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「第四次アダム心情圏の還元」宣布二○○○年七月一日、漢南国際研修院において、大陸会長など約七十名の指導者が参席して第十回七・一節の記念式典が開かれた。その席で、真のご父母様は、「第四次アダム心情圏の還元」を宣布なさった。 祝祷 愛するお父様、今日は二〇〇〇年七月一日、第十回目の七・一節を迎える記念の日でございます。神様が天宙の平和と理想を中心として、永遠なる祝福の日を記念しうるこの日を設定してくださってから十年目となります。過ぎ去りしすべての歴史過程において、このような表題の整理のために、天地ご父母様が一体となって、天と地を整理してこられました。数多くの内情の曲折を越えて、勝利の表題の前に一体的な理想圏、一心一体となり、地上定着を宣言しうる海洋還元と陸上還元と天宙還元、すべての心情的な還元を中心として、第四次アダム圏摂理の還元時代を迎えうる七月の初めの日を持たせてくださったことにお父様、感謝いたします。 今私たちに望まれる家庭、天とともに上下が一体となった家庭の標準が設定され、氏族の標準、民族の標準、国家の標準を中心とした勝利の覇権を制定されました。サタン世界の権限をすでにルーシェルを中心として、天上世界から統一的な恩寵のうちに、天に符合され、その残党たち一切も収拾し、分立されたすべての宗教圏を統合できるようになりました。 イエス・キリストを中心とした父母の伝統を探してくることのできる、すべての基準が未完成なことにより、霊界で新しい楽園、神様の創造理想になかった組織的な形態が現れたのを、全体祝福という観念を立てておいて、これらすべてを否定し、聖人と悪人がともに祝福されて、兄弟の因縁が分立されていたアダム家庭の破綻したすべての事実、父母の心情にくぎを刺したすべての事実、天地父母様の前にくぎを刺した歴史的なすべての恨の峠を、すべて清算させてください。解放勇士の特権を備えて、祖国光復という課題を前にして、地上世界と天上世界、最後に残った霊界を清算すべき統一家の全体・全般・全権・全能的なみ旨を背後にして、その目標を標準として前進していくすべてのみ業が日ごと発展するよう、許諾してくださいませ。 この国を中心に南北が分立したのも、人間始祖の堕落によって、善悪の先祖が生まれ、心と体が分立したのを起源としております。ですから、今やその国で世界・天宙が統一されて、世界が家庭の恵みのうちに抱かれ、真に青少年問題と家庭問題の破綻を糾合して、一体圏を備え、個人・家庭・氏族・民族・国家・天宙まで一元化されますように。そうして、天地父母に持ることのできる愛の歴史的な平行線と縦的な基準と霊的・肉的な天地父母と度数を合わせ、平行線を中心として、愛を中心として、三六〇度循環するのに、支障がないよう、あなたの創造理想の地上天国基地を造成なさってください。 天上に縦的な世界と連結できる解放圏を備えて、その中において白昼のごとく輝くことで、暗い世界は過ぎ去り、光明なる天地が訪ねてくることのできる時代となりました。天の愛の主権を中心として、一方通行により全体を収拾できる全権・全能の時代を前にして、私たちすべてが一体となり、天の前に感謝する七・一節を迎えたことを心より感謝いたします。 今日を中心として統一家において、六五〇〇双が七数を迎えて八数を越え、九数を過ぎ、十数を見いだすこの年にあって、残されたすべての歴史的な願いを成就させてくださいませ。今、中国と中心とした大会とソ連を中心とした大会、韓国を中心とした大会で計画しているすべてのことが、あなたの導きのうちに一致完成されて、天宙の解放的な第四次アダム圏、天と地の前に代表的な若い青年、知性人たちを立てて糾合するものでございます。そうして、天下は私たちの天下であり、この世界は私たちが新しい伝統を立てるべきという第四次アダム圏の実権、あなたの勝利的な覇権主義、主権時代を迎えられるよう、解放の恵みを全天地に施してくださったことに感謝いたします。 この解放の行列に従いゆくすべての環境的な予見を収拾し、天のすべてのものとして捧げることのできる生きた供え物の総献納をなさり、天だけがお座わりになれる復活的な実体を迎えた地上・天上天国が一元化された、幸福の自由天地における愛の主権世界が還元できるよう、祝福してくださることを切にお願い申し上げます。 過ぎし日に人類が堕落することによって失ってしまった象徴的な実体を再び奉献することにより、人間的な象徴実体、実体的な実体を中心として、愛の基地を中心とした天の定着を宣言しうる日となれるよう許諾してくださることに感謝いたします。万物を代表し、人間を代表し、神様を中心として地上に平面的な中心に立ち、天理の大道の勝利的な覇権の基地を定着しうる、天の恵みが定着しうる七月一日となるよう許諾してくださるようお願いいたします。 祝福万世永遠を祝福するこの日を中心として、時代を中心として、新しい定着基地としてくださるよう切にお願い申し上げます。愛を中心として、すべての恨めしいことを還元する定着のこの日が本部のこの場で成就するよう、許諾してくださるように切にお願いいたします。きょう、施されるすべてのこと、行うすべての行事が、あなたの勝利とこの日を讃美しうる十分な日として天地に和平の道理、和合の道理、統一の恩寵の道理としてお父様、お受けくださるよう切にお願いいたします。この日を代表して、真のご父母様が地上・天上をあわせて、生きた供え物の献納すべてを条件として捧げるこの場を基地とされ、勝利の万国万天下に千年万年万世、万世の讃美を備えることができるよう祝福してくださるよう、切にお願いしながら、真のご父母様の御名により宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! み言 南北統一の課業が残っています。そのために準備してきましたが、アメリカを中心として蕩減復帰しうる、国家的な基準で協力しうる次元で、再びこのみ業を韓国と連結させるのです。アメリカで築かれたその基準を韓国に繋ぐことができるよう、水平をとっていくのです。祖国光復です。韓国が世界の中心となって、神の国を築かなければならない時です。それで南北を統一しなければならないのです。先生もすべての環境を創造しました。外的なすべての環境を築いておいたのです。そこでは必ず主体と対象が一つにならなければなりません。この世界的な版図の上に統一教会の理念を中心として、環境的な与件をすでにみな築いておいたのです。それで青少年問題と家庭問題は統一教会でなければ解決できないのです。知識世界だけでなく、一般世界の人たちもこれを認定できる環境となっています。 ここに国家的な主体と対象がなければなりません。必ず環境の中には、主体と対象があります。神様が日と月を、水と空気を、天と地をつくっておかれましたが、それは必ずペアシステムとして創造したのです。植物や昆虫、すべての動物をペアシステムでつくったのです。 すべての環境は、主体と対象になっていますが、国家がそうした環境的な与件を備えなければなりません。天地を中心として祝福環境与件を備え、国を中心として主体と対象圏を合わせておけば、すべてのものが一つになるのです。ここに引っかかりました。サタンが歴史を通して偽りの父母と偽りの愛を中心として、国家基準で歴史を汚してきたのです。今や国家的な基準でこれをひっくり返して打ち込むことによって清算するのです。この宇宙の環境与件が完全に主体圏と環境与件(対象圏)が一つになることによって、分かれていた天地父母、分かれていた家庭、分かれていた体と心、分かれていたすべてが一つになりうる時代になっていくのです。 それが何にかかっていますか? 統班撃破です。個人を中心として、夫婦を中心として、家庭を中心として、班を中心として、その次には統です。これが問題なのです。それが三代を中心として定着しなければなりません。神様が一代ならばアダム、エバが二代であり、アダム、エバの息子・娘が三代です。三代を中心として果たさなければならないのが氏族復帰の路程です。 今は再臨時代です。個人時代のヤコブ時代は十二支派を中心として、モーセ時代は七十二族長を中心として、イエス様時代は百二十門徒、統一教会時代は百八十門徒を中心として……。門徒ではありません。使頭時代です、百八十使頭。頭の時代が来ました。使頭という言葉を知っていますか? 聖徒たちの中心は使徒です。使徒はイエス様の弟子ですが、この弟子たちの頭になりうるのが使頭なので、イエス様時代に一二〇家庭を築けなかったのを、再臨時代においては一六○数を越えて、一八○家庭を中心として統合し、国家的メシヤが出てくるのです。 イエス様が失敗した氏族的メシヤ、一族・民族を連合させて国家的な次元を越えて、ローマに行進しても反対できない環境的な与件を築いておいたのです。ですから、皆さんが一八○家庭を中心としてこの作業をしなければならないのです。それがカイン的な家庭です。カイン的な家庭というのは、自分の血族を中心として、自分の一族を中心として、相対的な関係を築くことにより、ホームチャーチ理想としていた三六〇家庭が一つになることです。 氏族的メシヤは、三六〇家庭をホームチャーチ家庭の形態に整えなければ入籍が不可能です。それで歴史全体がイエス様の聖徒を中心として使徒に、使徒を中心として使徒たちの頭である使頭時代に前進していくのです。使頭という言葉が何か分かりますか? 国家的基準が一つになって越えることにより、使頭時代になるのです。使頭はイエス・キリストの頭になるのです。イエス・キリストの上に行くのです。 イエス・キリストはこれまで霊界の楽園に一人でいました。自分の家庭や一族を救えずに分立した立場で暮らしていたのです。これが氏族的メシヤの基盤が地上で完成されて、百八十使頭時代に入ってきたのです。百二十門徒を中心とした祝福時代を越えて、民族解放の四三〇家庭、それから七七七家庭を越えて一八〇〇家庭です。一八〇〇家庭が七数であり、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭は九数であり、九数を中心として、十数を越える還元時代において三万双、祝福世界化時代になっていくのです。ですから、一八○家庭を中心とした使頭時代の完結は、氏族・民族を連結させて世界に行ける頭を連結するのです。使頭時代とは何か分かりましたか? ですから、今からこれを決定しなければなりません。入籍して天の国の憲法を中心として祝福できる世界的な代表家庭、功臣たち、表彰しうる人たちを中心として、使頭時代に十二支派型を編成するのです。一八○家庭を天に入籍させる家庭の代表たちを中心として、新たに天地父母を中心とした先祖の編成が展開されるのです。一代、二代、三代、四代……。そのように進むのです。 これからそのような時代になれば国がありません。神様の自由圏内ですべてのものを合わせることができます。一時に編成するのです。数千年間失ってしまった家庭と民族・国家・世界、破壊されたすべてのものを一時に探すのです。真の父母が来られて、一代にしてすべてのものを完結しなければならないのです。アダム一代に完成することができたのと同じように、再臨時代にも家庭理想を中心として、国家形成とともに世界編成が一時に可能なのです。そうして解放的な地上天国世界、神様の自主的な愛の理想主権時代になってきてこそ、地上天国・天上天国が連結されるのです。 ですから、天国に入るのは、家庭を手本にしなければなりません。息子・娘を中心として完全に一つになっていなければなりません。この三六家庭ならば、三六家庭でも家庭が問題になった者は再評価しなければなりません。それで今、祝福の過程が家庭祝福時代から国家祝福時代になっていくのです。国家祝福時代を越えて世界祝福時代を越えなければなりません。それが残っているので、今まで統一教会で誤った家庭をすべて赦してあげるのです。本来は赦すことができないのです。赦せません。 国家が見つからなかったので、ありとあらゆるよこしまなものが現れました。それで国家的な基準でこれを解放してあげなければなりません。国家を越えて解放すべき善悪の祝福圏、聖人と悪魔、殺人鬼と同一な祝福圏を中心とすることのできる特権期間が残っているので、今まで祝福されて誤ったことを放してあげるのであり、今後はそのような時代もすべて越えていきます。国家を見いだして憲法を制定してしまったのに、過ちを犯せばすべて別の所に分立されるのです。分立された世界に行くでしょう、北極でも南極でも。祝福された人たちが、人の境界線から抜け出て動物と生活する所に送られて、そこで生き残れるかどうか? それこそ何と言いましょうか? 大整理時代なのです。すべてのものを分立します。誤った家庭は、分立して住まなければならないのです。そうした氏族を残さないというのです。氏族を残しません。そのような氏族を神様は再び見られないというのです。 堕落したアダムの後孫たちが地獄をこしらえ、これまでは楽園を中心として祝福してあげました。楽園で祝福されたとしても、すべてが一度に天の国に行きません。暗い日陰で黎明が次第に明るくなるように朝の陽を迎えて昼の陽、事物を観察でき主管でき、関係を完全に清算していける国家的な形態を越えなければならないのです。そうした過程が残っているので、霊界に行っても育つべきその世界があります。ですから、神様ご自身が苦心されたすべてのものを真の父母の治める圏を通じて強力な措置により、その期間を短縮させるための革命的な課題が残っているのです。これがどれほど複雑ですか? ですから、国を中心として地上から始めて処理する方法を知らなければなりません。天の国を治めることのできる憲法を地上で定めるのです。地上で完成できる解放的な条件を設定しなければならないのです。それで実体的な体制を整えなければなりません。家庭的な体制、氏族的な体制、国家的な体制を実体的な圏において、保護できる法律が出てこなければなりません。 神様のみ言を通じて、実体が展開されるのと同じです。み言が中心です。法が中心です。法を中心として絶対に順応できる世界に越えていかなければなりません。地上に、また天上世界にサタンが残した歴史的なすべての汚い法、汚い実体を否定させ、整備された天国に一元化させなければならないのです。 天上世界に私たちが行って、ある限界を設けられないので、他の世界、他の天国を築けるのです。堕落したアダムによって地獄になったのが、完成したアダムが願えば、無限なる天国、新しい天地を築くのです。そうしてから氏族に会うのです。その前には見ることもできず、会うこともできません。特別な何かがあれば、場所ごとに移動できるようにして、新たに天国に加入できる入籍手続きを通じて受け入れるのであり、前進的な発展をする形態も、そのままでは神様も見るのを嫌われるのです。 地上にいるときに、早く処理せよというのです。この者たち! 自分の財産、自分の国は今後、すべてなくなるのです。今、帰っていって一つにならなければ、すべて落ちていきます。国もそうです。現政府や北朝鮮政府も自分勝手にやってはいけません。勝手にはできません。密室で議論して決定したならば統一教会が……。自分たちが難しいならば頼むのです。北朝鮮が難しいならば、また韓国が難しいならば、私たちに頼むのです。今回、会議するときも、私たちが背後から操ったのです。リトルエンジェルスを通じて平壌学生少年芸術団を十日で連れてきました。十日間で決定したのです。世の中にそのような歴史がどこにありますか? ですから、先生のみ言に従って早くこれを清算しなければなりません。統班撃破をこの四年間でやらなければなりません。六月が過ぎて、今日、七月の初めの日、七・一節これは天下を中心として、大勝利の統一を祝賀する日です。これを中心として還元式を行うのです。還元するのに海を還元して、陸地を還元して、天地を還元して、第四次アダム圏時代を還元するのです。第四次アダム圏時代を還元するための勝利的な条件が何ですか? ここに本当に夢のようなことが起こりました。きのう、その還元式をやりました。それが何かというと、男性、女性の生殖器がすべて地に落ちて、地獄のどん底に行っていたのを復活させ、還元してくるという式を行ったのです。それで第四次アダム圏と連結して、することができるのです。 今後、皆さんが愛するのも勝手にはできません。自分を中心として考える心をもってしては、愛せないのです。基本的に変わらなければなりません。愛は自分のためにという所では生まれません。相対に尽くす所から始まるのです。尽くす所から天下が変わるのです。個人主義が存在しえません。天宙主義です。全体主義ではありません。天宙主義なのです。天宙主義は垂直が連結されるのです。個人的な垂直、家庭的な垂直、小さな所から大きな所まで連結されれば、天宙主義となるのです。 男性、女性にとっていちばん貴いものは何ですか?(男根石、女根石の写真を見せられる)これが何ですか? こうしたものが復活して人を通じて、ここまで訪ねてきました。地に落ちて石のように……、石にも劣ります。万物を嘆息させたものを復活させて、万物の峠を越えて、人間の峠を越えて、真の父母にまで戻ってくることにより、誤った血統の転換式、還元式が可能だったということは、驚くべきことです。 このような石、女根石とか、男根石とかそういうものが多いと言いますが、このように精密なものはないのです。歴史がどうなったか話してごらんなさい。その器官について、どのように表現しましたか? 愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であり、良心の王宮です。根本です。神様がこのために天地創造をなされたのです、愛ゆえに。こうした歴史は夢のような話です。 それを誤ったことにより、天の恨、人類の恨、万物の恨が生じました。すべてが嘆息する中にあるようになったのは、この器官を誤って使用したためです。その器官のすべてのものが、逆さに地に打ち込まれたのです。サタンに押さえられてしまったのです。これは石ですが、石の恨、自然世界の恨を解放しようとするのです。真の父母の所に来て、人間世界で解放された条件を備えて、神様までも解放的な立場に立てるようにしたのです。嘆息の条件を万物から人間、それから真の父母から神様まで元返すことができ、還元しうる一つの中心機構がこれです。 ですから、むやみに生きることができません。神様の愛は絶対・唯一・不変・永遠なので、男性も女性も自分たちが持っている生殖器自体が絶対的であり、唯一・不変・永遠なのです。その主人は自分ではありません。女性のものが女性のものではなく、男性のものが男性のものではありません。男性、女性のものの主人が自分たちではなく、神様だというのです。 神様から始まったものが逆になっていたのが、復活して再び帰ってきて……、万物の嘆息圏、人間の嘆息圏、神様の嘆息圏まで解放されたので、このようなものが出てきたのです。嘆息の喚声の解放条件として、真の父母の所に来ることによって、平均的な価値を抱くのです。万物、人間が平均点で、アダムの完成も地上で平面の場を築いて、そこに縦的な神様が臨在されることにより、完成できるようになるのです。その中心本部がこれなのです。 これが今後、このような伝統的な歴史を通じて嘆息圏内、万物の嘆息、人間の嘆息、神様の嘆息圏内を越えて、解放された第四次アダム圏時代を迎えて使用されうるのです。嘆息の与件のない、完全解放圏の実体を持って神様がいつも臨在され、いつでも自分の生命圏を拡大させることのできる、繁殖しうる一つの器官として使用できるように願うのです。そのように保管すべきなのが、自分たちのものなのです。ですから、息子・娘を生まなければなりません。独身生活とか何とか……。それが自分たちのものではありません。 自分のものと考えるのが堕落です。天使長も自分のものと思って、エバも自分のものと思って、アダムも自分のものと思って、勝手に神様の根を否定したのです。そのようにひっくり返ったものを再び探して、公的なものの中の公的なものとして、絶対・唯一・不変の愛の圏を代表する真の父母の愛の理想を定着させ得る時代が来ました。万物解放、人間解放、天宙解放を実現した上で、一つになった愛の主人の立場、伝統の基盤の上で地上・天上天国が築かれるのです。 一日が二十四時間ならば、三時間に一度として八回、二時間に一度ならば十二回、四時間に一度考えれば六回、すべて心に刻まなければなりません。アダム、エバの堕落によって、こうした地獄のような世の中になりましたが、その部分がその恨の本体だったという事実をいつも心に刻むのです。本体の基準を再び回復すべき運命の道を占めるには、絶対夫、絶対妻を見いだして、神様の絶対愛と連結させ得る平面的な水平基盤が必要です。 男性、女性が一つになった水平基盤に神様の愛の中心が生まれるのです。そうした器官であることを考えながら生きなさいというのです。それを考えるときは、自分たちが淫らに生きた痕跡と意識までもきれいに洗い流さなければなりません。そうした意識を洗い流せなかった者は、先生に従っていけません。ですから、今後こうした写真を、写真ではありません。このような道具を男性たちも……。男性たち、貴い性を喪失しませんでしたか? 男性も女性もそれを貼って生きなければならないのです。貼ったものを誰がはがしますか? 自分の夫がはがし、妻がはがしてこそ、はがれるのであり、そうでなければはがれません。はがせない標的を通じて浄化運動、一つの防止記念物として使うかもしれないというのです。 昔、ヨーロッパにどのような器具があったと言われていますか? 貞操帯というのがあるでしょう? 貞操帯よりは、服の中にそうした写真を保管しておかなければなりません。入れておいた写真を誰が抜いてあげますか? 夫が抜いてあげて、妻が抜いてあげるのです。それをむやみに使ってはなりません。こうした厳命を中心として、訓練を経て、夢でも自分はそれを保管できる主人の資格があるのは間違いないというとき、それを脱げるのであり、そうでなければ脱げません。そのような訓練が必要だと考えるのです。 今から四年間、独身生活させるかもしれません。どうですか?先生がそのように命じれば、そのようにしますか? それが恐ろしいのです。しかし、いちばん恐ろしくて貴いのは、自分たちの持っているものです。それが動物と違うので、人間は霊物であり、神様の友達になりうるのです。 先生で言えば、父母の日、子女の日、万物の日、一九六〇年から一九六八年の一月一日まで……。父母の日から始まりました。そのときから絶対愛の時代に越えていくのです。絶対愛圏です。お母さん! 私たちがそれを守ってきたでしょう? 男性も女性も慕わしいのが何ですか? 慕わしいものがどこに行って交差しますか? 男性も女性もそこです。 彼らが平和の起点において、一つになれなかったそれを慕いながら、歌もそこで歌います。愛の歌がそこに行って命を得ます。これが何ですか? 幸福と平和と統一の調和の箱です。何と言いましたか? 幸福と平和と統一の調和の作男玉手箱です。ここに統一がなければなりません。ここに幸福がなければなりません。ここに平和がなければなりません。間違いないのです。間違っているか、合っているか考えみなさい。間違っているようですか、合っているようですか? 永遠に間違いない事実です。 平和の立て札、碑石を立てるのが、女性の「節概」と男性の「志操」です。そのようになれば男性も女性も絶対に信じます。これが水平にならなければならないのです。永遠に水平になるのです。そうすれば幸福なのです。なぜですか? 自分たちにとって宝物の中の宝物が何かというと、半分のかけらだった女性が夫を占領することです。男性も占領しましたが、それは天地が半分のかけらだけだったのが一つになるのです。上弦、神様の側に下弦、息子・娘が生じるのです。上下関係が生じるのです。それから夫婦関係です。これを中心として四方に広がっていきます。そうして前後関係を中心として初めて家庭に定着するのです。前後関係は兄弟です。兄弟を持たなければなりません。上下関係・左右関係・前後関係です。 その器官を完全に定着させなければなりません。ですから、唯一私にあるのは何ですか? 男性には妻一人しかいません。財産とか何とかすべて捨てるとしても、これは取り換えることができません。ただ一つの宝物です。それを研究しなければなりません。一等美人の女性を連れてきて、服を脱いでその生殖器が触れても、動じてはなりません。そうした訓練まで経なければなりません。でなければ、神様の愛する息子・娘を任せることができないのです。先生はそうした過程を経たので、誰であれ皆、すべて任されているのです。だからといって自由に生きません。数千名の美人たちが服を脱いだ中で、最高の美人の前に裸の私を投げ入れたとして、生殖器が触れたならば動じますか?動じたらいけません。そのような否定の過程を経なければなりません。 最愛の者を怨讐に任せて福を祈ってあげられる神様の心を知るには、そうした過程を経なければなりません。それが動じてよいですか? 動じなければならないですか? いけません。そんなことでは怨讐に対して福を祈ることができません。そのような神様の心情の苦衷を知らなければなりません。それが道の最高の完熟した立場です。 皆さんが夫妻同士で愛してクライマックスに入るとき、零点に飛び出してこられるそのような訓練をしなければならないのです。それが怨讐です。熱い水に冷たいものを入れたら爆発するでしょう?そのようなものです。そのような立場になってこそ堕落しないのです。 あの世の修養路程は、それが千年かかるか、万年かかるか分かりません。夫婦の間で暮らすにも問題が大きいのです。それで天の国に統一教会の家庭たちのため、家庭的な楽園が生じるのが避けられなかったのです。その楽園をどう処理しますか? 血筋が連結されているので、それは難しいのです。何度も死んで逆さに地獄のどん底に入ったり、出たりして、溶鉱炉に入ったり、出たりすることをしなければなりません。それが燃えてしまわなければなりません、燃えてしまわなければ。純金にならなければ、純金を駄目にする不純なものは、燃えてしまわなければならないのです。 私たちのお母様が立派なのは、先生の言葉をすべて信じたことです。先生を絶対に信じて先生が語ったとおりに絶対に順応しようとしたことが、お母様が偉大な点です。数多くの女性たちが反対する立場ですが、それを消化してお父様として信じられる娘の立場になったのです。復帰路程なので、娘としてお父さんに欠点があっても、自分がすべて責任を負うと言えてこそ、エバが罪の根を抜くことができるのです。 この男根石、女根石の写真を、「絶対、絶対に堕落はない」という者に一枚ずつ配ります。そのような誓いをなして、天地の前に恥かしくなく、神様のものを私が代わりに抱いていると考える者たちがいれば、この写真を一枚ずつ分けてあげるのです。女性たちがヒルのようにくっ付いても手を出さずに、つばを吐いて、いっぺんにはたいてしまえるという男性、女性、そうした夫、そうした妻を連れて暮らす者は幸福な夫婦です。 神様が創造を完結なされたので、創造物を破壊させた張本人であるアダムの代わりとなる完成者がその地を築くためのみ業をなすのです。韓国と換えられない地域を私が準備するため、南側の国に行っているのです。私は水を愛するので、二十五年間、船に乗りました。また陸地で十年以上、狩猟しました。戻ってきて五大洋、六大州に水産事業の基地を拡大させておき、これを還元式しなければなりません。アメリカに行って還元式を行うのです。ロングアイランドサウンド(Long Island Sound)とか、ハドソンベイ(Hudson Bay)とか、ニューヨークベイ(New York Bay)とか、マンハッタンベイ(Manhattan Bay)を中心として、そこから出発したのが何年前ですか? 三十余年前になりますが、それを再び追慕して還元する立場においてアラスカを経て、アラスカから初めて南極と連結しうるのです。地球星を代表するのです。 北極から、アラスカのコディアックで水産事業を手がけたのが、今や南極まで(結べる)トップオーシヤン(Top Ocean)という船をつくり、南北を連結させるのです。夢の国以上に考えながら指示した内容を見つめて還元式を行いました。海のすべてのものを還元する式を行い、陸地の還元式をすべて行ったのです。これを連結させるのです。陸地では地球星を中心として霊界と連結させて還元式をやらなければなりません。その還元式にあたって、天宙還元式とともに心情圏を還元するのです。 きょうの祈祷の内容もそれです。愛を中心として第四次アダム圏時代にすべてのものを解放させてあげるのです。そのためには本然的な男性器、女性器が現れなければなりませんが、このみ業をすでにすべて成就したので、その還元式まですべて挙行する内容となったのです。 今は還元するものがありますか、ないですか? これからは、それぞれの国を捧げなければなりません。この地上に人間……、堕落した世界の基準である国を捧げなければなりません。家庭時代は過ぎ去りました。家庭を捧げる前に国を捧げることで、国が一日で復帰されるのです。国が復帰されるのです。 ご父母様が蕩減路程を通じて、サタンが讒訴していたものをすべて取り崩したので、問題がありません。国家がいっぺんに天国に入っていける時代になったのです。国家を完全に水平時代で解放させようとするので、国家の根本となった神様の祖国光復が必要なのです。できなければ私がつくってでもやるのです。南北米を中心として旧教、新教がカイン、アベルとなって、その上で神様に侍ればよいのです。ご父母様が行って神様に侍ることのできる基準を連結させれば、アジアを放棄してもよいのです。 そのような質問をして、すべてを聞いてみて、自分たちが絶対、どんなことがあっても統班撃破して祖国光復を命じたとおりに行い、今、ここで七・一節を行うのです。すでに私が行っているはずでしたが、条件に引っかかって今回残ったのです。 ですから、きょうは記念日で忙しいでしょうが、これは必ず知らなければなりません。今から何をしなければなりませんか? 統班撃破です。家庭を全体に一元化させなければならないのです。祝福された家庭を今まで放っておきました。祝福はこのように流れるように、放っておくものではありません。一八○家庭ずつやったならば、これを収穫して自分の一族を中心として姉妹血縁を結び、彼らと自分の一族が結婚しなければなりません。統一天下と同じです。サタン世界のカイン、アベルが、聖人と殺人鬼が一つになったのと同じです。 祝福家庭は予備祝福を受けたのではありません。祝福したその家庭を中心として自分の一族と結び、これが主体対象として一つになったその立場で、自分たちが国家メシヤとして復活しなければなりません。復活するその時間が国を見いだして入籍する時間です。すべて放っておきませんでしたか?途中で投げ出してみ旨が成就しますか? 締めくくって還元すべきでしょう。統班撃破を通じて還元しなければならないのです。それは一つ一つ、皆さん大韓民国の民が、ここで祝福された民がやらなければなりません。先生はそれを克服して超越しました。アメリカが反対するのも屈服させてきたのです。それは韓国より世界的です。 全世界的にやらなければなりません。興進もこれをやらなければなりません。原理研究会を別動部隊にするのは、どういうことかというと、第四次アダム圏の完成は小学校時代から二十四歳までです。十二歳から二十四歳、大学生まで純潔運動するのが第四次アダム圏の青年運動です。ですから、これは前時代と後時代が違います。青年活動を中心として、この青年たちが統班撃破の主人公にならなければなりません。 きょうは七月の初めの日ですが、この七月は神様が七数の月を見いだしたのと同じです。解放の新千年の七月、月の主人となり八月、九月まで三か月間に基盤を整備しなければ、九月になってどんなことが起こるか分かりません。九月まで解決しなければならないと、すでに先生が言いました。やらなければ、どんなことが起こるかは言いません。 今回も何ですか? 海洋還元、大陸還元、天地還元、第四次アダム圏心情圏を中心として生殖器還元まで来ました。すべての恨の条件を越えることができ、ぶん殴ることのできる象徴です。鉄窓とは何だと思いますか? 鉄窓が何ですか? 新聞社ではありません。鉄窓というもの自体の言葉を代表したのが新聞社です。鉄窓が何かと言うと、男性の生殖器です。世の中でそうした話は初めて聞くでしょう? 生殖器に神様に侍ったよりももっとよく侍り、神様よりも愛さなければなりません。そうしてこそ、神様が喜ばれるのです。世の中にそうした話がどこにありますか? 宗教界で聞いたら、ぱっと飛び上がってひっくり返りますが、それは事実です。神様以上に愛に侍ってこそ、神様が定着しうる基盤が生まれるのです。生命より大切で、世の中をあげて、天地をあげて、神様まであげても換えることのできないものです。妻の生殖器を創造物の全体を合わせた以上に崇拝して、それ以上に愛し、それ以上の価値を認定してこそ、神様が我が家を訪ねてこられるのです。(二〇〇〇年七月一日、漢南国際研修院)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.20
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「天宙還元」宣布二〇〇〇年六月二十九日、午前八時四十分、ソウルの漢南国際研修院において、真のご子女様ら三名と約六十名の指導者たちが参加した中で、真のご父母様は「天宙還元」を宣布なさった。 み言 宇宙を縮小させた自己所有権を、サタン世界で失ってしまったものを、縮小した供え物の時代を越えて、生きたそれ自体として天の前に捧げることができるので、宇宙の生きた条件を、真の父母を通じて、神様の前に献納しなければなりません。これまで、そうしたことをやるのに、統一教会はすべて泥棒さながらでした。 そこにおいて自分を中心として貯金通帳を持って、息子・娘を考え、将来を考えますか? だとしたら将来はすべてなくなります。それを否定するのです。完全に否定です。絶対否定圏を越えるためにです。ですから、蕩減の歴史は、供え物を捧げる歴史です。半分に裂けば死にます。それで霊界と肉界、地獄と天上が分かれているのです。生死の境に分かれていますが、これを一つにするための総生畜なのです。生きているものを供え物として捧げるわけです。生きているのです。旧約時代も生きており、新約時代も生きており、成約時代も生きています。すべてが生きており、その生きた供え物を総献納するのです。 サタン世界は総生畜ではありません。生きた供え物ではなく死んだ供え物です! 献納ではありません。分納圏が地獄なので、半分に裂くのです。地獄圏内に自分の所有権を中心として、何かをやろうという者たち! 自分を中心として何かをやろうという者たち! それは狂った者たちです。自分が何かを持っているのではありません。献納のみ業をなすのです。神様が献納する時を準備して、真の父母が献納する時を合わせて、神様に捧げる献納の時代なのです。 生死の境、死亡圏を除去して生命圏に一体化させなければならないのが、総生畜献納です。献納は何ですか? 献納物です、物!「祭」というのは、所有権を決定するために条件を立てることです。祭祀を執り行うことです。 それは総生畜献納物です。献納物体、生きた物体! ですから、自分自身も生きており、堕落しないエデンの園におけるすべてのものが生きています。それが神様のものです。死亡の圏内にひっくり返っていたので、逆に置くのです。捧げるには、自分の名前までもすべてなくしてしまわなければなりません。自分の国までもなくしてしまわなければなりません。丸ごと神様に捧げて、丸ごと神様のものになるのです。神様の願うアダム、エバのすべての基準、その相続的な相対圏がないので、それを真の父母の前に相対的な条件物として差し出すのです。 その条件物は死にませんでした。生きた物を接ぎ木して、家庭に接ぎ木し、氏族・民族・世界全体の家庭と連結されて捧げることが因縁となり、清算されてこそ、存在する世界が神様の物の世界になります。神様の物です。そこには供え物時代がないのです。そのようなものが総生畜献納です。 すでに十六数を合わせていきます。サタンがこれまで侵犯したのが、四×四が十六、十六数です。韓国にも国連軍十六か国が来たでしょう? 日本の組織を見ても十六です。韓国も十六でしょう?総決算する時代だからそうです。それを皆さんは知らなければなりません。 いつも顔を見るとき、そのように考えなければなりません。目を見ると目が一つですか、二つですか? 二つです。ですから、ついたてがなければなりません。目がこの世で勝手に遊んでいました。皆さん自体が心の世界にも二つの目があり、体の世界も二つの目があります。四つの目が合わさって一つになるのです。これが水平にならなければなりません。水平となってカイン、アベルです。目のうちで、どちからが先に生じましたか?「始め!」と言っていっぺんに生じましたか、どちらかの目が先に生じましたか? 二つの目がいっぺんに生じることができますか? 目も生じるときは、必ず順番に生じてきたのです。 息をするときも「ふうっ」と吐き出せば、「はあっ」と吸い込まなければなりません。いっぺんに息を吐き出して、吸うことはできません。同じことです。目も同様に出発するとき、お兄さんがいて、弟がいるのです。それとも「よーいドン!」と言って生じたでしょうか? 順番に生じたのです。目を見るとこれが分かれています。プラス、マイナス、主体対象なのです。目が自己主張できますか?「ああ、私は右目が嫌いだ!」と言って「おまえは閉じよ、私は開く!」そのようになっていますか?いつも中心を中心として統一です。目は水晶体を中心として円形をなすのです。 中心に侍るために必ず水平になって、主体対象とならなければなりません。神様が創造するときに環境をつくられました。宇宙のすべての環境には、必ず主体対象がなければなりません。主体対象がありますが、いっぺんに「やあ!」と言って生じましたか、主体が先に生じましたか、対象が先に生じましたか? どちらが先ですか? 同じことです。いつもそれを考えなければなりません。瞬きするとき、片方の目ができなければどうしますか? 一つになっていますか、なっていませんか? いつもそれを考えなければなりません。教育のうちこれ以上の教育がありません。五官の、天地の調和を実体で象徴しているのです。 生殖器を見れば、どうなっていますか? 女性はどうなっていますか? 上下になっており、男性はどうなっていますか? 中心にシンボルがあります。シンボルがあり、睾丸は横的になっています。それが天地の道理です。 ですから、いつでも考えなければなりません。耳がともに聞こえなければ共鳴ができません。それは違いがありますか?右の耳、左の耳が「君は君、私は私!」そう言いますか?互いに尽くすのです。左側は右側が一つになれるのを願うのです。そうでなければ大変です。右側は左側が一つになれるのを願うのです。そうするには為に生きなければなりません。自分のためにという立場は破壊します。問題が生じるのです。 自分がどこにいますか? バランスを取らなければなりません、バランス! バランスを取れなければ滅びます。天地の調和がどこにありますか? 手がこうして何をしますか? このようにつかめますか? このようにつかまなければなりません。手をつかんでみなさい。どちらの手が上に来ますか? 左手が上に来ましたか、右手が上に来ましたか? すべて違います。右手が上にきた人、左手が上に来た人、すべて違います。違うのです。どんなに違っても、これがこのようにして一つになりますが、すべて水平です。水平にならなければなりません。全体をこのようにして、つかむようになると、全体が合わさるのです。 ですから、自分がどこにいるのか、上にいるのか、下にいるのか、それを考えなければなりません。それゆえ、すべてがカイン、アベルです。カイン、アベルなのです。バランスを合わせるようにする人が主人となるのです。 「柳寛順会」は何をするためにあるのですか? 韓国の男性ならば男性、女性ならば女性として家庭で柳寛順のようにお手本を示してあげるのです。柳寛順にとっては、日本は自分を叩き殺した怨讐です。ですからその怨讐を愛せませんでした。どうして怨讐と相対を結んであげますか? しかし、怨讐があってはいけません。怨讐を持った人は天国に行けません。自分が嫌いな者、東西四方にそうした者がいなくなることを願う人はサタン側です。「あの人たちがいなかったなら助けてあげる。誰よりも私が助けてあげる」という人が天国に行くのです。「あいつ、滅びればいいのに!」こう言ってはいけません。 私を見なさい。アメリカに行きましたが、アメリカは私にとって怨讐の中の怨讐です。キリスト教の先導的な国家として、宣教師たちが統一教会をめちゃくちゃにしました。フランチェスカと朴マリアと金活蘭を中心として、三人の女性がめちゃくちゃにしてしまいました。めちゃくちゃにしたのです! しかし、先生がその怨讐の存在を考えたら越えていけません。彼らを救ってあげなければなりません。金日成が怨讐です。彼を祝福してあげなければなりません。宗教の教祖たち、釈迦牟尼とか誰それも……。キリスト教がこれまで怨讐でした。彼らを祝福してあげなければなりません。 先生に怨讐がいますか? 怨讐がいますか、いませんか? いません。怨讐よ滅びよという考えがありません。怨讐があってはなりません。天国を築けません。私が好むことのできる基盤において、良いものを取る前に、怨讐がいたらそれを忘れてしまわなければなりません。 ですから、先生は聖人と殺人鬼を祝福してあげました。聖人の子供と殺人鬼の子供を祝福してあげたのです。今からそのような時代になっていくので、日本人たちは今後、すべて交差結婚するのです。怨讐だった韓国人と一〇〇パーセント交差結婚するのです。そうすれば一つになるのです。アメリカの教会団体が一〇〇パーセント交差結婚します。地上世界と天上世界が一〇〇パーセント交差結婚するのです。 弟妹を立てるのに、いちばん幼い者を立て、お兄さんたちが崇拝してこそ、地獄と天国がひっくり返るのです。今後、統一教会は三歳の子供を重く用いるでしょう。三六家庭とか頭にいる者たちを見ると、いつもどこかに入ってくるにも、三六家庭、責任のある者が先に入り座るべきだと考えています。そうではありません。端に座って、自分たちが雰囲気を盛り上げられるようにしなければなりません。環境があって、環境圏内に主体対象がなければなりません。環境は無視しておいて、自分のやることはやれないで、環境を流して主体の立場、対象の立場を求めていこうとしているのです。この滅びる者たち! この者たちを私が整理しなければなりません! 心しておけというのです。 目で見て左側です。私が右目か左目かというのです。先生が主人の立場にいれば右目です。私は絶対にその右目と合って瞬きするとき、歩調を合わせるというのです。鼻でいうと右の鼻を合わせるのです。右側を韓国語では正しい側と表現するでしょう? それが道理です。ならば右の鼻の穴を左の鼻の穴に合わせなければなりません。自分勝手にやれば二つとも滅びるのです。すべて滅んで死ぬようになっています。 唇もそうです。上唇と下唇が閉じて、開いて、話すときに合わせなければならないでしょう? 歩調を合わせなければ。いつも話すのに歩調を合わせますか、合わせないですか? どれほど不思議でしょうか? 口の先生に学びなさい。鼻の先生に学び、目の先生に学び、耳の先生に学び、手の先生に学びなさいというのです。そこに一つになれずに、かきまわして探すような恥かしい姿勢をもって、天地の自然環境に向かって、主体対象が逆になり、天地を滅ぼすのです。 私には怨讐がいません。私が教えた原理は、怨讐を愛していかなければならないのです。私がアメリカを生命と財産を捧げて愛したので、戻ってくるのです。三十三年の歳月を、いちばん重要な歳月をいたずらに過ごしたのです。それを誰かが違うとは言えないのです。サタンが知り、天が知り、アメリカの地が知っています。そのようにやったので、それを中心として生きた供え物の総献納物をアメリカ自体として天の前に捧げなければならないのです。 それで体と心を整えて一つにするのです。政府と宗教が怨讐です。アメリカでその作業をやるのです。キリスト教を中心として国家的に分裂したのを一つにする作業をするのです。政府の後援の下で-それはカインです-今、十四万教会を設ける運動を始めました。イエス様が来るとき、十四万四千名が最初に復活すると言いましたが、先生のときは十四万四千の群れではありません。そのときは国家時代でしたが、今は世界時代であり、地上・天上天国を築く時です。ですから、十四万教会を中心とした復活国家を建設するのです。違うのです。 このような時代に、自分のふろしきを背負えば連れていくのです。自分のものを中心としてすべて投入しなければなりません。投入してから韓国が主体国という権限を立てることができるのです。自分を中心としてノラ犬の子とそのふろしきを背負った者を連れて、そのみ業をなすことができますか? そのような者はノラ犬です。ノラ犬たちです。 右目を立てたのに、左目が右目をどうこう評価できますか? 絶対に何ですか? 絶対服従が絶対の道理です。水平にならずに他の何かの存在があってはいけません。そこに合わせなければなりません。百歳のお年寄りであっても合わせなければなりません。神様が今、先生の前に合わせています。違いますか? 先生の蕩減復帰を神様は思いどおりにできません。先生に合わせるのです。その代わり、むやみに行けば手をつけられます。このような原則を知って、神様の本質的な内容をすべて知っているので、私がそのように暮らして峠を越えに越えて、その峠の残りの仕事を処理するというのです。 すでに霊界は私が手をつけ始めました。宗教圏の統一! メシヤ、イエス様は父母です。父母の伝統を連結させてきました。イエス様がこれまで長成的な父母の立場で完成できなかったので、そのイエス様の道理をすべて……。イエス様を兄として侍ったのです。兄弟が合わさってこそ天地父母、天は夫であり、地が妻として一つとなるのです。 ですから、宗教が一つになるのです。それを誰がつくりましたか? それは神様ができません。それは私に特権があります。それで革命するのです。「これをやれ!」と言うのです。霊界は今まで夫婦の間がすべて分かれていました。地獄であれ、どこであれそうです。それで交差するのです。 一昨日、女根、男根のことを聞いたでしょう? それはどうなりましたか?それを私がどれほどありがたく思ったことか。万物世界でもこれを神様の代わりに侍るということなのに……。万物も神様の代わりにそれを崇拝するのです。 それが故障したので、そこから解かなければなりません。それを何で証拠として? それが地中に入っていたのですが、突き出てきました。復活したわけです。「いやあっ! 愛は死亡圏を撃破して天に向かい、神様に向かって出てきたものである。出動命令できる根拠がこれか」と言ったのです。私が出動命令を考えている者ではないですか? ここに訪ねてくるようになっています。 その主人が誰ですか? 先生が主人ですが、何の主人ですか? 真なる根本の女根石として見つけましたが、女根石の象徴は何ですか? 形状は人で実体は神様です。女根何ですか? 女根人、女根愛! 愛の根であり、神様の根であり、万物の根です。根本がこのようになったのを知りません。先生が初めて発表したのです。 そうした貴いものを付けて行き、何を探して回りますか? すべての存在を総合してそこに装飾品として、ピラミッドならば、ピラミッドに金の装飾を施したように装飾したのが女根物、人、神です。それが装飾物です。それが髪飾りです。宇宙を所有できるそれがカギであり、宇宙を開くことのできる夫婦です。カギなのです。 女性のカギ、男性のカギ、それを誰が開けてあげますか? カギが違います。女性のカギを開けるのは男性が持っており、男性のカギを開けるものは女性が持っています。互い違いに持っています。ですから、それがなければすべてのものを開けられないので、天地に自分が干渉もできず、また所有することもできません。それがいちばん貴いものです。愛がいちばん貴いのです。 ですから、そうしたことを知れば、男性は男性をどこに置いておかなければなりませんか? 韓服のズボンを着れば分かりませんが、背広のズボンを着れば男性はどこに置いておかなければなりませんか? 右側にすべきですか、左側にすべきですか? 右側です。皆、そうしていますか? 女性はありません。男性がいてこそ、他の側が生じます。 女性はないので「自分たちをつかまえて」と言っています。受けるようになっているでしょう?門を開ければ、門が長くなりますか、丸くなりますか? 丸くなって、その丸くなったのが手本ではありません。その丸くなったものより、さらに大きく丸くなるところに幸福があります。分かりましたか? こうした言葉は、失礼ですが、女性たちは小さな主人が入ってくるのがよいですか、大きな主人が入ってくるのがよいですか? 女性たち、どうです? 丸いところに、それを狭めて入ってくるのがよいですか、広げたり狭めたりするのがよいですか? 世の中の道理、愛の谷間、愛のすべての内容をぴったり通して座り、天地を料理するというのです。それ以外にはありません。そのような象徴的な物が……。ですから、女根人・女根神! そこにすべてのものがみな入っています。それが死ねば、その家は滅びます。誤まって使えば、混乱が生じます。ですから、行く道が一つなのです。男性がいれば、それが逆に立っていますか、まっすぐ立っていますか? まっすぐ立っているのが、下に広がっているのであり、それが後に上がっていけばどうなりますか? 自分勝手にやればどうなりますか? 逆に立っていないで、かけてぶら下がっているようになれば、どうなりますか? この世における地獄の中の地獄です。 これが大きくなっても、その道がいかに大きくなりますか? 九〇度以上にならなければならないのです。男性はそうしてこそ男性になります。小便をシャーッとするときに、壁を越えてこそ、その後孫がうまくいくのです。子供のときはおしっこをすれば、スーッと出ます。うんちをしてお母さんがおむつを替えるとき、おしっこをピユッとして、目や鼻にもかけてしまうのです。九〇度を越えなければいけないのです。 若いときは九〇度を越えるので問題です。男性が女性をいじめますか、女性が男性をいじめますか? 男性は五十一秒ごとに女性に手を出すようになっています。それをあげなければならないでしょう? あげなければどうなりますか? 滅びるのです。あげるのは最後まで、無限にあげたいのです。それが欲望です。無限にあげたいのですが、それを誰にでもあげるようにはなっていません。錠前ならどんなカギでも合うのですか? 二つが合う錠前はただ一つです。私たち統一教会の信徒の中で、錠前を二つ持って生きるという者たちは気違いです。地獄のいちばん底なのです。厠のうじ虫のようなものです。愛の世界における糞! そのようになっています。女性はそうした男性が、骨が砕けるように抱くことを好むようになっています。男性はまた骨が砕けるように抱くものです。それで男性が大きいのです。女性は大きいのを好みます。男性が大きいのを好みますか? 男性は大きいです。女性はその大きいものを好みます。 そのようなことを考えるとき、「文総裁が契約の箱の中の二つの石板はアダム、エバを象徴する!」と言いましたが、それを象徴するのです。至聖所がそこです。誰もが手をつけることができません。手をつけたら皆、滅びませんでしたか? 至聖所がそこです。それからアロンの芽が出た杖!杖が何ですか? 永遠に死なないというのです。死んだ杖から芽が出たので、永遠に死なないのです。何を中心として? 本然の愛! 愛がなければ死にます。それでアロンの芽が出た杖が出てくるのです。そうしたみ旨があるので、聖殿において侍ったのです。ですから、神様の体を象徴したのが聖幕です。体が聖所であり、至聖所というのがまさにその場なのです。 愛しているとき、その女性におしっこを漏らせばどうなります? 本当におしっこしたいのに、愛する人がしきりに求めてきて、おしっこを催すのを忘れて抱いたのが、愛していきなりセイ液とおしっこを漏らせばどうなります? 審判を受けますか? 審判を受けなければならないですか、どうなりますか?「そのような時間まで私にくれるとは、どれほど夫が愛していることだろうか!」と言うのです。それ以上の幸福がないのです。 何を保護しなさいと言いましたか? 最近は「気を保護せよ!」と言いますが、気とは何の気ですか? 愛の気です。気がどういう漢字ですか? 気運の気でもありますが、足場を表わす基という字にもなるのです。愛の気を指すのです。気が単独で活動することはできません。そのように激しく慕って生命以上に願うところで、天運の気が挙動するのです。超越的な力に接するのは、愛しかありません。 すべてのものが自分の先生です。私の体が先生です。腹が立ったとき鏡を見ると、目が語るには「私に似なさい! 私に似て水平になりなさい!」と言うのです。右目と左目が一緒には動かないと考えるので、問題になるのです。夫婦も同じです。目を見て学ぶのです。夫が右目ならば、自分は左目ですが、左目が先にまばたくことができますか? 永遠に一緒に動かなければならないのです。 ところで、夫はいつも縦的なことを願い、女性は横的なことを願います。現実的なことを願うのです。しかし、現実はしばしの間です。一日の生活の満足を求めるのが女性です。男性は永遠なる未来の幸福を求めていくのです。ですから、未来の幸福の前に女性は合わせなければならないのです。合わせないで目を見開いてふざけていたら孤独単身、なくなるのです。 鼻の穴も右側の穴は誰を象徴しますか? 夫を象徴します。では、左側の鼻の穴は? 妻を象徴します。夫の鼻の穴は、妻の鼻の穴がマイナスになるならば、「別々に息をせよ!」と言えますか?別々に息をするという者は気の狂った者たちです。そうすれば、その世界のその場に入っていけないのです。定着点を探せません。互いに衝突が起こるのです。それを考えなければなりません。 口もそうです。上唇は? 夫であり、下唇は妻です。女性の唇は下唇が厚いですか、上唇が厚いですか? 女性の唇は下唇が薄いです。それで小さくても振動します。男性は上唇がとても厚いのです。ユ・ジョンヨンのように厚いのです。 上唇が大きい人はゆっくりと話します。女性たちを観察してみると分かるのです。下唇が薄くて上唇まで薄い人は問題です。いつでもしゃべるのです。しゃべられなければ病気になります。ただどこに行っても騒ぐのです。下唇が別個に動かなくてはなりませんか、一緒に動かなくてはなりませんか? 一緒に動かなければなりません。 体を犠牲にすれば精神が発展するのです。逆に体の享楽を求めれば、精神が下っていき、穴に落ちてしまいます。後には二つが分かれて死んでしまいます。滅びるのです。天地の道理がそのようになっています。足というのは、いつも逆向きでしょう? 一方が先に行けば、もう一方は後ろに立ちます。左足が右足を考えるときは、いつも右足は先です。右足が先に歩いたならば、左足というのは右足の代わりに出なければならないのです。歩調を合わせるということです。 和合を合わせるのです。そこに中心が設定されます。それをいかに否定できますか? 先生の言葉に間違いありません。けんかできますか? すべてカイン、アベル問題です。カイン、アベル問題は宇宙の根本です。主人の立場から、神様から、愛の源泉地からそれを拡大させたものです。それを四方にプラスにするのです。そうすると、生存的な与件が自動的に生まれてくるのです。 アダムを先につくりましたか、エバを先につくりましたか? アダムを先につくりました。ならばアダムがエバを支配しなければならないですか、エバがアダムを支配しなければならないですか? アダムがエバを支配しなければなりません。天地の道理がそうです。女性が男性に従うべきですか、男性が女性に従うべきですか? 女性が男性に従っていかなければなりません。ところが、堕落した世界は逆になっています。 カイン、アベルの歴史がこれまで逆になってきたので、それを愛さなければなりません。愛を失ってしまったので愛して、サタンよりさらに愛して、愛を受けてこそ、天国に入っていくのです。それが先生の生活ではないですか? そうでしょう? 怨讐を愛した後に初めて故郷に帰っていくのです。私が世の中の人たちを、数多くの民族たちをお兄さん以上、お母さん以上に愛しました。なぜですか? 本来ならば、このみ言はお母さんに先に話して、お兄さんに先に話して、一家に先に話さなければなりません。しかし、皆、一言も話してあげませんでした。 この群れに、そのふろしき自体をほどいてあげました。そこで種を収穫して、私たちの真の父母を、神様を訪ねていき、祭祀を生きた供え物として捧げるのです。神様が創造した生きたものを捧げるため、このようなみ業をなそうとしたのに、そうした者たちが一人もいません。 私が今お母様を出てこさせて、祈祷しようと思います。三十日、明日ならばできるのです。海と陸地が合わさり、還元されることを私が通告してあげなければなりません。一昨日は陸地還元を通告したので、海と陸地の還元を通告するのです。済州島に行って漢羅山を眺めながら、白頭山を連結するみ業を海でやるのです。全世界の海と全世界の陸地を連結するのです。私が平原地帯を、土地を買うように言いました。南米に土地を買うのです。これを山と連結するのです。 それで済州島の地帰島に行って、船に乗り、漠羅山を眺めながら白頭山を連結させるのです。海の権限と陸地の権限を、平原地帯から山までも抱いて還元しましたと祈祷しなければならないのです。今日が二十九日でしょう? 六月までに私が解決しようとしたすべてのことを韓国に訪ねてきてやるのです。本来は済州島に行って祈祷しようとしましたが、ここで漢羅山と白頭山、海から-南米は平原地帯です-大陸、平原地帯から山岳地帯に連結して、神様の前に還元しなければなりません。還元の祈祷をしなければなりません。 祝祷 愛するお父様、天地の愛の理想を中心とした大道の道が……、光明なるあなたの愛と共に宇宙を光で覆って残るべき本然の心情世界に、人類始祖の失敗が、このように歴史的な恨の、恨の、恨の峠を残しました。数千数万の人々の犠牲とともに全宇宙の嘆息圏の峠を、垣根を積み上げてきたものを取り崩すため、天が復帰のみ手をつけ始めた歴史的な事実を私たちは知っております。そのようなご苦労をかけたこの創造物が、お父様の前に犯した親不孝、不忠がどれほど大きかったかを、よく存じている統一教会の群れであり、真の父母でございます。 今や天と地の秘密がすべて暴かれ、神様の事情を知り、神様の心情を知り、神様の願いの成就に向けた一念の基準が今日、私ども家庭を中心として理想的な実体、結実として植えられ、収穫しうる万苦の解放の家庭設定を願われるお父様の心情があることを知っております。 この地上に、真のご父母様がそのような心情を知り、これまでキリスト教を中心とした統一的な方向を据えるため、四十余年の受難の道をたどりました。今や第四次アダム圏以降に、キリスト教が願った真の父母の再臨のその時を中心として、新しい家庭を設定するための神様の愛を中心に、神様の生命圏を連結し得る、神様の血統的な起源を再び連結できる天宙史的な大革命的期間でございます。 キリスト教、新教・旧教が一つとなり水平的な基準において、神様を心情的垂直に侍りうるご父母様に侍られなかったことで、反対の経路により、お父様が、これまで苦労されてきました。そのすべてを、もう一度、第一次アダム圏、第二次アダム圏の失敗したそのような道を家庭的な四十年荒野路程をたどって再会し、祝福の世界化のために霊界、肉界をすべて解放できるようになりました。 韓国の地において、最後の終着基準、南北統一と共に連結させ得る最後の勝利的な覇権を立てるべき戦争を前に控えています。この場において真の父母は、海洋世界の還元と陸地世界の還元とともに海洋と陸地を連結させうる、最終的な還元をすべて宣布するため、済州島を中心として地帰島の上から漢羅山を眺めながら、白頭山を越えてヒマラヤ山頂、エベレスト山を越えて平原の世界に連結し、再び川を越え、海の世界に本然の世界を還元させる責任を中心として、お母様と共に韓国を訪問いたしました。 これまで因縁となって祈祷して、宣布したすべてがお父様、済州島に代わったこの場において、お父様の前に宣布して、全宇宙の前に宣布しますので、この日を記憶してくださいませ。今や六月の最後の日となりますので、六月まで私が計画していたすべてを完結できませんでしたが、条件的な基準を、八○パーセント以上の基準を立てることによって、サタンといかなる関係もないあなたの願いを成就させる一念を抱いております。万事を勝利の決定的な覇権の場に移すことのできる権限を知ることにより、真のご父母様の相対的な基準でこのみ業を支えて成就、成就、成就、解放圏の世界に転換されることをこの時間、全天宙の全体還元式に代わって宣布いたします。 全天宙とともに神様の愛の圏内で、全霊界とともに地上の祝福家庭が一心一体となり、地上・天上天国に定着できる還元の祝福をこの天地に真の父母が、天地父母が合わさって全宇宙の前に宣布いたします。このみ業を成就させることにより、統一家の行く前途には、すべて万事が都合よくはこぶ勝利の覇権が続くようお願い申し上げます。 きょう、六月二十九日、朝八時四十分を中心として、このみ業を宣布しますので、天上世界に一つの標的として立てられ、この基準を中心として天地のすべての行く道を分かつようにしてくださることを切にお願いしながら、全天宙還元式に代わったことを宣布しますので、真のご父母様の御名と共に天地父母、全宇宙がここに抱擁され、ここに消化できるよう祝福されることを願いながら、真の父母の御名により天宙還元式を宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン! み言 皆さんを信じます。皆さんが海の主人であると同時に川の主人、平地の主人、山の主人になるべき本然の神様の前にすべて失ってしまったものを真の父母によって還元されたという信念を抱くのです。そうして、一方通行により処理できる自信を抱いて、今後のすべてのことに臨むことを願います。神様が願われるみ旨が早く促進されることを知っているなら、そのように援助することを願いますか? 八時四十分を中心として発表したのです。覚えておきなさい。 今や本来の世界に帰っていくのです。これから家庭が中心であり、氏族が中心であり、民族を中心として国家基準を越えることで、サタン世界の国家基準が地下に下っていける時が来たのです。ですから、南北統一は家庭的な事実として、私たちが宣布したように、その責任遂行に主体的な行使をするために、南北の前に影響を及ぼすべき私たちの行動が残っています。完全なるプラスは完全なるマイナスを再創造するのです。ですから、深刻なのです。(二○○○年六月二十九日、韓国・漢南国際研修院)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.20
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「陸地還元」宣布二〇〇〇年六月二十四日午前、真のご父母様は、韓国で活動中の国家メシヤたちをソウル漢南洞の公館に呼ばれ、祖国光復についてのみ言を語られた。引き続き午後の集会では、全国十六の市・道(ソウル六名)の連合会長十九名を任命された。新任の連合会長たちが簡単な会議の後、「二〇〇三年までに祖国光復と解放のため身命を捧げて南北統一を完遂する」と決意して、敬礼を捧げると、真のご父母様は午後五時三十分、祝祷を通じて「陸地還元」を宣布なさった。 み言 国家メシヤの後継者は、神学校を卒業して、行って杭を打たなければなりません。すべて計画を立てなさい。いちばん能力のある者を天に捧げるのだと考えなければなりません。この世の中では泡のように流れてしまう者が多いのです。いちばん貴いのは、その一族がどれだけ天の国の民を教育し、国の中心人物となりうる人材を育てたかということです。その功が大きいのです。世の中では霊界の事実を知らないのでそうなのです。 今は皆、故郷に行かなくてはならないでしょう? 皆、自分の故郷に帰っていきますか? どうなっていますか? 縁故地で四名ずつの班を組むでしょう、教育する班を。縁故地に行ってそこの教区長や教域長と合わさって、四名が一つのチームになり、自分たちが活動していきながら、再び四つのチームに分割するのです。その下に教会長を中心として、そのようなことをして統・班に下っていきながら、能力のある全国的に優秀な家庭は、外国に送り出すのです。何の話か分かりますか? 今、十六の市・道を中心として見ると、一か所に十一名以上が行くのです。百八十名が行けば、一つの道に何人ずつですか? 万一病気で責任を果たせないときは三か月が過ぎれば人事するのです。病気だからといって、そのまま置くわけにはいきません。そうでなければ、自分の妻とか息子・娘を配置するのです。できないときには人事措置をしなさい。 そして一八〇家庭を祝福してあげましたが、彼らはカイン的な基準なのです。自分の血族ではありません。自分の直系の家庭たちを配置して家庭とともに、自分の一族とともに集まり、姉妹血縁を結んで、ともに祝福してあげなければなりません。アダム家庭は兄妹同士で結婚したでしょう? ところが、カイン、アベルが怨讐になりました。そのように結婚させて国境を撤廃するのです。 自分たちが祝福してあげた一八○家庭をそのまま放っておくのではありません。自分が金氏ならば金氏の一族も、劉氏ならば劉氏の一族、近い親戚を束ねるのです。姻戚の八等親までもかまいません。母方の親戚まで合わせて一八〇家庭を束ねて、三六〇家庭を築くのです。家庭教会をやっていたその運動基準を築かなければなりません。こうして、その三六〇家庭が国家メシヤを手助けするのです。外国に宣教に行かなければならないのです。そうしてこそ、氏族たちが世界に行くことのできる道がつながります。自分につてがあってこそできるのではないですか? ですから、今や優秀な人は、自分の息子・娘のうち天才的な素質のある人は、混迷する世の中に置いておくより、天の前に奉献しなければなりません。今後、私たちは神学の勉強だけではいけません。必ず世の中の勉強をして神学校に行けというのです。二つ以上の学位を持たなければならないのです。 それで、霊的な基準である神学校を中心として今後体制を教育していくのです。心が体を支配していたのと同じようにです。外的な活動をしていても、心の命令を受けるのと同じく、信仰基準を中心とした教養を持った基準で社会生活、経済生活してこそ、社会が浄化します。今後は、すべて行く道がそうなのです。優秀な人たちをそのようにしなければならないのです。 世の中を見ると、ゴミ箱のような者たちが神学校に行っているでしょう? 私たちの考え方を根本的に直さなければなりません。卒業試験するときに評価して、優秀な人を国家が指定して神学校に送るのです。そして、自分たちが勝手にはできません。十二支派ならば十二族の編成が展開されるからそうなのです。十二の月というのは何ですか? 春夏秋冬と季節が違いますが、十二の月は自分の季節的な特性を代表しうる主体なのです。 ですから、それを今後、協議にかけてどの学校に送るか指定しなければなりません。自分の息子・娘をお金があるからといって勝手にはできません。どんなにお金がたくさんあっても、勉強ができなければ行けないのです。今はそのようにできる時です。三か月が過ぎれば人事措置をするのです。 今の時がそうです。皆さんが南北統一に対する主体的な力量を持って、南北統一運動をしなければなりません。南北統一が進まないからと、摂理のみ旨の前において、いつも延長させることはできません。三年以内に、四年までに片付けなければならないのです。 そのためにはいかにすべきですか? 北朝鮮との南北統一が問題ではありません。韓国を中心として見れば、南側の国のいかなる国であれ、姉妹関係を結ぶのです。これは国境ではありません。大陸を境界線で一つにできるこれを選んでおかなければなりません。 そのような意味から、韓国を中心とした南側の国であるウルグアイをすでに十八年前に、二十年前から先生が準備したのです。それで、そこで大統領をした人物たちが、三人の前職大統領が今も生きていますが今回、辞任したのがサンギメティー(フリオ・マリア・サンギメティー)です。この人を私が使おうとしています。私の側の人物として南米を中心としてUPI通信社に代わって大陸の責任者として使おうと思います。 それから大陸を中心として、南米三十三か国が責任者を立てるのです。UPI通信社をそのようにしなければなりません。三十三か国の国家のうちには責任者がいるので、UPIを中心として新聞社を後援するのです。大統領の経歴のある人物たち、有名な言論人、その国の著名人たちが後援しているので、新聞社を媒介にしてUPIが吸収しなければなりません。フランスでも何でも全部です。いちばん最初には多いですが、二か所はプラス、マイナスにするのです。UPIを支持できる立場で取りまとめて、統一してしまわなければなりません。あれこれと複雑な道がありえないのです。 それで、国家ならば国家の内にあって新聞社を中心として、教育機関、学校と束ねてなさなければならないのです。また、この通信社は世界の各国の新聞社と束ねてなさなければなりません。それから宗教と国家を超宗教超国家連合で束ねていかなければなりません。残るとするならば新聞社と通信社です。新聞社と大学連盟です。これは人脈を必要とするのです。キャンパスを中心とした学者たちを中心として、これは一国の新聞社も必要として、世界の新聞社も必要とするのです。これを連合して国家的な教育と世界的な教育を連結させなければなりません。これが分かれてはいけないのです。 今はそれが通じないのです。世界の言論機関は手ごわいのです。皆、優秀ですが、連結しておかなければなりません。その次に超宗教超国家連合も連結させるのです。 では、残ったのは何かというと、金融機関です。金融機関は、政治と経済問題を連結させるのです。今後、政治の世界というのは管理体制であって指導体制ではありません。政策というのは計画を立てる必要がありません。原理的な観点で平和のために暮らすのです。国家のために全体の前にお手本を示すことのできる、為に生きる管理体制であって、指導体制ではありません。 その管理体制で何をしますか? 経済的な問題、人が食べて暮らす生活が重要なので、生活面を指導的に解決できるようにすべきなのです。ですから、生活するにあたって上・中・下の三階級に分けて上級は生活基準がどれだけ、中級はどれだけ、といった具合に、これを中心として平準化するのです。中級になるときを中心として連結させ平準化しなければなりません。そうするには世界が必ず国連と一つにならなければなりません。整備管理を徹底しなければならないのです。政策を誤まって立てれば、経済の管理体制を破綻させてしまいます。 ですから、一家の生活のような計画を立て、一年にいくら、全世界の予算がいくらかかるかということ、上はいくらで、中はいくらで、下はいくらというのが出なければなりません。そして上はできるだけ中を中心として降りていきながら下を引き上げ、平準化させて合わせていかなければならないのです。そうした体制を築かなければならないのです。 ですから、政策的な方向がすべて異なれば、経済的に行くべき方向が無数に分かれてしまいます。そうすれば問題が生じるのです。平和の世界は、絶対に訪れないのです。それで政治体制が一つの管理体制にならなければならないのです。 いちばんの問題が政治問題です。政治家たちが詐欺をすることはできません。管理体制になっていきます。法によって保障された道を行かなければならないのです。問題は何かというと、お金の管理です。食べて暮らすのに、誰が良いものを食べて、誰が良いものを持つかというのです。これが問題なのです。良いものを互いに持つと言ってはいけないのです。良いものは全体のために与えて、中以下のものを自分が願うようにすれば、自動的に平準化がなされるのです。 それで今後、いちばんの問題が何かというと、公金の活用です。これがいちばんの問題です。その次には人事措置です。この二つです。人事措置を自分の系列を中心として行い、民主主義とか何主義とか言って野党、与党に分かれたのです。ですから、国家の傷跡がどれほど大きいですか? これまで携わった仕事に熟達した人たちが、負けて流れていってしまうのです。そうでなければ、中間で負けてしまい、そこでそれ以上は上がっていけないのです。その場で回りながら下っていくのであり、上がることができません。ですから、政治がなくなります。管理体制となるのです。すべて管理するのです。お金を分配してうまくやるか否かを管理するのです。 ですから、いちばん初めには服も制度化させるのです。そして今後、物の良し悪しを何で区別するかというと八色で区別するのです。今も何か良い品物を買うには色を見るのです。どんな色かというのです。虹の色があるでしょう? 人は色をうまく合わせなければなりません。服もお金があるからと高級服を買って着ますが、色が合わなければめちゃくちゃです。そのような面から相当に発展しなければなりません。そうであるだけに今からそうした訓練がなされていなければなりません。 自分の家庭を中心として標準化してはいけません。その村ならば村の上・中・下を中心として、そこに合わせて暮らさなければなりません。そうして、一か月に一度ずつ私たちの上・中・下の生活基準がいくらであるとして、主生活費はいくらで、経費はいくらで、消耗費はいくらと、その基準を中心としてどこに何をして、どのようにしていくかという、自動的に会議の結果によって翌月はどのようにしていくかが定まれば、そこに合わせて暮らさなければなりません。 私たちの生活方法を保障するのはいつも法です。月給をいくらかもらえば、今月は何パーセントの人の金額がいくらだ、というようにです。上・中・下によって比例基準が異なるのです。それを鉄則として守るのです。それが間違えば、霊界の自分の生活に侵害を受けます。霊界がそのようになっています。 資本主義社会のようにお金を積み上げて、暮らすことはできません。私はお金を積み上げていません。今後、息子・娘と共に暮らしても息子・娘の村全体の平準基準が三人ならば、三人を基準として四人、五人になれば生活を比べた基準を自分たちが協力して付加しなければなりません。百世帯が住むならば、百世帯が分割して赤ちゃんの多い家を助けるのです。兄弟なので甥や姪のように考えなさいというのです。それで今後、村で結婚するのです。助けてあげた家、助けてあげた因縁に従って連結されることによって、平和の基盤がだんだん拡大されていくのです。 国家メシヤたちが一八○家庭ずつ祝福しましたが、皆どこに出してしまいましたか?皆、いますか、いませんか? どこかに引っ越せば報告させ、住まいに関する問題も管理しなければならないのです。こうして自分の一族を中心として会議して話を聞いて、一八○家庭をやった外部の人たちを集めて、劉氏ならば劉氏の家門の一八〇家庭と結んであげるのです。結んで一つにして、今後結婚させなければならないのです。村の中でいえば、李氏とか、金氏とか、朴氏とか皆、境界線があるでしょう? そのようにすることによって、境界線がすべてなくなるのです。 そして、これからは国際結婚しなければなりません。自分の何代かの後孫のうちに、数か国の人たちが入ってきて暮らすようになるのです。それで、村に世界各国、百八十か国の人たちが集まって暮らすのです。私たちはアベル的な国際結婚をした人であり、彼らはカイン的な国際結婚をした人です。国際結婚した人は寂しいのです。どこに行っても集まって住むのです。こうして保護して国際結婚した人のクラブが自国の人たちが集うクラブよりも大きくなると、その世界を包摂するのは問題ないのです。 先生の家庭も孫の時代には、国際結婚させなければなりません。三代目には国際結婚するのです。世界民族を編成する先祖たちです。そのような概念がなければ、世界人類が一つになりうる道がありません。先祖の心を持たなければなりません。先生の家庭の二代直系子女は国際結婚させることができません。そうすれば問題が生じるのです。 さあ、それでは行く道を先生に任せるのです。それ以外にもう一つ話すべきことは、皆さんが南北統一を四年間に成就できないときは問題が生じるのです。問題が生じるというのです。宿命的な課題をおいて、決定的な運命を打開すべき立場に立っているということを知らなければなりません。 それがもし、できないときは、どうなるかというのです。それで、このような準備をするのです。東西があります。平面に東西です。横的に一つになったのは民族的な基準ですが、縦的な基準で南北が一つになりえなければならないのです。二重民族です、二重民族! 韓国とウルグアイがそうです。 ウルグアイの国は地の果てにある国で、極です。そこに新聞社を設け、銀行も設け、ホテルも設け、教育機関である学校まで設けようとするのです。やったならば、すべてやったでしょう。 世の中の人たちは皆、百人いれば百人が後退して放棄するものと見ていたのです。先生は放棄しません。損しながらもやるのです。それがその国において、誰よりも信任できる一つの伝統になるのです。 今、大統領もそうであり、前職大統領の三人は完全にみ旨を中心として、全国民の教育を私に任せました。六十余名をやれば、統一するのは問題ないと言ったのです。その次に二百名? 二百名はいっぺんに呼んで三日だけすればすべて終わるのです。ALC(アメリカ指導者会議)教育をするのです。そのようにできる時が来ました。国を復帰するのは難しいことではありません。アメリカで実践しているのです。韓国も知っていますか? 日本も知っていますか? 帰っていってそのようにやるのです。本をもってそのままそのやり方でやるのです。 その次には大学に行かなければなりません。キャンパスに出入りする人たちを軍隊の訓練をするように、すべて思想武装をしてしまわなければならないのです。そうすれば、すべて終わるのです。どこに反対する人がいますか? 今や私に反対せよと言ってもできません。反対したとしても得することはありません。力で見ても、何で見ても世界的な版図を築きました。今、アメリカの国務部が私たちの本を学ぶのです。大会を開くと、国務部が私たちの下に来て学ぶようにと言います。 以前、アジアの言論人と西欧社会の言論人が集うといったとき、国務部が笑ったのです。レバレンド・ムーンは手しかないのに、誰を集めるのかというのです。自分たちがどんなに集めようとしてもできなかった人たちがすべて集まってきたので、私に大使館を連結させて働かせることができるように許可してくれと言ってきたのです。それで、それを連結しようと許しを得てそうしたのです。私たちの世界の人脈にかなわないのです。それを知っていますか? 彼らを教育さえしてみなさい。すべて終わるのです。 ですから、そのような教育をすることができる訓練がなされていなければなりません。これから皆さんが国際舞台に出て、生存基盤を築かなければならないのです。国家を越えて世界に連結させるという召命的な責任を完遂できるか否かという試みの過程に入っていくのです。公式的にやらなければならないのです。それが早道です。 皆さんが何かをするようになれば頭が複雑になるのです。単純化させなければなりません。それで原理講義も公式化するのです。単純でなければなりません。十人、百人が入ってきてもそれが良いのです。公式を崩してしまえば、ありとあらゆる立派な人たちが統一教会に入ってきても、すべてぼろ切れのようになるのです。自分が暮らしてきちんと定めておいてこそ、それを中心としてそこに補っていくのです。第一、第二、第三分野まで拡大して、それ以上は必要ありません。 教本を皆持っているでしょう? 皆にあげるように言いましたが、もらってきましたか? 英文になっていますが、英語の勉強をしなさい。それをすらすらと覚えれば、英語もすぐに学ぶのです。大したことはありません。英語は暗記する方法しかありません。 どのようにしようと言いましたか? 私がこれから祈祷しなければなりません。皆さんが四年間に南北統一に責任を持つかというのです。決定的に責任者だというのです。できないときには、民族をすべて追い払ってしまわなければなりません。放棄してしまわなければならないのです。大移動するのです。それで皆さんを収容できる済州島ほどの土地を買うのです。統一教会の信徒は、いくらでも食べて暮らし、押し込めば何でもすべてできるのです。 どのようにしますか? 私が先に海洋還元祈祷をしましたが、これから大陸還元祈祷をしてあげなければなりません。済州島に行って、海洋と大陸を結んであげる祈祷をしていかなければなりません。そうすれば、私の責任は終わるのです。皆さんに任せたので、やるならやり、やらないならやるなというのです。ウルグアイで現在、家を買って宮殿のように立派に建てておきました。皆さんは働くならば働き、やらなければやるなというのです。私は今そこに行って休むのです。皆さんに任せてもよいでしょう? 問題ないでしょう? 日本もそうです。日本はフィリピンに匹敵し、韓国はウルグアイに匹敵します。極と極を設けなければなりません。フィリピンが日本の占領地でした。そこはアメリカの領土でした。アメリカを料理するためには、フィリピンを前に立てなければなりません。日本の女性たちがフィリピンの女性たちを連れてアメリカに行って働ければ、通訳させて、とてもよいのです。妹のように従えることができるのです。 南北統一ができるように日本が助けなければなりません。日本人たちが財産を処分するか、何かを売るかして、三分の一を中心として、北朝鮮の人たちを食べさせることをやれば、統一は問題ありません。どのようにしますか? そのままあなたがたが、この四年間に南北統一に責任を持って、突き進むというならば、そのような祈祷をしなくてもかまいません。どうしますか? それを決定するのです。 万全の備え? 完全統一することが万全の備えです。それが万全であって、他に何がありますか? 第二の案として良いものがありますか? 韓国人にすがって泣きわめいて血筋が動き、骨がきしみうる、同化しうる環境が縦にも、横にもすべてありますが、異国の地に行けば問題が生じます。 それを決定しなければなりません。本当に国に責任を持つかというのです。責任を持てなければ、皆さんの親戚とか、何とかすべてが分かれて、ふろしきに荷物をまとめて私たちは離れていかなければなりません。だからといって悪くなるのではありません。南北が連結されて一つになるのです。横的に、水平に一つになるのが、縦的に一つになるのです。縦的というのは、立場が二つではありません。違います。横的には立場が同じでしょう? 縦的な立場に立って、同じ氏族を中心として、横的な面において板門店を中心として、横的に連結するのです。そうすれば、横的基準はすべて消化できるのです。それができずにいるので、縦的な面を中心として対峙しておいて、今やアメリカさえ一つにすればいいのです。アメリカさえ一つになれば、すべて一斉に解決されるのです。ですから、教育が残りました。それでソ連も教育するのです。中国とソ連に命じて北朝鮮に影響を及ぼそうとするのです。日本を通じても影響を及ぼさなければなりません。 早く決定するのです。それには、どうすればよいですか? 間違いなく責任を完遂しますか? それが何かというと、皆さんが責任を果たせなければ、皆さんをすべて置いて、先生の家庭だけ治めて、このみ旨を果たしていくのです。その国に行って教化させるのです。南北を旧教と新教を中心としてアジア大陸以上に一つにするのです。そこは資源があり、文化の面で基盤が整っています。移すことができるのです。アジアでイエス様を殺すことによって、西側にすべて行ったのと同じことです。 私がこの民族に対する責任を、それ以上にすべてやったのです。北朝鮮と韓国が私の言葉を聞けば、世界的な基準をかちっと移してあげるのです。いっぺんに世界基準に上がっていける道をすべて整備しておきました。 決定しなさい。それはどういうことかというと、皆さんが決定すれば、皆さんは仕事をして、私は南米に行って存分に暮らしてもいいのです。あなたがたを助けるお金をもって、そこで暮らせばいいのです。北朝鮮を助けて、あなたがたを助けることのできるお金を、韓国を助けることのできるお金をそこで使えば、韓国以上に一つにできます。 どうしますか? 責任を持ちますか? 責任を持てなければ、祈祷するのです。国家メシヤたちは、イエス様のように楽園で神様のみ旨が成就するときまで、待たなければならないというのです。それができなければ、再び世界が復帰されうる時を数千年でも待たなければならないのです。今、韓国で生まれる赤ちゃんたちは、先生の運勢に乗って立派な子が生まれます。最近、電子世界の先端を走るのも天の運勢によるものです。 私が韓国人に反対され、韓国のキリスト教に反対されたことを考えると、とてもむしずが走ります。今はなぜ私がこのようになったか分かりません。かわいそうだったのがさあーっと引いてしまいます。本当に私も不思議な人です。昔は朝鮮半島の故郷の山河を思うとほのぼのとしたものですが、今は次第にそれが薄れていきます。天が離れるのです。私が共産党を中心として何度ですか? 統班撃破を三回までやりました。三回までやっても失敗したら、それにすがることができますか? どう考えますか? それで、孫たちを国際結婚させて、孫の嫁や夫を立派に育てなければと考えるのです。韓国人よりはましでしょう。 ウルグアイの人たちは、ブラジル人とは結婚しません。また、アルゼンチンをばかにしています。それは教育を誤まったからです。信仰の伝統が立っていないのでそうです。私が連れて働かせれば、おじいさんとして若者たちが一生懸命に従わないことはありません。 私がそうする余力があるのです。畑を耕してもそうであり、船に乗ってもそうであり、穴を掘れと言っても、誰よりも早く掘るのです。肥料工場に行って三年間、肥料の山を掘ったのです。ですから、つるはしを扱うのも上手ですし、シャベルを扱うのも上手です。今でもそうです。私が食べて暮らすのは心配しません。どこに行っても何の仕事でもさっさっとこなすのであり、遅れを取らないのです。ですから、どこに行っても恐さを知らないのです。パンタナールに行ってアナコンダ(大蛇)の棲む園に行って暮らしても、私は生き残れると考えるのです。 皆さんが責任を果たせない日には、他の国に行くのです。すでに約束しておいて、できないときは、先生はふろしきを包んで、皆さんを置いて引っ越すのです。本来ならば先生の息子・娘を誰よりも愛すべきでしょう? それを歓迎する環境が、韓国になるのです。 神様がイスラエルを失ってしまわれた悲しみ、キリスト教を無にした悲しみ、私もそれを感じなければならないというのです。韓国を無にした悲しみ、それよりもみ旨をもっと愛する心があるので、悲しみを忘れて回れ右して、行かなければならないのです。 日本はフィリピンと一つにならなければなりません。韓国がやらなくても、やらなければなりません。日本が責任を果たせませんでした。アメリカを料理するには、日本人自体ではだめです。フィリピンを抱いて、フィリピン人を通じてやるのです。皆、英語ができるでしょう? 日本人は英語ができますか? 難しいでしょう。兄弟のように結んでカイン、アベルのように二つの国が協力しなければなりません。それで、アメリカとフィリピンを近づかせて、北朝鮮も包括してそのようにしなければならないのです。 どうですか? 皆さんが南北統一を受け持ちますか? 他の国を加えますか? 主導的な役割は皆さんが果たさなければなりません。それでは中心的な役割とは何ですか? 南北統一をして大統領も皆さんが立て、国会議員も皆さんが思いどおりにすることができなければなりません。それをやるために教育しなさいというのではないですか? 教育すればそれが可能なのです。間違いなく可能です。八〇パーセント以上です。あらん限りの精誠を尽くしてやりなさい。 先生は難しい環境において、これまでアメリカを中心として三十三年間、闘ってイエス様の三十三年を蕩減して、復活させるみ業を展開してきたのです。個人復活ではありません。宗教復活です。 皆さんは一生の間、責任を果たしたことが一度でもありますか? 先生が整えておいたその道の上に橋をかけて、機関車までつくり、レールの上を走る車に乗って回るだけだったでしょう。そうかといって、家庭といっても、天の前にささげることのできる家庭を持ちましたか? 家庭の垣根になれるのが氏族であり、氏族の垣根になるのは国ですが、氏族もなく、家庭もそのようになっていません。国の垣根も持ってこそ、安着できる環境になるのに、それもできないで何をしますか? 国家メシヤたちが来て何をしますか? 祖国光復をしてこそ、自分の妻と息子・娘を生かすことができるでしょう? 配置するとき、そのようになっているでしょう? できなければ、息子・娘に会えません。蕩減する前には、また繰り返さなければならないでしょう。それで再臨してすべて反対するようになれば、先生が繰り返すのと同じようにしなければなりません。公式がそうです。誰かを信じてはいけません。自分の責任があれば、自分がやらなければなりません。本部から助けが必要とか、どうこう言ってはいけません。 きょう、新しく任命した責任者たちは、棒を持つか、野球のバットを持つかして、殴ってでもてっぺんから統・班の責任者たちまで、教育を完了させなければなりません。ですから、挙国的な国民思想武装を行うのです。そして、今回、選択した責任者たちに絶対に従っていきなさい。年齢とか、先輩だとか、家庭の事情とか、すべて公認しません。この目的の達成のため、一人の責任者を絶対的に信奉して歩むことを命令するのです。 そして、日本はフィリピンを助けなさい。二つの国が兄弟にならなければならないのです。そうすればウルグアイは本流なのです。その代わりに皆さんが生命を懸けてやらなければなりません。 祝祷 愛するお父様、二〇〇〇年六月二十四日を中心として、韓国に来て南米と北米を連結させる海洋還元を決定した後、今や大陸の南端にある朝鮮半島に来て、アジア大陸を中心として全世界六大州を連結させうる大陸還元が可能になりました。海洋と大陸が創造理想のうちにつくられたあなたの本然の園にあったものが、海と陸地の還元を中心として、天地ご父母様の前に連結させたものを、今日、この時間を期して、真の父母の御名をもって全天地に宣布いたします。 霊界の祝福された全家庭と地上の祝福された家庭が、新しい神様の真の愛を中心とした血統的な基盤を通じた、一つの入籍の権限を地上に立て、南北統一の完成を一族の血統を中心として築かれた因縁を通じて、持続的な権限をもって、主体意識を持ってやらなければなりません。 真なる主体は、真なる対象圏を消化、完成させるという原理基準から見るとき、韓国の野党、与党を、すべての基準を一つにして、絶対ご父母様の愛の心情を抱いて、心情的に北朝鮮の地を消化して、残ることができるよう祝福してください。そうして、あなたが願われた祖国光復の恨を解かれ、神様の祖国としての千年万年、永遠なる地上に地上・天上天国の基本に据えてください。全宇宙の被造万物の解放とともに、その中に主人となった人間が地上地獄・天上地獄にあったのを開門して、地上・天上天国の一つの祝福された家庭として、神様が選択した勝利の家庭として、永遠なる自主的な心情一体圏を備えた、単一民族的な血統を備えた、天地父母の血族として立ててくださいませ。 そうして万国を統治できる統一の世界に前進するにあたり、体、心がともに衝突がなく、家庭の夫婦と父子関係、また兄弟の関係、一族の関係を越えて、一国を越えて、全世界が統一的な伝統をもって、神様が自主的な立場で個人から天宙全体まで、自由に往来することのできる自主的な愛の主権国家を完成なさってくださいませ。全天宙の解放とともに、万世の勝利の栄光を全宇宙の存在世界とともに受けられ、栄光の天国の生活を図ることのできるよう、祝福してくださることを切にお願いいたします。 今や真の父母は今日、この時間を期して海洋とともに陸地を還元して、創造理想の愛の心情を通じた血統的な因縁の本然的な還元を宣布いたしますので、あなたが自主的な立場で主人となられて、億千万世の権限を中心として全体・全般・全権・全能の行使を整えられ、愛の全主権国家、愛の全主人の保護を受ける万物世界となるよう、許諾してくださることを切にお願いするものでございます。 きょう、六月二十四日、この時間を期して、すべての全体が還元されたものをお返しいたしますので、真の父母の代わりに天上の創造主が受けられて、永遠に勝利の覇権をもって、一方通行により平準化された天地を備え、地上・天上天国に前進することを願いながら、真のご父母様の御名により新たに還元完成を宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン! み言 今や国を見いだしたことを知らなければなりません。そこに反するすべてのものは除去されるという信念を抱いて突き進めというのです。 第二次世界大戦直後に再臨主が、この地に来たとき、カトリックと新教が合わさり一つになっていたならば、祝福された彼らが先祖となって、自分の母、父を祝福してあげるのです。今やそうした時代に帰っていくのです。それで国際結婚も怨讐同士で行うのです。三六家庭も好まない者同士を組み合わせたのです。 今回、自分の道(県)に行けば道議員から訓読会をやるのです。そのようにやるからと反対する者はいません。「南北統一がこの方法以外にあるか調べてみなさい!」と言うのです。堂に入ってやるのです。自分の側にするには既成教会に行って訓読会をやるのです。そうすれば、自分の側がたくさんできるのです。生命を投げ出してやれば、できないことがないのです。人は冒険をしてこそ発展するのです。(二〇〇〇年六月二十四日、韓国国際研修院)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.16
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「世界児童平和美術大典」大会の辞2000年6月23日 ソウル市内のロッテワールド民俗博物館で国連NGO(非政府組織)の世界平和教育者国際連合(IAEWP)韓国支部などが主催する「世界児童平和美術大典」が開かれました。 真のお母様は、その場に名誉会長として出席され、IAEWPが制定したグランプリ平和賞を受賞されました。IAEWPは一九六七年に米国で設立され、一九七三年に国連NGOとなり、現在、全世界百か国以上に支部を置いています。 その授賞式に先立って行われた「韓国動乱五十周年写真展および世界児童平和美術大典」のパンフレットに掲載された真のお母様の大会の辞を翻訳したもの。 「韓国動乱五十周年写真展および世界児童平和美術大典」に参加してくださった内外の貴賓の皆様に心から感謝いたします。愛と平和の象徴である子供たちが平和統一を祈願して開かれる今回の美術大典は、いつにもまして貴重な意味を持ちます。 きらきらと輝く彼らの目を通して映し出された絵は、器量の面においては大人と差があるかもしれませんが、内容の面においては、むしろ分断の悲劇と平和にもとづく南北統一への熱望がよりいっそう真率に描かれています。 私は、夫である文鮮明総裁とともに、国内外の各分野において国際的な平和団体を設立し、生涯を南北統一と平和世界の実現のために努力してきました。地球上で唯一の分断国家として、南と北の統一は、単純に韓半島が一つになるということにとどまらず、共産主義と民主主義、唯物論と唯心論の葛藤が克服され、統一されるということを意味し、永遠の平和世界のモデルが誕生するということを意味するのです。 このような南北統一の成就のために何よりも重要なことは、真の愛の心とその実践です。このことだけが、さまざまな障壁を崩すことのできる土台となるからです。南と北の統一は、条件なく与えて、さらにまた与え、ために生きて、さらにまたために生きるという真なる愛の心があるときに可能なのです。 戦争と葛藤と暴力に染まった二十世紀を超えて、平和と和解と愛のあふれる二十一世紀を成し遂げるためには、わたしたち全員が子供のような純粋な愛の心で世の中を変えていかなければなりません。 わたしたちは、平和の秘訣を子供たちから見いだすことができます。子供の世界には闘争と分裂がありません。ただ平和と愛と純粋さがあるだけです。 それは、空のように明るく、海のように青い本性の願いどおりに生きるからです。子供たちのように真の愛を中心として生きていくとき、わたしたちの心と体が一つとなり、家庭の構成員が和睦し、国と国が和解し、地球村に人類大家族を実現した平和の世界が成し遂げられるでしょう。 この平和美術大典を通して、戦争の傷によって苦痛を受けるこの地の数多くの離散家族の痛みを慰労し、また祖国の統一を念願する情熱の炎を燃やす貴重な契機となることを願いながら大会の辞を締めくくりたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.15
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「海洋還元」宣布二〇〇〇年六月十七日、アメリカのアラスカ・コディアックにあるノースガーデンで真のご父母様は朴久培、尹キビョン、井上、神山氏など四名が参席した中で「海洋還元」を宣布なさった。 祝祷 愛するお父様! 今は海洋産業が定着できる時代となりました。すべてを成し遂げて、過ぎ去った日々を深く回想するものでございます。一九六三年から出発しました海洋事業が、今や世界的な版図を中心として、海洋圏の頂上の場をうかがうあらゆる準備をなし、過ぎし日を回想するとき、海を抱いて愛したその心を慰労できる子女たちがおらず、海の自然物を主人の立場で守ってあげる、そのような息子・娘がいませんでした。真の父母が現れてそのような事実を知り、その仕事を代わりにするために、五大洋を中心としてさまよった過去の歴史に思いをはせるのでございます。 その中にあって、天が万民の前に残す祝福の恵みのすべての礼物を、天の望みとともに、人類の望みとともに、真の父母の望みとともに一筋に連ねて、天の主人、地の主人、万民の主人として奉献できるその日を願って、これまで過ごしてきたすべてを今コディアックに来て……。 この地は歴史時代において、統一教会において忘れることのできない八定式を発表し、天父主義を宣布した所でございます。この日から世界の大変革をもたらした歴史的な起源を定めて、再び世界的な大混乱を収拾して海洋世界と陸地世界を連結させ、今や天の主人が海洋の主人を越えて、陸地の主人まで連結させられるようになりました。海と陸地がプラスとマイナスの相対圏を整えて、天に奉献できる摂理史的な宣布の内容と教えたすべての内容をもって、今やこの日を峠にして韓国の地に帰っていく道を残しております。 韓国の南北統一前進大会を中心として統一教会の全体食口は、国の主権が問題ではありません。サタン世界の与党、野党、南北のすべての主義が叫んで動くすべてのこと、欲望を通じて望んでいたすべてを踏み越え、ひたすら神様の心情的な願いを安着させ得る一日の基地を求めて喘ぎ、築きいく統一教会の群れをお父様、祝福してくださいませ。 この統一教会の国家メシヤたちは、長子権国家であるアメリカと一つになり、南北アメリカを連結させると同時に、世界の祖国光復とともに相対的な世界圏を築くため、四年間、韓国に配置され、その母と息子・娘は国家メシヤの基準を守ることとなりました。新しい体制に任命したすべては、一時のあなたの理想的な創造圏を望んだそのみ旨を終結させるための、最後の障壁を崩すためのものでございます。 このように配置して一心一体となり、あなたの心情が安着できる、本然のエデンの園に堕落のなかったアダム家庭が定着できるその日を抱くことにより、家庭を代表して氏族・民族・国家・世界・天宙を代表して愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、解放的な真の愛の基盤を無限なる世界に連結させ、祖国と全世界と天と地が真の父母の心情と一致して安着できる、全体定着の一日を発表するための南北の統一時代をもたらせるよう、許諾してくださるように願う心を抱いて、韓国を訪問いたします。 南北韓の首脳が発表した内容を中心として、世界がざわついておりますが、そのすべてを天の勝利の権限として、いかに結実させるかというのが、天のみ旨に対する統一教会の群れたちが行くべき道でございます。ですから、厳粛に真なる意味において、これを一つの最後の焦点として見つめながら、心と体の限りを尽くして、ここに天の心情を植えんと願う、解放的な祖国光復の日を与えてくださるよう願って歩まれる真の父母、天地父母の道の前に永遠なる勝利と平和と栄光と尊貴がともにあることを切にお願いいたします。 韓国において祖国光復という言葉、解放の地上天国という言葉を私たちが新しい挨拶の法として発表したこの時から、第四次アダム圏……、天の進む前途に障害物を除去して、天上世界と地上世界にふさがっていた壁をすべて取り壊してしまい、地獄解放圏までともに備えて、地上の中心に定着できる祖国光復とともに解放の天国、天上世界が完結することをお父様、切にお願い申し上げます。 さらには北側と南側のすべての海洋事業を連結させて、これをお父様の前に奉献するこの時間をお受けくださいませ。今や海洋とともに陸地を連結させうるときを持とうと願う韓国の首脳を抱いてくださるようお願いします。 生命が水と空気によって維持されるのを考えるとき、新しい水、新しい空気、新しい生命体を持った解放の愛と共に和合できる一体理想の、あなたが安着できる全体を代表した家庭、国家を代表した祖国光復の基盤を整えられますように。億千万世、解放の天国を感謝しうるその原理……、真のご父母様の、天地ご父母様の恨を越え、解放の国に向けた万国が一つの厳粛なる国連国家形態を備えるすべてのみ旨の前に一念を整え、全人類がその目的に協助するようにしてください。地上天国・天上天国の国民とその一族となり、万物となって、天の主権の前に恥じることなき主権と民と万物をあなたの愛全体における勝利権限のうちに捧げてきました天宙に、永遠無窮にすべての全体の標的となり、一つの目的的な結果の基盤となりうるよう、祝福してくださることを切にお願いいたします。今や残された道、あなたの願い、なされるみ業が、お父様の祖国光復のため、アメリカとソ連と中国を中心としてオセアニアまで一つにならなければなりません。これは歴史的にすべての天の責任を果たす真の父母の願いが成就されたのでございます。このすべての大会を準備するのが、日進月歩に勝利の天国を開門できる起源的な行事となるよう、許諾してくださるよう切にお願いいたします。 地上と天上が一致圏となり、地獄と天国が一つになりうる時代において、南北の良心的な人物たちが一つとなり、祖国光復の脈を立て、天の血統的な因縁を備えて、循環の法度に天地が調和し、万物と海洋の万物が一体となりますように。そうして、受難のお父様の心情的な起源と永遠に通じることのできる自由解放圏、地上天国理想の完成、愛の統治主権世界に億万世、億万世、億万世、継続できるよう、祝福完成してくださることを切にお願いいたします。 この朝に、真の父母、天地父母、万物万象が注目する頂上において、このみ業をお父様の前に通告いたしますので、許諾されたみ旨と願いに一致されて、勝利と尊貴と栄光により、天の解放的な天上天国の愛の主権を備えるよう、許諾してくださることを切にお願いいたします。 この全体をお父様の前に通告いたします。天上の祝福された群れと地獄から解放された群れ、三十三名の彼らを中心として自分の分野の長として任命し、その世界を収拾して全権を抱いたイエス様を中心として、四大聖人と哲人、聖賢を中心として中間霊界、地獄まで収拾できる体系を完成することを通告するものでございます。ですから、このすべてが霊界から始まり地上世界に終着の起点として終えられるよう、全地上・天上世界の祝福された群れたちが一心一体となって、その目的に向かって前進、全宇宙解放圏を成就するよう許諾してくださいませ。そうして、天が永遠無窮に真の愛の主権の上に万世の主権権限を中心として、永遠に地上・天上天国勝利と栄光が溢れる世界に導いてくださることを切にお願いいたします。 この朝に、お父様の前に通告したことを記憶なさり、天上世界と地上世界に祝福の因縁を整えたすべての良心的な人物たちが、先祖や地上の祝福された家庭が一つになって、天上世界と神様の主権の権限を持って自由に現れうる全体・全般・全権・全能の世界に前進、前進、前進できる恵みを許諾してくださるようお願いしながら、真のご父母様の御名でこの朝に宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン! み言 今朝、先生が祈祷した内容を中心として「海洋還元宣布式」を行うのです。海洋世界の還元、帰っていくことを宣布するのです。このようにすることで、今や海上のすべての悪霊たちが、自分勝手に徘徊し、自分勝手に行動していた悪なる者たちがすべて除去されるのです。ですから、海でこれをなしたので、陸地と連結させなければなりません。 国連世界平和教育者国際連合(IAEWP)で、真の父母に賞を与えることにしました。国連五十五周年を記念した世界子供平和美術大典の授賞式とともに、韓国動乱から五十周年を記念するこの期間を中心として、国連の名前で賞を授かることに大きな意味があるのです。そうすることで、お母様を中心として四十万の子供たちに本立てを与えるのです。 今回、美術展を行ったのです。真の父母が子供たちとともに記念の表彰を受ければ、全世界の四十万の美術世界に関係している父母たちを連結できる一つの好ましい体制をつくることができます。このような重要な転換の時になると見通して歩む道であることを皆さんが記憶するように願います。 今からは私たちが魚を家で育てて送り出すのです。鶏を育てるのと同でように養殖して海に多くの種類の魚を送らなければならないのです。送ってあげて、愛してから捕って食べるのです。愛された万物は、主人の前に報いるために生命を生きた供え物として奉献するのです。それは万物が人間たちの前に食べ物を供給することなのです。それで今からは捕ることよりも、養ってから放さなければならないのです。 一九六〇年代には狩猟をして豚を捕まえたり、何かを捕まえたりして供え物としたのです。その次には海に出て、大きな魚から捕って……。今、私たちが海洋事業の分野で頂上の位置まで上がってきました。海のためになし、人類のために働いたすべてのことが、今や頂上の位置に上がってきたのです。 今やトップ・オーシャン号(Top Ocean)が、南極に行ってクリル海老を捕るのです。クリル海老は高機能タンパク質なので、万物を育てられる資源となるのです。小さいときからすべての動物たちを食べさせていける飼料になるのです。これは人類のための飼料です。万物のための飼料として私たちが供給していかなければなりません。それで、こうしたことを続けることで、海から人類の食糧問題を解決するのです。人類の食糧問題を解決する道は、この道しかないのです。 ですから、砂漠地帯までパイプを埋めて養殖場をつくることができるのです。私が何を言っているか分かるでしょう? アラスカにある石油をアメリカ本土まで数千万里を移送するのと同じように海水をどこにでも、また淡水をどこにでも移すことができるのです。淡水をそのようにするには、アマゾン河しかないのです。これを世界に送って砂漠地帯においても養殖を行うのです。魚を愛によって育てて食べて暮らすのです。 それと共に養殖場を砂漠につくれば、そこで水草をいくらでも育てることができるのです。今、陸地が次第に砂漠へと変化しているでしょう? その反対に人工的に養殖場を営み、それを中心として海洋の水草を育て、陸地の樹木とともに栄養素をいくらでもつくり出すことができると考えています。 私たちが養殖をやるのは、一つの分野だけに限りません。大砂漠ででも養殖ができます。食糧を無限につくり出すことができるのです。朴久堵がその責任者となっています。 海洋事業の最後の終着点を築くこと、コディアックと南極を連結しようというのが、夢のような話でしたが、今や実現しているのです。それで私がウルグアイに造船所をつくろうとしましたが、金クァンインが逃げてしまいました。造船所に関心ないでしょう? どうですか? 私たちは中間の造船所が必要です。韓国の金海にある造船所を私たちが買おうとしました。それが五万トン級です、五万トン級。それを買おうとしましたが、結局は二万トン級の造船所を買いました。 五万トンから十万トン級さえ越えたら……。それ以上の船はつくりません。中型船、五万トンから少しだけ大きくなれば七万トン、十万トンまで船をつくるのです。埠頭さえ一つつくれば、いくらでも拡大させられるのです。アルゼンチンに売るというのを私たちが交渉して……。アメリカがやったならば、本格的に建設したでしょう。今回、行ったら食口たちに連絡して調査するように言いなさい。 私が金クァンインに連絡します。現在、韓国から注文を受けたものを南米でつくることができます。私たちの造船所が今、二年以上の物量の注文を受けています。ですから、それを中心として包摂すれば……。大きな船をつくる時代は過ぎ去りました。今やそれは飽和状態です。日本とか、韓国とか、ドイツでそうした時代がすべて過ぎ去りました。大きな船はつくりません。中型の船をつくるのです。 中型の船をつくって今後、輸送船として使うのです。今後、ケミカルタンクやガスタンクをつくって原資材、化学原料とガスを世界に早く運搬しなければなりません。そうするには大きな船など必要ありません。五万トンから十万トン級が必要です。十万トン級以上は必要ないと見るのです。それを考えているので、売りに出ているなら、それを早く買えるよう交渉しなさい。 韓国に立ち寄って、私はすぐにアメリカを経て南米に行くでしょう。この期間にソ連と中国を中心とした大命アメリカで五十州を中心としたALC(アメリカ指導者会議)大会をやるのです。一万五千名の機関要員たちが教育を受けるので、完全に一つの方向に回っていくのです。こうなると、アメリカに来ている全世界の大使館と国連大使館の教育がすべて終わるのです。 そして、これまで私たちが世界的に訓読会をした要員たちを中心として、国家的な次元で束ねようとするのです。ですから、UPI通信が必要です。これまで私たちがサミットクラブ(世界平和頂上会議)とか、世界の人脈を組んだのを中心として、六大州のUPI、それから各国家のUPI代表を任命するのです。それで通信社を設けるのです。アメリカの通信社とイギリスの通信社、フランスの通信社がありますが、それが問題ではありません。 各国代表を中心として一方向に連結させて、私たちが今や国家を中心としてALC活動のような活動をすることで、完全に世界的な風土を造成して、言論を中心として……。三権分立が問題ではないのです。 大学連盟と言論界を中心として、その次に金融関係を中心として連結するのです。超宗教、超国家、超金融、これを中心としてその世界の重鎮たちをUPIの顧問団や理事にするのです。大統領を経験したこうした者たちは、年を取ってやることがないのです。言論界は死ぬまでやれるのです。ですから、六大州にそのような基盤を造成しようとするのです。 ソ連と中国がどんなに勢力基盤を持ったとしても、やられません。数干、数万の言論機関を中心としてそこに影響圏を持つときは、その方向性を中心として提示するとおりに動かなければなりません。ですから、各国家では大学連盟が国家の行く道を教育して、世界的な指導体制はUPIを中心として方向を整え、国連がここに協助できる国家形態を形成すれば、世界はそこですべて収拾されると考えます。 それで金融関係を一つにしなければなりません。フランスならばフランス自らの領土を中心としてドル圏と対峙して、スペインは自分の領土を中心として南米に力を往いで、アメリカと対峙しますが、それではいけません。その時代は過ぎ去ったのです。ですから、それを叩きつぶすには、私たちが何を持つべきかというと、海洋圏に対する基準を早く準備しなければなりません。 これまで造船所をやってきましたが、金クアンインがつぶしました。一興水産もなくなりませんでしたか? 韓国で一興水産の会社がなくなりませんでしたか? 一興という会社が問題ではありません。私たちは世界的な分野で委譲できるこの道を歩んでいかなければならないのです。 今から私は魚を捕って食べません。ですから、私が捕ったのは食べないのです。食べないで来ました。初めて捕ったものは生きた供え物として捧げるのです。死んだ供え物ではありません。今や生きた供え物として捧げなければなりません。一九六〇年代には捕って供え物として捧げましたが、これまでは捕るために供え物を捧げましたが、今は生かしてあげなければなりません。海から育てて、養殖して放してやらなければなりません。 動物も絶滅させてはいけません。すべて私たちが育てて放してやらなければならないのです。このような動物園をつくるのです。展示する動物園であると同時に、生産する動物園をつくらなければならないのです。 南米のアマゾン河地域とか、パンタナール地域には三千六百万種の昆虫がいます。昆虫も保護しなければならないのです。植物とか動物たちの餌なのです。これを保護して育てなければなりません。世界に種がなくならないように、保護しなければならないのです。 パンタナールには三千六百種類の魚がいます。この三千六百種の魚を中心として魚場を造成すると考えてみなさい。小さなものを育てるには、ビルを建てて一か所で管理しなければなりません。すべて平面的に管理できません。ビルを建てて管理しますが、温度を調節して人工的に熱帯地方、寒帯地方をつくりだすのです。 それを他の所でやるのではありません。パラグアイ地域を中心としてそのようなことをやるのです。それで植物と動物の種が絶滅しないよう保護しなければなりません。水草も保護するのです。自然公園地域のような地域をつくらなければならないのです。 飼料としてクリル海老以上のものはありません。アマゾン河で育つ昆虫がどれほど多いですか?海水と淡水の間で育つのです。虫たちも大量に育てようというのです。それがすべて餌になるのです。魚の餌です。草と他の魚を食べさせるよりも昆虫を食べさせて育てるのです。 神はいないと否定する無神論の共産主義は永続できません。神がいるという主義は、永遠に続くことができるのです。神がいないという論理は永遠に続きません。 科学の世界でも、弁証法の論理とか進化論は過ぎ去った歴史の遺物として残されたのです。科学的に神様がおられることを実証できる時代になったので、唯神論の世界に越えていってこそ平和の世界が訪れるのです。 平和の道は二つにはなりえません。一つでなければならないのです。一つにするのは統一教会しかできないので、統一教会は今や名実共に世界の一つの道であり、また霊界の解放圏を備えたので、神様解放の道になりえます。理論的な記録としてすべて見せてあげられる、誰でも認定できる時代圏内に来たので、世界は私たちの時代へと向かうのです。 朴久培がその中で海洋事業について養殖を出発するというのは良いことです。産業の復興と食糧に扶助できるこの道を行くのに、スタートが良いのです。クリル海老を中心として始めるのです。クリル海老が餌としてどれほど良いでしょうか? 無尽蔵なのです。それを売る必要がないのです。魚をもっとたくさん育てて食糧を補強しようというのです。 それで先生の考えは何ですか? ゴビ砂漠や、アメリカなど、大きな大陸には砂漠があるでしょう? その砂漠を開発するのです。潮水とか淡水を引っ張ってきて淡水魚、海水魚を育てるのです。海水をもっていくらでも養殖できるのです。こうしたことを見るとき、いくらでも養殖できるのです。海水がなくなりますか? 世界の砂漠地帯を養殖地帯に転換させるというが先生の考えです。 それで南極と北極を私たちが占めなければなりません。世界的な共同管理時代に向かえば、いかに管理するかというのです。それを保護して、管理できる国民がいません。自国の一か国の利益のために進むので、北極と南極の原資材がすべて飛んでしまうのです。共同管理できる一つの世界のため、貯蔵された産業復興のための原資材とは考えないのです。それを元返して管理して新時代の一つの資源地帯として活用しなければならないのです。 北極をどうするかという話をしたでしょう? 港を造成しなければなりません、港。船が寄港できる港を造成して、造船所をつくろうというのです。アメリカが先導的な立場にあるので、それをやるのに問題はないのです。 真の父母が死海を中心として海洋を踏査したのです。たくさん損害も被りましたが、人類の幸福に向けたその基地を連結させるため、そのようなことをしたのです。 これからパクー(Pacu)を養殖するのです。朴久培がパクーに似ているので、パクーについて関心を持つのは良いことです。私がここに来て知ったことは何かというと、ブラックフィッシュです。ニューヨークの沿岸にブラックフィッシュがいます。噛みつきさえすれば隠れるのです。そのブラックフィッシュに関心があります。ブラックフィッシュは日光を好むというよりは、日光を避けると見るべきです。陰鬱なるところに集まって棲みます。 砂漠に養殖場をつくるという試みは、たぶん私が初めてでしょう。陸地で養殖するのが収入は良いのです。飼料としてクリル海老を捕って、海の草と陸地の植物を混ぜて粉にして、化学食糧もつくり、化学飼料もつくるのです。飼料はいくらでもつくることができるのです。廃棄物を利用しても飼料をつくれます。木の腐ったのもあるでしょう? すべて飼料にすることができるのです。(二〇〇〇年六月十七日、アラスカ・コディアック)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.12
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第38回「真の万物の日」記念礼拝の御言成約八年 2000年6月2日(陰暦5月1日)ニューヨーク市 きょうは何の日ですか? (「『真の万物の日』です」)。きょうは「真の万物の日」ですが、何の日から始まりましたか? 「真の父母の日」です。「真の神の日」を立てる前に、「真の父母の日」と「真の子女の日」と「真の万物の日」を立てることによって「真の神の日」が始まるということを知らなければならないのです。 「真」という言葉をつけたのですが、そのような意義があるということを知らなければなりません。「真の万物の日」です。「真の父母の日」と「真の子女の日」と「真の万物の日」を持つことができるようになったので「真の神の日」が始まりました。「真の神の日」が立てられるまで、小さいところからずっと千年まで発展してきたのが蕩減復帰の路程であり、創造理想完成の路程なのです。 いちばん下は何かというと、万物です。「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」です。すべてここに帰らなければなりません。帰ろうとすれば、神様を解放しなければならないのです。神様を解放するにおいては、人間から上がっていくのですが、「真の万物の日」の前に「真の子女の日」があり、「真の子女の日」の前に「真の父母の日」があり、「真の父母の日」の前に「真の神の日」があります。 平面的な万物の日が出てきたというのです。万物を食べて暮らすすべての人が真の人になれるのではありません。それは、真の父母の教育を受け、真の父母の道に従っていくことによって真の人となり、真の夫婦として一つになり、真の天の国を解放しなければなりません。 そのようにして摂理の歴史は始まり、すべての正道を通過するのです。ただ一つ残るものは、神様の愛と神様の生命を中心とした血統と家庭と世界です。神様の恨は何かというと、真の愛の血統によってつづられた家庭と氏族、民族、国家を中心として世界を一つにし、天上世界と一つになり、天上世界の自由奔放な解放圏と地上世界の自由奔放な解放圏を成し遂げようとしたことであり、それが堕落以降の救援摂理史における全体目的であったのです。アーメン。(「アーメン」) それで、きょうが何の日なのですか? (「『真の万物の日』です」)。きょうは、どのような話をしてあげればよいでしょうか?。どのような話ですか? 皆さんのことに関する話をしてあげればよいでしょうか、万物に関する話をすればよいでしょうか、人に関する話をすればよいでしょうか、真の父母に関する話をすればよいでしょうか、神様に関する話をすればよいでしょうか? もし万物と真の父母と人間が一つになったとき、その全体が掲げるあるものを、自らの代身として自分のもののように愛すれば、全体を愛したという条件になるということを知らなければなりません。 ですから、蕩減条件が必要なのです。蕩減条件です。全体を代表し、過去、現在、未来を代表します。個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、いかなる時代を横的に代表するとしても、その条件を立てるにおいて、夜も昼も、過去や現在や未来においても変わらない内的なものが、神様の救援摂理史上に現れた蕩減条件であるというのです。条件的な表示物が重要であるということを皆さんは知らなければなりません。分かりますか? きょう皆さんと「これを(チョークを持って話される)持つ人には天下を上げる」という約束をしてから、これを放り投げ、ある人が足を先に出してからこれを左手で間違いなくつかんだならば、これを持った人に天下を渡さなければならないでしょうか、渡してはならないでしょうか? (「渡さなければなりません」)。渡してあげなければなりません。 さあ、それでは、きょうはどのような話をしましょうか?。いちばん良い話や悪い話をしますか、悪い話、良い話をしましょうか?。統一教会の教会員は、このような集会のときには必ずイヤホンを持ってこなければなりません。 一か所で日本語、韓国語、また世界各国の言葉でそれぞれの国の人々に話をして皆が理解できるようにしなければならないのです。そのようなことをジャルジン修練所で訓練しているのですが、イヤホンを持ち歩いていますか、持ち歩いていませんか? 日本のメンバーでイヤホンを持っている人、手を挙げてください。アメリカのメンバーでイヤホンを持っている人、手を挙げてみてください。一人もいませんね。ただが好きな西洋のメンバー、いつも持ち歩きなさい。分かりましたか? (「はい」)。それをいつも準備しなければなりません。ドイツ人が十人来て、韓国語が分からなければ強くけ飛ばしてしまうのです。 このような日には、ここで必ず韓国語で話すようになっています。先生は、韓国語で話すようになっているのです。英語や日本語が分かっても、それらの言語で話すようにはなっていないというのが原則なので、話を理解できるように韓国語を分かる人が英語や日本語に通訳してあげなければなりません。橋を架けざるをえないのです。他の国の言葉を話す人のかわいそうな立場であるということを知らなければなりません。ノーメンですか、アーメンですか? (「アーメン」)。ノーメンは、KNOWでもよいです。NOではありません。 さあ、良い話からしましょうか、悪い話からしましょうか?。悪い話からしましょうか、良い話からしましょうか?。どちらですか?。選択したとおりに……。(「悪い話からしてください」)。なぜ悪い話からするのですか?。きょうは良い日ではないですか? 見てください。良いものでも良く、悪いものでも良いというならば、本当に良いでしょう?。皆さん、見てください。手をこのようにしてください。いちばん長い指はどれですか? (左右の手の中指を立てて、合わせながら)やってみてください。両手でこのようにしてみてください。 大きいもの(左右の中指)同士、左手と右手の両手でこのようにすれば、どのようにしたいですか?。どちらが長いのか、二つともぴったりと同じものを合わせてみたいでしょう?。大きいですか、小さいですか、ぴったり同じですか? (左右の中指を前後に動かしながら)このように比べてみても、このように比べてみても同じでなければならないというのです。 男性と女性では、男性が大きいですか、女性が大きいですか? (「男性が大きいです」)。男性と女性は、何を中心として同じなのですか?。愛を中心として同じなのです。男性と女性は、何を合わせるのですか?。真ん中を合わせます。真ん中です。 この宇宙の中心になることができ、最も高い所から最も低い所にまで通じることができるので、それを合わせるのです。それが真の愛であるというのです。男性と女性が同じであるためには、真の愛を中心として高低がない一つの体にならなければなりません。アーメンです。分かりますか? (「はい」) (中指を指しながら)これは何番目ですか?。これは良いところです。(親指から数えて)一、二、三番目で、良いところです。(小指から数えて)一、二、三、すべて良いのです。この二つが一つになってこそ……。(片方の手の五本の指先をつけて)このようにつかむとき、皆さんの手の親指がどこにつくかというと、これ(中指)と比例します。 一度やってみてください。(中指と親指の先をつけながら)このようにしてみてください。このようにするのです。(五本の指先をつけながら)これ(親指)は、どの指にでもついてまわります。(四本の指が親指の)囲いになるのです。これ(中指)が男性、これ(薬指)が女性です。それから、(人さし指と小指が)息子・娘であり、(親指が)神様です。このように、このすべての宇宙がぴたっと四位基台になるのです。 合っていますか? (五本の指をつけられながら)これがぴたっと四位基台です。ですから、これ(中指)を中心としてこれ(薬指)も喜び、これ(小指)も喜ぶのです。良い話でも喜び、悪い話でも喜ぶということです。中心さえ立っていれば、真の愛さえあれば、悪口を言っても喜び、褒めても喜ぶのです。アー (「メン」)。(笑い) ですから見てください。(親指から数えて)一、二、三、三数です。(小指から数えて)一、二、三。三です。(親指から数えて)一、二、三、四、五、(小指から戻って)六、七、八(中指に戻る)。三・八。三八度線は宇宙的な壁です。 心と体の三八度線、夫婦の三八度線、父子の三八度線、家庭と氏族の三八度線、氏族と民族の三八度線、国家間の三八度線、天地の三八度線、すべて三八度線が問題なのです。それゆえに、韓国の三八度線が撤廃される日には、それらのすべてが撤廃されるのです。 これを見てください。赤ん坊が腹中にいるとき、手をどのようにしていますか? (親指を外に出して手を握られながら)このようにしていますか、(親指を中に入れて手を握られながら)このようにしていますか? (親指を出して)このようにすれば、つめが引っかかります。何に引っかかるのですか?。子宮です。ぴたっと(親指を中に入れて)このようにすれば、引っかかるところがありません。 ですから、腹中でこのように(親指を中に入れて)手を握っているのではないですか? (親指を外に出しながら)このように握っているのはばかだというのです。引っかいてしまいます。ですから、しっかりとこのように(親指を中に入れて)握るのです。 (親指を立てられながら)これは何ですか?。ナンバーワンです。ナンバーワンとは何ですか?。神様を象徴するのです。二性性相です。二性性相を中心として、一、二、三、春夏秋冬、十二か月がぴたっと神様を中心としているのです。男性性相、女性性相、二十四の節気です。四位基台を中心として二十四の節気が一つになるのです。 それゆえに、人間は、二十四の節気を守らなければなりません。節気に従って自分が行うべき礼法を備えて生活することができなければなりません。法度に合わせなければならないのです。西洋は、このことを何も知りません。そのような意味において、東洋思想には偉大な内容があるということを、皆さんは知らなければならないのです。 これを見てください。(目を指されながら)これは神様でしょう?。人が行ったり来たりしながら、このように回るのは何によってですか?。これが回るときは、何によって回るのですか?。体がいくら大きくても、目によって回るのです。 この宇宙は、神様によって回るのです。これは何ですか? (おでこを指されて)これは霊界を表します。これ(おでこの下の顔の部分)は複雑な地上です。地上には耳もあり、すべてあるのです。この代表が鼻です。鼻で呼吸するのですか、鼻でご飯を食べるのですか?。鼻でご飯を食べるのですか、鼻で呼吸をするのですか? (「呼吸をします」) 呼吸をするのは、何を食べることですか?。空気を食べることです。口では何を食べるのですか?。見えるものを食べなければなりません。見えるものと見えないものを一緒に食べなければならないのです。口と空気の穴は通じていますか、通じていませんか?。これ(鼻)をふさいでも、「ふふふ」……。(口をふさいで鼻で呼吸をされる)しかし、ご飯を食べなければ死んでしまいます。ご飯が必要でしょう?。空気を食べることがより必要ですか、ご飯を食べることがより必要ですか?。 共産党は「ご飯だ」と言うのです。「ご飯によって生きる」と言っています。生きていくのに、空気がより必要ですか、ご飯がより必要ですか? (「空気です」)。わたしはご飯です。(「空気です」)。この者たち。ご飯です。(「空気です」)。そうです。空気がより必要なのです。 統一教会に入れば、四十日断食は普通に行います。四十日食べなくても生きていけますが、空気はどうですか?。十五分だけでも呼吸しなければ、二×七は十四で、十四分過ぎただけでも死んでしまいます。(鼻をふさぐジェスチャーをされる。笑い) ですから、生命がどこにかかっているのかといえば、ご飯にかかっているのではありません。見えない空気の世界に生命要素があります。それは、すべての骨と肉に育っていくことができるものなのですが、この体は、肉を維持する食物を食べているのです。分かりますか?。それで鼻は、次元の高いものを食べるのに必要なのです。 神様の生命は何かというと、愛です。神様は空気も吸います。それは霊界にもあります。しかし、神様にとって最も重要なものは何であるというのですか?。お金は必要ありません。お金はいくらでもつくることができます。神様は知識の王です。権力の王です。 地上では、大統領になると、お互いに死ぬか生きるかという、あらゆることをしていますが、それはすべて流れていってごみ箱に入っていく者たちです。しかし愛だけは、神様にとって絶対に必要なのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)そのことをどうして知っているのですか?。愛が一番なのかどうか、どうして知っているのですか?。愛を行ってみれば分かるのです。分かりますか?。行わない人は、愛がご飯よりも劣り、空気よりも劣ると考えるのです。 しかし、愛の味を感じた人は、ご飯を食べることよりも、空気を食べることよりも、愛を食べるほうがもっと素晴らしい味があるというのです。どのようにして食べるのですか?。むしゃむしゃ。一度むしゃむしゃと言ってみてください。(口を開けてむしゃむしゃとする音を出される)では、愛を食べてみましたか? 男性と女性は、なぜ生まれたのですか?。男性はどうして男性として生まれ、女性はどうして女性として生まれたのですか? 「愛を食べるために生まれた」というのは合っていますか、そうではないですか? (「合っています」)。その愛を食べる食器はどこにありますか?。愛を食べることのできる食器はどこにあるのですか?。ご飯のお皿がどこにあるのかというのです。どこにありますか?。わたしも知りません。学ぼうと思っているのです。愛を食べることのできるお皿がどこにあるのかと尋ねているではないですか?。この者たち。(「生殖器です」)。何ですか、生殖器ですか? 「生植器」と言えば、韓国語では「生きているものを植えておく皿」という意味もあるのです。 それでは、その生殖器で何を食べるのですか? (「愛です」)。何ですか?。愛を食べるのですか?。愛を食べるのを見ましたか?。見てはいませんが、味を知っているのです。 本物の男性となり、本物の女性となり、そのふたりが夫婦になれば、生殖器を通して愛を食べる味が分かりますか、分かりませんか?。郭クァク錠煥氏。(「分かります」)。梁昌植シク氏。(「分かります」)それから、この優秀だという人、分かりますか、分かりませんか? (「分かります」)。どうして分かるのですか? (「食べてみました」)。食べてみてどうでしたか? (「おいしかったです」)。味がどうなのかと聞いているではないですか? (笑い)(「言葉では言えません」) 五官がストップして、死んだ人が口を開いて笑っているように寝入ってしまうのです。愛の味がそうなのです。いろいろな悪口を言い合いながら死ぬか生きるかというほど、めちゃくちゃにけんかをしても、愛を味わえば、すべてが溶けて、愛に酔い、「夜よ、早く来い、早く来い。昼よ、早く来るな」と、あらゆることをしても幸せだというのです。(笑い)なぜ笑うのですか? 「統一教会の教主であるという人が、あのような話ができるのか?。やあ、まったくあのようにして教主の役目ができるのならば、わたしもなってみよう」と思う人がたくさんいるでしょう。しかし、味が違います。他の人の味と、わたしが教えてあげた味とは違うのです。それゆえに、統一教会の人々が愛の味を知ってみると、文先生が教えてくれるものがいちばん良いので、その先生に従わざるをえません。それが何のことか、わたしには分かりません。 先生が好きですか? (「はい」)。(拍手)じっとしていてください。夫婦で座っているときに、自分の夫や妻よりも先生がもっと好きなのかと尋ねれば、その夫や妻に失礼ですか、失礼の反対の得礼ですか? (笑い)ですから、それよりももっと良い「父」というものをつけたのです。分かりますか? 「父」とは、幼いときから愛の味を教えてくれたかたであり、母もそのようなかたです。 父と母の懐に入っていって愛を受けるときには……。母親の懐に抱かれてオッパイを飲むとき、左のオッパイを飲んでいる赤ん坊が「お父さんが来て、右のオッパイを飲むのを見たい。触りたい……」と思いながら、お父さんが来ることを願うでしょうか、願わないでしょうか? 郭錠煥氏。きょうは良い日なので、良い話を尋ねているではないですか? (「考えれば結論が出ると思います」)。考えなければならないということは、愛の味を知らないという話でしょう。 自分が左のオッパイを飲んで母親が胸を出しているのに、お父さんが右のオッパイを飲んだからといって赤ん坊が足でけ飛ばし、顔をがりがり引っかいたりするでしょうか、顔をさわって……。(「喜びます」)。喜ぶのなら、「喜ぶ」と言わなければならないでしょう?。そのような説明をしなければ分からないほど鈍いので、「天国に行きなさい」といってもびりに近いということを知らなければなりません。(笑い)分かりますか? 夫婦で赤ん坊を生んで、右のオッパイを飲ませるとき、その息子は、お父さんがお母さんの左のオッパイを飲んでくれたらよいという思いがないことはないということを知らなければなりません。そのようにすれば、お母さんと子供とお父さんと一つになっていますか、なっていませんか? (「なっています」)。何を中心としてですか?。お母さんを中心としてです。だれか、そのような家庭がありますか?。そのような家庭があるのかと聞いているではないですか?。なければ偽物です。 「お母さん、赤ん坊がオッパイを飲む?」と夫が言えば、妻は「どうしたのですか?」と尋ねてきます。そして夫が「分かっているでしょう。赤ん坊が飲みたがっているよ」と言い、妻が「そうですか」と答えれば、統一教会の教会員たちは、赤ん坊よりも先に胸に飛びついていって……。赤ん坊も、オッパイを飲もうとすれば、口が渇くではないですか。 ぱっとくわえてぬらしてあげて、自分が教えてあげると言いながら、ちゅうちゅうとすれば、それは失礼ですか、有礼ですか?。そのようにしたからといってお母さんが夫を足でけ飛ばすでしょうか、歓迎するでしょうか?。アメリカの女性たち、どうですか?。アメリカのお母さんたち、どうですか? 妻と夫が、「お父さん」、「どうした」、「赤ん坊にオッパイを飲ませましょうか」という、やりとりをするようになるのです。「口が渇き、乳首が乾いているので、うまく飲めるようにしてください」ということです。そうして、ちゅうちゅうと吸ってあげれば、それを見て赤ん坊がオッパイを飲むことを学ぶのです。それをお母さんが見詰めるとき、不幸でしょうか? (赤ん坊がオッパイを飲むのをまねされる) 両手でお父さんとお母さんを抱いて……。それで寝転がってもよいのです。赤ん坊を抱いて愛するようにです。分かりますか?。お父さんとお母さんがこのように暮らしていたということを子供に教えてあげてもよいのです。そのようにすれば、不幸な家庭になるでしょうか、幸福な家庭になるでしょうか? きょう、わたしは何の話をしているのでしょうか?。きょうは「真の万物の日」なのに。(笑い)このくらいで終えればよいでしょう?。終えればよいですか、やめればよいでしょう? (「NO」)。「ノー」はKNOWです。それも「ノー」です。ああ、これほど照れくさい話をしているのですが、いつまた聞けますか?。十年後、二十年後に統一教会を離れずにいれば、その話を聞くことができるのであり、その前に離れれば聞くことはできないでしょう。 きょうは、「真の万物の日」です。「真の万物の日」を、真に分かりました。(板書される)韓国語は、本当に難しいのです。わたしはお母様に学んできました。真に分かりました。このように書かなければならないのです。お母様、ありがとう。真に分かりました。言ってみてください。(「真に分かりました」)。本当に分かりました。(「本当に分かりました」) 「本当」と「真」とは、どのように分かることですか?。真の味を知ったあとは、「本当に分かりました」と言うのです。愛が「真」であるならば、愛の味を知ってからは、「愛が本当に分かりました。愛が分かりました」と言うのです。「愛が本当に分かりました」と言わなければなりません。 全員、愛が本当に分かりましたか?。分かりましたか、分かりませんか?。この者たち。分からなければ、ろくでもない者たちでしょう。愛が本当に分かりましたか、分かりませんでしたか? 「フリーセックスが真の愛である」と言うことができますか? (「できません」) わたしは、のどがかれてつらいのです。今ではもう八十を超えました。語る時間を好むでしょうか、嫌うでしょうか?。八十になった老人は語る時間が長いことを願うでしょうか、短いことを願うでしょうか? 今まで先生が語ったものの中で、一時間、二時間、十時間とありますが、十六時間四十五分まで話したことがあります。ですから、通訳をしながら大便をもらし、小便をもらし、ありとあらゆるにおいをかぐ生活をしたのです。歴史が多いのです。 それはなぜですか?。数多くの群れを生かしてあげようとするからです。話は簡単です。真に分かりました。真の愛が本当に分かりました。本当に分かりました。そして、「気がついてみると、死にそうです」。そうすれば、それですべてです。 韓国人が、ときどき言うでしょう? 「ああ、うれしくて死にそうだ」と。何がうれしくて死ぬのですか?。愛の味がそのようであるというのです。ですから、韓国人の言葉を聞いてみると、「ああ、うれしくて死にそうだ」と言い、人に会えば「出会えたことがうれしくて死にそうだ」、「ああ、あなたの顔を見て、喜びで死にそうだ」と、すべて「死にそうだ」という言葉をつけるのです。奇妙でしょう? そのような民族は、良いものをうれしく思い、悪いものまでもうれしく思うことができ、内外共に身もだえしながら暮らしても「不幸だ」と思わずに幸福の道を開拓することのできる民族性があるのです。神様の心の中に記憶されうる民族とならざるをえないのです。ノーメン?。アーメン? (「アーメン」)。よく知っていますね。 それでは、郭クァク錠煥氏。尹貞恩さん(郭錠煥会長夫人)が好きで死にそうですか?。一度キスしてみてください。(笑い)してみてください。拍手してください。(歓声、拍手)そのようなキスを神様の前に行ってしなければならず、国の王の所に行ってしなければならず、祖父の前でもしなければならず、父の前でもしなければならず、自分の子女の前でもしなければなりません。そのようにして自由解放の時代が来るのです。 それでは、これから服を着て暮らさなければなりませんか、脱いで暮らさなければなりませんか?。実際に愛するときは、服を着て愛しますか、脱いで愛しますか?。わたしは分かりません。女性たち、夫と愛し合うとき、良い下着、ありとあらゆる色とりどりの布団をかぶって愛しますか、パンツまで脱いで愛しますか? (笑い)尋ねているのですから、笑わずに答えてください。 新郎の部屋に入っていくとき、たくさん服を着て入っていきますか、何かを履いて入っていきますか、かぶって入っていきますか、脱いで入っていきますか?。服だけ脱いで、このようにしていれば、どのようになるでしょうか? (笑い)解放です。夫婦関係は、男性と女性の生殖器を中心として、恥ずかしいことをすべて解放することができ、その主人を選択することが夫人であり、結婚式なのです。このことから知らなければなりません。 ですから、夫の前で胸を出して「吸ってください」と言うことは恥ずかしいことですか、誇らしいことですか?。おばさん、どちらですか?。アメリカの女性はよくするはずですが?。吸ってくれることを願っているというのです。夫の前で胸を出すことを妻は恥ずかしく思うでしょう?。郭錠煥氏? (「思いません」)。(笑い) この胸が踊らなければならないでしょうか、泣かなければならないでしょうか?。このことを知らなければなりません。胸が踊ります。胸が踊るので、胸とおしりが合うのです。前の山と後ろの山の二つがバランスを取るのです。(爆笑) おしりも踊ります。胸とおしりが踊れば、上には手がぶら下がっていて、下には足がぶら下がっているので、手と足が踊ります。このようなことをするのです。そのようにすれば、自分自体が思いどおりに解放されるのです。このようになるのです。(笑い) これは常識として知っておかなければなりません。自然の法則です。文総裁が特別な話をしているようですが、これは自然の道理なのです。愛の立ち居ふるまいの一つの象徴的な姿を語っているだけであって、心の世界では、それ以上に激しいことを願っています。祝福を受けた人、手を挙げてください。分かりましたか?。今からそのように暮らすのです。分かりましたね? さあ、女性たちも、百里の道、千里の道を汗をかきながら歩いてきて足が疲れたときに、「お父さん。わたしの足が痛くて死にそうなので、ちょっともんでください。靴下は履いていましたが、汗をかいたので、においがするかもしれません。においがしたらいけないのですが」と夫に言って、夫がにおいをかいだとすれば「この悪い夫」と思いますか、「良い夫だ」と思いますか?。良い夫であると思わなければなりません。 「そのようににおいをかいだのなら、それだけでなくこの足を一度なめてみてください」と妻が言ったとしても、夫が本当に妻を愛していれば、飛び出していくでしょうか、なめるでしょうか? 愛に汚いものがありますか、ありませんか?。皆さん、キスをしてから、鼻の穴まで鼻をすべて掃除してみましたか?。今から、それを全員しなさいというのです。(笑い)なぜ笑うのですか?。口からいちばん近いのに、鼻の穴も掃除すれば、どれほど気分が良いでしょうか?。そのような夫と暮らす女性は幸福ではないですか?。そうでしょう?。他のところに十回嫁に行ったとしても、夫の顔が醜くても、その夫のところに再び訪ねてくるというのです。 さあ、それでは、においのする足にキスしなさいと言えば、キスできますか?。アメリカの女性たち、できますか、できませんか?。赤い色ばかりを好むアメリカの女性たち、東洋の人が本当に愛する白、七種類の色が一つになった白を愛することを好む東洋の人。赤いものを好む西洋の人になりますか、白を愛する心を持った東洋の人になりますか? 良いものと悪いものの七種類の色を合わせた白い色を好きにならなければなりません。愛には色がありますか、ありませんか?。愛には色がありませんか、ありますか?。真の愛には色がありますか、ありませんか? (「ありません」)。どのような色ですか?。白です。白は降伏を意味します。 夫がここに墨を塗ったとしても、「お母さん、これが消えないので、舌で消してください」と言えば、消してくれるのです。先生のおしりがかゆくて、「ああ、かゆい。ここをちょっとかいてください」と言えば、かいてあげなければなりません。 女性が最も愛するものは何ですか?。男性のあれでしょう?。それのために生まれたのです。この者たち、なぜ変に思うのですか?。それが創造原理でしょう。わたしが作った話をしているのではありません。 神様が男性と女性を愛するときに、最も愛するのはどこですか?。それを愛するのです。絶対、唯一、不変、永遠な愛の起源を愛するときには、寝ていた神様も、夢を見ていた神様も、ぴくっと起き上がり、「わたしのものだ」と言って訪ねてこられるのです。分かりますか、分かりませんか?。理解したという人は手を挙げてください。理解したことはしたのですね。下ろしてください。そのように暮らさなければなりません。(「はい」) パンタナールに行けば、鳥が本当にたくさんいます。朝寝坊の鳥がいるはずです。メスは楽にしていて、オスが捕まえてくれる魚をもらって食べながら暮らし、オスは明け方から日が暮れるまで、急降下して魚を捕まえてメスを養うのですから、どれほどくたびれるでしょうか? くたびれて帰ってきて、妻が準備した食事を食べようとするとき、座ってこっくりこっくりと居眠りをすれば、「この悪い夫」と言ってけ飛ばさなければならないでしょうか、布団を敷いて愛して、食事は次の日の朝、食べるようにしなければならないでしょうか? 自分勝手に暮らしてはいけません。自分のために夫が疲れたのなら、それを慰労してあげて、新しい希望の朝の一日を迎えることができるようにしてあげなければならないのです。夫が困難な谷間にいればそこを満たしてあげ、自分に良いことがあれば、それを夫のために与えてあげなければなりません。水平にしなければならないのです。水はいつでも水平です。 水平にしてくれるのは水です。水は、どのような形態にでもなり、生命を永遠に養殖することのできる元素になっているということを知らなければなりません。水は、どのような形にでも合わせることができます。人の体の四分の三は水なのです。女性たちは、家庭における平和な水面のようにならなければなりません。 女性一人が過ることによって、すべて……。おじいさん、おばあさん、八代先祖、数百人がいたとしても、ぴったりと形を満たすことができるのは、女性が水のような……。 愛も水のように流れます。そのような水のように流れる愛の起源を養成するのが母親です。おなかから息子、娘を生んで愛で育てるのです。愛には形がありません。いつもお皿を充分に満たしてあげることのできる女性にならなければなりません。そのようにすることのできる家庭だけが幸福な天国の家庭を受け継いでいくことができるのです。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン」)。アーメン、ノーメン? (「アーメン」)。わたしはノーメンです。(「アーメン」) さあ、それでは、「真に分かりました」と一度言ってみてください。(「真に分かりました」)。何を真に分かったのですか?。神様を真に分かったのですか、真の愛を真に分かったのですか?。どちらがより良いのですか?。神様を真に知ることが良いのですか、神様が分からなくても真の愛が分かることがより良いのですか? (「真の愛です」) 有名な画家が描いた傑作品があるとします。その傑作品を描いた画家のことは知らなくても、その絵が好きで毎日のように泣きわめき、「ああ、素晴らしい」と言いながら一週間、過ごしたとすれば、その傑作品をつくった主人はその絵をその人に上げたいと思うでしょうか、上げたいと思わないでしょうか?。世界のために生き、本当に自分の傑作品を愛する人に上げたいと思うでしょうか、上げたいと思わないでしょうか? (「上げたいと思います」) それは、神様も同じことです。宇宙をつくられた主人が神様ですが、その傑作品をあなたたちが愛し、その愛を千年万年と神様よりももっと愛すれば、神様ご自身が男性も女性も万物もすべてのものを皆さんに与えることができるという話が通じるということを理解しなければなりません。アーメンです。分かりますか? (「はい」) 神様は分からなくてもよいのです。神様は分からなくてもよいのですが、真の愛の味を知って死ぬほど愛し、その愛を世界的にまいていけば、神様が訪ねてこられて……。神様は種をつくるということを知りませんでした。「それを教えてあげましょう」と言って、神様がその種を持つようになるときに、男性と女性がそのように愛して種が生まれてこそ、その種を神様がさらに愛することができるのです。 ですから、愛する息子と娘が真なる男性と女性となり、だれよりも愛するようになれば、自分にあるすべての才能と主人の位置まで与えるということが起きるので、より愛する人、最も愛する人が全体の王となり、主人となることができ、相続権を持つことができるのです。アー 何ですか? (「メン」)。「アーメン」は「エイメン」です。ナンバーワン・メンのことです。アーメン。 さあ、それでは、神様が喜ぶなら一体どれほど喜ばれ、愛するならどれほど愛されるのかというのです。神様が本当に愛されるのならば、五官の中の耳が一つない四官だけの人に対して、五官の中のなくなった五分の一の分を減らして愛するでしょうか?。それとも、五分の一がないとしても同じように愛することこそ、真の愛でしょうか?。 「五分の一を減らした愛でしか愛せない」と言ってこそ、それが真の愛なのでしょうか? 「五分の一がなくなったとしても、百パーセントのもののように愛することができる」というのが真の愛でしょうか?。 どちらが真の愛なのでしょうか?。目をすべて取ってしまったらどうですか?。目まで取ってしまったら、五分の二がなくなるのですが、五分の二に制限して愛するのが真の愛の主人であられる神様なのでしょうか?。五分の二がないとしても、そのことが「よりかわいそうだ」、「それよりももっと良い耳と目をつくってあげよう」という心を中心として、愛する心がさらに大きくなっていく主人になってこそ、真の愛の主人となるのでしょうか? どちらが主人になると思いますか?。後者ですか、前者ですか? (「後者です」)。そうです、後者です。知っていることは知っているのですね。愛するものが五分の五なくなったのを見るとき、「ああ」と言って、ごみ箱に投げ捨ててしまうでしょうか? かわいそうに思って五分の五を自分がもう一度つくってあげて、「あなたが本当に神様を愛することができ、天地に対して尊敬されることのできる道がある」という、その道を神様は選ばざるをえない、という結論を出さざるをえないのです。アーメン。(「アーメン」)。そして、そのような神様は、「怨讐を憎め」と言うことができるでしょうか、「怨讐も同じように愛しなさい」と言われるでしょうか? (「『同じように愛しなさい』と言われます」) きちんと答えが出ました。怨讐をも同じように愛さなければなりません。神様は、すべてを奪われてしまいました。神様はお一人です。宇宙のすべて、水の中にいるカニからすべての昆虫、最も小さい微生物から人間まで、すべてを奪われてしまったのです。すべてを奪われてしまいましたが、神様は、この奪われた世界を中心として、奪われる前に愛していた本来の心を失ってしまわれた神様になるでしょうか、「それよりももっと愛そう」という神様になりたいと思われるでしょうか? 「どちらになられたいだろうか?」という問題を尋ねれば、神様はどのように答えられるでしょうか?。すべてを失ってしまった空の位置において、「失ってしまった」と身もだえし、「わたしは死ぬ」と言って、世界をすべて壊してしまう神様になられるでしょうか?。すべてを失ってしまったとしても、すべてを失う前より以上の愛の心を育てていけるのかという問題に対して、どのように答えなければならないのかというのです。 石竣昊氏。(「はい。……」)。なぜ黙っているのですか?。答えなければならないでしょう。(「もっと愛さなければなりません」)。ええ、何ですか? (「もっと愛さなければなりません」)もう一度言ってみてください。もっと愛さなければなりません (「もっと愛さなければなりません」)。もっと愛さなければなりません。 さあ、サタンとはどのような者ですか?。愛の怨讐です。どのような愛の怨讐ですか?。神様は、この万宇宙を自分の代わりとして、愛するすべてのものをつくったのですが、それを一度に滅ぼしてしまいました。滅ぼしたのではなく、一度にすべて盗んでいったのです。 神様が空になりました。自分がつくって愛していたものや、昔のことを思い出しても、あまりのことに言葉も出ないのです。それらを見詰めながら希望を抱いていたのですが、それがどれほど真っ暗闇の天地となり、地獄のような世界になってしまったことでしょうか? サタンがすべて奪っていって暮らしているのをごらんになるとき、「こいつ、きょうからめちゃくちゃに雷に打たれろ」と考えられるでしょうか? 「おい、サタンよ。わたしの怨讐だが、愛することのできる限界線まで、わたしがすべての精誠を尽くして愛して満たせば、すべてをわたしに渡しなさい。おまえ以上の愛をわたしが教えてあげる」と考えられるというのです。 そのようにできるサタンならば、サタンにはなれません。そのようなサタンは、復帰されるのです。それは何のことか分かりますか?。すべてをサタンに渡して、それを神様が愛そうとするとき、どれほど憎らしく思われたでしょうか?。憎らしく思われたでしょうか、保護されたでしょうか?。尋ねているではないですか?。保護されたでしょうか、憎まれたでしょうか? (「保護されました」) なぜですか?。神様が憎めば、神様の威信を立てるときが永遠になくなります。憎めば、それで終わりです。審判したとすれば「すべてサタンのものになった」という結論になってしまいます。 どのように考えられたでしょうか? 「そこはサタン側だが、わたしが委託し、任せてあげただけである。わたしの時代、わたしが愛することのできる時代が残っている」と、愛する時代が残っていると思われたでしょうか、愛する時代はないと思われたでしょうか? 神様は、サタンよりも優れていなければならないでしょう?。サタンは、「神様が愛することのできる時代はない」と考えます。しかし神様は、怨讐の悪党に「おまえの愛以上の愛を願う相対がいれば、愛せないときが来るはずだから、そのときになればわたしがそれ以上に愛する道も教えてあげておまえに与えてあげる」と言われるのです。 神様ご自身が「所有しよう」と言われるのではありません。怨讐のサタン側の山であっても、自分の種を植え、リンゴや柿の木を植え、実を結んだものを中心として、その怨讐が取って食べながら喜び、売ってお金持ちになれば……。 人はそうなのです。恩恵を受ければ返さなければならないので、柿を売ったり、何かを売ったりして、秋が過ぎて利益が生じれば、何百分の一であったとしても返したいという思いを持つでしょうか、持たないでしょうか?。持つというのです。 最後はそのようにならざるをえないのです。神様を中心として変わらずに愛するときには、その愛に入っていって自分のすべての過去を夜寝るように洗い流すのです。そして、朝のように新しい太陽を吸収して歓喜の同参者となり、昔主人を悲しませた何百倍、何千倍も主人を歓迎してあげて孝子となり、忠臣となるというとき、神様も「わたしの心に似たな」と言われるのです。そこで、「わたしに似た」といって一緒に暮らすことのできる道がないことはないということを考えなければなりません。分かりますか? 天の国の最も良いものもすべてサタン世界に行ったのです。家庭の王は母親です。女王を奪っていきました。母である女王を奪っていったのです。女性たちをサタンがすべて奪っていきました。 そのようにして女性たちをじゅうりんするのがサタンです。夫の名によって愛するという条件を立てましたが、女性を売ってあらゆる道理に背く行動をし、女性の胸に釘をたくさん打ち込み、罪のふろしきにくるまって暮らしていながら恥ずかしさを知らないサタンの後継者がたくさんいるでしょう?。分かりますか?。たくさんいるのです。 そのような女性たちは、どのようにならなければなりませんか? 「このサタンめ。恨みを晴らさなければならない。男性という種は怨讐だ。切り捨ててしまわなければならない」と言うのです。そのようにすれば、女性たちは天国に入っていくことができますか? 「男性たちはすべてどろぼうであり、全員道理に背く者たちだ」と言って切り捨ててしまい、無視し、蔑視するならば、天国に入っていくことができるでしょうか? 天国は夫婦で入っていく所です。男性が滅んで、女性が天国に入っていくことができますか?。ヨルダン川を越えていく前にモーセがネボ山で死んだのと同じことです。嘆息して三度祈祷しても、神様が「だめだ」と言われました。天国に入っていくことはできません。 このことが分かったとき、女性は「ああ、この世の中で最も愚かな男性の中の愚かな怨讐の男性を、わたしが同じ愛で愛すれば、「最も高い愛を行った女性」という看板がつく」と考えるのです。そして、そのように生きてあの世に行き、天国の門に入るとき、「私は、怨讐である男性たちを愛しましたが、天国に入っていこうとすれば、つえのような男性が必要なのに、その男性がいません」と言えば、神様が「おいおい、心配するな」と、すぐにりっぱな男性をつけてくださり、どのようにしてでも天国に送り出してあげることができるのです。 真の愛を持たなくては、天国に行くことはできません。真の愛の世界において、王になりたいですか、なりたくないですか?(親指を立てて右手を前に出されて)王になりたい人は皆、このようにしてください。真の愛の世界である天の国に行って王になりたい人は皆、このようにしてみてください。全員、なりたいのですね。お母様はしないのですか?。お母様。このようにしてみてください。(笑い) もう一度やってみてください。このようにしなければならないでしょう。神様のあごを支えるようにしなければなりません。全員なりたいでしょう?。そのようになれば、間違いなく一等賞を下さるはずですが、一万人が一等ならどのようになるでしょうか?。万等に分けることができますか? 一万人全員が一等であると言うとき、神様が賞を下さるでしょうか、下さらないでしょうか?。尋ねているではないですか?。下さるでしょうか、下さらないでしょうか? (「下さいます」)。同じだからです。ある人とある人を入れ替えても同じです。全員が同じなのです。どれを取っても一等であるというのです。 ですから、世界の女性たちがそのようにして一等になり、全員が王圏の立て札を掲げていれば、世界の愚かな男性たちは喜ぶでしょうか、幸福でしょうか?。最も幸福になることのできる男性は、どのような人でしょうか? 世界で一等の女性が、世界で一番のびりの男性を訪ねていって神様以上に愛そうというとき、神様が関心を持たれるのです。一等の女性が一等の男性を愛そうというのと、一等の女性が一番びりの男性を愛そうというのでは、どちらが神様の注目の対象になるでしょうか? びりですか、一等ですか?。びりですか、一等ですか? (「びりです」)。びり、言ってみてください。(「びり」)。びり (「びり」)。今、自分で答えましたか、先生が「言いなさい」と言ったので一緒に答えたのですか?。自分で答えたならば、その一等に先生がなれなくても自分がなることができるのです。「先生が一等になれなくても、その一等はわたしである」というようになります。ですから、そのような人は極から極までの愛を行ったので、天の国の博物館において、神様が愛される場に同参できるのです。 そのようになった人は、天の国に行って神様の玉座から遠い位置に座るのですか、近い位置に座るのですか?。わたしには分かりません。どちらですか? (「近い位置に座ります」)。本当ですか? (「はい」)。本当であると思う人は両手を挙げてみてください。おうおうおう。もう説教はすべて終わりました。(笑い)説教はすべて終わったというのです。 それでは、きょうは「真の万物の日」なのですが、この地上でだれがいちばん万物を愛しましたか? 「神様ではなく、わたしです」と言えるほど愛してみましたか?先生は、パンタナールに行って、夜も昼も、雨が降っても台風が吹いても、「神様は、わたしのように、このような万物を愛することはできなかっただろう」と神様と競争してみるのです。 最初は大きい動物を愛して「オーケー」です。それから手で地面を掘って虫の幼虫が出てくるのを見て、「神様がこのようなものを愛することができなかった」と考え、「この土地だけでなく、あの山の谷間、北極の雪の下に隠れている虫まで神様は愛することができなかったが、わたしは、それまで愛するので神様に負けない」と思いながら、愛し精誠を尽くしていくと、南米の濁水の天地にあらゆる動物が暮らしていたのです。 人間が捕まえて食べるので、人間を恐れます。ですから、隠れるのに良い所が濁水の天国です。パンタナールの水は濁水です。その濁水の中にあらゆる原初的な動物がすべてすんでいます。なぜですか? 人間たちは見つけさえすれば捕まえて食べます。捕まえて殺すというのです。ですから、見えない所にすみます。いくら泳いで入っていっても、水の中が見えなければ捕まえることはできません。十メートルどころか五メートル先も見えないので、捕まえることができないのです。ですから、地獄のような水の中に魚の群れがすんでいるのです。 この魚を神様が創造されたとき、澄んだ水に放してあげたでしょうか、濁った水に放してあげたでしょうか?。濁った水に放してあげたと思う人、手を挙げてください。その手を切ってしまいなさい。(笑い)そのように考える頭を切ってしまいなさい。そのように考える人は、一人もいないということです。 神聖で、とても美しい万物を神様が精誠を尽くしてつくられ、澄みきった泉の中に放ちたいと思われたものが、どうしてこのように濁った水で暮らしているのですか? 「地獄に行く人間たちがわたしたちを残さずに捕まえてしまい、価値も分かってくれず、怨讐に捕まえられて食べられるのよりももっと人間たちが恐ろしく、絶滅させようとするので、ここに来て隠れているのです」と言うのです。その答えは、正しいですか、正しくありませんか? 「おまえたち。真の父母は、この濁った水を澄んだ水にして、ここですんでいる魚がすべて絶滅しないように、澄んだ水、泉のような水であらゆる種類のものを育てて分配し、神様が理想としていた原初的な愛の解放された魚にしたい」と言うのが先生なのです。そのような心で、このアンデス山脈の谷間から流れてくるアマゾン川やパラグアイ川の水をきれいにして、全体を解放して魚が澄んだ水の中にすむことができるようにするのです。 そのような魚のように、行く道が分からずに地獄の天地に暮らす人間たちを解放するために、汚れた水を澄んだ水にして解放の王子となり、そのために人類が動員されてそのことを成せば、人類は自動的に解放され、明るい天国に入っていくのです。アーメン (「アーメン」) それゆえに、海を愛する文総裁になったのです。文総裁は滅びなければならない 「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? (「ノーメンです」)。「ノーメン」は「NO」でもよく、「KNOW」でもよいのです。どちらでもよいのです。 それでは、文総裁に従っていきますか、従いませんか? (「従っていきます」)。それでは、パンタナールの濁った水を飲みなさい。アメリカは今から、濁った水を飲みなさい。おいしい泉の水よりもさらにおいしく、湧き水でも何でも、ろ過器を……。長雨になって、豚のふん、何かのふんと、ふんの天国のように、ふんが混ざったものを薬であると思い、「おいしい」と言って飲めば、薬の中の薬になるのです。 信じて飲めば、病気が治るかもしれないでしょう。濁った水を飲み、濁水の中で体を洗い、魚以上に汚い水の天地で暮らしたとしても愛することのできる、主人の代わりになろうという人がいれば、文先生がそのようになろうと言えば、それを歓迎できる人はどのくらいいますか?。歓迎できるという人は、永遠に生きることができます。 では、「文総裁がしようと言うとおりに、パンタナールの水辺を湧き水のような澄んだ水にして、神様が澄んだ水にすむように魚を創造されたように、魚たちが神様の原初的な基準において解放的で統一的な群れとなるよう、神様の代わりに再創造の王になろう。アーメン」と言うことのできる人は手を挙げてみましょう。わわわ、わわわ、先生がするとおりに従っていきますか、従っていきませんか? さあ、海を愛しましょう。澄んだ海だけを愛する人、そのような人が、サタン世界を料理することができるでしょうか?。良い面が澄んだ水で、悪い面が濁った水とするならば、濁った水を嫌う統一教会の群れが、明るい世界をつくることができるでしょうか?。できますか、できませんか? (「できません」) 絶対にできます。(「できません」)。唯一的にできます。(「できません」)。不変的にできます。(「できません」)。永遠にできます。(「できません」)。神様の属性は絶対、唯一、不変、永遠です。 雨が降る日には、そこにどれほど……。泥と水でひどい状態ではないですか。一度滑れば、氷の路面よりひどいのです。足をこのようにしたとしても、地は粘土になって、いくつもの手錠をがちゃっとかけられたように自由に動けなくなります。じっとしていても、いくらでも滑っていってしまいます。 さあ、そのような統一教会の教会員を見れば、すべて……。統一教会の女性たちは、楽に暮らそうとして足が偏平足だと思います。偏平足では軍隊に入ることもできません。姜賢實シルさんは偏平足になりましたか、土踏まずがある足になりましたか?。ソ連に行ってきて、凍った路面を最頂上から平地まで押し出されてしまうのですか? 今回、百六十匹を釣りにいって、「ああ、わたしには死んでもできない」と報告していましたね。氷の世界でいつ女王になることができるのですか?。水を貯蔵することができてこそ、氷も溶けずに万年雪が残るのでしょう。 水が嫌いな人、手を挙げてください。水が嫌いな人、手を挙げてください。それでは、水が好きな人、手を挙げてください。知っていることは知っているのですね。(笑い) 「水が嫌いな人、手を挙げなさい」と言ったときには、悪口を言っても黙っていましたが、それでは水をどのくらい好きなのですか?。水が好きだというのならば、どのような水が好きなのかということが問題になります。 澄んだ水が好きですか、ふんの混ざったような水が好きですか?。水はすべて好きなのですか?。澄んだ水が好きですか、汚水が好きですか?。好きだといっても、いくつもの系統があるのです。三百六十度があるということを知らなければなりません。 それでは、先生が好きですか? (「はい」)。本当ですか? (「はい」)。皆さんは方向性が分かっていません。自分を中心として、自分の基準に合うものだけを好んでいます。先生が好むものをすべて好むのですか?。地獄までも天国にしようとしている先生を好きだというのですか? 「パンタナールに来なさい」と言っても、来る人は一人もいません。今回も、グロスターで海洋事業を始めました。四十年前、四十三年前です。そのようにしたので、その結末をつけるためにです。このニューヨークなど、魚がどのように暮らしているのかすべて調査したところです。 ヘーソン港、ニューヨーク港、ロングアイランド・サウンドなどで、海洋事業の出動を中心としてここにいる魚から大洋に広がっていく魚までをわたしが捕まえ、それを中心として神様の前に祭事をささげ、海洋の勝利の王子となって帰ってきて最後を締めくくってあげたのです。今回、帰ってきてそのことをしました。他の人がついてくるので、昔は眠らずに明け方二時にグロスターに出発しました。 そこで準備をしようとすれば、一時間以上かかります。準備に一時間かかるので、五時に行こうとすれば四時から準備をしなければならず、一時間半前に準備しなければならないときもあります。運動をして、祈祷もしなければならないでしょう? ですから、家で一緒に暮らす人の中でわたしを好む人は一人もいません。「ああ、いつまであのようにするのだろう?。早くやめればよい。続けようとするなら病気にかかればよい」と考える者たちがでてくるのです。 郭錠煥氏が近くにいれば、そのように考えたかもしれません。柳光烈ニョル氏は、本当にそのように考えたかもしれません。詩を書いて、筆をつかんでそのようにしていますが、何をしようというのですか? 「わたしが死ぬか、先生が死ぬか、二人のうち一人が死ななければならない」と、そのように考えているのではないですか? (笑い)それは、当たっているでしょう? 「ああ、あのような姿をいつまで見るのか?」と思っているというのです。そのような姿を見るのは皆好きではありません。 そのような姿を見るのを好まないということを知っていながら、わたしはなぜそのようにするのですか?。この地に教えてあげなければなりません。地に負債を負いました。主人に出会うことができなかったので、主人を教えてあげなければならないのです。水も主人に出会うことができなかったので、教えてあげなければなりません。 霊界に行った霊人たちも自分たちがしたことを好むのであって、先生がしたことを好まないのです。これを清算し、澄んだ水辺で、愛する園で遊んでいたアダムとエバの基準を復帰するという心情からそのことをしているのです。分かりますか? ですから、水というものは、濁水にも、汚水にも入っていって踏みしめていかなければなりません。(アメリカの女性が何か答える)ありがとう、アメリカの女性。そのようなときは早いのです。世の中の人と同じように出世しようというのですか?。分かりますか? 水をどのくらい愛していますか?。水を愛していますか、いませんか? (「愛しています」)。愛していなかったとしても、きょうは「百パーセント愛している」という仮説を定めてでも、そのようにしなければならないでしょう?。何パーセントですか? (「百パーセントです」)。仮説が本当になれば解放されるのです。 目も水が必要です。水が出るでしょう?。鼻も水が必要です。鼻が乾けば、鼻くそが乾くでしょう?。水分が必要なのです。口にも必要です。耳にも必要です。これを乾かしてみてください。耳かすで、耳がふさがってしまいます。いつも湿気がなければなりません。 水が必要なのです。自分の生命をもって生きていく生涯の路程は、水と調和を成しながら生きていくのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。わたしたちの体の四分の三は水です。肝臓の水が違い、胃の水が違い、大腸の水が違い、小腸の水が違います。すべてに水がありますか、ありませんか?。そこにある脂肪はすべて水です。脂肪の水分は六十パーセントであり、脂が四十パーセントです。脂だけではいけません。絶対に水が必要です。水、言ってみてください。(「水」) おなかがすいてご飯が食べたいと思うのと、のどが渇いて水が飲みたいと思うのでは、どちらがより切実ですか?。皆さん、「のどが渇いて死にそうだ」ということを、よく言うでしょう?。おなかが空いて死にそうでも、そのようなことは言いません。水から離れては生きていくことができないのです。 (服を指して)ここに水分がなければ、ぱさぱさになります。水が絶対に必要なのです。体の五臓六腑にある多くの種類の水を補充するのに、この地球上にあるあらゆる種類の水の要素を吸い込んで貯蔵して生きているのです。 それでは、神様の本性的なきれいな水を補給できる自らになっているのか、仮の水で補充できるのかというのです。長雨で濁った水になり、豚が流されていき、虎の子どもが死に、何かのふんや人が流されていった水、黄土が混ざった水、それらがすべて混ざっている水でしょうか? 神様をお迎えし、皆さんの中にある水をすべて搾っておささげすることができるでしょうか、めちゃくちゃになって肥料の山に持っていって捨てるものになっているでしょうか?ですから、ろ過器に何回くらい入っていけば神様をお迎えすることができますか? きのう、わたしはニューヨークの貿易センターの約二、三百メートル前で釣りをしました。(録音がしばらく途切れる)……それをそのまま流せば、その水はどのようになるでしょうか?。汚水になるでしょう?。これを、ろ過装置を通して水蒸気になるのにちょうどよいくらいの海水と差がない水になるので、魚が飲むのです。酸素補給、窒素補給、すべてのことを考慮しても分量が適切なので生きることができるのです。そうでしょう? 事実をみれば、トイレから出てきた、その水です。混ざっているでしょうか、混ざっていないでしょうか?。小便を上に浮くようにして、これをろ過装置にかけて澄んだ水をつくれば、それを飲んで病気になるでしょうか、死んでしまうでしょうか? 小便や大便を貯蔵していた水をこして澄んだ水をつくっても、魚も喜び、人間もそれを水道水として飲んで生きるのです。循環です。循環します。それゆえに、空気なら空気、窒素、酸素……。木が二酸化炭素や窒素を吸って酸素を吐き、循環しながらろ過したものを飲んで生きているのです。ですから、一人で生きるということは、罪悪の中の罪悪です。分かりますか? ですから循環するということです。そのような原則から、良い人とはどのような人ですか?。アメリカ人、ドイツ人、皆、怨讐です。日本人、アメリカ人、ドイツ人、韓国人は怨讐ですが、怨讐の国の人が皆、喜ぶように、ろ過器を通してこして、自分の父と母、自分の愛する人以上に愛すれば、神様の友達になることができるのです。 ろ過装置を通せば、だれでも飲むでしょう?。王でも飲むでしょう?。だれでも、上下高低を問わず、平均的に供給することができます。王も飲むことができ、使い走りも飲むことができ、同じ生命を維持し、この宇宙に堂々と存在の価値を維持するにおいて欠如しているものはないというのです。同じことです。 皆さんがろ過装置を通した水を、どのくらい取り入れて生きているのか考えてみましたか?。皆さんをそのままぎゅっと搾って水を出しておけば、だれが喜ぶでしょうか?。自分の愛する夫が喜ぶでしょうか?。湧き水のように澄んだ水はだれもが、夜でも昼でも、一年中、永遠を中心として喜ぶようになっているというのです。同じことです。 そのような水を持つことのできる自分の水源をつくらなければならず、そうでなければ、ろ過器でもつくって暮らしなさいというのが、宗教という機関なのです。宗教とは、ろ過装置のようなものです。そのように考えればよいのです。 では、皆さんは百パーセント純潔な水にならなければなりませんが、皆さんは何パーセントの水ですか? 「わたしは百パーセントの水である」という人、手を挙げてください。 皆さんは、〇点以下でしょう。宗教でみれば、〇点以下です。自分が天の国に入っていくときには、ろ過装置にかけられた純潔な百パーセントの価値を持っていなければなりませんが、その前にろ過装置を百回、千回、万回以上通過してきれいに、きれいに、きれいになることができる過程を経なければなりません。 それは、なぜでしょうか?。堕落の血筋から神様の血筋に変えようとすれば、どれほど大変でしょうか?。宇宙も反対します。このように汚れたものがこのように良くなろうとすれば、これが転換されなければなりません。ろ過の過程をすべて経ていかなければなりません。分かりますか? ろ過の過程を経ましたか、経ていませんか?。経ていますか、すべて終わりましたか、経ていこうとしているのですか?。どれですか? (「経ていこうと思います」)。いつ終わるのですか?。死ぬ前に終えなければなりません。 そのようにしようとすれば、どのようにしなければなりませんか?。真の愛は、どのような水であっても、ろ過させて浄水をつくることができる源泉なのです。分かりますか?。真の愛の水さえ経ていけば、取るに足らないものでもすべてろ過されるのです。細菌までろ過されるというのです。 では、真の愛のろ過器を持っていますか、持っていませんか? 「先生の話を聞けば、わたしは真の愛のろ過器を持っています」という人は、手を挙げてください。一人もいませんね。ですから、洪水の水辺からくんできた、うじ虫がうようよし、あらゆる種類の昆虫や菌がいる、そのような水です。ろ過器を何回通過したのですか? では、統一教会に入ってきて涙を流して悔悟したことがあるでしょう?。それでは、十パーセントくらいになったでしょうか、二十パーセントくらいになったでしょうか?。二十パーセントろ過されて、八十パーセント汚れたものをだれが食べるのですか?。つばを吐くというのです。 絶対にろ過装置が必要ですが、ろ過装置の過程を経ていくということは真の愛であり、真の愛のろ過装置を経ていこうとすれば、自分のために生きるということがあっては、本当の本質的な百パーセントの源泉水の位置に到達することはできますか、できませんか? (「できません」)。できませーん、一度言ってみてください。できませーん(「できませーん」)。できませーん (「できませーん」)。なーい (「なーい」)。命令形にしなければなりません。「できません」は相対的であり、「ない」は「わたしには必要ない(断定=絶対という意味)」です。 神様は百パーセント、浄水ろ過装置を準備されたでしょうか、されなかったでしょうか?。神様が百パーセント、ろ過装置を人間のために準備されたでしょうか、されなかったでしょうか? (「されました」)。あなたは準備したと思いますか? (「……」)。「準備した」と思うのかというのです。 それでは、そのろ過装置を一番の都会のうじ虫がわくような所に設置されたでしょうか、白ペク頭山の頂上、エベレストの山頂、ヒマラヤ山脈最高のエベレストの山頂よりも、もっと高い頂にろ過装置を設置されたでしょうか?。だれもがやたらと来ても困ります。 まじめに一所懸命働き、至誠を尽くして、神様まで起こしてでも自分が称賛することのできる、そのような精誠を尽くした所にろ過装置を設置しなければなりません。「訪ねてくることができる人は訪ねてきなさい、そうでなければだめだ」と言うことのできる場所に、ろ過装置を設置しておくのです。だれでも行くことができるのではありません。 サタンはそれを知っているでしょうか、知らないでしょうか?。問題はそれです。サタンが知っているでしょうか、知らないでしょうか?。サタンがろ過装置を持っていったら神様が困るのではないですか?。サタンは、いくらやっても持っていくことはできないというのです。 サタンは「自分のために生きろ」と言ったのです。ですから、これを持っていこうとすれば、どうなるでしょうか?。持っていったその結果、サタンが神様よりも「ために生きる」ことができるようになれば、「神様、より「ために生きる」ことのできるあなたが願う所にろ過装置をおきましょう」と言うのです。分かりますか? 大変なことであったとしても、ろ過装置を経ていくためには、ついていかなければなりません。九十九・九九九九になって〇・〇〇〇一が残っているとしても、その一つを満たすために、「あらゆることが起きて険しくても行けないところはない、行ってあまりあり、千回、万回でも行く」と言うことのできる人、「ために生きよう」という人だけが、ろ過装置の門を通過できるのです。 柳鍾寛氏が何かの長(責任者)をしていたとしても、わたしが足でけって、「こいつ、なぜこのようにするのか?」と言えば、三言も言わず顔をしかめて、「なぜ、わたしにだけつらくあたるのか?。郭クアク錠煥のことは愛しておきながら」と思うのです。そうなのです。わたしは郭錠煥氏を愛していません。見た目のどこが良いのですか?。どこに見るに値する所がありますか?(笑い)しかし、郭錠煥氏は、心の使いどころがあなたたちと違います。だれかが誤ったことをすれば、だれが何をしたのか、先生はすべて知っているのです。最近でもそうではないですか? 責任者のだれだれから報告を受けておいて、それを郭錠煥氏は先生に直接、報告しなければならないはずなのに、そのことを聞いてみると郭錠煥氏は「知りません」と言うのです。「こいつ、わたしがすべて知っているのに知らないのか?。見なかったのか?」と言うと、そのときになって、やっと「見ました」というのです。 それはどういうことなのかというと、「自分が責任を執る」ということです。しかも、それで終わるのではありません。「そのようなすべてのことは、自分が注意して統一教会の一つの標準になります」という、その心情が貴いのです。先生をとらえるのはその心情です。分かりますか? アメリカの女性たち。「先生が好きだ」と大騒ぎして、先生がどこかに行けば旗を掲げて大騒ぎしていますが、最近では皆、前に座って目をむき、「先生はどのような話をするのか」と思いながら、悪い話はすべてノートに記録し、良い話はポケットに入れているというのです。悪い話を中心として後でこき下ろそうとしています。そのようなことはあってはならないというのです。 悪い話は、「自分が責任を持とう」と思い、「自分がアメリカ人を代表し、天上天下を代表して、自分が見て自分が語ることには、自分で責任を持とう」と思わなければなりません。わたしは、五十年前に天地の秘密をすべて知っていましたが、話しませんでした。なぜでしょうか? 「わたしが責任を持つ」というのです。困難な苦労の峠が問題ではありません。困難であれば困難であるほど、「そのことが早く解決されることが恐ろしいので、千辛万苦して狭いろ過装置の穴を通らなければならない。血と汗を流し、またが裂けても通過する」という一片丹心なのであって、分裂した心ではありません。そのような人は、浄水の中の浄水になるのです。アーメンです。分かりましたか?。真に分かりましたか? (「はい」) それでは、ろ過器を通過した浄水になるのですか、浄水をつくる浄水器になるのですか?。二つとも好きにならなければなりません。浄水を好む以上にろ過器を好んでこそ、浄水のためにそれが願うとおりに動いてあげてこそ、浄水になるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。真に分かりました。何になりたいですか?。水の中できれいな水です。 世界は、「水」で象徴されてきました。今日、地獄のような濁り水を解放した源泉によって、すべての万物をつくろうと苦心している先生の後に影が天下をすべて……。ここから三八度線と「以北(北朝鮮のこと)」が生じました。統一教会の人はどこに行っていますか?。先生が受難の道を行っているので自分が道案内をし、先生が楽に行くことができるようにと船をつくり、「折れないさおと切れない釣り糸を準備してさしあげよう」と思いながら、「苦労する先生を助けてあげよう」と考える人は一人もいません。わたし一人で成してきたというのです。 そうです。先生は、かわいそうな人なのです。そのような先生を中心として苦労させる神様は、もっとかわいそうなかたです。なぜ、苦労させるのですか?水蒸気をつくって雲になるようにし、この天下でよく肥えた土地に雨を降らせればよいでしょう。雨を降らせるにしても、根まで濡らす必要はありません。季節にしたがって少しずつ少しずつ貯蔵して、貯金通帳からお金を引き出すようにすればよいというのです。 洪水を起こして、汚いものを一度に洗い流してしまうようなこともしなければなりません。そのようにしなければ、土地が腐り、草木が死んでしまうのではないですか?。そのような悲運の歴史がわたしの生涯にはあり、環境的条件の均衡を崩して、死ぬか生きるかという混乱した問題が起きるのです。 さあ、それでは、浄水器、ろ過器を通すべきでしょうか、通すべきではないでしょうか?(「通さなければなりません」)。アメリカが世界を支配しようとすれば、アフリカの最も貧しい国を王のように侍らなければなりません。そのようにしてこそ、いかなる国の人でもアメリカの水をおいしく飲むことのできる浄水器になることができるのです。 世界の人は皆、アメリカ人を嫌っています。アフリカに行っても、「ヤンキー、ゴーホーム」と言っているのです。それでは、世界は自分の思いどおりになりません。浄水器を通さなければなりません。ろ過器を通さなければなりません。では、ろ過器はどこにありますか?。機械に愛を通すことができますか?。そのろ過器は、浄水器をつくる機械のチャンピオンですが、その機械として来るのがだれかというとメシヤなのです。救世主です。 しかし、それは「救世主」ではいけません。「救世主」は、世の中の救いだけです。救世主は、世の中を救ってくれる存在です。必要なのは、「救父母主」です。世の中を救うのですが、父母を救わなければなりません。父母を救うのですが、兄弟を救わなければなりません。兄弟を救うのですが、家庭を救わなければなりません。それをなしてから世界を救うのです。 真の父母によって真なる父と母になり、真の息子、娘を育てて真なる家庭を備えなければならず、そこから世の中に繁殖していって世の中を救うことができる礎となり、その礎に合わせて家を建ててこそ、すべての世界が入ってきて暮らせる平和な家庭になることができるのです。理論的にアーメンです。分かりますか?。分かりますね? (「はい」) それでは、ろ過器になりますか、水になりますか?。先生は、水ですか、ろ過器ですか? (「ろ過器です」)。水ですか、ろ過器ですか? (「ろ過器です」)。あなたたちは何ですか? (「水です」)。洪水で五万種類のものが入っている汚い水です。 最初に泉がわき出る所には、ろ過器は必要ありません。見えない穴で菌までを抜き出す必要はありません。雑巾の切れ端のようなものはろ過されるのです。それを知らなければなりません。 そして、統一教会に入ってきて、入るやいなや皆、「先生に会う」と言うのです。きょうも、だれかがここに先生に会いにきましたね。この位置がどのような位置ですか?。天の前に敬礼して礼を尽くさなければならないのです。神様に敬礼する前に、人を使って道に外れたことをさせることはできません。 きょうも、だれか大統領が会おうというのを「だめだ」と言って、飛ばしてしまいました。その人は今、先生に会いに来て、ニューヨーカー・ホテルで待っているというのです。しかし、わたしが終わるときまで会うことはできません。天に侍ることのできる礼法、環境条件を整え、そこにおいて自分がろ過器になったのかどうかが重要です。ろ過させることのできる主人となり、ろ過器に通さなければならないのですが……。 嫌でも、捕まえて逆さまにしてでも、横向きにしてでもそのようにできるのならば、ろ過器を通過するようにしてあげることが愛の中の愛であり、名声を得た一等の人になれる道がそこにあるので、良い人の中でも最高に良い人なのです。アアアアアアアア、言ってみてください。アアアアアアアアアアアア(「アアアアアアアア」)。すべて入りました。メメメメ。アーメーン (「アーメン」)。解放だということです。(拍手) では、先生が「しなさい」と言うとおりにしなければならないでしょうか、してはならないでしょうか?。先生も、神様がろ過器を制作する方法を教えてもらってつくったので、これを通らなければなりません。これは不可避的な運命ではなく、宿命的な責任です。父子の関係なので、死んでも分けることはできません。分かりますか? 先生がろ過装置をつくり、最も困難で耐え難いことをすべて行ったので、千の峠があるならば、自分がそれを越えていこうと思う人たちが、百の峠を越えたのか、千の峠を越えたのかということを比較した基準に従って、天の国で神様に侍ることができる序列や、系列における自分の位置を永遠につかむのです。アーメン。(「アーメン」) 何回死にますか?。穴がこのくらいでも出ていくのは大変です。百回、千回、万回ろ過器を通らなければならないのなら、万回死んで目覚めても自分を否定しなければなりません。「理解してほしい」と思ってはいけないというのです。 「ああ、文総裁。絶対信仰、絶対愛、絶対服従、独裁者の王だ」と、このように思ってはいけません。それで何をしようというのですか?。わたしがその機械をつくるのは簡単です。み言がその機械です。み言どおりにしなければなりません、この者たち。「訓読会」をしていますか、していませんか? アメリカの上下院議員、連邦政府の国会議員やトップの人たちを皆、集めておいても、これに感動するようになっています。全員が「そのとおりです」と言うようになっているのです。天下が公認することのできるろ過装置を準備したので、み言の過程を経ていかなければなりません。経ていかなければ落第です。 いくら博士の学位を持っていたとしても、責任教授のサインをもらわなければなりません。そのようにしようとすれば、責任教授の子供を育ててあげる生活を六か月訓練するということまでしてでも努力すれば、サインをもらうことができるというのです。すべてに通じなければなりません。 柳鍾寛氏は、先生から訓練を受けていません。(「受けています」)。わたしは訓練していません。「昔から道を築いて峠を越えていきながら、このような峠もあり、このような橋も築いたのだなあ。ああ、先生が苦労され、わたしは見物して越えていったなあ」というのではないですか? あなたをここに送るために、食口たちが血と汗を流しながら苦労し、支援したのです。そのような困難な事情を知っているのですか?。負債を負って生きています。「ここには飛行機に乗ってきたので、一日でも断食していかなければならない」と考え、三食のうち一食でも蕩減条件を立てて生きていくことができなければなりません。わたしは、そのようにしています。 わたしは、一日に大きなお金を使うことのできる力を持っていますが、一銭も使いません。あなたたちのために使うのです。それが原則です。だれの世話にもなりません。それゆえに堂々としているのです。 アメリカを滅ぼすためではありません。生かすためなのです。国をつくるためです。日本を苦労させるのも、日本を滅ぼすためではありません。より次元の高い国にするためです。韓国を苦労させるのも同じことです。わたしが統一教会員を苦労させるのも、あなたたちが生きてきた国以上に良い国をつくるためなのです。 この世が嫌うところに天の国が訪ねてくるのです。この世が嫌だということを「好きだ」ということができる所で天国が完成するのです。分かりますか?そのことが分かりませんでした。今では、真に分かりました。分かりますか?。結論を出しましょう。 神様は、サタンが本当に愛していたものを愛することができるのでしょうか?。答えてみてください。一人の女性を中心として、サタンが抱いていたその女性を神様が愛することができるのでしょうか?。この答えが出てこなくては復帰の道がありません。柳鍾寛氏。(「はい」)。答えてみてください。(「……」)。郭錠煥氏、答えてみてください。 どのようにして愛することができるのかというのです。それを愛することはできません。絶対にできません。それで「真に分かりました」なのです。真に分からなかったので「真に分かりました」という言葉が出てくるのです。 国の王がいれば、その王の十倍、百倍愛するのです。千年の事情を抱えて完成した「わたし」が愛した階級は、だれもついていくことができない愛であり、そのような千万倍高い次元で愛するのです。その怨讐の妻を自分の勝利の王宮の最高の位置で愛する、それ以上の愛で愛そうという心情があったというのです。ですから、薬を飲めばすべての汚れたものをすすぎ落としていくことと同じです。相対できないもの、相対しない位置で……。 統一教会はそうです。父と母がいて、おじいさんとおばあさんがいるのに、なぜ先生に従っていかざるをえないのかというのです。母親という標準があれば、「母親以上に愛することのできる心情をどのようにして人類に対して持てるのか?」ということを神様が考えなければならないということです。これが問題になるのです。 サタンがどれほど悪辣だったか知っていますか?。七代の先祖にいる、すべての王女たちを犯したのです。神様の前でです。三代は普通です。おじいさんとおばあさんの三代ではありません。七代です。曾祖父、高祖父、それ以上までです。それをどのようにして愛するのですか?。そのように汚されたものをどのように愛するのですか? 自分が愛したその愛を人々が知れば、数万年間愛した自分に対して、全体がついてくるというのです。蘇生、長成級ではなく、その何段階以上の次元の高い愛を行ったので、その愛の味を知った人は、永遠にそこには行かないというのです。 統一教会には、そのような何かがあるのです。そのような伝統精神を立てました。怨讐の妻を、自分が愛するだれよりも愛し、怨讐の娘を、怨讐の母親を、怨讐の女性の一族を、悪なる王が天の国の女性を道理に背く行動をして滅ぼした、その何千倍、何万倍の愛で愛したので、サタンはその道についていくことができないというのです。それゆえに、その心情を思うとき、怨讐を愛する心情は、怨讐同士で親戚になることが問題ではないというのです。分かりますか? 怨讐が「三代の妻たちを取り替えて暮らそう」と言えば、神様は驚くというのです。しかし、問題はありません。他の人々の何十倍愛するので、他の人々には絶対についていかず、自分についてくるというのです。柳光烈ニョル氏。(「はい」)。それが何のことか分かりますか? (「はい」)。分からなければ、新しい女性と暮らす資格はありません。 サタンが屈伏して、自分の一族の三代まで、おばあさんまでが三代ですが、三代をすべて任されるようになれば、それまですべての精誠を尽くして生きてきた、その愛が問題になるのです。 わたしの愛には、完全に溶かされてしまうのです。歴史上のいかなる怨讐であっても愛してあまりあり、そのるつぼの中に入っていけば、金だけが残るのであって、石はすべて煙となって流れていってしまうのです。そのような心情です。怨讐を愛する心情が問題ではありません。 今から、柳鍾寛氏が「現在の妻をおいて、サタン世界の怨讐の国のおばあさんと暮らしなさい」と言えば、暮らしますか? (「……」)。尋ねているではないですか? (「お父様が『暮らしなさい』と言えば、暮らさなければなりません」)。わたしが「暮らしなさい」と言うのですか?。自分が願わなければならないでしょう。(「相当に難しい質問だと思います」)。難しいでしょう。しかし、そのような質問はまだまだ普通です。 ですから見てください。タマルが義父とくっついたのです。怨讐の嫁が来たとしても、歓迎の意を表さなければならないというのです。そのような心情を持たれた神様が、どれほどかわいそうであられるか理解してみてください。世の中から見れば、かわいそうでしょう。涙を浮かべて進んでいかなければならない路程があったということを知らなければなりません。分かりましたね? 神様が何度、結婚しようとされましたか?。アダム時代、それからいつですか?。イエス時代、再臨主時代、それから第四次アダム時代です。四度目に定着したというのです。歴史的な怨讐に汚された愛を天の愛に変えなければ、霊界にいるアダムの後孫、イエス様の後孫、再臨主の後孫を救う道理がないのです。その愛の前には、サタンの千年の事情、万年の事情がすべて溶けてしまうのです。何のことか分かりますか? 「愛には汚れたものはない」と言ったでしょう?。サタンは汚れたものではありません。本来、抱いて愛することのできる天使長です。一つの家で暮らそうという心情をいつも持っているのです。「わたしが解怨されるとき、おまえにも相対をつくってあげよう」という、そのような心情は変わりません。 そのようにするために、わたしが橋を架け、捨てられたすべてのものを救ってあげるために、億千万世を経て数多くの人が犠牲になりながら、さまざまな社会の複雑に分かれた幾重もの道を経て、埋め合わせてきた歴史であったということを知らなければなりません。ですから、「わたしは嫌いだ」、「好きだ」と言うことができますか? 「わたしにはできない」と言うことができますか?。分かりますか? では、もう本当に分かりました。今回、わたしがインディアンが住んでいるネバダ州の農場に行ってみると、そこには男性が六十二人で女性が二人しかいませんでした。それをそのままにしておけば、どのようになりますか?。絶滅です。五十年すれば、すべていなくなるというのです。それを見てどうするのですか? 統一教会の子女たちは放っておいて、女性たちを連れてもう一度嫁がせて……。そのようにして、「自分の娘であっても嫁にして後孫を残そう」と、そのような女性を探してペアを組もうというのです。「罪にならないように、わたしが防波堤をつくってあげよう」。先生は、このような考えを持っている人です。 梁昌植シク氏。(「はい」)。自分の妻が自分の娘を連れて、そのようにしたらどのようにしますか? (「……」)。尋ねているではないですか? (「……」)。できないでしょう?。自分の愛する人を譲り渡してあげることのできるほどの雅量がなければなりません。 中国は、今から十年、二十年後になれば、大変なことになるのです。一人しか産めないようにしていますが、男性ばかり残しているのです。女性がいません。皆、死んでしまったというのです。どのようにするつもりですか? 最近、韓国人が結婚するときには、歩き回りながら結婚相手を探してくるのですね。上手ですね。道を築いておいたので、これからは、韓国の女性たちを世界じゅうに生んで満たしておけば、そのように結婚相手を探してくることはできません。平準化して、地獄までも穴を埋めてあげようと考えているのが先生なのですが、どうですか?。そのようなことまで考えているのです。 六十を超え、七十を超えた男性は、器官が衰退するでしょう?。郭錠煥氏。(「はい」)。何歳ですか? (「六十四歳です」)。昔と同じではないでしょう? (「違います」)。劉正玉オク氏。(「はい」)。どんどん曲がっていくでしょう。(「はい」)。(笑い) 六十を超えれば、老けた妻が世話をするよりも、世話をしてくれる娘がいたり、孫娘がいれば、孫娘を連れてくるほうがよいというのです。妻が世話をしてくれるのは、不便でしょう?。そこで子供、孫がたくさんいるので、中国人を一人連れてきて二世が生まれて、「天下にない傍系の系列をつくって、二つの世界の父に一度なってみよう」ということです。 神様がそのようなことをなさっているのです。何のことか分かりますか?。神様が、正にそのようなことをなさっているのです。自分が最も愛する人を怨讐に分け与えるのです。そうですか、そうではないですか? (「……」)。そうですか、そうではないですか、この者たち。(「そうです」) できないことはないというのです。国を取り戻さなければなりません。何が体面ですか?。一族を残すことができ、一国を引っ張っていくことのできる伝統を立てれば、滅びません。 さあ、そのような意味で、今まではよく分かりませんでしたが、今では「真に……」何ですか? (「分かりました」)。「分かりました」。周囲にいる女性たちを、かわいそうな男性たちを助けてあげるために動員し……。 「二十年、三十年くらい一人で暮らしなさい。寺に行って精誠を尽くし、天国に行って天の国の皇族圏内に入っていくことのできる特権がある」と言って連れて行き、解放的なことをするかもしれないということです。 そのようにしたからといって、神様が「おいおいおい、真の父母がそのようなことを考えてはいけない」と言うことはできないというのです。そのように言うことができないので、心配でしょう。全員、分かったでしょう? (「はい」)。さあ、分かりましたか?。真に分かりました。(「真に分かりました」) ですから、怨讐の妻と自分の妻を取り替えたとしても、それを愛してあまりある真の愛によって天の国をつくれば「オーケー」です。怨讐と親戚関係を結び、その娘を嫁だと思い、その息子を婿だと思うことは問題ないということです。 そのようにしてこそ、国境がなくなり、怨讐がなくなるのです。そのいちばんの近道がそこにあるということが分かったので問題ありません。いつでも「オーケー」です。分かりますか? 今からの課題は、自分にどのような願いがかけられたとしても、それを断行することができるかどうかです。「息子に対して、妻に対して、娘に対して、新しく願われることがあれば、天下を改革するためならばどのようなことでもできる」ということです。分かりますか? (「はい」) 先生は、側近をすべてそのように整理していくことができるのです。何のことか分かりますか?。分からなければ、石にしがみつくように自分の頭をかかえて祈祷してみるのです。その心情が分からなければ、真の父母を解放することができる安息基盤の礎石を置くことはできません。そのようにしてこそ、神様を解放する根源ができるというのです。西洋人には考えられないでしょう。 真に分かりました (「真に分かりました」)。今までは真に分かりませんでした。(「真に分かりませんでした」)。どのように生きるべきなのか分からなかったのですが、怨讐を愛することは何でもありません。怨讐に家を買ってあげ、怨讐に福を与えてあげることは何でもありません。 怨讐の国の王が敗亡し、その一族をすべて生かしてあげるための道を、自分が責任持たなければならない立場に立っているということを知らなければなりません。サタンの王宮を尊重視することのできる価値(観)を持ってこそ、サタンが千年、万年屈伏するというのです。そこに「怨讐だ」という心があれば、「いつか復讐してやる」という心が消えないということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか? (「はい」) 今まで、真に分かりませんでしたが、今では本当に分かりました。万物を愛し、昆虫、魚、万物から人類全部を愛するのです。私たちの園は、百八十五か国の孤児と、その国の王子王女が暮らす園にならなければならないというのです。そのような家にならなければなりません。 神様は、その複雑な環境を成して地上天国をつくっているという大王陛下なのです。一つの園、一つの国の国境内において、一つの大陸内においてそれを成し遂げることは問題ありません。分かりますか? (「はい」) アメリカの国民が「オーケイ、オーケイ」と言うのは、「オー・キング」という、そのような意味があります。先生を中心として「オー・キング」の位置で、世界のどこでも、天国のどこにでも通じることのできる道を相続させてあげても嫌だという国民は、どのようになりますか?。滅びる兆しが見えるというのです。 あなたたちはしっかりして、このような膨大な「ために生きる」愛、ろ過器を通るために、ために生きなければなりません。なぜですか?。浄水になるためには、すべて投入して忘れるのです。 世界を一つにするためにどのようなことでもする、このように「より、ために生きよう」という人は、その人からために生きてもらった人たちが、その人を父のように侍り、女王のように侍り、神様のように侍るのです。アーメン。(「アーメン」)。分かりますか? ために生きると、「私」を受け入れて、中心の位置に立てるのです。それゆえに、「父の代わり、王の代わり、神様の代わりに、永遠に絶対ために生きよう」という位置には、父の代わり、国の王の代わり、神様の代わりに侍ろうと思うので、そのような位置を経た人たちは、神様の直属の息子、娘になることができるのです。それゆえに、天の国に行って王子王女、皇族の中でも主流の皇族になることができるのです。アーメン。(「アーメン」) 万物からために生き、人間のために生き、そのようにして新しい水、浄水のようになって、すべての人が浄水のようになって王の位置まで上がっていくためには、ために生きて、ために生きるのです。 そのようにすれば、すべてのものが逃げていくのではなく、すべて一つに集まって自分を中心存在として侍ろうとするのです。天運が、天の運勢が訪ねてくるのです。ですから、それを収拾するまで時間がかかるだけであって、継続していけば天運が「私」に侍って、中央の位置に立てるというのです。 徒党を組んでけんかをし、民主主義の大統領、共産主義の大統領になろうとすれば滅びるのです。自然屈伏して整理され、自分を中心として、天運とともに侍ることのできる中心が環境的条件に設定されれば、この世界は天の国の王圏とともに地上の王圏が、千年万年続く幸福と平和の基地となるのです。アーメン。(「アーメン」)。神様解放、真の父母解放、万民解放、万宇宙解放、神様の本然の……。 ブラジルに行けば、ホテルアメリカーノ(支店)は基礎聖地、「源焦聖地」です。「源焦聖地」とは何かというと、神様の創造理想の聖地です。それから何ですか? 「根源聖地」です。 人類歴史の根源は堕落です。堕落を知らなければなりません。神様を失ってしまったのです。父母を失ってしまい、すべてを失ってしまいました。神様を失ったので、地を失ってしまい、家庭の父と母を失ってしまいました。根源を知らなければなりません。「根源聖地」です。堕落した道です。 それから「勝利聖地」です。蕩減復帰勝利完成を成さなければなりません。そのような三つの名称を持った聖地を決定したのです。ですから、その家庭を中心として祝福家庭四十日修練を中心として、その運勢に従って、源焦基準の解放者であり、根源基準の解放者であり、勝利基準の解放者として、南北統一とともに入籍時代を再び準備するのであり、今この時は、先生が世界的な運勢をすべて決算する、そのような時であるということを知らなければなりません。アーメン。(「アーメン」) それゆえに、霊界と肉界の統一、地上世界の統一、そしてアメリカにおける朝野、上院と下院の統一をするのです。宗教と国の統一、このようなことを清算しなければならず、今年六月を中心とした、新しい統合運動を全世界的に提示しなければならないのです。そのような集まりの出発が、今回の第三十八回「真の万物の日」に参加した皆さんが待っている時間なのです。アーメン。(「アーメン」)。ですから、意義深いというのです。 解放の位置において、愛の主人である神様の位置に立って万物を愛して食べ、食べて愛したその万物は、神様と万物と人類全体を愛することのできる位置から本源地に帰っていくのです。そのことによって、地上、天上天国解放の天地、万事が「オーケイ」となり、「キング・オブ・オーケイ」時代が来るのです。アーメン。(「アーメン」) わたしたちは、そこに向かって突進します。前進しますか、突進しますか? (「突進します」)。前進ではありません。突進です。跳躍しますか、飛躍しますか? (「飛躍します」)。エレベーターのようにさーっとです。エレベーターに乗って昇っていかなければなりません。そのような時が来たのです。 家庭の基盤を築いてあげ、国の基盤を築いてあげ、世界の基盤を築いて、神様の玉座の前にさっと……。自然の世界で暮らしながら動物たちに命令して、あらゆることをする人を何と言いますか?。ターザンです。ターザンとは何ですか?。乗り回す商売がターザンです。上手に乗るではないですか?。猿も他の動物も、ターザンの声さえ聞けば、朝から集まってくるのです。 神様の前に、神様の息子、娘に代わるターザンになって「アーアーアー」と言えば、全世界がわあっと押し寄せてくるのです。このようにすることのできる所が、一つに統一された天国であったのです。そのような「ターザン王宮のターザン王」になるためのものが、統一教会の飛躍する者たちがしていることなのです。アーメン。(「アーメン」)。千年、万年、アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.10
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完全整備時代成約八年 2000年4月30日ニューヨーク州・ベルベディアニューヨーク州のベルベディア国際修練所の聖日礼拝で語られたものです。 アメリカの人たち、手を挙げてください。(日本人が多いのをごらんになって)ここは日本の教会ですね。英語で話さずに、日本語で話さなければなりませんね。(笑い)第二次大戦の時はアメリカが勝ちましたが、信仰の世界においては完全に日本に負けていますね。 なぜ、そのようになったのでしょうか?。イギリスが責任を果たせなかったからです。イギリスが責任を果たせなかったので、そのようになりました。イギリスがエバ国家だったのですが、その責任を果たせなかったのです。イギリスは母親で、アメリカは息子です。母子が責任を果たせませんでした。それゆえに、イギリスの代わりに、怨讐の国である日本を選んでエバの国として立てたのです。 なぜ、日本を選んだのでしょうか?。日本は島国です。島国は、いつも大陸を慕うのです。ですから、その島国のエバが訪ねていくべきところは大陸です。しかし、一人で大陸を訪ねていくことはできません。息子を立てて訪ねていかなければならないのですが、その息子が何かというとアメリカです。母親と息子が一つになり、来られる主を迎えなければなりません。ところが、これが一つになって来られる再臨主に反対しました。蕩減です。 アメリカはキリスト教国家であり、イギリスはアングリカン・チャーチ(英国国教会)ですが、アングリカン・チャーチは完全な新教とは違います。ですから、旧教との中間にいるイギリスとアメリカが母子の関係で一つになり、ヨーロッパとアメリカ大陸を一つにして、来られる主を歓迎していたならば、世界は統一されるのです。 これは、エバが堕落し、長男がみ旨を破壊して殺戮戦が起きたことを蕩減するためのものであり、アメリカとイギリスが一つになり、来られる主と一つの家庭的基準において連結し、世界家庭、世界国家、世界天宙家庭形態を成し遂げるべきなのです。ところが、これを成し遂げることができなかったので、すべてを失ってしまいました。このように、サタンがこれを占領して頭をつかんでいるので、怨讐の国をエバ国家として訪ねていって天の前に立てたのです。東洋に帰ってきたのです。 日本は、イギリスの文化を受け継いでいます。そして軍隊はドイツ、法はイタリアから吸収しました。ヨーロッパの新しい文化を完全に受け継ぎ、アジアにおける新しいヨーロッパとして立つことのできる基準を持って現れたのです。そうしてサタン世界と共になしてきました。 イギリスとアメリカを握ることによって、サタンが頭を握るようになったので、しっぽに当たる日本という島国が選ばれたのです。それで、今現在に至るまで、ヨーロッパの経済問題、電子化などの問題、このような電子世界のすべての分野において日本が世界の記録を所有してきました。そうしてアメリカとヨーロッパのすべての経済圏、すべての技術を完全に日本が占領するのです。 一方、韓国は世界的アダム国家なので、いくら日本が頑張っても及ばないほどの潜在的力を持っています。ですから、日本が最も恐れるのが韓国なのです。技術オリンピック大会では、韓国が連続してチャンピオンを出してきています。そのくらい頭が優秀で、天才的な素質を持っている国なのです。韓国人たちは、世界のいかなる有名な会社がつくった物でも、それが市場に出てから同様な物を一週間以内でつくり上げてしまうというのです。 あれは、どこだったでしょうか?。アメリカ人をはじめとして西洋人が物を買う所です。(「梨泰院ですか?。」〈お母様〉)。梨泰院です。梨泰院では、世界のいかなる商店の物でも思いどおりに買うことができます。それも三分の一の価格で買うことができるのです。それゆえに、日本がいくら研究しても、三か月ですべて奪われてしまいます。 ですから、日本が最も恐れる所はどこですか?。中国を恐れるのではなく、韓国を最も恐れるのです。それは、技術的な面においてです。 第二次大戦以降七十年を過ぎれば、韓国では天才的な人たちがたくさん生まれるようになるので、すべての電子世界、インターネット、Eメールの世界における最高記録を持つことができる時代が来ます。ベンチャー産業において、今、韓国人が世界の最先端にいるのです。 IMF(国際通貨基金)問題で、いったんは産業が復興できなくても、このような電子世界のベンチャー産業が、韓国の難しいIMF経済問題を押し出して、乗り越えていくことのできる力を持つようになりました。しかし、世界的に一つの国家形態の組織以上に活動できる体制を持った所は、統一教会しかありません。(「アーメン」)。(拍手) アメリカの国務省も、それを認めています。世界の学者を集めることでも、大会を行うことでも、どのような大会を行っても、統一教会に太刀打ちできる国はありません。その活動が何か知っていますか?。神様が期待しているのは、統一運動です。ですから、わたしたちは何でもできるというのです。芸術分野や体育分野、すべての分野でわたしたちが……。 今、バレエでもそうではないでしょうか?。ユニバーサルバレエ、キーロフバレエ、リトルエンジェルス、これは東洋無形文化、西洋無形文化を代表するものです。また、体育分野でもそうです。体育分野でも一和天馬サッカーチームを中心として、すべての面において先頭に立っているのです。 それで今現在、先生は、南米のサッカーチームを中心としてアメリカとサッカー連合をつくり、世界的な体育分野までも組織化しようとしています。今から見ていてください。アメリカンフットボールよりも、サッカーがもっと大きく発展できるのです。これが世界的だからです。ブラジルも、指導できる能力がありません。それは今、先生がアメリカと連合して計画しています。 アメリカの高位階層、ヘッドたちを全部、教育しています。上院議員、下院議員、州議員、全員を教育していくのです。三日間ですべて回ってしまいます。今、「アメリカが世界一だ」と言う人々は、今後のアメリカが行くべき方向をつかむことができずに苦しんでいるのですが、わたしたちのみ言を三日間だけ聞けば、「やあ、これだ。新しいアメリカとして発展し、世界をリードしよう」と言うのです。 今まで、アメリカのワシントンで五次にわたって千五百人を教育しました。彼らは皆、上院議員、下院議員などのトップレベルの人たちなのですが、彼ら全員に火がついて「自分たちの州が一等になる」と言って、競争が始まったのです。 彼らを中心として全国的な教育を行い、放送局を通して教育することは簡単だと考えています。今まで、統一教会を覆い隠して聞くことができないようにしていたのですが、Eメールやインターネットで完全に公開されました。 さあ、このようなことを知っているので、今後、すべての分野において統一教会に太刀打ちできる国家体制もできていませんし、いかなる宗教団体もこのような膨大な基盤を備えた所はないということを、皆さんは知らなければなりません。 アメリカのCIA(中央情報局)やFBI(連邦捜査局)も統一教会を恐れています。しかし、統一教会が神様を中心としたキリスト教文化圏を背景にしているので、嫌でもしかたがないというのです。歓迎せざるをえません。 また、いかなる宗教も、いかなる教理をもってしても統一教会に太刀打ちできないということを知っているので、やむをえずに歓迎せざるをえないという段階に入ってきているということを知らなければなりません。 統一教会は、キリスト教の基盤の上に現れたのです。このことを知らなければなりません。それゆえにキリスト教は、統一教会を知らなくては旧教と新教が分からないようになっています。 今回の大会を通して、三日間学んで知ることによって、「今まで自分が三十年、五十年信じてきた旧教や新教が、すべてうそをついていたという事実が分かった」と言って、憤慨しているということを知らなければなりません。そのようになっているのです。ですから、どれほど恐ろしいでしょうか。問題は、頭の闘いなのです。 それでは、頭の最高の頂上はだれかというと、神様です。(拍手)考えてみてください。レバレンド・ムーンは、第二次大戦以降五十年間、これほどの迫害を受けながら……。どれほど複雑でしょうか?。その中から出発して世界の頂上まで上がってきたのです。 今は霊界と肉界です。霊界までもすべて直すのです。神様は思いのままになさることはできません。神様とサタンの闘いを、神様も止めることができず、サタンも止めることができません。 その闘いをだれが止めるのかというと、完成したアダムです。創造理想を完成した絶対夫婦です。それは何でしょうか?。四位基台を完成した絶対夫婦、家庭です。それが何かというと、真の父母の家庭です。真の父母だけが、サタンと神様の闘いを止めることができるのです。 神様に「あなたは、これこれこのような内容があるので闘うのでしょう?。」と伺い、「サタンよ、おまえは、これこれこうだから闘うのだろう?。」と言って、この二つの問題を解決すれば平和になりますね。平和にすることは神様でもできないのです。 それでは、どうすればよいのでしょうか?。人類をすべて取り戻して神様にささげるのです。そのようにすれば、どのようになりますか?。神様が解放され、サタンは自然屈伏しなければなりません。 そのようにしようとすれば、どのようにしなければなりませんか?。解決方案は簡単です。闘う人同士、神様の怨讐、サタンの怨讐同士が結婚することです。怨讐国家の間柄といえば、日本人と韓国人、ドイツ人とアメリカ人、旧ソ連人とアメリカ人です。分かりますか?。 それで今回、霊界にいる少年たちを結婚させてあげたのですが、彼らは霊界でも大きくなるのです。その霊界にいる十六歳以上の青少年たちを中心として結婚させるにおいては、必ず自分の父母の怨讐や、国の怨讐同士で結婚させてあげたのです。何のことか、分かりますか?。 なぜ、そのようにするのかというと、今まで霊界では結婚できませんでした。独身生活をしてきました。すべて別れているというのです。そして結婚させる力を持った人がいませんでした。神様も思いどおりにできず、サタンも思いどおりにできません。 これは、真の父母だけができるのです。なぜでしょうか?。サタンが偽りの父母となって、偽りの結婚をさせてきたので、真の父母でなければ、これを正すことはできません。神様もできず、サタンもできません。 偽りの父母をたたきつぶして霊界を取り壊し、地獄の門を閉めて天の門を開いてすべてを解放するのです。そして地上で自分勝手に結婚した人、それから法律上の名目だけの結婚のようなもの、フリーセックスのようなことをした者たちは、霊界で結婚できずにいますが、このような人たちをすべて結婚させてあげるのです。 彼らは、この地上にいる六十億人類を中心とした先祖の立場で降りてきて、サタン世界のサタンの手先に支配されているものをすべて清算してしまいます。先祖の位置で結婚し、地上にいる後孫をすべて逆さまに……。これからは、統一教会に入ってきて祝福を受けるように導くというのです。 サタンが主導して地上の人間や家庭を破綻させてきましたが、これを神側を中心として家庭を完成させるために、祝福によって正して整備してしまうのです。それで昨年と一昨年の二年間、霊界がどれほど統一教会を協助したか分かりません。世の中が随分と変わったでしょう?。 (「はい」) 今までは、「統一教会」という言葉を聞いただけでも嫌っていたのですが、今では「統一教会」という言葉を聞けば、自然と心が引かれていくというのです。地上にいる六十億の人類は、霊界の何千億の霊人たちが降りてきて、一人に数十人がついて押し出していきます。後孫がアベルですが、霊界は、アベルが祝福を受けることを手助けすることによって、アベルを立てて入っていかなければなりません。 地獄は何かというと、カインがアベルを殺して入っていきましたが、今回は、アベルが祝福を受けて本来の基準ができるので、霊界は従って入っていくのです。今まで霊界と肉界が混乱したのは、悪の活動舞台を完全に整備するためです。 先祖なので、天使長の位置で祝福を受け、後孫を連れて入っていきます。カインとアベルが分かれ、家庭破綻によって地獄と天国に分かれたものが、カインとアベルが一つになることによって天国と地獄が一つになるのです。分かりますか?。 (「はい」) それゆえに今後、統一教会に反対した人は、秋が来れば木の葉が落ちるように、すべて落ちるのです。整理されるのです。(「アーメン」)。(拍手)ですから、世の中で名前の通った人、お金があって政治勢力を持った人は、すべていなくなって水平になるのです。 今、アメリカも指導者がいません。世界をリードする人がいません。それでは、どこに行くのかというと、統一教会です。英雄や大胆でりっぱな人は、先に統一教会に入ってくるというのです。 ここにいる統一教会の人たちは、「アフリカに行きなさい」と言っても、「アフリカには行かない」と思いながらも行きます。「北極に行って開拓しなさい」と言えば開拓します。そうですか?。 (「はい」)。わたしは分かりません。(笑い)世の中のすべてのものが整理されるのです。霊界の整理、世の中の整理、きれいに整理するというのです。 さあ、ここで国際結婚した人は手を挙げてください。そうですか。手を下ろしてください。これからは国際結婚した人が出世します。今まで、国際結婚した人は悪口を言われてきました。しかし神様だけが、神様の真の愛だけが人種問題、国境問題を解決できるのです。 電球の中にあるフィラメントを見ると、それは真っ黒です。そこに電気が通ると黒いですか、明るいですか?。 (「明るいです」)。明るいのです。同じことです。神様の愛の光に照らされれば、黒人はもっと美しいというのです。 皆さん、七色の虹の光を一度に合わせれば、無色の白色光になります。同じことです。白人はそれです。白人は、虹の光を合わせたものと同じです。単純です。自分が一番高いと思いながら「わあ」と言っています。 虹の七つの色は、すべてその屈折率が違います。それをすべて広げることによって、宇宙の美を生みだすことができるのです。白(無色)では何もできません。白(無色)のペイントで絵を描いてみてください。それでは描いていないのと同じです。名作たりうるためには、白黒のめりはりが大きくなければなりません。分かりますか?。 昼があって夜があります。高い低いも同じことです。自然の理知に順応できない人は、除去されるのです。統一教会は、七色のカラーで展開させることもでき、一つにもすることができるのです。ですから統一教会がナンバーワンです。それは無色の白い光のようですが、ここを見れば五色(人種)のまばゆい光が輝いています。 白人と黒人が結婚することは悪いことですか、良いことですか?。 (「良いことです」)。そのようにすればどうなりますか?。 (「茶色です」)。(笑い)興味深いのです。愛するにおいても、頂上と谷が一つになるのです。 見てみなさい。ボクサーは黒人が強いですか、白人が強いですか?。 (「黒人が強いです」)。どれもこれも同じです。黒人が強いのです。最近では、サッカーでも何でも、すべて黒人がやっています。アメリカン・フットボールも黒人が強いのです。 イエス様が十字架を背負われたとき、シモンが代わりに十字架をずるずると引いていったということは、終わりの日に黒人たちが力の世界のチャンピオンになるということです。そして、歌なども同様です。 世の中は回っていくのです。ですから、白人は自慢してはいけません。白人絶対主義はだめです。そのためにアメリカが滅びつつあります。わたしは、それを救ってあげるために、白人たちを助けてあげているのです。 アメリカは新教の独立国家です。それは歴史に初めて現れたのです。そのために、わたしはここに来てキリスト教を生かすために苦労しているのです。三十年間、アメリカ人から反対されながらも、あらゆることをすべて行っているというのです。 アメリカを生かしてあげれば、白人だけでなく、黒人、世界の人類をすべて生かせるのです。キリスト教文化圏を生かさなければなりません。その責任をアメリカが持っているのです。 さあ、それでは、レバレンド・ムーンがそのような内容を持ってきて、それを行ったでしょうか?。最近それが明らかになってきたのです。それを それでは、どのようにしなければならないのでしょうか?。わたしがアメリカについて行かなければならないでしょうか、アメリカがわたしについて来なければならないでしょうか?。 (「アメリカがお父様について行かなければなりません」) レバレンド・ムーン一人とアメリカ政府とで、被告のレバレンド・ムーンと原告のアメリカ政府と闘ってだれが勝ちましたか?。 (「お父様が勝ちました」)。では、気分が良いですか、悪いですか?。アメリカの人たち?。 (「気分が良いです」)。なぜですか?。今のアメリカは死に、復活したアメリカが生まれるのです。 ですから、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」のです。そのような死なざるをえないアメリカが生きるためには、真なる神様でなければ生かせる道理がありません。それならば、どうなりますか?。 アメリカ人は、「レバレンド・ムーンは死ね」と言いながら、ありとあらゆることをし尽くしましたが、「死ね」と言われたレバレンド・ムーンは、この怨讐の国を生かすために今まであらゆる苦労をしながら、この国の人々を生かそうとしました。そうして、レバレンド・ムーンに希望を持つことができる道を開拓してきたというのです。それは驚くべきことです。(拍手) 何をしようとして、レバレンド・ムーンはここに来て、このようなことをしているのですか?。あなたたちが一銭のお金でも助けてくれましたか、どうですか?。悪口ばかり言って、あらゆることをしたというのです。 レバレンド・ムーンは三十年間、死ぬほどの苦労をして、なぜこのようにしているのですか?。そのようなものを韓国で使えば、韓国を生かしても余りあるはずなのにです。そのような韓国を捨ててまでも投入してきたのです。 アメリカは、神様が初めて新教国家を立てられた独立国家であり、世界を指導することのできる位置に置かれたのです。そのようなものが、すべて崩れていくことを知っているので、このようにしてきたのです。 それは何でしょうか?。第三イスラエルは何かというと、神様の祖国です。神様の祖国がありません。神様の祖国をつくろうとしたのですが、完全に崩れてしまったというのです。分かりますか?。 それで三十年間犠牲になりながら、今、アメリカの宗教界がレバレンド・ムーンに反対できない段階に入ってきました。ですから、今から教派主義を捨てなければなりません。教派とは何ですか?。アメリカ人は、すべて個人主義になったのですが、教派も個人主義になっています。アメリカを生かすためには、あなたたちが連合教会をつくらなければならないというのです。今、その運動を行っています。そのようにしなければ、アメリカを救うことはできません。 全世界に根を張ったキリスト教を再び生かすためには、この巨大なアメリカという国が正しく立たなければならないので、キリスト教を生かすために、レバレンド・ムーンはこのようなことを避けることができず、せざるをえないということを知らなければなりません。 そして、皆さんが知らなければならないことは、統一教会が霊界に対して明確に知っているということです。理論的に知っているのです。今後、皆さんが知らなければならないことは……。 あの大きい木がありますが、大きい木が貴いのですか、木の大きな根元が貴いのですか、見えない根が貴いのですか?。 (「根です」)。根です。今の時は、根の時代が来たのです。 インターネットで「世界で最高に良いものは何か?。最高に価値のある根が何か?。」と問う、このような時代になったのです。すべてが分かるようになっているのです。統一教会の原理のみ言や、今まで秘密にされていた話をインターネットを通して公開すれば、これを見れば人々の頭が……。最高の知性人たちが関心を持つでしょうか、持たないでしょうか?。持たないですか、どうですか?。 (「持ちます」) はちが一度みつを味わえば、尾をつかみ取っても、羽が落ちても、それを放そうとはしません。統一教会の教会員たちは、真理のみ言が分からなくて、すべて背いてしまったのではな この真理のみ言が世界に明らかになるということを考えてみてください。数十年前からの歴史です。五十年間してきた秘密の話が、すべて明らかになるのです。ですから、世界が完全に統一教会の網に引っかかるようになっているというのです。 あなたたちはどうですか?。高等学校、大学に小学生のような者たちが来て座っているというのです。どうですか?。あなたたちがしっかりしなければ、世界の最高の知性人たちが、連結された言論人たちがにおいをかいだときには、あなたたちよりももっと先に来るのです。 レバレンド・ムーンが話をするといえば、数万人の記者たちが早朝からここに来て座り、ここは取材しようとやってきた人でいっぱいになり、大騒ぎになるのです。世界の言論界で、「レバレンド・ムーンに対してインタビューしたくない」と思う人がどこにいますか?。世界の言論界から数万人が走り寄ってくるのです。そのような宝を持っているのです。 ここにいるあなたたちは、先生が「これをしなさい」と言えば、「ああ、また苦労ばかりさせて、何がどうだ……」と言っていますが、ダイヤモンドや黄金のある洞窟を探すことがどれほど大変でしょうか?。 統一教会がインターネット上に霊界までものせ 今の時は、源泉となるものが問題です。第一の原料が問題です。原板が問題です。写真でいえば、原板が問題だというのです。ですから比較できるものがありません。たたけば、すべて壊れていくのです。オリジナルは壊れません。統一教会の思想に勝る思想はありません。 統一教会で主張する真の愛に太刀打ちできる者はいません。真理と真の愛、愛と真理、この二つです。真の愛と真なる真理です。この二つですべて終わるのです。ですから、神様までも真理を逃してはならず、神様もこの愛を逃してはならないというのです。レバレンド・ムーンがこの愛をしっかりとつかんでいれば、神様も「嫌だ」と思いながらも逃げることができずに、ピタッとくっついているのです。分かりますか?。 (「はい」) それでは、神様がわたしに夢中になったでしょうか、わたしが神様に夢中になったでしょうか?。 (「ふたりともです」)。「ふたりとも」とは、どういうことですか?。ふたりのうちでどちらですか?。 (笑い) この二つの手の親指は同じですか?。主体と対象は同じですか?。神様の解放は神様にはできません。レバレンド・ムーンがするのです。サタンを自然屈伏させることは、神様にはできません。レバレンド・ムーンがするのです。 二つの世界を一つにすることができるというのです。怨讐同士が愛することができるようになり……。み旨を知って地上、天上天国がすべて成し遂げられ、天下を統一することが怨讐を愛することによってできるとすれば、それを知れば「ああ、わたしが先にする」と、こうなるようになっています。それを信じますか、信じませんか?。 (「信じます」) 先生は、頭が大きくて体がずんぐりとしています。女性が見れば、体を見ても良く、頭を見ても良く、体形を見ても良く、男性らしいというのです。運動ができないでしょうか?。できないことがないというのです。 先生は、霊界でもどこでも、すべて占領できる力も持っています。さあ、アメリカの女性たちも、先生のような夫を一人もらいたいと思う人は、手を挙げてください。(笑い)わわわわ。(笑い) 特別に女性たちがわたしを好み、そのことで男性たちはわたしを……。女性たちが皆、好むので、男性たちはわたしを嫌うのです。(笑い)女性たちは皆、レバレンド・ムーンの後ろについていこうとします。レバレンド・ムーンの後ろに女性たちがついていこうとするので、男性たちはその女性の後ろについてこなければならないので、どれほど気分が悪いでしょうか?。ですから、レバレンド・ムーンが反対されるようになっているのです。それゆえに、「祖母どろぼう」、「妻どろぼう」、「姉どろぼう」、「娘どろぼう」と、このような言葉があります。ですから反対するのです。このように、女性たちが皆、好むようになっています。 さあ、数多くの女性たちは、神様を好むでしょうか、好まないでしょうか?。 (「好みます」)。なぜですか?。神様をなぜ好むのですか?。神様は男性格主体です。男性格主体なので、どれほど強く、どれほど格好良いでしょうか?。女性は何ですか?。対象です。神様は主体であり、女性は対象なので、対象が主体を好むようになっているというのです。そうですか?。 来られる主は何ですか?。真の父母は何ですか?。神様に似た主体です。ですから、たくさんの女性たちが好むというのです。それでは、レバレンド・ムーンは女性たちをどのように考えているのかというのです。女性たちを妹のように思っているのです。妹です。 そこには姉もおり、母もおり、祖母もいて、すべているのです。それは親戚です。一つの血族です。ですから悪いことはできません。こうしてついてくる女性たちを皆、教育し、憎んでいた男性たちを皆、教育し、女性が男性を教育し、相対をつくって祝福してあげて、天の国に連れて入っていくというのです。 皆さんの夫は、天使長の立場なのです。それを皆、天使長ではなく、アダムの代身者にして結婚させてあげるのです。これが祝福です。それゆえに、祝福を受けなければ天国に入っていくことはできません。 さあ、きょうは何の日ですか?。 (「日曜日です」)。日曜日なのですが、四月の最後の日でしょう?。一年の三分の一にお別れする日です。お母様も、五月八日には南米に行かなければなりません。ですから、四日にはここを出発しなければならないのです。 さあ、それを見ると、先生は悪い夫ですか、良い夫ですか?。 (「良い夫です」)。「良い夫だ」と言いますが、お母様を世界の前面に立てて、困難な講演をさせるのが良い夫ですか?。 (「はい」)。なぜですか、どうしてですか?。 先生に接ぎ木してあげなければなりません。このくらい上がってきたら、同じ位置に立ててあげなければなりません。分かりますか?。七年間で、先生が生涯かけて備えた歴史的なすべてのものを相続してあげるのです。 お母様が語ることは、お母様が発見したのですか?。それはだれのものですか?。 (「お父様のものです」)。それを上げるのです。それでお母様は上がっていくのです。 今回、韓国では南北統一……。祖国を取り戻すべき時が来ました。南北統一です。南北を統一することのできる前進大会を行い、それを日本で四か所、アメリカで十二か所、南米で十二か所、(その他、ヨーロッパなどを含めて)合計四十か所をお母様がすべて行うのです。それを母親として、世界のすべての人々を子供たちのように結ばなければなりません。 南北米はカイン、アベルの関係です。これを中心として、世界に対してもカイン、アベルの関係です。それで、さっと帰ってきて……。今回のこの講演は、女性たちを前面に立てるためのものです。すべての女性たちは、すべて同じレベルです。 女性は、今からお母様とともに世界の男性たちを教育する責任時代が来たのです。子女として責任を果たさなければならない時が来ました。それで統一教会のお母様が、その分身としてあなたたちを送り、このような講演をするのです あなたたちはお母様の代身です。そのバトンを受けて世界の果てまで行くのです。母親のように教育するのです。そして母親たちが一つになって、天使長である男性を引っ繰り返して打ち込むのです。このようになるのです。アダムをつくって、お母様にかき抱いてもらうようにするのです。共産世界と民主世界はカインとアベルです。 天上でも同じです。真のご父母様を中心として入れ替わって、天国に入っていくのです。サタン世界の男性たちは、すべて天使長の分身です。政治、国というものは、宗教を迫害して殉教させ、血を流させてきました。この怨讐を、宗教圏で消化させて天の国に連れて行くのです。それで、天使長は天使長の位置に、アダムはアダムの位置に、神様の直系王圏を中心として、神様の皇族圏を中心とした体制を立てるので 霊界と肉界をはっきりと知っているので、今からは人間が堕落しようとしてもできない時代に入っていくのです。理論的にそうです、理論的に。分かりますか?。 (「はい」)それで女性解放をしなければなりません。統一教会の食口の中で高等学校以上、大学を出た人たち、専門大学以上を出た人を全員集めて再教育しなければならないというのです。分かりますか?。そして、すべての男性たち、いかなる国の王から長官まで、すべて教育しなければなりません。 そのように見てみると、堕落していないエバの位置に立っているので、天使長世界にいる男性たちは皆、我知らず引かれてくるようになっているのです。何のことか分かりますか?。女性が天使長に逆さまに引かれていったので、女性が蕩減復帰しなければなりません。そうしてこそ、女性たちが解放されるのです。分かりますか?。 それゆえに今、お母様が世界の四十か所を中心として最後の講演を行っているのです。男性世界や女性世界にお母様が登場することができるように、お父様が築いたすべての権限を、「真の愛の実践」とも言える巡回を通して七年間ですべて渡してあげるのです。分かりますか?。それをしなければなりません。 今後、国連を通して大移動が起きます。大移動が起きるというのです。国連に対するNGO(非政府組織)活動も、世界のいかなる国にも負けないものとなり、国連が認めざるをえなくなってきているということを知らなければなりません。あなたたちが知らないことをしているのです。知らない人は平安でしょう。(笑い)知っている人は実践しなければなりません。 このようなことをコントロールできる頭が先生になければならないのです。責任を持つということは易しくありません。先生を見れば、ばかみたいに見えるでしょう?。 (「いいえ」)。世の中がいくら悪口を言っても、目をつむって……。 先生は生涯、そのように生きてきました。そして今、目を開けてみると春の季節になっていたのです。目を開けてみると統一教会が、「ああ、レバレンド・ムーン時代が来たなあ。天地が歓迎するのだなあ」という状況になっていたのです。(拍手) そのようになろうとすれば、あなたたちが正しい種から育った木になったのか、そうでなければ接ぎ木した木になったのか、この二つのうちどちらか一つにはならなければなら それでは、きれいになりましたか、どのようになりましたか?。このハドソン川の水は流れている水ですが、それがきれいな水になるためには、何回濾過装置を入ったり出たりしなければなりませんか?。 (「何回も出入りしなければなりません」) それでは、皆さんは「自分は一度濾過装置に入っていって出てこなければならない」ということを感じたことがありますか?。 (「はい」)。何回ですか?。一度もないというのです。濾過すれば、どれほどかすが多いでしょうか?。しっかりしなければなりません。霊界に行けば、赦されないというのです。ここでは分からないので、すべて覆ってぐずぐずしていますが、霊界では、そうはいかないのです。 あなたたちが霊界に行けば、先生が行く霊界に行くのですか、どの霊界に行くのですか?。 (「真のご父母様が行かれる霊界に行きます」)。真の父母とは、何の真の父母ですか?。アメリカ人は、アメリカ人が行く所に行くのではないですか?。 あなたたちは、先生がアメリカナイズされることを願いますか、あなたたちがレバレンド・ムーナイズされることを願いますか?。 (「レバレンド・ムーナイズです」)。(笑い)言ったら、それでおしまいなのでしょう?。 「ムーナイズ、ひひ」とは何ですか?。 「ムーナイズ」と言わなければならないのに、目をつむって「ムーナイズ~」と言うのをだれが信じますか?。ムーナイズ (「ムーナイズ」)。目をつむって言ってはいけないというのです。(笑い)笑いごとではありません。どのくらい濾過しきらなければならないのでしょうか?。汚水と言っては、よくないでしょう?。自分勝手に生きた川の水と同じです。 皆さん、ラジオやテレビなどの受信機を持っているでしょう?。それらは、カラーで見たとしてもきれいなものを願い、音がきれいなものを願うでしょう?。 (「はい」)。どちらですか?。一番良いものを願うでしょう?。そのようにしようとすれば技術が必要であり、複雑な装置をすべて経ていかなければなりません。その技術は自分が知っている この中で大学を卒業した人は、手を挙げてください。高く挙げてください。今回、世界じゅうに行って「訓読セミナー」を行い、全員そのようにしなければなりません。それをしなければなりません。 世界の国々は、アメリカの女性を好みますか、東洋の女性を好みますか?。東洋の女性の中で、日本の女性を好みますか、中国の女性を好みますか?。どちらですか?。 (「中国の女性を好みます」)。「中国の女性を好む」と言うのを見ると、中国人のようですね?。 (笑い)それではいけないというのです。国際結婚です、国際結婚。(笑い) 世界が統一されるのは簡単です。西洋と東洋が完全に交差結婚すればできることであり、ロシアと中国が怨讐なので、交差結婚すればよいのであり、韓国と日本が怨讐なので、交差結婚すれば世界は平和の世界になるのです。 さあ、それでは、その子供たちは、頭が鈍くなるでしょうか、スマートに(賢く)なるでしょうか?。 (「スマートです」)。なぜスマートですか?。それは渡り鳥と同じです。南の方で暮らして北の方に行き、北の方で暮らしていたものは、南の方に行って交流しながら結婚するのです。そのようにすれば、優秀な種が生まれるのです。それゆえに、統一教会は国際結婚するので、今後、世界を指導することのできる天才的な人々がたくさん出てくるというのです。 あなたたちは「国際結婚したので良くなる」と言っていたでしょう?。本当にそうですか?。 そのようになるというのです。(「ありがとうございます」)。(笑い)三代かけて国際結婚すれば、天才が生まれるというのです。世界を指導する人が生まれるのです。 統一教会では、国際結婚することが伝統になっているので、天才的な後孫がどれほどたくさん生まれるでしょうか?。世界を統一教会の人たちが指導せざるをえない時代になるのです。これは理論的です。そのような意味で、世界はわたしたちが神様のみ旨の中で指導するというのです。神様の秘密の結婚方法を行っているので、神様が主管なさることのできる世界は、わたしたちの後孫たちが治めるのです。アーメン (「アーメン」)。(拍手) ですから、今から二〇〇〇年度さえ越えれば、先生は、国際結婚した人を統一教会の指導者としてたくさん選択するのです。(「来年を越えればですか?。」)。四年だけ過ぎればです。分かりますか?。国際結婚です。 今後は、自分の後孫が十代目くらいになれば、「何か国の人の血が混ざって一族を形成しているのか」ということを中心として、たくさん混ざっているほど、そこに天才的な人たちが集まるというのです。そしてこれからは、一族で約百の家庭が暮らして、それが一族だというとき、そこにいろいろな国の人々が入ってきて暮らすのです。 それでは、そのように暮らす人たちの中で、イギリス人は英語を話せばよいと考え、ドイツ人はドイツ語を話せばよいと考えるのですが、どこの国の言葉を使わなければならないでしょうか?。 (「韓国語です」)。そうですか?。なぜ韓国語ですか?。 (「真のご父母様の言葉だからです」)。では、あなたは英語を話していますか、韓国語を話していますか?。 (「英語です」)。ですから、言うことと実際が違うではないですか?。 これからは、必ずそのようになるのです。遠からずです。今、一世、二世、この人たちは、すべて国際結婚です。それは、神様が願われるのです。そのようにしてこそ戦争がなくなるのです。このようになるのです。分かりますか?。 (「はい」) それゆえに、三か国語は話さなければならないというのです。その三か国語は、自分の国の言葉まで合わせれば、四か国語でしょう?。 (「わあ」)。そのようになれば、どこに行っても通じることができるのです。そのようにしながら、後で言語が統一されます。一つの言葉を使うのです。 さあ、それでは今、先生のみ言が三百巻以上の本になっているのですが、続ければ、どれほどたくさん出てくるでしょうか?。皆さんが読もうとすれば、原語を読まなければなりませんか、翻訳した本を読まなければなりませんか?。 (「原語です」)。なぜ、どうしてですか?。 翻訳したものを読んだ百人の教授がいて、原語を読んだ一人の人がいたとすれば、原語を読んだその人が、たとえ知的に劣っていたとしても、その人の言葉を聞かなければなりません。知的に劣っていても、その人の言葉を聞かなければならないというのです。「原語がこうなのに、翻訳したもので何を言うのか?。」と言えば、静かになるのです。 韓国語は、言語学的な面で世界的に最高の基準にあります。発音できない言葉がありません。優秀なのです。このミスター金キム(金キム孝律ユル氏)も、途中から英語を学びましたが、彼が発音して聞き取れないアメリカ人はいないというのです。 韓国語は優秀なのです。宇宙の言葉のすべて、四十九億の発音ができます。英語は何でもありません。日本語もそうです。それゆえに、だれもが韓国語を学ばなければなりません。 また韓国語は、どこの国の言葉でも、その発音を韓国語で書いてそのまま読めば、そのまま聞き取れるのです。しかし、日本語で書いても聞き取れません。英語で書いても聞き取れません。何度もしなければなりません。 ですから、日本人が外国語を学ぶのに苦労するのは何なのでしょうか?。韓国人は、どこの国に行っても一年で、すべて通じることができるのですが、日本人が発音しても聞き取れません。一度発音して聞き取れないので、どんどん前進するのではなく、後退するのです。韓国人は聞き取れるので、話せば話すほど面白くなって、どんどん前進するのです。 McDonald を日本語では「マクドナルド」と言うのです。聞き取れますか?。 (笑い)その言葉を発音できないのです。「マクドナルド」とは何ですか?。速く発音しても合わず、ゆっくり発音しても合わないのです。分かりますか?。 ですから、あなたたちの子供を「国際結婚させない」という人は手を挙げてください。イギリス人とアメリカ人はお互いに避けていますが、そのような人もどうなると思いますか?。 (「します」)。これは異端者でしょう。(笑い)何であっても良いのです。神様が喜ばれるのです。宇宙の大将が喜ばれるので、わたしがそのようなことをさせて滅びずに成功したというのです。 頭の悪い人が統一教会を信じることができますか?。 (「できません」)。今回も、ロシアと中国とアイビーリーグ(ハーバードやエールなどの名門大学を含む米国東部の大学リーグ)の四百人以上を教育したのですが、競争が起きました。そして三つの国を中心として、これから若者層をどのように教育していくのかというのです。 世界の学生たち、世界の知性人たちをどのように指導するのかということを中心として連結しようとするので、中国とロシアが大騒ぎになりました。すべて試験をするのです。英語がうまく、成績が良い、そのような人たちを選ぶのです。 それから、アメリカ人とロシア人を中国に連れて行って教育し、ロシアでもう一度そのようにして、三回だけすれば、どのようになるでしょうか?。社会主義や共産主義、どのような主義もすべて超えて一つになるのです。神様主義なのです。 中国だけでも二十五の大学があり、ロシアもそのくらいになります。み言の教育を受けさせるために「天才的な人たちを選ばなければならない」と言いながら、大使館では大騒ぎしているというのです。ロシアでもそうです。そして、どのような教育をするのかということに関心を持っているのです。 彼らは、レバレンド・ムーンがロシアや中国で教育している内容を知っているので、「レバレンド・ムーンが教育するものは心配ない」と言っています。そしてお互いに競って「教育を受ける」と言っています。(拍手)レバレンド・ムーンが好きだというのです。 さあ、それでは、中国の学生とロシアの学生が感動するのと、アメリカの学生が感動するのを比較すれば、どちらが、より感動するでしょうか?。ここにいたアメリカの学生は、「レバレンド・ムーンが悪い」といううわさを聞き、どうだこうだと、あらゆるくだらないことを聞いていました。 そのような人たちと、全く純潔な人たちが来て教育を受けて感化されるのとは、どちら側がより感化されるでしょうか?。それが問題なのです。(「中国、ロシアの人です」)。中国人とロシア人です。 それでは、アメリカ人は何ですか?。アメリカは頭ですか、しっぽですか?。学生で世界的な組織をつくれば、だれが、その長になるのでしょうか?。そして今回、カープ(CARP= 世界大学連合原理研究会)活動を中心として顯進を立て、全世界のカープ責任者たちは、どの国でも中心的な責任者になり、カープを中心として若者たちや学生を完全に指導するのです。その準備をするのです。(「顯進様は第三メシヤです」)。(笑われる)第三メシヤですか?。 あなたはメシヤが必要なのですか?。第四次アダム圏時代に入ってきたのに、メシヤが必要なのですか?。分かりますか?。 「第三メシヤ」という言葉を使っています。(笑われる)メシヤは必要ないというのです。(「これ以上のメシヤは必要ありません」)。そうです。父母がメシヤです。メシヤは神の国の王です。分かりますか?。 これからは国境を越えて思いどおりに……。国連で国境を撤廃し、思いのままに行って暮らさなければなりません。すずめがアメリカでも暮らすことができ、どこに行っても暮らすことができることと同じです。ですから、旅行しながら暮らさなければなりません。 したがって、船の操縦もでき、飛行機の操縦もできなければなりません。今回、(真のご父母様ご聖婚)四十周年記念ストライプトバス釣り大会をしたので、パンタナール、コディアク、世界百八十五か国で釣り大会をすることができるのです。その準備をしています。 そこに参加したことは歴史的なことなので、皆さんの子供や後孫たちが「お父さんとお母さんは第何回の参加者ですか?。」と聞いてきたときには、どうするつもりですか?。参加しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか?。 (「しなければなりません」) 南極でも北極でも、どこでもしなければなりません。(「はい」)。北極も良いのです。しろくまをハンティングすれば、どれほど良いでしょうか?。問題ないというのです。できますか?。 (「はい」)。良い響きですね。(笑い) さあ、その話は終わりにして、国際結婚です。(「はい」)。間違いなく、そのようになるのです。一部落に百二十か国の人が来て暮らしたとしても、呼び笛をピューと吹けば、一族のように動くのです。 それでは、そのように理解して、皆さんが「国際結婚」と「後孫たちを世界に送り出す」という約束をして四月を送り、希望の五月と夏を迎えて繁栄に次ぐ繁栄を神様が願われるように、わたしたちはそのようになるべし。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) ところで、女性の乳房はいくつありますか?。一つですか、二つですか?。 (「二つです」)。二つです。それでは、ここで、右側には白人の赤ん坊、左側には黒人の赤ん坊、もう一人は黄色人の赤ん坊がいるのですが、どのようにしますか?。 乳を飲ませながらチュッ、チュッ(キスするまねをされる)と、このようにかき抱くことができる姿、このような歴史における人種を愛する最高の傑作品の写真をだれが先に撮るのでしょうか?。これが先生のなぞです。 ふたごではなく、三つ子でもよいのです。それは傑作品だというのです。天の国の博物館の第一等の位置に行くのです。(「アーメン」)。それを研究してください。「わたしの何代目の後孫はそのようになることを願います」と思って、精誠を尽くすのです。 さあ、白人の女性がそのようにするのがよいでしょうか、黒人の女性がそのようにするのがよいでしょうか?。 (「オールカラーです」)。いいえ、オールカラーよりも黒人カラーです。なぜですか?。白人たちは嫌がるのです。それが習慣になっているというのです。そうなのです。そのような習慣性があるのです。本当です。 それゆえに、ここで人種差別する人は頭がおかしい人です。いくら醜い黒人の女性であったとしても、高い霊界に行けば美人の中の美人になるのです。(「アーメン」)。「アーメン」ですか、「オンマ」ですか?。 (笑い) さあ、そのように理解して、年を取っている人は、子供に「産児制限をしないでたくさん生みなさい」と言ってください。たくさん生んで飢え死にしたとしても、たくさん生んだ人は、天国の良い所に行くのです。 そのように理解して、国際結婚を心で考え、そのようにできる人たちの福を祈ってあげ、国会議員たちは、そのような人を訪問しなければなりません。学びなさいというのです。そうしてこそ、霊界に行って問題がなくなるのです。数多くの民族が一つの所に行くのです。 それでは、アメリカにおいて黒人が統一教会にたくさん入ってくるでしょうか、白人がたくさん入ってくるでしょうか?。 (「黒人です」)。白人ではないことでしょう。白人は、すべて比較するのです。「わたしもこのように勉強したし、どうだこうだ」と言いながら、四方に照らし合わせてみたりするのです。率直ではありません。黒人たちは、口を開けて喜ぶことでしょう。 将来、アメリカの大統領には黒人がたくさんなることでしょう。どうですか?。 (拍手)レバレンド・ムーンの思想は、アメリカ人たちが受け入れざるをえません。遠くない将来において、そのようになるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.06
