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「名曲100選」 ヴェルディ作曲 オペラ「リゴレット」昨今の日本でのオペラ公演には、私がオペラを好きになった頃に比べるとはるかに人気があり、老若男女を問わず幅広い客層に支えられています。 ブームとも呼ぶべき現象でしょうか。 外来公演も年間にいくつあるでしょうか。 日本で居ながらにして世界のオペラ座引越し公演を観ることが出来ます(但し、お金に糸目をつけないという条件になりますが)。ヨーロッパなどでは小さな町や市には歌劇場があって、庶民が気軽にオペラを楽しんでいるのを出張中に何度も目にした光景でした。 今の日本のオペラ・ブームが底辺に広がるのある、しっかりと根付いていって欲しいものと望まずにはおれません。 さて、オペラと言えば「イタリア・オペラ」、「イタリア・オペラ」と言えばヴェルディ、ということになりますが、このオペラ「リゴレット」を知らなくても「風のなかの羽のように~」という「女心の歌」で有名なアリアをご存知の方が多いと思います。 第3幕で歌われるのがこの「女心の歌」なんです。物語は、イタリア・マントヴァ地方でそこのマントヴァ公爵は好色男性。 若い娘でも人妻や家臣の妻女など手当たり次第に手を出す漁色家。 その公爵に仕えているのが足に障害を持つ道化師リゴレット。 公爵を煽り立てて女を抱かせる不届きな道化師。 先日も貴族の妻のよからぬ行為に及んで、その貴族から呪いの言葉をかけられます。リゴレットにはジルダという娘が一人いて、その彼女が美人。 リゴレットの知らない間に村の若者に変装した公爵に魅せられるジルダ。好きになってしまいます。 リゴレットの行いを日頃から妬みや反感で見守っている家臣たちがいます。 その家臣たちの計略にはまるジルダとリゴレット。自分の好きな男が公爵とわかったジルダは、殺されようとしている父リゴレットの身代わりとなって殺されます。 娘の亡骸に取りすがるリゴレット。 そしてオペラの幕が下ります。見所は何といっても娘ジルダが公爵の餌食にならんとわかって歌う。リゴレットのアリア「悪魔め、鬼め!」。 このアリアがすごい。 あの貴族の呪いが自分の娘に降りかかろうとは夢にも思わなかったリゴレットの悲痛な叫びが歌われます。それに第3幕の重唱(公爵、リゴレット、ジルダ、家臣)、歌の凄さを体感できるシーンです。 それに「女心の歌」。 公爵の歌うこのアリア、名歌手による名唱はいつ聴いてもいいものです。それにまつわるエピソードがあります。 ヴェルディはこのアリアが初演後に大当たりするのを予感しており、歌手には公演前には絶対に歌ってはならぬと言い置いたのに、初演前からこのアリアが街のあちこちから聞こえてきたそうです。愛聴盤ピエトロ・カップッチル(B)、プラシード・ドミンゴ(T)エレナ・コトルバス(S) 他カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ウイーンフィルハーモニー管弦楽楽団・合唱団(グラモフォン・レーベル 4577532 1976年録音 海外盤)
2010年11月07日
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「名曲100選」 W.A.モーツアルト作曲 弦楽五重奏曲第4番 ト短調レオポルド・モーツアルトという音楽家がいます。 有名なウオルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756-1791)の父親です。 この人は「おもちゃの交響曲」という、音楽としてはあまり大した作品でないのですが、曲の途中で鳩笛やラッパ、太鼓といった子供のおもちゃが数種類取り入れられた愛らしく、親しまれている音楽を書いた人です。私が15-6歳の頃までヨゼフ・ハイドンの作曲と信じ込まれていて、レコード会社も録音・発売するたびにハイドン作曲と銘打っていましたが、学者の研究でそれは間違いで、レオポルド・モーツアルトの作品であると正当に認められています。モーツアルトの「弦楽五重奏曲 ト短調」の話に何故父レオポルドの話になるのか、とおおもいでしょう。 このト短調はレオポルドの死にすごく関連していると、今では定説となって考えられているからです。モーツアルトは父レオポルドから厳しい音楽教育を受けながら育った人で、5歳ですでに作曲をしていたと言われるほどの「神童」でした。 そしてヨーロッパをピアノでのコンサート・ツアーに出かける生活でした。父レオポルドはザルツブルグ(モーツアルトの生地)の宮廷音楽長を努めながら作曲もしていたそうです。 そして子供ウオルフガング・モーツアルトには、いずれ名のある宮廷音楽長を務めてもらいたいと願っていたそうですが、モーツアルト25歳のときにウイーンに単身出かけて、音楽家として自立を果たします。ウイーンでは生き生きとした活躍を見せたモーツアルト。 これ以降それほど回数多く父レオポルドとは顔を合わしていないそうです。 そして父の病気を知らされました。 その時に父宛に書いたのが有名な慰めの手紙です、「わたしは、数年来というもの、死という、この人間の真実にして最大の友人と、たいそう仲良くなってしまいました。死の姿は少しも恐ろしくないばかりか、むしろ心を安らかにし、慰めてくれるものなのです。 わたしは、いつでも寝床に入るたびにひょっとすると、自分は明日はもうこの世にいなくなっているかもしれない、と考えないことはありません」(1978年4月4日 モーツアルト31歳)。それから約2ヶ月後の5月28日にレオポルド・モーツアルトは68歳の生涯を閉じています。モーツアルトが書いた弦楽五重奏曲は全部で6曲残っており、ト短調として有名なこの曲は第4番にあたるものです。 これは父レオポルドが亡くなる12日前に完成しているそうで、一聴すればわかる通り、曲全体には一種独特の暗鬱な気分が、濃厚に刻まれており、おそらく父の死を予感して書かれたのであろうと言われています。「ト短調」はモーツアルトのとって宿命的な調性と言われています。「交響曲第40番」もト短調です。 共通しているのは心をえぐられるような悲壮美に満ちており、「駆け巡る悲しみ」として最高の表現ではないでしょうか。弦楽五重奏曲は弦楽四重奏にチェロ1本を加えるか、ヴィオラを加えるかですが、モーツアルトはヴィオラを選択しています。愛聴盤スメタナ弦楽四重奏団とヨゼフ・スーク(ヴィオラ)(DENON CREST1000 COCO73067 1976年録音)極めて精緻なアンサンブルで、とても澄んだ響きがすごく魅力のある演奏です。 ロココ風に表現した典雅な演奏スタイルが、よりいっそう哀しみを訴えてきます。
2010年11月06日
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「名曲100選」 ファリャ作曲 バレエ音楽「三角帽子」マヌエル・デ・ファリャ(1876-1946)は近代スペイン音楽の門戸を開いた功労者だと言われています。 先輩作曲家のグラナドスやアルベニスは、スペインの民族音楽をほぼそのままの姿で使っていたのですが、ファリャは、ハンガリーのバルトークの様に自国の民謡・民族音楽・土俗的な舞踊音楽などをフレームにして、それら土着音楽の精髄を活かして音楽を書いた人でした。 ファリャとグラナドスやアルベニスの音楽を聴き比べると、ここに私が書いた違いが自ずとお判りになると思います。 その点が「近代音楽への功労者」と呼ばれる所以だと思います。ロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフが、ファリャの出世作バレエ音楽「恋は魔術師」の成功のあとにバレエ音楽を委嘱してきました。 「スペイン丸出しの音楽」という条件付です。この「三角帽子」は見事に当たり。 ファリャの名前が世界的作曲家として通用するようになりました。ディアギレフの要請「スペイン丸出し」の姿が、音楽冒頭から始まります。 ティンパニーが強く叩かれ、鮮やかなカスタネットの響きに乗って「オーレ! オーレ!」という掛け声がこだまして、メゾ・ソプラノの悩ましげな歌声が響いてきます。 この曲の開始から聴衆はスペインの大地に放り投げられます。 ディアギレフの意図に見事に応えた開始音楽です。このように全編にスペイン音楽が溢れており、ムンムンするような熱気さえも伝わってくるような、強烈な音楽となっています。 第1部、第2部と分かれていますが切れ目なく演奏されます。スペイン・アンダルシア地方を背景にした物語で、ぶ男だが働き者の粉屋には大変美しい女房がいて、夫婦は仲良く暮らしています。 そこへ好色な代官がその女房に目をつけて我が物にしようと企みます。 気丈な女房と粉屋が村人の助けでこの好色代官をやっつけてしまう、というストーリーです。約40分足らずのバレエ音楽です。愛聴盤シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 コレット・ポーキー(S)コゲット・トゥランジョー(メゾ・ソプラノ)(DECCA原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCD50071 1981年録音)ラテン的な色彩が全編に散らばっている、この「色彩美」がたまらく美しい演奏です。30年ほど前の録音ですが、今でも優秀録音でとおる素晴らしいディスクです。
2010年11月03日
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「名曲100選」 グラズノフ作曲 ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品82アレクサンドル・グラズノフ(1835-1936)は、近年その交響曲全8曲(9曲書いているが第9番は未完)が録音・リリースされて来て話題にのぼるロシア帝政時代からソ連への時代の作曲家ですが、まだポピュラーな人とは言えません。しかし1904年に書かれたこのヴァイオリン協奏曲は実にいい。 極めて親しみやすい曲です。 この音楽はもっと演奏され愛好されていい筈なのに、録音も非常に少ない。 ハイフェッツやミルシティンなどの録音が目立つのみです。20世紀に入って書かれた曲ですが、濃厚に19世紀の面影を残しており、チャイコフスキーの協奏曲を小型にして、もっと洗練させた感じの、チャイコフスキーよりもスマートになった趣があります。 ヴァイオリンの特質をよく知っており、その美質を充分に活かした民族的な旋律を駆使して親しみやすい音楽にしており、ロシアの民族音楽が全編に覆われており、それが華やかにそして哀愁を込めて語られる様がとても美しい曲で20分ほどの演奏時間。CDでは何故かトラックは1つで全楽章(と言っても2楽章しかありません)までを切れ目なく収録しています。 そういう曲なんでしょうね。第1楽章 モデラート三部形式でアンダンテが中間部にあり、極めて旋律的な音楽でロシア民謡風のメロディがたまらなく郷愁を誘います。第2楽章 アレグロ金管楽器で爽やかな夜明けを告げるような旋律で始まります。 それをソロヴァイオリンが復唱するかのように反復します。 ここがとてもきれい。 中間部のテーマがリズミカルになるのが印象的。 コーダとして書かれた音楽が実に魅力的。 独奏ヴァイオリンがロシアの楽器バラライカを模して演奏される旋律がとても魅力的です。愛聴盤アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)ムスティラフ・ロストロポーヴィチ指揮 ワシントン・ナショナル交響楽団(エラート原盤 BMGジャパン R32E-1089 1988年録音 廃盤)ムターのエラートへの録音という珍しい盤。 ヴァイオリンを分厚く唸らせてロマン一杯の情緒を振りまいています。 たっぷりとレガートを効かせており、ポルタメントの味わいは筆舌に尽くし難いほど。 むせるように、切ないくらいに歌っており、その豊かな響きに圧倒されます。 このディスクが廃盤とは。 いずれグラモフォンで再録音して欲しい作品です。
2010年11月02日
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「名曲100選」 ベートーベン作曲 ピアノ・ソナタ第14番 「月光」ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン(1770-1827)は生涯を独身で過ごした作曲家でした。 一度も結婚をしたことがありません。 だからと言って女性嫌いではありません。それどころか彼の周りに現れる女性といつも恋に落ちていたようです。結果は悲惨に終わっても。名前を挙げるとヨゼフィーヌ・ダイム、テレーゼ・フォン・ブルンズウイック、テレーゼ・フォン・マルファッティ、アマーリエ・ゼーバルト、ドロテーア・エルトマン、アントニエ・フォン・ブレンターノ、それにジュリエッタ・グルチャルディなど、ベートーベンの死後発見された「不滅の恋人」への手紙三通の候補者たちです。恋に落ちていなければ暮らしていけないほどのロマンスがそのたびにあったのでしょう。これらの女性たちとのエピソードで有名なのは、ジュリエッタ・グルチャルディとのロマンスです。 彼女はベートーベンのピアノの弟子の一人でした。 彼はジュリエッタに熱烈な恋心を抱き、彼女のほうも満更ではなかったようです。 とうとう結婚する気になったベートーベンは彼女に告白しますが、貴族の令嬢と街の一介の作曲家・音楽家の結婚など当時の常識ではとても認められない話で、彼女の父の猛反対にあってこの話は壊れてしまいました。この恋愛中に(ベートーベン 30歳のとき)生まれたのがピアノソナタ第14番 嬰ハ短調でした。 後になって「月光」と名付けられた作品です。 ベートーベンはこの幻想的なソナタをジュリエッタに捧げています。夢幻的で幻想的な佇まいの第1楽章、愛らしく典雅な表情の第2楽章、情熱的で激しい恋の炎がメラメラと燃えているような激しい感情の吐露を表すような第3楽章。 ここにはジュリエッタへのベートーベンの愛の吐露が充分に表現されているようです。この第14番のソナタが何故に「月光の曲」と呼ばれるようになったのでしょうか? 後世の詩人レルシュタープという人がこの曲について、「あたかもルツェルン湖の月光を浴びながらたゆとう小舟のようだ」と表現したことから生まれたと言われています。ベートーベンの32曲のピアノ・ソナタ中でも屈指の名曲です。愛聴盤マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)(グラモフォン・レーベル 453 457-2 2001年5月録音 海外盤)バックハウス、ルプー、ギレリスなどの盤を聴いていたのですが、2001年のこの新しい(再録音)の透明感に溢れるピリスのピアノに魅かれています。
2010年11月01日
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「名曲100選」 シューベルト作曲 歌曲集「美しき水車小屋の娘」フランツ・シューベルト(1797-1828)によって音楽史上で初めて書かれた「連編歌曲集」という、曲集全体が物語性を持っており、音楽もまとまりを持っている歌曲集のことを指して呼ばれるもので、後年シューマンが書いた歌曲集「女の愛と生涯」に受け継がれています。夢みたものは ひとつの幸福ねがったものは ひとつの愛山なみのあちらにも しづかな村がある明るい日曜日の 青い空があるこれは叙情詩人 立原道造の「夢みたものは・・・・」という詩の書き出しです。 25歳で早世した立原道造は、感性豊かに青春の哀歓を繊細な感覚と表情で詩を謳い上げています。 この叙情詩人とシューベルトが、私には重なって見えるときがあります。シューベルトは31年という短い生涯に600を超える歌曲を書き残しています。 青春の喜び、楽しさ、悲しさ、哀しみ、寂しさなどを瑞々しい感性で書き残された歌曲で、そこに立原道造へのイメージが重なる所以があるのかも知れません。1823年、シューベルト26歳のときに友人ラントハルティンガーを突然に訪問しました。 友人は不在でした。 しばらく待っていたのですが戻ってきません。 その時に友人の机に置かれていたのがミュラーという詩人の詩集でした。 その詩を読んでいるうちにすっかり魅了されてしまい、もっとじっくりと読みたい衝動に駆られて友人には無断で自宅へ持ち帰りました。シューベルトにはこの時にすでに歌曲の旋律が流れ出していたのでしょう。 そして一気に書き上げたのがこの歌曲集「美しき水車小屋の娘」でした。 シューベルトをそれほどに魅了した詩人ミュラーは、シューベルトより3つ年上のドイツ後期ロマン派の詩人で、彼も早世でした。 シューベルトが亡くなる前年1827年に生涯を閉じています。 後の歌曲集「冬の旅」もミュラーの詩によるものです。帰宅した友人がミュラー詩集をシューベルトが持ち帰ったと知り、返してもらおうと翌日シューベルト宅を訪れてみるとすでにこの詩集による歌曲が数曲出来上がっていた、という逸話まで残っているそうです。物語は、水車を使って村人に製粉を行う若い職人が主人公で、これまで修行をしてきた親方のもとを離れて遍歴の旅に出たところ。 遍歴は中世以来ヨーロッパのギルド制度の中で職人が一人前になる過程の一つだったそうです。 ある親方に奉公して技術を身につけた職人が独立して自営するためには、どうしても通らねばならない道であったようです。 この歌曲集の青年主人公もそうした一人でした。遍歴の旅に出た青年はこの水車小屋に働くようになり、そこの娘に恋をするようになります。それは若者を奮い立たせる恋でした。 しかし狩人が現れて娘に裏切られ恋に破れ、この青年は失意のまま小川に身を沈めてしまうという話です。これを20編の歌曲に仕上げています。 「冬の旅」のような暗鬱さは全くありません。 若者が「小川」に語りかけるという独白のような形で音楽が進みます。 その「小川」に対して若者は、恋の甘い喜び、娘のこと、憧れなどを語っていきます。 「小川」も語りかける若者を励まし、元気づけます。それらがシューベルトらしいこんこんと湧き出るかのような美しい旋律に乗って、若者の心が陰影深く、細やかに歌い上げられていきます。「小川」のせせらぎを描写する音楽は終始16分音符によって刻まれており、その一貫した音楽的なイメージによって歌曲集全体に抒情的な統一性を与えているようです。曲全体を大雑把に形容しますと、20曲中前半の11曲までが明るく、若者らしい恋の喜びを上昇気分で表現しており、後半は入水するまでを下降気分で書かれており、これは見事な情念の山と言えるでしょう。演奏時間が約60分の大作歌曲集です。愛聴盤ヘルマン・プライ(バリトン) ピアンコーニ(ピアノ)(DENON CREST1000 COCO70937 1985年録音)明朗な表現で若者の甘く悲しい物語を率直に歌っています。 技巧的なところがなくて淡々と自然に物語の中に聴き手を溶け込ませる演奏です。
2010年10月30日
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「ダイナコ A25X」もう35年くらい前になるでしょうか、オーディオ・ファンに信頼をされて人気のスピーカー装置がありました。 JBLでもタンノイでもない、「dynaco」(ダイナコ)というデンマーク製のスピーカー。 そして最も人気があったのがA25、A25Xという装置。 そのA-25Xが我が家にやって来た。 これまで20年余り使っていたONKYOのスピーカーのウーファー・エッジ(樹脂製)が右・左の装置ともにひび割れてしまった。 勿論音に酷い歪が表れて聴ける状態でなくなってきました。 もう今更新品のスピーカー装置を捜し求めて電気街を歩き回る根気もなくなって、しばらくの間は音楽から遠ざかっており、ブログで音楽記事を書いて満足していたのですが、PCもダウン。 あ~、何やら呪われているのかな、おいおいカメラまではやめてくれよな、という気分になっていたところに近所のクラシック音楽好き、アーディオ・マニアから声がかかり、本当に「ダイナコ A25X」がやって来た。勿論、中古品。 そのマニアの知人から「売って欲しい」と頼まれたそうな。 早速我が家に運んでもらって聴いています。今までのONKYOに比べると格段に音が違います。 音像はすごく明瞭で、バランスがとてもいい。 まだ小型の部類に入るので交響曲や管弦楽曲などには無理を言えませんが、それでもワイド・レンジがすごく広がり、奥行きが深くなって聴こえます。今は試聴期間中ですが、室内楽がとてもいい。 左右いっぱいに広がる弦の響きがとても心地良いのです。秋の夜長を音楽で楽しんでいます。このスピーカー装置です。2wayバスレフ型25cmウーファーと高域を切り替えるSWが裏面に付いています。インピーダンス 8Ω最大入力 35W能率 88dB
2010年10月29日
