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3.バーテンダー・ノート【注1】 酒を合せ、酒を扱う方に 混成酒を調合するには、まず必要な酒類、香味料、およびその他のもの一切が、ととのひいるかどうかを改めます。 壜(びん)詰の酒類、飲料水等は、特に壜のまま冷やす必要がある場合の外は、栓を抜いて、其の栓か或いは特種な栓を嵌(は)めて置きます。冷たい混成酒類を調合するには、かならず氷を用意します【注2】。氷は、あらかじめきれいに洗って清潔な器に入れて置きます。 もし、冷たい混成酒類に用いる酒類、沸騰水等を壜のまま冷却する必要ある場合はかならず用いる前に冷やしておきます。温かい混成酒類を調合するには、熱湯を用意します。もし酒類を壜のまま温める必要ある場合は、予(あらかじ)め温めて置きます。 × × 混成酒類に、生か糖水煮の果実を加える場合、その果実を切り刻むには、銀またはニッケル渡金(メッキ)をかけたナイフを用います。また、その果実を、調合器或いはグラスに挟み入れるにも、指でつままず、錆(さび)を生じない匙(さじ)、挟(はさみ)、箸などを選んで用います。 混成酒類に砂糖を混合するには、特別の場合を除く外、酒精類を加える前に砂糖の二倍の水か沸騰水を加えて溶かします。そして、混成酒類に用いる砂糖は、角砂糖、赤砂糖などと特に指定されていない限り、あくのない精製白砂糖を用います。 混成酒類に、鶏卵、牛乳等を混合す場合には、酒精分の少ないものから加えて行くか、または鶏卵、牛乳等を最後に加えます。そして、混成酒類に鶏卵、牛乳等を混合する場合は、急に、振蕩しなければ鶏卵や牛乳が豆腐のように凝縮してしまいます。 × × 壜詰の酒類を、壜のまま冷却させる場合は、氷桶(おけ)に酒類の壜を立てて入れ、周囲に岩塩を混ぜた砕(くだ)き氷を詰めて冷やします。しかしビールは、夏季でも四十度位【注3】の冷たさで結構ですから、冷蔵するよりも涼しい場所に立て並べて置けば充分です。 街のレストランやカフエ、バーなどで注文しても、壜詰のビールには、稀により冷え過ぎた無味な物を発見しません。けれども、生ビールは、往々、味は勿論、色がどす黒く変わった、ただちに下痢を起こさせるようなものが給仕されて居ります。 葡萄酒類(シェリー酒、ポートワイン等も含んでおります)は、特別な場合を除く外は全く冷やす必要がありません。そして、葡萄酒類は、上等になればなるほど、沈殿物が多い筈(はず)ですから、用いる前乱暴に取り扱うと濁って飲めなくなります。 壜詰の酒類を貯蔵するには、空気の流通する棚に臥(ね)かして積みます。かくして置けば常に栓が湿っていて蒸発が防げます。壜詰の酒類を温める必要ある場合は、桶の中に立てて微温湯をつぎ入れ、漸次熱い湯を足して行き、必要な温度に温めます。【注1】原書では、なぜか「ノート・バーテンダー」という表記になっているが、ここはより自然な「バーテンダー・ノート」とした。【注2】欧米で製氷機が発明されたのは1870年代で、BAR業界での実用化はさらに20年ほど後の1890年~1900年代と言われている。日本で初めて業務用電機冷蔵庫が発売されたのは1930年代後半といわれ、秋山氏がこの本を著した当時は、おそらくは天然氷を使った木製冷蔵庫で氷を保管する方法が主流だったと思われる。ちなみに、製氷もできる家庭用電気冷蔵庫が日本で登場したのは1950年代後半である。【注3】「四十度位」という記述は華氏表記かと思われ、摂氏に換算すれば「4.4度」となる。秋山氏がなぜ華氏で表記したのかは?である。「摂氏4.4度」と言えば、現代の冷蔵庫の中でもかなり冷たい温度で、決して、秋山氏が言うところの「(夏季でも)涼しい場所」とは思われないので、大いに疑問がある(ひょっとして誤植か?)。戦前の日本で、「華氏」表記が一般的だったとは、私はまったく知らない。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/20
