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ほかの読書もしたかったが、ウェスレーの説教集を読み終わるまでは我慢しようと、ひたすら読み続けた。最後の方は、味わうと言うよりも読み終えたい一心で急行読みになった。ボクが把握している中では、ウェスレーの説教で日本語に訳されているのは、下記の一覧表にあるものがすべて。全部目を通した!読んだその時は感銘を受けても、次の説教に移ると内容を忘れてしまう。残念だな。ジョン・ウェスレー標準説教邦訳一覧0 説教集への序文1 信仰による救い1738/6/11 Salvation By Faith - Eph 2:82 あと一歩でキリスト者1741/7/ The Almost Christian - Acts 26:283 眠っている人よ、目をさませ1742/4/4 Awake, Thou That Sleepest - Eph 5:144 聖書的キリスト教1744/8/24 Scriptural Christianity - Acts 4:315 信仰による義認1738/5/28(1746出版) Justification By Faith - Rom 4:56 信仰による義1746までThe Righteousness Of Faith - Rom 10:5-87 神の国への道 1742初 The Way To The Kingdom - Mark 1:158 御霊の最初の実 The First Fruits Of The Spirit -Rom 8:19 奴隷の霊と神の子とする霊The Spirit Of Bondage And Of Adoption - Rom 8:1510 御霊の証し1 1746 The Witness Of The Spirit:1- Rom 8:16 11 御霊の証し2 1767 The Witness Of The Spirit:2- 2 Cor1:1212 私たち自身の霊の証し 1746 The Witness Of Our Own Spirit - 2 Cor 1:1213 信仰者のうちにある罪について1763 On Sin In Believers - 2 Cor 5:1714 信仰者の悔い改め 1767 The Repentance Of Believers - Mk1:1515 大審判 1758/3/ The Great Assize - Rom 14:1016 恵みの手段 1739頃? The Means Of Grace - Mal 3:717 心の割礼 1733/1/1(1748付加)The Circumcision Of The Heart-Rom2:2918 新生のしるし 1748(説教19も) The Marks Of The New Birth -John 3:819 神より生まれた者の偉大な特権 The Great Privilege Of Those That Are Born Of God - 1 John 3:620 主、我らの義 1765 The Lord Our Righteousness -Jer 23:6「我らの主の山上の説教」1748~175021-1山上の説教5章1-4 (心の貧しい者)Upon Our Lord's Sermon On The Mount: Discourse One22-2山上の説教5章5-7 (柔和な者)23-3山上の説教5章8-12 (平和をつくり出す者)24-4山上の説教5章13-16(塩と光)25-5山上の説教5章17-20(律法について)律法論26-6山上の説教6章1-15(祈りについて)27-7山上説教6章16-18(断食について)28-8山上の説教6章19-23(宝について)29-9山上の説教6章24-34(思い悩むな)30-10山上の説教7章1-12(裁くな)31-11主の山上の説教7章13-14(狭い門)32-12山上の説教7章15-20(木と実)33-13山上の説教7章21-27(家と土台)(34~36 1750年 説教集第3巻)34 律法の原形、性質、属性、用法 The Original, Nature, Property, And Use Of The Law - Rom 7:1235信仰によって確立される律法1 The Law Established Through Faith: 1 - Rom 3:3136信仰によって確立される律法2 The Law Established Through Faith: 2 - Rom 3:3137 熱狂の性質 1750 The Nature Of Enthusiasm - Acts 26:2438頑迷に対する警告(宗教的偏狭心についての戒め)1750 A Caution Against Bigotry - Mark 9:38-3939公同的精神 1750 (2016年11月) Catholic Spirit - 2 Ki 10:1540キリスト者の完全1740 (2016年12月) Christian Perfection - Phil 3:1241さ迷う思い(思念の放浪) Wandering Thoughts - 2 Cor 10:542サタンの策略 1750 Satan's Devices - 2 Cor 2:1143聖書における救いの道 1765 The Scripture Way Of Salvation- Eph 2:844原罪1759(長論文第1部の要約) Original Sin - Gen 6:545新生 1760 The New Birth - John 3:746荒野の状態 1760(説教47も) The Wilderness State - John 16:2247さまざまな試練による悩み Heaviness Through Manifold Temptations - 1 Pet 1:648自己否定(己れを否むこと) Self-denial - Luke 