『福島の歴史物語」

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2024.05.01
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カテゴリ: 鉄道のものがたり
 明治39年、日本鉄道が国に買収されたとき、東北に残された旅客私鉄は
次の6つの馬車鉄道のみとなっていました。
  1 秋田馬車鉄道  明治22年開業  秋田=土埼
  2 三春馬車鉄道  明治24年開業  三春=郡山
  3 釜石鉱山鉄道  明治27年開業  甲子=釜石
  4 角田馬車鉄道  明治32年開業  槻木=角田
  5 古川馬車鉄道  明治33年開業  小牛田=古川
  6 磐城炭坑軌道  明治38年開業  湯本=小名浜
 このときの奥州線に関係があったのは三春、角田、古川の馬車鉄道でした。そのいずれもが、その地方の中心地として栄えていた町だったのです。しかもそれらの町は、奥州線建設のルートにのらなかったということで共通していた鉄道でした。

 この明治39年に行われた鉄道の国有化が、今まで使われていた駅の名に大きな問題を投げかけることになってしまいました。というのは、今まではそれぞれ別の会社による運営でしたから、同じ名の駅が他の会社の路線にあっても特に問題はなかったのですが、国有化で全国の線路を集中的に管理する必要が起こったため、同じ名の駅があちこちに出来てしまったのです。運営上の問題で困った国鉄は、同じ名の駅の名が付けられた時期を較べ、先に出来た駅の名はそのままとし、後から出来た駅には、旧国名を頭に付して、区別することにしたのです。例えば渋沢栄一の関係した岩越線熱海駅は、東海道線熱海駅の後に作られたため、岩代熱海駅とされました。なお岩代熱海駅は、磐梯朝日国立公園の入り口にあたるとして、昭和40年に、磐梯熱海駅と駅名を変えています。

 ところで岩代熱海駅ができたころ、五百川から北、つまり熱海から中山宿あたりまでは安達郡でした。ところがこの辺りの人が二本松にある安達郡役所に行くのには、安積郡役所のある郡山駅で乗り換えて行かなければならなかったのです。これは何とも不都合、不便極わりないことだったのです。そのためここは安積郡に編入され、結局郡山市になっています。

 駅名については国鉄の方式で大方は落ち着いたのですが、郡山駅が問題となりました。奈良県の郡山町から、イチャモンがついたのです。奈良県の郡山駅は、明治23年に私鉄の大阪鉄道が奈良駅と王寺駅間を開業した際に、これらの駅の間の駅として設置されたものです。ところが福島県の郡山駅は明治20年に開設していますから、国鉄のルールに従うと福島県の郡山駅はそのまま、奈良県の郡山駅は旧国名の大和を冠して、『大和郡山駅』と改名される筈だったのです。ところが奈良県の地元住民が承服せず、奈良時代より続く東大寺の古文書を持ち出して、「奈良の郡山の方が古い歴史があるから、福島県の郡山は岩代郡山駅とするように」と陳情したというのです。福島県の郡山駅がどのような対応をしたのかの詳細は分かりませんが、結果として、双方とも郡山駅のままに落ち着いたのです。しかし国鉄では、東北本線にある郡山駅と関西本線の郡山駅とを区別するため、乗車券類には『(北)郡山』と『(関)郡山』とカッコでそれぞれの線の略称が加えられ、現在に至っています。郡山駅で乗車券をお買い求めになるときにでも、確認してみられたらどうでしょうか。ところがこれには、後日談があるのです。

 奈良県の郡山町は、奈良県添下郡(そえじもぐん)郡山町でした。それが明治9年に添下郡の筒井村と合併して生駒郡郡山町となり、さらに昭和28年に周辺の町村を合併しました。そして昭和29年1月1日に生駒郡郡山町が市制を施行したのですが、市名を『大和郡山市』と定めたのです。なんのことはない、あれほど大騒ぎをして『(関)郡山駅』としたのに、結局は『大和郡山市』に所在することになったのです。それなら駅の名も、『大和郡山駅』にしてくれれば、お互いに『関』と『北』が取れてスッキリするのにねェ。まあ余計なことは言わないか。