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2.「カクテル」主用語について 調合器 調合器は書中、単に大きい、中位の、或いは小さい調合器と説明してありますが、これは「カクテル・セーカー」(Cocktail shaker)混成酒振蕩器、あるいは「ミキシング・グラス」(Mixing glass)混成酒撹拌器を指していっているのでありまして、鶏卵、牛乳、乳酪その他特種なものを混合す外(ほか)は、大抵は「ミキシング・グラス」の方を用い、振蕩せずに、主に撹拌して混合す場合が多いのであります。 グラス グラスは、書中には「ポニー・グラス」「ソーダ・グラス」「ハイボール」等数種より挙げておりませんが、およそグラスには次のようなものがありますから、適當に選ばれることです(注意 ハイボール・グラス、ソーダ水呑等大型のものは、切立形のうちの八オンス以上のものを選びます)。 脚付形 ポニー(Pony)利久酒用【注】 1オンス プース・カフェ(Pouse Cafe)同左用 1オンス ワイン(Wine)シェリー酒用 2オンス ポート・ワイン(Port Wine) 同左用 3オンス カクテル(Cocktail) 同左用 3オンス クラレット(Claret)赤葡萄酒用 4オンス ウイスキー・サァワル(Whiskey Sour) 同左用 5オンス メディアム・ゴブレット(Medium Goblet) ビール用中形 8オンス レグラション・ゴブレット(Regulation Goblet) ビール用大形 10オンス 切立形 ビーヤ、ゼルツェル(Beer、Seltzer)ビール、鉱泉呑 4オンス ビーヤ、サイダー(Beer、Cider)ビール、サイダー呑 6オンス ビーヤ、エール(Beer、Ale)ビール、エール呑 8オンス レモネード、ミルク(Lemonade、Milk)同左用 12オンス ブランデー&ソーダ(Brandy & Soda) 14オンス トム・コリンズ(Tom Collins) コリンズ用 16オンス 匙(さじ)の種類 匙の類は、書中では煩雑を防ぐために、大、中、小、三種の匙より用いませんでしたが、混成酒類をかき混合すための「混合匙」があり、一々大中小と探すまでもなく、大匙より四分の一小匙にいたるまで、六種位の、特に調合用の一束になった匙もありますから、より便利なものをお用いになることです。 洋酒類 洋酒類は、書中には、ありふれたものばかりを採って、平凡に調合したに過ぎませんから、なお他の異なる酒類をも採用されて、優秀な混成酒、あるいは混成飲料を調合してすすめられんことを希望します。 その他 葡萄酒類、沸騰水等は国産のものに、舶来品を凌駕(りょうが)するもの多く、醸造産出いたされおれば、かならずしも、舶来品を求め、舶来の名称ですすめられるにはあたりません。「コーザン・コッブラー」「コーザン・フロート」などには気持ちを一新する趣好かと思います。【注】「ポニー」の名は、単位の1ポニーに由来する。「利久酒」とはリキュールのこと。1ポニーは28.4ml=約30mlで、1オンスに同じ。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/19
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「カクテル(混合酒調合法)」宮内省大膳寮厨司長・秋山徳蔵編(大正13年=1924年=10月15日、東京・国際料理研究所発刊、128頁) 秋山徳蔵(あきやま・とくぞう)氏は、明治21年(1888)8月30日、福井県南条郡武生町(現・越前市)の料理屋の次男に生まれた。旧姓・高森。明治37年(1904)年、東京・麹町の華族会館料理部に就職した後、築地精養軒料理長などを歴任。明治42年(1909)、西洋料理の修業のため渡欧し、約4年間、ドイツ、フランスなどで修業を積んだ。 大正2年(1913)3月に帰国後、東京倶楽部料理部長に就任。同年6月、我が国初の本格的な西洋料理の教科書と言われる「仏蘭西料理全書」を著した。翌7月、秋山俊子と結婚・秋山家に入籍し、秋山姓に。同年10月、宮内省大膳寮厨司長に迎えられた。 宮中晩餐会の料理責任者だったこともあり、酒類への造詣も深かった。大正13年(1924)、日本初のカクテルブック「カクテル(混合酒調合法)」を出版。その後、大正、昭和両天皇の料理番を長くつとめた。