亡くなったが、本書は 2001 年に書かれたもので、17 年の時を経て翻訳された。ドローンやパッド、そしてハッキング・テクニックなど、現代でも色褪せない仕掛けは、コンピュータ・セールスマンだったホーガンらしい作品となっている。火星では、ベンチャー宇宙企業体クアントニックスがテレポーテーション技術の人体実験に成功した。ちょうど火星を訪れていたキーランは、テレポーテーション技術を開発し、自らが実験台となった科学者レナード・サルダと接触する。自信満々に実験成果を語るサルダだが、次に会ったときには、銀行に入金された成功報酬が全て無くなってしまったと、自信を喪失してキーランに相談をもちかける。銀行によれば、本人でなければ知り得ないパスワードを使って、正当に出金されたという。はたしてサルダの身の回りに何が起きたのか。そして、人体テレポーテーションは成功したのか。第2部でキーランは、サルダーに関わる重要な情報を提供してくれた考古学者ウォルター・トレヴェイニーの探検活動に医師として参加する。火星の超古代文明をめぐって、大企業の社長ハミルトン・ギルダーと、その一味が、発掘作業の邪魔をする。キーランは火星での人脈をフル活用し、ファラオの呪いや高次元精神といったキラキラ・スピリットに弱いお嬢様=ギルダーの娘マリッサをまんまと騙し、発掘調査隊を窮地から救おうと画策する。最後の一歩というところでキーランたちは捕まってしまうが、火星の遺跡が彼らの救いとなったのだった。本書には、SF ファンやトンデモ・ウォッチーならニヤリとさせられる伏線が張ってある。1 万 2 千年前の事件を追うキーランに対し、ビジネス・パートナーであるジェーン・ホランドが「原因は巨大な彗星でそれが金星になったとか」(121 ページ)と発言するシーンがあるが、これはイマヌエル・ヴェリコフスキー『衝突する宇宙』(通称「ヴェリコフスキーの彗星」)が元ネタだろう。その他、エジプトのピラミッドやファラオの呪い、インカの巨石建造物など、失われた超古代文明「テクノリシクス文明」が存在していることが前提になっている。また、モンティ・ホール問題 https://www.pahoo.org/e-soul/webtech/phpgd/phpgd-23-01.shtm を話題として取り上げている。だが、そこでハード SF の巨匠であり、ウィットましましのイングランド人、ホーガンの筆がうなりを上げる。フラグ回収などどこ吹く風で、キーランはジェーンに「今宵は石油王とディナーというのはどうだい?」と誘って大団円。読んでいるこちらは大爆笑。まるで 2019 年の日本人向けに書かれた小説のようである。また、本書に限っては、UFO現象学者の礒部剛喜氏による解説「テクノリシク文明の呪縛」を先に読むことで、本編を 256 倍ほど愉しむことができるだろう。その全文が公式サイトに掲げられているので、ご一読を http://www.webmysteries.jp/archives/13865100.html
2019.06.08
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ヒトはなぜ宇宙に魅かれるのか 天文学は「みんなの科学」と呼ばれています。5千年以上の歴史を持ち、最も古い学問の一つであると同時に、宇宙は誰でもが一度は気になる存在です。(146ページ)著者・編者縣秀彦=著出版情報経済法令研究会出版年月2019年3月発行著者は、「科学は文化」をモットーに、国立天文台を中心に世界中を飛び回っている縣秀彦さん。「宇宙のことを知ると、自分の存在理由や、立ち位置が垣間見える瞬間に遭遇することがあります」(41 ページ)と記しているが、同世代の天文少年(?)として、同感である。いま、自分が、数億光年というスケールの時空間を見ていると思うと、いかに「自分たちのルールにのみ固執して、お互いの共通性を見いだせず」(46 ページ)にいるか、そして、自分がいかに小さな存在かということに気づかされる。縣さんは、「中学校卒業までに身につけてほしい自然観として、天文教材が特に役立つ科学概念は時間スケールと空間スケールの認識に関して」(181 ページ)と指摘する。手前味噌ではあるが、わが家のホームページでは、本書で紹介された宇宙カレンダー https://www.pahoo.org/e-soul/webtech/php02/php02-49-01.shtm や、Google マップに太陽系を描くプログラム https://www.pahoo.org/e-soul/webtech/js01/js01-08-01.shtm を無償公開している。お子さんの天文学習の役に立てば幸いである。縣さんは、「天文学は音楽や算術・幾何と並んで 5 千年以上の歴史を持つ最も古い学問の一つ」(36 ページ)という。科学史は、天文学を中心に整理するとわかりやすい。さらに、グレゴリオ暦の制定やコロンブスやクック船長の探検の背景に天文学があったことを考えると、世界史に対する見方も変わってくるだろう。縣さんがかつて教鞭を執った高校では、「不思議なことに生徒たちは、暗闇の中、星空を眺めながら、必ず自分の悩みを打ち明け始めます」(40 ページ)。これはよくわかる。「宇宙のことを知ると、自分の存在理由や、立ち位置が垣間見える瞬間に遭遇すること」(41 ページ)がある。コペルニクスやガリレオといった多くのが学者の努力で、人類は、自分たちが宇宙の中心にいるわけでないことを認識できるようになった。自分の立ち位置を、ニュートラルに、それこそ天空にいる神の視点で見ることができるようになった。縣さんは、アポロ 11 号の月着陸を原体験にしており、「現在の科学技術の発展や世界平和を願う気持ちの原点の一つが、アポロ計画」(68 ページ)という。3 歳年下の私は、残念ながら月着陸の記憶がない。最初のアポロの記憶は、ソユーズとのドッキングだ。1975 年の時点で、私の中で冷戦は終わっていた。同じ年、バイキング 1 号が火星に軟着陸し、2 年後にはボイジャー 1 号が木星へ向けて旅だった。縣さんは、国立天文台に着任すると、アウトリーチ活動として国立天文台三鷹キャンパスの一般公開をはじめた。2000 年 7 月 3 日のことである。わが家のすぐ近くである。2005 年から、三鷹駅近くでアストロノミー・パブを開いたことも知っている。また、縣さんが着任する以前の三鷹キャンパスの情報公開発動は、『天文台の電話番』(長沢工=著,2001 年 1 月)に詳しい。「科学は文化」が、国立天文台天文情報センター普及室の取組みのモットーだそうだ。私も経験上、星の話は、世界中どこへ行っても通じることを知っている。科学は文化となり、世界中のヒトを結ぶ。縣さんは、サイエンス・コミュニケーション(SC)を、「サイエンスというものの文化や知識が、より大きいコミュニティの文化の中に吸収され、変質し、その結果が科学にも跳ね返ることで、社会全体や個人に影響を与えていく過程」(167 ページ)と定義づける。また、天体観測は、その天体からの光の情報だけで理論を組み立てなくてはならない。天文学者にとって、「少ない情報からその天体の特性を導くその作業は、強い根気と論理性が求められる作業」(185 ページ)は当たり前のことかもしれないが、その後の私のビジネス活動の大きな糧となった。好きこそ物の上手なれ――英会話や方程式の解法といった技術は、必要に応じて覚えればいいだろう。
2019.06.03
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母子手帳のワナ 子供が病気にかかりやすい、治りにくい、アトピーやアレルギーなどに悩まされる、そうした問題の大部分は、生まれる前に親の世代が受けて来た過剰な医療行為や、生まれてからすぐに受ける行き過ぎた医療介入が原因(10ページ)著者・編者高野弘之=著出版情報四海書房出版年月2016年7月発行「ワクチンを射(う)つ」という不思議な言い回しをしている本があるということで、読んでみた。著者は、東京世田谷区で「可能な限り薬にたよらない自然派小児科」を開業している高野弘之さん。1971 年生まれである。扉を開くと、免責事項として、 ・本書で取り上げられている母子保健の方針は著者個人の試みです。 ・本書で取り上げられている効果等は、あくまで著者の研究による個人的な見解の表明であり、株式会社四海書房はその効能を含む一切について保証をしません。 ・また、本書に取り上げられている療法のすべてについて、株式会社四海書房は一切の照会に応じられません。また特定の医師の紹介、推薦をすることもできません。と記されている。まず、本書を読む前に確認した事実を書いておこう――高野さんが経営するクリニックと同じビルに、レメディと呼ばれる飴玉をなめると全ての怪我や病気が治るとする日本ホメオパシー医学協会が入っている。日本豊樹自然農業株式会社において、農薬と化学肥料をまったく使わず、作物と土壌の生命力を最大限に引き出す「ホメオパシー自然農法」を実践している。会員制サイトで通販を行っており、玄米は 500 グラム 1900 円と、市販のコシヒカリの 4~5 倍のお値段である。本書は、標準医療とされる内容と、非科学的な(場合によっては健康被害をもたらす)内容がない交ぜになっていて、読者にその識別を難しくさせているのが、最大の「罠」であると感じた。また、ホメオパシーをはじめとするトンデモ医療に帰依させるために、どのように洗脳し、標準医療や社会福祉体制から切り離していくかという手順も垣間見えた。冒頭で、?野さんは、「子供が病気にかかりやすい、治りにくい、アトピーやアレルギーなどに悩まされる、そうした問題の大部分は、生まれる前に親の世代が受けて来た過剰な医療行為や、生まれてからすぐに受ける行き過ぎた医療介入が原因」(10 ページ)と言い切る。これは、科学ではなく宗教で言うところの因果応報思想である。そして、母子健康手帳(母子手帳)の成長曲線について、「グラフの標準範囲と、あなたの赤ちゃんの成長に、それほど関係はないのです」(16 ページ)という。関係がなかったら、その時代の子どもの成長・体格の統計情報を反映し、定期的に母子手帳が改訂されるわけがない。また、冒頭で「人工乳の利用を否定するものではありません」(70 ページ)と書きながら、最後まで母乳のことしか書いてない。予防接種欄については、「このようなページがあることで商店街のポイントカードやスタンプラリーのごとく空欄を埋めて行くべきものだと暗示がかかる」(18 ページ)と指摘した上で、「私は、診察で母子手帳を見せてもらってワクチン欄が真ッサラの空白だった時はちょっとしたカタルシスを感じます」と述べる。予防接種反対は自己満足だったのか。「予防接種のワクチンが対応しているのは、すでに現在の日本社会には存在していない感染症」(20 ページ)と、ワクチン接種には全面反対の?野さんだが、これはおかしい。たとえばポリオについては、少ないながら海外では感染例もあるし、そもそもポリオをここまで封じ込められたのはワクチンのおかげである。それを打つなと言うのは本末転倒。つい 30 年前まで、ポリオによって 150 万人以上の子どもが死んでいたのだ。HPV ワクチンの効果は最大でも 0.15%と見積もっているが、その根拠は、子宮頸がんの発症率は 0.15%だから――これも滅茶苦茶。しかも、この数字は世界統計で、日本国内 20~30 代女性に限ると 0.57%と大きくなる。統計の誤魔化しである。そして、予防接種は一切不要で、 ・幼少期に病気にかかって自然治癒することで、本当の免疫を身につける。 ・病気の症状を積極的な解毒の機会と考え、対症療法をしない。 ・食生活を見直す。と締めくくる(118 ページ)。いつの時代の育児ですか、これは。ワクチンのアジュバンドにアルミニウムが含まれていることについて、「アルミニウムは人体にとって全く不必要な物質」(124 ページ)と言い切るが、この仮説は検証されていない。ワクチン接種の有無に関わらず、人体には微量元素としてアルミニウムが含まれている。さらに、風疹のワクチンを子どもの頃に接種するため、妊娠適齢期になってワクチンの効果が薄れ、2013 年、風疹の流行が起きたという主張をしている。事実は、ワクチン定期接種の機会がなかったか、移行措置のために接種率が低くなった世代が感染していたのである。わずか 3 年前の出来事を、このように歪めてしまう書きっぷりは、いかがなものか。新生児の出血を防ぐために飲ませる K2 シロップについては、その添加物が毒だという。10 年ほど前、山口で K2 シロップの代わりにホメオパシーのレメディを与え、生後 2 ヵ月の乳児が死亡した事件を思い出す。本書は 2016 年発行だが、ホメオパシー関係者は過去の死亡事故を意に介さないようである。第3章では、母子手帳の成り立ちが GHQ と乳業企業による陰謀であると言い始め、トンデモの色合いが濃くなる。子どもを虫歯にしないためには、3 歳まで砂糖を接種させない。虫歯菌の有無は関係ない。フッ素塗布は不要と主張する。だが、これとは全く逆の育児をしたわが子に虫歯がないことが、この主張の反証である。また、フッ素は魂の座である松果体を石灰化させ、霊性を下げるという。いよいよトンデモである。逆に考えると、ホメオパシー関係者の間では松果体に魂が宿っているととらえているのかもしれない。フランスの哲学者・数学者のデカルトが、松果体を「魂のありか」と呼んでいたことに由来するのだろう。第5章では、ノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュバイツァーの言葉を引用し、「内なるドクター」が「自己治癒力」であるという先入観を与え、これについて述べる。まず、創傷を消毒してはいけないということだが、これは感染していないという前提条件がつく。本書のように、無条件に消毒してはいけないというのは危険だ。また、症状は治療過程だと言い切り、「高熱自体は悪くない」とする。タミフルは危険行動誘発剤だという。内なるドクターに働くチャンスを与える「世界の五大療法」として、アロパシー、ホメオパシー、ナチュロパシー、オステオパシー、サイコパシーを挙げる。どれも代替医療といえば聞こえがいいが、要するにトンデモである。デトックスについても触れている。「人生において最大のデトックスの機会は出産」(247 ページ)――(自)意識高い系の母親が赤ん坊を虐待するケースは、デトックス思想の延長かもしれない。最終章では、こうしたトンデモを子どもに施したあげく、医師が児童相談所に通報した事例を取り上げ、「拉致まがいの一時保護」と言い切る。こうして母親を標準医療や社会福祉体制から切り離し、ホメオパシーをはじめとするトンデモ医療に帰依させるのだろう。おそろしいことである。
2019.05.27
