全640件 (640件中 1-50件目)
「天地父母統一安着宣布」(02.06.21 ソウル蚕室室内体育館で行われた「天地父母統一安着大会」で) この意義深い「天地父母統一安着宣布大会」に出席した高名な紳士淑女の皆さま、愛する祖国の兄弟姉妹の皆さま、そして、この歴史的な大会を見守っている全世界7千万の皆さまに心から感謝します。 私たちはついに、実に歴史的で摂理的な大宣布時代を迎えました。6千年間、天と地がこれほど待ち望んだ平和の理想世界、すなわち地上天上天国を創建する天運の時が私たちに訪れたのです。 天は歴史を通して摂理されながら、その時代と地域的文化に合わせて宗教を許され、人類はその諸宗教圏内で平和の世界を実現するために不断の努力を注いできました。しかし、最後には神の摂理的な内容と神の心情を完全に知るところから、すべてのことが解決されるのです。 今日、人類が平和の世界を語り、ひとつの世界を語っていますが、私個人からひとつになり、平和をつくることが問題です。そのため、こんな実情を知る神がおられ、志のある人間、偉人がいるとすれば、ひとつになろうとする作業を行うだろうと考えざるを得ないのです。 皆さま方はよく、互いに愛し合い、互いに仕えあい、互いに犠牲になりなさい、そうすればうまくいくと言います。愛せということは、与えろということです。私から相手に働きかけろということです。互いに愛を受けよう、愛してほしいということではありません。 互いに仕え合うようになれば、その環境には平和の基地が生まれ、互いに犠牲になれば、そこには蘇生の炎が燃え上がります。また、愛するようになれば、そこには花が咲き、香りが広がります。マイナスの磁石は必ずプラスに向かうように、良心の力によって神を知ることができるのです。 良心の力によって神に接近すればするほど何を悟るかといえば、心の平和、心の幸福、心の満足を感じ、平和の母体となる神の愛によって、自ら自分の五臓六腑全体が刺激を受けて衝き動かされるような感銘を感じることができる人間になっているでしょう。 私が過去をこのように生きてきたので、余生だけでも輝かしく自信をもって終えなければならないと、気力が足らなければ跪いて骨が固まって死んでしまうことがあっても、私の生涯で責任を果たせなかった忠誠をこの期間内に尽くさなければならないと、夜を徹して祈祷しなければなりません。 国の領土を守り、人類が至るべき幸福の基盤をじっと見つめながら生きながらえ、私は死んでも世界を生かしてほしいと祈祷すれば、その老人の墓は雑草に覆われたりしないでしょう。 いくら(年老いて)醜くしわがよったとしても、それは私たちの平和の条件を象徴するしわとなり、歩む姿勢はやつれていても、その道は希望の灯台として輝かしい座標になるということが分かれば、生涯を比較して、自分だけのために悪の友となり悪の足場を広げていくこの恨めしい恨(ハン)の正体を踏み消して、私の生涯に善の基盤をもう一度だけ加重させていかなければという切迫した運命の道が願っていることを知り、休まず急いで行かなければならないということです。 そのため、文総裁も今までの生涯で、そんな趣旨から6回も投獄される十字架を背負い、あるいは海外を行き来しながら皮膚の色が違う民族の前で異端者だと指弾される時も、反対される時もありましたが、私が進む精誠の道理がすべての民族を通して天の前に、正統の主流思想であることを知って跪き、天を慕うことができるようにする道ならば、私はどこにでも駆けつけるという思いでこれまでずっと生きてきました。 私たちが天の兵士となって勝利してこそ、神が永遠に喜び、イエスと聖霊も永遠に喜び、聖人・賢者たちまで喜ぶことができる平和の時代がこの地上に到来することを心に銘じなければなりません。 個人の闘いが家庭の闘い、家庭の闘いが氏族の闘い、氏族の闘いが社会の闘い、社会の闘いが国家の闘い、国家の闘いが世界の闘いを経て、霊界とこの地上との闘いにまで及ぶようになるのです。また、神とサタン世界の無数の悪霊との闘いが終わってこそ、この宇宙に平和時代が訪れます。こんな原則的な過程を通して摂理してこられた神の事情を皆さまは知らなければなりません。 神がサタンと闘ってすべての問題を解決してこそ、宇宙的な平和時代がやってくるのです。神の悲しい心情の中心を一掃して解怨して差し上げる時がやってこない限り、人類の平和も実現できず、天的なひとつの理念もこの地上で結実の時を迎えられないということを皆さんは知らなければなりません。 万一、真なる人間がいて人の世のすべての恨みと天の恨みを解放し、天と地の上に平和の国を建設しうるひとつの主義と思想をもって現われるとすれば、彼は自分個人の恨みに満ちた逆境から、人類と天の恨みの峠と、その切ない心情をすべて経て行かなければならないのです。そうできないとすれば、人の世には恨(ハン)の侵犯を受けない平和の世界、幸福の世界、自由の園は建設されないのです。 皆さまが宇宙的な天国の理念を代表しうる存在となり、神の真の愛と真の生命と真の血統と真理の運動を展開すれば、平和の世界がこの地に建設されるのです。それゆえ自分の父母だけが父母でなく、自分の兄弟だけが兄弟でなく、自分の子供だけが子供でないというのです。 皆さまが全ての人を私の父母、兄弟、子女と思える人格を備えた人間になれば、死亡世界で苦しむあらゆる民を目にする時、涙なくしては対することができないはずであり、兄弟や幼い人々を目にする時も彼らを救おうという責任感をもって涙を流しながら努力するようになるのです。本当に神のような、そんな皆さまになれば皆さまを中心としてこの地に天国が建設されるでしょう。 神はサタンから先に打たれ、尽くし、愛してあげてから取り戻してくる作戦を取られます。サタン世界から強制的に奪ってくるのではなく、先に愛し、打たれ、犠牲になり、殺されながら取り戻してくるのです。このような作戦を取らずには、世界平和の起源を天宙に残すことができないのです。 皆さまは家庭を率いて国家と世界のために進まなければなりません。大韓民国において個人的な時代、家庭的な時代、宗族的な時代、民族的な時代、国家的な時代を通して、その経験を土台にして世界の民族と国家の前に方向を提示できる案内役を果たさなければなりません。案内役を果たし、互いに離れられない立場で神に侍ることができてこそ、霊界と肉界(地上界)は統一された平和の世界となり得るのです。そうしてこそ、その案内者は天国創建時代の永遠の指導者としての地位を固め、天界の栄光の表彰を受けるようになるのです。 自由の天国である新しい平和の王国を創建するための闘争過程で、誰よりも多くの血を流しながら闘えば、その人は滅びません。その人が流した血は死亡の血ではなく、生命の源泉の力となるためです。そのようにして創建された場所こそ、私たちが行かなければならず、留まらねばならず、残さなければならない基盤です。 皆さまは天の前に「天よ! あなたが創造理想を中心として誇りたいと思われたすべての願いが結実しました。人間を立てて永遠に全ての世界に誇ろうとしたあなたの内的心情と一致いたしました」と祈祷する時、神が「おお、そうか!」と言える立場で、神が喜ばれる自由と平和の天国に向かって行進するその日を慕わしく思わなければなりません。皆さま、大韓民国の主人は誰ですか? 大韓民国を誰よりも愛する人です。 それゆえ、皆さまが誰よりも大韓民国を愛するようになれば、主人にならないようにしても、この民族の主人になるのです。そうしてこそ、神が願う平和の時代がやってくるのです。私たちは神の恨(ハン)を解いて神を解放してあげなければなりません。 そして、自由な神として万国を統治するために、少しでも差し障りがある障害物があれば、私が責任を持って全て取り除き、自由の権限をもって万国を自由と平和の天国として主管しうる堂々たる絶対者として侍るんだという信念をもった若者がいれば、その人は真に偉大な若者です。こんな若者たちによって、これからの世界は新しい方向に進むようになるのです。 皆さまが、実際にこんな若者になるというようになれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは醜い姿ではありません。そこには、無限の希望が宿っているのであり、その姿は神の希望と幸福の土台になるのです。 取り入れられる立場、取り入れられた穀物の立場にある私たちが互いに直面し、感じるすべてのことを、幸福の要因として消化できる人間にならなければならないのです。そんな基盤を広げて国民化させ、世界化させる時まで、その主体的な精神が一元化された形態を離脱しないようにしてこそ、そんな基盤を通して世界に平和の天国が連結されるのではありませんか? 東西南北を中心として、4点がきっちりと立つようになれば、そこには異議がなく、結束の動機が整えられるのです。復帰天国はどこから実現されるべきか? あの牢獄からなされなければなりません。イエスのように牢獄に入っていって主管性を復帰した基準と本性的な基準の自律的な平和の心情を持ち、感謝の歌を歌ったことがあるのか? これが問題になるのです。 神はかつて、使徒たちがそんな立場にいる時、それを天国化させるために牢獄の門を開き、自由に行動できる権限まで付与したのではないですか? 神は、皆さまが、かつてのその使徒たち以上に希望と期待を持てるような、資格を持つことを願っています。 終末には新しい創建の方向を現世と反対にしなければ、生きる道がありません。何としても私たちは新しい歴史的な方向を提示しなければなりません。これが新しい統一の歴史的な方向性です。第3者を犠牲にしてできた世界の終末が到来したので、今までのようにしては絶対に世界に平和が訪れないのです。 私たちは十字架の道を如何にして越えるか? 自分の妻をつかんだら、自分だけを考えるのでなく国家を考えなければならず、国家をつかんだら世界を考えなければならず、世界をつかんだら天地を考えなければなりません。これを段階的に、正常的に差し支えない行路を通過していけば、すべての怨讐が待っている十字架の道は消えてなくなり、平坦な大路に入って、解放の自由が実現されて天地に平和の王国、神が願う理想世界は実現されるのです。 この世界でも神を中心とした新しいパターンを探さなければなりません。家庭での父母が子供を愛する道理が今日、人倫道徳の原則になっているではありませんか? 父母、夫婦、子女の因縁を中心とした統一教会で言う四位基台の原則に立脚した理想的な本然の形態の基準を如何にして決定するかということです。 世界をかけて統一と平和を夢見るには、こんな基本問題が残っており、これを決定せずには統一世界は訪れないのです。基本問題においての個人的な男性パターンと女性パターンを中心として家庭的なパターンを形成するところから、統一と平和の世界は実現されることを皆さまは知るべきです。 自分が犠牲になり、自分の家庭と自分の国家が犠牲になっても国家、世界が良くなり得る新しい価値観を持って出発できる、そんな思想的な体制があれば、その思想的な体制を通して新しい創建の開門が間違いなく起こるのです。 ひとつが上がればひとつは下がるものであり、ひとつが下がればひとつは上がるという法則のように、この世は罪悪の世界なので罪悪を解脱できるひとつの方向性を備えて勝利の天国を創建し得る時がやってきたのです。 包囲されたサタンの城壁を打開する秘法として、怨讐を愛せと語られました。これまでサタン世界には平等圏がなかったために、その平等圏を作る作戦が何かといえば、サタン世界で残るために犠牲になり、愛し、幸福を祈ってあげ、打たれながら打った人々を屈服させ、同じ恩恵を与えることによって、ここには完全平等圏が実現するのです。怨讐の対決圏を解消させる舞台をこのように築いてきたため、ここで初めて平和の建国理念が成立するのです。世界統一、すなわち世界平和の理想型がここから始まるのです。 天国に向かう道を短縮させようと、ここにメシアとか、ある特定の民族、特定の個人にこのみ旨の道の責任を持たせ、犠牲を払わせてきたのです。そのため、多くの聖人たちがやってきて、その位置を死でもって埋めていきました。多くの国々が興っては滅んでいったのは、この谷を埋めるためでした。そのようにして、高めたり低めたりしながら今のような平等を作りました。平等ということは、平和だということです。 本来、神の真の愛を中心として完成したアダムと完成したエバがひとつになることによって、神が中心の位置に立つことができるようになるのです。これが統一教会で言う四位基台です。この四位基台を完成すべき基盤を失ったために、どのような歴史時代を経てたとしてもこれを設定しない限り、人類の平和とか、ユートピアとか、理想世界とかいうことを描いてみても、何の役にもたたないのです。原則を否定し、原則を離れては理想郷はあり得ません。 二千年間、ローマ帝国の迫害時代に形容できない逼迫の渦中でも発展したのがキリスト教です。ローマを呑み込んでも残ったキリスト教が今日、自由主義の米国では第二次大戦以後の数十年間で、どうしてあんなに衰えてしまったのか、それは謎です。ユダヤ教が神を信じ、すべてを愛するというのに、なぜヒットラーが六百万を虐殺するのかというのです。理解できません。これが謎です。それは、宗教が進むべき本然の道を進めなかったためです。終わりの日に、民族を中心として神本然の真の愛に接触点を持たなくなる時は、サタンの供え物として完全に砕けていくのです。 それでは、何を中心としてこの世界を収拾するのか? 今日、新しい創建に力を尽くす人々も語り、現代の知性人たちも語っていますが、世界を指導し得る人間が必要だというのです。それでは、何を指導するのですか? 経済力と政治力を中心として指導し得る能力がある人々はいくらでもいます。 金がなくて、政治体制がなくてそれができないのではありません。神の理想に通じうる真の愛の秩序がないのです。本然の真の愛の秩序が世界的な基盤の上で成長できる真理を模索できるならば、そこで初めて平和の起源が、初めて私たち人間の本心が安息できる理想郷の出発が始まるのです。 真の愛というのは、始まりと終わりが同じでなければなりません。天地に神の真の愛の心情に通じる真の人であれば、十分です。平和も真の愛の心情から出てくるのです。真の喜びの心として現れる時、大宇宙は私の友となるのであり、そんな真の心情に徹して天下に対して現われるようになる時は、天下は私の心の中で踊り出すのです。これから人間世界に理想世界がどのよう訪れるのか分かりますか? 真の愛の器官を正しく扱う道理を明らかにしてあげない限り、この世は滅びます。平和の世界は訪れません。 ローマを見てください。米国を見てください。米国が金がなくて滅びるのではありません。今まで真の愛の器官の主人が誰なのか分からず、どのように由来して創造されたのかということを知りませんでした。サタンのために分かりませんでした。それを明らかにするため、天地の全ての邪悪でよこしまな性問題で、サタンがやりたい放題にしている全てを掃除するため、真の父母の名前をもって文総裁が旗を掲げて立ち上がったのです。 寒帯地方から温帯地方に風が吹きつけるので、温帯圏内のすべての木の葉は枯れて落ちるのです。それで冬になり、実まで全て落ちるようになります。しかし、その中で種、生命を持つ種は、いくら北風や冷たい雪が吹き付けても制圧されないのです。それがいくら強くても、それを突き抜けて新しい人類の平和の春の園を迎えるのです。 解放と希望の春の園が訪れるので、人類の新しい時代を迎える、その時代において真の生命の種をこの天地にまくようになる時は、緑のまま、再び冬を迎えない解放の温帯圏に進出しようというのが、統一教会の思想とぴったり一致するのです。 自分自身を是正するためには、難しい道を歩まなければなりません。南北統一するのが簡単ですか、自分の一身を統一するのか簡単ですか? 南北統一は外的にはいくらでもできます。しかし、自分自身の統一は内的に実現できません。外的に世界平和は実現できても、私自身は内的に平和を実現できません。 世界が今後、過去、現在、未来を通して進む方向が内外的に一致すれば、統一の希望はいつでもどこでも見出し得ます。 過去と現在を照合すれば、結果は必ずひとつの目的に向かって進むのです。 ひとつの目的は統一であり、平和です。ひとつの平和というのです。二つではありません。しかし、私自身が統一をいつ実現できますか? 私が統一できなくて、統一された世界を管理できますか? それは理論的に通じないのです。 そのため、根本問題に入ってみれば、統一という問題は深刻なのです。宇宙史的な問題です。 国が滅びるのは大きなことでありません。アダムの世界には国がありませんでした。自分の家庭だけ収拾すればいいのです。家庭だけ正しく立てばいいのです。結局は、良心と肉身の一体(化)と家庭の一体(化)です。夫婦、男女がひとつになることが、世界的な問題です。これがひとつになれば、世界はすべて平和の地に入ります。真の愛で解けば、世界問題は難しくありません。心身一体、父子一体、夫婦一体、子女一体をなせばいいのです。 この世は堕落した悪の世界なので闘うのです。それは心身が闘うためです。 男女は二人で闘うようになっています。それで、世界平和の基地はいったいどこか? 韓国でもなく、日本でもなく、米国と世界でもなく、天国でもありません。ほかならぬ私自身です。心身が紛争する、その基点を平和にしなければ、世界平和は永遠に存在しません。 それでは、どうすれば平和の世界が訪れますか? 第1の条件が何かといえば、ひとつになる起源を見い出さなければなりません。それを見い出せなくなる時、統一の世界とは永久にお別れです。それでは、家の中が一つになる前に、私自身がひとつになったのかと尋ねる時、ひとつになった私を発見できないのです。体と心が闘うでしょう? 男女が闘う時、幸福であり得ず、平和であり得ず、希望があり得ないのです。終わりの日になればなるほど心の分野、体の分野に分かれ、夫婦は四つに分かれてしまうのです。体と心が二つずつなので、四つになるのです。こうして互いに闘うのです。 統一教会では、神から内的統一の真の愛の動機を解いて、神のように真の愛でより人のために生きる論理的な形態を備えているため、思想界や宗教界が追随できない体系として、終わりの日において混乱した世界の平和の基地、個人的、夫婦的、家庭的、宗族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な基地となり得るのです。 神のために生きる真の愛によって神人一体となり、天地の統一的な平和世界に向けて理想的な神人合徳をなして、幸福で、希望ある平和の世界を実現していこうというのが、真の父母の理想です。この理念に反対しては存続する人がいません。そのため、すべて歓迎するようになっているのです。 それでは今後、世界はどうなるのか? 老若男女を問わず、現在の世界に住んでいる万民はひとつの世界を願っているのです。そのひとつの世界は戦争するひとつの世界でなく、平和で自由な立場でのひとつの世界です。そこには民族分裂、あるいは人種紛争とか、あるいは文化的な格差からくる習慣的な違いによる壁のようなものがないのです。 それで世界の万民は、すべてひとつの真の愛の文化圏と対応しながら、自由で平和なひとつの国を願っているのです。平和の世界はひとつの世界です。平和の目的世界に向かうのに、二つの道があるのではありません。老若男女がすべて願う希望の世界、平和の世界はひとつの世界です。 しかし、民族を見てもその中にさまざまな団体があり、その団体ごとに主義主張が違います。大韓民国の政治風土を見ても、野党、与党、そしてありとあらゆる党が全て出てきて、皆が自分たちの道を行こうとするのです。それなので、方向がどれだけ多くありますか? ここで問題が生じるのです。 歴史が始まってから現在に至るまで、世界的な舞台でこのように平和の世界を求めながら活動してきた数多くの人々がいました。ところが、終わりに至っては、希望を持って明日のより次元が高いひとつの世界に向かって進みうる立場からコーチできる人がだんだん少なくなっていくのです。 すべての学問を超越し、社会の構成体制あるいは習慣を超越して、決定しなければならないことは、始めがどこからかということです。始めは真の神とならなければならないのです。その真の神自体が最初から過程を経て、真の神が人間を創造したなら、創造主、理想実現、その目的地まで到達できることを再発見しなければ、平和の世界は実現できないのです。なぜかといえば、平和の世界はひとつの世界であるためです。人間が進む方向、神が進む方向と、このように二つの方向があるとすれば、ひとつの平和の世界は訪れないので、不可避的に結論はひとつの方向とならなければならないのです。 そのため、人間を中心とした世界を打破し、真の神第一主義の世界に決定づけなくては、ひとつの平和の世界に向かう道を発見できないのです。心と体の世界において、平和の基準をどこに立てるかという問題が人生で最も大切な問題です。 心と体が闘っています。そのため、このような問題を考えてみると、平和の基準がどこにあるか? 世界でもなく、国家でもなく、宗教でもありません。 私自身において、体と心が絶対的に統一した平和の基準を確立することが宗教指導者であり、そのようになるためのものが、あらゆる教育、あらゆる修練、あらゆる人道主義的な目的なのです。 そのため、皆さまがいくら宗教を信じ、偉大な宗教指導者になり、ひとつのこの世界を統治する偉大な聖人になったとしても、堕落圏内の体と心の統一圏は、永遠な神とともに同じ立場の統一をなすことはできないのです。 問題は、個人基準の心情圏が真の愛の平和の起源を確立して定着させ、平和の起源を私から設定しなくては、理想的な宗教とか天国とか何とか言っても全て夢に過ぎない、というのです。問題解決は、神を中心として真の神の子女一体圏を求めるところに統一の起源があります。神は体と心が闘いません。 それでは、私たち人間はどうして体と心が闘いますか? 心身がひとつになるには、平和の大王である父と息子がひとつにならなければならないのです。 神の真の愛、真の生命、真の血統が一体となる父子の関係から、平和の起源を発見するようになるのです。父子がひとつになるには、真の愛、真の生命、真の血統がひとつにならなければならないのです。 堕落した私たちは本然の神を確実に知り、天国の理想的な環境圏を確実に知らなければなりません。神自体とみ旨から見た天国と一体になると懸命に努力するところから、父なる神のようになる道を見い出し得るのです。そこでのみ、平和の個人から天国と一体となって生きる父と子の喜びと平和の世界となるのです。そのため、今から再臨主たる真の父母がこの全ての天上世界のことを明らかにし、地上世界が一体となるようにすることによって地上、天上天国を完成するのです。 霊界に行った聖人・聖賢たちを中心としたすべての人々がこの道を願っていますが、この道は、地上の真の父母を通して真の愛、真の生命、真の血統の一体圏を教えてあげることによって、地上・天上世界が統一された世界を形成するようになるのです。 愛する祖国の同胞、そしてこの大会を見守る世界の7千万の皆さま! 人類の真の父母となるメシアが再臨するこの時代、韓半島の南北が銃剣でなく愛と真理で統一されるこの時代、世界の全ての宗教が真の父母の教えの下でひとつになるこの時代、霊界の全ての聖賢と祖先が降臨し、直接私たちと通じあって暮らすようになる歴史的で、摂理的なこの時代を迎えた皆さまは、本当に幸せな人たちです。 今こそ全人類は人種と理念、そして国境を超越して平和の世界を創建するために召命された責任を果たしてくれることを願いながら、イエス様以下の聖賢たちが霊界から送ったメッセージを紹介しますので参考にし、全体の内容は配布された冊子を通して研究されるよう願います。 天も地もともに永遠の世界で天地父母に侍り、大家族となった天上地上天国世界で、真の愛で兄弟となって平和で幸福に暮らせますように。神の無限の祝福が皆さまの家庭と国家と世界に満ち溢れますように。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.15
コメント(0)
鮮文ピースカップ創設の意義2002年6月12日に韓国ソウルのリトルエンジェルス芸術会館で開催された「鮮文ピースカップ創設大会」で、創設者である真のご父母様が語られた基調演説文である。 尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様! 本日この席で皆様とともに貴重な時間をもつことができ、心からうれしく思います。特別に、今回の韓国と日本で聞かれている第17回ワールドカップサッカー大会に参加されるためにお忙しい中にあって、本大会に輝きを添えるためにお越しくださった指導者の皆様に深く感謝申し上げます。2 本日6月12日は、ワールドカップの開幕から13日目です。サッカーの熱気が全地球村を熱狂させています。連日の番狂わせと波乱、歓喜と挫折が交差する葛藤のドラマが演出される中で、人種と理念、そして国境を超越して、感動と友情の祝祭が繰り広げられています。 本日私たちがここに集まって、深く考えてみることは、私たちがスポーツを通して人類平和を実現しうる道を模索してみようということです。 今まで私は、聖書の記録にあるように「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書5章9節)というみ言の実践信仰と天意に従って、宗教と学術、言論、文化、芸術、スポーツなど各分野で80余年の生涯を神に侍り、神のみ旨と理想である自由と幸福、そして平和世界の実現のために精誠の限りを尽くす一筋の道を歩んできました。 皆様もよくご存じのように、和平や平和の問題は、今までの長い歴史期間において、全世界がすべての手段と方法を動員してあらゆる努力を傾けてきましたが、ある―国家の政治力や経済力、または軍事力だけでは、完全に解決しうる問題ではありませんでした。 問題は家庭から氏族、民族、国家、世界を超え、天宙まで含めて通用しうる根本的な真理、すなわち平和の思想がなければならないのです。 真なる理想、愛、生命、血統、平和の世界は、神の創造理想であると同時に人間の希望です。 ところで理想、幸福、愛、平和の起源はどこにあるのでしょうか。それは相手のために奉仕し、犠牲になり、為に生きる所にあるのです。宇宙の存在秩序は、神のように互いに為に存在することを根本としています。 神は知恵の王であり、全能なるかたです。それゆえ、すべての存在世界で真の愛と真の幸福、そして真の平和を成し遂げるために、主体と対象が互いに為に生きるように存在させたのです。 すべての存在は二重目的をもっています。性相的な目的である全体のために生きようとする目的と、形状的な目的であるそれ自体を保存しようとする目的があります。 例を挙げると、陽子と電子の作用で原子を存在させ、その原子である陽イオンと陰イオンが分子を形成し、その分子からなる栄養素が植物を育てます。その植物が繁殖して、それが動物のえさになります。動物と植物の間でも酸素と炭酸ガスを交換します。はちと花は互いに共存します。天体を見ても、太陽と惑星が授受作用によって一定の距離を維持しながら、公転したり自転したりしています。 このようにすべての存在は、互いに為に存在しているという宇宙の根本真理があるということを私はいち早く悟るようになりました。この真理が適用される場所に真の父母がいるのであり、真の息子、娘がいるのです。 何であれ為に存在するというのは、宇宙の根本的な原則です。この原則に従わなければ、すべての幸福、平和、理想と真の愛が完成されません。 互いに為に生きなければならないという原則が、国家と民族を超越して適用されるならば、その世界は私たち人間が願うユートピア的な真の愛の世界、真の理想の世界、真の平和の世界、真の幸福の世界であるに違いありません。 為に存在するという原則を携えていけば、どこでも通じない所がありません。もし、皆様が霊界に行くようになっても、為に生きる真の愛を実践すれば、神から千年万年恩恵を受けて生きるようになり、それ以上の幸福がないということが分かるようになるでしょう。 為に生き、また為に生きる存在は、中心存在となり、そうなることによって統一的な環境や平和の世界を造成しうるという事実を私たちは知らなければなりません。 数多くの宗教があり、いくら経典が多いといっても、そのすべての核心となる教えは、「為に存在せよ」という一言に帰結されるのです。18 真の宗教、愛の宗教、理想的な宗教、幸福の宗教、平和に導く宗教とは、どのような宗教でしょうか。個人のために生き、家庭のために生き、氏族のために生き、民族のために生き、国家のために生き、世界のために生き、天地のために生き、神のために、まず犠牲になるという宗教が真の宗教であり、理想的な宗教であり、万民を平和と幸福のある所へと導く宗教です。 平和は相対的な概念から出てくる言葉です。幸福もそうです。一人では幸福ではありえません。ですから、いつでも「私」が一つになろうとするところから、幸福と平和、そして理想が始まるのです。 人の力だけでは、人間世界で平和のつながりを結ぶことができません。なぜなら、堕落した人間たちは、お互いが自分だけ良くなろうと思うからです。お互いが利用しようと考えるのです。すべて自らの利益を追求し、自分を中心として良いものをくくろうとします。ここに来られた皆様は違いますか? 指導者クラスの人々であるといっても皆、自分を中心として覇権の争奪戦を繰り広げ、自分の利益のために戦うのです。 今までの世の中では、それが本質的な私たちの生活の基礎になっていたというのです。そのように自分だけのために生きる環境によって編みなされた世の中では、戦いに終わりがありません。 ここで私たちの体の構造を見てみましょう。この目は自分のためになろうとして生まれましたか? 相手のために生まれました。口は自分のために生まれましたか? 相手のために生まれました。この耳は自分のために生まれましたか? 聞いてあげるために生まれました。鼻は自分のために生まれましたか? 手は自分のために生まれたのではありません。 ひいては、男性や女性の生殖器自体も自分のためではなく、夫のものは妻、妻のものは夫のためになろうとして生まれました。平和はそこから、すなわち、為に生きようとするところから実現するのです。母親の体は自分だけのためではなく、夫と子どものために存在するようできているのです。 一つの平和な世界、為に生きる世の中を築くために、私は家内と共に全生涯を通して、様々な方面から努力を傾けています。 その中でいくつかの代表的なものを例に挙げると、人種、宗教、国境と言語の障壁を超越して、超宗教、超国家、超NGO、超与野の教育活動をしてきました。また、世界平和統一家庭連合では、真の家庭運動と純潔運動を展開してきました。 学術分野では、アメリカのプリッジポート大学と韓国の鮮文大学を中心に平和思想の教育と実践運動に力を尽くしています。さらには、言論分野ではアメリカのワシントン・タイムズ新聞社とUPI通信社、韓国と日本では世界日報、そして南北米のすべての国家をカバーする報道機関を設けましたが、これら言論機関が世界を一つに結ぶことに大きく寄与するでしょう。 本日はサッカー人たちの大会です。今、韓国ではサッカーの熱気がいつの時よりも高まり、世界の人々が一つの祝祭の雰囲気の中に包まれています。しかし、究極的にスポーツ世界が進むべき正道の道とは、世界の人を和合と平和の道に案内することです。 時には、過熱した競技が、お金や権力と結託して純粋なスポーツ精神が薄らいでいないか心配になる面もなくはありません。選手たちの金銭的な価値がとてつもなく高いとか、独占資本家の横暴のようなことはないか、よく見守らなければなりません。 私はスポーツを通した世界平和の実現のために、韓国でいち早く一和プロサッカー団を創立し、鮮文大学でもサッカーチームを創立し、韓国のサッカーの発展に大きく寄与してきました。またプラジルにもセネ・プロサッカー団とソロカバ・プロサッカー団を運営しています。 このように、私がサッカーチームを運営するのは、単純なビジネスの次元を超えて、スポーツを通して世界平和に寄与しようというものです。 本来、サッカーはイギリスで始まりました。イギリス貴族の子弟だけが通ったイートン・スクールで将来の指導者を養成するにあたり、知識だけでなく体力を増進させるために考案されたものですが、チームワークを重視した魅力ゆえに大衆的なスポーツとして定着し、発展するようになりました。 特に、サッカー競技は個人の技術がいくら優れていても、チーム全体が支えてくれなければ勝つのは困難です。ボールは丸くて、あちらこちらに転がりますが、同時に正直だというのです。ボールは選手が蹴る所にだけ行きます。ですから、サッカーには正直さとチームワークを重視する原理が隠れています。 サッカーには既得権をもつ層による利益分配のトリックもなく、ゴールインするのに順序もありません。サッカーは大国や小国、強国や弱国に関係なくゴールインを通して、皆に喜びと幸福を与えます。サッカーにはチームプレーから醸し出される躍動的なハーモニーがあるだけです。 サッカーをはじめとして、すべてのスポーツと遊技文化は、人類の歴史とともに発展してきました。本来、スポーツは頑強な体と安全な社会を維持するために始まり、今日、数十他人の暮らしを楽しく豊かなものとしています。そのようなスポーツを通して、万民の平和に寄与できる多様な方法を模索しなければなりません。 世界は新千年を迎えました。情報と技術の画期的な発展を通して、地球村は一家族という概念が現実のものとなっています。しかしながら、一方では道徳的な危機を迎えるようになり、精神的な価値の崩壊の危機に直面したのも事実です。 今日の享楽主義と青少年の自己中心的な価値観を克服するために、スポーツ特有の建設的な代案を提示する必要があります。 スポーツには公正な競争の法則が適用されます。闘争と競争は概念が異なり、次元が異なります。闘争は、腕力や武力、または物理的な力で相手方の存在を否定し、抹殺しようとする残忍、かつ殺伐としたものです。それは動物の世界にある弱肉強食の法則と同じものです。 しかし競争は違います。スポーツではルールを定めておいて規定に従って優劣を決します。スポーツ競技では多くの人々が見守る中で、選手たちが正々堂々とした態度と公明正大な精神で、各自の技術と才能、そして力を競うのです。ですから、審判の公正な判定を受けるわけです。 ゲームで最も重要なのはフェアプレーです。 遵法と準則です。反則とファウルは減点になり、退場になり、権限が剥奪され、その選手は処罰を受けます。 世界的な競技で、運動選手たちは、個人と国の勝利と栄光のためにすべての力と精誠、そして勇気を尽くして全力投球します。それで勝利した選手には、金メダルを首にかけてあげ、嵐のような拍手喝采で祝い、国旗を掲揚しながら、国歌を斉唱してあげます。その選手にとって、その瞬間は感激の極致であり、栄光の頂点であり、その光景を見守る人々すべての祝宴です。 スポーツの世界では競争で負けた者たちも、勝利者の労苦に対して、自らの心残りは後にして、心から拍手を送るという美徳があります。ですから、スポーツには美しい友情の香りがあり、同志愛があります。 選手はスポーツマンシップを守るときに美しく、勝利に向けて「百錬千磨」の努力と血のにじむような汗を流さなければならず、名技と神技の境地に到達しなければなりません。公正と秩序、そして礼節の徳を修練しなければなりません。 ですから、スポーツは現代社会に大きく貢献しました。人間の心身を健康にし、競技の技術により楽しみと感動を与えました。特に、スポーツは宗教のドグマや政治的なイデオロギーを跳び越えることができ、だれもが一つになることができ、さらには全世界の人の心を一つに結ぶ和合と平和の饗宴です。 冷戦時代が終息はしましたが、世界は依然として苦痛の束縛から抜け出せずにいます。アメリカでの9・11同時多発テロが示すように、民族の紛糾と宗数的な葛藤で世界が苦しんでおり、地球環境は破壊の一路にあります。未来に責任を負うべき青少年たちは、冷笑的に変わっており、一部は物質主義と享楽主義に心酔したり、麻薬に溺れて非行に走ったりしています。 そのような諸般の問題を解決する方案は、先ほどもお話ししたように、正しい真理、すなわち互いに為に生きるという理想的な真理にスポーツ精神を接ぎ木させ、その精神を実践して和合と平和、そして統一の世界を創建することです。 このようなわけで私は今回、平和世界の創建を願って鮮文ピースカップを制定したのです。鮮文(Sun Moon)ピースカップは、太陽と月のカップ、天地父母のカップ、平和のカップです。純粋と純潔を象徴する光で、永遠に光り輝かなければなりません。 解文ピースカップは、神を抜きにして単純に興行性ばかりをあおり、スターだけを誕生させた既存の他のカップとは区別しなければなりません。神をはっきりと知り、霊界の実相について詳しく知って、平和の正道を選んでいくべきでしょう。 鮮文ピースカップは、神が理想となさった創造本然の世界を築くための宗教と科学、政治と経済、女性、青年、体育など各界各分野の努力を一堂に集めて、人類が一つの大家族となることを念願する祝祭の一場面を繰り広げるカップとなるでしょう。特別に人種、国家、民族、宗教、理念の壁を超えて、神の真の愛を中心として真の平和の理想に向かって出発する始発点になるという点で、実に重要だと言えるでしょう。 この鮮文ピースカップは、人類の健全な精神世界はもちろん、霊性の開発とともに人類共同体の和合と調和を織り成す祝祭の場を開くカップであり、神の創造理想を中心として平和と自由、そして幸福の世界を開いていく一つの心と一つの家族、そして一つの心情の場を開くカップとなるでしょう。 最後に、ここにお集まりになった皆様はすべて、解文ピースカップを発展させるにあたり、ペレ財団とFIFA (国際サッカー連盟)とともにすべてのご協力とご指導を惜しまぬようお願いするものです。皆様と皆様のご家庭に神の愛と祝福が満ちるようお祈りいたします。・ありがとうございました。▲2002年 06月 04日 サッカーの皇帝、ペレ、真の父母様を表敬訪問一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.11
コメント(0)
第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.3/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部)文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.2/3)Family 2002.8 32~ (韓国人食口に向かって)さあ、ここに座っている耳の聞こえない人たち。皆さんは、なぜ、皆……。先生が、日本語で語るときには、韓国語でも通訳しているのに、なぜ、イヤホンを持っていないのですか? お互いに授け受けしなければならないでしょう? 準備もせずに……・。 皆さんは、”先生は、与えることを好み、もらうのが嫌だ。”と考えているのではないですか? そこ、分かりますか? 寝るなというのです。 昼の十二時以降に食事をしては時間がないので、1 時間以内に、全世界から集まった人たちと会議をするようになっているのですが、その会議の時間を撤廃することにします。 今から、その会議の骨子の内容を話すので、ノートを出して書き留め、忘れずに、それを一日に十回、百回、吟味しながら覚えるようになるときには、今後、行く道が、すべて開かれるのです。アーメン。(「アー メン。」)(拍手) 皆さん。イーストガーデンに行ってみたことがある人は、手を挙げてください。米国のイーストガーデンです。イーストガーデンに行ってみたことがある人は、多くありませんね。行ってみたいですか? チケットを買って、飛行機に乗って、来てください。(笑い)なぜ笑うのですか? 必要ならば、わたしが招待 してあげるかもしれません。招待してあげれば、来ますか? (「はい。」)そのように有名ですか? (「はい。」) 世界の大統領までが、「会おう。」と言ってきても、先生は会ってあげないのに、皆さんは、その人たち以上にりっぱですか? 先生に、たくさん負債を負ったでしょう? 負債を負いましたか、負っていませんか? 負債をたくさん負いました。 目の負債、鼻の負債、口の負債、耳の負債、手の負債、心の負債、体の負債、すべて負債を負いました。それは、自分の財産を売って返しても、返すことができません。それを知っているので、天下は、間違いなく先生の教えの前に一つになることができるのです。 「総生畜献納物」をしないと、天国はできません。アダムとエバが祝福を受ける前には、結婚する前には、すべての所有は、神様のものでした。それは間違っていますか、正しいですか?(「正しいです。」) 神様と、愛と生命と血統が一体となり、一つの体となった後に、アダムとエバに相続権があるのです。分かりますね? ところが、祝福も受ける前に、サタンの血筋を受け継いだので……。 主人が神様であられるにもかかわらず、サタン、悪魔の血筋を連結させて、それで配当を受けた所有意識を持っているのは、神様が嫌われます。また、家庭を持っていること自体を嫌われます。 それで宗教は、出家を命令するのですが、それは、すべて抜け出しなさい。”ということです。自分の先祖まで……。それから、「結婚をせずに、独身生活をしなさい。」というのです。 それゆえに、仏教も独身生活、カトリック教会も独身生活です。神様の所有権と、完成した“主人”となったアダムとエバの所有権が、すべて復帰されて戻ってきて、神様の公認と真の父母の公認を受け、祝福した血族に分けてあげるようになるときに、皆さんの所有になるのです。それが、天理の道理です。 先生が教えてあげたことは、方便的道理ではありません。(録音が一部途切れる)分かりますね?(「はい。」) 皆さんが、学校を建てますか? 言論機関をつくりますか? 政府機関を新しくつくりますか? ここ (天城旺臨宮殿)は、何ですか? 王の基ですか? 王城です。天の城です。天の城の中には、王宮に侍る民が暮らすのです。城と同じです。「城」という字があるでしょう? それから「旺臨」です。「旺」という字は、「日」偏に……。 本来、旺臨するときは、「木」偏の「柱」という字を使わなければなりません。「日」偏なので、明るい”というのです。明るい王者です。"明るく臨んだ「宮殿」”です。天城に……。 神様の宮殿だけではありません。天の国の宮殿が、輝かしく定着する所なので、ここから天の国の入籍式が展開しているのです。そうですか、そうではないですか? 入籍式の標題は、何ですか? 三時代……、何ですか? 小山田氏! (「『三時代大転換四位基台入籍統一祝福式』です。」)「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。全体を表象するのです。それは、遊びごとを宣伝するように、何の根拠もない内容ではないというのです。 根本がないのではありません。神様の胸に千年、万年の間、願われていた願いが、解消されるのか、再び恨として残るのか、その怨恨の標題が宣布されるという事実を知らなければなりません。今から、世界のすべてが……。 国連を通して決定する日には、一時に大移動が展開し、そのときに、この韓国人たちは、すべて……。全世界の統一教会の祝福を受けた公職者たち、指導者たちが皆、走り来んで来るときには、自分の財産を売って、韓国の地を、その価値の十倍以上を与えても、買って、入って来ようとするのです。 そのようにしようとすれば、この反対する既成教会や、自分勝手に暮らしていた人たちは、島国に追い出すことはできないので、しかたなく、南米の第三国に移動するということが起きるのです。分かりますね? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) それで、その標題が、今回、何であるのかというと、わたしたちは、今まで国のなかった民です。そうでしょ う? 「皆さんは、どこから来たのか?」と言えば、「日本から」、「米国から」、「ヨーロッパから」と、そのようなことを言うのですが、それは違います。神様の眼中には、日本の国もなく、米国という国もなく、ヨーロッパという国もありません。 そのようなところにおいて、真なる家庭の出発を真の父母から始めるのです。真の父母の家庭を中心として、真の父母の血族を通して、真の父母の一族、真の父母の民族、真の父母の世界です。三億六千万双です。 どのような国よりも大きな国を持つことができ、天と地に、数千億の祝福を受けた基盤ができています。 ですから、神様王権樹立をしたので、今からは、神様が定着されて、その御前で、天下に命令することができる主体的な王になることができるのです。 ですから、堕落していなければ、霊界の地獄も、楽園もありません。天国だけがあるはずでしたが、今回、先生が行く前に……。 今、霊界では、大掃除作業が展開しています。先生は、遠からず地上から天上世界に行きますが、その時のための天国の民が、まだ準備できていません。待っているのです。 ですから、そのために、百日修練を通して、四十日間……。新しい霊をつくって、霊界で祝福を受けるようにして、先生が帰ってくる日を待っているということを知らなければなりません。再整備です。 、偽りの父母によって楽園が生じ、地獄が生じたので、真の父母の責任は、これを整理して、神様が、清い地上、天上天国、統一的天国の前に、一つの主権を中心として、万世において、永遠不変の統治者になら れるようにすることです。 また、万国が、千世、万世の“太平聖代(徳のある君主が治める太平な世の中の時代)」を整えて、神様が、栄光と栄華の文化の主人となられるようにすべきなのが、真の父母の責任です。 本来、そのようなことが、神様の創造理想であったのではないでしょうか? その世界に戻っていかなければなりません。再創造しなければなりません。 皆さん。「家庭盟誓」を知っているでしょう? 一番目は、何ですか? 一、二、三、四、五、六、七、八。それを一つだけしても、天上に帰っていくことができます。八つも必要ありません。その内容が、どれほど、とてつもないものでしょうか? 霊界に行ってから、天の国の神様がいらっしゃる本殿に行き、神様の御前に行って、そこで暮らすことができなければ、どうするのですか? 城の外に追い出され、どこかに行って暮らそうというのですか? そのようになれば、今まで、四大聖人をはじめとして、霊界に行っている、各文化世界の国家を超えて指導したすべての歴史的な人たちから指弾されます。彼らには、通告しておいた記録が、はっきりと残っているのです。 ですから、霊界に行けば、彼らから「あなたは、統一教会を信じてきたのなら、このような内容をすべて聞いたか、聞いていないか?」と尋ねられることでしょう。それに対して、「聞いた。」と答えるならば、「それでは、なぜ、実践しなかったのか?」と評されるのです。 孔子に会えば、このように言われ、イエス様に会えばこのように言われ、釈迦、マホメット、ソクラテス、共産党員にまで、「あれほど懇切に叫んで、証ししたのに、何だ? この女め! 私たちの目の前から、消えなさい。」と……。 彼らの先生になり、姉になり、兄にならなければならないのに、この姿は、何ですか? どのようにして、それを避けるのですか? 無事に通過できないというのです。歴史上に、初めて真の父母が現れて、天上世界の秘密を、どれほど子孫に伝えたいと思っただろうかというのです。 霊界の地獄に行った人たちは、「自分たちのようになって、ここに来てはいけない。」と言いたいのです。そのような、先祖としての子孫に対する責任を感じた人は、だれもが、“生きてできなかった。”という恨を抱いてきたのですが、真の父母は、そのような恨をすべて……。 何と言うのでしょうか? 垣根を壊してしまったのです。そして、「世の中が、わたしたちの世界になったのだなあ。」と……。共産世界から地獄に行った彼らを、皆、神様の命令によって……。 先生の命令ではありません。先生は、霊界に行った統一教会の責任者たちに指示して、神様の命令を受けて、セミナーを開き……。「セミナーの報告を中心として、真の父母の前に報告しなさい! 報告すれば、間違いなく、わたしが宣布してあげよう。」と言ったのです。 偽りの父母がつくったので、真の父母が責任を持って、地の果てまで、そのことを宣布することを始めたのですが、それが、今月の二十一日の「天地父母統一安着宣布大会」です。今、世の中は、このようになっているのです。ですから、今回の、このワールド・カップが問題でしょうか? それが、問題ではありません。 歴史始まって以来、存在せず、夢にも願い、成し遂げることができなかったものが現れ、世界に宣布大会を行って、「天地父母統一安着宣布」をするようになれば、その父母によって祝福を受けた人たちは、安息するようになります。 そうして、その安息した場に、国と国、そして国と世界が一つになることのできる橋が、さっさっさっと架けられ、今から大建設が展開するのです。 霊人たち、聖人、聖子たちが来て、自分の先祖を中心として、世界を救うための橋を架け、天上世界と地上世界が一つになった場において、一つの国が生じるのです。あたかも、心と体が一つになっているかのごとくに作り上げるための、差し迫った時期が来ました。 分かりますね? 分かりますか? (「はい。」) その骨子が何かというと、その骨子はたくさんあります。"個人完成は、このようにすべきである。”というもの。個人と言えば、たくさんあるのですが、その骨子は、イーストガーデンにさっと入っていけば、正門に掲げられた「勝恨成就」という言葉がありますが、それが、そうです。それは、「恨に勝利して、摂理のみ旨を完成しなさい。」ということです。 それは、“解放的蕩減 復帰完成を成して、堕落していない本然のエデンの園で、アダムとエバが、神様に侍って暮らしていた、そのような直系子女の立場に立ちなさい。”ということです。そして、食堂には何があるのかというと、「一心定着」です。「一心定着」という標語があるのです。 それは、数十年間、掛けてあるのですが、それについて尋ねてきた人が、一人もいません。その答えを、今、話してあげているのです。分かりますか? 「一心」という言葉は、わたしたちではなく、神様のことです。神様は、心と体が闘いますか、闘いませ んか? 闘いますか、闘いませんか? 神様の心と体は、闘いません。神様の思想が行ったり来たりしますか、一つになっていますか? 分かりますか? ”一心一体一念”です。 それを神様側から見れば、三つが蘇生、長成、完成でなければならないものを、三数を代表して、「一心定着」という言葉が書かれているのです。 だれでも、心と体が一つになり、心と体が一つになったところにおいては、思想が一つになっています。それでは、その思想とは、何でしょうか? わたしたちリトルエンジェルスの教育標語であり、新聞社の標語であるものが、何でしょうか? 愛天。言ってみてください。(「愛天。」)愛天。(「愛天。」)愛人。(「愛人。」)愛国。(「愛国。」)これが、三大原則です。 「愛天」とは、何のことであるのかというと、縦的な天の国のことです。わたしたちの心の国です。分かりますか? 「愛人」とは、何かというと、横的な地上の国のことです。天の国と神様と"縦的な父”と“横的な父”が、定着しなければなりません。定着する所は何かというと、国です。家庭なのです。分かりますか? 家庭です。 神様の考えの中では、何を中心としてでしょうか? 真の愛を中心として、”一心一体一念”が一つになり、家庭を中心とする生活を出発するということが、思想的なすべての核である、ということです。 皆さんも、そうでしょう? 男性と女性が、どのようにすれば、息子、娘を生んで幸せに暮らすことができるのでしょうか? それが、国よりも、もっと心配でしょう? その時は、国がありません。国が始まりだからです。ですから、"一心”、それから何ですか? 何ですか、次は? "一心”! (「〃一心”!」)”一体”! (「”一 体”!」)"一念”! (「”一念”!」) 「一心」とは、何であるのかというと、「愛天」です。「愛天」は、「天を愛しなさい。」ということです。「一心」の「心」は何かというと、「人類を愛しなさい。」ということです。そうではないですか? 「愛人」、「愛国」は何かというと、家庭を拡大したものです。「家庭を愛しなさい。」ということです。男性と女性の願いは、すべての骨子、主流が、一心一体一念”の思想である、ということです。分かりますね? (「はい。」) 分かりますか? (「はい!」)ですから、きょう、標題を言うとき、「『一心、一体、一念』安着」でもかまいません。「一念」は、「神様と天宙のことである。」と言えば、すべてでしょう? 神様の家ですから、そこには、万物世界、天地、すべて入っています。それは、天宙人の主流思想です。分かりますか? 一度、言ってみてください。"一心”。(「”一心”。」) "一体”、(「”一体”。」)、”一念”。(「”一念”。」)それが一つになったので、「安着」を抜いてもよいのです。 「”一心一体一念”安着」、それから、"一心一体一念”は、神様と天宙人の、天地の家、人………。すべて入っています。被造万物がすべて入っています。天宙人の主流思想です。はっきりしましたか? (「はい。」)…… 一度言ってみてください。"一心”。(「”一心”。」) "一体”。(「”一体”。」)〃一念”は……、(「〃一念は”。」) 神様と天宙人の主流思想です。(「神様と天宙人の主流思想です。」) それ以外にはありません。そして、その完成の標準ができているので、男性も、女性も、息子、娘も、そのまま神様とともに行くことができるのです。それを横的に三代圏、四代圏に入っていけば、多くの繁殖が成されます。 三代圏を超えていかなければなりません。それは、 原理を聞いて知っているはずです。三代を持つことができなかった神様が、三代圏を超えて、四代から種を取り、それを万国にまくことによって、"一心一体一念”、一体となったものは、神様と天宙人たちが、すべて主流思想となって、天の国に直行して行くことができるのです。アーメン。(「アーメン。」) それで、皆さんの心と体が、一つになりましたか? 別々です。これが病弊です。ナイフを、自らの胸に突き立てるようにして誓い、何があっても、一つにならなければなりません。 それを知らなければなりません。日本のメンバー、分かりますか? 分かるでしょう? (「はい。」)それゆえに、“心と体が一つになっているのか?”ということが問題です。 ですから、率直でなければなりません。父母の前でも、師の前でも、国の前でも、率直でなければなりません。二つになってはいけないというのです。神様も、心と体が闘いますか? 神様が闘いますか、闘いませんか? (「闘いません。」) なぜ、人間は、このようになったのでしょうか? 血統が変わったのです。大変です。それは、死ぬことよりも、もっと大変なことです。 ですから、先生もそこにぶつかって、解決方案を講究したのですが、その結論が何かというと、「宇宙主管を願う前に自己主管の完成」ということでした。そのような標題を立てたのです。分かりますか? 大変なことです。そのような標題を立てて、自分の心と体が分かれて……。 さらには、眠りの問題、食べる問題、愛の問題です。いつも、二またです。 どこかに行けば、よいものを食べようとし、よいものを着ようとし、体が願うものを第一主義にします。それを引っ繰り返さなければなりません。 最後には、自分の愛する妻と息子を怨讐に抱かせてあげて、さらにその福を祈ることができる心まで持たなければ、神様の心情圏は分かりません。何のことか、分かりますか? それは、絶対に難しいことです。しかし、その絶対難しいことができなければ、復帰摂理は成されません。 もう、何のことか分ったでしょう? ”一心”、"一体”、“一念”は、韓国人は、説明しなくても分かっているというのです。神様と天宙人は……。(「韓国語でお話ししてください。」) 日本語で「かみさま」というのは、神様のことであるということを、皆、知っています。「てんちゅう」というのは、天宙のことであり、「人々の主流」と言うときの「しゅりゅう」というのは、主流思想のことです。 そのように、日本語で話しても、韓国人が分かるようになっていて、韓国語で話しても、日本人の六〇パー セントが分かるようになっているので、そのように怨讐視せずに、交差結婚さえすれば、三代以内に一つの国、天下統一するのです。アーメン。(「アーメン。」) "そのようなことを願う。”という人は、両手を挙げて、目をつぶって誓いましょう。(「アーメン。」)目をつぶって…… なぜ、目をつぶるのかというと、神様とあなたの二人が、約束するということです。先生も、必要ありません。そのように約束した人は、間違いなく、力いっぱい手を下ろしてください! 手を挙げてください! 手を挙げてください! 挙げたので、決心する人は、手を、力いっぱい下ろしてください。(笑い) そのくらいすれば、よいというのです。わたしは、力を入れたので、ひざが固まりました。さあ、そのくらいすれば……。 もう、昼食の時も過ぎました。午後一時です。わたしも、もう昼食を食べて、出て行かなければなりません。皆さんも、できるかぎり早く出て行くのです。リ トルエンジェルスで行われるエンターテインメントに参席しなければなりません。 さあ、立ち上がってください。 (「統一の歌」を全体で歌う) (「梁昌植会長の先唱で、万歳三唱いたします。」) (万歳三唱) 皆さん、アンニョン! さよーなら! グッド・バイ! (笑い)(拍手)(敬拝)41 Family 2002.8<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.10
コメント(0)
第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.2/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部)<「文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)」からの続き> あなたは、新聞記者ですか? なぜ、そこに座っているのですか? 何かの鑑定班のようですね。(笑い) わたしは、言論人で、会ってみた人がいません。イギリスのBBCの編集局長が、韓国統一教会の青坡洞本部に訪ねて来て、インタビューをするというので、「イ ンタビューをして、何をするつもりなのか? 統一教会の手助けをしようというのか? 統一教会のために来たのか? この人は、出世するために、BBC会社の商売のために来たのではないか? なぜ、会おうというのか?」と言ったのです。 わたしは、言論人で会ってみた人はいません。数多くの言論人をつくって、"下人暮らし”をさせています。 UPI(通信)、世界で指折り数えられる人でも、いつだれを呼んでも、さっと飛んでくるようになっているのです。 日本の有力なマスメディアの人たちが、米国の大統領の記者会見のためにワシントンに行ってみると、会見席のいちばん前に座っている、いちばん上席の新聞社は何かというと、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ワシントン・タイムズです。 ところが、ワシントン・タイムズが、その真ん中に座っているのを見て、「あの真ん中に座っているのは、何新聞だ?」と耳打ちするのですが、それに対して、「それを知らないのか? ワシントン・タイムズ、レバレンド・ムーンに関連の新聞社だ。」と言うと、「ええ!」と言って驚いています。 まったく、皆……。知らなくて驚くのもよく、知って驚くのもよいのですが、知らなくても驚き、知っても驚く者たちが、なぜ大騒ぎしているのでしょうか? 優れた者、愚かな者、何が優れていて、愚かであるのか分かりません。何を知っているのですか? 愛を知っていますか? 真の愛です。分かりますか? それは、そのような特権があるのです。なぜ、特権があるのですか? そこに落ちれば、だれも出てくることができない力を持っています。抱き抱えるその味わいが、どれほど強いか、細胞も、すべて列を成して伸びていくのです。 真の愛は、そのようにできる力を持っているので、その力は、すべてを分析することができます。真の愛は何かというとき、説明することができるというのです。 さあ、ですから、神様も祭壇が必要なのですが、真の愛の祭壇がいくら大きくても、このくらいのものが一つだけあれば、手を出してしまえば、手を離すことができません。 あなたは、結婚していますか? (「はい、しています。」 )わたしが約婚してあげて、結婚したのですか? 皆さんが……。(「祝福を受けました。」)では、最初に女性と出会ってデートするとき、手を触ったときに電気が通りましたか? (笑い)尋ねているではないですか? 笑ってはいけません。常識的な話をしているのに、なぜ、笑うのですか? 電気が通って、何の感情もありませんか、鼻が開きましたか、目が閉じましたか? (「大きく開きました。」) おお! わたしよりも良いですね。(笑い)深刻なときは、目を閉じますか、目を開けますか? 驚くときは開きますが、深刻なときは、どうですか? 皆さんは、妻と愛し合うとき、愛する妻の顔を、目を丸くして、こうして、こうして見詰めますか、目を閉じますか? 答えなければならないでしょう? (笑 い)答えずに笑ってばかりいて、それでよいのですか? それでは落第でしょう。 さあ、このような話をしていては、一日たっても……。皆さんが、ご飯を食べなくてももっと聞くのが良いと言うので……。わたしには、そのような魅力があるというのです。魅力です。心から離れず、味わいのあるのが魅力です。 それでは、妻が好きですか? (「はい、好きです。」) 何が好きなのですか? (笑い) こうであるからと……。何が好きなのかというのです。(「すべて好きです。」) その中で、何が好きですか? 目が好きですか、鼻が好きですか、何が好きですか? (「心が好きです。」) 何ですか? (「心が好きです。」) 愛が好きですか、心が好きですか?(「愛が好きです。」)愛ですか? 心ではなくて、ですか? (「心も好きで、すべて好きです。」)ですから、どちらが一番なのか、というのです、この人は。統一教会の子供たちは、そのようなことを、すぐに答えることができてこそ、どこに行っても好待遇を受けられるのです。 ここには、優秀な人がたくさん集まっているので、わたしが選んで、話をしてあげているのです。では、ここに来た人たちは、愛が好きですか、心が好きですか? (「愛が好きです。」)わたしは、心が好きです。 (笑い)そのように言えば、「あの狂った先生。荷物をまとめて出て行こう。」と言って、皆、出て行くという のです。 いくら騒いでも、「好きなものは好きだ。」と言うときには、「悪口を言われても、好きだ。」と、そのようになるのです。分かりますか? 教育は、良い話ばかりをして教育すれば、よいのですか? わたしのように、激しくたたいても、ばたばたはって行きながら、喜んで、笑いながらはって行けば、よいのです。そうでしょう? それが幸福な人です。逃げて行きながらも、喜んで……。 他の人は、“死ぬ。”と思って、目を見開いて逃げて行き、五官が麻痺して逃げて行くのですが、笑いながら、ふわふわ踊りを踊り、「やあ、このようにすることができるのだなあ。」と言えば、それは、幸福な人です。 何が好きですか? (笑い) (「愛が好きです。」)愛が、どこにありますか? (笑い)愛が、どこにあるのか知らなくても、「愛が好きだ。」と言うのならば、どこにあることを好みますか? (「生殖……。」)これはまた、何ですか? 生、生殖……。(小さい声でまねをされる) 大きな声で言わなければならないでしょう? (笑い) 生殖器が愛ですか? (笑い) 笑いごとではありません。 率直でなければなりません。率直は、万国の法に通じます。はっきりと教えてあげるために言うのですが、 日本人は、得意げに、"自分たちは何でもうまくできる。”と考えているようですが、そのように考えてはいけません。できないことはできず、上手なことは上手だと教えるのです。 日本人の愛が、生殖器……。生殖器が、どのようになっていますか? 愛を見れば笑うのですが、生殖器を見て笑いますか? 愛を語れば、男性も女性も皆、笑うのですが、男性と女性が生殖器を見れば、笑いますか? 尋ねているではないですか? わたしも分からないので、尋ねているのです。(笑い) 答えに困るでしょう? 笑うこともでき、笑わないこともできます。では、笑うときが多いですか、笑わないときが多いですか? それでは、愛するときが多いですか、小便をするときが多いですか? (笑い)それをどのように答えたらいいのですか? 笑ってはいけません。 そのようなことを、すべてわきまえて、天地の善なるものを、すべてをわきまえたので、今日の世界のえたいの知れない者に対しても、「やあ、この男と女たちよ! わたしの言うことを聞きなさい。静かにしなさ い!」と言えるのです。 わたしは、そのように生きています。なぜでしょうか? 尋ねれば、三言も答えることができない者たちに、何ができるのですか? では、皆さん。文総裁に出会ったことは、良かったのですか、悪かったのですか? (「良かったです。」) 何が良かったのですか? 悪口を言われたではないですか? (統一教会に入ったことによって)追い出されたでしょう? (入教した子供を) 親が拉致していくのです。まったく、日本でも、親によって四千人近い拉致事件が……。 米国の国務省には、そのような問題に関連して、日本人が野蛮の中の野蛮な民族であるという材料が、このように積んでおいてあるのです。それを持って来ましょうか? 文先生が、何も知らないで悪口を言われていると思いますか? ライオンは、アフリカの暑い平原の中で、一尺以上高い所に座っても眠るので、自分に関係のない話は聞こうとしないのです。自分の所属ではないからです。 分かりますか? ですから、悪い話を知って、何になるのですか? 自分が生き死にする世の中で、地獄の祭物で倒れていく……。それは、倒れていくようになっています。さすがの文総裁も、悪口を言えば、闘い疲れて、いなくなると思ったでしょう? 言論界が四十年の間、反対をしても、文総裁は、どんどん大きくなっていきました。どんな人であっても、言論界から一月間だけでもバッシングされれば、逃げて行くと思いますか、思いませんか? 文総裁は逃げて行きません。 真っ暗な夜に、黄金の光が稲光のように輝いて、それが敵地の監獄の中に入っていったからといって、その黄金の光が白くなりますか、変わりませんか? 変わるでしょう? どうですか? 答えてみてください、 日本の人たち。 日本が、どれほど変わりましたか? どれほど変わったか分かりません。変わったものをもって、変わったものを中心として築き上げても、それは無に帰してしまうのです。すべて無駄骨です。 その消耗したものは、すべて文総裁の前に過ちを犯したことになるので、蕩減しなければなりません。それで、反対され、蕩減したすべてのものを積み上げて、れんがの家を建てるのですが、それが、今や高い建物となりました。ですから、今からは、わたしについて来ない人は、いなくなるようになっているのです。 ところで、ここには、日本の人と韓国の人が集まっているのですが、なぜ、わたしが大騒ぎしているのですか? 何があるといって、何が得るものがあるといっ て……。お金がもらえるのですか、おもちがもらえるのですか? 何がもらえるのですか? このような話をすれば、"ああ、教主ともあるべき人が、公的な席に出て生殖器の話をし、悪口を言い、ありとあらゆる話をしている。わたしの国では、そのような法はない。”と思うかもしれませんが、そちらの法のほうが”滅びる法”なのですから、なくてかまいません。 この世の中では、十ドルで「こっちに行きなさい。」、「あっちに行きなさい。」と言い、行かなければ問題が起きるでしょう? それでは、日本人も、文総裁が必要ですか? “文総裁が必要である。”という人は、手を挙げてください。皆さんは、なぜ、他の人を見てから手を挙げるのですか? なぜ、顔を横に振ってから手を挙げるのですか? あの人も、そうです。高い所に座って、そのように振り返って見ているのですか? 自分の心に尋ねて手を挙げるのでしょう? このように、きょろきょろしながら、最後に挙げるのですか? では、文総裁が好きですか、愛していますか? (「愛しています。」)皆さんのお父さんとお母さんは、どうするのですか? お父さんやお母さんよりも、もっと好きですか? もっと愛していますか?(「もっと愛しています。」)この女性たち。 ですから、その国から追い出されなければならなくなるのです。これは、いくら治そうとしても、注射を打っても、皮をはいで、はげわしの餌にして、その骨肉までとらの穴に置いておいても、においもかがず、食べもしません。変わらないのです。 ですから、拉致しても、いくら閉じ込めたまま何か月の間、ほうっておいたとしても、いずれ行くべき所に行ってしまいます。門さえ開けておけば、どこに行くのですか? 文総裁といっても、文総裁には何もありません。(何もない、からの)手のひらしかないというのです。 普通の男性のように、目、鼻、耳、胸もあります。へそもあります。それがなければ、狂っているというでしょう? 何がありますか? 生殖器がありますか、 ありませんか? ありません! ありませんか、ありますか? ありませんか、ありますか? この日本の人たち!(「あります。」) 悪口を言って、初めて答えますね。そのような国は、長くもちません。何万年、何億万年……。分かりますね? かわいらしい女性たち。顔を見れば、自分の顔が好きですか、好きではありませんか? (笑い) ”よい。”と考え、美人である。”と考えたら問題です。美男美女の息子、娘を持った父母は、息子、娘を見れば……。 韓国は、そうです。自分の子供に対して、「この出来損ないめ。」と、反対のことを言うのです。なぜかというと、親までもが、自分の顔を称賛してくれれば、"お父さんとお母さんは、このような顔を持ったことを称賛したので、私が思うには、点数をつけるなら、自分が百点なら、お父さんとお母さんは四十点にしかならない。」と思うからです。 女性が化粧をし、きれいに着飾って、東京の銀座のような所に行って、通りを歩いていけば、その周囲のハンサムな男性たち、どろぼうのような男性たちが、ついて来るでしょうか、ついて来ないでしょうか? そのような者たちは、最初のうちは、"へへ、よしよし。どうぞ、どうぞ。”と、いい顔をして近づいて来るのですが、そのような男性が来たならば、歓迎しますか? 女性の力がいくら強くても、いったん、くっついてしまった後には、引っ張られて行かなければならないでしょう? そうなれば、危険です。 ですから、何をもって、そのように堂々としていられるというのですか? 母親よりも称賛され、父親よ りも称賛され、先生よりももっと称賛され、その国の美人大会で一等になり、世界美人大会の候補者になったとすれば、日本では、どこに行っても、自慢して大 騒ぎするでしょう? そこに金銀財宝があれば、あるものをすべて売りとばし、きれいに装って、唆そうとするではないです か? そのようにすることができる素質は、女性たちにありますか、ありませんか? あなたもあるでしょ う? 率直に。(笑い)笑わないでください。笑うのは、詐欺的な手法です。隠して……。 それでは、先生のように八十三歳(数え年) になったおじいさんが、そのようなことを知らないでしょうか、知っているでしょうか? 世の中に出て、経験もたくさんしました。世界を回りながら、数多くの国の指導者たち、男性、女性、あらゆる人種にすべて接してみたので、あれはどのようなことを考え、どのように生きているのか、ということが分かるというのです。 先生には、そのようなものがあるので、超国家的な若者を集めて、相対関係を結んであげるのです。分かりますか? どのようにして、相対関係を結んであげるのでしょうか? 顔には目、鼻、口、耳と四種類あり、顔にある穴は七つですが、それで、どのように分かるのでしょう か? そのようなことを知っています。専門家になっているのです。専門家です。目をつぶっていても、手で分かり、足で分かるのです。 この人は、愛をよく知りません。(笑い)愛とは何かというと、その愛は、宇宙を創造することができ、国もつくることができ、自分の愛する息子、娘もつくることができ、男性の前に女性、妻もつくることができ、男やもめに配偶者もつくってあげることができる、そのような本宮が生殖器です。 それは、愛の先祖の基です。分かりますか? 生殖器とは、愛の先祖の基のことをいうのです。一度、言ってみてください。言ってみてください。 生殖器は、愛の王宮です。(「生殖器は、愛の王宮です。」)先祖の地が、王宮なのではないでしょうか? 生殖器は、生命の王の基、生命の王宮です。生殖器は、血統の王宮です。血統を知っていますか? 先ほど、「(真の)万物の日」の先生のみ言を、しっかりと聞いたでしょう? 皆さんが残しておいたものが、ありますか、ありませんか? 皆さんのものがありますか、ありませんか?(「ありません。」) さあ、韓国人は、話を聞きましたか? (笑い) 話を聞いたのですか? 今まで話したことは、簡単です。 「女性にとっての宝は、男性のために生き、男性のために死ぬというところに宝があり、男性が王よりももっと貴く、女性が、男性のために生まれ、男性のために死ねば、王の皇后以上の恵まれた立場に立つようになる。」と、言ったのです。 それは、良い話です。分かりますか?「”ため”に生きるということが、より幸福である。」というのが、結論です。その一言で、万事がオーケーです。「オーケー」とは……。(拍手) 一時間話したことを、約一分間で結論づけることは簡単だというのです。 より”ため”に生きる人は、神様を「友人である。」と言うことができ、神様の頭のてっぺんに上がって行っても、神様が、「やあ、降りて来ないで、もう少しいなさ い。一年間でもよい。」とおっしゃるならば、それは幸福ですか、不幸ですか? (「幸福です。」) ですから、よりために生きるところには、闘いがありません。よりために生きようとするところには、平和だけがあり、幸福だけがあり、喜びだけがあり、涙がありません。そうですか? 本当ですか? (「はい。」) 皆さんの家庭で、夫婦でけんかをしますか? この女性たち。それでは、間違っているでしょう? この ような女性たちがいて……。 一言、言うならば、女性は、「わたしは、本来、男性に奉仕し、従順にし、美しく見せるために生まれたので、死ぬまでは、そのようにする。」と言うならば、恐ろしい所、どのような所に行っても、そのようになれば、そのような女性によって占領されない所はない、というのです。 顔がかわいらしく、純真で、このような美貌を持ち、美しくあれば、世の中に嫌うものがありません。わたしのような人であっても、好むというのです。(笑い) あまり、そのような度を越した笑い方をしては、困るではないですか? 興味を引くときだけ、そのように関心を持って聞いています。横を見て、そのようにするのは、"それをすべてやめて、私を見てください。”ということです。ですから、今、見ました。 人よりもよくけんかをする夫婦を、平和にすることは、簡単です。よりために生きることができる……。 一秒間、三秒間、長くても十秒間我慢をして、ために生きる心を持っていけば、万事に通じます。それは、可能性がある話ですか、可能性がない話ですか? (「可能性がある話です。」) それは、可能性だけですか、絶対性に一致しますか、一致しませんか? やってみるのです。十五分間、三十分間だけ我慢してみなさい、というのです。けんかなどの事件が起きて、男性の気分が悪ければ、そのようなときは、女性の顔を見ずに、トイレに行くのです。 自分の三角地帯を見下ろして、「おい、おまえ。起きているか? 起きているか? 行こう、行こう。」と言っ て、便所に行って十分もすれば、さあっと、気分も良いでしょう。首に力が入って、完全に怒りが爆発しそうだったものも解けて、気分も良くなります。 そうして、妻から「ああ、なぜ、そのように飛び出して行ったの?」と尋ねられても、「あなたが、わたしの気分を悪くさせたので、ここに力が入ったのだが、すると、ここが爆発しそうで漏れそうだったので、しかたなくトイレに行った。」と言えば、妻も笑うのです。 妻は、十五分の間、怒ってぷんぷんしながら、夫が帰って来ることを願ったでしょうか、死ぬことを願ったでしょうか? 十分間を過ぎれば、"何か事故が起きたのか?」と思うことでしょう。 それで、心配になって行ってみると、夫は、トイレの中で、座って笑っているというのです。なぜ、笑うのでしょうか? 気分が良いからです。 夫は、妻が夫が死んだのかもしれない。”と思って、間違いなく捜しに来るに違いないと思っていたのですが、案の定、捜しに来たのです。夫としては、「やあ! 万歳!」です。そのようなときこそ、拍手してください。分かりますか? 一度、訓練であると思って、拍手してみてください。この者たち。(拍手) けんかをしているという事実は、統一教会の原理原則に違反することであり、滅びる者たちです。「よりために生きなさい。」と言っても、妻が国の怨讐というわけでもありません。“もう一さじ食べたい。”というならば、(自分が)食べなければよいのであり、憤って、一言言いたいところを我慢すればよいのです。 そのようなとき、妻は、「私の夫はりっぱです。ありがたい。」と言って、飛び込んで来るでしょうか、逃げて行くでしょうか? 百回、そのようにすれば、百回、骨の中まで飛び込んで来るはずです。 ですから、「私は、先生から学んだので、百回でも我慢しよう。」と考え、それが千回に及べば、「私は、もう千回、我慢しよう。」と考える、そのような家に、けんかがありえるでしょうか? さあ、きょう、(先ほど訓読したみ言を)わたしも聞いてみると、自分で感嘆しました。何年前に話したのですか? すでに三十年以上前に、そのような話をしたのです。 その時の環境は、世界が文総裁を称賛するような時ではありません。最後の境界線に来て、死ぬか生きるかというとき、自分が死ねば、この真理を残さなければならないのです。そうして、"この真理は、永遠の未来の世界にとって、絶対に必要な真理である。”ということを知っていたので、命を懸けて宣布した話であるということを、皆さんは知らなければなりません。 その時に、歓迎する人は、一人もいませんでした。 国が反対し、世界が反対しました。真夜中のような時代に、“朝の太陽は、何時に、いくらもたたないうちに昇ってくる。”という希望とともに宣言したことが、約四十年を経て、すべて……・。四十年という歳月は、永遠の歴史時代にあっては、ほんの一瞬です。そうでしょう? この中で、統一教会の信仰を持ってから四十年以上になる人は、手を挙げてください。小山田氏。 きょう、先生が教えた中心的なことは、何でしょうか? 堕落した人間には、一切の所有権を認めることはできません。それを認めれば、それは、天法に引っかかります。その天法は、永遠不滅の天法であるので、それに引っかかれば、“永遠不滅」に引っかかったことになるのです。 なぜ、そのようになるのでしょうか? 堕落前には、神様の存在、神様の所有権しかありませんでした。それが、堕落によって、神様のものが、怨讐サタンのものになってしまったのです。 その怨讐とは、何の怨讐でしょうか? 愛の怨讐です。愛の関係を結んだ場合には、その関係を結んだものと、所有権を共にするようになり、所有権が決定さ れるようになるのです。 ですから、神様の前には、たたえるべき息子も娘もなくなってしまいました。そして、神様自体が追い出されてしまったのです。 アダムの妻として、神様の妻として迎えようと、二日後には結婚すべきであったエバが、その直前に、怨讐によって汚され、連れて行かれて子供を生んでしまったという結果になってしまいました。 神様は、その女性(エバ)のために、すべてのもの、すべての財産を伝授し、相続させてあげようとしていたのですが、そのすべてのものをなげうってしまい、サタン圏に捨ててしまったのです。それを、自らその主人として使っているというのが、サタン主管圏の世界なのです。神様のいちばん嫌われるものは、それです。 ですから、宗教圏においては、「国を離れよ、出家せよ。」と言うのです。すべてを放棄するように命令し、「独身生活をせよ。」と言うのです。偽りの血統を元返すためには、神様に属する真の愛と、真の生命、実体を再び復帰しないと、永遠に神様の伝統的血統をつなげる道はありません。真剣なものです。 もしも、一人の男性が神様と同じような環境に立った場合には、どうするでしょうか? 怨讐にさらわれていった、妻となるべきであった女性が、十年、二十年、万年の後に来て、『この者たちは皆、繁殖した、たくさんの人類は皆、あなたの子供です。』と言った場合には、その旦那さんはどうしますか? きっと、『このやろう!』と言って、サタン、奥さん、子供を、"一気に全滅させても気がすまない。”という思いになるでしょう。<以下、まだ未校正のままです。ご不便をおかけしています。> そのような心情圏に立たれながらも、それを自分の直系血統以上に愛さなければ、元返す道がないという心情を持たれた神様であられたのです。そのようなことが分かった場合には、申し訳ない、申し訳ない、申し訳ないという立場に立たざるをえません。 その悲惨な人生行路の決着点を解決しなければなりません。この滅亡からの宿命的な解放をいかにするか、です。 ですから、救世主は何を持っているのかというと、真の愛と、真の生命と、真の血統であり、それをつなげる者が、救世主です。刑法の条件に引っかかった場合には、その罪は、神のほう、国のほうに、それ以上の利益をもたらす内容を満たさなければ、赦しであるとか、救済するということはできないということは、理論的なことです。 それゆえに、自分の直系の子供以上にカインを愛するとするならば、自然屈伏するのです。サタン自体は、愛によって堕落しました。サタンは、「神様は、アダムを自分よりも愛していらっしゃる。」と言って、愛の反発心から堕落したのです。 ですから、神様が自分の子供以上、その国以上に愛する心情を持ってサタンに対された場合には、サタンは、その前では、自動的に自らの良心を高めて、自然屈伏せざるをえません。なぜならば、そのような神様に逆らう存在は、宇宙すべてにおいて存在しないからです。そうして、サタンも、その前に自動的に屈伏するのです。 よって、自然屈伏させる服従圏を満たさなければ、救済の道を目指すことはできません。それは、なかなか難しいことです。神様は、そのようにされながら、実子直系の子供と家庭を願ってこられたのです。そのことを考えなければなりません。 ですから、「死なんとするものは、生きる。」です。 "生きん”とする者に、生きる道はありません。神様ご自身が、そのような立場に立っておられるということを考えなければなりません。 そうして、そのような神様のすぐ後について行くような決意で、すべてのものを犠牲にしたとしても、そのことだけは立たせていくというところにおいて、すべては解決するのです。そのような標題の下に救援摂理を成してこられた神様は、いかばかり悲惨なおじいさんであられるでしょうか? 分かりましたか? (「はい。」) 日本の国全体を合わせても、それは比較対象になりません。万民、万世において、そのような悲惨な立場をこらえながら、凌駕するのが、毎日の宿題です。一 歩前進、一歩前進。いくら犠牲を払ったとしても、その前進の進み方を止めることはできません。 そのような重い歴史的な荷袋を背負ってきたのは、 創造主ではありません。真のお父様であったのです。それを発見した暁には、いかばかり躍動しながら喜ぶべ きでしょうか?「万歳」を千年、万年、叫んでも、またのどから自動的に万歳の叫び声が出てくる、そのような喜びに浸るのです。 そうして、解放、解放と、神様とともに「万歳」を叫んで、天国建設の勇士として、日本全地を凌駕して "神の国につなげるのである。”と決意し、渋柿の国を甘柿の国に接ぎ木させ、"自分は、そのためのハンダになり、溶接機になって一体化させるのだ。」と決意するのです。 それを成すことは、並々ならぬことですが、成さねばなりません。「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。 成らぬは人の為さぬなりけり。」です。それは、統一勇士の最後の生死を決する、その絶頂を凌駕するうえでの宿題となるべき表現です。分かりましたか?(「は い。」)<3/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ (韓国人食口に向かって)さあ、ここに座っている耳の聞こえない人たち。皆さんは、なぜ、皆……。先生が、日本語で語るときには、韓国語でも通訳しているのに、なぜ、イヤホンを持っていないのですか? お互いに授け受けしなければならないでしょう? 準備もせずに……・。 皆さんは、”先生は、与えることを好み、もらうのが嫌だ。”と考えているのではないですか? そこ、分かりますか? 寝るなというのです。 昼の十二時以降に食事をしては時間がないので、1 時間以内に、全世界から集まった人たちと会議をするようになっているのですが、その会議の時間を撤廃することにします。Family 2002.8 32
2024.11.06
コメント(0)
第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部) わたしたち統一教会には、長い歴史をかけて、天地全体をかけて宣言した「宣言文」が多いのです。 それは何かというと、天と地、すべての宇宙をかけて、"行くべき道はこうである。”という、その標本に 従って線を引いたものです。横的に引く道、縦的に引く道、九十度を中心として引き、球形世界を完成化し、その球形世界のコア(核)のような、エキスのような位置に、神様を臨在させるための原則の道理に合うように宣言したのです。 サタンが、この縦的なものを、すべてばらばらにしてしまい、横的なものをばらばらにしてしまい、九十度の基準を中心とした三次元の面を、すべてばらばらにしてしまいました。そのように、偽りの父母が、ばらばらにしてしまうことによって、神様の代わりに、サタンが、この世界を支配していたのです。 それを、そこに新たに真の父母が現れて、本然の縦的基準を成してきたということではなかったでしょうか? サタンがいくら反対しても、反対することができないこととは、何でしょうか? また、それは、なぜでしょうか? 神様は、被造世界をそのように(本然の縦的基準に沿って)創造され、"被造世界とは、そのようなもので ある。”と見ておられます。そうであるにもかかわらず、サタンは、神様がそのように創造された、それ自体を破綻させようと、歴史過程において反対してきたのです。 神様は、そのような事実についてご存じであり、サタン自身も知っています。ですから、そのような神様がいらっしゃるので、サタンに対して、「縦的基準というものは、原則は、これではないのか?」と言うときには、サタンは、「はい、そうです。」と答えざるをえないのです。一度、言ってみてください。(「はい、そ うです。」) そのような約束どおりに、事実どおりに宣言したもの(が、統一教会の宣言文)です。天と地、悪魔と世 の中の罪ある何者も、それを否定することはできません。何人も否定することができない、このような核を宣言したものが、わたしたち統一教会における多くの 宣言文であるということを、皆さんは知らなければなりません。 サタンに対して、「それでは、横的基準についても、 これこれこのようなものは、おまえが願ったものではなく、本来、創造理想的根本の原則において願われて いたものではないのか?」、「これは、天地が生じる前からあったのであり、天地が生じるとき、その核心となったものではないのか?」、「天地をすべて完成して、 その核心的な主人となることができるものは、“見えな い神様”ではなく、実体の"見える神様”である真の父母ではなかったのか?」と言うときには、サタンは、「違います。」と言うことはできません。「そのとおりです。」と言うのです。 それで、(先ほど訓読したみ言では、)「(真の)父母の日」を宣言するための内容が具体的に明らかにされており、「(真の)子女の日」なら「(真の)子女の日」についても同様であり、「(真の)万物の日」がどのようなものであるかという事実についても、今、皆さんは聞きました。 このようなみ言をじっと聞いてみると、他のあらゆるみ言も必要ですが、「(真の)万物の日」一つだけを取っても、その価値は、量り知れません。 そのことで、すべてに精通しているごとく、「自分は主人になった。」と言い、「神様のものでないものがなく、真の父母のものでないものがなく、『宇宙全体が、わたしのものである。』と言うことができる、その位置に定着し、億千万世の時が流れ、すべてのものが変貌し、変わったとしても、変わりうる環境条件を収拾し、尊厳ある主体性を中心として、千代、万代、定着権威を持つことができる。」と言ったときには、天地は、何と答えるでしょうか? また、「それは、創造理想的な完成の結果であったのではありませんか?」と尋ねるとき、神様が心か ら考えられることは、どのようなことでしょうか? それは、「そのとおりである。」ということです。そして、思想的思考を通して、相対として現れた、極めて小さな被造物から大きな被造物に至るまで、海のものも陸地のものも、天上世界にあるすべてのものまでもが、「そうです。」と答えることでしょう。 一度、言ってみてください。(「そうです。」)そうです! (「そうです。」)口だけで言いましたか? それとも、心と体と考えを重ね合わせて、「そうです。」と言いましたか? 「このような宇宙の一つの核として、その中心自体であることに間違いありません。そうです。」と、言うときには、そのような存在は、宇宙の中心となり、神様の愛を完成させることができ、神様よりも、もっと必要であるというのです。 そのように、“愛の完成に必要な万物の実体的主人が、人間である。”ということを思うとき、その人間自身が、心と体と思想が一体となったその場において、自分自身の産毛までも、「そうです。」と言うのを感じながら答えましたか、答えませんでしたか? (「答えました。」) うそをついては、いけないでしょう? 尋ねると、決まって「そうです。」と言うところを見ると、“先生について行きさえすれば、よい。”と考えて……。 言葉について行ってはいけません。言葉は、実体を形成します。実体は、全体を動員することができる能力があるのです。それは、神様だけではありません。宇宙全体が実体的な主体となり、対象となるときは、宇宙全体が左右、上下、前後の歩調を合わせなければ、相対的理想の場から追放する宇宙力があるというのです。 そのような主人がいる、ということを知らなければなりません。見えない宇宙力が、そのような者たちを除去するようになっています。 皆さんは、父母が死ぬと、なぜ悲しく、夫がいなければ、なぜ悲しく、愛していた者を失えば、なぜ悲しいのでしょうか? “主体・対象基準”の中心の核と、心と体が一つにならなければなりません。心と体が一つにならなくてはいけないのです。 このように見るとき、心と体がとどまる位置、その位置は、考えまで一つになる”心身一体”の位置であ り、その位置において、自分が動じ、静ずることができるというのが、万有存在の実情であるというのです。 そのことを考えるとき、その万有存在の実情の主体となり、主人となる人間自身に関係するすべてのものが、ここに同化し、一体となった場において、動じ、応じ、答え、喜ばなければならないというのが、天理の原則です。 ですから、皆さんが、先ほどの問いかけに対して、そのような”心身一体”、“一心一念”を中心として答 えたのかと尋ねているのです。そのように答えましたか、答えることができませんでしたか?(「……。」) なぜ、静かなのですか? いくら大きな人でも、産毛一本であっても、つかんで引っ張れば、その痛みがないようにするためには、引かれる方に行かなければなりません。分かりますか? 我慢して、「切れるなら切れろ。抜いてどうするのか? やってみなさい!」と言えば、そこには、鍼が打たれるようなものです。そうなれば、すでにそこに傷を残したということです。 それでは、産毛や一身のすべての骨が統一され、一つになって、”心身統一〃、それから何ですか? ”信念統一”です。一心、一体、一念です。そのことを知らなければなりません。神様を中心として……。 神様が、どのようになっていらっしゃるのかというと、一つのものを中心として、心と体が一つになっていらっしゃるのです。分かりますか? 心と体が一つになったところにおいては、考えも一つになっています。 皆さんが、日常言うことは、「言行心事(言行と心に思うこと)を正しくしなければならない。」ということです。「言行心事」です。言葉と行動と「心事」ですが、「心事」とは、何ですか? 心と事が、一つにならなければなりません。そうしてこそ、それが公的なものとして保護し、証しし、 宣伝することができるのであって、そうでなければできません。 ですから、心をだまし、体をだまし、考えを偽って生きる人は、それがいわゆる「堕落した世界」であり、「堕落した万物」であるということです。 堕落していないものは何かというと、心と体と考えが一致して一体となり、ここを見ても一つであり、 あそこを見ても一つであり、また、下を見ても、上を見ても、前後左右、球形に見ても、核心の位置も「一つである。」と言うことができるもののことです。 そのようになるとき、神様は、そのような立場に定着されるようになるのです。そのことを、皆さんは知らなければなりません。"一心”、“一体”、“一念”です。言ってみてください。(「一心、一体、一念。」) 心を持っていますか? 何ですか? 尋ねたら、答えなければならないでしょう? 心を持っています か? (「はい。」)心が二つですか、一つですか? (「一つです。」) 心は、二つでしょう? なぜ、一つですか? 悪なる心と、善なる心があるではないですか? それから、 体も一つですか、二つですか? 悪なる体、善なる体。二つですか、一つですか? また、考えも、善なる考え、悪なる考え。二つですか、一つですか? わたしたち自体について考えてみるとき、心は、わたしたちの目に見えないので、分かりません。心に五官があるということが、分かりません。分かりませんか? 答えなければならないでしょう? 分かりますか、分かりませんか? 卒業証書をもらって、学位をもらうことができるようになれば、それにふさわしく、過去に学んだものはすべて知らなければならないのですが、分からなければ、それに対する罰を受けなければなりませんか、受けてはなりませんか? ですから、今まで、心が一つでしたか、二つでしたか? 体が一つですか、二つですか? 考えが一つですか、二つですか? 全員、黙っているということは、”心が二つ、それでよい! 体が二つ、それでよい! 考えが二つ、それでよい!”と、思っているということです。 そのような状態が、人と言えますか? 人だけが、心が一つなのです。人だけが、体も一つです。人だけが、考えも一つです。それを否定する人は、手を挙げ てください。 きょう、「(真の)万物の日」の記念日に、「清平に来なさい。」というので、"何か福をくれる。”と思っていたのに、手を切ったとすれば、その息子、娘や親戚、その国の民が、それを聞いて、「あの清平に行きなさい。」 と言うでしょうか、「行くな。」と言うでしょうか? 答えてみてください。(「『行くな。』と言います。」)「行くな。」と言うのです。 それでは、行かなければ、天国は、どこから行くのですか? 清平を通さずに、天国に行くことができますか? (「できません。」)清平は、"清くて平らな所である。”ということです。分かりますか? 名前が良いのです。 「文鮮明」という名前の「鮮明」とは、何ですか? 「鮮明な朝」と言うでしょう? 「鮮明」とは、太陽が、明るい光の方向性をサーチライトのように発散するときに、「鮮明な朝日」と言うのです。その名前は良いですか、悪いですか? (「良いです。」)太陽には黒点があるのですが、黒点に覆われてはいけないでしょう? そこに何、鮮明ですか? 「文鮮明」でしょう? 「文」という字は、何ですか? (「文章の「文」です。」)文章の「文」ではありません。祭壇の「文」です。祭壇の上に祭物を置いて支えているのが、「文」という字ではないですか? 分かりますか? 何の「文」ですか? (「祭壇の『文』です。」)祭壇の「文」です。 神様は、堕落した世の中に祭壇が必要ですか、必要ではありませんか? (「必要です。」)何の祭壇ですか? 何の祭壇が必要ですか? 簡単でしょう? 息子、娘の祭壇です。息子の祭壇、それから夫婦の祭壇、三番目は、子女の祭壇です。それ以上は、必要ありません。 皆さんは、それ以上、必要ですか? さらには神様まで。愛の前には、神様まで一つになって、父母の祭壇です。もう一つ、するのです。 真の愛は、父母の祭壇、夫婦の祭壇、それから何ですか? (「子女の祭壇です。」)自分の祭壇は、ありませんか? 男性の祭壇、女性の祭壇です。自分の祭壇、夫婦の祭壇、子女の祭壇です。祭壇が必要です。祭壇とは何かというと、まっすぐなものの上に、載せておくのです。 その祭壇の代表が何なのか、というのです。神様も代表であられ、自分も代表であり、家庭も代表であり、夫婦も代表であり、息子、娘も代表なのですが、その全体の代表、中心とは何ですか? それが何ですか? その中心は、何ですか? 宿題です。クイズです。 それを、何と言うのですか? それが、何ですか? (「真の愛です。」)何ですか? (「真の愛です。」) 真の愛とは、どのようなものですか? 真の愛とは、どのようなものでしょうか? 真の愛とは、何ですか? ”ため”に生きて忘れること、それもそうでしょう。 「それも、真の愛である。」と解説することができます。 本当の真の愛とは、何ですか? 神様も、そこにはまれば、出てくることができません。分かりますか? そうなのです。わたしも学びました。神様も、そこに落ちれば、出て来られることができません。そこから出てこようとすれば、天下が、すべて離れていきます。 そのように、天下がついて回るので、神様も離れません。また、自分個人が落ちても、恥でも何でも知ったことではありません。出てくることができないのです。女性も……。女性は、そうではないでしょう? 変わることを好むのが、女性ではないですか? 人間とは、何ですか? 「人心は朝夕に変わり、山の色合いは古今を通じて同じである。」というような言葉が、物の本には書かれてあります。変わることを好むのは、女性ですか、男性ですか?(「女性です。」)女性です。 男性は、どうですか? 男性は、変わることを好む女性について回りながら、変わろうとしますか、つい て回りませんか? この女性たちは、変わることを好む男性が、ついて回る。」と思っているのですが、それは、間違いです。なぜですか? 男性も、はまれば出てくることができません。女性も、はまれば出てくることができません。息子、娘はどうですか? (「出てくることができません。」)息子、娘も、出てくることができないのです。ここに落ちて、出てくることができる存在はありません。 先生(真のお父様)は、どうでしょうか? (「出てくることはできません。」)わたしも、皆さんに似たの です。(「神様に似ていらっしゃいます。」)神様に似てもよく、皆さん……。また、男性、女性、息子、娘、すべて、そうではないですか? 神様が持っていらっしゃるものを、すべて持っているでしょう? 神様には、眼がありますか、ありませんか? 分かりますか? 真の愛とは、何ですか? 真の愛に、髪の毛一本でも引っ張られれば、引かれていくの です。それゆえに、神様も、(真の愛に) 落ちれば、出てくることができません。いくらやっても、出てくることができないのです。千年やっても、出てくることはできません。神様が、そうでいらっしゃるというのです。何に間違って落ちても……。 愛に誤って落ちるようになれば、逆さまになったものを、思いどおりに、まっすぐにすることはできません。まっすぐにすれば、天下がすべて踊りを踊り、歌を歌いますが、四方の方向が異なるというときには、億千万世、その姿のまま捕まって、出てくることができないということです。理解できますか? このようにしてもよく、あのようにしてもよい、というのが、愛ではないでしょうか? 愛だけは、鉄則において、このようにしてもよく……。そのうえで、このようにしてもよく、あのようにしてもよい、というのが、真の愛というものです。 愛は分からなくても、そのような本性があるので、すべての万物は、その愛を訪ねて出会うことを願うのです。出会うのも、逆さまに出会おうとしますか、正しく出会おうとしますか? 歩くときに、このように(腰が平衡にならずに)曲がって歩く人が、よいですか? このように歩く人がよいですか? このように歩くのがよいですか? (笑い)あらゆる人がいるでしょう? このように歩く人、このように歩く人、まっすぐに、さっさっさっさっと歩く人……。 これが、すべて合わなければなりません。垂直に合わなければなりません。歩くときに腕を振るのは、四十五度の角度です。それは、なぜ、そうなのでしょうか? 人は、そのようにしてこそ、正しいのです。 垂直がなければならず、上下がなければならず、左右がなければならず、前後が四十五度です。分かりますか? それが、そのようにバランスを取って、球形になるのです。 そうして、球形になってこそ、このように回っても、 このように回っても、このように回っても、永遠に変わらずに、それ自体がそのまま残り、だれもが永遠に保護してくれるのです。天運が、そうです。 ですから、少しでも間違えば、苦痛が生じます。宇宙の力が追い出すのです。そのような公式法度によって、運動する中央の位置に立ち、そこで暮らそうというのが、存在物たちの存在様相です。これは、宗教観念の世界において言われていることにも合い、運動法則の科学世界においても合致する話です。分かりますか? まゆ毛が、一つはこのようになり、もう一つがこのようにゆがんでいれば、どうなりますか? 独身の若い男女が、時が来て、結婚する年になったので見合いをしに行くというときに、まゆ毛が、このようにゆがんでいれば、どうなりますか? 女性がそうであるならば、男性が見るとき、"あの女性は、なぜ、あのようになっているのか?”と思うのです。また、目がこのようにずれていれば、どうですか? あの女性は、どうしてあのようになったの か?」と思い、鼻が曲がっていれば、"あの女性は、なぜ、あのようになったのか?”と思うのです。 先生が歩くときに、さっと、(道を外れて)このように歩けば、どうしますか? (笑い)いけません。中の 方へ押し戻してあげなければなりません。このように行っても押し戻してあげ、このように押し戻してあげ、 そのようにして、この間の道をまっすぐに行きなさい、というのです。そうでしょう? 九十度、九十度、四十五度で作動するのです。 足が、このように行けば、足も合わせてくれるということです。そのようなことを、初めて知ったのですか? 学校では教えてくれないのですか? さあ、「(真の)万物の日」なので、人間は、(神様の) 実相的存在であり、万物を代身することができる標本的な実相なのですが、これらを見るとき、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? ここに、日本人、韓国人、五色のあらゆる人種が集まり、あらゆる種類の人たちがすべて集まったのですが、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか?(「良いです。」) 韓国人だけに会うことを願ったのに、すべての人が来たら、問題が起きるのです。そうではないですか? しかし、すべてが集まることを願ったので、かまいません。「韓国人が集まりなさい。」と言った場合に、日 本人が来てもよいのでしょうか? それは、同一のものになっていないので、そのようなことが起きるのです。 上でも下でも……。日本人が賢いのは、上と下を合わせることができるのです。右と左を合わせることができます。自分が左側なのか右側なのか、また、前後を知って、前後を合わせることができるのです。 そのような人を「賢い人である。」と言い、「知恵深 い人である。」と言うのですが、そのような人は、滅びゆく世界においても、物請いまでをしても、滅びることはありません。 日本は、第二次大戦の時に、物請いをする立場でも滅びなかったというのです。なぜでしょうか? 目先が利くからです。“目先が利く”ということが何かというと、多くの主人に侍る歴史を通して、訓練されているということです。そうではないですか? それは、なぜでしょうか? 女性だからです。女性は、そうでなければ、生きていくことができないではないですか? ですから、世界的に好まれるのが、日本の女性です。わたしは、日本の女性を好みません。日本を本当に知っているからです。顔を見ただけで、すぐに分かります。 日本の古代歴 史を見れば 、多くの国があり、この人、あの人と・・・・・・。 はべ女性が嫁いでいく所と、夫が暮らす所とでは、主人 が違います。さっさっさっと目先を利かせて、三年も たたずに・・・・・・。嫌でも、よく目を合わせるでしょう? 日本は、そうですか、そうではないですか? 先生の友人の中に日本人がいましたが、りっぱな友人の所に訪ねて行って、父親に似ているか母親に似ているかを見てみて、母親に似ていれば、わたしは好みませんでした。なぜでしょうか? 母親は、島国を象徴するのですが、島国で生まれて、島国で育って、何になるのですか? それでは、いつも陸地(大陸)を慕いながら、泣いて暮らさなければなりません。そうではないですか? 日本も、そうでしょう? 島国なので、「陸地(大陸)から船が来る。」と言えば、町内じゅうが騒いで、「何が来るか、見てみよう。」と言って、がやがや集まるのです。それが、島国です。それゆえに、アジアにおいて……。 明治維新の前には、日本人に姓がありましたか? それについて知っていますか? 知らないでしょう? 日本人は、明治維新の前、庶民には、姓がありませんでした。そのことを知っていますか? 日本の歴史教育において、「姓がなかった」ということを教えてくれないでしょう? そのことを知らなければなりません。 名前がないので……。名前を自分勝手につけたのでしょう? 「竹下」という姓は、竹林に小さな家を建てて暮らすのを、名前が分からないので、「竹下」にしたのです。田中という姓も、田んぼの中にいるので、「田中」です。川辺という姓は、川辺にいるので、「川辺」です。松本は、松の下です。まったく、このような姓があるでしょうか? 神様の目は、大きいでしょうか、小さいでしょうか? 分からなければ、「分からない。」と言ってこそ、率直なのです。いちばん手っ取り早いのが、「『"縦的な真の父母”が天であられ、"横的な真の父母”が文鮮明である』と言うならば、文先生に似たのでしょう。」 というように……。 "似ている”ということは、"目が似ている”ということと同じでしょう? 大きい、小さいということを 言っているのではありません。形を中心として、「似ている。」と言い、白目、黒目、目が行ったり来たり、上がったり下がったりするのは、すべて同じで似ているでしょう? 形がぴたっと似ていてこそ、「似ている。」と言うのですか? 九十九まで似ていて、一つだけ違うからといって、「似ていない。」と言うことができますか? 目が小さいと……。小さくても、目は目でしょう? わたしの母がわたしを生んだとき、三日たっても目が見えないので、引っ繰り返してみると、目が見つかって、「ああ、目玉がないわけではないのだなあ。」と言ったというのです。(笑い)それで、わたしの赤ん坊の時のあだ名は、「小さな目」です。「目が小さい。」と言われて、村じゅうで有名でした。 "小さなものがよい。」と思っていたのに、小さな目 が……。(ジェスチャーをされる)(笑い) カメラの焦点を合わせると、遠い所を見ることができるように、天下のすべてのもの、神様の心の根が、どのようなものであるのかということを解いて、「神様。あなたの心は、こうではあられませんか?」と言えば、神様も、「自分でも分からない。」と言われるのです。 皆さん。愛に関して知っていますか?「愛は、こうです。」ということを知っていますか? 愛は、丸いのか四角いのか、平たいのか長いのか? 言ったとおりに愛はなります。長ければ、どれほど長いでしょうか? 愛には、千里、万里、離れた息子、娘を思えば、一瞬のうちに、そこまで行って、その良し悪しを知り、鑑定することができる能力もあるのです。丸ければ、神様の心情の真ん中で、その部屋ですべての天下が動じて踊りも踊ることができるのです。 それでは、神様も、祭壇を必要とされるのですが、 どのような祭壇でしょうか? だれもが、すっかりはまり込むものを置いて、それを見て考え、関係を持った人は、完全にはまり込んでしまうことができて……。 このようにはまり込めば、目をばちばちさせて、千年、万年、このようにしているというのです。そのようにすることができるものがあれば、うそであっても、一度、はまってみたいと思うでしょう?<No.2/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ あなたは、新聞記者ですか? なぜ、そこに座っているのですか? 何かの鑑定班のようですね。(笑い) わたしは、言論人で、会ってみた人がいません。イ ギリスのBBCの編集局長が、韓国統一教会の青坡洞本部に訪ねて来て、インタビューをするというので、「イ ンタビューをして、何をするつもりなのか? 統一教会の手助けをしようというのか? 統一教会のために来たのか? この人は、出世するために、BBC会社の商売のために来たのではないか? なぜ、会おうというのか?」と言ったのです。 わたしは、言論人で会ってみた人はいません。数多くの言論人をつくって、"下人暮らし”をさせています。 UPI(通信)、世界で指折り数えられる人でも、いつだれを呼んでも、さっと飛んでくるようになっているのです。 日本の有力なマスメディアの人たちが、米国の大統領の記者会見のためにワシントンに行ってみると、会見席のいちばん前に座っている、いちばん上席の新聞社は何かというと、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ワシントン・タイムズです。 ところが、ワシントン・タイムズが、その真ん中に座っているのを見て、Family 2002.19
2024.11.04
コメント(0)
自由、家庭、信仰-21世紀のメディアの役割(02.05.21 ワシントン・タイムズ創刊20周年記念祝賀会で配布されたスピーチテキストより ヒルトン・ワシントン・ホテル) 冷戦時、神は、世界を共産主義が支配するのを防ぎ、自由な世界を守るため米国を選びました。ワシントン・スター紙が一九八一年に廃刊され、首都の新聞はワシントン・ポスト一紙だけとなりました。これは、自由世界の首都が、ニュース、懸案事項、政策に対して限られた視点しかもつことができないことを意味し、共産主義の危険性、当時全世界が直面していた共産主義の脅威を軽視するものでした。神の願いは、哲学的、思想的基盤を持ち、人々や米国の指導者らを励まし、啓蒙する新聞を作ることでした。愛国的な米国人がワシントンで新聞を創刊し、ポスト紙に代わり得る意見を打ち出すことを願って、数カ月間、待ちました。ですが、誰も手をつけようとしないのを見て、私がそれをしようと決意したのです。 ですが、ワシントン・タイムズの使命は、冷戦の終結では終わりませんでした。共産主義が崩壊しても、自動的に世界に平和が訪れるわけではありません。神が願われる理想社会も、私たちの努力なくしては実現できません。そのため、創刊十年(一九九二年)を迎えたワシントン・タイムズは、新しい挑戦、つまり「文化戦争」、悪化する価値観との戦い、という使命が与えられました。 神は米国が伝統的な家族の価値や道徳的価値を守るよう願いましたが、それらは混乱状態に落ちてしまいました。世俗的な人道主義、極端な個人主義、自己中心主義が強まっています。その結果、金銭と物質が人々にとって神のような価値を持つようになったのです。そうして、宗教は低調となり、世俗的な人道主義がはびこるようになりました。家庭が崩壊し、青少年犯罪が増加しています。 創刊十周年の祝いの場で私は、メディアのもう一つの使命を定義しました。これは、メディアは社会の倫理と道徳の価値を高めるもの、ということです。その後の十年間、道徳的な社会の実現に貢献することをタイムズに願ってきました。平和な世界は平和で理想的な家庭の基盤があって初めて実現できます。そのため、道徳的家庭の価値を強めることの重要性を人々が理解するよう努力してきました。「家庭の価値」という言葉がよく知られるようになる前でさえ、タイムズは価値観の崩壊、いかにして家庭の価値に基づいた善良で道徳的な社会を取り戻すかを強調する記事を出してきました。これらの問題に関するファミリー・タイムズを毎週、出すことも始めました。今日、家庭の価値は米国社会にとって重要な部分を占め、政治的な問題ともなっています。私たちは、タイムズが家庭の価値を米国と世界の重要な部分へと高めることに貢献してきたことを誇りに思っています。 タイムズ創刊後の最初の十年間に際立ったのは、冷戦の最中にあった世界の自由のための戦いです。次の十年間は、文化戦争と強い道徳的価値観に基づく家庭を築くことの重要性が目立った年でした。今二十年を超え、信仰を訴え、支持する時代、個人の信仰に基づき精神的価値観を強調し、支持する時代を迎えました。だれでも、神と人生の精神的側面についてはっきりと理解していなければなりません。世界レベルで自由、家庭レベルで倫理的価値観、個人レベルで信仰、これらは人生、メディア双方にとっての三大使命です。 自由、家庭の価値、信仰は米国の最も基本的な精神的価値です。タイムズが「米国の新聞」と呼ばれるのは、米国の伝統的思想を実行することを目指しているからです。もちろん、「米国の新聞」と言いましても、米国だけに仕える新聞という意味ではありません。そうではなく、世界と全人類のために働く国である米国に仕えることを意味します。 私たちは外的には、情報が爆発的に増加する時代の中に生きています。世界は情報であふれています。デジタル通信技術の発展により情報の海が出現しました。これまで、離れたところから情報を得ることは困難でした。ですが、今では、革命的な変化が起き、世界中から圧倒されるほど大量の情報が発信されています。この大量の情報の中で、人々が質の高い人生を送れるよう、責任を果たしていかねばなりません。メディアはすべての事実を伝えることができますが、同時に混乱を回避し、リーダーシップと方向性を示す責任があります。全世界がニュースと情報であふれている今の時代はなおさらです。ワシントン・タイムズと関連するメディアはこの点で指導的な役割を果たしています。 この二十年間でタイムズが奇跡的な発展を遂げたのと時を同じくして、他のメディアプロジェクトも目を見張る発展を遂げてきました。ナショナル・ウィークリー・エディションは、全米五十州の購読者に配られ、日刊のタイムズ紙から傑出した記事を届けています。ティエンポス・デル・ムンドもあります。スペイン語の週刊紙で、十六カ国十八主要都市で発行されています。さらにソウル、ニューヨークにはセゲイルボ(世界日報)、東京には世界日報があります。ミドル・イースト・タイムズ紙は、ますます重要性を増している地域のニュース、情報を提供しています。 雑誌としては、インサイト、ワールド・アンド・アイ、ワシントン・ゴルフ・マンスリーがあります。ワシントン・タイムズのインターネットサイトは、米国で最も人気のある新聞のサイトの一つであり、毎週数十万人の人が訪れ、毎月、千八百万ページ以上のニュース、オピニオン、解説を読んでいます。ケーブルテレビなど通信業界ともうまく連携し、ポトマック・テレビジョン、アトランティック・ビデオ、グッドライフ・ケーブルTVは全米五十州に視聴者を持っています。 このメディアファミリーに加わった中で最も新しいのは、世界でも最も古い民間の通信社、UPIです。ほぼ百年間、休むことなく活動し、世界中にニュースを配信してきました。UPI通信はまもなく、大きな技術的躍進を遂げます。統合したデータベースを通じて、私たちの持つ全メディアから記事を集め、それらを整理し、内容、テーマに従って世界中の購読者に配信する技術を持つのです。 大量のニュース、情報を提供する新時代のメディアは、リーダーシップをとり、神と霊界を知り、その価値観に基づいて個人を善化する明確な方向を示さなければなりません。ワシントン・タイムズと私たちのメディアファミリーは、二十年間にわたってこの方向性を指し示してきました。今後も、三十周年に向かいこれを続けていきます。皆様方一人ひとりも、その資質を生かして、自由を守り、家庭の価値を促進し、神への信仰を強め、世界のリーダーとなっていくよう、願っております。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.03
コメント(0)
神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告(02.05.21 ワシントン・タイムズ創刊20周年記念祝賀会 ヒルトン・ワシントン・ホテル) 米紙ワシントン・タイムズ二十周年祝賀晩餐会が五月二十一日夜、ワシントン・ヒルトン・ホテルで開かれ、政治家、著名な学者・文化人、メディア関係者、宗教指導者など約三千人が出席、ブッシュ大統領もお祝いのメッセージを寄せた。同紙創設者である文鮮明師が演説し、ワシントン・タイムズが人類を教育していく任務を果たすよう要請した。 晩餐会では、少年少女聖歌隊が元気な合唱を披露した後、コンラッド・バーンズ上院議員(共和、モンタナ州)が祝辞に立ち、「先ほどの歌では、子供たちのエネルギーのすごさを感じましたが、ワシントン・タイムズのエネルギーもそのようなものだと思います。ワシントン・タイムズがこの二十年間にわたってなしてきたインパクトの大きさは、ここに集まっている人々の数と質を見れば分かります」と表明。 ダニー・デービス下院議員(民主、イリノイ州)は「真の父母としての価値を私たちに教え、愛と友情と重要なことをすべて、われわれに教えてくださり、われわれの行くべき道を、また勇気を与えてくださった文先生ご夫妻、本当に心から感謝します」と述べた。 次に、ホワイトハウスのティム・ゲーグリン補佐官が「ワシントン・タイムズが一九八二年に創刊され、その意見、その主張、その記事、その討論がどれほど大きなインパクトを与えてきたでしょうか。私はここまでワシントン・タイムズを育てた一人一人に対して心からその業績を称えます。そして、きょうの会が素晴らしい祝典になりますように」とのブッシュ大統領のメッセージを読み上げた。 また、米国とカナダで毎日二千万人が聞いているラジオ番組のローラ・シュレジンジャーさんは、ワシントン・タイムズが真実を報道しているとしてその勇気を称賛した。 ワシントン・タイムズの業績をまとめたビデオ上映に続いて、ウェスレー・プルーデン編集長の紹介を受け、文師が登壇し、「神様のみ旨から見たイエスの生涯と終末期にある現代に対する警告」と題して講演した。 文師はその中で、「天運がついに訪れています」として、「霊界にいるイエス、ペテロ、ヨハネと他の弟子など数万人もの宗教指導者が地上世界に自由に降臨して、真の父母に侍っているのです。疑いなく、神様のみ心である統一された国が地上に成し遂げられるでしょう」と言明した。 そのうえで、「今は第二イスラエルであるアメリカが最前線に立つ時です。米国がすべての世界の人々を導く責任をもっています。しかし、武器によってではなく、真理と、真の愛・真の生命・真の血統に基づいて他者のために生きる愛によってそれを果たさなければなりません」と強調。ワシントン・タイムズなどが人類を教育していくという天から与えられた任務に取り組むよう求め、会場から盛大な拍手を受けた。 ガビリア元コロンビア大統領らが表彰された後、文師夫妻に対し、特別な感謝の品が贈られた。 最後にカントリー歌手のランディー・トラビスさんが数曲熱唱したのに続き、文師夫妻が二十周年記念のケーキカットを行い、歓喜のうちに閉幕。参加者全員に対し帰る際、「百二十人の共産主義者の霊界セミナーに関する報告」などが手渡された。 尊敬する米国内外から来られた皆様。 ワシントン・タイムズ創刊20周年を祝うことは、私にとってとりわけうれしいことです。1982年5月、天命を受けてワシントン・タイムズの創刊を決意した時の記憶は、いまも鮮明に残っています。これは、私が人種的、宗教的偏見に基づく訴追を受け、ニューヨーク連邦裁判所で、不当な裁判を受けている時のことでした。 当時、共産主義が巨大な荒れ狂う波のように世界を席巻していました。米国でさえ、この問題に効果的に対応する手段を持ち合わせていなかったのです。私は、民主主義世界の最後の砦であり、第2イスラエルを代表するキリスト教国家である米国を共産主義から守らなければならない、という天の崇高な意思に従ったのです。天のみ旨はまた、神が求める平和な理想世界を造ることでもあります。すなわち、地上と天上の天国をキリスト教を通じて実現することです。ただお金をもうけるためだけに新聞社を設立したのでは決してありません。これまでワシントン・タイムズだけで10億㌦以上が投じられてきましたが、これを後悔したことも、誰かに対して憎しみを抱いたこともありません。それは、これが天と人類への真の愛を実践する道だったからです。 私が米国にきてから、すでに30年以上がたちました。82歳になり故国に帰る時が近づいていることを感じています。その前に、第2イスラエル圏内の国家、米国と全人類に、神の事情と霊界に関するメッセージをはっきりと伝えておきたいと思っています。単に個人としての私からのメッセージばかりではありません。天はメッセージを送ってくださっています。人類はそれを今、実行しなければなりません。これまで人類は、天のみ旨を知らずに生きてきました。第1に人類は神のことを知らず、第2に私たちは、望むと望まざるとにかかわらず誰もが最終的には必ず行く霊界について知らずにきました。 今、人類歴史の終末時代に入っています。霊界では、4大宗教の創設者をはじめとする無数の宗教指導者たちが、私が説いた統一原理を最高の次元の真理として受け入れています。彼らは完全に動員され、祝福結婚を通じて弟子や子孫に新しい真の家庭を築かせることによって復活するため、地上に戻っています。 とりわけ、第2イスラエルを代表するキリスト教国家、米国のために、イエスを中心とする4大宗教創始者がそれぞれ、歴史的によく知られる弟子たち120人を選び、統一戦線を築いています。今、地上へ戻り、世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)と世界非政府組織協会(WANGO)の運動を推進し、地上の完全な平和の実現に邁進しています。また、真の父母の哲学である「為に生きる生活」をし、真の愛を実践しなければ人類に未来はない、と主張しています。だからこそ、この機会を生かし、記念スピーチを行い、米国と人類に最も重要なメッセージを「神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告」という題目でお伝えしたいのです。 十字架上のイエスの愛とその遺産 イエスの十字架の摂理を調べれば、イエスと右の強盗、左の強盗、そしてバラバが歴史の種をまいたということが分かります。まかれたものは刈り取られなければならないのが、原則です。ですから、最初に現れたのは右翼世界と左翼世界、すなわち民主主義圏と共産主義圏で、これは「右の強盗」型と「左の強盗」型を表しています。その次にイエスの十字架を中心としてイスラム、つまりバラバ型が現れました。バラバがイエスゆえに福を受けたことで、イスラムはキリスト教への抵抗勢力として出現しました。 こうして種がまかれた歴史は、4大ブロックに結集する世界を形成する時代に入りました。アラブ・ブロックのガマル・アブデル・ナセルは、イスラム圏を統一アラブ国家としてまとめることを夢見ました。一方のキリスト教は、世界中の新潮流をリードし、「全宗教を統一しよう」と主張しています。このような流れを見ると、悲劇のうちに種をまかれた歴史は、今や初めて、神を中心とした善の果実として実ろうとしていることが分かります。最後の時代を迎え、この現象はますますはっきりとなり、最初にまかれた種は、ついには完全に本来の形で実り、刈り取られます。これは、神の法であり、避けることはできません。すなわち、統一は、真の愛という真の父母の思想に従って成し遂げられます。 民主世界が内的とすれば、共産世界は外的です。右翼が内的なら、左翼は外的です。そのため、来るべきメシアは必ず、神を尊重する民主世界の内的基盤の上に現れなければなりません。メシアは外的世界をのみこみ、主流であるキリスト教圏を中心として異なる文化を統一する運動を推進しなければなりません。こういった運動は歴史の最後になされるものです。このようなことは、偶然に起こるはずはありません。大元の原因の性質が、そのような結果を導くのです。 右の強盗の功績 イエスが十字架にかけられ、右側の男とともに亡くなりました。その男は強盗であったばかりでなく、殺人者でもありました。もしこの強盗がそこにいなかったなら、イエスは地上世界と人類との関係を失っていたでしょう。右の強盗自身も死が近かったのですが、それでもイエスを擁護しました。人類歴史において、だれがイエスの味方をしたでしょうか。ペテロでもなく、イエスの父母でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。それは、右の強盗たった一人でした。イエスとかかわりを持ち続けたのはこの人だけだったのです。死に際し、彼は死を超えて、すべての希望をイエスに託したのでした。右の強盗以外には誰もいません。もし右の強盗がいなかったなら、イエスは復活して地上の摂理を再開することができなかったということを、知らなければなりません。 イエスが4000年の歴史と30余年の生涯に終止符を打とうとしていた時、イエスの最大の願いを具現する人として、そこにいて、イエスにつながり、イエスに侍ったのは、ただ一人でした。死の道にありながら、イエスにつき従ったのです。右の強盗はこのような行動をとることで、イエスの弟子を超えました。ペテロを超えたのです。つまり、右の強盗はイエスの教えは知りませんでしたが、その性格が、最後の瞬間に、最後の息を引き取るまで、イエスにつき従わせ、そのための力を与えたのです。これに対してペテロ、ヨハネら12弟子はイエスの教えを知り、生まれ変わることを誓ってさえいたにもかかわらず、最終的にはそれを達成することはできませんでした。このような理由から、右の強盗は人類史の中心人物であり、地上世界を代表し、未来を救う人となったということを知らなければなりません。 私たちにはこの歴史を引き継ぐ権利があります。アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス、それに続く人々の伝統と基盤を相続し、この歴史的な犠牲の供え物の代わりとなっていかなければなりません。そうして初めて、サタンと向き合い、「歴史の中で、あなたはノアに負け、ヤコブに負け、モーセに屈服した。私はこれらすべての基盤の上に立ち、摂理史のすべての伝統を相続した。サタンよ、去れ」と叫ぶことができるのです。そうして初めて、サタンは退くのです。 ただ「サタンよ、去れ」と祈っていても、何にもなりません。6000年間にわたって人類を讒訴し、神の摂理を踏みにじり、復帰節理を破壊してきたサタンです。あなたが、ただ去れと言い、イエスを信じたからといって、退くとお思いですか。断じて違います。皆様に必要なのは、「私は間違いなく、神が歴史的心情を通して、求めてきたその人だ。私はイエスの聖なるけがれなき体に接ぎ木された者だ」と言える力です。あなた方の名前はイエスが神から授かった相続の書に記録されるはずです。神の相続の書には、神が地上にイエスを送ることができるまでの4000年間、抱いてきた心情を相続したものが記録されます。そうして、十字架上でサタンを打ち負かすのではなく、サタンを屈服させる力を持ち、十字架にかかることなく、サタンに勝たなければなりません。肉の体を持ち、実体を持って復活しなければなりません。こうして実体的な相続者ととして認められた者だけが、天国に入ることができるのです。 キリスト教に霊的基盤だけを与えたイエスの死 今日までキリスト教は、地上と霊界両方での天国を追い求めることができないでいます。キリスト教は物質世界を放棄せざるを得ず、イエスに霊的メシアとして侍り、霊的救いと霊的天国をその目標としてきました。イスラエルの人々は、国家を持ち、選民としての国家的権威を持っていましたが、今日の第二イスラエルの立場にある世界的なキリスト教は霊的な国家であります。キリスト教は国家的主権を持たず、キリスト教徒は国を持っていないのです。第二イスラエル圏内には霊的土台のみがあり、実体的な基盤はないのです。キリスト教は神の本来のみ旨を達成することができなかったため、神のみ旨である霊と肉両方の地上天国を実現するには、主を再び迎えるしか道はないのです。 私はきょうここに、一つの宣言をしたいと思います。十字架は神の勝利ではなく、サタンの勝利だったのです。イエスをゲッセマネの園でとらえた人々に対しイエスが、「今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」(ルカによる福音書22章53節)と言ったことを思い出してください。十字架は、神が4000年間準備してきた国が失われた場所であり、イスラエルの信仰が失われた場所であり、洗礼ヨハネに従う人々、12弟子、左の強盗、その他すべてが失われた場所でもあることを知らなければなりません。キリスト教が十字架にかかったのではないこと知らねばなりません。キリスト教はいつ始まりましたか。イエスは3日後に復活し、40日かけて、失った弟子、自分に背を向けた弟子たちに会いました。聖霊が弟子たちに降りました。そのとき初めてキリスト教が始まったということを知らねばなりません。過去2000年間にわたってキリスト教徒は信仰を持ってきましたが、キリスト教が十字架の原理によってではなく、復活の原理によって生まれたということを知らずにいました。この事実が分かれば、悔い改めざるを得ません。キリスト教はイエスの復活の基盤の上に生まれたのであり、そのため、キリスト教は厳密に霊的なのです。 イエスが十字架で死ななかったら、どうなっていたでしょうか。その場合、イスラエルの民族はイエスの教えに従い、安定し、存続していたことでしょう。ユダヤ教もそのまま存続したことでしょう。イエスは、自らが十字架で死ねば、後に多くの人々がそれに従い十字架の道を行くことになり、血を流すことなくイエスに従うことができなくなることを知っていました。多くのキリスト教徒が苦難を受け、主が再び来られる時も、苦難の道を行かなければならなくなるでしょう。これが、イエスがゲッセマネの園であのように祈らねばならなかった理由であることを知らねばなりません。今日、キリスト教徒はイエスが肉体を持ち、死の痛みを恐れたため、放免されるよう祈ったとしています。イエスはそのようなつまらないメシアだったというのでしょうか。絶対に違います。 ならば、イエスが十字架上でその命を落とすときに発した「終わった」と言葉は何を意味するのでしょうか。イエスは霊と肉両方の救いをもたらす使命を持ってきましたが、基盤のないままでは神のみ旨を完全には成し遂げることができないことを知っていました。そのため、霊的救いの条件を立てるため完全に自らを供え物として、摂理が始まるようにしたのです。それを完成したのでイエスは最後に、「終わった」と言ったのです。 おそらく皆様方の想像力をもってしても、このようなことは考えられなかったでしょう。キリスト教とユダヤ教は今からでも、主は、サタンの国を破壊してサタンの王権をなくし、神のみ旨を完成して人間性を復帰しようとしたが、非業の死を遂げた、ということを認めなければなりません。これが分かれば、悔い改め、一つになれるはずです。一つになり、帰ってこられる主を迎える準備をしなければなりません。 結果には、原因がなければなりません。全キリスト教徒が、盲目の信仰の時代を捨て去り、一丸となって新しい時代に向かって前進し、この世をまとめ、救いに至らしめる、そのような時代が来たのです。「統一」の言葉が不可欠な時代がきたことを知らねばなりません。 イエスの3日間の苦難の路程 イエスが死後3日間苦難を受けたということは何を意味するのでしょうか。天と地と地獄すべてが、死亡圏内にとどまっていました。イエスが天と地で権威を得るためには、この死亡圏の全域を把握しなければなりません。ですから、命につながれることを求め、神を慰める道を行くためにイエスは、たとえ地獄のような最低の環境に下りていくことになろうと、苦難を受けることになろうと、勝利しなければならなかったのです。イエスが地獄を通過したので、天へ向かい新しい出発をすることができる道が備えられました。地上ではのけ者にされ、孤独で、ついには死の道を行かざるを得なかったイエスですが、後代のために希望の道を残すことができたのです。これが3日路程を行かねばならなかった理由です。 イエスは、ただ地獄を見て回るだけのために、3日間地獄にいったのではありません。すでに地獄のことは知っていました。そこに行き、審判を受け、死の世界から生の世界に移る道を行かねばならなかったのです。こうしてイエスは、死の世界であり、地獄である地上に勝利の基盤を打ち立て、天に至ることのできる出発点を確立したのです。 十字架上でもイエスは天のことを心配し、敵を愛した 当時の既成宗教の指導者にとって、イエスは異端者でした。また国家にとっては、律法の破壊者でした。イエス自身の氏族がイエスを拒否し、家から追い出しました。洗礼ヨハネのグループもイエスを否定しました。それでイエスは荒野に出ましたが、サタンが彼の後を追いました。それだけではありません。やがて国全体が、十字架上の死への道、ゴルゴタの道にイエスを追いやったのです。 それでもイエスは、裏切り者として自らを十字架にかけた民族のために涙を流したのです。既成宗教から異端として扱われながらも、イエスはどの聖職者よりもその宗教指導者らのために多くの血と涙を流しました。その時代の誰一人として、イエスを支えるものはいなかったにもかかわらず、イエスはその時代の友でした。イエスは裏切り者で拒否されましたが、最大の愛国者でした。異端として拒否されましたが、最大の信仰者だったのです。 イエスは惨めな道、十字架の道を行き、そこで人々はイエスの着ていたものをはぎとり、追いたて、地に伏せさせたのです。それだけではありません。悪人がイエスを鞭で打ち、打ち倒したのです。ここでイエスがエリヤのようでしたら、「私はただ一人残った主の予言です」(列王記・上18章22節)と人々に言ったことでしょう。しかし、イエスはゲッセマネの園で弟子を残して、祈りに行ったとき、ここ言いました。「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」(ルカによる福音書22章42節)。ここがイエスの偉大なところです。イエスには、自らの体が国家のための犠牲の供え物であり、人類のための犠牲の供え物であり、天の摂理のための犠牲の供え物であることが分かっていたのです。 このことを知っていたがために、イエスは、悲しみを隠すことなく、さらに神の悲しみがいかばかり大きなものであるかを心配されたのです。イエスは国家のために現れました。そのイエスが裏切り者として拒絶されるのを見て神はいかに悲しまれているかを、イエスは心配したのです。イエスは天の王子であり、全天宙の中心人物であり、メシアでした。望めば、自らを哀れむ道を選び、なぜ十字架の惨めな道を行かねばならないのかを問うこともできたのです。イエスなら、全天宙を動員して、ともに絶望の深いため息をつかせることはできたでしょう。ところが、イエスは、自らのすべきことは、絶望のうちにため息をつくことではないことを知っていました。そればかりか、拒絶されたことを天に対して申し訳ないという思いを抱くまでに至ったのです。 イエスは、宗教指導者を結集し、民族を盛りたて、天の王国を築き、世界を父の懐に返す、という使命を持っていました。ですが、その使命を放棄し、十字架の道を行かざるを得なくなったときでも、恨みを抱くことは一切ありませんでした。死を恐れる余り「この杯をわたしから取りのけてください」と祈ったのではなく、自らの死が民族と神の悲しみを増すことになる、そのことを知っていたがためにこう祈ったのです。 イエスは、十字架で死ねば、後の世代の人類にもっと重い十字架を残すことになるということを知っていました。それは、悲しみの歴史は終わらないということを意味します。ゴルゴタの道はイエスだけにとどまらない、ということをイエスは知っていたのです。死の道は終わらないことを知っていたのです。イエス自らがゴルゴタの道を行けば、イエスに従う者も同じ道を行かねばならなくなるということを知っていたのです。もっと困難な道が十字架の向こうにあるということを知っていたのです。 いばらの冠を被らされ、両手両足にくぎが打ち込まれ、わき腹にやりが差し込まれた時、このことが、自らの死よりもはるかに大きな衝撃を与えることになるということを知っていたのです。イエスが天に向かい、「終わった」と言った時、それは世界の十字架の道が終わったということを意味したのではありません。十字架にかかることに関して、天がイエスの心からの涙ながらの願いを聞き入れてくれたことを意味したのです。イエスは天を慰めるために、預言者、愛国者が犯したすべての過ちを背負い、自らを生きた供え物としたのです。 それ以上に、イエスは死が近づいたとき、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカによる福音書23章34節)と言いさえしたのです。神はすぐ審判を下すつもりでした。それはノアの時代の審判よりもさらに大きなものでした。ところが、イエスは民族を愛し、宗教組織を捨てず、十字架の道を選び死にました。そのため、神は人類を捨てることはできず、私たちをつかんでくれているのです。イエスと後の世代の人類およびイスラエルの残った人々との間に、この心情のきずながあるがために、神は、宗教組織と後代の人々が神に背を向けようとも捨てることができなかったのです。つかんでくれているのです。 イエスが私たちと分かつパンとぶどう酒の意味 ここにいる皆さんは、神が数千年間にわたり復帰の摂理をしてこられ、イエスを復活させるだけでは、天地における神のみ旨は全うすることはできないということをよく理解しておられることと思います。そのために神は、神の言葉で新たな契約を打ち立て、それを通じて、天地のみ旨を一つにし、約束の本来の園を打ち立てるための摂理をしてこられたのです。 聖書には、イエスがぶどう酒とパンを私たちに与え、それは約束と新しい契約である、と言ったとあります。イエスが地上に現れて後、私たちはイエスの血と肉を受けました。これらは、成就しなければならない、完成したものすべての生命を表すものです。同時に、摂理の全体を表すものでもあります。 イエスの血と肉を受け取ったということは何を象徴するのでしょうか。これは単に一人の人の血と肉にとどまりません。大きくは、天と地を表し、小さく見れば、中心であり個人の体を表します。さらに肉は真理を、血は聖霊を象徴します。イエスはこれらを無条件に与えてくださったのです。 神と人類の間に立ちはだかってきたのは何でしょうか。天のみ旨は地上で現れるべきであり、地上のすべては最終的には天につながれなければなりません。これがなされず、神と人類は離れ離れになってきました。イエスは生前、新しい契約を打ち立てていきました。そのため、イエスの死後、人類すなわちイエスに従った弟子にとって、霊界と地上界をつなぐことが必要な条件として残されました。イエスが死ななければ、天と地はイエスを通じてつながれたのです。イエスは亡くなられたため、天の事情を代表するものとなり、聖霊が地の事情を代表するものとなったのです。 尊敬する皆様。時が来ました。神が六千年間待ち望み、キリスト教徒が2000年間待ち望んでいた天の時が来ました。天上、地上の天国を、宗教を超え、国家を超え、組織を超えて、建設するときが来ました。天運がついに到来したのです。今では、霊界のイエスやペテロ、ヨハネなどの弟子たち、加えて数千、数万の宗教指導者が一心同体となって、真の父母に侍るために自由に地上に降臨しているのです。間違いなく、天地が永遠の平和の下に一つとなり、天のみ旨の統一天宙国家と天国が地上に定着するのです。 今や第2イスラエルを代表するキリスト教国家、米国が最前線に立つ時代です。米国には全世界の人々を導く責任があると、私は世界に宣言します。しかし、武器で導いてはなりません。それは真理と愛を持って、真の愛、真の生命、真の血統を基盤に、他者の為に生きることでなされなければならないのです。 最後にワシントン・タイムズ、UPI、その他主要メディアが宗教、思想を超えて、この天からの崇高な命令を受け入れ、人類を教育する使命を推進することを願っています。霊界にいる指導者からのメッセージを収めた小冊子を皆様にお配りしました。これを精読してくださいますようお願いいたします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.02
コメント(0)
