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『室内楽の楽しみ』 ベートーヴェン作曲 ヴァイオリンソナタ第9番イ長調 ベートーヴェン(1770-1827)はヴァイオリンソナタ第5番「春」を書いた後、6番ー8番を作品30として一括して出版したあとに、1803年5月にイ長調の第9番「クロイツェル」を書き上げています。 ベートーヴェン32歳の春でした。 交響曲では3番「英雄」が完成間近の頃にあたります。 彼はヴァイオリン・ソナタを全部で10曲書いていますから、「傑作の森」と呼ばれる中期以前の第1期にすでに9割のソナタを書き上げてしまったことになり、最後の10番の完成はほぼ10年経った1812年まで待たねばならないのです。そして1812年以降、亡くなるまでの15年間はとうとうヴァイオリンソナタを書くことがありませんでした。さて、この第9番の「クロイツェル」ですが、様々なエピソードが残されています。第一に、ベートーヴェン自身が副題をスコアに書いているのが「ヴァイオリンの助奏を伴うきわめて協奏的なピアノのためのソナタ」と指示していますが、とんでもない、この曲は「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」と呼ぶべきで、ヴァイオリンは助奏どころかきわめて二重奏的な色合いの濃い曲となっています。 これは前作の第5番「春」についても言えることですが、ヴァイオリンとピアノのパートが独立性が高く、まるで2つの楽器による二重奏といった趣きで、決してヴァイオリンパートは「助奏」ではありません。 もっとも曲を聴けばそんなことはすぐにわかるくらいにきわめて優れた二重奏曲であると理解はできますが。演奏時間は30分を超す雄大・壮大な規模で書かれており、3楽章形式です。第1楽章は、二つの楽器の対話で進む緊張感にあふれたアダージョ・ソステヌートで始まり、大規模な主部へと進んでヴァイオリンとピアノの掛け合いによる張り詰めた緊張を伴う音楽に耳を奪われます。 ベートーベンのほとんどの音楽がそうであるように、とても腰が据わった安定感のある旋律・リズム・和声で貫かれた堂々とした音楽です。第2楽章は、アンダンテでしかも変奏曲風にと書かれていて、変奏曲スタイルによる緩やかなテンポの楽章で、風格ある主題が提示されたあとに4つの変奏が行われ、しかもカデンツァとコーダ付きという重厚なアンダンテ楽章です。 雄大・壮大な規模の音楽と打って変わって、ベートーベンはこれほどに優しいのかと思うぐらいに優美な旋律の楽章です。終楽章は、プレストでまるでイタリアの「タランテラ舞曲」を想起させるようなリズミックな躍動感にあふれ、華麗で、力強い音楽で締めくくられています。まさにヴァイオリンソナタの音楽史上でも稀な大傑作です。ベートーヴェンは、この曲をイギリス国籍のブリッジタワーというヴァイオリニストに献呈するために書いたと言われています。 ですから初演はこのブリッジタワーとベートーヴェンによって行われたのですが、完成が遅れたために初演のステージでは、楽譜の清書が間に合わず、第2楽章はヴァイオリンは草稿のまま、ピアノはスケッチで演奏されたというエピソードが残っています。ブリッジタワーに献呈するために書かれたこの曲が、何故「クロイツェル」なのか? それは初演のあとベートーヴェンとブリッジタワーが不仲となり、フランスのヴァイオリニストのロドルフォ・クロイツェルに献呈されてこの副題がつけられたそうです。しかし、クロイツェル自身がベートーヴェンの激しい音楽を好んでいなかったので、彼によってこの曲は一度も演奏されなかったという後日談が残っています。この曲にまつわる話は、ロシアの文豪トルストイが書いた小説「クロイツェル・ソナタ」があります。 倦怠期のロシア貴族の一家庭の不倫事件を扱っており、貴族の妻が家庭に出入りするヴァイオリニストと恋に落ち、夫が嫉妬のあまり妻を殺すという物語ですが、その不倫の発端となったのがこの「クロイツェル・ソナタ」の合奏だったのです。 トルストイはこの小説の展開上、この曲を重要な予想として扱っています。またチェコの作曲家ヤナーチェックは、このトルストイの小説を読んで「トルストイのクロイツェル・ソナタに霊感をうけて」と題した弦楽四重奏曲第1番を作曲しています。愛聴盤(1)ギドン・クレーメル(VN) マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(ドイツ・グラモフォン 447054-2 輸入盤)緊張感の漲った演奏で丁々発止と受け渡しをしながら演奏される名人芸に酔うのに格好のディスク(2)ダヴィッド・オイストラフ(VN)、レフ・オボーリン(ピアノ)(Philps原盤 ユニヴァーサル・ミュージック 1967年録音)風格がただよう、オイストラフの遅めのテンポが王者の足取りのように聴こえてきます。 しかも力強い気迫のこもった熱い演奏で、40年以上の前の録音というのを忘れてしますほどの堂々とした熱演で、これこそ名演奏と呼べる記録だと思います。LP時代から一体何度再発売を繰り返してきたことでしょう。 現在は1000円盤で第5番「春」とのカップリングもうれしいディスクです。(3)アルテュール・グリュミオー(Vn) クララ・ハスキル(P)(Philips原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCP3438 1957年モノラル録音)私が14-5歳の頃に買って聴いた懐かしい録音で、しなやかで温かみのあるグリュミオーのヴァイオリンとハスキルの奏でるピアノは、至福の時空へ誘ってくるれような演奏です。 