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昨日お休みして、今日は支払日だから仕事は忙しい。職場にでたら、山もりの書類があった。急いで仕上げる。一昨日納付書の送り間違えがあったので、そのフォローもしないといけない。さらに、6月に来た臨時の職員が、人より自分の仕事が多いように思うので、しんどいからやめたいとか言っているらしい。もう勝手にしてくれと思う。いわゆる既定の数を超えてはいないし、他より多いとしても0.5%程度ぐらいなのに・・・・こんな調子だから、そこそこの年齢で仕事が続かないのではと思う。監査が近いので簡単な受領印とか受付印などもきっちり押してほしいのに、それも押してない人がいるので注意する。昼過ぎてから、3日で病欠出した人の面接にいく。今の仕事はしたくないが、ほかの仕事ならできるみたいらしい。こういう面接は、むなしいわ。うちの戦力にならないとわかっているから。
2011年11月30日
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日曜が業務扱いだったので、今日は代休。今までの疲れをとって、後はのんびり掃除をしてちょっとした手続きのことで、約束があったのでそれもこなして、後は本を読んでみる。軽い短編集で、男と女の恋愛とかホラーとか女が愛しすぎたり、男が愛しすぎたり思いがすれ違ったり、交差したり。それが思い出になったり、恐怖になったりというところか。昨日6月に来た臨時職員が12月一杯で辞めたいといっていると報告がきた。まあ、1ヵ月前にいってくるだけましかとは思うがとにかく、入れ替わりが激しい、思ったより仕事がハードだからというのだが。ほかの女性はそれでも普通にやっているのだが。ちなみにその人は男性。こういうことで煩わされるのも、面倒になってきた。
2011年11月29日
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昨日夜遅く帰って、大阪の選挙の結果をテレビで見た。なにかをやりそう、やろうとしているということなのだろうが、実際何をやってくれるのか、大阪府の片隅に住んでいるが、何が変わったのかといえばいまいちわからない。大阪市内で、幼稚園から勤めるまでを過ごしたが、あのころは確かに商店街も活気があった。地域にもいろんな地域団体があったようだし、町内会にはほぼ全員が入っていたようだった。工場や大会社は移転していき、素人の私でもわかるような、おそらくは失敗すると思われる、地域開発もさかんにやっていたが、本当にそういう様々な問題が解決できるのだろうか。商店は高齢化しているし、消費者が大型店に行ってしまっている、どういう形で商業の街大阪を取り戻せるのか。地域団体も結局面倒だから参加しないが、イベントの時だけはちゃっかり参加するという人も多い状況のようだし。地域を活性かする問題を解決するには、住民自身が自分も汗を流しつつ適正な成果をわけあうということではないのかなと思う。やってくれそうな人にお任せでは、こんなはずではなかったということになりかねない。
2011年11月28日
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今日は朝から植木屋さんが剪定にくるというので、割合と早く起きた。お天気がいいので気持ちが良い。だいぶ前からの付き合いで、先代が主力で息子(婿さん)が手伝いをしている時代からだ。こちらも親の代からの付き合いになるのかな。○虎造園というので、一度阪神フアンですかと聞いたことがあるが、はははと笑っていた。婿さんというのは、文科系の大学を出て結婚してこの道に入ったとかいっていた。家の松の葉が少し細いのは、水分が多いからだといわれたが、水はやってないので、さて困ったことだ。明日は早出なので、早めに寝ることにしよう。
2011年11月26日
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今日は朝から警察に行って、職場で暴れた男性がどういう風なことを言って、職員にどう手を出したかということを、見たまま話した。仕事柄、相手の人が何を話したかということは、結構憶えている方だとは思うが、相手が職員のネクタイをどちらの手でつかんだかとか言われると、ちょっと厳しいかな。ただ、私の方からネクタイの結び目が見えていたので、私から遠いほうの手でネクタイをつかんだと思うとはこたえておいた。それが終わって、職場に戻り本来の業務については、今は書類も少なくてなんとか忙しくてもこなせる状態なので、まあいいかな。夕方になると、警察から電話があって、私の言ったことを調書にしたというので、それを確認して署名した。
2011年11月25日