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真の御父母様の御聖婚「第二次四十年路程出発」及び「第四次アダム圏定着時代」宣布二〇〇〇年四月二十日、アメリカのイーストガーデンで、真のご父母様の「御聖婚四十周年記念日」の翌日にあたる四月二十一日、御聖婚四十周年を記念する「第一回釣り大会」に参加した韓国、日本、アメリカの指導者、百二十余名の前で、真のご父母様の聖婚「第二次四十年路程の出発」と「第四次アダム圏定着時代」が宣布された。 成約時代には、霊界を知らなければなりません。霊界を知らなければ、先生が分かりません。霊界を知らなければ、先生が手がける仕事を理解することができません。霊界の内容を中心としてこそ、相対的な世界にあって、歴史と共に蕩減していく過程をすべて理解できるのです。 蕩減するこの過程が、霊界の実相と相対的な関係によって変遷していくので、神様も意のままにできないのです。神様が教えることができず、人間も分からなかったことを、真の父母がきて告げるのです。天のすべてのことを整理できる責任を神様は担えないのです。真の父母が天に要求することによって、実相をすべて報告し、照らし合わせます。そうして、私たちの生活に一致させることによって、解放圏が展開します。先生が蕩減しておいたすべてに、そのまま乗っていってこそ、解放されるのです。 霊界はそのようになっているのです。ですから、霊界がそのようになっていることを知ることによって、解放されるのです。霊界の事実を知らなければならないのです。疑う余地がありません。 先生が話したことにつべこべ言うなというのです。教えてあげたその内容が、霊界に行けば、そのままの通りに展開するのです。事実なので、どうするのかというのです。「それ以上に信じる」と言えてこそ、霊界に行って、疑うことなく、その拡張された世界を理解できるのであって、この限界圏内に制限された内容の報告も信じられないならば、無限拡大世界の全体を信じることができないというのです。 歴史的に初めてのことです。ですから、今後、言論界に向けて発表しなければなりません。人類が今、霊界を知りません。霊的なことをすべて取り入れなければならないのです。共産党が反対しても何をしても、すべて事実なので、そのようにわきまえて、今回その新しい観念を抱かなければなりません。先生の「御聖婚四十周年記念日」のあと、「第二次四十年路程」が新たに出発する日がきょうです。四十年、御聖婚の記念日が過ぎて、四十年を新たに出発するにあたって、霊界の事実を新たに理解しなければなりません。過去の信仰と違って、確実に理解して、すべてのことを検証していきながら、自分の地上生活を合わせていかなければならないのです。 後孫たちが先祖を解放してあげなければなりません。その時代が過ぎ去れば、今後、先祖たちが来て、後孫たちを導くのです。今からそのような時代になるのです。先祖たちや霊界の祝福を受けた家庭がすべて来て、祝福を受けていない者も、祝福を受けて地上で暮らしている者たちも協助しなければならないのです。 ですから、先祖たちが願うのはみ旨の道であり、神様の創造理想の道なので、そこに適合しないときにはいくらでも制裁できるのです。神様の愛する子女が堕落することによって、地獄圏になったのと同じように、善なる先祖が皆、実体圏を中心として彼らの生死の境まで支配できるようになるので、善なる先祖に従わないわけにはいきません。さもなければ、必ず制裁があります。制裁しなければ、後孫たちの行いが先祖全体の道をふさぐので、制裁しないわけにはいかないのです。 蕩減復帰時代は母が協助する母子協助時代であり、完成時代は父子協助の時代です。神様と息子が一つにならなければなりません。同体です。一つの体です。父が願う通りに息子が行き、また息子が願う志を神様が叶えてくださるのです。それが愛です。愛の理想を神様が主導されるのです。 お金をもって、知識をもって、権力をもって闘うのではありません。愛の理想を中心として、天上世界に完全なる神様の血族として住める、その資格を地上で得られるように指導するのが父母の責任なのです。それができなければ、できなかった分だけ、父母が天の国に行って責任を追及されるのです。地上生活というのは、そのように貴いものなのです。 私たちが全国的に活動をして教育するときには、原理のみ言を中心として統一されて動くので、一つになり、闘わないのです。全羅道の者、慶尚道の者、北朝鮮の者、韓国の者とかいう境界線はないのです。一つになって進むのですが、サタン世界は、慶尚道や全羅道という地域争いが次第に熾烈になっていきます。南北が打つ手もなく、争いが次第に熾烈になっていきます。どんなに人間が調停しようとしても、できないようになっているのです。その世界で私たちが手本にならなければなりません。東西が全羅道と慶尚道です。南北が北朝鮮と韓国です。その次には霊界と肉界が反対になっています。 そうするには東西統一、南北統一すべきですが、これは何ですか? 上下関係は父子関係であり左右関係は東西です。そうすると、前後関係が霊界と肉界なのです。霊界、肉界が闘っています。霊界で闘っているのです。カイン、アベルの闘争歴史を抜け出す道がありません。それで地上で統一的な東西と南北を中心として克服し、手本を見せてあげて、霊界と肉界の家庭的に行く道を整えることにより、地上・天上天国が完成するというのです。 霊界が何かというと、善なる霊界と悪なる霊界とがカインとアベルの関係なのです。そして地上において東西、夫妻が共に一つになり、父子が共に一つになり、その基盤の上に……。一時代に上下・左右・前後をすべて総決算したので、今回真の父母が来られて「南北統一前進大会」を開くのです。ですから、慶尚道の人間であるとか、全羅道の人間であるとかいう地域争いは、統一教会にはありません。あってはならないのです。 そして北朝鮮から来た失郷民と韓国の人に隔たりがあります。その隔たりを抱いて生きます。慶尚道の群れ、全羅道の群れ、北朝鮮の群れ、韓国の群れという群れをなくさなければなりません。群れをなくすのです。これらが一つになってこそ、霊界の群れを決定づけることができるのです。 先生が上下関係、左右関係、前後関係、それから息子として見ると、カインとアベルを中心として、息子の中の息子たる長子権の責任、左右の父母のうちで真の父母、王権を中心として上下関係のこのすべてを、個人から世界まで統一的な基盤を築いておいたので、皆さんが真の父母を中心として絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、対等な立場に上がっていくのです。 完全なるプラスは、完全なるマイナスをつくるのです。そうした原則があるので、エデンにおいて神様が創造されるとき、絶対信仰によって創造されたのです。絶対信仰でつくったので、信仰の上につくった諸物は絶対愛の実体なのです。信仰の核にならなければならないのです。信仰の核になるのが愛の実体です。愛の実体、核になるといった場合の核は、何もせずに生まれたのではありません。絶対的に為に生きるところから生まれたのです。これが原則的な基準です。 それが家庭を中心として一つに定着するのです。上下関係、左右関係、前後関係に定着できるのです。完全に真の愛を中心にして核となったので、真の愛を中心として夫婦関係を定立し、子女関係を定立し、父子関係を定立し、最後に霊界にまで展開されると解放がなされるのです。 ですから、蕩減時代を消化し、神様の創造理想を中心とし、上下関係、左右関係、前後関係を中心として、定着することによって、「第四次アダム圏時代」が生まれるのです。蕩減時代です、蕩減時代。蕩減というのは蘇生、長成と上がっていくでしょう? これが縦的に蘇生、長成、完成となるので、長成級でサタン圏を終わらせ、完成圏で解放圏を越えて、本然の場に入っていくのです。 それで「第四次アダム圏時代」は縦的な蕩減時代、旧約時代、新約時代、成約時代の基準をすべて横的に展開することによって、旧約時代と新約時代、これが一つです。真の父母が来て、旧約の完成、新約の完成、成約の完成をすべてなしました。縦的な基準をすべて完成することによって、絶対信仰、絶対愛、絶対服従するようになると、旧約時代、新約時代、成約時代を経ていくのです。第四次アダム圏時代が何かというと、母子協助時代ではなく、父子協助時代です。母がいなくても息子が母を訪ねて侍ることができ、また父が母を訪ねて侍ることができるのです。 世の中でも孝子がいかなる者かというと、母が亡くなったならば、一人暮らしの父に対して、再婚させる者を孝子と言うのです。また真なる夫ならば、自分の妻が死んだからといって、そのままでいてはいけないのです。死んだ妻の代わりに蕩減役事をなして、その女性を解放させるために妻を得ることが善となるのです。 時代が違ってくるのです。これまでは母子協助時代でしたが、今は何時代? 父子協助時代です。父母時代ではありません。父母時代は母になりません。母が一つの体です。父と母が一つになっているなら、父と息子さえ一つにすれば良いのです。母はすべて体と同じです。 きょうから何が始まりますか?「第四次アダム圏定着時代」に突入するのです。ですから、絶対信仰です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。創造されるとき、神様がそのようにされました。何もない立場において「語った通りになる」と言われたのです。絶対信仰です。その「なる」ということ自体が愛の相対です。その愛の総意は、絶対主義というものなのです。 愛を中心として神様の属性を見ると、絶対、唯一、不変、永遠となります。「絶対、唯一、不変、永遠」というのは真の愛しかありません。父子関係、父の愛、それから、真の夫の愛、そして真の息子、真の兄の愛、これが三大愛です。それがすべて堕落することによって壊れました。長子権復帰、それから父母権復帰、王権復帰です。世界時代に分割して、これまでの歴史はカインとアベル、長子権復帰です。 長子権を復帰したあとに父母権復帰です、真の父母復帰。一九六〇年代に祝福結婚がなされました。キリスト教が支えていたならば、今のお母様がお母様ではありません。聖進君のお母さんがお母様になっていたのです。既成教会がすべて既成の信仰を中心に、北朝鮮から来た群れが、永楽教会を中心として統一教会に反対したのです。先生の家庭をすべて破綻させてしまいました。先生の一族をすべて破綻させてしまい、国をすべて裂いてしまいました。天地を、地上・天上世界を統一したすべてのものを再び裂きました。裂いたというのです。 ですから、先生は「真の父母」を宣布して、「真の孝子」を宣布しなければなりません。それで今回、「南北統一前進大会」において、八十歳以下のすべての人たちを「私の弟や妹である」と宣言しました。「弟や妹でない者は、手を挙げるように」と言いましたが、一人もいませんでした。皆が弟や妹になるというのです。「すべて女性は私の妹である! この女たち!」。妹に悪口を言ったからといって、気を悪くしてはいけないのです。数千年ぶりにお兄さんができたのに、成功したその権限をもって、女性たちが堕落しだのを、皆はんだ付けしてあげるためにそう言うのです。 女性がお兄さんを愛せず、お兄さんを夫として愛せず、夫を父として愛せませんでした。息子、娘を中心として教育するために、父に侍ることができるように母親が教えてあげなければならないのです。堕落したあとに何を失いましたか? 兄の愛、妻の愛、そして父の愛を失ってしまいました。父の愛に続いて祖父の愛があり、王の愛が出てくるのです。 その父に仕えることができ、父を敬うことができるように誰が教えてあげるべきですか? 母親です。母親が教えるのです!父から息子娘を授かったでしょう?息子は右側であり、娘は左側です。三人が一つになりますが、この三人というのは、母の中でカインとアベルが妊娠したのと同じです。性相と形状が神様の理想的な懐に抱かれるのと同じなのです。これを育てて神様に捧げなければならないのです。ですから、生まれて育つまでに成熟する期間が必要なのです。成熟して上がっていかなければならないのです。 女性たちが双子の息子と娘に乳を飲ませるときには、右の乳は息子に飲ませて、左の乳は娘に飲ませなければならないのです。息子を生んだならば、母が乳を飲ませるとき、左の乳を飲ませてはいけません。右の乳を飲ませるのです。右側の乳を飲ませてから、左側の乳を飲ませなければなりません。逆にやってはいけません。 ですから、母は息子と娘を育てなければなりません。息子と娘を育てて何をするかというと、父を愛することのできる教育をしなければなりません。それが何かというと、父を中心として一つになることです。夫を中心として息子、娘が一つになることを誰が教えるべきかというと、母親です。母親。地なのです。地は天の国の影と同じです。 時代が違ってくるのです。誰の名前で祈祷しますか? 皆さんが国に責任を負えばどうなりますか? 南北が統一されるとどのようになりますか? 私の国があるというときどのようになりますか? その国に皆さんの家庭の種を植えなければならないのです。それで「真の父母の勝利圏を受け継いだ祝福家庭の名前で祈祷いたします」と言うのです。祝福家庭の時代も過ぎ去ります。国を探さなければなりません。 第四次アダム圏と国と越える時に来ているので、互いに南北統一の主人は自分であると考えています。偽者たちはすべて崩れてしまいます。これを着実に伝統をもって行政区分の末端の統や班から、上部まで教育しなければならないのです。教育しなければ、外国人を動員するのです。これからジャルジンで四十日修練を受けた者たちはすべて大移動が始まります。三か国、韓国、日本、アメリカの国を中心として、地域を中心として番号中心にくじ引きをするときに、祝福された者は、父母の国と長子圏の国、祖国を追及しなければなりません。 そうすると、どこで生まれるべきでしょうか。日本人だからといって日本で生まれたと考えてはいけません。自分の本然の場に行かなければなりません。兄弟圏を通じてです。すべてがそうなのです。アメリカが長子ならば人口が日本の二倍になります。また日本と韓国を見ると韓国が七千万なので日本がその二倍になるのです。二倍。それが重要です。分ければサタン側と神側の半分に分けることができるという話です。そうでしょう? 七千万だと言ったでしょう? 日本の国民が一億二千五百万ですから半分です。日本は韓国の倍、アメリカは日本の倍です。それはなぜですか? 先に生まれたのです。二種類に半分に分けておかなければならないのです。 今、くじ引きするならば、韓国人が日本に移動するかもしれません。そうなれば、ふろしきに荷物をまとめて移動しなければなりません。韓国であれ、日本であれ、アメリカにおいては永住権を中心として解放されます。ビザ問題がすべて解放されるのです。最近のビザは複数回(マルチプル)入国ですか?(「十年の複数回入国です」)。自分の国と変わりないのです。 日本が今、反対しています。この者たち! 日本はどんなにやっても韓国に勝てません。日本は夫に引き渡すか、息子に引き渡さなければなりません。日本の祝福を受けた女性たちは、日本にある技術を自分の息子に引き渡すのです。交差結婚しなければなりません。日本の女性は韓国の男性、韓国の女性は日本の男性と結婚するので、互いに良いものは引き渡さなければなりません。 それで今、交差結婚した者たちが日本の責任者になりました。韓国も交差結婚した者たちが副教会長になりました。 これからの第二次四十年時代において、世界組織指導者は、国際結婚した者たちを主に立てなければなりません。これから祝福するときはすべて国際結婚です。二世たちはすべて国際結婚です。それで先生の孫たちの時代からは、国際結婚させるのです。その前には国際結婚させることはできないのです。 ですから国際結婚することによって、カインの国とアベルの国二つの国を愛することのできる愛国精神を持たなければなりません。そうすることによって、すべて半分に分けるのです。半分の立場に立ちましたが、一つになるのです。それだけ領土が倍になるので、何回か祝福、交差結婚すれば世界は一つになるのです。 これから国境を持ったすべての国々は、交差結婚するのです。さらに盛大にやるのです。東洋と西洋、南北が交差結婚するのです。南北すべて貧富の格差があります。交差結婚すれば世界は一つになるのです。これからは数代、十二代ならば十二代において、どれほど純粋な民族が、十二代圏内において、祝福した国家が連結されているかを……。そうして編成されたその一族が出世するのです。 これから何時代になると言いましたか?「第四次アダム圏時代」とは何ですか? 父子協助の時代です、父子協助時代エデンにおいて父子協助ができなかったでしょう? 父の命令に絶対服従しなければならないのです。そうした伝統を立てるのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従! ですから今後、家をすべて売り払って引っ越すように命じれば行くべきですか、行かないべきですか? 行かなければなりません。ですから、これからはすべて父母に侍らなければならないのです。ご父母様は真の父母であると同時に王です。家庭の王であり、氏族の王であり、民族、国家、世界の王なので、国を建て世界が税金を捧げる以上に税金を捧げなければなりません。 三〇パーセントです。それで聖人たちも霊界に三〇パーセント……、三三パーセントは無条件祝福です。結局は統一教会を中心として一つにならなければなりません。すべての宗教圏は一つになるのです。そうしたみ業が霊界で展開していきます。地上でもそのようにしなければなりません。そのために国を求めて大移動が始まるのです。 兄弟を探して大移動です。父母を探して、王を探して大移動するのです。その兄、父母、王が誰かというと真の父母です。三時代の先祖なのです。旧約時代の先祖であり、新約時代の先祖であり、成約時代の先祖です。ですから、すべての霊人という霊人は皆、三時代の先祖の血族となるので、先生が思いどおりにやるのです。今のこの時は、サタンが人類解放圏を許諾したので、地獄をすべて砕いて解放させてしまうのです。 世界的にすべて、『霊界の実相と地上生活』の試験をしなさい。原理試験をするのと同じです。本然を知らなければならないのです。地上で生きていくのにためらう時があります。やるべきかどうか迷ったとき、これを参照するのです。すると、私が今考えていることが、どの圏内に属するかすぐに分かります。はっきりと分かるので、参照するやいなや着々と進んでいくことができます。足踏みしたり、とどまっている時間がなくなるのです。知らないようではいけません。 李相軒氏に責任があるのです。むやみに嘘をついたら問題が大きいのです。打ちのめされます。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従なのです。同じです。今まで、何だかんだと言っていた言葉、どうのこうのと言ったすべてを……。清平でもそうです。それを誰が認定しますか? 先生が認定するのです。 神様の摂理のみ旨の前で福を受けたとき、先祖を救い出すのです。先祖を救わなければなりません。中国もそうであり、日本もそうです。そして、アジアで儒教思想を一番初めに重視した国は韓国です。先祖を大切にすれば先祖が解放されるのです。 これからはそうです。既成教会では墓参りなどさせないでしょう? そうした時代は過ぎ去ります。先祖を敬わなければなりません。先生がこの地を離れればすべて……。いかなる先祖であれ、篤く敬わなければなりません。そうすれば福が来るのです。先生が積み上げた福、天地のすべての解放的な福が息づいているので、その一族の前に流れていくのです。水道のパイプのように、このパイプよりも大きなものをつくれば、ほかの所にある水さえもすべてそこに向かうのです。 いまだにそのような国がありません。儒教を中心として、仏経を中心として、キリスト教を中心として、三時代に三宗教を中心として主権を動かしたのです。キリスト教が動かしてきました。そうでしょう? キリスト教が動かすなら、先生は反対されません。儒教圏が動かすとなると、どのようになりますか? キリスト教が反対して放っておきません。キリスト教文化圏がすべて吸収されそうになったので、全面的に反対したのです。天の摂理がそうなのです。家庭を中心として天地を復帰しようとしたので、天地が動員されて反対したのです。その反対を完全に屈服させなければなりませんが、屈服させるのが大変なのです。神様について知らないからです。知らない世界を中心として、どのように屈服させられますか? 真の父母が来られて、知らない世界の事実を実際の世界で再創造して、示すことのできる勝利圏を整備したので、すべて屈服しなければなりません。違いますか? 成約時代は何かというと、旧約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の第四次アダム圏の完成を意味するのです。ですから、歴史時代において霊界に関係したものを完全に覆すことができるのです。先生の代身として教えたので、誰でもできるのです。それで自分の先祖のために、氏族的メシアをつくったのです。国家的メシアをすべてつくったでしょう? ひっくり返すのです。そういう時が来たのです。ためらうなというのです。 霊界がそうであることを知らなければなりません。皆さんはもう十四代の解放をしたでしょう?皆祝福してあげたでしょう? 呼び出して、どこに行くにも先頭に立てて、連れて歩かなければなりません。 今、一つの場所にすがって生きるのは愚か者です。百二十か国、ほかの所で……その本部を中心として、各国からどれほど多くの人がその国の本部を訪ねてくるかを誇ることができるのです。それを表彰しなければなりません。大移動や訪問できる地域が世界の名勝地となるのです。 ですから、功労賃を受けた人たちが住む所はすべて名勝地になります。一番になったら、「あの人はどこどこの大会で一番になった!」とうわさが立って、今後、訪問客が来るのです。じっとしていても食べて暮らせます。仕事をしなくても食べていけるのです。違いますか? 一番になれば、その村とその国が有名になるのです。 そのようになり得る環境が広がっていくのです。趣味産業というのは、小学生から死を間近に控えた百歳の老人まで、誰でも願うようになっています。「そこに私も一度行ってみたい」。と言うのです。ですから、飛行機会社もつくり、バス会社もつくり、車やら、船やら、何からすべて準備するようになれば、すべてが私たちの基盤を利用するというのです。 ですから、今後、飛行機のチケットなども三代、百二十年間使えるチケットを買おうというのです。そのようになれば、自分のうちのお祖父さんもいますが、ずっとは乗れません。百二十年間もどうやって乗りますか? ですから、「三代がお祖父さんの買ったチケットで乗っていきます」と言えば、どれほどお祖父さんが喜ぶでしょうか。このようにお祖父さんに侍っていくのです。そのような運動をしなさい。 ですから、どこにおいても皆さんは趣味産業の国家責任者となるのです。地方の責任者となり得る人たちは皆どの世界においても観光産業の社長になれるのです。ですから、自動車の運転も習わなければなりません。トラックの運転まで習うのです。 こうして誰でも来るようになるなら、人が百人来れば、五十人ずつトラック二台で、ハワイならばハワイに向かって走り、飛行機なら飛行機に乗せるのです。そのためには、飛行機を操縦できる人も必要で、ヘリコプターとかもすべて操縦しなければなりません。 それで先生は、五大洋、六大州を中心として大きな船、数千名が暮らせる家のような大きな船をつくることを考えています。そうして五大洋、六大州を回るのです。そこはヘリコプターで周辺を回りますが、一年間旅行をするといっても一年間そこにいるわけではありません。一か月間はどこどこに行き、その次の月はどこどこに行って、世界一周がずっとできるのです。 ですから、ここに参席した者たちは今後、「私が趣味産業に車を一台ずつ、またはバスを一台ずつ、または飛行機を一台ずつ寄付できたらいいな」と、このように考えろというのです。それでこそ、自分の息子や娘が豊かに暮らせるでしょう?先生の名前と共に……。 先生の名前はなくなりません。永遠に、永遠にあるのです。地上でこのような功臣となって霊界に来れば、霊界の序列が相対的な会議グループをつくり、地上を協助できるみ業が展開するのです。観光の地上・天上天国になるのです。 そうなれば、天使たちが霊界から降りてきて、霊界がそのような役事をすべてやってくれるので、どれほど良いでしょうか。踊って歌って大騒ぎになります。それは混乱ではありません。心のときめくすてきな騒動の場となるのです。 ですから、一つの場所に暮らす者たちは愚か者だというのです。それで国際結婚をした三世……、一族のうち氏族的メシアを中心として、一八○家庭すべてが国際結婚するようになれば、親戚同士が訪問し合って、互いに交流して暮らすのです。生活舞台を単一化させて、五人でも六人でも暮らせるコンドミニアム・システムを世界的に築いて、自分の国、自分の家として、どこに行っても暮らせるのです。それが理想的なのです。そのような世界を築こうというのです。先生が計画すれば、その計画したことは、千年も万年も残って流れていかないのです。実現するようになっています。そのようなことを始めるのです。 今や「夏の休暇はパンタナールに来なさい!」と言えば、その休暇は三か月になるかもしれません。放送局を通して伝道するので、皆さんは招待されて行く所が多くなります。百名ずつやるのではありません。荒野にマイクの設備をすれば、四十日修練を十万名でもできるのですが、もっと便利な方法でやるのです。「皆、本をもって覚えるように!」と言えば、それを覚えさせて、試験すればいいのです。違いますか? そうしておいて私たちはゆっくりと旅行をするのです。神様が創造した世界がどれほど美しく、水の中に住む魚がどうであるかを知るために旅行するのです。 それを知ってから逝かなければなりません。魚を知って、地上の鳥や動物も知って、木のような植物もすべて知って愛してから逝ってこそ、神様がご自身の息子、娘のために万物を創造なさった甲斐があるというものでしょう? すべてのものは、その一つを取って見ても、神様を賛美できる環境的な要件を……、一生を通じて一時間、一秒でもそのような心を抱いて、神様に栄光をお返しして生きてこそ、孝子となり、忠臣、烈女になれるのです!「アーメン」と言うのです。死んでも「アーメン」です。生きても「アーメン」なのです。ですから、死んでも行くべき道を行かなければならないのです。「アーメン」はどういう意味ですか? 自分の願う通りに行くのです。答えた通りにやるということです。 (二〇〇〇年四月二十一日、アメリカイーストガーデン)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.05
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霊界の各宗団三分の一以上を祝福する指示二〇〇〇年四月十三日、真のお父様は郭錠煥会長に、霊界の各宗教圏と思想圏、哲学圏を三分の一以上ずつ祝福するように、清平から電話で指示された。四月十八日には、アメリカのイーストガーデンであった訓読会に参席した四十余名に、四月十三日に指示された内容を報告するように郭錠煥会長に語られ、四月二十三日には、釣り大会に参加した百二十余名の食口たちにこの内容を説明された。 郭錠煥会長の報告 先日、四月十三日は韓国の投票日でした。宗教圏と思想圏・哲学圏に二分して、三分の一以上ずつ祝福するようにというお父様のみ言がありました。それから、楽園を中心として楽園と地獄を一元化するようにと語られました。地獄の底から楽園まで、滞りなく霊界の門をすべて開き、完全に開放して祝福するにあたって、祝福を受けた人や指導者たちが巡回教育して、全霊界、地獄の底まで解放圏に連結するようにと言われました。 それから政治圏については、百二十代を経た王たちと大統領、一つの国の最高権力者たちを皆祝福して、その当事者たちだけを祝福するのではなく、祝福されたその者たちの十四代の先祖までいっぺんに祝福するようにと言われました。 地獄から楽園まで、すべての門を開こうとする目的は何でしょうか? とにかく全霊界を祝福させて、楽園級に引き上げるためです。そのためには段階も必要であり、あらゆることを実施すべきですが、霊界で放送を実施して……。地上でインターネットなどの電子媒体によって急速に進行するように、霊界でもそのようなシステムを利用して祝福とお父様のみ旨を波及させ、恵沢を受けた祝福された霊たちは、地上の放送界とインターネット界のような役割を果たすようにと言われました。 その次に、聖人と殺人鬼を共に祝福なさいましたが、祝福されたすべての霊たちを動員して悪霊界を完全に解放するようにと言われました。 その次に、お父様の使命が、神様の心情と事情を解怨することなので、それを天使と祝福家庭が一心となって、協力するようにと言われました。 それから、サタンが祝福家庭を様々に苦しめてきたのは、過ぎし日の歴史でありますが、それとは逆に、地上の祝福家庭を保護し、支援し、協助する、完全に反対の現象が起きる時代が到来したということです。 その次に重要なこととして、首脳会談の発表後、霊界で金日成と共産党の幹部すべてに祝福を受けさせ、アメリカの現在の指導者たちに多くの協助をして、真のご父母様のみ旨を受け入れさせよと言われました。そして、共産党の霊たちもみな祝福を受け、段階的に開門して協助させるようにという、み言がありました。 お父様の願いは何かというと、霊界で祝福の革命が起こることです。全霊界が、地獄の隅々までもすべて真のご父母様の真理と祝福の光が差すように、壁を完全に取り壊すようにと言われました。このために宗教、哲学、政治圏がすべて動員され、すべての壁を取り壊して、全部を楽園化させなければならないということです。革命的なこのような役事が起きて、地上は地上なりに、霊界と一心同体になってこそ、神様の恨を解いてさしあげることができると言われました。(二〇〇〇年四月十八日、イーストガーデン) み言 今霊界はイエス様、釈迦、孔子、マホメットなど、組織の系列がすべて違います。霊界の組織の系列が違うのです。いかにしてすべてを引き上げるかというと、イエス様を中心として、真の父母になり得る責任的召命をすべて告げなければなりません。それを分配してあげなければなりません。 旧約時代、新約時代、成約時代の骨子は何ですか? 救いの摂理の骨子と目的が何かというと血統転換です。血統転換して何をしようというのですか? 偽りの愛の根源を暴き、真の愛の根源を回復するのです。そうしないでは神様と父子関係を結ぶことができません。 神様と父子関係を結んで、神様を中心として家庭と国家を引き継ぐことのできる道は、成約時代に来られる再臨主が、第一次アダムと第二次アダムが失敗したすべてを復帰し、第三次アダムにまであった蕩減条件を完全に克服して、第四次アダム解放圏を迎えることです。そのような時にあるので、成約時代の内容を中心に教育しなければならないのです。 今まで霊界はすべてふさがっていました。霊界自体を知りませんでした。自分が知っている限界圏内にすべてとどまっているので、それをすべて開かなければなりません。地獄がどうなっていて、中間霊界、楽園がどうなっていて、天上世界がどうなっているかを知らずにいるのです。ですから、これからは一つの体制のもとに真の父母に侍る成約時代に、真の父母と真の愛の血統的な因縁を中心として、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成を中心として、一致しなければならないのです。そのようになれば、全天地、霊界と肉界は、完全に統一圏に入っていきます。 それで今回、先生が八十歳の誕生日を中心として宣布したのが何かというと、「南北統一前進大会」です。これは「国を探そう」ということなのです。神様の祖国を探すことができる時代に入ったので、霊界もそこに方向が一致しなければならないのです。 旧約時代には、モーセがカナン復帰の四十年路程を勝利できず、新約時代には、イエス様を中心として、四十年間で世界統一天下を築くことができませんでした。それで再臨時代には、先生が祝領家庭を中心として、イエス様が四十歳で万王の王となるべき基準を、七年ですべて蕩減しなければならず、四十歳で全天下の王権を踏まえて指導しなければなりませんでした。しかし、その立場に立つことができませんでした。それは、キリスト教が、新約時代の基準となった霊的基盤の勝利を築き、中心圏であるイエス様を中心として一つになる起源を結ぶことができなかったからです。 それで、ねじれたので、霊界もねじれ、地上もねじれていったのです。それを先生が地上において、真理と真なるみ言を中心として教育し、統一教会を編成して、収拾してきたのです。 統一教会の個人は、宗教圏の中でもキリスト教を篤く信仰する信者たちよりも、高い位に上がらなければなりません。ですから、信仰生活において、いかなる宗教、いかなる信仰者よりも、最高の神様を信じることによって代表者となり、神様を愛することにおいて代表者となり、サタン自身があらゆる面で、その個人を中心として屈服し得るようにならなければなりません。 サタンが「あの者たちはすべての面で私たちより上だ」と言うような基準に立って、屈服する暁には、霊的世界の悪魔の権限が完全にキリスト教圏に屈服する立場に入っていくのです。仏教圏とか他の宗教圏に屈服するのではありません。真の父母の宗教圏に屈服しなければならないのです。今は主流宗教なのです。神様が願う宗教であり、神様の息子、娘が一体となり、神様の家庭が一体となって、永遠に侍ることのできる宗教なので、主流宗教だというのです。 個人的な主流、家庭的な主流、国家、世界、天宙的な主流の宗教圏を代表することのできる勝利の基盤をこの地上に立て、すべての悪を清算するために来られた再臨主、真の父母を中心として、完全に結束しなければなりません。そこにおいて一つになってこそ大移動が始まるのです。 去る四月十三日に韓国で選挙が行われました。南北統一の問題をめぐってひっくり返る混乱時代が来るのです。そのような時代になったので、南北統一の問題を中心として、これからは霊界まで動員するのです。今まで霊界で祝福したすべての家庭、地上の祝福家庭が一体となって動員するのです。それを知らなければなりません。 祝福家庭、地上世界の祝福家庭と霊界の祝福家庭が一つとなり、真の父母に侍るにあたって、エデンにおいての神様の創造理想的な個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界、天宙完成的な内容を中心として見ると、国家的基準を越えることのできる、この立場に立てることによって……。 サタンが最高の権限を行使するのは、サタンの国を中心としてなのです。天が国を中心として探し求めてきたことを知っていて、数多くの国をつくったのです。百八十か国、百八十か国だけではありません。今、国連に加入した国が百九十三、百九十四、百九十五と、しきりに膨らんでいます。二百十か国以上にまで膨らんでいくほど多くの国々をつくりあげたので、神様が一つの国をアジアで探そうとしても、アジアを統一しようとしても、サタンの国が多いので大変なのです。ですから、六大州の多くの国々を統一するのが、どれほど大変かということです。 ですから、神様が願われる国を何によって築きますか? 混乱した環境を乗り越えるために、地域ごとに環境を解決する指導権を立てるためのいくつかの宗教が現れました。仏教、儒教、回教など、勝手な宗教が出てきたのです。勝手に出てきた宗教をすべて霊界で糾合しなければなりません。霊界で糾合するとともに、地上でも糾合しなければならないのです。 糾合するのは神様もできません。神様に糾合する責任があるならば、エデンの園の堕落も起こりませんでした。アダム家庭の殺戮線が起こらなかったのです。それは神様もできないのです。さらには、サタンが破壊行動をするために、願うことすらできないのです。 サタンは破壊行動を続けることで、神様が救いの摂理を個人的に放棄し、家庭的に放棄し、氏族、民族、国家、世界的に放棄することを願うのです。神様が地上天国、地上・天上天国の統一圏を放棄することを願って、死にもの狂いで反対してきたのがサタンなので歓迎する道理がないのです。 このように神様とサタンが闘うのを止めることのできる方が誰かというと、真の愛の主人なのです。真の愛の主人が出てこなければなりません。神様も真の愛の主人になれず、サタンはさらになれないというのです。 真の愛の主人が現れて、神様の前に「あなたは真の愛の主人になるために、アダム家庭をつくられたのですか?」と尋ねるとき、神様は「そのとおり!」と答えるのです。個人的に聞いても「そのとおり」、家庭的に聞いてみても「そのとおり」、氏族、民族、国家的に聞いてみても、世界的、天宙的に聞いてみても「そのとおり」と言える立場に立っているので、神様が「然り!」と公認なさるのです。 それから「サタン、おまえは個人を破壊し、家庭を破壊し、氏族、民族、国家、天宙を破壊して多くの国をつくり、様々な方面から反対して神様の前に抗議の矢を放ったではないか」とサタンに言うと、サタンは「支配できる権限を失わないために仕方なくそうしました」と答えるのです。「そのようなことを続けて幸福か?」と聞くと、「いいえ」と答えます。「それではおまえの願いとは何か? 本然の神様を中心として神様に侍り、アダムとエバに侍っていける解放された基準を願うのではないか。真の父母が神様も解放してあげ、おまえもそのような立場においてあげるから、そこで和合できるか? 統一できるか?」と聞くと、サタンも「オーケー」、神様も「オーケー」と言うのです。 そのような「オーケー」と言える環境圏なのですが、地上・天上世界の人たちは皆、分かれているのです。家族のすべてが、家庭のすべてが四方に分かれていたのを、「祝福」という過程を中心として一つにできるようになるのです。これまでは地獄に行って、数多くの霊界に分かれていきましたが、真の父母の命令によって、統一教会を信じるその基準が、個人から家庭、氏族、民族、国家、天宙に至る勝利圏をもつようになりました。その権限を中心として見るとき、その完全なるプラスは、完全なるマイナスを再創造することができるのです。 完全なるマイナスがあれば、必ず完全なるプラスが生まれてくるのです。原因を中心として、神様と真の父母がそのような完全なるプラスの立場にあり、その相対的な立場の統一教会が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の一体圏を備えたので、その主体が願い、相対が願った一体解放圏によって、完成させることができるという論理が出てくるのです。 神様も賛同し、サタンも賛同できるような主張をして、天上世界のすべての階級を超越して門を開いておき、統一教会の信者を中心とした霊界解放圏が展開するのです。完全なるプラス、完全なる対象圏を中心として、地獄に行った者をすべてかき分けて探し、新しく入籍させるのです。それで蘇生、長成、完成、新しい氏族と民族を築いて、国家的な基準を立て、国に侍ることのできる環境的与件を望む家は祝福してあげるのです。 ですから、祝福を受けたすべての霊人たちは、国の解放のために総動員する条件に引っかかっています。神様も命令し、サタンも命令し、真の父母も命令しなければならないのです。真の父母の命令が、神様の命令に先立ち、サタンの命令に先立っているという事実を知らなければなりません。なぜですか? 真の父母が、真の愛の道をすべて判別しておいたので、血統的に汚れた血筋をすべて引っ繰り返せるのです。それを引っ繰り返しておいてこそ、神様も本来の位置に、サタンも本来の位置に戻っていけるのです。そのような全権的な大行事を、真の父母が手がけるのです。 真の父母が現れることによって、血統を中心とした真なる父子関係、真なる夫婦関係、真なる兄弟関係を築いた家庭編成を拡大し、民族を超越し、世界を超越し、世界だけではなく地上世界と天上世界に同じ祝福の圏を完成して、一元化し得る行事が可能な時となったのです。 これまで霊界には、回教とか、仏教とか、儒教とかいった宗教や哲学が、みな自分勝手に存在していました。イエス様が「真の父母」の伝統を植えるため来られた新約時代の霊界一体圏、成約時代の霊・肉界の一体圏を中心として統一するのです。成約が何かというのです。結婚しなければならないのです。 男性として生まれ、女性として生まれて、地獄に行って、ありとあらゆる千年万年の恨を抱き、自分がいかに生きるかということを考えることができませんでした。そのような自分が解放されて祝福を受け、家庭を持てるというのは夢のような話です。アメリカを中心として、霊界と肉界に統一的な祝福の門を大きく開いたのです。 回教圏、仏教圏すべて怨讐です。宗教の怨讐です。これを中心として、キリスト教を中心として、「真の父母宗教」の血統的な基準の愛を中心として宣言するのです。「今やすべての宗教は、真の父母の道理、父の道理を学び、長子圏の道理を学ばなければならない」と言うのです。イエス様が長子になるのです。長子になったので、これまでのキリスト教文化圏から学べというのです。 これまで仏教とか何とか、すべての宗教が手がけてきた形式的なすべては天の国に通じません。天国の道理を受け継いでいけないので、今は霊界で統一教会を中心として新約時代の霊界を統一した、キリスト教文化圏と一つになれというのです。 地上で霊肉を中心とした統一教会を中心として、霊界で一つになったすべてが、地上に向かい統一されるのです。このようにして、新しい家庭を編成し、新しい民族、新しい国家を編成するためには、アダムに代わって家庭理想を抱いた「真の父母」一代を中心として、二代、三代……、世界万民がすべて再び祝福を受けて、その隊列に入っていかなければなりません。そうすることによって、天地が一つの主流的な思想圏内に方向を定め、天国を越えて神様の宝座の前に行き愛を受けることのできる、公認された息子、娘の立場に帰っていけるのです。 個人だけではありません。その家庭が公認され、その一族が公認され得る時代が来るのです。ですから、統一教会の祝福家庭はその一族、「七代孫」を一つにしなければなりません。これが一八五家庭です。これをすべて収拾して入籍しないことには、真の父母が一代、二代、三代、代の数に入っていくことができません。 それでアダム家庭を築いて、天国に一代から二代、三代、四代、五代……これをぎっしりと満たして、地上・天上天国を完結できなかったのが、初めて真の父母が霊・肉界の統一圏を築いて、代の数を合わせてこの地上の万民が支派として編成された中に一人も漏れないように、祝福された人たちがそこに入籍するのです。そうすることでサタンは入籍した彼らを、必ず永遠に崇めなければならないのです。原理がそうなのです。 日本の国とか、アメリカの国とか、そのような考えすらも持つなというのです。それは何かというと、すべてがうじ虫の餌であり、肥溜めのようなものなのです。そのような時代となったので、今や「仏経」や儒教の「経書」を中心として行う自分たちの礼拝形式を、すべて否定するのです。霊界からです。 ですから、教派を克服せよというのです。キリスト教ならばキリスト教に統一されなければなりません。キリスト教が多くの教派に分かれていたら、数多くの宗教がキリスト教を訪ねてくるとき、どこに行ってくっつかなければなりませんか? 一つの宗団にならなければなりません。一つの宗団となって、宗教圏を越えなければなりません。宗教を越えた真の父母の宗教、父母の宗教になるのです。個人の救いではありません。父母を中心として一族、一国の救いの解放圏へと越えなければなりません。 今、聖人たちは祝福されましたが、一二〇代、イエス様を中心として一二〇国家が一つにならなければならないのです。それが一つになれなかったので、全世界を越えることができるように一二〇名の祝福を中心にそれを拡大して、宗教圏すべての信者の三三パーセントを祝福させるのです。蘇生、長成はサタン圏です。完成は解放圏なので、七年路程を中心として、三三パーセントをすべて祝福してやれというのです。 これは真の父母の命令です。回教のマホメットとか、仏教の釈迦牟尼が問題ではありません。こうやって、その伝統的なすべてを伝授しなければなりません。ですから、今まで信じていたすべてを切ってしまい、「仏経」、「コーラン」の上に、「原理のみ言」を中心として接ぎ木しなければなりません。 そのようなことを断行せよと命令したところ、四月十三日、韓国の選挙問題を中心として混乱が生じたのです。地上には混乱が生じ、霊界には統一が実現するのです。 ですから、神様とサタンは闘えないようになっているのです。ルーシェルが「降伏状」を書いて、ルーシェルの一族まで反対するのを屈服させるのです。聖人と殺人鬼、第二次世界大戦のヒットラー、ムッソリーニ、東条英機を中心に祝福してあげたのです。これは国家時代、連合国時代です。それから共産主義は世界時代です。連合国ではありません。 世界を丸ごと呑み込もうとしましたが、これをすべて祝福してあげたので、彼らは偽りの王が自分たちを利用して、天の真なるものを治めてきたということを知っているのです。祝福されたので回れ右して「こいつら!」と言って、自分のてっぺんにある者たちを立たせ、彼らが言うことを聞かなければ、天使たちを前に立たせて押し切ってしまうのです。 サタン側まですべて、天の側に回れ右したのが分かりますか? 聖人と殺人鬼まで天の側になったので、その中にいるサタン世界の手下どもは、いっぺんにふうっと吹き飛ばしてしまうのです。四年間にすべて清算しなければなりません。ですから、南北統一は自動的になされるのです。 こうした措置を取るよう、私が文書をこしらえて清平に行って、そのまま実践するように指示したのです。これまで十四代を中心として百八十代、二百十代まで解放圏を許諾したので、地獄がなくなる環境になっていますが、氏族的メシアが入籍できないときは地獄が残ります。残るのです。ですから、先祖を解放しなければなりません。 救援摂理は、二世を通じて一世を救うのです。誰が堕落したかというと、母が堕落したのです。ですから、母子協助しなければ生きられません。今その時代は過ぎました。統一体を考えなければなりません。家庭から世界や国家を連結するのは父子時代です。絶対プラス圏の父を中心として、男性を中心として、女性たちが皆一つにならなければならないのです。 女性は先に立つことができません。女性が先立つには血統、息子や娘を生んで、子女と一つになって父よりも上になってこそ、先に立つことができるのです。女性が一人で生きていては相続できません。息子や娘がいてこそ相続できるということを知らなければなりません。息子や娘、血筋があってこそ相続できるのです。 今日、世の中の制度は、離婚をすれば半分ずつ分けますが、息子や娘がいなければ、分けてあげることができません。そうしたことが法的に解決方法を知らずに混乱しています。こうした整理すべき複雑な問題が残っているのです。それで早く国を建てなければならないのです。 ですから、韓国語を知らないようではいけません。祖国語を知らないというのはだめなのです。祝福を受けて生んだ息子、娘に韓国語を学ばせなければなりません。祖国に帰らなければなりません。帰っていって入籍しなければならないのです。 昔、イエス様の時代、ローマの諸王が誰かというと、地方長官です。アメリカで言うと州知事と同じです。その入籍の手続きをしにいく道すがらイエス様を生みませんでしたか? 同じなのです。入籍しなければなりません。入籍しなければ国がありません。入籍する所に自分の夫、妻、一家庭全体の生と死の問題がかかっているのです。すべてを犠牲にしても国を探さなければならない立場にあることを知らなければなりません。神様の祖国がありません。 日本の国がどこにあり、アメリカの国がどこにありますか? 駄犬の子たち! ひっくり返さなければなりません。それを信じて愛したら、天の国に行っても地獄から抜け出せません。それを否定してこそ抜け出せるのです。血統的な痕跡、象徴的な影もご覧になりたくない神様なのです。そのような時代が来たので、霊界に大革命が起きるのです。 統一教会の真の父母の氏族圏を中心とした純潔運動と同じように、真の愛を中心として解放圏を一元化させるための時代に入っていくので、それを知らない家庭は天国に入っていけないのです。祝福を受けられないのです。 先生は完成したアダムであり、第一代の先祖です。第二代はイエス様の宗教圏代表です。そして第三代は何ですか? サタン世界の無宗教圏の人たちにも、宗教圏以上の立場を付与できる特権があるのです。サタンを除去するためにそのようにできるのです。何も知らない者たちが強制的に引っ張られて祝福を受けて、天国に入れるチケットが分け与えられるのと同じです。 そのような大統一的な指示を、先生が出しているそのような時代に動いて……。その動きは、地上の皆さんの家庭を協助できるみ業なのです。ですから家庭が妨害するようになれば、すべて今後は即決処分です。連れていきます。サタンが天の人を殺して地獄に引っ張っていこうとしましたが、今後は、地獄の世界を築こうとする者をすべて殺してしまうのです。その傷が全霊界の後孫に及ばないようにするために、早く連れていくのです。 ですから、統一教会の信仰の良かった人たちが、突然に交通事故に遭ったり、癌のような悪い病気にたくさんかかったりして死ぬのです。ほとんどそうです。統一教会の中で有名な者たちがたくさん癌で死にました。蕩減法を教わったならば、その蕩減法を自分が実践しなければなりませんが、それとは関係なしに生きていくので、自分が引っかかって倒れていくのです。不思議でしょう? 皆さんもそうです。「良いなあ」と言いながら引っかかって倒れていくのです。どんなに「良い」と言ったとしても、あの木の端の芽にぶらさがった葉でも、その葉は、中心の根とか、幹とか、すべての枝の栄養を代表的に取らなければ、その芽となる立場の葉は残ることができません。代表的な基準に立っていなければ、すべて落ちて離れていくのです。自分でも分からないのです。そのような恐ろしい時です。 ですから、先生がそのような責任をすべて果たしたという条件を立てようとして、第四次アダム圏を宣布しました。祈祷も真の父母の御名でしないようにと言ったのです。真の父母にすがって、ああだこうだと言えません。 今までの救いの時代では、イエス様にすがって「なぜ私を救ってくれなかったのですか?」と言えました。ところが、再臨主が来られてからは、再臨主にすがって「私たちを救ってください」と言っても、再臨主は責任をすべて果たしたのです。ですから、誰の名前で祈祷するのですか? 自分の名前で祈祷するのです。何を中心として? 祝福を受けたことを中心としてです。 先生が今、祝福を世界化させ、サタンも分別したのです。蕩減条件がないので、絶対基準を中心として、真の父母の勝利圏を受け継いだ祝福家庭某の名前で祈祷できるようになったのです。真の父母の実であるならば、その子女が大きくなって結ばれた実が植えられたら、粟なら栗、稲なら稲、豆なら豆というように、自分の先祖の姿に似なければなりません。誰かを恨む道理はないのです。 祝福家庭ならば、エデンの園のアダム家庭と同じように完成せよというのです。彼らはどのように生きるのですか? 自分の家庭のために生きる者はうじ虫になります。真の父母が地獄の底に下りていって人類のために様々に整理してきた、伝統的な道に従っていかなければならないのです。それで絶対信仰、絶対愛、絶対服従の一致圏を築くことによって解放されるのであって、自分たちを中心として、どんな学位を取り、どんな博士になっても意味がありません。それは駄犬にしかなりません。そのような革命を提示しました。 ですから、大革命が起こるのです。全霊界が先生を中心として、世界全体に対してすべてを合わせておきました。個人的に合わせ、家庭的に合わせ、氏族、民族、国家、天地に至るまで、すべてを合わせておいたのです。 ですから、自分自身が堕落を忘れたこの場に立ち、アダムを中心として堕落していない立場に立って、神様と真の父母の血統的な因縁を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で一体になることによって、ご父母様が成就したすべてのことを、血統的な因縁を持って生まれた息子や娘が自動的に相続できるようになるのです。 それを可能にするための地上・天上世界共通の標語の基準が何かというと、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。創造なさるとき、神様ご自身も絶対信仰をもってつくられました。絶対信仰でつくられた相対もまた、絶対愛の対象体としてつくられたのです。その愛の対象体がご自身よりも一〇〇パーセント永遠に優れていることを願われ、永遠に投入して投入して忘れてしまおうとする思想を中心としてつくられたのです。 その公式的な基準に一致することによって、主体と対象が相対的な立場で一つになり得る道が開かれるのです。その道が何かというと、真の愛の道です。その真の愛の道は、個人が永遠に行ける道であり、家庭が永遠に行ける道であり、氏族、民族、国家が永遠に行ける道であり、モデルなのです。 一つの公式を中心に、千人、万人がすべてぴったり合うのと同じように、モデル形態の個人、家庭、氏族、民族、国家……八段階の基準をすべて整理して標語をつけ、第四次アダム圏によって、この標語を勝利したモデル基盤の上に、皆さんを立てておいたのです。 個人的なモデル、家庭的なモデル、氏族的なモデル……八段階のモデルを相続し、ここに愛の八段階の主人に神様がなれなかったならば、皆さん自身が腹中時代から、神様が愛の主人になり得るようにしなければなりません。神様を愛の主人にしてさしあげるのは息子と娘です。神様ご自身ではできません。息子と娘がしなければなりません。そうでしょう? 八段階とはそのことなのです。そのような原則的な内容をすべてはっきり教えてあげました。 今回、「南北統一前進大会」で語ったみ言に五つの内容がありますが、そこにすべてが入っています。抜けたものがありません。私たちの盟誓文よりも全体の内容がすべて入っているのです。神様の祖国が理論的にすべて出ています。南北統一の理論が完全に出ています。 ですから、祝福家庭の皆さんは、北朝鮮の無神論者とキリスト教の有神論者を兄弟として抱かなければなりません。キリスト教を消化し、キリスト教が長子圏に立ったならば、次子圏のサタンは、父母と一つになった長子の前に自然屈服するようになっています。キリスト教を消化しなければなりません。 民主世界は有神論世界です、有神論。唯心世界です。そうでしょう? それから共産世界は何かというと、無神論世界です、無神論。唯物主義です。キリスト教を右手に抱き、反対するサタンを左手に抱いて、統一させなければならないのです。家庭がそうであり、氏族、民族、国家、世界が代表的な基準において、神様がそのようなカインとアベルをすべて統一できる、主体的な内容が具備されたその基準において、個人から家庭、氏族、民族……八段階を越えてこそ、地上・天上の解放圏が展開して、神様の宝座の前に行って、初めて最高の座において、全天地の天民を代身して相続権を受けるのです。家庭では受けられません。南北を統一すれば、世界が統一されるようになっています。これをはっきりと知らなければなりません。 それで先生の四十年を中心として越えるのです。時代が変わってきます。時代が移り変わります。日本の国がありません。アメリカの国がありません。世界の国が共に滅びなければなりません。すべてこれを取り崩してしまえというのです。み言をもって、どこに行っても撃破できるのです。国家の放送局を通して、四十日だけ訓読会をしてしまえば、すべての国が回り、世界が回る内容なのです。それは既に地上で実験済みの実証的な事実です。恐いものがありません。(二〇〇〇年四月二十三日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.04
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第41回「真の父母の日」記念礼拝の御言成約八 2000年4月5日(陰暦三月一日)九里市 中央修練院 (郭錠煥先生が一九六八年の「父母の日」のみ言「父母は歴史の起点である」を訓読された後、真のお父様が壇上に立たれる) きょうは何の日ですか? (「『真の父母の日』です」)。「真の父母の日」です。今、朗読したみ言を聞いて、真の父母とはどのようなかたなのかが分かったと思います。真の父母とは、堕落した世界全体に責任を持ち、それを解放すべき主人について言う言葉です。地上世界の人類解放はもちろんのこと、天上世界にいるわたしたちの先祖も解放し、すべてを解放してこそ、神様を解放することができるということを知らなければなりません。 堕落がこのように、途方もない結果をもたらしたという事実です。エデンにおいて一人の男性と一人の女性が過った愛の因縁を結んだことによって、歴史を通してこれほど数多くの犠牲の代価を払うことになりました。また、そのようにして復帰路程の正道を捜し出そうと苦労してきましたが、正道を捜し出すことができませんでした。メシヤが来て、救世主が来て……。 救世主とは何のことかといえば、破壊された愛の秩序を正すために来られるかたなのです。その救世主がだれなのかといえば、真の父母であるというのです。サタン世界の絡まったすべての環境与件を収拾し、正道を行くことのできる標準的な基準に立ったかたがメシヤです。 そしてメシヤを中心として、そこに家庭が現れるのです。そうではないですか?。メシヤを中心とした息子、娘を中心として、氏族、民族、国家、世界、そして天宙まで行きます。メシヤを中心として、その直系の血統を中心として行くのです。 堕落したアダムの後孫、カイン的な息子、娘が残っているので、これを処理することのできる方法を考えるとき、そのままではメシヤの直系の息子、娘だけが天国に行くことができるのです。これを救うために、これを一つにするために、個人から家庭、氏族、民族、国家基準まで天は摂理してきました。そのようにして準備されたのがイスラエル民族なのです。 イスラエル民族を中心として考えるとき、イスラエルという国は、イエス様が来られるときに、環境的与件において個人的な環境を継いでさしあげる民族であり、家庭的環境を継いでさしあげ、国家的環境を継いでさしあげるべき民族なのです。 そのように考えるとき、父母というものは、カインとアベルの上にいます。父母が現れるためには、父母が生まれるためには、カインとアベルを生んであげなければなりません。闘うカイン、アベルではなく、一つになったカイン、アベルです。皆さんは、このことを知らなければなりません。 復帰の路程には、必ず環境があります。神様が創造されるとき、環境を創造されましたが、その環境の中には必ず主体と対象があります。落ちてしまったので、逆に上がっていかなければならないのですが、神様の創造理想が堕落によって失われても、環境的な与件は、個人を超えて氏族、民族、国家、世界、天宙まで残っているのです。その環境の中には、必ずプラス・マイナス、主体・対象があります。 このように考えるとき、その環境を代表した主体が堕落していない本然のアダムとエバです。アダムとエバが堕落しなかったならば、カインとアベルのように二人が横的に一つになったところに父母を迎えることによって、家庭的な平和の起点ができました。息子、娘が孝行の道を行くことによって、その父母は幸福になるのです。 幸福な父母は、自分が持っているものをすべて愛する孝子、孝女に相続してあげ、さらに与えたいと思います。それが父母の心なのです。その父母の心の伝統を受け継いで生まれた息子、娘には、その伝統を通して歴史が引き継がれ、父子の血縁的関係が代々、歴史を通して完全に連結してきているのです。 その伝統基準が立てば、今日のわたしたちが暮らしているこの世の中に何千代、何万代の後孫が広がったとしても、その伝統は、神様を中心としてつづられた伝統であるがゆえに、変わることなく発展していくことができたのです。 しかし、堕落することによって、この伝統的環境がすべて崩れてしまいました。ですから、蕩減復帰原則において、国家的基準がサタンの基準なので、そのサタンの基準を超えるべきイスラエル民族が国家形態をもってローマを消化し、世界と人類を吸収するための道を行かなければなりません。その道を行くためには、この地上にメシヤが来なければならないのです。メシヤが来る目的は、そこにあります。 イスラエル民族において、カインとアベルのような環境与件を必要としたのであり、イスラエルの国がカインであり、イスラエルの宗教(ユダヤ教)がアベルです。この二つが一つになって、教会ごとに一つになり、そして国が一つになったならば、どのような宗教でも国と一つになることができるのです。 それゆえに教会において、来られるメシヤに侍るようになれば、イスラエルの全国が国家的環境と一つになることのできる立場に立つのです。そして、その息子、娘、カインとアベルの基準を中心として一体となることによって、エデンにおけるアダムとエバの家庭においてカインとアベルが闘い、長子が次子を殺した、この環境的与件を必ず埋め合わせるようになるのです。 歴史時代において知らなければならないことは、カイン・アベル問題、主体と対象の関係が絶対に必要であるということです。それが一つになるとは、どういうことでしょうか?。環境は、自然的摂理の創造理想の中にあるので、カインとアベル、アダムとエバが一つになれば、その環境与件は、神様が中心に立たれて一体となることができるということです。 蕩減するためには、逆さまに上がっていくのです。カインとアベルを一つにすることと同じように、イスラエルの国とイスラエルの教会が一つになったその基準に、イエス様を中心として家庭を出発していたならば、イスラエルの国家全体が祝福を受けることができました。そして、家庭的に接ぎ木をして、イエス様が統治することのできる一つの国となるのです。分かりますか? これが環境的世界舞台を中心として見るとき、一つの国の基準がアベル的基準であるイスラエルであり、カイン的基準がローマなのです。それでは、このような立場において環境的与件がローマなのですが、摂理上において見るとき、イスラエル民族が一つになっていたならば、中東が一つになっていたはずです。 それから、アジアにおける仏教や儒教など、このようなすべての宗教が、アジアにおいてイスラエル民族と一つになっていたならば、中東を経て、アジアを経て膨大な地域になります。 中東やインドなどの膨大な地域が一つになっていたならば、ローマは問題になりません。ローマは人本主義であり、神様に仕えるのではなく、人に仕え、人を絶対視する基準なので、カイン圏です。このような宗教圏が一つになっていたならば、ローマを吸収し、アベルがカインを抱え込み……。 それでは、カインとアベルが一つになることのできる方法とは、どのようにすることでしょうか?。力でするのではありません。「怨讐を愛する」という伝統を立てれば、ローマ自体もイエス様を中心とした宗教圏に吸収されるのです。そのようになっていたならば、イエス様は天下の「王の中の王」になっていたと思うのです。 イスラエル民族がイエス様を受け入れることができなかったため、イスラエル民族は、この膨大な摂理の歴史、世界的な摂理の歴史において誤った民族となり、天の前に立つことができない立場になりました。 それは正に、エデンにおける堕落したアダム家庭と同じ立場なので、イスラエルの国は流れていき、第一イスラエルは消えてしまうのです。第二イスラエルであるキリスト教文化圏がこれを引き継ぎ、国家的基準を超えて世界的基準で出発したのですが、それは霊的なのです。国がない立場です。 イエス様が体を失ってしまわれることによって、これを再び取り戻すための霊的基準を霊界において……。霊界の統一圏をつくって一つになったその基準において、地上と連結させることができます。 なぜ、そうなのかといえば、霊界が一つになってこそ、地上世界に来られる再臨のときにも協助することができるので、霊的世界の統一圏をキリスト教がつくったのです。 ですから、キリスト教の願いが何なのですか?。記録にあるように、小羊の婚宴をすることです。そして、終わりの日にキリスト教の霊的基準の勝利圏を中心として、地上に成し遂げられたものがキリスト教です。キリスト教の旧教と新教なのです。 この旧教と新教が闘っています。カインとアベルなのです。このカインとアベルを一つにすることができるかたがメシヤです。メシヤは父です。父母が父母の愛の中心なので、自分の利益のために闘っていた兄弟も、父母が現れればそれを否定して共に……。一人は右手に、一人は左手に抱かれて、「お父さん、お母さん」と言うことのできる立場になるのです。 そのようにならなければならないのにもかかわらず、キリスト教が受け入れることができなかったことによって、問題が生じました。来られる主の前に霊的基準において勝利した天国を持って地上に来たのですが、地上には旧教があり、新教があり、それと同時にその周辺にたくさんの宗教があるのです。これを一つにして収拾するために、メシヤは真の父母として来られるのです。 旧教と新教は今まで闘ってきましたが、彼らの父母はだれであり、神様の摂理的起源の出発がどのようになっていて、方向がどのようになっていて、未来の目的がどのようになっているのかを分からずにいます。 アダムが無知によって堕落したのと同じように、知ることができないでいます。父母が来て、神様の秘密と歴史の秘密と悪魔の秘密を完全に知り、彼らを教育することによって、旧教と新教が葛藤することなく一つになることのできる道が開かれるのです。 そのような立場を中心として来られるメシヤは、その版図を成就させるために、どのようにしなければならないのでしょうか?。本来の創造理想は、霊的世界を成すためのものではありません。地上で国を成してから霊界の国ができるので、反対に蕩減復帰するために、肉的な国の勢力圏を持ったすべてのサタン勢力によって霊的な国を創造していくキリスト教が迫害されたのです。 それゆえに、キリスト教は殉教の境地、宗教の中でも悲惨な血を流した殉教の宗教になってきたということを知らなければなりません。そして、終わりの日に来る小羊の婚宴、父母が現れることができるその日を願ってきたのですが、父母がどのように来て、メシヤがどのようなかたであるのかということを、教えてあげることができないのです。 堕落して無知に陥ったので、人間世界においてそれを捜し出して解決しなければなりません。解決すべき内容をすべて捜し出して解決していかれるかたがメシヤなので、メシヤさえ絶対に信じるようになれば、メシヤが知っている内外すべての摂理の内容を、いつでも相続することのできる内容を備えるようになるのです。 それゆえに、メシヤになることのできるかたは、霊界に行って霊的世界の統一を成し、地上世界の統一をしなければならないということです。分かりますか? (「はい」) メシヤは、何を統一しなければならないのですか?。霊的キリスト教文化を築こうとすれば、その上に立たなければなりません。数多くの分派に分かれた霊界をすべて収拾して、統一してから現れなければなりません。 それゆえに、メシヤと言えば、宗教の問題、神様の摂理の問題に関して知らないことがないのです。そこにキリスト教文化圏が備えられていたならば、七年もかかりません。旧教と新教の責任者たちを中心として……。 そうではないですか?。責任者は多くありません。旧教で言えば法王であり、新教で言えば総会長です。教派が多くても、総会長を三、四人だけ一つにすれば、すべてのキリスト教、旧教と新教を統一することができるのです。そして、聖書の未知の事実が明確にされることによって、自分たちの出発が誤っていたということ、また進む方向が誤っていたということを知るようになります。 目的が違うということを知るようになるので、その教えを通して出発が正され、方向が正され、目的が正されます。それによって、今まで旧教と新教が闘ってきたことは、神様のみ旨の中において赦しがたいことであるということを知り、悔い改めてメシヤの前に一つにならなければならないのです。そのように、ここに立った真のご父母様の前で、代表的な基準を中心として連合されなければなりません。 それゆえに、韓国で出発したのですが、韓国において旧教と新教が一つにならなければなりません。分かりますか?。これは世界的です。先生の前に現れれば、小さいものであったとしても、世界的な内容の意図を持って教えてあげるので、未来においてその小さい存在は、先生の意図と一致するのです。未来の基準までの差は七年なので、どのようにしても一時代において起こりうる内容なのです。 ところが、韓国においてキリスト教が反対することによって、神様のみ旨を成し遂げることのできる基準がなくなりました。もし、キリスト教が……。 皆さんは、梨大事件、延大事件のことを知っていますが、それは六大キリスト教宗団によって起きた事件です。そこにおいて韓国政府と女性が問題でした。朴パクマリアが副総長であり、金キム活ファル蘭ランが総長であり、三番目が大統領夫人のフランチェスカです。それが四位基台になっているのです。梨花女子大学さえ先生と一つになっていたならば、政府とすぐに一つになっていたのです。 政府と一つになっていたならば、いくらアメリカの軍政時代が来たとしても、軍政が教会を統治することはできません。国家的基準において教会基盤を築いたならば、いくら宣教師が反対したとしても、宣教師を指導していた指導層が一つになっているので問題にもなりません。 もし、問題になれば、公開討論をするのです。そのようになれば、すべての面において、キリスト教は統一教会の原理に勝つことはできません。これは主流思想なのです。 そのようになっていたならば、そのとき、大韓民国全体を中心として祝福行事までするのです。分かりますか?。大韓民国の構造的内容を見れば、家庭がその単位です。家庭が根本です。それゆえに、そのとき、三千万人いたならば、三千万の民族の前に家庭さえしっかりと祝福すれば、国であれ何であれ、すべて家庭を中心として一つになります。 家庭さえ一つになり、個人、家庭、氏族、民族、国家のカイン・アベル圏を中心としてキリスト教が一つになれば、宗教圏を中心としてカイン、アベルが一つになります。国を一つにするようになっているのです。 それから、宗教圏が一つになれば、民族全体が法を通して一つにならざるをえない環境になっていました。そして、その環境と一つになった祝福された家庭を天国に植えることのできる、移していくことのできる国となるので、それまでキリスト教思想において願ってきた希望のイスラエル民族を中心として国家編成を完成するのです。 その完成した基準というものは、ローマ時代ではありません。今の時代、世界的時代において初めて神様の祖国の主権復帰がなされることによって、これを全世界に連結させ、一元化することによって、地上天国、天上天国が形成されるのです。 いくら地上天国と天上天国の形態が形成されたとしても、横的な人類全体は兄弟です。分かりますか?。兄弟です。カインとアベルです。その中心になることのできる父母がいなければならず、子女がいなければなりません。それが上下、左右、前後です。 また家庭の形態を見れば、上が父親であれば息子は下であり、左が妻ならば右は夫であり、前後は子女たちです。この三つの基準が国家的基準において成し遂げられ、完全に統一される日には、上下、前後、左右……。そうではないですか?。 上下になることのできるこの基準を中心として、上下、左右、前後にならなければならないのですが、これに反対することによって韓国と世界の行く道が塞がれてしまったのです。分かりますか? (「はい」) そのような環境において、先生は追い出されて一人になったのです。神様の愛で世界を統治する使命と国家を治めるべき使命、そしてまた、蕩減復帰の内容を払っていくべき個人的な責任を中心として、すべてが着地しなければなりません。着地の目的は何かというと、神の国なのです。 アダムは家庭を失いましたが、イエス様は国を失ってしまいました。分かりますか? (「はい」)。ですから、国を取り戻すことによって、家庭は取り戻されるのです。分かりますか? それゆえに、神の国を建てるためのすべての横的な基準を中心として真の父母に侍ったならば、家庭的父母になり、氏族的父母になり、民族的父母になり、国家的父母になります。そして、祝福の環境が全世界的に広がれば、これは自動的に縦的な世界の天宙と神様まで連結されるのです。 神様まで連結されたこの八段階の父母の心情圏が横的な世界に連結されれば、祝福の完成が完全になされ、真の父母を中心とした祝福完成を成し遂げることができます。新しい血統を中心とした血縁的関係が真のご父母様の家庭から皆さんの家庭に接ぎ木され、真のご父母様に接ぎ木されたすべての家庭は、カインとアベルが一つになっているので、同等な価値を持つようになるのです。ですから、氏族は民族を消化して、民族は国家を消化することのできる統一圏が広がるようになれば……。 難しいことを言うよりも、結論は簡単です。今、問題なのは、わたしたちに国がないということです。イエス様が血を流したのは、ユダヤの国が第二イスラエル圏においてローマを吸収すべきでしたが、それを失ってしまったので、それを世界に拡大して消化するためでした。 ですから、皆さんは左翼、右翼という言葉を知っているでしょう? (「はい」)。それがカイン・アベル問題です。人類はサタンによって父母を失い、孤児となって独りさまよう歴史を経てきましたが、父母を迎えるようになれば、アベルは右側に行って手を握り、闘っていたカインは左側に行って手を握り、「お父さん、お母さん」と呼ぶようになるのです。分かりますか? ですから、左翼と右翼は、カインとアベルであり、家庭においても同じです。カインとアベルです。アベルは右側であり、カインは左側です。これは父母を中心として言うのです。 イエス様がこの地上に来て、アダム時代に家庭において失ったものを国の基準において立てようとするので、国において闘う兄弟が、アベルに当たる人は右手をつかみ、カインに当たる人は左手をつかんで一つになります。そして、「お父さん、お母さん、行くべき道を早く行きましょう」と言って、訪ねていく所がローマならばローマに対して、ローマ民族を中心として中東を消化し、すべての宗教圏を消化してローマを統一することは問題ないのです。一瞬のうちに発展する内容を、ローマの国民はすでに知っているのです。 統一教会は、世界的にうわさになっていますが、復帰の過程で多くの受難の峠を越えてきました。しかし、統一教会について調べてみると皆、「良い」と言うのです。人も良く、家庭も理想的であり、内容で見れば、思想的世界においてどの世界にもないものであり、どこを見ても宗教圏を凌駕することができ、思想界を凌駕するものなのです。 一つの統一天下を中心として真の主人であられる神様に侍り、平和の基地となり、解放の基地となることができ、万民すべてが地上天国の相続者になることのできる栄光の家庭から国家になるのです。それ以上、何があるでしょうか? 昨年、日本で祝福をしようとしたのですが、もし、この母の国が祝福に責任を持ち、国の責任者が中心となって「これは歴史上にない、一人しかない母として行うことができる責任の祝福です。すべての息子を代表し、解放するための世界的な条件を立てるこの祝福を日本が行うので、日本と外交関係を持つすべての首相と大統領を招聘します」と言えば、来るでしょうか、来ないでしょうか? (「来ます」) それは、「来るな」と言っても、来るようになっているのです。そのようにして祝福を行ったならば、日本はどのようになるでしょうか?。世界がそこに同調し、世界が歩調を合わせることができるようになれば、日本自体が「母の国の資格を持たない」と言っても、世界が受け入れ、その環境を称賛することができるようにさえなっていたならば……。 日本の人たちは見ていなさい。統一教会に反対して残る群れはありません。個人が統一教会に反対して倒れ、家庭が倒れ、氏族が倒れ、民族が倒れ、共産党が統一教会に反対して滅びました。 また、民主世界が統一教会に反対しながらよく見てみると、キリスト教の聖書における未知の事実が統一教会の原理の中に有り余るほどあり、世界の思想圏をすべて凌駕するということをアメリカが気づき始めたということです。 反対していたことを悔い改め、今年は上下院合わせて三百人以上が集まり、先生が歴史にない……。自由と信仰と家庭と奉仕、これは四大条件です。(注:今年二月二日、米国ワシントンDCで行われた「米国の世紀賞」晩餐会で、真のお父様は「自由・信仰・家庭特別生涯功労賞」を受賞された)一世紀(二十世紀)を中心としてですが、それはただの一世紀ではありません。今まで何千年の歴史を代表した一世紀なのです。この一世紀はそうです。「この期間において、この四つの分野に功労がある人々に賞を与えよう」と、国会が元になって六十二人が賞をもらったのですが、一人に一分野ずつ賞を与えました。 一人に一分野ずつであって、二つの分野ではありません。分かりますか? (「はい」)。何のことか、分かりますか? (「はい」)。(拍手)すべての分野で一人ずつ賞をもらって喜んでいました。しかし、「この四大分野をすべて統一した基盤において、アメリカが行くべき伝統の道を受け継いで功労を立てた人を捜そう」と言いながら、いくら捜してもいなかったのです。個人主義の世界には、いるはずがありません。 今、「冷戦時代を終結させ、共産党を破滅させた人は文総裁である」という看板を世界の歴史家たちがつけたことを、皆知っています。日本の食口たちは知っていますか? (「知っています」)。知っていますか、知りませんか?。大きな声で答えてください。(「知っています」)。しかたなく、答えていますね。(笑い) そして、レバレンド・ムーンに国家が反対し、CIA、FBIがありとあらゆることをしたという、そのような背景をすべて知っている高位階層の人々や国会の上下院議員たち、また彼らと組んでレバレンド・ムーンと統一教会をなくすために活動していた人々が、公に賞を与えると発表し、言論機関など、すべての機関を通してこの四大分野に功績のある人を捜したのです。 それで、開票した結果、「そのような人は、わたしたちが最も憎んでいたレバレンド・ムーンだ」と、このようになったというのです。(拍手)それで、アメリカのヘイグ元国務長官とワインバーガー元国防長官が来たのです。彼らは、レーガンから三時代にわたって活動していた人たちです。カーターやレーガン、ブッシュのときまで、国務長官などをした有名な人たちです。 彼らが冷戦時代に共産党と闘う責任を任され、コーナーに追い込まれて「死ぬか生きるか」と苦しんでいるときに、わたしが現れ、それをすべて解決してあげたのです。ですから、彼らはよく知っているのです。そのふたりが出てきて、「歴史以来、レバレンド・ムーンを凌駕する人はなく、アメリカは彼について行くこともできない」と称賛しながら、わたしに賞をくれたのです。 わたしが賞を望んだのではありません。賞をもらって何をするのですか?。わたしは、たとえアメリカ自体をくれたとしても、もらうかもらわないか、というのにです。アメリカをもらって、内的に腐敗したものを消化しようとすれば、どれほど大変でしょうか?。苦労だけではありません。日本を一つにするのに、どれほど苦労が絶えないでしょうか? しかし、み言を中心としては……。皆さん、訓読会を知っているでしょう?。今年に入って時が満ちたので、「優秀な人たちを連れてきてセミナーをしよう」と言ったのです。 郭クァク錠煥氏、どこに行きましたか? (「ここにいます」)。目がセメントのように固まり、心配事が山のようになったのです。「やりなさいというのに、やりもせずになぜ心配するか。やってみてできなかったら心配するものだ。ごたごた言わずにやりなさい」と言ったのです。 それで、やってみると夢のようなことが起きるのです。先生のみ言は、とても膨大な内容なのです。どんなことでも、難しい問題を質問すれば、すべて答えました。ですから、高位階層を中心として世界百八十か国から集まって七次までしたのですが、七次まで訓読会をしてみると、反対する人がいません。反対する内容があるでしょうか?。霊界を知っているでしょうか、摂理歴史に対する観を知っていますか? あれこれと長く話をしようとすれば、時間がたくさん過ぎてしまいます。何時になりましたか? (「十一時四十分です」)わたしはのどがつまり、目が腫れているのです。今、総合健康テストをしようと、あらゆる薬を飲みました。胃腸の菌が多いらしいのです。きつい薬を飲んだら、健康になるどころか、ぶくぶくに腫れたのです。足が重く、こちらに来るときも、ふらふらして来ました。 しかたなく、テーブルをつかんでこのようにしているのですが、「ああ、先生は、健康な姿そのものだ」と言うのですが……。これが明日までに終わるので……。しかし、医者が総検査した結果が何かというと、その医者は有名な博士で、総合病院の副院長ですが、「世の中にこんなことがありうるのか?。年齢が八十を超えた人が、どの分野を見ても、驚くべきことにすべて百パーセント青年そのものであり、たった今、産まれた赤ん坊のような体質を持っている」と判読していたのです。(拍手) このような話を聞けば、黒人でも、白人でも、日本人でも、怨讐でもだれでも皆、喜びます。今日、この韓国では、わたしたちに反対していたキリスト教会も「文先生は長生きしなければならない」と言っているのです。(笑い)(拍手) 今まで「死ね」と言って、あらゆることをいくらやっても死ななかったのです。(笑い)死ぬようにと祈祷しても文総裁だけが残っているので、「ああ、あの人は死ぬ人ではない。神様の代身かもしれない。また生涯の数十年の間、国ができないことを成しても横柄に威張ってもいない。悪いと思っていたのに、すべての面において比較して調べてみると、目が引っ繰り返って、舌を巻くほどだ」と言っています。(拍手) ですから、一つの事実として分かっていることは、文総裁は間違いなく、韓国五千年歴史に初めて現れた愛国者であるということです。(拍手)それは、だれに尋ねてみても反対する人はいません。今では、先生の悪口を言う人を、若い人や血気盛んな分子が、即座にこぶしで殴っています。それでは、良い時代になりましたか、悪い時代になりましたか?。良い時代です。では、キリスト教にとってはどうですか? (「悪い時代です」) 大韓民国が四十年間、八代の大統領が反対してきました。文総裁が滅びることを願って反対し、「国家の威信を損傷させる」と言ってあらゆる悪口を言ってきましたが、今では大韓民国の主権も文総裁を必要としているのです。 いくらやっても民族を収拾できないのに、怨讐の日本人、怨讐のドイツ人、アメリカ人を一つにしているのを見ると、怨讐視していない韓国民族を一つにすることは問題ありますか、ありませんか? (「ありません」)。あります (「ありません」)。あなたたちが勝ちました。先生に勝ってみると、気分が良いのではないですか? (笑い)そのような時代になりました。 今では、北韓までもそうです。文総裁の思想でなければ、北韓も生きる道がないということを知っているので、十年間、誕生日ごとに礼物を送ってきました。それを皆さんは知りません。先生が話をしませんでした。 今、平和自動車工場をつくっているでしょう? (「はい」)。それはそのときに約束したのです。十年前の約束を守るのです。契約をしたならば、契約を成さなければならないのではないですか?。それを放り出してしまう人は、背反者になるのです。ですから、わたしがつくった環境がどんどん大きくなっていくので、このままいって大韓民国がそこと一つになると自分たちが困るのです。「その前に」と思って、自分たちからわたしたちに与えるようになっているのです。 現代があらゆることをして、金クム剛山観光などを行っていますが、目的は自動車工場を建てることです。しかし、いくら交渉してもできません。これは、金キム日イル成主席が生きている時の遺言として残した言葉であり、遺訓事業となっているので、それに反対する人は首を切られるようになっているのです。 そのように考えれば、わたしが少し苦労しましたが、日本の食口に、「ああ、思いきり働いて、わたしが愛する母の国にしよう」というのは、悪いことですか、良いことですか?。母親は、息子、娘に使われなければなりません。統一教会の青少年を教育するために、今から皆さんは日本で活動して、公的な血と涙を流す役事が起こらなければなりません。 この世界人類の生死がその綱にかかっているということを思うとき、それを自分の手に巻きつけて引っ張るということが、すべての国において……。日本もそこに入っていくのです。それでは、先生が「そのようにしなさい」と言えば、滅びるでしょうか、発展するでしょうか? (「発展します」)。いいえ、滅びるかもしれません。してはなりません。しかし、み旨を知っている人は、先生が「するな」と言っても壁を越えてもするようになっているのです。 皆さん、先生のことが一番好きなのですか?。どのくらい好きですか?。一番好きだという人、手を挙げてください。いやぁ、こんなに多いのですか? (笑い)ですから、日本の国は文総裁に反対し、大韓民国の大統領も、国民全体が文総裁に反対したのです。 皆さんが先生を一番好むので、自分たちが一番びりではないですか?。ですから、彼らは先生に反対するでしょうか、しないでしょうか?。彼らのことも好きですが、文総裁がもっと好きなのです。 国を愛するにおいても自分たちの何百倍、国民のことを心配するにおいても何十倍です。世界を超えて功労を立て、この民族を助けてあげるために準備した基盤を、今、この民族が知る時になりました。 夜中には分からなかったのですが、日が昇れば、いくら見渡しても統一教会にしか希望がないのです。民族や反対していた父母も、喜んで希望を持つようになることによって、文総裁が生きていくことを願うようになるのです。アーメン。(「アーメン」) 皆さん、先生が何歳くらいまで生きるのが良いですか?。答えてみてください。(「永遠に生きるのが良いです」)。永遠に居れば、木が枯れて、飛んできていた鳥も立ち寄らず、虫も訪ねてこなくなります。そうなってもですか?。それ以上悲惨なことがどこにありますか? (笑い) 「程良く仕事を終えて逝かれればよい」と祈祷しなければなりません。そうではないですか?。今ではもう、先生がすべき仕事はすべて終えました。霊界がどれほど複雑か分かりません。日本の人たちが、いくらわたしを一番愛しているとしても、わたしはそれをすべて捨て、韓国の人たちを捨て、愛を知らない霊界を解放するために行かなければなりません。霊界はどれほど待っているでしょうか?。数千億が待っているのです。 最近、日本の人口は一億二千万だというのですが、先生のことを好きな人は何人くらいになりますか?。この世界は何億くらいになるのですか?。あの世に行けば、すべてを一つの方向に統一した基準を中心として、一瞬で国家を超えて……。 仏教なら仏教圏を完全に解放、マホメットならマホメットのイスラム解放、日本民族がいれば日本民族まですべて解放することができるのです。きょうは何の日ですか? (「『真の父母の日』です」)。山に花が咲き、チンダルレ(からむらさきつつじ)が咲き、ケナリ(れんぎょう)が咲くので、見物しに行きます。結論を出しましょう。 今、世界でレバレンド・ムーンを知らない人がいると思いますか、いないと思いますか? (「いません」)。乳飲み子は知らないかもしれませんが、幼稚園から小学校以上の人は文総裁のことを知っています。 それは、うまく宣伝できたのですか、できなかったのですか?。気がつけば、見渡す限りの砂漠に、その広い平原の上にきちんと基礎を築いてしまったのです。地球星に大異変が起きて、横になっていた大きな山脈が逆さまになり、雲が集まって雨が降れば、平原を流れていくのですが、流れていく道をつくっておけば、どのようになるでしょうか?。川筋、水流の主人になるのです。分かりますか? (「はい」)。その主人の思いどおりに土地に水を供給することができ、動かすことのできる世の中になるのです。そのようなとき、そこには理想郷ができるのです。分かりますか? (「はい」)。目を開けて分かったのですか、目を閉じて分かったのですか? (笑い) 今から南北統一です。今、どこまで来たのかといえば、世界、アメリカもキリスト教文化圏も行く所がなく、わたしのおしりにぶら下がっているのです。反対して文総裁を追い出した南北米のキリスト教基盤を訪ねていき、旧教と新教を一つにすることができるように今までしてきたのですが、条件的に成す以上のことをしたのです。 そして、そこに学校を建て、すべての施設を建てたので、アメリカで二十七年、三十年間かけてしたことを、南米では四年間で平準化させました。今からは、旧教も新教もレバレンド・ムーンが教えてあげる「原理」のみ言に従っていかなければ、キリスト教は滅亡するのです。蘇生する道がありません。それゆえに、そのような雰囲気が盛り上がってきたのです。 訓読会も、教会内でも訓読する責任がありますが、社会を中心として国を治め……。政治をする人たちは、宗教は怨讐です。そうではないですか?。国家が宗教人たちを虐殺したでしょう? (「はい」) サタン国家が宗教人たちの首を切りました。宗教は怨讐なのです。教会で訓読会をするのと同じように、この怨讐の群れを集めて政治の分野、経済の分野、思想の分野における未知の環境に苦しむ彼らの前に、新しい希望を伝えてあげることができる内容のセミナーを行ったので、彼らは皆、降参したのです。哲学者、宗教家、経済学者、政治家が皆、降参しました。 今では、アメリカの上下院が、統一教会の「原理」の内容を中心として第二建国の世界を……。「神様の下の一つの国家」というアメリカ第一主義だったものを、今からは「神様の下の一つの世界」という言葉を中心として、「もう一度わたしたちが世界の主導国家の権限を堂々と持つことができるようにするためには、これを建国思想として上下院を通させ実行しなければならない」という喊声が広がり始めました。(「アーメン」)。(拍手) 日本の国は、統一教会の教会員を拉致してあらゆることをしているのですが、今からはアメリカの国務省が手を出すのです。国連と一つになって訪ねていく前に、最近では国自体の中から忠告するということが起きているのです。 国連とアメリカが出てくるのに、日本はついていきますか、ついていきませんか?。良いものに調子よく合わせるのが日本人ではないですか? 「はい、はい」と言いながらです。(笑い)そうではないですか?。昼間にあらゆることをしていた妻が、ふすまを開けて入ってきた夫に「お帰りなさい。ようこそおいでになりました。待ちに待ってこのような姿で敬礼いたします」と言うのです。 皆さん、考えてみてください。祝福したのは何日ですか?。祝福したのは二月十三日でしょう?。二月十三日だったのですが、そのときに祝福が終わり、何日からこの(南北統一前進)大会を始めましたか? (「二月二十一日から三月十二日まで行いました」)。二十一か所の大会を行ったのです。 オリンピック主競技場を予約して、八日目の三月十二日に大会を行いました。十日間で、メーンスタジアムをぎっしり埋めて余りある力が統一教会にはあります。統一教会には底力があるのです。分かりますか? (「はい」)。国会議員をしようという人たちが、文総裁に会おうとお互いに大騒ぎなのです。 わたしが一言、言ってあげれば、(出世する)可能性が大きくなるということを知っているからです。分かりますか?。このような騒がしい、競争の激しい世の中で、わたしたちは「南北を愛することのできる指導者を養成しなさい」と言って、「国会議員が来るか、来ないか見てみよう。この者たち」と、このようにしながら教育しているのです。 教育をすれば、あまりにもその成果が素晴らしいので、与党も野党も「統一教会のせいでつぶれる」というのです。頂上はそのように思っているのですが、「気をつけ 前に進め」と言えば、国会議員たちが一か所に進んで行くことのできる、そのような雰囲気が芽生えてくれば、驚くべきことなのです。分かりますか? (「はい」) イヤホーンで皆、聞いているのですか?。わたしが日本語で話す必要はありませんね。韓国では、絶対に韓国語で話さなければならないでしょう? 「アーメン」と言ってください、日本の人たち。(「アーメン」)。韓国語が分からなくて「アーメン」と言えば、うそになるのです。(笑い)分からないでいてはいけません。 韓国語ができれば四十九億の発音ができ、どの外国に行ったとしても外国語の発音を学ぶことができるのです。宇宙にある、どのような言葉でもできます。神様は韓国に、言葉の中で高次元の言葉を許可したのです。いかなるものよりも、文化の出発は言葉からです。分かりますか?。韓国語は発音するのが大変でしょう?。大変でしょう?。どれほど大変ですか? 韓国人は、あらゆる言葉を話すことができるのです。それで、わたしも韓国人として生まれたことを誇らしく思うでしょうか、反対されて気分が悪いと思うでしょうか?。 もうお昼ですが、おなかがすいているようですね?。なぜ、そのように答えるのですか? (笑い)誇るでしょうか、誇らないでしょうか? (「誇ります」)。なぜですか?。神様を知ろうとすれば、神様が立てた民族を愛さざるをえないからです。それで、わたしたちのような人を捕まえて、この民族を消化しようというのです。ですから、神様の祖国の主権復帰です。 伝統的歴史の材料がすべての国を消化することができ、天上世界にいるすべての人を消化することのできる内容がそこにあるので、悲惨な韓国を愛さなければなりません。韓国に先生が来たということは……。これは本当でしょうか、うそでしょうか? (「本当です」) 歴史を通して蕩減してきました。歴史時代に九百三十二回も侵略されました。それでも国を失いませんでした。単一民族です。志操。さらには、女性たちにおいて、外国人と結婚するということはありません。 日本人と大東亜時代に結婚するようになったのは、間違いなく非法的な愛を結んでしたのであって、自ら進んで嫁に行った人はいません。ですから、韓国は東洋礼儀の国であるということを知らなければなりません。最近では、日本の女性たちも韓国人と結婚することを嫌がるでしょう?。ええ? 日本には、明治時代以降の姓名があります。日本は、親戚間、四親等でも結婚するでしょう?。韓国は、文氏なら文氏、金氏なら金氏とは結婚しません。血統を尊重します。そのような面で見るとき、神様が愛する民族であることを知って、そこに接ぎ木することができるように女性たちを祝福しているのに、しり込みをしたら、これからどうなるでしょうか? これからは、混血児と(結婚)するのでしょう?。その家庭と日本人同士が結婚した家庭と、どちらが先頭に立つでしょうか?。アベル家庭とはどのようなものですか?。混血の家庭だということを知らなければなりません。それを知っていますか、知りませんか?。なぜ、答えないのですか?。それでは、堕落した後孫です。 神様が「しなさい」と言えば、すぐに「そのようにします」と言わなければなりません。「知っていますか?」と言えば、「知っています」と言わなければならないのです。もう一度、聞いてみましょう。知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。(笑い) いつでも、悪口を言われて蕩減するのです。悪口を言われてその峠を越えるのです。 そして韓国において、南北統一を主導すべき責任があるので、二十一日間このようなことをし、そのときに宣布したものが何かというと、「ここで八十歳以下の人は、わたしの弟である」と言ったのです。(拍手) 韓国の伝統は、一か月でも誕生日が遅ければ、その相手を「兄さん」と言わなければなりません。日本はそうではないのですか?。日本でも、そのようなものがあるでしょう?。韓国は一日でも早ければ兄なのです。分かりますか? ですから、先生が八十歳なので、十万人以上集まった聴衆の中で八十歳以上の人は二十人にもなりません。その二十人にもならないグループに入る人がわたしです。ですから、年齢が七十九でもわたしの弟に当たりますか、そうではないですか?。他の人たちが答えるときに「弟に当たります」と言うのであって、「わたしが兄である」と言うことができますか?。そのようにすれば、ほおを強くたたいても、「申し訳ありません」と言うようになっているのです。 そして、女性はすべてわたしの妹なのです。妹を呼び捨てにして、何か恥ずかしいことがありますか?。妹を呼び捨てにしたからといって、何か罪がありますか?。罪がありますか、ありませんか? (「ありません」)。日本でもそれは通じるでしょう? 優れている人も、愚かでも、博士でも、すべての女性はわたしの妹です。そうですか、そうではないですか?。拍手してください。拍手してもだめなので、手を挙げてくださいと言ったので、全員手を挙げたのです。全員、見たでしょう? (「はい」) 全員、見ましたか、見ていませんか?。見ていない人は手を挙げてください。(「全員見ました」)。全員見ました。見て、決意する拍手をしましたか、手を挙げましたか?。二つのうち、どちらもしていない人はいません。全員したでしょう? (「はい」)。全員したので、全員がやらなければなりません。(笑い)分かりますか?。全員したので、全員、何ですか? (「やります」) ですから、町内に行って「教育を受けなさい」と言うときは、うわさになっているので、それを知らない人はだれもいないのです。また、女性たちには、指輪を千五百個も分けてあげました。その千五百個の指輪をもらった人は、本当にわたしの妹です。分かりますか? 堕落したエバにおいては、兄を失ってしまったのであり、夫を失ってしまったのであり、父を失ってしまったのであり、祖父を失ってしまったのであり、王を失ってしまったのです。真の父母はそのようなかたなのです。個人完成、弟も完成、兄も完成、父母完成、夫婦、祖父母完成、ですから、女性たちはすべて先生に引っかかりましたか、引っかかりませんでしたか? (「引っかかりました」) きょう、わたしが一つ良い約束をすればよいと思いますか、しなければよいと思いますか?。日本の人たちだけです。一つ良い約束をすればよいでしょうか、悪いでしょうか? 楽しくて良いこととは何ですか?。日本の人たちは、今の責任も果たせていないのですが、これから韓国の女性たちに指輪を一つずつ、一つずつ……。指輪はいくらにもなりません。一つずつ買ってあげなければならないと決心する人は手を挙げてください。 これは何ですか?。ここは、なぜこのようにしているのですか?。それがどれほど貴いか知っていますか?。兄弟ができるのです。日本の国が母の国になろうとすれば、兄弟を結ばなければなりません。分かりますか?。カインとアベルの兄弟が一つになってこそ、父母の立つ位置ができるのです。 それで今回、指輪を分けてあげたでしょう? (「はい」)。アメリカでもそのようなことをするのです。これは、あなたたちの民族同士でするのではなく、世界が一つの国のようにならなければなりません。一つの家庭になっているので、アメリカ人、日本人、韓国人、世界の妹と姉を通して、愛の表示として、結束の約束として指輪を交換しなければならない時が来たのです。(「アーメン」)。(拍手) そのようになれば、けんかはしません。その指輪は、韓国民族は四千万にしかなりません。日本はどのくらいですか?。三倍なのです。アメリカは二億四千万なので、何倍ですか?。何倍の指輪が入ってくるでしょうか?。その指輪をすべて北韓にいる女性に二つずつ、三つずつ贈れば、「もらう」と言うでしょうか、「もらわない」と言うでしょうか? (「『もらう』と言います」) アメリカの女性から日本の女性、韓国の女性、韓国の僑胞の女性が、彼女たちに「会いましょう」と言えば、会わないでしょうか、会うでしょうか? 指輪を分けてあげる人たちに会えば、二千万同胞の女性たちが皆、「外国に行ったり来たりして一つになることのできる姉妹ができた」というとき、みすぼらしい人のようにあの隅っこの世界で暮らしたいと思うでしょうか、自由に思いどおりに忙しく暮らそうと思うでしょうか?。自由世界の日本やアメリカに行って暮らしたいと思うでしょうか?。どうですか? 北韓にいたいと思うでしょうか、外国に行って姉や妹と一緒に暮らしたいと思うでしょうか?。ですから、「荷物を包んで出動するな」と言っても心がそわそわして、春の季節になると娘たちの心がうきうきして春の庭をさまようようにしてでも、訪ねて行かざるをえない環境になるのです。そのようなことを思うとき、文総裁の戦略的な方法は良いですか、悪いですか? (「良いです」)。(拍手) さあ、よく聞いてください。時間がありません。拍手の音をあまりにも聞きすぎて、わたしはおかしくなりそうです。(笑い)考えてみてください。兄も弟も皆、お金持ちです。さあ、それでは、自動車も一台ずつ寄付し、お金のある人は、自動車も三人、四人に上げることができ、二台でも上げるそのようなことが起きるのです。情が流れる所には物がついていき、その家族まで移動するのです。そうでしょう? (「はい」) それゆえに、このような環境を適用することによって、外部に引き出して闘わずにその国を消化できる道がないことはないだろうと思って、このようなことを言うのです。ないことはないでしょうが、完全なものですか、不完全なものですか? (「不完全です」)。不完全です。今は成し遂げられていないからです。 しかし、先生が構想することは、必ず成し遂げられるようになっていますか、なっていませんか? (「なっています」)。なっていません。この者たち (「なっています」)。(拍手)わたしが「嫌だ」と言いましたが、拍手するときには大きくしなければならないでしょう。それは何ですか? (拍手) 先生の頭は複合的になっていて、こちら側が空っぽのようだったのにぎっしり詰まっており、こちら側でもぎっしり詰まっていると思ったのに、こちら側に行ってみると空間があるのです。ですから、複雑な考えも……。 どれほど複雑であれば、神様の秘密の包みをこのように解き、神様と闘って「あなたの言うことはうそではないですか、この者」と言って……。(笑い)「父が何ですか?。息子にその包みを解いて見せてください。事実でしょう?。わたしの言うことが正しいでしょう?」と言うので、それを解いてみなければならないでしょうか、解いてみてはならないでしょうか? 解いてみるとき、わたしの言うことが正しければ、どのようになるでしょうか?。天下の神様にも勝利した大王陛下です。頭を下げるのです。神様をたくさん泣かせましたが、神様から敬礼されるということもしたのです。(拍手) 今では、わたしがこのようなことを言っても、世界が……。わたしがワシントンの真ん中に行って、どのようなことを言ったとしても、皆が「あのかたが言うことは何気なく言う言葉だが、間違いなくそのようになる」と思うのです。 ビルディングの高い階で、回転いすに座って、たばこをふかし、天下に号令していた者たちも、文総裁が来れば頭を下げて、「わあ、文総裁が来てどのようなことを話していったのか?」と言っています。それゆえに、わたしが講演すれば、超満員なのです。 さあ、韓国、日本……。日本は去年、祝福ができなかったので離婚したのと同じ立場です。それで、わたしが責任を持つことにしたのです。エバが責任を果たせなかったので、わたしが責任を持って日本を抱きかかえ、四十日以内に昨年二月七日の三億六千万双国際合同結婚式をしたことを知っているでしょう? それを日本で行っていれば、どれほど恵みを受けたでしょうか。今から、次に祝福をするときは、大統領が世界に出て、これを先導して招請せざるをえない環境をつくるのです。今は、そのようにすることのできる時になりました。しかし日本が、そのようにできずにいます。 フィリピンはそのようになるのです。また、台湾はすでに二月七日に結婚式をする万全の準備をしていました。しかし、そのようにすれば日本が飛んでいってしまうので、しかたなく韓国でしたのです。 また、エバがアダムを復帰しなければならないでしょう?。エバが天使長と一つになってアダムを堕落させたのでしょう?。分かりますか?。天使長国家のアメリカ、エバ国家の日本。事実がそうではないですか?。二つの国が一つになって、韓国のIMF(国際通貨基金)事態を助けてあげなければならないのです。 自分の財産を売ってでも助けてあげなければならないのに、ここでお金をもうけていこうと横行する者たちは滅びます。わたしがほうっておきません。脅迫ではありません。事実がそうです。復帰原理で見れば、そのようになっているでしょう?。エバと天使長が一つになってアダムに謝礼をしなければならないのです。 エバ国家は日本の国です。その国に生まれた息子、娘の立場なので、お母様が行く道を母と娘が協助しなければなりません。協助しておかなければならないというのです。今までは、母子協助時代だったのです。 今まで日本は、内的な面で母と娘の協助がなされていました。それと同時に、先生においては「父子協助時代」に入ってきました。母親がいなくても、すでに息子が家庭を持ち、国を持つことができ、父が家庭を成して国を持つことができるのです。ですから、母親がいなくても、母親は父親の力で捜し立てることができ、息子の力で捜し立てることができます。そのような立場に立ったということが、今現在の立場です。分かりますか? み言を失ってしまったのが、エバです。それで「聖本」を中心として、済州島に七百七十七人が来ました。生きようと、もがきながら「先生に会おう」と言うので、わたしが会ってあげたのです。大会を行っているときなので、忙しくて時間がないのに会ってあげたのです。時間もない中、時間を割いて、かわいそうなエバ、追い出されたエバを収拾しました。 ですから、「聖本」を先生の身代わり以上に愛さなければならないのです。蕩減です。み言を愛さなければなりません。それから、日本の国をだれよりももっと愛するのです。わたしが愛する以上に日本の国を愛さなければなりません。お嫁に行くために、日本の国を愛するのです。分かりますか?。夫を訪ねていくためです。 そして、夫を訪ねていって一つになってどうするのかといえば、夫に導かれて神様を訪ねていかなければなりません。そのようにしなければならないのは、堕落前の所有権は神様のものだったからです。愛の血統の因縁を結び、神様が喜ばれることのできる祝福の時間、それ以降に万物の所有権が出発するようになっていたということを知らなければなりません。堕落した後孫がいくら百万長者であったとしても、すべて自分のものではありません。それは、主人が訪ねてくれば、いつでも返さなければなりません。 総生畜、何ですか? (「献納祭です」)。献納です。それで、教会を建てなければなりません。全世界にです。文総裁を敬い、尊ばなければならないのです。わたしたちの教会は、今後、神を中心とした国を取り戻すための整地基盤になるのです。教会自体がなることはできません。教会の責任者が神の国の指導者、主権者になるのです。それを形成するために、きょうが過ぎれば二十日まで延長になります。 劉正玉オク氏 (「はい」)。十日という限界線を二十日まで、十九日まで延長することができます。今回の日本の責任に対して、み言と一体になり、神様の国を取り戻すための南北統一に日本の食口が先頭に立って力を注がなくては、生きる道がありません。 南北に分けたのは、だれですか?。エバでしょう?。(「はい」)。日本民族で、そのように考える人はいません。わたしが、統一教会の韓国人と日本人、世界の人を犠牲にしてでも一つにすれば、国が取り戻されるのです。神様の祖国が生まれるのです。分かりますか? 神様の祖国が生まれ、神様の息子、娘、神様の国、神様が愛していたすべての聖賢、賢哲、道人たちがはじめて故郷に定着し、千年万年、神様に侍って暮らすことのできる大宇宙家庭を編成するということが神様の創造理想であったのです。分かりますか? (「はい」)。(拍手) そしてきょう、このような日、「真の父母の日」に集まって決意し、何かの記念を祝賀することも必要ですが、残された最後の障壁である南北統一のために、全世界の統一教会の教会員をして方向を正し、ここに焦点を合わせて神様の国、真の父母の国、真の家庭の国、真の家庭の世界、真の家庭の天地を一元化させることによって、地上に神様が理想とされていた天国ができるのです。個人の天国ではありません。 数千万年の歴史にわたって受け継いでいく天国が、ついに蘇生するのであり、この蘇生した天国は、アダムとエバの失敗によってそれまで空だった天国に穴を開けて一度に埋め合わせるのです。 そのことによって、堕落していない本然の神様の位置を取り戻し、万国の主人となって統治することのできるそのような世界は、わたしたちが暮らすことのできる永遠不変の天国の地であり、祖国であったのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) そのために、何よりも神様が一番苦労し、真のご父母様が二番目に苦労したので、皆さんが三番目に苦労する王子、王女にならなければなりません。そのことがみ旨であるので、今回、「神様の王子・王女が行くべき生涯路程」という講演を行っているのです。分かりますか?。分かりますね、韓国の人たち? (「はい」) あなたたちは、お姉さんです。また、お兄さんにならなければならないのです。兄が弟を愛して、教えてあげなければなりません。それで、韓国人が日本に行って教えてあげているでしょう?。日本が追い出されるのを、先生が防いでいるということを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」) 一つの国です。日本と韓国が一つになって、天使長と息子を愛さなければなりません。南北統一においては、アメリカの国務省がわたしに引っかかってくるようになっているのです。 先生は、普通の頭ですか、非常に良い頭ですか? (「非常に良い頭です」)。老いた人の頭は、ごみ箱のように、ぼろぼろになっているはずなのに、何が「非常に良い頭」ですか?。非常というのは、正常ではないということを意味するとも言えるのです。 南北統一を決定する大移動が起きます。今から入籍式です。ジャルジンに行って先生に祝福されたのは、入籍の手続きのためです。そこで祝福された人は日本人、アメリカ人、全世界の人々が、今からここに移動してくるようになっています。 韓国のような所に、約四千万の外国人が入ってくれば、戦争が起きるでしょうか、起きないでしょうか?。その人々がお金を持ってきて、韓国の土地をすべて買ってしまうのです。 そのような意味で、南北統一は、わたしたちの神様の祖国主権復帰です。故郷も取り戻し……。故郷は地球星であり、わたしたちの永遠な祖国は天の国です。神様を中心として永遠に侍って暮らすことのできる、祖国主権復帰のために生きることのできる義勇軍であり、勇士としての出動命令が下れば、その行進はゆっくりしますか、急いでしますか? (「急いでします」)。そのような勇士になるという人、両手を挙げて誓いましょう。(「アーメン」)。わあ 拍手してください。 さあ、このくらいにしましょう、わたしもおなかがすきました。きょうは、薬のためにご飯もおいしくありません。目も腫れ、足もどれほど重いか分かりません。ですから、このように立って話せば、先生がかわいそうなのでこのくらいにしましょう。 あなたたちは、「時間になったので、ご飯を食べるために終わりたい」と思い、わたしは「疲れたのでやめたい」と思う、二種類の「やめたい」がありますが、多くの人たちがそのことを願うので、わたしは原理原則に従っていく人ですから、皆さんのために退かなければなりません。アーメン。(拍手) 真のお父様の祈祷(真のお父様が、祈祷されたあとに再びみ言を語られる) 終わるときは、全員の心がご飯に向かっていくというのです。それよりも切実な心で、ご飯を食べることも忘れてしまう宣言をしなければならないと思って出てきました。分かりますか? (「はい」) それは何かというと、きょうが真のご父母様の聖婚式四十周年の日なのです。分かりますか?。これを永遠に、四十年、四十年と続け、一次、二次、三次、そして百次、千次と継続することができるということを、この日、天地に宣布します。分かりますか? (「はい」) それで、第二次四十年、百次四十年と、先生が教えたすべてのみ言とともに一致するときは、サタン世界は、その四十年蕩減勝利圏内に一歩も踏み込むことはできません。 ですから、そのような権威を歴史的に連結させなければならないという責任が真のご父母様にはあるので、皆さんが四十年間にできなかったことを……。皆さんが第二次四十年を充分に満たし、後孫たちがまた、新しい四十年を輝かしく迎えることができるように、歴史を通してするのです。 アーメン。(「アーメン」)。約束するでしょう? (「はい」)。そのように伝授しなければなりません。分かりますね、郭錠煥氏? (「はい」)。黄善祚氏? (「はい」) その意味が分かりますか? (「はい」)。一次、二次、百次、千次。何千年も続くのです。永遠に続くのです。ですから、先生のみ言を中心として一つになった人、み言の実体になった人は、天国直行です。約束します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.03
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※ 『祝福家庭』17号(2000 夏季号)より:真の愛は本然の対象圏価値観の完成二OOO年四月二日、聖日、韓国の本部教会において真のご父母様が集った教会員にみ言を語られました。 百回、干回読み、すべて覚える 私が御言を語りますか? (「何章を訓読しますか?」)。今回の大会の時に訓導したものがあるではないですか。「神様の王子・王女が行くべき生涯路程」です。(「はい」)。南北をするためには、それをすべて覚えなければなりません。皆さんはその本を百回、干回読み、すべて覚えてこそ、摂理観が明確になり、今後、私たちが行くべき方向が明確になります。「王子・王女」とは、堕落していないアダム・エバのことをいうのです。 (訓読会をされる) 他の話をすれば、この御言がすべて消えてしまいそうで恐ろしいです。先生の御言が必要ですか? (「はい」)。 きょうは二日ですから、私は四日後には出発しなければなりません。それで、仕方なくきょうここに来たのです。忙しいし、風邪も31き、憾もかれています。それでも、御言を語ってほしいと願うのですか? (「はい」)。もう一度すべて読んであげて終わりにしましょうか? 深刻な御言です。レバレンド・ムーンは、神様の国がないので苦労するのです。神様も同じです。皆さんも、どのようにして私個人が完成するか、ということが問題です。神様の御旨の前に、東西南北、四方な塞がれず進むことのできる人、あるいは、中心的位置でどのような犠牲でも覚悟して進むことのできる、そのような人になったのか、そのこと自体が問題なのです。それさえ解決すれば、南北統一戦線も問題ありません。いくら地上が地獄になっていても、地獄の門を開放するのは問題ないのです。結局は、「私」にかかっているのです。 南北統一、祖国光復、そのようなすべての願いは、国が願うのではありません。アダムとエバが男性と女性を代表して堕落したので、男性と女性の完成的基準を中心としてみるとき、摂理のすべては,男性という「私」、女性という「私」のために動いてきたという事実を意識しなければなりません。 六十億人類の救援というものは、堕落圏内にあるのです。救援が必要な私であるということを思うとき、その救援は個人の救援ではありません。家庭を越え、家庭救援、国家救援、世界救援と、天地が地獄とに分けられていることをすべて解放し、神様までも解放してさしあげなければならないのです。 今日の数多くの宗教は、神様の前に恩恵を受け、人間の解放圏をなそうと願っています。神様の心情世界の本然的根本を掘り下げて考えてみれば、アダムとエバによって神様は、そのような苦痛の立場に立つようになったのです。孝子、忠臣・聖人、聖子の道埋を完成すべき息子・娘が、一つも成し遂げることができず、そのような目的はそのまま神様の心の中に埋められているのです。対象がいないのです。対象を探し出すために苦しむ神様なのです。その対象がいないというのです。すべてが怨讐なのです。 それで、神様が実体対象の位置で、僕の位置・養子の位置、庶子の位置を経て、直系の息子の位置、次に,父と母の位置を経ていく復帰の道があるということを、今まで分かりませんでした。 すべてが行くべき摂理的終着点であり、復帰の目的である祖国光復、地上天上天国というものは、私たちが必ず果たさなければならない宿命的な課題です。運命ではありません。運命は代わりを立てることができますが、宿命は代わりを立てることができません。父子の関係で、代わりを立てることができますか? 代わりを立てることはできません。また、夫婦の関係で、代わりを立てることはできません。 このようなすべてのことを見るとき、この全体の願い、摂理的目的を解決することのできる一つの基盤、国を中心として宗教圏が起きた地域を、サタン世界が歴史を通して今に至るまで、破綻させ、環境と世界の舞台にまで引きずり出して攻撃してきたのです。神様は保守的な立場で、あちらは攻撃的な立場です。天は打たれて奪ってくる戦略をしてきたのです。それゆえ、神様の苦汁は、どれほど大きかったことでしょうか? 歴史を通して願われてきた神様の家庭、真なる孝子・孝女の家庭がありません。孝子・孝女が暮らすことのできる国がありません。国家がないというのです。国家基準さえ連結されれば、サタン圏内を乗り越えられるのです。長成期完成級で堕落したのです。その基準を乗り越えるので、完成(期)は、蘇生基盤を中心として入っていくのです。完成(期)は、サタン世界が解放されるのです。それが摂理観です。 宇宙の勝敗がかかっている厳粛で宿命的な天の願いを遂行するのが、この短い人生 このようなすべてを中心として完成するのです。それゆえ、問題はだれかというと、家庭ではなく、男性一人、女性一人だというのです。血統が変わってしまったのです。 神様の血統を受け継ぎ、天の国の直系の王子・王女になり、その天の国の王家、王圏をft表した家庭的代表が、堕落していない完成したアダムです。神様が一代、アダムが二代です。三代を経て、アダム時代において多くの息子に対することによって、横的に発展し、民族に発展して、国家形態になることを願っていたのです。 国家を越え、世界、天宙までなし、神様が理想としていた本然の天国理念を完成し、神様が父母となるのです。全人類は、直系子女の環境を備えた地上・天上で暮らすようになるのです。そのような所が、堕落していない本然の神様の理想世界です。私たちで言えば、理想天国です。このことを知らなければなりません。 このすべてが、個人・アダム、個人・エバです。彼らによって血統が汚されてしまい,断たれてしまったので、すべての完成の解法点は、「私」によってなされるというのです。そのような原理的な内容、その伝統的公式路程を、今まで分からずにいたのです。 統一教会に入れば、個人としてどのように完成するのか、知ることができます。家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成,世界完成、天宙完成までなして、神様まで上がっていくのです。 神様は、梯子を反対にして人間世界に降りてこられ、堕落していない本然の個人個人を迎えて家庭形成をなし、家庭、氏族・民族、国家形態を備え・世界に新しい祝福的血統的環境を拡大させることが、統一教会に対する神様の願いであり、希望なのです。ですから、今日、統一教会は国際祝福という課題を中心として、全人類が家庭的血統を転換し、神様の伝統的血統に連結させ、接ぎ木をしてきたのです。それが国際合同結婚です。それは国家から始まるのではありません。皆さん個人から始まるのです。 真のご父母様が完成して出発したことと同じように、その伝統的内容で、皆さんが完成の出発をなすことのできる基準に連結されてこそ……。種ができ、実になって、世界に繁殖するのです。神様の創造理想が地上に満ちあふれ、天上に満ちあふれ、(神様を)愛の主権の大王陛下として侍り、アダム・エバをこの地上の大王陛下として侍り、一体理想を中心としてすべてのものが解決され初めて、復帰摂理が完結するのです。 それで、宗教圏の解放、人類のすべての国家、民族の解放がなされるのです。今まで堕落圏内にあったすべての伝統的習慣を否定し、本然の基準に一致させ、私個人から天の国の玉座まで直行できる高速道路を走る皆さんにならなければ、天国に入ることはできません。分かりますか? 天国です。天国は、だれにかかっているのですか? (「私にかかっています」)。神様にかかっているのではありません。神様にかかっているのならば、神様の思い通りにして、すでに成し遂げていたでしょう。血統が変わってしまったので、神様は審判できないのです。これは必ず、息子・娘を再び取り戻し、堕落の血統ではない完成した個人から、完成した家庭、氏族……。これは理論的です。このようなすべてのことが、「私」にかかっているというのです。どれほど厳粛で、どれほど深刻でしょうか? 私たちの生涯は、七、八十年です。「宇宙の勝敗がかかっている、厳粛で宿命的な天の願いを遂行するのが、この短い人生だ」ということを骨髄に染みるほど感じなければ、その道を行くことはできません。人間がその道を行くことができないので、メシヤ、真の父母を送り、絶対信仰、絶対愛、絶対服従という一体圏の位置に入っていき……。 完全な主体は完全な対象をなすように、不足ですが,皆さんも真のご父母様に侍り,絶対信仰、絶f愛、絶対服従で一つになることによって、初めて、神様の後について行くことができるのです。 愛によって一体となることのできる本然の血統的根源が顕現し、その息子・娘の位置に立つことによって、「父の所有は息子・娘の所有」と、このようになるとき、天の国に直行し、すべてが私の国になるのです。ぞのような人になれば、天地のどこに行っても、制裁を受けず、自由奔放な解放の世界になるのです。それが私たちが願う理想天地です。アーメン! (「アーメン!」)。 この七年路程で歴史的なすべてのものを蕩減しなければならない もっと御言を語りますか? だれにかかっていると言いましたか? (「私たちにです」)。男性の私、女性の私、二人が問題です。これが問題です。結婚を過ったのです。神様の血統を伝授され得る夫婦にならなければなりません。そのようになれば・そこに生まれた息子・娘には、信仰や宗教は必要ありません。天の国に直行できるように、先生が道を築いておきました。分かりますか? それゆえ、受難の道、人類歴史でいかなる人よりも苦労の道を行かなければなりません。地獄の底まで、すべて掘り返さなければなりません。サタンが打ち込んだ根を抜いてしまわなけれになりません。 人間世界において、受難の道を行かなければならないのです。救援摂理の歴史は六千年ではありません。何千万年です。長い歴史の恨を抱いてきた父の心を、どのようにして元返すのか、これが問題です。堕落のゆえに恨を抱いた父母を,どのようにして解放するのですか? この地上でだれよりも受難の道を行き、その道において勝利しなければなりません。 それゆえ、サタンは、天の人々が行こうとすることに反対し、これを転覆させ、迫害し、すべて殺してしまねうとするのです。それを越えて、越えて、越えて、越えて、勝利の道を行かなければなりません。 キリスト教を中心として基盤を築き、来られる主と一つになっていたならば、七年以内に終わっていました。七年もかかりません。四年以内にすべて終わったのです。そのような歴史的な総蕩減時代が、二〇〇〇年から二〇〇三年までです。また、その前は、一九九七年から九八、九九、二〇〇〇年の四年路程です。この七年路程で、歴史的なすべてのものを蕩減しなければならないのです。 神様が環境を創造した後にアダムとエバをつくられたように、今まで環境的与件を世界につくってきました。今からの問題は環境圏内において、国を中心として、主体的な国になれば、その国が祖国光復の基台になることができるのです。それが南北韓だというのです。 これは、共産主義・唯物思想と唯心史観の終着地です。闘いによって始まったので、最後の決定は、平和の基準で愛することによって終わりを迎えるのです。兄が弟を愛し、北韓が南緯を愛し、この環境を解決しなければ、地上天上天国理念は完成できないのです。なぜですか? アダム家庭において兄が弟を殺し、殺戮戦が起きました。これを解決するためには、国家的基準において解消しなければなりません。そうしてこそ、天国を代表し得る国家となり、世界の国家を兄弟国家として統一することができるのです。そのような環境がすべて整っているのです。分かりますか? (「はい」)。 どのような犠牲があったとしても、南北統一という必然的な運命的課題を、宿命的な課題として、私個人・私の家庭、私の一族、御言七代子孫が、必ず,越えなければならないのです。宿命的課題です。 このような御言を真のご父母様が詳しく語ったのにもかかわらず、皆さんがこれを越えることができず、それを実行しなければ、歴史的な七代の後孫たちの前に、アダムが堕落し恨みを受けたことと同じ結果になるのです。皆さんを再び救援するための摂理はありません。 このようになれば、今まで恨みの喊声(かんせい)を聞いていた神様は、真のご父母様が天上世界に行けば、世の中と関係のない境地、地獄と関係のない境地で、これをすべて断ち切り、堕落したアダム・エバのためにつくった宇宙以上の天国を再びつくり、新しい天上天国,地上天国を形成することができるのです。二度と救援摂理はありません。分かりますか? (「はい」)。 それで、宗教というものは、今すべて滅んだのでず。そのようなことを知らなければなりません。 そのような責任を、各自がもつことができますか、できませんか? (「もつことができます)。思っているのですが、分かっているのですか? (「分かっています」)。では、分かって、自覚しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (「自覚しなければなりません!」)。 自覚できるという人は、条件的にでも手を挙げるのです。「その御旨の前について行くことができる人、実体にはなれなくても影のように、昼があれば夜のような位置で、天国があれば影のような世界に行き、解放的救援完成の民族、国家、人類,万民になる! アーメン!」という人は、手を挙げてください。(「アーメン!」)。(手を挙げる)(把手) 今から四年間、このことに生死を懸ける 何によって天国人になることができるのですか? 私はどのようにして、天国の人になることができるのでしょうか? 血統が変わらなければなりません。この大韓民国も、堕落した世界の戦争によって分立された一分派の国です。数多くある国の中の一つにすぎません。神が願う本然の国ではありません。これは堕落した、過った,整備されるべき国なのです。 それゆえ、終末になれば、人間は希望をもつことができなくなるのです。分かりますか? 政治、経済、文化、自分が愛する家庭に対しても、すべて不信するのです。絶望しています。そして、絶望しているところに、このような新しい世界観が出てきたのです。 今、そうです。インターネット時代、電子メール時代も来ました。放送すれば、世界は四日以内に真のご父母様が願う世界に、サッと帰っていくのです。そのようにすることのできる時が来たのです。 今から、皆さんが責任を果たすことのできない日には、先生は韓国を放棄してもかまいません。候補の国……。先生は完成圏内に移行したので、世界的です。天地の最高の位置に移行しました。完成圏内には、多くの国が入っているのです。韓国を放棄することのできる準備をすべてしてきました。分かりますか? イスラエル民族がどのようになりましたか? 来られた主を迎えることができず、歴史にない、血を流す悲惨な民族になってしまいました,韓国は今後、どのようになるのでしょうか? 血は流さないでしょう。しかし、呪いと瑚弄(ちょうろう)の民族として、陰で暮らさざるを得ない、悲運な位置に立つことを心配しているのです。 本来、日本で三億六千万双の祝福をしようとしたのです。それができないので、四十日以内に韓国に来て、昨年の二月七日になしました。寒い時です。それで、神様の前に日本の国がなくなってしまうのです。それゆえ、私が責任をもって……。 過去の時代は母子協助時代だったのですが、今の時は父子協助時代です。神様の御旨の中で、エバ国家、母の国が責任を果たせなければ、どこにでも母の国を立てることのできる版図を形成して……。それゆえ、三つの国を一つの国として扱うのです。三つの国は一つの国です。分かりますか? (「はい」)。 祝福家庭は、ジヤルジン四十日修練を受けて、総生畜献納をしなければならないようになっています。皆さんが愛の位置に行く前に献納するのです。すべての所有は、神様の所有です。愛の血統を受け継いで、愛の息子・娘を結婚させて、初めて、相続権が生まれるようになっているのです。これは言葉だけではありません。そうしてこそ、サタンの足場が、きれいに完全になくなるのです。 霊界と肉界、地上の祝福家庭はプラスであり、霊界の祝福家庭はマイナスです。そのような天使長兼家庭が生まれたのです。これは原理にはありません。創造理想世界にはありません。堕落することによってそうなったので、この二つが一つになり、祝福家庭はここから垂直に上がっていくのです。個人解放時代から、今は国家時代に上がってきました。上がってきて全体統一です。 そして、これを越えることができるものが南北統一なのです。南北統一ができなくても、私が国をなすことのできる基盤をすべて築いておきました。 皆さんが責任を果たせなければ……。今から四年間です。ある人は,四十年だと言うのですが、それはだれが話したのですか? 皆さんが今から四年間、このことに生死を懸け、御言を理解し、家庭を救援することのできる内容だということを理解し、個人を救援することのできる内容だということを理解し、一族を救援することのできる内容だということを理解し、民族を一つにして救援することのできる内容だということを理解し、これに責任をもたなければなりません。責任を果たさなければならないのです。死ぬ時まで……。 「死なんとする者は」、どうなると言いましたか? 「生きる」と言ったでしょう。サタン世界の血統をもってそのまま生きれば、地獄に行ってしまうのです。これを踏み越え、復活しなければなりません。重生の過程を通して復活することによって、サタンの血統を否定し、天の血統を受け継ぐのです。これがメシヤ思想です。これが旧約時代・新約時代を経て成し遂げられるのです。 旧約とは何ですか? 結婚できないのです。神様の御旨と血統を連結させる、結婚の基盤を失ってしまったのです。新約とは何ですか? イエス様が来られて、小羊の婚宴……。再臨時代に小羊の婚宴をすると言ったのですが、そうではありません。イスラエル民族が、絶対信仰、絶対愛、絶対服徒していたら、国と世界を取り戻していたのです。そのことと同じです。そのような位置に立つことができずに、失ってしまったのです。 そのことによって、先生はイエス様の代わりに、世界的な基盤で成し遂げなければならない立場に立っているのです。真の父母を中心として、四十年を中心として四千年歴史を蕩減し、世界人類を祝福圏内に導き・解放圏をなすことのできる現実的時代を成し遂げたのです。 第一の問題が青少年問題です。家庭破綻の問題は、どの国の主権も、だれも、解決策が分かりません。それを解決することのできる特権をもっているのが文先生なのです。分かりますか? 真の父母だというのです。 霊界の秘密、地上歴史の秘密、これをすべて解怨成就しました。堕落してこのように拡大し、ここに立っているのです。先生がこのすべてを蕩減して勝刊したので、皆さんはここに、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で一体とならなければなりません。昼も、夜も、一体圏をなしたという時は、この位置に、真の愛を中心として上がっていくことができるのです。 真のご父母様が許可することは、真の愛の血統、真の愛の一族、真の愛の民族を編成することです。そのような歴史上の何にも代え難い、天の宝である相続権を、個々人の家庭に伝授したのです。それが祝福家庭だということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 すべては真の愛と因縁をもたなければ完成できない 御言をもっと語りますか? 何時ですか? (「七時半です」)。 さあそれでは、私がどのように個性完成し、原理観において歴史を整備し、解放されるか話をします。題目は「真の愛は本然の対象圏価値観の完成」です。 真の愛は!(「真の愛は」)。本然の!(「本然の」)。対象です。一人で存在するものはありません。愛という概念を中心とすると、一人という存在はありません。ペア・システムになっています。鉱物世界もぺア、植物世界もぺア、人間世界もぺア、天地もぺア、皆さんの心と体もぺアです。対象圏をもっているのです。被道世界のすべてのものも、対象圏の価値観! その価値観は、神様が好み、神様が喜ぶことができ、神様が共にいることのできる価値観なのです。分かるでしょう。この目もそうであり、すべて相対になっているのです。 それゆえ、上下、前後、左右、自分が立つ位置が確定するためには、上下関係、左右関係、前後関係が必要なのです。そのような立場に立った自分が、どのようになればすべての解放をなし、サタンから解放された者になるのか、これが問題なのです。 真の愛は九〇度、四X九=三十六でしょう。九〇度でしょう。堕落することによって、角度が変わってしまったのです。それゆえ、真の愛が定着するためには……。男性と女性が一つになったその中に、中心が生まれるのです。分かりますか? 主体と対象が授け受けすれば、必ず中心が生まれます。ペアになって運動するところには、愛を中心として、中心が生じるのです。 ここもそうです。小さいものも見れば、これがプラス・マイナスです。これを中心として主体となり、千態万象の基準がすべてこのようになっています。これがプラス・マイナスです。これが九〇度です。分かりますか? これがプラス・マイナスです。霊界がプラス、地上がマイナスです。すべて相対的基準ができてこそ、この中心と横が九〇度になるのです。 そのような意味で真の愛は、堕落していない、神様の本然の対象圏の価値をもっているのです。価値は、一人では成立しません。価値があるものとは、相対的な関係においてお互いに取り替えることのできる存在のことをいいます。価値があるということは、物を買うときも、二人の人・売る人と買う人、二人が認める以上の位置に上がっていくのです。対象圏価値観の完成がなされるのです。 題目の内容は分かるでしょう。(「はい」)。 それでは、神様はどのようなお方でしょうか? 私たちが知っている神様の属性は何ですか? 絶対的なお方です。それから、唯一なる存在です。それから、不変です。それから、永遠です。神様自身も、心と体のようになっているのです。分かりますか? その属性である「絶対」が必要なのが何かというと、「創造」です。これがプラスならば、これがマイナスです。(図1を板書しながら語られる)「唯一」では「主体」、「不変」は「関係」、それから、「統一」。この二つが一つになり、神様は人格的神だというのです。 何を中心としてですか? 真の愛がなければ、これはすべて必要ありません。皆さんも、真の愛は絶対的であることを願うでしょう。そうでしょう。ただ一つの、唯一であることを願うでしょう。不変であることを願うでしょう。永遠であることを願うでしょう。 それゆえ、この二つが一つになるので、神様は人格神だというのです。愛の主体になることができるのです。これが縦約基準に立っています。人間における価値とは何ですか? 人間の価値は知情意です。知情意があるのです。 皆さん、「知」という字の「口」は「御言」を表します。それゆえ、御言の矢です。標的をつくるのです。知識を得ることによって、標的を中心とした環境と関係を結ぶことができるのです。ですから、学ばなければなりません。知識が必要だというのです。 次に「情」です。人は情的です。「情」は何かというと「心」という字です。「心が青い」です。春夏秋冬、変化がありません。真の愛は変わらないのです。知情意の「意」は、志を立てるうえで、愛を中心とした志だというのです。「立」という字と「曰」(曰〔いわ〕く)という字と「心」という字です。これが「意」です。御言の心を立てるのが「意」だというのです。分かりますか? 知情意です。人は、そのようなものをもたなければなりません。そこに必要な相対的な価値が何かというと、真善美です。それが相対的価値です。真でなければならず、美しくなければならず、善でなければなりません。これは人格としての相対的関係です。 これは内的な世界、これは外的な世界、内的な人格・外的な人格,これはプラスであり、これはマイナスです。私たちはこれを必ず知らなければなりません。情を立てなければならず、目的をもたなければなりません。それから、真善美です。 「善」と「美」には、二つとも「羊」が入っています。羊は犠牲的です。真善美を探し出すためには、真善美自体が要求することは、「犠牲にならなければならない」ということです。 知情意の人格、個人の人格、家庭の夫婦の人格、この二つが一つになってこそ、そのような男性と女性が真の愛で一つになってこそ、家庭が生まれるのです。この二人が一つになってこそ、家庭が生まれるのです。家庭破綻は、このすべてをばらばらにしてしまうのです。それゆえ、神様が相対する価値がないのです。 絶対性、唯一性、不変性、永速性、創造性、主体性、関係性、統一性を中心として、知情意の観点、知情意の価値、このすべてのものがここにあるのです。ですから、結婚がどれほど……。分かりますか? 神様と人間が一つになることなのです。すべての内外が一つになって、家庭をなすのです。すべてのものが真の愛です。真の愛は、本然の対象圏価値観の完成です。分かったでしょう。 内的・外的、プラス・マイナス、これは横的な基準で、知情意はプラス、真善美はマイナスです。この二つが一つになれば、家庭というものが形成されるのです。 それゆえ、絶対性が必要なのです。絶対性と通じることができるのです。絶対性があるので創造したのです。創造は何かというと、唯一なので、主体性がなければなりません。男性ならば絶対的な主体性、女性ならば絶対的な主体性です,これは不変なので、変わらないようにしようとすれば、二つが一つにならなければなりません。内外が一つにならなければならないのです。内外が一つにならなければ、夫婦で暮らしていても、一言でも誤れば,ねじれてしまうでしょう。不変の相対的関係です。 それゆえ、この世の中を見れば、関係の世界です。個人関係、家庭関係、氏族関係・民族関係、国家関係、世界関係、信仰関係,すべての関係が集まっているのです。その関係は、どのように主体性を中心として一つになるのでしょうか? その主体性は、神様の創造の絶対性と、どのように一つになるのでしょうか? このようになっているのです。 永遠は、統一です。それゆえ、皆さんには創造性があるでしょう。何かよいものをつくりたいと思い、自分にプラスになるものを願っているのです。その主体になりたいと思うのです。主体になって、何をするのですか? 相対が必要であり、関係が必要だというのです。相対に出会ってこそ、二つが一つになって、統一がなされるのです。「統一」という言葉は、一つの存在でなされる言葉ではありません。それゆえ、このような属性的内容を中心として連結し、神様の愛を主体とした人格が生まれるのです。人格です。 これを中心として、このような人々が一つになり、完成した家庭ができあがるのです。分かりますか? 一度、してみてください。絶対性は創造を必要とし、唯一性は主体を必要とし、不変性は関係があり、それが一つにならなければ変わってしまうのです。それから,永遠性は、縦的な世界を代見代身して九〇度で連結して一つにするためのものです。それが人間世界では、知情意です。知情意であり、真善美だというのです。これを中心として、知って、よい志を抱き、このすべての真理……。 ここから真の愛が抜けたならば、すべて意味がありません。真の愛を中心として知ることのできる、知識、情、意です。真善美も、真の愛がなければ駄目なのです。 それゆえ,真の愛は、本然の対象圏価値です。男性が真の愛の道から離別すれば、それは天宙の前に犯した犯罪だというのです。夫婦が立つようになれば、上下、前後関係が正しくなるということを娃らなければなりません。男性と女性が出会うということは、神様から分かれた分性が、再び出会うということなのです。宇宙の核が、霊肉に分かれていたものが、縦横を通して、九〇度で出会って定着したものが家庭だというのです。分かりますか? (「はい」)。 では、皆さん、知情意を中心として、何をしようというのでしょうか? 真善美を求めていくのです。相対圏のことです。 このような過程において、絶対、唯一、不変、永遠であり、創造、主体、関係、統一が願い、それから、知情意が願い、真善美が願うすべてのものは、真の愛と因縁をもたなければ完成できないのです。これが結論です。 祈 祷 愛するお父様! 流れていく歴史を止め、その中に自らの位置を立て、上下、前後、左右、周囲の環境が自分を批判し、ただの一人も天が願う位置を探し出して立つことができない、かわいそうな堕落の血統を受けた全人類となったという事実を知らずに生きてきました。 今、真の父母との因縁に従い、このような内外の相対的理想が地上世界と天上世界に、断ち切ることのできない因縁として、真の愛の関係が綴られているということを知っている統一教会の群れは、昼も夜も、青春時代も老年時代も、生涯を通し、この伝統的な使命と宿命的な目28的の前に一致し得る個々人の完成とともに、家庭理想を中心として、氏族、民族、国家、世界、天国を編成し、神様に侍って暮らすことのできる大家族理想天国の国民となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 この四月は、春を迎え、すべての方物万物が蘇生する季節であり、葉が育ち、花が咲く、そのすべての事実を見るとき、秋の収穫の実が、百倍、千倍以上になることを願い、育つすべての万物と同じように、統一教会においても歴史的な恨の峠を越え、また越え、今、春の季節を迎えることのできる時になりました。 真の父母を種として、ここに葉が生い茂り、花が咲き、全天下の万民が真なる愛の収穫の実を、今まで空いていた天の国の倉庫に収穫し、満ちあふれてあまりある、このような希望的な責任を果たすうえで,すべての精誠を尽くすよう許諾してください。 神様が創造された過程を思うとき、太陽と月と水と空気と地をつくり、生命が存続することのできる環境をつくられ、そこで、絶対的な原則で主体と対象圏が一体となることができるようにつくられました。 同じように私たちが生きるうえでも、環境はすでに神様が創造し、そこに、男性と女性が主体と対象となり、この二人が一つになれば、地上の家庭が天上の家庭となり、地上の国家が天上の国家に連結し、そのような希望を成し遂げるべきはずだったのですが、アダムとエバの堕落によって、すべてが引っ繰り返してしまったのです。今、真の夫婦が来て、すべての道を提唱しました。そして、歴史的なすべてのものを、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を中心として、真の父母が代身して蕩減いたしました。 それゆえ、父母を絶対信仰し、絶対愛し、絶服従することによって、真の愛で一つとなり、サタンの血統を否定し、サタン世界の地獄を否定し、解放の位置に立ち得るすべてのことが、理論的な結果だということを知っていける統一の群れは、そこまで行くための個人的環境を打開し、氏族、民族……、八段階の蕩減復帰歴史をすべては行くことができなくても、それ以上の苦労の心をもって,絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、神様と天地父母と一つになることができるという、そのような希望をもち、生涯のいかなることも越え、また越えることのできる勝利的継承者となるよう、祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 願う天国が私たちの目前に近づいてきましたので、その前に立ち、ご父母様が治め、懐に抱かなければ行くことができない彼らを、お父様の愛で抱き、このすべての人類と地獄にいる人を解放して抱いてくださり、あなたの本然の真の天地父母の位置を回生し、万国が統一された愛の主権時代の解放時代を迎えるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申しヒげます。 今、本部教会に来て、このような集いをもつようにしてくださったことを感謝申し上げ、四月の忙しい路程を残し、世界のために責任を果たさなければならないご父母様の願いを完成する道に向かい、それぞれの環境においても、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心をもって一心一体となり、一つの天宙を代表した家庭的兄弟姉妹の血族となるよう、許諾してくださることを懇切に願いながら、このすべての天上世界と地上世界の一体圏を協助してくださいますように。すべての祈りを真のご父母様のみ名によって祝願いたします。アーメン! アーメン! アーメン! 皆さん、今後は全員班長になり、都市でほ統、班、地方では里長、面長の位置に立たなければなりません。それは問題ありません。占領したとしても、それが永遠に定着するためには「訓読会」をしなければなりません。これは霊的な糧です。分かりますか? 肉的な糧を慕い、それをおいしく食べてこそ成長するのと同じように、霊的な糧をおいしく食べてこそ成長するのです。このように家庭的定着をすることによって、地上に解放が展開するのです。分かりますか(「はい!」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.01
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「神様の王子・王女が行くべき生涯路程」この講演文は、2000年3月9日から12日まで開催された文鮮明先生御生誕80周年祝賀南北統一前進大会で語られたみ言です。 南北統一を熱望する指導者、そして紳士淑女の皆様 たった今、始まった新千年は、二十世紀の遺物である分裂と葛藤が清算され、和解と統一の地球村一家族という理想が実現されるときです。皆様の各家庭に新千年の祝福が共にあることを祈願いたします。 まず、わたしの八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、世界(全国)各地から訪ねてきてくださった皆様に心から感謝いたします。そして何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様にすべての栄光をおささげいたします。 わたしの生涯を振り返ってみるとき、ただのひとときも平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り囲む列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。 わたしは、十六歳(数え年)の少年時代に、祈祷している中で突然、天のみ旨と出会い、その後、生涯を通じて神のみ旨を成就するために全身全霊を傾けてきました。 そして気がつけば、人間の不幸の根本原因は、人類始祖の堕落によって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果でした。 このことによって、神様と人生と宇宙の根本問題等に対して無知に陥ったのです。今までわたしは、世界各地の公式席上において、一万回以上、語ったみ言を通して、神主義に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。 それらの内容は、世界各国の十二の言語に翻訳され、すでに三百巻以上の本として出版されました。これは、文献による総合的な研究や学問的な探求の結果として解明したものではなく、有形・無形世界を自由に行き来しながら、原則的で根本的な解答を解き明かしてきたものなのです。 今日、わたしは、この意義深い場に感謝しながら、わたしたち民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算であるというべき韓半島の統一問題を念頭に置き、その方案に対する根本的な解答として「神様の王子・王女が行くべき生涯路程」という題目でお話ししたいと思います。 内外の貴賓の皆様 皆様は、どこの国の国民ですか? 大多数の人が韓国の国民であると思います。そうすると、韓国が皆さんの祖国です。そうではないですか? それでは、神様の祖国はどこになりますか? 今、神様の祖国はありません。この世界のすべての国家の起源はどこですか? 神様が起源になっていますか、そうでなければ、他のところが起源になっていますか? このような、すべての国家の歴史的な起源が問題になっているのです。 この世の国々は、すべて闘いによって分かれて生まれました。それゆえに、ある二つの国があるとき、その二国の境界線は、深い恨みが積もった境界線になっている場合が多いのです。第三国、第四国との境界線よりも、隣接した境界線を中心としてより熾烈な闘いを繰り広げ、より多くの血を流した歴史的な事実があるということをわたしたちはよく知っています。このように、二国家間、二つの民族間の障壁が最も高いのです。 闘いは常に、何万里も離れた所に飛んでいってするのではありません。昔から、隣接する二国家の境界線を中心として闘いが起きてきました。ですから皆さんも、最も近い隣人との間から闘うようになっています。なぜなら、人間が堕落したからです。隣人との間から闘いが起きるのは、堕落による結果なのです。 堕落とは何ですか? 神様と人間との間に葛藤が生じるようになったことであり、神様とサタンとの闘争が起きるようになったことであり、人間とサタンとの闘争が起きるようになったことです。人類歴史において、この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったということを証明することだという結論を下すことができます。 そのようにして生まれた国はどこに行くのでしょうか? すべての国が平和の世界を追求しますが、「平和の世界に行くことができるのか? 」という問題が、今人類共通の課題として残っているのです。 平和の世界というものは結果の世界ですが、過った出発、すなわち過った原因から平和の世界に到達するということは、論理的な矛盾と言わざるを得ません。それゆえに、このような戦争の起源を克服して乗り越えていくことのできる運動を展開するところにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を捜し出すことができるのです。原因が完全であるために結果が完全であり、平和で始まるがゆえに平和の過程をたどることができ、平和の目的に到達できるということは、理論的に妥当なのです。 このように見るとき、自分の国と隣接している国が歴史的な怨讐国家であるといって、ずっと憎み続けようとするならば、永遠に平和の世界には到達できないということを知ることができます。それでは、いくら理想郷を慕い、理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能です。このような闘いが始まった、その動機を否定し、過った歴史を消し去るためには、その反対方向の内容を主張する運動が必要であるというのです。 内外の貴賓の皆様 皆様は、国のない民と同様です。それでは、過去には国があったのでしょうか? 歴史上に、「わたしの国である」ということのできる形態の国があったでしょうか? そのような国の形態も、持つことができなかったのです。それでは、その国を取り戻すために苦労した人がいなくてそうだったのでしょうか? そうではありません。その国は、過去の歴史時代の人が考えていた位置では、捜し出すことができないために迎えることができなかったのです。その時代圏内において、内外を備えた基準を中心としてその国を捜し出すことができなかったので、その国を迎えることができなかったのです。わたしたちが取り戻さなければならない祖国というのは、今日、この地上に存在する、いかなる歴史と伝統を持った国でもありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。 わたしたちは、次元が違う、その国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性を持った国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主がおられるならば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が願う国を成そうとするならば、その国の主権を中心として国民が一致することのできる国となることを願わなければなりません。そのような国民性を持って国家形態を備えなければならないのです。 一つの国が形成されるためには、主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子・娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中のどれ一つとして除くことはできません。これは鉄則です。最も重要なことは何ですか? 世界と国のために生きることです。そのようにさえすれば滅びません。滅びない所が限界点です。 国をために生きる基準で実際に行動をしていて死んでいった人々は、死んでもその国の民になります。その国がなくなるときまで残るようになるのです。国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。 主権とは何ですか? 根源である神様と因縁を結ぶことです。国を統治する人たちは、国民が深く寝入った後に、神様と因縁を結んで政治を行わなければなりません。そして、主権者は、国民と一つにならなければなりません。国民と一つになり、自分の持つすべてのものは自分のためのものではなく、国のためのものであると考えなければならないのです。 そのようになれば、その国は繁栄します。そのような観点から、地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人はだれでしょうか? 主権者はだれでしょうか? 間違いなく神様が主権者です。そして、国民はだれですか? 国民は万民です。それでは、国土はどこですか? 地球星です。地上天国はだれに似ているのでしょうか? 「わたし」に似ているのです。一つの国を見れば何がありますか? 主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。 地上天国はだれに似ているというのですか? 「わたし」に似ているのです。「わたし」という個人が集まって国になるのです。したがって、「わたし」に心があるように、国にも主権がなければならず、人格体なので国民がいなければなりません。人間には万物があるように、国土がなければなりません。 このような原則から、国土は人に支配され、国民は主権に支配されるのです。この国土、国民、主権が国家形成の三大要素です。そのようになっています。 人について見てみるとき、心は体を支配し、体は万物を支配するのが原則です。この原則があるために、全世界を見れば、天地人であるという決定的な結論が出てきます。天は何ですか? 人間の心と同じなので主権と同じです。人は国民であり、地は万物です。結局、国はだれに似たのかというと、「わたし」に似ているのです。 いくら大きい社会、いくら大きい国家であっても、人に似なければなりません。それは、神様がご自身の形状に似たものを好まれるからです。それでは、人が最も好むものは何ですか? 自らの形状に似たものです。ですから、理想的な国家とは、何に似なければならないのですか? 人に似なければなりません。天地人に似るのです。 統一教会の用語で祖国というものは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国のことをいうのです。世界的という言葉は、堕落した世界圏でも使われる言葉なので気分が良くありません。それで、このような祖国を捜し求めていく主義を統一教会では天宙主義というのです。 その祖国は大韓民国ではありません。神様が願われる祖国は大韓民国ではなく、米国でもありません。共産国家でもないのです。その祖国は神様が願う祖国です。ゆえに、わたしたちは、新しいその祖国の文化をつくりあげなければならず、その祖国の歴史をつくりあげなければなりません。 わたしたちは、新しい理想的な祖国を立てるために、新しい基準を定めなければなりません。わたしたちの生活を変えなければならないのです。その世界は、今のこの世界と全く違います。言葉も違うのです。「原理主管圏」や、「相対基準」、「相対基台」、「復帰基台摂理」という重要な言葉を、世の中の人々は知っていますか? ですから、違うというのです。 統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板をはずさなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が立てた国はなくさなければなりません。大韓民国の韓民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は捨てなければならないのです。世界のために生きる宗教であってこそ、これからも残る宗教になるのです。 満場の内外の貴賓、紳士淑女の皆様 神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、彼はどのような主張をしなければならないと思いますか? この世の人々が好むような方向に行くようにという主張は絶対にできません。むしろその反対の道に行くようにと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が「愛の心を持って怨讐を愛しなさい」というものです。「怨讐を愛しなさい」このみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものであり、台風に揺さぶられる船の錨や錨綱のようなものです。 しかし、復帰摂理歴史を通じて「怨讐を愛しなさい」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛することができる人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備えた世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出てくるので、そのような運動を神様が提示なさらなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動であるということを皆さんは知らなければなりません。 今までで、神様が最も愛することのできる人はだれでしょうか? イエス様なのです。イエス様は、闘っているこの世界に新しい方向を提示してくださいました。ローマやイスラエルのような圧迫国家と非圧迫国家の間には、お互いを怨讐視する高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまうべきであるというものです。イエス様は「ローマよ、あなたは力でわたしを征服しようとするが、わたしはその反対に愛であなたを征服する」と考えられたのです。それで、十字架に架かりながらも怨讐のために福を祈ってあげたのです。 そのような思想は、ローマの兵士たちに対して「彼らは、自ら犯した罪が分からないので、彼らを赦したまえ」という驚くべき宣言として現れたということを知らなければなりません。イエス様がそのようになさることによって、世界のすべての国がお互いを怨讐視することを乗り越えることができ、二つの国家間の国境を乗り越えることができる、一つの原型、または模範となりました。 イエス様は、個人的な怨讐がすべてではないということを知っていたのです。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐によって四方から縛りつけられているということを知っていました。これは、自分に従い、自分が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待っているということなのです。そして、「家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っており、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるけれども、そのときごとに怨讐を愛しなさい」というみ言です。このような精神を持っていれば、いつかは勝利できるというのです。 それでは、神様の理想国家の実現、すなわち祖国主権復帰はどこから実現されるのでしょうか? 怨讐を愛するという思想を持った個人から出発するのです。それゆえに、「神様がいらっしゃるかぎり、愛で国境を崩し、すべての環境と文化的な垣根を越えて怨讐までも抱こ う」という運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、あだを討つサタンの種をまけば、あだを討つ悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種をまけば、怨讐を愛する善の木が育つということです。これは自然の道理なのです。 神様の祖国は、どこからどのような道を訪ねてくると言いましたか? それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛して、家庭の怨讐を愛して、氏族の怨讐を愛して、国家、世界の怨讐を愛する伝統を残す道から訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れることができないということを皆さんは知らなければなりません。 見ていてください。米国が反対したゆえに、国務省が反対したゆえに、国会が反対したゆえに、わたしは、国会で勝利したという賞状を受け、国務省から勝利したという賞状を受け、米国で勝利したという賞状を受けることができる時が来るはずです。それで、反対する国務省の中にも友人ができ、国会の中にも友人がたくさんできています。勝利は、わたしに返ってくるようになっています。 わたしは、そのような友人が一人もいなかったとしても、あらゆる反対を克服して勝利に導くことができるという確信があります。反対すれば反対するほど、こちらの怨讐を愛する内容が相対的により大きくなるので、反対が激しいからといって落胆する必要はありません。 自然の道理は、一方が低気圧ならば、もう片方は高気圧になっています。一方が高気圧になれば、もう片方は低気圧になるのです。米国の国務省が高い所から反対するとき、わたしが低気圧圏を成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、米国の国務省はわたしに屈伏してしまうはずです。 わたしは、非難されながらも闘わずに彼らを愛すると、彼らはわたしの友人になり、友人の家庭ができ、友人の氏族ができ、友人の国ができたのです。 怨讐を愛する精神を持った人々によって構成された国が現れれば、その国は、神様が願う理想境となることができ、人類が入っていくことのできる理想郷になることができるということを知らなければなりません。 わたしは、とても見すぼらしい男です。事実、そうではないですか? 皆さんは「違う」と言いますが、世の中の人たちは、わたしが愚かな人であると思っています。しかし、神様は、わたしがいちばんお好きです。世の中がわたしを愚か者扱いしたとしても、神様が認めるので、世の中に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。 怨讐を愛する心を持てば、言えないことがありません。なぜですか? 神様が送った男性であり、美男子というならば、そのような人が美男子です。りっぱな人というならば、そのような人がりっぱな人です。堂々として勇ましい人というならば、そのような人が堂々として勇ましい男であると考えるので、わたしは、それを栄光に思い、世の中に対して自信を持って攻撃するのです。 わたし一人がこのように陶酔して活動すれば、何が起こるのかご存じですか? このようにすることによって、神様を喜ばせる若い青年男女が生まれ、神様を喜ばせる五色人種の家庭が生まれ、神様を喜ばせる民族が編成され、神様の祖国の主権復帰が可能になるのです。 「怨讐を愛しなさい」と言ったので、最も憎むべき人をも愛さなければなりません。いちばんの美男子にいちばんの醜女を夫婦として結んであげたとしても、怨讐を愛する以上に愛さなければなりません。そのような人は、この世の怨讐を愛するにおいて最高の王子の旗を掲げて前進する人の候補者です。事実そのような人がいるならば、どれほど素晴らしいか考えてみてください。そのような人は、民族の国境をさっと越えることができるというのです。 愛する心だけを持って暮らす日には、すべての障壁が崩れていき、復帰摂理歴史が短縮されて天国が近づいてくるということを知らなければなりません。 わたしの哲学は簡単です。わたしは、やってみなかったことがありません。農民にもなってみて、労働者にもなってみました。やれることはすべてやってみました。漁夫になってマグロも釣りました。そのようにして生涯を生きてみると、一人だと思っていたのに、振り返ってみると英国人がついてきて、米国人もついてきて、世界の数多くの人々がついてきています。ついてくるなと足でけ飛ばしてもまたついてきて、後ろに飛ばされてもまたついてきます。ですから統一教会を、いくら研究してみてもその内容のすべてを知ることはできないのです。 内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様 今から行くべきなのは、どのような道ですか? いくら氏族を編成したとしても、サタンの国の主権が残っているかぎり、皆さんは国のない人々です。ここが皆さんの国ですか? 皆さんには国がないのです。いくら氏族があるとしても、その主権が天を中心とした主権でないときは、この氏族の首を切ることもあり得るのです。そうでしょう? それゆえに、天が歓迎することのできる国を訪ねていかなければなりません。今日、この地上における第一イスラエル圏というものは、天全体が歓迎でき、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も、教会も歓迎することのできる、そのような地になるべきです。ところが、今日の統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎できる立場に立ったでしょうか? そのようになることができませんでした。方向が違います。方向が違うのです。大韓民国が進んでいるのは外的です。そうでしょう? 神様を中心としたものではなく、世の中を中心として外的に進んでいます。この国の主流的な思想がないというのです。 したがって、この国の主流的な思想を中心として天と連結させ、新しい立体的、あるいは平面的内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を、今日の国家を中心としたもの以上の内容として備えていかなければ、祖国の主権復帰の時を迎えることはできません。 今日の「解放」というものは第一の解放です。今、統一教会においては、第二の解放が必要なのです。大韓民国も第二の解放が必要です。ここで大韓民国が第二の解放を迎えれば、国家と民族は、そのことによって願いを成就できるかもしれませんが、統一教会は第三の解放を必要とするのです。そのようになるのです。大韓民国は第一の解放により、初めて内外において今の国家形態を備えましたが、第二の解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければならないというのです。 その国はどのような国ですか? その国は、歴史過程において、民族が悲惨な路程をたどらねばならず、蕩減復帰の原則に一致することのできる国民性を持たねばならず、歴史的な伝統を引き継いできた国でなければなりません。その国はどのようにならなければならないのでしょうか? 完全に統一された国にならなければなりません。今日の大韓民国がそのような国になろうとするならば、どのようにならなければならないでしょうか? その国の基準に上がっていくためには、南北を統一しなければなりません。北朝イスラエルと南朝ユダのように分かれた南北韓を、一つに統一しなければなりません。カイン・アベル国家に分かれたのと同じように南北に分かれたのですが、これを統一しなければ一つの勝利的イスラエル国家は現れないのです。 それでは、この国において、大韓民国を中心として北朝鮮と韓国は、どのように統一されなければならないでしょうか? それは、新しい世界主義的な思想を持たなくては統一することができません。この時に備えて、新しい思想を掲げていこうというものが、今日の統一教会が主張する統一思想です。分かりますか? 今、わたしたちは、二つのことをしなければなりません。世界において、いかなる国家もついてくることができない団結した民族を形成しなければならず、そして、いかなる宗教もついてくることができない鉄のような信仰で団結した宗教国家を成し遂げなければならないのです。このような思想を中心として、南北が統一された国家が成し遂げられなければなりません。そうしなければ、神様の国、世界に誇ることのできる天国の主権は誕生しないのです。これが、今日のわたしたちの行くべき地上の第一目的地であるということを知らなければなりません。 祖国を取り戻すことができなければ、サタン世界の国家を凌駕することのできる天を中心とした一つの国を持つことができません。その国を持つことができなくては、世界のサタン国家を打つことはできません。押し出せないのです。宗教、統一教会をもってしてはできません。統一教会の思想を中心として、国が方向を定めて進んでいかなければなりません。このような問題が残されているということを知らなければならないのです。 このような観点で見るとき、イスラエル国家の精神的な支柱がユダヤ教であったように、今日の韓国において統一教会がユダヤ教と同じ立場であるならば、統一教会の思想が韓国の主流的な思想になるのです。ある人たちは、そのように言うのです。国会議員たちもそのように言います。統一教会の思想を国教にすれば、共産党は問題ありません。 紳士淑女の皆様 今日、天のために行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大小、広狭、高低の差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体においては、密使の生活から離れてはなりません。そこには、いつも生死の危険が伴っています。まかり間違えば、永遠の生命の問題が左右される立場に立つようになるのです。 それゆえに、永遠の生命を支えることができ、永遠の生命を保護してくれるわたしたちの祖国を取り戻すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ密使の生活はできません。「祖国の栄光を願う心を持って祖国の恨を解いたとき、すべての万民が喜ぶ」ということを考えながら、新しい歴史を創建し、祖国主権復帰の一日を迎える、その時に、自らの功労が現れることを思いながら、現在の立場を無視してしまうことができなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行することはできないのです。別の言い方をすれば、祖国主権復帰のための希望が現実の希望より千倍万倍強くなってこそ、今の生命をささげる恨があったとしても、それを克服して密使の使命を遂行することができるのです。 もしそのように責任を果たそうとして、不意の事故で犠牲になったとしても、そこには新しい責任者を再び派遣できるのです。すでに彼が死んでしまったとしても、彼の友人になることができ、彼の側に立つ人々が出てくるはずです。彼が模範となる立場で生きてきたゆえに、たとえ彼が犧牲になったとしても、そこには彼の側に立つ人々が残るのです。このような人々が残っているかぎり、神様がその基台の上に代わりの者を送ることができるのです。しかし、そうでない立場で死んでしまうときには、そこで彼がいくら苦労したとしても、それで終わってしまうのです。 このような立場で、皆さんは今、新しい時代を迎えてどのような姿勢を持たなければならないのでしょうか? 祖国主権復帰のための信念が、何よりも高く、胸の中で燃えていなければなりません。別の言い方をすれば、六千年間、神様が待ち焦がれた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になる、この途方もない使命に責任を持っているという自負心を感じなければならないのです。過去に生きた数多くの人々が持つことを願いましたが、持とうとしても持つことができなかった、一つしかなく、この一時にしかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感を持たなければなりません。 したがって、食べること、寝ること、行くこと、来ること、すべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。「神様から特別に派遣された密使として、りりしく見事にこの使命を遂行しよう」と立ち上がってくれることを神様がどれほど期待していらっしゃるでしょうか? 今までは、ひどく追い込まれ、激しく追い回されました。国家の基台を備え、全体の内容を提示して一度も広げてみることができなかった天のみ旨、祖国を立てることができる、そのようなみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を、一度も立てることができなかったのです。 しかし、今からはそのような祖国を立てることができます。その祖国には、主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。また、そこには、単一民族の血統が因縁となっており、他の民族が持つことができない歴史があります。そのような祖国のためにわたしたちは密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自分自ら早く完遂して、やり遂げればやり遂げるほど、祖国主権復帰の基台が自分によって徐々に近づくのです。きょうの苦労を代価として払うことが祖国主権復帰の一日を早く迎えることのできる基台になるのです。このような事実を思いながら、皆さんは生きて密使の使命を完遂するという決意を持っていかなければなりません。そうでなければ、これから神様がわたしたちに与えてくださる世界史的な祝福と天運を、わたしたちのものとして迎えることができないのです。 わたしたちは、天国を地上に建設しなければなりません。地上でその国を復帰し、その国の中心と一つになって、天の国において、天が願ったその希望の基準を備えてお父様のみ前に帰ってこそ、面目を立てることができるのではないかというのです。 ところが、皆さんに国がありますか? 持っていないということを考えるとき、死ぬに死ねないのです。死ねば、どこへ行くのかというのです。お父様のみ前に行って面目のないことと恥ずかしさをどのように免れるのですか? 自分の生命の長さというのは制限されているのに、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいでしょうか? そこで悪なるサタンの環境はわたしたちに反対し、怨讐たちはわたしたちの道を妨げるのです。これを切り開いていこうとするので、いつも密使のような行脚の路程を避けることはできないのです。 わたしが行き来するのも、その国を取り戻すための、祖国主権復帰のための建国の功臣になるためであり、そのような使命を担い、あるいは天の密使として指令を受けて今日の悪なる世界に来てこのことを行っているという事実を思いながら生きていかなければなりません。 そのようにしなければ皆さんは、今後、訪れる国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。 皆さんは個人的に影響を与えたいですか? 家庭的に影響を与えたいですか? 国家的ですか? 世界的ですか? どのように影響を与えたいですか? 世界的に影響を与えたいでしょう? しかし、世界的な舞台に上がっていこうとするならば、一人ではできません。国がなければなりません。しかし、皆さんの国があるでしょうか? ですからわたしたちは、夜も昼もその国のために食べて、寝て、暮らそうとするのです。そのために生まれたということを、皆さんが天地を中心として誓う生活をしなければならないということを知らなければなりません。寝ているときにも、世界の数多くの人々のベッドを集めて、その頂上で寝ていると考えなければなりません。食膳を見てもそのように考え、どこにいても自分一人で座るのではなく、世界の人種をすべて集めた頂上の玉座に座っているという心を持たなければならないのです。天の息子はそのようでなければなりません。 サタン世界の権限を凌駕する位置に立つことができ、その栄光の位置に立って生きなければならないのが天の息子・娘の生活であるということを、皆さんは知らなければなりません。神様が息子・娘を愛そうとするならば、そのような息子・娘を愛すべきなのであって、サタンにさえも劣る息子・娘を愛すれば、父の威信が立たないのです。皆さんは、そのような信念を持って今後、全世界と手を結んで日々の生活をしていかなければならないということを、新しく決心しなければなりません。そこにおいて、統一戦線の基盤は確固たるものになると思うのです。 「わたしは、たとえサタン世界圏内にいたとしても、天の密使だ、天の一大使だ」と考えなければなりません。密使には、その国の国王と直接連絡することのできる道があるのです。ほかの人には分かりませんが、そのような密使の使命と威信のために生きているという信念を持っていかなければならないのです。このことを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。国の国王も密使の報告を待っているのです。それと同じように、わたしたちがこの地上で、そのような使命を持っているならば、神様もわたしたちの報告とわたしたちの要求を待たれるようになるというのです。 したがって、自分が密使の立場で「至急に願うものを送ってください」と言えば、あらゆる冒険を克服しながらでも送ってあげようとするのではないでしょうか? これと同じように、皆さんがそのような信念を持って神様の特権的な栄光の息子・娘であることを認識しながら「わたしはこれを願うので成し遂げてください」と言えば、成し遂げてくれるのです。そのようにすれば、生きていらっしゃる神様を発見でき、生きていらっしゃる神様が働かれるのを見ることができるのです。 そのようになってこそ、指導者になることができ、病気の者がいれば病気を治すことができ、困難なときには、神様が直接助けてくださるようになるのです。そのような生活を通じて多くのことを学ばなければなりません。そうしてこそ自信が生まれ、そうしてこそ信念を持ってすべてのものを打開していくことができるのです。 紳士淑女の皆様 わたしたちが行くべき所はどこですか? 個人を尋ねていくことが、わたしたちが行くべき目的ではないのです。また、家庭を尋ねていくことが現在のわたしたちの目的ではありません。わたしたちが行くべき道は、国を尋ねていくことです。分かりますか? 父、母、息子などという区別なく、これを尋ね求めなければならないということです。ところが、今日の統一教会の教会員たち、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人々は「ああ、国だとか何だとか、教会だとか何だとか、そんなことは知らない」と言います。そのようになれば、すべて落第です。原理的にそうなのです。 死ぬときまで国を求めていき、持てる精誠のすべてを尽くして、まさに天国の主権復帰のために祝典を行い、祝賀することができ、勝利の凱歌を上げることができる、そのときを迎えなければなりません。 イエス様の言葉ならば何であっても、その一つだけしか知らないというようでなければなりません。方向を提示するにおいては、二つではなく一つです。行こうと言えば行かなければなりません。そのようになっています。そのようになっていますか、いませんか? それでは、夫を捨てて、息子を捨てて、家庭を捨てて行こうと言えば、行かなければなりませんか、行ってはならないでしょうか? 統一教会のためにそのようなことはしないのです。国のためにそのようなことができなければならないというのです。 今、以北ブク(朝鮮半島で休戦ライン以北をいう語。北朝鮮)では、家庭の戸籍をすべて作り直しています。これはどういうことだと思いますか? サタン世界が先に行うということなのです。国のためには、自分の夫や、妻、父母、息子など、すべて捨てて立ち上がることができなければなりません。そうしなくては、希望の国を取り戻すことができません。その国を復帰するとき、その国とともに父母を取り戻すようになるのです。国を見いだすことができなければ、血を流す父母を見なければならず、血を流す妻を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上に悲痛なことがどこにありますか? それゆえに、国を取り戻す前には妻を愛することはできないのであり、父母を愛することはできないのであり、息子を愛することはできないのです。これがキリスト教が行くべき道であり、統一教会が行く道なのです。 皆さんは、自分自身を否定して、その国とその義のために生きる人にならなければなりません。いかなる困難な環境にぶつかったとしても、皆さんは、自分自身に対するお父様の願いがあることを思いながら、その環境と闘って勝つ人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて、神様の真の息子・娘であると言うことができるのです。 それでは、神様の国を建設できる人はどのような人でしょうか? それは、自らの一身を否定し、切ない心で天のために生きる人です。自分を否定して、社会と民族、国家、世界のために生きる人が、まさに神様の国を建設することができる人であるというのです。さらには、国家と世界を否定してでも天のために生きる人が天国を建設することのできる人であるというのです。また、いかなる辛い環境にぶつかったとしても、自分一身のゆえに悲しむのではなく、社会と国家、世界、さらには天のために悲しむ人であってこそ神様の国を建設することができます。 それだけでなく、皆さんは、神様の国と神様の義を捜し立てる過程において、サタンとの闘いに敗北せずに勝利して、皆さんが個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち、皆さんがどのような立場に立ったとしても、そこでサタンと闘って勝利する人にならなければならないのです。社会に出れば、その社会のどのような環境の中にあってもサタンと闘って勝利すべきであり、国家に出れば、その国家のいちばん難しい問題に責任を持ち、サタンと闘って勝利しなければならないのです。 六千年間神様を縛りつけてきたサタンが、そのまま素直に「ああ、わたしは降参します」と言って、目を伏せて帰ると思いますか? 皆さんは雑巾でも、捨てようとすればもったいないと思うでしょう? 雑巾でも、引っ繰り返してにおいをかいでみてから捨てるのです。サタンは、そのまま退いてはいきません。ですから、がむしゃらな闘いをしてくるのです。それゆえに、中心に合わせなければなりません。統一教会の文総裁も、中心から外れるようになるときには負けてしまうのです。方向が合わなければ、発展しないということです。 その国を取り戻すのは世界を取り戻すためであり、世界を取り戻すのは霊界のためなのです。そうして何をするのでしょうか? 神様を地上にお迎えして、そして定着し、万国が神様を中心にお迎えして、その神様の前に勝利の栄光をお返しするために行くのです。そのような闘いをしなければならないのがわたしたち統一教会の使命であるということを知らなければなりません。 わたしたちは、はだしで出ていき、祖国を創建しなければなりません。食べ残したもので、この国を生かすことができますか? 食べること、着ること、行き来することに、いつ神経を使うことができるでしょうか? はだしで、素手で開拓していかなければなりません。このようなことを行うところが統一教会なのです。 皆さんは祖国を捜し出さなければならない勇士ですか、それとも滅ぼす亡国の士ですか? 勇士とは国を代表し、ほかの人ができない仕事をできる人のことをいうのです。だれでもできる仕事をする人を勇士とは言いません。そのような人は兵士です。同僚たちができずに後退するとき、その仕事をやり遂げることができる人であるならば、その人は勇士です。「勇」という字は、「すばしこい」という意味です。だれよりも早く走り、鉄砲玉もよけるほどにならなければなりません。だれでもできる仕事をする人を勇士とは言えないのです。 国を建国するにおいて、開拓の勇士となるべき先鋒に立つ将軍はだれですか? そして、国を成すことのできる基台はどこですか? 一つの国を成そうとすれば、主権がなければならず、国土がなければならず、国民がいなければなりません。それでは、天の国を中心として見るとき、国土となりうる基盤は何ですか? それは、教会の人と物しかないというのです。そうでしょう? この韓国に立てられる国は、どのような国でしょうか? 互いが流通し、交流するようになるときは、共産国が立てられるでしょうか、それとも今日の大韓民国としてそのままにしておくのでしょうか、そうでなければ、どちらでもない新しい国を追求するのでしょうか? このような問題について見るとき、わたしたちの時もますます近づいてきているということを感じるようになります。皆さんが、このことをなして、責任を負うべき統一の群れであるならば、それに対する責任感をどのくらい持ち、また、どの程度の犠牲の代価を払うことができる決意ができているのかというのです。自信がありますか? 三八線の以北に越えて、以北にある五つの道の市、郡を中心として、わたしたちの基地を準備しなければなりません。 人員が不足なこのときに、だれが北韓の地の、定州ならば定州の責任者になるのかを考えてみなければなりません。定州の郡ならば定州の郡を中心として、「わたしが責任者にならなければならない」と、十年、二十年準備して、それでもなれなければ、後孫に「おまえは一所懸命に勉強して、一所懸命に準備をし、その日を迎えたら定州の地の天との因縁を代身した責任者になりなさい」と、遺言を残してから死ぬことのできる、そのような精誠を尽くす皆さんになってみましたか? わたしは今まで、そのように思って準備してきました。 そのようなことを考えるときに、若い者たちは地方に帰って自分の子女と妻を連れて、笑いながら暮らすようになっていますか? そのように暮らすようになっていますか、いませんか? 死んでも国を残していかなければなりません。死んでも、子女たちに国を残してあげなければなりません。新しい決心をしなければならないのです。 「わたしは、ソ連と満州に隣接する地方に行って共産党と額を突き合わせ、朝夕に銃声を聞きながら国境地帯の見張り役をする責任者にならなければならない。国が理解してくれず、だれも理解してくれなかったとしても、生命と取り替えても、国を愛する忠節の心は変わらな い」という決心をしなければなりません。それで満点です。世の中が分かってくれなくてもかまいません。霊界に行けば、すべて明らかになるようになっているからです。 このようなことを考えるとき、人が足りないということを皆さんは知らなければなりません。分かりますか? 人が不足しているということを知らなければなりません。かかしのような男性であってもラッパをかつがせ、あるいはロボットをつくって北韓の地を歩き回らせてラッパを吹かせたいというのが、わたしの心情であり、神様の心情です。口があり、感情を持った男として生まれ、それも二十歳、三十歳の若い心と体を持っていながら、原理のみ言を語ることができないというのでは話になりません。 目玉が腐って飛び出すくらい、夜、寝ずにでも勉強をしなければなりません。おなかがすいて、骨と皮だけになったとしても、準備をしなければなりません。そのようにして骨と皮だけになったやせこけた体が、天の愛をすべて受けることができる体となるのです。神様は、そのか細い一人の男性ならば男性に、すべての期待を持つことができるのではないかというのです。 イエス様も、国を建てられるために来られました。祖国がなければ、かわいそうなのです。祖国がないので、宗教人たちは悲惨でした。審判しようとすれば、個人と家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を基台として審判するのです。祖国は、最後の希望です。祖国の中には、民族も、氏族も、家庭も、個人もすべて含まれているのです。 この三サム千チョル里(朝鮮半島の別称)が祖国になりましたか? そのようになっていないので、清算しなければなりません。神様が望まれ、イエス様と聖霊が望まれる祖国を創建するために、わたしたち全員が一イル片丹心シムで頑張らなければなりません。 善というものは何でしょうか? 家庭のために個人が犠牲になり、氏族のために家庭が犠牲になり、祖国主権復帰のために氏族が犠牲になることが善です。祖国主権復帰のためにすべてが犠牲になって、祖国主権復帰が成し遂げられれば、すべての人が愛国の忠臣となるのです。国家的基準の前に忠誠を尽くして国家基準を立てれば、家庭、氏族の基盤を築いたという公認を受けるようになります。道義の基準とは、神様のために絶対忠誠することです。そのようにすれば、その過程のすべてのものは認められるようになるのです。 わたしたちはどのようにすべきでしょうか? イエス様は「わが父よ、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と言われました。ここにおいて、「わたしの思い」とは世の中の思いであり、 「父のみこころ」とは神様のみ旨です。統一教会員である皆さんは何をしましたか? 忠臣の道理を立て、またその実績を持ってきましたか? 孝子の道理を果たして、その実績を持って、個人、家庭、氏族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。イエス様は祭物の使命を持って来られました。皆さんは世界的な闘争をなしていきながら、民族的な基盤を築いていかなければならないのです。メシヤとの相対的な価値を備えなければならないのです。指導者が世界を開拓するところにおいて、指導を受ける皆さんは、民族的な道を築いていかなければなりません。数多くの人々が主権復帰の道を願いながら死んでいきました。いつになるとしても「必ず成る」という信念を持って死んでいったのです。 統一教会員は、個人から民族、国家基準まで築いてきました。今からは、全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。わたしたちは、祖国主権復帰、自由、平等、幸福の日を捜し出していかなければなりません。その道が困難であっても行かなければなりません。それが、わたしが望む観点であり、神様が望まれる基準です。イエス様はこの基準を望みつつ、歩まれている途中で亡くなりました。わたしたちは祖国主権復帰の過程において、苦労しながら行かなければならないのです。 韓国は、わたしたちが責任を持たなければなりません。今日も明日も変わることのない祖国創建という覚悟と信念を持って、イエス様の祖国、聖霊の祖国、先知先烈ニョル(預言者と、義のために戦って死んだ烈士)の祖国、神様の祖国、その祖国を成せなかった恨を解かなければなりません。そうでなければ、面目が立たないのです。 わたしたちは、祖国を取り戻さなければなりません。祖国を取り戻そうとすれば、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きることができない人は祖国を見いだすことができません。それでは、どのように生きることが祖国のために生きることになるでしょうか? 世界を自分の祖国と思って世界のために生きなければならないのです。そのような人は、祖国を創建することができます。食べること、寝ること、歩いていくこと、すべての生活と行動が祖国創建のためのものとならなければなりません。 それゆえにわたしたちは、共産党から白昼、刃物で刺される覚悟をもって闘っているのです。この民族ができないときは、わたしたちがしなければなりません。この民族が行くことができなければ、わたしたちが行かなければならないのです。そのためには、だれよりも祖国を愛さなければなりません。ご飯を食べるのも祖国のために食べ、結婚するにしても祖国のために結婚しなさいというのです。わたしたちの祖国のためにです。 今は、わたしが言えば、何でも聞くことができる群れが生じ、わたしが方向を提示すれば、動くことができる群れが生じましたが、これで幸福を感じる男ではありません。統一教会を犠牲にしてでも、祖国主権復帰を約束できる、そのような基台を広めていくのです。六千年摂理の中心的み旨として立てた家庭を、信奉することのできる教団と民族と国家がなければなりません。神様を信奉することができる、そのような基台を準備し、それが一時に連結することを願って送られたのですが、それが粉々に壊れたゆえに、再び収拾しなければならない運命が残るようになったのです。これを収拾するために先頭に立って走らなければなりません。 夜になって寝床に入る時間にも、その願いの国とともに寝なければなりません。今は国がありませんが、その国の国民の一員として、その国のために眠るのであり、目覚めるときもその国を建国するための一員として眠りから覚めなさいというのです。見て、聞いて、感じるすべての感覚も、祖国という命題を思うことなくしては感じてはならないというのです。その日が来るまでは、死んではなりません。その日が来るまでは忙しいのです。そのことを成すためには、激しい受難と逆境を克服しなければなりません。 成すべき仕事があれば、寝るのが遅くなったとしても解決しなければならないのです。祖国の主権復帰というものが時間を中心とした犠牲の量を加重させてこそ訪れてくるということを思うとき、自分の涙と精誠の量を、きょうこの時間を通じて、少しでも補充すべき責任があるのにもかかわらず、安らかに寝て、伸びをしながら起きられるのかというのです。起きては腰を曲げて「お父 様 あなたが訪ねていかれる明日の安息の住みかであり、あなたが行使されたかった世界を支配することのできる勝利的国家の基台に向かっていく、寂しく孤独な男の行く道が、このように悲惨であることを感じます。わたし自身がそうであるのに、天が訪ね求めてこられる道はもっと悲惨なのではありませんか? 」と、祈祷しなければなりません。 疲れたといって思いのままに横になることができないのです。死んでも国のために死ななければなりません。それゆえに、年を取って疲労を感じる、そのような立場で、自分がもし死の場に行くとすれば、その場で残すことができる一つの願いが何かというとき、それは「天のためにできることはすべて果たした。その国のためにできることはすべて果たした」という言葉を残すことです。 イエス様は「あなたがたは、何を食べようか、何を飲もうかと思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたはまず神の国と神の義とを求めなさい」と言われました。このように聖書の主流思想は国です。国、その国を求める思想なのです。自分の幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれ、夫を持ったとしたならば、その夫は国を代表した夫です。ゆえに、国を愛した後に夫を愛さなければなりません。妻も国を代表した妻であるので、国を愛した後に妻を愛さなければならないのです。死ぬにしても「わたしがなし得る力をすべて果たし、わたしはこれ以上できないというその位置で死なせてください」と言えなければなりません。「これをやっておけばよかったのに」という言葉を残して死んではなりません。それゆえに、やってもやっても忙しいのです。行っても、また行かなければならないのです。ほかの人が休む時間に、わたしたちは一歩でもさらに進まなければなりません。「サタン世界よ、休んでいろ サタン世界よ、おまえは何もしないで遊び暮らしていろ。われわれはその国のために歩むのだ」と思わなければならないのです。 南北統一を熱望する愛国同胞の皆さん 特に女性の使命として、子女格である青年男女、および学生たちを、真の教育を通じて真の子女として復帰しなければなりません。 さらに、母と子女が一つになって模範を示し、教育を通じて夫までも真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心に侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。 改めて、きょうのみ言が、南北韓が共に真の愛で出会う、その日を早める汎国民運動になることを願いつつ、わたしの話を終わりたいと思います。 神様の祝福が皆さんと皆さんの家庭に共にあることを祈願いたします。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.31
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「兄弟主義時代」宣布二○○○年 二月二十一日真のご父母様は、二○○○年二月二十一日から三月十二日まで、韓国の二十一都市で聞かれた南北統一前進大会において、「兄弟主義時代」を宣布された。 すべての天の秘密は、文総裁が明かした内容でなければ解決の道がありません。ここにいる二人が、私を紹介するとき、「真の父母」であると言いましたが、「真の父母」とは一体何でしょうか? 真の父母がどこにいますか? どこにいるのですか? 天にいるのです。神様がすなわち真の父母です。そうですか? 今日の人類、堕落した世界のすべての宗教は、神様を「父」と呼ぶのです。天地を創造したその主人たるお方が誰でしょうか。父です。誰の父! 私の父です。私の父ですが、父の内容のうちで何を中心として父子関係となっているのですか? 神様の愛です。神様を中心として、堕落していないアダムとエバの生命が、愛に結ばれるのです。 堕落していない本然の神様の愛を中心として、堕落していない本然の大本の先祖、アダムとエバは、神様の愛に燃えて一体となるはずでした。男性と女性を間違いなく一つにできるのは、絶対的に必要な愛だけです。それが一つになってこそ一体となるのです。本来は神様の愛によって……。神様は絶対、唯一、永遠、不変なるお方です。絶対的な神様の愛は二つではありません。男性が持った愛と女性が持った愛は二つではありません。一つです。それを知らなければなりません。ところが、それを知らずに生きてきたのです。 それでは男性と女性が父の息子や娘になるには、どのようにしなければならないのですか? ここで三者の愛と生命と血統が三位一体となり、愛を中心として男性と女性、父と母の血筋が合わさって煮えたぎらなければなりません。沸騰しなければなりません! 渦巻くその中に赤ん坊の種が植えられ引き継がれていくそこにおいて、「私」という存在、「息子・娘」という存在が生まれるのです! それを否定できますか? 自分を愛する前に神様の愛を誇り、自分を誇る前に神様の愛と一つになった父母を誇り、父母を誇る前に私を生んでくれた血筋を誇ることを知りませんでした。これが問題です。何の血筋ですか? 神様の愛と一体になった血筋、父も母も私も、すべてがこの血筋に絡まっています。愛というのは横的です。父と母の愛は一代に一つですが、血筋は億万年に連結されるのです。この血筋を台無しにしたのが堕落であるということを知らなければなりません。 このような話は初めて聞く内容です。私が発見したものではありません。霊界に入っていって、秘密を調べてみて分かったのです。それはなぜですか? 神様が、そのような愛の目的を完成できる真なる息子、真なる娘を失ってしまったので、それを再び捜すためのものです。それで、その愛と生命と血統を中心として、堕落していない本然の神の愛と一体になれる血統を中心に、千倍、万倍、きれいに維持するためのものなのです。人倫道徳のうち一番貴いことは何かというと、血統を守ることです。血筋を守ることなのです。大韓民国は倍達民族(韓民族の歴史上の称)ですが、その倍達の民族が先祖の血筋ではないのですか? それを中心に民族が生まれ、すべてがそうなるのです。 神様が創造理想として願われた血筋が、神様の血統と直結した血筋を残して、家庭出発から氏族、民族、国家形成と世界の平和、地上天国を築いて、天上天国を築くはずでした。「地上天頂」と「天上天頂」とは何ですか? 神様が私の体に住まわれ、家庭で住まわれ、国で住まわれ、世界で住まわれ、無限なる霊界にすべて通じた環境で住むことのできる、愛の家がなければならないのです。私個人は、個人の真の愛を中心として神様が入ってきて住まわれる家なのです。家庭において夫婦は男性と女性それぞれが違います! 極です、極! エデンにおいて、神様が愛によって一つになったその家に入って住まわれるのです。そのためにあるのが家庭です。その父と母は万代の神様の血統に連結した種によって実を結ぶのです。それが神様の孫息子、孫娘なのです。 「堕落」とは何ですか? 神様が一代目ならばアダムは二代目です。三代目となる血筋の孫を持てなかったのが堕落です。孫を持てなかったのが堕落なのです。ご覧なさい。堕落してから息子、娘を生みましたか、堕落する前に息子、娘を生みましたか? 堕落してから息子、娘を生んだのです。誰が結婚式をしてあげましたか? 神様と関係なしに追い出されて結婚して生んで、サタンの子になったというのです。今日、六十億の人類は、神様の前から追放され、隠れて誤った結婚をして生んだ、その血筋の連結された息子、娘なのです。それゆえに地獄に行くのです。神様とは関係がありません。 それゆえに真なる宗教は、「出家だ! 家を出よ! 天地であれ、国であれ、すべて投げ出して家を出よ! そして独身生活せよ!」と言うのです。神様と関係ないこの環境を嫌うのです。明日には結婚する新婦を、サタンが泥棒して汚してこの世をつくったのです。そこにおいて、ふかふかの布団のある金の部屋に神様が入ってこられて、気分良く休まれて、息子や娘として抱いて愛されるでしょうか? キリスト教を信じて「神様を愛する」と言いますが、キリスト教はすべて滅びました。宗教もすべて滅びました。 このような根本を知らなければなりません。それでは、滅ばない道とは何でしょうか。万代を越えて真の愛の血統を今日の六十億の人類、未来の世界にまで連結させなければなりません。変わらない血統となり、大きな木の中心の根、幹から芽まで、四方八方に広がったすべての枝が、全部一つの体のように感じられる血族的な連結体にならなければならないのです。このように連結されたのが国ならば、それは国の天国であり、世界ならばそれは世界の天国であり、天地ならばそれは天地の天国になるのです。 そのような内容があるのに、真の父母になれずに、すべてを失ってしまいました。ですから、真の父母にならなかった堕落した父母は、偽りの父母であり、偽りの愛であり、偽りの家庭、偽りの氏族、偽りの国、偽りの世界です。それで滅亡へと向かうのです。世界はどうしたらよいか知らないでしょう。ですから、「神様の救いの摂理」とは何かというと、本然に帰っていくことです。復帰なのです。病気になったので、病気にならなかった本然の世界に戻っていかなければなりません。神様の血統的な因縁をどのように回生しますか? ですから、このように滅びるべき者たちを放っておくことができないのです。野生のオリーブの木に真のオリーブの木を接ぎ本ずるのです。 皆さん、今、韓国で一番高い山が何ですか?(「白頭山です」)。白頭山に一番高い峰があるでしょう? あるのです。金剛山にも「ピロ峰」という一番高い所があるのです。そこを登るときどれほど大変ですか? 登っていって旗を立てる者は皆、白頭山の峰を占領した隊長になるのです。人類の歴史も同じです。堕落したためにこれをすべて上がって切ってしまい、堕落したので高い所に上がって切ってしまって、そこから新たに始めなければならないのです。 ですから、父母が二つですか、一つですか?「真の父母」という言葉が二つですか、一つですか?皆さんは今、父母がいますか? その父母と文総裁が語る「真の父母」とは何が違いますか? 私がこの「真の父母」という言葉を教えてあげたので悪口を言われました。その息子や娘が皆、統一教会に夢中になって家に帰ると、「父や母の言うことは嘘だ」と言って聞かないのです。否定してみなさいというのです。どんなに正そうとしても、言うことを聞かないのです。 真の父母は永遠に一つです。真の父母は神様と直系の血統を持ったので、真の父母自体は心と体が闘いません。皆さんは心と体が闘うでしょう? ここで八十歳以上の者はいないようですね。それでは皆私の弟や妹です。弟や妹にしましょう。文総裁は悪口を言われましたが、世の中の万民が追慕する「真の父母」という方の前で、兄弟の契りを結んで損することがありますか? 弟や妹として扱いましょう! 女性たちは、私より若い者は妹にしましょう、妹です! それをいやがる者は出ていきなさい。いやな者がどうしてここに入ってきたのですか? これで親密になったでしょう? 文総裁と兄弟の契りを結んだので……。 このように束ねました。悪口を言っても、お尻を叩いても、ほおを叩いても文総裁が、八十歳までこのような天理の大道をもって、万民求道の道に旗を立て、天下に名をはせて、帰ってきたのに、いつ道端で「お兄さん!」と呼んでみましたか? できなかったのです。ですから、笑って、忘れて、赦しましょうというのです。過ぎし日を忘れてしまい、今から兄弟の友愛です。なぜですか? 真の父の中の父が神様です、神様! 神様ですが、数千代の後孫の立場で「お父さん!」と呼びますか、それとも直接神様のあごの下で「お父さん!」と呼びますか?「あなたは私のお父さんですか?」と聞けば、「そうだ、そうだ」と言われますか、「違う」と言われますか? ですから、一家族と考えるのです。 真の父母は個人にも必要であり、家庭にも必要であり、国にも必要であり、世界にも必要であり、神様にも必要です。皆さん、考えてみましたか? 神様とサタンが闘うのに、その闘いを誰が止めると思いますか? 今まで闘ってきたのです! 皆さんも心と体が闘うでしょう? その闘いを誰が止められると思いますか? 誰も止めることができません。とすると、神様が父ならば、父なる神様も心と体が闘うでしょうか、闘わないでしょうか? 闘わないとするならば、人間は堕落して病んで役に立たなくなったということを公認すべきです。ですから、この闘いを止めてあげなければならないのです。その闘いはサタンと神様の闘いなのです。これは、歴史の出発から世界を経て戦争の歴史が興亡し、いまだに終わっていないのです。 皆さんの体の世界において、統一的な休戦と終戦をしなければ、世の中に平和の世界はありません。アメリカも同じです。全世界が一つとなって、心の世界の戦争を終戦させ、休戦させることができなければ、平和の世界と永遠なる天国の幸福の世界はありません。心の闘いを誰が止めますか? 神様だけが止めることができます。神様が止めようとするので、サタンが体にくっついて、分裂して、闘いを起こすのです。それが民主世界と共産世界です。有神論と無神論です。 どこから出発しましたか? 心と体の闘いから出発しました。これを根こそぎ抜いてしまわなければなりません。根こそぎ抜いてしまう論理と思想体系は、神様も説明することができません。教えてあげられません。人間アダムとエバの責任分担を神様ご自身が立てたので、それを完成するためには、本人がやらなければなりません。大学を卒業してから修士や博士になるには、論文を書いてこそ修士となり、博士となるのです。責任を果たせない分野を教えてあげることのできない神様であるということを知らなければなりません。 文総裁を中心として、今日、すべての心と体の闘いを終結させることができます。それは神様だけができることです。そのためには、神様とサタンの闘いにおいて、サタンを除去してしまわなければなりません。個人としてサタン解放、家庭的にサタン解放、国家的にサタン解放、天宙的にサタン解放、神様の前でサタンを解放しなければなりません。 堕落によってそのようになったのを整備するためには、真の父母が、神様の真の愛の血統を引き継げば、個人、家庭、夫婦……永遠なる平和の世界は、自動的に展開するのです。天地の真の父母によって、平和の世界が到来します、アーメン!(二〇〇〇年三月三日、仁川室内体育館) 一九四八年に、南の韓国が混乱して一つになっていなかったので、北朝鮮で金日成が三十四歳で登場するのです。イエス様が三十三歳で亡くなったでしょう? イエス様の代わりに外的な王権の代表として登場するのです。ですから、李承晩博士(大統領)が、アメリカを退けて反共の捕虜を強制的に釈放したので、それなりの基盤を築くことができたのです。 その政府が私に反対しました。北朝鮮も私に反対して、韓国もキリスト教を中心として反対しました。双方が合わさって私を世界にまで追い出したのです。最近もそうでしょう? 何かデモのようなことがあれば、カトリックやキリスト教のおばさんたちが、ご飯をこしらえたり、もちを準備したりして運動を助けるのです。これを断絶してしまわなければなりません。 四十年ぶりに新しい春を迎え、返り咲いたならば、統一的なキリスト教を収拾しなければなりません。最近は先生が何を言っても、既成教会の長老や執事に「弟よ!」と言っても、「はい!」と答えるのです。 ご覧なさい。先生が「真の父母」を宣布したのです。ソ連に行ってきて一九九〇年四月に「真の父母」を宣布しましたが、今は「真の兄弟」を宣布しなければならないでしょう?。それが何ですか?「私はお兄さんだ! おまえは弟や妹だ! 八十歳以下は皆、私の弟や妹だ!」と言ったのです。 モーセが八十歳にカナンの地に向かって出発しましたが、私たちは出発ではありません。カナン復帰家庭天国です。境界線をひっくり返したのです。これが個人、家庭、氏族、民族、国家基準を中心として、北朝鮮までひっくり返さなければなりません。政府が反対しても、何をしても、ひっくり返して燃やしてしまわなければならないのです。それが原理観です。返り咲くのと同じです。(三二○-九、二○○○年。三月二十四日) 今回、先生が韓国に入ってきて「祖国光復、南北統一前進大会」をしましたが、神様を中心としてこの地で「真の父母」を宣布したのです。真の父母がこの地上に現れて、堕落しない解放的な真の父母が現れたと、絶対的に宣布したわけです。真の父母が現れたので、息子と娘も真の父母となり、その教えを受けたすべての者も、真の父母になることができるのです。堕落することによって、「真の父母」という言葉、「真の父母」という存在すらありませんでしたが、今回、ご父母様は「真の父母」を宣布し、二十一か所の大会路程では、「南北にいるすべての者、世界にいる八十歳以下の男性や女性は、先生の弟や妹である」と宣布しました。兄弟だというのです。(二○○○年五月二十一日、ベルベディア) 前進大会で「父母の日」を宣布して、「兄弟の日」を宣布しました。今や「家庭連合時代」を宣布し、家庭連合で第四次アダム圏時代に突入したのです。「父母の日」、「兄弟の日」を探したので、「家庭の日」を探さなければなりません。それを探そうとして、父母が犠牲になり、兄弟が犠牲になり、家庭、国までが犠牲となったのです。ですから、初めて神様中心の世界となって、「父母の日」、「兄弟の日」、「家庭の日」を探すことにより、天下のすべてを得て定着時代に入るのです。(二○○○年六月一日、イーストガーデン) 解放の第四次アダム圏時代なので、四億双の未婚男女の祝福解放時代に入ったのです。祝福を受けた人たちと真の父母が、年齢を中心として兄弟となって解放されることにより、青少年たちが自在に祝福を受けることができるのです。それで四億双の祝福が一次を終えたので、今や第四次までやって終えなければならないのです。 キリスト教で教派を越えて結婚し、宗派を越えて結婚することによって、世界はすべて一つとなり、祝福時代へと越えていく時なのです。大転換時代です。祝福を自在(自由)にできるので、祖国光復が実現して解放されるのです。祖国が必要なのです。祖国光復をしなければなりません。 それから宗教が一つになり、世俗的な国と祝福するのです。世界を祝福するにあたって、個人個人を祝福し、家庭を祝福して、氏族たちが反対しましたが、氏族を乗り越えたので、氏族がすべて復帰されるのです。教会を連結して国へと向かうのです。ところが、今日、祖国光復に向けた私たちの祖国がありません。故郷がなく、祖国がないので、複雑な問題が起こってくるのです。祖国を探し求めなければなりません。何としても故郷を求め、祖国を得なければならないのです。 母がなすべきことは、女性たちの解放です。真の父母が来られて、祖国光復を準備するので、世界の女性たちは真の父母と一つになって、国を求めなければなりません。それで日本で今、四十の地域を中心として、世界の女性解放のために巡回講演をやっている最中なのです。 その国というのは、統一された韓国です。ですから、どんなに困難があっても、宗教世界を一つにして祖国に帰っていくことが、神様の創造理想なのです。それで、そのようなことを収拾するために、お母様が巡回講演を行うのです。今まで先生を中心としたお母様の講演は、今回が最後です。 それでお母様の講演が終わると同時に、全世界の高卒以上の大学生はみな、全世界の女性を通じて、お母様の代わりに家庭、氏族、民族、世界を求道すべき責任を負うのです。お母様に代わって世界の拡張運動をするので、すべての女性たちは自分の一族、一つの国に責任を持って、お母様の代わりに女性を連結できる運動を世界化しなければなりません。 今、全世界にいるすべての大学出身の統一教会のメンバーは、清平で教育を受けています。大学の出身者は皆、二十歳を越えています。全世界の女性たちは、母の立場、解放された二十歳以上の立場に立ったので、全世界の男性たち、堕落した世界の個人、家庭、民族、国家、世界を解放する責任があるのです。父や母が世界を復帰する前に、皆さんの国と民族を救うためには、祝福家庭、ご父母様から相続をした家庭が立ち上がらなければなりません。それで女性が出ていくのです。国を復帰するのに、女性が先頭に立てませんでした。ですから、女性がやらなければなりません。その国がありません。国境を無視する時が来ました。国境を主張していては、人類は滅びます。 皆さんは故郷を持っていますか? 私たちは、故郷がありません。祖国はどうですか? 父が神様です。神様の国です。祖国はこの全宇宙……、堕落しない完成した神様を中心として愛の主権の前に、一つの国となり得る国を指すのです。ですから、皆さんは地上に故郷も持てず、祖国も持っていないのです。 皆さんが生まれた所が、皆さんの故郷ではありません。堕落後に持つようになったそのような故郷は、神様の前で清算されなければならないのです。故郷とはこの地球星です、地球星。故郷が一つですか、二つですか? もっとたくさんありますか? 一つなのです。アメリカに住んでいる国民たちの故郷は「アメリカ」という一つの国です。人類には、この地球星が本来の故郷にならなければならないのです。 それでは、このアメリカに祖国がありますか? 祖国は神様が介在されるのです。神様を迎えて暮らす天国が祖国なのです。アメリカという国は、神様がご覧になり、神様が生まれることのできる故郷になれず、神様が住むことのできる祖国になれないのです。 それでは、神様と人類先祖の故郷はどこですか? エデンの園です。エデンの園。一つの国なのです。そこで一つの国が始まるのです。そこで一つの人類、一つの主人が生まれるのです。堕落したので分かれました。それで戦っているのです。国境があって、すべてが怨讐となっています。それを撤廃しなければなりません。 ですから、今回、「南北統一前進大会」で世界が一つになり得る内容を宣布したのです。このようにしなければなりません。このように発表したので、そうしなければなりません。南北が首脳会談するのもレバレント・ムーン抜きではできません。北朝鮮も、南北を統一できる中心はレバレント・ムーンであるということを知っています。韓国もまた知っているのです。(二〇〇〇年五月二十一日、ベルベディア修練所) お母様の大会は、韓国でお父様が「南北統一前進大会」を始めて、その次に日本の四か所でやったのです。お母様がやるべきことは、四位基台を継承することです。父と母の基盤を中心として、イエス様は四位基台を中心として十二弟子、新教の十二弟子と旧教の十二弟子、ロシア正教は旧教の本山地なので、お母様が根本を一つにするのです。息子と娘、根本が一つになって、真の父母の四位基台、四十か国を通して、お母様が一つの世界的な頂上に登り、女性たちを立てることのできる旗をさすのです。 エバがすべてのものを失ってしまいました。ですから、今このときにすべてのものを復帰して清算するのが、お母様の責任です。それで、四十か所の巡回講演をすることによって、地上天国と天上天国が再出発できるようになりました。ですから、すべてのものがサタンから解放されるようになります。サタンが存在できる場がありません。私たちがすべての万物をその主人であられる神様にお返しするのです。 それを清算しようとするのです。皆さんの心で清算できるならば、清算して、そこまで越えていける真の父母に侍って祖国を持ち、真の父母の四位基台の基盤を中心として、アダム、エバ、息子娘の四位基台です。母を中心として三人の息子です。ノアの時も同じです。三人の息子を中心としてこのように出てくるのです。ですから、三人の息子のようなものが何かというと、旧約時代新約時代、成約時代なのです。 旧約時代は旧教ですが、旧教もカインとアベルです。東の旧教と西の旧教があります。ロシア正教とローマ正教の二つです。二つに分かれてカインとアベル、旧教と新教、南米と北米、このようなったのです。これが復帰過程において長子権を復帰したので、その長子が南米を連結するのです。南米と息子、娘を中心として母がすべて復帰するのです。こうして祖国光復の因縁を結ぶのです。 ですから、今回参席した人たちは皆、祖国光復をして入籍すべき時代に突人するのです。それに合わせて、全世界の大卒以上の者たちや女性たちが集中してやるべき責任があるのです。アメリカから、その次は韓国、日本から、またその次は相対的なウルグアイを中心とした南米です。そしてアメリカまで連結し、カナダとイギリス、ソ連まで連結して、かつて失ったものをすべて取り戻さなければならないのです。そのようにしてカバーしながら、サタンを切ってしまい、神様を迎えなければならないのです。 世界の賢い女性たちは、お母様の代身者です。全世界に今回講演した内容を、家ごとにその門前に立て札を立てて、それに合格したか否かを点検させなければならないのです。それを女性たちがやるのです。全体の女性を動員してやるのです。女性が天使長圏、天使長の国であるアメリカが長子圏となっているので、天使長の場に訪ねてくるのです。(二〇〇〇年五月二十一日、ベルベディア修練所)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.29
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「二〇〇〇世界ハンマダン体育大典」開会式の祝辞日付:二〇〇〇年二月十四日場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場行事:第四回「世界ハンマダン体育大典」 内外の貴賓の皆様、そして本大会に参席するために異国まで万里の遠い道をいとわず、心情の本郷であり、信仰の祖国である大韓民国を訪ねてきた全世界の青年会員の皆様。本大会は、世界の若者たちが、統一された平和世界の具現という神様の絶対的な願いをこの地上に定着させるために、力と技と美を競い、人類本然の姿を取り戻し、心情文化世界を発展させるための平和の祭典です。 今回、第四回として開催される二〇〇〇年の「世界文化体育大典」は、世界の各分野を代表する著名な学者や宗教指導者、政治家、言論人、青年指導者、女性指導者、学生などが、神様を中心とした地球村の一つの家族の一員として出会う祝典です。本然の理想世界は、神様の真の愛と真の生命と真の血統を受け継いだアダムとエバが、真の子女、真の兄弟、真の夫婦、真の父母の心情圏を完成することによって成し遂げられる世界です。そのような世界において、神様の息子、娘たちが一つの場に集まり、力と技、そして美を競い合う心情文化の祭典の中で、純潔な善男善女が祝福を受け、真実で幸福な家庭を成し遂げていれば、神様はどれほど喜ばれていたでしょうか。 しかし不幸にも、人間の始祖であるアダムとエバは、青少年期に神様のみ旨に背き、天使長との不倫な血縁関係を結んで悪魔の血統を受け継ぎ、人類の歴史は悲惨な罪悪の歴史となったのです。 このすベての堕落の起源は、正しく青少年期に発生したのであり、そのことによって人間は悪魔の奴隷となってしまいました。この事件が、神様の胸にぬぐい難い恨として残されたのです。青少年期は、人生において最も重要な時期です。青少年期に正しい価値観を形成し、純潔な価値観を確立して、真の家庭を通じた健康な社会、希望にあふれた国家と世界をつくっていかなければなりません。 ところが今日、青少年と青年たちは、悪魔の仕業によって利己主義化、個人主義化され、性倫理と性道徳が崩壊し、フリーセックスや性暴力、若年層の未婚の母、堕胎、同性愛、エイズ問題などにより、健全であるべき家庭が破壊され、青少年の犯罪が急増しているのが実状です。また、至る所に淫乱物が氾濫し、売春と援助交際が過激さを極めています。 このことにより今日、全世界の人類は地上地獄で苦痛と不幸を味わいつつ生きているのです。ですから、神様は、人類を救援するために悪の文化を一掃し、地上地獄を解放し、神様の絶対的な真の愛の基準を中心として、このすベてのものを復帰してこられたのです。すなわち、神様は、人間と家庭を破壊している悪魔と対決して人間を救援するために、その反対の経路を通じて、真の父母を中心とした真の家庭のモデルを立ててこられたのです。それで、再び来られるメシヤである真の父母には、堕落文化を根絶して、それを収拾すべき極めて重大な責任があるのです。 私は、人間堕落の根源である罪の根と堕落の経路を究明した結果、それは正に悪魔との不倫の愛であることを知りました。私たちは、人類社会のすべての闘争の歴史がそこから始まったという事実をはっきりと認識しなければなりません。ですから、今日、二世たちが先頭に立って、まず淫乱と退廃の文化と不義を清算し、フリーセックスと暴力を追放して、神様を中心とした新しい心情文化を創建し、真の愛の伝統をこの地上に定着させ、地上天国を建設していかなければなりません。 私は、宗教と文化、思想と理念、人種と言語、信条などで引き裂かれた人類を一つにまとめ、統一された理想世界をつくるために、生涯をかけて血と汗と涙を流してきました。神様の愛と絶対価値を中心として、世界の指導者を糾合して各分野別に団体をつくり、その影響力を世界的に拡大し、神様が望まれる一つの世界に向かって進軍してきました。そのために私は、神様の真の愛を投入しては、また投入しながら、真の愛と真の家庭の実体である真の父母を中心とした世界的な基盤を造成してきたのです。 一九六〇年の三家庭の祝福をはじめとして、数多くの祝福行事を挙行してきました。昨年の一九九九年には、三億六千万組の祝福の基盤の上に、「天地父母天宙統一解放日」を宣布したのです。また、青少年の純潔運動を通じてのサタンの血統根絶とともに、昨日は四億組の祝福式を盛大に執り行うことによって、名実相伴う第四次アダム圏の時代が到来するようになりました。また、「科学の統一に関する国際会議」、「世界平和教授アカデミー」、「世界言論人会議」、「世界平和宗教連合」、「世界平和連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」、「世界平和統一家庭連合」、「世界平和超宗教超国家連合」などを結成して、神様を中心とした善の環境的基盤を拡大してきました。 今回、「二〇〇〇年世界文化体育大典」は、このような神様の総体的基盤が一つの場に集まり、人類大和合と新しい心情文化世界の創建のため、意義深い跳躍の基台を準備するための祭典なのです。このような意義深い行事の一環として開催される第四回「世界ハンマダン体育大典」は、人種や宗教、思想、理念を超越し、五大洋六大州の多様な文化圏の伝統と価値が一つになることができるという信念を再確認させる平和の祭典として、心情的統一文化の地平を開いていく大和合の場なのです。 そして、このような心情的統一文化運動の土台は、原理運動であり、新しい真の愛の実践運動です。世界各国の若者たちに広く知られている原理運動は、没落した共産圏はもちろん、価値観の混沌の中で彷徨する自由民主世界を生かす「共生共栄共義主義」と「頭翼思想」によって創造本然の理想世界を具現しようという若者たちにとって、希望にあふれた原動力となっています。 新千年紀の初めに執り行われる今回の第四回「世界ハンマダン体育大典」は、今までのいかなる時よりも、神様と人類の前に胸いっぱいの期待と希望を抱かせる祝福された大会であるという事実を知らなければなりません。 二十一世紀の未来の世界を導いていく青年、学生の皆様。皆様の生涯の中で最も重要なものは何でしょうか。 それは、真の愛の実現であり、真の愛は独りで成し遂げられるものではなく、相対から来るものです。ですから、相対のために生きてこそ、真の愛を成就することができるのです。人間の価値の中で最も高貴な価値があるとすれば、それは正しくために生きる価値です。皆様は、ために生きる価値観を確立して、未来を準備していく若い青年、学生たちとならなければなりません。 人間は、健全な精神と強靭な肉体が一つとなった関係の中でのみ、創造的、自主的、統一的な活動をすることができます。どんなに精神が健全であっても、肉身が衰弱すれば、自らの理想を開くことができませんし、肉身が健康であっても精神が正しくなければ、正しい人の役割を果たすことができません。このような事実をはっきりと知り、皆様すべてが今回の体育大典を通じて、心と体の正しい統一を成就していくことができるよう、精進を重ねてくださることを願います。 皆様は、熱い情熱と純潔な人生、そして聡明な理性を通して、長い歳月にわたって神様が追求され、人類が念願してきた真の家庭を完成し、真の父母、真の師、真の主人の三大主体思想で武装し、一つの統一された平和世界の建設のために共に進軍しましょう。 今後、皆様は、国境と人種、宗教と文化の障壁を越え、統一文化世界を具現し、私たちの前に残された当面の課題である南北統一と東西文化の格差、そして南北の貧富の格差を平準化して、統一の世界を創建し、神様と人類の念願を果たしていかなければなりません。 皆様の純粋な情熱と不撓不屈の精神で神様の心情を体恤し、万世の願いの勝利者となれるよう、惜しみなく心と体を投入することを懇切にお願いします。これが正しく、新千年を迎え、真の父母と共に一つの時代を生きていく若い青年、学生たちの進むべき方向です。 どうか皆様の気概と決意で、理想世界の実現のために強く大胆であってくださることをお願いいたします。皆様の前途に、神様の無窮の祝福と天運が常に共にあることを願いつつ、祝辞に代えさせていただきます。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.27