これも何度再発売されているかわからない程リリースを繰り返しています。 現在は「歴史的名演シリーズ」として1200円盤として再発売されています。(4)西崎崇子(Vn) イェネ・ヤンドー(ピアノ)(Naxos 8.550283 1989年録音)可もなし不可もなしと言ってしまえばそれまでですが、西崎の実に素直な音色が美しい演奏で、こういうのを「普遍的」と呼べる演奏ではないでしょうか。 知人のヴァィリオンの先生に聴いてもらったところ「こんなんやったら私でも弾けるわ」と言われたそうです。それほどに西崎の音色は素直そのものです。Naxos社長夫人という地位にありながら、さすが世界で最も録音の数が多いヴァイオリニストの演奏と肯ける模範的で万人に薦めたいディスクです。 価格も1000円。 ベートーベンの「スプリング・ソナタ」とのカップリングです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1876年 誕生 パブロ・カザルス(チェリスト)1893年 初演 ドビッシー 弦楽四重奏曲1906年 初演 シベリウス 交響詩「ポヒョラの娘」1965年 没 山田耕作(作曲家)2001年 没 朝比奈 隆(指揮者)
2007年12月29日
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1887年2月5日、ジュゼッペ・ベルディ(1813-1901)が作曲しましたオペラ「オテロ」が初演されています。「オテロ」は言うまでもなくイギリスの文豪シェイクスピアの戯曲「オセロ」題材としているオペラです。ヴェルディはこのオペラで、音楽とドラマを緊密に結びつかせ全体を一つにまとめ劇的緊張感をいっそう鮮明に表現することに成功しています。 作品ごとに進んだオペラに変えていった彼の創作活動における最高峰がこの「オテロ」だ思います。その成功のひとつに台本の秀逸な出来上がりを指摘できます。シェイクスピアの原作のテーマが、嫉妬心が生む悲劇というものをよく練り上げた素晴らしい台本だと思います。 特にイヤーゴの扱いが秀逸で、「イヤーゴの信条」で知られる悪魔的な告白が、その性格をより強く印象付けています。 イヤーゴのあくの強さが雪崩のように悲劇へとつき進む重要な役割を果たしており、このオペラの劇的緊張感を支えています。音楽が最高で全体でひとまとまりなので、聴きどころは全部ですが、敢えていうなら第一幕はオテロの登場シーンとオテロとデズデーモナの愛の二重唱。 二幕では、最後に歌われるオテロとイヤーゴの二重唱が大きな聴きどころで、圧倒的な迫力の内に幕が閉じます。第三幕は、イヤーゴが吹き込む悪魔の囁きに苦しみだすオテロの胸の内をどう表現するか興味深い緊迫感があります。 また、第四幕は、有名なアリア<柳の歌>で幕を開けますが、デズデーモナ役のソプラノにとっては最大の聴かせどころで、陰惨なクライマックスへ向けて緊張感が増していきます。そうした観点で聴きますとこのオペラは歌唱に優れたタイトルロールを歌う歌手によってその成否が決まるように思います。 歌唱力にくわえて演技力が要求される役で、まさにテノールの最高の役ではないでしょうか。その「オテロ」の演奏に惚れる録音は、まず真っ先に“黄金のトランペット”の愛称で親しまれた往年の名テノール、マリオ・デル・モナコを思い出さないわけにはいきません。 1959年の日本公演の模様をDVD、またのちのカラヤン指揮ウイーンフィルとの演奏は「空前絶後」という表現がぴったりです。 それは、今から40数年前の1959年のことでした。56年より76年まで計8回にわたって行われたNHKイタリア歌劇団の第2回公演でのことです。 その中でも、話題の中心と言えば、やはりデル・モナコ主演による「オテロ」です。 日本オペラ史に残る記念碑的な名演奏がこのDVDに刻まれています。 しかもティト・ゴッビの凄絶なイアーゴは言語に絶するものがあります。その第1幕、吹き荒れる嵐を表すかのような金管の咆哮に続く合唱による迫力の幕開け。そして、オテロ登場のシーン。このオペラを舞台で観た観客全員が固唾を飲んで見守り、遂にデル・モナコが姿を現し、「喜べ!」の第一声が会場に響きわたり、全てを圧するその声の凄まじさに聴衆は声もなかったと伝えられています。カラヤン指揮ウイーンフィルの演奏ではステレオ録音によって、より鮮明にデル・モナコの名唱が刻まれており、これを凌駕する演奏はドミンゴまで待たねばならないほどでした。そして私たちの前にデル・モナコ以来のオテロ歌いが現れます。プラシド・ドミンゴ、その人です。81年に行われたミラノ・スカラ座の引っ越し公演で、相手役にはアンナ・トモワ=シントウ、そして、指揮はカルロス・クライバー、演出はフランコ・ゼッフィレッリというこれ以上ない顔合わせでした。当時から当代一のオテロ歌いと定評のあったドミンゴですが、その舞台での歌唱・演技を日本のオペラファンに初めて披露しました。 イヤーゴの悪巧みによって、愛と嫉妬の板挟みに苦悩し、やがて破滅へと進むオテロの強さと弱さを見事に声と演技で表現してくれました。デル・モナコのオテロが“直截的”なのに対し、ドミンゴは苦悩する人間の弱さを“味わい深さ”で表現した見事な舞台でした。 この舞台鑑賞は私の文化財産のようになっています。