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「名曲100選」 チャイコフスキー作曲 交響曲第6番 ロ短調「悲愴」「哀愁」とか「哀しげに」にとか「悲しい」とかの代表的な音楽作品の筆頭となる交響曲。 この曲を聴いて楽しくなる人はいないでしょう。感動はするけれども決して楽しくなることはない曲。 心で感動しても「ハッピー」とは言えない曲。 「悲しみ」の「慟哭」の中に放り込まれたような気分を覚える曲。管楽器が物哀しい調べ、鬱蒼とした旋律を謳い、ブラスが時には吼えるがこれもハーモニーの厚い憂愁の流れを歌う。 弦楽器はまるでうねる様に悶え、すすり泣き、時には慟哭のような哀しみを謳う。 終楽章の哀しみは限りのない程に心に迫ってくる。 ここにはモーツアルトの疾走する悲しみがなく、立ち止まり嗚咽を挙げて泣くチャイコフスキーの悲しみが刻まれている。 この曲を初めて聴いたのが確か中学2年生頃だったと思う。 何の予備知識もなくていきなり30cmLP盤を買ってもらって聴いたのが最初。 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のフィルハーモニア管弦楽団のモノラル録音のLPだった。 コロンビア・レコードだった。 今から思うと何故カラヤン指揮の録音がコロンビアだったのか不思議。 まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく聴き終わって「哀愁」、「悲しさ」の美しさに圧倒された曲。その前に買って聴いていたのがドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」(ヴァツラフ・ターリッヒ指揮 チェコフィル盤)だったから、両曲の落差はひどかった。 心に圧倒的に迫ってくる「哀しさ」。特に終楽章の、悶えに悶えている表情は忘れがたい音楽だった。その前の第3楽章のマーチ風の怒涛のような物凄い迫力ある音楽の推進に息を呑まれるように聴き入っていたから、この終楽章の「すすり泣く」ような音楽はいっそう心に残る音楽だった。そして、その感動は今も変わっていない。同じです。 14歳の頃に聴いた聴感がそのまま今も変わらずに生きています。 チャイコフスキーの「白鳥の歌」となった最後の作品。 およそ120年前の1893年の今日(10月28日)、チャイコフスキー自身の指揮でロシアのペテルブルグ(現在のサンクト・ペテルブルグ)で初演されています。初演は不評だったそうです。それは聴衆にとってあまりにも型破りなスタイルの交響曲であり、あまりにも「悲しみ」に満ちた曲であった為と言われています。 しかし、この初演から9日後にチャイコフスキーが亡くなっています。当時の帝政ロシア下の貧困と病気の蔓延に嘆く人民の心情だったのか、絶望的な生活の悲惨さを嘆いた音楽であり、それがチャイコフスキー自身が副題として掲げた「悲愴」の意味なのでしょうか? いずれにしても「悲愴」という言葉は尋常ではありません。 まさにチャイコフスキーの「嘆きの歌」であり、人一倍病的と言われた内気で、憂鬱な神経質な性格の彼が貴族の甥との同性愛に疲れ果てた結果の音楽なのか? そういった詮索を受け付けないほどに曲は美しい「悲しみ」「哀愁」に溢れた音楽を湛えています。 チャイコフスキーの死後ようやく人々はこの音楽を理解できたのでしょう。再演されたこの曲を聴いた聴衆からすすり泣きが漏れていたそうです。 愛聴盤フェレンツ・フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック POCG1957 1959年録音)カラヤンの64年録音盤、ムラヴィンスキーの60年と82年録音盤、バーンスタインの86年録音盤などを主に取り出して聴いていますが、このフリッチャイ盤ほどに熱く演奏された録音盤を知りません。 音の一つ、一つに情熱と哀しみを込めた渾身の演奏は50年を経た現在でもこれほどの演奏を聴かせてくれる指揮者は稀有と言っても過言でない記念碑的な人類の遺産だと思います。弦楽器の呻る様な表情、寂しげな木管の響き、厚いブラスのトーンもほの暗く、全楽章を通してチャイコフスキーの嘆きが聞えてきます。多くの人に聴いていただきたい演奏です。
2010年10月28日
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PCの液晶画面に不具合が生じておりメーカーで機会の不具合と診断されました。 現在は復旧しております。 それで10日間ほど休んでおりました。また続けて行きますのでよろしくご愛顧をお願い致します。
2010年10月27日
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「名曲100選」 シューベルト作曲 ピアノ五重奏曲 「ます」ベートーベン(1770-1827)は残された肖像画によれば闘志が全面ににじみ出た顔・容姿をしていますが、フランツ・シューベルト(1797-1828)はものすごくおとなしそうな、気弱な性格であったろうと想像される顔つきです。ベートーベンはあんないかつい顔をしていましたが、女性とのロマンスには事欠かない人でしたが、シューベルトはそういうロマンスめいたことも残されていないし、結婚もせずに若き生涯を終えています。またシューベルトはお金にも縁がなかったようです。 メンデルスゾーン(1809-1847)のように銀行家の御曹司で裕福な作曲家もいましたが、モーツアルトやシューベルトは「貧しい」作曲家だったようです。 シューベルトが亡くなって遺産の整理をすると、身の回り品が残っているだけで葬儀代にも困ったようでした。そんなシューベルトですが、友人には恵まれていたようです。「シュベルティアーデ」と呼ばれた親しい人たちとの「サロン・コンサート」は、シューベルトの心を和ませる貴重な、楽しいひと時を過ごせる時間だったのでしょう。 この「シュベルティアーデ」で彼が作曲した歌曲や室内楽・器楽曲などが演奏されたと言われています。そんな友人の中にフォーゲルというバリトン歌手がいました。 ウイーンで第一級のオペラ歌手だったそうです。 そのフォーゲルとシューベルトの交際が、シューベルト20歳の頃からある友人の紹介で始まったと言われています。 オペラ歌手としては第一線を退いてからは、シューベルトの作曲する歌曲を歌い、ウイーンに広めていったそうです。シューベルト22歳の1819年に、フォーゲルの故郷に避暑を兼ねて演奏旅行にやってきました。 この町には音楽好きが多かったそうです。 シューベルトが書いた歌曲をフォーゲルが歌い、曲の美しさ・楽しさをフォーゲルが満喫させてくれるという好評の演奏会だったそうです。その時に町の音楽愛好家から「アマチュア音楽家が弾いて楽しめる曲を書いて欲しい」と依頼をされました。 それがこの「ピアノ五重奏曲 イ長調 ます」です。 第4楽章に以前書いた歌曲「ます」の旋律を使っていることから俗に「ます」と呼ばれています。この歌曲「ます」は小川を矢の様に泳ぐ「マス」の美しさを歌うのですが、心ない釣り師によって無情にも釣り上げられてしまうと曲です。この五重奏は全編にわたって溌剌とした楽しさと幸せな気分に包まれており、シューベルトgこの町で屈託のない時間を過ごしたのだろう、ということが容易に想像できます。 とにかく幸せで、陽気で、楽しく、爽やかな雰囲気の室内楽の名品です。愛聴盤(1) エマニュエル・アックス(ピアノ) ヨー・ヨー・マ(チェロ) パメラ・フランク(ヴァイオリン) レベッカ・ヤング(ヴィオラ) エドガー・メイヤー(コントラバス)(ソニー・クラシカル SK61964 1995年録音 海外盤)息の合った演奏家が寄り集まって楽しげに弾いているという雰囲気に溢れた、実に幸せそうな演奏。 それがジャケット写真からでもわかるほどの楽しさにあふれたシューベルト。(2) アルフレッド・ブレンデル(ピアノ) クリーヴランド弦楽四重奏団 (Philips原盤 420 907 1977年録音 海外盤)こちらは一転、ブレンデルのピアノが全編に活躍しており、クリーヴランドの緊密なアンサンブルがそれに応える、教科書通りとでも言えそうな演奏。 しかし、実に巧い。
2010年10月15日
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「名曲100選」 ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」ベートーベンが57歳で亡くなったのが1827年、その翌年1828年にシューベルトが亡くなっています。 今日の話題の「幻想交響曲」はベルリオーズによって、これら先人の偉大な作曲家の死後からのすぐの1830年に書かれています。 このことが凄いことなんです。何が「凄い」のか? 彼がこの曲を書くまでは絶対音楽の象徴のような存在だった交響曲に、標題と物語性を表したことです。 音楽史上、交響曲を「標題音楽」とした最初の作曲家で、現代でもオーケストラ作品として最も人気の高い曲の一つです。この曲を書いた当時、パリ(彼はフランス人です)にシェイクピア劇を公演する劇団が英国から訪れていて、彼はその劇団の花形女優ハリエット・スミスソンに強烈に恋心を抱いたのですが、彼女からは鼻もひっかけてもらえぬままにパリから劇団は次の公演地に行ってしまって、ベルリオーズは失恋をしました。その時の失恋感情を音楽に表したのが、1830年に完成した「幻想交響曲」です。 ある芸術家が恋に狂い、失恋して人生に飽きてしまってアヘンの毒物自殺を図るが、致死量でなかったので重苦しい夢を見て異常な幻影に悩まされてしまい、その幻影の中で常に現れるのが「固定観念」のようになった恋人の旋律である、と彼自らが書残しているように、この曲は「ある芸術家の挿話」と副題が付いています。第1楽章 「夢と情熱」 狂おしい恋の情感を描いており、ここで表れる「恋人の旋律」は以降の楽章にも出てきます。第2楽章 「舞踏会」 華やかなワルツの調べで舞踏会に現れてくる恋人を予感しています。 交響曲にワルツを用いる発想がベルリオーズの異才たる面目躍如といったところでしょうか。第3楽章 「野の風景」 夏の夕暮れに田園で休む芸術家の胸によぎる恋人の姿。 雷鳴と孤独が暗い将来を暗示しています。第4楽章 「断頭台への行進」 とうとう彼は彼女を殺してしまい、処刑場へ進むさまを描いています。 ここでの行進もあくまでも不気味です。 ギロチンの降りる前にちらっと恋人が脳裏をよぎるかのように「恋人の旋律」が現れます。第5楽章 「ワルプルギスの夜の夢」 彼を弔う魔女の饗宴の模様がグロテスクに描かれています。 審判の鐘と魔女のロンドが交錯するフィナーレです。これほどの曲をベートーベンの死後3年ばかりで書いたベルリオーズはやはり「鬼才・奇才」なのでしょう。 この曲を聴いたリストが交響詩を創始するきっかけになったと言われています。ちなみにこの曲の成功で、ベルリオーズはやがてスミスソンと結婚することができたのですが、二人の生活は10年くらいで破綻をして、その後ベルリオーズは2度結婚しますが妻に先立たれて、最後は一人寂しく67歳の人生を終えたそうです。愛聴盤 (1) チョン・ミュン・フン指揮 パリ・バスティーユ管弦楽団(ドイツグラモフォン UCCG70062 1993年10月録音)どのフレーズにも輝かしい生命力が感じられて、生き生きとした音楽の精彩が始まりから終わりまで一貫しており、所謂楽譜が透けてみえるという演奏で、熱に炙られる若き芸術家の心情を見事に音で表した演奏。 不滅の名演奏のシャルル・ミンシュの豪快なスケールとフランスらしい明るさと輝きのある録音盤とは、少し違う趣きがあるミュン・フュンの素晴らしい名演奏だと思います。(2) シャルル・ミュンシュ指揮 パリ管弦楽団(EMI原盤 EMIジャパン TOCE14001 1967年録音)LP時代から聴き親しんだ盤。 燃焼度の高さでは聴いたこの曲の中ではピカイチの演奏。 ミュンシュとパリ管弦楽団の録音が、この曲とブラームスの交響曲第1番のみとは非常に残念。(3) ジャン・マルティノン指揮 フランス国立管弦楽団(EMIレーベル 517 6542 1973年録音 海外盤)爽やかさとどろどろとした感じがないすっきりとした演奏。 マルティノンの遺産。
2010年10月14日
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「名曲100選」 リスト作曲 ピアノ・ソナタ ロ短調フランツ・リスト(1811-1886)は数多くピアノ曲を書き残していますが、ピアノ・ソナタはこの1曲だけのようです。 その理由は定かでないようです。リストを語る時には必ずといっていいほど名前が出てくる一人の女性、カロリーネ・フォン・ザイン・ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人です。 リストはこの女性と音楽史に残る大恋愛を繰り広げています。 彼女と出会った当時のリストは、ヨーロッパ中を演奏旅行をして華麗な技巧をを披露するピアニストでした。 その頃は作曲家としてでなくピアニスト、フランツ・リストだったようです。侯爵夫人との恋愛が進むにつれて、ピアノを弾くことよりも作曲をしきりに勧めたのが、この侯爵夫人であったと言われており、二人の愛の城でリストはさかんにピアノ曲を書くようになっていったそうです。もう一つは、ヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(1782-1840)の超絶技巧演奏を聴いて、自分もピアノ曲で誰も書いていない超絶技巧を要するピアノ曲を書こうと思い立ったとも言われています。 今日リストが書き残している音楽の数々を聴くたびに、この二人に我々は大いに感謝しないといけないかも知れません。こうして生まれ出る作品は、リスト自身のピアノ演奏で初演されていき、その華やかで技巧的な音楽がいっそうリストのピアノ演奏を引き立てたと言われています。この「ロ短調」ソナタを、私が初めて聴いたのはもう40年前くらいの学生時代でした。 誰の演奏だったか覚えていないのですが、音楽が鳴り出すと私は「え、これがピアノ・ソナタ?」と首をかしげていました。 それまでのモーツアルト、ベートーベンのような古典派音楽、シューベルト、シューマン、ブラームス、ショパンなどのロマン派のピアノ音楽とは違うのです。それまで聴いていたピアノ作品は美しい旋律に彩られており、古典派なら造型のしっかりとした様式の上に、流れるような美しい旋律が散りばめられており、ロマン派のピアノ音楽は自由な発想と共にロマンティックな情緒の華麗・流麗・哀歓・哀愁といった趣きが、どれも美しい旋律と共に楽しんでいたのです。ところがこの「ロ短調」ソナタにはそうした過去のピアノ音楽の美しさを感じ取れなくて、大いに当惑して聴いていましたが、結局好きになれないピアノ・ソナタの最右翼となっていました。初演当時の「支離滅裂な断片的な要素がつなぎ合わされたピアノ・ソナタ」の批評がわかるような気がして、ワーグナーが「あらゆる概念を超越して美しく、崇高な音楽」であると評した言葉を理解できなかったのです。社会人になって確かアラウの演奏だったと思いますが(LP盤)、改めて聴いてみてやっとこの曲の素晴らしさを理解できるようになったのです。古典的なソナタの概念から相当かけ離れた曲であること。 この曲が「幻想風ソナタ」とか「幻想曲」とかのタイトルになっていれば、もっと聴き方も変わっていたかも知れません。 普通のソナタのように旋律的な主題があって、それが展開されていって再現部に入ってコーダで終わるという形式からすれば、随分と複雑な音楽であることが聴き手を混乱させるのかも知れません。断片的な主題の要素が多彩に変容していきます。 ゆっくりとした断片的な楽句、爆発するようなエネルギッシュな楽句、そして小刻みに刻まれる和音といった断片的な楽句によって、単一楽章という形式ながら、全編のなかで主題、展開部、再現部という様式によってこれらの楽句が統一されているのです。一度この曲の美しさに触れてしまうと、これらの複雑さを意に介せずに聴けるようになり、キラキラ輝くクリスタルのような肌触りのリスト独特の硬質なピアノの音色を、多彩に変化していく様とピアノの技巧的な魅力を発見します。 今ではリストのピアノ音楽の中で一番好きな曲となっています。愛聴盤 (1) クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)(ドイツ・グラモフォン 431780 1990年録音 海外盤)この演奏でも下に書きましたアルゲリッチと同じように、ツィマーマンの指の動きに圧倒されます。 明瞭に鳴らされる音、粒立ちの見事さ。 音が最強になっても決して粗さを感じさせない見事なコントロール。 ぺダリングの上手さにも驚きます。 実に透明な音となって響いているのです。 表情はダイナミック、スケールの大きな「ロ短調 ソナタ」です。18歳でショパン・コンクールで優勝した15年後の33歳の演奏・録音です。(2) マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(グラモフォン原盤 456 703-2 1960年録音 海外盤)燃焼度の高く強烈な個性を輝かせるアルゲリッチの演奏は他のピアニストの音の響きも違うようです。力強く、時には透明度の高い、粒立ちが最高に磨き抜かれ奔放なまでの自在さ、他の追随を許さない技巧に圧倒されます。(3) マウリッツィオ ポリーニ(ピアノ)(グラモフォン原盤 456 937-2 1988年録音 海外盤)「20世紀の偉大なピアニストたち」の1枚 現代最高のピアニストとして人気の高いマウリツィオ・ポリーニ。幅広いレパートリーで演奏や録音を行なうポリーニの名演。この曲を健康的な雰囲気に包んで、明るく爽やかに聴かせてくれます。またぞくっとするような冷たさ、肌触りを感じさせるところもあり、とても知的に響くところがあります。精緻に扱われたピアノが生み出す魅力を堪能。(4) クラウディオ・アラウ(ピアノ)(Philips原盤 456 709-2 1970年録音 海外盤)これも「20世紀の偉大なピアニストたち」の1枚 アラウの特徴は,やはり明晰で豊潤な音色でしょう。左手と右手のバランスが絶妙に聴こえてきます。低音が明瞭に聴こえてくるので、音楽の構造が非常に安定感あるもの聴こえてきます。そのためロマン派の流動美が極めて出色の音色となっています。
2010年10月13日
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「名曲100選」 グローフェ作曲 組曲「グランド・キャニオン」テンガロンハットを被り、鹿皮服を着た粋なクリント・イーストウッドが、馬上で短くなった細い紙煙草を口の端に咥えている。彼の足元には断崖が鋭く切り立っていて、遥か下にはコロラド川の急流が流れている。空はどこまでも澄んで青く、朝の太陽の陽射しが深い渓谷を光と暗を分けている。陽射しの当たる渓谷は金色に輝き、その反対側は暗い闇の様。馬上のクリント・イーストウッドのシルエットが美しい。アメリカの作曲家ファーディ・グローフェ(1892-1972)の書いた組曲「グランド・キャニオン」の第1曲「日の出」を聴くたびに、こういう西部劇シーンを想い起こします。 アメリカを代表するアメリカらしい風景に、ナイヤガラ瀑布とコロラド峡谷のグランド・キャニオンがあります。 グローフェはそのコロラド峡谷を音楽で描いたのが組曲「グランド・キャニオン」です。アメリカ南西部アリゾナ州にある国立公園。 世界の七不思議の一つ。ロッキー山脈から流れ出たコロラド川が数百万年の長い間侵食作用を起こして出来た峡谷です。 長さ450キロ、深さ1500メートル、幅は6km-28kmまである、とてつもない自然が創り上げたスケールの大きな峡谷。 地層は堆積年代ごとに色が変わり、陽射しによって輝くさまは神秘的です。 30年ほど前に、仕事の出張で訪米した際に訪れてその途方もない規模と美しさに声も出なかったことが思い出されます。この曲は、その大峡谷を5つの風景で紹介しています。 「日の出」「赤い砂漠」「山道を行く」「日没」「豪雨」という風景の順で描写されています。 これら5つの風景をまるで画家のように実に色彩豊かに描いています。 ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」をオーケストラ版に編曲したグローフェ。 ここでも変わりいく風景を、色彩感と迫力いっぱいに描いています。 「豪雨」では、多彩さ、迫力の凄さで、昔からステレオ録音の優秀さを競う格好の音楽となっています。 この「グランド・キャニオン」を聴いて昔、目の前に広がった光景を思い出しながら、しばし「大峡谷」に遊ぶことにしようと思います。愛聴盤 アンタル・ドラティ指揮 デトロイト交響楽団 (DECCA原盤 ユニヴァーサルクラシック UCCD5049 1981-82年録音)DECCA特有のピラミッド型に広がるダイナミックレンジがひろく、奥行き感も深い超優秀録音盤で、移り変わる大渓谷の表情を見事にとらえています。
2010年10月12日