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今日は朝からはいつものように、お仕事だったが書類のほうはわずかだった。職員の女性が、友達と飲みに行ってサイフを落としたと言っていた。月曜日に酔っぱらって暴れたおっさんが、容疑を認めようとしないので、目撃者として証言してほしいと警察から要請があったので、明日はいかないといけない。往生際の悪いやつだわ。初めてじゃないんだから、悪質ということで私なら懲役3年くらい求刑したい。昼から他部署の応援ということで、玄関ちかくで受付をしていたら、普段あいさつしてもあんまり返してくれない、別の部署のおじさんが、寒いだろうからと使い捨てカイロをくれた。ちょっと嬉しかった。
2011年11月24日
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今日は、お休み週の半ばのお休みだからちょっと嬉しい。土日は掃除とか洗濯とかで時間がたつから、週半ばのお休みは何もせずと決めた。9時まで寝て、朝からちょっと片付けて、昼から少し昼寝。2時間くらい寝て、あとは音楽を聞いてみる、ふふふちょっとアニソンなどを。少し元気をもらった。ヒーローは、ぼろぼろになりながら自分の信じるもののために頑張っている。嘘くさかろうが、現実が苦しかろうが、ヒーローも前に進んでいるからと、きっとほかのアニソン好きな人も元気出して頑張ってるだろう、うちも頑張ってるよと心の中で呼びかけてみる。ともかく、体力温存だわ。明日は残業もあるし、明日からの2日間をのりきらないと。
2011年11月23日
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昨日がばたばたしたので、今日はその反動かゆっくりできた。しかし、3日で仕事を休んでいると言う人が、お金がなくてこちらまで出てこれないという発言について、うちの別の職員が向こうにでかけて実情をきいてみたところ、世の中災害やら事故やらでいつどうなるかわからないと思って、お金をまったくためてこなかった。海外旅行やいろいろにお金を使い、住宅ローンなどもあって、生活費として使えるのが5万ぐらいしかないと言う。失礼ながら、独身で自分が倒れたらたちまち困るということを思ったことはなかったのかという問いには、自分が倒れるということは思いいたらなかったという。なんだか、もう理解を超えるような人なので、なんともかともとしか言いようがない。今の仕事は絶対できなくて、お金がなくてじゃあどうするのかと言っても・・・・人生設計というか人生無軌道というか。こちらの仕事はまあ平穏無事で、昨日の酔っ払いはまだ、事情聴取を続けられているようだが、この人も仕事があって会社にいけない状態になればどうなるのだろう。無断欠席か警察に問い合わせをされたら、その会社も無事では済まないだろうと思うのだが。
2011年11月22日
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今日は朝は普通の仕事で、昼過ぎから仕事の打ち合わせをすませた。病欠の人に急ぎ届けるものがあったので、連絡をとって、できたら、出れるところまで出てほしいと言ったら、お金がないので、○○まではいけないとの返事だった。しかし、給料の8割かは出てるわけで500円もかからない電車賃が本当に出せないのだろうかと思う。こちらも、仕事の合間を縫っていくわけだから、向こうもある程度の配慮があってもよいのではないかと思う。私は他部署の応援があるので、病欠対応は他の職員に任せたが、夕方ごろ、ある男性がやってきて、対応した女性の態度が悪いとかで、大声をだした。さらに、止めに入った男性職員の胸倉をつかむなど、3人に対してすかみかかり、たまたまいた一般の客にも暴言を吐くなどしたので、警察を呼んで捕まえてもらった。酒の匂いがしていたし、この4月のイベントの時もやってきて(その時もたまたま私が応援していて、一部始終を目撃した)男性職員にいいがかりをつけ、一応担当者を呼んで謝って帰ってもらった。このまま放置すればエスカレートするだけという判断もあったが、イベント終了後に現場検証とかで、目撃者その1ということで残されて大変だった。
2011年11月21日