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ハーメルンの誘拐魔 「医者で、尚且つワクチン業界とのパイプがあれば、相当の年収になるんじゃないのか。少なくとも営利誘拐の対象には充分なり得る」(98ページより)著者・編者中山 七里=著出版情報KADOKAWA出版年月2017年11月発行作者は、『さよならドビュッシー』で第8 回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、2010 年にデビューしたミステリー作家の中山七里さん。本作は『切り裂きジャックの告白』『七色の毒』に続く、「刑事犬養隼人」シリーズ第3 弾だ。現役医師の海堂尊氏をミステリー作家に押し上げた「このミステリーがすごい」大賞受賞者で、似たようなスターシステム的作風であることから、海堂尊氏に作風を真似させてもらったと断ったそうである。だがしかし、いくら露悪的社会派ミステリーにしても、子宮頸がんワクチンに関わる場所や組織が容易に推測できる本作は、本当に大丈夫か? ミステリーとしての謎解きも消化不良である。誘拐の舞台となった神楽坂の安養寺、白菊稲荷神社、参議院議員会館は実在する。また、香苗が通院していた飯田橋メディカルセンターや、槇野が会長と務める日本産婦人科協会、綾子が主催する全国子宮頸がんワクチン被害者対策会、犬養が捜査している帝都大附属病院、亜美が通っている九段女子学園は、そのモデルが容易に推測できてしまう。だが、本書のどこを探しても、「この作品はフィクションです」と記されていない――大丈夫か、これ?製薬業界と医療機関、厚生労働省が裏で癒着しいるという「陰謀の構図」は、いまでは陳腐化してしまった。本書では、昭和の最後に起きた「薬害エイズ事件」に触れているが、現実世界ではこれらを反省材料として、平成時代に情報公開が進み、かつてのように大量の裏金が行き来する状況は発生しにくくなっている。だいいち、子宮頸がん予防ワクチンは公費助成になった時期はあるが、保険診療ではない。厳しいことを言わせてもらえば、露悪的社会派ミステリーを標榜するのは、それは作者にフィクションを書き切るだけの力量がないことを誤魔化しているだけではないか。そもそも、真犯人が「ハーメルンの笛吹き男」に託したメッセージ性は何だったのか――作者の他の作品を読んでいないのだが、本作を読んだ限りでは、犬養刑事の上司である麻生警部の活躍に期待を寄せている。台詞に救いがあったし、登場人物の名前の由来から考えても、現役の「閣下」だから(笑)。文庫版では、三省堂書店の新井見枝香氏が「解説」で、「本作は、いささか偏りがあると感じた」として、本作の後日談を書いてフォローしている。亜美の友人、栗田美鳥の口を借りて「実際、ワクチンのおかげで、世界の子宮頸がん患者は激減した」と語らせ、香苗の結婚式会場で幕を閉じる。めでたし、めでたし。15 歳の月島香苗(かなえ)は、綾子が母親であることを認識できない。週に一度、飯田橋メディカルセンターに通院する彼女は、心理的・社会的ストレスによって記憶障害が引き起こされたものと診断されていた。そんな中、神楽坂で安養寺で香苗が行方不明になる。近くのドラッグストアのドアに、香苗の生徒証とともに、「ハーメルンの笛吹き男」の絵葉書が残されていた。この誘拐事件を受け、捜査一課の犬養隼人が呼び出される。犬養は捜査の過程で、綾子が実名でブログを運営していることを知る。綾子は、最初は香苗の病状を綴っていたが、全国子宮頸がんワクチン被害者対策会のメンバと接触すると、記憶障害の原因が子宮頸がんワクチンの副作用であることを知り、犯人捜しと告発を書き込むようになっていった。犬養は、子宮頸がんワクチンを推奨する日本産婦人科協会の槇野会長が綾子の活動に敵意を抱いているのではないかと睨む。そんな中、2 人目の誘拐事件が起きる。九段下の白菊稲荷神社で、九段女子学園の亜美が行方不明になった。彼女は、槇野会長の 1 人娘だった。犬養は混乱する。さらに、全国子宮頸がんワクチン被害者対策会が参議院議員会館で代議士を相手に被害救済を訴えた直後、マイクロバスに乗ったワクチン被害者少女 5 人が行方不明になってしまう。そして、「ハーメルンの笛吹き男」は、ワクチンを製造する製薬会社2社と日本産婦人科協会を相手に、70 億円の身代金を要求してきた。身代金の受け渡しは、東京ではなく大阪だ。最初に指定された日本橋三丁目交差点から、携帯メールで何度も場所を変える指示があり、最終的に道頓堀橋の上から小型船にアタッシュケースごと身代金を落とす。まんまと「ハーメルンの笛吹き男」に 70 億円を奪われてしまったが、犬養は疑問を感じた――犯人はどこから警察の動きを見張っていたのか。医療が必要な人質たちをどうやって生かしていたのか。犬養は、実行犯まで辿り着くが、目の前で「ハーメルンの笛吹き男」計画の首謀者を逃がしてしまう。
2019.05.06
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チョムスキーと言語脳科学 科学の進歩に求められるのは、相手を負かすための論争やポジショントークでは決してない。(234ページ)著者・編者酒井 邦嘉=著出版情報集英社インターナショナル出版年月2019年4月発行私は、人工知能の研究をしていた 1980 年代初頭、チョムスキーの「生成文法理論」に惹かれた。いまも「知能」の定義は確定していないが、はたして人類は自身の「知能」を定義できるか。科学的に比較対象となる異星人の存在が必要ではないか――そうした哲学的な思索の道標となったのが、生成文法理論だった。著者は、言語脳科学者の酒井邦嘉さん。同い年の酒井さんの目から見たチョムスキー理論を読み、当時の思索を再び思い出した。この間、私は子育てを通じて、生成文法理論の確からしさに納得感を得た。生成文法理論によれば、あらゆる言語が再帰的な木構造をもち、有限状態オートマトンでは扱えないという。情報理論や人工知能を学んだ者として、これも確からしいという実感がある。人間の脳に対して fMRI を使った酒井さんらの研究によると、文法装置がブローカ野を含む左下前頭回にあることが分かってきた。さらに、人間の脳は初めから多言語を獲得できるようにデザインされており、同じフレーズを繰り返し聞けば、マルチリンガルも夢ではないという。最後に酒井さんは、「科学の進歩に求められるのは、相手を負かすための論争(ディベート)やポジショントーク(自分の立場を利用して自分に有利になるように発言すること)では決してない。真理のためにお互いの考えを深めていく議論(ディスカッション)こそが、科学の推進力だ」と締めくくる。まったく同感である。酒井さんがチョムスキー理論に魅力を感じたのは、従来の言語学とは全く異なり、物理学をモデルにして作られたものだったからという。チョムスキーは、人間の脳には「言葉の秩序そのもの」があらかじめ組み込まれているとする。これが「普遍文法 Universal Grammar,UG」または「生成文法理論」と呼ばれるものだ。チョムスキーによれば、ヒトは白紙の状態で産まれてくるものではなく、普遍文法が組み込まれているという。だから、まわりの言葉が乏しくても言語の獲得が可能になり、そればかりか見聞きしたことのない「文」まで自在に生み出せるようになるという。一方、学校で教わる「文法」は、人為的に集められた規則にすぎず、脳に組み込まれた普遍文法とは似て非なるものだ。したがって、学校での経験をもとに言葉について考えると誤解を招きやすい(46 ページ)。ディープラーニングの学習フェーズとは比較にならないほど少ない情報量で子どもが成長して行くのを目の当たりにして、私は、生成文法理論が正しいことを確信した。チョムスキーは、よく、言語は雪の結晶のようなものというたとえで説明する。そこには 3 つの意味が込められている。1 つ目は、言語の構造が雪の結晶と同じように、完璧な自然法則に従うということである。2 つ目は、言語の木構造が、雪の結晶構造などのようなフラクタル構造(再帰性)を持つということだ。この木構造は二股の分岐のみに限られる。3 つ目は、どの言語の文も、雪の結晶と同様に無限のバリエーションを持つということである。人間の思考力とは、言語能力という基盤の上に想像力が加わったものだという。たとえば、人間だけが「道具を作るための道具」(メタ道具)を作ることができるが、これは、再帰的な木構造の一種とみなせる。ゆえに、酒井さんは、「文字認識・音声認識や音声合成の技術が進んでも、肝心の構造 と意味を伴わない限りは明らかな限界がある」(73 ページ)と指摘する。自然言語は無限のバリエーションを持つから、有限状態オートマトンを搭載しただけの人工知能では、いくら「単語の先読み」を行っても言語を正しく扱えないのだ。第2章では、チョムスキーの主著『統辞構造論』について、酒井さんが解説を加える。酒井さんは、チョムスキーが理論を変えるという反論に対し、「徹底的に理論を突き詰めてゆき、それが通用しないと分かればあっさりと別の道を探す」(138 ページ)だけで、理論の骨子は変わっていないと主張する。。チョムスキーは最初から究極の言語理論を作ろうとしたのではなく、その出発点と方向性をまず明示して、その上で自ら理論の開拓を行ってきた(153 ページ)。また、有限オートマトンを扱える動物が進化して、より強力な文脈依存文法を扱える人類に至ったという仮説も否定する。両者には超えられない断絶があるからだ。また、チョムスキーは、意味論(言語の意味について論じる言語学の分野)が科学にはどうしてもなりにくいということを繰り返し述べている。意味論が人間の認知能力を反映していることは疑いないが、人間はきわめて高度に意味を扱えるため、逆に何でもありということになりがちなのだ。それでは自然法則になじまないことになる(169 ページ)。第3章では、「チョムスキーの企てを証明する一つの方法は、人間の脳に存在する『文法装置』を実際 に見つけて、その働きを解明することだ。私はこの可能性を目指している」(182 ページ)として、酒井さんの研究成果が報告される。ブローカー失語やウェルニッケ失語は高校の教科書にも出てくるが、人間の脳に対して fMRI を使った酒井さんらの研究によると、文法装置がブローカ野を含む左下前頭回にあることが分かってきた。この文法中枢は脳に対する入力と出力の間を結びつけており、読解中枢とは別の領域にある。さらに、人間の脳は初めから多言語を獲得できるようにデザインされているという。自然な発話に現れる同じフレーズを繰り返し聞けば、バイリンガルやトライリンガルも実現可能だという。最終章で、酒井さんは自身の科学に対する姿勢を紹介する。科学の進歩に求められるのは、相手を負かすための論争(ディベート)やポジショントーク(自分の立場を利用して自分に有利になるように発言すること)では決してない。真理のためにお互いの考えを深めていく議論(ディスカッション)こそが、科学の推進力だという(234 ページ)。そして、「自分が生きている間にどこまで真理に近づけるかは分からない。しかし、最も魅力的な仮説を信じて、一つ一つ石を積んでいくこと。そこに科学に携わる喜びがある」(247 ページ)と締めくくる。至言である。
2019.04.18
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元号って何だ? 元号は、その時代の雰囲気や特徴をパッと表す「イメージ把握力」にすぐれている。(113ページ)著者・編者藤井 青銅=著出版情報小学館出版年月2019年2月発行2019 年 4 月 1 日、5 月 1 日から始まる新しい元号「令和」が発表された。645 年、「大化の改新」が行われたが、この「大化」が日本最初の元号だ。豪族中心の体制から天皇中心の体制へ移行することを知らしめるために、天皇が元号を定める流れになった。改元は、ときの権力者と結びつくようになり、平安時代には公家が、鎌倉時代に入ると武家が改元に介入するようになった。そして、明治維新の後は一世一元となり、権力との結びつきは弱まった。元号は、その時代の雰囲気や特徴をパッと表す「イメージ把握力」にすぐれている。大化、大宝、和銅、延暦‥‥日本史とともに、元号は記憶される。日本の元号は、令和を含めて 248 ある(南北朝のダブりを含む)が、使われている漢字は 72 しかない。「大化」以来、元号を使うのはおもに役人で、庶民は十干十二支を使っていれば事足りていた。だから、645 年の改革は「乙巳の変」とも呼ばれる。元号が一般庶民にまで伝わるようになるのは、江戸時代になってからと言う。元号の先輩である中国では、前漢の「建元」(BC140 年)から始まり、最後の元号は清が倒れた「宣統」(1911 年まで。これが辛亥の年だから、辛亥革命)。650 年には早くも改元し、白雉(はくち)となるが、654 年に孝徳天皇が崩御すると、あらたな元号は定められなかった。白村江の戦いから壬申の乱まで天皇体制が揺らぎ、それどころではなかったと考えられる。天武天皇は 686 年 8 月、朱鳥(しゅちょう)を定めるが、その 1 ヵ月後に崩御してしまい、再び元号の空白期間となる。対馬国から金が献上されたことを慶び、文武天皇は 701 年、元号を「大宝」に定めた。これが、「大宝律令」の名前の由来である。後年、この金は輸入品だったことが分かるが、元号は変わらず、この後は空白期間が発生することもなくなった。改元は、新天皇が践祚したときの代始(だいはじめ)改元のほかに、めでたい印が出現したときに行う祥瑞改元がある。後者には、めでたい亀が献上されたときの「亀改元」、めでたい感じの雲が現れたときの「メルヘン改元」が複数回ある。また、縁起が悪いときに行う「災異(さいい)改元」がある。中国では辛酉の年には悪いことがおこり、天下がひっくり返る(辛酉革命)というトンデモ理論をひっさげ、それを予防するために、辛酉の年に改元が必要だといいだしたのは三善清行である。菅原道真によって官吏試験で不合格となった清行が、道真を恨んで提唱したとも言われている。この後、道真は大宰府に左遷される。その後、辛酉の 3 年後に訪れる甲子の年にも改元が必要ということになった。改元は天皇の専権事項だが、ときの権力者と結びつくりょうになった。平安時代には公家が、鎌倉時代に入ると武家が改元に介入するようになった。足利義満の時代の「応永」は、明治以降の一世一元をのぞけば一番長く、34 年続いた。義満は、「オレが生きてる間は改元させない」と言ったとか言わないとか。戦国時代になると、織田信長が改元に待ったをかけ、豊臣秀吉が改元にゴーサインを出す。江戸時代には、幕府が公家諸法度で改元をコントロールする。幕末の 1864 年、甲子の年にあたるために改元が行われることになった。朝廷は「令徳」を推したが、徳川幕府は最後の力を振り絞って「令徳とは徳川に命令することだ」と難癖をつけ、次点の「元治」が採用された。これが最後の甲子改元となった。そのわずか 1 年後、「慶応」に改元した。このときの徳川幕府は、孝明天皇の意向に全面的に従うと一筆書かされたほど弱体していた。大政奉還を経て、1868 年、「明治」に改元した。江戸っ子は、「上からは明治だなどと言うけれど、治まるめい(明)と下からは読む」という狂歌を詠んだ。推古天皇が斑鳩宮を築いたのは、辛酉の年(601 年)であるが、そこから一部(1260 年)遡った紀元前 660 年が神武天皇即位の超大改革・辛酉年に違いない、というトンデモ説に基づいて提唱されたのが皇紀である。再び天皇中心の政治を行うには、こうした屁理屈が必要だったのだろう。昭和天皇のご高齢を受け、昭和 54 年(1979 年)に「元号法」が成立。わずか 2 条から成る日本で最も短い法律だ。平成 6 年「公文書の年表記に関する規則」というものができて、「公文書の年の表記については、原則として元号を用いるものとする。ただし、西暦による表記を適当と認める場合は、西暦を併記するものとする」となった。