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「名曲100選」 ベートーベン作曲 ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン(1770-1727)は凄いピアノ演奏の名手であったそうな。この曲の作曲当時はウイーンに居たのですが、その頃彼のピアノの名技はヨーロッパ中に広く知れ渡っていたそうです、 彼に対抗できるピアノ演奏家は皆無だったと言われています。 こんなエピソードがあります。ヒンメルという名ピアニストがいました。 そのヒンメルがベートーベンに即興演奏の腕比べをしたのですが、相当長く時間をかけてヒンメルは演奏をしていたのですが、ベートーベンはそれを聴いていて「ところでヒンメルさん、いつピアノをまともに弾き始めるのかね?」と言ったそうです。 そんなピアノの名手ベートーベンは、このピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」を1809年に完成しています。 その頃はすでに第1番~第6番の交響曲や4曲のピアノ協奏曲、それにおよそ26曲のピアノソナタを書き上げています。作家ロマン・ロマンに言わしめた「傑作の森」にあたるベートーベン中期の作品で、まさに彼の「怒涛の時代」の中の1曲です。「怒涛の時代」と言えば、ベートーベンはウイーン時代に2度の戦火に遭遇しています。 1805年と1809年のナポレオンのウイーン侵攻です。ベートーベン35歳から40歳にかけての時代でした。 特に、1809年の戦火はオーストリア軍がひるまずに迎え撃つことになったので、ウイーンは相当な破壊があり、ナポレオン軍占領という事態になりました。時の貴族たちは我先にとウイーンを逃げ出したのですが、ベートーベンは踏みとどまりました。 彼のパトロンの一人ルドルフ大公も他の貴族たちに漏れず、ウイーンを逃げ出した貴族の一人でした。 ルドルフ大公のウイーン脱出を悲しんで書かれたのがピアノソナタ第26番「告別」だという説もあります。この「皇帝」協奏曲はその戦火の最中に書かれており、そんな悲惨な状況の中でも悠揚迫らぬ、雄渾で骨太のスケールの大きなピアノ協奏曲が生まれているのです。ピアノ付き交響曲、あるいはピアノ交響曲と呼んでもおかしくないくらいに管弦楽パートが実に充実した交響的な響きを持ち、ピアノ部もそれに負けない強靭な音を響かせています。 ナポレオン軍の侵攻を思わせるような軍隊行進曲的なところもあり、それは戦争を描こうとしたのではなく、人類の博愛と人間解放を強く願うベートーベンの強靭な精神の表われだろうと思います。 戦火の中にあってもまさに「雄渾無比」なる音楽を鳴り響かせるベートーベンの作曲への執念、作品に没頭する集中力など、その偉大さに感銘を覚えます。第1楽章冒頭からいきなりピアノのカデンツァが入るところなどは、まさに画期的な作曲手法で、後のシューマンやグリーグのピアノ協奏曲にもそれが見られます。 それにカデンツァは当時はピアニストの即興演奏だったのが、ベートーベンはきっちりとそれを書いて全曲の統一を表現しています。尚、「皇帝」という副題はベートーベン自身が付けたものでなくて後につけられたもので、まさにあたりを払うかのような、威風堂々とした豪壮で雄渾な曲想、楽想から付けられたものなんだと思います。この曲のウイーン初演では、ベートーベンが指揮棒を握り彼の直弟子チェルリーニが独奏ピアノを受け持ったそうです。愛聴盤(1) ウイルヘルム・バックハウス(ピアノ) シュミット=イッセルシュテット指揮 ウイーンフィルハーモニー(DECCA原盤 ユニヴァーサル・ミュジック UCCD7134 1959年録音)まるで「ドイツ魂」の化身と呼べそうなごつごつとしたピアノの音、それでいてしっかりとした足取りで、華麗に鍵盤を舞う様は何度聴いても飽きの来ない定番中の定番的名演。(2) ウイルヘルム・バックハウス(ピアノ) カール・シューリヒト指揮 スイス・イタリア語放送管弦楽団(ERMITAGEレーベル ERM144-2 1961年ライブ録音 海外盤)バックハウス最晩年の録音。それでも実に堅実に音を刻み、また華麗にピアノを鳴らすその響きはドイツのピアノ音楽の実直で朴訥な響きをもたたえた最高の遺産として残されており、同じく80歳を過ぎたシューリヒトの、スコアが透けて見える程の管弦楽表現が素晴らしい演奏記録です。(3) エミール・ギレリス(ピアノ) ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団(EMI原盤 EMIジャパン TOCE91084 1968年録音)LP時代から再発売が何度繰り返されてきたか。 上記商品番号であと1週間でまたもや再発売される、鋼鉄の鋼を思わせるような強靭なタッチのピアノ。 セルの完璧無比と呼べそうなオーケストラのアンサンブル。 やはり50年代~70年代は凄い演奏家たちがひしめき合っていた時代なんだなと思います。(4) アルトュール・ルービンシュティン(ピアノ) ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団(RCA原盤 BMGジャパン BVCC37636 1975年録音)ルービンシュティン88歳の録音。 豪華に華麗に指が鍵盤上を動き回る様は、とても米寿のピアニストとは思えない、溌剌とした健康的な響きがあり、まさにこの演奏は「皇帝」中の「皇帝」と呼べるほどの華麗なるしかも豪華な演奏です。(5) クラウディオ・アラウ(ピアノ) サー・コリン・ディヴィス指揮 シュターツ・カペレ・ドレスデン(Philips原盤 DECCAレーベル 464 681 1984年録音 海外盤)これもアラウの最晩年の録音。しかしこの曲にふさわしく華麗に縦横に指は鍵盤を踊り、時には荘重な響きで、支えるオーケストラもいぶし銀のような渋い響きで聴く者を圧倒してくる名演盤。 バックハウス盤と双璧をなす「皇帝」の名演中の名演盤と思って聴いています。(6) ワルター・ギーゼキング(ピアノ) ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団(EMI原盤 456811-2 1951年録音 海外盤)「20世紀の偉大なピアニストたち」の中の1枚。 ギーゼキングの清澄で透明な響きのピアノが魅力の1枚。 確かウイルヘルム・ケンプで同年生まれだから、61歳で亡くなっている。あと10年生きていて欲しかった。(7) ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ) フリッツ・ライナー指揮 RCAビクター交響楽団(RCA原盤 456841-2 1952年録音 海外盤)ホロヴィッツ独特の鋭さと烈しさに溢れたピアノの響き。ステレオ時代に録音された盤を聴いていないので比較は出来ませんが、この独特の響きは健在なのかな? 1980年代の来日公演をTV放映で鑑賞しましたが、刀で言えば刃がボロボロになっていたという印象だったので。
2010年10月11日
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「剣客商売」 池波正太郎著今年読んだ小説70作目、池波正太郎著 「剣客商売」。 昨年から池波正太郎の小説は図書館に所蔵されている講談社出版の「完本 池波正太郎大成」(全31巻)を随意借り出して読んでいます。今までに「真田太平記」(全3巻)「鬼平犯科帳 大成 巻4 及び 巻5」(2巻)、「人斬半次郎・幕末新撰組・夜の戦士 大成 巻1」、「剣客商売 黒と白」(これは文庫版)などを読んでいました。 今年は「鬼平」の残る2冊(大成 巻6と7)を読破しようと頑張って6月に読み終わりました。 そして先月末に借りた「大成 巻11 剣客商売」を読み終えたところです。 この講談社刊 「大成」と名のつく池波正太郎全集は31巻から成り立っており、各巻が平均800ページにも及びしかも1ページが上下2段印刷。 A5判だから百科事典のような体裁と厚みになる本。 この「剣客商売」は720ページで9月30日から読み始めてちょうど1週間で読み終えたことになります。この「剣客商売」が「大成」本の中にあと3巻残っています。 「黒と白」は長編で読み終わっていますが、これだけの長い小説ばかりを読むわけにもいかないので、まだ来月に借りて読もうと思っています。 「鬼平」が135作といいますから、この「剣客商売」もそのくらいはあるでしょう。この「鬼平」と「剣客」は登場人物が大体決まっています。 それでもどちらもTVドラマ化されており親しみの湧く小説です。 しかもそのTVドラマで演じた役者が作品を読んでいてもそのイメージがそのまま出てきます。 例えば鬼平の中村吉衛門(長谷川平蔵)多岐川裕美(妻久栄)、江戸家猫八(相模の彦十)、尾藤よしのり(木村忠吾)、梶 芽衣子(おまさ)、蟹江敬三(小房の粂八)が縦横に小説の中で徘徊しています。「剣客商売」でも同じです。 藤田まこと、山口馬木也、寺島しのぶ、平 幹ニ郎、三浦浩一などが走り回っています。池波正太郎がこんなことを言ってます。 「(鬼平でも剣客商売でも)とにかく筆をとって書き進むうちに、なんとかまとまっていくものです」と。 ここにこの人の凄さがあり、これだけの長い年月読者に支持されているのでしょう。 登場人物はほぼ決まっておれば、その主人公は自在にストーリーを生みだしてくれるのでしょう。 こういう形で書かれる小説は、読みやすく、読むにつれて読者の心の中に花が散るように、落ちた花びらが重なるように、埋もれて残っていくのでしょう。 ほんとにいい気分で人物や出来事が心に溶け込んでいくようです。それが「鬼平」や「剣客商売」を読む楽しさなんだと思います。
2010年10月10日
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「名曲100選」 ベートーベン作曲 弦楽四重奏曲第7番~第9番「ラズモフスキー」藝術家、特に名を成した人の歴史を振り返る時にその生涯や作品が形成された時期を分けたくなるものです。 また色分けすると分かりやすく理解できるこもあります。 ベートーベンの作曲作品を年代で分けてみると前期・中期・後期と分けられるそうです。彼の作品で最もと言ってもよい有名な交響曲第5番作品67。 この第5番として知らなくても「運命」と覚えている人、知っている人も多いでしょう。 第6番「田園」作品68と共に上述の中期を代表する交響曲です。 この中期にはヴァイオリン協奏曲作品61、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」作品73、チェロ・ソナタ第3番作品69、ピアノソナタ第23番「熱情」作品57などが次々と書かれています。 いずれも雄大なスケールを誇る音楽ばかりです。 またベートーベン自身が古典音楽から脱皮して新しい音楽~ロマン的で文学的な音楽~へと変わって行った時期にあたります。俗に「ラズモフスキー四重奏曲」と呼ばれる弦楽四重奏曲第7番~第9番は作品59としてまとめられており、この3曲もベートーベン中期に書かれています。「精神(音楽)が私に語りかけてきている時に、あなたの哀れなヴァイオリンのことを考えられると思っているのですか?」 有名なベートーベンの言葉として残されているのですが、これは四重奏曲作品59の3曲の演奏の難しさを、ヴァイオリニスト・シュパンツィヒがベートーベンに訴えた時の返答とされています。このシュパンツィヒは当時オーストリア大使としてウイーンに駐在していた、ロシア貴族のラズモフスキー伯爵がお抱えとしていた弦楽四重奏団のヴァイオリニストです。 ラズモフスキー伯爵は熱狂的な音楽愛好家で、当時ベートーベンを世話していたパトロン的存在のリヒノフスキー侯爵と義兄弟という関係もあって、ベートーベンの四重奏曲はほとんどこのラズモフスキー専用の団体で演奏されていたそうです。ラズモフスキー伯爵はベートーベンに作曲の依頼をしました。これに応えて献呈したのが作品59の3曲「第7番~第9番」でした。 この献呈によって「ラズモフスキー」という副題が付けられており、伯爵に敬意を表して音楽の中にロシアの民族音楽風旋律をさり気なく挿入されていることからも「ラズモフスキー」の副題が活かされているようです。音楽は3曲とも中期を代表する作品らしく規模も大きく、気宇壮大な佇まいの中に包み込まれてしまうかのような雄大な四重奏曲です。 チェロ・ソナタ第3番イ長調と同じような壮大な音楽宇宙を築いた曲たちです。こうした音楽を聴くと上述のベートーベンの言葉が理解できるように思えます。「運命」の作曲にもとりかかり「皇帝」や「熱情」の素案も心に浮かんできているベートーベンにとって、一ヴァイオリニストの嘆きなど考えている暇がないのでしょう。シュパンツィヒの言葉通りこの作品に対する批評は酷いものだったそうです。「ベートーベンはとうとう気が狂ったか。 こんなのは音楽ではない」と酷評されたそうです。彼らには前衛音楽のように響く曲だったのでしょう。ハイドン、モーツアルト時代の「家庭音楽(ハウスムジーク)」の代表だった室内楽は「サロン音楽」であり劇的でありロマン性の備わった音楽ではなかったのですから。愛聴盤(1) ブタペスト弦楽四重奏団(SONYレーベル CSCR8044-46 1959年録音)このディスクは全集ではなくて「ラズモフスキー」3曲と第10番、第11番、第13番の「選集」。 今は廃盤でこれに変わって全集盤としてリリースされています。 安定したリズム、アンサンブルの見事さ、四重奏の密度の濃さに圧倒されてしまう50年前の録音ながら、今日でも相変わらず聴き親しんでいる名盤。(2) アルバン・ベルク弦楽四重奏団タワーレコードで特売(4500円)で売られていた全集7枚組。 第1番から順番に第16番まで聴くと音楽の変わって行く様を聴きとれます。 非常に精密なアンサンブルで非の打ちどころのない演奏ですが、あまりに精密で機械的なところが好きでありません。(3) ウイーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団(グラモフォン原盤 タワーレコード DB1031 1992年録音)タワーレコードのオリジナル企画で全集 今なら8枚組で2890円という破格の安値です。ブタペストやアルバン・ベルクの演奏と少し雰囲気が違います。 とても柔らかな感じのアンサンブルで音楽の表情にも優しさの溢れるベートーベン。 それが物足らないと言う人もいるくらいに優しさに満ちた典雅なベートーベン。 (4) カール・ズスケ弦楽四重奏団(シャルプラッテン原盤 キングインターナショナル KICC9417 1967-68年録音)第7番(ラズモフスキー第1番)を収録しています。(シャルプラッテン原盤 キングインターナショナル 1967-68年録音)第8番(ラズモフスキー第2番)を収録しています。(シャルプラッテン原盤 キングインターナショナル KICC9437 1967-68年録音)第9番(ラズモフスキー第3番)を収録しています。シャルプラッテンの録音盤を徳間音工がリリースしていたころに購入した比較的古い盤でLP時代から聴いていた演奏。 ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサート・マスターであったカール・ズスケ(いっときN響にも来て首席を務めていました)が主宰する四重奏団で、純ドイツ風を好む方には最も好まれる演奏だと思います。
2010年10月09日
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「名曲100選」 ブルックナー作曲 交響曲第8番 ハ短調私の「ブルックナー体験」は古い。 今から50年前くらいでしょうか。 EMIからシューリヒト指揮 ウイーンフィルハーモニーの演奏で交響曲第9番が新録音されてリリースされました。 雑誌「レコード藝術」に新譜レコードとして紹介されており、音楽評論家村田武雄氏が聴感を書いておられブルックナーの音楽について、このシューリヒト指揮について述べておられたのが非常に印象に残って、翌月に貯まった小遣いでLP盤を早速購入しました。それまで交響曲といえばハイドン、モーツアルト、ベートーベン、ブラームス、シューベルト、ドヴォルザーク、チャイコフスキーなどの有名曲ばかりを聴いている頃でした。聴いてびっくり。 これほどの大規模な交響曲があるのかと仰天(まだマーラーを聴く前です)。 すっかりブルックナーに魅せられて高校から帰宅するとすぐさまステレオ装置の前で聴き入る毎日でした。しかし、それも一時のことで長い間この第9番のLPだけ所有して、それだけを時々取り出しては聴いているという年月が長く、1980年代になってやっと「ブルックナー開眼」となりました。 アントン・ブルックナー(1824-1896)の創作ジャンルはほぼ交響曲に限られていると言っても過言でないほど、現代では彼の作品を演奏する再現芸術家は指揮者とオーケストラにほぼ限られています。 彼は、生涯に11曲のシンフォニーを書いていますが(9番は未完)、世に認められたのは第7番からで「大器晩成型」の典型的な例の作曲家でした。この第8番は彼の遺した11曲の交響曲の中でも最高の傑作と呼ぶにふさわしい曲だと思います。 最も美しい、またもっとも壮大な伽藍のような、まるでアルプスを仰ぎみるようなスケールを誇る作品です。 楽器編成は大きな規模に拡大されて、ハープが3台要求されていたり、ホルンが8本要する大交響曲です。約85-90分を要する大曲です。 金管楽器が咆哮し、ティンパニーが鳴り響き、弦楽器が唸るような波動で音楽が進みます。彼自身「私が書いた曲のなかで最も美しい音楽」と語っており、第3楽章「アダージョ」は特に美しさが際立っています。 とにかく演奏時間が長い作品ですから、初めて聴かれる方はきっと戸惑うと思います。この「アダージョ」楽章だけでも25-27分はかかりますから、モーツアルトやハイドンの交響曲なら1曲分になるでしょうか。長いと思えばこの「アダージョ」からお聴き下さい。まさに「天上の音楽」とでも表現できるほどの絶妙な美しさに溢れた音楽です。彼は敬虔なカトリック教徒だったそうですが、この曲(他の交響曲にも言えることですが)には禁欲的な深い精神性と、パイプオルガンのような広大な音楽宇宙と重厚さが備わっている傑作です。 終楽章は聴いていて音響の渦に巻き込まれるような気分になります。宇宙の広がりを感じさせる稀有な音楽だと思います。ブルックナーの交響曲はオルガンを使って書かれていたそうですが、全ての交響曲に共通しているのは曲の「書式」です。 混沌とした宇宙の創造を思わせるかのような弦のトレモロで始まる第1楽章。 まるでアルプスの巨峰を仰ぎ見るかのような、宇宙的なスケールを感じさせる終楽章。 そして中間楽章は寂しさ、哀愁を湛えたアダージョと、「野人」「自然人」と呼ばれた彼の素朴さを伝えるスケルツオなどで構成されています。 ブルックナーの交響曲の特徴は顕著で、その例はいくつか挙げられます。(1)「ブルックナー開始」とよばれる曲冒頭の音楽の特徴で、弦楽器のトレモロから始まり、雄大な第1主題が浮かび上がってくるという書き方(原始霧とも呼ばれています)で、彼の交響曲のいくつかに顕著に表われています。 聴く者に何かが始まるという予感を与え、やがて宇宙の鳴動のような巨大な音楽が姿を現す前の開始音楽のことです。(2)「ブルックナー休止」という特徴があります。 普通、楽章主題が別の主題に移行する時には「経過楽句」という中間的な旋律を用意して、そのあとに別の主題を表します。 ところがブルックナーはその「経過楽句」を使わず中間的な旋律を用いないで、管弦楽全てを休止させています。唐突に楽想が変わってしまいます。 これもおそらくオルガンを使って作曲をしていたために、そのオルガン的な音楽がもろに表現されているのだと思います。(3) 「ザクエンツ」と呼ばれる、ひとつの音型を繰り返しながら、音楽を盛り上げていく手法も用いられていて、繰り返し演奏されるやり方はいたるところに見られます。ほぼ全交響曲曲がこのスタイルで書かれており、8番もその例に漏れません。 おそらくこれほど一貫したスタイル・書式を貫き通した交響曲作曲家は、他に誰一人としていないと思います。 それほど頑固に「スタイル」を守った人でした。その彼がウイーンで最初に熱狂的に迎えられたのが、この第8番の交響曲でした。ウイーンの音楽好きに熱狂的に迎えられるという歴史的成功を収めた初演だったそうです。そのときブルックナーは68歳。 上述のように大器晩成型の最たる例でしょう。しかもその4年後に彼には死が忍びよっていたのです。愛聴盤 (1) カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ウイーンフィルハーモニー (ドイツグラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCG3605 1984年録音)「ブルックナー開眼」を果たした記念碑的CD。 ブルックナー音楽世界に心酔した演奏。このCD購入後にブルックナー徘徊が始まった。色々な演奏を聴いてこのジュリーニ盤の良さを再認識。 ウイーンフィルの美音を伸びやかに、しなやかに、晴朗そのものに、端麗に響かせた秀演。 現在2,000円で一番廉価なこの曲のCDか?(2) カラヤン指揮 ウイーンフィルハーモニー(グラモフォン・レーベル 4276112 1988年録音 輸入盤)カラヤン節全開の演奏。カラヤン美学と呼ばれる「華麗」「豊麗」「端麗」「研磨仕上げのような美しさ」が全編に溢れた美演。 カラヤンを好きとか嫌いの次元ではなく、この曲を好きな人は一度は耳を傾けたいウイーンフィルとの遺産とも言うべき演奏。(3) オイゲン・ヨッフム指揮 バンベルグ交響楽団(ALTUSレーベル ALT022 1982年東京公演ライブ)コンセルトヘボーとの東京公演の「第7番」も超名演でしたが、この「第8番」も少し粗さがあるバンベルグをここまで引っ張っていくヨッフムの底力というか、神が宿ったかのようなアダージョ楽章の言葉に尽くしがたい美しさ、終楽章の開放されたかのような大伽藍建築をを想わせる演奏には言葉さえ出ない。(4) ギュンター・ヴァント指揮 ベルリンフィルハーモニー(RCA原盤 BMGジャパン BVCC37608 2001年 ベルリン・ライブ)この人の演奏会は2回聴いている。一度はロンドン・ロイヤルフェスティヴァル・ホール、もう一回は大阪シンフォニーホール。 その演奏会でこの「第8番」を聴いているが、このCDの演奏にはるかに及ばなかった。 この演奏を聴いているとまさにヴァントに「神が降りた」としか言いようのない名演奏などという月並みな言葉で表現できないほどの強烈な経験をしました。 私はベスト・ワンという演奏批評での言葉を使うのが好きでありませんが、このCDに刻み込まれた演奏はまさに「ベスト・ワン」と言い切れるでしょう。 このCD購入後聴き終わったあとは、言葉をはさむ余地もないどに、ただただ装置の前で呆然となっていました。(5) 朝比奈 隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団(Extonレーベル OVCL00061 2001年7月東京ライブ)何度も演奏会場に足を運び「ブルックナー体験」をさせてくれた日本人指揮者でありながら、N響のメンバーたちに「最もドイツ的演奏」と言わしめた朝比奈 隆のおそらく最後のブルックナー第8番。 何度も聴き知った演奏、そして何度も感動させられた演奏。 ただただ頭が下がります。(6) クナッパーツブッシュ指揮 ミュンヘンフィルハーモニー(ウエストミンスター・レーベル MVCW14001 1963年録音)クナッパーツブッシュのワーグナー演奏は凄い、と感動するのですがこれはどうもわからない。 決して感動しないという意味ではなくて他のCDに比べると感動の度合いが低いのです。(7) ベルナルト・ハインティンク指揮 ウイーンフィルハーモニー (Philipsレーベル 445659 1995年録音 海外盤)この演奏にはただただ「美しい」という言葉がぴったりでしょうか。 「第8番のCDなら何がいいですか?」と訊かれると、第1に推したいのがこのCDです。録音も優秀です。(8) ロブロ・フォン・マタチッチ指揮 NHK交響楽団(DENONレーベル COCO7376 1984年 N響定期ライブ)マタチッチの激しさがオーケストラに乗り移ったかのような、眼を見張るばかりのN響の演奏。深い感動を呼ぶ1975年に次ぐ名演。 コロンビア・ホームページでも見当たらないのでもうプレスした盤が売り切れたのか、廃盤になったのか?