摂理観から見た韓国、日本、アメリカの位置づけ2002年5月21日にアメリカ、ワシントン・タイムズ創刊20周年を迎えて、ワシントンのシェラトン・ナショナル・ホテルで開催された3か国(韓国、日本、アメリカ)の指導者会議の際に真のご父母様が語られたみ言である。 高名なる韓国・日本・アメリカの3か国の最高指導者、そして紳士淑女の皆様! 皆様がアメリカの首都ワシントンD.C.に来られたことを心から歓迎いたします。 韓国と日本、そしてアメリカは太平洋圏の国家です。そして韓国と日本は、隣国であるだけでなく、アメリカと同盟関係を結んでいます。ですから、3か国が内外に連結した共同目標をもっています。今私たちは21世紀に入っており、この21世紀は太平洋時代と呼ぱれています。 言うまでもなく、太平洋時代は韓国・日本・アメリカの3か国によって主導されるでしょう。それだけでなく、世界はこれら国家のモデルに従おうとするでしょう。しかし指導的な立場には、自動的に立ちうるわけではありません。その場には関連諸国の互いの強力な連関性を土台として立ちうるのであり、特別に指導者レベルでの相互連関が絶対的に必要です。それゆえ、皆様がすべて韓国・日本・アメリカの3か国会議を通じて緊迫した当面の問題を論議すると同時に、互いの友誼を固く結ぶことで、新しい21世紀を開拓することのできる基盤を整えてくださるようお願いします。 3か国の指導者の皆様、私は、この会議に参加するために6千マイルもする遠方からこの場を訪ねてこられた代表たちをはじめとした、すべての参加者たちに儀礼的な挨拶をしようと、壇上に立ったわけではありません。神と一心・一体・一念により生きてきた私の経験によれば、神は歴史と現実の中に生きて働かれるかたです。そのような観点から韓国と日本、そしてアメリカの位置付けを知ることはとても重要なことです。 神の創造理想は、アダムとエバが、神の真の愛によって真の人として完成し、真の父母となって真の家庭を築くことでした。その真の家庭を始原として、人類は真の社会、国家、世界、天宙へと繁殖しながら、地上天国と天上天国を建設するようになっていました。ところが不幸にも、アダムとエバは未完成の段階で天使長の偽りの愛によって堕落してしまいました。ですから、真の父母になることができず、偽りの父母となったアダムとエバが築いた人類の最初の家庭で、兄のカインが弟のアベルを殺害するという罪悪の実が結ばれました。 本然の創造目的を回復しようとされる神は、第二のアダムである救世主をこの地に送って摂理なさるようになりました。その摂理のための最初の足場がユダヤ教とイスラエルの国でした。その基台の上にイエス様が救世主として来られました。イエス様は真の父母と真の家庭の理想をイスラエルの国で成し遂げ、全世界に伝播するために来られたのです。しかし、イエス様をメシヤと悟ることができなかったユダヤ教とイスラエルの国から不信されました。 あげくの果てには、その不信が極みに達し、イエス様は再臨を約束しながら、十字架の道に行ってしまいました。復活したイエス様は、霊的に第二イスラエルであるキリスト教の基盤を世界的に築きました。その世界的なキリスト教の基盤は、第三アダムとして来られる再臨主を迎えるためのものです。 アメリカは全キリスト教を代表する第二イスラエルの長子国家です。アメリカの建国の祖たちの信仰も、建国の精神も、すべてキリスト教に由来しています。アメリカが短い歴史の中で世界を指導する強盛な国になりえたのは、再臨主として来る第三アダムのみ旨に従うことができるようにするための神の摂理によるものでした。 第二次世界大戦のとき、アメリカとイギリス、そしてフランスを中心とした連合国が、日本とドイツ、そしてイタリアを中心とした枢軸国に勝ち、キリスト教の基盤を極大化したことや、韓半島にキリスト教を宣教した国がアメリカだった点、そして第三イスラエルである韓国を防衛するためにアメリカが国連の旗の下で16か国の派遣軍と一つになり、犠牲的な支援をした点などは、すべて神の摂理の中で成就したことです。 第二次世界大戦の直後に準備されたキリスト教が、私を通して神の教えを受けたとすれば、7年以内に神のみ旨が成就したはずです。アダム国家である韓国の統一も成就したはずであり、共産圏の世界的な膨張もなかったはずです。ところが、不幸にもキリスト教が率先して私に反対して迫害しました。そのように摂理の中心存在に逆らったキリスト教は衰落の道へと落ちてしまいました。第二次大戦直後と比較するとき、今日の教会は信仰、情熱、純粋性や生命力をすべて失いました。 世界のキリスト教が責任を果たすことができないことによって、エバ国家になるべきだったイギリスの代わりに日本が選ばれました。事実、神の摂理的な中心であるキリスト教と程遠い天照大神を奉ってきた日本は、特別な恩恵でなければ、絶対に選ばれることができなかったのです。ですから、日本が本来の責任を果たすようにお願いします。 ところで神が送られた救世主は、どうしてその都度不信に遭ったのでしょうか。堕落で築かれた悪主権の世界であるため、善の実体を歓迎することができなかったのです。それを心配された神は、イスラエル選民とユダヤ教を立て、イエス様を迎えるように準備なさったのであり、また世界的なキリスト教の基盤を築いて再臨主を迎えるよう準備されたのです。ところが第一イスラエルと第二イスラエルの摂理に対する無知と彼ら白身を中心とした考えのために、イエス様が苦難に遭い、再臨主も苦難に遭ったのです。 メシヤが雲に乗って来るものと理解していたユダヤ教徒たちの前にイエス様が人として現れたので、信じることができなかったのです。ヨハネによる第二の手紙7節で、イエス・キリストが肉体で臨んだことを否認する者を反キリストと指摘しているのを見ると、ユダヤ教徒が旧約聖書を誤って解釈してメシヤを殺したという事実を知ることができます。 そして聖書は両面性をもって預言されているということを知らなければなりません。なぜかというと、堕落した人間は気まぐれで不確かであるからです。神と一つになった人が背を向けてサタンと組んで、神を滅ぼし、サタンと組んでいた人が神の前へ戻ってきて、サタンを滅ぼすというのです。 旧約聖書のイザヤ書9章、11章、60章の3つの章を見ると、救世主が栄光の主として来ることを述べていますが、53章では苦難に遭うことを預言しています。ところが、ユダヤ人たちがイエス様を信じて迎えることができず、イザヤ書53章の預言が成就したので、信仰によって成就されるべき預言は延長され、再臨の時に当てはまるようになるという事実を知らなければなりません。 新約聖書も旧約聖書と同様にメシヤの再臨について、蕩減復帰の原則に従って両面性をもって預言されています。ヨハネの黙示録1章7節を見ると、再臨するメシヤは間違いなく雲に乗ってくるとあります。しかし、テサロニケ人への第一の手紙5章2節を見ると、「主の日は盗人が夜くるように来る」と記されています。再臨主が雲に乗って来るというのに、その日が盗人のように来るということがありうるでしょうか。今日のキリスト教徒は、再臨主が雲に乗って来ることは信じていますが、その日が盗人のように来るということは信じません。 それゆえ私たちは賢くなければなりません。旧約時代の実情から推察してみても、再臨主が雲に乗って来ることもありうるし、人として来ることもありうるということを私たちは知らなければなりません。ユダヤ民族が待ちこがれたメシヤを神が送られたにもかかわらず、どうして彼らがメシヤを殺したのかを知らなければなりません。 旧約聖書のマラキ書は新約聖書のヨハネの黙示録に該当します。マラキ書4章5節以下を見ると、「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と預言されています。 エリヤはイエス様が来られる900年前の人物で、火の車に乗って昇天した人です。ユダヤの人々は、火の車に乗っていったエリヤが、そのままの姿で来るものと信じていましたが、エリヤが来たという話もなしにイエス様自らがメシヤであると宣布したのです。ですから、イエス様の弟子たちは人々から「あなたがたの先生がメシヤならば、エリヤはどこにいるのか?」と質問されて、イエス様にその問題について尋ねた場面が、マタイによる福音書17章10節に記録されています。 そこには、「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった」」とあります。そして「そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」と記されているのです。ところが他の者たちは、イエス様が洗礼ヨハネをエリヤと言ったのは、イエス様自らがメシヤを装うためのものだと非難しました。さらに、彼らはイエス様をユダヤ教とイスラエルの国を滅ぼす傀首であると言い、ベルゼプルに憑かれた者と決め付けてしまいました。 それと共にイスラエル民族が信じていた観点とイエス様を送られた神のみ旨は違いました。この地上に神のみ旨を成し遂げるために送られたメシヤが、ユダヤ教徒が従うことができなかったことによって、死ぬことになった恨めしい歴史があったという事実を知らなければなりません。実際に、神のみ旨はイエス様を通して、ユダヤ教とイスラエルの国を超えてすべての世の中を救うことでした。ところが、地上で待っていた希望と天で成し遂げようとしたみ旨が食い違うようになりました。 再び来られる主の場合も同じです。キリスト教が再臨主のために準備した基台は、自分たちだけを救うことがすべてでした。しかし、再臨主は、神の願う、世界と万民の救い、さらには創造本然の理想世界の成就のために来られるのです。その理想世界というのは、宗教圏だけの世界ではありません。再臨主は、堕落と関係がなく、宗教が必要のない、真の愛と真の父母の世界を築くために来られるのです。 創造主である神の根本は真の愛です。真の愛というのは与えてまた与えても記憶しない、「為他的」な愛です。その真の愛で天国を建設しようとする神のみ旨を成就するために、私は生涯を投入して施しながら生きてきました。摂理の中心国家である韓国と日本、そしてアメリカの3か国は、平和の理想世界を築くにおいて、模範となるべき位置にあります。これら国家が天道に従って、世界と全体のために施すとき、神の祝福を受けて、繁栄することができるでしょう。もし自国の利益ばかりを追求するならば、摂理において中心の立場を守ることができず、現在もっているものも失うようになるでしょう。 ユダヤ教とキリスト教の歴史的な実例まで挙げてお話しする私の深い考えを理解してくださるようお願いします。特に、キリスト教の基盤がない日本の指導者たちは、私の考えを理解するのに困難が伴うものと思います。しかし、今日の日本が摂理の中心に置かれているという事実を悟らなければなりません。神の創造理想を地上と天上世界に成就するために、すべてを投入しながら生きてきた私の生涯でした。そのような私が、これまで力を注いできたいくつかの内容についてお話ししようと思います。 第一に、今晩、ワシントン・タイムズの創刊20周年祝賀パーティーを催していますが、どうしてワシントン・タイムズを創刊したかということです。この20年間に途方もない財を投じました。ある政治的な目的があったわけでは絶対にありません。神の摂理において中心国家であるアメリカが、救世の理念をもって世界を指導する立場に立ちうることを希望して創刊しました。アメリカが享受している政治・経済・軍事的な強国としての祝福は、アメリカだけのためのものではありません。「神の下の一つの国」を築く理想が建国のスローガンだったとすれば、今からは「神の下の一つの天宙」を指向しなければなりません。 第二に、宗教間の対話と和合が、平和世界を健設するにおいて決定的な条件です。あらゆる宗教はそれぞれ信仰の儀式と教理は異なるとしても、善を指向する根本的な教えは同じです。そして、すべての宗教の出発は、人間の霊的な無知を打開するための神の摂理的な一環として、様々な文化圏の背景に従って多様に始まりました。ところが今からは、家庭の理想を通した平和理想世界の実現というモットーを中心として、皆が出会いをなさなければなりません。私が世界平和超宗教超国家連合、超NGOであるワンゴ(WANGO : World Associationof Non-Governmental Organizations)、そしてアメリカで真の家庭運動を主導しているアメリカ聖職者連合などを創設したのも、そのような出会いのための一環です。この40年の間、私が創設した統一教会の予算より10倍以上の経費を超教派超宗教運動に投じてきたのも、そのような神のみ旨を知ったためです。 第三に、人種間の葛藤を解消し、すべての人種が神の下の兄弟姉妹として一つに結ばれる地球村大家族の世界を指向してきました。五色人種は皆、等しく平等な神の子女たちです。カラーや歴史的な背景に従って優劣をつけることのできる基準はありません。ですから、神を中心とした祝福結婚を通して超人種的に真の家庭の理想を実現するのが、一つの世界を創建していく近道です。それを見抜いた私は、1960年代以降に人種と国境を超越して「交叉結婚」を主導してきました。今後、世界が狭まるにつれて、国際祝福の価値がより一層光り輝くようになるでしょう。 今この機会に、3か国の関係について摂理的な側面から探ってみようと思います。人類歴史は神の救いの摂理歴史であり、その救いの摂理というのは失ったものを取り戻す復帰摂理です。したがって、エデンの園で堕落したアダムとエバ、そして天使長の関係と、アダムの家庭の最初の結実だったカインとアベルの関係が世界的に拡張されたものが、韓国と日本の関係と、アメリカと世界の関係なのです。6千年の歴史を総蕩減する「終りの日」に繰り広げられる国際関係を、摂理的な次元で理解することができなければなりません。日本は伝統的に女性神である天照大神を祭ってきた国です。ですから、今回の会議に日本からは女性国家の代表として男性指導者たちが参加し、韓国とアメリカからは主に女性たちが参加しました。 摂理的に、韓国はアダム国家であり、父の国であるため、韓国の女性指導者たちは韓国を代表する私の妹のような立場で、神のみ旨のために精誠を尽くさなければなりません。そしてキリスト教は、来られる主の新婦のような立場にあります。したがって、キリスト教の代表国家であるアメリカの女性たちは、再臨の摂理において新婦の使命を果たさなければなりません。また、日本は堕落したエバの立場を蕩減するために、母の国としての使命を引き受けなければなりません。 さらには、韓国・日本・アメリカの3か国が中心となって平和世界を建設していくためには、一家族のようにならなけれぱなりません。ですから、その3か国が怨讐の関係だった旧怨を洗い流し、一つになる道は、韓国と日本、日本とアメリカの若者たちが「交叉結婚」をすることです。ですから、お互いの国の人々の間で血縁的な関係が結ばれれば、真の愛を中心として平和世界を建設するにあたってのモデルになることができます。私はそのような神のみ旨を知ったので、韓国と日本、日本とアメリカの若者たちを一つに結ぶ国際的な「交叉結婚」を主導してきたのです。 先ほどもお話ししましたが、アメリカは第二イスラエル圏の長子国家として天の父母に侍るにおいて、先鋒に立つことができなければならず、世界の兄弟国家を助け、率いてあげるべき使命をもっています。ですから、アメリカの女性たちの使命は大きく貴いということを申し上げます。 私は今回の会議を通して、皆様が、人類の未来に影響を及ぼしうる広範な主題に関して、より深くて真剣な討議とともに共通した合意点に到達されるようお願いします。併せて、皆様がここワシントンD.C.で3日間共に過ごす期間が、心の深い所から友誼を増進させうる機会となるよう願うものです。 この集いは、3か国の指導者たちが中心となって21世紀のための新しい基礎を固める契機となるでしょう。ですから、多様な分野で持続的に議論、協力し、連帯を強化させうるよう3か国の新しい協同体が誕生することを期待します。 紳士淑女の皆様! このような韓国、日本、アメリカを中心とした3か国の連帯のための新しい活動は、世界的な次元の平和と奉仕の文化を創建するという目標を達成するために続けられることでしょう。そして、その目標は必ずや達成されることでしょう。今後、皆様と共に始めるこの会議が、アジアと世界を率いる集いに成長するよう願うものです。皆様に神の加護が共にあることを願ってやみません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.31
コメント(0)
真のご父母様ご聖婚四十二周年記念日の御言(2/2)このみ言は、「十四万四千組聖職者祝福式」勝利の翌日、今 年四月二十八日(陰暦三月十六日)に、米国のワシントンで 行われた真のご父母様のご聖婚四十二周年を祝う記念集会に おいて、真のお父様が語られたものを翻訳し、編集、整理し たものです。(文責・編集部)◆「文鮮明先生御言選集 20020428 - 真のご父母様ご聖婚四十二周年記念日の御言(No.1/2)」Family 2002.7 P.4~ さあ、本論に入りましょう。 それでは、先生が、この立場まで、勝利の覇権を勝ち取ることができる時まで、どのような考えを持ってきたでしょうか? レバレンド・ムーン自体が、自らを尊重視したでしょうか? 「国家メシヤ」や「再臨主」 や「救世主」という名前を尊重視したでしょうか? どちらですか? 幼い時は、夢のような話です。世の中で見れば、そのような話をすれば、妄想家にもなることができずに精神病者であるというのです。見えることもなく、夢で想像することもできない、その内容を中心として、事実として信じることができる信仰圈、そのような信仰を持つことが、どれほど大変であっただろうかというのです。 皆さんたちは今、「霊界の実相」、李相軒氏のような、世の中から見ても権威があり、人格的基準においてもすべてを備えた人たちが、霊界に行って話をしても、 それを信じることができない。」と思うではないですか? 尹博士、そうでしょう? ”百パーセント信じる。”と思いましたか? ですから、どれほど困るでしょう か? すべて見て、信じることができる事実であるにもかかわらず、荒唐無稽な……。 公開された天地の中で、影もなく、表象も想像できないその世界において、「私は、このようにならなければならない。」という言葉を、お化けの言葉であると思ったでしょうか、事実であると思ったでしょうか? それでは、そのような信念を持つために、どれほど身もだえをしたであろうかというのです。そのことを知らなければなりません。そのような自信を持つため に……。 今、先生が、「霊界の話を信じなければならない。」 と、一所懸命に脅迫しても、信じることができずに、 自分勝手にしっぽを振りながら肩をいからせて、“私が考えていることが、正しい。”と思っているではないですか? そのようにしている、その事実の立場と、先生の幼少時の“信じることが難しい立場とを比較してみれ ば、皆さんたちは、百パーセント信じて余りある立場であるというのです。 そのような世界において、否定した環境的与件を削り取り、自分自身の信念基準を立て、旗を差して、天下に発表することができる、権威ある先覚者の立場に立つということが、易しかったでしょうか、難しかったでしょうか? (「難しいです。」)難しいのです。今でも、そうです。 「(神様の)王権樹立をしてさしあげたのか?」と言うとき、その決心、その事実を把握するためには、"今も、行かなければならない道が残っている。”と思うのです。“事実である。”と思って行動することができれば、天下を折り曲げて、ポケットに入れることは問題にもなりません。 ですから、先生も、(神様の)王権樹立をしてさしあげて、先頭に立って、最前線の(米国の)五十州を回ったのです。八十歳の老人として、“死ぬか生きるか”という舞台の上に立ち、この伝統を立てることができるか立てることができないか、というのです。それが簡単であったでしょうか、難しかったでしょうか? (「難しいです。」) (※管理者註:以下文中には「二十五歳」とありました。幼少期、御聖婚前のお父様お一人の時のことを語られていたものです。御聖婚記念式でのみ言です。のちに「真の父母」が出てきます。) 先生が発表しておいて、世の中が、天地のすべてが「事実である。」と言うことができ、神様が来られて、逆さまにほうり込んだとしても、ぴょんと、真っすぐに立ち上がって、「私をごらんください。」と……。 逆さまにほうり込んでも、真っすぐに立ち上がり、芽が出て、実を結び、その実を取って神様に食べさせてさしあげながら、「これでも信じませんか?」と言えばよいのですが、それ以上の決心をしようとすれば、どれほど、身もだえしなければならないであろうかというのです。 このような一人のメシヤを守ることも、大変でした。だれもいなく、反対もしていないのに、「レバレンド・ ムーンがメシヤである。」と発表すると、世の中が大騒ぎです。 国が騒ぎ、世界が騒ぎ、霊界から地上のすべてが騒ぎ、父親、母親、だれかれなく棍棒を振りかざして来て、「こいつ、事実なのか? 一族にとって、このような恥が、どこにあるであろうか?」と言いながら、一族の間では、「族譜(一族の家系図) から切り捨ててしまわなければならない。」と言ったのです。 独りです。メシヤは、一人であり、二人ではありません。極限の立場まで、独りで、その名の実体を備え、最後まで否定せず、細々とでも、そこに首が切れずにぶら下がっていてこそ、可能性があるというのです。 メシヤの概念を、自分自身の信望で立てる時まで、 どれほど身もだえしたことでしょうか? また、そのような環境になり、家庭においての艱難は、言うまでもありません。国が、三年間の凶年に入るのです。身内が問題であり、食べることが問題であり、町内じゅうで、「あの何々の家は、滅んだ。」と……。 そのようにして、兄が狂い、姉が狂い、十三人(の家族)のうち、六人(編集部注・過去のみ言の中では、 真のお父様は、たびたび「五人」と語られている)が一年の間に死んで、倒れていくのです。 さらに、犬が、息子の睾丸までは、かみ切らないのですが、男性のその部分の三分の一をかみ切るのです。なぜ、そのようなことが起きるのでしょうか? それは、メシヤの観念を持つことができないように (サタンが)追い込み、「おまえが、そのような考えをするから、一族が、このように滅びる。」と言うからです。(そのようにしてサタンは、)覆いかぶせることができる条件を、すべて、わたしの家庭に注いだのです。 皆さんは、「今まで、統一教会を信じることが難しかった。」と言うのですか? この者たち。統一教会の何が、難しいのですか? わたしが倒れましたか? 「統一教会の看板を持って帰りなさい。」と言いましたか? びくともしないので、ついて来るならついて来て、「来ないなら来るな。」と、言ったのです。 ですから、天が、神様が保護してくださったのです。もし、その人が死ねば、だれを代わりに立てて使命を継ぐように……。ですから、どれほど……。 それは、何歳のことでしたか? 二十五歳であり、その時は、解放される前です。そうではないですか? 最高の迫害を受ける時なのです。地下教会運動です。 神社参拝(を強制されること)によって、愛国者は、 国境を越えてばらばらに別れていく、そのような環境において、自分の体ひとつで日本の国境を越えた環境において、共産主義が起こした混乱状態を乗り越えたのです。五山中学校で、それをしました。 わたしが、五山学校に通っているとき、その三学年に入って、一年間、勉強し、"飛び級”をして……。世の中が、日本の天下になったのに、五山学校で日本語を学ぶことができずに、それが分からなければ、どのようになるでしょうか? それで、試験を受けて、定州普通学校の四学年に入り、一年間、延長して、その期間に全力で勉強し、(そうして、相手が)校長先生であろうと警察署長であろうと、闘うことができる実力をつけたのです。 そのような話をしようとすれば、切りがありません。 わたしが行かなければならないのは、他の人が行かない道であり、平民たちが行く道ではありません。特出した者が行く道は、特別です。だれもができるものではないのです。 そして、日本に行っても、そうです。何もしていない人のようですが、していないことがありません。今でも、そうです。皆さんたちは、先生が何をしているのか、知らないでしょう? 遊び暮らしている人のようであるのに、鮮文大学は何であり、ブリッジポート 大学は、何なのですか? 今朝も、少し話をしましたが、今からは何かというと、自分の一族を逆さまにして、腰にぶら下げなさい、 というのです。鮫(サメ)の子どもは、食べるものがなくなれ ば、最後には、父母の肉までかみちぎって食べ、骨までかみちぎって食べてでも、生きなければなりません。 サーモン(鮭)のような魚を見れば、自らの親の肉と骨を与えてでも、子孫を残そうという伝承が起きています。 魚の歴史でも、そうなのですから、人が、そのようにすれば、自分の後世は滅ぶことなく、世界の先進派となり、先進指導者となるのです。それは、"鮫の世界の王”です。分かりますね? 「真の父母」という言葉を慕い、それを思う先生の心の中で、どれほど呻吟したかという事実を知らなければなりません。どれほど身もだえしたことでしょうか? 死の境地に行っては戻って来て、また行かなければならず、十里の道を行っては五里の道を行き、三里の道を行っては一里の道を行き、一里の道を行って……。そうして、部屋の中で、一日に何度も身もだえして、”これではいけない。”と……。 "いけない”ということが、すぐに分かります。それが分からなければ、後ろが暗いのです。振り返ると、後ろが暗くなっているのです。それが分かっていれば、 霧がかかるだけなので、前が見えないことはありません。十メートル、二十メートルは、見ることができるというのです。 ですから、自分の一身が挙動して、うまく処理することができる環境になったのにもかかわらず、それを否定すれば、真っ暗になるのです。夢のような話であるというのです。 "真の父母の名を持ちたい。”と思って、だれよりもそれを慕い、どれほど涙を流したかということを知らなければなりません。名です、名。実体は、夢にも見ませんでした。 神様も、そのような心を持っていらっしゃったとしても、実体を持つことができない神様でいらっしゃるのです。それなのに、その神様の御前で、"私が実体の主人になる。”と、考えることができるのかというのです。どれほど、その名が慕わしく、雨が降っても、雪 が降っても……。 神様は、わたしたちのお父様でいらっしゃるので、そのようにしなければ、お父様を解放してさしあげることはできないのです。それは、間違いありません。 神様にしがみつけば、「首が落ちても、離せません。」と言うのです。 そのようにして、祈祷を十七時間から二十時間までしました。十五時間は、普通です。冬の季節に、綿入れの服に汗が流れるほど、座って祈祷した人なのです。 分かりますね?(「はい。」) (真の父母という)名前一つを守ることが、このように難しかったのですが、"実体圏解放の王子”のほう が、何百倍も難しいという事実を知らなければなりません。そして、世の中の家庭すべて、一族を中心として……。 先生の家庭は、愛国者の家庭です。キリスト教の思想を徹頭徹尾、武装した家庭です。臨時政府の財政を五道(五つの道)から集めて援助する、その本部が、わたしの大叔父さん(父方の祖父の末弟)でした。 ですから、わたしが幼い時に、わたしたちの家に……。 わたしの家から山岳地帯へとつながった所、先生の家の裏側に、白馬峠(백마고개)という峠のある白山がありました。それを 「샛말잔등(山の形が"馬の背”のようである、との意)」というのです。 そこは、一年中、草木が生えません。砂が固まって、そこに雨が降り、こちこちになっていたのです。たたいても、砂粒が転がるだけで、土を掘ることができません。いくら夕立があっても、いくら走っても、ほこり一つつきません。分かりますか? いくらこのようにしても、おしりが一つもぬれないのです。そこを走り回った事実……。ですから、母をどれほど、父をどれほど……。 父母の言うことを聞きません。ですから、自分の家の中が、めちゃくちゃになります。わたしは、父と母に言うのです。村にかわいそうな人がいれば、米をすくい取って与え、このように言うのです。 「そのように理解してください。お父さんとお母さんが、息子、娘をこのように(教育)したので、責任 を執らなければならないでしょう? ですから、その息子、娘は滅びません。絶対に滅びません。見ていてください。私が標準としているものを、お父さんとお母さんは知りません。」と。 女の人が子供を生んで、ご飯がなければ、家にあるお米を……。わかめは、どこにでもあります。それを包んでおいて、夜、分からないように、分けてあげるのです。それが、うわさになりました。「五山の家に行けば……」と。(先生の)目が小さいので……。 十歳を超えると、おじいさんもおばあさんも、(わたしのことを)思いどおりにできませんでした。上に兄たちがいて、年下のいとこたちがいれば、わたしも、 お兄さん格の立場になるので、自分が中間にいて、手本にならなければならないのです。 例えば、おじいさんが起きる前に、その部屋の前で待って、おじいさんの”せき”をする声が聞こえたら、「お目覚めになりましたか?」と言いながら、中に入ってあいさつをしなければなりません。 それなのに、寝坊して、昼食の時間になっても姿を見せないので、朝寝坊をしておじいさんにあいさつをするとは何事か、というのです。それで、おじいさんがきせるをトントンとたたいて、訓示するのです。 そのときに、わたしは話をしました。 「おじいさんは、この家門のあるじでいらっしゃいますが、あるじたるおかたが、孫の前で訓示するの に、舅の立場にもなって、きせるで灰皿をトントンとたたきながら、人を諭すようなやり方が、この家の教育方法なのですか?」 わたしが、そのように言うので、おじいさんも思い当たるところがあったのでしょう、「あやや。」と言いながら、姿勢を正し、それを片付けて、すまなかったという姿勢を執るのです。そのようにして、何度かやり込めると、それからは、むやみやたらに対することはできないというのです。それは、そうでしょう。 父と母も、全員……。わたしの母も、どれほど頑固か分かりません。刃のような性格です。韓国の水沢里 (京畿道九里市水澤洞にある中央修練院のこと)にある (写真の)顔は、食べることができずに……。 その(写真の)顔を見ると、わたしには、だれだか分かりません。(本当は、)美人です。美人でした。そ のような母を、わたしが……。親不孝な息子です。わたしがいれば、そのようにならなかったのですが……。 しかし、神様を解放しなければならず、人類を解放するために、「申し訳ありません。北の地に埋められたあなたを、私の手で……。挙国的な民族の歓喜を受けながら、墓参りの日を必ず……」と、約束したのです。それを、死ぬ前に果たさなければなりません。 それで、以北(北朝鮮)にいる、すべてのトップたちも、そのような贈り物を、わたしに送ってくれるの です。それは、金正日総書記の許可がなければ、贈ってくることはできません。 そのようにして、毎年、統一教会のどのような忠臣、どのような息子、娘たちから贈られてくる物よりも高い贈り物を、なぜ、贈ってくるのかというとき、すでに……。 だれに、福を分けてあげなければならないでしょうか? 以南(韓国)にいる、統一教会のこじきの群れ に分けてあげなければなりませんか? それとも、以北(北朝鮮)にいる、かわいそうな人に上げなければ なりませんか? 共産党でも、思想さえ入れ替えれば、訓練されているので……。 怨讐の世界に連れて行かれても、その世界の軍隊で訓練をして、泳いで……。その国の飛行士が、この国に来れば、彼を怨讐の国の飛行士として扱うのではなく、この国の愛国の志士として、国の勇士として、最高に高級な飛行機を先に譲ってあげることができなければなりません。そのような国になることができなければ、滅びるのです。 わたしは、そうです。米国の人でも、どこの人でも、人種が問題ではありません。韓国人。あなたたち! この韓国の人を愛しているのではないのです。 わたしが、韓国で迫害を受けて孤独なとき、 逃げて回るとき、皆さんたちが血肉を削ってでも垣根になってくれ(たとでもいうのでしょうか?)、米国も反対しましたが、最後まで反対しませんでした。それが何年間ですか? 三十年間です。米国の地には、数多くの同志たちが隠れているという事実を、わたしは知っています。分かりますか? (「はい。」) 韓国人であるということを誇ってはいけない、というのです。この(先生の)ような鉄石のような信念を 持った血族が韓国にいたがゆえに、神様が訪ねて来られたのです。そのようにして、わたしをつかんで放すことができない、そのようなかわいそうな神様を、わたしの父になろうとされて訪ねて来られた神様を冷遇することはできません。 "自分の一族が冷遇し、この国が冷遇したとしても、わたしだけは、死ぬまで忠節を守って死ななければならない。”という、鉄石のような決意を持って、今まで耐えてきたのです。 そうして、悪口を言われ、逃避して回りながら来てみると、今日、世界の宗教指導者たちを一か所に集め、世界版図において三十万以上を一度に祝福することができるまでになりました。それは、すでに天下は、わたしたちの懐に、すべて入ってきているということです。 郭錠煥氏の話が、そうではないですか? 連れて来た人を前にしてみ言を語り、十二時間以内に祝福を受けてもらっているという事実は、仮想的な結論ではありません。抽象的な結論ではありません。実質的な結論です。事実的な結論です。これは、コンセプト(概念)ではありません。そのことを知らなければならな いというのです。 「メシヤ」、「真の父母」の名を慕って、身もだえしたその時代と、今の栄光のこの環境を見るとき、神様が、どれほど苦労されたかというのです。実体を実体らしくつかんで、しがみついていくことに、わたし以上に苦労された神様に侍ることができなければならないのですが、そのうえで、孝子の道理を果たすことができませんでした。 正月の朝が訪れてくれば、日の光を見詰めるのが恥ずかしいのです。過ぎていく一年を忘れて、新年を見詰めるとき、沈んでいく太陽を、恥ずかしい思いで見詰めなければならないと思うのです。 そのような心情が継続し、今も”走ろう、走ろう。” と思っているのですが、八十歳になって、この足に、「この足め、行くべき道は遠い。こいつめ!」と……。 そのようにしながら身もだえし、決勝点に向かって行くマラソン選手のように、死ぬ前に、最後のラインに向かって撃破していくのです。 死ぬときには、一歩でも、つま先だけでも、ラインを越えて前に倒れるのであって、後ろに倒れれば、これもすべて無効になるのです。そのように考えて走って来たという事実を知らなければなりません。 メシヤの名も、それを守るために命を懸けて闘ったのも、実体圏を成し遂げるための闘いであったのです。そのことが、どれほど難しかったであろうかということを考えるとき、名を信じて行く人になりますか、実体を知って行く人になりますか? (「実体を知って行 く人になります。」) 知って、行かなければなりません。使いをさせながら行きますか、させてから行きますか? はっきりと答えてみてください。尹博士! 李鍾益氏! 問題が深刻であるというのです。 それでは、先生が実体自体として願う、メシヤ的主体の前に、相対的存在は、どのようなものでなければなりませんか? 取り戻そうとする”私の名”と実体以上に、それを高めて、天の前に紹介したいと思うのが、父母の心なのです。そのことだけは間違いないということを、わたしは知っている人です。何のことか分かりますか?(「はい。」) お金が千万金あるとしても、一日ですべて分けてあげても足りません。来年のことを考え、十年後のことを考え、後世、子孫のことを考えているのです。 ですから、先生が残した威厳を何代まで、一代、十代、百代まで保管しながら、「父母様の代わりに、私を見て、父母様のように思いなさい。」と言うことのできる、そのような代を受け継いだ子孫が、百代後の人類の中にいるであろうかという問題を反問するときが、 何度もあります。それで、「千年、万年後に、統一教会はこうでなければならない。」と、祈祷した人なのです。 わたしを見て、称賛してはいけません。望んではいけないというのです。その道を行くために、今でも忙しいのです。 きょう、この記念日、四十三回が訪れてきた最後の 切迫した最前線において、一歩でも踏み誤れば、千尋万尋もの地獄の穴に落ちるということを考えます。このような深刻な時であるということを思うとき、現れて話をするのが、申し訳ないのです。話せば、それが標題になるので、そのまま生きなければなりません。 そして、「真の父母」の名を汚さず……。「真の父母」の名を持つために、春夏秋冬、のたうち回ったのですが、皆さんたちは、真の父母を知り、「真の父母」の名を支えるうえで、どれほど身もだえしましたか? そうして、実体に侍るうえで、歴史的な聖人、孝子をのろい、”彼らは、自分の十本指の中で、六本目の指にも入らない。”と考えて、"孝子、忠臣、聖人、烈女になってみせよう。”と決意したときが、いつありまし たか? 李承徳氏! ありますか、ありませんか? 正しく生きなさい、というのです、この女性たち。一年を生きるにしても。分かりますね? 韓国の女性を、黒人世界に植えてあげなさいというのです。それは、白人社会と、この国の伝統として残るのです。分かりますか? メシヤの名を守護するために身もだえし、"実体メシヤの家庭的勝利圏を失ってしまうかもしれない。”、“祝福家庭を失ってしまうかもしれない。”と、身もだえしているところに、敗者の存在として現れた聖進の母親が反対したという事実。それを忘れることができません。忘れることができないというのです。 国を取り戻すための世界流浪の歴史を経て、ジプシーのような行脚を経ながら、国を呼び求めたということを忘れることができません。そのようなことを話せば、 皆さん……。 痛哭することなくしては、わたしも話すことができず、言うに言えない事情を抱えて生きてきた人です。 だれかが一言、「先生は、こうでしょう?」と言えば、痛哭して余りある心情を抱き抱えているのです。 きょう、明日、神様を解放して、神様がわたしを訪ねて来られて、「もう、やめなさい。」とおっしゃっても、やめることはできない生涯の道を行かなければなりません。なぜでしょうか? 八十歳になって、どうしてでしょうか? 四十代で、すべて成すべきことです。 恥ずかしいことです。皆さんが、国を中心として……。 この多くの人たちが、責任を果たすことができなければ……。倭の言葉(日本語)で言えば、「腹切り」でもしなければならないでしょう。 先生の実体圏勝利の覇権を死守するために、どれほど努力しましたか? この者たち。何のことか分かりますね?(「はい。」) "千回死んでも、万回犠牲になっても、飛んでいっても、粉になっても、骨、骨髄をすべて粉にして、はげわしのえさにしても、恨の条件の墓を埋め、谷間を埋めることができ、大洋を埋めることができ、平和の山をつくることができるのならば、私が先頭に立たなければならない。”と、このような心を持たなければなりません。 そうしなければ、今後、天の国の相続を受けることができる主流的な伝統の立場に立つことができるでしょうか、できないでしょうか? できないということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)分かりますか、分かりませんか? (「分かりました!」) 安昌成氏! (「はい。」)「分かりました。」と言いましたか、「分かりません。」と言いましたか? (「『分かりました。』と言いました。」)なぜ、口を開けて答えるべきなのに……。心で言いましたか、唇で言いましたか?(「心で言いました。」)心で言うのではありません。心と体です。(「心と体で言います。」)心身一体です。 はっきりと知らなければなりません。今から、わたしは、帰らなければなりません。わたしは、そのことを知っている人です。話さないのです。分からないと思いますか? ですから、皆さんが約束したことを、 四年が終わる前に、十二年が終わる前に……。 それで、言論機関をつくったのです。ワシントン・タイムズをつくりました。UPIをつくりました。今では、言論界の王者の立場に上がってきました。大学連盟をつくり、尹博士の歴史的な銅像を立てようかと思っていたのですが、すべて流れていきました。 わたしが手を出しても、それに合わせることができず、橋を架けて、二倍、三倍……° 前を見ても責任を持ち、後ろを見ても責任を持ち、東西南北、どこかに、自分たちが責任を持ったものがありますか? 一つもありません。わたしが抱えて、踊らせてあげなければならないという事実を見るとき、 勝利のパネルを、十四万四千組の聖職者を教育しても、誇ることがありません。 そこには、神様の悲しみと、真のご父母様の悲しみと、わたしの息子、娘が犠牲になった祭物の痕跡が染み込んでいるという事実です。これを抱えて、身もだえしなければならない道が残っているのです。 皆さんたちは、国を取り戻すために行くべき道がありますが、わたしは、家庭を取り戻さなければなりません。ですから、時間がないという事実を知らなけれ ばなりません。お金を稼いで、補充することを願うのですか? 尹台根氏? (「はい。」)今回は、どこですか? 今回は、どこから帰ってきたのですか? ロングアイランドですか? (「はい。行ってきました。」)何を捕まえましたか? (「調査を、すべてして来ました。」)調査したのなら、一匹も捕まえることができない調査が、何の役に立ちますか? 皆さんたちがする調査は、わたしは、一日でやり遂げることができます。すべて知っています。わたしが稼いだお金で、食べさせてもらって生きていこうという人ですか? 皆さんたち自身が、稼いで食べさせることができる準備をして、稼いでみなさいというのです。皆さんたちの息子、娘を食べさせようというのは、 わたしが一銭も……。 わたしの実力まで加えて、皆さんたち自身と、皆さんたちの子孫を助けてあげようというのです。三代以上を、わたしが世話をしていこうというのが、先生の考えです。分かりますね?(「はい。」)しっかりしなさい、というのです。世話にならずに。分かりますね? (「はい。」) 今から、“先生の世話にならない。”と決心する人は、両手を挙げて、立ち上がって、誓ってください。(「は い。」)誓うことによって、先生の歴史について、「真の父母」の名と、真の父母の実体を守るために、どれほど身もだえしたかということを知らなければなりません。 この世の中で、博士号がいくつあるかが問題ではありません。それでは、座ってください。 勉強をしなければなりません。 さあ、決心したので、きょうの祝賀の意義は、今から一段階、一段階、高い位置に上がっていくことができるはしごに、しがみついて泣くか、それとも、穴を埋めるために地にしがみつき、スコップで地を掘って埋めるための準備をするか、です。この二つの中で、一つはしなければならないということです。 始めたら、終わる時まで、自分の一族が、三代が、そこで死んだとしても、三代を復活させる、このような責任が……。そのようにすれば、間違いなく韓国も解放することができ、皆さんが所属した……。 分かったでしょう? (「はい。」) さあ、そのように決心したら、きょうは、第四十三回、四十二周年の真の父母の聖婚記念日ですが、来年のお母様の還暦のときには、万歳、万歳、万歳するのに恥ずかしくないようにしなければなりません。その日のために、前進、前進を誓うことを決心したという事実を……。 体面と威信を失わないように、一方通行で、決定的解答を持って回れ右をし、天の国に行っている過去の先祖たちと、自分の氏族と子孫に至るまで、「 私について来なさい。」と、宣布することができる氏族的、国家的メシヤの代身者にならなければなりません。 それが、現在、(自分が)置かれている立場であり、その立場で、天が任命しており、その任命に、宿命的な責任分担まで加えて訴えるということを、忘れないように願うというのです。分かったでしょう? (「は い。」) これを実践することを誓ったのならば、その方向に行ってみなさいというのです。それが、可能なことでしょうか? 問題ありません。反対がありません。三千里半島(韓半島のこと)のどこに心配がありますか? さあ、そのように理解して、(一人の人を指されて) あなたは、歌がうまいので、一曲、歌ってください。 (歓声)(拍手) 踊りたい人は、ここに出てきて、踊ってもかまいません。きょうの記念日に、わたしが賞を上げるかもし れません。Family 2002.7 34<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.28
コメント(0)
真のご父母様ご聖婚四十二周年記念日の御言(1/2)このみ言は、「十四万四千組聖職者祝福式」勝利の翌日、今 年四月二十八日(陰暦三月十六日)に、米国のワシントンで 行われた真のご父母様のご聖婚四十二周年を祝う記念集会に おいて、真のお父様が語られたものを翻訳し、編集、整理し たものです。(文責・編集部)Family 2002.7 P.4~ 韓国語を学ばなければなりません。韓国語を学ばない人たちは、天国に入っていくことができません。ミ スター郭(錠煥)は、「私は分からない。」と言うのです。 ですから、七年前に語ったすべての内容を、わたしは、今でも学んでいます。また、その前に話したこと、二十五歳以降に話したことや、一九六九年以降に話したことも、今、じっと考えてみると、"今のわたしよりも、もっとよく知って話をしている。不思議だ。”と思うときが、何度もあるのです。 なぜ、そうなのでしょうか? その時がどのような時であったのかと言えば、先生において、とても深刻な時であったのです。とても深刻でした。しかし、今と、その時を比較すれば、今は、あまりにも……。 その時は、深刻でした。その時は、全世界が一つになって、「レバレンド・ムーン打倒!」と言って、全世界がざわついていた時でした。それゆえに、“死ぬか生きるか”という、常に最前線に立ち、一歩でも踏み間違えば、倒れてしまうのです。 ですから、深刻な立場に立って、"今、残していかなければならないものは、復帰摂理の原則的内容なのだ。と考えました。そのために、これを、くまなく隅々まで明らかにして発表する時が、その時であったのです。それなのに、もし、死んでいたら、どうなりますか? そのように、み旨の頂上で発表した内容が、今までの五十七年間を基準としながら成し遂げられてきたという事実です。 それを成し遂げていくときに、すべて一度に成し遂げたのではなく、切り離して蕩減してきたということを、だれも知りません。知っているのは、先生以外には、いません。分かりますか? それで、第四十三回、四十二周年(の聖婚記念日)、祝福をしたというのが、四十三回……。それは、お母様が……。 東洋で言えば、還暦というものがあります。それは、六十数を超えていくのです。六数は、サタン数ですが、サタンの権限を超えていく時なのです。 そして、今年を越えていけば、お母様は六十一歳になります。満六十歳になる時なので、この時までに、 すべてのことをきっちりと一致させ、摂理史をすべて終結させなければなりません。 成熟して、還暦を迎える時には、国を持たなければなりません。氏族編成はもちろん、民族編成をして、国を持ち、国全体の年齢を代表した一つの循環的な法則を超えていくのです。 そのうえで、おじいさんの立場で、国の王の立場で祝賀を受けなければならないということを考えるとき、これを、お母様の年齢で、還暦までに成さなければなりません。その時が、ぴたっと(摂理的要請に)合うのです。 そのようにして、二〇〇三年を越えていきます。越えていけば、二〇〇四年を迎える時には、お母様は六十一歳です。それは、新しい六十数に移っていく時なので、わたしたちの摂理史、わたしたちのみ旨的な立場において、新天地に向かって超えていく時になるのです。 ですから、韓国の民は、国を取り戻さなければならない歴史的、宿命的課題の上に立っているということを知らなければなりません。 それでは、簡単に一言二言、「記念辞」として、忘れることのできない「記念辞」として話をすれば、それでよいでしょう? 長い「記念辞」を願いますか、短い「記念辞」を願いますか? 李鍾益氏!(「はい。長い『記念辞」を 願います。」)(笑い) 最も長いのが、十六時間四十五分間、話しました。 (そのように長く話せば、)ここに大小便を漏らすことになりますが、それでも、かまいませんか? 朴普熙氏が、そこで大便を漏らし、小便を漏らし、においをかいで、このように……。 そうして、「おい、こいつ。我慢しなさい。なぜ、通訳が騒ぐのか? 漏れてしまうのなら漏らしなさい。」と……。そのように過ごした日が、まるで昨日のことのようですが、それが、歴史的な一つの記録になっています。長いのがよいですか、短いのがよいですか? さあ、目は、早くまばたきするのがよいですか、ゆっくりまばたきするのがよいですか? 安心して、ゆっくりまばたきする人は、癖が、このようになれば、大きなほこりが入ってしまいかねません。そのようなことを防御するためには、頻繁にまばたきすれば、小さなほこりも、防ぐことができるのです。 ですから、どちらがよいですか? 長いのがよいですか、短いのがよいですか? (「短いのがよいです。」) それでは、話は、どうですか? 李鍾益氏は、悔い改めてください。拍手してください。悔い改めてください。(拍手) わたしも、今までは、無知で愚かな者たちを迎え入れて、繰り返し繰り返し行って、若い人たちにもして、青年たちにもして、壮年たちにもして、おじいさんにもして、して、して、そのようにして、老いて死にそうなおじいさん、”グランド・ファーザー”になってしまったのですが、そんな今でも、「長くやれ。」と言うのですか? それでは、「死になさい。」ということでしょう?(笑い) ですから、幼い子供の言葉は、お父さんを呼ぶときも「マンマ。」、お母さんを呼ぶときも「マンマ。」と言いますが、それでも分かるのと同じように、今では、もうこのくらい育ったので、お父さんを呼ぶ「マンマ。」 なのか……。 おなかがすいたときに「マンマ。」と言えば、それでお父さんもお母さんも呼んでいることになるのです。分かりますか? 分かりますか?(「はい。」) ここに立っている人の名前は、何ですか? (「・・・・・・。」) ここに立っている人の名前は、何ですか? (「『真のお父様」です。」)「真のお父様」とは、何ですか? 「名前は、何なのか?」と言っているのです。名前は、何ですか? (「「レバレンド・ムーン』です。」) どうして、英語では「レバレンド・ムーン」なのですか? それは、"尊敬する”という意味にもなるでしょう? ムーンを尊敬して、よいのですか? ですから、"ああ、米国人は、『レバレンド・ムーン』 と言って、尊敬すべきムーンであると思っている。この米国の女性たちは、皆、ムーンを好むので、女性たちが、女王のような振る舞いをしているのだなあ。”と思うのです。 なぜ、「レバレンド・サン」と、言わないのでしょうか? 「鮮明」であるのに、どうして「文」を先に言うのですか?「 レバレンド・サン」と言えばよいのに、「レバレンド・ムーン」と言っています。 米国人の伝統的な習慣が、女性を尊重し、女性を好むので、「鮮明」よりも「レバレンド・ムーン」と言うのです。それが伝統として残されたので、しかたがなく、この国の風習に従わなければならないので、わたしも、「レバレンド・ムーン」と言いました。 しかし、本当は、「レバレンド・サンムーン」と言いたかったのですが、「サン」と呼びたいと思うのを我慢して、「ムーン」と呼ぶようになったのです。どうですか? それを、今から、「ムーン」を片付けて、「サン」にしてくれなければなりません。そのようにしようとすれば、男性たちを自分以上に尊重することができて、 初めて「レバレンド・サン」と言えるのです。「レバレンド・ムーン」よりも、「レバレンド・サン」……。 「レバレンド・サン」がよいですか、「レバレンド・ムーン」がよいですか? どちらですか?(「『サン』です!」)(『「ムーン』です!」) (笑い) さあ、「サン」がよいと思う人は、右手を挙げてください。では、「ムーン」が良いと思う人は、左手を挙げてください。それは、"お母様がよい。”と思っている 人と同じです。 「『サン」がよい。」と言うのは、"お父様がよい。! ということです。米国の人たちは、お母さんを、より 好むのですか、お父さんを、より好むのですか? 米国の者たちは、お父さんを好まずに、お母さんを好むので、「レバレンド・ムーン」と言うのです。それは、 何でしょうか? 米国の女性たちは、あまり好きではありません。(笑い) 八十歳になったおじいさんが、「レバレンド・ムーン」 なのかどうか知りませんが、八十歳の”グランド・ ファーザー”になり、歩くときも、このように歩き、 このように歩き、このように歩き、このように歩かなければならないのですが、さっさっさっさっ! さっ! と、このように……。(歓声) (拍手)皆、喜んでいますね。 今から、先生が何歳まで生きればよいですか? 何歳ですか? 子供たち。今から、先生が、あと何歳まで生きればよいですか? あの後ろに座った人たちは、間違いなく年を取った人たちです。前は、間違いなく幼い子供たちです。ですから、幼い子供たちが前に座っているので、後ろに 座った人は、若くても年を取っていても、同じように年寄り扱いされるのが、当然の道理です。 それは、なぜでしょうか? 前には、幼い子供たちがたくさんいるので、後ろには、年を取った人たちが座らなければならないのですが、若い人が後ろに座っていたとしても、それは、おじいさんやおばあさんと同じ扱いをしなければなりません。わたしが、この者たちを捕まえて、できる仕事をさせればよいですね。入れ替えなければなりません。 わたしが、何歳くらいまで生きればよいですか? (大勢の人がいっぺんに答えて、よく聞き取れない)代表で立って、答えてみてください。何ですか? 何歳 ですか? (「四十四歳です。」)四百歳ですか? (笑い)(拍手) 人が四百年、四千年……。わたしは、四千年以上の蕩減をしたので、指折り数えて四千年も、すべて忘れてしまったのに、何が「四十年」ですか? この人は。(笑い)蕩減……. さあ、それでは、「あと十年だけ生きなさい。」と言っても、先生は九十二歳になります。韓国の年で言えば、九十三歳です。「九十三歳まで生きなさい。」と言うのは、祝福ですか、災いですか? 何ですか? (「祝福 です。」)この者たち。この者たち! 皆さんたちは、老いて死にそうなおじいさんを、公的な式を行う日になりさえすれば、いつも、このように壇上に立たせて、"死ぬほど話をさせよう。”と思う者たちではないですか? 先生は、死ぬということを忘れてから、もうずいぶんたちました。二十代に決心したのです。自分が行 く所をすべて知り、霊界を知っているのに、何が恐ろしいのでしょうか? 銃剣を恐れたでしょうか、死の道を恐れたでしょうか? 先生は、米国に来て、三年半で米国を持ち上げて、その方向を設定したのですが、三年間が過ぎてみると、天下の米国が、「ああ、恐ろしいレバレンド・ムーン。」と……。 米国を中心として、世界の人々が、「ヤンキー、ゴー ホーム。」と言っていたのですが、約三年半の間、旗を掲げて、米国の都市全体を回り、CIA(米国中央情報局)が、それを調査するために、三年間ついて回ったというのです。 CIAが調査しようとすれば、六か月から一年以上かけなければならないのに、先生は一年間で、会社を 十から二十もつくってしまったのです。ですから、何百年間かけても、ついて来ることができません。そのようにして、約三年過ぎてみると、すべて離れてしまったのです。 そのように、ついて来ることができませんでした。調査をして、それを記録しながら、ついて来ることができるでしょうか? 三年前ですか、朱東文氏? 一年間で何回、大会をしたのですか? (「百十三回、なさいました。」) 百十三回と言えば、米国政府の各部署が、二年間から三年間かけて、やっと行うことができる大会(の数)ですが、それを一年間でしたのですから、"一週間で二回ずつ行った。”ということになります。それは、どれほどの”大会のチャンピオン”ということになるでしょうか? 米国の国務省自体も、「ああ、大会は統一教会に行って学んできなさい。」と言って、人まで送ってくるのです。大会を、うまくやるでしょう? 大会は、難しいですか、問題ないですか?(「問題ありません。」) 問題がありますか? (「ありません。」)問題がありますか? (「ありません。」)問題がありますか? (「あ りません。」)問題がありますか? (「ありません。」) (笑い)この者め! 今、大学に通っている者が、「問題ない。」と言っています。(笑い)(亨進様のことについて)これは、レバレンド・ムーンの息子だから、そのように言うのです。「問題ない。」と言うのです。 (亨進様は、)空手に問題があり、柔術に問題があり、 テコンドーに問題があっても、三か月間、通えば、「ああ、お父様。すべて終えました。」と言うのです。三か月あれば、すべてやってしまいます。できないものがない、というのです。最近では、(亨進様は、)外貌も 中国人のようになってしまいました。見てください。髪の毛をそってしまったのです。(笑い) 中国人の服を着て歩き、統一教会の青年たちは、“クリーンカットしていることで有名なのに、こじきの親分のようにして歩き回るので、父親のメンツが立つでしょうか? それで、先生が、「そのようにするのは、やめなさい。」と言うと、「なぜ、『やめなさい。』と言うのですか? 「文化人というものは、その国の法のとおりに、その伝統を骨髄としていかなければならない。」と、お父様がそのようにおっしゃり、統一教会も、『地上で、天の国の主流を行きなさい。』と教え、それを、お父様が誇っていらっしゃるので、私も、"そのようにしたい。”と思っているのに、なぜ、反対するのですか? ほうっておいてください。」と言って、大騒ぎしたのです。それで、お母様を通して一度、きつく言ってあげたのですが……。 そのように注意でもしていなければ、今ごろは、間違いなく、笠をかぶり、僧侶の服を着て、ここに座っていたことでしょう。前もって気合を入れてあげたので、今、このようにして座っているのです。しかし、今でも、見てみれば、わたしが直してあげるところが、たくさんあります。 ところで、(亨進様は)また、どうしてこのように背が高いのでしょうか? 米国人でも、この人を超える人は、三〇パーセントもいません。一〇パーセントも難しいでしょう。何のことか分かりますか?(笑い) (亨進様に向かって英語で語られる) (亨進様は、)それほど背が大きいというのです。そうであるか、そうでないか、すべて比較してみました。父親になって、そのようなことを知らなくてよいでしょうか? そして、できないことがありません。ここで一度、 テコンドーの訓練をさせてあげましょうか? それを "見たい。”と思うのならば、拍手してください。(拍手) それでは、きょうの真の父母の堅苦しい記念の話は、「お父様とお母様が結婚して、新しく真の愛で出会った日である。」と言えば、それでよいでしょう。 先生が、「息子が、このような武術を見せてあげる。」 と言うと、それで皆さんが、もっと大きく拍手するのを見ると、皆さんは、"お父様は退いて、それを見よう。 と思っているようですが、お父様がいて、(武術の演武 を)しますか? それとも退いて、息子だけで(演武を)しますか? どちらですか? (亨進様に向かって)さあ、早くしてください。早くしなさい、この子は。服を脱ぎなさい。(笑い)(拍 手)脱いで。さあさあ、立ちなさい。これも脱がなければなりませんか? これもですか? 靴です。靴を脱いでください。棍棒は、ありませんか? それだけしますか、棍棒もやりますか? 皆、喜んでいますね。 (「はい。」) さあ、応援、応援、応援。(歓声)(拍手)出てきなさい、この子は。さあ! 天井に当たって壊れても、 かまいません。やりなさい。(笑い) ガムをかまずに、舌をかみなさい。かまいません。それを注意してやりなさい。やりすぎないように。 (亨進様の武術演武) 面白いですか? (「はい。」)先生が、み言を語るよりも、何十倍も喜び、皆、笑って、"オープン・ゲート” です。そして“オープン・アイ”、"オープン・フェイス”です。 さあ、きょうは記念日なので、一つだけ話しましょう。 先生が言う蕩減復帰、救援摂理というものが、簡単ですか、難しいですか? (「難しいです。」)どのくらい難しいですか? (「とても難しいです。」) それが、どのくらい難しいか分かりませんが、創世以降、今に至るまで、神様が監獄生活をされながら、"無力な神様”になってしまわれていたのは、堕落以降の蕩減復帰が難しかったからです。それは、理論的な結論です。分かりますか?(「はい。」) ですから、先生がみ旨を知り、このような膨大な内容に責任を持って、大道を築かなければなりません。 高速道路を築かなければならないのですが、そこにある河も、世界の歴史にない河であり、山も歴史にない山であり、谷も歴史にない谷であり、平野も歴史にない平野なのです。そのすべてのものを水平……。 水が満水になるときには、水平になるように、水平の世界を創らなければ、蕩減復帰完成の時代を迎えることはできないというのです。ですから、水平にする のは、易しいでしょうか、難しいでしょうか? (「難 しいです。」) 尹博士。どのくらいですか? 物理学の博士で、韓国 において、"自分が原子力発電所をつくった。”と誇っていますが、それよりも難しいでしょうか、やさしいでしょうか? (「難しいです。」) どのくらい難しいでしょうか? 文総裁という人が、優れた人であると思いますか、愚かな人であると思いますか? 황협주氏? 狭まっ たその谷間において、この世界にまたとない蕩減復帰をすることが、可能なことでしょうか、不可能なことでしょうか? (「可能です。」)可能ですか? (「すべて 終わりました。」)いつ、終わったのですか?わたしは、あなたに尋ねたのですが、自分独りで終えたのですか、この者め。(「勝利は、決まっています。」) 決まっているのですが、自分が、そのようにしたのですか? (「お父様が、されました。」) 「お父様」とは、どのようなお父様ですか? お父様に尋ねるのですか? あなたに尋ねているのです。あなたが答えないといけないでしょう? お父様を借りて言えば、偽者ではないですか? 難しいのです。 それから、米国人、ドイツ人……。世の中で、最もひどい人は、ドイツ人です。神様が、ドイツ人を立てて蕩減復帰歴史の責任を持たせてみよう。」と考えられたでしょうか、考えられなかったでしょうか? また、イギリス人。これは、海賊の王です。ポーラベア(北極ぐま)時代から(北極圏にいる時代から)、 何半島ですか? スカンディナビア半島を下って来たのですが、そこは、海賊の基地です。イギリスは海賊の基地です。イギリスは、海賊の基地なのです。パイレーツ・サイトです。 彼らが、イエス様を信じて、すべて目覚めたので、 "ローマよりも優れていなければならない。”と思ったのです。そしてまた、"スペインよりも優れていなければならない。”、“旧教(カトリック)の者たちよりも優れていなければならない。”と思って、このようにして、アングリカン・チャーチをつくり、"旧教よりも優 れていなければならない。”と思ったのです。 そのようにしようとすれば、海洋圈……。十六世紀のイギリスの女王が、そうではないでしょうか? ですから、海洋政策を立てて、スペインと戦わなければ なりません。ポルトガル人が問題ではありません。旧教を背景としたスペインの国は、ラテン文明ではないですか? 旧教は、ラテン文明です。そうでしょう? (「はい。」) それが、アングロサクソンです。「勝たなければならない。」と言って……。これが女王です。女王は女性なので、女王を代身して、海洋圏で発展し、スペインまでついて来て、ここに来ても戦いました。そうではないですか? もともとは、ポルトガルが、先に海洋開発をしたのです。スペインが受けたものを、イギリスが奪うために戦い……。これが、だれの基地でしたか? 旧教の基地だったのですが、すべて奪ったというのです。このような話をしようとすれば、切りがありません。 この海賊の基地であるイギリスが、“五大洋六大州に日の沈む日がない。”というのです。インドのような所は、三百年間、(イギリスが)支配したではないですか? 文先生のような思想があれば、三百年間、ただ捕まえて食べるよりも、煮て、焼いて、骨まで砕いて、餅にして食べてしまったというのです。 旧教が何をして、新教(プロテスタント)が何をしたのですか? (米国の歴史は) 二百何年間ですか? (建国の) 一七七六年から(今まで) 何年たちましたか? 十年しかたっていないというのですか? 米国 人は、計算が得意なので、それを正しく計算してみてください。 米国は、その間に、世界の一等国になったというのです。それは、米国人が優秀で、そのようになったのでしょうか? 新教文明圏なので、発展したのです。イギリスが優れているのでしょうか? それで、“五大洋六大州に日の沈む日がない。”というのですか? イ ギリスに行ってみなさい、というのです。すべて、どろぼうしたもので……。 ロンドンに行ってみれば、"博物館でない所がない” というほどです。しかし、わたしは、そのことでどれほど気分が悪いか分かりません。さまざまな国の王宮 から持ってきたものを、すべて自分たちの国でつくっ たかのように置いてあったというのです。いつか世界を動員して、(イギリスの) 博物館に設置された物を、自分の本国に取り戻そうという争いを起こせば、一瞬のうちに、イギリスは飛んでいってしまうというのです。 このような話をすれば、切りがありません。 ですから、「蕩減復帰」という言葉です。そのまま、 ただ「復帰」なのではなく、なぜ「蕩減復帰」というのですか? 「蕩減復帰」とは、ブラスを加えて「二」 になり、さらに二を加えて「四」になるのですか? プラスとプラスですか、ブラスとマイナスですか? サタン世界のプラスを取り戻すためには、そのマイナスに……。 天は、十分の一しか持っていらっしゃらないのです。 "十回戦って、一回勝つかどうかというのが、神様の立場であられるということを知らなければなりませ ん。蕩減復帰が、どれほど難しいのかというと、十分の一を、神様が希望を持って願われ、それもできずに、死の境地で耐えてこられた神様であるというのです。それが、どれほど、あっけにとられるような話でしょうか? そのように、天の側に孝子がいなかったのであり、 天の国を取り戻す忠臣がいなかったのであり、世界の聖人や聖者が、堂々とした世界的な指導体制を備えながらも、そのように考えた人が、一人もいなかったのです。一人もいたのですか、いなかったのですか? 何ですか? いたのですか、いなかったのですか? (「いませんでした。」)いなかったというのです。 何千年も前から、そのようなことを知って、「わたしもやる。だから、あなたたちもやらなければならない。」 と、教えてあげていたならば、どのようになっていたでしょうか? 国を売り、大陸まで売り、太平洋まで売ってでも、世界を救うべき運動が、今も残っているのです。そのようなことを、夢にも思わずに生きていたというのです。 その中で、怪物です。「怪物」とは、何でしょうか? 五官があるのですが、目があったとしても、それは怪物の目、鼻があったとしても怪物の鼻、口があったとしても怪物の口、耳があったとしても怪物の耳、それから何ですか? 「目もそうである。」と、言ったでしょう? そうして、手があったとしても怪物の手、体も怪物の体、怪物の親分のような人が出てきて、その人が神側になり、「だれか、わたしの相手をする人がいれば、 出てきなさい。」と言って、サタンでも何でも、首をつかんで、一度、激しくたたけば、飛んでいくというのです。亨進が、「はー。」と、このように(空手の息吹を)するのと同じようにです。 そして、「わたしは、怪物の王である。悪魔が、怪物のいちばんの王ではなく、わたしが、悪魔を怪物扱いして倒すことのできる大王陛下であり、わたしは、怪物の王である。」と言うことのできる人が出てきても、 神様を解放させることができるであろうかというのです。神様は、十分の一です、十分の一。のどを詰まら せて、それを願ってこられた神様の身の上が……。ああ! “王の中の王になることができるものを、すべて失ってしまわれ、こじきの下女のような、奴隷が残した腰ひも一つにしがみついて、世界をすべて取り戻そうと いう身の上が、神様の立場よりもましではないだろうか。”ということを考えるとき、救援摂理の「蕩減復帰」 という言葉は、どのような言葉であろうかというので す。不可能な言葉です。 蕩減が好きな人は、手を挙げてみてください。賞を上げるので、”蕩減が好きだ。"という人は、手を挙げてみてください。一人もいませんね。「"蕩減が好きだ。”という人は、手を挙げなさい。」と言うとき、わたし一人しかいません。 なぜ、笑うのですか? 見栄えの良い美男美女なら分かりませんが、最も見栄えの悪い醜男醜女の姿をして、このようにしているのですか? 気分が悪いですね。昼食の時間になったのに、ご飯を食べることがで きません。(笑い) さあ、このくらい話せば、どれほど難しいか分かるでしょう。ここは、日本人ですか?(「はい。」)<2/2に続く> さあ、本論に入りましょう。 それでは、先生が、この立場まで、勝利の覇権を勝ち取ることができる時まで、どのような考えを持ってきたでしょうか? レバレンド・ムーン自体が、自らを尊重視したでしょうか? 「国家メシヤ」や「再臨主」 や「救世主」という名前を尊重視したでしょうか? 19 Family 2002.7一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.22
コメント(0)
真の父母様、文鮮明総裁のみ言・ケンカの話し?2024/10/16ケンカの話し?ではなく、話しの話し(言葉が問題)ジョークは、必要男女の問題、愛の関係神様(天の父母様)は、いるのか?言葉、口に注意⚠️より深い気づきがありますように祈ります。全てに感謝します。(真のお母様に感謝します)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.16
コメント(0)
「人類救済は真の家庭から」(02.04.27 14万4000組国際聖職者祝福式晩餐会 シェラトン・ナショナル・ホテル) 盛大に聖職者祝福式 米国のキリスト教牧師などでつくる「米国聖職者指導者会議(ACLC)」(本部・米国ワシントン)は二十七日午後、ワシントン近郊のホテルで、大規模な国際聖職者祝福式を開催。神の前に永遠の結婚を誓う同式には、さまざまな宗教・宗派から約七百組以上の聖職者カップルが参加、ACLCの祝福運動をさらに推進していくことを誓った。 ACLCは、二〇〇〇年五月、超宗教・超国家の平和運動を推進している文鮮明師によって創設された。 同祝福式のサブタイトルは「家庭のために立ち上がり、国家を救おう」。式のメーン会場の最前列には、文師がマッチングした聖職者・日本女性のカップル多数を含む二十一組が着席。 この二十一組には、マルコムXの元ボディーガードで、ハーレムの父と呼ばれるチャールズ・ケニヤッタ牧師(82歳、アワースクエア・バプテスト教会)のカップルも含まれている。ケニヤッタ牧師は、ACLC議長のジョージ・スターリングス大司教(イマニ・テンプル)らとともに、同日の式に向け祝福の意義を語る全米講演ツアーを行ってきた。 会場には、さまざまな宗教・民族を代表する衣装で着飾った聖職者夫人の華やかな姿もあちこちで見られた。今回の祝福式では、ドン・オルソン牧師(セント・ルーク・ルーテル教会)が開会の祈祷をささげた後、郭錠煥・世界平和超宗教超国家連合議長が礼式の辞を述べ、「真の愛の生活の模範者となり、退廃的な社会に対する新しい希望の基台となってください」と強調。ガイアナ元首相のハミルトン・グリーン氏は「このイベントは世界に対するメッセージだ。文師のこの運動は、本当にタイムリーだ」と述べ、ACLC運動に大きな期待を表明した。 式の模様はサテライトおよびインターネットを通じて米国内および世界各地で開かれた祝福式に中継された。同式にはワヒド前インドネシア大統領、タミー・レモン・ゲサオ現パラオ大統領のほか、イリノイ州知事など四人の州知事、二十五人の連邦上下両院議員が祝電を寄せた。 同式では、イスラム教のアラマ・ムハマド・フセイン・アクバル師、ユダヤ教のイツハク・バー・デーア師、米国で著名なウイリー・ウイルソン牧師を含む宗教・宗派の代表十人が祈祷をささげた後、厳粛な雰囲気の中、主礼の文鮮明師夫妻が入場。聖水儀式(新郎新婦に聖水をかける式)、成婚問答、主礼の祝祷、指輪交換に続き、文師は十四万四千組聖職者の祝福達成を宣言した。(4/29付世界日報一面より)-------------------------------------------------------------------------------- 聖職者祝福式に参加した皆様に、お祝いの言葉を述べたいと思います。すべての人類が民族、教派を超えて一家族になる祝福であり、調和と愛の新しい歴史の出発です。 私は八十年余りの生涯を通して、一なる神を中心とした世界平和のために働いてきました。祝福家庭とは何でしょうか。真の父母なくして真の子女、真の社会はありえません。今日、真の家庭の正確な定義はありません。人類はこの点について無知に陥っています。問題は、人間が明確な目的なく生きてきたことです。宗教の究極的目的は、個人の救いだけでなく、家庭の救いまで完成することです。歴史を代表する家庭の正しい基準を、宗教は設定しなければなりません。それなくしては、地上に世界平和を確立することはできません。外的環境がいくらよくなっても、真の家庭なしでは世界は破壊されてしまいます。 父母、夫婦が分かれ、子女をもつことができないことは悲しいことです。歴史上の多くの聖人、聖賢は、神の理想世界、平和の基礎が家庭にあることを認識しませんでした。中心的家庭が地上に顕現しなければなりません。真の家庭から、新しい歴史の理想が出発します。 キリスト教は第二イスラエルです。真の家庭なくして真の目的に行くことはできません。家庭の基盤が弱まると、社会は崩壊します。神が人類を救済する出発点は、国でも、天才的個人でもなく、真の家庭です。真の家庭こそ、これらすべてを超越する出発点です。すべての人に、家庭の門につながる資格が必要です。 カトリック教会では、深刻な性の問題が起きています。独身主義の限界です。神の理想は、真の男女による真の家庭によりもたらされるのです。聖職者は真の家庭のモデルをつくり、他の模範にならなければなりません。新しい運動が出現しなければならず、本然の基準がなければなりません。 歴史は神の復帰摂理であり、創造理想を復帰するための摂理です。イエスは家庭について最も多く、最も真剣に話しました。創造神と人間との唯一の関係は、親子の関係です。それは単なる創造者と被造物の関係を超える真の愛の絆です。イエスは、自分は花婿であり、あなたは花嫁であると言いました。それは真の愛の関係です。子供は夫婦の愛の結実です。人間は神の王子、王女であり、神のすべての権能を相続します。イスラエル民族は神の選民でしたが、キリスト教は、来られる主の花嫁の立場に立つ宗教です。聖書の子羊の婚姻は、キリスト教の花嫁の宗教としての使命を示しています。イエスは地上に来て、花嫁を迎え、家庭をつくり、家庭の主となるべきでした。しかし、イエスは家庭理想を完成できず、十字架につかれました。イエスは家庭をつくったあと子女を生むはずでした。その子供は神の孫息子、孫娘となるはずでした。 神は、すべての人のモデルとなる神の家庭を創建されようとしました。堕落人間はこうした家庭を希求してきました。理想家庭の完成が、すべての宗教の目的です。すべての人間は、真の家庭をつくる道をゆかなければなりません。堕落世界の人間は神の人を嫌います。この複雑な状況のゆえに、イエスは、自分の家庭が敵になるだろうと言われたのです。イエスが完成したかったのは、神を中心とした一つの家庭です。イエスは家庭を確立できなかったので、再び来ると言われたのです。再臨の目的は真の家庭をつくり、真の国家をつくることです。それが神の理想です。神を中心とした家庭を地上に樹立し、神の血統を残すことです。 真の家庭が確立されなかったので、神は復帰摂理を進めてきました。神が第一代で、アダムとエバは第二代、アダムの子女は神の孫です。三代にわたる家庭が完成されるはずでした。堕落の結果、第二代、第三代が失われ、血統が神の血統からサタンの血統に転換されました。イエスが家庭をつくれば、神の第二代、第三代が復帰されるはずでした。そこから、国と世界ができるはずでした。この家庭が確立されませんでした。サタンが与えたサタンの血統が、神の血統に転換されなければなりませんでした。アダムとエバは本来は人類の父母となるべきだったのです。神は、それに代わる真の父母を地上に確立し、神の血統を樹立しようとしてきました。祝福された家庭は、神の第三代、孫の立場に立ちます。神の孫の家庭になります。神の血統、生命が受け継がれます。生命と愛以上に血統は重要です。 祝福の価値は、宇宙にも替えられない価値をもちます。祝福は、人類の真の父母として来られた文師によってのみ可能になりました。文師は米国で三十年間苦労の道を歩んできました。祝福家庭とは、神を中心とする理想家庭です。来られる主は家庭を必要とします。来られる主より前に、家庭をもつことは正しいことではありません。来られる主が真の家庭をつくり、全人類がそれに接木されなければなりません。皮膚の色の違いも問題ではありません。すべての人が通過しなければならない門は、共産主義世界でもなく民主主義世界でもありません。本然の理想家庭です。神を中心とする理想家庭を構築しなければなりません。平和の国、平和の世界、理想家庭、理想世界を地上に創建しなければなりません。それが神の世界摂理を完成する唯一の道です。それは国からではなく、家庭から出発します。共産主義世界や民主主義世界からでなく、皆さんの家庭から始まります。聖職者は、家庭、地域社会を救い、国を強化するための前線に立たなければなりません。それは言うのは簡単ですが、実行するのは難しいことです。アメリカの大統領になるよりも重要なことです。われわれは世界を変える前線に立ちます。祝福された牧師は、教会を通して祝福運動を拡大し、平和の国の開拓者になられんことを。 神の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.14
コメント(0)
祝福家庭と理想世界2002年4月27日(土)に米ワシントンD.C.をはじめとする世界189か国で、直・間接に衛星中継とインターネットを通して挙行された。本講演文は、ワシントンD.C.のシェラトン・ナショナル・ホテルで開催された14万4千組の聖職者祝福勝利祝賀晩餐のときに語られたみ言である。 本日、歴史的な超宗教・超人種・超国家から成る14万4千組の聖職者の祝福結婚式に参加した当事者の皆様に心よりお祝い申し上げます。 真の家庭の理想を中心に宗派と教理を超越し、五色人種が一つとなったこの日は、葛藤と紛争で突き進んできた人類の文明史に、和解と愛が勝利した歴史的な一日として記録されることでしょう。私は過去80年あまりの生涯を通じて、私が創設した宗教団体を飛び越え、神の下の一つの平和世界を建設することに全心全力を尽くしました。 今やその実を結んだこの意義深い場で、さまざまな宗教団体の指導者の皆様と分かち合おうと思うみ言は「祝福家庭と理想世界」です。 この世の中には数多くの人々が暮らしていますが、彼らは皆、家庭に属しています。ところが、真なる家庭がなくては、真なる子どもを育てることができないのであり、真なる社会の形成も不可能なのです。真なる家庭が基礎になって、真なる社会、国家、そして世界が建設されるのです。真なる家庭とは、神の真の愛を中心として築かれた家庭をいいます。 今までは真なる家庭が何かという定義がありませんでした。それだけでなく、真なる人間が指向しなければならない目標が何かもはっきりとしていませんでした。どこから来て、どのように生き、死後はどこに行くのかを知ることができないまま、無知に置かれてきた人間だったのです。そして人間が到達しなければならない目的、修養の基準、そして人間完成の限界点が規定されないまま歴史が続いてきました。個人がそのような立場にあったので、家庭的な基準も立てられるはずは決してありませんでした。 そのように見るとき、数多くの人間たちが人生行路でさまよっているのも問題ですが、私たちが忘れてはいけない、さらに大きな問題は、真なる個人を中心とじた真なる家庭の基準が立てられるべきだということです。その問題が、人類の行路と人類歴史の途上に残っているのです。 それでは人間の霊的な無知を打開してきた宗教が指向すべき最後の目的は何でしょうか。個人の救いも意味がありますが、家庭を救わなければなりません。まず、家庭を探して、人間たちを罪悪の中から解放しなければなりません。 真の意味で歴史を代表し、時代を代表し、そして未来を代表する家庭を探さなければなりません。ひいては、世界の人類が皆一様に望む家庭の基盤と家庭が指向すべき程度の基準が確定されなければなりません。どこから家庭の制度が始まり、どこを指向すべきかということが決定されなければならないのです。そうならない限り、地上に平和の世界を創建することはできません。すべての家庭が健康でありえないとき、世界は一時に破綻しうるということを知らなければなりません。 家庭には父母がいると同時に夫婦の因縁があります。父母がいなかったり夫婦が分かれていても不幸ですが、愛する配偶者を失うようになるときは、この上なく悲惨で不幸なものです。それだけでなく、夫婦が子どもをもてなくても不幸であらざるをえません。たとえ、外的には大きく成功できなかったとしても、家庭で真なる父母、夫婦、子女を中心として愛を完成して、他の人たちがその家庭を見習いたいと思うほど平和に暮らすなら、その家庭は幸せな家庭であるということは否定できないでしょう。 今日まで聖賢と賢哲が平和を語ってきましたが、家庭が真なる平和の起点であるということをよく知りませんでした。それは神の創造理想が、理想家庭を土台にした平和世界の建設であるということを知らなかったためです。 今まで世界の歴史に各種の革命が数えきれないほどたくさん起こりました。そのような革命によって世界を動かしたケースが多かったとしても、それらはすべて過ぎ去ってしまいました。最後の問題は、真なる家庭を築くための革命を起こすことのできる一つの中心が地球上に現れなければならないということです。ですから、そこから新しい世界が創建され、新しい歴史的な理想が出発しなければなりません。それが第一イスラエルであるユダヤ教から第二イスラエルであるキリスト教を通して伝授されてきたメシヤ思想です。 正しい家庭をもてない人が正しい方向に生きていけるでしょうか。そのような人は生きていっても、安定した終着点を見いだすことができずに戻ってくるしかないでしょう。ですから、再び家庭に訪ねて入っていくしかないのです。そのような運命を背負った人生行路なのです。 本郷を追求していく人間の力が、すべての歴史と環境に影響を及ぼして幸福の基台を築く動機とならなければなりません。そのような人間の力の基盤となる家庭は、どこにおいて築くことができるでしょうか。今日すべての宗教は、社会のために貢献する以前に家庭の基礎からまず設けなければなりません。なぜなら、宗教が社会のために貢献したとしても、その社会を形成している家庭の基礎が崩れれば、社会の基盤も崩れてしまうからです。 そのような点から見るとき、神が、堕落した人類を救うための最初の起点はどこでしょうか。ある文明を誇る特定の国家でしょうか。違います。社会のある組織が理想的な組織だからといって、その組織を中心として救うでしょうか。違います。それでは天才的な素質をもったある個人を中心として救うでしょうか。それも違います。それなら何でしょうか。 そのすべてを超越しうる一つの起点が真なる家庭であるということを知らなければなりません。したがって、今日の人間たちはそのような家庭の門を通過した資格を備え、世界へ向かうことができなければなりません。そのような主義と思想をもつことができる個々人が出てこなければなりません。 それではどうして、仏教とカトリックでは独身生活を強調してきたのでしょうか。独身主義が真の幸福の基盤であるということができるでしょうか。そのようにいうことはできないのです。いかなる宗教や主義も、真なる幸福の根源がどこにあるかを教えることができなかったので、彼らは独身生活をしながら将来現れる純潔で正しい家庭の契りを立ててきたのです。昨今持ち上がっているカトリック内部の深刻な問題は、13世紀以降に続いてきた独身主義に対する根本的な見直しが必要であるという事実を物語っています。 神のみ旨は、真なる男性と女性が築く真なる家庭を通して成就するようになっています。それゆえ、聖職者たちが率先して理想家庭を築き、世の中の人々に手本を示さなければなりません。 今日アメリカだけでなく全世界では、青少年たちの脱線と堕落が健康な社会を脅かしています。世界は人間の力と愛では収拾することができない終末的な状況に置かれています。それゆえ、新しい運動が展開されなければなりません。すべての誤ったものを清算し、本来の基準で新たに出発しなければなりません。 そのような意味で、歴史は本然の理想世界に向かって、古いものを清算し、新しいものを再創造していく再創造の復帰摂理歴史です。ですから、過去のものと新しいものがぶつかるのです。今までは、だれもが家庭を思いのままに立てましたが、今後はそのように立ててはいけません。 様々な宗教の創始者たちの中でイエス様は、特別に家庭について深刻なみ言をたくさん語られました。イエス様は、神をどのようなかたであると言いましたか? 「私の父」と言いました。創造主である神と人間の関係を親子の関係であると言いました。さらには、イエス様ご自身が「神のひとり子」であると言いました。それはイエス様が神の長男であり一人息子だったということです。 神が愛の本体であるならば、人間と親子の関係にならざるをえないでしょう。それゆえ、神と私たち人間の関係は、単純な造物主と被造物の関係を飛び越えて、真なる愛、生命、血統によって連結した関係なのです。 また、聖書ではイエス様を新郎に例えています。新郎と新婦が結婚すれば夫婦となります。家庭を築くのです。結局、家庭を築いて子どもを生むのです。結婚した夫婦は、必ず息子、娘を生まなければ、家庭が確かなものとして築かれません。妻が憎くて離婚したくても、子どもを生んでおけば、むやみに別れることができません。ですから子どもは夫婦の愛の実です。 この地にイエス様は神のひとり子であり、天国の王子として来られました。神の全権を相続するにふさわしい王子として生まれたのです。そのような神の息子を迎えて神の長男の嫁となるべきユダヤ民族でしたが、そのようになることができなかったのです。 皆様の中でその王子様の新婦となりうる自信のある人がいますか? そのような人は神を父として侍り、天の王子と王女として因縁を結ばなければなりません。そのように神を中心とした家庭を築くことが、イエス様の願いでした。天下を所有したかったのではありませんでした。 それでは、キリスト教は何をすべきでしょうか。すべての人類が再臨を待つイエス様の新婦を準備しなければなりません。ですから、聖書に小羊の婚宴の比喩があるのです。その責任を担ってきたのが新婦の宗教のキリスト教であるという事実をはっきりと知らなければなりません。二千年前にイエス様が肉身をまとって地上に来た目的も家庭を築くことでした。問題は家庭でした。 イエス様が家庭を築いていたらどうなったでしょうか。家長になって家の宗主になったでしょう。しかし、イエス様は家庭を築くことができずに、十字架にかけられました。イエス様が築くべきだった家庭は、神に侍り「千年も万年も暮らしたいものだ…」と言うことのできた家庭です。韓国の民謡の中で「月よ、月よ、明るい月よ、李白が遊んだ月よ、あそこの、あそこの、あの月の中に月桂樹を植えたので、父母を迎えて千年も万年も暮らしたいものだ…」という歌があります。 もしイエス様が家庭を築いたならば、子女たちを生んだでしょう。すなわち、神の孫と孫娘が現れたはずなのです。ところが神は孫と孫娘を見ることができませんでした。結局、神は直系の孫と孫娘を見ることができなかったのが恨です。 今まで神は、すべての人間たちの標本的な家庭を立てようとなさいました。神は、そのような家庭をどれほど恋しがられたでしょうか。また、堕落した人間たちも、どれほどそのような家庭を恋しがっているでしょうか。皆様もそのような家庭を恋しがってみましたか? すべての人類が理想家庭を中心として一つになるべきです。ですから、すべての人類は何を探し求めるべきでしょうか。真なる家庭を探し求めなければなりません。 今日の堕落した世界の家庭は、神の前に立つことができません。そのような曲折があるので、「そして家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ福音書10:36)というみ言が当てはまるのです。 イエス様はこの地に来て何をしようとされたのでしょうか。神を中心とした一つの家庭を築こうとしました。ところが、その家庭を築くことができなかったので、再び来ると言われました。再び来て何をするのでしょうか。家庭を築かなければなりません。その家庭で息子、娘たちが繁殖すれば、氏族を成し、民族を成し、そして国家が成されるでしょう。 今までそのような家庭が築かれなかったので、神が創造理想とした本然のそのような家庭を築くために救いの摂理を展開してこられたのです。今日にいたっては、そのような家庭を立てるために、「祝福」というものを施しています。その祝福で築かれる家庭を「祝福家庭」といいます。 祝福家庭とは何でしょうか。神を中心とした理想的な家庭のことです。その家庭は来るべき主が築かなければならない家庭であり、今後、後代の人々も築かなければならない家庭であり、すべての人間が果たさなければならない目標なのです。 すべての人間が通過しなければならない関門は何でしょうか。国家でもなく、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。本然の家庭です。民主主義世界が建設される以前に真なる民主主義世界を創建しうる本然の家庭がなければならないのです。その家庭が現れるまでは、平和の王国、平和の理想国家、あるいは平和の国はありえません。 ですから、私たちの願う理想的な家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき家庭、探し求めるべき家庭が、地球上に必ず現れて人類の歴史とともに運命を共にすることができる一時が訪れなければなりません。そうしてこそ、地上に対する神の摂理が完成するのであり、安息の巣が設けられるのです。そのように家庭を生かし、地域社会を新しくし、国をしっかりと立てる運動を聖職者たちが率先して展開しなければなりません。 本日祝福された聖職者の皆様は、これから率先して皆様の教会と地域社会で祝福運動を主導し、平和の国と平和の世界を建設していくことにおいて先駆者となってくださるようお願い申し上げます。神の祝福が皆様のご家庭に共にあることを願いながら、お話を終えようと思います。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.14
コメント(0)
第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.3/3)二〇〇二年四月十三日(陰曆三月一日):韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院 今年の第四十三回「真の父母の日」の「敬礼式」と「記念礼拝」は、韓国・京畿道九里市の中央修練院で行われました。 「記念礼拝」では、み言に先立って訓読会が行われ、郭錠換会長が、一九六六年三月二十二日、第七回「(真の)父母の日」のみ言「望みの父母の日」を訓読しました。 続いて真のお父様が壇上に立たれ、二時間余りにわたってみ言を語られました。 これは、そのみ言を翻訳し、整理したものです。なお、編集上の都合により、一部割愛しました。 (文責・編集部) Family 2002.6月号「第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.1/3)」「第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.2/3) 」<続き> きょう、「(真の)父母の日」に、最も貴いものは何かというと、それは血統です。言ってみてください。 血統。(「血統。」)血統が貴いというのです。父母を中心として、父と母を中心とした真の愛があり、真の生命が一つになったとしても、息子、娘がいなければ、すべて無効です。それは、一代で終わります。 息子、娘がいなければ、いくら美男美女の血筋と愛と生命が、りっぱに結着しているとしても、根のない木と浮き草のように、台風に吹き飛ばされてしまうのです。それは、乾けば、だれでも火で燃やすことができ、材木なら、切って穴蔵をつくることができるのです。だれでも移動させることができるのです。それではいけません。 伝統的な血統を中心として……。その血統は、神様の愛と、神様の生命と、神様の血統が連結され、おじいさんの血統がお父さんの血統であり、おじいさんとお父さんの血統が私の血統となり、“私”という存 在自体が、その証拠になっているのです。ですから、 おじいさんも“私”を愛さなければならず、お父さんも”私”を愛さなければなりません。 おじいさんは、霊界を代身した垂直的な先祖であり、お父さんとお母さんは、平面的な先祖です。そのおじいさんの愛、お父さんとお母さんの愛と一つになり、 天の国のおじいさんと、地上の中心であるお父さん、二つの世界の全権的主人たちの愛を受けることができるのが孫なので、孫の家庭を完全に抱くようになるのです。 そうして、そこから二つの世界、二重になった平面的人格、立体的人格を代表することができる理想の天上天国と地上天国、天上世界と地上世界の両世界が、 統一的基盤として、自分の家庭の前に完全に定着することができる基地となることによって、そこから、地上、天上天国が勃発するのです。アーメン!(「アー メン!」)ですから、貴いものは、血統です。(拍手) キリスト教歴史の中で、有名な人たちが全員、カトリックを信じていた人たちも、プロテスタントを信じていた人たちも、今、霊界で、このように言っているのです。 「四位基台を完成し、三対象目的を完成することができなければ、天国に入ることができないのに、私たちはどうするのか? 真の父母が現れなければよかったのに、真の父母が現れたことが怨讐である。これは、なくすこともできず、どうすることもできないので、 従っていかなければならないが、大変なことになった。 神様、お助けください。あの文総裁を通して、私たちも四位基台を完成することができる家庭的定着基盤を造って、天国に入って行くことができるようにする方法を教えてください。」 しかし、彼らがそのように言っても、神様は教えてくれません。その権限は、真の父母にしかありません。分かりますか?(「はい。」) その方法は、皆さんの中で、息子、娘がたくさんいれば、養子として送るのです。お兄さんです。お兄さんとはだれなのかというと、先祖です。先生は、七代が一段階で、一範疇なのです。一カテゴリーであり、 一範囲です。 その七代の子孫の中から養子を選択するにおいては、先祖たちの性格と同じ人たちを、好きなように選択することができます。養子圏の選択を、先生が許諾するのです。分かりますか? 分かりますか?(「はい。」) 地上で弟なら、兄を訪ねて、それを埋めることができ、兄は弟を訪ねて、それを埋めることができるのです。このようにすることができるので、心配することはありません。 四位基台を補充して、新しく接ぎ木し、真のオリーブの木の東側の枝、西側の枝、枝の芽、枝の根まで接ぎ木して、完成することができる条件的基準を埋めてあげるのが、先生の権限です。分かりますね? (「はい。」) 地獄に行った人も、それを相対が願えば……。もし、 地獄に行った妻がいたとして、その夫が、だれよりもその妻のことを愛していれば、その妻を呼び、神様の恨を解いてあげ、恨めしい先生の恨が解かれることを希望として、解放してあげることができます。それは、そのような者たちの恨を解くために、永遠をかけて苦労された天地父母様がいるので可能なのです。 そのためには、地上にいる人間が、一生の間、父母の道理を思いながら彼らを赦し、地上の解決的な編成を中心として、養子圏を通して家庭理想を連結させ、兄の道理、弟の道理を再び編成し、天上世界と地上世界が一つになって、天国に超えていかなければなりま せん。 そのような解放的地上、天上天国の理想世界に超えていく救世の道を築く権限は、神様にもありません。 皆さんの先祖にもできません。真の父母だけができる、ということを知っていますか? (「はい。」) 先生は、何十年も前、五十年前に、み言を語りましたが、そのすべてのみ言が、今になって、そのとおりになっているのです。分かりますね? (「はい。」) 先祖が兄になり、弟が地上のアダム圏を代身するのです。そうして、兄が弟を殺した、そのような時期ではなく、天上世界のすべての先祖たちを祝福してあげ、 兄である先祖が祝福を受けて、地上の理想的アベル圏家庭完成のために、東西南北に保護して、天にきちんと入って行くことができるように、保護育成するのです。 そのように、霊界全体が、地上に再臨して、全員を (天国に)連れて行くように努力し、協助しているということを知らなければなりません。 そこは、部落の限界線、国家の限界線、すべての人種、宗教の限界線を越え、統一的な一つの心情です。神様の愛と生命と血統は、同じ血族であり、同じ血筋であり、色も同じです。動物も人も、血の色は白いですか、赤いですか? (「赤いです。」)血の色は、同じです。血の色は同じなのです。骨は、どうですか? (「白いです。」)白いのです。 なぜ、骨は白いのかというと、七色の光が、すべて一つになれば、また、あらゆる色の光が一つになれば、それが白い光になるのと同じです。それと同様に、骨は、四肢五体のいろいろな色が合わさり、一つになることによって白い色なのです。 それは、太陽の光が、(七色の光が)速い速度で巡ることによって白い光になるのと同じで、骨も白いので す。分かりますか? おじいさんの骨も白く、お父さんの骨も白く、孫の骨も白く、年を取った人も白く、死んでも白いのです。 赤ん坊の骨は、黒いですか? (「白いです。」) それで、骨において残ることができるのは何かというと、先祖です。歴代の先祖の骨髄というものは、すべての体を血でつくって、養育することができるのです。体は死んでも、骨は残るのです。神様の愛の縦的な基準なので、これは……。 骨の形どおりに、皆さんの顔形はできるのです。この李(京埈)総長の顔は、目がどんぐり眼のように丸いですが、それは、骨(の形)が、そのようになっているからです。すべて、そうです。 この尹(世元)さんも、そうです。この人は、四方を消化するよりも先に、目的を消化しておいて、それ から必要なものに関心を持つ人です。この人を教育の責任者として送ると、本人は、"課外のものには関心を持たないようにしよう。”と思っていたのに、最近、サッカーの責任者になってしまいました。 それで、最初は気分を悪くしていたのですが、じっと見てみると、最近では、"まんざらでもない。”と思っているようです。そうして、昔、自分が考えていた教育を、すべて忘れてしまったようですね? 忘れてし まいましたか、忘れていませんか? (「忘れていません。」) どちらがよいですか? サッカーの監督をするのがよいですか、教育をするのがよいですか? (「教育す るのがよいです。」)何がよいのですか? エキサイティングなのは、サッカーの監督をして責任を持つほうが、エキサイティングでしょう? 死ぬほど深刻で眠ることもできず、生きるか死ぬか分からないような境地で苦しんでも、栄冠を手にすれば、その万歳を叫ぶだけでも……。 0対0が続いて、そのような勝利のゴールを決めて、1対0になっただけでも、万歳をするときには、きょう、先生が強調して万歳することよりも、もっと元気が出るでしょう?(「はい。」) ですから、そのほうが、もっとよいではないですか?(笑い)「ほほほ。」と、女性の笑い声が、どうし てそのような笑い声なのですか? 「ほやほやほや。」と、おかしな笑い声です。さあ、分かりますね? (「はい。」) 最も貴いのが、血統です。“私”の額にも、神様の血統が息づいています。そこには、父母の生命線が連結され、そこにおいて、神様が本来、エデンにおいて理想とされていた愛の血統が待ち受けているのです。その血統が、私の体の頭からつま先まで……。どのように死のうとも、血統は残るようになっています。 ですから、神様が滅びず、“骨の中の骨”でいらっしゃるからには、わたしたちも、その骨が腐らないの と同様に、自らの一族の前に、「第二の主人は、“私”以外にはいない。」と言うことができなければなりません。 そうして、このような絶対的な”家庭の骨”を“先祖の骨”として残さなければなりません。 そのとき、それが神様に似たものとなれば、天の国の倉庫に持って行って、きちんと保管すると同時に、一緒に暮らしていた家族たちも、ヤハウェの家に暮らすことができる分際を中心として、部落ができるようになります。そのようにして、文総裁の部下たちが暮らす部落ができるのです。 その部落が大きくなって民族ができ、民族が大きくなって国ができるのですが、地上世界、天上世界において、雑多な国の血統や生命の系譜や愛の系譜、そのような誤ったものを、すべて片付けてしまわなければなりません。 そのようにして、本当の神様の血統に通じることのできる真の愛、真の生命、真の血統の一族一色の世 界となりうる地上、天上天国こそが、一元的なわたしたちの本郷の地であり、祖国の地なのです。アーメ ン! (「アーメン!」) 何を残さなければならないのでしょうか? (「血統です。」)「ご父母様の血統よりも、"私”の血統が、もっとりっぱでなければならない。」と、訓示しなければなりません。何のことか、分かりますね? (「はい。」) この決心を・・・・・・。 三大原則で、より貴いものが血統です。息子、娘や孫を持つことができないということは、悔しく、恨めしいことです。 ですから、赤ん坊の種を受けた母親の腹中の子宮が、門を開いて赤ん坊を宿したときには、一家、一族が保護しなければなりません。そうして、天と地が保護することができる、そのような因縁を持って、赤ん坊が大きくならなければなりません。これが、子宮です。 赤ん坊の種は、そのような"赤ん坊の宮殿”で育たなければなりません。 赤ん坊の宮殿を管理することができる主人は、だれですか? 母親です。宮殿だけではありません。赤ん 坊は、その体の骨肉の九九・九九パーセントを、母親の血肉を分けてもらうのです。 それ一つでは、(体の構成要素の) 一パーセントにもならない生命の種である精子が、たった一つ(母体の中に)入って行って揺れを引き起こし、九九・九九九九パーセントを母親の体から消化して大きくなり……。 その息子、娘は、だれのおかげで大きくなったのでしょうか? 母親のおかげです。そして、父親のゆえに、生命の種ゆえに大きくなったのです。 ですから、母親と息子が一つになって、父親を愛さなければなりません。その父親は、母親と息子、二代を愛してこそ、三代が連結されるのです。その連結させる最初の分岐が何かというと、子宮に息子、娘を宿してこそ、繁殖が成されるようになっているのです。 その主人はだれかというと、母親です。赤ん坊を育て上げることができる療養所であり、保育園のようなものが、母親の子宮です。そのように、赤ん坊は、母親の血肉を通して生まれるので、母親がりっぱなのです。 ですから、赤ん坊を生んで育ててみることができなかった人は、心情の世界が分かりません。また、父親は、赤ん坊を生んで育てる、その母親と息子、娘を、昔の自分の初愛より以上の愛の心で抱き、自分の生まれた息子、娘を抱き、十人を生めば十人を抱いて、父親を中心とした一つの懐に入って、一つにならなければなりません。 そのようにして、「おお、よしよし、私の愛よ。父母の分身よ。」と言うとき、三代が天国に入っていくことができる、モデル的な家庭の土台が築かれるのです。 それが、真の父母が地上に来て願った、目的の実体であったのです。アーメン! (「アーメン!」)(拍手) 四十三年間かけて、国家を超え、このような基盤を築いたという事実は、歴史の全時代において、だれも、 このようなことをした人はいませんでした。それを真の父母が苦労して、そのような基盤を世界版図に広げたのです。そして、今では、わたしたちがどこに行こうと、祝福の同志たちが、世界じゅうに満ちあふれているのです。 そのようなことを見るとき、わたしたちが、仲間同士で仲良く旅行するというときには、出発するときは、息子、娘を中心として、そこに残して行くのです。そして、親戚関係を結んだ人たちを訪ねるために、世界じゅうを旅行して回りながら、親戚を訪問する旅行行脚の一生を過ごすのです。 そのようにして喜びで過ごすのが、天国の民であり、それが、一つの食口として暮らすことができる、訓練的な基盤を築いておく道なのです。アーメン。(「アーメン。」) 何代以内かに、十二か国、五十か国、百何十か国、 すべての国家の血統を一つにして、そこに接ぎ木し、「どこの国であっても、“私”の血統が連結された国家、 “私”の生命が連結された家庭がない所はない。」と、 このように言うことができるようにならなければなりません。 そのとき、神様も、それをごらんになって、“天下に、わたしの子孫が暮らしている。”と思われるのです。それと同じように、”私”も、たくさんの人を伝道して、 どの国であっても、国境なく直行することができる環境的与件を……。 個人がそうであり、“私”の一族がそうであり、一国が、そのように動くことができ、国境なく、自由行路するその世界こそが、理想天国であり、天上天国であったというのです。 こうしても「アーメン」、ああしても「アーメン」 一年中「アーメン」でないものがありません。それが、神様の所願成就が定着した地上、天上天国であったのです。アーメン。(「アーメン!」)(拍手) いくらサタンが役事をし、そのような垣根をつくり、城を造ったとしても、“私”の力で、それをばたばたと蹴り倒して、平地を造らなければならない責任があります。 そこには、民族を超え、世界を超えて、天上世界まで、このことをしなければならない宿命的な課題の城がふさがっているのです。 これを壊してしまうことのできる実権を持たなければ、天の国の直系の立場で相続することのできる、主体的血族になることはできません。 主体的な血族となり、主体的な国になるための韓国から、わたしたちは、どのような民族の受難以上の苦労をしたとしても、血統定着のために先頭に立ち、開拓、開発を遅らせてはいけません。 挺身一路、すべての勝利の覇権者として、万世、万々世に勝利を誇りながら生きていくためのものが、「真の父母の日」なのです。 そうして、それが、第四十三回を超えた”統一地上 天国解放圈時代”において、だれかれなくすべてが集 まり、この五千人ではなく、五万人、五百万人、五億、五十億全体が、同じ色として一体化することができる勝利の覇権のために前進する群れが……。 どこに行ってみても、色が同じです。統一教会は、すべて同じであるというのです。北朝鮮に行っている人たちは、日本人も、他の国の人々も、共産党も逃げていくのですが、統一教会は逃げて行かずに、そこで耐えて暮らし、 共産党を教育して指導するのです。 そのようなことができるのは、統一教会しかありません。トップレベルの人たちが、すべて認めているのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 日本人も中国に嫁いで行くのであり、北朝鮮と親戚関係を結ぶようになるのです。日本は、米国と中共、ロシア、韓国、四大国を中心として、かつて侵略者の立場であり、怨讐の立場なのです。 しかし、四か国と日本民族を結婚させて送り出す日になれば、日本は、天下の五色人種の主体国として、母親の血統を分けてあげる血族になることによって、三十年以内に、日本が世界的母の国としての立場を築くことができる自由解放の地上、天上天国が連結され ているのです。 ですから、一人残らず、この目的のために前進、前進を……。日本語で「驀進」と言いますが、そのような前進をしなければなりません。そのことを決定すべ きこの時間であるということを、肝に銘じたのです。アーメン。(「アーメン!」) “私は、本当にそのようになる。”と、決心した人は、立ち上がって、両手を挙げましょう。アーメン! (「アーメン!」)アーメン。(「アーメン!」)アーメン。 (「アーメン!」) 韓国民族が、日本に仏教を伝授したのは、いつですか? 何年前ですか? 韓国は文化国です。仏教国家として天下を統一し、 儒教国家として天下を統一し、キリスト教国家として天下を……。そして、統一教会国家として、やがて天下が統一されます。 今では、(韓国の)野党が、文総裁の足場を、その草の根組織を無視することはできません。わたしが線を引くとおりにしなければなりません。一方通行の方向を設定して、つばぜり合いをしています。 日本は、順応的な立場を貫かなければなりません。そうして、母の国としての権威を喪失しないように、一方通行の勝敗決定をするにおいて、躊躇せずに前進、驀進、爆進することができる日本の国にならなければなりません。 そうしなければ、自分が置かれている立場と自分の権威を喪失する危険があるのです。分かりますか? (「はい。」)責任者として前に座っている人は、罪が多いということを知らなければなりません。 ですから、"蕩減復帰をたくさんしなければならない。”という決意を持って、全国を踏破して余りある巡回のチャンピオン、将軍になることを決心して、帰ることを願います。分かりますか?(「はい。」) 韓国も、そうです。名前をつけたすべての国家の責任者たち。代表者たちが、米国に行っていますが、一所懸命にやっているので、彼らに負けないように、もっと一所懸命にすることを決意し、誓わなければなりません。 そうして、今から故郷に帰って、米国に行っている代表者たちに負けないすべての結果を残すべく、この国の終着点解決を成すために前進することを決意して、出発しなければなりません。分かりますね?(「はい。」) この決意に満ちた信念を持った人は、右手で……。 さあ、先生に従って、万歳! (「万歳!」)今度は、左手で、万歳! (「万歳!」)両手で万歳! (「万歳!」)右足、万歳! (「万歳!」)左足、万歳! (「万歳!」)全身をささげて、万歳! (「万歳!」) 解放天国を完成すべし 。万歳! (「万歳!」)第四十三回「(真の)父母の日」祝賀の度数が満点で終えられるようにしましょう。万歳! (「万歳!」) (「梁昌植会長の先唱で、万歳三唱いたします。」) (「もう一度、決意を固めながら、大きな声で万歳を 奉献いたします。」) 血統! (「神様王権樹立勝利万歳!」)万歳! (「勝利された天地父母様、万歳!」)万歳! (「第四十三回『真の父母の日』、慶祝万歳!」)万歳! (「立ったままで、天地父母様に敬礼いたします。天地父母様に敬礼!」) さあ、元気で過ごして……。気をつけて帰りましょう。帰ってから勝利の覇権的な権威を残すことができるように、全身全霊を打ち込むことを願います。(「アーメン!」) 勝利の祝福が、共にあることを願います。アーメン! (「アーメン!」) (「ありがとうございました。皆さん、大きな拍手で感謝を表しましょう。」)(拍手)<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.14
コメント(0)
第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言二〇〇二年四月十三日(陰曆三月一日):韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院 今年の第四十三回「真の父母の日」の「敬礼式」と「記念礼拝」は、韓国・京畿道九里市の中央修練院で行われました。 「記念礼拝」では、み言に先立って訓読会が行われ、郭錠換会長が、一九六六年三月二十二日、第七回「(真の)父母の日」のみ言「望みの父母の日」を訓読しました。 続いて真のお父様が壇上に立たれ、二時間余りにわたってみ言を語られました。 これは、そのみ言を翻訳し、整理したものです。なお、編集上の都合により、一部割愛しました。 (文責・編集部) Family 2002.6月号 いつでも、お父様です。人が再び生まれるためには、 母親のおなかの中にある子宮を中心として、そこから家が造られていきます。そうして、それが開かれて、出産のときの産みの苦しみを通して、息子、娘が生まれてこなければならないのです。 それで、全世界の終わりの日においては、母親の立場にある夫人たちが、天の王子と王女を宿して安産することを喜びと思い、困難なことを『最高の幸福の門が開かれることである。」と思うのです。 ですから、天の前に丁重に平伏して敬礼をささげることができる第一人者、また、祝福の代を受け継ぐことができる第一人者はだれなのかというと、赤ん坊を抱いた母親であったということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) 女性となったことを、権威として誇ることのできる最終着点において、旗を掲げて愛の勝利を賛美するこ とのできる人も、父親ではなく、母親と子供たちであったのです。アーメン。(「アーメン。」) そのことだけをはっきりと知れば、きょうの祝福を中心とした祝賀の意味は、満点、満々点で終わるのです。「アー・・・・・・?」(「アーメン。」) 目がア! 鼻がア! 口がア! 耳がア! 手がア、 ア、ア、ア、ア、ア、アーメン! 言ってみてくださ い。(「ア、ア、ア、ア、ア、アーメン!」)そうなれば、"もう閉会してもよい。”ということです。 やめましょうか? 見たくない先生の顔と、見たくない先生の姿を見て、それでも、"そのことを貴重に考えよう。”という心が大切です。そのような心が切実で、お父様も、我知らずに飛び出していってしまうような姿勢になっているのかどうかが問題です。 そうして、そのような姿勢になって、一つになることができる場が、自動的、自然的に成し遂げられるのかということが、神様の尋ねられることであり、真の父母が希望的に質問することなのです。それに対する答えは、皆さんが・・・・・・。 神様の御前に、真のご父母様の前に尋ねられるすべてのことが、自分において結実したので、この結実をささげることによって、質問の答えと摂理史の終着的結実を刈り入れる幸福な母、息子、父母の立場になるのです。アー、アー、アー、アー、アー、アー、アー メン。(「アーメン。」)(拍手) 先生は、帰ります。(皆さんに)何かを上げようと思うのですが、ポケットに入っているものが、一つもありませんね。(笑い) わたしも、昔、話したことがあるのですが、おじいさんの還暦の日や誕生日になると、こんなことがあります。おじいさんのたばこ入れのきんちゃく袋を開けてみると、そこに”はしばみの実”があるのです。はしばみ(榛)の実です。それは、おいしいものです。 ハワイに行けば、マカダミアナッツというものがありますが、それに似た、はしばみの実という堅い木の実があるのです。 その実が、どれくらいの間、いったい何年の間、(そのおじいさんのたばこ入れの)中にあったのか分からないのですが、長い間、きんちゃく袋の中にあって、つるつるに光っているのです。それを、一粒、二粒と数えて、兄弟でじゃんけんをして、だれが勝ったかで、それをもらって喜んでいたのです。今、それ以上のプレゼントが一つでもあればよいのですが、ありません。 きょう、皆さんは、そのようなプレゼントはもらうことができませんが、真の父母のみ旨を知り、真の父母の価値を知ったならば、どのようにしなければならないでしょうか? プレゼントをもらう代わりに、反対に、プレゼントを用意しなければならないのではないでしょうか? 右側からプレゼントを上げるために、左側からふろしき包みを、おしりの後ろに回して……、そのように、 真のご父母様に贈るプレゼントを用意して、ささげてみたことがありますか、ありませんか? 何ですか? 後ろの方は、居眠りしていますね! (「居眠りしていません。」)何ですか? 居眠りしている者がいれば、 横腹をつついて知らせなさい。(笑い)このようになれば、居眠りする人は皆、いなくなります。分かりますか? プレゼントをもらうのが、良いですか? それとも、 プレゼントをもらえるように、真のご父母様の後ろに積み上げておくのが良いですか?(「積み上げておくのが良いです。」) 「私は、積み上げておくのが良い。」という人は、手を挙げてください。どうして、このように反応が遅いのですか? 通訳を置くような偽者ばかりが集まりましたね。しばらくしてから……。 後ろの方は、何の話か分からずに、今も、手も挙げていません。(笑い) 手を挙げた人だけを残して、全員、追い出さなければなりませんね。今から、早く挙げてください。「早く挙げなさい。」と言うので、プレゼン トをくれると思って……。それは、“プレゼントをもらおう。”と思っているということです。 これ(掲示してある真のお父様のお写真)は、だれの顔であるか分かりませんが、年を取りましたね。さ あ、写真の顔と本体の顔と、どちらが、より年を取っていますか?" ”写真である。”と思う人は、手を挙げてください。(笑い)この人たちは、詐欺性が濃厚ですね。あれは、いつ写したのですか? (あの先生の写真は、)六〇年代に写したものですが、今、八十三歳のおじいさんの顔のほうが、もっと老いて、年を取っているというのが事実であるにもかかわらず、そのような事実を否定する人は、時代錯誤の落第者であるということを知らなければなりません。ノー メン。(「ノーメン。」) 「事実のとおりに言いなさい。」と言って、「ノーメン。」と言ったので、これは、教えてあげた先生の責任ですね。「ノーメン。」と言ったので、今度は、本当に 「アーメン。」と言ってみてください。(「アーメン!」)Family 2002.6 09▲Family 2002.6 10 韓国人は、自分たちが優秀だからかもしれませんが、日本の人たちについては「日本のやつ」、中国人は「中国のやつ」、ロシア人は「ロシアのやつ」、それから、米国人については「米国のやつ」といいます。では、天の国の人については、どうなのですか?(「『人』です。」) 「人(사람)」という発音が、(「やつ〔놈]」という発音に比べて)あまりにも大変でも、それを、あえて 「人」と言うのが、愛(사랑)するということです。 (笑い) 天上世界では、何ですか? 何の「やつ」ですか? これは、「父母の親戚に当たるやつである。」と言うことができますか? 「人(사람)、愛(사랑)。」一度、言ってみてください。(「人、愛。」) 「私は、『やつ』ではなく、愛する『人』である。『やつ』ではなく、『人』である。」と、言ってみてください。(「人である。」)「人」です。それを自覚しなければなりません。 自分の目も、日本の目ではなく、米国の目でもなく、神様の直系の息子、娘の目なので、韓国の目です。韓国(한국)というのは、"恨(한) めしい目にもなりますが、二つとない”一つ(한)しかない目”という ことにもなります。鼻も一つしかなく、一つの鼻、一 つの耳、一つの口、一つの首、一つの手、一つの体です。一つしかないということになるのです。 また、蕩減復帰の中間にあるので、後で恨を解いていく恨の名を持った目であり、「やつ」から「人」を経て、「アーメン」と言えばよいのです。解放されるのです。いわゆる、文総裁が、真の父が「アーメン」と言えば、解放の眷族になることができるかもしれないので、「『アーメン』と言いなさい。」と言うのです。(「アーメン!」) 環境の与件を、すべて作らなければなりません。神様も語られて環境を創造されたので、先生も、このような比類なき調和のさまざまな姿を通して……・。 よく聞いてください。今、何時になりましたか? (「〔午前〕十一時三十五分です。」)十一時三十五分ならば、十時から始めたので、何時間になりますか? 一時間三十五分たったのならば、きょうは何の記念礼拝ですか? 記念礼拝が、なぜこのように長いのですか?(笑い) 礼拝するうえで、世の中の歴史的記録を破るためには、何時間、話せばよいですか? また、真の父母を好み、あまりにも喜んで話し始めれば、そうして、本当に悪いことも本当に良いことも、すべて話し、それを聞いて涙をぽろぽろ流せば、何時間、継続しなければならないでしょうか? 答えてください。十分間ですか? 五分間、一分間、それとも話をしないで……。 皆さん。高貴な人が亡くなれば、殯所(出棺のとき まで棺を安置する所)に行って、「アイゴー、アイゴー、 アイゴー。」と言って泣くでしょう? 言ってみてくだ さい。アイゴー、アイゴー、アイゴー。(「アイゴー、 アイゴー、アイゴー。」) そのとき、振り返って出て来るときに、「アイゴー。」ではなく「良い、良い、良い。」と言って、「良い。」という言葉が、「アイゴー。」という言葉よりも三倍になれば、地上地獄から天国に開門、解放が展開するのです。「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? 'KNOW'。「すべてのことを知って実践する王子のお出ましだ。」と言ってこそ、天地が歓迎する のです。 昼夜、栄光の息子の祝賀が四方を取り囲み、天上世界まで天使たちが昇天し、神様の御前に、朝のあいさつを初めてすることができる時になったので、“感謝のあいさつをささげよう。”という決心を持って、すべての人が、ここに参席したと信じてあげます。 ですから、感謝の中で、朝食も食べず、昼食までも食べずに、敬礼を百回ささげれば、どれほど良いでしょうか? それで、倒れる前に感謝の踊りを踊り、感謝の歌を歌い、それから倒れて、永遠に天国に入って行き、神様の愛の懐で再び成長して、地上に送られ、本当の神様の代わりの代役者になるのです。 それは、本当に「アーメン」なので、天と地に代わって、 敷物を広げて座って、「アーメン」、「解放的アー、アー メン。」と、言ってみてください。(「アーメン!」)(笑い)ついて来なければならないでしょう? アー。 (「アー。」)メーン。(「メーン!」) 地獄に行ってから、復活して天上世界の玉座の前に立ち、神様が寄り添われて、「おお、よしよし。私の愛よ。」と言われるのです。そうして、東西南北の中心である中央に立ち、五番目の手を挙げ、足を挙げ、四肢五体が、「おお、よしよし。私の愛。愛、愛、愛、愛。」 そして五回目の「愛、アーメーン。」と言うのです。 (「アーメン。」) 「ア」は“ナンバーワン”であり、「メン」は……。 ナンバーワン・メンの息子、娘は、神様の胸の中に抱かれることを願うのです。それが、この祝福を継承してあげる「真の父母の日」であるようです。アーメン。(「アーメン!」)神様も、「そうである。」と、おっしゃっているそうです。 さあ、その結論的み言を言ってみてください。神様の息子、娘として、最も誇ることができる三つの内容があるのですが、その一つ目は、何ですか? 答えて みてください。だれが、当てるのですか? 一つ目が 分かりませんか?(「血統です。」)何ですか? 血統は、何ですか? 血統は、先に飛び出してくるのですか?(「真の愛です。」)何の愛ですか?(「真の 愛です。」) 真の愛とは、何ですか? 真の愛とは、どのような愛ですか? 真の愛は、真の愛でしょう? (笑い)神 様も、「真の愛」と言われますか? 神様は、「愛」と 言われますか? 尋ねているではないですか? 神様は、「わたしの愛は、真の愛である。」と言われ、「真の愛を受けなさい。真の愛のお乳を飲みなさい。真の愛のご飯を食べなさい。真の愛よ、美しい。真の愛よ、美しい。おお、よしよし。私の愛よ。」と言われて、おしりをとんとんしてくださるのです。 人間たちは、真の愛を捜し求めますが、神様は、どのようになられますか? (「愛です。」)どのような愛でしょうか? ぐるぐると回り、「おお、よしよし。」と……・。「おお、よしよし。」は、天に上がっていくこともでき、下りていくこともでき、「おお、よしよし。」 と、どこにでも旅行することができるのです。その愛のために……。 真の愛というものは、方向性を強調するのです。そうではないでしょうか? 真の愛です。男性と女性の真の愛です。真の愛は、どのようになりますか? 父母の真の愛と、男性と女性の真の愛とでは、どちらが、 "真"という方向性を、より強調しますか? 男性と女性を中心とした愛の方向性が、より強調されるのです。 父母の愛は、ぐるぐると回り、「おお、よしよし。私の愛。寝ても私の愛、起きても私の愛。」です。二十四時間、時間を超越して、一代を超えても変化のない愛を「神様の愛」と言うのです。神様の愛になれば、良いのです。 しかし、堕落したわたしたちは、真の愛を強行しなければ、混乱した世界において、分別することができる表題を立てることができません。ですから、統一教会においては、真の父母が、真の愛を強調して教えてあげたのです。何ですか? (「アーメン。」)ありがとう。願うとおりに、語ったとおりに成されますように。アーメン。 それでは、真の愛をやってみましたか? 真の愛は、 真っ赤ですか、真っ黒ですか、黄色ですか? それとも、虹の七色のうち、どの色でしたか? 何色、どの色ですか?(「勝利の色です。」)勝利の色ですか、何 の色ですか? それも、よく分からないでしょう? "勝利”という色ですが、その色は、何色でしょうか? 夜にも標的になるのは、黒い色ですか、何色ですか? (「白です。」)白です。白いものは、夜でも標的になることができます。 ですから、白い色に近ければ、小さな蛍の光であっても、真っ暗な天下の環境において、標的の中心として、ぴかっと光るそれ自体が、視覚を集約させることができるのです。 それゆえに、勝利を表象し、全体の総合的な価値に代わって分別することができ、区別された標的として立てることができるものが何かというと、白い色だというのです。言ってみてください。白い色。(「白い色。」) 白い色。(「白い色。」) 世の中に「白衣民族」という民族が、(韓民族の)ほかにいますか? (「いません。」)白衣民族です。 韓国人は、なぜ白い服を好むのでしょうか?? 白衣、白い服を着ている人は、体が白いので、白い体が黒い色に触れると、その本然の価値が喪失されてしまうの で、服までも白い色なのです。そうです。内外……。 皆さん。韓民族は、“白白民族”です。そうでしょう? 白衣民族であり、白衣民族の中で、最も道義的 な民族です。 「人倫道徳」というときには、家庭を中心とする愛の土台を連結させて、人倫というものが、必ずあるのです。人倫というものは、"人の車”、“人の車輪”です。巡回する車輪が、回るのです。人倫というものは、家庭を中心として連結されるのです。 人倫の道徳というものは、兄が弟の立場になり、弟が兄になり、おじいさんが孫の立場に立ち、孫がおじいさんの立場に、また、姻戚の八親等、三代の子孫たちまで、何代たっても喜ぶことができるようになるときに成立するのです。 「道徳」の「道」は、「首」という字を、下から「しんにょう」で支えたものですが、それは、「おじいさんの頭、お父さんの頭、お母さんの頭、お姉さんの頭、弟妹の頭というように、誰もがすべて、『道』の中で頭の位置に立つことができるのが、真の愛を持った一族であったのだ。」ということです。これは、「人倫道徳」という言葉について語ったものです。分かりますか?(「はい。」) 人倫とは何か、分かりますか? 家庭がなければ……。 人倫道徳というものは、家庭で訓練された平等の価値を「道徳」と言うのです。 「徳」という字は、どのような徳ですか? 「徳」と いう字(の偏の「ぎょうにんべん」)は、“ふたり(二人)”(を意味 するの)であり……。「徳」という字が、そうです。「徳」という字は、何かというと、(その旁を見てみると、「十」と「四」と「心」から成っています。)「十」という字は、“宇宙”を象徴しますが……。 それは、わたしたちの原理から見れば、天上と地上のことをいうのです。そこに四位基台(を表す「四」)で天と地が願う四つの群れが、一つの「心」になっているのが、「徳」という字です。わかりますか? ふたり(「ぎょうにんべん」)が、天地の環境の中で「十字」、そして天と地の「心」ですが、それは、四位基台を完成した一つの心であり、おじいさんの心も、父母の心も、 妻の心も、子女の心……。 六人の先祖を中心として二つに分ければ、十二の群れです。心と体を中心として、十二の群れです。このすべてのものが一つになることができる、そのような 存在を「徳」というのです。「徳」とは何かと言うと、「徳とは何か、徳とは?」と問われて、答えられる人は いません。分かりますか? "ふたりが、天と地を中心として四位基台を完成して、 一体圏の心を成すことができる。” という、そのような人格の基準となり、そのような環境的生活をする人が、徳となる人です。それは、徳の主体となり、徳の世界で暮らすことができる平和の王子、王女のことをいうのです。アーメン。(「アーメン。」) <2/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ここで、ご父母様がつくってくださった貴いプレゼントが何かというと、「天一国」です。言ってみてください。(「「天一国』。」)「天一国」とは何かというと、「二」という字と、「人」という字を合わせれば、「天」になります。「二人」ではありません、「天」です。 ですから、ふたり(二人)が一つになっている国を「天一国」と言うのです。皆さんの心と体、それが”ふたり(二人)”です。”心の人”と“体の人”、この“ふたり(二人)が、一つになっていないというときには、「地一国」です。(笑い)それは、天国ではなく、地獄に行くのです。「天一国」は、天上の最も優れた国です。ところが、その反対になっているのです。 「天一国」という言葉は、そのような意味になるので、すべての宇宙は、必ず主体と対象関係で結ばれるようになっているのであって、独りで存在するものは ありません。いくら何億万ボルトの強いプラスが生じたとしても、マイナスが生じなければ、なくなるマイナスとなり、プラスになるということです。 したがって、いくら人間が優秀であっても、なくなっ てしまうのです。先生がいくら優秀でも、お母様という存在がいなくなれば、先生一代で終わるのです。お母様がいくら優秀でも、先生がいなければ、一代ですべてなくなるのです。そうではないですか? Family 2002.6 16
2024.10.12
コメント(0)
鮮文大学校大学校本館奉献式における設立者「式辞」鮮文大学校のビジョンと未来像二〇〇二年四月十四日、韓国、忠清南道牙山市鮮文大学校牙山キャンパス このみ言は、今年四月十四日、韓国の鮮文大学校牙山キャンパスで行われた同大学校本館奉献式において、鮮文大学校の設立者であられる文鮮明総裁が語られた「式辞」を翻訳し、 編集、整理したものです。(文責・編集部)Family 2002.6 40~ 天が大いに安らぎになられる里の上に、生き生きと した生命の春の気運が満ちあふれる、この美しい季節 に、鮮文大学校において、荘厳なる本館の奉献式が行 われるようになったことを。。 まず神様に感謝申し上げます。 今日の鮮文大学校があるまでに、これまで尽力してきてくれた李京埈(イキョンジュン)総長をはじめとする教職員、学生、 そして建設関係者たちの労苦、また統一教会の食口たちのもろもろの精誠を褒めたたえます。 内外の貴賓の皆様、大学の教授、役員と職員、学生の皆様! きょう、この意義深い場において、大学設立者である私は、皆様とともに、国家が注目する鮮文大学校のビジョンと未来像について、しばし考えてみ ようと思います。 「愛天 愛人 愛国」という建学理念において、すでに標榜されているように、私が、この大学を設立するようになった動機は、神様を愛する『愛天理念」から出発しています。 "愛天”において意味する神様は、特定の宗教や宗派の教理の中に閉じ込められた神様を意味するものではありません。生きていらっしゃる、根源者であられる神様は、真の愛の本体であられ、人類にとっては、“無形の真の父母”であられ、天道と、すべての教えの根源であられます。 私は、いち早く、生きていらっしゃる神様を知った後、いっときも、神様のその願いを忘れたことはありませんでした。 神様の真の愛の理想である平和世界を成すために、一生を献身してきた私は、未来を導いていくビジョンある人材の養成を、重要な宿願事業の一つと思ってまいりました。 迫り来る地球村時代、人類大家族社会を導いていく人材は、まず、天と人類と、国と世界と万象を愛する人でなければなりません。“真の父母”、“真の師”、“真 の主人”の三主体人格は、神様に似た愛の実践の中で、形づくられるからです。 もちろん大学は、創意力の啓発を通した専門人を養成する教育機関です。しかし、普遍真理の根源であられる神様と連係した人性教育を通して、三主体人格者である健全な指導者を養成する普遍教育は、何よりも絶対的に優先されるものです。 今日の世界は、個人と集団、国家、人種、宗教までも、激しい利己主義の泥沼に陥り、お互いの壁を崩すことができずに闘争しています。利己主義によって、 個人の発展はもちろん、他人と民族、国家の発展を阻害する事件が連続している現実です。 人の心の中にある利己的貪欲は、平和へと前進していく道にあって、非常に大きな障害となっています。 個人的貪欲は、より大きな単位の貪欲に連結され、ひいては国家間、人種間、宗教間の流血紛争を引き起こしています。 このような状況の中で、公道を立てるべき大学教育までもが、知識教育、技術教育、職業教育の水準にとどまるとすれば、人類は、決して和平の世界を創建することはできません。 葛藤と闘争から抜け出した平和の世界を成そうとすれば、個々人の心と各家庭から、利己心と憎悪心を克服することのできる、愛の世界観が根を下ろさなければなりません。 家庭においても国家においても、ここに教育の根本を置かなければ、決して希望的な未来を期待することはできません。 私の生涯を通して教え、実践してきた「他のために生きる」という真の愛の教えが、すなわち天道であり、天命であるということを、もう一度、強調します。 ところで、この真の愛は、模範となる家庭生活を通して体得するものです。したがって、動機が先になければならず、模範が先に立てられなければなりません。 子供の前にあって模範となる父母、弟の前に模範となる兄、弟子の前に模範となる師、従う者の前に模範となる指導者が、先に要請されるということです。 鮮文大学校は、天理に従う、愛の実践と体値の模範となる教授と指導者たちが、学生全体を“真の父母”、”真の師”、“真の主人”の人格に教育しなければなりません。 人類が念願とする自由と平和、統一と幸福は、知識や力や物質の豊かさだけで成し遂げられるものではありません。人間の道徳性と霊性の開発が前提とならならければならないのです。神様と霊界に対する無知は、人を不幸と破滅に導きます。 私は、早くから、広大無辺の霊界を渉猟(広くあちこちを渡り歩いて捜し求めること)しながら、神様の心情を推し量り、体得することに、血涙の出る逆境を通過してまいりました。地上世界と天上世界を貫いている天理と公道を把握するために、サタンと血みどろの闘いをなしました。 堕落した人類には分かりませんが、霊界は実体の世界であり、人間は、また一つの“内なる人”である霊 人体を持った、二重構造から成っています。人間には、通常の教育課程を通した知的発達とは比較にならない、別の次元の霊性啓発の境地があるということを知らなければなりません。 霊界は、本質の世界です。霊的五官によって霊界の無限境を経験した者は、この世の知識が、どれほど制限されたものであるかということを知るようになります。現象世界の知識をもっては、決して驕慢になることはできないようになります。 これまで、私が世界的に築いてきた可視的な宣教部門や平和運動基盤などについて、それを褒めたたえる多くの人々がいます。しかし、堕落によって複雑に絡み合い、分かれた霊界を統一的に収拾し、本然の原則で整理した業績は、神様しかご存じありません。 新たに到来した二十一世紀は、摂理完成の世紀であり、人間は、不可避的に、霊界と身近に行き来しながら生きなければなりません。 鮮文大学校は、私の業績を研究するとともに、世界の碩学たちが押し寄せて来て、霊界に対して研究するセンターとなることでしょう。 また、本大学は、人間の知性と専門性の啓発だけでなく、心霊開発を通して人格を完成させる、すなわち道徳的、かつ霊的に、完璧な指導者を育て上げる世界第一の大学になることでしょう。 私は、大学設立理想を心中に抱き、過去四十年間、国際科学者大会(「科学の統一に関する国際会議」)を継続し、「世界平和教授協議会」を各国に創設し、「世界大学連盟」を組織してまいりました。 世界の碩学たちをして、未来世界のビジョンについて共同研究と討論の場を構築するようにしてきたことや、絶対価値の探究を継続し、科学の統一を模索するようにしてきた理由は、どこにあるのでしょうか。 もちろん(それは)、神様と人類が共に願う理想世界を成すための準備です。しかし、それと同時に、そのすべての業績の結実が、私たちの大学において成し遂げられることを、私は期待しました。 このように、研究と教育と奉仕活動のための素晴らしい本大学の基盤と資産は、大学が生まれる前から世界的に積まれてきたものであったということを知って、 矜持(誇り、自負)を持ってくださるようにお願いします。 私が創設した「世界平和統一家庭連合」、「世界平和 宗教超国家連合」などの国際的な連帯活動基盤も、すべて、他の大学では持ちえない貴い基盤であるということを知らなければなりません。 韓国のみならず、世界が抱えている問題、人類の進むべき方向について、深く研究し、苦悶した、生きた知識人たちの霊感と知恵が、今後、このキャンパスに 川のように、大海のように流れ込んでくることでしょう。 鮮文大学校は、世界の碩学たちと、世界を導く指導者たちが、最も好んで訪れる共同研究と討論の場となって、未来の理想実現に連結されるということを確信すべきでありましょう。 今もそうですが、今後、鲜文大学校には、世界の天才的な、最も優秀な若者たちが、雲霞のごとく集まってくるようになることでしょう。 この大学は、韓国人のためだけの大学ではありません。世界人はもちろん、天上の霊人たちの望みまでも包括する摂理史的な大学です。(ここは、)世界の志ある若者たちが、摂理の祖国たる韓国を知り、世界平和のための真の愛のビジョンを共に分かち合う国際化教育の揺籃(揺りかご)です。 したがって、この場所で勉強する学生たちは、世界市民、ひいては「天一国」の市民としての素養を備え、善民となって、未来世界の指導者の品格を備えなければなりません。 大学教授と役員、職員の皆様! 本大学を、神様が散策したいと思われるキャンパスとして育てていこうと考えてみられましたでしょうか。 専門的な知識と技術はもちろん、知恵と道徳性と霊性を練磨しながら、真の愛の人格をはぐくむ学堂としてつくり上げなければなりません。 神様と、天意に従う設立者が願う、清い二世たちが勉強するように準備された場であるので、純潔教育の世界的揺籃をつくり上げ、父母たちが信じてゆだねる訓育および実践場となって、明るい未来に連結されなければなりません。 愛の心で模範を示しながら、隣人のために分け与え、施すことができる奉仕の人格と、ビジョンを持った "夢の樹々”として(学生たちは)はぐくまれなければなりません。 天宙が願う、超国家、超人種、超宗教的に開かれた教育のもと、五色人類が一つの兄弟理想を学ぶ、和合の学舎とならなければなりません。世界を健全で、美しくつくり上げる、多様な知識と技術の専門人の養成所として育成されることを願います。 鮮文大学校が、世界の若者たちに、愛と平和の生きた知識を教え悟らせて、奉仕しつつ研究する教育機関として、日々、発展することを祈願いたします。 皆様すべての家庭に、神様の祝福が共にありますこ とを願いながら、私の話を終わりにいたします。<完>真のご父母様の御言二〇〇二年四月十四日、韓国・忠清南道牙山市、鲜文大学校牙山キャンパス名誉博士学位授与式での御言神主義による教育今年四月十四日、鮮文大学校では、大学本館の奉献式に続いて、本館六階のチャペル室で、真のご父母様への名誉博士 学位授与式が行われました。このみ言は、その場において真のお父様が語られたメッセ ージを翻訳し、整理したものです。 (文責・編集部) 内外の貴賓、教授、学生、役員、職員の皆様! 今日、鲜文大学校の本館奉献式を挙行した意義あるこの日、大学の教務委員会の総意によって、私が名誉神学博士学位、妻である韓鶴子総裁が名誉人文学博士学位を取得するようになったことを、神様に感謝申し上げます。 奉献式のみ言のときにも言及したように、私の教育機関設立の趣旨は、神様の真なる愛の理想の、教育と実践にあります。創造主であられる神様の根本の属性は、絶対、唯一、不変、永遠、全知、全能など、さまざまに説明できますが、根本中の根本の属性は、真の愛であられます。 愛の理想は、相対とともに、相対を通してのみ成就されます。真の愛、それ自体の特性ゆえに、神様も、 愛の相対的存在を必要とされます。これが、絶対者であり、自存者であられる神様が、被造世界を創造された動機です。 すべての被造物は、直接的、間接的に、神様の愛のパートナーです。その中で人間は、神様に最も近く、すべてのものを相続することのできる子女として造られました。 人類にとって、神様は、無形の真の父母であられます。人間は、宗派や教理によって、神様をさまざまに表現しますが、根源者であられる神様は、国境と人種、 宗教と言語、そして皮膚の色と文化を超越して、すべての人類を一つに結ぶことができる真の父母であられ、"求心点”に当たります。 すべての宗教が、自身の宗教を〝他の宗教より優秀 である。」と考えるために、最近のアメリカにおける世 界貿易センタービルのテロ事件や、パレスチナ紛争に 見られるように、宗教戦争の渦中に陥っていることを目撃することができます。 しかし、すべての宗教は、普遍的な真理を持っているだけでなく、その教えは、一人のかた、神様から共 通目標を志向しながら出てきました。一人のかたであ られる神様は、すべての宗教の決着点である主人であ られます。それゆえに、宗教人たちは、お互いに異な る点よりも同じ点を見ようと努力しなければなりません。 宗教の中心的価値は、神様の真の愛です。真の愛は、 ために生きることであり、個人より家庭、家庭より氏族、氏族より民族、民族より世界、世界より天宙、天宙より神様と、このように、より大きなもののために 生きることをいいます。これは、普遍的な真理です。 同様に、宗教は、他の宗教を理解して、ために生きなければなりません。私は、宗教を通した平和世界実現のために、「世界平和宗教連合」、「世界平和超宗教超国家連合」などを創設し、全世界の宗教人を一つに束ねる活動を展開し、宗教間の対話と和合を図るために、世界宗教の代表的学者たちが編纂した『世界経典』も発行しました。 信じ難いかもしれませんが、統一教会自体の予算の、数百倍を超教派、超宗派活動に投入してきています。 また、神様は、すべての知識体系と真理の根源であり、出発点であられます。鮮文大学では、世俗的な物質的価値を教える前に、神様を愛する姿勢を教えなければなりません。すべての学問と価値観、そして真理の源泉が神様であるという事実を理解して、そのような姿勢で教え、学ばなければなりません。 また、建学の理念である”愛天精神”とは、神様を中心とした正しい価値観を立てて、それを生活の中で 実践することをいいます。唯物論と無神論、そして世俗的な価値観と快楽主義が乱舞する現代社会は、実に価値観が混乱し、破壊された社会と言わざるをえません。"愛天理念”とは、価値観が崩壊した現代社会で、その代案として提示された神様中心の価値観、すなわ ち〝神主義をいいます。 一九九一年末、私と妻が金日成主席の招請で北朝鮮を訪問したときのことです。その当時、世界的な宗教指導者であり、勝共運動の第一人者である私を除去するために、ソ連(当時)のKGB(国家保安委員会) が暗躍した時であったので、思想的に統制された北朝鮮の地に入るということ自体が、命を懸けた冒険でした。 しかし、金日成主席との出会いは、(韓半島の)統一問題を解決するうえで、避けることのできない道であり、神様の摂理歴史において、必然的に通らなければならない摂理的要請であることを知っていたため、私は、神様だけを頼りに、北の地に入って行ったのです。 北朝鮮に入って行ったのも、何かの合作投資や事業をするためでなく、神様の願いである南北統一のために人類の真の父母として、北朝鮮の住民をだれよりも愛する哀れみの心情を抱いて、堂々と入城したのです。そして、北朝鮮の最高指導者に、「主体思想で統一は成されない。韓国と北朝鮮が、共に生きることができる"神主義”で統一しよう。」と、提議したのです。 当時、私に随行した人たちが、"あー、生きて帰ることはできないな。”と思ったと、後に話すのを聞きました。しかし、私にとっては、生きるか死ぬかの問題ではなく、天命と天意を守り、従うことが重要であったのです。 私が言う“神主義”とは、してもいいし、しなくてもいい、というような思弁的なものではありません。 厳然と生きておられ、役事される神様を無視したまま、無神論であるとか、唯物論であるとか、主体思想などの偽りの思想を宣伝することは、天道に逆らうことであり、歴史の前に流れていくのです。ただ、天道と正義と真だけが、歴史の前に残るのです。そのような意味で、神様の真の愛を中心とした〝神主義”だけが、 統一の基礎になることができます。 私が主導した「科学の統一に関する国際会議」も、そうです。世界で、「我こそは」と言うノーベル賞受賞者などの碩学を、文総裁が自分のものにして、あれこれ言うことができますか? 大会を一回開くごとに、ばくだいな予算がかかる国際大会を、なぜ開催するのでしょうか? 二十世紀に入って、驚くべき速度で発展した科学文明は、人類に豊かな生活をもたらしてくれましたが、一方では、自然と環境の破壊、大量殺傷武器の開発、 大気オゾン層の破壊などの暗い影を残したのも事実です。科学技術を利己的な動機で使用するとき、科学技術は、人類を破滅させるかもしれない凶器に急変するようになります。 科学的理性を固く信じた人類は、二回にわたる世界大戦を経験しながら、人間の野蛮性に対して驚愕することとなり、科学的理性に対する信頼は、地に落ちることとなりました。また、現代産業社会で、人間は物質文明の奴隷となってしまったのです。このすべての 現象は、科学の誤用から来る結果です。 科学は、科学者たちが好んで使う言葉のように、”価値中立的な学問”ではありません。科学こそ、人類のために正しく使用されなければならない価値志向的な学問」 なのです。 私は毎回、開催される「科学の統一に関する国際会議」の主題を「絶対価値の探求」と関連して設定しました。私が提案した絶対価値とは、“神主義”に立脚した神様の真の愛を意味します。宇宙万物を創造された神様は、科学者の中の科学者であり、芸術家の中の芸術家であられます。科学者が、神様が創造された宇宙万物に対する知識の一部を知っているからといって、 おごったり自慢するとすれば、それは正しい道理ではありません。 したがって、科学者の目標は、物理学や科学、生物学などの関連分野の研究だけにとどまってはいけません。諸学問の分野別の特性は重要ですが、学問研究は 相互協力によって補完されなければならず、その研究成果は、善なる目的に活用されなければなりません。科学が、科学だけのための盲目的なものとなるとき、過ちを犯す可能性があるからです。 それゆえ、科学者の学問的成就は、他の学問との関連性からも扱われなければならず、さらには、社会全体に対する有用性の有無とも関連づけられなければなりません。そのような側面から見るとき、「科学の統一に関する国際会議」は、最高の権威を備えた国際会議 であり、人類社会に大きな足跡を残したと自負することができます。 今後の世界文明を主導する思想は、現代文明で喪失した神様を再発見して、神様を中心とした絶対価値を基盤とした思想でなければなりません。西欧文明は、人間の理性を強調しすぎた結果、人本主義思想に染まり、神様を失ってしまいました。唯物論哲学は、神様からの解放を仮装しながら、物神思想の信仰に陥ってしまいました。 しかし、神様を離れた自由は、真なる自由ではありえません。何よりまず、私たちは、神様を中心とした新しい価値観を、大学教育において教えることが急を要するというのが、実情です。 また、現象世界を超えた本体世界、すなわち霊的世界が存在するのです。生理的五官では感知されませんが、厳然と存在する実体世界です。私は、その世界と数え切れないほど往来をして、体験的真理を話すのです。 神様と霊界を正しく知らなければならない、もう一つの分野の学問研究が残っています。霊界と霊的現象が、徐々に可視的、体恤的に私たちに近づいてきています。 すべての学問と教育は、究極的に神様に依存し、関連性を結ぶことが、真なる大学教育の要諦であると考えます。神様を中心とした絶対的価値体系を樹立する ことは、世界文明を主導する大学が持たなければなら ない第一次的な条件です。 教育とは、単純な知識と技能を伝達する行為になっ てはいけません。少なくとも、道徳性と良心を開発す る教育が、その主軸を成さなければなりません。それ ゆえ、真なる教育は、機能的な知識人や利己主義者を 量産するのではなく、人格の完成と道徳性を実現するとき、その意味を持つようになります。 ぜひとも鮮文大学校が、〝神主義”に立脚した教育思想を実践し、この国と人類文明に大きく寄与する大学 として発展していくことを祈願します。 ありがとうございました。<完>Family 2002.6 52一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.06
コメント(0)
世界平和と女性の役割 日付:二〇〇二年四月十日場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館行事:「世界平和女性連合」創立10周年記念式(真のお母様) 尊敬する内外の貴賓、各界の女性指導者、そして会員の皆様。きょう私は、「世界平和女性連合」の創立から、これまでの十年間、愛で導いてくださった神様に深い感謝を捧げながら、あふれんばかりの感慨をもってこの場に立ちました。「世界平和女性連合」は、「女性時代の到来」を宣布するとともに、女性平和運動の中枢機関として、私の夫であり、共同創始者である文鮮明総裁によって創立されました。 本連合は決して、この世の一つのありふれた女性団体として出発したのではありません。それは第一に、真の父母理想を中心とした神様の創造理想世界実現のための摂理史的意義をもって創設されたからです。第二に、女権拡張、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とした外向的で闘争的なフェミニズム運動ではないからです。文総裁の教えによると女性というのは、男性と対決、闘争する存在ではなく、無形の神様の性相と形状、陽性と陰性の二性のうちの一性を代表した個性真理体なのです。 ですから、女性は男性の単なる補助者や保護の対象ではなく、神様の片方の一性を代表した立場で、むしろ男性を全きものにしてあげる独立した人格者です。真の愛の理想を中心として、女性は男性の貴い愛の対象者です。価値から見て、男性と女性は絶対平等な存在なのです。本然の真の愛で一つになった男性と女性は、互いに同じ地位になる同位権をもつようになります。また、いつどこでも共にいる同参権をもちます。 さらには互いのものを第二の自分のものとして共有する相続権を得るようになります。このように神様の真の愛の理想のもとに一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものを共有することによって、価値的に完全に平等な存在となるように創造されました。ですから、男性と女性は、相手の特性や気質、役割をまねたり、それを羨(うらや)んで奪ったりする必要がある対立と敵対の関係ではありません。真の愛で自分のものを相手に分け与え、相手側をさらに完成させてあげながら、より大きな次元で一つになることによって互いに共有する関係なのです。 女性は、神様が女性だけにお与えになった貴い本性と女性特有の愛情をもち、子女を身ごもり養育しながら家庭を指導するという、重要な役割をもっています。女性は、愛の結実を抱いて育てる自己犠牲を通して、一族の血統を継いでいきます。胎教から子女の心性を正しく育て、人格を涵養する母性の役割というものは崇高なものです。人類は、だんだんと世界化と多元化が進む社会の中で、互いに共に暮らさざるを得ません。未来の文化世界において、女性の崇高な役割は、家庭単位ではもちろんのこと、社会、国家、世界で絶対的なものとして公認されるでしょう。 人類の未来全体を宿し、生んで養育することが、歴史的次元の崇高な母の役割だからです。母性の役割が無視されるならば、人類の希望と将来はどこに宿るというのでしょうか。このような意味で、本連合の世界平和運動は、固有の領域と共に、摂理的意義をもっていることに対して、会員の皆様は誇りをもたなければなりません。そして真の父母様の直接的な指導のもとで、誇らしい活動をしてきたことに感謝しなければなりません。 私は過去十年間、国連本部、そしてアメリカ、日本など多くの国の国会議事堂での講演、数々の国際大会での基調演説など、世界的に数百回の講演をしてきました。少なくは数百人、多くは十万人を超える人々を前に、教育を兼ねた講演をしました。北米大陸、ヨーロッパ、ロシア、中国、アジア、オセアニア、アフリカの奥地に至るまで、五大洋六大州を何度も巡回しながら「女性時代の到来」を宣布し、世界平和と女性の役割について教育してきています。 それとともに、倫理と道徳と新しい価値観の確立問題、青少年の腐敗と家庭破壊、未婚の母の問題、エイズ、麻薬犯罪の問題など、深刻な危機に処した現代文明を診断し、警鐘を鳴らしてきました。今や各国で自覚した女性たちによる救国救世の運動が起きながら、希望的な基盤が造成されつつあります。世界百八十ヵ国以上の会員の皆様の積極的な参加によって、驚くべき実績が成し遂げられたことに対して、この場をお借りして、もう一度、感謝と称賛を捧げます。 皆様。今後十年間、女性平和運動の方向とその中心となる内容は何でしょうか。文総裁は、二〇一二年を神様と人類が願う平和理想世界の結実期として定め、率先して行動しておられます。私たち女性連合にとっても、今後十年間はとても重要な期間です。平和世界は、世界や国において、先に成し遂げられるのではありません。すベての組織の基盤となる家庭において、先に平和が成し遂げられなければなりません。 世界平和の最も核心的な内容は、家庭の平和をいかに成し遂げるかということにかかっています。真の父母と真の夫婦、そして真の子女が神様に侍って平和の家庭を築き、ひいてはこのような家庭が氏族、国家、世界へと拡散するとき、真の世界平和が実現されるのです。家庭の平和のための母親の使命、また妻の役割は絶対的です。 今日のように不倫や退廃が蔓延し、青少年たちの放縦や離婚などによって家庭が崩壊する状況の中で、私たち女性連合が世界的に展開する真の家庭祝福運動と青少年純潔教育は、根本的な平和運動なのです。神様の真の愛による唯一の救国救世の平和運動です。 宇宙の公法と原理に立脚して、家庭を全きものとし、社会を再建しながら、国を正しく立てる仕事に特別な使命感をもって進んでいかなければならないと思います。女性の政治参加、女性の経済参加、教育および文化分野への女性の参加、女性に関する法律制度改善など社会分野への参加、それ以外にも多様なNGO(非政府機構)活動が必要です。 しかし、何よりも優先すべき運動は、正しい価値観の教育に伴う真の家庭運動であることをもう一度強調します。女性たちはまた統一運動の旗手にならなければなりません。本連合の事業にも、南北統一のための様々な活動を明示しておきました。女性は南北統一のために、正しい理念教育と真の愛の実践によって手本を示すことで、先導的役割を果たさなければなりません。戦争や葛藤は、利己的な動機から、領土や財産など、他人の物を奪おうとするときに起こるものです。その反面、平和は、他人のために自分を投入するとき、すなわち真の愛を与えるときにやって来るのです。私たち女性連合が今まで心血を注いで展開してきた「隣人と社会のための奉仕と分かち合いの活動」は、平和運動の貴い礎石となるでしょう。 今年、北朝鮮の同胞、特に子供や女性たちを支援するための「北朝鮮愛一パーセント運動」を展開したことも、本連合の創立精神を高めるものであると思います。各国において国際的に展開するこの真の愛の実践と分かち合い運動は、超国家的、超宗教的、超人種的に葛藤の溝を越え、平和を堅固なものにしつつあります。 これまで文総裁の指示により、日韓の女性三十二万人が姉妹結縁を行うなど、世界各地で、国際間に平和の掛け橋を渡すために、多くの努力をしてきました。この運動は、国際会議や平和運動の実践の一つの儀式として定着しました。 愛する会員の皆様。二十一世紀は、女性が男性と共に堂々と一つの軸を形成し、世界史の主役にならなければなりません。力と技術の世紀ではなく、愛と文化の世紀を創建していく中心において、女性の役割はますます重要になりました。世界平和実現の根幹である真の家庭回復運動を主導的に引っ張っていく会員の皆様となられることを期待します。自覚ある女性は、家庭を守る愛と平和と奉仕の中心です。世界平和も、その出発の起源は、愛と道徳の学校である、健全な家庭の中の母親にあると言えるでしょう。 たとえ世界が満身創痍(そうい)で汚れてしまったとしても、神様の真の愛のビジョンのもとに一体になった女性連合の実践運動によって、必ず浄化できるという確信をもって邁進してくださることを皆様にお願いいたします。神様と霊界の大いなる加護と導きが臨むでしょう。きょうは御多忙中にもかかわらず、この場に参加してくださった内外の貴賓と会員同志の皆様に深い謝意を表しながら、私のお話を終えたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.04