2019.04.08
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論破力 論破というものは話し方の技の問題というよりも、単に事実ベースの材料、つまり根拠を持っているかどうかの問題という気もするのですよ。(234ページ)著者・編者西村博之=著出版情報朝日新聞出版出版年月2018年10月発行西村博之さんは、最近、「論破王」と呼ばれているそうだが、私から見ると「相手を怒らせるのが上手なタイプ」に見える。たしかに、相手を論破してはいるのだが、そこでお終い。成果は何もない。おそらく本人はそれでいいと納得しているので(それが間違いだと言うつもりはない)、それを前提にして読むと、自分との相違が見えてくる――。本書を読んで、「自分の知らない事実や、想像もできない考え方を知ることができる。それが議論をすることの楽しさ」(48 ページ)ということは、私も感じる。ただ、本書は論破のためのノウハウ本ではなく、検証を行うことの有用性を説いた本であるように感じる。タイトル『論破力』は、西村ひろゆき流の“煽り文句”であろう――。「もっともらしい意見よりも事実のほうがだんぜん強い」(22 ページ)というのは、まったくその通りで、多くの議論、とくにテレビの討論会は、事実の提示だけで終わってしまうだろう。だが、それでは朝まで番組が続かないので、延々と感想を述べ合う。「理系の人たちが集まると、そもそも『あーでもない、こうでもない』という『非建設的』な議論にはならないのですよ」(23 ページ)も、その通りなのだが、これを面と向かっていったら、理系に引け目を感じている文系を怒らせるだろう。「たとえばその人が言った間違いを強調して繰り返し指摘すると、だいたいの人は怒り出しますね」(35 ページ)等々。だから、西村さんは「相手を怒らせるのが上手なタイプ」なのである。また、「クレイマーと同じように自分の会社や商品に対して怒ってみせて、クレイマーの味方になってしまったほうが格段に早くおさまる」(38 ページ)など、ビジネスマンとして首肯できない。西村さんは働くのが嫌な人で、役員になっている企業でも決定権は行使しないということなので、おそらく、2 ちゃんねるの管理人であった時のように、社会を睥睨して見る人生を送りたいのだろう。ここが、私の生き方との分岐点になる。私は、社会の中で汗みどろになっているのが本体で、睥睨して見ているのは観測気球(ドローン)という考え方をしている。西村さんは、その逆だろう。どちらが正しいということではなく、人生に対する捉え方の違いがあるということを認識した上で、彼の主張をさらに読んでゆく。「自分の知らない事実や、想像もできない考え方を知ることができる。それが議論をすることの楽しさ」(48 ページ)、「成功するか失敗するかを判断するとき、あまり主観で考えないようにしています」(51 ページ)、「ジャッジの前で議論するようにする」(68 ペページ)などには同意するが、「責められている、怒られている「かわいそうな人」というのをずっと演じ続けると、「大変そうだね」みたいな同情が集まって、味方が増えて、最終的に勝てるわけですよ」(57 ページ)というのは邪道だろう。「困ったことに、世の中には『意見の否定』と『人格の否定』をごっちゃに受け取るタイプの人が少なくないのですよ」(92 ページ)はその通りだが、それを逆手にとって議論を展開しようとするやり方には賛同できない。ナイチンゲールはなぜ偉かったのか――「日本でナイチンゲールというと、単に『やさしい看護師さん』で終わっています。でもざっくり言うと、あの人はじつは統計学の先駆者」(130 ページ)ということは知っている。私も「人を説得するうえでは、じつは『数字に勝るものはなかなかない』ということ」(131 ページ)は承知している。「たとえば会議のとき、たまにウソをつくという人がメンバーの中にいると、その人が言ったことが本当かウソかの確認を毎回しなければいけなくなります。それがすごくコストになるので、ウソをつく人には会議に出てほしくありません」(140 ページ)は、まったく同感である。「おいら、わりと人間を全般的に見下しています」(177 ページ)というのは、人を食ったかのような物言いだが、一方で、「おいらには『尊敬する人』というのがいません」(177 ページ)には同意する。西村博之さんに胡散臭さを感じるのはなぜか――同族嫌悪か、それとも、私も周囲から胡散臭いとみられているのだろうか(苦笑)。第5章「ああ論破したい!――こんなときどうする? ひろゆきのお悩み相談室」では、具体的ケースを挙げて、論破の手順をアドバイスする。ここまで読んで気づいたのだが、西村博之さんは、論破する方法を説明していない。そもそも、議論になっていない。つまり、23 ページで書いている「『非建設的』な議論」を回避する方法を紹介しているのである。「仕事に役立つかどうかは何を深掘りするかによるでしょうが、何が役に立つかわからないのも今日のビジネスシーンの特徴」(214 ページ)というのは、その通りで、常に情報をインプットし続け、記憶をアップデートし続ける必要がある。そして、「どちらか判断がつかなかった場合、自分で試したり調べたりするか、わからないまま『保留』にするか」(215 ページ)するのが現実解だろう。終盤で西村さんは「論破というものは話し方の技の問題というよりも、単に事実ベースの材料、つまり根拠を持っているかどうかの問題という気もする」(234 ページ)と述べているが、要するに、本書は論破のためのノウハウ本ではなく、検証を行うことの有用性を説いた本であるように感じた。タイトル『論破力』は、西村ひろゆき流の“煽り文句”であろう――。
2019.02.24
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平成の東京 12の貌 はとバスは70年間、浮き沈みを繰り返す東京を走り続け、時代のムードを敏感に察知しながら、常に時代の半歩先を行く東京観光を生み出してきた。(185ページ)著者・編者文藝春秋編=著出版情報文藝春秋出版年月2019年1月発行本書は、月刊『文藝春秋』で連載された「50 年後の『ずばり東京』」から、主に東京に住む人々の暮らしや意識の変遷を描いた 12 本の記事を選んで収録したものである。12 人のノンフィクション作家が自身で取材するテーマや街を選び、リレー形式で執筆したもので、昭和と平成という 2 つの時代を筆者が行き来するルポルタージュとなっている。私は東京で生まれ育ったのだが、12 人の作家の多くが同世代ということもあり、同じ視点で東京という街を見ているのだな、という共感を覚えた。ゴジラとタワーマンション(?山文彦)――?山さんは、高さ 150 メートルある東京タワーの大展望台から見る風景がすっかり変わったことを嘆く。高層建築が増えたのである。「私の知っているゴジラは、身長が 50 メートル、体重は 2 万トン。250 メートル級タワーの 5 分の 1 しかない。そんな程度の大きさでは、とても東京を破壊することなんてできないじゃないか」(11 ページ)。「土地は古くならない。土地には歴史が刻まれているから」(27 ページ)と指摘し、建物に頼りすぎる東京都民に警鐘を鳴らす。数百年にわたって災害から守ってきた土地がある一方、戦後に造成した土地に建つ建物は、その足下からして危ういというのだ。保育園反対を叫ぶ人たち(森健)――マスコミがよく取り上げる話題だ。これを解決した 85 歳の老人は、「うちの協議会にも最後の最後まで『保育園開設は反対』と強硬に言い張る人がいた。問題は、その強硬な反対の人とどう対したかなのです」(58 ページ)と語る。声が大きい人が公共の和を乱す。それが今の東京だ。森さんは最後に、読者に宿題を出す。「誰もが自分の権利を主張する時代に、どうしたら寛容になれるのだろう」(60 ページ)。虐待と向き合う児相の葛藤(稲泉連)――都内には 11 か所の児童相談所があるという。管轄する地域によって抱える問題の傾向も異なる。所長が「この仕事は誰かがやらなければならないのですから」と語るところに、東京の闇を感じる。東大を女子が敬遠する理由(松本博文)――「東大男子と女子大のカップルは普通にいるのに、東大女子と他大の男子というパターン は、ほとんど聞いたことがない」(102 ページ)という。東大側は、女子学生を母校へ派遣したり、3 万円の家賃補助をするなど女子学生の書くときに躍起になっているが、効果は出ていない。「ラジオ深夜便」のある生活(樽谷哲也)――かつて、NHK のラジオは、深夜は放送を休止していた。事実上の 24 時間放送となる契機は、昭和天皇の容態を速報で伝えたことにある。1990 年 4 月、深夜便が始まった。私は深夜便は効いたことはないが、学生時代は FM 東京の深夜番組「ジェットストリーム」のファンだった。いまはネットでラジオも聴ける時代。著者の樽谷さんは同世代である。エリートが集う「リトル・インド」(佐々木実)――西葛西は多くのインド人が集まるリトル・インドだ。2000 年代以降に急激に増え、短期滞在の IT 技術者が多いという。近代国家日本が開国して間もない 1880 年代、いち早く日本にやってきたのがシンド商人だったそうだ。シンド商人は神戸に共同体を形成している。神戸には様座七宗教施設があり、インドの宗教ジャイナ教の日本で唯一の寺院もある。インド人と日本人の子どもが同じ学校で英語で授業を受ける。21 世紀の東京は、確実に多様化している。はとバスは進化し続ける(小林百合子)――東京に住んでいると「はとバス」に乗る機会は少ないが、面白いツアーが企画されているのはチラシを見れば分かる。何度か経営危機に陥ったのも見てきているが、そのたびに復活した背景には、「知的好奇心という、人間の内にある『興味の未開地』を開拓してきたから」(185 ページ)だという。なるほど。八丈島の漁師と青梅の猟師(服部文祥)――猟(漁)はしたことがないので分からないが、東京には獣を狩れる山林、漁業ができる島嶼があることを、あらためて想起させる。いまどき女子は神社を目指す(野村進)――『千年、働いてきました』『千年企業の大逆転』の著者、野村進さんが、神社で見かけた女子にインタビュー。東京大神宮は、2018 年に初詣した。たしかに女性が多い。新 3K職場を支えるフィリピン人(西所正道)――会議の現場で働く心優しいフィリピン人たちを取材した西所さん。EPA で来日した介護福祉士は、「きつい」「汚い」「給料が安い」ではなく、「健康」「工夫」「共感」こそが 3K だと言ったとか。素晴らしい。将棋の聖地に通う男たちの青春(北野新太)――2004 年、プロ編入試験に合格し棋士に復帰した瀬川晶司さんへの取材を通じ、千駄ヶ谷の将棋会館を描く。前回の東京オリンピックのあと、1976 年に建設された。次のオリンピックへ向けて千駄ヶ谷周辺は騒がしくなっている。貨物専用「JR隅田川駅」のいま(長田昭二)――貨物専用駅を取材。国鉄の分割民営化で極端にスリム化した JR貨物だが、二酸化炭素排出量の少なさを売りに、「鉄道貨物で輸送する商品には、審査のうえで『エコレールマーク』の掲出が許可される」(302 ページ)という。さらに、「R貨物が 1 年間で取り扱うコンテナ輸送量は約 2200 万トン。そのうち、13%にあたる約 285 万トンが宅配便なのだ。これは約 375 万トンの食料工業品、約 300 万トンの紙・パルプに次ぐ 3 位にランクされる実績」(316 ページ)とも。鉄道輸送も大切な流通手段だ。
2019.02.15
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活版印刷三日月堂(海からの手紙) もう元には戻れない。生きることはいつも一方通行だ。(226ページ)著者・編者ほしお さなえ=著出版情報ポプラ社出版年月2017年2月発行川越にある昔ながらの活版印刷所「三日月堂」に出入りするお客さんの心模様を描く中編4 本――ふわっとした物語なのだが、組版、パルパー文字、銅版画、スター・ウォーズ‥‥技術者としての私がこだわってきた事項がサラリと盛り込まれているオタク本なのである。ちょうちょうの朗読会――4 人で開く朗読会。プログラムを三日月堂で印刷してもらうことに。あわゆきのあと――朗読会のメンバの 1 人、中谷先生の教え子の広太は、産まれてすぐに亡くなった姉がいたことを知らされる。広太は、姉のためにファースト名刺を三日月堂に発注する。選んだ用紙は雲のようなパルパー。姉の小さな骨壺は、ようやく実家のお墓に納められる。海からの手紙――彼と別れて川越に引き籠もった昌代は、甥の広太からもらったファースト名刺を手に取り、三日月堂を訪れる。貝をテーマに銅版画をやっていた昌代は、弓子と豆本を出すことにする。銅版画ではないが、私は銅メッキされたプリント基板にエッチングで回路を書いていた。手で書ける限り細かな回路を実装できる。我らの西部劇――心臓病で退職しリハビリ生活をしている片山は、昌代と弓子が作った豆本を買い、三日月堂を訪れる。父が生前温めていたという映画誌の原稿が組版された状態で発見される。片山は、反抗的になっていた息子の祐也に試し刷りをみせる。祐也は映画を作りたいという夢を語る。映画誌の原稿のなかに「スター・ウォーズ」が登場する。片山と自分が同じ世代であることに気づき、身体に無理が利かない歳になったことを再認識する。
2019.02.03