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「天宙真の父母連合」宣布二〇〇〇年 二月十三日 真のご父母様の「御聖誕八十周年記念」の行事中、二〇〇〇年二月十三日、リトルエンジェルス芸術会館で「天宙真の父母連合」と「天宙平和統一家庭堂」が創立された。「天宙真の父母連合」は、ジャルジン宣言の最後の第八宣言に該当し、この二つの団体は摂理の最後の機関である。 関連のみ言 韓国に行って「世界真の父母侍衛連合」を宣布しなければなりません。侍衛連合なのです。それは何かというと、真の父母を認定するすべての者たちが加わるのです。ですから、教育を受けたならば、レバレント・ムーンが真の父母に違いないということがはっきりと分かるのです。「真の父母」を各国の大統領を中心として国会で宣布しなければなりません。そうなれば、私たちの国となるのです。その段階まで既に来たのです。そうならなければ、国連を叩きつぶして、宣布した国々を合わせて、国連まで占領するのです。国連の真の父母団体なのです。アメリカの議会が真の父母のみ言を語り、国連を中心として、万民が「真の父母の日」を受け入れるというのです。 それで今回、写真も皆、撮ってあげたのです。ジャルジンで祝福家庭と写真を撮ってあげたように、高位層の人々にすべてを教えてあげ、「君たちも皆、写真を撮っておくように」と言って、撮ってあげたのです。写真を撮ってあげた者たちは皆、内的なジャルジン勝利の基準の前に相対的な基準となって、国家を収拾する準備をして、手紙を出すのです。 それは夢のような話であり、あたかも茫々たる大海に浮かぶ小舟のようです。行くべき道を知らないのに、いかに訪ねていきますか? 心です。心の故郷が羅針盤にならなければなりません。世の中がここまで来たのは驚くべきことなのです。 誰がみ言の通りになると考えましたか? 浮雲ではありません。地上です。来られる再臨主が千年王国を築くのですが、千年王国は地上と天上の解放圏なのです。地上に来られて歴史的なすべての汚いくぼみまで清算し、この地上に雲の世界のような解放圏を形成して、千年王国を築いたというのです。それがどれほど大変ですか? 雲は水蒸気が蒸発したものでしょう? 便所のつぼに残った糞のかたまりのようなものをすべて溶かして、共産党の寒帯文明、温帯文明や寒帯文明まですべて溶かして、そこにいる群れたちを地獄から引き出して祝福したでしょう? 夢のような話です。 それは神様もできないことなのです。「今や解放された基準で「全体全般全権全能」を行使なさってください!」と言うのです。ですから、私がやるようにやるのです。聖人と殺人鬼を祝福してあげたのです。神様にはできません。私に命令することができないのです。先生自身が知って証明したので、神様が私の後ろについてこられるのです。 神様とサタンの闘いを、神様も止められず、サタンも止められないのです。偽りの父母によってそのようになったので、真の父母が来て止めることができるのです。すべての解決策があるのです。未完成で行使したサタン圏を無視して、完成の場において行使できる、解放的な神様時代なのです。 それで勝利的な基盤にあって、第四次アダム圏に入っていくのです。「全体」というのはサタン世界の全体と同じです。「全般」というのは一つにすることです。全体を合わせて一つにするのです。「全権」というのはサタンの権限です。サタンの権限を全能の権限によって抑え、全般、全能の天地創造本然の軌道を中心として、宇宙を再創造できる理想圏を形成するのです。 先生が願えば、アダムとエバを創造したとき以上の天国を再びつくることができるのです。堕落した世界の人間を捨てて、再び創造し直すこともできるのです。本来は、「救ってほしい」という請願の言葉さえ、真の父母と神様は聞きたくないのです。 ですから、今、皆さんの家庭がそのようにしていたらどうなりますか? 個人個人が、かつての天国に入っていく待合室、家庭的な楽園圏内に行って、橋をかけて渡ってこなければならないのです。兄弟同士で争って泣いたりしていますが、自分の方が偉かろうと、相手の方が偉かろうと、すべて切ってしまえというのです。気を引き締めなければなりません。 今や国を求める時が遠くありません。今、先生のみ言どおりにやれば国はすぐに得ることができます。二〇〇〇年の六月までかかるか、かからないかといったところです。それを率いていくためには、生死の境を越えなければならないのです。世界にすべてを宣布しておいて、準備するように発表するのです。御聖誕日を記念する前に、八十年の生涯による世界的な勝利基盤をすべて整備し、南北統一の理念を天宙統一にまで連結させる立場に立ったのです。そのような立場に立ち帰って語るみ言なのです。『訓教経』のようなものです。国民と世界と天地の前に、「訓示の宣言である」と言って、発表するのです。(三一五-二〇八、二〇〇〇年二月六日) 「ジャルジン八大宣言」 尹晶老! 七大宣言について話してみなさい。 (「ジャルジン第一宣言は、神様が絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって人間と万物を創造されたように、私たちも神様に絶対信仰、絶対愛、絶対服従で報いなければならないということです」)。 相対の立場に立たなければなりません。それでこそ、一つになって相続できるのです。 (「ジャルジン第二宣言は、神様は絶対、唯一、永遠、不変です。それで、神様の子女である私たちも、絶対、唯一、不変、永遠の子女となり、絶対、唯一、永遠、不変の夫婦となり、絶対、唯一、永遠、不変の父母となり、絶対、唯一、永遠、不変の家庭にならなければならないということです」)。 そのような家庭となって、国まで求めていかなければなりません。 (「ジャルジン第三宣言は、神様が第一創造主ならば、アダムとエバは第二創造主であり、アダムとエバが生んだ息子と娘は、第三の創造主にならなければなりません。第一創造主、第二創造主、第三創造主が一つの家庭に共に暮らさなければなりません。神様が一番悔しいことは孫息子、孫娘を得られなかったということです」)。 三代が共に暮らさなければなりません。 (「ジャルジン第四宣言は、『宿命的な提案解怨』宣言です。神様と私たち人間は、父子関係であり宿命です。宿命なので子女が父母の恨を解いてさしあげなければなりません。神様の恨、父母の恨は子女のゆえに生じたので、子女が絶対的に父母の恨を解いてさしあげるのです。ご父母様は、神様の恨を解いてさしあげるために生きてこられました。神様に『このようにして恨を抱かれたのでしょう?』と提案をすると、神様は『自分では語れないが、それゆえに恨を抱いた」とおっしゃいました。そのような父子関係の因縁をもって、神様の恨を解いてさしあげるために苦労してこられたのです。これが第四宣言の要旨です」)。 (「第五宣言はアラスカでの『四・四節』宣布です。神様がアダム家庭を失ってしまったというのは、第一代の四位基台を失ってしまったことです。そしてアダムとエバの息子と娘たちである孫息子、孫娘を失ってしまったのです。そのためにご父母様がこの地に来られ、アダムの代わりに家庭で一代の四位基台を探し立て、それからアダム家庭の息子と娘の四位基台を、天の前に正しく探し立てました。それで地上に天が願った第一代の四位基台と第二代の四位基台をいっぺんに取り戻しました。そうすることによって、南北統一が可能となり、天地が統一でき、全世界が統一できる条件となりました。そうして、神様が失ってしまった一代目の四位基台と二代目の四位基台を取り戻したことを記念して、『四・四節』宣布をするにいたったのです。その日が一九九八年九月八日です。それで、その日付の数をすべて合わせると四十四数となります。そのときから、『総生畜献金』も十六数を蕩減するという意味で捧げることになりました。裂かれた献金ではなく、裂かれてはいけない『総生畜献金』をしなければならないと説明されました。かつてはカインとアベルに裂かれたものが、今や復帰されたので、そっくり捧げる時代が始まったのです」)。 (「第六宣言は『サンパウロ宣言』です。総霊界を解放させました。その霊人たちは神様の前に解放されることによって、祝福を受けられますが、何もせずに祝福を受けてはいけません。「地上に再臨して地上天国の建設を協助せよ」というのが第六宣言です。それで霊人たちにすべて任地を割り当てました。イエス様はアメリカ、ヨセフとマリアは南米、釈迦牟尼は韓国、孔子様は中国、このようにして任地を与えました。なぜ、霊人たちを祝福してあげ、任地を割り当てたのかというと、地上天国が先に建設されてこそ、天上天国が建設されるからです。解放されて祝福を受けたとしても、ただ何もせずに受けてはいけないのです。それで、すべての霊人たちが地上に総動員して、天国建設に協助しなければならないのです。これが骨子です」)。 (「第七宣言は、お父様が『天宙的な四・四節』と名づけられ、一九九九年一月八日、ウルグアイのプンタデルエステでみ言を語られました。その内容は何かと言うと、地上天国を建設するには、天上に恨を抱いた霊が一人もいてはならないというものです。特に未婚の霊たち、結婚できなかった者たち、あまりに幼くして死んだ者たちも祝福してあげなければなりません。その霊人たちは皆、幼いときに死んだとしても、教育を受けて成長してから、男性、女性として祝福を受けられる恵沢にあずかるのです。それから、地獄の殺人鬼までも聖人と祝福を受けられる門を開いてあげました。そのようにプンタデルエステで宣言されたその日を、真のお父様は『天宙的な四・四節』と呼ぶようにと言われました。霊界に地獄がなく、恨を抱いた霊たちがいなくなって、霊界が先に整理されてこそ、地上に天国が到来するのです。地上天国は、恨を抱いた者や地獄にいる者が一人もなく、解放されてきれいに整理されてこそ始まるのです。ジャルジン宣言がなされた場所は、ジャルジンというブラジルのある限定された場所ではありませんでした。ジャルジンはブラジルの言葉で『庭園』という意味であり、『エデンの園』一を意味する象徴的な意味があります。ジャルジン宣言は、コディアックで語られたこともあり、プンタデルエステで語られたこともあり、サンパウロで語られたこともありますが、真のお父様はそれらをみな『ジャルジン七大宣言』と呼ぶように語られました。私たちが天国理想を実現するにあたって、このような宣言の通りに生きるように語られました。ジャルジン宣言は、私たちが天国生活するにあたって守るべき宣言であります」)。 それでは、最後の「ジャルジン第八宣言」は何でしょうか? 天地父母に侍らなければなりません。「天宙真の父母連合」なのです。それはジャルジンで宣言したのではありません。本部に戻って宣言したのです。出発から再帰一、ここで発表しました。ここで終わる前にそれを構成するように話したのです。 明日の誕生日がそれほどに重要なのです。考えてみなさい。一九九八年の標語が何ですか?(「真の神様を絶対に誇り、愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断絶です」)。一九九九年の標語は何ですか?(「真の祝福天宙化とサタン血統根絶です」)。二〇〇〇年の標語は何ですか?(「真の愛の天宙化は新千年天国完成です」)。それが神様の家です。東洋で言う「天宙」とは、「神様の家」という意味です。 宇宙の「宇」も家を表し、「宙」も家を表します。「宇宙」と言うと家なのです。家という概念です。家で生まれ、家で食べて暮らし、家で逝くのです。小さな家から大きな家……家庭から国、国から世界、世界から天国、そのように行くのです。世界を越えていかなければならないでしょう。国を越えて世界に行かなければならないので、聖人を立て、世界を越えて永遠なる世界の神様のところに行こうとするので、聖子を立ててはしごをかけたのです。そうすれば、すべて終わるでしょう? きょうの話もそうでしょう? 歴史時代の主流として残すべき伝統的な思想が必要なのです。それが孝子、忠臣、聖人、聖子の道なのです。今やすべて終わりました。ですから、私が皆さんを連れて回りながら、教育すべきですか、放っておくべきですか? 今や皆さんの子供たちも成長したでしょう? 皆、息子と娘が十八歳以上になったのです。結婚したなら、その赤ちゃんまでが後ろを振り返らないように、棒でぶん殴って追い立てなければなりません。 ですから、先生は、既に宣言しました。「息子と娘をすべて分家せよ」と言ったのです。これまで、先生は育てなければならないという責任を果たせませんでした。統一教会において、行くべき方向を定めてあげるご父母様ではありませんでした。天地のすべてを整備できないで、どうしてそれができますか? 子供を捨て、家庭を捨て、国を捨てて、それを果たしたので、それを整備した後に、最後において行く道を定めるのです。 真の父母と一緒に生活しながらも、真の父母の価値を知りませんでした。今や家を離れてみてこそ、統一教会の食口たちが、イーストガーデンに来るのをどれほど切に願っているかが分かるのです。それでカインの立場にある弟たちの立場を知るようになるのです。立場を変えて同情し合い抱き合ってこそ、弟たちも兄たちがどれほど大変かが分かるのです。「私たちの家で父や母に侍っているけれども、世界の家でもよく侍ろう!」と言ってこそ、統一天国になるのです。きれいにすべてを整理するのです。ですから、自分の父や母よりも、食口よりも……。 イエス様は「誰よりもわたしを愛さなければ、わたしの弟子にはなれない」と言いました。そして「汝の十字架を背負ってわたしを愛さなければ、わたしの弟子になれない」と言いました。「十字架の蕩減の道が残っている」と言ったのです。それが偉大なのです。そのような言葉を語ったイエス様の内的な心情を、誰が知ることができましたか? 誰も知りませんでした。 先生の代でそれをやるのです。三十三名と七百八十名は、天の国の主権を中心として祝福を受ける中で、国家次元を乗り越えられる基盤なのです。その基盤をすべて準備したのです。先生がどうして嘘をつけますか? 原理原則から見てぴったりと合っているのです。 「天宙的四・四節」とは何ですか? ですから、いつでも、どこよりも、その場を愛さなければなりません。それでパンタナールを私が愛しました。世の中の誰もが行きたがらない所に行って愛したのです。夜も昼も時間さえあれば行ったのです。誰もいないときに出かけようとし、誰もいないときに帰ってこようとしました。私はそのように暮らしてきました。主人の因縁を万物世界に残したのです。 李相軒氏の報告を見ると、霊界でも心霊状態の高い人は、すべての動物と和合するというのです。万物を解放しなければなりません。それゆえに、私がパンタナールに精誠を尽くしてきたという事実を知らなければなりません。魚や獣たちをつかまえて食べますが、これからは、その先祖をなくしてしまっては、根を抜いてしまってはいけないのです。先祖を残しておいて、種を永遠に保存できてこそ、神様が自分たちのために礼物のようにつくってくれた万物が残っていてこそ、それを見つめながら神様の前に威信を立てられるのであって、それがなくなれば、威信を立てることができません。 それで種を保存するために、どこでも農園をつくるのです。庭園をつくり、花園から、動物園から、養殖場までつくるのです。そのようなものを作れる適地がパンタナールなのです。それを皆、軽んじているでしょう? (三一六-五三、二〇〇〇年二月九日) 「天宙真の父母連合」を結成した意味 今回の大会で団体をつくりました。それが「天宙真の父母連合」です。真の父母連合。これが何かというと、神様も、真の父母の冠をかぶり、被造物も真の父母の冠をかぶらなければならないのです。その冠が何ですか? 血筋を清めた冠です。ですから、復帰摂理の神様は、完全なる神様ではありません。その神様が復活しなければならないのです。ですから、全天宙が真の父母の連合体です。真の父母は、天宙と国家の連合体なのです。すべての連合に通じている魔術師です。 万物、植物、鉱物世界のすべてが、真の父母の冠をかぶらなければ完成できません。霊界もそうです。霊界と肉界のどこにおいても、魚もどこでも、獣の子、植物や鉱物まで、すべてが「真の父母」の名を返してもらわなければ解放されません。 そのような意味で、「天宙真の父母連合」です。天宙自体が既に一つになったのです。その天宙は神様を中心として一つになっているので、地上にあって、必ず一つにならなければなりません。国家がいまだに統一天国になっていないでしょう? それぞれの国家を、国家メシアたちが一つにしなければなりません。カインとアベルが一つになるのです。カインとアベルが一つになることのできる、国家メシアの責任の完了が今できていません。国家メシアたちが、今からカインとアベルを中心として……大統領を中心として、国会もカイン、アベルが上院と下院です。その国の総督と同じです。天の全権の権限を持って、カインとアベルを一つにしておかなければなりません。それでこそ、ご父母様が縦的な父母となるのです。これは原理です。 ですから、今から私たちが取り組むことは政党の消化です。国を消化しなければなりません。政党を消化しなければなりません。サタンの血筋から変わらなければならないのです。その全体平和の峠を乗り越える、第四次アダム圏時代に乗り越えるその境界線に解決すべきことがあるので、女性たちを選ぶのです。女性がお母様の分身にならなければなりません。お母様の分身の立場に立って、息子と娘を一つにしなければなりません。真の父母は、民主世界と共産世界が一つになるその骨髄を連結させ、地上地獄、天上世界が分かれたのを一つにできるようにすべてを連結しておきました。ですから、真の父母を中心として、完全に一つにならなければなりません。昼も夜も四六時中、青年時代から老年時代、水深時代まで一つにならなければなりません。 ですから、あらゆる小さなものの完成も父母であり、大きなものの完成も父母なのです。真の父母を抜きにしては一つになることはできません。連合されるものがありません。連合とは団結を指すでしょう? 天宙が団結する中心なのです。その中にすべてが入っているのです。その中にすべてが入っています。 この世の中は一つになっていません。ですから新天宙平和統一です。カインとアベルが一つになっていません。水平になっていないのです。統一教会の女性連合と日本の家庭連合が一つになっていません。この隔たりができたのを一つにしなければなりません。 社会では、これまですべて破綻してきたでしょう? 社会のすべてが乱れてしまいました。愛の秩序、血統的な整理がこれまでできませんでした。完全に混沌のうちにあります。純潔運動と家庭の破綻を収拾するための仕事を、今やるのです。それが私たちの全権です、全権。特許権です。どこに行っても妨げはありません。栄えている国、先進国においても後進国においてもそうです。 ですから、「天宙平和家庭堂」です。「家庭堂」とは何ですか? 実体となられた真の父母、真の師、真の主人の権限がここにすべてあるので、それに備えて、分かるように絶対に教育しなければなりません。絶対信仰です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして、野党と与党が一つになれば、国がさっと回ります。原理がそうなのです。与党と野党が一つになれば、その中央に天が臨むのです。必ず中心の縦的基準に臨むのです。家庭統一、氏族統一の中心となるので、すべてが連結されるようになります。 この内的基準の前に互いが衝突しないように、平準化を目指すのです。ですから、教育するのに必要なのが何かというと家なのです。何の家ですか? 神様に侍り、真の父母に侍る家で教育するのです。それでは、み言が何かというと、個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界、天宙完成をするみ言なのです。そのようなみ言がすべてあります。そこに絶対に一つになることによって、急速に発展するのです。地獄からすうっと飛び上がって、世界のために生きようとして、さっと地の果てまで関係を結ぶことのできるはしごが連結しているのです。これは絶対に必要です。 これまで「世界平和家庭連合」は、サタン世界のアベル的な家庭だったのですが、カイン家庭と一つになっていません。それを一つにすることのできる基盤として、吸収できるプラスの磁石のようにならなければなりません。今はすべて絶縁体となって通じていませんが、それを引っ張ってでも真の愛の母体である神様の愛の圏を中心として一回りさえすれば、自動的に上がってくるのです。回せば上がるのです。運動すれば下っていきません。上がったり下がったりするのです。 この二つの団体をつくったのです。その団体は何かというと、自分の家です。下の町にある家は心身一体、私の家です。それに対して、天の一番上の町におられる王、大統領を中心として上院と下院、プラスとマイナスになっているのです。これが一つになっているのです。大統領と一つになって、私たちのメシアと一つになれば、その中で中心点において、天と自動的に連結するようになっています。 ですから、今や問題は、野党と与党が統一に向かうようにしなければなりません。「文総裁が願う理想的な国はこうあるべきである」というその原則にすべての国を結束させるためには、どうしても第四次アダム圏に定着することができる基盤が必要なのです。それでその中心基盤、完全なるプラスが生じたのです。完全なプラスは完全な対象を創造するのです。それを連結させるためには、み言を通してやっていくのです。そうすれば、自然に大きくなって上がっていくのです。対象の立場で大きくなるのです。 何かあっても女性が先頭に立って息子と娘を教育し、それから夫を教育しなければなりません。女性たちが追い出したでしょう? カインとアベルが怨讐になったでしょう? 夫も、自分も滅亡時代に入ったので、女性がこの仕事をすべてするのです。女性がこれまで歴史時代に責任を果たせなかったので、揺れ動く天地となったのです。すべてが体を売る娼婦たちとなり、引っ張り回されて滅んで混乱が生じたのです。 「母観」を探さなければなりません、「母親」を。ですから、息子と娘が母親を尊重しなければなりません。「私たちの母は、この国の代表的な母である」、また夫までも「この国では私の妻が代表的な妻である」と言えなければなりません。国を代表できてこそ世界に行くことができ、世界を代表したときに天の国に行くことができるのです。それが原則でしょう? 息子たちが「我が国の代表的な母である、神様の似姿である」と言わなければなりません。夫が「私の妻はこの国の代表であり、神様の新婦にもなれる」と言わなければならないのです。そのような家庭になりましたか? 母親の責任は何だと言いましたか? 息子と娘が一つになって、「私たちのお母さんは国と世界を代表している」と言わなければならないのです。夫が「世界に女性は多いが、私の妻が一番である。神様の前に紹介してあげられる妻であり、息子と娘の前に、隣り町の前に代表として立てる責任者である」と言わなければなりません。誰がそのようにつくるのかというと、妻たちがつくらなければなりません。 「天宙真の父母連合」、真の父母が絶対プラスです。これが世界に統一されるときまでは、神様も先生の言うことを聞かなければなりません。神様も先生に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従なのです。創造当時の結果になってこそ、すべてが成就しませんか? そのようにしてこそ、目的を達成できるのです。神様も意のままにできません。ですから、祈祷して「文先生はどこにいますか?」と言っても教えてあげません。自分が訪ねていかなければならないのです。てっぺんに行って捜さなければなりません。 なぜ「祈祷して精誠を尽くすように」と言うのでしょうか? まったくあきれてしまいます。イエス様も精誠を尽くし、先生も精誠を尽くしているのです。神様も「祈祷するように、一生懸命に祈祷するように」とおっしゃっています。空高くどんどん上がっていってこそ占領できるのです。そのようにわきまえて、解怨成就の最後のページに皆自分の名を記録し、サインし、回れ右した場合には、天国に直行するようになるのです。そのような特権を与えようとしているのに、立派に成し遂げなければなりませんか、成し遂げなくてもいいですか? 立派に成し遂げなければなりません。 郭錠煥、万歳をしなさい。ちょっと待ちなさい、これを書いておきましょう。(「真のご父母様の平和統一家庭堂万歳! 統班撃破万歳!」と板書されてから、万歳五唱がある)。自由に会議でもして、指示すべきことをまとめて風呂敷にぎっしりとつめて、元気に出発して、死なないで再び会えることを願います。(三一六-二八二、二〇〇〇年二月十五日) 全世界で訓読大会をしながら、真の父母の看板を高く掲げなければなりません。真の父母の中にすべてが入っています。真の父母を嫌うのは、すべてを失うことです。「天宙真の父母連合」を創設したのはなぜですか?「世界平和家庭連合」は地上でしかだめなのです。水平なのです。天宙が入っていません。「天宙」というのは「家」を指します。愛の家です。家の中に必要なものが、すべて入るでしょう? 納屋まで、田んぼの端まで草を刈った古い鎌までも、そこにおいて使わなければならないのです。すべてが入ります。「真の父母」の御名、「真の父母」の権限を完全に一〇〇パーセント必要としてこそ、神様が自由にこの地上で治め、天上で治めることができる家になるのです。安息所なのです、安息所ですから家です。皆さんの心には、すべて骨髄の家があります。私の家、我が家なのです。新婦の家は新郎です。妻の真なる愛の家は夫です。夫の真なる愛の家は妻です。父母の真なる愛の家は子女であり、子女の真なる愛の家は父母です。その両者を裂くことはできません。裂けばすべてが分かれていきます。すべて壊れてしまいます。相対的な理想にならなければだめなのです。(三一六-二四七、二〇〇〇年二月十五日) 先生が今や渡してあげなければならないので、代理人を立てました。代理会長を立てたのです。それが誰ですか?(「郭錠煥会長です」)。国家的な代表です。先生が天地の代表ならば、地上で国家的な代表を中心にして、先生を代理できるのです。アメリカの代理代表、日本の代理代表……。そこにおいて成立した公式を中心として、全世界において一元化していくのです。 それゆえに「天宙真の父母連合」です。それから「天宙平和統一家庭堂」です。平和は水平です。そして統一は縦的です。「天宙平和統一家庭堂」です。家庭が責任を果たせませんでした。縦横の一体圏、天の父母と子女、上下、左右、前後の関係が築かれていません。 問題は家庭を中心として、上下関係、左右関係、前後関係を形成することです。先祖を中心とし、真の父母を中心として、子女の立場に立ち、真の父母のように祝福された家庭となり、息子と娘を生むことによって、堕落してない本然の基準で真の血統を中心に定着することができるのです。サタンがいないので自然に定着できる環境となり、それを決定できる時代に入ったのです。それは歴史的な最後の総決算であると同時に、最後のサタン世界の終末、天の世界の新しい出発、地上、天上の理想的な愛の王権時代へと越えていくのです。 先生のみ言は霊界の憲法になります。霊界と地上において、柱になるということを知らなければなりません。そのまま適用するのです。(三二〇―四四、二○○○年三月二十五日) 「天宙真の父母連合」を創設したのは、今や天と地の問題を中心として、全権をもって結束したからです。周辺のすべては、カインとアベルの分かれたものであり、父母が分かれたもの、国が分かれたもの、世界が分かれたものなのです。外的にそのようになっているのです。心と体が分かれて、個人が分かれ、家庭が分かれ、国家が分かれ、世界が分かれ、天地が分かれたのです。外的にそのようになっているのですが、それをいかに統一させますか? この根本に、すべてが一体圏とならなければなりません。それで「天宙真の父母連合なのです。真の父母は、天宙のすべてが連合した中心なのです。 神様を見ると、真理と人格と心情世界がありますが、それを中心として個人的な心と体が一つになり、家庭が一つになり、国家が一つになる、心情的な統一を完成しなければならないのです。そのような内容を中心として一つになるのです。ここはすべてが分かれています。分かれた一番てっぺん…………蕩減時代が過ぎて私たちが自由にできる時代が到来したので、てっぺんの与党と野党、彼らの夫人たちを中心として、真の父母、お母様と一つにならなければなりません。お母様が教えたその基準を中心として、変遷していく立場にあるのです。また、カインとアベルが統一されて、今霊界と肉界が変遷していく立場にあるのです。 ですから、そのような内容を中心として訓読会をしなければなりません。訓読会をすれば個人完成がどのようになり、家庭完成がどのようになり、国家完成がどのようになり、天地完成がどのようになり、解放がどのようになるか、すべて出てくるのです。そのとおりにやらなければなりません。 今や「世界平和統一家庭連合」を創設しましたが、これが何かというと、サタン世界において天が探したカインたちです。カイン型なのです。その基盤を通じて、天側の世の中と天側のアベルがいるので、長子権を復帰できる土台となるのです。そこにおいてすべてが一つにならなければなりませんが、一つにするのは国家から出発します。ですから、四十代以降は放棄するのです。先生は四十歳で世界的にみ旨を成就しようとしました。 四十歳の基準を中心として、そのようになるので、すべての母親たち、夫人たちは、夫をすべて後ろにおいて、振り返ることなく一つにならなければなりません。何と一つになるのでしょうか? 息子、娘と一つになるのです。息子、娘と一つになれば、その次は夫婦が一つになって、自分の夫を前面に立てるのです。基盤を整備して夫を前面に立てますが、立てた夫が真の父母と一つにならなければなりません。それが国家的な基準で完成すれば、すべてが終わるのです。(三一七-九、二〇〇〇年二月十五日) 「天宙真の父母連合」と「天宙平和統一家庭堂」を設立した意義 統一教会の信徒は多いでしょうか? わずかな数を中心として、世界の平準化運動をどれほど多くやったことでしょうか。誰がそのようなことを願いますか? 先生はその仕事をやってのけたのです。ですから、非常に骨が折れるのです。 今もそうです。訓読会をやったのですが、訓読大会をして六大州に組織をつくったので、郭錠煥が今やその位置に就いてしなければなりません。ですがそれも私が行って道を開いてあげなければならないのです。来る者たちは先生に会おうとしているのです。郭錠煥に会おうとするのですか? ですから、先生は体制を中心として進みますが、中間の責任者として、その体制を保護しなければなりません。体制は一方的ではありません。四方の平準化体制をいかに整えるかというのです。ですから、教育して人員を拡張するのです。原理原則がそのようになっています。それで先生が一生の間、時間さえあれば皆さんに会って語ってあげました。それが教育なのです。いつ遊びましたか? 一生を通じて教育してきたのです。 そのような横的な基盤を整備しなければ、縦的な基盤はなくなります。すべての思想や運動全体がそうです。ですから、神様が創造するとき、横的な基盤である環境を造成して、そこに主体と対象であるアダムとエバを創造しました。創造がそうです。ですから、すべてペアシステムなのです。鉱物世界、植物世界、動物世界、すべてがペアシステムになっているのです。 天地創造がそうでしょう? 日と月をつくり、水と空気と地を創造して、生物が存続できる基盤を造成してから、そこでその環境が連関関係を結び、中心となり得るアダムとエバ、主体と対象を創造したのです。大本の主体と対象です。主体と対象といっても一つです。 それが創造原理の組織的な原則でしょう? 先生が歩んでいくのは、共産党をつぶすためです。 「天宙真の父母連合」が何ですか?これは相対的なのです。東洋と西洋、天と地、すべてが分かれています。政治も野党と与党の相対世界です。それをすべて総合するのです。何によって? 真の愛によってです。 それから「天宙平和統一家庭堂」です。ここにも平和が入ります。平和が実現して、統一が実現するのです。ここで真の愛によって統一されるのです。統一家庭堂です。家庭は何かと言うと、横的に広がらなければならず、縦的に接ぎ木するというのです。縦的なものは既に皆知っています。 個人完成をいかに成就するかというと、自分を伝道した者に従っていくのではありません。真の父母に従っていくのです。神様に従っていくのです。ですから、縦的な基準は既に完成しています。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、解放圏、祝福圏がすべて連結していますが、横的基準が完成していないでしょう? それで天宙平和、それから理想家庭なのです。 堕落とは何ですか? 理想家庭にならなかったことです。破壊家庭になったことです。理想家庭を中心として「平和」なのです。平和は横的です。統一しなければなりません。何によってですか?東西南北のうちに、中心を中心として横になってこそ可能です。中心を中心として三六〇度、すべてが同じ位置において回転するためには、「真の愛」でなければなりません。それが家庭理想です。 祖父がいても全体の家庭に尽くさなければなりません。自分たち夫婦だけのために生きてはなりません。父母がいても、自分たち夫婦だけのために生きてはなりません。上下、前後の秩序を合わせて、全体が回ることのできる平面的な面に合わせていくのです。それが「天宙平和統一家庭堂」です。 なぜ家庭ですか? 家庭が問題なのです。「家庭堂」だからと言って、何かのお堂をつくるのではありません。家庭において堂の主体が生じるのです。野党と与党の中心がそこで設定されるのです。それで「家庭堂」です。ですから、「家庭堂」は左翼や右翼を問わずに、連れてきて教育するのです。彼らの夫人たちを教育しなければなりません。それが韓国の婦人、北朝鮮の婦人ということでしょう? 北朝鮮の婦人と韓国の婦人を一つにするのが一番の早道です。今回もそうです。群れを意味する「黨(党の旧字)」という字を書いてみなさい。なんと騒々しいことでしょうか。家を表す「堂」の字で書いたので、女性たちを前面に立てるにあたって平安なのです。金正日も同じです。 文総裁が何をやりますか? 女性たちを中心として「家庭堂」をつくって教育するのです。立派な妻にしてあげるのです。男性には皆妻がいるでしょう? 立派な妻にしてあげ、立派な母にしてあげるのです。ですから、私たちの家庭を愛国の家庭にするのです。それが目的です。 立派な妻がいれば何をして、立派な息子と娘がいれば何をしますか? 立派な愛国の家庭となるのです。愛国の家庭になったら何をしますか? 国をつくるのです。それでは国があれば何をしますか? 聖人の道を行くのです。世界に尽くすのです。世界があれば天地に尽くすのです。天地があれば神様に尽くすのです。公式がそのようになっているのです。このような全体を解明できる内容として、今回二つの団体を創立したわけです。これを連合しなければなりません。 「天宙真の父母連合」です。真の父母を中心としてすべてを創造しませんでしたか? 創造がそうでしょう? 天宙が何によって形成されていますか? 霊的な世界の左右と前後の関係が、真の父母を中心として形成されたのです。 真の父母の中心は何ですか? 神様とアダムとエバが一致して、愛に定着するのです。愛の中心に定着できるポイントが軸となり、それからアダムとエバの夫婦が横的になりませんか? それが上弦、下弦です。男性は右弦であり女性は左弦です。神様を中心としてみると、神様は上弦で、真の父母は下弦ではないですか? 愛を中心として前弦と後弦、息子と娘が出てくるでしょう? それが根本です。その根本を合わせなければならないのです。ここは超党的です。政治、経済、文化の面がそこに連結されなければならないのです。上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦です。これが上下関係と夫婦関係で一つになってこそ、息子と娘が出てくるでしょう? 息子と娘を持てなかったのが堕落でしょう? その原則を中心として帰結させたのが、この二つの団体です。それで今回、この二つの団体を発足させたのです。 それで神様と天地父母です。それから祝福された家庭、祝福家庭の息子と娘が、その愛に一致できる立場で神様に侍り、平和の家庭を築かなければなりません。それでこそ平和の基準にも合い、統一の基準にも合い、上下全体の理想的な面で回るにも互いに衝突しません。そのような組織形態なのです。 「天宙真の父母連合」を中心として、世界、個人完成、家庭完成が連結されるのです。それを中心として横的な内容……小さいので個人が回るのも三六〇度、氏族が回るのも三六〇度、互いに衝突しないでバランスを取るのです。どこに行っても、その中心を中心として回っていくのは水平なのです。水平が大きくなれば大きくなるほど、縦も大きくなっていくのです。縦が大きくなっていけば、前後も大きくなっていくでしょう? それを離すことはできません。三位一体です。それで上下、前後、左右です。 堕落とは何ですか? 上下、左右を完成しましたが、前後を完成できなかったのです。息子と娘を持てませんでした。サタンが上下、前後、左右を束ねたのです。それを正さなければなりません。 それがだめで、家庭がすべて合わないので、家庭を教育するのです。「家庭堂」で教育するのです。「絶対孝子となり、絶対忠臣、絶対聖人、絶対聖子の家庭になれ」というのです。神様と常に離れられない、定着できる家庭を築くのが、神様の創造理想です。それが根本です。それが根本にならなければ、すべてのものがねじれてしまいます。それで「家庭堂」という言葉が出てきたのです。はっきりしています。 それが創造理想です。この軸を中心に三六〇度ですが、一八〇度はいつも主体と対象の関係です。一八〇度の主体と対象が編成されてこそ、三六〇度が出てくるのです。少しねじれただけでも壊れてしまいます。完全に九〇度に合わせなければなりません。球形世界は、ここはすべて三六〇度です。垂直に通じる三六〇度は、この一点を通じるのです。 愛と連結していない存在は、運動する球形体制において、一つの要素として残ることができません。理論的なのです。先生は八十歳にカナン復帰するのではありません。八十歳に地球星に着地するのです。それは、どういう着地ですか? 天下をすべて収拾して着地するのです。その着地家庭は、天地を代表し、氏族も天地を代表し、神様の心情世界、すべてを代表した着地基盤だというのです。 四十年ぶりに帰ってきて、カナン地球星に着地するのです。天地にいたるまで、すべてを一斉に祝福したので、家庭さえ築いて組織編成し、着地できる日には、世界は一つになるのです。その道がないというのに、上下の間をどのように一つにまとめますか? 上下がこのようになりますか? 垂直にならなければなりません。左右がこのようになりますか? 水平にならなければなりません。前後も水平にならなければなりません。三つのかけらを合わせて球形を形成するのです。二つのかけらではだめでしょう? ですから、「堕落」とは何ですか? 上下関係と左右関係は持ちましたが、息子と娘、前後がないので、血筋が断たれたのです。それで最近になって強調するのが血筋です、血筋! 上下関係も血筋のゆえ、夫婦関係も血筋のゆえ、愛と生命も血筋のゆえにあるのです。息子のためにあるのです。息子を生めなければ、アダム家庭一つだけで神様が生きられますか? 孫もいないのに何がおもしろいのですか? 郭錠煥も孫を愛しますか?(「はい」)。それが原則です。そこから根本が定着して家庭を元返さなければなりません。個人の体、心が一つにならなければなりません。 神様が私たちの心の中におられるのです。私たちが個人の家ではないですか? 男性は神様が性相的に分立した神様の家です。女性は神様が形状的に分立した神様の家です。二人が新しい一つの主体として、大きな主体となるために、夫婦を中心として家庭形成の主体的な形状になるのです。真の愛がなければ、心と体が一つになれず、プラスとマイナス状態が一つになりません。愛がなく、二人がだめになれば神様が離れます。神様が離れれば、私の心も離れるのです。男性の心も離れて、女性の心も離れるのです。なぜ、離れるのですか? 神様が離れるからです。 家庭もそうです。息子と娘がいて、三代が一つになって、互いが必要であると感じなければなりません。祖父母も必要であり、父と母も必要であり、夫婦が必要であり、息子と娘が必要でなければなりません。お互いが必要なのです。「あいつがいなければだめだ」と、お互いすがらなければならないのです。そうして、築いたのが家庭です。それが核となって、さらに大きいもののために投入するのです。 そのような家庭が十家庭あるとして、その十家庭のために投入すれば、中心家庭になります。十家庭のためにより多く投入すれば、結果的に十家庭の中心になるのです。そのようになるのです。原理の内容が、先生が語ったその原則を中心として、すべて連結されているのです。 宇宙全体がそうです。上下においてもそうであり、前後においてもそうであり、左右においてもそうであり、すべてが連合なのです。天宙真の父母。天宙が運動しているでしょう? 「天宙真の父母連合」と言えば、すべて入るのです。上下関係、前後関係がこれを中心として、育っているのです。 真の父母とは何でしょうか? 神様の愛を中心として、生命圏を中心として、血統圏を中心として、良心圏を中心として、すべて一体になることができるのです。真の父母が定着できるのは、そのような場です。それが芽となって、そこから育って世界に枝が伸びれば、国家、世界、天地がすべて連結されるでしょう? それは移動するものではありません。 神様は絶対、唯一、不変、永遠なので、定着する基準も絶対、唯一、不変、永遠でなければなりません。何によって? 政治力ではありません。手段によってではありません。力によってでもいけません。真の愛によって為に投入するようになれば、より多くの価値を持つようになるのです。 真の愛を中心として、為に投入すれば、それは絶対になくなりません。発展するのです。入力よりも出力が大きいのです。なぜでしょうか? 宇宙がそうです……頻繁に現れれば宇宙が来てくっつきます。真の愛も核が現れれば、来てくっつくようになっています。磁石も鉄分があれば、鉄分の配合比率によって引っ張る力が違うでしょう? 同じなのです。真の愛が宇宙を引っ張るのです。 神様は、真の愛をもって創造されたでしょう? 一人ではいけません。真の愛があっても、一人で何をしますか? 女性がどんなに美人であっても、一人で愛や生命、血統があっても、一人ではすべてなくなるでしょう? あってもないような存在になります。ですから、女性と男性はどうしてこんなにも慕い合うのですか? なぜ、数千年が過ぎても慕って、相対がなければ生きられず、生命を投げ出してまでも互いに保護しようとするのかというのです。それは真の愛があるためです。 「天宙真の父母連合」について分かりましたか? 核です、核! この中心は、相対的な面で水平を持てなければ球形になりません。これが大きくなりません。それで総決算的な永遠の定着基盤を中心として、韓国で摂理するために、このような組織を組んだのです。 永遠にいかなる存在であっても、真の父母が絶対に必要なのです。真の父母の愛が必要です。私たちの四肢に生命がぶら下がっているでしょう? 生命がぶら下がっており、愛がぶら下がっています。神様の愛は永遠に生きていて、その愛の本体なる力が、生命をもって動かすことができるので、永遠となるのです。愛だけが永遠なのです。愛だけが常に縦的なてっぺんに立つことができます。愛し合う夫婦は横的になります。 愛と生命がここで和して、血統が連結されるのです。分かれていたのがここに入ってきて合わさるのです。合わさって上がっていったのが下りてきたので、下りてきてこちらに広がっていくのです。血統が重要だというのです。血統を残さなければなりません。 愛の根である神様から、数多くの先祖を経て生まれ、だんだんと大きくなりますが、一なるこの中心は変わることはありません。血統は永遠だからです。神様の血統的な根源の相対になれば、ぴったと一挙にくっつきます。神様を中心として世界の球形を形成すれば、自動的に連結するのです。そのような意味から天宙何ですか?「真の父母連合」です。 真の父母が何ですって? 真の愛です。絶対、唯一、不変、永遠なる愛の基準において、中心の立場にいるのが真の父母です。すべて相対的な基準が必要です。誰しも相対が必要なのです。小さいものは小さな相対が必要です。小さいものは小さいながら、主体と対象を中心として球形を形成し、大きいものはこれを中心として球形を形成するのです。こうしてさらに大きいものとなっていくのです。神様は根本であられるだけに、始まりから終わりまで球形を形成するのです。宇宙がすべてその愛の圏に入るのです。 だからといって、小さい存在はそのままでは存在しません。真の愛ゆえに存在するのです。個性真理体の理想が何ですか? 私の細胞が四百兆以上にもなりますが、その細胞を一つも無視できないのです。それでは「天宙真の父母連合とは何ですか?」と聞かれれば、どのように説明しますか? 今、先生が説明したことを話すのです。 「天宙平和統一家庭堂」とは何ですか? 根源の場に合わせることのできるのが、家庭です。家庭が合わせることができるのです。個人時代の家庭、氏族時代の家庭、民族時代の家庭、それが水平にならなければなりません。ですから、自分の家庭よりも大きいのが氏族なので、氏族のために完全に投人して生きていくのです。そのようにしてこそ広がっていきます。自分の家は上がって、投入したものは下がっていきます。それで水平になるのです。 ですから、縦的な基準の権限を持ってどこでも行けるのです。一つになったならば、神様が行かれる所にどこでも行くのです。神様はこのように高いのですが、一つになったので、個人時代から八段階が一つになったので、縦的に連結され、この軸を連結して、この軸を中心に回るのです。宇宙がその圏内に入ってきているので、神様のものとなり、私のものとなるのです。それは私だけではいけません。神様もそのような息子と娘を願うのです。 ですから、この真の父母の思想を連結できる横的な基盤があって、主体との相応的な内容が連結されてこそ、球形となるのです。それは神様のものであると同時に相対のものです。 ですから、夫と妻は互いにそれを壊すことはできません。壊せばそれまでの基盤がすべてなくなります。再びやったとしても、二度目は下がっていくのです。世界から国家基準に落ちて、下っていくのです。後には、愛も何もかもすべて無視してしまいます。「愛が何ですか? 組織が何ですか?」と言うのです。 このように離れて下がっていったので、必要のない愛になります。愛を求めていきましたが、生命の価値を見いだせずに無視されたので、自殺するようになるのです。理論的にそうなります。「何が残るというのか? ひどく苦労しながら、ああでもなくこうでもなく生きるなんて!」と言うのです。「きれいな青春時代に愛の傷跡をつけず、生命を害さないで生きられないならば、きれいな立場で死のう」と言って、若者たちの中に自殺する者が増えるのです。この内容を知らないからそうなるです。 それで「天宙真の父母連合」、「天宙平和統一家庭堂」です。どこに行っても縦と横を連結しなければなりません。心と体が一つになれというのです。夫と一つになれというのです。氏族の中には数多くの家庭が入っています。自分の家庭を中心として数多くの家庭を犠牲にしようというのは破壊分子です。ですから、氏族のために家庭が犠牲になるのです。民族に対しては氏族が犠牲となり、国家の前では民族が犠牲になるのです。これが存続の原則です。先生が考え出した適当な手段的論理ではありません。天理の原則です。 間違いなくそうやれば、どんなに端っこの位置にいても、ぱっと真ん中に来るのです。あなたたちがここで全体を中心として、そのような立場でやるようになれば、次第に近くに来るのです。中心の立場に立たされるのです。近くに来て中心にならなかったとしても、その中心の相対的な立場に立つことによって、知ることによって、時間が過ぎれば自然と中心を代身できる立場に入っていくのです。 この両者が合わされば、さらに別の中心として現れるのです。体制が変更すればそうなります。家庭時代と氏族時代は違うのです。自分の家庭時代の習慣を持ち出してはいけません。ですから、今、統一教会が問題です。家庭時代の習慣、昔の習慣性がどれほど恐ろしいでしょうか? 自分の活動基準を中心として、家庭時代の活動をそのまま世界時代に適用しようとすればだめなのです。天が協助しません。 中心が大きくなるのに、家庭時代の基準でよいでしょうか? これは破壊です、破壊。消耗です。じっとしている方がましなのです。ですから、新しい分野に責任を負えば、新しい分野において歴史時代のいかなる者よりも、立派に成し遂げなければなりません。立派にやる者以上に立派にやり遂げるのです。その者が十時間動けば、私は十一時間動くというのです。十分でも多く動いてこそ、発展するのです。 先生は南北統一だけやるのではありません。世界の頂上に向かわなければなりません。それで今、準備しているのです。今回、全世界的にそのような組織を築いたのですが、ずばぬけた者たちが参席したので、文総裁が願う基準を中心として、ここに来た者たちを平準化しなければなりません。この者たちはそうなっていますが、全体はなっていないのです。国家を中心として回って、その基準まで来ていないので、回って教育して、一つの基準を中心として連結しなければならないのです。 個人完成してくっつけ、家庭完成してくっつけてこそ、三六〇度が大きくなっていきませんか?人間の構造を見ると、すべて中心になっています。人間を見てみると、ここからずっときて、鼻から、唇から、鼻の下から、あごから……あごも二つに分かれます……腹、生殖器まで、一直線になった人は良心的なのです。 皆さんが鏡の前に立って、生殖器をじっと見れば、どのようになっていますか? 角度がねじれているか分析しなければなりません。左側かそれとも右側かというのです。娘をたくさん生むか、それとも息子をたくさん生むかというのです。角度が違うのです。女性たちもそうです。歪んだ女性たちもいるのです。それは浮気をするのです。男性たちもそうです。 木を見ると、どんなに丸くても、てっぺんがどこかを探さなければなりません。そのようなことを考えないでしょう? てっぺんと一つになり得る垂直関係がどこにあるかというのです。その木は、育っても円満に育つというのです。(三一七-二六三、二○○○年二月二十八日) 今や韓国から始めて世界の女性を動員するのです。新しい戦線です。それで「天宙真の父母連合」と「天宙平和統一家庭堂」を創設しました。これが新しい戦線の標的です。これらの組織を完成すれば終わりです。それ以上はありません。それ以上、タイトルを掲げられる表題がありません。最後なのです。(三七-一四八、二○○○年二月二十四日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.25
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真の愛は誰もが願う日付:二〇〇〇年二月十三日場所:韓国、ソウル、リトルエンジェルス芸術会館行事:第四回「世界文化体育大典」祝賀会 尊敬する内外の貴賓の皆様。公私共にお忙しい中を、「世界文化体育大典」に参席してくださった皆様に、心から感謝を申し上げます。 一人の神様のもとの一つの世界 理想家庭を通じた真の平和世界の具現のために、私が生涯をかけて追求してきた各種の平和運動は、神様のみ旨を地上に成就してさしあげるための一環として、推進されてきました。分裂と葛藤の一世紀が終わり、平和と統一を模索しながら出発した新千年の希望は、漠然と成就するわけではありません。 神様の創造理想を中心として全世界が、「一人の神様のもとの一つの世界」を指向するという具体的な青写真をもって、各界各分野で具体的な実践運動が世界化されなければならないのです。 私は、かつて十六歳(数え)の少年時代に天のみ旨に接して以来、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖人たちと自由に霊通しながら、生涯を通じてあらゆる試練に打ち勝ち、神様のみ旨を成就する一念で、全身全霊を投入してきました。その中で私は、神様のみ旨は、地上と天上に、自由と平和と解放の天国の建設にあることを知りました。本然の神様と人間の関係は、永遠の父母と子女の関係です。堕落とはその断絶を意味し、復帰とは父母と子女の関係を回復することをいいます。 私がこれまで設立した各種の平和団体と国際組織は、「一人の神様のもとの一つの世界」を構想してこられた神様のみ旨成就のためのものです。特に、皆様が参観された国際祝福行事は、堕落によって受け継いだ人種、宗派、国家間の葛藤を根本的に解決するための神様の戦略です。五色人種が一つに調和し、真の夫婦として出会うことにより、「一人の神様のもとの一つの世界」を追求する、聖なる理想が実現するのです。 きょう、私の八十歳の誕生日の祝賀行事と第四回「世界文化体育大典」の歴史的大会を終えながら、皆様と共に考えてみようと思う話の題目は「真の愛は誰もが願う」です。 愛は必ず相手を求める 皆様。人間にとって最も重要で必要なものとは何でしょうか。それはお金や権力、あるいは知識ではありません。生命よりも貴く、空気よりも必要なものは、真の愛です。真の愛が、私たちにとってこれほどまでに貴く、重要なのは何のためでしょうか。 人間が生きていく上で、神様に会うことを願うように、神様も真の人間に会いたいとお思いになります。しかし、神様が人間の中でも男性と女性のどちらか一方に先に会いたいとおっしゃるならば、恐らくもう片方が不平を言うでしょう。 ですから神様は、愛を前に立てざるを得ないのです。愛さえ前に立てれば、男性と女性は一緒に会うことができ、一緒に触ることができ、一緒に分かち合うことができるからです。世の中で最も貴いものがあれば、男性と女性は互いに自分のものにしようと争うのですが、それが愛であるということが分かれば、二人は互いに一つになって、互いのために所有しようとするのです。 このように、愛は、誰もが好むということだけではなく、愛のみが人間の欲望をすべて均等に充足させることができるという原則があるので、神様の救援摂理も可能なのです。 愛とは本来、神様のものです。しかし、いくら神様のものだといっても、神様一人では所有できるものではありません。愛は必ず相対を要求するようになっているのです。男性一人、または女性一人だけでは愛は成立しません。ですから、男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。醜い男性も、醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。それも、最も高い愛の対象であることを願います。 ですから、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラスとマイナスのペアになっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もすベてペアシステムになっているのです。なぜならば、すべてがこのような相対関係を通じて真の愛を願うからです。 そして、この宇宙の中で絶対に一人では所有できないのが愛ですが、反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすベてのものを所有するようになるのです。同じように、子女なしでは、子女を愛することのできる父母の愛は現れず、子女に対する父母の愛の主人にもなれないのです。 ですから神様も、真の愛で愛するために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛のすべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。主体と対象が一つになれば、これら二つは分けることができません。もし分けるとするならば、真の愛が破壊されるのです。本来、離婚という概念はあり得ないのです。 真の愛の本質 男性が愛を感じるからといって、それは自分によるものではありません。女性から始まったものです。また女性が愛を感じるからといって、それもまた自分によるものではなく、相対である男性に由来するものです。すなわち、愛の主人は相対です。ですから、愛を貴く思う以上にその相対を貴く思い、相対の前に感謝して、ために尽くしてあげなければなりません。 これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らすことのできる根本の道理です。このように夫婦が、互いにために生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統が根絶されるのです。 真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成就されます。真の愛の横的関係が、縦的にだんだんとその次元を高めれば、結局、その頂点に到達するのですが、その場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。その位置では、すべてのものが結合し、抱かれ、愛と化し、そして花咲くことができるからです。 ですから、宇宙の中にあるすベての存在は、愛によって和合することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。愛のために生まれ、愛のために生き、愛のために死ぬということになります。 真の愛は人間のみならず、すべての万物も願います。ですから、万物の霊長である人間は、神様の造られた万物を抱いて愛してあげるべき責任があることを知らなければなりません。万物たちは、このような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。 宇宙いっぱいに満ちたすべての存在は、それぞれの位置で相対と共に存在していますが、結局さらに高い愛の次元に吸収され、上昇するようになるという原則に従うのです。すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、そして結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。 ですから、すべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、さらに高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける位置にまで進んでいくようになるのです。このようにすべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質です。 ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再解釈されなければなりません。ですから、ありや微生物までも真の愛を願うだけではなく、自分を愛してくれる主人のところに行って死のうとするのです。このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物を食べたり、所有したりできる立場にいるのです。 私たちは、すべてのものを食べ、所有したとしても、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べたり、所有しなければなりません。万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや、魚が好きなみみずのようなものは、大概、薬材として使われるのです。どの段階であれ、すべてが食物連鎖しています。そうでなければ、宇宙は存立することができないのです。 男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本 神様の理想は、アダムとエバを種として家庭をつくり、氏族をつくり、国をつくって、膨大な天の国の民をつくろうというものでした。天の国の民は、このような神様の真の愛の伝統に従って繁殖するのです。私の言葉とチャールズダーウィンの理論は正反対ですが、平和の世界は、私の言葉のとおりに成し遂げられるのです。なぜならば、これが創造理想を実現する根本原理だからです。 進化論と創造論の論争が続いてきましたが、「創造」という言葉には、既に「創造主であられる神様がいらっしゃることを認める」という意味が前提にあるのです。神様が主体と対象の授受作用を通じて形づくられた被造世界には、方向性と目的観が前提となっていますが、唯物論に基づいた共産主義の理論には、このような方向性も目的観もありません。神様の創造には真の愛の目的がある反面、共産主義には闘争と破綻があるのみなので、結局すべて消え去ってしまうしかないのです。 すべての万物の中でも最も貴い存在が人間、すなわち男性と女性であり、その中でも最も重要な部分は、鼻や目、手、頭脳ではなく、愛の中心器官である生殖器です。この愛の器官によって、宇宙のすべてが再創造されるのです。 植物も動物も、この生殖器によって繁殖し、拡大していくのです。最も価値があり、一つとなった素晴らしい家庭も、それが一つとなった夫婦から現れるのです。一つとなった夫婦によって理想家庭が始まります。この愛の器官こそ、愛と生命の本宮であり、血統と歴史が連結する絶大な価値をもつ所なのです。 神様が宇宙を造られた根本原理は、雄と雌の概念を通すというものです。この雄と雌が絶対的な愛を願うならば、そのペアが二つであってはいけません。ただ一つ、絶対に一つでなければなりません。永遠に絶対男性と絶対女性でなければならないのです。それで神様は、アダムを二人造ったのではなく、エバを二人造ったのでもありませんでした。ただ一人ずつ造ったのです。 ところが、今日の世の中を見ると義理の父が十人もいるケースを見かけます。いかに偽りで汚れた世の中でしょうか。女性も男性も貞操を守り保護することは、宇宙を保護することと同じことなのです。それは男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。 ですから、これを動物のように濫用してはいけません。愛の主人は神様なのです。その中でも真の愛の「真」は、二つを許すのではなく、ただ一つだけであり、絶対に一つなのです。 真の愛と関係を結ぶには 「真の愛」とは、誰も語れるものではありません。唯一、神様のみが、本当の真の愛で愛することができ、真の愛の絶対主人になられるのです。ですから、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛を必要としています。このように、神様の最も根本的な本質は真の愛なのです。 また、この真の愛と関係を結ぶには、神様と関係がなければなりません。自分の父母がけんかをせずに豊かに暮らしているからといって、真の愛で愛しているとは言えないのです。恋愛する若い未婚の男性と女性が、互いに命を懸けて愛し合っているからといって、それが真の愛であるというわけではありません。神様が介在していないので、真の愛ではないのです。真の愛は必ず神様を中心としなければならないのです。 神様の息子、娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければなりません。権力や知識やお金、軍事力だけをもってしては、真の愛の世界では歓迎されません。真の愛は誰もが願うものですが、愛とは、ために尽くすことによって可能であるという原則を知らなければなりません。相手のために奉仕し、犠牲になってあげなければならないのです。「私のために生きよ」という心で人に接すれば、みな逃げていってしまうのです。 このような利己的な個人主義は、サタンの戦略であり、目的であり、道具です。ですから、その結果は地獄にほかなりません。全体のために生きなければなりません。人のために、全体のために犠牲となって奉仕すれば、みなやって来て、私を愛してくれるのです。 神様と共に永生する道 子女として造られた人間が、兄弟となり、夫婦となり、そして父母の位置に進む過程ごとに、神様はそのすベての真の愛の主人になるのです。すなわち、人間が育つ過程を見ながら、神様はそのすベての段階の愛の主人として定着されるのです。 したがって、神様をしてすベての愛の主人とならしめた人間こそは、神様よりも貴い存在であると見ることもできるのです。ちょうど自分の愛する人を、自分よりも何千万倍も価値があるものとして貴く思うようにです。 ですから、より貴いもののために、神様は投入しては忘れ、また投入してはお忘れになるのです。一〇〇パーセント投入されたのち、一〇〇パーセントお忘れになるので、続けてさらに投入できるのです。 自分の夫が立派になることを願う妻は、夫のために投入しては忘れ、また投入しては忘れることによって、夫を成功させることができます。投入して忘れることを続ければ、その愛の段階が高まって、究極的には、神様の位置に連結されるのです。そうして神様と共に父子の関係を結んで永生するのです。 誰もが天国に行きたいと思うのですが、「私のために生きよ!」という思いばかりをもっていては天国に行くことができません。真の愛は、神様がお造りになったすべての傑作を抱き、ために生きるところから始まり、全世界の人類と究極的には神様のために生きることによって、天国に至るようにするのです。 一生に三回以上は、生命を懸けて、ために生きようとしなければなりません。人類は、アダムとエバの堕落、イエス様の十字架、そして再臨主の家庭を追い出した迫害のすべての歳月を蕩減しなければなりません。 神様に出会うには、三度死の境地を通過しても、神様に自分のことを分かってもらうことを望むより、神様のためにもっと尽くそうとしなければならないのです。そのような人々が生きる世界がこの地上にあるならば、そこが正に天国です。この道を私が教えており、そのような世の中をつくっているのです。 愛によって形成される存在はすべて球形 子女は父母の愛の実ですが、愛の実というのは、愛と生命と血統が合わさって形成されるものであることを知らなければなりません。子女たちは「自分のもの」を主張しますが、「自分のもの」の出発点は父母です。父母は根であり、幹です。父母がいなければ、すべて孤児です。父母につながっている愛の梯子を切ってしまったら、根と幹につながつて生きることはできないのです。 真の愛の起源となられる神様を父母として、私たち人間は、息子、娘の立場に立てられました。また父母は本来、子女のための愛の最高の主人です。父子の関係が縦的な垂直関係であるのに比べ、夫婦関係は横的な水平関係です。 ですから、父子関係と夫婦関係が互いに直角を形成し、ここに前後関係である兄弟関係が合わさることによって、すべての愛の関係が球形を形成するようになるのです。それで、愛によって形成されたすベての存在は球形なのです。宇宙全体が球形になっているのです。このように形成された球形の中心位置ですベての愛が統一され、定着するのですが、その場に神様がいらっしゃるのです。すなわち、神様とその息子、娘である人間の垂直関係を中心として、男性の愛と生命と血統が右に定着するならば、左には女性の愛と生命と血統が定着するのです。 ここに兄弟の愛が前後の方向に定着すれば、そのすベての愛を中心として宇宙全体がバランスを取るようになるのですが、これらが一番の核として出会うところに神様がいらっしゃるのです。これを平面的に横にして見れば、愛の根、生命の根、血統の根、そして良心の根に神様がいらっしゃるのです。 このように神様を中心とした家庭では、縦と横、そして前後の愛が一つになるのですが、このような家庭から氏族になり、民族、国家、世界、そして天宙に至るまで拡大していくのです。その根本的中心は、常にお一人の神様であられるのです。 善悪の転換点で善人と悪人を共に祝福 アダムとエバが堕落していなければ、真の夫婦の愛のモデルが現れていたはずであり、彼らから愛の教育、すなわち愛することを学んでいたはずです。彼らが子女をもてば、誰がその子女を結婚させるのでしょうか。それは父母です。それでは、果たして今日、この社会で父母がどれほど子女たちの結婚に関与しているかを考えてみなければなりません。 統一教会には真の父母がいるので、世界の人々を父母の立場で祝福結婚させてあげています。ここでは、人種の差別を超えるだけでなく、誰でも分け隔てなく一緒に結婚させているのです。 真の父母は、悪の愛、悪の生命、悪の血統を、接ぎ木によって転換し、否定させることによって、アベルの命を奪ったカインを排除せずに、同じ立場で祝福してあげるのです。潮水を見るとき、出ていく水と入ってくる水が出会い、水平になった時のように、歴史的に救援摂理の蕩減復帰が終結する善悪の転換点において、善人と悪人を共に祝福してあげることによって、サタンが完全に追放されるのです。 そしてエデンの園で誤った結婚をしたことが堕落なので、今は真の父母が正しく結婚させることによって、これを再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって、地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させ、真の愛を中心とした本然の真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。 こうして、神様の創造理想である八段階の真の愛のモデル的な主人を完成するようになります。すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代、約婚時代、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と真の王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルが完成するようになるのです。 新しい家庭革命と道徳革命を主導せよ 真の神様の真の愛と真の生命、そして真の血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変な真の愛を中心としたモデルとして相続されるのです。そして真の愛を中心としては、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になるのです。 父を愛の主人にしてくれるのは息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのは妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのは弟です。反対に、子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、兄に弟がいなければ、それぞれ愛の主人の立場を見いだすことができないのです。 真の愛の主人になるためには、相手を自分よりも高め、相手のために尽くさなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、そして国家一体を形成し、八段階の理想モデルである愛圏を完成するのです。 そうして父母と子女、夫婦、兄弟姉妹、そして国々がすべてこのような真の愛を中心に八段階モデルの主人になることを願うところが、私たちの理想家庭と国家です。ここから永遠の世界的平準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的に築かれるのです。 今、新たに始まった二〇〇〇年代には、世界の至る所で活動している私たち祝福家庭が、天地父母様と一つになり、真の愛を中心とした新しい家庭革命、世界的な道徳革命を主導することによって、すべての地上と天上に永遠の平和と統一と幸福の理想天国を創建することが神様の願いなのです。 皆様がこの神聖な聖業に同参し、神様の真の愛圏を受け継ぐ主人になってくださることを願います。皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.25
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天宙は私の故郷と祖国この講演文は2000年2月10日、韓国ソウルのロッテ・ホテルで開催された文鮮明先生御生誕80周年記念の祝賀晩餐会で語られたみ言です。 尊敬する内外の貴賓の皆様! 今日、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために公私共にお忙しい中、全世界の至る所から、ここ韓国を訪ねてこられた各界各層の指導者の皆様に、心から感謝申し上げます。私は、今日まで共にいてくださり、見守ってくださった神様に、このすべての栄光をお返ししようと思います。 私は生涯を通して、ただひたすら神様の創造理想実現のために諸般の難問題を解決しようと心を砕いてきました。 十六歳(数え)の少年のころに天命を受け、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖賢たちと自由に交流しながら、神様のみ旨の究明とともに、人類救援のための復帰摂理歴史を完結するために、孤軍奮闘してきました。 知ってみると、神様は栄光と尊貴の玉座にいらっしゃるお方ではなく、堕落し地獄に落ちた子女たちを救うために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。 この意義深い日、私たちが心に刻まなければならないことは、私たちがみな、神様の心情と完全に一つになることであり、さらには神様のみ旨を成し遂げることです。 人間は堕落によって霊的無知に陥ることにより、神の実存および人間と宇宙に対して根本的な無知に陥りました。したがって、肉身をもってこの世をどのように生きるべきか、死後の霊界の実在とそのための準備として地上生活がどのようでなければならないかということを知らないまま生きてきました。 神様のみ旨と心情を知って生きてきた私の生涯は、一言で言えば、昼夜を忘れ、季節も環境も超越して、ただみ旨を成就するために全身全力を尽くす道でした。 私の八十年の生涯を振り返ってみるとき、これまでの多くの苦難と迫害にもかかわらず、この場できょう、皆様と共に過ごすことができたのは、ただただ神様が助けてくださったからです。 私はこれまで、世界の至る所の公席で一万回余り話してきました。これは既に三百巻余りの本として発刊されました。 きょう、世界最高の指導者の皆様と出会ったこの意味深い場で、これまで私が考え、教えてきた内容の一端を「天宙は私の故郷と祖国」という主題でお話ししようと思います。 理想的な存在のモデル 本来、天宙は、人間が主人となって暮らすように造られた巨大な家です。そしてこの天宙の中心となった人間は、上下、左右、前後の関係性、すなわち父子関係、夫婦関係、兄弟関係の中で球形として存在します。神様は、この上下、左右、前後である一、二、三、四、五、六の中心である第七の位置にいらっしゃいます。それで神様は、私たちの日常生活を指導されながらも、見えない中心の位置にいらっしゃるのです。 人間は、堕落したサタン圏内での拘束と苦衷の中から、神様の助けにより自由と解放を受け、真なる息子、娘として成長したのちに、相対に出会い、真なる夫婦となり、さらに子女を生み、真なる父母となることが正しい人生路程です。ゆえに、私たちは、真なる子女を否定することができず、真なる夫婦を否定することができず、真なる父母を否定することができません。これを否定すれば、宇宙の原則に逆行し、自らの存在を破壊することになります。 それゆえ人間は、真なる父母と共に、真なる夫婦と、真なる息子、娘によってなされた真なる家庭を成し遂げなければならないのです。これがすなわち、理想的な存在のモデルとなるのです。 人間は、家庭で真なる父母の愛を完全に受けなければならず、真なる夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから真なる息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。このようなすべての人間関係を完成させるのは、お金でもなく、知識でもなく、権力でもなく、物質的な力でもない、均衡をなす神様の真の愛しかありません。 真の愛は、投入する力です。与える力であって、受けることのみの力ではありません。すべてを与え、零点(ゼロ・ポイント)の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には、何が入ってきてもOKです。 それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重され、永続することによって、永遠なる均衡がなされるのです。それゆえ、真の愛を中心に「ため」に生きる世界は、授受作用を通して完成されるのです。 天地のすべてのものが相対的関係で存在しているのも、このように授けて受ける作用を通して、真の愛の世界を成すためなのです。 相対関係において、すべての授ける力に対して、戻ってくる力が運動することによって、その中心点は永遠に定着することができるのです。すなわち、天運の数である七のような真の愛の中心位置に神様がいらっしゃり、全宇宙が均衡をなして運行しているのです。天運というのは、このように受けて返す巨大な天宙的な流れです。 その中で、愛も流れ、空気も流れ、水も流れ、光も流れます。しかし、その流れは、回り回って、再び円形に戻っていくのです。 天宙が私の故郷であり、私の祖国 内外の貴賓の皆様! 善なる人とは、どのような人ですか。様々に定義することができるでしょうが、一つは、受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対してプラスして恩返しする人は善なる人であるというのです。 それゆえ、子供が自分よりも低くなることを望む父母はいないのです。高くなることを望みます。また、夫は妻を、そして、妻は夫が自分よりも素晴らしくなることを願います。また、兄は弟を、弟は兄がもっと立派になることを願うのです。 ゆえに、受けたものよりも、もっと大きなものを返そうとするのが父母の願いであり、夫の願いであり、子女の願いであり、万物の願いであり、結局、宇宙の願いでもあるのです。 一歩進んで、大きな心で「天宙が私の故郷であり、私の祖国である」という考えをもった人だけが、自由と解放を受け、天宙的に歓迎されるのです。すなわち、個人的に歓迎され、家庭、国家、世界、天宙的に歓迎されてこそ、結局、神様の真の息子、娘になることができるという結論が出てくるのです。 私たちが暮らしたい本然の故郷 それでは、皆さんはどこで暮らしたいですか。自分が生まれた本然の故郷で暮らしたいはずです。しかし、本然の故郷は、広い意味で考えるとき、天宙の中でも地球星であり、祖国は私たちの先祖である神様がいらっしゃる所です。 この地球星で堕落していない本然の父母、兄弟、息子、娘が共に暮らすならば、そこがすなわち、私の故郷です。そこには、黒人、黄色人種、そして、白人が共に調和して暮らしているのです。 このすべての人種は誰の息子、娘ですか。父母は一人の方であられます。ゆえに、宇宙で、東西南北のどこに行ったとしても、共にいらっしゃる神様が人類の父であらざるを得ないのです。 例えば、米国の主人が白人であったり、黒人であったり、黄色人種であるという考えは、誤りです。米国の主人は神様であられます。 韓国も同様です。ただ皮膚の色が違うのは、住んでいる地域によって、保護色を合わせるための気候と環境の影響のせいなのです。それで、雪の多い地域には白人が多いのです。反対に太陽の光が強いアフリカのような所には、黒人がたくさんいるのです。しかし、人はみな根本的に同じなのです。 例えば、血の色や、皮膚や骨の形はみな同じです。そして、互いに愛し合うことも同じです。ゆえに、人種の差別はあり得ません。 それで、統一教会では国際合同結婚式を通して、人類を平等化してきました。自然の道理と原則を尊重してみると、五色人種が互いに結婚するようになったのです。黒人と白人が結婚することは、北極と南極が一つになることと同じです。また、黄色人種と黒人が結婚すれば、お互いの長所を受け継ぐようになり、より優れた後孫を生むと考えるのです。 愛があるところには、藤がありません。たとえ、皆さんの生まれた故郷と祖国は異なるとしても、一つ間違いのないことは、信仰の本郷地であり、平和と統一の本郷地というのは、真の愛を中心とした祖国と故郷であるということです。 人間世界で最も重要なこと 人間世界で、最も重要なことは真の愛、真の生命、そして真の血統です。真の愛には真の生命があり、真の血統が連結されます。真の血統が連結されなくては、真の愛が成されないのです。また、真の生命が連結しない愛は、偽りの愛です。真の生命は、真の愛と、真なる血統の因縁の中で懐妊されるのです。 このように、真の愛と、真の生命と、真の血統を通して、永生の道が開かれるのです。真なる人となり、真なる愛と、真なる生命と、真なる血統を後代に残すことが神様の創造理想なのです。 永遠なる真の愛、永遠なる真の生命、永遠なる真の血統の主人であられる理想的な神様に似た人が、天の国の完全なる真の息子、娘になるのです。 どうして結婚をするのでしょうか。まさしく、このような真なる血統的伝統を、過去、現在、未来に連結するためです。堕落する前、アダムとエバは神様に直接、自由に接することができたのですが、堕落したのちには、以前のように神様に接することができなくなってしまったのです。 さらには、堕落したアダムの子女たちであるカインとアベルは、神様の血筋を受けることができず、サタンの血筋を受け継ぎました。ゆえにイエス様は、ヨハネによる福音書第三章三節で「よくよくあなたに言っておく。誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われたのです。 人間は、血統的に誤った愛によって、誤った生命をもっている自分自身であることを自覚しなければならないのです。人間は、自分たちが愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐の位置にあるという事実を、この上なく恥ずかしく思わなければなりません。1 神様は、今日の世界でフリー・セックスやホモセックスが乱舞していることを御覧になって、言葉にできない悲しみと苦痛を感じていらっしゃいます。しかし、そのような怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも、もっと愛さなくてはならないというのが神様の立場です。投入し、忘れ、また投入し、忘れながら、失ってしまった息子、娘を再び取り戻そうとするのが、神様の救援摂理です。 堕落した生命を生かすためには、それよりももっと強い生命力を投入しなければなりません。堕落し、偽りの種で腹中に宿された子供を見ながら、悲惨に感じている神様がどんなに哀れでしょうか。そのような子女が繁殖し、今日の六十億の堕落人類となったのです。 人間は本来、三時代を通過するようになっています。母の腹中時代は水中時代であり、地上世界は土と水と空気の時代であり、死後の世界は愛の時代です。 胎児が母の腹の中で栄養をもらって育つのと同じように、人間の肉身は、地球星で、万物を食べながら成長するのです。それで、人間は、地を母のように愛さなければならないというのです。 霊界は、太陽のような光が、夜も昼もさす所です。太陽系は、常に昼です。霊界もこれと同じです。 霊界での愛の光は、変わることがありません。朝でも夜でも、北極でも南極でも、愛は変わることがありません。そのような真の愛が充満した世界が霊界です。霊界は、春夏秋冬という季節を通して実を結んだものを収穫し、倉庫に貯蔵する所と同じなので、地上世界の人生が結実した所です。 メシヤは人類の理想的核の家庭の主人 復帰歴史路程で、これまで神様の直接的な真なる血統が連結され、真の生命をもって出生した人は、イエス様しかいません。 ゆえに、これまで堕落した人類の中で、地上や霊界で、神様の直接主管圏に入っていった人は一人もいませんでした。それで神様は、これまで一人、孤独な悲しみの歳月を過ごしてこられたのです。 ゆえに、人間も悲しく、万物も悲しい世界となってしまったのです。それで神様は、信じることができる一人の人、すなわち、血筋を浄化させ、真の生命に重生させ、神様の真の愛を受け継ぎ、解放の主人になることができる一人の男性、メシヤを探してこられたのです。 皆さんも御存じのように、アダム以降、旧約時代の歴史は、メシヤを迎えるための選民の歴史です。準備された選民、イスラエルを通して、イエス様がメシヤとして来られ、万民をイエス様の家庭と接ぎ木し、真の血統を世界化しようとされたのが神様のみ旨であったのです。しかしユダヤ民族の不信により、イエス様が十字架にかかられることによって、その歴史は再臨理想として残されました。 したがって、再び来られる再臨主は、人類の真の父母の立場で、再び真の愛の家庭を取り戻し、天地父母の位置を経て、人類救援摂理を完成しなければなりません。 メシヤが出発しなければならない起点は、アダムとエバが堕落しないで完成した家庭よりも、もっと神様に栄えある立場で、もっと素晴らしく侍ることができる孝子、孝女の家庭とならなければなりません。 メシヤは、真の愛を中心とした父の立場で、真の生命と真の血統を連結し、新たに出発しなければならない人類の理想的な核となる家庭の主人です。ここから、祝福結婚した家庭を連結し、地上天国、天上天国の完成をみるのです。ゆえに、メシヤは人類の前に真なる父母として来られなければなりません。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践してこそ 来られるメシヤは、サタン世界の愛とサタン世界の血統を否定し、神様の真の愛で連結した、完成した個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙を成さなければなりません。 すなわち、真の父母の愛によって、全人類が新たな祝福結婚をすることによって、新しい血統的家庭の相続を受けなければならないのです。そしてこれは、真の愛でなくては道がないという事実を知らなければなりません。こうして、サタン世界の地獄圏を解放しなければなりません。 ゆえに、すべての人類は、八段階の復帰過程を経て、神様の子女の立場を取り戻さなければならないのです。すなわち、腹中時代を経て、幼児時代、兄弟時代、婚約時代、夫婦時代、父母時代、祖父母時代を経て、王と王妃の時代までの八段階を復帰しなければなりません。結局、人間は、神様の子女として、王子、王女として、天地の大主人になるという目的で生まれたことを知らなければなりません。 皆さん! このように、私たち人間は本来、成長し、男性は女性に出会って王となり、女性は男性に出会って王妃となり、天の国の王子、王女として、天の国のすべてのものを相続される相続者の位置にまで行かなければなりません。 そのためには、地獄の底から、八段階の蕩減条件過程を通過して、天国まで一体化させなければならないのですが、これは、メシヤとして来られる真の父母の祝福を通してのみ、可能なのです。このような祝福家庭(bless couple)は、世の中の前に助けとなる、主体的なプラスカップル(plus couple)にならなければなりません。 このように、完全に生まれ変わった新しい人になるためには、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践しなければなりません。私もやはり、生涯を通じて、これを実践してきました。 神様は、宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすべてなくして、完全投入することを言います。 このように投入しては忘れ、投入しては忘れ、最後には自分という概念まですべてなくなるゼロ・ポイントになるのです。 愛を否定されてももっと愛し、投入してももっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈服させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んでこられ、天地父母がそのような道を歩んできたのです。 投入し忘れてしまい、投入し忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。家庭の中でも、おじいさん、おばあさんなど、十人の家族が暮らすとしても、最も「ため」に生きる者が家庭の中心となるのです。国において、愛国者も同様です。投入し忘れてしまうほど、忠臣、聖人、さらに進んで聖子として決定されるのです。 神様は、人類歴史始まって以来、いかなる存在よりも、真の愛を中心として、より一層「ため」に投入し忘れてきたのであり、また、永遠に継続して忘れて投入することができるお方であるので、「ため」に生きる者の王となり、先祖となることができるのです。 私が導いてきた統一教会が、短い期間に世界的な宗教団体として成長したのも、まさしくこのような原理原則で努力してきたからです。 自分の生涯を振り返ってみるとき、私が人類救援の道を行くとき、今日に至るまで、有形・無形世界の億万のサタン勢力が反対し、多くの宗教指導者たちが反対し、各国の政権が反対しましたが、私は堂々と彼らのために生きてきたので、いつの間にか、彼らの中心位置に立つようになったのです。 真実を理解できず反対する彼らのために生き、反対する彼らの子女たちのために投入し、反対する政権のために生きてくると、いつの間にか、レバレンド・ムーンを尊敬するようになったのです。 国際合同結婚式の意味 私たちはここで、天の戦法とサタンの戦法がどのようなものであるかを学ぶことになります。すなわち、天の戦略は打たれて取り戻すことであり、サタンの戦略は打って失ってしまう戦略です。 このような原則のもとで、レバレンド・ムーンは、人類救援のための方便として、五大洋六大州に広がっている五色人種を「一人の方、神様のもとの一つの世界」を成すために、国際合同結婚式を挙行し、数千数万双の若者たちを祝福結婚させてきました。 東洋と西洋が結婚を通して一つとなるとき、世界で最も大きな文化的葛藤はなくなるはずです。米国人とドイツ人が結婚し、夫婦が真の愛で一つとなれば、怨讐であった二つの国が神様の真の愛によって一つになるのです。 さらに、レバレンド・ムーンは、霊界にいる霊人たちまで、真の愛により、祝福してきました。地上と天上に天国が成されるためには、霊界にいる霊人たちまでも祝福を通して解放しなければならないのですが、それは、地上にいる真の父母を通してのみ、可能であるのです。 人類の先祖が偽りの父母として、罪悪の種を蒔いておいたので、メシヤは、人類の真の父母として来て、地上と霊界のすべての人類を解放してあげなければならないのです。 血統で誤った問題に対する解決は、全知全能であられる神様でさえも、一人ではなすことができないのです。もし、神様がなすことができるのであれば、既にずっと以前にされたであろうし、また、堕落もさせなかったはずです。人間に賦与された自己の責任分担は、原理法度の神様においては、一切干渉されることができないのです。 ゆえに、再び来られるメシヤは、人類の真の父母として来られ、血統を汚した原罪をもった人間を真の愛によって重生してあげなければなりません。 このような点から、私が主導してきた国際合同結婚式の意味は、単純に、男女が配偶者として出会うところにのみあるのではありません。本然の神様の生命の種を賦与され、真なる神様の子女として生まれ変わるための、神聖な重生の儀式なのです。このように、蕩減原則を通して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的蕩減時代を経て、最終的には、霊界解放と、地上解放時代を迎えたのです。 世界が、数千数万の民族に分かれ、父母、夫婦、子女まで分裂し、宗教圏も、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教など四大文化圏に分かれてきましたが、今私たちは、大統一家庭化時代を迎えたのです。新約時代を経て、完成時代である成約時代を過ぎて、堕落がなかった本然の第四次アダム圏時代に進入して、天国の時代に入っていくようになったのです。 言い換えれば、今は、国家主義時代が過ぎ、世界主義時代を越えて、天宙が一つの神様のもとで、一つとなる時代に進入したのです。さらに地球星が全祝福家庭たちの故郷となり、神様がいらっしゃる天上世界は祖国になり、一つとなることによって、永遠なる祖国主権復帰である地上天上天国が始まるのです。 神様の国とは 内外の貴賓の皆様! 私は、新千年が始まる午前零時に、全世界に送るメッセージを通して「真の愛の天宙化は、新千年天国完成」というみ言を宣布しました。 「真の愛の天宙化」という言葉は、天と地を真の愛の家にしようという意味であり、新しい千年を迎え、全体世界を通して天国を完成するということになります。 天宙は、神様から出発したので、その対象的立場にある愛の家の完成のために、家庭や氏族、民族、国家、世界が同じ公式原理の家を求めて、一つにならなければなりません。 国は、家庭が入ることができる愛の家であり、世界は、国が入ることができる愛の家であり、さらに天宙は、世界が入ることができる愛の家です。その中でも、真の愛の家庭というものは、巨大な天の国の家、天宙の出発点であり、核になるのです。家庭で夫は、妻の真の愛の家であり、妻は、夫の真の愛の家であり、父母は、子女の真の愛の家であり、子女は、父母の真の愛の家です。 神様の国は、真なる自由と、信仰の理想が花咲き、実を結ぶ所であり、真の愛と真の生命と、真の血統が結びついた真なる家庭がとどまる所です。さらには、永遠なる真の愛と幸福が充満した千年王国時代が始まる所です。 私がこれまで主唱してきた天地安息圏の中心が、神様が共にされる真なる男女が結合した家庭であるために、真なる家庭の価値を説き明かしてきたのです。ゆえに、私たちは、聖書でいうエデンの園をこの地球上に具現させなければなりません。 成約時代とは 今、新たに迎えた新千年は、六千年間の救援摂理が完結され、創造理想を中心とした本然の天の国が建設される時です。旧約と新約の約束が成される、成約の時代をいうのです。二度と涙がなく、死亡がなく、哀しみ痛む声が聞こえない、新しき天と新しき地をいいます。 水晶のような澄んだ生命水を、代価なく分け与えられる、条件のない真の愛の時代をいうのです。霊界と地上が一つに通じ、天上と地上に神様の国が成される時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管が、復帰された長子権、父母権、王権を通して、全体、全般、全権、全能の新時代を開く時です。 以上お話ししたように、地球星は人類の故郷であり、霊界は人類が完成、到達しなければならない永遠なる祖国を意味するのです。 そしてついに「一人の神様のもとの一つの国(One nation under God)」を越え「一人の神様のもとの一つの天宙(One cosmos under God)」として、天の父母を中心とした地球星大家族主義の世界が成される時です。 ゆえに、神様と人間の根本関係である父子の因縁を心に刻み、「天宙」すなわち霊界と地上を「私たちの故郷と祖国」として創建するために、積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。 重ねて、この場を訪ねてくださった全世界の指導者の皆様に感謝し、四海同胞がお互いに真なる兄弟姉妹となり、平和と自由と正義があふれる新しい千年王国が始まることを祈願しながら、み言を終えようと思います。 皆様の国と、各家庭に神様の祝福が共にあらんことを祈ります。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.24
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世界と南北の統一は真の愛でこの講演文は、2000年2月10日、韓国ソウルの蚕室オリンピック体操競技場で開催された文鮮明先生御生誕80周年記念式の時に語られたみ言です。 世界と南北の統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様! 今正に始まった新千年は、分裂と藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現されるときです。皆さんの各家庭に、新千年の祝福が共にあらんことを祈願いたします。初めに、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地から訪ねてこられた皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光を捧げます。 私の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史と共に歩んできました。 私は、十六歳(数え)の少年時代に祈祷をしている最中、突然、神様のみ旨に接したのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全力を尽くしてきました。そうして、知ってみると、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することにより、霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果であったのです。これによって、神と人生と宇宙の根本問題などについて無知に陥ったのです。 これまで私は、世界各地の公式席上で、一万回余りのみ言を通して、神主義に立脚した真なる人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、十二種類の世界各国の言語に翻訳され、既に三百巻余りの書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく、有形、無形世界を自由に行き来しながら、原理的であり、根本的な答えを説き明かしてきたものです。 きょう私は、意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。 人類歴史とは蕩減復帰摂理歴史 我が国の統一は、単純に国土の統一だけでなく、これは堕落によって引き裂かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に引き裂かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがってこの問題は、神様の救援摂理的側面から理解しなければならない事案であるがゆえに、摂理的次元から解いていかなければならないのです。 人類歴史は、人間始祖が堕落により失ってしまった本然の世界を再び取り戻すための蕩減復帰歴史です。ゆえに歴史は、神様の創造理想を実現させるための目標を置いて、サタン側と天側の善悪闘争の歴史なのです。 歴史の背後ではいつも、善なる側には善霊が協助し、悪なる側には悪霊が協助してきました。人間の堕落により始まった分裂の歴史は、家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。 二千年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていたならば、イエス様はユダヤ教を基盤として、ユダヤの氏族と民族を統一して、十二支派の後孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたことでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたことでしょう。最終的には、イエス様を中心として、一つの新しい宗教文化圏を形成し、王の王にならなければならなかったのです。 しかし、イエス様が十字架にかけられることによって、それ以降、外的な肉身の文化圏である人本主義のヘレニズムが先に発達し、ローマの中心文化を形成しました。一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、四百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。 人間始祖の堕落によって引き裂かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何をねらっているのでしょうか。神様をはっきりとねらっています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、天地創造時に理想とされた基準も永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンはそのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。 神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められることでしょう。サタンが神様に、「神様! 最初に、私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか。でなければ、永遠なる愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様は、どのように答えられるでしょうか。考えてみなければなりません。 神様は、永遠に愛するために立てられたと語られることでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかはサタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。ゆえに神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないのです。 サタンを自然屈服させるための神様の戦法 それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、どのような環境の中でも、堕落してサタンとなった天使長を愛さなければなりません。 神様は、サタンがいくら暴れ回るとしても、罰したり、打ってしまうことができないのです。どのような状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられる。幸福でした」と告白しない限りは、神様は、完全なる勝利を成し遂げることができません。それが問題なのです。 神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、やはりその道を行かなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立つとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈服させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ」ということでした。話は、簡単ですが、これが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたということを誰も知りませんでした。 神様がサタンを敵であり怨讐であるとみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとするならば、絶対に勝利の頂を占領することはできません。反対に神様は、「怨讐を愛せよ」と言って、愛の作戦を繰り広げてきました。 神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事して自分を殺そうとした怨讐に対して、彼らを許し給えと祈祷したということは、偉大なことです。もし、イエス様が十字架で死ぬときに、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転したことでしょう。福を祈る愛の心をもって、死を克服したために、サタンが自然屈服したのです。 永遠に、神様の子女として残ることができる資格が、そこで生まれたのです。サタンもこれを認め、「あなたは、本当に神様の息子である」と、サインするのです。 皆さんも、神様の前で、「サタンよ、私が神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」、また、「神様の息子としての相対圏を拡大していくであろう。個人から、家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは、原理原則なので仕方ありません」と答えるように行動しなければならないのです。 神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として、摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても、神様を愛し、怨讐までも愛する運動を展開してきたのです。私たちは、家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。 キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国が屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは、個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。 怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして、伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上に消化できる主義は生じません。 韓国が日帝のもとにあったとき、韓国、日本、ドイツ、米国など、主要摂理四大国家は、互いが怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐の関係であり、日本と米国が怨讐の関係であり、米国とドイツが怨讐の関係です。 ところが私は、このような怨讐関係にある日本人とドイツ人を米国に連れていき、「米国が神様を無視し、神様を失ってしまったら、滅んで死んでしまうので、米国を生かさなければならない」と言って、真の愛の道を実践しました。日本やドイツの人々に「敵対関係であった米国を、自分の祖国以上に愛することができる伝統を立てることなくしては、神様が望まれる新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。 怨讐関係である国家を、自分の祖国以上に愛することができる基盤と伝統を成さない限り、地上に天国は顕現できません。このような歴史的な伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。 私は、米国連邦政府より屈辱を受けて罪なく法廷に立ったとき、米国の未来を心配し、保守正論紙、ワシントン・タイムズを発行し、放送局を設立させるなど、むしろ米国のために、あらゆる努力をしたのです。 近来では、共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種類にも及ぶ各種の教材を出版し、青少年を中心とした倫理教育に、多くの支援をしています。 皆さん! 日帝のもとで反日地下運動をしていた私にとって、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろんのこと、個人的にも怨讐でした。しかし、日本が敗戦したのち、私は、日本人を愛しました。地下独立運動をしたからといって引っ張っていき、むごい拷問をした日本の警察官たちは、私が一言言えば、みな処刑される運命だったのですが、反対に、追われている彼らを安全に送ってあげたのです。 今日、日本の多くの若者たちがなぜ、私に永遠なる命を懸けて忠誠を尽くしているのか分かりますか。因果の法則に従って、報いなければならない原則があるためです。それは、私が国家を超越し、神様の心情的なみ旨に従って、世界に向かって真の愛を植えたからです。国家的な怨讐を愛して生きる道に導く心情的な基盤を植えたので、自分たちも知らずに天命に従っているのです。 私は、日帝のもとで当時の日本にも恨みがあったのです。しかし、日本は、既に敗者でした。天は、滅びる者をさらに打つことはしません。自分の罪を自白して、謝罪する者に対しては、哀れみをもって対するのです。そのような天があるので、敗者にさらに刃物をもって打てば、打った者の後孫が滅びるのです。 米国もやはり、私を敵対視していた国家です。しかし私は、道徳的に塗炭の苦しみに陥った米国を救うため、父母、兄弟をあとにして、祖国を振り返ることなく、カイン世界を救うために、私に属しているすべてのものを捨てました。 また、既成教会が統一教会をどれほど憎んだことでしょうか。しかし、怨讐のように闘ってはいけません。お互いに、愛で和合しなければならないのです。二つが和合して、大韓民国を天のみ旨の前に立て、北朝鮮を消化しなければなりません。解放直後に、既成教会と統一教会が一つとなっていたならば、すべてのことが解決されていたことでしょう。 しかし、そのようにならなかったので、私たちが行く道の前において、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的な怨讐と対峙するようになり、それでも闘わないという条件を立てるために、無限なる犠牲を払いながら、受難の道を克服してきたのです。 南北を統一することのできる方案 内外の貴賓の皆様! 既に北朝鮮の人たちは、全国民が金日成の主体思想で武装しています。私たちは、彼らを消化することができる神様の真の愛の思想で武装しなければなりません。北朝鮮は、ソビエト文明から来た冷たい風が吹きつける、北方文明です。私たちは、温帯圏文明によって彼ら自身が自ら溶けていくことができるような作戦をとらなければ、お互いが滅びるのです。ゆえに私たちは、徹頭徹尾、真の愛の思想武装をしなければなりません。 私たちの思想は、個人の欲望のためのものでなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。しかし、共産主義者たちは、共産党員の何人かの幹部を中心としてなそうとするのです。それで、彼らは、自分の敵が現れれば、除去してしまうのです。 私たちは、そうではありません。「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を成そう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や、人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕することのできる私たちとならなければなりません。 私たちが彼らに影響を与えることのできる環境をもたなくては、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になり得る復帰の国家が、成立しないのです。したがって、南・北韓は分断されましたが、北朝鮮と闘わずして解放しようというのです。ゆえに、お互いに利益となることのできる愛を探し求めなければならないのです。 皆さん、現在、南と北の目的が食い違っています。方向が異なった立場で、一方は南に、もう一方は北に行こうとする分かれ道にいるので、その目的が異なっているのです。 どのように統一されるかという問題をおいて見るとき、深刻です。その主体的使命を誰がしなければなりませんか。それを南韓がするというとき、北朝鮮が反対するでしょうし、北朝鮮が主導するというとき、南韓が反対することでしょう。互いが、「我々がしようと言うとおりにしよう」と言うときには、成されないのです。自分自身に固執する立場からは、必ずまた決裂することでしょう。 これをどのように克服するか、ということが問題です。問題は、南韓の人が南韓を愛する以上に北朝鮮をもっと愛するという人が出てこなければなりません。同様に、北朝鮮の人が北朝鮮を愛する以上に南韓を愛する人が出てこなければならないのです。それ以外に、模索方案、解決方案がありません。 南韓の誰よりも、もっと国を愛する人、北朝鮮の誰よりも、もっと国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるとき、そこから超国家的な統一方案が出てくるのです。それ以外に道があるでしょうか。どんなに考えても、それ以外に道はありません。 それでは、これをどのように実践するのかが問題です。それは、北朝鮮の人よりも、もっと苦労し、南韓の人よりも、もっと苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決方案なのです。 悪なる世界と善なる世界を統一するのも、やはり同じです。これまで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を、主張することができる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのです。 そのような観点から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない立場になられると、神様のために生き、イスラエル民族のために生きる道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬことしかないと考えたのです。それが十字架の道理なのです。 人類を愛することにおいて、歴史始まって以来、誰よりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、歴史始まって以来、誰よりも愛したので、滅びつつあった歴史が、そこから新しい方向に向かって、より次元の高い善の目的の世界に進出したのが、キリスト教文化圏です。それは歴史的事実です。 南北統一はどこからどのようにするか ゆえに、南北を統一することができる方案は、南と北のために死ぬことができる群れとなる道しかありません。それ以外に、統一することができる道はありません。本当に、共に生きたいという心がなくてはなりません。 人間がどのように生きるのか、あるいは、私たちの人生航路をどのように行くべきかということを念頭において見るとき、その骨子を要約するならば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。 まさしく、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上、下を問わず、共にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、共に生きたい思いに満ちた人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。 「共に、一緒に生きたいなあ」という、その内なる共通分母とは、何でしょうか。それは、権力ではありません。権力は、歴史を超越できません。それは、一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は、発展するものです。知識の世界で、この学問と共に、永遠に共に生きたいという思いがあるでしょうか。間違いなく私たちが共に生きることができるのは、知識でもなく、金銭でもありません。 このように見るとき、上や、下や、前後左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通的に認定することができる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛だというのです。 ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また、愛国者は、国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万民をこの上なく愛する人であり、聖子は、人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。 したがって、愛国者の心のように、民族と共に生きたいと思い、民族が困難なときには、その困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びでなく、私たちすべての喜びとして永遠に残ることができるものでなければならない、と誓うことができる真なる心情の基盤が問題なのです。 真なる愛と心情の因縁をもった人は、統一圏に同参できる特権があります。 皆さん、全く字を知らない女性でも、博士と結婚して、愛の因縁を結ぶならば、一日にして博士夫人になるでしょう。このように、共に生きようという情の因縁をたくさんもった人は、今日、統一圏に堂々と参席することができる特権があるのです。 神様御自身がそのようなお方であるために、一つとなることができる生活内容をもてば、同参することができる資格が自動的に賦与されるのです。 それでは、南北統一は、どこから、何をもってするのでしょうか。力で屈服させるならば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。その方式では、統一を成し遂げることができません。たとえ、以南の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと、真心から共に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道が開かれます。 北朝鮮を思いながら、胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、あなた方の困難と共に私は生きている、解放の一日を準備して、あなた方の前に現れることであろうと誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。 皆さん、その最初の段階として、郷土と、どのように生きるのかを考えてみなければなりません。自分の父母と共に生きたがらず、郷土と共に生きたくない人が国を愛するというのは偽りです。国と共に生きてこそ、世界と共に生きるようになっています。そして、世界と共に生きてこそ、神様と生きるようになっています。ゆえに、郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ、愛国も可能なのです。 政治をする指導者たちが国をどれほど愛していますか。彼らに、国民と共に、真心から共に生きようという心がないときには、そのような政治家は流れ去ってしまうのです。どんなに優れていても、水の泡のように流れ去ってしまうのです。 引き裂かれた南と北が、そのまま一つとなることはできません。愛国同志たちが闘争するその過程では、夜寝ることもせず、時間を超越して、困難な環境を克服することができる心の決意と実践が必要なのです。 「本当に、共に生きたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい」という、そのような心を互いがもつようになるときに、南北統一運動が始まるのです。 南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一も、ここから起こるのです。ですから、韓国問題を心配する場合は、世界を代表した立場に立って、六十億人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、民族の将来、世界の将来を見通さなくてはなりません。 そして、「私は、あなた方と共に、本当に共に生きる運動を展開するだろう」という誓いをしなければなりません。それが聖人の道理に通じれば、聖人に似るのであり、聖子の忠節をもって、神様に対して実践すれば、「神様の相続者」「み旨の後継者」となるということを、私は、生涯を通して確認したので、きょう、皆さんにこのようなみ言を伝えているのです。 真の愛とは何か 内外の貴賓の皆様! 神様の真の愛を中心として互いに因縁を結べば、必ず、主管権と所有権、それから、相続権をもつことができる特権が付与されます。力学では、入力よりは出力が小さいですが、真の愛の世界では、入力よりも出力がもっと大きいのです。 真の愛とは何でしょうか。「ため」に生きる愛であり、与えてはそのまま忘れてしまうものです。ことさら与えたことを、記憶もしないのです。また、どんなに降り注いでも、疲れるということを知りません。九十歳を越えた父母が、七十歳になった息子に、「息子よ! 車に気をつけるんだぞ」と言っても、不自然でなく、何十年間、その言葉を数限りなく繰り返したとしても、嫌気がさしたり、疲れるということがありません。 堕落した世界の父母がこのようであるのに、いわんや、本質世界で、父母なる神様の愛を授け受けするとき、疲れるはずがあるでしょうか。人生で、真なる神様の対象圏を確定し、真の愛の栄光が不変であるということを、初めて知るようになるとき、永生の論理を妥当化させることができるのです。 私が、去る一九八四年に何の罪もなく米国の監獄に入り、獄中のベッドに一人で横たわっているとき、神様が訪ねてこられて、信じる人は私しかいないので、ニカラグアの事態を解決しなさい、と命令されました。神様が訪ねてこられる人間が、どうして私しかいないのでしょうか。 先進国を代表するという米国には、二億四千万という国民と、数限りなく多くの教役者(注:宗教活動に携わる人)がいるのですが、彼らを訪ねていくことができず、私を訪ねてこられた神様が、どれほど哀れであられるか、推し量ることができるはずです。しかしながら、神様は、強い引力の愛を訪ねていくことができるので、昼夜、世界のために心配する私を訪ねてこられたのです。その時、私がワシントン・タイムズを前面に立てて助ける仕事を展開しなかったならば、南米は思想的に既に廃虚になっていたことでしょう。 真の愛の主体者になろう 紳士、淑女の皆様! 我が民族の念願である南北統一は、この時代の神様の願いでもあります。北朝鮮と韓国を統一させ、神様が安息することができる基盤を、皆さんの家庭と、私たちの教会と国に築くことを天は願っているというのです。 それでは、神様に何をもって侍るのでしょうか。何をもって、これをすべてきれいに洗い流さなければならないでしょうか。何をもって洗い流してこそ、神様がきれいだとおっしゃるのかというのです。ほかでもなく、自分の父と母を愛する以上、夫、妻を愛する以上、子供を愛する以上の真の愛を中心として、その環境をつくり、祭物的な祭壇を積もうというその立場から、初めて、理想的な南北統一が出てくるのです。理想的東西文化の統合が起こるのです。分離した地上世界と天上世界の理想的統一が起こるのです。地獄と天国の解放圏が開かれるのです。それで、真の愛の鍵が必要なのです。 私の心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と、常に互いに通じることができるのです。家庭が和合した愛の夫婦は、家族だけでなく、その氏族と国家と世界にも通じることができます。 愛し合う夫婦が一つになれば、誰がそしり、踏みにじることができるでしょうか。和合した家庭、和合した民族、和合した政府、和合した世界、和合した天と地、和合した真なる人間愛と、神様が一体となった、そのような世界が、真の愛のユートピアではないでしょうか。 すべての植物が、太陽の光を生命の要素として吸収するのと同じように、人間には、愛が生命の要素となるのです。私たちの願いは、永遠に真の愛と共に、慕いながら生きることのできる地上天国や、天上天国が建設されることです。 しかし、この世の中には、すべてのものの主人格として、登場することができる驚くべき人生の価値と、その特権的な権限をもった真の愛の主体者、あるいは対象者が、果たしてどれくらい存在するでしょうか。 きょう、この場に参席された皆さんは、どうかこれを忘れないで、心と体が一つとなるように努力することによって、自らの夫婦同士で、より高く「ため」に生きることができる愛で愛し合うことから、家庭と、民族と、国家と、世界を愛することができる真なる人と家庭となることを願います。 もし、そのようになれば、南北統一は、既に成就したも同然です。どんなに強い主体思想であっても、神様の愛の中では、力なく収拾され、消滅してしまうことでしょう。真の愛で愛する心をもつようになれば、南北統一は絶対問題ではありません。 それだけでなく、東西問題や、世界的南北の貧富の格差問題も、この神様の真の愛をもって完全に解決することができます。 このような神様の理想を中心として、世界の理想を消化し、そこから国家理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人にまで連結することができる理想世界の平和的無限境が成し遂げられることによって、この地上には、真の愛の平和世界が建設されることは間違いありません。 内外の貴賓の皆様! 私は、四十年余り前より、ここでお話ししたように、統一の根本原則を宣言し、国内外で、神主義を中心とした理念運動を土台として、周辺四大強国に、統一の国際的な基盤を造成してきました。韓国や、日本、米国などに、各々数百万を超える会員たちが、国際勝共連合、カウサ活動などを通して、民間基盤を構築してきたのです。 これまで、私が主唱してきた神主義は、唯物論、無神論の相反する価値観の統一はもちろんのこと、世俗的人本主義を解放することができる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されました。 韓民族と世界平和のために南北統一を信仰化しよう 南北統一を熱望する愛国同胞の皆様! 私たちは、みな共に、真の愛の神主義で、私たちの価値観を定立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と、韓民族と世界平和のため、南北統一を信仰化しましょう。 そしてこの時代、歴史と天の召命を受けて立ち上がり、南北統一運動に私たちすべてが先頭に立つ義人と指導者になりましょう。真心より共に生きたいと思う真の愛、怨讐までも愛する心で、真の愛の温風を北方の地の同胞たちに送りましょう。 特に、人類歴史の始まりに、エバの失敗によって歴史が誤ったので、終わりの日には、女性たちが先頭に立って、真の愛の母性愛で、青少年の和解と統一の新しい歴史を創造していきましょう。 特に、女性の使命は子女のような立場である青年男女および学生たちを真なる教育を通して真なる子女たちに復帰しなければなりません。さらには、母と子女が一つとなって、手本を示し、夫までも教育を通して真なる天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心として侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。 いま一度、きょうの話が南・北韓が共に真の愛で出会うその日を早める全国民運動となるように願いながら、話を終えようと思います。 神様の祝福が皆様の家庭に共にあらんことを祈願します。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.23
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創造理想から見た芸術世界「世界平和美術祭典二〇〇〇」における御言2000年2月9日ソウル・芸術の殿堂・美術館 尊敬する内外の貴賓の皆様 世界平和美術祭典に珠玉のような作品を出品された作家の皆様 初めに、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、世界各地より、歴史的な本行事に参席された皆様に深甚なる感謝を申し上げます。特に、北韓をはじめとして、米国、中国、ロシア等、多くの海外の作家たちが席を同じくしていることは、大変意義深いことであると言わざるをえません。 美を追求し、それを表現しようとすることは、人間の本性です。神様の創造理想に似た人間の内面世界は、知、情、意の三機能を発揮し、人間の肉身は、その心の命令に感応して行動します。 その結果、人間は常に愛と、真理と、美を追求しているのであり、おのおの、宗教と科学と芸術が、その表現手段であるのです。結局、宇宙万象は創造主、神様の内的性相の多様な実体としての外的形状であるのです。 太初に、被造物を創造された後、神様が上げられた感嘆の声は「見るに善かった」でした。愛と真理と美の実体が、それぞれ線と角度と面を異にし、宇宙空間の至るところで、自らの位置を占め、調和と統一の一つの空間を成すときに、初めて神様の創造目的は成し遂げられるのです。 したがって、純粋な芸術世界では分裂はありえず、葛藤はありえないのです。より外的であり、積極的な美の表現が舞踊や音楽であるならば、美術は、より情的にあらわれる心の世界の表現です。 私は、かつて一九六○年代に、リトルエンジェルスを創団し、韓国の美しい芸術世界を全世界に宣揚してまいりました。そして、これを土台に『愛天・愛国・愛人』を建学理念とする仙和芸術学校を創立しました。さらに、ユニバーサルバレエ団を韓国に、そして米国の首都ワシントンにキーロフバレエ学校を設立し、ニューヨークには、ニューヨークシンフォニー・オーケストラを創団しました。 一方、ニューヨークの世界日報社の社屋内には、常設美術展示場があり、作家たちの世界的な交流を援助しているのです。 内外の貴賓の皆様 芸術をものす心の極致は、一つ一つ、手ずからつくられた作品であるさまざまな万物、万象を通して、無限に喜ぼうとされる創造主、神様の心情世界に到達しようとすることです。 与えても、さらに与えようとし、ために生きても、さらにために生きようとし、条件なく投入しても、忘れてしまおうとされるのが、神様の心です。その心情世界の根本は、真の愛です。 被造世界に対する神様の創造理想は、その心情から出発なさったものです。芸術の原点は、その心に似ることにあります。ゆえに、芸術世界には国境はありえません。特定理念や思想の道具になってもいけません。 調和と統一が基本原理です。分裂と葛藤は、堕落性の果実です。したがって、作品世界においても、東洋は西洋を理解し、西洋は東洋を受け入れて、四方性、世界性を帯びなければなりません。それぞれが追求する分野において、創造主、神様を畏敬し、その理想を表そうとする純粋芸術の追求、それ自体が最も美しいのです。 特に芸術世界を通して、半世紀の間、引き裂かれていた南北韓の同胞が共にまみえ、さらに東西世界が交流することは、一なる神様の下の一つの世界、さらに、ひいては神様の下なる一つの宇宙を追求してこられた神様のみ旨と一致するのです。いま一度、私の八十回目の誕生日を期して、韓国と世界を代表する美術人が席を同じくしたことに対して、心より感謝を申し上げます。 新千年には、各自、皆様の分野で、より一層大きく発展されることを祈願いたします。皆様と、皆様の家庭に神様の祝福が共にあるよう祈願いたします。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.23
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終末時代に人類とアメリカが進むべき道この講演文は、文鮮明先生が2000年1月22日、アメリカのワシントンD・Cで開かれた80回目の御生誕祝賀集会で語られたみ言であり、韓鶴子総裁が2000年5月、世界巡回講演の時、南米とヨーロッパの36の都市で語られました。 尊敬する内外の貴賓の皆様! きょう、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、全世界から参席してくださった各界各層の指導者の皆様に、心から感謝いたします。特に、今日まで常に共にいてくださり、守ってくださった神様にこのすべての栄光をお返しし、深く感謝申し上げます。 私は生涯を通じて、ただひたすら神様の創造理想実現のための諸般の難問題を解決するために、心を砕いてきました。 知ってみると、神様は栄光と尊貴の玉座にいらっしゃる方ではなく、堕落して地獄に落ちた子女たちを捜し、救援するために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。 このような神様のみ旨と心情を知った私の生涯は、一言で言えば、夜も昼も季節も環境も超越し、ひたすらみ旨を成し遂げるために全身全霊を尽くしてきた日々でした。 過ぎし八十年の星霜を振り返るとき、ありとあらゆる迫害と苦難を受けたにもかかわらず、きょうこの場を皆さんと共にすることができたのは、神様が共にいてくださったからです。この意義深い日に、皆さんと共に神様の摂理的な観点から歴史と世界を理解するために、「終末時代において人類とアメリカが進むべき道」という題目でみ言を分かちたいと思います。 終わりの日とはどのような時か 神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末はサタン主管圏の悪なる歴史の終末であり、同時に神様の主管の善なる歴史の出発の起点となります。したがって終末は、天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち、個人完成を完結させるべき終わりの日であり、家庭、民族、国家、世界、ひいては天宙完成を完結させなければならない終末だというのです。 神様は摂理路程で、終末期を迎えるごとに、神様中心の理念圏へと人類を導いてこられましたが、実に人類は、自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整理して善の立場に立つことができませんでした。 しかし神様は、絶対、唯一、永遠不変の方であられるので、神様のみ旨に対する予定も絶対的です。ゆえに神様は、堕落によって人類が失ってしまった真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通じて、天上と地上に神様が運行できるその世界を取り戻し、成し遂げられることでしょう。 神様が求めていらっしゃる本然の世界とは、どんな世界でしょうか。その世界は、真なる父母を中心とした真なる世界です。ところが人類は、堕落によって歴史過程においてではなく、歴史の初めに、人類の真なる父母と真なる世界を失ってしまいました。 その結果、堕落によって私たちが住んでいるこの地も、人類が所有している理念も、どれ一つとして真の父母と直接因縁を連結させてあげることのできるものがありません。ですから人類はまず、「真」を求めなければなりません。 そうして真なる父母、夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が真なる神様の心情を通じて動じ、静ずることのできるその日が、人間世界において悪なる世界の終わりの日となるのです。 このような理想が成就する時が終末であり、再臨の時期です。したがって再臨期は、火の審判や地が崩れたり、信じる人が空中に引き上げられるなど、天変地異現象が起こるのではありません。もつれた曲折の悲運の歴史を蕩減し、個人から家庭、社会、国家を経て、世界を正しく立てる時なのです。 縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び取り戻し、横的に連結させ、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成す時です。その日を願って生きてきたのが人類の所望であり、人類歴史が行くべき終着地だというのです。 ところが、個人も家庭も国家も行く道を失ってしまいました。世界には各種の公害問題、食糧問題、さらに宗教間の藤、人種間の対立などが至る所で起こっており、各種の紛争の主要な原因となっています。 レバレンド・ムーンの教えの核心 誰がこの世界に責任をもちますか。深刻な問題です。過去の共産主義国家群も、自分の民族主義を超えることができませんでした。今日、強大国であるアメリカも、汎アメリカ主義の理想を超えることができずにいます。 自国の利益のみを優先するときは、世界を指導することができません。自らを犠牲にするとしても世界人類を抱き、より次元の高い理想的国家へ前進しようという理念で団結した、ある民族や宗教が必要な時です。 このような側面から私は、神様の命を受け、ここアメリカに来て青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的危機に強力な警告をするとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。 皆さんは、レバレンド・ムーンの教えの核心とは何なのか、気になることでしょう。その答えは簡単です。 第一は、「より大きなもののために犠牲になって生きよ」ということです。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は神様のために生きよというのです。そうすればその神様は結局、「私」を訪ねてこられるのです。 家庭でも、父母は子女のために生き、子女は父母のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きなければなりません。より多く「ため」に生きる者が、善の中心者になるのです。 第二は、「怨讐を愛せよ」ということです。神様は堕落して悪魔サタンの子になってしまった人類を救うために、ひとり子イエスを送り、犠牲の道を行かせました。怨讐を本当の子供よりももっと愛するところには、サタンも自然屈服するのです。 いつも、サタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて奪ってくるのです。それが公式です。私が全生涯を通じて、多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日全世界百八十五カ国に宣教基盤を築いたのは、このような天理に従って生きてきたからです。 キリスト教の宣教歴史を見ても、イエス様を信じるキリスト教徒たちが行く道は、追われる道であり、迫害の道であり、殉教の道でした。そのように二千年の歴史を経て、殉教の血の跡が土壌となり、民主世界という巨大な体制を発展させてきましたが、今日では、その原動力となったキリスト教が危機に瀕しています。 キリスト教理念を中心とした国家群が、神様を否定し、イエス様を否定し、さらには神様の摂理を否定しています。甚だしくは「神様はいない」「神は死んだ」という神学までも主唱しているのを見るとき、真なる子女を捜してあらゆる犠牲の道を歩んでこられた神様の心情は、いかばかりでしょうか。 堕落人間に対される神様の心情 内外の貴賓の皆様! 神様が今まで投入して犠牲になったすべてのものは、誰のためのものでしょうか。それは、アメリカのためのものでもなく、キリスト教自体のためのものでもありません。結局は、堕落によって失ってしまった「私」一人を救うためであったということを知らなければなりません。堕落が一人の個人から始まったので、救いも一人の個人から始めなければなりません。 したがって代表的な一人が出てきて、「この時代の責任を果たそう。人間が神様に負ったすべての負債を清算して、堂々と善なるものをお返しできる私になろう」と自覚せずしては、復帰する道がないのです。漠然とした立場では、絶対に蕩減復帰をすることができません。観念的であってはいけません。 神様を身代わりして、悲惨なことがあれば、悲惨な目に遭う当事者以上の心情をもたなければ、神様の心情に到達することができません。 皆さんは、皆さん自身が死んでいくというそのような深刻な心情で、六十億の世界人類のために祈祷されたことがありますか。皆さん個人を犠牲にして、家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くされましたか。 そのような点では、誰も簡単に自信をもつことができないはずです。そのような絶対的な基準の代表者として来られる方が、再臨主です。 メシヤ思想の核心 人間始祖が堕落したのち、救いの摂理を展開してこられた神様は、アダム以後二千年目にアブラハムを探し立てられ、その後孫を選民とされ、新しい家庭、氏族、民族を編成されましたが、それが正にイスラエル民族です。メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体として迎えるための主流民族になったのです。 その主流の要を求めていくと、人間始祖アダム・エバができなかった使命を再現するための基準と理念が必要ですが、それが正にメシヤ思想であり、クリスチャンの立場から見れば、新婦思想だというのです。 主を新郎として迎えるための新婦としての資格を準備することが、最も重要なキリスト教の使命なのです。 このような莫大な使命をもっていたのに、ユダヤ民族がイエス様を十字架で処刑することによって、第一イスラエルとして召命されたユダヤ民族は、流れ去ってしまい、第二イスラエルであるキリスト教が、その使命を継承してきたのです。この一つの目的を中心として神様は六千年の摂理をしてこられましたが、その摂理の終盤が、今のこの時代なのです。 それではメシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは世界を救い、統一させるための思想であり、本然の理想家庭を建設することのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった位置である真の父母の立場を取り戻すことです。 新・旧約聖書の教えを見ても、メシヤは父の権勢をもって来られ、聖霊の実体である女性神に出会い、真の父母の立場を回復されるのです。ヨハネの黙示録に預言されている「小羊の婚宴」後の新郎新婦は、真の夫婦の段階を経て、真の父母になるのです。 このような使命で来られた方が、イエス様でした。イエス様はイスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様が願われた世界と天国のために生命を捧げました。 十字架にかかられたイエス様の苦難の行路は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。イエス様は死の場でも「彼らの罪を赦し給え」と切に祈られたのです。死にゆく場でも未来の勝利を期して、ローマと、反対する群れを祝福したのです。 したがってイエス様の生涯は、一代三十三年で終わったのではなく、神様の協助によって歴史と共に残り、その精神を継承したキリスト教は世界的な宗教にならざるを得なかったのです。 人類の文明の循環 内外の貴賓の皆様! アメリカが今は世界で一番の強大国だと言いますが、神様の摂理線上にまっすぐ立たない限り、いつまでも栄え続けることはできません。 人類文化史を見れば、古代文明の発祥は主に熱帯圏から始まりました。マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明、中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は亜熱帯圏ないしは熱帯圏でした。 人間が堕落しなかったならば、春の季節の温帯文明から始まるべきでしたが、熱帯文明から始まって、その次は秋の季節の涼帯文明圏に属するようになりました。これが自由世界を中心とした温帯文明圏に属するようになり、西洋文明がその中心です。大体赤道を中心として見るとき、北緯二三度圏で連結されていますが、アメリカ、イギリス、ドイツなど、西側の先進諸国がこれに該当します。 秋の季節の涼帯文明が終わりつつ、冬の季節の寒帯文明がしばらく押し寄せるようになります。これが共産主義の出現です。多くの知性人たちは、ソビエト連邦が解体したのち、以前の冷戦体制は終わったと思っていますが、いまだに唯物論と無神論は、無力化された民主と共産の二大思想の代替理念として世界の至る所に蔓延しているのです。 本来、神様の創造理想は春の季節の温帯文明から始まるべきだったのに、堕落によって熱帯文明から、原始的な状態から出発したのです。今こそ涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を貫いて、古代から人類が追求してきた本当の春の文明である温帯文明が現れることでしょう。 誰が、寒帯文明の冬の季節を溶かすことができますか。権力や経済、科学や知識をもってしては不可能なのです。 河川と海岸を中心とした文明の循環を見てみても、文明は巡礼します。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心として発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、この地中海文明は再びイギリス、アメリカを中心とした大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明で結実するようになるのです。 このような文化史的観点から、韓半島の位置はとても重要です。韓国は、北の方にはロシアと中国を結ぶ寒帯文明圏の極地点であり、南の方はアメリカと日本を結ぶ涼帯文明の極地点です。したがってここで、涼帯文明を消化することのできる世界史的な春の季節、温帯文明圏が誕生するというのは摂理観的です。 このような側面から、涼帯文明の結実地として人類的課題として残された南北問題と東西問題を解決するために、生涯を捧げてきたレバレンド・ムーンが韓国から出てきたということは、神様の摂理的な帰結だと言わざるを得ないのです。 神様のみ旨成就において最も重要なこと 実際に私が、生涯を通じて人種と理念と国境を越えて「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、このような神様の摂理による道であったということを申し上げたいと思います。 これは摂理史的な原則であって、私が作り上げた特別な理論ではありません。 天のみ旨を悟った私は、理論だけでなく、このような神様の構想を現実化するために、外的には五大洋六大州に影響を及ぼさない所がありません。 アラスカ、南極、南米三十三カ国、旧ソビエト連邦各国とアジア、アフリカ大陸の各国など、全方位的な宣教と事業基盤を通じて、到来した新千年時代に人類が当面した公害、食糧問題などを解決することのできる準備をしてきたのです。近年ではブラジルのパンタナールとアマゾンを中心に、地球環境保存について実際に基盤を築いてきました。 一方、これまで内的には、国際合同結婚式および真の家庭の価値誓約運動を通じ、約四億三千万双が参与することによって、神様が長い間待ち望んでこられた理想家庭を土台にした地上天国建設に拍車をかけてきたのです。 内外貴賓の皆様! その間、世界は政治、軍事、経済において優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一直線上に立たないとき、永遠の国はありません。燦爛たるギリシャ・ローマ文明の滅亡はその良い例なのです。 今日、超強大国としてそびえ立ったアメリカは、過去のローマのような立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯よりは内部から崩れ始めた道徳的堕落に起因し、天の運勢が離れたからです。 一時期は、労働者、農民を主体視した唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心に、世界人口の三分の一、地球面積の三分の二を占領したこともありました。しかし、それは永遠ではあり得ませんでした。 これからは、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来ることでしょう。宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類に進むべき方向を提示してあげなければならない預言者です。しかし今のように四分五裂し、続いてきた教派間の藤と宗教間の争いは神様の摂理に障害物となるだけです。 それで私は、ずっと以前から教会全体の予算の半分以上を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の藤を解決しようと努力してきました。さらに「世界平和宗教連合」を創設し、宗教間の和解と一致によって、人類平和増進の先頭に立ってきたのです。 近年には「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、これまでにここワシントンD・Cで七回にわたって「国際訓読セミナー」を行ってきました。 すべての人類は、人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現のための神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点をもたなければなりません。 堕落によって失ってしまった神様との心情的関係を回復し、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。したがって、神様が約束された終末は、真の父母が顕現される時です。言い換えれば、堕落によって父母を失ってしまった人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時です。したがって真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、願いの結実体であり、勝利の結実体です。 統一教会は、このような伝統を国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を超えて、黒人と白人、黄色人が一つの兄弟姉妹としてまみえ、夫婦となるのは、地球村を一つにしようとされる神様のみ旨成就において、最も重要なことの一つです。 今日、このように人類は、失ってしまった本然の兄弟姉妹、夫婦、父子の因縁を回復し、究極的に、子供を失い、嘆いてこられた神様を解放してあげてこそ、真の幸福の道が開かれるのです。 これまで民主主義は、「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。これに比べて私たちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決するならば、人間解放はもちろん、人間の自由回復は自然に成し遂げられるのです。 アメリカに対する神様の希望 内外貴賓の皆様! 特別に、きょうアメリカの首都ワシントンD・Cで、神様の摂理を語っているのは、深い意味があります。 アメリカは、いろいろな面で神様の祝福によって準備された国です。アメリカを建国した先祖たちは、信仰の自由のために命を懸けて自由の国を求めてきたピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)です。 彼らは、真の信仰の自由を求めて、愛する父母、兄弟、故郷と離別し、さらには国まで捨てるという覚悟で、命を懸けて大西洋を渡ってきました。 メイフラワー号がニューイングランドに到着した時は一六二〇年十一月、晩秋でした。その年、初めての冬を越えながら共に到着した百二名の中で、寒さと飢えによって半分以上の人々が死亡しました。彼らが素晴らしかった点は、後孫たちのために翌年に蒔く種を残しておいて、自分たちは飢えて死んでいったという事実です。 清教徒たちは、何をするにしても神様のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは、初めの年の収穫をもって神様に感謝を捧げ、教会と学校を先に造ってから、彼らが住む家を造りました。 清教徒たちが開拓する路程で、農業をする時も、戦争をする時も、常にまず祈祷をしました。独立戦争当時、あの有名な最後の激戦地フォージ渓谷(Vally Forge)で、ジョージ・ワシントン将軍は、戦闘で激戦に臨む瞬間、命を懸けた祈祷をしたはずです。神様のみ旨を先立てた戦闘で、神様はアメリカに手を挙げてくださいました。 当時、世界的な強大国であったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは、神様と神様が愛する息子、娘たちが共に戦ったのです。それで、アメリカという自由信仰の国家が成立するようになったのではありませんか。 今もアメリカは、国会が開院される時は、祈祷から始めます。大統領が就任宣誓をする時、聖書の上に手を置いて神様の前に誓い、聖職者の祝祷を受ける国です。 さらには、貨幣にも「我々は神を信ずる(In God We Trust)」という言葉を書いている唯一の国です。このようにしてアメリカは、地球上に唯一、プロテスタントを信奉する世界的な形態を備えた国家となったのです。 ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりは進化論を教育しています。さらには五〇パーセントに至る離婚率は、家庭の神聖さをことごとく破壊してしまっているのです。 このような現実を心配されている神様の声を聞いた私は、既に一九七一年に祖国と家族をあとにしたまま、アメリカにやって来ました。何度も全国を巡回しながら私は、「火事になった家に消防士として来た。病気になっているアメリカを治療するために医者として来た」と叫びました。 その時私は、既にアメリカを離れていらっしゃる神様を発見しました。アメリカのいかなる所にも神様がいらっしゃらなければならないのに、反対に至る所で神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から神様が離れていっていらっしゃいました。 振り返ってみると、ニューヨークのマンハッタンの五番街を歩きながら、アメリカを離れていかれる神様にしがみついて限りなく涙を流したのが、きのうのことのようです。不幸にもアメリカは私が予言したとおり、道徳的に衰亡の一途をたどっています。 皆さん! レバレンド・ムーンがなぜアメリカで反対されながらも苦労してこのように叫んでいるのでしょうか。私は、神様が今日アメリカを訪ねてこられるまでに流された血と汗と涙の苦労を誰よりもよく知っているので、去る三十年間、アメリカにいながら一日たりとも楽な気持ちで過ごしたことがないのです。 アメリカの主人は誰ですか。ホワイト・アメリカンやブラック・アメリカンではありません。神様がアメリカを愛されるようにアメリカを愛する人が、本当のアメリカの主人です。 アメリカは地上に神の国を立てるために選ばれた長男のような長子権代表国家なので、今もイエス様は霊的にアメリカの地に主にいらっしゃりながら、そのみ旨を果たしてくれることを切に祈っていらっしゃいます。 一方、私は神様のみ旨に従って一九八二年にワシントン・タイムズ社を設立し、アメリカが行くべき方向を提示する保守正論紙として、アメリカの世論を主導してきました。そして真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて、強力な救国救世運動を展開してきました。このすべてのものに、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことを願う心から投資してきたのです。 私が一九六五年にワシントンD・Cを訪問し、指定したホワイトハウスの近くの聖地には、今も夜を明かしてアメリカのために祈祷する群れがたくさんいます。皆さんすべては、心の門を開き、あのピルグリム・ファーザーズから歴代の愛国の烈士たちの切なる願いを聞くことができなければなりません。 今は旧約と新約の約束が成就する成約時代 内外の貴賓の皆様! 今始まった新千年は、六千年の間追い求めてこられた神様の救援摂理歴史がみな終わり、エデンの園で失ってしまった創造理想が天宙的に実現される時です。 人間の堕落によって主人を失った万物の嘆きも解放される時であり、長い間別れていた父母と子女が再び出会い、これ以上涙のない新らしき天と新しき地が成し遂げられる時であり、霊界と地上が一つに通じ、地上と天上に神様の国が成就する時代です。 生きていらっしゃる神様の直接主管が、全般、全能の権勢として現れる時代です。さらに東西両洋全体が、天地父母を中心に「一人の神様のもとに一つの宇宙」として地球星大家族主義の世界が実現される時です。 これは、聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就される、成約時代の完成を意味します。 今、時が来ました! アメリカが再び目覚めるべき時が来ました。第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を取り戻すべき時です。そうして離れようとされる神様を再びお迎えしなければなりません。 六千年間も準備して訪ねてこられた神様が、アメリカを離れられたら、どこに行きますか。神様さえ正しくお迎えすれば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は自動的に解決されます。五色人種が一つに相まみえて生きていくアメリカは、地上天国のモデルなのです。 この時、私たちみんなが一致団結して、人類が進むべき道を開かなければなりません。長子の国であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様の前に導く先導者的な使命を完成すべき時です。この歴史的な課業を完遂するために、共に同参してくださるようお願いいたします。 もう一度この場を訪ねてくださった皆様に、深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新たな千年王国が始まることを願いつつ、話を終えようと思います。 皆様の家庭と国に神様の祝福が共にあらんことを願います。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.22
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第三十三回「真の神の日」敬礼式後の御言第三十三回「真の神の日」の敬礼式が、二〇〇〇年一月一日午前七時より、米国・ニューヨーカー・ホテルのグランドポールルームで行われました。敬礼式後、真の父母様が韓国語で御言を語られました。 天上世界と地上世界が統一された位置で「家庭盟誓」を唱和する 統一教会の祝福家庭には、「家庭盟誓」があります。皆さんがこれを唱和する時、ただ何気なく、毎日習慣的に唱和するのではなく、天上世界と地上世界が統一された位置で唱和しなければなりません。 一番目は何ですか?。私たちの家庭は?。一緒に大きな声で言ってみてください。私たちの家庭は (「私たちの家庭は」)。真の愛を中心として (「真の愛を中心として」)。本郷の地を求め (「本郷の地を求め」)。本然の (「本然の」)。創造理想である (「創造理想である」)。地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します (「地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」)。私たちの家庭において、この責任が重要だというのです。 神様の創造理想は、天上と地上を統一しなければなりません。統一して創建し、一つにしなければならない責任が私たちにあるのです。そのような誓いをしているのです。それを、自分の八十年の生涯で、すべてなせると思いますか?。できません。人類の先祖であるアダム・エバが堕落していなかったならば、その時に、このことがすべて成し遂げられていたのです。 その時、神様の息子・娘の立場に立っていれば、創造理想を再創造する必要はありませんでした。そのまま地上天上天国を完成し得るすべてのことを失ってしまったので、人類の先祖と共に、このことをなさなければならないのです。自分たちだけではできないのです。真のご父母様と天の父母が一つとなり、すべての蕩減過程を乗り越えることのできる位置に入り、祝福を受け、「家庭盟誓」をもったということは驚くべき事実です。そのことを知らなければなりません。 何ですか? 「家庭盟誓」です。盟誓というものは、それに一点一画でも背くことはできません。あなたたちが背けば、すぐに引っかかります。霊界に入っていく時、問題となります。拡大鏡があり、自分たちがどのように暮らしてきたのか、それが足の先から頭のてっぺんまですべて、白昼のもとで透き通って見えるようになるのです。 そのような基準に立つべき自分自身が、そうなれなかった場合、引っかかったその暗闇自体が影となるのです。そのような影が残れば、神様から遠く離れた影の残る位置に立たなければなりません。ですから、夫と妻は、一心一体にならなければなりません。 創造の原則は正分合作用 皆さん、創造の原則は何ですか?。正分合作用です。共産党は、正反合作用です。反対です。神様の真の愛が実体から分かれ、アダム・エバが生まれたのです。アダム・エバが生まれた目的は何かというと、大きい愛を受けるためです。衝撃的で、刺激的な愛を受けるために分かれたのです。 皆さん自身を見ても、個々人、愛をもっています。愛の性稟をもっています。愛をもっているというのです。生命をもち、血統をもち、良心をもっています。しかし、皆さん自身がもっているこれらのものは見えません。見えないのです。どのようにしても見えず、感じることができません。愛を一人で感じることができますか?。生命というものは、「男性の生命体だ」「女性の生命体だ」「私の生命体だ」と、生命が一人で、主体的な何かをもって現れることはできません。必ず、相対が現れなければならないのです。 それゆえ、一人でいれば、心と体が一つになっているので、感じることができません。心と体が一つになっていれば、感じることができないのです。皆さん、瞬きをし、呼吸をし、脈を打つこと、それを一日何度くらい数えたり、感じたりしますか?。できません。一つになっているので、感じることはできません。 「一つになっていて感じられない」という立場は、神様も同じです。神様は、愛の主体、生命の主体、血統の主体、良心の主体として、一人でいるのです。一人の位置で心と体がバランスをとっているので、感じることができないのです。ぴたっと中心になっているのです。 神様ご自身が、愛がどのようなものであり、生命がどのようなものであり、血統がどのようなものであるのか、そのすべてを感じることのできるものが何かというと、愛でもなく、生命でもなく、血統だというのです。皆さん、血統は生きているのです。血統は永遠に死にません。アダム・エバから今まで、数千代、数万代にわたり、私たち自身はその血統に連結されているので、その血統は生きているというのです。千年、万年、億万年、生き残る血統なのです。 ですから、血統が存在することによって、本然の愛と関係を結ぶことができ、本然の父母の生命体と因縁をもつことができ、そして、自分を中心として永遠なる後代の子孫と因縁を結ぶことができるのです。 自分がもっているこの血統は、一代でなくなるのではありません。根から、ずっと永遠に続くのです。血統は永遠に続きますが、皆さんの愛は一代、一代、違うのです。父母の愛、祖父母の愛、数千代前の先祖の愛、今日、地上にいる横的な数多くの家庭の夫婦の愛、後代の子孫、万代、億千万代の後孫の愛……。愛というものは、一段階、一世、一世に分かれているのです。これを一つに結ぶことができるものが何かといえば、動脈・静脈と同様の立場にある血統だというのです。分かりますか? 堕落の問題とは、愛を失ってしまったこと、父母の生命体すべてで失敗したことです。それも恨めしいことですが、それが問題ではないというのです。以前に過ちを犯し、過ったことを後で修正するということが蕩減復帰ですが、そのようなもの(愛を失った恨み、生命体で失敗した恨み)は問題視しないというのです。その一番の問題が何かというと、血統だというのです。分かりますか? 血統は垂直に降りてくるものです。神様は縦的な父母であり、地上の人類始祖は横的な父母です。九〇度です。九〇度になる焦点があり、これが一つにならなければなりません。一つになろうとすれば、すべてのものは正分合作用によって三段階で発展します。私個人は、神様から分かれて出てきました。神様を中心として見れば分かれているのです。男性の中にも女性性稟が、女性の中にも男性性稟があります。正から分かれて一つになるのです。 心と体が一つにならなければなりません。一つになるのは、何によって一つになるのかというと、それは真の愛です。愛だけが、心と体を統一させることができるのです。それ以外のものではできません。 体を、世の中のすべてのダイヤモンドで美しく装ったとしても、心の中を統一することはできません。心の世界の華麗な神様の栄光と全権を相続したとしても、それが絶対的に心と体を一つにすることはできません。心と体を一つにするのは、真の愛です。神様の愛なのです。分かりますか? 一人でいれば感じることができないのですが、対象の立場に立つことによって、神様の性稟を感じることができるのです。神様の性稟です。男性なら男性、女性なら女性、個々人の人格を中心としたその性稟と神様が水平になり、バランスがとれているので感じることができませんが、相対圏が出てくることによって強く感じるのです。このような心と体の一体圏が、正分合の一番目です。 それゆえ、心と体が絶対的に一つになっていない人は、天国に行くことができません。真の愛は、水平においての中心の位置、全体存在世界の中心の位置を突き破ることができるのです。縦的です。軸だというのです。軸をつくるものは真の愛しかありません。 ですから、ここにおいて私個人を中心として、一心、一つの心にならなければなりません。一つの心です。何を中心としてですか?。愛を中心としてです。縦横の私自体も、愛を中心として九〇度にならなければなりません。 こうして心と体が一つになり、日常生活から永遠な生活にまでも合わせることができるようにならなければなりません。モデル型としてです。九〇度に合わせなければなりません。それが何によって一つになるのかというと、真の愛だというのです。 ですから、一つの性相と形状的個体が全体に展開して分かれ、神様を中心とした二番目の結実が女性です。そして、三番目の結実が夫婦です。四位基台形態をなして完成した男性、完成した女性です。正分合によって一体となることのできる、そのような男性と女性が一つになるのです。 個体完成した人が夫婦として一つになるのです。これが、天地合徳(天と地が一つになるという意味)です。天の国と地上の国の合徳、東洋と西洋の合徳、前半球と後半球の合徳です。そのような球形体を成し遂げるためです。 これは水平になるので、天的な真の愛が天から降りてくるのです。垂直です。分かりますか?。これは個人的な垂直完成です。夫婦の垂直完成は、男性と女性の家庭を中心として頂上から降りてきて一つになった位置で、四位基台形態を中心として子女を生むのです。これが種になるのです。モデルです。このモデル形態を中心として結実するために、ここから子女が出てくるのです。 子女というものは何ですか?。神様は、この地上に存続するすべてのものを歴史的に感じることができませんでした。それは、一つになっているので感じることができませんでした。しかし、このようなアダムをつくることによって、見えない無形の神様が実体の神様として現れる時までの、神様が育ってきたその事実を、実体として感じることができるのです。それがアダム・エバだというのです。 無形の神様は、霊界に行っても見えません。無形の存在が相対的実体圏として現れたならば、そこには喜びがあるのです。神様にも、幼い少女時代があったのです。皆さんも自分の少年時代の写真を見ると、喜びがあるでしょう。衝撃を受けるのです。「あ、これはかわいい」と、キスまでしたくなります。 神様が過去に、見ることができず、感じることができなかったことを、このように感じることができるのです。愛が停止して感じることができなかったのに、(アダム・エバが)神様自体の実体対象となって現れることにより、「わ」と、揺れ動くのです。それがアダム・エバをつくった目的です。 男性と女性を一つにするのは真の愛 それと同じように、結実した男性と女性は、神様の分かれた性稟が一つになり、相対的立場で、水平でぶつかることによって一つになるのです。こうして一つになる力は、男性がいた位置、女性がいた位置を越え、一つになり入っていくのです。 一つにならなければならないのですが、男性と女性が全く同じであるならば、これは対立するのです。力も同じならば、ぴたっと対立してしまうのです。それゆえ、男性が主体なので中心に立ち、弱い女性がその周囲を回るのです。そのようにして一つになり、水平の世界をなしていくのです。そのことを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 では、本性的にみるとき、男性と女性を一つにするものが何かといえば、それは真の愛です 神様の愛です。横的に伸びていく愛であると同時に、垂直に降りてくる神様の愛を中心として一つになるのです。神様が祝福するようになれば、真の愛の主人は神様なので、だれが相対的に喜びを感じるでしょうか?。横的な夫婦が感じるのです。天地合徳です。 男性と女性というものは、この世界で言えば、プラスの世界とマイナスの世界と同じです。また、無形世界と実体世界です。これを一つにするのは真の愛しかありません。そこでは、政治的力、知識の力、経済力というものは、全く無力です。一つにすることはできません。お金で一つになろうとする世界は滅びます。力で一つになろうとする世界は滅びます。また、知識で一つになろうとする世界は滅びるのです。 本当に愛する相対は、億千万のお金をもらっても取り替えることはできません。そうですか、そうではないですか?。真の愛がそうだというのです。それから、力で強制してもできません。強制では、千年、万年、回ることはできません。強制ですれば、点を中心として永遠に回転することはできないのです。強制ですれば、回りながら、どこかにいって壊れてしまいます。この宇宙から追放されるのです。 知識をもった人は、すべてを競争と考え比較します。知識には比較能力があるのです。知識には内外の内訳をすべて比較して、重い、軽い、ということを測定する能力があるので、知識では絶対に定着することができません。比較して少しでも高ければ、自分が上に行こうと考えるのです。 世界的な学者たちでも、今新しく発見された一つの単語を先に知っている人が、世界で最高なのです。「自分が一番だ」と考えるのです。知識は、頂上を占めるための道具となっているのです。それでは統一できません。 また、一つにし得るものは、政治の力でもありません。分かりますか?。今まで神様は、政治を通して世界を一つにしようとはしませんでした。この世の中の政治が、すべてを滅ぼしてきたのです。また、今まで神様は、お金で世界を一つにしようとはしませんでした。お金で愛を買うことはできません。お金で、知識で、愛を買うことはできないのです。 このような原則的基準から見るとき、真の愛よりもお金、真の愛よりも力、真の愛よりも知識を重要視し、求めていく人は、脱落の祭壇に上がり、地獄行きだというのです。これを踏み越えて、この政治の力を踏み越えて、情(愛)の政治をしなければなりません。政治とは、自分の利益のためにするものではありません。全体のためのものであり、神様の力の作用の比準に合わせた全体のための力なのです。 知識を得れば、神様のように自分が兄となり、知らない人を指導しなければならないのですが、今日の堕落した世界では、一つでもより多く知っているということで支配しようとするのです。それは、すべて邪悪な悪魔であり、天地大道の理想圏を破壊する邪悪な者たちです。この邪悪な者たちを撃破しなければなりません。命とお金を取り替えることはできません。愛を、お金、力、知識と取り替えることはできません。 今、女性解放時代が来て、今から大学出身の女性が多くなるのです。女性を貴く思う時代が来れば、世の中がよこしまな世の中になります。今までは、男性第一主義で来ましたが、女性を重要視するので、学校でも女性が多くなります。女性の値打ちが上がるのです。女性を重要視する時になれば、修士や博士の女性が多くなるのです。 女性は神様の前を歩くことはできません。罪を犯したからです。終わりの日に(この世を)滅ぼすフリーセックス、ホモ、レズビアンは、だれがするのかというと、男性よりも女性なのです。愛の志操を守れないのは、男性よりも女性なのです。 女性に対して、十回押して倒れない者はいないと言うでしょう。韓国の格言です。十回押して倒れない木はないとは、堕落したエバの後裔なので倒れるようになっているということです。それは力で征服することができます。力を誇って征服することができ、それからお金で征服することができ、知識で征服することができるのです。 真の愛で征服しなければなりません。お金を越えて絶対従順な女性、力を自由自在に乗り越えることのできる女性、知識を自由自在に乗り越えることのできる真の愛をもった女性は、何人いますか?。堕落した世界には一人もいません。種がありません。 女性を中心として見る時、妹になり得る種を失ってしまい、姉になり得る種も失ってしまい、妻になり得る種も失ってしまい、母となり得る種も失ってしまい、おばあさんになり得る種、女王になり得る種も失ってしまいました。だれがその種を失うようにしたのですか?。女性です。(「アーメン」)。男性と女性です。それも「アーメン」と言わなければなりません。女性のゆえに、すべて「アーメン」なのです。このような女性は滅びる運命です。 朴普煕 (「はい」)。私たちは舞踊団をつくっていますが、女性はみな化粧をしているでしょう。(「はい」)。化粧はだれがしてあげるのですか? (「各自がします」)。しかし、「手伝ってあげなさい」と言えば、女性は男性に化粧をしてあげたくなり、男性は女性に化粧をしてあげたがるのです。そのようにすれば問題が起きます。きれいに唇を塗れば、男性も女性も「唇を合わせたい」と思うでしょうか、思わないでしょうか? 「このように美しく、花の香りがするものと一度キスしてみたい」と、問題が起きるのです。 ですから、統一教会の舞踊団では、女性には女性が化粧してあげなさい。男性には男性がするのです。絶対に、交代して化粧してはならないのです。踊りを踊る時は、仕方なく体が触れ合いますが、普段は手をつなぐことはできません。「自分の相対とのみ手をつなぐ」と考え、心がわくわくし、胸がどきどきしてはいけません。初愛の電線が切れていれば、いくらキスしても通じません。しかし、連結されていれば、少しでも触れればスパークするのです。雷が落ちます。 以前、私が自然の結婚式の話をしたでしょう。天地に雲が生じるのは、人間世界のすべての存在が結婚式をするその代表です。愛する時、声を出すでしょう。猫は「ニャオン」、ネズミは天井で「チュー、チュー」と大騒ぎします。愛すれば声を出すのです。 それから、二人は喜び、目を閉じ、愛の光が天地を振動させるのです。そして、「私はなくなります。その力が世界に伸びていき、全世界に、神様の真の愛の圏の中心に花を咲かせ、刺繍するようにしてください」と、祈祷するのです。このように願うのです。それが愛の位置なのです。では、男性と女性は愛する時、声を出しますか、出しませんか?。鳩も「クククク」と言います。一度言ってみてください? (「クククク」)。九×九は八十一です。これはサタン数です。「再出発の王だ」、これが八十一です。分かりますか? 「クク、クク」。それはサタンです。これは八十一です。掛ければ拡張する以上なので、解放圏が展開するのです。それゆえ、一九九九年に「九・九節」があったのです。「三・十節」とは何かというと、旧約時代完成、新約時代完成、それから成約時代完成です。今まで縦的な三段階の祭物を捧げてきた歴史を、「九・九節」と「三・十節」で横的に捧げたので、サタン世界は終わるというのです。 一数、二数、三数、一数は神様の数ですが、二数圏をサタンが占領してしまいました。一数、二数、三数、四数……、すべて神様の数になったのです。数理的原理原則を通して創造された被造世界の主人が、神様です。数理的原則を知り得ない者は、この世界の主人になることはできません。サタンには、この自然が唾を吐いてしまいます。このように解放時代をつくったのです。 神様の命令なしに行ったことは一つもない 男性も、女性も、なぜ結婚するのですか?。男性も半分であり、女性も半分です。これが一つにならなければなりません。一人で暮らす女は滅びるのです。愛の主人はだれですか?。愛の器官の主人は自分ではありません。女性には、自分のものが一つもありません。胸とお尻が大きいのは、だれのためですか?。赤ん坊のためです。 統一教会の女性たちには、悪口を言われ、地獄に引かれていく者がたくさんいます。自分勝手にする者。今から、先生と離別です。生き別れるのです。別れる時が来たというのです。今回の八十歳の誕生日を過ぎれば、全員故郷を離れなければなりません。先生が助けてあげていることを、すべて切ってしまわなければなりません。あなたたちの思い通りに生きてみなさい 先生は、世の中の人々にすべての面で勝ちました。個人的に勝ち、家庭、氏族、民族、国家、世界的に勝ちました。仕事をするうえでも、農村に行けば農村のチャンピオンであり、海に行けば漁夫のチャンピオンであり、学界に行っては学界のチャンピオンであり、宗教界に行っては宗教界のチャンピオンであり、政治、経済、すべてにおいてチャンピオンです。 そのような父の言うことを聞かない者たちは、そのままにしておくことはできません。さっさと整理するのです。天地すべてが呪うのです。呪われないために、八十歳以降、全員出発しなければなりません。 私は以前に勧告しました。あなたたち統一教会の人々はお父様の後を歩んできたので、労働者の時は労働者の生活をしなければならず、漁夫の時は漁夫とならなければならず、監獄に行ったならば、監獄に行く悲しみも感じることができなければなりません。子女は父母の血統を受け継ぐのです。その父母の血統の中には、歴史過程の血統がすべて含まれているのです。曲がりくねった道を三代をかけて一つにしてこそ、垂直になるということを知らなければなりません。三代が一つにならなければなりません。ですから、神様の愛とは何かというと、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛という三大愛が一致し、一つの核を中心として結束するものが神様の愛だというのです。 この中で日本人は手を挙げなさい。西洋の人、手を挙げなさい。何のことか、分かりますか?。すべて焦点を合わせなければなりません。言葉が分からないのに、どのようにして焦点を合わせるのですか?。言葉は一つにならなければなりません。 神様が使う愛の標準語は、どの言葉ですか?。考えてみましたか?。それは真のご父母様が使う言葉です。違いますか、違いませんか? (「正しいです」)。尋ねた先生が間違えば、激しく攻撃しなさいというのです。先生が間違ったことが何かありますか?。神様の命令なしに行ったことは一つもありません。 病人が死んでいくので、ハンセン病にかかった人を治療しようとして、自分がハンセン病にかかり、その自分を通して治療方法を探し出す、ということもしたのです。何のことか分かりますか? 「ハンセン病を治すために千万種類の調査と千種類の鑑定を行い、そのもとでハンセン病の根源を知り、このように治した」。こうしたためにハンセン病にかかり、ハンセン病患者になったからといって、「こいつ。おまえは地獄に行け」と言うでしょうか? 「おまえは地獄にいる人ではない。天国に行かなければならない。その汚れを私が洗ってあげ、絹のおくるみで包み、天の国の宝として立てるであろう」と言うというのです。 「家庭盟誓」です。「家庭盟誓」で始まったでしょう。(「はい」)。再創造歴史は、ただそのまま再創造されるのではありません。復帰は、ただそのまま復帰するのではありません。蕩減復帰です。直系の子女も蕩減復帰です。あなたたちも、ただで得てはいけません。統一教会の血肉を中心として、先生の血肉を削って得たすべてのもの、宝、ダイヤモンド、天下を与えても用いることができないものを用いるためには、相対的苦労の価値を備えなければなりません。分かりましたか?。この者たち 荷物をまとめて一度思い通りに生きてみなさい。今はそのような時です。今では、先生の御旨はすべて成し遂げられました。先生は優れた男性です。愚かな男性ですか、優れた男性ですか? (「優れた男性です」)。女性という女性は、西洋の女性でも東洋の女性でも、先生と結婚したくないという人に、一人も会ったことがありません。八十歳の老人でも、今「結婚する」と言えば、「先生が八十歳でも私はお嫁に行く」という女性がたくさんいるのです。(笑) 負債を負うにもほどがある 「家庭盟誓」の第一は何ですか?。本郷の地を求め……。本郷の地を失ってしまいました。故郷を失い、本郷の祖国がありません。国のない者たちです。米国に来ても、市民権がなければ、犬の糞のような扱いを受けます。故郷がなく、祖国を失ってしまったかわいそうな群れは、すべて地獄の居間に引かれていくのです。そのことを知らずに暮らしています。 皆さんの故郷はどこですか?。霊界だということができますか?。地球です。地上で生まれたのです。そのような観念から、米国やどこどこの国、このぼろぼろの服のような国は、すべて滅びるのです。すべて滅びるというのです。世界の主人がいません。 自分の息子・娘を主管することのできる父母がいないのであり、妻を主管する夫がいないのであり、夫を愛で抱くことのできる女性がいないのであり、息子・娘も自分の息子・娘ではありません。どこからかもらってきた息子・娘です。神様はそのような息子・娘を、自分の息子・娘よりももっと愛したというのです。サタンがそこに屈服するのです。 統一教会の行く道は、カインを自分の息子・娘よりももっと誇り、自分の妻よりも世の中にいる女性をもっと尊重視するのです。それが神様の教えです。家庭を復帰し、再び入っていくためです。蕩減するためなのです。罪を犯したために、蕩減しなければ進むことができないのです。蕩減法を適用して上がっていくのが、統一教会の文先生が行った道だというのです。その公式的な原理が、個人的公式、家庭的公式、氏族、民族、すべてが一つの線に連結されているのです。真の愛の道だけが、一つの道となるのです。 お金の線はこちらに行き、知識の線はあちらに行き、権力の線はこちらに行き、自分勝手にあちらこちらに向かっていますが、真の愛の道は直行です。永遠に直行です。太陽の光が間違いなく二十四時間後には再び帰ってくるのと同じように、日が沈む姿も同じです。千年、万年、ずれることがありません。そのような直行的な行路、原則的な行路がないので、人間は千態万象なのです。 これを一つにするために苦労してきた先生です。真のご父母様です。真のご父母様を引きずり、荒れる大海を越えていかなければならず、次に泰山を越えていかなければならず、無限なる世界の曲折、迫害のわなの峠を埋めて、また埋めながら、これを平地にしてきたという事実を、天地のだれも知りません。先生が何をしているのか、あなたたちも分からないのです。この者たち、負債を負うにもほどがあります。 そのことをよく理解し、全員で一章を一度読んでみなさい。(「私たちの家庭は真の愛を中心として」)。真の愛を中心として (「本郷の地を求め」)。本郷の地を求め、本郷の地を失ってしまいました。求めて何ですか? (「本然の創造理想である」)。本然の創造理想を破壊したのです。本然の原則的基準を破壊したというのです。(「地上天国と天上天国を創建することを」)。地上天国と天上天国をつくることを失ってしまったので、私たちがそこに入っていき、完成ではありません。完成する材料がありません。創建するのです(「アーメン」)。 二番目は何ですか?。真の愛を中心として、神様と真のご父母様に侍り……。侍るということにおいて、自分勝手にするのではありません。この者たち。今まで自分勝手に生きてきました。体をばらばらにしてはげ鷲の餌にしなさいと命令があれば、私はそのようにします。怨讐の中の最高の怨讐の息子を、最高に愛する位置に立てることはできない、というのが(本来の)天理です。それは理論的に間違いありません。しかし、今はそのような道を行かなくてよいのです。 今日の祝福は、霊界の怨讐を中心として行っているのです。聖人と殺人魔は怨讐です。聖人の息子と、スターリン、ヒットラーの息子・娘とを結婚させました。国境が怨讐なので、国境を中心として交差結婚すれば、平和な世界が来るのです。 そのような父の御旨をなしてきたのですが、自分勝手に、自分の思い通りに消化し、踏みにじっているのです。私は、みっともない者は見たくはありません。こん棒で足を切って、はげ鷲の餌にする。そのような先生の性格を知らず、自分勝手に動いている者たち。私の目で見たくありません。思い通りにしてみなさい。 あなたたちも同じです。先生の子女が過ったことを天法によって治め、それを第一号として、その通りに行うので、第二号、第三号は問題ありません。それゆえ、八十歳になる今年を中心として、先生と皆さんは分かれます。今年を中心として清算する期間です。これが九七年からの三年です。九七、九八、九九、二〇〇〇年です。十です。ここから、四、五、六、七です。二〇〇三年までに、私たちはすべてのことを終えなければなりません。分かりますか?。青少年純潔運動で結ばれた者たちも、三年後までには、すべて祝福してあげなければなりません。 今、そのようなことをしているのです。エデンの園に帰ってきたので、マッチング運動です。世界のいかなる息子・娘もマッチングされ、三分の一も「嫌だ」とは言いません。これを三年後までにすべて終えれば、先生一代で、すべてのことを清算できるのです。先生がどのくらい生きるのか、皆さん、考えてみなさい。この地上に長く生きていたくありません。 第二は何ですか?。真のご父母様に侍り (「天宙の代表的家庭となり」)。代表的です。頂上です。こうして見ても頂上であり、こうして三六〇度回りながら見ても、一つの頂上なのです。一つしかないのです。そのような位置で代表的家庭となり、それがそのままそのように上がっていくのではありません。中心があるのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を代表して、逆さまに立つのです。逆さまに立てるものが代表なのです。代表的家庭であり、それから何ですか? (「中心的家庭となって」)。中心的家庭です。 ここに行き勝利し、神様の前に、頂上に上がっていき相続を受け、「おまえは私の息子・娘だ。万歳。堕落したすべてのものを清算し、解放圏に立ったのだ」と、こうならなければなりません。 そのようになれば、その次にはそのまま降りてくるのです。世界の代表であり、国家の代表、氏族の代表であり、民族の代表、家庭の代表であり、個人、夫婦の代表の位置に来るようになるのです。代表的家庭が中心的家庭となり、それから家庭では? (「孝子」)。どのような家庭ですか?。神様に侍る家庭です。 神様の前に孝子がいません。孝子となり、それから何ですか?。神様の国がありません。今に国を復帰する時が来るのです。国の前に忠臣となり、天の前に世界がありません。家庭と国を連結し、世界には祝福家庭が広がっています。天地に満ちあふれているのです。 今では家庭を引っ繰り返して打ち込んだので、家庭さえ復帰しておけば、国は考えなくてもよいのです。国は、どこに行っても立てることができます。何のことか、分かりますか? (「はい」)。 「文総裁はお金がたくさんある」といううわさがたちました。済州島の何倍にもなる島国を一つ買い、「統一教会の全信徒、大移動」とすれば、国は一瞬のうちにつくることができるのです。つくることができるでしょうか、できないでしょうか? (「できます」)。「大移動の準備をしなさい」と言いましたか、言っていませんか? (「言いました」)。 全員、ジャルジン四十日修練です。ジャルジン四十日修を行う修練所の名前は何ですか?。世界平和統一家庭連合、何ですか? (「教育本部です」)。どのような教育ですか?。祝福家庭を教育するのです。 天上世界、霊界を代表した者たちとこの地上の人々を祝福しました。祝福した霊界の先祖たちは、カイン的立場です。サタン側である左をすべて満たし、真のご父母様を中心として、「四・四節」を中心として右と左を一つにし、すべての祝福家庭が四位基台となり、真のご父母様と写真を撮ることのできる時となったのです。 あなたたちの家はどこですか?。あなたたちの父母はだれですか?。今まで自分がこの世の中の大将や大統領であったとしても、それはおしめにしかなりません。それをすべて片付けて、「私たちの父母は真の父母しかいない」と、ならなければなりません。 初めて、先生が写真を撮ってあげるのです。あなたたちがいくら不足で、病気であっても、写真を撮ってあげたので、神様の血族圏内に入っていくことのできる権限が与えられるのです。 だれでも写真を撮ってあげるのではありません。真のご父母様と写真を撮りたくない人は手を挙げなさい。一人もいませんね。撮りたい人、手を挙げなさい。わわわわ、見たくありません。資格があって手を挙げるのならよいのですが……。警告します。 統一教会は血統を中心とする 家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を完成できなかったことが、イエス様の恨であり、真のご父母様の恨であり、神様の恨であり、イスラエル選民の恨であり、宗教圏にいるすべての人々の恨であり、良心的な人々の恨なのです。 それゆえ、今の時は、宗教を信じ、真の愛を中心として生きようという人々と良心的な人々が動員されなければなりません。「労働者、農民は動員されなければならない」と言っていましたが、すべて崩れていきました。 今までは、頭にあたる知識者、次に、力のある者が出世しました。次に、腹で出世する腹の時代が来ました。マフィアを中心として腹でやるのです。分かりますか?。そして次に、手足の時代が来ました。この手足が、労働者と農民の時代です。このようにみな出世したのですが、良心的な人々と宗教圏の人々は、今まで一度も出世できませんでした。 ですから、良心的な人々と宗教圏の人々が動員されなければなりません。天下に統一の主人が来て、その方の両手両足と一つになって天地の大中心となり、一回りぐるっと回れば、天上世界、地上世界が、完全に球形的統一理想世界になるのです。ノーメンですか、アーメンですか? (「アーメン」)。 私たちの故郷はどこにありますか?。故郷がありません。ですから、先々週の聖日に先生が総評してあげました。私たちの故郷がどこかといえば、地球です。モーセは四十年の荒野を経て、イスラエルを中心として故郷と国を復帰するための道を歩んでいきましたが、今日の文先生を中心とした統一教会は血統を中心とするのです。血統が中心です。 宗教圏の理想は何かというと、結婚を誤ることによって、過去の血統、現在の血統、未来の血統が直行することのできる血統的伝統を失ってしまい、反対にサタンの血統を受け継いでしまったので、これを切って元返し完成させ、万民を神様の血統に接ぎ木することなのです。 そのような神様の血統的関係をつくるために、再び祝福し、再び愛の伝統を立て、新しい血統、神様と真のご父母様の血統に結ばれた者が、祝福家庭だというのです。そのことを知らなければなりません。祝福家庭、分かりますか?。どれほど貴いでしょうか。 先生は監獄に六回も入りました。あなたたち夫婦が(信仰ゆえに)一度ずつ、三年間、七年間放り込まれても、お互いに「監獄を避けていこう」と思ってはなりません。「行く」と思わなければなりません。だれもがその道に従っていかなければなりません。 復帰の道は開拓していく道であり、原理の道はそのまま従っていくのです。復帰の道は知ることができず、神様も教えてくれません。神様も(先生を)利用してしまうのです。訪ね求めていく道です。先生がこの道を探し出すために、どれほど苦労したか知っていますか? 涙のかわく日がないほど身もだえし、ありとあらゆる闘争歴史を経て、神様の千年の恨を解放し、囚われの身の神様を解放して、天上世界と人間、サタン世界においては個人と家庭、このように分かれていたものをすべて連結し、サタンがついてくることができないほどに、あの北極にまで広がって大きくなり、中央部まで占領したのです。 祝福がどれほど貴いものであるか分かっていない 真のご父母様の名を知らずに霊界に行けば、いる所がありません。そのことを知らなければなりません。地獄にも行くことができません。地獄はなくなりました。先生の手中に……。神様とサタンを和解させたのは先生です。 「神様、あなたの創造理想はこのようなものではなかったのですか?」「そうだ」「アダム・エバがこのようになって、すべての天地の大王の身である神様も……。神様も、愛の相対は何千万倍、立派であることを願われましたか?」「そうだ」 「それと同じように、神様ご自身が天地を創造した主人ですが、愛の相対は自分よりも何千万倍、立派であることを願うということが、御旨の本質的な要求だったではないですか?。しかし、堕落により血統が転換することによって、このすべてを失ってしまったのではないですか?。真のご父母様が血統を復帰する時までは、理想の全権行使を中心として、世の中と霊界のすべてを元返して打ち込み、神様が思い通りに治めることのできる権限がありますか、ありませんか?。原則が明確になったので、その原則に符合しない偽りのものは、すべて除去します。これでオーケー」。何がオーケーなのですか?。除去がオーケーなのです。 そして、サタン世界に「おい、おまえ、真の愛の道理がこのようなものであるということが分かったか?。神様の孝子の道理がこうで、国の忠臣の道理がこうで、世界の聖人の道理がこうで、天上世界の聖人の道理と聖子の道理がこうなのだが、おまえは、そのどこか一部分でも足を踏み入れることができるか?。こいつ。おまえの心に、神様の愛のために生きる、という血統が通じているのか?。血が途絶えているのか?。そのような行動をしてみたのか?。こいつ。していないだろう。していないのだから、この天理の大道の原則を中心として、為に生きる愛の全体圏……。きょう話した愛の執権内に、サタンはいることはできないではないか?」「そうだ」 そこで生きようとしても苦しいのです。小学校しか出ていない者が、どこかの博士の所に行き、威厳をもって威信を立てることはできません。一言言っても恥ずかしいのです。見える行動一つが恥ずかしく、万事が恥ずかしいのです。はっきりと知らなければなりません。先生が行く天国に、むやみやたらにだれでも行くことができるのではありません。 それで、「おい、サタン。このような勝利的な基盤を築き、神様を安息させた主人の前におまえも順応するのか?。本来、創造の愛の代表である神様の愛の相対は、何千万倍、立派であることを願うのが愛の道理の原則である。そのような王子が現れたのだが、反対するのか、順応するのか?。神様が順応するのだから、もともと神様に順応すべきおまえは、百回、千回順応することが原則ではないのか、こいつ」と、腹を蹴って死んだとしても、「そうです」と言わせることのできる位置に立ってこそ、サタンが屈服するのです。ルーシェルが屈服しましたか、していませんか?。昨年三月二十一日にサタンが降伏しました。 主と真のご父母様の名によって、万民を代表した統一教会の祝福家庭の名で、勝利した覇権を握っているのです。サタン世界、いくらでも打ってみなさいというのです。めちゃくちゃになります。すべての霊界が押し寄せ、滅びるのです。それゆえ、先生に反対した国家や個人は、すべて滅びました。米国も滅びつつあるではないですか。仕方なく、文総裁のお尻にしがみついて、「助けてください」と言う段階に来ています。ソ連も滅びました。 では、神様とサタンの闘いを、だれが止めたのですか? (「真のご父母様です」)。真のご父母様とはだれですか?。完成したアダム・エバです。統一教会で完成したアダム・エバとは、だれですか? (「真のご父母様です」)。 そのような完成した覇権主義、愛の主体的軸を立て、縦横を中心として球形が、万世、千万年運動したとしても歪まない、完全な円になることのできる家庭形態と世界形態をつくったのです。それをだれがつくったのですか?。偽りの父母が破壊し、歪め、くちゃくちゃにしたものを、真のご父母様が現れて、刀で完全に丸くしたので、解放的地上天上天国、神様が思い通りに地上に往来するのです。 それでは、あなたたちは世話になりましたか、なりませんでしたか? (「なりました」)。世話になった代価を支払おうとすれば、一億ドル払って、個人復帰の資格を買うことができますか?。十億ドル払って、買うことができますか?。天地を与えても買うことができません。個人完成もそうなのに、夫婦完成は、何千倍、何万倍でしょうか?。地球、この宇宙を与えても買うことができません。それを買うことができるなら、神様がつくって、すぐに復帰していたのです。 この者たち。祝福がどれほど貴いものであるか、分からずにいます。今から憲法ができ、神の国を復帰する日には、少しでも過って訓読会の御言に引っかかれば、即刻、条件に引っかかります。千年の恨を中心として、その条件を解消するための道を、自分がこの地上で歩んで清算しなければならないのです。世の中では、帰ろうとすれば何周にもならないのですが、蕩減というものは何千周を行かなければならず、暗闇の世界に落ちていって苦痛を受けながら、子女たちがみな祈祷して再蕩減しなければ、水平になることはできません。とてつもない事実です。 自分勝手に「私は祝福を願っていなかったのに、先生が与えた」と言う者たちは、こなごなにして、はげ鷲の餌にしなければなりません。見ていなさい。先生から離れて、自分勝手に結婚してみなさいというのです。ちょっとやそっとの冷遇ではありません。世の中から指さされ、天地から指をさされるのです。今後、十年、五十年後に、あなたたちの二世、三世が八十歳になれば、三×八=二十四、二世紀、三世紀以内に、完全に整備されてしまうのです。 四大心情圏を蹂躙された 次に、三節は何ですか?。四大心情圏とは何ですか?。堕落することによって、子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情を失ってしまいました。四大心情圏を蹂躙されたのです。この女性、エバが手足を広げて天使長と併合することによって、神様のモデルになるべき理想的な愛の定着基地を破壊してしまったのです。 千年、万年、返しても返すことができない負債者が、なぜ、騒いでいるのですか? 複雑多様な蕩減の道を経ていくことはできません。行くことができないのです。先生は頑固で激しい人なので、来ることができたのです。一度決心すれば、天下が崩れたとしても後退しない性格なのです。それは神様が与えてくれた性格であって、私がつくった性格ではありません。その性格を恨んだときが多いのです。「この性格ゆえに、私はこのような滅びの道に入り込んだ」と思ったのです。 生涯、滅びの道を訪ねていきました。発展する道を訪ねていきましたか?。そのようにしてみると、穴を開け鉄道を敷き、十年かかって行く道を一時間に短縮したのです。掘り進んでいくと、太陽が照りつける荒野時代が来たのです。ぴたっとそのようになりました。穴を掘り、太平洋を越えていったことと同じです。そのような父母に、自分勝手に侍ってはいけません。 今からはだまっていません。今までは国を探しだすことができない私が、子女の前に、国の前に、孝子の道理、忠臣の道理を教えることができませんでした。国を中心として父母が見せてあげる生活をすることができなかったので、忍耐しているのです。見せてあげる生活ができていれば、国の忠臣が行くべき道を訓練しているのです。旗を掲げ、総出動できる時が来るのです。 今では、もう私がすべきことはなくなり、死ぬことしかありません。「死ねばよい」と思う人は手を挙げなさい。「長く生きればよい」と思う人は手を挙げなさい。全員、挙げましたね。長く生きて、何をするのですか?。先生の背中に乗って、自分がするというのではないですか? (笑) 三番は、四大心情圏です。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情を蹂躙しました。一瞬の愛の関係が、このようなとてつもない天理の大道、天上と地上を破壊してしまったのです。そのことにより、東西文化の壁が生まれ、南北の格差、貧富の格差が生まれ、そして、戦争で全体が揺れ動く世界になり、希望がなく、絶望がこの世界を覆ってしまいました。 今では、文総裁しか希望がありません。霊界に行ってみなさい。死んでみなさいというのです。最近では、それをみな知っているでしょう。霊界は、統一教会の人でぎっしりいっぱいです。霊界の人と地上の人が結婚するのです。薫淑もそうです。喜進もしてあげました。統一教会をよく信じている女性たちは、歴史的な聖人たちと祝福してあげました。崔元福の夫はだれですか?。崔元福。夫はだれですか? 三番目の報告書(李相軒先生が霊界から送ったメッセージ3)で、弟の興進が兄の孝進にお願いしています。「霊界に来てみると、これほど貴い父母であり、生前私は真のご父母様が教えてくださる御旨の内容を知ることもできず、侍ることができなかった恨があるので、お兄さんとお姉さんは、どうか生きている間に私の代わりによく侍ってくれることをお願いします。私には体がないので、そのようにしたくてもすることができません」 この息子は。今まで……。しっかりしなければなりません。 四大心情圏を蹂躙したことを、女性たちがすべて復帰しなければなりません。それゆえ、統一教会の女性たちにとって、(男性は)先生一人だけです。世界の女性たちがそのような心を中心として、一つの軸をなさなければなりません。母の位置、次に新婦の位置、次に妹の位置、次に双子の位置です。そのようなすべてのことを清算し、天上世界と地上世界に引っかからないようにしたのは先生です。そのような高速道路を築いたのです。愛の高速道路を築いておいたのです。 それゆえ、統一教会はすべて交差結婚です。日本と韓国です。国境が怨讐です。国境をおいて闘い、怨讐になったのです。国境が怨讐になったのです。国境を越えて、交差結婚しなければなりません。日本の男性は韓国の女性と、韓国の女性は日本の男性と、日本の女性は韓国の男性と、韓国の男性は日本の女性と、交差結婚しなければなりません。そのようにすれば、完全に平和の世界になるのです。 大移動 そして、大移動です。地球において大移動し、故郷を訪ねていかなければなりません。今から、父母の国、長子の国を中心として、大移動です。先生の八十歳のご聖誕日を過ぎた後に、祝福を受けた人でジャルジンの四十日修練会を受け、総生畜献納祭基金をなしたすべての人は、条件的にでも加担することができるように特許を下しました。そこに加担しない者は知りません。何のことか、分かりますか? (「はい」)。 一九九七年から二〇〇三年までには行くのです。時間まで教えてあげました。一番びりになれば、アフリカや、虎が住む洞穴の前に行って暮らすようになるのです。そこが自分の故郷になるのです。虎を育てて、乗りまわすのです。そのような不可避的な大移動が展開します。 それゆえ、五色人種が混ざるのです。韓国にも、五色人種がすべて入ってきます。祝福家庭が入ってきます。そのようになれば、反対していた家庭は、すべて追い出されるのです。それは国連を通して、世界的な神様の天理を通して決定するのです。すべてのものが平準化されます。愛の天理に従って平準化させることのできる家庭を復帰していくので、国境がありません。 愛の関係を中心として天の圏内に立っているので、サタン世界の愛の道、サタン世界の経済の道、サタン世界の知識の道、サタン世界のお金の道は、無力なのです。それらをすべて捨て、荷物をまとめて流れ者の立場になったので、天の国の家庭から国の故郷を越え、天国まで入っていかなければなりません。祖国というものは、永遠の天の国です。私たちにとって祖国とは地上ではありません。地上は故郷です。分かりますか? (「はい」)。 先生の故郷が定州ならば、そこが統一教会全食口の故郷になるのではありません。数千代の後孫として生まれたことと同じように、三千里半島、地球全体が故郷になるのです。堕落がなければ、本来の地球、統一された地球、神様のもとの一つの地球が故郷なのです。その故郷を失ってしまったので、それを復帰してくるために数千万年かかったのです。六千年ではありません。 人類文化史は、水平になっていなければならないでしょう。今まで人類の歴史を知りませんでした。文化史は宗教圏を通して生じるのです。その前は水平なので、千万年たってもゼロです。その時から、始まるのです。 堕落以降、数千万年、神様は監獄に捕らわれていました。国を失った大王陛下は、サタン世界の囚われの身となり、千万年の恨を中心として悲しみに満ち、力の権勢を振るうことが一度もできず、自分の圏を一度も立てることができずに、生きた屍のように暮らしてきた神様であったのです。 だれが、そのようにしたのですか?。アダムがそのようにしたのです。それゆえ、来られるメシヤは、その神様を解放しなければならないのです。それがメシヤの責任です。 真のご父母様は、愛の圏まで解放し、愛の居間から、国の居間、天国の王圏の居間まで案内してさしあげるべき責任をすべて完成したのです。それがアダム完成です。完成したアダムの位置です。完成したアダムが、神様まで解放し、地上世界、天上世界の解放圏をつくったので、第四次アダム圏時代が来るのです。 ここでは信仰は必要ありません。神様を絶対的に信じる必要はありません。自分の父母を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、天理の大道の原則の答えが出てきます。四大心情を蹂躙したので、復帰し、神様を王としてお迎えし、皇族にならなければなりません。分かりますか?。四大心情圏と王圏です。 王圏を中心として皇族となったすべての忠臣、烈女の直系血統、家庭から国、世界、あるいは天宙の聖子の道理を完結した理想的家庭を完成し、神様に侍り得る最後の理想家庭、終着的な目的となる、そのような家庭を私がなし、主人とならなければならないというのが、堕落したアダム・エバが行くべき宿命的な路程だったのです。そのことを知らなければなりません。(「アーメン」)。 生涯を懸けて千辛万苦の受難の道を開拓してきた 私は言葉を早く話す専門家です。夜、夢で話しても、間違わないのです。先生が五十年前に話した内容は、今教えていることよりももっと詳しい内容です。その時は、私がいつ死ぬか分かりませんでした。死ぬ前に、御言を残しておかなければならなかったのです。そのような悲しく、無念な生涯を出発したという事実を知らなければなりません。キリスト教が文総裁に反対して恥をかくようなことをしたので、旧教も衰退し、新教もすべて衰退しました。 統一教会のあなたたち自身もそうです。ありとあらゆるよこしまな者たちがたくさんいます。ろくでもない、はげ鷲の餌にもならない者たち。そのような者たちは、下水にほうり込まなければなりません。私はそのように恐ろしい人です。 そのような性格をもった人が我慢しようというのですから、どれほど大変でしょうか?。神様はもっと激しい方なのに、耐えることが、どれほど大変でしょうか?。ぶるぶる震える時が多いのです。体の節々がずきずき痛むことなど、問題にもなりません。全身の節々が、ずきずき痛むのです。我慢しようとするので、歯ぎしりをするのです。そのような道を開拓してきたということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。はっきりと知りなさいというのです。 二〇〇〇年を迎え、新しい千年を迎え、三〇〇〇年に向かって出発するこの時、三数の完成数を迎えるこの時だというのです。恥ずかしくないようにしなければなりません。三数が出発でしょう。(「はい」)。三〇〇一年です。三〇〇〇年と一年を合わせるのです。それゆえ、ここで上下がすべて合うのです。三〇〇一年、そうしてこそ、ここで合うのです。二〇〇一年ではありません。そうでしょう。横的に見れば、そうではありませんが、縦的に見れば、すべて三〇〇一年にならなければなりません。 三数は完成数なので、摂理史において、先生の八十年と二〇〇〇年を越えて三〇〇〇年に向かう出発の道に合わせるために、生涯を懸けて、千辛万苦の受難の涙の道を開拓してきたのです。そのことを知らなければなりません。きょう、私は祈祷がよくできませんでした。祈祷すれば、痛哭するのです……。それを知らなければなりません。 それできょうは、真の愛の天宙化は愛の家です。どこに行っても自分が住みたいと思い、神様をお迎えして、どこかの藁屋でも入っていき住みたいと思う、それはどれほど素晴らしいでしょうか。 世界を遊覧しながら、豊かに暮らしているのか、貧しく暮らしているのか、と訪ねていき、貧しく暮らしている人には神様と真のご父母様が現れて、慰労してあげたいと思うのが、天であり、真のご父母様の心なのです。貧しく暮らしている人に対してです。豊かに暮らしている兄弟の所にあるダイヤモンドや何かを、何としても手に入れ、与えたいと思うのが、貧しく暮らす子女をもった父母の心だということを知らなければなりません。 第八節、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放です。「解放」を外そうという、狂った者たちがいます。解放がなければ、すべて死んでしまうのです。そのような父母、地獄までも解放です。天上、地上、千万段階を平準化して解放させたということを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」)。 きょう、私はこのようなすべての誓いをしましたが、その家庭盟誓の実体になったのか、なっていないのか、そのことを空中を見ながら問うのではありません。見つめる妻に公表するのです。そのような盟誓文であることを自覚しながら唱えなければなりません。分かりましたか? (「はい」)。そのようにすると誓った人は手を挙げてください。(「アーメン」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.21
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(2000年年頭標語:真の愛の天宙化は新千年天国完成)第三十三回「真の神の日」午前零時の御言成約八年 2000年1月1日ニューヨーク市・マンハッタンセンター 祈祷 愛する天のお父様。 たった今、一九九九年を中心とした標語である「真の祝福天宙化とサタン血統根切」を中心として、新しい二〇〇〇年を迎えることによって、第四次アダム圏を、この地上における勝利的基盤のもとで、天上世界と地上世界の数億万双の祝福基盤の上に宣布することのできる勝利の摂理史と、救援摂理の終結を成し遂げることのできる六千年救援摂理史において、イスラエル民族の四千年歴史を終結し、新しく二千年を越えて千年を迎える、新千年時代を迎えました。 今から統一教会は、天と地の前に恥じることなく、全世界万民に真のご父母様の血族の因縁を中心として、天の眷属(一族)のみ名による祝祷基盤を備えた、すべての数億、数十億、数百億双の霊界と肉界のすべての同参者たちが、天地父母をお迎えして新千年を開門するこの式典に参席するようにしてくださった恩賜を、お父様、感謝いたします。 お父様。救援摂理の悲しい歴史を退けて、新しい希望に満ちた天地開闢の歴史を迎え、この地上に新天新地を、あなたの創造理想とともに新しく迎えることのできる、歴史的な新しい千年時代を迎えるようにしてくださった天のお父様の恩賜に感謝を申し上げます。真の父母のみ名を通してサタン世界の血統を根絶し、天使長ルーシェルを屈伏させ、万民の前に神様を中心とした勝利の覇権を持ち、悪なるサタンとその一族を除去することのできる「九・九節」と「三・十節」を宣布することによって、解放的天地の勝利圏をもたらしてくださった恩賜を感謝いたします。 今、新しい千年を迎える新年の、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」という標題を持ち、今、千年時代を開門しようと願っておりますので、お父様、祝福してくださることを懇切にお願い申し上げます。 天宙ということの意味は、神様を中心にすべての被造世界が一つの愛で住むことのできる家を象徴いたしますが、ごく小さな微生物から天上世界の霊たちまで、神様の真の愛を中心として安息することのできる平和の基地であり、安息の基地である地上天国の完成に向かって出発することのできる開闢、開門の時代を迎えさせてくださった恩賜を感謝いたします。 霊界にいるすべての祝福家庭、地上にいるすべての祝福家庭が真の父母と一体となり、天上の父母と一体となることによって、一つの家庭を成し、この地上に安息的個人解放、家庭解放、氏族解放、民族解放、国家解放、天宙解放圏祝福基盤を築き、神様が自主権を持たれ、自由と希望と願いを持って治めることのできる愛の主権世界を建国してくださることを懇切にお願い申し上げます。 ここに統一家の祝福家庭たちが集結しておりますので、全世界に広がっている統一教会の食口たちがここに向かって注視する、その所ごとに、お父様の愛の恩賜を施してくださり、天上世界と地上世界の恩賜を一つにして、真の愛のきずなを中心として固く結ばれた家庭的基盤の上に、解放的勝利の万々歳を叫ぶことのできる祝福を受けた家庭となるよう許諾してくださり、その先祖とその後孫が一体化して天国の民に加入する民となることができるように許諾した、この時代を迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。すべてのものが協力し、神様の喜びと栄光を中心として、解放の地上天上天国を宣布するようになったことを感謝せざるをえません。 新千年は、お父様の自主的な国家形態の世界となり、愛の万軍の主の主となられて、愛の万王の覇権王になるよう許諾してくださることを、懇切にお願い申し上げます。 この全体、小さい微生物から被造世界全体が、お父様の愛の前に和合することのできる一体圏を備え、あなたの愛の天下を主管することができるよう許諾してくださり、万民解放圏の勝利覇権を持って万物とともに天国化することのできる勝利の自由天地を迎えるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 ここに向かって決意して祈祷している、すべての天上世界、地上世界の祝福家庭と世界に広がっている後孫まで、一体となさしめてくださり、天の前に一心一体となって定着することができるよう祝福してくださることを、万世、万々世にかけて懇切にお願い申し上げ、このすべてのみ言を真のご父母様のみ名によって祝福、祝願いたします。 アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ み言 新年を迎え、皆さんが福を受けてくださるようお願いいたします。(拍手)きょうの標題は何かというと、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。その意味は何かというと、「真の愛の天宙化」とは、天と地のすべてのものは真の愛の家であるという意味です。存在世界のすべての存在は、真の愛の天宙化……。天宙というものは、神様の天の国の家です。神様がいらっしゃることのできるすべての家は、新しい千年全体の世界を通して神様の天国を完成するものになるというのです。それが題目です。 そして、皆さんが知らなければならないことは、人間生活において個人時代……。どこであっても神様の愛が永遠にとどまることのできる家は、新千年時代の天国完成が出発するのである。アーメン。 皆さん。統一教会で言う真の愛というものは、深い意義があります。一般の世界で言う愛の話とは違うのです。そのことを知らなければなりません。この世界のすべての存在、鉱物世界、植物世界、動物世界は、ペア・システムになっています。そこではすべてが、雄・雌、プラス・マイナス、主体・対象という関係でお互いが一つに結ばれているのですが、真の愛を中心として、主体も入っていって暮らしたいと思い、対象も入っていって暮らしたいと思い、男性も入っていって暮らしたいと思い、女性も入っていって暮らしたいと思うのが、愛の家なのです。 人間も万物も、すべてがペア・システムになっているということは、必ず愛という母体を中心として連結されているということです。そして、永遠に繁殖して、栄え、存続することのできる基台になっているということを、わたしたちはよく知っています。 男性であれば、男性自体を見ても心と体から成り立っています。どこからそのように生まれたのかというと、「私」というのは、父母の愛を中心として、父親と母親の生命体を連結させる血統を通して結実したものです。心が主体と対象になっているのも、主体と対象の生命を代身し、心的生命、体的生命を代身していると同時に、この二つは真の愛を中心として一体となっている一つの家であるということです。このことを考えなければなりません。 そして、そのような男性と女性は、また主体と対象となり、愛のある家でお互いに一つになるためのものである、ということを知らなければなりません。それが夫婦なのです。一つの家になるのです。それゆえに、夫人は、夫の愛の家であるというのです。夫は、夫人の愛の家なのです。 本来、縦的な神様は、正から、分、合と展開していくようになるのですが、夫婦が一つになれば、横的に一つになるので、そこには必ず神様が入ってこられて暮らし始めるということを知らなければなりません。真の愛の家であり、神様とともに暮らすことのできる家であり、妻の愛の家であり、夫の愛の家であると同時に、神様が愛される家を、家庭から生み出すことができるのです。 家庭という愛の家を中心としてこそ、神様がこの地上の家を訪ねてこられます。その家で共に暮らすことによって神様と一体となるのであり、縦的な基準は心的父母であり、横的関係は肉的父母であるというのです。それゆえに、心と体の主体と対象が一つになるところには、この愛が九十度であり、ここで一つになるようになっています。 それでは、神様はだれかというと、「男性と女性の夫婦が入っていくことのできる愛の家である」、このようになるのです。そのようにして天の国の家庭形態が生じるのです。家庭が天の国になれば、息子・娘が生まれます。 一つの家庭には、上下関係、夫婦関係、兄弟関係があります。それゆえに、神様とアダム、エバは、子女たちが入っていくことのできる愛の家であり、子女たちは神様とアダム、エバが入っていくことのできる愛の家です。上下、左右、前後を備えたのが一つの家庭なのですが、全体が主人になることのできる愛の家であったということを知らなければなりません。それが家庭的モデルなのです。 このモデル家庭が増えて氏族となり、さらに増えて民族となり、国家となり、世界となります。天の国の民全体が、一つの種に似た実のようになり、それが、天上世界と地上世界にぎっしりと満ちていけば、神様が理想とする地上天上天国になるのです。アーメン。 家庭とは、一体何でしょうか?。神様の本質的愛のモデル形態です。それでは、神様の愛とは一体何でしょうか?。父子の関係です。父母の愛、夫婦の愛、兄弟、子女の愛です。神様が、三大愛が一つになった家庭の中心になられれば、天の国に直行することのできる家庭となるのです。このことを知らなければなりません。 このような家庭を中心として氏族が展開します。皆さんの家庭一つではできません。家庭の囲いとなる氏族が必要です。「たくさんの家庭が自分の家庭を保護してくれ、わたしの家庭は氏族の保護を受けているので、氏族はわたしの家庭の愛の家だ。本家である」というようになるのです。このようなことを考えなければなりません。 それから、氏族自体は、家庭に入っていって暮らすことができ、その氏族のすべての家庭が、わたしの家に来て暮らしたいと思う、そのような愛の家を代表するのが家庭です。氏族的愛の家を代表するのが家庭なのです。 その次は、国です。国を中心としてみれば、民と国は、お互いの家庭を完全に連結した一つの同じ単一統一体として、「国は国家国民の家であり、国家国民の家は、国王がいらっしゃることのできる家である。国の家である」というようになるのです。 その次は、世界です。世界を中心として国と比較するときには、世界は国が入っていって暮らすことのできる愛の家でなければならず、いくら世界だといっても、真の世界の家が、世界のどのような家庭に入っていったとしても歓迎される国の家にならなければなりません。 その次は、世界化と天地です。天宙を中心としてみるとき、これも同様の原則によって、天宙は世界が入って暮らすことのできる愛の家にならなければならず、世界はこの天宙のすべての家庭を歓迎できる代表的家庭にならなければなりません。一つにならなければならないのです。 このすべての天宙は、神様から出発したのであり、主体である神様を中心として対象的立場に立っているので、同じ家の完成を成し、家庭や氏族、民族、国家、全体世界は、同じ公式原理で家を訪ねていって一つになっている姿であるというのです。 すべての万物もそのような家で暮らし、すべての人類も、霊界に行った人、過去にいた人、現在いる人、未来に来る人も同じようにこの愛の家を築いて、神様まで共に暮らされる立体的世界が、地上天国であり、天上天国であったというのです。アーメン。 人間を中心として、万物はきわめて小さいものだとしても、人間の心がごく小さいところに共に入っていって暮らしたいと思うので、万物を愛するということが起きるのです。 それでは、真の愛と今までわたしたちが暮らしていた世界とは、どのように違うのでしょうか?。真の愛が成した天国理想世界とわたしたちの世界とは、どのように違うのかということを、今から知らなければなりません。 堕落していない世界は、理想的世界であると同時に、だれもが喜ぶことのできる公的な世界です。堕落した世界とはどのような世界ですか?。自分を中心として大きくなっていく世界です。 いくら大きくても、自分を中心としたものは、なくなっていくのです。堕落のゆえに何を失ったのでしょうか?。神様の血統を失ってしまいました。このような本質的な面において、愛と生命が結合して血統が生じるのですが、公的な「ために生きよう。全体の前に吸収されよう」という思想を持った血統ではなく、「自分を中心として吸収させよう」という血統になったので、世界が変わってしまったのです。百八十度反対になったのが、今日の堕落した世界です。堕落したということは、原則の世界から脱線したことをいうのです。 堕落した世界に善なる人と悪なる人が暮らしています。その善なる人とは、公的な人です。小さいものであったとしても無視せず、小さいものを貴く思い、ために生きてあげることのできる主人にならなければなりません。相対世界を連結させていくために生きる存在が協力して一つになろうとする世界が、善なる世界なのです。このことを知らなければなりません。 悪なるものとはその反対です。すべてを自分が所有しようとするのです。そして、引き寄せて、横にあるものまで奪っていくので、闘いが起きるのです。引き寄せるところでも闘いが起こり、横にいる人は防御しようとするので、四方で闘いが繰り広げられるのです。 個人主義とは何でしょうか?。これは悪の中の悪なので、地獄の底に行く主義です。個人主義は、世界最高の「独裁者になろう」、「悪魔の宮殿の位置を占領しよう」、「地獄の底に行こう」という主義なのです。 イエス様のような人は、命を犠牲にして、後に心臓に槍を突き刺すローマの兵士に対してまでも、愛でために生きてあげました。それが偉大であるというのです。ローマは、イエス様を地獄に放り込もうとしましたが、イエス様はローマを天の国に連れて行こうとしたのです。 ここにいる人たちも、悪なる人なのか、善なる人なのかを、どのようにして区別すべきなのか分からずにいます。わたしの体の中で、心と体が境界線になっており、善と悪が闘っているということを知らなければなりません。 先ほどお話しした、ここがプラスならばマイナスの愛が、マイナスならプラスの愛が入ってくるのですが、悪はこれが自分の家に入ってこれないようにするのです。「わたしは、あなたの家に入っていって暮らすが、わたしの家には入れない」と言うのです。ですから、片方だけが入っていくのです。 ですから、心と体の境界線が自分自身にあるのですが、自分を中心として暮らせば地獄に行くのであり、公的な因縁を中心として暮らせば天国に行きます。心と体を見ると、どちらがより公的なのかというとき、それでも心が公的なのです。絶対に心の命令どおりに従っていけば天国に行くことができますが、それを否定して体がしようというとおりにすれば、絶対に地獄に行くようになります。アーメン。 先ほどお話ししたように、上下関係、父子の関係、夫婦関係、兄弟関係が一つの愛に統一された基盤を備えたものが家だというのですが、個人主義や自分を中心として暮らす人は、家がありません。 このような観点から見るとき、神様の家庭、神様を中心として、すべての万物と雄、雌、プラス、マイナスを備えた小さな愛の家は、大きい愛の家に入っていこうとします。そして、またそこから、さらに大きい愛の家に入っていこうとしながら、万物が連結されていくのです。何のことか、分かりますか?。小さい愛の家は、大きい愛の家に入っていって暮らそうとするということです。 皆さんは、どのように暮らしていますか?。植物を採取して食べるでしょう?。植物だけ採取して食べるのですか?。動物を捕まえて食べ、昆虫でも何でも、すべて捕まえて食べます。海の魚から、動物でも何でも、捕まえて食べるというのです。人間は、すべての存在を捕まえて食べます。 それでは、人間は最も悪い存在ですか、最も善い存在ですか?。強制して捕まえて食べるのではありません。「彼らが願って、わたしの中に入り込んできたので、飲み込んでしまった」というのです。「おまえたちがわたしのところに入ってくるのは、わたしがおまえたちを愛したので、それにさらに大きく報いるために入ってくるのだろう」と、このように言わなければなりません。 「おまえは小さいが、それでも子供を産むのを見ると、わたしが祖父母と父母と息子、娘を中心として一つになって暮らしているのと同じように、おまえたちも、小さい家庭の存在なのだな」と思いながら愛さなければなりません。そのようになれば、真なる主人の位置に立ち、真なる主人の位置に立てば、相対はそこに自動的に引かれてくるのです。 結論は簡単です。神様の家で神様が万物を愛されるように、わたしたちの家でも神様のように愛していけば、すべてを食べてもかまいません。そのようになるのです。消化してもかまわないというのです。 家では、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、息子の皆が、一緒に食事をするでしょう?。次元の低い万物一種類のおかずで食事をするとき、その万物が「わたしの一つの体を息子も食べ、父母も食べ、祖父も食べ、三代が食べて喜んでいる。このようにして体が大きくなっていくのだな」と思うのです。それは、価値で見れば、何百倍、何千倍の価値を持つようになって死んでいきます。そのようにして、小さな存在が大きくなっていくのです。 家庭を中心としては、上が神様、また過去を表し、下は未来を表すのですが、「三代を代表した天地すべてを養育することのできる祭物として、わたしがおまえたちをささげることによって、おまえたちは損害を被るのではなく、祭物の価値以上の存在として大きくなっていくので、感謝であり、栄光となる事実である」と万物に言えば、感謝するというのです。 サタンは、その反対です。一つの家庭があって、そこに八人がいれば、「八人が、おじいさんも、おばあさんもわたしの思いどおりにして、万物もわたしの思いどおりにしなければならない」と言うので、すべてが反対なのです。善なる目的のためにつくられたすべての万物は、そのような所に行くと、嫌がるのです。 個人主義、今日のヒッピー、イッピーとは何ですか?。おじいさん、おばあさんが必要なく、父母も必要なく、兄弟も必要なく、国も必要なく、「すべて必要ない」と言う人です。もし、そのような人の家に、愛する男性と女性のふたりがいたとすれば、その家に入っていこうというものは何もありません。心の世界も、そのような所は拒否します。天運に従って動くすべての万物は、被害を被るので避けていくため、そのような人たちは、貧乏人となって貧しく暮らし、自己破滅するしかありません。自己消耗にまで至るのです。 皆さん、先生が好きな人は手を挙げてください。好きなだけですか?。愛していますか? (「愛しています」)。「おい、この者たち。愛してはいけない」と言っても、愛するというのです。なぜ、愛するのですか?。味が良いのです。目の味も良く、鼻の味も良く、口の味も良く、耳の味も良く、五官の味が良いのです。服にまで、かみつきます。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。それは、わたしよりも皆さんがよく知っています。 それは、なぜそうなのですか?。愛の家だからです。白人の家にもなり、黒人の家にもなり、韓国人の家にもなり、地上の監獄にいる人の家にもなります。天上世界まで、すべての家になるというのです。 そのような人は、いくら世界が責め立てたとしても、宇宙が保護します。その人は滅びるでしょうか、発展するでしょうか?。いくらおじいさんが反対したとしても、孫の代になれば、「そこに行ってこそ間違いなく生きる」と思うのです。「統一教会は、天国理念を持っているので、一世は反対するが、二世、三世は統一教会のレバレンド・ムーンを愛さなければならない。そうしなければ滅びる」ということです。それでは、この米国で、セカンド・ジェネレーションは、どこに属するのですか?。十二歳から二十四歳、三十歳未満の人たちが二世圏に入ります。このことを知らなければなりません。 ある学校でいちばん良い学生とは、千人の学生がいたとしても皆が、その家に入っていって暮らしたいと思う人です。その人が「嫌だ」というそぶりを見せても皆、逃げていきません。個人主義は、「自分のために生きろ」というのです。自分のことだけを考えるのです。それは合っている話ですか、合っていない話ですか?。 それでは、きょう話した「真の愛の天宙化」は、小さい万物から大きい神様まで、すべてが間違いなく愛の家に入っていくことのできる安息圏になるので、地上天国が完成するのです。すべてのものが「アーメン」と言えば、「だめ」と言ったとしても、アーメン (「アーメン」)。「『アーメン』と言うな」と言ったとしても、アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」) それではきょう、新千年にお話しした、「わたしは天国に入っていくことのできる人に間違いなく、なる」という、このような論理によって、今、個人から神様まで、この公式を適用して暮らせば、間違いなく天の家に行って暮らすことができ、神様が訪ねてこられ、万物が訪ねてきて暮らしたいと思う、そのようなわたしの家になるのです。アーメン。(「アーメン」) 米国は、レバレンド・ムーンを愛しましたか、反対しましたか、憎みましたか? (「愛しました」)。どのような愛ですか?。米国がレバレンド・ムーンを愛しましたか、反対しましたか? (「愛しました」)。左側では「反対した」と言い、右側では「愛した」と言っています。 反対しました。しかし、三十年の歳月を送りながら、米国を生かしてあげるために、今まで投入して忘れ、投入して忘れてきたのです。そのことを続けてきました。ですから、米国の一世は反対しますが、二世と三世は「レバレンド・ムーンは正しい人だ。義人だ」と言いながら、真の父母の写真携帯運動をして、旗を振りながら賛美するデモ隊が生まれるのです。アーメン。デモンストレーションです。 そのようにすれば、米国は滅びるでしょうか、発展するでしょうか?。レバレンド・ムーンが米国に入っていって暮らせば、統一教会の人、霊界と肉界のすべてが入っていって暮らし、神様と神様の国が暮らすことのできる代表国家になるので、この国は間違いなく中心国家になるのです。アー、アー、アーメン。 天国というものは何かというと、自由が永遠に存在する所であり、希望が永遠に存在する所であり、幸福が永遠に存在する所であり、真の愛と生命が永遠に存在する所です。なぜですか?。神様の家で暮らしながら、神様の愛と一つになっているので、間違いないのです。ですから統一教会は、愛する世界の人々が共に暮らすわたしの家であり、わたしたちの家です。統一教会の教会員は家庭です。統一教会の人々は「食口」と呼ぶのです。 家庭と食口が天地の安息圏の中心にいるので、このような公式原理に従って、統一教会は、家庭第一主義、兄弟第一主義、食口第一主義を主張するのです。それは何かというと、真の愛を中心として、真の血統と連結された真の家庭であるということです。神様とのアダム、エバの血統、アダム、エバとの子女の血統が……。子女たちも、神様の前に縦的に上がっていって下りてくることができる、一つに交わった家庭形態の世界と天宙を考えるので、天国が来ざるをえないという結論が出てきます。 怨讐 同士、ふたりで闘っていたものが、統一教会に入ってみ言を聞いて兄弟となり、だれよりも親しくなる、そのようなことを成していく所が統一教会なのです。食口をつくるのです。どれほど素晴らしいですか? (「アーメン」)。(拍手)抱き締めて放さないというのです。なぜですか? 「おまえのゆえに統一教会に入って、家庭に参席し、氏族に参席し、民族に参席し、国家に参席し、世界に参席し、神様の晩餐の席にまで来た。これはおまえのゆえだ」と言って、もっと抱き締めるというのです。 「神様がこの家と家庭理想をつくられたので、神様もわたしの手に入ってきてください」と言えば、「もちろん、そうしよう」と言われるのです。ですから、神様を自分の息子のように抱いて愛し、妻のように、夫のように愛し、国王が世の中の代表を愛することができるので、王子の中の王子であり、王圏がうらやましくない主人の資格を持ったので、寝てもアーメンであり、目覚めてもアーメンと言い、夕食を食べてもアーメンであり、死んでも生きてもアーメンなのです。(「アーメン」) 統一教会を信じない世の中の家庭を見れば、「ああだ」、「こうだ」と言いながら、いがみ合っているのです。そこで暮らしていて、統一教会に入ってきてからは、パンのかけらを分け合って食べ、一日一食だとしても、ここに来て暮らそうとするのです。 「自分の家で生活しなさい」と言っても、父親と母親が、国全体が「わたしたちのほうが良い」と言ったとしても、すべてをけ飛ばし、レバレンド・ムーンを訪ねていって、苦労しながら暮らそうとするのは、どういうことですか?。統一教会が愛の家になっているので、そうせざるをえないということを知らなければなりません。わたしが「この者たち」と言いながら追い出しても、半月もたたずにまた帰ってくるのです。「公席に立ったレバレンド・ムーンは、真っ赤なうそも上手だなあ」と思うなら、調査してみなさいというのです。 さあ。ですから、統一教会が早く広がらなければならないでしょうか、早く、なくならなければならないでしょうか? (「早く広がらなければなりません」)。早く広がらなければならないと言うのですか?。わたしは、それを願いません。 苦労して暮らしているとき、お金持ちの家に行ってぜいたくな食事をするのは気分が悪いことです。それは地獄よりももっと嫌だというのです。世の中の労働者たちと友人になり、農村に行き、漁村に行き、どこに行ったとしても、そこで彼らと友人になりたいと思うのです。都市には、わたしがよく知っている友人がたくさんいます。しかし、博士や大統領など、あらゆる友人が自分の家に招待しても、そこには訪ねていきませんが、農村で貧しく暮らす友人や食口が招待すれば、そこに訪ねていくのです。それは悪い人ですか、善い人ですか? (「善いかたです」) では、皆さんはこのように祝賀をするためにここに来ていますが、全世界がインターネットを通し、人工衛星を通して、世界のすべてがレバレンド・ムーンがどのような話をするのか聞いているのですが、皆さんは、その人たちに負けるでしょうか、負けないでしょうか? (「勝ちます」) それでは、世界でインターネットを通して先生のみ言を聞き、「はい、そのように暮らします」と決心する人のほうが多いでしょうか、ここに約三千人集まって決心する人たちが多いでしょうか?。どちらの人が多いでしょうか? (「ここです」)。なぜここですか?。それは、原版だからです。原本なのです。あれはコピーです。いくら多くても、オリジナルの一枚が億千万のコピーに勝ります。 そのかわり、皆さんが生涯において彼らの何千万倍価値のある原版になろうというのならば、間違いなく天国の神様のみ前に、息子、娘の資格を持って参席するという自信を持った人にならなければならない、という結論が出てきたというのです。 先生も、少年時代や皆さんくらいの年齢の時代に……。ここには十代の少年もいて、それから青年もいて、二十代、三十代、青年時代があり、壮年時代……。先生は、八十歳になったのです。 それでは今、先生のみ言を聞いた人は、先生よりも劣った人になりますか、優れた人になりますか? (「優れた人になります」)。八十歳の老人についていきますか、八十歳の老人の前を走っていきますか?。前を走るという人は手を挙げてください。 それでは、わたしは今から休んでもよいのです。家でおじいさんが横になって、「おい、おまえたち。魚を捕まえてきなさい。狩りをしてきなさい。ご飯を準備してきなさい。柿をとってきなさい。食べたい万物、若いときから今まで食べられなかったもの……。食べられなかったのだ。十分に食べることもできず、着ることもできず、食べられなかったので、食べたい物、着たい物、わたしがしたいこと、すべてできるように準備しなさい」と言えば、しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (「しなければなりません」) 先生は、一生の間、食べたい物、暮らしたい所に行くこと、遊びたいこと、したいこと、すべてできませんでした。反対され、追い回されたのです。あなたたちは、み旨を知って、行くべき所がどこなのか知り、天上天下の、神様の愛を受ける息子、娘になることのできる資格者に間違いないということを知るとき、だれのゆえにそのようになったのですか?。先生のゆえにです。ですから、先生に感謝するという意味で、これを少しでも返さなければならないでしょうか、返してはならないでしょうか? ここには何か国の人が集まりましたか?。百八十か国の人がすべて集まったでしょう?。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。わたしは今から部屋で座り、寒帯地方に生まれるすべての万物、温帯地方に生まれるすべての万物、熱帯地方に生まれるすべての万物、海に生まれるすべての万物、天の国の万物はどのようになるのか分かりませんが、皆さんに「すべて持ってきなさい」と言えば、持ってきて、一か月か二か月くらい侍らなければならないでしょうか、永遠に侍らなければならないでしょうか? (「永遠に侍らなければなりません」) 先生が地の果てにいれば、先生に何かを持って行ってあげたくても、永遠どころか一日も接することができないのに、どのようにするつもりですか?。先生が韓国に行っていれば、地の果てにいる先生に、どのようにして永遠に侍ることができるのですか?。簡単です。「神様。真のご父母様。ここにいらっしゃらないので、わたしは兄弟たちを、国の人々を、神様よりも、兄弟よりも、もっとために生きて愛します」と言えば、神様は考えるまでもなく「ああ、オーケー、オーケー」と言われるのです。 先生があなたたち三代を救ってあげたので、三代が過ぎても欲しがれば、先生が座っている位置以上に越えてしまうのです。先生に会うことができなければ、どのようにしなければならないでしょうか?。自分の国の人、世界の人を先生以上に愛すれば、それが天を代身した価値以上のものとして認めてくれるということを知って、そのようにすることを約束しなければなりません。アーメン。(「アーメン」) さあ、わたしたちの家庭は、真の愛の家庭です。(「真の愛の家庭です」)。純潔な血統の家庭です。(「純潔な血統の家庭です」)。アブソルート・セックス。メイク。オン。ファミリー。(「アブソルート・セックス。メイク。オン。ファミリー」)。過去、現在、未来、アブソルート・ラブです。分かりますか?。真の愛、真の血統、真の家庭です。 わたしたちはきょう、一月一日に、年頭の辞をもって決意するのです。きょうこの早朝は、二千年を越えて三千年に連結される、この千年を自らの懐に抱き、出発した日から一周回ってきて、最後の日まで、わたしは間違いなく、このような真の愛、真の血統、真の家庭のために、建国のために、そのような真の国と真の天国、真の地上天国、真の神様解放のために前進しようと決意する人は、立ち上がって天の前に誓いましょう。 さあ、神様万歳 (「万歳」)。真のご父母様万歳 (「万歳」)。天地統一教会、祝福家庭万歳。レボリューション(革命)万歳 (拍手)
