
《クリスチャンになろう Day 12》
天の父なる神様はあなたに対して、切なる願いを持って、そのふところにいた独り子を遣わしてくださいました。イエス・キリストは、 あなたの人生を飾るためのための単なるアクセサリー
として贈られたのではありません。あなたの人生そのものを通して神の栄光が輝かされることを計画し、そこに至るための具体的なステップを示してくださっています。
神様は「 必ずや、そのステップを踏み出してわたしの計画に生きてくれるはずだ
」、と 先ずあなたを信頼して、御子を遣わしてくださった
のです。
全能の神様が、あなたに置いてくださった信頼に応答して、 今度はあなたがその神様を信頼する番です。
神様の切なる願い: ステップ2.信じる
クリスチャンとは、イエス・キリストに信頼を置く人のことです。信仰とは、神様との信頼関係なのです。神様があなたに切に願う、 二つ目のステップは、「信じる」ということ
ですが、分かりやすく言えば、聖書を通してあなたに示された、神様の約束に信頼を置く、ことに他なりません。
神様の約束を信じるために、まず最初にしなければならないことがあります。それは、 御言葉に耳を傾ける
ということです。ローマ10:17はこのように言っています。
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を 聞くことによって始まる
のです。(ローマ10:17)
あなたが、恋人や伴侶、子どもや友だちとの信頼関係は、まず一緒に時間を過ごしながら、相手の考えや意見、悩みや将来への夢などに、先ずは耳を傾けて聞くことから始まるでしょう。同様に、あなたの心を開いて、神様からのパーソナルな語りかけを 聞こうという姿勢で臨んだ時
、神様との親しい信頼関係はそこから始まるのです。
聖書が何と言っているか、今、耳を傾けてみましょう、
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと 信じるなら、あなたは救われる
からです。」(ローマ10:9)
このように、神様の切なる願いとは、「 イエス・キリストが、あなたの罪を担って、身代わりで十字架で苦しみを受け、死んで葬られ、三日目に復活して、今も生きておられる
」ことを、今、あなたが信じることなのです。
●疑いが起こってしまうとき
ある人が「わたしはクリスチャンです」と自己紹介されました。聖書の話題の話の流れで、その方に「あなたには天国に行ける確信がありますか?」と尋ねたら、しばらく悩み考えて「 今は自信がありません。老人になって死ぬまでにはなんとか天国にいけるように努力したいと思います
」と答えたのです。そこで私は、聖書を開き、エフェソ 2:8-9を彼に声を出して読んでもらいました。
事実、あなたがたは、恵みにより、 信仰によって救われました
。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。 行いによるのではありません
。それは、だれも誇ることがないためなのです。(エフェソ2:8-9)
そして、「救いとは、信じるだけで与えられるものであることを神様が約束してくださっている」ことを説明したら、彼はビックリしてとても喜び、神様の驚くべき恵みに深く感動をし感謝をしながら帰っていきました。
また、ある笑顔がとても素敵な学生さんに、「その輝く笑顔。もしや、あなたはクリスチャンですか?」と聞くと、「 いいえ、わたしはまだ洗礼(バプテスマ)を受けていませんから
」と答えました。「では、イエス・キリストを救い主と信じているのですか」と聞くと、「はい、もちろんです!」と目を輝かせて答えたのです。
そこで私は聖書を開いて、ローマ10:10を彼女に読んでもらいました。
実に、人は 心で信じて義とされ
、口で公に言い表して救われるのです。(ローマ10:10)
その聖書の御言葉から、救いとは信じるだけで与えられるものであり、洗礼(バプテスマ)などの 行いによっては救われない
ことを説明しました。洗礼(バプテスマ)とは、心の中で起こった見えない出来事を、後に見える形で公に現すことである、ことを教えました。つまり、洗礼(バプテスマ)を受けるから救われるのではなく、救われた結果として洗礼(バプテスマ)を受ける、ということです。
そして彼女に、「あなたは既にクリスチャンですよ。これからは、『クリスチャンですか?』と聞かれたら、堂々と自信をもって『ハイ』と答えてくださいね」と勧めると、彼女は感動と共に満面の笑顔で喜んだのです。
● 自分の心の耳で確認する。
このように、実に多くの人たちが、自分の救いに確信がないまま信仰生活を送っているのです。信じて既に救われているにもかかわらず、その救いに繰り返し疑いと不安を抱きながら、いまいち喜びに満たされないクリスチャンライフを送ってしまっているのです。その 最も大きな原因は、せっかく与えられている「神様の約束」を、聖書を開いて自分の目で確認していない
ことにあるようです。
信仰は聞くことによって始まります。自分の手で聖書を開き、自分の口で声に出して読み、自分の目で何度も確認することは、信仰生活の土台です。誰かがスプーンで味気のない離乳食を、あなたの口まで運んでくれるのを、いつまでも待っているのではなく、自分自身で食卓を整え、自分の目や鼻で味わい、自分の手で食事を口に運び、自分の舌で味わうならば、その味わいは忘れがたいものとなるでしょう。
パウロとシラスが訪れたベレアという町の人々は、自らの耳で聞いて確信をもって信じていました。
ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、 そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた
。(使徒17:10)
この人々のように、「牧師やクリスチャンの先輩がこう言っていたから」という 人づてに聞いた受け売りだけで終わらず
に、「 では、聖書では、神様は何と言っているのか
」と、自らの心と魂の目を傾けることが大切なのです。
もし今、あなたが信じているにも関わらず、「救われた」という確信がないのであれば、ご自分の聖書を実際に開いて、ローマ十章5-21節を読み、神様の約束を確認しましょう。
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9)
いかがでしょうか。 信じるならば、「救われる」のです
。それ以外の方法はありません。人間は感情的な生き物ですから、その日の体調や気分で、感情は縦横無尽に変化をします。本来、感情は神様から与えられた素晴らしい賜物ですが、しかし、波に揺れ舟のようにゆれやすいその感情に振り回されないように、御言葉にいつも踏みとどまることは大切です。もしかしたら、「 本当に救われたのだろうか。本当に天国は行けるのだろうか
」というような疑いが起こってしまうときがあるかもしれません。しかし、信仰は感情が土台ではないことを、いつも心に留めましょう。 一番大切なのは、神様が何と約束してくださっているか
、なのです。
主イエスは約束されました。
「天地は滅びるが、わたしの言葉は 決して滅びない
。」(マルコ 13:31)
そうです。あなたを取り巻く状況や、感情がどれだけ揺れ動いたとしても、神様の言葉は永遠に滅びないのです。
バックナンバー: DAY1「100%のクリスチャンとは」
/ DAY2「唯一の特権」
/ DAY3「神様の喜びファースト」
/ DAY4「人生に立ち阻む問題」
/ DAY5「罪が引き起こす問題」
/ DAY6「回復を妨害するもの」
/ DAY7「妨害する固定観念」
/ DAY8「惑わす誤解」
/ DAY9「大きな勘違い」
/ DAY10「解決の道」
/ DAY11「切なる願い」