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活版印刷三日月堂(星たちの栞) 印刷とはあとを残す行為。活字が実体で、印刷された文字が影。ふつうならそうだけど、印刷ではちがう。実体の方が影(70ページ)著者・編者ほしおさなえ=著出版情報ポプラ社出版年月2016年6月発行飯田橋にある印刷博物館を訪れた際、コラボ企画として展示されていた小説。川越にある昔ながらの活版印刷所「三日月堂」に出入りするお客さんの心模様を描く中編4 本――ふわっとした物語なのだが、文字、インキ、珈琲、外字‥‥技術者としての私がこだわってきた事項がサラリと盛り込まれているオタク本なのである。世界は森――川越の街の片隅に佇む三日月堂は、店主が亡くなり、しばらく空き家となってきた。孫娘の弓子が戻り、営業を再開する。再開のきっかけとなったのは、三日月堂のオリジナル・レターセット。発注したハルさんが、亡くなったご主人と息子の名前に込めた想いとは――。私たち夫婦が子どもの名前を付けた時のことを思い出し、年甲斐にもなく、心がジンとなった。印刷会社で仕事したのも、ホームページで技術情報を書いているのも、私が「文字」にこだわりがあったから。八月のコースター――伯父から珈琲店「桐一葉」を受け継いだ岡野。紙マッチの代わりにショップカードを作ろうと、三日月堂を訪れる。弓子の台詞「インキです。インクじゃなくて、印刷業界では、インキ、っていうんですよ」を読んで、思わずニヤリ。そう、印刷会社で仕事をしていたときは「インキ」だった。CMYK の 4色に特色を加えた 5色の世界。珈琲店というのも懐かしい。チェーン店のマシンが淹れる均質のものではなく、店ごとに味が違った。そして、アイスコーヒーのコースター。私は煙草をやらないので紙マッチとは縁がなかったが、このコースターを集めていたこともあったっけ。星たちの栞――鈴懸学園の学園祭で、文芸部は三日月堂の弓子を呼び、活版印刷のワークショップを催すことになった。『銀河鉄道の夜』でジョバンニが印刷屋で働いている話題が出る。1985 年のアニメ映画を思い出した。ますむらひろしの絵で、ネコのジョバンニが活字を拾っているシーンが記憶に残る。文芸部員の一人が家庭の悩みを抱えているが、これがジョバンニに重なる。ひとつだけの活字――弓子と雪乃は銀座にある活字店を訪れる。本文用の活字の大きさは 5 号という日本独自の単位で、フォントサイズの 10.5 ポイントに相当する。だから WORD の本文標準は 10.5 ポイントなのである。そして、フリガナをルビと呼ぶのは、7 号(約 5.5 ポイント)をそう呼んだから。HTML のタグ ruby に受け継がれている。活字には重さがある。無い文字は、その場で職人が彫って作ったというが、フォントも似たようなものだ。まだ JIS第2 水準までしかなかった時代、人名・地名に足りない字は、デザイナが PostScript 外字を作った。そして、私たちプログラマは、それを表示用ビットマップに変換し、外字コードを割り当てたものである。雪乃と友明は、1 セットしかない平仮名の活字を組み合わせて結婚式の招待状の文面を練る。「八月のコースタ」では俳句が取り上げられたが、こうした制約があるからこそ、逆に、私たち日本人は 1 つ 1 つの文字を大切にし、時間をかけて文章を組み立ててきたのではないか。そして、「組版」という独特の印刷文化を築き上げたのである。
2019.01.31
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ホモ・デウス(下) 人間至上主義が「次の感情に耳を傾けよ!」と命じたのに対して、データ至上主義は今や「アルゴリズムに耳を傾けよ!」と命令する。(239ページ)著者・編者ユヴァル・ノア・ハラリ=著出版情報河出書房新社出版年月2018年9月発行『ホモ・デウス』下巻は、現代社会の「取り決め」から考察をはじめる。科学革命の先に人間至上主義が登場するが、テクノロジーの発展により、システムがおすすめの商品や健康管理のアドバイスをするだけでなく、思考過程や判断にまで介入するようになるだろう。こうして人間至上主義は終焉を迎え、ハラリさんはデータ至上主義の時代に入ると予言する。データ駆動型のシステム設計を旨としている私にとっては、ハラリさんの考え方に共感を覚えるが、データ至上主義社会は修羅の世界である。自由主義と個人主義を経験していない人間は、たちまちシステムに取り込まれてしまうだろう。本書のタイトル「ホモ・デウス」が何を指すのが消化不良の感は拭えないが、アーサー・ C ・クラークの SF『幼年期の終わり』の最後を連想した――さて、私たちはどこから来て、どこへ行くのだろうか。安倍晋三首相が取り上げられ、「日本経済を 20 年に及ぶ不況から抜け出させることを約束して 2012 年に就任した。その約束を果たすために彼が採用した積極的でやや異例の措置は、『アベノミクス」と呼ばれてきた」(16 ページ)と紹介されている。ハラリさんは、科学革命の先にある変化を人間至上主義であると指摘し、「倫理において、人間至上主義者のモットーは、『もしそれで気持ちが良いのなら、そうすればいい』」(43 ページ)という。自由市場経済が消費者の善なる心に委ねられているように、自由主義政治もまた、国民の善なる心に依存しているという。だが、本当に「善なる心」は存在するのだろうか。宗教全盛期は「代表的な知識の公式は、知識=聖書×論理」(50 ページ)だったが、科学革命が起きると「知識=観察に基づくデータ×数学」(51 ページ)に変わった。さらに人間主義の時代は「知識=経験×感性」(52 ページ)だという。たしかにその通りかもしれない。代替医療や反原発運動など、「観察に基づくデータ×数学」は軽視され、「経験×感性」で語られている。だが、本当にそれでいいのだろうか。聖書という「聖典」がない分、その知識は宗教より恣意的な変化を受けやすい。ハラリさんは自由意志が存在しないと主張する。なぜなら、「ニューロンが発火するとき、それは外部の刺激に対する決定論的な反応か、ことによると、放射性元素の自然発生的な崩壊のようなランダムな出来事の結果かもしれない。どちらの選択肢にも、自由意志の入り込む余地はない」(105 ページ)からだ。自分の知識や意志は、他人の思想や感情、本やテレビの影響を受けたものではないか。それらを入力として、生化学的アルゴリズムの集合体によって出力されたものが「自由意志」ではないか――ハラリさんは、読者に問いかける。ハラリさんは、さらに続ける。「アルゴリズムが人間を求人市場から押しのけていけば、富と権力は全能のアルゴリズムを所有する、ほんのわずかなエリート層の手に集中して、空前の社会的・政治的不平等を生み出すかもしれない」(135 ページ)。「テクノロジーが途方もない豊かさをもたらし、そうした無用の大衆がたとえまったく努力をしなくても、おそらく食べ物や支援を受けられるようになるだろう」(158 ページ)。システムが、私たち個人の内部に入り込んでゆく。Google は健康情報を集め、適切なアドバイスをしてくれる。Cortana は秘書として、勝手に他者とのコミュニケーションを始める。やがて、個人の特性を判別し、システムが最適な判断を下すようになるかもしれない。これは人工知能を想定すれば分かりやすい問いかけだが、豊かさを享受した人間は、薬物とコンピューターゲームに浸るという、そんなデストピアがやって来るだろうか。テクノロジーの進歩により私たちの暮らしは良くなった。だが、「人はたいてい、不運な祖先とではなく、もっと幸運な同時代人と自分を比較する」(185 ページ)という点に注意しなければならない。人々は、19 世紀の工場労働者と比べて豊かになったと諭されるより、テレビに出てくる金持ちのような暮らしがしたいのである。システムの介入を受けずに自由であり続ける人との間で、さらに格差は広がるだろう。そうなった場合、現代の自由主義は崩壊するだろうと、ハラリさんは言う。最後に「データ至上主義」を紹介する。ハラリさんは、データ至上主義を「森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まる」(209 ページ)と定義する。自由や人権を尊ぶ方面から反発を受けそうだが、これまで述べられてきたように、テクノロジーの発達によって、それらは幻想になろうとしている。最後に残るのは「データ」だというのだ。この視点に立つと、「資本主義が分散処理を利用するのに対して、共産主義は集中処理に依存する」(211 ページ)というだけで、イデオロギーの違いは無意味になる。そして、資本主義が勝利したのは、「少なくともテクノロジーが加速度的に変化する時代には、分散型データ処理が集中型データ処理よりもうまくいくから」(214 ページ)という。ハラリさんは、「人間中心からデータ中心へという世界観の変化は、たんなる哲学的な革命ではなく、実際的な革命になるだろう」(237 ページ)と予言する。
2019.01.26
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ブロックチェーン 相互不信が実現する新しいセキュリティ 管理者を信頼しないとプライベートチェーンは成立しないが、管理者が信頼できるのであれば、わざわざシステムをブロックチェーンで組まなくてもよいケースが多いのは、これまでに述べてきたとおりである。(231ページ)著者・編者岡嶋 裕史=著出版情報講談社出版年月2019年1月発行著者は、情報ネットワークや情報セキュリティが専門の岡嶋裕史さん。ビットコインなどの仮想通貨で使われている「ブロックチェーン」の原理と、メリット/デメリットについて解説した入門書である。ブロックチェーンも人間が作った技術である限り、万能ではない。システムとしては非常にプリミティブなもので、Winny に劣る部分もある。ブロックチェーンが適用できるのは、管理者不在で参加者全員が信用できないような状況で、けっして変更・削除しないデータを蓄積していく場合。ただし、データが極めて小さいものに限られる。また、原理的に、リアルタイム・トランザクション処理はできない。逆に、管理者が明らかな業務系データの蓄積や、プログラムやコンテンツの配信には不向きである。銀行が取引履歴をブロックチェーンにすることもナンセンスだと感じた。電子マネーのようなリアルタイム決済もできない。また、ブロックチェーンへの攻撃が無意味であることは、少なくともその内部で市場原理が働いていることを前提としており、もしも経済戦争のようなコストを度外視した国家レベルの攻撃が行われるとしたら、意外に脆いのではないかと感じた。本書は、技術者向けというより、ブロックチェーンの適用分野を見極めるためのビジネス書という位置づけでとらえておいたほうがいい。巻末に技術書の紹介があるので、興味のある方はそちらも併読していただきたい。第1章では、マウントゴックス社やコインチェック社の事件を取り上げるが、これは本筋とは関係ない。第2章でハッシュ関数、第3章でハッシュと共通鍵・公開鍵暗号方式の関係や電子署名、タイムスタンプ証明書について解説する。これらの基礎知識がある人は読み飛ばして構わない。本題は第3章から始まる。まず、ブロックチェーンと Winny の違い。ブロックチェーンは、すべてのチェーンを格納し続けているので、あまり大きなデータを格納することはできない。それでも「2018 年段階でビットコインのブロックチェーンのデータ量は 100GB を超えている」(121 ページ)という。Winny のようなコンテンツ配信向きではない。ビットコインでは、「自分のトランザクションが記録されたブロックの後ろに、5 つのブロックがつながれば、ほぼそれが正統なブロックチェーンに育ったと見なせる」(171 ページ)というルールがある。トランザクションの成立には 10 分を要するから、リアルタイム決済は苦手である。また、ナンスを計算するために、莫大な電力が浪費されている点も見逃せない。「現時点で 2.55 ギガワットの電力を消費している。これは 3.1 ギガワットを消費するアイルランドと同等の規模」(194 ページ)という。第5章で、岡嶋さんは、「『すべてのシステムがブロックチェーンに置き換わっていく』といった言説は、多分に夢想的である」(198 ページ)と前置きした上で、ブロックチェーンのメリットとデメリットについて整理する。たとえば、「映像やソフトウェアの配布などに利用しよう、などという用途には不向きである」(217 ページ)、また、トランザクションの成立に 10 分を要するから、少額決済にも不向きである。「この種のシステムを導入している店舗は、トランザクションが承認されていないことを承知で客にモノを売ってしまう。それで、後から『あのトランザクションは不正だった」ということがわかり、代金を取りっぱぐれることがある』」(211 ページ)という。「一度動き出してしまった管理者不在型の自律システムを止めることは非常に難しい」(201 ページ)ため、システムのバージョンアップも難しい。バージョンアップのために用意されたハードフォークを実行するには、大きなリスクを伴う。岡嶋さんは、「誰も信用できない、でも世界中と繋がっていて誰でも参加できるという」という状況で、「その環境下で信用を生み出そうとし、それに成功している点が尊い」(236 ページ)と説く。そして、「特定の分野において、ブロックチェーンは素晴らしいソリューションである。社会を変える可能性すら秘めているだろう」(240 ページ)と結論する。
2019.01.26