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今日は第3日曜だからお寺さんが来る日だ。7時には起きて準備をして8時半にはきちんとできた。いつも8時半にくるが、9時をまわってもこない。実際の約束は10時なので、一応その時間までまってみる。こちらもいつくるかと思っているので、他のことができない。10時半をまわっても音沙汰なしなので、こちらからお寺に電話をかけてみた。すると先代の住職が出てきた、今日は月参りの日なのでまっているのだがというと、今日は本山に用事のために行っているという。先代さんに言っても仕方がないので、そうですかということで電話を切る。来ないとわかっていたら、もっとゆっくり寝ていたのに。人を待っているということは結構緊張するものなのに。別に日を替えてれといわれるのであれば、事前にいってもらえれば段取りはできたのだが。1時過ぎぐらいに、住職のほうから電話があって、今出先なので夕方5時にいくか別の日にしてほしいというが、言われた日はこちらがいないので、もう今月は結構ですとお断りした。知り合いに聞くが、だいたいお寺の奥さんはどうなってるのか、普通はそういうスケジュールは奥さんも知っていて管理しているはずだと言う。この3年間ずっと第3日曜でやってきたので奥さんが知らないはずはないのだが、結構しっかりした奥さんのはずなのだが。きつい言い方かもしれないけど、お参りっていうのはお寺のメインの仕事のひとつなのではないだろうか、連絡なくこないって、いかがなものかと思う。
2011年11月20日
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今日は休みなので、9時半までねた。先週は2日間早朝出勤だったので、体力回復だわ。明日はお寺さんがくるけど、そのほかの予定がないので、気持ち的には楽です。昼から買い物にでかけたけど、雨風が強かった。しかし変に生温かい。家に帰ったら、冷房を切り忘れていたのかというほど、ひんやりとしていた。窓が曇っているのも、家の中が暖かいのではなくて、その逆で外から曇っていた。変な天気だった。クリーニングをだしにいって聞いたが、そこのお店の子どもさんは中学校を私学にしたが、その学校でいじめがあったり、泥棒というか品物を盗られるということがあり、学校に相談したが解決に至らずに結局公立に戻ったということだった。私学っていじめとかが少ないからということで、入学させる人もいると思うが、これじゃあなあと思ってしまう。問題児のほうを辞めさせるべきではないのだろうか。
2011年11月19日
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今日も早朝出勤で、昨日夜遅くまでおしゃべりしていたし、なかなか寝付かれなかったが、なんとか朝起きることができた。予定時間どおりに出勤したら、なんとか思ったより早い電車に乗れたので、少し会社で余裕があり、ひと仕事してから、他部署の応援にいくことができた。暇なときにどうするかというのが、応援部隊の人の考え方でだいぶ違ってくる。前回は少しひまだったから、3人の応援で1時間ごとに自分の部署の仕事をして、2時間は応援すると言う形だった。今回の人は、ひまでも自分の部署の仕事にはいかないで、1時間のうちちょこちょこっと自分の部署の仕事をして随時帰ってくるという感じだった。3日前からきた男性のアルバイトが、今日仕事をしている最中に気分が悪くなったので帰らせてといってきて、帰ってもらおうとしたが、しんどくて動けないというので、向かいの病院まで職員がついていって、診察を受けさせて帰ってもらったが、これで使い物になるかどうかがはなはだ心配だわ。応援が昼過ぎに終わったが、本店にあることで出す上申書のようなものを書かなければいけないのだが、誰もかかない。期限は迫ってきているが、現場の仕事をしている人はきっちりした文書というか形式にのっとった文書を書くのが苦手らしい。私は入社まもなくのころに、スパルタな上司に社内の公文書を何回も書かされたので、それほど苦にならないので、仕方なく残業して書き上げてきた。
2011年11月18日
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今日は少しだけゆっくり出勤だった。行きは座っていけたし、研修の会場でもまあ良い場所をキープできた。もちろん私の場合は、ちゃんと聞ける場所で、パワーポイントなどのプレゼン資料がはっきり見える場所ということだ。居眠りしたいというような気持ちはさらさらないので。会場では知り合いの人がいて、この人には、電話してでも話したいことがあったので、ちょうど良かった。昼に研修が終わり、ロスタイムなしで、職場に帰った。書類のほうも昨日が〆切だったので今日は割と書類も少なかった。ただ、ややこしいケースがあったので、明らかに相手側に問題があるのだが、弁護士をつけてきているのでこちらも対抗措置をとらざるを得ないかもしれない。相手が問題でも、弁護士っていうのはなんとしても悪くないと言い張るし、核心をこちらがつきだすと、答えたくないというし困ったものだ。明日は早朝出勤なので早く眠るとしよう。
2011年11月17日