2010年10月08日
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「名曲100選」 ヴェルデイ作曲 オペラ「アイーダ」ジュゼッペ・ベルデイ(1813-1901)の大作オペラ「アイーダ」はスエズ運河開通を祝って建てられたエジプト・カイロの大オペラ劇場のこけら落とし公演のために作曲されました。オペラは、古代エジプトとエチオペアの争いを背景にして、エジプトの王女アムネリスが恋する将軍ラダメスと、戦いで捕えられてアムネリスの奴隷となっているエチオペア王女アイーダの悲恋物語です。 結末は死刑を宣告されたラダメス、彼と共に死ぬことを選んだアイーダの二人が死んでいくところで幕切れとなる暗い悲恋を扱っていますが、第2幕での将軍ラダメスの凱旋を祝う場面はで、「アイーダ・トランペット」と呼ばれるトランペットが活躍する一大スペクタクルで、「凱旋行進曲」として有名な場面は、まさにこけら落とし公演にふさわしい舞台となっています。将軍ラダメスの愛するアイーダはエチオペアの王女。 それと知らずに戦勝してエチオペア兵士などを奴隷として連行して凱旋するラダメス。 その奴隷たちのなかに父エチオペア王を見つけて驚愕するアイーダ。 凱旋の褒美としてエジプト王から王女アムネリスとの結婚を許されるが、ラダメスはアイーダを愛しているがために、後にエチオペア王と判明しても逃がしてあげて死刑宣告を言い渡される。 ラダメスが受ける生き埋めの刑場に先回りして忍び込むアイーダ。 二人の愛は死をもって永遠に結ばれるという物語です。「清きアイーダ」(ラダメスのアリア)、「勝ちて帰れ」「おお私の故郷よ」(アイーダのアリア)など美しいアリアと東洋風のリリカルな旋律が随所に奏され、凱旋の場では爆発的なスペクタクルと化すところなどは、ヴェルデイの面目躍如たるグランド・オペラの傑作です。愛聴盤 (1) リッカルド・ムーティ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団・合唱団アンナ・トモワ=シントウ(アイーダ),ブリギッテ・ファスベンダー(アムネリス),プラシド・ドミンゴ(ラダメス),ジークムント・ニムスゲルン(アモナズロ),ロバート・ロイド(ランフィス),他(ORFEOレーベル 583022 1979年3月22日 ミュンヘン録音)1979年3月22日、ムーテイ指揮によるバイエルン国立歌劇場でのライブ録音。ドミンゴを除くとほとんどミュンヘンのメンバーで固められていますが、ムーティのラテン系指揮棒に炙られたようなゲルマンたち。 第2幕『凱旋の場』での強烈な高揚(終幕後は冷静と言われるドイツの聴衆をしてブラヴォーの嵐・)などなど、ムーティとしてもこの時期ならではの直裁な熱狂ぶりがとにかく聴きものです。絶頂期の若きドミンゴは昨今とはまるで違う全力投球で、得意のラダメスで艶々の美声を聴かせており、素直にその格好良さを認めざるを得ない熱唱、名唱だと思います。情感のこもった、こまやかな心情を歌い上げるアイーダ役で、イタリアのソプラノとはまた違った味わいを醸し出すトモワ=シントウ。 きわめてドラマティックなファスベンダーの王女アムネリス。ドイツ・バイエルンで炎と化したイタリア・オペラの名舞台のライブ録音です。 (2) ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウイーンフィルハーモニー管弦楽団 ミレッラ・フレーニ(アイーダ)、 ホセ・カレーラス(ラダメス)、 アグネス・バルツア(アムネリス)、 ピエロ・カップッチルリ(アモナスロ)、 ルッジェーロ・ライモンデイ(ランフィス)、 ヨセ・ファン・ダム(エジプト王)、 カーティア・リッチャレルリ(巫女の長)(東芝EMI TOCE22-5951-52 1979年5月ウイーン録音)よくぞこれだけの豪華歌手を揃えたと敬服以外にない、まさに帝王カラヤンがウイーンフィルを指揮して繰り広げる一大絵巻のようなオペラ演奏。 とりわけフレーニのアイーダがリリカルな表現でカラス、テバルディなどと一味ちがう表現が聴きものです。
2010年10月07日
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「名曲100選」 モーツアルト作曲 交響曲第40番 ト短調この曲を初めて聴いたのが確か高校1年生(1960年か61年)の時で、級友からLP盤を借りて聴いたのが出会いでした。 レオポルド・ルードヴィッヒ指揮のバンベルグ交響楽団の演奏でした。 今でも鮮明にその時のことを覚えています。第1楽章のあの有名な旋律が流れた途端に、金縛りにあったようにステレオ装置の前で聴き入っていました。 ビクターのトレードマークの白い犬さながらにじ~と聴いていました。こんな早いテンポで、こんなに悲しみを表現できるものなのかと不思議でならなかったのが、まず印象として残りました。それまではチャイコフスキーの悲愴交響曲やサラサーテの「ツゴィネルワイゼン」、リストのハンガリー狂詩曲、グリーグのオーゼの死などを聴いていましたから、ストレートに悲しみを表現する音楽・曲に慣れていましたから、この40番の悲しみは何なんだろうと思ったことを覚えています。後になって25番シンフォニーのト短調や、ホ短調のヴァイオリンソナタ、へ短調のピアノ五重奏曲、ト短調の弦楽五重奏曲、それにイ短調のピアノソナタを聴いて、モーツアルトの悲しみはいつもアレグロのような早いテンポで表現しているとわかりましたが、この40番のト短調交響曲は私にとっては衝撃的な旋律でした。しかも39番、40番、41番の交響曲を2週間の速さで書き上げたというからなおさらでした。 39番の明るい歌、華麗な41番に挟まれたト短調の悲しい、哀しみの表現は何を表そうとしたのかと思いながら、学校から帰るとすぐにこの曲を聴く毎日でした。第1楽章の第1主題でヴィオラが刻む和声の上に、きわめてしなやかな悲しみの旋律が歌われているのですが、モーツアルト独特の「ト短調」(25番のシンフォニーや弦楽五重奏曲第4番など)での悲しみの表現ですが、私は、今もってこの短調のアレグロでの書法による彼の心象を探りあてずに今日に至っています。評論家小林秀雄の言葉「疾走する哀しみ」は言い得て妙なるものがあります。今から50年ほど前に聴いていたクラシック音楽はとても新鮮で、ラジオから流れる放送でよく聴いていました。何しろLP盤を買うお金がないから、ラジオ放送で聴くしかなく、それもこちらの選択ではなくて、NHKの番組編成で決められるのですから、まだほとんどクラシック音楽について知らなかった頃ですから、初めての曲ばかりでした。それでも楽しかった。 耳を澄まして聴き入ったものです。現在はあの時のような純粋に音楽に浸る気持ちが失われているように思えてなりません。もう一度あの時のような気持ちで聴かねばと思っています。愛聴盤 (1) ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団(ソニー・クラシック SICC258 1980年録音)この人の指揮から生まれる音楽は実に「しなやかさ」があります。ベートーベンでも、モーツアルトでも、ドヴォルザークでも柔軟な「しなやかさ」がその作品の、音楽の特性を端的に表現していると感じます。 「端麗」という言葉でも当てはまるでしょうか。響きが清澄になっており、それでいて空間に広がるのは相当な厚さの音楽。 決して刺激的に音楽を動かさずに、それでいて退屈などこれぽっちも感じさせない、悠々としたテンポを維持している、私にとっては理想的なモーツアルトの演奏です。録音されてから既に30年が経ちました。「もうそんなに?」という感があるほどについ最近録音されたような感じがいつまでも続く、クーベリックの最高の遺産ではないでしょうか。(2) ニコラス・アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団(テルデック原盤 ワーナー・クラシック WPCS10819/2 1991年録音)クーベリックとは対称的な表現。 ピリオド楽器の奏法を採り入れて過激とも感じる表現方法でモーツアルトの音楽世界を描いている。ここにはゆったりと音楽に身を任せて聴いていられない、非常に高い音楽の劇性があり、アコーギク、アーティキュレーションなどで表現されています。(3) ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団(ソニー・クラシック SRCR2303 1959年録音)現在はソニーとなっているが、この録音当時はアメリカのCBSだった。LP初出以来何度再発売されたろうか? 今も再発売の連続。そして変わらぬ人気。 ワルターの指揮には「歌心」が溢れていると表現すればいいのか。 ベートーベンでもブラームスでもモーツアルトでも常に「歌」に溢れた表現となっている。アーノンクールを聴いた後にこのディスクを聴くと、喉の渇きを癒してくれる水のような感じを受けます。 これもワルター最高の我々への遺産だと思います。 いつまでも再発売を期待したい演奏盤です。(4) ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団(ソニークラシック SICC1073 1970年東京公演ライブ録音)40年前の大阪万博に来日して素晴らしい音楽を生演奏で聴かせてくれた、セルとクリーブランドのこれも遺産となる演奏。この演奏を聴いてまさに完璧としか表現する言葉を知らないくらいに、絶妙・精妙・精密なるオーケストラの演奏に驚かされる。 特にワルター指揮のコロンビア交響楽団を聴いた後では、ワルターには悪いが寄せ集めのオーケストラと厳しい管弦楽奏法の訓練を受けた団体の違いをまざまざと見せつけられる。セルは、帰国後に急逝したので非常に貴重な日本公演の記録、セルの演奏記録となってしまった演奏。
2010年10月06日
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「名曲100選」 シューベルト作曲 幻想曲「さすらい人」フランツ・シューベルト(1797-1828)はピアノ曲に対して有り余る才能を駆使して書いたように思えて仕方がありません。 それは曲の音楽形式にはとらわれずに書き綴った作品が多いからだと感じるのだと思います。 例えばベートーベンのピアノ音楽なら32作のピアノ・ソナタと種々の変奏曲となりますが、シューベルトは21曲のピアノ・ソナタの他に、2曲の「即興曲集」、それに今日の話題曲の「さすらい人幻想曲」もあります。ピアノ作品でソナタ形式で書いた曲でも、ベートーベンなら古典的な構成とか形式を重んじて書いているの対して、ベートーベン的な古典への構成の憧れとか美しさが理解出来ていても、こんこんと泉のように湧き出てくる美しい旋律の処理に戸惑いながら、その創造される旋律・リズム・和声が形式内に収まり切れないのでしょうか?聴いているととても自由に歩き回るロマンティックな音が魅力的になってきます。ピアノ・ソナタのように「もういい加減にしてよ」と言いたくなるほど同じ旋律の繰り返しには閉口するのもありますが、彼の晩年(と言ってもわずか31年の生涯ですが)に作られた(1822年)、この「さすらい人幻想曲」は20分を超す大作にも関わらず、最後まで耳を傾けてピアノ音楽の、ピアノの響きに心を預けられる美しい一編となっています。構成上は4楽章形式ですからまるでピアノ・ソナタのような感じがします。「情熱的なアレグロ」と指定された第1楽章の冒頭に現れるモチーフが、この曲全体を支配するかのように、フランスのフランク(1822-1890)が創始した「循環形式」を想わせるような書き方で全曲を統一しています。 このモチーフの持つ雰囲気がこの作品を端的に表しているかのように感じます。4楽章形式と書きましたが、実際は切れ目なく終わりまで演奏されるようです。 下記に紹介しますケンプ盤には4つの楽章のインデックスが付いていますが、カーゾンとワッツの演奏には単一のインデックスだけです。ロマンティックな旋律に満ちた音楽ですが、冒頭のモチーフが劇的な表現で書かれているだけに曲全体に劇的な緊張感を感じるのは私だけでしょうか?ピアノを弾くのがモーツアルトやベートーベンのように得意でなかったと言われるシューベルトにしては、聴いていても難儀な技巧の曲だなと感じます。この曲をラヴェルのような人が管弦楽に編曲してくれたら、もっと色彩的な楽しめる作品だと聴くたびに感じています。愛聴盤(1) クリフォード・カーゾン(ピアノ)(DECCAレーベル 456757-2 1941年/1951年録音 海外盤)「20世紀の偉大なピアニストたち」の中の1枚、自ら望んで購入した盤ではなくて200枚の中に入っていた1枚で、最近はこの200枚を毎日1枚ずつ聴くようにしています。(2) ウイルヘルム・ケンプ(ピアノ)(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック POCG90113 1967年録音)LP時代に聴いたケンプの演奏をCDに変わった時に輸入盤を購入して聴いています。紹介のジャケットは国内プレス盤で「ケンプの芸術」という限定盤の中の1枚です。(3) アンドレ・ワッツ(ピアノ)(Philipsレーベル 456 985 1973年録音 海外盤)これも「20世紀の偉大なピアニストたち」の中の1枚です。
2010年10月05日
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「名曲100選」 チャイコフスキー作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調「メン・チャイ」という言葉が生まれた程に有名なヴァイオリン協奏曲が2曲あります。一つはメンデルスゾーンの流麗かつ美しいヴァイオリン協奏曲と、チャイコフスキーのロシアの大地を想像させるヴァイオリン協奏曲の二つを指して言う言葉なんですが、それほどにこの二人の協奏曲はポピュラリティを確立しており、レコード会社も新進気鋭の若手を売り出す録音にはよほど勇気がいる2曲とまで言われているくらいに、名演奏が目白押しのポピュラーな曲になっています。ところがこの曲の初演当時は、オーケストラの楽員からでさえも不評を買うほど惨めな初演での批評だったそうです。 チャイコフスキーには、「初演は不評」というジンクスがあったのでしょうか? 「白鳥の湖」や「悲愴」交響曲など、今日のクラシック音楽の大スターとなっている曲は、初演時にはさんざん酷評されたそうです。 この協奏曲もこれら2曲と同じ運命をたどっています。 以下はこの曲にまつわる有名なエピソードです。1878年、チャイコフスキー38歳の時に書かれたこの曲は、ロシアの大ヴァイオリニストと呼ばれ、ハイフェッツやミルシティンの師匠でもあったレオポルド・アウアーにスコアの草稿を献呈のつもりで送ったのですが、アウアーの返事は冷たいもので「技術的に演奏することは不可能な曲」と言われたのです。 天下の大ヴァイオリニストが「演奏不能」とレッテルを貼ってしまったので、その後陽の目を見るまで3年かかったそうです。この曲がやっとステージに上ることができたのは、なんとウイーンでした。 そうです、名門ウイーンフィルで、しかも指揮者は当時名指揮者と賞され、後にブラームスとも深い関わりを持つようになったハンス・リヒターでした。 ヴァイオリン独奏はチャイコフスキーの友人のブロッキーでした。ところが、この当時のリヒターもウイーンフィル団員もこの曲の真価を理解できなかったのか、あるいはこの曲を好きになれなかったのか、演奏は惨憺たる出来に終わり、ウイーンの批評家たちから酷評され「安物のウオッカ」とまで評されたそうです。しかし、ブロッキーはこれらの酷評にめげず、その後もヨーロッパ各地でこの協奏曲を弾き続けていたおかげで、次第にこの曲の良さを理解されるようになり、3大ヴァイオリン協奏曲の一つとまで呼ばれる名曲の一つとなったのです。曲は「ロシア」の香りがいっぱいで、開始楽章の冒頭からもうロシアの大地に投げ出されて、その大地に包み込まれるような強烈なチャイコフスキー節満載のスラブ的な甘く、美しい旋律、音楽です。 どうしてこの曲が初演時に不評だったのか不思議です。第二楽章は「カンツォネッタ」と題されている「歌」の楽章で、哀愁に溢れた美しい旋律が聴く者の心を捉える、チャイコフスキー独特のスラブ的な美しさいっぱいの音楽です。一言で形容するなら「ボルシチ」料理といったロシア色濃厚な、ロマン的な音楽です。 まさにウイーンの批評家が表現した「安物のウォッカ」がそのまま当てはまるようなロシアそのまんまといった音楽です。愛聴盤(1) ミッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン) フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団(RCAレーベル 09026.61743 1957年録音 海外盤)LP時代に購入した録音盤でハイフェッツの技巧がいかに素晴らしいかが、非常によくわかる演奏で、LPを他人に譲った後にすぐに購入したディスク。(2) キョン・チョン=ファ(ヴァイオリン) アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団(DECCA原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCD4419 1970年録音)颯爽とした情熱がこもるキョン・チョン=ファのヴァイオリンは、いつ聴いても「熱」を感じます。この曲も爽やかながらロシアの大地の肌触りを覚えるような感じがします。(3) オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン) エミール・チャカロフ指揮 ロンドン交響楽団デュメイの美音が颯爽と風が渡るように聴こえてくる、ヴァイオリン協奏曲の名曲を堪能できる定番的な名演だと思います。(4) ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ(ヴァイオリン) マリン・オールソップ指揮 コロラド交響楽団(Avex レーベル NSSミュージック AVCL25111 2004年録音)手指を料理中に切ってしまい、再起不能かと囁かれていたソネンバーグですが、妖艶と表現すればいいのか、高音の艶やかな美しさは比類がないほど、そして見事に復活を遂げています。彼女特有の情熱がこもっており、強弱の付け方などもこの人独特の表現で唸らせてくれる。 息も絶え絶え、泣けるところはしっかりと泣き節で、速いパッセージはこれでもかと聴かせてくれる技巧。ヴァイオリン協奏曲の楽しみを存分に味わえる演奏です。 ただし、彼女特有の熱っぽい表現ですから聴く人の好みに評価は分かれると思います。ソネンバーグの自主レーベルの第1枚目となるディスクだそうです。(5) アンネ=ゾフィ・ムター(Vn) アンドレ・プレビン指揮 ウイーンフィルハーモニー(ドイツ・グラモフォン 474 5152 2003年9月録音 輸入盤)持っているディスクで最も好きな演奏がこのCDです。カラヤンとの共演から15年(この録音当時)、今回は結婚したばかりの夫君(現在は離婚)プレビンとのおしどり共演で、夫婦となってから2枚目のCD(1枚目はプレビン作曲の「愛妻に捧ぐ」Vn協奏曲)です。第1楽章からムターのVnは、表情づけが濃厚で、熱く歌いこんでいます。 スケールの大きな表現と、スラブ色を超えた、もっと濃厚なロマン的な演奏で、彼女が年を重ねるごとにこの傾向が強く表れており(クルト・マズア指揮ニューヨークフィルの'97年ライブ録音のブラームス、同じ共演で2002年のライブ録音のベートーベン)、今回の演奏では前作のブラームス、ベートーベンを上回るほどの濃厚な表現で、妖艶なまでの美音・表情に圧倒されました。カップリングはコルンゴルド(1897-1957)のVn協奏曲。 アンドレ・プレビンがぞっこん惚れこんでいる作曲者で、ドイツを追われてアメリカ・ハリウッドで映画音楽に従事した後に書かれた曲で、プレヴィンにとって3回目の録音。 まるで映画音楽の中に入り込んだような曲、演奏で、ムター節全開です。私はこのコルンゴルドを聴きたくて買ったのですが、チャイコフスキーの素晴らしさに圧倒されました。 この曲を見直したと言っても過言ではない、強烈なインパクトでした。
2010年10月04日
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「彼岸花」久しぶりに長居植物園に行き「彼岸花」を撮影してきました。 昨日アップした写真もその時のものです。 「彼岸花」を撮るのに何故長居まで、と思われるか知れません。私の住んでいる大阪府泉州は郊外にあり、堺市以南の田舎町ですが、子供の頃と街の様子がすっかりと変わりました。自宅は阪和線から東側の高台に在るので、小学生の頃は家の2階から松ノ浜の海岸にしぶきを上げる白い海波の波頭が見えるくらいに、海岸線まで(約4キロ)見通しの良い眺望でした。田圃や畑ばかりでしたから。9月の「お彼岸」になると田圃の畦道には真っ赤な彼岸花が咲き、稲の色と綺麗なコントラストを成していたものです。彼岸花を探しまわることもありません。家の外に出るとどこかで目にする「彼岸花」群生の光景がありました。今では全くと言っていいほど見当たりません。 たまたま見つけても群生はおろか数本咲いているだけです。 もう2階から海岸線は見えません。 湾岸高速道路を走る車がわずかに見え隠れするくらいです。 半世紀以上の年月が経っているのですから当然のことでしょう。 昔のように大所帯の大家族が無くなりどんどん核家族が誕生してきました。マンションが建ち一戸建て住宅が建ってきました。だから長居植物園の群生(と言っても奈良県明日香村とは比べ物になりませんが)の「彼岸花」が貴重な撮影ポイントとなります。 今年は他の花でもそうですが、夏から9月の彼岸頃まで猛暑日が続いたせいか、開花も遅れ何やら元気がない彼岸花のように感じました。
2010年10月03日
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「花束」金曜、帰宅途中の電車内のことである。 週末の乗客の表情は、いつもより穏やかだった。 スーツ姿の60歳ぐらいの男性が、あざやかな花束を抱えて乗ってきた。 乗客の視線は一斉に男性に注がれた。 男性は気恥ずかしそうだ。4人がけの一つの席が空き、男性は座った。 周りは男子中学生だ。 中学生たちは60代の男性と花束というなじまない取り合わせに興味を示し、一人が「おっちゃん、花買うてんきたん」と尋ねた。 「これはな皆にもろたんや。今日で定年でな」と答え、花束を網棚に置いた。中学生たちはいろんなことを訊き始めた。 「どんな仕事?」「何年働いたん?」遠慮会釈ないぶしつけな問いにも男性は丁寧に答えた。 身振り手振りも交えてユーモラスに仕事の説明をした。中学生たちの屈託のない笑い声が幾度も車内に響いた。 それがやかましいとは感じず、他の乗客も自然と耳に入る会話に笑みを浮かべていた。男性の職業も職責も分からないが、見知らぬ中学生に、これだけ饒舌に自らのことを話すのである。 充実したサラリーマン生活を送ったことが想像できた。和やかな会話が続いたが、やがて電車が減速し、男性が中学生たちに別れを告げた。 中学生たちはホームの男性に車窓から身を乗りださんばかりに手を振った。 男性も花束を高く揚げてそれに応えた。帰宅した私はカバンの中の「希望退職者募集」のA4用紙を破り捨てた。~産経新聞 2010年6月10日夕刊に掲載の「夕焼けエッセー」~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「彼岸花」
2010年10月02日