コメント(0)
「六千年役事大解怨式」での御言 「天一国」二年、二〇〇二年、陰暦二月二十二日(陽暦四月四日)、二十二時二十二分二十二秒、「六千年役事大解怨式」が、米国のイーストガーデンで挙行されました。その時の祈祷と御言、並びに、この式典に先立って行われた祈祷と興進様からの報告を併せて掲載します。興進様からの報告は、郭錠煥先生が拝読されました。 祈祷しましょう。霊人たちが、式を行う所に同参できるように祈祷してあげ、「来なさい」と案内してあげなければなりません。 祈祷 愛するお父様! きょう、二〇〇二年四月四日、十時(二十二時)二十二分から始まるすべての式典を、韓国では十三時間前に主導され、編成したすべての内容を、第一イスラエル、第二、第三イスラエル圏と連結させ、アメリカと韓国が一つの場において、同じ日、同じ時間に、この式典を制定し、今まで恨の役事によってふさがっていた霊界と肉界の垣根をすべて除去してしまい、地上に真のご父母様が再現し、歴史的旧約時代、新約時代、成約時代、すべての蕩減条件を整備し、神様の恨を解消し、解放的な祝福の中で、エデンにおいて、偽りの父母の愛、生命、血統を残して、恨の歴史を綴ったことを、真の父母が現れてすべてのことを蕩減復帰することによって、あなたの前に総生畜献納をすることができる立場に立ち、そして天一国を制定させてくださり、天と地の祝福を受けた家庭として、天上世界の先祖たちと地上世界の子孫たちが、一心、一体、一念とならしめてくださり、天地父母に仕える、新しい歴史的大転換時代、大祝福時代を迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。 このような祝福の恩賜によって、この地に真の父母の直系の子女である興進君をはじめとして、榮進と惠進と喜進君を中心とした四大聖人たちと賢哲たちを連結させ、さらには、キリスト教の歴史を中心として有名だった摂理史のすべての功臣たち、教派と教団を中心として、これを結び、宗教圏を越え、政治圏を越え、国連を越えていくことができるNGO(非政府組織)基準、超宗教、超国家、超人種圏を設定し、解放的な祝福を制定するようにしてくださったことを感謝申し上げます。 このすべてのことが、神様が中心となってくださり、真の父母と共にこのことに責任をおもちになり、解怨成就、解放的な解消をなして、整備、整備を備え、本然の基準の前に一致することができる条件的基準と、進んでいくことができる方向性を完結することによって、天上世界と地上世界が一体的な真の父母を中心として、仕えることができなかったことを再び総蕩減し、天使長ルーシェルが失敗したすべてのことを、アダム完成を中心とした基準の前に、絶対服従、絶対屈伏することによって蕩減し、天上世界の地獄と楽園と天の国を開くことができるように高速道路を築いた、その基盤のうえに、万能、解放の願いをあなたが主導してくださり、地上の祝福家庭の拡大とともに、天上世界の祝福家庭を結んでくださり、カイン的祝福圏がアベル的祝福圏の前に兄弟の基準を交替し、地上から天が王の中の王となられ、祝福の主人となられ、治めなければならない愛の創造理想世界を再び取り戻し、真の父母によってこれを再び復帰し、完成し、神様の前に仕えることによって、天上地上世界に神様王権樹立と祖国定着という命題を中心として、天一国を成就してくださり、自主国勝利圏解放時代、主体国勝利圏解放の時代を天上世界と地上に結んでくださり、元一的統一世界として終着するようにしてくださった、宣布を備えるようにしてくださった、条件を立てて、峠を越えるようにしてくださったお父様の恩賜の前に感謝申し上げます。 きょう、天一国二年を中心として、二〇〇二年二月二十二日、二十二時二十二分二十二秒を中心として祝福の日を設定し、韓国と日本の中心存在たちが、アメリカを中心として全体がこの場に集って、祝典をしようと願っておりますので、霊界の祝福を受けたすべての霊人たちと、四大聖人、四大直系の子女と協同するようにしてくださり、祝福を受けた宗教圏の中心存在、教派の中心者、宗教の中心者全体が共に一つになり、一つの主流の方向を定めて、新しい開拓と新しい編成を行うことができる時代を迎え、この神聖な総蕩減の解怨式を奉献しようと願っておりますので、天地父母と共に神様が王権のうえにお立ちになり、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情をもって、一心、一念、一体となった場に立ち、天の心情を代身した父子の因縁、夫婦の因縁、兄弟の因縁、一族全体が、天の解放的地上天上天国を相続することができる、喜びの一族として、一家庭として、この時間、同参することを真の父母の名によって許諾いたしますので、神様を第一として侍る彼らと、天上天下全体を蕩減することができる神聖な式典として奉献したものを受け入れてくださることをお願い申し上げながら、真の父母の名によって、この日を祝福しながら報告いたします! アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。 お母様、ここに座ってください。(「敬礼いたします。真のご子女様が先に敬礼をされます。全体で天地父母様に敬礼いたします。天地父母様に敬礼! 静かに座ってください」)。 この第二イスラエルであるアメリカが、全体、集中、復帰役事をしなければなりません。第一イスラエルが失敗したことを第二イスラエルがすべて……。第三イスラエル圏において勝利したすべてのこと、霊界と肉界が一体となって勝利基盤を築いたことを、第二イスラエルに加えて、世界的な蕩減役事を始めたことを知らなければなりません。さあ、それでは、その内容がどのようなものなのか、よく聞いてください。 「六千年役事大解怨式」に関する興進様からの報告 尊き真のご父母様! 神様の御旨を成就するために東奔西走されるお姿をそばで拝見しながら、息子としていつも恐縮し、申し訳ない心を抑えることができません。いかにすれば、少しでも真のご父母様に喜んでいただくことができるのかを深く考えながら過ごしております。 真のご父母様におかれましては、「神様王権即位式」を通して神様を解放してさしあげ、真の父母としてなすべきことは、すべてなされました。しかし、いまだ堕落した人類が越えるべき峠が多いので、これを少しでも減らすために、真のご父母様は多くの苦労をしていらっしゃいます。真のご父母様のこのような大きな恩恵の前に、どのようにして、すべてに報いることができるでしょうか? ただ、その大きな恩恵に、感謝し、また感謝するばかりです。 今まで真のご父母様が勝利され、道を開いてくださった恩恵を土台にして、祝福家庭はいち早く物事の道理をわきまえ、自ら果たすべき責任分担を完遂しなければなりません。私たちのゆえに苦労しておられる真のご父母様を解放してさしあげることが、子女としての本分であることを知っています。 それでは、このたびの行事を行うようになった背景を、真のご父母様にご報告申し上げます。 アダムとエバが堕落した後、今まで人類は、サタン主管圏に落ちていました。サタンは最も強い悪霊たちを動員して、被造世界を自分側の世界にするために悪の役事を起こし、自分の支配する領域を具体的に拡大していきました。 サタンは、神様が中心人物を通して役事されることをよく知っているので、神側の中心人物が勝利的に蕩減条件を立てることができないように、妨害する役事をしてきたのです。サタンは復帰の各時代ごとに、最も強い悪霊たちを動員して、悪の役事をしました。サタンは常に侵犯する機会を狙い、その各時代の中心人物が讒訴条件に引っかかれば、責任を果たせないように、背後で執拗に悪の役事を行ってきたのです。このように、各時代ごとの中心人物たちが、神様の御旨どおりに責任を果たすことができなかった、その背後には、サタンと悪霊たちの役事が大きく作用していたのです。 アダム家庭において、実体基台を勝利するためには、カインとアベルが一つにならなければなりませんでした。その摂理をされる時に、蕩減復帰原理の立場から、神様がアベルの祭物だけを受けられるようになったその時、アベルが謙虚な心で、兄であるカインに対していなければなりませんでした。ところが、反対にアベルは驕慢な心をもつようになったので、サタンはそれを条件として侵犯し、カインに血気を起こすようにさせ、理性を失うようにして、弟のアベルを殺害するように役事したのです。 ノアが山の上に百二十年間かけて箱舟を造り、洪水審判がすべて終わった後に、ノアはまず、神様の前に謙虚になって感謝の祈祷を捧げなければならなかったのですが、ノアが「自分ですべてをなした」という慢心をもつようになると、常に侵犯する機会を狙っていたサタンは、悪霊たちを動員して、ハムをして、父ノアの裸体行為に対して恥ずかしさを感じるようにさせ、兄弟たちを扇動して、ノアの心と距離を置くようにさせました。 サタンは、アブラハムの三種類の供え物を通して、アダム、ノア、アブラハムの家庭のすべてを蕩減復帰しようとされる神様の御旨を知り、侵犯する機会を狙っていると、アブラハムが三種類の供え物を献祭する時に軽率な心をもつと、これを条件にしてサタンは侵犯し、ハトを裂かないようになり、結局、象徴献祭を失敗するようにさせたのです。 モーセの時にもサタンは、イスラエル民族がモーセと一つになろうとする心をもたせないように役事をしました。特に、出エジプト以後、四十日間の断食祈祷を通して、幕屋のための基台を準備する過程においても、イスラエル民族がエジプトでの生活に対する未練をもって、不平不満を言い出すと、それを条件にしてサタンは、イスラエル民族が金の子牛をつくり、それを自分たちをエジプトから導いてくれた主人として崇めるようにさせたのです。また、モーセが不信するイスラエル民族に向かって血気を起こすと、石板を壊すようにさせ、また、レピデムで磐石を二度打つようにさせて、中心人物としての責任を果たせないようにさせたのです。その背後にも、サタンを中心とした悪の役事がありました。 イエス様の時も同様でした。サタンは、不信する当時の律法学者や祭司長たちに入り、「イエス様はメシヤではない」と扇動して、イエス様を排斥し、迫害するようにしました。また、洗礼ヨハネが自分中心の人間的な心をもつようになると、その中にサタンが入り、イエス様を証しながらも侍ることができないように、誘導したのです。それだけでなく、弟子たちがイエス様を信じなくなると、サタンはそれを条件として、イエス様と弟子たちが一つになれないように、悪霊たちを通して役事したのです。このようにしてイエス様は、結局、十字架上で亡くなるしかありませんでした。当時の中心人物たちが責任を果たさなかったことも、その原因でしたが、その背後には、サタンの執拗な悪の役事が隠れていたのです。 真のご父母様がこの地上に来られた後にも、サタンは、神様の中心摂理に対する妨害の役事を継続してきました。一部の無知なキリスト教の牧師たちと聖徒たちにサタンが入り、真のご父母様を不信するようにさせ、迫害するように扇動したのです。また、神様を否定する北韓の共産主義者たちを通して、真のお父様を監獄に入れ、さまざまな拷問と苦痛を与え、真のお父様のメシヤとしての意志をくじこうとしました。真のご父母様は、そのようなサタンに屈することなく、かえって神様を慰労され、蕩減条件を立てられて、サタンを屈伏させて勝利されたのです。 しかし、サタンは最後まで放棄せず、継続して神様の摂理を妨害するために必死に役事をしてきました。サタンが狙った第一の標的は、まさに真のご父母様が立てられた祝福家庭でした。祝福家庭が神様と真のご父母様に対する、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で暮らしていたならば、サタンが讒訴することはできませんが、そのようにできない家庭には、サタンが悪霊を動員して、罪の根の問題を再び犯させるような状況をつくり、過ちを犯すように役事をしたのです。真のご父母様に従う祝福家庭が罪を犯すようになったので、サタンは、真の家庭にまでも苦難を与えたのです。このようにサタンは、復帰摂理歴史六千年の全過程で、執拗に、巧妙に、神様の御旨が成就できないように、あらゆる手段と方法を動員して悪の役事をしてきたのです。 その当時、直接参与したサタンと最も強い悪霊たちをすべて、天一国二年、二〇〇二年、陰暦二月二十二日、二十二時二十二分二十二秒に、清平に呼んで、解怨するようになります。 今まで、霊界にいる私をはじめ、榮進、惠進、喜進が中心となり、霊界全体をくまなく捜し、六千年の復帰摂理の役事期間において、中心人物たちを打ち倒すために悪の役事をしてきたサタンと最も強い悪霊たちを、すべて捜し出して、その位置をあらかじめ表示しておきました。そしてきょう、この時間に、当時の摂理的中心人物たちを通して、サタンと犯行に直接参与した最も強い悪霊たちを連れてくるにあたって、その力が不足した場合に備え、今まで清平の役事を通して祝福を受けた絶対善霊たちの支援を受けて、彼らをすべて清平に連れてきて、歴史的な大解怨式を行うようになりました。 このような行事は、真のご父母様が神様を解放してさしあげ、本来の位置に立ててさしあげていなければ、この時間、このように歴史的な大解怨式を行うことはできませんでした。サタンを中心とした悪が崩れていくと同時に、それを転換点として、神様を中心とした善が早く定着しなければならないのですが、もし、神様王権即位式を通して神様を解放してさしあげることができていなければ、悪がだんだんと崩れていったとしても、善がより強く前進していくことはできなかったでしょう。 しかし、今からは、善悪が完全に交差する時代を迎えることによって、生きていらっしゃる神様が、全知全能の力を思いどおりに発揮なさることができるようになったのです。したがって、今後、悪は弱くなり、崩れていき、神様を中心とした善はだんだんと強くなり、神様が、全体、全般、全権、全能の役事をなさることができる時が到来するようになったのです。 今からは、原理を知る祝福家庭が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、神様と真のご父母様の心情と一体になれば、豊かに暮らすことができるようになっています。しかし、堕落性を中心として非原理的な生活をすれば、滅びるようになっています。 真のご父母様は、私と大母様を通して、四大聖人、賢哲たち、各教団の教主たちを捜し立てられ、修練を受けるようにされ、絶対善霊として立ててくださいました。それで、各教団の直系の弟子たちを中心として、宗教間の境界線を崩して、真のご父母様と一つになることができる宗教統一の道に進むように導いてくださいました。 また、地上の祝福家庭を中心に先祖解怨式を通して、彼らを霊界の修練を経て絶対善霊にし、地上に再臨協助することのできる基台を立てられました。また、地上の肉身をもつ人間に憑いている恨みの霊と悪霊たちを分立し、彼らもやはり霊界の修練所を経て、善の役事をすることのできる絶対善霊にすることができる道を開いてくださいました。 このような基盤のうえに、今まで四大聖人を中心に、教団の代表と信徒たちが祝福を受けたのですが、彼らを、去る二〇〇二年、陽暦二月一日に霊界の修練所に呼び、真のご父母様が神様王権即位式以後に摂理される具体的な内容について教育をしました。そして、彼らは、復帰摂理歴史に協助するために、陰暦二月二十二日、陽暦四月四日に、地上に再臨し、真のご父母様がなされる摂理を協助するようになります。彼らは何よりもまず、真のご父母様が推進される、キリスト教および各教団の指導者たちを含めた、十四万四千組の群れを祝福してくださるという大きな祝福行事が勝利できるように、再臨協助をします。 今まで祝福を受けた絶対善霊たちの、地上の祝福家庭に再臨協助して地上天国と天上天国をなそうとする覚悟と決心は、大変強いものです。このような時に、地上の祝福家庭と公職者が絶対善霊と一体となり、神様と真のご父母様の御旨を成就するために、先頭に立たなければなりません。 尊き真のご父母様! 今は神様の御旨どおりにすべてのことがなされていく大転換時代であり、天地開闢の一時を迎えています。霊界では、すべての時間が感動の心情で満ちています。このような時に私たちすべての祝福家庭は、油断することなく、現位置において神様と真のご父母様を中心として、霊界と肉界が、一心、一体、一念をなし、なすことのできる最善の努力をすべてなして、必ずや、真のご父母様の王権即位式をしてさしあげますので、彼らを見守ってくださり、思う存分、お喜びをお受け取りください。 二〇〇二年、陰暦二月二十二日(陽暦四月四日)、天宙清平修錬苑より、息子、興進がお捧げ申し上げました。(拍手) さあ、心の準備をしてください。二十二時二十二分二十二秒を迎えるまで。(「全体起立して、立ったままで心の準備をいたします」)。 祈祷 愛するお父様! きょうは天一国二年であり、新たに二〇〇二年を迎える陰暦二月二十二日、陽暦では四月四日、この日は、大母様の年が、八十九歳になる記念の日でもあります。 大母様と忠母様、真のご父母様、三代にわたり、母が責任を果たせなかったすべてのことを、過去の旧約時代、新約時代、成約時代を清平に集合させ、このことを代身し、大母様を中心として、息子の立場にある興進君と榮進君と喜進君と惠進嬢を中心とした四大家庭が、この地に来て苦労していった四大聖人の祝福家庭と共に、そして、忠孝の道理の道において忠誠を尽くした、霊界にいる数多くの、数億の人、聖人、烈士、忠臣、孝子たちを祝福しましたので、地上の真の父母の名と共に、天上世界の祝福を受けた家庭と地上世界の祝福を受けた家庭が一体となり、失ってしまったカイン・アベルの基準を蕩減することのできる、すべての家庭的基準を取り戻し、アベルの勝利の主権を中心としてカインが屈伏するように、天上世界の祖先たちが、一心、一体となるようにしてくださり、天地父母に仕えることによって、超宗教、超国家、超NGO圏を中心として、初めて歴史時代に新しい神様王権樹立と共に、サタン世界を越え、絶対的な基準において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の観念を中心とした、ために生きる真の愛の神様を中心として、失ってしまった真の父母と一体となった本然の真の愛と真の生命と真の血統の因縁を、神様が一代であり、アダムとエバを失うことによって二代圏家庭の設定ができなかったことを、真の父母の家庭を中心として、世界に広がっているすべての祝福を受けた家庭が、天上世界の家庭と一つになり、真のご父母様に侍ることのできる基盤を、カイン・アベル、アダム家庭で失ったものを、国家を越えて、天宙史的なもののうえに立ち、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原理を通じて、ために生きる生活を主体として、すべてのことを投入して忘れ、投入して忘れ、ために生き、よりために生きる、永遠な神様の愛と父母の愛を代身することのできる、深い愛の世界が、この地に出現することができるようになった恩賜に感謝申し上げます。 このことによって統一教会の群れは、第一に、真の愛を中心として私たちが生まれ、真の生命と因縁を結び、真の血統を受け継ぐことができ、神様が一代、アダムとエバの代身としての真の父母、この二代を中心として、三代圏を結ぶことのできる勝利的祝福中心家庭の価値をもつようにしてくださったことを心から感謝いたします。 言葉だけではなく、事実の中の事実であり、事実が中心として現れることのできる天の権威の足場となり、万事に神様の自主権を中心として、すべてを治めるうえで不足のない、個人基盤はもちろん、家庭基盤となり、祝福家庭を中心として、天上の祖先まで一つになり、牽引車のように、機関車のように、霊界を引っ張って地上に再臨させ、完成の印を押し、公印を押して、天上まで連れていく、解放的決定をすべき時間に到達いたしました。 それゆえ、きょう、陰暦二月二十二日のこの時間を期して、霊界のすべてのふさがれていた垣根を壊し、解放的次元を中心として、平準化することのできる位置において、真の父母と共に、神様と共に、水平線上に立って、一体、一念、一心をもち、一つの家庭的理想圏でお互いに、上下の父子関係、左右の夫婦関係、前後の兄弟関係、そのような出発の家庭を中心として、すべての氏族を代表することのできる氏族的メシヤ、国家を代身すれば国家的メシヤ、世界を代身すれば世界的メシヤ、天宙を代身すれば神様のすべてのメシヤ的責任を完成、完結し、すべてのことを清算することができる時間を迎えましたので、天の国の王権樹立と共に、全体があなたの水準にありますので、願われる通りに、全体、全般、全権、全能の行使を、天の玉座から地の果てまで、地獄の底にまで、解放の愛の恩賜圏をもたらし、心を込めて「私が創造した彼らの理想の姿だ」と、忠孝の道理を誇りながら抱くことのできる、解放地上天国が訪れてくるように、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 このことのために、今まで反対していた天使長ルーシェル以下のすべての一族全体も、この場に参席することのできる同伴者とならしめてくださり、立証することができ、証拠的後援者として選び、立てましたので、神様がこの場にお立ちになり、彼らに指示され、すべてのものが、一体、一心となるようにしてくださり、前進する一方通行として、万事亨通(あらゆることが思いどおりになること)、万事亨通、万事亨通、太平聖代(徳のある君主が治めている世の中、時代)、地上天国、天上天国を完結することのできる、祝福家庭の相続者たちとなることができるよう許諾してくださいますように、懇切にお願い申し上げます。 このことのために苦労した清平も、今やすべての力を尽くして地上と天上が協力し、真の父母がこの地で解怨成就することができる、王権即位式をすることができる、総生畜献納の世界的な奉献の日のために前進するすべてのことにおいて、神様が主体となって命令してくださり、管理、主管してくださることを懇切にお願い申し上げます。 地上は、あなたの祖国の地になりましたので、その祖国の地で生まれた、孝子、忠臣、聖人、聖子、宗主たちを合わせ、善なる祖先たちを協力させて、生まれた故郷の部分部分を合わせて、郡を越え、国家を越え、世界の至るところに連結することのできる、宗教圏解放、政治圏解放、NGO圏解放、地上天国統一の主人の王権を中心として、自ら、自由、自己主張することができる世界に前進することができるよう、お願い申し上げます。 このように天一国を宣布し、天一国の前においての、自主国である主体国としての勝利圏解放世界を越えて、初めて、堕落していない本然の元一統一世界へと締めくくることができる、解放、地上天上完結をしてくださり、勝利万々歳、天国がすべて天の一族、一家庭の群れが、一国家の群れが、一文化の一族になることができるように、祝福、祝福、祝福を完結してくださるように、懇切にお願い申し上げながら、 清平の興進君が報告した内容以上のことまでも、自主的な権限をもって、地上のきわめて小さなものから天上世界のきわめて大きなものまで、自主圏、勝利圏解放時代を自ら指導してくださいますように。 元一統一世界をなされ、千世、万世、太平聖代をなされますことを、真の父母が、懇切に、懇切に願いながら、ご報告をお捧げいたします! アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。(拍手) 御言 復帰は蕩減復帰 四人、韓国の代表四人、日本の代表四人、アメリカの代表四人、それで十二名になるでしょう。三人ずつにして、東西四方に、筒の中にある菓子を砕いて、遠くにまいてください。蕩減条件です。四方にまけばよいのです。「これは宇宙の蕩減条件物である」と考えながらまきなさい。できるだけ遠くにまくのです。空中にまいて、地に落とすようにするのです。 復帰は蕩減復帰です。そのままでは復帰できません。罪を犯せば、それをすべて解消しなければならないのです。すべてなくしてしまわなければなりません。蕩減です。反対になくさなければならないのです。このように落ちたのなら、反対に引き上げなければなりません。それが蕩減復帰です。そのままでは復帰できません。蕩減復帰があるために、歴史が今まで長い歴史……。 神様ご自身がなさることはできません。神様がされるのならば、蕩減条件が必要ですか? すべて切ってしまえばよいのです。否定してしまえば、宇宙をすべて破壊しなければなりません。仕方なく置いておいて、再び洗って、本然の形態を備えるためには、そこに対する……。罪を犯せば、罪を犯した量に該当する分だけ洗わなければなりません。漂白しなければならないというのです。ですから、漂白する苦労、漂白する材料、これは絶対に必要です。蕩減条件物が必要だというのです。 今まで救援摂理を知らなかったのです。祭物とは何かというと、蕩減条件物です。今までそれを知りませんでした。それゆえ、動物を祭物にするなど、あらゆることをしたのです。堕落以降、神様の愛の中で保護を受けて暮らすことができ、その愛の中で神様と共に同化して暮らすことができる、この世界のすべてのもの、万物が、血を流さなければなりません。血を流さなければならないのです。 なぜ血なのかというと、偽りの生命、偽りの愛、偽りの血統が生じたということです。血(血統)が汚されたのですから、血を抜かなければなりません。それで、祭物は、必ず半分に裂かなければならないのです。一つは神側、もう一つはサタン側です。 ところが、神側は、十のうちの一しかありません。創造されたものがそのようになりました。九まではサタン数です。それゆえ、九数といえば、東洋思想では悪い数なのです。賭博場で九数といえば、一番よい数です。賭博場では、九数が一番の親分になるのです。それゆえ、九数を越えていくのは大変です。九数ですべてそのようになるのです。三分の二をサタンがもっていき、天は三分の一にもなりません。全体の三〇パーセント、一〇パーセントにもならないというのです。 それで、今まで十分の一を中心として献金してきたのです。それゆえ、信仰生活は、十分の一献金をしなければならないようになっています。十分の一献金を、自分の生活のどのようなものよりも貴く思い、給料をもらえば、そこから汚していない清いものとして捧げるのです。もし、もらった給料のお金が新しいものでなければ、新しいお金に替えて献金しなければなりません。精誠を尽くして十分の一献金をする人は、滅びません。そこには、必ず天運が従ってくるのです。サタンがついて行くことはできません。ですから、十分の一献金が必要です。 それゆえ、信仰生活はすべて、物質的条件、それから精神的条件です。自分の貴いものを捧げなければなりません。自分の生命の代わりに貴いものを捧げるので、自分の家庭において最も愛する貴いものを天の前に捧げなければならないのです。十分の一は神様のものとして、十分の九も自分のものではなく、自分の家庭と国と世界にすべて残していくのです。 すべてを自分の息子・娘に残してあげれば、争いにしかならないのです。そのような世界になります。だんだんと相続がなくなるのです。これからは、公人として生き、人の所有するものは、国家の所有として主体的に捧げる時が、おのずと来ます。何のことか分かりますか? 自分の息子・娘に与えるのではないのです。忠臣は息子・娘に相続させるのではなく、国に相続させるのです。国に捧げなければなりません。そのような時が来るというのです。 ですから、自分が天から祝福を与えられて豊かに暮らすということは、天が国に与えるものを代わりに分割して私に与えたということであり、国のものとして、国の人として私に与えたものなので、自分がこの地上で生きて、逝く時には、国のものとして捧げてから逝かなければならないのです。 アメリカはよく見てみると、自分の息子・娘に相続させずに、公的な社会に寄贈する人が多いのですが、それは、御旨の中で一つの不可避なことなのです。先生も同様です。先生にお金ができれば、息子・娘のために準備するのではなく、すべて国と世界のために使うのです。先生が世界のために使うということは、自分の国と世界の未来の子孫のために準備するということです。 ですから、統一教会の教会員で言えば、先生が息子・娘を考えずに、先にそのようにしてくれたので、食口の皆さんは、先生の息子・娘を食べさせてあげ、保護する責任があるのです。 なぜですか? 天使長がアダムを育てることができるのです。アダムを保護して育成するのは、天使長の責任です。ですから、教会員である皆さんは、カインの立場であり、天使長の直系の息子・娘と同じ立場なので、統一教会の息子・娘が幸福に暮らせるか暮らせないかという事実は、皆さんが保護するか否かにかかっているのです。 皆さんが正しく保護することができなかったので、先生の家庭がめちゃくちゃになったのです。それが分かりますか? (「はい」)。このことを祝福家庭が、口を開いて不平を言うのですか? 先生の息子・娘は、いくらサタンが連れていったとしても、先生が行って、取り戻してくることができるのです。分かりますか? 今もそうではないですか? 興進君と榮進君と喜進君と惠進嬢です。一人の娘と三人の息子が逝きました。三人の息子です。息子も、三タイプの息子が逝ったというのです。エバ・母と、三時代の三人の息子です。これは、数もぴったり合うのです。彼らを全員祝福してあげました。 惠進は八日目に逝きました。今まで世の中で、数多くの赤ん坊が霊界に行きましたが、そのような赤ん坊に祝福という言葉があり得ますか? あり得ません。真の父母が来て、サタン世界の血統を断ち切り、蕩減条件を立ててすべてを解消したので、霊界の祝福を受けた家庭を中心として、赤ん坊で早く死んだ人たちは、十六歳……。父母たちがために生き、家庭において赤ん坊が生まれた日を記念してあげれば、霊界で成長するというのです。精誠を尽くして成長するようにしてあげ、そしてまた、何代かの善なる先祖たちがいれば、先祖管理圏内で育てていくのです。そのような年齢で十六歳以上になった人たちをすべて、霊界で祝福しました。数百億名になるでしょう。 真の父母が来て、一九五二年にはすべて終わる また、既成祝福もしてあげました。三十六家庭を見れば、既成家庭がいます。自分勝手に結婚した人です。その次に、第二家庭です。これはノア家庭です。ノアも半分しか定着することができませんでした。地において条件だけを立てたのです。ノア家庭と同じような人たちがいるのです。結婚式を挙げて暮らすことができずに、因縁だけを結び、その後に別れた人たちがいます。好きなように暮らして条件だけを立てたのであって、家庭で息子・娘をもつことができなかったのです。ノア家庭のように半分しか成立していないその家庭が、第二家庭であり、第三家庭は、純粋な善男善女です。その第三家庭は、ヤコブ家庭です。ヤコブ家庭の十二人の息子・娘が定着したので、これが歴史的な家庭を中心とした先祖の基盤です。 自分勝手に結婚した人、約婚、結婚と同じ立場に立った条件的結婚のような人、そして、ヤコブの十二支派が定着したように地上に定着した家庭があるのです。ですから、三十六家庭の中で、中心は何かというとヤコブ家庭です。善男善女が中心です。分かりますか? 既成家庭は旧約時代と同じであり、それから、中間の家庭、契約結婚は新約時代と同じです。アメリカでは契約結婚するように、すべてそのようになっていくのです。新約時代と同じです。成約時代は、善男善女を中心として定着するのです。 しかし、既成家庭でも、契約家庭でも、善男善女の家庭でも、天から祝福を受けて地上で家庭を築いて暮らすことができるという道理はありません。それは、真の父母が来て、天の法を新しく解き明かし、解説し、サタンがついてくることができないように分別して、安着することができるように環境与件をつくったので、家庭が楽園を経ずに天上世界に行ったとしても、讒訴できないのです。今までサタンは、楽園世界以下、国家基準以下にとどまっている霊人たちを、地獄に行って自由に処断することができたのです。 しかし、先生はこれを乗り越えました。既成家庭、それから契約結婚、それからヤコブのような家庭、このすべてが定着したのです。家庭で見れば、旧約時代が既成家庭、新約時代が契約結婚です。最近、アメリカで契約結婚をするでしょう。暮らすことは暮らすのですが、家庭を嫌い、息子・娘を嫌うのです。息子・娘がいないのです。家庭がないのです。そのような者たちです。定着してヤコブの十二支派編成をしたようになり、そのすべてが一つになって、神様に捧げることができるようにならなければなりません。それが三十六家庭です。 三十六家庭では、カインとアベルが一つになっていません。それで、カインとアベルが一つになることができる条件を立てたのが、七十二家庭です。七十二家庭を中心としたものが、モーセを中心としたイスラエル民族です。エジプトから帰ってきたイスラエル選民が、七十二長老です。それゆえ、十二家庭から七十二長老の位置に上がり、イエス様が来て百二十、そのようになるのです。十二支派の還元です。十二数を中心として、挙国的な基準において百二十門徒です。五旬節で、イエス様を中心とする百二十門徒の前に、聖霊が降臨しました。父であるイエス様が天上世界に上がっていったので、母である聖霊が地上に来て、赤ん坊を出産する苦労をするのです。 ですから、聖霊降臨以降のキリスト教の歴史というものは、地上の基盤がない霊的基準です。それゆえ、今まで霊的な国だけをもってきたので、世の中に国家基準、定着した国がありません。しかし、イスラエル民族の時には国がありました。教会中心の国があったのですが、今までキリスト教には国がありませんでした。放浪者です。 それゆえ、ローマに行っても、どこに行っても、迫害を受けて血を流したのです。垣根を崩すためには、血を流さなければならないのです。イエス様が血を流したので、イエス様が完成したその後について行こうとすれば、民族的基準に行こうとすれば、血を流して越えていき、すべての民族が血を流した祭物として、奉献されなければならなかったのです。蕩減条件を立てて、国家基準を越えていかなければならないのです。 その国家基準を越えたものが、英米仏です。第二次大戦を中心として、英米仏と日独伊です。内容がぴたっと同じです。エバ国家であるイギリス。サタン側の世界のエバ国家である日本。ヒットラーは、日本がアジアで大東亜戦争を起こして、六か月以内に覇権を握ると、「ああ、あの日本と一つになれば世界を飲み込める」と考えて、日独伊同盟で枢軸国となって戦いました。それとちょうど同じです。 イギリスが母の国であり、イギリスが産んだのがアメリカで、フランスが天使長国家です。第二次大戦において、キリスト教文化圏である連合国が勝つことによって、連合国の基盤のうえに再臨主が来るようになっているのです。イエス様は死ぬことによって、霊界を統一し、地上の統一圏を成し遂げることができませんでした。それゆえ、失ってしまった国家基準を世界的基準において連結することができる、そのような基盤のうえに真の父母が出てこなければならないのです。真の父母です。 再臨主が来て、これを七年で、一九五二年になれば、すべて終わるというのです。七年以内にすべて祝福です。旧教、新教が反対せずに、祝福の道理……。今、あなたたちが学んでいるこの御言、今、平和大使のような人たちに、郭錠煥が国を訪ねて一日ですべて教えてあげ、祝福までしてあげる、そのような能力、武器の中で、これ以上に恐ろしい武器はありません。何のことか分かりますか? 今まで、何十年、何千年、苦労して祝福の峠を訪ねてきた歴史を、一日で、国全体を祝福することができる時代に入ったのです。今は、天下を収拾しやすい段階に入ってきているのです。分かりますね? まだ霊界と肉界がすべて祝福されていません。それで、霊界の祝福と地上の祝福を行います。地上がアダム圏であり、天上世界が天使長圏です。先祖は今まで天使長圏にいました。なぜ、先祖が天使長圏だったのかというと、アダムが堕落した十六歳以降の体には、サタンの体が連結され、人類を繁殖したからです。それが人類の先祖だというのです。それで、真の父母が十六歳から蕩減の役事をし、世界的な勝利的覇権を占領したのです。先生がそれをすべて切ってしまい、天使長の立場、昔のアダムと同じ十六歳の年齢時代に、接ぎ木して、先生の代役者としての男性として立ててあげるのです。天使長には相対がいません。 堕落したエバの願いの中の願い 皆さん、祝福を受けた人たちは、自分が優秀で祝福を受けたのではありません。自分の妻を通して血統復帰したという条件を中心として、先生が十六歳以降から今までの勝利的覇権の役事を切って、接ぎ木してあげたのです。接ぎ木されてから三年間、母に侍らなければなりません。自分の妻が自分を生んでくれたのです。自分を生んでくれたというのです。妻が自分を生んでくれなければ、男性として現れる時がありません。 生んであげて、母の代身、姉の代身、妹の立場で、自分が保護してあげ、天使長が保護することができなかったことをすべて蕩減して、保護してあげることによって、初めて……。最初に祝福を受けた者は、三年ではなく、七年間、暮らすことができませんでした。蕩減条件を立てていかなければなりませんでした。最近は、どれほど便利になりましたか。 これは、世の中でもそうではないですか。戦勝国家が、その国の責任者を捕まえて刑場で殺してしまうのですが、赤ん坊と妻たちは残しておきました。分かりますか? それをなくしてしまうことはできません。怨讐の世界に行って、僕として過ごしながら……。僕として過ごすのも悪いことではありません。天の血族がいないので、忠臣の中の忠臣のようになれば、その国の忠臣たちが妻にし、妾にして、血筋を残すようになるのです。そのように種を取らせてでも、摂理歴史をはぐくんできたのです。 それゆえ、僕の僕から始めて、上がっていくのです。だれがその僕から上がっていくことができるのでしょうか? 今まで女性たちがそれを蕩減してきました。僕として蕩減した女性と蕩減された息子・娘を立てて、その息子・娘の立場を継ぎ、また、母が八段階を経て解放させてきたというのです。 あなたたちが三年という期間をおいて出会うというのは、蕩減役事の過程にあるということです。自動的になされたのではありません。これを自分勝手にしたのではありません。それをすべて蕩減しなければなりません。このようにふさがっているものを、交差したものを平行線にしなければならないのです。だれがこのようにしたのですか? 自分たちでは、永遠にできません。これをすべて解放してあげなければならないのです。女性たちがこのようにするのは、お母様の分身だからです。 女性を一人として見るのです。一人です。また、アダムも一人として見るのです。来られる再臨主はアダムです。一人のアダムです。アダムのすべてがアダムではありません。天使長の息子・娘です。分かりますか? 女性も一人です。キリスト教は何かというと、新婦の宗教でしょう。「新郎よ、来てください」と言っているのです。キリスト教自体が新婦宗教です。新郎がいません。牧師たちは天使長の立場なので、終わりの日にすべて蹂躙して、ホモになる者もおり、問題を起こして破壊するのです。 それゆえ、神様が訪ねられるのはエバだというのです。では、世界六十億人類の中の、三十億のエバは、だれの相対圏かというと、来られる再臨主です。分かりますか? 女性たちがもっているすべてのものを、だれに捧げなければならないのかというと、自分の夫の前に捧げなければならないのです。すべてのものを女性たちがもっています。終わりの日には、すべて女性たちが占領するのです。占領して何をしようというのですか? 新郎に……。 新郎が堕落することによって、すべて引っ繰り返ってしまいました。新郎は来る時に、お金や国や世界をもってくるのではありません。体だけをもってくるのです。体です。一人の新郎として来るのです。一人の新郎が何をもって来るのですか? 真の愛をもって来るのです。 では、再臨主が来たとすれば、世界の女性たちはみな再臨主を思慕するのです。だれよりも愛さなければなりません。恋煩い以上です。「先生に会うことができなければ、死ぬ!」。このようになるのです。男性までも、先生に会いたくて泣かなければなりません。それはだれかというと、男性にとっては、自分の父親なのです。神様の代身であり、兄の代身であり、最も愛したい叔父の代身なのです。 世の中は、二人を失ってしまいました。ですから、男性であるアダムがこの地に来る時には、一人の女性を世界の中から選ぶのです。世界の博物博覧会のようなところで一等になることのできる新婦を選ばなければなりません。それで、八十代の老人から、七十、六十、五十、四十、三十、二十、十代まで下りていくのです。それゆえ、十二歳になれば、統一教会の教会員は、「先生のような夫をもらおう」と考えるのです。八十の老人も、霊界から「おまえの新郎はだれかというと、真の父だ!」と教えられるのです。 女性は、真の父に出会うことができなかったのではないですか? 真の男性を見ることもできず、慕うこともできませんでした。ですから、真の父である男性を、すべての女性たちが慕うようになっているのです。それゆえ、夫と仲良く暮らすことができず、浮気し、たたかれ、冷遇され、踏みつけられ、そのように暮らしてきたのです。 ですから、理想的夫、理想的家庭、理想的息子・娘を待ちわびてきたのです。それが堕落したエバとしての、何千万年の歴史を経ながら願ってきた、願いの中の願いです。そのような時が、間違いなく来るのです。また、夫が浮気もするのです。フリーセックス、ホモになり、あらゆることをすべてします。動物よりももっと悪くなるのです。そのようになる日には、地獄で滅びるというのです。 しかし、統一教会の先生が来て、女性が純潔を守り、そして、行かなければならない道をはっきりと教えてあげるのです。いくら先生を恋い慕い、「恋しくて死にそうだ」と言ったとしても、むやみやたらに対するのではありません。あくまでも妹です。妹として育てて、約婚し、約婚しても思いどおりにはしません。結婚して、母となり、母だけではなく、おばあさんとなるのですが、それだけではありません。女王の立場にまですべて育て、行くことができるようにするのです。 それで、皆さんが祝福を受けて、きょうのような総蕩減をして越えれば、女王の立場に行くのです。昔の女王と、今日の皆さんのような女王の立場を考えれば、今、どれほど文化的生活をしていますか。インターネット、電子メールが出てきて、世界のどこに行っても、座っていて世界と通じ得る時代が来ました。 世界で最も高い山が何かというと、ハワイのマウナ・ケアという山です。六千メートルの海底から山になっていて、地上では約四千二百メートルですから、約一万二百メートルになるのです。エベレスト山が、八千、何メートルですか? (「約八千八百メートルです」)。約八千八百メートルにしかならないというのです。海底がその山の根拠になっているのです。エベレスト山は、陸地を根拠として測ったのではないですか。水面でしょう。海抜何メートルになるのかというのです。マウナ・ケアは、海中に六千メートルも埋もれています。それゆえ、最も高いというのです。やあ! 私がよく見てみると、神様は本当に理想の願望が強いのです。なぜ、ハワイ島を海洋摂理の終着点にされたのでしょうか? 最も高い所だからです。 そのままでは堕落性は脱げない お母様が立派だというのは、顔がきれいだからということではありません。目が四つあるわけでもなく、歩んできた歴史が違うのです。お母様になるためには、三代が一人娘でなければなりません。三代にわたって娘が一人でなければならないのです。(お母様のほうを向かれ)そうでしたか? (拍手) 男性がいても、一人息子まではかまいませんが、二人以上はいけないということです。なぜですか? 親族が多ければ、「統一教会のお母様だ」と知れば、どれほど……。韓国の歴史において、妻たちには政治のにおいも嗅げないようにしたでしょう。女性たちは煩わしいのです。女性の親族のために、苦しむ人が多いのです。これがしがみついて、どろぼうを働き、あらゆることをして滅ぼしてしまうのです。お母様も、兄弟がたくさんいるのではありません。本来は、七代の一人息子、一人娘です。そのような家系を選ばなければならないのです。 思いどおりにどのような女性でも引っ張ってきて、お母様にすることができますか? すべて天の条件に合わなければなりません。宗教でも、三つの宗教を革命し、峠を越えて、「再臨主は人として来る」と言って、何十年の伝統が立っていなければなりません。そのようなことをお母様の母親である大母様がしたのです。新イエス教から、鉄山の聖主教、その次に腹ポク中教、三つの教派をすべて革命してきました。そのことはみな知りませんが、そのようなことを考えるとき、お母様を捜し出すのが、簡単だったでしょうか、困難だったでしょうか? 統一教会でこのことを知らない人は、「自分がお母様になる!」と思って、先生を誘惑しようとして大騒ぎしたのです。この女性たちが、どれほど激しく騒いだのか知っていますか? 先生は、その女性たちの思いどおりにはなりません。(笑)ああ、本当です。純潔を守らなければなりません。そのようなことは、詳しく話しません。霊界に行けば一日で教育できるのですが、ここでは何年かけて説明しても終わりません。ですから、教えてあげません。分かりますか? 霊界に行って一度だけ光を発すれば、すべて終わるのですが、ここで話をすれば、何十年かかっても、その解説は終わりません。 天機漏洩という言葉があります。天の国の秘密を、何も分からない人に教えてあげれば、大きな問題が起きるのです。それゆえ、神様は、すべては教えてくれないのです。最近の興進の報告によれば、そうではないですか。イエス様の十二弟子から、キリスト教史の有名な人たち百二十名がすべて出てくるのですが、その人たちはみな、「神様が自分の父母だ」ということを知らなかったのです。また、尋ねたとしても教えてくれません。深刻に尋ねると、神様はいなくなってしまいます。答えてあげるようになっていないのです。そのような秘密の話、天の国の秘密や歴史の秘密の話は、真の父母が解決するようになっているのであって、神様は分かるように教えてあげてはいけないようになっているのです。 この者たち! 女性たち! この女性のために、どれほど私が悪口を言われましたか! では、女性たち、「先生を好きではない」という人は手を挙げてみなさい。「好きだ」という人は手を挙げてみなさい。恥ずかしくありません。統一教会の男性たちは、先生が女性たちを動員しても、身動きすることができず、じっとしているのです。ご飯を一人で食べて、赤ん坊の面倒を見ても、黙っているのです。物請いをして食べても、不平を言ってはいけません。何のことか分かりますか? (「はい」)。天使長の分身の立場として、先生がそれ以上に苦労して自分を生かしてくれた歴史の恩徳に報いるためには、いくらあぜんとしても、本心が反対できないのです。それを喜んで消化することができる歴史的事実があるのです。 あなたたちは口を開けば、「あの人は善いか悪いか」と評価しようとするでしょう。「私よりももっと知っているか、知らないか?」と。あなたたちが何を知っているというのですか? 神様を知っていますか? 霊界を知っていますか? 最も貴いものを何も知らずに、知っているふりをして、しっぽを振り、頭を振り、何がハーバードですか? エールでも何でも、すべて偽りの群れです。そこには、神様の息子・娘は一人もいません。地獄に行く群れです。アメリカも同じです。大革命が起きて、引っ繰り返らなければなりません。 自動的に善なる女性になると思いますか? 「この女性たち! 間違っている! なっていない!」と、気合を入れてあげなければなりません。ただそのままでいて、堕落性が脱げていくと思いますか? アメリカの女性たちは、ハンバーガーやチーズを好むでしょう。日本に宣教師として行っていた二人が、約一年半ぶりに帰ってきて、飛行場に着くや否や飛び込んでいった所が、マクドナルドです。それからチーズ、ケーキ……。何年間の習慣でも、そのように難しいのに、堕落性は何千万年です。堕落性の習慣が染みついているのに、それが一日、二日で、脱げると思いますか? きょうは、解放して祝福をしたので、女性たちを称賛しなければならないのに、なぜこのように……。大きな木の板に、太い釘が打ち込まれているのですが、これを抜くことができません。そのままでは抜くことができないのです。抜こうとすれば、ドンドンとたたいて、初めてサッと抜くことができるのです。分かりますか? あなたたちの思うとおりに、そのままにしておいてはできません。そのままでは(堕落性は)脱げないというのです。何のことか分かりますか? お父様が言う観念が分かりますか? それを知らなければなりません。それゆえ、今からあなたたちを修練所に送って、訓練しなければなりません。天国に行って、私はそのような姿に会うことはできないのです。 CIA(アメリカ中央情報局)は、「レバレンド・ムーンは女性を好む」と思って、「レバレンド・ムーンを誘惑しろ」と探偵を送ったのですが、その二人が発見されて追い出されました。日本でもそうでした。「レバレンド・ムーンは色魔で女性を好むから、美人なら間違いなくついてくる。行ってやってみなさい」と、送ってきたのです。通じません。 お母様は、それを知っているので、私を信じています。分かりますか? (「はい」)。お母様の目から見て、自分よりも美人だと思う人がいると思いますか、いないと思いますか? (「いると思います」)。その女性に対して、少しでも先生の目つきが違えば、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? なぜ、笑うのですか? 答えてください。率直でなければなりません。 あなたたちも、自分の夫よりも立派な男性がいれば、その男性のところに行って、「ご飯でも食べさせてもらいたい」という思いがありますか、ありませんか? どうしてないのですか? 統一教会に入ってきてお化けになったから、そうなのでしょう。(笑)原理を知り、統一教会の教会員になったから、ないのであって、どうしてないことがありますか? 私が最も頭の痛いことが、霊界を整備すること 今から霊界に行って、私が最も頭の痛いことが、霊界を整備することです。行って間違いなく、この者たちをすべて整備しなければなりません。先生が原理を知っているその基準を中心として知っている人がいなければ、私一人から、二人、三人と接ぎ木していかなければなりません。再び接ぎ木していかなければならないのです。全員が霊界(天国)に行けると思ってはいけません。 では、霊界には、あなたたちだけで行きますか、先生について行きますか? (「ついて行きます!」)。私は、ついて来られるのは嫌です。今までついて来られ、どれほど心を痛めたことでしょうか。あなたたちは、心を痛めていないでしょう。 するべき仕事が明らかに残っているのに、おなかがすけば、「おなかがすいた。ご飯を食べさせてくれれば働く」と言っているのです。自分たちが今までしてきたことを考えてみなさい! 先生が「おなかがすいたから、監獄に行くから」と言って、「嫌だ」と言っていたら、どうなるでしょうか? 千尋、万尋の山を越えなければならず、海を渡っていかなければならず、荒野を渡っていかなければならず、そこに鰐の群れがいないでしょうか? 蛇の群れがいないでしょうか? 千辛万苦して、今日、顯進君……。 あなたたちは、先生が完成したと思いますか、できなかったと思いますか? (「完成したと思います」)。あなたたちはどうですか? (「完成できませんでした」)。いつ完成するのですか? 地上で完成できなければ、霊界に行って問題が起きるのです。ここでは、そのままかもしれませんが、あそこでは、光を発するのです。発光体です。 電灯の光が少しでも明るければ、視線はそちらに行くでしょう。すべて分かるようになっています。自分の濁った電灯の姿でいいのですか? ここに百ワットのものがあるのに、十ワットでよいのですか? それは千個あったとしても、ないのと同じです。それを知らなければなりません。 自分の功績がなければならず、自分の何か誇るものがなければなりません。町内でも、もっているものがあり、家門もよければ、町内の人がみな称賛し、思慕し、基準にするでしょう。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。 では、皆さん、先生に対して、「真の父母」と言ってみなさい。(「真の父母!」)。真の父母という方は、どのような方ですか? 真の父母に侍ってみましたか? アメリカの人たちは、父母にも侍らず、夫を嫌い、兄弟にも侍ることができないではないですか。 真の父母になろうとすれば、息子の中の息子になり、娘の中の娘にならなければならず、夫の中の夫、妻の中の妻、父の中の父、母の中の母、おばあさんの中のおばあさん、おじいさんの中のおじいさん、王の中の王、女王の中の女王にならなければなりません。そのようになりましたか? そのようになって真の父母に侍っても、天の国に行って百点にはなりません。 それでは、「先生が神様に侍って暮らす生活とは、どのようなものだろうか?」と考えてみましたか? 神様が先生のおしりについて回られるのでしょうか、先生が神様のおしりについて回るのでしょうか? 尋ねているではないですか? (「神様がついて回られます」)。見たのですか? それは、うそですか、事実ですか? 「それは、うそではなく、事実だ」と言う人は、狂った人です。世の中に、そのように言う人がどこにいますか? しかし、それはそうだというのです。 いくら立派な父母だとしても、息子が放蕩児になり、堕落した……。聖書に「堕落した放蕩息子」の例え話が出てくるでしょう。父母は、追い出したとしても、その追い出した息子を、そばにいる息子・娘よりも、もっと考えるというのです。分かりますか? 間違ったことを悔い改めて、自分のところに帰ってくることを、千年の恨以上の切実な心で思っているのです。ところが、息子は百年たっても、「父親は嫌いだ!」と言うのです。 それは、地獄に行かなければなりませんか、どのようにしなければなりませんか? 地獄がなければなりませんか、地獄があってはいけませんか? 地獄がなければ、正す道がありません。父親が父親の役割を果たすことのできる方法がありません。そうではないですか? 今からは、先生に従ってくることを嫌うというのです。祝福中心家庭ではないですか。祝福中心家庭は、先生の家庭の代身です。 先生はかわいそうな人です。離婚した前妻までも祝福してあげなければ、行くべき道を行くことができないのです。それを知っています。神様も同様です。約束したことを成し遂げることができなければ、行くことができません。お母様も、そのようなことはよく理解できません。最近は、話をしたので理解できます。 どれほど悔い改めなければならないか知らなければならない では、先生が神様をより必要としますか、神様が先生をより必要とされますか? (「神様が先生をより必要とされます」)。なぜですか? 神様は、サタンを屈伏させることができません。それを知らなければなりません。神様は、サタンを屈伏させることができないのです。サタンを屈伏させるのは、レバレンド・ムーンでなければならないのです。分かりますか? サタンを屈伏させる時までは、レバレンド・ムーンにお願いしなければならないのです。 では、あなたたちは、神様よりも優れていますか、優れていませんか? アメリカの優秀だという人たち、あなたたちは、神様よりも優れていますか、劣っていますか? (「劣っています」)。劣っているでしょう。劣っているので、神様もそのようにレバレンド・ムーンを好まれるとすれば、あなたたちは劣っているので、神様よりももっとレバレンド・ムーンを好まなければならないという論理になるのですが、そのようになっていますか? どれほど差があるかということを知らなければなりません。あなたたちが、どれほど悔い改めなければならないのかということを知らなければなりません。 このような場に参席して、「私はいついつ、このような全体蕩減解怨式に、神様が共にあって真の父母が祈祷する時に同参したので、私は万歳だ。ははは……」。それは通じません。ここは恐ろしい場です。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」)。悪口を言われるのがいいですか、あの果物を食べるのがいいですか? (笑)果物の話をするので、笑い声が聞こえますね。これは、霊人たちのために準備しておいたのです。霊人たちを接待しようと考えましたか、考えていませんか? ああ、尋ねているではないですか? (「考えませんでした」)。どれほど差がありますか。 真のご父母様がいくら適当に対しても、「やあ、ありがたい。感謝だ」と言うべき場なのです。あなたたちが霊人世界のために、自分で一つでも買って供えることができなかったことが、恨であり、「申し訳ない」と思わなければならないのではないですか? それなのに、もらって食べようというのですから。いつもそのような乞食になってよいのですか? 八十を越えるおじいさんが真の父母だというのですが、一度も孝行してみることもできずに、老いて死ぬまでこき使うのですか? この者たち! この女性たち! この男性たち! 両班ですか、下衆ですか? (「下衆です」)。下衆なのですが、一人では滅びるので、相対をつくってあげたのです。分かりますか? 一人では滅びるというのです。妻が少し優れていれば、後ろを振り返り、夫が少し優れていれば、行きながらも後ろを振り返り、一緒に行こうとするので、サタンから守られるのです。そのことを知らなければなりません。 最も恐ろしいのが、統一教会の祝福を受けた一双です。これを永遠に別れさせ、闘って怨讐になるようにさせたいと思っても、この男性と女性たちは、夫を連れていこうとし、女性を連れていこうとし、一緒に行こうとするのです。あなたは、一緒に行こうと思いますか? 一緒に天国に行きたいですか? アメリカの女性たち、どうですか? あなたたちも、夫と一緒に天国に行こうと思いますか? (「はい」)。では、どのくらい思いますか? 神様は、アダムとエバが、雨が降っても、風が吹いても、世の中に戦争が起きてこの地球が壊れても、このペアが千年、万年、壊れないことを願われたでしょうか、願われなかったでしょうか? 考えてみてください。神様が家庭を中心として、どれほど考えられたでしょうか? 革命をしなければなりません。天が地になり、地が天にならなければなりません。分かりますか? (「分かりました」)。本当ですか? (「はい!」)。永遠にですか? (「永遠にです!」)。あなたたちを信じることはできません! どのくらい先生に従っていきますか? 約婚して夫について行き、ホテルの部屋を二つ取りますか、一つ取りますか? では、寝る時に、ベッドを二つ置いて寝ますか、一つ置いて寝ますか? 尹博士! (「二つです」)。何年間ですか? 七年間そのように暮らしましたか? 七年間です。蕩減路程です。七年間そのように暮らした家庭で、祝福を受けることができずに、霊界に行った人たちがいます。私が行くや否や、祝福してあげようと思うのです。その息子がいるのですが、母親が先に霊界に行き、一人でかわいそうに暮らしています。その息子を私が助けてあげようと思うのです。 そのようなことをするために、先生が苦しいでしょうか、苦しくないでしょうか? 財布にお金が残るでしょうか、残らないでしょうか? つらい生活です。このようなことがすべてついて回って……。乞食の王が良いですか、悪いですか? 殺すことができずに、連れて歩くのです。行けば、いつも問題を起こして……。 霊的に見れば、「去年行った乞食が、死なずにまた来た」と。物請いするために俗謡を歌う人よりも、優れていると思いますか、劣っていると思いますか? 適切な時、還暦の日や誕生日に訪ねていき……。他の村の祝宴の家で鶏をもらおうとすれば、鶏の足でも持っていって、その家の犬に食べさせ、それからもらって食べるのです。そうすれば、犬がほえないのです。犬もほえて主人もほえれば、どこに行ってもらい食いするのですか? 伝道しようと思えば、そのように考えなければなりません。自分を中心にして伝道しようというのは、悪い者でしょう。みな喜ばせてあげなければなりません。 さあ、来て分けてあげてください。白人は白人に、日本の女性は日本の女性、韓国の人は韓国の人に分けてあげてください。「ああ、生涯に一度、パイナップルを丸ごと食べることができれば」と思う人、食べてみたことがない人、手を挙げなさい。一人もいませんね。それではやめましょう。 夜、市場で、主人が三分の一の物をただで分けてあげれば、その翌日はよく売れるのです。それは宣伝になるのです。分かりますか? その翌日、分けてくれると思って集まった人々に、「きのう、すべて分けてあげて元金もない」と言えば、一度にすべて売れるというのです。商売をするにおいても、千万種類の方法があります。 研究開発しなければなりません。分かりますか? 生涯、自分のやり方で伝道するのですか? 闘いながら、伝道することもできるのです。(「立ったままで敬礼をお捧げいたします。天地父母様に敬礼をお捧げいたします。敬礼!」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.04
コメント(0)
文鮮明先生御言選集 20020324 - 三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.1/3)文鮮明先生御言選集 20020324 - 三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.2/3)文鮮明先生御言選集 20020324 - 三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.3/3)真のご父母様の御言三月二十四日 聖日礼拝の御言二〇〇二年三月二十四日、米国・ニューヨーク州ベルベディア このみ言は、2002年3月24日、米国のベルベディア国際修練所で行われた聖日礼拝で、真のお父様が語られたみ言を翻訳、整理したものです。編集の都合上、一部割愛しました。(『ファミリー』2002.5月号)Family 2002.5 32 尹(世元)博士も、そうです。教授職をしたからと いって、尹氏内において、まず僕と同じ立場に下りて いくのです。最初は、僕です。そうして、八段階の道理の法則を通して、僕から養子、庶子、子女の立場に上がっていくのです。そのようにしようとすれば、すべてが歓迎しなければなりません。橋を架けなければなりません。はしごを架けなければなりません。それゆえに、個人完成するためには、家庭において試験し、家庭のためにすべてを投入し、その家庭が、すべて自分に従って来るようになるとき、自分は家庭の中心の位置に行くのです。そうすれば、おじいさん も、父母も、そのような自分を先頭に立ててくれるのです。そうですか、そうではありませんか?(「そう です。」) それで、そこにおいて、家庭がそのようになれば、氏族、一族を中心として、一番端に行って、家庭から氏族まで愛しながら、水平線をつくらなければなりません。そして、その全体が、一方に偏らずに回っていってこそ、自分の中心の位置と中央とを合わせて、中心の位置に接ぎ木し、ここで、縦横を垂直に合わせた所から上がっていって、発展するのです。 ですから、はしごを架けて、これが個人から氏族、端から中央まで経ていかなければならないのです。蕩減法が、分かりましたね? (「はい。」)それは、金氏 なら金氏の氏族を復帰しなさい、ということです。そのようにしなければ、国まで行くことができません。中心は、すべて、わたしが定めてあげました。 個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、このようにして復帰していき、民族の反対を受けずに、平和大使と族長を教育しておいて、統一教会の指導者、総会長、この三人が一つになって、旧約時代、新約時代、成約時代に越えていきなさい、というのです。 そのようにすれば、神様の主管圏の八段階、神様の玉座まで解放することによって、不可避的に、そのように行かなければなりません。そして、兄弟を抱き込み、母を抱き込み、母を中心として、サタン世界に繁殖したその一族を収拾し、自分を中心として、母と息子、娘が一つにならなければならないのです。 そのようにして、氏族の中心になってこそ、アダム家庭において崩れてしまった立場を復帰することができます。そのように、全体を代表して氏族圏内で勝利の覇権をつかむとき……。 その夫は、何ですか? 男性たちは天使長です。男性は、家庭に居ながら息子、娘を利用して、酒を飲み、放蕩しようとします。それは、だれによるものなのでしょうか? ですから、真の父母の思想を母が受けて、息子、娘を再び生み変え、真の父母を中心として、分立された家庭の兄弟が一つになり、母が一つになり、その三人が、父を逆さまに立てておかなければなりません。 わたしたちが聖酒式をするとき、真のご父母様の聖酒を、女性に与えるでしょう? 女性に与えて……。信仰の息子、娘を中心として、心と体が一つになりなさい、というのです。心と体が一つになり、女性を中心にして、逆さまに復帰していくのです。 ですから、真のご父母様が教育していることは、カインとアベルと母が、完全に一つにならなければ、自分の夫を迎えることはできないということです。 世界の高い位置にいる人も、低い位置にいる人も、 文総裁を真の父母として歓迎するのです。 「真の父母」という言葉は、悪いものだと思っていたのですが、真の愛があり、真の父と真の母がいるので、これは、本当に良いですね。今まで、偽りの父母を中心として暮らしていた西欧の人たちの息子、娘には、今、真の父母がいるので、希望が満ちています。 真の父母がいなければ、かわいそうでしょう? どこに行くというのですか? 故郷がありません。どこに行くのですか? 全員、放浪するのです。 この八段階は、分かりますね? 尹(世元)博士も、これをすべて行かなければなりません。この頭の大きい者たち(=責任者たちのこと)は、全員、そうです。 先生が、この米国に来てから三十四年です。(米国にいるのは、)二〇〇四年まで、です。きれいに終わらせて、荷物をまとめて帰るときには、わたしが投入した何百倍、何万倍の利益を、神様の御前にささげなければならないのであって、損害を出したまま行くことはできません。 ですから、この十四万四千(の祝福で)、教派を一つにするのです。イエス様の弟子は、皆、同じ弟子です。弟子を中心として、三代圏を成すことができなかったイエス様までも……。 イエス様も、三代で長兄になっているというのです。 しかし、長兄になっていても、何も分かりません。地上で、真のご父母様に侍ることを、イエス様の所に行って教えてあげる……。今、行って、教育しているではないですか? 霊界は、統一されています。 ですから、あなたたちが、地上で、そのような責任を果たすことができなければ、「おい、この偽者め。先生が、あれほど教えてあげたのに、何をしたのか? こいつめ!」と言われるのです。 それゆえに、”すべて、自分が責任を持っていこう。” と考えてみなさい、というのです。国の逆賊として全体が反対し、十二年たてば、蕩減すべき状況が変わります。分かりますか? 家庭を失ってしまっても氏族を取り戻し、氏族を失ってしまい、民族を失ってしまっても国家を取り戻し、国家を失ってしまっても世界を取り戻すようになっています。 ですから、ジグザグになるのではないですか? そ のように理解して、この体を占領しなければなりません。心と体は、一つです。統一です! 「統一。」と言ってみてください。(「統一!」) エデンの園では、神様から、ペアになっているすべてのものは、ために生きる愛を中心として、ために生きるようになっています。すべてが、ために生きるのであって、自分勝手にすることができるようにはなっていないのです。 ところが、アダムに分別がなかったがゆえに、そのようになったのであって、アダムが(真の愛でエバを) 愛することができていたならば、山を歩き回りながら、 自分が主人になるために、うさぎ狩り、きつね狩り、魚釣りをしたでしょうか? 愛が分かっていたならば、 そのようなことはやりもしなかった、というのです。 アダムは、愛が分からなかったので、そのようにしたのですが、天使長は、相対もなく、周辺を見ると、すべてのものがベアになっています。すべてがベアになっていて、春夏秋冬の季節に従って……。 アダムが十六歳で堕落したならば、(天使長は、それまでの)十六年間、周辺のペアが、子供を産んで群れを成し、一族を築いて暮らすのを見ていたというのです。ところが、天使長には相対がいません。 しかし、神様が、アダムとエバを祝福してあげる時まで、神様ご自身が(アダムとエバを)育てることはできません。天地を創造された神様は、投入して忘れることにお忙しいので、それを管理し、保護することができるようにつくられたのが、天使長だったのです。 ところが、天使長がじっと見てみると、アダム自身も分別がなく、自分に女性が必要であるということが分からなかったというのです。アダムは、ただ野原に出て行って走り回り、かえるの子どもから魚、ねずみ、うさぎのようなものを捕まえたりしていたのです。 きつねのようなものを追いかけて、夜遅くまで歩き回り、明け方に起きてはついて行き、三日くらいついて行けば、いのししでも疲れて起き上がることができません。そのようなことを知るようになるので、アダムは、明け方から飛び出して行って、昨日、追いかけたきつねを捕まえるために、山に駆け上っていくというのです。 ですから、そのようなアダムに、エバがついて行くことができるでしょうか? エバは、「お兄さん! 私を連れて行って。」と言いながら、泣いたというのです。 分別がつくまで、思春期になるまで、エバは何度も泣いたのです。 その時は、裸で暮らしていたでしょう? 裸で暮らしていたのです。裸で暮らしていたので、天使長も裸で暮らし、エバも裸で暮らしていたのですが、エバが泣けば、天使長はそんなエバを背負ってあげたでしょうか、背負ってあげなかったでしょうか? また、天使長が抱いているときに、エバは泣き疲れて、天使長のひざの上で眠ったでしょうか、眠らなかったでしょうか? 天使長が考えてみると、春夏秋冬、一年中、周辺のものは、すべて雄と雌が一つになって、さまざまな子どもが産まれ、まだらの子牛がいたり、ありとあらゆるものが産まれて、父親を中心とし、母親を中心として、一族を築いていくのを見ていたのです。そのようなとき、どれほど楽しそうに見えるでしょうか? ですから、エバが自分のひざの上で眠っているときエバの陰部と天使の生殖器が触れるときが、「なかった。」と言えるでしょうか? そのようなとき、“ああ、私も、あの雄と雌のように、一度愛してみれば、子どもがたくさん生まれてくるのではないかなあ。”と、考えたでしょうか、考えなかったでしょう か? 答えてみてください。考えたでしょうか、考え なかったでしょうか? (「考えました。」) アダムが出て行って、エバがついて行くことができずに、泣き疲れてすやすやと眠り、目が覚めると、天使長のことをアダムであると思って、首に抱きついて、 「ああ、少し抱いてほしい。」と言いながら、ありとあらゆることがすべてあったのです。 そのとき、エバの体は、天使長に対して秘密がありません。また、天使長に対して、エバも同じ(気持ち) なのです。自然界の昆虫から動物、すべての生物が、 そのようにしながら子どもを産むのと同じように、自分も……。 アダムは、(そのようなことが分かりません。天使長は知っていたので、エバが、自分のひざの上で眠っているとき、お互いの陰部が触れ合うとき、力を「えい!」と、入れさえすれば、愛の関係が成されるということを思っていたのです。そこに関心があったでしょうか、なかったでしょうか? 男性たち。忠清道の人。どうですか? (「はい。」) 自分が天使長なら、そのようなことに関心があったでしょうか、なかったでしょうか? (「関心があります。」) 関心があれば、そこに注目して、”触ってみたい。”と 思い、女性も、出ているものに触ってみたい。」と思ったのではないですか? (「はい。」) そして、愛し合えば子供が生まれるのですが、霊的存在の天使長が、自分も、霊的にのみではあっても、 エバと愛し合えば、このように子供が生まれるのではないか。”と考えるとき、”そのようにしてみたい。”という衝動が走ったでしょうか、そのような心が起きなかったでしょうか? (「そのような考えが起きました。」) ですから、すべてがために生きる愛、神様もために生きる愛、すべての動物もお互いにために生きて、そのようにするのにもかかわらず、これは独り、天使長だけが、瞬間的な”自体自覚性”を持ったというのです。”自体自覚”です。「やあ、このようになれば、どうなるだろうか?」と思うのですが、そのような心の思いを……。 皆さんも、だれかが自分のことを呼んでも、愛の関係に対して恋い慕っているときには、自分のことを呼ぶ声を聞くことができずに、忘れてしまうではないですか? ですから、神様が、「取って食べてはいけない。」と おっしゃったということよりも、”「取って食べてはいけない。」と言うので、その結果はどのようになるのか、 気になる。”ということを、深刻に考えたのです。そうして、そのようなときに、抱きながら力を入れれば、すべて終わるのです。このように堕落したというのです。 そこは、絶対にために生きることができる環境であったにもかかわらず、瞬間的に感じる衝動的愛の力が、 瞬間を感じる自覚的な力よりも強かったので、我知らず行動することによって、堕落せざるをえない立場であったということを、肯定しなければなりません。 梁昌植氏。(「はい。」)そのような立場にいれば、自分は、どうすると思いますか? (「……。」)ああ、尋ねているではないですか? (「相当に危険です。」)(笑い) 「相当に危険だ。」というのは、また、どういうことですか? 少し良いことは良いようですね、この人は。 そのようになるのは、間違いありません。それを「朱に交われば赤くなる」というのです。「白鷺は、からすが遊んでいる所には行くな」という……。それが、 「朱に交われば赤くなる」ということではないですか? 危険性があるというのです。 ですから、「火遊び」というのです。西洋にも、「火遊び」という言葉がありますか? (「play with fire' です。」) 火遊びしていて、風が吹いてくれば、すべて燃やしてしまい、ほこりまで、灰までなくなってしまうのです。恐ろしいことです。ですから、そこには”自体自覚”というものが……。 瞬間的に”自体自覚”した愛の衝撃によって、我知らず行動してしまう危険性があり、神様は、人間がそのような存在であることをご存じであったので、「取って食べてはいけない。」と、勧告されたのです。神様がご存じなかったのではないのです。 このように、瞬間的な”間違った自覚”が起きて、神様までも、宇宙も完全に引っ繰り返ったのです。血筋がそのようになったので、それを引っ繰り返して、本然の位置に戻すことが、どれほど大変でしょうか? それで、これ(体)を否定しなければなりません。 体を殺さなければ、生きることができる道を捜し出すことはできません。「ヨハネによる福音書」第八章四十四節を見れば、「あなたの父、悪魔」と出ているでしょう? 「悪魔の血筋」と出ているのです。 ですから、サタンの血筋であるということを否定する道理はありません。このような血筋を、世界的に否定しなければならない神様は、どれほど、ぼう然自失されるでしょうか? あなたたちが、神様の立場ならば、どれほど、ぼう然としますか? それゆえに、愛で過ちを犯したので、偽りの父母となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統となって、サタン世界になったので、すべて”地獄化”です。天国に行った人は、一人もいません。 それは、救世主が来て清算しなければなりません。そのメシヤである真の父母は、数多くの宗教指導者たちが犠牲の代価を払い、その中に来るのです。真の父母は、永遠に一つです、 そのような、永遠の前から永遠の後まで、真の父母になることができる存在が、アダムとエバでした。ところが、創造理想の中で、神様が捜し求めておられる真の父母であるアダムとエバを失ってしまいました。 堕落して壊してしまったのです。壊してしまったので、それを成就しなければ、正すことはできません。 その時までは、神様は悲惨です。死んだ息子、娘を復活させなければならないのです。しかし、神様ご自身も、それをなさることはできません。 ですから、人間が無知から堕落したので、人間が覚醒してこれを捜し出し、千辛万苦の苦労をして、天の秘密と心情世界を明らかにして、堕落した世界の秘 、地獄のをすべて埋めてしまい、天上世界の門をすべて関けることができるようにしなければなりません。 そのために、内外の内容を明確に語った真の父母,、堕落していない本然の基準に立つ、主人の立場を備えることのできる真の父母が、この地上に来なければならないのです。それで、神様が一代であられ、真の父母が二代であり、真の父母によって祝福を受けた人たちが、第三代圏に入っていかなければなりません。 神様は、失ってしまわれた三代圏の家庭基盤を取り戻されるのです。それが、統一教会において、真の父母を中心として、真の父母の家庭を中心として、第三代圏に接ぎ木しておいて……。 接ぎ木して、皆さん自体が、そのままではいけませ ん。先生の息子、娘の前に、家庭的に十二家庭が絶対的に一つになってこそ、イスラエルの定着が展開するのです。 また、イエス様の時代の百二十人が、それぞれの家庭において息子、娘と一つになり、そして百二十家庭 全体が一つになって、王として侍ることができてこそ 復帰されるのです。それは、とてつもない内容です。 選民圏にメシヤをお迎えし、メシヤを中心として、カ インとアベルが家庭的に一つになってこそ、復帰され るのです。 ですから、個人から世界まで、天地まで、完全に復帰された、そのような家庭基盤の上に、真の父母、真の神様、天地父母が解放されるという理論は、不可避の理論であるというのです。 それゆえに、これを促進化させようとするので、家庭を超えて氏族を編成し、三億六千万双を超えることによって、三十億以上の人類を超えることのできる家庭基準を中心として、偽りのオリーブの木畑にある木を切ってしまい、真のオリーブの木の畑に接ぎ木することによって、一時に……。 米国の人口が二億八千万であるなら、その二億八千万人が、「私たち米国国民は、キリスト教文化圏であるので、何日の何時、レバレンド・ムーンを通して祝福を受ける。」と言えば、そのとき、天の国にすべて転換されるのです。一時間で、何千、何億万を復活させることができます。それが、サタン世界にはないことなのです。 そのようにして、一時間で天下の万民が、何億もの人が祝福を受けるのです。それは、すべて兄弟です。神様の兄弟のように、どこの国、どこの伝統よりも、 世の中の何よりも、お互いのことを貴く思い、兄弟の因縁を自分の一族よりも、自分の国よりも、もっと尊重視することができる群れにならなければなりません。そうでなければ、天の御前に、三代圏の神様の息子、娘、兄弟友愛の圏を捜し出すことはできないのです。 世界の指導者たちを育て、一度に平和大使として送って、天の解放圏に杭を打ち込めば、台風が吹いてきても、大きな艦船が、そこに結ばれて、台風を避けることができるのです。 ですから、今は、個人救援時代ではありません。家庭救援時代になり、氏族救援、民族救援、世界人類救援時代です。今は、六十億人類を、一週間以内に復帰することができるのです。 そのようなことが、私たちの目の前に訪れてくるので、先生は、時を争って、そのような環境をつくるために、あらゆるものを投入しては、そのことすらも忘れながら、今までやって来ました。そのために、世の中に手を出さなかったものがなく、 く、やらなかったことがないという事実は、当然のことです。アーメンです。(「アーメン。」) Family 2002.5 40 <完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.02
コメント(0)
三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.2/3)真のご父母様の御言三月二十四日 聖日礼拝の御言二〇〇二年三月二十四日、米国・ニューヨーク州ベルベディアこのみ言は、2002年3月24日、米国のベルベディア国際修練所で行われた聖日礼拝で、真のお父様が語られたみ言を翻訳、整理したものです。編集の都合上、一部割愛しました。(『ファミリー』2002.5月号)<No.1/3からの続き> 今から、皆さんは、「天一国」のバスポートを得ようとすれば、心と体が闘っていてはいけません。ですから、「祝福中心家庭」という言葉が必要なのです。分かりますか? 何中心家庭ですか? 「祝福中心家庭」とは、何ですか? それは、心と体が、完全に一つになっているのです。心身統一です。夜も昼も、いつでも一つにならなければなりません。全員、そのようになっていま すか? そこには、自分を中心として主張する概念は、ありません。”絶対服従”です。”自分”という概念は、あ りえません。あなたたちに、「自分」という言葉がありますか? 父母を中心として、精子と卵子を中心として見てみれば、一つの細胞を中心として、精子と卵子が、一つに合わさっていくのです。母親の卵子と、父親の精子を取り除いてしまえば、“私”という存在はありません。”私”という観念はありません。 そこにあるのは、“父母”という観念です。父と母の二人を、一つに迎えることによって、芽が出てくるのです。そうして、“私”というものが出てきます。父母がいなければ、芽が出てきません。分かりますね? ”自分”という概念はありません。”自分”という概念はないのです。 父母が公認し、父母が祝福してあげてこそ、そして愛の因縁に戻っていってこそ、“自分”という概念を持つことができるのです。男性と女性が、愛することのできる場に戻って行って、“本然の父母”と同じ同等な立場に上がっていくことによって、第二世という概念が出てくるのです。 心と体が、一つになっていませんか、なりましたか? 何ですか? (「なっていません。」) 心と体が一つになったということを、何をもって知ることができますか? 神様のようにならなければなりません。心と体が一つになったのか、なっていないのかを、何をもって区別しなければならないのでしょうか? 神様も、心と体が闘いますか? 神様も、心と体が闘うのですか? 堕落した人間なので、サタンの血を受けて心と体が・・・・・・。 心がプラスなのですが、サタンの血筋が、またもう一つのブラスになっているので、プラスとプラスが反発するのです。この一つを完全に切ってしまわなければなりません。 それゆえに、宗教は、「体を打ちなさい。」と言うのです。ですから、“生きんとする者は、……何ですか? (「「死ぬ」です。」)何を中心として生きようというのですか? 体がよく生きようという人は、死ぬのです。死ぬというのです。”死なん”とする人は、生きるのです。 なぜ、そのようになったのでしょうか? これは、堕落のためです。血筋が変わったのです。このことを知りません。 このような事実を明らかにしたのは、歴史以来、真の父母が、初めてです。宇宙の根本、神様の実存自体に関して、また、霊界に関する事実など、このような事実を明らかにしたので、サタンは、びくりとも動くことができません。 闘う所には、必ずサタンの影があるというのです。 朝、日が昇りますが、太陽が、地の果ての平面線を下っていけば、暗くなるでしょう? 水平線までは暗くな りません。同じことです。 皆さんが、世界のどこに行こうと、心と体が闘う立場に立てば、水平線がでこぼこなので、これは、本然の日の光の下にいるべき人なのではなく、堕落以降の種になっているというのです。 ですから、“汚れたものは、神様がお取りになることができず、サタンだけが取ることができるので、それで地獄が生じる。”と、このように考えなければならないのです。分かりますね?(「はい。」) 父母を否定する者たちは、「私」と言うことはできません。米国の若者たちは、自分の体が、父母の体の延長であるということを分からずにいます。”父母から受けたものは買いものである。”と考えて、父母を貴く思わなければなりません。 そうして、父母がそのような子供を種として認めて、 初めて種になるのであって、同じ父母の種であっても、種と同じでないものは、脱落者です。宇宙の法則によって、自動除去されるのです。 ですから、「父母に孝行しなさい。」とか、「孝行をするな。」と言う必要はありません。堕落していなければ、自然に孝行するようになっているのです。あの世、霊界に行くとしても、(息子が)地獄に行っていれば、父母も、地獄について行かなければならないというのです。しかし、そのようになっていません。すべて分かれてしまいました。 このようなすべてのことを操縦することができる機関はだれなのかというと、“私”です。“私”なのです。 “堕落したのは、アダムとエバである。堕落は何千年も前のことであるから、自分とは関係ない。”と思うのではありません。それが、“私”を滅ぼしてしまったの です。 宗教が現れたのは、そのような私を修理するための修理工場に入らなければならないからです。手の 修理、足の修理、頭の修理、さまざまな五臓六腑の部位が、それぞれ異なっているので、さまざまな宗教の系統を、それぞれの要素と要素を合わせて修理するためなのです。 そうして、「私は、宗教を統一した完全な製品である。心と体の統一であり、上下統一であり、左右統一であり、前後統一である。」と、このように言わなければならないのではないでしょうか? これが、上下と関係しているでしょう? 鼻と、これです。上から下に押してあげるのは、何ですか? 鼻と、それから何ですか? 男性の生殖器です。そうではないですか? それを受けるためのものが、女性です。女性は、器です。女性に種がありますか? 女性が中心ですか? この女性たち。米国の女性たち。そのようにしていては、滅びます。これを、すべて引きはがして、直さなければなりません。「私は、絶対に心と体が一つになっている!」一度、言ってみてください。(「私は、絶対に心と体が一つになっている。」)この時間だけですか? 永遠に!「永遠に。」と、言ってみてください。 (「永遠に!」) 神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠です。 心と体が一つにならなければ、ジグザグです。父と母が、垂直にならなければなりません。しかし、ジグザグです。夫婦が一つにならなければならないのですが、ジグザグなのです。垂直がジグザグであり、水平がジグザグです。いつ、これを合わせるのですか? 息子、娘は前後関係ですが、これも、すべてジグザグです。すべて一つになっていません。どのようにして、家庭で一つになるのでしょうか? 理想的「祝福中心家庭」は、どのようにできるのかというのです。 分かりましたか、分かりませんか?(「分かりました。」) 昔、契約の箱がありました。至聖所と聖所です。そのように、心と体が一つにならなければなりません。そこに侵入すれば、雷に打たれたのです。昔は、それを侵せば、その場で殺したのです。ここに入るときには、心と体が一つになっていなければなりません。ですから、悔い改めなければならないのです。 悔い改めるのは何かというと、水平になっていないことを悔い改めなければならず、垂直になっていないことを悔い改めなければなりません。垂直にならなければならないのですが、垂直が横的になってはいけません。米国は、垂直概念がないでしょう? そのままでは、滅びます。なくなってしまうというのです。 さらに、垂直だけではいけません。横的基準がなければ、垂直を捜し立てることはできません。それから、 前後関係です。球形を成そうとすれば、三面が同じ角度、同じ位置で等分された、そのようにイコライズされた所で、統一が成されるのです。 ところが、この者たち。先生が指示すれば、先生の言葉を口実にして、自分勝手に巣を作り、「自分は、このようにする。」と言いながら、すべて失敗しました。 先生が、五十年以上前、若い時に考えていたこと、話していたことはすべて、今でも同じです。分かりますか?(「はい。」) 心と体が統一されたことを、何で証しするのでしょうか? 神様の属性は、絶対性、唯一性、変わらない不変性、そして永遠性です。神様は、そうであられるというのです。神様は、どのようなおかたでしょうか? その属性を見て、絶対、唯一、不変、永遠なものが、一つの実体としてあられるというのです。 ですから、どこに行こうと、神様が唯一的存在です。どこに行こうと、すべての存在の前に、唯一的存在である前に、絶対的存在であられるのです。どこに行こうと、夜も昼も変わりません。若い時も、年老いた時も変わりません。永遠なのです。 そのような神様の属性に比べて、絶対、唯一、不変、永遠性を中心として比較してみるとき、あなたたちが、絶対的な何かを持っていますか? 持っているという人、手を挙げてください。わたしが尋ねてみます。唯一的なものを持っていますか? 米国のある家庭の女性ならば、その家庭の女性なのであって、米国の女王の代表ではありません。人は、小学校を卒業した人でも、大学を卒業した人でも、人は同じであるというのです。 しかし、小学校を卒業した人と、中、高等学校を卒業した人と、大学を卒業した人と、大学院を卒業して博士になった人がいれば、博士になった人は、「自分は博士だ。」と言っているのです。それは、何を中心としてですか? 知識です。しかし、知識が絶対的ですか? 違います! それを絶対視していては、滅びます。等差をつけて区別することができないので、その国は、秩序を立てることができません。すべてが同じではありません。このように見なければなりません。 それでは、私に絶対性があるでしょうか? 知識が絶対的ですか? 権力ですか? 大統領を四年間、務めることが、絶対的ですか? 唯一的ですか? 不変的ですか? 永遠ですか? 米国のブッシュ大統領が、四年後に当選することができなければ、滑り落ちて、いなくなってしまいます。 絶対、唯一、不変、友達の生命としてつくられたものが、何なのでしょうか? それが、何でなければならないのかというのです。知識でもなく、それから権力でもなく、それから何ですか? お金でもありませ ん。 おじいさんが、お金持ちになったからといって、孫が、「ああ、おじいさんが、絶対、唯一、不変的財閥であるので、私も絶対、唯一、不変的財閥である。」と言うことができますか? そのように言うことができる素性を持ったものとは、何なのでしょうか? それが、 愛というものなのです。 それでは、それは、どのような愛でしょうか? 今日における個人的な愛や、何らかの団体的な愛であるとか、または米国的な愛、愛国的な愛、国連に加入した百九十か国の、それぞれの国の伝統を中心とした愛など、いろいろな愛がありますが、すべて違います。 何ですか? それでは、何を中心として、神様において絶対的であり、唯一、不変、永遠なのでしょうか? それは、何ですか? 神様の絶対性というものは、お金や知識、権力で成されているものではありません。それは、何によってでしょうか? 愛です。どのような愛ですか? 真の愛です。真の愛とは、何でしょうか? 自分を中心とする愛ではありません。このことを知らなければなりません。 それでは、どのような愛ですか? 自分のための愛は、すべてを滅ぼしてしまいます! 絶対的な神様も、愛が必要ありませんか、それとも必要ですか? どちらですか?(「必要です。」)絶対的な神様も、愛が必要ありませんか、必要ですか? (「必要です。」) それでは、神様第一主義、神様絶対主義、神様唯一主義、神様不变主義、神様永遠主義を中心とした愛でなければなりませんか? しかし、そのようにしようとしても、神様は、お独りで残っておられます。神様一人しかいらっしゃらないので、愛は、神様お独りでは成し遂げることができません。 愛は、相対がいなければ成し遂げることができません。相対が愛をもたらしてくれるようになっているのであって、自分独りで愛を与えたり奪ったりすることはできません。分かりますか? 愛は、必ず相対を通して、主人の資格を得るのです。貴い言葉です。このことによって、歴史的な根本問題の解決が成されます。 しかし、神様が、”自分絶対主義”で、「唯一、不変、 永遠に、わたし(神様)を中心として愛しなさい! 愛しなさい! 愛しなさい!」とおっしゃれば、どのようになるでしょうか? それが神様であっても、一大事でしょう? 神様が、埋められてしまいます。 また、そのようにしたのならば、神様の相対となる人が千人ならば、千人の人が神様の所に行って、一緒にくっついて喜ぶでしょうか? 喜びません。皆が、 神様の愛をすべて占領したい。」と思うのです。全員、そうでしょう? 全員が喜ぶようにしようとすれば、神様ご自身も、 “わたしのために生きなさい”という愛では、そのよ うにすることはできません。すべて幸福にすることはできません。"すべての万物のために生きる愛”を主張せざるをえないというのです。 ですから、ほかの人に対して、「わたしのために生き なさい。」と求める(利己的な)愛では、天下を滅ぼしてしまい、一塊になって、水中に沈んでしまうようになるのであって、飛んで行くことはできません。 しかし、“ために生きようという愛を中心とすれば、どこにでも飛んで行くことができます。水の中に入って行くこともでき、高い天の頂に上がって行くこともできるのです。分かりますね? そのことをはっきりと知らなければなりません。 それゆえに、神様も愛が必要でいらっしゃるので、自らが愛の王になり、愛が永遠、唯一、不変であるためには、自分を中心とした愛を主張しては、そこに「理想」という言葉は成立できません。 そのような愛では、自分独りで喜ぶことはできるかもしれませんが、そこには、相対とともに、全体が喜ぶことができるものがありません。ですから、知恵の王であられる神様は、創造当時に、この問題を根本的に解決せざるをえなかったのです。 その解決は、自分のための被造世界ではない、ということです。それでは、だれのためでしょうか? アダムとエバのための被造世界なのです。そうして、神様は、そこに、ために生きる主人をつくっておかれたのです。それがアダムとエバです。 ですから、アダムとエバがために生きることができるように、神様が力を加えて成長するようにされ、ために生きることができる主人の立場を定着させるのが祝福という場です。分かりますか? 祝福です! それは、理論的に合うのです。観念ではありません。 ですから、神様の真の愛は何かというと、自分のためにあるのではなく、「わたしが、このようにすることによって、大勢の人の前で誇り、称賛される。」というようなものではありません。称賛されて喜べば、それで終わるのです。三百六十度、称賛されて……。 これが、すべて三百六十度でしょう?(板書されながら)これが、八段階です。三百六十度です。三百六十度、称賛されれば、また、称賛されようとしても、されるものがありません。 それから、三百六十度、すべて称賛されて埋まってしまえば、その次からは、埋めるものがありません。 それで終わるというのです。 ですから、神様は、投入して忘れられるのです。一 度から三百六十度になり、また忘れてしまい、また始められるのです。一周回ったので、「ああ、一周回った。」 ということを覚えています。忘れていないのです。 (世元)博士も、蕩減期間があるということを知らなければなりません。 それゆえに、歴史は、変遷とともに、発展とともに転換するのです。それを知らずにいます。蕩減法則が、そうです。歴史的な発展法則を適用し、それから、発展ばかりするのではありません。引っ繰り返して、方向が変わらなければならないのです。そうでしょう? 八段階を、このように行くのですが、転換していく のです。転換できなくてもいけないのであり、転換ばかりしてもいけないのであり、発展ばかりしてもいけません。それは、蕩減歴史を知らないというのです。 皆さんは、蕩減したというのですが、蕩減を知らないではないですか? いつ蕩減しましたか? 蘇生、長成、個人時代蕩減、家庭時代蕩減、氏族的、民族的蕩減とは、何ですか? それは、世界史的な、宇宙史的な基準を中心として、個人を否定し、第二個人として出発することができる基準を立てていって 初めて主張できるのであって、それなくして主張するのは間抜けです。 それでは、“私”というものを捜し出したのですか? あなたたちは、“私”を捜し出しましたか? “私”とは、だれですか? 神様の息子です。どのような者が、神様の息子ですか? 神様のように、 に、ために生きなければなりません。それは、何を中心としてでしょうか? 愛を中心としてです。 神様は、絶対、唯一、不変、永遠であられるので、私も、神様のように絶対的であり、唯一、不变、 永遠の愛を持って暮らすということです。 それでは、ハドソン川に行って、水をトラック百台分くみ上げたからといって、その水がなくなります か? その分、ぽかんと穴が開くでしょうか? ぽかんと穴が開いて、すき間ができますか、できませんか? 水は、水平になる(均衡を保つ)ので、すぐに、そのすき間を埋めてしまいます。 この北米に肥料工場をつくって、(空気中の窒素を使って)アンモニアを製造しても、それで空気がなくなるのではありません。世界の空気が、その不足分をすべて埋めるのです。 ですから、“私”が他のために投入しても、それで“私”がなくなってしまうのではありません。この宇宙の力によって、背後のもっと大きな宇宙が、私を中心として、「おお、文総裁が、(他のために生きるこ とによって)与えて穴が大きくなったので、世界の空気よ、集まりなさい。」と言って、台風が吹くようになるのです。 ところが、サタン世界は、それでは大変なことになるので、壁を作り、軍隊をつくり、「文総裁を片付けてしまわなければならない。」と言って、CIA(米国中 央情報局)、KGB (旧ソ連の国家保安委員会)まで動員しましたが、それでもできなかったというのです。 もっと大きな自然の力が、「うー!」と言って、押し寄せてくるのです。 さあ、そのようにして、与えて忘れてしまったからといって、損害を被るでしょうか、利益を得るでしょうか? わたしのポケットがこのくらいなので、このくらい与えて、「ふうっ。」と吹けば、空気が来て、さっと埋めるのです。 また、もっとこのくらい与えて、これが空けば、自然の力が来て、その空いた部分を埋めてくれるのです。どんどん大きくなります。 ですから、このようにして滅ぶことがないので、レ バレンド・ムーンは、歴史時代のだれよりも迫害と反対を受けながらも、滅びません。旧ソ連も凌駕することができず、サタンも凌駕することができず、神様も凌駕することができず、レバレンド・ムーンにお願い せざるをえないのです。「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? (「アーメン。」)理解していることは理解しているのですね。(笑い)(「はい。」) 神様においても、不可避的に、どのようなコンセプト(概念)が先に生じるのかというと、ために生きる愛を天理として立てなければ、この宇宙の相対、ペア・システムが、すべて壊れてしまうのです。 鉱物世界もプラスイオン、マイナスイオンがあり、植物世界も雄しべと雌しべ、動物世界も雄と雌、世界も男性と女性、天と地も、心と体が一つ、ペア・システムです。言ってみてください。ペア・システム。(「ペア・システム。」) 宇宙は、すべてペア・システムになっているというのです。すべてペアです。目が一つであったときには、 視力が一・二でも、二つの目で一つのものを見てみれば、どれほどはっきり見えるでしょうか? 少しずれても、このようにずれます。 空気も、このようになれば、病気になります。鼻の穴が詰まれば、風邪を引くでしょう? 言葉も、唇が三ミリだけずれても、話すことができません。 手も、右手が良いからといって、いくらこのようにても、左手がなければ、音が鳴りますか? これが、このようになれば……。(拍手される)ですから、相対がいてこそ、音が鳴り、調和が成されます。 さあ、今からは、心と体が統一されますか、されませんか? ”統一された”と信じていますが、統一されていますか、されていませんか? いつのことであったか、ベルベディアで、お父様が尋ねてみたときに「ああ、統一は問題ありません。」 と言っていたのです。問題がないのではありません。大きな問題です。世界、天地を統一することよりも、もっと難しいのです。 神様は、そのような一人に出会うことができなかったので、今まで苦労されたのです。そのような怪しげな版図の世の中に、このようなことを知ったレバレンド・ムーンが現れたので、世の中には希望があります。 UTS(統一神学大学院)を卒業しても、「私は、UTSを卒業した。」と言って、誇ってはいけないというのです。わたしは、天の国の大学院の博士課程を修めたのに、誇ってみることができませんでした。神様も、誇ってみることができなかったのに、誇るのですか? この者たち。 さあ、今から最も重要なことは、心と体の統一です。ご飯を食べることよりも貴く、眠ることよりも貴く、 愛することよりも貴いことが、心と体の統一です。分かりますか? ご飯を食べることができなくても、これ(心と体の統一)をしなければならず、眠ることができなくても これをしなければならず、愛するすべての家族を失ってしまっても、これをしなければなりません。 愛することができる世界、天地、神様まで失ってしまっても、これをしておけば、神様は、南極を経て、北極にまで巡り巡られ、外から中に入って来られて、いくら困難なものでも、すべて崩して、自分の所まで訪ねて来られるのです。 そして、この中央から地球に巡り巡って、天の国の王宮まで入って行くことができるのです。神様について行くことができるというのです。 既成教会の長老や牧師になったからといって、「統一教会は異端だ。」と言っています。メシヤは、博士の王のような立場であるのに、幼稚園も出ていない者たちが、"文総裁が何だ。偽博士だ。殺してしまえ。天の国の理想圏をすべて破壊したので、これほどの悪党はいない。”と考えているのです。 この米国が、わたしの怨讐になっています。キリスト教ゆえに、わたしが、この国に来て苦労しているのです。神様がかわいそうなので、わたしが、ここに来て……。 わたしは、米国人や米国に、一度も世話になっていません。三十四年間になりますが、わたしがお金を持って来て使い、人も米国を協助し、人力、財力、すべてのもの、愛、すべて米国に施しました。ワシントン・タイムズを、監獄に行って、つくりました。共産党も、監獄で屈伏させました。今、サタンまでも、この米国に来て、屈伏させたのです。 米国が第二イスラエルなので、わたしが、第二イスラエルの頭(かしら)にならなければなりません。わたしは米国人に、米国を愛する人の後に従っては行きません。わたしについて来なさい、というのです。分かりますね? それは、米国の男性と女性を再整備するためです。それは、うそですか、事実ですか? 事実ですか、違いますか? (「事実です。」)ここに来た、すべての観客の皆さん。お父様のみ言は、正しいですか、正しくないですか?(「正しいです。」) いつ、それを意識して暮らしていますか? そのようにしていくと、習慣になり、かわいそうな人がいれば、自分の財布の中にあるお金を、すべてはたいて上げ、何もなくなってしまって、しかたなく夕食をもらうようになれば、そのときには、"十倍以上にして、返してあげる。”と、考えるのです。 それで、門前に行って、「(わたしは、)通りすがりの客である。」と言えば、「夕食を下さい。」と言わなくても、夕食を準備して、「召し上がってから行きなさい。」と言ってくれるのです。それが何のことか、分かりますか? 天が知っています。そのようなことがいくらでもあります。 あなたたちが、一銭も助けてくれなくても、お金がなくても、わたしは仕事をしています。去年より今年、十倍使えば、”十倍以上やる。”と思い、それでも足らないときは、神様が責任を持ってくださるのです。 このままでは、米国の人たちは、どのようになるでしょうか? 世話になった人は、負債を返さなければなりません。分かりますか? (「はい。」)負債を負った人は、負債を返さなければならないのです。<3/3に続く>Family 2002.5 32 尹(世元)博士も、そうです。教授職をしたからと いって、尹氏内において、まず僕と同じ立場に下りて いくのです。最初は、僕です。そうして、八段階の道理の法則を通して、僕から養子、庶子、子女の立場に上がっていくのです。そのようにしようとすれば、すべてが歓迎しなければなりません。橋を架けなければなりません。はしごを架けなければなりません。それゆえに、個人完成するためには、家庭において試験し、家庭のためにすべてを投入し、その家庭が、すべて自分に従って来るようになるとき、自分は家庭の中心の位置に行くのです。そうすれば、おじいさん も、父母も、そのような自分を先頭に立ててくれるのです。そうですか、そうではありませんか?(「そう です。」) それで、そこにおいて、家庭がそのようになれば、氏族、一族を中心として、一番端に行って、家庭から氏族まで愛しながら、水平線をつくらなければなりません。そして、その全体が、一方に偏らずに回っていってこそ、自分の中心の位置と中央とを合わせて、中心の位置に接ぎ木し、ここで、縦横を垂直に合わせた所から上がっていって、発展するのです。 ですから、はしごを架けて、これが個人から氏族、端から中央まで経ていかなければならないのです。蕩減法が、分かりましたね? (「はい。」)それは、金氏 なら金氏の氏族を復帰しなさい、ということです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.28
コメント(0)
三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.1/3)真のご父母様の御言三月二十四日 聖日礼拝の御言二〇〇二年三月二十四日、米国・ニューヨーク州ベルベディア このみ言は、2002年3月24日、米国のベルベディア国際修練所で行われた聖日礼拝で、真のお父様が語られたみ言を翻訳、整理したものです。編集の都合上、一部割愛しました。(『ファミリー』2002.5月号) 今から、皆さんが祈祷するときに(心すべきこと)は、今は霊界の主流が一つになっているので、イエス様を中心として、旧約時代、新約時代、そして、すべての宗教を糾合しなければならないということです。 最初にすべきことは、イエス様を中心として、カトリックとプロテスタントが一つになり、その中のすべての教派が一つにならなければならないということです。イエス様の指揮下における"一つの教派”、“一つの信仰者”です。二つではなく、そこには教派もありません。 一つの完成したみ旨は、一人の人間と同様です。神様のみ旨を成し遂げて完成したみ旨は、一つです。 ですから、み旨を中心とした“み旨の道”も、方向が一つであり、目的も一つであり、出発も一つです。同じなのです。 ところが、イエス様が、”真の父母”として来られたというのですが、”真の父母”のみ旨を成し遂げることができなかったので、イエス様を中心として、霊界が二つに分かれてしまいました。 それを統一しなければならないのですが、真の父母を中心として、地上で一つにすることによって、地上に主流が生じ、それが霊界に移されていくのです。ですから、今、そのような考えを持って祈祷しなければ なりません。祈祷のやり方が変わったのです。 ですから、「イエス様。」と言えば、そのときは“統一された教団”です。教派は、必要ありません。 監理派(メソジスト)教会、聖潔派(ホーリネス)教会などと、教派は必要ありません。 イエス様の十二弟子は、イエス様の相対的存在なので、それは兄弟と同じです。そうして、イエス様の家庭を中心として一つの兄弟、一つの家庭を中心として一つの民族と、このようになるのです。 家庭は、民族に従っていく主流であり、民族は、国家に従っていき、国家は世界に、その世界は、地上、天上の統一の世界に従っていきます。その統一の世界は、原因の世界です。"「天一国」世界”です。"「天一 国」世界”は、「自主国」であり……。 "「天一国」世界”は、どのような世界なのかというと、“自主国勝利图解放時代”です。「天一国」は、どのようなものなのかというと、それは「自主国」です。 「自主国」という言葉は、括弧をして「主体国」と言ってもよいのです。 それは、本来、神様が創造された“主体国勝利圈解放時代”です。解放です。完全に解放され、それによって、”元一統一世界”に戻っていくのです。“元一”、 もともとの根本は、一つです。三段階を経て、越えていくのです。総整備しなければならない時なので、そのような内容を持って、祈祷しなければなりません。 もう、多くの教派は必要ないのです。多くの宗教も必要ありません。それは、偽りの父母によって生じたのですが、真の父母が現れるときには、必要ないのです。 堕落していなければ、一つの宗教、一つの国、一つのみ旨、一つの出発基地をも備え、方向も同じであり、目的も一つです。そこには、米国であるとか、先進国や後進国はありません。 それで、神様が第一代であられ、真の父母が二代目です。そのようになれば、アダムとエバの堕落がなくなったということです。元来、神様が一代となられ、アダムとエバの家庭が二代にならなければならないのですが、これが堕落したので、失ってしまったのです。 ですから、それを取り戻すために、復帰路程の家庭として戻ってきて、ここで家庭を取り戻し、そこで時計の方向と反対に回り、ここに来て、正しく回っていかなければなりません。他の世界になるのです。 世の中を整理、清算し、複雑なものをすべてなくして、一つの主流的神様をお迎えした、家庭理想拡大、兄弟主義時代に向かって、完全に越えていくのです。アーメン。そのような祈祷をしなければなりません。 イエス様に対しても、そのような祈祷をしなければ なりません。また、聖人たちに対しても、教派を完全に一つにしなければ、困るのです。聖人たちが、責任を追及する時が来ます。真の父母が、許諾しません。そのような祈祷をするので、皆さんも、それに従って祈祷しなければなりません。 そのようにすれば、真の父母が願い、神様が願われるみ旨の目的に向かって行かなければなりません。ですから、真の父母の三代圏の祝福を受けて、直接に地上で侍る皆さんは、中間にいるイエス様に対しても、 霊界に行ったすべての聖賢、賢哲や、先祖たちにまでも命令することができる、ということを知らなければなりません。分かりますか? ですから、「祝福中心家庭」です。「祝福中心家庭」とは何かというと、神様が立てられた家庭であり、堕落しないで、真の父母が成就する家庭であり、その家庭は、国家の土台となり、国家の土台は、地上、天上天国の土台になるのです。 「祝福中心家庭」は、真の父母が種として植えられた、その家庭を中心として、だれかれなしに、その実を結んだ結実の家庭ということと同じです。 ですから、「祝福中心家庭」の種は、何千代を経たとしても、どのような所に植えたとしても、芽が出るのであり、(その木の品種が、)花が咲く木であるならば、 (親の木と)同じ花が咲く木となり、同じ実を結ぶのです。実の価値は、イコールです。分かりますね? (「はい。」) 今は、そのような時です。そのように祈祷しなければなりません。さまざまな教派でも何でも、すべて……。 教派は、すべて先生が懲らしめます。今は、そのような時が来たのです。 ですから、今回、十四万四千の聖職者たち、宗教指導者たちが祝福を受けるということは、とても重要なことです。イエス様が再臨する時、最初の復活に参席することができるのが、十四万四千人ではないですか? その十四万四千人は、十四万四千家庭にならなければなりません。十四万四千家庭の中には、すべての世界が入り、一つの国を編成することができる時になったので、十四万四千家庭を祝福するのです。分かりますね?(「はい。」) 祝福聖職者たちを中心として、そのことを、よく知らなければなりません。聖職者たちは、祝福が終わった後に、四位基台にしなければなりません。四位基台の家庭は、父子関係、夫婦関係、子女関係の三段階なのですが、地上において、この三段階を中心として四位基台を成そうとすれば、四系列が生じます。 ですから、四代を中心として東西南北、このようになってこそ「祝福中心家庭」になるというのです。 男性側と女性側、この二つの世界に分かれています。 ふたりが一つになることによって、その男性の世界と女性の世界が一つになればよいのですが、それが分かれたまま、世界に連結しているのです。 男性側と女性側、(それぞれの)息子、娘を代表とし て、自分の一族と、地上でそれに合わせるために、統一教会では信仰の息子、娘がいるのです。その信仰の息子、娘と、自分を中心とする自分の一族が、アベルとカインの関係になります。 また、夫の兄弟、妻の兄弟を中心として、カインとアベルです。上下、左右、前後の関係において、これを合わせていかなければならないのです。それで、四位基台を中心として三対象目的を成せば、これが六数になります。上下、左右、前後です。 この家庭というものは、本来、アダムとエバから始まるのです。そのアダムとエバの兄妹が、成長して夫婦になり、夫婦が発展して父母になり、父母が発展しておじいさん、おばあさんになります。そうして先祖になり、先祖が発展して王になるのです。 本来の根本は、(親と) 上下に一つになることができる息子、娘にならなければならず、左右が完全に一つになることができる夫婦にならなければならず、前後が完全に一つになることができる兄妹 (兄弟)にならなければなりませんでした。そのような息子、娘にならなければならなかったのです。 それが何かというと、兄妹(兄弟)が、神様を中心として、上下、左右、前後、三段階をすべて結んでいかなければならないということです。そのような責任が、各自にあるのです。 ですから、皆さんは、父母の前に完全に学ばなければならず……。父母がいるでしょう? 夫婦は、父母に侍らなければなりません。上のおじいさんに侍るという、その伝統を受け継がなければならず、父母が夫婦で暮らす、その伝統を受け継がなければなりません。また、その父母は、兄妹(兄弟)として成長した伝統を、そっくりそのまま伝授してあげなければなりません。 そして、皆さん自体が、父母の代身です。父子関係を代身したものであり、夫婦の代身であり、兄妹(兄弟)を代身したものであり、それが、家庭を中心とし て成されなければならないのです。 これは、種と同じなので、この種は変わりません。それゆえに、だれであろうと、このような基盤を築かなければならないので、十四万四千の聖職者たちが、 祝福を受けた所には、四家庭ずつ……。分かりますか? 夫を代表として二家庭、妻を代表として二家庭で四家庭です。それで東西南北になります。ですから、必ず自分の一族を中心として、祝福家庭の編成が展開していくというのです。分かりますね? そのようにする時が来たのです。 あなたの姓は、何ですか?(「私は、韓国から来ました。」)ですから、姓は何ですか? 姓のことです。(「金です。」) 金ですか? 金なら金氏がいるではないですか? 金氏は、たくさんいるでしょう? その金氏全体が、一本の木にならなければなりません。(氏族の人は、)枝のようにたくさんいるのですが、本来の種となる木というものは、一人の金氏の先祖から始まって、広がっていかなければならないのです。 これが逆さまになったので、反対に先の枝から入っていって、次に大きな枝に入っていき、最後には、幹を中心として、新しい芽が出るときの、その芽に戻っていくのです。 ですから、根が抜かれたので、反対に合わせて上がっていき、神様にまで戻っていかなければなりません。 金氏なら金氏、祝福家庭は、一から始まるでしょう? いくつもあるのではありません。一つにしなければなりません。 ですから、逆さまにして、先の枝から次の枝、そしてもっと大きな枝に入っていき、そのようにして、 東西南北の枝から幹に入っていくのです。そうして、芽の先に下りて、種の所に入っていって、神様と一つにならなければなりません。生命が、そうです。さっと一つになり、そして金氏の先祖が……。 神様の真なる愛と、真なる生命と、真なる血統がアダムとエバに受け継がれるのですが、無形と有形が、さっと集まり、神様によって第二創造主として創造されたのが、アダムとエバです。そして、アダムとエバは主体となり、相対世界において第三創造主をつくるのです。それが、アダムとエバの息子、娘なのです。 息子、娘を生んで、夫婦が興奮します。赤ん坊を身 ごもれば、夫も喜び、妻も喜びます。自分のおなかを通して、天下を治めることができる三代目が生まれるのです。それは、神様の孫を、自分が身ごもったという事実です。 それゆえに、妊娠したその赤ん坊には、腹中から神様が訪ねて来られ、守ってくださるのです。父親だけ が守ってくれるのではありません。神様と父親が、霊肉一体となり、妻を霊肉で保護してあげるのです。そうして、霊肉共に保護される夫婦が、赤ん坊を保護しなければなりません。 その赤ん坊は何かというと、第三次創造主です。神様は第一次創造主、アダムとエバは第二次創造主、アダムとエバの息子、娘たちは第三次創造主です。創造主というものは、同じなのです。それは、種と同じです。 一代も二代も、真の愛と、真の生命と、真の血統が一つになり、アダムの時代も、真の愛と、真の生命と、真の血統が一つになって孫が生まれ、孫の時代も、真の愛と、真の生命と、真の血統を中心として、永遠に継続するのです。 それゆえに、純潔を守らなければなりません。最近、離婚によって(世の中の状態が)複雑になったのは、悪魔がしたことですが、これを掃討してしまわなければなりません。 もし、あなたたちの一族に、そのような一族がいれば、整理してしまわなければなりません。今からは、そのままにしておいてはいけないのです。一族が、これを整備しなければなりません。 自分の家庭において、金氏なら金氏の一族が、総会を通して厳格な法を作り、それに違反するものは、完全に、その枝を整理してしまわなければなりません。 サタンの根まで切ってしまわなければならないというのです。 その根を、だれが切るのかというと、神様もお切りにならず、真のご父母様も切りません。自分の国を取り戻し、金氏の国を取り戻すためには、自分の一族が、それをしなければなりません。 ですから、中心と一つにならなければなりません。木を見れば、幹があります。幹が中心ですが、そこに、すべての枝と葉がつながっていなければなりません。 幹は、根に連結しています。根は見えません。しかし、 連結されているのです。 人間の世の中を見れば、天の世界と人間の世界が、逆さまになっています。木は、根を下にして、このように立っていますが、霊界を中心として見れば、逆さまになっているのと同じです。全人類は、歴史的に見て、大きな一本の木が逆さまに立っているのと同じです。 堕落したので、先端から枝に訪ねて行き、枝も大きな枝を訪ねて行って、一番の根の位置にある種の立場にまで行かなければなりません。そうして、種の立場にまで行って、そこで祝福を受けてこそ、相対ができ、相対ができてこそ、子供を生むことができる家庭ができるのです。そのようにして、新しく出発するのです。 そして、神様が、霊界の第一の理想的家庭を中心として、アダムとエバは地上の家庭を中心として、それからアダムとエバの息子、娘は、天上世界の家庭と地上世界の家庭を合わせた二つの先祖から愛を受けるのです。おじいさんの愛と、お父さんとお母さんの愛を受けるのが、孫です。 ですから、孫は、地上、天上天国、二つの世界の王子として生まれるのです。三代が、このように貴いということです。分かりますね?(「はい。」) それゆえに、真の父母とはだれであるのかというと、 堕落せずに完成したアダムとエバです。ところが、堕落することによって血統が汚され、すべての枝をサタンが切ってしまいました。これでは、死んでしまうというのです。いくら生きようとしても、死にます。 それを真の父母が来て、切られてしまったものを再び接ぎ木して、“切られた木”ではなく、“切られていない完全な木”となり、永遠の愛の結実を枝ごとに収穫することによって、その種は、千年、万年の間、同じ価値を持つようになるのです。真の愛、真の生命、このようになるのです。すべてが、そうです。 真の愛を中心として、血統を残さなければなりません。真の愛と、真の生命を中心とした夫婦の愛というものは、一代です。分かりますか? 血統だけが永遠です。 それは、川の流れと同じです。川の主流と同じです。 水が、山の頂上から流れて出て小さな川になり、だんだんと大きな川になっていくのと同じように、この血統も、川の流れと同じように、大洋に向かって流れていきながら、だんだんと大きな川となって、やがて海に入っていくのです。 海は、五大洋を巻き込むようにして回ります。太平洋には黒潮というものがあり、その海流は、四千五百マイルを回っているのです。この回っているものを中心として、すべての水が、五大洋を中心に動いています。水が動いていなければ、腐ってしまいます。 それゆえに、遠洋漁業のようなものに行くときには、 船いっぱいに飲料水を載せていくのですが、一年以上置いておいても腐りません。なぜでしょうか? 動くからです。 あなたたちも、運動するでしょう? だれもが、三十六度から三十七度の体温を保っているのは、動くからであり、運動するので、そのような体温を持つことができるのです。 それと同様に、地球という星も動くのであり、動かない水は、すべてなくなるのです。消えるのです。分かりますね? ですから、心霊生活もそうです。心霊生活も、動かなければなりません。そのようにして、大きくならなければならないのです。 種を植えておいて、それが芽を出そうとすれば、変化が起きなければならないでしょう? 太陽の光と地面からの熱を受けて、太陽の熱と地熱という、二つの世界の熱を受けなければなりません。 男性と女性が愛することも、ふたりの熱を受けて生命が生まれることであり、それと同じであるというのです。ですから、性相は、形状との関係において授受作用をしてこそ、存在できるのです。 それゆえに、すべてのものが相対になっているのです。すべてが相対です。しかし、堕落によって、心と体が分かれました。一つになっていません。これが問題です。 それでは、男性と女性には、それぞれ生殖器が二つずつありますか? 男性は、男性の生殖器も持っていて、女性の生殖器も持っていますか? 相対になっていますか、相対になっていませんか? すべて相対になっているのです 。 ですから、心も体も一つにならなければならず、男性は男性の生殖器、女性は女性の生殖器に分かれているので、それが一つにならなければなりません。それが夫婦です。夫婦にならなければ、なくなってしまいます。いくら千年歴史の子孫であり、王孫であっても、 そこで終わるのです。 ですから、結婚が貴いというのです。分かりますか? 家庭が貴いのです。この二つに分かれたものは、家庭で分かれたので、二つに分かれたものを、再び一つにすることができるのが、祝福を受けた家庭なのです。 その家庭は、自分たちが分けることはできません。 分ければ、問題が起きます。大手術の傷あとができるのと同じように、あの世に行くときに、完成品になることができないのです。皆さん、その話を知っていますか? ですから、イエス様を中心として、聖霊が必要です。それは、相対理想です。それで、ペア・システムになっているのです。それゆえに、男性と女性が異なるのは、性が異なるのです。一つは、受けるためのものであり、一つは、与えるためのものです。そうでしょう? それが一つにならなければなりません。 受け皿となる、それを自分勝手に用いる女性は、天下を滅ぼしてしまう女性であり、それを自分勝手に用いる男性は、天下を滅ぼしてしまう男性です。相対になっているすべてのものを打ってしまうのです。それ以上に恐ろしい存在は、ありません。アダムとエバが堕落することによって、天下がすべて壊れていったというのです。分かりますね? それゆえに、キリスト教を中心として、イエス様を中心として、カトリックとプロテスタントとは、何なのでしょうか? それらは、なぜ、一つになれなかったのでしょうか? それは、神様のみ旨が分からなかっ たからです。 キリスト教も、個人救援ではいけません。堕落することによって、神様は、個人だけを失ってしまわれた のでしょうか? 個人を失ってしまい、家庭を失ってしまい、国をすべて失ってしまわれました。そのような概念があります。 わたしたち統一教会は、個人完成とともに、家庭完成を中心として、一度に家庭祝福をして、国を一度に取り戻すことができます。米国の人口は、二億八千万人くらいですか?(「はい。」)二億四千万人ほどであると思っていたのですが、約二億八千万人ですね。 二億八千万人の米国国民も、ある決められた日に”全国民が祝福を受ける。”というようにすれば、一日でひっくり返ります。何のことか、分かりますね? それゆえに、金氏一族の中で、祝福を受けた家庭が連合して、種と同じような立場である先祖が、金氏を中心としてひっくり返す日には、金氏が、一日ですべて祝福を受けて、天国に入っていくことができるというのです。 ですから、今後、世界がいつ、み旨の世界に変わるか分かりません。米国と国連が、先生と一つになる日には、四十日以内に、天地が引っ繰り返ります。分かりますね?(「はい。」) ですから、大変遷……。今は、大発展時代であると同時に、大変遷、転換時代です。歴史は発展していくのです。蕩減法によって発展するところは、必ず変遷していかなければなりません。発展しなければなりません。変遷しなければならず、それから転換しなければなりません。 一段階、家庭時代から氏族、民族時代になれば、大変換して、引っ繰り返るのです。一回り、ぐるっと回らなければなりません。それを説明する時間がありませんね。 ですから、「祝福中心家庭」は、真の父母の代身家庭であるので、神様の御前に先生がしたのと同じように、今からは、霊界にいるすべての聖人、聖子も、地上の皆さんの言葉を聞かなければなりません。分かりますか? それは、なぜでしょうか? 地上で、真の父母とともに祝福を受け、侍って暮らした人は皆さんなので、 皆さんが主人なのです。分かりますね? それを知ら なければなりません。間違いなく、そのように考えなければなりません。そのような自信を持ち、そのような内容になっているということを理解して……。 霊界に行ってみれば、霊界が、すべてそのようになっているので、入っていくや否や、さあっと忘れてしまい、さっさっさっさっと、上がっていくことができるのです。そのようなはしごが、そこにはすべてあるというのです。 皆さんの個人完成も、心と体が一つにならなければなりません。それは、ブラスとマイナスです。心と体です。その二つが、今、闘っているので、心と体が一つになっていないので、皆さんの生活は、世界を巡りながら、一生の間、闘って大変です。そこには、定着する中心がありません。 何を中心として、心と体が一つになるのでしょうか? 真の愛です。分かりますか? (「はい。」)真の愛とは、何でしょうか? 神様を中心として、愛の関係を一体化させた生活をする舞台が、真の愛です。 真の愛は、ために生きる愛から、ために生きるところから真の愛が連結されるのであって、自分を中心として、ために生きられようとし、"自分のために生きなさい。”と、ほかの人に対して求めるところには、真の愛が永遠になくなるのです。これが大きな問題です。 第一の問題は、何でしょうか? だれにあるのかというと、世界が悪いのではありません。自分自身が闘っているということが、問題なのです。分かりますか? 心と体が闘っているでしょう? 闘っていますか、闘っ ていませんか? ここで、祝福を受けた祝福家庭は、手を挙げてみてください。祝福家庭が、なぜ争うのでしょうか? な ぜ争うのですか? これが問題です。なぜ争うのか というのです。争うのは、サタン世界が残っているからです。19 Family 2002.5<No.2/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.23
コメント(0)
真のお父様が語られた一人娘、独生女についてのみ言2024/09/11一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.12
コメント(0)
真の救世と救国の道2002年2月17日にソウル・ヒルトン・ホテルで開催された「真のご父母様のご聖誕記念慶祝及び2002世界文化体育大典」の閉会晩餐でのスピーチである。 尊敬する世界の指導者の皆様、そして第8回世界文化体育大典とIIFWP 2002年総会の代表者の皆様! この数日間、皆様が地球星の重要な問題に対する解決策を見いだすために開催された世界文化体育大典、及び国際会議に最善の努力を尽くしてくださったことに称賛の意を表します。私は今晩、全体の行事を終えるご挨拶を通じて、いくつかのお願いをしようと思います。 きょう、私の誕生日を記念する式典で様々な人たちが私の業績に対して多大なる称賛を下さり、ありがたく思います。私が成し遂げた可視的な実績に驚嘆もし、称賛もしていただきました。しかし、その背後に置かれている見えない内的な精誠の深さと霊的な基盤、そして摂理史的な意義について、もう少し関心を抱いて研究してくださるようお願いいたします。 私の生涯は生まれる時から神の摂理史と直結していました。言い換えると、私の生涯には、人の研究や評価を超越して霊界が公認し、神の立てられた驚くべき先有条件があったのです。 おそらく、生と死の境界線を行き来しながら忙しく走ってきた私の背後に神の無限の加護と愛がなかったならば、私は本日、この場に立っていることもできなかったでしょう。今一度、神に感謝と栄光をお返しいたします。 皆様は世界の指導者たちであり、平和大使たちです。皆様は、私を通して天道を悟ったとするならば、それを皆様の影響圏にいる人々に教育しなければならないでしょう。全世界の平和大使が、その天道を中心として横的に連係しながら心を合わせて努力するならば、世界を平和の理想世界に変えることができます。 きょうも私は、摂理を完成させなけれぱならないという心情で肉身の年齢を忘れて生きています。一分一秒でも、より早く罪悪から人類を救い出し、平和の理想世界を成し遂げ、神を解放してさしあげなければなりません。皆様もすべて私が推進する運動に積極的に参加してくださるようお願いします。特に、青少年のための純潔運動と結婚の神聖さを実践する祝福結婚運動、そして真の愛の運動に率先してくださるようお願いします。 人類は神を一代の父として侍り、完成したアダムとエバの立場で夫婦の因縁を結び、二代圏を築かなければなりません。彼らが父母となって子女をもつことで、三代圏まで完成して真の家庭を築いてこそ、神の理想が定着するのです。 サタンと因縁づけられた愛と所有権を否定し、純潔、貞節、信義の生活を誓約し、神の真の愛の圏に入籍する儀式が祝福結婚です。そのように祝福されて真の家庭を築くことは、旧約、新約、そして成約の時代を貫く摂理史において最も貴い慶事なのです。 それは超国家、超人種、超宗教的な和合運動であるとともに神聖なる救世・救国の運動なのです。ですから平和大使たちはもちろんであり、指導者の皆様が率先して積極的に指導してください!皆様の国々でレバレンド・ムーンの身代わりとなって活動し、神が望まれる天宙平和統一国の理想を完成してくださるよう切にお願い申し上げます。 世界の指導者の皆様、私は神に召命され、真の父母の使命を完遂するために生涯を捧げてきました。私が歩んできた道には、補助者や指導者がいたわけではありません。ガイドブックもありませんでした。だれ一人として歩んだことのない開拓の道でした。 真の父母の使命を完遂するというのは、・サタンの破滅を意味するため、サタンの総攻勢を避けることができませんでした。サタンは直接に霊的に攻撃したり、また様々に代理人を立てて攻撃したりもしました。空中の権勢を握る偽りの王だったサタンは、時空を超越してあらゆる術数と陰謀により攻略し妨害しました。 そのような怨讐に打ち勝つ秘訣は、ただ一つの道、すなわち真の愛で施したり、自ら犠牲の蕩減条件を立てたりする道しかありません。怨讐を力ではなく真の愛で自然屈服させるのが、神の原理であるからです。 神を知らず、真理を悟ることができずに反対していた彼らに、私は一様に尽くしながら生きてきました。人知れず、迫害者の子どもたちのために愛を投入しました。反対していた国家と政権に尽くしながら生きてきました。今ではその反対者たちが私を尊敬するまでに至りました。 ここで私たちは、天の戦法とサタンの戦法がどのようなものかを学ぶことができます。すなわち、天の戦略は先に打たれて奪ってくるのであり、サタンの戦略は先に打って失う戦略です。 尊敬する指導者の皆様! 私が開会式の基調演説で言及しましたが、この地上の全き平和世界は、もう一つ別の世界である天上世界と調和と協力を成すことで成就するという事実についてお話ししようと思います。 天上世界、すなわち霊界には多くの霊人たちが住んでいます。肉身を脱いだ霊人たちがすべてそこにいます。皆様の先祖がすべてそこに住んでいるというのです。堕落によって霊性が落ちぶれ、霊的な五官がまともに機能できなくなった人類は、霊界をよく知らずにいます。 いち早く私は全霊界を渉猟し、これまで霊界とやり取りをし続けてきました。今も四大宗教の聖賢たちが私を真の父母として証し、私の指示によってメッセージを送ってきています。 霊界は無限で永遠なる世界なので、現象世界より複雑です。その世界は霊人たちの心霊の程度に従って数多くの階層やグループに分かれています。 これまで私は、霊人たちの祝福と霊界の調和統一のために多くの努力を注いできました。地上と同様に霊界でも、真の愛の犠牲的な条件によってのみ勝利的な基盤を築くことができます。 これまで多くの供え物的な条件が投入されました。サタンと悪霊を制圧するための霊的な血みどろの闘いも多く、善霊たちを収拾し、教育するために特別恩賜も多く施しました。特に霊人たちに対する祝福は革命的な恩賜といえるでしょう。 私は地獄と楽園の境界を撤廃するための宣布と条件を立て、霊界の霊人たちまで祝福してあげ、天宙解放宣布式と天地父母天宙統一の解放圏宣布、そして霊界の解放式などにより重要な条件を立てました。ですから、皆様が知らない間に皆様の先祖たちまでが祝福の恵沢圏に入ってきました。 そして、神の王権即位式を奉献することで、神の絶対圏が全霊界に及んでおり、天宙平和統一国の理想がすべての霊人たちの望みとなることによって、霊人たちの再臨協助が活気にあふれて展開しています。 世界の指導者の皆様!これから地上人たちは、善なる霊人たちの再臨協助によって教え導かれ、また、真の愛の指導を受ける日が近づきました。指導者の皆様が天道を実践して理想世界を築き、人間の本性が望む理想家庭を通じて理想世界を成し遂げなければなりません。その世界は平和文化の世界、すなわち心情文化の世界である天宙平和統一国です。 今一度、2002世界文化体育大典に参加なさったすべてのかたがたに感謝申し上げます。皆様のご家庭と国と世界に神の祝福が満ちることを祈願しながら、ご挨拶を終えます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.02
コメント(0)
真の王宮2002年2月17日(日)、ソウルのオリンピック公園フェンシング競技場で開催された「真のご父母様のご聖誕記念式」のときに語られたみ言である。 世界各国から来られた著名な指導者の皆様、そして国内外の貴賓の皆様、本日このように私たち夫婦の誕生日を祝ってくださるためにお越しいただき、心から感謝申し上げます。 この意義深い日を迎えて、私は「真の王宮」と題しまして、神が宇宙万象と人間を創造された理想を中心として「私たちの本来の人生とはどのような姿であるべきか」ということについてお話しいたします。そのような内容を、神のみ旨に立脚してお話しすることで、ご挨拶に代えたいと思います。 宇宙の存在秩序は「為に生きる生活」を根本にしています。神は相対のために存在するように宇宙万象を創造なさいました。これを天理の原則として、創造の秘訣として立てられたのです。 真なる理想、愛、幸福、そして平和の世界は、神の創造理想であると同時に人間の望みでもあります。その創造理想を成し遂げる道は、ほかにあるのではありません。為に生きるところからのみ、真なる愛が湧き出るのであり、真なる幸福、理想、そして平和が実現するのです。 したがって理想、平和、幸福や愛の起源は、相対のために生きるところにあるのです。すべて自分自身のために存在するという立場では、互いに一つになりえないのです。互いに一つにならなくては、平和、幸福、理想や愛は成し遂げることができません。 家庭でも家族が皆、お互いがお互いのために生きるようになるとき、その家庭に平和と幸福が訪れるのです。まず夫婦間の場合を見てみましょう。真なる夫とは、どのような夫でしょうか。生まれたのは妻のために生まれたのであり、生きるのは妻のために生き、死ぬのも妻のために死ぬという夫がいるならば、そのような夫こそが、真なる夫でしょう。真なる妻というのも、このような原則に従って、ひたすら夫のために生きる妻のことでしょう。 このように、お互いがお互いのために生きる生涯を送ろうとする夫婦がいるとすれば、そのような夫婦こそが理想的な夫婦でしょう。そのような夫婦を通して、真なる平和の基準を立てることができます。そのような夫婦は、本当に幸福な夫婦であり、真の愛の夫婦であり、神の愛を受けることのできる夫婦であり、そして神の理想的な対象となりうる夫婦なのです。 父母はどうですか? 父母は、子どもたちのために存在し、子どもたちのために生き、子どもたちのために死ぬという、犠牲と奉仕の精神で子どもたちを養育し、教育しなければなりません。そのような父母こそが真なる父母になるのは当然なことです。 そして子どもたちは、そのような父母に従って真なる孝子の道を歩むようになります。それでは、真なる孝子とは、どのような子どもでしょうか。生まれたのは父母のために生まれたのであり、生きるのも父母のために生きようと考える子どもです。父母のためならば命までも捧げうる子どもが真なる孝子なのです。 ですから、相対のために生きるという原則を信じ、実践する生活を営むようになれば、家庭では平和の家庭、自由の家庭、幸福の家庭、愛の家庭を築くようになり、社会でも平和の社会、自由の社会、幸福の社会、愛の社会を築くようになるはずです。国家と世界の場合も同じです。いつどのような所で、どのようなことをするとしても、この原則さえ固く守るようになれば、自由、平和、幸福と愛は自動的に得られるようになるのが天理です。 私たちが為に生きる生活をする際にも、主体と対象間の優先順位を考えてみなけれぱならないでしょう。神の創造を見てみると、神ご自身が主体の立場で、すべてを投入して為に生きる立場に立って創造なさいました。 神も、平和、幸福、理想と愛の基準をそのように「為に投入して存在すること」により立てられたのです。主体がまず対象のためにすべてを与えて為に生きる生活を示すとき、対象も主体のために命までも捧げるようになるというのが原理なのです。 愛は対象から来るものです。対象がなければ、幸福や平和のようなものはありえません。これらのものは、必ず対象を通してやって来るのです。自分の命よりも貴い愛と理想が対象から来るので、その貴いものを受けるためには謙遜でなければなりません。為に生きる生活には繁栄があり、為に生きる位置が中心となる天理が運行しています。 今日、いかに多くの宗教の経典があるといっても、「為に存在せよ」という一言にすべての経典の内容が集約されます。結局は、新約聖書と旧約聖書の66巻も、「為に存在しなさい」という一言によって結論づけられるのです。 イエス様も「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイによる福音書 23 : 12)と言われました。そして「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネによる福音書 15 : 13)とも言われました。これは、すべて為に生きる生活の価値を説明したものです。このような生き方を通して天国が現れ、神の愛が現れ、神を中心とした平和と幸福、そして理想が現れるようになることを言われたのです。 本来、男性と女性も、自分自身のために生まれたわけではありません。互いに相対のために存在し、相対のために生き、そして相対のために死ぬことができるように生まれたのです。男性が男性だけのために生き、女性は女性だけのために生きる世界を想像してみてください。男性が女性を冷遇して軽んじる世界をどうして自由の世界、平和の世界と呼ぶことができるでしょうか。女性が男性を遠ざけて子どもも生もうとしないという世界をどうして幸福な世界と呼ぶことができるでしょうか。 夫と妻はどのような状況でも、お互いのために生きて愛する真の愛の生を営まなければなりません。これが神が男性と女性を創造された理想であり、目的なのです。 自分自身だけを絶対的に主張する独裁者からは、自由と平和を見いだすことができません。一人の独裁者が立てられるために、どれほど多くの人々が犠牲になるでしょうか。相対を犠牲にして自分を立てようとする道、すなわち、「為に生きる真の愛の人生」とは正反対の道が独裁者の道です。ですから皆、独裁者を嫌うのです。歴史的に独裁者の人生はすべて、不幸で始まり、不幸で終わりました。これが宇宙の根本的な真理です。 尊敬する内外の貴賓の皆様。私たちは皆「為に存在せよ」という天理に従わなければなりません。いくら家庭において年が幼くても、その人がすべての家族のためにだれよりも献身するようになれば、その家庭の中心になるのです。困難で大変なことが起これば、家族の皆が彼と話し合うでしょう。 だれよりも為に生きる者が中心存在になり、責任者になるという天理を申し上げているのです。社会や国家を運営することにおいても同じです。だれであれ、自分自身よりも、自分が所属している団体や国のために献身し、奉仕する人がいるなら、彼を主のように侍り、神のように侍ることのできる謙遜な生活を実践しなければなりません。 皆様が霊界に行けば、神は天地の中心存在としておられるので、そのかたには千年万年支配されてもさらに支配されたく、そのように支配されること自体が最上の幸福と考えるようになるのです。私の言うことが信じられなければ、今すぐにでも死んでみてください。 今日の人類は、このことを知らずにいます。自分自身のことを真心から面倒見て支配してくれる人をもつようになるとき、真の幸福と平和を享有しうるようになるという事実を知らずにいるのです。 私たちの父であり、全知全能である神が、「私」のために存在なさると考えてみてください。神の真の愛が、自分のためにあると信じてみてください。皆様がそのように考えて信じるようになるとき、安息することができるようになるのです。 互いのために生きなければならないという原則を拡大し、国家と民族を超越して世界の基準まで到達すれば、その世界が人類の願うユートピア的な愛の世界であり、理想の世界であり、平和の世界であり、そして幸福の世界であるに違いありません。まさしく、地上天国はこのような世界でしょう。 紳士淑女の皆様。だれでも他のために生きる者は天が保護し中心存在になると申し上げました。この場に立っている私の人生がその良い証拠となっています。世界の万民から真の父母と呼ぱれている私たち夫婦ですが、この立場まで歩んできた道というは、決して平坦な道ではありませんでした。 私は、一生を天と人類のために捧げてきました。父母が反対し、一族が反対し、教会が反対し、国家が反対し、世界が反対する立場でも、私は絶望したり、天の教えである「為に生きる生活」の実践を中断しませんでした。その結果として、今では私が生きてきたのと同じ「真の愛の運動」が全世界的に燎原の火のように広がっています。 数百万の家庭が、為に生きる生活の実践を通じて、平和と幸福の真の家庭として新たに生まれています。私たち夫婦を真の父母として迎えて生きようとする家庭が全世界の随所から集まってきています。 今は個人から天宙まで8段階に及ぶ理想圏が完成し、神の解放圏まで完成したので、人類の望みだったユートピア、すなわち地上天国が皆様の目前に広がりつつあるのです。 本日、この貴い場を共にされた皆様も、神がこの時代の人類に下さった天理である「為に生きる生活」の真の愛を実践し、天の祝福を受ける中心者、責任者となり、永遠の平和と自由、そして幸福を成し遂げられるように願います。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.08.31
コメント(0)
祝祷 主礼 真のご父母様 愛するお父様! きょう、二〇〇二年二月十六日三時以後、ソウルのオリンピック・フェンシング競技場で、四億双三次祝福を全世界百八十六か国を連結して、神様の前に聖別された新郎新婦たちが祝福を受けることができる永遠なる歴史の記念日として、守ることができるこの時間を付与してくださった恩賜に感謝いたします。 人類始祖の堕落によって、神様は人類の先祖の位置に立つことができず、代わりにサタンが偽りの先祖の位置に立ち、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を残して、堕落の子孫を受け継いだ人類にしてしまい、神様の代身の位置で、神様のすべてのものを盗み、王として振る舞いながらすべてのことを指導してきました。 神様の救援摂理の御旨を奉じて、数多くの歴史時代を経た摂理の結果として、この地上に救世主を送り、救世主の中心である真の父母を送られ、神様の心情一致圏を失ってしまったエデンのすべてのものを再び、回復、蕩減復帰するための摂理を立てられ、本然の現象を再び復帰することができる摂理を推進してこられたお父様のご苦労の前に、労苦の前に、心から、人類始祖と今までの人類、さらに進んで神様の御旨を奉じてきたメシヤと真の父母がこの地上に現れて、御旨を成就させなければならない責任を延長させ、この日まで来るようにしてしまった御旨の前に、恥ずかしさを許してください。 今、全世界のうえに新しく、神様の愛と生命と血統を連結させ……。アダム家庭を中心として神様が一代であり、アダムとエバが第二代となり、アダムとエバの息子が第三代となって、理想的家庭の伝統をこの地上に立てようとされたこのすべてのことを失ってしまいました。 そのことによって、メシヤ、真の父母を代身としてこの地上に送られ、この地上で神様が立てようとされて失ってしまった、アダムを代身した人類の真の父母の位置に立ち、祝福の血縁、因縁を立てられて、三代圏の子孫を、超世界的、超天宙的歴史を連結させるために、四億双以上の祝福を経ることによって、神様の王権樹立とともに、神様が直接、愛の主権を中心として統治することができる時代を備えることができるように、勝利した祝福家庭の確定した基盤のうえに、このような祝福を許諾してくださいました。この恩賜に心から感謝申し上げます。 この場に立って、天の前に祝福を受けるこの群れが、神様が一代であり、真の父母が二代であり、祝福を受けた子女たちが三代圏を受け継ぐことによって、神様に直接侍ることができる家庭的生活体験を中心として、一体圏の線上には、いかなるものも、相対条件が成立しない解放された位置で、蕩減がない位置で、解放された勝利の祝福の位置に、天上世界と地上世界において、統一的一体圏に、解放の祝福の因縁をもつようにしてくださった恩賜に心から感謝申し上げます。 今や、あなたの血縁的関係で結束された子女の家庭を中心として連結させ、氏族を越え、民族を越え、国家を越え、世界を越え、天宙を越えて、天上世界と地上世界の解放圏を宣布する世界史的な祝福のこの場に、親しく共にあられ、勝利の覇権とともに、悪の世界を完全に天の世界へと、消化、吸収、統一圏へと、前進、前進を誓うことができる、この時間となるように許諾してください。 霊界の祝福を受けたすべての家庭は、地上世界の子孫の家庭を回復するうえで、一線に立ち、総生畜を後援することによって、人類の解放とともに、天上世界の解放とともに、一体的、一体的相対の世界をなして、地上天国、天上天国、神様王権即位式、解放の天地へ、天宙へ、進展しなければなりません! この日の祝福を感謝し、真の父母の名によって宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.08.29