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今日は仕事の関係で30分早く出勤しないといけなかった。でも、目が覚めたのは普段よりは1時間早かったので、コーヒーを入れたり少し余裕があった。1時間早いからと、もう一度寝なおしたりしたら、危なかったかもしれない。応援のほうも適当にうまくいって、うちの本来の仕事が月払いの〆切で非常に忙しい予定だったけど、なんとか応援の合間を縫って片付けることができたのでよかった。あとは、たらちねさんが、4か月もしまいこんでいた書類をやっと持ってきたが、これも月払いの締めと応援をしないといけない、今日の日に持ってくるというのが、ちょっとびっくり状態だったが、なんとか時間内にこなせた。ただ、他の職員が4カ月も置いておくとは何事だと、強く抗議して紛糾して、たらちねさんが、それを自分の責任でちゃんと整理しますといったのだが、1000件ぐらいあるので、実際できるものかどうかというのが心配だ。
2011年11月16日
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明日が朝から半日よその手伝いとなるので、明日の分の仕事を少し残業してやってきた。今日帰りに、普通に快速に乗ったら、私の前のクロスシートに座って寝ている人のところに、50歳ぐらいの女性がやってきて、その人を起こして、なにやら特急券のような四角い切符をみせて、「ここは指定席です。」といってその人を立たせて、自分が座った。しかし、これは普通の近郊電車の快速なので、指定席はありえない。まして、天王寺からのってきたように思うが関空までという短距離で指定席のある特急電車に乗る人は皆無だと思う。思わず、電車に乗り間違えているのではないでしょうかと言おうと思ったが・・・見たところもしゃべっている言葉も日本人だし、携帯をさわっていたが、はっきりとは見えないが、日本語のようだったとは思う。日本人なら、この電車が特急や急行ではないとわかると思うが、考えられるのは頭が宇宙人の人だけど、それでは相手にするだけ時間の無駄だ。わかっていて、全く関係のない特急券を見せて強引に座ったとしたら、これも相手にするだけ無駄だから・・・
2011年11月15日
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ただ、朝からは電車のダイヤが乱れて職場につくのにちょっと、苦労はした。しかし、昨日の日曜出勤で、暇にまかせて今日の分の仕事をしていたので、朝からは楽勝だった。お天気は良くて、ぽかぽかとした中でのんびり仕事をする、あたしの前のひとときという感じ。夕方からは、他部署の応援で、駅前でイベント宣伝のためにティッシュ配りをする。駅の裏玄関のほうでやったが、こちらは人通りはそう多くないけども、ティッシュを出せば8割以上の人が受け取ってくれる。正面玄関でした人は、人通りが多い割には受け取ってくれないので、苦戦したようだった。こちらはノルマを達成した以上に苦戦している人の分も配ってあげたのでよかった。
2011年11月14日
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今日は日曜出勤だった。ただ、予想どおり非常に来客が少なくて、ひまで仕方がないから自分の仕事を1時間置きにしていた。2人組みでしたので、交代で一人で対応しても十分だったから。文楽にいって金曜日に休んだ分の仕事を、きれいにクリアすることができたので、明日は楽ができそうで嬉しい。今日の仕事はお手伝いだから、客が少なくても私自身はあまり苦にならないし。しかし、8時ごろまでいて、帰りには電車が人身事故っていうのがついてないといえばついてなかったかな。
2011年11月13日
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明日は仕事なので、今日はとにかく体力回復。9時前までゆっくりと眠る。洗濯をする。掃除をする。生協の申し込みをして朝が終わる。昼からは、しばらくのんびりとして、本を読む。これは陰陽師関係のファンタジーというべきか。陰陽師としては、安倍晴明が有名だが主人公としては私の読んだそれ系では土御門とか加茂なんかが、陰陽師の術者としてはよく出てくる。怪獣、怪物と違って、妖怪、もののけ怨霊、鬼が出てくるが、みるからに恐ろしいというよりは、気のようなものらしいので、心理的な緊張感があるものなのだろうと思う。それもひととおり読んでしまって、夕方からはカットにでかけることにする。明日は一日仕事なので、今日はゆっくり眠るとしよう。
2011年11月12日