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「名曲100選」 ベートーベン作曲 ヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」この曲にまつわるエピソードには、ロシアの文豪トルストイが書いた小説「クロイツェル・ソナタ」があります。 倦怠期のロシア貴族の一家庭の不倫事件を扱っており、貴族の妻が家庭に出入りするヴァイオリニストと恋に落ちたと思い込んだ夫が嫉妬のあまり妻を殺すという物語ですが、その不倫の発端となったのがこの「クロイツェル・ソナタ」の男性教師と妻との合奏だったのです。 トルストイはこの小説の展開上、この曲を重要な予想として扱っています。またチェコの作曲家ヤナーチェックは、このトルストイの小説を読んで「トルストイのクロイツェル・ソナタに霊感をうけて」と題した弦楽四重奏曲第1番を作曲しています。ベートーベン(1770-1827)はヴァイオリンソナタ第5番「春」を書いた後、6番ー8番を作品30として一括して出版したあとに、1803年5月にイ長調の第9番「クロイツェル」を書き上げています。 ベートーベン32歳の春でした。 交響曲では3番「英雄」が完成間近の頃にあたります。 彼はヴァイオリン・ソナタを全部で10曲書いていますから、「傑作の森」と呼ばれる中期以前の第1期にすでに9割のソナタを書き上げてしまったことになり、最後の10番の完成はほぼ10年経った1812年まで待たねばならないのです。そして1812年以降、亡くなるまでの15年間はとうとうヴァイオリンソナタを書くことがありませんでした。ベートーベン以前のヴァイオリン・ソナタ、例えばW.A.モーツアルトなどの作品はピアノが主体でヴァイオリンが序奏的な楽器として扱われていました。 華麗に踊るかのようなピアノの動きがヴァイオリン・ソナタに見られたのです。 ヴァイオリン・ソナタと言えばヴァイオリンが華やかに活躍するソナタという現代の定見とは違ったヴァイオリンの扱いでした。ところがベートーベンが作曲したヴァイオリン・ソナタはまるで「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」に変わっています。現代の私たちの定見と同じです。特にこの曲には「ほとんど協奏曲のように競い合って演奏するヴァイオリン序奏付きとのピアノのためのソナタ」とベートーベン自身によって楽譜に書かれているそうです。協奏曲風と呼ぶよりもきわめて二重奏的な色合いの濃い曲となっているのが特徴です。 これは前作の第5番「春」についても言えることですが、ヴァイオリンとピアノのパートが独立性が高く、まるで2つの楽器による二重奏といった趣きで、決してヴァイオリンパートは「助奏」ではありません。 もっとも曲を聴けばそんなことはすぐにわかるくらいにきわめて優れた二重奏曲であると理解はできますが。演奏時間は30分を超す雄大・壮大な規模で書かれており、3楽章形式です。第1楽章は、二つの楽器の対話で進む緊張感にあふれたアダージョ・ソステヌートで始まり、大規模な主部へと進んでヴァイオリンとピアノの掛け合いによる張り詰めた緊張を伴う音楽に耳を奪われます。第2楽章は、アンダンテでしかも変奏曲風にと書かれていて、変奏曲スタイルによる緩やかなテンポの楽章で、風格ある主題が提示されたあとに4つの変奏が行われ、しかもカデンツァとコーダ付きという重厚なアンダンテ楽章です。終楽章は、プレストでまるで「タランテラ舞曲」を想起させるようなリズミックな躍動感にあふれ、華麗で、力強い音楽で締めくくられています。まさにヴァイオリンソナタの音楽史上でも稀な大傑作です。ベートーベンは、この曲をイギリス国籍のブリッジタワーというヴァイオリニストに献呈するために書いたと言われています。 ですから初演はこのブリッジタワーとベートーベンによって行われたのですが、完成が遅れたために初演のステージでは、楽譜の清書が間に合わず、第2楽章はヴァイオリンは草稿のまま、ピアノはスケッチで演奏されたというエピソードが残っています。ブリッジタワーに献呈するために書かれたこの曲が、何故「クロイツェル」なのか? それは初演のあとベートーベンとブリッジタワーが不仲となり、献呈はフランスのヴァイオリニストのロドルフォ・クロイツェルに献呈されてこの副題がつけられたそうです。しかし、クロイツェル自身がベートーベンの激しい音楽を好んでいなかったので、彼によってこの曲は一度も演奏されなかったという後日談が残っています。愛聴盤(1) ギドン・クレーメル(VN) マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)((ドイツ・グラモフォン 447054 1994年録音 輸入盤)「激しさ」と「熱情」に満ちた気分が伝わってくる鋭角的な鋭さを備えた演奏。(2) アルテュール・グリュミオー(Vn) クララ・ハスキル(P)(Philips原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCP9521 1959年録音)グリュミオー特有の温かくふくよかな優しさと、ハスキルの弾けるようなピアノが紡ぎ出す独特のベートーベンの音楽世界です。(3) 西崎崇子(Vn) イェネ・ヤンドー(ピアノ)(Naxosレーベル 8.550282 1989年録音)これほど無個性とも呼べる演奏はないとでも言えそうな、まさに模範的に弾かれた演奏で聴き終わった後に、じっくりと音楽を聴く喜びを味わえる、世界で最も録音回数の多い、Naxos社長夫人である西崎の演奏。(4) ジョス・ファン・インマーゼル(Vn) ヤープ・シュレーダー(P)(ドイツ・ハルモニアムンディ原盤 BMGジャパン BVCC1888-70 1987年録音)ピリオド楽器による演奏。私は古楽器演奏はあまり好まないのですが、この演奏は実にストレートに音楽の楽しみを訴えてくるものを感じます。 (5) ヨゼフ・スーク(Vn) ヤン・パネンカ(ピアノ)(チェコ スプラフォン原盤 日本コロンビア 20CO2846 1964年録音 廃盤)情感豊かに歌い上げるスークのヴァイオリンは、常に緊張と優しさにあふれ拡張の高さに満ちた音楽を聴かせてくれます。 この演奏を一番気に入っていますが、この曲の単売としては廃盤となっているようです。ジャケット写真はコロンビアがリリースした「スプラフォン・ヴィンテージ コレクション」シリーズで、ベートーベンのヴァイオリンソナタ全10曲が4枚組となっているものです。 DENON CREST1000からでも再発売を願ってやみません。
2010年10月01日
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「名曲100選」 ドヴォルザーク作曲 交響曲第9番「新世界より」アメリカ・ニューヨークのジャネット・サーバー夫人から、彼女が経営する「ナショナル音楽院」の院長という職への要請が、チェコのアントニン・ドヴォルザーク(1841-1901)に届いたのは1891年の春というエピソードは、先日のドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調」の記事で書いています。 その頃のドヴォルザークは既に8つの交響曲、ピアノ曲、室内楽作品、オペラなどを発表しており、ヨーロッパでは大作曲家の一人でした。 その彼に当時のヨーロッパからすれば「新世界」の国の人々に音楽教育をして欲しいと要請されたのです。アメリカはまったくの異質の新しい人種が建国した国ではなく、すべてヨーロッパから移民した人種でした。クラシック音楽には素養もありました。新しい国に音楽教育が必要で、そのために立派な音楽家を必要と考えたサーバー夫人だったのでしょう。受託までは紆余曲折がありましたが、ドヴォルザークは1892年9月15日にニューヨークに向けて旅立ちました。 ニューヨークには9月26日に到着しました。 それから約2年半彼はアメリカに留まります。その頃のアメリカは、すでに大陸横断鉄道が完成しており、1793年に独立を果たして109年目を迎えていました。ドヴォルザークがアメリカについて驚いたのは、活気にあふれた街並みでした。 まだエンパイア・ステートビルは建っていませんが、大きな建物がブロードウエイに立ち並び、行き交う群衆の活気あふれる姿に驚いたそうです。 祖国の田舎町とは比較にならない活気ぶりでした。 もう一つは「黒人霊歌」や純朴なアメリカ民謡に大きな感動を受けたそうです。 アフリカから奴隷として売られてきた黒人たちの歌う「黒人霊歌」は、虐げられた人々の救済への祈りと願いを込めた歌ですが、ドヴォルザークはその歌にいたく感銘を受けて、自宅に黒人歌手を呼んで彼らの歌に耳を傾ける機会が非常に多かったそうです。ドヴォルザークは、それまでアメリカ人には不当に低く見られていた「黒人霊歌」の価値を高く認めた、最初の大作曲家であったそうです。 彼は美しく変化に富む黒人霊歌を「土の産物」として評価していました。「ナショナル音楽院」の忙しい職務のかたわら、1893年の約半年間新しい交響曲への構想をまとめて草稿を仕上げています。 その年(1893年)の夏に休暇を取ってニューヨークから遠く離れたアイオワ州の町へと旅立ちます。 この時にはドヴォルザークはかなりひどいホームシックに陥っており、音楽院の弟子の勧めでわざわざ遠いアイオワまで出かけたそうです。そこはスピルヴィルという小さな町ですが、そこにはボヘミアから移住してきた人々が数多く住んでいた所で、母国語を気兼ねなく話すことが出来、祖国の料理を楽しめる、祖国の雰囲気を味わえる土地でした。 アイオワの自然は祖国のそれと似ていたのかも知れません。 ボヘミア移住民と接することで彼の郷愁も少しずつ和らいでいったそうです。こうして新しい交響曲は短期間で書き上げられています。 それが交響曲第9番ホ短調「新世界より」なのです。 初演はその年(1893)の12月16日にニューヨークで行われており、大成功に終わったそうです。「新世界より」はドヴォルザーク自身が付けた副題で、当時ヨーロッパでは「新大陸」と呼んでいたアメリカを指す「新世界」ですが、音楽にはアメリカ・インディアンの民謡と思しき旋律や、黒人霊歌の旋律らしいものが使われていますが、彼が何故「新世界より」と「より」を付けたを考えると、決して「新大陸」を表現した音楽ではなくて、遠くアメリカからボヘミアを望郷の想いで書いたことは容易に想像できます。 この「新世界より」は、ドヴォルザークが故郷ボヘミアを想って書き綴った「手紙」のような音楽でしょう。 アメリカ的な匂いがすると感じれば、その「手紙」をアメリカで書いたからと思えばいいのではないでしょうか。この作品中、最も有名なのが第2楽章「ラルゴ」です。 イングリッシュ・ホルンによる郷愁を誘うような美しい旋律は一度聴けば忘れられない、ほのぼのとした哀愁を誘う旋律で、今では「家路」という名前で合唱曲にさえなっている有名な旋律です。 小学校の下校時の音楽もこの旋律を使っている学校が一体何校あるでしょう。 ほとんどの学校が使っているほど家路に着く旋律にぴったりです。1957年、私がクラシック音楽に興味を持って聴き始めた時に、小学校の恩師が貸してくれたLPがこの「新世界より」でトスカニーニ指揮 NBC交響楽団の演奏で、何度も何度も第2楽章「ラルゴ」を聴いていました。私がクラシック音楽を聴く原点の一つでもありました。 愛聴盤ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団(ORFEOレーベル ORFEO596031 1984年録音 海外盤) いまはこの1984年の演奏会ライブ録音での、クーベリックの緊張をはらんだ、しかもボヘミア色に塗りつぶされたような色彩感のある、一音一音をしっかりと奏でている演奏に魅かれて、このCDばかりを聴いています。その他の愛聴盤トスカニーニ指揮 NBC交響楽団ケルテス指揮 ウイーフィルハーモニー管弦楽団ゲオルグ・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団ヴァツラフ・ノイマン指揮 チェコフィルハーモニー
2010年09月30日
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「名曲100選」 W.A.モーツアルト作曲 クラリネット五重奏曲 イ長調 クラリネットという管楽器は、現代ではクラシック音楽、流行歌、ジャズ、ポップスまで広く使われています。しかし、この楽器は1700年頃にクラリネットの前身から改良されて、モーツアルト(1756-1791)の時代にようやくオーケストラに使われ始めたそうです。モーツアルトとクラリネットの出会いとこの楽器への愛着については定かではありませんが、モーツアルト自身が少年の頃からヨーロッパを父と共に、ピアノのコンサートツアーを行なっていましたから、そのツアー先で出会った可能性もあるやも知れません。記録として残っているのは、モーツアルトがマンハイムを訪れた時にそこの宮廷楽団がすでにクラリネットをオーケストラ楽器として採用されていて、ザルツブルグ(モーツアルトの故郷)にもクラリネットがあれば・・・、という想いをモーツアルト自身が抱いていたそうです。モーツアルトがザルツブルグを離れてウイーンに移住したのが1781年でした。その頃のウイーンでもまだオーケストラにはクラリネットを使っておらず、必要になった時には客演奏者として招かれていたそうです。その頃のクラリネット奏者がアントン・シュタットラーという人で、ここで初めてモーツアルトとクラリネット、モーツアルトが書いたクラリネット音楽、そしてシュタットラーの名前が音楽史に残ることになる出会いとなったのでした。モーツアルトとシュタットラーはお互いが意気投合したのか、友人としての交際が始まり、とりわけ目に見えて凋落・貧困になっていくモーツアルトをシュタットラーは精神的にも物質面でも援助を惜しまなかったそうです。そうした緊密な交際の中で、モーツアルトがシュタットラーからクラリネットについて様々なことを学んだのでしょう、1791年にモーツアルトが亡くなる4年ほど前から、さかんにクラリネットを使った曲を書いています。 「ピアノと木管のための五重奏曲」「ピアノ、ヴィオラ、クラリネットのための三重奏曲」「クラリネット協奏曲」「クラリネット五重奏曲」などがその例です。先日のブラームスの「クラリネット五重奏曲」の記事でも触れましたが、作曲家と演奏家の出会いが楽器への興味や音楽表現への可能性の広がりを助長することがあり、このクラリネットでは奇しくもモーツアルトもブラームスも、その生涯での晩年に出会っているのです。「クラリネット五重奏曲」はモーツアルトが亡くなる2年前の1789年に書かれており、ブラームスの「人生の黄昏」という老境に入った心境が淡々と表現されているのと比べても、モーツアルトの曲は長調で書かれているせいか、優美で、典雅で、気品を保ちながらもしみじみとした諦観すら感じられ、澄み切ったようなクラリネットの音色はモーツアルト晩年の心境を悲しいまでに表現しており、特に第2楽章「ラルゲット」には、微笑みを湛えながら、何か悲しさに耐えて涙を浮かべているような楚々とした婦人の哀愁といった感じを受けるのは、はたして私だけでしょうか?まさにクラリネットの名曲中の名曲と呼べるのはではないでしょうか。愛聴盤アルフレート・プリンツ(クラリネット) ウイーン合奏団(DENONレーベル COCO70672 1979年録音)ブラームスのクラリネット五重奏曲の記事でも書きましたように、私が持っている盤はモーツアルトとブラームスの五重奏曲を収録した盤ですが、同じ演奏家・同じ録音盤となると、この曲では上記紹介盤となるようです。 カップリングは「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」です。 DENON CREST1000 シリーズの1枚です。 尚、同じDENON CREST1000シリーズで、モーツアルトの「クラリネット協奏曲」とカップリングした盤もあります。どちらも1000円盤です。
2010年09月29日
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「名曲100選」 チャイコフスキー作曲 「弦楽セレナーデ」作品48チャイコフスキー40歳の作品(1880年)。 曲冒頭に演奏される「ドー・シー・ラー」の旋律が強烈に存在感を示す、チャイコフスキー会心の名作。 ワルツを愛し、ワルツ音楽を書くことが得意だったチャイコフスキー(バレエ音楽などでワルツの魅力を楽しませてくれる)の真骨頂がこの作品にも表れており、第2楽章に「ワルツ」が使われていて華やかな色彩に彩られている。チャイコフスキー自身が「初演の日を待ち切れないほど愛している作品」と書いているだけに、彼としても会心の作品だったのだろう。 チャイコフスキー音楽の最上の魅力とされる「親しみやすい甘美な美しい音楽」であり、「スラブ的な郷愁を誘う旋律美」であり、弦楽合奏だけなのに「実に見事な色彩」に満ちあふれた素晴らしいチャイコフスキーの音楽世界を味わえる一品。セレナードは本来は恋人の家に忍び寄り、彼女の窓の下で囁くように歌う「恋歌」でしたが、この曲は演奏会用として書かれた規模の大きな曲です。蛇足ですが、4楽章構成で弦楽五部(第1、第2ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス)で演奏され、この曲は第2楽章に「ワルツ」が入っているものの、全編にロシアの哀愁のような、チャイコフスキー独特の哀切で、美しく華麗な旋律美に溢れた弦楽合奏の名作です。 第3楽章などはエレジーとして暗く、哀愁に満ちた、チャイコフスキーの甘美な旋律を堪能できます。 悲愴なムードいっぱいの実にロシア的な切なさに溢れた楽章で、私のチャイコフスキー音楽で最も好きな内の一つです。1970年製作のロシア映画「チャイコフスキー」では、この「弦楽セレナーデ」が非常に効果的に使われていました。チャイコフスキーが初演などの不評に打ちのめされて、ロシアの荒れ地を徘徊する様などに、第3楽章「エレジー」が使われており映像と共に強烈に印象に残っており、それがこの作品のロシア的哀愁を余計に感じるのかも知れません。愛聴盤 オルフェウス室内管弦楽団(グラモフォン原盤 F00G27093 1984年録音 廃盤)ユニヴァーサル・ミュージックに現在は販売権が移行していますが、私が購入した時には日本ポリドール社が販売していました。 現在は廃盤になっているようです。 指揮者を置かないニューヨークの室内管弦楽楽団で、アンサンブルの美しさは見事です。カラヤン指揮 ベルリンフィル盤(1967年録音)と共に楽しんで聴いています。
2010年09月28日
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「名曲100選」 シューマン作曲 連編歌曲集「女の愛と生涯」女性の生涯を描いた藝術作品がいくつか残されています。 森 光子の芝居で有名な林 芙美子の「放浪記」や、フランスの作家ゾラの「女の一生」などがあります。 アメリカではマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」などもこのジャンルに入る小説かもしれません。それではクラシック音楽ではどうでしょうか。 それがあるんですね。 ロベルト・シューマン(1781-1831)が書いた「女の愛と生涯」という全8曲から成る歌曲集です。音楽史上でも有名なシューマンとクララの恋愛。 シューマンのピアノの師F.ヴィークの娘クララと長年の紆余曲折を経て、ようやく1840年、30歳になった時にシューマンはクララと結婚します。 そして結婚前夜にクララに贈った歌曲集が「ミルテの花」でした。シューマンは、それまでは主にピアノ曲を書いていましたが、この「ミルテの花」を贈ってからは、結婚後1年間に100曲以上の歌曲を書いています。私はシューマンのことを「カメレオン」と呼んでいるのですが、それは彼の作曲する曲が随分と変わっていくからです。 結婚1年の年は歌曲集、翌年は交響曲、さらにその翌年は室内楽曲とジャンルがころころと変わって書かれています。 ちょっと変わった作曲家です。そのシューマンが集中して結婚1年の年に書いた歌曲集の中に「女の愛と生涯」があります。 「あの人にお会いして以来」「あの方は一番素晴らしい男性」「わからないわ、信じられないわ」「私の指に光る指輪」「手伝ってちょうだい、妹よ」「優しい友よ、あなたは不思議そうだわ」「私の心に、私の胸に抱かれて」「今はじめてあなたは私に苦しみをお与えになりました」の8曲が歌われています。この曲は、一人の女性が娘時代に出会った男性と恋に落ち、結婚し、そして母親としての喜びを知るのですが、夫に先立たれて、未亡人としての寂しさをしみじみと味わうという内容の歌曲集で、シャミッソーという詩人の詩に作曲しています。この作品はあるまとまった物語として構成されて書かれており、こういう形式の歌曲を「連編歌曲集」と呼ばれるそうです。 同じシューマンの歌曲集「詩人の恋」も連編歌曲集と呼ばれるそうです。不思議なのはクララとの愛に身を焦がすばかりであったシューマンがどうしてこんな歌曲を書いたのか? 天才的な芸術家だけが神から許された予知能力で書いたのでしょうか? 「あなたは静かに眠っています。 死の眠りについてしまったとは、ひどい方です。 残されたわたしに、この世はうつろです。 わたしは激しく愛し、生きてきました。 しかし、わたしはもう生ける骸です」 これは第8曲「今はじめてあなたは苦しみをお与えになりました」の詩です。第7曲まで一貫して「女の喜び・母としての喜び」を幸せいっぱいに表現されていたのに、この最後の歌では一転して夫の死に直面。 悲しみに打ちひしがれて残酷な運命に襲われた女のうつろな心が痛切に歌われています。 第1曲「あの方にお会いして以来」を回想するピアノ後奏が痛烈に聴く人の心を打ち、効果的です。熱烈な恋をしてシューマンと結ばれたクララでしたが、彼に先立たれて長い未亡人生活を送ったのは、妻のクララ・シューマンでした。 この第8曲にクララの心情がつぶさに表現されているようです。 あたかも予言するかのように、それをクララとの愛の絶頂期にいたシューマンが書いたとは。愛聴盤(1) エリー・アーメリング(S) ダルトン・ボールドウイン(P)(Philips原盤 17CD-78 日本フィリップス 廃盤)すでにPhilipsもなくなり現在では入手するにはボックスセットとしての海外盤しかないようです。(2) アンネ=ゾフィー・フォン・オッター(Ms) ベングト・フォスベルグ(P)(グラモフォン・レーベル 445881 1993年録音 海外盤)
2010年09月27日
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「名曲100選」 R.シュトラウス作曲 交響詩「英雄の生涯」R.シュトラウス(1864-1949)は「ドン・ファン」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ドン・キホーテ」「死と変容」「マクベス」などの交響詩を数多く書いています。 シュトラウスはこの「英雄の生涯」の後交響詩を作っていませんので、交響詩の総決算的な作品だということは言えそうです。タイトルとなっている「英雄」は,シュトラウス自身のことを表しているそうです。 自らを「英雄」と呼んではばからないシュトラスのこの作品のスケール感と多彩な響きの充実感を聴くと圧倒されて納得してしまいます。シュトラウスが35歳の時にこの曲を作っていますが、最後の交響詩としてこういう題材にして自分の業績を振り返るというのは、この若さで何とも大胆な作曲家ですが(シュトラウスはこの後半世紀も長生きします)、その辺がシュトラウスらしいところかもしれません。内容としては,ベートーヴェンの英雄交響曲を意識している作品だと思います。 同じ変ホ長調でホルンが効果的に使われているところなど似ています。 彼の交響詩「ドン・キホーテ」とは反対の内容作品で、「ドン・キホーテ」が闘争に敗れた騎士だったのに対し、「英雄の生涯」では成功した人間を描いていると言えるでしょう。 このことはR.シュトラウス自身が語っているそうです。曲は,自由に拡大されたソナタ形式で、6部構成のように成っていて、切れ目なく続けて演奏されます。 「英雄」を象徴するホルンと低弦による力強い主題で始まります。この主題はかなり長く,全曲の中心主題となっています。いちばん最初に出てくる低音から高音へと沸き立って行くような、文字通りヒロイックで誇らしげな部分が、実に豊穣な音楽で特に印象的です。この部分をはじめとしてこの曲には,8本のホルンが出てきますが,最初から最後まで主役のように活躍します。 これが音楽に厚みと豪華さを添えています。「英雄の敵」や「英雄の伴侶」「英雄の戦場」などを描いて、「英雄の平和時の仕事」に至るとこれまでの交響詩に使われている動機が主題と絡み合うところなどは、やはり「総決算の交響詩」といった感があります。オーケストレーションの多彩なことは他の交響詩と同じですが、いっそう磨きがかけられて豊穣な、分厚いハーモニーを美しい旋律が織り成す、豪華絢爛たる曼荼羅絵巻のような「英雄」の生き様があますところなく表現されています。愛聴盤 (1) アンドレ・プレヴィン指揮 ウイーンフィルハーモニー(テラーク レーベル CD80180 1988年録音 海外盤)ウイーンフィルと相性がいいのか、1980年代に数多くの録音を残したプレヴィン。 この演奏は実に雄渾にスケールの大きい表現で「英雄」を描いています。 ウイーンフィルの極上にブレンドされたハーモニーの美しいこと! それにテラークの優秀な録音技術がシュトラウス音楽に華を添えています。(2) ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィル(ドイツ・グラモフォン 439 039 1982年録音 海外盤)カラヤン美学の最たる演奏だと思います。 磨きに磨き上げた手兵ベルリンフィルを自由自在に操りながら、彼らの最上にブレンドされた極上の響きを引き出して、R.シュトラウスはこう演奏するんだと言わんばかりの、美しい響きと豪華絢爛たる色彩に彩られたカラヤン最後の「英雄の生涯」の録音盤です。 まるで人生の黄昏を迎えたカラヤン自身の生涯を聴かされている錯覚に陥る演奏です。
2010年09月26日
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「名曲100選」 ハイドン作曲 弦楽四重奏曲第77番 「皇帝」ヨゼフ・ハイドン(1732-1809)が作曲したこの「皇帝」四重奏曲は、ナポレオン戦争と呼ばれる19世紀初頭のヨーロッパを巻き込んだナポレオンが引き起こした大混乱と関係しています。フランス革命が起こったのが1789年。 この革命が野火のようにオーストリア、プロシャ(ドイツ)などを戦争状態に巻き込み、それに乗じてフランスのナポレオンが全ヨーロッパを征服すべく戦争を仕掛けていきました。 約20年間ヨーロッパは戦争状態となります。それが19世紀の幕開けでした。オーストリアも1809年、ウイーンに怒涛のようになだれ込んだナポレオン軍から激しい砲撃を浴びせられました。 この砲撃でハイドンの大邸宅地も砲撃のために地震のように揺れ、邸内の人たちは悲鳴を上げて逃げ惑ったと言われています。大作曲家ハイドンは少しも騒がず、「皆の者、怖くはない、怖がることはない。 このハイドンがいる限り、何にも起こることはないのだ」と邸内の人たちを励まし、砲撃される中を自らピアノに向かい、自身が作曲した「皇帝賛歌」を演奏したと伝えられています。この時から3週間後の5月31日にハイドンは亡くなりました。 葬儀はウイーンで行われましたが、すでにナポレオン軍の占領下でした。 それでもフランス軍からも葬儀に列席してこの大作曲家を追悼したそうです。ハイドン最晩年の最高傑作である弦楽四重奏曲第77番ハ長調「皇帝」の第2楽章に使われている主題と変奏曲が、彼の死の3週間前にフランス軍の砲撃中に演奏した「皇帝賛歌」です。この弦楽四重奏曲第77番は、この「皇帝賛歌」が第2楽章で使われているために「皇帝」という副題がつけられています。 「皇帝賛歌」とはハイドンがオーストリア国家として書いた作品です。それが何故現在ドイツ国家になっているのでしょうか?その前にハイドンがオーストリア国家として書いた経緯は、イギリス国家にあります。 ロンドンのザロモンという興行師から再三招かれてイギリスにわたって、「ザロモンセット」と呼ばれる12曲の交響曲を書いたハイドンは、イギリス滞在中に聴いた熱狂的なイギリス国民の国歌への愛着と祖国への熱い想いが、人一倍愛国心の強かったハイドンを刺激して、オーストリアのためにと書いたのが「皇帝賛歌」と言われています。その後長くオーストリア国歌として親しまれてきましたが、ヒットラー率いるナチス・ドイツに占領され、この国歌も歌詞を替えられてドイツ国歌となり、終戦後もそのまま西ドイツ国の国歌となってしまい、東西ドイツ統一後もそのままとなって現在に至っているそうです。ナポレオンのオーストリア砲撃から人々を鼓舞してきた「皇帝賛歌」、第2次世界大戦後も国を違えて国歌となった「皇帝賛歌」。ハイドンの思いはこんな結果になって今なおも世界の人々の心を癒してくれています。愛聴盤アマデウス弦楽四重奏団(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCG5091 1963年録音)ハイドン「ひばり」「皇帝」、モーツアルト「狩り」の3曲が収録された1000円廉価再発売盤。 愛聴盤と言ってもこの紹介盤を持っているわけではありません。 同じ音源の「皇帝」と「狩り」だけが収録されたCDで聴いています。現在求めうる盤として上記を紹介しました。