コメント(0)
あふれる感謝と愛を込めて日付:二〇〇二年二月十五日場所:韓国、ソウル、ヒルトン・ホテル行事:「二〇〇二世界文化体育大典」および「世界平和超 宗教超国家連合二〇〇二総会」(真のお母様) 尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。私の祖国、韓国で開催される今回の「二〇〇二世界文化体育大典」の開会式典で皆様を歓迎することができ、大変うれしく思います。 絶対的道徳性教育をしてこられた文鮮明総裁 私は生涯を通じて、奇跡のような多くの変化が韓国で起こるのを目撃しました。韓国に初めて来られた方々は、韓国の文化を経験し、飛躍的に発展した韓国の姿を御覧いただくことを願います。私たちは新千年紀を迎え、過去の暴力と苦痛を清算し、現代科学技術を総動員しながら世界の平和と繁栄が訪れることを期待しました。 しかし、昨年、韓国で起こった一連の事件が見せてくれたことは、私たちが輝かしい物質文明を享有しつつも、いまだにその文明と調和する精神文化と価値観の混乱によって、大きな葛藤を解決できずにいるという事実です。 今日の世界は相対的道徳観にあふれていますが、私の夫である文鮮明総裁は全生涯を捧げて神様に対する絶対信仰と絶対愛、絶対服従、そして人類と万物が願う絶対愛に根本を置いた絶対的道徳性を教育してきました。 皆様の中の多くの方々は、既に私の夫によって推進されるプロジェクトや活動を通して、皆様なりに文総裁を知っておられることと存じます。しかし、きょうは私だけが知っている総裁について御紹介しようと思います。夫との四十二年間の結婚生活を経てきたこの時点で、神様以外には、夫のことを私ほどよく知っている人はいないでしょう。 平和世界実現のための人生 総裁が教えている絶対価値と御自身の生涯とは、どのような関係があるのでしょうか。私は、総裁が朝から晩まで、ただ他のために生きるその生き様と、人間生活のすべての分野で塀を崩し、究極的には神様と人間の間の壁を取り除こうと率先垂範される姿を見守ってきました。 私が初めて夫に会った時を考えてみても、世界はまだ軍事力を軸にした二つの世界、すなわち東西冷戦によって韓半島は六・二五動乱の悲劇に遭い、南と北が二つに分かれている時でした。 数年間続いた戦争で、ほとんどすべてのものが破壊されました。私の夫が建てた初めの教会を見ても、捨てられた紙の箱を拾い集めて土と混ぜ、地面の上に立てた土壁の家でした。そのような状況でも総裁は、神様がこの地に新たな希望を下さるという約束に対していささかも疑いませんでした。 北朝鮮の共産治下の監獄暮らしの中、残酷な拷問で何度も死の峠を越える時や、他の宗教団体の指導者たちの偽りの告発によって韓国で牢屋暮らしをされる時も、総裁は自分が処した苦境ゆえに神様に助けを求めるような祈祷は、絶対にされませんでした。 かえって神様を慰労され、必ず神様のみ旨である平和世界を成就することを自ら何千回も誓い、そのみ旨のために黙々と実践するだけでした。そして、いかなる苦境に処したとしても、例を挙げれば、食べるものがなくて飢える時や、キリスト教と言論、そして政府までもが共謀して夫を迫害する時も、神様に対する愛と人類に対する哀れみは、より一層大きくなるばかりでした。 歴史上の預言者たちがそうだったように、総裁は、反対にも屈せず、かえって真理を伝播することに、より拍車をかけてきたのです。天に対する絶対信仰の手本を見せてくださいました。十六歳(数え)になられた年、総裁は天から啓示を受け、本来、神様が願われた、純潔と自由と喜びが充満する世界に人類を導くべき使命を帯びて選ばれたことを悟られました。その使命を成就するため、総裁は個人から家庭、氏族、民族、国家、そして世界に至るまで、神様のみ旨を成就するために絶対信仰に基づいた生の原型を広げてこられたのです。 犠牲と絶対的服従の道 総裁は、天から召命を受けたその日から、言い表すことができない苦難と苦痛を伴う、総体的な犠牲の道を歩んでこられました。その中でも最も胸を痛めたことは、救ってあげようとするその当事者たちが、かえって嘲弄と偽りの非難を浴びせてくる時でした。 それにもかかわらず、総裁は、ただの一度も、天から与えられた使命を完遂するための意志を曲げたり、躊躇されたりしたことがありません。そして、自ら手本を見せ、神様に対する絶対服従の道を教えていらっしゃいます。 何よりも、私の夫が解き明かす絶対愛に関する教えこそ、他の宗教指導者たちの追随を許さないものであると思います。数多くの宗教指導者たちや学者たちも、自分たちの教団における建立や教理伝播のために献身しています。ある方たちは、慈善事業や人道主義的なことを大々的に行われた方もいます。 しかし、総裁は初めから違いました。統一教会の運動が小規模で、また財政的に厳しかった時でも、総裁の教えには変化がありませんでした。「私たち自身を心配する前に、私たちの予算の三分の二を人助けのために使いなさい」ということでした。これまでに、超宗教活動を支援するだけでも数億ドルを注がれました。神様の願いがすべての宗教を一つにすることであることを御存じであるからです。 総裁は、統一教会の運動自体のためよりもはるかに多くの予算を、宗教の和解と一致のために投入してこられました。一九七五年に創設した統一神学大学院の学生たちは、自分の教団の教理を学ぶことよりも、はるかに多くの時間を費やして、他の宗教と対話し、またそれらの教理を学んでいます。 アメリカ政府が不当に総裁を断罪し、監獄に送ろうとするさなかにおいても、文総裁は、「ワシントン・タイムズ」を創設して、アメリカが冷戦を終息させて世界平和のための摂理的な役割を果たせるように援助したのです。皆様も御存じのように、総裁は、世界的に多くの他の言論機関にも財政的な支援を惜しまれず、今も継続して、統一教会自体の出版事業に使うよりもはるかに多くの予算を、それらのために注いでおられます。 総裁の不屈の意志と、自分のことを心配する前にまず人のために犠牲になる、そのような生き方は、神様の無条件的な愛に起因しており、これこそ、愛の真の意味であり、今日この世界に存在する壁を取り除くことのできる解決方法であると私は確信します。 絶対愛の見本を示した総裁 総裁は、自ら手本を示すことによって絶対愛を教えられます。絶対的愛で結ばれた夫婦関係こそは、背信や離婚があり得ず、今日、世界的に蔓延している性病から防御する、唯一で真の道なのです。 総裁がこのような理想を実現するため、自ら実践し教育しながら見せてくださった、確固として不動な献身的姿について誤解する人もいました。ある時は、その絶対的基準のゆえに、もう少し易しこを選ぼうとする人たちのねたみと嫉妬によるでっち上げの非難もたくさんありました。 しかし、時が過ぎていきながら、だんだんと多くの人々は、正と不正、そして善と悪については折衷や妥協はあり得ず、私たちの生命と神様のための献身的な愛には、少しの譲歩もあり得ないことを悟るようになりました。 私は一生を通じ、総裁との安らかな時間をほとんどもつことができませんでした。人々のように新婚旅行を楽しむこともできませんでした。しかし、正直に言えば、私はこの世の誰の妻よりも大きな夫の愛を受けて暮らしてきました。総裁の、家族に対する愛と献身的な教育は、驚くほどの実を結びました。 夫自らが見せてくださったとおり、私の家族は神様のために絶対的基準で献身しなければならないことはもちろん、人類のための愛も完全でなければならないと教えてこられたのです。 十三人の子女と二十人を超える孫たちがいますが、私たちは、家族ぐるみの休暇を一度も過ごしたことがありません。しかし、私の家族は、神様の御加護の中で、感謝の生活をしています。 真の夫であり、真の父母である文総裁 私たちが初めてニューヨークに移住して、数百人の教会員と共に暮らしていた時でした。誰よりもまず、夫は芝生を刈る機械の操作法を学ぼうとしました。自分一人でカーペットを敷く方法を体得されもしました。芝生一つ一つを刈りながらも、神様と人類に美しい芝生の庭を贈ろうという心情で臨まれました。カーペットに打つ釘一つ一つにも、同じような心情を注がれたのです。 また、私たち夫婦の生き方は、他の人たちとは異なりました。一生を通した犠牲的な生涯の結果として、世界的に数百万の家庭とその子孫たちが総裁の伝統に従って生きていることを目撃しながら、私は、神様が御自身の献身的な息子、文鮮明総裁のことを本当に誇りにしていらっしゃるだろうと思います。 きょう、私の生涯で初めて、このような公式席上で、あふれる感謝と愛を込めて、私の夫を皆様に御紹介することができ、喜びの心を禁ずることができません。紳士淑女の皆様。私と共に、この「世界文化体育大典」の創始者であり、神様の真の息子であられ、真の夫であられ、真の父母であられ、真の師であられる私の夫、文鮮明総裁を歓迎してくださるようお願いいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.08.28
コメント(0)
「平和の根は真の愛に」(02.02.15 WCSF2002開会式 ソウル・ヒルトンホテル) 2002世界文化体育大典(WCSF2002、主催、同組織委員会)の開会式が、二日目の二月十五日、ソウル・ヒルトンホテルで行われた。 開会式には同大典を提唱した文鮮明師夫妻、世界十カ国の大統領・首相経験者、韓国の与野党議員八人はじめ、世界百八十六カ国の各界指導者約千人が参加。 文師は「平和の根は真の愛に」をテーマに創始者講演を行い、「真の愛は無条件に与える愛だ」としながら、「このような真の愛の土台の上に平和が築かれる時、その平和は真の平和となり、自由と幸福までもついてくる」と力説した。 その上で真の平和を実現するために必要な条件として、①心と体が完全に一つになった完成人間となる②互いの人権を尊重していかなる状況でも他人の人権を蹂躙(じゅうりん)しない③真の愛の花が咲く真の家庭をつくる④公金を着服せず環境を破壊しない-の四つを提示した。 開会式は、米ユナイテッド・ペンテコステ教会のジェシー・エドワーズ師の祈祷で始まり、ワヒド前インドネシア大統領と韓国の南宮鎮・文化観光相が祝辞を述べた。南宮氏は、「大典が成功裏に開催され、人類の念願である和解と許し、平和定着に大きく貢献する機会となることを心から願う」と語った。 文師の登壇に先立ち、夫人で同大典の共同創始者でもある韓鶴子総裁が、結婚以来四十二年間傍らで見た文師は「朝から晩まで、ひたすら神と人間の間の壁を取り除こうと率先垂範してきた」と紹介し、大きな拍手を浴びた。 文師の演説後、正義と平和のためのエレノア・ルーズベルト研究所のニコラス・キトリー博士が自ら呼び掛け人となって文師を今年のノーベル平和賞に推薦すると発表した。-------------------------------------------------------------------------------- 今日、お招きした高名な皆さん方も妻がおり、家庭があり、また夫婦で参加された方もおられます。私もこのような妻を持ったことをこの上なく光栄に思います。夫のため誇らしい紹介ができる韓国の女性、韓鶴子総裁が(私の)妻であるという事実。(私への)悪口をたくさん聞きながらも、背後で私を支えながら苦労して、未来の希望に満ちた世界に前進するために、後援者となってくれた立派な韓国の妻がいるという事実。 神の前に長く長く残さなければならない父母の伝統、夫婦の伝統、子女の伝統をたてなければならない神のみ旨を奉り、文総裁の行く道は血しぶきの道、十字架の道でありましたが、長い年月を過ぎてみれば、現在、すべての世界の家庭の心の中で、神様の共助と保護の下で(それが)なされました。そのすべての栄光を神様の前にお返しするこの時となることを祈念いたします。ありがとうございます。 尊敬する議長、世界各国から来られた元・現職の国家元首、そして内外貴賓の皆さま。 希望にあふれる新千年の二年目の年を迎え、私の愛する祖国、韓国の地で開催される世界文化体育大典(WCSF)をこのように盛大なものとしていただき感謝いたします。 人類は、いま歴史上のいかなる時よりも急速度で変化する時を迎え、歴史上のいかなる時よりも宗教間の対話、人種間の和解、そして文化間の理解が切実に必要であることを皮膚で感じています。 そのため、今回のWCSF2002の主題も「新しい平和の世界文化に向けて」に決定されたと思います。 私はこの大会の創始者として、きょうこの場を借りて、私が生涯を通して信じ実践し教えてきた平和思想の一端を皆さまと分かち合うことによって、創始者のメッセージに代えようと思います。 まず神様と霊界を知る 内外貴賓の皆さま。 私たちが切実に願い叫んできた平和の根本は何だと思いますか。どこでどのようにすれば平和を獲得することができ、何が人類の平和を妨げている障害物なのでしょうか。 極度の個人主義と利己主義が蔓延(まんえん)している今日の混乱した世界において、果たして私たちに平和世界を成就することができる希望はあるのでしょうか。 平和の根本を知ろうとすれば、神様の創造理想を深く探ってみなければならないはずです。まず神様と霊界を知らなくては平和を実現することはできません。 創造主である神様の真の愛の実体化がすなわち天地創造であり、その世界の主人として創造された人間は、神様の創造理想、すなわち創造本然の世界である地上天国をつくって暮らした後、霊界に行っても永遠の平和天国をつくって暮らすようになっているのです。 地上において、平和世界である地上天国を創造し暮らしてみることができなければ、霊界においても、そのような世界は期待することができません。 ここで言う天国とは宇宙万象と人間、そして人間と人間がお互いに「ため」に生き、一つになって調和統一を実現して生きるところを言います。 しかし、人間始祖の堕落によって神様の創造理想は無残に挫折し、今もってその完成をみることができずにいるのです。神様と人間の関係が父子の関係であることさえも分からない無知の状態に陥ってしまったのです。 堕落の結果世界である今日の現実を見てください。平和と幸福の歌があふれるべき家庭が背信と離婚でばらばらになり、父母の温かい愛の下で未来の夢を抱いて無限に伸びていかなければならない子女たちは、挫折と失望の中で巷(ちまた)に飛び出していき、酒と麻薬の奴隷となり、揚げ句の果てにはフリーセックスに心身を投じるという途方もない現実を目撃するようになります。 民に責任を持ち国運を両肩に背負った為政者たちの姿からは何を見ますか。国家の将来や国民の安寧よりも、自分たちの権力維持に血眼になっている者たちを多く見るようになります。 国家と国家の間にも、理解と平和がなければならないところに、不和と葛藤(かっとう)そして戦争だけが猖獗(しょうけつ)を極めている今日の現実ではありませんか。人類平和文化定着の道がふさがれてしまったのです。 したがって神様はどのようなことをしてでも、本来計画された真の愛と平和の理想を再び探し立てる救援摂理を展開せざるを得ないようになったのです。神様の救援摂理は原状回復の摂理、すなわち復帰摂理です。 このような復帰摂理のために、神様は、歴史を通して時代と伝統、そして文化に従って各々異なる宗教を立てられ、善の版図を広げてきたのです。 神様王権即位式を奉献 いち早く人類救援の天命を受けた私は、全生涯を通して言い表すことができない迫害と苦難の路程に勝利し、ついに二〇〇一年一月十三日「神様王権即位式」を奉献しました。人間始祖の堕落以後、数千年間耐えて待ってこられた神様に、心情の解放とともに王権を探し立ててさしあげたのです。 その基盤の上に、今は、霊界と肉界が一つになって自由に行き来できる時代が開かれました。霊界が私たちと共に呼吸しています。 イエス様の十二弟子はもちろん、四大聖人までも、私が人類の真の父母であり、メシヤであることを証しするメッセージを送ってきています。 このように、二つの世界を分けていた壁が完全に除去されました。今からは、天道に従わなければ生きることができない時代へ入ってきているということを、皆さんの前に宣言します。 今や人類は神様を一代の父として侍り、完成したアダムとエバの位置で二代圏を立てて夫婦を築き、父母となって子女を繁殖することによって三代圏まで完成して暮らす真の家庭を探し立てなければならないはずです。 その道だけが、罪がなく自由と平和と幸福が充満する世界をつくって、神様の直系の血統が子々孫々永遠にこの地上に繁栄することができる道だからです。 このように、神様を知り、霊界を確実に知るようになれば、平和を実現することができる道が見えるのです。 独りで平和ならず 皆さん、平和の意味は何ですか。一言で平和とは、人間関係において主体と対象がお互いに一つとなって水平をなすことを言います。しわ一つない平らな完全均衡状態のことをいいます。漢字から解いてみれば、「平」は水平を意味し、「和」は調和と和解を意味します。 このように平和とは独りでなす「独平」ではありません。独りではいくら努力しても幸福になることができないのと同じです。上下関係、左右関係、そして前後関係がすべて調和して、どの一方にも偏ることなく、いっぱいに満たされて充満し、円満であることを備えてこそ、真の平和が来るのです。 縦横と前後左右で完全な立体的軸を立て、お互いに絶対相応する調和の世界が平和の世界です。虹の七色を回せば調和と平和を象徴する白色となるように、平和は、すべての条件と状況が一個所に融和し調和した姿の純粋な白色です。 すべての方向が一点で完全に調和すれば、自動的に平面性を超越して立体性を帯び、球形運動を通して永続性を持つようになります。人類の恒久的な平和はこのようにして成就することができるのです。 しかし、平和は独りで存在するものではなく、その根を真の愛においています。自由と幸福の根が真の愛にあるように、真なる平和も真の愛を実現することができなければ成就することができないからです。それでは、真の愛とはどのような愛ですか。一言で、与えても忘れてしまう、条件なく施す愛です。犠牲的な愛です。 父母が子供を生んで養育しながら施す愛に何の条件もないのと同じように、真の愛は無条件に与える愛です。怨讐(おんしゅう)までも許して施す愛です。与えてもまた与える愛です。条件なく施すものなので、与えたというその事実さえも記憶しない愛です。無限に与える愛です。神様が人間を創造される時に施されたものが、まさしくこのような愛なのです。 したがって、真の愛の根源は神様にあります。まさにこのような真の愛の土台の上に平和が立てられるとき、その平和は真なる平和になるのであり、自由と幸福までも伴うようになるのです。 心と体を完全に一つに それならば、私たちが真なる平和を実現する姿として備えなければならない条件とは何でしょうか。第一にまず、皆さんの心と体の関係について考えてみてください。対象格である肉身は、主体格である心が志向する通りに百パーセント従わなければならないという天理です。 いつどこで、いかなる状況に置かれても、私たちの体は、心の前に絶対対象の立場で完全に一つとなって動じ静じなければならないというのが天が下さった法度です。したがって、このように心と体が完全に一つになった人間こそ、完成人間になるのです。神様が本来願われていた人間の姿こそ、まさしくこのような真なる人間でした。神様を実体の父として侍り、苦楽を共にすることができる人間が、まさにそのような真なる人です。 しかし、私たちの生活を少し深くのぞいてみるだけでも、私たちは自らの姿がこのような真なる人間の姿からどれほど遠く離れているかということをすぐに感じることができるのです。 神様の息子娘と呼ぶにはあまりにも恥ずかしい自分たちであるということを悟るようになるはずです。心が元なのですが、体が従ってくれない時がどれほど多く、良心の呵責(かしゃく)を感じながらも、肉身の欲望の奴隷となって本意でない失敗をした時がどれほど多かったでしょうか。 したがって、どのようなことがあっても、私たちは真の愛の実体である心と体が完全に統一された姿とならなければならず、自らを完成段階まで引き上げなければなりません。天と地の前に一点の恥ずかしさや一寸の影もなく、「天のお父様」を叫ぶことができる真なる人にならなければなりません。 そのようにさえなれば、私たちは天の父の真理と愛を発する永遠の発光体の姿となって、地上での生を終えたのち、霊界でも神様の親子となった聖子の姿として永遠に生きるようになるはずです。 力の支配時代は終わった 第二に、私たちは社会や国家といった共同体の一員として、真の愛の実践である「ために生きる生活」を通してお互いの人権を尊重し、いかなる状況でも他人の人権を蹂躙(じゅうりん)する愚を犯してはなりません。世界の五色人種はみな同等な価値を持って生まれました。人種に関する限り、神様は色盲です。人種差別や宗教的葛藤、そして国粋主義は、人権蹂躙の原因をもたらします。 力で支配する時代は終わりました。二十一世紀は共に生きる超人種、超国家、超宗教の時代です。真の愛が支配する時代が開かれたということです。 世界の指導者の皆さん、イエス様も「私は仕えられるために来たのではなく、仕えるために来たのである」(マルコ十章四十五節)と言われました。世界平和を実現する道は別のところにあるのではなく、「ために生きる生活」の天道を実践するところにあるということを明らかにされたのです。平和の根は真の愛にあると言われたのです。 したがって、私たちはみな真の愛の根源であり主人であられる神様を信じ、天理に従う正道の道を歩まなければなりません。そのような人には天運が共にあるはずであり、万事が思い通りになるはずです。 どうか、心と体の統一によって人格完成を成就し「ため」に生きる生活の実践を通して、皆さん各自の心の中に平和の基地を定着させるよう願います。 私たちが怨讐までも許して「ため」に生きる生活を実践するとき、小さくは個人から、大きくは世界まで、平和文化を成就することができるようになるのです。 それで、昨年私は「天一国」の開幕を天上天下に宣布しました。天一国とは、二人が一つになって生きる世界のことをいいます。 小さくは個人の心と体が一つになって個人として完成体となることであり、大きくは夫婦が一つとなり、父母と子女が一つとなって、三世代を通して家庭を一つにしなければならないことはもちろん、全人類が神様の下で一つの兄弟姉妹として苦楽を共にすることができる世界を創建しなければならないことを言います。 このように、神様の創造本然の世界である天一国の安着のために、すでに私は一万人以上の平和大使を全世界に派遣しています。 私はまた国連本部において、世界のすべての国境を撤廃しなければならないと主張したのであり、国連に最終議決機関である超国家、超人種、超宗教的機構を置き、世界的に名望の高い宗教的指導者たちが平和世界創建の先頭に立たなければならないと促したのです。 家庭は最高の贈り物 第三に、私たちは真の愛の花が大きく咲き開いた真の家庭を立てなければなりません。家庭を築くにおいては、男性女性に関係なく、独りでは築くことができません。真の愛で完成した男性と女性が夫婦の因縁を結び、子供を生んで育てるとき、その家庭は真なる家庭となって、自動的に平和が宿り、幸福があふれるのです。 子供たちは、父母が結んであげる配偶と出会って夫婦となる時まで純潔を守り、夫婦となってからは貞節を守り、父母に似た二代目の真の家庭を築くようになるはずです。 このように、真の家庭によって連結される真の血統が三代まで連結されさえすれば、神様はその家庭に安着されるようになり、人類があれほど願ってきた世界である地上天国が成し遂げられるはずです。 そのような真の家庭の拡大版がまさしく地上天国であり、天上天国であるのです。その世界は共生共栄共義共愛の世界であり、みな共に兄弟姉妹となって、共に暮らし、共に繁栄し、正義の世界を立てて、お互いがお互いのために生きて愛する平和世界となるはずです。 このように、家庭は大切なものです。家庭こそ、神様が人間に下さった最も貴い贈り物です。それで、人類の平和と幸福の基本単位も家庭であり、地上天国を成す基本単位も家庭であるのです。 いくら個人が完成したとしても、家庭を成してその真なる血統を伝授してあげる子供がいなければ、彼はただ一代で幕を下ろさざるを得ないようになるからです。 このような神様の創造目的の見地からみれば、今日、世界の至る所で毒キノコのようにわき出ている同性愛の風潮は亡国の種の現象と言わざるを得ません。人類を教え導き、責任を持たなければならない指導者であられる皆さんは、この点を肝に銘じなければなりません。 天が下さった真理を信じ受け入れたならば、何の恐れることがあるでしょうか。 天の真なる血統を破壊し、人類の平和はもちろん、私たちの生存までも脅かしているフリーセックスと同性愛のような病弊を根絶するために先頭に立たなければなりません。葛藤と憎悪の輪に縛られているこの世界に、平和文化を定着させる先駆者の役割を果たしてくださるようお願いいたします。 公金・環境は不可侵 第四に、私たちはみな、社会と国家の指導者として、いかなる状況においても公金を略取したり、着服する行為を禁じなければなりません。 小さくは公的財物や公的資産に手をつけてはならないことはもちろん、大きくは私たちの生を可能にし、潤沢にしてくれている環境を破壊する行為を根絶しなければなりません。公金を着服して子供に与えることは、毒薬を与えることよりももっと恐ろしい行為です。 そして、ここで言う環境破壊とは、自然環境の破壊による各種環境汚染と毀損(きそん)、そして自然枯渇はもちろん、私たちの共同生活を提供してくれる社会環境の破壊も含まれます。 神様は人間を創造する前に環境を先に創造されたのであり、私たちが神様のみ旨に合うように環境をよく治め、環境と共に楽しく生きることを願われたのです。 したがって、私たちは、地上の草一握り、空の雲一点を見ても天の前に感謝することができる真の人となって、各種公害を退治するにおいて先導者的役割を果たさなければなりません。 神様の創造本然の世界を探し立て、その前に謙虚な心をもって生きなければなりません。自分を生んでくれた父母はもちろん、周囲のすべての人にも感謝する心をもって生きなければなりません。そして、自分が生きているというそれ自体に対しても、常に感謝する心を忘れてはなりません。 今回の期間、真摯(しんし)な討論と研究を通して、人類平和増進に寄与することができる皆さんとして生まれ変わるようお願いいたします。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.08.20
コメント(0)
人類の真の師である私の夫2002年2月15日午前9時、ソウルのヒルトン・ホテルで開催された2002世界文化体育大典とIIFWP(世界平和超宗教超国家連合)Assembly 2002の開会式で、共同創始者である韓鶴子総裁が文鮮明総裁について紹介した演説文である。1 尊敬する内外貴賓、そして紳士淑女の皆様! 私の祖国、韓国で開催される今回の「2002世界文化体育大典」の開会式典におきまして皆様を歓迎することができ、たいへんうれしく思います。2 私は生涯を通じて、奇跡のような変化が韓国で起こるのを数多く目撃しました。韓国に初めて来られたかたがたは、韓国の文化を経験し、韓国の飛躍的に発展した姿を見ていただけたらと願います。3 私たちは新千年を迎えながら、過ぎし日の暴力と苦痛を清算し、現代の科学技術を総動員すれば、世界の平和と繁栄は可能であると期待しました。しかし、昨年起こった一連の出来事が示していることは、私たちが輝かしい物質文明を享有しつつも、いまだにその文明と調和を成すことができない精神文化と価値観の混乱によって、大きな葛藤を経験しているという事実です。4 今日の世界は相対的な道徳観の波が逆巻いていますが、私の夫である文鮮明総裁は、全生涯を捧げて神に対する絶対信仰、絶対愛、絶対服従、そして人類と万物が願う絶対愛を基にした絶対的な道徳性を教育してきました。5 皆様の中でも多くのかたがたは、すでに夫によって推進されるプロジェクトや活動を通して、皆様なりに文総裁のことはご存じのことと思います。6 しかし、きょうは私だけが知っている総裁についてご紹介しようと思います。 42年間、結婚生活を共にしてきたこの時点で、神を除いて、私より夫についてよく知る人はいないでしょう。7 総裁が教えている絶対価値と総裁の生涯とは、どのような関係があるのでしょうか。私は、総裁の、朝から晩まで一貫して為に生きる姿と、人間生活のすべての分野で垣根を崩して、究極的には神と人間の間の壁までも取り除こうと率先して模範を示される姿を見守ってきました。8 私が初めて夫に会った時のことを考えてみても、世界はまだ軍事力を軸にした二つの世界に分かれており、韓半島も6.25動乱の悲劇により南と北の二つに分断していた時でした。9 数年間にわたる戦争で、すべてのものが破壊されました。私の夫が立てた最初の教会も、捨てられたダンボール箱を拾い集めて土と混ぜて、地べたの上に立てた土壁の家でした。10 そのような状況でも総裁は、神がこの地に新しい希望を下さると約束されたことを微塵も疑いませんでした。11 北朝鮮の共産党の支配下の監獄生活の中、残酷な拷問により何度も死の峠を越えたとき、また他教団の指導者たちの虚偽の告発によって韓国で牢屋生活をしたときも、総裁は自分が置かれた苦境ゆえに神に助けを求める祈祷は、絶対にしませんでした。12 かえって神を慰労しながら、必ずや神のみ旨である平和世界を成就することを自ら何千回でも誓い、そのみ旨のために黙々と実践するのみでした。13 例えば、食べるものがなくて飢えているとき、あるいはキリスト教やマスコミ、そして政府までもが共謀して夫を迫害するときも、神に対する愛と人類に対する哀れみは、大きくなるばかりでした。14 歴史上の預言者たちのように、総裁は、反対にも屈せず、かえって真理を伝播することに、より拍車をかけてきたのです。天に対する絶対信仰の手本を示されたのです。15 16歳の時、総裁は、本来、神が願われた、純潔と自由、そして喜びに満ちた世界に人類を導くべき使命者として天によって選ばれたことを悟るようになりました。その使命を成就するため、総裁は個人から家庭、氏族、民族、国家、そして世界に至るまで、神のみ旨を成就するために、絶対信仰を基盤にした生のパターンを広げてきたのです。16 総裁は天から召命を受けたその日から、言い表すことのできない苦難と苦痛を伴う総体的な犠牲の道を歩んでこられました。その中でも最も胸が痛んだことは、救ってあげようとするその当事者たちが、かえって嘲弄と非難を浴びせてくるときでした。17 それにもかかわらず、総裁は、ただの一度も、天から与えられた使命を完遂するための意志を曲げたり躊躇したりしたことがありませんでした。自ら手本を示しながら、神に対する絶対服従の道を教えています。18 何よりも、夫の説く絶対愛についての教えこそが、他の宗教指導者たちの追随を許さないものだと思います。19 数多くの宗教指導者や学者たちも、自分たちの教団の建立や教理伝播のために献身しました。慈善事業や人道主義的なことに取り組んだかたがたもいました。20 しかし、総裁は初めから違いました。統一教会の運動が小規模で、また財政的に厳しかったときでも、総裁の教えは変わりありませんでした。21「私たち自身を心配する前に、私たちの予算の3分の2を人助けのために使いなさい」ということでした。これまでに、超宗教活動を支援するだけでも数億ドルを注ぎました。神が、すべての宗教を一つとすることを願われているのを知っていたからです。22 総裁は、統一教会の運動自体のために投じるよりもはるかに多くの予算を、宗教間の和解と一致のために投入してきました。23 1975年に手ずから創設された統一神学大学院の学生たちは、統一教団の教理を学ぶことよりもはるかに多くの時間を費やして、他の宗教の信徒と対話し、それらの教理を学んでいます。24 アメリカ政府が不当に彼を断罪し、監獄に送ろうとする渦中にあっても、文総裁は、ワシントン・タイムズを創設し、アメリカをして冷戦を終息させ、世界平和のための摂理的な役割を果たさせることに一助をなしたのです。25 皆様もご存じのように、総裁は、世界的に他の多くの言論機関にも財政的な支援を惜しまず、今も継続して、統一教会自体の出版物に使うよりもはるかに多くの予算を、それら言論機関のために注いでいます。26 私は、総裁の不屈の意志と、自分のことを気遣う前にまず人のために犠牲になるという生き方は、神の無条件的な愛に起因しており、これこそ、本当の意味での愛であり、今日この世界に存在する壁を取り除くことのできる解決方法だと確信します。27 総裁は、自ら手本を示すことで絶対愛を教えられます。絶対的愛で結ばれた夫婦関係は、背信や離婚が許されません。それは、今日、世界的に蔓延している各種の性病を防ぐことのできる唯一であり真なる道です。28 総裁がこのような理想を実現するため、自ら実践し教育するにあたり示してくださった、確固とした不動の献身的姿に誤解した人々もいました。あるときは、その絶対的基準のゆえに、もう少し楽な道を選ぼうとする人々のねたみと嫉妬により、根拠のない非難を受けるようなこともたくさんありました。29 しかし、時が過ぎるに従い、次第に多くの人々は正しいことと間違ったこと、そして善と悪は折り合うことはできないのであり、私たちの生命と神のための献身的な愛には一寸の譲歩もありえない、ということを悟るようになりました。30 私は一生を通じ、総裁と心安らかな時間をほとんど持つことができませんでした。人々のように新婚旅行を楽しむこともできませんでした。しかし、正直に言えば、私はこの世のいかなる妻よりも大きな夫の愛を受けて生きてきました。31 総裁の家族に対する愛と献身的な教育は、驚くほどの実を結びました。自ら示してくれたように、私たちの家族は神のために絶対的基準で献身しなければならないことはもちろん、人類のための愛も完全でなければなりません。そのように教えてきたのです。32 13人の子供たちと20人を超える孫たちがいますが、私たちは、一度も家族単位の休暇をまともに過ごしたことがありません。しかし、私たちの家族は、神のご加護の中で、感謝の生活を送っています。33 私たちが初めてニューヨークに移住して、数百人の教会員と共に暮らしていたときでした。だれよりもまず、夫は芝生を刈る機械の操作法を学ぼうとしました。自分一人でカーペットを敷く方法を体得したりもしました。芝生一つ一つを刈りながらも、神と人類に美しい芝生の庭の贈り物をしようという心情で作業しました。カーペットに打つ釘一つにも、そのような心情を注ぎ込んだのです。34 私たちの夫婦の生き方は、他の人々とは違いました。一生を通して犠牲となる生涯の結果として、世界的に数百方の家庭とその子孫たちが総裁の伝統に従って生きているのを目撃しながら、私は、神がご自身の献身的な息子、文鮮明総裁を本当に誇りにしておられるものと思うようになりました。35 きょう、私の生涯に初めて、このような公式席上で胸いっぱいの感謝と愛を込めて、私の夫を皆様にご紹介することができ、喜びの気持ちを抑えることができません。36 紳士淑女の皆様! 私とともに、この世界文化体育大典の創始者であり、神の真の息子であり、私の真の夫であり、人類の真の父母であり、人類の真の師であり、私の主人、文鮮明総裁を歓迎してくださるようお願いいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.08.17
コメント(0)
「神様王権即位式」一周年記念礼拝の御言「祖国と父母と長孫」(その3/4)二〇〇二年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 今年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿において、「神様王権即位式」一周年の記念行事が行われました。 この日、会場には、全世界から集まった教会責任者のほか、「『平和大使』修鍊会」に参加中の「平和大使」、第四次「世界入籍祝福家庭夫特別修錬会」の修練生、第四百九十九次「清平特別祈祷修錬会」の修練生たちが参席しました。また、この日が聖日であったことから、韓国全土からも大勢の教会員たちが集まりました。 このみ言は、当日、午前十時から行われた記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、整理したもので 文責・編集部)<その3/4よりの続き> 第一の問題が、神様の祖国がどこにあり、神様が愛することのできる父母がどこにいて、神様が愛することのできる長子がどこにいるのか、ということです。 長子でも次子でも何でも、すべて地獄に逆さまに放り込まれるような 群れでしょう? そのようなケースで見るとき、この中で、"長子権、 父母権、王権を相続しよう。”という自信を持った、りっぱな人が一人でもいますか? 手を挙げてみてください。わたしが質問します。それらは、掃きだめのようなものであるということを知らなければなりません。 分かりますか?(「はい。」) 今のこの社会の悪の群れたち。百八十度、反対に行かなければなりません。そのようにしながら、彼らを感動させていく群れが、天の国の大使たちです。「平和大使」は、舞いを止めなければならないでしょう? 分かりますか? 「キリスト教とイスラム教が闘っている所に、わたしか行けば、イスラエル民族とパレスチナ人が闘っている所に、わたしが行けば、和解させます。わたしは、「ワシントン・タイムズ」を中心として、それを和解させようと、今までやってきました。道を開いておいたのに、彼らは、自分たちでやると……。 自分たちでやってみなさい、というのです。この者たち。また、わたしを訪ねて来るのです。数十年間、宗教を……。宗教が一つにならなければ、世の中が滅びます。国が一つにならなくても、世の中が滅び……。 NGO(非政府組織)という。ぼろきれを包んだ行商人のようなもの、これを一つにしなければなりません。それで、WANGO、これは「The World Association of Non-Governmental Organizations (世界非政府組織協会」の頭文字を取ったものですが、WANGOをつくりました。 それから宗教です。「われこそは。」と思うような、すべての教団の長たちが、わたしの言うことを聞くのです。数十年間、やってきました。今では、わたしを尊敬しているというのです。 わたしは、最初は、僕のように末端に立っていたのですが、「ああ、文先生。なぜ、そのようにしておられるのですか? 私たちは、世の中を知らない人ではないのに、あなたを私たちの中央に立てなければ、従いません。」と懇願するので、それで中央に立ったのです。 いくら理論的に教えてあげる先生でも、「わたしを迎えなさい。」という話は、しません。心が自ら動じて、迎えようとするのです。神様の前で、負けないようにです。神様が、そうなのです。 レバレンド・ムーンが「(神様)王権即位式」をした後に、神様が送ってくださった手紙を読んでみましたか?「訓読会」をしたのならば、それを読んだはずです。 神様は、「主いわく、文を愛する息子の中の息子、忠臣の中の忠臣、聖子、聖人の看板をつけたので、 王権樹立したエデンにおいて、王子が備えることができるアダムの位置はどこか?」と言われています。 しかし、それが神様にとって、悲痛なことなのです。思いのままに、「こうしてもよく、ああしてもよい。」 とおっしゃることができる立場であられるにもかかわらず、神様は、すべての責任を果たした息子を、本来、その立つべき立場に立ててあげることができないからです。そのことが、天のお父様にとって、ぼう然自失されることなのです。あぜんとすることです。わたしは、夢にもそれを……。 きょうも祈祷して、その一言を言いました。「神様の御前に、申し訳なく恥ずかしい。」と言ったのです。地球星を一つにして、霊界を一つにして、神様の王権を樹立して、お迎えしなければなりません。 そうであるにもかかわらず、そのようにできない環境において、息子を霊界に送り、父子のふたりが一つになって、霊界と肉界を生かそうと、総動員命令をして教育をしているのです。そのようなことを見るとき、神様の面目が立つでしょうか? 「世の中よ! 宗教人たちよ! 目覚めなさい。かわいそうな文総裁。(文総裁は、)国を取り戻すために、神様が地球星を取り戻すために、神様の故郷を取り戻すために、あれほど苦労されたかたである。わたし(神様)が、天上世界の解放圏をもって、王子の立場に即位させておいたその息子が、今も悲しみの道を歩んでいるのに、歩いているその夜道を明かりで照らすことのできる国がない。」これが、神様の恨であるということを、皆さんは知 らなければなりません。この根を解いてあげることの できる代表者が、天の国の「平和大使」なのです! 「平和大使」です。一度、言ってみてください。「平和 大使」(「「平和大使」。」) これは、すべて密使です。天の国の密使です。文総裁、天地父母には、密使がいるのです。霊界のすべての聖人たちは、先生が命令すれば、どのようなことでもします。わたしが人に向かって、「死になさい。」とは言えません。「救いなさい。」と言うのです。「真の父母」の名前に、汚点を残してはいけません。 わたしは、死の境地に出ていけば、父の遺言として立て札を立てて、「あなたたちは、わたしの後について来なさい。」と言い残して、『死のう。」と決心して、八十歳以上まで過ごしてきました。 ですから、声を上げて泣くなら、だれよりも声を上げで泣くことができる男です。町を見渡しながら思ったことは、“なぜ、この国がこのように、なぜ、この民族がこのように、米国に来ている僑胞たちが、なぜ、このように掃きだめのようになっているのか?”ということでした。 韓国は、先祖の過ちを神様が保護してくださり、先祖崇拝において、儒教思想において例のない、唯一の国家精神を持った国です。そうして、キリスト教思想を中心として、朱基徹牧師のような人は「死ぬ。」と言いましたが、吉善宙牧師や李龍道(イヨンド)牧師などは、全部、先生の当代に該当する復興師たちでした。 もし、その時に、彼らが言うことを聞いていれば、韓国は、このような姿にはなっていなかったのです。そのような人を再び呼んで再教育して、三千万の自分の子孫たちと、自分の一族に訓示するのですが、そうすることのできる日は、遠くありません。 今からは、むち打ちます。わたしは、負債を負わない人です。分かりますか?(「はい。」)神様の願いを成してさしあげようというのです。千秋の恨を抱かれた神様です。それが、だれですか? わたしたちの国の王ではありません。“私”の父です。分かりますか? 神様が、どのようなおかたでいらっしゃるのですか?(「“私”の父です。」)祝福を受けた“私”の父である、というのです。 神様が一代、堕落していないアダムとエバ、祝福を受けることができるのが二代であり、三代を失ってしまったのです。祝福とは何かというと、破壊された先祖の系列を再び整えて、新しい朝の新芽を見るための神様の願いが、祝福であったのです。 神様の真の愛、神様の真の生命、真の血統が直結しています。神様を、自分の一族の三代圏内にお迎えして、孝子となり、忠臣とならなければならないのですが、その伝統を失ってしまったので、面目がありません。しかし、今からでも、自分の家庭に、そのようにすることができる一つの偽の形態でもつくってみようとすれば、死んでも地獄には行きません。 天使長の世界に、そのよう なみ旨が成し遂げられる とき、天国の門が開かれ、皆さんが、先鋒将(先頭に立つ大将)として、入城することのできる特権が許されるということを知らなければなりません。そのように貴いのです。(拍手) わたし、文総裁は離婚しました。既成教会が反対していなければ、なぜ、離婚するでしょうか? 恥です。 永楽教会が、わたしの妻を送って、統一教会をなくすための旗手になりました。その人が今、先も長くなく、病院に入院したということを思うとき・・・・・・。 離婚は、自分が願ったのではありません。一族が願って……。義理の母や義兄が来て、「わたしたちの一族では、“主”が人として来るということは、信じることはできず、伝統を破壊するそのような異端者が、自分の一族と結婚することはできない。」と言ったのです。 そのようにして、ありとあらゆる辱めをすべて受けました。しかし、「耐えて、耐えて、三年だけ耐えてみろ。わたしという人間は、絶対に滅びはしない。今に見ていろ。」と、切に祈ったのです。 そのような汚点を残すことによって、数多くの人々 が、”離婚世界”を整備する舞台が整うのです。無念です。しかし、自分たちが願うので・・・・・・。そのように、ありとあらゆることをしなかったでしょうか? (統一教会に)女性たちが集まっているので、夫が連れ戻しに来たといって、あらゆることをしたのです。 わたしが最も恐ろしいのが、女性です。見てください。 そのとき、統一教会……。 この女性たちですが、(夜の)十一時四十五分になって、「先生!私は死にそうです。」と言うのです。「拉致されています。」と言うのですから、行かなければなりませんか、行ってはいけませんか? 何ですか?お兄さん? 行かなければなりませんか、行ってはい けませんか?(「行かなければなりません。」)そのようなときは、わたしが、目上の人をこき使ってもかまわないのです。お兄さんでも指示しなければ なりません。行かなければならないのです。行ってみると、門を閉めて鍵をかけ、「私は死ぬ。」と言うのです。あらゆる・・・・ ああ、女性のことを考えると、本当にあぜんとします。何か貴いものを持っているというのですか?「私は死にます。助けてください。」と言うのです。それが、(政府の)高官の家の夫人です。その女性の言うことを聞かなければなりませんか、聞いてはいけませんか、 この浮気者たち。 浮気者ならば、「そうか、五分ですべて終わる。”と、このように思うでしょう? 「六万年目に成し遂げられる地上天国、お父様が来たので、絶対に成し遂げられます。」絶対・・・・何ですか、この人は?(「絶対可能です。従順にします。」)(拍手) 見てください。日本に行っても、日本帝国の調査室から三大美人を派遣して、文総裁をたぶらかそうと指令を下したのです。しかし、そのようにして三か月間、 ありとあらゆることをすべてやっても引っかからないので、感謝文……。 恐らく、統一教会本部にあるでしょう。米国に行くと、CIA(米国中央情報局)でも、そうです。あっけに取られるでしょう? このようにして、うわさを立て、文総歳を引っかけて、一太刀で切ってしまおう と、ありとあらゆることをしたのです。 ですから、純潔を守りなさい、というのです。わたしの妻は、三代が準備しました。再臨主を迎えるためにです。おばあさん、お母さん、三代が精誠を尽くしました。親戚が多いことは願いません。韓国の法が、そうでしょう? 王妃になれば、親戚が顔を出すことができないようにするではないですか? 私情を挟んでいるように思われて……。 親戚が多ければ、今、親族たちが統一教会にやってきて、「自分たちがやる。」と言って、あらゆることをやるのではないでしょうか? わたしにはお金があると言って。今、七十二か国に大使館を造ることができるお金もありませんが、造ろうと思えば、一瞬のうちに造ります。 大使館を造るのに、大使がお金を出さなければならないでしょうか、大使館を造ってあげる民が出さなければならないでしょうか、王が出さなければならないでしょうか? 税金を出さなければならないでしょう? 税金を出せば、王が出すのではないですか? 文総裁が、税金をもらうのですか? 自分のために、教会のために、世界のために、三〇パーセントを天に税金としてささげる時が来ました。そのようなことを知っていますか?蘇生、長成、完成は、天の側が……。 第一次世界大戦ら、(サタン側は、)七〇パーセント になって滅びました。第二次世界大戦も、七〇パーセントを占領してヒトラーが滅び、ソ連は思想的戦争において、七〇パーセントを占領して、スターリン政権が滅びました。滅ぶようになっているのです。 ですから、三〇パーセントは、天にささげなければなりません。今、蘇生、長成、完成になっているので、三〇パーセントを天のものとしてささげない人は、「平和大使」脱落です。「もらった月給を、文総裁にささげなさい。」と言うのではありません。世界のために、国 のために、サタン世界の王権以上に、りっぱに造らな ければなりません。 それから、自分の教会のために、統一教会のために、そのような法がある、ということを知らなければなりません。ですから、”総生蓄”です。先ほども、祈祷の中で、”総生蓄献納”という言葉が出てきました。 旧約時代は、万物をさました。新約時代は、父母を犠牲にしました。自分が立つ時には、父母自身が、皆さん自体が、これと同じです。息子、娘が新約時代であり、 万物が旧約時代です。旧約時代は、割いたものをサタ ンに分けてあげました。息子も分けてあげました。 新教と旧教が、一つになることができず、英・米・仏の連合国と日・独・伊の枢軸国が怨讐となって、一つになることができなかったので・・・・・・。それが一つになった立場において、真の父母を迎えていたならば、三年半で、すべて終わりました。 一九五二年には、世界平和の基準の上で、“王の中の王”としてお出ましになり、世界をみそこうじの塊を踏むようにして歩き回っていたことでしょう。そのような人が、このような立場、このような姿になったのです。 こじきの群れのようなかすを集めて、「平和大使」とは何ですか? あぜんとします。すみません。すみません。しかし、事情がそうであるということを理解して、何かをしなければならないでしょう? 根本を知らなければなりません。を じていません。 ですから、わたしが、皆さんに負債を負ったことは指の先ほどもありません。献金を受け取ったとしても、わたしが、それにさらに一銭でもより多く加えて、助けてあげたのであって、そこから分けて使ったりしません。公金というものは、毒薬よりも、もっと恐ろしいのです。 「平和大使」たち、手を挙げてください。文総裁の話は、妥当な話ですか? また、そこに従順に従わなければならない話ですか? 妥当ですか、従順ですか? (「従順です。」)知っていることは知っていますね。すぐにしなければなりません。 ですから、統一教会は、"自己所有時代”が過ぎていきます。このようにして、国を取り戻すのです。自己所有、個人所有ではなく、教会所有から国家所有を超え、教会が一つになって、自分の国を取り戻し、世界国家の前に接ぎ木しなければなりません。 そのようにしてこそ、世界と天の国が行くことのできる道が開かれるようになっているのです。そのような話を初めて聞いたでしょう? お金がありますか?(「とてもうれしいです。」) お金があるのか、財産があるのか、息子、娘がいるのかというのです。三分の一をささげなければなりません。(「はい。」)今、時がそのような時です。蘇生、 長成、完成の基準を中心として、サタンが歴史を支配してきたので、完成の時に……。 サタン側は、第一次世界大戦の時に七〇パーセント、第二次世界大戦の時に七〇パーセント、第三次世界大戦でも七〇バーセントで、すべて滅びました。今、統一教会は、七〇パーセントを超えました。分かりますか? 何ですか? 「天宙平和統一国」、「天一国」です。 「天一国」は、だれの国ですか? 文総裁の国である前に、神様の国です。自分の国である前に、神様の国です。お父様の国です。父母の国です。師の国です。 神様は、父母であり、師であり、王です。堕落することによって、サタンが奪っていったすべてのものを、そのおかたに、お返ししてさしあげなければなりません。利子を加えてです。 ですから、血肉を売り、統一教会は、血肉を売るようにして伝道しました。そのようなことを見るとき、先生は、それを助けることができないことに対して、 どれほど胸が痛かったでしょうか? この国は、そのような群れを追い立てるのですか? 八代の政府が滅んでいきました。その中の三人の大統領は、わたしの世話になって・・・。 いつでも会えば、胸ぐらをつかんで、「こいつめ。人の子というものが……」と。文書でもらった宣誓文が、すべてあります。日本の国まで、すべて持っています。米国までも、そうです。ブッシュ大統領も、朴普熙氏をして、三大要件をすべて誓って、わたしが大統領にさせ、レーガンも大統領にさせたのです。そのような逸話が、たくさんあります。 近代の選挙史において、文総裁が、どのようにして米国の選挙の方向を変えたのか、というのです。文総裁は、りっぱだと思いますか?(「はい。」)わたしには、何もありません。神様が、りっぱでいらっしゃるのです。わたしたちのお父様が、りっぱでいらっしゃるのです。今も、そうです。国も取り戻すことができずに、「(神様) 王権即位式」をしたので・・・・・。 しかし、わたしが大統領を推薦することを、いくらでも反対してみなさいというのです。わたしをつかまなければ、大統領になることはできません。米国もそうであり、日本もそうです。韓国は、言うまでもありません。だれがなるのか、見ていなさいというのです。 国会議員の者たち。わたしの世話になっていない人がどこにいますか? この者たち。 正当な人がだれであり、愛国者がだれであり、海外に出て、民族解放の基盤を築くために、民族のうっぷんを代身して、彷徨した人がだれなのか知らずに、反対しました。その国が、うまくいくはずがありません。もう、八代で最後です。それで、「平和大使」が必要なのです。分かりますか?(「はい。」) ですから、押し分けて入っていき、「私の言うことを聞きなさい。こいつめ!私が、「行こう。」という所に行ってきなさい。」と言うのです。 今、男性四人を立て、女性四人と合わせて八人が、一人の国会議員を中心として、教化運動をするのです。それができなければ、何にもならないというのです。おじさん、やる自信がありますか?(「はい。」) 言葉だけでも、力いっぱい言わなければならないでしょう? どうして、死んだ人のように言っているの ですか? 自信があるのか、というのです。(「はい。」) そうです。そのように言わなければならないでしょう? 八十の老人でも、若い人を好むのです。問題はありません。わたしが、大使館を造ってあげるからです。 世界のすべての祝福家庭をせきたてました。会員証を与えるのです。統一教会の会員証を持った人は、国境撤廃です。国連を通して、やりとげるというのです。 国連に主人がいますか? 米国に主人がいますか?日本に主人がいますか? 韓国に主人はいません。よりために生きる群れと、よりために生きる民が、その国で、ために生きる人の基準を超えるようになるときには、天が彼らを立てて、夕方に日が暮れるのと同時に、ここには、朝日が昇る前に・・・・・・。 何もない、万年雪しかない文総裁は、名前はあります。神様王権と神様の祖国定着と天の国の安着することのできる「天一国」をつくりました。国の名前があります。神様が必要とされる天の密使を、派遣しなければならないので、天の密使教育全するのです。それが、今回の修練会です。 それゆえに、二〇〇二年の最初の冒頭に、「どこにも行かずに、精誠を尽くして参席しなさい。」と言ったのです。何かの長官(大臣)であろうと何であろうと、 わたしは知りません。そのようなものは、パスです。来た人たちは、歴史に残るのです。よく来ましたか、来ていませんか?(「よく来ました。」) (皆さんは、修練会を終えて、)きょう、出ていくのですか、明日、出ていくのですか?(「明日、出ていきます。」)明日、行かなければならないでしょう? 明日も、わたしが十二時前まで、夜の十二時までひどく責めつけたならば、不平を言って行きますか、喜んで行きますか?(「喜びます。」) 監獄に入っていってむち打たれ、親不孝していた息子が、“孝行しよう。”と決心して、家の裏門の前ではいつくばりながら、「お父さん、お母さん。許してくだ さい。」と痛哭したとします。 「そのとき、息子が断腸の思いで語る、その悲痛な声を聞いた父母の心は、どのようなものでしょうか? 父母の骨髄に染みわたり、自然に母の目からは涙が流れてきて、われ知らず、「わが子よ。」と、懐に抱いてあげたい心情ではないでしょうか? そのようにすることができる息子を迎えなくては、孝子の一族を残すことはできないということを、知らなければなりません。文総裁が、はっきりと話しているというのです。明白に知っています。分かりますか?(「はい。」) ですから、自分で、いくら“明白に知っている。”と思っていても、わたしに学ばなければなりません。分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」) 拍手しますか、しませんか?(拍手) さあ、先頭に行くすべての悲惨な人たちが・・・・・・。息子、娘が、貧しく暮らしているのを見て、喜ぶ父母が、どこにいますか? その涙の壺、涙の谷間を、だれが埋めてくれるのでしょうか? 神様しかいません。 体を犠牲にして奴隷となり、自分の血とともに、墓場への道を訪ねていく、その訴えの祈祷を、どれほど聞いたのか、ということを知らなければなりません。 奴隷を解放してあげようと、死の場に送ることを耐えていかれた父母の心情を知らなければなりません。 それ以上の主人が神様であられ、父母が神様でいらっしゃるので、神様の心情を知らなければなりません。その谷間を”私”が埋めます。”私”が埋めます! 一 度、言ってみてください。一度、言ってみてください。「“私”が埋めます。」(「“私”が埋めます。」)そのような決心をして行きなさい、というのです。 わたしは、そのように生きてきました。全国の山河を歩くたびに、土手が崩れて洪水が起き、砂場をつくるときには、「わたしの手が不足なので、国土計画を立てて、千万年間、王権を誇ることができる土地をつくる。」と言いながら歩きました。 それができないので、米国を生かしてあげるために、南米を生かしてあげるために、中共を生かしてあげるために、ロシアを生かしてあげるために、日本を生かしてあげるために、基盤をすべて築いたのです。 このような話をすれば、政府のあらゆる者たちが来で、秘密通告をして知らせるというのです。 文総数が普通に話すことが、それです。滅びるというのです。滅びるか滅びないか、見ていなさい。では、文総裁は、発展しますか、滅びますか? (「発展します。」)滅びる者が、「滅びる。」と言えば、ろくでもない者でしょう? 発展する何かがあるので、「滅びてはいけない。」と忠告して、防ぐのです。行く道をふさぐのです。 方向を変えようとしているのに、言うことを聞かなければ、力比べをしてでも、祝福を受けるようにしなければならないというのです。 それでは、文総裁の代わりに、自分の一族を祝福してあげますか、してあげませんか?『する。”という人は、手を挙げてください。教区長たち。全員、見たでしょう? だれが、手を挙げませんでしたか? だれ が挙げなかったのですか?(笑い)全員、挙げたのですね。全員、見たでしょう? あちらこちらと歩き回って、伝道もできず、泣きながら歩いて話をしてはいけないというのです。もう約束したのですから、それでも愚かな先生ではなく、りっぱな先生なので、使える人を選んで、天の国の「平和大使」……。 「平和大使」ですか? 「『平和大使』ですか?」というのです。(「はい。」) 「『平和大使』ですか?」と言うとき、なぜ、このように目を開けるのですか? 足で蹴ると思ったのですか? 少し蹴られればどうですか?(「まだ『平和大使』を任命されていません。明日、教育を受けて任命されます。」) 明日、教育があるのですか? 不参加者が参席していますね。きょう、ここに参席したので、真のご父母 様が、写真を撮ってあげようと思うのです。(拍手)それは、統一教会の歴史にもありません。(写真を家に掲げて、皆さんが家を) 出入りするときには、先生が、神様の代わりにあいさつを受けるのです。 そうして、皆さんの息子、娘がけんかするときには、その写真の前に行って、「神様を代身して苦労した先生が、このような先生であったので、これを参考にして、 皆さんも出世することができる道が千万種類でもあるので、それで”間違いない”と思えば、やってみなさい。」と言えば、全員、ついて来るのです。それを願いますか、願いませんか?(「願います。」) わたしが、初めて「平和大使」を任命するので・・・・・・。新時代です。それは、天の密使です。特別資金があれば、わたしが・・・・・・。国を買って余りあるのならば、すべて上げたいのです。しかし、そのようにすることはできないではないですか? どれほど世界に広げておいたでしょうか? 分かりますか? ですから、大変なのです。 文総裁は、どこに行っても、商売もうまいのです。ご飯を恵んでもらうとしても、わたしが先に恵んでもらい、お金を稼いでも、兄弟たちに先に食べさせるのであって、わたしが、もらったものを食べるのではありません。 もらったものを食べれば、アレルギーがあって、死にます。消化できません。生理が、そのようになっています。「平和大使」も、そうでなければなりません。こちらにいる人たちも、候補者になりますか? 行き当たりばったりの暮らしをするような顔をしていますね。組織的ではありません。 「平和大使」、本当に感謝します。一度、言ってみてください。(「「平和大使」、感謝します。」)感謝しましたか?(「はい。」)(拍手) その行動とその口において、不平不満はありえません。分かりますか? 感謝したのなら感謝でしょう? 口で不平を言うことができますか? 口で不平を言い、 行動で不祥事をすることができますか? わたしは、神様に約束したその日から一騎当千・・・・・・。「一騎当千」と、言ってみてください。(「一騎当千。」) 「ワン・ウェイ・コース」です。行って、帰ってくる道はありません。目的を達成して、神様の前におささげするものは、故郷の地に行って、おささげしようと思うのです。わたしが、世界的版図をもって、祖国光復を成して、おささげしようと思うのです。分かりますか? 皆さんを苦労させ、皆さんの血肉をえぐることがあるとしても、万国の伝統が、ここからにじみ出るので、万国を教育することができる超民族的な教材をつくら なければなりません。 そうして、今まで好き勝手に暮らしてきた皆さんが、節制して暮らさなければならず、いいかげんに暮らしてきた人が、計画圏内において、間違いなく遵守する。」という決意をすることによって、神様が皆さんに対して希望に満ちた・・・・・。 神様が感謝されるのです。アーメン。(「アーメン。」) (拍手) さあ、わたしたちは、祝福家庭なので・・・・・。真の愛は、神様の愛ではなく、「私」の愛です!言ってみてください。真の愛が、だれの愛であるというのですか? (”私”の愛です。」)そうですか?(笑い)そうなのかと、聞いているのです。 ”私”の生命! 言ってみてください。(「”私”の生命。」)”私”の血統。(”私”の血統。」)遵守しなければなりません。(拍手) 神様の真の愛は、”私”の愛です。言ってみてください。(「神様の真の愛は、”私”の愛。」)なぜでしょうか? 真の父母が、”私”に譲り渡してくださったというのです。千年、万年、功を尽くしても、連結させることができない恨の塊を埋めるのですが、その男は、大海、大洋になっているのです。ヒマラヤ山、エベレストの山頂が境界線になっているものを、真の父母がすべて橋を架けてあげたので・・・・・・。分かりますか? その家庭を築いて、三代圏内に入っていったということを知らなければなりません。三代圏です。祝福家庭です。分かりますか? エデンの園の堕落していないアダムとエバは、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として真の父母となり、真の夫婦とならなければなりませんでした。そうして、真の父母であられる神様に侍る孝子夫婦となって、神様をお迎えしなければならなかったのです。 そのような家庭の基台の上で、神様の代身となり、 自分の父母であるアダムとエバの代身の結実となって、忠臣となることができ、孝子となることができ、孝女となることができ、聖人、聖子となることのできる実体的結実が、自分の子孫を中心とした三代圏であるということを知らなければなりません。 そこから神様の家庭が生じるのであり、神様の国が生じるのです。自分の一族を通して神様の国が生まれ、国を通して世界が連結されるということは、理論的にないというのです。妄想ではありません。夢ではありません。分かりますか?(「はい」) これは、コンセプト(概念)ではありません。実際です。絶対実際」なのです。逆さまにしても、血統です。(「血統。」) 愛と生命は、一代で終わります。いくら仲のよい夫婦でも、子供がいなければ、それで終わってしまいます。氏族が連結されず、民族が連結されず、国家が連結されないのです。 その乱に満ちた、どん底の概要を知ったときには、 その恨に落ちて苦しんでいる、今日、現在の『亡国の種」たち、この世界で偉いという群れを、見習ってはいけないというのです。分かりますか?(「はい。」) 神様は、“私”の神様です。真の父母は、“私”の真の父母です。私」の父です。血肉が動じるのです。「お父様。」と言うときには、痛哭が先立ちます。生命が躍動します。 血統が、天下を巻き込んで越えていくことができる子孫という基台を持ち、わたしが論じる前に、国の忠臣となり、論じる前に聖人となり、聖子の道理の伝統を持って、神様と真の父母の公認を受け、死ぬ前にあなたに贈り物として相続していこうというのです。 それが、父母の守るべき道理であるということを知らなければなりません。そのような決心をする人、両手を挙げて誓いましょう!(「アーメン。」) ”私”は誓います。(「”私”は誓います。」)その誓いを実践し、国と世界を救おうというのが、神様の行かれる道であり、真の父母の行く道であり、密使たちの 指向する道なのです。 きょう、(神様) 王権樹立記念に参席したことをありがたく思いなさい、というのです。歴史において、初めて迎える第二年の冒頭に参席し、最初に集まった大使の名分に汚点を残さないよう、肝に銘じてくださることを願います。分かりますか?(「はい。」)分かった人、立ち上がってください。 文総数が願うそのとおりに、神様の愛と生命、血統は“私”のものであり、”私たち”氏族のものであり、 ”私たち”民族のものであると、決意する人、両手を挙げて、天の御前に誓ってください。皆さんが行く道 に、神様の永遠の祝福と勝利が、共にあるでしょう。 神様の御前に誓ってください。分かりますか?(「は い。」 さようなら。話すべきことは、すべて話しました。 真の愛が、だれのものであるというのですか?(「はい。」)だれのものですか?(「はい。」)真の愛が、だれのものなのですか?(「神様です。」)自分のものであると、言わなければならないでしょう?(「はい。」) 真の生命が、だれのものですか?(「自分のものです。」)自分のものです。真の血統は? 孫を正しく持 たなければなりません。(「はい。」)汚してはいけないというのです。浮気しそうですね。(笑い)なぜ、また笑うのですか?(「一言……。」)全員が一言言ったらどのようになりますか?(「感謝します。」) さあ、口を開いてください。ふー!(少し飲み残されたコップの水を空中にまかれる)(萬歳三唱) 天下統一萬歳!(「萬歳。」)気をつけて帰ってください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.08.15
コメント(0)
「神様王権即位式」一周年記念礼拝の御言「祖国と父母と長孫」(その3/4)二〇〇二年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 今年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿において、「神様王権即位式」一周年の記念行事が行われました。 この日、会場には、全世界から集まった教会責任者のほか、「『平和大使』修鍊会」に参加中の「平和大使」、第四次「世界入籍祝福家庭夫特別修錬会」の修練生、第四百九十九次「清平特別祈祷修錬会」の修練生たちが参席しました。また、この日が聖日であったことから、韓国全土からも大勢の教会員たちが集まりました。 このみ言は、当日、午前十時から行われた記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、整理したもので 文責・編集部)<その2/4よりの続き> さあ、分かりますか? 神様が、なぜ、そのように生きられるのかというと、神様ご自身も、息子を愛す ることができる主人に、一度なってみたい。」と思われたからです。今まで、"息子を愛することができる主人”になることができなかった神様です。 男性でも女性でも、あらゆる罪を犯した者を赦してあげて後からついていき、涙を流すのは、父母しかいません。自分の息子が強盗殺人犯になって、法廷で判決を受け、明朝、刑場の絞首台に向かうというとき、その息子に対する父母の心は、どのようなものでしょうか? その心には、"この国の法をなくしてでも、わたしの息子を助けてあげたい。”という思いがありそうですか、なさそうですか? ありそうですか、ありますか、ありませんか?(「あります。」)そういうものです。 このようなとき、罪が問題ではありません。“わたしが会いたい息子の中の長子、天下に誇ることができるその息子を愛することができる、そのような父になってみたい。”と思うのです。それは、愛の主人です。歴史上には、そのような“父”の歴史がありませんでした。その息子が娘であっても、同様です。 心と体が一つになり、永遠に神様を”絶対信仰”、"絶対・・・・・・、何ですか?(「信仰です。」)"絶対愛”、 それから、何ですか? (「"絶対服従”です。」)"服従”というものは、"自分”という意識観念がありません。千を与えても、万を考えるのです。忘れてしまうというのです。それは、なぜでしょうか? この地上で、息子、娘として、主人となることができる父の立場を捜し出すことができなかったという恨があるので、宗教を立て、道理を立て、何かの・・・・・・。「修身齐家治国平天下」と、孔子が言ったでしょう? 「元亨利貞は天道の常であり、仁義礼智は人性の綱である。」と。 わたしは、漢学を学んだ人です。それ(孔子の教え) では、いけないのです。それでは、人格的な神様が分かりません。創造的摂理の観を指導する神様のことは分かりましたが、人格的な神様のことが分かっていません。 人格的な神様は、お父様です。人格神です。分かりますか? 神様は、お父様の中のお父様であり、夫の 中の夫であり、妻の中の妻であり、息子の中の息子であり、娘の中の娘であり、家庭の中の親分であり、親 分の中の親分であられるというのです。ですから、人格神です。天下を創造され、宇宙を創造された・・・・・・。 この大宇宙が、どれほど大きいか、知っていますか? 二百十億光年にもなる膨大な宇宙です。それを創造され、それを手の中に置いて、自由に動かすことのできる神様が、どうして、このようにいちばん下になられたのでしょうか? 世の中が滅んでいくのに、手の一つも出すことができず、正義を判断して教えてあげることもできない神様です。なぜ、神様は、そのようになられたのでしょうか? 神様が、そのようにされたのではありません。 人間が過ちを犯して、人間が、そのようにしたのです。 息子、娘が過ちを犯したので、息子、娘の罪を、父 母が蕩減してあげることはできないのです。何があっても、息子、娘の権威を取り戻して、それを立て、その日を待つしかありません。 そうでなければ、天理の大道の法を、憲法を、はぎ取ってしまわなければなりません。壊してしまわなければなりません。 神様は、万宇宙の創造法則を、すべて破壊してしまわなければならない立場になってしまわれたので、千万年たっても、何もできないというのです。それで、ただ耐えに耐えていらっしゃるのです。 サタンは、耐えることができません。ですから、これは、「我慢比べをしてみよう。与えて忘れる競争をしてみよう。」ということです。これが、神様の戦略戦術です。 神様は、耐えることにおいて、一番であられ、死の場に行くとしても、怨讐に対して復讐しようとい う心を超えて、「あなたの娘とわたしの息子、わたしの娘とあなたの息子を結婚させて、親戚関係を結ぼうとするわたしのことを、なぜ分からないのか?」と言われるのです。 今日の(米国の)共和党と民主党、この者たちは闘っていますが・・・・・・。共和党と民主党は、怨讐です。 エデンの園において、兄弟の友愛が失われ、ふたりが一つになって親戚同士で結婚する、そのときにおいて、結婚するその相手をつぶしてしまったのが、堕落だったのであり、人類始祖の失敗であったのです。 そのことを知るようになるとき、その失敗の環境と、そのような罠を克服するためには、怨讐同士が結婚することができるようにしなければならないというのが、 文総裁の信念であったのです。それを実践しましたか、できませんでしたか? (「しました。」)(拍手) 皆さん。平和の世界は、いくらふたりの夫婦が、家族の十人、百人が一つになったとしても、平和にはなりません。なぜでしょうか? 心と体が闘っているからです。心と体が闘っている人が十人いれば、それは、二十人の群れになるのです。それを、どのようにして統一するのですか? ですから、第一に、まず心と体を統一することができなければなりません。そのための秘法とは、何でしょうか? これが、一番の問題です。 ここにいる優秀な人たちは、"教授や、社会で名の通った人がここに来れば、文総裁のほうが理解してくれなければならない。”と思うかもしれませんが、何を理解してあげるというのですか? たとえ理解してあげたとしても、わたしは滅びませんが、理解してあげれば、どのようになるというのですか? 死が訪ねてくるというのです。何でも理解してあげていては、滅びます。わたしは、はっきりと話をします。 ですから、ために生きることにおいて先頭に立って、 死んでみなさいというのです。忠臣の中でも、先頭で死のうとする人は、”忠臣の王”になるのです。そうですか、そうではないですか? 神様が言われるには、「なぜ、ために生きては、そのことを忘れてしまい、そのようにして忘れることを数千万年間、続けるのか?」というのです。その悲惨さは、言語に絶する立場であられるにもかかわらず、なぜなのでしょうか? 息子を愛する王の主人の立場を失ってしまわれたので、それを取り戻さなければなりません。サタンに負けることはできません。僕に負けることはできません。それは、正しい話ですか? 人倫道徳とは、何ですか? 人倫道徳を立てる前に、”天倫道理”というものがある、ということを知らな ければなりません。孔子の道理は、それに及びません。このキリスト教の道理も及びません。仏教、釈迦の道理、マホメットの道理、哲人のソクラテスの道理も及びません。 彼らは、全員、わたしの弟子です。今回で、彼らがわたしの弟子になったということが、分かりました か? 約二十年前に、「釈迦とイエスとだれそれは、わたしの弟子である。」と言うと、どれほど大騒ぎしたでしょうか? 愚かな人たちが騒いでいるので、優れた人は、一眠りしていなければならないでしょう? そうして、寝 てから目が覚めると、世の中が、すべてなくなりました。今ではもう、すべて・・・・・・。 (だれかが、真のお父様の足に触る)これは、また 何ですか?(笑い)ですから、わたしが悪口を言われるのです。初めて会う女性が、なぜ、男性の足をくすぐるように、しきりに触るのですか?(笑い) このようなことで、わたしは悪口を言われました。 この者たち。もっとも、"文総裁のような人を、夫として一度、迎えてみたい。”と思う女性は、いないはずがないでしょう? すべて例外ではありません。 おばさんは、どうですか? 以前に、祝福を受けたでしょう? 関병식さんは、どこに行きましたか? あなたは、祝福を受けましたか? それで、夫と一緒に暮らしているのですか? はっきりと言ってくださ い。死んだ夫でしょう? 一人で暮らしていたそうですが、祝福を受けてから、一緒に暮らしているのか、というのです。関병식(ミンピョンシャ)さんは、毎日のように楽しく暮らしているという話を聞きましたか?(「私のために、祝福を受けることができたと、本当に喜んで・・・・・・。」) 「とてもうれしい。」と言って、訪ねて来ましたか?「訪ねて来るのか?」と、聞いているではないですか? この人は。愛しているのですか? 反対していた夫を、そのようにしたのです。(「とてもありがたいと・・・・・・。」) 「ありがたい。」と言って、侍りますか? 三年間、女王のように侍らなければなりません。ここで静かに話しているのですが、偽者たちが聞いて、「怪しげな者たちである。」と、宣伝するのではないですか?(笑 い)皆、笑っているのを見ると、感化されましたね? 分かりますか? なぜ、ために生きなければならないのですか? 神様いわく、「創造理想の法によって、 わたしが息子、娘を愛する王の主人の立場を失ってしまったので、それを取り戻さなければならない。」というのです。分かりますか? その息子、娘とは、何ですか? エデンにおいて、堕落しないで完成したアダムとエバのことです。神様 は、「わたしの骨の中の骨であり、肉の中の肉であり、 骨髄に結ばれて放すことができない、わたしの息子、娘である。」という看板をつけて、千年、万年、宣伝しても疲れない息子を失ってしまい、娘を失ってしまいました。 その息子、娘を取り戻さなければなりませんか、取り戻してはいけませんか?(「取り戻さなければなり ません。」)取り戻さなければなりませんか、取り戻してはいけませんか?(「取り戻さなければなりませ ん。」) あなたには、息子がいますか?(「はい。います。」)息子が死にましたか? 娘は?(「娘を生むことは、できませんでした。」)それでは、息子が死んだので、 気分が良いでしょう?(「気分は、天から落ちる気分 です。」)落ちて、死にはしなかったようですね? ですから、神様に学ばなければなりません。愛の主人であられる神様は、懇切で切実な心情に、どれほどしびれていたでしょうか? 骨髄が溶け出し、流れて出てくるということを知らなければなりません。そのような神様、天地父母、わたしたちの先祖の父母、わたしの父母であられる神様を一度、祝宴……。 正月になり、新年になって、もちでも準備して、祭祀をささげてみましたか? 神様の前に祭祀をささげ たからといって、罰が当たりますか? キリスト教の人たち。今から、先祖崇拝する時が来ました。明きめくらになり、目を開けたまま座っていても見えない人たちに、このような話をしても、しかたがないというのです。 キリスト(基督)教は、「基」という字に監督の「督」 という字ではないですか? それは、すべての原理原則を監督し、主管することができる教(え)であるというのです。それは、だれが名づけたのですか? イ エス様の教えなら「イエス教」と言うべきであって、 どうして「キリスト教」なのですか? どろぼうのような者が、たくさんいます。教派長たちを、わたしが全員、たたきつぶします。できなければ、霊界に行って、すべて掃き出させます。そのような特権を持った男です。そのような特権を持っていると思いますか?(「はい。」) 日本のメンバー、手を挙げてみてください。なぜ、 多くのメンバーが、ここに来たのですか? 何のため ですか? 生きるためですか、死ぬためですか? (「生きるためです。」)最初に死ななければ、復活して 生きる道はありません。この場には、死ぬ覚悟をする、それ以上の人たちが参席するのですが、このような厳粛な集会に参加できる人たちですか?(笑い) ヨーロッパのメンバー、手を挙げてください。来ていないのですか? ここにいませんね。ヨーロッパの人たち。どこですか?(歓声)さあ、分かりますか?? なぜ、ために生きなければならないのですか? ために生きて、主体と対象関係を願う人は、必ず主体に なるのです。それが天理です。うそではありません。 先生は、そのように生きてきました。大韓民国を愛することにおいて、いかなる愛国者であろうと、わたしに学びなさい、ということです。 よりために生きるのです。自分の財産を十回、百回、売り飛ばしてでも、国を救おうというのです。債務者になったとしても、借金が問題ではありません。この ように生きてみると、ここまで上がってきたのです。 「平和大使」たちは、どこに行きましたか? 「平和大使」たちの責任は、この国を治め、国家官禄(官 職と俸給)を受ける指導者たちを、すべて教育してあげなければならないということです。わたしが行くことは、できません。わたしが行けば、しっかりとたたきつぶします。 そのような人たちの中にも、知っている人が、たくさんいます。その人たちは、すべて流れていった人たちです。まったく、公衆の面前で文総裁の話をし、統一教会の話をするときには、たくさんの聴衆に対して、 そのことを恥ずかしく思い、口がありながらもはばかって、縫いつけられたようにふさがった口で生きてきました。 彼らは、耳で聞いていながらも、知らないふりをする詐欺師のような人たちです。今回、ここに来た「平和大使」たちも、そうかもしれませんが、“それではいけない。”ということが分かる時代が来ました。 文総数のことが分かるのです。理解する時代になったので、そのようにせずに、正々堂々と名乗るべきです。「私は、統一教会の・・・・・・」、何大使ですか?(「『平和大使』です。」)「私は、統一教会の文総裁直属の・・・・・・」、何大使ですか?(「「平和大使」です。」) おじいさんも(「平和大使」)ですか?(「はい。」) その体格で、偉い肩書きが欲しくて、”何かの長にならなければ、耐えられない。”と、顔に書いてありますが、それで、私の息子になって、何になるのですか?(笑い、拍手) 今からでも、一仕事できるのに・・・・・・。(「少し働かな ければなりません。」)何ですか?(「やります。」)老人になって・・・・・・。(「老けていません。」)わたしよりも 老けて見えますね? 年上ですか?(「八十四です。」) ああ、それでは、兄として侍らなければなりませんね。 すみません。(笑い) 先生は、東洋人、韓国人として、儒学に関する礼法をすべて知っている人ですが、神様は、人格的な神様にならなければなりません。しかし、(儒学では)人格的な神様が分からないでいます。父の神、母の神、夫の神、妻の神、息子、娘の神、そのような人格的な神様になっていません。「元亨利貞は天道の常」であり、「仁義礼智は人性の綱」です。「天道の常」とは、何ですか? 人ではありません。天の運行法度を中心として、人格的な神様を捜し出すことができなかったので、その宗教(儒教) は、世界を治めることはできません。「修身」はしましたが、「斉家」はできませんでした。 それでは、何をもって成しうるのでしょうか? 修 養をしても、天は同伴しません。それゆえに、孔子も、わたしたちの「原理」を聞いて、わたしに、「百年、千年の恨を抱いたものを解怨することができるものを知ったので、文総裁、どのような命令でもしてください。」と言うのです。 その話を聞いて、気分が良いでしょう? 本当は、その話がうそであったら、気分が良いのでしょう? 気分が良いですか、良くないですか?(「良いです。」) 特に「平和大使」は、気分が良ければ、一度、拍手してみてください。(拍手)他の人は、しないでください。 神様は、「わたしは、真なる息子、娘を愛することができない悲惨な父である。」とおっしゃるのです。堕落によって、息子、娘を失ってしまわれたのが、神様の立場です。分かりますか? 神様は、息子の真なる妻、娘の真なる夫の主人を策定してあげることができなかった“父”であられるの です。それは、驚くべき話でしょう? それも、一代、二代だけではありません。三代までをも失ってしまわれたのです。 アダムとエバが、いくら結婚して祝福されたとしても、子供を生むことができなければ、その代が断ち切られてしまいます。いくら豊かに暮らし、いくら仲むつまじく、万年の誓いを立てて唱え、その看板をつけて誇ったとしても、息子、娘がいなければ、一代で終わるのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです。」) 独りで暮らした寡婦は、天国に入れません。独りで暮らす殺人者は、地獄の底に行きます。行ってみてください。わたしの話が正しいでしょうか、正しくない でしょうか? それでも、社会的にりっぱであれば、そのような人であっても、町内では称賛される人たちなのでしょ う? 一週間の修練をしてみなさい、というのです。 しますか、しませんか?(「します。」)しますか、しませんか? このおばさん。(「します。」)ここのおばさんのことです。(笑い) あなたは、統一教会の人ではないですか? 「平和大使」ですか?(「はい。」)おしとやかで、きれいな 人ですね? 自分が美人であるといって、男性も大学以上、出世した男性の所に嫁いでいこうと・・・・・・。 この人が夫ですか? いや、この人の夫のことです。来ていないのですか? 祝福を受けましたか?(「は い。」)いや、この男性と女性のことです。(「はい。受けました。」)男性は、どこにいるのですか? (「来ていません。」) ですから、独りで来たので、夫が来ることができなかったではないですか? 祝福を受けたので、今から 家に帰って、説得するのが大変ですね。(「しなければなりません。」) もし、説得できなかったら、どうしますか? 夫にのしかかって、何をするのですか? (「必ず説得しま す。」)自信がありますか?(「はい。」)そのような自信を持っていれば、女権時代の女王様ですね。それでも、かまわないでしょう。分かりますか? これから、皆さんは、決意しなければなりません。 「神様を救ってあげなければならない。」、「私が息子ならば、神様の所願を成就してさしあげなければならない。」、「私によって、初めて神様が息子と見なすことができ、神様から『息子の王になった。』とおっしゃっていただくことのできる息子になる。」と。 どうですか?(「ならなければなりません。」)それを願う人は、手を挙げてください。他の人ではなく、こちらの人です。 また、娘においても同様です。神様は、投入して忘れ、苦労を耐えて、耐えて、耐えて、千里の遠征を十里よりも近いと思って訪ねて行かれました。そのような父の娘として、そのおかたの前に、神様が願われる孝女とならなければなりません。また、そのように思うことのできる人とならなければなりません。女性たちが、しなければなりません。 しかし、女性たちだけでは、孝女になることはできません。孝子を迎えた後に、孝女になり始めるということを知らなければなりません。それは、どれほど驚くべきことでしょうか? わたしは、このようなことをはっきりと知っているので、サタン世界の絡まった すべてのものを、逆さまにして解いたのです。 わたしは、釣りを上手にやりますが、網も上手に引くのです。わたしにできないことは、ありません。漁夫ならば漁夫の親分であり、山に行けば、猟師の親分であり、土俵に行けば、相撲もうまいのです。運動も上手です。そのように見えますか?(「はい。」)身の動きは、今でも速いのです。鉄棒をしていたので、塀も、さっと越えていきます。 神様は、投入して忘れ、千里の遠征を一日のことのように思って期待されながら、万里、億万里を訪ねて来られました。そうして、そのようにされながらも放棄せずに、ご自身の娘を迎えて解放の王侯にして、解放の王子をつくり、その家庭において、一度、愛を受けて暮らしてみたいと思われたのです。それが、神様の願いです。 ですから、女性として生まれた以上、全世界的なある一つの代表が出てきて・・・・・・。 創造理想とは、そのようなものではないでしょうか? それができていないのですから、祖国が、どこにあるでしょうか? 天下を持って、何をするのですか? それは、神様が息子、娘のためにつくられたので、息子、娘を愛さなければならないでしょう? それが、神様の立場です。 国を失ってしまった悲しみ、息子、娘を奪われた悲しみ、一族を滅ぼされた悲しみ。この一国、この天下が、サタンの王権を支持するようになってしまったのですが、その悪の世界版図をごらんになる神様の視線が、どのようなものであり、心は、どのようなものであろうかというのです。 ですから、町内のかわいそうな女性を見れば、「神様の身代わりになって投入して、さらにそれを忘れなければならないな。私が、責任を持って、代わりにいたします。」と言うことができなければなりません。神様の愛することができる息子の位置が、ますます上がっていき、娘の位置が上がっていくのです。 それゆえに、「ために生きざるをえない」という論理が、理論的な結論とならざるをえません。(「アーメン。」)(拍手)簡単です。一番の問題は、自分からです。心と体は、どちらが主体ですか? 心が主体なので、強制的に体をたたきつぶすのです。そのために、宗教は、 体が願う・・・・・・。 この体は、食べて、寝て、飲んで、踊りを踊ることを好むのです。それは、“亡国の種”です。地獄に引っ張っていきます。ですから、「できない。こいつめ。」と言って、ここにブレーキをかけなければなりません。 体は、悪魔の舞踏場です。それが分かりましたか?(「はい。」)(あなたは、)酒場を好むのではないですか? 立てば、歌もうまそうですね。(「歌います。」)では、一度、 歌ってみましょう。(笑い、拍手)歌ってみてください。歌ってみてください。立って歌えば、わたしのマイク に声が入ります。(「別のマイクが、ここにあります。」) (「ありがとうございます。」)(「先駆者」という歌を歌う) 声が良いですね。(「アンコール」の声)「自分たちが歌う。」と言って、騒いではいけません。わたしの話が途切れてしまうではないですか、この者たち。この人は、特別に歌がうまそうなので、立たせて歌ってもらったのですが、歌がうまいですね。(「いいえ。」)(笑い、拍手)なぜ、このように騒いでいるのですか? わたしは静かにしているのに。見てください。 皆さんには、上流層、中流層、下流層があります。 神様の関心事は、上流層ではありません。下流層です。あの地獄を、どのように楽園に連結させ、かの楽園をどのように天国に連結させるのか? それが、神様の願いです。そうでしょう? 本来、創造理想とは何かというと、息子、娘は、すべて結婚して暮らし、その家庭が、そっくりそのまま天国に入っていくはずなのですが・・・・・・。 しかし、現実は、(霊界に)入っていくとしても、別れて入っていくのです。この悲惨な事情に対する神様の心は、どのようなものであったでしょうか? その心には、平安な日がなかったということを知らなければなりません。このことを知っている統一教会の教会員たちの中に・・・・。ここに、一万人以上の人たちが集まったのですが、"一心一体一念”で統一されることを願えば、三千里半島は、一瞬のうちに統一されます。皆さんが、愛することにおいて、だれをいちばん愛しますか? 親ですか、妻、息子ですか? もう一度、考えてみてください。妻、息子ですか、それとも、親をもっと愛しますか? きょう、わたしが話をする題目は、「祖国と父母と長孫」というものです。神様に、祖国がありますか? 天の国に、父母がいないでしょう? 天の国に、長孫 (長男の子供、「初孫」)がいないでしょう? 長孫と長女(長男の長女、「初孫娘」)です。このみすぼらしい人たち。監理派教会が、長孫になることができますか? 仏教もなることができず、すべてなることができません。大韓民国が、南北統一、祖国光復されて、国を取り戻しましたか? 祖国がありません。先祖が、 いません。父母がいません。 以北(北朝鮮)では、故金日成主席のことを親であるというのですが、韓国は、どうですか? それでは、 金日成主席のほうが、よいでしょう? 人民を息子、娘であるとして命令すれば、絶対服従することができ るようにしたので、行く道は反対ですが、影の姿にはなりました。それで統一・・・・・・。 最後になれば、逃げていかなければなりません。祝福を受けたその祝福が、なぜ貴いのかというと、サタンは、神様の反対側に立って結婚し、血統を受け継がせていったので、これは、天の側の・・・・・・。これは、歴史始まって以来、初めてです。神様の側で祝福を受けて、血統を受け継いだのです。 それで、サタンの血統と神様の血統は、百八十度反対です。祝福を受ければ、サタン世界のすべての個人的サタンの反対圏から家庭、氏族、民族、国家、世界までも反対しています。ですから、すべて荷物をまとめて、出ていかなければなりません。分かりますか? サタン世界の血統を通じた愛を中心としたものが、 ブラスであるとするならば、それは、プラスダッシュ ('+)です。本来のブラスではありません。これが、 神様の血統を中心として、祝福を受けた本来のプラスです。ブラスとブラスは、引き合いますか、反発しますか?(「反発します。」)反発します。反対です。 今回、祝福を受けた人は、この国の闘いの世界において、「私を見習いなさい。」と言って、それらを一つにしなければなりません。「皆さんと私は、百八十度、 方向が違う。私は、昔、酒をよく飲み、飲む、打つ、 買うの一等の功臣だったが、今では、たばこが怨讐である。」と言うのです。 たばこを吸えば、手にくっついてしまいます。先祖が来ます。酒を飲めば、舌が固まります。それでも飲 みますか? それから、はらわたがねじれます。神様が、愛されなくなるのです。サタン世界の僕は、神様とは関係がないというのです。 先生のような人は、酒を一杯でも飲めば、問題が起きます。分かりますか?(「はい。」)たばこを吸えば、 問題が起きます。唇が泣きます。それで、どのようにしてたばこを吸うのですか? どのようにして浮気をするのですか? 反対の立場で・・・・・・。 世の中の大使たちは、国の名を売り飛ばして、あらゆる盗っ人のようなことをするでしょう? これは、 どろぼうしなければなりませんか? どろぼうの反対が何ですか? 孝子、忠臣、聖人、聖子にならなければなりません。 イエス様も、自分の体を売り渡しながら、自分が死んでいきながらも、ローマの怨讐を愛そうとされました。自分の財産、自分まで与えてでも、"怨讐を消化しなくては、自分が占めることができる世界版図はない。”と考えたのが、キリスト教の伝統的思想です。 それであるにもかかわらず、このどろぼうのような者たちが集まり、詐欺師たちが集まって座り、「統一教会は、滅びなければならない。」と言っています。だれが滅びるのか見ていなさい、というのです。 最近では、反対していた者たちが、わたしが王権樹立や祖国定着や、神様の王権定着、天宙平和統一国を宣布したので、口を開けずに、黙っています。どれ、出てきてみなさい、というのです。 わたしが、この国で、何か間違ったことをしましたか? ですから、話してみようというのです。話せば、十分もたたずに逃げていき、わたしが尋ねれば、 三言も答えることができないのに、座って、大きなことを言っても、だれが理解してくれるでしょうか? 世の中に、「死ぬ、死ぬ。」と言いながら、(実際に)死ぬ人がいますか?「生きる、生きる。」と言いながら死ぬのです。分かりますか?(「はい。」)死の場で、「生きる、生きる。」と言いながら、死ぬのです。そのことを、はっきりと知らなければなりません。 自分が、死の病にかかっているのかどうか、また、自分自身がどこにいるのか、ということを知らなければならないでしょう? 心(の状態)が、平和ではないのではないでしょうか? わたし、文総裁は、世界から悪口を言われて歩き、監獄に行っても、わたしは太平です。そこで神様の法度に従って、神様をお迎え して暮らします。(拍手)<その4/4へ続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 第一の問題が、神様の祖国がどこにあり、神様が愛することのできる父母がどこにいて、神様が愛することのできる長子がどこにいるのか、ということです。 長子でも次子でも何でも、すべて地獄に逆さまに放り込まれるような 群れでしょう? そのようなケースで見るとき、この中で、"長子権、 父母権、王権を相続しよう。”という自信を持った、りっぱな人が一人でもいますか? 手を挙げてみてください。わたしが質問します。それらは、掃きだめのようなものであるということを知らなければなりません。 分かりますか?(「はい。」) 今のこの社会の悪の群れたち。百八十度、反対に行かなければなりません。そのようにしながら、彼らを感動させていく群れが、天の国の大使たちです。「平和Family 2002.3 50
2024.08.10
コメント(0)
「神様王権即位式」一周年記念礼拝の御言「祖国と父母と長孫」(その2/4)二〇〇二年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 今年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿において、「神様王権即位式」一周年の記念行事が行われました。 この日、会場には、全世界から集まった教会責任者のほか、「『平和大使』修鍊会」に参加中の「平和大使」、第四次「世界入籍祝福家庭夫特別修錬会」の修練生、第四百九十九次「清平特別祈祷修錬会」の修練生たちが参席しました。また、この日が聖日であったことから、韓国全土からも大勢の教会員たちが集まりました。 このみ言は、当日、午前十時から行われた記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、整理したもので 文責・編集部)<その1/4よりの続き> その後ろの方に座って、居眠りしている人たち。目を開けなさい、というのです。わたしの話が、聞こえますか?(「はい。」)この者たち! 皆さん(「平和大使」)ではありません。統一教会の人たちです。(笑い) 「ああ、これは、(平和)大使たちを集めておいて、「この者たち」とは、何だ?」と言うでしょう? それは、わたしの年齢から見れば、皆、子供に当たる年齢ではないですか? 違いますか? (「そのようにおっしゃるので、もっと面白いです。」) ですから、統一教会に入ったために、たたかれて家から追い出され、父母、おじいさん、三代が反対し、「荷物をまとめて出て行け。」と言われて追い出されたとしても、それでも行くのです。 「私の行くべき道がある。お父さんよりも、もっと面白く、おじいさんよりも、もっと面白く、妻よりも、 夫よりも、もっと面白い所があるので、私は行く。世の中よ、さようなら。」と言って、反対されても行くのです。 そのようにして行こうとすれば、ガスを噴いて飛んで行くことができます。そうして、ぶーんと空に浮かんで、「別れを告げます。今からは、汽車の汽笛を鳴らして、故郷に錦を飾る日を待ってくださいますように。」と言うのです。 世の中で、わたしを好む人は、いません。米国は、三十年間、わたしに反対して、今では、わたしに完全に両手を上げました。文総裁に対してドイツが反対し、 フランスが反対しましたが、「こいつめ、文総裁夫妻に対して、なぜ、入国を許可してあげないのか?」と言って、国務省が降伏文書を出し、米国政府が降伏文書を出すことができるようになったのです。 そのようなことを信じますか? 老人たちは信じていないのですが・・・・・・。ここにいる若者たちは、尋ねる必要がありません。ここにいる年を取った人たち、お じいさんたち。そのようなことを信じますか? 小学 生よりも謙遜ですね。(「はい。」) ひげを見ると、少し申し訳なく思いますが、目を見ると、ぴかぴかと輝いて、元気があふれ出ていますね。そのように理解して、喜んでください。 どこに行っても、わたしは、「재미(チェミ)」を創造する男です。そのように生きてみると、文総裁は、世界的な尊敬の対象になりました。事実、そうです。ところが、 韓国人が、わたしのことを知らないのです。その歴史をひもとけば、すべてが、さっと引っ繰り返るというのです。わたしが何をしたのか、知っていますか? わたしが手を出さなかったところが、どこにありますか? 学校が、ないでしょうか? ごろつきが、いないでしょうか? 革命軍が、いないでしょうか? 四十日間、パンツだけをはいて、銃を持ち、食べる物はありません。捕まえて食べるのです。蛇も捕まえて食べ、あらゆるものを捕まえて食べるのです。 そのようにするので、自然の友達になります。自然の友達です。分かりますか? 水の友達です。暑い所 での良き友達は、水の友達です。暑い時に、「やあ、水よ。本当に面白い。」と言うのです。おなかがすいたとき、りすが、どれほど面白いでしょうか? 焼いて食べると、本当においしいのです。 また、草があって、陰になってくれるので、どれほど面白いでしょうか? 何でもあらゆるものが、「재미」 の材料です。 ですから、だれよりも自然を愛することができなけ ればなりません。自然を創られた神様を知っています か? それで、統一教会は、「自然に帰ろう!」と言うのです。ですから、文総裁は、釣りも好み・・・・・・。 今では、船を造ることにおいても、韓国のだれにも劣らない大きな船を造っていますが、戦艦や秘密艦艇を造る技術は、わたしにはかないません。なぜでしょうか? 統一教会の文総裁の弟子は、船を造る弟子が世界じゅうに満ちあふれているのです。分かりますか? 飛行士も満ちあふれています。 知らない人は滅びます。力のない人は滅びます。無知な人は滅びます。賢く、優れていなければなりません。素晴らしくなければなりません。力がなければ、 どこかに行って、一言、言えば・・・・・・。 どこかに行って、正しいことも話すことができないのが、素晴らしいのですか? 激しく受け答えするこ とができなければなりません。さっさっさっと、解決することができなければならないのです。そのような背景を持って、三十年間、反対してきた米国を、完全に支配してしまいました。それを尋ねてみなさいというのです。 ここに、情報員たちが来ていますね? FBI(米 国連邦捜査局)の情報員たちです。文総裁が、公人としてこのような話をするので・・・・。 文総裁が、今、話していることは、約八か所の情報庁が、その音波を捕らえ、周波数を合わせて、すべて入力するようになっています。十五分後には、英語で上部に報告するようになっているのです。 この者たち。報告して、何をするのですか? 正し いということを知りながらも、従って来なければ、国が滅びるのです、この者たち。正面から攻撃してしまいます。 その使っている国費のようなもの、それは皆、公金略取です。公金を、なぜ消耗するのですか? わたし は、米国を滅ぼそうとはしません。宗教を滅ぼそうとはしません。最近のテロ団の隊長が、だれですか? 何ラディンですか?(「ウサマ・ビンラディンです。」) ビンラディンです。的が外れましたね。ビンラディンというのですから。(笑い)そのような話をしようとすれば、切りがありません。 そのように理解して、"今から故郷に帰れば、面白い事件を起こすことができるチャンピオンになってみよう。” と思う人は、もう一度、手を挙げてください。その方法と論理は、簡単です。よりために生きる人が、主人になるのです。 ですから、国会議員を好むのは、やめなさい。この者たち。漢南洞に、ありとあらゆる名前をつけた人々が、「政治をします。」とあいさつをしに来るのです。 やめなさい! この者たち! 今回、政府の選挙基金が、どれくらい吹っ飛ぶか、知っていますか? 四兆ウォン以上です。わたしが、 秘密裏に調べました。そのお金を、かわいそうな人たちに上げなさい! そして、目を閉じて、皆さんの心 の中で、大統領として良いと思う人の名前を、だれでもよいので、書き出すのです。 そして、そこでいちばん票の多かった人を大統領にさせれば、選挙を百回するよりも良いということを知らなければなりません。「平和大使」の皆さんは、そのようなことをさせれば、しますか、しませんか? しますか、しませんか?(「します。」) わたしが、降りて行って、処理しなければなりませんね。しますか、しませんか?(「します。」)このおじいさんも?(「はい。」)するのですか、しないのですか?(「します。」)わたしは、目を合わせて、「しますか?」と言っているのに、なぜ、目を合わせずに 「します。」と言うのですか? 目を合わせて、初めてすべてのものが、相対になるのです。 さあ、それでは、「自分が偉い。」と言って誇る世の中で、なぜ、ために生きなければならないのでしょうか? ために生きる人は、親分になるのですが、何の親分になるのかというと、財政の親分になり、金庫を守ることができる親分になり、国の大統領の候補者になるのです。 ですから、いくら「やらない。」と言って逃げても、ホメイニ師を捜し出して、彼をイランの最高指導者にしたように、それ以上になります。それは、可能性のある話ですか? 一代、二代、三代まで、やってみなさい、というのです。そのようになるでしょうか、ならないでしょうか? なりますか、なりませんか? この者たち。(「なります。」) 「この者たち」という言葉を悪く考えないでください。すべての被造世界は、ペア・システムになっているのです。(「この者たち」という韓国語が、韓国語の「 ペア、組」を表す言葉と発音が似ていることから) (笑い、拍手) サタンは、"ペア”を最も嫌うのです。サタンは、「別れなさい、別れなさい。」と言うのです。ですから、「おい、統一教会のこの者たちめ!」と、(韓国語で) 言っても、それがいちばん良いという(意味になる) のですから、不思議な群れでしょう?(笑い) 本当にそうです。 サタンは、何ですか? 「下品な言葉だ。」と言うでしょう? このように、詐欺を働いたのです。いちば ん良いものなのに・・・・・・。動物世界も、そうではないですか? お互いに愛し合い、"初愛”をして、巣を作り始めたら・・・・・・。 貴族の面前で、トゥルマギ(韓服の外とう)をひとたび着て、それを脱いだりすれば、“家門の教育を受けていない人である。”と思われるかと心配して、暑くても汗を流しながら・・・・・・。(ジェスチャーされる)(笑い) ですから、よりために生きるのです。分かりますか? 反対ですが、それは、すべて未来について見れば、歴史は、そのような人を、必ず必要とするのです。 それを“嫌だ。”と思えば、すべて滅びますが、そのようにすれば、いつか必要とされるようになるのです。 そうして、世界が推載して、神様が訪ねて来られ、その人を立てて、勝利の覇権を立てると同時に、立て札、碑石、銅像を立ててくださるというのです。関心がありますか、ありませんか?(「あります。」)おばさんたち。おばさんたち!(「はい。」)おばさんたち! (「はい。」) ここにいる人たちは、答えているのに、なぜ、ここは答えないのですか? わたしが、あちらの方ばかり 見て話をするので、ここは、気分を悪くしたようですね。そうではありません。右側を育てるのは、左側を保護するためであるというのです。こちらを、このようにするのは、これを保護するためなのです。売り飛ばすためではありません。 水を少し飲みましょう。続けて話をするので、口が渇きました。水を飲みますよ?(「はい。」)「飲みなさい。」と言うのですか、「飲むな。」と言うのですか? (「召し上がってください。」)それでは、許可を得て水を飲みます。(拍手) (水を)持って歩いても、よいでしょう? 激しく語れば、三言に一口は、水を飲まなければなりません。 激しく結論を下しましょうか、さささっと、適当に、ぼんやりと、手ぬるく結論を下しましょうか? おじ さんたち!(「はい。」)どのようにすれば、よいですか? コップを持って、水を飲みながら失礼をしたと しても、許して喜んでくださいますか?(「はい。」) わたしの代わりに、口を開けてください。口を開け てみてください。蕩減しなければなりません。蕩減ドリンキングをするのです。わー!(拍手) このようにすれば、神様が福を下さいます。飲むのは、神様が飲まれるのです。蕩減して、何をするのでしょうか? 神様を解放しようというのです。他の話は、長くしません。分かりますか?うして………………。 ために生きる者が、親分になる、ということです。 何の親分でしょうか?『面白い親分です。一度、言ってみてください。(「“面白い親分”。」)一度、目を閉じてください。心に手を当てて、面白い親分になりたいと思わないのか、思うのか・・・・・・。 “なりたい。”と思う人は、右手を挙げて、“なりたい。”と思わない人は、左手を挙げてください。わあ! 正しく聞いていることは聞いているのですね。分かりました。 さあ、なぜですか? どうしてでしょうか? どうして統一教会のレバレンド・ムーンは、そのように生きなければならないのでしょうか? 重要な問題です。 それは、統一教会の定礎石が置かれた所をいうのです。よく聞いてください。どうしてですか? 神様は、どうして……。 見てください。「絶対信仰」、「絶対愛」・・・・・・。さっきのは、だれですか? 金興泰氏! (「はい。」)仁川から来たのですか?(「はい。」)国家メシヤの中で、仁川の人たち、手を挙げてください。文総裁に感謝して、 表彰状を一つ作るというのですが、「絶対信仰」、「絶対愛」、それから何ですか? (「「絶対服従」です。」)「絶対服従」を抜かして、「従順」にしました。わたしは、 それを見るとき・・・・・・。 ”従順”とは、順理的にこうすることもでき、ああすることもできるのです。「私は、あなたに従順にします。」 ということには、相対的概念があります。しかし、”服従”ということには、相対的概念がありません。 家庭に入って行って、”従順”ではなく、“服従”という概念を失ってしまって、暮らしている人たちがだ れかというと、親だったのです。アーメン。正しい話ですか、正しくない話ですか? 町内のお金持ちの息子、娘は、このように年の初めが来ると、どのようにしますか? 親は、自分の息子、娘をだれよりも愛しているので、“だれよりもりっぱな環境、りっぱな立場に立てたい。」と思うのです。 そのような心が親の心なので、買ってあげた礼物を持って、十年、二十年間、待ち、“だれよりもりっぱな贈り物、この町内のだれよりも誇ることができる贈り物を与えよう。”とする心で贈り物を買い、それを子供に与えるのです。 ところが、そのときに息子が、「これは何ですか? 自分の友達のだれだれは、このような何々をもらい、このような贈り物をもらったのに。お父さんとお母さん。これは、何ですか? べっ。」と言うとき、その両親は、どのように思うでしょうか? 贈り物一つを「嫌だ。」と言っても、親は、すっかり落胆するのに、贈り物だけではなく、結婚も自分勝手 にし、自分勝手に暮らし、家も、土地も、自分勝手に売り飛ばしてしまったとしたら、どうでしょうか? このような放蕩息子の姿を見るとき、その親の胸は、どれほど痛むかというのです。痛むでしょうか、痛まないでしょうか? “胸は痛まない。”という人は、死んだほうがましです。そのような人は、廃棄物のごみ箱にほうり込まなければなりません。たとえ千万人を超えても、そのようにすることができるのが、親なのです。 皆さん。そのような思いが、あるでしょう??全員、あるでしょう? このおじいさんも、あるでしょう? 六十八歳ですか?(「六十七です。」)七でも八でも、同じではないですか?(笑い) ですから、計算的で打算的なので、"一銭でも損したくない。”というのでしょう?人は、時には丸く生きなければなりません。角ばって暮らしたいですか、丸く暮らしたいですか? 丸くなければなりません。 丸く暮らせば、あっちに回りながら入ってきて小さくなり、出ていくときには、もっと大きくなるのです。天地の運動法が、そのようになっています。物理学を学んだ人たちは、分かるでしょう? さあ、今、ここに集まった統一教会の群れたち。先生の悪口を言わせた群れたち。「不孝者である。」と言われて、(父母たちが、)「ああ、文総裁は、私の息子、娘をどろぼうして行った、どろぼうの王だ。」と言って、全国的なデモをしたのです。 皆さん。そこに加担した人たちは、皆、ここに来たでしょう? 文総裁と統一教会の話を聞くたびに、文総裁はりっぱであると思い、きょうのように、“お父様である。”と考えた人が、どこにいますか? 一人もいないので、悪口を言っても、引っかかりません。分かりますか?(「はい。」) 日本の者も、米国の者も、ドイツの者も、ロシアの者も、中共の者も、同じです。韓国の者もです。韓国の人たちは、本当に驕慢です。「日本のやつ」と言えばよいですか、「日本人」と言えばよいですか? 「中国人」がよいですか、「中国のやつ」がよいですか? 「米国のやつ」がよいですか、「米国人」がよいですか? 見てください。堕落した世界の国というものは、日本の国があり、米国の国があり、中共の国があります。 「日本人」と言うことは、“日本”という国を認めることです。日本の国が、神様の国でしょうか? それを否定し、中共の国をすべて否定し、米国の国を否定し、それ以上に良い国を建ててあげることができる米国の "놈(やつ)” ……。 (韓国語の)「놈(ノム「野郎」、「やつ」の意)」を少し変えれば「님(ニム「様」の意)」です。そうすれば、「米国様」となります。(笑い)そうではないですか?「やつ」 がよいですか、「様」がよいですか?(「「様」がよいです。」)「様」がよいでしょう? 韓国の人は、「様」 を好むでしょう? しかし、両班 (高麗、李朝時代における特権的な身分階級のこと)様、 それは半分です。(韓国語の「両班 [양반]」を「量 [양]」 が「半[반]分」であると比喩して)それは、いつでも分けて食べる立場です。完成の“三”にもなれずに、 "一・五”で大きなことを言っています。 神様がごらんになるとき、米国の国を愛されるでしょうか? 何ですか?(「愛されません。」)なぜですか? なぜですか?(「道徳的に堕落したからです。」) 堕落した子孫であり、悪魔に支配された血統になっているので、米国の国も、このままでは滅びなければなりません。日本の国も滅びなければならず、韓国の国も滅びなければならず、ドイツの国も滅びなければならず、中共も滅びなければならず、ロシアも・・・・・・。 思想的に神様に属していないすべての国は、滅びざるをえません。これは鉄則です。文総裁は、はっきりと、そのことを知っているので、滅びる国は相手にしませんでした。分かりますか? 発展する国を相手にするというのは、どういうことでしょうか? わたしは、米国に行って、三十年間、迫害を受けました。米国は、わたしを監獄にまでほうり込んで祝宴をしたのです。しかし、わたしは、監獄から出てきて、 ブッシュ大統領を当選させてあげました。レーガン大統領は、わたしが大統領にしてあげたのです。行って、 尋ねてみてください。 それは、どのようにしてでしょうか? 何を、どのようにしてでしょうか? 神様の御名によって。カー ター大統領の首を、だれが切ったのか、知っています ? カーターというのは、切る機械です。レバレン ド・ムーンは、カッターです。「カーターの未来を切る。」と言って、首を切ってしまいました。(笑い) このカーター大統領。彼の(在任の)時に、十四か国が共産化されました。わたしが、壇上で、「この者め。 追放してしまいなさい。」と言ったのです。そのようなことを、全く知らないでしょう? 悪く言われるようなことをしましたか、称賛に値することをしましたか? CIA(米国中央情報局)であれ、米国政府であれ、わたしの言うことを聞きなさい、というのです。この者たち。このような話は、きょうの皆さんに対しては、 失礼ですね。気分を悪くしないでください。 この(平和)大使たち。「わたしの言うことを聞きなさい。」と言えば、聞きますか、聞きませんか? 聞きますか、聞きませんか?(「聞きます。」)開くというのならば・・・・・・。 ここは、「前を二列にして、この前に全員、座りなさ い。」と言ったのに・・・・・・。手を挙げてください。挙げていない人を見てみましょう。(笑い)なぜ、手を挙げないのですか? 全員、嫌だ」ということではないですか? この若い人が、先に手を挙げなければならないでしょう? さあ、これくらい言えば、手を挙げますか、挙げませんか?(「挙げます。」)挙げてみてください。(そうしなければ)制歳を受けます。(笑い)強制してでも、 そのようにすれば、国を救えます。(拍手)国が生きるのです。そのようにすることのできるチャンピオンが、 大韓民国にいますか? いないので、このように締めあげてでも、つくろうとしているのです。(笑い) 一度、やってみる価値がありますか? 今回の大使たちは、国会議員の先生にならなければなりません。だれよりも思想的なすべての・・・・・・。どこのだれであろうと、行って、理論的に屈伏させてしまい、「このようにしなさい。こいつめ!」と命令しなければなりません。 そのとき、僕に命令しても「はい。」と言い、使い走りに命じても「はい。」と言い、弟に命じても「はい。」 と言い、父親にまで命じても「はい。」と言ってこそ、 国を救う時が来るのです。 わたしは、世界的な戦略家を数千人、教育させました。その名前を出せば、引っ繰り返るでしょう。ここで今、霊界で、何がどのようで、このようでと・・・・・・。 今回、イエス様の十二弟子から来た霊界のメッセー ジを伝達しましたか? 聞きましたか?(「はい。」) 聞きましたか、聞いていませんか?(「聞きました。」) その内容は、うそではありません。真っ赤なうそではありません。(「違います。」)何ですか?(「本当のことです。」) この人は、あなたは統一教会の教会員だからでしょう?(笑い)見て、聞いて、すべて体験したので、そのように言うのではないですか? ここにいる素人たちに、何が分かりますか? 霊界を知っていますか? 哲学をしている人に、「本当に神様を知っていますか?」と言えば、逃げていくのです。「私が教えてあげ ます。」と言っても、逃げていくというのです。神様を知らなくて、天国に行けるでしょうか? 天国のことを知らないで、天国に行けますか? 故郷の地を知らないで、故郷に行けますか? 故郷とは、何ですか? 人は、故郷の山河を慕わしく思います。それこそが故郷であり、祖国の故郷と言 えるのですが、故郷を慕う心がないままに、そこに行けば、追い出されるのです。分かりますか、分かりませんか?(「分かります。」) (答えない人をごらんになって)なぜ、答えないのですか? (「分かりました。」) そこは、だれの夫人ですか? 自分の妻ですか? 後ろは、だれですか? どこですか? 既成教会に通っているようですね。目が、このようになっているのを見ると。(笑い)わたしを見詰める目が、このようになっ ているので、既成教会に通っているのでしょう? (笑い) なぜ、笑うのですか? そのように観相を見ることもできるので、たくさんの若い青年たち、数十万人を 一度に結婚も・・・・・・。一日に一万双、十万双の祝福をするのは問題ありません。 昔、李명학という、韓国で有名な人がいました。この人は、わたしよりも優秀であると、言っていましたが、わたしが行けば、「ああ、新公子様、来られましたか?」と言って、敬礼するのです。 わたしが、「あなたは、一双結婚させるのに、どのくらいかかりますか?」と言うと、「一週間かかります。」 と言っていました。その人が、「文総裁は?」と言うの で、「普通は百双、千双は問題ありません。」と言いました。 それで、その人の言うことが、「私は、(あなたを)新公子として崇拝します。み旨を成して万民解放され、 天の王国を成してくださいますように。」ということでした。そう言って、死んだというのです。(拍手) 拍手をしようとするのならば、大きくしなければならないでしょう? それなのに、これは何ですか? (拍手) 拍手するときに、”水を一杯飲もう。”と思っているのです。耳あたりが良いですか、悪いですか? この人は、お坊さんですか? お坊さんのようですね。お坊さんですか、違いますか?(「はい、少し僧侶をしました。」)目が、このようになっているのを見ると、修要を積んだ顔をしていますね。(「とてもうれしく思います。」)(「先生に近くでお会いすると、とてもお若いです。」) ですから、“これから結婚しよう。”と思っているのです。(笑い)(「いけません。真の父母でいらっしゃるのに。」)真の父母が子供をたくさん生めば、よいではないですか?(「お若いので、うれしく思います。」) 何ですか? あなたは、夫がいますか? だれが夫ですか? だれが夫ですか? この人ですか?(「夫は、いません。」) 寡婦だから、そのようなことを言うのでしょう?何ですか? 死んだのですか? 離婚したのですか?(「亡くなりました。」) 死んだのならば、かわいそうですね。おばさん。一人で暮らしているので、さみしいでしょう?(笑い) 尋ねているのです。(「あまりにもお若いので・・・・・・。」) いや、「一人で暮らしているから、さみしくないですか?」と、尋ねているではないですか? この人は。(笑い) 妹以上の立場に立ちますか?(「私は、つい三年前までは、先生に対して拒否感がありました。しかし、 今回の〔平和〕大使教育を受けて、インドの哲学者を思い出しました。”東方の光”が、正に先生……。」)そのような話は、しないでください。 わたしは、(自分のことを)最も愚かな人だと思っているのです。貧しい村を訪ねていくことを好み、酒場に行って、反対するのを好むのです。そうして、その場を掌握して、論争して言うのです。 「こいつめ。豊かに暮らしている者が、もっと酒を飲んで、狂って死ぬだろう。」 「それがどうして分かるのか?」 「酒を飲んで、三軒ほかの家に迷いこんでから、妻の所に帰るのではないか?」 「どうして、それが分かるのか?」 「見もしないで分かるから、今まで統一教会の“万年教主”をしてくることができたのが分からないの か? こいつめ。」と言うのです。 わたしは“万年教主”」です。わたしから教主を奪おうとした人は、一人もいなかったのです。一度、奪ってみてください。この人は、そのようなことに度胸がありそうですね? 何か役職につきたいでしょう? 尋ねているではないですか?(「しなければなりません。」)詐欺性が濃いですね。(笑い)さあ、そのような話をしていては、話の結論を下すことができません。 なぜ、ために生きなければならないのでしょうか? これが、重要なことです。神様が、なぜ、ために生きられるのかというのです。なぜ、ために生きなければならないのでしょうか? 親だからです。また、男性と女性の主人でいらっしゃるからです。分かりますか? それは、神様が親であり、男性と女性の主人でいらっしゃるからです。また、一生、千年万年の歴史を経て、真なる男性と真なる女性を教育するために、多くの精誠と努力を注いでこられたからです。考えてみれば、驚くべき話ではないでしょうか? これは、あぜんとするような話なのですが、神様が、それを継続される理由は何かというと、“愛の相対、愛の主人に、一度なってみたい。”ということです。分かりますか? 神様は、"真の愛の主人になってみたい。”と思われたのです。そのようになろうとすれば、創造理想を知らなければなりません。愛というものは・・・・・・。 皆さん。妻がいるでしょう?(「はい。」)妻です。かわいがっていますか?(「時々、離れて暮らしています。」)お酒をよく飲むでしょう? たたいたことがあるでしょう? 尋ねているではないですか?(「以前に、たたいたことがあります。」)なぜ、たたいたのですか、この人は。(笑い、拍手)これが教育です。 ですから、どれほど嫌でしょうか? 面白いですか、面白くないですか? 面白くないでしょうが、わたしは、本当に面白いのです。なぜかというと、何回か、三回だけでも、このようにすれば、もう、そのようにはしないからです。しないようになるのですから、続けて(教育)しなければなりませんか、してはいけませんか? もう、以前のようにはしない、ということを知って、続けて(教育)しなければなりませんか、してはいけませんか? この者たち。(「しなければなりません。」) 米国でも、そうです。わたしが大会をすれば、いつも、早朝に前に出てきて(前の席に座ろうと)争っています。ここに、ヨーロッパのメンバーがいますね?いつでも、そのような問題が起きます。 先生が話をしていると、つばが飛ぶのですが、それを、さっとハンカチに包んでいくのです。わたしは、 それを研究しても、なぜ、そのようにするのか分かりません。どうかしているでしょう?(笑い)どうかしているにしても、普通ではありません。そこに、父母の言葉が通じるでしょうか、国の法が通じるでしょうか? 効く薬といえば、文総裁が一言、言えば、患っていた人が、すっくと立ち上がるのです。一度、そのように生きていけば、どのようなことがあるか、分かりますか? 神様とともに語る、その言葉の響きが、共鳴圏を通して宇宙に広がっていくのです。放送されるというのです。「韓国の義なる息子がいる。娘がいる。」 と言うのです。 ですから、先生に関して啓示を受けた人がたくさんいます。皆さんに関して、啓示を受けた人がいます か? 啓示を受けて、訪ねて来た人に会ってみましたか? わたしは、道を歩いていても、何度も、祝宴の食膳にあずかって食べました。 ある人に、早朝、その人の先祖が現れて、「おい、女よ。寝ないで、明日、この前を憔悴した姿で、このような人が通るが、わが家庭が福を受けようとすれば、 先代の祝宴の食膳以上の食膳を準備して、そのかたを接待しなければならない。そのようにするのか、しな いのか?」と言ったというのです。 そのようにして、明くる日、道端で、そのお客様が来ることを待っていたのですが、なかなか来ません。 そうして、夜遅く十二時近くに、わたしがそこを通ると、しがみついて……。 しかし、忙しいのに、横にしがみつくおばさんの話を聞いていられるでしょうか? わたしが振り切って 行くと、えんえんと泣くのです。ありとあらゆるよこしまなことが、たくさん・・・・・・。 ただでご飯もたくさんもらい、旅行に行くときは、 そのまま行くのです。駅に行けば、切符を買ってくれる人がいます。そのようなことを信じますか? 信じるのか、というのです。それを信じられるだろうかというのです。 ですから、わたしは"おかしな人”です。”おかしい”というのは、”普通とは違う”ということでしょう? それは、良い意味で“おかしい”というのではないですか? 良い意味で言う「おかしい」というのは、上がっていくのであり、悪い意味で言う「おかしい」というのは、下がっていくのです。“おかしい”というのは同じですが、一人は、上がっていく“おかしな人”であり、もう一人は、下がっていく“おかしな人”です。 ですから、"おかしな人”にも二人いる、ということを知らなければなりません。文総裁は、下がっていくと思って、おかしなことをしましたが、上がっていくので……。 今まで、世界が、「滅びろ。」と言って、看板をつけて宣伝しました。その看板を、すべてはがしてしまい、米国の千七百以上の新聞社が、わたしを言論界の先祖として迎えようと、招待しています。このつまらない人たち、自分勝手に生きてきた人たち。ぼろぼろのふろしきをはたけば、ほこりが出るのではないですか? このようにして、平和の組織をつくろうと思っているのです。さあ、見てください。み言も、秘密の世界で捜し出したので、文総裁が語ることも、少しは信じてくれなければならないのではないでしょうか? そのように求めることは、常識的ですか、非常識的ですか?(「常識的です。」)何ですか?(「常識的です。」) しかたなく答えていますね。言論人ですか? 「言論人ですか?」と、尋ねているではないですか? 言論人になったことがあるのか、というのです。言論人とは何か、知っていますか?Family 20023 36<その3/4へ続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.28
コメント(0)
「神様王権即位式」一周年記念礼拝の御言「祖国と父母と長孫」(その1/4)二〇〇二年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 今年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿において、「神様王権即位式」一周年の記念行事が行われました。 この日、会場には、全世界から集まった教会責任者のほか、「『平和大使』修鍊会」に参加中の「平和大使」、第四次「世界入籍祝福家庭夫特別修錬会」の修練生、第四百九十九次「清平特別祈祷修錬会」の修練生たちが参席しました。また、この日が聖日であったことから、韓国全土からも大勢の教会員たちが集まりました。 このみ言は、当日、午前十時から行われた記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、整理したもので 文責・編集部) (「真のご父母様を壇上にお迎えいたします。」) さあ、ここには、新しいお客さんがたくさんいるのですが、そのお客さんの特別な名前が何というのか、 わたしもよく分からないのですが・・・・・・。何というのですか?(「「平和大使」です。」)平和は、良いものですか、悪いものですか?(「良いものです。」)どのくら い良いのですか?(「限りなく良いです。」) 地も引っ繰り返され、天も引っ繰り返され、悪なる世界が、すべてなくなって、天国に変わることのできる標語が、何でしょうか?「平和大使」です。「平和大使」は、悪なる世の中を引っ繰り返さなければなりません。「『平和大使」とは、何なのか?」というのです。 この地上に、神様の祖国はありません。神様の故郷がないのです。また、神様の国がないのです。「国」といえば、主権がなければなりません。それから、国土がなければなりません。そして、国民がいなければなりません。ところが、神様の主権が、どこにあるのかというのです。 今日のキリスト教が、神様の主権による宗教でしょうか? 長老派教会、聖潔派教会、何々派教会……。 ありとあらゆる乱雑な者たち。それは、福ではないというのです。それが、神様の主権を代身することはできません。また、彼らが暮らしている宗教圏で、神様の国を代身することができる所はありません。“地”がないのです。 そして、彼らは、天の国に直行することができる国民になることができずにいます。このような根本問題を掘り返してみるとき、神様は、”喜ばれる神様”になっていたでしょうか、“悲しまれる神様”になっていたでしょうか? どうですか? 国のない人、民のない人、国土のない人、そのような人は、かわいそうな人ですか、幸せな人ですか? (「かわいそうな人です。」)何ですか?(「かわいそうな人です。」)どれほど、かわいそうでしょうか? 例えば、家族三代が一緒に暮らしていて、その三代が爆弾でめちゃくちゃになって、いっぺんに即死したとします。その悲しみは、いかばかりでしょうか? しかし、その悲しみと、神様が、この大宇宙を創造 されて、人類始祖から始まって万民が神様の民となり、 この地球星が、天の祖国の地にならなければならないのに、それを、そっくりそのまま失ってしまわれた神様の悲しみとを比較することができるでしょうか? どうですか? このような話をして、きょうの「神様王権即位式」 に関する話をしながら、話が横道にそれていくようになれば・・・・・・。 わたしは、み言をたくさん話す記録を持っています。また、話も上手です。その時間の記録は、十六時間四十五分です。分かりますか? しかし、どのようにして十六時間、続けるのでしょうか? 文総裁は、トイレにも行かないのですか? 人は、何時間ごとにトイレに行きますか? 五時間ごとですか、六時間ごとですか? 普通は三時間ほどでしょう? 三時間ごとにトイレに行くとするならば、 三掛ける五は十五ですから、その間、五回はトイレに 行っていなければならないはずですが、それなのに行かないのです。 ですから、"このおじいさんは、何か袋のようなものを腰に巻いて出てきて、そこに用を足しているのではないか? そうであるとすれば、ズボンの股下から廊下に流れ出てくるのではないか?”と、このように考えるかもしれません。実際に、そのように思って、近寄ってきて、見た人がいたのです。(笑い)まあ、このような話をすれば、切りがありません。 しかし、み言を一所懸命に語っていると、小便は、すべて汗で出ていきます。二十時間、話すとしても、 用を足しに行かなくても・・・・・・。 そのかわり、聴衆として座っている人たちは、大変でした。話を聞いてみると、面白いのです。(韓国語の) 「재미(チェミ)」とは何か、分かりますか? 一度、言ってみてください。(「재미。」)おじいさんたちは、年老いているのに、何の「재미 (楽しみ)」があるでしょうか? 「재미」と、言ってみてください。(「재미。」) 「재미」という韓国語が、いちばん美しいのです。 英語で言えば、「インタレスティング」と言い、日本語は「面白い」です。「面白い」の反対に「面黒い」があるということを知りません。(笑い)そこで、日本人が 笑っていますね。韓国語は、面白いのです。その「재미」という言葉を、三度だけ……。재미, 재미, 재미, 재미……。探してみれば……。 皆さんにとって、家庭に行って面白いことは、何ですか? それを捜してみましたか?(そこの)おじいさんたち。この人は、おじいさんですね。年は、いくつですか?(「おじいさんではありません。」)いや、 ひげが白ければ、おじいさんでしょう? 常識から外れた話をしていますね。ひげを真っ黒にしてください。(笑い) おじいさんたち。一生において、「재미」のふろしきが、どれほど大きくなりましたか? これが問題です。 そのふろしきを、その国の王が見ても、「ああ、夜、寝ているときに、わたしが、この者のふろしきを持ってこなければならない。」と言う、そのようなふろしきを持った人は、その国で幸福な人ですか、面白い人ですか、不幸せな人ですか? 不재미、非재미、ノン (Non) 재미……。 「재미」の反対の言葉を探し出すのは、難しいのです。 また、皆さんの一生で、「ああ、大韓民国全体の博物館の中で、一等地を占領することができる「재미」を持った。」と言える、自分の「재미」のふろしきを持ちましたか?そして、それを神様がごらんになるとき、「やあ、わたしも、あれが必要だ。」とおっしゃることができる、そのような「재미」を持ってみましたか? 王たちも喜び、天地を創造された神様も喜ばれ、その「재미」が、どれほど面白いのか、口を開き、目を見開き、涙、鼻水、つばを流されながら・・・・・・。(ジェス チャーされる)(笑い)そのようになれば、"そのようにまですることができる「재미」がある。”と、結論を下すことができるのではないですか? 皆さんが、そのような「재미」を持っていないとすれば、そのような「재미」を持っている人の所に行って、一度、見物でもしてみたいと思いますか、思いませんか?(「見物したいです。」) それでは、(ここにいらっしゃる) お父様がた。どこに行って、見物しますか? それが、大韓民国にあり ますか? 大韓民国にあると思いますか? 今、おじいさんが「嫌だ。」と言いましたが、“文総裁が、自分 たちのことを「平和大使」として任命したのは、それでも水準以上だったから、そのようにしたのだろう。” と考えたでしょう? 考えましたか、考えませんでしたか?(「考えました。」) それでは、肩をいからせて、「えへん。おい、おまえたち!」と命令する、そのような面白さを感じたのですか? それは違うでしょう? 部落のすべてが好きですか? おじいさんが好きですか? 「好きなものは、夜に見ても良く、昼に見ても良く、夢の中で見ても、悪夢の中でも、おじいさんと出会えば、すべてのものが太平聖代(徳のある君主が治める太平な世の中の時代)になる。はははは……。」と言う、 そのような何かを感じましたか?(「はい。」何が「はい。」ですか? あなたの本当の年は、いくつですか? 本当の年齢 は、いくつですか? (「六十七です。」)わたしにとっ ては、いちばん上の弟ですね、この弟!(「はい。」) しっかりと聞きなさい。(笑い)(お父様も笑われる) さあ、初めて会うのに、そのようなあいさつをする人を見たことがありますか? 韓国の年でいえば、わたしは、今年でいくつですか? 水を少し下さい。これは、黄善酢氏が飲んでいた水なので、わたしは嫌で す。お母様が飲んでいた水が、良いです。(笑い、拍手) 少し寄りかかっても、失礼だと思わないでください。 さあ、文総裁はハンサムですか、醜男ですか? (「ハンサムです。」)わたしは、「醜男」という言葉が、いちばん好きです。世の中から見れば・・・・・・ 昔、若い時には、わたしがハンサムだといって、プロポーズしてきた女性たちが、本当にたくさんいました。わたしは、そのようには思わず、自分がハンサムだと思ったことはないのですが・・・・・・。 では、ハンサムな顔を持った人は、面白いでしょうか、面白くないでしょうか? まあ、このような話を していては、きょう、終日、昼食も食べさせず、夕食も食べさせないかもしれません。文総裁の話は、面白いのです。 それで、十六時間四十五分間、話をしたとき、その男性と女性たちは、面白いので、トイレに行きたいと思ったでしょうか、行きたくないと思ったでしょう か? (「行きたくても我慢しました。」)今、行きたければ、行ってきてください。 それで、十六時間四十五分、十七時間近く話してみると、女性たちが座っていた場所で、水おけをぶちまけたようになっている所が、本当にたくさんありました。男性たちの中にも、そのような男性が、若干いたのです。 世の中に、世界で一等になったものを集めて載せる有名な本があるではないですか? それを何ブックと いいますか?(「『ギネスブック」です。」)何ですか? (「「ギネスブック』です。」)「ギネスブック」というのか、わたしには分かりません。わたしよりも、よく知っていますね。 美男子で生まれれば、面白いでしょうか、面白くないでしょうか?(「面白いです!」) (笑い)それでは、 大衆の恥さらしです。何が面白いのですか?(「ハン サムだからです。」)ハンサムなことが、面白いのですか? 女性たちが皆、"あの男性と一度、暮らせればよいのに。”と考えるのに、それが面白いでしょうか? (「面白いです。」)(笑い) それが面白いというのならば、悪い暮らしをしてきた者たちです。それは、面白くありません。面白くないというのです。ですから、わたしが、大衆の前で 「文総裁は美男子ですか、醜男ですか?」と尋ねれば、「美男子です。」と言うときは・・・・・・。 そのような歴史を話せば、逸話がたくさんあります。 普通の人が持っていない逸話が、たくさんあるのです。 さあ、それでは、本当に文総裁は、ハンサムですか?(「はい。」)(「ハンサムです。」)(笑い、拍手) (「ハンサムです。」)いくら、そのようにおべっかを使っても、弟にしてあげません。(笑い)だからといって、 義理の弟や、婚だというのですか? 婚にすれば、よいのですが?(「してくださらなくてもよいですが、 ハンサムなものはハンサムです。」)(笑い、拍手)(「ハンサムです!」) わたしは醜男(ぶおとこ)なので、皆さんが、わたしよりもハンサムになることを願うのですが、そのように願う切実な心、それが「재미」です。「재미」が、どれほど凶悪でしょうか? ”人よりも劣る人たちが、より優れた人になるように。”と、切実に願う心を持ったことが、”面白い”の ですが、そのように思う人は、良い人ですか、良くない人ですか?(「良い人です。」)何ですか?(「りっぱな人です。」)それは、だれが「りっぱだ。」と言ったのですか? サタン側は、「おい、こいつ。わたしは、いちばん面白くない。」と言うのです。しかし、天上世界で、哀れに腰を曲げて、歴史において恨に恨を抱いて生きてこられた神様は、「おい、サタン世界は、皆、「面白くない。」と言うが、わたしも面白くない。」とおっしゃるでしょうか、「わたしだけは面白い。」とおっしゃるでしょうか?(「……。」) (答えられないのならば、)頭は、小学生の頭も持っていませんね。(笑い) “丸”か『パツ”で尋ねれば、 さっと答えられるはずです。(「お父様のためにと思う心があるので・・・・・・。」) そうではなく、サタン世界は、"いちばん面白くない。”と思い、サタンに唆されて、「あいつがハンサムなのは、自分だけのためだ。」と言うのですが、神様がそれをごらんになるとき、それを”面白い。”と思われるでしょうか? 反対です。 サタン世界が、「醜いやつだ。」と言って、指を指すのです。そうして、この町でも指を指され、あの町でも指を指され、彼らは、ただ。監獄にほうり込んで殺したい。」と思い、すべてを先導して、部落、国の三千里半島(韓半島のこと)、世界版図、すべてを挙げて、 「面白くない。」と言うのです。そのようなとき、 神様は、どのように思われるでしょうか?(だれかが、何か答える) ほかの話をしないでください。神様が、”面白い。” と思われるのか、面白くない。”と思われるのか……。 他の話をしないでください。そのようにすれば、試験の点数が減らされます。 (「平和大使」の)皆さんが、一週間、(修練を)一所懸命にやって、全員、卒業するというので、卒業証 を上げようかと思っていたのですが、それでは、わたしの耳には、聞こえが良くありませんね。(「面白くな い・・・・・・。」)サタン世界が、すべて「面白くない。」と言っ ているのですよ? (「すべてが面白くないので、神様も、面白くありません。」) その代表が、文総裁です。世の中で、"文総裁は優秀である、面白い。”と思った人が、いましたか? ”愚かだ。”と思いながら、「面白い。」と言ったでしょう? そうですか、そうではないですか? 皆さんも、ここに来て座っていますが、文総裁が統一教会を始めるときに、"面白い。”と思った者は、一人もいないというのです。世界がすべて「面白くないやつ」、「処断して、消してしまわなければならないやつ」と言うのです。 それは、なぜでしょうか? 自分たちは、父母に孝行しているのに、文総裁が、「孝行しなさい、この者たち。」と言うからです。おじいさんやおばあさんも、本当のおじいさんになって、孫たちに気合を入れなさい、というのです。 それにもかかわらず、きせるをくわえて、自分たちは酒を飲み、ありとあらゆることをしながら、育ち盛りで罪のない少年たちに向かって、きせるをたたきながら、「おまえは、わたしの言うことを聞きなさい。」 と 言っているのです。 さあ、そのような世の中で、そのようなことを一から百まで、すべて反対にしてみたとき、どうして世の中が喜ぶでしょうか? しかし、秀でていることは秀でている、というのです。 そうして、大きな泰山、峻嶺を越えて、新しい世界を切り開いてから振り返って、「来なさい、来なさい、 来なさい。」と呼んでいるのですが、そのようなヒマラヤの山頂、エベレスト山の山頂のような所で「来なさい。」と言っても、行く人がいるでしょうか?「あいつめ、狂ったか? 嫌だ、嫌だ、嫌だ。」と、皆、言うのです。 さあ、ここに初めて来た(「平和大使」は)、五百十四人ですか?(「はい。」)だれが、祝福してあげまし たか?(「文総裁が・・・・・・。」) 何ですか? わたしも知りませんでした。(笑い)(「はっきりと知って、来ました。」)ええ、何ですか?(「はっきりと知って、来ました。」)「はっきりと知っていた。」と言うのですが、その「はっきり」ということが、昔、皆さんが、そのようにはっきりと理解していれば、皆さんが先祖になって、 今ごろ、自分の子孫たちを祝福してあげ、天の国に直行することができるチケットを買ってあげることができていたはずです。そのようなおじいさんになっていたはずなのです。 それが、神様と、この世の中の万民が喜ぶことができる、正に”面白い”事件であるということを知りま せんでした。日がすっかり暮れて、真っ暗になったので、一般の宗教圏も真っ暗になり、国も真っ暗になったのですが、文総裁は、蛍の光のように、ぴかぴかと光って、異変を起こしているので、「あいつは、お化けだ。」と言っているのです。 わたしが、若い人たちの報告を聞いてみると、「今では、もう「文総裁」という言葉では足らず、「韓総裁」 という言葉では足らず、「真の父母」と言わなければならない。」と言いながら、「真の父母」という言葉を使っていた、という話を聞きました。 そのような話を聞いたのですが、ここにいる五百人以上の「平和大使」の中で、その言葉を使ってみたことがある人は、一度、手を挙げてみてください。こちらの人は、使わなかったのですか? (「これから使います。」)今、尋ねているではないですか?「使ってみたことがありますか?」と、尋ねているではないですか? これからは、「言うな。」と言われても、「悪口を言いなさい。」と言われても、千年、万年、だれが祈祷したとしても、文総裁ではなく、「お父様。」と言うのです。 世の中では、「その『お父様』という言葉が、いちばん悪い。」と言ったのですが、統一教会の人にとっては、「お父様」という言葉が、いちばん良い言葉であり、いちばん面白い言葉であるというのです。 それは、地獄でも天上でも、すべてにおいてです。それは、天上でも必要な言葉であり、地獄においても必要な言葉です。それでは、「真の父母」という言葉は、 面白い言葉ですか、面白くない言葉ですか?(「面白い言葉です。」) 神様がごらんになるとき、神様は、「真の父母、こいつめ。できの悪いやつ。」と、悪口を言われるでしょうか? 神様が、「早く入って来て、わたしの玉座の横に座りなさい。あなたは、難しい難局を収拾したので、わたしは年を取ったので、相続すべき処理方法の権限を打ち立てて、わたしの代行であるという立て札を立ててあげたい。」とおっしゃるとき、それに対して、「はい、 問題ありません。」と言えば、神様は”面白い。”と思 われるでしょうか、”気分が悪い”と思われるでしょう か? おばさん!(笑い) おばさんも「平和大使」ですか? なぜ、ここに来て座っているのですか? (「「平和大使」です。」)「おばさんを「平和大使」に任命しなさい。」とは言っていませんが?(笑い)女性たちが、「平和大使」をしようとすれば、国を治めてから、しなければなりません。 気がついてみると、苦労のひもを引きましたね? 一人で十二人の「平和大使」を食べさせていくことができる女性は、「平和大使」になることができる資格があります。おじいさんたち。おかしな目を開けてはいけません。 また、「平和大使」は、国の十二の団体を食べさせて生かしながら、王宮において忠臣となり、聖人となることができるように教えてあげることができる主人になることができなければなりません。それが「平和大使」です。どうですか?(「分かりました。」) 神様は、すべてのものを失ってしまわれたのです。ですから、自分が、本当に孝子になろうとすれば、神様が失われたすべてのものを取り戻し、自分が持っているふろしきまで加えて、ささげなければなりません。そのような孝子になりますか? それとも、ただそのまま、ささげる孝子になりますか?(「きちんとやります。」) さあ、尋ねているのに、答えずに、「きちんとやります。」とは、どういうことですか? 何も聞いていなかったのですね。ここの若い人? 神様が失われたものを、すべて取り戻したにもかかわらず、それを、そっくりそのまま神様の御前にささげるときに、自分が持っているものを、何でもよいからブラスしてささげなければ、そこに神様を慰労してさしあげることのできる道理はありません。 孝子というものは、父母が、すべてはできなかったとしても、その父母ができなかったことよりも、もっとりっぱに成せば、それが、本当の孝子なのです。 ですから、父母に従っていくのも孝子ですが、父母ができなかったこと以上に、父母のために生きることのできる人が、本当の孝子です。本当に分かりましたか? 本当の天の国の民になりたいですか?(「は い。」) この世界には、六十億以上の人類が暮らしていますが、本当の民というのは、六十億の人類が、普通の愛国者になろうとするのならば、そのような心に対して、それを超えて、さらに加えることができる贈り物を自分で準備することができなければなりません。 そうして、世界の人類を超えて、その代わりに神様にささげてさしあげることができるとき、それらの人類を代表した忠臣の立場に立てることができるのです。それは理論的です。 日記帳に、「どこからか来た『平和大使」は、先生が語る以上の孝子になり、忠臣になり、聖人、聖子の道理を行くことははっきりしているのに、"それ以上に行こう。”という心で、このようにした。」と書かれて、歴史的人物になるというのです。分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」) さあ、それでは、今から本論に入っていきましょう。「私は、面白い人である。」と、一度、言ってみてください。(「私は、面白い人である。」)気分が良いですか?「わたしは、面白くない人である! 文総裁は、 面白くない。」一般の人は、喜んで……。 酒場に行って、お酒の一杯も飲むことができない文総裁は、面白いですか、面白くないですか?「面白いですか?」と、尋ねているではないですか?(「そのようなところが、面白いです。」)「そのようなところが面白い。」と言うのですか? それは、どういうことですか? そのような話が、どこにありますか?(笑い) 「面白い」というのは、(いろいろなものが入り乱れて)まだらになっていれば、それで面白いのですか? また、わたしは、一生の間、たばこを吸ったことがなく、口にくわえたこともありません。たばこを吸ったことがある人たちの前で、「わたしの言うことを聞きなさい。」と言えば、聞きますか? その人たちは、“面白い。”と思うでしょうか、“面白くない。”と思うでしょうか? 「たばこを吸ってはいけない。」と言えば、面白いですか、面白くないですか? なぜ、おかしな顔をしているのですか? それは、間題が大きいのです。 それから、男性たちは、『浮気したい。」と思うでしょう?(「いいえ。」)黙っていてください。お酒をよく飲み、よく踊りを踊るようになっています。(「いいえ。」)何が「いいえ。」ですか? 顔つきが、そのようになっています。顔つきが、そのようになっているというのです。 キリスト教を信じているから、それができなかったのであって、宗教を信じていなければ、そのようにする素質が、充分にある老人です。わたしが、人を見ることができないと思うのですか? (「一月八日から修練会に参加して、その日からたばこを一切、吸っていません。」)それは、イエス様を信じているか、宗教を信じているからでしょう?(「はい。」) なぜ、ひげを、このように伸ばしてきたのですか? (「五十八年から伸ばしてきました。」)きょう、ひげをそれば、記念になるでしょう? 面白そうですね。名前は、何ですか? このような話をしていたら、切りがありません。 さあ、世の中が好み、「面白い。」と言われている人は、”亡国の種”であり、八〇パーセント以上の人が、 そのような”亡国の種”です。分かりますか? それ以外で、世の中が「面白くない。」と言う人は、二〇バー セントに満たないのですが、それは、未来の国と未来の国民が、「面白い。」と言う人です。 そのような人は、現在は、地獄のような環境で暮らしていても、未来において、天国で暮らすことができるのであり、そのような道が近いのです。 きょうの文総裁は、面白いですか? 面白い話を聞いていますか、耳障りな話を聞いていますか?(「面白い話を聞いています。」)この者たち。(笑い) たった今、話したのに、そのように言えば、学校で退学になってしまうし、それでは、学校の名誉を汚す人であり、 国を滅ぼす人ではないですか?(笑い) すみません。 初めて会ったのに、百年来の友達以上に扱って・・・・・・。 わたしは、そのようなことを、よくするのです。話を聞かなければ、気合を入れます。「こいつめ。おまえは、このようにしておいて、なぜ、大きなことを言うのか? こいつめ。腹に黒い炭の山を積んでおいて。」 と言うのです。先生には、そのような何かがあるというのです。 ですから、わたしは、神様までとりこにしてしまっ たではないですか? サタンまでも、とりこにしてし まいました。そのような話を聞きましたか? 先生には、そのようにすることのできる能力があると思いますか? 目は小さくて、鼻は大きいでしょう? 唇は、玉が転がるように、上手に話すことができるように なっています。 きょうから、“自分は、神様から見て面白い人になればよい。”と思う人は、手を挙げてみてください。それは、“これからは良い”という希望です。“きょうから、 自分は、面白い人である。」と決心する人、両手を挙げてください。 "自分は、面白い看板を掲げて、生涯、悪口を言われてもよい。”と、そのように決心して、“死の道でも行く。”という人、立ち上がって、一度、誓ってください。 わあ!(「誓います。」)何ですか?「立ち上がって誓ってください。」と、言ったのです。(「宣誓。」) ここは、皆、座って誓っているではないですか? この者たち。わたしが、目をつぶってあげます。その 後ろにいる人たち、座ってください。 監獄には、罪人がいるのですが、文総裁は、そこに入っていっても、強盗殺人犯でも、憲法に引っかかって何年かの刑を受けてきた人でも、一週間で皆、わたしを好きになるのです。それは、なぜ、好きになるのでしょうか? 現在の立場から、未来に関することを話してあげるのです。分かりますか? 「あなたは、そのような考え方をしているから、そのようになったのです。それではいけません。このようにしなさい。」と、言うのです。 ですから、二週間以内に、わたしが監房長になります。先生には、そのような何かがあるというのです。 手を出さずに消化することのできる能力があるのです。それが何かというと、真のみ言です。分かりますか? ですから、文総裁が監獄を出入りして、罪をたくさん犯したと言われて、監獄に六度も入れば、前科何犯になりますか? 六犯でしょう? さあ、そのような人を相手にしたいですか? わたしは、監獄に入っていって、「監獄の聖者」という名前を持っているのです。”監獄で暮らす聖者”です。(「はい!」)(笑い) 監獄に行っても、面白いのです。面白いことをし、面白い話をし、面白い生活をし、面白くしてあげるので、「面白い。」というのです。分かりますか?(「は い。」)それ以上に良いものが、どこにありますか? もちが食べたければ、もちをもらってくれるのです。 監房の中にかわいそうな人がいれば、面会で差し入れをもらった人に、「おい。差し入れでもらった物の三分 の一を持ってきなさい。」と言えば、持ってくるのです。 先生には、そのような弟子たちが、たくさんいます。 それは、すごいことですか、そうではないですか? (「・・・・・・。」)りっぱなことですか、そうではないですか?(「りっぱなことです。」) どれほど愚かであったならば、監獄に入っていって大将になったりなどするのでしょうか? どれほど愚 かであれば、そのようにしますか? そこ (監獄) に は、問題のある人がいるのですが、そこで大将になる というのですから、もっと問題があるということでしょう? それなのに、どうして“りっぱ”なのですか? しかし、それは面白いことです。分かりますか? ここに来た人たちは、きょうから、そのように考えてください。いくら世の中が大騒ぎしても、きょうから、“自分は、そのような環境で、いちばん底から頂上まで、面白いプログラムをするのに十年もかからない。三年後を見ていなさい。”と、考えるのです。 そのような決心をしないで、天の国の大使になれますか? 文総裁よりもできませんか、文総裁以上にやりますか?(「それ以上にやります。」)文総裁よりもりっぱになりますか、愚か者になりますか?(「りっばになります。」) 文総裁が、(不正を働く) どろぼうでないとして、自分の弟子たちに「真の息子、娘である。」と言って祝福してあげたのならば、「自分よりも、りっぱになりなさい。」と、勧告しなければなりません。「愚か者になれ。」と言う父は、りっぱな父ですか、愚かな父ですか? (「りっぱな父です。」)「りっぱな父」ですか? 「愚か な父」でしょう? 先生の話は、すべて理解できるようにしてください。 理解できれば、面白いのです。ですから、先生は、監獄に行けば、”監獄で面白い人”、建築現場に行けば、"建築現場で面白い人”です。 わたしには、友達がたくさんいます。ならず者たちの中に行けば、運動もすることができ、何か飛んできても、それを払いのけてしまうこともできる人です。防御術ができなくては、革命することはできません。 わたしは、昔、相撲の選手でした。運動も、できない運動がありません。分かりますか?(体も柔軟で) 今でも、この脚が、どこまでも上がっていくというのです。見てください。これ(脚)を、さっと、このよ うに上げれば、ぴたっと(頭に)くっつきます。ぴたっと、つくのです。(拍手) 運動をすれば、できない運動が・・・・・・。相撲をすれば、できないことがあるでしょうか? 相撲を取れば、強いのです。村中で、わたしを恐れない若者はいませんでした。過ちを犯せば、赦しがありません。 ですから、おじいさんから三代に対しても、気合を入れるのです。その気合は、家を火で燃やしてしまうほどです。大物です。一度、言ってみてください。大物。(「大物。」) 先生は、悪の世界に行っても、そこにいる人たちの心を入れ替えさせることができる男です。皆さん統一教会員は、悪の世界に行って、そこにいる人たちの心を入れ替えさせることができる男、女にならなければなりません。善の世界においては、機関車の役割をしなければなりません。機関車です。良いでしょう? (「はい。」) ある村に、おじいさんが暮らしていれば、訪ねて行って、「おじいさん。何で大きなことを言うのですか? 私に一度、教えてみてください。」と言えば、三日もたたずに、わたしに屈伏します。わたしのおじいさんと母親は、そのようになって暮らしました。 ですから、先生は、十二歳の時に、一族の親分になりました。それは、りっぱな子孫ですか、愚かな子孫ですか?(「りっぱな子孫です。」) ここの人たちは、昼なのか夜なのか、よく分からずに座っていますね。「平和大使」の名前までも、すべて忘れてしまいそうですね。(「……「ならず者」が、正しいです。」)「ならず者」ですか? 生まれたいように生まれたのですから、「ならず者」でしょう? 今からは、神様が好まれる「ならず者」になればよいのです。(「真の「ならず者」になります。」)そうです。真の「ならず者」です。 わたしは、世の中で「ならず者」という名前を持っています。(韓国の)八代の政府が、わたしに反対しました。(韓国の)政府が反対すれば、米国に行って、米国の大統領を、わたしが当選させるのです。米国でも、 わたしが三代を大統領にさせました。そのことを皆、知らないでしょう? ここ(韓国)の三代までも、大統領になるうえで、 わたしが、その後援者です。ところが、この人たちは、すべて秘密にして、それを隠しているのです。わたしには、文書があります。発表すれば、このどろぼうのような系列たちの殻を、はぎ取ってしまうのです。 文総裁は、お粗末な人ではありません。あまりにも他の人がひどいので、神様が、わたしのことを信じて、全権大使から・・・・・・。わたしは全権大使です。全権大使なので、その王権が始まって、「おいおい、わたしは、全権大使の王にもなれないので、あなたがしなさい。」と、任せることまで・・・・・・。 何ですか? わたしが話しているのに、だれが口を開いているのですか? そこは、だれですか? ヨーロッパのメンバーですか? 韓国語が分からないので、すべて・・・・・・。ですから、韓国語を学びなさいというのです。さあ、分かりますか? どこに行っても、”面白い親分”になってみましょう。そのようになろうとすれば、その秘訣は、何でしょうか? 拳が強いことですか? 相撲が強いことですか? 頭が良いことですか? 違います。ために生きなければなりません。 皆さん。ここに、(「平和大使」)五百余人を集めておいたのですが、その五百余人の人以上にために生きれば、皆、屈伏せざるをえないのです。皆さんは、どれほど人の世話になりましたか? 世話になった人は、 頭を下げなければなりません。よりために生きる人は、 中心存在にならなければなりません。 一度、言ってみてください。「ために生きる人は、間違いなく中心存在になる。」(「ために生きる人は、間違いなく中心存在になる。」)それを日記に記録しなさい、というのです。 さあ、それでは、盲目的ですか?「盲目的」の反対は、「有目的」です。盲目的ではいけません。なぜでしょうか? それは、なぜでしょうか? まったく、「ために生きる」といっても、ために生きれば、目玉を抜かれ、鼻をそがれ、耳をそがれ、死ぬしかありません。知識をもってそのようにすれば、死にます。滅びるのです。力をもってそのようにすれば、 へし折られてしまいます。分かりますか? お金がたくさんあるからといって、そのようにすれば、お金も飛んでいきます。そのように、ころころ転がる(돈다・トンダ)から「お金(돈・トン)」と言うのではないですか?(韓国語で「お金(돈)」と「転がる(돈다)」は、発音が似ていることから) 転がっていくのです。 しかし、真の愛をもって、よりために生きる人は、父の立場を経て、王の立場を経て、神様の立場まで継続するということを知らなければなりません。分かりますか?それは、なぜ、そうでなければならないのでしょうか? 皆さん。今から「平和大使」になろうとすれば、哲学的価値観を持って、根を植えなければなりません。 なぜ、ために生きなければならないのでしょうか? 悪の世の中で「自分に偉い」と言って誇る世の中で、なぜ、愚か者のように、ために生きなければならないのですか? いくら偉いといっても、人生行路には、波乱、曲折がたくさんあるのです。高い所や低い所にぶつかって、「自分は偉い。」と言っていながら破産すれば、どうしようもありません。うまくいっているときにも、人からために生きてもらい、うまくいっていないときにもために生きてもらい、三度、そのようにすれば、訪ねていく所がなくなります。 「だれそれよ。世の中を見渡しても、父母までもわたしを捨てた。」という話があるではないですか? 「兄弟までも皆、わたしを捨てた。国までも捨てた。ところが、おまえだけはわたしを捨てなかった。捨てることができないということを、わたしは知っている。」 と、そのようにならなければなりません。 そのようになれば、父よりも、兄弟よりも、国の国王よりも、国民よりも、もっと尊重視するようになるということを知らなければなりません。そのようなことは、可能性のある話ですか、ない話ですか?(「ある話です。」)<その2/4へ続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ その後ろの方に座って、居眠りしている人たち。目を開けなさい、というのです。わたしの話が、聞こえ ますか?(「はい。」)この者たち! 皆さん(「平和大 使」)ではありません。統一教会の人たちです。(笑い) 「ああ、これは、(平和)大使たちを集めておいて、 「この者たち」とは、何だ?」と言うでしょう? それ は、わたしの年齢から見れば、皆、子供に当たる年齢 ではないですか? 違いますか? (「そのようにおっしゃるので、もっと面白いです。」) ですから、統一教会に入ったために、たたかれて家 から追い出され、父母、おじいさん、三代が反対し、 「荷物をまとめて出て行け。」と言われて追い出された としても、それでも行くのです。 「私の行くべき道がある。お父さんよりも、もっと面白く、おじいさんよりも、もっと面白く、妻よりも、 夫よりも、もっと面白い所があるので、私は行く。世 の中よ、さようなら。」と言って、反対されても行くの21 Family 2002.3