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今日はお仕事をお休みして、文楽にいってきました。11時開演で3時終演という結構な長丁場。早めに出かけて、お昼の軽食を買って文楽劇場に。平日の割にはそこそこに入っていた。最初は有名な重の井の子別れの段。だいたい奥女中の息子が訳ありとはいえ馬子をしているというのが、なかなか厳しい設定ではあるが、歌舞伎でもこの馬方の子役が泣かせてくれる。探していた母親に会える喜びが一転、お家大事の母親のこのようなものが子どもにいるということが、自分の仕えている姫へ悪影響があるかもしれないという気持ちで(ここが自分の出世にさしさわるという母親のエゴではなくて、あくまでお家のために子どもと言えないという辛い気持というのが泣かせるところなのだと思う)のつれないしうちで、馬子で実子の三吉とわかれるシーン。いとしさをかくしてつれない言葉を出すところが、義太夫の聞かせどころかも。次は伊賀越え道中双六。平作という70過ぎて街道の荷物持ちをして日銭をかせぐしがない親父。それに荷物をもたせた若い男が、実は平作が昔養子に出した実の息子。平作の娘は貧しさゆえに一度は吉原で瀬川の名乗って遊女づとめをしていたが、その恋人は悪い男に傷を負わされて養生している。ふとしたことから、若い男は平作が実の父親と気がつくが、自分が今仕えているのは、瀬川(妹)の恋人を傷つけた男である。平作は自分の命と引き換えに、敵の居場所を息子から聞きだす。みんなが義理にしばられて、親とも名乗れず子とも言えずしかし、相手のためになんとかしてやりたいとそれぞれが辛い思いをしている切ない状況。これは人間国宝住太夫が切りをつとめたが、もうこのおやじの辛い気持がしんしんと伝わってきた。最後が紅葉狩りこれは更科姫というきれいなお姫様が平維持という侍を紅葉狩りに誘い、舞をするが、扇を持つ手が人形と思えぬ優美さ。うたたねする維持に山神が夢に警告し、姫が実は鬼女という正体を現して、大立ち回りをするというあらすじ。肩で息をするとか、肩を震わせて泣くという表現があるが、まさに肩の動きが人間の感情をあらわしていたように思った。
2011年11月11日
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今日は朝から寒かった、雨が降ると思ったが雨は降らなかった。昼まではそこそこ書類もまわってきたが、昼からはばたりと書類も途絶えたので、それ以外の仕事をしてみた。来週からというか、日曜出勤から始まって、約1ヵ月が仕事のやまだから、今のうちに英気を養っておかねば。ただ、うちに特別残業の多い人がいる。特別な仕事をしているわけではなくて、ただ手が遅いということだけなのだが、サービス残業は労基法違反だから、それに超勤手当を申請するのだが、他の同じぐらいの量をもっている職員は、ほとんど残業せずに仕事をこなしている。我々の仕事はそれぞれに、年度当初に受け持ちを決められた基準だけもってそれをこなしていく形で、いわば学級をもっているようなものだ。学校でもこの先生は力があるから生徒は50人で、指導力のない先生は20人という形にならないのと同じで、いずれも35人となると思うのだが、仕事のできない人がたくさんの残業手当というのはなんとなく割り切れない。
2011年11月10日
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昨日仕事にいかなかったので、8山も仕事がたまっていた。今日は週払いの締めなので、とりあえずお金関係の処理だけは急いでする。いつも〆切なのに、遅れて出してくる人はだいたい決まっている。うちの利用者で、全身に○○があってなかなか暴力的なおじいさんが、事情があって引越しすることになったので、担当者は大喜びしていた。気にいらないことがあれば、ものを投げつけるし。機嫌が良ければ何かもって帰れといって断ればまた怒るという人だったので。うちの産休の代替ということで募集に応募してきたわが社の元管理職で退職した人で、いろいろ問い合わせをしたらどうも訳ありみたいなので、わが支店では別の人を採用したことがあった。その人が別の支店で採用されたということだったので、その支店に電話をかけたついでに、どうですかと聞いたら、若い職員相手に、来客のいる前で大げんかというか一方的に暴言をはいて、大変だったんだという話だった。やっぱり訳あり人間だったんだ、まあうちは採用しないでよかった。
2011年11月09日