2010年09月25日
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「名曲100選」 シューベルト作曲 「即興曲集」D.899 & D.935フランツ・シューベルト(1797-1827)は、その生涯に600曲以上の歌曲を書き残していたと言われており、別名「歌曲王」と呼ばれてもいます。その生涯と言ってもわずか30年です。作曲を始めてからの勘定になれば20年もないでしょう。 それで600曲以上とは! 驚きです。 「歌曲王」と呼ばれるはずです。ところがシューベルトは9つの交響曲、15曲の弦楽四重奏曲、21曲のピアノ・ソナタも書き残しています(100曲程のピアノ作品を書き残しているとも言われています)。 私はそれらの全てを聴き親しんだことがないので、ことさら論評が出来ないのですが、彼のピアノソナタ、持っているCDでの曲数は10曲くらいですが、それだけでも確実にいえることがあります。 彼のピアノ・ソナタには主題の繰り返しが多いと。 それで冗舌な感じを拭えません。 一言で言えば「長過ぎる」のです。ロベルト・シューマン(1810-1856)はシューベルトのピアノ音楽を評して「ベートーベンをも凌駕している」と書いているそうですが、私は「それはないでしょう」と言いたくなります。 わずか10曲のピアノ・ソナタを聴いているだけで上に書いたように感じられるのですから。ピアノ・ソナタにはそんな特徴があるのですが、この「即興曲集」はこうした感じは微塵も感じられません。 まさに美しく輝くような、珠玉のピアノ曲集と言えると思います。まるでこんこんと泉が湧いてくるように紡がれる美しい旋律の数々と言えるでしょう。 構成的にしっかりとした音楽の流れを組み立てる必要のあるソナタのような大曲よりも、こうした「即興曲」や「楽興の時」のような短い曲の方が書き易かったのかも知れません。彼は決してピアノの名手ではなかったと言われています。 そこがモーツアルトやベートーベンと違うところなのでしょうか。 彼の生涯を読んでみましても決してピアノを習っていたという記述は見当たりません。 それどころか自分のピアノさえ29歳まで持てなかったと言われています。そんなシューベルトが書き残した「即興曲集」はドイツ番号899と935の、まあ言えば第1巻と第2巻として分けられる2つの曲集があり、それぞれ4曲ずつ書かれています。 演奏時間は5分くらいの作品から12分ほどかかる曲まであります。「即興曲」とは音楽の形式にとらわれないで、作曲家の自由な裁量で書き綴られた作品のことで、シューベルトのこの作品を聴いていると、上に書いたようにまるで「こんこんと泉の湧き出る」如くに旋律が綴られています。「楽興の時」と共にシューベルトのピアノ作品で最も好きな小品集です。愛聴盤(1) アルフレード・ブレンデル(ピアノ)(旧Philips原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCP7042 1972年録音)(2) 内田光子(ピアノ)(旧Philips原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCD50029 1996年録音)(3) クリフォード・カーゾン(ピアノ)(デッカ・レーベル 456757-2 1941年/1951年録音)
2010年09月24日
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昨日の昼食後に近所の米屋さんから米5kgが届いた。 袋にのし紙が貼られてあり私の母方の兄、つまり叔父からのお彼岸のお供えだった。 こちらはうっかりとしていた。母の実家でもあるので毎年春秋のお彼岸とお盆にはこちらからお供えをしている。 今年はそれを忘れてしまっていた。慌てて果物屋に掛け込んでお供えののし紙を貼ってもらって同じ町内の自宅のご仏前に供えた。 そこでその叔父の奥さん(叔母)から、叔父が昨日救急車で運ばれて入院したと聞かされた。痰が切れずに困り病院で吸い出してもらおうと入院したという。 病名は肺炎。 もう満で95歳になる叔父。 肺炎と聞いて嫌な予感がした。高齢者の肺炎の罹患は危ない。しかし、叔母は「大丈夫。あと1週間もすれば戻ってくるさかいに、見舞いは止めといてや。頼むで」と言う。 叔母と1時間ほど話し込んだあとスーパーへ買い物に行って帰宅したのが午後5時。 それから40分後に電話が入った。 「叔父が息を引き取った」と。訃報が信じられずに電話の前で呆然とするしかない。 辛うじて息子夫婦が臨終に間に合ったらしい。80歳からパソコンを始めキーボードを叩く指も危なげな様子だったが、「自分史を書きあげる」と頑張っていた。それを完成したのかは不明。一度そのことを尋ねなければと思いながら忘れていて、この訃報。2週間前に訪ねて言葉を交わしたのが最後だった。ベッドで寝そべりながら右手を軽く挙げて「おッ」と言ってくれたのが強烈な印象で残っている。享年95歳。 安らかにお眠り下さい、叔父さん。合掌
2010年09月23日
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「名曲100選」 ドヴォルザーク作曲 チェロ協奏曲ロ短調 作品104アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)が、アメリカの「ナショナル音楽院」の院長をしていた頃に生れた作品で最も有名なのが交響曲第9番「新世界より」。 その「新世界より」同様にアメリカ滞在中に生れた傑作が他にもまだあります。 ドヴォルザークの最高傑作と言われている「チェロ協奏曲ロ短調 作品104」がその一つです。ニューヨークのジャネット・サーバー夫人から請われて「ナショナル音楽院」の初代院長として、1892年の秋にドヴォルザークはアメリカに赴き約2年半の滞在期間中に書いた作品で「アメリカ三部作」とも呼べる3曲があります。 一つは「新世界より」。 二つ目は弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」作品96。 三つ目がチェロ協奏曲ロ短調 作品104。チェロの前身は「ヴィオラ・ダ・ガンバ」(足のヴィオラ)という楽器で、バロック期から通奏低音楽器として使われてきています。チェロはよく 女性の体形と比べられますが、良く似た小型のヴァイオリンが明るい高い澄んだ音色であるのに対して、ヴァイオリンよりも女性体形に似ているチェロはとても男性的な音を響かせます。 温かくて深く、朗々とした響きを出す楽器です。「チェロは、歳月と共に年をとるどころか逆に若くなり、ますますほっそりと、しなやかに、そして優雅になってくる美女の如し」と、チェロを形容したのがパブロ・カザルス(チェリスト・指揮者)でした。チェロを独奏楽器として位置づけたのは大バッハではないでしょうか。 パブロ・カザルスによって発見された「無伴奏チェロ組曲」によって、バッハがすでにこの楽器の性能をよく知っていたことを証明しており、「チェロの旧約聖書」と呼ばれ、のちにベートーベンが書いた「チェロ・ソナタ」が「新約聖書」と呼ばれており、チェロの市民権が確立しています。ところが協奏曲となると、ボッケリーニ、ハイドンが書いて以来本格的な協奏曲は数少ないのです。 19世紀後半になってサン=サーンス、シューマン、ラロなどの協奏曲が生まれていたのですが、このドヴォルザークの曲で影が薄くなってしまいました。ドヴォルザークは、音楽院在任中に一度祖国へ帰っています。 よほど郷愁に駆られていたのでしょう。 このチェロ協奏曲も一時帰国前から書かれており、「新世界より」と比べてもよりいっそうボヘミア的郷愁を感じさせる音楽になっています。アメリカに再度帰ってきてもドヴォルザークは契約任期を務めることが出来ずに、1895年の春、永久にアメリカに別れを告げて帰国しました。 この曲は帰国後プラハで最終楽章の手直しをして完成させ、翌年1896年の春にロンドンで初演されています。この曲の魅力は第1楽章は、序奏がなくていきなり低弦とクラリネットで第1主題提示を終わって独奏チェロが奏でられると、まるで歌舞伎の千両役者の登場のような趣きがあります。 また独奏者にとっても弾きがいのある部分ではないでしょうか。 ロマンティックな情緒の第1主題の旋律からして、すでにボヘミヤ的な情感がたっぷりです。 展開部でチェロがお休みというのも面白い趣向です。 第2主題が五音階で牧歌的主題が奏でられて、この2つの主題が軸となっています。 いかにもロマン派の、国民樂派の協奏曲という貫録たっぷりの楽章です。私が一番好きなのは第2楽章です。 独奏チェロによるボヘミヤ的な哀愁が漂う旋律が素晴らしく、これほどまでにドヴォルザークの郷愁が高まっていたのかと思うくらいに、哀感漂うしみじみとした情緒がとても美しい楽章です。 とてもノスタルジアに満ちたセンティメンタルな情緒が、チェロの深みのある、甘く抒情的な音色で美しい音の世界が繰り広げられています。第3楽章は、ボヘミア的な民族舞曲風の旋律がとても印象的で、華麗なチェロの技巧が活躍する溌剌とした音楽で、この楽章を帰国後プラハで手直しをしたという経緯から、故郷に戻ってきたドヴォルザークの喜びを謳い上げているようです。それに独奏チェロだけでなく管弦楽部も非常に活躍する作品で、特に管楽器がこれほどまでに美しい旋律を歌わせる協奏曲も珍しいのではないでしょうか。 「メロディ・メーカー」とも呼ばれたドヴォルザーク。 その美しい旋律がキラ星のごとく輝いている作品の一つがこのチェロ協奏曲ロ短調でしょう。ブラームスがこの曲を聴いて「私は何故こういう書き方に気がつかなかったのだろう」と絶賛した有名なエピソードが残っています。最初にドヴォルザークの最高傑作と書きましたが、おそらくチェロ協奏曲の最高傑作であることは間違いないと思います。 とても好きな曲です。愛聴盤大好きな曲ですから色々なチェリストの演奏で聴いてみたいという想いが強くて、他の協奏曲に比べてディスクの数も多くなっています。(1) ロストロポーヴィチ(チェロ) 小沢征爾指揮 ボストン交響楽団 (エラート原盤 ワーナー・ミュージック WPCS21056 1985年2月録音)朗々とした音色、スケール雄大な幅の広い表現が見事。 テンポを自在に動かし、音色を多彩に使い分けた演奏は独壇場。 最強音から最弱音までの情感豊かな表現。 絶え入るようなピアニッシモは圧巻。(2) ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ) アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団(マーキュリー原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCP7075 1962年7月録音)鋭利な刃物のような感じを与える音色で、朗々とした響きはロストロポーヴィチと変わらないが、非常に精緻な表現の音色で、一度聴くとたちまち人を引き付ける魔力のようなものを持った技巧の素晴らしいチェロ。(3) ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ) バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団(EMI原盤 東芝EMI TOCE59051 1970年5月録音)私が付け加える言葉がないほどに絶賛されている「世紀に一人」と言われる女性チェリスト。 激しい情熱が噴き出す物凄い演奏。 初めてLP盤で聴いた時には、言葉を失って聴いていた記憶があります。 1971年に26歳で難病の「多発性硬化症」を発病してから闘病生活をつづけ、1987年に42歳で亡くなった空前絶後と言いたくなる別格のチェリスト。(4) ピエール・フルニエ(チェロ) ジョージ・セル指揮 ベルリンフィルハーモニー (グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCG5051 1962年録音) 「高貴なプリンス」と呼ばれたフルニエとセルが繰り広げる格調高い演奏。 ロストロポーヴィチやシュタルケルのような豪放さや荒々しさもない、実に品格のあるチェロで穏やかに、柔和にボヘミアの郷愁を切々と語った名演。(5) ピーター・ウィスペルウエイ(チェロ) ローレンス・ネレス指揮 オランダフィルハーモニー(CHANEL CLASSICS CCS8695 1995年12月録音 海外盤)「力強さ」と「優しさ」「柔和さ」で聴く者を柔らかく包み込んでくれるような表現のチェロの音色です。 ボヘミアの郷愁がを吹き渡るかのような音色が部屋を満たしてくれます。ロストロポービチやシュタルケルのような剛毅さでもなく、デ・ピュレのような情熱的な激しさでもなく、チェロの音色を汚れなく美しく響かせて、それでいて決してBGM的な音色にならずに、ステレオ装置の前でじっと耳を傾けて聴き入ってしまう、稀有な演奏家の一人です。(6) オーフラ・ハーノイ(チェロ) マッケラス指揮 プラハ交響楽団(RCAレーベル 09026 68186 2 1994年9月録音 海外盤)7枚のディスク中、最もテンポを自在に動かした演奏で、思い入れたっぷりな非常に個性的な演奏。 一時期よく日本で演奏会を開いていたが、最近は来日のニュースも聞かないがどうしているのだろうか。 彼女の演奏はヴァイオリンのソネンバーグのような奔放とまで言わないが、自在にテンポを動かして強弱をたっぷりと付けて「妖艶」な演奏が魅力。(7) アニア・タウアー(チェロ) マーツァル指揮 チェコフィルハーモニー(グラモフォン原盤 タワーレコード PROA62 1968年録音)タワーレコード ヴィンテージコレクション第3集の内の1枚。2006年12月のリリース、1000円盤。1945年(?)生まれのタウアー。 既婚の医師と恋愛関係となり原因不明の医師自殺で、相当なショックを受けて彼女も自殺をしたのではと言われている。謎の美貌のチェロ奏者。デュ・プレと同じ年齢。演奏は正攻法というかハーノイのような大きな動きをしない。しかし音は実に艶やか寝響きで力強く、ダイナミック。 デュ・プレのような演奏。 28歳で亡くなったというのが通説になっているが、この演奏を聴くとその若死にが惜しまれてならない。
2010年09月22日
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「名曲100選」 ムスルグスキー作曲 組曲「展覧会の絵」モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)の代表作として最も有名な曲が組曲「展覧会の絵」です。「ロシア音楽」が音楽史上で言葉となったのは19世紀後半と言われています。 「ロシア五人組」と呼ばれている、ボロディン、リムスキー=コルサコフ、パラギレフ、キュイ、そしてムソルグスキーの5人を指してそう呼ばれています。この5人が書いたロシアの民族音楽・旋律・リズムが強烈にロシアを匂わせて独特の色彩を持った音楽として世に出たのです。その頃には欧州のあちらこちらから自国の民族音楽が、クラシック音楽作品の中に顕著に表現されるようになりました。 チェコのドヴォルザーク、ノルウエーのグリーグなどの作品がそれです。 ムソルグスキーはロシアの色彩濃厚な民族的音楽を書き残しています。彼の音楽のどれを切っても「ロシアの大地」があふれ出てくると表現してもいいほどに、最もロシア的な旋律と色彩を塗りこめた音楽に満ちています。42歳という若さで生涯を閉じたムスルグスキーは、晩年はアルコール中毒となり、貧困と精神錯乱状態にあえぎながら亡くなったと言われています。 そうした悲惨な晩年を支えてくれた友人が一人いました。ヴィクトル・ハルトマンというムソルグスキーと同年輩の芸術家で、建築や絵画で認められていた人だそうです。ムソルグスキーとハルトマンの親密な交友期間はわずか4年間だったそうですが、経済的に何の不自由もない医者の子であり、建築家・画家として地位を確立していたハルトマンは、生活苦の中にいるムソルグスキーに理解の手を差し伸べていた貴重な友人だったようです。そのハルトマンが心臓病のために37歳で急死したのです。 ムソルグスキーは嘆き悲しみ、友人にこんな手紙を書いているそうです。「ねえ、君、何という痛恨事だろう! 馬やねずみや犬が生きているのに、ハルトマンのような愛すべき友だちが亡くなるなんて!」友人たちによってハルトマンの遺作展覧会が1874年に開かれて、それを観たムスルグスキーが亡き友人の思い出のために個々の絵画を観た印象を書いたのがピアノ独奏曲、組曲「展覧会の絵」です。10枚の絵を採り上げているのですが、曲の冒頭に「プロムナード」が置かれており、今から絵を鑑賞しますよといった意味のテーマが演奏された後に第1曲へと移っていきます。 絵から絵に移るたびにこの「プロムナード」が効果的に表われてきます。私が最も好きな部分は「古城」の侘しげな表情を伝える旋律、目の前を通りすぎていくかのような描写の見事な「牛車」それに最後の壮大な伽藍を思わせる「キエフの大門」です。10枚の絵の印象をピアノで多彩に描いており、実に個性的な作品です。ピアノで紡ぎ出される1枚、1枚の絵の印象を頭の中で「どんな絵なんだろう」と想像することはとても楽しいひと時です。しかし、この曲はムスルグスキーの生前には公開で演奏されることなく、彼の死後6年を経て楽譜が出版されたそうです。現在最も人気のある曲の一つに数えられていますが、20世紀になってモーリス・ラヴェルやストコフスキーなどによって、このピアノ曲を管弦楽演奏用に編曲されていっそう華麗な色彩の音楽となって生まれ変わったからでしょう。特に「オーケストラの魔術師」と言われたラヴェル編曲版が最も有名で編曲版として定着しているようです。愛聴盤 (1) ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ)(RCAレーベル 09026.60526 1947年録音 海外盤)原曲版ではなくて、ラヴェルの管弦楽版をホロヴィッツがピアノ版に編曲して弾いているので、原曲ピアノ版よりも色彩豊かに鳴り響いている音楽です。(2) エフゲニー・キーシン(ピアノ)(RCAレーベル 09026.63884 2001年録音 海外盤)オーケストラ版(ラヴェル編曲)ではフリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団(RCAレーベル BMGジャパン BVCC37146 1957年録音)その他にカラヤン指揮 ベルリンフィルショルティ指揮 シカゴ響トスカニーニ指揮 NBC響デュトワ指揮 モントリオール響ドラティ指揮 デトロイト響などの盤を聴いて楽しんでいます。
2010年09月21日
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「名曲100選」 ベートーベン作曲 ヴァイオリン・ソナタ第5番「スプリング」ベートーベン(1770-1827)はヴァイオリン・ソナタを10曲書き残しています。 そのちょうど真ん中に位置するこの第5番は、まだ「英雄」交響曲が完成される以前の1801年ごろに書かれたと推定されています。 この曲は副題として「スプリング(春)」と呼ばれていて、名前が付いていることからも知名度が高くなっていることは第9番の「クロイツェル」同様ですが、それだけではなく非常に完成度の高い作品に仕上がっていることと、ベートーベンにしては珍しく、あの肖像画に似つかわしくないほどの優しさに溢れ、誰の心も和ませる流麗な旋律に満ち溢れた作品です。肖像画からは堅物で気難しさが覗える性格ですが、この曲は優しさに溢れ心和むような流麗な旋律に満ちています。曲の冒頭でヴァイオリンが奏でる流れるような美しい旋律は、明るく晴れやかでベートーベンが書いた音楽の中でも屈指の名旋律だと思います。 この気分が全曲を通して貫かれており、ピアノ部分も伴奏の域から大きく飛び立って、ベートーベン自身の言葉通り「ヴァイオリンとピアノためのソナタ」であることは、音楽が明瞭に物語っています。この曲を「春」と呼ぶのは(日本だけでなく欧米でもそう呼んでいます)ベートーベンが名付けたのではなくて、誰かが後に名付けたと言われていますが、真に言い得て妙なる名前で、その命名の理由がわかるような、実に溌剌とした情感豊かな春の訪れの喜びをいっぱいに表現しているような名旋律です。4楽章構成で、この冒頭の気分が終楽章まで持続している、ベートーベンにしては珍しく喜びをいっぱに表現した音楽です。 愛聴盤 (1) 西崎崇子(ヴァイオリン) イエネ・ヤンドー(ピアノ)(NAXOSレーベル 8.550283 1989年録音)西崎のヴァイオリンは誰の耳にも心地よく響いてくる音色で、音楽を楽しんで弾いているような、特に技巧がずば抜けて素晴らしいという感じでもないのに、いつまでも聴いていたいと思わせる不思議な演奏で、無個性の個性と言いたくなるほど模範的ともいえる演奏です。 鈴木メソッドの一番弟子、世界で最も録音数の多いヴァイオリニストというキャッチフレーズ通り、普遍的な名演奏だと思います。 カップリングはベートーベンの「クロイツェル」ソナタ。私の知人でヴァイオリンを奏でる人の話。この西崎のCDを自分の先生に聴いてもらったそうです。 先生の感想「こんな演奏やったら私でも弾けるやん」でした。 それほどに何の個性も特色もない演奏なんですが、心和む演奏とはこういうものを指しているのでしょうか。(2) アルトゥール・グリュミオー(Vn) クララ・ハスキル(P)(Philips原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCP9521 1959年録音)高校生時代に初めてこの曲を、この演奏で聴いて以来長い間聴き親しんだ録音盤です。柔らかなグリュミオーとハスキルの音色はサロン風の温かい雰囲気でベートーベンの美しい旋律を紡ぎ出しています。(3) ダヴィッド・オイストラフ(Vn) レフ・オボーリン(P)(Philips原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCP7040 1962年録音)この演奏もLP時代から長い間聴いてきました録音盤で、遅めのテンポで歌うオイストラフとオボーリンの力強く熱っぽい、ロマンティックな演奏に魅了され続けています。
2010年09月20日
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「名曲100選」 ヴィヴァルディ作曲 協奏曲集「四季」アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)の代表作 「ヴァイオリン協奏曲集 四季」。ヴィヴァルディは、バロック音楽(チェンバロやチェロなどの通奏低音を伴う音楽で、1600年頃から1750年ごろまでの音楽)の代表的な作曲家で、1955年, 59年にイタリアのイ・ムジチ合奏団がフィリップス・レーベルに録音した、このヴィヴァルデイの協奏曲集「四季」のLP盤がリリースされて大ブレーク現象が起こり、バロック音楽が日本で確立した契機となった音楽です。 このLP発売と同じ時期にドイツからカール・ミュンヒンガーとシュトットガルト室内合奏団が来日して、バロックブームに火をつけたというタイミングもありました。 日本の音楽史上でこれほど大ブレークが起こり、その後40年間にもわたり愛し続けられた音楽というのは、おそらくこの「四季」だけではないでしょうか? それまでの演奏会、レコード界での定番は「運命」「未完成」「新世界」「悲愴」であり、突如現れた「四季」に人々は魅せられたのでした。高校2年生だった頃に25cmLP盤モノラル録音のイ・ムジチ合奏団の四季(1959年録音)を買って初めてこの曲を聴きました。 バロック音楽の愉悦と優雅さを初めて味わった喜びを今でも覚えています。「四季」は12の協奏曲集から成る「和声と創意への試み」という作品の中に含まれる最初の第1番~第4番の「春」「夏」「秋」「冬」という標題付き協奏曲集で、これを一まとめにして「四季」と呼ばれています。 ヴィヴァルデイ自身が名付けた副題ではありません。これら4曲はどれも3楽章構成で書かれており、それぞれの楽章にはソネット(小さな詩)が書き添えられています。 春夏秋冬の自然を描写したソネットで、その季節の気分を表しており、スコアにもその楽器が何を表現しているかが書き込まれています。 これをロマン派の標題音楽のルーツと見る人もいます。 それほど書き添えられたソネットと音楽がぴったりの協奏曲集です。 イタリアの春夏秋冬を見事に音楽で描写しており、曲はヴァイオリン協奏曲の形を採っていて、速いテンポと緩やかなテンポの音楽が交互に書かれており、華麗なソロ・ヴァイオリンと合奏部の掛け合いなどが魅力的な、ヴィヴァルデイ音楽の最も美しい姿を残す音楽です。耳にやさしく、心に愉悦を伝える極上のバロック音楽の代表作です。 愛聴盤 (1) イタリア合奏団(DENON CREST1000 シリーズ COCO70617 1986年録音)伝統のバロック音楽の流麗さを見事に表現した超優秀録音盤で、現在求め得る1000円のお買い得盤です。(2) チョン・キョン・ファ(Vn) オーケストラ・オヴ・セント・ルークス(EMIレーベル 557012 2000年9月録音 海外盤)これまでの「四季」演奏とは異なるインパクトの強いもので、リズムは強く、テヌートを多用して強烈な効果をあげており、21世紀のスタイルを示唆する画期的な演奏だと思います。