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ホモ・デウス(上) 共同主観的なものは、個々の人間が信じていることや感じていることによるのではなく、大勢の人間のコミュニケーションに依存している。(180ページ)著者・編者ユヴァル・ノア・ハラリ=著出版情報河出書房新社出版年月2018年9月発行著者は、イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさん。前作『サピエンス全史』の最後で触れた、人類の幸福や超ホモ・サピエンスについて、具体的に説明してゆく。本書は、プロセスやアウトプットを明記したハウツー本ではない。読みながら自分の頭で考えをめぐらせる余裕がある人が読むものである。『サピエンス全史』より、さらに考える時間を求められるだろう。当然、読み進むスピードも落ちる。歴史、宗教(とくにユダヤ・キリスト教氏史)、哲学、進化学、心理学に関心がある人向け。そうでない方は、『サピエンス全史』から読み進むことをお勧めする。冒頭で、ハラリさんは、人類はこれまでの歴史で、常に飢饉と疫病と戦争という 3 つの問題に取り組んできたとしたうえで、現代社会はこれらの問題を解決しつつあり、人類は次に不死と幸福と神性を目標に掲げるのではないかと推測する。「人間は至福と不死を追い求めることで、じつは自らを神にアップグレードしようとしている」(59 ページ)と指摘する。プロローグとしての第1章はやや冗長だが、演劇の「デウス・エクス・マキナ」よろしく、ここから本編の開幕となる。「第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する」で、ハラリさんは、「心と魂」について論じる。「心」「魂」「精神」「情動」という複数の表記があり混乱するが、読み込んでゆくと、「心は魂とは完全に別物」(134 ページ)、「心は、苦痛や快楽、怒り、愛といった主観的経験の流れ」としたうえで、「心=精神=情動」は動物も持っているという立場をとる。一方で、農業革命によってアニミズムの神々は後退し、「森羅万象の支配者が人間に他の動物の支配権を与えた」(121 ページ)という。心を持っているはずの家畜を狭い小屋に閉じ込めたり、屠殺するのは、新しい神がサピエンスに与えた権利だというのである。ハラリさんは、人間と動物を分けるポイントとして、知能や道具作りの能力ではなく、「多くの人間どうしを結びつける能力」(165 ページ)と主張する。ハラリさんは、現実には、主観的現実、客観的現実、そして共同主観的現実の 3種類があるという。動物も主観的・客観的現実は認識できるが、唯一、サピエンスだけが共同主観的現実を認識できると主張する。協同主観的現実とは、たとえば、1 ドル札のように、客観的な価値はないものの、何十億もの人がその価値を信じているかぎり、それを使って食べ物や飲み物や衣服を買うことができる物事を指す。ハラリさんは、「サピエンスが世界を支配しているのは、彼らだけが共同主観的な意味のウェブ――ただ彼らに共通の想像の中にだけ存在する法律やさまざまな力、もの、場所のウェブ――を織り成すことができるから」という(187 ページ)。個や群れの力ではなく、国家規模の集団力を発揮できるのはサピエンスだけだというわけだ。さらに、「共同主観的なものを生み出すこの能力は、人間と動物を分けるだけではなく、人文科学と生命科学も隔てている」(188 ページ)のだという。なせなら、「歴史学者が神や国家といった共同主観的なものの発展を理解しようとするのに対して、生物学者はそのようなものの存在はほとんど認めない」からだ。共同主観的現実は、たとえそれが虚構であっても効力を発揮する。ハラリさんは、「今日でさえ、アメリカの大統領が就任の宣誓を行なうときには、片手を聖書の上に置く。同様に、アメリカとイギリスを含め、世界の多くの国では法廷の証人は、真実を、すべての真実を、そして真実だけを述べることを誓うときに、片手を聖書の上に置く。これほど多くの虚構と神話と誤りに満ちた書物にかけて真実を述べると誓うとは、なんと皮肉なことだろう」と指摘する(215 ページ)。「脳と心」というお題で小論文を書いたのは 30 年以上前の話だ。だが、当時より突っ込んだ内容を書く自信がない。研究をしていないというのは言い訳に過ぎない。この 30 年間、多くの優秀な研究者に出会い、話をする機会があった――にもかかわらず、にである。本書で、「共同主観的現実」という第三の視点を与えられたことで、この難問の突破口が見えてきた気がする。歴史や心理学などの人文“科学”は、自然科学とまったく異なるスキームに立脚しているということであれば、課題解決の方針を変えなくてはいけない。ハラリさんは、「人間の法や規範や価値観に超人間的な正当性を与える網羅的な物語なら、そのどれもが宗教だ」(223 ページ)という。宗教は、科学ができない倫理的な判断を下すこともできる。だから、科学とは競合関係ではなく、協力関係にあるという。逆に、「霊的な旅」は反体制的であり、宗教とは相容れないという。なぜなら、「社会全体ではなく、個々の人間にだけふさわしい、孤独な道のりだからだ」(230 ページ)。
2019.01.24
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サピエンス全史(下) 科学は自らの優先順位を設定できない。また、自らが発見した物事をどうするかも決められない。(88ページ)著者・編者ユヴァル・ノア・ハラリ=著出版情報河出書房新社出版年月2016年9月発行イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさんが著した『サピエンス全史』の下巻は、中世から科学革命を経て、現代までの人類史を俯瞰する。上巻同様、年代や事件を解説してするわけではなく、宗教、イデオロギー、科学革命、資本主義、産業革命といったキーワードを軸に掘り下げる。いままでの歴史書とは視点が全く異なる本書だが、「科学革命は無知の革命」「産業革命はエネルギー変換における革命」というハラリさんの主張が、果たして本当にそうなのか、自分自身の頭で考察することが大切だし、ハラリさんもそれを読者に求めているような気がした。終盤で、幸福とは何か、ホモ・サピエンスがまったく違うものに変容するのではないかという未来予測を述べる。人類が進化したらどうなるかという話は、アーサー・ C ・クラーク『幼年期の終わり』をはじめとして、SF でよく取り上げられるテーマだ。子どもや孫の世代では、そう劇的な変化は現れないかもしれない。超ホモ・サピエンスの話はやや消化不良の感じがするが、次回作『ホモ・デウス』で明らかにされることを期待しつつ、「私たちは何になりたいのか」という問題意識を常に持ち続けるようにしよう。下巻ではまず、キリスト教やイスラム教といった一神教を取り上げる。ハラリさんは、宗教は差別の根源ではなく、「貨幣や帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する 3 つの要素の 1 つだった」(10 ページ)と指摘する。人間の気まぐれではなく、「絶対的な至上の権威が定めた」ルールによって社会の秩序がもたらされたからだ。さらにハラリさんは、イデオロギーも宗教と同等だと語る。なぜなら、宗教に神が必須だとするなら、一貫性を保つためには「仏教や道教、ストア主義のいくつかの宗派を宗教ではなくイデオロギーに分類せざるをえなくなる」(33 ページ)からだ。共和政体では政教分離が前提とされるが、これは人間が勝手にそう思っているだけで、米国大統領の就任式で聖書に手を置いて宣誓をする映像を見るにつけ、キリスト教徒は意識しないのかもしれないが、私たち日本人から見れば、両者は確かに不可分の関係にあることが自明に映る。逆に、キリスト教徒から日本の政治やイデオロギーを見たときにも、同様な感想を持たれるだろう。ハラリさんは、「歴史は正確な予想をするための手段ではない」と前置きした上で、歴史研究の目的は、「未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するため」(48 ページ)と語る。そして、「歴史が決定論的ではないことを認めれば、今日ほとんどの人が国民主義や資本主義、人権を信奉するのはただの偶然だと認めることになる」(46 ページ)と指摘する。近代に入って科学革命が起きる。ハラリさんは、宗教は「この世界について知るのが重要である事柄はすでに全部知られていると主張」したが、科学は「人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らない」(59 ページ)という無知の革命だったと指摘する。そして、「科学は自らの優先順位を設定できない。また、自らが発見した物事をどうするかも決められない」(88 ページ)ため、産業や軍事と結びついた。ハリラさんは、天文学者をタヒチへ運んだイギリスのクック船長を例に、科学が軍事と結びついて、ヨーロッパ帝国主義が太平洋を収奪したことを紹介する。価額と貨幣の発達は、資本主義革命をもたらした。ハラリさんは、資本主義革命の本質は、信用取引にあると説く。中世の宗教観では、富の総量限られており、信用を与えてもそれが回収できると考えられなかった。だからイエス・キリストは信用取引を戒めた。また、本書では触れられていないが、イスラム銀行が金利を設定しないのも、同じ理由からではないだろうか。つまり、中世はゼロサムゲームだった。科学は、サピエンス社会に止まることのない成長をもたらした。信用を与え、それが回収できる可能性が高まったのだ。だが、自由市場資本主義には欠点もある。1719 年のミシシッピ・バブルを紹介し、「利益が公正な方法で得られることも、公正な方法で分配されることも保証できない」(159 ページ)と指摘する。ハラリさんは、国家による市場介入は避けられないと主張する。科学と資本主義は産業革命ともたらした。ハラリさんは、「産業革命は、エネルギー変換における革命」(169 ページ)と説く。蒸気機関は、熱エネルギーを運動エネルギーに変換した。そして、「私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見するので、私たちが使えるエネルギーの総量は増える一方」(169 ページ)という。国家や市場は、家族やコミュニティの絆を弱めた。「個人になるのだ」と提唱したのだ。終盤で、ハラリさんは、「私たちは以前より幸せになっただろうか?」(214 ページ)と問いかける。この問いかけこそ、本書が他の歴史書と一線を画すものである。「2000 年には、戦争で 31 万人が亡くなり、暴力犯罪によって 52 万人が命を落とした」(200 ページ)ことを挙げ、「人々が戦争を想像することすらできないほどに平和が広まった例は、これまでに一度もなかった」(209 ページ)と指摘する。マスコミは地域紛争を取り上げ、1 人でも命を落とせば、人の命は地球よりも重たいとロマンチックに喧伝する。しかし、現実問題として、「戦争は採算が合わなくなる一方で、平和からはこれまでにないほどの利益が挙がるようになった」(211 ページ)。ハラリさんは、幸福を感じるのは、生物学的現象としては、セロトニンやドーパミンといった化学物質によってニューロンやシナプスが刺激を受けることだとしたうえで、「脳の化学的特性の理解と適切な治療の開発に投じれば、革命などいっさい起こさずに、人々をこれまでより格段に幸せにすることができる」(231 ページ)と主張する。最終章では、上巻冒頭で触れた認知革命が、脳の生理機能にとくに目立った変化を必要としなかったことから、「再びわずかな変化がありさえすれば―(中略)―ホモ・サピエンスを何かまったく違うものに変容させることになるかもしれない」(249 ページ)という。ただ、幸福と超ホモ・サピエンスをめぐる話は、少々、消化不良の感じがする。次の作品『ホモ・デウス』で明らかにされることを期待しよう。ハラリさんは最後に、「私たちは、最後にもう一つだけ疑問に答えるために時間を割くべきだろう。その疑問とは、私たちは何になりたいのか、だ」(262 ページ)と述べる。同感である。
2019.01.23
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サピエンス全史(上) 不幸なことに、複雑な人間社会には想像上のヒエラルキーと不正な差別が必要なようだ。(174ページ)著者・編者ユヴァル・ノア・ハラリ=著出版情報河出書房新社出版年月2016年9月発行著者は、イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさん。本書は、世界で 800 万部を超えるベストセラーとなったそうだ。上巻は、人類の発生から中世までを扱う歴史書ではあるが、年代や事件を解説しているわけではない。ホモ・サピエンスの本質を、認知革命、農業革命、神話といったキーワードを軸に掘り下げてゆく。貨幣や帝国が果たしてきた役割とは何か。そこから人権や差別、多様性といった現代の社会問題を考える。世界史について、ある程度の知識があると、本書の視点が新鮮に感じられるであろう。だが、鵜呑みにする事なかれ。持っている知識を動員して本書の内容を考察することこそ、著者が求めていることだと感じた。いまから 7 万年前、アフリカ大陸を再出発したホモ・サピエンスは、ホモ・エレクトスやネアンデルタール人にない高い認知的能力を備えた「認知革命」を達成し、唯一の人類になったと考えられている。抽象概念を扱えるようになったホモ・サピエンスは、チンパンジーなどの「群れ」とは比較にならない大規模な組織を統率できるようになった。この仮説は、先日読んだ後藤明さんの『世界神話学入門』とも通じる。つまり、他の人類の宗教はゴンドワナ型神話をベースにしているが、再出発したサピエンスのそれはローラシア型神話なのである。ハラリさんは、法人格や法律も、神話・宗教と同列としている。交易もサピエンスしか行っていないことをあげ、「認知革命は歴史が生物学から独立を宣言した時点だ」(55 ページ)と説く1 万 2 千年前の農業革命が始まるまで、サピエンスは狩猟採集の生活にあった。この時代は、健康に良い多様な食材を手に入れ、労働時間が短く、感染症も少ない「原初の豊かな社会」であった。サピエンスは集団生活を営んでおり、一夫一婦制ではなかった。ハラリさんは、現代の不倫は狩猟採集時代の記憶の名残ではないかと指摘する。また、この時代の・サピエンスはアニミズムを信仰していたといるが、アニミズムは体系化されているものではなく、当時の生活は依然として謎に包まれていると書いている。感染症が少ないのは、集団同士の物理的距離があったことと、集団が違うと生活も違ったことが要因と考えられているが、多様性を考えるうえで、振り返っておきたい。サピエンスが南太平洋を航行した証拠は発見されていないものの、いまから 4 万 5 千年前にオーストラリア大陸へ渡った。そこで、独自に進化した動物の多くを絶滅させた。一方、脂肪に富むマンモスなどを追った集団は、陸伝いにシベリアからアラスカへ移動し、1 万年前には南アメリカの南端へ到達した。ここでも、多くの動物を絶滅させてきた。ハラリさんは、サピエンスを「史上最も危険な種」と書いている。ハラリさんは、1 万 2 千年前から始まった農業革命を「史上最大の詐欺」という。なぜなら、狩猟採集の時代より労働時間が増え、得られる食料が減ったからだ。だが、単位面積あたりの収穫量が増えたことにより、人口は爆発的に増えることになる。酪農も同様。増えた人口を養うために、サピエンスの農作業は次第に過酷なものとなっていった。サピエンスと小麦の DNA が、個体の生存環境ではなく、自己複製を優先させた結果かもしれない。もちろん DNA に意志があるわけではない。だが、我々が「意志」と信じているものの正体は何だろう――そして、我々が便利になると考えて受けいれてきた文明の利器は、本当に生活を豊かにしただろうか。ハラリさんは、ハンムラビ法典は神話と同質と説く。たしかに、その前文にはバビロニアの神々の名前が列挙され、そうした神々の名の下に法典が作られたと記されている。さらにハラリさんは、アメリカ独立宣言もハンムラビ法典と同質だと言う(ハンムラビ法典が紀元前 1776 年、独立宣言を西暦 1776 年として対比するという皮肉)。歴史の授業では、王権神授説を脱却した人類の叡智とされる独立宣言であるが、冷静に考えてみれば、人権には実体がなく、その解釈をめぐって 21 世紀の今日でも百家争鳴なのである。ハラリさんの言葉を借りれば、これらは「サピエンスの社会秩序は想像上のもの」(155 ページ)なのである。農業革命を経て、数千~数万人の住民を養う穀物を生産できるようになったものの、そうした記録はサピエンスの脳の記憶に収まりきらない。そこで「書記」が登場する。最初のシュメール文字は、散文を書くためのものではなく、こうした定量記録を残すためのものだった。その子孫がインカのキープ文字である。散文が書けなくても、インカ人は不便を感じなかったのであろう。9 世紀に入ってヨーロッパに輸入されたゼロを含むアラビア数字は、記録文字としては全世界で通用するものになった。アラビア数字は数学という抽象的な学問を扱うことができるから、「想像上の産物」を扱うのに都合がいいツールとなった。法律、体制や数字といったサピエンスの「神話=想像上の産物」の副産物として、ヒエラルキーが発生する。社会的地位は、べつに生物学的な根拠があるわけではない。ハラリさんは、「これらのヒエラルキーはすべて人類の想像力の産物」(173 ページ)という。また、「不幸なことに、複雑な人間社会には想像上のヒエラルキーと不正な差別が必要」(174 ページ)と指摘する一方で、「ヒエラルキーのおかげで、見ず知らずの人どうしが、個人的に知り合うために必要とされる時間とエネルギーを浪費しなくても、お互いをどう扱うべきなのか知ることができる」とも書いている。そして歴史を俯瞰すると、サピエンスの社会は統合する方へと進んでいるという。グローバリゼーションだ。