9:2349悪口のいやし(悪しき言を癒やすには)1760出版(説教集4) The Cure Of Evil-speaking - Matt 18:15-1750金銭の使い方 1760 The Use Of Money - Luke 16:951良き管理者 1768 The Good Steward - Luke 21:252慣習の改革 1763 The Reformation Of Manners - Ps 94:1653ジョージ・ホイットフィールド氏の死に際して 1770 On The Death Of The Rev. Mr. George Whitefield - Num 20:1054「永遠について」 On Eternity - Ps 90:255「三位一体について」 On The Trinity - 1 John 5:756「ご自身の御業に対する神の嘉納」 God's Approbation Of His Works - Gen 1:3157「人間の堕罪について」 On The Fall Of Man - Gen 3:1958「予定について」 On Predestination - Rom 8:29-3059「堕落した人間に対する神の愛」 God's Love To Fallen Man - Rom 5:1560「全被造物の解放について」 The General Deliverance - Rom 8:19-2261「不法の秘密」 The Mystery Of Iniquity - 2 Thes 2:762「キリスト降臨の目的」 The End Of Christ's Coming - 1 John 3:863「福音の一般的宣布」 The General Spread Of The Gospel - Is 11:964「新創造」 The New Creation - Rev 21:565「隣人を訓戒する義務」 The Duty Of Reproving Our Neighbour - Lev 19:1766「時のしるし」 The Signs Of The Times - Matt 16:367「神の摂理について」 On Divine Providence - Luke 12:768「神の知恵と知識」 The Wisdom Of God's Counsel's - Rom 11:3369「人間知識の不完全」 The Imperfection Of Human Knowledge - 1 Cor 13:970「理性に関する公平な考察」 The Case Of Reason Impartially Considered - 1 Cor 14:2071「天使について」 Of Good Angels - Heb 1:1472「悪魔について」 Of Evil Angels - Eph 6:1273「地獄について」 Of Hell - Mark 9:4874「教会について」 Of The Church - Eph 4:1-675「分裂について」 On Schism - 1 Cor 12:576「完全について」 On Perfection - Heb 6:177「霊的礼拝」 Spiritual Worship - 1 John 5:2078「霊的な偶像礼拝について」 Spiritual Idolatry - 1 John 5:2179「心の分散について」 On Dissipation - 1 Cor 7:3580「世の友となることについて」 On Friendship With The World -Jas 4:481「どのような意味で世を離れるべきか」 In What Sense We Are To Leave The World - 2 Cor 6:17-1882「誘惑について」 On Temptation - 1 Cor 10:1383「忍耐について」 On Patience - Jas 1:484「重要な質問」 The Important Question - Matt 16:2685「自らの救いを達成すること」 On Working Out Our Own Salvation - Phil 2:12-1386「堕落者への呼びかけ」 A Call To Backsliders - Ps 77:7-887「富の危険」 The Danger Of Riches - 1 Tim 6:988「服装について」 On Dress - 1 Pet 3:3-489「さらにまさる道」 The More Excellent Way - 1 Cor 12:3190「まことのイスラエル人」 An Israelite Indeed - John 1:4791「愛について」 On Charity - 1 Cor 13:1-392「熱情について」 On Zeal - Gal 4:1893「時をあがなうことについて」 On Redeeming The Time - Eph 5:1694「家庭宗教について」 On Family Religion - Josh 24:1595「子女の教育」 On The Education Of Children - Prov 22:696「両親への服従について」 On Obedience To Parents - Col 3:2097「牧師への服従について」 On Obedience To Pastors - Heb 13:1798「病人を見舞うことについて」 On Visiting The Sick - Matt 25:36099「義の報い」未完 The Reward Of The Righteous - Matt 25:34100「すべての人を喜ばせることについて」 On Pleasing All Men - Rom 15:2101「絶えず聖餐に与る義務」 The Duty Of Constant Communion - Luke 22:19102「昔は」 Of Former Times - Ecc 7:10103「人とは何者か」 What Is Man?