『福島の歴史物語」

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2008.02.26
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 赤穂の浪士たちが本所吉良邸に討ち入りを果たし、その本懐を遂げた経緯を信濃守が知ったのは、元禄十五年十二月十五日であった。すでに四十七士のうち富森助右衛門と吉田忠左衛門が、『主君の仇、ともに天を戴かずの思い抑え難く候』との準備されていた文書を持ち、大目付仙石伯耆守久尚邸に自訴し、それを受けた公儀からの使者が泉岳寺に訪れたのちのころであった。
 ──お家再興が認められなかった今、仇討ちは、大義を立てる最後の忠義。
 信濃守はそう考えていた。たしかに仇討ちの噂は流れていたから、こうなることは予想していた。しかしこの日、十四日であることまでは予想できなかった。雪の上には満月に近い月明かりが煌々と照る筈という大石の策が、見事に功を奏したと思っていた。
 一方で、上野介の実子である出羽米沢藩の藩主の上杉弾正大弼綱憲は、「討ち入りは御公儀の裁きに背く事、これを討たぬは武士の名折れ」と言って赤穂浪士追撃の準備に入った。秋田上屋敷と同じ桜田にあった上杉上屋敷には、急遽麻布にあった上杉中屋敷から藩士たちが馳せ参じて来た。それらの騒ぎを耳にしながら、信濃守は赤穂浪士と米沢藩士との間に二次の衝突が起こるのを案じていた。米沢藩の動きを知った幕府は、「裁きの儀は公儀が取り仕切る、手出し無用」としてこれを退けた。とにかく赤穂浪士の討ち入りという大事件を安易に裁けば、幕府への反感の高まる恐れもあったのである。
 ところが急にこの日になってから、赤穂藩本家の広島藩浅野家から田村家に対して「何故庭先で切腹させたのか」との厳重な抗議が出されたのである。この右京大夫からの注進に、幕府としても黙していることが出来なくなった。
 江戸の町は沸いていた。将軍綱吉の出した生類憐れみの令が十五年も経、相次ぐ取り潰しにより禄を失った浪人が江戸に溢れていた中で起こった討ち入りが、幕府への不満のはけ口を求めていた人々の気持を捕らえた。取り潰しを受けた赤穂藩の浪士たちの行為が、将軍に対しての命をかけた異議申し立てと映っていた。そのため、大義を通した四十七士を助命すべきとの声が、日毎に大きくなっていったのである。

 赤穂浪士の身柄は、伊予松山藩・松平隠岐守定直、肥後熊本藩・細川越中守綱利、長門長府藩・毛利甲斐守綱元、三河岡崎藩・水野監物忠之の四家に預けられた。そのうち松平邸には堀部安兵衛武庸、大石主税良金、岡野金右衛門包秀、貝賀弥左衛門友信、中村勘助正辰、大高源五忠雄、菅谷半之丞政利、不破数右衛門正種、千馬三郎兵衛光忠、木村岡右衛門貞行の十人が預けられたが、上屋敷での逗留は一夜だけで、翌十六日の夕刻、三田の中屋敷に移された。ここ中屋敷が、彼ら終焉の地となったのである。
 細川邸には、十七人という最も多くの浪士が収容された。それらの浪士は、大石内蔵助良雄、吉田忠左衛門兼亮、原惣右衛門元辰、片岡源五右衛門高房、間瀬久太夫正明、堀部弥兵衛金丸、小野寺十内秀和、間喜兵衛光延、早水藤左衛門満堯、磯貝十郎左衛門正久、潮田又之丞高教、赤埴源蔵重賢。富森助右衛門正因、矢田五郎右衛門助武、奥田孫太夫重盛、近松勘六行重、大石瀬左衛門信清であった。
 毛利邸は、岡嶋八十右衛門常樹、吉田沢右衛門兼定、武林唯七隆重、倉橋伝助武幸、村松喜兵衛秀直、杉野十平次次房、勝田新左衛門武堯、前原伊助宗房、間新六光風、小野寺幸右衛門秀富の十人を収容した。
 そして水野邸は、間十次郎光興、奥田貞右衛門行高、矢頭右衛門七教兼、村松三太夫高直、間瀬孫九郎正辰、茅野和助常成、横川勘平宗利、三村次郎左衛門包常、神崎与五郎規休の九人を収容した。
 しかしこれでは、一人足りない。寺坂吉右衛門信行である。寺坂は泉岳寺への途次、逃亡したと噂されていた。
 ──うーむ、寺坂吉右衛門は逃げたか・・・。そういう輩が一人くらい出ても、やむを得ぬのかも知れぬ。それにしても、四十六人への沙汰が遅すぎる。
 信濃守は考え込んでいた。何故か内匠頭の即日切腹のときとは違い、翌年になっても幕府からの沙汰が出ないのである。
 市井には、落首があらわれた。

  頼もしや 内匠(たくみ)の家に 内蔵(くら)ありて
   武士の鑑(かがみ)を 取り出しにけり

  四十七 捨てる命に 年をとり

 どんな結論が出るか、人々は固唾をのんで待っていた。
 それでも将軍や幕閣の動きは、噂という形で信濃守にも届いていた。この討ち入り事件の第一報が将軍に届けられたとき、将軍は「忠義」と言ってこれを褒め、老中の一人は、「武士道の廃り申さず候と相見え候」と応じ、断罪すべきではないという空気が強いと伝えられていた。
 とは言っても将軍に、「赤穂の浪士たちが仇討ちを実行するのではないか」という以前からの町の噂は伝えられてはいなかった。それであるから、『上野介様御落命』の知らせが将軍に届けられたときには、赤穂浪士助命の世論と時間的に一緒になってしまったことになる。このことは、内匠頭切腹の処置に合わせて、浪士たちを斬罪に処すような結論を拙速に出すことは、世論を敵に回すことにもなりかねなかった。そのため浪士たちの処置について、幕府内部でも意見が錯綜した。老中会議では「徒党を組み誓約を為すことを禁ずる武家諸法度に違反する。全員打ち首にするべきである」という意見も出されていた。吉良側の関係筋としての上杉家からは、当然ながら打ち首などの強硬策が献策されていた。 一方で四十七士を預かった大名家などからは、助命嘆願が提出された。
 柳沢出羽守吉保は、浪士たちに切腹という過酷な裁きを主張した。
 はじめ厳罰を主張していた萩生徂徠は、「もし忠義だけを説けば、それは時勢を知らず、天下の政治とは申せませぬ」とその主張に変更を加えていた。
 林大学頭信篤は「古より主君の仇は必ず討つというのが大原則。強いてこの輩に厳罰を下せば天下の笑いをとるのみならず、忠義の道地に落ちる事必定」と主張した。
 しかし裁きの行方を左右しかねない浪士賛美の世論を前に、この行為が忠義であるとすれば仇討ちが横行し、罪であるとすれば世間に非難されるのではないかという考えが、議論を沸騰させていた。







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最終更新日  2008.02.26 09:35:25
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