2023.10.15
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「真の御父母様の摂理観的責任完遂」宣布一九九九年十二月二十六日、アメリカのベルベディア修練所で三百余名の食口が参席する中、新千年を迎える最後の聖日の朝に、「真の御父母様の摂理観的責任完遂」が宣布された。 「摂理」とは何ですか? 摂理とは神様がどのようにみ業をなしていかれるかということです。神様の摂理に関するすべての責任的完遂、神様は摂理観的な責任を完遂されましたか? 今まではできなかったのです。 さあ、摂理観的責任完遂、摂理観的責任を完遂すれば、すべて終わるのです。それでは、誰が責任を完遂するのですか? 神様です。創造された後で堕落したので、今まで神様は、救援摂理という願いもしなかった事をしてこられました。本来、救援摂理というものはなく、摂理観的な完成のために創造理想を立てられたのですが、人類始祖がサタンと共に堕落して、本来とは異なる世界になることによって、摂理史的な責任分野はなくなり、今まで救援摂理観的な責任を果たしてこられたというのです。 今までは、摂理観的な歴史ではなく、救援摂理観的な歴史でした。これは、神様ご自身が責任遂行をすべて失ってしまわれた位置におられる歴史でした。神様が主人になられていたら、偽りの主人は現れず、この被造世界全体を息子のためにつくったので、神様と人間は、父と息子の関係になっていたのです。そして、神様の摂理史的なすべてを会得することができ、それが完全に現れるはずでした。ところが、他の主人が入ってくることによって現れることができず、すべてを未知の歴史、未知の摂理史と思ってきたのです。 ですから、人間は何も知らないのです。人間はサタン圏内、堕落圏内に入っているので、根本に関する問題、神様に関する問題、摂理観に関する問題が全く分かりませんでした。堕落した世界の混沌と未知の歴史過程において、それらの内容を模索してきたのが、人類の姿だったというのです。それは歴史的な事実です。 それでは、真の父母の摂理観的な責任完遂の内容とは何ですか? 摂理観についてのすべてのことを解明し、未知の事実を明らかにし、それを明らかにするだけでなく、この未知の内容が抱えてきたすべてのことを清算し、創造当初の本然の摂理的基準を完全に連結させる役事をしたのです。誰がしたのですか? 神様を中心として、真の父母がその責任を完遂したというのです。それでは、真の父母が完成すべきことは何であり、また完遂したこととは何ですか? 真の父母によって、堕落以降の救援摂理史ばかりか、それ以前に神様が理想としていた歴史を中心として、今までの人類歴史すべてを知るようになりました。堕落した歴史がどのようになり、なぜこのようになったのかという、分からなかったことをすべて分かるようにしたのです。 堕落する前に神様が立てられた摂理的な創造理想の完成、神様を中心とした地上世界と天上世界、神様と子女の関係がいかに地上と世界に連結されるか、などについて知るようになりました。そして、それを完成した個人から家庭、氏族、民族、国家を中心として、天上世界と地上世界の天国を完成できる理念的な事実を、私たちは個人観、家庭観、氏族観、民族観、世界観、宇宙観、天宙観、神観、神様自体の観において、すべてを知るようになったのです。 神様がどのような方か知っていますか? 神様はどのような方なのですか? 真の父たる神様です。真の父の神様となって、真の子女に対する関係が一つとなったとき、真の愛が成立するのです。ですから、初めは真の父です。真の愛の父なのです。となると、その父は誰の父ですか? 人類の父なのです。 ですから、人間とは何か、人間と歴史の関係とは何か、人間と神様の関係とは何かについて知ったということです。神様は私たちの父ですが、どのような父ですか? それは、「知情意を兼ね備えた、真美善の父」ということです。人格的な神様であるということを知らなければなりません。人格神です。人格的な父です。人格神であると同時に人格的な父です。それでこそ、人間と関係を結ぶことができるのです。 ですから、神様に関すること、知情意に関することを私たちは完全に知っています。真美善が愛を中心とした、そのようなすべてを知るようになったのです。驚くべきことです。ですから、人格的な神様です。人間にも知情意が必要であり、真美善の息子になれば、完全に一つになって離れることのできない、永遠で立体的な理想圏に立つようになるのです。 知情意と真美善の本体は誰でしょうか? 神様です。その神様は、何を中心として存在しておられるのでしょうか? 神様も生きていらっしゃるので生活をされるのですが、生活するにあたって何を中心として生きるのでしょうか? 真の愛の心情圏をもって生きてこられたということを知らなければなりません。環境的な与件を、すべて愛で治めながら生きてこられたのです。 人間はそのようになっていますが、万物は人間のためにつくられたのです。それは象徴的なものであり、形象的なものです。人関を実体としてつくったので、万物は象徴と形象的な存在として、神様の心情圏・愛の圏内で共に治められてきました。すべての存在は神様の愛の圏に存在し、そこから離脱したものは一つもありません。愛の圏さえ所有すれば、神様と同じ愛の圏をすべて占有し、神様と対等な価値を持った位置に入っていくことができるのです。なぜでしょうか? 父なる神がそこにおいて初めて一つとなって、すべての相続が始まり、一回りして大きくなっていくのです。 摂理観的なすべてが完成したならば、その神様が父なのです。その父が動けば、息子である人間も共に動くようになり、息子のために存在する形象体も、すべて一つになって神様が動かれる通りに動くのです。お互いに一体となって、個人的に動いても完全であり、家庭的に動いても完全であり、氏族、民族、国家、世界、宇宙永遠の世界が、それぞれ範囲は異なったとしても完全な実体として動くはずだったのです。 ですから、神様がおられる限り、すべてのものは完全、完成したものとして、完全完成の価値を持って一つの実体圏、一つの理想的な局面が生まれたのです。人間と神様が一つになった、その下にある万物は、人間を養育し、人間を保存します。人間が便利に暮らすことのできる環境的条件が、実体万物創造の世界なのです。 それでは、神様はどのような方でしょうか? 神様もやはり一人で暮らしたいと思われる方ではありません。今まで、相対関係をもって成長してこられ、暮らしてこられたのですが、内的な面に定着した立場においては、刺激を感じることができないので、これが「正」から「分」となり、「合」の目的を再び成就することによって刺激を感じるようになるのです。 極と極、北極と南極、東西すべてが一度に刺激を感じて笑うようになれば、全体が笑うことができ、全体が喜ぶことのできる立場に立つのです。相対関係、内的な存在圏を外的な相対圏に拡大させ、衝撃的な愛を感じるようになるのです。そのようにするために万物をつくられ、息子を持たれたのです。四位基台や三対象目的など、すべては、神様が笑われれば全体が笑い、神様が喜ばれれば全体が共に和勤し、共に楽しむためにつくられたのです。 それでは、ここに様々な国の人々が座っていますが、人間の種類は何種類ですか? 国家には多くの種類があるのですが、人間には男性と女性の二種類しかないのです。 それはどこから出てきたのですか? あなたたちの父親と母親からです。父親と母親、二人の中から出てきたのです。その父親と母親は何人の中から出てきましたか? 二人の中から出てきました。そのまた父親と母親……。そのようにずっと先祖をさかのぽっていっても、男性と女性の二種類しかありません。また、人間を中心として見るとき、父とは何ですか? 神様ご自身も二つから成っているのですが、その二つは、皆さんの心と体のように一つになっているので、刺激を感じることができません。男性ならば、男性だけの形態になっているのです。二性性相の格を持ってはいますが、格位としては男性型なので、独りぽっちの男性や女性の立場に立っていて、おもしろくないというのです。 それでは、神様は見えない所から出てこられたのですが、その見えない神様はどんな方ですか? 二人が一つになった神様でなければなりません。父親と母親の性格を持った神様であらざるを得ないのです。これは理論的です。そのような神様を半分ずつ二つに分けたので、男性も堕落する前は神様のような立場、女性も堕落する前は神様のような立場に立っていて、心と体の二つを、見えるものと見えないものという性相と形状を、自体の中に持っていたのです。そのようになっていながらも、格位においては男性格や女性格といった違いがあるのです。男性と女性に生まれたのは、分かれたということです。 何のためにそのようになったのですか? 男性が喜んで興奮し、女性も興奮して、お互いにぶつかるときには、静かにそっとぶつかるのではありません。プラスとマイナスの電気が一つになればスパークするのと同じように、爆発して、ぱっと全天地をひっくり返すのです。電線がスパークすれば、どのようになりますか? ぴたっとくっつくのです。そうなれば離すことができません。 電気もプラス、マイナスであって、プラスは凸、マイナスは凹なのです。そのようにくっつけば、どのようになるでしょうか? 音もしますが、光を放つのです。愛は、音がして光を放ちます。愛は、全体の前に「おい、愛だぞ!」と言って光を放つのです。そうすると、すべてがそこに集中するのです。 曇りの日に、稲光がして雷が鳴るのはどうしてかというと、自然界の見えない電気が、見える雲を通して愛し合うからです。それで音が鳴り光を発するのです。同じです。電気の場合は炭素のようなものが落ちますが、そこには何か落ちるのかというと、雨が落ちるのです。そのように考えなければなりません。 稲光がして雷の音がすれば、雨が降りますか、降りませんか? その雨は何かというと、自然界が全体を動員して、自然をカバーした電気、すべての環境、雲などが一つになって、結婚式を挙げる祝福のかけらです。それはさながら祝宴と同じなのです。ですから、すべての万物は「うわあ!」と口を開けて喜びます。魚も喜び、植物、動物、すべてが喜ぶというのです。なぜ喜ぶのですか? 雨が降った後は、すべての万物が育つので、食べ物が豊富になるのです。洞穴に入って暮らす動物も、雨が降ってくると飛び出してきます。「雨よ、なぜ降るのか!」と恨むでしょうか、「雨よ降れ! もっと降れ! この雨がやめば、草木が茂って、我々のえさも豊富になる。ありがとう、ありがとう」と言いますか、どうですか? 恨むでしょうか、喜ぶでしょうか? 喜ぶのです「わーい、わーい!」と言いながら喜ぶのです。 それでは、人はどのように喜ぶのでしょうか? 皆さんは草を取って食べます。取って食べるのです。動物たちは毎食、植物を取って食べるのです。植物を殺しているのです。そうですか、違いますか? 植物は雨が降ると喜ぶのですが、人間は雨が降るとどうでしょうか? 「よく食べて肥えたすべての万物を、私が食べなければならない。食べてあげたい」と、このように思わなければなりません。それで、動物たちが育つことができ、植物が育つことができるようにしてあげるのは誰のためでしょうか? 人のためです。 では、すべての万物たちは何かというと、「神様を愛することのできる息子を、もっと愛することのできる立派な人にしてあげるために、私たちも協助しよう。だから、その体を助けるために全力を注いで体に入り込まなければならない」と言うのです。 では、雨が降った後、よく育ったものを自分の食物として喜んで食べるのと同じように、神様がご覧になるとき、人間世界における雨に該当するものは何でしょうか? 空中では雨が降るのですが、陸地の雨は何ですか?何でしょうか? 雷や稲光を通して、私たち万物はそのかけらである雨を吸い込んで大きくなるのですが、人間は何をもって神様が吸い込むことのできるものをつくるのかというのです。 見えない愛の雲が浮かんで、見える人間が絡まって充電し、ぶつかるようになるとき、雷や稲光が光を放つのです。二人の男女は雲のようであり、その見えない電気は本然の神様の愛なのです。それが一つになって雷が落ちることによって、その愛のかけらを中心として霊界が生き、神様がそれを食べて生きることができる! アーメン! 神様と共に雷を落とすのです。愛の糧を食べて生きなければならないのです。 ですから、頻繁に雨が降って、喜んで雷が落ちるようになれば、神様のようになって、すべて神様が喜ばれるのです。それゆえ、万物もこれを協助するために自分のすべてを動員するのです。それを普及するために、吸収できる犠牲的な道に従わざるを得ないというのです。アーメンです。 ですから、男性、女性の夫婦が愛し合うときは、雷が落ち、稲光が光るのと同じことをしているのです。それは自然の結婚式と同じなのです。男性と女性は、東西が一つになって、上下が一つになり、その次には息子、娘が一つになって、愛で家をつくるようになるので、神様は眠くても、うとうとすることはできないのです。 神様の愛は、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。この三つが一つになって雷を落とし、それが明るければ、宇宙いっぱいに満ちあふれます。町内にそのような夫婦が暮らしていれば、その町内はその夫婦の愛の圏内に入るようになるのです。「私たちも、あのようにならなければならない。ありがたいことだ。明るく照らしてくれる環境はすばらしい。あそこには食べるものが豊富だ!」と、お互いが一つになるためのみ業が展開するのです。 では、プラスの雲とマイナスの雲が一つになるというとき、どのようになるでしょうか? 神経や何かの五官があれば、そこに向かって一か所に集まるでしょうか、集まらないでしょうか? 集まります。では神様はどうでしょうか? 極が生じたというとき、神様のすべての触覚もそこに集まり、三つの触覚がぶつかるのです。 神様の愛とは何かというと、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、この三つですが、この三つが一度に合わさるので、この宇宙のすべてのそのような性稟に似た人はみな踊るようになっているのです。また、その音がどれほど大きいでしょうか? 全宇宙が「おおお!」と言うのです。すると神様は、「皆さん、毎日のように愛し合いなさい」と言われるでしょうか、「毎日のように、喧嘩しなさい」と言われるでしょうか?「愛しなさいと」言われるのです。「毎日そのように愛しなさい」と言われるのです。神様が「愛とは、愛すれば愛するほどに良いものだ。ハハハー」と言って笑われるのです。 雷が落ちて、雨が降って洪水になり、それがこの宇宙を満たし、すべてがなくなったとしても、「ああ、神様と人間が幸福ならば、万事がオーケーだ。愛の審判を願う」と言うのです。万物が歓迎して「万歳!」と叫ぶのです。そのときに「うううう!」と笑えば、神様が「この者め、泣くものだとばかり思っていたら、悪口の一つも言わないのか?」と言われるのです。それで神様も「ううう!」と喜ばれるというのです。ジャンプしながら踊るのです。 皆さんが夫婦で愛し合うとき、雷の音がしますか? 猫も春になって愛するとき、「ニャオ、ニャオ」と鳴き、ネズミも「チュッチュッチュッ」と大騒ぎするのですが、皆さんは声を出しますか、出しませんか? それでは、人間と神様が愛する瞬間の声は、大きいでしょうか、小さいでしょうか? 大きいとしたら、どれほど大きいでしょうか? 五万通りの声です。人間は、鳥の声、動物の声、すべての声を出すことができるのです。そこには、五万通りの音があるので、動物も(人間に食べられて、)死んでいなくなっても、「動物よりももっと喜ばしい存在だ!」というのです。神様がそうして抱いて「私はうれしい。私は幸福だ!」とおっしゃるのです。 統一教会の教会員の中で、農作業をする人がいれば、外に出て苦労して働いているとき、雲がかかって雷が鳴れば、家に帰ってきて、疲れているので寝るのです。休むとき、布団を敷いて寝るでしょうか、そのまま板の間に寝るでしょうか? 疲れているので、板の間で寝るというのです。 では、やがて寒けがして、ベッドの上に上がっていくでしょうか、畳の上に上がっていくでしょうか、オンドルの上に上がっていくでしょうか? オンドルに上がっていくというのです。オンドルなので熱くなり、着ていた服を脱ぐのです。するとお尻が熱くなり、そうして一枚ずつ脱いで、服を全部脱いで、下だけを覆って眠るその時間がどれほど幸福でしょうか。下は熱くても、お腹は寒いので覆って寝るのです。そのようにして眠る時間が、どれほど幸福でしょうか。 そのようにして男性と女性が寝ているとき、愛する人が「フフフフ!」と近づいてくるとき、足でけりますか、かじりつきますか? かけていた服を外して近づいてくるとき、けり飛ばすのでしょうか? 我知らず、さっと抱き寄せて……夫であっても押し倒してしまうのでしょうか? その時間が幸福なのです。 皆さんが激しく愛し合ったあとには、ぐっすり眠らなければなりませんか、眠ってはなりませんか? 寝なければなりません。眠っているというのは、死んでいるということですか? それは、晴れわたった大空です。晴れわたった大空と同じように、静かにしているのです。 結論は簡単です。自然が結婚式をしながら音がすれば、私たちも飛び込んでいって音を出す準備をして、稲光がすれば、私たちも稲光を放たなければならないというとき、天地がそのようにして稲光を放ち、それに対される神様は、心と体が燃えるように雷が落ちることによって、どれほど強い衝撃を受けられるでしょうか? そのとき「ああ、私の創造理想、億万年万々歳! アーメン!」とそのように言われるのです。 そのようになれば、神様は「私の願いはすべて成し遂げた。これ以上のことはない。このような日が永遠に続くことを願う。アーメン」と言われるので、愛も永遠であらざるを得ないというのです。 しかし、そのようにだけ愛する人になってはなりません。そのような人になれば、万物が不満に思って、「なぜ神様は、アダムとエバだけを愛して、ご自身だけ喜んでいるのですか? 私たちも喜ぶようにしてくれるべきだ」と言うのです。ですから、鉱物も結婚するのです。植物も、チョウも、ハチも、すべてが、五万通りのあらゆるものが入り混ざった創造物は、神様のように、人間と共に愛する喜びで一つになるのです。そのように喜びに酔いしれる万物を神様に捧げなければならないのです。人間の前に「食べてください」と言うようになるのです。 万物も相対を探し求めていくので、海で暮らす万物は淡水に訪ねていかなければならず、淡水で暮らす万物は海水を訪ねていくのです。そこで相対を結んで二つが一つになる調和の法度において、生命が躍動し、すべての万物が育っていくのです。二つの世界を通さなければ産卵することはできないという事実を、皆さんは知らなければなりません。 それゆえに、渡り鳥も遠くまで飛んでいくのです。自然もそのようになっています。それゆえ、海の魚たちは、ペアで来て淡水でも「ワワワワ」と言い、淡水の魚たちは海に行って「ワイワイワイ」とするのです。二つの世界が、大きいものと小さいものが喜んで生産するということも、宇宙の結婚式と一連の関係を結んでいるというのです。このようなことを考えるとき、私たちは、そのような愛をもって万物を主管しなければならないのです。アーメン。 皆さん、摂理観とは何ですか?「観」というのは、英語のビュー(view観点)とは異なります。「観」というのは、愛を中心として言うものです。「観」というものは、すべて見えることを言うのですが、この観は、その後ろまでもずっと連結して見ることができるということを言うのです。後ろまでも連結して、その次には下まで戻ってくることができることを言うのです。 「一日」の観の中では、昼と夜が動いているのです。すると、一日一日を合わせて三十通りとなり、「月」という観が生じるのです。十二の月を中心として、「年」という観が生じます。このようになるのです。年を越えて、「世紀」が展開し、世紀が集まって「ミレニアム(千年紀)」となるのです。二千年を中心とした世紀観です。これらは連結されているのであって、別々ではありません。 今日、そのような観がありません。人間が生活するにおいて、個人観、家庭観、氏族観、民族観、国家観、世界観、天宙観、神観を主張しますが、観がそのように連結されていないので、事故が起き、混乱と混沌が生じるのです。お金がすべてであると思い、政治がすべてであると思い、学問がすべてであると思い、自分が生きていることがすべてであると思っているのです。 「真の御父母様の摂理観的責任完遂」、これは何ですか? 今日のこのような自然の結婚が私たち人間の結婚と天の国の結婚と通じるという観と責任を教えてあげた人が先生であり、その責任完遂するために努力するのが先生の使命でした! アーメン! このようになるのです。 観の主流は何ですか? 生命ですか、血統ですか、愛ですか? 愛です。愛から始まりました。どのような愛ですか? 絶対、唯一、永遠、不変の愛です。ただ一つです。二つではありません。そのような愛が連結される存在も自動的に絶対、唯一、永遠、不変の存在になるのです。違いますか?愛によってのみ、そのような存在になり得るのです。 真の愛とは万物世界が四方の門を開けて歓迎するものです。鉱物の世界では、そうした植物の主人が訪ねてくることを好み、他のすべてのものも、より次元の高い真の愛の主人が訪ねてくることを歓迎するのです。そうした愛でなければ、真の愛を結実することができません。 それで万物は、より愛することのできる主人を慕い、その人が自分を食べてくれることを願っているのです。私たち人間も、神様の愛の中で、自分が死ぬことのできる道を行くことを願います。同じことです。 ですから、万物というのは神様の創造理想に合格していますが、その万物が、より高まることのできる愛の実体完成に向けて、この世界は献身して犠牲になることを願っています。そうした世界の前に、恥ずかしい主人となってはならないのです。 すべて分かりましたね? 雨が降れば雷の音がして、稲妻が走って歓迎するのだと考えなさい。雨の降る中、雷の落ちる中で一度脱いで愛してみよう、それでエデンの園では裸で暮らしたのです!アーメン! これ(服)は堕落の産物です。一度脱いで暮らしてみますか? エデン復帰の愛の理想を完成した家を探していくには、そのように暮らした者だけが「アーメン」と言えるのです! それでは、裸で暮らす女性たち千人がいて、そこに美男子が十人いたとすれば、十人のうちで自分の夫は一人しかいないとしましょう。その一人しかいない夫が一番見た目が悪かったらどうしますか? 一番美しい女性が見た目の悪い男性の生殖器を求めていきますか、一番美男子の生殖器を求めていきますか? 十人の男性がいますが、一番美男子の妻が一番見た目の悪い女性であり、一番美しい女性の夫が一番見た目の悪い男性であるとき、どうするかというのです。一番見た目の悪い男性を求めていかなければならないのです。 心配するなというのです。どんなに見た目の悪い女性でも、真の愛で三度愛するだけで、最高の美しい女性になるのです。夫も同じです。美しいものには甘みがありませんが、自分の相対は三度だけ愛すれば、とても甘みが出ます。蜜の味よりも甘いというのです。 それでは、その女性が不細工な男性を訪ねていって抱かれるとき、男性がどれほどありがたがりますか? 十倍以上も感謝するのです。キスをしても舌を切って食べてしまうほどでしょう。唇を切って食べてしまうほどなのです。骨髄が出てくるのです。事実です。骨髄が出てくるので、世の中にある蜜のうち、それ以上の蜜の味はないというのです。そのようにするとき、目を開けてキスをしますか、目を閉じてしますか? そこには十倍の力が入るため、衝撃的な愛の感動は天下がすべて引き込まれていくほどなのです。 ですから、真の父母の摂理観的な責任を完遂できる言葉ですか、完遂できない言葉ですか? 言ってみなさい。創造原理を知っているでしょう? 私たちは創造原理を通じた理想観を知っています。個人完成がどうであり、家庭完成がどうであり、氏族完成がどうであり、民族、国家、世界、神様の解放まですべて知っています。真の愛です、真の愛。真の愛は投入して忘れてしまうのです。億万年投人して忘れてしまえば、億万年よりも価値のある相対が常に創造されるという、有り難い結論を出してあげたのは、真の父母の恵沢であり、神様までも解放できる真の父母の使命であった! アーメン! すべての万物も、愛のうちに生命をかけているのです。それは合っていますか、間違っていますか? 私たちの家庭で、個人は家庭のために犠牲になり、家庭はより大きなもののために犠牲になります。万物世界も同じ公式です。小さな存在は大きな存在のために投人して犠牲になるのと同じです。同じ公式の原理であり、同じ結論です。 創造についてもすべて知っています。堕落についても知っています。これを復帰するための摂理史を中心とした救援摂理観がありませんでした。摂理観がなかったのですが、今日先生が摂理観を立てました。アダムはどうであり、ノアはどうであり、アブラハムはどうであり、モーセはどうであり、イエス様はどうであるという観を立てました。復帰摂理観を知っています。復帰摂理観を知り、復帰歴史を知っています。個人的な歴史、家庭的な歴史、氏族的な歴史、民族的な歴史、国家的な歴史、世界的な歴史が一つの観にかかっていますが、私たちの時代、時代に分別された歴史を知っているのです。そして、サタンの処理方法、サタンがどうだということまでも知っているのです。 天国とは何ですか? いつも反対する群れ、泣きわめく群れであってはならないと知って、「解放されて平準化され得る、地上・天上天国を解放完成するので、感謝、栄光、賛美します!」と言うときの、その世界についても知っています。 今日、アメリカにいる統一教会の食口は、今からアメリカを中心とした統一教会が行くべき道、世界に、天の国に入っていくとき、入籍するということを皆知っています。堕落によって、故郷を失い、祖国を失ってしまいました。しかし、地球が私たちの故郷であり、永遠なる神様がいらっしやる所が私たちの祖国であるということを知っているのです。どのようにして孝子となり、どのようにして忠臣となり、どのようにして聖人となり、どのようにして聖子となることができ、どのようにして王の位置にまでなるのかをすべて知っています。知らないことがないのです。 今、「第四次アダム圏時代が来る」と言いましたね?ですから、「七・八節」を中心として、真の父母の完全定着を宣布し、そして「九・九節」を中心としてサタンを清算してしまい、サタンの手下までも一つの方向に向かって清算し、「三・十節」を中心として解放圏を宣布したのです。偽りの父が堕落することによって、神様が創造されたすべてのものを失ってしまい、破壊してしまったものを、真の父母が来て再創造し、すべてを復帰完成することによって、それらが分かれていない、統一的世界、家庭理想一体の地上天国時代を成し遂げたのです。 解放圏を中心として、「第四次アダム圏」という堕落していない本然のアダム世界、何千年間、空っぽだった天国を一度に埋めつくすことまで、すべて成し遂げたのです。そして神様が解放され、サタンまでも赦して、天国に入っていくことのできる基盤をすべて成し遂げました。 今や先生も解放されなければなりません。解放されて立派な先生が天の頂に先に上がっていくのでしょうか? 最も深い谷底に行って、再び羊の群れを追って天国に行かなければならないというのです。ですから、ウルグアイを中心として四か国、ブラジルのジャルジンを中心として、教育的な家庭的整備運動をするための修練所をつくったのです。そこからは蕩減時代ではなく、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代に連結して、世界的に配置することのできる準備をすべて終えました。この作業を今しているのです。 ですから、「総生畜献納祭」です。裂きません。二つとも抱いていくのです。地上世界・天上世界、東洋世界・西洋世界、南北の貧富の統一、全体を一つに抱いて入っていくのです。理想的な家庭、真の父母を中心として個人的な写真、氏族的な写真、民族的な写真、国家的な写真を自由に写せる、持つことのできる時代圏内、解放時代に入っていくのです。 皆さんは、八段階を越えられなかったでしょう? それを絶対信仰、絶対愛、絶対服従で越えることができるのです。そこには自分というものはありません。先生の影と同じです。そのようにして八段階を越えることができないものを四千年を、四十日で蕩減復帰するのです。そこで何をするのかというと、み言を尊重視することで、どのようになったということをすべて知り、再整理するのです。父がしたことをすべて学ぶのです。「自分のためにこうも苦労されたのか」ということが分かるようになるのです。サタン世界のすべてのことを拒否したとしても、これだけは残さなければならないのです。 そして、七代が一つになって、一八○家庭を中心として天国に入籍する時代が来ます。サタンは存在しません。サタンの手下から、天運が保護することのできる時代に越えてきたので、第四次アダム圏時代となるのです。蕩減が必要のない時代です。 今まで皆さんが苦労したことによって、数千年間、失ってしまったものを蕩減復帰しましたが、今からは蕩減なく、皆さんの努力で天国に入籍するのです。そっくりそのまま貯蔵される時代なのです。そのような「第四次アダム圏時代」に委譲したのです。 それで今、韓国本部では、ここに参席したすべての祝福家庭と食口を中心として、手本をつくり、韓国、日本、アメリカに新しく故郷の地をつくり、分かれていた世界が一つになったその上で、新しい父母の国、父の国、母の国、兄の国に、新しく入籍することのできる環境が始まるのです。 ここを経た人々は、韓国人であっても、また韓国で生まれたとしても、兄と一つにならなければならないということを知らなければならず、母と一つにならなければならないので、どこに行っても私の家なのです。なぜですか? 父と母が一つの体、父母と息子、娘が一つの体なので、兄弟は皆一つの家族の間柄なので、どこに行っても私の地なのです。 それでアメリカに二億四千万、日本に一億二千万、韓国に四千万、それで四億双です。四億双さえ終われば、他のすべての人たちが故郷として定めることのできる時が過ぎていきます。それから七か国です。第二次大戦の主要七か国からアフリカヘと広がっていくのです。 今までに四億三千万以上を祝福しました。アメリカに住んでいた人々が配置されるとすれば、どのようになりますか? 家庭的なすべての「総生畜献納基金」を捧げて清算した、その順序に従ってなされます。いくらアメリカに住んでいたとしても、すべては兄弟の国です。アフリカならアフリカに行ったとしても、父母と一つになっている兄と弟であり、一つの家族であるので、地球星のどこに行ったとしても父母、私たちの家になるので感謝せざるを得ないのです。 ですから、早く地球を抱かなければなりません。早く地球星を抱かなければなりません。誰もが重生式、復活式、永生式をしなければなりません。道をふさいで行うのです。ですから、ジャルジンの四十日の教育が重要なのです。先生がいなくても、過去の真の父母の伝統的歴史を再び知ることによって、私の責任を分配し、先生は天地を整備しましたが、私たちは私たちの氏族、私たちの民族、そしてその地にある国を復帰するにおいて、先導的な先祖的責任を果たすことによって、神様が本然の堕落していない長子圏、次子圏の兄弟を中心とした、天の家庭的立場に立てるのです。そうすることによって、神様の眷属を解放し、地上天国市民になることができるのです。アーメンです。 祝福家庭が先生の時代まで行おうとすれば、イエス様のときは一二〇家庭でしたが、再臨主のときは一八〇家庭、もしくは一六○家庭です。一八〇家庭が原則ですが、この数字を中心として、一九九七年から二〇〇三年までの七年間で消化するのです。ですから、世界はすべて一九九七年から整備運動をしてきました。霊界と肉界すべて……。 それで今後、父母の国に行って、一人が千二百家庭ずつ配置したからには、これは四億双にもなりません。何千万家庭、何百万家庭です。これを編成すれば、あらゆる民族感情、国境線、五色人種、分裂、そして文化の格差、そのようなすべてのものがなくなって、一方通行で神様を中心とした故郷が出発し、天国が形成されるのです。 今、霊界では、自分の怨讐であった人と結婚しているのです。今、聖人と殺人鬼の息子、娘が結婚する時が来たというのです。アダム家庭のカイン、アベルが兄弟です。すべて等しく祝福して一つにするのです。 「境界線をなくすためには、聖子の息子、娘と、殺人鬼の息子、娘が結婚しなさい!」と言うのです。国境を設定したならば、すべてが怨讐になるので、怨讐をなくすためには、国境を持った二つの国が交差結婚せよというのです。国際結婚だけが天国に向かう「直短距離」なのです。天国から地獄を救ってあげるのです。アベルを自分の王のように、自分の父母のように、自分の兄弟のように侍れば、すべてのものが一つになるのです。そこで分かれたものが一つになるというのです。 すべて終えましたか、終わろうとしていますか? どちらですか? 皆さんは、全員まだ終わっていないのです。先生はすべて終えましたが……。先生は父です。絶対的な父です。父の絶対性稟、唯一性稟、すべてが似ているのです。すべてを相続したので、父の成したことと一つになった息子、娘になったので、その峠を越えて同じ祝福の場に立つことができるということをサタンは防ぐことができず、神様が否定する道理はありません。偽りの父母がそのようにしたので、真の父母がこのようにすべてをひっくり返して、「神様、お受けください」と言えば、喜んで受けられるでしょうか、泣きながら受けられるでしょうか? 先生が聖人と殺人鬼とを結婚させるとき、神様は気分が良かったでしょうか、悪かったでしょうか? 神様が「いやだ」と言われたとしても「神様、そのようにしてはなりません。アダムが堕落して誤ったので、ひっくり返して治すのは私の責任です。ですから、神様は監督だけしていてください」と言えば、「そうだ」と言われるのであって、「この者め、そのようにしてはならない」と言われるでしょうか? また、サタンに「おい、この野郎! 私がこのようにここにいて、神様がここにおられるが、おまえは地獄に行く運命だ。アダムとエバ、人類の一番後ろについていくというのが本然の位置ではないか?」と言えば、「その通りです。極めて当然なことです」と言うのです。そのようなものを神様の前に連れていき、「この罪人を赦すべきですか、殺すべきですか?」と言えば、「やりたいようにしなさい」と言われるのです。神様もそのようにしか答えられないのです。サタンも、神様に感謝する前に、先生に感謝しなければなりません。それから、先生が「おい、神様の前に感謝しなさい」と言えば、神様は赦したくなくとも赦さざるを得ないというのです。 神様とサタンが闘っていますが、誰がその闘いを止めなければならないでしょうか? 神様も止めることができず、サタンも止められません。自尊心があり、威信があるのです。サタンも威信がありますね? 完成したアダムはどうでしょうか?「神様、こちらに来てください」「サタン、こっちに来い、この野郎」「私の言うことを聞いて、闘いを止めてください。言うことを聞いてください。闘いは偽りの父母がもたらしたのですから、偽りの父母のすべてのことを、私が取り消す責任を持ったので、一つになり得る本然の基準を立てるのは私の責任です。一つになってください!」と言うとき、神様とサタンは一つにならなければならないのです。 「神様、サタン! 私の言葉に従わないと!」という言葉に従って、その二人が互いに抱き合い、一つになれば、天上天国、理想世界に入っていくのです。そのようなとき、絶対万歳、唯一万歳、不変万歳、永遠万歳となるのです。 ですから、真の父母の摂理観的責任を完遂したという結論になるというのです。それで、地獄撤廃! 天国の門よ、開け! 理論的です。 理論体系に基づいてみるとき、一から百千万までが、この一つの結論に到達するようになるので、誰も不平を言うことができない、最高の知識の位置、最高の勝利的栄光の位置、最高の主体的位置、中心の位置に立つことができるのです。 このようなことを知っているので、頭の大きい者たち、世の中に号令をかけてきた政治界の頭、言論界の頭、宗教界の頭、銀行界の頭、大学街の頭、そのような人々をすべて集めて、「この者たち!学びなさい!」と言うことができる内容です。そのようにできる内容なのです。 「八十年の期間は、全体再出発完成解放の期間だった、アーメン!」。これが、二千年にぴたっと終わるのです。八十は再出発なのです。この八十年間に世界的なすべてのもの、今まで歴史においてなされてきたすべてのことを蕩減するのです。 それでは、そのように知って、解放された統一的な民族として、活気に満ちて出陣しなさい。アメリカの軍隊よりも、ソ連の軍隊よりも、ドイツの軍隊よりも、いかなる国の軍隊よりも、勇猛で堂々とし、率先的にならなければならないのです。 統一教会の統一天下の子女たちは……、女性がサタン世界の国を統治することができる時代になったというのです。男性には負けません。すべての職場では、夫婦が同参することのできる時代が来たということを知らなければなりません。軍隊に出ていくとき、夫と妻の二人が、息子、娘と四人が並んで立ち、一線に出て闘えばどれほどすばらしいでしょうか? 女性が弱くなれば、娘は父親が引っ張ってあげ、母親は息子が引っ張ってあげるのです。どれほどすばらしいですか? 一度、出陣したいと思いますか、思いませんか? それは何かというと、他の国の軍隊をすべて占領するために、家庭がすべて出動して降伏させるのです。すでに屈伏させることのできる準備がすべてできているのです。祝福を受けるようになっているのです。祝福を受けたならばすべて降伏するのです。どんなに統一教徒たちが憎くても、その中心たるレバレント・ムーンはあまりにも有名です。世界のすべての国家が歓迎しているのです。世界のすべての人たちが歓迎しているのです。 今、家庭が壊れて、若者たちが没落しており、エイズが蔓延しています。そのすべてのことをどのようにして防ぎますか? 絶対的な家庭の基盤を整備する道しかありません。ですから、いやでも行かざるを得ない時がきたので、絶対的な夫婦になって進んでいくのです。今や、世界統一も目前に来たということを知って、そのような自信を持って前進しなければなりません。 ですから、ジャルジンでの四十日の教育を終えれば、すべての人々は荷物をまとめて、命令が下る日を待ちなさい。家があれば売るか、手持ちの預金通帳があればすべて引き出して、新しいところに預金して、土地を買う準備をして、すべてを売って、かばんにまとめて待たなければならないのです。 これまで私たちは、本郷の地、祖国を失っていました。今や、真の父母が本郷の地と祖国を立てるのです。それを皆さんに許諾するのです。それをどのように否定しますか? それを否定すれば、サタンよりも悪い者になります。 ですから、全世界の人たちが韓国に来ようとするのですが、韓国には国もありません。IMF(国際通貨基金)に引っかかって国、文化がすべて空っぽになったのです。先生の命令に従って定着するのです。五色人種、百八十か国の人たちがすべて入ってきた韓国を、「北朝鮮の金日成の言葉を聞いて韓国を統一する」と言うでしょうか? 国連においても百八十か国が反対するのです。「だめです。先生に従っていかなければなりません」と言えば、口をぴくぴくさせながらも「イエス」と言うのです。 「日本はみなレバレント・ムーンの後ろについて韓国についていけ!」と言えば、「いやだ」と言いますか?「アメリカも韓国も日本の後ろについていけ!」と言えば、「いやだ」と言いますか? 「サタンまでも後ろについていくのに、何ですか、この者たち!」と言うのです。反対する親玉についていき、腐った根が抜かれて臭いのするものについていくのですか? それで今、国連が統一教会の運動を支持する時が来ました。アメリカもそうなのです。第二次大戦以降に、世界の七か国が韓国を支持し得る時代に入ったのです。アメリカが長子の立場で父母の国と一つになれば、その弟である世界の国が従ってくるでしょうか、従ってこないでしょうか? ですから教派……、カイン、アベルに分かれた宗教を統一するのです。 アメリカは、キリスト教国家です。旧教と新教を一つにすれば、この国は必ず長子の国になるのです。宗教を一つにし、世界理想圏において真の父母に侍ることができるということが、すべてが晴れわたった日のようなものです。統一的な環境が世界に展開するということを思うとき、統一世界、地上天国、天上天国は自動的に来るというのです。アーメンです。(三一三-二六一、九九年十二月二十六日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.14
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※ 信仰が否定されても、それを信じていき、愛を否定されても信じていかなければならず、従順を否定されても信じていかなければならないのです。そうして、怨讐を愛する立場まで行かなければならないのです。 天の父母、真の父母、「天地父母」もそのようにしたので、皆さんもそのようにしなさいというのです。皆さんもやはり、それを相続しなければなりません。その愛から血統、生命を受けなければなりません。そのような生命を持ったので、そのような生命に見合う、そのような血統、そのような愛を持たなければなりません。 それゆえに、そのような真の愛を中心として、個人生活や家庭において投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人がセンターとなるのです。中心存在となるのです。そのことを知らなければなりません。※ 「真の父母」は過去にも、現在にも、未来においてもただ一組です。 真の父母は二組ですか、一組ですか? (「一組です」)。一組しかいないのです。それは、絶対、唯一、永遠、普遍なる人です。そうすると、その真の父母の前に地上世界、天上世界で祝福を受けた家庭は、「ただ一人」ということと同じなのです。同じ価値があるというのです。そうですか? (「はい」)天宙は私の故郷と祖国成約七年 1999年12月19日(聖日)ニューヨーク州ベルベディア 皆さんの故郷と祖国はどこですか?。どこの国の人ですか?。ここには、世界の人々が皆、集まっていますが、故郷が皆違い、祖国が皆違うというのです。「天宙」という言葉は何ですか?。この世界には故郷も多く、祖国もたくさんあります。「天宙」とは天地のことです。天地というのならば、故郷と祖国は一か所しかありません。 この世界には、いくつもの祖国といくつもの故郷がありますが、「天宙」と言うとき、「天」とは文字どおり天のことであり、「宙」とは家のことです。「天」という字は「二人」と書きます。「宙」の「ウかんむり」は家を表します。「宙」という字の「由」という字は「自由」の「由」を表すのです。ですから、「天宙」とは、「思いどおりにする自由な家」ということです。 英語では、このように内容が複合的に含まれている言葉はありません。東洋には表意文字があります。すべてこのようになっているのです。その意味は、いつでも上下を考え、左右を考え、前後を考えるということです。いつでもその三つのことを考えるのです。それゆえに、宇宙を表すのは、「天・地・人」という言葉です。その三つの中にすべてが含まれているのです。 人間は小宇宙なのですから、皆さん自身にも霊的「天・地・人」と肉的「天・地・人」が含まれているのです。すべて二人です。二人で暮らす「私の家」なのです。そしてこの二人は、相対的なのではなく、一つであることを象徴するのです。ですから、二人が共にいる所には、いつでも神様が共にいらっしゃるのです。それゆえに、東洋思想は幅が広いのです。 そして西洋の人は、仕事をさせるにしても一つだけさせなければならないのであり、二つも三つもさせたら何もできません。東洋人は数を数えるとき、一、二、三、四、五までは指を折って数え、六、七、八、九、十は、折った指をこのように広げながら数を考えます。 ですから、西洋の人に「何々をしなさい」と言って、一度に十のことをさせても、一番、二番、三番、四番、五番と、指を折ったりせずに一つずつ数を数えて決めます。東洋では、指を折って数えるというのです。指で数を数えるのを見ても、折った指を今度は広げていくので、最後まで数えれば、今度は帰ってこなければなりません。行くものであれば、帰ってくるようになるのです。 それゆえに、東洋文明と西洋文明が違うところは、東洋思想は総合的であり、西洋文明は方向性を持っているというところです。西洋文明は、進んで行っても帰ってくることを知りません。西洋文明は、最後まで行っても帰ってくることができないというのです。帰っていこうとすれば、しかたなく東洋人にしがみついてこそ帰ってくることができるのです。 なぜかというと、西洋人は、大宇宙の家、膨大な家のすべてのものを捕まえようとするので、そのようになるのです。ですから、東洋と西洋が一つにならなければならないということです。 このような話は、きょうの題目の序論にしかなりませんし、常識的な話なのです。皆さんも、西洋文化圏内にいる人は、必ず東洋文化を保護しなければなりません。そうしてこそ、内外が編成されるのです。 上下、左右、前後が(板書される〈図〉)このようになってこそ、自己の位置が定まるのです。上下、左右、前後を定めてこそ、位置が定まるというのです。ですから、前だけを知っているのではいけません。後ろも知らなければなりません。未来と現在と過去を知らなければなりません。東洋と西洋と現在です。文化でいえば、西洋文化、東洋文化、世界文化になるのです。そのような関係になっているというのです。一つだけ知っているのではいけません。 皆さんが眠るとき、うつぶせになって寝たり、横向きに寝たり、右を向いて寝たり、左を向いて寝たりするでしょう?。どれが原則ですか?。ヘンドリックス氏。(「上を向いて眠ることです」)。必ず、上向きに眠らなければなりません。 なぜ、必ずそのように眠らなければならないのかというと、すべてが「解放である」というのです。足も解放、腕も解放、すべてが解放だというのです。横を向いて寝れば拘束です。腹ばいに眠るのが楽なのではないかと思うかもしれませんが、頭が苦しいのです。(ジェスチャーをされる)(笑い)上を向いて両腕を広げて眠るのが「解放」です。分かりますか?。すべてのことは、道理にかなっていなければなりません。 この中で、腹ばいに眠る人は、手を挙げてください。それは七十点です。横向きに寝る人はいますか?。それは五十点です。(笑い)この二つが一つになれば、百点を超えるのですが、上向きに眠るのが百点です。このような話は面白いですか?。 ですから、自己の位置は上下、前後、左右で決まります。「上下」というときの「上」は天であり、「下」は地であり、左右は男性、女性であり、前後は兄弟だというのです。父子関係、夫婦関係、子女関係、ここにすべて含まれています。そのようになってこそ、球形になるのです。 すべての存在は、球形になっています。そこには必ず、上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦、すべてが含まれているのです。そのセンターがこれ(板書されたものを指し示される)です。センターには、何もありません。空です。そうではないですか? この一点を中心として、球形のすべてが連結されているのです。ですから、これが一、二、三、四、五、六、七です。七がセンターです。それで「七」のことを「ラッキーセブン」というのです。そうして一番ラッキーな所がどこかというと、神様がいらっしゃる所(中心点)です。 それで神様は、目に見えないのです。見えない中心点にいらっしゃるのです。神様は、霊界に行っても目に見えません。神様は、わたしたちのように日常生活のすべてを指導することができ、話すこともでき、すべておできになるのですが、目には見えないのです。 上下においても、「上」は見えません。「下」は見えます。この上下が一つになってこそ、完全になるというのです。一つの完全なものになるのです。それぞれ一つでは、不完全なものです。二つが一つにならなければなりません。 皆さんにも見えない心と体があります。これが一つにならなければなりません。左右があるでしょう?。右側一つだけがあるのですか?。右側が行けば、いつでも左側が行き、左側が行く所にはいつでも右側が行って一つになるというのです。それから何ですか?。上下、左右、前後です。 自分が前に進むというときにも、自分が動くときには必ず前後というものがあります。そうして、自分の動きに伴って空気が動けば、自分が今までいた所には、いつでも空気が入ってきて空いた空間を埋めて、水平にならなければならないというのです。左右関係も水平にならなければなりません。前後関係も水平にならなければならないというのです。 それゆえに、自分一人で個人主義を主張する愚か者は、この宇宙のすべてのものを破綻させるのです。放棄してしまうというのです。天があり、地があり、左右があり、男性と女性がいて、未来の後孫がいるというのです。三つが一つにならなければなりません。 この図を見れば、上下も一つのカップル、前後も授け受けするので一つのカップル、それから左右も授け受けするので一つのカップルです。カップルになるというのです。種は上下の殻、左右の殻、前後の殻をかぶって出てくるのです。種は、必ず固いのです。そして二つでできているというのです。 種は長細くなっていたり、このようになっているのですが、プラス・マイナスです。これが球形になっていますが、前後になっています。プラス・マイナスです。それで、父母が必要なのです。これが男性ならば、女性が必要です。そして、これは何かというと、兄弟が必要なのです。父母を持たなければならず……。 父母が上下であると同時に、父母が左右であると同時に、父母が前後なのです。ですから、前後が育って夫婦となり、そして上下(父母)になるのではないですか?。すべてそのようであるというのです。そうですか? (「はい」) ですから、父母を否定する人は落第であり、夫婦を否定する人は落第であり、子女を否定する人は落第です。宇宙の原則から外れているのです。無価値です。公式のとおりになっていません。 人は、いくら愚かでも、優れていても、父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、息子、娘がいなければなりません。アダム、エバも、息子、娘が育って夫婦となり、父母となったのです。それは必然的な内容であり、わたしたちが行くべき道なので、わたしたちにもその三つが絶対に必要であるという結論が出てくるのです。 子女、それから夫婦、それから父母、このようになったのです。連結されているのです。上下、左右、前後合わせて一つなのです。そしてこれが、家庭の種です。ですから、あなたの家庭には、必ず父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、子女がいなければなりません。 そのようになっていてこそ、回っていくのです。これが理想的存在のモデルです。それで、父母の愛を完全に受けなければならず、そして夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから子供を生んで、息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。 それでは、神様はどのようなかたなのでしょうか?。どこから先に始まったのですか?。上からです。「上下」と言うからです。「上下」です。東洋の言葉は、「右左」ではなく、「左右」となっています。それは、堕落したからです。そのことを知らなければなりません。本来は、「右左」にならなければなりません。それでは、どこから先に始まったのかというと、上を考え、それから右側を考えなければならず、それから前後です。分かりますか? この殻のようなもの(図)が、種です。神様が共にいらっしゃってこそ種になるのです。神様を中心として上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになったので、神様を中心として一重の殻、二重の殻、三重の殻になったのですが、中心の神様がプラスであり、種がマイナスです。それは、原因と結果です。ですから神様のようにならなければなりません。 「四位基台は、三対象目的を完成することである」と原理は主張しています。これは宇宙の根本です。愛の関係を持った植物や動物の世界は、この原則と法度の内容によって成り立っているということを、皆さんは知らなければなりません。 そこの女性は、種になることができますか?。そのようになろうとすれば、父母にならなければならず、妻にならなければならず、娘にならなければなりません。そうしてこそ、この宇宙の中で永存し、回っていくというのです。一年で一回りして、千年万年、回り回っていくのと同じように、永生するのです。 この中で、父母が嫌いな人は手を挙げてください。「わたしの思いどおりにできるのが父母である」。そうですか? 「父母は子女には勝てない」。そうですか?。違います。一体、世の中のどこに、そのような言葉がありますか?。それは、堕落したためです。堕落したので、転がっていくのです。転がって離れていったので、そのようにいうのです。 上がなくなれば、プラスがないので転がっていきます。左右で、夫がいなければ引っ張られていくのであり、息子、娘がいなければ後代がいなくなるので、この地上の歴史から追放されるのです。価値否定です。夫がいなければ、女性も滅びるのです。息子、娘がいなくても滅びるのです。一代で終わってしまいます。分かりますか?。それは事実ですか? (「はい」) では、何によって連結されるのですか?。力によって左右、上下、前後を連結することができるのですか?。お金でも知識でも権力でもありません。お金ではバランスを取ることはできません。知識ではバランスを取れません。 一つでも多くの知識を持っていれば、「おまえはわたしの言うことを聞きなさい」と言って、それで高い低いということを判断するというのでしょうか?。それでは一つになる道がありません。また、力でも一つになることはできません。分かりますか?。バランスを取れるものは、愛しかありません。それで、神様はこの中央の位置にいらっしゃるのです。「ラッキーセブン」です。分かりますか? (「はい」) バランスを取ろうとすれば、上下を一つにし、左右を一つにし、前後を一つにしなければなりません。上下、左右、前後を一つにするものは、愛なのです。神様を中心として、すべてのものがバランスを取らなければなりません。それが宇宙の完成です。この原則について見るとき、中心がなければならないでしょうか、あってはいけないでしょうか? (「なければなりません」) 皆さん、サッカーボールがあるでしょう?。太陽のように丸いものがあります。それは、内部の中心から圧力で上に押してあげ、下に押してあげ、前後に押してあげ、左右に押してあげるので、サッカーボールは丸いのです。その中心はどこですか?。引っ張ればつぶれてしまいます。それでは、どうしてバランスを取って、共に押し合うのでしょうか? つかんで引っ張ったり、引きずり降ろせば、ぺたっとつぶれてしまうというのです。中で何かがバランスを取ってあげ、共に押してあげるのです。何が全体を円滑に大きくしているのかということです。それは何ですか?。愛なのです。真なる愛は、投入することです。受ける力ではありません。与えるので、そのようになるのです。それゆえに、「真の愛を中心として、中央においてために生きる世界は、自然に完成する」という、このような結論になるのです。 そこには「自分」というものがありません。「自分」を絶対無視して出発する点が、中心点であるゼロ点です。ゼロ点の中には、何が入ってきても「オーケー」です。そして与える力が永続し、入ってくる力が永続するので、永遠に球形になるのです。もし、中心点のゼロ点から外に向かう、与える力が弱くなれば、外からさあっと入ってくるのです。 この世界は空です。ぽっかり空いているというのです。この宇宙のことです。天宙は、その全体が空いているというのです。そして、「ラッキーセブン」のような神様がいらっしゃって、そこに投入されるのです。天運は、それを受け止めて回してあげるのです。回転運動をすれば、大きくなります。分かりますか? そして、この空間世界を引き入れることのできる力の動機は、与える力であり、それがあるがゆえに、そのようなことができるのです。与える力があり、それが入っていくことのできる力となって返ってきて運動することによって、中心点が永遠に運動するのです。 愛は流れていきます。空気も流れ、水も流れ、愛も流れていきます。光はどうですか?。月の光が流れていって、どのように回っていくのですか?。空気も回り、水も雲になって回り、空気も回っていくのですが、太陽の光は回っていきますか? 皆さん、月にかかる暈というものがあるでしょう?。太陽の暈はどうですか?。太陽があれば、その中で数万種類の元素が作用しており、同じ元素は、その運動を宇宙に発散し、展開しているというのです。そのようにしながら、それが月の暈のようにすべて連結させて入ってくるのです。 光があれば、物質があるところでは反映して運動しているのです。光がある方向に流れていくということは、その流れていく方向が、その流れていった光が再び帰ってくることのできる方向になっているので流れていくのです。そうでなければ、流れていきません。ですから、損害を被る運動をするものは、この天宙にはありません。 きょうの題目は、「天宙は私の故郷と祖国」ですが、天宙は、存在する万物の家なのです。すべての万物が入っています。神様は、球形の位置、無形の位置から、天宙をサッカーボールのようにつくられるのです。 それでは、その存在はどのようになるのですか?。受けたので、今度は自分が返してあげなければなりません。反射と同じです。必ず返してあげなければなりません。そして返すときには、神様から受けたものに、よりプラスしようとするのです。もっと大きいものを返してあげるというのです。ですから、与えれば大きいものが返ってくるので、もっと大きくなり、どんどん大きくなっていくのです。 善なる人とは、どのような人ですか?。受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対してプラスさせて返す人は善なる人なのです。それゆえに、父母の中で、「子女は自分よりも低くなれ」と言う人はいません。自分よりも高くなることを願うのです。また夫は、妻が自分よりももっとりっぱであることを願います。 さらに、兄は弟がそうあることを願い、弟も兄がそうであることを願うのです。そうなのです。受けたものよりももっと大きいものを返す人は、父母の願いや兄弟の願いやすべての万物の願いや、全宇宙の願いにかなっていなければなりません。アーメン。簡単です。 皆さん、だれが話していても、聴衆の中の一人だけでも、より喜んでいる人がいるとすれば、どんどん続けて話が進むのです。見ることもそうです。見ていてもっと喜べば、どんどん大きくなっていくのです。 夫婦でキスするときもそうです。初めは遠慮していても、後から「アイゴー、死ぬー」と言いながら大きくなっていくのです。原理であれ何であれ、自然の道理がすべてそうなっているのです。このことさえ知れば、すべてが解決します。さあ、統一教会の教会員として、だれが一等になるでしょうか?。受けたものよりも、もっとたくさん送り返そうとすれば、一等になるのです。 「訓読会」のみ言です 「そのみ言の内容よりも、自分はもっとなそう」と思ってすれば、統一教会の「ナンバーワン・メン」になります。一番、最高になるのです。それは正しいことですか、正しくないことですか?。正しいですか、正しくないですか? (「正しいです」)与えたにもかかわらず、踏み倒してばかりいると、空になるというのです。前進ではなく、後退してしまいます。 あなたたちは、米国や世界の歴史を通して、今まで多くの世話になった結実として生まれたのですが、自分が世話になった以上に与えようとしてこそ、世界全体の前に基準となることができ、それが高くなって与えてあげることができることによって、引っ張っていくことができるのです。簡単です。皆、分かりますか? (「はい」) 目もそうです。美しいものがあれば、目がぱっと開くのです。見ているものに内容がなかったとしても、自分が協助してあげれば、その価値が高くなるのです。平常時に聞いていた言葉よりも良い言葉を聞けば、耳が踊りを踊りだします。においも同様であり、口も同様です。分かりますか? 「天宙は私の故郷である。私の祖国である」と、そのように言うことのできる人は、天国に入っていけば個人的に歓迎され、家庭的に歓迎され、国家的にもっと歓迎され、世界的、天宙的に最高に歓迎される神様の息子、娘になることができる、という結論も出てくるのです。 天宙が私の故郷であり、私の祖国であるならば、きょうのこの図の中で、どのような位置になるのでしょうか?。例えば、任意の点のここが故郷であるとするならば、その点と中心までのこの距離が、どれほど遠いでしょうか?。そのような場合、この二点間以外のすべてのものは、忘れてしまうのです。 ですから、この全体の中のどこの位置においても永遠に万歳、ここも万歳、ここも万歳、ここも万歳、あそこも万万々歳と言うことのできる故郷は、どこですか?。祖国がどこなのかというのです。 目には見えなくても、この世界すべてにぎっしりと満ちている、そのような人にならなければなりません。天宙も、目には見えないけれども、ぎっしりと満たされているということを知って、そのようなものを見ることができ、そのように暮らすことのできる人にならなければなりません。 この完全に空いた中心の位置に入っていってみると、その周りは見えません。(板書されながら、み言を語られる)周りをのぞき見ても、見えないというのです。中心に入っていけば、見えないものを中心としてではなく、中心点は内的世界を見ることができると同時に、外的世界まで見ることができるのです。神様がそうであられるというのです。何のことか、分かりますか?。無の境地を通過しなければ、本当の世界と本当の天と神様を見ることはできないという結論が出てくるのです。 米国(韓国語で「ミグク」)とは、わかめスープ(韓国語で「ミヨツクク」)のことですか?。だから落第です(わかめは、ヌルヌルと滑るので、韓国語で「ミヨ グル モクタ〈わかめを食べる〉というと「試験に落ちる」の意になる)。「わかめスープを食べれば、(試験に)落ちる」と言うではないですか?。ですから落第です。米国が見えません。 米国を否定し、米国社会、自分の会社、すべてを否定し、そして、ジャンプして飛び越えて、中心点に入っていけば、神様しか分からなくなります。神様は、いらっしゃっても神様であり、いらっしゃらなくても神様です。神様しかありません。なぜですか?。神様が核に入っていかれるようになるときは、外にあるものは浮体のように引き込まれていくので、核の神様の位置に入っていけば、その浮体と骨までが、見えない霊界の世界、つまり見えない神様が見える世界、神様が相対的に見える世界をみな感じることができるというのです。 この八段階で見れば、どうでしょうか?。否定するということは、簡単なことではありません。否定することが簡単ですか? (「難しいです」)。ですから、(すべてを否定して)この世界には何一つないという状態にまで達したとき、その世界に入っていって出てこなければ、世界に対する事実を知ることはできないというのです。 ないところから大きくなってこのようになったので、その何もない世界に入っていって再び出てきてこそ、この二つの世界を知ることができるのです。創造のみ業をなさるときが、そうではないでしょうか?。無から始まってこの万物までつくられ、そして人間がつくられたので、人間が創造された時点から、この創造前の何もない位置まで戻って、根源的なものを中心として神様と一つになってみてこそ、神様が見える世界になるというのです。 それは何かというと、神様がつくられたものをすべて消化してしまいなさいということです。分かりますか? (「はい」)。生き残るものを消化できる力を持つ存在が生き残るということを知らなければなりません。消化して栄養分を補給し、大きくなっていくことができなければなりません。このようにして大きくなることのできる存在は生き残りますが、ふさがれて大きくなることのできない人は、いなくなるのです。 皆さんは、どこで暮らしたいですか? (「故郷です」)。故郷と祖国とどちらですか? (「天宙です」)。天宙というものは、そこに地球も入るのです。故郷は天宙の中にありますが、地球や祖国は、神様がいらっしゃる所です。先祖が神様なのです。分かりますか? それでは、あなたたちの故郷はどこですか?。天宙であるというのです。それゆえに、分けて話をしませんでした。天宙というのならば、あなたたちは空中で生まれたのですか?。地球であり、この世界です。故郷の地はどこですか? (「韓国です」)。韓国ではありません。地球です。地球が故郷なのです。その故郷が地球のどこなのかというとき、このフロリダであるとか、ワシントンであるとか、それらが異なってくるのです。 皆さんが「故郷である」と言い、「祖国である」と言うものは何ですか? 「それは、米国の限界圏内に囲まれたものである」と言いますか?。それは違います。あなたたちの故郷は、どこであるというのですか?。この米国の者たち。「自分の故郷は米国のフロリダやワシントン、日本、韓国である」と言うのは、愚かな人です。堕落した者たちがそのような話をするのであって、堕落していない本然の者たちは、そのような話はしないということです。 故郷は世界、天宙です。それが故郷です。なぜですか?。自分の父、息子、娘、一緒に生まれた兄弟が暮らす所が故郷であり、父母が暮らす所が故郷なのですが、「堕落していない地球が、私たちの故郷である」と言うことは正しいのです。それでは、生まれてみると黒人が生まれ、黄色人が生まれ、白人が生まれました。それは、だれの息子、娘ですか? (「神様です」)。それを見たのですか?。見ましたか、見ていませんか? 見ていても見ていなくても、主人は一人しかいません。それは、「お山の大将主義」ですが、宇宙のここでも大将、東に行っても大将、西に行っても大将、上下に行っても大将、左右に行っても大将、あらゆる大将がいますが、その大将の中の大将が、「ラッキーセブン」である神様であられるというのです。神様が大将であられるので、神様は父ということにならざるをえません。 白人と黒人は、皮膚の色が違うだけではないでしょうか? 「白人は立って歩くけれども、黒人ははって歩く」というのであれば、それは、どこかが違うかもしれません。 しかし、白人は黒人に「あなたはわたしに似ている」と言うことでしょう。白人が歩くのを見て、黒人は「自分と似ている」と思うのではないですか?。ですから、「同じである」ということです。 黒人がはって歩くのであれば、白人は「自分と似ていない」と言うかもしれませんが、黒人も当たり前のことですが、もちろん歩くのですから、それを見れば、白人は「自分に似ている」と言うということです。同じなのです。 白人がすることで黒人にできないことはなく、黒人がすることで白人にできないことはありません。すべて似ています。ご飯を食べるのも手で食べますか、足で食べますか? (笑い)猿は、足でも食べ、手でも上手に食べるのですが、白人も黒人も手で食べます。ですから、白人と黒人で似ていないところが、どこにありますか? 男女が愛してキスすることも、白人と黒人は同じであり、それどころか黒人は、愛することにおいてももっと情熱的に愛し、優れたりっぱな所が多いというのです。黒人同士で話すのを聞くとき、「あれは猿が話している」と言うでしょうか、「人間たちが話している」と言うでしょうか?。男性の手と女性の手は同じです。男性でも女性でも、トイレに行って小便するのも大便するのも同じです。男性と女性は同じです。動物たちは、うつぶせになって用を済ませるのですが、人間は皆、同じだというのです。 すべて同じでしょう?。家族もあり、肉もあり、骨もあり、血もあり、その肉も同じなのです。皮を脱げば同じです。血も同じであり、骨も同じです。白人と黒人は、何が違うのですか?。皮膚の色です。それは、なぜそのようになったのでしょうか?それは、だれがそのようにつくったのですか?。もちろん、神様がつくられたものなのですが、自然がつくりました。気候がつくったのです。 この南北米大陸のインディアンを、だれがいなくなるようにしてしまったのですか?。黒人ですか、黄色人ですか? (「白人です」)。なぜですか?。白人が最も悪いことをしたというのです。これをどのように解釈するのですか?。しかし、キリスト教を紹介したので、白人は残っているのです。 ひぐまと北極ぐまが出会って一緒に暮らせば、自動的に結婚するでしょうか、しないでしょうか?。それは、自然ですか、人為的ですか?。自然にそのようになるというのです。牧場を見れば、白い馬もいるし、黒い馬もいますが、それでも混ざって結婚するというのです。しませんか? (「します」) ですから統一教会は、自然にそのようなことを喜ぶのです。自然界では、白いものと黒いものと黄色いものが自然に結婚しているのですが、先生も自然が好きなので、しかたなく同じことをせざるをえず、自然なことをしているのです。しかし、世の中でわたしを好む人は一人もいないというのです。 黒人と白人が結婚することは、北極と南極が一つになることと同じです。黒人は、すべて熱帯圏です。それゆえに、白人や黄色人は、黒人と結婚することを好めば、健康な後孫を生むと思うのです。鳥もそうです。渡り鳥を見ると、熱帯地方にいるものが、温帯や寒帯地方で生まれたものを食べるためにそこに行き、そして子を産むのです。そのように入れ替わるというのです。 気候は、千態万象の差があるので、生まれた地域だけで暮らしていてはなりません。世界、地球上のどこに行ったとしても、自分が好きなものを探していきながら、世界のものをすべて食べてみなければなりません。 それでは、三代が四位基台を形成するので、わたしたち統一教会の祝福家庭は、三代を中心として、白人の嫁と婿、黒人の嫁と婿、黄色人の嫁と婿、このように混ざっている家庭を持つことが理想的ですか?。それとも白人だけ、黒人だけ、黄色人だけの家庭が理想ですか? (「混ざっているものです」)。混ざっているものですか? (「はい」) あなたたちは、ミックスされた食事が好きですか? (笑い)それゆえに、東西南北、朝は春の食事を食べ、昼食のときには熱帯地方の食事を食べ、夕方は秋を象徴するので、秋の食事を食べ、夜は冬の食事を食べれば、健康によいのです。そのようにすれば、健康だというのです。 そのようにすれば、どこに行って寝ても、どこに行ってもおなかを壊しません。東の方で水を飲んでも、西の方で飲んでも、南の方、北の方、どこに行って飲んだとしてもおなかを壊しません。 朝食は米国で食べ、昼食は日本に行って食べ、夕食はロンドンに行って食べ、夜はサンパウロに行って食べれば、どれほどよいでしょうか?。一日をそのようにして食べれば、毎日のようにおなかを壊すでしょうか、おなかを壊さずに一年じゅう健康でしょうか?。考えてみてください。 どこに行っても、一年じゅう、生涯そのように訪ね歩き回りながら食べたとしても、おなかを壊さずに健康だというのです。それをすべて消化できるからです。あなたたちは、辛くて塩辛い韓国の食事を食べれば、おなかを壊すでしょう? (笑い)先生は、それを食べ、ここでハンバーガーを食べ、ステーキを食べ、スープを飲んでも、何を食べても大丈夫であり、南の方に行って何を食べても、肉を煮て食べ、生で食べてもびくともしません。それゆえに、どこに行ったとしても生きていくことのできる訓練ができているので、「ありがとうございます。神様」と言っているのです。 それでは皆さんは、そのように世界を歩き回りながら、毎日のように朝と夜が違う生活を送り、世界のどのような食事であっても食べて消化する生活をして、喜んで楽しく暮らしたいですか、一つの所にしがみついて暮らしたいですか?。就職して十二か月、十年間を同じ所で暮らしたいですか? (「お父様と一緒に暮らしたいです」)。お父様と一緒に暮らすのではありません。神様と一緒に暮らすのです。 神様は、どこであっても、人間が食べるものはすべて食べたいと思われるでしょうか、食べたいとは思われないでしょうか? (「食べたいと思われます」)それでは、わたしが一匹の大きなわにを捕まえておいて、「おい、わにの肉をおいしく食べよう」と言えば、ムシャムシャと食べますか、わあわあ言いながら食べますか?。 自然界では、何の肉であっても我先に自分が食べようと大騒ぎし、動物でも大騒ぎするのに、人間世界では皆、えり好みをして「食べない」と言うので、人間世界は長く生きられないというのです。 そのように考えると、自然界では人間がびりでしょう?。そして、その中でも文明人たち、米国人が一番びりなのです。神様は、すべてのものを人間のためにつくられたので、これをすべて食べてこそ、体も丈夫になるようになっているのであって、偏って食べれば、はんぱにしかなりません。 ですから人間も、どこに行っても暮らすことができ、何を食べたとしても、昼に食べても夜に食べても、熱い所で食べても寒い所で食べても、寝ながら食べても起きて食べても、下痢をせずに健康でなければならないというのです。ですから神様は、世界のすべてのものを一度食べて、味わってみて「死にそうだ」と言っている人を好まれるでしょうか、それとも、隅の方で限られたものだけを食べようとする人を好まれるでしょうか? (「前者を願われます」) 万物を神様以上に愛して食べるところには、病気はなく、健康なのです。虎よりも健康であり、万物よりも健康であり、草木よりも健康であり、どのような万物よりも健康に暮らすのです。ノーメンではなく、アーメンです。(「アーメン」) 愛を嫌うものはいません。真の愛を嫌うものはいないのです。あなたたちが、家で十人の家族で暮らしていても、家で飼っている猫を赤ん坊がもっと愛すれば、猫は赤ん坊の所に行って抱かれるのであって、父親と母親が嫌えば、猫はそこには行かないというのです。そうではないですか? 猫は、赤ん坊を見れば「ニャオ、ニャオ」と言いながらそこに行きますが、おじいさんを見れば、「ニャオ、ニャオ、ニャオ」と言いながら、そこには行かないというのです。(ジャスチャーされる)(笑う)人間の世界にだけ、受けたものを返さない強盗団、詐欺団がたくさんいるのですが、そのような人は地獄に行かなければなりません。 さあ、ここに集まった五色人種には、各国の故郷と祖国がありますが、一つ間違いないことは、真の愛を中心として見たときに、すべての者にとっての祖国と故郷には、ただ一か所しかなることができないということです。ところが、愛がないので、すべて分かれてしまったのです。そうですか?ですから、この地球は故郷になることができますが、わたしたちの祖国にはなることはできないというのです。祖国は、父が暮らす所が祖国なのです。 日本の食口は手を挙げてください。十年たてば、日本人が米国の地を占領してしまいますね。日本人は息子、娘をたくさん生みなさいというのです。どんどん生むのです。西洋の人は、赤ん坊を生まずに逃げていきます。フリーセックス、ホモ、レズビアンは「自然滅亡」です。 統一教会の祝福を受けた家庭は、どんどん子供を生むのです。それは「ブレスト・カップル」ですか、「プラス・カップル」ですか? (笑い)わたしたち祝福家庭は、今から「プラス・カップル」というのです。(「アーメン」)。二〇〇〇年まで、十日程度しか残っていません。十日を超えたならば、「プラス・カップル」と呼ぼうというのです。(笑い)(拍手) プラスしようとするので、妻にも負債を負わず、夫にも負債を負わず、お互いに負債を負わずにプラスする「プラス・カップル」となるのです。「プラス・カップル」になれば、プラスの子女が生まれるというのです。分かりますか? (「はい」)。それで、二十一世紀の統一教会は、「プラス・カップル」であるならば「ブレスト・カップル」である、というのです。 それから、何のレイス(人種)ですか?。「ユニフィケーション・レイス(統一の人種)」です。そこには白人もいて、黒人もいて、五色人種がいるのです。あなたたちは、白い服がよいですか、茶色の服がよいですか、黒の服がよいですか? (「レインボーです」)。(笑い)ミックスしたものが良いのです。混ざらなければなりません。まだらになっているものです。 あなたたちの故郷はどこなのですか? (「地球です」)。本当の故郷は、今はありません。考えてみてください。一番重要なものが何かというと愛なのです。愛、血統、それから三番目は何かというと、生命です。三位一体です。色も三原色であり、肥料でも三元素があるのです。分かりますか? 愛が存在するためには、愛には血統がぶら下がっており、血統には生命が連結されています。愛には神様が連結されているのです。神様は、先祖であられるというのです。こうして神様から血統を通してつながって、上下、前後、左右を中心として家庭となるのです。そこに愛があり、血統があり、生命があるのです。 それゆえに、愛は歴史と連結された愛であり、生命と連結されたものが愛なのです。分かりますか?。血統が連結されておらず、生命が連結されていない愛は、偽りの愛です。そこには、すべての四肢百体が一時に動員されなければなりません。方便的、手段的愛になることはできないということを知らなければなりません。分かりますか?。これは、だれも変更することはできません。 この愛と血統と生命のうち、血統一つを抜いてしまったとしても、すべて壊れていくのです。生命があったとしても、すべて壊れていくのです。生命があったとしても、この生命が愛を中心として血統的因縁ができていなければ、生命が連結されないというのです。 愛は、永遠の歴史をつくるためのものです。過去、現在、未来と、神様の血統がくねくねと曲がることはできません。神様の血統は、まっすぐなのです。数千代、数万代がこのようにまっすぐになっているのです。生命も同じです。愛も同じなのです。 その一代一代が、どこに連結されるのですか?。愛に連結されるのです。真の愛は、どこであっても真の生命と血統に連結されるのです。それゆえに、どこに行ったとしても、一代で同じ実を結ぶことができるというのです。真の愛、真の血統、真の生命。ですから、「永生」なのです。一つだというのです。それゆえに、祖国に自動的に帰るのです。分かりますか? ゆえに、「真の愛を持ったのかどうか」ということが問題なのです。真の血統を持ったのか、真の人になって、真の愛と真の血統と真の生命を後代に残すことができるのかどうかということが、神様が創造理想として願われる結論である、ということを知らなければなりません。 そのようになれば、どのようになるのでしょうか?。神様のような理想的で永遠の愛、永遠の血統、永遠の生命の主人に似た人々が、完全な天の国の息子、娘になるのです。アーメン。 なぜ、結婚しなければならないのでしょうか?。この伝統を過去と同じように今日、今日と同じように未来に残すためなのです。東洋、西洋、どこであっても永遠に同じ家庭をつくるためなのです。そのことを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」)それゆえに血統をつくらなければなりません。それは、どのような血統をつくらなければならないのでしょうか? 女性で言えば、ごちゃ混ぜの血統をつくるのですか、純粋な血統をつくるのですか?。純粋なものは一つです。それは、本来の夫を通してつくられるのです。あなたたちは、他人が食べたご飯を食べるのがよいですか、それとも新しいご飯を食べますか? (「新しいご飯です」)。新しいご飯ですか?。皆、そうでしょう? この目ですが、赤ん坊は、生まれてから目を開けるときに、何を先に見るでしょうか?。だれを先に見ますか?。父親を先に見るでしょうか、母親を先に見るでしょうか? (「母親です」)。なぜ母親ですか? 「マム(韓国語で「心」の意)」を与える「マム(英語で「母親」の意)」なので、マム(母親)を先に見なければならないでしょう? (笑い) そして、何をまた先に触ろうとしますか?。母親の口を先に触りたいと思うでしょうか、父親の口を触りたいと思うでしょうか? (「母親です」)。母親なのです。お乳を上げるからです。(笑い)これが宝です。最も貴いことなのです。 東洋では、しゅうと(義理の父)の前で胸を見せれば、女性の中で最も悪い女性と思われるのですが、赤ん坊を生めば、裸になって両胸を見せて、このように乳を飲ませても、それは善になるのです。愛がそこにあるからです。真の愛があるというのです。それは、最高の善です。主人が変われば、そのように変わることができるのです。 赤ん坊は、母親を触り、母親の顔を触り、父親は取り残されます。それでは、その赤ん坊を育ててくれるのはだれでしょうか? (「母親です」)。それと同様に、動物世界においても、子を育てるのは母親です。それは公式です。子を育てることは、父親にはできません。母親がすべて育てるのです。ライオンでも虎でもそうです。 それでは、母親の愛がもっと良いですか、父親の愛がもっと良いですか? (「母親の愛です」)。なぜですか?。どうしてですか? (「……」)。どうしてなのですか?。それは、赤ん坊は母親の体の分身体だからです。母親の体の分身体だからなのです。赤ん坊は、血、肉、骨、すべてを母親から分け与えられて生まれました。それゆえに、赤ん坊は、親の愛の実体です。すなわち、自分の体、「第二の私」なので、愛さざるをえないというのです。 アダム、エバは、神様から分かれて出てきました。ですから、神様は、アダム、エバを愛さざるをえないというのです。堕落する前のアダム、エバは、神様に対して触ることもでき、見ることもできましたが、堕落した後のアダム、エバは、神様に触ることもできず、見ることもできず、考えることもできなくなってしまったというのです。これは、どれほどあきれ果てることでしょうか? 血統の貴重性というものを、わたしたちは考えてみなければなりません。アダム、エバは本来、どの血統を受け継いで生まれるはずだったのでしょうか?。神様でしょうか、どこの血統でしょうか? (「神様です」)。神様なのです。 それでは、アダム、エバが神様の血統を受け継いでいたならば、血統を延長するためには、何を通さなければならないのでしょうか?。アダムの息子、娘が神様の孫にならなければならないのですが、アダムの息子、娘は、神様の孫になることはできなかったということを知らなければなりません。 カインとアベルは、だれの血統を受け継いだのですか?。大きな声で答えてください。(「サタンです」)。サタンです。サタンとは何者ですか?。神様の愛の怨讐です。それは、神様の怨讐なのです。分かりますか?。ですから姦夫なのです。それは、最も悪い者です。 愛の怨讐のことを「姦夫」というのです。姦夫の「姦」という字は、女性が三人と書きます。愛の怨讐です。分かりますか?。今まで、そのようなサタンが何者であるのかを知りませんでした。サタンは神様の怨讐ですが、どのような行動をする神様の怨讐なのかというと、それは「淫乱の神」です。サタンは、「淫乱の神」の先祖なのです。 それでは、サタンがエバの胎中に入っていって、その子宮にカインを妊娠させるとき、神様の息子を妊娠し、神様の娘を妊娠しなければならない子宮であるのに、サタンの息子、娘を妊娠した子宮と、そのエバの体全体が、どれほど悲惨であったであろうかということを考えてみてください。 そこで女性が生まれるとき、「私は今後、王子に侍ることのできる私である」と考えたのではなく、「アイゴー 痛哭する立場に立った、サタン世界のマフィアのような者に出会うのだなあ」と思って、どれほど悲しんだであろうかということを考えてみてください。 そこから、神様の愛の世界とサタン世界は、完全に分かれてしまうのです。そこに神様が共にいらっしゃることはできません。そこから皆さんを宿し、皆さんが生まれてきたのです。そういう皆さんは、父親と母親の堕落した血統を受け継いで生まれた後孫なのです。そのことを考えてみましたか? そのようなことを考えてみるとき、本然の「私自身」とは、神様のみ前に平和と愛の中で抱かれ、喜び楽しむことのできる「私」であるべきにもかかわらず、神様の怨讐の根を受け継いで、それが食い込み、震えて悲惨な姿になり、どうしようもない「私自身」になってしまったということを感じなければならないというのです。 これが事実であるならば、どうでしょうか?。皆さん、毎朝鏡を見ないという人は、手を挙げてください。いないでしょう?。鏡を見るとき、髪の毛一本からして「これは神様の怨讐だ」ということを感じなければなりません。いくらよく着飾ったとしても、神様の怨讐です。自分を輝かせるために身だしなみをするならば、もっと怨讐になるのです。 この目を見るとき、「おまえもサタンの目だな、神様の怨讐の目だな」と思い、鼻も、口も、耳も、体も全部そうであると思わなければなりません。体全体の中で、神様が歓迎なさることのできるものは一つもない、ということを知らなければなりません。 女性で言うならば、このようなことです。例えば、あなたたちの夫人が本来の夫を中心として赤ん坊を宿すべきであるのにもかかわらず、強盗に強カンされて赤ん坊を生んでしまったというとき、その赤ん坊を見るすべての人がどのようになるでしょうか? そのような場合、背を向けなければならず、見るのも嫌がるというのです。それを見ても、においをかいでも、反発するのです。同じ怨讐との間で二人の息子、娘がともに、そのようになってしまったということとぴったり同じです。堕落した世界の人であってもそうであるというのに、本然の神様ならば、どうであられるでしょうか?。百八十度違うというのです。 そのような体をもって、女性が愛そうとして男性を求めて現れ、それに対して、そのようなとんでもない男性が愛そうとして現れる、その状況を神様がごらんになるとき、神様は「おお、良いぞ」と言われるでしょうか?。雷で打ってしまいたいと思われるのです。 神様は、「結婚しなさい」と言われるでしょうか、死ぬほど「結婚するな」と言われるでしょうか?。何がフリーセックスですか?。ホモ、レズビアンですか?。ですから、神様の目から火が出るでしょうか、出ないでしょうか?。地獄に逆さまにして投げ込むというのです。 血統的に誤った愛による血統を通して生まれた、誤った生命を持っている「私自身」であるということを自覚しなければなりません。もし、神様が悲しく恨めしい心を解き、怨讐に思うその心を解こうとされて、この体のすべてのものの節々まで細胞のようにして飛ばしてしまい、その細胞が飛んでいくのを見たとしても、それでも気分が悪いのです。もっとしないと気が済まないというのです。それほどまでに思って、火で燃やしてしまわれたいのです。 愛の怨讐、血統の怨讐、生命の怨讐が、このように恐ろしい境界になっているということを知らなければなりません。これをどのようにしなければならないのでしょうか? そのような怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも愛さなければなりません。怨讐の息子、娘を自分の息子、娘くらいに愛すれば、すべてがなくなった位置になるのです。何も生まれなかったという立場だというのです。 ですから、自分の息子、娘よりももっと愛さなければならないという立場が、神様の立場なのです。もっと愛して、少し残れば、それを中心として育てて救援しようというのです。救援摂理とは、そうなのです。投入するのです。 白紙に墨で文字を書いて、それを消しゴムで消すのではなく、水で洗うとすれば、千年、万年たっても洗うのは難しいというのです。ですから消耗しなければなりません。生命を生かすためには、堕落した生命よりももっと投入しなければ、生かすことはできません。 女性の腹中に赤ん坊が入っていて横になっているとすれば、その赤ん坊は、どれほど息が詰まるでしょうか? 「わたしが行く世界はどこか?」というのですが、生まれてからどこに行くのでしょうか?。この母親の体は、堕落した体です。ここには、父親の精子と母親の卵子を中心として、父親の種が入ってきているというのです。それも堕落によってです。偽りの愛による偽りの血統によって、偽りの生命が生まれるということ、それ自体がどれほど悲惨であるかというのです。 神様は、腹中に妊娠した赤ん坊が悲惨であるということを耳にするでしょうか、耳にすることができないでしょうか?。ご存じでしょうか、ご存じではないでしょうか? (「ご存じです」)。ご存じであるという神様が、「アイゴー、おまえはかわいそうだ」と言われることができるでしょうか?。あきれ果ててしまうことです。それが数千代です。一つ、二つの家庭ではありません。六十億人類、おびただしい数の家庭になっているというのです。 赤ん坊は、母親から生まれてどこに行くのでしょうか?。母親の腹中の水中時代、それから陸地時代に出てくるのです。胎中から出てきて、万物を食べて生きるのです。母親の腹中と同じものが地球です。母親の腹中で栄養をもらって育つことと同じように、母親の胎を破って生まれてきたこの地が「第二の父母」なのです。そのように考えましたか? ですから、地を愛さなければなりません。地が人間に愛されたことがありますか?。神様は、地を最も愛されるのです。宇宙を愛されるのです。それは、それらが人間のために犠牲になるからです。こうして水時代から空気時代、それから太陽時代です。空気時代は陸地時代であり、地球星時代です。 口は水を表し、鼻は空気時代を表します。口は水を飲まなければならず、鼻は空気を吸わなければなりません。この目は、太陽時代ですから光を表します。ですから、目は神様に似ているというのです。 このように、水も流れ、空気も流れ、太陽の光も流れるというのです。目は、それを見ることによって、均衡が取れているか、ゆがんでいるかを観察するのです。水中時代、それからは陸地時代、太陽時代。これはすべての人に与えられる三時代なのですが、これらが一つの範疇に含まれているのです。太陽時代、愛時代が霊界です。 太陽を中心として見れば、太陽系は昼といえます。地球には昼と夜がありますが、霊界は常に明るいのです。言い換えれば水時代、空気時代、それからは愛時代です。愛は、常に消えてはなりません。太陽の光のように、昼でも夜でも愛がなくてはならないというのです。朝でも昼でも夜でも、北極でも熱帯地方でも南極でも、どこでも愛は変わりません。霊界は、春夏秋冬のすべてのものが実となったものを取り込んでおく倉庫のような所です。 それでは、この太陽時代に行くことができる人々は、本来、堕落せずに、本然の基準を通じてすべてのものが、愛で和していなければなりません。父と母の愛を中心として、それ自体も愛の実として喜びの中から生まれでて、万物を神様の代わりに愛し、神様の代わりに愛する立場で、万物を食べるにも愛によって食べるようにしていかなければならないのです。しかし、このすべてが反対なのです。 霊界には、夫婦で入っていかなければなりません。それゆえに、神様の血統を受け継ぎ、神様の真の愛と血統が連結された生命から出生した人は、歴史上に一人もいませんでした。ですから、天国に入っていった人は、今まで一人もいなかったというのです。ですから、神様は今まで独りで、孤独な身でいらっしゃったのです。 それでは、このような本然の人々が地球に生まれたとき、その人々にとって故郷とはどこでしょうか?。そのような人々の故郷は地球なのです。そこには米国というものもなく、あらゆる雑多なものがありません。 本来、そうなることができた世界において、偽りの愛、偽りの血統、偽りの生命とは、一体どういうことなのでしょうか?。これが神様の嘆息なのです。ですから、神様が悲しく、地が悲しく、人間が悲しく、万物が悲しい世界となったということを知らなければなりません。「そうではない」と言うことはできません。 全知全能なる神様、宇宙を創造された神様が、なぜ世の中をこのような姿のまま、悪魔の世の中、滅亡の世界のままにしておかれたのでしょうか?それは、そうならざるをえなかったのです。ですから皆さんは、本然の世界を創造された神様が、こうならざるをえなかった実情をただ見詰められるしかなく、そのような中で本然のものを失われたということを知らなければなりません。その神様の心が、どれほど苦痛であり、どれほどかわいそうであるかということを知らなければなりません。 ですから、神様を愛することができず、神様を信じることができなかったということを中心として復帰しなければなりません。そうするためには、世の中をすべて否定しなければなりません。父母であろうが国であろうが、すべてを完全に否定した中で、神様を絶対的に信任することができ、信じることができる人をいかにして捜し求めるか、ということが問題です。 そのような人を、神様はどのようにつくりあげるのかということが歴史的な宿願であった、ということを知らなければなりません。神様が信じることができる人は、一人もいません。このようなすべての血統をどのようにして清め、生命をどのように変更させて、どのように真の愛の位置を取り戻すのでしょうか?。 そのような位置に立つことができ、解放され、主人となることのできる一人の男性が必要です。それが旧約時代、新約時代を通じて主流となり、標準となった思想なのですが、この一人のかたこそがメシヤであり、これがメシヤ思想なのです。 そのメシヤとは何でしょうか?。偽りの愛の主人が悪魔となり、偽りの愛の生命、偽りの愛の血統の主人が悪魔となったので、真の愛の主人が神様となり、真の愛の血統と真の愛の生命の主人が神様となられなければなりません。 そのような血統的関係で結ばれた父子の関係が、神様とメシヤとの関係です。父子の関係は、血統が連結されなくてはなりません。そのように連結されることができる息子が、この地上に生まれたのがメシヤであり、それがメシヤ思想です。 それで選民を準備し、メシヤが生まれて、そのメシヤに接ぎ木され、同等の価値を中心として世界化させようとしたのです。しかし、そのすべてのことは、イエス様が来られたにもかかわらず、失敗してしまいました。 そのことによって再臨主が来たのですが、再臨主も同じようにその役事をなして、絹の反物のような思想をもって愛の巣をつくらなくては、父母の位置を経て天国に連結させることはできないというのです。それで「天地父母」が必要であるというのです。 真のオリーブの木、野生のオリーブの木があります。それで、接ぎ木された後には、どのようになるのでしょうか?。それは、メシヤの体のようになるので、天と地がすべて歓迎し、天地が歓迎することのできる代表的な立場から出発するのです。 それでは、メシヤはどこから出発するのでしょうか?。メシヤは家庭から出発するので、家庭を中心として基盤を持たなくてはなりません。メシヤは、アダムとエバが堕落せずに完成した家庭よりももっと神様に栄光をお返しし、もっと素晴らしく神様に侍ることができる孝子、孝女とならなければならないのです。そのような原則を知らなければなりません。そうでなくては、蕩減して残るものはありません。 メシヤとは何かというと、真の愛を中心とした父の立場から、真の愛の血統を先だって連結し、真の愛の生命を初めて出発させる主人なるおかたであり、真の父母であるというのです。その真の生命の父母は、エデンの園のアダムとエバの何百倍、何千倍以上の価値の存在として感じられなくてはならないというのです。それで、このような血統的な赤ん坊として再び生まれ出ようとするので、重生や復活というものを通さなければなりません。 それで、真の父母はサタン世界の愛をすべて否定するのです。このすべての人類がいるとすれば、それをすべて否定するのです。そうして百点の男性と女性、百点の家庭、百点の氏族、百点の民族、百点の国家、百点の世界を願うのです。 ところで、皆さんはどうですか?。先ほど言いましたが、祝福を受けた家庭とはどのような家庭ですか? (「「プラス・カップル」です」)。言葉は知っていますね。それでは、内容はどうですか?。それが問題です。サタンの血統がありませんか? それを知らなければなりません。それ自体が、サタン世界の要素を洗い清めるために涙を流し、血と汗を流さなければならないのです。ここで、この地上で先生を通して帰っていけば、霊界の天国の門には入るのですが、入ってからも八段階の道が残っているのです。 その世界に行ってからは、この地上において一年ですることを千年かけても浄化することはできません。地上が問題です。ですから、ために生きなければなりません。何百倍、何千倍、地の人々のために生きなければなりません。(「アーメン」)。「アーメン」と言うことは簡単ですが、それを実際に行うことは簡単ですか?。いずれにせよ、これはしなければなりません。いずれにせよ、成さなければなりません。 この世の終わりの日となるので、先生がはっきりとすべて教えてあげます。分かりましたか?。血統と血筋がどれほど恐ろしいものであるかということを知らなければなりません。 神様の血統を立てるために、これまで億千万世にわたって苦労し、数多くの人間たちが神様の血統を受け継ぐために苦労をしてきたのです。血統を受け継ぐのです。血統を受け継ぐことは、真の愛によらなくては血統を受け継ぐ道はないということを知らなければなりません。 真の愛というものは、自分の生命を超えて、堕落した世界の生命を犠牲にさせながら、喜びつつ歩んでいくことができる立場を執らなくては、真の愛はありません。これは、永遠なる願いです。分かりましたね? (「はい」) それでは、皆さんは今、このような基準から見るときにどれくらいのレベルになっていますか?。女性が腹中から生まれるときに願う望みは何かというと、自分のために生まれたのではなく、将来、生まれる男性のために生まれたというのです。 腹中時代を経て、幼児時代から兄弟時代、約婚時代、夫婦時代、父母時代、祖母時代、女王時代まで八段階の段階を歩んで行くべき希望的な女王の位置に立って、王である男性の王妃となって、天地の大主人となるという目的のために生まれてきたということを知らなければなりません。八段階です。それを皆さんは考えたことがありますか?。 ですから、女性が成長してこのように大きくなって男性に出会い、女王の立場にまでなるのです。そして、男性は男性の王となり、天の国の王子となって、天の国のすべてのものを継承する相続者としての位置まで行かなければならないというのです。 イエス様に約婚時代があり、結婚時代があり、父母時代があり、祖父時代があり、王の時代があったでしょうか?。ありませんでした。人間の願いがそのことであるのに、それを失ってしまわれたのです。ですから、その位置に行かなければなりません。 先生が生まれたことも、そのような段階を通じて腹中時代から幼児時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父時代を経て、王の位置まで行かなければならないのです。 世界で生きるのは、男性として生きるのです。ですから、この世の中のすべての女性たちを解放しなければならない先生であるということを知らなければなりません。女性が、そのような位置を捜し出すことはできません。母を通して、その条件を代わりに立てているということを知らなければなりません。 堕落しなかったならば、どうなっていたのでしょうか?。本来、女性が妊娠したならば、王と皇后の位置に向かって八段階の過程を行くのです。そのような神様が立てられたモデル過程を経て行かなければならないのです。 皆さんは、神様を「天のお父様」と言うでしょう?。神様も父であられ、真のご父母様も父なのです。天の父は見えない父であられ、真のご父母様は目に見える父なのです。親子関係は上下関係、左右は父母であり、それからは兄弟関係です。アダム完成、それから夫婦完成、神様完成なのです。 真のご父母様が、そのようなアダムの完成基準の氏族長、民族長、国家長、世界長、天宙長の勝利圏を中心として祝福してくれたということは、それ自体を祝福してくれたのですから、皆さんの家庭がすべて従って上がっていくのです。 八段階が、一点にすべて集まるのです。それでこの点を中心として、皆さんたちを中心として、ここも連結され、すべて連結されなければなりません。同じなのです。内外になっているのです。 このような真のご父母様を中心として蕩減復帰したすべてのものを、祝福によって皆さんの夫婦ふたり、プラスとマイナスが世界を中心に一つになったものに連結させ、ここでプラス、マイナスとなるのです。 そうして祝福をしてあげるのです。家庭によって堕落したために、家庭でそれを復帰しようとするので、それをすべて家庭的に接ぎ木するのです。したがって、先生がプラスであるならば、皆さんはマイナスです。真のご父母様がプラスならば、世界のすべての祝福家庭は皆、マイナスです。分かりますか?。それで、真のご父母様が生んだ息子、娘と同様に、皆さんたちの息子、娘たちもそのまま垂直に上がっていくことができるのです。上がっていけば良いのです。皆さんは、そのことを知らなければなりません。 一点を中心として、皆さんを中心として個人の中心となりたいのであり、家庭の中心となりたいのです。それを中心として個人の中心、それからは家庭の中心、復帰はここからなされるのです。個人復帰です。一、二、三、四、五、六、七、八。皆さんは、初めから終わりまで少しも変わりなく、同じでなければなりません。 皆さん個人を中心として、自分が個人の中心となり、家庭の中心となりたいのであり、国家の中心となりたいのであり、天宙の中心となりたいのです。そのようにすれば、どのようになるのですか?。何度も投入して忘れてしまわなければなりません。 それで、最初から最後まで少しも変わりなく同じ調子であるためには、出発して戻ってきたものが、すべて同じでなければなりません。変わることがあってはならないのです。そうして、この一つを中心として投入しなければなりません。すべて投入して、さらに投入することによって氏族が生じるのです。 それから、個人が家庭に投入し、それから家庭が氏族に上がっていき、また投入しなければなりません。民族が国のために生きていって、そのように投入することができてこそ、上がっていくのです。上がっていき、八段階を蕩減していくのです。分かりますか? このときは、必ず蕩減があるのです。再び、成したものを投入しなければなりません。それで個人は、家庭のために犠牲とならなければならないのです。そのように生きてこそ、最初から最後まで少しも変わることなく同じになるのです。そうして、もっと大きくなろうとすれば、この家庭が投入しなければならず、民族がもっと大きくなろうとすれば、氏族が投入しなければなりません。 それゆえに、八段階において、より大きなものに向かわなければなりません。全体のために投入する者、そのような者が犠牲となることによって、大きな世界の蕩減の道を開拓して上がっていくことができるということを知らなければなりません。 皆さんは個人的な蕩減時代、家庭的蕩減時代、氏族的蕩減時代、民族的蕩減時代、国家的、世界的、宇宙的蕩減時代を経て、霊界解放、地上解放時代が来るのです。全体を蕩減しなければならないのですが、真のご父母様以外には蕩減法を知りません。そうしてこのような勝利をすべてなしたので、すべて越えることができるのです。 ゆえに、全世界が蕩減が必要な時を乗り越えて、左回りに回っていたものが、反対に回るのです。逆に回っていた世界が、新たに時計の針のように回るのです。それが一次、二次、三次と移り、堕落したアダム時代から復帰時代を経て第四次アダム時代へと移っていくのです。 蕩減時代の世界にはサタンがいて、反対を受ける時代なのです。サタンがすべて引き裂くのです。父母同士、または兄弟同士、食口同士がねじれて、世界が数百、数千民族となっているのです。 これを宗教圏を中心として四大文明圏を編成し、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教、四大文化圏を中心とした統一体制をつくっていくのです。それを真のご父母様が来て消化し、蕩減し、第四次アダム圏へと移っていくのです。そのような新しい創造理想時代に移っていかなければならないのです。 この地上には、数多くの国があります。皆さんの故郷と祖国が米国にもなり、フロリダにもなり、日本にもなって、すべて違います。国を中心として、そのようになっているのですが、これは堕落した以後の世界です。必要のない世界なのです。 それで、蕩減時代を過ぎた今、地獄と天国が高速道路で結ばれています。私たち統一教会の教会員たちは個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、天宙完成をどのようにするのかを皆、知っています。よく知っているのです。知らない人はいません。 一番下から垂直に上がっていくことができるのですが、それは何によってかというと、ために生きることです。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、ために、ために、ために生きるのです。そうして、すべてために生き、ために生きる環境でいっぱいになれば、サタンは逃げていくので、この解放時代から天国を成し遂げるのです。 真のご父母様によって祝福を受けた血統です。そのような血統が連結された、生命圏を持った人の主人の位置に立つのです。それでサタンは、地獄に落ちていったでしょう?。それは、影のようなものでしょう?。神様に連結された所は日の光であり、サタンはすべて真っ暗な所です。 祝福を受けた家庭は、手を挙げてみてください。わあ。全員ですね。祝福家庭(ブレスト・カップル)が、どのような家庭になるのですか? 「プラス・カップル」です。世の中とは異なるのです。「ブレス」とは、平面のことをいうのですが、「プラス」は垂直のことをいうのです。 上に上がろうとすれば、個人が家庭のために生きて上がっていくのです。垂直です。真のご父母様は、このようにして上がっていくことができる道をすべて蕩減したのです。皆さんは今、地獄の底にいるのです。一番上に天国があれば、皆さんは地獄にいます。一番下が地獄です。しかし、蕩減時代に経てきたすべての八段階の蕩減条件を、すべてなくしたので、天に入っていくことができるのです。 皆さんが四年前にジャルジンに行ったときには、そこには何もありませんでしたが、現在、ジャルジンには「世界平和統一家庭連合教育本部」があります。そこに先生が四年前に行ったとき、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を伝えたのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。 神様がこの宇宙をつくられるとき、神様は絶対信仰をもってつくられたのです。それから、二番目は絶対愛です。創造主としてパートナーを絶対愛でつくられました。そして、絶対服従です。絶対服従は何かというと、自分自身までも、すべてなくなるのです。完全投入です。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことなのです。自分の概念まですべて投入するのです。分かりますか? それで神様は「ゼロポイント」です。信仰もすべて注がれたために「ゼロポイント」であり、愛もすべて注がれたために「ゼロポイント」であり、従順もすべて注がれたために「ゼロポイント」なのです。 そのかわり、別の方からは受けることができるので、真の愛は必ず大きくなってくるというのです。真の愛を投入すれば、大きくなってくるというのです。真の愛です。真の愛は、運動すれば必ず大きくなっていくのであって、小さくはならないというのです。 この自然世界の運動は、運動すれば消耗しますが、真の愛はどんどん大きくなっていくというのです。ゆえに、繁栄するのです。分かりますか?それで皆さん、絶対信仰なのですが、それは、だれを絶対信仰しなさいということですか?。神様です。先生も神様を中心として絶対信仰し、絶対的に愛し、絶対服従したのです。ですから、「私自身も」神様の前にそうなのです。 信仰が否定されても、それを信じていき、愛を否定されても信じていかなければならず、従順を否定されても信じていかなければならないのです。そうして、怨讐を愛する立場まで行かなければならないのです。 天の父母、真の父母、「天地父母」もそのようにしたので、皆さんもそのようにしなさいというのです。皆さんもやはり、それを相続しなければなりません。その愛から血統、生命を受けなければなりません。そのような生命を持ったので、そのような生命に見合う、そのような血統、そのような愛を持たなければなりません。 それゆえに、そのような真の愛を中心として、個人生活や家庭において投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人がセンターとなるのです。中心存在となるのです。そのことを知らなければなりません。 より「ために生きる」人が中心存在となるのです。このことを今まで知りませんでした。十人の家族が暮らしているとすれば、おじいさん、おばあさんを中心として、すべてが序列になっているのですが、幼い子供、孫であっても、だれよりももっと全体のために生きるようになれば、その孫が将来、そこの中心存在となり、すべての中心存在となるのです。 中心存在は、さまざまな所から押してくれるので、押されて上がっていってセンターになるのです。そうしてトップとなり、中心存在となるのです。家庭において、父母を中心として息子、娘が十人どころでなく、どんなに多かったとしても、そこにおいて、より中心的な存在となることができる人は、投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人です。そのようなことを継続的に行う人が、そこの中心者となり、全体の相続者となるのです。そして孝子の中の孝子となります。アーメンです。(「アーメン」) それは、国の愛国者も同様です。全国家のために投入して忘れてしまうのです。そうすればそうするほど、中心となるのです。聖人もそうです。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことができる人が、聖人となるのです。「聖子」を中心としても、やはり同様です。 神様が、神様となられることができたということは、神様がどのような存在よりも、ために投入して忘れてしまうということにおいて、一番の存在であられたからです。そのように、神様は、歴史の初めから歴史の終わりまで、投入して忘れてしまわれるということを永遠に継続なさることができるために、永遠に「ために生きる」者たちの王となられることができるのであり、先祖となられることができるのです。アーメン(「アーメン」) 統一教会が、どのようにしてすべての世界と天と地を統一することができるのかというのです。それは、より「ために投入して忘れてしまう」ということによって可能なのです。先生を見てみなさい。全世界が反対したのです。全世界が反対し、世界宗教が反対し、サタンまで動員して反対したのです。しかし、先生は彼らのために生きたのです。彼らを生かしてあげようとしたのです。彼らの息子、娘を生かしてあげようとし、彼らの父母を生かしてあげようとし、彼らの王圏を生かしてあげようとし、そのすべてを生かしてあげようとしました。 そのように反対を受けた統一教会が、どうして今まで発展してきたのでしょうか?。皆、そのことを知りませんでした。神様の戦略は、「打たれて取り戻す」戦略であり、サタンは、「打ってなくしてしまう」戦略を採るのです。キリスト教、米国、ソ連、共産党、すべてが反対しましたが、今は皆、レバレンド・ムーンに従ってくるのです。(「アーメン」)。そうですか? (「はい」)。(拍手)ここには、五色人種が集まったのですから、強く拍手しなさい。(拍手) 五色人類をこのように集めて、レバレンド・ムーンは「わたしの言葉を聞いて結婚しなさい」と言って結婚させてあげました。皆さんがそのように願ったので、結婚させてあげました。願ったのでそのようにしたのですか、強制でそのようにしたのですか? (笑い)(「願ってそのようにしました」)。ですから、不平がありますか、ありませんか? (「ありません」)。ありません。 ですから、夫婦が一つとなるのですか、なりませんか?。米国人とドイツ人を結婚させてあげれば、米国人とドイツ人と結婚する、その次の瞬間から彼らは夫婦となるのです。米国とドイツの全国民が、すぐさま、瞬間的に交差結婚するというときには、この時間から完全に統一がなされるのです。 東洋人と西洋人が、「では、この時間から神様が全世界に命令して交差結婚をする」と言うとき、即刻、地上に天国、天上に天国が成されるのです。それは、どうしてですか?。交差結婚した後に、ふたりは座ってけんかをするのですか、キスをするのですか? (笑われる)分かりますか? (「はい」) レバレンド・ムーンは、天と地を結婚させたでしょうか、させなかったでしょうか?。何億万年前の人と、今の人とを結婚させるならば、何億万年前と今が愛で和するのです。統一教会の食口の中には、何千年前のおじいさんやおばあさんたちと結婚して、何千年前の夫、妻をもらったという人がたくさんいます。その人たちが霊的に地上に来て、今、地上で一緒に暮らしています。だれが「そのように暮らしなさい」と言ったのでしょうか?。神様はできません。真のご父母様のみ、それをすることができるのです。 偽りの父母である人間が過ちを犯したので、復帰は人間がしなければならないのであって、神様がなさるのであれば、神様は最初から堕落をさせなかったのです。天国は、家庭と夫婦が入っていくのですが、愛し合う家庭が入るようになっているので、地上において西洋人、東洋人、そして霊界が真のご父母様の前に祝福を受けて、愛し合って夫婦となった人は、どこでもすべて入っていくことができます。一つとなることができるのです。 真の父母は二組ですか、一組ですか? (「一組です」)。一組しかいないのです。それは、絶対、唯一、永遠、普遍なる人です。そうすると、その真の父母の前に地上世界、天上世界で祝福を受けた家庭は、「ただ一人」ということと同じなのです。同じ価値があるというのです。そうですか? (「はい」) 皆さんたちは兄弟です。「祝福家庭兄弟」です。何千年前に引き裂かれたすべての人々が、祝福家庭を通していっぺんに出会うことができる宴の日が今、地上で繰り広げられているのです。分かりますか?。生命、血統、愛なのですが、何の生命であり、何の血統であり、何の愛ですか?。 そのような解放時代を迎えました。 そのように考えると、今まで皆さんが、それぞれ自分なりの米国の故郷と祖国を持っていたということは、恥ずかしいことです。それが恥ずかしいことであるということを知らなければなりません。そのような考えは、完全に一掃しなければなりません。私たちの故郷はどこですか? (「地球です」)。分かりましたか? (「はい」) 皆さんの「米国が故郷である」という考えを捨ててしまいなさいというのです。それは、サタンによって、堕落によって伝授された恥ずかしいものなのです。神様のみ前に恥ずかしい言葉です。理解しましたか? 皆さんが今、英語を使っていますが、それは何の言語ですか?。偽りの言語です。日本語はどうですか? (「偽りの言語です」)。偽りの言語。それでは、韓国語はどうですか? (「天国の言語です」)。違います。それも偽りの言語です。しかし、そこに真の父母が生まれたので、そこから偽りの言語をリバイバルして、善い言語となるのです。 それでは、先生の故郷はどこでしょうか?。どこですか?。皆さんの故郷と先生の故郷は違うでしょう?。しかし、地球が故郷であることには間違いありません。地球が「本故郷の地」であるのですが、この「本故郷の地」の地球は同じですが、場所が異なるのです。すべて異なるでしょう? 皆さんの故郷がどこであるかといえば、米国になりえます。しかし、祖国は異なるというのです。そこではありません。そうすればよいでしょう?。そのようになろうとすれば、皆さんの国が祝福を受けた地とならなければなりません。しかし、なっていないでしょう?。ですから、これからは「本故郷の地」を決定する時代が来ました。それができていなくては、「祖国である」とは言えません。 私はきのうも話しましたが、父の国、母の国、長子権の国、この三つの国を完全に一つにしたもの、それがホームランド(本郷の地)の出発であるということを知らなければなりません。それらは、一つの国です。 それでは、そのホームランドの決定は何によってなされるのかというと、家庭が定着しなければなりません。ですから、嫁に来た女性は、ホームランドが変わってしまうのです。本来の理想的ホームランドは、家庭が定着することのできる場所がホームランドであったので、祝福家庭がとどまることのできるホームランドを捜し出していかなければならないというのです。 ドイツ人と米国人がいれば、ホームランドは二つですか?。それは、一つとならなければなりません。祝福を受けた家庭が訪ねていくべき、一つのホームランドを取り戻さなければなりません。そうしてこそ、堕落していない家庭的位置を取り戻すことができるのです。分かりますか? (「はい」) 今回、祝福を受けた家庭、四億三千万双の祝福を受けた家庭は、北側から南側に一回りしなければなりません。ジャルジンを中心として、この祝福家庭が入籍することができるホームランドを決定するためには、先生と写真を撮らなければなりません。真の父母とともに写真を撮って、一つの家庭のようになって入っていかなければならないというのです。 それはどういうことかというと、一つになった真のご父母様とわたしたち祝福家庭が一つになり、さらに息子、娘まで一つになった、そのような写真が必要なのです。何によって入籍を証明するのですか?。ジャルジン修練所で手続きを踏んだので、そこにおいて、天国に入ることのできるチケットをもらうのです。それで国に入籍することができるのです。 入籍が何であるのかというと、本郷の国に入ることです。それは父母の国、お兄さんが暮らしていた国です。アダム家庭を中心とした父母が暮らし、長子が暮らすことができる国です。長子権復帰、父母権復帰、王圏復帰。それで、これを今から配置するのです。 これは、真なる皆さんの家庭が暮らすことができる故郷を訪ねていく道である、ということを知らなければなりません。そこに神様がいらっしゃり、真の父母がいて、皆さんの夫婦がいて、息子、娘がいるのです。分かりますか?。ホームランドです。そこに神様がいらっしゃって、父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、息子、娘がいるのではないですか?。それから、父母の国、長子の国があるのでしょう? それで、総生畜献納祭をして、修練に行かなければならないのです。修練に行けない祝福を受けた人は、献納金というものを前もって預けておくという条件を立てれば、その修練課程をいっぺんに教育することができるのです。その国に移動するとき、移動する前に、前もって教会にささげておくのです。そこに蕩減条件として百六十数の条件を立てて越えていき、すべて清算するのです。 所有権に関しても、豊かに生活している人は、刃物や武器で、血を流させて無理やり財物を持ってきたということが多くあったのです。そうしておきながら、「優れている」とか「劣っている」などと言っているのです。 わたしたちは、百八十軒を中心として祝福してあげました。七代を象徴した七数を中心として、七×八=五十六です。ここにいる祝福を受けた人たちで、ジャルジンに行って教育を受け、先生と写真を撮った人たちは、抽選をして韓国、日本、米国から配置するのです。三国を抽選するのです。しかし、どこに行くか分かりません。米国人が韓国に行くのかもしれません。そうすれば、韓国は人口が四千万ですから、すぐに終わってしまいます。その場合、四千万からこぼれたそれ以外の人は、どうなるのでしょうか? ですから、四千万になる前に、早く祝福を受けなければなりません。祝福を受けられなければ、大移動が起こるのです。韓国という国は、六大州からありとあらゆる人々が混ざり合うのです。分かりますか?ですから、白人、黒人などの人種差別がなくなり、裕福と貧乏の均衡が取れるのです。そうならなければなりませんか、そうなってはなりませんか?。そうすれば、祝福に反対し、統一教会に反対する二億四千万の米国人は、一番びりになって、アフリカの奥地に行かなければなりません。けれどもしかたありません。そのようになれば、すり替えるのです。 見てください。第二次世界大戦の後の七か国です。韓国、日本、ドイツ、英国、フランス……。七か国を中心としたキリスト教文化圏を中心として摂理したのが、失敗したのです。そうして、キリスト教を信じる国々を中心として、すべて反対することによって、キリスト教信者たちを主とした大移動が起こり、祝福はキリスト教でなくても、一般の回教であっても、祝福を受ければ同じ価値の基準を認定されるのです。平準化です。 既成家庭、結婚家庭、結婚を嫌がる者たち、そして青少年まで祝福して、霊界でもそれに合わせて行いました。そして十六歳までの年齢で、子供のまま死んだすべての人々が、霊界ですべて皆、祝福を受けたのです。ですから、祝福を知らない人はなく、「祝福を受けなければいけない」ということを知らない人がいません。ですから、道をふさいでおいて祝福をしてあげてもよいのです。 全世界の祝福を受けた人をすべて抽選して、人がいる所にはすべて割り当てます。そうして、自分のホームタウンを中心として、地球を祝福家庭のホームタウンとしてつくり上げれば、地上天国がなされ、天上天国が成されるのです。 しかし、地球のどこに行くのか分からないでしょう?。それでも行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? (「行かなければなりません」)。行かないというならば、行かないでいてみなさい。追い出すというのです。 精誠を尽くして、早くその国全体が祝福を受ければ、その国自体が、そこにそのままとどまります。しかし今、それがないではありませんか?。ですから、大移動が起こるのです。それで、この祝福を受けた人は、神様を中心とした「一つの国」です。それで、そのわたしたちの国を中心として税金を納めなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そうしてこそ、わたしたちの国が生まれるのです。 それでは、大体分かりましたか?。ですから、天と地が「私の故郷と祖国」です。天の国の前に、天宙の中に米国もあり、この地球もあるために、その中にすべて入っていることによって、「天宙は私の故郷と祖国」になるということです。 血筋、血統を残したのです。ですから、皆さんは祝福を受けた夫婦として、どのように清い血統を残すのかが問題です。そうすることのできる家庭が、主流として先生の一族と祝福をどのように受けるのかという問題が生じるのです。垂直と連結されるのです。 一つの家庭に五色人種を率いて暮らすことができる訓練をしなければなりません。霊界も、このような組織の編成が起こるのです。分かりますか? (「はい」)ですから、自分が生活していたすべてのものを否定し、すべて捨てていくよりは、天のみ前に前もって所有権を伝授して教会に預けて行けばいいのです。そうすれば、その教会の管理は天の国の管理であるので、それは残るのです。しかし、そうしないでいたならば、すべて捨てていかなければなりません。 それは、預けていったとしても、将来においてまた、それと関係を結ぶことのできる道があるのですが、いつであろうと、時の時にそれをしないのならば、その人はだめなのです。何の話か分かりますか? それで「新天地」となります。新しい血族を通して新しい氏族、新しい民族、新しい国家、新しい世界となるのです。分かりますか?。来年からするのです。(「アーメン」)。先生の八十歳の誕生日を過ぎるときから、そのことが起こります。 昨年を中心として、三年、三年、七年路程で、歴史は大変革が起こるのです。それで九七年から統一教会がどれほど発展したか分かりますか?。「天地父母」を中心として「天地祝福」を成して、蕩減時代を過ぎ、解放時代を過ぎていくことができる時代を宣布したのです。分かりますか? (「はい」) その世界に行って、先ほどとは反対に、堕落した怨恨の世界を清算して、神様が直接、住まわれることができる時代となるのです。ですから、神様と真のご父母様と写真を撮るのですが、今後は何かというと、自分の一族が写真を撮らなければなりません。一族が教育を受けなければなりません。今は家庭教育時代ですが、一族、七代が集まって教育を受けなければならないのです。 国家が教育を受ける時代になります。そのために、今は何かというと「訓読国家時代」を準備しています。超国家、超民族、超大学連盟であるとか、超言論機関であるとか、超民族的準備をしているのです。それが、国連を通して超えていくのです。それで、国が入籍する時代になるのです。ですから家庭的入籍、氏族的入籍、国の入籍となります。分かりますか? (「はい」) もう、すべて分かりました。皆さんたちが何をすべきか、すべて分かるというのです。個人完成をどのように成し、家庭完成をどのように成し、氏族完成をどのように成すのか、分かりますね? 個人は家庭のために犠牲となり、家庭は氏族のために犠牲となり、氏族は民族のために犠牲となり、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は天宙、天宙は神様、神様はわたしたちのために投入されるのです。そのように回っていくのです。(「アーメン」)。それが統一です。 祖国は一つです。分かりますね?。それを知って、そこに向かって、皆さんは不足であるということをよく知っているのです。そして、どのようにして行かなければならないのかということを、すべて知っているのです。自分たちがどのような位置にいるのか、ということを知っているのです。 ですから皆さんは、「それをすべて清算して、真のご父母様がどのような命令をなさるとしても、百回死ぬような命令をするとしても、『絶対に私は行こう』と言うことができる決心をして、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の天理を踏んで、早く飛んで行かなければならない。走るよりも飛んで行かなければならない。アーメン」と言わなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.13
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「地上天国出発」宣布一九九九年十二月十五日、真のご父母様はウルグアイのプンタデルエステから午前八時三十分、黄善祚会長に電話をされて、「今この時間から地上天国が始まる」と語られ、特別にこの時間を記憶するように強調された。「一九九七年から二〇〇四年までの七年の間に、地上天国を完成しなければならない」と語られ、ジャルジンの四十日修練を受け、入籍に必要な条件を備えた家庭から、韓国、日本、アメリカに、くじ引きによって、一二六〇家庭(一八〇家庭かける七代)を基準に新しい故郷を割り当てると語られた。 この期間に第四次アダム圏を発表して、三年間に新しい時代に突人するのです。第四次アダム圏時代というのは、アダム主義時代を指します。二〇〇〇年代までは蕩減が必要でしたが、今やこの時代を越えていくことで、霊界と肉界で天宙的にアダムが完成した基準が始まるのです。ですから、アダム主義時代の始まりとなります。そのような時代が到来するので、ジャルジンが「世界平和理想家庭教育本部」となるのです。 それで、この教育に参席した者たちは、個人、家庭、氏族、民族、国家基準まで所有圏を移譲したことを中心として、先生と完全に一つにならなければなりません。一つになった基準で自主的になしていく時代となったので、自分の名前で祈祷できるのです。なぜ、自分の名前で祈祷できるかというと、み旨をすべて知っているので、他の者の教えが必要なく、自分の責任で生きて、祝福も直系の父母がしてあげることで、天国の移譲が実現するからです。今や独自に責任を負って、行動する時代ヘと移っていくのです。それで、自分の名前で祈祷するのです。 蕩減が必要のない第四次アダム圏時代に入っていくには、十六数を中心とした「総生畜献納祭」をしなければなりません。祝福家庭というのは何ですか? 神様の復帰摂理は、祝福家庭を成就するために蕩減の時代を経てきたのです。天国は祝福家庭のみ入ることができます。なぜならば、祝福家庭は天宙から個人まで、全体の人類を代表するからです。「そのような貴い価値の中心点に立っているのが私の家庭である!」。これが重要です。 ここで私たちが決心すべきことは、堕落したこの世において、民族、国家、世界、天宙の全体を与えられても換えられない実が、祝福家庭であるということです。ですから、二人の夫婦が一つになるのは、これまでの歴史と天宙を与えても換えられないという信念が必要です。「私」という意識はあり得ません。祝福されたその一つの家庭は、神様がアダムを中心として摂理を引っ張ってこられた結果であり、目的なので、「祝福家庭である私の家庭は天宙で一番貴い」という認識を持たなければなりません。 ですから、自分の名前で祈祷するのです。第四次アダム圏時代に自分の名前で祈祷するのは、切に求めるのではなく、報告するのです。自分の名前で報告するのです。そこには、神様と私しかいません。神様と私の家庭以外にありません。何者もこの間に入ってこられません。神様と私が、神様と私たちの家庭が、父子関係で結ばれて平準化された家庭が、すべてを受けることができます。そのようにして、神様を私の家庭に招待しなければなりません。 それは成約時代に真の父母が来られて、歴史時代のすべてを蕩減して探してこられたのです。真の父母が、個人時代から家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代に堕落した人類を、すべて祝福によって探してこられたのです。真の愛で完成級を越えた血統によって探してこられたのです。人類はみな真の父母に従ってくるので、完成級へと越えるようになります。そうしてサタンの血統が根絶されたら、すべてが終わります。誰がどのように越えることができますか? 祝福家庭がナイロンのひもを真の父母に、愛で連結して、真の父母の勝利圏を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従して越えていくことができるのです。 神様が人間を創造するときの創造の理想が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従だったので、人間がそのような神様の基準の相対的な立場に立つには、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。そうすれば、サタンが侵犯できないようになるのです。アダム家庭形態の既成祝福家庭であれ、ノア家庭形態の契約結婚家庭であれ、ヤコブ家庭形態の未婚男女の家庭形態であれ、すべての祝福家庭は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって真の父母と一つになることで、真の父母の後に従って第四次アダム圏時代へと越えていくようになるのです。 そこには「自分」という概念がありません。真の父母だけが存在するのです。ですから真の父母に絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、相対基準となって越えるのです。どんなに真の父母と離れていても、真の父母の祝福を受けた家庭として完成圏を越えた、「第四次アダム圏時代の祝福家庭としての私である」という信念を持って、絶対信仰と絶対愛と絶対服従を、神様にお返ししなければなりません。「真の父母の子女として相続を受けた私である」という概念がなければなりません。ここで重要なのは血統です。真なる血統なのです。 その真なる血統を中心として祝福を受け、その血統を中心として私たちは兄弟だというのです。そこには「国家」という概念がありません。知識や権力、お金や国家といった基準がありません。ただ真の愛を中心とした、父と子で連結した血筋を中心とした基準があるだけです。ですから、「世界の家庭はみな、ただ一つの真の父母を中心とする兄弟姉妹である」という概念以外にはありません。 アダムとエバの堕落によって、神様までも十字架に打ちつけられました。アダムとエバも死亡圏に落ちてしまいました。二千年前に来られたイエス様も、十字架に打ちつけられて亡くなりました。再臨主が来られたときも、新教と旧教の反対によって統一天下の基盤が崩れました。そのすべてが完全にひっくり返って、今年の標語である「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という標語が出てきたのは、驚くべきことです。今年この標語が掲げられたのは、理論的にあまりにもはっきりしています。 神様とイエス様と真の父母にとって、一番貴くて大切なのが祝福家庭です。祝福家庭をつくることです。そのために、真の父母がこの地に来て真の家庭を築きました。真の家庭は創世以降、全人類とも引き換えられない貴い価値を持っています。祝福家庭も同様の価値を持っています。神様の愛の血筋が定着するようになれば、宇宙全体が反対しようとしても反対できなくなります。 神様と真の父母には、ただ祝福家庭が存在するのみです。ユダヤ教団は必要ありません。キリスト教団も必要ありません。宗教の教団というのは一次的な目的ではないからです。ユダヤ教もキリスト教も、真の父母の前では否定されるようになっています。ただ祝福家庭だけが残るのです。宗教の教団は二次的な目的であり、一次的な目的ではありません。教団というのは、神様の復帰摂理に利用するためにつくられたのです。 「神様と真の父母の血筋を連結させて縦と横に相続を受けた祝福家庭は、天宙とも引き換えられない価値がある」という認識を持たなければなりません。ところが、皆さんの家庭がそのような立場に立っていないというのです。ただ真の父母の家庭だけが、そのような家庭になっているのです。それでジャルジンに行って、南北の経済統一、東西の文化統一など、東西南北の統一を代身する立場で、「ジャルジン宣言」を唱えたのです。もう一度言いますが、天宙間において最も貴いのは祝福家庭です。祝福家庭が一番価値ある存在なのです。 統一教会の人たちは、無条件に絶対信仰、絶対愛、絶対服従さえすればいいのでしょうか? そこにも段階があります。絶対信仰、絶対愛、絶対服従しますが、個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は天宙のために、天宙は神様のために存在するとき、その神様は正に私、個人のために存在されるようになるのです。そのような父母の前に至らないものを、至るようにするためには、蕩減のない解放時代に合った生活を実践し、祝福の目的を完成するという立場で生きなければなりません。そのためには「投入して忘れる」という犠牲の生活をするのです。これが、正に為に生きる真の愛です。 「総生畜献納祭」という言葉は、自分の否定時代に入っていくということです。真の父母が世界的な勝利圏を越えるとき、真の父母と共にその勝利圏を越えて、第四次アダム圏時代に入っていくのです。そのようになれば、真の父母のやることは、私もやれるようになるのです。そのためには、自分の生命までも否定しなければなりません。「自分」という意識はあり得ないのです。 本来ならば来たるべき主を中心として、一九四五年から一九五二年までの七年間に、天国時代が成就するはずでしたが、キリスト教が受け入れなかったことによって天国を完成することはできませんでした。再び真の父母が蕩減して、今、このような立場に立つようになったのです。今や蕩減が必要のない「即決処分時代」に入りました。第二次世界大戦以降に真の父母は、長子圏を完成して真の父が長子となり、長子権時代を経て父母権時代、王権時代の到来が可能になったのです。長子権、父母権、王権の問題を第二次世界大戦の前後に解決すべきだったのが、四十年過ぎてやっと可能な時代に入ったのです。堕落のない長子圏の完成、堕落のない父母圏完成の基盤の上に、絶対基準をもって王圏を完成するためにあるのが、第四次アダム圏時代の宣言なのです。 真の父母がサタンからすべてを取り戻したのです。ここで整理すべきことは、まず長子権を復帰してから、祝福家庭の天国化によって、父母権を復帰し、王権を復帰しなければならないということです。それが正に、イギリスを中心としたエバ国家とアメリカを中心としたアベル国家、アダム国家である韓国を継承し、真の父母が長手権の天宙化、父母権の天宙化、王権の天宙化を実現して、今、父の国、母の国、長子の国を復帰して、地上と霊界を復帰するのです。 全体蕩減の実現のために、一九九八年四月十七日にベルベディアで「長子権・父母権・王圏の開門宣布式」と「復活節の完成」を宣布したのです。そのときに先生は、韓国を「父の国」、日本を「母の国」、アメリカを「長子圏の国」として宣布しました。この三つの国を一つに束ねて一体化させるために、去る十月一日から、アメリカの指導者が日本と韓国で活動し、日本の指導者がアメリカで活動するという、交差活動をさせたということを記憶しなければなりません。ここで重要なことは、三つの国が一つの国であるということです。一つになることによって、第二次世界大戦以降に成就するはずだった、地上天国と天上天国が編成されるのです。祝福家庭が訪ねていける故郷と国と世界が成就したというのです。 第二次世界大戦以降に連合国と連盟国が、韓国を中心として、七か国が一つになり、世界万民が一つになれたにもかかわらず、その機会を失ってしまいました。今や再び七つの先進国を中心に、一次、二次、三次と編成して、祝福家庭が互いに交差し、父母の国である韓国を中心として一つになればよいのです。 ですから、一九九七年から二〇〇四年までの七年の間に、失われた祝福家庭を探してこなければなりません。それは、サタンの讒訴の条件なしに探してこなければなりません。それでは、韓国と日本とアメリカの三か国は、誰の王権かというのです。三か国は祝福家庭を中心とした長子圏、父母圏、王圏を完成しなければならないのです。それしかありません。それで、ジャルジンで四十日修練を受けた祝福家庭を、三か国に配置するのです。一八〇家庭が再臨時代において、主の祝福編成を可能にするのです。ジャルジンの四十日修練を受けた氏族メシアは、韓国と日本とアメリカを中心として、一八○家庭の七倍である一二六〇家庭を分配されるでしょう。祝福家庭がカイン圏家庭の一二六〇家庭を分配されれば、そこが自分の新しい故郷になるのです。 一二六〇家庭が支持して、祝福された者を王として侍らなければなりません。長子圏、父母圏、王圏を代身して侍らなければなりません。そこでは「黒人、白人、黄色人」という概念がすべてなくならなければなりません。韓国が一等であり、韓国より人口の多い日本が二等であり、日本より人口の多いアメリカが三等になるでしょう。日本の人口は韓国の二倍であり、アメリカの人口は日本の二倍です。ですから、これからは韓国に住む韓国の民を誰が多く復帰するかという競争が起きるのです。祝福家庭は、韓国と日本とアメリカの三か国を中心として、くじ引きをします。三か国がすべて祝福家庭に変われば、その次には七つの先進国に行って、くじ引きで新しい故郷が配置されるのです。第二次世界大戦に加わった加盟国が、今も世界を支配しているからです。その次は全世界に拡散して越えていきますが、そのようになれば、全世界の祝福家庭時代に入るようになります。 これからはアメリカ人だからといって、アメリカの二億四千万名が皆、アメリカにいることはできないでしょう。祝福家庭であっても、一番後になれば困ります。いつ祝福を受けたかということが重要であり、いつ「総生畜献納物」を納めたかということが重要です。ジャルジンの四十日修練を受けても、「総生畜献納物」として一万六千ドルを納めることができなかったならば、来年の「真の父母の御聖誕日」までに納めるという条件を与えて、条件的に加担させるのです。ジャルジンの四十日修練に参席できなかった祝福家庭は、先に「総生畜献納物」を納めてから、四十日修練会に行くこともできます。それは国家メシアのためです。国家メシアの中には公務が忙しくて、ジャルジンの四十日修練に参席できない者たちもいるのです。 今、南米は夏です。白黒闘争など、歴史的に闘争が好きで驕慢な者たち、摂理に反対する者たちなどは、アフリカに行くことになるでしょう。祝福を受けなければなりません。アメリカの食口であっても、アメリカにいることはできません。第三国に行くこともあります。一次は韓国に行き、二次は日本に行き、三次はアメリカに行くでしょう。そのような順序に合わせて、分家をするように出ていくのです。一番早いのがアジア大陸で、その次がアメリカ大陸です。これらの大陸が祝福を受ければ、ヨーロッパは自動的に復帰されるのです。 白人たちがアメリカに来る前は、アメリカの主人は神様でした。神様を中心とした祝福家庭が暮らす天国は、実現可能でしょうか、不可能でしょうか? 可能です。ならば、そのような摂理に合わせて皆さんは動きますか? よく見なさい。父の国と母の国と長子の国である、韓国と日本とアメリカは、互いに怨讐の国でした。この三国を一つにまとめようとして、第二次世界大戦以降に怨讐の国を一つにまとめようとして、そして皆さんの家庭を解放しようとして、真の父母がどれほど苦労しましたか? 四十年の荒野路程を歩みながら、真の父母がどれほど苦労したか知っていますか? 世界は仕方なく先生に従ってくるようになっています。ジャルジンで四十日間、先生の教育を受けた者たちに、既に「荷物をまとめておくように!」と指示しておきました。ですから先生が「どこどこに行け!」と号令すれば、行かなければならないのです。皆さんも準備をしなければなりません。そのときに自分の財産を持っていってはいけません。残していかなければなりません。神様と真の父母の御名で接ぎ木しておかなければ、侵略者や略奪者の名前がつくのです。捧げれば、神に属するようになります。千年も万年も自分の思い通りにはできないのです。さもなければ、後孫たちがその過ちを暴くのです。そうして平等の時代、真なる解放の時代、地上・天上天国解放完成の時代に入っていくのです。 韓国と日本とアメリカの三国に植えてあげたのが、種となります。今や世界的に基金を集めて、一つの目的のために使う時代が到来するのです。真の父母は海洋産業や教育、経済、宗教、文化、芸術など、すべての分野に手をつけました。どんなに世界がそれをなくそうとしても、なくせませんでした。真のお父様が「種」です。ウルグアイにある「ビクトリアプラザホテル」、ジャルジンの「世界平和理想家庭教育本部」、「鮮文大学」、「天城旺臨宮殿」、「イーストガーデン」など、先生の名をもって建てられた家がその「種」です。新聞社や銀行もそうです。それらは歴史的に神様に捧げられた家です。今後の処理方法を考えなければなりません。 そのすべては、祝福家庭が定着するためのものです。新しい祝福家庭のために築いたのです。ですから、どこそこの大学を出たという概念を捨てなければなりません。今後は先生が建てた大学が歴史的な大学であり、人々が仰ぐ大学となります。今年も十三日を残すのみとなりました。十三日のうちに大転換時代がやってきます。この期間に統一教会の人たちがやるべきことは何でしょうか? アメリカに来ている日本の宣教師たちは、アメリカで「統班撃破」をしなければなりません。皆さんも「統班撃破」の編成のために活動しなければなりません。(一九九九年十二月十八日、イーストガーデン)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.13
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第四十回「真の子女の日」記念礼拝の御言成約年 1999年11月8日(陰暦十月一日)清平修錬院 天城旺臨宮殿 大聖殿前日に奉献式が行われた「天城旺臨宮殿」大聖殿での第四十回「真の子女の日」記念礼拝で、語られたものです。 今は何月ですか?。十一月です。今年も五十三日を残すのみです。今から五十三日で、一九九九年が過ぎていきます。一九九九年は、二千年時代をすべて過ごし、締めくくり、すがすがしい二十一世紀を迎える年です。そのような限界線に到達しました。 二千年の最後の時を迎えた今、統一教会が現れて天地開闢の役事を成して神様の心情的焦点を合わせ、地上に真の父母という存在が現れて一体化することのできる基台が形成され、そこに真の愛の光が天地間に輝くことができるようになりました。歴史を逆さまに見れば、創世以降の数多くの人類たち、霊界に行った先祖たちは、そのような驚くべき時代になったということを、今、学び始めたのです。 霊界は、すべて知っているのではないでしょうか?。数多くの系列と数多くの立場に分派したすべての霊のようすは、今日の地上の形態とちょうど同じです。韓国という一つの国を中心としても、慶尚道、全チョル羅道が今、大騒ぎしています。 一つの国、一つの道同士でも、一つになることができずに、実にさまざまな立場があるのです。また、慶尚道は慶尚道内でも複雑であり、また、全羅道は全羅道で複雑なのです。このような複雑な環境を持つ歴史上の地上世界と同じように、霊界もまた、そのように生きた人々が、そのまま霊界に行って暮らしているのです。 苦痛を受けて暮らしていた人はそのままであり、苦痛を抜け出す道理がありません。この世の中のことが、そっくりそのまま霊界で再現されているのです。これは、だれによってこのようになったのでしょうか?。それは、神様によって、このようになったのではなく、人類の先祖によって、このようになったのです。人類の先祖が善良であったならば、このような世界にはなっていませんでした。 どの世界も太陽のように輝くことができ、公明な世界、影のない世界で暮らすことができるはずであった人間は、偽りの父母が堕落することによって血統が変わってしまったのです。「天地創造の大王陛下の息子、娘である」ということは、血統的因縁を中心としなくては、その「子女」という言葉を成立させることはできないのです。分かりますか?。養子と直系の子女は、何が違うのかというと、血統が違うのです。血統が変わってしまったということです。 今日、地上の宗教を通して学んだことは何かというと、「神様がわたしたち人類の先祖であられる」ということです。さらにキリスト教を中心としては、神様はわたしたちの「父」であられるというのです。そのキリスト教の中心存在であられるイエス様は、「わたしが神様の独り子である」と言われました。これは驚くべき宣言です。「神様の独り子である」という言葉は、「神様の愛に従って血統を完成させた最初の代表者である」ということです。それでは、神様の血統を受け継いだ代表的息子は、堕落したアダムとは何が違うのでしょうか?。 堕落したアダムは、未完成時代に堕落してしまい、サタンの血統に連結されました。神様の血統に連結されたものが、腐ってサタンの血統になってしまい、神様の愛が腐って肥やしになって、サタンの血統を育てるということをしてきたのです。それは、とんでもない事実です。そのような歴史の出発とともに、多くの曲折と事情の歴史を引きずりながら結果として残されたものが、この地上の混乱した、分派的境界線であり、壁なのです。 そこで暮らした人々は、抜け出す道理がありません。これは、だれもが解決しなければならないことですが、そのような姿で霊界の暗い世界に行けば、永遠に解決することはできません。地上人同士では、皆、お互いに見て暮らすことができますが、霊界の暗い世界に行ったならば、それもかないません。そのような太陽のない暗い世界に行って、多くの人間が分派的限界線で暮らして呻吟する、その姿を見詰められる神様の心情は、どのようなものであられるでしょうか? 人類歴史は、その出発から恨の中の恨で始まり、恨の恨がさらに増し加わる、正に「恨の歴史」です。しかし人類は、神様の息子、娘として解放されなければなりません。 その一人一人の人間の姿を見詰められる、創造主であられる神様は、堕落した数千、数億の人々を、堕落していない本然の息子、娘と同じ血統的因縁を合わせて、再びかき抱こうとされるのです。しかし、堕落した人類を、再び神様の懐に抱くことのできる位置に立てるという事実は、とてつもない問題なのです。 全知全能の神様が、今までこのような悲惨な世界をつくっておきながら、なぜ手を出すことすらできない神様になってしまわれたのでしょうか? 「神様は死んだ。いない」と言うことができるでしょうか?。神様は、血統が違うので、どうすることもできないのです。血統が違うのです。これを清算するために……。神様は、わたしたちのお父様です。「お父様」と、一度言ってみてください。(「お父様」)。だれがですか? (「神様です」)。皆さんを生んでくださった父親はどなたですか?。皆さんの父親は、だれの父親なのですか?。それが問題です。 神様は、「真のお父様」です。皆さんの父親は、どのような父親ですか?。真のお父様ですか、真のお父様の反対ですか? (「反対です」)。反対なので、偽の、偽りの父だというのです。一度言ってみてください。先祖がだれであるかを問いません。アダム以降、数千万代の父親たちが連結されていたとしても、皆さんを生んだその父親たちは、自分の息子の前において、偽の、偽りの父親であったというのです。あまりのことに、あっけにとられてしまうでしょう?しかしこれは、どのようにしても、神様の思いどおりになさることはできません。殺すこともできません。殺そうとすれば、一瞬のうちに殺すこともできる能力を持っていらっしゃるのですが、神様はこれを処断することも、手を出すこともできないのです。そのような血族が残されたものが堕落世界であるということを、今日の宗教圏は知りませんでした。 しかしついに、真の父母の名を持った者が、霊界のすべての実情を詳細に知り、堕落の動機から神様の秘密、サタンの秘密まで掘り出して調べ、このようなことを明らかにした内容が統一教会の原理なのです。地上世界と天上世界が分かれ、混乱し、相克的な歴史をなしたすべてのことを和合させるために、今、霊界の根本と実情から地上界の根本、そして人生、歴史の根本までをすべて解消し、すべてを連結させようとしているのです。これを何と表現したらよいのでしょうか? 川が流れていくのですが、逆さまに流れていくのです。このように逆さまになった世の中を掘り返し、そこから清い水になるようにして、世界が平和の基準まで来てこそ、神様から始まる血統の始原の基盤をつくり、出発をさせることができるのです。そのようなとてつもなく、また途方もない事情をだれが知っていたでしょうか?。自分の息子、娘ではない、その息子、娘を神様の思いどおりにすることができますか?。その家庭を思いどおりに訪ねていくことができますか?。境界線が引かれた、地獄と天国が分かれているのです。 このようなとてつもない背景を残して生きている、今日のこの世紀末的な六十億人類の群像を見詰めるとき、言葉を失うというのです。その背後には、数千万個の壁と分裂状態の歴史を抱えているのですが、その事実を知っている人はいません。 この世の中で豊かに暮らして成功したとしても、その成功は神様とは何の関係もないというのです。むしろ成功したという人々が、かえって深い穴を掘ってしまったのです。ですから、罪悪の歴史的な汚れの水は、その穴にすべてたまっているのです。昔の聖賢たちが成した事実を歴史的に明らかにしてみるとき、彼らは、この世の中を明るくすることに貢献したというよりも、世の中を滅ぼすことに貢献した人が多いのです。分かりますか?きょう、わたしが話すことは十分間でやめようと思ったのですが、すでに十分間を過ぎました。やめましょうか?。何の話か分かりましたね? 自分とは、どのような存在ですか?。それは、堕落した世界の実と同じです。それは、さながら罪の出発と罪の過程と歴史的な罪の結実の総株式会社の「社長」です。神様と皆さんとの間は、何千の壁によってふさがれているというのです。しかもそれは、一方向の壁だけでなく、周囲四方を包囲されているのです。そのことを考えてみてください。 今、何と言いましたか?。悪なる罪の歴史の総合的な結実体であるうえに、罪悪世界の総体の株式会社です。何と言いましたか? (「株式会社です」)。そのようなことを言えば、言葉が問題になるのです。何の社長(「サジャン」)ですか?。死んだ人を葬事する「死葬(「」で、「社長」と発音が同じ)」です。その言葉がぴったりです。 世の中では、何と言うのですか? 「社長になろう。社長になろう」と言います。それは、何の社長(「」)ですか? 「死ぬ」の「死」という字に葬儀の「葬」という字で「死葬(『』)」です。罪の株式会社の総帥の立場にいるので、それは「死葬」でしょう?。そのことを考えなければなりません。今日のこの地上に生きている人で、社長になって搾取しない人はいません。文総裁は、いわば社長でしょう? 多くの会社をつくり、この国を復活させようとあらゆることをすべてし尽くしましたが、後には、歴代の八代の大統領はわたしを消そうとして、ありとあらゆることをすべてしたのですが、消すことはできませんでした。そうして最後には、IMF(国際通貨基金)によって、国まで滅ぼしかねないようになったのです。そして統一産業を中心として、「犯罪団体である」と言い、ああだこうだと言っています。わたしには、恥ずかしいことはありません。韓国が、わたしに負債を負っているのであって、わたしは韓国に負債はありません。そのことを知らなければなりません。また、米国なら米国に行って負債を負ってはいません。世話にはなりません。その国の世話になりたくはないのです。 ここに日本人が来ていますが、日本の国に世話になったことはありません。なぜでしょうか?。すべての教会の結実であり、すべての株式会社の総裁の立場にいるのですから、人類の前に世話になり、負債を負おうとは思いません。彼らの暮らす国に負債を負おうとは、夢にも思わないというのです。負債を負わせてこそ壁を崩すことができ、数多くの道を開拓していくことができるのです。わたしの力が不足ならば、霊界の善なる霊と天使を動員して同調させ、それを崩して負債を肩代わりして返す歴史、罪の負債を取り替える総帥としての役割をしてきたのであって、「世話になろう」とは考えたことはありません。 米国なら米国自体を生かすことのできる基台を築いた人が、わたしなのです。ですから、米国の大統領の前でも堂々と話をするのです。七〇年代、八〇年代にレーガン大統領をわたしの手によって立てていなかったならば、そしてブッシュ大統領をわたしの手によって立てていなかったならば、その国がどのようになっていたか分かりません。今のクリントン大統領は、わたしの言うことを聞きません。ブッシュ大統領は、わたしの言うことを聞かなかったので、あのようになりました。わたしは、そのような人です。聞いてみてください。わたしは、この国に世話になったり、いかなる国にも世話になっていく人ではないということを知らなければなりません。 それでは、わたしは統一教会の皆さんの前に世話になって暮らす人ですか?。皆さんの世話にはなりません。自分の息子、娘にも、世話になる人ではありません。どこのだれにも、堕落した結果のこの世界では、罪の重荷で身を隠しているすべての存在、万物、世界から天上のすべての霊人を合わせて、地上世界のいかなる国の前にも世話にはなっていないのです。まず、「罪悪の世界の世話にはならない」ということは何であるのかというと、罪悪の世界において解放者にならなければならないということです。そのような人が、今日の言論界がどうであるとか、優れた大学者が何であるなどと言うことはできないというのです。最近では、逆さまになっていっています。 世話にならなかった人が世話をすることができるので、国が世話になり、世界が世話になるときは、理論的に言って、世の中が引っ繰り返る時になるという話が成立するのです。分かりますか?ロシアが、わたしの世話になる時が来ました。中共がわたしの世話になる時が来ました。インド、日本、米国がわたしの世話にならなければなりません。 さあ、それでは、わたしは愚かな人ですか、優れた人ですか? (「優れた人です」)。愚かでしょう?。悪口を言われながら世話をしているのですから、どれほど愚かでしょうか?。分かりますか? 悪口を言われ、殺そうとされ、料理されようとしているのにもかかわらず、料理しようとしている人のために世話をしようというのですから、そんな狐は死ななければなりませんか、生きなければなりませんか?。死ななければならないでしょうか、生きなければならないでしょうか? (「生きなければなりません」) そのようになれば、死ななければならないのですが、死にませんでした。それが、なぞなのです。死にませんでした。反対されれば滅びるはずであるにもかかわらず、歴史上のあらゆる反対を受けて成功したという事実が、なぞなのです。それは、どうしてでしょうか?。文総裁の才能が豊かだからですか?。それは、神様が保護してくださったからです。(「アーメン」) それを一度、言ってみてください。一万人全員が一度、「アーメン」と言ってみてください。(「アーメン」)。一万人がアー、アー、アーメン と。文総裁の声より小さいですね。(「アーメン」) さあ、このくらい話しただけでも、きょうの説教は十分です。(笑い)それでは、「世話にならない先生が「真の父母」である」というときは、「真の息子、娘は、間違いなく世話にならなければなりません」。それは「アーメン」ですか、「ノーメン」ですか? (「アーメン」)。世話にならなければなりませんか? (笑い)それが真の父母の息子、娘の資格者になりますか、なりませんか? (笑い)そのようにぼーっとしていては、闘いにおいてだまされて、サタンのえじきになるのです。 いつでも二重的な面を分け、さらに立体的な面を持って自分で答えることができ、見ることができ、においをかぐことができ、話すことができ、聞くことができ、愛することができなければなりません。そのように暮らしていますか? 恥ずかしくない二つの見る目を持っていますか?。心の目と肉身の目です。鼻も同様です。口も同様です。五官も同様です。愛も同様です。サタン世界のわなの因縁に感化されていくときは、神様とは相対することはできません。それゆえに、最初にみ旨の道に出発した後には、「負債を負って生きよう」という考えをしてはいけません。「負債を負わせて」生きなければなりません。 皆さん、ここにいる人の中で、「文総裁には負債を負っていない」という人は、手を挙げてください。それでは「負債を負っている」という人は手を挙げてください。なぜもたもたしているのですか?。下ろしてください。気分が悪いです。下ろしなさい。この日本人は、「手を下ろしなさい」と言っているのに、まだ挙げています。(笑い) さあ、「文総裁に負債を負っている」と思う人は手を挙げてください (「はい」)。さあ、命令して手を挙げさせたので、独裁的な力をもって手を挙げるようにしたようですが、(笑い)さあ、自分の意志で手を挙げましたか、圧力によって手を挙げましたか? (笑い)そのような疑心がわくので、「自分の意志で挙げた」という人、「文総裁に負債を負っている」と思う人は、両手を挙げてください。(「はい」) それでは、全員が負債を負っているので、先生の負債を百分の一、千分の一でも返そうという日には、先生の道に従っていくことのできる綱につかまっていくのです。分かりますか? (「はい」) 「負債を返さない」という人は、綱でもつかみなさいというのです。ナイロンの繊維のような、細くかすかな光が千万個集まった太い光です。この光の綱をつかんでおいて「この光の綱が切れないように引っ張れば、先生が行った道の後ろに引っ張られていく」と考えてみましたか? 先生のおしりに綱がぶら下がっていますか、いませんか?。負債を負ったならば、綱がぶら下がっているではないですか?。皆さんは、負債を返そうと思いますか、さらに負債を負おうと思いますか?。もっと負おうと思いますか、返そうと思いますか? さあ、きょうは何の日ですか? (「第四十回『真の子女の日』です」)。第四十回「真の子女の日」です。この「四十」というものは、歴史的な日です。皆さんが霊界に行くときも、死んだ後、四十日以内はどこかに行って定着することはできません。霊界に行くと、自分の先祖たちが案内をして、自分がどの級にいるのかを検証した後に定着するのです。それでイエス様も、四十日以降に復活したのです。分かりますか?。四十日かかるのです。 それは、歴史的起源において四位基台を成すことに失敗したために、そのようになったのです。このように引っかかる壁の秘密の原因をすべて知っている人は、先生しかいません。神様とサタンだけが知っているのですが、その神様の秘密、サタンの秘密は、文総裁にしか分かりません。分かりますか?。その「知っている」という権威が、真の父母の資格を決定する権威なのです。 何を知っているのでしょうか?。神様の秘密とサタンの秘密を知っているということが、すべてを解決することのできる基準になるのです。もし判事が、事件の秘密をすべて知ったとすれば、その判事はその事件を絶対的に解決することができるのです。分かりますか?。弁護士が何かを弁明し、検事が何と言っても、そのことに左右されず、すべてをきれいに整理することができるのです。分かりますか? また、サタンがいくら罪を犯したことを覆い隠そうとしても、きれいに証拠を出すときには屈伏するのです。分かりますか? 「神様、あなたがなぜ苦痛を受けたのかというと、このようなことなのですが、このようなすべてのことは、わたしが解決するので解放されるでしょう?。ですから、わたしを信じて、争わないでください」と言えば、争わないというのです。分かりますか? それで、神様とサタンが有史以来、怨讐となって闘争してきた歴史をだれが停止させ、だれが休戦条約を結ばせ、だれが戦争を止めさせるのかということが、歴史的な宿命を懸けた課題なのです。 宿命の道というものは、人の力で行くことはできません。それは「父子の関係が絶対的なものである」ということと同じです。宿命的な課題です。それが理解できますか?。だれによってのみ、可能なのですか? (「メシヤです」)。メシヤは、どのようなメシヤですか?。日本語で食堂の主人を「めしや(メシヤ)」というのです。(笑い) 神様とサタンの戦争を防ぐことのできる主人は、だれなのですか?。偽りの父母によってこの闘いが成立したのです。ですから、人間がつくり、人間の先祖が失敗したので、真の愛の主人が現れてこそ、それを正すことができるのです。それは理論的です。 堕落することによって、神様も引っかかり、サタンも引っかかったのです。サタンも堕落してみると、自分が悪いことをしたので、結局、終末になれば、自分が地獄に追い込まれるということを知っていたというのです。 ですから、中間で早く解放し、わたしが助けてあげることができれば助けてあげ、サタンと神様までも和解させれば、それで終わるのです。サタンが「嫌だ」と言えば、神様が引かれるようになるのです。分かりますか?。しかしサタンは、「嫌だ」と言えず、神様はいくらでも「良い」と言われるのです。サタンは、「嫌だ」と言ったとしても、否定することはできません。 否定できる内容を持っているならば、「おまえはこのような罪を、また罪を犯すのか?。こいつめ」と言えば、「はい、分かりました。やめます」と、このようになるのです。そうして神様とサタンが今、闘っているので、歴史的なすべての過程と現象が混乱状態になっているのですが、これを整理することのできる真の道とは、どのようなものなのでしょうか?。それこそが、真の父母が来て教えてあげて処理する歴史的道なのです。結論が出ました。分かりますか? それから皆さん、祝福を受けた人たちは、堕落した先祖の後孫ですか、真の父母の後孫ですか? (「真の父母の後孫です」)。真の父母の後孫ですが、何ゆえに偽りの父母が神様と怨讐になり、また神様とサタンが怨讐になったのですか?。それは結婚を間違ったからなのです。分かりますか?。血統を間違って受けました。分かりますね? 王子と結婚するはずであるにもかかわらず、僕と結婚したのです。体を捨てました。これをすべて処断し、僕の僕の僕の何百倍も呻吟する位置に立てて処断したとしても、「わたしは、当然罰を受ける罪を犯した」と、感謝できる位置に立たずしては、その僕が生きる道がありません。 復帰するために、そのようにすることのできる内容があるのです。偽りの父が偽りの血統をつくったので、真の父になる人は、そのようにすることのできる内容を知って(サタンに)提示し、そうすることによって、サタンはびくともできないのです。 サタンを縛ることができるのは、真の父母しかいません。縛りつけてしまうことによって、神様とサタンが自動的に休戦状態になるのです。神様に「休戦しなければなりません」と言えば、休戦するでしょうか、しないでしょうか? 「わたしは嫌だ」と言われるでしょうか、「ありがとう」と言われるでしょうか?。休戦を願いますか、停戦を願いますか? 「停戦を願います。やめましょう」と言われるのです。 停戦をして、神様が自由になろうとされれば、そのためには、自由な環境の基台ができなければなりません。ですから、サタンと偽りの父母が拘束されたので、サタンまでも自由にしなければ、神様は解放されないということを知らなければなりません。分かりますか?。それは、原理にない話だというのです。分かりますか? 本然の正しい結婚をすることができないことによってこのようになってしまったので、真の父母は、それを解いてあげ、サタンまでもこのように自由にするみ業を成すのです。サタンは今や、先生の前に隠れるものがなくなりました。霊界のすべての事実、地獄の現状、これからの理想天国……。 サタンは理想天国を知りません。真の父母は、神様が理想とされたものを知っているので、そのようなみ業を成すことができるのです。サタンは、神様の国さえ成立すれば終わるのです。それ以上、行くことができません。それゆえに、サタンは理想天国を知らない、というのです。 それで、神様も絶対に必要であり、サタンも絶対に必要であり、人類も絶対に必要なのがだれなのかという結論が出ました。世の中の万事が、万物の存在性を持ったすべての存在が、絶対堕落圏内にいるすべての存在が絶対に必要とするのがだれですか?。尋ねているのです。だれですか? (「真のご父母様です」)。だれですか? (「真のご父母様です」)。だれですか? (「真のご父母様です」) だれが真の父母ですか? (笑い)だれですか? (「お父様です」)。小言をよく言う先生が、真の父母です。言うことを聞かない人のネクタイをつかんで死刑場に引いていったとしても、真の父母です。誤れば、打たれなければなりません。刑場に行って、ののしられなければならないでしょう? 神様も、そのように小言を言う神様になられるはずなのですが、小言を言うことすらできないので、神様はあわれな神様であられるというのです。分かりますか?。審判の王になられるべきであるのに、審判の王になられることができなかったので、かわいそうであられるというのです。分かりますか?。万歳を思いのままに叫ばれ、自由に行動されるべきなのですが、そのようにできなくなってしまわれたので、ふびんであられるというのです。 文総裁は、本来は、四十歳になれば天下をすべて統一し、韓国に万国の王宮をつくり……。それは「天城旺臨宮殿」ではありません。その百倍、千倍にもなるものです。さらに、万世の国家に宮殿の分室をつくり、天の国の本部にまでなる宮殿をつくっていたのです。ですから、これ(「天城旺臨宮殿」)をもって誇ることはないというのです。大母様に申し訳なく、興進君に申し訳ないですが、もっと働かなければなりません。 あなたたちは現在、この宮殿をつくるのに霊界に負けましたか、勝ちましたか?。霊界の興進君と大母様に勝ちましたか、負けましたか? (「負けました」)。そうでしょう。はっきりと言ってください。答えを明白に、はっきりとしなければなりません。正直でなければなりません。率直でなければなりません。率直は正直と通じるのです。一度言ってみてください。(「率直は正直と通じる」)。罪を犯した人は、率直に、正直に話せば赦されるのです。 真の父母が必要な人は、手を挙げましょう。日本の人も必要であり、中国の人も必要であり、韓国の人も必要であり、英国の人も必要であり、天国の人も必要であり、神様も必要なのです。すべてが「そのかたが必要だ」と言い、「正しい」と言ってこそ、すべての世の中が解かれていくのです。そのような基台を、文総裁一人で築いてきたのです。(拍手) 堕落した父母は、父が二人ですか、一人ですか?。二人ならば、真の父母が現れれば、半分に分けなければならないでしょう。その分けた真の父母を願いますか、すべて備えた真の父母を願いますか? (「すべて備えた真の父母です」)。欲が深いですね。全体をつかむことのできる王を願うのです。 ですから真の父母は、天の国や地獄の国の解放の権限を持った王の中の王です。だれがですか? (「真の父母です」)。だれがですか?。真の父母がどこにいますか? (「ここです」)。ああ、わたしは真の父母ではありません。わたしは真の父母ではありません。信じてはなりません。(「お父様です」) 実用主義時代に、どうしてそのようなことが必要ですか?。唯物論の時代に、どうして神が必要ですか? 「神はいない」と言い、神本主義から人本主義、物本主義に落ちた世の中で、神がどこにいますか? ですから、神人物統一観主義の時代に入っていかなければなりません。「神様はいない」と言ったとしても、いらっしゃるということを知るべきです。神様は、いらっしゃらないような姿をしておられるだけであって、いらっしゃらないのではありません。分かりますか? 統一教会のみ言を世の中の人に話せば、彼らはすべてを知りながら、聞いていてもじっとしています。彼らは、恥ずかしいということを知っているので、知りながらもじっと耐えているだけであって、知っていることは知っているのです。 結婚する前は、女性たちは胸を隠さなければなりませんか、服をめくらなければなりませんか? (笑い)エバ国家の女性たち。胸をめくらなければならないでしょうか、開かなければならないでしょうか?。おしりを出さなければならないでしょうか、隠さなければならないでしょうか? 西洋の女性たちは、胸を出して大騒ぎし、おしりを出して大騒ぎするのです。それは、天使長の国です。エバの代身者たちが男性を誘惑し、おしりで浮気をし、胸で浮気をし、唇で浮気をし、目で浮気をするのです。目で浮気をするでしょう?。アイシャドーを知っていますか?。ルージュを皆、知っているでしょう?。マニキュアを皆、知っているでしょう?。女性たちは、毎日テーブルの前に座って化粧をしますか、しませんか?。「男性は、いつも女性を歓迎しなさい」と言われてきましたか、「注意しなさい」と言われてきましたか? 「狐がしっぽを振る」という言葉があるのです。 最後の時には、二人の男性に対さなければなりません。統一教会の文先生は、世界のすべての女性の前において、「真の兄」です。分かりますか?。真の兄なのです。エデンにおいて、真の兄を失ってしまいました。地上地獄の底において女性たちが見るとき、男性はすべて悪魔です。その中でただひとり、文総裁、レバレンド・ムーンを知ってみれば、原理のみ言さえ聞けば、すぐに分かります。「兄の中の兄」なのです。 思春期にさしかかれば、兄はエデンの園において、未来に約婚する男性であったということを知るのです。そのようになるのです。それは、思春期時代の「男性の中の男性」です。ですから「結婚したい」と思い、それから、結婚したら「母親になりたい」、「あの男性と結婚して子供を持ちたい」、それから「おばあさんになりたい」、「一家の先祖になりたい」というようになるのです。女性が行くべき希望の道は、これです。 他の家、夫の世界に行き、主人のいない家に行って何年間か苦労することによって、その国の祖母の位置を占めるようになるのです。女王になるのです。家庭の女王になるのです。それを知っていますか?。女王になり、母になり、祖母になれば、先祖の王になるのです。それから国の女王になろうということが、女性の願いなのです。 それを失ってしまったのですが、復帰するために来られる主人は、兄として来るのです。兄として来て約婚することのできる約束者、結婚することのできる約束者、父になることのできる約束者、祖父になることのできる約束者、王になることのできる約束者を女性たちは迎えなければなりません。アダム、エバが、そのような位置にいたというのです。エバは妹です。二人の兄妹の行くべき道は、腹中時代から相対理想を中心として生まれたというのです。 女性が生まれるときは、兄のために準備するのです。女性は、「腹中からわたしが生まれたのは、兄に出会うために生まれた」と言うのです。腹中で兄妹の因縁を持ち、父の血統と母の血統を受けて腹中から準備し、生まれれば兄妹になると同時に、地上の女性は母になるのです。腹中時代の兄妹が、この地上に出てきて兄妹になるのです。 双子で生まれていたならば、けんかしたでしょうか、しなかったでしょうか?。エデンの園で罪を犯していなかったならば、罪を犯さずに双子で生まれていたのならば、どのようになっていたのでしょうか? 妹が母親のひざの上にいて、そのとき兄がいなければ、「兄がいなくなった」と思い、片方のお乳は兄のお乳なので、一緒に飲もうとして待っているというのです。そうして「お兄さんはどこに行ったのか?」と捜すというのです。そのようにならなければなりません。しかし、そのようになるべき歴史が、そのようにはなりませんでした。 女性が女性になることができ、女性としての主人になることができ、また、妹が主人になることができるように、主人の資格者にしてくれるのは女性ではありません。兄です。分かりますか?。女性自体では、主人になる道がありません。そのことをはっきりと知らなければなりません。日本の女性たち、分かりますか? (「はい」) 腹中においてのエバは、兄のために生まれたので、兄が自分を愛することのできる位置に立たなければ、エバの愛の道がなくなるというのです。エバが、愛の道の主人の立場に立つことができるようにしてくれるのは、兄がしてくれるのです。分かりますか?。このことを知らなかったので、世の中は混乱したのです。これは重要なことです。分かりますか? (「はい」) 自分が、愛の主人を捜し立てるのだと思うでしょう?。それは違います。兄ゆえに女性は、兄を愛することのできる主人の位置に立つのです。また、兄は妹がいるがゆえに、妹を愛することができるのです。このように、相互にお互いの主人を捜し立てるということをするのです。女性は「半分」です。そのことを知っているでしょう?。分かりますね? (「はい」)。夫のいない女性は、千年万年たっても、夫を愛することのできる主人の位置を永遠に捜し立てることはできません。それは、そういうことなのです。分かりますか?。分かりますね? (「はい」)。全員、聞いていますか?。重要です。日本に行って、今からこれを実践しなければなりません。 第四次アダム圏時代が来るのです。分かりますか? (「はい」)。妻が、妻として夫を愛することができるように、主人の立場に立たせてくれるのは、夫がその主人の立場に立たせてくれるのです。それは、妻がするのではありません。そのことは、夫がいなければ永遠に分かりません。夫の愛が分かりません。ですから、夫が絶対に必要ですか、絶対に必要ないですか? (「必要です」)。夫にとって、女性を愛することのできる主人の位置は、妻がいなければ永遠に捜し立てる道がありません。 父親と母親は「誇ってはいけない」というのです。「どうしておまえは、このように父母の心をやきもきさせるのか?。この子は」と言って、たたくことはできません。父母が父母になることができるようになるための、その主人の位置は、父母が捜し立てるのではありません。父母がするのではありません。子女がいることによって、父母の愛の主人の位置を捜し立てたということを知らないので、問題になるのです。何の話か分かりますか?。重要な話です。 父母が、父母になることができる資格者になり、父母が子女に対して主人の立場に立てるように、愛の主人になることができるようにするのは父親でもなく、母親でもなく、子女であるということを知らなければなりません。子女を愛することのできる、その愛を分かるようにしてくれた主人は、だれですか?。子女です。いくら夫婦で愛しても、子女が永遠にいなければ、子女を生むことができなければ、子女に対する愛が分かりません。 また、子女が父母を愛することができる、その心は、子女がひとりでに持ったのではありません。父母が主人となって、自分に移してくれたものなのです。分かりますか?。このように、すべて重なり合っているのです。ですから、誇ることはできません。自分が父母であるといって誇ることはなく、夫、妻であるといって誇ることはなく、兄であるといって誇ることはできません。兄は、愛することのできる弟がいるので、兄の愛の主人となり、弟は兄を愛することのできる立場において、初めて弟の愛の主人になることができるのです。 このような家庭があり、家庭を中心として国があれば、国を中心として愛することができるようになり、国があることによって愛国者が出てくることができるのです。分かりますか?。世界を愛することのできる聖人になるということは、「世界を愛することができる」ということによって、聖人になることができるということなのです。このように、自分でなるのではありません。 聖子も、天地を愛することのできる相対圏が、そのように成してくれるのであって、自分でなるのではありません。ただで捜し立てたので、すべてを満たそうとすれば、生死の境を越えて、そのことを死ぬ時まで貫き、天上世界の個人、家庭、愛の理想を解放させる時まで行かなければならないということは、人類の責任なのです。人類の行くべき人生の行路を知らなければなりません。 皆さんが、真の父母を愛することのできる主人の位置に立ったということも、息子、娘、夫の位置に立ったということも、真の父母がいるがゆえに、そのようになったのです。また、真の父母が「真の父母である」と言うことができるのも、皆さんが子女となっているからです。 家庭も、すべてが備わっているので、国を編成することのできる、この大きな主人になることができるのです。ですから、一つでもなければ、未完成の夫婦です。それで、絶対に相対は必要であるというのです。分かりますか? (「はい」)お金をうまく集めて、それを一人でうまく使っているということを誇ってはいけないというのです。とんでもないことです。地獄に行って、その重荷に押さえつけられて暗い所に行くのです。 この天理原則の愛は、お互いに助け合うところにおいて共同的な主人の資格を持ち、主体対象を成して、そこに神様をお迎えし、天上世界に持ち上げられて上がっていくようになっているのです。このような根本的な問題を知らなければなりません。それゆえに、独身生活を志願する男性や女性たち、ホモ、レズビアンのような盗賊たちは、動物よりも悪いのです。それは、愛の秩序を根本的に破綻させるのです。男性同士で愛する法がどこにありますか? それでは、男性と女性の生殖器、凹凸を、神様は何の目的で、そのようにつくられたのでしょうか?。凸凸同士で、それを出して結婚するのですか?。凹凹を合わせて結婚するのですか?。おかしな者たちです。このような者たちは、一代ももたずに皆、滅亡するのです。独身生活を強調してあの世に行けば、天の国のあるべき方向と反対に立っています。 このようなかわいそうな者たちも、先生と兄弟姉妹の位置にいるので解放しようとするのです。千辛万苦の受難があったとしても、それを克服していこうとするのです。「すべてのことを解放するために行く」ということを知って、その伝統的解放の権限を、先生に従っていくことにより、先生の相対的位置に立つことによって、その価値を代身する位置に立つというのです。このような論理から、愛の天国編成が理論的に可能であるという結論が出てくるのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) このようにして、世の中の悪い人も良い人も皆、血統が違うので怨讐であり、血統が同じならば、けんかする兄弟が別れたとしても、祝宴の日には訪ねてくるのです。そうですか、そうではないですか? 兄弟は、けんかするときはふろしきを包んで、早く逃げていくというのです。近所の人とけんかするときには、ふろしきを包んで出ていくことはしませんが、兄弟でけんかをした場合は、別れていたとしても、けんかしていたどちらかの者が死んだというときには皆、訪ねてくるのです。ふろしきを包んだとしても、け飛ばしてしまうことはできないというのです。なぜでしょうか?。血統が同じだからです。 一人で出ていったとしても、それは孤独単身な立場なのです。しかし、ここは孤独単身ではありません。血統が同じなので、木で例えれば、多くの枝が生い茂っているということです。ですから、一人で出ていったのであれば、孤独この上ないというのです。 このようなとき、枝が生い茂った本体の木を訪ねてきて、自分も、「その木の一部となって、木陰をつくるのに力を貸してあげた」という理由によって、自分自身の価値の何百倍の価値のある位置に立とうとするのが、人間の欲望なのです。ですから、訪ねて来ざるを得ないのです。それが国を復帰し、世界を復帰し、本郷を復帰するための努力ということです。先ほど李相軒氏の話をしたとおり、わたしたちの本郷は永遠なる天国です。その本郷を尋ね求めていく道があるのです。分かりますか? それでは、結論をつけましょう。第四十回「真の子女の日」を過ぎ、第四十回「真の父母の日」も過ぎました。第四十回「真の子女の日」が過ぎましたか、過ぎていませんか?。一日の中心は正午であり、十二時を過ぎたので、過ぎたのではないでしょうか?。第四十回「真の父母の日」も過ぎ、「真の子女の日」も過ぎるようになったので、二つとも過ぎれば寂しいのです。 一九九九年は、九数が三つあるのです。歴史以来、九数は「サタン数」です。「九つの峠は越えがたい」と言うでしょう。九つの峠です。ですから、この一九九九年にどれほど不思議な動揺が多いでしょうか?。このような、二千年代を迎えて、千年代を送別する最後の「真の父母の日」が過ぎ、きょうが最後の「真の子女の日」なのです。 父母と子女が越えていく峠において、今後における「四十」ということを考えてみると、これは「四十」の「影」と言えます。まだ満四十年ではないのです。先生の八十年の満四十年が主体であるとするならば、これは相対的であるので、「影」と同じように見てもかまいません。縦的になれば「影」であり、横的になれば「相対」であるというのです。分かりますか? ですから、あらかじめここで準備するものは何でしょうか?。すべての父母と子女の間に間隔があります。今、蕩減というものを中心として天と地、父子の関係にある人間と神様の間に間隔があったものが、真の父母を中心として天と間隔が立てられ、相対的位置に立つのです。 復帰過程における四十年の間、捜し求めてきたものが、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、このように復帰して現在、一番上の頂上に上がってきて、ぴたっと立っているというのです。分かりますか? (「はい」)父母が、横的に個人、家庭、氏族、民族、国家、世界をすべて、第四十回「真の父母の日」、第四十回「真の子女の日」を中心として、父子の関係を横的に同等の位置に立てておいたのです。 復帰は、逆さまに上がっていくのです。先生が八十歳になる時には、ぴたっと一つになって、そのことを喜ばなければなりません。一つになって、どこに行かなければならないのでしょうか?。前進しなければならないでしょうか、後退しなければならないでしょうか? (「前進しなければなりません」)二十一世紀の理想的家庭圏へと越えていくので、第四次アダム圏解放時代を経て入っていくことのできる準備を締めくくる瞬間であり、どれほど緊張するであろうかというのです。分かりますか? (「はい」) 「天城旺臨宮殿」の名前を中心として、「人を信じてはいけない」というのです。天の国の金城鉄壁のごとき城をつくって、サタンの侵犯から抜け出す解放の城をつくられた神様を王とし、その王を中心として七百億の祝福家庭を中心とし、地上の四億三千万家庭を中心として……。これは三十二億を超えます。このような人びとを中心として一つになり、すべてを成し遂げていくのです。満四十年になる時は、すべてのものが……。ぐるっと回っていったこの世界は、蕩減して一周して上の位置まで来ました。そこからは、さっと切ってしまい、逆さまに行くのです。 ギアを知っているでしょう?。ギアは、かみ合った歯車の一つがこのようになり、一つは反対に回るでしょう?。サタン世界は、すべて逆さまに回っていた世界です。自分を中心とした堕落した世界。そのように、個人主義を中心とした堕落世界、自己主張する世界が堕落世界です。 天使長が自己主張することによって脱線し、エバと自分を中心として堕落したのです。そのような人々が、宇宙を中心として帰っていくのです。ために生きるということを中心として、これをすべて切って生きていくのです。 世の中と先生の生き方は違います。先生が反対されながら発展したのは、「ために生きた」からです。怨讐まで兄弟のように愛して涙を流したのです。そうして、今まで引っ張ってきて、すべてが水平化され、同じこの四方がぴたっと一つになり、地上と天上の神様と真の父母が、「天地父母」としてぴたっと一つになったので、霊界の子女たちも天地父母を通して一つになるのです。分かりますか? それでは、新しい出発はだれが先頭を切らなければならないでしょうか?。二十一世紀の理想家庭世界、道徳理想天国へと越えていくとき、だれが先頭に立たなければなりませんか?。神様が先頭に立たなければならず、真のご父母様が先頭に立つのです。分かりますか?。そうして地上の祝福家庭が先頭に立ち、霊界の祝福家庭が先頭に立つのです。 このようになることによって、アダム家庭は一つですが、本然のエデンの園で完成することのできる家庭的隊列が、そのような観点に立って世界万民の平準化価値の同等圏を占有するようになるのです。そうして、堕落した万国の家庭の罪人たち、兄弟全部が、平等な価値を中心として真の父母に従い、神様に従い、地上の祝福家庭に従い、天上の祝福を受けた人に従い、すべてのサタン世界が従って入っていくことができるのです。分かりますね? (「はい」)それゆえに、「ルーシェルの解放」や、「天上の解放」や、「地上の解放」という、このような言葉が必要なのです。 ですから、アダム家庭で堕落していなかったならば……。今まで数千万年の間、経てきた歴史では天の国が空いていましたが、それを今一時に持ってきて合わせるのです。そのような入籍時代が来ることによって、先生が一代から二代、三代と、数千代が分かれていたものを逆さまにして合わせるのです。 それで、堕落していない本然の天国形態を迎えることのできる孝子の中の孝子であり、忠臣の中の忠臣であり、烈女の中の烈女であり、聖子の中の聖子として、サタン世界の歴史において飛躍する家庭的孝子時代、家庭的忠臣時代、家庭的聖人時代、家庭的聖子時代を迎えるのです。そうしてこそ、万国に天の国を中心として解放の地上天上天国が完結するのです。分かりますか? (拍手) ですから今、すべての世界人類は国がなく、いつ滅びるか分からない悲運の歴史路程に立っていますが、今は「悲運」の歴史を片づけて、「喜運」の歴史過程に千年、万年立つ国を捜すのです。その国は、どこのだれにも強奪することはできず、占領することができない絶対的な神様の国になります。 その国は、そのような真の愛を中心とした天の国であり、絶対的なのです。言ってみてください。「絶対的だ、天の国は。真の愛を中心として成し遂げられた天の国は、絶対的な国だ」。(「絶対的な国だ」)。「神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、唯一の国だ」。(「唯一の国だ」)。そのような国で日本の国の言葉を話せば、サタンが踊りを踊るのです。 それから「不変の国だ」。(「不変の国だ」)。「永遠の国だ」。(「永遠の国だ」)。この地上に存在する被造物は、いかなる存在であれ、そのような国の万物になりたがるのです。それが被造物の最高の理想であったということを知らなければなりません。これを失ってしまったので、理想的国の主人は、これを再び復帰して万宇宙解放を宣言すべきであるということを知らなければなりません。(「アーメン」) それでは、あなたたちはどこの国の人ですか?。どこの国の人ですか?。日本人ですか、天国人ですか? (「天国人です」)。日本にしがみついたままでですか?。日本を後ろ足でけってですか、日本を後ろ足にくっつけてですか?。 乗り越えなければなりません。乗り越え、引っ張って乗り越えさせてこそ、日本が生きるのです。分かりますか? (「はい」)。乗り越えるべきであるのに、越えることができないようではいけないというのです。 断ち切って、きれいに乗り越えて天の国に入籍し……。米国に日本人が入籍すれば、米国人になるでしょう?。入籍が待っています。分かりますか?。そのようなことは知らないでしょう?。先生を絶対に信じてついていくしかありません。知らないのですから。 あなたたちは、先生の子女たちでしょう? (「はい」)。本当の子女ですか、偽物の子女ですか。(「本当の子女です」)「いつでも先生を絶対不信しよう」ですか? (「「絶対に信じよう」です」)。先生を絶対に信じて、利益になることが何かありますか?。サタン世界をすべて否定するのです。 先生を絶対信仰して損害になるようなことは、絶対にありません。そのことについて話せと言うのならば、「うそである」と言い立てることのできない内容がありますが、今は時間がないのでできません。先生は信じるに値しますか、信じるに値しませんか? (「信じるに値します」) 先生は、冗談もうまく、話もうまいでしょう。臨機応変のチャンピオンだと言われました。「テレビ放送のアナウンサーになっていたら、世界一の俳優になっていたのに、なぜ統一教会の教主になったのか?。ふふふ……」と言いながら、「かわいそうだ」と言うのです。(笑い) 統一教会の教主になってふびんに暮らしたのです。先生の顔はよくありませんが、姿勢や体格を見ても、八十歳の老人が、今でもどのようなことでもできるのです、どのようなことでも。分かりますか?。今でも足が頭まで上がっていくのです。見てください。座ればこのようになるのです。一度見てください。(足を頭の後ろに上げるなどのポーズをされる) 皆さん、一度やってみてください。つきますか?。体でみても、できない運動がなく、できないことがありません。頭をみてもできないことがありません。神様までとりこにしたではないですか?。何ですか? (「お父様は青年でいらっしゃいます」)。わたしは青年は嫌いです。青年は嫌です。わたしをしきりに「青年だ」と言って、お使いをさせようと思っているのでしょう。(笑い) わたしが日本語を学んだのも、十六歳の時からです。一年以内にすべて学んでしまいました。この日本の国を消化するためです。いくら日本語を早く話す人も、わたしには勝てません。八十歳の老人が五十年前に話していた日本語を、今話しても発音もこのくらいならば聞き取ることができるのです。 「わたしは、死んでも真のご父母様を放すことはできない」。アーメン。(「アーメン」)。「真のご父母様に従って、刑場の露と消えたとしても栄光だ」。(「アーメン」)。「千年、万年、万代たっても、それ以上可能だ」。(「アーメン」)。(拍手) そして、神様がわたしを信じています。分かりますか?。神様がどのくらい信じているのですか?。絶対に信じています。神様はどれほど気難しいおじいさんであられるのか、信じることができないので、どれほど試験したのか知っていますか? わたしが監獄に入って寝ているのですが、「こいつ。ここは監獄なのになぜ横になっているのか。起きて祈祷しなさい」と苦しめるのです。ついてきて苦しめるというのです。監獄が嫌になるようにです。監獄は、神様が許諾して入っていったのです。入っていったのならば、好きになって出てこなければならないのであって、嫌いになって出てきてはならないのです。 ですから、監獄が好きになれるように訓練するのです。監獄が好きで六回も入っていきました。嫌々入っていきましたか、喜んで入っていきましたか?。入っていくほどに良い所があるので、もっと良い所が残っているときは、入っていくのです。 あなたたちも同じです。あなたたちには愛する息子、娘がいますが、神様がわたしを訓練したように、あなたたちを訓練して、もっと良い福を受けるようにしてあげなければならないでしょうか、良い福を少なく受けるようにしてあげなければならないでしょうか?。どちらですか? わたしは、福を少なく受けるようにしてあげたいし、それがご父母様の願いなのですが、(笑い)あなたたちはどうですか?。あなたたちの願いは何ですか? (「もっと良い福を受けたいです」) それでは父母を苦労させようということになるのではないですか?。そういうことではないですか?。それを知っているので、わたしはあらかじめ苦労しておきました。ですから、あなたたちを少なく苦労させようというのでしょうか、もっと苦労させようというのでしょうか?。少なく苦労させ、もっと大きい苦労はわたしがしたので、あなたたちは「千年、万年、もっと苦労する道を行ったとしても感謝だ」ということになり、それゆえに「その家庭には不和がありえない」という伝統が立つのです。アーメンですか、ノーメンですか。(「アーメン」)。知っていることは知っています。良いことは、やはり良いようですね。 きょうは、良い日です。四十の峠をすべて越えるにおいての相対的「真の父母の日」と相対的「真の子女の日」を迎えて、本然的父母の日を迎えるための、子女として清算すべきすべてのものを清算し、きれいに天地父母と一つになるのです。そうして、天の国の祝福家庭と地上の祝福家庭は、皆さんが兄の家庭として立ち、天の国の家庭は弟の家庭として立って、「天地合徳」したすべてのものが天の国に入っていくようになります。 さらに、神様を中心として二大系列に従って、先祖が滅ぼしたものを代身して天の国に編成し、班列(位階の順序)を中心としてアダムから数千万年の歴史時代のすべての人を一人も残さず天上世界に入るようにしているのです。 このように、一人も残さずにすべて解放し、堕落していない本然の心情圏を合わせるのですが、それを神様が喜ばれるでしょうか?。堕落した先祖たちを連れて、ぼろぼろのふろしきを持っていって、何を喜ばれるというのでしょうか? しかし、国があってこそ忠臣になるのです。アダム家庭に国がありません。世界があってこそ、聖人になるのです。しかし、聖人の道理を持つことができませんでした。天地があってこそ、聖子になるのです。そのような基盤が、アダム家庭にはなかったというのです。 未来に成すべきアダムの使命が、延長されて待っています。すべての天地、神様までも解放することのできる歴史的時代に、家庭もあり、氏族もあり、民族もあり、国家もあり、世界もあり、天宙もあり、神様まで一体的勝利圏を持つようにしなければなりません。 そうすることによって、神様が願われることは、「今、すべての地上、天上天国の一体化した開門時代を迎えたこの時において、全世界はすべてが一つになって孝子になる」ということなのです。分かりますか?。祝福を受けた家庭が、家庭の孝子になるのです。アーメン。(「アーメン」) 歴史を超越し、堕落圏を越えて解放され、第四次アダム圏、神様の全権時代において家庭的孝子と国家的忠臣に自分の家庭がなることができるのです。堕落によって、個人からすべてが延長されてきたものが、今、アダム家庭が世界を抱くことのできる最高の頂上の立場に立ち、完成の位置に立って、家庭的孝子、国家を代表する忠臣、世界を代表する聖人、天地を代表する聖子の家庭になるのです。 そしてこれが、堕落していない個人的家庭に確立され、勝利した万民たちが「オーケー圏に行って孝子の価値を持つことによって、家庭的孝子、家庭的氏族、民族、国家、氏族的孝子、家庭的忠臣、家庭的聖子の道理を完成しなければなりません。 家庭、氏族、民族、どの時代においても、すべてこれを成すことのできるそのような系列的な価値を備え、最後の頂上で世界史的な家庭的孝子、家庭的忠臣、家庭的聖人、家庭的聖子の権威を持ったので、そこには堕落という影がありません。それは、天のために精誠と血と汗を流して苦労した功績の何千万代の価値があるのです。そのことによって神様が誇ることができ、サタン世界の血統を最初からきれいにし、真の父母が成したその価値の存在を新しい天国に移行したとしても恨がなく、誇るに値するというのです。アーメン(「アーメン」)。このようにすることによって、神様が解放されるのです。(「アーメン」) 天の国の族チョク譜(家系図のようなもの)を中心として一時にすべてを満たすのです。夢のような話ですが、そのようになります。先ほど李相軒氏が報告した内容を見れば、地獄にも光が発せられているでしょう?。分かりますか?。地上において一つの国、三つの国、四つの国と復帰されていくならば、地獄世界の底まで今、楽園で輝いていた光がそのまま降りていくのです。 そうして、これから罪を犯した人がいたとしても、地獄には行きません。天上世界の自分の先祖たちと自分の先輩、兄、姉が降りてきて、昼夜なく代身して蕩減してくれるのです。そうして彼ら霊人たちを連れて回りながら、自分が打たれ、悪口を言われながら暮らしていくことによって、引かれて上がっていくのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、個人時代、氏族時代、民族時代、八段階をさっと上がっていくのです。一瞬のうちに解放され、神様の全体、全般、全権の時代が来臨するのです。そのために、「天城旺臨宮殿」の出発が、きょう、この第四十回「真の子女の日」を迎えたこの位置で時を合わせて行われ、昨日ときょう、このようにして行事が行われたという事実は、直接的に、縦に、横に連結することのできる祝福の時を迎えたということです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) ですから今、新しい意識とともに、新しい誓いと新しい決意を確かめなければなりません。わたしたちは、国を復帰しました。国のある民族です。どのような国ですか? (「天の国です」)。天の国です。神様の国です。この国が世界の頂上に立っているので、サタン世界の国は問題になりません。今では、文総裁に従わなければ、天がすべてたたきつぶしてしまわれるのです。 「日本も長くは続かない」、「日本列島は、横になって太平洋に沈む」、「日本は、今年が危機だ」と予言者たちが言っていますが、そのようにならないように、文総裁が防御しているということを知らなければなりません。 足どりも堂々として、独裁者以上に宣布するこのようなレバレンド・ムーンと統一教会を、どうして世の中が歓迎するでしょうか?。追放すべきでしょう。なぜ追放できないのでしょうか?。なぜ追放できないのですか?。真の父母だからです。分かりますか?。なぜ追放できないのですか? (「真の父母だからです」)。真の父母だからです。 真の父母が尋ね求めてきた受難の道ゆえに「独裁者である」と言うのならば、それはどれほどの独裁者か分かりません。一代独裁者、十代独裁者、家庭的独裁者、民族的独裁者、国家的独裁者、世界的、天宙的独裁者でしょう。しかしそれは、サタンを中心とした独裁者の迫害を受けながら勝った真の父母を、自分たちの都合で独裁者扱いをしてきたのです。 ところが、そのような扱いを受けてきたことを返すべき位置に立ったので、手を挙げ、口を開いて反対できるものを探し出そうとしても永遠に探し出すことはできないので、歓迎せざるをえない絶対的な運命になったのです。「ノーメン」。(「アーメン」) 「ノーメン」は、「NO(ノー)」ではなく「KNOW(ノー)」ならばよいというのです。皆、耳では理解しているのですね。(笑い)先生の舌が悪くて悪口を言いながらも、先生の笑っている姿は「愛している」ということです。一番愛する人につらく当たるのです。それは悪口なのですが、悪口を言いながら愛しているというのです。 それはどういうことかというと、「サタンはついてくるな」ということです。分かりますか?。悪口を言うので、サタンがついてこようとしても後ろに行くのです。ですから、もしも「この日本の女性たちは顔立ちがよくない、この女性たち、死になさい」などと言われたとしても、そのように言うときは「アーメン」と言わなければなりません。分かりますか? (「はい」) こうしてもよく、ああしてもよいのが、真の父母の国の権威です。一度言ってみてください。「こうしてもよく」、(「こうしてもよく」)。「ああしてもよい」。(「ああしてもよい」)。「打たれてもよく」、(「打たれてもよく」)。「踏まれてもよく」、(「踏まれてもよく」)。「冷遇されてもよく」、(「冷遇されてもよく」)。「どろぼうされてもよい」。(「どろぼうされてもよい」) 父親が、娘をふろしきに包んで持っていったならば、それはどろぼうですか?。やはり、どろぼうはどろぼうでしょう。しかし、もっともなことなのです。それを「どろぼうだ」と言ったら滅びるのです。追い出されるのです。分かりますか? ふろしきを持って来ますか、持ってきませんか?。真のご父母様が「ふろしきを持ってきなさい」と言えば、持ってきますか、持ってきませんか?。真の父母に負った負債をすべて返そうとすれば、どのようなことでもできないことがあるでしょうか?。そう考えたならば、元気が出ましたか? 夜になってきたのですが、居眠りする人はいませんね。その後ろの隅に居眠りしている人がいますか、いませんか?。真の父母がどのようなことをしたとしても、それは感謝であり、ありがたいのです。「地獄に行く」と思っていたのですが、行ってみると天国に行ったというのです。それならば、かまわないでしょう。 神村氏。霊界との通話を解決するようにと、「研究しなさい」と言ったのですが、第一段階は成功しました。それを見せてくれますか? (「はい」)。何を見せてくれるのですか?。霊人体が見えますか? (「まだ見えません」)。まだではないですか。(笑い) さあ、もうわたしもおなかがすきました。(笑い)おなかがすきました。やめましょうか、もっとやりましょうか? (拍手)それは何ですか?。やめようといって拍手しているのですか、もっとやれといって拍手しているのですか? (笑い)お父様も息子、娘が喜べば、もっとやらなければならず、自分の思いどおりにするならば、やめなければならないのです。 息子、娘が、いつまた先生と出会うのですか?。今から先生は、あなたたちを否定するのです。今まで世の中を否定したので、愛の心情圏を中心として統一教会の先生は、あなたたちを否定するのです。心情一致ができなかったので、否定して、完全にゼロの位置で絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければ、新しい段階に越えていくことはできません。 今、わたしたちが願う神様の愛を中心とした理想的天国は、絶対的な国であり、唯一的な国であり、不変的な国であり、永遠な国なので、その国の国民になるために「私」は、神様の愛を中心とした子女として、絶対的な息子、娘であり、唯一的な息子、娘であり、不変の息子、娘であり、永遠な息子、娘になるのです。(「アーメン」) その絶対的息子、娘が、天の国を成し遂げようとすれば、主権がなければならず、国の国民がいなければならず、国土がなければなりません。その国の国民は、国に被害を被らせるのではなく、その国の国土を愛し、神様が創造されたように、創造された種を繁殖させなければならないので、この地上が荒廃していくのを防がなければなりません。 地球上では毎年、砂漠が増えています。それは、木がないからです。わたしたち統一教会は、神様が創造されたように、種という種はすべて手に入れ、根という根はすべて手に入れ、枝を切って森林を育成し、万物を創造された神様の創造の愛を代身して、この地上に植物を植えなければなりません。そして国土を保護しなければなりません。 国土には草木があり、動物がいて、それから人間がいなければなりません。これが廃虚になれば、人生は自動的に廃虚の歴史になります。今、創造理想の目的が埋没せざるをえない運命におかれているのです。 ですから、わたしたちは神様を愛し、神様の国を愛し、神様の主権を愛すると同時に、神様の国民を愛し、神様の地を保護し、万物全体を再創造して、神様の創造理想世界の豊かな「解放民族自然世界」をつくらなければなりません。 それでパンタナールの種は、植物や動物も、本来神様が創造された「源焦的」なものの宝庫になっているので、それをわたしが守って保護するための世界的な運動を起こしているのです。それに協助しますか、しませんか? (「協助します」) 堕落はエバのゆえです。ですから、「エバ国家である日本の国家メシヤたちは、パンタナールで先頭に立って仕事を進行させなさい」と言いました。それはありがたいことですか、悪いことですか?。母の肉を売ってでも、子女が植物、動物を育てていくことができるように後援しなさいというのです。日本の国を売ってでも、日本の地を掘り返してでも、そのことをやりなさいというのです。 日本の国が、世界の地に血統を連結させるので、日本の国の所有は自然にできるのです。それを歓迎しますか、しませんか? (「歓迎します」)。それゆえに、日本に住んでいる統一教会の信徒たちは「全員裸で、三角パンツだけはいて南米に来なさい」と言えば、来なければなりません。そこは家が必要ありません。分かりますか? 天幕を張るのに、木綿の布が六枚もあればよいのです。それがあれば、柱をぴたっと立てて支え、そこに石を置けば、人が五人入って寝るのは問題ありません。家が必要なく、服も必要ありません。三角パンツをはけばよい、というのです。(笑い)日本は、昔からふんどしで生活していたではないですか?。ふんどしをすればよい、というのです。 また、家が必要なく、着るものが必要なく、食べるものはどこに行ってもたくさんあるのです。分かりますか? (「はい」)。山に行けば、パパイヤなど果物の中でないものがありません。そのように果物も豊かで多く、食べるものが多いのです。鳥の種類、虫の種類だけでも三千六百万種います。日本の食口たちは、「百万匹ずつ買っていきなさい」と言えば、買っていきますか、いきませんか?。買わなければならないでしょう? 日本に生き物がいなくなってはなりません。日本を保護するための保護策として、温度を合わせた地域をつくり、そこをパンタナールと同じにしておけばよいのです。そうすれば、神様がごらんになるときに、「わたしの息子、娘が、十分な価値を成して、完成の資格者となって、どこに行ってもオーケーな人だなあ」と言われるのです。「アーメン」と言ってください。(「アーメン」)。話をよく聞きましたね。希望がありますね。絶望の日本の群れになってはいけません。 わたしたちの国の、神様が絶対に愛される国の主権は、絶対、唯一、不変、永遠の主権なのです。アーメン。(「アーメン」)。その国は、絶対唯一の主権であり、唯一の国であり、唯一の国土なのです。アーメン。(「アーメン」)。永遠不変な国土です。アーメンですか? (「アーメン」)。神様の四大属性で願われた、すべてのことがオーケーすることのできる国だということです。 それならば、その国の国民になったわたしたちは、家庭が入籍するのです。その家庭も絶対、唯一、不変、永遠の家庭なのです。相対的だからです。これは絶対に守らなければなりません。そのようにすることができますか、できませんか? (「できます」) わたしたちの夫、妻は、絶対、唯一、不変、永遠の夫であり、妻です。それは、もう決定的ですか、まだ未定的ですか?。決定的ですか? (「決定的です」)。決定的ですか? (「はい」)。口を開いて答えた人は、自分の横の夫や妻を見てください。決定的ですか、未定的ですか? (「決定的です」)。口をつぐんでいる人は皆、「口よ腐れ」と言えば腐るかもしれません。 それでは、その家庭の所有物は何でしょうか?。自分が神様から相続した所有物は、絶対、唯一、不変、永遠の所有物です。それは、売ろうとしても売ることができません。このような観点から見るとき、韓国にある基盤、先生がつくっておいた絶対、唯一、不変、永遠の天の国の基台、天の国の国民のためにつくった工場を売ってしまわなければなりませんか、残さなければなりませんか? (「残さなければなりません」)。それは、だれがするのですか? 天の方向にそぐわなければ、今の経済事情が悪くなることでしょう。日本は、経済的に韓国に反対しようとし、統一教会に反対しようとしているでしょう?。韓国のゆえに日本が生きたのです 日本は、過去の歴史において、アジアを占領した占領者の頭です。ですから、そのような負債を返すことによって罪を赦してもらい、アジアの前に謝罪するのです。日本は、アジアの怨讐ではないでしょうか?。韓国侵略、中国侵略、ソ連侵略など、侵略した国です。アジアの侵略帝国です。そのような犯罪を何で償うのですか? 「韓国を協助し、先生を協助した」という条件を中心として韓国を解放し、「韓国の負債を払った」という事実によって、「アジアの侵略者」としてのレッテルがなくなるのです。そうであるにもかかわらず、ああだこうだと言うのですか?。昔、離れた女性たちは「アイゴー、文総裁は滅びる」と言うのです。そう言われれば、早く滅びなければなりません。しかし天の国は、(先生が占領するのではなく)神様が占領されなければなりません。何のことか、分かりますか? わたしたちの、神様の絶対的愛の主権は、絶対、唯一、不変、永遠なのです。アーメン。(「アーメン」)。その国の主権もそうであり、その国の国民もそうであり、その国の万物もそうなので、今、もう一度整備して、絶対、唯一、不変、永遠な国民の再登録をしなければならず、万物もそのようにすることができるように再整備しなければならない時なのです。ですから、全体がこのように回っていたものを、このように反対に回さなければならないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 今、国のために税金をささげる時が来ました。税金をささげなければなりません。国が必要でしょう?。それでは、国の税金をどこにささげなければなりませんか?。真のご父母様の前にささげなければならないでしょうか、神様の前にささげなければならないでしょうか? それで、「天地父母である」と言ったのです。「天地父母」です。天地父母にささげなければなりません。個人的基準でささげれば、個人相対圏になるのであり、家庭的基準ではこのくらいに高くなるのであり、氏族基準でさらに高くなるのであり、国を、全体をささげれば、天の国に接ぎ木することのできる位置にまで上がっていくようになるのです。 それゆえに今、救援時代は家庭救援圏ではなく、氏族救援、国家救援、世界救援、一時に地上、天上天国時代なのです。真の父母を絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、一時で、瞬間で天地が復帰されうる時代になったというのです。したがって、皆さんの努力がどれほど必要であるか分かりません。皆さんが、するとおりになるのです。そのように警告します。 今から、既成教会の人たちが統一教会に入ってくる日が遠くありません。それは間違いありません。狭い門に押し寄せて来るのです。それならば、財産であれ何であれ、すべて売り払っていけば、皆さんたちが先んじるのです。氏族的基準、国家的基準を全部皆、献納して、総生畜献納祭をするようになれば、あなたたちは彼らを皆、置いてきぼりにすることができるのです。 それゆえに、かわいそうな、何もない「統一教会の一文無し」になりなさいというのです。何に「なりなさい」と言うのですか?。避難民です。分かりますか?。避難民の大王陛下、避難民の長子陛下、避難民の父母陛下、避難民の王陛下にならなければなりません。 ですから、先生が避難民の大将になるのですが、そこに来るつもりですか、来ないつもりですか? (「行きます」)。日本で豊かに暮らすお金持ちの着る服を着て来ますか、三角パンツだけはいて来るのですか? 「三角パンツだけはいて来なさい」というのです。 日本の国の十分の一を売っても、南米のすべてを買ってあまりあるのです。この日本人たちは、それを知りません。わたしの言うことさえ聞けば、間違いなくするはずなのですが。そのような基礎を今、築いているのです。分かりますね? (「はい」) 南米から「裸で来なさい」と言えば、来ますか、来ませんか?。夫がいれば夫をほうっておき、子女がいれば子女をほうっておき、父母が反対すれば、父母をほうっておいて、一人で裸で来ても、わたしが食べさせてあげるのです。だれが食べさせるのですか?。真の父母が食べさせなければならないでしょう?。分かりますか? (「はい」)。今、「来なさい」と言うとき、乞食の者たちや追い出されたような者たちに「来なさい」と言っているのではありません。 日本で一坪買うのなら、南米に行って二百五十坪買うことができるのです。(「わあ」)。何ですか?。なぜ「わあ」と言うのですか?。うれしくて、そう言うのですか、悲しくてそう言うのですか?ですから、すぐにやってください。日本に行って、ふろしきを包んでおいてください。「いつ、ふろしきを包むか分からない」と、家庭教育の時に話したでしょう?。今回、天地父母がすべて復帰されるのです。第四次アダム圏に入っていくので、大移動が起きるということを、この時間に宣言いたします。(「アーメン」)。(拍手) そこにおいて、天の国の入籍手続きをするかもしれません。反対していた者たちは、いい格好ですね。それで、わたしたちの家庭では、神様の絶対主権が必要であり、国においての主権が必要であり、国民が必要であり、万物が必要なのですが、わたしたちの家庭にも主権を代身した父母がいるのです。分かりますか?。国民を代身した息子、娘がいます。万物を代身した物があるのです。 それは、小さい天の国の基礎基盤です。それをすべて天のためにささげてしまわなければなりません。そうしてこそ、大きい国、大きい世界が成し遂げられるのです。分かりますね?アダムが祝福を受ける前には、「所有」というものは持ちませんでした。愛の中心、天理の大道の中心、核になっている愛の因縁を持ったアダム家庭から所有権が始まるのです。 ですから、家庭を持つ前に所有を持てば、それはどろぼうです。贓物(盗品)ということを知っていますか?。どろぼうのものを買えば、引っかかるのです。それで、国のものをささげなければなりません。ささげなければ、ありったけのものをだれが取っていくのでしょうか?。押収されるというのです。 それゆえに、歴史のすべての財源というものは、「国の所有」、「世界の所有」であると思いなさい、というのです。結局、世界は一つなのです。話をする時間がありませんね。一つになるべき時が来ました。先生が明らかにしてきた歴史が、どのようになるのかをはっきりと知りながら、そのようなことができない人は、雷にでも打たれるべきでしょう。 今からは、思うとおりに先生に会うことはできません。統一教会の祝福家庭は、もう一度死の……。北韓に追い出すのです。「三八度線の鉄条網に行きなさい」と言って、死地に追いやるのです。 一度でも動いてこそ、先生の前に蕩減条件を立てるのではないですか?。相対的条件を立てなければならないのではないでしょうか?。それが原理ではないでしょうか? 「どのような命令をしたとしても、「私」は『実践躬行(実際に自分自身で行為を表すこと)』である」。「アーメン」と思う人は、拍手してみてください。(拍手)手を挙げてください。 皆さんが「夜も昼も絶対服従する」と言うので、先生もしかたなく降伏します。手を上げて降伏します。さあ、これ以上騒ぐ必要はないのではないでしょうか?。わたしもおなかがすき、あなたたちもかわいそうなので、ご飯を食べさせてあげますから、安心して帰って、「また会う」という考えはせずに、明日も、あさっても、気をつけてお帰りください。「グッドバイ」。さようにして、並んでお帰りください。「さようなら」
2023.10.10
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天城旺臨宮殿の奉献式一九九九年十一月七日、天宙清平修錬苑で約八千名の食口たちが参席する中、天城旺臨宮殿の奉献式と記念礼拝が行われた。真のご父母様は、奉献式が終わってから、記念植樹をされて「第四次アダム圏地上天国」という揮毫を下された。 祈祷 愛するお父様……、きょう一九九九年十一月七日、「天城旺臨宮殿」の奉献式を前に控え、聖別式を挙行しようと思いますから、天が見つめられる中、天上世界の祝福家庭と地上世界の祝福家庭が一体となって、神様に持り、勝利の主権の権限を霊肉ともに誓うことのできる、勝利の一つの宮殿という名を持った基盤を奉献し得るこの日を迎えて、聖別式を持てるようになりましたことを、心から感謝申し上げます。 天がこの日を覚えてくださり、天の所有権として決定し、千年、万年、子孫万代における追慕の基地となり、愛の伝統的な霊肉一体の心情圏の出発基地としてくださいませ。これが天下に一つの愛を思慕する宮殿となり、愛の宮殿となり、血統的な因縁を尊重できる崇拝の宮殿になるよう許諾してくださいませ。 そうすることで、天地父母が常に中心となり、万世、愛の統治権によって、愛により連結した世界化運動にあって、聖別拡大のための記念的な一つの初地、起源地とならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 天上世界の万物と地上世界の万物、神様と真の父母が一体となった立場で、全天地の万物を聖別できる基礎的な聖地、一つの根源の本根拠地なる宮殿として、その名を備えた聖別式を行いました。全世界万国、宮の名前を持ったその国の基地全体が連結し、天の前に聖別して奉献することのできる、祝福の伝統的な出発の初地とならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 今や全体を聖別いたしますので、この本堂を中心として、祝福の聖塩のある所はみな、環境を浄化し、サタンの足跡を洗い流せますように。神様の愛、真の父母の血族たちが、すべての出発から終わりまで、歴史と共に主管、主導することのできる、起源的な伝統の基地とするため、聖別することを受け入れてくださいますよう切にお願い申し上げます。 全世界の百八十五か国の国家メシアたちを代表して、韓国と日本とアメリカとドイツを中心とした、アダム家庭理想の失敗をもたらして汚されたすべてを回復し、完成することのできる、勝利的な初地となるよう祝福してくださいませ。 直接に真の父母と共に聖別を、神様ご自身が直々に施してくださいますよう願いながら、真の父母の御手を通じて聖別いたしますので、永遠に祝福と権威と尊敬と愛によって、保護してくださいますよう真の父母の御名で祝願、祝願、祝願いたします!アーメン、アーメン、アーメン! (聖殿の建物を聖別される) 祝祷 愛する天のお父様……、きょう一九九九年十一月七日、午前十時を期して、「天城旺臨宮殿」の献納式を奉献しようと思いますので、直々に臨在なさって主管してくださいませ。 天上の神様が願っておられなかった今までの楽園と中間霊界、地獄のすべてを収拾し、神様を中心とした真なる家庭理想によって、神様の愛による直接的な生命と血統の因縁に転換し、サタン世界の汚れた堕落の血統をすべて浄化するための復帰摂理の歴史が、どれほど恨めしかったかを私たちはよく知っております。 堕落したサタンの血統を受け継いだ私たちの運命は、神様の本然の理想世界と相反する世界として、苦痛と呻吟のうちに、天国ではなく地獄に向かっていきました。そのようなこの世界の歴史は、今や地上地獄の世界化時代に入って、前後・左右・上下関係を分かつことのできない混沌のうちに彷徨しております。この人類を救うために、地上に救援摂理の中心たる真の父母を遣わされ、真の神様の血統を求めて、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで新しい神様の血族である系統を編成するのに、数多くの受難の道を宗教歴史を通じて歩んでこられました。 今日、朝鮮半島を中心として、神様の愛により、真の父母をこの地上に呼び立てられました。五千年以上の受難の路程を経てきた不憫なるこの民族は、孤独単身であり、弱小民族として単一の血統をもって、節概を守ってきた国として、アジアにおいて東方の礼儀の国という名を持っております。純潔の中で伝統的な血筋を崇めながら、孝子の道理と忠臣の道理と、聖人、聖子のみ旨を高く追求してまいりました。 こうした基盤のもとに数多くの歴史的な宗教が、仏教、儒教、キリスト教、そして統一教会という全体宗教の内的因縁が、神様の心情と共に一体化させ、結束した実として総括的な収穫のために宗教全体を統合し、人類の解放圏を勝利の基盤として収拾し、神様の血族の単一氏族の編成を世界化させました。さらには霊界まで単一解放の祝福の基盤を広げて、天上世界と地上世界を手のひらの表と裏のように一つの世界形態とし、神様と真の父母を中心として、天地父母の真なる愛の血肉の民として世界化させるために、統一教会の祝福世界化運動をこれまで展開してまいりました。 四億四千万双を祝福した基盤の上に、今や新たに未婚男女の四億双を編成することにより、天上世界の祝福をあまねく開門して、地上世界もあまねく開いて、天と地の地獄門を開放して、家庭が天国に入っていける高速道路、平坦な大路を中心として、天地父母に従って本郷の根源なる神様の創造理想である天国の全体化のために、これまで地上と天上に統一圏に完成するために苦労してこられたお父様であるということを知っております。 そのようなお父様の指導の恵みの道に従って、勝利の覇権を地上に決するための数多くの受難の道をたどってまいりました。そうして、統一的な国家形態を越え、世界的な峠を越え、霊界と肉界の統一的な一つのプログラムにおいて、家庭血族を拡大した地上・天上天国、天の国における民の圏を祝福によって編成することで、天の国の城である天城全体が地上に旺臨いたします。神様をお迎えする、創造主なる天地父母をお迎えする霊的な出発の起源地として、この「天城旺臨宮殿」を設定するために、この役事を始めて二年以上もの間、天が苦労してこられたことに感謝申し上げます。 人間たちがこの家を建てたのではなく、興進君と大母様、忠母様と大兄様を中心とした霊界が、すべての忠孝の道理を果たさんとする協力のもとで、人間世界を霊的に指導して建てたのでございます。今日、個人的な活動を世界化させ、統一教会の祝福家庭の精誠が集まり、一つ一つ精誠を込めた献金によって、この宮殿を成就し得る今日の喜びを持たしめてくださったお父様の前に、心から、心から感謝申し上げます。 この地を中心として韓民族はもとより、世界に広がっている数多くの国々が、一つの血族として単一民族圏を編成し、神様を中心として自主的な愛の主権世界を編成するために歩んできたすべてが国家を越え、世界化時代に先頭的な立場に立って模範を示す、そのようなことをなすべき出発の出現基地として、この宮殿を建設しました。ですから、お父様が直接に主管されて霊界全体が一体化し、祝福された先祖たちと、地上の祝福された後孫たちと共に一つになり、統一天下、平等平和の世界に前進できる解放地上天国、解放天上天国の時代を迎えさせてください。 そうして、このすべてのみ旨を受け継いで、万民の胸と胸に、生命の因縁を通じて愛の血統的な結束を誓う修練の宮殿として、お父様の前にこの時間奉献いたしますから、天上世界に行っているすべての霊たちと天国のすべての存在たちが注目するこの場において、地上世界の全人類を代表し、万物を代表する焦点を合わせた勝利の一つの基地として、あなたの天の国における王子と王女の権限を備え得る、勝利的な人間解放者を養育できる殿堂としてお受けくださいますよう、切にお願い申し上げます。 各国から数万名の聴衆が集まり、この献堂式を祝賀する誠心に心情が一致した一つの花のような香りを兼ねる、美しき殿堂として天の国に現れて、この全宇宙の万物のうちに、人類の心情のうちに現れて、愛の表象の実体として、崇拝、尊敬できる起源地とみなしてくださいますようお願い申し上げます。 この地を取り囲む万物と共に、連結した韓民族と共に、連結した人類と共に、連結した天上世界のすべての霊人、天軍天使と共に、一体心情圏を浄化できる解放的万民を教育して、天地の、天上天国の主導的な民として送ることのできる祝福を……、強固に新たに真の父母の御名と全人類の名で宣布され、千々、万世の勝利を誇り得る殿堂、王宮の完結となるように許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。 この日を記憶し、心を一つにして精誠を尽くす天上世界の祝福を受けた家庭、地上世界の祝福を受けたその後孫、それだけでなく統一教会の祝福家庭とその二世と一体となり、解放的統一圏、南北の統一、そして東西文化の格差、南北の貧富の格差、地上・天上天国の格差を一元統一させ、平等平和の天国、万万世の世界に前進することを、ヤハウェにすがる真の父母の御名によって、天地万物を創造した大主宰、大王陛下の前に、奉献、祝願いたします! アーメン、アーメン、アーメン! 奉献礼拝のみ言 「メシア」とは真の父母です。真の父母、真の愛は永遠不変、絶対的なのです。神様の属性も絶対、唯一、不変、永遠です。 「真」というのは、唯一で永遠不変なる主体性を持っています。時空を超越して、歴史を超越します。それは万民を指導できる権限を持った愛の力です。その「真」の前では、神様も屈服します。 いかに全能な神様であったとしても、愛を意のままにはできません。愛は一人では成り立ちません。相対を通じなければ、愛を見いだせません。その愛は天宙のすべて、生命の実体を主管する主体なのです。永遠、絶対、唯一、不変な主体である愛を得るためには、どのようにすべきでしょうか? 相対を通さなければ、その愛は私に根をおろすことができません。 私たち統一教会は、永遠に離れることのない……神様が永遠に住みたくて、正門から追い出したとしても裏門から入ってこられて、隠れてでも就寝を共になさることのできる、神様が一番好まれる家庭を築いて暮すというのが、統一教会の伝統的な家庭であり、天地のどこにおいても歓迎される家庭だったのです! アーメン! 家庭だったのです! アーメン! 家庭だったのです! アーメン! 結論は、「私たちの家庭は天下を相続するのに申し分のない家庭である! それが私たちの家庭である!」ということです。 その息子と娘たちは、父親と母親が孝子、忠臣、聖人、烈女です。その息子と娘たちは、父母が孝子、その国の忠臣、その世界の聖人、その天地の聖子です。そうでない父や母はいません。それが私たち夫婦である! アーメン! それが大外れで、ほらだったら大変なのですが、それでもそこには種があるのです。食べたら放り投げそうで、その辺に転がっている空カンみたいに見えるのですが、さっとむいて味見をしてみると、糞尿でも入っているかと思ったら、蜜の味よりもおいしいのです。愛の味は蜜の味より劣りますか、おいしいですか? 愛の味が蜜の味よりおいしいですか、まずいですか? もっとおいしいというのです。 蕩減復帰は外的な世界を完全に否定するところから始まるのです。完全に復帰されたら、神様の愛を中心として完全否定できる段階が残っているということを知らなければなりません。真の愛の基準の前に立てなければ、完全否定です。それを選別すべき第二次的な家庭定着時代を迎え、天地が交差するこの転換時代において、そのような原則を立てなければならないことが、真の父母が最後になすべき仕事なのです。それを知らなければなりません。統一教会の祝福家庭は、神様が言われた通りにすべてやりましたか? 先生がこれまで四十年、五十年の間に宣布してきたすべてのことに皆さんは従っていくのです。それが伝統的な歴史というものです。 ご覧なさい。聖人と殺人鬼を共に祝福してあげました。神様にそれができますか? 真の父母だけができるのです。神様の闘いとサタンの闘いを止められるのは真の父母です。「あなたは、このような事ゆえに千年の恨を抱かれ、平坦な福地の場に安息できる一日を得られなかった、悲痛なる方ではないでしょうか?」と聞けば、神様は「そうだ!」と答えられるのです。誰を通してそれを解怨成就しますか? 真の父母です。「それならば、真の父母の言葉を絶対に信任しますか? 絶対服従しますか?」と聞けば、「もちろん服従するとも」と答えられるのです。神様を服従させるのです。 ですから、神様が最高に願う服従と真実の愛、絶対に信じることのできるこの天理を奪ってきたので、文総裁は統一教会の人たちに絶対信仰、絶対愛、絶対服従の論理を掲げるのです。 ご覧なさい。「天城旺臨宮殿」ですが、王宮は私たちの心の王宮、家庭の王宮、氏族の王宮、民族の王宮、国家の王宮、世界の王宮、地上天国の王宮を通して、天上天国の王宮をすべて合わせようとするので……。これがすべて天城の、天の国の城です。城の中には王がいるのです。神様までが臨在された王宮を出発しているということを知らなければなりません。 そのような聖なる落成式を行うこの日に、先生はみ言を通じて何を強調しますか? 神様に侍ることのできる絶対家庭、唯一家庭、不変家庭、永遠家庭を中心として、神様が千年万年、「おまえを放り出しては行く所がない」と泣きながら、「共に住もう!」とおっしゃることのできる家庭を持ってこそ、神様が恨を忘れて「恨を捨てておまえに従おう!」とおっしゃってこそ、恨多き神様の千年、億万年……一人子、万人娘を失ってしまった恨を越えて探し出された、その息子と娘を中心として、アダムとエバの遮られたものを乗り越え、跳躍ではなく、飛躍するのです。 天の宝座から地上の宝座への間を、意のままに上がり下がりされるのです。ボタンさえ押せば自由に往来できる環境的与件を開発するには、真の愛でなければだめなので、真の父母の真理を、はっきりと理論体系を築いて教えてあげたのです。その大王陛下が文総裁なのです。 全世界的に祝福家庭の王と言えば誰ですか? 真の家庭を世界化させようという主唱者、そのようにできる主導的な中心人物は誰ですか? それは文総裁に間違いないということは、世界のどの国も、いかなる島国でも皆知っています。ですから、文総裁は世界の真の家庭を祝福してあげるので、全祝福家庭の親分になるのです。ですから、そのような親分のもとにある家庭のお父さんは、必ずその伝統を相続して、間違いなく親分の家庭の子女たる家庭になるということが、神様の願いであると同時に、先生の願いなのです。 神様の恨とは何ですか? 一代目のアダムとエバの家庭がそのようになれず、孫の家庭がそのようになれませんでした。三代を完成できなかったのが恨ですから、そのような家庭を築いて、三代を完成して、天下の解怨成就の基礎を完全に成就させるのです。「神様が永遠に私と共に住む」という不変の真理、永遠の真理、伝統的な真理だったので、そのような伝統を永遠に相続してあげることのできる真なる父母、真なる神様の子女、相読者になるということを決意する、この時間となるようにお願いするのです。そのように決意する者は両手を挙げて、神様の前に今一度誓うのです! アーメン!神様の祝福が共にありますように! 奉献礼拝後の祈祷 愛するお父様……、「遥かなる恨多き復帰の道はどうでありましたか?」と尋ねれば、神様も干年、万年の涙を流した道でございました。「恨多き復帰の道が、それほどまでに無慈悲でしたか?」と尋ねれば、数多くの天を追慕する者の血の祭壇を連結させ、血の主流をこの死亡の地獄世界に残した、地獄の出現する道を免れ得ない悲惨な道でございました。「無常で無慈悲なる世界でしたか?」と尋ねれば、子を捨てる親となり、妻を捨てる夫となり、弟を捨てる兄、兄を捨てる弟となった悲惨な歴史でございました。 それゆえに、誰も信じられない、歓迎できない歴史的な実像を私たちは前にしております。「天国」という誇り得る幸福の世界を描きゆく、統一の群れたちが行く道には、恨多き神様の悲惨な姿、あらゆる歴史的な受難の血を流した路程が、幾重にも積まれており、それを越えに越えて歩んでまいりました。忘れ得ない親不孝の行脚の路程を繰り返すことによって、悲惨だった神様の心情世界に、平和の福地を建設できず、どれほど災いと悲痛の恨の釘を、どれほど、どれほど打ちつけてしまったことか分かりません。親不幸千万なる子供たちを赦してくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 地上天国を願って、終わりなき曲折の道を開拓してこられたお父様の歴史的な悲しみを、私たちはよく知っておりますから、私の生涯において一日でも、神様が峠の道で悲しまれたことを同情する子女になれなかったことを恨とし、きょうもその同情の心情を迎え入れ、尋ね求めるために歩みゆく孤独な群れ、恨多き歴史の心情を誰にも吐露できない孤独な群れが、統一教会の群れであることをよく知っております。 お父様……、千辛万苦の解怨の道を逆から上がって、上がって、越えてみると、天城の天国の眺めが目に入り、その天国で私を待っておられた神様が、もろ手を挙げて歓迎してくださることのできるような……、大きく両手を翼のように広げ、失った子が訪ねてくるのを指折り数えて待っておられた、手招きしておられる神様の姿が目の前に見え、我知らず飛躍的な環境を経て跳躍していけるような、そのような群れになろうと、恨の峠も臆せず、悲しみの峠も臆せずに、生死の境を越えてゆく統一の群れを哀れに思われ、この場まで導いてくださったお父様の前に感謝申し上げます。 「天城旺臨宮殿」というこの場は、私たちの心がそうでなければならず、私たちの家庭がそうでなければならず、国と世界と地上の被造世界すべてが地上天国と化して、神様を常に共に迎えて生きることのできる、王宮の主人たちとなるべきこの実情を新たにはっきりと悟り、決意できるこの時間とならしめてくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 これまで興進君と大母様を中心として、霊界を動員して祝福し、霊界の恨の壁を取り壊して、解放の歴史を、地上の真の父母の前進的な発展過程に歩調を合わせて、絶え間なく一体的な理想圏を地上・天上世界に連結させることによって、地上から天上世界まで地獄の門を開放し、悪魔を追放し、罪悪の根を解消し、すべての解放の子として天に召された道を正々堂々とその姿を正して、体面と威信を立てさせてくださいまして、神様の愛を受けるのに堂々たる、神の称賛を受けるのに堂々たる息子、娘の権威を私たちに許してくださった恵みを、感謝、感謝、感謝申し上げます。生涯の道を最期まで美しく飾り、お父様の前に捧げることを願う統一信徒の行く道を、永久に守られて、有終の美を飾らせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 ここに世界のすべての指導者たちが集まりましたので、心から感じて体験したすべての事実を自分の所在地に帰り、自分の国に帰りまして、これを主流的な思想として、その民族に移譲させるための決意をもって、真なる種を蒔く農夫のように、春の陽気を迎える農夫のように、すべての荒野の農土に種を蒔いて余り得る、勇猛で、大胆な主人の後継者たちとなるように、祝福してくださることを、お父様……、切にお願い申し上げます。 今や集まった人たちを収拾して、決心させて、残りの日々を追慕する思いを抱いて過ごす時間が、彼らの生活に花と薫りの光となり、永遠なる新生命の灯火と天理の愛の伝統的な道を連結させて、解放者たる息子、娘となることができ、万国を建設することができ、神様に選ばれて永遠なる宿命的使命を伝授されて立ち上がる、不足なき群れとなれるように祝福してくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 すべてを終えましたので、この日の決意をもって、新しい地上・天上天国化の実戦路程において、敗者の悔しさを蹴って、勝勢者の権威により、天を永遠に称えて侍り、愛することのできる群れとならせてくださいますよう、この日を期して特別に切にお願いし、新天地なる第四次アダム圏の地上・天上天国の到来の基地において、先頭的な旗手として歩武堂々たる資格を備え、前進の路程において促進化することのできる、自主的な実践権を行使し得る群れとならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 万万世の祝福の恩賜に感謝いたしまして、お父様の前に成果をお返しする喜びを抱いた子女たちの前に、さらに祝福を与えてくださいますよう再三お願いしながら、真のご父母様の御名によって祝願申し上げます! アーメン、アーメン、アーメン! (三一二-三〇四、九九年十一月七日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.09