昭和47年(1972)10月、83歳の時、宮内庁を依願退職。昭和49年(1974)7月14日、85歳で没。「新フランス料理全書」「料理のコツ」「味の散歩」「味と舌」「テーブルマナーのすべて」など多数の著書を残している。 【おことわり】旧かなづかい、古語的な用語・表現のうち、現在馴染みにくいものは可能な限り現代語法に直しましたが、原則として、原文の良さ・雰囲気を伝えることを重きを置いて紹介していきます。補足的な説明ができる部分があれば、末尾の【注】で紹介していきます。 なお、私の国語的能力の限界もあり、分からない部分は原文のまま紹介するほか、当時のカクテル関係の専門用語で分からないものもそのまま紹介するつもりですが、ご容赦ください。もし何かご存知の方はメール(arkwez@gmail.com)でご教示いただければ幸いです。*************************************** 1.はしがき 黄金の殿堂座にして、まさに萎(しぼ)みゆかんとするは、今のアメリカンの姿である【注】。 彼等もしかし、広大なる土に恵まりたりとはいえ、世界的な金権を把握するにいたれるまでの昔は、朝(あした)には思うがまま奮闘せんとする活発な精神を振るいおこさんがために、愉快なアルコールを必要した。夕べには、終日の勤労を癒して、新しく明日の力を培養するために、強烈なスピリットを愛した。 わけても、この混成酒は、口を極めて言えば、その調合法が、国家的に研究せられ来(きた)ったものである。わが日本酒の功徳、また大なりと言えども、時間に制限をもたなかった昔ならばいざ知らず、今人のごとく多忙な生活を営み行かねばならぬものには、それはその人々の酒量にもよるべけれど、あまりに量を多く、習慣上あまりに時間を多く過ごされば、精神を発酵せしめるにいたらない憾(うらみ)がある。 われ等は、更新の大国民であらねばならぬが、いまだ、黄金の殿堂を築くべき基礎すらも固まってはいない。大いに国威を発揚すべく、さかんに奮闘をしなければならぬ。この秋、精神を振興し、身体を強壮にするところの、混成酒の調合法を説く。敢えて徒事ならざるを信じ、烈日の下(もと)に、この「カクテル」を編む。 大正十三年八月中旬 編者誌【注】1920年代初頭、米国は第一次大戦終結後の重工業の発展やモータリゼーションの拡大で経済的好況を享受していた。しかし一方、禁酒法(1920~1933年)の施行に踏み切り、歓楽街は衰退の一途にあった。腕利きのバーテンダーたちは活躍の場を求めて、欧州に渡るしかなかった。1924年と言えば、禁酒法施行から5年目だった。「まさに萎みゆかんとするは」という表現は、禁酒法下で米国内の酒文化が衰退しつつある現状を言ったものと思われる。 なお、この本が出版された大正13年と言えば、前年の大正12(1923)年9月1日に起こった関東大震災の翌年で、東京はまだ復興の途にあった。「贅沢をやめて勤勉につとめよう」と政府が呼びかけていた時節に、秋山氏がこの「カクテル」という書を世に出すことは少々勇気が要ったことと思われるが、「(美味しい酒を飲んで)前を向いて進んでいこう」という国民へのメッセージもあったのではとは考えすぎだろうか。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/18
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カクテルというものが生まれて約200年ほど経つとも言われています。個人的な、趣味的な好奇心から、最近、カクテルがどのように発展していったのか、先人たちはどんな苦労をして今につながる近代的なカクテルを完成させていったのか、そんな歴史と背景にとても興味を持つようになりました。 そして、今から100年前、150年前にはどんな名前のカクテルがつくられ、どう飲まれていたのだろうかということを、古今東西のさまざまなカクテルブックを調べたり、カクテル関係の図書を通じて、調べているところです。 海外の古いカクテルブックは、従来から持っていた「サヴォイ・カクテルブック」(1930年刊)のほか、いくつか著名な本を探し、手に入れました。