2024.07.27
コメント(0)
第十九回「愛勝日」での御言 第十九回「愛勝日」の記念行事が、二〇〇二年一月二日、文興進様十八周忌、惠進様三十八周忌、榮進様三周忌、喜進様三十三周忌、信禮様一周忌、さらに羅榮新様(惠進様のご相対)と李惠信様(喜進様のご相対)の追慕礼拝も兼ねて、天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿大聖殿で挙行されました。今年から「愛勝日」は、文興進様だけを追慕するのではなく、摂理史の中で犠牲になられた真のご家庭のすべての方を追慕することになりました。第四回「愛勝日」での御言を訓読した後、真のご父母様が集った約三千名の教会員に御言を語られました。 真のご父母様の保護と保障を受けなければならない この時間は、霊界の興進君、霊界の祝福を受けた群れたちがすべて、ここに集まっています。 神様もここを中心として……。それゆえ、私がこの場から下りて少し御言を語って、結論を下さなければなりません。 私たち統一教会の教会員たちは、服装も変わらなければなりません。今まで世の中の正装といえば、背広を着てネクタイを結ばなければなりませんでしたが、それを否定しなければなりません。新しい革命をしなければなりません。今後、先生は、このようなネクタイを結ばない服をつくろうと思います。分かりますか? 本部にそのような服をつくる人を置くので、今から皆さんは、それを三着ずつ準備しなければなりません。三着ずつ準備して、それを公式的な集会などで集まる時に着なければならないのです。サタン世界の招待を受けたり、記念の行事をする時には、条件を立てて、サタン世界を導くために、ネクタイを結ぶことは許諾するのです。分かりますか? (「はい」)。変わらなければなりません。制服も変わります。霊界の基準に従ってしなければなりません。突然行えば世の中が驚くので、一つずつするのです。何のことか分かりますか? (「はい」)。 今、世の中を見れば、豊かに暮らしている人々や女性で、数十種類、数百種類の服を持っている人がいます。そのようにすることはできません。女性たちは、一日に何度着替えたいと思うのかというと、朝に着替え、昼に着替えて、夜に着替えたいと思うのが、女性たちの習慣性なのです。 着た服を誇り、次には、着た服に合わせて化粧もしたいのです。化粧は、服に合うようにするのです。自分の顔が長い形態か、丸い形態か、四角い形態か、それによって服の色も自分が選択し、美術的な内容を備えることができる生活的中心夫婦にならなければならないと思うのです。分かりますか? (「はい」)。 女性と男性はすべて、顔が違います。男性は顔が大きく、女性は顔が小さいとすれば、顔の小さな婦人は、服を大きくしなければなりません。化粧も、夫の格に合わせてするのです。自分を中心として化粧して遊びに出かけるというのは駄目です。分かりますね、女性たち? (「はい」)。 お金を使うにしても、女性たちは隠れてたくさんのお金を使います。これで生活しなさいとお金を預けても、自分勝手に使います。女性は、一か月暮らす計画をすべて男性に「このように暮らします」と報告して、その範囲で活用し、バランスをとって預金をするとか、あるいは、だれかにあげたいと思えば、「だれだれにあげます」と言わなければなりません。一か月の計画した金額を超えれば問題になるのです。 地の基盤が水平にならずに傾くので、終末に至って生活破綻が起き、悲しみが広がるのです。そのことを知らなければなりません。それが地上だけではなく、霊界に直結するのです。きょう、そのことを理解しなければなりません。 今までの先生の一生において、迫害を受けてきた生活は、すべて霊界に直結した生活でした。霊界に地獄があるので、それを解いてあげるためには、はしごが必要です。そのはしごは、天上世界の頂上から地上地獄の底までかけて、それを忍耐して支え、そのはしごを踏み上がっていかなければならないのです。高ければ高いほど、はしごが長いのです。それを登っていくには、注意、注意……。一度言ってみてください。(「注意!」)。 今、登っていくのは四位基台なので、父ははしごの右側に立っていて、母ははしごの左側に立っていて、息子・娘ははしごの下に立っていて、父のするとおりに一歩登り、母のするとおりに一歩登り、ついて行かなければならないのです。そうすれば、怖くないというのです。分かりますか? 千尋、万尋の高い天国に登っていくのですが、ヤコブに夢の中で霊界のはしごを上っていくのを見せてくれたのは、未来の蕩減の道を行くことを見せてくれたものだということを知らないのですか? それと同じように、はしごを登っていくのに、父母と手をつなぎ、足も同じところを踏んで登っていけば、ついて行く息子・娘は怖くありません。父母の後について行くからです。別れてしまえば、ふらふらして落ちざるを得ない危険な道を行くのです。ですから、父母がはしごを登っていく道と同じように、皆さんが、息子・娘の前に一〇〇パーセント、手本になってはいけません! (「ならなければなりません!」)。 父母たちはすべて、手本にならなければならないのです。先生も同じです。息子・娘の前に何を見せてあげたのかというと、苦労して悪口を言われる姿を見せてあげました。 「私たちの父は、生涯、家にいないで、息子・娘をほっておいて出ていき、世の中では酒を飲んで放蕩息子になって国を滅ぼしているのに、酒も飲まずに何をしているのか分からない。いつも悪口を言われて監獄に引かれていき、町内から追い出されている。そのような父を私たちは好まない」。好まないものを好んでこそ、蕩減できるのです。分かりますか? ですから、統一教会は、世の中の人が好む自己中心の道とは、一八〇度、反対の好まない道を行かなければならないのです。 手本にならなければならないのです。おじいさんとおばあさんが父母の手本になることができない家庭は、おじいさんとおばあさんができなかったことを、父母が蕩減しなければなりません。父母ができなかったことは、息子・娘が自分の家で蕩減しなければなりません。この法が残っているというのです。その法に従わないその一族は、分散、分散して、最後には、すべて失ってしまった孤児の立場になるのです。 息子・娘がいる人、手を挙げなさい。では、息子・娘が好きですか、嫌いですか? (「好きです」)。では、好きだという父母が、良い父母ですか、悪い父母ですか? (「良い父母です」)。父母が息子・娘を好む、その相対的立場に立たなければならないので、息子も父母を好きになって、初めて平和が展開するのです。主体と対象が平和。ここで水平にならなければなりません。水平になって初めて、天が干渉して、地の中心の位置をつかもうとするのです。水平にならなければ、中心をつかむことはできないのです。分かりますか? (「はい」)。 はしごをかけるのですが、そのはしごが曲がっていてよいですか? (「いけません。まっすぐでなければいけません」)。真のご父母様がはしごの中心になったとすれば、今後皆さんは、はしごの横木になるのです。それが祝福家庭です。皆さんの家庭です。真のご父母様がはしごの支柱になり、穴をすべて開けて、合わせることができるようにしておきました。これに合わせるには、その長さなどを知らなければなりません。いくら優秀だとしても、そのはしごがどのくらいの幅で、どのくらいの穴の大きさか知らなくては……。 はしごをつくる時には、父に完全に「私のはしごはこうですが、どうでしょうか?」と尋ねて、「そうでなければならない」と言われなければなりません。真のご父母様が承認しないはしごの横木は、千万個あったとしても、必要ないのです。天国に行こうとすれば、真のご父母様の保護と保障を受けなければならないのです。 そのように父母の前に順応せず、絶対信仰、絶対愛、絶対服従した一体的権限を備えることができなければ、いくらはしごの支柱が丈夫でも、仕方がありますか、ないですか? (「ありません」)。真のご父母様から祝福を受けた息子・娘の家庭は、中心の支柱である真のご父母様の横木にならなければならないのに、そこに合わなければ、役に立ちますか、立ちませんか? (「立ちません」)。きょう、そのことをよく知らなければなりません。 はしごとは、成約時代の原理 それでは、興進君の前に先生は父母ですか、何ですか? (「父母です」)。どのような父母ですか? (「真の父母です」)。真の父母とは何ですか? どこに行っても、息子・娘を中心として、その家法なら家法、天の国の天一国があれば、天一国憲法、その法に合わなければなりません。横木のようにです。自分が登っていく支柱があれば、その横木になることができなければならないのです。父母がそのようなはしごの中心の長い材木になっていれば、そこに合うようにならなければならないというのです。 さあ、高いほど、はしごは狭くなければなりません! (「広くなければなりません!」)。高いほど、中心を支える横木の長さは狭くなければなりません! (「広くなければなりません!」)。広くなければなりません。どのくらい広くなければなりませんか? 自分勝手であってはいけません。自由というもの、個人主義というものは、滅亡を招来する罠であるということを知らなければなりません。 見てください。おじいさんとおばあさんがいるにもかかわらず、「私はおじいさんはいらない」と言えば、そのはしごが折れるのです。はしごが曲がってなくなるのです。三代を通して登っていくのですが、一代がありません。このように考えるとき、おじいさんが必要ですか、不必要ですか? (「必要です」)。そのことを知らなければなりません。 おじいさんがいない人は、どうするつもりですか? 借りてきて、偽者でも自分のお父さんに接ぎ木しなければなりません。嫌でも、接ぎ木してから死ななければなりません。そうしてこそ、天の国にはしごができるのです。おばあさんもいなければならないでしょう。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分たち夫婦、三代圏が茎を支えることができるように、力の中心台にならなければならないのです。 その横木が、この中心の支柱よりも太くなければなりませんか、細くなければなりませんか? (「細くなければなりません」)。太ければどうなりますか? 太ければ登っていくことができません。登っていくときに、この横木をつかんで登っていかなければならないでしょう。これをつかんで折れてしまったら、落ちてしまいます。ですから、横木は中心の支柱よりも太くなければなりません! (「細くなければなりません!」)。太くなければなりません! (「細くなければなりません!」)。はっきりと話を理解してください。大きくなければなりません! (「小さくなければなりません!」)。小さくなければなりません。それを握っていくのですが、大きければどうなりますか? 合いません。事故が起きます。 では、皆さん今、復帰路程において、家庭的メシヤが登っていくはしご、氏族的メシヤが登っていくはしご、国家的メシヤが登っていくはしご、天国に登っていくはしごが、同じでしょうか、違うでしょうか? (「同じです」)。はしごのこの柱が同じでなければなりません。皆さんの横木は、十個のところを二十個にしてもかまいません。分かりますか? 先生の御言を中心としてはしごをつくるのです。「ああ、私は背が高いので合わない」と言って、十個のところを八個にしてもかまいません。それは、他の人よりも早く登っていくのです。他の人よりも早く登っていくことは、良いことです! 悪いことです! どちらですか? (「良いことです!」)。 話を理解することができなければなりません。気を引き締めて聞かなければなりません。決定的な問答をする時に間違えば、地獄と天国に分かれる時が来ました。それはどういうことでしょうか? きょう、先生の話をいいかげんに思う人は、いいかげんにできた地獄に三六〇度、逆さまに落ちてしまうのです。しかし、分別をもってそれを聞いた人は、「天国に行くな」と言っても、登っていくのです。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン!」)。 それでは、今から天国に行く時に、天の国に登っていく八段階のはしごをつくって登っていきますか? 一緒につくって登っていくのがやさしいでしょうか、どうでしょうか? はしごの見本を写して、自分の身の程に合わせてはしごをつくったとしても、神様は「おい、こいつ。私がつくった設計どおりにしなさい。なぜ、自分勝手にするのか?」とは言いません。息子・娘なので許すのです。真のご父母様を不便にさせてしまったので、復帰摂理も楽に行くことができるように、一度にすべてやってしまえば、どれほどよいでしょうか? 八段階に分けるのは悪いことのようですが、登っていきやすいので、否定する人はいません。神様は「自分に合うようにはしごをつくりなさい」と言われたのですが、サタン世界には原本がないというのです。設計することができる原本です。 あなたたちは、ここに来て座っているのですが、どのように座っていますか? 自分勝手に座っていますか、何、定着ですか? (「正午定着です」)。ここに来れば、正午定着しなければなりません。正午定着という言葉は、先生が入籍修練会で強力に話をしました。正午定着しなければなりません。過去のことが影にならず、現在においても影をつくらず、未来においても影がないようにするのです。神様が正座された、その垂直の真下の位置に立っているのが、正午定着です。良いですか、悪いですか? (「良いです」)。 それでは、オーケーと言って天国の門を開けば、だれが先に入っていくのですか? 女性が先に入っていくと思いますか、男性が先に入っていくと思いますか? それが問題です。天国に一緒に入っていくとすれば、女性が先頭で入っていくのですか、男性が先頭で入っていくのですか? 「二人が完全に通ることができる門である」というのが、公式にならざるを得ません。反対しますか? (「しません」)。 救世主とは何ですか? はしごを中心として登っていくことができないので、登っていくことができるようにするのが救世主だというのです。真の父母が来たというのです。はしごが自分勝手につくられてはいけないのです。規格をつくるのです。いくら困難でも、いくら春夏秋冬が変わり、革命が起きても、登っていくならば、間違いなく神様の玉座圏内にまで参席することができるのです。そのはしごの規格がなければならないのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」)。 さあ、個人復帰するうえで、一人でするのは困難です。分かりますか? 家庭復帰するうえで、自分たちだけでできるでしょうか? はしごをつくって登っていくことはできません。つくっておいても、またつくらなければなりません。家庭のはしごの上には国家のはしご、国家のはしごの上には世界のはしご、世界のはしごの上には天宙のはしご、天宙のはしごの上には神様の愛のはしごがあるのです。そこまで行かなければならないのです。 はしごを自分勝手につくりますか? (「いいえ」)。ですから、絶対、(「従順!」)。信仰! 「ああ、絶対愛だ、絶対否定だ」。嫌でしょう。絶対的な基準において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の立場で、絶対定着しなければなりません。定着した後に生活をするようになれば、「安着」という言葉になるのです。 ですから、神様の祖国定着大会をしましたか、できませんでしたか? (「されました」)。そして、どのようになるのですか? 安着です。その次には、天一国定着とともに安着を宣布し、安着とともに安息するのです。すべてを成し遂げれば、その次は、ぐっすり休もうというのです。 安着だけが目的ではありません。本来は、「安着、安息、万歳」と言うのですが、あまりにも長いので、「安着万歳」にしたのです。「万歳」というのは何ですか? それはいいかげんにするのではありません。国があって、保障され得る背景が必要なのです。「個人だれだれ万歳」と言うとき、自分を守ってくれるではないですか。そこには、氏族があり、民族があり、国家があって保障を受けることができるので、万歳なのです。保障を受けることができる環境もつくることができずに、万歳をすれば、それは狂った人です。分かりますか? (「はい」)。 先生を通して天地の保護圏、世界を越えた保護圏、聖人の保護圏、それから国家保護圏、民族保護圏、氏族保護圏、家庭保護圏、個人保護圏をつくる、はしごをつくっておいたというのです。そのはしごが、統一教会で言う成約時代の原理なのです。アーメン! (「アーメン!」)。原理とは何ですか? 理知にかなった原理、根本にかなった理知です。 興進君も霊界に行って、はしごがなければ登っていくことはできないのです。そこまで登っていったのは、先生が背負って登っていったのです。真のご父母様が背負って登っていきました。「もうすべて登ってきたので、おまえは下りていくことができる」。そうではないですか? あまりにも高いので、登っていくことができないと思っていたのですが、山頂に登ってみると、下りていくのは、本当に簡単だったというのです。 私は申年なので、木にも上手に登るのです。亨進君も運動の素質があるでしょう。体が柔軟です。今でも先生は、この指がここにつきます。相撲をすればチャンピオンになり、レスリングをすればチャンピオンになり、柔道でもチャンピオンになることができる素質があるのです。それをしても生きていくことができるのに、統一教会の文教主という道に、間違って来てしまいました。一番愚かなものをつかみました。茨の道です。上にも刺、下にも刺、四方に刺です。 はしごが必要ない人、手を挙げてみましょう。はしごが必要ならば、目を閉じて手を挙げなさい。手を挙げるのも、両手を挙げようとするのですか? 挙げたいように挙げてください。下ろしてください。 地獄を撤廃し、サタンを追放し、神様の王権を迎え入れる さあ、きょうは何の日ですか? (「愛勝日です」)。愛勝日です。愛勝日とは、どのような日ですか? 愛が勝利しました。何を勝利したのですか? 愛が何に勝利したのかというのです。(「死亡です」)。どんな死亡ですか? 死亡の親分、サタンに勝利し、サタン世界に直結した地獄を撤廃してしまいました。それを勝利したのです。分かりますか? では、そのような愛勝日を守る人たちが、サタンの罠に引っかかるのですか? 地獄に行った人たちが歩んだ足跡に従っていくのですか? 「死んでも従っていかない!」という自信がありますか? 批判しなければなりません。 勝共大会を何か所でしたのですか? (「八か所です」)。八か所に何か国の代表が集まったのですか? (「七十二か国です」)。七十二か国です。七十二数は、イスラエル民族がエジプトに下っていったその三族(父の家系、母の家系、妻の家系)の数です。七十二数の中には、十二支派が含まれるのです。それゆえ、八十四名と同じ数に該当するのです。 イエス様も、十二弟子と七十門徒、百二十門徒……。七十門徒だけでも、モーセはカナン復帰する必要がありませんでした。イエス様も、八十四名、七十二名が一つになって十二支派を編成することができていたならば、イエス様は死にませんでした。百二十門徒は、東西南北を通して四方を備え、この天地の運勢が十二数なので、百二十名を備えてその中央の位置に立つようになれば、イスラエル民族解放圏、イスラエル家庭解放圏、国家解放圏の中心になるのです。分かりますか? そこで十二支派が一つになり、そのようになれば、この世界の十二国家の中心となり、相対的十二数と一つになれば、世界が統一され、統一された世界の基準が中心となって天地の十二数を合わせれば、天下が統一されるのです。その中心の根は家庭です。家庭なのです。分かりますか? そして、氏族です。十二氏族です。 きょう愛勝日の日に、皆さんに勧告することは、愛勝日をもって何をするのかということです。何をするのですか? 地獄を撤廃し、サタンを追放し、神様の王権を迎え入れるのです。目的はこれです。 それでは、愛勝日のその原則に従っていく人は、どこに行っても勝利だけがあるのであって、破綻はあり得ないということを知らなければなりません。先生がそのようなはしごの原則に従って四十年間歩んでくる中で、艱難が起きた時には、サッと頂上の神様にピタッと九〇度で、その下に立ちました。 愛勝日の勝利は、神様を占領するためのものだというのです。神様を占領すれば、神様はどこに行かれるのでしょうか? 神様の家庭がなければならず、神様の氏族が必要であり、神様の民族が必要であり、神様の国が必要であり、神様の世界と地上天国が必要なのです。分かりますね? 神様を占領するのに、いきなり頂上に登っていく方法が、どこにあるのですか? チャンピオンシップを勝ち取ろうとすれば、地方の愚かな人が訓練されて地方の親分になり、その次に郡の親分になり、道の親分になり、国の親分になり、世界的親分になって、世界チャンピオンの神様の代身となり、神様が出てこられて「おい、おまえ、よくやった」と歓迎してくださるのです。 神様も、一度にガチャッと、全知全能な神様になられたのでしょうか? 神様も成長しながらそのようになられたでしょうか? (「成長してそのようになられました」)。それをどうして知っているのですか? (「原理がそうです」)。原理がそうだというのですか? 道理がそうです。原理というものは、原則を言い、事実と合うものが道理です。「道理にかなう」と言うでしょう。原理原則に合えば、「道理にかなう」と言うのです。言葉を分別して言うことができなければなりません。 神様も成長してこられたのです。では、神様がお生まれになった時があったのでしょうか、なかったのでしょうか? それが問題になるではないですか? 原理講義をするのに、それも考えてみなかったのですか? 生まれる時には、神様が一人でお生まれになったのでしょうか、神様の妻になる人も生まれたでしょうか? 「アダムとエバのように、神様も双子で性相と形状の一体ではないか」ということを考えてみましたか? 双子で育ってこられたでしょうか? 一人で孤独に生きてこられたでしょうか? 双子で生まれることは生まれましたが、風呂敷を脱ぐことができませんでした。その風呂敷を脱いだのが創造です。見えないように風呂敷で被せて分からないようにしていたのですが、風呂敷を脱いだのです。「ああ、男性という神様、女性という神様。風呂敷を脱いだ実体、神様が入っていって暮らす家ができた」と言えば、実感がわくではないですか? 神様がご飯を食べられる時、エバはご飯を食べたでしょうか、食べなかったでしょうか? へその緒で、神様が食べられる時に、むしゃむしゃと一緒に食べたでしょうか、別々に食べたでしょうか? (「一緒に食べました」)。本当ですか? 見ましたか? 道理がそうです。 李総長! 聞いてから会議に行けばよいのです。会議よりも、貴いものを探し求めるためにもっと苦労したならば、その中心となる人は、夜になれば賞をもらうのです。「昼は叱責したが、夜はあなたに賞を与える。よくやった」となるのです。先生は、そのような体験をたくさんしました。神様が私に教えることはできないのです。革命的です。先生に革命的な素質がありますか、ありませんか? (「あります」)。 さあ、はしごが必要でしょう。(「はい」)。それはどのようなはしごかというと、四本の足をいうのです。お父さんとお母さんの足、四本の足です。そこからはみ出せば、死のはしごになるのです。はしごが二つあります。父母のはしごにしがみついて暮らす人は生きますが、それを否定すれば死ぬのです。死のはしごです。自分勝手にすれば、サタンが所有するのです。自分勝手にしていては死んでしまいます。ですから、はしごが絶対に必要ですか、必要ありませんか? (「必要です」)。 父母が絶対に必要ですか? (「はい」)。息子たちが追い出される時、父母にしがみついて、服をかみちぎり、肉をかみちぎり、骨をかみ砕き、骨髄をかみ砕いて、すがれば、蹴飛ばすでしょうか、しかたなく「私が間違っていた」と言うでしょうか? しがみついて放さない時には、ご父母様は悔い改めるのです。悔い改めて赦さざるを得ないというのです。分かりますね? (「はい」)。 真のご父母様の前に、たくさんの罪を犯したでしょうか、犯していないでしょうか? (「たくさん犯しました」)。はしごの中に入っていって暮らそうとしましたか、逃げようとしましたか? 死のはしごです。自分勝手にしようとしましたか、真のご父母様のみ意のままにしようとしましたか? この 邪 な者たち! どのようなはしごですか? 死のはしごですか、ご父母様の四本の足ですか? (「ご父母様の四本の足です」)。どのような四本の足にしがみつきますか? しがみついてぶらさがり……。 皆さん、コディアクにいる熊のことですが、その熊に子供が四匹いました。やあ、私はそこから多くのことを学びました。一番大きい子供は母親の首の後ろに、次の小さい子供はおしりに、次の小さい子供は二本の前足にしがみつき、一番小さい子供は二本の後足にしがみつき、四匹が母親にしがみついていました。「やあ、統一教会の原理を彼らはすでに成し遂げているなあ」。(笑)それは正しい話です。そのようにしてでも、自分の生きる道を探しだすために、食べて生きていくために、父母は、夜も昼も寝ずに餌を求めて狩りをしているという事実を知らなければなりません。分かりますか? それが、父母が行く道です。私はそのように生きようとしたのですが、あなたたちの目が悪かったのか、頭が悪かったのか分かりませんが、そのような群れを見たことがありません。ああ、父母の首、臭いのするおしり、胸にしがみつき、足にしがみついてぶらさがり、そのまま川を越えていくのを見ると、ああ……。 父母は、そのような熊よりも優れていなければならないでしょう。親熊は、子熊よりも優れていなければならないでしょう。(「はい」)。ろくでなしです。それをどこかの市場に行って売れば、よくできているという一等の商標をつけることはできません。十等の商標にしかならないということを知らなければなりません。ところが、「私は一等の商標だ」と言うのです。ここに来て座っている古くなった人たち、年老いた人たち、三十六家庭、だれが前に来て座りなさいと言ったのですか? 順理どおりにすれば、波の波動が伝わる時、最初の波動の次に来る二番目の波動、三番目の波動、三代がピタッと同じ間隔を守りながら波動を伝えていくのです。そのことを知っていますか? そうだとすれば、三十六家庭ならその下は何ですか? 七十二家庭です。その下は何ですか? 百二十家庭です。その次には、自分の息子・娘を立てなければならないのです。そのような道理になっています。 はしごを置くのも、自分勝手に置いてはいけません。「ああ、早く登っていこう」と、近くに置けば大変なことになります。それを登っていけば、倒れて、おしりから逆さまにドカンと倒れるのです。余裕をもって、はしごが逆さまに引っ繰り返らないように置かなければなりません。分かりますか? はしごを垂直に置くのを見たことがありますか? (「見たことがありません」)。 垂直に登っていくことはできないので、垂直に置いてはいけません。あなたたちの環境に合わせて、父母、自分の信仰の息子・娘を率いて、喜んで、喜んで、一人も事故を起こさないように、角度を円満にしておかなければなりません。分かりますか? (「はい」)。はしごは、二本足がよいですか、四本足がよいですか? (「四本足がよいです」)。父の台と母の台があり、台を四つ立てたので、どれほど丈夫ですか。 はしごが好きだという人は手を挙げなさい。死のはしごではないのです。(「はい」)。父母の前に孝行して、夜も喜び、昼も喜び、孝行しようとして生まれ、孝行しようとして生き、死にながら孝行の立て札を立てて、「父母が神様の前に孝行したので、永遠無窮に私以上に愛してくださいますように」と言う時、神様が目を見開いて、「そうか、そんな父母がいたのだなあ」と言いながら、「おい! あなたたちも天国に来るが、あなたたちの息子・娘も天国に来てもよい」と言われ、二代、三代がそのまま従って入っていくのです。分かりますね? (「はい」)。 先生が生きているうちにすべて成し遂げる さあ、このように考え、先生がはしごの法則を利用するという時には、地上に父母がいなければならず、天上に父母がいなければならないのです。神様は無形だからです。それで、そのようにすることができないので、地上には父のはしご、天上には息子のはしごを分けて、橋を架けたのです。 ですから、興進君は、真のご父母様が何をするとしても、絶対信仰、絶対、何ですか? (「絶対愛です」)。その次は服従です。「地上に下りてきて働きなさい。きょうから薫淑の部屋に入っていって愛し合って暮らしなさい」と言えば、どのようになるでしょうか? (笑)ああ、笑うなというのです。答えなさい。 先生が興進君に拍子を合わせるのですか、興進君が先生に拍子を合わせるのですか? (「興進様が先生に合わせます」)。私が直系の息子・娘に拍子を合わせるのですか、直系の息子・娘が父母に拍子を合わせるのですか? (「お父様とお母様に……」)。あなたたちはどうですか? どこに拍子を合わせるのですか? 顯進! 亨進はどこに拍子を合わせますか? それでオーケーです。善進、分かるでしょう。 興進君は、先生がしたこと以上のことをしたいと思っています。それが孝子です。王が国のために忠誠を尽くす、それ以上しようというのが忠臣です。聖人も同様です。聖人たちは世界を愛して死んでいきましたが、死なずにそれ以上、生きてその御旨を成し遂げようとする人が、本当の聖人です。本物です。聖子も同様です。その御旨を成し遂げて、その場で神様の愛を直接受けることができる立場に立ってこそ本物です。そこから解放が展開するのです。 自分の息子・娘で他の大学に通っている者たちは、全員、鮮文大学、ブリッジポート大学に転校させなければなりません! ブリッジポート大学は、ソウル大学を卒業した人が入籍し、東大を卒業した人が入籍する学校です。そこに不満がありますか? (「ありません」)。あれば手を挙げなさい。すぐに行動しなさい。 それを早く実行すれば、天一国の理想が、地上・天上天国に短期間のうちに成し遂げられますが、それを曖昧にしていては、どうなるでしょうか? 先生がいなくなる時には、皆さんが天一国をつくり、うまくやっていく自信がありますか? ありますか、ありませんか? ないではないですか。それは、先生が生きているうちにすべて成し遂げるのです。それで九十二歳まで延長しながら、どのようにして九十二歳を越えるのかというのです。 神様からの手紙を、全員聞いたでしょう。無知蒙昧なサタン世界の真ん中に生まれ、このように死ぬほどの苦労をしながら、神様を解放すると……。「神様の王権を樹立し、神様を解放して孝行する」。そんなことを考えるのは、狂った人ではないですか? 正常ですか、狂っていますか? それは、狂った人ですか、正常な人ですか? (「正常です」)。お父様に会って、「私の国に大使館をつくってください」と言うのが忠臣ですか、逆賊ですか? (「お父様を愛しています」)。(笑)そのような答え方がどこにありますか? お父様を愛するよりも、大韓民国を愛するよりも、世界に天の国の大使館をつくって、天下に号令することができるようにすることを、もっと愛しなさい。 神様に「つくってください」と言わなければなりませんか、「私がつくります」と言わなければなりませんか? (「私がつくると言わなければなりません」)。大使館をつくってもらうことを恥だと思わなければなりません。自分たちがつくらなければなりません。自分の国を守ることができる防波堤です。台風と波が押し寄せてくるのを防ぐ防波堤なのです。自分がしなければなりません。分かりますね? さあ、それで興進君が逝くようになった動機は、八大都市で勝共大会を行ったためです。これが一番目であり、二番目は何かというと、七十二か国の国家代表を連れてきてその大会を行ったので、逝ったというのです。分かりますか? その国を保護し、御旨の基盤を築くためです。防御するためだというのです。今、そのような時が来ました。 ですから、先生が何かをする時、神様王権即位式をする時に、興進君を考えたでしょうか、考えなかったでしょうか? そこに通告して、行ったでしょうか、そのまま行ったでしょうか? 歴史的な非業の死を遂げたので、先生がその解放をするためにも……。 今回、先生は何か都市で復興会をしましたか? 尋ねているではないですか? 天一国の宣布をする時に、何か都市を巡回して発表したのかというのです。八か都市です。三か国です。日本でも八か都市、アメリカでも八か都市、三かける八は二十四、十二か月を中心として、節気でいえば二十四節気です。合うというのです。国を防衛し、世界を防衛しようとするので、天一国を発表する時に、反対者がいてはいけないのです。韓国でした時に反対がありませんでした。 八大都市で行って、九回目には「トップクラスの人たちはすべて集まりなさい」と言いました。世の中で我こそはという人たちがすべて集まっているのに、激しく蹴飛ばしてしまいました。国会議員をした人は、何度私にしかられても、顔がむかむかっとなりませんでしたね。笑っていました。大韓民国でそのような大会において、宗教の責任者が、国家の我こそはという人をめちゃくちゃにしても、みな笑って喜んでいたのです。なぜですか? 先生が成し遂げた実績を押しのけることはできません。居間にいるおじいさんから、社会に出て活動するお父さん、それから外国に出て大使をしている孫まで、反対できる主体性はないのです。 先生は興進の恨を解いてあげなければならない さあ、ですから、興進君も先生に拍子を合わせてはいけません! (「合わせなければなりません!」)。あなたたちは、合わせてはいけません! (「合わせなければなりません!」)。興進君に合わせますか、先生に合わせますか? (「お父様です」)。 それでは、霊界にいる興進君のことは考えないということではないですか? (「違います」)。合わせなくてもよいのですが、興進君に負けずに、何十倍、何百倍、何千倍、天の国、天一国を防御することができる親分になるのです。そうすれば、興進君も皆さんの一族の祝福、霊界の祝福を運んできてくれるのです。信じなさい! (「アーメン!」)。信じるのなら、手を挙げて拍手をしなさい。(拍手) 先生は、興進の恨を解いてあげなければならないのです。孝子です。その時、十一月を中心として科学者大会(科学の統一に関する国際会議)をする時に、シカゴで興進の誕生日のお祝いをしました。それが最後になったのです。 どれほど立派でしょうか。誇らしい息子です。私よりもハンサムです。そうでしょう。お母様! 興進は私よりもハンサムですか、ハンサムではないですか? (「ハンサムです」)。違います。(笑)お父さんに似たのです。お父さんに似たというのは、原型がお父さんでしょう。息子が原型になることはできません。(「素晴らしいお父様が上手につくられたのでハンサムです」お母様)。(笑)内外のすべてを備えていました。十九年になるので、三十六歳です。 興進君は命を懸けて先生を保護し、安保の大王になろうとしたのです。理想の天一国を迎えたこの時、皆さんは興進君に学びますか、興進様に教えてあげますか? (「学びます」)。興進は、皆さんをうらやむのです。 「もし、このような時に私がいたならば、孤独な孤児の立場で乞食のような歩みをしたとしても、真のご父母様を王権の玉座、王の姿以上に、また、幸福になることができるように侍るはずだが、そうすることのできる後継者がどこにいるのか! 心の奥深くであがめ奉りながら、尋ね求めざるを得ないというのが事実のようだ」 皆さんは、その理想の天一国においての孝子だけではありません。「孝子の王になり、国の忠臣だけではなく忠臣の王になり、聖人、聖子の王になり、神様まで訪ねてこられて祝賀してくださる私になろう」。このように考えてこそ、真のご父母様に侍ることができ、孝子の目的、忠臣の目的、聖賢賢哲の目的、神様王権樹立の目的、祖国定着天一国完成の目的が、完結されるのではないですか。そのようにすることができる息子になり、娘になるのです。 気高く、貴い価値をより輝かせ、その輝く価値を私に捧げ、さらに、自分がもっている天上世界まで合わせて捧げる興進君です。それ以上しようと努力する人は、滅びる道理がありますか、発展する道理しかありませんか? どちらですか? (「アーメン!」)。(「発展する道理しかありません!」)。発展する道理しかありません! さあ、そのように話を聞いてみると、そうだということがはっきりと分かったのですか、分からなかったのですか? (「はっきりと分かりました」)。はっきりと分かったのならば、分かった者は実践しますか、不実践しますか? (「実践します!」)。実践するという人は、両手を挙げて宣誓することによって、きょう、この祝賀の記念塔に名前を載せることができる人になることを祝福いたします! 真のご父母様の名によって。(「アーメン!」)。 東西南北、四方を備えて中央に立ち、個人で天をお迎えして、堕落のない解放の天一国文化世界を創造するのです。アーメン! (「アーメン!」)。そのような決意をするならば、興進君がこの時間から天上世界で踊りを踊り、歌を歌い、祝宴を開くのです。(「アーメン!」)。一度、踊りたいですか? (「はい」)。歌を歌いたいですか? (「はい」)。祝宴を開きたいですか? (「はい」)。 どのような祝宴を開きますか? 謝罪祝宴! りんごを知っていますか? りんご祝宴をすれば、悔い改めることができ、おいしく、甘く、立派なよい輝き! (「韓国語で「謝罪〔〕」と「りんご〔〕」の発音が同じ)。りんごを買って食べることができる祝宴を開けば、謝罪になるのです。果物のりんごです。多方面の謝罪です。謝罪の親分がりんごです。りんご祝宴で、解放の祝宴を盛大に開くのです。どうですか? (「よいです」)。 自分の財産、自分の国全体、自分の一族全体、一国全体を私たちが代身して、「解放的な祝賀の機会をもとう」という決心のもとで、万事一方通行が起きれば、天下に天国の領土が展開するのです。国に天国が連結されるので、天上天下の天国は自動的に完成されるのです! ノーメンですか? (「アーメン!」)。 さあ、このようにして興進君を迎えて、きょう記念日の祝宴をします。よいでしょう。 (「はい」)。拍手してください。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.21
コメント(0)
第三十五回「真の神の日」記念礼拝の御言(その4/4)<3/4からの続き> 二〇〇二年を出発するこの日、三〇〇〇年に向かう 二番目です。重要なこの年の冒頭にこのような通告を受けたのです。 その通告された内容を伝授され、真の父母が天の前に孝子となり、忠臣、聖人になったのと同じように、わたしたちは、真の父母を解放させるために、真の父母の伝統を受けて、数多くの家庭が一国の解放の王権を樹立することは何でもないというのです。そのようなことができないというのであれば、すべて流れていって落ち葉になり、堆肥の山になるのがよいのです。分かりますか?(「はい。」) 一生において堆肥の山を残さず、光明な太陽の光が照らされる天国の新しい朝を迎えて、解放の国の王権を立てて誇ることができる国民となり、忠臣、聖人になろうと決意し、誓うこの時間となることを願う勧告であり、通告であるということを知らなければなりません。(「アーメン。」)分かったのなら拍手してください。(拍手)(「興進様のメッセージを奉読します。」) 皆さんの入籍式も、真のご父母様と霊界に行った興進の父子が責任を持ち、皆さんのすべての過ちに責任を持って、皆さんが入籍手続きをすることができるようにしたということを知っていますか? 負債があるということを知らなければなりません。「総生畜献納」を今から二〇一二年までに、すべて終えなければなりません。 (「興進様から、真のご父母様におささげする霊界の報告書です。」) うそではありません。分かりますか?(「はい。」) 興進君が霊界に行って、行った事実を今まで全く報告することができなかったのですが、わたしがここに帰ってきたので報告を受けた内容です。 ですから、それは、霊界の何かの仮想的なものではなく、実相の中の実相であり、李相軒氏の話と合うか合わないか、聞いてみてください。 ですから、霊界の事実がどれほど間違いない事実なのかを知らなければならず、その世界を知らなければ、成約時代に皆さんの家庭が定着、安着することはできません。 安着して、安息することはできないという事実を知らなければなりません。絶対に知らなければならないのです。分かったでしょう?(「はい。」)何よりも、 お金をもうけて生きることが問題ではありません。息子、娘を育てることが問題ではありません。 その国は滅びず、世の中の国はすべて滅びるようになっています。見ていなさい。主人がいません。アメリカも自分の国ではなく、日本も自分の国ではありません。日本も困っているでしょう? これからは、経済問題においてアジアで最も困難な立場に落ちていかなければなりません。見ていてください。以前よりも 裕福に暮らすことができるなら、そのようにしてみなさい。 先生の話をうそだと思う女性たちは、全員、腹を裂き、それこそ割腹して土に埋めてしまわなければなりません。警覚(戒めて悟らせること)の声を上げなければなりません。分かるでしょう?(「はい。」)そこ の隅の方で居眠りしている人はいませんか?(「はい、いません。」)ええ何ですか? 大きな声で答えてくだ さい。いませんか?(「はい。」) 居眠りしている人は、集まってください。女性のへアビンがあるでしょう? 横に寝ている人がいたら、 それで無慈悲に目をつむって刺してください。腹でも何でも。(笑い)死んだらわたしが責任を持ちます。 (笑い) 死にません。四十分、二時間、何時間しても死なないというのです。 一人も居眠りせずにこの日を迎えてこそ、三〇〇二年に恥を免れることができ、イエス様の三千年歴史における成約時代に、輝く「天一国」の歴史に汚された痕跡を残さず、光明な光の中で記憶されるので、このような指示をすることをありがたく感謝して、目をしっかりと開け、気を引き締めて聞かなければなりません。分かりますね?(「はい。」) 「分かった」と言いました。続けてください。(「はい。」) (興進様のメッセージを訓読) 世の中にこのようなことはありません。歴史上、初めてです。これはうそではありません。興進君が神様の命令を受けて、お父様に報告する内容です。分かり ますね?(「はい。」) 不信すれば、不信していた天上世界のすべての現状が、あの国に行って皆さんの行く道を完全にふさいでしまうという事実を知らなければなりません。 その法には、赦しがありません。事情や人情、ある愛情的哀れみの内縁を通しては通じない世界なのです。法度と原則に一致する世界なので、その世界を望みながら、出発の途中にいることを憂慮しなければなりません。 ”自分がどの段階に留まるのか。”と自分を評価しながら、”自分が未来に確定することができるのは天国なのか、地獄なのか? さまざまな階層、系列のどこに 留まるのか。” と憂慮しながら、神様が願われ、真のご父母様が願う天国の中央にある皇宮の地に向かって体を修養していくことができ、そこを定着地とすることができるという決意が、より加重された決意にならなければならないということを肝に銘じなければなりません。分かりますか?(「はい。」) このような場に来て、居眠りしていてはいけないというのです。気を引き締めて、しっかりと理解してください。今からは、真のご父母様が皆さんと会って、このような集会を持つことができる時間は多くありません。参席しません。天の命令が、「今から休みなさい。」 というのです。「現れるな。」というのです。 理解することができるように教えてあげ、越えることができるように教えてあげたのです。繰り返せば、かえって不信するので、遠ざけるほど、輝く自分自身の発展の動機を捜し出していくことができるということが、天の憂慮する基準です。 ですから、その基準を下げ、隠してしまいうる先生の行動を注意することを望んでいるということを知らなければなりません。 あまりにも度を越して教えてあげ、あまりにも度を越して見せてあげ、度を越して行動して、(霊界に)行く日が遠くないので、疲れて、よだれを流したら困るのです。 休んで、心が平安な環境において、天上世界と地上世界の行くべき道を正し、正しながら、祝福することができる子女たちと、後代を準備していかなければならない先生の道が待っているということを理解しなければなりません。分かりますか?(「はい。」) 八十三歳なので、いつでも、明日にでも呼ばれれば、逝かなければなりません。しかし先生は、自分が逝く日を知っています。時を知っています。ですから、皆さんと親しく、親しく、もっと親しくすればよいのですが、そのようにすれば、そこにより悲しみと恨をもたらし、行くべき道に暗闇が入り込んでくるかもしれないという危険性があるのです。 ですから、できるなら遠ざけてくれることを願う心があることを、そして皆さんを愛して皆さんの行くべき道に支障がないようにと、天が心配されていることをありがたく思わなければなりません。分かりますね?(「はい。」)隅の方の人は分かりましたか?(「はい。」) 真の父母の顔をいつでも見ることができる時代が・・・・・・。 霊界を通して見ることができるかもしれませんが、霊界に行けばどうするのですか? 皆さんに、霊界で行われていることを直接的に教えてくれる人がどこにいますか? ここにいる郭錠換氏がするのでもなく、日本のだれもすることはできません。先生の特権の系譜を相続することができなければ・・・……… 今現在、興進君が相続を受けています。今回、わたしがハワイを出発して、今まで「神様王権即位式」、神様の故郷と「祖国定着」、そして「天一国」宣布とともに、国を成すためには国民と主権がなければなりません。王権樹立です。国がなければなりません。「祖国定着」です。そして、国民がいなければなりません。天の国の入籍カードを持つようになっています。 このようにすることによって、天の政権を中心とする主権と国民を備えた「天一国」の基盤がすべて準備されています。ここで、確定的な自己価値の決定は、皆さんの一族をどのくらい天の前に収拾したのかです。 それによって決定されるのです。逆さまに行かなければなりません。このように上がっていかなければなりません。 あなたの名前は何ですか?(「山口です。」)山口といったら、山口の姓をもった者は、今から自分の故郷に帰って、山口一切、全体を神の国に案内するのです。 家族代表のメシヤとして、氏族を代表したイエス様自体の過ちを正して、民族を啓蒙して、国家全体を神の国にしなければなりません。 それを献納し、総生畜献納国家基台として立つことによって、日本民族が世界的な国家基準を超えた場合には、サタン的な主管圏が国家なので、それを国境線を越えた場合は、その以降は、真の父母と神の指示によって、直行して、天国に入るようになっているのです。国が問題です。 国の殻を脱がない以上は、天上の国に向かって、飛躍することができないということを、はっきりさせて、決定しなければなりません。 先生の命令を聞くよりも、先生に従う心よりも、自分自身が成熟した立場で、安着する基地、安着地において、永遠に神様に侍りながら、生活過程を通して、生涯を超えて、氏族国家全体が神様に侍るような、地上天国完成圏に超えていくところが、堕落以降の人類全体が希望する、願いの終着点になっているということを、忘れてはなりません。分かりましたか?(「はい。」) 日本人は、サタン圏内になっています。アジアにおいて、侵略国家と烙印を押された、赦されないそういうような悪なる異民族を、先生はなぜ日本の国をエバ国家として選定したのでしょうか? 怨讐の怨讐を中心として、子供たちの結婚まで勧めなければならない先生は、まず怨讐国家として交差結婚をしました。韓国民族と日本民族は、永遠に交わる道がありません。日本民族の過ちは、歴史に、それは赦されない罪です。 そういうものを、地上天国の平和境、平和的基準を考える神様と真の父母が、自分の子供たちを、両怨讐自身の生活基台、国家基台以上に幸福になるように、相続させることによって、地獄を超えた神様の願う平和基地が出発する根底になっていることを、はっきりと日本人は知らなければなりません。分かりますか? (「分かります。」) ですから、自分の子供で、りっぱな子供がいれば、交差結婚です。それは国際結婚です。南極の基準に立った者たちが、その極を超えて、平和の中心基地に、神の心情を和らげるような感動的な基台を、定着させない以上は、神様の主義、思想圏の天国の王族、皇族になれる道はありません。 選定された、祝福された日本のエバ国家の使命を汚してはいけません。それを奪われないように、各自、 歴史を超えて覚醒をして、日本人の行く百八十パーセ ント、百八十度反対の方向に、忠誠を尽くす以上の、その実績が、日本人の忠誠を尽くしたより以上でなければ、天国につなぐ道はありません。 それは原理原則になっています。サタン境界線を、 凌駕しうるものが天国に関係を持つということは理論 的です。分かりますか?(「はい。」) 日本人よ!(「はい。」)日本の兄弟よ!(「はい。」) 兄弟です。日本人は、だれがつくりましたか? 韓国 人とは兄弟です。アメリカ人も、世界万国は、共産党でも、統一教会の人とは兄弟です。 祝福された家庭です。真の父母の純潔の血統を通じた、天下すべてが否定できない、決定的な核心の位置に、中核として、骨のように、骨髄に立ったのが、われわれです。ですから、そこにはサタン的な国の感覚は 一切、許されません。 先生は、そうでした。先生は韓国の八大政権に反対されてきました。今になっては、先生に頼る、すがる以外にはないという、憂いに憂えて、先生を思慕するような悲惨な国民、国家、政治圏になったのです。 今、言ったように、先生が動かす方向において、天下すべてが変わっていくような境界線に立っています。 深刻な境地に立っているのです。 新しい王権即位式と、王権復帰の、それは国家基台復帰、そのうえに、国民を天国の国民として立たせる天一国家まで成立しています。そこに加入した以上には、永遠に振り返ることはできません。 まさしく、ソドム・ゴモラのそのさばきのときに、ロトのその奥さんが、すべてを忘れて、「出た以上には振り返って見るな!」と言われたのにもかかわらず、 未練をもって自分の生活環境とか、氏族関係とか、その歴史の伝統の習慣性に浸っている立場で振り返って、 即時に、それは塩の柱となってしまいました。 そのように残って、歴史の恨みを表徴するそういうような失敗の姿を、神様は永遠に、日本民族のエバ国の国民に見たくないということが、神様の心情であるということです。分かりましたか?(「はい。」) 早く今、即時に、世界に移民政策をして、国を忘れてしまっても未練がないような、未練に勝った天国、今、教える李相軒先生の霊界の実相と、興進様の霊界の実相。実際に成し得た組織体系を、それは真の父母に報告する内容を信じられないならば、滅亡しなければなりません。 そういう者は、たたき込んで、地獄のどん底へ埋め込まなければなりません。そのように優秀な、だれ一人残さず、そのような決定的行動をなすに十分な中心性を持たなければならないのが、神様の見る統一信者、 成約聖徒の持つ中心性です。分かりましたか?(「は い。」) はっきり先生を見て、決意してください。聖人たちが、霊界を教育して報告するのは、真の父母の時代の宣言文、宣誓文です。 そのメッセージを信じないで疑う者は、それはもうべっちゃんこです。地獄のどん底において、悲惨な、うじよりも悪いような立場に陥るにふさわしい者です。分かりましたか?(「はい。」) そのように先生は、今この記念すべき今日、皆さんに忠告、宣言をなすことを忘れてはなりません。分かりましたか?(「はい。」)分かったならば、日本人だけ、拍手してください。(拍手)q 日本人が問題です。今、韓国では、南北統一は、文先生、レバレンド・ムーン以外に道がないと言っています。忠臣の愛国者、五千年の歴史に一人しかないと聖人として敬われるような環境です。全国がその歩行に歩調を合わせて、前進、驀進(ばくしん)するような状況になっていますが、日本が相対的位置になっていないのです。 ですから、このような忠告、厳告をせざるを得ないことを、永遠にはっきりと心に刻み込んで、国のどん底に陥っても、昔を思い出して貪り返る、それを願うような者に絶対ならないという決意をしなければなりません。「死んでも行くんだ。」と言えば、自動的に天国通過、天国に加入する道があるに間違いありません。 そのような決意を固めてもらいたいのが、長い間、日本を愛してきた先生の最後の厳告です。忠告です。分かりましたか?(「はい。」) さあ、読んでください。わたしが聞きます。皆さんが聞かなかったよりも、わたしがすべて知っていることよりも、よく聞いておくのです。さあ、始めてください。 (興進様のメッセージを訓読) だれを誇るのですか? (「真のご父母様です。」) 真のご父母様がどこにいますか? これはだれですか? 年老いたおじいさんです。年老いたおじいさんが真の父母になることができる可能性があるのかないのか、わたしにも分かりません。(拍手) それは、皆さんが誇らなくても、世界の国家の最高人物たちが誇ることができる時代になったのです。国の首相や代表たちが、先生を迎えていこうと競争しています。知っていますか? 日本の国がぴりになりますね。 文総裁が来れば、日本をごくりとのみ込んでしまうのです。日本の国をのみ込んで何をするのですか? 下痢もしません。肝臓に貯蔵できる栄養も残りません。小さな日本の国を口に入れても、いっぱいにならないのに、先生がこの小さな日本の国を食べようとは夢にも考えません。 また、日本人の福をすべて奪っていこうとは思いません。福を与えようとしているのです。わたしは、皆さんの世話には一度もなっていません。日本の国は、骨と肉と骨髄まで売って、すべて子女のために投入することによって、真なる歴史的な母になるということを知らなければなりません。 世界の青少年を教育するにおいてそれでも不足ならば、自分が国の国籍を売ってでもするということです。 自分の体を売ってでも世界の子女を養育しようという歴史を残すことによって、日本の国が永遠に母の国の名誉を維持することができる伝統が残る、ということを知らなければなりません。分かりますか、日本の男性と女性たち?(「はい。」) (「お父様、慶祝公演を三時にしなければならないそ です。」=お母様の言葉) (拍手) 三時にしてください。するなというのです。今、教育しているのに、教育時間を妨害するそのような「慶祝公演」は、片付け てしまいなさい。(笑い) (松波孝幸先生の歌) さあ、早く終わりましょう、あまり残っていません。(「三十分残っています。」)。三十分残っているのですか。(「はい。」)三十分、 残っているのですか?(「三十分くらい読みました。」)さあ、三十分、残っています。昼食を食べて、今から何をするのですか? 五時を越えるので、故郷に帰ることはできないではないですか? 三日までは、ここに泊まらなければならないというのです。ですから、時間がたくさんあるので、昼食を食べて歌を歌い続けて、踊りを踊って喜ぶ日になるこ とを願います。アーメン。(拍手、歌拝) アーメン。(「アーメン。」) <完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 人生の果てに行く道第三章 霊界の真の御子女様のメッセージ一 興進様が真の御父母様に捧げるメッセージ真の御父母様にお捧げします。お父様、私、文興進です。これまで、大変困難な苦難を耐え忍んでこられ、どんなに心労なさったことでしょうか。お父様とお母様にとってそんな忍耐が、どんなに困難で惨憺たるものであるかよく知っていながらも、このような親不孝の姿となってしまい、返す言葉もありません。霊界が存在するということが明らかな事実であるにもかかわらず、そしてあんなにもその事実を詳しく地上人に説明してあげたのにもかかわらず、彼らは目に見えない世界とは全く関係がないかのように生活していますから、なおさらのことです。私は、李相軒先生がとても苦労する姿を常に見ています。李相軒先生はいつも、お父様の摂理の方向を正しく知るために神様の傍らで祈祷し、あちこちとあまねく調べては、お父様の栄光をあらわすためにいろいろな次元で説明し、さらにまたグループの組織の強化に総力を注いでいらっしゃいます。その姿は真の孝子であり、常に真の忠臣の生活そのものです。お父様、お母様!本当にこの国は草創期の聖徒たちと同じ姿で生活をしています。ひざまずいて祈祷する姿は、涙の連続であり、痛哭の連続です。そしてグループごとに賛美と祈りをもって、新しき千年の栄光を一貫して準備しています。しかし、最も困難なことは地上人の協助です。こちらの組織はしっかりと準備されています。そしてこちらのグループは、地上の摂理に協助することのできる対象(地上人)との実質的な関係を必要としています。しかし、その関係が容易には連結されません。そのことに関して李相軒先生は、お父様の指示に従って進めていこうとおっしゃるので、私は今待っているところです。そして、お父様!ここ霊界の組織と生活は、とてもよく整理されています。しかし、それはまだお父様の期待するものとは掛け離れています。でもお父様、お体により一層お気をつけて、私たちがお父様に完全にお仕えする準備が完了するまで、末永く地上で暮らしてください。そして、お母様をより一層思いやってください。お母様はまだお若いです。お父様!私も薫淑さんのことを恋しく思うことがよくあります。ここが愛の園であるがゆえに、なおさらなのです。神様の愛の中で薫淑さんのことを思うと、興進もさっと地上に降りていって薫淑さんと楽しく踊りたいような衝動に駆られるときが少なくありません。しかし、薫淑さんが私の代わりに永らく御父母様に孝行することを願いながら、私はここで総司令官の使命を履行するために総力を注ごうと思います。またこちらでは、二人のおばあさんも常に祈祷と精誠を捧げていらっしゃいます。大兄様は真に善なるお方としての位置と立場を守っていらっしゃいます。文龍基さんは今、霊界の新人として二人のおばあさんが和動できる場をつくることに没頭しています。そのときいつも、おじいさん、大兄様の姿を見て、真の御父母様が切なく懐かしむその姿を思い浮かべては、家族の話をしながら過ごしています。忠母様は話をされるときはいつも、「私は罪人だ!」とおっしゃるのですが、その姿は本当に切ないものです。お父様! お母様! 御父母様!万寿無彊をお祈りいたします。幼い姿の私をここに送ってから、いつも心配してくださった御父母様! 私は心配いりません。今やこの場でどんどん成熟しています。孝進兄さん、譽進姉さん!私たちはお父様とお母様に侍り、真に天地にまたとないメシヤに仕えて生きていく家族ではないですか。私たちは今苦難の立場にありますが、永遠なる世界の永遠なる皇族です。孝進兄さん、譽進姉さん、すべてのことを耐え忍んで、私に代わってお父様とお母様によく仕えて敬い、地上にいらっしゃる間に栄光のみ座に上れるように総力を尽くしてください。興進もそのために最善を尽くすつもりです。そして、孤独な立場にいる薫淑さんをよく見守ってあげてください。私たちの家族すべてが安寧であることを願います。「天地父母天宙統一解放式」と同時に、霊界と肉界がより一層近くなったということを、特に私たち家族はみな実感しながら生活してください。家族がみな、お父様とお母様によくお仕えするようにお願いします。私はお仕えしたくても体がないではありませんか。孝進兄さん、譽進姉さん、おめでとうございます。万歳! 御父母様がとても恋しいです。文興進が家族恋しさにお捧げします。(一九九九年十月二十九日)
2024.07.20
コメント(0)
第三十五回「真の神の日」記念礼拝の御言(その3/4)<2/4からの続き> 第一の先決条件は、心と体が一つにならなければならないということです。目(視力)も一・二、鼻も詰 まらず、口も言葉を話すにしても、答えを言うにしても、余計なことを言ってはいけません。耳も、十里、百里、千里でも間違いなく聞くことができなければならず、手も、つかめば放しません。 わたしが必要とすれば、つかんで放しません。行くべきところに行って、(そのままでは)帰ってきません。 目的を成し遂げなければ、収穫することができる結実を持たなければ、帰ってくることを知らない人です。 それが、文総裁の鉄石の思想であったのです。それを”受け入れない。”という人は、手を挙げてください。”受け入れる。”という人が、手を挙げてくれなければならないでしょう?(笑い) 「手を挙げるな。」 と言っても、手を挙げる時が来るのを待っているのです。注意して鑑別しなければなりません。 本当に手を挙げたら、霊界に行って引っかかります。 手を挙げれば、落第課に入っていかなければなりません。手を挙げるか挙げないか、どちらを選択するかは、 皆さんが勝手に決めるのですか? 二つのうち、一番目ですか、二番目ですか?(「一番目です。」「二番目です。」)二番目だという人は左手を挙げ、一番目だという人は右手を挙げてください。(笑い) 話を理解しているのですか? このでたらめな者たち。話を聞いている人が、どうして両手を挙げるので すか? どろぼうの親戚になろうとする行動です。どろぼうの孫、どろぼうの親戚がよいという行動ではないですか? しっかりと聞きなさいというのです。しっかりしなければ、落第してしまいます。さあ、このくらいで、もう分かったでしょう? いくら考えてみても、神様の心と体は闘わないので、神様を「お父様」と言う以上、自分の骨髄が溶け出すことがあったとしても一つにならざるをえません。それを鉄則として受け入れる人は、両手を挙げて歓迎しましょう。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) そうすれば、「天一国」の王や王子になることは問題ないという事実です。その次に、その男性と女性のふたりが一つになるのです。「天」という字は、二人が一 つになるということです。分かりますか? そして、 天一の「一」という字も一つになることです。何によってですか? 絶対不変の真の愛で一つになるのです。 その真の愛によって一つになるためには、相対的存在がいなければなりません。愛の主人になっていない男性や女性を愛の主人にしてくれるのは、相対的存在です。 相対的存在だけが、自分を愛の主人にしてくれるので、いつでも、夜でも昼でも(相対的存在が)来るこ とを歓迎し、尊敬して、「お越しください。」と言うことができてこそ、愛の真なる主人が永遠で完全な場に安息所を定めることができる可能性がある、ということを知らなければなりません。 ですから、いくら全知全能であられる創造主の神様でも、愛の位置を定めるために、愛の相対がいなければ、永遠に孤独単身であり、いなくなってしまうので す。 いても無用の長物です。愛と何の関係もないということです。愛の道に従い、愛の生命を経て、愛の血統を連結させることによって、家庭で暮らすことができるのです。 息子、娘がいますか、おばさん? このような思想基盤の上で息子、娘を生みましたか、自分勝手に生みましたか? 夫が訪ねてくるということは、神様が訪ねてこられるのであり、神様の初孫が訪ねてくることです。二人が縦的な父と、横的な父の伝統を自分たちの家庭に取り戻すために、神様は待っておられるのです。 アダムとエバが、成長してそのようにすることができる張本人となり、天と長子が一つになる愛の天国の定着地を要求したのが家庭理想でしたが、それが破壊されたという事実であり、だれも三代を成し遂げることができずに生きてきたのです。 この文総裁は、三代圏を真の父母の名によって・・・・・。 第一代が神様であり、第二代が真の父母です。アダムとエバは偽りの父母であり、その血統を受けた子孫たちは、神様の前に立つことができないどろぼうの子孫です。それをすべて切ってしまわなければなりません。そして、神様が一代の王、真の父母が二代の王、”私” が三代の王にならなければなりません。 天のおじいさんの愛を受け、天の父母の愛を受け、 天上世界と地上世界の二つの国の王権を相続、伝授されるのが三代なので、その驚くべき三代であることを自覚して出発していかなければならないのが、その国の民となるべき「天一国」の民なのです。「天一国」の民です。分かりますか?(「はい。」)分かりますね? (「はい。」)「天一国」です。 「天一国」は、天宙平和統一国です。「天宙」というのは天の家です。天は、二人の家を表します。そして、「平和」というのは、天の国も平らであり、地上も平らです。平和になりました。ここに角度が少しでもあれば、いつかはぶつかります。 十年、百年たっても永遠に平行でなければならず、 平行でなければぶつかるので、いつの時か、万世に太平聖代(徳のある君主が治める太平な世の中の時代) を導くことができる伝統思想は、断ち切られてしまうのです。途切れてはいけません。平行です。 そのような二人です。これが心と体で二人です。夫婦も二人であり、父母も二人であり、子女も二人です。 二人と二人の四人が平行数を成してそれを保ち、天の家庭を中心として、真のご父母様の家庭を中心として、 天下にある万国の家庭が真のご父母様と平行になるのです。ぶつかりません。その世界には闘いがありません。二つが一つにならなければなりません。 宇宙のすべての存在は、ペア・システムで成り立っています。鉱物世界の分子を見れば、ブラス分子とマイナス分子がペアで一組になっています。動物世界を 見れば、昆虫世界もペアで、雄と雌になっていますか、いませんか?(「なっています。」)動物世界も雄と雌、人間も男性と女性、神様も、地上の天地父母も男と女であり、同じことです。ペア・システムになっています。 サタンが最も嫌うのはペア(쌍)になっているものなので、"쌍소리(下品な言葉)”と言ったのです。奪われた永遠の福地の祭壇を神様の代わりに取り戻し、どろぼうの親分であったサタンの胸ぐらをつかんで蹴飛ばし、地獄に追放してしまうのです。 出て行くところは、国であれ、世界であれ、どこでも敵地です。火で燃やしてしまって何もないのですが、そこに種を植えて新しい天下をつくることができる出発を予告するのが、「天一国」です。分かりますか? (「はい。」)二人です。 二人が一つになれば、国を成すようになるのです。 三人、あるいは三人が祈祷するところには神様が「ともにいる。」と言ったでしょう?(「はい。」) 二人は東洋と西洋になり、東側が西洋に行こうとすれば、北側と南側を合わせて、三つが一つにならなければなりません。天地の理知が統一法になったということを知ってから動かなければならないのであって、そのようにして初めて「何々をする。」と言えるのです。 私は何十年間、統一教会の教主をしましたか? 何十年しましたか? 生涯してきたでしょう?では、 統一教会の教主だけですか? 神様が願われる出発的教主であり、中間的教主もやり終え、終末的教主まで、万代の統一教会、統一世界の教主までしなければなりません。 神様いわく、統一教会の文先生は、「真の父母である。」 永遠にです。真の父母は二組ではありません。真の師というものは、二人いることはできません。真の主人というものは、二人いることはできません。 三大主体思想を備えた覇権的条件を付与するのに副作用がない、文総裁であったのです。神様がアーメン。 「来なさい。」と言って、権利書を束ねてわたしに下さるのです。(「アーメン。」)(拍手) 統一教会は、大学院以上を卒業し、頭がさえていて賢い人でなければ、入ってきて耐えることができません。わたしが行かせようとする目的地が何か分からず、昔の腐った習慣で「おいしい。」と言って食べたその口を持ったままでは、現れた環境が何なのか分かりません。賢くなければなりません。 世の中を横につかみ、縦につかむ時であり、それをパレットに置いてこねることができ、(世の中をつかむ) 網から選別でき、主体的主人の行使を代身することができる名声と人望がある人が統一教会で残るのであって、かすのように流れていく群れたちは統一教会で残ることはできません。 第一条件が、心と体が一つにならなければならず、夫婦が一つにならなければならず、夫婦から生まれた息子、娘がいれば、生んだ息子、娘が一つにならなければならず、兄弟まで一つにすることができなければ、家庭定着して入籍することができる「天一国」の国民になることはできない、ということです。 はっきりと理解してください。「先生が教えてくれなかった。」という話をしてはいけません。分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」)分かりましたか、分かりませんでしたか? (「分かりました。」)分かったという人は、右足を挙げてください。(笑い)なぜ笑うのですか、この者たち。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。”この口がうそをつくので、正しいことを学びます。”と、キスしてください。キスしないのですね。(笑い) キスした人を私は信じます。 わたしがしなさいと言うとおりに、絶対信仰、絶対愛、絶対服従したので信じざるをえず、最後に信じざるをえないものを見たので、そのようにすることがで きる覇権者、勝勢者になることを願いながら、きょう先生が語った全体をみ言に代えます。分かりますか? もう話さなくてもよいのです。 これから、そのパターンでいくのです。今から郭錠煥氏が出てきて、四大、五大教団の長たちが決議文を書いて宣言したすべての内容を全員が聞いて、天の国では神様の王権樹立と同時に、天下の名高い人物、霊界に行った名のある人たちをすべて一方向の目的に、文総裁の復活の役事に同参することを神様に宣布するので、そこに加担しないという人は一匹(一人)もいないということです。 いやあ! 一度み言を聞いてそのようになるのなら、わたしが地上で苦労することはなかったのです。霊界に行って伝道していたら、どれほどよかったでしょうか? この地上のどろぼうの血筋を受け継いだ、その愛と生命をはがして再び改造するのは、どれほど気を遣うでしょうか? 今から世の中のすべての人たちが、万国を超えて文総裁の思想を学ばなければならず、一度、聞けばすべて洗脳されるのです。 文総裁に、頭を洗って洗脳する能力があるということは、世の中が証しするのです。洗脳の王が、地上に現れたレバレンド・ムーンである! 拍手してくださ い。(拍手) これを見てください。洗脳されているので拍手をするではないですか? このように洗脳するのは、霊界 では十倍、百倍、千倍、早いのです。千年たった人は、 千倍、早く、一万年たった人は一万倍、早いのです。この立場をどれほど期待して待ったでしょうか? 白頭山よりも高く積みあげた恨の実を抱き、地上の希望を中心として解放の一日を懇切に、懇切に願ってきたのですが、祝福を受けることができなければ天国に行くことができません。 「四位基台が何だ。三対象目的が何だ。なぜ神様は差別して、隠しておいたふろしき包みを文総裁に任せるのか。」そのようなことを言うなというのです。その人たちは、神様の怨讐の愛、怨讐の生命、怨讐の血筋が連結されているのです。 夢にも、言葉でも、その姿を見たくない皆さんの前に、完成した真の父母が天下を治めることができる真の愛の道理の一片でも、一分野でも、皆さんには教えることはできないのです。 いくらもがいても、その時まで待たなければならず、 それが数千万年、信じて待ってきた彼らを、そのまま放っておくでしょうか、文総裁がすべて解決してくれるでしょうか? 答えてみてください。その人たちを、すべて「天一国」に入籍させますか、させませんか? (「させます。」) 皆さんのその立場を奪って、代わりに上げてもよいですか、よくないですか?(「よいです。」)「原理」を見れば、「カインを救ってからアベルを救う」とあるのですが、わたしたちを追い出してでもその人々を「天一国」の王として立て、弟であるわたしたちを兄として侍る天地開闢が地上では成し遂げられなかったので、霊界の人を通して天地開闢が成し遂げられることを願われた大王がお一人いらっしゃるのですが、そのかたが天の父母であり、地上の真の父母だったのです。 (「アーメン。」)(拍手) よく聞いておきなさい。きょう訓読する内容を、骨髄にしみわたるほどの追憶として認識し、自分自体を導いていくことができる何かを立てなければ、「天一国」から脱落するということを知らなければなりません。 警告します。先生が公人の立場で宣言するのです。いいかげんに行くことはできません。いいかげんに結論を下すことはできません。 「間違いない。」という結論を下し、その結論に一致することができるように生涯、歩み、自分の生涯をかけて投機して、もうけにもうけても、「自分の財産ではない」と言うことができれば、あのカジノや賭博場に行っても教材になれるのです。 滅びれば地獄に行き、発展すれば天国に行くという、 生死の決断を下す時になったことを肝に銘じて正しく分別し、留まる位置を復帰する家庭を成就しますように、アーメン。(「アーメン。」歓迎する人は、大きく手を挙げて拍手してみましょう。(拍手) 下ろしてください。 さあ、(神様から)父母への手紙を一度読んでください。(「はい。」) 今からわたしたちの伝統を立てなければならず、そのための資料はすべて明らかにされているので、骨髄にしみわたるように大切にしなければなりません。 骨髄だけでなく、骨にしみるように、肉に、皮に、一身に、環境にしみわたるように記憶しなければならないということを、肝に銘じなければなりません。 (「アーメン。」)皆さんが「アーメン。」と言ったのです。 私は言いませんでした。み言どおりに成されますように。さあ。(「はい。」) (神様から)真の父母にあてたものです。皆さんにではありません。真の父母の報告を中心として、自分たちの教団と自分の国に伝達してくれることを願い、真のご父母様の命令に従順にすることができる統一教会、協会があることを知って真の父母に伝達してきたのです。 ですから伝達を受けた真の父母は、その内容を国とその教団長たちに伝達することができるように、知らせてあげることができるようにするためにこれをすべて訓読する、ということを知らなければなりません。 (「アーメン。」)分かったのなら拍手してください。(拍手) それをすべて訓読しようとすれば時間がないので、手紙だけ訓読してください。(「手紙だけ先に訓読します。」)全体を紹介しなくても、本が出て読むことができるでしょう。時間がないので、手紙の内容とその前後に関するものを紹介してください。(郭錠換先生が訓読をされる)〈訓読〉 金英順女史のメッセージ 「わたしの息子よ・・・・・・」と呼ばれて、み言をお続けになることができず、悩まれ、また言葉に詰まられ、それを毎日、繰り返されても、み言をお続けになることができませんでした。「神様、わたしが何か間違ったのでしたら、ご指摘してくだされば直します。」と申し上げても、「わたしの娘よ、そうではない。」とだけおっしゃいました。 ところがある日、ふと悟りました。静かに座って、「神様、真のご父母様に手紙をお送りになりたいのではないですか? そうではないですか?」とお伺いすると、本当に驚かれ、とても興奮されて、「どうして、おまえがその心情を推し量ることができるのか? 本当におまえにできるのか? 本当にそのようにしてくれるのか?」とおっしゃり、何日間かとても興奮され、感激され、この日を待ってこられました。 この日をお待ちになる神様が、貴い名節を待つよりももっと大きく喜ばれるのを発見しました。お父様、お母様。英順が恐れなくおそばに近づくことはできな い真のご父母様にこの文を差し上げることは、とても恐れ多いことですが、神様の切なるご心情をくみ取っ て、この文をおささげいたします。お許しくださいま すように。二〇〇一年十二月二十八日〈訓読〉 神様のメッセージ「愛する真の父母に」 わたしは万軍の主である。わたしは万軍の主である。 わたしは万軍の主である。わたしの愛する息子よ。わ たしの愛する息子よ。わたしの愛する息子よ。 わたし、万軍の主は、真の父母を愛している。この上なく愛している。この上なく大切である。何をもって感謝と慰労の言葉を息子に伝えることができようか。 愛しているという言葉よりも、もっと良い言葉があれば、その言葉を借りたいが思い浮かばない。真の父母は、わたしの心の中の深いところに根付いているが、その愛は表現できない。 真の父母は、今すべてのことに勝利し、すべてのこどを軌道に乗せたがゆえに、その立場は、まさしく人類の救世主であり、メシヤであり、王の立場ではないだろうか。 十二月二十五日、キリスト教とその他の教団が決意文を採択し、真の父母に待っていくことを満場一致で決議して宣布したので、真の父母は、人類の真の父母の位置につくのがふさわしく、そのみ旨を成すことを万軍の主は願う、願う。 もちろん、多くの世人たちは理解できないかもしれないが、内的立場は立てなければならないがゆえに、万軍の主は、真の父母を王の位置に推戴する。 そのあらゆる獄苦の立場、受難の立場を、万軍の主に代わってすべて払ってくれたので、万軍の主の心情は、感謝と、感激と、興奮とありがたさに満ち、これからは、真の父母にすべてのものを譲り渡してあげたい、すべてのものを相続してあげたい。 わたしの愛する真の父母。神様は、多くの哀訴の日々を送ったが、長い間この機会を迎えることができ なかった。今、万軍の主の心情をくみ取ってくれた。 それゆえ、この大切で貴重な時間にわたしが愛する真の父母に、感謝の心を伝えようと思う次第である。 真の父母、わたしの愛する真の父母。わたしの懐の中に抱いて、抱き締めて、離したくない真の父母。二本の足で歩くことがもったいない。夜通し抱き締めて、心のすべてを打ち明けたい。 万軍の主は信じる、真の父母を信じる。その間の胸痛む事情、経験した苦難と辛さを主は知っている、記憶している、すべて見てきたのである。 神様の罪を真の父母が耐え忍び、勝利の基準を立てたのだから、どうして万軍の主が真の父母を忘れることができようか。ありがとう。感謝している。本当に ご苦労だった。わたしの愛する真の父母万歳、人類の救世主万歳、万王の王、真の父母万歳。 万軍の主が、わたしの愛する真の父母に切実に伝える。 二〇〇一年十二月二十八日 願われるとおりに成されますように。(拍手) じっ としていてください。神様が願われるとおりに成されますように。言ってみてください。(「神様が願われるとおりに成されますように。」) 神様が願われるとおりに成就されますように。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) 天上世界の王権が一つであると同時に、地上世界の王権が一つであり、天上世界の王が一人である以上、地上世界でも王は一人であるということを知らなければなりません。 それを成しておいて、その上で天上王権を伝授しなければならないのですが、逆さまになっているのです。 ですから、神様の面目が立たないので、このことを何が何でも統一教会の教会員たちが、真の父母が天地父母を王権の上に立てたように、自分の国を超えて、世界の国家圏を代表して、真の父母の王権を樹立して一つの世界形態を備え、主体である天の国の一つの王権の前に相対として一体になってこそ、完全な地上天国と解放天国となるのです。 神様ご自身が、自ら決めて神様の位置に座られても平安ではないので、平安な世界を治めることができる王となることができるように、地上で引っかかっているものを解決してくれることを願う、このような内容の手紙であるということを知らなければなりません。 (「アーメン。」) 皆さんの家庭において、千秋の恨みのわなに自分が引っかかっており、一族が、一国が、この世界が、天宙が、神様までもが引っかかっているのです。その解けていないわなを解いてさしあげなければならず、統一天下としてその地上の王権を備えて、天の国に奉献しなければならないのです。 その責任は、真の父母の責任ではなく、真の父母に待っている第三代の、地上で祝福を受けた家庭たちの責任であったのです。それを通告するということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) このことを知らなければ分かりませんが、知った以上、夜も昼も、所願成就の一念しかないということを理解して、山を越え、海を越え、空中を越えて天上天下を一つにし、神様をしっかりとつかみ、地の王をしっかりとつかんで、孝子の栄光を賛美し、忠臣の栄光を賛美し、聖人、聖子の栄光をすべて成し遂げたと賛美して、その栄光をお返ししてさしあげてこそ、それを受けた神様は、初めて栄華としての地上世界を受けられるのです。 そのようにすることによって、天は栄光であり、地は栄華の天国となるのです。解放的神様の心の世界の統一圏となるのです。アーメン。(「アーメン。」)<4/4に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一和 メッコール(250ml×30本×2ケース)【送料無料】 二〇〇二年を出発するこの日、三〇〇〇年に向かう 二番目です。重要なこの年の冒頭にこのような通告を受けたのです。 その通告された内容を伝授され、真の父母が天の前に孝子となり、忠臣、聖人になったのと同じように、わたしたちは、真の父母を解放させるために、真の父母の伝統を受けて、数多くの家庭が一国の解放の王権を樹立することは何でもないというのです。そのようなことができないというのであれば、すべて流れていっFamily 2002.2 62
2024.07.16
コメント(0)
第三十五回「真の神の日」記念礼拝の御言(その2/4)<1/4からの続き> それから、心と体が一つになって神様に似るとき・・・・・・。 神様も一人で暮らすことを嫌われるのです。愛というものは、一人で捜し出す道理がありません。 男性が大統領になり、天下の王になったとしても、この男性を愛することができる女性がいなければ、愛を捜し出す道がありません。 その大統領よりも、この男性よりも貴いものが何でしょうか? この男性をつくる前にだれを考えながら つくったのかというと、女性を前提条件としてつくっ たという事実です。このことを思うとき、女性たちは本当に驚くべきものです。 自分(男性)が女性と似ていたらどうなりますか? 女性は凹なので、何が必要ですか? 姜賢實さん、何 が必要なのですか? ええ?(「凸です。」)凸です。 凸が好きですか? 今まで一人で暮らしてきながら孤独単身だったのに、凸のことを知っているのですか? (「よく分かりません。」)分からないのに、何が好きなのですか? 皆さんは分かりませんが、神様は完全にご存じなのです。女性が絶対に必要なのは絶対愛であり、その愛の主人になろうとすれば、愛の主人に侍ることができる相対者が愛の主人にしてくれるということを知らな ければなりません。分かりますか? 男性がいなければ、女性は愛が全く分かりません。男性と出会い、初愛を中心として生命をかけてふたりが一つになるまでは、愛の主人がだれで、愛の相対がだれなのか分からないというのです。それが結婚です。 結婚とは何でしょうか? 女性が凹で、男性を完成させると同時に、女性を完成させることができる道を訪ねていくのが、祝福の道です。ふたりが愛を通じてこそ、主人にしてあげることができるのです。 男性は、女性を妻を、男性の世界を愛することができる主人の立場に立て、女性は、女性の世界を愛することができる主人の立場に男性を立ててくれるので、 お互いが愛の相対であり、それが貴いのです。 その貴い立場を訪ねていき、愛の主人の資格を認められるためには、自分から“ために生きる”道しかないのです。ために生きる道しかありません。自己主張するときには、億千万世、一人でいて、(最後は)いな くなるのです。分かりますか? 文総裁がいくら優秀でも、お母様がいなければ、いなくなるのです。一代で終わります。一代で終わり、 自分の子女もなく、一つの家庭もなく、息子、娘もいなくなるのです。 それゆえに、女性の前に一番の宝物の中の宝物は何かというと、男性というものであり、男性の前に一番の宝物の中の宝物は、女性というものなのです。そのものがなぜ貴いのかといえば、愛の主人にしてくれる対象的な存在がなければ、愛の主人の立場を捜し出すことができないからです。 ですから、神様も、いくら万宇宙を創造された神様であられるとしても、愛の世界、愛の家庭を持つためには、愛の相対が絶対に必要なのです。 愛の相対が神様を主人にしてくれるのであって、愛の相対なく神様を愛の主人にしてさしあげることができる法は、天理がすべてなくなってもないという事実 ないという事実をご存じなので、神様は、相対である女性を中心とし て、つくらざるをえないということです。 最後につくられたのは女性ですか、男性ですか? 何ですか? (「女性です。」)女性をつくられたのですが、女性とは何ですか? 凹でしょう? 凹は器です。男性がこの白頭山よりももっと大きくて、女性の凹が白頭山より大きいものを受け入れようとすれば、白頭山よりももっと大きくなければなりませんか、小さくなければなりませんか? (「大きくなければなりません。」) 凸が白頭山くらいならば、それを包む器である女性の凹は白頭山よりも大きいでしょうか、小さいでしょ うか?(「大きいです。」)どれほど大きいですか? (「天くらいに大きいです。」)十倍大きいからといって恨めしく思うでしょうか? 器が泣きます。「「ああ、 あふれ出て破れてしまう。」と言うくらいの凸が必要なのにこれは何だ。」と言うのです。 去勢された男性を訪ねていこうとする女性がいるで しょうか、いないでしょうか?(「いません。」)いるでしょうか、いないでしょうか?(「いません。」)い ます。(「いません。」) 去勢された男性と正常な自分を比較すれば、どうでしょうか? 大きな器の前に小さな凸凹は運がないと 言うこともできますが、だからといってそれを蹴飛ばしてしまえば、愛の主人の偽りの看板すらも永遠に捜し出すことができないので、偽りの名前だとしても、 必要ならば小さな器でも大きな器の端にくっつけて種をもらわなければなりません。このように考えるのです。 先生がこのように露骨に話しましたが、露骨ですか? 露骨の反対は何ですか? 陰骨です。輝く光彩 の「光」に、暗闇の「陰」、このようにすべてプラスとマイナスになっているのです。分かりますか? 女性の器が、凹が大きくなければなりませんか、小さくなければなりませんか?(「大きくなければなり ません。」)どのくらい大きければよいのですか? 神様がそこに落ちて息をすることができず、「ああ、 エバよ。エバよ、助けてくれ」と言うほどがよいでしょしょう? 「ああ、ひかれて死にそうだ。わたし(神様)は 死ぬ。」と言えば良いでしょうか。答えてみてください。 男性は国を治めるのですが、家庭を持った女性は男性を治め、息子、娘が女性を治めると言うでしょう。 本当に不思議な位置です。息子、娘にはかなわないでしょう? さあ、結論を下しましょう。分かりますか? 心と体が一つにならずにここに来れば、どろぼうです。ど ろぼうに違いありません。夫婦が一つにならずにここに来るのは、どろぼうに違いないのです。 男性がきれいな女性を横目で見るのはどろぼうであり、"ああ、わたしの妻よりもりっぱな妻がいれば、その女性をここからどろぼうするために来た。”という、そのような事実が多いのです。 これは、どろぼうの親戚の素質を持っています。男性も女性も皆、持っているのです。おばさん、それは正しい話ですか? 自分の夫よりももっとりっぱな夫がいれば、ああ、わたしの夫よりもあの夫と暮らせればよい。”という、そのような心を持ちますか、持ちませんか? “持たない。”というのは偽物なのです。神様でもそうです。 神様も良い人を訪ねていかれるのです。文総裁よりも、もっと良い人がいればすでに訪ねているはずですが、万国統一するのに私よりも良い人がいないので、 今まで神様は待ってこられたのです。 何千年、何万年と待ってこられた神様は、天地の創遠主、大王陛下になることができないのです。大王陛下になることができなければ、死ぬしかありません。 愛を捜し出すことができる道がありません。対象がいないのです。 しかし、文総歳さえも逃してしまえば大変なことになるので、おじいさんになり、気力も衰えた立場の先生にしがみつき、先生の腕を切り、首を切って神様を接ぎ木し、自分の代身として立てれば、自分が生きることができる。」と考えられる神様です。そのような知恵はあるのです。分かりますか? 分かりますか?(「はい。」) 悪事を働いた父母も、忠臣の息子、娘が、父親のために「わたしの父と母は、孝子になることができなかったので、わたしが孝子になる。」と言えば、その父母は、 孝子を育てて死ぬことができる道もあるのです。分かりますか?(「はい。」)ノーメンですか、アーメンですか?(「アーメン。」) 永遠のアーメンですか、途中で切断されるアーメンですか?「アーメン。」と言えば、永遠のアーメンです。万国、万天下が滅んだとしても、滅びるのを見ても、千年万年、百回、千回、滅びる国を見ても、「わたしは行く。」と言うことができる決心を持たなければなりません。 男性の凸器官と、女性の凹器官が入れ替わりますか、 替わりませんか? 男性が凸から凹になり、女性が凹回から凸になりますか? 凸なら凸、凹なら凹が替わりますか、替わりませんか?(「替わりません。」) 替わりません。千年万年、替わりません。その姿は、上に見ても、下に見ても、いつ見ても、一年中いつ見ても同じ顔ですが、愛に向かう行動が同じ顔でなくなるときは、ずれるのです。角度がずれるので、破損物になるのです。 女性も、すべてここに合わせて直線です。男性もそうです。男性がこのように横向きになりましたか、直線ですか? 直線は、直線同士で一つになって天地が回っていくことによって、宇宙のすべての理想的形態を備えることができるのです。 このような話をして申し訳ないですが、新千年歷史においては、この伝統を明確に正しておかなければ、破壊的で、再び歴史時代の祭物となり、亡国となるかもしれないと憂慮しているので、統一教会の総責任者である文総裁は、朝から勧告の訓示をするのだということを忘れますか、忘れませんか?(「忘れません。」) 忘れますか、忘れませんか?(「忘れません。」)それは、終わった。安心してもよい。”ということです。 神様の心と体は闘わないのですが、皆さんの心と体は闘いますか、闘いませんか、おばさん。統一してみましたか? 優れていると言いながら傲慢になり、浮足立って飛んでいって落ちるのです。最後になって、 最後の頂上に行って合格ですか、不合格ですか? 不合格で落ちていくというのです。 問題は、歴史的神様が、最後にすべて選別して天国に入籍入国させるようになるときには、心と体が一つ になった男性でなければなりませんか、女性でなければなりませんか? 心と体が一つになりましたか、この者たち。(「なっていません。」) さあ、「神様のように、わたしの心と体は永遠に一つである。」と言ってみてください。(「神様のように、わ たしの心と体は永遠に一つである。」) 夜でも一つであり、昼でも一つであり、一年じゅう一つであり、地上世界でも一つであり、天の世界でも一つなので、「わたしと比較する者、出てきなさい。」 と言うとき、神様も注意しながら出てこられる孝子、忠臣、聖人、聖子が君臨したのです。 「神様が出てこられて、わたしに学びますか? わたしに教えてくれますか?」と言うとき、神様も文総裁の世話にならなければならなくなり、学ぶことができる立場であられるのです。このようなばかげた世界に、このような怪物がどこにいますか? 神様を解放してさしあげたのです。 ですから、「統一思想」がどれほど偉大ですか? 神様を解放し、わたしの手で天地を主管する王の基地をつくろうという、そのような思想を持った男性を凌駕する者が世の中のどこにいますか? 「心と体は統一。」、言ってみてください。(「心と体は統一。」)皆さんは、韓国語で聞いていますか、イヤホ ーンを通して聞いていますか?(「イヤホーンです。」) イヤホーンを通して聞く人が本物ですか、イヤホーンなく聞く人が本物ですか?(「そのまま聞く人が本物です。」) 本物以外は、すべて偽物でしょう? 本物は一人な のですから、二人いれば一人は偽物ではないですか?二人のうち一人は偽物でしょう?ですから、本物の言葉を学びますか、学びませんか? 本物の国民になりますか、なりませんか? 本物の人として、神様の 一番の王子、王女になることができる本物の人になるのです。偽物では、なることができません。 韓国語が分からない人は、今後、王権の主流圏内に参席できる資格がないということを知らなければなりません。その国の文化を知らず、伝統的思想を知らないで、どこに行くのですか? 行くたびに、国を引っ張っていって滅ぼしてしまうのです。それは理にかなった話です。わたしは賢い人です。文総裁は、賢い人ですか、頭の悪い、まぬけな人ですか? どれほど賢いのか、神様の秘密のかぎまでも見つけて、ばたんばたんと、すべて開いてしまいました。そのくらい賢いというのです。 天上世界の秘密と、地上世界の歴史において結ばれたものをすべて解き、「わたしの後に従ってこない人たちは皆、地獄行きだ。一辺倒だ。」と、このような結論を下して「わたしに従ってきなさい。」という看板をつけたので、サタンまでも「サタン世界は嫌です。」、サ タンの手下も「嫌です。」、個人も「嫌です。」と言うのです。統一教会員は、父母から拉致までされたでしょう? 日本人は、統一教会に行くと言って、父母が子女たちを拉致した、歴史にない、そのような実績を残す日本の国が、神の前に誇られるべきですか、責められるべきですか? (「責められるべきです。」)日本人!(「はい。」)夢にも、そのようなことを考えてはいないでしょう。いくら何と言っても、日本人は韓国人より上であって、優秀な群れである、と考えているでしょう。 あなたは日本人ですか?(「日本人です。」)日本人 がなぜそのようになったのですか? わたしは、日本に 行って勉強もし、日本人や先生とも討論してみましたが、そのような人は一人も発見できませんでした。あなたは不思議な日本人ですね。(笑い)何が不思議なのかといえば、統一教会の文先生から洗脳された日本人であるということです。 韓国の文先生に洗脳された日本人なので、日本に近づくよりももっと韓国に近寄った場合には、台風がこのように吹いた場合には、強いほうに残るようになる と考えるのです。 両方、清算はできません。いくら台風が憎しみの高い親玉と言ってもです。ふたりを滅亡させたら、地上の人類が滅亡してしまうので、そこに優秀な者を残して、残った場合には、別れを告げて、「ごめんなさい。ようこそ。おやすみなさい。」と言って、ふーうーと消えていくのです。 日本の歴史も、日本の国も、日本人の形も、日本人の話も消えてしまった者にならなければ、本物になれません。 本物になるには、九九パーセントまで偽のものに、 真の一パーセントを付けたとしても、それは真の金になりません。分かりましたか? 九九パーセントの悪いものを半分以上、六〇バーセ ント、金に属したものに変えて、そこに一パーセント の金を付けた立場であれば、一〇〇パーセントにはならないけれども、九八パーセント完全なものとして認定してあげる、ということです。 認定するときの方法が、接ぎ木です。接ぎ木を知っていますか? 一割の柿の木を真の柿の木に接ぎ木し なくては、真の柿の根と柿の実は永遠に見いだすことができません。これは、理論的な結論です。分かりましたか、分かりませんでしたか?(「分かりました。」) 「分かりませんでした。」と言う人は、国に流れて行きなさい。「分かりました。」と言うのは、国に残ることは永遠に不可能であるから、心身一体になれる見込みのない者は、今日から裸になって玄界灘を跳んで、走って、泳いで渡らなければなりません。 水に流されたとしても、『韓国の地に死体でも残そう。”として、日本人が葬ることはできないので、韓国人に葬られた場合には、条件的サタン世界の国境線を越えて立つ道があるかもしれないという話になるのです。分かりましたか? 「韓国人と日本人と交差結婚をしなさい。」と言ったとき、歓迎する者は何パーセントですか? 君は?(「一〇〇パーセントです。」) (「妻が韓国人です。」)だれがですか?(「妻です。」)ですから、父母は韓国人ではないではないですか。(「はい。」)祖父母が韓国人ではないではないですか? (「はい、違います。」) 韓国人の伝統を三代で受け継いで韓国人になって、初めて純粋な韓国の種でしょう? 日本の女性をもらって、これが韓国人ですか? (「新韓国人になります。」)そのようになろうとすれば、 父母までも七代を中心として、すべて韓国人になって日本人意識を否定し、日本のものを韓国に植えなければ、生きて立つ位置がありません。 「総生畜献納」して教会本部に持っていって、積みなさいというのです。日本の本部ですか? 文総裁が いる本部です。 ですから、政府がいくら文総裁のことを嫌っていても、教会にあるものを奪っていくことはできません。 「安全処置として教会の名前で登録しなさい。自分の万物と息子、娘と夫婦を登録しなさい。」と言いましたか、 言いませんか? この者たち。カップルというのは一人ではありませ ん。サタンが最も嫌うのがカップルです。二人が一つになれば、サタンが滅亡します。 日本の女性ですか、韓国の女性ですか?(「日本人です。」)「日本人。」と言えば、本当にサタンの身内です。日本の兄弟です。分かりますか?「日本の食口」 です。だれを中心としてですか? 神様を中心として言う言葉です。 「日本の国の兄弟」です。「日本の祝福家庭」です。「日本人」ではありません。どこに行っても、自分の口で「日本人」と言ってはいけません。日本、これほど不自然なものがどこにありますか? “わたしたちの国がなぜないのか!”と考えてみましたか? この者たち。自分がよく食べて暮らせればそれで良いと考え、神様が泣かれ、真のご父母様が悲惨なことを理解できない者は、愚か者の身内ですか、善 なる身内ですか? 滅びる身内ですか、発展する身内ですか?? 滅びる者です。 そのような群れを集めて、「わたしに似なさい。」と千年、言っても、わたしに似ることができず、結局は、 荷物をまとめて太平洋の中に流れていっていなくなっ てしまう民族にならざるをえないということです。 日本は、震度8か、8・5か、9の地震が起きてこのように動き、太平洋の六千メートルのがけに落ちて 流れていってしまう民族なのです。警告しますが、危険千万です。<3/4に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一和 メッコール(250ml×30本×2ケース)【送料無料】 第一の先決条件は、心と体が一つにならなければならないということです。目(視力)も一・二、鼻も詰 まらず、口も言葉を話すにしても、答えを言うにしても、余計なことを言ってはいけません。耳も、十里、百里、千里でも間違いなく聞くことができなければならず、手も、つかめば放しません。 わたしが必要とすれば、つかんで放しません。行くべきところに行って、(そのままでは)帰ってきません。 目的を成し遂げなければ、収穫することができる結実Family 2002.2 50
2024.07.13
コメント(0)
第三十五回「真の神の日」記念礼拝の御言成約十(二〇〇二)年一月一日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 もう聞こえますか? これが悪いのか良いのか、私も学ばなければなりません。人の能力は、とても驚くべきものです。この小さなもの(マイク)を通して全体に声が届き、わたしたちの耳に穴が開いていて、それを理解できるようになっていることを、ありがたく思わなければなりません。 分かりますか?(「はい。」) そのような意味で、今日の文明の発達と結実を愛さなければなりません。ですから、統一教会員たちは、伝道をするときに、口一つだけではいけません。体の五官だけではいけないのです。 文明の利器を最高度に適用して、ここで話すことが地の果てと天上、無限の世界にまで広がっていくことができるようにするのです。文明の利器を活用する時が来たということです。 それはどういうことかというと、わたしたちが伝道するときに、人の口を通して伝道する時代は過ぎたというのです。分かりますか?(「はい。」)最高度の文明の発展を誇ることができ、第四権力の権威を誇ることができるこの言論界の力を通して、六年、十年かかってすることを一瞬のうちに、六日で、六週間で、六か月ですべて終えて余りある時が来たのです。 それで、先生のしてきたことが主に何であるかというと、統一教会の思想的勝利の覇権の位置を築いてきたのです。世界的な、天宙的な覇権の位置を築いてきたので、今ではもう思想的基準においては統一教会を凌駕することはできません。 共産主義もそうであり、哲学もそうであり、民主主義世界の、どこかの大学の天才的な教授が、ノーベル賞を十個、百個、持っていたとしても、統一思想を凌駕することができる人はいないということを知らなければなりませんか、悟らなければなりませんか?(「悟らなければなりません。」) 知るということと、悟るということはどういうことですか? 知らなかった立場から努力して知るように なることを、悟るというのです。悟る時が来ました。 それゆえに、霊界においても、イエス様をはじめとする四大聖人や、文化創造に協助した歴史上に輝く聖賢、賢哲たちにまでも、真の父母が伝授する真なる真理の内容を、セミナーを通して教育しているのです。 その教育を受けている責任者たちは、キリスト教などの宗教圏の重鎮、教派の長、文化世界の功臣であり、神様の命令によって一人も欠けることがないようになっています。それがキリスト教から出発したのです。 キリスト教の中で、歴史を通じた重鎮の人物たちは、「わたしの命令によって一か所に集まりなさい。」と神様がおっしゃれば、集まりますか、集まりませんか? (「集まります。」)集まりますか、集まりませんか? (「集まります。」)集まりますか、集まりませんか?(「集まります。」) それと同じように、真の父母が、「清平に集まってはならない。」と言えば、集まらなければなりませんか、 集まってはいけませんか?(「集まらなければなりません。」)「集まるな。」と言っているのに、集まらなければならないのですか、この者たち。ぼうっとして聞 いています。「集まるな。」と言っているのに、集まらなければならないのですか?(「はい。」) 聴衆を指導する文総数は頭が良いのですから、「「集まるな。」と言っているのに集まらなければなりませんか、集まってはいけませんか?」という問いに対する答えは、何でなければなりませんか? この者たち。 話を聞いていないという事実です。分かりますね? (「はい。」) 話を聞いていないのですから、悪口を言われて、前髪が抜けてはげ頭になり、怨讐の頭になったとしても、精神を正してしっかりと悟らなければならないということを知らなければなりません。 聞いて知り、悟って理解しなければなりません。どのような内容なのか分析し、鑑定し、「正しい」と言うことができる立場で理解してこそ、使用価値があるのです。 悟ることができずに皆さんの頭にそのまま放り込めば、器の下の方にあらゆる悪いものが敷かれているので、その上にいくら良いものを置いても、使用価値がありません。それを売ったとしても、悪いものとしての評価しか受けることができないということです。 ですから、悟って自分のものにしようと思うならば、しっかりと熱心に聞かなければなりませんか、しっかりと熱心に聞いてはいけませんか? どちらですか? (「しっかりと熱心に聞かなければなりません。」)知っていることは知っているのですね。 文明の利器を活用して一瞬のうちに世界、天宙にま で宣伝、放送することができる時代が来たのです。そのことをよく知っている文総裁は神様に侍り、神様が文総裁がそれをしてくれることを願われるので、それをするというのです。分かりますか? 自画自賛する者は滅びると言われたのですが、滅びませんでした。 文総裁いわく、文明の利器の王となって一瞬のうちに天下を懐に抱き、世界の大平和をかけて戦う戦場の第一線の将兵として総出動するにおいて、赤ん坊までも裸で従ってくることができるようにすれば、天下は、瞬時に統一天国にならざるをえません。ノーメンですか、アーメンですか?(「アーメン。」)(拍手) 知っていることは知っているのですね。(拍手) きょう歌ったこの聖歌(韓国語聖歌一番「勝利者の 新歌」)は、わたしが作ったものです。皆、他の人が作ったと言いますが、これをきょう歌ってみると、四番に 「善なるみ旨」(日本語聖歌では「創りし主の御旨」)と出てきます。 このみ旨を出発しながら成した昔の役事が、きょう花咲くこの場、新しい天国の名を代表した「天一国」の 広場の前で、いちばん初めの年の最初の朝におけるこ のような集いの場においてそれを聞いたので、本当に 感慨深かったのです。 夢は成し遂げられるものですね。その夢は、偽りの夢ではなく、神様を代身した夢であったので、間違いなく成し遂げられるのです。 それでは、「天一国」と言えば、世の中が笑うでしょう。「何が、天一国だ。」と。しかし、この内容はどれほど素晴らしいでしょうか。二人を統一することができる力を持った国の伝統を確保しました。 歴史を通じて、闘ってきた心と体の紛争を、一度も統一したことがありません。心と体が闘いますか、闘いませんか?(「闘います。」)闘いますか、闘いませんか?(「闘います。」) 今からは、心と体の闘いを主管できない人は”亡国の種”です。先生が贈り物として、ためらわずに地獄 に放り込んでしまうというのです。そのようにする時が来ました。二人が一つにならなければなりません。 右目と左目、その主体と対象が一つになってこそ完全な一・二の目になるのです。鼻も、右の鼻と左の鼻が通じてこそ一つになるのです。一つにならなければ、"亡国の鼻”です。 耳もそうであり、口も、これが二、三ミリだけでもこのようになれば、発音するのが難しいのです。一度やってみてください。テープを張って一度やってみてください。どれほど発音しづらいでしょうか。舌を、どこにも合わせることができません。 よく訓練されているので、この中央に舌をぴたっと合わせて発音できるのです。習慣となっている自分の国の言葉を、最初から間違いなく言い放つその銃弾は、天下に響き、立てられた標的にダーン、ダーン、ダーンと的中するようになっています。分かりますね? (「はい。」) 手も、左手一本だけがあれば良いと思う人は手を挙げてみてください。それは狂った人です。女性なら狂った"あま”、男性なら狂った”やつ”、王がそうなら "死ぬべきやつです。分かりますか? 手は、左手があれば右手がなければならず、右手があれば左手がなければなりません。同じことです。 「男性」という言葉は、男性を中心として言う言葉であると思っているでしょう? 統一教会に入ってき て、そのことは常識的に知っていることではないです か。「男性」という言葉は、女性を先に認めて言う言葉です。分かりますか? 女性ゆえに男性が生まれたということです。 気分が良いでしょう、女性たち。泣いて暮らしていた顔や、しかめ面が、今朝、先生の話を聞いて、「ああ、美しくて、見事な香りを醸し出す、つぼみのような笑顔をして、天地が踊りを踊ることができるようなことが起きるか、起きないか分からない。」と言って、神様が、「おい、どうして分からないのか。わたしは分かった。」とおっしゃるとき、「そうですか、わたしも踊りを踊ります。」と言って歌を歌わなければなりません。 分かりますか、分かりませんか?(「分かります。」) ここにいる日本人は手を挙げてみてください。日本人です。日本のやつ、手を挙げてください。なぜここに来たのですか? 韓国人は、日本人を「日本人」と言うようにはなっていません。日本のやつ、何々のやつ、どろぼうのやつ、悪いやつ、そのように言うということを知らなければなりません。 アメリカ人を「アメリカ人」と言うことはできません。「アメリカのやつ」、それから「ソ連のやつ」、「中国のやつ」です。 文総裁は、「韓国のやつ」と言っているのです。わたしのほうが一つ多く知っています。ですから、総裁になることができるというのです。一票でも多ければ大統領になることができるのです。背が少しだけ大きくても王になることができます。 ですから、一つ多く知っているということは、文総裁は「韓国のやつ」と言います。大統領でも、だれでも皆、そうです。 では、文総裁は何ですか? 文総裁は何ですか? やつですか、何ですか、王ですか?(「様です。」)様とはどういうことですか? (笑い) 別れて追い出された恋人を呼んでいるのですか。このような話をしようとすれば、他の話よりも喜んで聞き、きょう一日、話さなければならない運命を生きる人になります。 そのような立場には立ちたくないので、話をしないようにしようと思いながらも話すようになってしまったので、癖を直さなければなりません。 たくさんの人が来るのなら、来て、かまわず、もちを一つずつ食べさせて送り出せばよいのであって、大切に倉庫に隠しておいた秘密の箱まで持ってきて見物させ、秘密の米を出してもちをつくり、たくさん食べさせようと思う王は悪いやつですか、良いやつですか?(「良いやつです。」) 悪いやつは「やつ」と言うとしても、「良いやつ」と言うのですか?(「良い人です。」)だれを中心としてですか? 神様です。神様がごらんになる、良い人です。神様がごらんになって良い人とは、どのような人ですか? 人の中で、神様がごらんになる人はたくさんいるのですが、良い人の中の最も良い人は、一人ずつしかいない神様の息子、娘です。「アーメン。」と言わなければならないでしょう。(「アーメン。」) そのような息子、娘が、二人だけで一つのカップルになるようにして、天の国に直行することができる群れをつくっておいたのが、統一教会であったのです。 きょう、「三代」という言葉を聞いたでしょう?(「はい。」)三代中心血統を相続した王の家庭です。ですから最近、統一教会で祈祷するときには、そうではないですか? 真の父母の祝福によって、祝福何ですか? (「祝福中心家庭です。」) いいえ、真の父母の祝福によって受け継いだ、(「勝利圏を祝福によって受け継いだ。」)受け継いだ祝福家庭だれだれの名です。 最近の祈祷は何ですか?(「祝福中心家庭です。」) 「真の父母」という言葉を追い出したのです。真の父母は必要ないというのです。今は何と言うのですか?(「祝福中心家庭です。」)祝福中心家庭です。 祝福中心家庭とは、だれですか? 真の父母です。 真の父母ですが、真の父母を追い出してしまったので、 三代(目)の人がするしかないではないですか。そうではないですか? 真の父母を追い出したので、真の父母が祝福してあげた神様の三代目の孫がするしかないではないかということです。分かりますか?(「はい。」) ですから、孫たちがしなければならないことは、何でしょうか? 今までのサタン世界の三代は、悪なる 環境と世界において、神様を囹圄(れいご)の身に追い込んでいましたが、解放的三代となり、サタンを監獄に放り込み、その世界の汚されたものを瞬時に火で燃やしてしまい、この世界の何者よりももっと価値のある三代権威を代表した王国の王になろうと思う人たちが、統一教会の祝福中心家庭でなければなりません。(「アーメ ン。」)知っていることは知っているのですね。それが重要です。 今からはもう、先生は必要ありません。すべて相続したので、サタンが反対できません。ただひとえに皆さんが持てるすべての精誠を尽くすのです。「家庭盟誓」 があるでしょう? その第一の表題は何ですか? 第一が、「わたしたちの家庭は」、何ですか? 「真の愛を中心として」、何ですか? すべて真の愛が課題です。 真の愛がなくては、万事が栄え、成就し、勝利する完成圏が出てこないというのです。真の愛が、一節から八節までのすべての盟誓の骨になっています。真の愛が何になっているというのですか?(「骨です。」) さあ、ですから、きょう歌った聖歌の由来に関して、 感慨深かったのです。五十年前に、小さな部屋でそれを標的として立て、万民がこの骨子を理解して、主流思想に従って目的の天国に向かうのです。今、天国の 目的地が何ですか? 「天一国」に向かうのです。 この大講堂(大聖殿)は、世界のどこにも引けを取らないのです。りっぱに建てましたか、建てられませ んでしたか?(「りっぱに建てました。」)これはだれがたてましたか? 霊界が建てましたか、先生を中心として肉界で建てましたか? (「先生を中心として肉界で建てました。」) 何ですか、この者たち。先生は、れんが一つにも触ったことがありません。見物はしましたが、一つの石も置いていません。霊界のだれがしたのですか? (「神様です。」)どうして神様なのですか? 興進君です。神様の息子が、王権を立てて神様を王座に座らせてさしあげたいと思ったのと同じように、 真のご父母様の息子が、天上の神様を王座に座らせてさしあげると同時に、先に天上世界に行った息子の興進君は、天上を収拾して地上にまで連結したのです。 王権樹立をするための準備をする訓練所が何ですか? 天城何ですか? (「天城旺臨宮殿です。」)旺臨、 (「宮殿。」)天城です。この城は、天城旺臨です。天の国の宮殿が本殿ではありません。この城は訓練所です。訓練所であるというのです。分かりますね?(「はい。」) だれが建てたというので すか?(「興進様です。」)だれのためにですか?(「お父様のためにです。」)神様のためではありません。お父様のためです。 それでは、興進君の百分の一、千分の一、万分の一をするのですか、千倍、万倍、億万倍するのですか? 地上が目的完成の基準であるにもかかわらず、死んでここを離れ、実体を捜したてることができない霊界に行ってこのような基盤を築いたのが、興進君です。 霊界の司令官ですが、神様もできず、イエス様もできず、五大宗主たちもできず、聖人たちもできなかったことを、霊界に行って何年目かに一人でこのようなことをしたということは驚くべき事実です。 だれの力によってですか?(「神様の力によってです。」)真の父母の力によってです。神様王権樹立をしたのは、神様ではありません。真の父母です。分かりますか?「天一国」をつくったのは、神様ではありません。真の父母です。 「天一国」という言葉は、天宙平和統一国です。天一の「天」という字は、「二人」であり、「二つの世界」 です。これは水平です。天の国と地上に、「人」です。天の人と地の人が二重構造になるのです。 皆さんの心と体は、二重構造になっているでしょう? 心と体が一つになりましたか、なっていません か? 闘っていますか、統一されましたか?(「闘います。」)闘う群れは、「天一国」の国民になることはで きません。こうりづくりの子女(時期に合わせて行うべきことを、時期を過ぎても続けている人の意)たちです。無礼な息子、娘であるというのです。 先生が「何々をする。」と言えば、するのです。今まで先生はそうでした。うそはつきません。先生の性格がそうなのです。分かりますね? 今からは、心と体が闘う人は、ここに入ってくることができません。 神様の五官が完全ならば影も完全なのですが、この実体というものは影を持っているので、実体が神様の影を破壊してしまうのです。その影がすべて踏みつぶされてしまう、このような恥辱と不忠がどこにあるのかということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」)このことだけ知ればよいのです。 ですから、ここで私が、入籍修練が終わったときに「正午定着である。」と訓示して、歴史にもない、辞書 にもない新しい言葉を創造して発表したことを、皆さんは知っているでしょう?「正午定着」すれば、影がありません。影がないのです。太陽は、頂上です。 正午、正午、正午です。正午は、昼でもなく、夕方でもなく、朝でもなく、夜でもなく、朝でもありません。そうでしょう?永遠に一年中、朝、夕が昼であって、夜はありません。影がないというのです。 では、「正午定着」した人たちは、心と体が闘えば心と体が闘う影が生じるでしょうか、生じないでしょうか? 闘って体が強ければ左側に影ができ、心が強ければ右側に影ができるというのです。完全に一つになって、初めて影が「正午定着」になると言ったのです。 「正午定着」できない人は、この門を通過する道理がありません。 今から帰って、刃物を自らに突き立てて誓い、ずれた姿勢を正さなければならないという決意をし、自分を屈伏させなければならないと千回、万回、命令しな ければなりません。 裁判長の神様を代身して自分に命令しながら、絶対服従、絶対一体圏を成すと思って、「安心してくださいますように。」と言うことができる自分を捜し出してこそ、天の国を建国することができる勇士として参席することができるのです。アーメン。(「アーメン。」)<その2/4に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ それから、心と体が一つになって神様に似るとき・・・・・・。 神様も一人で暮らすことを嫌われるのです。愛という39 Family 2002.2h
2024.07.09
コメント(0)