2019.01.23
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科学者はなぜ神を信じるのか もしも宇宙に設計図があったとしても、ならば設計をしたのは誰なのか言い換えれば、運動方程式を創ったのは誰か、宇宙の初期条件を創ったのは誰なのか、という問題は依然として残るのです。(128ページ)著者・編者三田 一郎=著出版情報講談社出版年月2018年6月発行著者は、理論物理学者でカトリック教会の助祭でもある三田一郎さん。コペルニクスに始まる科学革命以降の科学史を追いながら、科学者の神に対する考え方の変遷を見てゆく。全体を通じて、やや神様贔屓であると感じるが、不思議な現象に出会ったときに、科学者たちが冷静に、論理的に観察し、分析できるのは、「神様=創造主=絶対者」という存在の前で謙虚になるという本能的な何かがあるからではないかと感じた。三田さんは、「聖書には、天動説が正しいとか、地動説が誤っていると明らかに読めるような記述はない」(45 ページ)と前置きし、コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ケプラー、ガリレオの 4 人の天文学者の功績と信仰を紹介する。コペルニクスがカトリックの司祭であることは有名だが、他の 3 人も敬虔なキリスト教徒だった。神が創造した宇宙は美しいものであるべきで、だから彼らは、周転円のような複雑怪奇な仕組みを必要としない地動説を支持した。ケプラーの法則を理論的に裏付けたのが、ニュートンの万有引力だ。ニュートンも敬虔なキリスト教徒だったが、運動方程式によって、神が支配している天体の運行を予言することを可能にした。19 世紀半ば、ダーウィンの進化論は、科学者たちの考えを変えた。造物主としての神の御業に疑問を抱く科学者が現れはじめたのだ。その一人がアインシュタインであった。アインシュタインの相対性理論によって、「この世界で絶対のものは光速だけであり、時間は遅れるし、空間は歪んでいる。もはや、聖書に記されているような絶対的な神が存在できる場所など、どこにもなくなってしまった」(157 ページ)。アインシュタインは 17 世紀の哲学者スピノザを尊敬しており、「宇宙創造後の発展はすべて科学法則にまかされていて、人間は自由意志をもたない」(145 ページ)と考えていた。自らの重力方程式に宇宙項を組み込み、定常宇宙論を展開した。ところが、相対論をマスターした司祭ルメートルは、膨張宇宙論を唱え、ハッブルの観測によりそれが正しいことが証明されるという皮肉な結果となる。1951 年、教皇ピウス 2 世は、「ビッグバンはカトリックの公式の教義に矛盾しない」(167 ページ)との声明を発表した。量子力学の時代、ディラックは「神はきわめて高度な数学者であり、彼は宇宙の構築に、この非常に高度な数学を用いたのだ」(221 ページ)と書き残している。そして先年亡くなった車椅子の天才、スティーブン・ホーキングは、特異点定理を発表する。ホーキング自身は「神なき宇宙」の理論構築に向かっていたが、カトリック教会は、特異点を証明して神の存在を確かなものにした功労者として、教皇庁科学アカデミーの創設者ピウス 11 世の姿が彫られた金メダルが授与した。だが、三田さんは、「ホーキングもやはり、物理法則は誰かが意志をもってデザインしたものであってほしいと考えていたのだな」(249 ページ)と述べる。最終章で、三田さんは自信が神を信じる背景を語る。宇宙誕生時に物質が反物質よりわずかに多かったから現在の宇宙が存在しているのであり、そこに神の存在を感じるという。「もし私が聖書を書くことが許されたら、こんなふうに書き直したいところです。初めに神は物理法則を創られた。そしてエネルギーの塊から物質と反物質を創られた。物質のほうがほんの少し多かった。同量の物質と反物質は消滅しあい、エネルギーに戻った。ほんの少し多かった物質が残った。そして神は天地を創られた」(206 ページ)やや神様贔屓であると感じるが、「不思議な現象に出会ったときに最初から『神様がお作りになったのだ』と言う人は、絶対に科学者ではありません」(262 ページ)という主張には同感である。私たちが謙虚でいられるのは、それは「神様=創造主=絶対者」という存在を想定しているからである。
2019.01.21
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魔法陣グルグル2 第10巻 ニケ「いや、それより『へ』はどうなった!!」著者・編者衛藤ヒロユキ=著出版情報スクウェア・エニックス出版年月2018年9月発行勇者ニケと魔法使いククリによる魔法ギリとの戦いから(わずか)2週間――世界は再び魔王の力に屈しようとしていた。ケムリの塔で魔王ちゃんと対峙する、ニケとククリ、そしてトマ。ニケは魔王ちゃんに向かって、「それより『へ』はどうなった!!」とツッコむ。ついに、へのネタが多い理由が明かされる(どーでもいいだろ、それ)。そこへカヤと魔界の王子レイドが乱入し、天然魔法少女デキルコが新しい魔王になってしまう。ニケとククリはジミナ村へ飛ばされ、物語は無限ループへ突入か!?
2019.01.15
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聖☆おにいさん(16) イエス「イースター‥‥あ、モアイ?」著者・編者中村 光=著出版情報講談社出版年月2018年11月発行四大天使からののイースターの予定うかがいの電話に「モアイ‥‥?」と返してしまったイエス。マーラーのしもべは Google Home? ガブリエルがユーチューバーに。ダース単位で買い物ができるコストコは、だがしかし、「13 人目のあいつ」がいつもあぶれる。あまった食材はコキュートスで冷凍するという。流行りものをネタにしつつ、今日も立川は平和です。そして、実写ドラマがネット配信中。全 10話。
2018.11.29
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現代暗号入門 いかにして秘密は守られるのか 暗号通貨として今後のビジネス展開が注目されるビットコインでも楕円l曲線署名が使われており、RSA暗号は初めから相手にされていない。当初は不利に見えても、真に優れた技術は結果的に市場を席巻するものなのかもしれない。まるで進化のメカニズムのように。(155ページ)著者・編者神永正博=著出版情報講談社出版年月2017年10月発行著者は、IC カードの暗号技術の研究開発経験のある神永正博さん。ネット通販やオンラインバンクで用いられる SSL 暗号はもちろん、ビットコインなど仮想通貨の原理についても、数式を極力省き、日本語で平易に解説されており、入門書としておすすめする。第1章では、シーザー暗号に始まり、ストリーム暗号(RC4 など)、ブロック暗号(DES など)を、簡単な実例をまじえて解説してゆく。暗号アルゴリズムを非公開にすれば、解読される時間を稼ぐことができる一方、公開することで脆弱性を洗い出すことができるメリットがある。現代の暗号方式は、公開する方を選んでいる。第3章では公開鍵暗号の話だ。これを最初に知ったとき、よくもまあ思いついたものだと感心したものだが、素数を利用する背景についてわかりやすく解説している。代表例の RSA 暗号は、1024 ビット(10進数 309 桁)、2048 ビット(同 617 桁)と巨大な素数を利用するが、これは観測可能な宇宙の原子総数(同 80~100 桁)と比べてもはるかに大きい。ここで、素数を判定する方法としてミラー・ラビン素数判定法が紹介されている。関心があったので、PHP と Python で実装してみた。 https://www.pahoo.org/e-soul/webtech/php06/php06-65-01.shtm Python の整数は桁数の制約がないので、巨大素数を扱うにはもってこいだ。実際の暗号化通信は、「RSA 暗号は巧妙な仕組みだが、大きな整数のべき乗と剰余計算が必要となるため、処理には時間がかかる。電子メールやサイズの大きなファイルを暗号化するには大変な時間がかかり、実用的ではない」(115 ページ)としたうえで、ストリーム暗号やブロック暗号とのハイブリッド暗号方式を用いている。また、電子署名が必要であることや、公開鍵暗号方式が電子署名に応用できることを解説する。PC の計算能力が高くなることで、どんどん長いモジュラス長の RSA 暗号が解読されるようになった。1999 年には 463 ビットが解読され、その 10 年後には 768 ビットが解読された。このスピードだと、2017 年には 1024 ビットが解読されるだろう。第4章は、仮想通貨でも使われている楕円曲線暗号だ。RSA 暗号より安全で人気が高まった。なぜ安全なのか、グラフを使ってわかりやすく説明している。また、楕円曲線暗号の応用例であるビットコインの仕組みを説明し、「管理者なしに経済取引できること」(180 ページ)を示す。その応用としてのスマートコントラクトは、コインだけでなく様々な取り引きを自動化できるという。暗号化技術は実社会にイノベーションをもたらそうとしている。第5章は、半導体の特性を利用して暗号解析を行う手法を紹介する。ソフトウェアではなく、ハードウェアの挙動を観測して暗号を解読しようとするサイドチャネル攻撃である。たとえば 1999 年に発表された DPA(差分電力解析)は、多数回の暗号化あるいは復号処理に対する電源変動を観測し、統計的に解析する手法で、神永さんらが対策に苦心していたところ、他社が対策の特許出願をしたという。いまも、暗号化とサイドチャネル攻撃のイタチごっこが続いている。
2018.11.28
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ヴァティカンの正体 なぜ英王室の美術コレクションはパッとしないのか(174ページ)著者・編者岩淵潤子=著出版情報筑摩書房出版年月2014年2月発行著者は、アグロスパシア株式会社(http://agrospacia.com/)取締役・編集長の岩淵潤子さん。「もともとフランス系カトリックの一貫校で小学校から高校までを過ごし、その後、アメリカ、イタリア、イギリスなどでかなりの期間を過ごし、欧州各国、南米やアジアの国々を旅して回った筆者にとって、キリスト教、あるいは、『教会』という施設は、決して珍しい存在ではなかった」(15 ページ)と豪語するので、期待して読み始めたのだが‥‥ネタバレで申し訳ないが、本書は『ヴァティカンの正体』を記してはいない。「あとがき」を除く最後の 7 ページ目で、岩淵さん自身が「本書の目的はヴァティカンとカトリックの教えを知るための教養書ではなく‥‥」と書いているのが「本書の正体」である。読んでいる方が「ええー!」となった。冒頭で、映画(原作ではなく)『ダ・ヴィンチ・コード』『ゴッドファーザー』を引き合いに出し、メディアとしてのヴァティカンや、マネーロンダリング疑惑を述べ、後半までネットで拾える程度のローマ・カトリック史が続く。いかんせん、史料や現地取材がないので、よくあるキリスト教史の入門書だと思って読んでいたにもかかわらず、である。惜しむらくは、終盤に少しだけ触れられている、チャールズ 1 世の収集した美術品と、ピューリタン革命後にクロムウェルが、それらを売却したという下りがユニークであること。「筆者は 1990 年代半ばの 3 年間、毎年、春から夏をロンドンで過ごしながら、エセックス大学の博士課程に籍を置いて、表向きは『世界に散逸したチャールズ 1 世の美術コレクションについて、その価値の再評価を行う』という研究テーマで、『なぜ英王室の美術コレクションはパッとしないのか』について、リサーチを行うことを決意した」(174 ページ)と書いてあるとおり、この下りはユニークである。もちろんヴァティカンとは関係ないのだが、二束三文で売られたレンブラントの行方を追っていくと、もっと面白い本になったと思う。岩淵さんは、最後に「ハリウッドのやり手のプロデューサーやディレクターが『クール・ハリウッド』などと言わないのも、当たり前のことだ。みずからを『クール』と呼ぶのはクールではない‥‥というか、むしろ恥ずかしいことなのである」(215 ページ)とクールジャパンを批判し、日本将来についてヴァティカンを見倣うことを提案する。だがしかし、ワシは、本書のように首尾一貫性に欠ける政治が、わが国の将来に暗い影を落としていると考えている。また、法律や政省令でがんじがらめにしている点もいただけない。ヴァティカンに学ぶべき所があるとすれば、本書でも「『標準化』と『ローカライゼーション』という、今の時代のグローバル企業が経営戦略上、最も重視することに原始キリスト教団がごく早い段階から取り組んでいたことは注目に価し、また、現在のヴァティカンが、当然ながら、その延長上に存在しているということを忘れてはなるまい」(32 ページ)と触れているように、キリスト教の公会議のように、最大公約数的な「標準化」を行い、あとはローカルルールに任せるという点ではないだろうか。そして、この方式は ISO に踏襲されている。岩淵さんが、美術品と映画とアップル(「さらにマニアックな解説をすると―(中略)―なんとアップルの製品は三位一体を具現した存在」199 ページ)が好きであることはよく分かったが、本書で護国卿クロムウェルを「反面教師」としているように、本書を反面教師として歴史を学び、わが国の将来について考えを致すことにしたい。