例えば復刻本ですが、世界初の体系的なカクテルブックと言われるジェリー・トーマスの「How To Mix Drink」(1862年刊)や、「カクテルの父」とも言われるハリー・マッケルホーンの「Harry's ABC of Mixing Cocktails」(1919年刊)など。 そうした本を読んでいくうちに、日本では、後に大正、昭和両天皇の料理長もつとめたことで有名な秋山徳蔵氏(1888~1974)が1924年(大正13年)10月に、日本初のカクテルブックである「カクテル(混合酒調合法」という本を著したということ、さらに少し遅れて同年11月に、現役バーテンダーであった前田米吉という方(どういう経歴かは詳細不明ですが)が「コクテール」という本を出版していることも知りました。 しかしいずれの本も現在では、古書店を探しても、古書関係のネット販売サイトで検索しても、入手がとても困難な貴重本です。「現物をぜひ見て、読んでみたいなぁ…」と願っていたところ、幸運にも、ある懇意なバーテンダーから「私はどちらも持っているからお貸ししましょう」というとても有り難い言葉を頂きました。 感謝感激です!! これらの本は、欧米でハリー・マッケルホーンやハリー・クラドック(サボイ・カクテルブックの著者)がカクテルを発展させていった1910~20年代、遠い東洋の日本でバーテンダーの先駆者たちがカクテルという新しい飲酒スタイルの分野に対して、どう向き合い、どう工夫・苦労し、どう完成させていったのかが分かる、本当に貴重な証拠資料です。 早速、少しずつですが、じっくり読んでいるところです。しかし読んでいくうちに、こうした貴重なデータは自分だけで独占していいのかと思うようになりました。プロのバーテンダーでもおそらく、名前は知っていても、現物は見たことのないという方がほとんどかと思います。以前、あるBARのマスターからも「秋山さんの本、前々からぜひ読んでみたいと思っているんですが、まだ叶いません」という声も聞いていました。 私としては、興味深いデータを自分だけで独占するのではなく、現代のバーテンダーの皆さんへ紹介したい(=貴重なデータを共有したい)と強く思いました。そこで次回から、この2冊のカクテルブックを、可能な限り忠実に紹介していきたいと思っています。 ただ、ここで問題になるのは著作権です。著作権保護の期間はご承知の通り、現在では、著作物の公表(出版)から50年、もしくは作者の死後50年です(※末尾【注】ご参考)。著作権が誰が持っている(遺族か出版社か)にもよりますが、もし著作権を出版社が持っていたとしても、2冊とも公表から50年以上経過していますので、この点はクリアできます。ちなみに2社とも、調べた限りでは現在は存在していません。 しかし著者については微妙です。前田米吉氏がいつ亡くなったのかは、現時点では情報はありませんが、秋山氏が亡くなったのは36年前の1974年です。もし、この本の著作権を秋山氏の遺族が継承していた場合、うらんかんろはあと14年間は、著作権法違反で訴えられるリスクを負います。 私としては、もしご遺族からクレームがあった場合、(1)この連載は、本が絶版になっている現状で、カクテル普及の先駆者である秋山、前田両氏の偉大な功績を後世に伝えることを願ってしていること(2)私自身は一銭の利益も得ていないこと--をお伝えしてご理解を得たいと思っていますが、万一それでも、ご遺族(あるいは出版社から著作権を継承している法人)が納得せず、法的に訴えると言われた場合はその時点で連載は中止し、過去分についても削除いたしますので、何卒ご了承ください。 連載は、なにぶん十分な時間もないので、不定期に、少しずつしかアップできないうえに、“完結”するまではかなりの長丁場になりそうです。どうかご容赦のうえ、気長にお付き合いください(また、マニアックな内容ですので、ご興味のない方はスルーしてくださいませ)。【注】著作権の保護期間は、2017~2018年の法改正で「作品公表後または作者の死後70年」に延長されました。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/17
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