-Ps 8:34104「公会出席について」 On Attending The Church Service - 1 Sam 2:17105「良心について」 On Conscience - 2 Cor 1:12106「信仰について」 On Faith - Heb 11:6107「神の葡萄園」 On God's Vineyard - Isa 5:4108「富について」 On Riches - Matt 19:24109「義人の苦難と安息」 127 - The Trouble And Rest Of Good Men - Job 3:17110「自由の恵み」 128 - Free Grace - Rom 8:32116「人間とは何か」 109 - What Is Man? - Ps 8:4117「信仰の発見」 110 - On Discoveries Of Faith - Heb 11:1122「キリスト教の無力の原因」 116 - Causes Of The Inefficacy Of Christianity - Jer 8:22126「世の愚か者」 119 - On Worldly Folly - Luke 22:20以上
2020年11月13日
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メソジストの祖ジョン・ウェスレーの書いた説教は約150ほど残っているそうだがその中の標準説教53を、藤本満先生が3巻に分けて訳され、イムマヌエル綜合伝道団が出版している。53を含めそれ以外の説教も、イムマヌエル綜合伝道団が、分冊にして出版し続けて15巻ほどになっている。イムマヌエル伝道団はすべての説教の翻訳を完了すると表明しているが、近年は訳業は滞っているように見受けられる。あとわずかなのだが。分冊本は出版からすでに年月が経過していて、古いものは版元品切れ状態であり、アマゾンなどではビックリするような値段で売られている。どうしても欲しくて泣く泣く買った。標準説教53は野呂芳男先生の訳もある。新教出版社の「ウェスレー著作集」の中に上中下三冊。これも古い。ほかに邦訳のまとまったものは見られない。ウェスレーにはまとまった神学大系はなく、「説教」によって教え続けた。説教集の扉に「序文」があるが、ウェスレーがどうして説教を書き出版するようになったか、心の動機が書かれている。これは心打たれる文章だ。説教は読まなくてもこの「序文」だけは読んで欲しい。説教も魅力的なもので、書き出しは冷静のようでも、後の方ではぐいぐいと心情にたたみかけてくるものが多い。その点、有名な「キリスト者の完全」は、論文や説教などの寄せ集めて、そういう魅力に乏しい。邦訳されているウェスレーの説教の全部に目を通すのが、ボクの当面の目標である。もう少し、年内には目標達成出来るかな? あとは、聖書の脇に置いて毎日少しずつ読み返しながら、天国の門にたどり着くのがボクの夢だ。
2020年10月29日
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「良心について」ジョン・ウェスレー説教短めの説教で、重要な説教ではないな、と思いながら読み進めるといつの間にか引き込まれている。ウェスレーの不思議な力良心の性質~神に従う歩みは心に平静を与える。従っていないときには、不安が。逸脱は、呵責と自責の念。良心にかなう生活は聖霊の助けによる。聖書を読み、神が求められていると感じたことは、苦しいこと、嫌なこと、悲しいことでも行いなさい。やめるように指示があれば、快いことでも、きっぱりやめなさい。あなたは自分を否むために召されているのです。そうしなければ、主を否むことになります。神の命令に従うことが、生来のあなたに苦痛であってもあなたはあなたの十字架を負うのです。朝と夜と、二つの時を大切にしなさい。朝には、しなければならないことを予め考え、夜には、すべきことをしたかどうか、反省しなさい。ここまで読んでくださってありがとう!以上がボクの心に留まった内容です。
2020年08月18日
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ジョン・ウェスレー説教87「金銭の危険」The Danger Of Richesやまひで訳(フリー頁にも転記しています) 1,Webより英語版をダウンロード 2.グーグルで機械翻訳 3,ジョン・ウェスレー標準説教第1巻「富と家庭」第6章「金銭の危険」(竿代忠一訳)日本ウェスレー出版協会c1973 を参照にしつつ全体を修正。 4,自由な意訳です。「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。」1テモテ6:9(新共同訳)。1. この真実を考えないことから起こる悪い結果は、何と無数にあるでしょう。クリスチャンの世界でさえ、きちんと考えている人がどれほど少ないでしょう。ほとんどの人々は簡単に見過ごしており、聖書にそのようなテキストがあることすら、思い出すことはまずありません。彼らは「金持ちになりたい人が、その目的のために手段を選ばないなら『誘惑に陥り』、使徒によって挙げられた悪に陥る」と言います。2. 以上のような考えは、テキストの全体的な意味から離れています。使徒が言うのは不当に富を獲得することではありません。単に「金持ちになろうとする人」です。3. 「説教壇は説教者の砦です」と言われますが、この「砦」から、「時代遅れのような」真実を宣言する勇気を持っているのはだれですか? 私は六十年間で、この主題についての説教を聴いた記憶がありません。印刷物も見出しません。それに触れている二、三人は見ましたが、公然と扱うものはありませんでした。私は説教の中で、頻繁にそれに触れてきました。世に公開した中で二度触れました。一度は「主の山上の説教」の解説で、もう一つは「不義のマモン(富)」に関する話でです。じつは私はまだこの主題について明確に説教したことはありません。