愛聴盤 (1) マリオ・デル・モナコ(T) レナータ・テバルディ(S) アルド・プロッティ(Br) ヘルベルト・カラヤン指揮 ウイーンフィル (DECCA原盤 POCL2332 ユニヴァーサル・クラシック 1962年録音)(2) マリオ・デル・モナコ、 ティト・ゴッビ、 ガブリエルラ・トゥッチ(デズデモーナ) アルベルト・エレーデ指揮 NHK交響楽団 1959年来日公演DVD)(3) プラシド・ドミンゴ、シェリル・ステューダー(S)、セルゲイ・ライフェルクス(Br) チョン・ミュン・フン指揮 バスティーユオペラ座管弦楽団チョン・ミュン・フン最高のオペラ録音です。(4) ドミンゴ、カーテイア・リッチャレリ(S)、ディアス(Br) ロリン・マゼール指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団 ゼッフィレッリ演出(紀伊国屋書店 KKDS124 1986年制作オペラ映画)ゼッフィレッリの演出による素晴らしい映像。 舞台から飛び出したオペラが臨場感満点のドラマを見せてくれます。 まるで第一級の映画俳優のようなドミンゴとリッチャレリとマゼールの劇的緊張感あふれる演奏に、オペラと映画の両方に酔える映画です。『今日の音楽カレンダー』1887年 初演 ヴェルディ オペラ「オテロ」1895年 初演 イッポリトフ=イワーノフ 組曲「コーカサスの風景」1911年 生誕 ユッシ・ビョルリンク(テノール)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『腕の快復』今朝も整形外科医院に行って痛み止め薬をもらってきました。 神経痛の痛みはすこしずつ和らいでいるようです。 医師は安静にしているのが一番と言ってますが、終日寝ているわけに行かず、体を動かせることをやっています。腕の腫れが引いてきて良くなってきました。 今朝はタオルを絞ることができるようになって安心しています。 あと2日くらいで元通りになると信じています。皆様のお心遣いに感謝致しております。 ありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2005年02月05日
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「今日のクラシック音楽」 チャイコフスキーをめぐる二人の女性チャイコフスキー(1840-1893)には同性愛者という影のようなものが終生ついてまわっていて、有名な第6交響曲「悲愴」の初演からわずか9日後に、同性愛が原因で自殺によって亡くなったと現代では定説のように言われています。 亡くなった日はたしかに1893年11月6日なのですが、その死因はコレラによるものと長い間言われていましたが、自殺の原因はあるロシアの公爵の甥と親しく同性愛として交際をしていたことから、公爵に訴えられると脅迫観念から起こったとされており、これが彼の自殺の原因と言われています。そのチャイコフスキーにも生涯に関わった女性が二人いて、それが光の明と暗のような存在を示しています。 一人はチャイコフスキーの音楽を愛し、パトロン的な経済援助を13年間も続けたフォン・メック夫人。 もう一人がアントリーナ・ミリューコバという女性です。 チャイコフスキーの弟子にイオシオフ・コチェークというヴァイオリニストがいて、彼が時々ある未亡人の依頼だと言ってヴァイオリンの小品の作曲を頼んでいました。 しかし小品にしては法外な多額の謝礼を寄こすのでチャイコフスキーは非常にこの未亡人に興味を抱き始めたのです。 その未亡人こそがフォン・メック夫人だったのです。フォン・メック夫人の夫、カール・オットーはロシアの鉄道王のような存在でロシアを縦横に走る鉄道経営で巨万の富を築いていたそうです。 この夫婦には6男6女という子宝に恵まれており、相当仲のいいカップルだったのでしょう。 しかし夫カールが50代で世を去ってのちに、メック未亡人は残された子供たちの養育と引き継いだ鉄道経営のかじ取りをしていたそうです。チャイコフスキーと最初の手紙のやり取りを始めたのが1876年の冬で、この頃には息子に鉄道経営を任せて好きな音楽を聴く余生を楽しむ夫人となっていました。 この手紙での交際は13年間も続きチャイコフスキーも経済的に相当余裕が出来たそうです。 年間の援助額が6,000ルーブル。 彼のモスクワ音楽院での初任給が800ルーブルであったことと比較すると、いかに夫人の援助がチャイコフスキーを安心して作曲に没頭できたか想像できます。しかし、この二人は終生一度も会うことなく13年間で1200通にも及ぶ手紙だけの交際に終わっています。 世にも不思議な男女の交際です。 そこへ大変な出来事が起こりました。 フォン・メック夫人との交際も不思議ですが、この話も実に摩訶不思議な物語です。 彼が教鞭をとっていたモスクワ音楽院に9歳年下のアントリーナ・ミリューコバという女性の教え子がいました。 彼女が突然にラブレターを送ってきたのです。 チャイコフスキーは彼女と一言も言葉を交わしていないので、このラブレターには驚き・狼狽さえ感じたようですが、手紙には彼女の誠実さが見られ、傷つけまいと思って返事を書いてしまったのです。 その後は続々と手紙を送ってくるようになり、「あなたなしでは生きてはおれません。 いっそうのこと自殺した方がましです」と熱烈な内容となり、結婚まで迫るようになってきました。現代のストーカーのような存在だったのでしょう。 私も一度この類の経験を学生時代に味わったことがあります。 