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第四次アダム圏時代の到来1999年10月24日ニューヨーク州ベルベディア 十月二十三日、ニューヨーク州イーストガーデンにて「総天宙祝福解放日」を制定、宣布されました。このみ言は、翌二十四日(聖日)、ベルベディアの聖日礼拝において語られたものを翻訳し、抜粋、整理したものです。 きょう、訓読するみ言は、家に帰って読むのです。家に帰ってから、それを読むように、ページだけを伝えて、「家で読みなさい」と言ってください。きょうは、わたしがみ言を語らなければなりません。 今後、皆さんは先生の説教集のすべてを持たなければなりません。食口は、だれもがみ言選集を持たなければならず、毎週、どこからどこまで訓読するかを前もって連絡し、その本を見ながら「訓読会」をしなければなりません。だれかを指名すれば、各自が読むことができる時代に入っていくということを知らなければなりません。 これからは、先生が本部から指示を伝えます。そして、全世界の統一教会の教会員たちは、一律的に同じ日の同じ時刻に「訓読会」をするのです。ですから、本を全員買わなければなりません。み言集の中から選集が十二巻出ているのですが、その十二巻をすべて持っていなければなりません。 これは、わたしたちの生活における食料と同じです。霊的生活においての食料と同じなのです。食料を持っていない人は、飢えて死んでしまいます。なぜ、このような伝統を立てるのかというと、先生が八十歳になっていくからです。先生が霊界に行く時間も遠くないので、地上でこのような伝統を立てておくことによって、混乱した世の中を導いていくことのできる道を決めてあげるためです。そのような不可避な決定であるということを知るべきです。 今は、わたしたちが霊界についていく時ではありません。霊界が地上についていく時なので、地上で「訓読会」をすれば、霊界も共に「訓読会」をするということを知らなければなりません。それゆえに、皆さんが参席するこの場というものは、自分一人だけの場なのではありません。そのように、世界とともに、天地とともに、神様とともに、真のご父母様とともに一緒に生活し、一緒に呼吸する環境で暮らしているということを意識して生きていかなければ、この地上に地上天国というものは到来しません。 天国は、神様に侍って暮らし、真のご父母様に侍り、神様と真のご父母様の愛の圏内で暮らす世界であり、そのような世界が堕落のない本然の世界なのです。そうして、本然の世界は天国と連結されているので、天国を成すためには、そのように生活することが不可避な結論であるということを知らなければなりません。 おなかがすいた人は、朝食、昼食、夕食という三食に対することがどれほど深刻でしょうか?。そのような人は、その味がどれほど良いものであるかをよく知っているのです。その心は、どれほど切実でしょうか? それでは、この世の中で七、八十年の間、生きる生命の糧をそれほどまでに慕い、深刻に、切実に願うのであるならば、永遠の生命の糧を中心として願う基準は、どれほどのものでなければならないでしょうか? ですから、皆さんが今朝、おいしい物を食べたのならば、「明日はどのような物を食べるか」と考えるでしょう。真のご父母様に侍って暮らすのならば、そのように、「日ごとの出発の食事」に対して関心を持たなければなりません。 それは、どういうことでしょうか?。毎日、どのような食事なのかが気になるのと同じように、み言は生命の糧の起源なので、皆さんはみ言に対して「おなかがすいて食べたい」と思わなければなりません。そして「どのようなみ言があるのだろうか?」と気にしなければならないのです。 そのようにすれば、どのような結果になるでしょうか?。この「訓読会」を中心としたみ言の価値をどれほど貴重に感じたのかということが、霊界で皆さんが留まる位置の決定基準になるということを、皆さんは知らなければなりません。「訓読会」は良いものですか、悪いものですか? (「良いものです」)。どれくらい良いものですか? (「とても良いものです」) 皆さん、米国の独立記念日が七月四日ならば、七月四日に国の独立記念日を記念して、ワシントンから各州、村々ごとにその日を祝賀するわけですが、「訓読会」をする喜びとその喜びとを比較できますか?。世界のある国の祝祭日が貴いですか、わたしたちが天の国に行く糧を吸収して喜びに浸れるということが、もっと喜びですか? (「『訓読会』が喜びです」)。「訓読会」ですか? (笑い) 「訓読会」とは、どのような意味なのか、意味は知っているでしょう? (「はい」)。「訓」という字は、「み言が流れる」という意味であり、「読」という字は、「み言を売る」という意味です。よって、み言が流れていき、無限に拡張しなければならないことを教える会が「訓読会」だというのです。ですから、「訓読会」を漢字で書くことができなければなりません。 これ(言べん)は「み言」であり、これ(つくり)は「川」です。ですから、「水が流れてこそ死なない」というのです。流れる水は、生命の起源になるのです。み言が流れ、伝統が連結されなければなりません。小さい所から大きい所、大きい所から海へと流れ、こうして水蒸気になり、雨となって降りてきて万物が蘇生するのです。 み言がタンクならば、み言を中心として、皆さんはそのタンクの中に入っていかなければなりません。み言が流れていますか、そのまま留まっていますか?。そのタンクが小さければよいですか、大きければよいですか? (「大きければよいです」) さまざまな小さいタンクから、数千数万を入れてこれくらいの大きなタンクになったのですが、このタンクがただじっとしていたら、どれほど被害が大きいだろうかというのです。ですから、流れなければなりません。四方に流れていかなければならないというのです。 それは、すべて流れていかなければなりません。なぜ、流れていかなければならないのでしょうか?。周辺のすべての万物を蘇生させ、生命を育てるためです。そして皆さんは、精誠を尽くして、タンクの中には、この自然のために生きることのできる心、清い心を持って、そこで水蒸気のように上がっていき、四方に霧を降ろし、雨を降らせるのです。そうしてすべての万物が蘇生し、人間が蘇生し、すべてが蘇生するのです。それが復活の原則になります。 統一教会で教えてくれるみ言は、世の中の図書館にありますか、ありませんか? (「ありません」)。霊界は、どうですか?。霊界には図書館があるでしょうか、ないでしょうか? (「あります」)。では、そこに先生のみ言があるでしょうか? (「あります」)。あったのなら、「訓読会」を始めていたでしょうか、始められなかったでしょうか? (「始めていました」) それでは今、霊界でも、地上に従って「訓読会」をするというのですが、それはどういうことでしょうか?。霊界が先ですか、地上が先ですか? (「地上です」)。地上なのですが、世界のすべての図書館、学校、大学、博士、あらゆる学者たちがたくさんいますが、彼らはこのようなみ言を知っていますか?。地上でも初めてなのです。このみ言は、「愛の博士」の学位を受けることのできるみ言なのです。 神様も、先生がみ言を語る前までは、み言を語ることのできない神様であられたというのです。何のことか、分かりますか?。真のご父母様だけが始めることのできるみ言なのです。それほど貴いとは思わなかったでしょう? それでは、皆さんの中で先生を知っているという人、手を挙げてください。それは、何を知っているのですか? (「人類のためにすべてを犠牲にされました」)。犠牲にしたのかしなかったのか、どうして知っているのですか? (「教会に入ってきて、二十六年間目撃して生きてきました」)。その目撃して生きてくる間、世の中では皆、「レバレンド・ムーンが一番悪い」と言い、そのように思っているのです。 皆さんは、先生のことを全く知らないのではありません。しかし、世の中の人は全く知らず、あなたたちは少し、部分部分だけを知っているのです。ですから、「知っている」と言うこと自体が問題であり、また、「私は、統一教会の教会員だ」と言っていますが、それも自分勝手に生きてきたというのです。額に何かを付けていることを知らずにいます。自分が何なのか、知らずにいるというのです。 自分で自分のことさえ知らない人が、先生を知ることができ、神様を知ることができますか?。自分を知っていますか?。全員、自分を知らなければなりません。それを知らなければならないのです。 ですから、どれほど知らなければならず、どれほど学ばなければならず、どれほど努力しなければならないでしょうか?。このみ言の中には、天の国の全体王子権まで占領することのできる内容が含まれているのです。 統一教会の教会員、責任者たちがここにいますが、「私は、統一教会の先生をよく知っている」と言うことができますか?。このミスター・郭は、今でも先生のことが分からないのです。どうですか、ミスター・ヘンドリックス?。ミスター・梁? (「よく分かりません」)。それでは、いつ分かるようになるのですか? 永遠です、永遠。先生は、地上でのことだけでなく、霊界を収拾しなければなりません。霊界に行ってすべきことが多いのです。それを知らないでしょう?。皆、霊界のことを知らないではないですか?。先生が現れなければ、世の中は真っ暗な天地になるのです。そうしてすべて地獄に落ちるのです。 きょうは、このように東洋人がたくさん集まったのですか? (笑い)米国を超えて天国に行かなければなりません。米国の中に天国はありません。米国を踏み越えて行かなければなりません。日本を踏み越えて行かなければなりません。世界を踏み越えて行かなければなりません。「行く途中で、米国を踏み越えて行くために来た」と、このように考えるのです。 日本のメンバーは、知っておかなければなりません。天国に行く途中で、いくら日本で有名になっても、日本を踏み越え、越えて行かなければならず、米国が世界的な主導国家になったとしても、それを乗り越えて行かなければなりません。 そうして、世界統一された地上統一世界があるならば、それを乗り越え、さらに霊界を乗り越えて行かなければ、堕落のない本然の天国に入っていくことはできないというのです。分かりますか? (「はい」)。そのために、その途中で経ていく宿所のようなものが、米国であると考えなさいというのです。(「はい」) さあ、「訓」という字を知っているでしょう? 「言(み言)」というものは、大きい人、小さい人、小さい人、三人が一つになった口が「言(み言)」です。これ(一番上の点)は神様です。神様を中心として三人が一つになった口が「言(み言)」なのです。それゆえに、漢文というものは意味が深いのです。 漢文は、中国人ではなく、東夷族、韓国人がつくったという説が本当に多いのです。韓民族は、弓矢を上手に射るのです。中国社会において、どこに行っても百戦百勝し、戦いがあまりにもうまく、それで勝つことも嫌になって半島に逃げてきたと考えているのです。オリンピック大会でも、韓国人は弓矢を上手に射るでしょう?。先生にも、そのような何かがあり、照準をうまく合わせるのです。それは、真理の照準です。 韓民族は、精神統一を上手にする民族です。それで、霊界のすべての事実を知っているのです。預言書を見ても、歴史的事実をすべて知って生きているのです。分かりますか?。どれほどたくさん実験をしたでしょうか?。そのような内容を、皆、知らないではないですか? それでは、先生を知っていますか、知りませんか? (「……」)。なぜ、このように静かなのですか?。さあ、このような人たちの前で難しい話をしたら、分かるでしょうか、分からないでしょうか? (「分かりません」)。(笑い) ですから、今から謙遜になりなさいというのです。み言の前に謙遜になるのです。そして、吸収しなければなりません。分かりますか?。それが必要です。そうしてこそ、水をさっと吸収するのです。目もどんどん吸収します。においも、耳も、口も、すべての細胞が吸収するのです。 それでは、先生が好きですか?。先生が好きだという人は、手を挙げてください。(「はい」)。先生は気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? (「良いです」)。ある人は十点であり、二十点の人もいて、零点以下の人もいるというのです。ありとあらゆる五万種類の型が、「先生を知っている」、「好きだ」と言うとき、それで気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? (「良くありません」) それでも先生の話を聞きたいですか?。(「はい」)。先生が五十年間に語ったものが、今、三百巻の本になっています。三百巻のみ言の中で、すべて「このようにしなさい」と言いました。それを知っていますか?。しかし、いつみ言どおりに暮らしましたか? そのみ言は、先生がつくって話したのですか?。それとも神様が、今後貯蔵することができ、理想的な倉庫に記録することのできる内容を話されたのでしょうか? (「記録することのできる内容です」) 皆さんは、根本が何であるのか知りません。神様が好まれるものが何であるのか知らないではないですか?。好まれるものは何でしょうか?。数多くのみ言の中で、喜ぶことのできるオリジン(根本)の中で、根本とは何ですか?。見ることですか?。においをかぐことですか?。食べることですか?。聞くことですか?。触ることですか? タッチする手が喜べば、それが手のオリジンです。目が喜べば目のオリジン、鼻なら鼻のオリジンです。五官、十官のオリジンは何ですか?。外的、内的十官があれば、十官全体が動員されて一度に喜ぶことのできるものは何であるのかというのです。 「自分は女性である」という人は、手を挙げてください。女性が一番好きなオリジンが何であるかというとき、それは「女性だ」と言うのですか、「男性だ」と言うのですか?。どちらですか?。女性として一番好きなオリジンの中のオリジンは何ですか?。女性ですか、男性ですか? (笑い)これは、笑いごとではありません。深刻な問題なのです。 それは、「自分が何を好きにならなければならないのか?」ということ、これを捜し求めていく真理なのです。女性が一番好きになることができ、一番喜ぶことのできるオリジンの中のオリジンをだれが持っているのかというとき、それは女性が持っているのでしょうか、男性が持っているのでしょうか?。その問題の答えはどちらですか? (「男性です」) また、男性が一番好きになることのできるオリジンの中のオリジンは何ですか? (「女性です」)。そうです。よいです。それで合っているとしましょう。それでは、男性も女性も、ふたりとも好きになることができ、お互いが好きになることのできるオリジンの中のオリジンは何ですか? (「神様です」)(「愛です」)。それは何ですか? (「真の愛です」)。真の愛は、どこでつくられるのですか?。生殖器です。 真の愛が出会うことのできる位置はどこですか? (「生殖器です」)。何の生殖器ですか?。生殖器は、凸凹があるのです。そうですか? (「はい」)。わたしは分かりません。(笑い)凸は何ですか?。凹は何ですか?。その二つです。 男性や女性、また宇宙全体が最も喜ぶことのできる真の愛を結んであげられる場所が、この二つの器官なのです。そうですか? (「はい」)。皆、持っていますか? (「はい」)。それは、どこにありますか?。頂上にありますか、どこにありますか? (「中心です」)。中心です。 そのような考えをしてみましたか? (「はい」)。「どのようにして百パーセント水平になって、一度愛してみることができるのか?」ということを考えてみましたか?。 さあ、それで「早く、早く、もっと早く、もっと早く」と、飛ぶようにしなければならないというのです。そして、無限に回るということを考えてみましたか?。そのような愛を一度してみてから死ななければならないでしょうか、してみずに死ななければならないでしょうか? (「してから死ななければなりません」)。では、一度してみましたか、できませんでしたか? (「しました」)。(笑い) それで宗教では、「独身生活しなさい。結婚してはならない」と言うのです。「さあ、今からメシヤが終末に来られて、それをすべて修理してあげ、教えてあげて祝福してあげ、結婚させてあげることのできる時が来るので、その時まで待ちなさい」と言ったのです。だれがそのようにしたのですか?。聖人です。 自分の妻の横に立てば、男性の手はどこに行きますか?。どこに行くのですか?。どこに行きますか?。自分のものを触りにいきますか、相対のものを触りにいきますか? (「相対のものです」)。皆さんの相対はどうですか? (「同じです」)。それは、なぜそうなのですか?。 男性の手が一番出会いたく、触りたいものは何ですか?。それだというのです。女性の手も同じです。それは真理ですか、偽りの真理ですか? (「真理です」)。真理はどこにありますか?。それを考えなければなりません。 ですから、手をよく守り、体をよく守らなければなりません。主人を知らなければなりません。いいかげんにしてはならないのです。狂った手、狂った五官になってはならないというのです。自分の心と体の十官が思いどおりに活動するとき、その思いどおりに活動することを歓迎することのできる人はだれですか?。唯一、自分の妻だけなのです。 自由です。目も自由、鼻も自由、口も自由、体も自由、全体の内外が自由ですが、これ以外に自由にできなくなるときには地獄なのです。天法が崩れていくということを知らなければなりません。 女性たちは、夫の自由を百パーセント後援することのできる妻になっていますか?。それとも八十パーセント、七十パーセントしか対していない女性になっていますか?。そのようなことを考えてみましたか?。そのことを考えてみなければなりません。女性たちは、「疲れて何がどうだこうだ。だから私は嫌だ」とか「よい」などという言葉をよく言うでしょう?。そして、どこかに行ってくれば、「歯を磨いて、おふろに入ってきて、アイゴー、それから何がどうでこうで……」と言うのです。しかし例えば、あなたの夫が十年前に軍隊に行って、そして帰ってくるとします。その夫と駅のプラットホームで出会うのですが、夫を見るとひげが生え、監獄にいたとすれば歯は黄色くなり、服はぼろぼろでにおいがぷんぷんするのです。しかし、そのような夫に対して、「顔のひげをそってください。洗面してください。歯を磨いてください」と言うでしょうか? 十年ぶりに出会うので、妻としてはきちんと着飾って行ったのですが、その服のことを考えるでしょうか、夫のことを考えるでしょうか?。夫人が十年間待っている中で、一番良い服を着て会いに行ったのですが、夫の姿はといえば、乞食の中の乞食の姿であり、あまりにもみっともない姿です。 妻は、その夫の姿を見るとき、「アイゴー」と言って、すべてがきれいに準備ができる時まで待つでしょうか?。それとも「アイゴー、服のことはどうでもいい」と思って、夫の首を抱いて自分からキスをするでしょうか?。それはどうですか? (「そのまま、抱きます」)。なぜですか? それは、そのようにすることによって、世界にまたといない一等の新婦になるのです。それは女王よりも良いというのです。皆さんは、そのような記録を持っていますか? 「自分の日記にそのような記録を残そう」と思って書いて、待ったことがあるのかというのです。 日本の女性たちは、何の話か分かりますか? (笑い)後で研究して、自分の姿勢と自分の態度と比較してみて、自分自身が妻としてどうであるのか、点数をつけてみてください。四十点以下なのか、六十点以上なのか? 夫を一番愛したいでしょう?。そうですか、そうではないですか?。それはまた、夫も同じだというのです。女性が願う愛を最高にしてあげたいと思うのです。それがなぜ必要なのかというと、夫の骨髄の後ろにまで隠されている性格をすべて知ることができるというのです。根本を知ることができるというのです。 愛によって人類が生まれた、その愛のふろしきの秘密がすべて明らかになるのです。そうしてみると夫は、うれしいときに見れば喜びの夫であり、悲しいときに見れば慰労の夫であり、興奮しているときには穏やかな湖のようで、すべてのことが相対的理念によって調和しているのです。そのような芸術的な倉庫が、そこに待っているのです。 わたしは説教しているのですか、序論でもなく何の話をしているのですか? (「説教です」)。(笑い)説教するよりももっと面白いでしょう? (笑い)(「はい」)。分かりますか?。これは「訓読会」の説明です。(笑い)み言を開けば、周りの人たちを喜ばせることができます。この世の中を生かすためのものがみ言です。このような内容を持った集いが「訓読会」なのです。 そして今までに、み言のタンクにどれくらい入っていますか?。皆さんの倉庫に、どのくらいみ言の物件を持っていますか?。それでは、倉庫である皆さんの体にぎっしり詰まっていなければならないでしょうか、皆さんのコンテナに完全に詰まっていなければならないでしょうか?。そのようにしようとしても、何にもなりません。ですから毎時間、「訓読会」をするのです。 それは、遊んでいてよいのでしょうか、努力しなければならないのでしょうか? (「努力しなければなりません」)。そうです。努力しなければなりません。父親と母親が「おい、勉強しなさい。勉強しなさい、勉強しなさい」と言うのを好みますか? (「嫌います」)。しかし、おいしいものを上げるのならば、どうですか? (「好みます」)。それは、勉強の味を知らないから、そうなのです。乞食のふろしきの中には、世の中の人々が使い古したゴミの中で、一番貴いものがすべて入っているのです。乞食は何も持っていないので、条件的にでも持ちたがるのです。 皆さんは愛の乞食になりますか、愛の主人になりますか? (「主人になります」)。それでは、何のオーナーですか? (「真の愛です」)。真の愛の主人です。真の愛の主人が、どれほど素晴らしいオーナーなのか、考えてみてください。 そのオーナーになれば、神様に対して「お兄様」と言えば、「よし」と答えてくださいます。「お父様」と言っても「よし」、「叔父さん」と言っても「よし」、「王」と言っても「よし」、「長官」と言っても「よし」、「労働者」と言っても「よし」。このように、すべてのことがオーケーです。 真の愛の主人になれば、なぜそうなのでしょうか?。いかなるものでも、すべてが好むというのです。人間という存在であれ、万物であれ、すべてが好むということなのです。あなたたちは、どうですか? (「好みます」)今、統一教会の「訓読会」において一番のチャンピオンはだれですか? (「お父様です」)。だれですか? 「お父様」は、とてもたくさんいるのですが、どのような「お父様」ですか? (「『真のお父様』です」) 真のお父様なので、真の「訓読会」を真に好まなければなりません。真のお父様が一番好まなければならないでしょうか、真のお母様が一番好まなければならないでしょうか、真のご子女様が一番好まなければならないでしょうか? (「真の家庭です」)。(笑い) 真の家庭になろうとすれば、そのようにすることができるように手本を見せなければなりません。真の家庭がそのようになろうとすれば、真のお父様が真のお母様に手本を見せてあげなければなりません。 これからは、真のお父様よりも真のお母様が、もっと一所懸命にするでしょうか、いつまでも真のお父様がもっと一所懸命にするでしょうか? (「お母様です」)。(笑い)真のお母様が一所懸命にするのですが、真のお母様がもっともっと一所懸命にしようとすれば、皆さんは逃げていきますか、ついていきますか? (「ついていきます」) もし、お母様がしなければ、娘たちがしなければならないでしょう?。あなたたちは、真の娘になりますか、普通の娘になりますか? (「真の娘です」)さあ、味の中の味を、一番よく味わうことのできるかたはだれですか? (「真のお父様です」)。神様でしょう? (「神様と同じです」)。何が同じなのですか?。原因と結果が、どうして同じなのですか?。原因があってこそ、結果があるのです。分かりますか? (「はい」) 鼻は、においをかぐことができるでしょう?。それでは、皆さんは何のにおいを好みますか?。神様がごらんになるとき、あなたたちが好む特性があるでしょう?。何を好みますか?。見ることを好みますか、聞くことを好みますか? (「聞くことです」) 人は、「言行心事」と言いならわされてきました。「言行心事」とは、「一つにならなければならない」ということです。それは、「話すことと行動することは、心の業である」という意味なのです。心がする業とは何であるのかというと、み言と行動を一つにすることです。このことを知らなければなりません。心のする業は、行動と一つになることです。それでは、皆さんの言葉と行動は同じですか? 神様がいらっしゃるならば、今まで、神様の心のなさる業はどのようなものであったでしょうか?。神様の言葉と神様の行動ということです。み言は心に対し、体は行動を代表するのです。二つは一つなのです。そして、心と体が一つになるのならば、神様が共になされるのです。神様がなされる業になるというのです。何のことか、分かりますか? それでは、心と体が一つになりましたか? (「なっていません」)。心と体が一つにならなければ、一つの目は上がっていくのですが、もう一つの目は閉じるのです。このようなことと同じです。そして、斜視になって一つの目はこちらを向くのですが、一つの目は動かないのです。斜視になって病気になるのです。ですから、心と体は一つにならなければなりません。 統一教会が最も力を注いでいることは、「心と体を一つにしよう」ということです。心と体が一つにならなければなりません。しっかりしなさい 「しっかりしなさい」ということは、どういうことですか? 「心と体が一つになれ」ということです。簡単なことです。それが一つにならなければ、神様が気にかけてくださることはありません。神様と関係ないというのです。 どこに行っても、心と体が一つになれば、神様が共にいらっしゃいます。天運が共にあるのです。自分の国でも、怨讐の国に行っても、どこに行っても、地獄に行ったとしても、心と体が同じ行動をするときは、すべてが成功するのです。心と体が反対になって仲たがいしていくのが地獄です。 心と体を一つにしていくことのできる行動を執り、「私は、生まれてから心と体が一つになった生活をしてきた」と言うことのできる人がいると思いますか?。手を挙げてください。一日の間でも、どれほど変わるでしょうか?。 それで、「人心は朝夕変であり、山色は古今同である」と古代の人も詠んだのです。問題が大きいでしょう?。問題がどこにあるのかというと、外的なことに問題はありません。「自分」が問題の張本人なのです。 それは、なぜでしょうか?。心と体がずれているからです。いつ、水平になり、心と体が一つになるのでしょうか?。心と体が一つになっていない、そのような人がいくら平和を期待したとしても、それではだめです。たとえ外的な世界が平和の世界になったとしても、心と体が一つにならずに変わるその位置では、幸福はあり得ないというのです。 威厳のある審判の言葉を語りました。レバレンド・ムーンが、どのような権限を持って、それを語ったのでしょうか?。先生の言葉が正しいか、正しくないか尋ねてみてください。 第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムを復帰して、この世界的祝福圏を四十年目に復帰し、これをすべて成し遂げて霊界祝福、地上祝福、赤ん坊時代から青年時代、すべて終えました。 だれが宣布するのでしょうか?。神様はできません。真のご父母様だけが、それをするのです。真のご父母様が神様を解放しなければなりません。不孝者を持った父母を解怨するためには、何倍以上の孝子になって、その父母を慰労してこそ解放されるということと同じです。これを知らなければなりません。 第四次アダムとして、このすべての結論を下し、そしてどのようになるのかというと、神様が下にいらっしゃったのが上に上がってこられて、永遠を中心として上がってこられるのです。 中心線を中心として、永遠に継続するのです。そうして、再び八段階を上がっていくので、個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成、天宙完成、八段階完成時代を迎えて、全世界が、地上世界、天上世界、堕落がなかったすべての時代を清算しなければなりません。すべて祝福してあげるのです。分かりますか? (「はい」) 昨日は何の日であるかというと、十月十日から十三日目になる日です。昨日が十月十日以後十三日目です。「十」と「三」が残っています。これは、イエス様が亡くなった数と同じです。人類の真のご父母様が亡くなられたことを、三十代を中心として解放的「真の父母の日」をここで初めて宣布するのが、第四次アダム圏の出発であるというのです。 「十三数」を最も悪く言うでしょう?。それは「死」であるというのです。右側の強盗が一つになれずに死んだことをすべて完全に統一し、霊界、肉界、南北統一、東西統一、父母の国と米国とを四十日間ですべて統一してきたのです。 それゆえに、真のご父母様から祝福を受けたすべての人々は、堕落していないアダム家庭の位置であるだけでなく、アダム家庭から数千年間堕落していない家庭を連結させた統一の動きとなり、霊界と肉界の統一天下解放圏の時代を迎えたということになるのです。 それでサタンは、すでに閉じ込められて、すべてが清算され、その手先の者たちを清算するために、第三回「七・八節」を中心として「九・九節」を設定し、「三・十節」を宣布して、すべて清算しました。ですから、祝福家庭たちが祈祷するのは、だれの名によって祈祷すると言いましたか? (「自分の名でと言いました」) エデンの園に何かの宗教がありましたか? (「ありませんでした」)。その世界に入っていくのです。統一教会の看板を外したのです。外してから、随分たちました。そして世界平和統一家庭連合の看板をつけました。世界に誇ることは、神様に祝福を受けた息子、娘、解放された地上天国に臨むことのできる家庭です。 そして統一教会の教会員において、米国を誇る前に世界に祝福を受けた家庭を誇り、日本の国、自分の国を愛するよりも、自分の父と母を愛するよりも、真のご父母様を中心として関係した家庭と国と世界の祝福家庭を愛することが、わたしたちが愛することのできる伝統的内容なのです。アーメン。(「アーメン」) 今、わたしが米国を教育して何をつくったのかというと、米国が多民族国家になって、お互いに白黒問題で闘う、そのような米国人を連れてきて天の人にしたのです。米国人にとっては日本人が怨讐ですが、彼らに「怨讐の国に行って、自分の国よりももっと愛することのできる家族をつくりなさい」と言ったのです。 それから彼らは、父の国に行って、それ以上にならなければなりません。そうして父母ではない父母を、世の中の父母よりも王よりも愛し、兄弟ではない兄弟を世の中のだれよりももっと愛することができるということが、天の残してくれた伝統なので、その伝統的因縁を残すために、「父母の国と長子権の国の三国が一つになりなさい」と言って訓練したのです。その過程において彼らは、相克的であったか、統一的であったか、唯一的であったか、相対的であったかということを体験しただろうと思います。 米国人が、そのような訓練の中で、他の国を米国よりももっと愛し、米国の父母よりももっと親しくし、一つになることができるということを感じたのかというのです。復帰してきましたか? (「してきました」)そこに行ってきた人たちは、立ってください。行ってきた人は二人しかいませんか?。あなたたち二人は、五十年前に殺戮戦を起こした怨讐の中の怨讐の国である日本に行き、自分の国である米国の人よりも、米国の兄弟よりももっと愛することのできる伝統を学びましたか、学んでいませんか? (「はい、学びました」) それゆえに、父母でない父母に侍り、兄弟でない兄弟に侍り、怨讐であっても、兄弟や父母に侍った以上の兄弟の友愛をつくることができたので、これは地上サタン世界、堕落した世界ではなく、天の国なのです。そうして、「わたしたちは、そうせざるを得ないのでそのようにした」という標識を掲げていかなければなりません。 さあ、すべてが通じるというのです。歴史上で別れたものが、すべて第四次アダム圏に来て統一するのです。分かりますか?。そして第四次アダム圏まで、すべて勝利して出てきたことが、歴史的基準とすべてここで出会うのです。 ここでは、万歳を願うのですが、万歳が必要ですか、必要ではないですか? (「万歳します」)。万歳が必要ですか、万歳が必要ないですか?。ここでは、個人完成が世界完成、家庭完成が天宙完成、氏族完成が天宙完成、どの圏内で完成の位置に立つとしても、天宙と通じることのできる道なのです。それゆえに、ここは全体が、このようならせん状の円となって通じるのです。これが何かというと、トゥルー・ラブ・テリトリー(真の愛の圏内)というのです。分かりますか?。だれのテリトリーですか? (「神様です」)。違います。「私」のものです。(笑い) 見てください。「個人は家庭のために犠牲になりなさい」。「家庭は氏族のために犠牲になりなさい」。「氏族は民族のために犠牲になりなさい」。「民族は国家のために、国家は世界のために、世界は天宙のために、天宙は神様のために犠牲になりなさい」。それでは、神様はだれのためにいらっしゃるのでしょうか?。神様は、「私」のために犠牲になられるのです。 神様は、すべて「私」のために、救援摂理は「私」のために苦労されたというのです。真のご父母様のためではありません。イエス様のためではありません。神様のためでもありません。「私自身」のためであり、皆さん自身のためなのです。ですから「解放」でしょう?。解放なのです。すべてのものがあるので解放なのです。分かりますか? そして、第四次アダム圏に突入したので、このような時代が来るのです。何を中心としてですか?。真のご父母様と神様を中心として真なる家庭……。わたしたちの家庭は、天と地を代表した代表的家庭として暮らさなければなりません。神様の代身として人類を愛し、神様が万物を愛されるように、すべてを愛さなければなりません。 今、二〇〇〇年になるそのときまで、七十日を残しています。それは、七千年歴史の七数、安息圏の七数です。その安息圏を中心として何をしようというのですか?。地を解放しなければならず、人類を解放しなければならず、地上の国を解放しなければならず、天上の国を解放しなければなりません。 そして、何をしようというのでしょうか?。堕落することによって、偽りの愛によって汚されたすべてのものを、嘆息圏内、地獄圏内、悲しみの圏内に連れ込まれたすべてのものを解放してあげたので、地と万物解放、人類解放、地上世界と霊界解放とともに、皆さんの心と体の解放、男性解放、女性解放、家庭解放、父母解放、子女解放を成すのです。そうして、一族の三代を中心とした解放圏を中心として、天の国に入籍する時が来たということを知らなければなりません。 あなたたちも世界的な家庭代表、世界的な圏を持つようになるとき、全世界の人々を交えて……。そこに行けば、日本の女性たちが皆、いるのです。彼女たちがお母様の代身として、世界のいかなる民族、いかなる一族が自分の宣教部に来ても、母親のように接してあげ、兄弟の中の兄弟、父母の中の父母の因縁を結ぶことのできる地上天国の伝統を立てることのできる時代に入っていくということが、第四次アダム圏時代なのです。(「アーメン」) そして、米国人が世界に行ったのならば、米国人は兄の立場なので、いかなる国の人に会っても、兄らしくしなければなりません。韓国人は今後、国家メシヤとして行くのですが、いかなる国に行ったとしても、父の国の伝統を教えてあげなければなりません。 また、母は愛を教えてあげ、長子は行動を教えてあげ、仕事を教えてあげるのです。そうすることのできる、このような伝統を世界超民族、超国家、超教室、超学院を超えて行うことのできる時代が、第四次アダム解放圏時代なのです。アーメン。(「アーメン」) そして今からは、皆さんが家庭「統班撃破」です。家庭に来ようとすれば、「班」を超えていかなければなりません。「統班」を超えてこなければなりません。家庭、「班」、「面」、「里」です。三段階です。「里」を通して入り込み、「面」を通して入り込むのです。サタンがそのように入ってきたので、わたしたちは「統班撃破」するのです。そのようにして「班」を守って、すべての村を守らなければなりません。 そうして、わたしたちが暮らす町内には、酔っ払いがいません。ホモがいません。フリーセックスはありません。そのようになるのです。近シン相姦関係というものは、ありません。「絶対愛」、「絶対性」しかないのです。絶対、唯一、不変で永遠な愛しかないのです。離婚はあり得ません。離婚した人たちは、天国に行くことができません。行くことはできないのです。それは、所属が複雑なのです。 そして今からは、あなたたちだけと暮らすのではありません。霊界とともに、あなたたちの先祖と三時代です。先祖とあなたたちと、これから生まれてくる後孫たちと暮らすのです。三代の世代が暮らすことのできる時が来たのです。教えてあげなくても、わたしたちがどのようにしていかなければならないのかを知ることができる、そのような環境を復帰してこそ、堕落を抜け出した人々になるのです。 わたしたちの行く道には障害がありません。(「アーメン」)。国境もありません。それゆえに、「私の名によって祈祷します」と言うときは、実績なく祈祷することはできません。国に誇ることのできるもの、町内に誇ることのできるもの、自分の家庭に誇ることのできる内容を持たずしては、祈祷することはできないという事実を知らなければなりません。 祈祷は報告なのです。「神様、何々を下さい」と言うことはできません。すべてを与えました。分かりますか? (「はい」)。すべてをもらったので、これを上手に使わなければなりません。きちんと主管して暮らさなければなりません。 それは、自分のものではありません。天の国のものであり、宇宙のものであり、歴史の、永遠な地上、天上天国の所有のものです。自分自体が消耗しすぎても問題です。ですから「節制するな」と言っても、しなければなりません。 それは、水を愛そうということです。水を愛してみようとやってみましたか?。してみたかというのです。草を愛そうとしてみましたか?。草はだれのためにつくったのですか? 「私」のためにつくったのです。神様が「私」のためにつくられました。 それらは、アダム、エバが暮らす庭園の飾り物ではありません。宝なのです。各国の博物館にある絵一枚が何億だと言って、それを誇ることはできません。絵がいくら美しかったとしても、生きた草一握り、踏まれる雑草の一握りとさえも取り替えることはできません。 目の前に見えるものが億千万ドル、億億千万ドルの価値を持っているということを今まで知らずに暮らしてきました。それらは、わたしたちの先祖から幾千万代の後孫まで、永遠に誇ることのできる神様の宝物であり、模造品ではなく本物なのです。愛の祭物です。愛の財産品です。 ある晩、眠る前に太陽を見て「おい、もう夜になったから、おまえとは別れなければならない。おい、自然よ、わたしはくたびれて昼寝するが、すまない。少し昼寝してから遊んであげる」と言わなければなりません。わたしたちは主人なのです。すべてのものの主人なのです。 「私」が主人であり、神様の代身です。それは、神様以上に自然を愛するということを意味します。この万物に、神様の愛と自分の愛まで合わせてこそ、万物は喜ぶようになっているのです。二つの愛を合わせなければなりません。 そのような自分の庭園を見るとき、育てている羊よりも、鶏よりもだれよりも、美しい自然を見て、傷つかず、芽が死なずに生きていてどれほど美しいのかと称賛をしてキスしてあげ、抱いて眠りたいと思うのです。そのような生活をしてみましたか?。愛して主人の役割をしてみましたか? 先生は、海も好きで、釣りも好きでしょう?。狩りも好きです。しかし、食べるために捕まえるのではありません。研究するために捕まえるのです。神様は、どのようにそれをつくられたのかと思って、研究するのです。そのような人になれば、世界の動物学者よりももっと優れた世界一の学者になるかもしれません。 ですから、愛さなければなりません。草を愛することができず、動物を愛することができず、昆虫を愛することができなければ、人を愛することはできません。それは段階的なのです。被造世界は愛の園、愛の教育の園なのです。分かりますか? (「はい」) あなたたちは、体の中で目をより愛しますか、鼻をより愛していますか、口をより愛しますか?。五官をもっと愛しますか、何をもっと愛しますか? (「生殖器です」)神様は、祭物をささげることを喜ばれるのですが、それならば、目を抜いて祭物としてささげればよいのです。そうすれば神様が喜ばれるのであり、鼻、耳、五官のすべてを抜いて祭物をささげれば、もっと喜ばれるのですが、生殖器を祭物としてささげようとすれば、神様は逃げだしてしまわれるというのです。なぜでしょうか?。なぜ、逃げていかれるのでしょうか?。なぜですか?。なぜ、神様は逃げていかれるのですか? それを祭物にすれば、世の中がなくなってしまうからです。(笑い)分かりますか? (「はい」)。これは、絶対に祭物にしてはならないというのです。それでは、すべての五官を何のために祭物としてささげるのかというと、これを保護するためなのです。 最も貴いものは何ですか?。体で最も貴く愛さなければならないものは何でしょうか?。どのようなものが最も貴いのですか? (「生殖器です」)。生殖器。それは本当ですか? (笑い) さあ、分かりますね?。これが分かりますか?。歴史的な出発の統一的な基準が、初めてここに来てこのようになったので、第一次、二次、三次が堕落の恨を抜け出し、解放的天上の相続者として登場する自分自身を記憶して天の国に直行するのです。アーメン。(「アーメン」) 統一教会は、第一次、二次の重生式、これをすべて経ていかなければなりません。そのような式をしなければならないというのです。それが旧約時代の万物世界だったのであり、新約時代には神様の息子、娘が、この世界の息子、娘なのであり、成約時代には父母まで……。 それで今日、わたしたち統一教会では、「生畜献祭」というものがあります。旧約時代に神様が所有を分けられたという事実は、悲痛な事実なのです。それから息子、娘です。それから自分の夫婦です。真の父母までもそのようにしたというのです。追い出されてもう一度復帰しました。 そして、先生を中心として見れば、旧約時代の万物です。それゆえに、すべて蕩減してしまい、自分が行かなければなりません。成約時代には、ご父母様までも犠牲にしました。祭物になったのです。 ですから、先生の一生は十字架の道です。それは、あなたたちの生きている父親、母親、すべての一族、親族のためにそのようなことをしたという事実を知らなければなりません。それゆえに先生は、あなたたちをわたしが苦労した相対的立場に立てたので、できる限り捨てないように、捨てていかないようにしたのです。 しかし、わたしが国境を越えて、国を超えて守ることはできないので、皆さんの一族が守らなければなりません。父親が息子にならなければならず、兄が弟にならなければなりません。反対になるのです。家庭が後ろ向きにならなければなりません。 そのような点では、全世界の祝福を受けた家庭や、祝福を受けるべき立場にいるすべての人の前に、同じ平等的価値を中心としてチケットを分けてあげるのです。堕落していなかったならば、アダム家庭の一代で完成できたことが、堕落することによって、歴史的な伝統を通して世界的な問題になったのです。しかし、そうであったとしても、完成したアダム時代においては一代で終えなければなりません。分かりますか? 一九六〇年からの四十年間は、「祝福」です。先生の結婚、真のご父母様の祝福です。四十年たったここで二〇〇〇年です。これが一代です。何があったとしても、霊界のすべてのみだらなもの、地上のすべてのみだらなものを清算する時が来るのです。分かりますか?。ですから、すべて門を開けておかなければなりません。それで、地獄までもみ言の「訓読会」です。 水は、すき間さえあれば流れ込んでくるのです。空気も、すき間さえあれば入ってきます。日光も、すき間さえあれば入ってくるのです。生命というものには、そのような浸透力があるのです。ですから愛も、すき間さえあれば流れ込んでくるのです。愛も同じだというのです。そのようになるのです。分かりますか? (「はい」) そして、このようなすべての復活的な恵沢の愛を、真のご父母様が来て万民に等しく分け与えてあげるので、すき間さえあれば、どこでも人を中心として訪ねていかなければなりません。どこからですか?。今から、すべての人類の前に、だれもが三次祝福を一度に引き続いて受けることのできる時代が来たということです。 今年の標語は何ですか? 「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。赤ん坊の時代から死を前にした人々まで、これらをすべて清算してあげなければなりません。この式に参席していく人は、地獄に行きません。地獄に行かないというのです。自分が努力した代価に従って、天国を訪ねていくことができるのです。 今までは、カイン世界を愛する時代であったので、世界のために歩んできましたが、この四次大戦によって、後ろを向いてだれを愛する時になったのですか?。自分の一族、自分の氏族を愛する時に入っていくのです。分かりますか?。今までの蕩減時代はサタン世界、カイン世界を愛しましたが、今からは、だれを愛さなければならないのですか?。自分の一族を愛さなければなりません。父親、母親から兄弟、親族を愛し……。 「二・十節」を通して、それを天地で許諾することができるということをウルグアイのプンタデルエステで宣布したのです。分かりますか?。すべて成しました。自分自ら祈祷することができ、エデンの園で神様の解放された家庭として、自分の直系の子女を真のご父母様の代身として祝福することができるようになり、天地の全権、すべての血統を霊界や肉界において整備したので、行くべき道は平坦な道になりました。そうして、地上天国がそこから始まるということを知らなければなりません。 韓半島の統一ができなかったとしても、それは先生によって統一されるようになっているのです。「統班撃破」の基盤を築くことによって、いかなる与党、野党の力よりも強いのです。先生が行く所に、国がすべて動いていくのです。米国も同じです。先生と韓国の大統領と米国の大統領が一つになれば、世界が一つになるのです。 この日本は、エバの国を抱いてお父様の後ろにいればよいのです。分かりますか?。息子、娘たちは、父親についていけばよいのです。堕落は、エバについていって滅んだので、今からは「母子協助時代」ではなく、「父子協助時代」です。そのことを知らなければなりません。皆、分かりますね? (「はい」) 今ではもう、すべてのものが解放されました。先生が今からすべきことは何ですか? (「休まれなければなりません」)。休めば、腐ってしまうではないですか?。休めば腐るという話ではないでしょうか?。今から何をしなければならないでしょうか?。どろぼうをしなければならないでしょうか、税金をもらわなければならないでしょうか? (「税金をもらわなければなりません」) あなたたちは、先生がうらやましいでしょう?。うらやましいですか、うらやましくないですか?。うらやましいですか、嫌いですか?。あなたたちをどの蕩減条件で使ってしまいましょうか?。結婚して幸せに暮らすようにして、それが蕩減条件になればよいでしょう?。 女性たちは今まで、地ばかりを見て暮らしてきたのですが、蕩減復帰しようとすれば、地を見ずに上を見るようにするのです。それが蕩減復帰です。ですから、「夫なくしては暮らしたくない」という女性の中で蕩減復帰しようとすれば、「夫なくして暮らしたい」と思う道を行かなければ蕩減復帰することはできません。蕩減復帰できなければ、霊界に行って別れて暮らさなければなりません。 さあ、今ではもう、「世上万事(世の中のすべての出来事)」が終わったでしょう? (「はい」)。それでは、今から先生は何をしなければならないのでしょうか?。今、わたしの歳は六十ですか、八十ですか? (「八十歳です」)。では、八十ならば、つえをついていかなければならないでしょうか、歩いていかなければならないでしょうか? (「歩いていかれなければなりません」) あなたの家に先生がつえを持たずに行ったならば、あなたの家で先生が楽に行くことができるようにつえを準備しますか、しませんか? (「します」)。夫婦で、「アイゴー、嫌だ」とけんかをしますか、喜んでしますか? (「喜んでします」)。つえはどのようなつえですか?。曲がりくねったつえ、安物のつえ、金のつえ、ダイヤモンドのつえ、どのようなつえですか?。わたしがつえを持たずにあなたたちの家を訪問するときには、間違いなくつえを準備すると、そのようにしたい人は手を挙げてください。(「アーメン」) さあ、先生がジェントルマンになって訪ねていけばよいですか、乞食のようにして訪ねていけばよいですか?。ダイヤモンドや金のつえを作ったのに、先生がぼろぼろの服を着て、乞食のようにしていたら大変なことになるのではないですか?。日本で一番優れた準備をしたいですか、したくないですか? (笑い)何千年の間、出会うことを願ってきたこのエバ国家、この妻が、その準備をすることができなければなりません。 さあ、それでは夕食だけ食べさせて追い出すのですか、一食だけしか食べさせないのですか、二食、三食食べさせますか?。朝食と夕食を食べさせて追い出しますか、「一晩泊まっていってください」と言いますか?。どちらですか? (「毎日、侍ります」)。毎日ですか? それでは、あなたたちが結婚するときよりももっと良いベッド、もっと良い食事を準備しなければならないでしょうか、劣ったものを準備しなければならないでしょうか、もっと良くしなければならないでしょうか? (「良くしなければなりません」)。本当ですか?。そのようなことを「私は、死ぬことがあっても一度やろう」という人は、手を挙げてください。(拍手) 日本に最初に行くのですか、二番目に行くのですか、どちらですか? (「最初に日本です」)。日本に最初に行くようにしたいのですか、二番目に行くようにしたいですか? (「最初に行くようにしたいです」) それでは、わたしがある一軒の家に行くとして、どの家でもわたしが来ることを願って手を挙げるときには、十軒なら十軒に行って、すべて同じでなければ、先生はそれを拒んでしまうつもりですが、どうするのですか?。十軒のうち、一番良い家に行って昼食でも食べたいと思うでしょう? (「はい」)。良くない家に行きますか、良い家に行きますか? (「良い家に行きます」) 地上世界のすべての統一教会の人々が準備をして、良い家に良い食事を準備したことと天上世界とを比較できますか、できませんか?。日本に一度行って来たら、永遠に日本にまた来るでしょうか、来ないでしょうか? (「来ます」) 霊界をよく知っている先生が……。霊界がどうなっているか、よく知っている先生ですか、知らない先生ですか? (「よく知っている先生です」)。それでは、「日本全体が一つになってでも、そのような集団をつくり、三年間くらい暮らすことのできる一つの代表的な村でもつくらなければならない」と、そのような運動でもしなければならないでしょう? (「はい」) そのような国があれば、日本が最初にならなければならないでしょうか、長子が最初にならなければならないでしょうか、使い走りの者たちが最初にならなければならないでしょうか?。アメリカがならなければならないでしょうか?。父の国の韓国はどのようにしなければなりませんか?。日本が部落のレベルでそのようにしたならば、韓国はすべての地がそのようにならなければなりません。それ以上にならなければならないというのです。 さあ、先生は今、家に帰らなければならないのですが、どこに帰らなければならないでしょうか?。どこに行かなければなりませんか? (「北韓です」)。北韓は金正日がいるのに、北韓に歩いていくのですか?。韓国に行かなければなりません。それでは、韓国に行かなければならないでしょうか?。韓国は金大中がいるのです。それが問題なのです。そのようなことを考えましたか? それゆえに、部落をつくり、来られる主を部落ではなく一つの郡をつくり、郡よりも良い道をつくり、道よりも良い国をつくり、国よりも良い天の国を地上につくらなければならないというのです。 地上天国が、天上天国よりも先に現れれば、先に宮殿をつくったので、天上天国がついてくるのです。天上天国がついてくるということを知らなければなりません。それは、だれがしなければならないのでしょうか? 「ああ、それは真のご父母様がしなければならない」と言うのですか? 堕落した世界は、母親とカイン、アベルが滅ぼしてしまったので、母親とカイン、アベル、このすべての世界がそれをつくらなければならないのです。夫を失い、父母を失った者たちが、「父母が来てください」、「夫が来てください」と、夫が来ることを願ったので、地上に来て乞食のような姿になったのですが、またはぎ取ろうとして「来てください」と言うのですか?。肉だけではありません。先生の体の骨まですべて削り取り、はぎ取るのですか?。 あなたたちが自分たちの皮をはぎ、肉を切り、骨が溶け出したとしても、このことをする命令をだれがしなければならないのかというのです。だれがするのですか?どこの国の、いかなる宮中も比較にならないほどのものをつくらなければならないということが、わたしたちの責任なのです。そのような、わたしたちに残された過程があるということを知らなければなりません。 そうでなければ、天の国の威信と父母に侍る権威とを立てることができないのです。サタン世界よりもりっぱでなければなりません。地上でそのように侍らなければ、それ以上の天国に行って、王宮とその国に侍ることができないという事実を知らなければなりません。 今から、あなたたちの伝道時代が来ました。あなたたちがする時です。良いですか、悪いですか? (「良いです」)。目玉が飛び出るほど、鼻がへこむほど、口が乾くほど、耳が飛ぶほど、手が病気になるほどしなければなりません。このように。これは、先生が語るためのものではありません。あなたたちが今後、何をしなければならないのかということを教えてあげるためのものです。方向設定のためにしてあげるのです。 今から、万物に対する解放のために、土と水と空気、これをすべて解放してあげるために、聖酒をそこでまき、自分の息子、娘を中心として腹中から幼稚園時代、中高等学校時代、それから残っている自分の一族、死ぬ前の年老いたおじいさんまでも祝福の恵沢を与えて、すっきりと送ってあげなければなりません。そうしなければ、あなたたちが讒訴されるということを知らなければなりません。そのように恐ろしい時が来たのです。 先生が、あなたたちを脅迫するためにこのような話をするのですか、真正な意味で話をするのですか?。先生が今晩、寝ていて霊界に行ってしまうということもあり得るではないですか?。ですから、そのような話をすべてしてあげなければなりません。 先生が行く霊界についていきますか、他の霊界に行きますか? (「ついていきます」)。既成教会の信徒たちはどうするのですか?。イエス様が先生の後ろについてくるということを知っているでしょう?。楽園に行って結婚もできなかったのを、わたしが結婚させてあげたことを知っているでしょう?。今、ベルベディアで暮らしているでしょう?。皆、知っていますか? イエス様の夫人がどのような容姿なのか、見たくないですか?。孔子の夫人、釈迦の夫人、マホメットの夫人、皆、決めたのです。彼らが天の国から先生にあてて送ったあいさつの手紙が、このように積まれています。 彼らは、「自分たちの宗団がすべてなくなったとしても、先生の願うことは何でもする」と言うのですが、あなたたちは彼らよりもよくできますか?世の中に、孔子を結婚させてあげ、イエス様を結婚させてあげ、釈迦を結婚させてあげ、マホメットを結婚させてあげる、そのような人がいますか?。わたしが彼らの結婚指輪を一万ドル以上のものにしてあげました。これは、気が狂ってそのようにしたのですか、事実なのでそのようにしたのですか?。一双で二万ドル以上でしょう?。それは狂ってそのようにしたのですか、分かってそのようにしたのですか? (「分かってそのようにしました」) さあ、今、皆さんが精誠を尽くして……。先生の八十歳の生涯は今、もう最後です。これは、歴史において初めてのことであり、最後のことなのです。それでは、贈り物をしますか、しませんか? (「します」)。それを考えてみましたか?。ああ、自分の誕生日に祝賀の礼物をもらおうとして、そのようなことを教えてあげる父母がどこにいますか? しかし、わたしが父母の位置でこれを教えてあげなければ、あなたたちが父母になるときに、その名誉を汚されるというのです。何のことか、分かりますか? (「はい」)。それは、素晴らしい男性になり、素晴らしい孝子、孝女になるために不可避なことなのです。 これを越えていくときは、先生よりも財産の多い人は引っかかります。分かりますか? (「はい」)。すでにすべてを神様の前にささげていなければなりません。「総生畜献納解怨祭」です。 あなたたち祝福家庭は、真の父母の位置で成約時代であり、それからあなたたちの息子、娘は新約時代の祭物、それからあなたたちの万物は旧約時代なので、この全体を神様の前にささげなければなりません。そうしなければ、復帰できません。そのようなことは皆、知っているでしょう?。分かりますか? ですから、ジャルジン四十日修練に行かなければなりません。そうしなければ入籍できません。いつ大移動が起きるか分かりません。分かりますか?。ソ連の共産党が、少数民族を大移動させて混ぜてしまったことと同じです。 さあ、結論は簡単です。「私」は、第四次アダム圏時代に天の国の王圏時代を代身して、そこの忠臣烈女に間違いなくなるのであり、家庭的孝子、孝女になるということを皆さんは知らなければなりません。(「アーメン」)さあ、それを願う人は手を挙げてください。神様の祝福があることを願います。(金キム孝律ユル先生による祈祷) 昨日、一九九九年十月二十三日に「総天宙祝福解放日」を宣布しました。今、四億三千万の祝福家庭がいるのですが、それはアダム家庭を完成した家庭であるので、一家庭が絶対的に責任を持って祝福してあげてこそ、第四次アダム圏内に越えていくことができるということを知らなければなりません。それから、先生が祝福してあげるのではなく、あなたたちがすべて責任を持つのです。氏族編成し、国はあなたたちが求めなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.03
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「総天宙祝福解放日」宣布一九九九年十月二十三日午前七時、アメリカのイーストガーデンで真のご子女様と四十余名の教会の指導者が参席する中、総天宙が祝福を通じて解放を迎えることのできる「総天宙祝福解放日」を宣布された。また、この日、聖酒と聖キャンディーも新たにつくられた。 十月十日にプンダデルエステにおいて、この「二・十節」を中心として、十日が過ぎて、三日目を迎える日です。ですから、三十数を過ぎて、三十三数に該当する日になります。このような日ですから、全体の摂理観的な立場で、これまで先生が発表したすべての内容を終結させる時が来たのです。 先生が発表したのが……旧約時代、新約時代、成約時代を経て、第一次、第二次、第三次アダムを通じて霊的、肉的に分かれたものを再び探し立て、四十年ぶりに実体圏全体を蕩減して越えていくのです。越えていくだけではありません。越えていって、堕落していない本然の実体、堕落のない永遠なる勝利圏に立つことのできるアダムの勝利版図を、この地上に立てなければならないのです。それが、既に発表した「第四次アダム圏時代」です。 「第四次アダム圏時代」というのは、世界祝福を受けたすべての統一教会の教徒を、アダムとエバが堕落しないで祝福された立場に立ててあげるのです。その祝福された立場に立って、一次、二次、三次アダム圏のすべての勝利圏の上で、それを相続することによって、初めて自分が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情圏を中心として、天地父母と一つになった基盤の上で、すべて清算しなければなりません。 アダム、エバが堕落することで、どのような結果になりましたか? 万物の嘆息が生じました。そして人間の嘆息、真の父母の嘆息、天使世界の嘆息、神様の世界嘆息、創造した創造主から実体圏の全体が嘆息するようになったのです。 アダム、エバの一家庭によって、このような立場になったので、その家庭的な基準を全体蕩減させるべき代身的な立場に立つには、天地父母に完全に侍り、一つになって、そのすべてのものを蕩減できる権限を受け継ぐのです。それ以外に道はありません。 ですから絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基盤の上で三時代がありますが、旧約時代は供え物の犠牲時代、新約時代は子女の犠牲時代、成約時代は真の父母の犠牲時代、それから神様を中心とした心情的な犠牲時代、このようにすべてを蕩減して越えていくのです。 そうすることによって、皆さん自身はどのような立場に立ちますか? 万物を嘆息させたアダム、エバと復帰路程で摂理したすべての宗教圏の蕩減条件を越えて、万物解放の主人、その次には子女解放の主人、その次にはアダム、エバの家庭解放の主人、その次には神様解放の主人の立場を決定することで、すべてが終わるのです。 ですから、ある一日を設定して、清算できる日がまさにきょうなのです。それで、先生が「総生畜献納祭」を蕩減条件として、家庭を中心としてなしてきて、「二・十節」を中心として祝福を伝授してあげるこのような日を定めました。アダム家庭の堕落していない父母は、自分の直系の息子、娘を祝福してあげなければならないのです。 この祝福された家庭たちは絶対的に、先生に代わって一つの家庭を中心として一族全体を訪ねていかなければなりません。一族全体に連結された祝福家庭は、完成したイエス様の国家的基準であり、完成した世界の天宙史的な勝利の基盤に立っているのです。ですから、その立場にあって、横的に一族圏内に残っているすべての祝福されていない人々を、天と関係のないカイン圏を完全に一掃してしまわなければならないのです。 それで、皆さんの生活する一族圏内は、物も子女も祝福を受けた夫婦も、神様と天地父母と完全に 一つになって中心の立場に立つのです。そうして、堕落と関係のない歴史時代において、これまで堕落によって汚れてきた痕跡と関係のない、解放の立場に絶対に立たなければならないのです。そのような祝福の恵沢を与えることができ、全人類、天上世界と地上世界にそのような権限を伝授してあげなくては、先生がこれまで蕩減役事した天上世界、地上世界を終結できないのです。そのような決定的なことをやったのです。 それで今から何をしなければならないですか? 一番の問題は、サタンの環境を除去することです。堕落が何かというと、サタンの環境を築いたのです。サタンの環境が何によってできましたか? 偽りの父母の血統を通じて展開されたので、サタン世界の環境を天の世界の環境として整備しなければなりません。天の世界に向けて清算するのです。 それは何によって? 神様的な血統を復帰する勝利圏を中心としてです。神様の血統関係というのは、私たちのみ旨で見ると、責任分担を完成できる結果主管圏と直接主管圏内の一体圏を築くことです。心と体が一体を形成し得るものを中心として、地上世界と天上世界が分かれたものをすべて一体にしなければなりません。 東西に分立したすべての文化の隔たり、南北の貧富の格差、環境的な与件の隔たりが、千態万象に違うすべてのものを均一化させ、平準、平等化させる責任を果たすのです。そのような絶対的な基準を立てるのです。そうしなければ、このみ旨の摂理史的な完成時代は、祝福時代でありますが、祝福時代において世界の版図、終着点を越えて立った新しい理想的天国時代である「第四次アダム圏」に入っていけないのです。今やすべてのものを清算しなければなりません。 それで皆さんのもとにある万物が、これまで嘆息しているのです。なぜ、嘆息しますか? 真の父母を中心として神様の愛の世界に入って、主管を受けることができませんでした。それで万物圏の嘆息圏を解放しなければなりません。それから皆さんの子女たちが今、そのまま死ぬことになれば、地獄に行くのです。皆さんの子女が解放的な恩賜圏内に立っていないので、皆さんの子女たちの解放圏を完成しなければなりません。それから、皆さんの家庭はまだ条件を越えることができていません。蕩減の条件を越えることのできる祝福を、先生が勝利したものを与えることによって越えて立つことができるのです。 その次に皆さんの家庭を中心として、氏族、民族、国家、国家を越えられなかったのです。これまでサタンが国家基準で全権行使したので、これを踏みつけて、天の全権行使として連結できるすべての蕩減条件を立てたというのです。以前にコディアックで全体、全般、全権、全能の時代に転換するという日も発表しています。すべてをこの宣言を中心として越えてきたのです。 それで、きょうを期して、四大心情圏の一致、万物解放、子女解放、夫婦解放、天地父母解放圏を宣布するのです。そうすることで、こうした勝利の基準を中心として、信じているその立場は、神様が自在に活動できる神様の絶対所有圏内に入っていくのです。絶対万物の解放、絶対子女の解放、絶対夫婦の解放、絶対家庭、一族、一国の解放圏が展開されることで、サタン世界は終わりになる日が遠くないということを知らなければなりません。こうした最後のすべてを整備、整理できる宣言が、この時間なのです。 それでは、何をもってやらなければならないでしょうか? 「聖者」です。ですから、以前に発表したように新生式、復活式、永生式です。同じように万物までも、この式に参席できるようにしなければなりません。それで「聖者キャンディー」を……。きょうから来年の一月一日までが七十日間です。真の父母の御聖誕日まで百二十日間です。これは原理的な数のうちで絶対に必要な数です。この期間において、私がこの全体を世界化しなければなりません。 きょうから皆さんが「聖別キャンディー」を街行く人にも分け与えて、食べさせなさいというのです。ですから、きょうから家庭にいる妊娠した夫婦であっても、このキャンディーを皆食べなさいというのです。腹中にいる赤ちゃんが食べたら、その赤ちゃんを生んだ人たちは……復活キャンディーです。そうしてこれを経てから、祝福されることによって、永生が実現するのです。迫害を受けず、蕩減を受けないで、永生圏内に入っていくのです。 新生、復活永生です。祝福されるには、永生の立場に入っていくには、血統的に清まらなければなりません。腹中からです。今まで祝福家庭も争うことによって、いまだに第四次アダム圏内に越えて来られなかっただけに、全部このキャンディーを分配しなければなりません。祝福家庭も食べるのです。 それから氏族的メシアは自分の一族を救わなければなりません。金氏ならば金氏に、強制的にでも食べさせるのです。イスラエル民族がエジプトを離れるとき、自分の民族がいる所に、いかなる困難があっても通告したのと同じように、通告して引っ張り出さなければなりません。出てこなければ、首に縄をつけてでも引っ張り出すのです。祝福を受けられる新生式、復活式永生式に参与できる環境的な与件を皆さんが治めないことには、天国に直行できない立場にあるのです。 それこそ、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰です。本来アダムが、長子となり、父母となり、王権を立てなければならないのですが、それらを失ってしまったのです。イエス様が来られて長子権を、一族で、教会で、民族で、国家で復帰できませんでした。来られる再臨主は、個人の長子権、家庭・氏族・民族・国家・世界・天宙的な長子権を立てて、長子の父母権、長子の王権を復帰できる立場に立ったのです。皆さんがこれを絶対伝授式を通じて受けて、越えて立った後には、自分の考えを中心として生きてはいけないのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。この基準を中心として今後、新しい時代に転換するという決意をして、きょうからこのキャンディーを街行く人々に、一族に……世界的に道を遮って強制的にでも食べさせるのです。自分の一族から始めて、一族が連結された村や市、郡、国家まで押し進めていくべき今後の責任があるということを知って、実践しなければなりません。そのような時期なのです。 祝祷 愛するお父様……、きょうは歴史時代の最後の整備と共に、最後の審判の過程を宣布いたします。万物解放と共に、子女解放と共に、夫婦解放と共に、真の父母の地上圏解放、天上世界の創造の解放圏を宣布して、新しい時代の転換を宣布できる日を許諾してくださったことを感謝いたします。 きょうを、創造主とすべての実体圏を大転換する日として立ててくださいませ。真の父母を中心として天地父母が一体となり、天上世界の天使圏と祝福されたすべての子供から青年まで……、地上において祝福を受けた家庭と、これまで乳児時代にとどまっていたすべてが、真の父母の血族圏に一体一族圏を宣布することのできる、この時間を持たせてくださいましたことを感謝申し上げます。 全宇宙はここに焦点を合わせて、既にルーシェルとその残党たちを防備できる「九・九節」と「三・十節」を宣布いたしました。その基盤の上に、すべて自分たちが真の父母の代身として天の祝福を要求でき、天のすべての開拓的な路程を建議できる基準にまで至って、すべての相続を受けました。そうして、真の父母の勝利を天上世界と地上世界に移譲する式として、万物を解放し、旧約時代をなくし、新約時代をなくし、成約時代をなくし、今までの心情時代のサタン圏全体をなくし、新しい天の世界に万物・子女・夫婦・父母圏全体が栄光の出発を宣言することのできる、新しい時代を迎えさせてくださいまして感謝申し上げます。 この時間から、このすべての式を経て、万物解放、子女解放、夫婦解放、真の父母解放、天上の創造主、天地父母の解放と共に、天上・地上、統一的なあなたの理想的愛の主権世界をして、前進に前進を誓うことができますよう、真の父母の御名、ヤハウェの真の天地父母の御名によって宣布いたします。一切を勝利の一方通行をもって、あなたの愛による主権の世界へと前進すべし! アーメン、アーメン、アーメン! (真のご父母様は、聖酒と聖キャンディーを手にされると、聖酒を持って建物の外に出られ、万物世界を聖酒によって聖別し、再び中に入ってこられて万物を聖別された。そして訓読会の参席者たちを、直接に聖酒によって聖別なさった。) それでは、この聖酒を皆授かりなさい。授かったものとして、天地の上の全体が……。万物、子女、祝福を受けた家庭、そして真の父母圏、そして天地父母です。それで天地父母と実体圏、実体圏は、万物、子女、家庭、氏族、民族、国家の解放式です。創造主と真の父母の実体圏、創造主と実体圏、真の父母と実体圏解放式です。 感謝祈祷 神様……、恨多き歴史をたどってこられたお父様……、その誰も知らない心情の十字架を万人背負って訪ねてこられた創造主が、この地上に真の父母を送り、ありとあらゆる恥辱の道に追い込んで体験させながらも、その背後において、その愛の鞭を打たれた子女を保護することができず、顕現なさることができないものの、悲しまれながら、最後まで導いてくださった恵みに感謝申し上げます。 分裂した心と体の統一に向けて、天が叫ばれたその時代、家庭的時代を開拓するために、あなたが耐えてこられたその時代、祝福した家庭を収拾して氏族の編成、民族、国家、世界の版図まで拡大したその時代、そうして今や南北が分裂した朝鮮半島を見つめ、東西が分裂したこの世界史を見つめ、天地が分裂したこの天宙史を見つめられるお父様の苦痛の心を、今やこの時間を通し、踏み越えることのできる時間をお持ちになりました。 あなたの全体、全般、全権、全能の行使を通じて、主導的な立場で先頭に立ち、すべてをあなたが先着の立場で指導して、すべてを処理することのできる、絶対的な勝利の盾の圏を私たちに引き継がせてください。そうして、心と体を中心としては、心の前に体が絶対的に服従し、家庭において中心となった夫ならば、夫を中心として妻が絶対的に一つになり、絶対的に一つになった夫婦を中心として、子女が絶対的に一つになり、子女が絶対的に一つになった家庭を中心とし、三代一族を中心とし、神様の氏族編成を中心として入籍しなければなりません。そうした絶対圏を願われる基準の前に一体となれる家庭、氏族的メシア、国家的メシア、世界的メシア圏を完結できるよう許諾してくださいませ。 このすべてを、ご父母様が代わりに勝利の盾の条件として立てましたから、自分の国と自分の氏族と自分の家庭にも、そのような条件的な基準を立てるべき責任が残っているということを、それぞれの祝福家庭が自覚しながら、このみ業の前に一念一体を中心として前進だけが、今後、天と共に真の父母にあるよう許諾してくださいませ。 ルーシェルとサタン一族全部は、この地上から消え去り、すべての人類における解放の背後にあって、影のように救いを受けることのできる道も許諾されました。ですから、一切を自主的な権限をもって、天宙を統治し、主管、指導してくださいますよう切にお願いしながら、真の父母の御名によってヤハウェの前に宣布、宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 自分の一族たちを収拾し、一国を収拾すべき責任が皆さんにあります。真の父母の時代は過ぎ去るのです。各国が責任を持たなければなりません。今、先生は国を動かせる時代を越えて立ったのです。 ですから、イエス様がイスラエル選民を中心として……選民の目的は祝福家庭を築くことです。選民的な国家基準を乗り越えられる祝福の版図が、地上・天上世界に一元化しているだけに、先生がアダム家庭でサタンに条件を残したすべてを解放できる立場に立ったのです。 ですから、そのような勝利的な覇権を中心として、これまで国家を求め、世界を求めて、先生は迫害を受けてきましたが、皆さんは国を中心として、先生の勝利の覇権を中心として、一切、前進的に突き進んでいかなければならないのです。 ここで注意すべきことは何でしょうか? 今後、最後の目的は「統班撃破」です。自分の一族の「統班撃破」です。これだけやっておけば野党、与党は自動的にここに引き込まれてくるのです。野党と与党がカイン、アベルを中心として一つになって入ってくることにより、イエス様を中心として右側の強盗と左側の強盗が完全に一つになった立場に立つのです。三者が一つになることによって、サタン世界が完全に統一圏に移行し得る時に入ってきたのです。 先生から言うと、左右を統一させて、霊界と肉界、聖人と殺人鬼を祝福してあげた内容があるので……地上世界の解放、天上世界の解放です。既に解放圏が形成された基盤の上に立っているので、皆さんはその天地父母を信じて突き進まなければなりません。国や主権といったものを恐れる時は過ぎ去ったのです。さらには私たちの権限とは何ですか? 失われた家庭、青少年の淪落、家庭破綻……、すべてを解決できる根なのです。地引き網にたとえれば錘のようなものです。 それによって、なんとしても一族で引っくり返し、一国でひっくり返しておかなければならない責任が各自にあるのです。これには反対がありません。押せば押されるようになっているのです。 統一教会のレバレント・ムーンが勝利的な基盤を整えたものは、すべて世界的です。時代に見合ったこの内容について、内外ともに誰も否定することができません。さらには『世界平和超宗散超国家連合」を中心として、宗教人、政治家、学者、言論人までも糾合して訓読セミナーをしたのです。これを勝利的な盾として大々的に宣伝するのです。言論機関を通じて宣伝しなければなりません。 そうすることによって、それを否定できる者がいないという事実を公然と発表するのです。万国万民の勝利的盾まで築いておいた事実に反対する者がいるならば、つかんで放さずに誓わせなければなりません。「何をもって反対するのか!」と言うのです。絶対権限をもって突き進んでいくべき時が来たのです。 いかなる権限を持った者にも、躊躇するなというのです。いかなる法、いかなるものも躊躇するなというのです。それを阻む法がどこにありますか?サタンの血統を根絶して、地上・天上天国、神様が王者として勢いを得る時代を誰もが願うのです。誰もが願いました。夢でも願ったのです。歴史を通じた希望的な理想の夢として残されたものが……、解怨される立場に反対する者はないというのです。ですから、自信を持って一方通行で、すべてを浄化してしまわなければなりません。 万物解放、子女解放です。それで「総生畜献納祭」を完成して神様の前に奉献しなければなりません。ですから、皆さんの所有権を持つなというのです。一切は神様の所有です。神様から始まったのです。ですから、自分から関係したものと考えることができないのです。 ワシントン・タイムズも統一教会のものではありません。神様から始まったのです。ご父母様のものです。アメリカの国も、ピルグリムファーザーズ(一八二〇年にアメリカ大陸に渡ったイギリスの清教徒)が始めたのではありません。神様から始まったのです。神様から始まりました。それを知らないので滅びるのです。 真のお母様の祈祷 愛のお父様……、感謝いたします。あなたの深く広く奥妙なる愛の前に、私たちは感泣するばかりでございます。 お父様……、この日を宣布するまで、どれほど長い歳月を耐えてこられたのでしょうか? お父様、お喜びください。お父様が全知全能なる権限をみ意のままに行使することのできる、新しい新天地が開かれたことを感謝申し上げます。 お父様……、すべてをあなたのみ意のままに成してくださいませ。切に求めてやみません。すべての統一家の子女たちが、心と体を一つにして、これまで不足であったことを清算し、今や完全に縦的な神様と一体の立場で最後の責任遂行を果たせるよう、きょうも拍車をかける一日となりましたことを感謝申し上げます。 お父様……、韓国と日本、アメリカを中心として、最後の歴史を清算し、新しい千年を始める準備をするすべての日々を、勝利の日として立ててくださり、必ずあなたが「すべて成就した!」と言われて、喜び祝賀できるその日を、お父様……、私たちすべては願うものです。 お父様……、これまで難しかった、大変だった、苦しかった、苦痛だったすべてのことをみなお忘れになって、これからは希望に満ちた日々だけを迎えてくださいませ。必ずや、報いる真の子女たちとなることを誓う、きょうのこの朝となることを信じてくださり、きょう一日を出発しながら、与えられた食卓を感謝しつつ、真のご父母様の御名によってお祈りいたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.03
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「二・十節」宣布一九九九年十月十日(日)、真のご父母様は、ウルグアイのプンタデルエステで十余名の指導者が参加した聖日の敬礼式において、天の十数と地の十数が合わさり、天と地が完全に一致し得る日として、「二・十節(双十節)」を宣布された。第四次アダム圏時代の内容の中で、「祝福家庭には直系の息子、娘を祝福できる恵沢が与えられる」と語られた。 祝祷 愛するお父様……、きょうは一九九九年十月十日、この月を迎えて、二度目の安息日でございます。「二・十節」を迎えたこの日の上に、天と地が完成を願う一つの勝利を祝賀する日となりますよう許諾してくださいませ。 この時間は、ワシントンにおいて『世界平和超宗教超国家連合」、超大学連盟(世界大学連盟)、言論会の全責任者たちが集まり、訓読セミナーを始める時間ですので、お父様が祝福してくださいませ。一次、二次、三次の訓読大会を通じて、万民が一つの生命を中心とした連結体となり、神様の愛を中心とした一つの主権を立てるのに、重要な指導者を選出することを許諾してくださるよう切にお願い申し上げます。 これを来年の正月までに、七次まで、このすべての集まりの基本を組んで、各国家の代表たちを中心として、国家メシアたちと一つになり、訓読教育を全人類の前に編成することができる教育が始まるよう許諾してくださいませ。そうして、あなたの創造理想であるあなたの愛の主権を中心として、万民があなたの直系の血統的な権限を持てるようにしてくださいますよう切にお願い申し上げます。 霊界に行っているすべての聖人、先祖、千千万の聖徒たちが祝福圏内に立って、地上にいる後孫たちの祝福家庭と一体となり、天地父母に侍って、愛の国を賛美し得る勝利した地上・天上天国の解放圏を整えるよう、許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 この時間、全世界に広がっている統一教会の群れが、ご父母様のおられるこの地に向かって、心を合わせて精誠を尽くす所には、一律的な愛の恵みを共に与えてくださいませ。彼らを中心としたお父様の愛が周辺のすべてに現れ、天に侍って生きる人々の生活の模範となり、すべての行路の模範となり、その氏族と民族、国家全体が天に従っていける道を示すことを許諾されるよう切にお願い申し上げます。 そうして天が求め、求め、求めてきた愛の祝福の家庭として、生きがいのあるそのような祝福家庭が、地上・天上世界、全体となることを許諾してくださるよう切にお願い申し上げます。 この場をお父様が祝福してくださり、ここにとどまる期間お父様が共にあられますよう切にお願い申し上げます。この地と共に因縁のあるすべての関係の上に、またこの南米全体の上にお父様のみ手が共にあり、解放された信仰の中で、天の栄光を高め、賛美できる統一家の群れとなり、この南米と北米となるよう、許諾されることを切にお願い申し上げます。 そうしてキリスト教文化圏を収拾しようとする父母の国と長子の国が合わさり、アメリカを投入して長子権の国を代表し得るキリスト教文化圏を収拾し、あなたの足となり、あなたが遍歴できる勝利の隊列を整えていくことを願うものです。すべてがみ意のままになされますよう許諾してください。 全体をその先祖たちと共に、キリスト教を信じて逝ったすべての信仰者たちが、一体となって、アメリカを柱とした全世界の旧教、新教を統合し、すべての宗教圏を代表して結束できるカイン、アベル的な前進的な統一圏として、地上天国の解放圏まで連結するよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 きょうの全体を、ここで始まる全体を受けて主管してくださるよう切にお願い申し上げながら、真のご父母様の御名により祝願いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 神様が愛するというよりも、一番引っかかるのが生殖器です。ですから、この生殖器を絶対信仰しなければなりません。絶対愛、絶対服従しなければなりません。それが総蕩減というものです。その部分が最も歴史を滅ぼしてきたからです。 それはどうしてでしょうか? 神様を絶対的に信じることができず、絶対的に愛することができず、絶対服従できませんでした。何がですか? それがやったので、それを中心として、線を引かなければなりません。決定しなければならないのです。ジャルジンに来て、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を宣言したのは、エデンの園で神様が創造されたその場にまで上がろうとするためです。何がだめにしたかというと、生殖器です。 それを中心として絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を越えられなければ、神様と一体になれないのです。そのことを言っているのです。神様が愛するならば、目、耳、すべてのものがありますが、一番憎いのがそれです。それを抜いてしまわなければならないのです。 自分自身が絶対に信じることができ、絶対に愛することができる、それは愛の中心で絶対服従できなければなりません。神様と完全に一つにならなくては、その愛の道を行けないのです。 きょうのこの時間が「二・十節」です、「二・十節」。天の十数であり、地の十数です。ですから、祝福を祈祷するとき、自分の名前で祈祷するでしょう? 自分の名前で祈祷するようになっているでしょう? 九月十四日にそれを話したでしょう? どういうことかというと、堕落圏を抜け出したというのです。抜け出したため、今や皆さんたちが皆さんの息子、娘を祝福しなければなりません。息子や娘たちを中心として、祝福してあげなければなりません。ですから、これまで四億双を祝福したのです。四億双以上をこれまで祝福したのです。 それで、全祝福家庭は、自分の名前で祈祷することで、その家庭が自分の息子、娘を祝福しなければならないのです。ですから、四億双祝福は問題ないのです。この信仰基準が成されていないからそうであり、条件がまだ至らずにいるのです。四億双、祝福を受けた者が自分の息子、娘を祝福することで、第四次アダム圏に越えていくのです。 きょうの「二・十節」というのは、天と地が完全に一致し得る日であり、これまで絶対信仰、絶対愛、絶対服従の実体を中心として、それ自体が神様の前に一番憎まれてきたものを解消して、何をするのですか? 堕落的な家庭が完全に解放されて、第一次、二次、三次アダム圏を越え、四次アダム圏です。四次アダム圏に越えていくには、自分が自立的な立場ですべてのものを蕩減し、自主的に神様に報告できなければなりません。そうした時代になりました。 ですから、これからは自分の名前で祈祷するのです。今から何をすべきかというと、自分の名前で祈祷する家庭において、自分の息子や娘を祝福するのです。三代を中心とした、祖父から父、兄を中心とした家庭全体を消化できなければなりません。自分の息子、娘がいれば、自分の息子、娘から手がけて、兄の息子や娘がいればその息子、娘、そし祖母など、三代を中心とした祝福を強制的に完全に片付けてしまわなければなりません。 そうすることによって、第四次アダム圏一族となった基盤を越え、天の国に入籍するのです。全世界の祝福を受けた家庭は、このように自分の息子や娘の代わりに一つの家庭を、未婚の男女をすべて蕩減条件として立てなければ、越えることができないのです。これがカイン的な蕩減条件であり、その次には直系的な蕩減条件を立てていかなければならないのです。 ですから、四億双が八億双になるのです。八数を超える、そのような数字になったとということを、すべて報告してあげなさい。きょう、「二・十節」というその意義、それを合わせるために、急いでここに来たのです。 ここで今、何ですか? 「真の祝福天宙化とサタン血統根絶!」をどこでやりましたか? ここで宣布しました。その次に、天宙的な「四・四節」をどこで宣布しましたか? ここで宣布しました。ここでやったので、天地の統一的なものを、区切りをつけて越えていくべき内容があったので、再びここを訪ねてきたのです。 それで先生が、きょう開かれている第三次の「超宗教超国家連合」を中心とした訓読大会が越えゆくその日と共に、十月十日を中心として、今やすべて合うので、これを地上において打ちつけなければなりません。 ですから「二・十節」は、今後すべて世界の祝福家庭が息子や娘を中心として祝福できる恵沢を立てる出発の日になるということを知らなければなりません。それでページ数を記録しろと言ったのです。すぐにきょう連絡しなさい。それをもっと読みなさい。訓読会をしなさい。 ですから、今後「二・十節」は、世界の祝福家庭たちが息子、娘を中心として、祝福できる恵沢を立てる、祝福され得る出発を立てる日になるということを知らなければなりません。それで、ページ数を記録するように言ったのです。 ですから、一九六九年、三十年前ですか? 私がみな細密にやってあげました。それが原則です。それが法として、憲法を中心として、幼稚園からその法を守るべき時が到来するのです。そのような時代が来るのです。それにもかかわらず、今まで国がなく蕩減が必要な立場なので、今は保留しているのです。 南北が統一されて国を復帰すれば、憲法を中心として即決時代に入っていくのです。罪が保留されて、歴史的な過程で後代と連結しながら解くという、そのような条件がないのです。自分の代で誤れば、その代が引っかかるのです。そのような時代に入るのです。直接、即決時代に入るというのです。そのような恐ろしい時が来るのです。 祈祷 愛するお父様……、きょう一九九九年十月十日、このプンタデルエステの別荘を再び訪ねてまいりました。ここを中心として、「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という宣言をした、この一年を中心として、霊界と肉界で結ばれたすべて、人類の一連の歴史的な恨に満ちたすべてを清算するため、霊界祝福と地上祝福、霊界統一と地上統一を標準として、真のお父様の、父母の生涯八十年を中心とした、新しい千年を迎えた二千年を出発する、このような限界線を迎えました。 これを中心として、新たに歴史的な分岐点を確定すべき責任をおいて、昼に夜に身もだえしながら、ここまで来ました。そうした中で、天が協助することで、多くの宣言の日々を備え、天上の解放と地上の解放圏を備えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 「九・九節」を設け、「三・十節」を設け、六千年の蕩減歴史を解怨成就なさり、今や神様の復帰摂理が終結しました。そうして、新しい地上・天上天国の新天地を迎えるべき一次アダム時代、二次アダム時代、三次アダム時代の恨に満ちた蕩減の路程を断ち切って、新たに第四次アダム圏を越えて立つことのできる一つの分岐点に、頂上の場としてこの場を訪ねてまいりましたので、この日を覚えてくださいますようお願い申し上げます。 十数は地上の帰一数であり、天の国の帰一数であります。この「二・十節」を中心として、二十数を中心として、アダムが二十歳にこれをすべて完成し、統一的な恩賜を立て、万民解放と地上・天上天国を完結すべき歴史的な全責任を果たせませんでした。そうして、分かれていたものを総整備、総清算して、一つの峠を越えて、一次アダムの失敗、二次アダムの失敗、三次アダムの失敗、万物と子女と父母の失敗圏を今やみな断ち切って、新しい第四次アダム圏を宣布できる、このような期間として、分水嶺を越えるこの時間を、お父様……、真の父母が天の前に通告いたします。 そのようにして、第四次アダム圏を準備するためイエスの御名で祈祷し、真の父母の御名で祈祷していたすべてを越え、祝福家庭の名前によって祈祷できる時代を迎えました。祝福を受けた家庭は今やアダムから堕落しないで父母の名前を携え、自分の息子、娘を祝福してあげられる時代を迎えることによって、本然的な第四次アダム圏に越えていく、地上・天上天国の解放圏を持たせてくれる頂上を越えるこの日を「二・十節」と定め、ここに至って、お父様の前に申し上げるものでございます。 これから第四次アダム圏を中心に青少年、未婚の男女、四億双を中心としたこのすべてが、これまで既成祝福、あるいは契約祝福、あるいは未婚男女の祝福を受けた四億三千万双以上の家庭を中心として、一つの家庭が一つの家庭を祝福できる代を継ぐことによって、第四次アダム圏の解放圏へと越えていける条件とさせてくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 天上世界と地上世界が共に祝福を受けました恵沢圏内に立ち、真のご父母様が今や地上世界と天上の「二・十節」を中心とした二十数を中心とした本然のアダム完成の基準を中心に、愛の理想統治、全体、全般、全権、全能の権限を立てられた、すべてを解放した立場においてすべての祝福を受けた家庭が、アダム家庭が堕落しないで祝福を受けた家庭のような立場に立てますように。そうして自分の息子、娘たちを祝福できる時代を残しました、この四億双の未婚男女祝福の道を開拓する先発隊となるよう許諾してください。 そうして、すべての天の恨を解き、地の真の父母の恨を解き、万民、万象の恨を解いて解放し、地上天国を宣布できる解放された第四次アダム圏の新天地・新国家とならしめてくださいますよう切にお願い申し上げます。 この日を分別し、この日を立てるために、「二・十節」を期して、ここに訪ねてきて第四次アダム圏の頂上を越える日として定めることを願い、この日を立てて宣布いたします。これと共に天上天下が一つになった場、祝福家庭たちが一つになった場で、天地父母の御名により、この日を制定いたします。すべての万象と全宇宙、サタン圏全体が、喜びで順応することを願い、真の父母の御名で「二・十節」の「第四次アダム解放圏」を宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 第四次アダム圏にならなければならないと、既に昨年から宣布しています。それがいつ、峠を越えるかというとこの「二・十節」なのです。 それで十月は、栄光の月になるのです。十月は四日が、先生が西大門刑務所から解放された日であり、十四日は興南収容所から解放された日です。また、第三次として世界の首脳クラス-サタン世界で一番のカインです-を対象に訓読大会をする最後の日です。本来、この三次で終えて、訓読大会を世界的に拡張するつもりでした。ここで私が「天宙的な四・四節」を宣布しました。北のコディアックで「家庭的な四・四節」を宣布したので、解放される「天宙的な四・四節」です、四位基台です。ですから、神様の四位基台理想が連結されたら、サタンの峠を越えていくのです。サタンを屈服させ得るすべてのことを整備してきて今、第四次アダム圏時代、蕩減が必要のない時代に越えていくのです。蕩減復帰ではなく、自然復帰時代へ越えていくのです。 第四次アダム圏時代が来ると言ったでしょう? きょうからそのようなことを中心として越えていくので、祝福家庭は誰もみな自分の三代、祖父から、父親から自分の時代を中心とした一族を中心として、一家庭が一人ずつ祝福すべき時代に入るのです。 今では四億三千万双以上が祝福を受けたので、一家庭が一人ずつ、自分の一族が皆あるでしょう?祝福家庭が一家庭ずつやれば、四億双の未婚男女の祝福は、問題なく解決すると見るのです。それを強調しなさい。自分たちがすべて祝福してあげた、予備祝福してあげた宣教国や、至る所に訪ねていき、それを強調しなければならないのです。 祝福家庭は、自分が祝福してあげた人々の家庭に、そのような内容をみな伝えてあげなさい。伝えてあげて、一つの家庭で自分の親戚を中心として、三代を中心として祝福できる条件を立てることによって、四次圏、アダム祝福圏内に入るのです。 ですから、祝福を受けた家庭が真の父母の代わりに自分の息子や娘、自分の一族を祝福してあげなければならないのです。ですから、自分の名前で祈祷する時が来ました。それでこそ、合っているでしょう? あなたたち同士で問題が起きます。自分の三代、祖父、父親、こうして今、四次圏時代になると何ですか?本当ならば霊の子(息子)が三人いなければだめなのです。一八〇〇双を越えるとき強調しませんでしたか? 帰一数に入るからです。祖父と父親と兄が、天使長、三人の霊の子女と同じになるのです。そうなれば家庭がみな結束するのです。 今や先生は休む時が来ました。皆さんにすべて任せたのです。それで四億双を祝福するのも、委員会を設けて相対者を決めてあげるように指示しました。多くの霊的協助があったので、自分たちも知らずにうまくいきました。今回、見てみるとうまく結ばれていました。今回は約七十双か、百二十双やりましたが、そのうち変更したのは二人しかいませんでした。祈祷して精誠を尽くせばすべてそのようにうまくいくのです。 ですから、先生が語ったすべてのみ言を成就したも同然です。すべて成就したに等しいのです。エデンの園が何ですって? エデンの園にある生命の木と善悪を知る木が何かというと、アダムとエバの肉体を意味するのです。蛇が何かというと、男性の生殖器を指すのです。蛇、蛇、蛇が善悪の実を取って食べたのです。それを意味するのです。男性たちはそれをもって女性たちを誘因しようとする。 そのように考えてみると、これはどれほど恐ろしいものでしょう。自分が毒のある蛇を持っているのです。男性として自分の妻より美人がいれば、それが動くようになるのです。その願いが何かというと、すべて女性のそれを願うのです。誘惑の総責任者がそれなのです。 神様が一身を愛されるとき、一番憎いのがその部位です。それが天地をだめにして地獄をつくり、創造理想を破壊して、神様の前に傷を残したというのです。それが一番問題なのです。 それで、私たち統一教会の信徒たちが、エデンの園に入っていくには、神様と一つになるには、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければなりませんが、その言葉はその器官について語られた言葉です。神様と人間がその器官で一つになることを言っているのです。 これからは、男性において五官のすべてを否定したとしても、五官よりは第六感、第六感的な中心がその器官です。五官をすべて犠牲にしたとしても、それを犠牲にしてはならないのです。犠牲にしたならば、歴史がなくなるのです。国が吹っ飛び、伝統がなくなるのです。 エデンの園で「善悪の実を取って食べるな」と言ったのは、そのことなのです。男性のそれを中心として忠告したわけです。ですから、聖書のすべての秘密が、今すべて明らかになるのです。 四次アダム圏を中心として、世界的に今、首脳クラスをみな呼んで訓読大会を開くのです。み言を中心として、絶対服従して、絶対順応しなければなりません。それを第三次まで……、反対なしに彼らが降参して出てくるのです。本当に不思議なくらいです。大物たち、どこに行っても「お話を聞かせてください」と崇められた人たちが来て、三泊四日、じっと座ったままで、み言だけを聞いて服従するのです。服従するほかありません。自分たちが知らない内容だからです。それがこれまで私が実践した内容の記録です。戦勝記録ですが、反対し得る何ものもないのです。 この祝福自体も、三億六千万双も嘘であると否定できないのです。霊界の事実も否定できないのです。李相軒氏が、ICUS(国際科学者統一会議)の八つの分科において、そこで議長まで務めたのです。世界的なすべての思想家と数回にわたって討論し、ありとあらゆる質疑応答をしていた、そのような高名な人が霊界に行って、自らの苦衷を語った、その事実を否定することができません。統一教会の教徒で、彼を信じない者はいないのです。 その内容は、李相軒氏の内容ではありません。霊界の実相です。先生のみ言のうち「主題別精選」の十一巻、十二巻の霊界についての内容を見ると、霊界の根本がどうなっているか、すべて明かしてありました。摂理的な歴史観がすべてそうなっているにもかかわらず、相軒氏もそれを信じられなかったのです。 アダム家庭から、ノア家庭から、アブラハム家庭から、モーセ家庭から、イエス時代までが蕩減復帰の過程であり、摂理の歴史観ですが、それでも、はっきりとそうなのかどうか霊界の事実を知らないので、分からなかったのです。相軒氏が霊界に行って、その実相をすべて証したのです。今この時期において、それゆえに相軒氏が連れていかれたのです。 先生の語ったことを相軒氏もあまり信じられませんでした。「先生の右手は霊界をつかみ、左手は肉界をつかんで、正しい方向に回しておかなければならない」という言葉が信じられますか? 「天と地が先生を中心として動く」と言ったら、それが信じられずに霊界に行ってみて、驚いて腰を抜かしたのです。 信じてきたすべてのことを事実としてはっきり信じられなかった自らを咎めて、今後、従ってくるすべての統一教会の信者たちが、自分のような立場に立たないように、神様の特命を受け、四十日間すべてを分別して地上に連結させた内容なのです。 霊界からの二番目のメッセージは、サタンを屈服させる歴史、三番目のメッセージは霊界と肉界に対する……。これからは私が指示する前に、前もって相軒氏が来て通告し、記録しておくと言ったではないですか。きょうか明日には、その内容が出るでしょう。それによって、霊界の実相と地上の実相が、三億六千万双の祝福と「九・九節」、「二・十節」が成された以降に、どのようになるかすべてが明かされるでしょう。 これまで、先生がこのように歩んできたのは個人的ですが、それに天と地がくっ付いているということは、誰も信じられないでしょう? 「真の祝福天宙化とサタン血統断絶」というこのすべてを、ここにおいて天宙史的な「四・四節」、神様の四位基台、アダムとエバを汚して、霊界と肉界、万物までが嘆息してきたのを、すべて解いてあげなければなりません。 ですから、「第四次アダム圏解放」の頂上的な記念の日として、きょうをもって通り越すのです。三代を越えるようになれば、祖父や叔母、伯母などを初め、すべての家を訪ねていって、息子や娘を集め、はり倒してでもでも祝福せよというのです。 四億双は問題ないのです。私たちが祝福したのが四億三千万双を超えます。ですから、私の責任をすべて果たしたのです。今後は皆さんが、祝福家庭が責任を果たせるかどうかです。「息子がいますか?」と聞いて、息子がいれば、なんとしてでもその息子をつかまえて、祝福してあげなければならないのです。その次に自分の兄や、三代を中心とした甥や姪にも、強制的に家で祝福してあげよというのです。一つの家庭において四家庭までです。 イエス様も三弟子と四家庭ではありませんか? 三弟子を基準として祝福してあげ、祝福家庭となったので、三弟子を祝福するのと同じように……。三代なのです。旧約時代、新約時代、成約時代です。祖父は旧約時代であり、父は新約時代であり、自分は成約時代なのです。旧約時代は万物、物を犠牲にして、新約時代は子女が十字架にかかり、成約時代は父母が十字架の道を行くのです。真の父母が十字架を背負い、地上で神様に侍るのです。 このような膨大な内容が、原理を中心としてすべて解明されたということは奇跡的なことです。それを体系的にまとめたのものを誰が否定しますか? 理論的にすべてをまとめたという事実は、恐ろしいことです。 今や先生がこのように生きて……み言を知ってみると恐ろしいのです。み言を知ってから、想像もつかない範囲の内容を、実際の生活圏内で、み言を中心として闘争してきました。先生がその環境を開拓するために生きてきたことを否定できず、先生が残した歴史的な実績を見て否定できないので、その実績の数千倍、数万倍も尊敬し得る条件として、四億双を越えていかなければならないのです。 今、祝福を受けるための条件は何もありませんが、何ですか? 真の父母です。どんなに足らない者であっても、息子や娘がいるとすれば、その息子や娘が父母のすべてを相続できるのです。 先生が霊界に行ったときは、全世界の祝福家庭が、自分の母や祖父、三代、自分の最も愛する者がいたとしても、それよりももっと大きな悲しみを感じなければならないのです。それをいつも考えなければならないのです。 全世界の統一教会の食口たちは、同じ涙を流して、その日をすべて悲しむと共に、昇華式を賛美しなければならないのです。世界の統一教会の食口たちが、先生が霊界に行くようになれば、誰よりも悲しみ、何をさておいても昇華式をしてさしあげられるように、すべてを捧げて、先生の行く道を霊界まで……すべて自分の全体を燃やしつくして、捧げられる心にならなければならないのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従が何ですか? それは生殖器を指した言葉です。神様と人間の生殖器が一つになれなかったのです。合徳できなかったのです。男性においてもそうでしょう。それを絶対に信じなければなりません。歴史において私の家庭の柱であり、私の一族の柱であり、私の血筋の歴史における柱なのです。 それを絶対信仰すべきでしょう? 絶対的に愛さなければなりません。愛を中心として絶対信仰、絶対服従です。すべて神様の前に服従できる伝統を持った自らとなるのです。「どうしてそうする必要があるのか!」などと言ったらいけません。実感できますか? 一日のうち三時間に一回トイレに行くとき、そのことを常に思い起こしなさい。 先生はそのようなことを知っているので、むやみに生きられません。怨讐を愛し、愛する息子と娘を怨讐と結婚させなければなりません。祝福は、怨讐同士でやってあげなければなりません。すごいことです! 神様が「恩讐を愛せよ」と言われたのは、個人を中心としてではありません。朱基徹牧師(キリスト教牧師・独立運動家)は、個人を中心として愛そうとして、怨讐の子を連れて育てると言いましたが、これは天宙史的な意義です。 神様はそのような立場におられるので、かわいそうな神様になりました。宇宙を創造された神様なので、一瞬にしてサタン世界を根絶することもできますが、そのためには、アダムまでも滅ぼさなければならないのです。宇宙を破壊しなければならないのです。あ然として口がふさがりません。ですから、「怨讐を愛せよ」と言うのです。愛して自然屈服させなければならないのです。(三〇四-五二、九九年十月十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.02
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絶対信仰・絶対愛・絶対服従の核一九九九年十月八日、アメリカのイーストガーデンで真のご子女様と二十余名の指導者が参加する中、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従の核」についての宣言がなされた。 きょうは何日ですか? 十月八日です。今、先生が皆さんと記憶しておかなければならないことが一つあります。それは、なぜ私が南米を重視するかということです。それは時間さえあれば南米に心をはせて、そこにすべてを結び付けようとする心は、すべてを最終的に清算できる神様の心であるということを知っているからです。ジャルジンに「祝福家庭世界平和統一教育本部」があります、教育本部。天国に入っていける最後の手続きを踏める足場となるので、そこにすべての精誠を尽くさなければなりません。 そこを中心にいかに四か国を連結するかといえば、青少年を中心にそのような運動をして、全般的に教育を施すのです。ですから、精誠の限りを尽くさなければならないことを皆さんは知らなければなりません。 先生は時間さえあれば、南米に向かいますが、それは南米が好きで行くのではありません。み旨のすべての決定を……完全にきれいにするには、避けようのないことなので、南米のすべてに関心を抱いているのです。今、ここもそうではありませんか? ワシントンでは二日後に、「超宗派超国家連合」、「超大学連盟」に属する世界の最高位の人たちを招いて教育する、訓読会セミナーがあります。それを二日後に控えているというのに、なぜ南米に行かなければならないのでしょうか? 摂理的なみ旨から見て、今、世界を収拾し得る世界最高の首脳を集めて整理作業をする、この時に及んで、なぜ南米に行くのでしょうか? すべては、南米に行って根に栄養を与えなければならないからです。根を通じて芽が栄養を受け、枝が栄養を受け、幹が栄養を受けます。生きとし生けるものは、根を通して芽と枝と幹が連結するのです。 今、我々が韓国から始めて根を下ろしたのが、現在ジャルジンと南米四か国なので、その四か国を連結して帰ってこそ韓国が、すべて芽が育つのです。芽が、中心の根から、中心の幹から、中心の芽と一つになって、これが授受してこそ、すべて四肢四方に広がるのです。そうしてこそ枝が、枝の芽がそれに応じて育つのです。そのような因縁があるので、南米を重視するのです。 お母様は、時間があればこのイーストガーデンで息子や娘と一緒にいることを望みます。それは当然です。そのように願わない父母がどこにいるでしょうか? しかし、その家庭というのが、天の国における最高の勝利基盤を中心として、根や幹、枝、芽まで、すべての反対要素を浄化し……その日になれば、その日全体が、生命の根から、幹、枝、芽の全体まで、生命の環境的な要件にならなければならないのです。それがなされなければ、ある分野において治療を受けるべき立場が残るので、サタン家庭を中心とした、背後にある家庭よりも、それをまず中心としなければならないのが、先生の行く道なのです。 統一教会の信仰が困難なわけではありません。統一教会の蕩減の道というものは、みな解消されています。蕩減の道を解消させたその中心が真の父母と神様の愛なので、いかにしてその真の父母と神様の愛に一体となるか? 遊びごとではありません。絶対信仰です、絶対信仰。サタンがこれまで信仰できず、アダムとエバが父の前に絶対信仰できませんでした。私たち息子、娘も今後は同様です。父母に対して絶対信仰を持たなければなりません。また、絶対信仰できないで堕落した世界を収拾するには、神様と真の父母になれる基準を絶対信仰することによって、すべてを除去できるのです。 ですから、「ジャルジン宣言」の第一条が何ですか? 絶対信仰、絶対愛、絶対服従を宣布したのです。中心がそこで連結されたことによって、その場を、夜も昼もどんなときも先生が忘れてはならないのです。そのような信仰をもって祈祷し、そのような内容をもって信じて活動できる場においては、常にサタン世界が譲歩しなければなりません。 絶対信仰はどのような道を行くのでしょうか? 父と子が真の愛を中心として一つになった、父子関係の因縁を中心とした勝利の覇権の主体が神様であり、勝利の覇権の主体的な対象が真の父母なので、その信仰の基準を中心として一つになったその基準は、サタン世界がいかに大きくて、いかに歴史的な災いや蕩減を立てても、そのすき間の世界、一つになった世界のすき間には入り込めません。 存在の権限が、いかなる信仰、いかなるサタン世界をもってしても、そこにはまったく入り込んでいける場がないというのです。ですから、絶対信仰をもって神様が創造されたのです。その創造されたあらゆる被造物の中には、信仰を中心としたすき間に入り込むことができず、絶対愛を完成したので、絶対愛の間に、いかなる存在も入り込むことができず、絶対服従したので、たとえ神様がおられないとしても、絶対服従し得るアダムの心……、その主人の立場にはいかなる者も立てないのです。サタンにいかなる権勢があっても、絶対服従するその立場を治め得る能力はないのです。これが三大要件です。 きょうは十月の最後の日なので、きれいに整理してください。真の父母を信じるのは大変です。神様を信じるのは大変です。しかし、自らにおいて絶対信仰、絶対愛、絶対服従できる立場に立てば、それがイエス様の行く道であり、イエス様が守られる絶対信仰であり、イエス様が愛した絶対愛であり、イエス様が生きていく絶対服従の道だったという事実を知らなければなりません。同じように先生においては、神様とイエス様の絶対信仰の道をそのまま伝授して歩んでいくのです。 その愛の道、その服従の道を行く間、サタンは永遠に陰の立場に入れません。陰の立場に入れないというのは、つまり、二十四時間のうち正午を中心として、日光によって陰がなくなるのです。それが夕方になれば生じ、朝になれば生じても、十二時にはなくなるように、その正午の立場に入っていけるのです。 絶対信仰は、昼で言えば陰がないことを意味し、絶対愛も、サタン世界には愛の種類が多いですが、陰りのない愛を意味するのです。絶対順応とか何とか、法によってすべて従っていくとしても、絶対服従の立場に入っていかなければなりません。神様とイエス様、真の父母とイエス様と神様が連結されたその場には、絶対信仰、絶対愛、絶対服従だけが定着して、支配できるのであり、それ以外のものはなくなってしまうのです。 絶対信仰には、個人的な信仰、家庭的な信仰、氏族的な信仰、民族的な信仰、国家的な信仰などがすべて入っており、絶対愛には、個人的な愛、家庭的な愛、氏族的な愛などがすべて入っているのです。服従もそうです。孝子の道理は、父母の前に絶対服従しなければならず、忠臣の道理は、君主の前に服従しなければならないのです。このすべてが天理となっています。ですから、ジャルジンに行って、先生が立てたのは絶対信仰です。誰を中心として? 神様を中心として絶対信仰するのです。アダムはできませんでした。サタンもできませんでした。イエス様が絶対信仰したので、アダムはイエス様の前に服従して、愛さなければならないという論理が出てくるのです。 その原則的な基盤が、私たち統一教会の真の父母と神様の間に立てられたのです。こうした関係に連結された一体理想を立てた立場に立っているので、地上の平面的な場で何よりも貴く、世界をあげても換えられないのです。自分たちが信じる王とか何、どこかの国の大統領になっても、サタン世界の何物とも換えることができません。サタン世界の何物も信仰の対象になり得ないということです。父や母、妻、金、知識なども、すべて否定するのです。 それでは、絶対信仰の願うのは何かというと、絶対愛の道を探していくことです。絶対愛のためにやれというのです、絶対愛のために。アダムとエバが神様を絶対信仰できず、絶対愛を成就できなかったのです。ですから、こうした失われたすべてのものを探して埋め、未完成の環境圏内にサタンが寓居するすべての寓居地を、完全に絶対信仰の上で絶対愛が連結されれば、すべて取り払ってしまうのです。 その愛の前では、絶対的な夫は絶対的な妻に服従し、絶対的な婦人は夫の前に絶対服従して、その夫婦は神様、お父様の本然的な愛の前に絶対服従しなければならないのです。これは愛を中心としたみ言です。これ以上、サタンが存在し得ないということです。 それでは皆さんがそうですか? 真の父母が「目をくりぬけ!」と命ずればどうしますか? 自分自身をすべて否定しなければなりません。否定しないことには、堕落性本姓を解消できないということを知らなければなりません。絶対否定しなければならないのです。「目をくりぬけ」と言えば、どうしなければなりませんか? 「わあっ、痛くてできません」。そうではありません。「鼻を切れ!」問題ではありません。「口を縫ってしまえ!」、「耳をふさげ!」、「我が身を犠牲にせよ!」、それが問題ではないのです。 一番問題が「生殖器を焼いてしまえ!」ということです。それが永遠にその一族が血を、血の痕跡をなくす立場ならばどうしますか? 目をくりぬきますか、生殖器を焼きますか? こうなるのです。鼻を切りますか、生殖器を焼きますか? 口を縫いつけますか、生殖器を焼きますか? 耳をふさぎますか、生殖器を焼きますか? 自分の命を犠牲にしますか、生殖器を焼きますか? 生殖器を焼いてはいけません。神様が創造された主流思想がそこに連結されており、父母がその愛の歴史を通じて、家庭と世界を創造しようとする立場にあるので、生殖器を焼くことはできないのです。 「生殖器を焼け」というのはどうしてかというと、堕落したからです。堕落したので、そこまでも服従しなければならないのです。そのような基準を抱く場において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従という論理を掲げたということを知らなければなりません。そのような信仰を持つようになれば、サタンが永滅します。個人的なサタン、反対して迫害して蕩減させたすべて、神様の心情に釘を刺したすべてが、一度にみな逃げていくのです。 そこに誰か聖人の訓示が必要なく、聖人の道理の行跡が必要ないというのです。国家の忠臣、天宙の聖子の道理を教えてあげましたが、その信仰基準に入っていけば、すべてのものが完成するのです。個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成、世界完成、天宙完成、神様の愛の理想がすべて完成できるという、そのような基盤が、創造の出発から始まったのです。神様の絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原理によって創造したのです。神様も愛の前には絶対服従されるのです。 そのような原則に一致するためのものが、私たちの課業の終着点なので、ジャルジンに行ってこのような宣布をしたわけです。サタンであれ、誰であれ、天下の誰であっても、ここに入り込むことができないのです。 このような観点から見て、きょう、ここで全体・全般・全能の役事をするのです。全体を代表した全般、すべてが統一されているのです。全権、すべてのサタンの権限を中心として、不可能のない全般全能の時代を越えて立ったので、今や私たちの願いが何かというと、神様の愛の相対になったのです。また、真の父母の愛の相対となったので、「お父様! 最後の決断を下してください」と祈らなければならない祈祷時代に入っていくのです。 ですから、私に願いがあれば、願うことのできる時代、「私がこうしたことをしていますので、その願いを成就させてください!」、「ここで全体の平準化水平世界を築いてください!」と祈れるのです。神様の息子として、神様との父子関係の因縁を中心に、家庭を中心とした基盤に立っているので、そこにおいてすべてが成就するのです。今や、全体、全般、全権、全能の、信じて歩む絶対信仰、絶対愛、絶対服従するこの道理に、愛の主体圏の前に相対圏として一つになった基準、前後の核の愛の中心に、花のような立場に立っているので、そこに否定的な糞の匂いが広がったならば、「その臭いが花の香りを消さないように防いでください!」と祈祷する時が来たのです。台風が吹いてきて、その香りの園がすべて損なわれそうになったときには、「防いでください!」と祈る時が来たのです。 そのために絶対何ですか? 絶対信仰です。自分の五官全体は無視しても、血筋だけは否定できません。それを知らなければなりません。五官は燃やしてしまっても、生殖器は燃やせないのです。血筋だけが永遠なる神様の国と永世でき、永遠なる歴史と永世できる主流なので、それに反することはできないのです。 ですから、絶対信仰で守って、絶対愛の主体、もしくは対象として保護して、絶対服従することによって、愛の道を服従できる生殖器にならなければならないのです。生殖器は私たちに訴えかけるのです。「堕落した世界を否定できるものが私にあるから、私に絶対服従してください!」と言うのです。 そのようにしてこそ、神様が創造された主体的な理想の前に、対象的な価値として登場し、そこで一つになることによって、天上天下に父子関係の因縁を中心として所有権が自由に移転でき、その移転されたものをいつでも元に戻せる……いつでも受けられる解放世界へと越えていくのです。アーメン! 善悪の実とは何ですか? エバの生殖器です。すべて男性の生殖器が誘惑することができ、女性の生殖器が誘惑するのです。それではエデンの園とは何でしょうか? エデンの園が何か分かりますか? 男性と女性の二人が一つになった愛の体を意味します。一体となった園を指すのです。そこで生きなければならないのです。 生殖器と絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準に立ったそこで生活してこそ、神様の永遠なる所有権となるのです! きょうがジャルジンに向かう十月八日なので、あらゆる勝利の盾の基盤の上で結論づけるのです。皆さんがすべて目をくりぬき、五官をすべて抜いてしまっても、この生殖器の道理を守らなければならないのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従! 言葉だけではありません! そのためには、目をくりぬき、五官を否定しても、私たちが残すべきものは、生殖器の愛の天理なのです。それによって、みな終わるのです。 ですから、父子関係の愛、夫婦関係の愛は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を立てる道です。その盾の、すべてのハンマーが何かというと、生殖器なのです。そうすれば、みな終わるのです。それ以上はありません。 ですから、皆さんが生殖器を崇拝せよというのです。「絶対愛の主人であり、絶対信仰の主体であり、絶対服従の主体であり、神聖なるそのような主体となりましたから、神聖なる道を永遠に千年、万年神様を中心として愛の一体の道を歩んでください」と祈祷せよというのです。 このようにして、これからは自分の名前で「祈祷いたします」と言えば、成就するのです。その上で私の名前で、「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ祝福家庭、某が祈祷いたします」と言えば、すべて成就するのです。ここで血筋が重要なのです、血筋です。血筋がそのままなされるのではありません。男性と女性が合徳する場です。これがすべての結論だったわけです。 目もそれを願います、目も。目玉が何を願いますか? 絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。そして五官全体が何を願いますか? 愛を中心とした器官の前に私たちは犠牲となっても、その生殖器だけは犠牲にしないで残すのです。天理の道理を受け継いで私の体のすべてが不自由になっても、五官をなくして不自由になっても、「今後、私が死んでも、生まれる息子と娘は不自由にはならないので、それが解放であり、願いである!」と言えなければなりません。堕落した後孫は、そのような希望の日のために生き、生を終えなければならないのです。 恐ろしい結論です。絶対信仰とは何ですか? 漠然としているではないですか。絶対愛というのが漠然としていました。絶対服従というのが漠然としていました。愛の道の前にはすべてを否定すべきでしょう? 愛するときは、すべてのものを否定しなければなりません。世の中の万事、すべてを否定するのです。唯一自分の妻しかいないと思って、絶対視しなければなりません。そのようなときは、父や母を考えながら愛してはいけないのです。息子や娘を考えながら愛してはいけないのです。その妻だけを絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。お互いがそうしなければなりません。神様を迎えることのできるくぼみや膨らみにならなければならないのです。神様が膨らみならば、神様を迎えることのできる母、夫婦がすべてくぼみになって、一つになるのです。 先生がこうした結論を下すことを夢にも思わなかったでしょう? 気を引き締めなければいけません。先生は、いいかげんにやってなった先生ではありません。徹頭徹尾、この道を備えるために、穴が開けばそれを埋め……いろんなことをみなやったのです。そんな先生をそのように絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。自分の一身で何よりも貴い愛の五官、天宙を結合できるその器官よりも、さらに愛し、さらに尽くし、さらに服従し、さらに信仰しなければなりません。そうすればすべて終わるのです。 ですから、結婚したいならば、成熟して入っていきたいならば、誰を中心として考えるべきかというと、自分の妻を考える前に父や母を考えなければなりません。これが要諦です。父と母に「自分がこのように相続して成人になったので、結婚しなければなりませんが」とお願いするのです。そうしてこそ、絶対信仰の基準が定まり、絶対愛の基準が定まり、絶対服従の天理の道理が相続されていくのです。 こうした真理を知る者が自分勝手に結婚できますか? 自分勝手にそれを引っ張っていけるかというのです。皆さんが真の父母を考えるとき、真の父母はむやみに生きる人ではありません。どれほど気のふさがる生活をしたか知るべきです。道なき道を行き、いばらの根をすべて切って歩み、違法なる愛の根を抜いておいて越えてきたという事実を知らなければならないのです。 毎日のように考えなさい! 絶対信仰、絶対愛、絶対服従! 私の体の五官を犠牲にしてでも残すべき、そのような愛の天理を保護すべき私自身であるとわきまえるのです。そのような人々が、どうして皆、横道にそれることができますか? 先生は恐ろしい人です。複雑な環境をすべて経ながら、最後のこの終点をみな払いのけて乗り越えるとき、感謝できる自らを発見できなければ、地上世界が天国と化す道がありません。それを自己主管できなければそうなるのです。 ですから、「天宙主管を願う前に自我主管完成しよう!」というのが真理です。「絶対信仰をもって、絶対愛をもって、絶対服従の心をもって、私一身のすべてを、それ自体までも否定して乗り越えなければ、神様をすべて私のものとして、私の愛を全体化できる、神様を支えて抱くことのできる私自体にはなれないというのが天理である」と考えてこられたのが、真の父母の歩まれた道であるということを知らなければなりません。 今回行くのが、南米の最後の旅行となるかもしれません。今、すべてが超教派大会を控えています。私がどれほどその大会を願ってきたことでしょう。それを捨てて、どうして私が南米に来ましたか?今、私が内的に祈祷してきたのは、「お父様、私がこれまで逼迫して反対した者たちを愛するのに、誰よりも自分の父母よりも、自分たちの王よりも、また自分たちの兄弟よりも愛してきたので、今は彼らがすべて天を代身して愛することのできる時代に帰らなければなりません。大転換を起こさなければなりません。そこに背く者が国に行けば、国が壊れても、世界が壊れてもひっくり返さなければなりません」という内容です。このような決定的な祈祷をする時が来たのです。 祈祷 愛するお父様……、天理の核の決定的な決着点が何かを知らなかった統一教会の食口たちが、今朝、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を、天地の中心に対する、すべての全宇宙の生命と血統の中心である愛を中心として、この定義の基準を中心に、決着点がどこなのかをすでに宣布いたしました。 その内容を絶対信仰の主体、絶対愛の主体、絶対服従の主体が、自分たちの持つ、男性と女性の生じた動機である生殖器にあるという事実が分かりました。これが完全に神様と共にすべて一つになり得る三位一体圏を築いた世界でのみ、あなたの解放的な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙が発生するということを知るようになりました。 これから統一教会の食口たちが取るべき姿勢は、「私が問題」ということです。これをすべて知り、自分自身の問題の解決点を中心として、私が夫ならば夫が問題であり、夫人ならば夫人が問題であり、父母ならば父母が問題であり、息子、娘が問題であり、さらに四位基台の三代を連結し得る氏族的な七代までが問題であるということを知らなければなりません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従でこの枠組みを中心に、一族全体のすべての機関を一つにして、神様が安息できますように。どのような家庭でもすべて七代まで留まることのできる自由環境、解放的、すべての統一地上・天上天国の標本となり得る基盤が連結し得る、すべての愛の一体を合徳基盤が連結できる、そこに繋がった血筋は一つの体と感じられる一族にならなければなりません。そのようにしなければ、天の国に入籍できないことが理解できるよう、許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 今はすべてを知り、すべてを感じることのできる実体的な姿勢を立てられる時代となりましたので、その前に自らの主体的、また対象的な関係に自分の権限を整えて、天の前に天地合徳の基盤としての統一された絶対信仰、絶対愛、絶対服従により完成した夫婦となり、天が願われる四位基台の平準化、地上、天上の道理を縦横に連結した焦点九〇度に合わせられる個人となり、家庭となり、氏族、民族、国家、世界、天宙、天地父母がすべて一体圏を築いて、サタン世界の自動的な解消、すべてみな浄化時代に越えていくよう許諾してくださいませ。 この八日の日、十月八日を中心として新しい出発と新しい天地の前に発表するすべての絶対信仰、絶対愛、絶対服従の核が何かを知り、厳粛にそれ自体に侍って生きることができますように。そのために、天のエデンにアダム、エバをつくられて見つめ、願われていたお父様の願いの前に違わない姿勢を守護し、自体完成の愛的な家庭、氏族、民族を編成し、天の国をすべて相続できるようにしてください。そのような後継者として天理を受け継げる王者、王権の後継者の道理を、地上世界のいかなる王権よりも高い場に愛の場を結束して、万国万年の世界の上に解放の王者王女、解放的家庭を持ち得るあなたの願いが、エデンの本然の原初的な家庭が許諾され、根源的な家庭、勝利的な家庭になるよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 韓国と共に再び戻っていける道を回想するためのこのような歩みを、お父様……、記憶してくださいませ。今やあなたの願いは、全般・全能の世界に向かって統一的な歩みを整え、お父様の解放の世界を全宇宙と共に成されますよう切にお願いしながら、真の父母の御名で祈祷いたします。アーメン!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.30
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第十二回「世界統一国開天日」の御言1999年10月3日ベルベディア 第十二回「世界統一国開天日」の式典が、ベルベディアで開かれ、二時間の訓読会の後、世界各国から集った四千人の教会員に、四時間にわたって御言を韓国語で語られました。途中英語で語られ、(英)と記した。 二人が一つにならなければならない きょうは開天節です。(「開天節」と板書される)これは「門」のことを意味するのです。「天」を通してこそ、門が開かれるというのです。「天」は何かというと、二人です。ですから、二人で入っていけば、門が開かれるのです。米国の人々は、一人で暮らしている人が多いのですが、一人で暮らす人はどこに行っても合格できません。二人で入っていかなければならないのです。 きょう、話すことは、カイン・アベル問題です。二人が一つにならなければならないのです。主体と対象が一つにならなければならないのです。このカイン・アベルが一つになっていません。一つになっていないので、問題なのです。堕落は何かというと、神様と人間と万物が水平にならなければならないのに、それがなっていないという問題なのです。これらがすべて分かれているのです。 皆さんも、朝起きて洗面しようとして顔を見れば、一番最初に見えるのは何ですか? (「目です」)。次に何ですか? (「鼻です」)。次に何ですか? (「口です」)。次に何ですか? (「耳です」)。次に何ですか?。手です。このように見れば、五官がすべて集まるのです。 それでは、目は一つですか、二つですか? (「二つです」)。鼻の穴は一つですか、二つですか? (「二つです」)。 唇 は一つですか、二つですか?。耳は一つですか、二つですか?。手も一つですか、二つですか?。すべてが相対になっています。顔がすべてそのようになっているように、心と体も相対になっており、この宇宙もそうなのです。 鉱物世界も主体・対象、植物世界も主体・対象、動物世界もオス・メス、人間世界も男性・女性、すべて相対になっているのです。家庭を見れば、父子関係、夫婦関係、兄弟関係、親戚関係も、主体・対象になっています。国家関係も大きいものを中心として、主体・対象になっているのです。ですから、二つが一つにならなければ完成できないのです。幸福も、一人では成し遂げることはできません。 「自由」という言葉もそうです。「自由」と言えば、自分を中心として考えるのですが、自由というものは絶対に一人ではなすことができません。体と一つになることができなければ、自由をなすことはできないのです。男性と女性が一つになることなくして、自由はあり得ないのです。天と地が一つになる中で成し遂げられなければならないのです。神様は、二つが一つになった真ん中にいるのです。生命も、二つが一つになった真ん中にあるのです。 開天節、この「節」というのは、「多い」ということを意味します。「門」というのは地球を意味します。どのような都市に入っていくにも門があり、天国にも門があります。門を通るためには、二人が一つにならなければなりません。 開天節とは何ですか?。何を開いたというのですか?。天を開いたというのです。天とは宇宙のことを意味します。大きいものを意味するのです。偉大だというのです。広い世の中を思いのままに通ることができるのが天です。とても広い天も、二つが一つにならなければならないのです。 一つになるためには、お互いに授け受けする 皆さん、男性でも女性でも、みな自分が一等になりたいでしょう。女性は男性に負けたくないし、男性は女性に負けたくないでしょう。(「はい」)。それでは、二人とも高くなりたいのに、どのようにして一つになるのですか?。それが問題です。力で、知識で、お金で、そのようなもので一つにすることができますか? (「できません」)。 一番の問題は何かというと、どのようにして男性と女性を一つにするか、ということです。世の中のすべての手段方法、何かの財産を用いたとしても、一つにすることはできません。それは愛です。 男性と女性の容姿が違うので、近くに行って顔をのぞき込んで見たり、お互いに触れてみたいのですが、なぜ、そのような作用が起きるのでしょうか?。近づいて「私は好きだ」と言う言葉も、何を中心として好きなのですか?。ご飯を食べても好きで、何を食べても好きで、このすべて「好きだ」という、その言葉の根は何かというのです。 「ご飯を食べることが好きだ」。なぜ、好きなのですか?。私と一つになるからです。すいたおなかを満たして一つになるからです。それを満たしてくれるのです。それは何かというと、二つが一つになる時に「好きだ」と言うのです。このようなことに満たされていれば、よいですか、よくないですか? (それだけでは)百パーセントにはなりません。 さあ、自分が生きる中で「好きだ」と言う時はいつかというと、自分の生命を中心として一つになることのできる位置に立つ時です。生命が喜ぶことというのは、一体、何ですか?。その根は何でしょうか?。愛なのです。見えませんが、結局、その根は、生命よりももっと深い位置の愛の根につながり、生命を中心としてここで、男性と女性を中心として「好きだ」という運動が起こるのです。 「好きだ」ということも、生命と愛が根になっているということを、私たちは考えなかったというのです。深刻に分析すれば、その位置まで行くのです。「うれしい」ということの根源は、どこから起きてくるのかというと、生命が維持され得る根源的愛の根にプラスになることができてこそ、起きてくるのです。そうであってこそ、それがオーケーと言うのです。 それでは、なぜ二つでなければならないのでしょうか?。一人ならもっとよいのではないですか?。一人ならば二点になるのですが、二点では運動が起きません。直線は何かというと、二点を連結させるものです。二点では運動がありません。それゆえ、二点、三点が必要であり、これが多ければ多いほど、だんだん球形になるのです。縦的なものを中心として地球を見たとしても、中心を中心として磁力線が運動しているのです。 それでは、なぜ二つが必要なのでしょうか?。一つになるためなのです。左目と右目は(お互いに)見えませんが、これは運動しているのです。皆さんの目は、横に行ったり来たりし、上がっていったり下がっていったりするのです。顔にある目は神様を象徴するのです。横的な世界の果てを見ることができ、縦的な果てを見ることができるので、目は神様を象徴するのです。 目も白い所、黒い所、瞳孔の三段階になっています。三段階です。それゆえ、鼻も一と二、ここで一つになります。空気が二つの鼻の穴から入っていき、ここで一つになるのです。完全に水平にならなければなりません。耳も、中に入っていくと鼓膜があるのですが、すべて水平になっています。これ自体が四方を通して、横的運動、縦的運動をするのです。ですから、縦的にも上中下、横的にも上中下、このようにして球形が展開するのです。 私たちの家の中を見れば、父子関係は何を中心にしているのでしょうか?。三点です。夫婦関係も何を中心としているのでしょうか?。三点です。子女関係も何を中心としているのでしょうか?。三点です。それは何を中心として一つになるのですか?。二つが一つになってです。二つが完全に一つになれば、中心が生じるのです。 その中心をつくる力は何でしょうか?。それが愛なのです。愛なのですが、どのような愛ですか?。自分を愛するのではありません。相対を愛するのです。それゆえ、愛という存在は本来、自分のために生きるところから生じるのではなく、相対のために生きなさいという、相対的愛なのです。 それでは、男性と女性は、一体どのような存在なのでしょうか?。男性はなぜ生まれたのでしょうか?。自分のために生まれたのでしょうか、相対のために生まれたのでしょうか?。米国の人々はどうですか? 存在の主体・対象関係において、主体という存在は、主体のために生じたものは一つもなく、対象という存在も、対象のために生じたのではありません。主体は絶対的に対象のために生まれたのであり、対象は絶対的に主体のために生まれたのです。ところで、なぜ、そのように生じたのでしょうか? 父子関係の中心は何ですか?。愛です。それは見えません。夫婦関係の中心は何ですか?。愛です。兄弟関係の中心は何ですか?。見えない愛なのです。見えない愛ゆえに、このすべての球形が展開するのです。上が父ならば、下は息子です。これが男性ならば、これは女性です。これが兄ならば、これは弟です。(図1を書きながら語られる) この二つを一つにして、全体が拍子を合わせるようにするものが何かというと、兄弟間の愛であり、父子関係の愛であり、夫婦間の愛なのです。愛はこのような力をもっているのです。そして、すべての中心がここ( )です。中心はどこかという時、球形の中心というものは、永遠に変わりません。いくら大きくても、これは一つしかありません。地球が大きくても、中心は同じです。この宇宙が運動する中心も同じです。 球形の運動は、上下、前後、左右関係が、必ず中心を中心として、同居、同位、同等の価値を備えていなければならない、という結論が出てくるのです。それで、十字を中心として八段階になっています。(図2を書かれる)家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様。中心とは何ですか?。球形世界形成のためには、この枠を外れては形成できないのです。 愛の主人になり得る資格をだれが与えてくれるか 男性は何をもちたいですか?。男性が、最ももちたいものは何ですか?。お金。知識。権力 何ですか? (「愛です」)。何ですか? (「真の愛です」)。神様を分からずして、真の愛は分かりません。愛でなければならないことは、決定的な結論です。愛を好むのですが、好むその愛が完全ではないので、「真」をつけて真の愛というのです。 父子関係において、真の愛というものはこの点(図1の )だというのです。父子関係や夫婦同士で愛しても、この位置(図1の )に来てこそ、真の愛になるのです。分かりますか? このように父子関係として確定され、夫婦として確定され、兄弟として確定されるのです。 天も二人です。二人が一つにならなければなりません。二人は何を中心として一つになるのでしょうか?。力でもなく、他の何でもありません。愛を中心としてです。その愛は、父の側に行かなければならないでしょうか、息子の側に行かなければならないでしょうか? (「中央です」)。では、父が見る時、息子は自分よりも小さいのに、中央だということを好みますか?。嫌うというのです。それでは、愛が父のほうに近く、息子のほうから遠くなるのですが、これでは一つになれないではないですか?。不平が起きるのです。これを知らなければなりません。 一体、愛の主人は、だれが決定してくれるのでしょうか?。上になる、下になる、ということはすべてほうり出し、愛というものの主人はだれが決定してくれるのか、ということが問題なのです。 父母の愛の主人になり得る資格を、だれがつくってくれるのでしょうか?。父母だけでは永遠になせません。子女がいることによってなされるのです。父母がいくら優れていたとしても、子女がいなければ、父母として主人になり得る資格、愛を中心として主人になり得る道は、永遠にないのです。愛の主人にしてくれるのは子女なのです。 主人にしてくれるのですが、独裁的ではありません。感謝です。二人を主人にしてくれたので、立派な父母が、鼻水を垂らした子女に口づけするのです。それは何ですか? 「私がおまえよりも下になろう」と言うのです。愛には、そのような力があるのです。偉大だというのです。なぜ、そうなのでしょうか? 「あなたが私を愛の主人にしてくれたので、感謝だ」ということです。 米国の女性たちは、子供を生むことを好みません。赤ん坊を生んで、その赤ん坊を愛することができないでしょう。(「愛します」)。毎日のように、一日に何度も大小便を漏らすのを見る時、「ぺっぺっ、ああ」と言いますか、それとも大小便であれ、何であれ、喜んでおしめを取り替えますか? 母親は、おならの臭いが少し違えば、「これは、何かの病気にかかったのではないか?」と心配するのです。臭いが違うでしょう。(「赤ん坊の大小便の臭いですか? (通訳者)」)。そうです。毎日のように違うのです。同じではありません。少し違えば、「ああ、大変なことになった」と言いながら、くんくんと臭いを嗅ぐのです。それはなぜですか? 「あなたが私を愛の母の資格の看板を付けてくれる主人だ」と思うからです。主人に侍らなければならないのです。分かりますか? いくら美男子、美女でも、息子・娘がいなければ、「ああ、私は愛の主人だ。子女を愛することのできる資格者になった」と言うことはできないのです。子女がどれほど貴いか、ということを知らなければなりません。永遠に、母の愛の主人になることはできないのです。 先生は、美男子ですか、醜男ですか? (「美男子です」)。美男子になって、何をしようというのですか?。ハンサムは使い道がありません。何に使うのですか?。夫になり得る資格者の可能性があるので、女性たちが「ハンサムだ」と言うのです。 男性が「ハンサムマンだ」と言いますか、女性が「ハンサムマンだ」と言いますか? (「女性です」)。しかし、いくら美男子でも、男性は妻を愛することのできる主人になることはできません。主人にしてくれるのは、男性ではありません。いくら醜い女性でも、女性が主人にしてあげることができるのです。 ここにいる男性たちは、女性が好きですか? (「はい」)。どうしてですか? (笑)男性として女性を守ってあげることのできる愛の主人になるので、好むというのです。それを知らなければなりません。では、女性はどうですか? (「はい」)。女性が男性を愛し得る主人になれるのは、男性がいるからです。男性がいなければ、永遠になれません。それは正しい話ですか、間違った話ですか? (「正しい話です」)。 愛の主人になろう では、「私は幸福だ。世界の女性の中で私が一番だ」と言う妻がいたとするならば、その夫はどんな夫でしょうか。町内に多くの家庭がありますが、その中でも自分の夫が一番好まれるならば、その妻は町内で最も幸せな妻です。町内の人々が「あの女性は幸福だ」と言うようになるのです。他の女性たちまでも、その男性を「よい男性だ」と言うのです。そのような夫は、すべての家で歓迎されるのです。どこであってもつまることなく、通過できるのです。 夫婦で暮らしていて、夫が「妻のために先に死のう」、妻が「夫のために先に死のう」と、競争するならば、そこで先に死のうという人が、一番の妻、一番の夫になるのです。遊びにいく夫が多いのに、彼は汗を流して妻のために死ぬほど働くのです。バカンスシーズンでもバカンスに行かずに、働いてお金を稼ぎ、何をするのでしょうか?。妻のためにダイヤモンドのイヤリング、ダイヤモンドの首飾り、ダイヤモンドの鼻輪、すべて買ってあげようというのです。分かりますか?。自分が死ぬほどに、妻を貴くしてあげよう、という人がナンバーワンの夫なのです。 世の中の人々は結婚する時、愛するために行きますか、愛を受けるために行きますか?。どちらですか?。米国の女性たちはどちらですか? (「与えるために行きます。受けるために行きます」)。与えるために行けば、上がっていきますか、下がっていきますか? (「上がっていきます」)。下がっていくのです。(「上がっていきます」)。それは間違いありません。原則を知らなければいけません。 神様は愛の王です。神様を愛する人が、神様の前に引かれていく時に、感謝しなければならないでしょうか、足で蹴らなければならないでしょうか?。神様を愛する人が、自分の耳を引っ張られることを、喜ぶでしょうか、気分を悪くするでしょうか? (「喜ばなければなりません」)。 一人で暮らす女性は悲惨です。愛が分かりません。その胸もだれも触ってくれず、自分の愛の五官もだれも必要としないので、どれほどかわいそうですか?。女性同士でキスをしますか?。女性が女性に胸を差し出して、「触ってくれ」と言うのですか? (「いいえ」)。そのような人は、幸福ですか、不幸ですか? (「不幸です」)。そのような人は、愛が分かりません。男性を愛することのできる、永遠の主人になることができないのです。 そのように愛して何をするのか、というのです。神様は、男性の完成した人格、女性の完成した人格、二つの人格を完成しているのです。それゆえ、男性を愛することのできる主人、女性を愛することのできる主人が一つになってこそ、神様を愛することができるようになるというのです。このようになるのです。 そのようにして神様を愛さなければならないのです。神様もそこで、初めて「私があなたたちの愛の主人になったのだなあ」と言うのです。絶対的な神様でも、一人では愛の主人になることはできません。 このような御言を教えてあげているのですが、月謝をどれくらい出しますか?。このようなことは今、初めて聞きました。この世界のどんな図書館にもありません。天の国にもないのです。レバレンド・ムーンが語ることによって、天の国にもあるようになり、この地上の図書館にもあるようになったのです。 これは米国を与えても買うことはできす、天地を与えても買うことのできない内容だということを知らなければなりません。どれほど貴いかということを知らなければならないというのです。愛の主人になろう。永遠に、絶対的な愛の主人になるとすれば、不幸な人がいますか? (「いません」)。 個人、家庭、氏族、宇宙全体の、愛の主人になろう。なぜ、「主人になろう」と言うのですか?。そうしてこそ、私が神様を引っ張ることができるのです。(「アーメン」)。(拍手)私が韓国語で話しているのに、なぜ、そのように拍手するのですか?。なぜ、そうするのですか? 「韓国語以外は話さない」と言ったのに、英語で話したようですね。「公的な場で英語は話さない」と言ったので、「ああ」と言わなければなりません。(笑) 英語は水平言語です。父親にも「You(あなた)」、母親にも「You(あなた)」、おばあさんにもおじいさんにも「You(あなた)」です。すべてそうなのです。中心がなく、上下がありません。それゆえ、個人主義になり、自分勝手に生きるのです。 私がこのようなことを言うので、米国では「レバレンド・ムーンは嫌いだ」と言っています。では、そのように迫害している米国人が滅びるでしょうか、迫害されているレバレンド・ムーンが滅びるでしょうか?。神様はだれを保護するのでしょうか?。世界でナンバーワンの、為に生きる愛のキングになっているので、レバレンド・ムーンがいなければ神様が悲しいので、保護しようとされるのです。真の愛の中心なのです。 それゆえ、神様はレバレンド・ムーンを保護せざるを得ないのです。保護しなければ、神様が死ななければなりません。神様がなくならなければならないのです。そうすることができますか?ですから、そのような人は永遠に滅びないのです。愛をなすことのできる位置で、愛することのできる対象もいなければ、神様もいなくなるのです。完全なプラスがあれば、完全なマイナスが生じるようになるのです。それが創造の原則です。完全なプラスもなく、完全なマイナスもなければ、これもなくなるのです。 犠牲になりなさい、投入しなさい、奉仕しなさい ついて言ってください。私は、(「私は」)。父と息子が必要だ。(「父と息子が必要だ」)。私は男性と女性、夫婦が必要だ。(「私は男性と女性、夫婦が必要だ」)。私は兄弟が必要だ。(「私は兄弟が必要だ」)。すべて同じ価値の内容をもった食口が必要だ。(「すべて同じ価値の内容をもった食口が必要だ」)。家庭です。分かりますか? ここで一つでも欠けてはいけません。父がいなければ宇宙の公式に不合格なので、いなければならず、息子がいなければならないのであり、夫がいなければならないのであり、妻がいなければならないのであり、兄弟がいなければなりません。 では、皆さんが妻(や夫)を迎えるとすれば、どのような家から迎えますか?。このように、上下の父子関係、夫婦関係が円満な家の息子・娘を迎えますか? (「円満な家の息子・娘です」)。それは一代だけですか、永遠にですか? (「永遠にです」)。皆、「永遠に」と答えるでしょう。 それはどういうことかというと、宇宙全体が家庭を中心として、このようになっているということです。家庭の父子関係は父親と息子であり、国の父子関係は国王と国民であり、世界的父子関係は神様と聖子であり、宇宙は神様と天子だというのです。 国のすべての男性・女性の家庭は横的であり、すべての家の息子・娘は兄弟なのです。それがモデルになっています。大きいだけで、内容は同じです。世界がいくら広くても、おじいさん・おばあさん、父親・母親、自分たち夫婦、息子・娘、この四段階なのです。個人でも、国でも同じだというのです。 それでは、あなたたちは家庭に入って暮らしますか、国に入って暮らしますか? (「国です」)。世界、天地、天宙に入って暮らすのですか? (「はい」)。なぜですか?。このすべてのものが私のものになるからです。家庭で国を愛し、家庭を愛する以上に国を愛するので、その国が私の懐に入ってくるのです。国よりも世界をもっと愛するので、世界が私の懐に入ってくるのであり、天地よりももっと愛するので、神様が私の懐に入ってくるのです。 アベルという存在が犠牲にならなければなりません。 皆さんの心と体を見れば、体がカインです。先に出てきたのです。良心は後から出てきたので、後から出てきた良心が、体を保護しなければならない責任があるのです。このように考えるとき、皆さんどうですか?。心が強いですか、体が強いですか? (「体が強いです」)。それは堕落したからです。 それでは、「自分は男性になろう」と願って生まれた人がいますか? (「いません」)。「願って生まれてきた」という人は、手を挙げてください。(「いません」)。自分が願って生まれたのではないのに生まれ、願うことがありますか、ありませんか?。生まれたのは、自分のために生まれたのではありません。相対を要求するのです。それを知らなければなりません。為に生きるために生まれたのではない人は、相対理想の世界とは関係がありません。永遠に、男性は女性のために生まれたのです。女性はどうですか? (「男性のためです」)。 それでは、一日、二日、自分の思い通りに生きたら、関係世界に引っかかりますか、引っかかりませんか? (「引っかかります」)。ですから、家庭に入っていって、一時間も自分のために生きることなく、家庭全体のために生きる人がナンバーワンの孝子です。それを知らなければなりません。また、忠臣とは何ですか?。国全体のために生き、その国の民族だけでなく、水、空気、木までもすべて、国王以上に愛する人です。木も水も保護し、主人のように愛するのです。 米国に、そのような愛国者がいますか?。この者たち、なぜ、答えないのですか?。恥ずかしさを感じる前に、先に答える人は正直なので、今後希望的であり、教育して使い道がありますが、座り込んで話さない人は、教育も受けることができません。教育を受けることができないので、地獄に行くのです。それゆえ、米国が滅びるのです。「神のもとの一つの国」ではありません。「神のもとの一つの世界」、「神のもとの一つの宇宙」。そのようなコンセプト(概念)がないのです。 権力を握ったので、世界を思い通りにしようとしていますが、それはできません。政治の力、経済の力、科学技術の力をもってしてもできないのです。レバレンド・ムーンが警告します。「神のもとの一つの国」よりも「神のもとの一つの世界」です。世界を守ることのできる国が必要です。この宇宙を保護するものが必要なのです。なぜですか?。神様が宇宙を支配しているからです。宇宙を支配する方の相対になろうとするので、不可避的に、その位置まで上がっていかなければ、神様の相対に立つことはできません。永遠な存在と相対基準を結べないので、不幸なのです。そこには、平和、幸福、何もあり得ない、という結論が出てくるのです。理論的なことです。 レバレンド・ムーンは悪い人ですか、善い人ですか? (「善い人です」)。神様は善い方ですか、悪い方ですか? (「善い方です」)。どうして分かるのですか?。神様を見ましたか?。見ることはできませんが、レバレンド・ムーンが展開した論理の内容を見れば、宇宙がすべて喜ぶことのできる王のような位置に立っているので、「善い方、善い神様」という言葉は自動的な結論なのです。(「アーメン」)。 皆さん、善い人になりたいでしょう。自分のために生きる人は悪い人になります。それは間違いなく知っていることでしょう。(「はい」)。それゆえ、レバレンド・ムーンがはっきりと教えてあげるのです。八人の家族が暮らしていれば、八人の家族のために犠牲になりなさい、投入しなさい、奉仕しなさい、というのです。そのようにすれば、滅びますか、発展しますか? (「発展します」)。何が発展するのですか?。犠牲になって助けようと、すべてをはたいてなくし、裸で奉仕するのに、何が発展するのですか? (「発展します」)。そのような話がどこにありますか?。 なぜですか?。残るものは一つもありません。滅びるはずなのに、発展するというのですか?。なぜ、そのように言うのですか?。ただ一つの結論です。中心存在になるということです。何の中心ですか?。愛の中心です。 それゆえ、家庭で犠牲になれば、家庭の主人の位置が相続できるのです。国においてそれ以上にすれば国の相続者になり、世界において聖人の道理以上にすれば世界の相続者になり、神様の息子・娘、イエス様の聖子の道理以上にすれば神様までも相続できるのです。 「そのような話はやめろ。レバレンド・ムーンは間違っている。異端だ。異端だ。キリスト教が天下を占領し、レバレンド・ムーンは滅んで、すべてなくなるのだ。見ていろ」と言いながら、四十年反対して、だれが滅びましたか? (「お父様が勝ちました」)。なぜですか? 中心なのです。中心になり、下りていくのではなく、上がっていくのです。 この世界をすべて犠牲にしたとしても、神様のために生きれば、神様も私の言うことを聞かなければなりません。先生が縦的に行けば、神様がついて来るでしょうか、ついて来ないでしょうか?。大きい岩穴に逆さまに打ち込まれていたら、神様が来て、お尻を引っ張り出してくれるでしょうか、くれないでしょうか? (「引っ張り出してくれます」)。本当にそうですか? (「はい」)。 (英)信じるというのではなく、理解できましたか?。信じるということは概念であって、理解するというのが本物です。さあ、信じますか、分かりましたか? (「分かりました」。)分かったということは、実践するということです。実践、実践、実践です。信じても実践できません。概念だからです。(英) すべて分かったので、「神様、私を助けてください」と言わなければならないでしょうか、「分かりましたので、助けてくれなくてもよいです。私は仕事をすればよいのです」と言わなければならないでしょうか? (英)なぜ、もっと教えてもらおうとしたり、恵みを受けようとするのですか?(英) 模範的な姿を見せる 四億双祝福は問題ありますか、ありませんか? (「問題ありません」)。あなたの町内に、未婚の女性、男性がいれば、強制的に連れて来ますか、それとも「来るな」と言っても、ついて来るようにしますか?。問題はそこにあるのです。模範的な姿を見せなければなりません。(「はい」)。あなたたちには、そのような歴史がありますか?。何か、見せてあげるものがなければいけません。 家で妻と暮らしていても神様が行ったり来たりするような、「世界の王も来なさい」と言うことのできるカップルになるように、私が教えてあげていますが、そのように一度なってみますか? (「はい」)。男性と女性が生まれたのは、そのようなことをするために生まれたのです。あなたたちのように、結婚して何も理解せず暮らし、ただなるがままに、天も知らず、人類も知らず、世界も知らずに死ぬのではありません。 基本的に、人はどのように生まれたのか、根本がこうなっていて夫婦になった、ということをはっきりと教えてあげなければなりません。それを知りたいですか? (「はい」)。どこから生まれたのですか?。愛から生まれたのです。愛とはだれですか?。父親と母親ですか? 父親と母親の愛が一時間あればよいですか、永遠で宇宙的であればよいですか? (「永遠で宇宙的であればよいです」)。 では、アダムが生まれた歴史を話します。アダムにへそがあったでしょうか、なかったでしょうか? (「ありました」)。そのことから知らなければなりません。へそがなければ、どこから生まれたのですか? (笑)アダムにはへその緒があったので、母親がいたのです。母親の腹中にいなければならないではないですか。へその緒を見ましたか? (「はい」)。アダムには、見えないコードもあり、見えるものもあり、二つともあったのです。 では、神様はどのようにして生まれたのでしょうか?。神様も、この世の中の万事が生まれた天地の理知による存在法則に従って生まれたのであって、突然、ドッと生まれたのではありません。神様にもへそがあるでしょうか? (笑)(「ありません」)。それゆえ、これが問題なのです。どのようになっているのか、というのです。見えないへそと見えるへそ、その二つをもっているのです。それならよいのです。見えるものを実際に人間の前に差し出したので、アダム・エバには間違いなく、見えるへそがあるのです。 それでは、神様が生まれる時、初めから、天地を創造した神様として生まれたでしょうか、赤ん坊のように生まれたでしょうか? (「アダムですか?」)。神様のことです。神様が生まれる時、宇宙を一度に創造することのできる存在として生まれたでしょうか、赤ん坊のように生まれたのでしょうか?。神様が生まれるのに、何億万年かかったでしょうか?。神様が先にいたでしょうか、愛が先にあったでしょうか? (「愛です」)。(「神様です」)。(笑)愛が先でしょうか、神様が先でしょうか? (「愛です」)。 さあ、目が二つになったのは、目のために二つになったのでしょうか、愛のために二つになったのでしょうか? (「愛のためです」)。神様も心と体の二性性相としていらっしゃるのなら、その二性性相が一つになることのできる位置に立つとすれば、何が先ですか?。愛が先でしょうか、二性性相が先でしょうか? (「愛です」)。そうでしょう。愛なのです。 神様の目には、愛が見えるでしょうか、見えないでしょうか?。あなたたちは、神様が見えますか?。生命が見えますか、愛が見えますか?。見えないでしょう。深い所に入って行けば、どんどん真っ暗になっていきますか、明るくなっていきますか? (「真っ暗になります」)。真っ暗になるので、見ることができますか、できませんか? (「できません」)。 神様も、深い所に愛が見えたら、そこにしがみついて離れません。神様は出てきません。見えない底に愛があれば、その底で愛を見て喜ぶのであって、何をしにここに出てくるでしょうか?。神様も深い愛の根源を知らない、という論理が展開するのです。力がどれほどあるでしょうか?。暗い世界は、無限と通じています。明るい世界も無限と通じていますが、暗い世界も無限と通じるのです。 さあ、暗いものが先でしょうか、明るいものが先でしょうか? (「暗いものです」)。なぜですか?。熱が出るためには、二つがこすれなければなりません。運動をしなければなりません。熱が出れば、光が出ますか、出ませんか? (「出ます」)。ですから、神様自体、二つが授け受けして喜び、この空間に水平をなしてとどまることのできる位置にいたということなのです。 神様も、暗いものを好んだでしょうか、嫌ったでしょうか? (「好みました」)。何が、そこに光を照らしたでしょうか?。愛の力です。電気もプラス・マイナスが引き合う力があり、その愛の力を発揮するので光が出るのです。この次に原理講義をする時に、ひっきりなしに質問されて分からなくて困ったら、私に聞いてみてください。 町内の若い者たち、「私の言うことを聞けば王になり、天地をすべて動かすことができる」という内容を教えてあげれば、お尻にしがみついて、離れずに走ってくるでしょう。コンセプトであれ現実であれ、私という存在は、父親と母親の腹中で、へその緒をもって子宮に宿されたのは事実です。 では、父親と母親が「今度は娘を生む」、あるいは「息子を生む」と決定をしたでしょうか? (「していません」)。それはだれが決定するのですか? (「神様です」)。神様は見えもしないのに、どうして分かるのですか?。それは分からなくても、原因があって結果が出たのは事実です。その原因が神様であるならば、神様が願ってそのようになったということです。そのような論理的結論は、だれも否定することはできません。「そうだ」と言うのです。 男性として生まれるか、女性として生まれるかという動機は、父親、母親でなく、主人の資格をもつ、根本である神様であらざるを得ない、という結論が出てくるのです。郭錠煥 (「はい」)。立ちなさい。この人を知っている人は多いでしょう。(「はい」)。顔を回してください。美男子ですか、醜男ですか? (拍手)米国人の中では美男子にはなれません。アジアでは三番以内に入るかもしれませんが、この西洋人の中では三等にもなれず、びりから少し前かもしれません。(笑) それでも、米国の未婚の美女が御旨の道を知り、「米国人の美男子のところに嫁に行きますか、それとも、アジア人でびりかもしれないレバレンド・郭のところに嫁に行きますか?」と言えば、「レバレンド・郭です」と言うのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。 「自分の息子・娘は米国で最高だ」と言っていた母親が、自分の息子が韓国人の女性と結婚したので、「レバレンド・ムーンをたたき殺したい」と言っていたのですが、最近では、韓国の嫁をもらったことを誇ろうと、町内の親戚を訪ね回っているというのです。それで、周囲では「ムーニー以上に狂った」と言っているのです。(笑)どこの国に行ってもそうです。 今、宗教世界の人々が超宗教的に結婚しようと言えば、皆「統一教会の教会員ならばする」と言うのです。それは善い知らせですか、悪い知らせですか?。善い知らせならば、拍手しなければならないでしょう。(拍手) 家庭の完成は宇宙全体の完成のモデル ミスター・郭は、母親の子宮から生まれる時に、言葉を話すことができたでしょうか?。父親と母親の生命の血がすべて連結されているのです。それで大きくなるのです。それゆえ、赤ん坊をおなかに宿したら、胎教が必要です。父親と母親が突然驚いたり、罪を犯して良心的に苦痛を受ければ、赤ん坊が苦痛を受けるのです。それは放送局の放送塔と同じです。夫婦が愛を中心として放送をすれば、電波で連結されるように、赤ん坊に伝わるのです。 それでは、妊娠して、夫婦でけんかしなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (「してはなりません」)。女性の赤ん坊を宿せば、その女性の赤ん坊は男性の赤ん坊を相対的に考えて育つのです。マイナスが生じれば、プラスが生じるのです。 腹中時代に、完全な赤ん坊として育たなければなりません。神様は胎教の王です。腹中に赤ん坊を宿している時、どれほど神聖で、どれほど貴い心をもっただろうか、それを考えなさいというのです。 人として生まれるうえで、女性ならば「女性として腹中世界の女王として生まれる」と、そのように考えるのです。「最高の王の中の王にならなければならない」と考えるのです。男性たちが願う欲望は、そうなのです。 なぜ、そうなのでしょうか?。男性もそのようにしたい、女性もそのようにしたいという事実は、神様がそのような愛の王の主人の位置を所有しなければならないので、「神様がそのように願ったから、そのようになった」と考えざるを得ないのです。 腹中時代、それから生まれて母親のひざの上では赤ん坊時代、それから、二歳、三歳になれば歩き始めて兄弟時代です。自分が娘なのか、息子なのか、分かるのです。三歳になれば、男の子が男の子を好きにはなりません。女の子が男の子を好きになり、男の子が女の子を好きになるのです。 腹中時代、赤ん坊時代、兄弟時代です。(図3を書かれる)女性は女性で大きくなり、男性は男性で大きくなります。幼稚園、小学校と大きくなっていくのです。腹中時代、赤ん坊時代、兄弟時代、ティーンエイジャー時代・約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代、王・女王時代です。これは何段階ですか?。八段階です。 腹中から生まれた時、どのような願いをもって生まれたのかというと、八段階の女王として男性の王に侍ることを願い、そのために生まれたというのです。では、なぜ八段階の位置が必要なのでしょうか?。神様が人間存在の起源から完成する時まで、すべての内容を中心として主人になり得る資格の位置を必要とするので、そのようにされたのです。そして、天国に行くようになっています。神様の世界に行って、一緒に暮らすことのできる一人息子・一人娘になるのです。家族になるというのです。 では、なぜ男性は生まれたのでしょうか?。女性のために生まれたのですが、それとともに、腹中時代の主人として、赤ん坊時代の主人として、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代、王の時代の主人として生まれたというのです。神様をそのような主人にするために、男性と女性が生まれたというのです。そのような事実を知らなければなりません。このような八段階の基準を経て育つというのです。縦的な基準です。一段階、一段階、このように上がっていくのです。 皆さんは、とめどなく高くなりたいでしょう。大きい木があれば、その木は東西南北に伸びているのですが、大きい枝を巡り巡って一番高い芽の位置を通り、根に帰っていくのです。神様に帰っていくために、それは不可避だというのです。その芽は根に帰っていくのです。いくら大きくてもそうです。これを連結させて、すべてが動くのです。 それはどういうことかというと、縦的な神様、愛の主人が、愛の家庭的王の主人、氏族的王の主人、八段階の主人、このような世界を拡大した主人の位置を決定するために、腹中から生まれた赤ん坊は、希望的な愛の相対のために育つというのです。そのことを知らなければなりません。 皆さんの家庭がそのようにならなければなりません。いい加減に暮らすことはできません。一つのものを分けることはできません。枝一つでも思い通りに切ることはできません。米国では、縦的な八段階の道をすべて否定してしまい、離婚してしまうというのです。家庭の中心がありません。 それゆえ、あなたたちは家庭のために自分を投入し、忘れてしまわなければなりません。その次に氏族を育てなければなりません。氏族は民族を育てなければなりません。民族は世界を育てなければなりません。世界は天地を育て、天地、神様までも、愛を育てなければならないのです。愛のために生まれたので、神様も愛を育てなければなりません。愛を大きくしなければならないのです。 それは何かというと、真なる愛の前には、神様も絶対服従しなければならないということです。その愛を占領してこそ、地獄まで解放されるのです。神様もそのような愛に絶対服従することのできる位置に立ってこそ、この暗い世界、光の世界、内外を自分の相対世界として完成させることができるのです。そうすれば、この軸は永遠に回っていくのです。そこには地獄はなくなります。回っていくので、明るい地上天上天国になるのです。 腹中から慕わしくて訪ねてくるのが夫です。それでは、赤ん坊時代の願いは何かというと、結婚して神様と一つになる位置です。兄弟時代の中心も結婚であり、ティーンエイジャー時代の中心も結婚なのです。家庭なのです。家庭の完成というのは、宇宙全体の完成のモデルなのです。その事実を知らなければなりません。 もっと大きい真の愛を訪ねていく 神様が愛を中心として被造世界をつくった時、先に何から愛したでしょうか?。微生物です。そこのプラス・マイナスイオンを愛したのです。すべてのものは、何をするために存在するのですか?。愛の因縁を結ぶためです。これを知らなければなりません。愛の関係でつくられたので、より大きい愛の世界に行こうとするのです。それゆえ、鉱物世界は、もう少し次元の高い植物に吸収されるのです。植物世界は、鉱物世界のプラス・マイナスを吸収するのです。 それは、存在世界の愛の理想を形成するために、為に生きて、投入し、犠牲になる法なのです。それを知らなければなりません。そして、もっと大きい真の愛を訪ねていくのです。自分は小さいのですが、もっと大きい真の愛の中心の目的地に行こうとするのです。 植物は動物を訪ねていきます。植物にも二重目的があります。昆虫に食べられるのはつらいけれども、自分が生まれてきたのは、人間の世界、人間の生命圏まで行くためなのです。希望が大きいのです。大きい目的のために進んでいくので、希望があるのです。 自分は、ほんの一、二年生きて死ぬかもしれないが、大きい希望圏内にいれば、十年、百年生きることができ、もっと大きいところに行くので、現在の苦痛は消化して越えていくというのです。喜びだと思わなければならないのです。 人間が王ですか?。王の王はだれですか?。神様です。神様は、どのような王ですか?。愛の大王陛下です。神様の細胞に入っていけば、植物細胞、動物細胞、昆虫細胞、人間細胞、すべてに接することができます。最高の位置です。博物館の展示品と同じように、最高の展示品があるのです。鉱物の細胞、植物の細胞が誇るのです。 皆さん、女性たちは鶏を捕まえて食べたことがありますか?。血を流さずに、殺さずに、食べることができますか?。そのようにする時はかわいそうです。殺す前に「ああ、どれほどおいしいか?」と、おいしいことが先立ちますか、かわいそうだということが先立ちますか?。どちらですか?。どちらでなければなりませんか? 愛しなさいというのです。申し訳ないのです。「おまえが私の息子の細胞になり、私の重要な子宮の細胞になる。それを吸収するためにほふるのだ。申し訳ない」と考えるのです。死んで私が得ることになるので、あいさつしてありがたく思わなければなりません。 「神様を愛する息子となり、王子・王女となり、天地の大主宰の愛の体の、そのような細胞にしてあげよう」と言う時、「嫌だ」と言うでしょうか、「早くしてください」と言うでしょうか?。心で「ああ、頭が痛い」と叫ぶ前に、「ああ、よくなれ」と思って殺せば、神様の愛が、その死の位置までいくのです。 先生はパンタナールに行って、そのような論理で釣りをします。明け方出ていって、夜暗くなって帰ってくるのです。また、アラスカでは、二時、三時まで寝ずに釣りをするのです。では、捕まえて何をするのですか?。私が捕まえた魚は、自分では食べません。最初に捕まえた魚は、そのまま祭物として捧げます。今まで、神様の前に、旧約時代、新約時代には、すべて半分に裂いて捧げましたが、先生はそのまま丸ごと捧げるのです。 そして、「私があなたたち(お父様が行った地域)にとって、最も貴いパク、ドラド、ピンタードを捕まえるのは、神様の息子・娘である祝福を受けた家庭、天の国の皇族になり得る息子・娘たちが、ここにあなたたちを訪ねてきたら、あなたたちが食べさせてあげるべき責任があるではないか?。それでは、だれが捕まえてあげたらよいか?。王の中の王になることのできる真の父母が捕まえてあげれば、善いのか、悪いのか?」と言えば、魚の世界で「はい」と言うのです。(拍手) のらりくらりとはしません。私がすべて精誠を尽くすのです。あなたたちよりも私が精誠を尽くし、食べる人はもっと精誠を尽くすので、天下のすべてが私の側になるのです。そのような立場で捕まえて、あなたたち(魚)を殺したとしても、あなたたちを愛したということが残って残って残る、そのような基盤を通して、天の国の王子が生まれることができ、王子・王女の細胞になることができるというのです。どれほど幸福でしょうか?ですから、釣りをすることは罪ですか、それとも、神様の愛を地に連結することですか?。 先生は堕落した世界の上に上がっていき、釣りをするのです。これが真の父母です。かみつきたければかみつけというのです。きょう捕まえた小さい魚が、神様が愛する人々の肉となり、血となり、細胞となって、栄光を返すことのできる立場になるならば、動物世界で、これ以上幸福なことがどこにあるのかというのです。 あなたたちも、「神様の息子・娘になる」と本当に分かったならば、死の道を感謝しますか、恨みますか?。愛のゆえに生まれたので、愛のために、もっと高い価値のために投入することが、神様のために生きることであり、神様の前に近づいていく道なのです。それゆえ、避けることのできない道であるというのです。 神様が愛する代わりに愛する なぜ、先生がパンタナールに行って四年間、このようなことをしたのでしょうか。多くのさまざまな動物を育てているのです。魚だけではありません。そこには、植物も動物も、すべてのものが、神様がつくった原初的なものが、そのまま残っています。水草を見ても、初めて見るものがあり、動物、昆虫を見てもそうです。昆虫がどれほど多いか分かりません。 そのようなすべてのものを、神様が人類のために、全体理想の愛を完成させるための一部分としてつくっておいたのです。それをチェックしてみて、私が愛さなければならないと思うのです。 地中に隠れている小さい動物まで、神様の愛のゆえにつくられたので、主人の立場で考えだけでもしてあげなければならず、「実際に神様が愛する代わりに愛してあげなければならない」という心をもって見るのです。自然は掲示板なのです。すべては、神様が霊的に教えてくれる教材です。博物館なのです。愛の博物館です。 それゆえ、百年かけてもできず、何百年かけてもできません。新しいものを見たら、神様が千個に対して愛する、そういう心をもって接してあげれば、そこに復活が起きるのです。アダム・エバの後孫たちが愛することができなかったことを、代表として愛する伝統を立てなければなりません。 今回、「七・八節」「九・九節」「三・十節」を通して、今からはすべてのことをやめ、釣りもやめて、愛することだけをするべき時になったので、釣りをしにいっても、魚がかみつきません。不思議なくらいです。魚を愛する時が過ぎ、今からは動物世界、植物世界を訪ねていかなければなりません。陸地に上陸です。ですから今からは、世界のどこか一か所に制限されるのではなく、世界の舞台でハンティングをして歩かなければならないのです。 すべてを経たものが愛の主人になるのです。今からは、経ていない植物、動物世界が限界圏内にあるので、それを訪ねていかなければなりません。そのようにしようとするので、「一日に十か国、一日に二十か国、五十か国行けば、どれほどよいか」と思うのです。 百八十五か国の国の境界を越えて、地球星に境界線がなく、先生が飛んでいって狩りをすることができるように、その国家全体が動員され「レバレンド・ムーンが来て、国家の一番の公園地帯で狩りをしてください」と言えば、その国が福を受けるのです。招待する国は福を受けるというのです。(拍手) 百八十五か国に行って、ハンティングしたすべての万物は、展示品として写真を撮ってくるのです。その国に行って狩りをして撮った写真に、「いつ、どこで捕まえた」という記録を残せば、その地域は有名な名所になります。そこは、聖地になるというのです。レバレンド・ムーンの名ではありません。真の父母の名です。真の父母は永遠に一人のお方です。絶対、唯一、不変、永遠に一人のお方なのです。ハンティングの聖地になり、世界的な名勝地になるのです。 先生は八十歳になった老人でも、このように健康でよく歩き回るのですが、歩いていきますか、飛んでいきますか? (拍手)(「飛んでいきます」)。何に乗って行かなければなりませんか?。雲に乗って行くのでしょう。 再臨主は、「雲に乗って来る」と言いましたか? (「雲に乗ってくると言いました」)。その名は何ですか?。飛行機です。(笑)(拍手)そうなのです。二千年前に飛行機のことが分かりましたか? 分かりませんでした。ですから、うまく表現したでしょう。(「アーメン」)(拍手) 米国を出発したとすると、その進む航路のすべての人々が、「どこを何時に通り過ぎる」と、目を見開いて待つでしょうか、待たないでしょうか?。考えてみてください。真の父母が来るのです。皆が見て、大騒ぎするのです。その時、寝ていた動物、居眠りしていた植物、すべてがゆらゆらと踊りを踊りながら、一緒に拍手をするでしょうか、しないでしょうか? (「拍手」)。すべてのものを愛した大王陛下が出動するので、すべての存在がそこに同参したいと思うのが、自然の理知なのです。 もう、レバレンド・ムーンの性格を知りましたね。海に行って釣りをする時、雷が鳴ろうと台風が吹こうと、気にかけずに進んでいくのです。では、だれが海を一番愛し、台風をだれが一番愛し、稲光をだれが一番愛しましたか?。レバレンド・ムーンだというのです。 神様の前では永遠に平準、平和、平等 嘆息しているすべての万物を、境界線なく思い通りに解放圏に立てるために、開天節が必要なのです。すべてが上がっていくのです。それで、聖人と殺人魔を一緒に解放し、地獄の門とと天国の門をすべて開いておいたのです。それゆえ、どこのだれであっても、優れた者もなく、劣っている者もなく、共に同等な愛の権威に接することのできる、地上天上天国に属することができるのです。 真の父母の夫婦であれ、私の夫婦であれ、同じなのです。蕩減が必要ないというのです。罪を犯せば、直ちに処分する時が来たということです。それを知らなければなりません。自分の一族が処断するのです。 一次、二次、三次のアダム時代は、蕩減が必要であり、解放が必要でした。しかし、解放圏世界での第四次アダムは、祝福圏内に入っているので、神様が提示した原理的な型についていけば、永遠解放圏内に入って行き、万世が祝福を受ける祝福の主人になるのです。この時まで十一年かかりました。祝福の世界化時代は九二年です。祝福世界化です。上がっていく世界化時代です。九五年には三十六万双、長成を越え、解放圏に移っていくのです。「七・八節」は二〇〇〇年に第四回を迎えます。 その次に「九・九節」です。それから「三・十節」です。九月十日です。九月十日、十時十分です。蘇生、長成、完成です。これは旧約時代、新約時代、成約時代です。これに一を加えれば二〇〇〇になります。一九九九から二〇〇〇になるのです。これを二回すれば三〇〇〇になり、三回すれば四〇〇〇です。それで、摂理歴史の四〇〇〇年歴史をすべて蕩減するのです。それゆえ、平等化です。そして、「九・九節」「三・十節」で、すべて終わりました。 先進国、強大国が一つになって弱小民族を打つ日には、天罰を受けます。思い通りにはできません。国連が新しい形態を備えて、世界に平等な国家権利を主張することのできる時代に越えていくのです。 本来、キリスト教を中心として旧教と新教、カインとアベルが一つになっていたならば、先生と一つになっていたならば、その時から七年路程、一九五一年に地上天上天国を完成していたのですが、キリスト教と天主教が反対することによって、全世界が反対したのです。 モーセは四十年間家庭を率い、民族を復帰し故郷を復帰するために帰っていく道に四十年かけましたが、先生は家庭を中心として地球星統一と世界平和の天国基地をつくるために四十年間巡回し、完全に、個人的国境、家庭的国境、氏族的国境、民族的国境をすべて撤廃させたのです。 結婚して、真の愛で崩してしまうのです。怨讐の国同士、国境を超越して結婚しなければなりません。怨讐同士、結婚し一つになって、自分の国よりも幸福に暮らすことのできる解放的家庭をなすことによって、そこから地上天上天国が連結されるのです。アーメン これを知らなければなりません。 その時、そのようにしていたなら、共産党は出てきません。共産党はなくなっていたのです。先生が家庭を率いて四十年間、どれほど迫害されましたか? 「レバレンド・ムーンは、妻泥棒、夫泥棒、兄泥棒、姉泥棒、弟妹泥棒、家庭泥棒、国を掘り返した泥棒だ」と、皆そのように言ったのです。サタン世界はそのように言いましたが、神様の前にはすべてのものを復帰したのです。それを知らなければなりません。このような時に拍手しなければならないでしょう。(拍手) 「優秀だ。大学を出た」と誇るなというのです。大学を出てきた人が心配です。リベラルな者たちが出てきて労働組合を中心として、優秀な人の胸ぐらをつかんで、皆追い出すのです。私たちが必要なのは、真の父母の愛であり、真の先生であり、真の主人なのです。「この三つ以上は必要ない」と思わなければなりません。それはだれのことですか?。神様です。その前には、永遠に平準、平和であり、平等なのです。 神様を乞食にし、滅ぼし、数千万年の地獄をつくった エデンの園でアダム・エバが堕落する時の蛇とは、だれのことですか?。蛇は天使長だと言うのですが、そうではありません。蛇は何かというと、男性の生殖器だという結論を下すのです。それから、アダム・エバに「善悪の実を取って食べるな」と言いました。蛇が最も好むものが、善悪の実です。善悪の実は女性のそれだというのです。蛇が最も好むものは何ですか? 女性の生殖器です。分かりますか? (「はい」)。善悪を知る実です。女性は、善い男性、王に対すれば、王の息子・娘を生み、マフィアと一つになれば、マフィアの息子・娘を生むのです。そのことをいうのです。それを知らなければなりません。 女性が最も喜ぶことは何ですか?。顔がきれいだと、キスすることを喜ぶのですか? しかし、手はどこに行くのですか?。なぜ、笑うのですか?。男性が喜ぶものは何ですか?。手がどこに行くのですか?。その手の後に、何がついて行くのですか?。蛇なのです。(笑)それから善悪を知る実です。女性が喜ぶことは何ですか?。男性が喜ぶことは何ですか? (「生殖器です」)。そうですか? (「はい」)。蛇をぶら下げて歩いているのです。 女性が男性をたくさん誘惑するでしょうか、男性が女性をたくさん誘惑するでしょうか? 蛇なのです。男性が喜ぶことは何ですか?。凹です。そうですか? (「はい」)。蛇をもっていますか、もっていませんか?。それはだれでももっているのです。それをもっていて、自分の妻よりもよい女性がいたら、それが動きますか、動きませんか? (笑)蛇の頭が動くのです。分かりますか?。女性たちは、男性のそれは蛇だということを知らなければなりません。聖書のこのことをはっきりと分かっていたら、米国はこのようにはなっていなかったのです。 (英)悪の蛇による一度の過ちが、永遠の滅亡をもたらしてしまったのです。血統が絶たれたのです。(英) 一度愛して、神様までも乞食にし、滅ぼし、数千万年地獄をつくってきたのではないですか? どれほど恐ろしいですか。蛇の何千万倍の毒をもっているのです。考えてみてください。おじいさん、おばあさんのそれが壊れれば、その家庭と一族がめちゃくちゃになるのです。国王がそうなれば、国が行ったり来たりするというのです。 毒があるのです。毒に酔ってしまうのです。酒に酔うように、毒があるのです。慢性になれば、それを止めるのが、どれほど大変でしょうか?。男性たちは、一日にトイレに何度行きますか?。三時間に一度ずつ行くでしょう。必ず、八回は触るのです。小便をする時、そこに美人がいたら、それが立つか立たないか、チェックしてみましたか? (笑) 女性が裸で来て「触ろう」と言えば、激しく蹴飛ばしますか、じっとしていますか? (「蹴飛ばします」)。行ってしまえ。男性たち、一度言ってみてください。(「行ってしまえ」)。気分よさそうにしているのを見ると、本当に蹴飛ばしてしまうかもしれません。(笑) 「あの男の蛇の頭が入ってくる時、私は完全に破滅だ。女性世界を滅ぼし、天下を滅ぼす。恐ろしい武器をいい加減に開くことはできない」。「自分の夫だけが鍵をもっている」ということを、永遠に記憶しなければなりません。笑いごとではありません。深刻なのです。 女性たちは、胸を触りキスする時、蛇の頭が来てキスすると思い、蛇の頭がタッチすると思いなさいというのです。エデンの園にあった命の木と善悪を知る木とは何ですか?。それは、男性の生殖器、女性の生殖器のことをいうのです。はっきりと知らなければなりません。 (英)種を蒔いた結果は収穫期に現れます。堕落が種です。それによって、生殖器が破壊されました。血統が破壊されてしまったのです。その結果として、フリーセックスはすべてを滅ぼしています。(英)そこにエイズが来ました。すべて滅んでしまいました。天罰を受けたのです。分かりますね? (「はい」)。抱いてキスなどしてはいけません。 米国人たち、踊りの場に行って、男性と女性がくっついてこすれあう時、それが立ちますか、立ちませんか?。答えてください。(「立ちます」)。立つのです。私は分かりません。それは事実です。釘をさすことよりももっと恐ろしく、爆弾よりももっと恐ろしいのです。爆発すれば、一身が滅ぶのであり、一家族が滅び、国が滅ぶのです。 千年、万年、純潔な血統を残す 親族相姦関係、これはすべて滅亡です。分かりますか?。それは動物の世界にもありません。それを神様が審判して、地獄の火に入れるならば、火ももったいないというのです。女性たちは化粧をして、季節ごとにさまざまな色を選び、それを着て歩かなければならないでしょうか、それをしてはならないでしょうか?。最近では、真っ黒な死んだ血(マニキュア)を足にまでつけて歩いています。歯と舌の先まで何かをする時は、最後です。捕まえて食べようというのです。それは悪魔です。 見てください。それで、私は指輪もはめていません。結婚指輪もはめていません。サタン世界は嫌いです。分かりますか?。統一教会の女性で「先生を嫌いだ」という女性は、一人もいません。そうだという女性は、手を挙げなさい。なぜ、男性が手を挙げるのですか? (笑) もちろん、天の愛をもってきた代表的な人ですが、先生は父親です。父親を愛するのは、母親よりも娘です。女性は先生を愛するのですが、父親として愛さずに、夫のように愛そうとするので、それが心配なのです。皆、そのように思っています。霊的に育ててあげる時は、約婚の指輪もはめてあげ、いろいろと教えてあげるのです。それは、父親として救ってあげるためであって、愛するためにそのようにするのではありません。 男性に関するこのようなことを知っているので、天下が何と言おうと、脱線しないのです。いくら女性が裸であらゆることをしたとしても、ペッとつばを吐いて……。そのような訓練を十年間しました。 愛する妻に出会うことのできる時間で、クライマックスになり得るその時に、零に返らなければなりません。そのような訓練までしなければならないのです。先生は、女性が脇の下を三年くすぐったとしても笑いません。そのような訓練をした人なのです。 きょう以降、二度と(神様に)ため息をつかせてはいけません。分かりましたか (「はい」)。凸凹の話をしながら、具体的に話すべきことはすべて話したでしょう。今では、もう秘密がありません。すべて教えてあげました。復帰摂理も、すべて終えたのです。先生の一代で、すべて終えました。天地を、すべて新しくつくらなければなりません。何代もかかりません。一代で、先生の一生の内に、すべて終えなければならないのです。(拍手) さあ、きょうの御言を通して、余りにもはっきりと分かったでしょう。「絶対に、蛇の頭、サタンの体と、私は永遠に関係ない」という女性は、手を挙げなさい。(「はい」)。だからといって、自分の夫の生殖器は蛇ではありません。それは純粋な血統の頭なのです。(笑)神様の生殖器です。 女性もそうです。二つの心をもってはいけません。蛇は二つの舌をもち、二つの心をもちました。蛇は襲撃するのです。世の中の男性たちは、皆泥棒だという言葉は正しいのです。米国のミスター・梁 (「はい」)。美人がいれば、我知らずに二つの舌になりませんか?。そのようになり得る可能性が、何パーセントですか? (「可能性があります」)。(笑)正直なので、正義に入っていくことができます。(笑) 女性たちも同じです。美男子が横にいれば、それが踊りを踊ろうとするのです。どうですか?。門に「開け」と言いますか、「開くな」と言いますか?。女性たち、話してみてください。(「開きません」)。 いくら環境がそうだとしても、きょう以降、千年、万年たっても私たちの血統は、後孫に、万代、純潔な血統として残すのです。 アーアーアーメン (「アーメン」)。このように「アーメン」と言ったので、開天節の祝賀において万歳だというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.29
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自分の名前で祈祷する時代一九九九年九月十四日、アメリカ・イーストガーデンで朝の訓読会の時間、真のご子女様と教会の指導者ら約二十名が参加した中で、真のご父母様はすぺての祝福家庭に自分の名前で祈祷する時代を開いてくださった。二〇〇〇年十月二十七日、第四十回「真の子女の日」を迎えて、家庭で祈祷する際の形式を新たに定められた。二〇〇一年の元旦を期して、祈祷ではなく、報告の形式を取るように新しく定めてくださった。祈祷の結び(1) 一般的な集会などで代表祈祷するとき、「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ、祝福家庭○○○の名でお祈りします」(一九九九年九月十四日)(2)家庭で祈祷するときは、「祝福の中心家庭○○○の名でお祈りします」(二〇〇〇年十月二十七日)(3) 一般的な集会や家庭で祈祷するときは、「祝福の中心家庭○○○の名で報告します」(二〇〇一年元旦) み言 祈祷について言いますと、これまで皆さんたちが祈祷するときは、「何かをしてください、成就させてください」と言いました。今やすべて成就しました。そのように成就したものを皆さんが受け継ぎました。先生が今まで肉的な体をもってサタン世界と闘って勝利してきたように……皆さんもすべてが分かるのに、どんな祈祷をするというのですか? その権限をみな与えたではありませんか。ですから、そのような祈祷をする時代は過ぎ去ったのです。「私がこのようなことを知ったので、私がやります」という自己責任時代として祈祷しなければなりません。そして真の父母の御名ではなく、「真の父母の御名によって祝福を受けた某の名前で祈祷します」と、このように祈祷しなければならないのです。 「真の父母の息子となり、真の父母の功労によって真の息子、娘になった某の名前でお祈りいたします」と祈祷しなければなりません。祈祷するというよりは、「報告いたします」と祈祷をしなければならないのです。先生も二十年余りの間、祈祷しなかったのです、完全に知っているからです。天が協助する私自身がサタンに勝って、サタン世界を屈服させ、天が願う基盤を整えたのです。整えてきたのです。何を祈祷し、何を下さいと言いますか? そのような祈祷の時代はすべて過ぎ去るのです。すべてを皆さんに与えました。 今や真の父母の勝利的基盤を知り、私もそのような実績をもって、息子になった責任を果たそうというのです。そのようにするには、個人において、家庭において、氏族、民族、国家において、息子の責任を果たすのです。そして孝子と忠臣の家庭にならなければならないのです。みな与えたのです。みな与えました。ですから、接ぎ木をせよというのです。 それは空中に浮かんでいるものではありません。しきりに「下さい、下さい」と言って……。そのような声を聞けば、私の気分が良くありません。「私がすべて成就します」と言わなければなりません。自信満々と責任を担う祈祷をしなさい。神様の前になす報告の祈祷です。それをきょうから教育するように。この時間から教育するのです。そうした時が来ました。そうでなければ、奪われてしまいます。「下さい」と言えばみな壊れてしまいます。み旨が分からなければ祈祷しなさいというのです。 息子、娘よりは「家庭」というみ旨が入らなければなりません。そうすればみな受けるのです。真の愛はみな相続できるのです。祈祷が変わらなければなりません。自分の息子、娘がどうこうという祈祷は、統一教会ではだめなのです。何がどうこうとか……。私たちの教会がどうこうとか……。 地上天国、天上天国です、何もかもが。個人的な地上天国、家庭的な地上天国、国家的な地上天国、このようになるのです。そのように祈祷することで、民族の境界線、国家の境界線がなくなるのです。それが神様の願うところではありませんか? 自分の名前で祈祷するというよりは、自分のことを報告しなければなりません。「何々をやります!」と言って実践してから、報告しなければなりません。報告すべきことがなければ、ひざまづいて皆悔い改めなければなりません。悔い改めです! 否定したことまで悔い改めなければなりません。自分が約束するのではありませんか? 「これだけやりました」と報告し、約束しなければなりません。 アメリカに来てから私は祈祷をしませんでした。祈祷よりは行動です。実践です。昨年の一九九八年から祈祷を始めたのです。その祈祷は、神様に侍り得る生活的な面において、いかに教えを受け、そのすべてを守っていくべきか、といった内容です。 既成教会では、すべて自分の子や自分の教会が良くなるように祈祷しています。すべて泥棒たちです。 家庭の誰それと言わなければなりません。真の父母の子女ですが、家庭的な概念が入らなければならないのです。祈祷できません。実践しなければ祈祷できません。完成してさしあげなければならないのです。完成してさしあげるべきでしょう? 生活するのは、生まれたのは、神様のみ旨を成就してさしあげるために生まれたのであって、祈ってすがるために生まれたのではありません。 「祈祷するときに『何々を下さい』と祈るのはいやだ!」と思えてくるような時が来ました。みな知っているのに、何を助けるというのですか? そのような祈祷をしてはいけません。自分自身が知っているのです。真の父母として完成したすべてを神様が知っており、真の父母が築いた完成の基準を受け継いだ立場なのに、すべてを知っているのに、何を下さいというのですか? すべてを与えられたというのです。違いますか? 天宙的なすべての相続権までみな与えたのに、何を下さいというのですか? 実践すること、いかに自分が相対的な基準において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をするかというのです。そうでなければ合わせることができません。ですから、なさなければ、自分の家庭基準とか氏族基盤、民族基盤を連結できなければ、祈祷もできないのです。自分自身が知っています。 責任時代、責任時代に入ってくるのです。「福を下さい」と請う時代はみな過ぎ去るのです。家庭、氏族、民族、国家、天地、天宙まで門が連結されたので、願うものがないのです。ですから、地上で精誠を尽くさないわけにはいきません。 天は毎日のように新しくなっていくのです。発展していくので、毎日のようにプラスしなければならないのです。これまで、統一教会で遊んで食べている者が多いじゃないですか。自分が祈祷するときに分かるのです。何を報告しますか? み言を聞くたびに問題が大きいのです。 公席においても皆そうです。真の父母から祝福を受けたこの教会ならば、教会某の名前によって、教会牧師の名前によってなすのです。教会も公的な機関ではないですか?それゆえに縦的に代表した機関なのです。活動しなければ祈祷ができません。「アーメン」と言えません。「アーメン」とは請い願うという意味ではありません。賛美にならなければなりません。賛美がみ言の答弁です。 イエス様はどんな名前で祈祷しましたか? 考えてみなさい。イエス様は何の名前で祈祷しますか?息子の名前で祈祷したではないですか?独り子なる息子です。家庭を築かなければならないのです。家庭の名前を抜くことはできません。家庭というものは、夫と共に一族が入るのです。 簡単なのです。先生が尋ねたら、イエス様はどんな名前で祈祷するのでしょうか? これは(板書されながら)家庭と国と世界ではないですか? それを完成するためのものですが、真の父母が来られて、みな完成したことを知っているのですが、それをみな合わせさえすればよいのです。それには絶対信仰が必要です。「個人でこうしなさい」と言えば、他の何かがありません。絶対信仰です。「家庭で妻を動員せよ」と言えば妻を動員して、「息子を動員せよ」と言えば息子を動員して、「娘を動員せよ」と言えば娘を動員するのです。その動員については異義がありません。絶対信仰です。氏族も同様であり、国も同様なのです。「皆さんの国をアフリカからこの国に移せ」と言えば、交換できるというのです。 先生は祈祷するとき、どのような祈祷をしたでしょうか? イエス様が築かれたキリスト教文化圏においては、主の御名によって祈祷します、主です。イエス様よりも主、中心なのです。これを真の父母が築いたその基盤において、連結しなければならないのです。真の父母の基盤に乗らなければ、完成しません。関連性がないので、先生も真の父母の名前で祈祷するのです。すべて成就したからです。 国があるので、忠臣になることもでき、孝子になることもできますが、それは自分の努力に応じてなされるのです。孝子ならば孝子、忠臣ならば忠臣、天宙まで、聖子のすべての道理が完成し得る道が開かれているのです。自分の努力において、どれぐらいになるかが決定されるのです。嘘をつきながら生きられません。報告した内容は、すべて記録されるので、そのまま自叙伝になるのです。それが間違っていてはいけません。心と体が一つになって第三対象が立ってこそ、先祖の立場に立つのです。先祖、王の立場です。あざ笑っていた牧師や主教は皆、脱落してしまうのです。 アメリカは自分たちでやらなければなりません。人々の中でキリスト教徒たち、現在私たちと連結した人々を、なんとかして活用して用いなければなりません。キリスト教会を動かさなければならないのです。個人よりも教会を動かさなければなりません。全世界が超宗派、超教派、統一連合教会をつくらなければなりません。一つの教会ではありません。一つの教派、これを経なければならないのです。 このように祈祷すれば、なんとすてきなことでしょう。統一教会は理論によって、このように唱えていきますが、既成教会は盲目的にやるのです。私たち統一教会の食口たちは、祈祷が難しいでしょう? 活動しなければ、口がくっ付いて祈祷できません。先生のように毎日動かなければなりません。 ですから、遊ぶことができません。これからは、夫が動かなければ女性が忠告することができ、女性が動かなければ夫が忠告することができ、父母が動かなければ息子や娘が忠告できるのです。恐ろしいことです。家庭が完全に中心となるので、このように伝道しなければいけないことが分かるのです。個人中心ではありません。家庭が宇宙の中心にならなければならないのです。それがはっきりと分かるので、伝道しないわけにいきません。(三〇四-二八、九九年九月十四日) すべての家庭が、天地父母、神様の伝統の思想を抱いて家庭を求め、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の真なる愛の理念的国家観を形成しなければなりません。真の父母の理念となるこの国家観を完成するのは、祝福を受けた皆さんの家庭の責任なので、きょうからは祈祷の内容が変わります。これまでは、真の父母の勝利圏を祝福で受け継いで祈祷しました。祝福がなければ真の父母の勝利圏に同参できません。祝福によって、真の父母と血縁的な関係を結び、血統が切れていたのを新たに連結したので、真の父母の子女としての因縁につながっているのです。 皆さんの祝福を考えてみなさい。祝福を受けるには、再臨主が来なければなりません。アダムが失ったものを創造するのに六千年かかりました。先生が現れなければ、どうにもならないのです。真の父母が現れなければアダムの理想、神様のみ旨、祝福完成の道を越える道理がありません。千辛万苦の峠を越えて譲与してあげたにもかかわらず、何の功労もなしにぶらぶらと遊び、賭博場で遊び、王宮で祝宴を開くと聞いて、王の前で箸を持って待っているのです。準備された祝宴のごちそうが、どれほど貴いかも知らずに勝手に食べたならば、毒薬を飲むよりも恐ろしい審判の舞台に流れていくのです。そのことを知らなければなりません。勝手に生きてきた雑種犬のような人たちが、この環境を汚しているという事実を知りません。自分の家庭の生き様が、統一教会の主流思想を代身した家庭の代表ではないということを知らなければなりません。そのように生きてきたとしても、今までは祈祷しても少しは面目が立ったでしょう? 真の父母の勝利圏を何によって受け継ぎましたか? 祝福によって受け継ぎました。それは皆さんの功労ではありません。十年、四十年と断食祈祷をしてもだめなのです。祝福によって血統転換できる特恵権を与えてあげましたが、その価値をどれほど理解しましたか? 神様の数百分の一、先生の数百分の一しか理解していないのに何ですか? 神様の失った王権を取り戻し、神様の即位と権限を取り戻してさしあげなければなりません。すべて失ってしまったので、民もなく、国もなく、国土もなく、主権もない世界で、主権を取り戻すために、神様が主権を取るまで、その間隔を狭めて……。アダムとエバは家庭的な時代であって、国家的な時代でも、世界的な時代でもありません。家庭的な時代を越えて、世界的な時代において、すべて天国が完成したという条件基盤を満たせる立場に立ち、勝利の覇権基盤を築いたことを中心として、皆さんに譲ってあげたのです。 今や救援摂理時代は過ぎ去るのです。救援摂理の歴史が過ぎ去り、「第四次アダム心情圏時代」に突入するのです。ですから、祈祷するにあたっては真の父母の勝利圏ではありません。すべてを引き継ぎました。ですから、真の父母に代わって、深刻な立場で世界を中心として身もだえしてきたのと同様に、代行的な機関を引き継いだのが私の家庭なので、祝福の中心家庭、某の名前で祈祷しなければならないのです。そのようにできないときは、入籍が取り消されなければなりません。驚くべき入籍であるということを考えるとき、恥ずかしくない立場に立って、一日一日の生活でみ旨の前にプラスとなる実績を持たなければならないのです。そうでなければ祈祷もできないのです。そのような時代になるのです。 祈祷の時代は過ぎ去りました。メシアがいてこそ、救世主がいてこそ、祈祷も通じるのですが、その救世主から解放圏をすべて引き継いで、解放圏に送られたのですから、今日の課題は、「解放された天地父母と解放された子女が、心身一体となり、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠なるみ旨を完成しよう!」ということです。共に協力するのです。ですから、うまく協力して報告できたか、できなかったか? このような問題を中心として、うまくできなかったときには、それを挽回するまでは祈祷もできません。報告もできません。祈祷ではありません。「祈祷」という言葉をなくしてしまうのです。「報告」です。良い報告を持っていない者は、このような集まりの場に来られません。 これからはチェックしなければなりません。誰でも連れてくるというわけにはいきません。実績がなければならないのです。報告する内容がなければ、あいさつもするなというのです。あいさつも受けないようにしようと思います。あいさつされて何をするのですか? すべてを相続しました。先生はみ旨をすべて知っているので祈祷しません。二十四年間、祈祷をしませんでした。知っているのにどうして祈祷をするのですか? すべてを許諾してくださったのに、何を下さいと言うのですか? お父様の前に相対的な立場に立って、すべてを喜びをもって報告できる時代が来るので、「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ某の名前で祈祷する」という時代が過ぎ去ります。ですから、「祝福の中心家庭、某の名前で報告いたします」と言わなければなりません。これは祈祷ではありません。「報告いたします」です。報告する時が来ました。報告するには善の結果がなければなりません。乞食のようにいつも「下さい、下さい」と言って、ノラ犬のように糞をつけていてはだめなのです。誇るために報告しなければなりません。実績がなければ祈祷もできません。 新千年、新しい三千年が始まる日が近づいてきます。これからは、私たちの世界になるのです。正月から「いかに拍車をかけて頂上の基準を天宙と連結させるか」という責任が各自にあります。 今や、先生が皆さんの家庭に対して関係を結ぼうとする時代は過ぎ去りました。皆さんが先生と関係を結び、皆さんが神様と関係を結ばなければならない時となったのです。これが「第四次アダム心情圏時代」です。真の愛も私が主人となり、真の生命も私が主人となり、真の血統も私が主人とならなければならないのです。 今や新年の正月の一日から祈祷が変わります。「祝福の中心家庭、某の名前で祈祷いたします」となるのです。すべてを蕩減して、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰を成したのです。そうして、アダムとエバが堕落の因縁のなかった解放的時代に入るその立場に立って、主体的な自らの家庭をすべて練磨させないことには、脱落するのです。アダムとエバが堕落したとき、即刻に処断しました。 皆さんもそうです。夫が誤まれば即刻に、妻が誤まれば即刻に自分と関係を断つことのできる時代に入っていくのです。男女問題においてはとりわけそうです。(二〇〇〇年十二月二十四日、漢南国際研修院) 今や、今年(二〇〇一年)一月十三日から、一日から祈祷の内容が変わりました。「祝福の中心家庭某の名前」で祈祷するのです。それをはっきりと知らなければなりません。それ以前には何と祈りましたか?「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ祝福家庭、某の名でお祈りします」と祈りました。 真の父母の祝福を受けた某の家庭です。その家庭はサタン世界と区別されます。サタン世界とは合わさりません。真の父母に祝福された某というのは、サタン世界と区別されるということです。以前は「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ」と祈りましたが、そのとき、その「祝福」が何かというと、サタン世界と隔離されているのです。そのことを知らなければなりません。そのように考えて祈祷する者が、どれほどいたでしょうか? それが問題なのです。 堕落以降のサタン圏との関係が完全に整理されたのです。それを知らなければなりません。その前には何の名前で祈りましたか? 「真の父母の御名」で祈りました。自分の名前で祈祷できず、自分の主体性がありませんでした。そこで、「真のご父母様の勝利圏を祝福で受け継いだ某の名前」で祈ったのです。変わるのです。それはサタン側と完全に断絶されたということです。内的だけでなく、外的にも何も関連がありません。 その次は何ですか? 「祝福の中心家庭」です。「祝福の中心家庭」は堕落世界と何も関連がありません。アダムとエバが堕落する以前に、神様の心情世界と連結されていた、そのような立場なのです。それが「祝福の中心家庭」です。神様の創造理想が完成した家庭として、堕落しないアダム家庭を代身するのです。 そのような立場では、祈祷の代わりに「報告」を捧げるのです。完成したアダム家庭では、祈祷をする必要がなく、報告をすればよいのです。毎日、報告をしながら理想世界を築いていくのが、完成したアダム家庭が歩む道です。ですから、新しい何かがなければ報告できないのです。 そこではメシアも必要なく、宗教も必要ありません。なぜならば、すべてのことを知っているからです。皆さんもすべて知っているでしょう?真の父母がすべてを教えてあげました。毎朝、訓読会をしているでしょう? その時間を過して、すべてのことを理解するようになるのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、宇宙そして神様の心情世界まで、すべてを知ることができます。すべてのことが分かるのです。(二〇〇一年一月十六日、イーストガーデン) 今や伝道する時代は過ぎ去るのです。先生が皆さんを祝福する時は過ぎ去りました。今や過ぎ去ったのです。「第四次アダム圏時代」に入ったので、家庭的に……。最近はどのように祈祷しますか?「祝福の中心家庭某の名前」で祈祷するでしよう?しかし、皆さんにはそのような祈祷をする資格がありません。神様もまた祈祷をさせるには、「私の名前で祈祷しなさい」とは言えないようになっています。救世主の名前で、族長の名前で祈祷しなければなりません。 皆さんは、その時代を過ぎたでしょう?「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ祝福家庭、誰々の名でお祈りします」と、このように祈祷したでしょう? そのような祈祷の時代が、すべて過ぎ去りました。第四次アダム圏、心情圏時代に入り、堕落していないアダムとエバが、祝福されて天宙の中心となった家庭圏内に入ったので、「祝福の中心家庭」なのです。「祝福」とは何ですか? 結婚式をすることではないですか? 旧約の約束というのは、結婚することですが、その約束を台無しにしてしまいました。それで、新たに約束したのが新約時代ですが、それも完成できませんでした。 再臨時代、成約時代には祝福をしたのです。結果主管圏内と直接主管圏内に分かれていた、そのすべてのものを、責任分担を果たした祝福的基準を成立させることによって、アダムとエバが堕落しないで祝福を受けた中心の場に立つのです。そのような家庭に立ち返ることによって、自分の家庭を中心として、祈祷、報告しなければなりません。 善なることをなさなければ祈祷ができません。皆さんが今そうでしょう? 世界に自分が行くべき道が残っており、生まれた以上、国を世界へと連結させ、天の国に連結させるべき責任がありますが、その膨大な責任を放り出しておいて……。やるべきことが山ほどあるのに、そこに一粒の砂でもプラスするようにしなければならないのです。そうでなければ、報告できないのです。報告です。祈祷ではありません。「祝福の中心家庭某の名前」で切に報告しなければなりません。切に祈祷する時代は過ぎ去ったのです。そのため、毎日のように報告する内容が必要となります。 ご飯を食べるとき、兄弟同士で、一さじでも多く食べようとして争ったとすれば、どんな報告になりますか? おしにならなければなりません。兄弟たちの前で、逆に自分が食べられるご飯の量を一さじでも譲るのです。また学校に行けば、教室を掃除しなければなりませんが、学生たちは皆、掃除を嫌がるでしょう? それならば、嫌がる学生たちのために、私がぞうきんがけを一度でもやってあげるのです。そのようにしなければなりません。 そのようにしてこそ報告できるのであり、やらないで遊んで、ぶらぶらしていて何の報告ですか?目やすべての五官を閉じなければなりません。五官が死んだも同然にならなければならないのです。そのような即決時代に入ったのです。(二〇〇一年一月十二日、天宙清平修錬苑)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.28
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「三・十節」宣布一九九九年 九月十日 真のご父母様は「九・九節」を宣布された翌日の一九九九年九月十日午前十時十分、水沢洞(京畿道九里市)の中央修練院で、約五千名の食口たちが参加した中で「三・十節」を宣布された。 祈祷 愛するお父様……、今や(昨日の)一九九九年九月九日九時九分九秒を期して、「天地父母天宙統一解放式」を宣布いたしました。 「九・九節」を宣布したのは、「天地父母安息圏」を宣布した「七・八節」の後に、「天地父母天宙勝利祝賀宣布式」が完了することによって、ご父母様を中心として、地上のすべての家庭が兄弟の因縁を経て、子女の因縁を経て、夫婦の因縁と父母の因縁と王権の因縁を代表できる父母が、この地上に出発したからでございます。そうして天地父母を宣布するとともに勝利を賛美できるようになりました。このような天地の大変革時代を宣布した基盤の前に、昨日「九・九節」を定めました。 「七・八節」は神様を中心とした善の境界線でした。これを限界としてサタン世界で活動していたすべての者と反対の方向になったのをすべて正し、天の前に帰依できる「九・九節」を立てました。そうすることによって、きょうこの時間、十日、十時、十分を選んで、「三・十節」を迎えることができました。こうした解放時代をもたらされた恵みに感謝申し上げます。 真の父母の御名によって、「天地父母天宙統一解放式」を経る「九・九節」の上に、今や「三・十節」において、神様を中心として、天地父母がすべての頂上の立場で、全宇宙を抱くことのできる祝福の恩賜を立てました。反対の道を行っていた「九・九節」が、「三・十節」の圏内に立てられることによって、方向を整えて神様の主管圏内において、天の境界線とサタンの境界線での緩衝地帯のようなものが、統一的な基準によって合わさり、七、八、九節によって、設定できるこの日となりました。 この日を持つことで、一、二、三、四、五、六、七、八、九まで、サタン圏内にあるものを再び収拾し、神側で一、二、三、四、五、六、七、八、九、十の基準をもつのものとして奉献することになりました。 天地創造本然の主人として、全体の愛を中心として包括し、悪のすべての世界を新しいものとして消化でき、善なる者も悪なる者も、あなたの子女の名分を整え、天上世界の主権を中心とした統治者として臨めるこの時間を迎えさせてくださったことに感謝申し上げます。 お父様……、アダムが失敗して偽りの父母となり、サタンを中心として出発して、偽りの先祖、偽りの血族になったすべてを、真のご父母様がこの地上に現れ、歴史の三時代を清算いたしました。旧約時代、新約時代成約時代を蕩減復帰して完全に清算することによって、神様が自由自在に堕落の恨を踏み越え、それ以上の喜びの立場に立って、天地の主人として登場できるようになりました。 このような祝福の時間を準備してくださることによって、「九・九節」を宣布し、「七・八節」を宣布いたしました。今やサタンが反対できる勢力を越えて立ちました。そうして神様が数理的な全権、すべてを代表する権限をもって、一から十、百、千、万、億千万数圏内の存在たちの根本を包括できる、数的な理想創造世界の主人として登場できるようになりました。そうして、解放の王としてこの天地を主管することを、真のご父母様が昨日宣布いたしました。 今や個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の全体に、統一的な全部のものを中心として、「九・九節」を宣布しましたので、「七・八節」と「九・九節」と「三・十節」を中心として、すべての峠を越えることになりました。そうすることによって、十数、百数、千数、億万数を自由自在に往来できる勝利的な覇権を持つようになり、数理の数千代の権限を備えた全宇宙の存在たちを、主人の立場で統治するようになりました。 堕落した一つの家庭を中心として、未来の目的だけを見つめていたそのみ旨が、真の父母とその協助された功労によって、全天宙を中心として、一挙に成就するようになりました。エデンで失敗したものを一挙に、天上と地上の上に完璧な基準を満たして、合わせられるようになりました。あなたがその主人圏から億千万の存在圏を主管できる主人となられました。 その主人がこの宇宙を創造されたヤハウェであるということを知ることによって、お父様……、子女となった真の息子と娘が奉献したすべてのものを、お父様のものとしてお受けになり、ヤハウェの御名ですべての創造の始まり、創造の過程、創造以降の理想、地上天上のすべての幸福と愛の王権時代を統治できるように、宣言してくださいますよう切にお願い申し上げます。 この時間、この「三・十節」を中心として、お父様が通告するすべてをご父母様が受け、宣布の日として定め、身代わりとなって永遠なる宣布をいたしますので、全万象はそこに順応できる伝統が始まることを、真の父母と共に、縦的な神様の御名と共に、この時間、すべての天宙の前に宣布いたします! アーメン、アーメン、アーメン。 み言 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十が天の数として戻ってきたのです。分かりましたか?ふさがれていた七数は「七・八節」によって開きました。これを中心として、九数がふさがれていたのを開いて、ふさがれていた十数を完全に除去することによって、神様がすべての数を主管されるようになったのです。 神様はこの数理の創造者であられます。すべてのものが数学的に計算できる宇宙になっています。今や神様が、数理的な創造の世界を自立的な立場において、ためらうことなく主管できる時になったことを宣布しました。 私たちはこれから神様の息子・娘として、数理的なこのすべてのものを代わりに受けた立場に立つのです。一、二、三、四、五、六、七数が問題でした。八数は再出発です。八、妨げなく行くことができます。サタン数の妨害がありません。九、十……。今日は九月十日ですが、十日、十時、十分です。それが三数になります。 皆さん、それを知らなければなりません。ご覧なさい。九月十日、十時、十分から九数を取って、三・十数(十・十・十)となりました。復帰摂理ですべてのものが三数を基盤としてオーケー(OK)です。旧約時代がオーケー、成約時代がオーケーです。 十数は帰一数ですから復帰の完結数となりますが、十を三数で連結させて九数、サタンのてっぺんを越えて立った三段階の十数です。天の十数を抱いたということは歴史的な日です。何の話か分かりましたか?これは旧約時代、新約時代、成約時代の完成です。こうした内容になるのです。 ですから、南北統一の運勢、東西洋の統一の運勢、その次には南北の文化の格差、貧富の格差が、天と地の隔たりがありますが、すべてが平準化された本然の創造理想によって、愛の主権のもとで治めることのできる時代へと越えていくのです! 両手を挙げて「アーメン」と言いましょう。両手を挙げてアーメン! 十二回このように振ります。万歳!万歳!万歳!全体万歳です。万物も、神様も共に万歳を叫びました。被造物全体が神様の前で共に万歳しました。「万歳」というのは、地上天国理想の拡張です。無限なる世界、永遠なる世界まで連結することを言うのです。 喜びの日であるため、本来ならばきょうを中心として、皆さんが帰って、牛の一頭から三頭ほどを料理して祝宴を開くように指令すべきですが、できませんでした。帰ったら祝宴を開くように。祝宴を開く村ごとに精誠を尽くし、牛を買って料理する場にはみな、神様の祝福が共にあり、天運が共にあって、ついて回り定着するのです! アーメン! 一、二、三、四、五、六、七、八、九、ここに十数が来て、これが一段階です。その次に二段階の十数、三段階の十数です。それで「三・十」(十、十、十)なのです。三〇からゼロを取れば三数ですよね? 三数になるのです。 三数はいつでもサタン世界の分別期間となりました。イエス様もこれを中心として、三十才にみ旨を出発したのです。三十が問題です。真の父母が御聖婚してから三十年目の年がいつですか? 一九六〇年に御聖婚したので、三十年を加えたらいつですか? 一九九〇年でしょう? 一九九〇年を中心として一九九〇年、一九九一年、一九九二年、この三年期間にすべてをひっくり返そうとしたのです。こうしたすべての数理的な因縁が連結されたのです。ここにこれをくっ付ければ二千になります。十、十、十これを摂理で見ると子女復帰時代、父母復帰時代王権復帰時代です。 これまで日本の食口たちも、祝福家庭は三十才にならないと家庭を持てませんでした。祝福家庭は三十の峠を越えていかなければならないのです。しかし、これからは祝福されたその日から家庭を持てる時代圏に入っていくのです。 その代わり皆さんが知るべきことは、結婚した家庭として行くべき道があるということです。先生は七年路程を行きました。七年路程を行ったのです。世界的な家庭の迫害を解消するための七年路程を歩んだということを知らなければなりません。家庭解放のために十字架の道を行ったのです。ですから、先生が家庭の王にならなければならないのです。 家庭で長子の王、父母の王、家庭の王になることが、創造理想、摂理観的な立場においてアダムに任された責任だったのです。一つの家庭において天国全体の理想的な基準を立てて、天国の基盤に打ちつけようとしたのですが、失敗してすべてなくなりました。アダム一代から数千代、それまでのすべてが空になったのです。 偽りの父母が天にしたのを、真の父母が来て、神様の代わりに主人になるのです。悪なる神を中心として、悪なる血統を通じて、悪なる生命と悪なる愛と悪なる血統を中心として偽りの父母となり、偽りの後孫となったのを、完全にひっくり返して清算するのです。真の父母となり、真なる神様の愛を中心として、真なる生命を中心とした祝福基盤を連結し、血統を転換することによって、サタンと関係のないアダム家庭の完成型をつくるのです。これが世界版図の圏内にとどまっています。 きょうを期して、このみ業が完成するのです。天の国におけるアダム家庭の完成を氏族、民族、国家、世界版図に持っていき、くっつけることのできる時代に入っていくのです。ですから、サタンは今や無用の長物です。今回の祈祷の中にもあったように、反対に行っていたのが転換されたのです。 転換されたので、頭は頭同士で向き合える基準になりました。ですから、「七・八節」を中心として九数と十数が合わさるので、この境界線と緩衝地帯がなくなるのです。緩衝地帯はなくなり、すべて神様の主権のうちに入っていくのです。それで南北統一のための北韓と南韓の緩衝地帯は、天の国の理想天国を建設できる基台の地、基盤の地にならなければなりません。 ですから、宗教圏の議会をつくって、国連において上院構造を中心として、宗教圏の大使館を設定し得る基地にならなければなりません。もちろん全世界がそうなるべきですが、ここから出発できるので、世界的な版図になるのです。神様が統治、主管できる時代として拡張されるのです。 この板門店が「金門店」になるのです。サタン世界における木は腐ってなくなるのです。金門店は永遠なる統一の世界に入っていくことでしょう。金門店を持った十二真珠門の中央基地の国は、地上・天上天国の中心の国になるのです、アーメン! そのようにできる時代になりました。 今や韓国、日本、アメリカはすべて交差活動するのです。アメリカの五十二の州と日本の五十二の州が、責任者の立場をみな交代しました。父母の伝統を受け継いでいかなければなりません。 長子圏のアメリカは自分勝手に生きてきました。これまで自分勝手に生きたので、日本に来て奉仕して犠牲になり、すべてを伝統として受け継いでいかなければなりません。アメリカの人口は、日本の二倍近い二億四千万です。日本は約一億二千万になります。二倍近いのです。 そのように見ると、カイン、アベルとぴったり当てはまります。アメリカにカイン、アベルがあります。これを一つにできる絶対信仰、絶対愛、絶対服従、日本の食口たちが活動したその伝統を受け継がなければなりません。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従できなかった者たちもいるでしょう? けれども、その中で絶対信仰はできなくても、絶対愛は成せたという者たちがおり、絶対信仰と絶対愛はできなくても、絶対服従した者たちがいます。ですから、それらを合わせて条件的な面において、母として父の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従できなければならないのです。 エデンでできなかった絶対信仰、絶対愛、絶対信仰を、日本の国、分かれている全女性を通じて、そのような条件を立てるのです。その条件を中心として最高の基準である長子権を復帰するのです。カイン、アベルです。二倍になるのです。国民が二倍になります。アメリカの国民が二億四千万です。ここに伝統を伝授しなければならないのです。 伝統を伝授すべきですが、それはいかにしてなしますか? 皆さんがやるべきことは何でしょうか? 絶対信仰、絶対愛、絶対服従するとともに、「総生畜献納祭」をしなければなりません。個人の財産から、息子や娘、自分たち夫婦まで、すべてを捧げなければならないのです。 物質は旧約時代、息子は新約時代、自分たち夫婦は成約時代を代表するのです。堕落することによって、三時代を中心として歴史的な恨を神様に抱かせたのです。神様はすべての願いの成就が裂かれて、このようになったので、これを私たち祝福家庭が統一させなければなりません。 ですから、「私が持っている万物は旧約の供え物!」と考えなければなりません。主人は、サタン側や天側に分けておけるような物は、絶対に見たくないというのです。すべて神様のものです。息子や娘にしても、父が愛した息子と娘であり、母が愛した息子と娘であり、兄弟たちが愛した兄弟にならなけばならないのです。絶対に父母兄弟が愛する息子、娘にならなければなりません。それができなかったので、イエス様は孤独な身の上になられたのです。自分の妹となり得る絶対的な相対がなかったので、家庭も築けなかったのです。 ここで知るべきことは、八段階の願いに向けて、愛の血縁的な関係によって生まれた男性や女性は、そのような因縁を備えなければなりませんが、イエス様はそのような道を行けませんでした。一人だけで歩まれたのです。腹中に赤子までも……。相対のない者はすべて殺してしまうのです。ですから、解放されるというのは何ですか? 一代の願いの成就、永遠なるアダム完成の願いが何かというと、「小羊の婚宴」です。そのためには母を探して、「父母」の立場に迎えなければならないのです。それが二千年延長された真の父母の時代になって成就するのです。旧約時代に子女の供え物を捧げたのと同じです。 そうして、新約時代に息子が殉教して血を流した時代へと越えていくのです。今まで父母も、荒野で追われて生きた供え物になりました。血は流しませんでしたが、生きた供え物としてすべて落城したのです。そうすることによって、神様の前につくられたすべての万物が、サタン側の所有権から分かれ得る統一的な基盤を、皆さんの家庭で築くのです。 神様が創造主、絶対永遠なる主人の立場において、サタンに半分を分け与えたというこの恨は、とても言葉では表現できません。その分け与えたのを見ると条件的なものなのです。条件的です。とすれば血を流したその主人は誰でしょうか? その血をもって植えたのは誰ですか? サタンです。破壊したのです。供え物を捧げたのに、神様とサタンが向かい合ってその供え物を受けるというのです。 三代の供え物を通じて三次をかけて、このようなみ業を完成するのです。万物時代、子女時代、父母時代を中心として、このみ業を果たしてきたのです。精誠を尽くさなければならないのです。精誠を尽くして供え物と一つになるのです。供え物と人が一つになってこそ、主人の立場が決定されるのです。しかし、それができませんでした。 それが一つになれる分野がアベル的なのです。カインとアベルの所有権を分配して出発した、悲運の歴史であったということを私たちは知らなければなりません。この悲運の歴史を打ち砕いてしまわなければなりません。私たちの家庭が棒にならなければならないのです。自分が持っている物質は自分のものではありません。自分の服が自分のものではありません。それを知らなければなりません。自分の家も自分のものではありません。「自分」という所有観念を持ったらいけないのです。 ノアが服を脱いで眠っているとき、ハムが父の服を持ってきて、後ずさりしながらかけてあげました。恥ずかしがったという事実、これが天地を引っくり返してしまう根源になったのです。サタンの痕跡が残ったのをそのまま維持していたのです。それは全く再創造理想に反するのです。再創造理想はアダム家庭ではありません。アダム天国理想家庭を完成させようとする真の父母の恵沢を完全にひっくり返したのです。これは地獄よりもさらに制限のない、果てしない穴に落ちてしまわなければなりません。どれほど恐ろしいことか知るべきです。 それで先生がこれまで蕩減歴史の先頭で、ありとあらゆる者を救うために供え物を捧げなければならず、犠牲になりました。物質的に犠牲になったのです。先生の持てるすべてを捧げ、捧げ、すべてを捧げてきたのです。個人的な物質を代表する時代から、八段階の天宙史的な物質を代表する基盤まですべてやったのです。これをすべて統一しなければなりません。 ですから、先生は、個人的な物質を収拾するために、血の汗を流して家庭的な物質を連結させ、復活させなければならないのです。氏族、民族、国家、世界、天宙、八段階まで復活させるには、先生が投入するその次元がプラスとなって、そこに相対的な存在としてカインが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従できなければならないのです。そのような立体的な基準を中心として合わさってこそ、上がっていけるのです。しかし、今までそれができず、完成した者は一人もいません。 自分の一時の献金をもって条件だけを立てたのです。それは八段階までに至っていません。自分の一段階、二段階……数段階を経ていく過程で落ちてしまい、ありとあらゆる行為をしてきたのです。そのような足らないことをすべて先生が責任を負うのです。先生が責任を負って、それを越えて立ったので、こうした宣布式ができるのです。この時間は驚きであり、喜びであり、表現できない栄光の時間であるということを忘れてはいけません。 私は一生の間、一つの孝行もできませんでした。父や母に足袋の一つも買ってあげませんでした。ハンカチの一つも買ってあげませんでした。しかし、今まで統一教会の数多くの人に服も買い、家も買い、ありとあらゆることをやってあげたのです。先生の一族にはかけらもありません。 み言と共にカイン世界を誰よりも愛しました。そのようにしてここまで歩んできたのです。同士もなく、親戚もなく、先生もなく、慰労してくれる相手もなく歩んできたご父母様であるということを知らなければなりません。 そのような悲しくも悲しい峠を越え、悲しみの谷間を、血と汗と涙で埋め、骨を溶かして埋め、平和の基地を築いたのです。そのような祝福の基盤の上に皆さんを立てて、このような日を迎えられるようにしたのです。日本人、アメリカ人、韓国人がこの殿堂において、そのような祝賀をするのは、二度とない、一度しかない事件です。天宙史的な事件なのです。 心の世界に埋もれていた神様の恨の逆巻く波を、静かな庭園の池のさざ波に変え、安らかな思いで庭園を見つめ、昼寝もし、歌も吟ずることのできる、そのような平和の基地を抱かせてあげることのできる日を迎えたのです。これは夢のようなことですが、夢ではありません。言葉にしてみると嘘のようですが、嘘ではないのです。 きょう、ここに集まった三か国の人々をすべて統一し、真の父母が神様の前に供え物を捧げなければなりません。生きた供え物です。皆さんの財産と、皆さんの子女と、皆さん夫婦と、皆さんの国全体を代表して、神様に奉献できるこの時間であるということを記憶しなければなりません。 皆さんが座っている場は、皆さんのものではありません。サタンによってエバが失敗することによって蕩減条件が残された、その場に座っているという事実を忘れてはならないのです。とてつもない事件です。 皆さんは今後、共同生活をしなければなりません。韓国人と日本人が怨讐です。そうでしょう?怨讐でしょう? 完成したアダムと完成したエバも歴史的にみると恩讐です。アダムは「なぜ私を堕落させたのか!」と言うのです。エバもまた「どうして主管できずに天使長に奪われたの!」と言うのです。怨讐です。自己を主張し得る条件を中心として、自己防御の第一主義者として現れたのが堕落した世界です。 これからは保護主義です。方向が違います。「あなたがそうなるならば、私はついていきます」と言うのです。「あなたが妻となって幸福でなければ、私の責任です!」と言い、妻は「夫が幸福でないのは、私の責任です!」と言うのです。その責任追及において咲くべき花は何ですか? 愛の花なのです。 その愛の花はどこで咲きますか? その花は自分を中心とした所には咲かないのです。互いに尽くそうという思いが、生命線まで越えるようになるとき、花が咲くのです。花が咲くことによって、その花の光と香りを訪ねてくるのが、天使世界であり、神様であったということを知らなければなりません。 先生は、そのようなすべてを見越して、総決算するために「総生畜献納基金」をするように言ったのです。どれほど解放的な福であるか知らなければなりません。献納基金をするように言ったのは、解放的な福です。 これからは家庭祭壇です、家庭祭壇。家庭祭壇を捧げなければなりません。偽りの父母によって家庭祭壇がサタンの祭壇となったので、これを引っくり返さなければなりません。自分の所有権があってはなりません。自分の名前で所有する物を持った者は、サタンの息子になるのです。 「堕落」とは何かというと、父母を失い、長子権を失ってしまったことです。これが初めて復帰し得る世界的舞台となったので、世界の統一教会の長子たちは、世界のすべての人々を次子のように愛して、彼らと一つになることで、天地父母の解放圏における父母の立場に入っていくのです。そうして、自動的な家庭編成に応じて、氏族、民族、国家、世界、天宙全体が、統一的な計画圏内において始まり、統一的な計画圏内において結ばれるのです。アーメン! そのようになるのです。 今回の大会には、そのような意義があるのです。七、八、九、十、それで「三・十節」です。きょう、この日はどんな意味がありますか? 個人から家庭、氏族、民族、国家的時代にメシアを送ったのです。それはアベル的で国家中心の長子権でした。再臨時代までは、世界舞台を中心として、真の父母を中心とした「真の父母完成」の出発でした。今や真の父母の祝福によって、世界舞台で「真なる祝福の天宙化とサタンの血統根絶」を完全にやり遂げました。ですから、全体の解放圏を宣布しないわけにはいきません。 今やサタンの境界線はなくなり、天の国の境界線だけが定まったのです。天の国の境界線、これが平準化されて、平面世界と立体的世界の子女たちと一つの帰着点を中心とし、父子関係、夫婦関係、兄弟関係が全世界の舞台を中心として、妨げなく障害なしに、本然なる血統の家庭形態が世界的に拡大され、勝利の一つの標的として決定するのです。その日がきょうなのです。 イエス様も「三・十節」を迎えられなかったので、亡くなったということを知らなければなりません。三十年が問題です。また三年が問題でしょう? 二十七歳から、母親とイエス様が談判しました。「お母さん、私を追い出してしまうのですか? 私を滅ぼすのですか!」と談判しました。十七才のときにも談判しましたがだめで、二十七才のときにも談判しましたがだめで、三十才に再び談判してもだめなので、死ぬのです。それが何の談判かよく分からないでしょう? かわいそうなイエス様です。母もなく、父もありません。本来は母が子女のために命を捧げながら、なんとしても十字架を代わりに背負えなければならないのです。ところが、それができなかったので、母のないイエス様になったのです。自分の願いを成就できる相対圏が完全になくなったイエス様になったのです。 ですからご覧なさい。何のためにゲッセマネの園で祈祷しましたか? 母が受け入れていたならば良かったのですが、受け入れなかったので……。母だけではなく一家全体が役に立たないので、行って生死圏をかけて祈祷したのです。血の汗を流して三度ずつ祈祷しました。「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください。(マルコ十四章三六節)」と祈祷されたのです。どれほど深刻でしょうか? そのような内情を知って「み旨」という言葉を考えるとき、骨の溶ける涙を流さざるを得ない道だったのです。「三・十節」が完成するまで、どれほど多くの犠牲の代価を払いましたか? 数多くの国が滅び、数多くの聖人、賢哲たちが滅んでいきました。その峠を越えられずに……。サタンの境界線を越えられなかったのです。神様の心情の境界線を越えられませんでした。 神様の心情の境界線を越えて、「天地父母天宙安息圏」を宣布しました。天の心情の境界線をすべて突破してみると、「天地父母安息圏」が宣布されました。サタン世界をすべて整理し、サタンまでも赦して、エデンで堕落しない立場に立ったのです。そうすることによって、逆になっていたものが、頭を等しく並べ、一つに一致したのです。プラスがマイナスの境界線と一体になったので、ここで行われるすべてのことは、万事が神様の所管として決定されるという驚くべき時代になりました。ですから、いいかげんに生きてはいけません。いいかげんに生きたらいけないのです。先生も同じです。それを知っているので、「天宙主管を願う前に自我主管、完成せよ!」と言ったのです。 きょうから愛するように言いましたが、その条件が何かというと、原理試験にパスすることです。訓読会を夫ができなければ、妻が常に訓読会をしなければなりません。この宇宙を息子や娘の分身のように愛さなければなりません。共に訓読会をしながら、万物を見つめ、鳥のさえずりを聞いて喜び、虫たちを見て喜ぶことのできる心を育んでいかなければなりません。 家庭的七年路程を行かなければなりません。神様が家庭の孝子を慕われたというのです。家庭の息子、娘ではありません。家庭の孝子、孝女を願いました。家庭孝子です。その次には家庭の忠臣です。家庭自体が忠臣を願うのです。また、家庭自体が聖人にならなければなりません。聖人の家庭にならなければなりません。家庭自体が聖子の家庭にならなければなりません。それが神様の伝統歴史であり、慕い求めてこられた所願であることを知っているので、先生もその法度に従って今まで生きてきたのです。 神様が願われる家庭的孝子、家庭的忠臣、家庭的聖人、家庭的聖子になるのです。そうして天上世界に入ったら、天の国の王宮法と天の国の法をすべて知り、神の代わりに皇族たちを治め、国民たちを愛で治め得る者となってこそ、相続できる資格を持つようになるのです。そのときに相続するのです。そのようになれなければ、億万年の歴史を経たとしても待たなければならないのです。 ですから、地上がどれほど必要かを知らなければなりません。このように自由環境をつくったので、絶対信仰、絶対愛、そして何ですか? 絶対服従です。言葉だけでなく、実際になしましたか? きょう、「三・十節」が何ですか? 「九・九節」が何ですか? 切実に祈祷して、求めて、求めて、「三・十節」を迎えて、解放者となるのです! アーメン! ですから、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従は、私の生活の根本要素です。それ以外にはありません!」と言わなければなりません。 私が夫人に出動、命令すれば「ああ、先生、何でまたそのように?」と言いますか、「ああ、どれほど望んだことでしょうか! 有り難いことです!」と言いますか? 夫人たちを使って苦労させるのは福を与えようとするのですか、罰を与えようとするのですか? 福を与えようとします。皆さんをそのようにするのはどうしてでしょうか? 夫婦をそのように、家庭をそのようにするのはどうしてでしょうか? 福を与えようというのです。 そのように理解して、きょうから新しい皆さんにならなければなりません。「神様の願われる解放的な地上・天上世界で、本然の世界の価値を抱き、神様の愛が自動的に訪れてきて、私と共に暮らす」と言えるようでなければなりません。見たくて、会いたくて、共に暮らしたくて、そして愛したい相対の立場にまで至らなければなりません。願わなくても、居眠りしていたとしても、夜も昼もその横で神様が寝ながら、自分を抱いてくだされば、夜にも体から黄金の光が出ます。夜にもトイレに行く道が明るいのです。そうなるのです。 かわいそうな神様を私が慰労してあげることのできる生活の環境を持ったという事実は、堕落した歴史の後孫としては、本当はあり得ないことです。そのような日を迎えたということは、天地の前に有り難いことなのです。きょうのような日を持つようになったことを、天地に感謝しなければなりません。地を見ても感謝し、空中のどこを見ても感謝すべきです。感謝のほかには残していく言葉がないのです。不平がどこにありますか? 感謝しなければなりません。死んでも感謝、生きても感謝、滅びても感謝、ぶたれても感謝、踏みつけられても感謝しなければなりません。泥棒されても感謝しなければなりません。 どれほど感謝の言葉を述べるべきかというのです。天地万物に対してそのようにしたかというのです。どれを見ても感謝し、「すべてが私のためにある……」と感謝することを知らなければなりません。微生物にも、動物にも数千種に対して感謝しなければなりません。神様は、どんな人に対しても、愛をもってその咎(とが)を覆い、咎を隠して風呂敷で包んで、黄金板を掲げて自慢しようとされます。息子であるがゆえにです。そのような神様の心があるというのです。 それについて神様に感謝し、感謝し、感謝した者は、滅びることがないというのが天理なのです。(三○四-五七、九九年九月十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.28