2018.11.12
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試験に出る哲学 どこまでも自己肯定を貫く生き方のモデルこそ、ニーチェのいう「超人」にほかなりません。(204ページ)著者・編者斎藤哲也=著出版情報NHK出版出版年月2018年9月発行著者は、東京大学哲学科を卒業し、Z 会で国語や小論文の編集を担当した経験のある斎藤哲也さん。本書の対象は大学生や社会人だが、タイトルにあるように、大学入試センター試験の倫理の問題と、そこで取り上げられる哲学者を軸に構成されたユニークな哲学入門書だ。まず、森羅万象を神話(ミュトス)ではなくロゴスで合理的に説明しようとした古代ギリシアのタレスから始まる。ペルシア戦争で活躍した都市国家アテナイでは、民主主義の下、弁論テクニックを教えるソフィストが重用された。これに、ソクラテスが「無知の知」で挑む。この部分には、現代のプピュリズム問題を重ね合わせて読んだ。そして、プラトン、アリストテレスへと続く。アレクサンダー大王に始まる世界帝国の時代、キュニコス派、ストア派、エピクロス派、懐疑主義といった新しい哲学の流れが生まれる。キリスト教がローマ帝国の国教として認められ、新プラトン主義を知ったアウグスティヌスは神への信仰とをいた。その後、西ローマ帝国は滅亡し、プラトンのアカデミアやアリストテレスのリュケイオンは異端として、キリスト教圏から追放されイスラム圏へと伝わる。十字軍の時代、アリストテレス哲学が逆輸入され、トマス・アクィナスは自由意志である理性をもって自然を探求することは、神の神秘と対話することに他ならないと考えた。ルネサンス時代に入ると、大陸ではベーコン、デカルト、スピノザ、ライプニッツが原理を重視する一方、イギリスではロック、バークリー、ヒュームらが経験論を展開した。大陸では、カトリックとプロテスタントが争い宗教改革や三十年戦争が起きたことが背景にある。400 年前、イギリスのヒュームは、相関関係と因果関係の差異を明らかにした。カントは、いくら外見上は道徳的な行為に見えても、そこに善をなそうという意志が伴わなければ、道徳的な行為とは見なせないとした。ヘーゲルは弁証法を提案し、あらゆる事物は否定を原動力として発展していくと言った。そこにはアウフヘーベンが働き、理想的な市民社会を目指す。マルクスやニーチェはヘーゲルの影響を受けた。マルクスは資本主義を否定し『資本論』を著し、ニーチェはそれまでの西洋哲学すべてを否定し、道徳はルサンチマンから生まれたと説いた。キルケゴールを先駆とする実存主義は、20 世紀に入り、サルトルによって世界を席巻する。サルトルは、「つねに現在の自分を否定して、未来に向かって新しい自分をつくりあげていくことができるのが人間」(235 ページ)とした。古代ギリシアから現代までの哲学を超特急で縦覧したわけだが、哲学は歴史から影響を受けている。ということは、現代史の中を生きている我々もまた、哲学と無縁でいられるわけではない。
2018.10.16
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テンプル騎士団 詰まるところ、テンプル騎士団は常備軍だった。(115ページ)著者・編者佐藤 賢一=著出版情報集英社出版年月2018年7月発行1095 年の第1 回十字軍が成功し、エルサレム王国が建国された。しかし、建国とは名ばかりで、エルサレム巡礼の道程の治安は依然として不安定だった。巡礼者たちを護るため、テンプル騎士団が結成された。創設者のユーグ・ド・パイヤンの出自はよく分かっていないが、彼と 9 人の騎士、その従者数十名でテンプル騎士団はスタートした。1128 年、フランスのトロワで公会議が開催され、正式にテンプル騎士団が発足した。テンプル騎士団は、基本的に修道士であり、封建諸侯と異なり主従関係はなく、ただローマ教皇に仕えるのみである。修道士であるから、神のために戦う。死を恐れない。エゴを克服し、集団で戦闘に臨む。騎士は、白地に赤い十字架が縫い込まれたマントを羽織る。軍服のようなものである。そして、装備品も標準品が支給品される。つまり、一般的な封建騎士と異なり、近代的な職業軍人であり、ヨーロッパに初めて登場した常備軍であった。テンプル騎士団とほぼ同時期に結成され、同じようにエルサレム防衛にあたっていた聖ヨハネ騎士団も軍備を強化した。十字軍に対する熱狂の中、テンプル騎士団には多くの寄進が集まり、領地も増え、管区としてテンプル騎士団が運営した。前述の通り封建諸侯に支配されず、徴税権もテンプル騎士団のものであった。東方でイスラム軍団との戦いで傷ついた騎士や、まだ戦場に出るには早い若者が管区の運営を任された。一線級でなくとも、騎士が常駐している管区は治安が良かった。また、前線へ物資を運ぶためのテンプル街道が整備された。12 世紀後半、サラディンがアイユーブ朝を創始し、1187 年、エルサレムを奪還する。これに対し、1189 年、第3 回十字軍が結成され、アッコンを征服すると、サラティンと休戦に持ち込んだ。だが、聖地奪回の熱は次第に冷め、1270 年、フランス王ルイ 9 世が主導した第8 回十字軍が失敗したことで、実質的な十字軍は終わる。こうしてテンプル騎士団の役割は終わったはずだったが、フランス王と蜜月関係が続き、国の財政を預かるまでになっており、領地経営や各種事業も順風満帆であり、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の時代から絶対王政へと変化してゆく時流に乗り遅れた、ローマ教皇ボニファティウス 8 世を憤死させ、クレメンス 5 世をヴィニョンに移したフィリップ 4 世にとって、次に邪魔な存在だったのがテンプル騎士団だ。1307 年 10 月 13 日の金曜日、フィリップ 4 世は突然、フランス全土にいるテンプル騎士団員を一斉逮捕した。騎士団を異端として拷問にかけ、すべての資産は聖ヨハネ騎士団へ移管された。1312 年、フィリップ 4 世の意を受けたローマ教皇クレメンス 5 世は、ヴィエンヌ公会議を開き、テンプル騎士団を正式に禁止した。この通知はヨーロッパ全土にもたらされたが、教皇と対立するスコットランドを含め、いくつかの国でテンプル騎士団は生き残った。ポルトガルではキリスト騎士団と名を変え、15 世紀初頭、エンリケ航海王子を輩出する。大航海時代の帆船が赤い十字の帆を張っているのは、テンプル騎士団の名残である。2007 年 10 月 12 日、一斉逮捕から 700 年を経て、ローマ教皇庁は『テンプル騎士団弾劾の過程』を公開し、テンプル騎士団に対する異端の疑いは完全な冤罪であり、裁判はフランス王の意図を含んだ不公正なものであったとして、騎士団の名誉回復がはかられた。時代を見通す感覚がない組織の末路は、いつの時代も悲惨である。そして、民衆の声を利用して国家を動かす全体主義者フィリップ 4 世は――本書では言及されていないが、ナポレオンやヒトラーは――恐ろしい存在だ。私たちは、もっと歴史を学ぶべきである。
2018.10.13
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価格の心理学 人は提示された金額に影響されることを忘れてはならない。しかも商品にいくら支払うか聞かれると、本当に払うつもりより低い金額を答える。(84ページ)著者・編者リー・コールドウェル=著出版情報日本実業出版社出版年月2013年2月発行著者は、価格リサーチの専門家で、認知・行動経済学者でもあるリー・コールドウェルさん。副題に「なぜ、カフェのコーヒーは『高い』と思わないか」とあるように、消費者心理の側面から製品・サービスの価格決定プロセスを見直す。冒頭、新製品チョコレートポットの価格を考える。もしスーパーでティーバッグの隣に並べると、ティーバック 1 個やコーヒー 1 杯分の値段と比較されるから 4 円から 14 円の間、も湾れたての力プチーノの隣に並べると 1 個 400 円でも抵抗なく払うだろう。つまり、「競合相手が変われば価格領域も違う。したがって、競合相手の選択と、それにあわせたポジショニング次第では、まったく違う価格設定ができる」(24 ページ)というのだ。第2章では原価計算の、第3章では需要曲線の問題点を指摘する。たとえば、「商品やサービスを提供するための原価を出せば、設定できる最低価格はわかるが、それが適正価格というわけではない」(26 ページ)など。これは、目から鱗であった。第7章では、顧客の第一印象の効果を利用した価格戦略として「アンカリング」を取り上げる。第12章ではパッケージ商品の価格を考えるが、携帯電話会社の事例を取り上げ、固定費が多く変動費が少なければパッケージ価格は個別サービスよりも安く設定すべきとしている。考えてみれば当たり前の話なのだが、わが国の携帯電話料金が欧州より高いのは、この考え方の違いかもしれない。第13章では無料商品・サービスを取り上げる。無料は魔法の言葉だが、「無料サービスが最大限の効果を発揮するのは、顧客があまり重視していない価値を対象にした場合」(196 ページ)と前置きをした上で、無料商品と有料商品のパッケージ販売や、有料商品の購入を条件とする無料商品の提供は、有料商品の効果的な PR になるという。第17章では、記憶の研究、パターン認識、認知的不協和、ゲーム理論から顧客心理を分析し、「価格設定での最重要課題は、顧客に価格について考えさせないこと」(257 ページ)という。原価積み上げで価格決定してきた身からすると、いかさまのようにも感じるが、これが本当の「マーケティング」なのだろう。開発者や製造者の視点で価格決定に絡まない方がいいのかもしれない。
2018.10.12
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日本の中小企業 方程式が所与の時代は、問題解決型対応で済んだものが、新たな時代には前例もなく、問題そのものを発見していかなければならない。(205ページ)著者・編者関 満博=著出版情報中央公論新社出版年月2017年12月発行著者は、明星大学経済学部教授で、中小企業や地方創生に関する活動や著作が多い関満博さん。冒頭で、わが国の製造業事業所が 1986 年の約 87 万 4 千をピークとして、2016 年には約 45 万 4 千に半減していることを指摘する。わが国は 2008 年を境に人口減少時代となり、2015 年には 4 人に 1 人以上が高齢者となった。高齢化率は、欧米や中韓と比べても極端に高い。そんな中、起業は停滞し、廃業が増加している。とくに製造業では、3K色が強い鍛造、鋳造、熱処理、メッキなどの廃業が続いており、高性能で高額な機械設備が求められる金型業界でも新規参入は難しくなっている。このままでは国内で一通りのモノが作れなくなってしまう。一方、IT関連や医療・福祉関係は成長している。わが国には、企業を支援するインキュベーション施設やマネージャがいる。第2章では、既存事業部門でインキュベーションを用いて起業した事例を見てゆく。モノづくりのためには複数の企業が連携することが不可欠だが、リーマンショックで倒産した企業を再生させた例もある。アパレルや食品といった既存分野では、「80 年代半ば頃からは、差別化された商品の要請が強まり、多種少量生産、高級品生産が求められるようになった」(66 ページ)ことから、新規参入の余地が生まれているという。第3章では、新たな事業分野に踏み込む創業企業として、IT 分野や大学発ベンチャー、農業・水産業周辺の取り組みを見てゆく。関さんは、「最近では IT関連業種も 3K職種とみなされる部分も多く、スタッフの確保が最大のテーマとなっている。拡大意欲の強い IT 企業の場合、技術者を求めて、ベトナムなどの東南アジア諸国への進出も不可欠であろう」(82 ページ)とアドバイスする。環境変化や社会問題を解決するために、あらたな事業分野を開拓できる。関さんは「若者の起業意識が低下していることが気になる」(102 ページ)と心配するが、今までとは違うきっかけで起業するのが、これからのスタイルではないかと、私は楽観的に見ている。第4章は事業承継だ。身近でも承継できずに廃業する中小企業が後を絶たない。「中小企業の約 3 分の 1 には承継の候補者がいないとされている」(144 ページ)という。これは大問題だ。金融機関は個人保証はとらないというが、キリギリのところで個人保証を取られるという実態があり、従業員に承継させるためのハードルとなっている。結局は、息子、娘、娘婿が承継せざるを得ない。関さんは、家族や親族による事業継承も、「その事業をベースにしながらも、新たな要素を付け加えていくなどして、希望のもてる事業に変えていくことが不可欠」(126 ページ)と指摘する。第5章では、人口減少・高齢化といった国内環境の変化、海外生産へシフトしている製造業のトレンドを踏まえ、あらたなビジネスモデルを展開した事例を見てゆく。ピンチはチャンスと言われるが、その通りである。終章では、ニクソン・ショック以前の固定相場制でわが国の製造業が活況を呈したこと、ニクソン・ショックの直後に返還された沖縄は工業化の契機をつかめなかったことに触れ、1985 年のプラザ合意以降の円高でバブル経済が勃発したこと、その後、中国・アジアの存在感が大きくなったと振り返る。そして、世界に先駆けて、超少子高齢化、人口減少社会に入った。いま、わが国は世界の最先端にいるのである。関さんは、このことについて「方程式が所与の時代は、問題解決型対応で済んだものが、新たな時代には前例もなく、問題そのものを発見していかなければならない」(205 ページ)とアドバイスする。さて、地球上の生物は、何度かの大絶滅を超え、あらたな進化を見せ、空席になったニッチを埋めるように反映してきた。会社もまた生き物である。廃業が続くのは一時的なことで、ヒトがいる限り、ニッチを埋める事業が登場するであろう。本書に即発されて、わが国の人口推移をシミュレーションするプログラムに、生産年齢人口減少に伴う企業(事業所)数の減少を推計する機能を加えてみた。ご利用になった感想をいただければ幸いである。 https://www.pahoo.org/e-soul/webtech/phpgd/phpgd-13-01.shtm