普通なら路上ですれ違った、ただそれだけの邂逅の機会くらいに思っていなかったのに、10枚ほどのラブレターをもらい、その後夜を徹して迫られたことがあります。 惚れられる方が辛いこともあるんだと思った体験でした。話は横道にそれました。 チャイコフスキーは気が弱かったのか、結局二人はひっそりと式をあげました。 1877年9月のことでした。 彼は最初は彼女のことをそう悪くは思っていなかったようで、メック夫人への手紙に結婚のことを述べて妻となるミリューコバのことは好意的に書き添えていたそうです。ところが結婚してチャイコフスキーは愕然となり、その驚き・怒りの心情を手紙に書いています。 そしてあの名曲がこの摩訶不思議な結婚~悲劇へと導かれて生まれるのです。つづく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「今日の風景」 お地蔵さん「大野の阿弥陀さん」として親しまれている堯王院(ぎょうおういん)は、自宅から車で約20分くらいのところにあり、聖武天皇の皇后である光明皇后の安産を祈るために行基が作ったという阿弥陀如来像を祭っています。そのため安産を祈願する女性が多く参詣し、丈夫な子どもが産まれるようにと腹帯を授かりにくる参拝者で賑わっています。 その阿弥陀如来像が鎮座する堂の前に可愛らしい石のお地蔵さんがありました。 参拝客の妊婦が掛けていったのでしょう。 安産祈願や出産のお礼を書いた白いハンカチのような布が巻かれていました。
2007年09月19日
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「今日のクラシック音楽」 勝手につけられた俗称(副題)クラシック音楽の曲名に副題(俗称)がつくと何となく聴いてみようかな、どんな曲かなという期待が湧くものです。 例えば、ベートーベンの交響曲第3番「英雄」とか第6番「田園」、ドヴォルザークの第9番「新世界より」やチャイコフスキーの第6番「悲愴」などがその典型的な例でしょう。 これらの曲は作曲家自ら楽譜に書いた副題ですが、作曲家本人が付けたわけでもないのに後世の人が面白おかしく付けているのもあります。 そのおかげで有名になっている曲もあります。ベートーベンのピアノ・ソナタ第14番がその典型です。 今では第何番という正式な呼び方を知らなくても「月光ソナタ」と言えば、「あ~、あれね」となります。 この曲とてベートーベンが作曲時に付けた名前でもありません。 スイスの詩人がこの曲の第1楽章を表して「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のようだ」と形容したのが始まりだそうです。ベートーベンはただ単なる「幻想風ソナタ」としただけの曲が、現在では「月光ソナタ」として世界中に広まっています。副題(俗称)が多いのはハイドン。 この人の曲、特に交響曲に色々な副題がつけられています。 「朝」「昼」「晩」「火事」「校長先生」「めんどり」「熊」「哲学者」「ホルン信号」「王妃」「告別」「時計」「太鼓連打「驚愕」「軍隊」「ロンドン」「奇跡」など実に多数の副題が付けられており、聴く方にも食指が伸びそうなものばかりです。これらにはエピソードがあるのですが、その挿話も真実なものもあれば、後世の人たちが勝手にでっち上げた物がほとんどです。例えば第45番「告別」は事実に基づいているそうです。 ハンガリーの貴族の宮廷音楽長として仕えていたハイドンは、主が夏の間避暑に出かけるのに楽団員全員とその家族も連れて行くのが習慣でした。 ところがその年は宮殿を改修中で楽団員の家族まで収容できないので、単身赴任となり、楽団員とその家族は嘆きました。 そこでハイドンが書いたのが第45番「告別」でした。第1楽章では楽団員全員がそろっていますが、終楽章では演奏が終わった楽員がローソクを消して一人、一人退場していき、最後はヴァイオリン二人だけが残るという曲です。 これを貴族の前で演奏しますと、彼はハイドンや楽団員の気持ち理解して従来通り家族同伴で避暑地に向かったそうです。 これが「告別」の由来だそうです。もう一つ、ハイドンの「奇跡」(第96番)。 これはハイドンがザロモンという興行師によってロンドンへ演奏旅行した際に書いた「ザロモン・セット」の一曲ですが、その演奏会でハイドンが指揮をとることになっていました。当時彼はロンドンでも非常に人気があり、少しでも近くで彼を観ようと聴衆は前の席が空いているのでそこへ移動しました。 真ん中あたりに空席が目立ってしまいました。 演奏が始まるとその真ん中あたりの天井に吊下げてあっシャンデリアが客席に落ちました。 幸いなことにそのあたりの客席は聴衆が前に移動していたので、怪我をした人は誰もいなかったそうです。 それで聴衆は「奇跡だ!」と叫んだので、このときの演奏曲第96番が「奇跡」呼ばれるようになったそうです。 これは勿論作り話ですが。私が若いころ大阪フェスティバル・ホールでこの「奇跡」の演奏を聴いたことがありますが、演奏が始まると思わず天井を眺めていました。
2007年11月17日