第35回「真の神の日」午前零時の御言成約十(二〇〇二)年一月一日、天宙清平修練苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 祈祷 愛するお父様。たった今、二〇〇一年の標語である「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語を中心とした三千年紀の出発である最初の年を送り、今、二〇〇二年を迎え、 三千年紀に入って二番目となるこの年において、「天地父母の理想である自由と平和と幸福の『天一国』安着万歳」という題目をもって、神様の所願成就である国の完成のために出発することができる、新しいこの時間となりました。 「天宙平和統一国」である「天一国」の理想は、天地父母をお迎えし、地上世界と天上世界の祝福家庭が一つになって、自由と幸福と平和に満ちあふれた「天一国」が安着することであり、そのための新しい時代であることを宣布いたしました。第35回「真の神の日」 午前零時から祈祷をされる真のご父母様 (成約10〔2002〕年1月1日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿で) この国が、千年、万年、あなたの保護の中で、永遠なあなたの所願成就の完成を成し、億千万世にわたって「萬萬歳」を叫ぶことができる、善なる主権の世界に前進することをお願い申し上げます。 お父様。救援摂理というものを表題として、人類始祖のすべての失敗を清算するために、数多くの蕩減の歴史時代を経てこられた天の父母の前に、子女とならなければならず、真の父母の伝統を受け継がなければならない人類始祖が、そのことに失敗することによっ て、怨恨の歴史を残してきたという、悲しく無念な事実が残されてきました。 それらをすべて清算し、真の父母の地上顕現とともに、サタンと天の境界線に立ち、悪なる世界において、蕩減という法則を通して個人時代を克服し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、八段階の受難の道を、霊界の道に沿って解放の一日を願ってやってきました。 それらすべてのことが、真の父母の蕩減勝利によって、今、この地上に「天宙平和統一国」である「天一国」を成就させ、神様をお迎えして安着することができる時代となりました。そのような時代をもたらしてくださった恩賜を感謝申し上げます。 新しく始まる三千年紀の第二次の年を迎えて、「天一国」を私たちにもたらしてくださり、天を中心として、 地を中心として、この地上に永遠無窮に続くことができる地上、天国理想完結のための「天一国」を成就させてくださった恩賜を感謝申し上げます。 また、この国において、個人安着と家庭安着、国家安着と世界、天宙安着、天地父母をお迎えして、永遠の自由と平和と幸福の天国として継続することができる解放的時代を、私たちのこの時代に迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。今、新千年紀へと越えた二年から、忠孝の道理、家庭においては孝子となり、国においては忠臣となり、 世界においては聖人、天宙においては聖子の道理のために生き、創造理想の理想的標準である家庭定着と国定着と天宙定着を、神様が望まれ、喜ばれる中で完成し、奉献することができる忠臣の道理を果たし、天に侍ることのできる侍義の時代を迎えるようにしてくださ った恩賜を感謝申し上げます。 きょう、天上世界の祝福家庭と地上世界の祝福家庭を連合した子女たちと父母が一心一体となり、天の父母に仕えるための新しい出発が成されるこの日において、私たちに任せてくださった「天一国」の新しい伝統を立てるうえで、私たちのあらゆる精誠と誠心を尽くし、個人的な伝統、家庭的な伝統、国家的な伝統、世界、天宙的な伝統を立て、忠孝の道理をこの地上に広げることができますように。 そのような勝利の天国の世界と自由と平和と幸福の天国に前進することができる新年となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 ここに参席した子女たちを、お父様、喜んで受け入れてくださり、天上の祝福を受けた子女と地上の祝福を受けた子女の子孫たち、万代のあなたの子女たちを、 愛の主人の立場において、また、父母の立場に立って愛し、師の立場で教え、主人の立場で管理してくださいますように。 そうして、善でないものがない自由解放、天国の世界に前進に次ぐ前進を誓う子女たちが、新しい千年のこの年を迎える時間となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 神様が、私たちの生活圏内に入ってこられ、私たちの家庭と氏族と民族と国家と世界を、喜びの中で治めてくださり、自由解放統一の天国である「天一国」の定着と万々世の祝福が、永遠にもたらされますように。 今から、神様が喜ばれる「天一国」解放の世界に、共にいてくださり、同伴してくださり、導いてくださることを、真の父母の名によって懇切に、懇切に申し 上げながら報告いたします。アーメン。アーメン。アーメン。真のお父様が、年頭標語「天地父母の理想である自 由、平和、幸福の天一国安着萬歳」を揮毫される み言 「天」という字は、”二人”を表します。「天」という字が”二人”を表し、その「二人」は、"上の水平” と“下の水平”を表します。「二人」です。「二」という字は、“上の水平”と“下の水平”です。それは、天上世界と地上世界が平和にならなければならない、ということです。 ですから、“天宙平和』という意味が含まれています。 「天一国」です。これ(「天一国」の「一」)は、「統一」 の「一」という字です。”二人が、真の愛を中心として統一されている”ということです。 昨年の標語の中で、「真の愛の主体性である・・・・・・」の次は、何ですか?「絶対、唯一、不変、永遠の・・・・・・」、その次は、何ですか? 「み旨が完成されますように。」です。 それは、「真の愛を中心とした絶対、唯一、不变、永遠のみ旨が完成されますように。」ということです。真の愛でなければ、み旨を完成することはできません。ですから、「真の愛のみ旨が完成されますように。」ということなのです。それは、絶対、唯一、 不変、永遠です。 「絶対的愛、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨が完成されますように。」ということなのですが、それが何かというと「天一国」です。「二人」 が一つになった国です。 それは、「天宙」という言葉、天宙平和……。これにすべてが入っています。天地の家を表します。天宙平和、この「二人」の中に、すべてが入っています。水平の平和です。 統一というのは、主体性を表します。男性も女性も、二人が一つになって、天をお迎えしなければなりません。 そうして、お迎えしたその中心的な天を中心として、 自分の心と体が一つにならなければならず、皆さんの個体が完成し、その次には夫婦が完成し、その次には 父母と子女が一つになり、夫婦が一つになり、兄弟が 一つになるのです。すべて二人です。 主体、対象圏が、どこにおいても一体を成すためには、真の愛によらなければなりません。真の愛が、中心になるのです。個人的中心、その次に家庭的中心と、 そのようにして、だんだんと大きくなっていくのです。その次に、父母と子女の中心、その次に兄弟の中心、 だんだんと大きくなっていきます。 そのようにして、家庭が定着すれば、家庭を中心として、氏族の二つが一つになり、氏族と一つになれば、氏族を中心として民族と一つになり、民族を中心として、その次には国家と一つになり、国家は世界と、世界は天宙と、天宙は、神様と一つになることができるのです。それが、統一的国家です。 それは横に行っても、縦に行っても、ぶつかりません。堕落した世界は、心と体が闘うのです。「二人」が闘うのです。すべてのものが、そのよう に相克になっています。二人 が一つになろうとしても、一つになることができず、夫婦 も一つになろうとしても一つ になることができず、父子関係も怨讐関係になっていて、 兄弟関係も怨讐関係になっているのです。 「天地父母」も、お二人で す。「天地父母」です。天と地 が水平となって、これが人によって連結し、そのお二人が、 地上に定着するのです。 それで、(今年の年頭標語は、)「天地父母の理想である……」、それから何です か?「自由」です。天地父母の理想は何かというと、 自由の理想です。それから何ですか? (「「平和」です。」) 平和の理想です。 すべてのものが水平になり、水平になったからといって、これは固着しているのではなく、和動することができ、いくらでも横的に運動することができ、いくらでも縦的に運動することができるという、このような 立場になっているのです。 そして、「自由」と、それから何ですか? 「統一と幸福の・・・・・・」、何ですか? 「幸福の「天一国」定着 (安着)」です。「定着」ですが、「『天一国』定着」ではなく、「安着」なのです。「定着」では、違います。 「定着」は訪ねて行き、動いて、目的に向かって行って、留まることをいうのです。それが「定着」です。 「安着」は、定着したので、暮らしが始まるのです。 「そのような暮らしが始まることを、出発することを萬萬歳で願います。」ということが、今年、二〇〇二年の 標語なのです。 ところで、昨年の標語では、「解放された・・・・・・」、何ですか?(「「天地父母と」です。」)「天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯 一、不変、永遠の・・・・・・」、あるいは「・・・・・・永遠なみ旨が 完成されますように。」です。 それが、個人の心と体、この”二人”が一つになり、夫婦が一つになり、父母と子女が一つになり、その次に、兄弟が一つになって、これが定着するのです。どれ一つが欠けてもいけません。お父さんが欠けてもいけませんし、お母さんが欠けてもいけませんし、息子が欠けてもいけませんし、娘が欠けてもいけないのです。父子関係は、そのようになるのです。 その次に、これが成長して夫婦関係になり、その次に、祝福を受けて息子、娘を生んで、定着するのです。 三代を経て、初めて定着するようになるということを知らなければなりません。三代で定着です。 それでは、神様が一代であられ、その次に、二代はだれですか? それは、アダムとエバではありません。 神様の理想的一代圏を中心として、神様が一代であられ、真の父母が二代になるのです。真の父母です。分かりますか?(「はい。」) アダムが失敗したことによって、すべてを失ってし まったので、完成したアダムが現れて、その失敗したことをすべて復帰しなければなりません。神様が一代 圏内にいらっしゃれば、真の父母が二代となるのです。 真の父母を中心として二代となったとすれば、三代であるアダムの息子、娘を、だれが奪っていったのでしょうか? それは、サタンが奪っていったのです。 ですから、真の父母は、神様一代、真の父母二代、サタンに奪われた三代、その三代圏を取り戻すのです。 その三代は、天地父母に侍ることができる孫であり、 神様を中心とした孫であり、アダムを中心とすれば、息子の立場になります。この三代が一つになるには、真の愛と真の生命が必要です。 神様の真の愛を中心として、父母の生命が一体となった中で、これが地上に連結されるのが、息子、娘なのです。この息子、娘は、神様を中心として、孫の立場であり、これが三代圏になるのです。このようにして、失ってしまった三代圏を、神様が救援摂理の完成を通して取り戻されるようになっているのです。 です。 それでは、三代の立場に立った者たちとは、だれなのでしょうか? それが、だれなのかというと、真の父母によって祝福を受けた息子、娘であるというのです。分かりますか?(「はい。」) 「祝福家庭」という家庭は、日本にいても、アメリカにいても、どこにいても、三代を受け継ぐことができるようにするために、真の父母の祝福によって、真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を連結させるのです。そのことによって、失ってしまった三代の家庭として、再び接ぎ木された立場に立っているということを知らなければなりません。分かりますか? それでは、「祝福中心家庭」とは、だれなのかというと、三代を中心として、地上に定着することができる、 このような祝福の代表家庭であるというのです。それゆえに、三代圏内に入った、世界のすべての祝福家庭は、「祝福中心家庭」の三代圏を相続したということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) 三代です。言ってみてください。(「三代!」)それでは、一代目は、だれですか? (「神様です!」)二代目は、だれですか?(「真のご父母様です!」)三代目は、 だれですか?(「祝福家庭です。」)祝福家庭です。 神様が完全完成なさったことと同様に、真の父母が完全完成したことと同様に、三代目である皆さん夫婦が愛するということは、神様の創造理想的夫婦として愛するということです。そのようにして、創造理想の父母の生命体を動かして、愛で一体となって、血統を連結させたものが、祝福を受けた皆さんの息子、娘であり、その立場が、四代圏ということなのです。 ですから、自分たちは何であるのかというと、アダム、イエス、再臨主、そして四代目なのであり、そのような第四次アダム圈時代において、中心的家庭が、 祝福家庭である自分である、ということを知らなければなりません。 それでは、"私"は、だれでしょうか? "私"は、だれなのですか? 天地を代身した、二つの相対である 心と体が一つになった私です。心と体が、絶対に一つにならなければなりません。神様の愛を中心とし て、絶対的に心と体が一つにならなければなりません。ですから、「天一国」なのです。 「私」と言えば、心と体が一つになった“私”であり、神様の愛を中心として、主体的な立場に立った“私”です。そして、男性がそうであるならば、女性は、真の愛を中心として、相対的な立場に立った、心と体が一つになった“私”です。その相対と主体が結婚して、夫婦が一つになるのです。それが、二人で す。 その二人を分ければ、四人が一つになることと同じです。分かりますか? 父母が一つになったならば、子女が、一つにならなければなりません。子女が一つになり、このように二人が子女を持って、その兄弟が一つになることによって、家庭というものが形成されるのです。 このようにして、三代圏を中心として、家庭が定着することが、神様の創造理想のモデルです。工場で金型をつくって、大量生産することと同様に、その標準的モデルとして、変化はないのです。 それで、おじいさん一人が欠けてもいけないのです。 分かりますか? おばあさん一人が欠けてもいけないのであり、お父さん、お母さん、どちらか一人が欠けてもいけません。息子、娘のどちらか一人が欠けてもいけないのです。 また、夫婦という二人のうち一人が欠けてもいけないのであり、子女兄弟の中で、一人でも欠けてはならず、すべてが備わったその場において、初めて定着することができるのです。 ですから、神様の万世にわたる、永遠な祝福の万国として、平和の世界に定着しなければならない、という意味があるのです。分かりますか? そして、(今年の年頭標語は、)「天地父母の理想である自由」、自由です。その次は、何ですか?(「『平和』 です。」)「平和」です。夫婦同士が、自由です。そこに、ついたては、ありません。ですから、「自由」の次は、 何ですか?(「『平和』です。」)「平和」です。男性と女性が、横的な平和であり、縦的な平和です。そのように、すべて和合するのです。 「平和」の次は、「幸福」です。その「幸福」というの は、だれもが満たされて、喜びがないところがない! という幸福です。そして、「幸福の・・・・・・」、何ですか? 「天一国」です。 この「天一国」は、"理想天国の中心の国”のことをいうのです。そして、「「天一国」の安着」です。本来 は、「安着安息」まで書かなければならないのですが、「安息」は抜きました。それで、「安着萬歳」です。 「萬歳」というのは、"永遠不変に残され、その権威が、神様が願われる所願と、いつでも一致することができる、真なる平和の天国にならなければならない。 ”ということです。アーメン。(「アーメン。」) ですから、この世界の万物を見ても、すべてがカッブルです。昆虫世界もカップルであり、鉱物世界も分子、陽子を中心としてカップルであり、それから動物世界、人間世界もカップル、それから、人間の家庭もカップルです。 そのように、横に見てもカップルであり、上下に見てもカップルであり、前後に見てもカップルなのです。 これらのものすべてが球形をなし、思いどおりに活動するのですが、ぶつかっても壊れず、前後左右、自由で、幸福で、平和な環境の家庭が、"私の家庭であり、 “私”の国であり、“私”の世界であり、“私”の天宙なのです。アーメン。(「アーメン。」)分かりますか?(「はい。」) このように、”二人”です。二人になっています。目も、二つが一つになっており、鼻も一つになっています。分かりますか? 目と鼻と耳と五感が、一つになることができない夫婦が愛するということは、真の愛には合わないのです。「”二人”が、一つになった場においてのみ、いつでも真の愛が訪ねて来て、安着することができる。アーメン。」ということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) それで、“私”を中心として、二本ずつ手足がありますが、その二本の手が、一つにならなければなりません。また、二本の足が、一つにならなければなりません。そうして、心と体が、一つにならなければならないのです。 統一教会において、第一の問題は、心と体が一つにならなければ、理想的出発をすることはできない、ということです。縦的な基準にも合わず、横的な基準にも合わず、前後の基準も、すべてずれていくというのです。 ですから、最も重要なことは、心と体が一つになることです。それは、何によってですか? 真の愛と真 の生命の血統を通して、そこで神様とともに・・・・・・。 神様の心と体は、闘いますか? 神様とともに一体 となり、神様と一体となった、その圏内において、上 下関係一体、左右関係一体、前後関係一体となるのです。 これが、一つのモデルとなった“定着家庭”なので すが、このような家庭が連結され、連結されることに よって氏族になり、民族になり、国家になり、世界に なり、天地も、この公式の橋を通して結束し、この公 式を通して、天地の理想的「天一国」も完成するので す。アーメン。(「アーメン。」) それで、皆さんが、朝、起きて顔を洗う、その顔を見るとき、それは、すべて一つになっています。これ (顔)が一つにならなければ、すべてずれてしまいます。 耳が一つにならなくても、問題が生じるのです。鼻が一つ詰まっても・・・・・・。 皆さんが、風邪を引けば、鼻が詰まるでしょう? 鼻詰まりになるのです。口が、二ミリから三ミリずれ ただけでも、うまく言葉を話すことができません。完全に一致しなければならないのです。耳も、そうです。 手足も、二つが一つになったところにおいて、うまく機能するのです。 ですから、愛を中心として、「自由」と、その次は何 ですか?(「『平和』です。」)平和で、幸福になることができる行動になるのです。自由です。これが一つだけでは、自由ではないでしょう? 一つでよいですか? 鼻も一つでは、自由ではありません。自由と平和と……。 「自由」と「平」によって、「和」にならなければなりません。平和と幸福は、周りのすべてが、自分の顔に笑顔が満ちる、幸福な「天一国」を創建し、「天一国」 を“私”が成して、神様の前におささげするのです。 それで「総生畜献納」です。そのような責任が、堕落した世界に生きる皆さんには、あるのです。 ですから、祝福家庭は、「総生畜献納」をしなければなりません。サタンにすべて奪われたので、神様が、 サタン世界から男性を”私”に取り戻してくださり、 女性を取り戻してくださったのです。家庭の夫婦を取り戻してくださり、夫婦によって子女を取り戻してくださり、家庭を取り戻してくださり、その家庭がすべて……。 “所有”というものは、今日の堕落した世界のように、自分によって所有権を持つのではありません。個人完成も神様のものであり、夫婦完成も神様のものであり、すべて相対理想圏、上下、前後、左右全体は、神様の所有権になっています。 それゆえに、そこに属したすべてのものも、神様のものです。昆虫世界も、すべて四位基台で成り立っているのです。水の世界に生きる魚や昆虫、動物も、すべてカップルになっているのは、自分のものではありません。神様によって成されたものなので、すべてが愛を成し、愛の家庭を成して定着することによって、 相続が展開するのです。 その定着の基準は、個人基準ではありません。個人基準を超えて、家庭基準、氏族基準、そのようにして八段階を越えて、神様が、家庭を中心として訪ねる相対圏に行き、そこで相続を受けるようになり、そこでそのような所有権制度にならなければならないのです。 そのようなことを思うとき、皆さんはすべて、国を神様に奉献しなければなりません。「総生畜献納物」をささげて、その下で心と体の統一、夫婦が統一、子女が統一、家庭が統一されて定着することによって、神様から、所有権であるすべての万物を相続するのです。 分かりますか?(「はい。」) 今、皆さんが持っているすべてのものは、偽物です。 神様が一代目であられ、二代、三代圏にいる“私”には、その中間に入り込むことができるものは、何もありません。入り込んでいるのは、堕落によってサタンの所属権のものが、天と“私”の間にふさがっていたのです。 そのように、個人的に垣根ができており、家庭、氏族、民族と、八段階がすべて、ふさがっています。これをすべてたたきつぶしてしまわなければなりません。 完全否定するのです。完全否定して、自分が持っているすべてのものを、真の愛を動機として、一つになっ た“私”の心と体、一つになった夫婦、一つになった家庭理想、一つになった氏族、民族・・・・・。 家庭が、氏族を取り戻そうとすれば、氏族のために投入して、それを忘れてしまわなければなりません。 そのような、神様が天地を創造なさったときの過程を経なければなりません。そうして、民族なら民族を中心として、投入しては、それを忘れてしまい、民族を中心として、投入しては、それを忘れてしまってこそ、国家というものが出てくるのです。 それゆえに、堕落によって失ってしまった最高の基準が何かというと、"私”個人と夫と妻、そして神様との父子関係、神様を中心として祝福を受けた夫婦関係、祝福を受けて生んだ神様の息子、娘関係、孫と孫娘の関係です。それらをすべて奪われてしまったのです。 これらを取り戻して、「これは、すべてあなたのものです。」と言うとき、サタンの影が連結されないのです。完全に白玉のような、完全に……。 「正午定着」と言ったでしょう? そのような、太陽の光に照らされても影のない立場に立った自分自身 にならなければならず、自分たち夫婦にならなければならず、自分たちの家庭が、そのようになって定着しなければなりません。 そこには、自分の所有権というものはありません。”所有”というものは、真の愛をもって定着の立場に立ち、主体であられる神様の御前に、「絶対的対象の“私”であり、夫婦であり、家庭である。」と言うことができなければなりません。そこには、サタンの痕跡もないのです。それを越えて、神様の所有権内において、神様が持っておられる被造世界のすべてを・・・・・・。 家庭が完全に定着し、理想的家庭が安着することによって、神様が、このような宇宙的な偉大な存在であられるならば、"私”自身も、その偉大なる主体の御前に対象として、それと同じ偉大な存在であり、神様が願われたものが”私”個人にも充満しており、家庭にも充満しているのです。 そのように、”私”という存在は、国と世界、どこにおいても、主体であられる神様が願われる相対的内容を、すべて備えた出発の実体なのであり、その実体を中心として、収穫して神様におささげし、神様を賛美してさしあげなければならない存在なのです。 ですから、最後には、肯定することができるものは何もない、ということになるのです。分かりますか? (「はい。」)ここに日本人、韓国人、西洋人、いろいろな人たちがいます。例えば、米国人などは、「自分たちが優れている。」と言って騒いでいますが、これは、だれによって生じたのでしょうか? 男性と女性、皆、堕落したアダムとエバによって生じたのです。堕落したアダムとエバは、神様は、目の前にして見たくもないのです。つばを吐いて、地獄にほうり込んでしまわれたいのです。 完全否定の陰の下で出発して息子、娘を生んだので、サタン世界の人々は、怨讐の立場です。そこに所属して、天の所有権のものをどろぼうして、自分のものとして使用しているのですから、すべてのものを否定しなければなりません。肯定するものは一つもありません。そのように、すべて否定しなければなりません。 ですから、神様が一代目、真の父母が二代目、祝福家庭の皆さんは、何代目ですか?(「三代目です。」) 三代圏です。三代圏を完全に満たし、三代圏時代にサタンを引っ繰り返し、サタンのものを受けたので、これをすべて否定して取り戻し、天の前に奉献するようになるときに・・・・・・。 奉献するにおいては、偽りの愛と生命と血統が連結された立場で奉献するのではなく、神様の真の愛と真の生命と真の血統が連結された真の息子、娘の立場で、 祝福を受けた家庭として、これをすべて相続して出発しなければなりません。そうすることによって、初めて所有権が始まるのです。 ところが、これを失ってしまったので、今、神様が一代目、真の父母が二代目、三代圏に、横的にも縦的にも、前後左右に介在するものは、一つも・・・・、ありますか、ありませんか?(「ありません。」)ありますか、ありませんか?(「ありません。」)絶対にないということです。 ですから、絶対否定しなければなりません。神様の 属性であり、真の愛の属性である絶対愛、唯一愛、不変愛、永遠の愛の観点からは、“見るのも嫌である”というのです。 それは、怨讐です。完全否定して、火で燃やしてしまわなければなりません。否定しなかったものは、今後、時になれば、すべて燃やしてしまわなければなりません。それを、だれが燃やしてしまわなければならないのかというと、自分が燃やしてしまわなければなりません。それらのものを、すべて火で燃やしてしまわなけわなければならず・・・・・・。 これを総決算しなければ、息子、娘が、そこにくっつき、妻子がくっつき、自分までも侵犯されるのです。 このような、法に違反した第二堕落的なサタン以上の実体として、天の御前から追放される時が来るのです。 分かりますか?(「はい。」)何のことか分かります ね?(「はい。」) その目は、だれのものですか? 自分の目は、だれのものですか? 祝福を受ける前は、だれのものです か? 顔は、だれのものであり、五官は、だれのもの ですか? それらは、神様とは、何の関係もありません。サタンのものです。すべて否定しなければなりません。 ですから、“見たい”と思うものを否定しなければなりません。”食べたい”と思うものを否定しなければなりません。“開きたい”と思うもの、"触りたい”と思うすべてのものを、否定しなければなりません。 ですから、「日本人」という言葉も使ってはいけない、というのです。「日本人」と言う前に、「日本の兄弟姉妹」という言葉になるのです。分かりますか? 神様の真の愛によって、祝福を受けた人たちは、皆、兄弟姉妹なので、日本に暮らしている兄弟姉妹、米国に暮らしている兄弟姉妹、ドイツに暮らしている兄弟姉妹、ロシアに暮らしている兄弟姉妹だけがいるのであって、ロシア人、中国人、米国人というものは、ありえません。 それで、韓国は、中国も「中国のやつ」、ロシアも「ロシアのやつ」、それから米国も「米国のやつ」などと言いますが、自分自身は、何なのですか? 「韓国のやつ」ということになります。(笑い) ですから、自分を中心とした絶対権限を行使したサタンの直系子女として生まれた立場に立っているのが、 “私”であるということです。“私”まで否定しなければなりません。分かりますか? 韓国人まで否定し、 周辺にあるすべての先進国を否定しなければなりません。いずれにせよ整備しなければならないのです。 ですから、わたしは、"そのような国(先進国)に隷属したい。”という思いは、夢にもありません。夢にもありますか、ありませんか?(「ありません。」)「夢にもない。」と言いました。夢にもないというのです。夢にもありますか、ありませんか? さあ、皆さん。「天一国」は、どのような国でしょうか? 自由の国です。「天一国」は、どのような国ですか? 自由の国です。そこには、怨讐がありません。 真の愛を持ったので、自由の国です。 その次は、何ですか? 「平和」です。平和でないものがありません。その次は、何ですか?(「『幸福』です。」) 幸福になれば、口だけが笑うでしょうか、五官と心と体まで笑うでしょうか? 心と体が、すべて「ははは。」と・・・・・・。一度、してみてください。(「ははは・・・・・・。」) 自分が、「ははは。」と笑えば、どうなるでしょう か? 夫が、そのようにすれば妻が、妻が、そのよう にすれば夫が、お父さんとお母さん、その国全体、神様まで「はははは。」と・・・・・・。これが幸福です。 そのようになれば、上を見ても幸福であり、下を見ても幸福であり、右側を見ても幸福であり、左側を見ても幸福であり、右側を見ても自由で、左側を見ても 自由で、右側を見ても左側を見ても平和であり、上を見ても下を見ても平和でないものがなく、自由でない ものがなく、幸福でないものがありません。 ですから、神様が訪ねて来られて、夕食でも一度食べたい。”と思われ、“朝食でも一度食べさせてくれれば、それを食べたい。”と思われ、昼食になれば、訪ねて来られて、「ああ、仕事をして疲れたので、昼食を食べさせてくれ。」とおっしゃることができるのです。 そのような、自由で、平和で、幸福で、神様をお迎えすることができる“私”の家庭になるのですか、なっているのですか? どうですか? そのことを考えれば、問題が大きいというのです。 なぜ、「自由」、その次に「平和」、「幸福」の「天一国」なのですか? なぜ、(年頭標語の「天一国」という言葉の)頭に(「自由」と「平和」と「幸福」という言葉を)つけたのか、ということです。それは、「自由」な「天一国」であり、「平和」な「天一国」であり、「幸福」な「天一国」だからです。そこには、闘いがありません。闘争がありません。 柳鍾泳氏? "国会議員になろう。”という考えがありますか? "闘って勝とう。”と思いましたか、"自動 的に和合して勝とう。”と思いましたか?(「“和合し て勝とう。”と思いました。」)狂った話はやめなさい、というのです。(笑い) きょうから、“今から、闘う世界の中心になろう。” と思う人は、雷に打たれます。柳鍾泳氏でも、だれでも、です。それは、神様の怨讐です。お金をもうけて息子、娘を教育し、“ああ、闘いの国の国会議員になって、家門(の名を)を高めよう。」などという、そのような考えをしますか、しませんか?(「しません。」)この人は! 今まで・・・・・・。(笑い) 今まで考えていながら、なぜ、“考えていない。”というようなことを言うのですか? 柳鍾寛氏! (「は い。」)(笑い)この者め。(「考えていません。」)感謝し ているのですか? 考えていますか、いませんか? どちらですか?(「考えていません。」)何ですか?(笑い) ”国会議員になろう。”と考えていますか? ええ、何ですか?(「闘いはしません。」)何ですか?(「闘わないで、です。」)闘わないで、一つになりますか? 狂ったような話をしています。(笑い) この国は、関係ありません。私たちが、手本を見せるべきものは、ただひとえに闘うことを知らず、自由と、それから平和と幸福が宿った主人となることができる希望の息子、娘であり、希望の家庭なのです。 その希望は、国が願い、世界が願い、天地、神様までも願われる希望の”私たちの家”です。分かります ね?(「はい。」) 「自由」と・・・・・・、言ってみてください。その次は、 何ですか?(「『自由」と。」)「平和」と!(「『平和』と!」)「幸福」が満ちあふれた!(「『幸福』が満ちあふれた!」) 「天一国」の家庭が、神様の安着なさることができる所である。(「『天一国』の家庭が、神様の安着なさることができる所である。」) 個人、家庭も安着があり、二番目の家庭も安着があり、千の家庭に安着することはできないので、これが標準になっています。モデルになっているので、そのモデルに従っていく所には、間違いなく神様が入って来られて、安着されることによって、それ自体が、小さな家庭であったとしても、「万歳!」と言われるのです。 言ってみてください。(「万歳!」)万歳! (「万歳!」) 手足で万歳!(「手足で万歳!」) 万歳が上がっていくので、ぶかぶか上がっていくのです。持ち上がっていくのです。夫と妻が持ち上げられ、家庭が持ち上げられ、天の国の出発、理想天国が安息………………。 定着地、安着地が、地上と天上世界にできるので、神様が行かれて休まれることができる所が、地上世界であるならば、地上に安着し、天上世界に安着するのです。 そうして、東に行って息子に出会えば、息子とともに暮らし、妻、娘とともに暮らし、孫とともに暮らすのです。そのように、どこでも安着理想に立っているので、平和の天国であり、千年、万年、太平聖代(德のある君主が治める太平な世の中の時代)の王国となるので、万世、万々世が継続するのです。それを懇切に願います。アーメン。(「アーメン。」) もし、皆さんが、“うそをつきたい。”と思うときに は、うそをつかなければなりませんか、ついてはいけませんか? うそをつきたければ、ついてみなさいというのです。神様の真の愛を中心としては、左側に行っても真であり、右側に行っても真であり、下に行っても真であり、上に行っても真であり、前に行っても真であり、後ろに行っても真なのです。 子女に対して、「こいつ。」と、悪口を言っても、その悪口は、真の愛を中心として言う悪口なので、そこには、サタンと悪の影が現れずに、"正午定着地”になることができるのです。分かりますか? さあ、このようなことまで教えてあげたので、人間ができていない下品な者たちが、前後をぴたっと合わせていかなければなりません。そうでなければならないはずなのに、振り返って、このようにして、また、 このようになれば(ジェスチャーをされる)、大変なことになるのです。 しかし、真の愛の世界では、どんどん大きくなるようになっています。個人を投入して、それを忘れてしまい、家庭を投入して、それを忘れてしまい、氏族を投入しては、それを忘れてしまわなければならないのです。 民族を投入して、それを忘れてしまうことのできない、そのような民族は、国を持つことができません。 国を投入して、それを忘れてしまうことのできない国は、世界を持つことができません。世界を投入して、それを忘れてしまうことのできない、そのような世界は、天宙を占有することはできません。天宙を投入して、それを忘れてしまうことのできない者は、神様を「正午定着」の大王陛下として、千年、万年、勝利の覇 権の王として、侍ることはできないのです。(「アーメ ン。」) "そのようになりたい。”と思う人は、両手を挙げて、「アーメン。」と言わなければなりません。(「アーメン!」) 安着です。「『天一国』安着萬歳」という群れなので、 皆さんの家庭には、天地に満ちあふれている神様の所有権でないものがない、というようになります。そのようなすべてのものが、“私”とともに組んで、「おお、 よしよし。私の愛よ。」と言って、踊りを踊って喜ぶことができる時代になるのです。(「アーメン。」) 言ってみてください。アーメン!(「アーメン!」) ”自分は、そのような家庭になる。”と思う人、立ち上がってください。立ち上がって、大きな声で・・・・……。(録音の音声が、しばらく途切れる) いつ、祖国光復をするのですか?(「しています。」)いつ、するのかというのです。それをやって、終えなければならないのではないでしょうか?それは、いつまでですか? 二〇〇四年までです。そして、世界をすべて収拾して、「総生畜献納」です。 この日を中心として世界を収拾し、統一天国をつくって、神様の御前に奉献しなければならない、その期間が、何年までですか?(「二〇一二年までです。」)二〇一〇年、二〇一二年までです。 それゆえに、今から伝道は、人を通じた伝道時代は過ぎていき、言論界を通して伝道する時代が来たのです。それで先生が、「ワシントン・タイムズ」を中心と して、UPI通信を引き継いで・・・・・.. 朱東文氏。(「はい。」)「ワシントン・タイムズ」とUPIが、言論界の最高の王になったということが、今回のロンドン大会において・・・・・・。ロンドン大会には、 一万人ですか?(「はい。」)その一万人の人が、「UPI通信、「ワシントン・タイムズ」万歳。」と、しましたか、しませんでしたか?(「はい。」) したのなら、「した。」と言わなければならないのに、どうして「はい。」と言うのですか? 万歳をしたというのです。それは、驚くべき事実です。一度、引っかけば、国にぽかんと大きな穴が開くのです。 ドイツの者、ロシアの者、米国の者、日本の女性たち、逃げるために大騒ぎする、そのような基盤を築きました。今から、それを正面に立てて、「これを受けなさい。」と言うのです。受けなければ、飛んでいくのです。 ですから、今、国会議員を中心として、平和大使たちは、国会の上のレベルにあります。超宗教圏の上に 立ち、超国家圏、超NGO(非政府組織)、WANGO(世界非政府組織連合)基準で、そのような国と、その ような思想をもって一つにするという主義主張は、あ りません。そのようなことを、今まで、だれも知りま せんでした。それは、私たちだけが持っている特権で あるというのです。 この鍵をもって開ければ、すべての天の国の門が、 音を立てて開き、すべての世界の門が、音を立てて開 くのです。金庫を開ければ、その中に金銀宝石がぎっしり詰まっているのです。 それでは、柳鍾泳氏は、自分で使うのですか、どのようにするのですか?(「すべて、ささげます。」)言 葉は良いですね、この人は。しかし、言葉だけで通じますか? そして、姜禎賛さん(柳鍾泳夫人)に「監督しなさい。」と言ったのですが、これも、自分(柳鍾泳)に似ました。(「違います。」) 昔は、よくブレーキをかけていましたが、最近は、よくついて回っていますね?(「違います。」)何がですか。(柳鍾泳氏が、「副官なので、ついて来なければなりません。」と答える) 夫婦が、「ぷぶー。」とするのが、夫婦です。分かりますね?(「はい。」) 「自由」と「平和」と「幸福」が満ちている「天一国」の主人が、"私”です!(「アーメン。」)そのように言うことができる人、手を挙げて、神様の御前に誓いましょう。(「アーメン!」) (録音の音声が、しばらく途切れる) サタン世界は死にますが、わたしたちは生き残るのです。(録音の音声が、しばらく途切れる) これを録音して記録したものを、苦労して探して、 勉強して知ることも嫌ですか? わいわい騒いで食べて、下痢をし、おなかが裂けることを知らないのですか? 十里の道を行ったのなら、十里の道を行ったその分だけを恵んでもらって食べても、感謝して行かなければならないのに、千里の道、万里の道を・・・・・・そのように行くならば、どうするのですか? (録音の音声 がしばらく途切れる) (「アーメン。」)どこに行くのですか? 急いで行きますか、力強く行きますか? 力強く!(「力強く!」) 前進しなければなりません。さあ、そのような人は、 全員、こぶしを握って、神様の御前に、「私は、誓います!」(「誓います!」) 忘れてはいけない、というのです。 これは、すべて録音されています。「どこどこに行きなさい。」と言えば・・・・・・。今から、人事処置をして、 「この人は、アフリカのどこどこに行き、この人は、アフリカのどこどこの国に行って、責任者になりなさい。」 という、そのような人事処置をしたからといって、不平がありますか、ありませんか?(「ありません。」) 不平がなければ、先生の目を見て、「ありません。」と言わなければならないのではないですか、目を見ないで、口で「ありません。」と言うのですか? もう一 度、言ってください。(「ありません!」)この者たち。 (録音状態不良により、聞き取り不能) 門をすべて開いたので、皆さんが、国と世界を動かすことができるところに向かって走る勇士となることを願いながら、先生の元日、最初の朝のみ言を終えようと思います。(「アーメン!」) (拍手) さあ、気をつけ! 敬礼ですか、敬拝ですか? (「敬拝です。」)(お母様が、「上がってきてください。」 と言われる)降りてきてください。ここから行くのではないですか? 降りてきてください。従順なお母様、万歳。 (郭錠換会長が、「黄善酢会長の先唱で、万歳をいたします。」と言われる) 気をつけをして、敬拝はしないのですか? (「敬拝してから、万歳をいたします。」)(笑い) 敬拝をしてから、万歳をしなければならないでしょう? あまりにも喜んで、忘れてしまったのでしょう。 ( 「立ったままで、敬拝をおささげいたします。天地父母様に敬拝! 直れ。万歳三唱いたします。」) (「待望の二〇〇二年を出発しながら、全天宙が震動するように、「天一国」安着を誓う万歳三唱をいたします。「神様王権樹立勝利万歳」、「勝利された天地父母様万歳」、「第三十五回 〔真の神の日] 万歳」、このようにいたします。」)(万歳三唱) 「天一国」には、主権と国(土)と民が必要なので、昨年に・・・・・・。(録音の音声が、しばらく途切れる) 「神様王権即位式」が、主権復帰であり、その次には、神様の祖国定着が国土復帰であり、その次には、 「天一国」国民が、入籍するのです。分かりますか? 今から、カードを持って民になるのです。 ですから、国が形成されるためには、主権と国土と民が完備された上で、このような「天一国」の万歳定着(安着)を宣布したという事実を信じ、神様のように自信を持ち、文総裁、真の父母のように自信を持って、一気に押し出すところには、押されないものなどないということです。 それでは、大きい者を押しのけますか、小さい者を押しのけますか?(「大きい者です。」)その国に行けば、大統領に会わなければなりません。会わなければ問題になります。わたしは、米国に行って、トップの人に会ったのであって、下にいる人には会いませんでした。 ですから、今では、「訓読会」も、その国の国家首相を中心として、国会で「訓読会」することができる時代に入ってきました。分かりますね?(「はい。」)そのような環境になったので、今、わたしが語った内容、主権と国土と国民のすべてを準備したので、「天一国」宣布とともに、ここに、解放された万歳安着が成されることは間違いないということを知って、その上に立ち……。 恐れるものが、どこにありますか? 分かりますね?(「はい。」)国会に訪ねて行って、国会議員たち、与党と野党の党首に会って、「私の言うことを聞いてください。「天一国」に加入してください。私は、闘いを止めにきたのであり、自由で、平和で、幸福な国を紹介するために来ました。」と言うのです。分かりますか? 「自由」と・・・・・・、(「『平和』と。」)「平和」と・・・・・・、(「『幸福』の。」)「幸福」の息子、娘として、「天一国」の家庭定着万歳を叫ぶことができなければなりません。 そうして、その国の王国創建のために先頭に立つことによって、与党と野党が闘わずに一つになってこそ、 南北をすべて消化することができるということを理解しなければなりません。そのようにして南北が一つに なってこそ、アジアを消化することができるのです。 アジアを消化すれば、この全世界、天地を消化することができるということは、間違いありません。それで今回、イエス様を中心として、キリスト教の有名な人、四大聖人を中心として、その有名な人に、真のご父母様に関して証しさせてあげなければ大騒ぎするので、証ししてもらったものがあります。それが、今から発表されるでしょう。 皆さん。疑ってはいけません。そこに、自分の信念を完全に加えて、「ドイツ人を代表して、このようにしているので、ドイツの者たちは、私に従って来なさい。」 と言うことができる度胸を持って、宣伝しなければなりません。 それを躊躇する人は、足が折れたり、生殖器が曲がったり、故障したりするのです。”勇敢に行く「正道」 には、道を踏み外すことはない。”という、自信満々な 歩みで、出戦し、接戦をし、勝利することができるような自信を持てば、「万事亨通(すべてのことが滞りなくうまくいくこと)」・・・・・・。(録音状態不良により、 聞き取り不能) ・・・・・・信じて共にすることを願いながら、心残りですが・・・・・・。見栄えの良い顔をもっと見ていたら、わたしが、朝食を食べることができないので、出発します。 さあ、それでは、さようなら。(「ありがとうございました。」)<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.11
コメント(0)
第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(No.4/4)― 天一国(天宙平和統一国)宣布のみ言 ー成約九(二〇〇一)年十一月十五日(陰暦十月一日)、韓国・中央修練院大講堂「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その1/4)」「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その2/4) 」「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その3/4)」 (黄善酢韓国会長による「天一国」の「IDカード [会員証]」についての報告) (IDカードの裏面にある四大綱領の四番目の内容について)何ですか?(「はい。「天道に通じる霊的道徳的指導力涵養(カンヨウ)」です。」)それを「統一的涵養」と書いてください。「統一」という言葉を入れなければなりません。(「はい。「統一的涵養」にします。」)そうです。 人間の差別なく、平準化を・・・・・・。「神様王権即位式」のときに話したではないですか? 四大綱領が入らなければなりません。「統一的涵養」です。そうです、それです。 (IDカードの発行母体となる「天宙平和統一家庭堂」について)これは、家です。「二人」であるという のです。夫婦になって、より大きな二人です。そして、 父母の元で三人が一つになって、初めて家庭が完成するのです。 このように、三対象目的になり、第一息子、第二息子、第三創造主の立場が始まることによって、どこに行っても、すべて神様のみ旨の完成に責任を持つことができる子孫たちになるのです。国民全体に、そのような責任があるのです。 (引き続き、黄善祚会長の報告) 真のご父母様の写真をこのようにすれば、三位一体、一つになるので、皆さん全員が、真のご父母様を中心とした尊影を持って歩くということは、天の国の王権自体が、皆さんを保護することができる時代に行くということです。ですから、皆さんの責任、祝福中心家庭の責任が、どれほど貴重であるのかということを知らなければなりません。 ですから、真のご父母様の尊影が写ったそのカードを持った人として、原理原則に違反して行動することはできません。行動すれば、即刻、被害を受けるというのです。今からは、それをそのままほうってはおきません。 (引き続き、黄善酢会長の報告) 韓国で行っているのと同じように、これをモデルとして、各国において教区長を中心に、挙国的な運動を展開し、相対的な基盤を拡大しなければなりません。 (「はい。」) (引き続き、黄善酢会長の報告) (入籍者の資格の段階の中で) 一番目が何かというと、「学習生」です。それから何ですか? (「「教習生」です。」)「教習生」です。それから何ですか?「先習生」です。この三段階を中心として、幼稚園は、だれが指導をするのかというと、すべてアベルとカインが 一つになるので、小学校に通っている人が、それと一つにならなければなりません。そして、小学校は中高等学校、中高等学校は大学、大学は社会と一つにならなければならないのです。 このように、すべて「アベル、カイン」形態で一つになることができるように、系列的になっていなければなりません。そのように、アベルとカインの二つが一つになってこそ、神様が役事なさることができるのです。これは、自分一人ではいけません。 (黄善祚会長の祈祷) (マイクの音声が、しばらく途切れる)何ですか? 天!……。(「天一国。」)「天宙平和統一国」です。それが、神様の創造理想です。分かりますか?今、どこかで「あなたの国は、どこですか?」と言われれば、 それは、米国でもなく、日本でもなく、ドイツでもありません。 今から、見ていてください。どのようになるでしょうか? すべて平準化されるのです。天が、すべてを成されます。米国で事件が起きましたが、韓国でも事件が起きました。与党と野党・・・・・・。(マイクの音声が、 しばらく途切れる) 今、「起立してください。」と言った人は、だれですか? 今、この人たちにすべて解説してあげなければ ならないのに、それもせずにケーキを切って、食べて何をするのですか? ケーキカットは、しなくてもかまわないでしょう?(「全員、その場で起立してくだ さい。」) まだ、そのまま、じっとしていてください。座っていてください。もう少し話をしなければなりません。 (歓声、拍手)見てください。このIDカードは、だれでも、もらえるのではありません。 そして、皆さんが、今後、知らなければならないことは、今から、このみ言を中心として、天の国の法ができるということです。法が、どこにあるのかというと、今まで五十年間、先生が語り、教会に伝えたすべての内容が、天の国の憲法に替わる時が来るのです。 皆さん。「統一教会の教会員たちは、子供を絶対に外部の大学に送らずに、鮮文大学やブリッジポート大学に送るように。」と言ったのですが、そのように言われたにもかかわらず、そのみ言が伝えられた日から、それをしなかった人は、問題になるのです。分かりますか? 分かりますね?(「はい。」) もし、それが問題にならないというときには、今まで先生のしてきたことが、すべて実効がないということになるのです。それは、先生がしてきたことを否定するということなのです。先生がしてきたことは、世の中を救うために・・・・・・。 考えてみてください。(一九)六〇年度から二十年間、してきたことを見てみれば、すべて計画したとおりです。 それは、大ざっぱな計算で成したのではありません。 統計による、秩序整然とした原理原則に従って、解放させてきたのです。 それは、国の完成のために語ってきたものなので、国を完成することができる法なのです。部署の数が、 二十であろうと三十であろうと、憲法を中心として部署の法ができ、会社の法ができるのです。法は、守らなければなりません。分かりますね? これからは、今までの“絶対信仰の時代”ではあり ません。“絶対実践”です。「ヘブル人への手紙」第十 一章を見れば、「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、 まだ見ていない事実を確認することである。」となっています。それは、抽象的な表現です。そこには、形態がありません。しかし、これは実体的です。観念ではありません。実際時代に入っていくというのです。 ですから、「アダムとエバは、堕落してはいけない」 ということは、神様のみ言だけではありません。実際に堕落することによって、きっちりと引っかかり、地獄の真ん中に落ちて・・・・・・。 アダムとエバの一度の愛の過ちが、天の恨みとなり、 地の恨みとなったのであり、そのために数多くの宗教が血を流してきたのです。その血の祭壇を連結させ、 統一教会が、それを解怨成就することができるのですが、皆さんが生きた祭物として・・・・・・。 それは、割く祭物ではありません。生きた祭物として、そっくりそのままささげて、自分の一族と一家全体をささげなければ、天国を迎えることができる国民 になることはできないのです。米国でも、どの国においても、それは同じです。大きな国であればあるほど、問題です。大きな国であるほど災いである、というのです。小さなものは、簡単です。何のことか、分かり ますか?(「はい。」) ですから、今後、先生のみ言が、天の国の憲法になるのです。しかし、それは、先生のみ言ではありません。先生が、自分勝手に話したでしょうか? 天の指示に従ったのです。わたし一人でつくったものは、一 つもありません。 神様は、先生に対して無慈悲なかたです。天法を永遠の法として立てるためには、霊界にいる、今まで法に従っていった人たちが注目する中で、先生が代表的な道を行くうえにおいて、一点一画でも許されることができない過程を通過しなければなりません。そうしなければ、支持されないのです。 そうして、先生が十回、実践したとしても、百回、試験してくるのです。先生は、今までそのようにして、 この道を来たという事実を知らなければなりません。 ですから、神様が最も愛する者も、最も恨む立場に、 サタン以上に恨むことができる立場にまで追い込むのです。アダムは、サタンに引っ張られていったのではなかったですか? そのために先生は、サタン以上の立場で冷遇され、そのようにしながら道をつかんできたという事実を知らなければなりません。 ですから、わたしが、神様から訓練されたのと同じように、皆さんも、先生から訓練されなければなりません。それは、家庭が、どれくらい本物なのか、ということです。家庭破綻は、大きな問題です。ですから、 再祝福は、ありえません。今からは、それは夢にも思ってはいけないというのです。 これからは、皆さんの家庭が、祝福してあげるようになっています。それは、どれほど大変でしょうか。 ですから、良い家庭を訪ね回っていけば、すべて引っかかってしまいます。 神様は、先生を祝福してくださって、「あなたは、こ のようになる。」と、(素晴らしいことを)言われたのですが、実際には、それとは反対に、監獄にほうり込まれたのです。それは、どういうことなのかというと、 "怨讐を愛しなさい”ということです。 ”怨讐を愛する”とは、どういうことでしょうか? それは、言葉だけなのではありません。怨讐の息子、 娘を婚や嫁にして、彼らに相続してあげることができるようにしなさい、ということです。交差結婚です。 何のことか、分かりますか?(「はい。」)分かりますね?(「はい。」)分かりますか、分かりませんか?(「分かりました!」) わたしが知っている顔が、どれくらい来ているのか分からないので、一度、見ておかなければなりません 日本人と韓国人の顔は、同じですね。西洋の人は、 少し違いますね。西洋の人とも結婚しなければなりません。 (ある人に)あなたは、以前に先生が言ったことをすべて連絡しましたか? したのですか?(「はい。」) 先生は、性格がせっかちですか、気が短い人ですか、 気の長い人ですか? (「気が短いかたです。」)どれほど気が短いでしょうか? 神様の性格よりも、もっと気が短い人です。 また、神様の性格よりも、もっと我慢強い人です。 先生が歩んできた道は、どれほど耐え難い道でしょうか? 普通の人であれば、逃げていくというのです。 しかし、先生は、霊界を知っているのです。分かりますか? 天の国の構造を、あまりにもよく知ってい るので、死んでも、死んだとしても、それを避けていくことはできません。その道を行かなければならないので、その法に合わせていかなければならないのです。分かりますね?(「はい。」) 今から、子供がいて、良い人と結婚させようとすれば、悪い人になります。自分たちが気に入ったからといって、「ひそひそ話」をして、結婚でもしてみなさいというのです。そのようなことをすれば、天の先祖たちが来て、必ず反対します。 「この息子、この娘! なぜ、自分が”良い”と思う者と結婚をするのか? 天が”良い”と思われる者 としなければならないではないか? この者たち!」と言うのです。 あなたは、日本の女性ですか、韓国の女性ですか? 韓国ならば、もう一回打たなければなりません。この者たち。深刻だというのです。日本が、どれほど失敗しましたか? この者たち。いつも自分のことを考えているのです。それは、日本が島国だからです。それ を“島国根性”というのです。 島国に住む人たちは、"そこを離れれば、死ぬ。”と思っています。大陸は、国境を越えて、いくらでも生きる道があるのです。熱帯地方から温帯地方、北極までありますが、島国は、ただそこ、それ一つしかありません。この日本の島国の人たちは、背反者となって、国から逃げて行った人たちです。 ですから、節操がありません。節操のない民族を、 天の国のエバ国家にするのですか? 天の国のエバ国家にするのですか? わたしは、日本に留学したときに、抗日運動のために地下活動をした人です。み旨を知ってからは、“ああ、これではいけない。”と思ったのです。み旨を知らなければ、日本の国をエバ国に選ぶでしょうか? 母親の使命を果たすことが、簡単なことでしょうか? 日本民族は、いとこ同士でも結婚するではないですか? そうですか、そうではないですか? それは、 血統が蹂躙されることです。一族同士で、めちゃくちゃにすることです。そのような神の伝統は、ないのです。 韓国は、そうではありません。 そのようなことを見れば、韓国には、伝統的な精神があります。ですから、そのような伝統的精神を創造した韓国人であり、その天的な伝統と権限の相続をなしえた先生が、当てもなしに日本の民族をエバ国家として愛するということは、ありえません。 それは、公娼(こうしょう)街の、いちばん汚い女性を、自分の王様のお姉様として迎えることよりも、もっと難しいことなのです。分かりましたか?(「はい。」) しかし、それ以上の心情を注入しないと、サタン世界が降伏しないのです。サタン世界に張った根が、取りきれないというのです。分かりましたか?(「はい。」) ですから、そのようなことが分かった場合には、先生の前で、自分を弁明しながら、天の伝統に反することを正当化することは許されません。自分たちで勝手に弁明したとしても、神様の意向には通じません。分かりましたか?(「はい。」) きょうの、その、IDカードをもらうときには、先生の尊影に対して、それは、ただ一心に侍りながら生 活すべきです。そうして、そのような生活を送る以上は、その基準に徹して、乗り越えることも問題ないような基準を立てなければなりません。 今、目前に解放圏を立たせているのですから、もう“奉献しなければならない”という自覚を確定させな ければいけません。そのことをはっきりと決意すべきです。分かりましたか?(「はい。」) 日本の女性たちは、日本の国だけに閉じこもっていることはできないのです。今から、世界のために散らばって、自分の財産と一家族を全部、率いて、何か国かに行って、伝道師としての使命を果たしうるかどうかです。それが、子供たちを養育して、天につなぐ、その母としての使命を果たす道なのです。それ以外の道はない、ということを知らなければなりません。 そうであるにもかかわらず、自分一身の幸福を一心不乱にむさぼるような、そのような者は、神様の願いとは全く逆の立場に立つようになります。そのことをはっきりと覚えておいてください。分かりますか? 分かりましたか?(「はい。」) 日本からは、何人来ましたか? 何人ですか? 千人以上でしょう?(「はい。」)手を挙げてみてくださ い。日本のメンバーは、気をつけなさい。(「はい。」)分かりましたか?(「はい。」) アダムは、責任分担をほとんど完成しませんでした。 先生は、そのことに対して責任を持ち、エバに対しても果たすべき使命があるのです。ですから、先生がいなければ、女性の世界は滅亡です。 地獄のどん底から天国をつくるためには、より以上の愛でもって犠牲的な投入をしないと、その愛の出発起点は満たされません。ですから、先生は、みすぼらしい姿、つらい決定を下さなければならないことなど考えもしないで、このようなことをやっているのです。 君たちは幸福を知りませんね。天的幸福が、それはもう、いかに貴重なものであるか。自分の生活、風俗に慣れた、そのような習慣で見て、それを比較対照の基準と考えています。そのようなことでは、天のみ意に通じません。分かりましたか?(「はい。」) そこには、千ドル、何万ドルもの差異があるということを思ったときに、自分の一身に、そのような神様のみ旨が果たされるようになったということは、そのことに対して、いくら感謝の念を表しても足りません。 たとえ日本全国をいっぺんに献納したとしても、その感謝の心を表し尽くすことには、到底、及ばないということです。ですから、そのような決意を固めないといけないということを自覚しなければいけません! 分かりましたか? そこのおばあさん。(「はい。」)分かりましたか?(「はい。」) ですから、日本が問題です。これを完全に収拾しなければいけません。この前、三億六千万双の祝福を日本がした場合には、どのようになっていたでしょうか? そのとき、日本の指導者が、世界じゅうの国々の首相あてに公文を出して、「日本の地で、世界にまたとない、希望の祝福理想の家庭を築く、このような三億六千万双の祝福をする。」と言って、これを宣布して行ったとしたら、皆、来ることができると思いますか、来ないと思いますか?(「来ると思います。」) 国を挙げて、そのような祝福を執り行う絶好の機会、 祝福の権限を失ったそのものに、再び、何も希望を持ち続けることはできません。 それを韓国に接ぎ木して、先生が責任を持つようにして、今の日本を引っ張っていくようになってきているのです。その代わり、日本の代わりに、台湾であるとかフィリピン、それからカナダをつけています。四人が一つになった立場です。 母の使命は、三人の娘が援助して、四人一体となって、み旨の道を歩み出すことです。そうしなければ、 日本人が出動しないというと、フィリピンと台湾とカ ナダが・・・・・・。フィリピンと台湾は、アジアのエバの国です。 フィリピンは、第一次大戦後に、米国の属国になっているのです。それで、英語が通じるのです。カナダは、英国の妹の立場です。そのように考えると、日本が使命を果たせない場合には、英国が復活してくるのです。フランスも皆、そうです。第二次大戦後に失ったそのものを、日本の代わりに切り返して立たせることは、問題ありません。 今、時がそのようになりました。「天宙平和統一国」を建てようとする前に、これはもう皆、キリスト教を信じる者たちが、先頭に立つのです。日本の国家は、そのままでは、もう一番のびり、びり、びりのびりです。雑教の王国ではないですか? 八百万の神に侍るような国です。そうでしょう?(「はい。」) キリスト教は、絶対唯一神を信奉し、信仰を立ててやります。祝福対象になれるのです。しかし、先生が、 赦してあげたその恩恵によって、それは立ったのであって、母としての権限を唱える何の条件も持っていませ ん。先生の名を仲立ちしないといけません。 日本では、結婚する女性は、旦那(だんな)さんがどのような 姓であるかによって、自分の姓も変わっていくのですね? あなたは、名前は何ですか? お嫁に行くときに、旦那さんの姓に切り替えたでしょう? 女性は、嫁いでも、自分のその実家によって養育されたものを、お嫁に行くときに皆、ふろしきに包んで、 きちんと旦那さんに接ぎ木しなければいけません。そうしなければ、その嫁いだ女性は皆、嫁いだ家を分裂させてしまうことになります。そうして、油断できない者であるとされて、追い出されてしまうのです。分かりましたか?(「はい。」) それで、世界の財宝は皆、女性の所にすべて集まるようになっています。米国もそうです。それは、戦利国家です。Aクラス、代表国家、世界的な金持ち国家であるといっても、そこでは皆、奥さんの権限や娘の権限が大きいのです。 父親と、自分の子供、特に長男というものは、サタン的な第一番の後孫です。ですから、それらの財産を皆、共有して、二世とか、末の子が相続するのです。 それができなかった場合には、女性が相続するのです。 米国もそうでしょう? 親が、行く所がなかった場合には皆、娘の所に行きます。皆、男の所には行かないのです。そのような時代になったら、金銀、宝石、 皆、女性が持っているのです。分かりましたか? (「はい。」)そのようになっているのです。今から、もっとそのようになります。 男たちは、堕落した行動をするので、家庭を持っても皆、不良息子になってしまうのです。それで、女は泣きずりながら暮らすのですが、それは、親から見た場合には、両家の親、男から見ても、自分の本家の夫婦から見ても、かわいそうな立場に見えます。ですから、 財産があった場合には、皆、相続権限を娘に渡し、宝物は皆、娘に譲ってやるということになるのです。今、そのような時代になってきました。 それは、なぜかというと、エバが失ったすべてを復帰するために、国を代表して献納しやすい環境をつくっていかないといけないからです。その環境には、必ず主体と客体があります。 神様による天地創造の方式は、まず環境をつくって、アダム、エバが生きることができるような環境を用意されたのです。ですから、アダム、エバ、完全な実体のためには、天地創造したときと同じような世界が必要なので、環境においては、必ずそこに主体と客体があるのです。 神様が願われる創造理想、男女の理想の家庭を中心として環境を組み、それによって左右される権限を現すことによって、創造理想の区切りがつけられるのです。分かりましたか?(「はい。」) 後ろの方は、聞こえますか?(「はい。」)真昼に眠っているのではないですか?(笑い)分かりましたか?(笑い)(「はい。」) はっきりしなければいけません。女性は、先生を通さなければいけません。そうしなければ、敵になってしまうのです。敵として先生が扱うか、奥さんみたいに扱うか? どちらを願いますか? (「奥さんです。」) 先生は、きつい男です。情的男なのですが、その反面に、無慈悲な男です。そのような訓練を、もう、ほうぼうから準備されているのです。分かりますね? きょうは、貴い日です。皆さんが、このようにして「天宙平和統一国」の国民になるのですか? それは、日本人でいえば、東大で一番有名な工科や、一番良い法科で博士学位を取ることよりも、もっと難しいことです。 それを受け取る資格がありますか? イエス様が、そのようなIDカードをイスラエル民族に与えていた ならば、イエス様は、亡くなられていたでしょうか? イエス様が亡くなられていなければ・・・・・・。 今まで二千年間、キリスト教が、どれほど犠牲になり、血を流しましたか? ローマ帝国における四百年 間の迫害を、皆、知っているでしょう? どこに行っても血を流したのです。日本でも、そのような歴史が あるのではないですか? 日本の長崎。そこは、キリスト教の殉教の精神の残る所です。それは、日本の歴史においても忘れ難い、そのような記録を残しているではないですか? そのような精神的伝統を受け継ぐ、それ以上の心情でもって、このような(入籍の)権限、素晴らしい天的権限を伝授されたという、その価値を、何千倍以上も尊重しなければいけません。そうして、量り知れないほど高貴なものとして、国を挙げてたたえなければいけません。分かりましたか?(「はい。」) さあ、時間がずいぶんたちましたが、ケーキが呼んでいます。(「全員、起立してください。」)人がたくさんいるので、においだけ、かがなければなりませんね。 お母様に「来てください。」と、伝えてください。(「祝賀ケーキをカットする時間にしたいと思います。」) ここに、お母様が出てこられたのですが、お母様は、かわいそうな女性ですか、幸福な女性ですか?(拍手) (ケーキカット。「真の子女の日」祝賀の歌) マーンセ (「それでは、続いて万歳四唱をします。」) (「神様王権樹立勝利万歳!」) (「勝利された天地父母様万歳!」)(「『真の子女の日」万歳!」)(「『天一国」勝利万歳!」)(拍手) 「天一国」、もう一度、万歳! 万歳を、もう一度してください。 (「『天一国』万歳! もう一度、「天一国」万歳!」) <完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.09
コメント(0)
▲第42回「真の子女の日」の敬礼式後、ろうそくに点火される真の父母様第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(No.2/4)― 天一国(天宙平和統一国)宣布のみ言 ー成約九(二〇〇一)年十一月十五日(陰暦十月一日)、韓国・中央修練院大講堂「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その1/4)」「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その2/4) 」<続き。3/4> 父母とは、何でしょうか? この時代の王です。この時代です。現世において、父母はだれなのかという と、王です。現世です。 わたしたちの家には、二つの世界の王がいらっしゃるのです。祖父母、それから自分の父母、それから自分は三代目に当たります。三代は、天の国を相続するために必要です。おじいさんから愛を受ければ、相続することができ、父母から相続することができるのです。二つの世界の先祖の愛を中心として……。 それが何かというと、霊界と肉界の愛の中心代表者の結実が、アダムとエバの息子、娘の立場であったということです。これを失ってしまったので、天の国は、ぽかんとすっかり空いてしまい、地上もすべて失ってしまったのです。これを再び、埋め合わせていくためのものが、祝福家庭であり、子女の立場であるということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか? ですから、皆さんの時代において・・・・・・。先生は、このすべての世界、サタン世界において蕩減し、すべてのサタンを整理しておきました。個人時代も、家庭時代も、氏族時代も、もう迫害はありません。 先生は、迫害を受けながら、それらをすべて整理したので、皆さんは、今から国家を中心として、イエス様が失敗したこと、アダムが失敗したことを蕩減復帰しなければなりません。 そのようなものを整理するためのものが、イスラエ ル選民圏であったのですが、彼らは、国を失ってしまいました。そうです。皆さんも、国を取り戻すことができませんでした。 先生は、霊肉を中心とした、この先進国家基準において、受けた迫害をすべて除去して、サタンまで屈伏させ、神様との一体圈家庭的基盤を定着させたので、 堕落後のイスラエル民族を代身して蕩減した、イエス時代の国家基準を中心として、そのまま世界に当てはめていけば、すべて終わるのです。 ですから、今から皆さんにとって重要なことは、神様の御前に三代の祝福を受けることであり、その三代の家庭は、神様の子女の立場であるので、その三代の祝福を受けた家庭自体が、第三創造主の責任を果たさなければならないということです。 第一創造は、家庭完成、氏族、民族、国家の完成を願ったのですが、その国家完成ができなかったのです。 それができなかったので、イエス様もできず、再臨主も……。 再臨時代の蕩減は、霊界のサタン世界、霊界の地獄まで追放して、すべて追い出しました。そうして、地上に再臨することができるようにしておいたのです。 ですから、今からは、皆さんを後援してあげることができるイスラエル圏世界化時代が来たということです。イスラエル民族が、ローマを屈伏させる時代に越えていくのではなく、世界万民が、すべて祝福を受けることができる選民圏に入ってきたので、イスラエル圏世界化時代に入ってきたのです。 今、統一教会が、四億双以上の男女、既成家庭、それから青少年家庭を加え、八億双として一人の前に四人ずつとすれば、四掛ける八で三十二、三十二億となっ て、地上の人間の半分以上になります。 そのように、霊肉の世界を中心として、完全に峠を越えたので、その“絶対父母”に従って絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情、一つの心さえ持てば、すべてのことを越えることができるのです。 ですから、「自分は、だれか?」というとき、本然の神様の愛を中心として、本然の神様の性相的人格である男性格、形状的人格である女性格を受け継ぎ、父母の血肉を受け継いで、性相と形状が一つになり、神様がアダムとエバを創造された血統を受け継いで生まれた実体である、ということを考えなければなりません。 自分は、アダムとエバの代身存在である、ということです。自分には、神様の愛があり、神様の生命と神様の血統が直系的に連結され、これまで成し遂げることができなかった三代を今、備えて、そこから三代の 四位基台を中心として、三代圈完成を成すことによっ て、神様に侍るうえにおいて・・・・・・。 「(子女が)サタン世界における親に侍る以上!」それを一度、言ってみてください。「(子女が)サタン世 界の親に侍る以上!」(「〔子女が〕 サタン世界の親に侍る以上!」)「(父母を)愛さなければならない!」(「(父母を)愛さなければならない!」) 「サタン世界の夫婦が愛する以上!」(「サタン世界の夫婦が愛する以上!」) 「愛さなければならない!」(「愛さなければならない!」) また、「サタン世界で子女を愛する以上、兄弟を愛する以上に愛さなければならない!」と、言ってみてく ださい。(「サタン世界で子女を愛する以上、兄弟を愛する以上に愛さなければならない!」) 愛を中心として、歴史的なふたりの闘いを、体との闘いを否定して本然の基準に立たなければなりません。 そうして、神様が求めておられる心と体が一つになった血族の自らであり、息子、娘であることに間違いないと、このようにならなければなりません。 そのような立場で、“有史以来、どのような民主世界にも、共産世界にも、サタン世界にもいなかった孝子になり、忠臣になり、世界のためには聖人になり、聖子になる!”という、そのような心を持たなければなりません。そうして、「孝子というものは自分から、忠臣は自分から、聖人は自分から、聖子は自分から、それ以外にはいない。」と言うことができる資格を持たなければならないのです。 そして、過去の歴史時代において、サタン世界の極悪な法によって、善を侵犯するためにあらゆることをした、そのような極悪な歴史を持った国があれば、その国に行って、何倍もの困難があるとしても、"自分は、 勝利することができる息子、娘である!”と、思わなければなりません。 そうであってこそ、エデンで失ってしまった本然の心情を目の前にして、傷を与えた神様の心を慰労して、 解放することができるのです。そうでなければ、解放されないということを知らなければなりません。 それでは、そのように比較するとき、今までの皆さんは何ですか? うじ虫にも劣るというのです。自分 勝手に生きてきたからです。適当にやって、それで天国に行くのですか? 天法は、そうではありません。 子供が、大学に入試する時期になって、試験を受けるというときに、いくら息子を愛し、娘を愛している からといって、子供に百点を取らせて合格させるために、親が試験場に入っていって、代わりに試験を受けるということができますか? できません。千年、万 年たっても、それは子女の責任です。それと同じことです。 アダムとエバが孝子になることができず、忠臣になることができず、聖人、聖子になることができずに恨の歴史を残したのですが、これを完全に解消、清算して越えることができなければなりません。 神様の心の中で「息子」と言えば、ひとえにだれですか? “私”です。小山田なら小山田です。「娘」と言えば、何ですか? (小山田)儀子です。二人しかいないというのです。そのように言うことができる家庭にならなければなりません。 そして、「ああ、小山田だけでなく、生んでみると、 双子を生んではまた生んで、世界の各国に必要な種をすべて用意した。」という、それが祝福家庭です。 今から、国さえあれば、その種をどこで刈り入れるのかというと、それぞれの自分の国に植えるのではありません。入籍しなければなりません。イエス様が生まれるときにも、ヘロデ王が公文を出して、分封された領主たちが全員、故郷に入籍したように、故郷を離れて・・・・・・。故郷を失ってしまった民族が、再び故郷を訪ねて来て、新たに国を編成するための入籍時代があるのと同じように・・・・・・。 米国の地が、問題ではありません。今から、米国の都市で暮らすことが難しくなる時が来るかもしれません。早く終えなければなりません。早く終えようとす れば、文総裁の後に従っていかなければなりません。 文総裁の教え以外には、平和に向かうことができる道はないのです。 今回、八大都市を中心として、先生の大会をしました。ですから、「天宙平和統一国」以外には、平和に向かう道はない、ということです。分かりますか、分かりませんか?(「分かります。」) そのようにするためには、皆さんの三代が、三代創造主の権限の位置に突入しなければなりません。突入です。何千年目に突入して、神様の孫と孫娘、四代の ひ孫まで立てることができるその場から、天下の新しい家庭編成を中心として、氏族、民族、世界化時代に 越えていって、「天宙平和統一国」が生じる時が来たのです。今や迫害はありません。 今まで、韓国の八代政権が、文総裁を追い出すため に、あらゆることをして反対してきましたが、今では、 何を言っても、反対する者は、一人もいません。反対 すれば、立たせて、「あなたは、文総裁を知っているの か? どれほど研究したのか?」と言って、激しく攻 撃しようと思っています。 わたしは、大韓民国の大統領でもだれでも、すべて知っています。はっきりと知っているのです。ですから、わたしが三言尋ねる前に、彼らは答えることもできずに、恥ずかしくて座り込むしかありません。そのような度胸を持って、占領してしまおうと思っている のです。 そして、わたしが、「イエス様も、わたしが結婚させてあげた。」と言ったとき、キリスト教が、どれほど驚いたでしょうか? キリスト教だけでなく、仏教の釈迦も、わたしの手によって結婚させ、孔子も結婚させ、マホメットも結婚させ、キリスト教で有名なアウグスティヌスも結婚させ、使徒パウロも、すべて・・・・・・。 今から十二弟子も、根本的に全員、解放してあげなければなりません。そのとおりですか、そのとおりではありませんか?(「そのとおりです。」)何が、「そのとおり」なのですか? (拍手) (歡呼) だれが、それを信じますか? 信じるのは、ここにいるような人たちしかいません。この人たちは、人間 ですか、霊ですか? 人間よりも優秀で、霊よりも優秀である、ということです。なぜなら、霊も、そのこ とを知りませんでした。使徒パウロも、イエス様も、 神様が本当の自分の父であられ、血肉を分けた骨の中の骨、肉の中の肉であられたということを、本当の意味で完全には知らなかったのです。 神様は、“私”の父であられるというのです。父というものは、宿命的です。父を、お金で取り替えることができますか? 取り替えることができるのですか? 兄弟を取り替えることができますか? 夫婦を取り替えることができますか? この西洋の男性と女性たち。 初愛が貴いのです。天地を与えても、取り替えるこ とはできません。結婚とは何かというと、世界の男性と女性の代表者の出会いです。神様を証人として主人として立っていただき、億千万世の聖人烈士たちをすべて証人として立てて、「間違いなく天道に合う夫婦になる。」と誓約するのが、夫婦なのです。そのことをはっきりと知らなければなりません。 それゆえに、すでに祝福を受けた人は、第三創造主にならなければなりません。第一創造主の神様がいらっしゃらなくても、第二創造主のアダムとエバがいなくても、第三創造主は、歴史の結実となることができるのです。正に、歴史の結実と同じです。その結実は、千代たっても同等です。そのようになることのできる家庭にならなければなりません。 ですから、血統と愛と生命が、行き違いになっては いけません。神様の愛から父母の愛が同化されるので あり、血統は垂直です。中心は一つです。理想的中心、愛の主人の血統が、二つになることができるでしょうか? 皆さんの個人的心と体が一つになって、神様を愛すれば、そうして、それが神様の娘として生まれ、息子として生まれて愛したのならば、その愛は本物です。 今まで、心と体が一つになった息子、娘が結婚した家庭がありませんでした。 それを真の父母が代身して成したがゆえに、真の父母の教えを受けて相続して、初めてその立場に行くことができるのです。それで、絶対信仰、絶対愛、絶対服従なのです。そのようにしなければ、その国に行く ことができないので、その原則基準を中心として解決し、そこから・・・・・・ これが逆さまに来ました。反対に回っていったので、 これをすべて成し、ここに来て、切って反対に行かなければなりません。 真の父母から、真の夫婦から、真の子女、真の家庭を中心として、それが横的に世界化され、同じ種をまいておくことによって、世界が一度に・・・・・・。 春になって、これが万国を根として、万国全体が一 つの国の収穫として神様の前に奉献され、それを神様の祝宴の日、天のお父様が祝宴をしてくださる日、あるいは、兄弟たちが祝宴をする日にすれば、「自分の祝宴だ。」と言うことができ、自分の家の祝宴であると言って祝賀することができるのです。そのようにならなければなりません。 そうして、そのようなものが大きくなって、国の祝宴、天宙の祝宴となっていくのです。そうすれば、全部が神様の家族となり、血統を連結させて、一つの血族のようになります。それは、拡大されるだけなのです。 喜びとともに子女が大きくなればなるほど、より大きな喜びがもたらされるようになります。すべての家庭に価値があるので、天の国に近づいていくことによって、大きくなれば大きくなるほど感謝し、大きくなれば大きくなるほど、福が加重されるので、もっと感謝することができるのです。 そのような生活をすることによって、神様の王子、王女として、天地の大主宰であられ、王の中の王であられる、その主人のすべてのものを相続することができるようになります。そうすることによって、天上天下の天国が、"私”のものになるのです。アーメン! (「アーメン。」)(拍手) それゆえに、「真の子女の日」を迎えて記憶すべきことは何かというと、皆、忘れてもよいですが、第三創造主は、神様の代身として、一族、一国、一世界を成すにおいて、神様がいらっしゃらなくても、真の父母がいなくても、自分の家庭を持ってそれを成すことができる、ということです! ですから、真の父母を訪ねて来なくてよい、というのです。 今はもう、霊界の調整をしなければならない時が来ました。地上は、すべて皆さんに任せるのです。わたしが、霊界まですべて道を築いておいたので・・・・・・。霊界も、すべて祝福してあげたでしょう? 地上に再臨することができるようにしました。 ですから、長子権復帰をして、次子が長子になって引っ繰り返ることによって、本然の世界に真なる愛の対象圏を成し、わたしたちの家庭において、神様の愛された家庭を代身することができる息子と、息子の嫁を完成するのです。 そのようにして、夫婦完成とともに家庭完成をし、 それを神様におささげしなければなりません。自分のものではありません。ささげなければなりません。 そのようにしようとすれば、今まで、サタン世界に よって汚されたすべての所有圏を、すべて神様に奉献しなければなりません。そうして、日本の国や、日本の土地や、日本のすべての人、米国なら米国全体を、 一度にすべて奉献してさしあげ、真の父母、天地父母 が、全権時代において、サタンまで一つにして、神様の勝利と栄光を称賛するのです。 そうして、「万世の王の中の王になり、私たちは、その王に侍る王家の立場で、孝子、忠臣、聖人、聖子になるのです。」と言うことができる解放的万歳をしてこ そ、天下に地上、天上天国が君臨完成するのです。「アーメン」です。(「アーメン。」)(拍手) そのようなことを再度、覚醒して・・・・・・。祝福家庭というものは、第一創造主の代身となり、第二創造主の理想を抱いて、神様の孫となる第三創造主の責任を果たさなければなりません。そうして、大きな世界、大きな天宙を管理することができる時代になっているのです。ですから、神様が愛するにふさわしく、アダム とエバが、わたしたちを尊敬するにふさわしい、二つ の世界の王子、王女にならなければなりません。 二つの世界の王となり、王子となり、勝利の覇権をもって、天の前にお返ししてさしあげることによって、 アダムとエバも、その世界の主人になることができ、 神様も、その世界の主人となることができるのです。 そうして、全体が一つの場で、一つの父母のように侍ることができる場が、地上、天上天国なのです。主権は一つです。王も、三つが一つになって、一つの場に立つときに・・・・・ 霊界に行けば、李相軒氏の話が、そうではないですか? 夫婦が一人になり、息子まで一人になるといっていたのではないでしょうか?それは、三人が一つ になるのと同じです。ですから、アダム、それからイ エス様、(再臨主、)再臨時代の自分、四次アダム、四人が一つになった実体圏を中心として、一人のように表示されなければなりません。 このようにすることができる環境的要件と環境の中 で、実体の男性と実体の女性世界が、超国家的な、歴史性を超越した立場に立ち、勝利の覇権を中心として完全に天を解放させ、王権を中心とした勝利の大王として侍ることができなければなりません。そのような 家庭が普遍化された統一世界が、地上、天上天国であっ たのです。アーメン! "そのような息子、娘に、間違いなくなろう。”という人、決心する人は、手を挙げてください。今からは、 皆さんの妻も、自分のものではありません。子供も、 自分のものではありません。自分の先祖も、自分のものではありません。万物も、自分のものではありませ ん。天にお返ししなければなりません。 今から二〇一二年までに、このことをどのようにして世界的に完成するのかという、忙しい、区切られた 計画圏内に入ってきたので、休む間がありません。戦争の中で、これ以上の戦争は、ありません。 ですから、戦場に出て勝利した以上の勝利を挙げ、 忠孝の道理を立てて、間違いない忠臣と、 間違いない聖子の道理を完成しなければなりません。このような天の国の使命を受けた神様の代役者、また、アダムとエバが失敗したことを復帰する代役者として、間違いなく勝利の覇権をお返ししてさしあげるための道を行かなければなりません。分かりますか?(「はい。」) そのようにすることができる人は、両手で誓ってく ださい。誓って、拍手、拍手、拍手!(拍手) 「私たちの家庭は、」と、言ってみてください。(「私たちの家庭は、」)「第三創造主の責任を完成しなければ ならない。」(「第三創造主の責任を完成しなければならない。」) 「三時代を総合した、」(「三時代を総合した、」)「勝利の覇権者として、」(「勝利の覇権者として、」)「天上世界の神様王権樹立と同時に、地上の国の王権樹立を完成する。アーメン。」(「アーメン。」) 「天上世界の完成、地上世界の完成を成す。アーメン。」と言ってみてください。「天上世界の完成」(「天上世界の完成。」)「地上の完成」(「地上の完成。」)「天地父母の覇権を中心とした、勝利の天国を完成しなければならない。アーメン!」(「アーメン!」)分かりま したね?(「はい。」) 祝福家庭は、何ですか? (「第三創造主です!」)第三創造主の責任です。神様がいらっしゃらなくても、 アダムとエバがいなくても、自信を持たなければなり ません。 ですから、今から、帰ってしなければならないことは何かというと、金氏なら金氏を逆さまに引っ繰り返しておかなければなりません。逆さまにです。家庭から、親戚の八等親から自分の一族すべてを、です。日本なら何ですか? 小山田氏なら小山田氏の氏族です。 小山田氏。日本には、氏家は、たくさんあるけれども、何軒ぐらいありますか?(「六十万ほどです。」)六十万? それを全部、早く復帰しなければなりません。自分の氏家を早く復帰して、それを先生の勝利圏 の天宙復帰に向けて、引っかけて、しっかりとかけておくのです。これは、自動的に解放されます。 日本人同士の祝福家庭は、どんな難しい場合でも、 全体献納して、完全一体として、世界までつなぐよう なぐような、真の精誠を尽くして献納することによって、日本国民は、神様の国に帰属することになります。また、 そのようにして寄与することができるのです。分かりましたか?(「はい。」) 特に、エバ国の使命は、教育問題です。教育・養成の問題は、二世に対して責任を持つことです。たとえ日本の国を売ったとしても、日本の全体を犠牲にしたとしても、それを果たさなければなりません。 母の使命は、一身全体を犠牲にして、子供の養育を果たすことです。子供が完成して、神の国に奉献することができるように、精誠を尽くして養育しなければ なりません。ですから、日本の女性は、日本内で死ぬような考えをしてはだめです。分かりましたか?(「はい。」) 世界の国々、世界の土地土地に皆、分散して、そこに住んでいる天国の子女たちを養育して、完成の道、忠孝の道を完成させなければなりません。そのような献納と奉仕をしなければ、エバ国の使命が完成される道はありません。はっきりと分かりましたか?(「はい!」) さあ、そのように理解して、きょう、記憶すべきことは、今から「天宙平和統一国」に入籍することができる時代に入ってきたということです。そのことを知 らなければなりません。 今から祝祷をしなければなりませんが、祝祷が何か、分かりますか? み言の祝祷です。神様の御前に奉献 したので、そのみ言が、すべて祝祷であるというのです。 「天宙平和統一国」というとき、「天宙」の「天」という字の中には、「二人」という字が入っています。「天」という字は、「二」という字が平行線になっています。二人の人が平行になるのです。平行です。分かりますか? また、「平和」の「平」という字の中には、 十字架があります。それは、天と地を完全に連結させるということですが、それは、この二人のことをいうのです。 ですから、「天宙」の「天」という字の中にある「二人」という字の中には、すでに平和の概念が入っているということです。分かりますか? それゆえに、今後、「天宙平和統一国」を何と呼ぶのかというと「天一国」と言うのです。(拍手) それは、神様が最も好まれる、一つの国です。「天が願われる一つの国」という意味になるのです。「天一国」 と言ってみてください。(「天一国。」) 「天宙平和統一国」を、より簡単に言えば、「天一国」 になります。それは、神様が最も好まれる、一つしかない国です。わたしたちの家庭が最も好む、一つしかない国です。わたしたちの一族が最も好む、一つしかない国です。白人、黒人、黄色人種が最も好む、一つしかない国です。そうではないですか? 二人が一つになってこそ、天国ができるのです。そ こには、そのような意味があるのです。さあ、その話をしてあげてください。 <4/4に続く>(黄善酢韓国会長による「天一国」の「IDカード [会員証]」についての報告) (IDカードの裏面にある四大綱領の四番目の内容について)何ですか?(「はい。「天道に通じる霊的道徳的指導力涵養(カンヨウ)」です。」)それを「統一的涵養」と書いてください。「統一」という言葉を入れなければなりません。(「はい。「統一的涵養」にします。」)そうです。 人間の差別なく、平準化を・・・・・・。「神様王権即位式」のときに話したではないですか? 四大綱領が入らなければなりません。「統一的涵養」です。そうです、それです。 (IDカードの発行母体となる「天宙平和統一家庭 Family 2002.10 42一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.07
コメント(0)
▲第42回「真の子女の日」の敬礼式後、ろうそくに点火される真の父母様第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(No.2/4)― 天一国(天宙平和統一国)宣布のみ言 ー成約九(二〇〇一)年十一月十五日(陰暦十月一日)、韓国・中央修練院大講堂「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その1/4)」の続きです。 今日、この地上に生きている人たちは、良心を否定するでしょう? 体が願うとおりにしているのです。 体は何かというと、「自分が一番優秀である。」と言うのです。父母もなく、神様もなく、夫も女性もなく、すべて否定するのです。 ですから、”個人主義王国時代”が来たので、その立場は、天の国を失ってしまい、神様を失ってしまい、 自分の先祖を失ってしまい、自分の国を失ってしまった立場です。そうして、家庭においては、祖父母を否 定し、父母を否定し、自分たち夫婦も否定し、息子、娘も否定するのです。 その結果、神様も完全に否定し、天の側から見ると神様ご自身が、すべてを否定するという終末現象が起きているのが、現在、わたしたちが暮らしてい る世の中の姿であったというのです。そこには、希望 というものは、一点一画もありません。息子も、娘も、夫も、父母の前に希望がありません。 ですから、自分自身で嘆いて彷徨し、その挙げ句、 解決策がないので薬を飲んで自殺してしまうような、 自らを滅ぼす’わな’に陥らざるをえない状況になっています。そのようなこの終末時代において、その嘆息圈 からどのようにして抜け出し、堕落によって失ったものをどのようにして奪還し、解放の世界に向かうのか、という宿題が残っているのです。 このような宿題を解くことができるものが何かというと、父母には、二つの父母があるということです。 そのことを知らなければなりません。 堕落した父母が偽りの父母であり、心と体が一体となった男性が、神様の本然的愛に連結され、女性も、心と体が神様的な性相的、形状的実体、アダム的な形状的実体、二つが一つになった心と体が・・・・・・。 これは、四人の人と同じです。それが神様の絶対、 唯一、不変、永遠の愛を中心として、わたしも絶対的となり、あなたも絶対的であり、夫も男性も絶対的で あり、妻も女性も絶対的であり、息子も絶対的であり、娘も絶対的であり、夫婦も絶対的な夫婦になるのです。 しかし、そのような位置を失ってしまいました。 それを再び取り戻してこそ、その位置に戻っていくことができるので、それを成就するために、神様は救援摂理や再創造の役事をしてこられたのです。そして 今、その位置に再び戻って、それを清算しなければならない時代が来たのです。 今は、自分を中心として、願いや希望を持つことができない世の中です。今まで、米国の国民は、「自分は、 米国国民である。」と言って誇っていましたが、 引っ繰り返ってしまいました。「先進国」という言葉を言ってはいけない、というのです。どれが本物なのか分かりません。上が下なのか、下が上なのか、上なのか下なのか分からないということです。 善悪ということについてですが、それを「悪善」と言いますか、「善悪」と言いますか?(「善悪です。」)それでは、「地天」と言いますか、「天地」と言います か?また、「父母」と言いますか、「母父」と言いますか?「女子」と言いますか、「子女」と言いますか? 逆さまになっているものがあります。逆さまになっているものは何かというと、「上下」と言うときには、 父母を表し、「左右」は夫婦を表すのですが、「左右」は、本来とは逆さまになっています。「右左」にはなっていません。そのことを知らなければなりません。 それは、なぜでしょうか? 良心は、ありのままを 率直に告げるようになっています。終末になれば、必 ず良心が、"自分宣言”をするようになっています。ですから、「私は罪人である。間違っている。そのことは正しい。」と言わなければなりません。 共産党は、赤です。赤いものは、危険千万であり、 嫌いです。白色は、何ですか? 安全である、という のです。すべて、そのようにありのまま率直に告げるのです。 サンノム サタン世界は、「この野郎 (쌍놈)。」と言って、悪口 を言うでしょう?しかし、悪口は、悪いことばかりではありません。サタンが最も嫌う“双(쌍ーカップ ル)”になるのです。分かりますか? 神様を中心とし た“双(쌍ーカップル)』が最も憎らしく、最も恐ろしいのです。ですから、サタン世界は、そのように悪口を言うのです。(韓国語の「野郎 [쌍놈)」と「双 [쌍]」 の発音の一部が似ていることから) ですから、わたしたちが真と偽りを分別するとき、 自分の心と体の中には、“真”と“偽”が定着している ということを知らなければなりません。何が定着しているのですか? ”真の父母”と“偽りの父母”です。 このようになるのです。“真の父母”と“偽りの父母” が定着しており、”真の夫”と”真の妻”が、逆さまに なっています。ですから、”偽りの父母”です。 “真の子女”とは反対の“悪の子女”、“悪の夫婦”、 "悪の父母”、“悪の愛”と一つになっている世の中で あるということを知るようになるとき、ここで真なる 愛を捜し出すためには、根源からすべて否定しなけれ ばならないのです。 多く宗教は、より深く信仰し、求めていくようになれば、出家を求められることがあります。「家と国を捨てて乞食のような立場になり、地獄の底に降りていきなさい!」と、そのように、「否定しなさい。」と言わ れるのです。そして、「独身生活をしなさい。」と言い ます。 最も憎むべきことは何かというと、神様の御前で、偽りの愛を始めたということです。これで世界を蹂躙し、神様を蹂躙したので、千年、万年たっても、これを見るのは嫌なのです。ですから、否定しなければ、 否定の否定をしなければならないというのです。 それゆえに、今日の統一教会も、先ほど訓読したみ 言(一九六八年十一月二十日、第九回「〔真の〕子女の 日」に語られたみ言「『〔真の〕子女の日』はいかなる日か」)の中でも、詳しく話してあげていますね? 子女から父母を取り戻し、「(真の)父母の日」、「(真の) 子女の日」を中心として、実体から形状実体、心情世界まで完全に否定して、新しい本然の世界に帰らなければなりません。 アダムとエバは、神様を中心として、三代を実現することができませんでした。ですから、三代を成し遂げなければならないのです。 それでは、祝福とは何ですか? 皆さん。祝福とは何かというと、神様は第一創造主であられ・・・・・・。分かりますか? 神様は、何創造主であられるというのですか? (「第一創造主です。」)アダムとエバは、何ですか? (「第二創造主です。」) アダムとエバは、第二創造主なのですが、第一創造主であられる神様は、アダムとエバを生みましたが、 第二創造主であるアダムとエバは、第三創造主を生むことはできませんでした。それは何かというと、神様が三代の孫を持つことができなかったということです。 孫です! 分かりますか? なぜ、孫を持つことができなかったのかというと、 アダムとエバが、神様と同じように息子、娘を生んで第二創造主として完成することができなかったからです。 そしてまた、アダムの息子も、第三創造主の立場に立ちます。それで、第三創造主になろうとすれば、おじいさんの愛とお母さんの愛、二つの愛を受けなければなりません。おじいさんの愛は霊的世界を代表し、 お父さんの愛、父母の愛は、この現実世界の愛です。 天上世界と、現実のサタン世界を代表する二つの愛が、アダムとエバを中心とした息子が受けなければならない愛です。 ”心的”世界の完全相続を成し、”体的”世界の完全相続を成せば、父子関係の二代の因縁をすべて相続したことになるので、天上世界と地上世界、二つの世界を受け継ぐことができるのです。 それは、どういうことであるのかというと、 アダムとエバを中心としたものよりも、第三創造主となるアダムとエバの息子も、息子、娘を生んで、初めてそこから種ができて広がっていく、ということです。神様が、いくら偉大であられるとしても、創造は、アダムとエバしか成すことはできませんでした。分かりますか? アダムとエバは、結婚してから、どうなると思いますか? 子供を何双くらい生むと思いますか? 先生 でも、十三人の息子、娘を生んだので、それは、十三双を生んだことと同じです。アダムとエバが、百歳以 上、何百歳までも生きたならば、息子、娘が、どれほどたくさんいたでしょうか? 三十六双は、問題あり ません。 ですから、アダムとエバの孫は、そして息子は、神様よりもりっぱであり、アダムよりもりっぱであるということです。それゆえに、神様もご自分が愛される 相対は、自分よりもりっぱであることを願われ、アダムも、愛する相対が、自分より以上にりっぱであることを願うのです。 神様も同じです。神様の愛の相対は、アダムとエバです。神様は、そのアダムとエバが、ご自分よりもりっばであることを願われ、アダムとエバも、自分たちの息子が、自分よりもりっぱであることを願うのです。 同じように、やはりアダムも、自分の相対はエバなのですが、エバがアダム自身よりもりっぱであることを願い、アダムとエバのふたりが生んだ息子が、自分たちよりもりっぱであることを願うのです。同じことです。 ですから、神様も、願われた所願が何かというと、 アダムとエバの創造が目的なのではなく、三代目となるアダムとエバの息子、娘、そしてさらに孫が、理想の創造目的であったのです。アーメン! このようにならなければなりません。そこで完成するのです。そこで初めて、種が種として完全になるのです。 そこでは、すべて父母となり・・・・・・。そうではないでしょうか? 霊的父母、肉的父母、縦横の父母がいて、 肉的な夫婦が、未来における霊的な夫婦となり、肉的な新郎新婦時代、肉的な約婚時代、肉的な息子時代、 肉的な子供時代、肉的な赤ん坊時代、すべて連結されるのです。 神様は、八大心情圏の主人になることができませんでしたが、そのようにして本然の血統的関係が完成されるはずであったのです。エバの腹中にいる息子、娘に対して、神様が、喜びながらエバのおなかに耳をあてて赤ん坊が動きまわる音を聞こうとされ・・・・・・。皆さんの夫が、そのようにするでしょう? 最初の子供を宿したときは、特にそうです。 神様は、エバの腹中に宿った赤ん坊に対して、皆さんが祝福を受けて宿した赤ん坊を、皆さんの夫が愛する以上に愛してみることができたでしょうか、できな かったでしょうか? 愛してみましたか、愛してみることができませんでしたか? (「愛してみることができませんでした。」)してみることができなかったので幸福ですか、不幸ですか?(「不幸です。」)不幸なのです。 神様は、すべてを失ってしまわれました。八段階の愛の主人であられる神様が・・・・・・。エバが赤ん坊を生むとき、エバの陣痛のときにも、その主人であられるべき神様が主人ではありませんでした。他の主人が、すべてを持っていきました。 また、エバが赤ん坊を生んでから育てるときにも、そのエバが生んだ赤ん坊をひざの上に乗せて、三年なら三年、赤ん坊が言葉を話すときまで、そのような時期にも、赤ん坊を愛してみることができなかったのす。なぜでしょうか? 血統が違うからです。怨讐になっているのです。 もう明日、あさってには結婚するはずなのに、怨讐が、その妻を奪っていって赤ん坊を宿してしまった、という立場です。そのようなときに、その新郎が妻を訪ねて行った場合、その赤ん坊に関心が行くでしょうか? また、その妻をほうっておくということがあるでしょうか? その子供でも何でも、妻でも何でも、殺したい思いではないでしょうか? 皆さんも、そうでしょう? 夫に対する怨讐がいた場合、会えば殺してやりたい思いになりますか、助けてあげたい思いになりますか? 殺したいような思いでしょう? ですから、神様にとって、堕落した人間世界には、 ご自身の相対としての"エバ”というものは、一人も いません。アダムもいないのです。失ってしまったのです。 それでは、どうすればよいのですか? 再創造しようとすれば、どのようにするのでしょうか? 再創造して、堕落しなかったとき以上に愛するということは、 神様には、死ぬことよりも嫌なことです。死ぬよりも嫌なのです。 それでは、どのようにすれば、これを救援することができるのでしょうか? 神様の戦略戦術は・・・・・・。神様が、人間を滅ぼすなどして、ご自分がしたいとおりにすれば、人類の種がなくなってしまいます。永遠に、この地上では、人間が主人です。ですから、そのようにすれば、創造世界の主人が生まれる道がなくなってしまうのです。 ですから、神様が責任を持たれて、悲しい、悲しい峠を越えるとしても、主人の位置を再びつくって、これを立てようとされたのが、千辛万苦の苦労をして野生のオリーブの木を真のオリーブの木に接ぎ木する道だったのです。 しかし、それは、野生のオリーブの木にもなりません。ボブラや他の木が、野生のオリーブの木になることは、野生のオリーブの木が真のオリーブの木になることよりも、もっと大変なのです。 神様は、そのような苦労をされて、野生のオリーブの木までつくってあげ、世界的な歴史において、宗教を通じて野生のオリーブの木畑を、天の側の野生のオリーブの木畑に変化させてきたのです。そうして、それが人類の半分以上になれば、そこに主人である一つの真のオリーブの木が来られて、野生のオリーブの木を切ってしまって、一度に神様が・・・…。 しかし、神様の所有権だからといって、思いどおりにサタン世界を打って、奪ってくることはできません。 ですから、それは、自然屈伏させて、天の側の野生のオリーブの木となったものを切ってしまい、一つの真のオリーブの木に接ぎ木して、すべて真のオリーブの 木畑にするためなのです。 あぜんとするようなことです。それは、真のオリーブの木を願われる神様が、そのようにする道しか、接ぎ木するしかなかったという事実です。神様は、実体を愛することができなかったのです。 ですから、しかたなく真のオリーブの木をつくり、 神様は、「わたしに似なさい、似なさい。」と言われながら、復帰摂理を進めてこられる過程においても、失ってしまわれたアダムとエバを創造理想として見詰め続けられ、その二つの心を一つにされるのです。 そのようにして、「"絶対愛”を中心として、父母の中の父母であり、王の中の王であり、新郎の中の新郎であり、子女の中の子女になろう。」と言うことのできる家庭をつくらなければなりません。そのような家庭をつくる基盤が、この地上に現れることによって、初めて神様が臨在され、本然の愛を中心として主が来られ、真の父母が来られるのです。 アダムとエバの家庭、一家庭だけではありません。 皆さん。「第四次アダム圈『祝福中心家庭!」それが、 簡単な言葉でしょうか? それが、どれほど大変なことか分かりません。そして、それは、アダム家庭一つではないのです。全世界の峠を越え、数千万、数億の 家庭を代身した勝利の覇権を中心として、皆さんが、すべて平等な価値を備え、「祝福中心家庭」として……。 それは、アダムが、堕落せずに完成して、祝福を受けたものと同じです。そうして、それを中心として、それまで何千万年もの間、空いていた天の国の倉庫が、地上に真の父母が来られることによって、すべてされるのです。すべてを蕩減復帰して、これを接ぎ木し、野生のオリーブの木畑を真のオリーブの木の家庭につくりかえ、それを一度に合わせるのです。 それゆえに、神様ご自身もそうであられるのですが、そのために真の父母は、神様よりも、どれほど途方もない十字架を独りで背負ってきたのかということを皆さんは知らなければなりません。それが、「祝福中家庭」です。分かりますか? 今、「祝福中心家庭」は、一つですか、数億ですか?数億ですが、すべて価値は、平等であるというのです。そこで、これから先祖が、一等、二等、三等、四等と、決定されていくのです。アダムとエバの子供も、今までの千代万代の子供も、その価値はイコールです。 しかし、そのように同じ価値を持っているのですが、 先祖的系列が、すべて異なるのです。国家的系列や民族的系列が、それに従って決定され、先進国家、中進国家、後進国家の形態が展開していきます。このよう な一代圏内の「祝福中心家庭」の中で、それが生じる のです。 ですから、ここで、天の国に行くことができる人、 楽園に行くことができる人、というように決定されるのです。霊界には楽園がありました。その楽園に監獄が生じます。神様の国を中心として、違反したすべての人たち、法を守らない人たちは、永遠の地獄としてなくなることもありうる世界ですが・・・・・・。 しかし、たとえその地獄に入っていくとしても、その刑をすべて蕩減すれば、服役を終えれば、すべて帰ってくることができることと同じです。 それを自分の一族が協助し、自分の先祖も、国まで協助して、解放的後援をすることによって、永遠に地獄には行くことはないというのです。千万の苦労をして、それを克服して越えていかなければならないということです。 ですから、本然の世界に入っていくことが、どれほど大変でしょうか? 皆さん一代で、統一教会を二十 年間信じたということは、問題にならないというのです。分かりますね? それでは、神様が捜し求められるものは何かというと、第三代まで堕落せずに、神様から祝福を受けることによって、神様の家庭が定着することです。そのためには、「神様の国」の王であられる神様の愛をたっぷりと受けることができる、そのような家庭にならなければなりません。 それが、家庭においては、おじいさんが過去の霊界を代表し、父母は現在を代表し、息子、娘は未来を代表するのです。これが三つです。 それでは、家庭を中心として見れば、おじいさんは霊界を代表し、父母は、この時代を代表し、息子、娘は未来を代表するのですが、この息子、娘は、おじいさんにとっての孫に当たるので、おじいさんの愛と父母の愛を受けなければなりません。 わたしも、じっと考えてみると、自分の息子、娘が生まれて育てるときには、あたふたとよく分からなかったのですが、孫が息子、娘よりも、もっとかわいいと感じられるのです。 最近の韓国を見てみれば、おじいさんとおばあさんが、「ああ、早く結婚して、わたしに孫を抱かせておくれ。」と願うでしょう?なぜ、そうなのかというと、 神様は、”おじいさん”に当たるからです。おじいさんであられる神様です。ですから、おじいさんは、神様の立場を代表して、霊界から派遣された全権大使と同じであるというのです。 それは、わたしたちの家に来て、神様の代わりに伝統を正すのです。堕落してはいけないということです。そのような天の国の全権大使です。天の国の実体の王として来ているのが、おじいさんであるというのです。 分かりますか?Family 20021 30 <第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その3/4)に続く> 父母とは、何でしょうか? この時代の王です。この時代です。現世において、父母はだれなのかという と、王です。現世です。 わたしたちの家には、二つの世界の王がいらっしゃるのです。祖父母、それから自分の父母、それから自分は三代目に当たります。三代は、天の国を相続するために必要です。おじいさんから愛を受ければ、相続することができ、父母から相続することができるのです。二つの世界の先祖の愛を中心として……。 それが何かというと、霊界と肉界の愛の中心代表者の結実が、アダムとエバの息子、娘の立場であったということです。これを失ってしまったので、天の国は、ぽかんとすっかり空いてしまい、地上もすべて失ってしまったのです。これを再び、埋め合わせていくためのものが、祝福家庭であり、子女の立場であるということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか? ですから、皆さんの時代において・・・・・・。先生は、このすべての世界、サタン世界において蕩減し、すべてのサタンを整理しておきました。個人時代も、家庭時代も、氏族時代も、もう迫害はありません。 先生は、迫害を受けながら、それらをすべて整理したので、一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.31
コメント(0)
▲第42回「真の子女の日」の敬礼式後、ろうそくに点火される真の父母様第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言― 天一国(天宙平和統一国)宣布のみ言 ー成約九(二〇〇一)年十一月十五日(陰暦十月一日)、韓国・中央修練院大講堂 きょうは、何の日ですか?(「『真の子女の日」です。」) 子女とは、どのようなものが子女ですか? 子女というものは、父母を持った息子、娘を「子女」と言うのです。それでは、皆さんは、父母を持っていますか? (「はい。」)父母というものは、世の中で自分を生んでくれた父母がいて・・・・・・。 父母は一組であって、 二組いるのですか? 今日、 統一教会で言う「父母」とは、何ですか?(「真のご 父母様です!」)何ですか? 真の父母ですか?「真の父母」という言葉は、だれがつくったのですか? 皆さんが、つくったのですか、先生が、つくったのですか?(「神様です。」) 神様が、おつくりになったということを知っているのですか? そのようなことを考えれば、なぞの言葉 です。これは、信じられないような言葉ではないでしょうか? しかし、“信じられない言葉を信じる”という事実が、りっぱなのです。 神様を見ましたか? 見たことがないでしょう? 神様が、お父様なのか何なのか、どうして分かるのですか? しかし、それは、理論的に正しいというのです。 現実の自分自身のすべてを見てみるときに、絶対的な真の神様の御前に息子、娘となった、そのような父母の実体を受け継いだ自分自身になっていなければなりません。ところが、それを受け継ぐことができなかったので、自分自身が左右に偏った夫婦になり、父母になり、息子、娘になっているのです。 絶対的な一つの世界の伝統の下にいるのではなく、 二つの世界、主人が二人いる結果的世界にいるということを見るとき、“私”とは、自分だけではないのです。 このことを見るとき、“私”には、”心の私”と”体の 私がいるということを知らなければなりません。 それでは、”心の私”とは何であり、”体の私”とは、何でしょうか? そして、それは、どこに属している のでしょうか? また、日本人は、日本の国に属しているのでしょうか? 日本の国は、過ぎ去っていくの です。 米国人は、「米国が、世界の最強国である。」と言い、「米国は先進国だ。」と言って誇り、「自分たちが一番だ。」と主張するのですが、真なる不変の一つの父母というものは、米国も超えていきます。そのようにして超えては超え、さらに超えていって、第一の人類始祖まで行くのです。 根本までたどってみたとして、アダムとエバは、どうだったでしょうか? アダムとエバも、同じです。 そうして、根本となるアダムとエバの立場も超えていくと、その場においてこそ、必ず絶対的な真なる神様と真なる父母がいたはずです。 しかし、堕落したことによって、そのような立場になることができず、今、わたしたちが、神様も分からず、真なる父母も分からずに暮らしているのを見るとき、父母が本物なのか、偽者なのかも分からない立場にいるというのです。 父母が本物であるならば、その本物の父母を通して生まれれば、本物の息子、娘ということになります。 しかし、本物の息子、娘であるならば、行ったり来たりすることはできないはずなのに、行ったり来たりする立場にいるのです。 子供だけでなく、父母も行ったり来たりし、自分も 行ったり来たりしているので、「絶対」という言葉を立てることができない自分自身である、ということを自覚しなければなりません。 ですから、皆さんが「父母」という言葉を言うとき、 必ずご父母様によって・・・・・・。 「父母」という言葉は何かというと、父がいて、母がいて、彼らが愛というものを中心として因縁を持ち、 関係を結んで夫婦関係となり、子供を生むことができる立場となって、父子関係を持ったということです。 それゆえに、その父母自体が不完全な立場にいれば、 その不完全な父母が、愛を中心として、その生命の実体が一つになって残した血統は、行ったり来たりして絶対的なものではないのです。 ですから、このようにしてつくられた家庭も、国も、このような父子関係をつくったすべての歴史も、神様は喜ばれることはできないし、そこに“真”を立てることはできないという結論が出てくるのです。それゆえに、"父母が二組いなければならない”という事実を立てることによってこそ、善なるものと悪なるものを分けることができるのです。 それで統一教会は、神様を見ることもできず、真のご父母様の内容もよく知ることができないにもかかわらず、「真の父母」という言葉を掲げてきたのであり、「偽りの父母」という言葉も解明しているのです。 それが、ここを見ても、あちらを見ても、過去のすべての歴史時代に行っても、未来に行っても、神様の創造理想世界に行っても、どこに行っても間違いのない内容であるというときには、それを中心として、一 度、さーっと整理してみれば分かります。 神様の属性は、絶対、唯一、 不变、永遠なのですが、 神様から始まる愛と生命と血統も、そうであると考えられます。その神様に連結された二つの性稟(せいひん)が、一つ になって愛の関係を結び、父母となって血統を残すのですが、それも絶対、唯一、不変、永遠の血統になるのです。 ですから、その血統を受け継いで、正しい立場で相続すれば、その息子、娘も、絶対、唯一、不変、永遠となるのです。このように、父母も絶対的であり、子女も絶対的であり、夫婦も絶対的であり、その家庭も絶対的であり、その血統を通じた氏族も絶対的であり、 唯一的であり、不変的であり、永遠的なのです。 そうして、氏族だけではなく、国もそうであり、世界もそうであり、天宙もそうであるというとき、そのような国になり、そのような世界になった、その世界のことを、いわゆる地上天国、天上天国というのです。 アーメン!(「アーメン!」) (拍手) それでは、皆さんの心と体が闘いますか、闘いませんか?(「闘います。」)その闘いは、だれが始めたのですか? 皆さん自身が始めたのですか、皆さんの親が始めたのですか?(「親です。」) それは、だれが始めたのか分かりませんが、それが生じるようになったすべての根源を捜してみれば、"わたしたちの第一の先祖である人類始祖から始まった”という論理を否定することはできません。 それでは、その原因が人類始祖であるならば、彼らは、神様と直接の関係を持っていたはずですが、神様の元にいる息子、娘が、どうして堕落したのか、ということになります。どうして、そのようになったのでしょうか? それが、なぞです。知られざる事実です。 それは、人間には知ることができません。なぞです。 それを知ることができるかたは、だれでしょうか? アダムとエバが知らなかったので、知ることができるかたがいるとすれば、神様しかいらっしゃらないのです。 神様が最も好まない夫婦となり、夫となり、妻となって愛し合い、男性と女性の生命を通して、神様が最も好まない血統を残したということは、間違いありません。その事故が、どこで起きたのかというと、神様とアダムとエバの関係が乱れたことに由来するのであり、そこから事故が起きたのです。その論理は、絶対的であり、唯一的であり、不変、永遠です。 そして、その事故が、どのような事故であるのかということを、今までだれも知りませんでした。神様だけがご存じだったのです。その事故が、アダムとエバ自体が動機となったのではなく、サタンが動機となって起こったのであるとすれば、サタンと神様以外には分からないのです。 それでは、これを解決するためには、どうしたらよいのでしょうか? そのためには、神様を捕まえて説 得し、その責任を追及しなければならず、また、サタンを捕まえて責任を追及しなければなりません。 そうして、神様のみ旨の前に、サタンとは何であるのかということも究明して、「サタンとは、神様と一つになることができない存在ではないか?」と、このようなことも明らかにしなければ、この問題は解決されないのです。 そのような問題を解決した起源から、「(真の)子女の日」や、「(真の)父母の日」や、「(真の)神の日」が再度、必要になるのであって、それを解決できなければ、また、根源を明らかにしなければ、いくら「(真の)子女の日」と言ったとしても、神様とわたしたち人類始祖の根本を解決することはできません。 また、神様を中心として関係を結ぶことができる家庭や夫婦の関係においても、その本然の絶対、唯一、 不変、永遠な家庭の起源を捜し出すことはできないという論理が成立するのです。 それでは、このすべての動機は、神様と人類始祖の失敗によって・・・・・・。失敗とは、何でしょうか? 最近で言えば、人は、「お金が一番よい。」と言うのですが、人類始祖の堕落とは、お金で闘って失敗したのでしょうか? そうであるとすれば、問題にもなりません。お金というものは、わたしたちの人生生活における付帯条件なのであって、絶対的条件ではないからです。 わたしたち人間の属性は、神様と同じなのですが、 人格神の標準は、絶対、唯一、不変、永遠です。神様の性稟がそうであるので、その神様に似たわたしたちにとって、お金というものは、絶対的なものではありません。お金がなくても生きていけるのです。そうではないでしょうか? また、知識ということについても同様です。知識がなくても生きていけます。昔のアダムとエバの時に、だれか、何かの博士がいましたか? アダムとエバは、小学校に行きましたか? 幼稚園にも行かなかったのです。それでも生きていけるようになっています。 それから何でしょうか? 政治や力です。神様に力がなくて、人間を堕落させてしまったのでしょうか? また、人間も、力がなくて堕落したのでしょうか? そうではありません。力があったにもかかわらず、自 分自体の位置と自己の責任を知らなかったので、堕落したのです。 ですから、第一の問題は、何でしょうか? お金や知識や権力が問題なのではなく、責任というものが間 題になるのです。それで統一教会では、「責任分担」という言葉が、ここから出てくるのです。このような話をしようとすれば、切りがありません。 真の父母は、どこにいなければならなかったのでしょうか? 絶対、唯一、不変、永遠の父母は、どこから生まれなければならないのでしょうか? それは、神様と同じ位置から始まっていなければなりませんでした。そうでなければ、絶対、唯一、不変、永遠であることはできません。それ以下の、心と体が闘う世界において成し遂げられたものは、絶対、唯一、不变、永遠であることはできないのです。 ですから、今日、わたしたちが自分自身を解決するためには、まず根本に入っていって、神様をはっきり と知らなければなりません。そして、神様の創造理想 をはっきりと知らなければなりません。 統一原理で言えば、創造前の理想は、何によって始まったのでしょうか? そのような境地に至ったとき、 創造するときのその根源は、何でしょうか? その根源は、簡単です。神様の二性性相です。二性性相の完成です。 神様のみ旨の完成とは何かというと、二性性相の完成なのです。それでは、二性性相の完成とは何でしょうか? 四位基台の完成です。そして、四位基台の完成とは何かというと、アダム家庭において、三代を中心として三対象目的を成し、四代まで連結させる家庭にならなければならない、ということです。 神様は人格神であられ、人格者である人間の父でいらっしゃるので、神様にも父母が必要であり、夫婦が必要であり、子女も必要であり、家庭も必要なのです。人格神でいらっしゃるからです。 神様と人間が、そのような関係にあるにもかかわらず、人間が堕落したという事実は、人間には、神様との関係を結ぶことができるものは一つもない、ということです。息子の位置でも関係を結ぶことができず、娘の位置でも関係を結ぶことができず、神様の前で約婚もすることができず、神様の前で結婚式もすることができず、神様の前で子供を生むこともできなかったということです。 ですから、このようなすべての人間が、神様が創造理想として願われた所願成就を果たすためには、どうしたらよいのでしょうか? それらの内容を、だれによって成すことができるのでしょうか? 堕落した後に、人類歴史は、間違った先祖を始祖と して始まったので、現在に生きる人類も、この間違っ た先祖の血統的因縁を受け継いで、今日の六十億の人 類になったのです。ですから、これらはすべて、神様 と何の関係もありません。わたしたちの体の中には、 堕落したそのときから、二人の主人が存在するように なったのです。 この二人の主人が、人類歴史の途中で始まったのならば、その前の時代は、すべて天の国につながっているはずですが、人類歴史の根本から始まったので、天の国は空いているのです。このような結論が出てきます。 それでは、「(真の)子女の日」ならば、子女として何をするのですか? また、神様も、何をされるので しょうか?なぜ、神様も、子女が必要なのでしょうか? 何ですか?(「楽しいからです。」)楽しいからですか?話をよく聞いてください。「楽しいから」と 言うのならば、働いても楽しいはずですし、カジノな どのギャンブルの世界は、もっと楽しいのではないですか? 今、統一教会では釣りを盛んに行いますが、巷では、 釣りにのめり込むと、自分の妻まで売って釣り道具を買うという話です。(笑い)しかし、それは、例えの話であって、そのようにしてはいけません。 息子、娘を持って、何をするのですか? 神様の愛を完成し、神様の家庭を築くのです。そのことを知ら なければなりません。神様の愛を完成させて、神様の家庭が出発するのです。 また、家庭で何をするのでしょうか? 家庭で何をするというのですか? アダム一人をつくればよいではないですか? 女性という存在は、何ですか? 男性独りで、愛が成り立ちますか? 女性独りで、愛が成り立ちますか? いくら絶対的な神様でも、神様お独りでは、愛を成すことはできません。相対理想が必要なのです。 愛を成すためには、神様の中にいくら愛があり、生命があり、血統があり、良心があるとしても、その神様の前に相対が現れないときには、すべての愛は、そのまま一代で終わるのです。何のことか、分かりますか? ここには、男性と女性がいますが、女性が愛の主人になるためには、女性が独りで、いくら「愛、愛。」と言っても、それを得ることはできません。愛を得るためには、必ず・・・・・・。女性にも、生命があるでしょう? 愛があるでしょう? ありますか、ありませんか?(「あります。」) 生命がありますか? ありますか、ありませんか? (「あります。」)血統がありますか? きょうは、男性 よりも女性がたくさんいるのですが、なぜ、そのように答えるのですか? きょうは、「真の子女の日」なのですが、三分の二が女性ですね。なぜ、このように女性がたくさん集まったのですか? 女性には、愛もあり、生命もあるでしょう? 血統はどうですか? 血統がありますか、ありませんか? (「あります。」)それもあり、良心はどうですか?(「あります。」)それならば、女性独りでもよいはずな のに、何のために・・・・・・。 愛は、独りで成すことはできないので、女性ばかりがいくら数千万人いたとしても、たった一人の男性がいないというときには、女性が愛の主人になることが できる道は、永遠にありません。このことを知らなければなりません。 女性たち。女性を女性らしく、愛の主人にしてくれるのは男性なのです。たとえ容姿に問題がある男性でも、あるいは、体のあちらこちらに病気を持っている人でも、男性の生殖器一つさえあれば・・・・・・、何でしょうか? 息子、娘を生めるというのです。 なぜ、笑うのですか? それは、男性にどれほど価値があるのか、ということです。女性が千万人いたと しても、それだけではだめです。 足らない男性であっても、愚かな男性であっても、あらゆる病気にかかった病人の中の病人、病人の王であっても、その部分一つが健康であれば、女性に赤ん坊の種を与えてあげることができるのです。それは、 いくら女性がいても、女性独りでは愛を捜し出すことはできないということです。 ですから、女性の器官は、男性とは違うでしょう? 男性を受け入れるようになっていますか、拒絶するようになっていますか? どうですか? 受け入れるようになっていますか?(「はい。」) 男性がいなければ、生殖器のようなものは・・・・・・。こん棒のようなもので、「私が男性だ。私と愛し合えば、 子供を生める。家庭ができる。」と言えば、女性たちがしがみついてきて占領するでしょうか、しないでしょうか? 千万を超える女性たちを、すべて犠牲にしたとして も、一人の女性が、一人しかいない男性にしがみついて、「おお、私の愛よ。」と言えば、そこに父母が生じ、 夫婦が生じ、息子、娘が生じるのです!「アーメン」 ですか、「ノーメン」ですか?(「アーメン。」)知っていることは知っているのですね。 ですから、いくら女性が美人であっても、美人一人では、千年、万年たっても、不幸せになることしかできません。女性たち。女性を愛の主人にしてくれるのは、父母でもなく、兄弟でもありません。ひとえに夫しかいないという事実です。今日、皆、このことを知らずに暮らしています。 また、これは、男性についても同様です。先生も、そうではないですか? 真の母を捜し出すために、生 涯、苦労したでしょう? わたしは、苦労しなくても、すべて知っているのです。だれが合うのかということも知っており、口もうまく、すべての世事をはっきりと知り、自分が苦労しない人間であるということも、はっきりと知っているのです。そのようなことをはっきりと知りながら、なぜ、苦労して、その道を訪ねて行かなければならないのかというのです。 人は、二種類しかいません。二種類ですが、”心に従っていく人”と、“体に従っていく人”の二種類の人がいます。そうして、“心的"な人は神様であり、“体的”な人はサタンであるということを知ったのです。 ですから、“体的”世界、実った世界が否定したとしても、その否定することを蹴飛ばし、”否定する世界!”を逆に否定してしまい、孤独に、孤独に、真なる女性を再創造するために苦労したというのです。 アダムが、エバを主管することができずに主管性を転倒したので、これを再び、すべて育てていかなけれ ばなりません。そのようにして育てて、そうして父母となるのです。 ですから、真なる心と体が一つになり、み旨を中心として神様を愛する心が、体が心を愛することに対して負けてはいけません。同じでなければなりません。 心は男性を代表し、体は女性を代表しています。ですから、男性と女性が完全に一つになる場において、神様をお迎えすることができるということと同様に、 自分の心と体が完全に絶対的であり、唯一、不变、永遠な統一的基盤となれば、神様の息子のような立場に立つ愛の主人にしてあげるというのです。何のことか、 分かりますか? 神様は、男性的、性相的愛の主人になることができませんでした。それが、一人の男性が神様の息子として完成し、神様の相対となって、神様が愛を感じることができ、神様が喜ぶことができ、「おまえは、わたしの息子だ。」とおっしゃることのできるような立場になったならば、その息子こそが、神様の御前において、ついに愛を受けることができる直系の子女になるのです。 そこには、神様の愛が連結され、生命が連結され、 血統が連結されるのであり、それこそが、神様が「わたしの息子だ。」と言うことのできる立場です。分かりますか? 息子、娘だと言ったでしょう? それは、 娘についても同じです。 天地創造以前の神様の性相と形状が、完全に一つに なっていらっしゃったのと同じように、心と体が完全 に一つになり、神様が愛するうえでの男性的・・・・・・。 アダムの心が愛することと、エバの心が愛することが同じでなければならず、また、そのエバの心とエバの体が一致したところに神様をお迎えしなければなりません。そうして、その娘が、アダムと心と体が完全に一つになり、それがアダム的ブラス的性相と、エバのマイナス的形状が、ぴたっと同じ・・・・・・。 そのとき、どのようにならなければなりませんか? 二つにならなければなりませんか、一つにならなければなりませんか? 絶対に一つにならなければなりません。絶対的に一つにならなければ、心と体に闘争の 概念が生じるのです。 エデンの園において堕落することによって、アダムの心と体も二つになり、エバの心と体も二つになりました。そのことにより、愛するのも相克的な愛となってしまったのです。 エバは、天使長と愛し合い、アダムと愛し合ったので、二つに分かれた愛をもって、身もだえするようになってしまいました。そのエバを中心として血統が受け継がれたので、人類は、その先祖に似て生まれるというのです。 そのことによって、不安の心と否定的な環境を被るようになったので、夫を否定し、夫の近くに行こうとすればするほど、良心の呵責を受けるのです。体を中心として生きようとすれば、心が泣くのです。心に呵責を受けて悲しみが生じます。 このように故障するようになった事故が、初代の先祖の女性から始まって男性まで、そして、天使世界まで、すべて連結するようになりました。そうして不安の世界が始まり、結果として否定の世界、嘆息と悲しみの世界が現れたのです。そして、今までそれを革命することができずに継続してきたのが、血統です。 こうして人類は、偽りの愛から偽りの生命、 血統を受け継いできた歴史的な実体となったので、自らも不可避的にアダムとエバの堕落した結実であると言わざるをえません。そうして、アダムとエバが闘っ たその姿そのものに、神様を否定する立場と悪を好む立場になってしまいました。 ですから、終末になれば、体が願う世界一辺倒になるということを、わたしたちは、推論的に結論を下すことができるのです。(19 Family 2002.1まで)<第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その2/4)に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.29
コメント(0)
「真の“私”をさがして」(01.10.21 世界平和超宗教超国家連合ほか共催「アセンブリ2001」閉幕晩餐会 ヒルトンホテル、ニューヨーク) 尊敬する内外貴賓、そして紳士淑女の皆様。 この意義深い会議が早くも幕を下ろすようになったと思うと、名残惜しい気持ちを禁じ得ません。しかし、今は時間がありません。私たちすべては今こそ、神が私たちに与えた使命を胸中に刻んで、第一線に出なければなりません。私たちが躊躇し、ためらえば、人類はますます抜け出せない苦境に処するようになります。世界を一度、見渡してください。皆様のほかに誰が、本当に、今日の人類が処したこの危機を懸念し、また、解決できると思いますか? もう明日になれば旅立つ皆様に、私は今晩、形式的な別れのあいさつをするよりは、皆様を兄弟のように信じて、深い心情を交わすことができると信じる心から、天がこの時代に私を通して人類に与えようとされる真理の一端を伝えようと思います。 「真の“私”をさがして」という題目のお話になります。 皆様、神様の創造理想を完成するとは、果たして、どういうことだと思いますか? 皆さま個人を中心として、神様の真の愛と、真の生命と、真の血統の因縁を結んで真の種になり、その種が真の家庭になり、家庭の種は宗族の種になり、宗族の種は民族の種になり、民族の種が国家の種、世界の種になることです。 しかし、人間始祖の堕落によって人類は神様の真の愛、真の生命、真の血統とは何ら関係がない、サタンの偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の子孫となり、偽りの種に転落してしまいました。これが人類の悲劇であり、いまだに私たちが解決すべき最も大きな課題であるのです。 それで神様は救いの摂理を展開しながら、蘇生時代の旧約時代は万物を通して人間を覚醒させ、新約時代には直系の子女を通して、そして成約時代には父母を通して覚醒させてきたのです。 それでは、何を覚醒させてきたのでしょうか? 私たちは果たして、どんな根拠で“私”だと主張し得る資格者となったのでしょうか? 聞きたくない話かもしれませんが、人類は今日まで、堕落した子孫として真の“私”の価値と位置をさがし得ませんでした。神様は人間を創造され、ともに“ウリ(私たち)”という言葉で真の家庭を立てて、その家庭を拡大発展させて、ご自身の創造理想である平和世界をこの地上に実現しようとされたのです。しかし、人間が堕落によって真の“私”の位置をさがし得なかったために、神様も“私たち”という言葉を使ってみることができなかったのです。 そうだとすれば、人間は、“私”という主張をどこから行いましたか? 仕方なく、堕落した世界の、米国ならば米国の国民として教育を受けた自己の歴史的な伝統だとか、国家的な伝統を中心として、“私”という意識を持つようになったのです。創造理想的な意識圏内に立つことができる、神様自身が“私のもの”、“私の子”だと言える、そんな関係を結び得なかったのです。したがって、私たちが持っている“私”という概念は、神様の本来の創造理想とは、何ら関係がないものなので、私たちは自らを完全否定すべきなのです。 私たちはまず、個人として完全な“私”の位置をさがさなければなりません。ところが、それは自分をゼロにして完全否定するしかありません。その位置であってこそ、心と体の完全統一をなし得るためです。考えてみてください。天と地が公認し得る完全な“私”をさがし立てて、完全な家庭をつくり、その上に完全な国家、世界をつくる前に、どうして神様が、不完全な輩である私たちをご自身の真の愛、真の生命、真の血統圏に立てて、“私たち”だと呼ぶことができるでしょうか? 神様はご自身が安心して“私たち”に含めて呼ぶことができる真の男と真の女、すなわち、ご自身の真の息子と娘をさがして、復帰摂理を行ってこられたのです。したがって、私たちすべては、私たちが神様の前で果たして“私”を主張できるかどうかを、反問してみるべきです。いや、それより先に、私立ちの心と体が完全にひとつに統一されていると、自信を持って叫ぶことができるかと自問してみるべきです。そこに対して確実に答えられないとすれば、私たちはいまだに行くべき道が遠いということを自認するほかないのです。 神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体なので、永遠に不可分な一体的基準に立っている、そんな真の息子・娘をさがしてこられたのです。すなわち、神様の真の愛を中心として心と体が一つになった、神様の生命と血統に連結した絶対信仰、絶対愛、絶対服従の結果として結ばれた、そんな子供たちを待ってこられたのです。なぜなら、真の愛は自己からは探すことができないものだからです。真の愛は必ず相対とともに実現するようになっています。全知全能の神様も、ご自身だけでは真の愛の理想を実現できないのです。これこそ、神様が人間をご自身の子女であり、愛の対象として創造された理由なのです。 私たちはまず、心と体の統一によって個人完成をなしとげ、その土台の上に神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。しかし、縦的な関係だけでは“私たち”という言葉が成立しません。そこには必ず横的な関係がともに調和しなければならないのです。したがって、男と女が真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、子女を生んで真の家庭を立てて、3代を中心として四位基台をなしとげてこそ、初めて天は家庭単位で“私たち”と呼ぶことができるようになるのです。 それでは、私たちはどうすればそんな位置まで進むことができますか? 神様が万物を創造されたその位置をさがしていけばいいのです。神様はどんな状態で創造されたと思いますか? 絶対愛と絶対信仰を中心とした絶対投入でした。そこには自身の利益や事情を考える余裕はあり得ませんでした。完全に100パーセント与えても、また与える、為にいきる愛の始原がまさしくここにあったのです。 私たちの家庭でも同じです。神様の立場にいる父母は真の愛を中心として完全投入、絶対投入して、正分合の論理でみれば「正」の立場で子女を生んで養育し、縦的な“私たち”の軸を立てるべきなのです。そして横的には、夫婦が「分」の立場で真の愛を中心として完全一体になって横的な軸を立てるようになれば、子女たちは「合」の立場で自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら、兄弟間には前後関係のもうひとつの軸が立てられるようになり、その時に初めて縦横と前後で完全な“私たち”の概念が実体的に展開されるのです。 これがすなわち家庭圏内での四位基台の完成であり、3対象目的の完成になるのです。このように、家庭圏内での正分合の完全実体展開は、3代を中心として血統が一列に連結されなければ不可能なことです。それで家庭が重要なのです。家庭こそ、天が私たちに与えた最も尊い贈り物に他ならないのです。家庭という環境がなければ、どうして私たちがこのような絶対的基準の“私”をさがし、縦横と前後に完全な“私たち”を敢えて考えてみることができるでしょうか? 家庭こそ愛と平和と幸福の揺籃なのです。 皆様、私たちは世俗的な名誉、知識、権力、財力に恋恋としたり、また、それらに引きずり回される愚を犯してはならないのです。この世にいくら優れて有名な者がいたとしても、彼が、心と体が完全にひとつになった位置で“私”をさがし出せず、天と縦的に連結されていなければ、何の役に立ちますか? 天が彼を胸に抱いて“私たち”だと呼んでくれなければ、神様の創造理想である平和世界の実現と何の関係がありますか? 皆様は真の“私”をどこでさがしますか? 為に生きる真の愛を実践する生活でこそ可能です。自分を完全にゼロにして否定し、家庭のために、国家のために、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の“私”は自動的に捜し出されるのです。これがまさしく復帰摂理、救援摂理の道を歩んでいる人間の避けられない運命の道なのです。 私たちは自分を推し立てて“私”をむやみに語ってはならないのです。長い歴史の裏通りで、真の“私”を語り得る子供を捜して、恨(ハン)にまみれた復帰摂理を行ってこられた神様の心情を少しでも知ったなら、むやみに“私”を主張できないのです。私たちは寝ても覚めても理想家庭完成のために生きるべきなのです。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年、待ってこられた理想家庭だけ立てれば、そこが他ならぬ地上天国の出発地になるのです。そこで、かわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。 皆様、太陽を見ても恥ずかしくなく、海を見てもやましくなく、万物の前でも一点も隠すことがない真の“私”をさがして、神様が“私たち”と呼んでくれる家庭を立てましょう。 もう一度、今大会のために忙しい日程を後にして、このように最後まで一緒にいてくださった世界の指導者の皆様に、心から感謝申し上げます。お帰りになられたら、皆様は今回、ここで学び悟った真理を広く知らしめてください。天の任命状を受けて、平和世界実現のための平和大使としての自負心をもって、第一線に出てくださるようお願いいたします。 ありがとうございます。さようなら。
2024.05.29
コメント(0)
「神のみ旨から見た平和への道」(01.10.20 世界平和超宗教超国家連合ほか共催「アセンブリ2001」開会総会 ヒルトンホテル、ニューヨーク) 尊敬する議長、各界を代表する世界指導者、各国の平和大使、超宗教超国家連合指導者とNGO指導者、そして、紳士淑女のみなさん。 歴史的な大転換の時を迎え、地球の危機を解決するために、この真摯な集まりに世界を憂慮する指導者たちが一堂に会しました。 去る9月11日、ニューヨークとワシントンDCで起こった惨劇は全世界に驚きと衝撃を与えました。平和と安全に対する懸念とともに、現代文明と人類の未来に対する深刻で根本的な疑問を再び投げかけたのです。 人類は歴史を通して平和世界を希求してきました。しかし、その夢は一度も実現しませんでした。顧みれば、政治的軍事的対立が熾烈だった冷戦が終息し、多くの人々が高度化した科学文明の基盤の上で、人類が願ってきた平和と安定の新時代が来るものと期待していました。 ところが、葛藤と憎悪、利己的欲望が私たちの中にそっくりそのまま残っており、また、他の形のさらに大きな災禍を生んでいることを実感します。 無辜(こ)の人々に対する暴力が罪悪であることが自明であり、このような行動は必ず終息させねばなりません。ならば、このような葛藤と闘争を根元から除去する解決策は何でありましょうか。憎しみと葛藤と闘争の種はどこに植えられ、根を張っているのでしょうか。 それは人類始祖の最初の家庭の中に植え付けられたものでした。その根から代を重ね、葛藤と闘争が綿々とつながってきているのです。 そうであれば、葛藤を解消し、平和を実現する道はどこに求めねばならないでしょうか。人類はこの間、葛藤を克服し平和を実現する道を、政治的・外交的努力で、あるいは、経済的力や軍事力を通して、得ようと試みてきました。 しかし、このような方法は根本的な解決策にはなりませんでした。根本的で唯一の方法は、失ってしまった人間始祖の最初の家庭、すなわち、神様の理想家庭を復帰することです。神様を中心に戴く家庭、真の愛を縦として完成した家庭だというのであります。 神様は真の愛の本体としておられ、人類には無形の真の親であります。愛は一人で成り立ちません。必ず相手を通して結実します。人間は神様の真の愛の実体対象としてつくられた子女です。 神様の人間に対する「生めよ(熟せよ)」と言われた第一祝福は、人間があなたの真の愛の完全な対象となれとの祝福でした。 神様は、自分の対象に、自分より優れていることを願います。神様は真の愛の対象である人間に対し、投入し忘れ、さらに投入して忘れ、無限に与えたいという真の父であります。愛の出発は無限に、為に生きるところから出てきたからです。 神様は人間に対し「殖えよ」という第二祝福を与えられました。 人間始祖は神様の子女として育ち完成し、神様と一体となった心情圏の下、真の夫婦となります。続いて、彼らは神様から相続した真の愛、真の生命、真の血統を、彼らの子女に伝授しながら、実体の真の父母となるのでした。 このように神様の創造理想は最初の家庭から、縦的に真の愛を完成するようになっていたのです。神様の愛が絶対、唯一、普遍、永遠なように、その家庭は真の愛を中心とし、絶対、唯一、普遍、永遠の家庭となります。ここから人間は神様と一心同体となった実体となり、完全な自由と幸福と理想を完成するようになります。 このとき、人間は宇宙万象の歓迎を受ける真の愛の主管主となるのです。これが神様の人間に対する第三祝福です。人間が万物を主管しながら、幸福な生活条件を得る祝福です。これは生態系と自然を真の主人の立場から保存しなければならない管理の責任も含まれるものです。 ところが、人間始祖は神様の祝福の下、真の愛の家庭を実現することはできませんでした。真の愛を中心とした真の愛、真の夫婦、真の父母となれなかったということです。神様の命に逆らい、堕落した人間始祖が楽園から追われた後、神様の祝福とは何の関係もない偽りの愛を中心とした夫婦となり、子女を生み、今日の人類世界をつくってしまったのです。 有史以来、人類は神様を戴く真の愛の基盤から生まれることができずに、心と体が葛藤する矛盾を身につけ生きてきました。この葛藤は始祖の家庭内で兄弟間の憎悪と殺人という悲劇として現れたことで見せてくれます。神様を離れた家庭の悲惨な実像です。 人間だけが中心となる家庭、人間関係だけを基礎とする家庭は本然の理想家庭ではありません。神様と垂直的な真の愛に連結された家庭が理想家庭です。真の父母、真の愛の下、縦的軸を共有する兄弟間に初めて完全な和平の関係がなし遂げられます。 真の愛は理想家庭の中で体得され、また結実します。家庭は唯一の愛の学校です。真の愛は権力や知識や力の基盤からは決して創出することができません。 尊敬する世界指導者の皆さん。 皆さんが今日の世相を見渡し、また、若者に対するとき、何を感じますか。希望に満ちた明るい未来だけを感じますか。日ごとに増加する若者の犯罪率、暴力と麻薬乱用、不倫と退廃、十代の未婚の母問題と価値観の混沌など、未来社会を否定的に予測し、苦悩することが多いというのです。 なぜ若者がこのようになったのでしょうか。また、学校教育や制度と環境の改善ももちろん部分的な解決策となりましょう。 しかし、根本の根はそんなところにはありません。真の愛の最初の家庭を失った人類が歴史の結実期を迎えながら、家庭が安定性を失い、崩壊するには、その原因があります。家庭の崩壊現象は一つだけの愛の学校が破損しているように、その否定的波及効果がとてつもないものなのです。 社会的に様々な不安要因となるのはもちろん、国家的、世界的に多くの問題を併発させます。特に青少年には情緒的不安を与え、生の座標を変え、脱線と放縦な生活の直接的な原因となりもします。 結婚忌避が増えていることや離婚率の増加など、家庭基盤が急速に崩壊している現実はあすを憂慮する指導者が先駆けて必ず解決しなければならない課題だといえるでしょう。 神様の第一祝福と第二祝福を失った人類は、神聖で永遠な夫婦の愛を実現できる真の愛の個体完成の重要性が分からなくなりました。青少年は大部分、婚前純潔と真の愛の人格に対する徹底した教育を受けられません。喜びと幸福と理想の根本である真の愛の価値を知らないのです。 夫婦間の信義と貞節が軽んじられ、結婚の神聖性が無視される風潮は、人類社会のとてつもない悲劇と災いを内的に表したものです。 男女間の愛が刹那的で、肉欲的で、享楽的なことだけに走り、いわゆるフリーセックスと世俗文化の中で、真の愛は立つ場所がなくなってしまいました。急速度で拡大するエイズと性関係伝染疾患(STD)は人類の生存自体を脅かしています。エイズからの安全地帯はないともいわれています。 世界をいま、震わせているテロリズムよりもさらに恐るべき危険が安全地帯もなく、私たちすべての間近に迫っているというのです。一度、感染すれば、幸福も理想も生命もすべて放棄しなければならないという、このとてつもない地球星の災いを解決できずに、私たちがどうして、この時代の指導者だと言うことができるでしょうか。 また、「万物を主管せよ」といわれた神様の第三祝福の前でも、人間は真の愛の管理責任を果たせずにいるのです。万一、自然が人間の拡大に対して反抗し、人間を拒否したとすれば、どうなりますか。そのような兆候が既に出ていないでしょうか。生態系と自然環境が無言のうちに、人間の傲慢さに対し懲罰を与える前に、人間は真の愛の人格を回復し、万物の前に立たなければならないのです。 尊敬する世界指導者の皆さん。 人類はいまや独善と無知、そして利己心と憎悪を自ら反省し、神様の前に謙虚に頭を垂れ、天の道に従わなければならないときに至っています。 私はいち早く神様の召命を受け、神様と人類が共に願う平和世界の実現のため、生命を捧げてきました。私は今日、平和に向かうために重要ないくつかの点について語ろうと思います。 第一に、私たちは他のために生きる生活をしなければなりません。利己的な生活は他人を不快にすることはもちろん、天の道に逆らうものです。他のために生きるということは、直ちに神様に似る実践です。神様の真の愛を相続し、家庭と社会、国家と世界を愛することは宇宙の基本秩序に順応するものです。真の愛の実践を通してのみ、人格を完成した真の人間、真の夫婦、真の師、真の主人となります。このようにして平和を成し遂げる主体となります。他のために生きることは平和に向かう最初の関門となります。 これに関連して、平和に至る道は神様主義・頭翼思想によらなければならないという結論を述べようと思います。 神様主義・頭翼思想というのは、カイン・アベルの葛藤を始まりとしたこの世の中にあるすべての葛藤要因と思想とその結実を、全部化合し包容できる思想であり主義であります。 葛藤と憎悪は何を以て燃えさかりますか。憎悪に対するもっと大きな憎悪としての反応は、むしろ、さらに恐るべき憎悪と破壊を呼び寄せるだけです。これは平和への道にはなり得ません。対立し仲違いする双方の葛藤要因は、ただ真の愛によってのみ、感化され、教育され包容され得るのです。 神様を中心にした真の愛は国境で塞がれない超国家的なものです。また、真の愛は宗教の高い垣根も乗り越え、人種差別もない超宗教的、超人種的なものです。神様の理想を中心にした相手のための真の愛の化合力、生命力によらなければ、左右、前後、上下、内外の様々な地球星のすべての葛藤対立要因は克服できず、永遠な平和理想世界はなし遂げられません。 第二に、平和な世界と国家を実現する基礎単位は真の家庭であります。既に言及したように、対立葛藤の根が始祖の家庭にあったことによって、理想的な真の夫婦の家庭が生まれない限り、平和世界はその起源がないのであります。 私が世界的に展開している国際祝福結婚は、一教団の結婚式ではありません。神様の愛の伝統をたてる救世救国の運動です。青少年へは婚前純潔運動を実施しています。そして、大人になれば、神様の真の愛の祝福を受け、夫婦間の絶対信義と貞節の誓約の下で結婚する運動です。真の愛を中心とし、真の家庭と真の父母をなし遂げる神聖な運動です。 このような理想の下に、教育を受け、結婚した家庭はエイズを危険に思う理由がありません。彼らにはエイズ予防が風邪の予防よりも簡単なことなのです。世界のすべての若者がこのビジョンで教育を受け、実践すれば、エイズは完璧に予防されます。 真の愛の家庭を通して、家庭の崩壊を防ぎ、国家と世界に平和の礎石を置くのです。特に政治的、歴史的に不和であり恩讐関係にあった国家間の人々がその高い垣根を越え、姻戚関係、真の愛の関係を結ぶようになれば、和解は国家を超えて、人類を飛び越えるものになるのです。確かな平和へ向かう高次元の公式は不和と恩讐関係にある家の子女たち同士で、交叉結婚祝福をし、天地が願う真の愛の真の家庭完成の祝福圏を達成することです。ここから、神様と人間が願う永遠の平和世界が出発する始まりとなるのです。 第三に、超宗教的な和解と協力は平和世界へ向かう必須条件です。私はこの五十年間、超宗教的な和合と対話のための運動のチャンピオンとして、活動してきました。いつも、自身の教団発展よりも、はるかに多くの予算を支援しながら、引き続き、この運動を行って参りました。変わることのない、このような愛の実践が簡単なことでありましょうか。決してたやすいことではありませんでした。 教団間の和解と協力がない限り、世界平和は期待することができません。神様の理想である平和世界への案内者は宗教指導者と信仰者がならなければなりません。宗教が万一、偏狭な教派主義だけを強調し、宇宙的な真の愛を教えることに失敗すれば、人類は葛藤と戦争の恐怖から自由になることはできません。地球星の危機の前に宗教指導者は謙虚に神様のみ旨に従い、超宗教的に手に手を取って、真の愛を実践していかねばなりません。 宗教の感化力により安らかな人格が創出され、自己主管力が養われ、歴史的な憎悪と怒りを消化することで、真実の平和と安定がもたらされるのです。万一、宗教が教理や儀式の差異をこえて、神の高い理想の下に、お互い愛し合い、協力し、奉仕することをこの世の中に見せたならば、世界は劇的に変わることができます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 第四に、平和世界を成し遂げるため、国連の正しい役割をもう一度、強調したいと思います。 国連が代表的な世界平和機構として、これまで多大な貢献をして参りました。しかし、創設時と大きく変わってしまった世界の事情と多元化した地球星の問題解決のために、昨年、私の考えを国連に提案いたしました。 国連内に上院のような特別機構を補強し、宗教的、精神的、道徳的次元から世界問題を審議するようにするのがその一つです。国連が国益に基礎を置く政治や外交の力によって司られる次元を超えて、地球星的な理念と高い神の理想の下で司られる機構となることで、万人の権益を保護し、平和世界を創建していけるものです。国連だけでなく、今後、世界秩序は政治主権が道徳的、精神的価値と別個に作用しては、公益と平和を保障するのは難しいのです。 神の理想に基礎を置き、宇宙公法と通ずる精神的、道徳的高次元の指導力が要請されるのであります。政治力やそのどんな力も神と天理の上に立つことはできないのです。 また、国連は非政府民間団体・NGOの意見を多く取りまとめていかなければなりません。私がWANGOを創設した理由もここにあります。NGOはより一層対話し、協力しつつ、本来の創設精神を失ってはなりません。利己的で偏狭にならないように努力し、世界のために正しい奉仕を続けていくことをお願いするものです。 尊敬する指導者のみなさん。 自ら実践せずに、平和を語ることは正しい指導者の道理ではありません。また、私たちが座して平和を待っているだけの余裕がある世界の状況でもありません。平和大使たちはもちろん、私たちすべてが平和運動の主体となって、きっと平和世界を創建しなければなりません。国連をはじめとする国際機構は平和大使館を中心に、歴史的宿願である世界平和運動に積極的に協力、支援してくださることをお願いします。 私たち国際機構は一心同体となり、共に他のために生きることで、真の愛、家庭理想を創建し、実践することで、天運の協助を受ける平和の先駆者となりましょう。神様の祝福が永遠に共にありますよう願います。 ありがとうございました。
2024.05.29
コメント(0)
天宙平和統一家庭連合、天宙真父母侍衛連合を宣布10月14日興南刑務所解放記念日の御言2001年10月14日 ニューヨーク――お父様は黒板に天宙平和統一家庭連合と書かれる。 今日は何の日ですか。今日は10月14日、第54回興南刑務所解放記念日です。皆さんはその意味をわからないといけません。今やお父様は全てを解放し、皆さんはその伝統を相続するのです。皆さんすべての家庭がアメリカの代表であり、氏族の代表です。皆さんはアメリカの法律と関係するアメリカ市民です。そして、皆さんは真の御父母様と一つになって自信を持たないといけません。しかし、皆さんの家庭は未だに一体化していません―親と子、夫と妻、そして子供同士。 個人主義と自由が発展して、アメリカ社会は天の法律に反しています。子供たちはその親に従いませんが、彼らは親に従わないといけません。なぜなら、親が家庭の中心だからです。もしあなたが従わないなら、家庭を維持することができません。 夫と妻、どちらが主体ですか。夫。どれほどのアメリカ女性がその夫に従っていますか。もし夫が妻に従うなら、それは間違った伝統です。統一教会はどうですか。お父様は、男が女に従うのを否定します。 あなたの目を見なさい。すべてはペア・システムです。もし右の手が何かをするなら、左手は右手を支えないといけません。すべてがペア・システムになっているのです。何を中心として? それが生き残る法です。男と女の関係でも同じです。もし彼らがお互いに好きあうなら、彼らはお互いに触って、抱き合い、一つになります。(心と体が)一つとなった男と、一つとなった女が一体化しなければなりません。なぜ、ペア・システムが発展しましたか? 真の愛によって。もし彼らが「私に従いなさい」と言うなら、一体化するのが難しいのです。男と女が理想に生きないといけません。 アメリカで第1の問題は、家庭です。神はこの国を2000年の歴史をかけて創りましたが、神はこの国を今、コントロールできません。皆、個人主義で自由を謳歌しています。夫は自分の道を行き、妻も自分の道を行きます。何も一つになりませんし、彼らは子供を持たないので消えてしまうでしょう。子供なくして彼らは永遠には生きることができません。お父さんとお母さんの一体化の基台の上に、子供たちは成長することができるのです。お父さんなくして、お母さんだけいても無意味です。彼女は夫から種を受けなければなりません。お父さんとお母さんが一緒に子供をみないといけません。それ故に夫と妻がお互いに出合わないといけないのです。夫と妻は個人ではありません。お互いに協力するのです。そして、彼らは子供たちに犠牲的な道を見せなければいけません。一つにならなければ、未来がありません。 アメリカ社会はすべての社会の縮小体です。アメリカは大きな国ですが、これらの社会を消化できないでいます。だから、多くの社会がアメリカの国を批判するのです。家庭は組織の小さな単位です。アメリカは家庭のような大きな社会です。自由世界は個人主義なので、サタンはこの社会を打つのです。 統一教会は人々を導く最高の教えを持っています。統一教会は中心なのです。アメリカはいろいろな力を持っていますが、心が欠乏しているため教えるものがありません。 心は体の中心です。体はいろいろなものを持っていますが、体は心に従わないといけません。良心を中心として、個人、家庭、社会が存在します。良心を中心として、夫と妻、親と子は家族を表します。 皆にせものです。もし真理と関係がないなら、意味がないのです。神は力の王です。そして天の父は人間が好きです。黒人の人、白人が好きですか? 白人の人、あなたたちが黒人を愛さないといけません。 神はどんな人を好きですか? 人間は男と女でできています。男と女は生殖器以外はほとんど同じです。どちらを神はもっと愛しますか? 両方。神は朝も夕も持っています。男のMは山のようであり、女のWは谷のようです。どちらが上ですか? 男です。男は高く、女は低い。もし、女がハーバード大学を卒業し自分の方が高いと考えるなら、夫と妻の一体化はありません。真の愛によってのみ私たちは一体化できます。男と女が愛し合う時、夫は目を開けていますが、妻は目を閉じて口を開けています。これが調和です。 神は人類を愛しています。どんな理想を神は下さいましたか? 真の愛を中心として、夫と妻が一緒になるのです。統一教会の教えは何ですか? 神は二性性相の主体です。そして、正分合…。そして、このような男と女の関係が子供をもたらすので、貴いのです。子供を見なさい。彼らは両親より立派です。これが統一教会の最高の教えなのです。 真の愛はどうですか? あなたはそれを見られますか? 触れますか? 真の愛は骨髄のようなものであり、体を揺さぶるのです。フリーセックスによってあなたはその感覚を失ってしまいます。多くの若者がこの感覚を持っていません。純潔を保ちなさい。そうするならば、この真の愛を探し出すことができます。ただこの方法によってだけです。アメリカ社会はこれを教えません。 統一教会の中心の教えは何ですか? あなたは家庭の王を探し出さないといけません。24数(註:24金)は完全に純粋なのですが、それが23.9999でもまだ純粋ではないのです。 なぜあなたの心と体は闘っていますか? それは人類歴史の初めからなのです。間違った愛によって血統が変わってしまい、心と体が闘うようになりました。アダムはサタンとつながりました。だから、あなたは神の子の位置に立てないのです。 今まで宗教はお互いに衝突してきました。しかし、今はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教が一つにならないといけない時であり、本然の場に帰らないといけません。そして、すべての民族も一つにならないといけません。 あなたは神の真の愛が欲しいですか? もしあなたが真の愛とつながったなら、あなたは何でも動かして変えることができます。真の愛だけが変えることができるのです。イエス様は血統を変えることができませんでした。イエス様は神の血統を植え付けるべきでしたが、それができませんでした。イエス様は家庭を持つことができませんでした。その上に、真のお父様ムーンが来たのです。あなたはレバレント・ムーンが必要ですか? アメリカ人は30年間、私に反対してきましたが、アメリカはレバレント・ムーンを必要としていることをわからないといけません。神の真の愛が人類を接ぎ木しないといけません。あなたの血統は神の真の愛に連結されていません。だから、あなたは神の血統に接ぎ木されなければなりません。今や人々はレバレント・ムーンに従わなければなりません。これが教えの根本です。 今、統一教会は天宙平和統一家庭連合になりました。漢字の「天」は、「二」と「人」に分けられ、二人がつながっています。そして宙は家、安全な場所です。二人が永遠に平和に暮らすのです。そして、それが神の家なのです。天宙なくして、あなたは平和をもたらすことができません。男と女はプラスとマイナス、主体と対象です。だから東洋の考え方はすばらしいのです。 「平」は二つの違った世界、男と女が、つながることを意味します。そして、彼らは平準化するのです。だから、真の愛、真の生命、真の血統は永遠です。「和」はどうですか? 地上界で私たちが食べる時、私たちは霊界でも食べているのです。横的世界なくして私たちは平和をもたらすことができません。だから、縦的な、そして横的な関係が重要です。統一はプラスとマイナスです。個人から家庭、氏族、民族、国家…8段階において。 神の前では、アメリカ人ではなく、アメリカ食口です。アメリカ人という言葉はサタンとつながっています。今から、あなたはアメリカの力と言うべきではありません。なぜなら、そう言うことによってあなたはアメリカの国を主張しているからです。黒人は夜にあたり、白人は昼にあたります。そして黄色人は中間です。彼らはお互い一つにならないといけません。 誰が統一を成しますか? 統一教会。私たちは敵を兄弟として愛さなければなりません。キリスト教徒はイスラム教徒と交叉結婚し、地上天国をもたらすのです。どのように一体化をもたらすか? 怨讐を愛することと交叉結婚によってです。アメリカの摂理においても彼らは交叉祝福を受けなければなりません。 天宙平和統一家庭連合。今やアメリカは平和大使を任命し始めました。最初は父の党、次に母の党、そして兄弟姉妹の党が必要です。祝福中心家庭の意味は何ですか? 王の位置で、あなたは全氏族を再編成するのです。そうすると、国家が現れます。 神様王権即位式は1月13日でしたが、今日は10月14日です。10月13日の次の日です。神様王権即位式をして、10ヶ月が経ちました。そして今日、私は天宙平和統一家庭連合を宣布しました。その意味は、天宙で真の父母に侍る連合(天宙真父母侍衛連合)です。 今は世界中が変わる時です。180度変わる時です。今から人々は真の父母に反対できません。あなたたちは今までの10倍はできます。多くの命が失われています。だから、今、宗教の統一が大切です。 真の御父母様は韓国に行って、天宙での神様の安着の大会を行います。もはや政治の党は必要ありません。父母の党が必要なのです。 私たちは最高の教えを与えて、神まで含んだ8段階を解放するのです。新しい時、歴史が来ています。教育の内容は何ですか? 平和大使のような教育のグループをつくることです。私たちは平和大使のためのビルを建てないといけません。あなたたち祝福中心家庭は平和大使に任命された特別の家庭です。神の代身として父母の立場で犠牲になり、子供たちを育て、天国をもたらさないといけません。特に女性たち、あなたたちは男を教育することに専念しなければなりません。アメリカの女性はこの使命において1等にならないといけません。私たちはその高速道路をつくらなければならないのです。いまや天宙の解放の時です。時が変わっています。強い自信を持たないといけません。前進!前進!手を挙げて誓いましょう。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.28