2010年09月19日
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「名曲100選」 ブラームス作曲 クラリネット五重奏曲有名作曲家とクラリネット奏者との邂逅の機会が,そのクラリネットの名曲を生んでいるという出来事があります。 モーツアルトには、あの「クラリネット協奏曲」や「クラリネット五重奏曲」がシュタットラーという奏者との出逢い、ウエーバーもやはりベールマンという奏者との出会いを機会に2曲の「クラリネット協奏曲」や「クラリネット五重奏曲」を書いています。このクラリネット五重奏曲もヨハネス・ブラームス(1833-1897)がマイニンゲンの宮廷オーケストラの首席クラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトに出逢い、その音色に魅せられて書いたという有名なエピソードのある曲です。ブラームスにはベートーベンという偉大な先人が残した曲のために、作曲には非常に慎重になったようです。 ベートーベンの9曲の交響曲が彼の前に聳え立つように遺されていたために、ブラームスは第1番のシンフォニーを完成させるのに20年の歳月を費やしています。 ベートーベンと並び賞される、あるいは超える曲を書くのに苦労したのでしょう。室内楽曲でもやはりベートーベンの偉大な作品群の前に筆が鈍ったのでしょうか「弦楽四重奏曲第1番」を書いたのは40歳になってから、「弦楽五重奏曲」にいたっては57歳になってようやく作曲しています。音楽評論家の故門馬直美氏の畢生の大作「ブラームス」(春秋社刊)を読みますと、この「弦楽五重奏曲」を完成した57歳の頃(1890年)にはもう作曲意欲を喪失している 頃だったそうで、非常に寡作になって いた頃でした。そんな彼に創作意欲を奮い立たせたのが前述のクラリネット奏者ミュールフェルトでした。彼の美しい音色に魅かれてブラームスはクラリネットのための曲を書き始めました。 そして現代ではモーツアルトのそれと2大名曲として輝くほどの名作を書き残してくれました。この曲が書かれたのは、すでにブラームスに「人生の秋」が訪れていた頃ですから、非常に美しい旋律の中に、「諦観」めいた哀愁漂う曲となっていて、第2楽章などはジプシー風の音の響きが東洋的な渋みのある 雰囲気を漂わせています。 クラリネットと弦楽の絡むブラームス独特の寂しさを漂わせており、全曲にわたって人生の落日を思わせるかのような美しい曲です。 彼の交響曲第4番と同じように「人生のたそがれ」「人生の秋」を感じさせるクラリネットの名曲中の名曲です。 愛聴盤 アルフレート・プリンツ(クラリネット) ウイーン室内合奏団員(DENON CREST1000 COCO70673 1980年4月ウイーン録音)プリンツのクラリネットに魅せられる演奏です。 最高音から低い音までピッチはびくとも揺れることのない一貫した音色を保ち、ゲルハルト・ヘッツェル(Vn)などのウイーンフィルの弦楽奏者による、柔らかいウイーンの響きともいえるアンサンブルが聴く者をひきつけます。 カップリングは、同じくブラームスのクラリネット三重奏曲です。 私が聴いています盤はモーツアルトのクラリネット五重奏曲とのカップリングです。
2010年09月18日
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「名曲100選」 フランク作曲 交響曲ニ短調セザール・フランク(1822-1890)はベルギーで生まれた人で、ベルギーはフランス・オランダ・ドイツなどの近隣諸国の文化などから、多分に影響され反映してきた国で、言葉も自国語の他にフランス語、オランダ語、ドイツ語の通用するヨーロッパ(EU)特有の特質を持つ国の一つです。私は1970年代と1990年代に訪れたことがありますが、立ち寄ったレストランのメニューがフランス・オランダ・ベルギー語でした。 また街の建築、特に協会の建物がフランス風だったのが印象的です。フランクはパリの「パリ音楽院」で音楽の勉強を積み、後に「サン・クロティルド教会」のオルガン奏者として迎えられるほどのオルガン弾きの名手となり、彼も生涯オルガンを愛した音楽家でした。 彼の作品にはオルガン曲が多数あり、バッハのオルガン音楽と並び賞されるほどの曲が遺されています。 ブルックナーの音楽人生にも例えられる「大器晩成型」の典型で、世に有名となったのは50歳を過ぎてからでした。 この点は同時代のアントン・ブルックナー(1824-1896)と非常に似たところがあります。彼の音楽はフランス流の明快さとドイツ音楽の渋い、重厚さを兼備えている作品があり、ベルギーという国の伝統性がここにも表れているのでしょう。 この「交響曲ニ短調」は、フランクが書きました唯一のシンフォニーで、彼のフランスとドイツの融合した音楽の特質が明確に刻まれている曲です。彼はこの曲で音楽史上に画期的ともいえる「循環形式」を用いています。 この形式は初めに出てくる主題が全曲を通じて表れて、有機的に、まるで単一楽章のように音楽を構成しているのが特色です。 のちにフランスの交響音楽に大きな影響を与えています。音楽はフランス風の軽快さ、明快さとオルガンを愛したフランクらしい重厚な響きに溢れており、バッハ、ベートーベン、ブラームスなどのドイツ音楽にも表れている強固な音の積み重ね、重厚な音響などドイツ音楽の影響というか、ベルギーという国自体がドイツやフランスに似た面が数多く遺されていることを物語る音楽の一つだと思います。愛聴盤 (1) ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団(マーキュリー原盤 ユニヴァーサル・ミュージック 434368 1958年録音)ステレオ初期の録音ですでに50年以上を経過していますが、最新録音であるかのような優れた音質で、演奏もパレーの指揮を代表するかのように「淡白でストレートに」音楽が重なって行く様は何度聴いても圧巻。LP時代から愛聴している演奏・録音です。ラフマニノフ 交響曲第2番が併録されています。(2) ジャン・マルティノン指揮 フランス国立管弦楽団 (エラート原盤 ワーナーミュージックジャパン WPCS21022 1968年録音)LP時代から好きな演奏で実に爽やかな肌触りで全編を楽しめるディスクです。現在はワーナーミュージックからこの型番で1000円盤としてリリースされています。サン=サーンス 交響曲第3番が併録されています。
2010年09月17日
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「名曲100選」 フレデリック・ショパン作曲 「練習曲」集ポーランドの「ピアノの詩人」フレデリック・ショパン(1810-1849)が書いた「エチュード集(練習曲集)。 ピアノを習う人、練習する人ならチェルニーやハノンといった指使いのための「練習曲」で音階練習をしていますが、今日採り上げますショパンの「練習曲」(エチュード)はそうした教則本の類ではなくて、曲自体に風情や情緒、感情が盛り込まれている曲で、情感豊かな「練習曲」です。 練習曲で実用的な題材ながらも深い芸術性を湛えていて、ショパンの偉大さを表している曲集です。「練習曲集」は作品10と25に、それぞれ12曲ずつ作曲されており、他に作品番号の付されていない3曲があるので、計27曲からなる曲集です。39歳という若死にですから、これらの曲は19歳から26歳に間に作曲されており、この二つの曲集には副題が付けられているのが多くあります。作品10の第3番「別れの曲」、 第5番「黒鍵」、 第12番「革命」などや、作品25の第1番「エオリアン・ハープ」、 第9番「蝶々」、第11番「木枯らし」などがあります。 特にポーランドを離れてパリに行き(1830年20歳)、祖国がロシアに占領されてしまい、二度と祖国の土を踏むことのなかったショパンのふつふつとした情念が噴き上げてくるような「革命」(1832年作曲22歳)には、嘆き、悲しみ、怒りのような情感が伝わってくるようです。また「別れの曲」は有名なピアノ協奏曲(2曲)とほぼ同時期に書かれていますので、当時彼が想いを馳せていた女性コンスタンチア・グラドコフスカへの惜情の想いでしょうか。深い精神性と豊かな情感の溢れるこれらのエチュードを今日は聴いてみたいと思います。愛聴盤ジョルジュ・シフラ(ピアノ)(Philips原盤 456 760-2 1962年録音 海外盤)10年ほど前にレーベルを超えて「20世紀の偉大なピアニストたち」という100組(200枚)のCDがリリースされました。国内プレス盤は当時270,000円という高値だったのですが、HMVから電話で輸入盤なら35,000円で販売します、と連絡をもらい早速購入しました。勿論重複するピアニストの録音もありましたが、それには目をつぶって買いました。その中の中の1枚がこのシフラ演奏の「練習曲集」全曲です。 おそらくこのブログでシフラの演奏を紹介するのは初めてだろうと思います。 超絶技巧を誇るピアニストで、私が高校生の頃はリスト弾きとして有名なピアニストでした。アシュケナージの演奏と共に聴いています。
2010年09月16日
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「名曲100選」 サラサーテ作曲 「ツィゴイネルワイゼン」パブロ・サラサーテ(1844-1908)と言えば「ツィゴイネルワイゼン」。 パガニーニもそうでした。超絶技巧を誇るヴァイオリニストであったようです。ピアノではリスト。 彼らは自分の得意の楽器を演奏するだけでは物足らず、作曲それも超絶技巧を駆使して作曲をして演奏家として作曲家として名声を確立しています。サラサーテも自分のヴァイオリンの技巧を示すために、「アンダルシアのロマンス」「カルメン幻想曲」や「マラゲーニャ」などの技巧曲を書いており、この「ツィゴイネルワイゼン」もそのうちの1曲です。曲はハンガリーのジプシー音楽や民謡を素材にしています。 大きく分けて前半の「ハッサン」と後半部の「フリスカ」で構成される「チャルダッシュ」というハンガリーの舞曲形式をとっています。前半の「ハッサン」は2部構成で、緩やかな哀愁に満ちた憂いいっぱいの旋律で彩られた第1部、弱音器を付けて甘く、美しく奏でられる旋律の第2部で、ヴァイオリンのむせび泣くような音色に胸をしめつけられるような魅力がありあます。後半は速いテンポの「フリスカ」で、ヴァイオリンの目の覚めるような技巧が華麗に繰り広げられています。 曲名はドイツ語の「ツィゴイナー」から由来しており、これは「ジプシー」を意味しています。ジプシーと言えば、スペインやハンガリーを思い起こす人が多いと思います。私もそのうちの一人でした。 学生時代に読みました中央公論社の「世界の歴史」を読むまでに、ジプシーの起源はスペインか、ハンガリーだと思っていました。この曲の解説(当時のLP盤)にもハンガリーの民族音楽としか書かれていなかったからです。ジプシーの起源は、インドの北西部にあるパンジャブ地方に住んでいたアーリア系民族が起源とされています。 彼らの一部はパンジャブ地方から、シルクロードの中継地であったタール砂漠に移住していったのです。10世紀頃、タール砂漠(ラジャスターン地方)から、西へ西へと移動し始めた民族は、ロマと呼ばれていたそうです。 このロマがジプシーにあたる言葉です。彼らは居住地を定めず、特定の宗教を持たず、特定の伝承も文字も持たない民族で、独特の民俗・慣習(ヒンドゥのカースト制度に由来すると言われる職業階級、同族同士の内婚など)は厳格に守られているそうです。職業は、行商や馬具・金属の加工、修理業(自動車の修理、解体業)、馬の売買(今は中古車売買)に従事する人たちが多くいます。しかし、芸能に関わり、占星術、遊芸や舞踊などを職業とするロマが有名です。俳優の故ユル・ブリンナーは、ロマ出身です。彼らはイラン、トルコなどで定住したのち、14世紀末~15世紀初頃にバルカン半島にまで到達して、ブルガリアやマケドニア周辺から欧州各地、ロシアや北アフリカなどに分布していきました。インド北部から始まったジプシーの旅は500年をかけてこうした地域にまで足を延ばしていました。ジプシーの歴史に想いを馳せながら「ツィゴイネルワイゼン」を聴いています。愛聴盤 アンネ・ゾフィ=ムター(Vn) ジェームス・レヴァイン指揮 ウイーンフィル(ドイツ・グラモフォン 437554 1992年録音)先日ラロの「スペイン交響曲」紹介時に掲載しましたムター盤は1984年録音でした。その8年後にウイーンフィル、レヴァインの指揮で録音したのが当盤で、音質ははるかにこの盤が勝っており、演奏も旧盤よりも濃厚にジプシー音楽を表現しており、「タイスの瞑想曲」、ベートーベンの「ロマンス」などが収録されています。
2010年09月15日
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「名曲100選」 ブラームス作曲 チェロ・ソナタ第1番 ホ短調ヨハネス・ブラームス(1833-1897)は室内楽作品を書き残してくれています。 3曲のヴァイオリン・ソナタ、2曲のクラリネット・ソナタ、2曲の弦楽6重奏曲などがあります。そしてチェロ・ソナタも2曲書き残しています。 今日は第1番ホ短調を採り上げました。私は「ブラームス大好き人間」で、おそらくベートーベンよりも好きだと思います。 何故? ブラームスのくすんだ、翳りのある、分厚く、渋い音色に魅かれるのでしょうね。 交響曲、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタなどの室内楽、ピアノ曲、どれを採ってもこれらの形容詞があてはまる曲ばかりです。 日本のお寺で言えば、奈良や京都の観光客がいつも訪れる有名なお寺でなく、名刹ではあるけれどどこか寂れた趣きがあり、壁などの漆喰にくすんだ風情のあるお寺。 ブラームスの音楽にはそういう、くすんだ名刹の風情がオーヴァーラップしてきます。 そういう趣きの音楽に弾かれます。さて、今日の話題曲のチェロ・ソナタ 第1番ですが、これはもう「渋い」としか言いようのない曲で、まさに上に書いた情緒そのままの音楽です。 第1に、楽器がチェロですからヴァイオリンに比べると、一段と渋い音色になります。 そこへ北ドイツのようなくすんだ色彩に溢れた音楽が展開するんですから、渋さに渋さを重ねたような趣きです。 しかし、ブラームスのどの音楽にも言えることですが、「渋さ」の中にブラームス特有の熱いたぎりが秘められていて、そこが彼の音楽のたまらない魅力になっています。 クララ・シューマンへの密かな想いが影響していると言う人もいますが、私はブラームスが北ドイツの生まれであることが、彼の音楽の特質に多大の影響を与えていると思います。曲の冒頭第1楽章で、第1主題が独奏チェロで歌い出されると、もういきなりメロメロの状態になってしまいます。とても穏やかで、たおやかな情緒でありながら、もの寂しさいっぱいの情感に包まれており、ピアノに受け継がれて音楽が昂揚していきます。心に染み込んでくるような抒情的な旋律とその展開に酔ってしまいます。第2楽章は、哀愁のただようメヌエットで、侘しさや寂しさを湛えた音楽で、これは1865年2月2日に亡くなった母への哀悼の歌とされています(この曲は1865年夏に完成しています)。第3楽章は、フーガ構成のような音楽が展開していきます。第1主題はバッハの「フーガの技法」から採られていると言われています。劇的に昂揚しながら、チェロとピアノが熱いたぎりをみせて燃焼していく様は感動的です。愛聴盤(1) ムスティラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ) ルドルフ・ゼルキン(P)(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック POCG1119 1982年録音)現在この商品番号で入手可能かどうかは調べていません。すみません。(2) ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ) ダニエル・バレンボイム(P)(EMI原盤 EMIジャパン TOCE14092 1967年録音)現在国内プレス盤として入手可能なディスクです。
2010年09月14日
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「名曲100選」 ラフマニノフ作曲 交響曲第2番ホ短調 セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)はロシアの香りをいっぱいに携えて、その薫りをふんだんに散りばめた、叙情性に溢れた美しい音楽を数多く書き残した作曲家でした。 まさに上品で気品の漂う音楽がロシア・ロマンティシズムに包まれて濃厚な気分で表現されています。ラフマニノフは12歳からモスクワ音楽院で学ぶほどの、「天才的」な音楽家であったようで、チャイコフスキーとも面識があり、尊敬をしていたようです。 だからラフマニノフの音楽はチャイコフスキーの作風を受け継ぐかのような濃厚な、ロシアの哀愁を歌い上げていますが、ラフマニノフの音楽にはどこか上品さとか気品とかのエレガントな美しさ・情緒を醸し出しているのが、チャイコフスキーの音楽との大きな違いであるように感じます。ロシア帝政時代の貴族の生まれであったラフマニノフの子供時代からの育った環境というものが、色濃く彼の音楽に映し出されているように思えます。ラフマニノフは1897年(28歳)に交響曲第1番を発表しましたが、酷評とも言われるほどの不評が彼を精神的病苦に追い込まれてしまいました。 それまでにはピアノ協奏曲第1番が初演されて、新鋭作曲家として音楽界に迎えられていただけに、また自信を持って発表した第1番の交響曲だったようで、繊細な神経が災いしてノイローゼとなってしまい、2年間ほどは全く作曲活動が出来ないほどだったようです。その彼を救ったのがニコライ・ダール博士という催眠療法の名医でした。 ダール博士はラフマニノフをわずか4ヶ月でもとの精神状態に戻したのでした。 そして再び作曲意欲に燃えて書かれたのが、最も有名な「ピアノ協奏曲第2番」でした。 1901年10月の初演が大成功に終わり、彼は作曲家として、ピアニストとして再び栄光の道を歩み始めました。しかし、その頃のロシアは帝政の歪みが現れ始めており、騒がしい世の中に変化して行き、彼自身も病を患って静養を兼ねてドイツのドレスデンに移りました。 そこで書かれたのが今日の話題曲の交響曲第2番ホ短調 作品27でした。 そして1907年の春に曲が完成しています。「ピアノ協奏曲第2番」で大成功を収めたあとの交響曲で、全体に濃い、ロシア的なリリシズムに彩られた音楽で、第2番の協奏曲の作風をそのまま踏襲しているかのような暗く、切ない、ロマン的な、まるで映画音楽のような美しい旋律が、全楽章を覆っている音楽です。叙情的な旋律に満ちており、音楽の色彩感は豊穣で、ロシア的なメランコリックな情緒が漂う、濃厚なロマンティシズムに包まれた音楽です。特に、第3楽章の「アダージョ」は有名で、メランコリックで、甘く、濃厚なロシア的なロマンの薫りが匂い立つような音楽で包まれた楽章です。 私はその美しさはチャイコフスキーの音楽以上だと感じています。 ドレスデンで書かれたこの曲は、ラフマニノフにとっては望郷の想いだったのかも知れません。映画広告風な言葉ですと「ハンカチをご用意下さい」楽章で、失恋した人、誰かを亡くした人、ブルーな気分の人、落ち込んでいる人は聴かない方がいいかも知れません。 それほどに聴く人の心に、甘美な寂寥感が入り込んでくるアダージョです。 ハンカチがやはり必要でしょうね。逆に愛する人と聴くときは、優しく懐に包まれて聴きたくなるような気分にさせる音楽です。愛聴盤 ジェイムズ・デブリースト指揮 東京都交響楽団(FONTECレーベル FOCD9240 1994年11月7日 東京文化会館ライブ録音)凄い演奏が現れたものだと買ってすぐに聴いた感想でした。 今までにスヴェトラーノフ盤、オーマンディ盤、ポール・パレー盤、プレヴィン盤、ザンテルリング盤、それにジンマン指揮のボルティモア管の生演奏などで、随分と素晴らしく、美しい演奏を聴いてきましたが、今までの演奏が何だったのかと思うほどの素晴らしい演奏で、しかもこれが定期演奏会の録音であることに驚きです。ラフマニノフ特有の息の長いフレーズをしなやかに歌わせており、情熱的な第2楽章も決して大げさにならず慎ましやかでありながら、ラフマニノフの情熱がどのフレーズにも息づいているような表現が素晴らしく、特に第3楽章の「アダージョ」は都響を自在に操りながら、長い美しいフレーズを連綿とした情緒で歌わせています。しかもこの時の演奏会がデブリーストと都響のデビューだったと知って、なお更驚いた演奏です。
2010年09月13日
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「名曲100選」 モーツアルト作曲 「レクイエム」ニ短調「レクイエム」作曲を始めたのはモーツアルト(1736-1791)が亡くなった1791年の7月頃のことだと言われています。ちょうどオペラ「魔笛」を書いていた頃だそうです。 その作曲の経緯はこうです。1791年のある日のこと、灰色の服を着た、痩せた背の高い男がモーツアルトを訪ねてきました。 何か不気味なオーラに包まれた感じの男だったそうです。 彼はモーツアルトに「私のご主人様があなた様にレクイエムの作曲を依頼致しております」と言って、多額の謝礼金を差し出したのです。依頼主の名前を一切明かさずに、モーツアルトが承諾するとすぐに帰って行ったそうです。この名前のわからない高額の「レクイエム」作曲依頼と不気味な感じの使いの男によって、モーツアルトは次第にこれを「地獄の使者」のように感じて脅迫観念に獲り付かれように感じたそうです。モーツアルトは、死の年には多額の借金を抱えており、この作曲の高額依頼は渡りに船と言った感じでした。そしてその年の9月にオペラ「魔笛」の初演が終わると、この「レクイエム」の作曲にとりかかったそうです。その頃には起きて曲を書き続けることが難しくなってきたほどに、彼の体は衰弱が激しくなってきて、とうとう床に就いてペンを走らせる事態になり、弟子のジュスマイヤーに「この曲は僕自身のために書いているんだ」と言うほど、自分の死が遠くないことを自覚していたようです。そしてその年の12月4日の夜、モーツアルトは八小節で止まっている「ラクリモザ(涙の日)」の楽譜をジュスマイヤーに見せながら、涙ながらに残りの音楽を書く指示を与えて、数時間後の12月5日午前零時55分に息を引き取ったそうです。 彼の言葉通り、この「レクイエム」はモーツアルト自身の死を弔う曲となってしまいました。ウオルフガング・A・モーツアルトはこうして1971年12月5日、35歳の若過ぎる死でその生涯を閉じています。愛聴盤 (1) トン・コープマン指揮 アムステルダム・バロック管弦楽団 オランダ・バッハ協会合唱団(エラート原盤 ワーナーミュージック WPCS-11102 1989年10月ライブ録音)(2) カール・ベーム指揮 ウイーンフィルハーモニー管弦楽団・合唱団(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCG4639 1971年録音)(1)は1000円盤 (2)は現在国内プレス盤として入手可能なディスクです。
2010年09月12日