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とりあえず、今後の生活設計ということでファイナンシャルプランナーと言う方に、いろいろアドバイスをしてもらった。いつごろまで働いたら、なんとか困らずに生活できるかとか、今までかけてきた保険に無駄はないかとか。やっぱりどんな生活を老後にするかというのは、食べて寝るだけでもないので、家の補修や車の維持、あるいは趣味にどの程度予算を割くつもりかとかでいろいろかわるようである。老後でも、体の動けるうちはちょっと旅行と趣味はやりたいし、それほど体力がなくなれば、健康維持っていう程度になるだろうしということで、そういうことも織り込んでの生活設計になる。あとは何かあったらと、やたら保険をかける人がいるが、結局は現金給付なので、保険としてかけるのが得が、現金をためるのが得かという判断も必要だとのことだった。今加入している保険の中でいくらかは要検討のものがあるということだった。あと、個人年金も終身にすると掛け金が高くなり、確定型だとその点はお安くなるが、うまく時間差にしないと、ある時期にばったりと年金がなくなるので、それも考えないといけないそうだった。今ある保険で余分と思われるものを、年金型にかえるというのも一つの方法だそうだ。医療保険の特約をたくさんしても解約返戻金に反映されない部分も多いので、自分の健康状態を考えて加入するのも一つの方法であるとのことだった。
2011年11月08日
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昨日が夜仕事があったので、その分遅くまで起きていて今日はちょっと眠かった。仕事はそこそこと思ったが、流れるように書類がきて、後でみたら結構な量をこなしたと思う。朝から曇りで寒いかと思ったが、夕方まで暖かだった。この調子では着るものをどうするか毎日悩む羽目になりそう。上の方からあいさつをちゃんとしろと言われるので、できるだけ大きな声で若い人や派遣の人にこちらから声かけをするように心がけているので、最近は割とみんな大きな声であいさつできるようになってきたのではないかと思われる。とりあえずあいさつしておけば、次に声をかけやすいという効果はあるし、あいさつされて腹が立つ人はないだろうから、まあいいのではないだろうか。近所でもやはりあいさつする人には親しみがわくし、近くの幼稚園の先生でも私が出勤するときに、出勤してくるけどあいさつする先生にはなんとなく好意がもてる。明日は、うちの福利厚生事業で、ライフプランについての相談会っていうのをするのだが、知り合いが福利厚生の担当者なので、サクラとして参加することになったので、お仕事はお休みする。まあ、実際無駄なお金は使いたくないので、合理的に老後に備えられたらよいかなと思う。
2011年11月07日
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旅行から帰って仕事にいくと、嘱託の人が新しい仕事がきまったのでやめる。残った人は仕事が忙しくなるとぶちぶち。仕事を3日だけ出て病欠を出した人の代替の人の面接をして(5か月という短期だから、それほど立派な人がくるとは期待していなかったが)、なんというか断る理由がないという程度の人がやってきた。旅行のほうは楽しかったけど、仕事のほうは相変わらず厳しい状態だし・・・・給料をたくさん出したら、もう少しまともな人がくるのかもしれないが・・・今日も夕方から、関係先の会議に顔出ししないといけなかったので、遅くなった。12月が済むまでは、厳しい道のりかな。
2011年11月06日
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沖縄最後の朝、2日間ともホテルの朝食はバイキングでシークヮーサジュースをいつも飲んでいたような。今日は斎場御嶽(セーファーウタキ)という琉球の聖地といわれるところに行く。琉球国王の一族の女性が聞得大君という神女となり祭祀をつかさどったところだそうだ。長い石の坂道をのぼり、石の洞窟のようなものがところどころにあり、そこで巫女たちが煮炊きをしたり祭祀をしたりして、男子禁制の場所で国王のみが中には入れる場所であったとか。アップした写真にあるような三角形を形作る石組の空間がパワースポットということで、運転手さんがその中でももっともパワーがあるという場所に手を入れて、気をつかむように教えてくれた。言われるように手を入れ、気をつかんだつもり。そのあと、ひめゆりの塔に行く。この記念館の前に、おおきなたこつぼのような洞窟があってそこに、兵隊とひめゆり部隊の人たちが隠れていたそうだ。彼女たちは女学校の生徒で、事件が起こったのは3月26日だったので、地元の子は家に帰り、残っていたのは、遠いところか離島から女学校にきて、戦争がひどくて帰るに帰れない人たちだった。敵が攻めてきて、「がま」といわれる洞窟などに隠れて、食糧その他を調達に、縄梯子を伝って上り下りした。外にでて、砲撃などで命を失い、最終的に、米軍が上陸して投降を呼びかけるが、兵隊は殺されると思って投降せず、一緒にいた民間の人も催涙弾などを投げ込まれて死んだ。