2018.10.11
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ムダヅモ無き改革 プリンセスオブジパング 第4巻 「我がプーチン帝政以上の国家は、過去にも未来にも存在しないのだ」著者・編者大和田秀樹(漫画家)=著出版情報竹書房出版年月2018年10月発行著者は『機動戦士ガンダムさん』『大魔法峠』でお馴染みの大和田秀樹さん。シリーズ累計250 万部を突破した政治+麻雀アクション漫画の新章は、麻雀高校女子ワールドカップだ。御門葩子次の対戦相手は、アナスタシアとラスプーチナ――「アナスタシアは生きていた!」というより、怪僧ラスプーチンが反魂の法を使って美少女に転生した話の方が驚愕である。永久凍土戦法に超流動――次から次へと、トンデモ技を繰り出すムダヅモ・ワールド(笑)。そこへ、プーチン大統領があらわれた‥‥
2018.10.05
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リーダーのための歴史に学ぶ決断の技術 不遇が強運を生むのか、強運の持主だから不遇を乗りこえられたのか。因果関係は必ずしも明らかでない。(96ページ)著者・編者松崎哲久=著出版情報朝日新聞出版出版年月2014年2月発行著者は、元衆議院議員で歴史小説家でもある松崎哲久さん。第1章は「負け戦に臨む」として、終戦処理を託された鈴木貫太郎内閣、幕府の軍艦奉行であり明治維新後も徳川家の復権に尽力した勝海舟を取り上げる。海軍大将だった鈴木貫太郎内閣が成立した丁度そのとき、戦艦大和は米軍機の攻撃を受けて轟沈する。これは偶然か、それとも政府のシナリオなのか。松崎さんは、「時代を読む。それがリーダーの資質である」としながらも、「時代が読めても、世間が追いつかないこともある」(44 ページ)と述べる。第2章では、時代に早すぎた改革を推し進めた田沼意次、阿部正弘といった老中を取り上げ、改革は失敗しても、次代の人材育成に成功している点に注目する。さらに、平民宰相・田中角栄を取り上げ、「戦後デモクラシーの申し子」(65 ページ)と評する。田中内閣は短命に終わるが、その政治スタイルはシステムとなり、自民党の長期政権を支えてゆく。張作霖爆殺事件の真相を知った田中義一内閣や、満州事件の陰謀を知った若槻礼次郎内閣は、いずれも決断を下さず総辞職。わが国は、泥沼から抜け出せない状況へと突き進んでゆく。第6章では、捨てる勇気がリーダーの条件として、大政奉還を実行し無位無冠となった徳川慶喜を取り上げる。明治政府に何もしなかった慶喜は、生前に公爵となり、徳川第16 代家達は貴族院議長を 30 年にわたって務めた。一方、三度の内閣で三度とも失敗した近衛文麿は、名門に生まれたプライドを捨てられなかった。第7章では「引き際と責任」と題し、まず、ポツダム宣言受諾の御前会議を経て、軍部がクーデターを起こさぬよう周到な手続きを行った上で自決した阿南惟幾大将を取り上げる。戦時中は失敗を繰り返した大本営と内閣ではあるが、終戦時に粛々と撤退した姿は見事なものである。石橋湛山首相は、風邪をこじらせて軽い脳梗塞を起こした。「私の政治的良心に従います」の名句を残し、わずか 65 日で退陣してしまう。潔い引き際であったが、後任の岸信介首相の時代から官僚支配が始まる。第8章では、暗殺という形で幕引きをさせられたリーダーを取り上げる。織田信長については、「秀吉は信長の目指した構想の『後継者』ではない。似て非なる政権であった。それは秀吉が信長の構想を、真の意味で理解できなかったからに他ならない」(230 ページ)と指摘し、第7章で秀吉の引き際の悪さを「このとき補佐役に人を得なかったことに起因する」(210 ページ)と解説する。明治維新後、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通という「維新の三傑」が 1 年のうちに相次いで没したことについて、松崎さんは「三傑の時を同じくした退場は、有司専制国家が立憲国家に変貌を遂げていくために必要条件だったかもしれないのである」(234 ページ)と述べる。歴史に「もし」はない、とよく言われるが、現代を生きる者としては、あえて「もし」を考察することで、自分の選ぶべき方向を決断できるのではないだろうか。
2018.10.02
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究極超人あ~る10通常版 R・田中一郎「天高く――馬子ゆるキャラ」著者・編者ゆうき まさみ=著出版情報小学館出版年月2018年8月発行1987 年の第9 巻から、なんと 31 年ぶりの新刊――第2 次人工知能ブームの時代に誕生した、ロボットもとい、アンドロイドの R ・田中一郎が、第3 次ブームの時代に帰ってきた。『けいおん!』『ハックス!』より遙か昔に連載されていた文化部日常系漫画の元祖である。にしても、今回、ご飯ネタとして使われる「サトウのごはん」は、連載後の 1988 年に発売されたのだったとは。そして、R ・田中一郎の元ネタであるロボット SF を誕生させたアイザック・アシモフも 1992 年に他界している――嗚呼、31 年という時は、なんと重たいことか。だがしかし、鳥坂先輩、たわばセンパイ、大戸島さんごなど、レギュラーメンバーが再結集。時代はもちろん 1987 年。「銀塩カメラ」という言葉が存在しなかった時代、CONTAX とか T スターという用語が何の前置きもなく語られる光画部――。「究極戦隊コウガマン」が劇場版3D になって蘇り、最終話は「機動警察パトレイバー」「アッセンブル・インサート」「鉄腕バーディー」のオールスター。「成原がまた奴らに敗れたようだな」「だが奴は我ら四博士中最弱!」還暦を過ぎたゆうき先生、絵が変わっていないのは驚異です。
2018.09.22
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世界神話学入門 ローラシア型神話の基本構造が繰り返し今日まで再生されるのは、その基本的なストーリーラインに今日でもわれわれに訴えるものがあるからである。(187ページ)著者・編者後藤明=著出版情報講談社出版年月2017年12月発行黄泉比良坂を訪ねて島根を旅したとき、そういえばギリシア神話のオルフェウスの話と同じプロットだな、と感じ、本書を手に取った。著者は、海洋人類学および物質文化や言語文化の人類学的研究を専門としている後藤明さん。2013 年、ハーヴァード大学のマイケル・ヴィツェルが『世界神話の起源』の中で、世界中の神話はゴンドワナ型とローラシア型の 2 つに大別できるとした。本書は、その仮説を下敷きに、考察を進めてゆく。第1章では人類の発祥まで時間軸を遡る。続く第2章では、旧石器時代の文化について考察する。文字の存在は確認されていないが、壁画などが残っており、後藤さんらの仮説が正しければ、世界神話に関する認識をあらためなくてはならない。第3章では、世界中に見られるゴンドワナ型神話を紹介していく。そのなかで、人類が後期旧石器時代には天文に関心を抱いているとした上で、後藤さんは、「たとえばシベリアあるいはモンゴル付近から北米大陸にかけて、もっとも広範囲に見られるのが宇宙狩猟(コスミック・ハント)のモチーフである。この地域は緯度が高いため、北極星の周りを回って沈まない周極星が多い。日本の北海道の北部でも北斗七星は 1 年中沈まない。それでこれら沈まない星に対して、漁師や猟犬が獲物を永遠に追いかけている、という神話が付与された」(132 ページ)と述べている。だとすると、星座に関わるギリシア神話は、ゴンドワナ型神話にルーツをもっていることになる。第4章では、ローラシア型神話を紹介する。「ローラシア型神話にとっての究極的な問いは、世界と人間の起源はどのようなものだったのか」(146 ページ)だという。世界の創造から、世界各地の神話には共通項が多い。「そしてローラシア型神話は、最終的な世界の破滅を語る黙示録をしばしば伝える」(180 ページ)。洪水神話も、世界各地に見られる。あのヴェリコフスキーの彗星(イマヌエル・ヴェリコフスキー『衝突する宇宙』)を持ち出すまでもなく、アフリカからユーラシア大陸を伝って南北アメリカ大陸に移動した人類によって、神話は伝搬したのかもしれない。だとしたら、洪水は 1 万 2 千年前の出来事ではなく、さらに上代に起きた海進を、人類の記憶として伝えているのかもしれない。また、こうした神話の共通性を利用して、ナチスや戦前の大日本帝国は、自らの正当性を主張した。後藤さんは、「われわれは、神話は使い方を間違うと諸刃の剣、あるいはまさに『指輪』(トールキン『指輪物語』)になることをこうした歴史から学ぶ必要がある」(190 ページ)と警鐘を鳴らす。第5章では、世界神話との比較で日本神話を眺める。後藤さんは、日本神話がローラシア型神話と考えている。そして、黄泉比良坂に関わるオルフェウス型神話について、「イザナキ・イザナミのように、2 人の神がこの世とあの世の聞で離縁を誓いあう『誓建』モチーフがある。オセアニアでは、『誓建』はミクロ、不シアのカロリン諸島やメラネシアのフィジー諸島にも見られる」(221 ページ)と紹介している。第6章では、再びゴンドワナ型神話群について振り返り、「解決の糸口が見えない、現代の人類社会。どんな思想も大宗教も解決策を提案できないでいる今日、よほどの革新的な思考の転換が必要だ、そう多くの人々が感じ始めているのではないだろうか。私にも答えはわからない。しかしとんなときにとそ、人類としての原点にもどってみるべきではないか、このところ私はそう考え始めている」(268 ページ)と結ぶ。私は、文字が無いという理由だけで、旧石器時代を軽んじていたのかもしれない。北極星の周りを恒星が回っているという空間認識ができることをとってみても(小学校の理科で苦労する子どもが多い)、現代人と同等の思考活動をしていたことは明らかだ。歴史を学ぶものとして、視点を 1 万年以上遡ってみることにしよう。
2018.09.04
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面従腹背 「国家に従属したり国家の部分として存在したりすることを拒否するという意味において、私はアナキストだったとも言える」(24ページより)著者・編者前川喜平=著出版情報毎日新聞出版出版年月2018年6月発行著者は、文部科学事務次官を務め、天下り斡旋の責任をとって文部科学事務次官を辞職した前川喜平さん。書名になっている「面従腹背」は、彼の座右の銘だという。けれども、冒頭から矛盾が見られる――たとえば、「公務員は匿名」であり、「私個人の名前の入った文書であっても、それは私個人の意思を表したものではない」と記す一方で、後輩官僚に対しては「自分が尊厳のある個人であること―(中略)―を忘れてはならない」(4 ページ)という相矛盾したメッセージを送っている。また、「組織に残る以上は面従せざるを得ない」(14 ページ)と記しているが、これもおかしい。組織が違法行為をしろと命じた場合、それに従ったら犯罪幇助である。前半は、ご自身が携わってきた文部科学行政を振り返り、論評を加えている。ユネスコの政治化や、国歌斉唱・国旗掲揚については学習指導要領に記されているのだから私立も同じように対応しなければいけないのに効率だけ厳しく指摘されるなどの文科行政の矛盾は、たしかにご指摘の通りである。このように仕組みやルールについては論理的に分析できている前川さんだが、個人に対する評価には理(ことわり)が見られない。たとえば、誘われて飲みに行った「7 年先輩の河野愛さんや 4 年先輩の寺脇研さん」(26 ページ)は高く評価するが、のちに愛知県知事となる加戸守行氏については「もともと国家主義的考え方の持ち主だ」(29 ページ)と切って捨てる。また、沖縄県竹富町の教科書採択問題についても、問題自体を客観的に分析し、「教科書採択は各学校の権限にすべきである。複数の学校で同一の教科書を使わなければならない理由もないからだ」(113 ページ)と理路整然と結んでいるのだが、途中、「下村大臣、義家政務官の指示に従って―(中略)―完璧に面従していた」(108 ページ)と関係ない話題を書いてしまう。こうした矛盾やギャップがどこから来るのか――「内心においていかなる法も規律も認めず、国家に従属したり国家の部分として存在したりすることを拒否するという意味において、私はアナキストだったとも言える」(24 ページ)という独白を読んで納得した。前川さんは、法令遵守を基盤とする民主主義、科学的合理主義とは相容れない方なのだ。たとえば、南京大虐殺が史実であるという前提に立って、「法律も万能ではない。法律が決めたからといって教育内容として妥当だとは言えない」(125 ページ)と書いてしまう。第3章の教育基本法改正に対する反論も、ルールや論理に立脚していないがために、いまひとつ説得力に欠ける。そして第4章は、京都造形芸術大学の寺脇研氏、毎日新聞の倉重篤郎氏と 3 人で、加計学園問題についての対談となっている。前川さんは、獣医学部は卒業まで学生1 人当たり 2000 万円の収入になるから、学校は儲かると語る。教職員の人件費は、実験費は、施設維持費といった経費は算定しないのだろうか。そして、獣医学部新設は密室で決まったこととして、多くの政治家や官僚の名前を並べ上げ、陰謀論のような話になってゆく。前川さんは、巻末で Twitter をやっていたことを白状し、いまは非公開にしていると結んでいる。最後まで、ご自身に不都合なことには触れず、たしかにアナーキストの独白を読んでいるような印象を受けた。
2018.09.02
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ムダヅモ無き改革 第3巻 「寒い‥‥ですって‥‥? 何を言ってるのよ。私のいたシベリアの凍気は、こんなものじゃないわよ」(アナスタシア・ニコラエヴナ)著者・編者大和田秀樹(漫画家)=著出版情報竹書房出版年月2018年7月発行著者は『機動戦士ガンダムさん』『大魔法峠』でお馴染みの大和田秀樹さん。シリーズ累計250 万部を突破した政治+麻雀アクション漫画の新章は、麻雀高校女子ワールドカップだ。比良坂菊理の心臓が止まってしまった。3 分以内に蘇生できなければ、本物のキョンシーになってしまう。台湾総統・蔡英文を相手に、どうする、御門葩子――ってゆーか、この連載、本当に続けられるのか!?
2018.07.26
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