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「犬矢来」これは喫茶・レストランから依頼された件の原稿の一つです。京都には今でも江戸風情を残す情緒ある建物や風物の残る所が随所に見られます。 その代表的な街並みはやはり「祇園」でしょう。 舞妓さんの置屋・倹番などの玄関には塩を盛って置いてあったり、提灯が飾られていたり、「駒寄せ」と呼ばれる板塀の前に格子のガードのような木製の、人の腰くらいの背の防御柵などが見られます。 それらはまるで時空を超えた由緒ある歴史的情緒を思わせるものがあります。そうした風情の中でも今では一般の民家ではほとんど見ることが出来ない「犬矢来」があります。「イヌヤライ」と読みます。 江戸時代に出来た柵の一つですが、これは板壁を道から跳ね上がる泥水や犬の小便から守るために作られた柵ですが、竹で作られており掃除をするときはそのまま外して洗えるようになっています。 今では料亭や料理屋の板塀に沿って置かれています。板壁の防御・保護の目的で考えられた柵ですが、もう一つ目的があったそうです。江戸時代の家の造りは現代と比べて壁が薄かったそうです。 家・料理屋などで内密の話をしていると外壁に耳を寄せますと中の内密の話が聞こえたそうです。 この犬矢来を立てておくと板壁に耳を寄せることができません。 その盗み聞きを防止する目的からもこの「犬矢来」を立て掛けたそうです。犬矢来
2008年03月03日
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「今日のクラシック音楽」 オペラ間奏曲の楽しみ私の友人でオペラを全く聴かない「クラシック音楽大好き人間」がいる。 交響曲や管弦楽曲、器楽曲、室内楽曲にはとても造詣が深く知識も豊富なんですが、ことオペラになると知識がない。 どうも人間が発するあの独特の歌い方についていけないのと、全曲があまりに長過ぎるというのが、オペラを聴かない理由だそうです。確かにオペラは長い。 短いオペラでも80分(CD1枚分)はかかります。 レオンカヴァルロの「道化師」やマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」などはその部類に入ります。ところがほとんどのオペラは2時間はかかります。 ワーグナーの楽劇などは4時間近くかかります。オペラは、イタリア物のように「声の競演」「歌の競演」などと言っても第1幕から終幕までそればかりかと言うと、決してそうではありません。 やはり退屈な時間も生じることがあります。ならばCDなどではハイライト盤があります。4時間近くかかるオペラをいいとこだけ切り取って編集したCDで、大概は1枚物です。 これならアリアや合唱曲、序曲・前奏曲・間奏曲などが入っていて、そのオペラのエッセンスみたいなものです。確かにその当該オペラの「おいしい」歌や部分だけを楽しめる趣向のCDですが、オペラ全体の劇としての緊張感や物語としての面白さには欠けてしまいます。 しかしどうしても全幕を聴くのは億劫だという人には、このハイライト盤はとても重宝すると思います。それよりもまだ短く凄いのがあります。 ヘルベルト・フォン・カラヤンが1950年代にフィルハーモニア管弦楽団と録音した「オペラ間奏曲集」。 序曲集というレコードは昔から色々な指揮者によって録音されています。 「ロッシーニ序曲集」「モーツアルト序曲集」や「オペレッタ序曲集」などがそれです。しかしオペラの間奏曲ばかり集めて録音したのはカラヤンだけではないでしょうか。 「間奏曲」は幕間に演奏される短い小品ですが、ここに紹介します盤に収録されています間奏曲は、どれもこれもまるで独立した曲の様に素晴らしく美しい旋律に彩られた珠玉の小品ばかりです。勿論、この小品一曲でそのオペラを想像したり、物語っているとはとても言えませんが、これらを聴きながらオペラの場面を想像して楽しめる趣向のアルバムです。 まだオペラを聴いたことがない人には、旋律だけを楽しんでもらえるように選りすぐりの美しいメロディーに満ちたアルバムです。カラヤンは50年代からこういう大衆向けとでも言えるような音楽を提供することを考えていたのですね。 そしてこういう誰の心にも入り込むようなクラシック音楽を広めていたのだと思うと、一指揮者にとどまらず、クラシック音楽普及への情熱が沸々と湧き上がっていたのだ、ということがよくわかります。今日紹介する盤は1967年ベルリンフィルとの録音で、選曲もこれ以上ないと思われる間奏曲ばかりです。 特筆すべきはカラヤンのこういう小品の表現の素晴らしさで、どの曲も美しさに満ちたこぼれんばかりの美麗に包まれた演奏です。 間奏曲集ならこれ1枚で充分と思えるほどの華麗・美麗・流麗な演奏です。私は基本的にはカラヤンの美麗さを好みません。 特にベートーベンやモーツアルト、シューベルト、シューマンの交響曲などは、燕尾服を着た作曲者がベンツで疾走するかのような感じを受けるのですが、こういう小品を振ると右にでる指揮者がいないと思わせる美しさにあふれた演奏を繰り広げています。LP時代から何度も装いを新たにして再発売を繰り返してきていますが、ユニヴァーサルからまた12月に再発売される予定です。紹介の商品番号はその12月再発売のものです。珈琲を味わいながら秋の午後に、こうした名旋律をたっぷりと聴くのもおつなものです。愛聴盤 カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCG4277 1967年録音)40年前の古い録音ですが再発売のたびにリマスターされて音質も向上して鑑賞には何ら支障のない録音状態で聴くことができます。 1200円で発売されます。