民間人だけで隠れた人の中には英語がわかる人がいて、殺さないといっているのがわかって投降して、命が助かった人もいる。年端もいかない女学生にはあまりに過酷で悲惨な運命だったろうと・・・・洞窟の再現というのが館内にあったが、とても人間の長く居れるところではないようだった。最後に沖縄ワールドにいく、そこでは様々な体験ができるようになっていて、琉球ガラスを作ったり、皮細工、サンシンを弾くとか、紅型染もできるようになっている。ここでも、四つ竹の踊りやエイサー、獅子舞などをやっていたが、撮影禁止だったので撮ることができなかった。それとここには、玉泉洞という鍾乳洞がある。それほど地下深くではないが、もともとサンゴ礁というか石灰岩でできているので、様々な形の石筍や天井から石灰岩がつららにように降りてきていたり、秋芳洞を圧縮した感じの洞窟だった。これもなかなか見ごたえがあった。お昼御飯も食べずにここまでたくさんみることができて満足した。帰りの道では今年の台風があまり雨をもたらさなかったせいで、街路樹に虫が大発生して葉っぱが食べられていた。沖縄の台風は害虫駆除という役目ももっていて、迷惑なだけではないとのことだった。さんごも台風で酸素がいきわたるのでよく育つのだそうだ。いろいろ知らなかったことを勉強し、みて、聞いて、感じられたすばらしい旅行だった。
2011年11月05日
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お昼御飯を食べて、海の真ん中にかかっている橋をわたりにいく。見渡す限りの海は、明るいブルー日本海の海もきれいだが、明るさは沖縄が最高にすばらしい。ニライカナイというのは、こういう水平線のあたりにある浄土のようなところで、そこに豊穣をもたらす神が住んでいるのだそうだ。橋をわたって、海の近くでまた珊瑚の破片を集めてみる。とにかくごみがまったくない。あるのは砂と石とさんごのかけら。その中でも菊花珊瑚という、細かい菊の模様のある珊瑚がきれいなので探してみた。それから、琉球村という、沖縄の昔の雰囲気を伝えるテーマパークに行く。古い木と瓦でできた比較的大きな家が点在している。瓦は台風がくると飛ぶのでしっかりとしっくいでかためてある。パレードというのがあって、琉球の王や家来や侍女にふんした人たちが広場に集まるというので、それをみにでかける。王様はともかく、琉球古武術である棒術を若い男性が演技するが、なかなかかっこいい。さらに女性が春駒という踊りをして、道化のような顔を白塗りしたおじさんが踊ったり、獅子舞があったり、エイサーも勇ましくやってくれて、最後に見物人も一緒になって踊った。なかなか面白かった。次に万座毛というところにいって、三段壁とか東尋坊のようなところで、海に突き出したがけがえぐれて象の鼻のようになっていて、結構な荒海だった。夕方に宿泊地の国際通りというところの端で下ろしてもらって、荷物は宿に先に届けてもらった。運転手さんの説明によれば、陸橋を超えて右にホテルありということだった。みやげものや、沖縄料理、アクセサリーの店、泡盛専門店などが軒を連ねているが、なかなか宿に辿り着かない。結局2キロ足らずの距離を歩いた。もっと短いと思っていたので意外だった。しかし、今日はよく歩いて15000歩だった。
2011年11月04日
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いよいよ2日目は、9時にタクシーにお迎えにきてもらい、美らうみ水族館に行く。日本の水族館では一番の人気があるところだそうだ、海洋博のころにできたものらしいが、なかなかデザイン性の高い建物だ。中に入るとまず大きなひとでを触ることができるコーナーがある。巨大な水槽にはジンベイザメやマンタや様々な魚が悠然と泳いでいる確かにすごいのだが、大阪には海遊館があって雰囲気が似ている。大阪から行った人はたいていそういうらしい。この一帯は電気自動車が巡回していて、1日200円で乗り放題になっている。それを利用して、熱帯植物園に出かける。レンガ造りのアーチや噴水などを配して、アジアの植民地の富裕な地主の住まいという感じがした。神戸の花鳥園などの熱帯植物園よりは自然に近い感じを出している。胡蝶ラン、シンピジューム、デンドロビュームなどの熱帯のランがジャングルの中で自然に群生していると言う感じ。あとは、熱帯の実のなる植物があって、今生えてますとお知らせしてくれている。カカオ豆も実物をみたが、結構大きなものだと感心した。1時には「おきちゃんショー」があるから会場に間に合うようにといわれていたので、急いで戻ってくる。おきちゃんとはオキドンドウクジラの愛称で、他にもいるかやちゃちがショーをしている。