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平和経 - 第九篇 国境線撤廃と世界平和 - 5. 神様が私の盾であり証言者5.神様が私の盾であり証言者日付:一九八一年十月二十一日場所:アメリカ、ニューヨーク、フォーリースクエアプラザ行事:アメリカ政府の起訴に抗議するデモ集会 敬愛する同志、そして愛する統一信徒の皆様。私はきょう、皆様の熱狂的支援に深い感銘を受けました。私はソウルでこの知らせを聞くやいなや、即座にすべてを差し置き、自ら進んでニューヨークに戻り、きょうこの歴史的な裁判に臨むことになりました。 皆様。私は無罪です。何の過ちも犯したことはなく、何も隠しているものはありません。私の生涯は公的な路程でした。私は、裁判を恐れるどころか、むしろ歓迎します。なぜならば、この司法手続きを通じて、正義は勝つのであり、真実は明らかにされ、さらには、このアメリカ政府の不当な迫害ゆえに苦労している数百万人の世界の信徒たちに、勝利の日をもたらすことができるからです。 私は、アメリカの司法制度に対し、深い尊敬と信頼をもっています。さらにまた、この事件を扱う判事と陪審員たちを信頼しています。アメリカは世界において、正義を具現するのに最も良い国です。私は、私を告訴した人たちと正面から対決するつもりですし、私には良心の呵責がありません。神様が私の盾であり、私の証言者であられます。しかし、神様が、罪を犯したのは私ではなく、私を糾弾する怨讐たちであることを発見されるなら、私は彼らを赦すつもりです。 私はアメリカの言論の自由に対し、尊敬と信頼をもっています。アメリカの言論は、公正な真実を世界に伝えるでしょう。アメリカの言論をだます者は誰もいません。アメリカの言論は、きょうこの起訴がどれほど根拠のないものであるかを発見するでしょう。 皆様。私は、アメリカを私の祖国のように愛しています。以前、韓国にいるときから、アメリカが神様から任された摂理的使命を果たすことができるようにと祈った人です。数年前、初めてアメリカに来たとき、華やかに賑わうニューヨークの五番街に立ち、熱い涙を流したことがあります。そして私は、昔この国の建国の先祖たちが死地をさまよいながら大西洋を渡ってこの国に上陸し、この地を神様に捧げたアメリカの建国精神を考えてみました。私は、その偉大な建国精神を忘れ、退廃の風潮の中で枯れていくアメリカを見て、涙を流したのです。正にその日、私は、この堕落していくアメリカを何としてでも立て直すことを心の底で固く決心しました。神様は、あまりにもよく御存じです。あれから十年!私は寝ても覚めても、私の血と汗と魂を、この偉大なアメリカの精神復興のために注いできました。 私は全世界の統一教会の信徒たちに、このアメリカのために数千万ドルを寄付するように呼びかけました。一九七二年、私たちはアメリカ全域にわたり、多くのものを投入してアメリカの精神復興運動を展開し、ついに一九七六年九月十八日には、ワシントンモニュメント広場で三十万人以上が雲霞のごとく集まった歴史的大会を開くに至りました。統一教会の運動はほかとは異なり、アメリカからもらっていく運動ではありませんでした。アメリカは、むしろ援助を受ける立場でした。統一教会の世界の信徒たちは、万難を克服し、自ら犠牲となって、アメリカの精神運動を支援しました。その理由は、彼らはアメリカを愛しているからであり、神様の摂理を中心として見たときこの国こそが選ばれた選民であることを私が教えたからです。 しかし、きょう私は、アメリカの告訴を受けて法廷に出頭しました。私はアメリカに自らのすべてを捧げた人であり、アメリカから何も持ち出してはいません。ただの一銭も誤って使ったことがありません。キリストの伝統を受け継ぎ、ために生きる犠牲的な生き方を教えてきました。もしも、これが罪であるならば、私は罪に定められることを拒みません。それこそが、イエスキリストが行かれた道です。イエス様はイスラエル選民を愛され、世界を愛され、神様を本当に愛されました。しかし、そのことによって罪に定められ、ついに十字架にかけられました。私がこのアメリカを愛し、世界の人類を愛した、そのことが罪であるならば、私も喜んで十字架を負うつもりです。 きょう私は、自らの栄誉のためだけにアメリカに来たのではありません。私は、政府の迫害を受けるすべての人、人種差別を受けるすべての人、そして宗教的偏見の供え物となったすべての人々の代表としてアメリカに来ました。きょう私は、アメリカ政府の迫害と人種差別と宗教的偏見という恐るべき敵を前に、闘争を宣布するために来たのです。私は、宗教の自由と少数民族の権利と抑圧される民衆の権利を取り戻すために、最後の瞬間まで關うことを宣言する次第です。 私たちは団結しましょう。団結して勝たなければなりません。そうして、私たちの子孫が真の自由平等の地で暮らせるようになることを保障しなければなりません。それこそが、マーティンルーサーキング牧師の唱えた「約束の地」です。 私がもし白人として生まれ、私の宗教が既存の宗教だったならば、きょうここに立ってはいなかったはずです。私が黄色人種であり、私の宗教が改革を叫ぶ統一教会であるがゆえに、私がここで指弾を受けて立っているのです。美しいアメリカの中に最も醜いものがあるとするなら、それは宗教的偏見であり人種差別です。神様は顔の色を問われません。白色人種と黒色人種と黄色人種は、神様の美しい三兄弟です。今日、世界のすべての宗教は、私たちの父であられる神様を、それぞれ違った角度から映して見た鏡に過ぎません。 今日、統一教会は、宗教の目的で使われる財産にまで税金を課されている、アメリカの中で唯一の教会であることを、皆様は御存じでしょうか。私たちがニューヨーク州に納めている財産税だけでも八百万ドルを超えます。このような政府の不当な横暴は、私たちの教会に過酷な出血を強いています。一方、他の教会は財産税を一銭も出していません。なぜ統一教会だけが不当な扱いを受けなければならないのでしょうか。それは単に、私たちの教会の名前が統一教会であり、その創始者がアメリカの市民でない韓国人であり、黄色人種だからです。 レーガン大統領は、その有名な演説の中で「ある宗教団体の基本的人権が蹂躙された場合、それは一宗教団体の苦難と痛みにとどまらず、すぐにアメリカ全体が受ける苦痛と痛みになる」と言いました。もし、この言葉が事実であるなら、今日の統一教会に対するアメリカの不当な宗教迫害と人種差別は、アメリカ全体の恥であり、アメリカ人の屈辱にならざるを得ません。 同志、そして信徒たちよ。この新たな挑戦に勇敢に立ち向かいましょう。この日を大同団結の日としましょう。この日を、私たちの献身の日として定めましょう。世界のすべての悪と不義に対し、妥協なく闘うことを誓いましょう。この闘いにおいて、私たちは孤独ではありません。全能であられる神様が私たちと共におられ、数千万の世界の人類が私たちの味方になってくれるからです。統一教会は、今、アメリカの中で指弾を受ける少数団体です。しかし、神様が私たちと共にいらっしゃる限り、私たちは少数ではなく、絶対多数となるのです。 きょうは、弱小民族の新しい日、新しい闘争の出発の日となるのです。私はきょう、悲しみもなく、不幸だとも思わず、疲れさえも感じません。私はこの日から、少数民族連合会を創設します。 神様。感動、感化なさり、私の闘志と私たちの信念が、新世界の灯台とならしめてください!全能の神様が私に、この巨大な闘いをする機会を下さったことに対し、心から感謝申し上げます。不義と闘う神様の闘士とならしめてくださり、感謝しております。 「天にまします我らの父よ、願わくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。み心の天に成る如く地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.25
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「九・九節」の御言1999年9月9日京畿道九里市水澤洞、中央修練院大講堂九月九日、十日の両日、「天地父母天宙統一解放式」が行われ、九月九日の「九・九節」を宣布されたときの祈祷とみ言。 祝祷 愛するお父様。きょう一九九九年九月九日、真のご父母様の七十九歳を合わせ、九月九日九時九分九秒を中心として、天地に恨として詰まっていたサタンの完成数である九数圏、天上世界から地上世界に連結され、すべての地上天上天国に連結され、地獄と天国の堕落の因縁によって拘束されているすべてのものはサタンに連結されているということを、原理観は説破いたしました。 その内容は、腹中時代からふさがり、幼児時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母の時代を経て、祖母時代と女王時代まで、男性世界、女性世界共に血統を中心として連結されるべき一体的理想圏が、サタンによって心と体の中の境界線、腹中時代の境界線、幼児時代、兄弟時代、約婚、結婚、夫婦、父母、祖父母、王圏まで、すべてがふさがれたというこの事実によって、善と悪の闘争歴史として天の側に立った多くのアベル的な兄弟圏が血を流してきました。 このアベルを中心としてカインを逆に屈伏させ、アベルが天の国の長子権を復帰して、サタン世界の子女たちを次子圏として自然屈伏させなければ、神様の善なる血統が汚されたその血統の因縁を正すことができなかったという恨の歴史であったことを、統一教会の教会員たちははっきりと知っております。 このような原則を中心とした人類の根本解決の主流の道がどのようになっているのかということを明らかにできるのは、この地上に真の父母が現れたことによるのであり、偽りの父母によって、偽りの父母の霊的な代表であり、神様を代表した偽りのサタンを中心とした血縁的関係を結ぶことによって、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統、サタンの良心圏を中心として、神様とは関係を結ぶことができない恨の歴史の数多くの分かれ道と数多くの峠が残されたという事実を私たちは知っております。 これを越えなければならないのが救援摂理の目的であり、あなたの創造理想、愛の理想を中心として、主流的、伝統的思想を成立させることができなかった神様の血族のすべての因縁が、宇宙史的な勝利の覇権的愛の主権を中心として地上天上天国完成、自由解放圏を成し遂げようとしたすべての創造理想の目的は、サタンが血統を完全に蹂躙することによって、偽りの神様の位置から偽りの父母と偽りの子女と偽りの氏族、民族、国家、世界の版図が成されました。 行こうとしても行くことができず、来ようとしても来ることができない混乱の中で、生死の境をさまよう、最後の断末魔的な終末世界は終わりの日を迎えましたので、この偽りの父母によって成されたすべての個人を連結させ、氏族、民族、世界的版図、地上だけではなく天上世界まで、すべての地獄と天上が行き違うようにさせたすべての悪なる父母の血統を根こそぎ引き抜いて整備しなければならない神様の所願の一念が、歴史の峠を越えて、さらに越えながら、恨の恨の恨を抱き、今まで耐えながら悪なる者たちを善なる者たちが自然屈伏させることのできるこのような行路を開拓してきたことが、終局的な路程であるということを私たちは知っております。 善なるアダムが悪に対して、打つことはできません。善なるアダムは、悪を立てうる立場に立ってはいませんでした。創造理想世界は、愛だけが、愛だけが真なる生命圏を連結させることができるので、永遠の生命、地上天上天国の一体、統一的世界を迎えられるようにしようというのが創造理想であり、これを実践、完成させるべきなのが創造目的であったということを、私たちははっきりと知っております。 偽りの父母によって、このすべては九数に該当するものであり、一から九までは天が嫌うことによって、神様は、旧約時代に十分の一条圏を中心として、サタン数の九数を清算するための摂理歴史をなしてきたことを私たちは知っております。 このすべての九数、サタン数の最高の頂上数を個人的に屈伏させ、氏族、民族、国家、世界的に屈伏させるだけでなく、地上世界と天上世界、真の父母を中心として地上世界の整備とともに天上世界の縦的な真の父母であられる神様を中心として一体となり、縦横のサタンが汚した地上地獄と天上地獄、地上のすべてのふさがれた壁を崩すことによって、地上に愛を中心として主流の天上世界の天国まで直行できる道を連結させることのできる真の父母の涙は、立体的なものを経て個人的な時代を過ぎ、家庭、氏族、民族、国家、世界の家庭的限界線をもと返し、神様を中心とした最高の家庭理想を地上に展開することによって天が解放され、神様が自主的にすべての世界を主管することのできる時代が目の前に近づくことによって、天上世界では、「七・八節」を中心として真の父母天宙安息圏を宣布して以来、満四年が過ぎました。 今から四年を迎え、二○○○年代を中心としてサタン世界のふさがれたすべての九数を完全に清算しなくては、二○○○年代を越えていくことができません。明日、十数を加えることによって、一九九九年が二○○○年を迎えることができる数になることにより、神様がはばかられることなく、堕落のない本然の創造理想的アダム家庭理想の愛を中心として、僕として個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、最後まで帰っていき、地上世界と天上世界に連結することによって、球形的統一世界を復帰しようというその本然のみ旨が、解放とともに万歳を叫びながら天地解放圏を持つことのできる六月十四日を中心として、「天地父母天宙勝利祝賀宣布式」を持った基盤の上で、きょうのこの「真の父母天宙統一解放圏」を宣布することができるようになりました。 これは、今から南北統一の運勢が訪れるようになったということであり、東西文化の格差、東洋では精神的文化の基準であり、物質文明の西洋文明とは、お互いに闘争的概念があったものが一つにならなければならないということが東西文化の統一であり、南北の貧富の格差を統一することができ、兄弟の愛の、父母を中心とした家庭理想統一的縦横のすべての愛の理想、天国まで解放圏を備え、地上世界の地獄全体、天上世界の地獄全体、地上世界の天国全体に顕現、天上世界全体に顕現することのできる自由解放圏を迎えた最後の決定的な勝利の覇権を天宙に宣布することのできる日を持ちました。 そのことによって、天上世界の天使はもちろんのこと、霊界に行っているすべての先祖も祝福家庭の恵沢を受けて解放されることによって、サタン世界の根源的な地上の家庭から天上の家庭までふさがれていたすべての壁を崩してしまい、解放、解放を宣布することのできる時代の上にサタン整備、上からサタンの王圏時代のすべてのものを中心として、王圏時代から国家時代に、氏族時代、家庭時代、個人時代の基準が天の圏に変わることによって、今からサタンは、天の全権全能の下に命令を受けなければ、存在状態が許されない世界的版図が復帰されてきました。 南北統一を迎えるこの運勢の前に、真の父母のみ名を中心として天宙の真の父母のみ名を中心として九数を撤廃し、サタン歴史の根絶を天の世界とともに地の世界全体に及んで適応することのできる天の実権時代を迎えられるということを、この地上に記念的な条件として宣布することによって、サタンは、この境界線を越えて天の側の境界線圏内に入ってくることができません。 サタンは、サタンとして屈伏することによって、これが国家的基準から氏族的基準、氏族的基準から家庭的基準、家庭的基準から個人的基準、私たちの心と体が闘争する環境までこれを清算し、今から心と体の統一、夫婦の統一、父母と子女の統一、兄弟を中心とした一族、氏族の統一、民族、国家、世界の統一、神様と真の父母が、縦的な父母である神様、横的な父母である真の父母が一つとなり、縦横の基準を中心として一体化させることによって、万国万民を天上世界の子女とこの地上の子女が、子女の立場に立って、縦的、横的、前後関係を中心として、統一的愛の王圏主義を宣布することができるようになったことを感謝いたします。 サタンは、一から全体が屈伏し、善なる家庭編成を破綻させる役事をした今までの反対のサタン系列のすべては、きょうから神様の命令に従い、家庭完成理念に向かって社会の不信的サタン要素を根絶するときに、反対的な作用として、天の祝福を受けた家庭の天宙解放圏を協助することのできる時代に入るということを、真の父母の勝利の盾の圏を中心として宣言いたします。 サタンであるルーシェルはすでに屈伏し、その系列的な存在のゲリラ戦争を、世界のすべての末端、暗黒世界まで活動していたものを、神様のみ名によってこれを防御してコントロールすることができる主流思想体系、天宙がここに自然屈伏しなければならないということを宣言いたします。 きょう以後からヤハウェのみ名により神様が宣布するこの宣言の前に、「絶対服従」、屈伏することによって、今まで天の百八十度の方向を、百八十度善なる方向に「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の因縁を持つことによって、エデンにおいて悪なる先祖、天使長が「絶対信仰」を持ってアダムを愛し、「絶対愛」、「絶対服従」で天倫の大主体父母、相対父母、天地父母に反対していたことを今、蕩減復帰し、絶対的立場に立って全人類と万物を絶対信奉すると同時に、絶対愛と絶対解放圏によって絶対服従することにより、堕落した天使長まで、地獄まで解放することのできることを真の父母のみ名によってこの「九・九節」を宣布しながら、この内容をはっきりと天宙に宣布いたします。 悪なる世界、善なる世界が神様と真の父母と一体化するようにしてくださって、善だけが残り、善だけが動くことのできる、神様の理想地上天上天国天運時代、解放時代を迎えるように許諾してくださることを、今、真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 御 言 金(キム)孝南(ナム)勧士についてですが、金孝南勧士を長老として認定します。祭司長になるのです。そして、興進君は家庭理想です。イエス様は個人救援の聖子の位置に立っていますが、興進君は家庭救援の聖子の位置に立ったことを知らなければなりません。 それゆえに、天上世界と地上世界の家庭を連結させ、地上で成された家庭を天上世界の先祖の祝福を受けた家庭と一体化させることができるのです。そこで、家庭を中心とした聖子の立場に立ったことを、きょう宣布するのです。 そして興進君、大母様を中心として先生の直系の父母、忠チュン母様を中心とした父母がいらっしゃり、お兄様がいます。そして忠母様は、アダム家庭における本然の世界のすべてのことを蕩減した理想的立場に立った母の位置であり、その母を中心として一つになった大母様は、イエス時代と霊的世界を中心として父母の立場に立ったのです。 キリスト教で見れば、アダム家庭で堕落した基準を復帰することのできる父母の立場が忠母様の立場であり、イエス時代の聖霊を中心として、聖子が霊的父母の立場で失敗したことを連結させて、家庭理想拡張運動を今、霊界が行っているのです。それが清平運動なのです。 それは、イエス時代が霊的父母の基準であるので、霊肉を中心とした基準を充当させる役事をするために祝福を行っているということを知らなければなりません。真のお母様においては、実体世界のすべての血統根絶を中心として、超国家、超民族的な祝福の因縁を中心として、これが連結されれば、地上で個人解放圏が展開されるのです。 家庭、氏族、民族、国家は霊界で成し遂げられるのではありません。地上の天国の民、天国の民、天国愛、天国愛の主人、天国愛の家庭、天国愛の国、天宙愛の国まで連結させることのできる基盤は地上にあるのです。 ですから真の父母を中心とした全霊界と肉界が一つになって、統括的な面で総清算を行い、個人的な祝福完成、氏族、民族、国家、世界、すべてがこのように祝福完成し、霊界と肉界において祝福家庭一体化活動が展開することによって、堕落していないアダムを中心として天国理念を成し遂げた基盤が、全歴史開闢以来初めて、すべての家庭を中心として独立的価値の位置を成立させるようになるのです。 そのことによって、地上天国顕現と天上天国顕現において中心的な神様が臨在されるようになります。神様は縦的な父母であり、地上の真の父母は、世界を平準化するのです。そうして、「家庭を地上で平準化できるのは横的父母である」としたのが、「天地父母天宙安息圏宣布」である「七・八節」なのです。そうして七数と八数を中心として、新しい時代の完成を中心とした出発に連結され、九数はサタン世界によってふさがれているので、「九・九節」を中心として完全にこれを越えなければなりません。 ですから、キリスト教で研究しているのは十一条です。神様は、堕落した世界をすべて失ってしまわれ、神様には一つしか残されませんでした。そこで、「十」という数字において、十数の基台を越えていかなければなりません。ですから皆さん、考えてみれば、賭博場では九数が一番の「王」です。最も良い数字だというのです。賭博というものは「破壊」です。家庭破綻、社会破綻です。それは、九数を絶対視しているのです。 しかし、そうではありません。堕落することによって、サタンの全権が「一」から「九」まで、すべてサタン圏に持って行ったのです。復帰歴史において、神様が「十分の一条」という一条圏を残して、その一条圏を中心として悪の歴史、つまり一つの個人アベル、一つの家庭アベルを中心として、世界版図カイン、世界版図家庭、世界版図氏族、世界版図民族、世界版図国家を清算しようとしたので、キリスト教文化圏を中心として世界化運動をしてきたのです。 第二次大戦後、一九四五年を中心として、そのとき、キリスト教というものはカインとアベルに分かれていました。旧教と新教が怨讐になっていたのです。その旧教と新教が統一されなかったことによって、ここに何が出てきたのかというと、無神論と有神論の闘争が出てくるのです。宗教圏の統一が成し遂げられれば、世界が統一されるのですが、これが崩れてしまうことによって、サタン世界の全権を中心として共産主義が世界を覆ってしまいました。 そのような世界を収拾するために現れたのが統一教会です。それゆえに統一教会は、五色人種が集まって兄弟の愛を立てなければなりません。アダム家庭において兄弟圏が崩れてしまったので、兄弟の友愛を立てなければならず、兄弟の友愛が崩れることによってサタン世界の血統を中心とした結婚が展開されたので、これとは反対に神様を中心として、真の父母は絶対的な兄弟の基準で、絶対的な神側に属した愛を中心として、生命と血統の因縁をつづらなければなりません。そのような超民族、超人種的な祝福を行うのが、統一教会の世界祝福化なのです。それは国際結婚です。 国際結婚をすることによって、今までどれほど反対されたでしょうか?。個人的な世界の反対、家庭的な世界の反対、氏族的な世界の反対、民族的な世界の反対、すべての国家、主義、主張、宗教、全体が一つになって反対しました。 「統一教会は、人類が歴史的に残してきた伝統的家庭を破綻させ、父子の因縁を壊してしまい、夫婦の因縁を壊してしまい、兄弟の因縁を壊してしまい、国家の因縁、世界の主義、思想をすべて壊してしまう」と言って反対したのです。しかし、そのようなものは壊してしまわなければなりません。そして、個人的なレベルにおける心と体が闘う闘争を停止させなければなりません。 人間の心と体が闘っているのです。いくら優れた人であっても、心と体が闘っているのです。闘う版図には、神様は介在されることができません。ですから、心と体を統一しなければなりません。それでは、何をもって統一するのですか?。お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。そのようなものを第一としていけば、崩れていくのです。終わりの日は、そのようになっているのです。 米国が、いくらお金を誇り、いくら権力を誇り、いくら知識を誇ったとしても、それをもってしては統一できません。心と体の戦争を統一させることはできません。何をもってすればできるのですか?。真の愛だけができるのです。そのことを知らなければなりません。それは、どのような愛ですか?。真の愛とは何ですか?。「ために生きる愛」です。自分を投入して忘れてしまう愛です。このことを知らなければなりません。 霊界の善は何かというと、自分を投入して忘れ、また投入しようというのです。真の愛は、十回どころではなく、百回、千回繰り返したとしても、そこに倍の愛を加えながらも、「もっと投入したい」という心が連結するところにおいてのみ、真の愛の伝統を繁殖させることができるのです。そうして植えつけることができ、残ることができるということを、皆さんは知らなければなりません。 それゆえに、わたしたち統一教会は、「家庭のために個人を投入しなさい、犠牲にしなさい」というのです。家庭は氏族のために、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天宙のために投入し、そうして天宙、大宇宙が堕落して汚されたことを清掃するために、神様までも今まで、大宇宙を再創造する役事のためにご自身を投入していらっしゃるという事実を知らなければなりません。 それゆえに、霊界へは、自分のために生きた人は行くことができません。悪なる人とは何ですか?。そのような人は、一から世界まで自分を中心として一元化させようとするのです。それが独裁者です。悪党です。そのような人は、地獄に直行だというのです。 しかし、その反対に統一教会は、個人から全体のために犠牲になるのです。個人は家庭のために生き、家庭は氏族のために生き、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、そして天宙は神様のために生きます。それでは神様はだれのために生きるのでしょうか?。「私」のために生きるのです。ですから、投入するということは、神様を「私」の代身として消化するためだというのです。 真の愛を中心として、神様の全権的な愛を占領し、神様の創造理想の所有権を自由自在に相続することができ、同参権限を持つことができることを良心世界は願うのです。 それでは、最高の願いとは何でしょうか?。神様が人格的創造理想の核として、心の中に存在せしめた愛のすべてを占領するということが、人間の願いなのです。それが人間の良心の願いだというのです。 人間の良心の願いは何ですか? 「今まで、達成した人はいない」と言われていましたが、統一教会は、「人間の願いは良心を中心として必ず達成しなければならない」という定義を立てて、それが可能であるか、不可能であるかということを、実践路程の教訓を通して踏み越えていかなければなりません。 「私」の心と体の統一は、だれもこれを壊すことはできません。心と体を中心として、心と体が完全に統一された男性、統一された女性が決意した愛を、だれも壊すことはできないというのです。そのような父母によって、真の愛で一つになった父母の前にいる息子、娘の因縁は、壊すことはできません。そのような家庭は壊すことができません。 それゆえに、絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛で編入するのです。神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠であるので、そのような人間を中心として、「絶対愛」の主体にならなければならず、「唯一の愛」の主体にならなければならず、「不変、永遠の愛」の主体にならなければなりません。それが、創造主であられる神様の代身者なのです。 そのような本性的な神様の属性に一致することのできる本然的愛の定義に一体となった存在は、神様の代身です。神様ご自身がそのような立場であられるので、創造するとき、その相対をつくることにおいては、このような本性自体とともに、そこに創造性を投入して加えるのです。絶対の創造性、唯一の創造性、不変の創造性、永遠の創造性です。 愛を中心とした、このような絶対の創造性を投入したのです。創造するためには、何を残さなければならないのかというと、主体性がなければなりません。それは「私」だというのです。「私に似なさい」ということです。 皆さんは、個性真理体なので、すべての人は自分を中心として、「投入して残す」ことができなければなりません。その残すものは、家庭に残さなければならず、血統に残さなければならず、愛に残さなければならず、良心に残さなければならないという責任があるのです。神様がそのようになさったので、神様の代身として、それをしなければならないのです。分かりますか? (「はい」)それで今回、先生がベルベディアを出発しながら、前回の聖日の内容を明確にしてあげるのです。 神様に似るという内的な面では、「絶対愛」を中心として、その愛が「絶対愛」であると同時に、唯一、不変、永遠な愛であるので、その愛を通して神様と永遠に同居同楽することができ、同参することができ、相続することができるというのです。 神様の愛の対象なので、絶対的神様の愛が私の愛であるならば、絶対的神様の対象になるのです。そのような内的な基準を、神様の属性を中心として創造世界に拡張するためには、創造性という属性がなければなりません。そして創造した創造物は、必ず主体と対象関係になっていなければなりません。 ですから、清平という所は長子圏なのですが、どのような長子圏なのかというと、天上世界にも神様が創造されていない別の先祖が入っていって、留まっているのです。これをどのようにして解決するのでしょうか?。このようになったものは、神様がつくられた創造理想世界では、解決方法がありません。 偽りの父母によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統でつづられたこの先祖たちは、霊界に行って相対になっているのではなく、すべて別れているのです。それは、天使長の後孫だからです。十人の家族がいれば、十人が別れ別れになっているのです。ですから、イエス様も独身です。すべての聖賢賢哲たちが、それぞれ独りで暮らしているのです。 人間は、独りで暮らすために男性と女性が生まれたのではありません。永遠に一緒に暮らすために生まれたのです。それでは、なぜ別れたのでしょうか?。堕落したので、そのような別の世界が生じたのです。これが地上で生じたので、地上で解決しなければなりません。 なぜ、地上で生じたのでしょうか?。偽りの父母を中心とした偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統で生まれたので、別の部隊です。それは、天使長の体に連結されており、アダムの体に連結されているのです。ですから、これはアダムの身内も断ち切ってしまうことができず、天使世界も断ち切ってしまうことができないのです。このことゆえに、天上世界と地上世界がふさがってしまったのです。 アダムの体を中心として、サタンの活動舞台になっているのです。これを埋めてしまうまでは、サタンの活動舞台を除去させることはできません。そこから、地上天上天国を解放しなければならない、という問題が生じるのです。 そして、皆さんが知らなければならないことは、神様とサタンが闘っている戦争をだれが止めるのか、ということです。そのことを歴史的に考えてみた人はいません。神様が止められるのであれば、アダム以降、二千年もたたずに即刻に止めることができるのです。 また、サタンが止めることはできません。サタンは、これを止めれば自分が永遠に追放されてしまうので、サタン血統の拡大を永遠に固守しながら、善なる基準であるアベル的基準をいつも破壊させるための全面的な行動をしてきました。そこにおいては、政治、経済、文化、すべての面を中心として糾合し、生命まですべて蹂躙するということをしてきたのです。まったく、あきれ果ててしまうようなことをしてきたのだということを知らなければなりません。 神様とサタンの戦争をだれが止めるのですか?。その根がどこから始まったのですか?。偽りの父母であるサタンが出発することによって出発したので、偽りの父母のすべての血統条件を抜くことができ、これを清算することのできる主人である、完成したアダム、勝利的アダムが現れなければなりません。 そして、「おまえ、このサタンはこのような者ではないのか?。おまえは、神様の本来の所有権を奪った泥棒ではないのか?」と言って、歴史をすべてくまなく証明することによって、「そのとおりです。そのとおりです」と証させるのです。そうして、その判決が出た後に、「神様、このようなことはすべて追放しなければなりません」と、検事の位置で神様に通告するのです。弁護士はいません。そのようにして、地獄の底に投げ入れるのです。そのような歴史的な天運が動くという事実を知らないのです。歴史がどこに行くのか知らないでいるのです。 文総裁は、世界的な版図を築きました。米国は、天使長国家であり、韓国はアダム国家です。父と息子が一つにならなければなりません。分かりますか?。今まで復帰歴史は、母子協助をしてきましたが、今からは母子協助時代が過ぎていかなければなりません。 今まで蕩減歴史においては母子、母と息子、娘が犠牲になって復帰してきましたが、このすべてのものが「九・九節」を宣布して南北を統一することのできる運勢に入っていき、そして統一される日には、父子協助時代に入っていくのです。母親はいなくてもよいのです。 母親は、いくらでも捜し立てることができます。アダムが堕落していなければ、エバはいくらでもつくることができたのです。ですから、日本が今まで責任を果たせなかったので、これを韓国に接ぎ木してきたのです。ですから、日本だけが母になることができるのです。 他の人には分からない考えをしながら、韓国の未来の統一の理想世界と天上天国をどのように連結させるのかと考え、導いてきた文総裁です。その問題を、だれが知っているのですか。牧師が知っていますか、長老が知っていますか、だれが知っていますか?。宗教圏の人々は知りません。数多くの宗教は知りません。それを真の父母だけが知っているのです。 無知から堕落しました。堕落した父母は、無知の愛で堕落しました。これが偽りの愛であり、偽りの生命、偽りの血統を残したのです。このことを、真の父母は完全に知っているのです。また、神様はどのようなかたであられ、歴史はどのように流れてきて、民族的な帰結はどのようになり、分裂した心をどのように統一させるのかということも完全に知っており、個人統一、家庭統一、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、自らの手で解放しようとするのです。 偽りの父母が、神様をとらわれの身として閉じ込めておいたので、真の父母は、解放的主人として神様を解放するのです。サタンの王圏を片付けてしまい、サタンの長子権、父母権、王圏を片付けて、神様を天上世界に案内し、先生が築いておいた基台に入って家庭統治、氏族統治、民族統治、国家統治、世界統治まで完結させるべき責任があるのです。それで今まで、やってきているのです。 今、すべての人が困っている問題が何かというと、「青少年問題」と「家庭に対する責任を持つことができない」ということです。世界のいかなる宗教人、いかなる為政者、いかなる主権者、いかなる富豪、いかなる権力者や王であっても、青少年の淪落と家庭破綻に責任を持つことはできないのです。 完成したアダム、このかたがメスを持って手術することによってのみ、神様とサタンの戦争を終結させることができ、地上の良心部隊を中心として、今まで数千万年の間、闘ってきたことを終結させることができるのです。 この闘いには、今まで休戦も停戦もありませんでした。そのことを文総裁が現れて教えてあげることによって、理論的にそれを遂行することのできる、公式的な試験過程を通して間違いのない経験者たちをつくるのです。そのようなことをしているので、そこから統一が可能なのです。 統一教会の教会員として、心身が統一されていない人は天国に行くことができません。これは偽物です。国が成立すれば、再び家庭を中心とした七年路程があるということを知らなければなりません。このような無慈悲な過程を経ていかなければなりません。 世界の統一が難しいですか、霊界の統一が難しいですか?。きょうは、「天地父母天宙……」何ですか? (「統一解放式です」)。天地父母天宙統一が簡単ですか?。天宙というものは、空の「天」という字に家をあらわす「宙」です。それは、天の家のことをいうのです。それを知らなければなりません。地上天国も天上天国も合わせて「天宙天国」というのです。天宙の家のことをいうのです。 本来、堕落していなかったならば、アダム、エバは家庭的に天国に入っていくようになっていたのであって、どこかで一人で暮らすようにはなっていません。しかし、各民族、各部族の歴史において、それら数多くの民族、氏族、血族が、三百六十度位置がすべて違っているものが、どのようにして天国に入っていくのでしょうか?。そのために、すべて門を開いておいたというのです。 海になるためには、天から水の滴が落ちて、支流を経て大きな川を通って海に出ていきます。ところが、今からは大きい川が反対に流れるのです。分かりますか?反対に流れ、海水は無限にあるのですが、それが逆に流れていくのです。山奥の深い谷まで、愛の波、真の波、正義の波、理想天国のユートピアの波が流れ込んでいき、三度だけ出たり入ったりすれば、自然に浄化されるのです。 三年路程さえ経ていけば、地上天国は目の前に現れるというのです。このような国家観を持つべき大運勢転換期にいるということを知らなければなりません。このことを韓国でだれが知っていますか?。牧師が知っていますか、主権者が知っていますか、統治者が知っていますか?。ただ真の父母だけが知っているのです。(「アーメン」)。(拍手) 真の父母はだれにとって必要なのかというと、個人が絶対に必要なのです。心と体の闘いを停止させることのできる教えは真の父母にしかないので、真の父母は数多くの人類、個々人が絶対に必要とするのですか、しないのですか? (「必要です」)。本当ですか? (「はい」) それでは、真の父母は、絶対的にだれのものですか?。真の父母はだれのものですか? (「「私」のものです」)。(拍手)「「私」のものである」と言うことのできる立場に立った男性と女性は、真の父母の血族を受け継いだ息子、娘です。(「アーメン」)。そこには、サタンの血統は一つもありません。一つもないというのです。分かりますか? 真の父母は絶対的にだれのものですか。(「「私」のものです」)。「真の父母は絶対に「私」のものだ」と言う人は、個人絶対完成者です。(「アーメン」)。真の父母を「絶対に私のものだ」と思う女性は、絶対女性完成者です。そして絶対女性完成者、絶対男性完成者は、何のためにそのように完成を願うのかというのです。 真の父母とは何ですか?。真の父母は絶対に「私」のものです。(「アーメン」)。横の人が「わたしのものだ」と言ったら、どのようにしますか?。けんかをしますか?。きょうも四千人、五千人が集まったのですが、この人たちが全員「わたしのものだ」と言ったら、どのようにしますか? 真の父母は二つですか、一つですか?。五千人近くの人がけんかをすれば、三千人が圧死する事件が起きるのです。それならば後退しますか、後退しませんか? (「しません」)。それは絶対的に「私」のものなので、絶対的に闘争しなければならない、というのです。 真の父母はだれのものですか? (「「私のもの」です」)。真の父母はだれのものですか? (「「私のもの」です」)。それでは、目のことを考えてみるとき、自分の目はだれの目にならなければならないのですか?。それは「私」のものなので、真のご父母様の目にならなければなりません。(笑い) それでは、鼻はどうですか? (「真のご父母様の鼻です」)。真のご父母様の鼻です。口はどうですか? (「真のご父母様の口です」)。耳はどうですか? (「耳も同様です」)。手はどうですか? (「手も同様です」)。行動も同様です。一つにならなければなりません。それが真理です。 創造性、主体性、関係性、統一性が起きるのです。真の愛だけが絶対、唯一、不変、永遠なのです。愛は、「絶対愛」を願いますか、それとも絶対ではなく「相対愛」を願いますか? (「「絶対愛」です」)。変化する愛を願いますか?。変わらない愛を願うでしょう? (「はい」) それも一日だけ変わらないのではなく、永遠に変わってはなりません。それがダイヤモンドや金や宝石の価値です。色の輝きにおいて黄金は永遠に変わらず、ダイヤモンドは硬さにおいて変わりません。真珠は、その化合の色彩が永遠に変わらないので、だれでもそれを愛して投入するのです。真の父母はだれのものですか? (「「私」のものです」)。いつからですか?。今から、きょうから歴史を変えるのです。 統一教会は、結婚の相手は自分の民族や自分の親族とはできないので、神様は「韓民族は、自分の宗族(氏族)と結婚してはならない」と言われたのです。それはよかったですか、間違っていますか? (「よかったです」)。「結婚してはならない」ということは、「少しでも、近い人と結婚してはいけない」ということです。 文氏なら文氏同士で、近い人と結婚してはいけないというのです。三代を中心として、親戚、姻戚、一族で結婚してはいけないというのです。このような話になるのです。分かりますか? 親族なので、姻戚や婿も親族になるでしょう。親族といえば、母方の親族も入ります。ですから、姻戚の八親等までも結婚してはいけないというのです。それで問題になるのです。先生が「結婚してはいけない」と言えば、してはなりません。神様は、そのような親族を捜し求められるのです。 それは何かというと、「怨讐を愛することのできる群れになりなさい」ということです。「親族の近い人同士で結婚してはならない」と言ったのですが、それでは、どのように結婚するのでしょうか?。その究極の結論は何かというと、「怨讐と結婚しなければならない」ということです。 「怨讐を親族の愛以上の愛をもって愛する日には、地上、天上天国が生じる」と考えているのです。簡単でしょう?。それは正しいと思いますか、正しくないと思いますか? それで日本人と韓国人を先生が交差結婚させたのです。そこから「交差結婚」という言葉が出てくるのです。 「交差結婚」という言葉を聞いたことがある人は手を挙げてください。日本のメンバーは韓国語が分かりませんが、交差結婚という言葉を聞いたことのある人は手を挙げてください。韓国人も挙げてください。 交差結婚するということは、どういうことですか?。韓国は、日本と怨讐です。日本人と韓国人は歴史的に怨讐ですが、その怨讐同士が統一教会で結婚して、どのようになっているでしょうか?。百パーセント離婚ですか、幸せに暮らしていますか? (「幸せに暮らしています」) さあ、真の父母はだれが絶対に必要とするのですか? (「「私」です」)。真の父母は「私」のものです。「私」のものですが、その「私」のものと取り替えるものは何ですか?。真の父母を「私」のものにするためには、「私」の貴重なもの、より貴重なもの、全体の貴重なもの、それを与えてでも取り替えることができなければならない、という論理が成立するのです。 真の父母は国家の代表であり、世界、天宙の代表であるので、何を与えて「私」のものにしなければならないのですか?。それをただ、ただ、泥棒のように奪ってきました。あなたたちは泥棒の群れですか?。本物の群れですか?。 日本の女性たち。あなたたちの一族を売り、一国を売り、過去、現在の先祖をすべて売ったとしても、一等である真の父母を買う日には、その売られていったすべてのものが喜び、売られたすべてのものは、「私」の真の父母の代身、国の真の父母、先祖の真の父母、全体の真の父母になるのです。(「アーメン」)。アーメンですか、何ですか? (「アーメン」) こちらに座っている人たちは、何の話か分からないのですか?。なぜ、黙っているのですか? (笑い)なぜ、このようになったのでしょうか?。日本人と韓国人とは顔が同じで、瞳も、鼻も同じように生まれたのに、なぜ、言葉が通じないのですか? (笑い)おかしいのです。 顔や目や鼻はすべて色が同じで、だれが日本人なのか、韓国人なのか、昼に研究し、夜には夢の中で研究しても分からず、体の色もすべて同じで、顔も同じで、食べる物も同じなのですから、言葉も同じで生活も同じでなければならないはずなのに、なぜ、言葉が通じないのですか?。それは、だれがそうしたのですか?。だれがそのようにしたのでしょうか?。 それは、反対の愛の環境で始まったのです。これを統一しなければなりません。反対する者同士で愛を混ぜなければ、統一の理想は根本的に、理論的に解決する起点がないという結論が出てくるのです。そうですか、そうではないですか? それで、日本人と韓国人は怨讐なのですが、その日本人と韓国人を交差結婚させたのです。それは、よかったですか、間違っていましたか?。そして「交差結婚した、その次の日からふろしきを包んで、日本から韓国に行って暮らし、思いどおりに破綻した家庭をつくって暮らしなさい」と言いましたか、「永遠の家庭をつくって暮らしなさい」と言いましたか? (「永遠の家庭です」) 二世の時代が来ました。それが三世になり、十代になれば、どのようになると思いますか?。十代になれば、どうなりますか?。交差結婚をして三代だけを考えても、その半分以上が韓国化します。三代だけでもです。そうでしょう?。恐ろしいのです。十代もかかりません。 そうして、七代までで氏族、民族になるのです。七代にさえなれば、完全にその国はカバーされてしまうのです。それを、何をもってそのようにするのでしょうか?。男性と女性の愛ですか?。何ですか? (「愛です」)。愛がどこにありますか? 「真の父母は「私」のもの」です。手を挙げてください。(「アーメン」)。真の父母を「私」のものにするためには、この地球星を売ったとしても、それを買わなければなりませんか、そうではないですか? (「買わなければなりません」)。地球星でも足りません。地球星と霊界と肉界を売ったとしても、買うことはできません。それができるのならば、すでに神様がなさっていたのです。 神様とサタンの闘いをだれが止めるのですか?。神様が止めることができるのならば、その翌日には止めています。宇宙を創造したかたにできないことがあるでしょうか?。それは、人間の責任分担なのです。 人間には、責任分担があるでしょう?。人間が罪を犯したので、息子(人間)が罪を犯したことを、父母(神様)が責任を取ることはできません。王が責任を取ることはできないのです。 ですから、「息子が出てきて根を抜いてしまってこそ、家庭の父親も母親も国の王も解放される」という理知に従うのです。偽りの父、偽りの愛、偽りの血統を中心として堕落した世の中になったので、真の父が出てきて真の愛、真の生命、真の血統を中心として突き立て、永遠不変の理想的体にならなければなりません。 「「私」は家庭の代表であり、家庭は氏族の代表であり、氏族は民族の代表であり、民族は国家の代表であり、国家は世界の代表であり、天宙の代表、神様の代表である」ということのできる、理論的な系列がぴたっと展開されなければなりません。 思想という言葉を知っているでしょう? 「思想」の「思」という字は、「田」の下に「心」です。「田」は世界を表し、十字架を表します。そして十字架は統一を表すのです。主体統一、相対統一、父子統一、夫婦統一。 神様は、子女までの三代を持つことができませんでした。神様が一代であられるならば、アダム、エバは二代です。縦的、横的、左右関係を持つことができませんでした。「左右」の結婚もできなかったのです。息子、娘を生むことができませんでした。三代がなかったので堕落したのです。わたしたち統一教会は、三代を経るために三大祝福をしなければなりません。 今では、二世祝福はすべてしたでしょう?。三世の祝福をする日が来るまで、いくらもありません。三世がもう十五歳になっています。十六歳になった者もいるのです。それは三代です。三代を祝福するときは、皆さんがすべて真の父母の代身となり、世界のすべての所有権基準が真の父母の公認の所有権基盤になって、国と世界の基盤が築かれていなければなりません。 そこでは、自分の一族の基盤と一家の基盤と、一個人である夫婦自体の基盤の所有権をどのように伝授して付着させるのかということが、歴史的、宿命的課題であるということを知らなければなりません。このようなとてつもない課題が残っているのにもかかわらず、何ですか、自分一人だけ「信じて天国に行こう」というのですか? 今までの宗教では、「一人で天国に行く」というのですが、それは、知らなかったのです。それは天使長の親族です。今では、主権者が祝福を受ければ、その国がすべて祝福を受けることができるような時代になりました。人口二億四千万の米国が、大統領が閣僚会議で決定して祝福を受ければ、一日に天国の民族になることができるのです。恐ろしい時が来たのです。分かりますか?。そのような時代が目の前に来たのです。 国連が「真の父母の日」を中心として、「真の子女、真の夫婦の日」さえ形成すれば、世界の六十億人類を一日で祝福することができるのです。できますか、できませんか? (「できます」)。それは何のことですか?。「サタン血統根絶」なのです。 きょう、特別に決心しなければならないことは、「真の父母は、絶対的に「私」のものである」ということです。唯一的に「私」のものです。不変的に「私」のものです。永遠的に「私」のものです。何を中心としてですか?。真の愛を中心としてです。 見てください。愛の神様が中心にならなければならないでしょうか、神様の愛が中心にならなければならないでしょうか?。愛の神様が主体にならなければならないでしょうか、神様の愛が主体にならなければならないでしょうか? (「愛です」)。そのことをはっきりと知らなければなりません。 神様はなぜ生まれたのかというとき、それは「愛のために生まれた」というのです。愛の神様になられるのです。そして神様の愛になるのです。それゆえに、「神様は愛のために生まれた」という論理を知らなければなりません。 キリスト教思想では、「愛は思いどおりにすることができる」というのです。愛は思いどおりにすることができますか?。ここですべて話をするので、よく聞いてください。愛の神様は何ですか?。愛の神様は、愛のために生まれたのです。愛のために生まれた神様は、愛のために生きるのです。分かりますか?。神様ご自身のために生きるのではありません。愛のために生きるのです。そしてすべての万物も愛のために生まれたので、愛の世界には「自分のために生きる」という概念はないのです。アーメン。天地の理知がそうです。女性が、なぜ生まれたのかと聞かれて、「女性は自分のために生まれたのでしょう」と言えば、恥をかくのです。女性がなぜ生まれたのかというと、愛のために生まれたのです。愛には、必ず主体・対象の関係が鉄則になっています。 それゆえに、愛のために生まれたこの世界を見れば、鉱物世界もすべてプラス、マイナスがあるのです。植物世界も雄しべ、雌しべがあります。動物世界も雄、雌、人間世界も男性・女性、天の本性も性相、形状として雄(陽性)、雌(陰性)の概念があるのです。 それは、なぜ、そのようになっているのでしょうか?。愛のために生きるためなのです。女性はなぜ、生まれたのですか?。男性はなぜ、生まれたのでしょうか?。「私」は、ただ生きるために生まれたのではありません。この宇宙とともに神様の本性、つまり根本と結果のすべてのものを保管した家庭で、そのような価値的存在として生きるために生まれたのです。 ですから、神様にも「この老人。愛のために生まれたのではないか?」と言って、降伏させなければなりません。そのような意味で、先生は素晴らしい先生なのです。度胸も大変なものでしょう?。聖人と殺人魔とを一緒に祝福してあげたのです。昔、祝福を受けた人は、十年間精誠を尽くしたのに……。そうではないですか?。 女性は、なぜ生まれたのですか? (「愛のためです」)。神様は、なぜいらっしゃるのですか? (「愛のためです」)。愛のためなのです。そして神様が、ご自身の愛の対象としてつくられたのが人間なのです。 神様は愛のためにいらっしゃり、人間のためにいらっしゃるのです。愛のためにいらっしゃるのならば、愛を復帰しなければなりません。それをどこから復帰しなければなりませんか?。愛することによって復帰するのです。それが理論的なのです。 それでは、堕落とは何ですか?。女性の願いは何ですか?。八段階を経ていかなければなりません。考えてみてください。私がこのようにして、あなたたちが行く道をすべて築いてこそ、先生の行く道が築かれるのです。父母が行く道は、子女たちが行く道です。 そうして、堕落した世界の国を復帰することができ、家庭を復帰することができ、自分の行く道、天上世界の天国に直行することのできる道理をすべてつくったのですが、それをつくってこそ、父母が前面に立つのではないでしょうか? 天国に入っていく道は、反対になっているでしょう?。真のご父母様に従って入っていかなければなりません。それを「嫌だ」と言ってはなりません。霊界に行った聖人、義人たちは、先祖の一つの位置を占有できればよいと、千秋万代、数千年を待ってきたのです。それは六千年間ではありません。それ以上待ってきたというのです。 さあ、皆さんは何段階の願いを持って生まれたのかというのです。女性が胎中から生まれたとき、何から始まったのですか?。父親と母親の愛の精気がみなぎらなければならないでしょう?。男性と女性の春にならなければなりません。春に花が咲くのでしょう?。同じことです。 そうして春を迎えて初めて、父と母がお互いに好むようにならなければなりません。それはだれも離すことはできません。そこに絶対的に離すことのできない愛の精気がみなぎらなければなりません。 愛には、生命以上の力があります。愛のために生き、愛のために死ぬのです。死も、愛の前には問題になりません。本来は、今日の堕落した世界の生命問題や家庭問題、それをすべて火で燃やして祭物としてささげなければ、天の国に行くことができないのです。 先生もそうです。祝福家庭をつくることがどれほど大変だったでしょうか?。最近では、道ばたを歩いていても祝福を受け、トイレでも祝福してあげるということを聞きました。わたしが今から教えてあげる伝統は、そうではありません。法で治めるのです。天の国の憲法ができ、法ができるのです。ここに引っかかれば、即刻処罰します。問題が起きるのです。 それでは、女性が生まれるとき、どこから生まれるのでしょうか?。父母の愛から生命、血統が混ざっていなければなりません。愛が芽生えて、女性の生命が男性の生命に帰っていくことによって、混ざっていく所において、そこに種が生まれ、渦巻きとなり、渦巻きが生じる力が注がれて、あなたたちの生命が生まれたのです。 それゆえに、父母の愛の骨です。分かりますか?。父母の愛の骨です。そのようには考えないでしょう?。父母の愛に同参するにおいて、主人はだれなのかというと、母親でもなく、父親でもなく、自分が主人だというのです。 ですから、父母は息子、娘のために生命まで投入しなければなりません。そうして何もなくなってこそ、そこにいらっしゃる神様は下に降りていかれるというのです。最後までなくなり、見えない神様の側に、あの夜の世界に帰っていくのです。 それゆえに、「私」という存在は、父母の愛の生命と血統の同参者であるという、そのような自覚を持たなければなりません。それでは、この二つを分けることができますか?。父と母は分けることはできず、父と母と「私」自身を分けることができないという宿命的な一体なのです。 李相軒氏が霊界に行くと、父と母と自分が神様のように見えると言わなかったですか?。じっとのぞき込んでみれば、三人だというのです。これと同じことです。分かりますか?「私」という存在は何ですか?。父母の愛の結実体であり、生命の結実体であり、血統の結実体なので、父母よりも多くの知恵を持っているのです。 それゆえに、真の愛の願いは何かというと、「自分よりも優れていることを願う」ということです。それで、父母は息子、娘が自分よりも優れていることを願うのです。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン」)。それは、「永遠にそうです」と言うべきです。 父は、自分の愛する妻が永遠に優れていることを願うのです。そうですか、そうではないですか?。母は、自分が愛する者が自分よりも優れていることを願うのです。そうですか、そうではないですか?。分かりますか?。兄弟同士でも、兄は弟が、自分よりも優れていることを願うのです。弟も兄が優れていることを願うのです。そうでしょう?。 一家を中心として、親族よりも優れていることを願うのです。そうでしょう?。すべての世の中において、最も貴いものは、「私」を中心として連結するためのものなのですが、連結するにおいて、どのような内容がなければならないのかというと、上下関係、父子関係、左右関係、夫婦関係、前後関係、兄弟関係ができてこそ、立体形成が展開されるのです。 ですから、父母も「絶対父母」が必要です。そうですか、そうではないですか?。神様の属性は絶対、唯一、不変、永遠であり、絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛なので、その生命圏では神様と一緒に同居同楽することができ、神様のように相続権を持つことができるというのです。ですから、夫のものはわたしのものであり、わたしのものは夫のものであり、息子のものは母のものであり、母のものはわたしのものなのです。 そして、わたしのものは家庭のものであり、家庭は氏族のものであり、氏族は民族のものであり、民族は国家のものであり、国家は世界のものであり、世界は天地のものであり、天地のものは神様のものであり、神様のものは「私」のものになるのです。 このように、すべてを連結させる統一的実体になったので、神様の後にくるものは、すべてわたしのものとし、小さいもので出発して大きいもので受けるのです。最も小さいところからではなく、大きいところから出発するのです。戻ってくる愛の力は、もっと大きいのです。真の愛というものが戻ってくるとき、小さくなるという法はありません。 皆さん、食口たちの中で、クリスマスや誕生日を祝賀するときに、本当に愛する友人が百ドルのプレゼントを贈り、そのプレゼントは精誠を尽くして贈ったということを知ったとき、その友人の誕生日に九十ドルの贈り物を贈りたいですか、何百倍のものを贈りたいですか? (「何百倍のものです」) それが愛の心です。ために生きる愛です。ために生きる愛の世界だけがそうなのです。相手に対して「ために生きろ」という愛は、奪い取るものです。それを知らなければなりません。ために生きようとする愛においてのみ、「真」が連結されるのです。 そして、真の父母は何かというと、息子が百人いれば百人全体のために生きるのです。一万人いれば一万人の人を、地獄にいる者から天上にいる者、良い者、悪い者を平準化させ、父母が喜ぶと同時にすべての者が永遠に喜ぶことができ、すべてが両手を挙げて万歳をすることのできる環境的与件に責任を持つのです。そのような天地父母にならなければなりません。 そのようなみ旨を知った文総裁は、一生の間、休んで過ごした日がありません。それは、つらいことです。そして、どこかに行って、貧しく暮らす人がいれば、「十年、二十年後に、わたしは訪ねてくるつもりだ。来ることができなければ、わたしの愛する息子、娘、弟子、統一教会の食口が来てこのようなことをするだろう。間違いなくするだろう」と言いながら、歩んでいるのです。 あなたたちは、「その代を受け継いで、そのようなことをする」と考える人になっていますか、なっていませんか?。「わたしは、すでにそのようなことをすることを決心しました」という人は、力いっぱい手を挙げてください。本当ですか? (「はい」) わたしが今まで、どれほどだまされたのか知らないのですか?。むしずが走ります。それを信じなければなりませんか、信じてはなりませんか? (「信じなければなりません」)。信じなければならないのですか?。それでは、両手を地につけてください。間違いなくそうしますか? そのようにすれば、間違いなく息子、娘になるでしょう。一度、力いっぱい地から神様の宝座まですべてを飛ばしてしまうことができる立場で「さあ、わたしは、そのような息子、娘になります」と言ってください。さあ、そのような父母の愛、父母の生命、父母の血統を受けてどこに行くのですか?。あなたたちが生まれた生命体はどこに行くのですか?。 人類は、失敗したアダムの代を受け継いだ後孫なのですが、完成したアダムならば、人類はすべて息子、娘ですか、何ですか? (「息子・娘です」)。そうです。今まで共同墓地に行った先祖まで息子なのです。ですから、「わたしの言うことを聞きなさい」と言えば、聞かなければなりませんか、聞いてはなりませんか?。聞かなければなりません。そのような特権があるのです。三時代の父母だというのです。それは、驚くべきことです。 先生に知恵があって捜し出したのではありません。求めて、求めて、捜し求めたので、教えるのです。それゆえに、皆さんの心も、それを肯定したとしても寂しくないのです。しかし、少しでも違えば、不安になるのです。 三時代の先祖だということを信じますか、信じませんか? (「信じます」)。三時代を経ていかなければなりません。旧約時代は何ですか?。長子権復帰を今までしてきました。父母になろうとすれば、カインとアベルが一つになった基盤の上で種をまかなければなりません。そうではないですか?。そこにユダヤ民族、選民の中で長子が誕生しませんでした。 この二つを一つにし、神様が独り子を立てることのできる長子の権限として、イエス・キリストを立てたのです。イエス様は独り子です。それは驚くべきことです。イエス様がメシヤの候補の名詞を持つことのできる堂々とした価値を備えていたということを、今日の宗教人たちは知らずにいます。 メシヤが現れるために、どこに旅行をしましたか?。母親のどこに行きましたか?。どのような宮を訪ねていくのですか?。それは子宮です。女性たちは皆、子宮を持っていますか、持っていませんか?。子宮に神様のきれいな息子、娘を妊娠したいですか、汚れたサタンの血が混ざった、ぼんくらのような血が混ざった息子、娘を持ちたいですか?。尋ねる必要もないというのです。 ですから、子宮が泣いたというのです。誤って、ありとあらゆることが起こったのです。それが嫌なので、小さくなっていったのです。小さくなって生まれたので、生まれた姿も子宮の形態によって、あらゆる姿の人がすべて出てきて、この世の中、理想世界を破綻させ、愛を混乱させる地獄になるように役事してきたということを知らなければなりません。堕落の血統なのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」) さあ、それでは今から考えてみましょう。あなたたちはだれであっても、母親の子宮にくっついて母親の血肉を吸い取って大きくなったでしょう。そうではないという人は、手を挙げてください。それは泥棒です。「そうではない」と言う人は泥棒であり、「そうだ」という人が正常な人であるということを知らなければなりません。母親の血肉が必要であり、母親の骨肉が必要であり、母親の愛が必要であり、生命が必要なのです。分かりますか? (「はい」) 自分のゆえにではなく、母親の愛のゆえに、母親の生命のゆえに、母親の血統のゆえに「私」が生まれたということは否定できません。生まれるときには、女性として、あるいは男性として生まれるのですが、女性自体が女性のゆえに生まれた、という女性はいません。そのようになれば、永遠に自滅するのです。女性が、だれのために生まれたのかというと、男性のためにです。これを知りませんでした。出発の起源を不明確に考えていたのです。 女性は何のために生まれたのですか? (「男性のためにです」)。男性のためにです。一時代ですか、永遠の時代ですか? (「永遠の時代です」)。永遠の時代です。神様の娘の愛は、絶対、唯一、不変、永遠の愛であるので、その愛を中心として、その対象的価値は絶対価値であり、絶対的な相対であるということを知らなければなりません。変わることはできないというのです。それゆえに、女性の前に男性は、絶対真理の愛の相対なのです。「アーメン」と言わなければなりません。(「アーメン」) 女性たちは、愛を尋ね求めていかなければなりません。愛の家に入っていき、愛の息子、娘を生んでみなければならないでしょう?。愛の息子、娘を生んで、愛の母親になってみて、愛のおばあさんになってみて、愛の女王になってみなければならないで 女性が生まれた目的は、どこにあるのかというと、腹中時代から一人で生まれましたが、男性の王になることのできる人を相対として願って生まれたのです。「私」の夫は、腹中時代から男性の腹中時代の王なのです。 そして家庭に入れば、赤ん坊が育って、赤ん坊時代からその次は兄弟時代です。男性と女性が行く道は違うでしょう?。兄弟時代に別れて、青少年になれば約婚時代、結婚時代、母親時代、おばあさん時代を経て、王の位置に行かなければなりません。八段階を行かなければならないのです。その道を前にして、約束して生まれているという事実を知っている人はいません。ですから、自分のために生きてはなりません。 神様は、どのようなおかたですか?。主人になりたいと思っていらっしゃるおかたです。それは何の主人ですか?。愛の主人です。あなたたちも愛の主人になりたいですか? (「はい」)。父親としての主人、夫としての主人、妻としての主人、家庭としての主人になりたいのです。愛を中心とした主人の決定は、自分一人では永遠になされません。このことを知らなければなりません。今日まで、それを知りませんでした。 夫がいくら優れているとしても、自分一人ではできません。妻がいなければ、女性の愛が分かりません。女性の愛に対することのできる主人の資格は、自分の妻が成し遂げてくれたということを知らずにいます。 妻も、いくら自分が美人で、それを誇ったとしても、男性を愛して男性を慕うことのできる愛の主人になることができたのは、男性の愛を目覚めさせてくれた、最初に結婚した夫ゆえに主人にしてもらったのです。相対が自分の主人の資格を決定してくれるということを知らずにいるのです。それは深刻な話です。 そして神様は、腹中の赤ん坊時代の愛の主人になるために、それから大きくなり幼児時代の愛の主人になるために、兄弟時代の愛の主人になるために、約婚時代、デート時代を経て(お互いに)慕うのです。すぐには結婚しません。デートをする約婚時代、結婚時代を経て父母時代に発展していくのです。父母時代を経て祖母時代を経て、女王の位置に入っていくのです。女王の位置です。そうして天上世界の神様の夫人まで行かなければなりません。 腹中時代は、そのような遠大な希望を抱いて、水の中から調和の運動が展開し、水を中心として生きる時です。それから地上に出てきて、陸地のすべての要素を取り込んで生きるのです。それゆえに、水は腹中時代の母親です。水を通して生きるのです。栄養素が水なのです。そしてこの地上に生まれ、地球星のすべての栄養素は愛のエキスです。 神様が人間を創造されたとき、肉をすべて構成することのできる要素が地上にあるのですが、それを吸収して人間は生きるので、地球星が母親ということになるのです。それを知らなかったという話です。 蘇生の母、長成の母、それから完成の母がいます。霊界に入っていき、神様の愛を中心として幼児時代から三時代の主人の資格を成すために「私」は生まれたというのです。このような膨大で、とてつもない価値的存在として生まれたという事実を、宇宙の前に感謝しなければなりません。 水を見て感謝し、地球星を眺めて感謝し、天上、天の世界を見て感謝し、「私」を抱いて、抱いて、愛して、愛して、永遠に愛して、終わりなく「私」はその愛を受け、その地球星の愛を天上世界に返し、神様の愛を結実させるのです。そして再び、種のように、アダム、エバのように循環運動を永遠にすることによって、この地上の一家庭が氏族を成し、民族を成し、国家を成して、天の国の民族、地上、天上天国が完結するのです。アーメン。(「アーメン」) それゆえに、生まれたのは、地上、天上天国、神様の愛の実体圏を所有するために生まれたという事実を知らなければなりません。ですから、自分を主張してはなりません。女性が自己主張をして独身生活をしてみてください。そうすれば滅びるのです。そのような「敗亡主義者」たちが多いのです。 そうして、サタンが最後の日に、神様が最も好まれるものを全面的に破綻させるために、後に愛の理想宮となるものを完全に泥棒の巣窟にしてしまうのです。フリーセックス、ホモ、レズビアンですか?。親族相姦関係。完全に破綻させました。このように破綻したものを、神様はご存じなので、これを収拾することのできる大王陛下であるメシヤを送られるのです。 文総裁は何かというと、天下の家庭の王なのです。文総裁は、世界の八億双の未婚男女を祝福することのできる天の国と地上の国の家庭の王位なのです。そのようなことを言ったとしても、だれも反対する人はいません。 家庭の王になれば、氏族の王の編成は問題ありません。自動的に行われるのです。一時に合わせてしまうのです。何千年間、アダム家庭として繁殖し、数千万年の間、人類は発展してきたのですが、一時代にまとめて行い、一代に合わせるのです。 一代で未完成だったがゆえに、このようになったので、完成したアダムは一代ですべてのことを成し遂げ、天国化、地上天国、万世天国を宣布することのできる資格者になってこそ、神様まで解放されるのです。何のことか理解できますか?。夢のような話ですが、そのようなことを行っているのです。あらゆる面で魅力があるのです。 女性たちが、先生を自分たちの思いどおりにすることはできません。先生が女性に引かれていくことはありません。そのようにすごい人なのです。すべての女性は、堕落したエバと称するので妹です。妹である以前に、腹中時代の相対的要求を充満させることのできる神様代身の愛を持って愛するのです。 腹中時代から幼児時代、兄弟時代です。兄弟の主人、神様は、その主人になることができませんでした。神様は、腹中時代の主人、この地上に生まれてからは兄弟時代の主人、それから約婚時代の主人、夫婦時代の主人、父母時代の主人、祖父時代の主人、王宮時代の主人になることができませんでした。 そのように失ってしまったものを復帰するために、このように数千万年かかったのです。これを復帰しなければなりません。このような理論的な基準があるので、それが可能なのです。 「真の父母天宙統一解放」です。それがどういうことか分かりますか?。一般の世の中の人にそれを理解させようとすれば、三時間は話さなければなりません。それでもついてくるのは大変なことです。 しかし、統一教会人たちは、すべて分かって、そのうえで踊りを踊るのです。踊るのには、三年、十年待たなければなりません。無知からは、完成がありません。理想がありません。今日、現在の科学文明は、理論に通じるものはすべて創造することができるのです。 皆さんは、どこに留まるのですか?。腹中時代に赤ん坊の長子として、父母として、王として留まるのですか?。赤ん坊が父母になるために、長子になるために、真の父母になるために、王になるために育っているのです。そうではないですか? それは、どのような時代にですか?。母親のひざの上で、兄弟時代にそのようにするのですか?。デートするときにそのようにするのですか?。結婚生活するときにするのですか?。父母になってするのですか?。父母の上に祖父、祖母にならなければならないでしょう? (「はい、そうです」)。なるようになっているではないですか?。そのように上がっていくではないですか? それでは、祖父、祖母の上は何ですか?。王、女王にならなければならないでしょう?。何を中心としてですか?。国を中心としてです。王です。子女が一つになるのは、父母の位置を復帰するためであり、父母が一つになるのは、王の位置を復帰するためであり、王の位置で一つになるのは、神様に侍るためなのです。そのような観念ができていないではないですか? このような八段階の希望を抱いて、腹中時代に君臨した神様の娘であり、息子であったという事実を知らなければなりません。人類の長子権を相続することのできる独り子、独り娘であったということを知らなければならないというのです。 人類の歴代先祖をつくり、国をつくることのできる先祖着地の起源をつくるための王の位置であったということを知らなければなりません。そのようなとてつもない内容であるということを知らなければならないのです。 それゆえに、夫も一番を願い、父母も一番を願うのです。すべての人がそのように考えるでしょう。父母も「一番ならよい、王になればよい」と考えるのです。祖父から歴代の王孫ならよいと考えるというのです。夫が王であり、女性は女王ならばよいと考え、息子、娘もそうであればよいと考え、三代が王になることを願うというのです。三代が王圏です。分かりますか? 腹中から生まれるとき、八段階の位置まで千辛万苦ではなく、順理的な法度で自然的にそのような位置に行くことのできる福のある天の王子、王女として生まれなければならないのですが、堕落によって完全になくなってしまいました。父母もいなくなり、真の愛がなくなり、真の血統も、真の生命も、真の良心もなくなったので、これを再編成するためのものが再創造歴史なのです。分かりますか?。再創造歴史は、投入しなければなりません。 それゆえに統一教会は、象徴献祭三年半、伝道三年半という七年間の公生涯路程を行かなければなりません。七年路程を中心として、蘇生、長成、完成、国家、世界のキリスト教文化圏が反対する中を、先生は世界基盤を中心として七年間の受難の道を行ったのです。外国で監獄生活をしなければなりません。そしてそこから出てきて蕩減し、勝利の立て札を掲げたので、韓国に帰ってきてこのような祈祷もすることができるのです。 「錦衣還郷(=故郷に錦を飾ること)」でしょう。錦国還郷したのです。錦天地を持って還郷しなければなりません。しかし、堕落によって、それが分からないのです。衣を着て、お金をもうけて還郷するのではありません。国を復帰して還郷しなければならず、世界を復帰して還郷しなければなりません。 神様の故郷に入っていくとき、天宙を復帰して還郷をしなければ、神様の尊前に行って、万国を治める神様の前に敬礼をささげることができ、王圏を相続できる息子、娘にはなることができないというのです。それが永遠なる神様の「独り子権」、「独り娘権」であるということを知らなければなりません。 それは、千万代、何億万代の独り子権です。「七代の独り子(七代にわたって嫡子が独り子)」が死んだとしても、国がその悲しみに同情するのに、何億万代の独り子、独り娘がいっぺんに死んでしまったのです。 その独り子、独り娘を復活させるための役事が、考えだけでできますか?。何ですか、信じれば天国に行けるというのですか?。自分の思ったとおりにするのですか?。自分の考えはああでこうで、自分の知っている知識で「ああだ、こうだ」と考えています。霊界を知っていますか?。知らないでしょう。そのようなものは、すべて片付けてしまいなさいというのです。そのようなものでは、天の国を相続することはできません。分かりますか? 生まれて、八段階の相対的理想圏を平穏化させなければなりません。そうしなければ、主体的神様に侍ることはできません。先生は、個人的カイン、アベルを中心として世界的迫害を受け、家庭的カイン、アベルで世界の超民族的迫害を受け、民族的カイン、アベル平準化、国家的カイン、アベル平準化、世界的カイン、アベル平準化を成したのです。 こうして真の父母のみ名によって、すべての世界的家庭を祝福してあげ、天の国に方向転換してサタン世界と永遠に離別することのできる本郷に向かい、自分が暮らしていた故郷を訪ね求めて行くのです。 エジプトの地を出発して四百三十年目、韓国の地を四千三百年目、天国は四万三千年目に還故郷が終わらなければなりません。「四万三千」という数字は、だれも計算しないではないですか。だれも最後に丸(ゼロ)をつけることができません。わたしが丸をつけなければなりません。 それで「一九九九年」には、九数がいくつ重なるというのですか? (「九つです」)。九つですが、一つだけ加えればこれが二千年になるのです。ゼロが九つなら、億になりますか。九つなら十億になります。その数字(「一九九九」)に一つ足せば二千年なので、二十億になるというのです。「二十億が統一教会の祝福圏になる」と、このように考えるのです。二十億になれば、世の中の万事が終わったということです。そうではないですか?。 「先生から祝福を受けた人、手を挙げなさい」と、インターネットを通して話し、Eメールを通して話し、ファックスを通して話し、そして放送すれば、全世界の統一教会の教会人が手を挙げるでしょうか、挙げないでしょうか? 「真の愛の演説をする」と言えば、夜中であれ昼間であれ、参席するでしょうか、しないでしょうか? このような素晴らしい話をする人に、初めて会ったでしょう? (「はい」)。世の中、天地にそのような素晴らしい話をする人に初めて会ったでしょう?。素晴らしいことは素晴らしいのですが、内容はどれほど簡単ですか?。簡単ですか、難しいですか?。素晴らしい話をするのですが、内容はそれほど簡単ではないので、それで素晴らしいというのです。それを知らなければなりません。 統一というものは、指導を受けるものでありません。「率いる」という意味の「統」の字です。主体性を備えているのです。神様には、創造の主体性があります。主体性には、管理主管圏がなければなりません。ですから関係世界です。それから統一世界です。統一は一つになるためです。 五官がすべて統一されていますか、されていませんか?。何によって統一されるのですか。見ることによって統一されるのならば、四つ(四官)が不平を言うのです。愛のために、すべてが焦点を合わせるのです。では、最初に何を合わせるのですか?。目を合わせるというでしょう。あなたたちは、目を合わせてみましたか?。愛する人と目を合わせて合図をしてみましたか?。韓国語で目を合わせて合図するというでしょう? 八段階の理想を持って赤ん坊を抱く母親が、母親の役割を果たさなければなりません。「おまえは大きくなって、その道を行くことができなければならない。神様が保護してくださり、わたしの息子・娘がその道を行かなければなりません」と言い、十か月間、ひざまずいて良い瞑想をし、良い景色に、良い聖人たちの教えを教え、「孝子になり、忠臣になり、聖人になり、聖子にならなければならない」と言わなければなりません。 孝子も、家庭的孝子です。家庭的孝子にならなければなりません。祝福家庭に神様が願うことは、家庭的孝子です。家庭的忠臣を願い、聖人は家庭的聖人を願い、聖子は家庭的聖子を願っているということを知りませんでした。 この父母は、今から真の父母にならなければなりません。真の父母の息子・娘が真の父母となり、真の祖母となり、真の祖父となり、真の王・王妃にならなければならない位置まで残っているのです。 そして、神様の八段階圏内に立って相続することができなければなりません。「あなたは、わたしが腹中時代から育った歴史的なすべての内容を完成させたのである」と言うとき、刺激的な衝撃を受けることができるのです。 返ってくる善なる愛は、必ずもっと与えたくなるのです。百を受ければ、百十、百二十を与えたいというのです。それゆえに、神様の愛をわたしが百受ければ、百二十、何倍にして返してさしあげようという心を持っているので、休む暇がありません。 先生の前に負債を負いましたか、負っていませんか?。真の父母の前に負債を負いましたか、負っていませんか?。負債を負っていないという人は、手を挙げてください。負債を負ったという人は手を挙げてください。 負債をどのくらい負ったのかというのです。未完成、腹中から女王まで八段階の完成のすべての道を、すべてめちゃくちゃにした堕落の後孫です。その道を開拓することがどれほど大変でしょうか? 開拓の道を築き、高速道路をつくっておいたことも良いことですが、そこに車までつくっておいたのです。運転は、自分が学ばなければならず、走るガソリンは自分が供給しなければなりません。それもせずに座って天国に行こうという空想家は妄想家です。妄想家です。妄想家は、亡びなければなりません。 あなたたちは、どれほど負債をたくさん負ったでしょうか?。骨髄が溶けだし、肉が崩れ、すべての精神が散らばるその位置で、耐えて完成の道まで千辛万苦の波瀾万丈の生涯を経て開拓してきた路程を、遊んで食べながら行くのですか?。この者たち。 先生が六千年、四千年の歴史を四十年に短縮したのであれば、あなたたちは四年以上でもしなければなりません。八年以上でも蕩減することができるように合わせていかなければ、この道を行くことができないということを知らなければなりません。蕩減復帰です。 蕩減は、悪なるサタン世界と百八十度、反対の姿を描いていかなければなりません。分かりますか?。蕩減がなければ復帰ができません。穴に落ちたならば、上がっていくことのできる階段をつくるか、梯子をつくるか、紐をつくるかして、それに乗って上がっていかなければなりません。そうでなければ、復帰できません。 救援摂理は、神様がごらんになれば本郷に転換するためのものですが、人間から見れば復帰摂理です。神様の側からは救援摂理であり、人間の側からは蕩減復帰摂理であることを知らなければなりません。分かりますか?。蕩減復帰で何をしたのですか?。 二世たちは今から、責任遂行の実績が必要な時が来たので、何かを残さなければなりません。分かりますか? (「はい」)。生まれたのは、理想的な王と王妃の位置を描いて生まれたのです。 王の中の王が自分の息子・娘を、男性(息子)は右側に、女性(娘)は左側に抱いて自分と同じ価値の相対者をおくとき、そこで苦労したその価値の愛の実が、自分よりももっと精誠を尽くし、その忠誠の結実の刺激が、自分が苦労したすべてのものを完全になくしてしまったとしても、もっと衝撃的であり喜びを感じることのできる基盤において、神様は与える心が生じるということを知らなければなりません。回るときは、大きくならなければなりません。一点から出発して大きくなっていかなければなりません。 家庭的聖子が見るとき、個人を中心として孝行できる道理を教えたので、最後の国家時代を越えてサタン世界を乗り越えることのできる解怨圏内に突入できる道を教えることができるということは驚くべきことであり、ありがたいことだということを知らなければなりません。 そこに行くときは、避難袋を持っていてはなりません。すべて清算して行かなければなりません。黄金のような変わらない、神様が喜ばれる要素だけふろしきに包んで、国境をさっと越えて行かなければなりません。 それが、あの南米ジャルジンにある「世界平和理想家庭教育本部」であるということを知らなければなりません。韓国から出発して、最後に入っていかなければなりません。そこに行って天上世界の家庭と地上世界の家庭が、地上地獄と天上地獄の人々の家庭をすべて再祝福し、地上が右側、天上が左側であり、皆さんの先祖たちが天使世界となり、皆さんは完成した家庭、一族を代表し、その二つが天上世界に集って垂直に立つのです。垂直には、反対がありません。蘇生、長成、完成、自動的に天国に直行することができるのです。 祝福を受けた家庭として、その修練会に行っていない家庭は手を挙げてください。「世界平和理想家庭教育本部」に、夫婦で息子・娘を連れて四位基台家庭教育を中心として行かなかった人は手を挙げてください。手を挙げてください。なぜ、行かなかったのですか?。何をしようとしているのですか?。 イスラエル民族において、何日までに出国しなさいという命令をしたとき、通告したのにそのとおりにしない人はひっかかるのです。いつ、どのような命令が出るのか知っているのですか?。いつ、統一がなされるのか知っていますか?。何のことか、分かりますか?。大移動です。それゆえに、修練に行かない人は、荷物をまとめていつでも行くことができなければなりません。 神様がアブラハムに命令するとき、「カルデヤのウルを出なさい」と言うときは、大移動なのです。ノアのおじいさんのときには、船をつくりなさいという逆説的な論理を立てて、アララテ山に船をつくりました。狂った人でしょう?。神様は精神病者でしょう、そのような神様がどこにいますか? ノアのおじいさんは、千辛万苦も恐れない王子となり、神様のみ旨の中で祭壇を築いて祭祀をきちんと行いました。その後、神様はアブラハムに「あなたの息子、百歳で生んだイサクを祭物としてささげなさい」と言われたのです。本当に、そのように狂った神様がどこにいますか? モーセを見てください。まさに王宮で王子になるはずなのに、愛国心を持ってイスラエル人を殺しましたか、エジプト人を殺しましたか? (「エジプト人です」)。ミデヤン荒野で四十年、羊飼いの生活をしながら、イスラエルの国のためにその生涯を準備してきたのです。その四十年の苦労をしながら出てきたのです。家を捨てなければなりません。 洗礼ヨハネはどうでしょうか?。家で暮らして駱駝の毛でつくった着物と皮をまとって歩き回るのが聖子ですか?。そのときに、はだしで歩いたでしょうか?。靴があったでしょうか。そのとき、わらじを編んで履いていたでしょうか。そこは、はだしがそれ相応の格式なのです。そこは寒くもないのです。全員、はだしで暮らしているのです。はだしで、夏でも駱駝の毛を着て皮をまとっているので「あなたがメシヤですか?」と人々が尋ねたのです。 その洗礼ヨハネの父と母は「やあ 神様が愛する聖子の後継者だ、福を受けるだろう」と言ったでしょうか、胸を打ち、「わたしの息子は、なぜこのようになったのだろうか?」と言ったでしょうか。すべて、理解できないところからの出発なのです。 文総裁を見てください。文総裁は、幸せに暮らしていますか、困難な暮らしをしていますか。文総裁についてきた人たちの夫が「監獄に入れろ」と訴え、あらゆることをしたのです。わたしは、悪いことはしていないのです。女性たちがわたしを悪くしたのです。 何かしないことがあったでしょうか。この女性たち。なぜ、笑うのですか。先生は、そのようにいいかげんに暮らした人ではありません。そうでしょう。いいかげんに暮らしません。原則を中心として、そのとおりに暮らすのです。そのようにわたしたちは暮らしているでしょう。神様を抜かして、真のご父母様を抜かして、何をするのですか。 国連が国をつくらなければなりません。それゆえに、宗教国連、女性国連、青年国連、学生国連、五大国連を一つにして、国の形態を備えなければなりません。そのようになれば、米国も百八十五か国の一国家になるのです。米国の思いどおりにはできないというのです。 そして、上院・下院制度を教育して準備し、超宗教、超国家、超大学院をつくって大学総長や言論界の長たちを教育することができるようになるのです。「国際訓読セミナー」で教育するのです。二度、三度すれば、国家メシヤを中心として百八十五か国で訓読会を国家的次元で行わなければなりません。しなければならないようになっているのです。そのようにすれば、統一天下が成るでしょうか、成らないでしょうか。 八段階の所願成就の一日のために、ために生きる道を外れては絶対に完成できる日、解放できる日はないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そのような意味で、個人的時代から、赤ん坊の時代からそのようなことをしたという条件をどのようにして立てるのかということが問題なのです。 家庭的基準でそのような基準をどのように立て、氏族的基準、民族、国家、世界、天宙の基準でどのように立てるのかというのです。そのような八段階の理想完成体として、赤ん坊からすべての段階を神様が祝福して抱くことをためらわず、「そうだ。わたしの愛する息子であり、娘だ。永遠不滅の万代の独り子、独り娘」と神様に讃美を受けることのできる息子・娘にならなければならないということを知らなければなりません。そうしてこそ、そこで相続がなされるのです。教会の中で祝福を受けて、何がどうでこうで……。 そのような危険性があるので、教会祝福、それから何ですか。祝福は、三段階の祝福だと言ったでしょう。国の祝福です。南北が統一される日には、統一教会、そして全世界の万民を呼んで、再び祝福してあげなければなりません。そして、そのとき、一族が訓練所に行かなければなりません。百八十人ずつ、全体が一つになっていかなければなりません。あの村この村を立ててはなりません。 それで、四十か国が、一か所に集まったとしても、谷間が多く高く深い山脈の境界線を涙で埋めることを願うというのが天の兄弟の因縁だったのです。これを埋めて余りある愛の涙に濡れていなければならず、愛の祭物が生きていなければならないということを知らなければなりません。 総生畜献納祭です。神様は無念であられるというのです。自分の天地の所有物を、祭壇の上でサタン側の所有と神側の所有に分配する立場は、どれほど無念ですか。蕩減復帰です。万物を犠牲にして息子・娘が行くべき道を準備したにもかかわらず、イスラエル民族に息子を送り、氏族、民族、国家形態を備えることのできる基盤を準備したにもかかわらず、そこで一つになることができずに基盤を失うようになったとき、息子の位置を相続する祭壇であるイスラエル選民圏が、すべて一度に崩れていくのです。 ですから、キリスト教文化圏を中心として新しく出発するのです。その文化圏は、イスラエルのような国がありません。霊的基盤だけ成功したので、キリスト教はどこに行っても国のない民族的基準に立ち、血を流して蕩減しなければならない無念な歴史時代を残したという事実を知らなければなりません。 至る所で血を流したのです。二千年歴史のキリスト教に、血を流していない所がないということを知らなければなりません。そしてイエス様が十字架、左翼と右翼、右側の強盗と左側の強盗が生じたのです。イエス様から統一的な天下の世界に拡張しようとしたことが崩れてしまったので、右側の強盗、左側の強盗を中心として分かれたのです。楽園に入っていたのは、右側の強盗しかいなかったというのです。十二弟子ではありません。無念な歴史を持ったということを知らなければなりません。 初めの者は後になり、後の者は初めになるという悲運の歴史に、伝統的、模型的、歴史過程が残っていることを知らずに、いいかげんなやり方をして、それでも統一教会の食口だと考えれば亡びるのです。亡びるというのです。 公式的なフォーム(様式)を持って、家庭のカードを出しなさいといえば、家庭のカードを出さなければならず、民族のカード、国家のカード、世界のカード、天の国の王子なら王子のカード、地上世界のすべての国法と王国法、天上世界の国法と王国法、あなたの王宮法をすべてパスすることのできる自然的勝利が決定しなければ、神様の直系皇族圏に入っていくことができないということを知らなければなりません。妄想ではありません。 実相的な運動を展開している文総裁なのです。その実相的基盤は、だれも崩すことはできません。国も崩すことができません。反対していた国も、キリスト教を中心とした八代までの大統領が、なぜそのように悲惨になったのかというのです。 天的な主人になることのできる文総裁を追い出してしまったのです。一番最初に言論界が、統一教会は何だかんだと言いながら、主権を通してしっかりと握ってコーナーに追い込んだのです。統一教会の原理を見てみると、これが恐ろしいのです。一度聞けば、キリスト教が根本的に崩れていくということを知って、防御しようとしたのです。 共産主義の理論体制、旧約、新約、政治的主流関係があり、思想的体系における歴史の天運の道理に背くことができないように、すべてのことを包括していくことのできる主流思想があるということを知るとき、これは恐ろしいことなのです。それで、キリスト教を中心として四十年、五十年反対していたボスも、千人以上の教員たちを指導していた人も、白人を連れて五百人、七百人、千人あるいは何百人以上を集めて二泊三日すれば、祝福を受けると手を挙げさせることのできる教化力を持った武器の倉庫を破綻させた国が大韓民国です。うそではありません。今回もそうではないですか。 さあ、「九・九節」に返りましょう。このように為に生きることのできる、大王陛下の直系の息子・娘にならなければなりません。千代万代の独り子です。万代の独り子になってこそ、神様の王子・王女になることのできる特権があるのです。 ですから、先生を通して特権を付与されたなら、万代の独り子の長子権を付与されるのです。分かりますか。万代の独り子、神様が喜ぶ家庭を伝授するのです。万代億万代の王圏、王の権限を相続することのできる道を伝授してくれるのです。そのように信じますか、分かりますか。分かりますか、信じますか。信じることができなければ、今まで信じて冷遇されさんざん恥をかいたのですから、これだけは信じてみなさいというのです。分かりますか。最も貴いものなのです。これしかありません。 きょうも、「家庭盟誓」を一度さっと見てください。すべて教えてあげました。「家庭盟誓」は、愛国者、聖子の位置で唱えなければなりません。そのような位置で唱えなければならないというのです。それは間違いなく神様が愛される「家庭盟誓」なのです。 のらりくらり暮らして、酒場で遊び、中華料理屋でおなかが破裂するほど食べているので、それが分かりません。死の境地で、神様の愛を中心とした家庭がどれほどすばらしく輝くものなのかという事実を知るようになるのです。そこに主体性を備えて、世界の前にわたしが号令することが、波紋のように広がって天宙を包み、天の国に壁があれば、そこに行って再び帰ってきて、天上世界、宇宙にぎっしり、いっぱいに満ちることを考えてみてください。 わたしが尽くした精誠、語ることは天上世界の天の国の反映体に反射し、宇宙を包括して余りある再創造の復活圏のみ言に、能動的な実権を代身し、神様の創造の能力を代身するという信念を持って言ってみてください。そのようになるのです。分かりますか? きょう、ここに日本の四百家庭は皆来ましたか。何家庭来ましたか? (「八百五十人来ました」)。何家庭ですか? (「四百家庭以上、八百五十人来ました」)。(「はい」)。千人を超えてもかまわないと言ったのですが……。 韓国は何家庭来ましたか? (「二千百家庭です」)。ここに参席した人たちは、きょうの歴史的な記録に一人ずつ総蕩減基金を設定しなければなりません。さあ、それを願う人は手を挙げてください。「九・九節」総蕩減、地上天上蕩減、山があり谷があって平地があり、海水が波打つ水平に行けば、この陸地もすべて一度に波打つことのできる平衡の地上世界を成し、氏族的な基準の前に、天上の国の柱を通して臨在し、天の国の民族も来て、天の国の家庭も、天の国の親族も地上に来て、思いどおりに活動することのできる天地の大高速道路を建設して施設するにおいて、基金を設定するのです。 郭(クアク)錠煥氏? (「はい」)。黄善祚氏? (「はい」)。しますか、やめますか。やめようと言うのなら、しません。そうすれば、南米に行って、南米の人々が福を受けるのです。蕩減条件が必要でしょう? (「はい」)。そのような間違った行動をしているのです。どこに行きましたか。 涙が出て、骨髄があふれ出てくるように、教えてあげなければなりません。そうでなかったなら、清平が行く道が塞がれます。殺人事件が起き、問題が生じるというのです。サタン世界の銃弾が往来していることを知らなければなりません。 あなたの家もそうです。負債を負って今回の峠を越えてはならないというのです。どんなことをしてでもすべてを清算して越えていかなければなりません。そうしなければ、サタンにひっかかるのです。 ノアの審判の後に、酒に酔って裸で寝ているのを二人の息子が、ハムが後ろ向きになって覆ったのでひっかかったことと同じなのです。この者たち だれを亡ぼそうとして、そのようなことをしているのですか。だれを亡ぼすつもりですか。あなたたちは亡び去っても大丈夫です。 神様が傷つかれ、真の父母が傷つき、世界的版図、家庭理想の本宮をつくるために礎を築いておいた版図において、何ですか、これは 恥をかいて雷に打たれる者になるということを知らなければなりません。わたしは、そのような恐ろしさを知っている人です。 家庭を中心として見てください。自分勝手に生きた人たちの家庭の息子・娘が平安ですか。一通り見てみてください。三十六家庭を一通り見てみてください。自分勝手に暮らしてうまくやろうとしたのですが、「わたしの家はなぜこうなのか?」と言っています。 自分たち自身がみ旨の前に立つことができずに、欠けた立場に立つようになって蕩減を受けていることも知らずに、先生のみ旨が悪いと言っているのです。三十六家庭が責任を果たせなかったという事実を知っている人はいません。しっかりしなさいというのです。分かりますね? 蕩減復帰は不可避なのです。わたしの祖父の時から、二番目が皆、客死しました。祖父の上もそうです。三代が連結されるのです。わたしの時代は、わたしが二番目(次男)なので、わたしを脅迫するために国が凶年に入り、それから万歳運動が始まりました。 そして三年間万歳が叫ばれ、大騒ぎが起きるのです。訳の分からない、夢のようなあらゆることが家の中で起きるのです。何がなんでも捕まえようとするのです。そこで生き残ったのです。生き残ったので、二番目を逃してしまいました。そうすれば、蕩減はわたしがしなければなりません。死ぬほどの苦労を、わたしがしているのです。 それから、教会においては、信仰の三人息子、三大家庭の孝元氏が二番目で客死です。二番目の喜進様が客死です。興進様が客死です。皆、客死しました。このように恐ろしいのです。 あなたたちは、その原理にひっかからないと思いますか。ですから、苦労させるのです。わたしの言うことを聞かなければなりません。そのような蕩減前線を乗り越えたので、先生のみ言を絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、皆さんは蕩減の道を避け、平坦な道を行くことができるのです。そして南北統一が起きるようになるのです。そのようになれば、万事がすべて終わります。 米国を見ても亡びるようになっています。米国をだれが信じるのですか。米国には、世界観がなく、国家観がなく、社会、氏族、家庭観がありません。祖母、父、母、息子、娘、男性、女性、すべて破綻しました。だれもいないというのです。 わたしたちの統一教会は、個人思想、家庭思想、氏族、民族、国家、世界、神様、天宙主義の神観まですべて持っているのです。行く道が一方通行です。そうではないですか。家庭を中心として、家庭、氏族、民族、国家、すべて垂直の角度です。すべてが九十度の角度を備えてこそ、万事に通じるのであり、南北統合が可能になるのです。 いいかげんにして成されるのではありません。理論的体制で、条件にかけることができないので、サタン世界の理論家、哲学者、信仰者は、ぴくりとも動けずに降参するのです。天下統一することのできる内容があるので、世の中の問題の本山を占拠するようになるという事実を知らなければなりません。これは、明らかな事実です。証された事実なのです。分かりますか? (「はい」) それにもかかわらず、あなたたちがふらふらするのですか。行くべき道を知っているのですから、小言を言わずに一族をすべて立てて整備し、千年の恨を解怨するために祭壇を積んで徹夜で至誠を尽くさなければなりません。そうすれば、免れるかもしれないのに、自分がやりたいようにすべてしてできるのですか。 「何々大学に行かなければならない」と言っているのです。大学を出たとしても、神学大学院を出ていなければ、今後統一教会では使いません。新聞社であれ、何であれ、すべて追い出すのです。神学大学院を出ずに入ってきた人は、きょうからUTS(米国統一神学校)に行くか、神学大学院に行くかして、先生が立てた大学で名前のある学科を出てこなければ、統一世界の指導班列に同参できますか、できませんか。はっきりしなければなりません。 いくら良い成績で卒業したとしても、間違いなく線を引いてしまうのです。家庭の生死の境の表象として伝統を正そうとするのです。三十六家庭であれ、だれであれです。わたしはそのような人です。 なぜ、そうなのですか。先生がこの道を出発するとき、父、母、一族が首を抱えて「行くな」と痛哭した事実があるのです。姉と妹たちが足にしがみつき、服にしがみつき、父、母、兄弟が道を塞いで「行くな」と言ったこの道を、目をつむってすべてを蹴飛ばして飛び出してきた人なのです。ソドムとゴモラのロトの妻と同じなのです。振り返って塩の柱になったという恨の歴史を知っているのです。 一族を捨てなければ、亡国の国を復帰する道がないのです。一族を祭物とすることに躊躇せずに出てきたのです。それゆえに、わたしが以北(北朝鮮)に行って父母の墓の前に立ったとき、その前に姉と妹がいました。姉と妹が父母の墓の前で訴えるのです。 「お父さん、お母さんが、あれほど昼夜呼んでいた弟が来ました」と言うのです。断腸の思いで哀哭しました。普通の人は、そこで涙を禁ずることができません。しかし、舌を噛んで「わたしは普通の人とは違う」と考えたのです。涙を流してはならないのです。 興進様が亡くなった後でも、千秋の恨の歴史を抱いてこれを昇華して、愛の勝利圏を立てるために、「愛勝日」を立てるべき責任があるので、涙を一滴も流しませんでした。全員を送り出しておいてから、本殿に入棺したという報告を聞いて初めて、わたしは祈祷して涙を流したのです。そのような先生なのです。 そのように父母の一族が反対し、その父母の一族のあらゆる人々が行くべき道を塞いだのです。そこに同伴して、世界がすべてひっかかっているので、カイン圏を中心として愛する前には、(アベル圏を)愛することはできません。戻っていって、わたしについてきなさいと言うことはできないのです。 今、清平の金(孝南執事)長老が話しましたが、忠母様が言うには「アイゴー、在世時代に息子が一言でも、一言でもこのような責任があると言っていたら、だれよりも精誠を尽くしたはずなのに、何も分からずにここに来てみると、責任がどれほど大切で重いか、千年の恨を抱いて精誠を尽くしても至らない自らであることを知る、その悲痛な事実をだれが分かるだろうか?」と痛哭しているというのです。 それで、金長老が清平ですべてのことにわたしたちが責任を持って努力すると言う言葉を聞くとき、わたしは不孝だと思うのです。不孝息子だというのです。兄も、だれよりもわたしを愛する兄だったのです。八兄妹の兄弟たちが、皆わたしを愛したのです。町内が愛していた人です。それをすべて背いて出てきたのです。 続けてずっと反対されれば、天の国を救うためには一族を祭物にしてでもそれをしなければならないと考え、訓練まで行った人だということを知らなければなりません。統一教会を中心として多くの歳月が流れましたが、この間に、わたしが韓国の産業復興のために興したすべての会社の社員たちは泥棒です。負債を自分勝手につくっておき、それを文総裁の責任にして民族と世界の版図に傷を負わせた元凶です。 わたしは、唾を吐いてきれいに火で燃やすこともためらいません。そのように思ってきました。未練を持ってきてはいないのです。未練を持ってきたものは、捨てなければならない「九・九節」なのです。深い精誠を尽くして「九・九節」を成就させなければなりません。どこのだれも、わたしが精誠を尽くした位置に立つことはできません。わたしが血と汗を流した位置に立つことはできないのです。国の愛国者、忠臣、歴史に世界、国家を成すために、そのような人が多かったとしても、わたしの班列に立つことはできないという自信を持っているのです。 母を捜すにしても、父母を捜すにしても、このような父母兄弟を捜し、一族を捜すにしても、そのような一族、国を捜すにしても、そのような一国を捜さなければなりません。しかし、ないのです。 ですから、わたしたちがつくろうというのです。さまざまな恥をかいたとしても、歯を食いしばって進んでいかなければなりません。神様の前に孝子の表札をつるすことができませんでした。孝子が忠臣になり、忠臣が聖人になり、聖人が聖子になり、天上世界の統一のために家庭を中心とした聖子の道理が、今は地に埋もれています。 イエス様が来て子羊の婚宴を中心とし、再臨のイエスを中心として祝福することのできる世界が現れ、世界を平穏化させていくのです。世界がそれを防ぐことができなくなったのです。 青少年の淪落と家庭破綻に、だれも責任を持って手を出すことができないでしょう。統一教会の特許です。このような特許を蹂躙して破綻させる元凶になってはなりません。何のことか、分かりますね。それを自信満々に「わたしが責任を持とう」という、そのような人々が集まったうえでサタン世界が退いていくという標的を立て、宣布文を受けるべき記念の日が、きょうの「九・九節」であることを知らなければなりません。 それで特別な家庭、模範的な家庭が参加するようにと言ったのです。そのような家庭が来たので、そのまま送り返すことはできません。今から、このみ旨のために敷石となり、この日を期して学校をつくり、基金をつくり、この国において表象的な何かを残さなければならないというのが先生の考えです。讃美しますか、讃美しませんか。讃美するという人は両手ではなく、四つの手足を挙げて讃美してみましょう。四つの手足を挙げてください。 いいかげんに生きた先生ですか。看板を付けて生きた人です。やってから教えるのです。間違いないので、教えてあげるのです。それをいいかげんにやれば、すべて奪われてしまいます。わたしには国がありません。韓国、この国に居座らないようにしたのです。 南北を統一できなかったではないですか。南北統一は、文総裁にしかできません。文総裁は、そのようにできる能力があるのです。中共、ソ連(ロシア)とインドと日本、米国まで編成しているのです。それをだれが知っていますか。 統一教会の家庭祝福を受けた人は、一国の県知事が問題ではありません。国が、国会議員が問題ではありません。説得しなければなりません。分かりますか。説得しようとすれば、説得することのできる先生にならなければなりません。「訓読会」をしていなかったならば、どのようになったでしょうか。大変なことになるところだったのではありませんか。「訓読会」を始めていなければ、大変なことになるところでしたか、そうではありませんでしたか。大変なことになるところだったでしょう? (「はい」) このようなすべての事実を、「訓読会」を中心として、「訓読会」の王宮で…。天の国の天国にも、塞がっていたものを崩してしまい、地獄まで「訓読会」を始めて、解放圏の天国に向かって班列を備え、大地獄から大天国に移動するという運動が展開するということを知らなければなりません。 ところが、この地上が先頭的立場で手本となり、前哨線の指揮者になるべき立場なのに、寝ているのですか。それができずに、何を愛し合って暮らしているのですか? 天は、生きた夫婦を床下に埋葬したい気持ちで心がかき乱されているという事実を、知らずにいてはいけません。分かりますか。韓国の者たち。(「はい」) きょうは「九・九節」、「九・九節」です。「『九・九節』を私の骨髄に記憶する」と言ってみてください。(「『九・九節』を私の骨髄に記憶する」)。「九・九節」という言葉を話しても、文章で書いても感動するというのです。言葉よりも、文章よりも、行動が実践的な基準の核を持てば、天下が感動して動き、その後についてくるようになるのです。アーメン。(「アーメン」)。分かりましたか? (「はい」) 自分勝手にやっておいて、先生がそのようにしなさいと言ったと言っても、それは通じません。分かりますね。それを延長する方法はありません。特別な功績のある家庭を中心として蕩減条件を立てることによって、全世界の祝福家庭、責任を果たすことができなかった人々が生き残ることのできる道を延長させようとしているのです。 責任を果たせなかった人が、生き残ることのできる道を解放するために、責任を果たした人にこのような提案をせざるを得ないきょうであることを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 分かったのなら、大きく答えてください。(「はい」)。「アーメン」と言ってください、アーメン。(「アーメン」)。わたしは、それを信じなければなりませんか、信じてはなりませんか? (「信じなければなりません」)。それでは、きょうここに参席した人たちはどうですか。日本のメンバー、どうですか? (「はい」) 歴史時代において、一度しかないのです。これが最後です。宣布式が最後の時です。今からは、南北統一宣布式です。地上天上代表の主体的な南北統一宣布式です。そのようにすれば、天下は一つの国になるのです。 そのようにできる基盤は、すべて築いておきました。その時には、第二次祝福が行われます。国家祝福、世界統一天上天国宣布式があるのです。それから、万民一族を中心として祝福を再びしなければなりません。分かりますか。 自分のぼろの殻を、罪の殻を脱いでしまいたいですか、脱いでしまいたくないですか? (「脱いでしまいたいです」)。ですから、悔い改めなければなりません。ありとあらゆる、しみの付いたサタンの服を着ていたならば、悔い改めなければならないのです。神様のお姫様の前に、王子様の前に、天宙の宿命的な課題として堕落した恨を解くための宿題が、天上世界、地上世界の公認を受けて解かれていく厳粛な位置がその位置なのです。 むやみやたらにすることはできません。それで浮気をするのですか。内的には、神様の骨のようなものが、外的なアダム・エバの生殖器です。このような話は初めて聞いたでしょう。 そのようにするとき、歴史をかけて千年万年祈祷して願ってきた望みの日だと思う深刻な位置で、お互いが神様の代身として息子・娘を愛することのできる位置に立てるようになるかが、課題だということを知らなければなりません。 それで、絶対主体関係統一、このような数字を中心としてその軌道があってこそ、神様の愛が自分たち夫婦から世界まで連結されるというのです。そのような考えをしながら、ちょっとでも忘れるなというのです。そのような生活はしていなかったでしょう。先生は、漠然と暮らしたのではありません。どこにいっても必ず式をして、今まで暮らしてきたのです。いくら走って座っても、必ず式をしたのです。分かりますか。そのように恐ろしいものが天法なのです。 ですから、どれほど偽りであり、どれほどがらくたのように暮らし、どれほど雑種犬のように暮らしたのかというのです。恥ずかしい自らの体をすべて洗ってしまい、天が行く道の、その足跡に従って訪ねていき、福を背負って降りてくることのできる息子・娘になろうと思わなければなりません。 厳しい山中、高い山合い、どこであっても生命の道を繁殖させるために進んでいき、どこであっても精誠と血と汗を注ぎながら進んでその道を立てれば、神様もついてきて祝福してくれるということを知らなければなりません。そこで独り死んだとしても、その谷には碑石が建てられ、すべてが祝賀する村が生まれるということを知らなければなりません。そのような何かを残していかなければなりません。分かりますか? (「はい」) 今、やらなければサタンに奪われていくのです。サタンがどれほど熟達しているか知っていますか。神様をひどい目に遭わせたのです。何千万年、神様をとらわれの身として身動きできないように蹂躙した、能力のあるサタンがわたしたちの後ろにいたのです。 今日、四億双以上祝福家庭が、霊界と肉界でその使命に取りかかっていますが、統一家の人たちができなければ、サタンが討ってしまい、自分たちの基盤を再び奪い取ることができるというのです。やらなければ、民主主義世界ができないので共産世界が奪い取っていくということが起きることを知らなければなりません。 韓国で家庭破綻が起きているでしょう。(「はい」)。家庭は、すべて遊興街になりました。夫が会社に行けば、妻はありとあらゆる遊びを行い、お金を儲けるために女性が出しゃばるだけではなく、調子に乗って浮ついているということを知っていますか。学生がそうであり、夫のいる女性がそうであり、道ばたであらゆることが起こっているのです。これを清算しようとすれば、国が覚醒して統一教会の教育を急がなければ生きる道がありません。 先生が北韓に行くのです。飛行機に乗っていくのです。あなたたちの承諾を受けて北韓にも上陸するのです。どこにも行けないところがありません。さあ、明日の十時十分までです。また、集まらなければなりません。明日の十時十分まで、この人たちは一人も解散することなく、ここに来て清算式をしなければなりません。これは、真の父母のみ名によって宣布しましたが、ヤハウェのみ名によって宣布しなければなりません。 聖人君子、地獄解放圏を中心として真の父母勝利祝賀式を経て、今回の第三回「七・八節」を中心として天地父母安息圏宣布が、霊界から存在する世界までの境界線になっています。そして、「九・九節」は緩衝地帯が生じるのです。これをサタンは、乗り越えることができません。「七・八節」というものは、天地父母安息圏を宣布したでしょう。今回は何ですか? 「天地父母天宙解放式」です。障害となるものがないというのです。これが囲いになっています。 サタンもこれを越えていくことができず、天の人は思いどおりに越えていくのです。思いどおりに越えていって引き入れ、思いどおりにしてしまうので、サタンが人類復帰の最終ページに従って、人間よりももっと一生懸命に忠誠を尽くそうという地帯になるのです。すべて奪われてしまいます。 韓国の地を買って入ってくるのです。第三国、イスラム教圏、仏教圏、儒教圏が飛び込んでくるというのです。韓国の地を買ってしまうのです。十倍以上ずつ与えて買ってしまうというのです。そのようになれば、反対していたキリスト教徒たちはどのようになるでしょうか。すべて売って逃げていくというのです。そのようになるのです。先生の命令ならば、そのようになる可能性があるのです。まず約千人を特別に選んで、すぐに始めるかもしれません。さあ、分かりますか。 「訓読会」を一生懸命にする、一番のチャンピオンはだれですか。いちばん一生懸命に訓読する人はだれですか。神様ですか、真の父ですか? (「お父様です」)。真のお母様も好みません。(笑い)ですから、わたししかいません。 ですから、真の母の伝統を絶対に相続するのではありません。真の父の伝統を絶対に相続しなければなりません。息子・娘はだれかといえば、真の父の息子・娘であって、真の母の息子・娘ではないではないですか。真の母は管理の主人です。育てて教育する主人です。 ですから、創造の「原先祖」は父です。それから主体も父です。関係の授受作用をするにおいて、相対圏の母がいなければならないのです。そして統一という言葉は、家庭から出てくるのです。 主体・創造・関係・統一です。四番目が統一です。絶対愛を中心として、統一も絶対、唯一、不変、永遠であり、主体も絶対、唯一、不変、永遠であり、関係も絶対、唯一、不変、永遠なのです。利用するための関係ではありません。だますための関係ではありません。天の国の伝統を絶対に伝授するための、投入して忘れるための授受作用を起こす関係のことを言うのです。 それゆえに、そこから統一が起きてくるのです。すべてのものが、この四つを抜かしてはならないということです。この四つが一つになれば、天下がすべて一つになって動くようになっているのです。一つも外すことはできません。 今回も、ベルベディアで九月五日に説教した内容です。最後に米国に残した訓辞です。それゆえに、米国を出発すると宣布したのです。 そしてどこに行くのでしょうか。韓国に行かなければならないでしょうか、南米に行かなければならないでしょうか? (「韓国にいらっしゃらなければなりません」)。韓国が、統一教会のレバレンド・ムーンを歓迎しますか、南米諸国がより歓迎しますか。今、南米諸国の若い青年たちを教育し始めたのですが、三十三か国から集まってきた青年たちを任されて教育し、三か月で四千七百人を教育しました。 四千七百人を教育したのですが、そのうちの三分の一が中高等学校の先生です。それでは、万事休すでしょう。分かりますか。韓国もそうですか。金キム奉泰氏。(「はい」)。今、何をしているのですか? (「純潔教育をしています」)。純潔教育はどのくらいしましたか? (「ほとんどすべてやりました」)。ほとんどすべてやったのですか。それでは、韓国人は、荷物をまとめて南米に移動して暮らしてもよいのですね。ですから、統一は問題ありますか、問題ありませんか? (「ありません」) 問題ありませんか、ありますか (「ありません」)。あります (「ありません」)。この者たち。そういうときは、「この先生」と言って「ある」と言わなければなりません。そのくらいの度胸でなければなりません。真のご父母様の言葉以上にすると言ってこそ用いるのであって、できないと言ったら用いるでしょうか? 神様が私に命令することはありません。十か月後に何をするのか知っているので、十か月後にそのとおりにするのです。したとしても、神様が悪口を言うのではありません。神様が私の寝床に来られて、私を抱いて愛してくださるのです。分かりますか。それは優れた息子ですか、愚かな息子ですか? (「優れた息子です」)。しなさいと言ったことをしなかったことがどれほど多いですか? 「訓読会」をするときに、すべてしましたか? 「訓読会」をしなさいと言ったことを、すべてしたと思いますか、できなかったと思いますか? (「できませんでした」)。できなかったでしょう。どのくらいできなかったのですか。言えないほど、できなかったことが多いのです。何を言っているのかというのです。先生がもう何回話しましたか。 梁昌植シク氏。(「はい」)。わたしが昨日、飛行機の中で訓読したみ言を訓読して、昼食を食べましょう。どれほど深刻ですか。分かりますか。機内で全部読んだものがあるではないですか? (「はい」)。時間がたっても、おなかが痛くて全員倒れても、読んで歌を歌い、それから踊りも踊ってご飯を食べなければなりません。(笑い)そうしてこそ、きょうが記念の日になるのであって、食事をしたい時に食事して(それが)何の記念でしょうか? さあ、出てきてください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.20
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第3回「七・八節」の御言1999年8月17日アラスカ・コディアク (陰暦七月七日)真のご父母様は、第三回「七・八節」をアラスカのコディアクで祝われました。午前七時からは「敬拝式」に先立って真のお父様が祈祷され「敬拝式」、そして再び、真のお父様が重要な祈祷をされました。祈祷の中、この「七・八節」が、神様を中心とした「全体、全般、全権、全能の解放の日」であることを宣布されました。その後、会場に集まった祝福二世を含む教会の責任者たちに語られたみ言です。 (後に)ついて言いなさい。「ヤハウェが、勝利の真の父母になってください」。(「ヤハウェが、勝利の真の父母になってください」)。「ヤハウェが、勝利の真の師になってください」。(「ヤハウェが、勝利の真の師になってください」)。「ヤハウェが、勝利の真の王の王になってください」。(「ヤハウェが、勝利の真の王の王になってください」) 「地上の真の父母は、この三大祝福の主体思想の因縁に地上で従い、お侍りいたします」。(「地上の真の父母は、この三大祝福の主体思想の因縁に地上で従い、お侍りいたします」)。万歳をしなさい。 神様、万歳(「万歳」)。真のご父母様、万歳(「万歳」)。「七・八節」解放、全権、全能、全体、全般、解放圏勝利万歳(「万歳」) きょうは、ついて言いなさい。全体(「全体」)。全般(「全般」)。全権(「全権」)。全能の(「全能の」)。日。(「日」) 神様が、このようにお出ましになることができる日として宣言するのです。それで、今からは絶対信仰そのまま、絶対愛そのまま、絶対服従すれば、万事が完成に向かうということを信じるようにお願いします。分かったでしょう?。 きょうは何の宣布の日ですか?(「『全体、全般、全権、全能の日』です」)。神様が、です。ヤハウェ。ヤハウェが。そのようにお出ましになられるのです。 今まで隷属し、迫害され、讒訴され、子女たちのすべての受難の道に全部責任を負い、これを救ってあげ、赦してあげてこられた神様が、そのようなことのすべてを越えて立たれ、神様の思いどおりになさることのできる時代に入るということを宣布したのです。お分かりでしょう?(「はい」) 心配しないように、というのです。すべてのことを皆、ゆだねなさい。分かりましたか?。皆、ゆだねました。「絶対信仰」。それから、何ですか?(「絶対愛」)。「絶対愛」。それから、何ですか?(「絶対服従」)。これを突破して、上がっていけば、サタンはどうすることもできません。 また、神様ご自身も手をつけられないのです。そのことを終結の一標語として立てたことを知り、それをそのまま進めれば、皆さんには「万事勝利」だけがあることでしょう。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) (「『七・八節』おめでとうございます」。「愛する真のご父母様、『七・八節』おめでとうございます」) 全体とは、この世界全体のことをいうのです。サタン世界全体です。これが全体、全般です。これが一つになるのです。そして全権ですが、これはサタン世界の全権です。サタンは今まで、国を用いて何でもすることができました。 しかし、それが全能ではありません。今から全権の行使が天に移譲され、統一と権威の世界に越えていくのです。全体、全般です。全般が一つになるのです。それから全権です。サタン世界の権限が能力の時代へと進むのです。統一と能力の世界です。それゆえに全体、全般、全権です。 神様を中心として地上世界と天上世界、真のご父母様を中心として統一的立て札を立てることによって、ここで……。神様が創造のみ業を成さるとき、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」をもって成されました。無から創られたがゆえに、そうされたのです。 わたしたちもこのような全体、全般、全権、全能の基盤の上に立って創造本然に帰ってきたので、そこで立てた愛の対象を捜すための絶対信仰を持って、絶対愛、絶対服従の心情を投入して忘れ、すべてのものを神様がなされた相対圏に復帰し、わたしたち自身も神様の代身として、この世界に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。 そうすることによって、一つになるためにすべての万事は、その統治の下に統一され、平和の世界に進むのです。結論が出たのです。何のことか、分かるでしょう?(「はい」)。それを知らなければなりません。 全体とは、サタン世界の全体です。旧約時代、新約時代、成約時代。それは祭物です。すべて分け与えてきたというのです。神側には何もありません。これがすべて一つなのです。 そして全能の行使として、サタンは何をしたのでしょうか?。神様までも、ぎゅうぎゅうに縛ってしまいました。真のご父母様までもその圏内で縛ってきたというのです。そのようなすべての権限が、能力の時代になるので解放されるのです。それで、統一的天宙と地上天国、天上天国が「成し遂げられるだろう」ではなく、「成し遂げられる」のです。アーメン。(「アーメン」) (「全体、座ってください」) コディアクでは今、何が行われているのかというと、第三回「七・八節」であり、それから天地父母主義、真の父母主義です。それらはすべて「七数」です。同じなのです。発音が同じです。「八」も同じです。「七」、「八」。ハングルで書くと、すべてその字のパッチムは、「リウル・バッチム」です。「リウル」ならば、世の中がすべて連結されるのです。天と地がすべて連結されるのです。それが「七・八節」です。 それでは、きょうは何の宣布の日になるのですか?。「全体」、「全般」という言葉は言わずに、「全体、全般、全能」の宣布の日です。そうすればよいのです。分かりますか?(「はい」) 今まで、サタン世界にすべて分け与えてしまったというのです。それをヤハウェの名によって宣布したのです。真のご父母様の名によってお願いし、ヤハウェの名によって宣布したので、この標準は永遠に天国の標柱になったということを皆さんは知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) きょうが、何の日だというのですか?(「全体、全般、全権、全能の日です」)。何によってですか?(「ヤハウェの名によってです」)。「全体」という言葉は入れずに、「全般、全能」の宣布の日です。それは、サタン世界のことではありません。天だけが、全体、全般、全能の時代へ越えていくのです。 万物や息子や、すべてのものが天地に引っかかっています。サタンの讒訴圏内にいるので、神様がサタンの讒訴を抜け出されるためには、このような解放的統一圏を備えなければならず、それを備える前には、抜け出すことができないのです。それで全体、全般、全権、全能の限界線を越えなければなりません。 先生は、四年前からそのような話を始めました。全体、全般、全権、全能です。それをヤハウェの名によって真のご父母様が依頼し、この日を何の日にしたのですか?。全般?(「『全能宣布の日』です」)。全能宣布の日として願ったのです。神様が宣布されたので、サタンやすべての被造世界は、その命令の下に動くのです。 神様は、被造世界を創造されるときに、「絶対信仰」の上で「絶対愛」、「絶対服従」する心情で創造されました。 わたしたち統一教会でも、父母の名前をもって、天の父母、地の父母に侍る位置で「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」する立場にあるために、創造理想である愛の家庭を中心として、すべてのものが一体化したという勝利の覇権を立てて、愛の主権国家の出発をすることのできる時代になるのです。何の話か分かりますか?。 きょうは、そのような意義のある日なのです。それゆえに、一つの神様の主権の下に、一つになった国を形成するのです。神様を中心として皆さんは、真のご父母様を代行する実権者であるので、地上に祖国光復を成し、世界統一的な国を成し遂げて、義務を果たす時が来たのです。分かりますか?。神様のみ旨に従わなければなりません。 それゆえに、韓国は韓国で責任を果たさなければならず、日本は日本で責任を果たさなければならず、米国は米国で責任を果たさなければなりません。そしてこの三つの国は、一つの国なのです。父母の国、そしてお兄さんの国です。分かりますか?(「はい」) 今までこの地上で、堕落して奪われていた長子権が復帰されたのです。サタンが神様を絶対に信じることができなかったように、弟(米国以外の国々)も兄(米国)に対して、絶対的に侍ることができなかったのです。それが「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の一念を通じて平準化され、神様の創造理想の完成品になることができるというのです。分かるでしょう?(「はい」) その前に「自分」という概念はあり得ません。神様が創造のみ業を成されるとき、「自分」という概念はなかったのです。「愛の主人」という概念を立てるためにそのようにされたのです。ですから、そのまま成されていたならば、主人になられていたはずなのですが、主人になられることができなかったのです。 それゆえに、その前には自分の国、自分の物、自分の家、自分の氏族の時代を越えていかなければなりません。一つの国であるために、国家概念を超えた精神的武装がなされなければなりません。世界のために暮らすことのできる、天地のために暮らすことのできる代表家庭になるのです。 そのように生きない人は、神様の息子、娘になることはできません。神様の眷属(血統的につながりのある者。一族、親族)になることができないのです。分かりましたか?。 したがって、これから絶対に言語統一をしなければなりません。ご父母様がなしたすべての記録を読むのに、翻訳したものを読むという羞恥を残してはいけません。天上世界で恥になるのです。 天上に行けば、神様の命令で千年万年蕩減をさせるかもしれないというのです。途方もない問題が起きるのです。その峠を越えることができない人は、祖国光復をしたとしても、故郷に帰る道がありません。祖国の居住証がありません。民族として入籍できないようになっています。深刻な問題です。分かりましたか?(「はい」) 先生に会えば、韓国語であいさつをするのです。あいさつを韓国語でするのです。食べることは、一週間以内に学ぶことでしょう。食事の場に参加しても、自分たちの国の言葉で話してはいけないというのです。沈黙を守って、恥じるということを知らなければなりません。目を閉じて恥ずかしく感じるべきです。分かりましたか?(「はい」) ご父母様の言葉を学ばなければなりません。赤ん坊は、何か月間かで、すべて学んでしまうではないですか?。分かりますか?(「はい」) こうなると、自分が知っている文化と背景が怨讐です。それをきれいにナイフで切るべきですが、それができずにそれらのものが残れば、残されたものが皆さんの一族と皆さんの一国を蕩減条件に引っ張り込んでいくというのです。ですから、これを切ってしまわなければなりません。分かりますか?(「はい」) 再び来たくないコディアクですか、再び来たいコディアクですか?(「再び来たいコディアクです」)。再び来たくないコディアクです。どれほど不便でしょうか?。ジャルジンもまた、どれほど不便ですか?。 しかし、またと行きたくないコディアクを、どのような所よりも懐かしがり、行きたくて泣き焦がれるようでなければなりません。月を見ては、情緒的な面を万物とささやき合い、太陽を見てもそうすべきであるし、その太陽のもとで統治される生命体、そしてすべての万物を見て、自分の心情を吐露することで神様に祭物的な条件とし、心ですべて洗ってしまわなければなりません。 ジャルジンは「源焦地」です。創造物自体が、総合的に一つの博物館のように集まっているのが「源焦地」です。そこが「焦点地域」なのです。万物創造の焦点、源焦物が棲息する所に行って、三年間以上、血と汗を流さなければなりません。なぜでしょうか?。それは祖国光復のためにです。 世の中は「水」で象徴されます。ですから、ご父母様がその「水」の中において、天国を建設するための一念を立てたことと同じように、今度は皆さんがそれをしなければなりません。 今後は世界時代に越えていくので、大陸を中心として分別する時代は過ぎました。今からはもう、インターネット時代に入ったために、国家がすべての情報を管理できる時代が崩れていくのです。 百八十五か国が、ある一つの国でも事実をすべて明らかにすれば、そのことを世界が皆、すぐに知るようになるのです。隠す必要がなく、情報であれ何であれ、自分の国のために技術保護であるとか、政治管理であるとか、そのような考えは、もうあり得ないのです。すべてが明らかになります。 明らかになるとしたら、何のために明らかになるのでしょうか?。天国の解放圏、人類解放圏の祝宴のために明らかになるというのです。その祝宴は、万国を中心として統一できる、祝賀の祝宴として行わなければなりません。分かりましたか?。 そしてすべてのものを焼き払ってしまい、神様の栄光の中で、統一された地上天国理念が新しいインターネットを通して伝えられ、万国万民たちが永遠にそれを称賛しながら、彼と共に生きることを望み、生活過程で涙を流して慕うことのできる環境が地上天国になり、そして天上天国になるのです。(「アーメン」) 今からどこへ行くのでしょうか?。結論は、ここからどこへ行くのですか?。ここに集まった人は、どこへ行くのでしょうか?。天国に行かなければなりません。分かりますか?。 天国に行こうとするのならば、自らが生きた文化背景の服を、真のご父母様の血統的因縁を中心として、すべて着替え、そしてご父母様の国を通じなければ、天国に行く道がありません。そうですか?。あなたたちの思いのままに行くことができますか?。二世であれ、何世であれ、同じです。今までの待遇で終わるのではありません。 背中に血と汗が流れなければなりません。神様が、むちで恨を解かなければならず、ご父母様がむちを上げて恨を解かなければなりません。わたしがこのことを築くために、そして神様がこのことを成功させられるために、どれほど受難の道を経てきたのか分かりません。 「その何十倍、何百倍してでも私は行きます」という、そのようにできる人が現れなければなりません。その姿を見てこそ、神様の前に共に連れて行って暮らすことのできる継承的民族になることができる、という事実を知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) 今からは、先生に会おうという考えをしてはなりません。今からわたしは、あのヒマラヤ山中で修道している人々を、行って教育しなければなりません。道を求めている人をすべて教育して、天上世界に案内する責任があるのです。彼らは精誠を尽くした人々です。その人々をごみのように扱うことはできません。 あなたたちは勝手に暮らしました。そうして勝手にごみ同然になってしまったのです。しかし彼らは、ごみになるまいとしたので、皆さんよりもその人々がきれいなのです。 あなたたちは今後、すべてのものを神様の前にささげていきなさいというのです。本来、神様の前にささげようとするならば、どれほど整備されていなければならないであろうかというのです。 ご父母様が橋を架けようとしたのですが、そのような時代は過ぎるのです。分かりますか?(「はい」)。神様が怒られる前に、その財産と子供を燃やしてしまうかもしれません。それをすべて先生が防いで、地上を整理していかなければならない段階の受難の道が残っているということを、知らなければなりません。 ですから学校も、神側がすべて用意しなければなりません。それゆえに、先生は幼稚園、小学校、中高等学校をすべてつくりました。 ブラジルでも今、そのようにしているのです。すべてつくったのです。幼稚園をつくり小学校をつくり、来年には高等学校が、三組まで埋まるのです。大学までつくります。それはなぜでしょうか?。ご父母様とともに教育をしなければならないのです。地上の勉強をする必要はありません。 コンピューターを持っていれば、そこにはすべてが記録してあるのです。ですから、知る必要はありません。コンピューターにすべてが入力されていれば、知りたいことがさっさっさっと出てくるのです。分かりましたか?。そのような時になりましたか、なっていませんか?(「なりました」) 何百個、何千個の図書館の秘密文書を、居ながらにしてすべて参考にすることができるのです。それは、自分の頭の中にすべて入っていることと同じです。 ですから、学ぶ必要もなく、知る必要もありません。自分が知りたければ、皆知ることができ、すべて学ぶことができるのです。学校も、知識を得るためだけならば、行く必要がありません。 自慢して階級論理を立て、上中下として差別していますが、真の愛は統一圏なのです。分かりますか?(「はい」)。そのような時代が来ます。恐ろしい時代が来るのです。あなたたちには、一つの権限もあってはならないということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) さらに二世たち。これから二世を天の願われるとおりに追い込むのです。学校を廃止すれば、それでも学校に行きますか、行きませんか?。サタン世界の学校に行くことができないようにしたら、行きますか、行きませんか?。行くという人、手を挙げてください。行かないという人、手を挙げてください。 二世たちは、そうでなければなりません。ここにいるあなたたちの父母たちは、大学に行かず、高等学校だけ卒業したのです。高等学校を中心としてみ旨を成す時だったのです。今は、あなたたちを大学まで卒業できるようにしました。 それゆえに、どこの大学を卒業しなさいと言うのかといえば、「UTS(統一神学校)を出なさい」と言うのです。そこは、内的な基準を中心として、内的な基準を教育してくるセンターになっているので、今後、UTSを出ていない人は、責任者をさせません。 恨を抱いても赦し、憤る心を踏み留めて苦しんだすべてのことを、今からヤハウェの全権時代において、わたしと共に苦しんでいる神様の心を解いてさしあげるべき課題が、わたしには残っているので、今後はそのような面で無慈悲にするというのです。 そのようにできる非情な心を持ってこそ、天国の基本的な伝統を立てることができると、先生は今までそのように思って生きてきたのです。今後、自分の家庭を破綻させた怨讐は、それが息子であれば父母が、夫がすれば妻が、妻がすれば夫が、その罪に応じて処断するのです。 真の愛というものは、天理を立てるためのものなのです。愛も原理の上にあるのです。そうでしょう?。自由も原理の上にあるのです。原理を否定するものではありません。同じことです。適当にするのは、通じません。分かりますね?。 先生が家庭編成するときは、厳格にしました。たくさんの女性がついてきていましたが、厳格にしたのです。自分たちの思いどおりにはできません。そのような面では、その当事者たち自身が知っています。驚くべき、尊敬に値する先生であることを知っているのです。 二世たち。先生の息子、娘の手本にならなければなりません。孝進様は、「彼らがいる限り、自分は孝行の道を行くことはできない」と言うのです。「自分の名前は「孝行の道」を意味するが、孝行の道の手本となり得る者がいないので、自分は孝行の道を行くことはできない」と言うのです。それは、サタンが言うことです。知るべきことは、はっきりと知っています。 お母様を迎えてからの四十年路程において、二十年間は祈祷しませんでした。祈祷をしなかったのです。なぜでしょうか?。体をもってするのです。すべて知っているからです。すべて教えてくれました。何を求めるのですか?。成し遂げれば、すべて持つことができるのです。何も祈祷することがありません。あなたたちは皆、原理を知っているでしょう?。同じことです。 二十年間で実績を持つことができない者は、夜も昼も立つことができません。それは初めて発表するのです。ところが、昨年八月から再び祈祷し始めました。お母様も祈祷することを、不思議に思っているのです。 この期間に、世の中をすべて料理しなければなりません。実体圏復帰するのです。原理に合っているでしょう?。イエス様の霊的実体圏を勝利して、霊界の協助なく肉的実体の家庭圏を成さなければならないということを、知っているのです。自分自身が、自ら成すべきことなのです。それは神様も命令することができません。家庭的解放圏は、先生を通さなければならないようになっています。 家庭を中心としてサタンと闘うその闘いは、神様も休戦させることができません。休戦させることができるのは、真のご父母様しかいないのです。そのような秘密をあなたたちは聞いて、何の価値もない軽い言葉だと思っています。 それがどれほど、生命の津液(エキス)を抜いて骨髄を溶かしながら、その闘いにおいて立て札を立てるために千辛万苦した生活だったでしょうか?。先生がそのような、血管を火で焼いて縮み上がらせるような生活をしたにもかかわらず、自分たちは平安に暮らすというのですか?。この者たち。 そのように自分勝手にして、うまく暮らせるのか見てみましょう。そのようにして豊かに暮らせるのかどうか、どのようになるのか見てみようというのです。これからは、このような者はすべて自ら願い出て、退いていく時が来たのです。分かりますね?(「はい」) 実績のない人は、神様には必要ありません。その実績とは、愛を中心とした実績です。それゆえに、あなたたちも三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭の一族をすべてつくり、治めてこそ天国に入っていくのです。それができなければ、入籍できません。原理がそのようになっているでしょう?。そうですか、そうではないですか?。 二世の三十六家庭に祝福を与えたのは、ただで与えたと思っているのですか?。恐ろしい位置です。サタンも、だれでもかまわずに攻撃してしまうのです。ここ、コディアクに来る人は、実績のある人が集まる時になりました。だれでも先生の所に来て、船に乗ることはできません。ここの門を開けておきましたが、万国成約時代の完結を超えて行くことのできる時になったので、すべてが原理のみ言どおりに成されるのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従しようという、神様の創造理想圏基盤に上がっていった人は、だれでも解放圏に入っていくことのできる万国平和統一の「選民族」になるのです。選民の中から再びつくった「選民族」です。選民ではありません。イスラエル民族、キリスト教が選民として責任を果たせなかったので、再び世界をまとめて新しく選んだ「選民族」になるのです。そのようなことを、今しているという事実を知らなければなりません。何のことか、分かりますか?(「はい」)。しっかりと知らなければなりません。 今ではもう、韓国と日本と米国は、一つの国になったでしょう?(「はい」)。日本の首相と米国の大統領と韓国の大統領の三人が一つになれば、統一天下になるでしょうか、ならないでしょうか?(「なります」)。なるようになっているのです。 それができないので、国連を中心として機関をつくり、すべて降ろして殻を脱がせようとしているのです。それゆえに、父と息子が、父子が一つになるときは、息子の家庭もつくることができ、父親の家庭もつくることができますか、できませんか?(「できます」)。父親一人ではできません。息子も一人ではできません。 息子がどのようにして父親の家庭をつくることができ、父親がどのようにして強制で息子の家庭をつくることができますか?。父子が一つにならなければなりません。母子が一つになって復帰を成したでしょう?。今は何ですか?。父子です。父子一体は、万事に通じるというのです。何のことか、分かりますか?(「はい」) 今から帰ったら、あなたたちは、母親の言うことを聞かなかったとしても、父親の言うことを聞かなければなりません。生まれて大きくなったら、母親の言うことを聞けば、滅びるのです。 韓国では、雌鶏が鳴けば、何と言いますか?「雌鶏が鳴けば、家門が滅びる」のなら、雄鶏が鳴けば反対ではないですか?。雄鶏が鳴けば、家門が復興するということではないでしょうか?。統一教会の食口たちは、雄鶏が鳴くのです。男性の権威です。天使長ではありません。愛の権威です。 わたしは、お母様を高めようとしているのです。昨日も、魚を捕まえるチャンピオンシップをお母様に移譲しました。それは、お母様を高めようと、そのようにしたのです。あなたたちは、「いくら魚を捕まえても、お父様には勝てない」と思っています。そうでしょう?(「はい」)。しかし、「お母様には勝てる」と思っているのです。(笑い) それでわたしが、お母様を一番に立てたので、皆、お母様についていくのです。母親についていっても、結局は父親を訪ね求めていくことになるのではないでしょうか?。母親が息子、娘を連れて父親を訪ねていくのです。先生も天地父母、地上において父親、母親、息子と……。 母親は、二つの立場です。夫に対する妻の立場と息子に対する母親の立場です。それをそのまま公認するのです。それでわたしも、お母様に対して「お母様」と言うのです。ですから、家庭問題においては、その秩序を正しく立てなければなりません。離婚がどこにありますか、離婚が?。再び結婚するということがどこにありますか? 志操を生命以上、愛を生命以上に立てることができない堕落した世界なのです。愛のゆえに生命を放棄しなければなりません。自分の志操を守るためには、生命を放棄する恨がありますが、愛を破壊することはできません。それが統一教会の天に侍る天理の道理だということを知らなければなりません。分かりますか?。先生もそれは同じです。 どこのだれが何と言おうと、先生はいいかげんに扱える人ではありません。分かりますか?(「はい」)。先生は、自分自身が自分の体をコントロールできる訓練をした人なのです。そうでなければ、神様の息子、娘になることはできません。 自分がとても愛している人を怨讐の前に譲って、福を祈り、「わたしの代わりに、わたし以上に愛しなさい」という心を持つことができてこそ、神様の心情を理解することができるのです。何のことか、分かりますか?。先生も、聖進様の母親をそのような位置に立てようとしました。「どのような怨讐にでも会いなさい」と言うことができ、紹介してあげることができたのです。だからといって、そのように行動するのではありません。そのような心情圏を通過するということです。 自分の最愛の人が男性たちと仲良くしていても目をつむり、「神様がエバの喜びの日を迎えられることができなかったことを、自分の家庭において神様が喜びの日を持たれることによって、解いて越えていかなければならない」と考えた人なのです。何のことか、分かりますか?(「はい」) わたしは、聖進様の母親が金キム百文の祈祷院に行ったとき、金百文を呼んできて紹介してあげた人なのです。「愛しなさい」というのではありません。そのようなときに、どのような心がわたしに生じたでしょうか?。 しかし、そこで躊躇すれば、神様の心情に引っかかるのです。今回もそうです。母親までも含めて、すべての先祖の結婚式をさせてあげるのです。かりに父親がいたとしても、させるときは未練がないのです。夫婦の間においても、兄弟のように断行してこそサタンの前に引っかからないのです。何のことか、分かりますか?(「はい」) それゆえに、皆さんも十年、百年慕っていた愛する人、結婚した妻に出会い、愛する最絶頂の境地に行ってから、ゼロに帰らなければなりません。わたしはそれを今、訓練しているのです。そのことを、お母様は知りません。 本格的な指導をするためには、わたし自身がそのようにできる生活を改造しなければならないのです。サタン世界でそのようにしたので、天の国に帰ってきて自分の志操を守るのです。先生は、そのような生活をする人なのです。お母様は、何かおかしいと思っていることでしょう。分かりますか?(「はい」)。その峠を越えることができなければ、神様の前に帰ることができません。 憤慨する無念な歴史を残しているという事実を知らなければなりません。はっきりと知らなければなりません。二世たち、分かりますか?。むち打つならば、あなたたちをも打つむちが待っています。この者たち。自分がよいと思うとおりに、自分勝手に行くことができるのですか?。蕩減復帰しなければなりません。 先生は、そのような考えをしたことはありません。百八十度反対の道です。自分一代の何十年を中心として……。永遠を中心として苦労した神様の前に、そのような考え自体が、不孝この上ないというのです。そのように不孝この上ないことが、どこにありますか?。そのことをはっきりと知らなければなりません。 そうして「全般」、それから何ですか?(「全能です」)。全能の世界の相続者にならなければなりません。サタン世界に勝たなければならないのです。サタンの権限に勝たなければなりません。 大統領に出馬しようとしたり、国会議員をしようとしたり、そのように願ってはなりません。わたしには、大統領であれ、何であれ、すべて必要ありません。それをどのように処理するかという問題にかかっているのです。先生は、心配していません。先生は死にません。滅びないというのです。すでに、すべて終わったでしょう?。きょうですべて終わったでしょう?。 かりにわたしが、み旨を成すまいとして、ならず者になったとしても、神様のみ旨は成し遂げられるのです。なぜですか?。種はなくなりません。すべて祝福家庭にしておいたのです。安全地帯に入ってきているからです。ですから、先生を悲しませてはなりません。 先生が決断する日には、恐ろしい男になるのです。それで、魚も大きい魚をすべて捕まえました。最初は、それを興奮して喜んでいました。「わたしはこうでなければ」と。ところが最近では、気が引けるのです。釣りの時代は過ぎました。昨年、釣りの時代が終わったと宣布したのです。 今からは、育てなければなりません。自分が食べるものは、自分が育てて食べるのです。自分で農作業をして食べるというのです。アダムとエバは、そうしなければならないのではないですか?。神様が農作業なさることはできません。 それで、年老いた統一教会の食口は、国家メシヤは、パンタナールに来て魚を捕まえて食べ、暑い所で解放されなければなりません。脱いで暮らさなければなりません。国家メシヤは、どこかに行って死んではなりません。家は、一つずつ建ててあげます。土地は、約四ヘクタールです。一万二千坪です。 そうすれば、死にません。その土地を遊ばせることはできないのです。一人では五千坪も耕すことはできません。自分で食べていきなさいというのです。あなたたちの息子、娘まで、一族まで食べさせてあげなさいというのです。一万二千坪持てば、少なくとも何百人かを食べさせてあげられる基盤になります。それを準備しているのです。 それでは、国家メシヤたちが来るのに、一番最後に来ますか、一番最初に来ますか?。国家メシヤとしての責任を完成して先に来れば、先に家を建ててあげるのです。その家は買いました。家はたくさんあります。牧場だけでも、四十二か所も買ったので、そこに家を二軒ずつ建ててもいくつになりますか?。何ですか、家が無いというのですか?。家はすべて焼いてしまわなければなりません。分かりますね?。食べることは心配ありません。 ですから、りりしく、そして何ですか?。りりしいだけでよいのですか?。堂々としていなければなりません。強く雄々しく、りりしく堂々と、すべてのことを処理していく人にならなければなりません。なりますか、なりませんか?(「なります」)。なるという人は、手を挙げてください。下ろしてください。 きょうから、大移動が起きるのです。きょうからです。それで、五十人ずつ来なさいと言ったのですが、ここに来た米国東部の責任者は、日本行きです。日本からの五十人は、米国東部の息子の家に訪ねていかなければなりません。息子の国を愛さなければならないでしょう?。母親が行って愛さなければならないでしょう?。そうですか、そうではないですか?。 長子権国家が生まれたら、その母親が愛する国にならなければならないでしょう?。長子権ができたのですから、父親も愛する国にならなければならないのではないでしょうか?。父親は、それをすべて愛するのです。 イエス様に、「ベルベディアに行って家庭生活をしなさい」と言ったでしょう?。去年の四月十九日のことです。そのことを覚えていますか?。祝福は、一九七三年一月三日にしたのです。ですから、そのときまで数十年間、独身生活です。なぜですか?。国家的基準、世界的基準に行くことができませんでした。ですから、それを越えて、祝福の日を中心として準備してあげたのです。 国家、世界基準に対して、家庭的同参権をなして、聖賢たちを祝福するうえで、すべて加担させたではないですか?。このようにして世界を越えていくのです。霊界、肉界を中心として、それ自体が世界的時代に入っていくのですが、今からは、国を復帰するために文先生が闘う必要はありません。 自然屈伏の基台は、青少年、幼稚園、小学校、中高等学校だけ教育すれば、その国はすべて天の国になるようになっているのです。それは、どのような教育でしょうか?(「純潔教育です」)。純潔教育です。どのような相対を結ぶのですか?。純潔子女の相対を結ぶのです。エデンの園のアダム家庭では、相対を正しく結ぶことができませんでした。今、正にそのような時代に入ってきたというのです。 ですから、兄弟以上に愛する中で、兄弟以上にその妹、兄を守りなさいというのです。何を守るのでしょうか?。エデンの園でそれを守ることができずに堕落したので、自分たちがそれをお互いに守り、真のご父母様の願いである、国と世界の浄化をさせようというのです。それを、わたしたちの家庭が成すのです。そこで、韓国の伝統を学ばなければなりません。 米国の牧会者たちも、日本の牧会者たちと交代して日本に行って二十日間、もしくは四十日の間、生活してみるのです。そうして行くや否や、日本の責任者がしていた説教をしてみるのです。また、日本の牧会者は、米国の東部なら東部に来るというように、交代でお互いがために生きることができるようにしてみなさいというのです。それは、一つにするためです。 日本人が米国の教会に行って責任者をしてみなさいというのです。通訳をさせながら、どれほど大変なのかしてみるのです。先生が、その道を開拓したという事実を知らなければなりません。 ですから、統一教会の食口たちは、韓国語はもちろん知らなければなりませんが、その次に知らなければならない代表が米国の言葉であり、日本の言葉なので、その二か国の言葉を学ばなければなりません。日本も、父親の国の言葉、その次に息子の国の言葉を学ばなければなりません。息子の国(米国)も、父親の国の言葉、その次に母親の国の言葉を学ばなければなりません。 それは、しかたがありません。そこに加担できなければ、脱落者です。ですから、今、決めたではないですか?。天の指示を受けて、四十日の間抜けても損害にはなりません。四十日間、二か月間、そして、九月、十月、十一月、十二月、その四か月をそのように送るのです。四か月間、そのようにすれば、「一つの国の伝統思想はこうである」という、骨髄にまで達することのできる幸福を、この三か国の責任者が共有するというのです。ですから、韓国と日本は一つの国なのです。日本は、韓国と歩調を合わせなければなりません。分かりますね?(「はい」) 明日からは別人となり、祖国光復の先覚者となり、先発隊にならなければなりません。天の精兵にならなければなりません。独立軍にならなければならないということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) 自分の家庭を捨て、世界を尋ね求めていこうとするので、国を捨て、大陸を捨てて飛んでいかなければなりません。先生は、すでにその準備をしました。しかし、あなたたちが迫害を受け、苦痛を受けるようなものは、すべて崩しておきました。それでも「できない」と言うのならば、はらわたを裂いて魚の餌にし、山猿の餌にするかもしれません。 わたしは、そのような人です。自分の息子、娘も、そのような観点で見ているのです。原則に合わなければ、自分が持っている希望をすべて投げ出したとしても、捨ててしまったとしても、きれいに神様の前に行動していくことのできる準備をすべてした人なのです。分かりますか?(「はい」)。それなのにこの者たち、自分勝手に……。 今、韓国は、IMF(国際通貨基金)管理体制下にあり、経済の状況も悪いのですが、神様の前にささげたものを、再び売ることはできません。天の前にささげたものは、再び売ることはできないというのです。あなたたちは、そのことが分かりません。この者たち。 そのような者たちが多いのです。わたしが統一教会の教主でなく、世の中の人であれば、そのままにしておきません。もうすでに解決しているはずです。この統一教会のろくでもない者たち。国を心配するのですか?。国に何があるというのですか?。 あなたたちの中で、自分勝手に大学院を出て就職した人は脱落者です。UTS(統一神学校)に行くか、ブリッジポート大学には宗教科があります。それは大学院コースです。それをつくりました。そこを経なければ、公的に用いません。分かりますか?(「はい」) そのようなことを理事長を通して、父母を通して伝達したのです。そのようなことを聞きましたか、聞いていませんか?。この者たち。聞いたにもかかわらず、父母を否定し、先生を否定したのです。そのようにして、自分に残るものがどこにありますか?。何もないというのです。はっきりと知らなければなりません。分かりますね?(「はい」) あなたたちとわたしは、どのような関係ですか?。父子の関係は、蕩減復帰です。蕩減の内容を立てなくては、越えていくことのできる道はありません。蕩減条件を提示しなければなりません。先生が八段階の条件を独りで開拓したことを受け継ぐためには、その峠で涙を流す役事でもなければなりません。 先生が苦労した道を、重たい砂袋を持って歩いていくのですが、自分の精誠が不足しているために、必要な条件を充たすことができないのならば、荷物を持って汗を流しながら裸足ででも行かなければならない道が残っているのです。そうであるにもかかわらず、それをそのままにして盗賊になろうというのですか?。 父母と皆さんは、必ず蕩減復帰しなければならない関係です。神様は、どれほどわたしを試験されたか分かりません。無慈悲な神様です。今まで、神様から称賛する言葉は一言も聞いたことがありません。 称賛とは何ですか?。昔は、すべて教えてあげましたが、今は教えてあげません。「教えてください」と言っても教えません。それは、すべて知っているからです。わたしは、自分が行くべき道を知っているのです。 行けば行くほど難しいのです。わたしが昨日、話したでしょう?。最後には故郷を離れて、難しい位置で基盤を築いていくというのです。その伝統があるということを知らなければなりません。あなたたちも同じです。ここにわたしの息子、娘も来ていますね。聞いているのか、いないのか、韓国語を知っているのか分かりません。この者たち。分かりますね?(「はい」)。先生に、そのような課題が残っているということを通告します。 世界じゅうのかわいそうな民族が、強大国の肥やしになっていくのを、わたしが守ってあげなければなりません。真のご父母様が、そうしてあげなければならないのではないでしょうか?。そのようなとき、総隊長は黄善祚氏がなるかもしれません。世界が、何もせずに統一されるでしょうか?。この者たち。統一するようにしてこそ、統一されるのです。何のことか、分かりますね?(「はい」)。若い人たちは、はっきりと知らなければなりません。 わたしの実力、わたしの権威をそのまま立てて、ここに中心標題を立て、そこに主管され得る相対圏をどのように急進的に完成させるのかという問題です。四十日ではなく、四日間で四十日間を蕩減させなければならず、四十年を四十日間で蕩減させる訓練をさせなければなりません。 四十日間、寝ずに断食です。しますか、しませんか?。四十日断食をして、四十日眠らせない訓練をさせようとしたら、しますか、しませんか?。尋ねているではないですか?(「やります」)。しないという人は、手を挙げてください。それでは、しますという人は手を挙げてください。 どうして横を見ながら手を挙げるのですか?。この者たち。他人を見てする者は、うそつきにしかなれません。後ろを振り返り、横のだれかを信じてはいけないというのです。わたしは、だれも信じません。いくら世の中が信じても、信じません。わたしが神様を愛し、神様に侍ることのできる権限を持って主管しようとするのです。相談もしません。 さあ、それを知って、自主性のある実力者になり、今後の未来に訪ねてくる地上天国、伝統の国を相続することのできる孝子、忠臣、烈女になることを願います。分かりますね?。 きょうは、「七・八節」なので、七回、そうでなければ八回は打たれなければならないのではないですか?。そうではないですか?。何回打たれましたか?。気合いを入れなければなりません。きょうの「七・八節」で宣布したことは、全般、全能、それから何ですか?(「『全権の日』です」)。ヤハウェを中心とした全般、全能行使の出動を宣布した日なのです。 これからは、ここに来て祈祷するのです。氷山で祈祷しなければなりません。ここの周辺の土地を買い、哨戒所をつくって、昼夜泣く声によって聖地になることでしょう。あなたたちは、ここに建てたものを知っていましたか?。この崔社長という人が建てたのですが、お金が一銭もないのに建てたのです。 時間は何時ですか?(「九時です」)。九時ですか?。もう礼拝の時間になりますね。先生のみ言は何を話しましょうか?。あなたたちに勧告して、飛んで行くことができるようにしなければなりません。飛躍しますか、跳躍しますか?。どちらを願いますか?(「飛躍です」) なぜ、「飛躍」なのですか?。垂直に上がっていく自信がありますか?。それをするには、綱がなければなりませんが、その綱をつくっておきました。「跳躍」というのは、跳躍して九十度上がって飽和状態になれば、落ちていかなければなりません。ですから、いつでも統一教会は、垂直に上がっていかなければなりません。「飛躍」しなければならないのです。 その道を築こうとするので、先生が千辛万苦し、神様も救援摂理歴史を何千万年もの間なしてこられたのです。そのことを知るべきです。ここから垂直に行くのですか、どのように行くのですか?。北極に来て暮らさなければなりません。北極は、何を必要としますか?。南極が必要でしょう。北極で全力を尽くしてから南極に行って、「焦点聖地(源焦聖地)」です。それから何聖地ですか?「根源聖地」です。 そこには、食べる物はすべてあるのではないですか?。ありとあらゆる五色の果物がないでしょうか、動物がいないでしょうか、植物がないでしょうか、すべてあるというのです。ここにはありません。 ですから、北極で暮らしますか、南極に訪ねていきますか?。熱帯地方に訪ねていかなければならないでしょう?。韓国を中心として見れば、ウルグアイは完全に地球の真裏に当たり、九十度下なのです。地球儀を見てください。そこを中心として、すでに二十年前から、そこにすべて基盤を築いておいたのです。 先生は、だれも夢にも思わなかった南極開発のための港口をつくっているのです。先生は、夢を見る人ではありません。実践するための計画なのです。分かりますか?。あなたたちも、今から実力を持たなければならないということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」)。実績です(「実績」)。実績(「実績」)。実績(「実績」)。実績が必要なのです。二世たちは、しっかりとしなければなりません。恐ろしい先生が現れる時が来るのです。 さあ、ですから、先生があらゆる方面になりふり構わずに準備したことは、あなたたちには想像だにできなかったのですが、あなたたちは、「それは想像することのできる内容のものであるから、先生が準備したのだ」と思って、「先生以上になします」という気持ちを持って、それ以上に走り、それ以上に努力すれば、すべてオーケーなのです。 そのように理解しなさい。自主的な権限を持って登場するのですが、王子王女として登場する権限を持って、大王陛下の実権を持ち、神様までも感動させる祭司長になってみせなさいというのです。それは妥当な話ですか、不当な話ですか?(「妥当な話です」)。妥当な話なのです。 神様の全権全能のお出まし、お成りのために「自分が必要とされる基盤になろう」と努力して決心することを、決心することを何ですか?。答えてください。(「盟誓いたします」)。そうです。盟誓しました。盟誓したという人は、手を挙げてください。このように成し得る思想を持ち、一方通行で矢のように撃破する以外にはあり得ない、という歩みをするのです。前進的な宿願を、天も願われ、先生も願っています。(「アーメン」)。「アーメン」と、言えることは言えるのですね。そのようなことを喜ばれるのが神様であられ、真のご父母様なのです。(「アーメン」)。お母様も喜び、すべてが喜ぶのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.18
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原初聖地・根源聖地・勝利聖地の策定奉献式一九九九年七月二十七日、午前四時十八分(韓国時間午後八時十八分)、ブラジル・パンタナールにあるアメリカーナホテルにて十余名が参加する中、アメリカーナホテルを「原初聖地・根源聖地・勝利聖地」と定めて奉献する記念式が行われた。 祝祷 愛するお父様……、きょう一九九九年七月二十七日火曜日、四数も六数も九数もサタン数の勝利基準となって、天を苦役させてきた数から、今や七月を中心として、三掛ける九の二十七数である二十七日を越え、明日は四掛ける七の二十八数である二十八日、四数と七数を中心として四次アダム圏時代まで越えていける出発の起源とみなし、アダムとエバをつくられたあなたの創造理想の中で、罪なくあなたの心情を通じて、愛と生命と血統が一致した立場に立ち、真の父母となりながらも、復活圏の勝利の覇権をもって万世の天国の出発がなせなかったことを、数多くの歴史時代の一つの区切りをつけ、旧約時代、新約時代、成約時代の三次アダムの失敗の過程をすべて経ながら整備いたしました。 そうして、この場で昨年五月十五日を中心として、怨讐サタンを愛することによって、天のみ旨を中心として、アダム家庭でカインとアベルの殺戮戦が起こったのを見つめる神様の心、堕落したアダムとエバの心がどれほど悲痛であったかという事実を、こんなことがあってはならないという、そのすべての怨恨を抱いたその心を、歴史を通して解くことができずに、神様と共に呻吟してきた歴史的なすべての苦難を、お父様が責任を持って解かれるために、数千年、数万年の間、苦労してこられた恩賜に心から感謝申し上げます。 耐えに耐え、待ちに待ちながら、これまで摂理のみ旨を遅らせることなく、一人で責任を持たれて万世の受難の道を行かれながらも、万民の解放圏を願い、真なるアダムの完成家庭によって完成した国家、世界、天宙、地上・天上天国を統一化させ、あなたの心情的な愛の主権を立てるために苦労されたお父様の前に、すべての被造万物は身をかがめて感謝申し上げます。 真の父母もまたこのすべての地上に残された蕩減の道、苦難の道を行くために、その数倍、数千倍もお父様が苦労し、保護されることによって、難しい環境を耐え忍んでまいりました。 倒れそうな道でもお父様が守ってくださり、きょう勝利のこの時間に至りまして、この場においてサタンを屈服させ天宙解放を中心として真の父母の勝利によって、神様と真の父母の解放圏を備えて怨讐であるサタンを自然屈服でき、天下にあなたの自主権を立てることのできる、全体・全般・全権・全能の時代をあなたが掌握してくださいませ! そうして真のご父母様と統一家の行くすべての道の前に、全体の先頭に立って今やサタンを屈服させ、サタンと真のアダムと天使長に命令できる時代を迎えましたから、そのような初の出発の基地としてこの場が原初的な基地にならなければならず、この場が根源的な基地にならなければならず、この場が勝利の聖地の場とならなければなりませんから、万民がこのパンタナールを中心としてこの地を追慕しながら精誠を尽くして天の福を集め、一家、一国家、一世界の前にそれを伝授してあげられる真の父母たちとなることを約束する、そのような基地となるようにしてくださいませ。 この場を愛し、この場を守り、この場を自らの体のごとく、家庭を中心として国家全体が神様の体の相対的な存在として出発基地を持てるようにしてくださったことに感謝しながら、一生を追慕しつつ、ご父母様の苦労と神様の苦労を心に深く、骨肉に刻んで、千秋万代の後孫、一族を越えて、民族・国家・世界と全人類が、一つの心情によって天の国に直行できる子女の名分を備えられますように、お父様……、全体・全般・全権・全能を主管されまして、天の国に直行できる祝福の基地をここに選んでお父様の前に奉献いたしますから、この場を聖なるものとしてくださいませ。 天の祝福の恵みを根付かせてくださり、万世に地上・天上天国をカバーして余りある血のにじむような精誠の心情が連結され、新しい血統を通じて、あなたの愛を中心として千秋万代、孝子・忠臣・聖人・聖子の道理を果たさせてくださり、祝福を受けた子女の家庭を一つとならしめ、先祖の伝統を受け継いで、余すことなく忠孝の道理を誓うことのできる、万世の後代の後孫たちとならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 この時間、この場を「原初聖地」、「根源聖地」、「勝利聖地」として策定いたしますから、お父様……、命令どおりに実践して奉献いたしますから、かなえてくださいませ。み旨の通りに万事、万事、万事が、み意にかない、み意にかない、み意にかないますよう許諾してください。真の父母の御名によって全天宙の前に宣布いたします。 アーメン、アーメン、アーメン! み言 祝福家庭はみな、この地を通過しなければなりません。そのためには、ここがどのようにならなければならないでしょうか? 飛行場も整備し、鉄道も整備し、運河も整備しなければなりません。それをなすにあたっては、精誠のこもった心を前面に立てて、歩んでいかなければなりません。 土地を買うにしても、私たちの仕事をするにしても、先生の伝統と神様の苦労の前に、批判される者にはならずに、このような伝統以上の精誠を尽くすべきことを覚えておきなさい。 体と心が一つになって、夫婦が一つになって、子女が一つになって歩んでいかなければならないのです。今後、ジャルジン修練所とは別個に、ここに大きな修練所を建てて、自分の一家や一族が来て、修練を受けられるようにしなければなりません。一族です。一八五家庭、十六○家庭なのです。自分の一族がここに来て、修練を受けなければなりません。そのような膨大な施設を設けなければなりません。自分たちでわきまえて祈って進んでいかなければならないのです。 今日は何ですか?原初、根源!それから勝利です。「原初聖地」、「根源聖地」、「勝利聖地」です。これが出発なのです。(三一〇-二七八、九九年七月二十七日) 今年の六月十四日に「天地父母天宙勝利祝賀宣布式」を行いました。そのような祝賀をしたので、今や終わったのです。そこで帰って、今回は何を出帆しましたか? 聖地をつくりました。やっと天国の起源となり得る基地をつくったのです。第一に「原初聖地」、第二に「根源聖地」、第三に「勝利聖地」です。 それが七月二十七日です。神様や先生や祝福家庭が、すべて原初点である「焦点聖地」を失い、「根源聖地」を失い、「勝利聖地」を失いました。ところが完成家庭を築いて、それを回復したのです。聖地が三大名称を持ちました。歴史の始まりから終わりまで、すべてを整理することのできる聖地なので、統一教会の食口たちは四年に一回、四十年に十回、あるいは十二回以上訪ねなければなりません。そこは地の果てです、地の果て。 それで、ジャルジンに世界平和家庭連合の「理想家庭教育本部」を建てました。そこから天国の出発です。そこで教育を受けてから、この場(三大聖地)を経て天国に行かなければなりません。西洋からも東洋からもこの場に来て、家庭的に、超民族的に結婚した家庭が、個人、家庭、氏族、民族と、ずうっとあがって行くのです。ここを経ないことには、垂直にその柱を上がることができないのです。南北が分かれました。南北が分かれたのを、ここで一つにするのです。東洋と西洋が家庭を中心として、統一的な焦点の起源に合わせ、根源の起源に合わせ、勝利の起源に合わせなければなりません。 七月二十七日の四時に、先生の特別命令によって聖地を定めました。神様の命令によってです。二十七日というのは三の九倍であり、二十八日は四数の七倍です。三数と四数の完成、七数の完成、サタン世界の完成を移行して再出発するのです。そこにおいて初めて迎える八月の一日が中心であり、きょうの八月八日は二番目の聖日です。このようなものを乗り越え、このような「焦点聖地」として完結し、八、八とぴったり合うのです。再出発です。 祝福家庭の力は、お父様にその源を発しているので、世界を越えて影響を及ぼすことは問題ではありません。宇宙や霊界までも問題ではありません。そこから天国の定着を中心として国が建てられ、そこから地上天国が建てられるのです。それが自動的に天上天国と連結されるのです。そのような目的を完成するのが摂理の道です。み旨です。 ですから、「焦点聖地」に私たちの家庭が位置しなければなりません。「焦点聖地」であるとともに世界の中心の場に立ったので、「焦点聖地の主人は私たちの家庭である! 根源聖地の主人は私たちの家庭である! 勝利聖地の主人は私たちの家庭である!」と言えるようにならなければなりません。誰によってですか? 神様と縦横の真の父母の苦労と、蕩減復帰された勝利の基盤を継承することによって、皆さんの家庭がそのようにならなければならないのです。そこからすべての因縁を中心として、家庭と氏族、民族、世界の家庭教育を中心として、世界の氏族編成、世界の核編成を始める時が訪れ、地上の希望の時が訪れたのです。「アー、アー、アーメン!」と言わなければなりません。 ですから、「焦点聖地」の主人であり、「根源聖地」の主人であり、「勝利聖地」の主人です。焦点を合わせて、根源を見いだして縦横の真の父母のみ旨を継承した勝利者になろうというのです。サタンとは永遠に関係がありません。私に属しているすべてのものは、焦点基盤に立てられた神様の所有であり、「根源聖地」に属した神様の所有であり、「勝利聖地」に属した神様の所有であり、堕落していない本然のアダム完成の聖地基盤を、再臨主と奪還したのです。 そこに行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? 行かなければなりません。ヘロデ王の時代にも、「登録せよ」と言われて、エルサレムの方に(ベツレヘム)行ってからイエス様を生んだでしょう? そこに行かなかったならば、大変なことになるのです。行ってから生んだのです。生んだとしても、行ってから生んだので登録できるのです。マリアが登録しに行ってから生みませんでしたか? 同じことです。真の父母が王の中の王であり、天の王なので、天の宣布するその日に合わせて行動しない者は脱落するのです。 ここに来てから、本国に帰って初めて入籍するのです。皆さんは「ジャルジンなど行かなくてもいい」と言っていますが、行かなくてもかまいません。しかし、神様は驚くべきお方です。この水たまりのような地域に統一教会の信徒全世界の数十億人が押し寄せてきて、繁栄する都市になるのです。イタリアの「水の都」、ベニスの比ではありません。それ以上に立派につくるつもりです。統一教会の「世界天宙統一理想国家」の名をもって、地球を十回でもひっくり返せるのです。問題ありません。できますか、できませんか? できるのです。 祝福を受けた家庭であることを誇りたければ、この聖地に来て参拝し、息子や娘の名前を記録して残せというのです。それが福を受ける道です。それが結論なのです。この聖地が本然の聖地です。私たちにはいくつかの聖地がありますが、それは本然の聖地ではありません。これが完成した本然の聖地なのです。 すべての勝利的な道を越えて、永遠なる天上天国に行くのです。真の父母が神様に再び奉献して案内する永遠なる世界が、私たちの本然の故郷です。そこが理想なる天上天国なのです。この地上世界には制限があります。それは短く生きて死ぬ所です。そのようにわきまえて、そのために万全の準備を整えなければなりません。国を越え、世界を越え、このような所有権の基盤を拡張して、神様にお返しすべきそれを、すべて完成させなければなりません。ですから、真の父母が生きている間にそれをすべて相続し、千年、万年天国に直行、天上天国を完成すべし! 今年の八月は重要ですが、再出発する立場でどこに行くべきでしょうか? 先生は今や解放され、皆さんが心配しなくても私の行くべき道はすべて行き、すべて完成しました。皆さんに相続権を与えたので、これからは、皆さんが完成することが宿命的な課題なのです。それだけに、先生を慕う以上の心情を抱いて、天国に定着できる解放的な家庭を築かなければなりません。(三〇三-一三八、九九年八月八日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.17
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家庭完成の核1999年7月4日聖日礼拝・ベルベディア韓国語で御言を語られ、途中、英語で語られた部分の始めと終わりに(英)と記した。 核を否定する人は消えていく 核とは何ですか?。核というものは一人ではできません。必ず、相対的関係、環境条件の相対的関係において、中心的な位置を占めるものが核というものです。人間における核とは何でしょうか?。心ですか、体ですか? (「心です」)。家庭的核は何でしょうか?。それから、国の核は何でしょうか? (「家庭です」)。大統領の家庭がいいですか、王の家庭がいいですか? (「王の家庭です」)。なぜ、王の家庭がいいのですか? 一代で、大統領に何回侍らなければなりませんか?。四十年を生きれば、十回侍らなければなりません。このように見る時、自分を中心として十回(侍ること)を願いますか、大統領を中心として私が十回(侍ること)になりますか?。米国では、どちらですか? 民主主義においては、一代で四十年生きれば、十回以上自分が大統領をつくることになります。それゆえ、私が中心です。自分がその核になることができますか?。答えてください。(「なれません」)。それでは、だれが核にならなければなりませんか? (「神様です」)。国を中心として、国の核は何でしょうか?。大統領がいいですか、王がいいですか? (「王です」)。 民主主義時代は、兄弟主義なので闘いが継続されますが、王主義時代は、父母なので闘いが始まりません。平和なのです。兄弟が十二人いたら、だれが中心になるのですか?。父母がいれば、すでに中心になっているのです。中心をつくる必要がありません。核があるのに、また核をつくる必要はありません。米国の民主主義は何ですか?。兄弟主義でしょう。なぜ、そうなのかというのです。王がいないのです。父母がいないからなのです。 家庭でも、父母がいなければ闘いが起きます。家庭に父母がいなく、氏族、民族、国家に父母がいなく、世界に父母がいなく、天地に父母がいないのです。しかし、父母は本来いるのです。そこから出てきたので、「もともといる」ということを否定してはいけません。 これを「デモクラシーだ。世界の兄弟よ」と言っていますが、父母がいないのです。では、米国が力ずくで、強制的に「私が中心だ。核になるのだ」と言って、なることができますか? (「できません」)。それでは、闘いが継続されるのです。では、何が核になるのでしょうか?。根源です。根源とは何ですか?。私という人間は心が主体で、体が相対です。心が中心です。これが核になっているのです。 家庭といえば、父母が根源です。父母が中心であり核です。国といえば、国の伝統的な王が根源です。宇宙全体においても、父母のような立場に立ち、最初と最後を抱くことのできる存在が核にならなければならないのです。その概念が今、分かりました。 さあ、それでは、東と西、南と北、前後関係の核は何かというのです。その根源は、中心にならなければなりません。(板書されながら語られる)上下関係、左右関係、それから前後関係です(図1参照)。自分が立てば、すでに上下、左右、前後ができています。 では、何が核になるのかというのです。体ではありません。心です。すべて心が命令するのです。進む時に、体が「進め」と言いますか、心が「進め」と言いますか? (「心です」)。「左に進め、右に進め」と命令するのです。五官全体を動かすことのできるものが根本です。根本にもなることができ、結果にもなることのできる、そのようなものが核になるのです。 ここに、上下、前後、左右関係があるのですが、核はどこになければならないのでしょうか? (「中心です」)。中心は、上と下の根になるのです。ここ(中心)を一つだけ引っ張れば、どのようになりますか?。上が「私は上は嫌だ」あるいは「下は嫌だ」、右側、左側が「嫌だ、私は嫌だ」と言いますか? では、自分の心のままにできる環境とは何でしょうか?。いつ自分の心のままにできますか?。これはプラス・マイナスです。これもプラス・マイナスです。いつ自分の心のままにすることができますか?。いつ、自由があるのですか?。自由というものはどこから出てきたのか、というのです。 この米国が「ここ米国は自由の国だ」と言うのですが、自由ではなく肥桶の国です。どんな自由の国だと言うのですか?。亡国の種です。個人主義がどこにあり、プライバシーがどこにありますか? 「個人主義」と言えば、すでに中心を否定しているのです。「プライバシー」という言葉は、中心を否定しているのです。宇宙の構成体で、中心を否定する存在はありません。 これは、だれによってできたのでしょうか?。これは宇宙を破壊させる主義なのです。サタンから始まったという結論が出てくるのです。では、これ(図1)は何の核ですか?。個人的な核、家庭的な核、氏族的な核、民族的な核、国家的な核、世界的な核、天宙的な核です(図1参照)。この核の八段階が、すべてそれぞれ存在していたら、統一世界が展開されるでしょうか?。統一はありません。一つになれないのです。 核を形成しようとすれば、必ず、垂直と水平が一つになる所からです。それゆえ、垂直と水平が一つになる所で核を発見することができる、という結論が出てきます(図2参照)。ゆえに、すべての存在には核が必要です。絶対に核が必要なのです。運動するすべての存在で、核を否定する存在は壊れていくのです。なくなっていくのです。 それでは、核は必要ですか? (「はい」)。では、個人に核がありますか?。核は変化すべきですか、どうですか?。核が変わらなければ、その対象も変わりません。それゆえ、核を形成しようとすれば、必ず垂直関係がなければなりません。これがなされれば、九〇度を否定する核はありません。これが、四×九=三十六、三六〇度です。三六〇度という言葉は、どこであってもすべてバランスがとれ、丸いということです。 皆さん、三六〇度に合わせることができますか?。零点の道理を知っていますか?。零点とは三六〇度です。自分が何度動いているか、という事実を知っているかというのです。現実問題として、最も重要なことです。では、どこにいるのかを知るためには、上下関係の中心から見て、自分が右舷なのか、左舷なのか、上弦なのか、下弦なのか、前舷なのか、後舷なのか、ということを知らなければなりません。これを知らなくてはなりません。 さあ、統一教会で宇宙の存在性を語る時に、何と言いますか? 「正分合作用」と言うのです。核のあるところが根源にならなければなりません。この宇宙のあらゆるものが、連体関係で連結されているのです。 根源とは何ですか?。心ならば、心が根になっていなければなりません。心は毎日二十四時間、変わりますか? (「変わりません」)。心は、体が泥棒しようとすると、「おい、こいついけない」と言うのです。 簡単に変わるものは何ですか?。心ですか、体ですか?。どちらですか? (「体です」)。心は変わりません。それが核です。これを知らなければなりません。核を否定する人は消えていきます。 神様の息子・娘には、神様が定めた核が絶対に必要 永く存在することができ、従っていくことのできる存在が、核になります。力が強い人と、力が弱い人と、どちらが核にならなければなりませんか? (「力が強い人です」)。太った人と痩せた人とでは、どちらが核になりますか? (笑)動物世界では、牛も肥えたものを願い、豚も肥えたものを願い、鶏も肥えたものを願い、木も大きくてしっかりしたものを願うのに、なぜ、人間世界はスリムでなければならないのですか?。飢え死にする人のいる世の中で、自分が太っていてはいけないでしょう。太っている人は、「三人が食べるものを一人で食べ、二人が飢え死にした」と考えなさいというのです。そのように考えるのです。それゆえ、核にはならないのです。 皆さん、家の中に十人の人が暮らしていれば、その核になり得る人はだれですか? (「父母です」)。自信がないですね。(「父母です」)。浮気して、離婚し、泥棒する父母が、どうして核になるのですか? (「なれません」)。そのような時は、だれが核になるのですか?。その家庭において、母親や父親まで教育し、全体の前に尊敬され、できないことを成し、だれも及ばない能力をもっている人が核になるのです。分かりますか? 皆さん、核をつくることのできる人は、自然と核になることができる、ということを知らなければなりません。では、核メーカー(核をつくることのできる人)がいいですか、核になるのがいいですか?。レバレンド・ムーンは、何をする人ですか?。レバレンド・ムーンは核メーカーです。核がない家庭に核をつくってあげ、氏族の核、民族の核、国家の核、天地の核をつくってあげるキングなのです。そうですか? (「はい」)。核キングメーカーです。 上下に核、左右にも核、前後にも核、核が多くてどうしますか?。どのように一つになりますか?見てください。(板書されながら)一、二、三、四、五、六、六数があるのです。上下がペアになっています。これ(A)が中心、これ(B)も中心、これ(C)も中心です(図3― ①参照)。では、どこについて行かなければなりませんか?。上下の中心について行くのですか、どれを中心としてついて行かなければならないのですか?。すべて行ったり来たりしています。ある人は「これがいい」と言い、ある人は「これがいい」と言います。 三つの核が必要ですか、一つの核が必要ですか? (「一つです」)。皆さんは一つの核がいいですか? (「はい」)。一つの核になろうとすれば、どうするのですか?。上下の核、左右の核、前後の核、その中心が一つの核なのです(図3― ②参照)。 ではどのようにして、これを連結するのですか?。上は、絶対に下を必要とするのです。上と下が(お互いに)必要とするのは、何のためでしょうか?。核を設定するためです。上下は核がなければ、壊れてしまい、定着することができません。飛んでいってしまうのです。分かりますか? (それは)絶対要因です。絶対的なコンセプト(概念)です。唯一コンセプト、不変コンセプト、永遠コンセプトです。核を必要とするというのです。そうですか? (「はい」)。左右も同様です。それから、前後も同様です。私たちはこれをなさなければならないのです。 神様の創造理想は何かというと、家庭を中心として、すべての宇宙的な核を集中させた上下関係である父子関係、左右関係である夫婦関係、前後関係である兄弟関係、これをなすことです。「私には父母がいる。私には妻(夫)がいる。私には子女がいる」、これなのです。そのようにならなければなりません。 上下関係が縦です。左右関係・夫婦は横です。夫婦で前後に立ちますか?。それから、だれを前に立てますか?。息子・娘です。息子を前に立てるのです。兄弟を前に立てるのです。それゆえ、子女は何かというと、父母の願いであり、夫婦の願いであり、兄弟の願いなのです。子女はそのようなものです。そして、祖父と父母が喜ぶのです。そうですか? (「はい」)。それらが一つの家庭を中心として、このような全体形成に対して、一つの核に集中しようというのです。一つにするのです。 どのようにして一つの核をつくるのでしょうか?。力、知識、お金ですか? (「いいえ」)。何をもってつくるのですか? (「愛です」)。どのような愛ですか? (「真の愛です」)。真の愛です。絶対愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛です。これが真の愛です。分かりますか? 世の中で、このようなことも考えずに生きている人たちが米国人です。「個人主義とプライバシーが最高だ。自由だ」と言っています。自由は、これを認定しなければなりません。上という言葉、下という言葉は、何をもってそのように言うのですか?。上を中心とした言葉でもなく、下を中心とした言葉でもありません。それは核を中心として言う言葉です。そうすればすべてのことに合うのです。左右も合い、前後も合うのです。 それを知らなければなりません。「ああ。自由。自由」と、体の自由を求めれば地獄に行きます。心の自由は、どこに行くのですか?。自由とは何ですか?。体が「しよう」ということではありません。 「母親・父親を否定し、国を否定し、法を否定し、宇宙存在のすべての核を否定して、自分の思い通りにする」というのは、悪魔の計略の終着点です。それを知らなければなりません。それがいくら上手であっても、滅びるのです。先生の話は、理にかなっていますか、かなっていませんか? (「理にかなっています」)。 それゆえ、「私は核を願う」と考えなければなりません。そのような考えをしていますか? 心と体が核と一致していますか?。体が「私は心について行きたい」とならなければなりません。皆、そのような人ですか、そのような人ではありませんか? 今では、五分間だけ話をするので、みな喜んでいます。「お父様の御言が短い。素晴らしい」と言っているのです。(「違います」)。このくらいにして、後はあしたにしましょう。これは、十年かけても話せません。十年かけて話しますか、けさすべて話しますか? (笑)なぜ、笑うのですか?。イエスか、ノーか、答えなければならないでしょう。 さあ、神様は知恵の王ですか?。一度決めた核を中心として、永遠に活用したいでしょうか、一年くらい活用したいでしょうか? (「永遠です」)。絶対、唯一、不変、永遠なのです。 そのような内容の核は何でしょうか?。これが問題です。哲学的に見れば、この解決がとても重要な問題なのです。これは絶対に必要です。人間という存在、神様の息子・娘には、神様が定めたこの核が絶対に必要なのです。そうでしょう?。それは絶対に必要です。父母が必要でしょう?。絶対に必要です。唯一、不変、永遠に必要です。地においても必要であり、永遠な世界でも必要なのです。 常に神様について行こうとすれば、神様がモデルとなり主体となれば、そのモデルと主体の前に相対的条件を備え、永遠に必要とされる家庭形態とならなければなりません。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン」)。 永遠に食べても嫌にならないものは真の愛の味 さあ、これでコンセプトが分かりました。「核は必要ない」という人は、手を挙げなさい。そのような人は手を、日本刀で無慈悲に切ってしまいなさい。もしそのようにしたら、「よくやった」と言いますか、「誤った」と言いますか? (「よくやったと言います」)。死んでも、泣きながらでも、「よくやった」と言いたいのであって、「誤った」とは言わないのです。 上下という言葉も、核を中心とする言葉であってこそ正しいのです。左右も核を中心として、前後も核を中心として、言う言葉なのです。その核というものは、いったい何でしょうか? それは絶対的なものでなければならず、唯一、永遠、不変なものでなければなりません。核はそうでなければなりません。それは何ですか?。力ですか? (「違います」)。知識ですか? (「違います」)。お金ですか? (違います」)。 神様が中心です。では、皆さんは、神様が中心になろうと来られたら、歓迎することのできる核となる場を準備していますか? (「はい」)。神様だと分かるのですか?。この者たち、何が、「はい」ですか。分からずに、「はい」と言ってはなりません。どうして分かるのですか? 魚はおなかがすくと餌を好むのですが、神様がおなかがすいた時に必要とするものは真の愛です。真の愛の餌さえあれば、神様はすべてのみ込んでしまおうとします。私たちの家庭がそうならば、(神様は)家庭自体を消化しようとするのです。国の中で真の愛の国があれば、(神様は)一度にのみ込もうとするのです。なぜですか?。永遠に食べても、永遠においしいからです。永遠に食べたいのです。 皆さんが、永遠に食べても嫌にならないものとは何ですか?。マクドナルド・ハンバーガーですか? (笑)永遠に食べても嫌にならず、夜に食べてもよく、昼に食べてもよく、どこに行っても、天の国に行っても、地の底の地獄に入っていって食べても、その味は永遠に変わらない、そのようにおいしいものとは何でしょうか? (「真の愛です」)。 真の愛とは何ですか?。父、息子、祖父、母、長男、次男、皆が喜ぶものです。父親も喜び、息子も喜び、嫁も喜び、夫も喜び、兄も喜び、弟も喜び、全員が喜ぶものです。そうですか? (「はい」)。違います。(「そうです」)。永遠に食べても、二十四時間食べても、嫌にならず、おいしいものが真の愛の味です。 私がフロリダに旅行に行った時のことです。男性と女性がいて、男性は背が高く、女性は小さいのです。通り過ぎていく時に、男性が小さい女性の腰を抱き座っていたのですが、四十五分して再びそこを通り過ぎると、それでもまだくっついてキスをしていたのです。いつまで続くのでしょうか?。死ぬまで続けていても、嫌でないように見えました。 太ったおばさんでも、痩せた人でも、皆それを好むのですか? (「はい」)。夜でも昼でもですか? (「はい」)。それがなければ、どうしますか?。生きていたくないのです。孤独で、寂しく、悲しく、恨めしくて、すべてのバランスが崩れていくのです。垂直もなければ、水平もないのです。生きていても、死んだ命となります。 統一教会の信徒たちは、愛の味を知っていますか? (「はい」)。目の愛があり、鼻の愛があり、口の愛があり、耳の愛があり、体の愛があり、五官の愛があるということを知っていますか?。五官の愛が願うものは、五つの核を願うのですか、一つの核を願うのですか? (「一つの核です」)。鼻は「臭いをかぐ」と言い、目は「見る」と言い、口は「食べる」と言えば、大変なことになるのです。手を中心として四官が反対したら、大変なことになります。女性の五官を、何が一つにできるのでしょうか?。女性ですか? (「違います」)。それでは、だれですか? (「男性です」)。 では、どちらが核ですか?。自分が核として侍った(為に生きた)ほうが核です。愛を受けようとしなければなりませんか、愛そうとしなければなりませんか?。お互いに与えようとすれば、男性も与えようとし、女性も与えようとすれば、けんかが起きるのです。片方は与えようとし、片方は受けようとしなければなりません。そうしてこそ、バランスがとれるのです。それは核を中心としてなされるのです。いくら賢い米国の女性であっても、これを否定することはできません。 愛を求めていく女性の五官は、愛する男性が十里、百里行っても、その後をついて行こうとします。愛する人について行きたいのです。「来るな」と言えば、五官がすべて泣くのです。十里、百里行って、「よく来た」と言って手を広げれば、それだけでも泣くのです。悲しくて泣くのではなく、うれしくて泣くのです。 それゆえ、女性という動物は、嫁に行かなければ死ぬのです。死んだのと同じです。賢い女性ならば、「そのような法がどこにありますか?。先生がつくって言う話であって、私はそうではありません」と言うなら、死ぬ時になってみなさい。一人で死にますか?。父母が見守り、それから妻であれば夫が、息子・娘が見守り、一族が見守る中で死にたいですか、一人で死にたいですか? (「一族が見守る中で死にたいです」)。すべてが真の愛で、主体・対象をなしているのです。 「自分が完全に犠牲になろう」となれば、完全な核が生じる 自分を主張すれば、核は生じません。完全な核は生じません。何のことか、分かりますか? 完全に体がなくなってこそ、完全な核が生まれるのです。絶対的な心の核を求めようとすれば、体を完全に否定しなければなりません。これを願う人は手を挙げなさい。 これが問題です。完全な核は、完全な対象をつくりだすのです。(核と)授け受けする運動を始めれば、その核と同じ相対が生じるのです。完全なプラスは、完全なマイナスを創造するのです。 女性は「私は結婚したのだから、朝から夜まで愛されなければならない。夫が私のために生きなければならない」と思わなければならないのでしょうか? 「自分が完全に犠牲になろう」となれば、完全な核が生じるのです。完全な愛の核がスタートするのです。そのことを知らなければなりません。 米国の賢い女性たちが「私が中心だ。あなたは私を永遠に愛さなければならない」と言う時、そこに核があるでしょうか、ないでしょうか?。夫と妻がお互いに、「自分」が絶対にない位置に立ってこそ、そのような完全な女性の愛、完全な男性の愛をなしてこそ、神様が喜ぶことのできる愛が生じるのです。これが真の愛です。 霊界は愛の空気でできています。それゆえ、夫の前に完全に自分を否定し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。服従には「自分」という意識はありません。コンセプトがありません。「おお、私は米国のハイ・レベルの女性だ」といつも考えている人は、核をつくれません。 (英)絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、絶対「無」になるのです。いかに偉大であっても、下がって、下がって、ゼロ・ポイントに到達すれば、そこに絶対愛が現れるのです。(英) 米国の女性は、そのようなコンセプトがありますか?。霊界に行ってみなさい。先生の話が正しいか、正しくないか?。最近では「独裁の王がレバレンド・ムーンだ。レバレンド・ムーンは、白人も黒人も捕まえて奴隷化している」と言っています。私が奴隷化していますか?。自動的に奴隷になろうということは、永遠にゼロ・ポイントになろうということです。永遠にゼロ・ポイントになれば、永遠にゼロ・ポイントを占領するのです。 (英)完璧に理解すれば、後は問題ありません。心と体が一つになれば、核の位置に立つのです。そのことをはっきり知らなければなりません。体を永遠にゼロの位置にすれば、代わりに、核が現れるのです。理にかなった終結です。終結しませんか、しますか?。終結しなければ、地獄につながります。終結すれば、天国に連結されるのです。分かりましたか? (英) 自分を絶対に否定して、死の道を行き、絶対核である神様の前に帰る 皆さんは、今まで万物を捕まえて食べたでしょう?。より価値のあるものは、より価値のないものを食べて大きくなるようになっています。神様がそのようにつくられました。この全宇宙では、人間という一存在を育てるために犠牲になられた神様が中心なので、人間もそのような犠牲の道を行かなければなりません。それを知らなければなりません。私がたくさんの万物を食べたので、私も神様の愛の前には吸収されなければならないのです。神様の愛の前に、死ななければなりません。そうすれば、神様の体になり、神様が愛の主体になり、神様の友達になることができるのです。 それで、聖書には、「死なんとする者は」何とありますか?。イエスも全宇宙に対して、神様のために、神様の御旨のために死んだので、神様は復活させなければならないのです。死ぬことは、私のすることです。自分を否定しなければなりません。自分を絶対に否定して、死の道を行き、絶対核である神様の前に帰っていくのです。 完全な核を宇宙的に保護するために、自分の体を完全に犠牲にすると決心をする人々は、地上で暮らすことのできる天国人であり、天上では神様の愛の対象になるのです。アーメン。 (英)永遠、絶対、唯一、不変なる核の中心を、私たちは「神様」と呼ぶのです。神様とその位置で一つになるには、最初に肉体を否定しなければなりません。それが問題なのです。分かりますか?。霊界における核を考えてみれば、物質界をすべて否定して、無に帰れば、本然の道に戻っていくのです。帰っていくのです。復活の道は、完全否定して反対の方向に行くのです。(英) それで、聖書には、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とあるのです。さあ、皆さん、結婚は必要ですか? (「はい」)。「結婚するのはやめろ」と、もしレバレンド・ムーンが教えたとすれば、ここに一人でも残るでしょうか、みな逃げていくでしょうか? (笑)「完全な凸と凹が一つになる」と教えてあげれば、みな押し寄せてくるのです。天下が押し寄せてくるというのです。 地上生活と天上生活は反対です。地上で堕落した人々は自分のために生きますが、霊界は全体のために生きる所です。全体のために生きることができるように、堕落を否定すれば、全体のために生きる人になるのです。そうなれば、神様の相対圏、パートナーになることができるのです。永遠にアーメン ペアシステムです。主体と対象です。完全なものがペアなので、そこに従わなければなりません。心と体で、どちらがより善に近いですか?。体よりも心が善なのです。それゆえ、心に絶対的に従えば天国であり、体に従えば地獄行きであり、破壊されてなくなる存在であり、破滅なのです。 より投入し、より犠牲となる人が中心の位置になる 私は神様の代身なので、祖父も願い、祖父の息子である父も願い、左右である父母も願い、それから兄弟も願うのです。私もそうならなければならないので、私が父親になろうとして結婚し、息子・娘を生むのです。このように種となり、拡大し、国家、天宙、天の国が形成されるのです。アーメン では、統一教会で使う「四位基台」という言葉は何ですか?。妻・夫、それから子女です。それから神様です。これが三段階です。人間は赤ん坊として生まれ、成長し、妻と夫になります。霊界の根本は家庭組織です。三対象目的です(図4参照)。 神様がこれ(四位基台)をもっているように、自分たちもこのようなもの(四位基台)をもたなければなりません。そうしてこそ、主体(神)と対象(人間)になるのです。分かりますか?。神様に帰っていくのです。根源と結果が一つになれば、宇宙が含まれるのです。 このような概念は何かというと、家庭においては孝子にならなければならないというのです。絶対的です。家庭においては父母を中心としています。その父母は神様の弟であり、自分にとっては兄と同じです。父は神様の代身であり、家庭の核であり、私たちはその父と相対的関係にならなければなりません。 そして、国とは何かというと、数多くの家庭が集まり、形成されます。王が国の父母であるので、王を中心として四季を越え、一生を越え、絶対服従、絶対従順、絶対愛をなすことができてこそ、国の忠臣になるのです。 国のために、家庭、氏族、民族、全体を犠牲にしたとしても、国を生かさなければなりません。これを知らなければなりません。そして、何をするのですか?。世界に拡張しなければなりません。世界の王として来られる方がメシヤです。真の父母を中心として世界が連結されて一つになるためには、メシヤは自分の国、自分の氏族、家庭を犠牲にしてでも、世界のために生きなければならないのです。 米国が世界を求めるならば、米国の主体である米国国民、米国の主権を犠牲にしてでも、世界のために生きなければなりません。こういう論理を中心として行くのです。そうしてこそ、聖人の位置に上がることができます。 神様は宇宙の王です。宇宙の王のために生きるのです。世界、国、家庭を犠牲にしてでも、宇宙の王に侍ることのできる聖子、聖女にならなければなりません。聖子にならなければならないのです。 なぜ、そうしなければならないのでしょうか?。私たちが本来の王の中の王であられる神様の本宮に帰る時には、プラスである神様がこの世界を、すべてを投入し、犠牲となる位置で創造されたので、私たちも神様の前にお返ししなければならないので、同じように犠牲の過程を経てこそ、対等な位置で祝福を受けるのです。相続がなされるのです。 米国の大統領になったとしても、神様、宇宙を相続することはできません。米国全体を祭物として捧げ、神様の前に忠臣となり得る聖子の道理を行わなければ、全世界を支配することのできる相続権を受けることはできません。その位置が最高なので、その位置のためにすべてを投入するのです。家庭には国が必要であり、国には世界が必要であり、世界には天地、神様までも必要なのです。 より投入し、より犠牲となる人が中心の位置になるのです。統一教会の人々は、「世界のために、自分の家庭、国を越え、世界、聖人の教派を越えて神様のために生きよう」という道を行くので、間違いなく、相続する時が来るのです。 米国が「神のもとの一つの国」と言っていますが、それでは駄目なのです。米国のキリスト教が天下を統一しようとすれば、「神のもとの一つの世界」「神のもとの一つの宇宙」でなければなりません。行くべき道を知らないのです。 私たち統一教会は、「神のもとの一つの国」ではいけません。それでは、世界がすべて背反します。力をもってしてはできません。「一つの世界、一つの宇宙」でなければ、神様の前に帰る道がありません。 それゆえ、ユダヤ人も米国人も、ユダヤ教もキリスト教も、共産主義も民主主義も、すべて神主義に投入しよう (「アーメン」)。神主義は、「神のもとの一つの国」ではありません。「神のもとの一つの宇宙」です。それを知らなければなりません。家庭を中心として「ああ、息子・娘のために、妻のために、米国のために」、そのようなものは必要ありません。共産主義や民主主義というものは、必要ありません。私たちは王圏主義を求めていくのです。 「家庭完成の核」。これは家庭においては孝子、国においては忠臣、世界においては聖人、天宙においては何ですか? (「聖子です」)。神様の前においては何ですか?。相続者です。全員が相続者になることはできません。兄弟が十人ならば、十人が相続を受けるのですか? よりために生きた人に相続するのです。よりために生きた人が相続を受けることができるのです。 そうしてこそ、神様を中心として永遠な世界で父母に侍り、永遠な世界の観念を完成し、解放圏に立ち、「天下は私のものだ」と言い得る神様の息子・娘になるのです。アーメン (「アーメン」)。 愛する人は、自分よりも何千万倍も立派であることを願うのです。それが、男性においては妻であり、妻においては夫であり、夫婦においては息子・娘であるというのです。同じように、神様も自分が愛する相対となる存在は、自分よりも何千万倍、何億万倍、高いことを願うのです。それゆえ、神様自体が崇め侍り、賛美したい息子・娘として、私たちを訪ねてきている、という事実を知らなければなりません。 家庭完成の核、家庭、国家家庭、世界家庭、天宙家庭、それから神様です。これが家庭完成の核です。家庭がずれれば、どうなりますか?。そのような存在はありません。九〇度です。三六〇度、すべて合わなければなりません。そのような家庭がありますか?。米国は滅びます。警告します。しっかりしなさい。ここに来た人たち、分かりますか (「はい」)。核の王になる点を探し求めていかなければなりません。それが家庭においては、何ですか?。孝子であり、国においては忠臣であり、世界においては聖人であり、天宙においては聖子なのです。 聖子とは何かというと、聖子は、天の国の法、天の国の宮殿法、地上の法、地上の宮殿法、二つの世界の四つの法を理解して、初めて天の国の相続を受けることができるのです。家庭完成の核です。これは運命ではありません。宿命です。 統一教会は地上天上天国の合格者を養育する学校 きょうは、七月の最初の聖日です。皆さん自身も、父母の前に孝行しなければならず、夫の前に烈女、妻の前に烈男にならなければならず、子女の前に忠誠の真なる父母にならなければなりません。真なる息子・娘となり、真なる家庭を成し遂げなければ、神様に属し得る道は永遠にないのです。家庭が問題なのです。 それで、統一教会は家庭の世界化モデルケースを祝福し、その完成のために教え、地上天上天国の合格者を養育するのです。統一教会は、天地完成のための教会ではなく、学校なのです。 きょうは、米国の独立記念日です。先生が監獄に行った日です。忘れることのできない日です。忘れることのできない日に、重要な、このすべてのことを教えるのです。米国は、米国が滅んだとしても、レバレンド・ムーンが言う家庭と米国の民族を残して死ななければ、みな地獄行きです。米国国民が世界的先導的立場で、これを連結させれば、世界を救うという責任を即刻完遂できるのですが、否定していった日には、永遠に人類の前に反駁され、冷遇され、糾弾され得る民族として地獄に落ちていくのです。そのことを知らなければなりません。警告します。 人間は小宇宙であり、男性と女性の二人が一つになれば、星と同じように輝くのです。小さな星になりますか?。月のように輝きますか?。太陽のように輝きますか?。 愛は熱のことをいうのです。「心が燃える」と言うでしょう。霊界に行けば、神様は愛の本体なので光と熱で現れるのです。霊の目で見れば、皆さんの愛の輝きがどれほどか、どのように輝いているか、まだらに輝いているか、虹のように輝いているか、すべて分かるようになっているのです。家庭が一つになって、光輝く星にならなければなりません。星にも、恒星のように星を治めるものがあります。太陽のようにです。 個人主義でよいのですか?。霊界に個人主義がありますか?。プライバシーをもっていてよいのですか?。宇宙のすべてがかかっているのです。四百億にもなる細胞がすべて連結し存在しているのに、個人主義がどこにありますか?。それは悪魔主義です。それは滅びるのです。 そして、肉体派、享楽主義に陥っていき、体の全滅運動をしているのです。何が、フリー・セックスですか?。ホモ、レズビアン?。私の手で整理します。何をもってですか?。真理の御言をもってです。さあ、分かりますか?。すべてのものの完成は、家庭を中心として、核を通して完成するということが分かったので、今から帰って競争です 町に行き、「この町は滅びます。この原則、原理原則に合わなければ滅びます」と警告しなさいというのです。攻撃しなさい。デモをしなさいというのです。しますか、しませんか? (「します」)。 正分合の論理を完成させる さあ、もう結論を下しましょう。 私たちは、正分合の論理を完成しなければなりません。個人においては、心と体が一つになってこそ、正分合が完成するのです。絶対愛を中心として、心と体が一つにならなかったのが堕落です。男性の中でも、心がプラスであり体がマイナスです。女性も心と体があるのですが、どちらがプラスですか? (神に)近いところがプラスです。女性も完成しなければなりません。 最初に、父母の懐で生まれる時は、赤ん坊として生まれます。同じ乳を飲んで育つのですが、男性の行く道、女性の行く道はそれぞれ違うので、育ってみると、見かけも違うのです。しかし、父母の前に子女は愛の対象です。三年間、母親に抱かれ愛されながら、子女は母親の体の骨と肉をもらって育つのです。母親の体の延長なのです。 では、母親の骨と肉と血を延長した子女たちを、どのようにしてあげなければならないかというと、自分のように完全な女性にしなければなりません。母親になり、息子をつくらなければならないのです。夫のもとに行き、愛を受け、子女を抱き、初めて主人になるのです。息子・娘がいなければ、主人の位置は永遠にありません。 性相と形状です。赤ん坊の種があるのです。結婚する前に、体に赤ん坊の種がついているでしょうか、いないでしょうか?。母親には、母親になることのできる種があるのです。それ自体は種ではありません。畑です。 米国の女性たちは、結婚はしなくても、赤ん坊は欲しがるのです。なぜですか?。乳房がじっとしていないのです。そして、お尻がじっとしていません。一か月に一度ずつ月経がくるので、興奮したり、おさまったりしていると、男性が慕わしくなるのです。その時は、夫を必要とするのです。帰っていくのです。 血を生産し、血を流すのです。それはなぜかというと、妊娠すれば赤ん坊に血を分け与えなければならないので、分けてあげる血を貯蔵する貯蔵倉庫がなくては大変なことになるのです。神様は天地の調和をご存じなので、女性は毎月、月経がくるようになっているのです。月と同じです。 女性の排卵期は、月が満ちるのと同じように、人によって違います。北側にあったり、南側にあったり、東側にあったり、西側にあったりして違うように、一か月に一度ずつの妊娠できる排卵期は、人によって違うのです。それに合わせれば、避妊もでき、すべてできるのです。それゆえ、女性は畑です。何の畑ですか?。赤ん坊を育てることのできる血の畑なのです。 生命の種は、女性にあるのではなく男性にあるのです。男性をもたずに、赤ん坊をもとうとするのは泥棒女です。結婚を否定することは、女性の存在を否定し、月経、体、乳房、お尻、陰部を否定することです。宇宙自体が、そのようなものはすべて除去してしまいます。 それゆえ、一人で暮らして、情欲に勝つことはできません。布団をかぶって泣いたり、ありとあらゆることをします。偽のセックスをしたり、ありとあらゆることをするのです。ホモ、レズビアン、このような愚か者が出てくるのです。 愛は、好きな者同士でしなければなりません。分かりますか?。目が好きで、鼻が好きで、口が好きで、耳が好きで、手をつないで永遠に喜ぶことのできる人同士でするのです。それが真の愛の相対です。 それで、絶対的家庭、絶対的父母、絶対的夫婦にならなければなりません。絶対的子女を生もうとすれば、絶対的夫婦になり、絶対的セックスを通らなくては、絶対的理想的家庭と息子・娘をもつことはできません。これが結論です。 それで、最初に皆さんの心と体があります。神様は二つに分けました。心と体が一つにならなければなりません。正分合です。心と体が、第一次正分合をなして一つにならなければなりません。分かりますか?。三段階を越えていかなければなりません。その第一番目の基盤が何かというと、心と体が一つになるということです。 心と体が一つになっていますか?。心と体が一つになっている人、手を挙げなさい。真の愛から、父母を通して生まれていれば、間違いなく一つになっているはずですが、偽りの愛によって始まったので、みな闘うようになっているのです。 最も恐ろしい戦場は、どこにありますか?。第三次世界大戦ではありません。何の戦争ですか?。皆さんの心と体が闘う、この戦争の舞台です。私の体が戦場になっているのです。この戦場を整備することが、最も恐ろしいことなのです。 アダム・エバが堕落したその日から始まり、今まで数千万年間、休戦もできず、停戦も一度もしたことがないのです。これを停戦、休戦させるために、メシヤを送る御旨があるということを知らなければなりません。それがメシヤ思想です。 サタンの血統と心情を受け継いだ人類 (英)メシヤの資格とは何でしょうか?。真の父母です。その根本は神様です。第一のメシヤが神様です。分かりますか?。堕落により、悪の父母が現れました。彼らがこの世界を悪の世界にしました。心と体が闘うようになったのです。戦場と化した肉体では、戦争をなくすことができないのです。いつ、この戦争が終わるのでしょうか?。統一された時です。しかし、自分自身でいくら統一しようとしてもできません。唯一、真の父母が現れることにより、上下を引っ繰り返して、きれいに整理できるのです。この地球上にメシヤを迎えなければ、戦争をなくすことは永遠にできません。 真のオリーブの木が現れて、野生のオリーブの木の世界、悪なるウィルスを切り取って接ぎ木するのです。その木が成長して、三代後には、真の木になるのです。真のオリーブの木、種になるのです。このようにして、凌駕していくのです。その種から実ったものをすべて収穫するのです。 それゆえ、野生のオリーブの木を一度に切ってしまうのです。いっぺんに切ってしまうのです。だれも反対できません。ただ従うしかありません。メシヤの行く道に従うのです。反対の立場には立てないのです。分かりますか?。一度に切って、一度に接ぎ木するのです。枝を接ぎ木すれば、真のオリーブの木になるのです。 そこから、神様の血統が人間に伝わっていくのです。そして、神様が自由に世界をコントロールできるのです。それが、神様の本然の理想世界です。理想をすべて失いましたが、今、本然の理想に帰ることができるのです。真の父母を中心として全世界に愛を相続させ、やがて、サタンの悪なる父母の血統はなくなるのです。 青少年の問題、家庭崩壊の問題が起こります。全世界の青少年問題は、いかなる国も解決できません。なぜでしょうか?。創造主である神様でさえ、主管できなかったのです。では、神様は堕落の時にそれを主管できませんでしたが、さらに悪に陥ったこの地獄の位置を、神様はいかに主管するのでしょうか?。主管できるのは、ただ一つの存在だけです。人間は罪を犯しました。だれが、この人間の罪を正すことができますか?。正しい人が現れれば、罪を清算できるのです。それがメシヤです。真の父母です。 堕落後、その父母から人類が出発しました。サタンの血統と心情が、皆さんに受け継がれているのです。あなたにもです。この大きな女性にもです。サタンの血で、体と心、世界をつくり上げたのです。心と体の闘いは、神様がつくったものではありません。サタンがこのような闘いをつくったのです。どんなに難しくても、神様の敵、すべての被造物の敵を切り捨てなければなりません。それをはっきりと知らなければなりません。肉体の欲望をきれいに消さなければなりません。 本来、心の位置はプラスです。堕落後、サタンは偽りの愛で、体をプラスとして植え込みました。プラスとマイナスは自動的に一つになるのですが、プラスとプラスは相反するのです。堕落がなければ、真の愛を中心として、本然の環境で自動的に一つになったのです。問題ありませんでした。女性と男性が成長すれば、自動的に一つになれたのです。プラスである心の位置とマイナスである体が、自動的に愛で一つになったのです。心と体には闘いはありませんでした。 では、その闘いをだれがつくったのですか?。サタンが植えたのです。サタン、サタンです。サタンがそのような基盤をつくり、どれだけ人間を不幸にしたでしょうか。その血を抜き取らなければなりません。旧約時代の祭物は万物でした。切って血を流すのです。なぜですか? サタンの血だからです。 神様の位置は十分の一だけでした。後の九はすべて、サタンの位置だったのです。神様は、その十分の一の人々であるユダヤ民族を第一イスラエル選民として、家庭、民族、国家へと成長させたのです。国家とは、後にメシヤを送る基盤であり、キリスト教の起点でもありました。イスラエル民族の神側としての選民の位置は、本来のオリーブの木ではありませんでした。堕落した野生のオリーブの木でした。しかし、神側の領域に連結されていたのです。神様はそのイスラエル民族に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を願われたのです。 そこでは、ユダヤ教がアベルであり、国家がカインです。カインとアベルです。カインが体を代表し、心は教会側です。体と教会が、そのような概念で闘っていたのです。イスラエル国家でさえ、そのような概念をもっていました。 神を中心とした祭司長と国王、この両方の権力が、海を越えて全世界で歓迎されれば、いつでも世界を一掃できたのです。神様を中心とした一つの国家、世界、天宙は問題ありませんでした。自動的に成長し、協力しながら神様の理想を収穫できたのです。 家庭、国家、世界、天宙が、自動的に真の愛を中心に一つとなるのです。真の愛の力で、神様の絶対的プラスと絶対的マイナスが、自動的に一つになるのです。堕落世界の男性と女性でも、自動的に一つになる力があるのに、堕落しなければどれだけ強い力で、世界中の青少年、家庭をカバーできるでしょうか? 堕落後、肉体がプラスの位置を相続したのです。神様が絶対的マイナスの位置に立てたものを、プラスにしたのです。堕落後、サタンの愛の種を、この肉体に植え込んだのです。どれだけ深刻なことでしょうか?。いかにして神様は、再び、人間を本然の真のオリーブの木として取り戻すのでしょうか? お金の力、知識の力はサタン側に属します。政治的力、知的な力、お金の力、これらはサタンが欲しがるものです。堕落世界の希望は、三つのものです。そんなものは必要ありません。サタンが必要としているものです。神様はそのようなものはもっています。力強い存在です。知識の王です。本当ですか?。お金、知識、ダイヤや金などは、問題なくつくれるのです。神様は、そのようなものは必要としていません。 神様の唯一の願いは、サタンによって堕落した人間を善なる存在にすることです。個人、家庭に始まり、国家、世界、天宙まで、神側の存在が唯一願うのは、絶対的な愛です。なぜでしょうか?。神様は今まで、そのような概念を核として望んでいたからです。 どんなに難しくても、否定され、迫害されても、気にしてはいけません。家庭基盤を中心として世界中の家庭が一つとなって、統一教会に反対したのです。しかし、どんなにやっても、何の結果も出ないのです。では、次は氏族で、駄目なら国で、今度はすべての国が一つとなってレバレンド・ムーンに反対しましたが、何もできません。 レバレンド・ムーンは、たった一人です。世界中の堕落した人間が一つとなって、どうやって闘いますか?。レバレンド・ムーンは、心と体を完全に一つにしたのです。それは、本然の力強い神様と連結した姿です。どんなに反対する存在も、滅ぼすことはできません。レバレンド・ムーンは、いつも大きな迫害の場所に身を置いてきました。神様の真下です。(英) 私が努力しなければならないことは、心と体の闘いを休戦させること 正分合です。妻と夫は、神様の中にあった創造理想です。アダム・エバです。堕落したので、女性も心と体が闘い、男性も心と体が闘うのです。それをどのようにして統一するのか、というのです。それゆえ、女性は自分勝手に夫と離婚をし、ありとあらゆることをし、男性もありとあらゆることをするのです。フリーセックス、ホモ、レズビアン、動物よりも悪い者たちになってしまったのです。 結婚とは、父母の承諾を受けてするものです。父親である神様の承諾を受けずに結婚したことが、堕落なのです。その伝統を完全に破ってしまったのです。 (英)神様は父母です。その神様の子供がアダム・エバでした。だれが、アダム・エバの結婚を決めるのでしょうか?。アダム・エバではありません。親である神様です。理想の結婚は、神様から始まるのです。最初の過ちを犯したところまで戻り、断ち切るのです。統一教会員は神様抜きでは自由に結婚できません。核である父母の思想を連結しなければなりません。その核が相対を顕現させ、連結させるのです。(英) 皆さんは先生が結婚させてあげたのですが、不平を言う人がいれば、手を挙げなさい。(笑)皆さんの目よりもいいのです。数十年間、人を扱ってきたので、サッと見れば分かります。あなたの妻は、少し太っていて顔が丸いでしょう? (「はい」)。統一教会の教主になって、皆が立派になるように相対を結んであげなければならないのであって、悪くなるように相対を結びますか? 韓国では、四柱観相を上手に見る人が一組結婚させようとすれば、一週間から三週間かかるのですが、私は一日に、三千七百、四千双、五千双、七千双までしたのです。統一教会の人は祈祷するのです。結婚は深刻なので、「お父様、私の相対はだれですか?」と祈祷すると、「あなたの相対は日本人だ。インディアンだ」と、教えられるのです。それを先生がどうして知っているのですか?。そのように教えてくれた通りに、すべて合わせるのです。それをどのようにして合わせるのですか?。それを研究してみましたか?。私は、それを二年前に発表しました。指です。(笑)足が行くのです。もっと行こうとすると、「行ってはいけない」というのです。間違いありません。 そのように組まれたのに、それを壊した人は見ていなさい。よくありません。絶対によくありません。見ていなさいというのです。自分の心に合うか、合わないか、三年だけ過ごせば、七年だけ過ごせば、みな敬礼するようになっているのです。「感謝です」と言うようになっています。(拍手)神様の心情の世界まで発掘したレバレンド・ムーンは、偽者ではありません。 先生が教えてあげた内容は、世界のどの図書館にもありません。霊界の図書館にもありません。初めてなのです。これは、神様、霊界、地上、人間が貴く思う、宝の倉庫の記録なのです。それは、だれもが見ることのできるものではありません。サタン世界におけば、すべて盗まれるではないですか? 一番の問題は、心と体が一つになることです。心と体が一つにならなければ、正しい人になれず、天国もできず、神様が(私を)信じることができず、教会が(私を)信じることができず、世界が(私を)信じることができないのです。私が努力しなければならないことは、心と体の戦いをやめさせ、休戦させることです。それが先生の目的です。 心と体が一つになったという人、手を挙げなさい。米国の女性たちは、口が早く、よくしゃべるでしょう。口げんかをすれば、女性に負けるようになっています。女性には勝てません。負けるので、拳で叩くのです。殴られて不平を言う女性、反抗するチャンピオンが殴られるのです。男性よりも言葉を遅くすれば殴られないのですが、早く話すので殴られるのです。それが公式です。私はそのように思っています。皆さんも夫婦げんかをするでしょう。(笑)口を守りなさい。 「ああ、死にたい、離婚したい」と思っても、我慢し、話してはいけません。一度話せば、「離婚する女性だ」という烙印を押されます。男性はそのようなことは言いません。 男性の主体性は、西洋世界、米国では求めることができませんが、東洋では求めることができます。それは来られる再臨主を迎えるための、新婦としての、一時の特権的世界です。これは七十年期間の役事であって、永遠に米国がそうなのではありません。女性たちは、男性の前に絶対服従しなければなりません。 理想的家庭形態 心と体の統一です。これが、私たちがなすべき公式です。それから何ですか?。そのような男性と女性が一つになるのです。一つにならなければなりません。それが正分合です。それは二番目です。三番目は何かというと、父母と子女が一つになるのです。これが、きょう話した理想的家庭形態です。それが核です。正分合、このコンセプトで、自分の心と体を統一しなければなりません。心と体が分かれてしまったというのです。 心と体が一つになった女性が、絶対女性です。それを知っているのです。皆さん自身が、心と体が一つになっているかいないか、何パーセント一つになっていないか、教えてあげなくても、すべて知っているのです。「知らない」と言ってはいけません。だれが知っているのですか?。心が知っているのです。知らないという人、手を挙げてみなさい。知っているでしょう。(「はい」)。 二人がけんかをすれば、すでに審判は下されています。自分が「正しい」と思うならば、なぜけんかをするのですか?。正しいことが分かれば、じっとしていなさい。そうすれば、負けても罪は犯しません。(それは)善を繁殖することです。分かりますか? (英)終わりまで口を閉じていなさい。そのような人を神様は望むのです。 統一教会に反対する人々が騒ぎ立てますが、争うことはできません。口を閉じなさい。静かにしていなさい。分かりましたか?。一回、二回、三回と続ければ、相手の力も落ちます。それが天の法です。迫害を受けるものが成長するのです。なぜですか?。神様が保護するからです。神側に立てば、神様が保護し、成長させるのです。それが自然の法則です。 サタンが打てば、それだけの代償を払わなければならないのです。反対し、打つものは落ちていき、迫害を受けるものは栄えていくのです。分かりましたか?。サタンと神様の戦略は違うのです。神様は打たれて復帰し、サタンは打って滅び、地獄に行くのです。(英) ですから、迫害を受けながら発展するのが統一教会です。天の作戦は打たれて奪ってくるのであり、サタンは打って滅びるのです。利子までもらうのです。結局、だれが勝つのかというと、心が勝つのです。分かりますか? さあ、女性。正分合、心と体が一つにならなければなりません。そうならずに、愛されようというのはサタンです。二つの心をもてば、サタンになるのです。ここにいる米国の人たち、お金をもうけようとしたらサタン側です。助けてあげようとしなければなりません。分かりますか?。それが神様の作戦です。与えて忘れ、与えて忘れということに、ついて行きなさい。 そのようになってこそ、女性ならば完全な女性になるのです。十年くらいそのようにしてから、分かれるのではなく、永遠にそのようにするのです。そのような人は、一度約束したら、行ったり来たりすることはありません。結婚とは、愛と生命と血統を一つにすることです。それが最も貴いことです。血統は歴史を代身し、生命は生命を代身し、愛は宇宙を代表して約束を定めたのに、二つの心はあり得ません。そうではないですか?。それを否定することができますか?。いいえですか、はいですか? (「いいえです」)。 ですから、そのような哲学、愛の哲学の論理と完全に一つとなった生涯路程として、永遠に変わることなく、絶対、唯一、不変、永遠な理想世界に向かう、ハイウェイを走る運転手になり、走る車になるのです。 夫婦がそうです。運転手になり、家庭は車になるのです。家庭が車なのです。それは、だれが運転をするのですか?。父母が運転をして、走って行くのです。そうすれば、永遠に幸福であり、永遠に自由であり、永遠にユートピアファミリーの世界になるのです。(「アーメン」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.16
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第9回「七・一節」記念礼拝の御言1999年7月1日ベルベディア 初めに一九九一年七月一日の「神様祝福永遠宣布」の祈祷とみ言を約一時間、訓読し、その後、郭錠煥・世界平和超宗教超国家連合会長が「七・一節」の意義などについて説明され、最後に真のお父様が約十二分間、「七・一節」を記念して説教をされました。 結論は、五分くらいで簡単に話しましょう。皆さん、祝福というものを考えてみるとき、アダム家庭において干渉することのできなかった神様が、そのような家庭を、どうして祝福することができるでしょうか?。アダム家庭において、神様は、アダムとエバが堕落するのを干渉することができず、夫婦になって愛の関係を結ぶことにも干渉されることができなかったのです。 アダムとエバは追い出されました。それなのに、そのようにして広がっていったすべての家庭を、どうして世界の終わりの日に祝福することができるのかというのです。どうして再び祝福することができるのでしょうか?。このことが問題です。 このときには偽りの父母が出発することによって、血統が変わってしまいました。しかし今は、真の父母が来られて祝福してくださることによって再び血統が変わり、神様が干渉されることができるようになったということを知らなければなりません。血統というものは、それほど偉大なのです。 メシヤと一つの家庭を立てるために、天は何千万年もの間、苦労されましたが、真の父母が現れて偽りのサタンの血統を克服できるところまで勝利したのです。今は、サタンを追い出して、思いどおりに祝福することができる、驚くべき時であるということを知らなければなりません。 今や、偽りの父母によってサタンに引っかかったすべてのことを蕩減復帰して整備することによって、自由な血統圏内に、真の父母を中心とした血統が連結され、障害物がなくなったので、思いどおりに祝福することのできる時が来たというのです。何のことか分かりますか? 本来、先生が祝福しなければならないのは、完全に純粋な善男善女なのです。キリスト教などの宗教を信じる神父や修道女、僧侶、尼僧のような善男善女を結婚させるはずでした。しかし、キリスト教が反対することによって、エデンの園で追い出されてしまった立場に再び立つようになったので、しかたなく祝福をしたのです。 この人たちを先に祝福してあげたという事実は、真の父母の前に恥ずかしいことです。恥であるというのです。ですから、既成家庭が祝福を受けるときには、それだけ大きな責任が伴うということを知らなければなりません。 この地上世界の既成祝福家庭、婚約していたり、法的に結婚した人々など、この世の中はすべて終えたので、今から残りの未婚男女を中心として、地上世界と霊界を整理すれば、すべて終わるのです。それゆえに、デモをするようにと言うのです。「真の父母」、「真の家庭」、「真の血統」を中心として、毎日のようにデモをするのです。 そして世界で評判になれば、だれでも皆、祝福を受けるようになるので、一瞬のうちにさっと回っていくのです。七か月以内にできるはずですが、皆さんがどれくらいに一所懸命にデモをするのかにかかっています。デモをしないのならば、一人ででも訴えなさいというのです。 服にも看板を掲げて歩き回るのです。デモをするのです。「真の父母になろう」「真の家庭を成そう」「真の血統を相続しよう」と書かれた服を着て、歩き回るのです。顔に書いても、手のひらに書いてもよいのです。それを掲げて歩き回るのです。 そして、米国の重要な放送局で、「このような祝福は良いことである」と一度だけ放送されれば、世界が変わっていきます。そのように、米国の大きい放送局で放送されれば、全世界の放送局で放送されるようになるのです。そのような準備をしています。もし、世の中の人々がしなければ、ワシントン・タイムズがします。私たちの放送局が門を開いて、宣伝するのです。すべて準備できています。 皆さんは、デモをしますか、しませんか? (「します」)。それを取材するためにワシントン・タイムズの記者たちが行き、私たちのテレビジョンを中心として……。このテレビ局が有名なのです。キリスト教の中心的な家庭は皆、見るようになっています。 デモをするのですか、しないのですか? (「やります」)。四億双を完成しますか、できませんか? (「やります」)。デモをするのです。デモだけすれば、よいのです。部落ごとに、デモさえすれば、すべて終わるのです。 (黒板に地球を小さく、霊界を大きく描かれながら)地球はこれくらいであり、霊界はこのように大きいのです。それでは皆さん、地上におけるアダム家庭が……。霊界は天使長型です。地上のアダム家庭が、霊界の天使長家庭に負けるのですか、勝つのですか?。このことが心配です。一度答えてみてください。(「勝ちます」) 霊界は、寝ることもなく二十四時間、地上に降りてきて協助しているのですが、皆さんはどのようにするのですか?。寝て、食べて、遊んでと、そのようにするのですか? 「歩き回りながら、寝ないでデモしよう」と言いながら、四十日間寝ないでデモをしようというのです。 四十日断食をしますか?。四十日間、寝ないでデモをしますか?。断食をするのですか?。歩き回りながらデモをするのですか? (「デモをします」)。皆さんは皆、易しい道に行こうとしています。遊ぶつもりなのです。それではいけません。負けてはなりません。霊界に負けてはならないというのです。 できますか、できませんか? (「できます」)。問題ありません。(拍手)皆さん全員に神様の祝福がありますように。 (「神様、お父様、万歳。勝利された天地父母様、万歳。『七・一節』勝利。万歳」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.14