コメント(0)
平和経 - 第一篇 真の平和の根本原理 10.神様と人類が求めていく平和の国と世界真の父母様、天宙平和統一国、韓国大会10.29大田・忠南・忠北圏、儒城リベラホテル、1200人余り10.30ソウル圏、新羅ホテル10.31光州・全南北・済州圏、光州、新陽パークホテル11.01釜山・慶南圏、釜山ロッテホテル、1200人余り11.02京畿南部圏、ソウル、ロッテホテル、1200人余り11.04大邱・慶北圏、大邱インターバーゴホテル、1500人余り11.05仁川・京畿圏、ソウル、ロッテホテル、1200人余り11.06京畿北部・江原圏、ソウル、ロッテワールドホテル、1300人余り真のお母様、天宙平和統一国、日本大会11.05福岡、グランド・ハイアットホテル11.06高松、マツノイパレス11.07大阪、三井アーバンホテル11.08神戸、ホテルオークラ11.09名古屋、ヒルトンホテル11.10東日本、東京、京王プラザホテル11.11千葉、東京イン・エアポートホテル11.12東京、ホテルオークラ◆「天一国摂理史--「天宙平和統一国(天一国)」宣言(2001.10.29)」 尊敬する各界指導者の皆様。歴史的な大転換の時を迎え、今日の韓国の統一と世界の平和を憂慮する指導者たちが一堂に会しました。去る九月十一日、アメリカのニューヨークとワシントンDCで起こった惨劇は、全世界に驚くべき衝撃を与えました。平和と安全に対する懸念とともに、現代文明と人類の未来に対し、深刻で根本的な疑問を再び抱かせたのです。 折しも、去る十月十九日から二十二日まで、ニューヨークでは意義深い国際会議が開かれました。私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」と世界NGO(非政府機構)連合である「WANGO」との共同主催により、世界百一カ国から元、現職の国家元首、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教、儒教などの主要教団の最高指導者、学界、そして各国のNGOの代表など、四百人以上が参席し、真摯かつ深刻に、今日の世界が直面している危機と、これを平和的に解決するための方案の模索をめぐって討論しました。 世界で唯一残っている分断国である私たちの祖国、韓半島は、中東地域とともに地球上で最も注目されている紛争地域の一つです。恒久的で根本的な平和世界の実現に対する私の構想を、開会演説において伝達し、きょうこの時間、私の所見の一端を分かち合おうと思います。きょうお話しする題目は「神様と人類が求めていく平和の国と世界」です。 人類は、歴史を通して平和世界を希求してきました。しかし、その夢は、一度も実現したことがありません。振り返ってみれば、政治的、軍事的対立が熾烈だった冷戦が終息すると、多くの人々は、高度化した科学文明の基盤の上で、人類が願ってきた平和と安定の新時代が来るものと期待しました。 ところが、葛藤と憎悪、利己的な欲望が私たちの中にそのまま残っており、またそれが、別の形態のさらに大きな災禍を生んでいることを、今になってようやく実感しているのです。無辜の人々に対する暴力が罪悪であることは自明であり、そのような行動は、必ず終息させなければなりません。 それでは、このような葛藤と闘争を根元から除去する解決策は何でしょうか。憎しみと葛藤と闘争の種は、どこに植えられて根を張っているのでしょうか。それは、人類始祖の最初の家庭の中に植えつけられたものでした。その根から代を重ね、葛藤と闘争が綿々と続いてきているのです。 そうだとすれば、葛藤と紛争を解消し、平和を実現する道はどこに求めなければならないのでしょうか。人類はこれまで、葛藤と紛争を克服し、平和を実現する道を、政治の力や外交的努力により、あるいは経済力や軍事力を通して探し出そうと試みてきました。 しかし、このような方法は、根本的な解決策となることはできませんでした。根本的で唯一の方法は、失ってしまった人間始祖の最初の家庭、すなわち神様の理想家庭を復帰することです。それは、神様を中心とする家庭、真の愛を縦横で完成した家庭のことです。 神様は、真の愛の本体として存在し、人類にとっては無形の真の父母であられます。愛は、独りでは成立しません。必ず相手を通して結実します。人間は、神様の真の愛の実体対象として造られた子女です。 神様は、人間に「生育せよ」という第一祝福を与えられたのですが、その第一祝福とは、人間が神様の真の愛の完全な相対、すなわち真の人間になりなさいという祝福でした。相対は優れていることを願ったというのです。神様は、真の愛の相対である人間に対して、投入しては忘れ、さらに投入しては忘れる、そのように無限に与えたいと思う真の父であられます。愛の出発は、無限にために生きるところから生まれてくるからです。 神様は、人間に対して「殖えよ」という第二祝福を与えられました。人間始祖は、神様の子女として成長して完成し、神様と一体となった心情圏のもとで、真の夫婦となるようになっていました。さらに彼らは、神様から相続した真の愛、真の生命、真の血統を、自分たちの子女に伝授しながら、実体の真の父母となるのです。このように神様の創造理想は、最初の家庭から縦的に真の愛を完成するようになっていたのです。神様の愛が絶対、唯一、不変、永遠であるように、その家庭も真の愛を中心として、絶対、唯一、不変、永遠の家庭となります。 ここにおいて人間は、神様と一心一体となった実体となり、完全な自由と幸福と平和の理想を完成するようになります。このとき、人間は、宇宙万象の歓迎を受ける真の愛の主管主となるのです。 これが神様の人間に対する第三祝福です。第三祝福は、人間が万物を主管しながら、幸福な生活条件を得る祝福です。またこれには、生態系と自然を、真の主人の立場で保存しなければならないという管理の責任も含まれています。 ところが、人間始祖は、神様の祝福のもとで真の愛の家庭を実現することができませんでした。真の愛を中心とした真の人、真の夫婦、真の父母になることができなかったのです。神様に背き、堕落した人間始祖が楽園から追われたのち、神様の祝福とは何の関係もない偽りの愛を中心として夫婦となり、子女を生み、今日の人類世界を築いてしまったのです。 有史以来、人類は、神様に待った真の愛の基盤から生まれることができず、心と体が葛藤する矛盾をもったまま生きてきました。この葛藤は、人間始祖の最初の家庭内において、兄弟間の憎悪と殺人という悲劇として現れました。これが神様を離れた家庭の悲惨な実状です。 人間が中心となった家庭、人間関係のみを基礎とした家庭は、本然の理想家庭ではありません。神様と垂直的な真の愛の軸で連結された家庭が理想家庭です。真の父母の真の愛のもとで、縦的軸を共有する兄弟間においてこそ、初めて完全な平和の関係が形成されるのです。真の愛は、理想家庭の中で体得され、また結実します。家庭は、唯一の愛の学校です。真の愛は、権力や知識や力の基盤からは決して創出されません。 尊敬する各界の指導者の皆様。皆様は、今日の世相を見渡すとき、また、若者たちに対するとき、何を感じるでしょうか。希望に満ちた明るい未来ばかりを感じますか。日ごとに増加する若者の犯罪率、暴力と麻薬乱用、不倫と退廃、十代の未婚の母問題と価値観の混乱など、未来社会を否定的に予測し、苦悩することが多いはずです。 なぜ若者たちが、このようになったのでしょうか。より優れた学校教育や制度と環境の改善も、部分的な解決策とはなるでしょう。しかし、根本の根はそのようなところにはありません。真の愛の最初の家庭を失った人類が、歴史の結実期を迎える中で、家庭が安定性を失って崩壊しているところに、その原因があるのです。 家庭の崩壊現象は、一つしかない愛の学校が破損したも同然なので、その否定的波及効果は、途方もなく大きいものです。社会的に様々な不安要因となることはもちろん、国家的、世界的に多くの問題を併発させます。 特に青少年には、情緒的不安を与え、人生の座標を変えさせ、脱線と放縦の生活への直接的な原因にもなります。結婚忌避の風潮や離婚率の増加など、家庭基盤が急速に崩壊していく現実の問題は、あすを憂慮する指導者が先駆けて、必ず解決しなければならない課題であると言えるでしょう。 神様の第一祝福と第二祝福を失った人類は、神聖で永遠な夫婦の愛を完成するという、真の愛の個体完成の重要性を知ることができませんでした。ほとんどの青少年たちは、婚前の純潔と真の愛の人格に対する徹底した教育を受けることができていません。喜びと幸福と理想の根本である真の愛の価値を知らないのです。夫婦間の信義と貞節が軽んじられ、結婚の神聖さが無視される風潮の中で、人類社会は途方もない悲劇と災いを内的に蓄積してきているのです。 また、男女間の愛が、刹那的で、肉欲的で、享楽的な方向にばかり走る、いわゆるフリーセックスと世俗文化の中で、真の愛は立つ場がなくなってしまいました。急速に拡大するエイズと性感染症(STD)は、人類の生存自体を脅かしています。エイズからの安全地帯はないとも言われています。 今、世界を震撼させているテロリズムよりも恐るべき脅威が、安全地帯もなく、私たち全員の間近に迫っているというのです。一度、感染すれば、幸福も理想も生命もすべて放棄しなければならないという、この途方もない地球星の災いを解決できずに、どうして私たちがこの時代の指導者だと言うことができるでしょうか。 また、「万物を主管せよ」という神様の第三祝福の前でも、人間は真の愛の管理責任を果たすことができずにいます。もし、自然が人間の虐待に対して反抗し、人間を拒否するとすれば、どのようになるでしょうか。既にそのような兆候が現れているではありませんか。生態系と自然環境が、無言のうちに人間の傲慢さに対して懲罰を与える前に、人間は、真の愛の人格を回復し、万物の前に現れなければなりません。 尊敬する各界の指導者の皆様。今日の問題をもう少し根源的に掘り下げてみるために、神様の創造理想を中心として、真の「私」と「私たち」の関係について考えてみようと思います。 人間は堕落によって、真の「私」の位置を探し出すことができなかったので、神様も「私たち」という言葉を使用してみることができませんでした。創造理想的意識圏内に立つことのできる神様御自身が「私のもの」、「私の子女」と言える関係を結ぶことができなかったのです。したがって、私たちがもっている「私」という概念は、神様の本来の創造理想とは何の関係もないものなので、私たちは自らを完全否定しなければなりません。 神様は、御自身が安心して「私たち」と呼ぶことのできる真の男性と真の女性、すなわち神様の真の息子、娘を探し求めて復帰摂理をしてこられました。言い換えると、神様は、愛の主体、生命の主体、血統の主体であられるので、永遠に一体不可分の基準に立っている真の息子、娘を探し求めてこられたのです。ですから、私たちは、まず心と体の統一によって個人完成し、その基盤の上で神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。 しかし、縦的な関係だけでは「私たち」という言葉は成立しません。そこには必ず横的な関係が共に調和しなければなりません。したがって、男性と女性が、真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、真の子女を生んで真の家庭を立て、三代を中心として四位基台を完成してこそ、天は家庭単位で「私たち」と呼ぶことができるようになるのです。 それでは、私たちは、どのようにすればそのような位置まで進むことができるのでしょうか。神様は、心と体が完全に一つになった立場で万物を創造されました。それは、絶対愛と絶対信仰を中心とした絶対投入でした。そこには、御自身の利益や事情を考える余裕などありません。完全に一〇〇パーセント与えては、また与える、ために生きる愛の始原が正にここにあったのです。 私たちの家庭においても同様です。神様の立場にいる父母は、真の愛を中心とする「正分合」の論理から見れば、「正」の立場で完全投入、絶対投入することにより、子女を生み、養育して、縦的な「私たち」の軸を立てなければなりません。 そして、横的には、夫婦が「分」の立場で、真の愛を中心として完全一体になって横的な軸を立てるようになれば、子女たちは「合」の立場で、自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら、兄弟間には前後関係という、また別の軸が立てられるようになり、その時に初めて縦横と前後で完全な「私たち」の概念が実体的に展開するのです。 ですから、家庭が大切なのです。家庭こそ、天が私たちに与えてくださった最も貴い贈り物です。家庭という環境がないとすれば、私たちは、いかにしてこのような絶対的基準の「私」を探し出し、縦横や前後で完全な「私たち」というものを考えてみることができるでしょうか。家庭こそが、愛と平和と幸福の揺籃なのです。 それでは、真の「私」は、どこから探し出すことができるでしょうか。ために生きる真の愛を実践する生活においてこそ、それは可能なのです。自分を完全に否定し、家庭のために生き、国のために生き、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の「私」は自動的に探し出されるのです。 私たちは自らを前面に立て、自分をむやみに主張してはいけません。非常に長い歴史の裏街道で、真の「私」を主張する子女を探し求めて、恨に絡み合った復帰摂理をしてこられた神様の心情を少しでも知るならば、むやみに自分を主張できないはずです。私たちは、寝ても覚めても理想家庭の完成のために生きなければなりません。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年待ち続けてこられた理想家庭さえ立てたとすれば、それが正に地上天国の出発地となるでしょう。そこにおいて、かわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。 皆様、太陽を見つめても恥ずかしくなく、海の水を見てもやましくなく、万物の前でも一点の隠し事のない真の自分を取り戻し、神様が「私たち」と呼んでくださる家庭を立てましょう。 そのようにして、神様と人間の間に真の父母と子女の関係が成立しなければなりません。そして、人類の真の父母であり、愛と生命と血統の根源であられる神様は、人類の先祖であり、ひいては主管者であり、真の王であられます。 エデンの園における人類始祖の堕落により、神様は、そのすべての位置を失ってしまったのです。復帰摂理の進展に従って、私は海洋還元、陸地還元、天宙還元とともに、第四次アダム心情圏の還元を宣布し、その土台の上で、失われた神様の王権を取り戻してさしあげる歴史的な「神様王権即位式」を、去る一月十三日、韓国において挙行しました。 本来、アダムは、人類の始祖であり、家庭の根本です。本来は、家庭の王が、将来、国家の王の位置を受け継がなければならず、さらには天宙の王の位置を受け継がなければなりません。そうしてこそ本然の理想的天国圏が連結されるのです。今や蕩減の時代が終わり、入籍を通して本然の定着時代に入っていくことによって、国の王が連結され、さらには世界の王が連結されるのです。 それで、「世界平和統一家庭連合」では、昨年の「子女の日」に、天地父母が家庭の王として君臨するようになったことを宣布し、入籍された家庭から、初めて天の父母を王として侍っていくことができる時代に入ることを宣布しました。したがって、すべての祝福家庭は、天地の王に侍る標準的な伝統を立てなければならない家庭であることを自認しなければなりません。それで、教会時代は終わり、家庭連合の時代が開かれるのです。 宇宙全体が、一つの核を中心とした連体として連結しているのと同じように、皆様の家庭がそのような核の位置に立って万物を愛し、神様が愛で造られて存在する万物を食べて愛する、そのような主人の位置を備えなければなりません。 それで、自分の家庭が、神様のみ前に愛を中心として一体圏を形成し、天地父母の王に侍る標準的、定着的、礎石のような家庭であることを感じなければなりません。そのようにして、勝利圏を受け継いだ祝福家庭にならなければならないのです。 尊敬する指導者の皆様。人類は今や、独善と無知、そして利己心と憎悪を自ら反省し、神様のみ前に謙虚に頭を垂れ、天道に従わなければならない時に至っています。私は、いち早く神様の召命を受け、神様と人類が共に願う平和世界の実現のために生涯を捧げてきました。きょう、私はこの場において、平和に向かうための重要ないくつかの点についてお話ししようと思います。 第一に、私たちは、他のために生きる生活をしなければなりません。利己的な生活は、他人を不快にすることはもちろん、天道に逆らうものです。他のために生きることは、取りも直さず、神様の似姿になる実践なのです。 神様の真の愛を相続し、家庭と社会、国家と世界を愛することは、宇宙の基本秩序に順応することです。真の愛の実践を通してのみ、人格を完成した真の人間、真の父母、真の師、真の主人になります。そのようになってこそ平和を成し遂げる主体となるのです。 他のために生きることは、平和に向かう最初の関門になります。これと関連づけて、平和に至る道は、「神主義」と「頭翼思想」によらなければならないという結論を述べようと思います。「神主義」と「頭翼思想」とは、カインとアベルの葛藤を始原としたこの世の中にあるすべての葛藤の要因と思想とその結実を、すべて和合させ、包容できる思想であり主義です。 葛藤と憎悪の鎖を何によって断ち切るのでしょうか。憎悪に対するより一層大きな憎悪は、かえって恐ろしい憎悪と破壊を呼び起こすだけです。これは、平和に向かう道とはなり得ません。対立し、仲たがいする双方の葛藤要因は、ただ真の愛によってのみ感化され、教育され、包容されるのです。 神様を中心に立てた真の愛は、国境に阻まれることのない超国家的なものです。また、真の愛は、宗教の高い垣根も乗り越え、人種差別もない超宗教的、超人種的なものです。神様の理想を中心とした相対のために生きる真の愛の感化力、生命力によってのみ、地球星の左右、前後、上下、内外の様々な葛藤と対立の要因がすべて克服され、永遠の平和理想世界が成し遂げられるのです。 第二に、平和な世界と国家を形成する基礎単位である真の家庭を完成することです。既に言及したように、対立、葛藤の根は最初の家庭にあったのであり、したがって理想的な真の父母の家庭が生まれない限り、平和世界の起源はあり得ません。 これと連係して、私が世界的に展開している国際祝福結婚は、単純な一宗教団体の結婚儀式ではありません。神様の愛の伝統を立てる救国、救世の運動です。青少年たちに対しては婚前純潔運動を展開しています。 そして、成人すれば、神様の真の愛を中心に夫婦間の絶対信義と貞節の誓約のもとで祝福結婚をする運動です。真の愛を中心として、真の家庭と真の父母を成し遂げる神聖な運動です。このような理想のもとで教育を受け、結婚した家庭は、エイズを脅威に感じる理由がありません。彼らにとって、エイズの予防は風邪の予防よりも簡単なことです。 世界のすべての若者は、このビジョンによって教育を受けて実践すれば、エイズは完璧に予防されるのです。真の愛の家庭は、家庭の崩壊を防ぎ、国家と世界に平和の礎石を据えるのです。特に、政治的、歴史的に不和であり怨讐関係にあった国家間の人々が、その高い垣根を越えて、姻戚関係、真の愛の関係を結ぶようになれば、和解の幅は国家を超え、人種を跳び越えるものになります。 真の平和へと向かう高次元の公式は、不和と怨讐の関係にある家門、さらには怨讐国家の子女たち同士で交叉祝福結婚をし、天地が願う真の愛の真の家庭完成の祝福圏を成就させることです。ここから、神様と人間が願う永遠の平和世界が出発する、そのような始原になるのです。 第三に、超宗教的な和解と協力は、平和世界へと向かう必須条件です。私はこの五十数年間、超宗教的な和合と対話のための運動のチャンピオンとして活動してきました。常に自らの教団の発展よりもはるかに多くの予算を支援しながら、休むことなくこの運動を進めてきました。 変わることのない、このような愛の実践は、たやすいことでしょうか。決してたやすいことではありませんでした。教団間の和解と協力がない限り、世界平和は期待できません。神様の理想である平和世界への案内者には、宗教指導者と信仰者がならなければならないのです。 もし、宗教が偏狭な教派主義ばかりを強調し、宇宙的な真の愛を教えることに失敗すれば、人類は葛藤と戦争の恐怖から自由になることはできません。ですから、地球星の危機の前に、宗教指導者たちは、謙虚に神様のみ旨に従い、超宗教的に手に手を取り合って、真の愛を実践していかなければなりません。 宗教の感化力によって安らかな人格が創出され、自己主管力が養われ、歴史的な憎悪と怒りを消化するところから、真の平和と安定がもたらされます。もし、各宗教が教理や儀式の違いを超えて、神様の高い理想のもとで互いに愛し、協力し、奉仕し合う姿をこの世に見せてあげるならば、世界は劇的に変わるのです。 第四に、平和世界を成し遂げるための国連の正しい役割を再度強調したいと思います。国連は、代表的な世界平和機構として、これまで多大な貢献をしてきましたが、創設時とは大きく変わってしまった世界の事情を考慮し、多元化した地球星の問題解決のために、昨年、私の考えを国連に提案しました。その提案の一つは、国連内に上院のような特別機構を補強し、宗教的、霊的、道徳的、思想的次元から世界の問題を審議させるというものでした。 国連が、国家の利益に基礎を置いた政治や外交の力によって運営される次元を超えて、地球星的な理念と神様の高い理想のもとで運営される機構にならなければなりません。そうしてこそ、万人の権益を保護し、平和世界を創建していくことができるのです。 国連だけでなく、今後の世界秩序は、政治主権が道徳的、霊的価値と別個に作用しては、公益と平和を保障することが困難です。神様の理想に基づき、宇宙の公法と通じる霊的、道徳的高次元の指導力が要請されるのです。政治力やそのいかなる力も、神様と天理の上に立つことはできません。 また、国連は、非政府民間団体であるNGOの意見を多く取りまとめていかなければなりません。私が世界NGO連合である「WANGO」を創設した理由もここにあります。すべてのNGOは、より一層対話し、協力しつつ、本来の創設精神を失わないようにしなければなりません。利己的で偏狭にならないように努力しながら、世界のために正しい奉仕を続けてくださるようお願いする次第です。 尊敬する指導者の皆様。自ら実践することなくして平和を語ることは、真の指導者の道理ではありません。また、何もしないで平和を待っているだけの余裕がある世界の状況でもありません。 平和大使たちはもちろん、私たち全員が平和運動の主体になって、必ずや平和世界を創建しなければなりません。国連をはじめとするすべての国際機構が、平和大使館を中心として、歴史的宿願である世界平和理想国家の建設運動に積極的に協力、支援するようになることを祈ります。 各界各層の指導者である皆様が一心一体となり、共に他のために生きることで、真の愛の家庭理想を実践し、天運の協助を受ける平和の先駆者となりましょう。統一された祖国と平和の理想世界を建設する働き手になりましょう。神様の祝福が皆様の御家庭に共にあることを祈ります。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.26
コメント(0)
第十四回「世界統一国開天日」敬礼式後の御言二〇〇一年十月三日、第十四回「世界統一国開天日」の敬礼式が、真のご父母様を中心として韓国の漢南国際研修院で行われました。敬礼式の後、真のご父母様が御言を語られました。 億千万世の歴史をかき分けて出てきた言葉「祝福の中心家庭」 世の中の歴史を見れば、先祖がこのようになっていますが、私たちは逆になるのです。最後に生まれた人が先祖になるのです。それがだれかというと、真の父母の代身として、すべての天の御旨と摂理の御旨、世上万事を知って、礎石を置くことができる人です。そのような人にならなければならないのです。それがメシヤです。家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤです。分かりますか? 堕落によって(メシヤが必要となり)、そのメシヤとは何かというと、真の父母であり、個人的な真の父母、国家的な真の父母、世界的な真の父母、天宙的な真の父母です。その基盤を通して神様が出てこられるのです。 塔を積み上げれば、その頂上に象徴的な表示としてダイヤモンドなどを置くのですが、そのような位置に神様がいらっしゃらなければならないのに、それがすべて崩れてしまったのです。全体勝利の代表として表象となるべき神様が、めちゃくちゃになってしまいました。地に落ちて、身動きすることができない、このような神様を解放しなければならないのです。だれのゆえにそのようになったのかというと、天使長とエバとアダムがそのようにしたので、天使世界の改編とともにエバ世界を解放し、アダム世界を解放しなければならないのです。それをなすことができる基準は何かというと、結婚です。祝福だというのです。 間違った結婚をすることによってそのようになったので、真の父母が来て、真の愛、真の生命、真の血統を通して、それを引っ繰り返して、打ち込み、勝利圏を立てるのです。祝福というのはそのようなものです。ですから、祝福を自分の思いどおりにすることはできません。祝福には、旧約時代、新約時代、成約時代があります。成約時代は、旧約と新約のすべての所願が安着することができる時代なのです。 成約時代は、祝福を受けて、すべての万物の中心存在として設定されるのです。そして、アダム家庭が祝福を受けた後に愛し合い、彼らの中心に、その愛に、天の血統の種が永遠に植えられるのです。そして、神様の愛の根、生命の根、血統の根が生じ、それが成長して大きな木になるのです。 最近では、細胞の繁殖というものがあるではないですか。葉の中に、そのような木がたくさん入っているのです。そのような生命体と同じように、全人類が一つの木のようにならなければならないのですが、そのようになっていないので、すべて分かれ、すべて落ちていってしまうのです。千万の葉が生い茂っているのですが……。 皆さん、柿の木のようなものは、どれほど青くて鮮やかですか? そこにたくさんの葉がついていたとしても、その葉はすべて個別的で、それぞれ違います。すべて違うのです。先祖が違います。千万の種類が、すべて使い物にならない雑種になっているのです。そのような柿の木になったというのです。偽りの柿の木です。これを蕩減して引き上げるのです。引き上げるのは、創造よりも何千万倍も大変だということを理解しなければなりません。 そのような功労の基台を経て、数多くの宗教圏がつくられてきました。政治圏と宗教、国と宗教が怨讐です。国はいつも迫害をしたのです。 アダム家庭において、カインがアダム家庭を破壊したのと同じように、カイン圏である政治圏が、アベルを犠牲にして、アダム家庭理想を破壊し続けてきた歴史でした。それは破壊の歴史であり、混乱した歴史であり、地獄に行かざるを得ない歴史です。これを分立させる役事をしてきたのです。それは簡単なことではありません。一日や二日で、できることではありません。数千万年を経ながら、なしてきたのです。 そして、旧約時代を経て……。旧約時代はそうではないですか? 祭物歴史です。すべて割いて、サタンを分立させるのです。神様が思いどおりにすることはできないのです。神様は、半分にもならないというのです。十分の一です。九つすべてがサタン圏です。一、二、三、四、五、六、七、八、九数までは、サタン数なのです。九数です。この九数と六数は、逆さまになっているのです。これがいちばんの怨讐です。 六数は何かというと、アダム家庭のおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、子女たち夫婦であり、そして、孫までで八数です。段階は四段階で、八数です。八人家庭を中心として八数です。八数になってこそ定着するのです。 ですから、四位基台というものは、六人が一つになり、そこに孫が出てきて、その孫から種が広がってこそ、これが新しい……。これが範疇です。哲学でいう範疇は、全体の模範的な規範のことをいいます。アダムの息子・娘を中心として、そのアダムの息子・娘は十人でも生むことができ、いくらでも生むことができるのです。いくらでも広がっていきます。広がっていくアダムの孫は、おじいさんの愛、お父さんの愛、三大愛を受けて繁殖するのです。そのようになってこそ、天の国の血族になるのです。 皆さんも同じです。霊的に見れば、縦的な神様が一代であり、アダムが二代であり、その息子・娘が三代です。横的に見れば、真の父母も一代、二代、三代で、これがすべて九〇度です。霊界と肉界が九〇度に合わなければなりません。それで、地は四数で、天は三数で、合わせて七数です。それゆえ、三段階というのは四系列になるのです。地上に定着するためには、三段階を越えなければなりません。四系列を行けるようにしなければなりません。これが四つあってこそ、三段階ではないですか。 皆さんすべてが、おじいさんとおばあさんの愛の結実体です。そのことを知らなければなりません。お父さんとお母さんの愛の結実体です。それだけではいけません。二代だけではいけません。そこに、三代、六人の父母の結実体となって、はじめて七数が立つのです。四数と七数。このようにして七数が連結します。七数が完成していたならば、そこに種として植えられたものは、どこに行っても……。 栗は、どこに植えても栗の木が出てくるのであって、松の木が出てくることはありません。種の区別は厳格なのです。そのことを知らずに共産主義は、ただそのまま発展していくと思っているでしょう。必ず愛の門を通らなければ、上がっていくことはできません。種の繁殖というのは、愛の門が異なるのです。それを自分勝手にして、上がっていくことができるのですか? アメーバから、そのまま上がっていくことができますか? 数千段階を、そのまま上がっていくことができますか? 別の愛の門を通って、三世が出てくるのですか? これを否定して、そのまま上がっていくことはできません。種の規範を侵犯することはできないのです。松の木が 榛 の木になることはできません。 それと同じように、神様を中心として、三代の父母の結実として植えられたものが、四代で定着するのです。四数が地に植えられるのです。神様の代身である真の父母においては、三代圏の結実として四代目に、定着することができる種となるのです。そのような種となるために今、皆さんが何をしているのかというと、「祝福の中心家庭」という言葉が出てきたのです。それは、ただそのまま出てくることはできません。億千万世の歴史をかき分けて出てきた、という事実を知らなければなりません。 先生がこれを清めるために、どれほど受難の道を経てきたか 皆さんが霊界に行けば、聖人、賢哲に教えてあげなければなりません。孔子様にも教えてあげなければならず、イエス様にも教えてあげなければなりません。イエス様には家庭がありません。そうすることができる家庭です。 今まで野良犬のように世の中に染まって自分勝手に生きていた、そのような世界とは違います。第四次アダム圏というものは、神様を代身することができる純潔です。絶対純潔です。絶対純潔、唯一純潔、不変純潔、永遠純潔! その基準を立てていかなければならないのです。それをどれほど汚してきましたか? 先生がこれを清めるために、どれほど受難の道を経てきたか分かりません。何のことか分かりますか? 純潔運動本部、どこに行きましたか、金奉泰! (「はい」)。定着したのですか? 強力に推し進めていかなければなりません。(「分かりました」)。薛勇洙! 来ていますか? (「はい」)。純潔運動本部に関するすべてのことを書きなさい。学者や中高等学校の校長、歴史的な看板をつけた人を中心として、純潔に関することをどんどん書きなさい。 純潔本部が手本になれば、日本の人たちも称賛して、「韓国の純潔に従わなければならない」と言うでしょう。アメリカ人も純潔運動本部に従っていかなければなりません。すべての伝統を伝授してあげなければなりません。韓国と日本が別々にするのではありません。韓国と日本とアメリカが一つの国でなければなりません。一致化させなければならないのです。分かりますか? 自分勝手に生きることはできません。 先生は韓国に生まれたのですから、韓国で暮らせばよいのに、どうして世界を歩き回ってこのようなことをするのですか? 南極に、北極に、東西を分かたず歩き回るのは、遊び歩いているのですか? 見物して回っているのですか? そこをふさいでいる壁を崩してしまわなければならないのです。そうして、あなたたちが受難の道を行くことなく……。祝福を受けて一つになれば、どこにでも行くことができるというのです。 先生について来ようとすれば、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代……。このような公式的な集会は苦労が多いのですが、「だれが何回来た」という事実が、すべて霊界に記録されるのです。その「一度来た」ということが、どれほど価値あることなのか知っていますか? 「先生の食卓に参席し、集会の場に参席して御言を聞いた」というすべての事実が、天上世界の歴史の教材になっているのです。(真のご父母様を)生涯全体の標準として訓練されなければなりません。 第一の核が何かというと、「神様が私の父だ」ということです。堕落していなければ、神様はアダムとエバの父です。それを否定することはできません。自然を見ると、すべての環境に現れた万物自体が称賛し、仕える中心核として侍ってくれているのです。全員、そのようになっていないではないですか。言葉だけで言っています。 皆さんが金氏の中でメシヤ、金氏の代表になったならば、一族がそのメシヤに会いたいと、皆さんが先生を慕った以上にならなければならないのです。一つにならなければなりません。一丸とならなければなりません。一丸となったその結実圏内において、それを相続し、国がそのような系統につながれば、その国が天上世界に連結されるのです。 いい加減に暮らすことはできません。今回の開天節は十三周年です。十三数です。神様の王権を樹立したのも、二〇〇一年の一月十三日でしょう。西洋では、十三数は最も悪い数です。春夏秋冬の四季、十二か月を中心として、その中心だというのです。中心数です。それゆえ、オリンピック大会を終えて……。本来は、先生の誕生日までの十二数です。その時から十三年目であり、三〇〇〇年に入る最初の年に王権樹立をしたということは、驚くべき事実です。分かりますか? (「はい」)。 皆さんにとって最も貴いものは何かというと、自分の妻、息子・娘、自分の国ではありません。財産でもありません。王権樹立です。このために、国と人類と宗教圏がどれほど多くの血を流し、どれほど犠牲になったか分かりません。そのふさがれていた所願の御旨が、ついに現れたのです。漠然と願ってきたことが、実体対象圏となったのです。伸びた紐が一か所に集まるのと同じです。相対的立場で即刻、相対基準を結び、天の前に立つことができるのです。 皆さんが、どうして祝福の中心家庭ですか? 何年、生きましたか? 祝福の中心家庭が、何千年、何万年、何千万年を経て……。それほど不可能なことです。天が苦労し、ため息をつき、すべての峠をかき分けて、自分の位置をつかみとってくれたのですから、涙なくしては生きることができないはずなのに、野良犬のように生きているのですか? 何のことか分かりますか? (「はい」)。 一番の頂上にいる者が、一番の底辺に行く 祝福の中心家庭が、どれほど恐ろしいか知っていますか? 今まで神様は、祝福の中心家庭、一つを探し出すことができずに、受難の道を歩んでこられたのです。家庭を祝福してあげることが、どれほど大変だったでしょうか。あらゆる人を祝福してあげたからといって、遊び事だと思っているのですか? 父母が祝福するというので、自分勝手に連れてきて結婚させることができると思っています。推薦されてもしてあげることはできません。父母がいくら願ったとしても通じません。一番の頂上にいる者が、一番の底辺に行くのです。 頂上と底辺は、何かというと怨讐です。怨讐同士では、「自分は頂上で、あいつは底辺だ」と言うではないですか。そのような思想、概念をなくさなければなりません。神様の前にそのような概念があるので、それを埋めるのが神様の苦労です。 十字架で亡くなるイエス様が、槍で心臓を突き刺そうとする怨讐に対して、十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と赦しを請い、愛した、ということはどういうことですか? 狂ったとしても、世の中にそのような狂人がどこにいますか? 怨讐を愛したのです。 怨讐であるイスラエルの王宮の王子・王女と、ローマの王子・王女が結婚しなければなりません。世の中でもそうでしょう。強大国があれば、弱小国家は親戚関係を結んで生きようとするのです。同じ極同士は怨讐ではありません。 先生もそうしました。天国の理念がどうなっているかということを知っている先生の家庭と結婚した人たちは、よいものを食べることができず、飢え、苦労した人たちです。先生の名前で、世界のだれとでも結婚することができます。 自分勝手に探し回って、三十六家庭同士、高い家庭同士で結婚することはできません。「自分たちでしよう」という話も、自分たちだけでしたのであって、公式的な場では、そのように言うことはできません。今まで神様がそうでした。サタン世界で最も苦労し、死ぬほど苦労した人を中心として、その血族を通して結婚しようとするでしょう。そうですか、そうではないですか? この者たち! (「そうです」)。 自分の子供をよく育てて大学に送り、博士にして、何をするというのですか? 先生は、苦労すべき先生ですか? 先生の生涯は、骨相学的にも苦労するようにはなっていません。本当に、全く! 国の逆賊が行く道もすべて行き、聖人が行く道もすべて行ったのです。そのようなことを分からずに、自分勝手に何をしようというのですか? 自分勝手にしてうまくいくかどうか、してみなさい! 逆さまに打ち込まれます。 今から、結婚する相対はだれがなるのかというと、自分が高い位置にいれば、低い位置に行くのです。郭錠煥! 分かりますか? (「はい!」)。 私たちの機関で高い位置についたり、位置の高い人と結婚しようとしたり、高い位置を夢見ている、そのような人たちは、みな(御旨に)反対していくようになります。御旨がそうです。聖子と殺人魔、三十三人を祝福してあげたではないですか。世の中のどこに、そのようなことがありますか。 アダム家庭において、カイン・アベルに等差が生じました。引っ繰り返ったのです。カインが上がっていったのです。サタンの血統が、なぜ上がっていったのですか? これは、一番の底辺に下がっていくようになっているのです。そうでなければ、神様の血統が立つことができません。これは理論的です。 分かりましたか? この二世たち! 二世のあなたたちが、裕福に、平安に暮らそうというのならば、全員、問題だというのです。国がこうで、自分の父母が不足で成し遂げることができなかったので、それ以上に苦労しなければなりません! 父母を救ってあげ、国を救ってあげ、「それ以上に行く!」と思わなければならないというのです。「楽にやっていこう」と思っているでしょう。はっきりと知らなければなりません! 最後は、愛の道を中心として立て直すのですが、愛の道においては、真の愛と偽りの愛は反対になるのです。地獄に下りていったのです。今まで天の愛はありませんでした。私が現れるまではなかったのです。真の父母が現れて、初めて、上に上がっていくのです。上に上がっていくのが、第一ではありません。上がっていき、下りていって、地獄を解放するのです。先生が地獄を解放してあげましたか、あげていませんか? (「されました」)。あなたたちも同様です。その一家、一族、韓国民族に地獄があります。フリーセックス、ホモ、レズ、エイズ、これを除去していたならば、今ごろは抜け出ているのです。 愛の哲学が、どこに発生するかというと、怨讐と怨讐が結婚し、その二人の怨讐の父母が、怨讐同士が闘わずに永遠に平和に暮らすことを願い、また、平和を愛する模範となることができるように願い、神様の前に、千年、万年、反対していたサタンが福を祈ってあげることができ、神様の前に、千年、万年、切実に願い、一つになってこそ、帰っていくことができるのです。このとてつもないことをおいて、自分勝手に行動してはいけないというのです。それはいけません。霊界に行ってみなさいというのです。 祝福家庭を安物だと思っています。この者たち! どこかの旅人が来て道端で風呂敷を広げて、それがよいものだからといって、一緒に食べることができるのですか? マッチングは、昔、先生がしたようにするのです。いくら自分たち父母同士で約婚したとしても、それではいけません。それは条件です。条件としてそのようにするのです。必ず国と国が、春夏秋冬に公式的な日を定めて行うのです。人が多くなれば、毎日、午前と午後に時間を決めておいて、その時間に参席し、そこで国の代表が何百名ずつかに分けて行うのです。マッチングはすべて、教会の公認を受けなければなりません。 それなのに、何ですか、自分勝手にやろうというのですか? この狂った者たち! 分かりましたか? (「はい」)。郭錠煥は、はっきりと教えなさい。六大州なら六大州、世界なら世界、何千名、何十万名でもかまいません。国家を混ぜて、一列にサッと並べて番号をつけて行うのです。六大州で結婚することによって、血統が混ざるのです。親戚関係になって混ざれば、争う者たちはすべて解体されてしまうのです。分かりますね? (「はい」)。 韓国人だからといって、「私は日本人とは親戚にならない」と言うことはできないのです。今後は、抽選でするかもしれません。白人は黒人とするのです。それを「嫌だ」と言うことができますか? 兄弟です。アダム家庭の一父母の血族から分かれた兄弟です。それは事実です。そのような意味で(怨讐であっても)自分の側だと考えるのです。そうすれば、中心になります。天の国の歴史的な表象になることができ、伝統になり得る核になることができるのです。そのことを知らなければなりません。 自分勝手にすれば、息子・娘から讒訴されます。頭の大きい人(責任者や長のつく人)たちは、警戒しなければいけません。郭錠煥、分かりますね? (「はい」)。 三十六家庭から、今後、教えてあげた原理の基準を中心として、「家庭形成に違反することが、何々」と、家庭に関することをすべて表示して付録としてつけ、天国に入っていく時に、それに合わせて自叙伝を書かなければなりません。あの国に行ってそれが違っていれば、完全に引っ繰り返されて、追い出されるのです。適当に考えてはいけません! あなたたちが呼吸することまで、すべて見ているのです。この者たち! 先生があなたたちのように暮らしてなせるのならば、どうしてこのような暮らしをしているのですか? 先頭に立って苦労しているのに……。「先生は苦労しているが、私たちは苦労しない」……。この者たち! 蛇が大きくなろうとすれば、十八回以上、脱皮しなければなりません。あなたたちは、何回脱皮しましたか? 百八十回、千八百回、脱皮しなければ、堕落のどん底から抜け出すことはできないという事実を知らなければなりません。 真のご父母様がペイントを塗ってあげたのです。体が真っ黒なので、絹を着せてあげました。そのようなことを知らずにいます。頭の大きい人も、小さい人も、同じだというのです。ペイントを塗ってあげ、祝福を受けたのです。それなのに一番だと思っています。今後、先生のいる部屋に勝手に入ってくることはできません。霊界の天使たちが擁護して直ちに……。 息子・娘の結婚問題を正しく行いなさい すでに全員が祝福の中心家庭になっています。あなたたちが行くべき道と、私が行くべき道は違います。今からあなたたちは出ていって、国を収拾して国家基準に上がってこなければなりません。先生がそれをしてあげることはできないのです。頂上に上がっていくのです。神様の王権まで連結されています。それをそのままで上がっていくことはできません。個人時代において闘い、大蕩減して復帰してこなければならず、家庭時代……。七段階、八段階をすべて経てこなければなりません。闘ってそれを経てくるまでは、闘ってその結果をもってこなければ、接ぎ木する道理がありません。 家庭的メシヤが氏族的メシヤに、そのまま接ぎ木することはできません。闘って勝たなければならないのです。八段階のことを知っているでしょう。出ていって闘わなければなりません。個人時代、家庭時代ならば、出ていって闘い、サタン世界が反対する所で、その家庭全体が自然屈服し、「私たちの町から出ていかないでください」と言う時に、長子権を復帰するのです。そのようにサタン世界を復帰して上がっていくのです。何のことか分かりますか? 家庭から上がっていくのです。 また、氏族時代においても、闘って、上がっていくのです。郡なら郡に行って闘い、反対される所で闘い、そこで「私たちの中心になってください」と言われてこそ、兄になり、兄として弟を連れてきた後、そこから民族時代に上がっていくのです。その原理を講義してあげなかったようですね。明確にしてあげなさい。ただそのままで上がっていくのではありません。出ていって闘わなければなりません。先生はそのようなことをすべてしたのです。それゆえ、その系列をすべて知っています。 ですから、先生を絶対に信じるのです。家庭時代においても絶対に信じるのです。引っかかることがありません。氏族時代においても、絶対に信じれば越えていくのです。どのようなことでもするのです。「できない」という言葉はありません。自分の父母までも、「祭物として捧げなさい」と言えば捧げなければなりません。自分の息子・娘は問題ではありません。自分の妻は問題ではありません。神様の前では、復帰のためならば、どのようなことでもしたのです。先生の前でも、どのようなことでもするのです。 そのようなとてつもない事実を束ね、神様の王権を樹立することが、一生の念願であったのです。永遠、永生路程の念願であったというのです。 神様が「文総裁。何々をしなさい」と、そのように命令することができますか? その問題が生じれば、解決できるまで、神様は離れていなければなりません。文総裁が勝って越えていかなければならないのであって、神様が協助すれば、サタンが黙っていますか? 一人です。一人。あなたたちには、すべて教えてあげました。父母がいるので、すべて教えてあげたのです。それを聞き流して、腐った御言にしてすべて埋めてしまい、四十年間、そこに突っ込んでおいたというのです。訓読会をしていなければ、どうなるところだったのですか? 金鎮文は病気ですか? (「今はもう完治しました」)。つらそうですね。(「もう大丈夫です」)。休みたいと思いませんか? (「今はもう完治したので、そのようには思いません」)。休みたいと思えば病気になるのです。先生もそうです。少しでも休みたいと思えば、五万種類の病気にかかります。足を伸ばして休むことができません。「一度死んで生き返った」と考えるのです。「一度死んで生き返った」と考えれば、死ぬほど疲れても乗り越えることができます。そのように考えるのです。痛ければ、反対にもっと痛むようにするのです。先生が生涯で、八十を越えても病院に行ったことがありますか? 最近、お母様を見ると、先生が八十を越えたので、小さな薬局のように薬たんすを置いて、先生が長生きすることを願っています。それを飲んだからといって、長生きするのではありません。あまりにも精誠を尽くすので、私が飲んであげるのです。お母様に尋ねてみてください。食事の前、食事の後、休む時、トイレに行ってきても、どこに行ってきても、どんどん薬が出てくるのです。なぜ、そのように薬がたくさんあるのか分かりません。(笑)それを飲んだからといって、よくなるのではありません。それを信じて生きていては、長生きできません。 息子・娘の結婚問題を正しく行いなさいというのです! 泥棒になるなというのです! 自分たちの息子・娘を貴く思って、他人の息子・娘よりも優秀にして、「国の大統領にしよう」と思うのもいけません。途中で折れてしまいます。見ていなさい。今私は、そのような家庭がどのようになるかと思い、見ています。私が教えたことが間違っているか、間違っていないかを見てみると、間違いなく当たっているのです。自分勝手にすれば、間違いなくそのようになります。 私は、自分が言ったことは絶対に守ります。自分が言ったことを、自分が一番恐れるのです。永遠に道がふさがります。ですから、訓読会をする時には、助詞が一つ違っていても、すぐに分かります。霊界に行くまでには、それをすべて正してから行かなければならないのです。 そのように理解して、子女たちを正しく育て、天の前に祝福して、立派に捧げることができなければなりません。子女だけでなく、三代です。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、孫、三代が一つになって、真の愛の結実になるのです。霊界に行けば、おじいさん、息子、孫の三人が、一つの家庭として暮らすのです。最小で、三人が一人に見えるのです。 栗の木の種を植えれば栗が実るのですが、その栗のいがの中には、三つ入っているもの、一つ入っているもの、二つ入っているものがありますが、味は同じでしょう。同じことです。三代が一人に見えるのです。それは嘘ではありません。 一生涯、純潔を守って生きたならば、夫の中に妻が入るのです。夫に「妻はどこにいるのですか?」と尋ねる必要もありません。「あなたの妻はどこにいるのですか?」と言えば、見つめているその夫の中から、「私はここにいる」とあいさつするのです。隠すことはできません。そのような世界に行こうという者たちが、がらくたのようになり、地上で暮らしていたその習慣性のままではいけないというのです。分かりましたか? (「はい」)。 警告です! きょうは十四回です。過ちを犯せば、このような式典に思いどおりに参席することはできません。霊界の指令がなければ駄目です。あなたたちは、勝手に漢南洞に来ることはできません。自分勝手に来ることはできないというのです。私が呼ぶ人以外は来ることができません。そのような時が来ました。 嫌いな人同士が親戚関係になっている 自分たちが祝福の中心家庭だと言うならば、息子・娘を分家させなければならないでしょう。そうでしょう。虎も二年たてば、その子供たちを噛んで追い出してしまいます。最も恐ろしいのが母親です。そうであってこそ、自分の行くべき道を行くのです。あなたたちも同じです。サタン世界に行って、そのようにしなければなりません。それを連れたまま暮らさなければなりませんか、追い出してしまわなければなりませんか? (「追い出さなければなりません」)。追い出さなければなりません! 教会に集まってけんかばかりしている者たちを追い出してしまわなければなりません。苦労して開拓しなさいというのです。開拓すれば、国王が理解してくれます。分かりますか? 神様が理解してくれるというのです。真のご父母様は、地上の国ではなく、永遠な霊界に行って責任をもつのです。先生が会ってくれると思って、好きなように訪ねてきたでしょう。今まではそのようにしてきました。 先生がどれほど感覚の鋭敏な人ですか。芸術的な分野や文学的な分野、すべてに素質があります。サッと見れば、すぐに善し悪しが分かります。絵を見ても、すぐに分かるのです。サッと見れば、アンバランスなのが分かります。完全なものは和合することができるのです。それゆえ、原理が偉大だというのです。それを知らなければなりません。原理を知っている人は、何でもできないことがありません。「できない」と言う人は落第生です。 亨進を見れば、運動もすべてするのです。空手でも何でも、最近では中国の拳法までするのです。いつの間に学んできたのか、私のところに来て、「お父様、私はこのようなものを学びました」と言うのです。「それで何をするのか?」と尋ねると、「それで何をするも何も、世の中には、私よりも優れていると思っている人が大勢いますが、私は自分のほうが優れていると思っているのですから、何かが優れていなければならないのではないですか」と言うのです。 また、子供たちが「お父様。あの人は今後、統一教会に反対すると思うので、あの人には接しないでください」と言うのです。「私も知っている」と言うと、「お父様。あの人に近づかないでください」と忠告するのです。サタンがここにいないと思いますか? すべて(神様の)相対だと思いますか? しっかりしなければなりません。分かりますね? (「はい」)。正しく越えていかなければなりません。 先生は、どんな人でも連れて歩くのではありません。今までは乞食を連れて歩き、殺人魔やそれ以上のチャンピオンのような人を連れて歩きましたが、いつまでもそのようにするのではありません。系列があります。黄善祚! (「はい」)。三十六家庭からすべて会議して、記録に残すことができる人が何人いるか、批判して選別しなさい。何のことか分かりますか? (「はい」)。そのような時が来ました。 ですから、私の息子・娘も全員、イーストガーデンから追い出しました。顯進までです。イーストガーデンにはいません。ワシントンにいます。追い出したというのです。 アダムとエバに相続権がありますか? 万物の相続です。この自然です。今回の修練会の総結論は何ですか? 「自然に帰りなさい」と言ったでしょう。そのように言いましたか、言いませんでしたか? (「おっしゃいました」)。自然に帰らなければなりません。きょうも、そのことを強調するのです。自然に帰りなさい。 太陽を見習いなさいというのです。何億年間、一秒も狂っていません。やあ! 朝夕が季節によって違います。何千年間狂うことなく、朝夕、同じ公式で動き、北の世界でも、南の世界でも、同じ公式で動いています。あなたたちはそうですか? 天国に入っていくときに、かかし(=役に立たない人)のようになって、入っていくつもりですか? 中身がなく皮だけだというのです。 息子・娘を結婚させたいと思う人、手を挙げなさい。それでは、息子・娘によい結婚をさせたいと思う人、手を挙げなさい。怨讐とするのです! ピタッと、そのようになっています。今まで祝福した人たちを見れば、嫌いな人同士が親戚関係になっています。訪ねてみなさいというのです。 先生が町内のおじいさんのように喜ぶことだけを言えばいいのに、一番年を取った先生が、なぜそのようにしなさいと言うのでしょうか? そのようにすれば、峠を越えるのです。一番高いエベレストの山頂を、エレベーターに乗って、サッと上がっていくことができるのです。いっぺんに上がっていきます。この谷間からあの谷間に、越えていくのです。分かりますか? 人は、無限に高くなることができるのです。愛する心で尽くすのです。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と言ったのです。心を尽くす者は、いくらでも越えていくことができるのです。 この博士は、孔子が一番嫌いだったでしょう。孔子は顔立ちが悪いのです。男性として見れば、ハンサムではありません。しかし、霊界に行ってみれば、美男子に見えます。違って見えるというのです。輝いているのです。見たくないと思っていた黒人も、黒くありません。より高いところに行くことができるのです。 行けばあいさつをしなければなりません。御旨を知った人は、知っている顔で現れるのです。自分の好きなように変貌することができます。それゆえ、サタンの代わりに来て、誘惑するのです。ですから、原理を知らなければならないのです。自分の本心、正しい心をもつのです。三代が結ばれれば、三代を引っ張っていくことはできません。八人が一つに結ばれているのに、だれが引っ張っていくのですか? 時代が変わる このような式を私が守らなければなりませんか? 時代が変わるのです。あなたたちでしなければならないのではないですか? 息子・娘をたくさん生んで、その息子・娘が世界に散らばって暮らすようになれば、全員が父母のところに来ますか? 父母の誕生日は、自分たち同士で集まってしなければならないでしょう。そうではないですか? 六大州それぞれに分かれていれば、六大州すべてに私が行くことはできないので、自分たち同士で集まってするのです。また、そのように許諾しなければなりません。 そして、語ってあげた御言を二番煎じにした(=訓読した)としても、その二番煎じの薬を本物だと思って飲めば、本物になるのです。本物よりもよいというのです。あなたたちが精誠を尽くして、徹夜祈祷して語る言葉よりもよいのです。 皆さんは昔、十年、二十年前に文総裁が三時間話したことを、「何のことか一つも分からない」と言ったのです。分からない立場に立っていたので分からなかったかもしれませんが、今、数十年前、五十年前に語った御言を見てみると、その通りになっていますか、なっていませんか? (「なっています」)。 郭錠煥もそうではないですか? (「その通りです」)。先生よりも自分のほうが優れていると思っていたのです。劉孝元もそのように思っていて、私から雷を落とされました。原本の一ページだけでも解釈してみなさいというのです。一ページでも解釈できる何かがありますか? それで、私が十五ページをサッとしてあげると、「ああ、先生のほうが優れています」と言うのです。文章を書くならば自分が書かなければならないと思っていたのです。 では、先生は、御言を正しく語りましたか、語れませんでしたか? (「語られました」)。イエス様が語った言葉を、今になって理解できるのです。それゆえ、五十年前のことを理解できますか、この者たち! 行ったり来たりしましたか、一方通行ですか? それが違います。騙すことはできません。時代が変遷するとおりに従っていくことはできません。それに歩調を合わせることはできません。真理は変わらないのです。私はそのことを知っている人です。 あなたたちは、原理を覚えて講義すると……。この者たち! 自分の言葉や、ありとあらゆるものをつけて、まだらなものにして、白紙にカラスが糞をしたものを「白紙だ」と言っているのです。「それをすべて片づけなさい」と言うと、ここにいる人たちがみな反対しました。講義するという安物たち、全員反対したでしょう。講義は必要ありません。だれでも講義することができます。色分けされたもので、全員が講義することができるのです。「それをつくってはいけない、つくれば大変なことになる」と言ったでしょう。何が大変なことになるのですか? 自分たちがどれほど、泥棒しましたか? あなたたち、そのようにしてみなさい。ついて行きますか、ついて行きませんか? 今回も、アメリカの有名な牧師たちが来たでしょう。その中でも、名のある牧師を十人くらい選んで、チャートで講義すると、「ああ! よい」と拍手して、「今、生き返った」と言ったそうですね。(「理解しやすかったそうです」)あなたも講義をそのようにしてきたようですね。(「はい。私も覚えてやりました」)。それゆえ、良心の呵責を受けて、ぶつぶつ言っていたのでしょう。(笑)良心の呵責を受ければ、そのようになるのです。自信がなくなります。 今回、開天節を中心としたその歴史について、どれほどたくさん話しましたか? すべて話したでしょう。(「はい」)。これを中心として、王権即位式をするために、お母様を先頭に立てたのです。いくら愚か者でも、自分で出世の看板をつけて築いた位置に、自分の妻を立てるような男性が、世の中のどこにいますか? 文総裁だからこそ、そのようなことを知って立てるのではないですか。 母の解放と女性時代というものが、自分たちのためにあると思っているのですか? 天運が唾を吐けば、すべて滅びるのです。過ぎ去ってしまいます。九二年から女性時代を宣布することができる内容、そのバックグラウンドが、どれほど広壮ですか? 神様も否定することができず、それを守ってくださり、「そうだ」と言われるのです。それをそのまま過ぎ去らせることはできないようになっています。それゆえ、たくさんの宣布をしたのです。 あなたたちは、一代でいくつの宣布をしますか? 自分を中心として、天地の前に、天宙の前に、「宣布いたします」と言うことができる日を、何日くらいもつつもりですか? そのような日がありますか、ありませんか? (「ありません」)。 「祝福の中心家庭である私たち」という言葉はあり得ません。祝福の中心家庭の中心は、一つです。二つあるのですか? 中心は二つですか、一つですか? (「一つです」)。すべて一つです。「私の御旨」です。「私たち統一教会の御旨」ではありません。「私の国」です。「私たちの国」ではありません。 男性として完成した人が「私」になり、女性もそのようになってこそ、「私たち」という言葉を言うことができるのです。夫婦を中心として、愛を中心として息子・娘を生んでこそ、「私たち」という言葉が出てくるのです。家庭というものを中心として、神様も「私たち」と言い、息子・娘がいて「私たち」という言葉を使うのです。 あなたたちは天の国に行っても、息子・娘もなく、家庭もない者たちだというのです。それなのに「私たち」という言葉を使うことができるのですか? 深刻な問題です。 皆さん全員、一番になりたいでしょう。中心になりたいでしょう。中心になることを許諾しました。マラソンのチャンピオンたちが競争の場に出ていくときには、「自分が一等になろう」と思って出ていくのであって、「びりになろう」と思って出ていくのですか? 「びりになろう」と思って出ていけば、百回やっても、永遠にびりです。一等という匂いさえも、嗅ぐことはできないでしょう。 そのような特権的な、祝福の中心家庭だれだれの名前。私自身も、祝福の中心家庭文総裁の名前で祈祷を捧げようと思います。中心が、個人的中心、家庭的中心、国家的中心と、すべて変わるのです。私が中心家庭になれば、だれと競争するのですか? 個人的中心家庭、家庭的中心家庭、氏族的中心家庭、民族的中心家庭、国家的中心家庭、天地で神様の代身として愛する息子・娘を、だれが苦しめるというのですか? 李相軒氏が、「王権樹立した後、霊界に大革命が起きた」と言ったでしょう。王権樹立した後、「文総裁が孝子の中の孝子だ」ということを知るようになったのです。私が孝子ですか? (「孝子です」)。何の孝子ですか? 悪口をよく言う人が、どうして孝子なのですか? なぜ、悪口を言うのですか? 「孝子になりなさい」と、悪口を言うのです。孝子でなければ、孝子になろうという人に悪口を言うことはできません。忠臣でなければ、忠臣になろうという人を教育することはできません。そのように考えればよいのです。 聖人になろうという人が聖人になれないので、悪口を言われなければならないのです。気合を入れてもらわなければなりません。孝子、忠臣、聖人、聖子が、ここにいます。今、心で「なろう」と思っているので、築き上げなければならないでしょう。悪口を言うことしか、することがありません。悪口を言う先生に、そのような資格があると思いますか、思いませんか? (「あると思います」)。 私が立てた形態には合いません。いくら合わせようとしても、霊界にそのような位置はないのです。先生が入っていく天国には、そのような位置がないので、引き返していかなければなりません。すべて蹴飛ばしてしまいます。ふらふらしている世の中に通じるからといって、統一教会にも通じるのではありません。 今回もリトル・エンジェルスでの講演の時に、私がありとあらゆる人を招待すると、喜んで集まってきましたが、その中には犯罪者もいました。いつもそのようにすると思いますか? いくら厳しい冬だとしても、春が訪ねてくれば、監獄にも春の光が差し込むようになるのです。何のことか分かりますか? 王宮において、王子の位置、王の位置、玉座にも、春の光が差し込むのです。監獄の死刑場にも、春の光が差し込むというのです。私には、春の光をもたらし、それを浴びせてあげ、触れさせてあげる責任があるのです。 きょう私は、この場に来ながら、サッと歴史を一度振り返って考えてみました。先生に対して、「生きる!」とか「死ぬ!」とか言っていた人たちが、過ぎ去っていきました。自分の息子・娘、統一教会の人たちを収拾しようとすれば、この人たちも収拾する責任があるのです。一度捜して調べてみなければならないと考えています。 統一教会の総論は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従 霊界の先祖たちは、生まれた土地、故郷の地に再臨していくのです。万民が再臨するのです。イエス様の能力以上です。祝福の行事をすることによって、楽園以上、天国に行くことができる先祖をつくるのです。それが理論に合う話です。 あなたたちは、自分たちの土地であなたたちよりも苦痛を受け、善に生きて死んでいった人を知っていますか? それ以上にならなければなりません。恨に恨を抱いて死んでいった人が、霊界から地上に再臨するのです。私たちが暮らしている所に来て、協助するのです。その人を兄のように侍り、王のように侍ろうと考えるのです。それを感じなければならないという事実を知らなければなりません。 あなたたちの主人はだれですか? 神様でしょう。国のために、すべてを犠牲の祭物にすることができるのです。そのように考えるのです。あなたたちは、どれほどたちの悪い者たちですか? 草も生命体でしょう。草の中で、虫を捕まえて食べる草を知っていますか? 虫と草は親戚です。 あなたたちはどれほど植物を犠牲にしましたか? 野菜を食べるでしょう。野菜も血を流しますか、流しませんか? 切れば水が出ますか、出ませんか? それは血です。あなたたちの血と違うものではありません。同じです。野菜を好きなように切り、炒めて食べていますが、食べさせるために生まれたと思いますか? 愛を受けるために生まれたというのです。愛ゆえに万物が生まれたのです。 それゆえ、野菜も自分の主体と対象において、愛を訪ね求めていくのです。その二つが一つになり、継続して実を結んでいくのです。それは、主人に吸収されるためです。人の生殖器に入っていって、赤ん坊をつくる器官の細胞になるために生まれたというのです。その実が拡大して、人類が繁殖するのでしょう。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。 どれほどたくさん犠牲にしましたか? 草を見ると申し訳なく思うでしょう。木を見ると申し訳なく思うでしょう。土を見ると申し訳なく思うでしょう。砂も、鉱物質として自分が吸収したのです。それに、水を見ると申し訳なく思い、太陽を見ると申し訳なく思うのです。生命の要素です。そして、愛です。すべてのものが愛を訪ね求めていくのです。 私が南米に行ってみると、そこには蚊がどれほど多いか分かりません。蚊が多いことを心配していると、稚魚たちがその蚊を食べて生きていたのです。稚魚です。卵から生まれたたくさんの稚魚に、何を食べさせるのですか? 蚊が昼も夜も、無尽蔵にいて、一日中そこにいるので、それを捕まえて食べるのです。「私は蚊を嫌っていたが、稚魚のえさとして与えられたものを嫌っていたのだなあ」と思ったのです。すべてそのようになっています。すべてために生きているのです。 ワニの子供でも、口の大きな魚にパクッと飲み込まれてしまいます。そのことを知っていますか? サメの子供も、サバでも何でも、パクッと飲み込んでしまうのです。そして、今度は「おまえは私の子供を食べたから、私はおまえを食べる」となるのです。それゆえ、お互いに不平を言うことはできません。口が大きなものは、口の小さなものをすべて飲み込んでしまいます。 魚に歯がありますか、ありませんか? (「ありません」)。(「ないものも、あるものもいます」)。あるものもいるでしょう。あるものは、骨を食べなければなりません。分かりますか? 骨を食べなければ栄養素が不足するのです。骨まで食べる体質になっているものは歯があり、丸ごと飲み込んで消化することができるものは歯がないのです。ストライブド・バスは歯があるでしょう。魚を捕まえて食べやすいように、そのようになっているのです。カモメは歯がありますか、ありませんか? 飲み込んでしまうのです。 あなたたちも、女性は男性に引かれていき、男性は女性に引かれていき、寄り添って暮らしているではないですか。夫が必要ですか? 女性が必要ですか? (「必要です」)。 そのように、ために生きるところにおいてのみ、愛の垣根が大きくなるのであって、「私のために生きなさい」と言うところには、愛はありません。穴しかありません。ですから、私たち統一教会の総論は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。服従とは何ですか? 絶対服従とは、このくらい残しておいて「私は嫌だ」というものですか? 死ぬほどしても、もっとしなさいと言うのです。 一周ぐるっと回って、もっとしようとするので上がっていくのです。一周飛び回ってきたものが、行くところがないので上がっていくのです。葛の蔓のように上がっていって、また大きくなるのです。そして、また上がっていって、また大きくなるのです。もっとために生きようとするので大きくなるのです。一周回って実が実り、必要がないという時には切ってしまい、新しく実を植え、循環していくのです。 あなたたちも息子・娘を生まなければならないでしょう。息子・娘が必要ですか? それはなぜですか? そのようにしなければ人類が滅びます。いなくなるというのです。「息子・娘を生まない」というのは、人類の滅亡を宣言することです。赤ん坊を一人も生むことができなければ、二人とも滅びるでしょう。滅びますか、滅びませんか? 終わりです。終わってしまうというのです。未来がありません。独身生活をしてみなさい。どのようになりますか? 無人の境地です。 高いところにいる人と低いところにいる人、聖人と殺人魔 さあ、結婚問題において、だれと結婚しなければならないと言いましたか? 高いところにいる人は? (「低いところにいる人とです」)。聖人はどうですか? 殺人魔とです。その時は、どのような時かというと、終わりの日です。すべて終わりの日です。すべてが明けてくる時です。その説明は、私がしてあげたでしょう。(「はい」)。 神様も、サタンも、人類も、満水になりました。満水になったのです。すべて満水になりました。このように入ってきた者も、このように入ってきた者も、回っていくのです。このように回ってきた者がいれば、反対から入ってきた者もいるので、満水になった時にはサッと回るのです。このように回る群れがいると同時に、あちら側では、このように回るのです。回り回るのです。回る相対が、「ああ、私が一番の主流で回らなければならない」といって回ることができますか? 傍系で回らなければならないのです。そして、水平になるのです。 水がすべて満ちて、神様もここまで来ました。ここまで来たのです。神様も、水が満ちれば問題になる(=おぼれる)のです。だれが救ってくれるのですか? サタンもその水で死になさいと、ほっておくでしょうか? 行って踏みつけますか、救ってあげなければなりませんか? その中で死ぬ人がいれば、魚たちが飲み込んでしまいます。大きいものも、小さいものも、ありません。平準です。魚が「ああ、これは聖人の肉だ。むしゃむしゃ。これは殺人魔だ。ぺっぺっ」と言うでしょうか? 平等圏です。大きいものも小さいものも、大きなものは飲み込み、小さいものは食べるのです。それが回るのです。それゆえ、そのような時には、だれが神様を救ってあげるのですか? サタンと神様が闘っているのです。 ご自身もそのままいれば、水に入っていっていなくなるのであり、サタンも……。それゆえ、闘いますか、闘いませんか? その闘いをだれが止めるのですか? 神様が止めることができますか? サタンが止めることができますか? これは嘘ではありません。闘いを止めることができるのは、真の父母しかいません。なぜ、闘いが起こったのですか? 偽りの父母ゆえに起きたのです。偽りの父母ゆえに起きたので、それを救ってあげることができる人は真の父母だというのです。 それで、神様に「このような所で暮らしたいのではないですか? そこで暮らすには、水から陸地に上がっていかなければならないのですが、陸地に上がっていこうとすれば、どのようにしなければならないのか知っているのでしょう。自分一人では、上がっていくことができないでしょう」と言うのです。自分一人では天国に行くことはできません。再臨主、真の父母、完成したアダムである再臨主が来て、「このようにしなさい」と言うとおりにしてこそ生きるのであって、そのようにしなければ生きることはできないのです。 「では、神様ご自身も、これこれこのような問題で今、陸地に上がっていきたいと思うのではないですか? だれがそれをすることができますか? ご自分ではできないので、今まで恨をもって嘆息してきたのではないですか。自分を解放するのは、自分ではなく真の父母であることを知っているでしょう」と言えば、「知っているも何も……」と言われるのです。 「私がだれですか?」「真の父母だ」。「私がだれなのか、知っているのではないですか」「知っている」。「だれですか?」「真の父母だ」。「それでは、真の父母の言うことを守って、生きたいですか? それとも死にたいですか?」と言えば、「死にたい」と言うでしょうか? 「生きたい」と言うのです。「それでは、私の言うとおりにしてください」。 怨讐を自分以上に愛するのです。怨讐と親戚関係を結ぶのです。死にそうになった時、「輸血をしなければならない。怨讐の血を輸血すれば生きることができるが、どうしますか? 生きますか、死にますか?」と言われたら、どうしますか? 「生きることができるならば、そのようにする」。 では、輸血したその血が私を生かしてくれたならば、その血を憎まなければなりませんか、愛さなければなりませんか? 何と答えますか? (「愛さなければなりません」)。そのような立場です。 それは、私(真の父母)が責任をもって、そのように輸血するようにしてあげるのです。その輸血をしてあげるサタンに、「神様がおまえの血の恵沢を受けて生きることができた」と言えば、どのように言いますか? 神様がサタンを救ってあげなければなりませんか、救ってあげてはいけませんか? 救ってあげなければ、神様が……。 そのようにすれば二人が陸地に上がって、闘うでしょうか、抱き合って泣くでしょうか? 闘いますか? 怨讐になって、生きるか死ぬかの闘いをするでしょうか? 感謝して抱き合い、お互いに慰労するでしょうか? そこで一つになるのです。 では、あなたたちがサタン世界の息子・娘とこのような立場に立ち、お互いに生かしてあげることができるその王が現れたならば、王の命令どおりに生きればよいというのです。それは真の父母しか、する人がいません。真の父母の特権です。神様にもできません。私がするのです。ですから、王権即位式をしてあげたのです。千年、万年の所願成就をしてあげたのです。 統一教会全体の数億千家庭の前に中心家庭になる それでは、平和はどこから始まるのですか? 平和とは、水平になるのと同じように、平均になることです。怨讐を愛し、怨讐のために生命を捧げることができる立場に立ってこそ、平和になるのです。結婚までも怨讐の息子・娘と結婚し、結婚した翌日、以前のようにいがみ合うのではありません。翌朝から、親戚としてお互いに尊重するのです。その息子・娘は、千年、万年、王子として栄えるというのです! そのようになってこそ、そこから天国が生じ、そこから平和が出発することができるのです。あなたたちがそのような心をもてば、天国に入るのです。そのようにしなければ、天国に入ることはできません。先生が嘘をついているかどうか、行ってみなさいというのです。 それをすべてなして、地獄を撤廃するのです。十二月三日に楽園と地獄を撤廃したのです。それは言葉だけではありません。そのようになるのです。あなたたちがそのように動けば、そのようになります。 今回の使徒パウロのメッセージを聞いたでしょう。(「はい」)。王権樹立をして霊界が変わったというのは事実です。先生が「このようになりなさい」と言えば、そのようになりますか、なりませんか? (「なります」)。「あなたたちがこのようにすれば、地獄に行く」と言えば、地獄に行きますか、行きませんか? (「行きます」)。大統領でも「地獄に行く」と言えば、行くのです。私の息子・娘でも、「出ていきなさい」と言えば、出ていくのです。手本となれるように反省して悔い改めれば、一次、二次、三次まで赦すことができます。旧約時代のイスラエルを赦してあげたでしょう。新約時代も赦してあげたでしょう。成約時代も赦すのです。 入籍祝福とは、どういうことですか? 息子・娘を復活させ、重生式、復活式、祝福式をするのです。そのような何かがあるのです。ただ大ざっぱな計算で、天の国が訪れてくると思いますか? そのようなことはありません。夢のような話でしょう。訓読会で先生がした宣言文を読んでみると、その時は何も分からなかったとしても、すべて過ぎてみると、これは恐ろしいことです。 いつも先生はこのような道を来たのですが、どれほど経費が必要で、どれほど闘いが必要であったか、だれかそのことを考えた人がいますか? 相談できません。一人で……。先生一人でこのようなことをしてきたのです。ですから、大王陛下の神様も感服して、「私に似て、私がしなさいと言うとおりにして、このように越えてきた」と言うのです。あなたたちもそうです。あなたたちも先生を手本として、先生が必要ならば、訪ねていって関係を結ぶのです。同じです。天が命令してくれれば、行くべき道が明らかではないですか。 今日、祝福とは何かというと、霊界をすべて解怨成就したでしょう。三十二代までですか? (「三十五代くらいになります」)。三十六代までですね。すべてしたということです。世の中のだれが、そのようなことを考えるのですか? それはそのようになるのです。祝福をして、「三日行事までしなさい」と言ったのですが、それをしましたか? 郭錠煥! (「はい」)。自分の先祖たちのことです。(「それは解怨式をする時にすべてしました」)。皆さんの死んだ赤ん坊の霊たちを三日行事まで……。 そして、統一教会から出ていって罪を犯して、蕩減して、死んだ男性、女性たちも全員生かしてあげるのです。それは嘘ではありません。三日行事まですべてします。それは霊的にするのです。肉的基準において、自分を中心としてお兄さんたちを祝福してあげなければなりません。「私を中心として天国に入っていきたいのならば、私の言うとおりにしなさい」と言うのです。三年間、一つになって過ごすのです。 あなたたちが夫を生んであげたのでしょう。お母様の代身です。先生から見れば、妾と同じです。それゆえ、先生を思慕するのです。天の血筋を受けた男性は、天上にはいません。これを接ぎ木して、三日行事をするのです。生んであげて植えなければなりません。 そのように三日行事で天地のすべてのものを解くのですが、高速道路を築いておいたので、そのようなことが可能なのです。私には多くの恨があります。この貴い祝福が……。祝福を受けるために先生が、どれほど苦労しましたか? 世の中の、女性の受難の道、男性の受難の道、すべてを被ったのです。国を取り戻すために世界的な聖人たちが努力したすべてのこと、それ以上の立場を経て、すべての秩序を立てたのです。 霊界に行ってみなさいというのです。父母に侍っているのならば、父母の言うとおりにしなければならないでしょう。 皆さんは、皆さんの先祖の霊たちと、地上の一族の国民を連れて歩くのです。雁が飛んでいくとき、千万の雁がいても、一羽の長に従い、広く広がりながら従っていくのです。長は二人ではありません。分かりますか? 金家なら、金家の族長を中心として一つになって、国に接ぎ木し、その国を世界に接ぎ木するのです。大統領が総生畜献納祭を捧げなければなりません。そのようにしてこそ、世界に接ぎ木されるのです。これは、必然的な条件です。 接ぎ木することができる内容は、統一教会の中にすべてあります。分かりますか? 真の父母の前にです。真の父母の言うとおりにすれば、ガチャッ、ガチャッと、一瞬の内に接ぎ木されます。他人が七年かかるものを、七日間で接ぎ木することができるのです。言うとおりにすればできるのです。 一晩で国を復帰することができます。切って、接ぎ木すればよいではないですか。そのようにすれば反対がありません。私は反対されながら、それを消化しながら大きくなりましたが、サタンも大きくなりました。あなたたちは反対のない中で、接ぎ木する木を挿しさえすればよいのです。それが死んだ木では死んでしまいます。火で燃やされるしかありません。分かりますか? (「はい」)。 統一教会全体の数億千家庭の前に、中心家庭になるのです。先生に侍って暮らすのです。先生に侍って暮らした歴史的な事情は、霊界での教材になります。知らないことを教えてあげるのですから、必要なのです。ですから、従ってきて、一つになるのです。 このように話したわけですから、聞くなら聞き、やらないならやらず、みな四方八方に散らばって世界で暮らしなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.25
コメント(0)
第十四回「世界統一国開天日」記念礼拝の御言成約九(二〇〇一)年十月三日、韓国・中央修練院 大講堂 ここにいる人は、どこの人ですか? どこから来た人ですか? 「『日本人』という言葉は、使ってはいけません。」と言いました。それは、「日本の祝福家庭」、「日本の兄弟」です。「日本人」というものは、摂理史にはありません。「米国人」というものも、ありえません。 きょう、先生に初めて会う人は、手を挙げてください。何人かは、来ているはずではないですか? 全員、先生に会ったことがあるのですか? (「はい。」)それでは、あの後ろまで行かなくてもよいですね。全員、見たことがあるのに、また、何を見るのですか? (拍手) 人は、会えば会うほど情がいって親しくなるので、会ってはまた会い、会ってはまた会いたくなるのです。 それでは、一番、慕わしくて会いたい人は、だれですか? お父様です。それは、何のお父様ですか? (「天のお父様です。」)天地を創造された主人であられるお父様です。 そのお父様が、だれのお父様であられるのかというと、日本のお父様でもなく、韓国のお父様でもなく、“私”のお父様です。一度、言ってみてください。(「私のお父様。」)「“私”のお父様」なのです。 皆さん。先生の顔を見てください。きょうもまた、み言を語ろうとすれば、四時間ではなく四十時間でも語ることができるのですが、そのような時間もないので、一度顔を見て……。 わたしは年を取っていて、皆さんは若いので、わたしは皆さんにとって、おじいさんになることもでき、お父さんになることもでき、お兄さんになることもでき、おじさんになることもでき、……。 ですから、わたしは皆さんよりも年を取っているので、皆さんが尊敬すべき先輩や目上の人であるということは間違いありません。分かりますか? 皆さんが貴く思って、忘れることのない話を、一言話しましょう。今まで、神様が「わたしのものだ。」と言われることができるようなものが、ありましたか、ありませんでしたか? 堕落する前にはあったかもしれませんが、今まで神様が、「わたしのものだ。」とおっしゃることのできるものがありましたか? 人間始祖が堕落することによって、すべてを失ってしまいました。万物を失ってしまい、息子、娘を失ってしまいました。神様が一代目であられるのならば、アダムとエバは二代目です。そのアダムとエバの堕落によって、三代を持つことができない神様になってしまわれたのです。 神様は、アダムとエバまで失ってしまわれたのですから、神様が「わたしたち」という言葉を言ってみたことがあるでしょうか、ないでしょうか? (「ありません。」) 皆さんは、自分を中心として誇りたいでしょう? そうですか、そうではないですか? “誇りたい”と思うことは、この地上に生きている人であるならば、だれでも同じですが、神様が、ご自身を中心として誇ることができるものがあるでしょうか? ありません。 神様は、ご自身を中心として誇るということもできないのですが、「わたし」という意識を持つこともできず、そのような立場に立つこともできなかったのです。すべてを失ってしまわれたからです。 このように、神様は、ご自身の理想のためにすべてを失ってしまわれたので、「わたし」ということ自体も主張することができない、かわいそうな神様でいらっしゃるのです。分かりますか? (「はい。」) 今まで、「わたしのもの」、「わたしと関係しているもの」ということを語ることのできない立場で生きてこられた神様がいらっしゃるということを知れば、地上に生きている皆さんは、どのような立場になりますか? 不敬なことこの上ない立場、ということになります。 「私のもの」、「私の父母」、「私の夫婦」、「私の子供」、「私の家」、「私の国」……、そのように語り、主張してきたことが、どれほどとてつもない罪を犯して生きていることになるのか、そのような事実を知っている人は、いません。単刀直入に言って、この話は正しい話なのです。 この太陽系だけでも、どれほど大きいでしょうか? しかし、太陽のような恒星は、銀河系の中には約二千億個もあり、さらに、そのような銀河が、約一千億個も存在するといわれるのが、この大宇宙です。 考えてみてください。光は、真空中で一秒間に約三億メートルの距離を進み、地球を七回り半も回ることができます。その速度は、どれほど速いでしょうか? 神様は、その光でも、二百十億年かけても果てまでたどり着くことができないほどに広大な宇宙を創造されました。 この宇宙を創造された神様は、何のためにこのように膨大な世界をつくられたのでしょうか? それは、大宇宙を抱いても余りある愛のためにつくられたのです。そうして、神様は、愛の相対であったアダムとエバによって、その因縁を結実させようとされました。 しかし、アダムとエバがいなくなることによって、創られたこの被造世界は、神様の内的心情を打撃する悲しみの象徴物となってしまったのです。ですから、神様が、どれほど悲しまれているかということを考えてみてください。このような話は、図書館の本の中にはありません。文総裁が現れて、初めて語る話なのです。 皆さんの顔を見れば、それは、だれの顔ですか? 「私の額だ。」と言うでしょう? その目は「私の目」。鼻はどうですか? (「私の鼻です。」)口はどうですか? (「私の口です。」)耳はどうですか? (「私の耳です。」)手はどうですか? (「私の手です。」)その体はどうですか? (「私の体です。」) 女性のものは、どうですか? 女性のものは女性のものです。男性のものは、どうですか? 男性のものです。そのように、すべて自分が所有の主人になっているという事実です。神様の立場を考えてみた場合、それは、どれほど不敬な罪でしょうか? どうして宗教が必要であり、どうして国が必要なのかというのです。すべて粉々にして掃き捨てても、神様のものとして残してさしあげることができるものは、一つもありません。それで、どうして“偉い”と誇ることができるのでしょうか? なぜ、「私たちの教会を中心として、私たちの神様が神様であり、あなたの神様は違う。」と言って闘うのですか? それは、狂った者たちです。そのような者たちが、「幸せに暮らそう。」と言って結婚するというのですか? 彼らを神様が結婚させてくれましたか、くれませんでしたか? また、神様の息子、娘を教育しましたか、できませんでしたか? (「できませんでした。」) 皆さんは、何なのですか? 何ですか、日本の国、アメリカの国、韓国の国、統一教会の文先生などと……。文先生は、このようなことを知っているので、神様の友となるために、“私のものはない”と、否定をしました。絶対否定をしました。父と母から否定したのです。 そこで神様をよみがえらせてくることによって、神様が私に対して、ご自分を中心として「わたしのものだ。」と言うことができる、そのような“私”をどのようにして取り戻すのか、ということが蕩減復帰の世界であり、恨の道なのです。それは、“私”を取り戻し、相対を取り戻し、“私の息子”を取り戻すことができる道を、どのようにして再編成し、再創造するのかということです。 神様は、ご自身が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従され、無限に投入されてはそのことを忘れ、さらに完全投入されて、この宇宙を創造されました。しかし、神様は、そのようにして創造された大宇宙よりも、さらに大きな世界を今でも創造なさることのできる余力を持っておられるのです。 皆さんは、そのような“投入しては忘れ、さらに投入することができる余力を持っておられる神様に似よう”という心を持つことを、夢にでも考えてみましたか? 統一教会の教会員たちは、神様に「福を下さい。」と言うことはできません。私は、「福を下さい。」という祈祷はできません。お金がなく、何かがなくても、「お金を下さい。」という祈祷は、一度もしたことがありません。国も持っていない人が、どうして世界のために「お金を下さい。」と言うのですか? たとえ死の道でも、自分が努力して血と汗を流して行くならば、自分の体がお金の壁とぶつかったとしても、お金の壁のほうが崩れていき、また国が崩れていくのです。今、アメリカが崩れていきつつあるでしょう? 三十年間、統一教会の文総裁を握りつぶそうとしたのが、ワシントンとニューヨークと……。 しかし、これらを生かしてあげるために、今回、わたしが祭祀をするのですが、それは、世界の教団の長たちを集め、世界的に超民族的に行うものです。 アメリカがいくら偉いといっても、文総裁を認めなくては生きる道がありません。従ってこなくては、天国に行く道がありません。それは、日本の者であろうと、韓国の者であろうと、ロシアの者であろうと同じです。 また、地獄に落ちたままでいる、いかなる男女であっても、文総裁の旗の下に従っていこうとしなければなりません。その旗の下にでも隠れて暮らそうとしてこそ生きる道があるのであって、“自分を中心として生きよう”と、自分勝手に考える男性や女性たちは、生きる道がありません。 それは、なぜでしょうか? そのままでは、神様の御前にあって、自分の立つ場がありません。神様さえ信じればよいのではありません。神様は、今、この世の中が滅びようとしているのに、手を下すことのできない神様になってしまわれているのではないですか? このようなことをすべて知らなければなりません。そのようなことをすべて知って、きょうという日を考えてみなければなりません。 きょうは何ですか? 「世界統一国……」何ですか? 「世界……」何なのですか? (「『統一国開天日』です。」)「世界統一国開天日」です。今日、皆さんは、国を持っているでしょう? しかし、その今の国は、サタンの国です。そこには、世界を連結することができる道がありません。 国はもちろん所有しなければならず、世界も所有しなければなりません。天上と地上にあるすべてのものについて「神様のものである。」と言うことができ、「神様が愛することができる息子、娘」、「神様が愛することができる家庭」、「神様が愛することができる国」、「神様が愛することができる世界」と言うことができる世界が、地上天国であったのです。 そのようなことが創造理想の完成完結であるので、「アー……」何ですか? (「『アーメン』です。」)願われ、感服する内容が、千年、万年、永遠に継承されるのです。「アーメン」です。「アーメン」とは何でしょうか? これは、「エイメン」です。「エイメン」とは、“ナンバーワン”ということです。それは、“ナンバーワン・メン”のことをいうのです。 先生の顔をよく見ましたか? (「はい。」)悪口をよく言うような顔つきをしているでしょう? (笑い) あえて悪口を言わなければなりません。悪口を言うことによって……。(録音が一部途切れる)神様に対して、もう分かりましたか? 神様は、そのように孤独単身で、すべてを失った悲惨な立場になっていらっしゃるというのです。寄るべなき囹圄(囚われの身)の立場に身を置いていらっしゃる、そのような神様を「お父様」と呼ぶのですか? 「お父様」と呼ぼうとすれば、お父様以上の立場に立っていただいて、初めて「お父様」と呼ぶことができるのではないですか? それ以上の立場で呼ばなければなりません。 「死なんとする者は……」何ですか? (「『生きる』です。」)「生きんとする者は……」何ですか? (「『死ぬ』です。」)死ぬのです。死なんとしてこそ、生きるのです。このようなことは、間違いなく理論的であるというのです。 死なんとするとき、億千万年の間、解放されなかった神様が解放されるのです。そのような解放の日を迎えなければ、“私”が生きることができないという、かわいそうな罪人……。(録音が一部途切れる) ところが、皆さんは、偉そうにしっぽを振り上げ、肩をいからせて「えへん。」と言っていましたが、それは汚れた者たちです。そのような者は、すべて流れていってしまいます。皆さんは、“私たち”という範疇とは関係がありません。“私”とは関係がないという事実を知らなければなりません。 それは、なぜでしょうか? この宇宙は、神様の主管下になければなりません。ところが、神様が主管することができる“主人”の立場に立つ人間が滅べば、すべて“亡国の種”になってしまうのです。 “亡国の種”から再び接ぎ木して、神様を解放するところから“興国の種”が……。興国の種です。分かりますか? “亡国の種”、“興国の種”というのです。 ここは、皆、日本の食口ではないですか? それでは、日本語でなければ分からないではないですか? その耳に着けているものは何ですか? (通訳を聞くための)イヤホンが何ですか、イヤホンが? それは、堕落の贈り物です。堕落がもたらした状況です。言うに及ばない恥ずかしいことです。 神様を中心として一体圏にならない以上は、日本に生まれたことは、恥ずかしいことです。その恥ずかしさをとめる何ものもありません。それを、そういう立場で、日本が世界の基準となることはできません。だんだん、だんだん、そこが崩れてなくなってきます。何のことか分かりますね? 「私のもの」と、言ってみてください。(「私のもの。」)そのように「私のもの」と言っている者たちは、強盗団よりも、宇宙を破壊した元凶よりも、もっと極悪な悪党の群れです。それが、「私のもの」と言っている群れです。神様を中心として見れば、そのとおりです。 それは、いくら女性としてりっぱでも、いくら男性としてりっぱでも、そうです。受け入れますか、受け入れませんか? “受け入れない”という人は、手を挙げてください。“受け入れる”という人は、手を挙げてください。知っていることは知っているのですね。 ヨーロッパの人たちも、全員イヤホンで聞いているのですか? このように複雑です。だれが、このようにしたのですか? 神様は、このようにはされていません。だれですか? サタンと、“私”の父と母が、このようにし、“私”の先祖が、このようにしたのです。先祖たちです。 いかなる者であろうと、自らが堕落の子孫であることを否定することはできません。それは、正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です。」)深刻な話ですか、深刻でない話ですか? (「深刻な話です。」) わたしが一つ尋ねてみるので、“正しくない”と思う人は、手を挙げてください。一方通行で、すべて終わるのです。悔い改めなければなりません。きょうは何の日ですか? 開天節です。開天節と皆さんと、何の関係がありますか? 神様の所有圏がありません。日本が、神様の国ですか? 日本の文化が、神様の文化ですか? (「違います。」)米国が神様の国ですか? (「違います。」)韓国は、神様の国になっていません。それらをすべて引っ繰り返して、直さなければなりません。今、希望がありません。 文先生が、うそをついているかもしれませんが、文先生以外には、本当に希望がありません。一切の希望がないということを知らなければなりません。すべて放棄してしまいました。皆さんも、わたしがサインするまでは、そのままで天国に行くことはできません。事実かどうか、霊界に行ってみてください。 もうすでに、神様王権樹立を成就させたでしょう? (「はい。」)神様王権樹立を知っていますか、知りませんか? (「知っています。」)どれくらい知っていますか? 神様くらい知っていますか、先生くらい知っていますか? それとも、何も分からずに地獄に行ってしまう人くらいしか知りませんか? そのような人が、王権と何の関係がありますか? それは、うそのようですが、事実です。うそだと思うならば、先生の言うことがうそかどうか、死んでみてください。事実です。百発百中、すべて当たるのです。ですから、避ける所がありません。すべて引っかかるようになっています。 先生は、それを解放してあげようと、千辛万苦の苦労をして、ありとあらゆる精誠をすべて尽くしました。それを、“自分たちを滅ぼすためだ”と思うのですか? 先生は、この“亡国の種”の日本を、エバの国、母の国として選びました。 母となることができる基台とは、何ですか? すべてを失ってしまった世界において、息子として“私”を主張することができ、娘として“私”を主張することができ、父母として“私”を主張することができる権限をつくってあげるのが、エバ国の使命です。ただ隠しておいて、エバ国になれますか? 女性は、嫁いでいって息子、娘を生み、義理の父母の世話をきちんとして、嫁と 姑 間の不和な環境を自然に天国にすることができてこそ、嫁いだ嫁としての責任を果たし、ひいては母の役割を果たしているかどうかということにもなるのです。それなのに、天の国の母の役割が簡単でありえるでしょうか? しっかりしなければなりません。 “わたし”を主張することができない、かわいそうな神様です。それなのに、皆さんは、「私のもの」、「私たちのもの」、「私たちの国」と言っています。そのようなものは、火をつけて爆破して全滅させても、神様の恨は解けません。 それを文総裁が抱えて身もだえしているので、わたしゆえに滅ぼすことができないのです。それは、わたしが神様のことを、あまりにもよく知っているからです。神様の心情をあまりにもよく知っているからです。 そのような息子が、このようになってしまった世界をつかんで「解放してみせる。」と言うので、神様は涙を流されながら、その後をついて来られ、涙をふいて「さあ、また行こう、また行こう。」と言われるのです。そのようにして、今まで来たのが復帰の道です。しかし、神様が「また行こう。」と言われるのは、神様が喜んで言われる言葉ではありません。 そのようにしてでも二重の恨、千年、万年、継続した恨の峠を断ち切ろうとして、そのようにしてこられたという事実を知らなければなりません。かわいそうな神様、かわいそうな真の父母であるということを知らなければなりません。それは、夢のような話でしょう? 皆さんには分かりません。 それで、皆さんが祈祷するときに、どのように祈祷しますか? 日本のメンバー? 何を中心として祈りますか? 「祝福の中心家庭、◯◯の名前で……。」と祈る、その祈りは、お祈りではありません。祈りというのは、堕落圏に必要なものです。ですから、それは、「懇切に報告申し上げます。」と言うのです。それは、報告です。 昨日よりきょう、いいことがなければ、報告することはできません。昨日みたいな状況では、永遠に埋めることはできません。前進の発展を目指さない以上は、そうして神の理想郷に発展して、これをだんだん、だんだん接ぎ木して発展していかない以上は、祈ることはできません。そのような立場が、祝福の中心家庭の立場であり、「祝福の中心家庭だれそれの名前で祈る」ことなのです。 十年前といかに違ったか? 昨年と今年、いかに違ったか? そのままの状態で、そういう祈り、報告をするのは、無礼です。それは、無礼の言葉の上塗りになってしまい、重荷の罪を背負う以外にないという悲惨な状態で終わることになるのです。そのようなことを考える者は、日本にはいないでしょう? 話している内容はいいのだけれど、その内容の根底においては、鉛のような重りが引っ掛かってしまうことになるのです。分かりますね。(「はい。」) ですから、神様に対して“私”を主張することができるような状態にしてください、というのです。 ところで、そのようにすることができる相対は、違います。息子に対して、「おい、息子よ。」と言い、神様と息子二人であっても「私たち」という言葉は出てきます。 しかし、その二人がいても、そこに国があるわけでもなく、家庭もありません。ですから、息子と娘がお互いに「私たち」と言うことができる、そのような完成したアダムとエバがいなければなりません。 その二人を中心として愛で一つになるとき、初めて神様の愛を中心として、その中心で神様と二性性相が平面的基準において一つになります。軸が左側に行っても、女性を通して男性が、ぴたっと真ん中に立って、アダムとエバが左右を成すのです。 それが、神様が「わたしたち」とおっしゃることができる“私”なのであり、そのとき、その“私”も、神様の御前で「私たち」と言うことができ、「私たち夫婦だ。」と言うことができるようになります。そのようなところにおいて“私たち”が生じるのです。 本来、“私たち”とは、家庭基盤以上で成立します。男性でも女性でも、おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分たち夫婦の三代の四位基台を経て、四代目に息子、娘を中心として初めて種ができ、それを植えることができるのです。 家庭を中心として、“私たちの家庭”と言うことができる、そのようなところから“私たちの国”と“私たちの世界”ができるのですが、今まで、その“私たちの家庭”を捜し出すことができませんでした。 キリスト教の歴史は、“新婦”の歴史でしょう? 再臨する新郎と結婚する日のために、今まで準備してきたのです。それは、カイン、アベルです。そのようになってしまったものは、しかたがありません。しかたがないのです。 皆さんは、“私たちの家庭”を持っていますか? それは、サタン側ですか、神側ですか? (「神側です。」)何ですか? 今、話をしたのに神側ですか? 神様が「わたしの息子よ。」とおっしゃることができるようになっていますか? 十六歳で、アダムとエバが堕落してしまいました。いなくなったというのです。自分を見てみて、アダムとエバ以上の息子、娘になりましたか? なりましたか、なっていませんか? なれなかったので、神様の御前に「息子である。」と言うことができる立場まで行くことができていません。 ですから、真の父母を中心として、真の父と真の母を息子、娘として、初めて神様が「わたしたち」と言われる言葉が始まるということを知らなければなりません。そして、真の父母の家庭を中心として、「私の家庭」、「私たちの家庭」という言葉が始まるのです。つまり、真の父母と真の父母の息子、娘を中心として、初めて神様は、「わたしたちの家庭」とおっしゃることができるのです。 しかし、「わたしたちの国」は、ありません! 「私たちの氏族」もありません。先生は、これを編成するために世界に拡張して祝福してあげたのですが、この祝福がでたらめになっているでしょう? 皆、野良犬のようになってしまっています。まるで無人の境地です。 先生が祝福を受けるまでに六千年かかりました。しかし、それは聖書の主張であって、実際の創世からは、何千万年もかかっているのです。 今まで歴史は、“カイン、アベル”を解決するための闘争歴史を経てきました。それで、民主世界と共産世界、左翼と右翼に分かれたのです。 アダム家庭において堕落するときに、アダムとエバを中心として、右翼が何かというとアベルであり、左翼が何かというとカインです。弟が兄になり、兄が弟になってしまいました。これが引っ繰り返ったということです。それを元に戻すのは、どれほど大変でしょうか? 蕩減復帰であるとか、復帰摂理的な歴史観を中心として見るとき、歴史がそのように流れていき、世界がそのように流れていったということが分かるのですが、そのことをだれも知りません。統一原理を知ることによって、地上世界も天上世界もすべて、きれいに分かるのです。 このように恵みのあるものを教えてあげ、さらに歴史も、自分と世界を取り戻して主人の役割をすべき時代に入ってきたのに、自分自体を喪失し、自分の家庭を適当でない方向に引きずり回しています。そうしておきながら、それですべて成されたと思って、「真の父母が行く所に行こう。」と言うのですが、そのようにしては、行くことはできません。 今までは、楽園と地獄がありましたが、家庭的楽園と地獄が生じます。自分が成したとおりの所に行くようになっているのです。統一教会に来た人は、先生を通して上がっていきます。 李相軒氏の霊界からの報告で、霊界の実相を見れば、統一教会を信じて亡くなっていった、すべての統一教会の食口たちは、そこでの待遇が違うというでしょう? そのように上がっていくのです。 神様、そして先祖や霊界のすべての天使たちが協助して、皆さんが上がっていくことができるように、どんどん道を開いてくれるのです。分かりますか? (「はい。」)分かりますね? (「はい。」) 「私の夫。」と言ってみてください。(「私の夫。」)日本の女性がたくさん来たので、尋ねているではないですか? 「私の夫。」と言ってみてください。「私のだんな様。」と言ってみてください。言ってみてください。(「私のだんな様。」)言いましたか? そのだんな様は、本当に“私の夫”ですか? 本当に自分のだんなさんですか? サタン世界、堕落世界と何の関係もないですか? たった一つ、神様以外に関係がないという立場に立っただんな様になってこそ、そのときのエバにおいて「私のだんな様」と言うことができるのです。そのような立場ですか? だんな様たる者は、実際には悲惨な立場です。それを「私のだんな様」と信じる悲惨さを自覚することのできる日本のエバ国の家庭、女性というのは、一人もいません。 このように先生の言うことは、うそですか、本当ですか? (「本当です。」)本当ですか、うそですか? (「本当です。」)うそです!(「本当です!」)この者たち、先生の言うことは、うそです!(「本当です!」)本当です。それならば、本当にやってみてください。これから帰ったら、“本当のこと”をしてください。 心身一体圏を成し、神様の香りのする女性となって夫を感服させ、強くなって、自分のだんなさんがついて行かざるをえないようにしなければなりません。 そうして、神様がごらんになったときに、神様が法廷での弁護士のような立場で、その夫のために弁明し、保護してくださるようにならなければ、「私のだんなさん」と言うことはできません。それが、いかに、真剣なことでしょうか? 祝福を受けて生まれた子供は、“私の子供たち”です。そして、夫婦とともに育っています。しかし、それは、本当に神様の子供、“私の子供”と言えるような子供ですか? 日本の歴史や伝統を否定することのできない立場の日本人の夫婦や、米国の普通の暮らしをしている夫婦などは、天国の家庭でも、天国人の夫婦でもないではないですか? それが、神様が認めてくださるような父子関係を築き、神様の子供になることができるのか、ということです。そのような、とてつもないことを考えてみてください。 そのようなことを分かって批判してみるとき、ただ座ってご飯を食べて寝るということは、恥ずかしいことです。避けることはできません。そのような立場にある現在の自分という存在について、はっきりとした自覚を持たなければなりません。逆の方向に回って行く以外に、生きる道はありません。それは、理論的です。分かりましたか? (「はい。」) 先生が日本語で話をするので、韓国の人たちは、何の話か理解できません。だれが、このように面倒な状態にしたのですか? 今後は、韓国語が分からなければなりません。(「はい。」)韓国語が分からなければ、来ることもできないようにして、入ってくることができないようにします。 これからは、先生がサインをして、カードを作ってあげます。先生が作ってあげたカードがなければ、韓国の地に来ることはできません。自分の財産を売ってでも、間違いなく言葉を学ぼうと努力し、ご飯を食べずに断食してでも、一瞬のうちに……。子供たちは、六か月ですべて学んでしまうのに、今のようにしていては、六十年たっても学ぶことができません。 先生は、本当のことを言っています。本当のことを言っているのです。うそではありません。寝ぼけた、そのような話ではないのです。分かりましたか? (「はい。」)はっきり、はっきりと分かりましたか、分かりませんでしたか? (「分かりました。」) 明日になって、もう終了してみたら、今、はっきりと語ったことも、うそになってしまうかもしれません。もう大分、八〇パーセント以上は、うそになってしまうことでしょう。 皆さんは、その後も、習慣づいた日本的な環境の生活をそのまま続けるでしょう。玄界灘を越えてしまえば、“韓国で、先生の前に誓ってきたのだけれど、日本においては、いろいろな事情があって、しかたがない”と。そのように“しかたがない”と考えて、それはもう、地獄の奥地まで落ちてしまうのです。 ですから、新しく覚醒しないといけません。分かりましたか? (「はい。」)日本のことをよく知っており、日本の女をよく知っている先生は、日本語で警告します! (「はい。」)警告です。そのことを記憶してください。 ここにいる人たちは、韓国の人ですか? (「はい。」)韓国の人でも日本の人でも、何が異なるのでしょうか? 目を見ても同じで、鼻を見ても同じで、顔もすべて同じで、体もすべて同じで、男性も女性も、顔を見れば、皆、親戚のようなのに、何が異なるのでしょうか? ですから、言葉が異なるのが問題です。文化が異なるのが怨讐ではないでしょうか? 日本人と韓国人は、同じではないでしょう? 何が異なるのですか? 顔は、すべて似ているではないですか? 男性も女性も、同じものはすべて同じなのであって、何が異なるのですか? 文化が異なり、マール(言葉)が異なるのです。と言っても、それは乗り回すマル(馬)ではありません(韓国語では、「言葉」と「馬」は、同じ「」と書くことから)。(笑い)あなたは、なぜ笑うのですか? あなたは、韓国語が分かっているようですね? 言葉が異なるのに、言葉によって、言葉を通して知ろうとすれば、大変です。本一冊で済むことが、翻訳し、通訳することで何百、何千冊、何万冊になってしまうのです。 さあ、「私を取り戻そう。」と、言ってみてください。(「私を取り戻そう!」)“私”を取り戻して、何をするのですか? “私”を取り戻してこそ、神様が“私”に対して「わたし」とおっしゃることができるのです。“私”を取り戻してあげてこそ、神様が“私”に対して、「おい! わたしの息子よ。」とおっしゃるのです。 女性においても、そうです。“私”を取り戻してこそ、神様が“私”に対して、「おい! わたしの娘よ。」とおっしゃることができるのです。そうして、「わたしよりもりっぱだ。」と言われるのです。それは、神様よりもりっぱだということです。 そのとき、神様を“お父様”と思うのです。神様をだれだと思うと言いましたか? だれだと思うというのですか? (「お父様です。」)お父様とは、何ですか? 父母の愛と引き離そうにも引き離すことができない関係を持ち、生命と根源関係、血統と根源関係を結んでいます。その三つのうちの一つだけをもって生まれた存在はありません。その三つが一つになって、生まれるようになっているのです。 そのような“私”なのです。その次は、何ですか? 男性ならば、そのような女性をつくらなければならず、女性ならば、男性をつくらなければなりません。 ここの人たちも、イヤホンを持っていますか? (「英語は、だめだそうです。」)英語では聞けないのですか? (「……。」)このような集会には準備しなさいと言ったではないですか? あなたは、きちんと聞き取れるので問題ありませんが、千里万里の遠い道のりを訪ねて来て、言葉も理解できなくて、どうするのですか? 英語が分からないのですか? 韓国語を学びますか、英語を学びますか、日本語を学びますか? (「韓国語です。」)なぜですか? (「学びやすいからです。」)なぜですか? なぜ、学ばなければなりませんか? 真の父母に従っていこうとするので、真の父母のようになろうとするので、真の父母が願う人になろうとするので、そのようにするのです。通訳では、七〇パーセントにしかなりません。学問の世界でも、すべて原本を読み、一つの単語でも原本を読んで理解している人が、通訳を通して理解している人を凌駕するのです。 さあ、「きょうを期して、私は間違いなく、三年以内に韓国語を完成する。」、それとも「できない。」、この二つのうち、どちらですか? “できない”という人は、手を挙げてみてください。それでは、“する”という人、手を挙げてみてください。三年以内です。ここは、いないのですか? (笑い) 韓国の食口は、英語と日本語を学ぶのです。(「はい。」)それとも、苦労しないでさぼろうというのですか? 学びなさい、というのです。しなければなりません。原本を読まなければなりません。翻訳したものでは分かりません。 わたしは、日本語が上手で、英語も分かる人ですが、それらの言語は、韓国語には及びません。神様が、かわいそうな韓民族に偉大な言語を与えてくださったのです。韓国語では、四十九億とおりの発音ができます。ですから、どの国の言葉でも発音できないものがありません。宇宙にある音声を、すべて発音できるのです。これから、韓国語さえ勉強すれば、……。 もう先生は、八十三歳のおじいさんですが、五、六十年前に学んだ日本語を話しても、聞き取れるでしょう? (「はい。」)発音が良いのです。(「良いです。」)それでも、あるときは、「おかあさん」の「か」を忘れて「お~! さん」と言うときもあります。 ぼけたおじいさんは、「お母さん」であるか何であるかを忘れて、「おおおお、(笑)かあああ。」と、捜して回るのです。そのような年齢の先生であるにもかかわらず、六十年前に使った日本語を堂々と語って、皆さんの耳に逆らわず、聞き取ることができるような話をし、発音するということは、偉大なことです。(「はい。」)ですから、この韓国語を完全に勉強して、流暢に話せるようにすれば、世界の言語を語ることは問題ありません。 日本の宣教師と比べると、韓国の宣教師は、その国の言葉を習得するスピードが、三倍以上早いのです。ですから、外出して、一日の間、新しく覚えた言葉をハングルで書き取ってきて、夕方、家に帰ってから写し、それを朝になってそのとおり読めば、その国の人も皆、その言葉を聞き取ることができます。 けれども、日本の宣教師が、その国の言葉の発音をカタカナやひらがなで書き留めた場合、それを何回発音しても、「何? 何?」と聞き返されてしまうのです。その音は、聞き取ることができません。 ですから、日本の宣教師が海外に一度行って、そのような環境に追い詰められ、それが三回以上重なった場合には、もう、口は永遠に閉じてしまうのです。そうして、語ることができなくなってしまうのです。韓国の宣教師は、もういくら長いのを書いても、みんな聞き取ることができます。 そのようなりっぱな世界一の言葉が、隣国の地にあるということを無視した場合、そのような日本人は、将来は、世界の外交圏において、皆、ぺちゃんこになるのです。 韓国人と日本人とでは、外交の世界においては、日本人は韓国人に負けます。まず、腹において負け、言葉において負け、そして外交において負けてしまいます。 日本人は、小さいのです。お土産を上げるとき、韓国人ならば、いっぺんにたくさんのお土産を上げようとします。日本人は不思議です。(笑い)十ドルの出費ができないのです。そうして五ドルか三ドルか。韓国人であった場合、そのような土産は、持っていくことはできないのです。 韓国では、お父さん、お母さん、あるいはおじいさんの所を訪ねるような場合には、一年のうちで最高のもの、一年の中で使った最高基準を標準として土産を贈るような姿勢を持つように、伝統的に修行してきているのです。ですから、日本は外交世界において韓国にかないません。日本は、将来、困ることでしょう。そのようにして、韓国人に外交で負けてしまうのです。 ちゃんと「島国根性」という話があるではないですか? (笑い)それに比べ、“大陸根性”とでもいうべきものは、特別です。そのような立場が違うのです。 ですから、日本の女性たちは、日本人と結婚したらだめです。(「はい。」)最近の研究報告では、男性の精子の数が、通常は、三億を超えないといけないそうですが、もう、ずっと一億五千万から七千万くらいまで落ちているということです。 それは、韓国人蔘を食べないと、補充ができないといううわさです。(笑い)本当です。専門家が言っているのです。(「はい。」)それで、もう高麗人蔘はそんなにたくさんないので、一生涯食べる分、トラック一台分買っておかなければ、それは、後孫が、もうずっと生まれてこないかもしれません。 ですから、日本の女性は、韓国の男性と結婚するのが、神様から贈られた、それはもう最高のお土産であるということになります。(「はい。」)(笑い)けれども、それは、いくらお嫁に行ったといっても、そこで子供を生めば、それは日本の子供を生んだことになるのです。韓国人であれば、韓国人を生むのです。 韓国人は、国境を超越することなどは、問題ありません。国境を越えて、一日に三つの国を行ったり来たりします。それは、訓練されているのです。日本も自由に行くことができます。 先生も、統一教会の教主であるので、今、日本や中国、ロシアを行ったり来たりすることは、問題ありません。国境圏内に包囲されているものを、解放圏の旗を揚げて、どこへ行っても、万歳の歓声を上げて、国境を堂々と越えるのです。そのようにして、一回、二回行った場合には、皆、友達です。分かりましたか? (「はい。」) 先生は、不思議な内容のことをたくさん知っているのですが、その内容をすべて知ったら、“韓国人は恐ろしい”と思うかもしれません。先生が、そのような腹と恐ろしいほどの能力を持たなければ、これはもう、どこでも勝つことはできないのです。 分かりましたか? (「はい。」)日本の女性たち。どうですか? 「日本の女さん」、「日本の女様」、どちらがいいですか? (笑い)「様」、「さん」、どちらがいいかと聞いているではないですか? (笑い)「どちらでもいい。」と、そのようなことでは困るのです。 「様」と言えば、神様です。それで「女様」とは、神様の妹になるようにつけられたあだ名、ということになります。ですから、「女様」と言われれば、“いやあ、神様の妹の名で呼んでくれるなあ。ありがとうございます。”と、悔い改めなければならないのです。それも皆、分別しないで、「◯◯さん」とか、「◯◯様」などと使っているのでしょう? きょうの説教の内容は何だと思いますか? 先生は、きょう、重要な話をしました。それは、神様を中心とした“私”というものについてです。“我”という環境を持たれない神様の御前に、自分自身が、“自分”と“自分の家庭”と“自分の国”を持ったということになれば、それは無礼千万ということになります。分かりましたか? (「はい。」) それでは、日本が持っている万物は、日本人の万物ですか、神様の万物ですか? (「神様の万物です!」)“神様の万物である。”と考える者が、日本人の中で何人ぐらいいるでしょうか? 皆さんの中で何人ぐらいいるでしょうか? 率直に比較対照してみた場合、何人ぐらいいますか? 自分のものと思いますか、神様のものと思いますか? (「神様のものです。」) “神様のものである。”と思ったら、自分の体まで神様のものです。これはもう、男の体も、女の体も、神様のものです。自分のものではないのです。神様の国のために奉献すべき、貴い宝であり、道具なのです。 それを、自分のものを勝手に使うことによって、フリーセックスができるのですか? 定まる所のないホームレスペアを作ることができるのですか? 絶対できる、できない? (「できません。」)で、き、る。 (「できません。」)で、き、る。(「できません。」)で、き、る! (「できません!」)で・き・る! (「できません!」)で、き、る! (「できません!」)永遠にやっても、先生が負けます。(笑い)いくらデモをやったとしても、共産党が何百人のデモをやったとしても、真理には負けるのです。 共産党は、デモをやって、統一教会は大会を行うのです。この大会は世界的です。お母様も日本で東京をはじめとして大会を行い、講演をします。 ですから、今度帰れば、自分の一族の大会を行うのです。その数多くの氏族、一族を合わせて、民族大会を行い、市の大会、県の大会、国の大会と行って、全国で一族を皆、動員せざるをえないようになったら、その国は、神様の方に献納することが可能になります。そのような便利な時代になってきました。 それは、反対しうる立場にあるサタンでもできません。先生は、具体的、理論的に教えます。サタン側は理論的ではありません。頭と後ろが合わないのです。頭と中間と後ろというように三等分すると、皆、別々になるのですが、先生の教えは、一つになるのです。それは、一方通行です。言ってみてください。(「一方通行。」)本当ですか? (「はい。」) 先生が、今から五十年前に、秘密に内緒で話した内容を、今、世界的に話しています。それを今、みんな公開しても一方通行で通じます。真理というものは、変わらないのです。しかし、世界は、そしてサタンは、皆、変わっていきます。根と枝も幹も変わってしまいます。 そこで、枝を切ってしまい、幹も切ってしまい、根、中心の根まで切ってしまい、否定してしまうのです。そのような滅亡の世界を前にした、この限界をいかに消化していくか、いかに自分自身、覚悟をし、自分の家庭を覚悟するか? そのように、簡単な問題ではないのです。分かりましたか? (「はい。」) さあ、きょうは、何の話をすればいいですか? (「真の愛!」)(笑い)何ですか? (「『真の愛』です。」)どのようにして真の愛を訪ねていくのですか? 真の愛を訪ねていくためには、真の愛が目に見えなければならないでしょう? しかし、真の愛は、目に見えないのです。見えないところを、どのようにして訪ねていくのですか? それは、自分を中心としては、永遠に訪ねていくことはできません。自分を犠牲にし、自分を否定し、相対のために生きるところにおいてのみ、真の愛の芽が出始めるのです。 なぜ、そうなのかというと、真の愛の前には、相対のうち一人だけでは、芽を出すことはできないのですが、神様の代身の立場に立ち、ために生きてあげる主体の立場に立っていれば、そこには芽が出てくるものなのです。分かりますか? (「はい。」) 主体がいて、相対の立場で、ために生きてあげれば、その主体に芽が出てくるのです。簡単です。ですから、「死なんとする者は……」何ですか? (「『生きる』です。」)「生きる」です。死なんとすれば、地獄までも撤廃することができるのです。それでは、「生きんとする者は……」何ですか? (「『死ぬ』です。」) 生きんとすれば、だんだんと地獄に加担していくのです。それは、百八十度反対です。善悪は、行く道が百八十度反対の方向であり、出発地と行く目的とが異なるのです。 それで、真の愛の定義をすべて下しました。見てください。目は、鼻が必要ですか、口が必要ですか? 尋ねているではないですか? 目は、鼻が必要で、口が必要で、耳が必要で、手が必要ですか? 尋ねているではないですか? (「必要です。」)どうして必要なのですか? 男性には四肢五体があり、女性にも四肢五体があるのですが、その四肢五体の焦点を合わせるものが愛です。ですから、目の焦点、耳の焦点、口の焦点、それから手の焦点、男性の焦点、女性の焦点を合わせることができるものが、愛なのです。 目自体が焦点を合わせれば、今度は、その周辺のにおいをかぐ焦点を合わせたくなります。愛する人が目の前にいるのに、ただ見ているだけですか? それとも、くんくんとにおいをかぎますか、かぎませんか? (「かぎます。」) それから、今度は話をしたくなりますが、そのとき、相手の話も聞かずに、ひそひそと面白い話を夜通し一方的にしたいですか? 聞きたいし、話したいでしょう? (「はい。」) ですから、目が必要であり、鼻が必要であり、口が必要であり、耳が必要なのです。そして、いくら目や鼻や口が必要であり、耳が必要であっても、手がなければ、どれほど悲しいでしょうか? 愛する人が目の前にいるのに、見ているだけですか? 愛する人に触れるとき、顔でこするのですか? 手があって、「ああ、この耳は美しいなあ。ああ、この鼻はきれいだなあ。ああ、この唇は、鳩のくちばしよりももっと美しいなあ。ああ、この頭が良く、この体が良いなあ。」と言って、なでてあげるのは、だれがしてくれるのですか? (「手がしてくれます。」)手がしてくれるのです。 そして、男性のものと女性のもので、何をするのですか? 焦点を合わせますか、合わせませんか? (「合わせます。」)焦点を合わせるためには、全体のために生きて、全体が必要とする最高の焦点基準に立ち、その場において全体が一つになるのです。 そのようになってこそ、私の体自体が、数限りない無数の細胞が喜び、四肢五体が、「ああ、良い」と言って喜ぶのです。顔も喜び、目、鼻、耳、喜ばないものがありますか? このようになるとき、目だけが笑いますか、鼻だけが笑いますか、口だけが笑いますか、耳だけが笑いますか? 体が笑って、「はははは。」と言うとき、鼻もぴくぴくするでしょう? (「はい。」)目も開いたり閉じたりし、耳もぴくぴくし、手もじっとしていないで、このようにするのが真の愛です。 そして、永遠に、永遠に、永遠に終わることなく、その刺激がどんどん、どんどん、行けば行くほど強い刺激を加えてくれ、宇宙的な愛までも接ぎ木することができるものが真の愛なので、真に愛して、それを感じれば、死んでも止めることはできません。アーメン。(「アーメン。」) そのようになれば、監獄に入っていっても、幸福な人になり、どこに行っても、死の境地に行っても死にません。そうして、解放的神様の特権的基準において、神様が願われる以上の位置までも、“私”が復活圏を持っていってさしあげることができ、それをもたらすことができる人になるのです。それ以上幸福な人が、どこにいるのでしょうか? 分かりますか? (「はい。」) さあ、きょう、この十三周年の「世界統一国開天日」ですが、十三数は……。今年の一月十三日は、何の日でしたか? (「『神様王権即位式』です。」)「神様王権樹立」です。十三数は、春夏秋冬、四季の十二か月を中心として見た場合、中心数です。 そして、きょうの「世界統一国開天日」も、制定後、満十三周年であり、十四回目になりました。このように、すべて合っているというのです。そして、神様王権樹立をしたときから、今年一月から九月を経て、十月の開門をする三数、それがきょうです。いつでも三数を区別し、新天地に大きく区別をするのです。このように、いつも三日であるとか、三年であるとか、三十年が問題になるのです。 きょうが、何日ですか? 十月何日ですか? (「三日です。」)明日は、何日ですか? (「四日です。」)四日は、何の日ですか? (「……。」)明日も、開天節ですか? 何の開天節ですか? 天の門が開いて、先生が西大門刑務所から出てきた開天節の日です。そのようになるのです。 それでは、十四日は何の日ですか? (「以北出監日です。」)興南監獄において、天地の門が開いて、そこから出てきたのも開天節です。皆さんが死んで、昇華式をするのも、自分の開天節です。天上天下に行くことができない所がなく、すべてが“私”の所有に転換され、それを“私”の懐に抱いて遊び回るのです。言葉だけ聞いても、気分が良いでしょう? (「はい。」) さあ、「ために生きる人は滅ぶ」のであり、「自分のために生きる人は発展」します。(「違います。」)違いますか? (「はい。」)では、文総裁が、「皆さんは、永遠に先生のために生きて死になさい。」と言えば、どうですか? (「……。」)何ですか? (「死にます。」)先生は、どうですか? 皆さんが、「死になさい。」と言って、わたしが「死なない。」と言えば、それは、一つになっているのですか? 何が、熱意をもって一つにさせるのですか? 真の愛です。真の愛があるところは、永遠と瞬間を分けることはできず、瞬間と永遠とが、いつでも同参することができ、一緒に同居生活することができ、相続が可能なのです。それが貴いのです。何が貴いのですか? 真の愛です。 さあ、今、時が来ました。皆さん。今、統一教会は統一教会ですか、統一国ですか? (「統一国です。」)何ですか? 統一家庭ですか、統一教会ですか、統一国ですか? (「統一国です。」)統一家庭にもなるのです。統一教会にもなるのです。統一国にもなります。 それは、なぜでしょうか? 教会というものは、氏族を中心としての代表です。ですから、超宗教というときには、そこには民族がありません。一つしかありません。そのことを知らなければなりません。 それゆえに、宗教の根は一つです。神様の真の愛です。数多くの宗教も、このことを知りません。ですから、霊界についても、真のご父母様が教えてあげたすべてのことは、結局、“神様は、どのようなかたであられるのか?”という根につながっているのです。そして、それは「“私”のお父様だ」ということです。 神様が、どのようなおかたなのですか? (「“私”のお父様です。」)“私”のお父様なのですが、だれが、そのお父様に似たというのですか? だれがですか? もう、祝福を受けて、すべて知っているので、はっきりと教えてあげます。“私”の家庭が、神様の祝福家庭であり、その中心家庭であるので、神様を先生よりももっとよく知っているのが、夫ということになるのです。そういうことではないですか? 先生と一緒に走れば、負けますか、勝ちますか? オリンピックのチャンピオンが、万年チャンピオンになろうというのは、どろぼうでしょう? 記録を破らなければなりません。そうではないですか? 記録を破らなければならないでしょう? (「はい。」)破る自信がありますか? 分かりますね。(「はい。」) 先生が、すべて個人から家庭、氏族、民族、世界、神様まで往来することができる道をつくったとすれば、そのような世界の国、天の国、統一の国は、まだ成し遂げられていません。 皆さんの国、百二十か国、百八十か国以上を連合して、一つにするようにしてこそ、世界の国家は、自動的に形成され、自動的に完成され、また、天地も、自動的に統一されるのです。問題は国家です。分かりますね? (「はい。」)分かりますか? (「はい。」) 先生が、神様の王権を樹立して神様を解放してさしあげ、蕩減条件的基盤の上において、歴史上の各時代で失敗したすべてのことを再び勝利した条件の上に立てておくことによって、どのようなことが起きるのでしょうか? 神様が勝利された条件基盤に従って、その橋に従って個人から天上世界まで、思いどおりに上がって行ったり下がって行ったりすることができるようになるのです。しかし、それは、自動車に乗ったり、飛行機に乗ったりして、行ったり来たりすることはできません。分かりますか? (「はい。」) それでは、皆さんが、飛行機に乗って行ったり来たりしようとすれば、どのようにしたらよいのでしょうか? そのためには、数多くの国が合わさって、一つの国にならなければなりません。空中には、どこにでも道があるでしょう? それと同じことです。天地には、どこにでも道があるのです。同じことです。 皆さんの国々が合わさって、世界ができます。そのように世界が合わさって天地ができるのですが、国まで満たせば、すでに国と世界に行く道が築かれているのです。それゆえに、国の完成者は、世界に接ぎ木すれば自動的に存在し続け、一瞬のうちに天上世界まで連結することができるのです。分かりますね? (「はい。」) それで、今回、アラスカのコディアクで修練会をしようとしたのですが、それを済州島に連れてきて、十四日間、修練をしました。そのとき、先生は「決断する」と……。最後に、わたしたちは、どのように生きなければならないのでしょうか? そのとき、先生は、「自然に帰ろう」という、このような話をしました。分かりますか? (「はい。」) 今から皆さんは、自然と一つにならなければなりません。自然とです。分かりますか? (「はい。」)自然と一つになるためには、水の魚と一つにならなければなりません。 神様は、天地を創造されるときに、水の魚を先に創られたでしょうか、陸地の動物を先に創られたでしょうか? 何ですか? (「魚です。」)魚なのか動物なのか、わたしも分かりません。「水があり、土がある所には、必ず動物が生まれる。」と言うのですが、水には魚がすみ、陸地には動物がすむようになっています。 動物は、何種類いますか? 昆虫がいて、そして鳥類がいて、動物がいるのです。昆虫は、足が何本ですか? (「六本です。」)六本です。それから、鳥類は、脚が何本ですか? (「二本です。」)二本です。それから、動物は、脚が何本ですか? (「四本です。」)人は何本ですか? (「二本です。」)二本です。 鳥と動物と人では、どれが主人ですか? (「人です。」)人も、「四肢」と言うように、手足が四本あるでしょう? (「はい。」)四本あるのですが、鳥も、よく見れば六本あるのです。捜してみてください。すべて同じなのに、人だけがまっすぐに立つのです。 それは、なぜでしょうか? 陸地世界においても、深い所に入っていって、そこに立ち、最後に見渡して合図を送ることができるのは、鳥でもなく、動物でもありません。分かりますか? じっと見てみれば、動物も、水で泳げば、すぐに泳ぎます。人はどうですか? 人が入っていけば、立って遠くを眺めるのです。人が立つということは、知っているでしょう? 立って泳ぐということも知っているでしょう? そのように、人間は、すべての面で異なるのです。ですから、人が中心なのです。 ですから、堕落とは何かというと、人間が自然の主人になることができなかったということです。そうですか、そうではないですか? (「そうです。」)朝、魚たちが、「ああ、ご主人様。グッドモーニング。お早うございます。」と言うのです。 「お早う。」は、「早く仕事をします。」ということです。「早く仕事をして、休んでください。」と言うのです。ですから、「お早うございます。」の「ござい」というのは、「御座居」と書いて、“座って休みなさい”ということではないですか? そうではないですか? それゆえに、最も重要なことは、だれが自然と密接に暮らしているのか、ということであり、それが、宗教世界において必要な生活なのです。ですから、魚を愛し、昆虫を愛し、鳥を愛し、動物を愛し、それから、そこで愛の訓練を受けることによって、人間を愛するのです。 人を愛することは、動物よりも、昆虫よりも、植物よりも、自然界全体を愛することよりも、もっと愛さなければなりません。 ですから、男性は、自分の妻を自然を愛する以上に愛さなければならず、父母は、自分の子供を自然を愛する以上に愛さなければならず、また、子女たちも、父母を自然を愛する以上に愛さなければなりません。そのようにすることができれば、神様の理想的な主人として、その資格が完結するのです。アーメン。(「アーメン。」) さあ、そのような世界の主人となって暮らしたいですか? それとも、そのような世界の主人になろうと、それを見習って努力しながら暮らしたいですか? 皆さんは、主人になって暮らしたいのですか、主人になろうとして暮らしたいのですか、どちらですか? (「主人です。」)主人になろうとすれば、神様と同じ立場に立たなければなりません。すべてのものは、神様を主人にしようとするのです。 ですから、自然に帰りましょう。それでは、帰って、何をしようというのでしょうか? 水に住む魚も、また、水自体も、そして土地自体も、木や植物、動物も、いかなる存在であろうと、モデル的な主人の資格を持った主人にならなければなりません。そのように生きなければなりません。 そして、皆さんは、そのような自然の前に、植物を見ても恥ずかしくなく、動物を見ても恥ずかしくなく、魚を見ても恥ずかしくなく、すべての自然の前に恥ずかしくない主人とならなければなりません。 植物、動物、魚の世界では、どのように暮らしているのですか? そこにも雄と雌がいます。知っているでしょう? (「はい。」)雄と雌がいるのです。昆虫にも、雄と雌がいるでしょう? (「はい。」) 最近では、病原菌までも雄と雌がいて、子どもを産むということが分かったということですが、顕微鏡で拡大しなければ見ることができないそのような世界でも、お互いに愛し合って子どもを産んで暮らしているというのですから、驚きです。 顕微鏡で拡大すれば、細菌を見ることができるというのですが、その細菌のすむ世界は、どれほどの大きさでしょうか? それは、すべて見えるでしょうか、見ることができないでしょうか? (「見ることができません。」)そのような微細な世界でも、雄と雌が愛することができますか、できませんか? (「できます。」) それでは、昆虫は、キスするでしょうか、しないでしょうか? (「します。」)見たのですか? 見ても見なくても、すべて分かるようになっています。キスだけするのでしょうか? ちゅっちゅっと吸ったりもします。一度言ってみてください。「ちゅっちゅっと吸ったりもする。」ということです。(笑い) それでは、皆さんは、愛する人の十本の指を、二十四時間ずつ、例えば小指をちゅっちゅっと吸いながら、「ああ、本当に砂糖よりも蜜よりも、もっとおいしい。」と言って、ちゅっちゅっと吸ってみましたか? そのようにして、夫が喜んで吸ってくれるのを妻が見るとき、気分が悪いでしょうか、気分が良いでしょうか? 気分が良くて、見開いていた目が、だんだん、だんだん小さくなって細い目になり、「ああ、天下のすべてが思いのままだ。私は、居ても居なくても無事通過だ。」と言って愛し合い、あまりにも気分が良くて、眠りながら忘れてしまうのです。 新郎の夫たちは、妻をそのように幸福にしてあげたことがありますか? (「はい。」)(笑い)なぜ一人だけでおかしな答え方をするのですか? 「今まで、そのようなところに欠点が多かったので、先生が、そのように言えば、自分が最初に答えようと思って『はい。』と答えた。」と言うのですか? (「はい。」) それでは、妻のどこが一番きれいですか? おしりが一番きれいですか、ほおが一番きれいですか? (「すべて良いです。」)どこが一番きれいかと尋ねているのに、「すべて良い」では零点でしょう? 皆さん。朝、空腹になって食事をするときに、トイレに行ってきて、そのまま妻の胸やおしりを触ったり、愛し合ったりしましたか? それをしてみましたか? そのようなとき、ほおよりも、おしりを触るというのです。 先生が、東京にいた時、都内を循環する省線(「鉄道省の路線」の略。「JR」の前身である「国鉄」が発足する前の旧称)がありました。そこは、朝になれば、若い男女や学生、老人、あらゆる人が集まるのですが、じっと見ていると、若者たちの群れができるのです。それで、腹黒い男性たちは、いつの間にか女性に近づいていって、その女性のおしりを触るので、女性たちが逃げていくのです。 ですから、「どうして触るのか?」と言って、けんかも始まり、ありとあらゆることが起きます。男性が、そのようにして女性のおしりを触るのを体験したでしょう? 日本の女性たち、どうですか? (「はい。」)体験していないのですか? 体験していなければ、大きいおしりを持っていても意味がないですね。 なぜ、女性のおしりは大きいと思いますか? 両手で触っても狭くないように、そのために大きくなっているということを知らなければなりません。そのようになっていてこそ、赤ん坊を楽に生むことができるのです。 赤ん坊ができない女性たち。夫が妻をうつぶせに寝かせておいて、腰をこすってあげるのです。あざができたときに、卵でこすってそれを消すような要領で、両手で熱が出るほど、触ってあげてみなさいというのです。そうすれば、冷えた子宮が温かくなって、すぐに赤ん坊を妊娠することができるというのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 天の秘密を知っている先生が、そのようなことを知らないでしょうか? そのことを知って話をしているので、一度、してみなさいというのです。そのようにすれば、奇跡が起きて、女性が子供を生むことができるのです。問題ありません。 “今から、自然に帰って、自然の主人になってみよう”という人は、手を挙げてください。“自然に帰って、主人になってみなければならない”と思う人、手を挙げてください。後ろの方は、手を挙げられないのですか? 今、挙げましたか? 主人になりますか、僕になりますか? (「主人になります。」)欲が深いですね。 さあ、それで、主人になることができる人は、今からどのようにすれば、主人になることができるのかといえば、“神様が創造された本然の世界に、「私」が帰ってきた”と、このように考えるのです。自然の中のパンタナールとは、どのような所でしょうか? そこは、神様が創られた天地創造のすべての“源焦的”な万物がそのまま存在し、“根源的”な万物がすべて存在し、「勝利を賛美することができる所は、ここしかない。」と言うことができ、愛することができる立て札を立てておいた所です。 パンタナールとは、そのような所なので、そこには“源焦聖地”があり、それから何ですか? (「“根源聖地”です。」)“根源聖地”があり、それから何ですか? (「“勝利聖地”です。」)“勝利聖地”があります。一度、行ってみますか、行ってみませんか? そこが、どれほど良い土地であるので、先生が“源焦聖地”や、“根源聖地”や、“勝利聖地”をつくったのでしょうか。そこには、ないものがありません。ないものがないのです。 先生は、五十代に、東西南北の名のある所には、すべて行ってみましたが、どこに行っても、そこにあるのは、すべて制限された動物や植物であり、環境も制限された所でした。ところが、パンタナールには、無制限な環境が展開しているのです。そこにある自然は、すべてペア・システムになっています。 「ペア・システム」という言葉も、統一教会から始まったでしょう? 知らずに使っていますね? 目もペアですか、シングルですか? (「ペアです。」)そのようにペアになっているものが一つになってこそ、機能するのです。 鼻も、一つだけ穴が開いていたら、どのようになるでしょうか? 鼻が詰まるでしょう? 唇が一ミリ、二ミリでもずれれば、話しづらくなってしまいます。耳も、内と外が共鳴して、お互いに授け受けするようになっているのです。 文総裁を見てみれば、顔も大きく、鼻も鼻筋が長めで、それに比べて目は、大きい鼻と合いません。目まで大きければ、どうなるでしょう? 支障が多いでしょう? 口は、どうですか? 先生の唇は、薄いのです。ここを見れば、唇がないようにみえるので、言葉が、玉のようにころころと転がり出てきます。ですから、話がうまいというのです。唇が厚くては、話を上手にすることはできません。 話の上手な息子、娘を生もうとすれば、胎教時代に唇を中心として、専門的に研究しなさいというのです。“上唇と下唇が細ければよい”と思って、そのような写真を見てキスをすれば、そのようになるのです。 先生の唇を見れば、話がうまいということが分かるのです。頭も、後頭部が、このようになっています。ですから、西洋人は、頭をこのように押さえて、丸くしなければなりません。 さあ、自然に帰るのですが、どこに行っても、ぴたっと合わせることができる生活をする人は、天国に行っても、その活動舞台の自然環境が、広くて大きいものになるのです。分かりますか? (「はい。」) ですから、「私は、本然の太陽に仕えてみよう。太陽は、堕落した世の中の見るに堪えないものを、どれほどたくさん見て生きてきただろうか? 地上の醜悪な人たちを照らすために、どれほど苦痛を受けただろうか? きょうは、私が解放的な太陽の光を見詰める主人の王である。だから、きょうは、いつもよりも先に太陽の光に接するために、明け方に一緒に起きて、最初に昇ってくる太陽の光に、私があいさつしなければならない。『グッドモーニング。』」と言ってみましょう。分かりますか? (「はい。」) それで皆さんは、詩のようなもので、朝に昼に夕に自然を賛美するのです。朝に対して賛辞したり、昼の十二時に賛辞したり、夕方の夕焼けを中心として賛辞するのです。それはなぜでしょうか? 自然界のすべての獣たちも、そのように暮らしています。獣たちは、夜になれば、休んで眠りに入るので、そのようにして賛辞をします。 ですから、朝は、今から生きるために出発しなければならないので、あいさつをしなければなりません。出動のあいさつ、休むときのあいさつ、それをして暮らさなければなりません。動物たちもそのようにするのです。 動物たちを見れば、鳥でも、どのような獣でも、太陽の光が昇ってくれば、歓喜の姿勢で羽をはためかせながら歓迎しようとし、夜になれば、すべて自分の家に帰ってきて、ばらばらにいた雄も雌も子どもも、夕焼けになれば、一つの巣に集まってくるようになるのです。分かりますか? 朝にあいさつをし、そして、昼になれば、皆、食べる物を探し回り、山、川、東西南北のどこでも活動し、食べる物を探して子どもを育て、自分たちも食べて生きていくのです。同じです。子どもが暑い所ばかりにいては、体が膨らんでしまって、収縮できません。ですから、強くないのです。 それで、つばめが、なぜ南方に行ってきて、春になって北方に訪ねて来るのかというのです。冬の季節に萎縮して、縮小しながら生命を残すために努力して、そこで子どもを産むことによって、強弱を兼ね備えることができるのです。そして南方にいた鳥類たちは、北方に向かって大洋を越え、山を越えて訪ねて来るのです。 魚たちも、そうではないでしょうか? サーモン(鮭)のような魚も……。「さけ」と言っても、それは、飲む酒ではありません。海に住んでいる鮭も、自分が父母から生まれた故郷を訪ねていって、そこで子ども(卵)を産み、冬で寒いのに……。 今の時期は、アラスカの鮭たちが、子どもを産むころです。鮭が卵を産んで、子どもが生まれる季節です。それは、十一月ころまでですが、一月まで延長されます。そのころは、一番寒い時なので、虫のようなものたちは、気温が合わないので、すべて暖かい海に流れ出ていき、寒い所には虫もいないし、何もないのです。 ですから、産まれてくる稚魚のために、親鮭が死んで、その体を餌にして育てるのです。やあ! これは、本当に驚くべき事実です。自然から学ぶべき事実が、どれほど多いか分かりません。 この机の脚のようなものも、曲がった木の枝が模様をつくります。自然の中から学ぶことがたくさんあります。家庭の家具を見れば、いすを見ても何を見ても、それらは、すべて自然の中から学んだものです。 ですから、自然と和合して、自然とともに生活環境を築いて暮らしていかなければならないのが、人間です。自然を無視する人は、信仰の道、修養の道、良心世界の道を行くことはできません。 さあ、それでは、“私”は、太陽を“源焦的”に愛することができる主人になりましょう。分かりますか? (「はい。」)遠い熱帯地方に行って、朝から昼、夜まで、暑い所で汗を流しながらいろいろなことを経験し、“私たちの先祖や兄弟は、このようなことを感じながら暮らしたのだなあ。