神が私を喜んで天に召される時がいつ来ても、明確な証しを後世に残すために、できるだけ強くまたはっきりと話す必要が来ています。4. あなたがたが正直で謙虚な心で、受け取ってくださるために、神が私に正しく力強い言葉をくださいますように! 「彼らはわたしの民のようにあなたの前に座り、あなたの言葉を聞くが、彼らは行わないだろう。あなたは心地よい声を持ち、楽器で上手に演奏できる者として彼らのもとにいる。彼らはあなたの言葉を聞くが、行わない」というような人でありませんように。あなたがたは「すぐ忘れる聞き手ではなく、その言葉を行うことで祝福されている」人たちでありますように。そうあられるように期待して、私は努力します。 一.使徒の言葉を説明する 二.それらを適用する 「これらのことのために、だれがふさわしいでしょうか?」 世の中全体の流をくい止めるのはだれでしょう? 一般人だけでなく、学んだ人々や宗教家たちの偏見とだれが闘えるでしょうか? しかし神にとっては、それほど難しいことではありません。神の恵みは私たちには十分です。ですから神の名において、神の力によって、私は努力します。 一.使徒の言葉を説明する1. まず「金持ちになる」ということを考えましょう。使徒が語るその意味は? 前の節がその意味を決めます(1テモテ6:8)。「食べる物と着る物(衣服だけではなく、住まいも含まれます)があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。」「金持ちになろうとする者は」つまり「食べる物と着る物以上の者を求める者は」。 はっきりと結論できること、使徒の意味するところは、これら以上のものは何であっても富です。人生で明きらかに必要なもの、少なくても、衣食住に必要なもの以上のものは、みな富です。だれでも、食べもの、着るもの、頭を横たえる場所を十分に持っていながら、なおそれ以上のものを持っている人は、すべて「富める者」です。2. 第一に考えてみましょう。「豊かになる」という表現には何が含まれているのでしょうか。まず、金持ちになりたい、必要な食べ物や被(おお)い以上のものを持ちたい、という人たちです。彼らは懸命に、食べるもの、着るもの、彼らの頭を横たえる場所以上のもの、生活に真に必要なもの以上を求めているのでしょう? 少なくとも、この欲望に自分自身を許し、そのことが自分に害を及ぼしていない人は、みな金持ちになりたいと願う人々です。3. 第二に、故意にまた目的をもって、食べ物や被い以上のものを求めて努力する人々。人生の必要性と便利さだけにとどまらず、さらに多くのものを積み重ね、それらをさらにと目指して努力する人々、彼らの飽くなき努力を見れば、彼らの「金持ちであることへの欲望」は明らかに証明されます。4. 第三に、「地上に宝を積むこと」は、姦淫や殺人と同じように私たちの主によってはっきりと禁じられたものです。許容されているのは、 (1)自分の家庭に必要なものを備えること。 (2)ビジネスに携わる人は、ビジネスの継続に必要なだけの蓄えをすること。 (3)衣食住に必要なものを子供たちに残しておくこと。 (4)世を去った後で、他の人に迷惑をかけないように、物事をシンプルに整えておくこと。 これらのことを備えた後に、それ以上に蓄えることは、私たちの主がきっぱりと禁じられていることです。当然のこととしてそれが行われるなら、金持ちになることを望んでいることの証拠であり、そうして金銭を蓄えることは、金銭を海に投げ込んでしまう事と同じように、良心に外れることです。5. 第四には、このことは、この世の財産を、贈り主いや所有者であるかたの聖旨に沿って用いる以上に所有している、すべての人々に当てはまることです。 神は財産を、私たちがそれらの支配人となるために、私たちに貸しておられるだけです。その所有権は依然として神のものです。神は財産が御自身の聖手の働きであることをご存じです。神は天と地の所有者であり、そうでなければなりません。これは神の譲れない権利、決してお捨てにならない権利です。神は私たちの手に託された御自身の財の一部と一緒に、それをどう用いなければならないかを明記した文書を、私たちに添えました。したがって、前述の目的に必要な額より多くを手元に置いている場合は、「金持ちになることを望んでいる」という責めを負うことになります。さらにその無益なことにより、「悪いしもべ」と宣告されます。6. 第五に、「金持ちになりたい」というこの欲心の下には、すべての「お金の愛好家」が含まれています。言葉の正しい意味は、金銭を喜ぶ人々、金銭に快楽を感じる人々、金銭の中に幸せを求める人々、金や銀、証券や債券をため込む人々を指します。 名の知れたローマの画家は、日常に独り言を繰り返している男を描写しています。 「勝手に非難していろ 私はお金を数え、宝の箱を楽しむのだ それが私の幸福だから」 生来のものでない悪事があるなら、これがそれでしょう。金銭それ自体は、人間の心の生まれながらの欲求や願望を満足させるようには見えません。私の六十年の観察の間で、人間は主の御意志に従ったこの貴重な賜物を用いることを怠るまでは、金銭愛に屈するようになった一つの例も知りません。これをないがしろにするようになってから後、罪は罪によって罰せられ、この悪心が彼の心に入るようになりました。7. この大きな種類の貪欲、お金への愛情に加えて、偉大な使徒によって語られたより巧妙な貪欲があります。すでに持っている以上に持ちたいとの願いです。そういう人々も、「金持ちになろうとする者」に含まれます。適切にコントロールされているなら、この願いは無害ですし、むしろほめられましょう。それが限界を超えているなら(超えないことがどれほど難しいことか!)、非難されることとなります。8. これらの難しい言葉を、だれが受け取ることができるでしょう? だれが神の偉大な真理であると、信じることができるでしょう? 多くの人が賢いわけではありません。神について教えられていなければ、一人もいません。