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「真の御父母様天宙勝利祝賀」宣布一九九九年六月十四日(陰暦五月一日)ソウルの漢南国際研修院にて「第三十七回真の万物の日」の敬礼式を終えられ、昼十二時にソウルオリンピック体操競技場にて韓国、日本、米国等の全世界の代表一万六千名が参加する中「真の御父母様天宙勝利祝賀」宣布の行事が行われた。その日、午後九時から漢南国際研修院にて、約二十名の指導者たちが参加する中、真のお父様はその宣布に関する総評をしてくださった。表彰牌授与(一)文鮮明総裁が韓鶴子総裁に表彰牌授与表彰牌 世界平和女性連合総裁 韓鶴子貴方は、神様の特命と復帰摂理歴史の結実として結ばれた本然の神様の子女であり、人類の真の母としての使命をもってこの地に来られました。天だけが記憶なさる中、蕩減復帰の苦難の路程を絶対信仰、絶対愛、絶対服従で勝利し、永遠の伝統を立てられました。一九六〇年に聖婚されて以来、天の前に真の子女の使命、夫の前に真の妻の使命、そして子女の前に真の父母の使命を完遂なさいました。神様の復帰摂理と真の父母の復帰の聖業が、霊界と肉界で勝利的に締めくくられる一九九九年、「真の家庭世界化前進大会」を通じて、世界八十か所で「真の父母が伝授する生涯の教本」を万民に伝授なさいました。私は、創造本然のアダム、また人類の真の父として、貴方の労苦と業績を褒め称え、天の前に感謝しながら、霊界と肉界と子孫たちにその治績を称え本牌を捧げます。一九九九年六月十四日(陰暦五月一日)第三十七回 真の万物の日世界平和統一家庭連合世界平和超宗散超国家連合創始者 文鮮明(二)真のご父母様に捧げる感謝牌感謝牌真のご父母様は、神様の六千年の復帰摂理の聖業を完遂され、神様の恨を解怨なさり、人類を救うために本然の真の愛と真の生命と真の血統の主人として来られました。本然のアダムとエバとして来られ、蕩減復帰の路程なく真の父母の道を行かなければならなかったにもかかわらず、キリスト教が準備された責任を果たせないことにより、生涯、血と汗と涙の蕩減復帰の道を歩んでこられました。その結果、サタンから天宙的な長子権、父母権、王権を復帰なさり、人類の前に勝利の手本となる路程を立てられました。霊界と肉界にいるすべての祝福家庭は、天宙に天の主権を拡張なさった真のご父母様に尊敬と感謝と栄光をお捧げし、孝誠と忠誠を尽くすことをお誓いたします。特に、ご聖婚四十年と真のお父様の八十年の生涯の神聖な路程として、全世界八十か所で「真の家庭世界化前進大会」を開催なさり、人類が敬い仕えるべき「真の父母地球星勝利圏」と「天地父母大勝利圏」を相続してくださることに深く感謝し、勝利と栄光を称える本牌をお捧げいたします。一九九九年六月十四日(陰暦五月一日) 第三十七回真の万物の日世界平和統一家庭連合世界平和超宗教超国家連合 会員一同 (三)文氏・韓氏一族が真のご父母様に礼物贈呈 み言 今、霊界から伝達されたルーシェルに関するすべての内容や、霊界に関する深い内容を詳しく知るためには……ここに『成約時代と理想天国』という本があります。ここには「真の父母」という内容が入っており、それから霊界に関するすべての内容が入っています。これは、文総裁の『主題別精選み言集』十二巻から抜粋したものなのですが、その第十一巻と第十二巻に霊界に関する内容が詳しく載っています。 霊界がどのようになっているかについて、これまで五十年にわたって語ってきましたが、それらを記憶している人はいません。そのすべてを『み言選集』から選んで一つに集め、二巻にまとめたので、それを読めば霊界の本質的な内容がどうなっているか、また構造的に霊界がどう発展してきたかという事実が分かるようになっています。 李相軒氏もそのような内容を地上で暮らす間に見てはきたのですが、霊界の事実を信じることができませんでした。先生が語った内容、すなわち「右手には霊界、左手には地上世界をつかんで、堕落した悪なる世界で狂って回っているものを、正しく回さなければならない」というものなのですが、そのようなことが信じられますか? そして、神様の歴史的な摂理観に関しても、堕落から今までの歴史路程において、聖人たちが歩んできたすべての内容を明らかにしたのですが、それを理論的な体系をもって解説することができなかったので、皆、信じることができなかったのです。 ところが、霊界に行ってみると、文総裁の発表した内容が一から十まで、すべて事実であり、間違いないということが分かりました。自分が信じられなかったように、多くの人たちが信じられずにいるので、驚いて責任を感じ、霊界で神様からの命令を受けて、上から霊界全体の組織構造に関して伝えてきたのです。 それが、この李相軒氏の『霊界の実相と地上生活』という本なのです。この本は、第一次伝達としてのものですが、今回、第二次伝達の内容として、サタン・ルーシェルを屈服させたときまでの残された内容を伝達してきました。(※「3月21日、サタン完全(自然)屈服の日(1999年)」) これを知ることによって、今日、地上の世界は……。今日、地上世界の人々は、霊界のことが分かりません。霊界は「未知の事実」になっているのですが、これからは霊界は未知の事実ではなく、霊界がどのようになっているかということが、誰にでもはっきりと分かるようになっているのです。また、どんな原因によって霊界の構成がこのように変遷したのか、という事実も分かるようになりました。 これは、神様の秘密とサタンの秘密を知らなければ解くことができません。しかし、先生は統一教会の原理を通して、神様とサタンの秘密を詳しく明かしておきました。李相軒氏が霊界に行ってみると、その内容がそのごとくぴったり一致していることに気づいて驚いたのです。そうして「この霊界の実相を四十日間伝達しなさい」という神様の特命を受けて伝達してきたのが、この内容なのです。ですから、これは単なる観念ではありません。実際のことであり、事実なのです。そのことを皆さんは知らなければなりません。 今日初めて、このような途方もない信じがたい内容の話を聞いて、驚いてはいけません。それは、私自身が一生の間、蕩減復帰の道を個人的な蕩減復帰から、個人の峠を越えて家庭の峠を越え、氏族の峠を越え、民族、国家、世界というように、八段階の峠を越えてきて、そのような内容を知ることによって解き明かしたものなのです。ですから、単なる観念ではありません。これは実際の内容なのです。 文総裁がもしも霊界に関してはっきりとした事実を知らなかったならば、何のために今日、生涯をかけてこのようなことをするでしょうか? 世界全体の「個人」が、文総裁を個人的に打倒しようとしました。その峠を越えるにあたって、サタンは勝つことができないので、家庭をもって文総裁を打倒しようとしましたが、家庭をもってしても文総裁を打倒することはできませんでした。なぜでしょうか? 理論的に合っている道を行くので、除去できないのです。サタンは、家庭的に全面的な攻勢をかけてきたのですが、文総裁を倒すことができなかったのです。 宗教家として、歴史において私以上に迫害を受けた人はいません。アメリカでは、それがクイズ番組の質問となって頻繁に出てくるのです。家庭的に全生涯をかけて文総裁を除去しようとしたのですが、できなかったのです。そのように親たちが反対してきたのです。 歴史上、親が自分の子を拉致していったという事実は、統一教会の歴史によって始まったのです。それから、氏族、民族、国家……国家を超えて世界、共産主義、民主世界、キリスト教、カトリック、宗派のすべてが反対したのです。しかし、文総裁を除去することはできませんでした。今日に至り、そのように攻撃した側は、神様の前に不従順な立場に立ったことにより、落ちていくのです。すべて落ちていくのです。 国においても、大韓民国を考えてみるとき、八代の大統領時代を経ながら、反対しなかった大統領がどこにいるでしょうか? しかし結局は、国をこんなざまにしたのです。八代をいかに越えていくかということが、問題なのです。 世界だけでなく、地上地獄にいるサタンと天上世界にいるサタン、すべて動員したのです。そのようにして文総裁の勢いを挫こうとしました。しかし、文総裁の思想は理にかなっているのです。内外が合っているのです。神様が公認しているのです。神様が知っています。神様が知っていることは、サタンも否定することができません。攻撃しても除去することができないので、屈服するのです。 それでは、文総裁は争ったでしょうか、争わなかったでしょうか? 争いませんでした。神様の戦略戦術は「打たれて奪ってくる」というものです。神様の創造理想には「打つ」という論理はありません。創造理想の中には、怨警視して、これを鞭打つというような理論はありません。ですから神様も、愛する子女たちすべてを率いてこられましたが、打たれて奪ってくる作戦をとられたのです。神様とサタンの戦略の違いは何かというと、神様は打たれて奪ってくるのです。これを知らなければなりません。サタンの戦略は、打った結果、損害賠償まで加重されて弁償することになるのです。 ですから、文総裁は世界的な迫害を受けましたが、神様の戦略戦術で、打たれて発展してきたのです。打たれて発展してきたのです。 統一教会における今までの謎が何かというと、世界的な迫害を受けながらも、どうして文総裁が世界的な伝統の基盤、世界が驚くほどの基盤を築くことができたのか、ということです。これが謎なのです。それは神様の戦略戦術法に従って成したのです。善なる位置において打たれれば、必ず損害賠償を請求して、それをもらわなければならないのです。世の中がそうではありませんか? サタンの戦略では、打って奪われることになるのです。 このような立場から見るとき、統一教会が正にそうでした。ですから、これまで迫害を受けてきたのです。キリスト教ゆえに迫害を受けました。キリスト教がもし、文総裁と一つになっていたならば、一九四五年から一九五二年までの七年路程で、七年の間に世界を完全に祝福し、サタンの血統を断絶して、神様の側にお返しすることができたのです。しかし、キリスト教が反対したことによって、五十四年間、犠牲の立場を通過してきたのです。そのような立場を考えてみてください。 一世紀の間に、世界の五十億人類のうち、一年にその百分の一が死んでいくとしても、一年間で五千万人が地獄に行くのです。四十年ならば、四×五で二十億、その息子や娘までも含めれば、教十億の人をキリスト教が地獄に送ったことになるのです。そのようなキリスト教が、発展すると思いますか?若い青年男女、六十歳以前の人たちは、すべて失ってしまいました。八十歳の老人が共同墓地の前に行って、「神様、再臨主、祝福が……」と言っているのです。すべて滅びたのです。 結論は簡単です。今日は「真のご父母様天宙勝利祝賀宣布」の日ですが、今では、もう文総裁がすべきことはないのです。すべて終わったのです。人類の願いは何かというと、堕落の殼を脱ぐことです。堕落の殼とは何ですか? 血統が変わってしまったのです。堕落とは何ですか? 男性と女性が性関係を誤ったのです。誰を中心としてですか? サタンを中心としてです。 「アダムとエバが息子、娘を生んだのは、堕落する前か、後か?」と尋ねたときに、「それは堕落する前だ」と言う人はいないのです。堕落したのちに息子、娘を生んだのです。では、その息子、娘を生むことができるように、誰が結婚式の責任をもったのでしょうか? 神様は追い出した者に対して責任をもつことはできません。間違いなく、サタンを中心として結婚式をしたのです。 そして、神様がアダムの心の中に入って、夫婦とならなければならなかったのに、その位置をサタンが占領して、サタンの血統を植えつけてしまったのです。堕落することによって、彼らは下部を隠したでしょう? 口で食べたのならば、口と手を隠すはずですが、口と手は隠しませんでした。そこが血統的怨恨の根拠地となったのです。 神様が人間をつくられるとき、一番苦労してつくられたのはどこでしょうか? 目ですか、口ですか、鼻ですか、手ですか? 人間はそのようなことを考えだこともありませんが、それは愛の根拠地です。愛の本拠地なのです。愛の本拠地とはどこですか? 男性と女性のあの部分のことを言うのです。それが愛の本宮であったのです。そこにおいて男性の愛を知るようになり、女性の愛を知るようになるのであって、それがなくては愛が分からないのです。愛の主人が現れることができません。男性の愛の主人は女性であり、女性の愛の主人は男性なのです。それがあるがゆえに、主人になることのできる資格をもつようになるのです。そのようにつくられたものが、愛の器官なのです。 ところが、主人になるべき立場の神様を迎える愛の基盤となったのではなく、悪魔を迎える愛の基盤になってしまったので、愛の器官は最も憎むべきものとなりました。怨讐になったのです! それは今まで、悪なるものとして扱われてきたのです。その器官を通して愛が連結されるでしょう? 愛が連結されれば、父親と母親の血が混ざるでしょう? どこで混ざるのですか? 口づけをすることによって混ざるのですか? 愛し合うことで、その器官において生命が結合するのです。どのような愛によってですか? 神様の愛によって生命が結合するのです。そこから生まれた息子、娘は、神様の息子、娘であるに違いありません。 ところが、アダムとエバが堕落したのです。エバが天使長、僕とくっついてしまいました。未来の王子になるべきアダムが、神様の体になって天の国の王子・王女にならなければならないのに、その体で僕とくっついてしまったのです。 そうすることで、神様が願われた王子、王女の資格を脱略させ、王子、王女の家庭的な愛を破綻させ、王子、王女以降の王孫を破綻させ、神様が理想とされる家庭、氏族、民族、国家、世界、地上天国、天上天国を破綻させたのです。その元凶が、悪魔、サタンであるということを皆さんは知らなければなりません。 その元凶は、誰の怨讐であるかというと、神様の怨讐であるばかりか、私たち人類の怨讐なのです。言い換えれば、国と国が戦って、その国の王宮にいる王族の王子と王女が、怨讐の敵将に捕らえられて、僕の暮らしをしながら、その僕の世界の子を繁殖したのと同じなのです。王子、王女を中心として、王圏の下でその血統を広めなければならないにもかかわらず、悪魔の王権の下で繁殖した、その群れが堕落した人類だというのです。 ですから、神様は干渉することができません。堕落するのに、なぜ干渉することができなかったのでしょうか?血統が変わってしまいました……。今日、明日にも、神様を中心として結婚しようとしていたのに、その前日の夜にサタンと性的関係を結んだのですから、神様はそれに触れることができるでしょうか? このような怨恨の根拠は、すべてアダム家庭の性的非行によって始まったのです。そこからすべてが蒔かれたのです。それが、エデンの園の堕落した世界の「春の日」でした。 その春の日は、アダム、エバの青少年時代でした。それは、十五歳を越えて十六歳だというのです。もう少しで結婚できる年だというのに堕落したのです。堕落によって誤った血統となってしまったがゆえに……愛を中心として汚された体を、神様は将来、ご自身の体として用いようとされるでしょうか? 霧散となってしまったのです。 これが、人類歴史の堕落の起源です。結婚式を誤ったのです。偽りの父母を中心として誤った結婚式を挙げたのです。いつですか? 青少年の時です。ですから青少年の淪落は、エデンの園で初めて植えられたのです。それによって、アダムの家庭を中心とした神様の理想のすべてが完全に崩れてしまいました。 そのように植えられたもの、そのまま蒔かれたものが大きくなって、屈服の日になれば、このような実が結ばれる時が来るのです。世界的な青少年の淪落を防ぐ者はいません。アメリカ自体に防ぐ力がありますか? ありません。フリーセックスになり、ホモ、レズビアンになりました。めちゃくちゃになりました。アメリカの教育に、アメリカの宗教に防ぐ力がありますか? アメリカの政治や経済の力をもって防ぐことができますか? できません。軍事力をもって防ぐことができますか? できません。完全にお手上げなのです。 それでは、誰がこれを解決することができるでしょうか? 神様だけです。青少年の淪落の種は、偽りの父母が植えましたが、その罪を犯した動因は人間だというのです。偽りの父母であるアダムが、誤ってそのようにしてしまい、無知のままで堕落したので、来るべきアダムはこの地で完全に知らなければなりません。神様の秘密や、神様の完成の基準や目的がどのようになっているか、悪魔がどのような失敗をしたかを詳しく知ることによって、サタンを屈服させることができるのです。 「植えたとおりに刈り取る」と言われているように、エデンの園でアダム、エバが青少年の時に淪落し……世界的に家庭をことごとく破綻させてきたのです。その時が屈服の日です。その時が屈服の日なのです。正にそれが今日の現実なのです。 アメリカの人たちに世界観がありますか? 世界観がありません。国家観がありますか? ありません。社会観もありません。氏族や民族観もなく、家庭観もありません。自らの父親や母親をすべて否定するのです。すべてが個人主義です。個人主義!個人主義とは何かというと、悪魔の立場、天使長の立場に帰ることです。男性が女性を否定し、女性が男性を否定するのです。屈服の日になったので、サタンがその正体を現さなければなりません。 そうして、家庭を完全に破綻させてしまいました。青少年問題、家庭破綻を収拾する道理がありません。サタンも収拾する道理がなく、神様も収拾する道理がありません。神様が収拾することができるならば、既にエデンの園でアダム家庭を収拾していたはずです。手を出すことのできなかった神様が、今、滅んでいくこの世の中に手を出されるでしょうか? これに誰が責任をもたなければならないのでしょうか? 偽りの父母がこのように植えて滅ぼしたので、真の父母が責任をもつのです。無知によって堕落したので、真の父母が完全に知って、神様の秘密、サタンの秘密を知って、サタンを神様の前に告訴してしまわなければなりません。「こいつ、おまえが殺人鬼だったのだな。こいつめ!」というようにです。いくら逃げ隠れしていた殺人犯であっても、証拠を突きつけられれば、法廷に行って自らの罪状をありのままに告白せざるを得ず、判決が下りて、永遠に人間世界から隔離されてしまうではないですか? それと同じことです。全く同じだというのです。 文総裁は、悪魔であるサタンを讒訴することができるのです。讒訴するには、家庭基盤が全体の半分を超えなければなりません。もしもキリスト教が歓迎していたならば、三年半で世界人類を祝福して、天の眷属となし、神様を解放していたのです。それを四十年前に十分に果たすことができたのです。しかし、反対することによって、キリスト教は文総裁を荒野へと追い出してしまいました。 人類始祖の堕落によって恨に満ちた神様を慰労してさしあげなければなりません。アダム、エバが堕落したという、大きな悲しみの釘が打ち込まれている神様を、慰労してさしあげることのできる立場から出発しなければならないのです。そうするためには、そのような悲しみの神様を慰労してさしあげることのできる孝子となり、家庭を代表した孝子、国家を代表した忠臣、世界を代表した聖人、天地を代表した聖子の道理をすべて果たすことのできる立場で慰労してさしあげなければなりません。そればかりでなく、必ずや新しい青少年を動員して、新しい祝福を行い、アダムが破綻させたすべての要素を根絶しなければならないのです。 神様とサタンの闘いを、誰が止めることができますか? ただ何もせずに闘いが終わりますか?神様の前に孝子がおらず、神様の前に忠臣の道理、神様の前に聖人の道理、神様の前に聖子の道理を立て、その国を守ることのできる主流となる愛の体制がなくなってしまったので、神様の立たれる位置がなくなってしまったのです。神様は今まで、囚われの身で、軟禁状態におかれていたのです。 天の国は完全にがらんとしており、悪魔の地獄と中間霊界、楽園があるのです。楽園とは何ですか? イエス様は楽園に行っていますね? 本来は楽園に行くのではなく、天国に行かなければならないのです。イエス様がどこに行っているか、死んでみれば分かります。知りもしないで、何が伝統ですか? 何も知らずにいくら頑張ってみても、路地裏に行くしかないのです。楽園とはどういうことですか? 神様が創造した世界にあって、中間霊界とか地獄などとは一体どういうことですか!堕落ゆえに、その痛みを感じていらっしゃる神様なのです。 アダム、エバは、神様の前に万代の独り子、独り娘なのです。七代続いての独り子や独り娘が死んだときには、国までが弔いの品を贈って慰労するのではないでしょうか? 万代の息子、娘を失ってしまわれた神様をお慰めした人がいるでしょうか? ただ一人、レバレンド・ムーンだけが、アダム以来の堕落の悲しみを抱かれる神様をお慰めすることができるのです。『私についてきてください。私の行く道についてこられますように」と言って慰労してさしあげるのです。 その道を開拓して平和の天国基地まで……地獄の門を打破して、天国の門を開くことができなければなりません。地上世界、霊界のどこであろうと、神様が自由自在に往来できるようにしなければならないのです。地獄という恨の出入口は神様には必要ないのです。そのようなものは、すべて取り壊してしまわなければなりません。それを誰が知っているでしょうか?ですから私たちは、神様が人類の前に立って導いていくことができないということを知らなければなりません。完成したアダムが、偽りの父母であるサタンによって立てられたものを完全に清算し、平地にしてこそ、神様がそれに引き続いて地上に君臨し、万世にわたって万王の王の権限をもち、愛の王権時代の主体的な行使をすることができるのです。ところが、アダムとエバが愛する孝子、孝女になることができなかったのです。神様はどれほど悲しいことでしょうか! その神様を解放してさしあげなければならないのです。 それでは文総裁のしたことは何でしょうか? 地上世界と天上世界、地獄までふさいでいるものを、「グシャッ!」と崩してしまったのです。そうしてハイウエーを築かなければならないのです。平準化しなければなりません。それは地上だけではありません。霊界もすべて平準化されなければなりません。家庭的な平準化、氏族的な平準化、民族的な平準化化、国家的な平準化、世界的な平準化、天宙的な平準化がなされなければなりません。それは何によってなされるのでしょうか? 男性と女性が家庭を築くことによってなされるようになっているのです。 世界の難しい問題の原因は何かというと、男性と女性の二人なのです。男性と女性がもつれたことが、国家や世界に問題をもたらしたのです。天地に問題をもたらしたのです。では、この男女の問題とは何でしょうか? 愛の問題です。愛の問題を誤ったというのです。 それゆえ、エデンの園で偽りの父母によって青少年が淪落し、アダム家庭を粉々に破綻させたことを、真の父母が来て収拾しなければなりません。真の父母が来てやらなければならないのです。神様の愛の血統を伝授して、愛を中心とした生命体になるのです。野生のオリーブの木ではなく、真のオリーブの木になるのです。血統が変わるのです。文総裁は、神様の血統に連結させることのできる理論的体制のすべてをもっているのです。その道を行けば、そうなるのです。それは実証された事実です。 それで今、文総裁が行うことは何でしょうか? この青少年問題を中心としては、アメリカや、ソ連や中国の国々はもちろんのこと、世界を代表する先進国家はすべて手を上げてしまいました。宗教界までも手を上げてしまいました。この問題を解決するための特権を受けた者が誰かというと、文総裁です。文総裁しかいません。 誰も愛の論理を知りません。神様が喜ぶ愛の心情圏の世界を知りません。サタンの悪なる心情圏も知りません。ことの裏表も分からないので、自分の立つべき立場が分からないのです。ですから彷徨するのです。しかし文総裁は、サタンの心情圏、天の心情圏、人類の堕落した怨恨の心情圏を知っているので、どこへ行くべきか、さっと根拠がつかめるのです。 ですから個人的な恨の峠、家庭的な恨の峠、氏族、民族、国家的な……。この四十年間、真の父母の聖婚式を通して祝福してあげることによって、十二の峠を越えたのです。十二峠です。韓国にはアリランという歌があるでしょう? 「アリラン、アリラン……」、それから何ですか? ちょうど十二峠なのです。十二峠を越えて初めて、人間世界と天上世界のすべてに通じるようになっているのです。それで十二峠をすっかり越えたのです。 皆さん、考えてみてください。三億六千万双を祝福することができますか? 一人で百年間しても、できないのです。毎日のようにしたとしてもできません。それは可能なことですか? キリスト教会ではみな「ああ、文総裁は滅びるつもりか! 三億六千万双の祝福をするそうだ。狂っている」と皆が言ったのであって、誰もそれができると思った人はいませんでした。これを知るのは、神様と文総裁とサタンの三者しかいません。 しかし、神様を絶対信仰するレバレンド・ムーンが先頭に立って、反対するすべてを処断してしまうのです。今ではもう、キリスト教はすっかり滅びてしまいましたね? 息子、娘をすべて失ってしまいましたね? 私がすべて復帰して、再び孝子の道理を教えてあげるのです。そのままでは、子女を抱くことはできないのです。何かプライバシー(私生活)、インディビジュアリスト(個人主義者)ですか? すべて滅んだのです。 これらをすべて整理して、個人から家庭、氏族、民族……天国まで、すべての壁を壊してハイウエーを敷設したのです。そこに自動車までつくってあげました。これが原理のみ言です。この自動車に乗っていけば、最高の速度で走ることができます。愛の自動車なのです。その速度は、太陽の光よりも速いのです。太陽の光は、一秒に三億メートルも走るのですが、それ以上に速いのです。宇宙のこちらの果てからあちらの果てまで飛んでいくことができるです。神様の動かれる所は、どこにでも飛んでついて回ることのできる速度をもっています。その速度は、真の愛の速度です。 レバレンド・ムーンを討ち取ろうと、アメリカのCIA(アメリカ中央情報局)やFBI(アメリカ連邦捜査局)、ソ連のKGB(旧ソ連国家安保委員会)があらゆる手を尽くしましたが、今では皆、屈服してしまいました。KGBの世界にも統一教会員がたくさんいますし、CIAやFBIの世界にも統一教会員がたくさんいるのです。「いつそんな基盤を築いたのだろうか」と思うかもしれませんが、それは私が築いたのではなく、すべて天が築いてくれたのです。 ですから、これをすべて清算しようとするのですから、悪魔サタンを屈服させなければなりません。「神様! もはやサタンの行く道は完全にふさがれました。これを清算しなければなりません」と言うのです。そのことを神様はよくご存じです。 今後、四億双を行うのです。四億双を行えば八億人の家庭です。八億人の家庭ならば、一家庭に四人として、四×八は三十二億です。そして、五十五億の人類から三十二億を引くと二十三億です。これは何かというと、神様を中心として祝福圏内に入ったこのような家庭が、すべて血統を清めて、神様を取り囲んで人類の半数以上を超えるのです。 そして、毎日のように数多くの人たちが叫んだならば、反対することなく歓迎するので、いっぺんに国が押し寄せてくるのです。氏族、国家が巻き込まれてくるのです。瞬間的にそのようになるのです。サタンも分かります。そのうちに分かるのです。ですから、神様が勧告されるのです。行くべき道がはっきりしたので、国を立てる前に神様が通告されるのです。「神様の前に、真のご父母様の前に屈服しなさい!」というのです。 そうでなければ、国が設定されたときには、行き場がないのです。公権力によって判定されたときには、底無し地獄に消えてしまうのです。永遠に刑罰を受けなければなりません。それを知っているので、サタンも慌てて降伏、自然屈服するのです。強制屈服ではありません。自然屈服することによって、サタン世界の人類全体が、神様の祝福家庭圏内に入るのです。 今のこの世界の家庭を見ると、自分勝手に結婚した家庭、それから法的に契約結婚をした者たちもいます。最近では、契約結婚する者たちがいますね?「ああ、家庭は嫌だ。息子や娘を扶養する責任は負いたくない。妻にも責任はもちたくない」と言って、家庭を嫌うのです。そのような者たちを、霊界としっかり結びつけなければなりません。 ホモやレズビアンたちは「結婚して何になるのか?」と言うのです。「愛は自分のものじゃないか。趣味で愛し合って、皆それなりに生きて死んでいくのさ。動物みたいに」と言っていますが、そうではありません。しかし、そのような者たちをもすべて引き受けるのです。既成家庭、契約結婚家庭、それから未婚の男女を祝福してやるのです。 未婚男女といえば、キリスト教のカトリックの神父や修道女、仏教の僧侶や尼まで含まれるのですが、独身生活のまま死ぬかもしれないような年齢の人も、すべて祝福してあげなければならないのです。祝福を受けて初めて、真の神様と真の父母の血統を受け継ぐことができ、神様の血統になるのです。葉と枝と幹が根に連結されているように、同じ神様の血統を受けてこそ、一本の木になるのです。今年の統一教会の標語は「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。三億六千万双を中心として、神様と真の父母を中心として転換しなければならないのです。すべてが成就しました。それゆえ、サタンがすべて屈服したために、それを宣布しなければならないのですが、神様ご自身が宣布することはできません。堕落の元凶は神様ではありません。アダムです。未完成のアダムが失敗したので、完成したアダムがそれを神様の前に通告し、宇宙的な法として杭を打ち込んでこそ、神様がお越しになるのです。サタンも退いていくのです。そのような式を、今年の五月十四日にパンタナールで行いました。 それを基盤として、お母様が世界的にこれまで……。統一教会も国家もすべて失敗しました。三億六千万双の大転換の時期を中心として、再び真の父母が責任をもつのです。これからは、神様に責任を負わせるのではなく、私が責任をもつのです。全体に責任をもつのです。 それで、サタン世界の最高の階級を中心として、八十か都市で勝利の覇権を手にして帰ってきたので、お母様はついに、お母様としての責任を果たして、神様が公認される位置に、サタンが公認する位置に、人類が公認する位置に立ったのです。キリスト教をはじめとする人類の宗教圏を超え、勝利の版図圏に立ったのです。それで、アダムの前に失敗したエバが、復帰された価値をもって同じ位置に入籍して行動できるという資格を与えるために、これを天地に宣布するのです。それで文総裁がお母様に対して、韓鶴子女史に対して表彰をするのです。 それゆえに、これからは対等な位置に立つのです。男女平等権時代が来ます。愛を中心としての男女平等権時代です。ですから、これからは女性たちを結束させて、男性たちを教育する時が来ました。大統領をはじめとして、男性は皆、浮気者です。金大中大統領のことを言っているのではなく、世界がそうだというのです。私が知っている大統領は皆そうです。 口八丁手八丁の者たちが、女性たちの心情に釘を打ち込んだのです。神様の心情にエバが釘を打ち込んだので、天使長である男性たちによって、エバの心情に多くの釘が打ち込まれたのです。それを抜いてあげる人が誰かというと、お母様なのです。お母様の釘を抜いてあげる人は誰ですか? 文総裁です。エバはアダムを殺し、イエス様を殺し、再臨主を追放しました。エバは、三代の夫を失いました。その罪は赦されません。その罪を脱がせるために、文総裁がお母様を育ててきたのです。お母様を育ててくる間に、どれほど多くの非難を受けたでしょうか。あることないこと、悪魔の頭、色魔と、ありとあらゆる言いがかりをつけられたのです。誰も分からなかったのです。そのような作戦をしたので、生き残ってきたのです。 さあ、そのようなすべてを完成し、お母様を天地の前に堂々と、男性と対等な立場に立たせるのです。それを私が公認するのです。アダムが公認したので、アダムがエバを否定してきたことを肯定し、神様までが公認するので、女性解放がなされるのです! アーメン! 誰が女性を解放するのですか? 来るべき主がするのです! キリスト教信者の七五パーセントは女性です、女性。それを知らなければなりません。女性は新婦なのです。お母様が天理の道理をすべて解かれましたから、今後は自分の弟や妹、娘たちを教育する材料がすべて揃っています。ですから、お母様から教育を受ける女性たちには、理想的な将来の夫や、今後世界の善なる王孫たちに迎えられる日が訪れることでしょう。 それで鮮文大学では「純潔女性大学」を始めたのです。お母様のように美しさと同時に謙虚と威厳を兼ね備え、内外・霊肉の実力を備えて、どこに行っても、壇上に立たせても自信満々に、昼も夜もすべての人を感動させることのできる力をもつのです。そのように女性を解放しなければなりません。ですから、女性たちが自分の国の夫たちを再教育するにあたって、旗印を高らかに掲げるみ業が、これから展開するのです。 ですから、立派な女性がいるならば、大統領選挙に立てて……間違いなく大韓民国にも女性の大統領が立ちます。今はそのような時なのです。女性の国会議員がたくさん出てくる時なのです。統一教会は、今政治活動はしていません。第一、第二、第三を越えていかなければなりません。ですから教育しかありません。 アメリカでは今、統一教会が問題になっています。統一教会の基盤はなんと大きいことでしょうか。野党や与党よりも大きいのです。確かめてみなさい。嘘かどうか、CIAやFBIに聞いてみよというのです。 そのような基盤を築いたので、天の国に行っても引っかかるものはなく、地上の国に行っても引っかかることのない真の父母ですから、「真のご父母様天宙勝利祝賀」の宣布さえすれば、オーケーなのです。神様オーケー、人類オーケー、地獄オーケー、サタン世界オーケー! そのようなことを宣言するのが、今日、一九九九年六月十四日、一時十五分です。では、文総裁がそれを宣布する祈祷をしなければなりません。神様と、真の父母であられる勝利した父母のみ名によって、「神様解放、天上解放、地上万民解放、統一教会解放、反対したサタンまでも解放して、堕落のなかった本然の愛の理想の主権を立てることのできる、平和と天国の統一世界が旺臨するのです! アーメン!」と、祈祷するのです。では、それを歓迎する人は、そのような宣布の祈祷をしますから、全員立ってください。 それを願う人は両手を挙げて歓迎してください。皆さんだけではありません。霊界の数千億の祝福を受けた家庭と、統一教会の数億の祝福を受けた家庭が、この場で文総裁の宣布の内容を聞いて歓迎し、万代の子女たちも、このように両手を挙げて歓迎するという宣誓をするのです。神様の祝福がありますように。 祝祷 神様! 今日、一九九九年六月十四日午後一時十五分を期して、ここに立っている真の父母の名で、パンタナールにおいて天宙解放を宣布し、五月三十日には「真の御父母様東西洋(地球星)勝利祝賀宣布」をした、その基盤の上に、今日は、天地を代表した真の父母の勝利圏を中心として、勝利歓迎宣布をすることのできる途方もなく驚くべき歴史的な時点を迎えました。 お父様…、これはで天の前に人類始祖が罪を犯し……、悲しみの歴史を残したすべてを胸に秘めたまま、誰も願いを叶えてくれない恨の心情を抱いてこられた、お父様であられることを私は知っております。お父様の前に讒訴、呪い、嘲弄してきたサタンを見つめるその心に、どれほど曲折が多かったことかを私は知っております。 それを解怨成就するために、神様は堕落していない本然の完成したアダム家庭を中心として神様の血統が連結された愛の氏族圏を編成なさり、民族、国家を経て、世界の地の上に、地上、天上天国の出発をしようとされたあなたの理想は、完全に水泡に帰してしまいました。 そこにおいてサタン側の国々は分裂した闘争を通して、互いに恩讐、怨讐、怨讐となり、自国第一主義による、自国を中心とした歴史が、多くの血を流してきたという、神様の悲しくも恨めしい歴史過程があったということを知っております。 そうしてキリスト教文化圏、宗教圏を中心として、血を流して犠牲にした血統の因縁による、絶対信仰・絶対愛・絶対服従する群れを通して、個人主義時代、家庭主義時代、氏族・民族・国家・世界主義時代を超え……、屈服の日に、エデンで植えられた種のごとき青少年の愛の倫理を失ったその基地によって、エデンで植えた種が結実し得る万世・万象の終末時代を迎え、どこの国でも腐敗した青年の蛮行は、家庭の倫理全体を破綻させてしまいました。この世の屈服の日に、神様が取り戻そうとされる、エデンにおいて堕落せずに築くべきであった本然のアダムとエバの完成的家庭の倫理がなくなり、家庭基盤が一つもなくなってしまったこの場において、初めて真の父母の継代を引き継ぐために来られたレバレンド・ムーンを通して、青少年時代から壮年時代にわたる受難の環境を経ながら、神様の家庭的な青少年倫理基盤を中心として、破綻した家庭を育成し祝福し、神様の愛の血代を連結させる世界化祝福結婚を通して、血縁的関係が五色人種を超えて兄弟の絆の心情を結ぶことができるようになり、その版図を拡大して四億双を超えることができるという段階にまで至りました。 今や、人類の三分の二に近い勝利の版図を中心として…、サタン的な愛によって血代の結ばれた地獄が編成されたその世界の上に、サタンが絶対的に主管するその世界の上に、囹圄の孤独な身でおられた神様が……、統一教会の真の父母によって祝福された血縁的因縁の関係が四億以上になり、三十二億以上の群れが天を擁護することによって、人類地球星、サタン世界を凌駕し、神様の心情圏を中心としてお越しになられる時代となりました。 そうしてサタンが、ヤハウェのみ名によって屈服するように指示を受けられる慈悲の因縁によって、神様の前に自然屈服し、また、真の父母によって築かれた勝利の覇権の前に、サタンは立つ瀬がなく赦しを請うことによって自然屈服するようになり…、また、万民がこの真の父母の道理に従って真の家庭の祝福の血縁をもつことに対して、サタンが干渉・主管できないと同時に、サタンが秘密として隠し通してきた、神様の心の中、サタンの中に隠されていたものを、すべてあからさまにすることによって、統一教会の原理を知る人ならばどこの誰であっても、一斉にそのことを知ることのできる時代が訪れました。 今は、インターネットを通して一夜にして世界万民がそれを知ることができ、教えることのできる時代となったので、サタンは身を寄せる場がないということをご存じの神様は、サタンまでも哀れみ、慈悲の心をもって赦すことを願われながら、サタンの自然屈服を宣言することによって、サタンが神様の前に屈服し、真の父母の前に屈服し、人類の前に屈服し、自ら服従するようになりまして、はじめて神様の全権的な代行をし得る真の父母がそれに続いて、偽りの父母が立てた破倫的な滅亡の地獄の限界線を取り払い、神様の心情的な愛の血統の権限をもって真の愛の眷属を中心として、神様の血族であるアダム家庭を中心とした祝福ができるようになりました。 これまで十二次の祝福を超え、四億双以上の基盤を中心とした人類の半分にあたる影響圏を超えまして、自由な環境の中で反対を受けずにどこにおいてでも祝福を行い得る自由環境を迎えさせてくださり、この環境的勝利圏をくださったことに感謝申し上げます。サタンが屈服することによって、サタンの一族すべてを自由自在に神様が創造の権限をもって再び収拾することのできる、主体的に能動行使することのできる時代が来たことを宣布し、地球星解放圏を宣布しまして、今日を迎えて真のご父母様天宙勝利祝賀の宣布をするようになりました。これを基盤として縦的、横的な基盤の上に、縦的な基盤として「天宙真のご父母様勝利祝賀宣布」の時を迎えさせてくださった恵みに、お父様……、心から感謝申し上げます。 お父様…、これからはあなたの指導の前に……、サタンが強制的に刑の場に連れていって首を切り、脅迫して地獄に連れていった時代とは反対に、霊界で祝福を受けた家庭が自分の子孫のところに行って、強制的に災いを転じて福となさしめ、地獄に連れていくのではなく、天国に連れていくことのできる自由解放圏時代を迎えましたから…、全世界に彷徨するすべての一族、一門を連結させた国家を収拾し、あなたの愛の血縁を中心として、永遠なる愛の主権の前にお父様の血族となることのできる眷属圏を超国家的に形成し、万民解放、天上世界の解放と共に、真の父母の解放、人類解放、神様とサタンまでも解放し、僕の位置を再び定めることによって、本然の創造理想のすべてを回復することのできる時代を、真の父母がお父様の前に奉献いたしますから…、その実権的な交替された覇権を通して、正義の判断を中心として地上再臨、天上昇天をなし、自主的な主管の善なる愛の王権を立てて万王の愛の永遠なる永生を備えて相続させてくださる、愛の永遠なる王となってくださいませ。 地上では真のご父母様の統治を受け、天の前に孝子の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を行く道を示して、万民をお父様の血族と眷属の位置に立たせ、万代に祝福された天国を主管し、地上天国、天上天国を相続する後継者としで育んでいきますから、この特権的な父母の栄光を浴びて宣布の日をお定めになられ、万事がうまく運び、自主的な善の王権を行使なさることを、真のご父母様の前に勧告、勧告、また勧告して宣布し、宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン!(三〇二-二一五、九九年六月十四日) み言-真のお父様の総評 祈祷が総評です。その総評に関して一つ付け加えることは、先生の生涯は、み旨の解放のために生きてきたものであるということです。メシヤの使命は、み旨の解放のために生まれ、み旨を中心とした生涯を通じてみ旨を完成し、解放圏を形成することです。 その解放圏とは、天の国の解放であると同時に、神様を解放することです。その次は、堕落した父母によってサタンの血統となり、自然監獄の世界に入って囚われの身となった者たちを、サタン監獄世界から解放するのです。その次は、万物までも解放しなければなりません。先生がパンタナールに行って、釣りをしたり山を歩き回ったりしたのは、そのような心情的な絆を自然と結ぶためでした。 神様を愛する心、人類を愛する心、万物を愛する心をもって、終着点にそれを結束させ、このすべての蕩減歴史と、すべての経済復帰をなさなければならないみ旨を中心として、今まで歩んできたのです。パンタナールを中心として、一番低い立場に下りてきて、一番高いところに神様のみ旨を連結することのできる……一九九八年五月十三日から十五日までの基盤の上に、今年において五月十四日の「天宙解放宣布」があったのです。それから、真の父母がアメリカに帰ってきた日を中心として、五月三十日にベルベディアで「真のご父母様東西洋(地球星)勝利祝賀宣布」を行うことによって、その基盤の上に横的な立場がすべて築かれました。 それゆえに、その宣布を行うことによって、神様が創造世界の前にあって心労から解放され、エデンの園の家庭をはじめ、あらゆる自然世界において歓迎されるという、そのような蕩減をすべて成しておいたということを、皆さんは知らなければなりません。 今、ここで一つ問題になることは、先生が地上において神様を前に地上で再び紹介しなければならないということです。解放してさしあげなければならないのです。神様をそのままにしておくことはできません。「これがあなたの地であり、あなたの家庭であり、あなたの氏族であり、あなたの民族であり、あなたの国です」と紹介してあげなければならないのです。しかし、その国ができていません。その国の基準を超えていくためには、四億双の祝福を成し遂げなければならないのです。 死んで神様の前に帰っていくとき、神様は私にどのように対されるでしょうか……。解放された神様をお迎えし、父子の関係を地上に定着させようと歩み続けてきた、八十年の生涯が近づくこの時において、今日「真の御父母様天宙勝利祝賀宣布」を宣布することができたのです。勝利の祝賀を宣布することができるというこの事実、神様と真の父母の前に、天地のすべての前に感謝することのできる、そのような条件が立てられたのです。それが、神様が創造して願われたその心を越えに越え、完成したアダム理想の内外の資格を備えたのです。そうして、その世界のページをめくるにあたって、第四次アダム圏の地上・天上天国、家庭ではなく地上・天上天国を根こそぎ相続するその立場、新しい家庭の勝利的基盤を相続するその立場において、新しい第四次アダムの船出を願うのが、真なる勝利の立場に立った、神様の心と真の父母の心であるということを記憶しておかなければなりません。 そうすることによって、アダムの責任である神様の解放……神様の愛以上の心情と精誠を込めて、アダムの数十倍、数百倍の完成の基準を超えたその立場において、家庭を中心として孝子、国を中心として忠臣……聖人、聖子の立場に立って、神様の前ですべてを相続しなければならないのが、真の父母の生涯路程なのです。 そのためには、すべてを捧げなければなりません。捧げることによって、神様がそのような立場で勝利、万世の勝利、永遠の勝利……永遠なる永存なさる神様が、もうこれ以上の勝利はないという立場に立って、相続してくださるとき、堕落の恨をはるかに超えた新しい世界の、勝利の神様の権限を立てることができると見るのです。これが総結論です。(三〇二-二三九、九九年六月十四日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.11
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真の愛の主人に侍ろう聖日礼拝の御言1999年6月13日韓国・本部教会 きょうは、何日ですか? (「六月十三日です」)。六月十三日は、何の日ですか? 去年のこの日は、何の日でしたか? 皆、忘れてしまったようですね。 この日は、歴史的な記念の日であり、さらには、聖人と殺人鬼が一緒に祝福を受けた日です。これは、天上世界と地上世界が分かれ、地獄と天国が分かれていたのを一つにし、標準化させた日です。 地獄にも神様がいらっしゃることができ、天国にも神様がいらっしゃることができ、地獄にも神様の息子、娘が、そして天国にも神様の息子、娘がいらっしゃることができるのです。それは、なぜでしょうか? 神様を中心とした地獄というものは、あり得ません。また、地獄にいる「神様を中心とした祝福家庭」というものがあった場合、それはすでに「地獄の人」というべきではなく、「天の人」であるというのです。その壁をすべて崩してしまった記念の日が、きょうなのです。 皆さんはすべて知っていますが、アダム家庭におけるカインとアベルの問題が問題になるのです。兄が弟をなぐり殺してしまいました。それは神様の悲しみです。それをごらんになる神様は、どれほどぼう然としてしまわれたでしょうか? 歴史の完成というものは、父母が完全に一つになり、それから子女が完全に一つになり、父母と子女が一つになり、それから兄弟が一つになってこそ、創造理想の基盤である家庭となるのです。 しかし、アダム家庭において殺戮戦が起こったという、恐ろしくも驚くべき出来事が起きました。その事実は、神様にとって衝撃的なことでした。それは、理想世界の創造を望まれていた神様の心の中にあって、夜といえば真夜中のような時間であり、悲痛といえば歴史上にない、信じられないほどの悲痛の立場であったのです。そのことを、私たちは今まで知りませんでした。 これは、神様にとっての悲痛な事実であると同時に、アダム、エバにとっても悲痛な出来事でした。なぜならば、アダム、エバが生んだ息子、娘がこのようになったということは、アダム、エバ自体においては、父母の立場に立ったその立場で、長男が弟を殴り殺すという現場を見詰めたということだからです。その立場は、どれほど胸の張り裂けるようなものであったかというのです。私たちは、このことを知らなければなりません。そのうえ、人間始祖が誤ってしまったことを復帰してあげるうえで、神様は介在されることができないのです。 皆さんの子供が罪を犯したならば、その子供に代わって、親がその犯罪の責任を執ることはできません。罪を犯したならば、犯罪のその蕩減は本人がしなければならないのです。人間世界の法もそのようになっています。 私たちの生涯の生活において、道理を立てていくためには、原則があります。それは、「自主的な法を個人から家庭に拡大させ、国家と世界まで守っていかなければならない」というものです。そのような法があるのです。 その法を立てられた神様は、その法を破ることはできません。また、その法の相対になるべきであり、神様の理想的家庭の父母になるべきアダムとエバも、その法を守らなければなりません。 ですから、「カインしか残っていない子供を、アダム、エバが愛することができるのか?」それが問題なのです。愛する心が向かう前に、そもそも弟を殺したカインをどうやって愛さなければならないというのでしょうか? これはもう苦痛です。 それゆえに、再び神様に侍り、理想的家庭に還元されるということを再び望んだとしても、神様の前に立つことのできない私たち人類祖先の姿でした。その姿自体が、悲痛だというのです。 神様の法度に従って家庭の法度を立てなければならない長子が、弟を殺して血を流したのです。そのような殺戮戦が起きたという事実は、歴史上の一つの国、一つの世界、この地上世界が滅んでいくことよりも、もっと恐ろしい結果であるということを、皆さんは知らなければなりません。 ですから「真の愛の主人」になることができるのか、というのです。きょうの題目は、「真の愛の主人に侍ろう」というものですが、「真の愛の主人」とはだれですか? それは神様がなるべきであり、アダム、エバがなるべきであり、アダム、エバを中心としては、その息子が父から「真の愛の主人」を受け継いで、そうならなければなりませんでした。 神様はおじいさんの立場ですが、祖父であられ、天地創造主であられる神様の愛を受け継いで、主人となるべき家庭的基盤を持つことができなかったという事実が、人類堕落の恨であったというのです。 考えてみてください。皆さん自身を、神様の位置を代身し、アダム、エバの家庭を代身した立場に置き換えてみたときに、どうでしょうか? 自分が生んだ息子、娘がそのような殺戮戦を起こしてしまったのです。 それは、だれのためにそのようになったのでしょうか? 弟のためにそのようになったのは事実ですが、弟のせいでそのようになったというわけでもないのです。アダム、エバのゆえにそのようになったのでもなく、神様のゆえにそのようになったのでもありません。 それは、サタンが天の家庭をすべて破綻させるために語った、「別の主人の言葉」に従ってそのようになったのです。その事実を、今まで歴史的時代を経てきながらも、堕落した後孫である人類は知らないでいたのです。 主人である神様を、真の主人を追放してしまい、真の主人の理想を成し遂げることのできるアダム理想を完成した家庭、愛の家庭までも追放してしまいました。そうして、神様とアダム、エバが一体となり、その孫、三代が一体となって、三対象目的を成さなければならないのですが、そうなるべきすべてのことを破綻させた元凶があったという事実を、今も知らずにいるのです。 その元凶はサタンです。それが偽りの父母となり、偽りの愛を中心とした偽りの生命、偽りの血統を中心として、神様と神様が願われる家庭とは根本的に反対の立場から人類歴史が出発したのです。それは、私たちがよく知っている事実です。 それでは、「人類」というとき、その人類はだれに属しているのでしょうか? 神様に属しているのではありません。その根は大きいことは大きいのですが、その根が腐ってしまったのです。 それは何の根でしょうか? 中心の根が腐ったのです。中心の根が腐ってしまったので、中心の根が死ねば、芽も死なざるを得ません。そのような立場でサタンは、天に最後まで反対していくのです。 実を植えたのですが、これが悪い実であり、悪い芽が出、悪い枝から悪い幹、悪い根、悪い芽が出て、そうして悪の中心の根、悪の中心の幹、悪の中心の芽を中心として、人類歴史が発展してきたというのです。 ですから、枝という枝は、本然の根を尋ね求めようとしても尋ね求めることができないのです。根が腐ってしまったからです。中心の根がなくなってしまったというのです。 中心の幹を求めることができず、中心の芽が何であるのか分からない混乱した歴史過程を経てくることによって、その渦中にいる私たち人類は、祖先から今まで、だれ一人として自信を持って、この地の主人としての資格を感じることができませんでした。そうして、自信ある主人を捜し求めるための、自信ある、愛する世界につなげることのできる道を捜さなければならないのですが、それをすべて失ってしまったのです。 それでは、このサタンは何者なのかというと、それは天使長なのです。しかし、その僕になるべき天使長が、人間の祖先の位置に登場したという、恐ろしくも驚くべきこの事実。これは、言葉の上だけのことではありません。事実なのです。 例えば、王宮を中心として見てみましょう。将来の王様が今、成長期にあるとします。そのようなとき、神様は、その将来の王様にとって王妃になることのできる、女王になることのできる女性を準備して育てていかれる、そのような神様なのです。そして、その王になることのできる人はだれなのかというと、それはアダムであり、王妃になることのできる人はだれなのかというと、エバであったというのです。 そのような「王宮実践」というべき、家庭的基盤を成就しようとされた神様のみ旨であったのですが、その過程において何が起きたのかというと、王女と僕が不倫な貞操関係を結んでしまったというのです。これが大きな問題です。 ですから、王家の相対になり、愛の囲いとなり、愛の赤ん坊を育てることのできる母のような立場に立つべきエバが淪落してしまったので、王との間のことは、すべて壊れてしまったのです。 しかし、そうであるからといって、女性は二人ではありません。たった一人なのです。男性も二人ではありません。たった一人ずつしかいないのに、その一人の男性と一人の女性は、神様のみ旨とは正反対の血統を受け継いでしまったのです。その事実が、億千万世の恨であったというのです。 神様が、今まで復帰してこられながら、地上天国を完成し、解放された愛の主権を取り戻されたとしても、過去の出来事を、その歴史過程に残したすべての傷、痛みの傷を消すことのできる道はないということを知らなければなりません。 今日、求道のその道を求めていく人間たちは、どこを尋ねていくのかというと、本然の主人、真の愛の主人を尋ねていくのです。そして堕落する前のアダム、エバこそが孝子となり、忠臣となり、さらには聖人、聖子の伝統を立てるべき家庭であったのです。 ところが、この家庭が破綻することによって、天の国の血族的基盤を喪失するとともに、未来の歴史の家庭的伝統、それから国家的伝統、世界的伝統、さらに天の国の伝統、主人としての神様の姿勢を備えることのできる愛の主管的天下、地上、天上天国を失ってしまったのです。 その事実が、どれほど悲痛な事実であるのかということを知らないのです。それは、アダム、エバは分かりません。アダム、エバは、堕落したためにそれが分からないのです。今まで、「父母ならぬ父母」であるサタンが導くままに引っ張られてきたのです。ですから、エデンにおいて青少年が過ちを犯して罪の種をまいたので、家庭が破綻して逆さまになったのです。逆さまに引っ繰り返ったのです。引っ繰り返ったこの家庭的血統を受け継いだ人類は、行くべき道を見いだすことができません。行けば行くほど、落ちて下がっていくのです。 その後は、どのようになるのでしょうか? 愛の理想を中心として見た場合、その完全破綻時代が来るのです。世界は、聖人の道理を通して国まで復帰してきましたが、その国のみ旨を忠臣が受け継いで、総合的な収拾をすべきなのが、宗教圏を代表したキリスト教です。 キリスト教は、何を教えてくれたのかというと、(イエス様が)「神様の独り子」ということです。その神様の一人息子を失ってしまったことを復帰しなければなりません。そのような思想がキリスト教にあるというのです。この堕落の根源を解消させるための内容を分析してみるとき、長子権の愛の主体となる存在を、今まですべて失ってしまったのです。 それでは、創造歴史がアダムをつくり、エバをつくったのと同様に、今までの人類歴史は、何を尋ね求めてきたのでしょうか? それは、失ってしまった一人の完成したアダムを尋ね求めてきたということを知らなければなりません。それがメシヤなのです。 それでは、キリスト教がすべての宗教の中心になることができた、その理由は何かというと、イエス様が、自らを「独り子である」と言われたということです。それは、驚くべき言葉です。それは、「神様の息子の中で最初に生まれた息子」ということです。それは何かというと、堕落しなかったアダムが備えるべき位置のことだったのです。 「独り子」というのは何かというと、「神様の愛を受ける代表者である」ということです。それをアダムが完成することができませんでした。そのように、神様が天使長を中心として、僕にアダムを育てさせていたその過程でアダムが堕落したので、神様とアダムとは愛の関係を結んだことがないのです。 願われ、希望の中でアダムは生まれたのですが、愛の相対として、その家庭を代表した長孫として、神様の愛を受けることのできる歴史的な内容を備えることができなかったという事実です。 それを代身して、旧約時代、新約時代、成約時代まで迎えながら息子を尋ね求めてきたのです。そうして、家庭において失ってしまった愛の主人の立場を立てるのと同時に、それを氏族、民族、国家、世界的版図に拡大させていこうとするので、ここに選民というものが出てくるのです。 信じることができない世の中です。堕落していない本然の世界において、僕であるサタンがアダム家庭を占領してしまいました。本来、神様が主人となられるべき主人の立場を、愛を中心としてサタンが占領して主人となったのです。血統を連結したのです。血統です。そうして逆さまになってしまったのです。 それゆえに、女性は歴史上、数多くの愛の夫を……。自分が生まれた赤ん坊時代、それから兄弟時代、このようになります。それから夫婦時代、父母時代、その次は祖母時代、女王時代、これらをすべて失ってしまいました。ですからエバは、それらを復帰しなければならず、そのことは腹中時代、つまり母親のおなかに宿ったときから定められているのです。 エバが生まれるのは、だれのためでしょうか? アダムのためです。アダムの何ですか? アダムの愛のために生まれたのです。そして、愛というものが備わることによって、エバは愛の女王の位置に立つことができるのです。その女王の位置に立つためには、アダムが王にならなければなりません。その王圏というものは、アダムを中心とした王圏ではありません。それは、天地を代表することのできる神様の王圏のことです。 ですから、神様の愛まで連結させることのできるアダムにならなければなりません。そうして完成した愛を定着させ、神様の代わりに「あなたを祝福することができる」と言える夫婦の因縁までが地上に定着しなければ、人間は真の愛の主人の立場を永遠に迎えることはできないというのです。それで、神様はこれを準備されるために……。 落ちるときには、どのように落ちたのでしょうか? 逆さまに落ちたのです。天の国の王圏と天の国の王宮と天の国の忠臣、天の国の法と天の国の王宮法を守るのが「聖子」です。「聖子」は、天の国の王宮法も守らなければならず、天の国の国法も守らなければなりません。ところが、神様の王圏を中心とした皇族圏が撤廃されており、それから天の国の伝統を立てることのできる王家の長孫がいなくなり、すべてが逆さまになったのです。 落ちていくときに、逆さまに落ちていきました。そうして一番最後に残ったのは、万物が残ったのです。万物をつくり、それから人間をつくり、人間をつくって完成し、天の国の王圏、地上の国の王圏、神様まで連結させることのできるものが、すべて逆さまに落ちていったのです。 そうであるからといって、神様が地獄に入っていかれることはできません。地獄に入っていったのは、ただ堕落した人類の祖先と万物全体であり、それが地獄の真ん中に落ちていったのです。ですから、神様の前に一番近いのは万物です。逆さまになったからです。それで、橋を架けて上がっていこうとすれば、人間は万物を崇拝しなければならないのです。 そうしてシャーマニズムによって、ありとあらゆる自然を崇拝したり、山を崇拝したりと、このようにしているのです。このように逆さまに落ちたので、すべてがサタンのものになりました。神様は、手を出す道がありません。愛のためにつくられたこの被造万物であり、愛のために生まれ、存続する万物なのですが、愛の根となるものが切れてしまったので、幹も芽も生じるすべがないのです。分かりますか? 残ったものは、死んだ骸骨のようなものが残ったのであり、神様の愛される人間たちは、すべて地獄にのみ込まれ、水の上に浮かんでいるのは、すべて万物であるというのです。 それで、橋を架けるのですが、それは何でしょうか? 万物を愛することです。そうして再び神様が、万物を愛することのできる位置に来られるのです。それゆえに、「十分の一条」という言葉が出てくるのです。 九数はサタン数です。賭博場に入れば、九数が一番良い数なのです。九数はサタンが好むようになっており、十数のうち最後に一つ残ったこの部分、万物の標題であるこの一つが、神様の愛で対されることのできる糸口として残ったというのです。 このことから、神様が万物の創造を始められたときの、その本性的な心である愛自体についても、同じことが言えるのです。つまり神様は、万物全体に対して「わたしがつくった」という概念を持たれることができないのです。それは、どれほど悲惨でしょうか? 天宙を創造された主人の中の主人であり、愛の王であられ、王圏を立てられようとする、そのような主人自体が、完全に逆さまに打ち込まれてしまったのです。そうして万物の十分の一という条件を見詰め、自分の所有の基準を中心として、血を流す役事を通して万物を犠牲にさせ、今まで血を流させてきたのです。しかし、それはそうなのです。すべての草木はもちろん、動物たち、すべてを祭物の犠牲としてささげるのです。 それでは、神様はどのような主人となられたのでしょうか? ご自身が創造された被造世界の前に、十分の一の主人の立場に立たれたというのです。神様がそのような立場に立たれたという、無念で痛憤なる事実を、皆さん、考えてみてください。 万物を所有したときに、「それは自分のものである」と言って、「世界版図の十分の一を所有した」と主張した場合、そのためには個人的な所有の十分の一、家庭的な十分の一、国家的な十分の一、世界的な十分の一、天宙的な十分の一の所有権へと拡大できる基盤を復帰しなければならないのです。そのようにして基盤を再びつくられなければならない神様は、どれほど悲痛な立場にいらっしゃるのかということを、皆さんは知らなければなりません。 今日のこの世の中で、国を失ってしまった悲惨な皇族がいたとします。行く道がなく、彷徨する彼らには、それでも民族の同情を受けることのできる基盤があるかもしれません。しかし、神様にはそのようなものもありません。万物までも同情することができないのです。すべてがサタン圏内に入っていったからです。それゆえに旧約時代は、万物を割いて祭物としたのです。 そうして、イスラエル選民圏が現れました。そのイスラエル選民という、神様が選ばれた民族というものが現れたので、旧約時代の祭物圏も成立したのですが、イスラエル民族がいなければ、祭物圏を中心としたイスラエル国の万物、イスラエル国の家族の万物を連結させることのできる版図がなくなるのです。 それゆえに、選民圏を捜し立てるために、二千年以降にヤコブ家庭を中心として、複雑な闘争過程の蕩減復帰路程を立てて還元するための基盤の下で、旧約時代は祭物を中心として息子、娘が行くことのできる橋を架けてきたのです。そのようにしながら、祭物的な所有を経て、個人的な祭物圏世界を代表した基盤の上で、家庭的な祭物圏、氏族的な祭物圏、民族的な祭物圏、国家的な祭物圏まで来たのです。 しかし、サタンが国家を中心としてすべてを占領したので、主人の位置を克服するためには、国家的な祭物圏まで行かなければなりません。そのためには、イスラエル選民圏において寵愛されたすべての貴い万物を、まず祭物として考えたというのです。 土地があって農作業をしたり、牛がいたりしたならば、そのすべての良いもの、息子、娘がいれば、良いものはすべて祭物的なものとしてささげなければなりません。そして祭物をささげるうえにおいては、最も良いものを犠牲にして血を流すようにし、そうしてだんだんとイスラエル民族は大きくなっていったのです。 そうすることによって、万物の中で主人的な資格を得、万物の主人としての立場を拡大させていき、旧約時代に祭物の血を流して天の側に立ったのが、イスラエル民族でした。そのような彼らが絶対信仰を持ち、神様を愛する心を持ち、神様の前に心が一致し得る立場で、祭物を神様におささげするのにふさわしいように、精誠を尽くして一つになることによって祭物がささげられてきたのです。 そのような祭物的条件を通して、所有権を主張しなければならないという、その神様の悲痛な事実。神様は、万物を通してアダム、エバをつくられました。それゆえに万物を犠牲にして息子、娘の道を開いてこられたのです。そうして個人から家庭を超えて、国家的基台、ローマ帝国を相手として、二千年歴史を切り開いて国家形態と家庭的形態をつくられたのです。 しかしそれは、純粋な「真のオリーブの木」ではありません。「偽りのオリーブの木」です。血統が違うのです。分かりますか?それで、万物と一体となることのできる基準が、国家基準からサタン世界としてのローマとなり、そのローマにあるすべての万物よりも神様が愛されることができ、神様の代身として息子の位置で愛することのできる万物をつくることが求められました。そこで、神様の前にその万物を接ぎ木しなければならなかったのが、イスラエル民族だったのです。 ですから、イスラエルが所有したすべての万物があり、息子、娘がいて、家庭があるならば、それはイスラエル民族の所有ではないのです。イスラエル民族の所有となるためには、まず神様の所有として認定され得る過程を経なければならないのですが、神様の所有圏の決定的判決は、イスラエル民族をもってしてはできません。それは国家なのです。 皆さん。原理主管圏内において、直接主管圏と間接主管圏の限界線は、蘇生圏、長成圏が国家基準なので、サタンは国家を中心とするのです。ですからそれは、神様が摂理上、復帰なさろうとして立てられた宗教、天の前に帰ろうとするすべての人々にとっての怨讐になるのです。芽さえ出れば、切ってしまうのです。 それゆえに、宗教と政治は怨讐となり、サタンは国家形態というものを置いて、政治というものを中心として多くの血を流してきたのです。それは、なぜでしょうか? 祭物は血を流すからです。祭物に適さなくなれば、その実体が祭物にならなければなりません。 それで、旧約時代に万物の犠牲を通して、神様の所有圏を守ることのできる主人の位置を占有するのです。主人の位置は、天使長よりも高くなければなりません。分かりますか? 祭物をささげることのできる祭司長は、天使長世界の愛以上の位置に立たなければ、天使長世界にいるものよりも高い位置に立たなければ、神様は手を触れることができないのです。 それが原則であり、すべてのものは、そのようになっているのです。それゆえに、祭物とは何かというと、所有を決定するための条件物なのです。そこに「絶対信仰」、「絶対愛」があるのです。神様が創造されたのと同じです。その時代も同様です。 祭物に対する人も、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。なぜ、そうでなければならないのでしょうか? 神様ご自身が創造なさって出発されるとき、全知全能の神様が語られたならば、間違いなくそのとおりにそのまま成されるというのです。み言のとおりに実体が生まれるのです。 神様は、「絶対信仰」をもって創造されたのです。自分が「このようにする」と言えば、その言葉のとおりになるのです。霊界に行っても、そうなのです。「絶対愛」の心情を持って言えば、自分が願うとおりにすべて創造してみせることができるのです。それは、なぜでしょうか? 神様の伝統がそのようになっているからです。 「絶対信仰」を中心として三大原則です。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。「絶対信仰」には、「絶対愛」がついてくるようになっています。今日の堕落した世界でも、新しく結婚した夫婦が出会って約束をするとすれば、「私を絶対に愛しますか? 絶対に信じますか? 心と体で私を信じてください」と言い、「絶対に信じますか? 私の体を信じ、私の心を信じますか? 心と体が一つになったことを信じますか?」と言うのです。結婚した人々が、出発当時にお互いに決意したいことは、そのような心なのです。それは、なぜでしょうか? 「絶対信仰」の中での「絶対愛」なのです。 そのために、祭物的なイスラエルの二千年歴史を経て、イエス様が来られるときまで待ったのです。イエス様はどのようなかたであられるのかというと、イスラエルの祝福圏の上に来られたかたなのです。ローマの国に対抗することのできる主権はありませんが、民族的な所有物はどのような万物よりも、どのような人よりも一つになって愛する基準があるのです。 それは、天使長よりも高くなることのできる孝子の位置であり、忠臣の位置です。そのときは、聖人ではありません。忠臣の位置です。聖人は世界を代身するのです。ですから、忠臣の位置まで出ていかなければなりません。 そして、サタン世界における今までの四千年歴史の中で、どのような国の忠臣、国の孝子以上に、その国の主権を愛し、その国の人を愛し、その国の万物を愛するのです。 「国」というときには、主権がなければなりません。主権の中心は何かというと、真の愛です。真の愛を中心とした国家形態、真の愛を中心とした国です。 真の愛には、神様が介在して入っていかれなければなりません。今日の堕落した世界では、「真の家庭を成して暮らしている」と言っています。しかし、「それでは、あなたの家庭に神様は介在していますか? そして真の父母が介在し、神様の血統と真の父母の血統が介在している夫婦なのですか? あるいは今、デートしている相手なのですか?」というとき、そうでなければ、すべて地獄に行くのです。分かりますか? 「真の愛」というときには、何が介在しなければならないのでしょうか? 真の愛を通して、真の生命が連結されなければなりません。真の生命とは何でしょうか? 父親と母親の生命を結合させることのできる力は、母親の力でもなく、男性の力でもありません。父親と母親を一つにすることのできる根本的なものは、愛の力であるというのです。 男性と女性は、なぜ一つになるようになっているのでしょうか? 根本的な愛の力で一つになることのできる創造的原則があるので、男性と女性が死に物狂いになるのです。初愛の喜びが発展して、無限な神様に侍って暮らすとき、神様が私のことを逃がすことがないように、千年、万年ついてまわることのできる愛の相対的価値を備えるべきです。それが、男性と女性が愛する相対圏なのです。 そうであるにもかかわらず、この相対圏が堕落したその日から、上がるのではなく落ちていき、動物的な愛以下の醜態を演じ、めちゃくちゃに堕落したのです。最近では何と言うのですか? 「フリーセックス」ですか? エデンの園に「フリーセックス」という概念があったでしょうか? 狂った者たち、それらをすべてごみ箱に入れて、火で燃やしてしまわなければなりません。 また、ホモです。ホモとは何ですか? 男性同士で愛の行為をするのですか? それは何をもってするのですか? レズビアンが、女性同士で愛の情欲の行動を成し得るのですか? 何をもってするのですか? 深刻な問題です。エデンの園にフリーセックスがあり、ホモやレズビアンがいたのかというのです。アダム一人、エバ一人の二人しかいないのに、そのようにしようとすれば、動物と関係を結ぶしかないというのです。 動物よりも卑賤な人間になってしまいました。このごみのような者たちを、一度に火で焼いてしまわなければなりません。地獄の落とし穴に、一度にすべて入れて、大切なものだけ残して、がらくたや不合理なものは、すべて地獄の穴に投げ入れるべき、そのような人間像になったというのです。 神様が、ここに手を触れられることができるでしょうか? エデンの園では、アダム、エバが純潔な神様だけを信じてついてきたのです。その中で、偽りの主人と因縁を結んで追放され、逆さまに差し込まれたそのような人間像に、また、そのような堕落した世界で結実した人間世界に神様が介在されることはできないのです。それは、原理原則であらざるを得ません。そのような事実を知らなければなりません。 しかし、これを救ってあげるために、神様は再創造の役事をしてこられたのです。そのために数多くの宗教があるのです。儒教のようなものは、「元亨利貞は天道の常であり、仁義礼智は人性の綱である」といい、「三綱五倫」を説きましたが、「天」という人格的な神のことが分かりません。今の中共がそうです。「神」というものを「宇宙を運行させ、原則的な作用をする、その本体である」と漠然と考えていますが、神が人格的な存在であるということが分からないのです。儒教はそうなのです。 「三綱五倫」の中において、「父子一身」、「夫婦一身」と唱えていますが、「兄弟一身」とは唱えていません。平面的な思想しか分からず、人格的な神を知ることのできる内容がありません。 また、仏教は「法」を説きます。自然現象が動く、そのすべてのことを結果を中心として論じているのです。ここには「闘争概念」があります。仏教は、そうなのです。自然のすべてのものについて、「弱者は強者の前に犠牲になっていく」ととらえるのです。 実際に、すべての現象的な立場は、そのようになっているのです。そのように説きつつ、霊界は雑霊界に通じているのです。多くのシャーマニズムが、そのような基盤から生じてくるのです。イスラム教は、イエス様が亡くなられた後のバラバを中心としたものであり、イスラエル十二支派の選民圏を奪い取りました。 そのような宗教の中に四大宗教があるのですが、この四大宗教の中で、どの宗教が神様のみ旨に残るのでしょうか? それは、神様がおられる限りは、愛を中心として、人格的「神人愛」を中心として主人の位置に行こうという宗教が、人類歴史において世界を収拾することのできる一つの中心宗教にならざるを得ないというのです。 メシヤには、二人がなることはできません。メシヤは一人です。メシヤとは何かというと、「真の父母」のことをいうのです。アダム家庭において、アダム、エバが成し遂げることができずに追い出された、その起源的な根本を充当して、神様をお迎えすることができなければなりません。 追い出された神様は、追い出されていない息子、娘よりも、死んだ息子、娘が生き返ってきて、「死ぬ前の息子、娘よりも千倍、万倍良い」と言うことのできる息子を喜びをもって迎えることなくしては、手を挙げて喜ばれて、万歳を叫ばれることはできないのです。人類は、そのような、とてつもない過ちによる死亡の波を神様に被らせているのです。そのことを、今まで知らずに生きてきたのです。 ですから、どこに行っても嘆息しかありません。生まれながらにして嘆息であり、生きていながらも嘆息であり、行きながらも嘆息であり、死んだならば、さらにもっと嘆息なのです。死んでみると、二またの道があり、天国と地獄が間違いなくあるのです。これをどのようにして収拾するのでしょうか? そのようなものを見詰めているサタンは、「神様がいくら優れておられるといっても、このようにめちゃくちゃになった世界に、あなたの愛の理想を成し遂げることができ、長子権の愛の理想、創造本然の基準に一致することのできる家庭と国家と世界を、このように滅んだ世界の上に成すことはできません。ですから、神様は苦労なさらずに、今からでもアダムの代わりに私を立ててくだされば、アダム以上に私が孝誠することのできる道を知っています」と言うのです。 アダムがいません。アダムといっても、「おい、こいつめ! と言われて、追い出されてしまうアダムであるというのです。そのような、さんたんたる讒訴を受ける歴史時代を経てきたというのが事実なのです。 王が怨讐に捕まえられていって死ぬときには、敵側の王に直接、殺されるのではありません。一番の悪党に殺されるのです。そうではないでしょうか? 神様もそのような冷遇を受けてこられたというのです。そのような天に侍るべき忠臣の姿勢と孝子の姿勢、聖人、聖子の姿勢というものが、どれほど厳粛なものでなければならないかということを、皆さんは考えてみましたか? めちゃくちゃです。 皆さん、今日の堕落した世界の人間たちが……。大韓民国が天国なのではありません。いくら祈祷しても、神様が「よし! 私が願っていた祈祷だ」と受け入れることはできません。また、私たちが願ってきた「所願成就」を知ることのできる存在、それを神様の位置にまで届けて、人々を結束させることのできるような存在が、だれもいないというのです。ここはサタンがふさいでいます。サタンが破壊してしまったのです。 サタンは、血統を通しては人類の父の立場に立ちましたが、それは怨讐の国の王を泥棒してできた息子、娘と同様です。しかし人間は、愛するときには祖先を尋ね求めていくのです。本性の愛の起源は天に通じているために、本当の父母の心を持って愛するようになれば、自分でも知らずに神様を尋ね求めていくのです。 血統を見れば、サタンの息子であるのにもかかわらず、そのような怨讐の中の怨讐の子女を育て、これを売ってしまうために……。売ってしまおうとしても、売ってしまう所もありません。こうして、神様が願われる地上天国理想を滅ぼすために、根本的に絶滅させるための悪業をサタンがするのです。 ですから、終わりの日とはどのような日なのでしょうか? エデンで起きた惨状が、そのまま世界化された世界になるのです。昔のエデンにおける、神様の悲惨な立場とは、どのようなものであったのでしょうか? それは、息子、娘を追放してしまわれなければならなかったことです。 今、神様が大韓民国に来られるとしたならば、大韓民国にいる四千万、北韓まで合わせて七千万の民を中心として、神様が「自分の息子である」と言われることのできる人はいません。これは、アダムよりももっと悪いので、地獄の中の地獄に投げ入れなければなりません。 このような恨に満ちた歴史をすべて整理し、本然の神様が主人になられることのできる、愛の主人となられることのできる世界を取り戻し、創造当時の「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を取り戻さなければなりません。 ところで、なぜ、「服従」なのでしょうか? 愛の相対は、自分よりもりっぱであることを願うのが天理です。それは「原理」ではありません。「天理」なのです。「天理」は、神様の法のことをいうのです。 皆さん。若い男女が結婚するときは、自分の相対が自分よりも劣っていることを願いますか? それは千倍、万倍、億千万倍、無限な億千万倍の存在になることを願うのです。そうでしょう? それは何かというと、妻と息子、娘のことです。 人間の願いの中で、最終的な願いとは何でしょうか? 人間が、自分よりも億千万倍優れていることを願うものが何であるのかというと、それは自分の相対と息子、娘なのです。それは正しいですか? 皆さん全員、そうでしょう? いくら醜女としてこの世に生まれたとしても、自分の相対には王の中の王を願い、最高の美男子の中の美男子を願っているのです。 それは何かというと、神様がそのような立場にいらっしゃるので、そうなのです。相対的理想は絶対者であり、一人しかいらっしゃらない神様であられるのです。また、神様が相対されることのできる相対も、絶対的に一人なのです。その絶対的に一人であるものが、神様よりも劣っていることを願ったりはしません。神様よりも億千万倍りっぱであることを願っていらっしゃるというのです。 それでは、私たち人間のそのような属性は、どこから出発したのでしょうか? それは、神様に似たのです。堕落したとしても、十六歳まで育ったアダムの心の本性の基準には、神様に似た性質がすべてあるのです。それは電気に関連づけてみれば、絶縁体をかぶせられて作用できないということと、全く同じであるというのです。このような驚くべき事実。 このような問題を、今日、先生は幼い時から研究し、霊界とぶつかりながら、このようなすべてのことを尋ねていったのです。その「全勝的な記録」が原理のみ言であるということを知らなければなりません。それは、漠然とした言葉ではありません。 李相軒氏も、この地上で生きながら、先生を百パーセント信じることはできませんでした。「右手は霊界をつかみ、左手は地上をつかんで、逆さまに戻さなければならない責任が真の父母にある」という言葉を、「それが何のことを言っているのか?」と思いながら、信じることができませんでした。 真の主人に侍ることのできる最初の人は、だれでしょうか? 神様が心の位置にいらっしゃるとするならば、神様の心を中心として、神様の体がまず侍らなければなりません。そうでしょう? そうではないですか? 私たちの心と体は、二重的な人格になっています。心は何ですか? 縦的な主人です。神様の血統を受け継いだからです。体は何ですか? それは完成したアダム、横的な血統を受けた「私」です。 仏教でいえば、「良心とは何か?」と座禅をしますが、仏教では、それが何なのか分かりません。「私」には、二人の主人がいるのです。一人は、垂直に受け継いだ神様の血統ですが、神様の血統だけがあってもいけません。 神様の血統を中心として、垂直線の前を横切って東西南北に分かれ、すべて中央の垂直線に通じることができ、垂直線に連結されている水平線があるのです。それは皆、垂直線と九十度になっています。 東も、西も、南も、北もすべて九十度を中心として、一つの垂直線を中心として、距離が同じ円形になるときには、すべてがイコールなのです。それは、電気を流しても負荷がかかりません。どこに行っても、百ボルトなら百ボルトの電気がそのまま流れていくのです。 それゆえに平等であり、標準であり、同和するというのです。南は「北が分からない」とは言いません。そして上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦が、すべて自分の相対的関係を中心として和解し、授け受けすることができるように自然的な循環環境が成されるので、負荷がかからないのです。 このような言葉は電気の用語なので、よく分からないでしょう? しかし、高等学校さえ出ていれば、皆、分かるのです。このように見るとき、神様はどのようなおかたなのでしょうか? 私たち人類の先祖です。皆さん、そのことを知らなければなりません。 神様は、どのようなかたであられるのかというと、「本性的父親」なのです。分かりますか? 堕落前のアダムとエバが、そのまま堕落せずに、神様の天理的なすべての愛を一人で受けることのできる独り子、独り娘の立場に立って、その立場で呼ぶ父親が神様なのです。 海に行けば、鮫なども、その種が生じてから二億五千万年、鯨は二億年以上です。大きい動物は、そのような長い歴史時代を過ごしてきたのです。二億五千万年です。地球の年齢は、四十五億年から四十七億年までとされています。 そこで、神様が万物の主人である人間をつくられるうえで、その必要条件として巨大な万物をつくられたのが二億五千万年前であるとしてみましょう。そうであるとするならば、万物の主人を迎える準備のために費やしたその二億五千万年を度外視して、アダム、エバを今から六千年前につくられたというのでしょうか? それは、見当外れも甚だしいことです。 それでは、二億五千万年前に万物をつくられたとするならば、神様は万物をつくられた後、その主人たり得るアダム、エバを今から、何年前につくられたのでしょうか? 動物の主人を立てるのですが、準備したその動物を管理することのできる主人をつくろうとすれば、管理者を直接、すぐに立てられたでしょうか、何億年も過ぎた後に立てられたでしょうか? 考えてみてください。そのように考えれば、人間の創造は、今から何千万年前のことなのです。 このような根本的な問題を知らないのです。無知で堕落したので、無知の歴史を経て、数多くの蕩減的歴史を経てきました。そうして選民圏を立てるために、今から四千年前にイスラエル民族を立てたということを考えたならば、人類の誕生から四千万年以上の歴史が過ぎていったということを考えなければなりません。 ですから、イスラエル選民を中心として、イスラエル民族が持っていたすべての万物、息子、娘、自分の家族は、自分のものではありません。祭物としてささげなければならないものなのです。分かりますか? 神様の所有権というものは、血を流さなければ、血を流して、それに対して十分の一に該当する精神、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」に一致することのできる立場に入っていかなければ、今後において神様が選ばれたイスラエル民族の所有権にはならないのです。それゆえに、祭司長には所有がありません。分かりますか? (「はい」)。祭司長に所有観念があれば、祭物をささげることはできません。 今日、なぜ祭物が生じたのでしょうか? それはどれほど悲惨なことでしょうか? 天地を創造された神様が、この条件によって恨に満ちた蕩減を受けられなければならないのです。そうしてサタンの讒訴を受けてこられたのです。 このようにして万物祭物時代を経て、万物を祭物としてささげることを架け橋としてきたのです。どこからでしょうか? 天使長復帰です。僕の位置から復帰するのです。天使長を復帰しようとすれば、僕の僕の位置に行かなければなりません。しかしそれは、気の遠くなるようなことです。 天地を創造された主人であり、大王陛下であられる神様が僕の僕となられ、僕に対して王様に侍るようにしなければならないのです。僕に対して王様に侍るように対するとき、僕の僕はそこで口を開くことはできません。愛でこれを引っ繰り返すのです。その僕は「忠臣」であるので、主人のために死んでいけば、あとには息子、娘がいません。天使長には息子、娘はいないのです。所有権がなく、家庭もありません。 ですから、そのような自分を愛してくれるものがあるとするならば、それをすべてだれに回してあげるのかというと、自分のことをよりもっと愛する人に回してあげなければならないという原則があるのです。それ以外には、行く道がありません。愛の形式を、枠を抜け出すことはできません。より愛する人が主人にならなければならないのです。 ですから、僕の僕に侍られた神様が、僕の世界のだれでも……。そうして三年を過ごし、七年にもなれば、その世界で僕の一族がいたとすれば、その僕の一族の中で半分以上が神様の側に帰ってくるのです。 僕の僕なので、ありとあらゆることをすべてするのです。怨讐のように扱うのです。しかし、怨讐のように扱われるのを耐えて克服することによって、その僕の息子、娘と僕の僕たちがだれの側になるのかというと、こちら側になるのです。分かりますか? 世の中に、そのようなことがあり得るでしょうか? 何が間違ったことによって、このようになってしまったのでしょうか? すべてのことを主人以上に精誠を尽くし、主人の息子、娘を愛するのにおいても、主人よりももっと愛しているのに、それに対してサタンは、それほどまでに怨讐のように思うのです。しかし、そのことによって、サタン側にいた人がすべて神様の後ろに帰っていき、それが半分以上になるのです。 長子は反対します。それは、アダム家庭で次子を殺したからです。その次子が神側になるのです。長女は反対します。そして次女は、神様に対して父親以上に侍り、「神様のような夫や妻になればよい」と思うというのです。 それが伝統となり、神様のみに反対していた家庭全体が、神様の側に帰ってくるのです。忠誠にあふれ、サタン世界のだれよりも愛を尽くす人に反対するのですから、時間がたてばたつほど、サタン側の人は完全に、神様の側に帰ってくるのです。 より愛する人が主人になるのです。分かりますか? (「はい」)。より愛する人が主人になることが天理なので、神様の救援歴史は、サタンの息子、娘となったものを、その親であるサタンよりももっと愛して、サタンの僕までも愛する役事をしてこられたのです。そのように愛することができる道をたどり、主人である僕以上の位置を超えなければ復帰してくることができないという、そのようなみ業をなしていらっしゃるのが神様であられるというのです。このようなことをだれが考えるでしょうか? このようにするので、闘わずに、サタン側の僕の僕の立場から、サタン側の孫とサタン側の子女、すべてが従うようになるのです。ですから、息子、娘が抗議するのです。「お父さん、なぜ、反対するのですか?」と。必ず、自然にそのようになるのです。 主権も誤れば、必ず反対党が出てきます。反対党が出てきて、逆さまに打ち込まれるようになっているのです。与党が誤れば、野党が激しく打って、逆さまに打ち込むようにするというのです。 それでは、何をもってそのようにするのでしょうか? お金の力や、政治背景の力をもってするのではありません。神様の戦略戦術は、愛をもってより愛し、より投入して忘れ、打たれて忘れる中で、「より愛した」という立場を立てることによって、打たれた相対的比率で損害賠償まで添付して復帰してくるというものなのです。それが復帰摂理の路程なので、神様は血を流されれば流されるほど、滅びるのではなく、世界を復帰してこられたというのです。分かりますか? しかし、祭物歴史を蕩減することができませんでした。万物祭物時代、旧約時代を全うすることができなかったのです。それでイスラエル民族は、ローマに対抗することのできる位置に立って、それを復帰しようとしたのです。イスラエルの国はカインの位置であり、ユダヤ教はアベルの位置です。そうして、カインがアベルを殺したその反対の基準を、イスラエルの王が、来るべきメシヤを王として侍ることのできる伝統を立てることによって、その基準を立てようとしたのです。しかし、そのみ旨を、イスラエルの王とイスラエル民族、そしてユダヤ教は分かりませんでした。 見てください。メシヤが来られて、どこで暮らすのでしょうか? 王の中の王が来られるというのに、王が来られるならば、それは人として来られるのに、この者たちは、王が暮らすことのできる王宮として土の家一つでもつくっておきましたか? そのことを考えなければなりません。 四千年歴史をアダムを中心として綴り、やっとメシヤとして送られたかたが地上の王の中の王になろうとすれば、宮殿をつくるのにおいても、ローマ帝国の王宮以上のものを精誠を尽くしてつくらなければなりません。 その日が来ることを、骨髄が溶け出してしまうほどに待望し、生きて血を流す代わりに、血と汗を流して代身することのできる生きた祭物にならなければなりません。しかし、メシヤが来られて滞在することのできる、そのような王宮建設を忘れてしまったというのです。 それでは、主が来られて何をしなければならないのでしょうか? 結婚式をしなければならないでしょう? 来られる主は、家庭を連れて来ますか、王女を連れて来ますか? 一人で来られますか、二人で来られますか? (「一人で来られます」)。一人で何をしに来られるのですか? 来られたならば、だれが準備をしなければなりませんか? その家庭をつくることのできる全般的な準備をしなければならないのが、イスラエル選民なのです。この者たちが責任を果たすことができなかったので、今日、世界に追われる哀れなユダヤ人たちの行く道は今後、問題が大きいというのです。 今、私がしていることは、ブリッジポート大学を中心として、ユダヤ人とキリスト教徒を一つにして、イエス様が何者であられたのかということを再検討し、「イスラエルの王として来られたのだ」ということを原理を通して教えてあげることです。 そのことによって、今からでも、亡くなられたイエス様を自分の国の国王にできなかったことを嘆息して悔い改め、王として侍ってこそ、イスラエル民族はその位置に落ち着くことができるというのです。 キリスト教も同様です。再臨主が雲に乗って来られるのですか? 雲に乗って、どのようにして来られるというのでしょうか? 二千年前に「雲に乗って来られる」と言ったということは、どういうことでしょうか? 「雲に乗って来る」ということは、「飛行機に乗って来る」ということの例えとしか考えられません。分かりますか? 汽車のことを何と例えましたか? 「鉄の馬」です。電話のことはどのように言いますか? 「鎖のひもを通して、地の果てまで話をする」というのです。ですから、そのように象徴的に表現したのです。二千年前、そのようにキリスト教に教えたのです。「飛行機に乗って来る」ことが、「雲に乗って来る」ということなのです。 それを解釈すれば、飛行機に乗って国境を思いどおりに往来することのできる時は、「主が来られる時」であるということになるのです。そのような解釈をしなければならないはずなのに、それでもまだ「雲に乗って来る」というのでしょうか? 『格菴遺録』では、飛行機のことを何と言いましたか? 「船のようなものが火をつけて、空中を飛んでいく」と言ったのです。象徴的に、それ以上は表現することができないようになっているのです。これは深刻な問題です。 二千年前に預言した「雲に乗って来られるしかない」という言葉は、その時の預言の言葉の中では、最高に適切な言葉であったのです。それなのに、雲に乗って、実際にどのようにして来られるというのでしょうか? 見当違いも甚だしいのです。文総裁くらいに霊界のことを知っていますか? 何年前だったでしょうか? 韓国で「雲に乗って主が来られる」と言った、怪しげな団体があって、そのようなことをしたでしょう? 文総裁を訪ねて来ていれば、すべて解決されたのです。 ですから、既成教会で一番の怨讐が私です。しかし怨讐ではありません。既成教会はカインの立場なのですが、彼らが殺したくて、また殺したくて、世界的に殺したかったのが文総裁なのです。 カインがアベルを殺したのと同様に、神様の家庭を亡ぼす殺戮戦を中心とした場合、世界を代表したアベルであり、王圏を受け継ぐことのできる後継者、長孫が出てきたのであり、サタン世界全体が転覆しかねない危険千万な代表者が出てきたので、消してしまおうとしたのです。 キリスト教が共産党と一つになるなどという論理が、どこにありますか? あきれてしまいます。最近でもそうです。ローマ教皇庁と新教(プロテスタント)老会長(=長老教会の老会の会長)が、文総裁に反対するために一つになりました。 南米では、新教と旧教が一つになって「文総裁を追放しよう」と言っているのです。しかし、そのような時代は過ぎ去りました。いくらそのようにしても、先生を妨げることはできません。 そうしてアルゼンチンでは、カトリックが旗を立てて叫んでいます。そこには、宗教大臣がいるのです。それで、このようなすべての者に激しく対峙するのです。「この者たち、民衆を欺瞞して詐欺を働いていた者たちは溶かしてしまうのだ」というのです。 この韓国もそうです。先生は、そのようにできる力を持っていますが、しかし、そのような力ではやりません。自然屈伏です。分かりますか? 文総裁がどのような人なのか、その根を抜いてみると、韓国人であると思っていたのに、白人の頂に木を植え、体に根を張って育っているというのです。米国に住んで五年もすれば、米国はその溶鉱炉でもってその人を溶かして、米国化してしまうというのですが、米国の中にいながら米国化しないのがレバレンド・ムーンなのです。 二十年以上過ぎても、いくらやっても統一教会の人を米国化することはできません。米国人を統一教会化させようとすれば、いくらでもすることができます。共産党員を統一教会化させることはできますが、本物の統一教会員は共産化させることはできません。そのとおりですか、そのとおりではないですか? (「そのとおりです」)。愛の力は、怨讐も座って溶かしてしまうのです。 世の中で最も恐ろしいものは何かというと、それは小さな女性です。女性たちは、たとえ相手が将軍であっても、世の中で一番の恐ろしい男性であっても、それを普通に思っているのです。そのような人の横にいながら、「恐ろしい」と思っている女性というものを私は見たことがありません。女性たち、そうですか? か細く見えるのですが、将軍であれ何であれ、すべてそよそよとやり過ごしてしまうのです。 世の中で最も恐ろしい人はだれなのかというと、最も恐ろしいかたは神様でもありません。神様はサタンを除去なさることができません。サタンがいくら巧みであるといっても、神様を除去することはできません。分かりますか? サタンと神様の闘いをだれが止められると思いますか? 神様は知っています。それがメシヤなのです。 神様とサタンの闘いをだれが止めるというのですか? (「メシヤです」)。神様も止めることができず、サタンまでも止めることができません。メシヤが現れて、分けてあげなければ、この闘いを終えることができないのです。 人間は、その価値として飛翔天(=最高)の価値を持ったということを知りませんでした。飛翔天とは、天地の頂上のことです。ですから、神様とサタンの戦争を止められる人はだれなのでしょうか? (「メシヤです」)。メシヤとは何ですか? (「真の父母です」)。真の父母なのです。 今日、統一教会の食口において、「家庭的メシヤ」という言葉があるでしょう? 家庭的メシヤを知っていますか? 答えてください。知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。それから氏族的メシヤです、それから何ですか? (「国家的メシヤです」)。それから何ですか? (「世界的メシヤです」) 再臨主は何かというと、世界的メシヤです。サタン世界を復帰するために来られたので、サタン世界の一番の弱点をすべて知っているのです。また、神様がサタン世界と闘って勝とうとされる、そのような神様の長所も知っており、神様の弱点も知っており、サタンの長所も知っており、サタンの弱点も知っているのです。 それは、なぜでしょうか? 歴史上において失敗した、国家理念であるとか世界理念の強弱のすべてを知っているのです。それゆえに、サタンの処理方法、神様の解放の方法を知っているのです。 神様を解放してさしあげなければならず、サタンも処理しなければなりません。そうして人類は、二つの世界の間での闘いを止め、アダムが偽りの父母になって地獄に送られたものを天上に引き上げて神様に侍り、そこに入っていくべき使命があるのです。 それが求道の使命であり、宗教を立てられた神様のみ旨であったということを知らなければなりません。それが神様のみ旨であったのです。(「アーメン」)。アーメン。 そこが、初めて「真の主人」に侍る位置なのです。世の中に勝ってこそ、「真の主人」に侍るようになるのです。堕落の因縁は、愛を中心とした血統を通して成されたので、純潔な愛を中心として純潔な男性、女性となり、純潔な神様の血統と完成したアダムが一つにならなければなりません。 そうして神様の愛の焦点と人間の愛の焦点が一か所に集まり、一つがプラスならば一つはマイナスとなり、プラスは男性であり、マイナスは女性ですが、プラスの生命体と女性のマイナスの生命体が愛によって一つになって、血統が交わるのです。 「るつぼ」という言葉があるでしょう? 溶鉱炉とは何でしょうか? 男性と女性の血が、るつぼで溶けて混ざる位置はどこでしょうか? それはどこですか? (「生殖器です」)。何ですか? 生殖器です。「生命を植える器」のことを「生殖器」という(「殖シク」と「植シク」の発音が同じことから)のです。それが愛の本宮です。そこが、神様の愛が芽生えることのできる出発の園であるということを知らなければなりません。神様の愛を中心として、神様の性相、形状の生命体が愛によって溶け、そこで実体となったアダムと無形の神様が一つの体となるのですが、それがその位置なのです。 そうして縦的な最高の愛と横的な愛のすべての根が連結され、内的な「縦」は心の基準であり、横的なものは外的体の基準で結託し、神様の血統の相対的実体として生まれたのが、アダム、エバが完成した家庭であったのです。 先生が最も悩んだことは、「どのようにして神様の愛と人間の愛が一つになるのか」ということでした。「一つになる交差点はどこか?」それをどれほど悩んだか分かりません。その答えは簡単です。「真の愛は、直短距離を通る」ということです。そのことが、どれほどありがたいか分かりません。愛は、直短距離を通るというのです。 それでは、縦的な愛と横的な愛による宇宙の構成、このすべての構造的な形態を定着させることのできるものが縦横になっていなければ、定着する道は永遠にないというのです。分かりますか? (「はい」) 私たち人間にも二つの目があります。この二つの目は、縦的にすべて合うようになっています。この鼻筋を見て、これが真っすぐになっているかどうかで、長寿できるか、裕福に暮らすことができるのか、すべて分かるのです。この目と連結されて、その基準に合わなければなりません。 この鼻は、アダムとエバのことを表すのです。鼻は、中に入れば一つになっているのです。この鼻を通して、すべてに通じるのです。一度、鼻の穴をふさいで鼻をかんでみてください。すると、目にも耳にも空気が通るのです。ですから、アダムとエバを通して、天上世界、地上世界、どこにも通じない所がないということなのです。 それを一日に一度、やってみてください。鼻をしっかりとつまんで、息んでみてください。目からすーすーと空気が出てきて、耳からも出てくるでしょう? 鼻はもちろんのこと、口からも出てくるのです。通らない所がありません。 口は横的なので、腹中時代は水を飲まなければなりません。四分の三が水です。鼻は空気世界に当たります。それで人間世界の空気を吸うのです。ですから、水の中では目、耳、鼻、五官は必要ないでしょう? 水の中では、五官は必要ありません。ですから、目をつぶって身動きしないのです。 腹中で十か月育つ間、水を飲んでみましたか? 鼻で息をしてみましたか? 息をしたら、死んでしまうのです。即死です。では、それは何のために必要なのでしょうか? それは、次の人生のためです。 今回のお母様のみ言の中に、そのようなことがすべて出てくるでしょう? それから地上世界は、「水のふろしき」ではなく「空気のふろしき」に囲まれているのです。「空気のふろしき」の中では、何をしなければなりませんか? 「水のふろしき」の中(胎中)では、空気の世界で暮らすための五官を備えました。 ところで、霊的五官というものがあるのです。天の国の愛の理想を吸収することのできるものが、耳と目、すべてが死の峠を越えるようになるときに連結されるのです。そこは無限な世界です。 この宇宙の星の世界は、皆さんが将来、そこに行って暮らすことのできる旅行地です。朝食を食べ、昼食を食べて散歩する庭なのです。分かりますか? そこでは自分が主人なのです。 霊人体は、太陽の中にさえ旅行に行くことができます。火の中でも燃えません。それを知っていますか? 知っていますか、知りませんか? (「……」)。知らないようですね。知っていますか、知りませんか? (「知っています」) それでは今、神様が現れたら、皆さんはまず出会って、何と言うのですか? 出会って何と言うのですか? 男性たち。(「……」)。何と言うだろうかというのです。「お父様」と言うのでしょうか、「お兄様」と言うのでしょうか? (「『お父様』です」)。神様に出会えば、「神様、お父様」と言うのですか? (「はい」) 「お父様」と呼ぼうとするならば、そのお父様の息子たちも、父親になることのできる位置に立っていなければなりません。アダムに息子、娘がいますか? 父親になれない者が、どのようにして父親になるのでしょうか? 分かりますか? (「はい」)。そのことは分かるでしょう? それでは、神様を何と呼ばなければならないでしょうか? 「神様、神様! 天地を創造された無所無在、無所不能な神様、お父様! と、そのように言うのですか、何と言うのでしょうか? 神様は、「内的なお兄様」なのです。それは、驚くべきことです。何ですか? 先生は今、何と言いましたか? それでは、「内的なお兄様」になられる前には、何になられるのでしょうか? それは、双子として胎中に一緒にいた赤ん坊です。双子です。ですから、双子の赤ん坊として生まれなければならないのです。 それゆえに、神様は何であられるのかというと、「見えない私の双子のお兄様」であられ、赤ん坊時代、乳児時代における「見えないお兄様」なのです。変わったことを聞いたでしょう? このことをすべて知らなければなりません。 神様は、どのようなかたですか? (「内的なお兄様です」)。神様も、そのように育ってこられたというのです。見えないように乳児時代、兄弟時代、成長した結婚時代、父母時代を過ごされ、父母時代になってアダムとエバを創造されたのです。 そうであるならば、アダムも同じです。息子、娘を中心として、腹中に赤ん坊を宿した時代がなければならないとき、神様はアダムの先祖と同じ位置に上がるのです。神様がアダムの体の中で、兄の位置を経て父の位置に上がっていかれるのです。 父の位置に上がっていかれるのには、乳児時代、兄弟時代、それから夫婦時代、父母時代を経て父になるのです。その前までは、「兄」と「弟」の位置なのです。変わったことばかりを話すでしょう? 調べてみてください。そのとおりであるというのです。 霊界に行けば、皆さん、そうでしょう? アダム、エバも神様に対して「お父様」と言い、その数千万代の後孫である皆さんも、神様に対して「お父様」と言うでしょう? 「神様、お兄様」と祈祷しますか、「神様、お父様」と祈祷しますか? それでは、お父様には何がなるのでしょうか? 霊界に行けば、何がお父様になるのでしょうか? それは、お兄様です。そのお兄様とは何でしょうか? 私よりも先に生まれたお兄様のことです。私よりも先に生まれた「内的なお兄様」が神様であられ、「外的なお兄様」が父であるというのです。それ以上の理論を立てることはできないということを知らなければなりません。 神様が勝利し、サタンが屈伏しました。サタンが神様に屈伏し、神様は、歴史始まって以来初めて、ついにこのように宣言されたのです。「おい、サタンよ! ヤハウェの名によって、わたしが勝利したすべての祝福家庭が数億の基台となって、人類の半分以上を超えたので、わたしが現れることのできる基盤ができた。 今からはもう、白昼に立っているすべての罪人は、日の光を避けることのできない時代に入ってきたので、ついにサタンよ、おまえ自体の影がない世の中にし、おまえの罪状と神様の悲しみがすべて明らかになり、人類の前に隠すことはできなくなった。 今から国家を復帰していかなければならない道が残っているので、その期間におまえが少しの条件でも完成し、国家を建てることのできるアダムの道を協助できなかったことに対する条件だけでも立て、協助した条件を立てることによって、おまえも解放してあげるのである」 そのような神様の天意により、神様の前についにサタンが、歴史始まって以来初めて、「屈伏する」という宣言をしたのです。そこで、真の父母の前に降伏する文書を書き、そして人類の前に罪の告白をしたサタンに、こう告げるのです。 「神様の名で真の父母の前に、真の父母の名で人類の前に罪状をすべて告白し、地獄に行くべきことを中心としておまえが犯したすべての過ちを、能力に満ちておられる神様が瞬間のうちに是正されるだろう。おまえの力ではできないがゆえに、神様に全権を任せなさい」 そうしてサタンが、委任して「請います、請います、赦しを請います」と、謝罪を神様と真の父母と人類全体、祝福家庭、皆さんの家庭まで通告して初めて、地上世界や天上世界の地獄が完全に門を閉じてしまうというのです。 それでは、それはだれがするのですか? 神様もできません。サタンもできません。先生一人で神様を解放し、人類を解放し、地獄を撤廃させるのです。原理によって理論に合うようにするのです。大ざっぱにするのではありません。 「これこれこうだから、こうなる」という事実を、サタンはあまりにもよく知っているのです。それをすべて撤廃し、真の父母の勝利圏を立てたのです。お母様が巡回講演をする最後の日を、中国で行いました。中国が最後で、それがいちばんの怨讐でした。これを屈伏させて、ついに先日、五月三十日を中心として、「真のご父母様東西洋(地球星)勝利祝賀宣布」の日を立てたのです。地上でそれを成したので、最後にここで成すのです。 きょうは何日目ですか? 三十日から何日目ですか? 十六日目です。そのように、十六数を中心として地上整備、天上整備をしたのです。考えてみてください。二月四日を中心として何をしたのかというと、「米国に行って、米国を救いなさい」と言ったUTS(統一神学校)卒業生たち千余人を中心として、三日間教育をしました。米国は長子の責任を果たさなければなりません。 青少年の祝福は、キリスト教からです。神父、修道女がいるでしょう? また、仏教の僧侶、尼僧がいるでしょう? 彼らは今まで、東西洋の未婚男女でした。今日のわたしたちの成すべき祝福は何ですか? 未婚男女の四億双祝福でしょう? それをしようとすれば、ここには何が入るのかというと、神父と修道女が入り、僧侶と尼僧が入るのです。ですから今、百歳になっても臨終を迎えていないお坊さん、あるいは八十歳になったお坊さんであるからといって、それを放棄しなければならないでしょうか? おじいさんはどうしますか? たとえ「嫌だ」と言っても、彼らを後孫たちが捕まえていって祝福してあげるのです。そのように、すべてを祝福する時が来ました。それでは、父親と母親はしないのですか? それは強制ではありません。お兄さんです。おじいさんの代身の立場です。ですから、強制してでも、すべてしてあげてよいというのです。 ですから、地上の祝福です。来られた再臨主のすべき祝福は、今までなしてきたような既成祝福をすることではありません。祝福すべき対象は、法的結婚をした、この者たちではありません。純潔な未婚男女を祝福することが、来られる再臨主の祝福の伝統であったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 本来、キリスト教を中心として、一九四五年以降の七年間で、このことをすべて終えなければなりませんでした。万民すべての祝福です。最近では、霊界でも青少年の祝福をしているのです。すべて解放です。そのとき、解放と同時にすべてを解放したのです。地獄を撤廃し、地上、天上の門をすべて解放し、万民が四方に大きく運勢を開くことのできる高速道路をつくっておくのです。 そうしてそこに君臨して、神様がエデンの園で失ってしまわれた偽りの父母の心情的基台を完全に蹂躙してしまい、天の心情を中心として、善男善女の前に血統を連結して接ぎ木することが祝福なのです。しかし、それができませんでした。キリスト教が誤り、逆さまにしてしまいました。それでしかたなく肥桶をくまなく探したのです。何のことか、分かりますか? ですから既成家庭は、わたしから祝福を受ける必要はありません。イスラエル民族が、すべて荒野で掃かれてしまうことと同様に、それは過ぎていく群れたちなのです。二世とともに、天国建国理念を持って追い出されたので、アダム以前の位置に入っていき、再び取り出してアダムの解放から先祖解放までしなければならないので、今日の統一教会の祝福伝統史が展開されたというのです。 キリスト教は歴史がありません。浮かんだ雲と同じです。それで、既成家庭結婚をするのです。考えてみてください。三十六家庭で自分勝手に結婚した人は、ノア家庭の形態であるというでしょう? これは、半分の価値にしかならないというのです。最近、法的契約結婚をして、「妻が嫌で、夫が嫌で、子供が嫌で、扶養の責任を持たない。自分の思いどおりに生きよう」と言っているのです。サタンには、それしか方法がありません。サタンは相対的理念がありません。子女を持つことができないのです。 ですからホモが出てくるのです。そのような者は、一代で終わりです。レズビアンも同じです。そのようなものは、動物のほうがもっと良いでしょう。動物は、蛇だとしてもやたらにはしないのです。毒蛇は、毒蛇同士でするのです。毒蛇ではないものとは愛し合いません。そのようなことを見ましたか? わたしは、そのようなことをすべて研究したのです。毒蛇も、自分と同じもの同士でするのであって、他のものとはしないのです。ところが、それなのにどうして進化論なのですか? 別種が現れようとすれば、愛の門を経ていかなければ、他のものが出てくる道理はありません。種の道理は、厳格なのです。 草もそうです。同じ種類同士で結婚するのであって、他の種類のものと結婚しますか? (笑い)しますか、しませんか? (「しません」)。ありも、大きいありと小さいありとでは結婚しないのです。自分と同じもの同士でするのです。 種の区別は、そのように厳格になっているのに、人間がいっぺんに生まれることはできません。ありのような人と虎のような人で、男性と女性がくっついて喜んでいるフリーセックスのようなものは、さんざんに恥をさらして滅亡しなければなりません。 皆さんは、そこに所属していますか、していませんか? (「していません」)。時には、したいときがあり、酒も飲みたいときがあるかもしれません。しかし、「酒を飲まない」と言って飲んだならば、そのときには口を裂いて舌を抜いてしまおうというのです。(笑い)その約束をするのです。化粧もしたいでしょう? しかし、ありとあらゆる五色種類の化粧をすれば、最後です。化粧をするそのお金で、飢えて死んでいく兄弟と同胞を生かしてあげようというのです。それが、どれほど素晴らしいことでしょうか? 女性でいえば、服を春夏秋冬の四着以上は持つな、というのです。「買いたいと思うとおりに買いなさい」と言うと、本当にたくさん買うのです。女性たちは欲が深いですね。(笑い) きょうの題目は何ですか? (「『真の愛の主人に侍ろう』です」)。愛の主人はどこにいるのですか? 主人の居場所を調べてみようというのです。皆さんの心と体の愛の主人は、心であるということを知らなければなりません。そのことを知りませんでした。心と体が闘うでしょう? 体が主人になると言いながら、ついてきて大騒ぎです。これがお互いにバチバチと闘うのです。主人はだれですか? 心ですか、体ですか? (「心です」)。ここに青少年たちがいれば、心が主人ですか、体が主人ですか? 主人の中のどのような主人ですか? (「「真の愛の主人」です」)。「真の愛の主人」だというのです。 真の愛とは何ですか? 真の愛は、どこから成されるのですか? どこからですか? 生殖器です。生殖器という言葉は、生まれるの「生」という字に、ご飯の「食」という字、または植える「植」という字でもよいのです。 ですから、生殖器は「生植器」です。分かりますか? そのように解釈するのです。ですから、生殖器は「生命を植える器」なのです。それを知らなければなりません。心と体の「真の愛の主人」はだれですか? 心なのですが、心が愛の家を守ることができていないのです。 浮気しなければなりませんか、してはなりませんか? (「してはなりません」)。この青少年の淪落が、目を覆うほどです。愛の主人を失ってしまいました。それゆえに、体が心を動かすのではなく、心が体を主管しなければなりません。 先生が青年時代に願った「宇宙主管を願う前に自己主管の完成」ということが、それです。自分の体の発動を制裁して、いつでも霊的にブレーキをかけることができなければなりません。先生は、そのような訓練をたくさんしたのです。 ですから、心が願わない愛の道に行くことができますか? (「できません」)。行くことができる! (「できない! )。この者たち。行くことができる! (「できない! )。そうです。できないのです。 それは、男性の権威です。み旨を知り、正々堂々と心の世界の中心である主人の位置を守ることができなければなりません。体がいくら怪しげな行動をしたとしても、そこに支配されるのではなく、それを支配することができ、主人の資格、愛の主人の資格を持たなければならないということを知らなければなりません。 そのような男性、そのような女性が完全に結婚しなければならず、エデンの園の罪のない解脱圏内において、神様が再び出会って結婚させてあげるためのものが、神様の再創造摂理の理想であったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) さあ、今から心が「真の愛の主人」にならなければならないというのです。それから何ですか? 心と体が主体にならなければなりません。心と体が一つになり、男性と女性を中心として、男性なら男性が、女性がしようというとおりにすることよりも、天理の大道を中心として、完全に一つにならなければなりません。男性が、完全に女性の主人、女性のすべて、愛の器官までの主人に完全になることができなければなりません。それが真の主人なのです。分かりますか? (「はい」) 夫として、「真の愛の主人」にならなければなりません。女性として、夫に対する「真の愛の主人」にならなければなりません。同様の道理なのです。分かりますか? (「はい」)。それから何ですか? 父母として真の主人となり、息子、娘の前に見本を見せてあげなければなりません。 息子、娘は、父親と母親から学んでいくのです。百パーセント学んでいくのです。言葉であれ、行動であれ、です。すでに赤ん坊は知っているのです。母親が、自分が気分が悪くてお乳をあげるのを見るとき、赤ん坊はのぞき込むのです。のぞき込んで、「お母さんはどうして……?」と、すでにお乳の味を鑑定するのです。そのように、母親の抱く表情で分かるというのです。 それゆえに息子に対して、真の父母の真の愛を中心として父母になっているのか、ということが問題なのです。分かりますか? (「はい」)。それから、おじいさんとおばあさんが祖父母として、真の孫に対する愛の主人の立場を守ったのかというのです。 それから何ですか? 国の王を中心として、王としての真の愛の主人になったのでしょうか? 国の王は、国民の父母なのです。王と王妃の二人が一つになった愛をもって、二人が一つになった父母の愛を加えて、民族を子女のように愛さなければなりません。 親が子女を愛さなければならない立場であることと同様に、国の王は夫婦が一つになり、国を父母の情よりももっと強い情で愛さなければなりません。そうすれば、その国が永遠無窮に発展することのできる天国を相続する国になるだろうというのです。分かりますか? (「はい」) それから何ですか? 世界においては、世界的メシヤがいれば、それは世界の父と母です。それで、心と体を中心とした家庭から一つになり、父母が一つになって子女を愛する伝統を立て、これがプラスとなって全体に投入し、投入し、投入して、忘れなければなりません。 相対が自分よりもりっぱであることを願うという、主人の行くべき行路を知ったので、その偉人たちは国を持ったとしても、国内の家庭に自分のすべてを投入し、その国の家庭全体を愛すること以上の愛をもって施して、施して、そして忘れてしまわなければなりません。 もし、それが不足ならば、自分の妻や自分の子女までも祭物としてささげて、その国を救おうという、そのような家庭があってこそ、千代万代にわたって太平の御代を迎えることができる先君になるのだということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 今まで神様は、そのような思いで地上の人間を見詰めていらっしゃったということが事実であるならば、それはどれほど悲惨でしょうか? 神様の家庭が、この地上に一軒でもあるわけでもなく、天の氏族がいるのでもなく、天の国があるのでもありません。 神様は、天地の主人である地位におられながら、愛の主人になることのできる立場を一つもつかむことができませんでした。神様だけが、思いがかなった主人の位置に独りで留まっていらっしゃるということは、どれほど無念であるかということを知らなければなりません。分かりますか? 愛は一人で成すものではありません。 ですから、ここにいる皆さんは知らなければなりません。愛の道を教えてあげることは簡単です。赤ん坊時代の愛は、父母の前に、赤ん坊の時代においては生まれてから三年間、母親の懐でお乳を飲んで育たなければなりません。三年間です。それで母親と一つになるのです。 赤ん坊は、母親の血肉をもらって生まれたのです。分かりますか? (「はい」)。母親の血肉です。赤ん坊には、自分のものが一つもありません。パイプを連結して、母親の血肉のありったけを供給されて生まれたのです。そこに父親の愛を教えてあげなければなりません。 母親が一つになって父親の愛を教えるのです。母親が父親を愛する以上、赤ん坊が父親を愛さなければなりません。そうしてこそ、母親も愛し、父親も愛することができるのではないでしょうか? 父親を愛することが、母親を愛することを超えることができなければ、父親を愛することのできる道が水平にならないのです。そのことを知らなければなりません。 母親は、自分の体を代身として、連結された父親の種を保護するためにいるのです。赤ん坊の種、つまり父親の精子の中に、すべてのプロジェクトが入っているのです。母親は、これを植えておいたものを腹中で育て、赤ん坊にまで育ててあげるのです。その赤ん坊のときの腹中での期間は、体と同じ外的な愛の基準を吸収して受け継ぐことのできる成長期間です。 ところが、立体であられる神様を愛することのできる伝統を学ぶためには、夫婦が赤ん坊を抱いて一つになるその愛を中心として、父親が母親を、母親が父親を愛する以上の愛を中心として、その赤ん坊に伝授してあげなければ、赤ん坊の愛の道がふさがれてしまうというのです。 そうでなければ赤ん坊は、母親のことは愛することができますが、父親を愛することができないというのです。これが家庭においての問題です。分かりますか? (「はい」) 父親は、真の父親の立場としては、母親が腹中の赤ん坊に百パーセント補給して育ててあげることと同様に、この地上で三年間なら三年間を育てながら、母親の愛の根源となって供給してあげるのです。そうして母親が、夜であれ昼であれ、父親のために生き、父親と一つになるための愛の時間を、何よりも感動的に過ごせるようにしなければなりません。 ですからその赤ん坊を、両親が夫婦げんかをして、驚かすようなことがあってはなりません。夫婦でけんかをして、子供が「お父さん、お母さん、けんかするな! と言い、右側は父親、左側は母親に分かれてしまうような、そのような家になってはなりません。わたしたちの理想が、どれほど素晴らしいものであるかというのです。お母さんたち、分かりますか? (「はい」) ですから、赤ん坊を生めない母親は、天の父母に侍ることのできる資格を持つことはできません。父母は先祖です。それゆえに、先祖に侍ることのできる伝統を持つことができないのです。 ですから、夜も昼も一日じゅう、母親は父親のことを考え、夫が帰ってきたならば、持てる精誠をすべてはたいて尽くし、それを赤ん坊に見せてあげるのです。そうして、夫婦二人が一つになり、母子自体が一つの主体になるのではなく、父親に対して相対になり、縦的な未来の世界、横的な未来の世界の伝統の標本になることができ、基礎になることができる家庭を形成しなければならないということが、母親の責任なのです。 それゆえに、父親は帰ってきて、母親を懐に抱かなければならず、母親を抱いたことをもって赤ん坊をその懐に抱き、母親のように愛することのできる位置を備えることができなければなりません。 母親なら母親、娘なら娘、息子なら息子、それぞれ別なのではありません。「そのような家庭が、幸福な家庭である」と思う先生は、しかし、そのことを考えることだけしかできず、果たすことができませんでした。分かりますか? けれども、先生はできませんでしたが、「皆さんは、しなければならない」と命令します。 それでは、「自分はできずにいながら、『そのようにしなさい』と言う命令を守るべきか、守るべきでないか?」と言うとき、どうですか? (「守るべきです」)。それでも、それを守るべきでしょうか? (「はい」)。先生は、そのようなことをして余りあるとしたらどうですか? 絶対的にしなければならない、というのです。 愛の主人を、わたしたちの家庭に植えなければなりません。愛の主人をわたしたちの国、わたしたちの世界に植えなければなりません。その主人に侍ることができなかったことが恨であり、堕落です。 そのようにして神様に打ち込まれた怨恨の釘を抜くことができるのは、自分の心と体から、自分の相対から、息子、娘から、一族からです。一国家を超えて世界の統一圏を持ち、神様のみ前に「あなたの解怨成就をすべて完遂いたしました。物質であれ、息子であれ、夫婦、家庭、すべてがあなたの所有でした」と、完全に分別して、差し上げることができなければなりません。 祭物の血を見て、所有権を分別するということは、神様の無念な事実です。そうではなく、創造されたすべての生畜自体を、神様の所有としてありったけのものをささげることのできる基準を準備しておかなければ、神様の国の皇族になることができず、皇族圏内に入籍することはできないのです。その皇族が民族になるのです。そのような民族になることのできる道がないということを知らなければなりません。 きょうの題目は何ですか? (「『真の愛の主人に侍ろう』です」)。これは、何かの観念なのではありません。事実です。自分で自分のことをよく知っているでしょう? 自分がどのような存在なのか、よく知っているのです。 それでは、愛の起源を求めて、わたしが簡単に話をします。真の愛は、どのように連結されるのですか? だれからですか? 真の愛は、だれからなのですか? 自分からですか、神様からですか? (「神様からです」)。神様からです。このことを、皆さんは知らなければなりません。 今まで、愛に関する概念を知りませんでした。これが誤って行き違い、世の中が怪しげなものになったので、愛の伝統的、本性的内容がどのようになっているのかという、秩序の基準を中心として、段階的な基台を中心として前後関係を確定しなければなりません。言葉は難しい言葉ですが、解いてみれば間違いない言葉です。 (板書されながら)神様、アダム、エバ。愛は絶対に一人で捜し出すことはできません。皆さん、愛を持っているでしょう? 愛を持っていますか、いませんか? 生命を持っているでしょう? 血統を持っているでしょう? それを一人ではつくりあげることはできません。 愛があるのか、生命があるのか、血統があるのか、真の良心があるのか、なかなか分かりません。しかしこれは、相対が現れれば、一度に発動するのです。先生も愛を持っていますし、生命を持っているでしょう? 血統を持っていますが、お母様が、女性がいなければ、それは顕現する道がありません。 わたしたち男性と女性や、個人個人がそうであるのと同様に、神様もやはり同じなのです。二性性相の主体であられ、男性格として存在していらっしゃるので、「神様には女性的相対が必要である」という論理が出てくることによって、「神様は愛の主人にならなければならない」というのです。 神様の最初の「愛の主人」はだれですか? 神様以外になることはできないというのです。分かりますか? 絶対的な主人が絶対的な愛を中心として、絶対的な主人になろうとするので、そこに二人が存在することはできません。絶対に、一人ずついなければなりません。一人の夫の前に二人の女性がいれば、けんかが起きますか、起きませんか? 起きるのです。 「神様、あなたは何になりたいですか?」と言うとき、何になられたいでしょうか? 「アイゴー、知識の主人になりたい」と言われるでしょうか? 神様は全知全能であられるのに、知識をもって何をされるのですか? 神様はもともと知識の大王陛下でいらっしゃるのです。 それでは、神様は何を一番好まれるのでしょうか? お金を好まれるでしょうか? 知識を好まれるでしょうか? 権力はすべて持っていらっしゃるのです。全宇宙で太陽系のようなものは、どれくらいあるのかというと、一千億個にもなるのです。太陽系が千個でも大宇宙なのに、一千億個にもなる大宇宙をつくられた神様です。 そのような神様が、愛の問題に引っかかって、思いも寄らなかったような生活を送ってこられたという事実は、驚くべきことです。真の愛は、行ったり来たりすることはできません。それを知らなければなりません。 何の主人になるためなのですか? 最も貴いものです。生命の根本であり、愛の根本であり、血統の根本であり、良心の根本であり、宝であり、根源の中の一番の骨髄的根源のエッセンスが、愛なのです。 ですから、神様が一番好まれるものは何なのですか? (「愛です」)。野良犬の愛も愛です。豚の愛も愛です。犬も愛するというでしょう? 春の季節になれば、猫が「アー、ヤーオウ」と鳴くのです。愛そうとして、そのように鳴くのです。 猫も愛そうとしてそのようにするし、鶏の愛もあるのです。そのように、どれほど愛が多いでしょうか? そのような愛の語彙と同じ範疇に人間の愛も立脚しているということを知って、恥ずかしく思わなければなりません。本来の人間の愛は、偽りの愛ではなく、真の愛なのです。 真の愛は、神様が口を開いて肉的五官、霊的五官、十官を開いてあーと言われながら捜し求め、愛しながらも年老いることなく、青春に次ぐ青春を送り、永遠に青春で暮らしたい、そう願われて、その愛の相対をつくられたというのです。 そうであってこそ、神様によってつくられた愛の相対としてふさわしいと言えるのであって、そうでなくて、どうして相対としての資格がありますか? それゆえに神様までも、ご自分よりも何千万倍、何億万倍りっぱな愛の相対を捜し求めたがられるという道理なのです。分かりますか? (「はい」) ですから、神様も考えられると、先生を好まれるというのです。分かりますか? あなたたちは、わたしが好きですか、好きではないですか? (「好きです」)。なぜ、好きなのですか? それは、真の愛の道を教えてあげるからです。 それでは、先生を思慕しましたか、しませんでしたか? (「思慕しました」)。男性も思慕しましたか? (「はい」)。男性も、先生に会いたくて泣かなければなりません。神様は、男性ですか、女性ですか? (「男性です」)。神様は女性でしょう? (「いいえ、違います」)。神様に会いたくて、先生が泣いたでしょうか、泣かなかったでしょうか? 先生は、痛哭し続けて、泣きはらして太陽を見ることができなくなってしまうくらいに神様を慕いました。それゆえに、その事情の世界を知っているのです。 秘密の倉庫を開いて味を見ることができ、その系列がどうなっているかということを整備し、図書館の百科事典に掲示することができる博物館の主人になることができるので、心情的博物館の主人になることができるほどです。そのような天下のすべての心情を思慕する万民を抱いても余りあるというのです。(「アーメン」) 神様は、何を好まれるのでしょうか? 見えない神様は、見えるものを好まれるでしょうか、見えないものを好まれるでしょうか? (「……」)。尋ねているではないですか? 見えない神様は、見えないがゆえに、何を好まれるのでしょうか? それは、「見える神様になりたい」と考えられるというのです。分かりますか? なぜでしょうか? 見える万物をつくられ、見える愛の世界をつくられたので、神様は二つとも真の愛で占領なさろうとしたのです。 このような話をしていたら、終わりがありませんね。今、何時間たちましたか? (「二時間半たちました」)。きょうのわたしの計画は全く違うのですが、死ぬとしても、本部に来て言うべきことは言ってから死ななければならないでしょう? 故郷の地に来て、文総裁が帰ってきて明日、あるいは明後日に死んだとしても、恨になり得ることをすべて解いておいてから霊界に行かなければならないというのです。先生は、いつ霊界に行くか分かりません。明日、行事を終えて、その次の日に行くかもしれません。天の命令があれば、「行きなさい」と言われるとおりに行かなければなりません。そうではないですか? さあ、神様は、何を一番好まれるのですか? お金ですか? お金が好きな人は、手を挙げてください。神様がお金を、婿や嫁だと思ってくれるのですか? お金は巡り巡る物なのです。それでは知識ですか? 知識というものは一分野であって、全体の表象ではありません。分科して、数百、数千の枝分かれした専門分野があるということを知らなければなりません。神様は、それは願われません。それでは統一ができません。 それでは何ですか? 権力ですか? 棍棒、銃、ナイフで「こいつ、わたしの命令どおりにしろ。しなければ殺す」と言っても、そこには平和の概念が永遠にあり得ないというのです。詐欺をして、人権、金権で王権を誇っていたような今までの時代が、すべて過ぎていく日は遠くありません。最後はどのようになるのでしょうか? 大韓民国は、国まですべて売り飛ばしてしまいました。 韓国の政治風土、韓国の経済風土、韓国の伝統風土、韓国の宗教風土、韓国の教育風土、軍事風土、すべて飛んで行ったというのです。何を立てようとし、何を捜し出そうとするのですか? 分かりますか? この国では、すべて失ってしまったので、今から捜し求めなければならないものは何でしょうか? どのようなものをもってしても、結局は闘うようになるのですが、真の愛をもって闘ったことはありません。闘わないものは、真の愛です。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) 今までは、文総裁が真の愛の話をしていると、皆、反対していたのですが、最近では家庭が破綻し、父親も母親も浮気をして怪しげな状況になったので、「アイゴー、十年前に会った文総裁の言うとおりにしていたら、私たちの家はこのようにはなっていなかったのに」と、後悔している人が多いのです。 先生が米国に行って、「この米国が病気になれば、外部から医者を呼ばなければならず、火事になれば、外部から消防隊を呼ばなければならないことと同様に、米国が病気になり、火事になったので、医者と消防隊を呼ばなければなりません。ところが、米国には医者と消防隊がいないので、外国の消防士の隊長であり、医者の隊長である文総裁が来たので、わたしを歓迎しなさい」と言うとき、白人たちは、どのように思ったでしょうか? 太っ腹で、韓国をごみ箱同然に思っている、そのような白人の世界で、文総裁という、一日もたたずに消えてしまいそうな者が来て、そのようなことを言うのですから、どれほど気分が悪いでしょうか? そんな文総裁が、一日、二日なら分かりませんが、六か月ももたずに逃げていくと思われていたのに、すでに二十五年間が過ぎました。そのような歳月を中心として闘ってみると、力比べの相撲はすべて終わって、「文総裁が勝った」という立て札を立てるようになりました。 チャンピオンを競うような場においては、万が一、チャンピオンがばたんと倒れて負けた日には、その場でチャンピオンは地獄に落とされ、勝利した人は天の国に昇っていく、ということを知っていますか? そのような主客が転倒する現実をつくりながら生きる男が先生なのです。 さあ、文総裁は優れていますか、愚かですか? (「優れています」)。あまりにも愚かなので、あまりにも優れておられる神様はかわいそうに思って同情され、あまりにも愚かな位置からあまりにも優れた位置をすべて占領するようにしてくださり、そうしてごみ箱ものみ込んで消化することのできる男になったというのです。 しかし今、ついに日の目を見て、大きくなることのできる男になったのです。共産世界に入っていって栄養素を吸収し、民主世界に行って栄養素を吸収し、地獄の栄養素も吸収し、天国の栄養素も吸収して、二つともすべて消化することのできる能力者となったのです。(「アーメン」)。(拍手) さあ、神様が一番好まれるものは何でしょうか? 霊界に行けば、知らないことはなく、すべてに精通するようになるのです。真の愛に立っていれば、神様がこの世の中に創造された万物は、いつでも創造することができるのです。そうなのです。 その世界がどれほど素晴らしいか、先生はその世界を知っているので、文総裁は艱難を受けても、ありとあらゆることをされてもへこたれることなく、今まで来ることができたのです。今でもそうです。そこに照準を合わせることに忙しいのです。分かりますか? (「はい」)。「年老いた」と考える暇がありません。 わたしは、自分が霊界に行く「時」を知っている人です。しかし、言葉には出しません。天機(天の機密)の秘密をすべて知っている人が、それを知らないということがあるでしょうか? しかし、話はしないのです。分かりますか? さあ、神様は何の主人になられたいのでしょうか? それは、「幼い赤ん坊の愛の主人になってみよう」というのです。腹中においても、その腹中で暮らしているときから主人になるのです。それで、母親の懐に抱かれて子女の愛の主人になってみようというのです。 アダム、エバがいなければ、子女の愛を尋ねていく道がありません。そうですか、そうではないですか? 子女として生まれたアダム、エバがいなければ、神様は子女の愛を持った主人になることはできません。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) 生まれて成長し、子女の時代を経て、兄弟の時代に進むのです。兄弟は、男性と女性が他の道に進み、女性は女性の道理、男性には男性の道理があり、その二人を育てる愛があるのです。その二人は、兄弟の愛の主人になりたいのです。分かりますか? アダム、エバを育てることによって、その存在が大きくなり、そのように育つことを見て、神様は兄弟の愛を持つことのできる主人になられるのです。その主人の資格は、神様が付与されましたか、アダム、エバが付与しましたか? 答えてください。 神様おひとりで、いくら兄弟の愛を叫ばれてもだめなのです。アダム、エバが兄弟の道を行くことを、抱いて愛することによって初めて、神様は兄弟の主人の位置を持たれることができるのです。分かりますか? (「はい」) 子女の主人が、アダム、エバによって育っていく道を通して、子女の主人の位置を、歴史以来初めて立て札を立て、「わたしは子女の主人である」と言われるのです。それから、兄弟を愛することを見て初めて、「兄弟の愛の主人になった」と言われるのです。それでは、育っていって何をするのでしょうか? 男性と女性が育ち、原理で言えば、育っていってそのまま広がっていくのではなく、すべて水平、四角を中心として、四十五度で一つにならなければなりません。それで、「夫婦の愛の主人になりたい」と言われるのです。夫婦の愛から、初めて一つになるのです。 ここで本然の位置に帰ってきて、天地が一つになることによって、父子関係の因縁が、霊と肉が一つになることのできる位置に帰っていくことによって、上弦下弦が連結されることによって、子女が生まれるのです。 女性は凹であり、男性は凸ですが、「上」的な代表である男性と「下」的な代表である女性が、愛によってここで連結されるのです。夫婦の愛を通して、ついに赤ん坊を神様のように……。神様の伝統を受け継がなければなりません。腹中の赤ん坊とともに、神様は赤ん坊を宿している母親を愛されるのです。その二人を愛することによって、神様が赤ん坊を宿すことのできる主人の位置から、赤ん坊、兄弟、夫婦、父母の位置に行かれなければならないというのです。 そのようにして、神様が創造された、アダムをつくったことと同じものが地上に展開するのです。アダム、エバは、赤ん坊を育てることによって初めて、赤ん坊の主人になるのです。子女の主人の位置を、そのようにして初めて神様の代身として相続し、伝統を受けることのできる動機になるので、兄弟の主人の位置を受けることができるのです。 それから、夫婦の愛の伝統、父母の愛の伝統を受け継ぐのです。それでは、その伝統の最初の主人はだれなのでしょうか? 神様です。分かりますか? しかし、愛の伝統的赤ん坊時代から兄弟時代、成長して結婚時代、父母時代まで進んでいく、そのすべてのものは、神様自体によって成就されるのではありません。愛の相対によって主人の位置をつかんだという、この論理を知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 子女を持つことができなければ、母親は子女に対して、母親的主人を捜し出す道がありません。千万年たっても持つことができません。それでは、母親に子女を愛する主人の位置をもたらしたのはだれかというと、母親ではありません。それは、愛の相対であったという事実です。分かりますか? 神様が、赤ん坊の主人になられることのできる愛の位置に立つようにしてくれたのは、アダム、エバです。知っていますか? 兄弟が育っていくときの兄弟の愛の主人の位置を植えてくれたのは、神様ではありません。アダム、エバなのです。また、夫婦の愛の位置を受け継いだのは、神様ではありません。アダム、エバです。それから、父母の愛の位置を代身して、神様が創造なさりながら経た受難の歴史を、代身として繰り返し、同じものとして大きくなっていくのです。 種が繁殖し、多くの種を通してその氏族編成、民族編成をすることと同じように、公式は同じです。神様の愛の全権を受け継ぐためには、男性も女性も、結婚しなければならないという原則がここにあるのです。分かりますか? (「はい」) 男性は女性のために、女性は男性のために生きるのです。男性と女性がために生きることにおいて、その内容は何でしょうか? 一つにすることのできる力は、男性によるのでもなく、女性によるのでもありません。神様の愛です。神様の原動力を継承する位置で、相対的実存体が生まれるのであり、継承されていない位置では、神様であれ、人間であれ、永遠に理想的愛の位置を捜し出すことはできません。 愛の相対です。見てください。先生がお母様と向き合えば、愛が寝ていた先生の目を開けるでしょうか、開けないでしょうか? お母様になってみましたか? (笑い)これは、道理がそうなのです。開かなければ、原理原則と違うのです。愛だけ目を開けて、生命が寝ていたらどうするのですか? 生命が目を開けたのに、血が寝ていたらどうするのですか? 血と生命と愛が一度に火がつくのです。それで胸がはずむのです。それゆえに、愛を中心として主人になることができるのは、自分一人では永遠に不可能です。これは、警告しているのです。 それでは、「初愛」とは何かというのです。それは、女性として、男性として、愛の主人の位置を尋ね求めていくことです。初愛を拒否して横道に行くことは、愛をすべて切ってしまうことです。神様の天道の道理、赤ん坊から兄弟、祝福を受けて夫婦になる愛の道を、すべて切ってしまうことであり、神様を否定することです。愛の主人を完全に否定する者は、愛の理想で完全に満たされた天国に存続することはできないということは、理論的なことです。 ここにいる男性たちは、愛を持っていますか? (「はい、持っています」)。浮気したいですか? 浮気をするということは、原理の根本をすべて否定することです。「神様が主人になることのできる、赤ん坊時代から兄弟時代、夫婦時代、父母時代を中心として、これを中心として、おばあさん時代、女王時代、天の国の王宮まで引き継がれていく資格を持つべきであり、そうすることのできる代表的な、傷のない家庭のモデルになってこそ、家庭から天国に直行できるのである」ということは論理的起源であり、ぴたっと当てはまります。理論に合っています。 「愛は自分から始まる」と言っているような者は、滅びる者たちです。しっかりしていますか? (「はい」)。今までそのようにしてきたのは、ろくでもない者たちです。すべて売り払ってしまわなければなりません。 愛は、自分から出てくるものではありません。それゆえに愛は偉大なのですが、それはどれほど大きいでしょうか? 自分の億千万倍も価値のあるものを願うのです。ですから、天の国の何百倍の価値をも、わたしたちが、神様に侍ることのできる立場、それ以上の神様の位置にいたとしても、「私」はそれを占領することのできる資格があるのです。それは、驚くべき事実です。 神様も、その愛の前には頭を下げなければなりません。自分のすべての愛と生命と血統と、良心世界の霊的なすべてのものが、宇宙の全体を相続することのできる資格者としてのレッテルを張ってくれるということは、神様おひとりではできないのです。 アダム、エバ家庭を抱いて、愛の一致圏を描くことによって、それを相続するのです。そうでなくては、愛の園が永遠に生じることはできないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 女性の美貌をもって、それを誇る女性たちは、売女です。男性たちも、自分が美男子であるということを誇ってはいけないというのです。「高く大きい神様の無限な価値を抱いて、宇宙の大王陛下となり、大王陛下の王妃となるために、願わくは高い愛を捜し出して豊かに暮らそう」という考えをする者がいません。 人間の五官は、愛のために動くのです。心と体も同じであり、神様も同じだというのです。それは真の愛です。そして子女、それから夫婦、それから何ですか? 父母です。それから何ですか? 神様です。神様は何ですか? この主人です。子女の主人にならなければなりません。 兄弟の主人、夫婦の主人、それから何ですか? 父母の主人です。天地の主人です。そこまで行ってこそ、表象的であり、動機的な神様のすべての愛の主人の位置を占領することができるのです。そうしてこそ、主人として顕現なさることができるというのです。 ですから、アダム家庭が完成して定着するということは、個人の完成であり、家庭の完成であり、そこから氏族の王であり、民族の王であり、国家、世界、天宙の王の位置を備えて出発したという事実を知らなければなりません。 それを願いとして望んでいくことが、男性として生まれていく希望の道であり、女性として生まれていく希望の道であるということを、皆さんは知らなければなりません。分かりますか? 野良犬のように、「相手ができた、デートする」といって誇ることは(何も)ありません。そうすれば、地獄に行くのです。人間は、世界を与えても換えることのできない高尚な愛の理想のために生まれたのであり、その愛の理想は、自分よりも億千万倍も優れた相対を願うのです。 それは、神様までもそのように願われるのです。そのように、わたしたち人間が、神様が持たれた愛の何千万倍、何億万倍りっぱであるようにと願われる、そのような神様の願いがあったということを知らなければなりません。 それでは、女性だけで男性がいなければ、どのようになるでしょうか? 五十億の人類ならば、男性と女性がそれぞれ二十五億になりますが、二十五億の女性の中に男性が一人いたら、それが元でけんかするでしょうか、けんかしないでしょうか? (「けんかします」) けんかして、二十五億の女性にどのようにして勝つのですか? 何をもって勝つのですか? けんかしては、勝つことができません。お金をもってしても料理することはできません。買うこともできず、うそをついてもばれてしまうのです。ひとえに、「絶対にために生きる」愛をもって成すのです。 だれも扱うことのできない愛、その人のために生きる愛だけが全体を屈伏させ、神様の前に「絶対にために生きる」ことのできる代表の女性がいたならば、その一人は、残ったとしてもけんかせずに、一等になることのできる道があるということを知らなければなりません。(「アーメン」) 文総裁は闘いませんでした。いちばん最後まで耐えに耐えて、世界を回ってみると、その道が、闘わずに最高の位置まで、神様の相続権を受けられる位置まで行くことのできる道だったのです。 そのようにしていると、滅びずに、かえって「滅びろ」と言っている世の中の前に勝利の覇権を握り、国を超えて世界を超え、歓迎される環境が結実したのです。そして地上世界だけではなく、霊界まで標準化することのできることをすべて終えたのです。アーメンです。(「アーメン」) わたしは、今から八十歳を超えれば、つえをついて少し休まなければなりません。休む所はどうしましょうか? 祝福家庭を訪ねていき、約六か月ずつ暮らすつもりですが、六か月間侍ってくれますか、侍ってくれませんか? (「侍ります」) そうして神様の家で暮らすよりも、もっと楽しくするのです。侍ることのできる自信がありますか、ありませんか? (「あります」)。自信があるという人は手を挙げてください。 さあ、分かりますか? このような主人圏を失ってしまいました。八代です。腹中時代から赤ん坊時代、兄弟時代、夫婦時代、父母時代、祖母時代、女王時代、それから神様の夫人の位置までの八段階の願いをおき、男性のために女性が生まれ、女性のために男性が生まれたのです。 そのような天宙の天理の道理があるので、これを成し遂げなくては、あの世に行ってあずまやに座して、王様としての務めを果たすことができず、女王陛下の務めを果たすことができないということを知らなければなりません。 胎中の赤ん坊が生まれ出るときは、すでに相対のために生まれたというのです。自分のために生きるものは一つもありません。ですから、無限な神様までも必死になられて、「この道を逃さないように成し遂げなければならない」と思われる使命があるので、その神聖な無限なる価値を復帰しなければならないすべての人々は、両手を合掌し、それを受けるために精誠を尽くして頭を下げなければなりません。 神様も、真の愛の前に絶対服従されるということを知らなければなりません。それは、「ために生きなさい」という宣言です。ために生きない人は、無限の世界の愛を占領することのできる道がないので、知恵の王であられる神様はそれをお知りになって、「ために生きなさい」という道理を立てられて、自分の生命を投入しながらももっと与えたいという「ために生きる心」を持っていらっしゃるのです。それゆえに、神様を嫌う人は、億千万代に一人もいないというのです。サタンまでもです。分かりますか? 神様のために生き、人類のために生き、万物のために生きて一生を暮らした人、神様のために億千万代にわたって人類の解放を願った存在は、そして全体の解放を必要とした存在は、歓声を上げて迎えることのできる時代があるのです。アーメン。(「アーメン」)。その世界に行かなければなりません。分かりますか? (「はい」) 「真の愛の主人に侍りましょう」。皆さん個人から始めて、心の世界の愛の主人、家庭世界、夫婦世界、父母世界の愛の主人、それから兄弟世界の愛の主人、それから族長、氏族圏内の愛の主人、民族圏内の愛の主人、国家圏内の愛の主人、世界圏内の愛の主人、天宙圏内の愛の主人を捜し求めていくならば、すべてが、神様までも「私」を絶対的相対とされ、永遠の理想世界で永存することができるという事実は、理論的な結論なのです。アーメン。(「アーメン」) 「真の愛の主人になりましょう」。皆さん。わたしが韓国に帰ってきてこのような話をするのは、韓国の地が、朝野が文総裁の後ろに従えば、間違いなく世界の王圏を受け継ぐことのできる主体国になるからです。 ところが、そのことが分からないので、これがすべて流れていくのです。相当に複雑な状況でしょう? 労働者、農民が乞食のようなありさまです。そのような僕のような者が王になろうというのですか? これはすべて終わりました。王孫が王にならなければなりません。王孫とは何かというと、ために生きる人たちです。 秩序を通して上下、高低、前後関係のバランスを取り、その位置がすべて標準価値として同和することができ、対等な価値として天上天下にいっぱいに満ちることができるような、価値的実用性を標準化させることのできる国が理想天国であり、天上天国なのです。 その国のために直行することが、統一教会に存続した人たちの行くべき「宿命の道」なのです。運命は変えることができますが、宿命は変えることができません。それは「宿命の道」なのです。父子の関係、夫婦の関係、兄弟関係、これは宿命的なのです。 兄弟を、お金でくじ引きして選び立てることはできません。夫婦、父母を選挙で立てることはできないのです。夫婦は父母から始まります。夫婦を分けることはできません。宿命的な因縁を忘却する「亡国の種」が多いのですが、それらはすべて地獄に流れていくのです。これを清算するための統一教会の宿命的な、偉大な使命を完遂し、神様の解放、真の父母の解放、万物の解放圏を成し遂げるのです。アー、アー、アーメン。(「アーメン」)。(拍手) (「真のご父母様が祝祷をなさいます」)。祝祷まで? (笑い)祝祷を受けることのできる資格者は、いないのにですか? 悪口を言いながらも、そのようにしなければなりませんね。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.10
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愛の主人となるために1999年6月4日統一神学校を卒業した教会員(約二百五十名)をイーストガーデンに集められ、六月三日から三日間、訓読会を中心とした修練会をもたれ、六月四日に語られた御言。 愛は相対から来るもの 神様、アダム・エバです(図1を書きながら説明される)。子女として育つのです。三歳までです。これは三歳から七歳まで、七歳から十四歳、十四歳から二十一歳です。このようにして、すくすくと上がっていくのです。神様一人では愛の主人になることはできません。なぜ、創造したのかというと、神様が愛の主人になるためです。 赤ん坊を生んで育てることによって、子女に対する愛、子女の主人になるのです。その次に兄弟です。兄弟時代です。子女の愛、兄弟として育つのです。女性が行く道、男性が行く道をそれぞれ行き、十四の時まで兄弟同士愛すれば、兄弟の主人になるのです。 これは夫婦です。夫婦の愛の主人です。その次に無限な世界である霊界と一つにならなければなりません。これは何かというと、父母です。父母の愛の主人です。この四大主人になるのです。子女を愛する神様は、父母の立場で子女を愛する主人にならなければなりません。先祖にならなければならず、兄弟を愛する先祖にもならなければなりません。夫婦を愛する最初の先祖にならなければならず、父母になって、子女を愛する最初の愛の主人にならなければならないのです。 それでは、なぜアダムをつくったのかというと、四大心情圏の主人となるためです。何のことか分かりますか? (「はい」)。これがなければ、いくら神様でも主人になることはできません。愛を感じることができません。しかし、そうだといって、神様が愛することのできる素性がないわけではありません。相対が現れれば作用するのです。しかし、そうでなければできません。 女性にも愛があります。あなたは愛をもっていますか? (「はい」)。(笑)もっているのです。生命があります。血統があります。良心があります。しかし、一人でいくら努力したとしても、愛と生命と血統の主人の資格をもつことはできません。だれのゆえにもつことができるかといえば、夫ゆえです。夫を愛することによって、この女性が、愛に対する主人になることができ、生命に対する主人になることができ、血統に対する主人になることができ、良心の主人になることができるのです。男性も、女性ゆえに主人になることができるのです。 切ってしまってはいけません! 離婚するということは、切ってしまうということであり、それはすべてを否定することです。初愛の主人になることができ、生命の主人になることができ、血統の主人、良心の主人になることができるのは、最初に結婚した夫です。美人の女性が、どのようにして愛を知り、生命と血統を感じるようになるのですか? どのようにして相対を感じることができるようになるのですか? それは、必ず初愛を通してなのです。これほど、初愛は貴いのです。 母親が子女を育て愛しながら、この過程(図1)を経ていくのです。神様が感じることができなかったその愛を感じることができるようにするために、相対になっているのです。そのことを知らなければなりません。 それでは、愛というものはどこから来るのでしょうか? 相対からです。相対から来たので、とても貴いのです。もちろん、神様から来たのですが……。とても貴いので、その貴いもののために生きなければならないのです。相対から愛の所有権を受けるのです。それはとても貴いものなので、受ける時は頭を下げるのです。貴いからです。そうしなければ、愛の所有権は得られません。連結できないのです。 これは原理的です。今まで美人は結婚したとしても、たくさんの男性に相対してきました。これは泥棒です。自分の愛の主人をめちゃくちゃに蹂躙することなのです。それは、霊界に行って立つ場がありません。万物がつばを吐きます。何のことか分かりますね? 神様もこのような主人になろうとするので、創造しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (「しなければなりません」)。アダム・エバ、夫婦が一つになれば二性性相です。プラス・マイナスです。それで、相対が絶対に必要だということを知らなければなりません。その愛が永遠の愛になり、不変の愛になろうとすれば、最初から永遠に一つにならなければならないのです。離婚できますか? (「できません」)。絶対できません! 自分のすべて、存在の根源から創造理想まで、すべてを掃き捨ててしまうことになるのです。ですから、地獄に行かなければなりません。存在する所がありません。地獄に行かなければならないのです。これを知らなければなりません。 神様が赤ん坊を愛することのできる永遠の主人になり、兄弟の愛を感じることのできる永遠の主人になり、夫婦の愛を感じることのできる永遠の主人になり、父母の愛を感じることのできる永遠の主人になるために、アダム・エバをつくったというのです。そのことをはっきりと知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。愛は自分のものではありません。息子・娘、相対から訪ねてくるのです。それゆえ、為に生きなければなりません。ですから、最高に価値あるものの為に生きなければならないというのです。為に生きれば生きるほど、より大きい神様の愛を受けることができるのです。分かりますか? 子供をたくさん生みなさい 自分勝手に暮らしてきたでしょう。あなたはドイツの女性が好きですか? (「はい」)。あなたはどこですか? (「米国です」)。あなたは米国人なので、ドイツは怨讐ではないですか? あなたたち二人は一つになり、「ドイツと米国をもらっても取り替えない」と言わなければなりません。絶対に取り替えないと言わなければなりません。あなたがたカップルは、それよりも重要なのです。分かりますか? それで、私たち統一教会は、霊界で十六歳以下で祝福してあげる者たちは、すべて怨讐同士なのです。自分の国の怨讐、自分の家庭の怨讐、父、母、兄弟の怨讐にあたる人同士、結ぶのです。そのようにしました。それで、霊界には怨讐がないというのです。真の愛を中心として偽りの愛を越えるのです。これ(図1)を分かりましたか? このコンセプト(概念)が分かりますか? (「はい」)。 さあ、赤ん坊がいなければならないでしょうか、いてはならないでしょうか? (「いなければなりません」)。なぜですか? 神様に似るためです。息子・娘は父母に似るでしょう。同じことです。子供が成長して祝福を受ければ、四位基台が成されるのです。 ここで、赤ん坊を生むのが嫌な人、手を挙げなさい。西洋の人は滅びます。赤ん坊を生まないようにするので、どんどん減っていくのです。赤ん坊をたくさん生んだ人が世界を支配します。中共を恐れるでしょう。たくさんの赤ん坊を生まなければなりません。今から始めても勝つことのできる、そのような運動、そのような国、そのような民族は、統一教会しかないということを知らなければなりません。(拍手)将来は(祝福二世が)大半を占めます。自動的に人口の大半を占めるようになるのです。 では、赤ん坊を二人生みますか? (「いいえ」)。それでは、後孫が二人しかいません。それはどれほど悲惨ですか? ですから、二人以上生まなければなりません。二人ならば南北にしかなりません。二点では、すべてなくなるのです。線もなくなります。 赤ん坊を二人願いますか、何人願いますか? 東西南北、東西になれば平面にしかなりません。ここに兄弟が入らなければなりません。それで、六数が生じるのです。神様の創造が六日まであり、七日には休むのです。白人は赤ん坊を生むのを嫌うのですが、生むことができれば、どんどん生むのです。そうでなければ、あなたがたの国がなくなります。赤ん坊をたくさん生んで北極に行かなければなりません。(笑) なぜ、目が真っ青になったのですか? 白人の目が真っ青なのは、保護色です。白い雪があり、そこに水さえあれば、それを思慕するのです。どれほどそれを慕って、目が真っ青になったのでしょうか? 熱帯地方の人々、黒人を見てください。保護色になっています。地に陰が必要です。それで、そこに合う色になったのです。それを悪いと言っていいでしょうか?黄色人種は何ですか? なぜ、背が低いのですか? 座って祈祷するのです。農作業をしなければなりません。洪水になれば大変なことになるので、それで祈祷するのです。それゆえ、アジアでは夜も昼も、一生の間、神様のことを考えるのです。それで、聖人は東洋から出ました。そうでしょう。(「はい」)。インドのような所では、洞窟に入っていき、そのような生活をするのです。 狩りをする人、農作業をする人、暑いので陰になった所で農作業せずに踊りを踊り、実を取って食べて暮らす人、いろいろな人がいます。それは環境に合わせて暮らしているのに、なぜ差別が起きるのでしょうか? 私は南米のパンタナールに行って魚を釣るのですが、一番大きくて保護色が強いのがパクです。パクは釣りあげた時は黄色いのですが、置いておくとまだらになるのです。環境に合うようになっているのです。それを知らなければなりません。 そのような魚は、本当においしい魚です。すべての動物が捕まえて食べようとするので、保護色をもって自分の体を保護するのです。そのようなことを知れば、自然の食物連鎖というものが、どれほど驚くべきことか分かりません。ここで子供のいない男性、手を挙げなさい。何人ですか? (「二人です」)。 先生が(マッチングをする時に)一番問題にすることは、赤ん坊を生むことができるように結んであげるということです。それを知らなければなりません。原理が、息子・娘を生むことができなければならないようになっているのです。いくら美人であっても、劣った男性とでも赤ん坊を生みたいと思うのです。 女性のお尻は、男性よりも大きいのが原則です。お尻が小さい女性は、赤ん坊をたくさん生めません。(笑)そのような人には、お尻の大きい男性を与えてあげるのです。そして、死ぬほどの力を出し、愛し合うのです。女性が死ぬぐらい力を出すことによって、赤ん坊を生むことができるのです。(笑)そうなのです。赤ん坊のいない人は、帰ってやってみてください。これ(図1)を理解できますか? (「はい」)。 あなたたちも愛の主人になりたいですか? 夫をもちたいですか、赤ん坊をもちたいですか? (「はい」)。女性の思いはそうです。夫をもつことができなくても、赤ん坊はもたなければならないと思うのです。 しかし、赤ん坊だけ愛してはいけません。自分が大きい人(夫)に対して愛し侍り、そして、私に侍る赤ん坊を愛することによって、バランスがとれるのです。息子・娘がいることによって、父親が娘を引っ張り、母親が息子を引っ張り、回るのです。そうしてこそ、円満なのです。水がよく回るのと同じです。ですから、息子が必要であり、娘が必要なのです。 尊敬心をもち、美しく愛し合う 赤ん坊を生もうと、自分たちがけんかしながらでも愛することは罪ではありません。女性が「赤ん坊を生まない」と言い、男性が「いつも愛し合い、赤ん坊を生もう」と言えば、それは女性が悪いのです。強制的に捕まえ愛しても、罪ではないというのです。(笑)分かりますか? (「はい」)。罪ではありません。 男性は女性よりも強いのです。男性は五十一分に一度ずつ、女性を抱きたいと考えるのです。五十一分です。(笑)そうなのです。このように太った人は一度抱いて、休まずに三回までしようとするのです。待っていれば、一時間後にそれが来るのです。(笑) 女性は男性よりも遅いのです。この者たち、なぜ笑うのですか? 二倍遅いのです。そうであってこそ、合うのです。それを感じることができなければ、一生の間かわいそうな女性になるのです。分かりますか? けだもののように飛び込んでくる、ライオンのような男性がナンバーワンなのです。 寝床で愛し合うことを男性が嫌がりますか、女性が嫌がりますか? 平均的に考えてみてください。(「女性です」)。「一週間前にしたのに、何! と言いながら、大騒ぎするのです。(笑)男性の世界を知らないので、そうなのです。神様がそのようにつくられたのです。女性がそれをうれしく思い、喜び、「もっとすればよい」と言うことができる位置で赤ん坊を宿してこそ、健康な赤ん坊が生まれるのです。(笑)これが原理です。皆、これを知らないので、そのように言うのです。 きょう、このようなことを聞き、統一教会の祝福を受けた男性たちは喜びますね。(笑)そのようにすることができる強い余裕があってこそ、丈夫な赤ん坊を生むことができるのです。「ああ、嫌だ、嫌だ! と言いながら赤ん坊を生めば、赤ん坊はどうなるでしょうか? (やせ細って)飛んでいってしまいます。統一教会の教主がそのようなことまですべて話しているので、世の中から見れば教主の資格がないですね。(「いいえ! )。(拍手)知っているということが勝利です。あなたたち、そのように愛し合い、生んでみなさいというのです。昔よりも立派な赤ん坊が生まれます。嫌だと思いながら赤ん坊を宿したら、その赤ん坊はよくありません。 ここにいる女性たちは皆、そのような素質があります。ここ(あご)がとがっている人、口が小さい人は、そこが小さいのです。赤ん坊をたくさん生むことはできません。口の大きい人は、そこも大きいのです。それは関連しているのです。 男性たちは、自分の妻がどのくらいの時間でクライマックスになるのか、何分かかるのか……。時計を置いて準備をしなければなりません。そして、始めるのです。(笑) 性生活を上手にしなければならないというのです。そうしなければ、問題が起きます。尊敬心をもち、美しく愛し合わなければなりません。それなのになぜ、笑うのですか? 三百巻の御言選集を出版 さあ、きょうの訓読会は終わりです。たくさん学んだでしょう。(「はい! )。(拍手)今年、先生の御言集が三百巻以上出ます。それをいつ全部、読むのですか? 三百巻までためておいたものを、「今年、出版しなさい」と、お金をすべて支払ってきました。先生を愛しているのならば、それを一度読んでみなければならないでしょうか、読んでみてはならないでしょうか? それを読めば、世界のどこに行っても王宮です。 皆さんがそれをすべて読めば、霊界でも勝る人はいません。先生を見てください。韓国の村の農夫の息子として生まれて、世界を私の手で溶かすのです。そのようになっていくと思いますか、なっていかないと思いますか? (「なっていきます」)。御言でです。真の愛の力でです。 このようなすべてのもの(板書しながら語られた内容)も、初めて聞くことです。歴史にこのような言葉は、ないではないですか。(「はい」)。今まで知らなかったことです。知ったので、米国の女性たちも「堕落しろ! と言ってもしないのです。では、あなたたちだけ「神様、感謝です! と、言わなければならないでしょうか、米国人、西洋人が全員言わなければならないでしょうか? (「全員言わなければなりません」)。それでは、あなたたちの怨讐である昔の同窓生たち、昔は自分よりも勉強もできなかったような人が豊かに暮らし、その息子を見ると自分の息子よりももっと立派だという時は、そのような同窓生に冷遇されたとしても、行って伝道しなければなりません。それが米国を愛することです。 そして、自分の息子・娘が立派でなければ、立派でない息子・娘が生きることのできる垣根をつくるために、昔嫌いだった人を伝道することによって保護することができる、と考えなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 統一神学校を出た人は修士学位をもっている人ですが、ここで博士は手を挙げなさい。立ってください。統一神学校を卒業した人が千名ほどになるのですが、その中で博士が三十五名です。ここで博士は何名ですか? (「十五名です」)。博士になって変わったことは、何ですか? 原理に対してより切実ですか、自分が学んだ専門分野に対してもっと切実ですか? (「原理です」)。言葉だけ、そう言うのでしょう。博士が乞食のようになって、もらい食いをしながら世界を巡り、米国五十か州を彷徨し、御言を伝えようと考えてみましたか? 考えてみましたか、考えていませんか? 答えなさい。 先生は何ですか? 船乗りであり、炭焼きの人です。農村の農夫です。できないことがありません。山に行けば、炭を焼くことも知っています。そのような舞台で賞を受けた人なのです。仕事場や工場に行けば、すべてできるのです。多くのことを専門的にしていったので、さっと見れば分かるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.10
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「真の御父母様東西洋(地球星)勝利祝賀」宣布一九九九年五月三十日午前七時、世界八十都市で「真の家庭世界化前進大会」を勝利のうちに終えられた真のご父母様は、アメリカのベルベディア聖地にて、世界の指導者とアメリカの食口三千名余りが参加する中、「真のご父母様東西洋(地球星)勝利祝賀宣布式」を主管なさった。 祈祷 愛する天のお父様…、今日一九九九年五月三十日朝七時を期して、天地に祝福を受けた家庭と天の父母と地の父母が一つになり、創造理想的なすべての被造世界の万物と、天上世界、地上世界の人間と天の父母と真の父母が一体となられ、この地上の怨恨の根本、嘆きの根本、恨の根本であったルーシェルを自然屈服させ、天上の解放圏、地上の解放圏、万物の嘆息圏、人類の嘆息圏、真の父母の嘆息圏、霊界においては幼い青少年の哀歓の嘆息圏、自分勝手に生きて地上に家庭を築けなかったすべての群れ、自分勝手に家庭を築きサタンの血統を拡張した天上世界・地上世界が、すべて一体化して兄弟の因縁を立てました。 それによって聖者と殺人鬼が共に真の父母の愛に抱かれる、このような伝統を立て、この地上に家庭的四位基台の完成を、コディアックで宣布し、万宇宙の四位基台の宣布を、プンタデルエステで宣布し、神様を中心とした解怨成就の勝利圏を備えて、今年五月十四日を中心として、パンタナールにて天宙解放圏を宣布いたしました。 そのような勝利的基盤の上に三億六千万双を祝福し、四億双を超える祝福家庭を中心として、神様を中心に全体一体を示威する環境を備えることによって、霊界と地上世界は、神様が人類に対して自由に活動できる時代を迎えました。 祝福の恩賜圏によって、神様ご自身が個人と家庭と氏族、民族、国家、世界を往来しながら、地上世界と天上世界に、祝福のすべての恩賜によって地上解放圏・天上解放圏を備え、数多くの歴史的な恨の峠を越えて、今や、今日のような東西洋地球星を中心とした、真の父母の勝利圏を発表できる宣布の日をもたせてくださいましたことに、心より感謝申し上げます。 四億双を超える祝福家庭が起源となり、新しい世界ヘ転換させる起源をつくって、今日のような日を迎えるために神様がどれほど苦労されたかを知るのでございます。この地に真の父母の道を開くために血の涙を流した数多くの宗教圏の指導者たちとすべての人々が、共にこの場に祝福家庭として同参し、真の父母に侍って三六家庭から三億六千万双まで……、そして、これから未婚男女を中心とした地上世界と天上世界の祝福によって、今や最後の終末を迎えて四十年前を蕩減復帰し、勝利の天国をつくらなければなりません。 キリスト教文化圏を中心としてなさなければならない、家庭的基盤の祝福を受け継げなかったことによって、真の父母を立てられた、その四十年となる来年を中心として全体を復帰し、青少年の祝福基盤をもって新しい第四次アダム圏を成就しようとなさる、お父様のみ旨勝利の日を前に、このような宣言式を行うようになりました。 このような宣言式ができたのは、霊界と肉界のすべての壁を壊して、自分の氏族、自分の民族、自分の国家、人類の先祖から連結した全人類が兄弟の因縁をもって、サタンと関係のある血統を根絶し、新しい天国の祝福家庭として登場できる勝利の覇権を備え、地上世界と天上世界に真の父母のみ名をもって、すべての地球星を解放し、勝利圏で主管できる時代を迎えることによって、今日、ベルベディアの意義あるこの場を中心として、真の父母の勝利圏を宣布することのできる、記念の日をもたせてくださった恵みに感謝申し上げます。 霊界にいる数多くの霊人たちと、地上にいる祝福を受けたすべての家庭、修道の世界のために犠牲となって苦労してきたすべてが、教祖を中心として祝福圏内に立っておりますから、今や共にあってくださいませ。神様の解怨成就、解放と共に、地上の真の父母の解怨成就、解放と共に、真の父母が地球星の勝利の横的基盤を立てるとともに、六月十四日を中心として縦的な「天地父母勝利圏」を発表する、歴史的な最後の宣言を望むこの場に立ちました。 神様を中心とした天上世界の祝福を受けたすべての家庭と地上で祝福を受けた家庭、万物のすべてが、嘆息圏を抜け出し、千千万代に万歳を叫び得る勝利の起源として、この式典を行いたいと思いますので、すべてをお父様が担って主管してくださり、真の父母の所願成就をすべて神様がお受けくださいませ。 万世の恨と嘆息圏を取り消し、勝利の盾の圏内で一方的に清掃できる権限をもって顕現することのできる、そのようなお父様に侍ることを願いますから……、そのような勝利の覇権の日を立てたこの日を、喜ばしき日として受けてくださるよう願いながら、宣布日を記念しようと思いますので、神様のみ名と真の父母のみ名で、このすべてが宣布できるように祝福してくださいませ。真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げます。アーメン、アーメン、アーメン! (引き続き、世界平和統一家庭連合の代表三人、超宗教を代表する三人、超国家を代表する三人など、各代表者たちが出てきて敬礼をする) 祝祷 愛するお父様…、無形なるお父様が、実体の世界を失われたその日から、再び人間との因縁を復帰するために苦労の出発をなさった、恨多き歴史の起源は、遙か数千年、数万年前でございました。 これまで息子、娘のためにつくったすべての被造世界、万物世界はもとより、人類も天上世界の悲惨な霊界の楽園以下にとどまるすべての哀れな魂を見つめるお父様の心情…、また、地上世界の彼らの後孫と同族たちが地上地獄で、聖婚を天の前に訴えるのを見つめるお父様の心情が、どれほど、どれほど、どれほど悲惨であったかという事実を、被造万物世界はみな深く知らずにおりました。 その中で堕落したアダムとエバ、直系の息子、娘さえも、お父様の悲しみがどれほどのものであるのかを知らないまま、歴史と共に天の「恨の搭」を高く積み上げてまいりました。このような人類歴史を救うための、内的な父母の心情を抱かれた偉大な愛の主人であるお父様は、耐えに耐えてサタン自体を自然屈服できる一日を願ってこられたため、数多くの恨の歴史を経てこられたということを統一教会の群れは知っております。 お父様…、この恨多き歴史を整理するための天の苦労の歴史は、キリスト教を中心として多くの宗教を織りなしながら、その中で最後の一時を迎え、人類の解放と天上世界の解放と真の父母の実現……、勝利の基準を中心として、天の父母が解放の日を待ち望んでこられた歴史的な事実をよく知っている群れがここに立っております。 そればかりか、あなたの怨恨の根源となったサタンの血統を根絶できる、この時代を迎えさせてくださったこのことを知って、このみ旨に責任をもって今まで苦闘してきた三億六千万双の祝福家庭と共に、今や残されたすべての未婚男女たちを祝福し、霊界と肉界でこれを完成することによって、地球星全体を新しく天国化すべき責任的所行を担った、この統一家の祝福を受けた群れを、天が守ってくださったことに感謝申し上げます。 この者たちを代表して先頭に立ち、むごい受難の中で独り真の父母の名目を立てるために、今まで個人的な闘争、氏族・民族・国家・世界・天宙・天上世界の心情を……、怨讐であるサタンを追放するまで闘争しながら歩んでくるにあたり、失敗しないようにと心配なさりながら保護し、一線で共に協助してくださったお父様の前に、心より、心より、心より感謝申し上げます。 お父様…、祝福の版図を拡げて、三億六千万双を立てるために、韓国で新たに三六家庭を中心として出発したのを因縁とし、氏族基盤を越えて、民族・国家・世界の版図まで開拓するために、天がどれほど苦労されたか私たちはよく知っております。 このように苦労した家庭を中心として、三億六千万双、四億双以上の祝福家庭を中心として、神様を中心として、金城鉄壁のような先鋒となり、サタンの基盤、霊界と肉界の地獄解放圏を宣布なさり、あなたの自主的な権限を回復できる宣言の日々を通して、天が協助して収めた勝利の基盤を、真の父母と共に、祝福家庭と共に、築かせてくださった恵みに心より感謝申し上げます。 それによって地上の解放圏と霊界の解放圏が共に祝福を受け、宗教圏の解放と共に、数多くの聖人・賢哲を解放し、その系列のすべての天上世界の群れを地上と共に祝福することによって、統一的な平衡水準の地上基盤の上に立ち、家庭の峠を越えて、全体宇宙史的な家庭の平坦・水平基準を備え、神様と真のご父母様が自由に活動できる基準を備えました。 その基盤の上に、今や今年において一昨日までに終えた、真のご父母様を中心とした八十か国巡回の天の大役事を、勝利的な覇権をもって一方通行で目的地まで駆け抜け、巡回勝利できるようになったその日々を称えなければなりません。 またパンタナールにおいて、天宙史的な解放と共に、この祝福の基盤を中心として、今や、ご父母様が東西洋の八数を中心とした八回にわたる韓国講演、十六回の日本講演、二十四回のアメリカ講演、三十二回の世界講演、八十か国を中心として八数に合わせる、四位基台の倍数であるアダム家庭の八数、ノア家庭の八数、これら失ったものを世界的家庭の上で回復するための最後の清算のため、このような大廓清(害になるものをなくしてきれいにする)運動を宣言しながら、巡回講演を成功させました。 今、このすべての八数解放圏を宣布すると共に、神様の再出発の権限を備えたこの舞台において、東西洋地球星で真の父母が自由自在に動くことができるばかりか、天上の祝福を受けた群れたちが、地上のアダム家庭を代表した祝福を受けた家庭を兄として侍り、弟の立場で神様に侍り、カイン・アベルの祝福を受けた天上世界・地上世界を編成することによって、解放圏を備えて新しい勝利の父母権をもたせてくださった、地球星祝福の恵みをお父様の前に感謝申し上げます。 この日を期して、この六月十四日を中心に「天地父母勝利解放圏」を発表することによって、神様が抱いてこられた恨を解き、分かれていた地上と天上の統一圏を整え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従のための基盤の上に立った人々が、創造理想の立場に立ったあなたの前に相対的な価値によって天上世界の直系子女として管理、入城、入国し、全天宙を解放し得る時代を迎えさせてくださったことに感謝申し上げます。このような一昨日までの勝利の覇権をもって帰り、歴史的な中心の場であるベルベディアにおいて「真の父母東西洋地球星勝利宣布」を可能にしたすべてが、ただの話だけではなく、 のような聖徳が根源となり、善悪を分別し、高低を推し量ることのできる一つの盾を打ち立てました。ですから、これを中心として、今後の統一家の祝福を受けたすべての者は、堂々と天の眷属として、天に代わる国家の国民として、責任の遂行に全力を尽くし、躊躇なき前進を誓うことのできる群れとなりましたから、万福の祝福を加え、地上拡大の勝利の権限で真の父母の勝利の覇権の上に連結してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 そうして、天上世界と地上世界に「天地父母勝利の解放圏」を立てることによって、あなたの愛の主権理想を全宇宙に宣布し、旧約時代の万物の祭物の恨を踏み越え、新約時代の子女の供え物の恨を踏み越え、成約時代の真のご父母様が歩んできた恨を踏み越えまして、ひとえにお父様、創造主だけが主人となられ、サタンの讒訴条件を全廃した勝利の覇権、愛の王となってくださいますようお願い申し上げます。 地上に平和をもたらすことのできる勝利のこの日と共に、天上世界の解放を備え得るこのみ業を真の父母のみ名によって願いますから、これを受けて実践なさり、万世に祝福し、勝利、勝利で、前進なさいますことを切に願いながら、神様と真の父母のみ名を中心として、天上世界と地上世界に、万民と共に、万物と共に勝利の覇権国家として前進を誓うことを宣布いたします。 これによって、すべてが復帰され、天の勝利の血族になることによって、サタンまでも解放し、兄弟の因縁の圏に参席させる真の父母の特別な恩赦に今一度彼らも感謝し、お父様の懐に抱かれるように、この日を期して許諾してくださるよう真の父母のみ名で奉献いたしますから、お受けくださいませ。 万世の恨と嘆きの解放圏を備えて、真の父母のみ名によって、天上・地上の真の父母圏全体に代わって、この勝利の日を宣布いたしますから、万世の勝利の主人公となってくださいませ。 アーメン、アーメン、アーメン! (ケーキカットの後、真のご父母様に世界平和家庭連合・世界代表による感謝杯贈呈、世界平和家庭連合・アメリカ代表による贈り物贈呈、世界宗教指導者たちによる感謝杯と花束の贈呈があり、その後、万歳三唱と祝歌が続く) み言 世界に生きる人類、天上世界にいる霊人たち、そして被造万物たちは、堕落の根本とそれが向かう方向について何も知りませんでした。統一教会が現れることによって、摂理史の内容を知ることになったのです。 旧約時代、新約時代を越えて、成約時代を迎え、天上世界と地上世界を統一し、地上・天上天国、神様の愛の主権の統一世界になるということを宣布しました。今後、これが統一教会、レバレンド・ムーンによって始まったということを、全世界は知るようになるでしょう。 旧約時代はイスラエル選民圏によって始まりました。旧約時代には、供え物に血を流させる儀式を通して贖罪の道を求めてきましたが、その根本については知りませんでした。なぜそのようなことをするのか、知りませんでした。神様は、天地万物をつくられた主人であり、すべては神様が愛することのできる神様の物です。それにもかかわらず、これを二つに裂いて、一方は神様が所有し、一方はサタンが所有するのです。そのためには血を流さなければならないという、そのような内容を知らなかったのです。 人も二つに分かれています。ですから、人が一つになって、血を流した供え物を一つにしてこそ、神様は受け取られるのです。死んだ万物よりも、神様をもっと愛したということになるのです。神様をより愛する「愛の血」を立てるという条件のもとに、祭物が始まったという歴史を知りませんでした。 アダム家庭から二千年を中心として役事し、ヤコブの時になって初めて氏族的な民族を中心として、祭物を通して、個人的な赦し、家庭的な赦し、国家的な赦し、世界的な赦しまでがなされたのです。旧約時代にそのような祭物を引きずってきながら、その主人となれる息子が来ることを願ったのです。万物を通して息子がつくられたので、そのアダムの代わりとして来られるメシヤは、これをすべて処理して一つにしなければなりません。その時メシヤと一つになっていたならば、この祭物時代は旧約時代で終わっていたのです。 アダム家庭でカインがアベルを殺しました。神様は分岐によってもてるものは何一つありません。それで、イスラエル民族を通して、神様が取れる分を占有するために、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界まで押し進めてこられたのです。そのようにしながら、祭物として二つに分かれた世界をいかに一つにするかというのが、神様の所願だったのです。 ですから、メシヤは一つにすることのできる裂かない主人として、完成したアダムのような実体として来られます。そして、祭物世界を除去するとともに、息子がこの地上で全体を所有する主人として、万物を犠牲にして殺さずに、収拾するのです。はじめて息子と娘が一つになり、万物全体を神様だけが一方的に収拾するために、メシヤを送るという思想があったのです。サタンのものを一つ残らずなくすために、メシヤ思想があったということを、皆さんは知らなければなりません。 アダムが完成したならば、神様の息子であると同時に、神様の家庭ができるはずでした。そうなれば、万物もアダム家庭のものであると同時に、アダムとエバのもの、男性と女性のものとなるので、そこには血を流すような条件はありませんでした。 神様の愛を中心として、アダムとエバが子女としての責任を果たしていたならば、その万物はアダム圏内にありました。アダムが勝利したため、血を流すこともなく……、再び世界を抱き、ご自身の息子と娘を中心として家庭を築くことのできる祝福の行事が……、そのとき神様による家庭統一、世界統一の起源となる万民祝福の時代が、メシヤたるイエス様によって成就するはずでした。 それがイエス様の死によって世界まで延長され……、再臨主が来られたとしてもその公式は……世界舞台で同じ法度によって経ていかなければなりません。万物の祭物時代を経て、その次は息子が供え物となりました。一つになるべきイスラエル民族とイエス様が、一つになることができず、父子関係の因縁をもつことができなかったのです。地上において神様の子女の代表である息子の前に、孫がいなければならないのですが、孫の統一圏世界を備えることができずにイエス様が死んだという事実を、キリスト教徒たちは知らずにいるのです。 祭物時代にはイエス様を迎えることによって、イスラエル民族の前に祭物のない勝利の天国と天の権限が始まるはずでした。ところが、イエス様を殺し、血を流させたことによって、イスラエル民族は地上地獄に落ちてしまいました。万物の祭物時代は、息子の解放時代を迎えるためにありましたが、息子の解放時代に殺されたので……、解放された立場に立ったイエス様が祭物の立場、息子が祭物となった立場に立つことによって、息子を祭物として犠牲にしたイスラエル民族は、地上地獄に落ちなければならないのです。蕩減を払わなければならないのです。 ですから、キリスト教は血を流さざるを得ないのです。イエス様は死ぬために来たなどと、狂ったようなことを考えているので……、神様に大きな怨恨の釘を打ち込んでいるのです。息子の権限を中心として、神様は主人の役割を果たそうと思っておられたのに、それをイスラエルの国が崩してしまいました。それゆえに世界を流浪しながら、二千年間、キリスト教と共にそれを蕩減するための血を流してきたのです。キリスト教に血を流させたのはユダヤ教ですから、ユダヤ教は国が完全になくなるのです。 イエス様が祭物となったので、解放されるまで、国を得て神様の全権時代を迎えるまでは……イエス様の体を裂いたので、キリスト教はどこに行っても犠牲の血を流し、戦場で馬蹄に踏まれ、悲惨な避難民以上の受難の道を歩み、二千年間、国なき民となってきたのです。それを知らなければなりません。ユダヤ人はそれを知らずにいます。神様が祝福してくれた選民が、なぜこのようになったのかを知らなければなりません。 息子が祭物になることによって、心と体の両世界を失ってしまいました。そのような事実をご存じのイエス様は、千辛万苦の十字架の途上でも、神様の息子の権威をもって怨讐のローマを赦し、未来のローマを愛する思いで祈祷しました。それが神様の前に復活できる条件となったという事実を、キリスト教は知らずにいるのです。 このように、イスラエルの不信によって死にゆくイエス様が、そこで宣言したのが何かというと「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」です。死の境界線を越えて、再び生き返って乗り越えてこなければ、神様のみ旨を成し遂げられないのです。それゆえに、イエス様は十字架で亡くなりながら、再臨について語られたのです。 では、その再臨の目的とは何でしょうか? 自らの愛する相対を探すのがその目的です。完成したアダムを失ったので、そのアダムを取り戻し、そのアダムを通してエバをつくらなければなりません。それゆえに、再臨のメシヤは、サタン世界から女性を取り戻さなければなりません。したがって、新郎新婦の名前を中心としたキリスト教は、二千年間、血を流さざるを得ませんでした。サタンの讒訴条件に引っ掛かっているのです。サタンが「半分はおまえのもの、半分は私のものだ! 霊界にいる復活したイエスは神のものだが、復活しない実体は私のものだ!」と言うのです。引っ掛かっているのです。 神様は、祭物のような立場でのサタンの分岐をお赦しにならず、神様のみが主人になれなければならないのに……、個人的な主人、家庭的な主人、氏族・民族・国家・世界的な主人となるその道を完全に壊してしまったのです。亡くなった主、イエス様はみ旨を成就できなかったので、再び来なければなりません。 イスラエル国の失敗をキリスト教が担って、来るべき主と一つになり、完全に神様の所有圏が個人から国家を超えて、世界化し得る版図をつくらなければなりません。これが再臨主がこの地に来られる目的です。雲に乗ってきたのではだめなのです。「雲に乗ってくる」と言っているのは狂っていることです。雲に乗って、来られるでしょうか? 神様を中心とした統一的な所有圏をつくろうとしてメシヤを送ったのですが、イスラエル民族が一つになれなくて失敗したのです。世界的に来られる再臨のメシヤを願う人々は、イスラエル民族の失敗によって、イエス様がそのような結果に立たれたということを、はっきりと知らなければなりません。今もなおユダヤ人とキリスト教徒は、統一的な所有圏をもち得ていないという事実を知らなければなりません。民族主義的なイスラエル選民権を自慢するなというのです。選民は天地を解放する主人に仕えるためにあるのに、イエス様に反対して追い出してしまいました。主人を追い出したのです。 今やユダヤ人たちは、二千年前に殺したイエス・キリストをメシヤの中のメシヤとして、父母よりも、兄弟よりも、誰よりも尊く侍らなければなりません。それでこそ、将来歓迎される道があるのであって、そうでなければ道がないということを知らなければなりません。 第一イスラエル民族が失敗することによって、第ニイスラエル圏のキリスト教は、霊的第ニイスラエル選民となります。なぜでしょうか? イエス様が体を失ったからです。 メシヤが雲に乗ってきたら滅ぶのです! 雲に乗ってくるのですか? 理論上、合いません。レバレンド・ムーンは理論だけでなく、霊界のすべての事実をくまなく知っている人です。神様の心情世界までも知り、愛の世界までも知っている人なのです。 神様も知らないくせに反対して、統一教会が異端だというのですか? キリスト教、ユダヤ教、共産党までが加担して、レバレンド・ムーンを消し去ろうとしましたが、すべて失敗しました。今では、いかなる力をもってしてもレバレンド・ムーンを除去できない、最上の立場に上っているということを知らなければなりません。神様が保護されるのです。 霊界を統一できる神の印を授からなければなりません。それをイエス様から相続しなければ、地上世界の統一ができないということを知らなければなりません。統一教会は今まで、そのような見えないイエス様を中心として、第一、第ニイスラエルの失敗者をすべて連結させて、歓迎できる基盤に立てておき、サタンと闘ってきたのです。 全世界的にサタンが全権をもって「レバレンド・ムーンを殴り殺せ!」と攻撃してきたのです。個人から家庭、氏族、民族、国家、そして地獄にいるすべての霊人までが、「反レバレンド・ムーン運動」を行ったのです。ところで今、そのレバレンド・ムーンは生きていますか、死んでしまいましたか?生きているのです。 ユダヤ教と旧教と新教ばかりか、のちには共産党までが一つになって打倒しようとしてきたのです。「どうやってレバレンド・ムーンを打ちのめそうか?」と言いながら、ソ連とアメリカが一つになって四方から攻撃してきたのです。 すべて犯罪者です。イスラエルが滅びれば、地上が滅びるのです。先生の怨讐の中の怨讐は誰ですか? アメリカです。キリスト教を代表した宣教師を中心として……韓国と共に私に反対してきたのがアメリカの宣教師たちなのです。しかし、先生はアメリカを救おうと二十四年間努力してきました。青春時代を捧げ、全生涯を捧げてきたのです。アメリカの監獄に入っていって、滅び行くアメリカのためにワシントンに六つの団体をつくりました。法廷で闘争している最中にあっても、「ワシントン・タイムズ」を設立する一次的な費用を支払ったのです。 アメリカの国民たちは「万歳!・ レバレンド・ムーンが監獄に入ったぞ! 万歳! 滅びた、滅びた!」と言って、統一教会を罵倒しながら、ありとあらゆることをしてきました。 「宗教、政治、経済、文化、教育など、すべての分野における怨讐の中の怨讐が倒れた」と言って、全人類が勝利の万歳を叫んだのです。 忘れてはなりません、統一教会のメンバーたち! あの当時、神様とレバレンド・ムーンがどれほど悲惨な立場でしたか? あの当時、神様とレバレンド・ムーンが歓迎されていたならば、問題なく七年間で地上天国が築かれていたのです。地上天国のための確固たる計画が立っていたのです。 あの時、アメリカを中心としたキリスト教世界がレバレンド・ムーンを歓迎していたならば、どんなことも可能だったのです。七年もかかりませんでした。その半分の時間で充分でした。四百年間、旧教と新教は怨讐関係にありましたが、それも問題なく一つにできたのです。 統一教会の原理には、旧約聖書の主流的な内容も入っており、新約聖書の主流的な内容も入っています。それを読んでみれば、レバレンド・ムーンの教えをありがたく思うのです。主流思想のすべて、民主世界、共産世界が、私の手中で溶けるはずでした。 もし、そうなっていたならば、共産主義は現れませんでした。また、いかなる外部世界の反対もなかったでしょう。全人類は、自動的に原理に従うようになっていたのです。今、統一教会で行っている訓読会の内容は、五十年前に語った内容です。今現在、語っている内容と同じ内容なのです。 アメリカのキリスト教の責任者たちを見てみなさい。レバレンド・ムーンに反対しても、反対してもだめなので、結局は滅びて地獄に落ちるのです。大きな教会には建物だけがあって、生命がありません。棺桶に片足を突っ込んだような八十過ぎの老人だけが集まって座り、「これが私たちの天国だ!」などと言っています。そのようなことを考えてみなさい。希望がありません。 反対に、レバレンド・ムーンの後ろには、多くの若者たちがついてきています。今、十八歳以上の若者たちがついてきているのです。キリスト教は、統一教会とは比較にもなりません。彼らもすべて知っているのです。今後、道がありません。反対している途中で崩れるのです。道がないのです。レバレンド・ムーンの後ろで原理を何度もチェックしてみたところ、「ああ、これからアメリカだけでなく自由世界は、どうしたらいいのだろう!」と驚いています。これが問題なのです。 もしも神様が怨讐を愛さなかったならば、アメリカを叩きのめしていたことでしょう。神様は、怨讐を愛するという哲学を知っておられたので、アメリカを愛し、キリスト教を再び抱いて生かそうとされるのです。キリスト教のために苦労したのです。先生はそのような力をもった人です。南米に行って数年内にすべてをまとめ、アメリカに反対できる能力をもった人です。旧教を結束させるのです。南米はカトリック文化圏です。四百年の怨みを晴らすことができるのです。 神様が苦労した歴史を知ってますか? イスラエル民族を立てるための四千年歴史と、キリスト教を復活させるための二千年歴史、六千年の歴史をかけて苦労された神様の苦労を無駄にはできません。それゆえに、キリスト教を抱いて愛するしかないという、レバレンド・ムーンの恨の歴史が残っているという事実を、はっきりと知らなければなりません。皆さんがそれを解いてくれなければなりません。ユダヤ教とキリスト教が、神様の摂理のために一つにならなければならないのです。 旧約というのは約束ですが、約束を果たせなかったことが問題なのです。それで新約、新しい約束を立てましたが、それも失敗しました。新約で終えなければならないのです。万物を供え物として捧げたのは、息子が行くことのできる高速道路をつくるためでした。イエス様はそのすべてを失いました。イエス様の体までサタンが占領しました。ですから、霊的なものだけが残ることになったのです。 キリスト教は血を流します。来るべき再臨主は「真の父母」として来られますが、その真の父母が血を流さないように、二千年間血を流してきたのです。そして真の父母は来られました。ところが、父母と知らずにその父母を追い出してしまったのです。ユダヤ教と同様に、新約時代にイエス様を殺したのと同様に……再臨時代の成約時代を迎え、世界統一圏のキリスト教文化圏を備えなければならなかったのに、反対することによってそれを完全に失い、共産主義の前に数億が死んだのです。キリスト教は悔い改めなければなりません。数億の人が死んでいったのです。 理想家庭の主人である再臨主を荒野に追いやったのです。ですから、自由世界とキリスト教世界が、家庭と若者たちを失うのです。それをどうやって解決しますか? それが問題です。レバレンド・ムーンしか解決できる人はいません。そのことを自由世界も、キリスト教世界も、宗教世界も知りません。 アメリカの若者たちは元気があって健康です。そのようなアメリカ人が地獄に落ちています。その悲惨なありさまをいかに解決しますか? レバレンド・ムーンを信じるほかありません。他に方法はありません。ですから、このような記念日を宣布するのです。東西洋の全体が、レバレンド・ムーンを父母として侍らなければ、死んでしまうのです。死なないかどうかは後から分かります。滅びるのです。 それを、知らなければなりません。レバレンド・ムーンが地獄まで解放するのです。誰が神様とサタンの闘いを止めることができますか? 神様も止められず、サタンも止められないその闘いを誰が止めますか? 来るべき再臨主、真のアダム、完成したアダムが止めるのです。失敗したアダムが偽りの父母になったので、完成した真の父となって、神様も解放でき、サタンも解放することができるのです。 愛によって神側の人も抱き込み、サタン側の人も抱き込むのです。力によってはサタンを屈服させることができません。神様に「このようすれば解放されるのではありませんか?」と尋ねて、神様が「そうだ」と答えて、歴史のあらゆる怨恨を追放することによって屈服させるのです。 闘いは終わりました。皆さんは苦労が好きですか? 勉強しないならば、気合いを入れて勉強させるというのが好きですか? 神様の心情を知らなければなりません。それが終着地なのです。そこで神様の家庭が実現されるのです。それが理想的な終着地です。そこで神様の息子としての価値を備えることができるのです。それが私たちの目標です。 世界が私たちに屈服したならば……建設しなければなりません。建設して天国をつくってこそ、神様の祝福を相続できるのです。相続するにはすべてを捧げなければなりません。中途半端ではできないのです。偽りの父母アダムによってすべて失ったので、統一教会はその国とその世界のすべてを捧げなければなりません。「あなたのものですから、どうぞご自由にしてください」と言わなければなりません。 すると神様は、すべてをご自身のためではなく、息子のためにおつくりになったので「息子よ、娘よ、おまえたちがいるので、再びおまえたちに返そう!」と言われるのです。そのようになってこそ、私たちの所有権時代が来るのです。それを知らなければなりません。真の父母も所有権を最も愛する子女に相続してあげるのです。違いますか? 同じです。成約時代は神様までも、神様の愛までもすべて私のものなのです。何もかも相続できる時代なのです。アーメン、アーメン、アーメン! 分かりましたね? ですから、成約時代にはすべてが私の所有です。絶対的な主人である神様も私の所有です。サタンにあげるものはないのです。すべての所有権を得て、エーメン(アーメンの発音から A man)、ナンバーワン・メン(No.1 man)に違いないので、神様の息子、娘になるのです。神様の娘婿や嫁では嫌なのです。それが神様の創造理想の基地です。軍隊の基地のようなものです。そこにはすべてが補給され、原子爆弾もあり、すべてがあるのです。 勝利の所有権基地! それを相続した後では、ナンバーワンになるのです。昼に夜に、春夏秋冬、一生涯だけでなく、永遠を越えて、ナンバーワン! そのような人たちが天国の王子、王女となるのです。 皆さんは、皆そうなりますか? そうなるという人は手を挙げなさい。「私は成約時代の王子だ!」と一度言ってみなさい。(「私は成約時代の王子だ!。」) 今から五十四年前に、先生は初めは未婚の男女を祝福しようと思いました。その時の未婚の男女とは誰のことですか? カトリックの神父と修道女たちです。仏教徒もそうです。東洋と西洋には独身生活をする人たちがいましたが、どれほど多かったでしょうか。彼らを中心として二世たちを祝福するのが、先生の祝福の目的でした。 神様はそのような若者たちを祝福したかったのです。ところが、そのすべてを失いました。それで、蕩減を払うようになったのです。そこで、先生は新しい理想家庭を立てなければならないと宣言したのです。 私たちは真の父母にならなければなりません。ですから、神様の血統を相続しなくてはならないのです。それが私たちの主な目標です。すべての若者たちを復帰しなければなりません。「レバレンド・ムーンが理想家庭を立てて、全人類が後に続いていることを知ってますか?」と言えば、「イエス!」と言いながら、「レバレンド・ムーンが新千年の唯一の希望です!」と言うのです。若者と家庭破壊の問題をきれいに解決するのです。ですから、周りで反対を続けることができないのです。 キリスト教世界の二世たちを復帰しなければなりません。四億双の祝福も問題ありません。私たちは四億家庭以上の既成家庭を祝福しました。ですから、家庭ごとに一名の子女を導いたなら、即座に四億双の祝福は問題なく勝利できるのです。今、最後の問題は未婚祝福です。これはキリスト教世界の責任ですが、キリスト教がその責任を全うできなければ、奈落の底に落ちるでしょう。反対する共産世界と自由世界も同じなのです。 ですから「アメリカの小学校は、私が救わなければならず、中学や高校も私の手で救わなければならず、大学も私の手で救わなければならない。法的結婚をする者たちも私の手で解決しよう!」。このような決心をしなければなりません。アメリカの青年たちは皆さんの責任ですから、先生は故郷に帰る準備をしなければなりません。 私がこれほどまでにアメリカを生かそうとしたのに、皆さんがそれをできなければ共同墓地にも行けません。皆さんが責任をもつというように、今から考えなければならないというのが正常な結論なのです! アーメンと言わざるを得ません。 ですから、霊界祝福した写真まで合わせれば、地上で祝福した人たちのアルバムはこれ位になるでしょう。キリスト教の、今まで反対してきた怨讐たちの、荒野で倒れて滅びる群れにこれを見せて「あなたの両親が反対したことは、正しかったのだろうか?」と尋ねるのです。小学校しか出ていなくても、賢い者たちは「私たちのお父さんはこれで(親指を下に)、統一教会のレバレンド・ムーンはこれだ(親指を上に)」と言うのです。そうして「おい、レバレンド・ムーンの写真をもつ運動をしよう!」と言えば、千名なら千名がたちまち写真を持つのです。一万名ならば一万名が写真を持つようになるのです。 祝福の時が来れば、写真を持った人を否が応でも引っ張ってきて、並ばせて「入れ!」と言えば入っていくようになっているのです。「嫌だ」と言うようになっていますか? 三分の一は強制的にでも通じるのです。のちには、大統領の家庭が、息子と娘を率いて孫まで祝福を受けさせ、数十双、数百双になるのです。それに反対しますか? 大統領の家族が数百名も出てくるのに、それに反対するかというのです。そうなれば、アメリカの車に乗って高速道路を走るようなものです。 自慢してはなりません。エイズが最もひどい所もアメリカではないですか? 家庭も壊れ、氏族も壊れ、民族も壊れ、国家も壊れ、世界まで滅ぼすのがアメリカです。「ペッ!」。どうして赦されるというのでしょうか? どんなに悔い改めてもだめなのです。世界を見回してみなさい。どこに行っても「ヤンキー、ゴーホーム!(アメリカ人よ帰れ)」と言っています。 同じように、アメリカでは「レバレンド・ムーン、ゴーホーム(帰れ)!」と言っています。ところが、全世界では「ヤンキー、ゴーホーム! レバレンド・ムーン、カムバック(帰ってきて)!」と言っています。反対なのです。アメリカはレバレンド・ムーンに反対しますが、東西洋はレバレンド・ムーンと一つになり、アメリカに反対しているのです。先生は背後でそのような基盤を築いているのです。ソ連やインド、ブラジル、日本などでそのような基盤を築いているのです。 どんなに反対しても、キリスト教世界には力がありません。ですから、皆さんは自信をもたなければなりません。どこにおいても手を挙げて宣布しなさい。負けてはなりません。レバレンド・ムーンのように自信をもたなければなりません。そうすれば、問題なく中心者になることができるのです。考えてみなさい。先生も四十を過ぎてからアメリカに来て、中心的指導者になりました。違いますか? アメリカの指導者たちを見てみなさい。これからの進むべき道を知りません。レバレンド・ムーンがいなければ、キリスト教世界もそれと同様です。カトリックも同様であり、アメリカをはじめとする民主世界も同様なのです。共産世界にも希望はありません。レバレンド・ムーンについてくるしかないのです。どうしてですか? 全能の神様、愛の神様が共におられるので、消化できないものはないのです。 パンタナールに「スクリ」という大蛇がいますが、長さが二十五メートルにもなります。人も飲み込めるほどに大きいのです。それが、五メートル以上ものワニと戦っても、絡みついて飲み込んでしまうのです。ワニの体に汚い泥水がついていても、そのまま構わずに飲み込んでしまうのです。勝利者はそのように飲み込むのです。悪人であれ善人であれ、関係なくすべてを飲み込んで消化する者が勝利者なのです。 そこで、レバレンド・ムーンはパンタナールに、スワローキング( swallow king : 飲み込みの王)が育っているのを知り、スワローキングになろうと考えました。悪なる世界であれ、善なる世界であれ、一気にぱくっと飲み込んでしまうのです。それで、問題なく消化するのです。神様やサタンまでもそのようにするならば、どれほど驚くべき概念でしょうか。問題なく、そのようにできるのです。 真の愛は、すべてを消化することができます。怨讐も同じです。大蛇のスクリも問題なく消化できるのです。皆さん、ノアの洪水のとき、魚たちは審判を受けなかったという事実を知っていますか?その当時、すべての被造万物が審判を受けましたが、魚の世界は審判を受けなかったのです。それで、私は魚の世界が好きなのです。今、私は漁夫の王となっています。すべてを漁夫たちに教えてあげています。 最初に釣った魚は逃がしてあげます。どんなに面白いことでしょう! どんなに大きな魚を釣っても逃がしてあげるのです。それと同じように、神様もヒットラーやスターリンのような人たちを解放してあげました。それで、ヒットラーとスターリンも、聖人たちと同じ日に祝福を受けました。そのように愛で飲み込めば、大変おいしいのです。消化するのも問題ありません。 いかにアメリカが大きいといっても、先生は問題なく消化できます。どんなに共産世界が強いといっても問題なく、中国も問題ありません。宗教世界も問題ないのです。全世界に先生がそのようにできる基盤を整えておきました。すべての人々がレバレンド・ムーンを好むのです。四季を問わず、昼夜を問わずどこでも歓迎されるのです。 ところが、レバレンド・ムーン一人では、それらの歓迎をすべて受けざることができません。それで、すべての若者たちを前面に立てて歓迎を受けさせるのです。皆さんが絶対信仰をもっていれば、先生が皆さんをそのような責任者の立場に立ててあげるのです。 今までサタンが破壊してきたものは何ですか?罪を犯していない青年男女、若い息子や娘たちを堕落させてきたということを知らなければなりません。今、世界の四億五千万双以上の祝福を受けた統一教会の家庭は、アダム家庭が完成した立場と同じ扱いを受けるのです。霊界も肉界も地獄に行くことなく、すべて解放しました。地獄の門がなくなったのです。天国に行けるようになっているのです。 今や、先生の思想を中心として国をつくれば、そこでは伝統も絶対伝統として一つ、民族も一つ、風習も一つ、言語も一つ、生活も一つの形態であり、天国に入る前段階になるのです。 その前に、皆さんに今、残されたものは何ですか? 青年たちを、息子や娘を堕落させてきた、そのような立場から脱して、神様の前に二世の立場である世界の若い青年たち、まだ祝福を受けていない二世たちを、アダム家庭に生まれた子女のように……、二世たちを代身した立場の未婚の男女の祝福を、霊界全体が協助することによって、堕落していない勝利的立場に共に入っていけるのです。今はそんな時なのです。 サタンから見れば、がらくたのように淫乱に陥った、ありとあらゆる家庭が地獄に行っており、地上もそうで……今もなお契約結婚するという、ありとあらゆる者たちがいるのです。また、霊界には十六歳になる前に未婚のまま、結婚を夢見ることもなく死んでいった者たちもおり、ありとあらゆる者たちがいるのです。そのような人たちをすべて祝福してあげました。 では、まだ残っているのは何でしょうか?若者の層、未婚の男女の四億双祝福が残っているのです。それに協助することによって、自分も神様のみ旨に協助し、真の父母に協助し、人類に協助したという、そのような看板を持つことができるのです。それによって赦される道が生じるということを、神様は前もってご存じで、勧告してこられたということを知らなければなりません。その息子や娘の中に、四億双の中に、一双ずつアダム家庭に代わる神様の孫、三番目になる孫の家庭をつくりなさいというのです。そうすれば、すべて成就するのです。天国は空っぽなので、一挙にすべてを組み込むことができるのです。 ですから、キリスト教だけでも十億を超えます。また、宗教圏がどれほど多いことでしょうか。そこに七五パーセントの人類がぶら下がっているのです。そこから一人ずつぶら下がってきただけでもどれほどになりますか? 来なければ闘ってでも奪ってこいというのです。 新教、旧教もみな祝福を受け、キリスト教徒はもとより宗教界すべてが祝福を受けたならば、家庭問題や青少年問題は解決されるのです。それを解決できるのは、唯一レバレンド・ムーン、統一教会しかありません。ですから、統一教会にすべて任せようと考えているのです。訪ねてこれないようでは、死んだほうがましです。皆さんが罰を受けなければなりません。 サタンに負けるつもりですか? 問題は何ですか? サタンに負けるつもりですか、勝つつもりですか? サタンが自分に属する、五十億の人類と悪霊たちを前に出して、「私も救ってくれ!」と言ってくるのです。それをすべて救ってあげるなら、世界が一挙に動くのですが、サタンに勝ちますか?その代わり皆さんがサタンに勝つ方法は、「私は先生の代身だ。死んでも先生の代身だ。第二の真の父母だ!」という、そのような観念をもつことです。 今後、キリスト教の若者たちを生かしたのちには、共産世界の若者たちが間違いなく一挙になびいてくるのです。先生は内外に準備しています。このアメリカよりも先を行っているということを知らなければなりません。回教が望んでいます。キリスト教に勝とうとしてです。「絶対的にレバレンド・ムーンに従う!」と言っているのを考えてみなさい。儒教や仏教も同じです。 アメリカで多くの祝福を受けられるように、イエス様にベルベディアで生活してもらい、キリスト教の聖霊たちをアメリカに配置したのですが、成果があがりません。皆さんが動かないからです。イエス様のご夫妻がベルベディアに住んでいるのを知ってますか? これからは、イエス様のご家庭を自分の弟家庭のように思いながら、キリスト教の家庭を一軒一軒訪問し、「弟の言うことを聞いて協助せよ! 霊界にいるキリスト教の者たちよ!」と言えば、霊界が動くのです。そのような時となったのです。 原理のみ言に、宗教統一や世界統一のためには霊界を動員するという内容がありますが、今、霊界を動員していますか、していませんか? すべて動員されました。すべて動員されてきているのです。今後は、霊的世界とぶつかれば蹴飛ばされてしまうのです。「おいこら、今がどんな時か知っているのか! 先祖たちを滅ぼすつもりか!」と言って、霊界の先祖たちが、「災いを転じて福となす」という役事を起こす時が来たのです。そのような仕打ちを受けないようにしなければなりません。 休む時間などありません。言うことを聞かなければ霊界に連れていかれるのです。蕩減はありません。直接主管時代なのです。レバレンド・ムーンは脅迫がうまいと思うかも知れませんが、見ておきなさい、そうなるか、ならないか。先生の命令で霊界を動員しました。そのような者たちは地上に置くなというのです。そのようになってこそ、サタンまでが逃げ出すのです。 それゆえに、「天宙解放式」を今年の五月十四日、パンタナールで行ったのです。サタンや悪魔や聖人たちを祝福したのは昨年でしたね? 昨年の五月十三日から十五日にわたる、その中間日に宣布しました。ですから、パンタナールは統一教会がサタン世界を解放した、第一の記念すべき聖地になったのです。解放されたすべての人々はそこを訪問し、先生の心情圏を引き継がなければならない時代となったので、パンタナールは聖地の中の聖地、エルサレムとは比べものにならないほどの聖地になるのです。天宙解放の聖地なのです。 六数はサタン数ですが、そこに十四数を添えて、完成できる杭を打ち込んでおきました。今回の「真の万物の日」は六月十四日で完全に解放数です。今日と明日と十四日を合わせて、十六日になります。六月を中心として六数となり、十四数の完成数となり、十六数は八数の倍数で、このサタン世界を抑えるのです。それで、そのような日を中心としてこうすることによって、今やすべてが終わるのです。「東西洋(地球星)」の勝利を真の父母が成し遂げたので、サタンまでが屈服し、霊界が再臨協助するので、四億双の祝福は問題ないのです。 キリスト教文化を生かすか否かは、アメリカの責任です。アメリカが責任を負えなくなるとき、サタンに奪われるということを知らなければなりません。 七千名は問題ありません。アメリカ大使館に命令して青少年解放運動をすれば、七千名は問題ありません。七万名、七百万名までやれる道があるのです。 なぜアメリカ大使館がそれをやらなければならないのでしようか? アメリカ大使館を出入りしていた若者たちが、エイズを繁殖させ、世界を滅ぼしたのです。そして、フリーセックス、ホモセクシャル、レズビアンを繁殖させたのです。アメリカ大使館がその根拠地です。蕩減を払わなければなりません。罪を犯したので、犯した罪を蕩減しなければならないのです。 ですから、アメリカ大使館に命じて、皆さんが大使になるか、あるいは大使の首をつかんででも、これをやらなければなりません。日本の女性とアメリカの女性を世界中の大使館の僕として送るのです。 ですから、そのようなことを考え、既に決心した身となったので七千名、七百名を決心したと考えを改めなければなりません。それをするには、皆さんが住んでいる所、たとえば面(町)ならば三つから四つの面を訪ねていきなさい。州ならば自分の州の他に三つから四つの州を訪ねていきなさい。それから、四つの国を訪ねていきなさい。その次には、四つの世界、地上世界、天上世界、サタン世界、霊界までも訪ねていくのです。神様のすべての所有権を相続しなければなりません。先生は革新的な内容を語っているのです。 ということで、既に皆決心したので……新聞社の社長は大使の後について回り、長官の後について回り、州知事の後について回り、襟元をつかんで闘えというのです。国に行くときには、国と闘うのです。「私が国と闘うのは国を生かしてあげるための勧告であり、世界の代表であるアメリカ大統領を解放し、天国の神様までも解放するためである」と考えなければなりません。「宇宙と神様までも私が解放しなければならない」と考えなければならないのです。全能なる神様も、真の父母の助けを借りなければなりません。 「父母」という言葉は、血統を相続してあげるという意味です。そのような立場に立てなければ、「父母」という名を使うことはできません。そうではないですか?父母は真の愛、真の生命、真の血統を相続してあげるのです。神様もそれを変更できません。その父母と子女が一つになれば、神様も歓迎します。真の血統が連結した子女には、サタンは侵犯できないのです。 なぜ真の父母を必要とするのですか? 真の血統に連結するためです。どのようにして接ぎ木できるのでしょうか? 他に道はありません。接ぎ木するには首を切らなければなりません。すべてを消して、ゼロポイント(零点)に立たなければならないのです。他の概念があっては接ぎ木できません。そうでしょう? 完全に一つになってこそ枝が出て、葉が出て、芽も出てくるのです。 レバレンド・ムーンは正しい人なのです。アメリカ人たちはそれを知っています。世の中のすべての人々がレバレンド・ムーンを信じています。宗教界においても先生が最高です。すべての分野をみな占領したのです。信じられますか? 先生はすべての分野において専門家です。経済分野においてもすべて成しました。先生はどんな困難があったとしても、神様の摂理路程を先駆けていくのです。統一教会のいかなるメンバーもそれを否定することはできません。何の目的があってそうするのですか? 神様を解放するためです。(三〇九-一九六、九九年五月三十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.09
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天宙解放宣布式一九九九年五月十四日、ブラジル・パンタナールのアメリカーナホテルにて、サタンであるルーシェルが、神様と真のご父母様と人類の前に自然屈服し、本然の位置に戻ったことを宣布する「天宙解放宣布式」がなされた。ルーシェルは既に同年三月二十一日に降伏していたが、公式的な宣布は五月十四日になされた。この日は、その前年である一九九八年五月十三日から十五日にわたって、真のお父様が三日間パンタナールに滞在されながら、聖人と殺人鬼を同じ位置で祝福することが取り決められた、その中間の日にあたっていた。 祈祷 愛するお父様…、本日、一九九九年五月十四日、フェルテ・オリンポからアメリカーナホテルのこの場に連結させたのは、旧教と新教、スペイン系諸国のカインとアベルのうち、アベル的な立場に立ったのがウルグアイだからでございます。ポルトガルを中心としたブラジル、パラグアイを中心として、アベル的な立場にあるのがパラグアイでございます。 そのパラグアイとブラジルを連結することのできるここにおいて、人種を超越できるアジア系と一つになり、摂理史の旧約時代と新約時代、成約時代を中心として実を結べなかった、すべてを完結する旧教と新教の版図を連結させるこの場を、お父様…、記憶してくださいませ。 パラグアイとブラジルを中心とし、ウルグアイとアルゼンチンを中心とした、旧教と新教の歴史的な怨讐となったすべて、サタンの築いたすべてを、再び神様の摂理の中で再編成して束ねるための摂理史……、神様がこの南米を中心として、四年という期間を通して摂理させてくださったことに感謝いたします。 昨年の五月十三、十四、十五日、この地において堕落によって神様の怨恨の悲しみとなった、サタンとその血統による歴史的なすべての罪が、一次、二次、三次の戦争を経て結実し、それを清算するための完成アダムの代身者としてこの息子を立てられ、これまで歴史的な摂理史の中で、あなたが心の中で感じた悲しい苦痛の事実をすべて解き明かし、天の秘密と地の秘密、歴史的な秘密、堕落によって覆われていたすべてを解き明かし……、白昼に全天下に公認することのできる摂理史の受難の道が、どれほど困難であったかをよく知っております。 この息子を導いて、霊的世界の勝利の版図を代表した新約時代のイエス様を中心として連結した楽園、中間霊界、地獄まで連結されたすべての事実を解放しようとするあなたの意に従い、真の父母のみ名を代身する、再臨理想を代身するその使命に従いまして……、この息子を立てられ、お母様をこの地上に選んで立てられて、家庭的基盤をもって祝福の国際的な行事を発展させ、摂理史の所願の一時を迎えるようにされました。 この一時に、人類の全体が、人類の半数以上が、天の圏内で三億六千万双と四億双以上の祝福家庭となり、その四数を基盤とした全体蕩減基盤とし、地上解放と天上解放を契機として、真の父母の特権である勝利圏によってサタンを屈服させ、神様を解放することができ……、神様とサタンの怨讐関係を和解させ、この地上に真の家庭を実現することによって、平和の基地をもたせてくださった恵みに感謝甲し上げます。 これまで興進君をこの地上に立て、真の父母の愛を中心として勝利的な実体を立てまして、この地上において薫淑と祝福することによって、霊界のイエス様を中心として祝福したすべて、生活的基盤をこの地上でもてなかったことに協力なさり、霊的基盤と肉的基盤の分立を、家庭的な中心を基準として連合するための悲しい路程を、お父様…、共に結び合わせてくださいませ。 このようなすべての解放的勝利の版図を、昨年五月十五日に祈祷した宣布を中心として、全域にわたって善なる聖人と悪なる殺人鬼を…、六月十三日を期して一億二千万の祝福で解放の時代を宣言できる、そのような記念すべきこの場に、一年が過ぎて再び訪ねてまいりました。 その時のすべての殺人鬼を兄弟の因縁で一つに束ねて、今や彼らが世界的な頂上に上がってくることによって、神様の命により相軒氏の特別な内容を受け、今日、地上のすべての統一教会の食口たちと一つになって、サタンの解放と、神様の解放と、人類の解放を、真の父母のみ名と共に宣布することのできる、このような歴史的なこの時間をもたしてくださいまして、心から感謝申し上げます。 今や、サタンによって汚れた血筋を根本から取り除き、サタンが神様の血族として人類を愛せぬ代わりに、天の血族を盗んで怨讐のように扱ってきたすべてを、今や神様が中心となってサタンに命令して整備できる時を基点とし、去る三月二十一日を期して、神様の命令によってサタンに最後の通達をすることによって、サタンが神様の前に謝罪し、再び帰化いたしまして、本然の愛の園で協助することのできるみ旨を宣布し、真の父母の前に自らが犯した罪をありのままに告白して赦されることを通告し、それによって万民の前に背負ったすべての罪状、赦されざる自らの過ちを謝罪し、ありのままに告白いたしますから、神様の哀れみ、真の父母の哀れみ、万民の哀れみを待ち望む、彼らを不憫に思ってくださいませ。 今や真のご父母様が、分かれていた天と地を合わせ、怨讐となっていたサタンと神様を和解させ、人類と神様がサタンと天のすべてを統合させ、真の父母の血族として一つに束ねられたものを今、全被造世界の主人、万人・万国の主人となられる万王の王、神様の前に、真の父母のみ名によってすべてを奉献いたしますから、お受けくださいませ。 お父様…、全権をもたれながらも行使できなかったお父様の悲しみ、この地に対する恨を抱いてこられたすべての心を解かれて、今や真の父母がこの地に現れ、最後に整備すべきお母様のこの世界巡回講演の途上において、南米における最後の日を期して、このような記念の日をもたせてくださった恩賜に感謝甲し上げます。 真に神様を愛し、真に人類を愛し、真に万物を愛する、お父様の心を受け継ぎ、この息子もその影にでも似たいと努力した、すべての歴史的な事実を記憶してくださいまして、一体の愛圏に統合するその心をもって、万物の解放、人類の解放、真の父母の解放、神様ご自身の解放をなさると同時に、サタンまでも哀れみの愛をもって許してくださった恩賜に感謝申し上げます。 お父様…、ここ南米の三十三人の国家メシヤを代表して十四名が集まりました。彼らを中心として、この南米においてジャルジンと世界平和理想家庭教育本部を中心として、これまで韓国と日本の食口、世界に散らばっていた食口たちが、祝福家庭の四位基台を中心として連合し、神様のみ旨の中でこの南米にて「天宙的な四位基台」を、アラスカにて「家庭的な四位基台」を続けて宣布し、今年の標語が「サタンの血統根絶」というとてつもない事実を胸に抱いて、祈祷してきたすべてを……、神様が私たちを哀れんで同情され、そのような一体的な勝利圏を立てられ、天から地にあなたの愛を息子を通して通告なさることによって、サタンに最後の解放的宣布をし、全天地のすべてを代身した真の父母が、人類の名で許してくださいますよう、この時間、お父様の前に通告いたしますから、お受け入れくださいませ。 これを天と地に宣布なさり、勝利の権限を備えたあなたの姿となられて、地上世界の全体・全般、霊界における全権・全能の世界として、主人の行使を全天宙に確実に行使できることを真の父母が望み、サタン世界の偽りの父母の血統を踏み越え、勝利の旗を掲げて天地に宣布いたしますから、お父様…、それを受け継がれて、天と地に真の父母に代わって宣布なさり、あなたの本然の立場を中心として、直接主管の権能の行使によってすべてを処理し、勝利の栄光の座に就かれて、被造世界の万民と共に天上世界と地上世界のすべての地獄を解放し、あなたの主権的な愛の天国を築いて統治できる新しい世界へと、前進してくださいますようお願い申し上げます。 今やサタンよ! おまえは神様を誰よりも愛し、真の父母を誰よりも愛し、人類を誰よりも愛し、万物を誰よりも愛して、今まで策略をめぐらして神様の血族を妨害してきたすべてを悔い改め、その責任を取って、先頭で地獄解放の群れと共に、今まで天が人類を愛したくても愛せなかったその苦痛を完全に解放し、地上の平和と天上世界の平和の統一世界が成就するよう協助することを願わん! すべてを神様がお受けになり、代身して宣布、実践、躬行されることを切に願いながら、天宙の解放、地上・天上の解放と神様の愛の主権世界の到来を、真の父母のみ名によって宣布いたします!アーメン、アーメン、アーメン! み言 今日は、三月二十一日から五十四日目です。五十四数は十八数の三倍です。これから皆さんは、自信をもって出発しなければなりません。真の父母、真の夫婦、真の家庭のデモをしなさい。南米の皆さんがここに集まって、このような宣布式をしましたから、帰ってこのことを国家全体の前に知らせなければなりません。それから、三億六千万双の前に通告したみ言がありますね? それを各国で言論機関を通じて公開し、新聞を通じて公開するのです。できれば、ラジオ放送を通してそのすべてを聞かせなければなりません。 なぜそうするのでしょうか? 愛の根本が今まで間違っていたのです。愛というものが自分から始まると考えてはなりません。自分の個体が感じる愛は、自分のものではありません。それは神様のものであり、真の父母のものであり、人類のものです。今までその愛が、男性も女性も、自分の愛であると考えてきたのです。愛というものは、絶対に自分自体からは、永遠に見いだすことができないのです。 ですから、神様が創造したのも対象を通して……子女の心情圏、兄弟の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏という四大心情圏の主人になれる道を立てようとしたのです。それが重要なのです。神様ご自身だけでは、子女の心情の主人、兄弟の心情の主人、夫婦の心情の主人、父母の心情の主人、中心になれないのです。 アダムとエバが、子供から、兄弟時代から育って結婚し、父母となることのできる、その愛の心の相対となることによって、神様は四大心情圏の主人になれるのです。神様はアダムとエバによって四大心情の主人になれるということを、私たちは知らなければなりません。 ですから、男性が女性を愛するその愛は自分のものではありません。男性が女性を愛し得るもの、女性に対して愛の主人となり得るものは、女性によってもたらされるのです。女性が愛し得るもの、男性に対して主人の立場となり得るものは、男性によってもたらされるのです。 そのような夫婦となって、神様を中心として自らの息子と娘を生んで、四大心情圏……赤ん坊時代から兄弟時代、夫婦時代、父母時代まで神様に代わって育て、天のすべての血統的な内容、愛を中心とした完成のすべてを、その夫婦の前に相続してあげるのです。神様に代わって実体をもった地上のアダムとエバ自体が、自らの息子と娘を育てて、そのようになることによって、神様が求めておられた子女の心情の主人の立場、兄弟の心情の主人の立場、夫婦の心情の主人の立場、父母の心情の主人の立場を地上で実現し、横的にアダム家庭から息子と娘が広がっていくようになっているのです。 ですから、見えない神様の心情が、見える実体的な愛の主人の立場を、霊的・肉的に……、神様は縦的な父母、アダムとエバは横的な父母となり、両者が血筋を通じて完全に連結されることによって、それが種となり、地上に拡大した神様の愛の主権となるのです。神様の血統を通じて愛した子女の心情圏、それから兄弟の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏が子孫万代に広がって、氏族編成、民族編成、国家編成、地上・天上天国が連結されるのです。しかし、そのすべてがアダムの堕落によって崩れてしまったのです。 完全に愛なき世界になったのです。そのような愛は破壊です。子女愛の破壊、兄弟愛の破壊、夫婦愛の破壊、父母愛の破壊、そのすべてを復帰すべき救援摂理が、旧約時代を経て新約時代を経るのです。アダムが失敗したことを復帰するために来られたイエス様が、イスラエル民族と一つになっていたならば、新約時代の出発が成約時代となり、神様の愛し得る血縁的な因縁を、乳児時代、兄弟時代、成年時代から父母時代まで再祝福し、築くことができたのです。そのみ旨が成されなかったので、歴史的な摂理が延長してきたのです。 二千年が過ぎて先生が現れ、天のすべての秘密、地のすべての秘密、人類の秘められた悲しみを明らかにしました。ですから、サタンは正体を隠せません。どこであってもそうです。地獄でも隠せず、霊界でも隠せないのです。地上の宣布と共に、霊界に……まで祝福の宣布をして、それらを平準化したのです。 四億双を中心とした祝福基盤を中心として霊界に、これは(板書されながら)アダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭、これが三十三家庭です。このモデルを拡大したのが、三時代の先祖と同じです。アダム家庭は、自分から堕落した家庭的血縁関係をもって、霊界の地獄に行きました。その次にノア時代においては、み旨をすべて完成することができずに失敗しました。半分しか成就できなかったので、着地はしたものの家庭理想を実現することができなかったのです。イエス様も同様です。イエス様はノア時代に該当するのです。 ノア時代に着地をすれば、イスラエル民族にあのような受難はありませんでした。サタンが再侵入せずに、神様のみ旨を家庭的に築くことができたのです。しかし、それに失敗したので、イエス様の時に至って、イエス様がノア家庭と同じ……この世で言う最近の契約結婚と同じです。一つの条件を中心として、家庭に対する責任を負えないのです。歴史に対する責任を負えないのです。正にそのような立場です。 それが霊界と肉界に、正にそれと似たような時において……、今回、三億六千万双を祝福することによってすべての既成家庭、それから契約結婚した家庭が、そのような人たちなのです。皆、家庭に責任をもてないのです。それはサタン型なので、そのような結果が不可避的に現れるのです。 その次に何かというとヤコブ家庭です。ヤコブが天使長との闘いに勝って、イスラエルが着地することによって、氏族を編成、家庭を立てて氏族編成の歴史を通して……選民権を中心とした氏族です。ザカリヤ家庭とヨセフ家庭も同様に二人の兄弟の友愛を民族的に、民族の中でカインとアベルが一つになれる……ユダヤ教の責任であり、ユダヤの国の責任なのです。 それが形態として現れたのが、ユダヤの国というカイン型であり、ユダヤ教というアベル型です。このカインとアベルという基準を、イエス様が来て連結しなければなりません。……カイン的な家庭もあり、アベル的な家庭もありますが、どの家庭もみな同じです。堕落した父母と同じです。その次は契約結婚したのと同じです。すべてカインとアベルになったものは、完全にイエス様を通じて連合しなければなりません。 それができなかったので十字架にかかったのですが、右側の強盗と左側の強盗は、カインとアベルなのです。その歴史はアダム家庭のカインとアベルから続いていますが、それが国家的な基準で統一されなかったことによって、歴史性を中心として世界に向かう闘争路程が展開されるのです。それが右側の強盗と左側の強盗なのです。 それが宗教圏を中心として民主世界と共産圏、キリスト教文化圏とイスラム世界なのです。完全に反対、対峙して、それが世界的国家を超えて、世界的カイン圏……その次は、サタン圏を代表したのです。この二つの世界を平準化することを、今まで先生はなしてきたのです。それを整備しないことには、サタンがそれに実を結ぶので、キリスト教を整備できないということを知らなければなりません。 サタン世界を整備するとともに、キリスト教を整備するためにアメリカで二十年間を過ごしたのです。それはアメリカのキリスト教を復活させるためでした。その方向が定まって、四年ぶりにこの地に来て南米のカトリックを一つに束ね、統一的な役事をし得る、ちょうど中間に来ているのです。先生が思うには、ここのメルコスール(南米共同市場)を中心として、ヨーロッパのような基地とし、それから、ここの半分のナフタ(北米自由貿易協定)を中心として、メキシコと数か国が一つになって、アメリカとの間で連合運動をするのです。 新聞社を中心としてするのです。新聞社は立法・司法・行政の三権に次ぐ第四権です。四権を中心として最後です。四数を中心としてすべての審判的な内外の秘密を暴露し、正義を開拓すべきそのような責任を担っているのです。それで、言論機関を重視して「ワシントン・タイムズ」をつくったのです。「ワシントン・タイムズ」をつくり、勝利の覇権を中心として南米に新聞社をつくって、旧教の蛮行や新教の蛮行を規制できるようにしたのです。こうしてサタン世界をリードしていくのです。サタンが完全にキリスト教までも占領して、すべて壊していくのを防御するのです。 ですから今、エイズだとか家庭問題だとか思想問題を総合して、定着するためのみ業をここでやっているのです。それを中心として父母の国、兄弟の国……一昨年の九月からアダム国家やエバ国家という言葉を取り消して、父母の国を中心とし、地上に連合的な基盤を中心として……。それはどこを中心としてやったのでしょうか? これで分かれてしまいました(板書をされながら)。これを中心として旧教と新教が完全に連合した基盤の上に、韓国までも捨てなければなりません。世界統一圏を立てるためには、民族的な統一圏や国家的な統一圏を重視してはならないのです。この期間に来て、寂しく開拓するその時においては、ジャルジンを中心として開拓しながら、全体に精誠を尽くさなければならないのです。 精誠を尽くす所はパンタナールです。水と万物、神様が創造した原初的な基準に心情的な因縁を合わせることを、先生は四年半も手がけてきたのです。四数に該当するこの時において、このような神様を中心とした全権の解放を宣布し、サタンが完全に罪を赦され、地獄解放と共に、万物の嘆息圏を解放することのできる、このような記念日がもてるということは、天宙史的な驚くべき出来事です。神様が創造の偉業をすべて果たして、アダムとエバを創造して喜ばれた以上の歴史的事件であるということを、皆さんは知らなければなりません。 すべての相対をつくって「善し!」と言われ、愛を中心として称えたすべてが、人間を中心として最高の実を結んだのです。愛の理想の全権を代身した家庭・氏族・民族・国家・地上天国・天上天国……愛の全権に、統治的主人を中心として万物の幸福、理想と神様ご自身の愛の中で、地上と天上の間に隔たりなく、一つの国、一つの血族、一つの同族が住めるのです。そのような神様の創造理想世界を失ったことを、再び取り戻せる起源を設けたという事実……、そのために神様がどれほど苦労してこられたかということを考えてみなさい。 アダムとエバは神様の万代の一人息子、一人娘でした。アダムとエバは一代目や二代目ではありません。七代読いての一人息子が死ねば、国までが同情すると言いますが、アダムとエバは数千万代続いての一人息子、一人娘なのです。それを失った神様の悲しみは、いかばかり大きかったことでしょう。これは単なる話ではありません。事実なのです。 考えてみなさい。サタンに完全に奪われて汚れたものを、昔の汚れていない本然の息子と娘のように愛するその道は、むしろ十字架の中の十字架です。しかし、その道を行かないことには復帰がなされません。どうしたらいいのでしょうか? 神様はそこに臨むことができません。 地上にいる堕落人間たちが神様を知って、この中間の天使長圏……、このような教会伝道を通して橋を架ける、そのような立場に立って、神様の痛みを自らの痛みとして体験することができるのです。また、神様が愛する子女が死んでいくのを見るとき、サタンによってさまざまな宗教圏内で彼らが死んでいくその場を見るとき、どれほど痛みを覚えたことでしょうか。 堕落したアダムとエバに対する痛みも大きなものでしたが、歴史時代に宗教を通して犠牲となり、祭物となっていった……、宗教圏、養子圏でこれを引き継いできましたが、そのような彼らが血を流すたびに……、サタンが讒訴するのを中心として、そのような悲しみを反対に感じることによって、本然の血統が汚されたサタンの子女を、自分の子女のように愛せたのです。そのような条件を求めるために、もがいてこられた神様だというのです。本来、養子は直系の子女としてみなされないのです。 養子たち、宗教を信じる人たちが血を流しながら、父母である神様に侍ろうと、のたうち回るその姿……アダムの千万倍与えても代えることができないほどの、驚くべきそのような忠孝の道理を見るとき、その心をもって、かつて本然の息子や娘によって打ち込まれた釘を引き抜ける役事をしてこられたのです。そのような立場で、総体的な責任をすべて再臨主が担うのです。 アダム家庭からイエス時代……今まで役事してこられたことにすべて責任を負って、神様の心情に接し、痛みの心情を慰めなければならないのです。本然の子女になれていないことを悔い改めなければならないのです。ですから、骨髄から滲み出るような立場で神様を呼び求め、のたうち回る立場を経なければならないのです。神様がご自身のすべてを与えても、数百倍与えても、もっと与えたいと思える心をもってくださらなければならないので、神様が過去の汚れた血統をすべて忘れても余りあるという……、そのような決意から先生の生涯が出発したということを知らなければなりません。 「再臨主は世に打ち勝って、すべての勝利の覇権を相続しなければならない」という話を聞いて、興進君は「お父様にも神様が準備された道がなかったのだな」と思いながら霊界に行ったのです。ところが、霊界に行ってみると、既に歴史を通じて神様の摂理の愛の中で因縁が結ばれていたということに気づき、「やっぱりそうだったのか! 本当に私の父は苦労された……」と言ったという報告を受けました。涙を流しながら、自分がそのお父様の伝統を受け継いで、最後に解放される時まで、お父様の代わりに責任を担う決意をしたという報告を聞いたのです。 それで、興進君の家庭的な面をやっと立てたのです。イエス様は一九七一年一月三日に祝福してあげましたが、生活はできませんでした。それはほんの霊的な基準にしか至っていませんでした。興進君を中心として、霊界と肉界の統一的な圏を形成していくのです。地上に四億双以上の解放圏を備えることによって、霊界をアダム家庭・ノア家庭・ヤコブ家庭のように、何もかも平準化させるのです。 この祝福時代ののちに、第四次アダム圏時代が来ると言いましたね? やっと乗り越えて、初めて堕落してない本然の血統的因縁を、自分の直系の息子に伝授するのです。それを縦的な真の父母である神様と、横的な真の父母である真の父母が承諾するのです。 そうすることによって地上に本然の基準……堕落してないアダムの本然の基準を、世界的な舞台に連結できるのです。それで、地上世界・天上世界に地上・天上天国が完結することによって、アダム以降に空っぽだった天国を、一挙に埋め尽くすのです。天国となり、地獄がすべてなくなるのです。 先生が霊界に行くときは、ここに堕落の痕跡がないように清算してから行かなければなりません。嘆いていたすべての万物が、ようやく真の父母を称えるのです。偽りの父母がこのような状態にしてしまったので、神様さえも勝利を称え、サタンや天地のすべてが真の父母を称えなければならないのです。なぜでしょうか? 偽りの父母は、神様まで巻き添えにして倒れたのです。 それを完全に根絶して解放するためには、神様までが、宗教圏のすべてが、第三世界圏のサタン世界までが、それから霊界にいる聖人や賢哲、またその後孫までが称えるようにならなければなりません。その後孫はアダムの後孫、イエス様の後孫、再臨主の後孫であり、三時代の後孫と同じです。アダムを完成した再臨主は、イエス様の完成であり、家庭の完成なので、その息子や娘たちまでも解放し得る権限があるのです。 今や全体解放を宣布したので、残された問題は、霊界にいる先祖がすべて祝福家庭の霊界に入っていくことです。それで、皆さんの祝福家庭、氏族的メシヤを中心として、一番最初は四代まで祝福してあげるのですが、これを七代まで延長しました。七代まで延長し、今や先祖を解怨成就して、祝福の道を開いてあげるのです。真の父母時代、成約時代においては百二十代ではありません。百八十代までやることによって、全人類が解放されるのです。先祖がすべて解放されるのです。 それが今世界と共に……摂理のみ旨を知らないで、それができていないから問題なのですが、ラジオやテレビ、インターネットなどを通じて至急に伝播し、地上・天上天国に向かって一つになれる距離が、縮まってきたということを知らなければなりません。それゆえに言論機関をつくっているということを知らなければなりません。それを完全に統合できる総決算をし、総合をして、真の父母の一族が天国に入るのに、妨げにならないようにしなければなりません。また、霊界にいっている祝福家庭たちが……これはなくなったと考えるのです。 本然の地上において、アダム家庭の理想を中心として第四次アダム圏……地上・天上天国の出発と共に、天上を解放するすべての群れ、霊界に行っている祝福家庭や天使世界のすべてを、アダム家庭として侍ることができるので、アダム家庭として侍ると同時に、神様を「地上世界の王」として宣布するのが、全宇宙の所願なのです。それが残っているのです。王権が残っているのです。 皆さんは、あらん限りの精誠を尽くさなければなりません。そのためには皆さんは、惜しんではなりません。旧約時代・新約時代・成約時代とは何でしょうか? 神様の所有がありません。神様の所有がないのです。怨讐に奪われたものを取り戻すために、条件をかけて取り戻してきたのです。神様の分岐である十一条からこれが始まるのです。十九条(十分の九)がサタン側にあります。今は反対の時代となったので、十九条、十条(十分の十)を天のものとして、完全に一つにまとめて捧げなければならないのです。これが「総生畜献納祭」というものです。そうでなければ地上が整備されません。 ですから、自分たちの所有をすべて教会に入籍させるように言いましたね? 教会氏族圏です。先生の名でそのようにしてはだめなのです。サタン世界で問題になります。教会は自分の国です。自分の国に属しているので、サタンが讒訴する条件がないのです。そのようにしておいて、世界の統一圏を中心として、それをすべてやるのです。 私たち統一教会は、十三条をしなければなりません。十分の三です。十一条ではありません。十分の一ではないのです。十三条を献納するこの伝統を通じて、すべてが三数を中心として献納しなければなりません。 旧約時代は万物の物質時代、新約時代は子女時代、成約時代は父母時代、その次は解放時代です。怨恨解放の時代は、神様時代に入らなければならないのです。ですから、神様時代に入るときは、所有権が神様のものにならなければならないのです。 共産主義は私たちとは反対に強制的に絶対命令するのです。銃や刀を使ってです。私たちは武力ではありません。自ら進んで、銃や刀の威力より数十倍感謝する心で、絶対なる神様の愛主義の主権を、永遠に永遠に続けなければならないのが、今後の統一教会の伝統です。今、三六家庭から三億六千万双まで、祝福家庭全体が一つになってその伝統を受け継ぎ、愛の理想天国を永遠に後代の前に連結することが、私たち統一教会のなすべき最後の責任なのです。先輩家庭はしっかりとわきまえなければなりません。 ですから、お母様が先頭に立たなければなりません。そうして、先生が勝利したことをお母様に伝授しなければなりません。先生が八十歳までに勝利したことを、八年以内にすべて伝授してあげなければなりません。お母様はいつから世界の舞台に立ちましたか? 一九九二年です。八年以内です。八年以内に先生が築いたものを伝授しなければなりません。日本が責任を果たせないことによって、それを伝授できませんでした。国の基盤がないからです。韓国に連結して伝授し、それでジャルジンから韓国に移せる条件を立てるのです。 今回の祝福が問題です。日本でやらなければならないのに、三週間を残して移動したのです。二週間の間にオリンピックのメインスタジアムを埋め尽くすというみ業をやってのけたのです。夢のような話です。すべて天が助けて、旋風が巻き起こったのです。韓国から先生が旋風を巻き起こし、日本を経て、アメリカを経て、世界に連結させるのです。基盤は先生が八次にわたる講演をして、お母様に伝授してあげるのです。 日本は何か所ですか? 十六か所でしょう? アメリカは何か所ですか? 二十四か所ですか?二X八は十六、三×八は二十四です。その次は何ですか? 四×八は三十二……これで八十か国です。そうでしょう? 八を中心として、二×八は十六、三×八は二十四、四×八は三十二です。八数を中心として整理するのです。再出発です。 この再出発の基盤の上に南米を超え、旧教から新教へと超えていくのです。超えた日が今日です。ヨーロッパヘ行くのです。根に行ってかき混ぜてしまわなければならないのです。今からヨーロッパに行きます。お母様がこれからヨーロッパを巡回するのです。それに反対する国々は今後、困難なことになるのです。 先生がやりたいように、みな根こそぎ抜いてしまえるのです。しかし、そうするわけにもいかないので、サタンを放してあげ、すべてを赦す心をもって……。一つの町には乞食もいて、ならず者もいますね? それと同じです。ならず者もおり、ありとあらゆる者が隣にいるのですが、主人はそれをすべて消化することができなければなりません。愛で消化しなければならないのです。それが、私たちの生活哲学です。為に生き、愛の道理をいかに残していくかが問われるのです。 万物世界、人類世界、神様の前に天上世界、これはイエス時代において霊的な再臨であり、それを地上と連結させ、反対に引っ繰り返して総決算するためにあるのが、再臨時代の役事なのです。今正にその総決算できる宣言を終えたのです。 これからは、心に引っ掛かるようなことをしてはなりません。嘘もつくなというのです。嘘をつくときは神様に通告するのです。それは天を保護するためです。自分を保護するためではなく、天の伝統を保護するために嘘をつくときには、世の中が文学小説のように見えます。小説のシーンを私が演出しなければならないと考えるのです。小説を通して革命させてきたのです。そうすれば、条件に引っ掛からないのです。小説はすべて嘘ではないですか? 嘘なのです。 そのような条件をかけて、私が小説のようなことをするとき、「支援を受けてこうしました、神様!」と言えば、サタンも讒訴できないのです。先生も同じです。そのような作戦を立てていくのです。嘘ではありません。小説のようなものです。愛の神様の愛を刺激できる内容になるのです。ですから、私たち統一教会は流行歌もよく歌いますね? 本来は歌ってはならないのです。 それは何ですか? 小説のシーンです。そこに真のシーンを当てはめて慕いながら……環境が自由でないので、自由な環境を迎えるために……、その時まで克服していこうと思えば、避けられないことなのです。サタンが仮装的な戦術を立てるように、神様も仮装そのものではないにしろ、代わりに仮装の形態を取るのです。 先生が嘘をつくことがあるでしょうか、ないでしょうか? これはすべて先生の生活の秘密です。必ずそのような立場に立っていなければなりません。ですから、サタンも讒訴できません。皆さんは、ありとあらゆることをしてきませんでしたか? 小説のように演出して人を殺すように見えても、それはその人を生かすためであって、殺したりはしません。かといって、だましやすいからといって、お金を取ったりもしません。取っても、返すときには必ず先生が条件を立てて、天のものとして所有権をつくっておくのです。 ですから、アベルがサタン世界で血を流すのです。死にゆくときにそこに血を、血の跡を残すのです。補ってあげるのです。そのように記念日を理解して、これから……。この場はフェルテ・オリンポと川を中心として二つの国です。本来、パラグアイはブラジルと兄弟です。あちらのパラグアイがアベルです。グアラニー族がいるのです。それはアジア系です。ここブラジルにはアフリカ族が来ています。ブラジルには人種差別がありません。パラグアイもそうです。アジアの血が混じっているのです。 ここブラジルには黒人の血が混じっていますが、ウルグアイはスペイン系の白人です。キリスト教文化圏、旧教を中心として、完全に人種を絶滅させたのです。私がそれに手をつけなければ、白人はこの地上で血を流して蕩減しなければなりません。ウルグアイに行けば、山頂に十字架が立てられています。一番最後の黒人を殺した記念の場所なのです。スペイン人たちが、グアラニー族をはじめとして多くの人々を犠牲にし、アジアの原住民をすべて虐殺したのではないですか? 旧教の代表国家がアルゼンチンとウルグアイです。ウルグアイは気難しいのです。アルゼンチンを軽んじ、ブラジル人とは死んでも結婚しないのです。白人の血統を受け継いだのです。私たち統一教会は何ですか? よく見ると、それは東洋人でもなく、白人でもなく、黒人でもありません。それは雑種のようなものです。良い草は薬にはなりませんが、雑草は薬になるのです。見栄えのしないものが薬になるのです。そのように考えるのです。 ですから、先生はよくよく考えるのですが、今まで先生の息子や娘たちには、国際結婚をさせませんでした。させないのです。サタンが誇っていた悪なる血統的根源は、そのまま放っておくのです。孫の時代からは何ですか? 孫の代まで血が混ざりませんでしたか? それと同じです。ですから、孫の時代からは国際結婚を許すのです。 したがって、そのような条件があることによって、黄色人種は今後、歴史的な主流になるのです。それはただ単になされるのではありません。摂理的なプログラムにすべて合わせて、整理しておいてこそ、世の中が終わるのです。サタンは神様の前に屈服しましたね? それはいつでしたか? 三月二十一日です。それも三×七が二十一です。八数を中心としてやるのと同じです。そうでしょう?八数、十六数、二十四数、四x八は三十二です。日本と韓国を入れれば三十四です。それで八十になります。八数に合わせるのです。それゆえに清算される時なのです。 ですから、自分たちも知らずに今回参加しましたが、妙な気分です。怖くて恐ろしくて深刻なのです。今や反対をしてきても、気にも留めないのです。昔は統一教会に反対するサタンが来れば、胸が高鳴りましたね? 正に反対の時代に入るのです。ですから、一気に追い込めというのです。その国に行って、大統領の秘書室を自分の兄弟の家のように勝手に出人りし、大統領を自分の叔父のように思いどおりに引っ張り回して、「大統領直属の指導者たちがだめなので、私が大統領の後継者の座を相続する」と考えなければなりません。国家メシヤが何ですか? 総督です。では、総督として何かしましたか? ご覧なさい。総督としての役目を果たすには、韓国の総督府をしっかりとつくらなければなりません。では、総督府をつくりましたか、つくれませんでしたか? 民族が崇拝できるほどに、立派につくらなければなりません。皆さんの財産とすべてを売り払って、妻や一族のすべてを売り払って、そこに殿堂をつくらなければならない時が来たのです。総督や国会議員になるにはお金を使いますね?それを先生がつくってあげなければならないのですか? アベルの王です。アベルの王が総督です。ですから、大使館を治めるように言ったでしょう? 以前にも、日本の女性たちに大使館を伝道するようにと言ったでしょう? それは何ですか? 総督は大使館を背負っていかなければなりません。大使館さえ背負えば、身動きもできずにそのまま自分の手中に入るのです。それが総督の行くべき道であると、先生がはっきり教えてあげました。 妻を連れていって、大使の息子と娘を、幼稚園から小学校、中高校、十八歳まで教育するのです。十六歳、十八歳まで教育すれば皆、天の側になるのです。それをやれと言ったのです。それで、先生が日本の幼稚園や小中学校、高校まで、すべてを翻訳しろと言ったのです。日本の教育法に関するすべてを翻訳しろと言ったのです。母の国です。韓国ではありません。先生は準備してきましたか、してきませんでしたか? この者たち! 国家メシヤが稼いで生計を立てていくために、自分の生活基盤を築こうとして、国家基盤をすべて無視したのです。先生の命令があるにもかかわらず、従わずにしらばくれていたのです。悔い改めなければなりません。今からでもそうしなさい。 どうして、国家メシヤがその国に行くことができないのですか? 日本大使館、アメリカ大使館、韓国大使館……大使館があれば、誰でも入れるようになっています。アメリカ大使館があれば、その大使館に入っていって、大使館の掃除婦にならせてくれと言うのです。そうして、大使館で働く人として入っていくのです。 行って何をしますか? さまざまな大使館、日本大使館、韓国大使館、アメリカ大使館などがあるでしょう? その次に先進国家、第二次大戦当時の連合国である英・米・仏、枢軸国である日・独・伊、韓国まで合わせて七か国を中心として、先生は五十年間祈祷をしてきたのです。今でも目を閉じれば、英・米・仏、日・独・伊、韓国まで合わせて七か国のために祈祷するのです。一日に三回ずつ祈祷してきたのです。 第二次大戦以降、その上に立たなければならなかったのではないですか? 違いますか? それを探し立てなければなりません。今回そうではないですか? アメリカは全面的に歓迎したのですが、イギリスも後ろにくっついていたのです。お母様を歓迎しましたね? フランスやドイツが、コーナーに追い詰められて……。アメリカの根本的な自己同一性は「信仰の自由」です。「信仰の自由と家庭」です。それは青少年の淪落、家庭問題へと発展するようになっています。ですから、次第に肩身が狭くなってくるのです。 レバレンド・ムーンが青少年問題、家庭問題、世界問題を中心として、キリスト教の伝統基盤を残しているのに自分たちは何ですか? 民族性を中心として文化を誇れるのは……、人本主義思想の結論がフランスです。フランスが自慢できるものは何一つありません。この者たち! ソ連もそうです。そのような全般的なことを知って、皆さんが家庭を中心としてデモをしても、今や誰も反対する者はいません。 サタン世界では個人もデモをし……どれほどデモをしてきたことでしょうか。僕が王様を殺そうとして斧を手に取り、力がなく、逃げ道がないからといって、首を切りませんでしたか? ソ連の歴史がツァーリ政府をすべて粛清するなど、血なまぐさい無慈悲な歴史だったことを知らなければなりません。それを思えば、先生は、三分の二の人類を塗りつぶしても罪ではありません。蘇生、長成をサタンが支配しましたね? 三分の一は天側です。天側が逆になっているのです。それを総整備するには、引っ繰り返さなければなりません。これを引っ繰り返すと三分の二が悪です。それは大したことありません。 先生が審判しましたね? それこそ火の審判どころか、血の審判もできるのです。そのような立場にありますが、そのようにできないのが真の父母です。先生が命令することによって、血を見るようなこと、死体を見るようなことはできないのです。それゆえに最後まで耐え抜くのです。ですから、サタンがすべて道をよけてくれます。自然屈服するのです。後ろにつくのです。サタンも今や自白して後ろに来ましたね? このように門を築いておくのが、この宣布式なのです。(三〇二-九、九九年五月十四日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.09