これを、私が補強しなければならない。”と思って、それを補強することができなければなりません。 そうすることができてこそ、東西南北の四方を往来して休養所を持ち、趣味を補強しながら谷間を水平にすることができるのです。自然の環境に一致することができる訓練をしなくては、円満な人になることはできません。先生は、そのように思うのです。分かりますか? (「はい。」) そして、皆さんは、“私は、空気のような人になろう”と考えてみましたか? 空気は、生命の要素です。この空気は、すべて高気圧と低気圧になっており、一瞬のうちに訪ねて行くのです。訪ねて行きますか、訪ねて行きませんか? (「訪ねて行きます。」)気圧の差が大きくなるときには、北極でも南極でも、いかなる環境でも貫いて直行します。くねくねとは行きません。さっと、直線で走っていくのです。 自然は、低気圧と高気圧が、お互いに授け受けしています。空気は、お互いにバランスを取っているのです。ですから、風が吹いていない静かな水面、静かな貯水池の水と静かな木々と葉も、涼しい風が欲しい高温地帯になれば、風が吹いてきて、揺れなければならなくなるのです。そのように、すべて水平、平面基準を意図して運動するのが、空気です。 水も同様です。高い所にあるものは低い所に行き、大洋に出ていって水平を成すようになります。そうして、水平になった所で、冷暖の空気の温度の差によって、それは水蒸気となり……。そのようにして、空気は海を渉猟するのです。そして、陸地では、南方から吹いてきた風が大陸を訪ねて来るのです。これも、やはりバランスを取って動きます。分かりますか? 太陽の光も同様です。太陽の光を見てみれば、すき間があれば、入っていかない所がありません。壁に少しのすき間でもあれば、さーっと照らし込んでいくのです。 このように、浸透力が強く、どこにでも機能を発揮する性質を持つものは、生命の要素になっているのですが、太陽の光も同様です。太陽を見てみれば、東側も西側も、すべてバランスよく明るく照らしているでしょう? そうではないですか? 平面で明るい所は、その明るさは同じです。また、水も同様です。水も、高低差があれば、必ず水平に補強し、空気も平準になるように補強するのです。 その中で、一番の生命要素が何かというと、それは、愛です。ですから、愛は、空気よりも、水よりも、もっと密接で、太陽の光よりも、より狭いすき間にでも、どこにでも入っていくのです。 水には、付着力や表面張力というものがありますが、皆さんにも同じような力があるのです。毛細管作用のことを知っているでしょう? 木や植物の中でも同じ力が働いていて、すき間があれば、導管や篩管を通って、水分や養分が、あの高い所にある芽まで上がっていったり、下がっていったりします。それは、循環運動であるということができます。 一つの生命体を保存するためには、天の国の太陽がそのようにして世界を包括し、空気もそのようになり、そして、生命の動機を生じさせる水が、そのようにならなければなりません。東西南北どこにおいても、そのような平衡作用をすることができる基準は愛なのです。 ですから、水を愛し、空気を愛し、太陽を愛し、地を愛し、草を愛し、木を愛するところでは、いつでも、昼でも夜でも、その環境条件で区域化されたその自然環境によって、千態万象の平面基準、立体基準を合わせることができます。そのような調和への因縁が、自然の中にはあるのです。 それゆえに、今日の統一教会は、六十三歳になれば自然に帰ることを提唱するのです。分かりますか? なぜ「六十三」なのでしょうか? 六十歳が還暦だというでしょう? 「六」数は、平面的に六度、帰っていかなければならない、ということです。 それでは、「三」数とは何かというと、垂直になることです。家庭の垂直、国の垂直、世界の垂直が、天地の垂直を中心として立ってこそ、自分の一族が天上世界に行って、神様の玉座の前で功をおささげすることができる基台ができるのです。 すべての存在は、お互いが、そのように関連した関係を中心として、水平と垂直の因縁を中心として、調和して発展、存続することができます。ですから、わたしたちも、何種類にも区別された複雑多様な自然環境の世界に入っていって、縦横の度数を合わせなければなりません。 それは、神様の創造本性の世界に心が一致することができるようにすることです。自然に帰っていくことによって、自然とともに生きることによって、神様の代身として、主人の立場の近くに立つことができるので、“自然に帰ろう”と、このようになるのです。 それでは、きょうの開天節という日は、どのような日なのでしょうか? 天に通じることができる門を開くのです。それは、人に限ったことではありません。堕落によって、植物世界もふさがれています。本来は、愛を通して呼吸することができる環境なのですが、堕落することによって、逆さまになっています。上に上がっていかなければならないのですが、だんだんと地獄に落ちていくのです。 これが本然の過程に戻って、自然と呼吸することができる本性の神様の創造性を取り戻すようにならなければなりません。そうして、無限な愛のために、お互いがために生きてあげ、主人の立場でお互いが同情してあげるようになれば、我知らず、神様の人格に近づいていくのです。 そのようになることができるものは、自然しかありません。それで、“統一教会の教会員たちは、自然に帰ろう”というのです。分かりますか? 自然に帰るためには、宗教世界の最高の立場を超え、哲学世界の最高の立場を超え、超宗教の立場、超思想の立場をさらに超えて……。そのためには、統一思想を知らなければなりません。それから、左翼、右翼の世界において、神様を否定する無神論の世界を乗り越えて……。 自然界に無神論がありますか? ありませんか? 超宗教がありますか? そして、超思想がありますか? ただひたすら、真の愛一つで結ばれ、水と空気と太陽の光が協力して相和しながら、人間の生命体を構成し、その一生の路程を天国と連結することができるようにと働いているのです。 そのような理念が形作られているということが事実であるのにもかかわらず、わたしたちは、自由に従って、勝手に生きることができますか、できませんか? (「できません。」) 毎日のように飲むものは、何ですか? (「水です。」)水です。それから何ですか? (「空気です。」)空気です。それから何ですか? (「太陽の光です。」)太陽の光です。それから何ですか? 土です。植物です。植物の中に草も入り、木も入りますか? 木だけが植物ですか、木と草を合わせて植物ですか? (「合わせてです。」)合わせて言うのです。 それでは、皆さんが食べる朝食と夕食をじっと見詰めてみると、野菜の入っていない、植物のないおかずがありますか? (「ありません。」)また、肉が入っていなければ、「おいしくない。」と言うでしょう? 牛肉、豚肉、青魚、何々と……。 それは、だれのものですか? “私”のものですか、自然のものですか? (「自然のものです。」)自然のものですが、その主人は、だれですか? (「神様です。」)ですから、神様の息子になって神様を愛してこそ、神様が愛することができる万物を食べて生きるようになっているのです。 どろぼうの子女になり、サタンの血を受け継いだ怨讐となって食べれば、すべての万物が嘆息圏に入ることになります。万物嘆息、動物嘆息、人間嘆息、天上世界の永遠な嘆息圏を解放するためには、自然に帰って、神様の創造の本性的愛の心を持たなければなりません。 皆さん。芝生に行ってみてください。探してみると、ありとあらゆる虫がたくさんいます。それらの小さな虫が、皆、独りで生きていると思って見てみると、すべてペアになって、子どもを産んで生きているのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです。」) 皆さんも、子供を生みますか、生みませんか? (「生みます。」)ですから、子供を教育するためには、ああだ、こうだと言う必要はありません。「自然を見習いなさい」と言えば、よいのです。 自然界を見れば、雄が成長して雌を訪ねていき、雌が成長して雄を訪ねていき、ペアになって子どもを産みますか、産みませんか? (「産みます。」)春夏秋冬の季節に従えば、季節に合うように環境に従っていき、自然の環境レベルや地域を分別していきながら、そこに合わせて適応することができる自分の子孫を立てて、力のある子孫を残そうとするのです。 動物同士で二匹いれば、お互いに競争するでしょう? 雄同士で闘うでしょう? 決闘するでしょう? 北米には、エルクという大きな鹿がいますが、そのエルクは、二つの山に別れていた雄が出会うと闘って、勝ったほうに雌の鹿がついて行くのです。 春になって春風が吹けば、あちらの園の花びらが、こちらの園に来るようになり、こちらの園の花びらも、あちらの園に行き、そのように花粉が行き来して交流しながら、生命を繁殖させるのです。そのように、こちらの園とあちらの園の境界線によって分かれていたものが、春になれば、出会うようになります。 最近、皆さんがコディアクに行けば、山中でタク、タクと……。何と言うのでしょうか? 板をたたくような、タク、タクという音を聞くことができます。それが何の音かというと、雄の鹿同士が角をぶつけ合ってけんかしている音なのです。 そこには、わたしたちの鹿農場があって、わたしは、よく知っているのですが、その鹿はハーレムを形成して、雄一頭で雌を五十二頭もつれて暮らしているのです。やあ! 何頭ですか? (「五十二頭です。」) 二頭の雄鹿がけんかをすれば、いくら体格が大きくても、年老いたほうが、若鹿に負けるでしょう? そのように、いつも若鹿が大声で鳴きながら、「あなたは、先祖になることはできない。私に勝たなければならない。」と言って、年長の鹿に対して挑戦するのです。挑戦するでしょう? しかし、そうやってレスリングやボクシングのように挑戦して、負ければ、チャンピオンベルトはもらえません。そして、勝てば、自分を基準として、すべての基準が決まるのです。 このようになれば、負けた鹿は悲惨です。従っていた数十頭の雌が、あいさつもせずに、さっと行ってしまうのです。それは、わたしたち人間世界よりも徹しています。さっと向きを変えるのです。そして、春になって子どもを産み、優秀な種を残すのです。すべての動物が、そのようになっています。 人間の場合は、どうですか? 人が、そのようにしたら大変でしょう? けんかの強い人ばかりが残ってしまいます。そのような人が、何の役に立つのでしょうか? 人は、万物の霊長なので、すべての園で、どこに行っても、優れている人も愚かな人も、すべて万物の霊長としてふさわしい、生活の手本とならなければなりません。 人間の場合、真の愛においては、高い位置にいる者も強い者も、同じ愛の感情を持っています。ですから、同化した平均的基準において、愛を中心として楽しく暮らし、万物と和動することによって、万物の主人であられる神様が和動して、永遠に存続することができるのです。分かりますか? (「はい。」) 農村に入っていって、歴史上の最高の農夫より以上の農夫となりましょう。そうして、満ち足りて、少しも他人をうらやむことがないような暮らしができるように、農作業を一度してみましょう。 ほうれんそうを育てるうえでも、今までの歴史上の人たちは、自分の生活や自分の父母、息子、娘のために働いて育てたのだとすれば、自分は、天下の人類を食べさせて生かすためにほうれんそう畑をつくるのです。そうして、そのような目的で作ったので、“全体の三分の一は、分けてあげよう。”と思って、育ててみてください。そうすれば、良い穀物ができるのです。分かりますか? (「はい。」) そのような農作業を、わたしはしようと思うのです。わたしにできない農作業は、ありません。豆畑も上手に実らせることができます。一番大変な農作業は、綿畑を実らせることです。それから、粟畑です。 粟の種をまとめてまいてから雨が降ると、畝の溝が崩れてしまうのです。それをすべて見ていきながら、どれを残して、どれを捨てるのかを考えます。すべて間引くには、しばらくの間、ずっと間引いてあげなければなりません。粟畑は、そのようにしなければなりません。 そのようにして、汗を流しながら、こうして……。自分の血と汗を流して精誠を尽くし、もちを作って祝宴する日には、それを創造された神様が、どれほど喜ばれるでしょうか? 神様も、「やあ! この供え物は、どこから来たのか?」と言われて……。そのようになれば、供えた万物で、世界じゅうから来ていないものがない、というようになることでしょう。そうではないですか? 魚を見てみても、東の海の魚もいて、西の海の魚もいて、南極、北極の魚がいるのです。それを漁夫たちは、歴史を通して愛してきたので、わたしは、それ以上、歴史上の漁夫が釣ったそれ以上の立場で、神様を代身して食べてあげ、愛してあげれば、体も健康になるのです。病気にかかる心配は要りません。 わたしは、今、何歳ですか? 私は八歳の時に、一度、病気になって寝込んだことがありますが、それから今の八十歳まで、これほど疲れる生活を継続しながらも、病気で寝込んだことがありません。それは、だれが保護してくださったのですか? (「神様です。」)神様の代わりに、自然が保護してくれたのです。自然の中で神様の愛を味わってみると、神様の愛は、死亡圏内で消化されることはありません。 さあ、それゆえに、一生を生きていくうえで、神様が愛される万物を、その代身として愛することができる主人の立場で生きてみましょう。自然が喜ぶでしょうか、怒るでしょうか? (「喜びます。」)喜ぶのです。 ですから、“源焦聖地”、“根源聖地”、“勝利聖地”に行ってみなければならないでしょうか、行ってみてはならないでしょうか? (「行ってみなければなりません。」)その記念日に、そこで祝宴をするとき、“世界じゅうのたくさんの人類の中でも、自分の一族は、毎回一人残らず、そこに参席する。”と決心する人は、手を挙げてください。 尹晶老氏? (「はい。」)全員、決心したそうです。(笑い)(「ありがとうございます。」)公文を送るのです。(「はい。」)開天節の日に、先生が約束したのですから、だれでも、親子で、四位基台を作って、四年に一度ずつ行かなければならないようになっています。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) そこには、“根源的”で“源焦的”な動物が、何でもいるというのです。それは、本当に驚きです。そこに生息している魚の種類が、どれほど多いことでしょうか? わたしが、最初にそこを訪れたとき、オクチャメ(南米の沼地帯に生息する水草)という水草があるのですが、その下が暗く影になっていて、いつわにが出てくるか、いつスクリューヘビが出てくるか分かりません。その真っ暗な所に、手をさっと入れてみると、稚魚が三匹は捕まります。あの小さな魚です。 それをやってみましたか、やってみませんでしたか? (「やってみました。」)やってみたのですか? (「はい。」)捕まりましたか、捕まりませんでしたか? (「……。」)分からないのですから、やってみなかったということではないですか? 千万種類の姿をした、ありとあらゆる魚が、すべています。それは、どれほど面白いか分かりません。その魚をすべて捕まえて、家の中に水族館のようなものをつくって育てれば、どれほどよいでしょうか? すべての種類をそのようにして飼育し、わたしが統一教会の人たちに、十種類、百種類分けてあげれば、一年以上食べさせてあげることができます。そうして、十年以上食べさせてあげることができる代価をもらって、すべて分けてあげようと思うのです。 そのようにしてこそ、貧しく暮らしているすべての人たちに分けてあげられるでしょう? それを育てることが、子供を育てることよりも、もっと面白いのです。どれほど面白いか分かりません。そのような趣味を持ちますか、持ちませんか? (「持ちます。」)“持たない”という人は、手を挙げてください。 そのような趣味が満ちあふれて、一〇〇パーセントを超えれば、神様が、その家に作っておいた魚の博物館をごらんになりたくて、訪ねて来られるというのです。そのように育てておけば、神様が、その家に福を下さるでしょうか、下さらないでしょうか? 神様は、「わたしの代わりに、このように愛しているのだなあ。」とおっしゃって、福を下さるようになっています。 そのようにして動物を育てれば、動物も死ぬことはなく、子どもを産めないということもありません。昔、ヤコブがそうだったでしょう? それ以上、自分の環境が……。 今の世の中では、就職して、月給をもらって生活していき、定年退職すれば、自分の死後、墓守をしてくれる子孫もなくて、共同墓地に行くのが当たり前です。しかし、このようにして、六十三歳を超えて農場に入っていけば、八十歳まで生きるのは普通で、百歳まで生きる人が、どんどん増えるだろうというのです。 昔は、六十歳で老人扱いしたのですが、最近では、八十歳でも、昔の六十歳よりも若いというでしょう? (「はい。」)それは、なぜですか? 統一教会が天から祝福を受けて、神様の運勢を地上に連結させたので、人類の年齢が延長し、寿命が延長したというのです。 それは、だれかが政治を上手に行ったからでも、他の善なる宗教の恵沢によってそのようになったのでもありません。文総裁の恵沢によるのであり、昔は、八十歳の人が珍しかったのに、今では、百歳の人も珍しくありません。 そのようになったことも、文総裁の生き方に人類全体を近づけるために、神様が公平にされたことによるのであり、それが現象として現れたことなのです。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) わたしが、あと何年、何歳まで生きると思いますか? (「百二十歳以上です。」)百二十歳ですか? 二百歳以上ではなくてですか? (笑い)それは、“せいぜいこれくらいだろう。”と思って、「百二十歳以上です。」と言っているのです。逆さまにして「二百一歳です。」と言えば、分かりませんが。(笑い) わたしが、“そのように生きたい。”と思えば、生きるのです。(拍手)見ていてください。世界に、真の父母として生まれた息子は一人しかいないのに、その一人しかいない息子を早く霊界に連れて行って、何を誇ることができるでしょうか? そうではないですか? たとえ病気がわたしを訪ねてきても、“一週間くらい、わたしが冷遇すれば、逃げていくだろう。”と思ったら、本当にそのようになったというのです。分かりますか? わたしは、風邪などは、隣の町内からはえが飛んできて、額に一度止まって、また飛んでいったくらいにしか思いません。それなのに、何ですか? 風邪を引いたからといって、布団を敷いて、タオルを額の上に載せて横になるのですか? それは、死のうとする準備です。先生のように生きれば、病気が来ても、一週間……。 「病は気から」です。そのように思うのです。信じて生きるのです。絶対信仰は、すべてのことを克服し、再創造し、主体の前に対象存在として、永遠に存続させることができると、神様は仰せられるのです。アーメン。(「アーメン。」) 病気になれば、薬を飲むことの反対に、おいしく食べれば、病気が治ります。そのような話を、初めて聞いたでしょう? それを説明しようとすれば、切りがありません。 自然に帰って、自然から学ぶことが本当に多いということを知ってください。分かりますか? (「はい。」)自生するいばらのようなものを切ってすりつぶし、それをできものに塗れば、すぐに治ります。そのようなことを知っていますか? 漢方薬は、そのように発展したのです。自然の葉があれば、どのような葉なのか調べて、それを薬剤として使います。すべて自然から採取して、薬剤にするのです。人がつくったものは、すべて副作用が多いのです。自然の中で、動物たちが……。 きじを捕まえるときに、きじの足が折れたとします。何年もたつと、折れて治った箇所は、木の年輪のようになりながらくっついているのですが、それを開いて見てみると、折れた箇所に針金を巻き、絹糸を巻いたようになっているのです。 医術は、人間のほうが学んだのであって、動物世界が学んだのではありません。自然の中には、何でもあります。ですから、自然を愛さなければならないというのです。 そして、食べ物をおいしく食べなければなりません。昔、先生はうなぎを、あまりにもたくさん捕まえて食べたので、今でも、うなぎを見るだけでも嫌です。(笑い) 日本人は、うなぎでも何でも食べるのですが、皮をはいで、脂身の多い中の肉だけを食べて、残りは食べません。今回、アラスカに行って、キングサーモンを刺身にしたのですが、それがどれほどおいしいことでしょうか? 一つ一つ食べるには、あまりにも時間がかかります。一度にさささっと、一週間以上、十日近くかけて食べたのですが、それも嫌になるのです。 貧しい人たちをアラスカに連れて行き、キングサーモンをそのように食べさせれば、皆、飽きて嫌になるので、「二度とアラスカの魚を食べなくても生きていける。」と言うようになっているのです。どれほど野菜が慕わしいか分かりません。 そのようなときは、体自体が、自然に自分が存続することができるように、内的栄養と外的栄養が合うように調整します。人間の体には、そのようにすることができる補完装置ができているのです。それゆえに、おいしいものを求めて食べ、よく消化するようにすれば、よいのです。そのようにすれば、健康になります。分かりますか? ですから、そのようにすることができる修練方法は、自然に帰って愛し、一緒に和動して暮らす道しかありません。太陽も“私”が主人、空気も“私”が主人、山川の草木も“私”が主人です。そうして、“神様の代身として「私」が最初に食べる。”と思うのです。 今まで、神様が共にいらっしゃるものがなかったではないですか? ですから、主人の立場に立って、神様に同伴して接待しながら、“このように開拓する先鋒者の生涯を生きてみよう。”と思うことによって、天上世界の門、地上世界の門、東西南北の十二真珠大門までが、さっと開くのです。そうして、自らの行く道にいかなる支障もないという解放者になるのです。アーメン。(「アーメン。」) そして、きょうは開天節であり、これからは国境を超越する時が来ます。もう平和大使は任命しましたか? その人たちが、国境なく行き来することができるようにするのです。 米国の大統領も、国連の事務総長も、皆、公認をして、ばんばんと判を押し、文総裁の写真があれば、どこでもビザなく通過することができるような世界をつくるのです。つくるかつくらないか、見ていてください。そのようなことに関心がありますか、ありませんか? (「あります。」) そのような人たちが集まって、自然とともに……。朴久培氏? (「はい。」)その農場の名前は、何ですか? (「ビクトリアです。」)「ビクトリア」ですか、「ビクトリー」ですか、「ビクター」ですか? (「『ビクトリア』です。」)それは、形容詞ではないですか? 名詞は「ビクター」です。ですから、「ビクター農場」です。 そこに行って、全員、訓練を受けさせるのです。今後、夏季のバケーションシーズンに入れば、三年間、四年間、ここに来て訓練を受けなければなりません。そのようにしなければ、他の所では、バケーションシーズンを過ごすことができないようにします。 尹博士、来ましたか? (「はい。」)どこにいますか? 来ているのですか、尹博士。(「ここにいます。」)今年は、どこでバケーションですか? これからは、それを防止するのです。 そこは、一番の自然があり、木も良く、気温も良いのです。いない獣がいません。虎がいないでしょうか? すべています。マウンテン・ライオンがいないでしょうか? 豚がいないでしょうか? すべているでしょう? (「はい。」) 朴久培氏? (「はい。」)すべていますか、すべていませんか? (「すべています。」)それらを均等に捕まえてみなさい、というのです。捕まえて、そこに動物園をつくるのです。そこで子どもを産ませなければなりません。 食べるものは、わたしたちが、えびのトロール船を造って、南極からいくらでも持ってくれば、飼料は問題ありません。そのようにすることができるように、環境条件に合わせて、自然とともに歌を歌い、たくさんの詩的文学と芸術が芽を出すことができる園、エデンの園以上の地域をつくるのです。 そうして、国連がそこを管理し、すべて米国の保護圏内で世界を援助することができる資源農場……。資源です。資源農作業をし、資源農場をつくるのです。 ですから、そのように関心を持ち、今後、そこに行って四十日修練を受けていない人がいれば、早く受けるようにしなければなりません。(「はい。」) それで、船に乗らなければなりません。先生は、ハリケーンが吹き荒れているのに、米国のグロースターに行きました。そこは、ボストンのエリアです。そこには、数千、数万の船があるのですが、すべての船が、ハリケーンのために出て行くことができない状況でした。 しかし、先生は、「どうして出て行くことができないのか?」と言いました。夜中の一時半になっていたので、警察まですべて寝静まっていて、雨が滝のように降っているのですが、それでも行くのです。漁場まで行くためには、二時間以上かけなければなりません。 ところが、船を運転する人が、うとうとしているのです。そこで先生は、“寝るなら寝なさい。海のどこに暗礁があるものか。”と思って、「大丈夫だから寝なさい。」と言ったのですが、「寝なさい。」と言ったので、かえって寝ないのです。 激しく降る雨が、このように当たり……。その雨が、鼻の頭から、耳たぶから、このように流れて、首からへそを通り、三角地帯を通って流れ、ひんやりとしたことが、今も印象に残っています。 そのとき、娘の仁進を連れて行きました。仁進は、そのときはまだ、はいはいをしている赤ん坊です。はいはいをするので、恐ろしいのです。船の上に置かれた物が、すべて動き回り、転がってしまうからです。それが分かりますか? (「はい。」) いろいろな物が転がっていくのですが、船が、こちらに傾けば、こちらにごろごろと転がり、船がまた、あちらに傾けば、あちらにごろごろと転がるのです。そこに波が飛び込んできます。そのようなことを見て、「ああ、お父さん、怖い。」と言うのです。皆さんであったなら、半分は死んでいたでしょう。しかし、それを見て、楽しく思わなければなりません。 なぜ、それを見て、楽しく思わなければならないのかというと、わたしたちの船は沈まないので、楽しく感じなければならないというのです。ハリケーンの中で、感傷的な詩を詠み、芸術的な絵画を描くことができる、このような趣味が潜在している船なので、楽しく過ごすのです。分かりますか? (「はい。」) それでは、沈まない船を、だれが開発したのですか? わたしが開発したのですが、世界の造船業界は、「自分たちが開発した。」と言って、売っているのです。そのような者たちは、早くもうけて、退いたらいいのです。彼らは、今後、造船会社をわたしに譲って、自分たちは出て行かなければなりません。わたしには勝てません。分かりますか? (「はい。」) そして、皆さんの中で、船に乗れない人たちは、これからは、人間扱いしてあげないかもしれません。また、釣りができない人も、狩りができない人も、また、絵を描いたり、芸術的な素質のない人も、しかるべき扱いをされないかもしれません。 わたしも、幼いころ学院に入り、そこで初めて絵を描きました。そこは、クルバン(漢文を教える私塾)だったのですが、そこで初めて絵を描いたのです。なぜならば、画用紙や色鉛筆を、そのとき初めて見たのでした。それなのに、わたしがそこに行って初めて描いた絵が、そこに飾られたのです。それは、絵の素質があるということでしょう? (「はい。」) 他の人たちは、ただ絵を描いているのです。ところが、わたしは、四方を中心として、目印となる点をさっさっさっと描いて、そこに大きさを合わせて、色も合わせるので、りっぱな絵が描けるのです。そのように、前もって構想が必要なのです。線を引いて、そっと描いていくのです。 釜山の凡一ミル洞でも、金元弼氏が肖像画を描くのを、わたしがコーチしてあげました。写真を、B4サイズの紙にさっさっさっと、拡大して描けば、よいのです。肖像画の大きさが写真の大きさの十倍ならば、十倍の距離を測って、そのまま当てはめて描けば、間違いなく、そのごとくの絵ができるのです。 肖像画は、目と鼻を描くことが問題なのであって、口と耳は、どう描いてもよいのです。頭も、どう描いてもかまいません。目を描くことが、一番苦労します。 そのようにして、すべて描いた後に、頭の色などは、わたしがすべて色の調整をしてあげるのです。そのように、絵の素質があるのです。 また、「建築現場に行って、家を建てなさい。」と言われれば、上手に建てるのです。のこぎりが挽けないでしょうか? 鉋がけができないでしょうか? 手斧が使えないということがあるでしょうか? ですから、どこに行っても、わたしは便利です。頭が良いのかどうか分かりませんが、構想力があり、一日中遊んでいても、新しいことを創案して遊ぶので、楽しいのです。 皆さんも、先生が好きですか、好きではないですか? (「好きです。」)「好きではない」と言うのは、本性的に堕落した、地獄に行く者たちです。本性が正しい人は、先生を好まざるをえないというのです。なぜでしょうか? 先生には、そのような何かがあって、光線が出ているのです。それゆえに、相対的立場に立てば、先生を自動的に好んで、引かれてくるのです。 それで、統一教会の文総裁との間には、そのような引力関係があるので、“男性も女性も、文総裁にほれ込んで、好きでたまらない”というブームが起きた一時期がありました。今、そのようなブームが起きたら困るでしょう? そうではないですか? さあ、自然の中からすべて学ぶのです。先生も、原理の八〇パーセント以上を、自然の中から見つけ出しました。分かりますか? 自然の中で、夜通し楽しみながら、甘栗と松の木畑に行くと、枝が絡み合っているのですが、そこに満月、秋夕の月の光が照らされるその神秘さは、言葉では語ることができません。 松の木畑で祈祷して瞑想するときに、さーっと吹き込んでくる風の音が、神秘的なのです。そのような神秘的な所で、月の光で明るくなった所で瞑想したことが忘れられません。そのように面白さを感じなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「はい。」) 農作業するのも、楽しいことです。土地を掘るのも楽しいことです。一生の間、汗を流していくことができます。家を建てるのも楽しいことです。 わたしが、してみなかった労働はありません。けれども、そのような話をする時間がありません。ですから、自然と和合して、環境条件において自分と関係を結び、そのようにして事に着手すれば、成功しないことがありません。アーメン。(「アーメン。」) そのような人を、神様は好まれるのです。分かりますか? ですから、皆さんも、先生にそのような素質があるので、先生を好むのです。“先生の行く道について行きたい。”と思うでしょう? (「はい。」) “先生の乗る専用機に、一度、乗ってみたい。”と思う人は、手を挙げてください。その飛行機一台の価格は、とても高いのです。だれでも乗れる飛行機ではありません。しかし、先生は、それに乗りながら、誇らしくは思いません。かえって恥ずかしく思うのです。 行くべき道が忙しく、すべきことが多く、時間が必要なので、しかたなくそのようにしているのです。車に乗っていけば、どれほど時間がかかるか分かりません。 自然を愛することにおいて、一度、王になってみようということです。海を愛さなければなりません。アラスカのような高い山には雪があり、中間には草木があって、そこには花が咲き、その下では、船遊びや釣りをします。そこが、どれほどの別天地でしょうか? そこで、「おお。よしよし、わたしの愛よ。」と歌えば、そこに似つかわしくない歌はありません。流行歌を歌っても合い、歌曲を歌っても合い、西洋音楽を歌っても合い、どのような歌を歌っても、すべて合うのです。気分も爽快で、どれほど良いでしょうか? 朝、起きれば、すがすがしい気分ではないですか? 今、アラスカに行けば、ちょうど良い時です。 さあ、ですから、これからは、自然とともに楽しく、深くつきあって、神様の友人となり、神様の同役者となって、主人たる代身者となるのです。 そうして、神様が創られたすべての被造世界の王の立場で、相続を受ける皆さんになることを願いながら、それが開天節の忘れることのできない一つのテーマとなることを願います。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) 神様を愛し、天地開門の開天節を完成しなければなりません。アーメン。すべて終わりました。(「アーメン。」)(拍手) ケーキカット、万歳三唱一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.24
コメント(0)
「日本食口特別集会」での御言成約九(二〇〇一)年九月二日、韓国・済州国際研修院この日の朝、み言に先立って、昨年十一月十一日にハワイのカウアイ島で語られた「父子協助時代宣言」のみ言が訓読され、その後、約二時間弱、真のお父様がみ言を語られました。 いよいよ皆と別れる日が来ましたね。ハワイのカウアイという島で、日本語では「かわいい」と聞こえるその島で、かわいい言葉を語ったのです。 かわいいエバ、かわいいお母さん、かわいい奥さん、かわいい娘。それが問題です。神様の前に、人類のお母さんという立場を失ってしまいました。それから、どうしましたか? (「……。」)奥さんを失ってしまいました。それから、娘を失ってしまいました。そのようなことをしたのです。 それを捜して元返すのです。捜して元返し、捜して復帰するのが、神様の再創造の摂理であり、復帰摂理、すなわち救援摂理です。その救援摂理の主流として求めたのが、イスラエル民族でした。 旧約時代、それから新約時代、それから何ですか? (「『成約時代』です。」)成約時代。そうして奥さんを訓練し、お母さんを訓練してきたのが、堕落の世界の女たちの苦労の道でした。分かりましたか? (「はい。」) エデンの園において、サタンによって、愛を中心として、お母さんたちまで反対に引っ繰り返ってしまいました。その娘の立場が、エバです。エバが、そのようなことをしたことによって、娘もいなくなり、妻もいなくなり、お母さんもいなくなってしまいました。 それを蕩減してくるための道が、旧約時代でした。それは、神様の娘を再創造して、養育してきた歴史なのです。 新約時代は、妻を求めてきました。ですから、キリスト教は、新婦宗教なのです。新婦宗教なのですが、妻を育ててから、どうしますか? 結婚することによって、母を復帰することになるのです。それが、完成圏の成約時代です。分かりましたか? (「はい。」) ですから、女たるものは、神様の御前に娘となるためには、歴史を超え、堕落世界を超えなければいけないのです。 そうして、娘として超えるとともに、妻としても、天使長世界であるサタン世界を自由自在に主管することができなければなりません。堕落世界は、再び主管しなければなりません。主管するとともに、それを注意してあげて、それを神様の息子、娘につくり変えていかなければならないのです。それは大変なことです。 それを、イエス様を中心として実体的に成そうとしたのにもかかわらず、実体的に成されずに、家庭を持つこともなく、独りぼっちで十字架につけられていったのです。“家庭内独りぼっち”では、神様の願われる娘も、願われる妻も、願われる母も立たせることができません。 神様を中心として家庭を成立させ、その成立させたものを完全圏と完成圏に立たせることによって、娘として完成、妻として完成、母として完成するようになっているのですが、いくら神様が、絶対なる神様であられるとしても、その母の基準を安着させなければ、地上の世界は、サタン権限の主管圏内において統率されるようになっているのです。分かりましたか?(「はい。」) それを、神様の御前に平定させなければなりません。神様の御前に、個人から天宙まで、歴史の初めから歴史の末まで平定するのです。 母の行く道は、愛を中心として、個人的に、家庭的に、世界的に、天宙的に平面になっていかなければなりません。創造理想の神様の愛を中心として、歴史過程を含めて考えて、それは一本きりの世界平面圏です。このように続かなければなりません。 しかし、女の世界は、そうではありません。結婚したという者は、皆、ばらばらです。そのように、家庭というものが皆、崩れてしまうので、もう神様の理想圏のようなものが、完全に崩壊させられた立場から、それを収拾しなければならないのです。 収拾するには、収拾するその原則を分からなければなりませんが、それが分かりません。“神様の娘は、こうでなくてはならない”、“神様の妻は、こうでなければならない”、“神様の家庭と、その家庭における母は、こうでなければならない”という、そのような原理原則を知らないのです。分かりましたか? (「はい。」)知りませんし、また、それを教える者もいないのです。 それは、なぜかというと、堕落というのは、自分で堕落したからであり、それも親の知らない所で堕落したからです。 アダムとエバが堕落したとき、神様とサタンは、それを知っていながらも、それをどうするかというと、サタンは、アダムとエバが自分のほうに転がってくることを願うし、神様は、自分のほうに立ってくれることを願われるのです。 しかし、アダムとエバは、神様が、そのように願っても願われなくても、原理原則を知り、自分が犯した罪なのですから、自分が蕩減復帰しないといけません。分かりましたか? 天使長であるサタンというものは、エバが先に責任分担を完成した後に、エバに絶対服従すればいいのです。娘と奥さんとお母さんが完成すると、そのような天使長が生まれてきた場合は、それを絶対的僕として立てて、それが、絶対的な基準において奉仕するようになれば、それは完成するようになる、というのが、天国に属すべき原則なのです。 ですから、どんなに難しいことがあろうとも、女性は、神様の願う娘として、妻として、母として完成し、母の完成、妻の完成、娘の完璧な完成基準を絶対的に確立しなければなりません。それが、堕落以後、女として生まれてきた者の使命なのです。はっきりしますか? はっきりしましたか? (「はい。」) しかし、女性は、“娘になろう”、“妻になろう”、“母になろう”という思いをたとえ持ったとしても、それを独りで成すことはできません。なぜならば、それは、天使長である怨讐の男によって、神様の娘の立場を破壊し、妻の立場、奥さんの立場を放棄してしまって、皆、なくなってしまったからです。 ですから、女性は、どんなことがあっても、いかなることがあろうとも、それを果たさなければなりません。それが、女性の使命なのです。分かりましたか? (「はい。」) そうして女性たちは、歴史を通して、子供の時代圏、妻の時代圏、母の時代圏を蕩減してきました。ですから、女性の歩む歴史というものは、苦労の道を歩む悲惨な立場を予定された歴史であったのです。はっきりしましたか? (「はい。」) 旧約時代は娘を求め、新約時代は、神様が新郎として妻を求め、成約時代は、母子の確立を成すためにあるのですが、そのように、神様の摂理は内的に苦労してきた歴史であるということを否定することはできません。このように、理論的にはっきり分かるようになります。分かりましたか? (「はい。」)それは本当のことです。 なぜ女性が、悲惨な歴史をずっとつくってきたのでしょうか? そのような悲惨な歴史を逃れようとし、逃げようとしても、逃げる道がないのです。だれか指導してくれる者もありません。そこには、男の立場から援助し、兄さんの立場、あるいは夫の立場、父の立場に立つべき者がいないのです。夫たる者がいなく、神様がいないのです。 それ(堕落世界の男)は、神様の怨讐の立場に立つ姦夫です。「女」という字を三つ書く「姦夫」。知っているでしょう? 愛の怨讐になっているのです。それが天使長です。皆、女性を砕いてしまいました。それを、だれが復帰してあげるのでしょうか? それなのに、兄さんも、堕落させられてしまったのですから、亡くなっているのです。そのように、女が神様の子供を殺してしまいました。神様の息子を殺し、旦那さんを殺し、お父さんも殺してしまったのです。それは本当か、本当でないか? 本当! 言ってみてください。(「本当。」)大きく。(「本当!」) それが本当であるということが分かったのならば、“すべてを超えて、わしはする。自分は、中心者として、神様の正しい女であり、妻であり、母なのだ。”という自覚を持った立場で、「本当。」という答えを、もう一回、言ってみてください。(「本当。」)(笑い) かわいそうな女。先生は、そのようなことを知っているのです。ですから、“女を利用する”などと思ってはいけません。そのようなことを思うと、根本的に大変です。引っ繰り返ってしまいます。 それは、自分の妹の立場です。それを将来、神様の娘として、神様の相対者として、神様とともに母の立場にいかに取り次いであげるかというのが、母子復帰です。それを成しているのです。 先生も、女性によって生まれましたね? そうでしょう? しかし、生まれた、その目的の方向が違います。左から右に、完全に準備して、母をその女として生まれたのです。分かりましたか? (「はい。」) そうして生まれた再臨の主、真のお父さんには、妻を女として、娘を兄妹として、再び生み変えなければならない使命があります。それが、再臨の主、真のお父さんの使命です。大変です。分かりましたか? 女性の皆様。(「はい。」) 今回、はっきりと知って帰らないといけません。分かりましたか? (「はい。」)先生の妹の立場に立つのです。そうして、大きくなって、妹の心情、妻の心情を復帰し、母の心情を復帰し、三心情圏を体恤しなければなりません。 そのようにして、本当の兄さん、旦那さん、お父さんに侍ることのできる、女たるものを満たさなければ、神の国に入る道がないというのが、堕落した者に対する原則になっているのです。先生の言うことが間違っていますか、合っていますか? (「合っています。」)女というのは、名ばかりの存在です。日本が、そうです。 ですから、世界を救う者は、女であって、男ではありません。堕落した世界を蕩減復帰させる責任は、神様がいらっしゃったとしても、神様は教えてくださるだけであって、その先頭に立って、代わりになしてあげるという道は、永遠にないのです。分かりましたか? ですから、そのかわいそうな立場に行って、急変の道を逆さまにたどっていこうというのが、今までの歴史における女性たちの使命でした。 それでは、そのような中で女性は、何を願ってきたのでしょうか? 真の愛です。いつも、真の愛を持つ、親孝行する子供を願ってきたのです。その立場は、ただの女でもなく、ただの娘でもありません。“子供を持つ親”の立場です。神様が愛される、そのような子供がいなければ、女性には、神様の娘に立ち返る道は、永遠にないのです。分かりましたか? 娘の立場に立ったとするならば、次は、自分を奥さんのように愛してくれる男性がいなければなりません。そうして、その男性を絶対的に愛し、子供を大きく育てて、その子供が、蕩減復帰を完成させたお母さんと一つになるようにしなければなりません。そのような時代が、母子協助時代です。分かりましたか? これを、はっきりしないといけません。 つまり、自分の生んだ真の男性を、真の旦那さんとして神につなげてあげるような道を得るために、母子協助というものがあったのです。はっきりしましたか? (「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) しかし、そのために、女性が歩むべき道、自分が母として歩むべき苦労の道を見た場合には、独りぼっちです。女やもめと同じです。その母は、子供とお父さんの心情を抱え、お父さん以上の立場で、子供に対して、すべてを防備して守っているのです。 神様は、今まで、そのような環境をつくってこられました。そうして神様が、世界的な旦那さんとしての立場であるメシヤを送られたのが、イスラエル民族だったのです。神様から見た場合に、そのイスラエル民族の子供は、ずっと、女たちによって、最も愛国者になるように育てられました。 家庭において孝子になり、国において忠臣になり、世界において聖人になり、天宙において聖子になるような子供を育てて拡大しようとするのが、イスラエル民族でした。そこにおける問題は、何だったのでしょうか? だれが問題なのかというと、男が問題ではありませんでした。問題は女でした。 ですから、女にとっては、生んだ子供は子供なのですが、それは、自分の兄弟なのです。神様の元に帰る子供がいません。そうでしょう? 信仰生活をするような神様の子供、神様の愛を受けることのできる子供がいなかったのです。 そこで、長子である子供を自分が生むのですが、神様が永遠に愛さざるをえないような子供、長子を生むことによって、自らの娘の立場、母の立場が逆になるのです。つまり、自分の子供に対して、自分の兄さんのように対するのです。 女性は、頼るところのない、たった独りぼっちの立場です。頼るところは、自分の子供以外に頼るところはありません。ですから、それを自分の兄さんの代わりとし、夫がないので、夫の代わりとして対するのです。そうして、神様の愛するその息子が大きくなって、“ああいうような、神様から愛を受けられるその息子が、旦那さんになってくれればいいなあ。”というように願うのです。分かりましたか? 母子一体になって、そのようにして地上にメシヤが来られた場合には、すぐに母を擁護し、女性を擁護するような団体が生まれてくるのですが、それが正に宗教圏なのです。それは、イスラエルのユダヤ教です。分かりましたか? 分かりましたか? (「はい。」) ですから、女性が、“もう兄さんを迎えることができました。”と思っても、そればかりではありません。旦那さんを迎えたことになるのです。旦那さんを迎えたというのですが、それは大変です。子供と結婚することはできないからです。 エデンの園で、アダムとエバは、堕落によって追い出されてしまいましたが、さらに、エバとカイン、つまり長男と母親が、アダムを追い出してしまったのです。その追い出してしまった旦那さんを、歴史を通して初めて、再臨という、メシヤという思想とともに、迎えるようになったのです。 ですから、そのときに追い出されたアダムの再臨として来られるメシヤが、ずっと母と子を、兄さん、夫の代わりに守ってくれるようになるのです。そのような立場において、メシヤを父として迎えたとすれば、お母さんは子供に対して、直ちに、「新しく迎えたこのおかたは、もともとあなたのお父さんだったのです。」と、紹介してあげなければいけません。 そのようにして、母と長男が一つになって、生死を超えて奉仕することによって、サタンにはもう、立つ所がなくなるのです。分かりましたか? 母と長男が、完全に一つになってお父さんに侍るという家庭基準が立ったのですから、サタン圏は必要なくなるのです。 そのようになれば、母として願う何ものもないのです。そうでしょう? そうではないですか? (「はい。」)歴史をきれいに清算して、神様の御前に失った娘の資格、妻の資格、母の資格を、子供を通して再創造されたというような自分の立場にあって、母と長男と次男が一体になっているからです。 しかし、そのように一つになったということで、サタン圏から蹂躙されるようになります。サタンは、長男の立場です。ですから、サタンは、そのような母子に対して反対してくるのです。それはもう、母も妻も娘も、サタンの主管圏内において、奴隷のように扱っていくのです。 それは、サタンの世界にとっての敵国の王様の妃と母と娘を皆、蹂躙して、一所にまとめて、どんなことでもやるという話です。その場合、貞操であるとか、愛の秩序などは皆、無視してしまいます。サタンは、そのようなことをやってきたというのです。 それは、おじいさんの代から親の代、それから自分の家族と、女性を三代にわたって蹂躙してきたのであり、そのように三段階を見れば、七人の娘、七人の女を、見境もなく、逆にしたり、自由自在に手玉に取り、そのような愛の行動をやってきたのです。 その挙げ句に、世界は、愛の秩序を完全に放棄して、親族相姦関係など、フリーセックスどころではない状況にあるのです。分かりましたか? (「はい。」)これは、考えれば恐ろしいことです。そのような鳥肌が立つような恐ろしいことを、サタンは歴史的になしてきたのです。 ですから、女たる者は、「サタン」ということを思った場合には、それを七人の怨讐の固まりとして憎まなければなりません。今まで、サタンとは、そのようなものであったということを知らなかったのです。今は、先生によって、女性たちが、そのことをはっきりと分かるようになりました。それなのに、再び堕落しますか? (「しません。」)しますか? (「しません。」) ですから、皆さんは、三大心情圏をどんなことがあっても復帰しなければなりません。そのような大王を捜さなければなりません。それは、再臨のメシヤです。再臨の主は、神の息子として来られるのです。分かりましたか? (「はい。」) 再臨主は、神様の娘にとっては、兄さんの立場です。それは、双子の関係と同じです。それを分けることはできません。多くの男性と女性にとって異性は、自動的に、絶対的に必要とするのです。それは、自然界を見た場合には、雄と雌があり、両性が抱き合って、子供を増やして繁殖するのを見れば、歴然としたことです。 自然界には春があり、夏があり、秋があり、それから冬があります。その中で種をまく時期があり、収穫時期があります。人間においても、青春期、思春期を中心として、男性は女性を求めて、女性は男性を求めるのです。それは本当ですか? 皆、皆、そうです。 堕落した者においてもそうであるのに、堕落しなかったならば、それはもう、神様の愛の光が届かないうちに、プラスとマイナスが激しくショートして、雷を超え、音を出して大変な様相になるでしょう。 堕落の原因たる女は、悲惨な女です。それは、「女様」ではなく、「女の輩」です。そのことを思うと、苦痛です、苦痛。 ですから、女というものは、もう名目がありません。もう、首を切ってしまっても、何も讒訴することができません。告訴することもできません。ですから、女とは、名ばかりの者であるというのです。“かわいそうな女”ですか、“かわいらしい女”ですか? (「“かわいそうな女”です。」) “かわいそうな女”が、“かわいらしい女”になることは、大変です。頭から胴体まではかわいいのだけれど、その部分が、大変です。そのことを考えておいてください。 この下にある、女のそのものが、大変なのです。女のそのものが、今までの歴史を通して、一番、憎むべきものです。それは、罪を象徴するものとして唱えられてきました。それを好む者は、この社会において、サタン世界においても、人とは認められません。平均以下の者として取り扱われるというのは、事実です。 そのような女が“女様”になるのですが、だれによってですか? だれによって? (「お父様です。」)自分によって? 女は、自分ではできないのです。子供を絶対的に神様のように抱えて泣きずりながら、その子によって成すのです。 しかし、その子は、ただの子供ではありません。それは、旦那さんの代わりです。ですから、その子に対して、“こういうようにきれいに成長して、旦那さんになってくれればいいなあ。”というように思い、子供を、三時代の希望の的と考えて抱き抱えて、涙を流してきたのが、女性の立場なのです。それは、そうだと思いますか、そうではないと思いますか? エバ国家の女性が相手ですから、ここで先生が、はっきりと教えてあげます。エバの国の女性。それは、「母の国の女」と言うようになりましたね? あなたもですか? (「はい。」)本当ですか? (笑い) そのような並々ならぬ道を、絶対、唯一、永遠なる神様の立場に立って、「間違いなく、まさしくそうである。」というように答えることのできる日本の女性がいますか? 日本の女性の中で、先生に向かって、「そうです。」と言うことのできる女性が、一人でもいると思いますか? そうでなければ、そのように言えなかったとしても、そのような女性になるための途上に立っていると思いますか、完成した終着点に立って、完全に完成した女性となったと思いますか? (「途中です。」)いつ、その“途中”が終わるのですか? (笑い) 先生が死んでしまったら、どうするのですか? (「お父様が生きている間に成します。」)先生が死んでしまったら、どうするのですか? 「神様よ。再び、再臨の主を送ってください。兄さん、旦那様、お父様になることのできるかたを送ってください。」と言うのですか? そんなばかげたことができますか? ですから、いかに恐ろしい時代でしょうか? 母の国の使命を持った者たちは、深刻に記憶しなければなりません。天の願いに対して、「もう、すでに分かっています。」と、自動的に答えることができるような、神様も否定することができないような立場に立った、完全に復帰完成されて生まれ変わった者であったならば、自動的に返答します。 それは例えば、母親が、自分の子供の名前が太郎であったならば、「太郎さーん。」と子供を呼んで、その子供が、声が聞こえる所にいたとすれば、即座に「はーい。」と答えることと同じです。それを、自分の名前を呼ばれて、「何で、太郎と言うんだ?」と言うような者は、いません。 子供たる者は、「はーい、ここでーす。」と、すぐに答えるようになっています。皆さんは、そのようになっていないではないですか? 先生の前に、先生の娘の資格を持っていますか? 奥さんに代わることのできる資格を持っていますか? 祝福を受けた女性たちは、昔、約婚した立場の者たちです。それは、奥さんに代わることのできる約婚した立場、約婚の女です。そうでしょう? ですから、その旦那さんの心情を知らなければなりません。そのかたを、自分の旦那さんに代わるごとくに考え、世界の、何をやっても代えられない自らの夫であると思う、そのように考えたことがあるのですか? 皆さんは、母を売ること、お父さんを売ることができますか? 例えば、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇陛下のためであれば、そのために自分のお父さんを取られるような立場になったら、日本列島、日本国民全体をやってでも、それは代えなければならないのです。それが本当の、筋の通った、真理なる結論であるのです。 ですから、「神様の娘」と言った場合、それは、神様の奥さんになることのできる約婚者であり、未来において、神様とともにあって、宇宙の母になることのできる資格者、ということになります。それは、大変です。 そのように考えると、永遠に侍ろうと思って、永遠に努力しても、それは、不可能なことです。ですから、結論は簡単です。絶対信仰。それは、ありがたいものです。 それは、白くペイントをすることと同じです。色を塗るのですが、白で分かるのでしょうか? それは、神様しか分かりません。そのようにペイントをして、先生が、娘のように、妻のように、母のように扱うべきなのが、日本の母の国です。 その母は、長男を養わなければなりません。世界の万民を、カイン、アベルを養わなければならないのです。闘いの怨讐世界、これを一つにさせる使命が、母の国の使命であるということを分からなければなりません。(「分かりました。」)(「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) そのことをなしうるような道があったとすれば、何が惜しいでしょうか? 手が惜しい? それならば、手を切ってしまいなさい。それくらいの気持ちが必要です。五官の器官が惜しいのであるならば、それを皆、失ってしまって、めちゃくちゃになったとしても、それは、問題ではありません。 たとえ命だけ残るような立場に立ったとしても、そうしてでも成し遂げるのです。子供を得るための生殖器だけ故障せずに残って、夫婦関係を結べば、それで子供を生むことができるのであれば、それ以上の宝物がない、というような決意に立たなければなりません。そのような女性、そのような子供が、日本に何人ぐらいいるでしょうか? そのように見れば、先生が、日本を母の国として設定しておいて、そのような基準を望んでいる、そのときの神様と先生の姿は、りっぱな姿でしょうか、かわいそうな姿でしょうか、それとも悲惨な姿でしょうか? このような女性を得ることができない悲惨な立場に立って、それでも未来を思いつつ、いつか娘を超えて、いつかは奥さんの使命を超えて、お母さんの使命を果たしてくれると信じている先生の立場です。その先生が苦労しないように、先生を解放圏に立たせることによって、神様のほうに展示しなければならない、というのが、エバの立場なのです。 それが、堕落した女たちの使命であるのにもかかわらず、いつ、そのようなことをやるのですか? 何も知らないのです。ただ“奥さんになろう”という思いで、本当に奥さんになることはできません。分かりましたか? なぜならば、それは第二陣です。二番目に立つべき、天使長の妻であり、天使長の娘の立場だからです。 ですから、堕落していないアダムが生まれなくては、神様の娘と、神様の妻と、神様の母の道は、永遠にありません。それを、お母さん、娘によって、再び接ぎ木をしてもらわなければならないのです。分かりましたか? 接ぎ木を行うためには、再臨の主、お父さんが来て歓迎される、その基準になったときに、そのような接ぎ木、祝福が成されて、自分の子供にするのです。 それは、子供から孫の家庭を中心として切って、孫から接ぎ木してもらわなければ、神様の母、神様の妻、神様の娘、大本の基準に返っていく道は、永遠にありません! そのような意味で、この女性たちを四十年間、抱えてきたのです。それを考えてみれば、恐ろしいことです。 ですから、身を火あぶりされて、万歳を叫び、最後に刺されても、何も惜しいことはありません。みんな焼かせてしまって、姿は影も形もなくしてしまい、“娘として、妻として、母としての名を消してしまいたい、そのような名が、自分の上に残るのが恥ずかしい”と思うべきです。 そうして、そのようにして焼かせて、残った灰から、二つに、神の愛によって、つくり返してもらうようなことが、接ぎ木です。それを孫を通して成すのです。分かりましたか? (「そうだと思います。」) 先生が、うそを言っていると思いますか、そうだと思いますか? (「はい。」)間違いないことです。これをはっきり分からなければなりません。そうすれば、霊界の聖人たちが、後孫と一体圏になって、そのメッセージを地上に喧伝するのです。それは、先生が聞くように、と言って送るものではありません。母の国に送るものです。分かりましたか? (「はい。」) 聖人たちのメッセージは、母の国によって復帰が成され、母の国が、本当に娘になり、奥さんになり、お母さんになるために送るものなのです。 彼らのように、霊界の堕落、堕落の苦労を共に経験した体は、その解放圏の自分を求めているのです。それで、地上のエバの国、母の国に、そのようなメッセージを送ったということを思わなければなりません。皆さんは、そのように考えたときがありますか? ありますか、ないですか? (「今、分かるようになりました。」)「今、分かるようになった。」のですか? 「いやあ、そのようになっているのか?」と。 そのような自分の姿を神様の御前にさらし、正面に立つことが恥ずかしいと思わなければなりません。体は真正面を向いていても、顔はこのように背けて、百八十度、ほかの所に向けなければ、恥ずかしさを隠すところはありません。 自分が、そのような者であったということを自覚もせずして、神様の祝福全体を、独り占めにしてしまおうという欲望を持つ者が、天国に入ることはありません。そのような者は、ぺっちゃんこです! 先生は、皆さんたち女性にとって、母の国にとってのだれですか? 兄さんの立場です。過去に約婚しながらも追い出した男性が再び帰ってきた、そのような“昔の約婚の男”だったのです。堕落前の母に、母とお父さんになるべき者が、こんな悲惨な立場に立っており、そのような立場につかせたのは自分であるという自覚を持たなければなりません。 その手、その身、細胞一つだに、神様に対して、それを明らかにして献納し、おささげすることができない立場です。それは、恥ずかしい。皆、隠さなければなりません。このような深刻なことを言ってすみません。分かりましたか? (「はい。」)たくさんのことを聞いても、皆、流してしまうのですが、今度、帰るときはそうではないでしょう? 娘になりたいですか? (「はい。」) 神様の御前に娘になることができなくて堕落した者が、神様の御前における約婚式を行い、妻として、母として立って、そのような蹂躙されたその女性自体が、先生の前に、苦労に次ぐ苦労をして、先生を生み変え、また生み変え、育て、また育てて、そうして、神様に世界的な親孝行をし、忠臣になり、聖人、聖子になることを願ってきたのです。 そのような女性を生みたい、生みたい、生みたいと願い、そうして生んで、立てたのは、真の父母です。そのような背後には、(マイク不良につき音声が途切れる)……血と犠牲を払い、生命が、恨みの声を地上に残してやっていったということを、母の国の女としては、一人も忘れることができない内容です。それは、たとえ一人でも、そのようなことを感じ、感じられないといけないというのです。 男として、自分にとって一番貴い生命は、何ですか? それは、母です。その母の国を神様の娘としてつくりあげなければならないのが、日本の男たちの使命です。天使長の立場であるならば、神様の元に帰って、本然のままの者になりたいというのが、願いです。そうして母を守り、国を守り、兄弟同士でも紛争するような堕落世界の在り方を蹴飛ばしてしまって、絶対的に一つになるような親子を起こさなければなりません。 そうして、自分の家庭には、争いやけんかをするようなことが影も形もない、というような理想的状態にしなければなりません。そうしなければ、神様の長男と神様の娘を、母の国である日本国内で育てることはできないようなことになる、ということは理論的です。分かりましたか? (「はい。」) 先生は、そのような心情で、霊界を見た場合には、何も言わないで、そのような者を求めてきました。そうでしょう? 神様が、エデンの園で、文先生みたいに、このようにはっきりと教えたらよかったのに、教えることのできなかった神様のつらさ。ですから、先生は、教えたらいけないことを教えてあげるのです。分かりましたか? (「はい。」) もう、今は分かるでしょう。(マイク不良につき音声が途切れる)……長子は、母子協助圏は、天使長であり、天使長世界です。霊界も地界も、解放圏の地上天国、天上天国が果たされない圏までは、天使長の血統が残っています。その時代は、母子協助です。 子供を天使長より以上に、未来の旦那さんを天使長より以上に、未来のお父さんを天使長より以上にするのです。ですから、母子協助です。分かりましたか? (「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) お父様が来られた場合には、「お母さんは、苦労したのですから、お母さんは家にとどまって、もう休んでもよろしい、よろしい。」と言って、お父さんも、そのようなことを願うのです。母の苦労を皆、知った場合には、それは、かわいそうでしょう? 女性たちが、いかに人知れず苦労をしたか? 東西南北、三百六十度、何回もこのように回り、このように回って、立体的に回り、回りながら、さまよった女の道を知る旦那さんとしては、過去の苦労の道を、もっと貴く思って、「休みなさい。」と言うのです。 「休め。」と言っているのですが、子供にまで「休め。」と言ったら大変です。お母さんは休むのだけれど、子供に対しては、お母さんより以上の立場になることを願ってきた、お母さんの立場があるのです。 その子供は、自分を神様の息子として立たせようとしてきたことも、旦那さんとして立てようとしたことも、それから母親自身も、お母様として立つべく、そのような基準を願ってきたということも知っているのです。 ですから、母親が、そのようなことをなそうとしなくても、すでにお父さんがいるので、子供は、世界全体を主管しえて余りあるような立場に立つのです。それで、“母は休めばいい”という、そのような時代圏に超えていくのです。それが、父子……何ですか? (「協助です。」)はっきりします。(「はい。」) 母子協助時代と父子協助時代。どちらを願いますか? 父子協助を願う皆さんは、神様の堕落しなかった本当の娘になり、約婚の娘の立場で結婚の予約をして結婚し、そうして、妻と、母の立場の基準を完成した立場ということになります。 女性の欲望は、神様の妹になり、神様の相対者になり、神様とともに子供を生むというのが、女性の最高の理想です。男も、同様です。神様の主管される、その国の王子、王様となることが、男性の最高の理想です。そのような実体圏に含まれたいというのが、人間の最高の欲望になっているのです。 なぜ、このような内容になっているのでしょうか? 本心は、そのようなことを願うようになっているのです。方位磁針は、そうでしょう? それは、南北を中心として方向を指し示すものですが、いくら東西の方向に寒暖があったとしても、それは、いつも間違いなく南北を指すのです。 人間の良心(本心)は、それと同じようなものですが、欲望の良心として、自分を引きずっていって苦労させるような、そのような欲望は、よく苦労をさせる欲望です。(マイク不良につき音声が途切れる)……人類の希望の的になっておるんですよ。分かりましたか? (「はい。」) 女性に、「あなたの胸を、子供のようにそれを切ってしまいなさい。」と言ったら、切ってしまうでしょうか? 女性のそれは、どうですか? なぜ、そのようなことを聞くのでしょうか? これでもって堕落したというのです。ですから、女性の、その女性たる器官をセメント、コンクリートによって、みんな使えなくしてしまえるのかどうか、というのです。それによって、天宙を破壊してしまっているのです。 ですから、どんなことがあっても、成されないことがないような決意に燃えて、自分も知らないで、何度も死ぬ境地を超えていくような神様の娘でなければ、神様に迎えられることはできません。そのように迎えられる女性になることのできる者は、一人もいません。 文先生は、そのような内容を知ったのですから、再臨の主たる者は、どういうことに……。女より以上の道を行こうとして、獄中を願いながら、ただぐるぐると回ってきた者です。 それは、なぜでしょうか? 母を救うためです。妻を求め、娘を求めて、苦労、苦労の獄中生活をやってきたのです。そのようなことを母の国のためにやったということを真に知る女性は、一人もいないでしょう。分かりましたか? (「はい。」) 先生の苦労、苦労、苦労は、だれのためにやったのでしょうか? みんなのため、わしのため。“我々”ではありません。“私たち”ではありません。“わし”のため。この御旨の道は、“我々”という観念がないのです。わし! 私! 神様は、“私”という観念も、今まで持っていらっしゃいませんでした。神様は、「我」という言葉をお使いになったことがないのです。神様ご自身が完成したら、神様ご自身、個人で“私”という立場に立たれることになります。 ですから、そのような立場に立って、神様の長子圏の代表として、神様の御前に、“天宙復帰は、わしがやる。”と。「我」という者には、「我々の教会」という言葉はないのです。分かりましたか? (「はい。」) 蕩減復帰は、だれがしますか? (「私たちです。」)娘がするのではありません。お母さんがするのではありません。“わし”。各自、各自が成すのです。先生に苦労をさせてきた場合には、君たちは痛哭し、憤死しながら痛哭しても、それは迎えることはできません。そのような恥ずかしい立場であるということを、ずーっと分かっている女性は、日本で何人いますか? 分かりましたか? (「はい。」) なぜ、済州島に来ましたか? このようなとき、このような話を聞かなかったらよかったのに。そのようなことを思っていてはいけません。くるくる回って、方向転換をして、このようにして、ずーっと反対に回れば、また会いました。(笑い)自分の自由ではないですか? このように回って、三百六十度回れば、また会えるのです。 しかし、「文先生に会ってくる。」と言って会える、そんなばかげたことはありません。会うことはできません。日本の国は、(マイク不良につき音声が途切れる)……女が吹っ飛んでしまうと。 先生には、子供がたくさんいます。要するに、霊界が直接、日本の国を吹っ飛ばして、吹っ飛んでしまったとしても、時代が違うのです。母子協助時代が、父子協助時代になるのですから。「お母さん、お父さーん、お母さんがなくてもいいですよ。わしがいくらでも、エバ国は島国、どこへ行っても、女王様でも買ってきますから。」と言うのです。それが嫌であるとしても、お父さんの前に、母を再び迎えられる時代に入ったという、そのような話です。分かりましたか? (「はい。」) 父子協助時代は、お母さんがいなくてもよいのです。お母さん、女は、東西南北、三百六十度、このように回っていなかったのです。このように回ったら、皆、あるのです。文先生のことは、だれでも願うのです。分かりましたか? (「はい。」)文先生のことを願うのは、日本人ばかりではありません。韓国においても、そうです。 ですから、それから今度は、日本においても、三億六千万双の祝福式を日本の国において行うと言って、トップの人たちがこぞって、世界に向けて公文を出して、「日本においては、世界にまたとない、天下を代表した祝福式を行います。」と通知を出していたのならば、もう世界で国を持ったすべての頭たちは、「◯月◯日で三億六千万双の祝福式に参加することができます。」と返事を出していたことでしょう。 もし、そのような公文を出していたとすれば、日本は、どのようになっていたでしょうか? どうなったでしょう? それができないので、日本のために、さらに四十日までも待ちました。しかし、しかたがない。それで、四十日後、その開催地を韓国に切り返して、三億六千万双の祝福を、先生は成しえているのです。日本の国は、そのようなことを夢にも思いません。それでおしまいです、おしまい。 そのような父子協助時代を宣布したのです。分かりましたか? (「はい。」)日本の国は、行ったり、来たり、どこでも行ってしまうのです。そのような起源があるから、日本を放棄することができないのです。 それで、三人の娘の立場として三か国を立たせて、神様のほうに、仮契約をしているのです。日本が失敗した場合には、三つの島国が、その代わりを成します。その一つが何かというと、台湾です。台湾を中心として、フィリピンとカナダです。 台湾は、中国のエバ国家。中国の領土。そうでしょう? フィリピン、それはアメリカの領土。分かりましたか? (「はい。」)それから、カナダはイギリスの領土。それら三人の“女”を立たせてやるのです。お母さんが果たせなかった場合には、三人を制定して、代わりにさせる時代に、もう入っているのです。 ですから、皆さんが献金した、そのような献金。そのようなものは、本当は必要ではないのです。自分の気ままに使った、その使い残り、使い残りの物を神様にささげるというような、そのような悪辣なものは、天下にはありません。先生の世界にはありません。 日本の国とともに、アジアを加えて、神様に献納すべき、そのような日本の国であるにもかかわらず、そのようなことを思いも想像もしないその国が、エバの国になることができるような伝統的精神を持っているのですか? 歴史を通じて飾ることができるような伝統精神が、日本の国にあると思いますか、ないと思いますか? ない? ある? もう、このように、最後にはっきりと教えてあげたのです。切って、太平洋に蹴飛ばしてしまいますか? サッカー、フットボールみたいに、こうやって蹴飛ばして投げてしまいますか? それは、大変です。どう思いますか、皆さんたち? 名門の家の娘として、または奥さんとしての立場がある場合には、無謀な行動をしたなら、どうしますか? 家も顧みない、国も顧みない、そのようなことを教える所であると言って、文先生は、もう世界的な悪魔の王者としてうわさされています。日本から来るいろいろなうわさを聞いているのです。うわさをね。 そのようなことは、もう揮発油をつけて、バーン! と、マッチ一本で消してしまえることなのです。先生が投入した心情というものは、先生は自分で知っているのです。ですから、その種を、どこかでまとめなければならないので、娘の立場に立つ三か国の“島国”を結束させて、日本の代わりに埋めていこうとしているのです。 その三か国が皆、問題です。ハワイだに、使命を果たすことができなかった場合には、世界の統一教会の女性たちを一体化させて、すぐ切り返しをします。先生は、きっぱりした男です。分かりましたか? (「はい。」)真剣になって帰ってください。(「はい。」) 今、世界的な重要な位置は皆、日本人が立っています。韓国の女性ではなく、日本の女性たちが世界に出ているのです。それは、大変です。皆、ありとあらゆることを言うのです。「韓国の先生は、やはり韓国人だ。」と言っているのです。「日本人は、四十年の間ずーっと、帝政時代に韓国に圧力を加えたので、それを蕩減復帰しようとする姿を、堂々と持ち帰っている文先生だ。」と、いろいろなことを言っています。 夢にも思わないことを言っているのです。そのようなことであるとか、このような天下の秘密のことを詳細に語ってあげるのは、初めてです。分かりましたか? (「はい。」) 母子協助、分かりましたか? (「はい。」)父子協助、分かりましたか? (「はい。」)父子協助というのは、お母さんは、いくらでも埋め合わせることができます。先生の話を聞いてみると、みんな落第生ですか、及第生ですか? 君たちの舌で、口で答えてください。落第生? 及第生? (「落第生です。」) 目も落第、鼻も落第、口も落第、骨も落第、すべての細胞も皆、落第です。それを選りだして使う道はありません。種として、植えるような見込みはありません。皆、腐っているのです。しかたなく、先生は、再び次へと抱えて、妻を、お母さんを育ててくるための、この四十年間の苦労の道を歩んできたのです。 これは、四百年間でも、四千年間の苦労をしてでも、そのホームベースとなることもできない難しい国です。日本は、韓国と怨讐国家でしょう? 怨讐でも、怨讐の中の怨讐です。 日本の男性たちも、交差結婚なので、韓国で韓国人と結婚しなければなりません。怨讐みたいなその交差結婚は、妻につばをかける者もありません。神様の本音、本当の願いの、苦労の本音に報いてさしあげる、そのような基準に立って、そのことを成したのです。 文先生は、そのようなことをしなくても、日本人より以上の者を、どこでも集めて使う道は、いくらでもあります。分かりましたか? (「はい。」)女性たち。先生は、思ったとおり、希望を持って、四十年以上、蕩減の道を歩んできました。そのようにして試練を超えてきた先生が口を開けた場合、その先生の口から呪いの言葉が出た場合は、大変です。 先生は、自分をどんどん蹴飛ばすようなことをしても、何の未練もない男です。恐ろしい先生です。きっぱりしています。約束した場合、そのとおりになしていくのです。分かりましたか?(「はい。」) これは、三段階の、これは済州島の地帰島の、もう入り口に立っているのです。地帰島。母子協助! それは必要ですか、必要ではないですか? 苦労したいですか? 女性よ、目覚めよ。先生の妹になりなさい。なるか、ならないか? (「なります。」) ここの奥さんも、妹になりなさい。(マイク不良につき音声が途切れる)……大変です。約婚の娘の立場に立ったということを、忘れてはいけません。それをなげうって、神様にとっての姦夫と一体となってしまったのです。その者を再び求めて、会ったということは、恥ずかしいどころのことではないのです。何とも言いようがありません。 その立場において、威張った姿で堂々と歩くという場合、そのような姿を天がごらんになったときに、どのように思われるかと、そのことを考えないといけません。そのようなことを、先生は皆、知っているのです。お金が問題ではありません。一人が問題、一家族が問題、一族、国家が問題ではありません。 国を目標として立ててこられた神様の、悲惨なその内容を知ったら、国をいっぺんにエバから弁済しなければなりません。しかし、弁済しようとしている女性は、一人もいないではないですか? 皆さんは、教主の何ですか? 妹ですか? (「はい。」)皆さんは、未来の約婚者です。 先生の妹ですか? (「はい。」)前に約婚して、それを皆、放棄した反逆者ですか? それを、昔のように、「うわーっ、会ってくれない。」と言う、そのような不平を言うような女性ですか? それは、女でも何でもありません。サタンでも、「前の、約婚娘であった。」と言う、そのようなことはできないのです。 ですから、女たる者は、先生を慕わざるをえないのです。なぜ、皆、そうなのでしょうか? ここにいるたくさんの女性を見てみてください。皆、八〇パーセントは女性ではないでしょうか? 宗教圏では、七〇パーセント以上は、女性です。ですから、女性の訓練所です。 きょう、最後に、先生の教えるその内容に合格する者は、何人ですか? 三人ぐらい残ったとしても、それでいいのです。皆、消えてしまっても、その三人は、エデンの園、天国に入れるのですが、楽園と地獄とは別の世界で、反対の声も、その怨声も、叫ぶ悲惨な声も聞かれない。そういう悲しい声を聞かないで済む、そのような所をつくるのです。 厄介な昔、因縁があったのです。それを引きずりながら、引っ張っていくのです。それをさっさと切ってしまいなさい、というのです、今。分かりましたか? (「はい。」)なぜならば、神様が、先生に対して、“すまない、すまない”と思われるからです。 “わしが後ろを向いて、待ちに待っていた、それを文先生はやっと捜し出し、それをみんな解除して、解放圏を立てた。わしの権限では、皆さんの中から今になって、先生の前に負債を負うような者を一人も作りたくない。”というのが、神様の考えなのです。分かりましたか? (「はい。」) 神様の願うとおりにやりなさい! (「はい!」)祈ったら、そうなるのです。先生には、生涯をかけて、清々溌剌の青春期を失って、老人になって、墓場を前にして、解放と地上、天上天国解放圏を思いつつやってきた、その歴史があるのです。ですから、神様は大変です。それは、文先生を慰める道がないというのです。分かりましたか? (「はい。」) それは、ずーっと削られて、ちり箱に入れられるのですが、待っておったら、サタンも皆、ちり箱から、捨てたちりを再び溶鉱炉に入れて、それを再創造してあげるのです。そういうことがらを待つのです。待つ、待つ。分かりましたか? (「はい。」)分かりましたか? (「はい。」) 男性たちは、母の長男、次男にならなければいけません。分かりましたか? (「はい。」)日本の国において、孝子、忠臣、さらに親孝行どころではない聖人、そして聖子より以上の立場になるので、それは母子協助ではなく、父子協助です。そして、長男と次男が一つになり、争いがないという模範と伝統を母の国から示さなければなりません。それを母の代わりになして、それは伝統を植え込まなければなりません。 ですから、使命は長男にあります。そうでしょう? (「はい。」)今、日本では、二世、若者たちが大変です。それは、米国よりもっと大変なことになるのです。国家の中で、皆、共に殺し合うようなことが、もう始まってくるでしょう。韓国もそうです。米国は、もう遠ざかって、過ぎ去っていったのです。今から、それは後について行きます。 次男が、もっと悪い。三男は、希望がない。サタン世界では、希望はないのです。それは、滅亡です。原理は、そのようになっています。神様の主管圏の世界は、そうならざるをえません。いくらもみ合って、反対に抜けようとしても、もう抜けられる道はありません。抜けられる道があれば、先生は、このような苦労をしません。 日本は怨讐国家でも、その日本人から誘惑されるようなことは、絶対されません。しかし、しかたないからといって、しかたない態度でやったらだめなのです。先生は、それはもう二重三重の精誠を尽くして、日本を立たせていく決意をして、今まで一心不乱にやってきたのです。 先生が、日本人に対してなした待遇は、これ以上ない、言葉で表すことはできないほどのものです。しかし、それに対して、先生に勝る歴史を残し、先生に勝る精誠を尽くして、日本人として先生を迎えることのできた者たちは、一人もいないのです。分かりましたか? (「はい。」)分かりました、分かりませんでした? (「分かりました。」)分からなかったら、分かってしまいなさい。(「分かりました。」) 金をもって、何をするのですか? 子供をよみがえらせることができますか? 娘をよみがえらせることができますか? 奥さん、母を復活させることができますか? 世界を生むためには、母の血と汗と骨髄までを溶かして子供に投入する、そのような母でなければ、親孝行の娘を育てる資格はありません。国に対する忠臣者を育てる資格はありません。 聖人、聖子たちを育てることのできる、母としての使命がないはずなのに、それ以上の祝福権限に立って、思いもよらない、姿も形も取らないようなその者は、愚か者の中でも、さらに愚か者です。ばかは……? (「死ななきゃ治らない。」)死んだら、どうしますか? (「地獄に行きます。」)地獄も行かれません。無抵抗。そのような時代になります。 神様は、再びもう、地獄で嘆くその怨声、そのような声を「再び聞きたくない。」と言われるのです。先生を解放、すぐ処置するのです。(マイク不良につき音声が途切れる)……それを見ながら、退治をする手を、こういうことができなかったのだから。先生は、霊界は、すぐ切り替えする。そのような先生は、恐ろしい男です。分かりましたか? (「はい。」) このようなことも、皆さんが帰る間際にも話をするのです。先生も、七時から七時半になったら帰らないといけません。ですから、何を珍しがって、このようにぐだぐだと語ってあげる必要もありません。夏ですから、指導して、それはもう、皆さんが帰っていくならば、コカコーラ一杯ずつ飲ませて「帰りなさい。」と言えばいいのです。(笑い) 先生が、呼んだのではありません。君たちが、(マイク不良につき音声が途切れる)……もう分からないように、それはもう、来たかったら、来てみてください。先生は、いるかいないか、分からないと思うのです。(笑い)来てみてください。“来るだろうな。”と思っていても、こんなにたくさんの者が来るとは思いませんでした。皆さんの出身の県で、抜けている県がないでしょうね。 さあ、お別れしましょう。別れても、先生は、はっきりと教えました。分かりましたか? (「はい。」)そのまま行きますか、「回れ右」をして、その場に立って、回りますか、回る途端に走って、先生の行く道の前に立ちますか? 道は、それ一本しかないのです。 恐れてはいけません。(笑い)このような内容なので、食口ではないですか? ですから、しかたがある、しかたがない? しかたがないではないですか? (「しかたないことです。」)しかたないことではないですか? ですから、しかたない立場です。また帰って、そのまま、先生は回れ右をしました。百八十度変わってしまいました。先生の前に、先生を蹴飛ばしていかなければいけないのです。指導されないようにするのです。先生の苦難の道を、自分たちが先頭を切って、それは、もう“責任を持つ”という立場で行かなければなりません。先生の前に、先生のいる前に行って立って、「すみません。今からもう一回、赦してください。」と言えるはずがありません。(マイク不良につき音声が途切れる) ……先生は、そのような準備をさっぱりと満たしています。先生がこのように発表した、そのような内容は、もう永遠に歴史に残るのです。ですから、先祖である皆さんたちが、そのとおりにしなかった場合には、その者は、後孫において、皆、引っ掛かってしまうのです。恐ろしいことです。 もし、信じなかったら、やってみてください。霊界に行ってみてください。皆さんが、日本全体が皆、引っ掛かってしまうのです。例えば、母が誤った場合、一家を滅亡させるのです。そうでしょう? 旦那さん(マイク不良につき音声が途切れる)……子供があったら、 舅 家全体、部落全体が……(マイク不良につき音声が途切れる) 母の罪、奥さんの罪、娘の罪、三人のうちのだれか一人がやっても、一家族の恥となり、それはもう、即座につながってしまう。そのような伝統的な歴史を持っています。サタン世界も、そうではないですか? 先生の話は合っていますか? (「合っています。」) ですから、二世として入った男の子たちは、「お父さん、お母さん。何をやっているのですか? 先生は、まさしく真理、蕩減復帰原則を言ったのに、なぜ今、泣いて、そのような態度をもって、今まで先生から聞いたこと、語られたすべてのことを完成せずに、そのような不完成の末端圏に立って、悲惨な姿をなしているのですか? 母ちゃん!」と、攻撃してくるようになるのです。分かりましたか? (「はい。」) 二世を覚醒させなさい。母より以上に。皆さんの娘のほうが、何十倍の十字架の道でも、垂直に行くことができます。そのような決意を固めて、一家で、会議でもって決定しなければなりません。そのような運命、宿命的な日が来ました。分かりましたか? それで、先生は詳細に教えるのです。過去は、母子協助時代でした。今は? (「父子協助時代です。」)間違いないのです。母がいなくても、休めます。ですから、お母様は、今まで、先生を休ませるのです。もう、五年前から、そのようなことをやっています。そうして、「願うことがあったら、やりなさい。」と。 お母様は、どこかの食口たちが、お金がないというので、それでいろいろな物を買ってあげたということが、たくさんあったのです。そのようにして、皆、買ってあげました。それで、買ってあげるお金がないから、自分の着物まで、それも肌着まで皆、脱いであげるのです。かわいそうなお母様。 ですから、母の国の日本が肌着を脱いで、世界のために、もっとそのようにして愛する伝統を持つべきなのです。それは、日本、世界のこともそうであるし、カイン、アベル紛争圏についてもそうです。 国が協助したならば、それは外務省が責任を持って、いかなる宣教師でも、国を挙げて奉仕することができるようにしなければなりません。そういうことを教育すべきなのが、日本政府の使命であるのに、反対の使命をしています。 逆に、混乱する、そのような日が遠くないのです。めちゃくちゃになることでしょう。先生が打ちかけた場合、大変ですよ。そのような場合、日本政府はぺっちゃんこになります。何をやっても詳細に分かるのです。そのような保護を、先生が責任を持って、皆、解除してあげているのです。 そのようなことを先生自身の重荷として背負ってきたのが、文先生の四十年間の歩みです。敗北し、草までも皆、焼かれてしまった日本が、四十年の間に、天下の、それはもう世界の金持ちの国になったということは、その背後にそのような歴史があったということを知らなければなりません。 文先生が母の国と任命したのですから、英国を通して西洋文明圏を伝え、アングロサクソンである英国と米国を中心として、それらを皆、日本に連結したのです。 ですから、今、日本は米国以上でしょう? しかし、今からそれは、米国の資金が皆、いっぺんに取られたときには、日本の国のお金持ちは、空っぽになるのです。それを知っていますか? 知っている? (「はい。」) 先生は、米国で政府を動かすような力があるのです。中共でもロシアでも。恐ろしい男です。いつ、それを使いましたか? 先生の思想は、恐ろしいのです。(マイク不良につき音声が途切れる) 共産主義を壊滅させた場合には、それ以降に復活させる道に責任を持たなければ、それは悪辣の王子、指導者ということになります。聖人の中の聖人は、死んだ後においても責任を執らなければなりません。 歴史は、もう明らかであり、そのようなことも啓蒙してきたのにもかかわらず、文先生が歴史に責任を持って、人類皆に対して責任を果たすべき公的な立場を持っているとすれば、それは、滅亡した後のロシアをどのように処理するかについて、責任を執らなければならないのです。 それについては、ずーっと、最高の……。ロシアの文部長官が、先生がロシアを離れる十五分前に訪問してきました。そして、「大変なことがあったのですから、文先生、会ってください。」と言って、大変でした。ですから、「君、何だ? 文部長官が、なぜ来たのですか?」と聞きました。その人は、最高レベルの責任者なのです。 こちらから「何ですか?」と聞くと、「あなたは、共産主義打倒の一番の魁首であり、そのような運動の世界的先頭としてやってきた人物です。ですから、その思想は、もうKGB(旧ソ連の国家保安委員会)で、私たちが出会ったときよりも昔から、八年前から勉強、研究していたのです。」と言うのです。分かりましたか? どうせ共産主義は、文先生の理論に負けるようになっているのです。どんな主義でも、そうです。それは分かります。しかし、それらが負けた後に、いかに収拾するかが重要です。それは簡単です。「ために生きなさい。」これが答えです。 神様の理想の愛と、その愛の世界。愛をもって奉仕していくのです。愛は、独りでは、自分独自では、愛の世界を得ることはできません。そうでしょう? 神様ご自身においても、そうです。理論的にこうなのです。(マイク不良につき、しばらく音声が途切れる) 文先生は、並々ならぬ男です。日本の歴史において、いくらそれはもう、風に語って、高めて、高く上げていますけれども、日本の女性には、文先生みたいな男は、もう、思い出すことができないのです。分かりましたか? (「はい。」)正しい内容をはっきりと教えてあげたのですから、はっきりした娘と、はっきりした約婚者、はっきりしたお母さんになってもらいたい、というのが、そのような内容を提示した先生が、そのようにして並んで帰って行く皆さんに対して願う気持ちです。 ですから、そのようにして結果を立たせて、再び帰ってくるのですから、もう一回、この済州島で、また新しい希望の言葉を伝えることがあるかもしれません。(拍手)お、お、お、お。拍手は後です。(笑い)見事、なして帰ってきて、拍手で迎える日を願うのであったら、もう一回、会って……。 そのような日本人には、会わなくてもいいのです。米国でも、「文先生。うわー、もう、韓国とかアジアへ行かなくてもいいです。」と言うし、英国でも言うのです。皆、自分たちで手配を済ませて、「何でも、よろしゅうござんす。」と言って、世界どこでも、「別荘を用意いたします。別荘は、国が保護してあげますから。」と言うのです。 北韓でも、そのように文先生と緊密です。北韓では、りっぱな別館を先生にくれると約束しているのです。今、そこに行ってもね、金正日総書記は、言わば、先生の甥の立場になります。ですから、先生が行けば、「おーい、金正日君。じいさんが帰ってきた。じいさんが帰ってきた。」と言って、「あなたのお父さんの言ったとおりに、それを成せばいいではないの。」と言うのです。分かりましたか? (「はい。」) このように話を聞いている間は、気持ちが悪かったのだけれど、「もう一回、会うことができるかもしれない。」ということを言ったのですから、希望の朝になりますね。(拍手)はい。 歴史が、もしも血を見るようなことになった場合には、大変なことになるのです。ですから、歯を食いしばって、先生の前に、生涯、“血を流されるのは見たくない”と思って、頑張らなければなりません。今でも悪辣な怨讐が、たくさん前に並んで反対したとしても、“知らない”といって、聞かなければよいのです。分かりましたか? (「はい。」) “先生が不必要だ”という者、手を挙げてください。“先生が絶対に必要だ”と思えば、座っていないで、うわーっと、いっぺんで立ってください。手を出してください。(「はい。」) (マイク不良につき音声が途切れる)分かりましたか? (「はい。」)日本を抱えて、先生の所ではありません。日本人を覚醒させてください。(マイク不良につき、しばらく音声が途切れているため一部省略) 先生の気持ちは皆、そうです。このような歴史にまたとない秘密の内容を詳細に教えてあげました。それは、天国に行って、先祖たちとともに、聖人たちとともに、その前で教えるべき内容です。 これを、日本の信じられない者たちを前にして、詳細に教えたのです。父子協助と母子協助が何であるかということを、はっきり分かりましたか? 「分かります」、「分かりません」、どっちですか? 「す」、「せん」、どっちですか? (「『す』です。」)もう簡単にします。「すー。」(笑い) それでは、先生の願ったとおりに願うということになりますが、皆さんが、「ここにおいて願ったとおりになしえたのか?」と言われたときに、自分の実績、行動いかんによって、それは左右されることになるので、この場で先生は、命令のように言いたくないのです。 今、伝統と国を授けてあげる時代が来ました。日本のメンバー。りっぱな子供、りっぱな奥さんたち。今朝、はっきり分かりましたね? 済州島という地名は、州はどこでも島でも国になり、島といっても、それは島国ではありません。これは、未知の言葉です。「サイシュウ」ではなくて、「サイシ」ならば、「祭司」になります。それが済州島です。それは、祭司長になるための島。そのように、ぴたっと考えれば、もう何人もの人が、大使をするでしょう。分かりましたか? (「はい。」) 分からなかった者は、手を挙げてください。もう、いないではないですか? 全部分かりましたか? (「はい。」)先生は、もう、頭がぼやーっとして、分からないのに。(笑い)それではもう、生気溌剌として、うわー、一、二、一、二、三、四と、そのようにしてみてください。(笑い)両手と両足、四肢を上げて、万歳をして。一、二、三、四、それでは、一、二、三、四、ばんざーい。(「ばんざーい。」)(拍手)(真のご父母様に敬礼)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.21
コメント(0)
第五回「七・八節」敬礼式後の御言成約九(二〇〇一)年八月二十五日(陰暦七月七日)、韓国・済州国際研修院 真のご父母様は、第五回「七・八節」を韓国の済州島で迎えられました。この日、午前七時からは敬礼式が行われ、真のご父母様の敬礼、真のご子女様の敬礼、各基台ごとの敬礼、「家庭盟誓」の唱和の後、真のご父母様が祝祷をささげられました。その後、引き続き「訓読会」が行われ、「訓読会」の後、真のお父様が登壇されて、集まった教会員たちにみ言を語られました。 祈祷 愛するお父様。きょうは、二〇〇一年八月二十五日です。この日は、「七・八節」を設定してから五回目を迎える記念行事の日です。 七数完成を願う創造理想がふさがれたので、この日を立てるために、真のご父母様を中心として、七十七歳の一九九七年七月七日(陰暦)、七時、七分、七秒を中心とする「七・八節」を終えました。 六数の堕落によって、七数の安息圏に越えることができませんでしたが、真のご父母様の生涯を通して、そのすべての境界線を乗り越えて蕩減復帰し、天とともに七数完成の理念を中心とした、「七・八節」という「天地父母天宙安息圏」定着を宣言することができました。このような時代を迎えるようにしてくださったお父様のご苦労に感謝申し上げます。 歴史時代を経ながら、蕩減の“道なき道”を歩み、幾重にも連なる峠を越えるための受難の歴史を経てまいりました。その中で、数多くの宗教と、数多くの善なる人々の血の痕を連結させた祭壇を集めて、個人を超え、家庭、氏族、民族、国家、世界まで超え、旧約時代は万物が祭物となり、新約時代は子女が祭物となり、成約時代は父母が祭物となる時代となりました。 その過程を経て、サタンの恨みに満ちた怨恨の峠によって包囲された包囲網を貫き、それを乗り越えることができる新しい「七・八節」という七数完成と八数を立てる名節によって、一つの境界線を設定いたしました。 そのことによって、新しい世界と新しい摂理の完成世界に向かって越えていくことができる時代を迎えるようにしてくださった恩賜を、お父様の前に感謝申し上げます。 歴史時代の数多くの宗教や教主たちを通して、善なる良心的な人士たち、自らの国に忠孝の道理を立てるために犠牲になったすべての者たち、また、聖人、聖賢たちの労苦と犠牲の代価を清算し、新しい解放の祝福を中心とする「七・八節」を迎えました。 そうすることによって、天上世界の家庭的王圏、民族、国家的王圏、世界的王圏、三百六十万双を超えて、三千六百万双、三億六千万双まで成し、全人類をあなたの愛の懐に抱くことができる解放的権限として集結させてくださった恩賜を感謝申し上げます。 祝福を受けた群れを中心として、天上世界の解放を中心として、聖人たちの糾合と、霊界の新しい神様の愛の主権を中心とした主流の行路を開拓することができるようにしてくださった、お父様の恩賜の前に感謝申し上げます。 それと同伴し、地上のアダム家庭を中心として失ってしまった祝福の恩賜を、地上において取り戻すために、天上世界のカイン的なすべての先祖の祝福圏を糾合し、天上の主流的な一つの方向を設定いたしました。 それと同時に、地上に一つの主流的な方向が定まり、一体圏として個人から天宙史まで、平面的途上において、このことを完結することができるようになりました。そのような時代的恵沢を受けることができ、全天宙的恩賜の時代を迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。 今、神様の王権樹立を中心として、準備された一切のものが実を結び、今年の一月十三日を中心として、神様の王権即位式を中心として、天地統一解放の宣布をすることができる時代を迎えるようにしてくださったことを感謝いたします。 今から神様の生命的愛を中心として、全体、全般、全権、全能の行使として、悪なる世界のすべての障害物を越えてはまた越えて、自由的な自己主張の立場で天下を治めることができる主人として、信奉することができる家庭的王として、国家的王として、世界の王として、天地父母に侍ることができるようにならなければなりません。 そのような“侍奉”の環境的条件を整備することができる時代を迎えるようにしてくださった恩賜を心から感謝いたします。 今回、この済州島において、統一家のすべての若者が受ける十四日修練の期間に、共に、この日を迎えたことをより一層感謝するとともに、すべてのみ旨の中で疑わしく思ったことをすべて越えて、人間が解決できなかった困難なことをすべて解決し、勝利の覇権を相続することができる解放的本然の息子、娘の権限を持った家庭的中心を、この地上に立ててくださったことを感謝申し上げます。 この家庭によって、中心氏族、中心民族、中心国家、中心天宙として、神様の心情的直系の系統を備え、神様の天民であると同時に、天の王権を相続することができますように。 そのような血統を受け継ぐことができる祝福を受けた天地の家庭となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 今回の期間を通して、新しく転換される時代を迎え、解放された主人の立場においてのみ、あなたの愛によってつくられ、所有された宇宙、すべての万物を再び相続して、愛の主人となることができ、自然世界の全宇宙の前に不足ない主人となることができ、中心存在として恥ずかしくない行路を備えることができますので、そのような個人と家庭と氏族、民族、国家を、超民族的に形成することができますよう、そして、天の祝福が、全地球星に臨むように許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 きょうのこの記念日を、より一層感謝しながら、この日以降に成されるすべてのことを、毎日、毎日、喜んで歓迎しながら、前進的勝利の結果を、お父様のみ前に奉献してさしあげることができますように。そのような“侍義世界”に転換することができるように許諾してくださいますことを懇切にお願いしつつ、きょうの慶祝の日を祝賀する意味で注がれる天の大きな祝福が、万民の前に、天宙の前に滞りなく臨むよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 そして、愛を中心として、絶対個人、絶対家庭、絶対国家、絶対天宙に前進、前進、前進、勝利、勝利、勝利、覇権的世界に前進しなければなりません。真の父母の名によって祝願いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 み 言 救援摂理とは、創造理想を完結させるものです。神様が創造理想を完成されるということは、どういうことなのかといえば、皆さん個人を中心として、神様の真の愛と真の生命と真の血統の因縁を決着させることであり、そこで種となり、その種が家庭になり、家庭の種が氏族の種になり、氏族の種が民族の種になり、民族の種が国家の種になればよいのです。それが結論です。 ですから、神様の創造理想の実現というもの、また、今まで、この地上で救援摂理を通して取り戻すことを願ってきたものは、すでに創造前から神様の計画の中にあったものであるということを、皆さんは知らなければなりません。 それでは、神様ご自身の立場に立ってみるとき、神様ご自身を中心として、神様は、「わたしである。わたしの物である。」と言われるような、このような論理が始まらなければなりません。 神様を中心として見れば、神様は、「わたしたちである。わたしとあなたである。」と言われることのできる三対象圏を必要とされるのです。このような問題を中心として見るとき、それは、何を中心として始まったのかといえば、神様の愛を根拠とし、神様の生命と神様の血統を根拠としているという事実を知らなければなりません。 ところが、堕落とは何でしょうか? このような理想とは、全く関係がありません。神様の愛と神様の生命と神様の血統と関係がないので、そこには、“神様”という観念的意識が定着することのできる何ものもありません。これが問題です。 ですから、救援摂理を通して、蘇生時代である旧約時代には、万物を通して覚醒させ、新約時代は、自分の直系の子女を通して覚醒させ、そして、成約時代は、父母を通して覚醒させるのです。 それでは、その内容とは何でしょうか? 神様が本来、「わたしである。」とおっしゃることができ、「わたしの物である。」とおっしゃることができる状態が、本来の創造理想です。それから、神様だけではありません。神様が、「わたしたちである。わたしたちの物である。」とおっしゃることができる状態でもなければなりません。それは何かというと、創造理想……。 “私”というものは、男性と女性を中心として違いがあります。“私”は、個別的な価値が異なるのです。 例えば、女性として「私」と言うとき、神様が、その“私”を“私”として認定することができる内容を、自分が受け継いだのかどうか、ということです。その“私である”という主張を、どこからしたのでしょうか? それは、簡単なことです。今までは、堕落した世界の韓国国民であり、今まで、その教育を受けた歴史的な伝統や、家庭や、国家的伝統を通して“私”という意識を持ったのです。ですから、創造理想的意識圏に立つことができ、神様ご自身が、「わたしのものである。」とおっしゃることができるものとは、関係がないのです。いつも、そのことを考えなければなりません。 ですから、今、持っている“私”という概念は、本来の創造理想にはないものなので、完全に否定されなければなりません。神様が、「わたしたち」とおっしゃることができるのは、神様の愛と生命と血統を中心として、個人完成圏を中心とした男性と女性が、一つになって家庭完成圏を中心とするようになるとき、その家庭を中心として、神様は、「わたしたち」とおっしゃることができるのです。 それゆえに、神様を中心として見るとき、神様が「わたしたち」とおっしゃることができるのは、神様が父であられ、人間が、その子女であるという父子関係、夫と妻という関係、兄弟という関係から「わたしたち」という関係が成立するのです。 上下関係、左右関係、前後関係、これがすべて東西南北の球形を形成し、その全体を代身する私たちの代表的存在が、“私たち”なのです。それは、個人でも同様です。 それで、皆さん自身が“私”、完全な“私”になっているのかということが問題になるのです。それは、神様が公認されることができる“私”ということなのです。そのようになろうとすれば、神様の愛と神様の生命と神様の血統と、絶対的な関係ができていなければなりません。それが主流でなければなりません。 “私”とは、神様の愛を受けることができる息子であり、神様の生命と結託した息子であり、神様の愛と生命を通して、永遠に神様の所有圏となる家庭になり、そこから神様の国、神様の世界まで連結させることができる因縁を結んだ“私”なのです。“私”という概念は、そのようになっていなければなりません。 今日の堕落した皆さんが、「私である。私の物である。」と言うのは、すべて偽りです。それは、すべて虚言です。通じません。 ですから、皆さんがいつも備えなければならないことは、“私”であり、神様が求める“私”というものは、神様の愛の中で結実した“私”であり、神様の生命の中で結実した“私”であり、神様の愛と生命が結託して、血筋によって結託した“私”なのです。 そのようになろうとすれば、“私自身”は、どのようにしなければならないのでしょうか? 神様がごらんになるときに、心と体が絶対的に一つになった“私”でなければなりません。「神様が“動機”であられるならば、自分は、過程を経た“結果的存在”であり、それは間違いない。」と言うことができる“私”です。そのような“私”という意識を持つことができなかったのです。 それゆえに、この革命的過程を経ていくうえでは、堕落によって因縁を結んだ天地のすべてのものを完全に否定しなければ、本然の立場に戻っていくことはできないという事実を知らなければなりません。分かりますか? 蕩減復帰です。戻っていこうとすれば、蕩減復帰です。神様が構想された内容を中心として、神様が「わたしである。」と……。神様ご自身の立場から見れば、神様が「わたしである。」と言われるとき、心と体が一つになった立場で、“私”を立てようとされたのです。分かりますか? それでは、今、皆さんが、「私の物である。私である。」と言うとき、皆さんの心と体は、一つになっているのですか? これが問題です。これが大きな問題なのです。哲学的な観点や、あるいは思想的な観点や、現実的状況や、歴史的な伝統から見れば、これは、大きな問題なのです。 “私”の主体性を、どこで立てるのかというとき、“私”は、神様の愛と生命と血統が一つになった“第二の神様”の立場に立つ、そのような立場であり、神様が「わたしたち」とおっしゃることができ、いつでも心と体が一つになった立場に立った息子の立場、娘の立場にいなければなりません。 その息子、娘が、堕落せずに完成して、神様の代を受け継ぎ、「私たち」と言うことができる家庭的基台を中心として、それを越えて孫を愛することができる立場にまで行って、初めて神様の家庭が成立するのです。神様が、その立場に出ていかれることができず、孫をお持ちになることができなかったので、神様の家庭が成立しなかったということを知らなければなりません。分かりますか? ですから、「私」という言葉は、「神様の真の愛を中心として、心と体が一つになった愛と生命と血統が連結された絶対信仰、絶対愛、絶対服従の結果として結ばれた“私”である」という、このような意識になっているのかということが問題です。 最も重要なことは何かといえば、蕩減復帰でも何でも、すべて成し遂げて、すべてのものを完成させたというとき、皆さんがこれを完全に相続するためには、神様の位置に立ち戻らなければならない、ということです。 神様が「わたし」とおっしゃるとき、神様の心と体は、分裂していません。永遠の神様は、愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体であられるので、神様も、“永遠に不可分の一体的基準に立っている”というコンセプト(概念)を中心として、“私”ということを主張されたということを忘れてはいけません。 それは、いくら難しく、いくら苦痛の立場にいたとしても、否定することはできません。その立場に立って、消化しなければならないのです。それが、神様の立場であられるということです。 神様が、「わたし」とおっしゃるとき、神様は、お父様の立場に立たれた“私”であられるのです。ですから、そのお父様のみ前に、本当の息子、娘の立場に立って、神様が、その者をごらんになったときに、「わたしたち」とおっしゃることができる、そのような息子、娘はだれなのか、ということが問題です。 本来の神様の創造理想の愛と生命と血統の種であり、完全に心と体が一つになった家庭を持つ前に、神様のような“私自身”にならなければなりません。しかし、自分自身を見れば、その今現在の姿が問題です。二つになっています。心と体が闘っているのです。 蕩減復帰の完成と、天国に行って完成すべきこと、そして整備すべき問題すべてが、このことに懸かっているのです。それが何のことか、分かりますか? “私”が、どこにいるのですか? 神様の真の愛を否定し、真の生命と真の血統を否定した、堕落の後裔としての自分自身を主張する“私”は、間違いなく、神側の愛と生命と血統の因縁とは関係がないのです。それ自体が、否定に否定を受けなければならない悲しい自らである、ということを知らなければなりません。 いくら幸福で、“自分は幸せに暮らしている。”と思っていたとしても、その立場は、希望の根本、希望の気運を忘却した立場であるということを、はっきりと知らなければなりません。“私”はどこにいるのか、“私”をどこで捜し出すのか、というのです。 ですから、(今まで)“私”を守ってくれた歴史的な蕩減の峠を越えていかなければなりません。越えていかなければならないのです。その世界に、個人も到達しておらず、家庭も、氏族も、国家も、世界も、どのような主義、思想も越えることができなかったので、“私”とは、何の関係もありません。 そうであるにもかかわらず、そのようなことを中心として“私”を主張するという事実は、自体が矛盾しているという事実を、さらに重ねて否定することになります。それでは、永遠に希望がないということを知らなければなりません。それが問題です。 本然の世界に戻っていって、どうするのですか? 神様が、「わたしである。」とおっしゃることができる、その主体の前に、愛は変わることはできず、生命も変わることができず、血統も変わることができない、そのような一体圏から抜け出すことができないのが、“私”という立場なのです。それは、結実と同じ立場に立った“私”なのです。 ですから、「私である。」と言うときには、心と体が、完全に統一されていなければなりません。それでは、“自分は、そのようになっている”という人は、手を挙げてみてください。最後の、この終わりの日になって、先生がはっきりと教えてあげるのです。先生は、このような問題で、だれよりも苦心した人です。 体はこちらに行こうとするのに、心は、それとは反対の方向に行くのです。心と体が闘う最後の境界線は、どこですか? これは、個人から地獄世界まで連結されているのです。 永遠の恨を抱かれた神様を、囹圄(囚われの身)の立場に立たざるをえないような悲惨な姿にしてしまったのですが、その環境的条件が、“私自身”を中心として結実しているという事実です。それにもかかわらず、神様に対して「お父様」と呼び、その神様から福を受けようとするのですから、これほど矛盾した事実はありません。そのような宗教は、撤廃されます。すべてなくなるのです。 “私”が、どこにいますか? “私”を捜し出しましたか? 神様のみ前に、神様が「わたしである。」とおっしゃることができるようにしようとすれば……。神様の心と体が闘いますか? 闘いますか、闘いませんか? (「闘いません。」)それに反して、皆さんは、このままでは、まるで悪党の息子、娘です。 それは、二つの世界を持っているという事実です。先のとがった両刃の刃物があれば、刃は両面についていますが、それは刃先に行くに従って、一つになっています。そのように、最初の出発は、一つです。そして、一方の刃が、こちら側の面を代表し、もう一方の刃が、また一方の面を代表しているのです。 ですから、刃が両面にあっても、それが一つになっている、その両刃の刃物のように、心と体が一つになれば、二つの世界が願う一つの“私”となることができるのです。 その概念というものは、絶対愛の因縁と絶対生命、絶対血統を受け継いだ、不可分の一体圏に立った“私”なのです。そのような“私”を、どのように形成するのでしょうか? これが問題なのです。 蕩減路程……。蕩減路程は、だれでも最後まで行くことができますが、問題は、最後の自己整備をどのようにするのか、ということです。 このような問題について考えてみるとき、最近の“総生畜献納”についても何についても、これを中心として、ぼろきれのふろしきに入っていって、ごそごそかき回すような者たちは、天国でもどこでも、行くことはできません。 先生は、この復帰路程を蕩減復帰するために、このような思考、このような思想、このような哲学的思想の根拠を中心として、神様が公認なさることができる出発の起源を築いたのです。それでは、その道を行く途上において、本当に先生の味方になることができる人は、だれですか? 母もいなく、父もいなく、だれもいません。何のことか分かりますか? 「私」という言葉を主張することのできる根拠は、どこにあるのですか? 神様が万物を創造された、その場です。そこでは、心と体が一つになって創造されたでしょう? 絶対愛であり、絶対信仰であり、絶対服従であり、そこでは、“自分が利益を得よう”、“自分の利益を得よう”という考えはありません。 真の愛というものは、自分から捜し出すことはできません。真の愛は、必ず相対を得て成立するようになっているのであって、自分ひとりで得られるのではありません。いくら神様であっても、自分一人で真の愛の理想を成し遂げることはできないのです。それは、相対を得ずして“私たち”になることはできない、ということです。分かりますか? ですから、神様には、“私たち”が必要です。目に見えない神様ご自身におかれては、心と体が一つになっておられ、“私”ということを主張することができる立場にあられるのですが、それだけではだめです。心と体が一つになった神様ご自身は、認めることができますが、“私”一人では……。 今、皆さんの心と体は、堕落したために一つになっていませんが、堕落していなければ、本然の“私”になっていたのではないですか? “私”になっていたのです。それは、“私たち”ではありません。男性なら個別的な男性であり、女性なら個別的な女性です。二人が一つにならなければ、「私たち」という言葉は成立しません。 まず、縦的な面に立った“私たち”というものが成立しなければなりません。父母というもの、父子関係、夫婦関係です。父子の関係が成されなければ、“私たち”になりません。 それでは、その男性と女性を、どのように処理するのでしょうか? 神様は、縦的関係において、愛、生命、血統を中心として、“私たち”という概念の関係を結ぶことができますが、男性と女性は、どのようにして“私たち”という概念を立てるのでしょうか? 神様を中心として縦的基準は成立するとしても、「私たち」と言うことができるようになるためには、男性と女性は、どのようにして“私たち”という概念を持てばよいのか、ということです。縦的基準は、縦的関係において「私たち」と言うことができるのですが、男性と女性の一体圏を、どのように主張するのかということが問題なのです。 それゆえに、男性と女性の個別層を中心として、完全に一つになった“私”を立てて、その“私”が、神様が「わたしたち」とおっしゃることができる位置まで訪ねていくのです。 しかし、垂直的な“私たち”だけでは、家庭はできません。左右関係の“私たち”、さらに、前後関係の息子、娘まで、三代を連結させなければ、“私たち”の家庭は成立しません。家庭が成立しなければ、すべてなくなるのです。そうですか、そうではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです。」) 家庭がなければ、すべてなくなるのです。ですから、上下関係の父子関係、左右関係の夫婦関係、前後関係の兄弟関係がなければなりません。これが三代です。三対象目的がなくなるときには、すべてなくなってしまうのです。“私”も“私たち”も、何もありません。 そのような家庭を中心として連結された多くの家庭が氏族となるのであり、そのように家庭が氏族として連結され、数多くの家庭が結合したその氏族を中心として民族となるのであり、民族も、数多くの家庭を包んで連結した民族を中心として、国家形態ができるのです。 ですから、“私”、“私たち”……。この“私たち”の中には、全体が包括されるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)子女と父母を否定することはできません。否定すれば、何になるのですか? 真なる父母の愛と生命と血統が、連結されていなければなりません。すべて、そうでしょう? どの息子、娘でも、全員そうなっているでしょう? そうなっていますか、なっていませんか? その父母の愛と父母の生命と父母の血筋が連結されています。自分一人ではありません。 “私”がどこにいますか? 父母が、自分の愛と生命と血統を訪ねていっても、それは、ありません。“私”を育てて、“私たち”を根づかせなければなりません。それは何ですか? 家庭です。“私たち”の家庭です。「私たち」という言葉は、家庭基盤の上に形成されるのだということを知らなければなりません。分かりますか? そのようにしようとすれば、どうすればよいのでしょうか? 父子の関係、孝子、忠臣、聖人の父子の関係、それから、夫と妻においても、その関係は、宿命的関係である父子関係と同じように、男性と女性は、永遠に変わらない宿命的関係です。愛の秩序と生命の因縁と血統の因縁を自由自在に引っ繰り返すということは、永遠にできません。 今日の堕落した世界は、“亡国の種”です。この世の中で、ちやほやされている女性たちは、全員、浮気者たちです。そこのどこに、“私たち”がありますか? 今、文総裁が言う「私たち」という言葉が分かるでしょう? 彼女たちに“私たち”がありますか、ありませんか?(「ありません。」)ありません! そのような者は、神様が捜し求められた“私たち”とは、一切、関係がないということを知らなければなりません。自分のことを鼻にかけている人たちが、自分の概念や自分の考え方、あるいは環境的要素を中心として、いくら環境的に家庭的垣根を中心とした部落を築いてみたとしても、それは、神側から見た“私たち”とは、何の関係もないのです。“私”とは、何の関係もないということを知らなければなりません。 それゆえに、根本的な清算問題を解決していないので、神様の愛との関係、生命との関係、血統的関係を再検討して、再整備することができる“私”を捜し出すことが、何よりも急務であるというのです。 このように話していては、切りがありません。“私”という概念、それは、主張できません。ここにも、「だれだれは、りっぱだ。」と言われるような人はいますが、そのような人でも、“私”を主張することはできません。「私」と言うときは、まず、父母の前に恥ずかしくないように、心と体が一つになっていなければなりません。 父母が愛するとき、その愛によって、父母の生命と血統が連結されるときには、“私たち”になることができる家庭のために連結されるのであって、“私個人”のために連結されるのではありません。そうですか、そうではないですか? ですから、“私”ということも、“私たち”を立てた立場において、“私”を主張することができるのです。そこで、“私”が必要なのです。それは、なぜでしょうか? “私”は家庭を形成することのできる要素となっており、家庭が“私”の母体になっているので、“私”には、家庭が必要なのです。それが男性であり、それが……、何ですか? (「女性です。」) それが男性という存在であり、女性という存在なのです。それらの存在は、何をするのですか? 神様は、縦的関係であり、男女は二次的です。その横的関係において、愛の関係、神様の代身の愛と代身の生命……。男性と女性は、神様の代身生命体なので、この新しい血統を中心として、第三代を産出するのです。 それは、神様がアダムとエバを創造されたことと同様です。そのように、第三の“私”をつくるための中枢的機関が結婚なのです。結婚が、どれほど恐ろしく、どれほど怖いことでしょうか? そこで天下が蘇生し、天下が滅びるのです。そのように、すべての興亡の基礎になっているのが、家庭です。 ですから、連れ添っている男性と女性に、「あなたの夫が、世界や神様よりもりっぱなことを願うでしょう?」と言えば、「そうです。」と言います。願う基準は、神様よりもりっぱなのです。 神様は、縦的関係によってのみ存在しておられるので、男性と女性のような横的関係は、結ばれていません。男性と女性が成長して、成人になった後に横的関係まで結び、息子、娘、生命と愛と血統が一か所に結ばれるのが結婚するということです。それが、結婚して関係を持つ初愛です。 初愛をすることによって、男性という骨董品と女性という骨董品に、“私たち”の基台が生じ始めるのです。しかし、そのままでは、できません。息子、娘がいなければ、なくなるのです。なくなりますか、なくなりませんか? なくなるのです。 ですから、絶対に必要なのが息子、娘です。そして、男性に絶対必要なのが女性であり、女性に絶対必要なのが男性です。なぜでしょうか? これが、“私たち”の家庭を成立させる絶対的な要因なので、男性の前には女性が絶対に必要であり、女性の前には男性が絶対に必要なのです。 そこで、絶対に必要なものが何ですか? それが何ですか? 女性のそれ、男性のそれが何ですか? (「生殖器です。」)生殖器です。結婚とは何ですか? その主人を訪ねていこうとするものではないですか? そうでしょう? 男性のものは、女性が主人です。男性の生殖器は、女性が主人であり、女性の生殖器は、男性が主人です。入れ替わっているのです。これは、驚くべきことです。この法に背く人はいません。そこに、○×を適用することはできません。○なら○であり、×なら×です。自分たちでどうすることもできません。 これは、公式です。それが嫌だという人は、一代で“私”という価値や、“私たち”という概念、国家概念を持ったとしても、それは、すべて無駄なことです。真夜中のような地獄の暗闇に入っていって、苦しむ群れになるのです。そうかそうでないか、行ってみてください。分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」) この手というものは、一つにならなければならないのではないですか? 手は、片方だけで働くことができますか? 右利きの人は、右手に力があって、それで何でもすることができますが、それでも、やはり左手が必要です。ですから、神様がいくら絶対であられても何であられても、それと同じことです。二つが助け合って、初めて音が鳴るのです。(手の平をたたき合わせられる)いくら一人で、このようにしても、音が鳴りますか? このようにしてこそ、音が鳴るのです。 ですから、神様による創造も、愛の相対のためにつくられたということです。この論理的事実を否定することはできません。分かりますね? “私”に対する自覚を、どのようにして発見し、どのようにして回復するのですか? これが、人生問題の根本です。哲学が問題ではありません。修養が問題ではありません。 そのようなことについて振り返ってみるとき、自分の心と体が闘っているのです。数千万年の歴史を経てきながら、かつて、この問題に関して革命を起こして、統一することを主張した人は、だれもいませんでした。それは、統一教会の文総裁しかいません。 根本が、どのようになっているのでしょうか? それを知るためには、神様を知らなければなりません。そうして、神様の愛を知らなければなりません。神様の血統を支柱として立っていらっしゃる、主体的なそのおかたは、心と体が統一されており、その男性を中心として、正から分となり、その二つに分かれたものが、再び一つになって結託するのです。それは、種を求めるためです。それが家庭です。家庭がなくなれば、“私”という概念はありえません。分かりますか? (「はい。」) ですから、“私”なのです。統一教会で、「私たちの教会」という言葉を使うのは、やめなさい、というのです。教会が捜し求めていくのは、家庭です。それが、神様のみ旨です。そうでしょう? イエス様が、キリスト教を立てられ、小羊の婚宴をされるというのは、どういうことでしょうか? 新郎として、新婦世界に訪ねて来られるのです。小羊の婚宴、結婚式をするために来られるのです。それが、アダム家庭における“私”なのです。 わたしたちの先祖は、“私”となった自分を捜し出すことができませんでした。“私”となることができる自分を、神様の代身として立てることができなかったのです。女性も同様です。これは、結婚を通して……。 結婚は、不可分なことです。絶対、唯一です。これを否定する男性や女性は、罰が当たります。どこの大学を出たとか、何だかんだと言っている浮気者たちは、全員、ひどい報いを受けるのです。“自分”というものがあってはいけません。自分たちが、そのように主張することは、すべて虚言です。 それゆえに、蕩減復帰……。最後には何かというと、“私”を訪ねていくのです。“私”を完成するのです。自分を完成することができずに、家庭完成しようというのは、夢のような話であり、どろぼうと同じです。自信がありますか? あなたは、模範的な家庭でしょう? 自信がありますか? 先生が言う「私」、つまり、神様が創造のときに理想とされた、心と体を中心として、神様の愛と生命と血統に決着された“私”です。そのような息子、娘に対して、神様が「息子、娘である。」と言われて、永遠に抱かれ、永遠に否定することができないような立場になっているのでしょうか? そのような“私”を設定することができる立場に、自分が立っているのかということが、問題なのです。それは、夢のような話です。 そのことを知れば、ひざがこすれて、骨が見えるほどに伏して祈祷しても足りません。しかし、それほどまでに祈祷したとしても、それを捜し出すことは難しいのです。“私”を捜し出すことは、簡単なことではありません。 これを捜し出そうとすれば、「“私”に勝て。」と言って、サタン世界のサタンというサタンが、総出動するのです。“私”を捜し出そうとすれば、神様を中心として、自分を否定していかなければなりません。サタン世界を否定することができなければ、“私”を捜し出すことはできません。 今、皆さんは、「ここで修練を受けている。」と思っているかもしれませんが、自分がどうであり、こうであるということを主張する“私”、その“私”は、どのような“私”ですか? それは、ありとあらゆる物が、ごちゃごちゃに混ざったような悪臭がして、汚物にも劣る“私”である、ということを知らなければなりません。深刻でしょう? 全員、深刻です。 皆さんを見てみると、「自分は責任者だから。」と言って、先生の考えよりも自分の概念を、どれほど優先させているか分かりません。本然の“私”に返らなければなりません。 自分のための世界ではありません。それは、自分のためのものではありません。本来の神様のものでなければなりません。それを、すべてお返ししてさしあげなければ、“私”を捜し出す道は、ありません。 また、“生畜献納”というのですが、そのとき、国が問題でしょうか? この国。わたしは、これまで得たものがあっても、自分には一銭もありません。世界のために、すべて施しました。 しかし、だれも、それを盗んでいくことはできません。そこには、生命の種が植え込まれているのです。その世界で、必ず芽が出てくるのです。それは、神様が保護されます。神様が、保護されるのです。そのように考えています。 監獄に入っていこうと、どこに行こうと、“自分は滅んだとしても、その場に、自分が願う理想の場を残そう。”と考えれば、神様は、それをすべて成し遂げられてから、初めてほかのことをされるようになっているのです。そのような信念を持っていますか、持っていませんか? いますか、いませんか? (「持っています。」)“持っている”という人は、手を挙げてください。わたしよりも優秀ですね。 小さな日本の国ならば、皆さんは、その日本の国の家庭を代表することができ、世界の国、天の国の王子の家庭を代表することができる“私”ですか? 人をペテンにかけるのは、やめなければいけません。 日本人をアメリカに連れて行けば、アメリカでも問題になり、他の国に行っても、そこから故郷に逃げてくる群れです。そのような群れが、「“私”である。」と言って、手を挙げる自信がありますか? 自信がありますか、ありませんか? (「あります。」)何ですか? (「……。」) それでは、心と体が一つになりましたか? 一つになりましたか? 一つになりましたか? 手を挙げた人、一つになりましたか? (「一つになっていません。」)それなのに、なぜ手を挙げるのですか? ぼろきれの切れ端のように、取るに足らない自分である、ということを知らなければなりません。そのような“自分”が崩れなければならず、溶け出してしまわなければなりません。溶鉱炉に入れて、水のように溶かし、何らかの形態の型を作って、鋳造し直さなければなりません。そのようにして、何百回も鋳造し直さなければなりません。 そのような今までの仮面を、そのままかぶったままで、「ああ、先生。日本から◯◯に行きました。そして、◯◯をしました。」と言っても、そのようなことは、“私”とは関係ありません。そのようなことは、“私”を回復し、“私”を成し遂げるうえでは、何の関係もありません。 関係があるのは、神様の真の愛、真の生命、真の血統であり、どのようにして生死の境を越えて、それと関係を結ぶのかということが、第一原因なのです。分かりますか? (「はい。」) “私”を捜し求めよう。言ってみてください。(「“私”を捜し求めよう。」)心と体が一つになりましたか? 心と体を中心として、世の中の貴いものを中心として、それを神様の前で一瞬のうちに否定することができる、そのような“自分”を取り戻さなければなりません。 お金が貴いですか? この体が貴いですか? だれですか? 訓母様は、体が貴いですか? それは、否定したのです。二つの心があるということを、自分が知っています。 “これは、私の物で、これは、だれだれの物で……。”と、神様が、そのような考えをされましたか? 神様ご自身が……。神様は、“わたしの物であり、息子、娘の物である”という考えは、されなかったのです。“息子、娘の物である。”と考えられたのです。 皆さんは、そのような立場に行っていないではないですか。自分が持っている物は、お父様の物であり、愛を中心として、生命と血統はお父様のものであり、自分の息子、娘のものなのです。どこに合わせてみても、疑うことはできません。 お父様のポケットに入れても、自分のポケットに入れても、息子、娘のポケットに入れても、それが“私のもの”にならなければなりません。皆さんは、そのようになっていないではないですか? 最近の知恵の回る女性たちは、結婚すれば、貯金通帳も別々に作るではないですか? それは、できた女性ですか、だめな女性ですか? できる女性ですか、できない女性ですか? それは、今でもだめですが、もっとだめになる女性です。 今、統一教会は、その立場を基準として訓練しているのです。それで、今回、わたしが何と言いましたか? 「『日本人』という言葉を使うのは、やめなさい」ということです。「アメリカ人」や「ドイツ人」という言葉を使ってはいけません。 それでは、何と言うのですか? (「『日本の食口』です。」)「日本の食口」です。それから何ですか? 「日本の兄弟」です。「米国の食口」であり、「米国の兄弟」です。それは、天の国に行っても同じです。天の国に行って、天の国にいる人たちも、「天の国の食口」です。神様の息子、娘です。神様を中心として、「食口(家族)」です。神様を中心として、兄弟なのです。 それが一元化されなくては、霊界と一元化されなくては、天国の人になることはできません。それは、確かですか、不確かですか? (「確かです。」)“確かである”という人は、両手を挙げて……。見てください。“分かった”という人は、手を下ろしてください。 “私”というコンセプト(概念)を、どこで見いだすのですか? 国のために、世界のために、神様のために生きてこそ、“私”を取り戻すことができる、というのが、堕落した人間の歩む復帰摂理、救援摂理の道です。それは、やむをえない運命の道になっています。ところが、運命の道は、変えることができます。それは、宿命の道ではありません。 今まで、先生は、“自分”ということを主張したことはありません。先生は、自分は国家メシヤであるとか、再臨主であるとか、真の父母であると、言うことを好みません。それが、どれほど恐ろしいことでしょうか? 自分の家庭も、そうではないですか? “私たちの家庭”がなければ、国はありえず、世界はありえません。“私”という基台の上には、「私たち」という言葉は……。 自分が、神様と対等な立場に立って、自分たちの相対的基準を中心として、“私たちの妻”、“私たちの息子、娘”、“私たちの夫”、“私たちの子女”が生じるのです。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」) そのような意味で、自分自身で自覚して、帰らなければなりませんが、先生の言うことは、蕩減でも何でも、もう学ぶことはありません。皆さんは、知るべきことは、すべて知りました。 皆さんは、神様のみ旨を、すべて知っているでしょう? 個人完成がどのようになり、家庭完成がどのようになり、氏族、民族、国家、世界、天の国に、どのように直行するのですか? ハイウエーを通じて、すぐに入っていくことができる方法を、皆さんは、すべて知っているというのです。すべて教えてあげました。 また、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しながら、先生が築いてあげたハイウエーを行くとき、「あなたは、どのようにして来たのか?」と聞かれれば、「先生が教えてくださったことが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従ではないですか? 私は、“百回死に、千回死ぬ。”と思って来ました。まだ千回死んでいないので、今から万回死んだとしても、それでも行きます。」と、そのように言わなければなりません。 そのようにすれば、無事、通過です。自分の概念があってはなりません。自分の概念があれば、峠を一周回ってきて、天国まで消化し、神様の公認を受けてきてから帰らなければなりません。 ですから、“否定の否定”を通して克服するうえでは、村を克服しなければならず、国を克服しなければならず、世界を克服しなければならず、天国を克服しなければなりません。そのようにしなければ、自分を取り戻すことができる道はありません。分かりますか、李(京諠)総長? (「はい。」) 孔子は、“ああ、文総裁が、天下の美人、李総長と祝福してくれて、ありがたい。”と思っているでしょう? (「はい。」)わたしが、「ふたりをもう一度引き離して、ほかの人と結婚させてあげる。」と言えば、どうするのですか? それでは“私たち”になることができません。自分が自分を主張することができる立場に立つことができず、自分が「私たち」と言うことができる足場……。それが皆さんの家庭です。分かりますか? (「はい。」) それゆえに、その家庭に十人の食口がいれば、十人の食口が一つになり、男性と女性が神様の心情的圏内で、どのように神様の愛と、神様の生命と、神様の血統に同化することができる核、エッセンス(本質)になるのですか? ですから、十人の食口全員、尊重せざるをえないということです。お互いが、ために生きて尊重し、互いに「あなたたちを完成させることができ、私たちの家庭を完成させることができる」という共同責任を負っているのです。わたしたちの家庭で、幸福を成すために援助することができる立場は、父子の関係、兄弟の関係しかない、という事実を知らなければなりません。分かりますか? このようなことが、非常に堅固でなければなりません。分かりますか? それが、一つのモデルです。モデルとなって、それを公式化し、それが四方に連結されるので、家庭には、おじいさんがいて、父母、若い夫婦、息子、娘がいて、四系列があるのです。四段階があります。 世界を見ても、少年がいて、青年がいて、壮年がいて、老年がいるでしょう? 家庭におじいさんがいて、父母がいるように、世界にも、それと同じ年齢の人たちがいるのです。 ですから、自分の家庭を中心として愛したことを、同じように世界化させることによって、永遠の世界で、“私たち”の国、“私たち”の世界の主人になることができるのです。それは、確かなことですか? (「はい。」) そうすれば、神様まで、間違いなく、「おい、おい。わたしを連れて行きなさい。」とおっしゃるのです。そうして、「わたしは、あなたの家庭に行く。」とおっしゃるというのです。 文総裁は、どのように神様を解放したのですか? そうではないですか? いくら「解放した。」と言っても、それで解放されますか? ここで、一度、祈祷すれば、祈祷した内容が、霊界で、しっかりと成し遂げられて、霊界まで、すべて転がっていくのではないですか? それを信じますか、信じませんか? 「神様王権即位式」をしてさしあげたのですが、以前に、李相軒氏の報告があったではないですか? 王権即位式をしてから、どれほど様相が変わったのか、ということです。分かりますね? (「はい。」)「私」という言葉を、いいかげんに使ってはいけません。何を偉そうにして、「私」と言うのですか? どこに行っても、教授をしている人たちは、一つでも知識を多く知っていれば、そのことによって、のし上がっていこうとします。そのような者たちは、地獄の底に行くのです。天上世界では、それ以上に恥ずかしいことはありません。“私”の起源とは何であるのかということを知らずに、天下がその自分なりのやり方に乗せられるとでも思っているのでしょう? 神様と地上天上天国の理念は、そのような構想圏内や想像圏内の結実と、関係を結ぶことができるものではありません。分かりますね? (「はい。」)ヨーロッパのメンバー、お父様の語る内容が分かりますか? (「はい。」)それならよいです。それを知らなければなりません。それ以上、話すこともありません。 わたしたちの家庭、わたしたちの一族、どれほど多くの人たちが、血を流さなければならないのか、ということです。どれほど多くの統一教会の人たちが血を流し、わたしたちの教会が世界を代表し、わたしたちの家庭を代表しているという意識を持って、意識的な次元を、どれほど累積しなければならないのか、ということです。 それなのに、“利用しよう”という考えを持つことができますか? 利用されるにしても、潔く“利用されよう”と思う人が、忠孝の道理を行き、愛国者の道理、聖人の道理、聖子の道理を行く人です。はっきりと分かりましたか? (「はい。」)分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 今回、この修練をするのも、「統一教会が一番だ。」と言っているのですが、それを本当に一番になることができるようにするためです。どこに行っても、学者世界に行っても、弁論して、押しつぶしてしまわなければなりません。それは、言葉だけではいけません。 わたしは、そのような試験をたくさん受けました。「文総裁が、アメリカで一番だ。」と言われているので、そのことによって、大勢、文総裁をたたきつぶそうとしてやってきました。そして、反対に、先生にさんざんに恥をかかされて、逃げていったのです。 ですから、彼らは、「来なさい。」と言われても、二度と来ることはできないでしょう。そのような者たちは、自分自身が僕になるということは間違いないのです。 ですから、そのような学者の世界にも行かなければなりません。今ではもう、“私”の自覚とは何か、分かりました。“私たち”という覚醒が、どのようなことなのか、分かりました。分かりますね? (「はい。」) そのような主人となる男性と女性が、浮気をすることができますか? 服を着たまま、そのようなことをしたとすれば、その人の服を燃やしてしまわなければなりません。汚れたものを燃やすのです。何かの貴金属や装飾品を持っていれば、それを粉々にしてしまわなければなりません。 自分が“私”を確定して、その確定された“私”が“私たち”の家をつくらなければなりません。分かりますか? そのようにすれば、すべて成すことができます。 そのためには、神様を知らなければならず、神様の愛を知らなければならず、神様の血統が、どれほど貴いのかということを知らなければなりません。それは、天下を与えたとしても、買うことはできません。分かりますね? (「はい。」) きょう、「七・八節」を中心として、先生が今まで……。今まで苦心した問題です。根源的な解決を中心として、苦心した問題です。人生の根本問題が、そこに懸かっているということを知らなければなりません。それは、家庭にあるのです。分かりますね? 理解できますか? (「はい。」) 理想的な家庭というものが、どれほど偉大で、どれほどりっぱでしょうか? 神様は、そのような家があれば訪問しようとされて、千年、万年、どれほど待ち望んでこられたことでしょうか? そのような家が現れなかったために、訪問することができなかった神様は、どれほどかわいそうでしょうか? わたしは、そのような道を行ったのですが、妻や息子、娘が、まだそのような立場になることができていないので、問題が大きいのです。 しかし、今は、先生が手を出す時が来ました。教会と世界を蕩減したので、今からは、家庭を整理して、一族を整理しなければなりません。天の国の定着宣言と……。故郷の地と祖国の光復をしなければならないということを知らなければなりません。 そのためには、何の上に立つのですか? “私”を確定した基盤と、その“私”が明確に知った“私たち”の家庭を拡大させ、連帯的価値を拡大させたその上に氏族を立て、その氏族を拡大し、価値を拡大した上に民族を立て、民族を拡大した、その価値の上に国家を立てなければなりません。 それを成すために、千辛万苦の苦労をして、精誠を尽くしても不足であるという事実を知らなければなりません。太陽を見るにも恥ずかしく、海を見るにも恥ずかしく、万物を見るにも恥ずかしいのです。 それらを教材として、教育を受けて暮らし、悔い改めることができる生活を、急いでしていかなければなりません。“それが、自分に残された余生である。”と思って生きていこうという人たちは、天の国の皇族圏内に入っていくことができる、その見込みだけはある、というのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)はっきりと分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)はっきりと分かったという人は、目を閉じて、両手を挙げてみてください。 きょう、「七・八節」の記念日に……。もう、帰らなければなりません。真のご父母様も必要なく、救世主も必要なく、神様も必要ありません。すべてを知ったので、自ら自覚して、自分の家庭を確定させた基盤を中心として、国を建てるのです。 そうして、その上に世界を載せたとしても崩れず、神様が保護してくださって耐えて残ることができる、そのような“私たち”の家庭が始まらなければなりません。 そのようなところから国が復帰される、ということが分かったのです。分かったでしょう? (「はい。」)さあ、間違いなくそのように生きると決心しますか、しませんか? (「します!」)しますか? (「はい。」)先生一人の声よりも小さいですね。しますか? (「はい!」) それは、宿命的課題です。最も貴い宿題です。今までは、そのような話を皆さんにすれば、皆、逃げていかざるをえませんでした。しかし、今からは、逃げていこうにも逃げていくことができません。 霊界では、聖人たちが、その道理を訪ね求めていくために、一心一念を中心として、その目標に向かい、主流世界に向かって全力で走っているのです。そのことを知れば、愚かな人でもなければ、この道を行かざるをえません。 それでは、先生が行く天国に、間違いなく全員ついて行きますか、ついて行きませんか? (「ついて行きます。」)それならば、そのような自覚からしなさいというのです。 エデンの園では、裸で暮らしていましたか? それとも、時計をして、服を着て、化粧をして暮らしていましたか? (「裸で暮らしていました。」)女性でいえば、ブラジャーをして暮らしていましたか? 服を着て暮らしていましたか? 服を脱いで暮らすとするならば、間違いなく、すべてを脱ぐのです。先生は、決めたのならば、そのように徹する人です。み旨の前にできないことが、どこにありますか? 自分が、解放することができる自分を取り戻すのに、できないことが、どこにあるのでしょうか? ですから、世の中の天地が終わりの日を迎えているので、千辛万苦の苦労をして、霊界まですべて引っ繰り返して体制を整え、このようにすることができる公式路程は間違いないと教えてあげたのに、それから脱線していく者たちは、悲惨です。 さあ、それでは、手を下ろしてください。きょうのこのような「七・八節」に、もう一度、そのような決意を深くして、頭のてっぺんからつま先まで、東西南北四方、終わりのない世界まで連結させることができ、“自我定着”することができる基準と、家庭定着することができる基準を立てなければなりません。それを成すことのできる所は、世界の祖国になる所であり、そのようにして、先祖になることができるのです。アーメン。(「アーメン。」) さあ、それでは、これで、きょうのこの「七・八節」の記念も、すべて終わったものと思わなければなりません。分かりますね? (「はい。」)何時ですか? (「十時十五分です。」)それでも、食事をして、ほかの何かをして過ごすよりも早く終わったということですか、どのように終わったということですか? (「早く終わりました。」) 今からは、勉強する時間が残っています。(笑い)そのことに不平を言う者は、話ができないように口を裂いて、舌を半分に切ってしまいなさい。 さあ、そのように理解して、わたしは、もう、皆さんのことを信じざるをえないので、そのように信じてみてあげるのです。自分の家庭を率いて“私”を訪ね、神様のみ前に堂々と出ていって、「私は、先生のみ言どおりになりました。」と言えば、わたしが間違いなく紹介してあげます。分かりますね? (「はい。」)約束します。 あの世においても、孔子、イエス様、聖人たちが、だれかれなく、先生が来ることを願って、首を長くして待っているではないですか? ですから、わたしの紹介を受けようとして、あなたの夫もそうであり、全員が、そうです。ここでも全員が、そうです。 何千年前の人も、そうです。孔子は、二千五百年くらい前の人ですか? 二千五百年以上前の孔子と結婚し、この人はマホメットと……。マホメットは、六世紀後半の人ですね? わたしたちは、そのように暮らすのです。千年前の人も、自分の兄であり、弟であると思うことができるのです。 ですから、どれほど素晴らしいですか? 素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (「素晴らしいです。」)この者たち。素晴らしい看板、素晴らしい名前を中心としながらも、それらをすべて、まがい物と一緒に道端で売り飛ばそうとでもいうのですか? 露店でたたき売りをされるような愛を尋ね求めていく人は、天の国に入ることはできません。先生は、そのようにいいかげんに生きる人ではありません。 天の命令があれば、責任を果たすときまで、間違いなく保護してあげます。終わった後は、見向きもしません。そして、もう終わったのです。分かりますか? (「はい。」) 皆さんは、金氏なら金氏で、統一教会の祝福をたくさん受けたので、一つになって国を復帰するのです。世界共同目標の課題を付与するというのです。分かるでしょう? (「はい。」) 韓国が負けますか、負けませんか? (「負けません。」)“負けない”という人、手を挙げてみてください。全員、手を挙げるでしょう? “負ける”という人は、一人もいませんね。それで、よいのです。(「全体起立。」)なぜ、起立するのですか? (「万歳三唱いたします。」) 万歳をして、この祭壇の供え物も、神様の代わりに、だれかで分けて食べなければならないでしょう? (「第五回「七・八節」を期して、お父様が下さったみ言を、もう一度決意して、私たちは、この時代の灯台となることを再度、誓って……。」) 灯台になることを誓いましょう! よくぞ、それを言いました。 (「灯台は、いつも波風のあるときにこそ、光り輝きます。混乱の中の灯台となることを決意して、『神様王権即位勝利』の万歳をすべきです。『神様王権樹立勝利』万歳! 勝利された真のご父母様、万歳! 第五回『七・八節』万歳!」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.19
コメント(0)
全640件 (640件中 1-50件目)