神が教えている人々とはだれですか? 私たちの主に答えていただきましょう。「もし彼の御心をなそうとするなら、それが神からのものかどうか、知るでしょう。」 御言葉以外の他の方法を考えている人々は、受け入れることは困難で、理解することはできないと思います。イギリスのある賢明な二人が、「地上に自分の宝を蓄えるな」という単純な説教を読み、考えました。深く考えた結果、一人は「確かなところ、私はそれを理解できません。Lさん、祈ってください。あなたはそれを理解できますか?」。L氏は正直に、「私もわかりません。W氏の考えのその意味が何もわかりません。」神の真実について、私たちの自然な理解は完全に盲目なのです。9. 聖句の前の部分「金持ちになろうとする者は」を、できるかぎり明確な方法で説明したので、さらに神に助けられて、「誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります」とは何かを説明します。これは単に「誘惑された」というだけではなく、そこに入る、そこに落ち込むことです。誘惑の波が襲いかかり、覆いつくします。このようにして誘惑に陥る人々は、逃れられません。あるいは逃れるわずかな人々も、全く焼きつくされてしまわないまでも、ひどく焦がされてしまいます。逃れるとしても、かろうじてであって、容易には癒されない深い傷が残ります。10. 次に、「わな」の中に入ります。悪魔が彼らの道にわざとしかけたわなに陥ります。このギリシャ語の正しい意味は、鋼鉄の罠を意味します。実に危険なしるしを隠しています。生き物がバネに触れると、それは突然閉じて、骨をバラバラに砕くか、避けられない破滅に渡してしまいます。11. 第三に、彼らは、「その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。」 原語は、「ばかげている」「無意味な」「幻想的な」と言う意味です。それは宗教に反するだけでなく、理性にも、健全な知性にも反します。身体と魂の両方に害を及ぼし、神の働きによる信仰を破壊し、天国への希望を破壊します。神と私たちの隣人への愛、そしてあらゆる良い言葉と働きを破壊します。12. しかし、これらの願望とは何でしょう? これが最も重要な質問であり、最も深い検討に値します。 一般に、それらは一つに要約されます。それは神以外に幸福を求めようとすることです。 これには、直接的または間接的に、すべての愚かで害のある願望を含んでいます。聖パウロはこれを、「創造主よりも創られたものを愛する」「神よりも快楽を愛する人」と表現しています。特に、それらの願望とは(聖ヨハネの正確で美しい列挙によれば)「肉の欲望」「目の欲望」そして「持ち物の誇り」です。金銭の欲は、これらのすべてを生み出し、また増加させるのです。13. 「肉の欲望」は一般的にあまりに狭い意味で理解されています。それは、普通想定されているように、感覚の一つだけを指すのではなく、感覚のすべての喜び、外的感覚のどれもそれに入ります。特に味覚について。今日、何千人もの人々が、「グルメ」を求めています。不摂生と言うほどではなく、大食いや暴飲でもなく、彼らは上品な日々の肉の欲望の中を歩みます。それは体は傷つないけれども、魂を破壊するエレガントな快楽主義にほかならず、魂をすべての真の宗教から遠ざけます。14. 経験では、想像力はおもに目によって満足されることを示しています。したがって、「目の欲」は、普通、想像力を満足させることに幸福を感じ、それを求めます。想像力は壮大さ、美しさ、または目新しさなどによって満足させられますが、おもには目新しさでしょう。壮大さも美しさも、目新しさ以上に喜ばせることはないでしょう。15. どんな種類であれ、知ることに幸福を求めるのは「目の欲」のたぐいです。それが歴史、語学、詩、または自然的、実験的哲学のどんな部門でもです。幾何学、代数、形而上学などもこれに含めます。私たちの最高の喜びが、これらのいずれかにある場合、「目の欲」を満足させています。16. 「所有の誇り」とは、主に、名誉、尊敬、人の評価への欲求を意味するでしょう。人から来る誉れ以上に誇りを生み、これを育てるものはほかにありません。富は多くの賛嘆、賞賛を受けますから、誇りを養う糧になります。ですのでこれに含めることがよいでしょう。17. 「安逸への願望」は、愚かで害のある欲の一つです。すべての十字架、あらゆる艱難、危険、困難を避けたいという願望、人生をくつろぎ、羽毛布団にくるまって天国に行きたいという願望です。金銭がいかにこの欲求を生み出し、さらにそれを確固としたものに増大させるか、そして人をますます柔弱でか細いものにすることか。そして「日々十字架を負う」「イエス・キリストの善良な兵士として困難に耐える」「天国を激しく攻める」ことを嫌い、まだできなくさせてしまいます。18. 金銭は、望んだか、すでに持っているかにかかわらず、自然にこれらの愚かな害のある願望に結びつきます。そしてそれらを満足させる手段が前に置かれていたら、飛びつきます。不浄な欲望と、あらゆる不浄な情熱と気性との間には、密接な関係があります。私たちの思いは、そこから、誇り、怒り、苦味、羨望、悪意、復讐心へと移っていきます。頑固、勧めを受けつけない、取り返しのつかない精神へ。地上的、官能的、または悪魔的なあらゆる気性へ。金銭や所有への願望は、以上のようなものを作り出し、強くし、増し加えさせるようになります。19. そうすることによって、金銭への願望の深さに従い、彼らは「多くの悲しみで人を突き刺します」。後悔や罪悪感からの悲しみから、金銭への刺激や、獲得しようとする邪な気質から、悲しみが生まれます。不浄な欲望は不安を生じさせ、切り離せない悲しみを生みます。そして、それらすべての欲求を満足させることは不可能であるにもかかわらず、欲望のせめぎ合いがさらなる悲しみを生みます。そして、結局のところ、彼らは身体を痛め、病気となり、魂は永遠の「滅亡と破滅に陥れます」。 