収録曲1 歌劇「椿姫」第3幕への間奏曲2 歌劇「カウ゛ァレリア・ルスティカーナ」間奏曲3 歌劇「修道女アンジェリカ」間奏曲4 歌劇「道化師」間奏曲5 歌劇「ホヴァンシチナ」第4幕間奏曲6 歌劇「マノン・レスコー」第3幕間奏曲7 歌劇「ノートル・ダム」間奏曲8 歌劇「タイース」~タイースの瞑想曲9 歌劇「フェドーラ」第2幕間奏曲10 歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」第2幕間奏曲11 歌劇「マドンナの宝石」第3幕間奏曲12 歌劇「友人フリッツ」間奏曲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「今日の音楽カレンダー」1854年 誕生 ジョン・フィリップ・スーザ(作曲家)1860年 誕生 イグナッツ・ヤン・パデレフスキー(ピアニスト・作曲家)1893年 没 ピョートル・チャイコフスキー(作曲家)1913年 初演 サン=サーンス 「序奏とロンド・カプリチオーソ」1968年 没 シャルル・ミュンシュ(指揮者)1986年 没 エリザベート・グリュンマー(ソプラノ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「今日の一花」 風船唐綿
2007年11月06日
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「今日のクラシック音楽」 ジョルジュ・サンドとの離別~子犬のワルツリストから紹介されたショパンへ傾いていくように愛を告白したサンド。 彼女の奔放な性格・生活を知りながら、ショパンもサンドに傾いていきます。1837年でした。二人は魅かれるように急速に接近していきました。当時サンドは交際をしていた愛人がいたので、パリでの噂から逃げるためにマジョルカ島へと自分の二人の子供を連れて逃避します。 ショパンもそれに従いていきました。 それから10年近い二人の生活が始まります。1838年10月のことでした。ここでショパンは「24の前奏曲」「ポロネーズ」「マズルカ」「スケルツオ」など作曲に専念しています。 しかし、マジョルカ島へ渡った時期はとても湿気の多い、雨がよく降る気候の時期で、病弱のショパンは次第に体を蝕まれていきます。この頃、ショパンはまだマリアとの恋が忘れらなく思い出にひたっていたようです。 サンドは友人にこのことについて、1通の手紙を書いています。 「ショパンを得るのは誰か」という趣旨の手紙です。サンドは友人に訴えます。 ショパンの心にはまだマリアがいる、彼は私を獲るのか、マリアを選ぶのかと問うています。 マリアから「さよなら」の手紙を受け取った大きな理由の一つはショパンの病気であり、彼女の忠告にも関わらず無理をしたために喀血したショパンに絶望的になって、別れを選択したマリアとの「愛の断絶」は、「愛の復活」を望むべくもなかったのに。サンドの奔放な性格は、マリアとは好対照でした。 ショパンにはまだマリアへの思慕があったのでしょう。 それを風化させるサンドの愛はショパンには異質のものだったのでしょう。それでもサンドはかいがいしくショパンを看護する生活を送っているのですが、自分の子供が成長していくことが、二人に大きな亀裂を生じさせていきます。やがてサンドの長男が自分がこの家の家長であり、ショパンは居候的存在と見下すような態度が顕著となり、ショパンはサンドの家庭内問題に巻き込まれていきます。 サンドの娘の結婚話が二人の間に亀裂を生じさせる原因になったと言われています。 しかし、この間もサンドは年下の男性との情事に溺れており、二人の別離は時間の問題だったのでしょう。もともと一人の男性に満足しないサンドの心はやがてショパンから離れていき、1847年7月にとうとう別れの手紙を書いています。 そうしてサンドとの恋も終焉を迎えたのです。その後ショパンは演奏旅行で英国に渡りますが、肺結核の病状は進んでいきます。 当時の医学では結核は伝染病として扱われていたために、病人が伏せたベッド・家具類は焼却されるという現代医学では考えられない扱いだったそうで、ショパンもますます劣悪な環境に生きていったことが、病気の進行を促したようです。サンドとの別離がショパンの心に重い影を落としたのも病気を進行させたのでしょう。 英国からパリに帰ったあとは病床について、1849年の今日(10月17日)39歳の生涯を閉じています。 葬儀にはジョルジョ・サンドの姿もなく、彼女からの花束もなかったそうです。ショパンの音楽は今でもピアニストや世界中の人々から愛され、「ノクターン」「エチュード」集は慰めを、「ポロネーズ」「マズルカ」「バラード」集などは勇気と情熱をもたらす音楽として聴き継がれています。今日がショパンの命日。 私も命日にちなんでショパン音楽を堪能したいと思っています。「小犬のワルツ」サンドが飼っていた小犬が、自分の尻尾を追いかけてくるくる回る様を描いた音楽というエピソードが残っています。 サンドとの愛の危機にあり、病状が悪化している頃に書かれた作品です。愛聴盤 (1) ディヌ・リパッティ 「最後の演奏会」 (EMI原盤 東芝EMI TOCE14051 1950年ライブ録音)(2) ウラジミール・アシュケナージ 「ワルツ全曲集」 (DECCA原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCD5084 1970-85年録音)チェロ・ソナタピアノ曲に数多くの名曲を残したショパンの作品でも異色の名作、チェロソナタがあります。ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)練木繁夫(ピアノ)(DENON CREST1000 COCO70552 1978年録音)