おきちゃんはこのショーをして34年間やっているそうだ。まさにサラリーマンみたい。ジャンプなどどこでもやっている芸といえばいえるが、長くやっているのが偉いと思う。いまは修学旅行のシーズンだそうで、高校生の多いこと。そのあと隠れたいやしのスポットだといわれている、ふくぎの並木に連れて行ってもらう。古い農村のような感じで、それぞれがまわりにびっしりと「ふくぎ」(紅型の黄色の染料になる木)を植えている。静かなたたづまいと緑の木がずらーっと並んでいて、人の気配がなくて確かに心安らぐ場所だと思った。そのあとは、運転手さんが予約してくれていた、食堂にいく。いかにも食堂という感じの素朴なところだったが、海ブドウどんぶりというのがすごくおいしかった。あのぷきぷきした感触。そこにエビや魚の切り身を載せて、温泉卵がのっていてしょうゆをかけて食べる。すごくおいしかった。
2011年11月03日
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移動の最中に見えるのが米軍基地で、沖縄には5万人の軍人軍属がいて、基地の中には大学もあるそうな。ないのは税務署だけだそうで。米軍の人がのっている車はYナンバーで、自賠責とか入っていないので、賠償も出ずだから絶対に近寄ってはいけないと言ってました。街路樹は、トックリヤシやふくぎ(紅型の衣装の黄色い色をその樹皮で染める)ガジュマル、琉球松(本土の松はななめだったり幹が曲がっているけど、真っ直ぐにのびているのが特徴)寒緋桜(これは1月半ばに花がさくので、沖縄では1月16日が桜祭り)と全く植生が違う。ともかく、夕方には喜瀬のホテルについた。ホテルの裏はすぐに海で、海岸にはごみはまったくなくて、珊瑚のかけらがたくさん打ち寄せられている。これを箸置きにしたら素敵ですよと運転手さんに言われたので、形のいいものを拾ってきた。夜は歩いて5分ぐらいのところにある、私たちも調べてきた沖縄料理の店にいく。タクシーなどで乗り付けてくる人も多くて、結構満員だった。ジーマミー豆腐で揚げだしになっているものや、豚の塩漬けのサラダ、うるぐん(おこぜのような魚)の空揚げ、豚の三枚肉、海ブドウ、ソーメンちゃんぷなどを食べる。私はいつものようにカシスオレンジを頼んだが、これも黒砂糖かさとうきびで割っているのか、本土とは少し違う味がした。もちろんオリオンビールも飲んだ。最後に沖縄ぜんざいをデザートに注文するが、ちょっと時間がかかったが、中に入った白玉が暖かだったので、作り立てだとわかって感激した。
2011年11月02日
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私が歴史に興味があるといったので、運転手さんがお薦めしてくれたのは、座喜味城というところだった。これは世界遺産になっている。これは、琉球を統一した王の配下の優れた武将護佐丸(ごさまる)という人が築いた城で14世紀ごろのものだそうだ。そこにいったら、カーンカーンと工事中のような音が鳴り響いていて、何かと思ったら琉球ぜみという蝉の鳴き声だった、とても虫の発する音とは思えなかった。ともかく、その城あとへと登っていくと、石垣というか石組があらわれた、5メートルぐらいか。大阪城を見慣れているものにとっては、ひとつひとつの石が小さい、座布団の半分ぐらいの大きさできっちりと四角や台形に削られている、石灰岩だから加工しやすいのだそうだ。すきまなくその石を積み上げ、通り道の石のアーチも人がひとり通れるぐらいで、攻め込むのは難しそうだった。石垣の上にのぼれば、東シナ海が一望できた。次に今帰仁城址(なきじん)に行くここも世界遺産だ。ここではボランティアの人が無料で案内してくれるということでお願いして、見学にいく。石畳を登って、いくつかの門のあとを通り抜けると、城の石垣にたどりつく。首里城も門をいくつも通り抜けないといけない。偉い人は真ん中をそうでない人は端を歩くらしい。ここの石は座喜味よりは大きくて荒削りだがそれでも、座布団ぐらいの大きさ。中にアンモナイトの化石も混じっているというから、3億年ぐらい前の石を使っている。なぜか、ここの石垣はカーテンのような曲線を描いているがその理由は謎だそうだが、優美である。ここは統一されるまでの3国のうちの北の国王が作ったもので13世紀のものらしい。祭政一致の国がらで、火の神を祭ったあと水の神、祖先の神を祭ったらしい場所なで城あとの中に5か所ほど祠のようなものがあった。真ん中の国の国王尚氏がここを攻めたが出入り口が2か所しかなくなかなか攻め落とせない中で、裏切り者が1か所を開けたのでそこから軍勢がなだれ込んで、負けてしまったとか。
2011年11月01日
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