二 それらを適用する1. ここがポイントになります。 神のことについて、頭の中までにとどまり実践に及ばない場合、どんなに明確で優れたものでも、何が役に立つのでしょうか? 聞く耳のある人々は聞いてください。聞いたことはすぐに実践に移してください。神よ、どうか私がそうありたいと願うものをお与えください! 私が世を去り見られなくなる前に、神に全く献身し、世に対して十字架につけられ、そして世は彼らに十字架につけられた人々を、見ることができますように。身体、魂、そして財産も、神に明け渡した人々を、見ることができますように。そのとき私は、「今こそしもべを安らかに去らせてくださいます」と語ることができます。2. 神の名において「あなたは金持ちになることを望んでいますか」と尋ねましょう。神の目の前に立っているように、自分の心に尋ねてください。何ものよりも真剣に(多分あなたは自分の知力努力を誇らかに思いつつ)、食物と衣服、住まいなど、単純な必要と生活の便利さ以上のものを望んでいるのですか? やめてください。考えてください。何してるのですか。悪はあなたの前にあります。あなたは剣先に突入していませんか? 神の恵みによって、向きを変えて生きてください!3. 同じ権威によって尋ねます。だれが金持ちになるよう努めていますか。生活に必要なものや衣食住の便以上のものを得ようとあくせくしていますか? 一人一人が心に手を置き、真剣に尋ねましょう、「私はそういう人間だろうか? 自分が必要としているだけでなく、必要以上のために労苦している人間だろうか?」 神の御霊が、そういう人々すべてに「あなたがその人だ!」と言われますように。4. 第三に、あなたのだれが実際に「財宝を地に積」み、増やしているのですか? 矢継ぎ早に、家に家を加え、畑に畑を加えようともくろんでいますか? 世の人はあなたがたを賢い、賢明な人と呼ぶのかも知れません。世の知恵とはその程度です。しかし、神は言われます「あなたがた愚か者」あなたは「正しい裁きの日のために、神の怒りを身に蓄えている人々」。5. あなたは尋ねるでしょう、「あなたは私たちに、できるだけもうけ、できるだけ蓄えなさいと言われたではありませんか? そうするためには、豊かになることを望み、努力しなければならないのではありませんか? 宝を地上に積まなければ、私たちの努力は成功しません」。 私は答えます、可能です。あなたは自分の魂や体を傷つけることなく、できる限りもうけることはできます。不要な費用を注意深く省いて、できる限り節約しつつ、できるだけ蓄えることは可能です。地上に宝物を積み上げたり、そうしたいと願わないですることができます。6. 自分のことを他人のことのように話すことを、お許しください。私は魂や体を損なうことなく、(著述によって)できるだけもうけています。私はできる限り節約しています。何も無駄にせず、紙も水も節約します。神へのささげものでない限り、私は一シリングも蓄えず、貯蓄計画もしません。私はできる限り与えることにより、「地上に宝を置くこと」から守られています。そうです、私ができる限り与え続けている限り、蓄えることを願望したり、努力することから守られています。私がそのように心がけていることは、友人であれ、敵であれ、私を知っている人々すべてに証言を願うことができます。7. しかし、「努力してもしなくても、あなたは紛れもなく金持ちです。あなたは必要以上のものを持っています」と言う人もいるでしょう。 私は持っています。しかし、使徒はどんな量の物を持っているかではなく、与え主なるお方の意志に従って用いる以上のものを持っていることについて、譴責を与えたのです。 四十年前、これまで見たどれよりも安く、短く、平凡な書物を貧しい人々に提供したいという願いを持って、私は多くの小冊子を書きました。その後、いくつかの大きいものも書きました。いくつかは、私が想像もしなかったほど売上げました。気づかずに、金持ちになっていたのです。私はそれを決して望んだり努力したりしたのではありません。それがいつの間にか私に与えられたので、私は、地上に財産を積み蓄えたのではないのです。何も積んではいません。この点での私の願いと努力は、「年間を通してお金の底を払いつくす」ことです。神が私を天に呼ばれたときはいつでも、私は私の本を遺して行かなければなりません。しかし、他のすべての点では、私自身の手が私の執行者です。8. 兄弟たち、裕福なあなたたち、私と同じようであってほしいのです。食べ物と衣服以上のものを持っているなら、「神が私たちに与えられたものを海に投げ込もうか?」決してそのようなことをすべきではありません。それらは尊い神の賜物ですから、神の栄光のために大いに用いられるのです。あなたの道はあなたの顔の前にあります。勇気があるならそこを歩いてください。正しい意味で、できるだけもうけ、できるだけ蓄えたなら、世の中、習慣、世の知恵がどうであろうと、できる限り与えてください。「良きユダヤ人になり、所有するすべての十分の一を与えよ」とは言いません。「良きパリサイ人になって、あなたの財の五分の一を与える」とも言いません。半分をとも、四分の三とも、いいえ、「すべてを」です! あなたの心をささげてください。そうすれば、どのような意味でこれが行われるのかが、はっきりとわかります。今はあなたの手に託されていても、主が喜ばれるならいつでも取り戻す権利を持っておられる主の御宝の前で、「忠実で賢明な執事」になりたいと願うなら、 (1)自分の必要のために備えましょうーー 食べる物、着る物、健康と体力の両方を維持するために、適度に自然が必要とするものは何でも備えましょう。 (2)あなたの妻、子供、使用人、またはあなたの家族に関係する他の人に、必要な物を提供してください。これらが行われたあと、余剰が残っている場合は、「信仰の家族に善を行いましょう」。それでもなお余裕があれば、「すべての人に、機会にかなった良いことをしましょう」。そうすることで、あなたはできる限り与え、いや、正しい意味で、持っているすべてのものを与えることになります。