2007年10月17日
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『今日のクラシック音楽』 ショパン作曲 ピアノ協奏曲第1番ホ短調94歳で指揮台に立ったレオポルド・ストコフスキーもいれば、30歳代で亡くなったモーツアルト、ウエーバー、シューベルト、メンデルスゾーンなどのように現在でも人々の心を癒し続けてくれる名作を書き遺した作曲家もいます。 まるで神様のいたずらかと思えるような若死にです。 彼らがせめて20年長く生きてくれていたら、私たちはもっと素晴らしい音楽を聴けたかも知れません。 珠玉のピアノ作品を残したフレデリック・ショパン(1810-1849)も若き命を散らして39歳で肺結核で亡くなっています。「ピアノの詩人」とも呼ばれるショパンは自身ピアノの名手だったそうで、演奏会などにひっぱりだこのようでした。 そんな彼が書いた作品は全てピアノ作品と言っても過言ではないでしょう。 3つのソナタ、24の前奏曲、ボロネーズ集、マズルカ集、ワルツ集、20曲を超える夜想曲集、練習曲集など珠玉のピアノ作品を残しています。そんな彼の作品の中で2曲の協奏曲があります。 この2曲ともが素晴らしい協奏曲なんですが、私の好みからすると第1番の方が聴く機会が多い曲です。 実際はこの第1番は2番目の協奏曲なのですが、楽譜出版の時に2作目より先に出版されたために「第1番」と呼ばれるようになったそうです。芸術家は人並み外れた「感性」を持っているようで、作品を生み出すエネルギーのような火山のマグマのようなふつふつとした情念が沸き起こっているようです。 それらの「感性」の中でも作曲家に多大な影響を与えた「女性」の存在があります。 ベルリオーズの舞台女優への激しい思慕が「幻想交響曲」を生み、ヴェルディの「椿姫」が歌手とのパリへの逃避行で観た演劇「椿姫」に触発されて書かれ、ワーグナーの人妻との不倫の恋が「トリスタンとイゾルデ」を書かせたとも言われています。この「ピアノ協奏曲第1番」もショパンの初恋の女性への思慕から生まれた作品です。 ショパンの生涯を語る時に常に現れる3人の女性がいます。 現在残されているショパンの肖像画を見ても現代流に形容すれば「やさ男」の部類に入る美男子です。 「なよやかな茎の上に青い花をのせた昼顔のようで、そっと手を触れただけではかなく散ってしまいそうだ」と形容したのはフランツ・リストでした。 まさに言い得て妙なる表現です。 それはショパン像のみならず彼の音楽そのものを語っているように感じられます。ショパンの生涯に寄り添う3人の女性がいました。 コンスタンチィア・グラドコフスカ、マリア・ヴォジンスカ、それに最も有名なジョルジョ・サンド。このピアノ協奏曲第1番はそれらの女性の中で、ショパンの初恋の人と言われているコンスタンチア・グラドコフスカという、声楽を勉強していた女性なしに語れない曲です。 恋と言ってもショパンは自分の想いをとうとう打ち明けることなくポーランドを去り、その後二度と祖国の土を踏むことがなかったのです。 ショパンの友人に宛てた手紙に彼女への想いを綴っているそうです。 「僕は悲しいことに、僕の理想の女性を発見した。 僕はまだその人と一言も話していないのだが、この半年の間、僕は心の中で忠実に仕えてきているのだ」と。 まさに青年期に誰もが体験するような恋の想いではないでしょうか。そのグラドコフスカへの想いを綴った曲が2曲のピアノ協奏曲です。 自分の燃え上がる炎のような恋心を音楽にぶつけたのでしょう。 特に第2番の「アダージョ楽章」は明確に彼女への想いだというショパン自筆の手紙に書かれているそうです。「第1番」は作曲順からすると後になるのですが、この曲には「第2番」のような明確なものが残っていません。 しかし、この曲もグラドコフスカへの想いが込められていることは容易に推察できます。 音楽活動をもっと盛んにするためにショパンは祖国ポーランドを離れてパリへ旅立つことを決意して、1830年10月11日にワルシャワで「告別演奏会」を開きました。 その演奏会に花を添えたのがグラドコフスカでした。 彼女はこの演奏会でロッシーニのオペラ「湖上の美人」のカヴァティーナを歌ったそうです。 その演奏会でショパンのピアノで演奏されたのが「ピアノ協奏曲第1番ホ短調 作品11」で、これがこの曲の初演となっています。ピアノの技巧をあますところなく表現しており、そこへ濃厚なロマンの香りを乗せた甘美な旋律が聴く者をうっとりとさせる名作です。 第1楽章の主題などは、こぼれ落ちそうな、したたり落ちそうな濃厚な想いが語られており、ショパンの彼女への想いがこれほどまでかと推測されるほどの、美しい旋律に彩られています。第2楽章「ロマンツェ」などはまるで夜想曲のようで、ショパン自身の言葉によれば「ロマンティックな、静かな、少し憂鬱な気分で書いており、春の美しい月の夜のような、懐かしい思い出を振り返るような感じなんだ。」と。第3楽章はロンド形式で、繊細に、愛らしく、それでいて華やかな情緒もある見事な完結楽章です。この演奏会のあとショパンはフランス・パリへと旅立って、二度と祖国ポーランドの土を踏むことなくパリで39歳の若い命を散らしています。またコンスタンチィア・グラドコフスカは、こうしたショパンの想いを知らずに、この演奏会の2年後にワルシャワの地主と結婚して5人の子供たちに恵まれたのですが、35歳で失明します。 それでも79歳まで長命で1889年に亡くなったそうです。