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天宙解放の祝祷一九九九年五月十四日、ブラジル・パンタナール▲アメリカーナ・ホテル 〈祈祷〉 一九九九年五月十四日、昨夜からアメリカーナ・ホテルのこの場に連結させましたのは旧教と新教…、スペイン系の国々とポルトガル語を中心としたブラジルとパラグアイ二国を連結させ、この場において人種を超越できるアジア系と一つとなり、摂理史の旧約、新約、成約を中心とした歴史時代に成しえなかったすべてを完結いたしました。旧教と新教の版図を連結させるこの場を、お父様…、記億してくださいませ…。 パラグアイとブラジルを中心とし、ウルグアイとアルゼンチンを中心とした旧教と新教の歴史的怨讐となったすべての兄弟主義を、サタンが築き上げたすべてを、再び神様の摂理の中で再編成してまとめました。そのための摂理史を、神様が南米を中心として四年という期間を通して摂理させてくださいましたことに感謝申し上げます。 …地上における堕落によって天の怨恨の悲しみとなった、サタンとその血統を通じた歴史的なすべての罪が、一次、二次、三次の戦争を経て結実し、負債を清算するための完成アダムの代身者として、この息子を呼んで立てられました。 歴史的な摂理史の中で、あなたの心の中で、悲しい苦痛を感じたすべての事実を深く掘り下げ、天の秘密、地の秘密、歴史的秘密…、堕落によって覆われたこのすべてを深く掘り下げ…、白昼に全天下に公認することのできる聖書の歴史の受難の道が、どれほど困難なものであったかということをよく知っております。 お父様…、この息子を導いて…、霊的世界の勝利の足掛かりを代表した新約時代のイエス様を中心として連結されたすべての楽園と中間霊界が、地獄まで連結されたすべての事実を解放させるための…、あなたの心を敬って、真の父母の名を代身する、再臨理想を代身する…、そのような使命を…、この息子を立て、お母様をこの地上で選び立て、家庭的基盤を立て、祝福の国際的な行事を発展させ、摂理史の人類全体と半分以上を天の圏内に導く三億六千万双と四億双以上の祝福家庭を通して、四数を基盤とした全体の蕩減基盤として果たしました。 地上解放と天上解放を契機に、真の父母の特権の勝利圏をもってサタンを屈伏させ、神様を解放することのできる恵み…、神様とサタンの怨讐関係を深く掘り下げて解いて水平とし、この地上に真の家庭を成就させることで実を結ぶようになされた恵みに、感謝申し上げます。お父様…、これまで興進君を地上に立て、真の父母の愛を中心とした勝利的実体を立て、この地上において薫淑と祝福することによりまして、霊界のイエス様を中心として祝福したすべてが、生活的基盤をこの地で持てなかったことに協力し、霊的基盤と肉的基盤が分立したのを、家庭的中心を基準として連合してまいりました。そのための悲しい路程を、お父様…、共に織りなしてくださいませ…。 このようなすべての解放的勝利の版図を、昨年五月十五日に祈祷した宣布を中心として、全域における善なる聖人と悪なる殺人魔を、六月十三日を中心として一億二千万の祝福で解放する時代を宣言することのできる…、このような記念的なこの場に再び一年を過ぎて摂理史的にやって参りましたから…、その時のすべての殺人魔を兄弟の因縁で結び、今や彼らが世界的な頂上に上がってくることによりまして、神様のみ名に基づいて、李相軒氏の特別な因縁をもって、今日の地上のすべての統一教食口たちとともに、サタン解放と、神様の解放と、人類解放を、真の父母のみ名のもとに宣布できるのでございます。このような歴史的な時間を持たしめてくださり、お父様…、心から感謝申し上げます。 今や、サタンによって誤った血筋を根本から取り去り、サタンが人類を神様の血族として愛すことができずに天の血族を代わりに盗んで怨讐のように扱っていたすべてを…、神様が今や中心となって今回サタンに命令し、救済することのできる時を持つことによりまして…、先月三月二十一日を期して、神様のみ名によってサタンに最後の通達をすることによって、神様の前に謝罪し、神様の前に再び帰って本然の愛の園で協助することのできる…、このようなみ旨を宣布し、真の父母の前に自分自ら背負ったすべての罪をありのまま告白して許しが得られることを通告しました。ですから、万民の前に担ったすべての罪状の許しを得ることのできない自らの過ちを謝罪し、ありのまま告白することによって、神様の哀れみと、真の御父母様の哀れみと、万民の哀れみを待ち望む志を哀れんでくださいませ…。 今や真の御父母様が、天地の分かれていたものを合わせ、サタンと神様が怨讐関係となっていたものを和合させ、人類と神様が、サタンと天とすべてを統合させ、真の父母の血族として一つに結んでくださいましたことを…、今やすべての被造世界において主人となられ、万人の主人となられ、万国の万王となられる神様の前に、真の父母のみ名を通して、このすべてを奉献いたしますから、お父様…、お納めくださいませ…。 お父様…、全権を持たれたとしても行使できない神様の悲しみを、この地に対する恨を抱いてきたすべてを解き…、今や真の父母がこの地に現れ、最後にお母様の世界巡回講演の途上で、南米での最後の巡回の日を期して、このような式を持たせてくださった恵みに感謝申し上げます。 真に神様を愛し、真に人類と万物を愛するお父様の心を受け継ぎ、この息子もそのような陰徳にのっとって努力したすべての歴史的事実を記憶してくださり…、一体の愛の圏に統合なさったその心をもって、万物解放と、人類解放と、真の父母解放と、神様の解放をするとともに、サタンまでもその恵みに預かれますようお許しくださいませ…。 お父様…、ここに南米の三十三人を中心とした国家メシアを代表して十四人が集まりました。彼らを中心として、この南米におけるジャルジンを中心とし、世界平和理想家庭教育本部を中心としまして…、その間の韓国と日本の食口、世界に散在している食口が、家庭の祝福四位基台を中心として連合し、神様のみ旨の中で、この南米における「天宙的四位基台」、「アラスカの四位基台」、家庭的四位基台を引き続いて宣布いたしました。 そうして今年の標語が「サタン血統根絶」という途方もない事実を知って祈祷を捧げたすべてを、神様は同情なさり、一体的なその者を勝利圏に立て、天から地にいるあなたの愛する息子を通じて通告なさることによって、サタンに最後の解放的宣布をし、全天地の全体を代身した神様と真の父母が、人類のみ名によって許すことを、この時間、お父様の前に通告しますから、受け入れてくださいませ…。 これを天と地に宣布なさり、勝利の権限を備えたあなたの姿に対して地上世界の全体の全般、全権、全能の世界へ主人の行事を万天宙に行うことができるように真の父母が願い、サタン世界の偽りの父母の血統を踏み越え、勝利の旗を掲げて天地に宣布いたしますから、お父様…、これを受け継いで天と地上に代わって宣布し、あなたの本然の立場を中心として直接主管権能の行事としてすべてを処理し、勝利の栄光の立場を理想被造世界の万民とともに天上世界と地上世界のすべての地域を解放し、あなたの主権的愛の天国を築いて統治することのできる、新しい世界へ前進することをお願い申し上げます。 お父様…、今やサタンたちは、神様を誰よりも愛し、真の父母を誰よりも愛し、人類を誰よりも愛し、万物を誰よりも愛し、今までもくろみを企てて神様の血族を妨害してきた、そのすべてを悔い改めなければなりません。 そして、地獄解放の群れとともに、そのことに責任を持って先頭に立ちながら、今まで愛したかった人類を愛せずに苦痛を受けてきた天の痛みを完全に解放し、地上の平和と天上世界の平和の統一世界が実現するよう、協助することを願うものでございます。 すべてを神様がお納めくださり、宣布、実行、共栄してくださらんことを切にお願い申し上げながら、天地の解放と、地上・天上解放と、神様の愛の主権世界の到来を、真の父母のみ名を通して宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。神様と人類と真の御父母様の前に、愛の主権を中心として永遠に栄光と栄華が、天地に充満しますように…。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.04
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完全なる解放圏1999年5月2日聖日礼拝の御言イーストガーデン 真のお父様が祈祷された後、「文鮮明先生マールスム選集」第三十四巻に収録されているみ言「ポ ヌル サムチヤ(模範としよう)」(一九七〇年八月三十日〈聖日〉、前本部教会)を用いて「訓読会」が行われる。 条件的な蕩減 皆さん。信仰生活というものは、天を尋ね求めていく道なのですが、天を尋ね求めていくためには、ただそのまま行くことはできません。それは、世の中の道とは反対なのです。 それゆえに、天の道を尋ねていこうとすれば、反対に逆らって上がっていかなければなりません。サタン世界が百のものであるとするならば、その百の分だけ反対に行けばいいというのではありません。百以上の反対の道を行かなければならないのです。 皆さん。蕩減というものは、復帰路程において必ず必要です。蕩減しなければ、原型の世界に帰ることができないということを知っていることでしょう。しかし、皆さんはこの世において、蕩減の量が少ないことを願います。百の道を行くために、八十だけ、あるいは条件的な蕩減をすることを願うのです。 その条件的な蕩減というものは、過程において必要なのです。道を行く過程は、全体を代表します。その道に該当するのが蕩減の道なので、条件的な道は一方向性だけを解決するのにとどまり、全体を蕩減することはできません。 それゆえに、蕩減の量が少ないことを願えば負けるのです。蕩減の量は、すべての環境的条件よりも大きくあってこそ環境を超えることができるのであり、たとえ蕩減する条件が残ったとしても、その条件基盤の上に私たちが立つことができるのだということを、いつも知っていなければなりません。分かりますか? それゆえに、神様が怨讐を愛されるということは、蕩減条件を一度に越えていこうということなのです。全体です。それは、なぜでしょうか? 愛の道が間違ったので、神様がサタンを愛すれば、根本が最初からすべてなくなるからです。今、神様もそうではないでしょうか? 神様は、サタンのことが憎ければ、サタンの讒訴を受けたとしてもすべて切ってしまわれなければなりません。 しかし、蕩減条件が残っているので、人類を復帰なさらなければならない神様にとっては、それがすべて解決する時まで、サタンを愛して越える時まで蕩減なさるのです。そのような蕩減条件をサタンは提示するのです。これは、宿命的な課題です。 それゆえに、「個人救援」というとき、個人救援というものは、条件的に個人救援されたとしても、私たちはそれで幸福だと言うことはできません。個人救援を完全に越えて、世界まで救援することのできる基盤になり得る道を行かなければならないのです。 また、家庭救援といえば、氏族、民族、国家、その何百倍、何千倍を蕩減するという立場に立たなければなりません。それゆえに、自分の現在の立場を蕩減することのできる立場になり、自分が犠牲になって怨讐を愛すれば、すべて終わります。 蕩減を完成して救援を受けるのは、条件的な救援です。そのことを知らなければなりません。条件的救援です。それゆえに、「神様を解放しよう」、または「この世界を解放しよう」というのは、条件的な救援なのです。今日の信仰界で提示された条件を超えました。八段階を越えていかなければなりません。 神様の解放され得る位置 ですから、サタンがいれば、サタンに対して蕩減条件を超えていこうとするのが神様の立場なのではありません。サタンは、神様の愛についてこようとしてもついてくることができないので、それを超えていくことのできる立場に立とうというのが、神様のみ旨です。 ですから、神様を信じる人、神様のみ旨を成し遂げる人も同様です。神様を解放し、人類を解放する立場に立とうとしてこそ、神様までも私たちのために生きられ、私たちを受け入れてくださるのです。神様までも、私たちを立ててくださいます。そこには蕩減はありません。創造理想そのままの高次的な道が連結されるのです。蕩減というものは、最も嫌な言葉であり、恐ろしい言葉です。それを超えて行かなければなりません。 神様が勝利されることのできる位置に行っての蕩減ではありません。過程です。過程において、個人的時代に狭い道を越えていくのです。そうして越えていき、世界が目の前に広がっているとすると、その世界を中心として行くことのできる一つの道は狭い道であり、そのような条件的な道に従っていくのです。 神様とサタンが立てた条件についていこうとすれば、それが世界に連結していなければなりません。そうするためには、条件ではありません。世界理想圏の内容を提示しなければなりません。 言い換えれば、サタンが讒訴条件を懸けているのは、アダム、エバの堕落した頂上の位置です。その頂上の愛は、偽りの愛です。サタンが偽りの愛を行ったので、神様は真の愛を行うことのできる基準をもって対されるのです。それゆえに、真の愛にはサタン自体も屈伏しなければなりません。そのことを知らなければなりません。ですから、サタンが讒訴するのは偽りの愛です。偽りの愛の条件が残っているところは、いつもサタンの讒訴を受けるのです。これを超えていかなければなりません。 神様においては、自分の父母よりも、自分の妻子よりも、だれよりももっと怨讐を愛することのできる位置に立たなければ、超えていくことができません。そうでなければ、サタンの前に捕まっている自分、家庭をなすことのできる個人、父母になることのできる個人、そのような全体を解放させることはできないのです。何のことか、分かりますか? つまり、サタンが讒訴することのできる位置というのは、エデンの園のアダム、エバを中心として堕落させた愛の位置ですから、それ以上の位置が必要なのです。それゆえに、サタン世界の家庭を自分の家庭以上に愛さなければなりません。その国を自分の国以上に愛さなければなりません。昔、願っていた以上、創造理想として願っていた愛国以上の愛で愛さなければ、サタンが創造世界に侵犯したその環境を完全に防ぐことはできないのです。これが問題です。 神様が解放され得る位置とは、どのような位置でしょうか? そのことを知らなければなりません。堕落していない完成したアダムが、神様の心の深い谷間まで見て愛することのできる位置が、神様が愛することのできる最高の位置です。そのことを知らなければなりません。 金(キム)という人がいたならば、その金氏を中心として考えるとき、完成したときに家庭基準を中心として愛するのではありません。家庭を中心として、国を中心として、天宙を中心として、すべての存在が喜ぶことのできる基準をもって対すれば、サタンは現れることができません。家庭まで、国家までそのようにするのです。 国家基準を中心として出発したものが、家庭です。その家庭よりももっと愛し、その氏族よりももっと愛し、民族よりももっと愛し、国家より以上に愛し、世界、天宙より以上に愛すれば、サタンは完全についてくることができません。そこで落ちてしまいます。 今、ここにいるある人を例にとるならば、その人を中心として神様がごらんになるときに、それは一人ではありません。この人は、サタン世界では個人なら個人として対し、個人を中心として家庭がなされていますが、世界を中心とした個人ということを考えていませんでした。ですからそれは、天宙を中心とした個人ではなく、天宙を中心とした家庭ではありません。そのような考えができなかったのです。 個人を中心として考えれば堕落した世界が生じ、そこでは個人を中心とした氏族というようになるのであって、天宙という概念はありません。それゆえに、神様を解放することのできる位置とは、堕落した人間であっても、創造理想的最高基準の心を持ってその個人を見ることのできる位置なのです。そうすれば、その個人は、そのような主体の前に完全に絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、一つになります。そうしてサタンは、そこに接近できないのです。 讒訴できず、完全屈伏するサタン それでは先生は、どのようにして霊界をすべて受け持って解放することができるのでしょうか? 神様におかれては、人間が堕落した後においても、霊界に楽園であるとか、中間霊界であるとか、地獄という概念はありませんでした。 神様は、そのようなものをさっと乗り越えて個人に対されたのであり、家庭に対されたのであり、氏族に対され、民族に対され、国家に対され、世界に対されたのです。それらを超えられた立場で、愛を持って、いくら世の中が騒がしくしたとしても、その愛の火を中心として最高の、堕落圏内の個人基準を超えて、天宙的基準から個人、家庭、氏族、民族、国家を愛されるので、その基準にサタンは、完全に近寄ることができません。讒訴する条件を立てることができないのです。 このように、一つでも創造的な立場に立たなければ、それが讒訴条件になります。さっと超えてしまわれるので、サタンは讒訴条件を立てることができません。そのようにして、個人を整理し、家庭を整理し、世界を整理して、祝福家庭を世界に広げることによって、霊界と肉界をすべて自分の思いどおりに調整することができます。神様は思いどおりに解放されるのです。 ですから、サタンをも思いどおりになさることができます。「おまえが地獄に行こうと思うなら行き、天国に行こうと思うなら行きなさい」というのです。サタンまでも制裁はなさらないのです。 このように、サタンが反対しようとしても、反対する条件が残っていません。ですからサタンも、しかたなくついていってこそ、自分が存続することができるのです。昔、神様の愛を受けられなかった分野があるので、人類の一番後ろについてくることができれば、「おまえも救ってあげよう」というのです。 そのような立場においては、伝統的愛の基準を中心とした環境に従って、いくらでも思いどおりに天地に対してあげることができるので、サタンは讒訴できません。それゆえに、サタンが讒訴することのできる条件に引っかかっていた神様は、解放されざるを得ないということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか? ですから、神様を兄として対するのです。神様を父として対して……。堕落して苦労した神様ではなく、解放された父母、兄のように対するのです。サタンもそのような神様を讒訴することはできません。完全に解放圏が展開されるのです。 ですから、先生の後に神様もついてくるのであり、サタンもついてくるのですが、ついてくる神様に対してサタンは讒訴することはできません。学んでいくのです。世話にならなければなりません。 先生が行く所に神様もついていき、サタンもついていくのですが、神様の後についていくサタンは、讒訴することはできません。恵沢を受けるのです。ですから、完全に屈伏するのです。神様を通して利益を願う立場であるのに、讒訴することができますか? 完成したアダムは、神様が愛を与えなければなりません。神様は、人よりも上にいらっしゃいます。それゆえに、より相対のために生き、もっとために生きれば、高い所に上がっていくという立場があるがゆえに、その立場に立つために神様ご自身も先生のために生きられるのです。 そのようにために生きられる神様を、サタンが讒訴することができますか? 絶対にために生きるのです。そこで、すべてのものが断たれるのです。それゆえに、地獄に行っているすべての人は、完成した基準に引っ張り上げておきます。サタンも反対できず、神様を支持するのです。それは何によってですか? 愛です。愛の心でそのようにするのです。 ですから、霊界の楽園に行き、中間霊界に入っているすべての者たちを、天国の位置まで引き上げます。天国まで上がっていくことができるのは、真の父母の全権的立場です。彼らが真のご父母様を知って、信じるようになれば、すべて引き上げても讒訴できません。地獄であれ、天国であれ、霊界の障壁をすべて完全に無視してしまうのです。 もちろん神様は、涙をたくさん流されましたが、人類のために生きてもサタンに讒訴される世の中で、神様まで解放するために涙を流した人は、先生しかいません。神様ご自身も、自分を解放するために、自分が救いを受けるために涙を流されることはできません。そのことが分かりますか? しかし先生は、神様を解放するために、神様が流されることのできなかった愛の涙を流してさしあげたのです。ですから、神様はそれに従っていき、はしごを架けて解放され得る基準があるのです。 そのような心を持って個人のために生き、神様の代わりに涙を流し、世界に対して涙を流したので、その道に従って神様が個人、家庭、氏族、堕落世界をぱっと超えていかれるのです。それが何のことか、分かりますか? それで、先生は蕩減圏というものは認めません。キリスト教文化圏がすべて祝福を受けていたならば、蕩減圏はありませんでした。蕩減圏が入ってきたのは、神様自体とキリスト教がすべて讒訴圏内に、そのあいまいな所に引っかかっているので、しかたなくそれを超えるために苦労したのです。完成したアダムには、苦労はありません。理想と愛と幸福だけがあるはずですが、そのようになってしまったのです。 アダム家庭は世界的基準に到達することができるのですが、それ以上の立場まで考えてきた、その立場を中心として、この地上に解放圏を成就しようと言えば、すべてが解放圏になりました。地獄であれ何であれ、それは相手になりません。 ところが堕落した条件、堕落という条件、堕落圏という条件が残っているので、神様も引っかかっておられ、サタンも引っかかっているのです。しかし完成したアダムは、堕落圏を乗り越えるのです。分かりますか? アダムが完成すれば堕落圏を超えていくので、サタンや神様の引っかかっている条件に引っかかっていません。それゆえに、サタンや神様をより愛するところでは、讒訴条件が完全に解決されるのです。 それゆえに、完成した成約時代というものは、最高の祝福理想の家庭を超えて、天宙的な勝利の家庭基盤を出発するということです。家庭は天宙基盤と連結されており、水平になります。ですから、サタン世界は条件にかけることができません。 しかし、先生が立つことのできる立場が、キリスト教が一つになり、旧教と新教が一つになった勝利的基準の立場であったならば、そこに立てば、堕落とは関係なくなるのです。先生はサタン世界の舞台から出ていったので、その舞台と一つになれば、堕落圏以上の個人、家庭、氏族、民族として出発することができたのです。 しかし、その基台と切れてしまったので、先生がサタン世界の中へ入ってきて開拓してきたのです。皆、そのことが分からないのですから、しかたがありません。そのために人類の行くべき道がなくなってしまったので、ゆえに再び開拓していくのです。 開拓していくということは何のことかというと、祝福家庭開拓ということです。救援摂理は、昔のような個別的な宗教を中心とした個人救援ではありません。家庭を中心とした救援をするならば、家庭救援のモデルが出て、それを中心としてプレスしていき、同じように循環運動をすれば、世界が引っかかって入ってきます。家庭解放圏を中心とするので、基準は堕落した家庭ではありません。完成した家庭基準というのは、すでに次元が違います。 その基準を中心として祝福するので、統一教会が行く方向と、内的愛の心情で人類に対していく所には、サタンは、それを妨げることはできません。蕩減が終わる時までです。それが三億六千万双なのです。しかし、問題は四億双です。四億双が峠です。 地上、天上天国の出発 四億双がなぜ、峠であるのかというと、四億双を成せば、男性と女性の二つの世界、男性側の家庭と女性側の家庭がすべて連結されます。親族がすべて連結されるのです。世界的次元まで上がってくれば、個人、家庭、氏族、八段階が連結されます。そのような立場なので、落ちることはできません。ですから、八億という家庭には、世界がつながってくるので、家庭に四人ずつだとしても、四×八=三十二で、三十二億を超えます。 ここに属した人たちは、世の中のことを知らない人たちではありません。青少年問題や家庭破綻が世界を滅ぼし、未来の希望を破綻させるということを知っているのです。 未来に希望的なことは、この破綻した家庭と世界を、統一されていない世界を、統一された国家として一つにするということです。その位置において本然の祝福の位置に入っていくようになれば、永遠にサタン圏、神様が呻吟する圏を超えていく立場になるので、解放天国が生まれるのです。 そうすれば、霊界が上に上がっていってもよく、下に降りてきてもよく、左右になってもよく、前後左右にいくら変わったとしても同等な価値を備えることができるので、天上世界と地上世界において完成した天宙的理想の愛の圏の時代が出発するのです。それを私たちは、地上天国と天上天国と言っています。全体解放圏です。何のことか、分かりますか? 本来、来られる主は、世界を料理し、天の国と直結させるための最高の完成圏に立ったかたです。家庭的堕落圏ではなく、宇宙的堕落圏です。それゆえに、宇宙的完成圏に出発し、すべてが祝福に向かって行くことができるのです。祝福に向かうために数千、数万年かかってきたのではないでしょうか? 先生から祝福をすぐに始めるのです。 ですから、その祝福とは何かというと、アダム、エバの堕落圏を中心とした家庭的理想の出発ではなく、地上、天上天国の万民が出発することのできる基準を引き継いだものです。ですから、サタンは讒訴することができず、地上の人間さえついてくれば、これはすべて可能です。それゆえに、統一教会の責任が大きいのです。このみ言を世界的な言論機関を通して宣伝していたならば、すでに数十年前に復帰されていました。それができなかったのです。 それゆえに、「文先生はどのような人ですか?」と、神様の前で祈祷すれば、痛哭させるのです。五臓六腑が溶けていくような境地で、断腸の痛みを感じるようになります。このように涙を流すのです。神様も、そのかたの前に服従しなければならないという訓示までなさるのです。服従しなければなりません。 神様が思いどおりにできるのであるならば、今までなぜ、このようにサタンの讒訴に引っかかっているのでしょうか? 堕落の条件によって、堕落の愛の条件によって真の愛を失ってしまったので、そうなのです。それ以上の位置にいけば、解放が起きるのです。 サタンとは何かというと、神様を引き下ろして一定線以下に引き下ろそうとするのです。神様は上がっていこうとされます。上がっていこうとされるのですが、今まで神様は完成したアダムを復帰できませんでした。その完成したアダムがメシヤなのです。完成したアダムが来て、完成したエバを中心として再創造し、完成した家庭理想を成すのですが、それは天宙史的な理想です。 それでは、世界を一つにするのにおいて、家庭をもって成すことができますか? 天宙史的理想圏を中心として成すのです。サタン世界は、すべて青少年の淪落や家庭破綻によって大変な環境になっているので、そこに火さえつければ、電気がさっと通るように通じるようになるというのです。これは私たちの特権です。だれも手を出すことはできません。分かりますか? だれが、青少年に教えることができるでしょうか? 政治や経済、文化をもってしてもできず、軍事力をもってするなど、とんでもないことです。堕落した世界のどのような力をもってしてもできません。それを解決するということは、私たちの特権的な事実なのです。 それは解放的な立場なので、神様もついてこられなければならず、サタンもついてこなければなりません。そうしてこそ、解放的な立場に立つのです。分かりますか? そのような立場で断行するということを、皆さんは知らなければなりません。今まで、先生がみ言をそのような観点で話したということを、皆さんは知らないでしょう。 先生の立場で見れば、ここには人種問題のような問題はありません。自分が願った理想的な息子、娘になり、子女になり、兄弟姉妹になります。それから父母、妻子、家庭的な理想を中心として世界化されるのです。 それゆえに、そこにどのような人をおいたとしても、差が出てはなりません。それが問題です。それゆえに、一人を見るとき、世界のすべての人種とすべての蕩減内容を総合して完成させた息子、娘として見るのです。分かりますか? サタンは、そこに入ってきて、讒訴してそこに同参することはできません。 真の父母とは、霊界まで含めたその何千億にもなる人々と一緒に食事をし、生活をすると考えるのです。それが家庭を中心として連結されれば、何千年前の家庭に入っていき、場所を取るべき所が空いていれば、その時に一度にすべて合わせておきます。何かのすき間があれば、一度にすべて合わせておくのです。 ここで白人と黒人を中心として見ると、黒人たちはあの世に行って、何千代前の先祖の立場に入っていくことができます。逆さまになれるのです。そうすれば、先祖として侍らなければなりません。兄として、母として、父として侍らなければなりません。そのような立場に立つのです。 それゆえに、「天地開闢」なのです。引っ繰り返り、完全に否定するのです。何千年前の先祖が何千年後の子孫になり、一番上の先祖が一番末になります。それで、サタン世界でこれが整備されれば、サタン世界には父母がいて、子女がいて、所有権があるでしょう? これらはどこに上がっていくのかというと、上の段階に上がっていきます。世界、天の家庭として出発し、地上天国が完成した基準に上がっていくのです。そのように見るのです。 その基準に該当する価値を、自分たちの所有であるということを認定し、息子、娘を認定し、夫婦を認定してあげるのです。それを、サタンが讒訴する道理はありません。そのような祝福の立場を躊躇し、地をのぞき込んだまま死んでしまうということも知らずにいるのです。 それで今、人やすべてのことを否定しておいて、「総生畜献納解怨祭」をするのです。人間は堕落したので、最高の個人、家庭ではありません。家庭を中心として、天上天国になることのできる位置において価値を認定するのです。 しかし、そうしようとするのですが、つまらないものを中心として、さまざまなしがらみから逃れられないでいます。それはあたかも、地獄のふんにまみれ、地獄の悪臭を放つものを中心として暮らしているようなものです。それを後生大事にし、あるいは自分の息子、娘を中心として、今までと同じようにしているというのです。ですから、これらのものを一度にすべて燃やしてしまうのです。それゆえに、「総生畜献納解怨祭」をしなければなりません。 神様の恨ハンを解く アダム家庭を中心として、二人が出発して行く所は、このように(図中A)上がっていかなければなりません。(板書されながら語られる)それでは、これは何段階ですか? 八段階です。ここ(図中B)が個人時代、ここ(図中C)が家庭時代、ここ(図中D)が氏族時代……。 このように(図中A)八段階を上がっていくのです。ここ(図中E)は、復帰された基準ではありません。この基準(図中F)に立てておくのです。ですから、ここ(図中E)にある自分の万物所有権、それから子女、夫婦、父母、この基準(図中E)は家庭、個人の基準ではありません。この基準(図中F)に上げておくのです。 そして、この価値(図中G)が解放的価値として何千倍の価値に上がっていく(図中H)のです。そして、ここ(図中E)で自分の所有権の息子、娘が、ここ(図中E)の比準に合わせることができなければ、地獄よりももっと恐ろしい所に行くのです。何のことか、分かりますか? 何千万年の間、発展してきた人類歴史の、すべての完成基準に到達したので、神様は何千年間、家庭から氏族、民族、天国を合わせようとして空いていた所を、一度にすべてぱたぱたっと合わせられます。 それゆえに、神様の恨が解かれるのです。過去の恨、現在の恨、未来の恨が解かれるのです。何のことか、分かりますか? (「はい」)そして、個人がこのように(図中A)上がっていって埋めておいたものは、家庭から……。天国は空いています。家庭を失ってしまい、氏族を失ってしまい、すべてが空いているところを、このようにして編成して、アダムが出発して完成した家庭を成してあげ、それを天国に持っていって一度に合わせておくのです。そうしてこそ、神様の恨が解かれるのです。 サタンは根本的に後退し、自分がどれほど間違ったことをしたのかを知ります。ですから、「屈伏するな」と言っても、自然に屈伏するようになっています。今からは、サタンは自然に帰ってきて屈伏するのです。大母様は今、サタンにお使いをさせています。どのような意味か、すべて分かりますか? (「はい」) 昔、完成したアダム一人が地上天国を成して、それが何千万年、何億年になれる時まで続いて、個人時代、家庭時代、すべて合わせ、神様がごらんになるとき、「堕落しなかったのだなあ。アダムの時よりも良いなあ。愛で鎧を着せたのだなあ」と、言われるようにならなければなりません。 しかし皆さんは、そのように一つ一つの段階でしっかりと完成基準に合わせることのできる人が一人でもいますか? 野良犬のようです。汚物にまみれて喜んでいるような者たちだというのです。 それゆえに、今から門を閉めれば、最後です。先生がいつ、それを決定するかが問題です。ぴたっと閉めてからは、入っていくことができません。皆さんを待っていてはいけないのです。救いはありません。赦しがないというのです。 ここ(図中E)から、このように(図中A)上がっていったものが、すべてここ(図中H)に上がっていきます。個人でここ(図中I)に上がっていき、家庭でここ(図中J)に上がっていき、氏族でここ(図中K)に上がっていき、民族でここ(図中L)に上がっていき、国家でここ(図中M)に上がっていき、八段階です。 世界でここ(図中N)に上がっていき、天宙でここ(図中O)に上がっていき、これ(図中P)が、すべて地上天国です。そして天上天国(図中Q)です。合わせて天上天国、地上天国です。ここ(図中R)とは関係がありません。 門を閉めれば、終わりです。そのように恐ろしい時代が来るのです。アメリカはレバレンド・ムーンを思いどおりにしてみなさいというのです。どのようになるでしょうか? 一度にすべて落ちていくのです。 それは皆さんの所有ですか? この地は自分のものですか? 息子、娘は自分のものですか? 夫婦は自分のものですか? 家が自分のものですか? 本来は神様のものです。すべてのものは神様のものなのです。 すべてのものは神様に属します。財産、子女、父母、国家、歴史、先祖たち、そして霊界にいる過去の王たちも皆、そうです。本来は、すべてが神様の所有です。神様が主人なのです。そうですか? (「はい」)。それを嫌だというのですか? この者たち。 このアメリカの大企業であるとか、それは何をしているのですか? それはだれのものですか? アメリカの地も、皆さんがアメリカを建てる前の主人は、神様です。神様は絶対的な主人なのです。絶対的主人は二人ではありません。永遠に一人です。そうですか? (「はい」)。堕落によってそれを失ったので、原点に返らなければなりません。 今、皆さんは自分の領地、自分の土地であると言っていますが、とんでもないことです。だれがそうしたのですか? サタンです。多くの国に分裂させたのです。アメリカにも五十州がありますが、昔は異なった移民たちがやってきて、互いに争っていました。個人主義的に争ったのです。 皆さんは、どのようにしてこの地に統一された基盤をつくりますか? 永遠にできません。そうですか? 皆さんは、そのような状況をどのようにしてつくりますか? 本然の状態にどのようにして戻しますか? 絶対にできません。永遠にできません。すべてが本来の主人、絶対的な主人であられる神様の所有に帰らなければなりません。 今や、真の父母とともにすべてが帰っていくのです。かつて父母が堕落したので、今や真の父母が上がっていくのです。そして神様と人類を仲介して人類を引き上げ、地上天国と天上天国を出発させます。それを成すのが家庭のシステムであり、理想家庭なのです。 しっかりしなければなりません。先生は整理しているのです。今までここに住んでいた先生は、どれほどあきれたでしょうか? 好きでこうしていると思うのですか? しかたなく、こうしているのです。神様は捕虜になっておられます。人類の家庭は天国に行かなければなりません。解放されたその後には、この世界をけ飛ばしてしまわなければなりません。 韓国の南北が統一されなければならないのですが、あなたたちを売ってでも韓国の土地を買って、解放させようと思うのですが、あなたたちは、そのようなことを夢にも思っていません。IMF(国際通貨基金)管理下の韓国を援助して解放させようと思っているのに、少しも動いていません。神様は、皆さんをして、どのように南北を統一させられるのでしょうか? 闘うのではありません。自動的に屈伏させるのです。 しかし皆、おしりにくっついて、「うう」と言っています。先生に任せて、先生が苦労していることも知らず、韓国がどのようになるのか分からないでいるのです。自分の祖国になるのに、すべて放棄しています。皆さんのその顔を見るとき、先生はそれを見たいでしょうか? この者たち。 死刑場に行って死ぬような、サタンの食卓にのる刺身の材料のような立場なのに、何の関心を持つだろうかというのです。関心はありません。先生が言うことをうそであると信じられるものならば、そうしてみてください。このように(板書された内容)ならなければならないのではないでしょうか? 神様は、家庭的天国、氏族的天国、民族的天国、国家的天国、世界的天国、天宙的天国をごらんになれなかったのではないでしょうか? ですから、一度にぱたぱたっと……。偽りの父母として出発したものを、アダムが完成することによってすべて解放されるのです。(「アーメン」)。(拍手) 真の父母の立場の重要性 見てください。複雑な霊界の統一、そして地上はどれほど複雑でしょうか? それをだれが知っているでしょうか? 霊界が一年前と今では、どれほど変わったかをはっきりと感じるでしょう? (「はい」) 全霊界が再臨するのです。原理的に宗教統一が、どのようにしてなされるのか知っていますか? 霊界の霊人たちが再臨して統一されるのです。世界統一を迎えるのです。宗教統一をすれば、世界が統一されます。 宗教は必要ですか? (「必要ありません」)。必要なのは、理想的家庭です。家庭、家庭、家庭! 宗教の看板を下ろすときには、宗教時代は過ぎていくのです。皆さんは食事をしながらも、寝ていながらも、そのような世界に行くのだと、胸を痛めていなければなりません。それは皆さんも同じです。 全天宙を創造された神様は、来られる再臨主が願えば、この世の中を逆さまに打ち込まれるでしょうか、打ち込まれないでしょうか? 考えてみてください。神様は、一日ですべてたたき壊されるのです。 問題はレバレンド・ムーンです。先生なのです。真の父母にかかっています。「これを処分しなければなりません」と言えば、一度にすべて整理するのです。先生も、このように皆、祝福してあげたのですが、それでも皆さんは、また先生が苦労して涙を流すことを願うというのですか? 神様はそれを願われますか? (「いいえ」)。そのようなことをすれば、「この愚か者! と言われるのです。 神様の思いどおりにはできません。先生が提案して、先生がしようというとおりにしなければなりません。ですから、すでに救援したのです。そうではないですか? 神様が考えられるとき、「やややや、そのようなつまらない者を助けてあげようとせずに、この地球上の三分の二はサタン主管下で、それはすべて太平洋に行って死んで腐るのだから、関係を持つな」と思われるというのです。 今も、ハーバードの専門博士のような人たちは、十年たてば十億以上の人がエイズにかかると言うのですが、そうなれば、五年もせずに世界はすべて滅亡するのです。今から、二十年です。新しい二千年時代に、アダム、エバの二十年の完成時代に、人類は滅亡するかしないかという問題がかかっていると思うのです。 十年たてば、エイズ患者が十億を超えるというのです。そうなれば、五年で人類は完全に滅亡します。分かりますか? 十五年後にどのようになっているでしょうか? 二十年後を考えてみてください。 先生は、霊界をよく知っているのですが、地上で皆さんがこのように暮らすのを願うでしょうか? 私が願うことは、神様が何でも成されることができます。真の愛を持って願うことは、幻想ではなく現象として、即刻的に実現化させることのできる世界です。 あなたたちは、「私たちの先生は、私たちを待っている」などと考えてもいけません。霊界では、どれほど先生を待っているでしょうか? 世の中で最も恐ろしいのが先生なのです。人類の三分の二が血を流すようになったとしても、サタンや神様は止めることはできません。ですから、血を見ないようにするために、このことをしているのです。 モーセは、シナイ山に行って石磐を受けてから、イスラエルの民がつくった偶像を壊しました。そのような怒りを下し得ることが、先生にはいくらでもあるということを知らなければなりません。それを舌をかみながら、憤りを耐えてこのようにしてきたということを知らなければなりません。 モーセが石磐を受けて山を下りてきたら、民は皆、偶像に仕えているのです。今、皆さんも本来の教えから離れ、偶像に仕えているのではないでしょうか? その時代と今とは、ぴたっと同じです。モーセが石磐を壊したでしょう? そのようにすることのできる時が、いくらでも先生にはあるということを知っているので、舌をかんで躊躇しないのです。 地上天国や天上天国を、野良犬のような者たちがすべて汚したということを考えるとき、先生はいくらでもそのようにすることができるのです。神様は、先生が苦労することを願っていらっしゃいません。「このような立場なのですが、どのようにしますか、神様?」とお尋ねすれば、神様が決裁されるとおりにすることができるのです。 相談したならば、神様はただ「そのままもっと行きなさい」と言われることはできない立場に立っていらっしゃるのです。そのような立場の神様であられるということを、皆さんは知らなければなりません。 それで、そこに引っかからないように、「訓読会」のみ言を中心として行うのです。 アメリカであるとか、日本であるとか、韓国であるとか、世界的な国家の放送を通して行えば、六か月あれば、すべて回るというのです。 この者たち! 国を訪ねていって、そのようなことをしなさいと言ったのに、皆、何もしていないではないですか。皆、自分を中心としてつまらないものばかりを食べ尽くして暮らそうとしているのです。この者たち! 分かりますか? (「はい」) 先生がどのように考えるか、分かっていないではないですか。皆さんが、今、暮らしているようにしていてよいと思いますか? よくないのです。これを変えなければなりません。変えてしまわなければならないのです。地獄と天国、右腕と左腕が交差して逆さまになっているのを正さなければなりません。反対にならなければなりません。 私には、助けは必要ありません。皆さんは必要ありません。先生の息子、娘が必要なのではありません。アメリカに来て、この子供たちを中心として、先生が一度でも子供を抱いてあげましたか、どのようにしましたか? キスも、一度もしてあげることができませんでした。そうしながらも、皆さんを救うためにあらゆる精誠を尽くしていくと、サタンが取るものがなくて、子供たちまで取ってしまったのです。 先生の息子、娘は、いくらでも取り戻すことができます。直接主管圏内に連結されたものは、いくらでも取り戻すことができるのです。汚れた環境とその水で沐浴をしたとしても、汚れません。人間は汚れないというのです。分かりますか? 自分の息子、娘、自分の一族、それらの者をすべてほうっておいて、皆さんを生かすために今、このようにしているのです。 先生の妻子と一族と大韓民国を忘れてしまい、皆さんを訪ねたのではないでしょうか?先生の視点から見れば、父母を否定し、親戚も否定し、すべてを否定して、サタン世界の子供たちと交わってきたのです。先生の生涯のすべては、外の世界の人々のためにささげられてきました。サタン世界の人々のためです。分かりますか? 彼らがつながっている家庭、親族、国家、暗闇の世界から彼らを追い出して、希望のある光の世界の家庭、国家に連結してあげるのです。サタン世界を光の世界へと転換します。しかしアメリカは、そのような理想的な国でしょうか? アメリカ人は、そのような理想的な人々でしょうか? 違います。 私は、統一教会のメンバーたちの中に、神様に対する忠孝を見いだすことができません。神様の目からごらんになれば、そうです。愛国者もいません。聖人も聖子もいません。私は見つけることができません。 今まで、先生の生涯のすべてを外部の人々のために費やしてきて、今になって自分の子供たちや親戚を振り返ってみると、そこには偉大な子供たちがいたのです。偉大な愛国者、聖人、聖子がそこにいるのです。 しかし反対に、このカイン世界には一人も発見できません。惨めなことです。分かりますか? (「はい」)。皆さんになぜそれができないのかと言えば、あまりにも多くを外の世界に負っているからです。そこには皆さんの両親がおり、子供たちがおり、親戚がおり、また国があります。 ですから、最後の決定をしなければなりません。それで、私が反対されたアメリカであるとか、反対された韓国の地、日本の地に行って住みたくないので、新しい地を買っているのです。そうしていたのです。 少なくともアメリカ、韓国、日本、ドイツは先進国家として、サタン側の誇りを持っているのです。先生はそれが嫌なのです。その反対側は、それほど高度に発達した文化を作ることができていません。こちらがお父様の側なのです。そのような可能性があるのです。 先生は、どうすべきでしょうか? そう遠くない将来に、この道を行くと決断して、すべてを整理する日が来るのです。神様さえも私に従ってこられることでしょう。 そのことを知っておくのです。はっきりとすべて話してあげるのです。このような話(板書された内容)は、初めて聞いたでしょう? 愛の主人 それで、「真の愛はだれもが願う」というのです。愛は自分勝手にするのではありません。神様から始まらなければなりません。神様が主人になることができなかったのです。堕落する前のアダム、エバは、どのようにして神様を愛の主人にしてさしあげることができたのでしょうか? 子女の愛の主人、兄弟姉妹の愛の主人、夫婦の愛の主人、父母の愛の主人、祖父母の愛の主人、王の愛の主人、神様の相対の愛の主人。神様は、それらすべてのレベルの愛の主人になられなければなりません。 子女のレベル、夫婦のレベル、父母のレベル、祖父母のレベル、王のレベル、神様の相対のレベル。先生は、この秩序に従って、失われた神様の所有権を取り戻してきたのです。分かりますか? (「はい」) パートナーがいなくては、対象がいなくては、永遠に愛の主人になることはできません。子供のいないカップルは、子供を愛する愛の主人になることはできません。子供がいなければ、父母の愛を自分のものとすることはできません。 そのことを知らなければなりません。皆さんもそうです。夫婦で、男性が女性を愛するのは、男性の愛だと思いますか? 自分のものだと思いますか? 女性によって始まったものをすべてどろぼうして、そのようにしているというのです。そのような者は皆、地獄に行きます。ですから、絶対的です。愛は絶対的なのです。 愛の主人になりたいと思う者はだれでも、パートナーを愛さなければなりません。そのことを知らなければなりません。それは正しい話ですか? (「はい」)。夫婦同士がいくら愛しても、父母の愛を持つことはできません。嫁に行かなければ、夫のことは分かりません。夫になれる愛、妻になれる愛が分かりません。一代ですべて滅びるのです。 皆さんの中で、先生の半分も生きていない人が多いのです。今から四十年生きるとしたら、どれほど変化が多いでしょうか? 統一教会を捨てて逃げていった人、ありとあらゆる人たちがたくさんいます。そのようなことを思えば、八十歳まで生きずに、そのように自分勝手に生きることのできる環境に入っていく前に霊界に行くのがよいのかもしれません。「早く死にます」と祈祷するのがよいのです。(「……」)。黙っているのをみると、それもまた嫌なようですね。 これから成すべきこと 今から、このアメリカで、第二次大戦を中心として、先進国の人たちを中心として、それ以外の各民族を代表した人々を集めて組織をつくらなければなりません。特に七か国を中心とした人員を中心として、組織をつくらなければなりません。七か国とは、第二次大戦時の七か国です。英・米・仏・日・独・伊・韓国です。六か国に韓国が加担していたならば、そのときに祝福して七年……。七年間もかかりません。三年以内にすべて世界的な祝福をしていたのです。 それで、特別にこの七か国の人員を中心として各国、アメリカ内に組織をつくらなければなりません。七か国の人々を中心として単位的な委員会をつくり、アメリカ全体の中でドイツ人ならドイツ委員会、ドイツ協会をつくっておくのです。 少しでも間違えば、彼らはアメリカと闘うこともあり得ます。今後、個人主義的になり、民族分裂が起こり得る危険な立場にいるので、早くこれを結ばなければ、これから危険です。ですから先生は、このようなことをしようとしているのです。 それゆえに七か国が一つになり、神様のみ旨を受け入れなければならないのですが、四十年の間に分立してしまいかねない動機をつくったので、アメリカ内で紛争の蕩減的時代が来るかもしれません。それを防止するために、このような仕掛けをしておかなければならないのです。 それゆえに、早くこれをしなければなりません。そうではないでしょうか? フランスとドイツ、それらは皆、怨讐です。イタリアも怨讐です。それらが皆、この地に来ているので、天を中心として完全に統一して、世界を統一しなければならないのですが、それを排斥しています。 このように、その民族が天に違反して暮らしているので、天が蕩減的結果を追求して、民族分裂の可能性があり、民族分裂が起こりかねない危険性があるのです。ですから、早くこれを結ばなければなりません。分かりますか? アングロサクソン民族が一つになり、彼らはスパニッシュ系やドイツ系とは違うので、他の先進国、ドイツやそれ以外のイタリアや英国は、アメリカだけを嫌って反抗するかもしれない危険性があります。個人主義が激化した立場では、必ず闘争がついてまわるものなのです。 ここにもし、宣教国百八十五か国の人たちが入ってきていたならば、それを起点として連合体制をつくり、私たち食口が一つになって教育することによって、そのような未来の困難を防止することができると思います。 それは、どのようにして行うのでしょうか? 「訓読会」によってです。このようにしておいて、その次に相対国をつくるのです。一人だけではなく、プラス、マイナス、主体と対象が父母のような連携をつくります。民族は息子、娘であり、所有は国と同じであり、そのような連合体制を早く準備してこそ、世界が一つになることができると思うのです。 日本人は手を挙げてください。わあ、多いですね。英国も早く協会をつくり、それからドイツです。あなたたちも同じです。そして連結させなければなりません。分かりますか? それらをすぐに形成して、人員を中心としてそのような大会を皆さんは開かなければなりません。皆さんは三人を教育し、お母様が語られた内容を教育するのです。それを結成して、「自分の民族を第一に考えてはならない」という思想を早く入れなければなりません。分かりますか? (「はい」) 全国大会を村々でしなければなりません。ほうっておいてはいけません。このようにして『訓教経』など、そのようなものを中心として皆、教育するのです。それから、それ以外の「訓読会」をする材料を中心として継続的に行うことによって、神様のみ旨に一致することのできる道が自動的に連結されるのです。 それから、UTS(統一神学校)卒業生を選出し、活動を強化しなければいけません。各州に二十人ずつです。UTS卒業生が千人ならば、一州に二十人ずつ配当されるはずですが、彼らは今後、アメリカ全体の国民を指導することのできる灯台のような使命、機関車のような使命をしなければなりません。 そしてお母様の講演した講演文を中心として、自分の州にあるすべての部落まで行き、講演を実施し始めるのです。分かりますか?責任者の妻たちが母の責任を持って女性たちを動員し、講演するのです。もちろん、男性たちも加担させて講義し、全体を教育することができるようにしなければならず、男性も今後、皆、教育に協助することができるようにしなければなりません。 活動するための経済問題は、男性が責任を持って後援し、活動していかなければならないということを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」)これは世界的です。全世界も、お母様の講演が終わる前に全世界の村々で講演し、その後にデモをするのです。デモです。講演してデモをしなさいというのです。「訓読会」を中心としてデモをしなければなりません。 それを各「道」の知事のような人たちの所に行って行うのです。講演のときに集まった人たちを中心として、「訓読会」を指導するのです。分かりますか?ここに来た三百人は皆、昔のホーム・チャーチのような組織をつくり、「訓読会」を継続して行うのです。 韓国で訓読大学をつくり、市民の中で有名な人が行うので、ひっきりなしに寄ってきます。一週間に一度ずつ行うのですが、二週目はさらに多く来て、どんどん集まってくるのです。そのようになります。(笑い)それでは、立って敬礼してください。九十度。 万歳三唱。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.03
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真のご父母様の御言の価値1999年5月1日ご聖婚三十九周年と世界基督教統一神霊協会創立四十五周年に当たる、一九九九年五月一日、米国のベルベディアで真のご父母様が、時折英語を交えながら、韓国語で御言を語られました。 韓国語で「訓読会」をしなければならない 全世界は今から、韓国語で「訓読会」をしなければなりません。そのような時が来たのです。昔とは時代が変わりました。国も一つであり、言葉も一つであり、文化も一つであり、生活も一つの時に帰っていくのです。 すでに、八〇年代から九〇年代にかけて「通訳を使わずに御言を語る」と言ってきたのです。もう十年になります。皆さんは、すべてないがしろにしてきました。先生の御言をいいかげんに扱ってきたというのです。十年といえば、何でもできるのです。 統一教会の二世たちで、ブリッジポート大学において韓国語で講義するのを聞き取れない人には、卒業証をあげないかもしれません。あなたたちは深刻にならなければなりません。聞き取れない人は、後退するのです。だれかが指導する時ではありません。各自が御旨を理解して、ついて行く時なのです。先生が、毎日のように座ってあなたたちに教えてあげられる時代は過ぎていきます。世界の頂上級の人たちが訪ねてきて、御言を語ってあげる時が来たのです。 これは『訓教経』です。『訓教経』とは何かというと、父子の関係において孝子になり、孝子と父が一つになる、その道を教えてあげる御言が『訓教経』なのです。宇宙の根本は父子関係です。宇宙の根本はそれなのです。 先生が世界の指導者に教えようと抜き出した、七十二編の御言です。これをもっていれば、どこに行っても自分自身が指導を受けることができ、また、今後統一教会の責任ある人たちは、これをもっていけば、どこでも御言を語ることができます。既成教会であるとか、ユダヤ教であるとか、宗教圏に立ち寄って、御言を語ることのできる自由な時が来るのです。そのために準備してつくった本です。 先生の語った御言を統一教会の指導層にいる人たちに伝え、(その指導層が)先生の代身として世界に伝えるための御言です。正しい道を教える御言が『訓教経』という本です。今回、そのような本を発刊したのです。 一巻はすべて読みました。今は三章ですか?(「はい」)。きのうは一章ですか、二章ですか?(「はい、二章まで読みました」)。では、三章を読むのですか? 霊的に聞いてみてください。どういう御言なのか、感情で感じてみなさい。大きな声で読みなさい。(「あすを迎えよう」)。題目が何かというと、「あすを迎えよう」です。自信をもってタイトルを言いなさい。 (韓国語で「あすを迎えよう」を訓読する) 御言に従って生きれば大きく成長する (英語で語られる)何を言っているか分かりますか?韓国語を学ぶのは難しいのです。どんなに難しくても、韓国語を学ばなければなりません。韓国は永遠の故郷なのです。この地(アメリカ)は神の怨讐です。神様はこの地を考えたくありません。すべてが零点です。そのような土地の言葉をあなたたちは使っているのです。 お父様がどれだけの内容を語っているか、考えてみなさい。三百巻を越えました。多くの重要な御言を明確に語っているのです。そして今は、お父様の過去の御言はすべて、本から探し出すことができるのです。どんな大きなアメリカの図書館にもありません。その蓄積された膨大な本は、すべて神側のものです。神の怨讐側で書かれた悪いものは、燃やしてしまうのです。 お父様は「本」についてたくさん語りました。「本」について考えてみなさい。簡単に考えていましたね。この「本」は、堕落し失った子女たちの世界を守るためのお父様の御言です。堕落した子女は、家族、氏族、国、そして全世界に連結しています。霊界にも連結されているのです。神様はいつでも、地上天国と天上天国の両方を願っています。正しい言葉を使えば、人々はそこで一つとなるのです。そのような国ができれば、どれだけいいでしょうか。それを知らなければなりません。 いかに整備するか。背後にある悪なる環境を永遠になくしてしまわなければなりません。あなたたちの心と体は、そのような両方の世界に連結されているのです。いかに心と体の闘いを平和にするか。二つが罪ゆえに闘っているのです。サタンゆえにです。原因は一つです。心と体を一つにしなければなりません。 先生の三百巻の本を買いましたか? 買っておけば、後孫の誇りになります。「我々の先祖がお父様の御言を買ってくださった」と尊敬するのです。その時、他の人々はうらやましがるというのです。「先祖が統一教会に入っていたのか。お父様が生きている時に……。本の発行はいつか?」と高く評価されるのです。何千ドル出しても買えないようになります。 考えてみてください。唯一の本です。神の立場から書かれた本は、お父様の御言だけです。真の父母の御言です。永遠に二つとないのです。永遠に一つです。絶対的に一つです。過去を代表するもの、すべての代表のもの、昔も今も同じです。永遠に一つなのです。水平基準は、どこまで行っても水平になるのです。何千回回っても、出発点は一つです。この垂直基準も一つです。世界的基準も一つです。 たとえその本を持っていて学んだと誇っても、お父様のすべてを知ることはできません。一つの表面的な現象しか分かりません。そこにある深さ、高さ、大きさは分からないのです。ベルベディアで昔から先生を見ていますが、表面の顔しか見ていないのです。高さ、大きさは分かりません。 どのようにして、お父様の個人的な性質を量ることができますか? どのように見つけられますか?「本」からしか知ることができないのです。「本」からです。それは灯台のようなものです。サタンの暗黒の世界を照らす灯台です。光で包み込むのです。 勉強して、また勉強するのです。練習に練習を重ねるのです。何千回と続ければ、高い基準に早く到達できます。瞬きするように練習するのです。息をするように、何回もするのです。 アメリカは今、恐ろしい立場です。人々は行動しません。昔は白人としての誇りと権力をもっていましたが、今は神様の深い御言を学ぼうとしないのです。白人は今、そうなのです。底辺にいる黒人などは、熱心に学んでいます。同じ出発点に立った場合、安楽な道を行けば下がってしまいます。難しい道を行けば、頂上に至るのです。十年、百年たてば、その差は量り知れません。 その時に「そんなの嫌だ」と言っても遅いのです。白人は東洋人が熱心に仕事をするのを横目に、容易に学校に行き、社会に出て、休暇を取り遊んでいるのです。その間に運勢が落ちてしまいます。 御言に従って生きれば、大きく成長するようになっています。それが自然な現象です。神様もそのような現象を否定できません。自然なのです。分かりました? 安楽な道は落ちていくのです。難しい道は、天国に続く道であり、神様を占有できる道です。そういう人が「神様は必要ない」と、どこかに逃げてしまっても、神様はその人の後を追うのです。 簡単な道を行けば、将来、罰を受けます。難しい道は、高い価値を得、繁栄し、天国に行くのです。そうではないですか。 皆さんが天国の高いところに行けば、真の父母はだれであるか分かるのです。 三百巻の本には、多くの内容があります。いかにしてすべての内容を把握するかと努力している人を、神様は探しておられるのです。地上のどこかに現れれば、神様はその人がどこにいたとしても探し出すでしょう。 お父様の本を読まなければなりません。 真剣です。 その本は必要ないですか? どれほど必要かというのです。皆さんの氏族、国家、世界、天宙、神様以上だというのです。分かりました? 先生はそのような内容を教えているのです。たとえ教会員がいなくなっても、「本」さえあれば、いつでも復興できるのです。問題ありません。もう一度、始めることができます。それほど深い内容なのです。深い海底では、今も動いています。そうではないですか? 先生の教えた御言は、生きている力が背後にあるのです。それは押し上げる力であり、下げる力ではありません。「本」もそうです。一定して押し上げる力をもっています。下げるものではありません。そのような価値を神様は知っているのです。先生も知っています。学ばなければなりません。 (前列の女性に)なぜ、あなたたちは前に座っているのですか? 韓国語が分からないでしょう。十五年以上前から話しているのです。お父様は「通訳を使いません」と、はっきり全世界に宣言しています。何ですか、これは。(ここまで英語で語られる) 御言の本をどのようにして残すか 今に、私がアメリカを出る時が来ます。では、先生が好きですか? まず、御言が好きでなければなりません。それが生活の指針になるのです。ある人を理解しようとすれば、過ぎていった歴史を通して、その人がどのように生きたかということを知らなければなりません。その人の思想を中心として、自分がついて行くべきなのか、ついて行くべきでないのか、それが分かるのです。そうでなければ、永遠に理解することはできません。 「真のご父母様の御言の価値」(板書される)をどのくらい知っていますか? 先生の説教集が、十巻でもなく、百巻でもなく、三百巻に記録されているのですが、先生をどのようにして理解するのですか? 発刊された御言選集、それ以外にも世界で(ご父母様に関して)研究されている本を勉強してこそ、博士になることができるのです。それなのに、これは何ですか。 五十年前に語ったことと、同じでなければなりません。五十年前にすべて教えてあげたのです。恥ずかしがってはなりません。先生だと言うことができるように、本当にすべてを教えてあげたのです。今でも同じです。 今、「訓読会」を世界的に一番一生懸命にする人はだれですか?(「お父様です」)。なぜですか? この御言にうそがないか、確認しているのです。自分が話していないことが書かれていないか、確認しているというのです。最後なのです。それをどのようにして残すか、ということを考えているのです。 神様は「あなたが語った御言は、すべて行った」と言うので、レバレンド・ムーンが行く所では、怨讐がみな尊敬し、世界が屈服するようになるのです。多くの本、三百巻になる本の中で、レバレンド・ムーンがうそを言った所はどこですか? 行わなかったことがありますか? ですから、本が私について来るでしょうか、私が本について行くのでしょうか?(「本がお父様について行きます」)。先生には、これは必要ありません。あなたたちはどうですか? あなたたちは、先生について行けばよいのですか? 先生がどこかに行けば、先生について行こうとします。あなたたちは、本であれ何であれ、「必要ない」と言いますが、あなたたちは本について行かなければならないのです。 それゆえ、サタンが、三百巻になる本の前に来さえすれば、ダウンするようになっているのです。あなたたちは先生がいなければ、どうするつもりですか? どうするつもりなのですか? これを越えることができますか? これを越えていくためには、先生の御言を知らなければならないのです。分かりますか?(「はい」)。 「統一教会の食口だ。何だ」と言いますが、食口とは何の食口ですか? 先生を愛し、先生のために生きていますか? うそをついてはいけません。何ですか、「先生を好きで愛しています」と言いましたか?(「はい」)。どのような位置でですか? ここに三百巻の階段があるのです。ここに座って「愛している」と言って、通じますか? それは梯子です。 今、時になりました。世界的時になり、地上に完成した人たちが出てくることのできる時になり、天上のすべての法度と連結させ得る時になったのです。大転換期が来たのです。それについて行かなければなりません。 さあ、きょうは何の日ですか? 記念日が三つ合わさったのでしょう。(「真のご父母様ご聖婚三十九周年……」)。三十九回、四十年になりました。年の数では四十年になりました。四十年間先生について来たのならば、その生涯をすべて知っていますか? どれほど曲折が多かったでしょうか。その曲折と、あなたたちはどのような関係を結びましたか? 四十回になった時に、自分の国とすべてのものを売って大祝宴を開いて招待すると言って、ご父母様が行くと思いますか? アメリカの国を売り、アメリカの人々がすべて祭物になり、招待したとして、行くと思いますか? 行きません。なぜですか? 今まで反対したからです。 UTS(統一神学校)では、先生の本をすべて読みましたか? 翻訳ができていないのですか? 翻訳がどうして必要なのですか? 本来、原語で学ばなければならないのです。そうではないですか?(「はい」)。知っていることはよく知っていますね。 三百巻の御言選集を出版する さあ、それからきょうは何の日ですか?(「統一教会創立記念日です」)。統一教会を立てて以来、四十五年です。では、四十五年の歴史を知っていますか? 一番最初から四十五年間、記念日に先生が話した御言を一度すべて読んでみましたか? 何年間くらい先生の御言を求めて、読んでみましたか? 読んでいないのですか? それでどうして、この祝賀会に参席できるのですか? この者たち。 それではいけません。歴史的に、初めて立てられた日です。生きたものを前において記念しなければならないのに、殺してしまったもので記念するのですか? ご父母様に四十年、五十年ついてきて侍り、自分が知らないことは一つもなく、共に動いた、というものがあってこそ、神様が「あなたは祝賀することのできる堂々たる人だ」と言うのです。パン屋に行って乞食が食べて落としたパンを中心として、そのような立場で創立四十五年を祝賀しようと参席したのですか? この者たち。 さあ、皆さんは、摂理史全体を背負い、神様の御旨に対して、世界に大声で説明することができますか? 先生がアダム家庭からノア家庭、それ以外に教えてあげた内容と、霊界に行った李相軒氏の内容と、ピタッと一致するのです。その世界に入っていき、サタンと闘い、すべての失敗を正し、屈服させた勝利の記録をもっているのです。勝利の記録です。 神様が知っていることもそうであり、摂理史に現れた歴史もそうであり、先生が話したこともすべて同じなのです。読んでみれば、称賛し、「そうだ。 そうだ。 そうだ。」と言うようになっているのであって、頭を上げてこのようにする(頭を左右に振られる)ことはできません。サタンもそうなのです。皆さんは、先生が語った御言を読んで、正しいと思うでしょう。 (英語で語られる)神もサタンも霊界のすべての偉人も、御言の内容を見ると、みんな頭を下げるのです。先生を尊敬するようになるのです。しかし、皆さんは、どれだけ先生の御言の背後にある連結されたものを知っていますか? 表面だけです。 「私は統一教会のメンバーであり、国家、世界、天宙を代表し、神をも代表している」と、どれだけ誇っていますか。 お父様の御言の偉大さ、深さ、高さ、その価値をどれだけ理解していますか。(ここまで英語で語られる) 私がこれ以上話をすれば、腹が立って悪口を言い、思いきり殴るかもしれないので、やめましょう。分かりますか?(「はい」)。警告せざるを得ないのです。警告。 三百巻の本に何があるか、調べてみなさい。統一教会の人たちで、先生の三百巻の本を買っていない人が、どうして「統一教会を信じている」と言えるのですか? どうして「真の父母だ」と言うのですか? 今、二百四十巻までです。残りの六十巻は今、出版することができずにいるので、三百巻をすべて今年中に出版しようと、私がそのお金を準備しているのです。この者たち。 世界の人々が、「積まれた本は何か? 見てみよう」と、その御言を買おうと大騒ぎするはずなのに、そのように買う者が一人もいないのです。それでは滅びます。滅びるというのです。 私はあなたたちと同じではありません。どれほど一生懸命か、知っていますか? この本の内容を知るために、どれほど闘ったか、知っていますか? あなたの国、あなたの世界が永遠に、堂々と暮らすことのできる内容が、すべて入っているのです。それを知らずにいいかげんに扱う人は、地獄に行かなければなりません。 ドイツの神学者カール・バルトという人が本を一番多くつくり、一背負い分になると言うのですが、これはどのくらいになるでしょうか? トラックでも足りません。これをそのように誇ってみましたか? 私がカール・バルトの神学を学ばなければならないでしょうか、カール・バルトが先生の本を学ばなければならないでしょうか?(「カール・バルトが先生の本を学ばなければなりません」)。 愚かな統一教会員になってはなりません。 化粧して美しくなろうとせず、地味にして、御言の本を学ぶために時間がなく、化粧できなかったことを誇る女性を探しているのです。そのことを知らなければなりません。 すべて奪われてしまう アメリカがいくら誇っても、日本について行くことはできず、韓国の信仰について行くことはできません。あなたたちよりも信仰の基準が高いのです。高いのは間違いありません。日本人の信仰についていく自信がありますか?(「はい」)。日本の女性たちを越えていくことができるか、と聞いているではないですか?(「はい」)。(笑) 見てみなさい。日本の食口たちがここに十五名来ていますが、毎月献金をしようと、食事もせずに断食しているのに、アメリカ人はそれを見るふりもせずに、「私たちは食べて遊ぼう、ハハハ」と言っていたら、滅びなければならないでしょうか、繁栄しなければならないでしょうか?(「滅びなければなりません」)。アメリカにいる日本の食口は毎月、三百ドル献金しています。アメリカのメンバーはどうですか? 献金はしなさいという話をしなくても、自ら進んでするものです。 皆、びりになります。警告しているのです。きょう五月一日、新緑が青々とし、春のよい季節、この時に、アメリカ人は気持ちを正さなければなりません。日本人はお客さんです。通り過ぎるお客さんが一生懸命にしているのに、主人が家に火がついているのを知らずに暮らしている、という恥ずかしさを知らなければなりません。 この者たち。 思い通りに生きることのできる自分たちの国で、日本の女性に負けるのですか? 勝つと言ったでしょう?(「はい」)。何倍するのですか?(「百万倍します」)。(笑)百万倍と言わずに、もっと一生懸命するのです。では、日本の女性に負けないと決心をする人、目をしっかりと開けて、先生の前で両手を挙げて誓いなさい。 それでは、横に韓国人、あるいは日本人が十名いたら、その十名の中で負けてはならないと警告します。そうしてこそ、あなたたちの国が生きるのです。今まで世話になったことを償わなければなりません。韓国人も同様です。分かりますか?(「はい」)。「やる」という人は立ちなさい。やらないという人は座りなさい。あそこで座っている人はどこの人ですか? どうしてですか? 顔を少し見てみましょう。それ以外は座りなさい。アメリカのメンバーに負けないように献金も頑張るという人は、みな立ちなさい。韓国の女性だからといって、座っていることができますか? 全員分かりましたね。 日本が頑張っていたことを、今からアメリカもしなければなりません。長子がするのです。日本は母の位置を代表しています。今、アメリカは長子の立場を代表しています。分かりましたか?日本人はその責任を果たさなければなりません。そうすれば成長していくのです。 責任を一生懸命に果たさなければなりません。歓迎する人、「はい」と一度言ってみなさい。(「はい」)。もう少し大きく言ってください。(「はい」)。覚えておきます。座りなさい。あなたたちは、日本人であれ、アメリカ人であれ、一緒に協力してアメリカを守らなければなりません。それは運命なのです。日本の食口は献金しようと、昼食を食べない時もありました。あなたたちは食べて、豊かに暮らしてきたでしょう。 先生が来て二十四年間、アジアから日本の食口と韓国の食口が来て、どれほど苦労しましたか? あなたたちには苦労させませんでした。アメリカ人には苦労させなかったのです。世話になったのではないですか? そうですか、そうではないですか? アメリカの指導者たち、世話になりましたか、世話しましたか? どうですか?(「世話になりました」)。 既成教会の人たちが統一教会に入ってきて、あなたたちよりも強くなり、あなたたちを追い出したら、既成教会がどれほど喜ぶでしょうか? そのような時が来るのです。この者たち。 しっかりしなければなりません。すべて奪われてしまうのです。 すべての組織は父母主義にならなければならない すべての組織は、父母主義的環境にならなければなりません。会社では、社長は父親であり、社長夫人は母親です。母親は家にいる夫人たちを管理し、父親は社員たちを自分の息子・娘のように管理し、教育するうえで見本となり得る、そのような行動を今からしなければなりません。霊界がそのようになっているのです。 会社の社長は、その会社の全社員の父母であり、それからその会社のすべての所有は、その父母とその会社の子女たちの所有物なのです。これを知らなければなりません。 国でいえば、国の大統領と国民は父子の関係であり、国民はすべて息子・娘になるのです。家庭としての息子・娘です。同じことです。カテゴリー(範疇)が同じだというのです。分かりますか? 今から、そのような組織になるのです。 人が二人集まる時、これは兄弟関係です。年下の人は弟として、年上の人に兄として侍り、一つにならなければなりません。二人の人がいる場合は兄弟の間柄であり、年上の人が兄の立場なのです。すぐにそのようになります。二人の人が集まればそうなのです。 三人が集まれば、「だれが中心か」と中心になる人を決めて、その人の言葉を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従することができれば、成功するのです。知識、年、博士、どのような友人であれ、すべて関係ありません。霊界が知っているのです。霊界はそのようになっていると思いますか、思いませんか? 三人の人が集まって、一人は教授、一人は労働者、もう一人が女性としましょう。その三人の中で、その女性に信仰があるならば、その女性が中心になり、母親としてみな侍らなければならないのです。 統一教会の生活標語は何ですか? 絶対信仰、絶対愛、絶対服従。この女性には、息子・娘が三人います。家の中で会議した時に、一番下の娘が神様に一番心情的に近ければ、その子に対して母親のように侍り、服従しなければなりません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。そうすれば、平和の家庭を、どこであっても成し遂げることができます。(「アーメン」)。絶対愛、絶対信仰、絶対服従。 家族はそういう道を行かなければならないのです。 父母が、信仰的に一生懸命な子供を占領してはいけません。出世することができるのに、父、母、兄、すべてが障害になってはならないというのです。一生懸命できるようにしてあげるのです。小学校から中・高等学校で勉強し、伝統を引き継いでこそ、その家は滅びないのです。 祖父母がいたとしても、会議で「私たちの家庭で、だれそれが信仰の中心だ」と決まれば、その人が中心なので、おじいさんでも、朝起きて先に「おはようございます」と、言わなければなりません。お父さんとお母さんも、「おはようございます」とあいさつしなければなりません。霊界に行けば、そうでなければなりません。そうしてこそ、一つになるのです。 そうなってこそ、皆さんの家庭は真のご父母様の家庭と一つになり、霊界のどこでも通じることができるのです。そして、霊界にどのような人がいても整備して、サタンをすべて追い出してしまうのです。 天の組織は地上と同じ基準です。年齢は関係ありません。従順には「私」がありません。分かりますか? ゼロなのです。再創造の時のように、何もないのです。神様の再創造はゼロからなされるので、ゼロにならなければなりません。 聖日の朝に敬礼式をするのに、父親は寝ていて、母親は時々やらず、子供たちだけがしていれば、子供たちが神様です。「私たちの母親は、先生が語られた敬礼式に参席しないのに、どうして母親と言えるのか」と子供が言い、サタンが「何が母親だ」と言うのです。そのような言葉を聞いてはなりません。ですから、このような法が必要だということを知らなければなりません。 あなたたちの家庭でだれが、天の国に接続することのできる電線ですか? だれですか? その時に、自分たちではなく子供の名前が出るならば、すべて替えていくのです。そのようなシステムをつくらなければなりません。 総長は、父兄の家の男性をすべて管理しなければならず、総長の夫人は、その女性の世界の問題を管理して、教育しなければなりません。すべての系列がそのようになります。それゆえ、教会で原理教育をしなくてもよい時代が来るのです。アーメン。(「アーメン」)。 では、どうするのですか? 原理の御言を教育しなければ、どんどん落ちていくのに、どうするのですか? それで先生は「訓読会」というものを、この世界に合うように始めたのです。 神様が語られた御言を先生が代身したように、あなたたちは先生の御言を代身しなければなりません。神様は見えません。話すことができません。ですから、先生の御言を聞き、一生懸命にする人が重要な責任者になるということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」)。 霊界に行く準備 このくらい話せば、大体分かったでしょう。(「はい」)。会社に行くようになれば、アベル的息子として、朝早く行かなければならず、夜は遅く帰らなければなりません。すべての人に影響を及ぼさなければならないのです。 さあ、このように働けば、今日のアメリカの公務員の五〇パーセントがいなくても、アメリカを動かしていくことはできると考えます。可能だと思いますか、思いませんか? 最近、働く時間を八時間だと、だれが決めたのですか? サタンが決めたのです。神様が休みますか?(「いいえ」)。先生は八十年間、休んで暮らしましたか、多くの仕事をして暮らしましたか? 考えてみなさい。 先生は、「統一教会の教主だ」という考えはしません。どこに行っても学ぶのです。牛を育てる牧場に行けば、一番下から学ぶのです。仕事のやり方も学ぶのです。三日もいれば、牧場がどうで、牛がどのようにけんかし、どのように子供をはらむか学び、馬にも乗ってみようとし、牛にも乗ってみようとするのです。学ぶのです。学ぶというのです。学んで損をすることがありますか? 三年だけそのようにすれば、私が主人になることができるのです。 そのようにするので、レバレンド・ムーンが行く所では、教育界であれ、政治界であれ、経済界であれ、芸術界であれ、どこにおいても勝利的結果の産物がつくられるようになるのです。関心がなければ、そのようなことはあり得ません。霊界も同じです。 そのような面で有名なのです。悪口もたくさん言われましたが、基盤も世界にたくさんつくりました。悪口を言われたことよりも、何十倍も多くの基盤をつくったので、悪口は消え、基盤だけが称賛される時になりました。勝利の王座の位置に上がっていくことができるのです。 これからは、統一教会を研究する博士が多く出てくるでしょう。ハーバード大学で博士が出るよりも、統一教会を研究して博士学位を受ける人のほうが、何倍も多くなるのです。レバレンド・ムーンがした釣り、レバレンド・ムーンのベルベディア、レバレンド・ムーンのグループ……、どれほど多いですか? アメリカはレバレンド・ムーンをみな好むのですが、私は嫌いです。故郷に行くかもしれません。あのヒマラヤ山に行って洞穴を掘り、鉄門を立て、だれも来ることができないようにして、「裸足で来る人だけ会う」と言ったら、来ませんか?(笑)来なくてもいいです。(「行きます」)。南米の熱帯地方に私が行ってみると、みな裸足でかわいそうに暮らしていました。「ああ、私を訪ねてくる人は、南米のこの人たちしかいない」と思い、私も裸足で歩く練習をしているのです。 それでも来るという人は、手を挙げなさい。うそです。八〇パーセントはうそです。(笑)アメリカ人で、そのような所に行ける人がいますか? 二人もいないというのです。アメリカでは、だれが結婚させるのですか? 私たち統一教会はどうですか? 父母が結婚させるようになっているのであって、自分の思い通りに結婚するようにはなっていません。愛もそうです。(父母が)すべての生活の見本になるのです。愛と共に、生活全体の美しい風習を、そのまま伝承してあげなければなりません。 そしてきょうは、二十六年前に解怨の宣布式(「勝恨日」の制定)をしました。解怨を宣布したのです。神様を解怨してさしあげたのです。三つの記念日を迎え、新しい世界に帰っていくのです。 ベルベディアに来ないでいようと思ったのですが、「どれくらい集まったのか見てみよう」と思い来ました。ベルベディアに来る人がどんどん増えている時には、先生は現れますが、そうでなければ来ません。教会にいる人を愛し、教会の御旨を愛さなければなりません。教会の発展は国のためであって、先生のためではありません。今、私が話していることは、すべてすでに話したことです。 そのような時が来ました。霊界に行く準備をしなければなりません。すべて整備してから、行かなければならないのです。あす五時には南米に行かなければなりません。南米で二隻の七千トン級の船が、魚を一日に六百トンずつ捕まえるのです。これをどうするのでしょうか? それを売って、かわいそうな人たち、死んでいく人たちを生かしてあげなければなりません。食糧問題をフィッシュ・パウダーで解決するのです。工場をつくったのですが、そこに私は行かなければなりません。水産をしている人たちは、すべて参席するのです。 そこにお母様は六日の夕方に行き、私は三日の朝に行き、会うことになっています。お父様が好きで訪ねていくのでしょうか、お母様が好きで訪ねていくのでしょうか?(「お父様、お母様……」)。(笑)「世界に出ていって、本当に孤独で苦痛だったので、ウルグアイに行く時には間違いなく来てください。来てください。来てください」とお母様が言うので、行くようになっているのです。(拍手) この御言が先生の代身として人類を永遠に守ってくれる 真のご父母様の御言の価値。 皆さんの心と体が一つにならなければなりません。この膨大な内容を復帰するために、そのような内容をすべて理解することができるコンセプト(概念)として編成するために、どれほど苦労しただろうかと考えてみなさい。すべてこれを保管するようになっているのです。 サタンが教えてくれたでしょうか、神様が教えてくれたでしょうか? 無知によって堕落したので、これを復帰しなければなりません。それを教えてくれるなら、何千年前に教えてくれていたのです。イエス様が来た時に教えてくれていたなら、イスラエル民族はどれぐらいよく信じたでしょうか? 霊的世界を解放させることは、神様にはできません。先生にお願いしなければならないのです。度胸がなければできないというのです。 サタンと神様がけんかしたら、だれがやめさせるのですか? 神様がするのですか、サタンがするのですか? 神様が止めるなら、けんかしないのです。何千年、何万年前にすべてしてしまったでしょう。それは、アダムが責任をもたなければなりません。偽りの父母になったので、できなかったのです。真の父母になり、天の国と地獄のすべてのことをはっきりと知り、サタンを除去するまでは、神様は教えてあげることができないのです。 考えてみなさい。サタンが、この真理を復帰できないようにするために、どれほど妨害したでしょうか? 先生は、秘訣を知っているのです。何をサッともってくれば逃げていくか、知っているのです。それで、神様は先生を前面に立てて出ていくのです。 個人から、霊界のすべての地獄門まで行くことができます。それを信じますか?(「はい」)。死んで霊界に行ってみなさい。皆さんの先祖が霊界に行っていますが、彼らが祝福を受けて、信じないあなたたちの家庭をすべて打つ時が来たのです。今までは、サタンが病気にさせて地獄に連れていったのですが、今は病気にさせて天国に連れていくのです。直結処分です。蕩減期間はありません。 先生の御言がどれほど貴いでしょうか。「アメリカを十個、百個、宇宙を与えても、換えることのできない御言である」ということが分かる人は、福のある人です。「ダイヤモンドよりも貴いものだ。あまりに貴いものなので、本までもかみついて食べてしまいたい」という心で、一生懸命にしなければなりません。 先生が訓練して、引っかからないように、すべて整理したのです。皆さんも同じです。先生の御言を読んだとしても、さらに読まなければならないでしょうか、読んではならないでしょうか?(「読まなければなりません」)。読まないという人は手を挙げてください。 霊界に入っていく時、「あなたは三百巻の中で、このような内容を知っているか?」と、門の立て札にあり、それが讒訴条件になるのです。御言選集から精選された十二巻の御言集(主題別精選)をすべて学んだとしても、三百巻を読んで理解した人がいれば、その人が天国に行くのです。十二巻の主題別精選をすべて学んで行ったとしても、三百巻の本を読んだ人以上の位置に行くことはできないのです。何のことか、分かりますか? 一巻も読んでいない人が霊界に行ったら、どうなるでしょうか? 中・高等学校、大学の学位を受け、博士クラスとして先生の後について来なければならないのであって、小学校を卒業して、どのように先生について来るのですか? 天国は秩序的な世界です。分かりますか? ここにいる責任者たち。 先生の説教集を買いたいという人、買うという人、手を挙げなさい。韓国語を買いますか、英語を買いますか?(「韓国語を買います」)。それでは、英語の本はどうしますか? 二つとも買わなければなりません。韓国語から先に買わなければなりません。(「はい」)。韓国語を先に買って、次に英語の本を買わなければなりません。 ですから、韓国語の三百巻の本を買い、英語も買うのです。皆、そのようにしなければなりません。あなたたちは本当に困ってしまうでしょう。あなたたちの先祖、後孫が将来「私たちの家には、なぜ、韓国語の三百巻の御言選集がないのか?」と言えば、どうするつもりですか? その時には、統一教会の息子・娘たちは、みな韓国語を読めるはずです。他の家ではみな、一九九九年の本を持っているのに、二〇三〇年代の本だけを持っていて、いいでしょうか? どれほど恥ずかしいことでしょうか? それを知らなければなりません。 一九五七年に御言を初めて出版したのですが、その本はいくらしたと思いますか? 先生の御言は歴史上、消えてなくなることはありません。先生の御言を消してしまう人はいません。私が五十年前に語ったものを今、自分自身が聞いても、敬礼をするのです。「その時、私がどれほど深刻で、天が共にあったので、このように御言を語ったのだなあ……」。 「私が死んでも、きちんと御言を残そう」という深刻な立場で、御言を語ったのです。事実、死んでも、御言が残れば、世界を支配することのできる内容なのです。それゆえ、ありがたく思うのです。 生死の境、死ぬか生きるかという立場は、どれほど深刻でしょうか。今、霊界も深刻な立場にいるのです。今でも「訓読会」をすれば、その霊的な雰囲気がすぐに来るのです。その時、霊界が協助した基準があるので、「訓読会」をし、正しい心だけをもてば、みな感動し、自分でも知らずに涙が出てくるのです。その体験が必要なのです。 ですから、皆さんもそのような感動を受けなければなりません。霊的体験をしなければならないというのです。遊んで、踊って、そのようなことに酔うよりも、この御言に酔って、霊的に成長することが、天上世界や地上の後孫たちにとって、福、福、福の中でも貴いものであるというのです。そのことを知らなければなりません。アーメン。(「アーメン。」)。 皆さんが一日に本を十巻読めば、先生の本を、どれだけたくさん読むことができるでしょうか。もっと精誠を尽くして、それ以上しなければなりません。一番早く読み、一番長く読んだ人が、一等です。韓国の劉協会長は、賢い人です。先生の原稿を一週間、一枚一枚、すべて涙を流しながら読んだのです。そういうものです。 知識のある人が読めば、「うわ」と驚くのです。この(『訓教経』)七十二の題目の中の一つの題目だけでも、すべての世界の問題を推し量ることができるのです。もう、御言が貴いものであるということを悟らなければなりません。この御言が先生の代身として、人類を永遠に守ってくれるのです。そのように語ったものです。そうか、そうではないか、調べてみなさい。 神様を解放することのできる内容がそこにあるので、そのような勝利の位置に上がっていけば真の父母になるということを、皆さんは知らなければなりません。分かりましたか。(「はい」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.29
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第40回「真の父母の日」記念礼拝の御言第40回「真の父母の日」は天地開闢時代を開く1999年4月16日韓国・中央修練院 新記録とは「真の父母」になること (きょう訓読した)「新記録」というみ言で充分です。それ以上、先生のみ言は必要ありません。この「新記録」の「(しん)」という字は「新」という字ではなく、「鬼神」の「神」という字です。この「神記録」を持たなければなりません。 先ほどお話しした「神記録」とは、新しい「新」という字ではなく、神様と一緒に成した新しい神様の記録としての「神記録」のことをいうのです。この「神記録」と「新記録」の二つが一つにならなければなりません。 そして、その神様とアダムが「縦的な真の父母」と「横的な真の父母」となり、「神の神様」と「人の神様」が一つになった伝統に従って、その息子・娘は神様の基準を代身し、父母よりも大きいものを残すのです。 父母は一組しかいませんが、兄弟は多いので、その兄弟が一つとなって、父母が成した基盤をより拡大させなければならないのです。その兄弟たちが子女を生めば三代になり、四代になって、だんだんと自分の先祖が成したことと、同じ実績を積んで上がっていくことによって、自然に高い塔になり、神様までも占領することのできる段階に越えていくというのです。 きょう訓読した「神記録」ということを知らなければなりません。それゆえに、真の父母を中心とした子女も、神様と真の父母、つまり「神的真の父母」、「人的真の父母」の伝統を結実することができればよいのです。 そのようにすることのできる家庭は、この地上にはありません。いくら理想家庭を願い、いくら理想的な夫婦を願い、いくら理想的な息子、娘を願い、いくら理想的な夫、妻を願ったとしても、いないというのです。それは、真の父母の総合的な完成が成されることによって、初めて成し遂げられるのです。 終わりの日に、私たち統一教会は何をもってデモをしなさいと言いましたか?。何のデモですか?。真の父母です。それから何ですか?(「真の家庭です」)。真の家庭です。それから、何ですか?(「真の血統です」)。真なる血統です。今日、歴史に「神記録」というものは出ていません。しかし今から、そのことが可能だというのです。 それを成そうとするならば、国家であるとか、世界の中のある国に望みを抱いてはいけません。それらはすべて、自分の後ろについてきて、自分を見習わなければならない後孫なのです。ですから皆さんは、そのような伝統の立場で、神様を代身した、真の父母を代身した後継者として、天下に広がった兄弟の立場で同じ種の価値を持つのです。 アダム、エバが神様と一つになった種の価値を成して、収穫された家庭を世界に拡大した基盤において、すべての人間、新しい後孫の種は、アダム、エバが神様と真の父母と一つになってまかれた種と同じなのです。同じ価値の種という存在であるならば、それはチャンピオンの記録を受け継ぐことのできる後継者になることができるのです。分かりますか?。内容は簡単なのです。それで、きょうこの日、皆さんの前に、先生が語るべきことは、「本当の新記録保持者にならなければならない」ということです。分かりますか?(「はい」) それでは、どのようになるのでしょうか?。この世の中では、たとえ新記録であっても、それはサタンを中心とした自分勝手な記録です。闘いの「新記録」を通して世界を占領したのです。分かりますか?。強者の立場でたたき、打ちのめして記録を立てたのです。競争という概念はありませんでした。そうではないですか? 「力のある者が世界を支配する」といわれていたのです。お互いに競って、力で対決して闘ったのではありません。力のある者が、力のあるように環境条件を整えて、弱者を襲い、チャンピオンシップと新記録の保持者のようなふりをしたのです。これは神様が願われる、善意の競争を通して勝利の結果をもたらすということではありません。ですから、これはいずれにせよ、地球上から清算されてなくならなければならないというのです。分かりますか? なくならなければならないので、引っ繰り返すのです。今までのページは悪かったのですから、次のページは、このすべてを否定することにおいて、新しい「新記録」の出発を家庭から成し、氏族、民族、国家、世界、天宙まで成さなければならないということを知らなければなりません。それが先生が語った内容なのです。分かりますか?(「はい」)。頭に入りますか?(「はい」) それでは、どのような新記録保持者になるのですか?。現在のオリンピック大会のマラソンや百メートルの記録は、皆、役に立ちません。マラソン大会は役に立たないのです。何の新記録を立てることを宇宙が願うのかというと、その新記録とは「真の父母」になることなのです。分かりますか?(「はい」)真の父母を失ってしまったので、神様が願われる真の父母の基準を突破するのです。また、人間始祖が失敗したので、成功した父母の基準を突破しなければなりません。 さらに、その家庭自体も失敗したので、家庭の位置を突破してその上に立たなければならず、その息子、娘も失敗したので、神様のように「縦的な真の父母」と「横的な真の父母」が成した勝利の覇権に乗って上がっていき、その上に立つことによって万世の王子、王女になることができるのです。(「アーメン」) 骨子は簡単なのです。分かりますか?。皆さんは、そのようになりましたか?。それでは、これをするために統一教会が何を許したのかというのです。「家庭的メシヤ」です。その言葉を知っているでしょう?。それから何ですか?「氏族的メシヤ」ですが、それは何ですか? 「家庭的メシヤ」は、アダム時代を代表したものです。堕落していない家庭を成し遂げなければなりません。メシヤという言葉は何ですか?。メシヤとは何でしょうか?。それは「救世主」ということなのですが、救世主とは何のことでしょうか? 父母を失ってしまったのです。神様が願われる家庭的父母を失ってしまい、堕落してしまったので、その基準を国家的基準の愛の勝利の覇権を立てるためにイエス様が現れて、選民圏を拡大した基盤の上で「国家的父母」になるのです。 しかし、それができませんでした。イスラエル民族は、子女の立場にいるにもかかわらず、この地上に訪ねてこられた真の父母と、自分の氏族的メシヤ、国家を建てて世界を神様の愛によって制覇しようという父母の伝統をすべて壊してしまったのです。 イエス様が右側の強盗と左側の強盗と一緒に十字架に架けられたことから「右翼」と「左翼」が出てくるのです。唯心論と唯物論はここから始まるのです。これはアダム家庭のカインとアベルから始まるのです。 右翼はどちら側ですか?。唯心論です。善です。無神論は何ですか?。左翼です。左翼と右翼です。なぜ「右」は「正しい」のでしょうか?。右は「ライト(right)」です。それは、「力」を象徴するのです。ですから、すべての東洋人は、志のある人は右手を使うのです。 時計の針は、どのようにして回りますか?。右側に回るのです。左側に回ってもよいのに、なぜ右側に回るのですか?。分かりますか?。このように、「左翼」「右翼」というものは、カインとアベルから始まったのです。 正しくない兄は、正しくない左側にいなければならないのに、右側に来ているというのです。それが問題です。なぜ、右翼を「ライト(right)」と言うのですか?。なぜ、左翼を「正しくない」と言うのですか? 一日を見れば、朝は何かというと、「ライト(right)」です。夕方は「レフト(left)」です。そうでしょう?。そうですか、そうではないですか?。そうなのです。昼が右(正しい)側で、夜が左側なのです。上が右(正しい)側で、下が左側なのです。前が右(正しい)側で、後ろが左側なのです。これらは、すべて合っているでしょう?。 ところが、今日の韓国人たちを見ると、伝統的に言う言葉は、本来は「上下右左」と言わなければならないはずですが、逆さまになっています。「右左」と言わなければならないはずなのに「左右」になっています。「上下左右」の「左右」とは、夫婦関係です。ですから、現在「上下左右」と言っているのは、エデンの園において、女性が男性を敷いて座ったことによるのです。引っ繰り返ったというのです。 「前後」は、子女を表しますが、その「前後」は「後前」にはなっていません。「上下左右」と言うときの「左右」は逆さまになっており、「前後」は「後前」ではなく「前後」のままになっています。それは、なぜそのようになっているのかというのです。それは良心の直言です。良心は善悪を知っているのです。分かりますか?(「はい」) 皆さんは、「善悪」を知っていますか?「善悪」を知っていますか、知りませんか?。知っているのです。間違った者がいたときに、「私が何を間違った?」と言って、逆さまに上がっていくときにはサタンなのです。それは、どのみち滅びるのです。夜になって方向を失ってしまえば、流れていくのです。しかし天は、堕落したとしても、弟の位置から昼を訪ねていくのです。兄の位置を訪ねていって、引っ繰り返そうというのです。それで復帰するというのです。 このような話をすれば、時間がたくさん過ぎていきます。今、何時ですか?。十二時十五分前ですね。何時間話しますか?。昨日、ニューヨークで六時間話をしてきたのですが、きょうは「真の父母の日」の四十回記念なので、四十時間は話さないといけません。(笑い)それでも、四十時間話したとしても、すべて話を終えることはできません。四十年、四百年、四千年話せる話があるのです。先生のみ言を「訓読会」で訓読してみなさい。 今回の「新記録」というみ言は、一九七〇年代に語ったものです。今から何年前ですか?。三十年ほど前に語ったものです。そのときは、先生が何歳であったでしょうか?。今から三十年前ならば、何歳ですか?。五十代です。 そのときからそのような話をしたのですが、理論にぴったりと合うのです。先生の頭は、それほど悪くありません。原理を発見したのは、二十代前半です。二十四歳、二十五歳、二十七歳前に、すべてのことを完結させました。そして、行動を始めたのです。 そのときは、韓国ですべてが崩れてしまい、どうしようもない時でした。解放直後のことです。そのとき先生は、「今後、この世界のみ旨が成し遂げられるときは、地に座って天の果てまでも見て話すことのできる時代が来る。人間世界においては、地の果てから反対の地の果てまでを見ながら、そのようなことを家の中で話すことのできる時代が来る」と言ったのです。すると、「凡一洞の谷に狂った男がいる」という噂うわさが立ちました。しかし、それはすべて成し遂げられました。 地の果てから、座ったまま地の果てのことを見聞きすることのできる時代であるのと同様に、横的な世界が通じることのできる時代でもあるのです。これを縦的、横的に見れば、横が広ければ、これを支える縦は高くなければならないでしょうか、低くなければならないでしょうか?(「高くなければなりません」)。高くなければなりません。 それで、宇宙観光時代になるのです。「地上占領科学時代」を過ぎて、「宇宙科学時代」に入っていくというのです。ですから、居ながらにして天の果てまでの秘密をすべて測定して聴くことのできる時代が来なければならないのです。そのような人が出てこなければなりません。そのような人がいると思いますか、いないと思いますか? 先生は、天の国の秘密、霊界の見えない世界を詳細に話してあげたでしょう?。最近になって、皆さんは発見したのでしょう?「訓読会」によって発見しましたか、「訓読会」するやいなや忘れてしまいましたか? 先生は五十年前から、霊界に関する話をそのように詳細に話してあげたのです。李相軒氏が霊界に行って明らかにした実情以上に、もっと詳細に、具体的に内容を話したのですが、だれ一人として、そのことを分かった人はいませんでした。分かって先生に尋ねる人はいませんでした。李相軒氏までも、先生が霊界に関して話したことを信じることができなかったのです。 天地開闢時代を開く それでは、「真の父母の日」がきょうで何回目ですか?(「四十回です」) (板書される)これは何ですか?「第四十回『真の父母の日』は天地開闢時代を開く」です。(拍手)「天地開闢」とは何ですか?。天と地が変わるのです。女性が男性になり、男性が女性になるというのです。そのようになることができますか? 堕落した世界で、女性が上にいて、天にいたものが逆さまになるのです。それはどこかというと、男性が天使長である僕として座っていた所です。それが逆さまになるのです。女性は、ある時を中心として、自分が築いた基盤の上に男性の指導を受けなければ、世の中は亡国の世界になります。さあ、「第四十回『真の父母の日』は天地開闢時代を開く」です。「開く」ですか、「開いた」ですか?(『開く』です」)。「開く」です。「今から開く」のです。 ですから、「天地開闢」が展開されるのです。おじいさんが孫になります。それは何かというと、孫や孫娘に対して、おじいさんが天使長になるということです。分かりますか?。父親が娘の前に、息子になるというのです。娘が「しよう」と言うことは、すべてするのです。僕になるというのです。 堕落による親戚相姦関係というものが、今日、このような結果をもたらしました。おじいさんと孫娘が暮らし、おばあさんが孫を連れて暮らし、母親が息子と暮らし、息子と母親が暮らし、姉、兄弟は問題にもなりません。そのようになったのです。ですから、めちゃくちゃなのです。 父親は、何をもって秩序を立てなければならないのか、ということが分かりません。おじいさんの言葉をもって立てるのですか?。血統をもって立てるのですか?。何をもって立てるのですか?。何をもって伝統を立てるのですか?法が、一か月に何百回も行ったり来たりするのです。何が法ですか?。変わらない理想的な内容が秩序をつかまなければなりません。それが真の愛です。 真の愛というものは、神様を介在させなければあり得ません。そうしなければ、真という言葉、真という男性、真という女性、真という家族、真という真理、真という愛はないのです。神様は、真理の大王であり、善の大王であり、真の大王であり、愛の大王であられるので、神様を介在させないところには、善なるものはあり得ません。 仕事もそうです。神様を抜かしたならば、それは詐欺なのです。信じることができません。すべてのことがそうです。神様を介在させることによって、真の永遠な基準が設定されるのです。その中で、何が中心であるのかというのです。何をもって愛というのですか?。お金を持って暮らすことではありません。お金は一時的に必要な物であって、永遠なものではありません。永遠なものは愛です。 男性と女性が結婚するときに「永遠な夫婦になろう」と言うのであって、「一度会って、明日別れよう」と言う夫婦がいますか?。それは、何をもってそのように言うのですか?。真の愛をもってです。 皆、婚約しているときは「あなたは、心と体が一つになって私を愛しますか?」と尋ねるでしょう?。男性は二心を持って「そうだ」と言い、結婚してその本質が現れて、めちゃくちゃに壊していくのです。 何によって紛争が起こるのかというと、真の愛の秩序がないがゆえです。それで世の中は滅びるのです。「道」の世界の、真の愛の秩序が崩れてしまいました。家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の愛の道理が崩れてしまったということを言うのです。 聖人という聖人たちがやってきては、「孝子になれ」と教え、「忠臣になれ」と教え、「聖子になれ」と教えるのです。これは、平和の秩序を愛の原則によって教えてくれたのですが、すべて抜き取ってしまいました。「自由の愛だ」と言っているのです。 「自由の愛」と言うとき、その「自由」に、原則を離れた自由があるのでしょうか?。憲法基準があるのにそれを無視すれば、その国は壊れていくのです。放縦的自由を主張しているのは、リベラルな者たち、共産党です。僕が皆、「王になろう」と言っているのです。 逆さまになりました。女性が天下を滅ぼしたのです。本心は、ありのままに話さなければなりません。ありのままに話さなければ、天道の世界に立つことができません。そして、「白赤」ですか、「赤白」ですか?。共産主義者に対して、「赤」を先に使うでしょう?「白赤」という言葉を聞いたことがありますか?「赤白」です。これが、引っ繰り返ったということです。すべての堕落の行動は、女性によるのです。 ムーダン(みこ)は、男性のムーダンが多いですか、女性のムーダンが多いですか?。女性のムーダンは、何をするのですか?。町内の美男子を捕まえてすっからかんにさせ、愛を売ってこそこそと財産を奪い取ってしまうのです。 堕落した人間の生殖器の穴は、穴は穴ですが、何の穴ですか?。馬賊団の穴と同じです。毒蛇が住む穴と同じです。入っていってかみつかれたら、生き残ることはできず、骨も残らない、そのくらい恐ろしい所です。 男性のものは、それは蛇の頭のようになっているでしょう?。それは蛇の頭です。天使長は蛇に例えられています。正に、蛇なのです。一度かまれた日には、天下が滅びるのです。それを広げているのです。そこにかまれたら、皆、めちゃくちゃになります。 最近の青少年たちは、皆、それで滅んでいるではないですか。このような恐ろしいものが、悪魔の五大武器になっているのです。五大武器とは何か知っていますか?。知っていますか、知りませんか?。偽りの父母、偽りの夫婦、それから偽りの兄弟、それから何ですか?(「偽りの子女です」)。偽りの家庭です。それがサタンの五大武器です。 それを見てください。どこかに美しいものが、一つでもありますか?。本物がありますか?。このような家庭版図を中心として、統一教会は「真の父母」を宣布するのです。「真の父母になれ。心と体は一つになれ」と。すると、神様が、「やあ、歴史世界で初めて、心と体が一つになったなあ。一つになることがいちばん難しいのに、心と体を統一するチャンピオンになったなあ。私が賞を上げなければならない」と言われるのです。 最高のチャンピオンなので、神様が賞を与えてくださらなければなりません。そうではないでしょうか?。心と体が一つになった最高のチャンピオン賞は、だれが与えるのですか?。サタンが与えるのではありません。神様が与えてくださるのです。 そして、そのような男性とそのような女性を中心として一つになり、神様が(その場を)出ていかれようとすれば、しがみついて「行くことはできません。私の家にいなければなりません」と言わなければなりません。そうしなければならないのではないでしょうか?。男性も「行くことはできません」。女性も「行くことはできません」と言うのです。アダム、エバが堕落しなければ、そのようになったのです。 神様が「いつになったら行けるのか?」と言われれば、「私と一つにならなければなりません。結婚してくれなければなりません」と言い、さらに神様が「結婚して何をするのか?」と言われれば、「あなたの懐から出てきたので、あなたの懐に抱かれて、天上の相続権を私に与えてくださらなければなりません。そうでなければ、行かれることはできません」と、そのようになるのです。 そのような神様との因縁を持っていたにもかかわらず、願ってもいない関係を結んでしまったので、神様が離れて、逆さまに差し込んでしまいました。そうして、追放してしまったのです。 それでは、アダム、エバの最初の息子、娘は、神様の承諾を受けて生んだでしょうか、追い出されてから生んだのでしょうか?。答えてみてください。そのように、エデンの園を追い出されて生んだ息子、娘の後孫が人類なのです。 それでは、その後孫を神様は抱き上げることができるのでしょうか?。神様は、堕落の行動に干渉されることができず、アダムとエバが夫婦として子供を生むことに対しても「生むな」と言われることもできなかったのです。 そのことを整備して神様のもとに帰るためには、宗教を通してここに警告状を下して、「出家しろ。世の中を捨てて来なさい」と言うのです。「孤独単身になりなさい。孤独単身になって、心と体を一つにしなさい。そこには家庭もあり得ない。出家して孤児になりなさい」と言うのです。お金持ちの家の息子であっても、「あなたが持っているものは、すべて否定しなさい」と言うのです。「完全否定しなさい。そして独身生活をしなさい」と言うのです。このように、堕落の子女を最も悲しむのです。天地の法度をすべて壊してしまうのです。 そのために、宗教はそのような道を行くのですが、統一教会では「結婚しろ」と言っています。正反対なのです。「故郷を出なさい」と言いましたか?「皆さんは、日本に帰りなさい」と言ったでしょう?。それは、家庭的メシヤです。 家庭の真の父母になり、自分の父母から始まってすべて教育して、あなたの息子、娘にするのです。いとこまで一つにしなければなりません。そうして四代が、一つの家で暮らすのです。おじいさんから孫まで四代になるのです。おじいさんが一代、父親と母親が二代、自分たち夫婦、それから息子、娘で四代です。そのような家がありますか? 最近では、七代まで上がっていけば、七代の孫を中心として国家時代には六代です。それは十二数です。六数の二倍なので、百二十数になるのです。イエス様が昇天されるときの百二十門徒に当たります。そうして世界国家の代表者を立てるのです。 先生の数は、十八数です。十八になれば、サタンを超えるので、結婚も十八歳を超えて結婚しなければなりません。しかし先生は、今年、十六歳まで祝福してあげました。分かりますか?(「はい」) 「天地開闢」がなされたので、天と地が引っ繰り返り、地獄は何になったのですか?(「天国です」)。天国はどうですか?(「地獄です」)。天国が高い所にあると思っていたのですが、「天地開闢」が起こることによって、天国が一番低い位置に降りてきます。真の愛は、高い所からなすのではなく、最も難しい所を克服することによって、真の愛が生まれるのです。どうですか? ここでそのことを成せば、天国が生き返るのです。堕落の血統を根絶し、解放的な見本を立てて引っ繰り返すのです。父親が主人の役割をしましたが、今は母親が主人の役割をするのです。なぜですか?。母親とは何ですか?。アダムの妻になることができるのです。 天使長には、所有権がありません。妻に対する所有権もなく、物質に対する所有権もなく、子女に対する所有権もないので、今、全世界では女性が息子、娘も、財産も所有しているのです。裁判をすれば、男性は三分の二を奪われます。妻を奪われ、息子、娘を奪われるでしょう?。そうですか、そうではないですか?。それは、なぜでしょうか?。その男性とは、だれの立場ですか?。天使長の候補者です。ですから、僕として扱われるのです。 一人では、愛は永遠に成し遂げることはできない また、復帰の道において、先生の責任を果たすためには娘がいなければなりません。堕落は、娘が過ちを犯したのです。それから、だれが間違ったのかというと、弟が過ちを犯しました。それから、相対が間違いを犯しました。それから、母親が誤りました。おばあさんが誤りました。女王が誤りました。六代です。腹中時代まで入れれば七代です。 赤ん坊は、だれに出会うために腹中に入っていったのですか?。女性に出会うためですか、男性に出会うためですか?(「男性です」)。どのような男性ですか?。神様の息子になることのできる男性です。赤ん坊の男性、兄弟の男性、夫の男性、父親の男性、おじいさんの男性、王の男性、天地の万王の中の王の男性に出会うためです。 赤ん坊は、それを希望にして、その胎中に入っていき、そこで育ってこの世に生まれたのですが、この空気の世界で引っ繰り返っているのです。死んでからその位置まで行こうとしても、行くべき道を行くことができないので、そこには、そうして呻吟している、霊界の地獄やら、このような世界がいろいろとあるというのです。 女性の願望を成就することができなかったのです。それは八代です。腹中の水の時代、生まれてからの赤ん坊の時代、兄弟時代、婚約時代、夫婦時代、父母時代、おばあさん時代、女王時代、そして、神様の夫人の位置にまで行かなければなりません。神様の夫人の位置まで行くというのです。八段階を経て行かなければならない、宿命的な課題が残っているということを知らないのです。驚くべきことです。 ですから、先生は何をするのでしょうか?。何をしに来たのかというと、女性たちを解放するのです。失ってしまったので、復帰してあげるのです。何を失ってしまったのでしょうか?。 腹中の世界は、赤ん坊として生まれて男性に出会うための、水の中で暮らす、希望の未来の夫を訪ねていくための世界なのです。それで、男性として生まれて何をするのかというと、そのような女性を解放して、神様の懐に抱かせてあげることだったのですが、その責任を果たすことができませんでした。これは、堕落したために引っ繰り返ってしまったのです。それをなすために、今まで受難を受けてきたので、先生が正してあげなければなりません。分かりますか?。 そうしようとすれば、腹中にいる赤ん坊を正してあげなければなりません。精子と卵子が愛して種を受けたものを、腹中で正してあげなければなりません。正しい赤ん坊、正しい兄弟、正しい夫、正しい父親、正しいおじいさん、正しい王、正しい天地の中心である永遠な父親になるのです。このような八段階を越えていかなければなりません。 地上では何段階ですか?。地上に生まれて、夫婦となり、父親と母親の位置に行き、おじいさん、おばあさん、女王まで行っても、神様の位置に帰ることはできません。そこで堕落したのです。堕落して、王の位置から離れて落ちてしまい、今は無価値な立場に来ているのです。女性の価値をすべて失ってしまったのです。 その価値を復帰するために真の父母が来られて、価値の伝統を立て、女性として行くべき道、男性として行くべき道、八段階の峠を越えて行くことのできる代表者の表題になっているのです。だからといって、女性たちがいくらしがみついたとしても、それを利用してはなりません。 復帰の道は、どれほど恐ろしいことでしょうか?。それを知っているのです。先生がこの位置まで来るために、どれほど受難の道を歩んで来たことでしょうか?。その道を訪ねていって本郷に帰ろうとすれば、橋が必要なのですが、父母の位置に立って自分のすべてのものを開き、腹中時代から幼児時代、兄弟時代、すべて間違ってしまったのです。 夫婦時代は、夫婦となり、愛によって一体となって子供を身ごもってこそ、父母になるのです。父母時代です。父母になったならば、おじいさん・おばあさん時代になるのです。それが王の時代です。女王時代です。 このようになって、神様を中心として天地の大王の夫人にまでならなければなりません。それは、女性でなければならないのです。いくら男性が、「世の中で一番良い」と言われていたとしてもだめなのです。一人では、愛は永遠に成し遂げることはできません。分かりますか?。愛というものは、「絶対愛」がなければ成し遂げることができないのです。 いくら美人でも、男性を知らなければ、愛は分かりません。男性との間でしか、愛が分からないのです。女性が愛をもって、男性を愛することができる主人になるというのは、それは男性によるのです。女性自身によってなるということはありません。初愛の男性によって、自分が女性として男性を愛することのできる道が分かるのです。 この道は一つであり、直行して上がっていかなければならないのですが、横に傾いていき、他の男性たちを自分の懐の男性のように思っているのです。このような女性を妖女、淫女というのです。これは無価値なものです。ごみ箱に入っていくのです。 アダム、エバを中心としては、エバは妹です。そうでしょう?。神様の愛を通してこれは何かというと、神様の二性性相の相対なのです。 このような話をしようとすれば、「創造原理」のようなことを話せば、時間がたくさんかかります。してあげましょうか、やめましょうか?(「してください」)それでは、神様はなぜ、アダムとエバを創造されたのでしょうか?。神様にも幼児時代がありました。神様にも水の時代があったのです。だれも知らない孤立した立場で、水の時代において恋しく思う時代があったのです。 そのようなものがすべて合わさって、相対が霊的な世界しかないので、霊的世界とペアを組んで、水の時代で出会い、幼児時代に全部霊的に一つになり、そして兄弟時代に一つになり、夫婦時代に一つになり、このようにして父母になるためには、コップに水があふれなければなりません。分かりますか? 男性と女性が一つになって、いっぱいにあふれるまでは、愛は分かりません。分かりますか?。神様の創造理想の王圏まで、すべて占有することのできる基準まで愛の感度が現れるまでは、二性性相はあふれることができません。 これが、青少年時代に成熟して思春期になるのです。思春期は、思いがあふれる時なのです。女性もあふれ、男性もあふれて収拾する道理がありません。男性と女性も器を差し出してこそ、男性の陰の下に女性が定着するのです。分かりますか? そして、あふれたならば、これは地に落ちるのです。そうなれば、これが相対になるのです。一つになっていた無形の神様が、分立し始めるのです。分立して初めて、一つに合わさることができるのです。 水で言えば、滴が落ちて流れていって水蒸気になり、再び水に返っていくではないですか。そうでしょう?。そのようにして雲になるのですが、雲は、零度の世界を経ていかなければなりません。飛行機に乗ってみると、そこは零度以下ですか、以上ですか?。華氏で言えば、零下七十度、零下五十度以下です。 零下の温度で「フー」と息を吐けば、霧のように見えるでしょう?。見えるのです。本来、水蒸気は目に見えないのです。ところが、なぜ見えるのかというと、空気が零下なので、凍ってそのようになるのです。 しかし、それも地に落ちれば溶けるのです。温帯圏内にいれば、熱くなります。暖まった水蒸気が山に妨げられ、暖まったものが上がっていき、お互いに出会えば、溶け始めて雨が降るのです。分かりますか?(「はい」) 「真の母」「真の家庭」「真の血統」 自然の結婚式で、雲がぶつかって雷が鳴るときは、「自然の結婚式、うまくやりなさい」と言うのです。そして、「私たちもそうしなければならない」と思うのです。そのようにすれば、神様がのぞき込まれて、大王と万物のすべてが「見物場ができたなあ。私もうれしいし、おまえもそうだ」と言われ、「万物の主人は、もっとすごいなあ」と称賛されなければなりません。 このようなあらゆることを、教主がすべて教えてあげましたね。空気世界と自然界が結婚式をするということを、聞いたことがありますか?。そこでは、無尽蔵な数億ボルトの電気、プラスとマイナスが絡まって結婚式をしているというのです。ですから、結婚式をした愛の水を供給されて、新しい生命が、そして万物が愛の中で育つのです。(アーメン) 呼吸するのにも、強弱が合わなければなりません。主体が弱ければ客体が強く、客体が弱ければ主体が強く、そのような授け受けする呼吸をしなければなりません。「拍子を合わせなければならない」という言葉があるでしょう?。音楽も拍子を合わせなければならず、呼吸を合わせなければならないのです。愛も同じです。分かりますか?(「はい」) 男性が年を取ったならば、女性は逃げてはいけません。上がって支えてあげなければなりません。ですから、女性はお尻が大きく、いくら男性が乗ったとしても故障しません。女性のお尻は大きいでしょう?。事故を防止するために、女性のお尻は大きく、男性のお尻は軽いのです。それを見ると、調和の王は神様であられます。 うれしければ涙も出るし、鼻水も出ます。口からもだ液が出てきます。泣くとき、慟哭するときは鼻水、涙、だ液が出てくるのです。それで、アメのように伸びるのです。愛するとき、「三水」を通してでなくては、善なる息子、娘は生むことができないというのです。本当に愛すれば、そうなのです。 それでは、文総裁はそのことに関して専門家ですか?。専門家ではありません。そのようなことを私が考えてみたので、あなたたちが試験してみて、「本当にそうです」という返事をもらうために、このような話をするのです。(笑い) それでは、お母様と先生は、年が何歳離れていますか?(「二十三歳です」)。女性が、二十三歳以上も年の多い男性を好きになることがあり得るでしょうか?。それは、なぞです。四十歳になる男性が、十七歳の女性と結婚するということは、どろぼうですか、悪い男性ですか、善なる人ですか?(笑い) それは、悪い男性です。ですが、しかたがありません。十八歳のときに、十七歳で堕落してこのような世界をつくってしまったので、一歳であっても二十歳を超えていたならば、真のお母様になることができないのです。聖進様のお母さんも十八歳で結婚しました。二十歳を超えてはならないのです。原理がそうなのです。三年以上超えたらいけないようになっています。 ですから、四十代の先生は、男性として蕩減復帰し、堕落したすべての仮面を脱いだので、女性に出会うときは、そのような女性に出会わなければならないのです。しかし、その女性は何も知りません。蕩減復帰とは何なのかを分かりません。原理もよく分からないのです。ですから、完全に教えてあげなければなりません。けれども最近では、お母様は先生よりも有名になったでしょう?。日本語も私が教え、英語も教えてあげ、すべて監督して立てて、あのように苦労して、今では私よりも称賛されているので、心の底から気分が良いのです。(笑い)(拍手) 先生が八十年間苦労して得たものを、お母様は四年間で伝授されたのです。四年間で、お母様を同等な立場に立てました。それは、りっぱな夫ですか、りっぱでない夫ですか?「女性が有名になると、夫から逃げていく」といって、中国人は妻の足を折っておくというのですが、これは、お母様が早くりっぱになって、天上世界の天国の門を私よりも先にお母様が開かなければならないというのです。蕩減復帰の原則がそうなのです。そのようなことを知っているので、それゆえに復帰が可能なのです。 さあ、「天地開闢」が起きました。そうすることによって、山で谷を埋め、そうしてすべてのものが埋められるのです。ですから、すべて水平にしなければなりません。 今まで霊界に行ったすべての人々は、自分勝手に愛の関係を結んで暮らした人、自分勝手に浮気をし、自分勝手に男性や女性と関係した人などがいます。女性の中にも不貞な女性が多いでしょう?。浮気をして、そのような地獄に行くすべての人々は、地獄の中でも最低の所に行く人々です。 それから、法的な契約夫婦がいるのです。知っていますか?。彼らは、子供を生むのを嫌い、家庭を持つのを嫌がるのです。それは天使長なので、そうなのです。子供がいなくて、どうやって父母の愛が分かるのでしょうか?。子女を愛することができますか? 契約するのでは、永遠に愛することはできません。これは、霊界に行けばさまよう人々です。根拠がないのです。このような人々でも、先生を通して結婚させてあげたならば、どれほど喜ぶでしょうか?。 宗教人と非宗教人とは、怨讐です。政治を中心とした国家は、すべて宗教に反対して怨讐になりました。先生は、聖人と殺人魔とを結婚させてあげるのです。そのようなことが他の人に可能ですか?。それは、偽りの父母を中心としてそのようになっているので、神様でもそれをなさることはできません。いくらそのようにされたくても、霊界統一をさせることができず、地上統一をさせることができません。 なぜでしょうか?。統一させるのならば、神様はエデンの園でアダム、エバが堕落する前に干渉して、すべて成されていたはずなのです。しかし、それができないので、神様もしかたなく、真の父母が現れて、それを成してくれることを願われるのです。 それで、朴パクマリア家庭のような統一教会に反対して韓国を滅ぼした代表的家庭をも、私が責任を持って祝福してあげるのです。神様も人を通して、先生にお願いするのです。どれほどかわいそうな神様でいらっしゃることでしょうか? ですから、痛哭して「私が度胸のある人として、霊界のすべてと地上のすべてに責任を持ちます」と言ってさしあげるのです。サタンは、驚いて逃げていくでしょうか、うれしくて踊るでしょうか?(「驚いて逃げていきます」)。驚いて引っ繰り返るのです。 そうして、アダムを追い出したのと同じように、この者を追い出してしまうのです。 そして、聖人といちばんの悪党が、その穴を埋めることによって、ヒマラヤ山まで平地になったので、その下で、先生は思いどおりにするのです。その下の級では、皆、一度に祝福してあげるのです。それで、聖人と統一教会の教会員とを結婚させてあげたでしょう?。 自分のことを好きな女性を、他の男性に紹介してあげて、「自分よりも好きになりなさい」と言う男性がいますか?。そのような男性がいますか、いませんか?。それは、先生が偉大なのです。妹として育て、そしてりっぱな妻にしてあげなければなりません。りっぱな女王にしてあげなければなりません。 先生は、体を張ってサタン世界を完全に屈伏させなければなりません。霊界の協助なく、天の協助なくです。完全な人として、天下を解き明かしていかなければなりません。サタンが体をもって、すべてを滅ぼしてしまったでしょう?。そうでしょう?。先生は、完成したアダムとして、体を持ってサタン世界を溶かしてしまわなければなりません。分かりますか? 先生に、思いどおりに会うことはできません。先生の手が知っています。約婚してあげたことも手が知っています。足が知っています。体が知っています。間違っていれば、間違ってゆがんでいるといって、さっと正すのです。 世界の若い男女が、自分の理想相対を決定してくれるのを皆、見ているのです。日本人であれだれであれ、すべて合わせるのです。それは、なぞです。だれでもできることではありません。そのような秘密を、すべて教えてあげました。そのような先生の言葉を、いいかげんに考えてはなりません。 先生が五十年前に話したことを聞いてみてください。先生の頭は悪いですか?。どれほど理論的でしょうか?。そのときに、先生の説教を理解して座っていた人は、一人もいませんでした。「先生の説教は、一つも理解できません」と、皆、そのように言ったのです。私は、自分のことを知っている人です。ですから、三億六千万双の結婚教育をすると言ったでしょう?。教育をやめてみなさい、この者たち。私は、自分のことを知っている人なのです。 「訓読会」をしていなければ、どのようになっていたところだったのでしょうか?。統一教会は、どのようになるところだったのでしょうか?(「大変なことになるところでした」)。本当ですか?(「はい」)。うまく取り繕った言葉ではないのですか?(「事実です」)。事実だと証拠になり得るものが何かありますか?(「あります」)。何ですか?(「『訓読会』を通して、感銘を受けた食口たちを見たとき、新しく復活した姿を見ました」)。「訓読会」をしなければなりません。 やめようというのですか?。すべて結論は出たのです。「天地開闢」が起きるのです。私たち統一教会が行くべき伝統的基盤とは何でしょうか?。真の父母です。それから、何ですか?。真の家庭です。それから、何ですか?。真の愛があって真の血統が展開されるのです。分かりますか?(「はい」) 真の愛を中心とした真の家庭の真の父母になるのです。これが今年、先生が「デモで訴えなさい」と言った内容です。「世界でデモをしなさい」と教えてあげた表題なのです。そうです、あなたたちに真の父母になることを許したのです。 祝福を受けた家庭とは何ですか?。アダム、エバは、祝福を受けて本然の位置に立てば、真の父母にならなければならないでしょう?。真の父母になることのできる名前とは何ですか?。家庭的メシヤとは、家庭的真の父母のことです。分かりますか?それから、祝福を受けた家庭の中から家庭的真の父母が出て、氏族的真の父母が出ますか、出ませんか?。それは、イエス様の代身としてです。分かりますか? それから、国家的メシヤです。イエス様が復帰することができなかった国家を復帰するのです。氏族を復帰した後に、国家を復帰するのでしょう?。イエス様の時代に失ってしまったその基準を、国家的メシヤを全世界に派遣することによって、先生は世界的メシヤ圏に上がっていくのです。 百八十五か国のうち、一つでも神様のもとに復帰されれば、その位置に上がっていくのです。そうすれば、世界が変わります。国家的メシヤを派遣したでしょう?。先生は何ですか?。神様は何ですか?。天宙的真の父母です。そのようにして、家庭から氏族、民族、国家において、すべて真の父母を設定するのです。それは、はしごになっています。 それでは、自分の家庭はどの段階まで真の父母になっているのですか?。家庭的真の父母になったのですか、氏族的真の父母になったのですか、国家的真の父母になったのですか?。このようなことが問題になるのです。国家的真の父母は、アベルの王です。その国を逆さまに回して打ち込み、反対に立てて天の側に返さなければなりません。 青年男女の結婚時代の到来 氏族的メシヤは、自分の一族を返さなければなりません。今、一族を返すことをしているでしょう?。七代の孫が、先祖になるのです。それが「天地開闢」です。それは、どういうことでしょうか?。おじいさんが孫になり、七代の孫が七代の先祖になるのです。世の中に、これ以上の天地開闢がどこにあるでしょうか?。そして、七代の解怨成就をし、百二十人の先祖を解放して、百二十代先祖まで解放するのです。先祖をすべて解放してあげなければなりません。 先生は、地上天国に入城する前に、今からこれをすべて終えなければなりません。霊界の平準化です。それゆえに、悪党や堕落したありとあらゆる者たちを、すべて祝福してあげるのです。地上と同様です。地上でも、祝福するときは、マフィアであれ何であれ、ありとあらゆる殺人魔も祝福するでしょう? それは、先生のみ言の中で、「潮の水が沖へ出ていって入ってくるときに、水平になって返ってくる」と言っているでしょう。回るでしょう?。水が新しく動こうとすれば、回るのです。そうでしょう?。そうですか、そうではないですか?(「そうです」)。その「時」に当たるのです。 今は、殺人魔までも聖人と対等な位置で、冷たい水と温かい水が一つにならなければならない立場に立っているのです。ですから、冷たい所から上がってきた水が、温かい水と一つになることによって、冷たい所で生きていた魚も暮らすことができ、温かい所で生きる魚も暮らすことができるのです。 それは、お互いに入れ替わって暮らすことのできるものを、分けてあげたのと同じです。別れていたすべてのものを、お互いに入れ替えて、そこに生息することのできる定着地をつくってあげなければなりません。そして、魚の世界において、寒流と暖流の和合が起きるのです。 そこで和合が起きるので、しかたがありません。同じ価値を付与するのです。それが、昨年の六月の何日ですか?(「十三日です」)。十三日です。それは、一億二千万双です。結果主管圏内ではありません。人間の責任分担とは何かというと……。(録音状態不良) 祝福できないのです。祝福したのならば、そこにはサタンも存在せず、霊界も楽園もなく、中間霊界もなく、地獄もありません。すべてが水平に立てられて解放しようとするので、地獄の門を開いておき、後からは万物まで解放するのです。 コディアクで「四・四節」家庭解放をしましたが、「天宙四・四節」をプンタデルエステにおいて、今年一月八日に宣布しました。このようにしたので、すべてのものを引っ繰り返して打ち込んでも、引っ繰り返して整理したとしても、引っかかることはないのです。分かりますか?(「はい」) 地上と水平にして引っ繰り返したとしても、そのままなくなるのではなく、天の側は失われずに、より価値あるものを復帰することのできる立場に立ったのです。それゆえに、神様が失ってしまわれた位置ではなく、勝利した位置において、ついに個人から地上、天上世界の自由通路が平面図上に展開されたので、神様の解放が始まるのです。分かりますか? 霊界に行ってみれば、神様、真の父母を中心として六百億以上の人々が絡み、天が全体全能に向けて創造の役事を発揮されることのできる時が来たといって、動き始めるようになっているのです。幼児、子供まで、祝福を終えなければなりません。 統一教会はすべてそうでしょう?。既成家庭、アダム家庭、ノア型、ヤコブ型に着地したのと同じです。ですから、このように統一教会自体において、今までの堕落したアダム家庭のようなもの、法的に結婚した者たち、さらによこしまな者たちがすべて結婚したので、青年男女の結婚時代が来たのです。分かりますか? 未婚男女祝福は何双ですか?(「四億双です」)。四億双なのですが、今まで既成家庭を祝福してあげたのはどれくらいかというと、四億双を超えるのです。約四億三千万双になるのです。それは、四数と三数になります。 このようなことを考えるとき、一家庭に一人ずつ、アダム家庭を中心として、アダムを中心として、堕落せずに家庭的四位基台の形態を備えようとするので、汚れていない処女、童貞がこの地上で結婚するうえにおいて、条件的基準で「一家庭が一家庭を復帰した」という条件を立てなければなりません。分かりますか? このような時代に入ってきたので、死んでいった霊界の子供たち、未婚の青年男女十六億双が結婚したのです。霊界をすべて取り出して開門することができるように、すべて門を開けてしまいなさいというのです。そして、彼らに「あなたたちは地上に降りていき、あなたに該当する蕩減条件を立てて清算しなさい」と言って地上に再臨させ、自分の一族、親戚の八親等まで、他の村まで、婿の家、嫁の家、叔母の家、すべて門を開けさせることができるように総動員するのです。 霊界において、霊たちがついたものを清算する必要はありません。追い出されるようになっています。分かりますか?。何のことか、分かりますか?(「はい」)。ですから、地上世界と天上世界の祝福解放の門を、完全に三百六十度開いておいたということです。ですから、そこにサタンが残ると思いますか? さまよう底なし地獄に閉じ込めて訓練させるのです。それも霊なのです。訓練して見えるようにし、改造し、再創造して祝福してあげ、人間というのは名ばかりであったものを再び人間にするのです。そのような人々まで復活させて結婚式をしてあげ、解放させることが先生の責任なのです。 それでは、サタンはどのようにしなければならないのでしょうか?。サタンはなくしてしまわなければならないでしょうか、いなくてはならないでしょうか?。人類の端に立ったサタンまでも解放しなければなりません。さあ、それでは、「天地開闢」になれば、サタン世界は引っ繰り返るでしょうか、引っ繰り返らないでしょうか?(「引っ繰り返ります」) この地上で幼い子供のまま死んでいき、愛も知らず、父母も知らずに死んでいった人々は、霊界では主人になるのです。それは、このようなことです。彼らが真の父母によって愛を知り、さらに人間として価値ある待遇をしてあげることによって、彼らは地上に来て未婚男女を結婚させてあげるようになるのです。そうして、天使長がアダムを協助して理想家庭を成すことができなかったことを、地上にいる自分のアダム家庭形態を完成させることによって蕩減し、その家庭を兄の家庭とし、自分は弟の位置で天国に入っていくことができるというのです。 そして全体の蕩減条件が完了、完成するのです。分かりますか、分かりませんか?(「分かります」)ですから、今からはすべての天上世界と地上世界は祝福家庭圏内に入ったという、このような結論になるのです。そこには、だれでも同参することのできるチケットがあります。ですから先生は、霊界と地上を総合した国家と国境を越えていくのです。先生がその峠を越えていくことは、妨害できないようになっています。最近、お母様が講演していますが、そこにそれが現れています。 既成教会の牧師であれ、県知事であれ何やら、お母様の講演会の「祝勝会」をする場に集まるのですが、興進様が病院で旅立つようになったその場所(ポキプシー〈=Poughkeepsie〉という名の町)で新しい役事をしなければならないと言って、ただ「祝勝会」を私たちだけで行うというのではありません。平準化時代になったので、水はどこでも流れるようになったのです。分かりますか?。温かい水は、どこにでも流れていくことができるのです。 それゆえに、「ポキプシーから行いなさい」と言って、集まった人たちを千人以上集めて、「訓読会」をして「祝勝会」もするのです。同じ教えを信じる人は問題ないのですが、初めて会う口八丁手八丁で出世した県知事や、何とかの総会長、そのような頭の大きい人たちが、目の前に何百人も座って伏し目がちに見ているその場で、歌を歌わせたり、ためらいもせずに講演をすることのできるお母様の度胸はどのようなものかと見てみると、それは大したものなのです。 あのように優しいお母様に、そのような度胸があったということを、私は初めて発見しました。私は「その度胸を少し学ばなければならない」と思ったのです。(拍手) 私は、お母様に対してそのようなことをうまくさせましたか、させることができませんでしたか?(「うまくされました」)。それを、だれもする人はいません。だれがするのかというのです。 度胸を与えて、お母様は政治家、宗教家の頂上の人たちを本当の息子のような扱いをするのです。超宗教、超政治家を、お母様が治めなければなりません。先生は、そのようなことをしてあげたのです。分かりますか?。今後、そのような人たちが来てお母様に敬礼すれば、天下はすべて秋になり、収穫すれば終わるのです。 それで超宗教、超宗派が、カイン・アベル基準において、お母様を王圏的な主人として侍ろうというならば、その国、その学会、その政治界の王圏が生じるというのです。分かりますか?。それが原理でしょう?。一人では復帰できません。そうですか、そうではないですか? 家庭編成を拡大した社会制度 それゆえに、きょうから世の中は変わらなければなりません。分かりますか?。今から、よく聞いてください。祝福家庭は世界的であり、天宙的なのです。先生を代行することのできる直系の息子、娘です。先生が祝福してあげるときに、「私よりも成功し、私の後ろについてきなさい」と思って祝福してあげたのです。ですから、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の心さえ持てば、先生が成したことをすることができるのです。分かりますか、分かりませんか? 一度大きく言ってみてください。絶対、何ですか?(「信仰」)。絶対、何ですか?(「愛」)。絶対、何ですか?(「服従」)。そのようにすれば、どのようになるのですか?。神様が創造されるときに、そのような心情をもって出発されたのです。 主体であられる神様は、「私が言えば、絶対に愛の実体対象が生まれる。絶対信仰、絶対愛の相対に出会う」と思われたのです。その愛の相対は何かというと、愛を持つ主人になるためには、相対がいなくてはならないのです。神様ご自身も、「絶対服従」されるというのです。絶対順応する代わりに、その道理が循環運動するのです。 ですから、考えてみてください。母親は、息子(子女)がいなければ、母親として息子を愛することのできる主人である母親の位置に立つことはできません。母親の愛を捜し出すすべがありません。永遠に見つけだすことはできません。息子がいるがゆえに、母親として永遠に子女を愛することのできる「父母」という愛の主人の位置に行くことができるというのです。分かりますか? 夫婦も同様です。初愛を中心として男性を愛したとき、その男性によって女性は、男性を愛することができるという出発をするのです。女性一人では、男性を愛することのできる出発を捜し出すすべがありません。このことを知らなければなりません。 きょう、「訓読会」をしたでしょう?。しましたか、しませんでしたか?(「しました」)。その内容はうそだと思いますか、真理だと思いますか?(「真理です」)。先生は、最後にすべて教えてあげたのです。これで整理するのです。 「絶対愛」というものは、相対を絶対視するところにおいて、男性は女性を絶対的に愛することのできる主人となるのです。また、女性が「絶対愛」の主人になるためには、絶対に愛する男性を迎えなければならないのです。 それゆえに、その愛の主人は、自分自身によって捜し出されるのではなく、相対によって捜し出されるのだということをはっきりと知らなければなりません。相対を必要とする器官は何ですか?。キスするところですか、体を触るところですか?。どこですか?。それはどのような器官ですか?(「愛の生殖器です」)。生殖器です。 女性の生殖器は、男性を占領することのできる武器であり、愛を探し求めていくために使用することのできる武器なのですが、その武器の愛の主人は、自分ではありません。その武器を通して、自分が愛の主人の資格を持つのです。女性であれ、男性であれ同様です。 ですから、独身の女性、一人で暮らす女性は、「妻の愛」が分かりません。男性を愛することができません。ある女性は浮気者になり、ふしだらな女性になり、自分と同じような人を数多く繁殖させ、世界を滅ぼすためにサタンによってそのようなことをするのです。それで、ありとあらゆる浮気をするのです。 その愛、その女性の生殖器の主人がだれなのかというと、本来、初愛を持った男性なのです。そしてその女性は、その男性のものの主人になるのですが、これをどろぼうして使ったので、それは地獄に行くべきなのです。それが壊れるとき、愛はなくなります。分かりますね?(「はい」) 真の家庭も同様です。父親と母親を中心としてでは、真の家庭はできません。真なる息子、娘になり、真の家庭の代身が立ってこそ、真の家庭のおじいさん、おばあさん、父親、母親になることができるのです。相対を通さずしては、理想圏は展開されないのです。 国王がいて、国王を中心として国民を父母のような立場で愛することができるのと同様に、全体の国民が国王を愛することができることによって、国王は国を愛する主人の愛を捜し出すことができるのです。 そのようにすることのできる主人を持って初めて、国王の息子、娘や国民が主人になることのできる資格が設定されるのです。そのような立場において、愛国者や忠臣というものが決定されるのです。アーメン。(「アーメン」)。はっきりと分かったでしょう? それで、統一教会の主なる基盤は、家庭編成基盤なのです。理想的家庭編成です。真なる家庭編成基盤です。真なる男性、真なる女性、真なる夫婦、真なる子女を中心として真なる氏族、真なる民族、真なる国家形成までしていかなければなりません。これは絶対的です。 それゆえに、国家的位置に上がっていけば、統一教会の教会員は国民になるのです。国家の中には、多くの家庭が入ります。そうですか、そうではないですか?。数千、数万、数百万の家庭があるのです。ところが、その数百万家庭を指導すべき国を、反対に自分の家庭にとっての利用物としようと願い、実際に利用することのできる基盤にしてしまおうなどとは思ってはいけません。それはどろぼうになるのです。破壊分子です。サタンの系列になるのです。 それゆえに、自分の家庭を犠牲にしたとしても、数多くの家庭を生かすために、国家のために犠牲になることのできる家庭になってこそ、その国において愛を受けることのできる家庭になり、家庭を超えて氏族圏内に入っていくことができるのです。 また氏族がそのようになってこそ、民族圏内に入っていき、民族がそのようになってこそ、国家圏内に入っていくのです。世界には数多くの国がありますが、それらは「自分」を中心とした国ではありません。そしてその国も、世界のために生きなければならないのです。 最後までために生きなければならないというのです。そして世界が復帰されれば、世界も天宙によって吸収され、天宙は神様に吸収されることによって、伝統的なすべてのものが系列的に成立するのです。 なぜ、「系列的」という言葉を言うのかというと、万物を中心としてみるとき、人間は系列的にすべてを吸収するのです。鉱物も食べますか、食べませんか?。食べるでしょう?。鉱物は植物が、植物は動物が、動物は人間が食べるのです。それでは、人間はどうなるのですか?。同じことです。公式によって人間は、神様の前に吸収されなければなりません。 真の愛は、喜んで主人の前に犠牲になるという天理の大道であり、それが地上、天上の創造理想的定着基準であるというのです。それゆえに、愛する主人の前には、自分の生命をささげるのです。そのような犬もいるでしょう?。馬にもそのような馬がいるということを知っていますか? 「珍島犬」の歴史を知っていますか?。同じようなことだというのです。愛する主人の前に生命をささげながら、愛を抱いて涙を流して死ぬ、その位置が幸福なのです。神様のために犠牲になるとき、神様が涙を流して愛で抱かれていくということが、本然の伝統的天理であったのです。アーメン。分かりますか?(「はい」) そうなってこそ、人間として万物を吸収することができるのです。「万物の霊長も、神様の前に吸収される」という天理の大道の基準に合わせるために、系列的な分野においてすべてを吸収していく、そのような立場に立ってこそ、体面を立て、威信を立てることができるのです。そうでなければ、嘆息圏が生まれるのです。地獄と天国に分かれるということです。分かりますか?(「はい」) ですから、先祖のためにも、後孫のためにも犠牲にならなければならないというのです。それゆえに、霊界の先祖のために先生が責任を執るのです。神様は責任を執られません。 私は、法によってすべてを処置することができるという計画を考えているのです。堕落人間から見れば無慈悲ともいえる計画まで考えているのです。神様が審判されたかった無慈悲な計画から、極から極まで、南極から北極、北極から南極を経て一周し、大気圏に新しい軌道をつくり、地上世界の汚された痕跡を壊してしまい、「神様の再創造の能力をもってつくってください」と、支援をお願いすれば、神様はつくられることができるのです。地球よりも何倍も美しい宇宙を、再びつくることすらできるのです。 なぜでしょうか?。堕落したアダム、エバのためにつくったという、その恨を持たれた神様は、完成したアダム理想圏があれば、「何百倍良い世界をつくってください」と言い、「地獄であろうと何であろうと、そのようなものはそのままほうっておいて、そのような痕跡のない天国だけの天宙を創造してください」と言えば、創造することのできる能力をお持ちなのです。そのようなことが可能であるというのです。分かりますか? 真の愛を持てば、何でもすると言ったでしょう?。神様の代身としてすることができるのです。ですから、私たちの家庭の伝統が私たちの基盤であるので、このようなことを制度化しなければなりません。 「会社」で言えば、会社の社長は父母です。分かりますか?。その所有は地です。分かりますか?。地球星と同じように、そこにいる社員は息子、娘と同じなのです。家庭編成を拡大した社会制度、天国組織になるのです。分かりますか? 郭クアク錠チヨン煥フアン氏で言えば、郭錠煥氏の夫婦は、郭錠煥氏が世界平和統一家庭連合の世界会長であるならば、その妻は副会長になるのです。父親と母親の立場になるのです。それゆえに、父親がいなくなるときは、母親を手伝ってあげなければなりません。すべてを手伝ってあげることはできません。半分だけ手伝ってあげればよいのです。女性は半分でしょう? それゆえに、父親が大統領であるならば、母親は副大統領、息子、娘は、実力があれば、投票による選挙なしに重要部署の長となって、その一族を通して埋めることができるのです。そして、その家庭は世界国家のために犠牲になることができるように引っ張っていかなければなりません。何のことか、分かりますか? 団体があれば、団体の長は父母です。それゆえに、父親は男性たちを統率し、女性たちは家庭の背後に連結させて母親が統率するのです。うまくいったことや、間違ったことを処理することができなければなりません。そのような父母の体制になるのです。 それゆえに、そこで生まれた息子、娘は、完全な息子、娘にならなければなりません。ですから、社長であっても思いどおりにはできず、系列的に報告するようになっています。一週間なら、どこそこで何があったと報告し、公聴会を通して正しいことと間違っていることを分けて是正しなければならないという、大革命的な時代に入っていくというのです。 先生がなした「訓読会」やすべてのことは、それは真のご父母様が闘ってきた戦勝記録です。分かりますか?。天宙解放圏を成し遂げるときまでの戦勝の伝統、勝利した伝統の記録なのです。この伝統的思想を自分の生活圏に適用し、毎日のように批判する相対的実体圏を、自分が立てなければならないというのです。 「家庭盟誓」について 皆さんは、盟誓文を唱和するとき、その盟誓文を中心として自分を批判しますか?「家庭盟誓」の第一は何ですか?。大きな声で(「私たちの家庭は真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である…」)。本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建していますか?「しているのか?」というのです。ほかの人の話ではありません。 その言葉を天から聞こえてくる言葉だと思って、自分がその実体圏になっているかどうかという批判をし、できていない部分は削り取って、「この悪党が統一教会を滅ぼすために入ってきている」という警告状を渡すということを考えてみたことがありますか?。 これは宇宙的な表題です。本郷の地を求めていくのですが、「私たちの家庭は真の愛を中心として」と言っていますが、家庭が行くのですか、個人が行くのですか?(「家庭が行きます」)。それでは、いつ帰り着きましたか?。帰っていなければ落第です。うその盟誓をしたということになるのです。 そして、二番は何ですか?(「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真のご父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって…」)。代表的家庭になりましたか?。真のご父母様が上がっていくことのできる橋よりも、もっとりっぱな橋になって踏んで上がっていくことのできる家庭になりましたか?。心配な家庭ですか、代表的な家庭ですか?。代表的ならば、すべての頂上に上がっていきましたか? 頂上に上がっていって、中心家庭にならなければなりません。伝統の個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、世界の頂上において家庭を中心とすれば、個人、家庭、氏族……。このようにして、すべて一つに集まるのです。 真の父母に侍って天宙の代表的家庭になりましたか?。先生は、どうだと思いますか?。そのような考えを持ったでしょうか、持たなかったでしょうか?。中心的な家庭を中心として、努力しましたか、しませんでしたか?。深刻な問題です。 三番は何ですか?(「三、私たちの家庭は真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」)。それは何ですか?。きょう、話したのです。神様の子女の愛の主人、兄弟の愛の主人、夫婦の愛の主人、父母の愛の主人、おじいさん・おばあさんの愛の主人、女王の愛の主人、天国の愛の主人の位置まで行かなければなりません。 赤ん坊は、八段階を越えて行かなければなりません。水の中に入って生まれるとき、その希望は何ですか?。神様の相対圏の位置まで行くことではないでしょうか?。四大心情圏がそのようになっているのです。 赤ん坊は、なぜ生まれたのですか?。祝福を受けて、父母の位置に行くためではないでしょうか?。そして、先祖はもっと高い神様の近くに到達するようになるのです。天宙の大母親圏を求めていかなければなりません。 水の中の母親の愛の出発は、そこから精子と卵子が一つになって、そのようになるのです。その二つは水です。そこから空気の世界を経て、愛の世界を経て神様に帰るのではないですか?。 そして何になるのですか?。四大心情圏と三大王権です。それは何でしょうか?。三大王権とは何ですか?。地上天国と天上天国です。自分の家庭を中心として、おじいさんは天の国の全権大使です。 おじいさんは、自分の家庭の良い歴史を、後孫に教えてあげなければいけません。悪いことは教えてあげてはいけません。先祖の中で、良い先祖はこのような先祖がいて、悪い先祖はこのような先祖がいたということを教えてあげなければなりません。 四大心情圏と三大王権です。父親と母親は、天の国を伝授された、この地上における現代の王です。現在の家庭には多くの家庭がありますが、自分の父親と母親は、この家庭を代表した王なのです。その王権を中心として、おじいさんから父親、母親を経て孫に伝授してあげなければなりません。 アダムの息子、娘がいないのです。神様の孫がいません。孫は、神様の愛とおじいさんの愛と父親の愛を受けることができるので、孫が霊的な神様の天国と、天国の愛の心情圏と、地上の王の代身としての自分の父母の愛、その二つの王圏世界の愛を受けることによって初めて、地上、天上天国が生まれるのです。何のことか、分かりますか?(「はい」) 自分の先祖を呼んで、おじいさん、おばあさんを王として侍り、父親、母親を王として侍ることができませんでした。弟たちを、母親を中心としてカイン・アベルの基準をより合わせなければならないのですが、それができませんでした。そして、皇族圏にならなければならなかったのです。 人間は堕落したというのです。いくら、「自分は真の家庭になっている」と言ったとしても、カイン的家庭が残っているのです。それを消化して一つになり、解放してあげて、自分の後ろに従って来させなければなりません。弟の立場で長子権を回復しなければならない立場にいるというのです。 個人時代、家庭時代、氏族時代、国家時代、世界時代と、世界をすべて消化することのできる努力をすることによって初めて、天の国の皇族になることができるのです。「皇族圏」とは、そのような意味であるということを、先生ははっきりと教えてあげたでしょう。教えてあげましたか、教えてあげませんでしたか? 自分の町内、周辺の数多くの町を一度でも訪ねていき、ご飯を食べられなくても食べることを忘れて、その町を生かすために、いつ身もだえしたことがありますか?。それで、皇族になることのできる群れになれますか、なれませんか?。 町内、村内に飢えている人がいるといううわさが立てば、自分が食べられなくても、父母の代わりに走っていき、神様の代わりに走っていって愛することができなければなりません。そうしてこそ、自分の未来の後孫が王族基盤を受け継ぐことができるのであって、そうでなければ、何を通して受け継ぐのですか? これはすべて、皆さんの讒ざん訴そ条件です。問題が大きいのです。それから、四番は何ですか?(「四、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」)。神様の創造理想とは何ですか?。天宙の大家族です。すべてのものは、家庭編成なのです。 大家族を形成して、それから何ですか?。自由と何ですか?(「平和と統一と幸福の世界」)。自由は、真の父母を中心として連結された家庭基台において自由があり、平和があるのであって、他の所に平和はありません。 それから、「幸福と統一」です。統一と幸福の世界が展開するのです。宇宙の大家族を成して、自由と幸福と統一の感情を統一できるという心を持って、神様の代身として、また、来られる真の父母の代身になることができてこそ、解放が起きるのです。 このようになることによって、地上に大家族がすべて備わるのです。失われたものはないので、それからは霊界の問題です。五番は何ですか?「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日主体的」に何ですか?(「天上世界と地上世界の統一に向かい前進的発展を促進化することをお誓い致します」)。前進的発展を促進化させるのです。 前進的発展を促進化させるために、激しく追い込まなければならないというのです。激しく打ちなさいというのです。地上において、のろのろして歩調を合わせることができなければ、追い立てなさいというのです。 父母となり、兄弟となり、一つの家庭形態が生じるようになっていれば、その道を行くことができるように協助して、全体が激励して追い立てなければなりません。息をする暇がありません。このようにして解放圏を持つのです。 それから何ですか?(「六、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真のご父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」) 代身家庭です。真の父母の代身として天運を動かして、天の祝福を周辺に連結させる創造理想の拡大と完結に責任を持たなければならないというのです。それゆえに、先生は今まで休むことなく生きてきました。今ではもう八十歳になりました。八十歳を超えたのですが、あなたたちは先生を家に送りましたか?。以前は、誕生の祝いの日も休むことができないようにしました。最近は、私は解放されていますが……。正反対のことをしてきたのです。そうですか、そうではないですか?。 今でも、先生は皆さんの世話にはなりません。世話にはならないというのです。はっきりと知らなければなりません。父母が、「真の子女になりなさい」というすべての忠告を毎日のように、毎時間のように、このような内容を中心として教えているのですから、私利私欲を中心として考える余裕はありません。 毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かって前進的発展をしなければなりません。前進的発展を促進化させなければならないというのです。気合いを入れて、激しく追い込まなければなりません。激しく追い込まなければならないでしょうか、追い込んではならないでしょうか?(「追い込まなければなりません」) 四億双の祝福を完成できますか?。あなたたちが祝福してあげた家庭から、一家庭ずつ引っ張ってくるのです。それは問題ないと思うのです。ですから、霊界を動員し、先祖を動員するのです。動員して行うのです。その代わりに、霊界が活動する内容に対して、「私は負けない」と思わなければなりません。「私についてこい」と引っ張っていくのです。 寝るときも講義しながら寝なさいというのです。先生は、そのように暮らしています。お母様が先生の秘密を知っています。み言をすべて語れなければ、寝ながら話しているのです。翌日の朝に説教することを夜、話しているのです。先生の秘密をお母様が知っています。昼夜、寝ている先生ではありません。話しながら暮らしているのです。 それから何ですか?(「七、私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された、ために生きる生活を通して心情文化世界を完成することをお誓い致します」) 本然の血統とは何ですか?。堕落した血統とは何ですか?。サタン血統根絶とは、堕落したことを蕩減復帰した血統です。接ぎ木するのです。 根っこを抜いて、自分の息子、娘、三代以降には本然の血統の種をまかなければなりません。接ぎ木した木から受けた種が、本然のオリーブの木にならなければならないというのです。三代を経ていかなければなりません。 自信がありますか?(「はい」)。深刻です。深刻だというのです。偽りのオリーブの木でしょう?。母親のおなかの中に入っていき、偽りのオリーブを接ぎ木した以上になって出てくることはできません。ですから、その実が三代を経て、そこで得た種を植えるときに真のオリーブの木になるのです。三時代を経なければなりません。深刻なのです。 そのように真のオリーブの木になってこそ、地上天国は祝福自由化完成時代に入っていくのです。そして、八代を経るのです。それから八番は何ですか?(「私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏を完成することをお誓い致します」) それはどのようなことですか?。それは、神様が創造される、その当時のことです。成約時代を中心として、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」で神人愛一体理想を成して地上天国と天上天国の解放圏です。 神人愛一体圏が成され、神様と同じ息子、娘の権限も自由行使するのです。自由奔放に、世界のどこであっても通じることができ、活動することのできる能力者になって初めて、神様を解放してさしあげることができるのです。 それが地上天国と天上天国の解放圏です。それが分かれているでしょう?。そのことが、どれくらいものすごいことであるのか、ということを考えてみれば、毎日のように痛哭し、悔い改めても、途絶えることのない声が世界、天地いっぱいに響いて、自分の首を絞めるはずであって、平安な生活をすることができるでしょうか? そして、何をしろというのですか?。自分の一族を拡大しなさいというのです。一族において、家庭的メシヤをつくらなければなりません。そして十二人以上をつくり、家庭を中心として、その家庭で自分の一族、孫や嫁まで育てることができなければなりません。三代、四代までです。そうならなければなりません。 そして氏族は何であるのかというと、七十門徒を中心として百二十門徒まで編成しなければなりません。イエス様は、百二十門徒を中心として、ザカリヤ家庭において一つになり、数多くの大臣を中心として国の形態を備えて解放することができませんでした。それが氏族的責任なのです。 氏族メシヤとは何ですか?。真の父母でしょう?。真の父母、真の父母の愛、真の父母の血統です。それから、国家メシヤを先生一人ですべて配置したでしょう?。そのような過程において、勝利的覇権をもってすべてを得たので配置したのです。失ってしまったものを復帰して、神様が地上に来られて再び主人になることのできる相対圏を復帰するために配置したのです。 相対圏になれば、その相対世界の家庭において神様が自由奔放に振る舞われ、そしてその自由圏が氏族の自由圏、それから国家自由圏、世界自由圏に広がっていくのです。国家を復帰して、その国家全体を犠牲にし、国とすべてのものを売ったとしても世界のために生きた人は、三十五代になっても、五十代を超えても、貢献した彼らが主体国家になるのです。分かりますか?。どれほど深刻でしょうか? 女性はすべて講師に 先生は、「訓読会」をどれくらいしていますか?。きょうも「新記録」というみ言の内容を、どれほど素晴らしく説明しましたか?。その反面、そのみ言を語ったときは、どれほど残念だったと思いますか? そのときは、何人かの人を前にしてそのみ言を語ったのですが、そのとき先生は、どれほど情けなかったでしょうか?。数千人を前にして話すのではなく、数十人を前にしてそのような話をしたのです。その物悲しい心情は、どのようなものであったかということを考えてみてください。 「訓読会」をすれば、その心情の世界に通じるので、ひとりでに涙が流れ、自分でも知らないうちに首が締めつけられるのです。「訓読会」には、そのような力があるのです。電気で言えば、蓄電されているというのです。だれの言葉でも、そのようになるのではありません。先生が、死ぬか生きるかという境地で語ったみ言なのです。 殺されて、いつ倒れるか分からないのです。ですから、み言をすべて語っておかなければなりません。み言が残っていれば、そのみ言は世の中にはないみ言であり、天のみ言であるがゆえに、霊界ではそのみ言を中心として、どこであっても復活の役事を起こすことができるのです。どれほど深刻な事実であるのかということを知らなければなりません。 み言は、ただ流れていく言葉ではありません。後代の後孫の前に残した遺言なのです。私は去るとしても、このみ言は残して去るというのです。その宝のようなみ言が、きょう、「訓読会」をしたみ言であるということを知らなければなりません。分かりますか? そのときは、すべての人が、「先生の言うことは分からない」と言ったではないですか?「先生は何のことを言っているのか?」と言ったのです。それは皆、いいかげんな人たちです。今、聞いてみれば、どれほど理論的な話でしょうか?。どれほど体系を備えた話ですか?。どこに行って話しても、だれも否定することのできない、驚くべき説破力を持った内容のみ言なのです。ところが、いいかげんに扱われたのです。 「『訓読会』をする」と言った人が、どこにいますか?。一人もいません。私しかいません。「三億六千万双をどのようにして教育するのですか?」というのならば、ほうっておきなさい。皆さんには任せられません。責任を持てない皆さんを信じて、天の仕事を任せることはできません。私が責任を持つのです。 今回、日本に対する責任も果たすことができませんでした。私が責任を持つのです。韓国が受け入れず追い出した文総裁が再び訪ねてきて、国が滅びるようになり、地獄になってしまってはいけないので、父母の国の基盤を中心として、日本を妹の立場に立てるのです。横的な立場には立てることができません。後ろに立つのです。日本と統一させて、私が責任を持つのです。 私が、妹を生かすために八か都市を回るということは何かというと、大会をすることができる準備なのです。動員しなさいというのです。終わるときには、間違いなく自信を持ったのです。しかし、「自分たちがした」と考えてはいけません。天がどれほど苦労されたのかという事実を知らなければなりません。 先生は、死ぬか生きるかという運命を懸けて行ったのです。私が死ぬか、あなたが死ぬかというのです。日本が滅ぶのか、韓国が滅ぶのかというのです。このようなことなのです。サタン圏はすべて滅びるようになっています。どのような力を用いてでもつかまっていようとしなければなりません。統一教会に反対すれば反対するほど、百八十度反対のどん底に落ちていくのです。そのような時代が来たのです。何のことか、分かりますか?(「はい」) それで、教育を始めたのです。国を売って喜んでいる政党の者たち、すべて殻を取り、皮を剥いで再び着せてあげなければならないというのです。それが六月末までです。どのようなことがあっても、六月末までにしなければなりません。 そうでなければ、未婚男女の祝福をいつするのですか?。今ではもう、来年の「真の父母の日」まで一年しか残っていません。本来は、真のご父母様のご聖誕日までに、すべて成さなければなりません。しかし、この祝福は、「四十回」を中心として行うので、「真の父母の日」を中心とするのです。子女を祝福することができなかった祝福の日を延長して行うのですが、今からちょうど一年残っています。ですから、時間を引き延ばしてはなりません。 そして、今から帰ったならば、お母様が講演したすべての講演の内容を中心として、統一教会の祝福を受けた女性たちをすべて講師にしなければなりません。史サ吉キル子チヤさん 分かりますか?。女性たちを講師にしなければなりません。本を訓読することができるように、講師にしなければなりません。男性を信じてはなりません。男性は浮気が多いのです。浮気をたくさんするのです。自分が大学を出ていれば、それを売り込もうとするのです。そのような看板は、統一教会では出してはなりません。 先生が話した原理の内容を中心として、それを利用しようとしなければなりません。霊界がそれを喜ぶのです。霊界の先生の位置を超えて、自分たちが何か付け足すことができ、代身することのできる言葉がどこにあるのですか?。そのようにすれば、すべて滅びるようになっているのです。食口をすべて失ってしまいます。 統一教会において、「訓読会」の第一人者はだれですか?(「お父様です」)皆さんでしょう?。私がなぜ、必要なのですか?。この者たち 私には必要のない言葉です。それをすべて失ってしまったので、再び植えてあげるということをしているのです。 父親は父親なのですが、父親としての待遇を受けることができずに、父親ではない位置に立ったので、父親としての権威を立てようと、このようなことをしているということを知らなければなりません。悲惨なことです。国も滅び、世界も滅びかねないのです。統一教会の責任者たちは責任を果たせなかったので、責任追及されなければなりません。 何かの長をしていた人たちは、公式な場では前に来て堂々とした位置にいますが、私はそのようにはできませんでした。名の通った場があれば、あなたたちを立てようとしたのであって、私が出ていこうとはしませんでした。私は、いちばん後ろに行って座ったのです。 何かの長になったからといって、先生の隣の三番目の位置、二番目の位置に来ていますが、だれが「そのような位置に行きなさい」と言いましたか?。恥じることを知らなければなりません。 父親になって、責任を果たすことができなければ、子女の前で顔を上げることができず、妻の前でも顔を上げることができないはずであり、そして恥ずかしくない弟を立てるべきであるのに、恥じることを知らない人を立てていかなければならないのです。 先生は、愚かなので南米に行って苦労しているのではありません。カトリックを抱いて南米と北米を一つにするためなのです。 先生が間違っていると批判する人は、手を挙げてください。父母として、その役割を果たせなかったと思う人は手を挙げてください。ありとあらゆるうわさが立ったとしても、それは神様の命令によってなされた事実なのです。女性たちのぼろぼろの服を継ぎ当ててあげる責任があるのです。あなたたちは、そのことを知りません。この女性たち 女性たちのために悪口を言われ、ありとあらゆる仕打ちをすべて受けたのです。 キリスト教が歓迎していたならば、聖進様のお母さんを中心として、すべてを祝福していたのです。そのとき、すべて終わっていたのです。それは、世界的祝福です。四十年間は必要ありません。 しかし、民主世界、共産世界、すべて滅びました。宗教圏がすべて滅びました。統一教会は何の痕跡もありません。千辛万苦を経て、再びその位置を復帰して万国に祝福基盤を打ち込み、各家庭ごとに旗を差し込むことのできる時が来たのです。帰ったならば、旗を差し込まなければなりません。分かりますか?(「はい」) 今回、皆さんは帰ったら、真のご父母様の写真を中央に掛け、自分たち夫婦の写真を撮ってそれを掛けておいて、先祖たちを呼び、敬礼できるようにしなければなりません。郭錠煥氏、そのことを私が話したでしょう?(「はい」)。はっきりと教えてあげるのです。それを、毎日のようにしなければなりません。 青少年の淪落と家庭破綻が一番の問題 先祖の統一圏が生じたのです。百八十家庭を解放しなければなりません。百六十家庭ではありません。百八十家庭をすれば、アダム、エバは問題ではありません。それ以上に超えていくのです。完全に祝福圏内の視野が広がるのです。このようにして、堕落がなかった条件的なエデンの形態を備えるのです。それは、実体ではありません。 家庭が実体圏を備えるためには、三代以上にわたる受難の道を中心として、霊界と地上が一つになって精誠を尽くし、完全にサタンのいない平和の世界である地上、天上天国が成し遂げられるまで、祈って祈って、努力して努力して、精誠を尽くして尽くさなければならないという事実を忘れてはなりません。分かりますか?(「はい」) そして、天国に入っていく資格が何かというと、信仰の息子、娘や信仰の氏族なのです。自分の一族だけではありません。イエス様は、三大弟子を立てて四族を収拾しなければなりません。四か国まで収拾しなければならないというのです。先生がそうではないですか?。それはアダム、エバを中心としてカイン、アベルで四か国です。 そこで必死に命を懸けて闘争し、反対する国を引っ繰り返すために努力したのです。アメリカもドイツも、みな受け入れているのです。今では、もう反対することはできません。今、反対したら自分たちが滅びるのです。先祖たちが首を絞めるのです。 蕩減は、アベルがするのではなく、反対するサタン世界が蕩減する時代に入っていくのです。分かりますか?。天には、蕩減はありません。全権を激しく推し進めようとするのです。分かりますか、分かりませんか?(「分かります」) 父母は、そのような立場に立たなければならず、そのような家庭編成世界化時代へと越えて行くのです。団体になれば、団体長は必ず父母に侍ることができ、そこの財産は地だと思い、そこの要員は息子、娘の組織だと思わなければなりません。そこには、うそはありません。利用するということはないというのです。分かりますか? 家庭に入ってみれば、何が問題であるのかというと、青少年が問題なのです。世界で一番の問題は何かというと、青少年の淪落と家庭破綻です。それをどのようにして防止するのですか?。エデンにおいて、青少年を管理することができなかったのです。分かりますか? 今からは、学校長と母親と学生が一つになり、教授と学校当局者と父兄(保護者)と子女を通して、約婚は十二歳からできるのです。小学校五年は何歳ですか?。十二歳、十三歳になるでしょう?。そうでしょう?。そして小学校五年から大学二年までの十年間を中心として、ペアをつくってあげるのです。母親と学生と学校当局を、ペアとして結んであげるのです。そうしてこそ、純潔が破壊されません。 すべての父母たちは、アダム、エバのように相対を結んであげて、夫婦とその息子、娘が、純潔を守る運動をしなければなりません。今では、そのような運動を保護するようになっています。学校で勧告するようになっているのです。そうではないですか?。国家形態、家庭、氏族、民族がすべてあるので、教えてあげてするのです。 そのようにするためには、自分の兄弟たちが当然、管理しなければなりません。そして学校に行って、学校の兄弟が生まれなければなりません。学校において、ペアをつくってあげなさいというのです。純潔を守って保護するためのペアです。分かりますか? それを学校が承認し、父母、全校の学生が決意してペアを結んであげるのです。そのペアたちは、純潔を保護することのできる堕落防止、サタンを防止することのできる運動を環境的に行わなければ、結婚するときにすべて滅んでしまうのです。分かりますか?(「はい」) 文部大臣であれ、だれであれ、訪ねていって闘うのです。談判するのです。このようにしたら、どのようなことが起きますか?。第三者の介入が不可能になるのです。純潔運動です。そして、純潔を守り、自分たちが結婚したければ、いつでも結婚するのです。 十六歳以上になって、父母が承認し、学校が承認すれば、高校生でも結婚できる環境をつくるのです。これは、保護するためです。家庭破綻と青少年淪落から保護するために不可避な処置なのです。この処置を世界的にしなければなりません。分かりますか?(「はい」) 私たちのすべての組織は、真の父母を中心とした家庭編成型の拡大世界なのです。地上であれ、天上であれ、同様です。責任者になって、食口たちをこき使い、平安に座っていてはいけません。搾取の気質になってはなりません。 今まで、そのような者たちが多かったのです。その上、アメリカのような国は、日本食口や韓国食口を利用しているのです。今からは、根本的にそのようなサタン的な根を抜いてしまわなければなりません。分かりますね?。分かりますか?(「はい」) それゆえに、どこの国に行っても父の国、母の国、長子権の国、その三つの国は、一緒についてまわるのです。分けることはできません。ですから、韓国人が行かなければならず、日本人が行かなければなりません。日本人は多いのです。 日本は、イエス段階の新婦圏を成すことができなかった国なので、韓国の国家メシヤの前に百二十人をつけてあげるのです。たくさんの高位職の人たちを結婚させて、国を形成することができるのです。それらは、すべて国家メシヤの弟たちです。血族になるのです。 そのように結婚することによって、血統の根本が切れるのです。サタン血統を断絶することができなかったというのです。何のことか、分かりますか?このような厳粛な課題が、今から転換する時代になったのです。きょうから、それを始めるのです。 今まで、責任者、教区長だといって、座って世話になり、自分勝手にしていた人は、悔い改めなければなりません。それは偽りの父母です。自分の息子、娘の血肉を吸い取る吸血鬼になってはいけないというのです。教会の財産を奪い取るどろぼうになってはいけないというのです。プラスしなければなりません。分かりますか?(「はい」)。そのような時代になるのです。 そして、今から家庭に帰ったならば、青少年たちに相対を結んであげて、お互いの一族が保護しなければなりません。甲という一族がいたならば、数十人が身内を中心として月例会議を行い、一月に二度ずつ勧告し、それを文書に書いて管理していかなければなりません。直言書です。そのようにして、守ってあげなければならない責任があるのです。 神様は真の父母であられ、真の先生であられ、真の王であられるのです。この世界では、神様がなさることはできないので、神様の代身として、父母の代身として愛さなければなりません。 愛する学生の中で、学費を出すことができない者がいれば、自分たちが募金運動をしてでもすべて支援してあげようとする、そのような学校にならなければなりません。そうしてもし、そのような学校になれなければ、学級を中心とした父母と先生が一つになって、彼らをお互いに教育してあげようと思わなければなりません。自分の家庭第一主義になれば、滅びるのです。分かりますか?。霊界の自由天国に行くことはできません。分かりますか?(「はい」) 今から新しい天地の世界に入る 今回の三億六千万双の教材である「真の愛はだれもが願う」というみ言は、全員が覚えなければなりません。すらすらと言えるように、覚えなければなりません。どこかに行って帰ってきて、読みながら反省し、比較してそのみ言のとおりになることができる実体になったのか?。これが問題なのです。 「今まで、戦勝的記録のみ言どおりに先生はしたのか?。そのみ言を私が残して、呵責を受けるようなことは何か?」と探しているのです。ここに引っかからずに、その基準を超えていくことができるようにしなければなりません。 真のご父母様が闘って勝つために、数万の群衆の前に迫害を受けて闘った記録がここにあるということを知るとき、自分がその記録の戦場には立てなくても、残された影にでもついていこうという心を持たなければ、先生の後についていくことはできません。羊の群れにならなければなりません。どこに行っても、羊飼いの声に従っていかなければなりません。分かりますか、分かりませんか?(「分かりました」) したがって、この「第四十回『真の父母の日』は天地開闢時代を開く」ということになるのです。新しい時代に越えていくのです。会社に勤めている人たちは、自分の家庭を会社よりも尊重視してはなりません。あなたたち統一教会の者たちも同様です。教会の公的なことをないがしろにしてはいけません。 共産党には、そのような理論がありませんでした。「国家財産を尊重視しろ」と言って、私有財産を否定したので滅んだという、そのような論理はあり得ません。私たちは天上天国の道理を持っているので、そのような原則は通じないのです。 先生は、家庭の財物は買うことができなくても、教会のすべてのことを優先的に考える人なのです。分かりますね?。個人主義思想は、公利の思想を侵食するのです。公利の財産を略奪するどろぼうになってはいけません。 責任者たちも、自分がいる間に公利の財物をどれくらい増やしたのかという問題、どれくらいさらに発展することができる体制をつくっておいたのかということが重要なのです。そのようにできない責任者は、自ら退いていくのです 私は、長くいる人で実績のない人は嫌いです。 家庭の財物というものは、十二弟子から七十二門徒までです。氏族的には百二十人以上です。七十二門徒を中心とした基盤に、氏族的基盤を連結させなければなりません。それを超えれば、家庭的メシヤから氏族的メシヤ圏に超えていくのです。 イエス様は、十二弟子と七十二人、八十四人さえ持っていれば、絶対に亡くなられませんでした。氏族的メシヤの出発基地が展開されるからです。このために先生は、アメリカに行って「八十四人を中心として、七年期間に一月に一人ずつ八十四人を伝道しなさい」と言いました。 統一教会は、七年間行かなければなりません。一月に一人ずつ伝道するのです。七年で八十四人でしょう?。ヤコブ家庭を中心として、十二弟子と七十二門徒です。これが編成できなかったので、イエス様は亡くなられたのです。氏族的基盤がなかったのです。それをすべて蕩減して埋めていかなければなりません。 そして、百二十門徒です。世界的な代表国家形態を地上を中心として、統一教会では国連加盟国が百二十か国になったときに百二十四双を祝福したのです。今回、百八十か国になるとき、百八十家庭を中心として祝福したのです。それは、地上と合わなければなりません。 このようなことを分かって、今から新しい天地の世界に入っていくということを理解することを願います。「天地開闢」です。自分のおじいさんも見習うことができ、父親も見習い、自分の兄弟も見習うことができるように、真の父母の代身として教会の見本を立てなければなりません。何も言うことなく、ついていくことができるようにしなければなりません。何のことか、分かりますか?(「はい」) そのようにすることのできる責任を付加する立場で、実践躬行しなければなりません。分かりますか?(「はい」)。そのようにしようという人は、両手を挙げて誓いましょう。 きょう、第四十回「真の父母の日」を中心とした天地開闢に入門する祝賀の日に、皆さんが賛成する意味で天の前に誓ったということを忘れずに、天上、地上天国が完成するときまで、永遠に責任を持たなければならない問題であるということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) さあ、祈祷しましょう。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.27
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新記録1999年4月16日第四十回「真の父母の日」の記念行事が韓国の中央修練院で行われました。記念礼拝のご父母様の御言に先立ち、一九七〇年二月二十四日にご父母様が語られた御言「新記録」(『訓教経』)を、郭錠煥世界会長が訓読されました。 今日、私たちは信仰の道を歩んでいます。これはちょうど、勝利を目標として競技場に出て、競技するのと同じです。 ここで競技というのは、ある体育の競技をいうのでは なく、自らの日常生活を中心として、あるいは、自分の生涯や国家の歴史を中心として、競技場に出ていき行う競技をいうのです。 競技場に立つのと同じような信仰者 今日の先進国家は、国民全体が一丸となって、他の国の国民よりも多くの努力をしたので、先進国家となったのです。反面、後進国家は、国民全体がさまざまな国と競争する歴史過程で、努力が足りなかったからだと見ることができます。ですから、自然に後進国家になるしかなかったのです。 このような事実を見るとき、歴史や世界の運勢は、このような過程を中心として進行してきたということが分かります。 では、大きな世界の範囲を離れて、私たちの個体に帰り、自分自身をほかの人と比較し批判してみるとき、私は今、どのような立場に立っているかということが、問題になるというのです。 ここで皆さんは、「神様と人間」、言い換えれば、「お父様と私」の関係を回復するために、復帰の途上で競走している立場に立っているということを、知らなければなりません。 パウロが「私たちは競技場に立った人々であり、一つの標柱に向かって走っていく人々だ」と語ったように、私たちも一つの目標に向かって駆けているのです。 世界の人々が最も重要視する競技の中の一つがマラソンです。すべての国家は、マラソン大会で一等になり、新記録を出すことが最高の栄光だと思っています。 なぜそうかというと、マラソンは普通の人々が完走することのできない競技だからです。マラソンの距離は、ものすごく遠いのです。優勝するためには、その長い距離を克服しなければならないのです。 また、マラソン大会では優勝することも大切ですが、それよりもっと重要なことは、新記録をいかに出すか、ということです。優勝しただけでは駄目なのです。 過去の大会ほどの記録を出せなくても、優勝はできます。しかし、マラソン大会ですべての国々が願うのは、優勝だけでなく、新しい記録をいかに出すか、ということなのです。 新記録を立てるには では、これまでの記録を破り、新記録を立てるためには、どうすべきかというと、今までのマラソン大会に参加したすべての選手たちが努力した以上の努力をしなければならず、困難を克服しなければなりません。 このように考えない人は、それまでの記録を破ることはできません。仮に、優勝はしたとしても、新記録を樹立することはできないのです。 また、いくら熱心に努力をしたとしても、作戦を誤れば、新記録を出すことはできません。新記録を出すためには、作戦をうまく立てなければなりません。 マラソンで作戦をうまく立てるということは、走る人自らが、自分自身をよく知ることです。走る時間と距離に従って変化する体の状態を、自らがよく知らなければならないのです。すなわち、一定した時間と距離で変化する自分の体力と気力をよく知らなければならないというのです。 ある水準以上に無理したら、正常な体の状態ではなくなるということをよく知って、一〇〇パーセント、自分の体力に合うように、自分の体を調整できなければなりません。でなければ、記録を出すことはできません。 また、自分が走るのが速いからといって、最初から一番で走っても駄目です。定められた距離に適応できるように、自らを調整しなければなりません。 そして最後、ゴールに近づく時にどうすべきか、また、最後にゴールを突破できる余力をいかに残して走るか、ということが重要なのです。 このようなことを調整できなければ、優勝することもできないし、たとえ優勝しても新記録を出すことはできないのです。 優勝は瞬間で決まります。ゴールインする場合には、一分、いや一秒が重要なのです。その短い瞬間に、優勝が決定するのです。 百メートルの距離を同じように走って来ても、一等と二等が分かれるのは、一メーター以内で決定するのです。いや、十センチメートル、一センチメートル、〇・五ミリメートルの差によって、優勝は決定するのです。 新記録が決定されるのは、短縮された時間が長い、短い、ということによって決められるのではありません。一秒を短縮したとしても、新記録は新記録なのです。このように歴史的な記録は、とても短い距離によっても破られるのです。 同じように、私たちが行く復帰の途上においても、これが問題になるのです。 統一教会の目標 統一教会の中心目標は世界復帰です。今も、この目標に向かって走っているのです。 走るうえで、何を中心として走らなければならないでしょうか? これまでの宗教は、個人を中心にして走っていました。しかし、統一教会は復帰摂理の目的を中心として、家庭的な競技をしています。言い換えれば、統一教会は家庭的な競争圏内に入ったのです。これが、統一教会と今までの宗教との違う点です。 これまでの摂理歴史路程を見れば、失ったアダム一人を捜し求めるために、神様が多くの苦労をされたことを知ることができます。しかし、アダム一人を復帰したからといって、勝利の記録と言うことができるでしょうか? できません。だれがこれを証すのかというと、イエス様です。 イエス様はこの地上に来られ、神様の息子として責任を果たそうという立場に立ったのですが、復帰摂理の途上で、勝利し、新しい記録を立てることができませんでした。 イエス様が亡くなられることによって、神様の側において新記録を立てたのではなく、むしろ、失敗の記録を立てることになったのです。そのことによって復帰摂理の途上に、二千年の間隔が生じました。勝利者として新しい記録を出したのではなく、敗北者としての記録だけを残したのです。 では今日、私たち統一教会が新記録を出すならば、どうしなければならないかというと、まず一人の男性と一人の女性を中心として、復帰摂理の公式を通した一つの家庭を立てなければなりません。 その次に、目標に向かって進み、優勝とともに、よい記録を出さなければなりません。 そうしてこそ、そこから新しい起源が生まれるのです。この起源は、これから来る新時代において、永遠の基準となります。私たちは、このような驚くべき目標を中心として前進しているのです。 皆さんはこの時間が過ぎれば、東西南北に散っていきます。そこには、応援する人もいません。そのような立場で皆さんは、競技場に立つのです。 しかし、皆さんは「私は走っている人間だ。行かなければならない人間だ。目標に向かって、この時間も走らなければならない」という認識を忘れてはなりません。 皆さんの立場と環境は各自違いますが、ただ一つ変わりなく大切に維持すべきことは、「私は競争する人間だ」という考えです。 皆さんは、目標を中心として走っている人間です。皆さんが走る時は、天地が注視し、声なく皆さんを応援しているのです。 ところで、今までずっとこのように走ってきたのですが、いまだに国家的な大会がなされていないのです。自分が住んでいる地域だけで行ったり来たりする、小さな競技にすぎなかったのです。 このような競技は、国家的な競技とは何の関係もありません。いくらそこで自分が活躍して記録を立てたとしても、国家的な大会とは何の関係もないのです。走るには走っても、それはその地域に限られたことです。その大会は、国民が注視し得る大会になることはできなかったのです。 しかし、一教会や一団体を中心としてなされた競技で出た新記録だけでは駄目なのです。世界的な大会で競争して勝利し、記録を出して初めて、その記録が世界的な新記録になるのです。 今日、統一教会が競争しようという大会は、どんな大会であるかというと、大会の中でも、最高に重要な大会なのです。 この大会は、過去に生まれて逝った先祖たちも動員され、現在の人類も動員され、将来の数多くの後孫たちも動員することのできる大会なのです。 このように、三時代が結束して動員される焦点上において、皆さんは今、走っているのです。 競技者が知らなければならないこと ここで皆さんが、肝に銘じておかなければならないことがあります。 走る時に、無条件に走ればよいというものではありません。目的地をはっきりと知らなければなりません。目的とするところが、どこであり、その距離がどれくらいであるかを知らなければなりません。 皆さんの姿勢がどんなによかったとしても、走るコースが分からなければ、目的地に到達することはできません。そのコースは、復帰の原則からなっているので、それを中心として走らなければなりません。 皆さんが走るうえで、皆が一等になることはできません。この中で優勝者は、たった一人だけです。ここでだれが一等になるか、ということが重要なのです。 神様が何を願われるかというと、二等を願われるのではなく、一等を願われるのです。多くの人を願われるのではなく、一人を願われるのです。 それで、その個体が最善を尽くして走ったならば、天と地が一つになるのです。 ここで、その距離がどれくらいになるかによって、問題が起こるのです。 今日まで人間が復帰摂理路程において、国家なら国家を中心に、常にその日を願い努力してきたのですが、いかなる基準で願い、努力したのかが、重要な問題であるのです。 国家を復帰するためには、まず個人が復帰されなければならず、さらには家庭、氏族、民族、国家と復帰されていかなければなりません。このように各段階に従って、その範囲が大きければ大きいほど、それに対する関心度も高くなるのです。 例を挙げれば、郡を代表する選手がどんなによい記録をもっていたとしても、道を代表する選手の前では認めてもらえないのです。自分の記録がどんなによくても、道を代表する選手に認めてもらうためには、再び試合をして勝たなければなりません。 また、道の選手の記録が、国家の選手の記録よりも並外れてよかったとしても、その記録が国家的に公認される大会の記録でなかったならば、彼を国の新記録保持者とすることはできないのです。 しかし、国家的な競技で自身がもっている記録よりも何秒か劣ったとしても、国家基準の記録を破ったならば、彼は新記録を立てた栄光を得るようになるのです。世界記録を破ることも同じことです。 国内で世界的な新記録を立てても、これは認定されませんが、世界的な競技に参加して記録を立てれば、認定を受けるのです。 皆さんが今まで、個人的にはどんなによく走ってきたとしても、今は舞台が広がったので、広がった舞台において走らなければなりません。面を代表して走るのと、郡を代表して走るのとは違います。また、郡で走るのと、道で走るのとは違い、道で走るのと、国で走るのとは違うのです。 皆さんはこのような時に、うまく一致させなければなりません。皆さんはこの時を中心に責任を負い、競技場に出た選手であることを自覚しなければなりません。 ここで走る時には、時が違うと同時に、環境が変わります。それゆえ、走る環境と自身の技量とをよく調和させ、行く途中で生じるさまざまな現象をきちんと受け止めなくてはなりません。怨讐が現れる可能性があるというのです。 走る中で、だれか応援してくれる人がいるかというと、いないのです。しかし、応援団がいないことは、それほど問題にはなりません。 怨讐は、走る皆さんを転ばせようと、ありとあらゆることをやってきますから、これが問題なのです。その過程で、見えない隅に隠れて、矢を放つ者もいるし、塀の上に潜んでいて、足をへし折ろうと狙う者もいるのです。いろんな者がいるのです。 このような険しい環境を皆さんは直視して、侵犯を受けないようにしなければなりません。怨讐に引っ掛けられて転んだら、大変なことになると肝に銘じ、困難な環境に備えて、自分自身を防備できなければなりません。 世界的な舞台で新記録を立てなければならない 今日、このような立場で私たちは世界復帰という看板を掲げているのです。 それでは、世界復帰の時代を迎える皆さんにおいて、最も大きな問題は何かというと、世界を復帰するには今までとは違い、個人的に走って立てた記録ではいけないということです。氏族的に立てた記録でもいけないのであり、民族的に立てた記録でもいけないのです。世界的な舞台に登場し、新記録を立てることのできる人間にならなければならないというのです。 神様は今まで、最上の基準で復帰摂理をしてこられました。サタン世界の記録を破る立場に立つことができなければ、人類を復帰してこられた神様の権威と威信と体面が立たないのです。これが神様の立場です。 ですから、御旨を掲げて歩む私たちの使命は、復帰の途上で、サタン世界のすべてのものを屈服させ、最高の栄光と権威を神様にお返しすることなのです。そのために今、世界的な競技場に出ているのです。 それでは、出て行く時には、その国の民と家庭がすべて出て行かなければならないでしょうか? 違います。国家なら国家を代表して一人だけを立てればいいのです。新記録を立てることのできる一人を代表として送り出せばいいのです。 今日の摂理過程において、皆さんは皆さんの家庭を中心に新しい家庭の起源をなし、新しい生命を出発させ得る家庭にならなければなりません。新しい生命が出発しなければ、新しい理想が出発し得ず、新しい愛が出発できないのです。 このような基準を中心に見る時、この出発点が、どこにならなければならないかを知らなければなりません。ここでの勝利だけでは駄目です。 その勝利が、サタン世界に一つでも引っ掛かる勝利であったら、神様の権威と体面を立てて、新しい出発をすることはできません。この勝利は、歴史的なものでなければならないのです。 私たちは今、家庭的に走っています。走る時には、天地の摂理の御旨に関係している数多くの背後の因縁と、神様を中心とする心情を土台にして、走らなければなりません。 走る競技の途中でどんなに遅れたとしても、最後のゴールでは、一歩でも先にゴールインしなければなりません。先になるだけではなく、新記録を立てることができるように、先にならなければなりません。このようにして、集まろうというのです。これが復帰摂理の路程です。 皆さんが走っているこの道は、一年だけ走ればよいのですか? 違います。一代でできなければ二代、二代でできなければ三代までいく恨があったとしても、行かなければならないのです。それゆえ、復帰摂理は今まで、アダム、イエス、再臨主の三代を経て走っているのです。また、アブラハムの神様、イサクの神様、ヤコブの神様と、三代を経たのです。 今、私たちは何代目であるかというと、最後の三代目として走っているのです。最後の三代目ならば、ゴールまであとどのくらい残っているのか、はっきり知らなければなりません。そして、残る底力と余力を総動員して、最後のゴールに向かって走らなければならないのです。 必ず行かなければならない運命の道 皆さんが参加しているこの道には、皆さんの先祖たちが加担し、応援しているのです。この道は、いつかは必ず行かなければならない運命の道です。今はよく分からないでしょうが、後で勝つようになれば、氏族がすべて頭を下げるようになります。それはいずれ、そのようになるようになっているのです。 過去の先祖はもちろん、氏族が動員されるようになっており、また、未来の後孫たちも動員されるようになっているのです。それゆえ、皆さんがどのように走るかということが、問題となるのです。 このように見る時、世界復帰という目標に向かって走る統一教会において、人が来て走る時には、氏族を中心として常に問題が生じるのです。ここで皆さんは「私たちの氏族の中で、自分は何番目に負けた人間か?」ということを考えるのです。 皆さんは一等にならなければなりません。今後、だれに関心が注がれるでしょうか? 人々は「私たちの氏族の中で、負けなかったその人! と言うことでしょう。また、「私たちの氏族の中で負けた人は多いけれど、その中で誰々はそうではなかった」と言うでしょう。このように、皆さんが氏族の代表者になってこそ、過去、現在、未来が連結された希望を中心として、「ああ、この競技場に、私たちの氏族が登場したなあ」と言うのです。 私たちは現在、一つの国家を中心に新記録を立てるために努力しています。歴史始まって以来、統一教会のような集まりはありませんでした。また、世界において問題になっている、そのような教団があったかというと、ありませんでした。 国を愛し、世界のために生きる、ということにおいて、統一教会ほど新記録を立てた団体は今までありませんでした。事実、国を愛することにおいて、新記録をもち得ない人間は、大統領の席を夢にも見てはいけません。国家の前に世界の前に誇ることを、夢にも見てはいけません。 しかし、世界の新記録を破って余りある実力をもち、自他共に認める権威をもつ人間になった時には、世界人類が屈服するようになるのです。今私たちは、今まで走ってきたことを教訓として、もっと大きな舞台で走らなければなりません。 世界の国々は、国ごとに民族的な背景が違い、歴史的な背景が違います。また、民族に対する観念が違います。このように各々、異なる立場にある国家と国家が、互いに競っているのです。 私たちの宣教本部が多くなればなるほど、競技の規模がだんだん大きくなるのです。そのようになれば、問題の焦点となるのは何かというと、最高の記録保持者はだれかということです。 私たちのその記録は、ギリシャの一兵士が、マラソン平野の戦いで勝ったということを告げるために、死を懸けて走り、「勝った」という一言を残して死んだこととは違うのです。その時、命を懸けて走り立てた記録と、近ごろの選手が立てた記録とは違うのです。 彼は世界歴史に、マラソン出発の旗を掲げたのです。たとえ勝利したという言葉を残して倒れ死んだとしても、彼が立てた記録は永遠なのです。皆さんも、そのような立場に立っているのです。オリンピック大会で、新しい起源を成すことができる立場にいるというのです。 人々の中には「御旨が早く成され、私たちが世界舞台に出ていって走れたらいい」と言う人がいますが、そのように簡単ではないのです。新記録の起源を立てようとすれば、ある国なら国で闘った歴史が、世界的な大会の歴史と通じなければなりません。 そうしてこそ、世界的な大会を中心に積まれた伝統を受け継ぎ、また相続させる、そのような歴史の中心の立場を受け継いでいくことができるのです。これが今、統一教会が成そうとしていることであり、また、そのような立場にあるのです。 私たちが今している活動は、皆がよい記録を出す方法を研究するためなのです。こうして研究したその道、そのコースを走ろうというのです。それが国家に影響を与え、さらには、世界まで影響を与えるようにならなければならないのです。 今ゴールが、近づいてきています。それを統一教会の原理から見れば、家庭復帰と言うのです。家庭復帰というのは、四位基台を成就した家庭として完成することをいいます。国家基準においても、この四位基台を成さなければなりません。では、四位基台を成すうえで、どこの国が一等になる可能性がある歴史をもっているでしょうか? これが世界の関心事です。 国家基準を成すためにはまず、氏族、民族的な基準を成さなければなりません。ここでは必ず、ある団体なら団体、あるいはある宗派なら宗派が問題になるので、統一教会は多くの宗派紛争を収拾しなければなりません。また、どのようにしたとしても、四位基台の基準を立てなければならないのです。 この基盤をもたなければならないので、この基盤をつくるための作戦として、先生は超教派活動をしてきたのです。これを動機として、すべての宗教がどのようにしたら平面的に一つの四位基台形態をもつことができるか、という考えを中心にして闘ってきました。 そうして、世界に行く道を築こうというのです。その次に、そのような基準を中心にして、国を愛し民族を愛さなければなりません。ここでも、新記録を出さなければなりません。皆さんはよい記録を出して、今後、国家的であれ、世界的であれ、栄誉ある位置に立つことができなければなりません。 ところで今、皆さんは栄誉ある権威者として、国家なら国家の前に、そして世界なら世界人類に教えてあげることのできる立場に立っていますか?「競技場ではこのように走るのだ」と教えてあげられ、その意見には何らの異議も出すことができない実力基盤をもっているか、ということが重要なのです。 新記録をもっている人間として、その分野においては、国家なら国家の前に、世界なら世界の前に、「この分野は私以外に、他の人が責任を負うことはできない」というほどの絶対的な立場に立つことができなければならないのです。 歴史に残ることのできる者 では今日、統一教会がそのようになっているでしょうか? これから世界的な選手として発掘される、姿勢と内容をもっているでしょうか? 結局、皆さんはそのために走らなければならないのです。 これから、世界を中心に栄誉の一時が、必ず統一教会に来るのです。 その時が来たならば、皆さんはどのようにしなければならないかというと、絶対的な権威をもって、「過去はこのようにしてきたから、現在はこのようにして、未来はこのようにしなければならない」と言えなければなりません。 ところが、責任を果たすことができない人間は、栄光の時代が来ても、その栄光とは何らの関係もない人間になるのです。むしろ、その栄光の前に恥ずかしく、自分の恥がさらされ、頭を下げるようになるのです。 優勝して、人々に崇められる対象にならなければならないのであって、最下位になって、恥ずかしい立場に立つ人間になってはいけません。「あの人は一等にならなければならないのに、びりだった」と、ひやかされてはいけないというのです。 統一教会の御旨に従っている人の中には、一等になる人もいるし、最下位になる人もいるし、落後者もいます。統一教会に通う人々の中にも、差が生じるのです。そして、実体の競技場で起こる現象が、皆さんの家庭、あるいは活動する基台においても起こるのです。 ところで、問題となるのは、国家なら国家、団体なら団体において、よく走る選手をどのようにつくるか、ということです。すなわち、どのように教育し、どのように訓練し、優秀な選手につくりあげるかが問題なのです。この使命が、皆さんにかかっているのです。 選手たちを教育し、訓練するためには、まず皆さん自身が、そのような実力を備えていなければなりません。皆さんの指導を受ける後輩たちが、皆さんの記録を凌駕するように、訓練しなければならないのです。 こうして、統一教会の御旨を中心としたマラソン競技で、国家を代表して世界に出て行くことのできる人間を育てなくてはなりません。そのような人間を育てた指導者は、彼と共に歴史に残るようになるのです。 皆さんが暮らしている地域を中心に見ても、歴史的にその地域を動かした人間は多いかもしれませんが、その地域を代表して、国の前に忠誠を尽くす新記録を出した人間は、多くないのです。 皆さんがそのような人間を輩出することができたならば、死んでも、このような記録を出した指導者として、歴史に残るようになるのです。今私たちは、世界的な舞台を中心として走らなければならない時です。統一教会の文先生も同じです。 先生は走る時に、「だれかの世話になる」とは考えません。選手たちが疲れたら励まし、引っ張ってあげることはあっても、選手たちに世話になることはありません。 走る時は競技者として寸時を惜しみ、あらゆる精誠を投入して走るのです。一歩でも遅れないように、昼も夜も休むことなく、行くのです。こうして最後、ゴールインする時には、先生が一番最初に勝利した人間になるでしょう。 新記録の起源 今までの世の中になかった新記録を立てるためには、国家と世界の前にどのようにしなければならないかを、皆さんははっきりと知らなければなりません。 復帰摂理の過程において、私によってもたらされた勝利をいかになすか、あるいは、世界人類と後孫たちに影響を及ぼすことができる記録的な基準をどのように立てるか、ということがとても重要です。すなわち、今までの歴史過程の記録や、これから立てられる新記録よりも、より優れた記録をつくらなければならないというのです。 絶対的な新記録を決定したら、過去も、現在も、未来も、この基準を中心に走るのです。すべての選手たちが、これを中心に動くようになり、また、これを中心に統一がなされるのです。このような基準をもって現れたもの自体は、過去から現在に、現在から未来へと続くのです。 このような新記録の起源が、まさに統一教会でいうところの「真の父母」なのです。 真の父母の栄誉を得るには、心情の記録保持者にならなければなりません。その記録は、絶対的でなければならないので、過去にもなく、現在にもなく、未来にもないものでなければなりません。言い換えれば、相対的基準とは比較することができない絶対的な基準が、真の父母の基準であるというのです。 真の父母は、二つはあり得ません。「真」という字のつく父母は一つだけです。天と地は、二つに分かれることはできません。では、天と地の父母が、どのように一つになるのでしょうか? これを解決するには、天を中心として関係を結ばなければなりません。 このような観点から、神様と人間は一つにならなければならないのです。このように、内的父母と外的父母が一つになって初めて、真の父母が規定されるのです。真の父母は絶対的基準の立場なので、真の父母を中心とする位置には、宇宙史的な新記録が永遠についてくるのです。だれであっても、この記録を抜くことはできません。 また、真の父母の教えは絶対的です。それゆえ、真の父母の教えを受けて、新しい記録を出そうという人間は、真の父母に絶対に従順であり、絶対服従しなければなりません。そうしなければ、再び生きる圏内に入ることができません。絶対従順、絶対服従する立場において初めて、統一の役事が起こり、一つの世界がなされるようになるのです。 言い換えれば、その立場は、ある相手と争うことを超越した位置、すなわち競技を超越した位置なのです。競技をして新記録を出すという、そのような相対的な位置ではなく、完全に定着した安全な位置なのです。多くの人が嫌がる立場ではなく、だれもがみな好んで従う位置なのです。 このような観点から見る時、今日、統一教会が目標に向かって走っていくうえで、真の父母を中心として走らなければならないというのです。先生が発見したことの中で偉大なることがあったとすれば、それは今まで数千年の歴史を通しても捜し出せなかった、真の父母の位置を復帰したということです。 ですから、皆さんはこれを一番に考え、一日に十回、祝賀しなければなりません。 それゆえ、皆さんが真の父母の新記録を相続しようとすれば、先生のところに来て相続しなければなりません。もし、皆さんが、家庭が走っている競技場で、問題が生じたならば、すべてその基準で解決しなければなりません。その基準は、過去にも通じ、現在にも通じ、未来にも通じるのです。 新記録ということは、永遠から永遠まで通じるのです。その基準を中心として必ず、相対的関係が結ばれなければなりません。走る競技者たちは、その基準を中心に走らなければならないのです。 今まで人間たちが理想を語れば、先に向かってだけ走って行くものと考えていました。しかし、私たちの理想は、未来にあるのではありません。世界をすべて回っても、また回っても、真の父母のところに来なければならないのです。なぜならば、出発もここであり、目的もここだからです。 今まで堕落した世界は、未来の希望を中心として行く道でしたが、統一教会時代は、新記録を中心に行く時代なので、出発もこの点であり、目的もこの点ですから、世界がその所から走らなければならないのです。 内容面においても、これは今まで世の中にあった、そのような競技ではありません。それは、心情の世界で父子の関係を結ぶのです。競技の中で、それ以上のものはありません。それゆえ、だれでもこの原則を知るようになれば、統一がなされざるを得ない、ということを知るようになるのです。 ですから、皆さんが道を走るうえで、この目的がはっきりとしていなければなりません。走る時は、個人の目的を中心に走るのではなく、国家の目的を中心に走るのです。そして、行ったら、帰って来なければなりません。国家から出発して、帰って来なければならないというのです。これは否定することができない既定事実なのです。摂理の過程において、皆さんは今、帰って来るコース、すなわち復帰のコースを歩んでいるのです。 私たちが走っているこの道は、普通のコースではなく、復帰のコースなのです。復帰のコースを走る皆さんは、それなりにみな重要な人々なのです。ここで一等になる人間は、絶対的なチャンピオンになると同時に、絶対的に責任を負う指導者になることができるのです。今、私たちがしていることが何かというと、絶対的な記録を立てる、真の父母の伝統を相続し得る選手を養成しようというのです。今まで先生はこのことをしてきたのです。 皆さんはもう、先生がいなくても、真の父母が立てた新記録を中心として生きなければなりません。いつもの生活で、その記録と比較してみて、何パーセントになっているか、その記録にどのくらい近づいているかを確認して、その記録に近づこうとしなければなりません。 これが皆さんが将来、天上世界に入る時、皆さんの権威と位置を決定するのです。 たとえば、その記録に三等で到達した人間がどんなに優れていたとしても、三等の位置に行かなければならず、十等は十等の位置に行かなければならないのです。いくら大統領をした人でも、最下位ならば最下位の位置に行かなければならないのです。それは仕方がありません。 今先生が通り過ぎながら、一度だけ道を切り開いておけば、「ついて来るな」と言っても、ついて来るのです。なぜならば、ついて来なければ、競技場に行く道がなくなるからです。どんなに世界的な基盤を築いたとしても、競技場に出ていかなければ、世界的なチャンピオンになることはできません。したがって、新記録を立てるには、統一教会の真の父母に従って来なければならないのです。 神様の念願の内容 今、私たちは走っています。ところで、私たちが走る時、この国の全地域の人々が「頑張れ、頑張れ、頑張れ! と応援をしなければならないのです。私たちの側が多くなければなりません。「私たちの側」というのは、競技する時だけ応援するのではありません。競技を始める前から、その競技に対して関心をもち、走る時も、その選手と共に走る、という心をもつ立場に立たなければなりません。 選手が競技場に出れば、その時だけ「おまえは私たちの側だろう。よく走れ! と言うならば、その人を私たちの側であると言うことはできません。選手が代表として出て走る時には、緊張して視線を注ぎ、次第にゴールに近づけば、一緒に走っているような立場に立たなければなりません。 応援していて、転がっていってもいいのです。そうしてこそ、走っている選手たちも、元気を出して走ります。同じ側というなら、選手たちが走る時には、そのぐらいにならなければなりません。 皆さんは、そのような実績をもっていますか? 皆さんは今、走っていますが、自分に関心をもっている人間、すなわち、自分の側がいるかというのです。 いるようだがいないとすれば、孤独な人になるのです。そのような人間は走ることは走るのですが、国を代表することはできません。 国もないのに、国の代表選手に選ばれるでしょうか? 国がなければ、個人資格にすぎません。国がないので、国を代表して出場することもできず、したがって、一等になることもできません。 国の代表として選ばれるためには、どこの国であれ、自分が属する国がなければなりません。他国の名前を使うか、でなければ、無理やりしがみつかなければなりません。 家庭を中心にして、父親が「そう」と言えば、息子も「れ! 、息子が「そう」と言えば、父も「れ! という基盤が必要です。しかし、子供がいたとしても国がなければ、何になるのでしょうか。国がなければ、「一等だ」「何だ」と言っても、意味のないことです。 皆さんが頑張れば、先生は体面など失ってもよいのです。先生にとっては、体面よりもチャンピオンになることが問題です。それが神様の願いです。今まで神様は、多くの体面を失いました。何度も闘いに負けたので、神様の体面は話になりません。 今まで神様が訓練して立てたチャンピオンたちの姿を見てみなさいというのです。すべてサタンによって倒され、威信どころか何もかも奪われ、死に、思い通りにできなかった神様の体面を考えてみてください。その時、神様が受けた恥辱を皆さんは考えてみなければなりません。 皆さんはもう少し走れば、新記録を打ち立てることができます。皆さんの側には、天を中心に自身の一生を懸け、新記録を立てるのに心血を注いでいる先生がいるのです。天と地の心情を経て、すべての責任を直接相談し得る先生が、皆さんの側にいるのです。 このような責任を果たすために、歴史的に数多くの人物が精誠を尽くしました。 ノアからアブラハム、モーセ、イエスをはじめとした先知者と聖徒たちが、チャンピオンになろうとしたのですが、みな失敗しました。それゆえ、皆さんが、彼らが立てた精誠の記録を破るためには、その境界線を越えなければなりません。 ノアが百二十年間、箱舟をつくる時に受けた試練と苦痛が近づいてきたとしても、問題なく越えていかなければならず、アブラハムが故郷の山河を離れる時に受けた苦しみも、越えていかなければなりません。 おじけづいてはいけません。境界線を突破するという心で、また、必ずそうでなければならないという心で、すべてのことを引き受ける自分自身にならなければなりません。そうでなければ、チャンピオンの列に加わることはできず、新記録を出すこともできません。 歴史過程で来ては逝った数多くの責任者たちもみな、新しい記録を立てようとしたのです。このような観点から見る時、イエス様もそのような面でチャンピオンではないかと考えるのです。 チャンピオンになるためには、だれよりも多くの考えをめぐらし、だれもできなかった作戦を立てなければなりません。そうしてこそ、新記録を出すことができるのです。 ところで、真の父母の基準が最高の基準ですが、他のところにチャンピオンがいるでしょうか? もしいるならば、訪ねていってもいいです。それで、他のチャンピオンを探し出したならば、先生が応援することもできるのです。 チャンピオンの後継者になるには 先生は今まで、御旨を中心に歩んできました。皆さんが選ばれたチャンピオンの後継者になるためには、チャンピオンの生理や感情までも分析しなければなりません。そして、性質が似ていなければなりません。チャンピオンが虎のように生き生きとしているのに、皆さんが牛のようにのんびりしていたら、後継者になることができますか? チャンピオンが虎のような性質ならば、皆さんも虎のような性質にならなければなりません。性質が似ていなければならず、性格も似て、ものの見方も似ていなければなりません。このような大きな位置が準備されているのに、皆さんは、それに対して関心をもっていますか? 「チャンピオンに似るために、祈祷をする時には真心からしよう。これから一年間、先生の家庭を見て手本とする計画を立てよう。だれかに会った時に、あいさつを百回する人がいるなら自分は千回しよう。千回する人がいれば万回やろう」という姿勢がなければなりません。 このような実績を積んでいくならば、チャンピオンになる可能性があります。今からは皆さんなりに計画を立て、走っていかなければなりません。走るうえで、野望をもたなければなりません。発展的な勝利の野望をもたなければならないのです。 世界的なチャンピオンになろうとすれば、チャンピオンとして認定される条件がなければなりません。どんな人にも対することのできる内容を備えなければなりません。 このような観点から皆さんは、自分なりの新記録を立てなければなりません。だれでも中央舞台で記録を出そうと心に誓えば、どんな大きな山、険しい峰、絶壁、山河が立ちふさがろうとも、越えていかなければならないのです。皆さんは「私は生涯、競技場で走らなければならない人間である」と考えなければなりません。 統一教会の皆さんは、「新記録を立てる」と決心して家を離れたその日から、チャンピオンになるための訓練の過程にあるのです。ですから、必ず新しい記録を出し、皆さんの家庭が世の中で最高の家庭にならなければなりません。 統一教会の文先生は、世の中にない起源を残しました。そして、統一教会がすることは、今まで世の中の人々がなしたことのない起源になります。それゆえ、先生が手をつけたら、国家にも問題が生じるのです。先生は必ず、新しい起源をつくります。 私たちは非常に珍しく、貴重な部類の人間です。統一教会の「統」という字は、字のごとく「率いる」という意味です。「支配する」という意味です。では、支配して、何をしようというのでしょうか? 一つにしようというのです。「一つになれ」という言葉は、「新記録をもつ絶対信仰者に似なければならない」という意味です。 天の家庭になるには 今から皆さんの各家庭において、夫がマラソン選手になり、新記録を出すために全力を尽くして走れば、妻はその夫に従っていき、応援しなければなりません。このような応援者は、世の中に一人しかいません。一人ですが、世界数億の人々が応援するよりも効果があるのです。 皆さんは、多くの観衆が歓声を揚げて応援するのを願いますか、でなければ、自分の妻の応援を願いますか? 多くの人が声を揚げてする応援は、瞬間的な応援ですが、妻の応援はそうではありません。そうすることのできる応援者をもつ家庭が、天の家庭になり得るのです。そこに、息子も従い、お父さんを応援し得る、そのような四位基台が完成する時、天上天下唯我独尊となるのです。 また、自分が走る時、お母さん、お父さんまで同じく走って応援するならば、それはどんなに素晴らしいことでしょうか?世の中に羨ましく思うことはありません。世の中に、このように価値のあるものはありません。そのようにだけなれば、心情の世界は世界的に復帰されます。 このような過程を通して新記録を出し、国家的なチャンピオンになった時には、世界的なチャンピオンにもなることができるのです。このような家庭になった日には、その家庭は忠臣の家庭となるのです。「忠臣夫婦」という言葉はまだありませんが、これからはこの言葉を新しくつくらなければなりません。 ところで、皆さんの家庭は、そのような家庭になっていますか? もし、そのような家庭になったならば、村じゅうでうわさとなり、みんなが「どうやって、そのようにできるのか?」と聞いてみたくなるのです。そして、手本にしたいと思い、教育を受けたいと願うはずです。皆さんすべてがチャンピオンの家庭になり、世界の人々が「正しい」と認めることのできる家庭にならなければなりません。 今までの祝福家庭を見ると、さまざまな民族が加わっています。このようにさまざまな民族が加わっていますが、この中で皆さんの家庭が一等にならなければならないのです。そのためには、新たに、精誠を込めて祈祷しなければなりません。走り続け、優勝しなければなりません。ベルトをきつく締め、優勝とともに、新記録の栄光を受けなければならないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.25
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