このようにして費やされたものは、すべてが神への献げものとなります。9. メソジストの皆さん、主の言葉を聞いてください。私には神からすべての人へのメッセージがありますが、何よりもあなたがたへのメッセージを持っています。四十年以上の間、私はあなたとあなたの親たちの僕でした。私は風に揺れる葦のようではありませんでした。私の証言を変えたことはありません。初めの日から今日まで、同じことを証ししました。しかし、「だれが私たちの伝えたことを信じましたか?」私は恐れています、多くの人は金持ではありません。使徒たちの恐ろしい言葉を、あなたがたの一部に当てはめる必要があるのではないかと恐れています。「聴きなさい、金持ちの人よ、あなたがたに降りかかる災難のために泣き叫びなさい。あなたがたの金と銀は錆びており、その錆はあなたがたに証しをなし、火のようにあなたがたの肉をむしばみます。」 確かにあなたがたができる限り蓄え、できる限り与えないなら、そうなるでしょう。しかし、あなたが最初にそれについて主の聖旨を聞いて以来、あなたがたのだれがこのことを熟慮しましたか? 今、だれがそれをよく考え、実践しようと決意していますか? 神の恵みによって、今日から始めましょう!10. お金を愛する人よ、主の言葉を聞いてください。あなたがたのそのお金が海の砂のように増やされたとしても、それが幸福を与えることができるでしょうか。そう思っているなら、偽り、すなわち数千の実験によって毎日論破されている、はっきりした偽りを信ずるという錯覚に囚われています。目を開けて! あなたの周りを見てください。一番裕福な人が一番幸せですか? 最大の所有者が最大の満足を得ていますか? 真実は逆ではありませんか? 最も裕福な人々が、普通、最も不満にあふれ最も惨めであるというのが、一般的な観察ではありませんか? もっと多くの人々が、もっと少ないお金を持っていたときに、満足だったのではなかったでしょうか? 自分の心の中を見つめてください。品物が増えたら、比例して幸せも増えましたか? あなたはより多くの財産を持っています。しかし、あなたはより多くの満足を得ていますか? 金銭から幸福を求めることで、空のコップから飲むように努力しているだけです。そのコップをどんなに細かく塗装され、金メッキされているようでも、そのコップは空なのです。11. 金持ちになりたいと、努力しようとしている人は、主の言葉を聞きましょう。あなたがたはもうこれ以上悩ませられる必要はないのです。経験によって知ったはずです。目を開けながら盲目のように穴に飛び込まなでください。これ以上「誘惑に陥る」必要はありません。肉体を持っている限り、誘惑は避けられません。四方から、それがあなたを悩ませることは避けられないとしても、自分から飛び込むことがあってよいのですか? 必要はありません! あなたは自身の自由な決断で避けることが出来ます。骨をバラバラに砕くような、魂を死に至らせるサタンの罠に、わざわざ飛び込まないでください。正しい警告を知っているにもかかわらず、「愚かで傷ついた欲望」、地上のどんな財宝を持ってしても償いきれない、信仰にも理性にも矛盾する欲望に、これ以上沈みこまないでください。12. 金銭はすでにあなたを傷つけていませんか。あなたの「義に対する渇き」を完全に破壊してはいなくても、弛緩させて、あなたの最も繊細な心の部分を傷つけていませんか? 今、神のすべてを知りたいとの憧れを、以前のように持っていますか? 「完全に向かって進む」という、以前抱いていたと同じ熱烈な願望がありますか? 金銭はあなたの信仰を弱め、あなたを傷つけていませんか? 信仰の「やがて来ることがらへの、信仰による実感」を今なお感じていますか? あなたは、快楽から苦痛までのすべての誘惑にあって「目に見えない神を見ること」によって耐えていますか? 毎日、毎時間、神の絶えることのないご臨在の自覚がありますか? 金銭はあなたの希望を傷つけてはいませんか? あなたは今、不死の希望を持っていますか? あなたはまだ、やがて来るすべての偉大で尊い約束への、真剣な期待にあふれていますか? あなたは「キリスト・イエスと共に天の場所に座っていますか」。13. 金銭はあなたの宗教を心に突き刺すほど、あなたを傷つけていませんか? それはあなたの神への愛を冷却させてはいませんか? 簡単に判定できます。あなたはかつて持っていたのと同じように、神を喜んでいますか? あなたは今、次のように言うことができますか? 私は上にも下にも欲しいものは何ない あなたの愛のゆえに幸せです! 私はあなたがそう言えないことを恐れます。あなたの神への愛が衰弱しているなら、あなたの隣人への愛もそうです。そうであるなら、あなたはあなたの宗教の命と精神に傷ついています! もし愛を失うなら、すべてを失います。14. 謙遜さであなたは傷ついていませんか? もしあなたの金銭が増し加わっているなら、それ以外のことは考えられないでしょう。あなたが裕福な人なら、多くの人はあなたを善い人と言うでしょう。しかし世の人々があなたに与える賞賛は、ただあなたを利用したいという意図から来ているだけだと、あなたは気づくはずです。 あなたが「謙虚さ」において傷を持っている場合、それは以下の兆候で表れます。教えられることが容易でなくなり、忠告を聞かなくなり、あなたを確信に導くのも、説得することも困難になります。あなたは自分の判断をより重んじ、自分の意志により強く執着します。以前は、縫い糸であなたを導くことができましたが、今は牽引ロープでもあなたをとり回すことはできません。あなたは以前は忠告を受け入れ、譴責をも喜びました。しかしその時は過ぎ去り、今はあなたに真実を告げる人々を敵と見なします。皆さん、どうぞ考えて見てください。それが自分の姿ではないかどうかと。15. あなたの柔和さについて、傷つけられていませんか? あなたは以前は、柔和で心低いお方から優れた教訓を学んでいました。あなたは罵られたとき、罵り返しませんでした。あなたが馬鹿にされたとき、馬鹿にすることなく、逆に祝福を返しました。