愛聴盤(1) ルービンシュタイン(P) スクロバチェフスキー指揮 ニューロンドン交響楽団 (RCA原盤 BMGジャパン BVCC37446 1961年録音)LP時代に買った初めてこの曲を聴いた演奏。 色々な演奏を聴いたのちに、情緒に流されることなくきれいなピアノタッチで、堂々と弾いている演奏とわかり座右の盤となっており、最近SACD盤で優秀な録音で聴けるようになったの嬉しい。(2) マリア・ジョアン=ピリス(P) クリヌヴ指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団(グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック POCG10124 1997年録音)女性らしい繊細で美しい音色で弾くピリスの名演。(3) ツィマーマン(ピアノと指揮) ポーランド祝祭管弦楽団(グラモフォン・レーベル 459684 1998年8月録音 海外盤)これまでにないこの曲の解釈と演奏の可能性を引き出した瞠目すべき演奏。 ツィマーマンとコンドラシン指揮のディスクでも聴いているが、彼が自分で思う通りやりたい通りに演奏するために私財を投じて組織したオーケストラを使い、管弦楽パートにもこれまでの指揮者と違う解釈を繰り広げて、強音・弱音のコントラストやディナミークなどやりたいことを全てヤッテいる感じの演奏に加えて、ピアノの斬新な解釈、まさにこぼれ落ちそうなロマンの香り豊かに、美しい音色で弾いた名演盤。 しかし初めてこの曲を聴かれる方は他の演奏盤を聴いてから、これを聴くことを薦めます。 いかにこの演奏がすごいかをわかっていただくために。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1899年 初演 シベリウス 交響曲第1番・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 花水木(ハナミズキ)晩春から初夏にかけて花びらをいっぱいつけて咲いています。 これは開花前の花びらを撮ってみました。 くるくると巻いている花の様子がとても可愛いくて撮ってみました。 昨年4月に大阪市立長居植物園で撮った写真です。花水木(紅) これは白です 撮影地 大阪市立長居植物園 2006年4月21日
2007年04月26日
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『今日のクラシック音楽』 ブルックナー作曲 弦楽五重奏曲 ホ長調アントン・ブルックナー(1824-1896)が書き残しましたこの弦楽五重奏曲は、交響曲第5番、第6番の時代の1879年7月に完成されており、ハイドンやモーツアルトの古典派室内楽作品はもとより、ベートーベンのような古典派からロマン派への移行も窺える作品でもなし、シューベルトのようなロマンの薫りが零れ落ちそうな音楽でもない、ブルックナーの交響曲に表現されている音楽がそのまま弦楽5本の楽器で奏でられているような音楽です。つまり普段聴いています弦楽による室内楽でも、室内楽作品という概念を超えた交響楽的な響きのある音楽が特色となっている作品です。 ブルックナーの交響曲と言えば、長大で、重厚で、ものすごく渋い、オルガン的な響きが特徴なんですが、そういう彼の音楽を敬遠される方には、そんな交響曲的な響きのある室内楽なんてまっぴらです、という声が聞こえてきそうですが、室内楽を愛好される方であればきっとこのシンフォニックな、一風変わった音楽に共鳴されるはずです。交響楽的と言っても、音楽はあくまでも室内楽作品で弦楽器5本による和声の響きがとても美しく、第3楽章の「アダージョ」は筆舌に尽くしがたい、この世の音楽とも思えないほどの美しさと気品に溢れた音楽を聴くことができます。現代ではブルックナー音楽の演奏・録音は、ほとんど交響曲に限られています。それはブルックナーが作曲した室内楽は、極めて少ないからです。弦楽五重奏曲はこの紹介曲だけですが、他には弦楽四重奏曲やピアノ作品なども数少ないのですが書かれています。五重奏曲の曲として「インテルメッツォ」が一つありますが、五重奏曲の第2楽章「スケルツォ」が当時としては演奏が非常に難しいと言われて、ブルックナー自身が、それではとばかりにこの「インテルメッツォ」を替わりの音楽として書いたそうです。CDへの録音にはこの「インテルメッツォ」が含まれていることが多いですね。 尚、この代替音楽はブルックナーの生前には演奏されなかったそうです。そのブルックナーが1896年の今日(10月11日)、72歳の生涯を閉じています。愛聴盤 ラリッキブデッリ(ヴェラ・ベスーVn、アンナー・ビルスマーチェロ、他)(SONY CLASSICAL SK 66251 1994年5月録音 輸入盤)「インテルメッツォ」、弦楽四重奏曲 ハ短調も収録されています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1830年 初演 ショパン ピアノ協奏曲第1番1896年 没 ブルックナー(作曲家)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 金木犀の落花撮影地 大阪府和泉市 2005年10月9日 秋祭りの宴の終わりが近づくと共に、神社境内の金木犀が一斉に落花し始めました。
2005年10月11日
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