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「名曲100選」R.シュトラウス作曲 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」私がリヒャルト・シュトラウスという作曲家を知ったのは1962年、高校2年生の頃でした。 そのときはあの有名な「ワルツ王」と呼ばれたヨハン・シュトラウス一家の人で、同じようにワルツを作曲している人かと思ったものでした。何故か理由を覚えていないのですが、この人の書いた交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(以下テイルと略します)という曲があることを知って聴きたくなり、カール・ベーム指揮のドレスデン国立歌劇場管弦楽団のモノラル録音の45回転EP盤を買って聴いたのが、最初のリヒャルト・シュトラウス体験でした。 この体験を何故自分から望んだのか今もって不明です。曲を聴いてこの人のオーケストレーションをいっぺんに好きになりました。それまで聴いていたハイドン、モーツアルト、ベートーベンやブラームス、チャイコフスキーなどの曲とは次元が違う音楽で、華麗で精緻な音の響きに魅了されました。それからはこのR.シュトラウスの曲のLP盤がリリースされる度に指をくわえて我慢の子でした。その頃はちょうどイタリア歌劇団が来日して、イタリアオペラにも夢中になっていた時代で、とても両親から何枚ものLP盤を買ってもらうことができなかったので、「レコード藝術」や朝日新聞などで紹介されるシュトラウス音楽の記事を読んでいるに過ぎない時が過ぎていきました。そして大学生になってから友人がオープンリールのテープレコーダーで、「ツァラトゥストラはかく語りき」を聴かせてくれて、すっかりシュトラウス音楽の魅力にとりつかれてしまいました。そんな折のこと、名指揮者ヨゼフ・カイルベルトが手兵のバンベルグ交響楽団を率いて来日、その時に東京に居ました私は上野の東京文化会館に足を運びました。 1968年5月20日のことでした。プログラムはこの交響詩「ティル・・・」、ハイドンの「時計」交響曲、ブラームスの第4番の交響曲でした。 ブラームスも目当ての曲でしたが、何と言っても「ティル」でした。 これが生演奏でしかもドイツの名門オケとカイルベルトですから、当日までに興奮気味の日が続いていたのを今でも覚えています。今でこそR.シュトラウスを演奏するコンサートがあっても、皆さんはさほど興奮もしないと思います。 日本のオケもうまくなり、これを演奏することは難しくない時代になっていますし、レコード・CDは夥しい数の演奏がリリースされています。しかし、1968年はまだこの曲はマイナーだったのか、曲の終わり部分であたかも終わったかのように音楽が途切れる部分があります。そこで聴衆の半分くらいが拍手をするというような時代でした。 オイゲン・ヨッフムが初めてアムステルダム・コンセルトへボーを率いての来日公演(1965年?)でも、この曲を演奏したのですが、彼が客席を振り向いて「シー」という仕草をやったという嘘のような、本当の話があるくらいに、この曲はまだまだマイナーでした。話は逸れましたが、この演奏には心も体も震えるほどの感動を味わいました。R.シュトラウスの見事な、美しく、精緻なオーケストレーションに客席で、音楽に酔っているのかのような至福の時を過ごしていました。この音楽の物語は1500年ごろのドイツの民話で、いたずら好きなティルが様々な悪いことをやって、最後には捕まって死刑になるのですが、その物語をわずか15分間くらいの音楽で描写した交響詩です。 そのいたずら振りを彼特有の華麗で、豊穣な響きに満ちたオーケストレーションで描いています。R.シュトラウスの音楽は管楽器、特に金管楽器が重要な役割を持たされていて、その響きやハーモニーがことのほか美しいという特徴がありますが、この曲も同じです。金管楽器や打楽器が非常に効果的に用いられていて、情景が膨らむかのように描き出されています。この音楽はディズニーの「ファンタジア」のようなアニメにして、音楽とアニメを一緒に味わえたら最高に面白いだろうと常々思っています。愛聴盤 (1) ヨゼフ・カイルベルト指揮 バンベルグ交響楽団(キングレコード KICC 422 1968年5月20日 東京文化会館ライブ録音)このCDは上述しました、私が客席で聴きました演奏会の録音で音源はNHKです。 当時FMでも放送されて大変話題になった演奏会です。ハイドンのみ収録されておらず、アンコール曲のワーグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲も収録されています。(2) ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCG70017 1986年録音)R.シュトラウスと言えばカラヤン、という私の心には定番となっている指揮者で、60年代のウイーンフィルとの録音、1970年代のベルリン・フィルとの録音と3枚も聴き比べをしていますが、一番音のいい状態がこの86年盤なのでここに紹介しました。このほかにルドルフ・ケンペ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン、アンタル・ドラティ指揮デトロイト響の演奏も楽しんで聴いています。
2010年09月11日
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「名曲100選」 シューベルト作曲 八重奏曲ヘ長調 D.803先人、先輩の芸術作品を範として後の人や後輩が作品を作るということがありますが、今日の話題曲のフランツ・シューベルト(1797~1828)が書き残しました「八重奏曲」もその典型的な一つの例かも知れません。この曲は室内楽というジャンルに属する音楽ですが、室内楽とは2つ以上の楽器で演奏される音楽を指して呼んでいます。 例えばヴァイオリン・ソナタ。 これは正確には「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」と呼ぶのが妥当かも知れません。 ベートーベンのヴァイオリン・ソナタは彼自身がそう楽譜に書いています。ピアノ三重奏曲や弦楽四重奏曲など小編成の曲があれば、もっと大きな規模の室内楽曲もあります。 例えばメンデルスゾーンの弦楽八重奏曲やベートーベンの七重奏曲などがあります。 それにモーツアルトの「セレナード K.388」や「ディヴェルトメント K.251」などもあります。シューベルトはピアノ三重奏曲やピアノ五重奏曲、それに弦楽四重奏曲などを書き残していますが、大きな規模の室内楽はこの曲の作曲以前には書いていません。 彼が何故こうした大編成の室内楽を書こうとしたのか、その理由は明確ではありませんが、作曲にあたりベートーベンが若いときに書いています七重奏曲作品20を範として書いたと言われています。同じ6楽章形式であり、楽章の型などもよく似ています。 アダージョの序奏つきアレグロであったり、第2楽章はアダージョだったり、第4楽章は変奏曲だったり、クラリネットを際立たせていたり(第2楽章)、ベートーベンの七重奏曲とよく似ています。 楽器編成では、シューベルトは第2ヴァイオリンを付け加えて八重奏曲としているだけで、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ホルン、ファゴットから編成されていて、第2ヴァイオリンを除いてベートーベンの七重奏曲と同じです。一説には当時のクラリネット好きの伯爵から「ベートーベンに似た作品」の作曲依頼をされたためとも言われています。音楽はシューベルト特有の、豊かな情感と泉が湧き出るかのような美しい旋律にあふれ、弦と管楽器が織り成す多彩に変化するハーモニーの美しさが室内楽を聴く醍醐味を味合わせてくれます。 演奏時間約60分の大曲です。愛聴盤 ウイーンフィル管楽器奏者とウイーン弦楽四重奏団(Camerataレーベル 30CM-470 1997年4月ウイーン録音)
2010年09月10日
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「名曲100選」 ワーグナー作曲 楽劇「トリスタンとイゾルデ」ヨーロッパには中世の「トリスタン伝説」という物語が語り継がれていたそうです。 この「トリスタンとイゾルデ」はその伝説を基に書かれた楽劇で、物語は中世。 アイルランドの王女イゾルデは、政略結婚の犠牲となりイングランドのマルケ王の許に嫁ぐために船で祖国を離れます。 舞台はその船から始まります。 イゾルデを迎えに来たのはマルケ王の甥であるトリスタン。 以前トリスタンと、イゾルデの婚約者である公爵が決闘をして、トリスタンは傷つきます。 秘法の治療を知るイゾルデはトリスタンに好意を持ち、傷を治して逃がしてやります。 しかし、自分の意思とは関係なしにマルケ王に嫁ぐ際の迎えがトリスタンとは。 再会した二人は複雑な心境であり、イゾルデは毒酒を呷って死んで二人で清算しようと図りますが、イゾルデの侍女ブランネーゲが毒酒の変わりに「愛の酒」を二人に飲ませてしまいます。やがて二人はこの酒によって愛するようになるが、イゾルデはマルケ王妃。 それでも二人は愛の焔を燃やし続けますが、ついにマルケ王に知れることとなって、トリスタンは死に、イゾルデも「愛の死」を歌って幕となります。簡単に物語を書きますとこんな風になるのですが、この楽劇の特徴の一つに登場人物の少ないことが挙げられます。 こうした物語の筋が人物によって語られていきます。 また舞台装置も簡素な上演がほとんどで、この楽劇が深い精神性ー男女の満たされぬ愛ーを湛えていることを象徴しているようです。この楽劇を書くきっかけになったのは、ヴェーゼンドンクという富裕家がいて、若い美貌の妻マティルデからせがまれて1軒の住居を、スイスのチューリッヒに提供します。 当時はワーグナーは結婚しておりお金に窮する生活であったので、その住居に妻と引越しますが、妻との間はもうとっくに冷え切っていたそうで、ワーグナーとマティルデ・ヴェーゼンドンクの間に愛が芽生えていきます。 しかし、許されぬ恋・愛でした。直接には関係がないかも知れませんが、この時のワーグナーの心情が「トリスタン伝説」を音楽化・楽劇化したいと思ったきっかけであるように思われているそうです。イタリア・オペラやこれ以前のワーグナーのオペラ「タンホイザー」「ローエングリン」のように、一つのアリアが区切りを示すような表現でなく、音楽は数多くの動機(風景、人物の心などを表している短い音楽)によって繋がっていき(示導動機・ライトモチーフ)、まるで音楽の流れ・旋律が無限のように書かれています(無限旋律)。全曲演奏には4時間近くかかる長大な楽劇です。 音楽は、許されぬ二人の愛の絆と、愛と官能に陶然としていく様を、まるで糸の紡ぎ合いのように、しかもそれが巨大な波のうねりのように大きくなって、旋律は休みなく昂揚していく様は、聴く方が麻薬に取り付かれたような、痺れるような感動・快感を味わいます。 とりわけ、「愛の酒」を飲んだ第1幕の幕切れから第2幕の二人の「愛」を歌う場面は、音楽史上にこれ以上ないと思われるほどの官能にむせ返る音楽に圧倒されます。初めて聴く人には難解なオペラ(楽劇)かもしれませんが、この愛の陶酔に溺れ、許されぬ二人の終末までの「無限旋律」にはまってしまいますと、もうワーグナーの世界から抜け切れない、それこそ彼の仕掛けた「酒」に溺れてしまいます。 所謂「ワグネリアン」となって行くことでしょう。ところでワーグナーと例のマティルデ・ヴェーゼンドンクですが、彼女の夫に知られることになり、ワーグナーはこの「住居」を去っていきます。そして二人の愛がワーグナーに作曲意欲をかきたたせたこの「トリスタンとイゾルデ」は、ドイツ・ミュンヘンの宮廷劇場で1865年に初演されています。この初演の指揮者が、名指揮者と言われたハンス・フォン・ビューローなんですが、まだ話は続きます。 マティルデの許を去ったワーグナーは、今度はビューロー夫人のコジマ・ビューローと恋仲に陥り、駆け落ちまでした後、めでたく夫婦となります。 そして、このコジマこそがあの大作曲家フランツ・リストの娘なのです。そうして二人は仲むつまじく暮らし、ジークフリートという息子を授かります。 息子誕生後の妻コジマの誕生日に自宅階段で、お祝いの曲「ジークフリート牧歌」を初演したエピソードはすでにこのブログで紹介しています。 その頃のワーグナーには、もう「トリスタンとイゾルデ」の「愛の形」とは違う「平安な愛」に囲まれていたのでしょう。愛聴盤 (1) フルトヴェングラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 キルステン・フラグスタート(S) ルードヴィッヒ・ズートハウス(T) ヨーゼフ・グラインドル(Bs) コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団(EMI原盤 東芝EMI TOCE11318~21 1952年録音)(2) カール・ベーム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団ヴォルフガング・ウイットガッセン(T) ビルギット・ニルソン(S)マルッティ・タルヴェラ(B) クリスタ・ルードヴィヒ(Ms)(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック POCG3848 1966年ライブ)
2010年09月09日
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「名曲100選」 ベートーベン作曲 ピアノソナタ 第31番変イ長調 作品110ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン(1770-1827)はピアノ・ソナタを32曲書き残しています。これら32曲のソナタを後世の人は「ピアノ曲の新約聖書」と呼ぶほどに、これらの32曲のピアノ音楽には、「楽しみ」から「威厳の確立」とも呼べる程に孤高の厳しさのにじみ出ている見事な音楽空間があります。この第31番のソナタが作曲されましたのは1822年とありますから、彼の死の5年前で難聴は進み内臓疾患なども患っていた頃に書かれた作品です。 ベートーベンの作曲時期を3期(前期、中期、後期)に分けて論じられていますが、その意味では勿論この曲は晩年の作品であり、特に最後の30番、31番、32番は後期3大ソナタと呼ばれており、それまでのピアノソナタとは一線を画して論じられています。32曲書かれたソナタのうち、この後期3大ソナタを聴きますとそれまでの作品とは明らかに作風が異なっています。それまでの音楽形式にとらわれず、最後のソナタ、第32番などは自由な形式で書かれていること、そうした形式・手法から生まれてきたベートーベン晩年の想いが、詩的な情感の豊かさにあふれています。この第31番は美しい叙情性と終楽章に聴かれる深い精神的内面の吐露が交錯する清澄な音楽で、いっそう詩的な雰囲気・表情が漂っています。自ら色々な病に冒されながら、ひたすら忍耐と立ち向かっていく気迫と悲哀の感情が、ベートーベン自らスコアに書いた「嘆きの歌」と呼ばれる終楽章のアダージョは、特に私は胸を打たれる思いで聴いてしまいます。この楽章は「フーガ楽章」と呼ばれるベートーベンの独創的な形式で書かれており、長大な序奏のあとに、「嘆きの歌」と呼ばれる悲痛な想いのような旋律が奏されて、やがてフーガの部分となり、そのフーガのあと、もう一度「嘆きの歌」が戻ってきます。そして最後にフーガへと戻り、堂々とした音楽で曲を閉じています。そうした音楽の終わらせ方にベートーベンが悲嘆にくれているのではなく、それに立ち向かっていく気迫のようなものを感じます。辛い時、哀しい時など心が沈んでしまいそうな時に聴きますと、私は随分と励まされるピアノ音楽の名曲です。 まさにベートーベンが登りつめた、第32番と共に孤高の境地の最高傑作だと思います。 愛聴盤 (1) ウイルヘルム・バックハウス(ピアノ) (DECCA原盤 ユニヴァーサル・クラシック UCCD9163 1963年録音)(2) ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・クラシック UCCG2043 1987年ウイーン・ライブ)両盤とも第30番、31番、32番の最後の3大ソナタが収録されています。
2010年09月08日
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「名曲100選」 シベリウス作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ短調ヴィヴァルディなどのバロック音楽時代を経て、バッハ、モーツアルトに受け継がれてきたヴァイオリン協奏曲が、「サロン風」音楽から劇場型音楽に変えたのがベートーベンでした。 音楽は優美さと雄渾さ・雄大さが備わった協奏曲が、やがて交響楽的な響きのブラームスの協奏曲が生まれてきました。その後ロマン派作曲家の、ヴァイオリンという楽器の特性をフルに生かした個性ある美しい曲の数々が生まれてきました。 メンデルスゾーン、ブルッフ、ラロ、チャイコフスキー、ドヴォルザークなどを経て、20世紀にはバルトーク、プロコフィエフ、グラズノフ、ストラビンスキー、ハチャトリアン、ショスタコービチなどに受け継がれてきました。その中でもシベリウスの協奏曲は人気があり、ヴァイオリニストたちの心をかきたてる曲の一つとして演奏会や録音でよく採り上げられています。シベリウスの祖国フィンランドは「湖沼の国」と呼ばれるくらいで千の湖と深い森林に覆われた国です。国土の70%が原始林に占められており、ごつごつとした岩だらけの風土に、暗い厳しい寒さという、過酷な自然環境に包まれています。シベリウスの作曲した交響曲や交響詩などは、こうしたフィンランドの森、湖を想像させるような情緒を醸し出した音楽で、清冽な美しさに満ちています。 私も仕事の出張で訪れたことがありますが、あの深い森とそこに点在する湖に立ってみて、初めてシベリウスの音楽が心に染み渡るようになりました。霧に覆われた神秘的な湖や、奥深い森の情景がまざまざと目に浮かんできます。 ある音楽評論家が「シベリウスの音楽世界には人が誰もいない」と表現していますが、そういう情緒を湛えていることは確かです。このヴァイオリン協奏曲もこうしたフィンランドの情景を彷彿とさせており、幻想的な美しい旋律が散りばめられた傑作です。 フィンランドの風が吹き渡るかのような清冽さにみちた美しい音楽が全楽章を包み込んでいます。シベリウスは謎の隠遁生活を送っていた1957年の9月20日に、脳出血のために91歳の生涯を閉じています。彼の訃報は全国に伝えられて、フィンランド放送番組は中断されて、シベリウスの名作「トゥネラの白鳥」が流されて哀悼の意を表したほど国民から愛された作曲家でした。シベリウスは、ヴァイオリン演奏でも優れた演奏家で音楽院で勉強中には、すでにメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾きこなしていたそうです。ただ彼はヴァイオリニストの道を歩まなかったのは、ステージに立つとあがってしまう性格だったので、ヴァイオリン演奏の道を断念したというエピソードが残っています。彼がヴァイオリニストとして研鑽を積んでステージに立つ道を選んでいれば、今私たちが聴いている素晴らしい音楽が生まれていなかったかも知れません。愛聴盤 (1) キョン・チョン・ファ(Vn) アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団(DECCA原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCD7007 1970年録音)有名なキョン・チョン・ファの1970年の録音盤で、第1楽章の清冽なリリシズムとフィンランドの清澄な空気、そこはかとなく秘めた寂寥感がたまらない魅力です。LPからCDに変わっても何度も再発売を繰り返されてきた名盤です。(2) 五嶋みどり(Vn) ズービン・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー(SONYクラシカル SRCR9651 1993年録音)キョン・チョン・ファの演奏に力強さが加わったような、たくましいシベリウスとなった名演だと感じています。
2010年09月05日
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「名曲100選」 ドビッシー作曲 「前奏曲集」クロード・ドビッシー(1862-1918)の作品は、管弦楽曲、室内楽曲、器楽曲、オペラなどの分野にわたって書かれていますが、それらの作品の中でも最も重要なジャンルはピアノ曲ではないでしょうか?彼自身が、ショパンの直弟子だった人に師事してピアノを勉強したと言われていますから、ピアノ演奏はかなりの技量であったと推測されます。 その彼のピアノから生まれたのが「ベルガマスク組曲」「版画」「映像」「子供の領分」「前奏曲集」です。 これらの曲は、印象主義音楽技法で書かれており、彼自身が見聞したものからインスピレーションを得て、ピアノの音としてその印象を音楽として表現しています。 彼が最初に印象主義音楽として書いたのが「牧神の午後への前奏曲」と言われています。 その後「夜想曲」や交響詩「海」などを書いて印象主義音楽を完成させていったのですが、今日の話題曲「前奏曲集」はこうした印象主義を顕著に表したピアノ音楽の傑作の一つです。この曲に限らないのですが、特に「前奏曲集」ではドビッシーの特徴を随所に聴くことができます。 それはメロディよりも音色そのものを重視していることです。 ハーモニーや音色を大切にした音楽なのです。 ドビッシー以前のシューベルト、シューマンは勿論のこと、ショパンやリストでさえ書いていない新しい作曲技法で書かれたピアノ音楽です。「前奏曲集」は1曲ごとに題名が付けられているのですが、それは曲の内容を表す題名です。 それらはドビッシー自身が見たり、聞いたり、読んだりしたこと(風景、絵画、文学など)から受けた印象をピアノの音として表現したいます。 しかし、題名と音楽は、「標題音楽」のように密接に関連しているとは思えないのが曲を聴いた感想です。 標題音楽ではない、という彼のメッセージなのかもしれません。「前奏曲集」は第1巻と第2巻があり、第1巻は、「音と香りは夕べの大気のなかに漂う」「アナカプリの丘」「雪の上の足あと」「西風の見たもの」「 亜麻色の髪の乙女」「 さえぎられたセレナード」「沈める寺」「パックの踊り」「吟遊詩人」「水に映る影」から構成されており、第2巻は、 霧 枯葉 ヴィーノの門 妖精たちはあでやかな踊り子 ヒースの荒野 奇人ラヴィーヌ将軍 月の光が降り注ぐテラス 水の精 ピクウィック殿をたたえて カノープ 交代する三度 花火 で構成されています。誰もが書いたことのない新しいピアノ音楽の世界を示してくれたドビッシーは、やはり素晴らしい作曲家であると改めて思います。愛聴盤 アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ) (グラモフォン・レーベル 413450 1978年録音 海外盤)このディスクは第1巻のみ収録されています。(グラモフォン・レーベル 427391 1988年録音 海外盤)こちらは第2巻の収録です。尚、このミケランジェリ演奏盤は国内プレスで第1集と第2集収録の全曲盤が1枚のCDでもリリースされています。そちらの方がはるかにお買い得です。
2010年09月04日
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「名曲100選」 J.S.バッハ作曲 「ブランデンブルグ協奏曲」ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)は、65歳の人生で教会音楽と呼ばれる「宗教」の行事に使われる音楽と、「世俗曲」と呼ばれる教会で演奏されるものと関係がない2つの音楽ジャンルの作品を書いています。 前者が「カンタータ」や「ミサ曲」、「オルガン曲」などで、後者には「管弦楽組曲」、「ヴァイオリン協奏曲」、「無伴奏チェロ組曲」、「無伴奏ヴァイオリンソナタ」、「平均律クラヴィーア曲集」、それに「ブランデンブルグ協奏曲」などがあります。バッハには「ワイマール時代」とか「ケーテン時代」とか「ライプチッヒ時代」とか呼ばれている時期があります。 それは彼が一時期を過ごした場所を示す時代を表しています。 それぞれの時代にその場所の王侯・貴族に遣えて「音楽長」なる職務を与えられていたことを表す言葉です。「ワイマール」では9年半の間、「宮廷オルガニスト」「宮廷楽員」としてつかえて、最後には「楽士長」となっています。 その「ワイマール」の後バッハは紆余曲折を経て、ケーテン公レオポルドに熱心に請われて公の宮廷楽団の楽長のポストに就いて約5年半を「ケーテン」で過ごしました。 1717から1723年のバッハ32歳から38歳の時期です。 ケーテン公は非常に音楽の好きな人だったそうで、バッハを手厚く扱っていたためにバッハ自身も自分の書きたい曲を思う存分に書いていたそうです。上記の「世俗曲」はほとんど「ケーテン時代」に書かれたと言われており、バッハ65歳の生涯で「最も幸せな時代」であったと言われています。その「ケーテン時代」に書かれた作品の中に「ブランデンブルグ協奏曲」(全6曲)があります。 イタリアのヴィヴァルディ(1678-1741)に代表されるイタリア・バロック音楽に「合奏協奏曲」(独奏楽器群と合奏楽器群の競演)という音楽スタイルがあり、ラテン特有の華麗な音楽に人気がありました。 バッハはその「合奏協奏曲」スタイルに、よりがっしりとした骨組みを作ってドイツ精神のようなものを吹き込んだ作品に書き上げています。使用される独奏楽器群は6曲それぞれに異なっており、曲自体に様々な彩りを与えています。 各曲の独奏楽器群は、「第1番」 ホルン2本と3本のオーボエ「第2番」 トランペットとリコーダー、オーボエ、ヴァイオリン「第3番」 独奏と合奏の区別無く、弦楽器のみ「第4番」 2本のリコーダーとヴァイオリン「第5番」 フルートとヴァイオリン、チェンバロ「第6番」 独奏と合奏の区別なく、弦楽器での演奏となっており、ヴィヴァルディ・スタイルを踏襲しているのは「第2番」「第4番」「第5番」と言われています。 他の3曲はバッハ独自のスタイルとなっているそうです。音楽は華麗さとドイツ音楽の重厚な構成による骨太の音楽となっていて、それぞれの曲の多彩な曲趣を味わえる作品です。この曲は、「ケーテン時代」に書いて宮廷演奏会で演奏されていた作品から6曲を選び出して、1721年にルードヴィッヒ・ブランデンブルグ辺境伯に献呈されています。 この曲の名前はこのルードヴィッヒ伯爵に献呈されたことに由来しているそうです。私がこの「ブランデンブルグ協奏曲」を初めて聴きましたのが高校1年生の時で、今では何故この曲を選んだのか理由は定かではありませんが、カール・ミュンヒンガー指揮 シュトットガルト室内管弦楽団の録音したLP盤から第2番のみをプレスしたEP盤を買って聴きました。 トランペットの華やかな音色に魅されて毎日この「第2番」を聴いて楽しんでいました。愛聴盤(1) ルドルフ・パウムガルトナー指揮 ルツェルン弦楽合奏団(DENONレーベル COCO70387 1978年録音)ヨゼフ・スークのヴァイオリン、オーレル・ニコレのフルート、ギィ・トゥーヴロンのトランペット、クリスティアーヌ・ジャコテ(チェンバロ)などをソリストに迎えた、少しの遅めのテンポでゆったりとした素朴なドイツ・バロック音楽といった感のある、聴くほどに味のある演奏です。 DENEON CREST1000シリーズの一組として再発売されて2枚組で1500円という廉価盤です。(2) ジャン=フランソァ・パイヤール指揮 パイヤール室内管弦楽団(DENONレーベル COCO73022 1973年録音)パウムガルトナー盤のような重厚さはありませんが、フランス・サロン音楽風のバッハでランパルのフルート、モーリス・アンドレのトランペット、ジャリのヴァイオリンなどの独奏者を迎えての名人芸を楽しめるディスクで、現在はDENON CREST1000シリーズで1000円盤として再発売されています。第1番を除いて5曲収録されています。
2010年09月03日
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