あなたの愛は憤らず、すべての機会に、あなたは善で悪を克服しました。今も、これがあなたのあり方ですか? 残念ながらそうでないことを、私は恐れています。あなたが「すべてに耐える」ことができないのではないかと、恐れています。悲しいかな、危害にも侮辱にも、何も耐えることができないのではないかと。あなたはすぐに腹を立てます。「何を! 私をこのように使うとは!無礼だ! こんな扱いをされるとは! 私は前の私とは違う。私は自分を律することができる」と、こんな感情がたちまちに起こる。それは報復か、あるいは報復しようと目論んでいないにしても、そうする力も無いとしても、決してあってはならないことです。16. さらに、あなたは忍耐においても傷ついていませんか? あなたの愛は今、「すべてに耐え」ていますか? あなたが最初に信じたときのように、今も「忍耐をもって魂を所有して」いますか? なんと変わってしまったことでしょう! あなたは頻繁に機嫌を損ねるようになりました。あなたはしばしば苛立っています。あなたは怒りっぽさを心に秘めることなく表しています。多くの物事が思うように運ばないので、どのようにして忍耐できるか、証しすることさえできません。 何年も前に、私はロンドンで一人の紳士と一緒に座っていました。彼は神を深く畏れており、普通は年間収入の10分の9を献げる人でした。一人の召使いがやって来て、火に石炭をくべました。すると煙が立ちこめました。この紳士は椅子から身をのけぞらせ、「ウェスレーさん、これが私が毎日味わう十字架なのです」と叫びました。もし彼が年間50万ポンドでなく5万ポンドの収入だったら、それほどは苛立たなかったでしょうに。17. 話を戻しましょう。金銭を殖やすことに努力と成功をものにしたあなたは、体力は身につけていても、心の弱さに沈み込んではいませんか? あなたはもはや、「イエス・キリストの善良な兵士として、苦難を忍ぶ」ことを喜びません。あなたはもはや、「天の御国に突入し、嵐のようにそれを取る」ことはありません。明るく喜んで「自分を捨て、日々自分の十字架を負う」ことをしません。あなたの魂を救う言葉を聞くために、わずかの眠りや柔らかいベッドへの愛を否定できません! あなたは「早朝出かけることはしない。暗いときも、寒いときも、雨降りの日もだめ。寒さと雨降りが一緒に来た夜は、働きに出るなど考えられない。」 あなたが貧しかったときは、そうではありませんでした。これらのどれも、少しも気になりませんでした。あなたの体と心にこのような変化をもたらしたのは、環境の変化です。今のあなたは以前のあなたの影に過ぎません。金銭があなたを変えてしまったのです。「私は昔のようにはできません。もう高齢なのですから。」 いいえ私もあなたと同じくらいの高齢です。七十八年目の年齢です。しかし、神の恵みによって、まだ働きのペースを緩めていません。あなたがまだ貧乏人だったら、きっとあなたも私と同じようであるはずです。18. あなたの傷は深く、敬虔のわざも、愛のわざも、行う熱意をほとんど失っています。あなたは以前は、寒さも雨もものともせず、どんな十字架が置かれていようと、貧しい人々、病気の人々、苦しんでいる人々顧みようと突進していました。善をなすために行き巡り、あなたを見つけることができなかった人々を、あなたは見つけました。あなたは喜んで彼らの地下室に出かけ、彼らの屋根裏部屋に登りました。 彼らのすべての欠乏を補うために 主の聖徒を援助することに費やし 身をも費やそうと あなたは人間の悲惨なあらゆる場面を発見し あなたの力の及ぶ限り助けました あなたの寛大な同情は、あらゆる形の 禍を取り除きました 救い主の御顔を見ながら愛を注ぎました 今も同じ歩みですか? 妨げは何ですか? 自分の絹のコートを台無しにすることを恐れるのですか? 別のライオンがその道にいますか? 害虫に付かれることを恐れますか? ほえ猛るライオンが、あなたに飛びかかってくるのを恐れていますか? いいえ「これらの最も小さい人々にしなかったのは、わたしにしなかったのです」と言われたお方をこそ、恐るべきではないでしょうか。その結果は、「呪われた人々、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火の中に入れ。」19. 以前は、あなたは次の言葉を心に留めていました。「心の中であなたの兄弟を憎んではならない。あなたの兄弟を戒めなさい。彼によって罪を身に受けてはならない」。眼に届く限りの人々に、あなたは直接間接に罪を戒めていました。良い結果はすぐに伴いました。折りにかなった言葉は、どれほど良かったか! それはしばしば巨人の手から放たれた矢のようでした。多くの人々の心に刺さりました。説教を聞きたくもなかった頑固な人々の多くが 十字架の御前に倒れて、服し その矢が血に浸るのを感じた しかし、あなたの中のだれが今、無知な人たち、道から迷いでた人たちへの思いやりを持っていますか? 彼らはあなたのために迷い続け、戒めるものも邪魔するものもなく、火の池に突入していきます。金銭があなたの心を誤らせ、大切なことのほかにやるべきことで一杯にさせているのです。 かわいそうな人々は 助けも憐れみもなく 倒れても放っておかれる20. 金銭を愛し、金銭を所有するあなたがた! 私はあなたがたに、おそらくは最後の警告を与えました。どうか空しくなりませんように! 神があなたがたの心に記してくださいますように!「ラクダが針の目を通り抜ける方が、裕福な人が天国に入るよりも簡単です。」けれども、人には不可能なことも神によって可能です。主よ、お話しください。そうすれば、これらの言葉を聞いた金持ちたちがあなたの王国に入り、「天国を激しく奪い」、「高価な真珠を売り」、「世に対して十字架につけられ、キリストを得るために、すべてのものを糞土のように思う」に至るでしょう!
2020年08月07日
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