 県内の駅の名ですが、例えば磐越東線には、旧国名をつけた磐城常葉駅があり、常磐線にも磐城太田駅があります。また水郡線には、磐城守山駅、磐城石川駅、磐城浅川駅、磐城棚倉駅、磐城塙駅、磐城石井駅と続くのですが、この線が茨城県に入ると、途端に常陸国ですから常陸大子駅となるのです。なお水郡線としての終着駅は安積永盛駅ですが、全線郡山駅まで乗り入れています。ちなみに安積永盛の駅名は笹川駅だったのですが、昭和6年に成田線の笹川駅開業に先立ち、安積永盛駅に改められたものです。なぜ岩代永盛駅ではなく安積永盛駅になったのかは、駅の所在地が安積郡永盛村であったので、郡名の安積を冠したものと思われます。なお岩代や磐城のつく駅の名は、このほかにもあります。私鉄になりますが、飯坂線の岩代清水駅です。そして廃線となって今はなくなりましたが、川俣線の岩代川俣駅と岩代飯野駅、さらに白棚線の磐城金山駅・磐城逆川駅などでした。しかし、岩代の名を冠した駅のある場所から考えると、岩代国と磐城国の境は、阿武隈川より東に入った箇所もあったようです。なお会津方部の駅には岩代ではなく、会津若松駅のように会津の名が冠されています。というのは、九州の筑豊本線に若松駅があったのです。当時の福岡県若松市で、現在の北九州市若松区です。それを避けるために冠した会津が、会津全域に広がったものと思われます。ところで新潟市秋葉区新津にある新津駅は信越本線に所属しており、ここは磐越西線の終点であると同時に羽越本線を加えた3路線が乗り入れています。ところが磐越西線の列車は、この信越本線を利用して新津駅から新潟駅まで乗り入れていますので、磐越西線は郡山と新潟間と思っている方が多いと思います。磐越高速道路が郡山と新潟間なのに対して、磐越西線が郡山駅と新潟駅の間でないのが不思議なようです。

 話が変わりますが『東北本線』、いま私たちは何の疑問もなくこの名を使っていますが、国有化直後は旧日本鉄道、また奥州線と呼ばれていました。大正14年11月1日に神田駅と上野駅間の高架橋が竣工して東京駅までつながったのです。東北本線はこの時より『原則』として東京駅が起点となったのです。しかしこれによって、ただちに東北本線の列車が東京駅を始発駅とした訳ではありませんでした。ですから、上野駅が東北本線の起点と思っていた方は、意外に多いと思われます。これは昭和42年10月1日になってから、盛岡発の特急『やまびこ』と仙台発の特急『ひばり』が東京駅に乗り入れたのですが、それまでの東北本線の列車は、すべて上野始発、上野終着となっていたからです。また一方の常磐線は、常陸(ひたち)と磐城(いわき)の頭文字を合わせたもので、東北本線のバイパスとして機能しました。常磐線も、上野駅と仙台駅を結ぶ路線と思われがちですが、正しくは東京都側の起点が荒川区の日暮里駅で、宮城県側の終点が、宮城県の岩沼駅です。ただし実質的には、上野駅から仙台駅を結んでいます。

 平成29年4月1日、郡山駅と磐越西線・喜久田駅との間に、新しい駅が開業しました。この駅の名について、仮称の段階では『郡山北駅』とされました。ところが平成27年9月5日、JR東日本は、正式名称を『郡山富田駅』と発表しました。本来の手順によれば、すでに栃木県の小山駅から群馬県前橋市の新前橋駅までを結ぶ両毛線に『富田駅』がありましたから、『岩代富田駅』となる筈でした。関係者の間でどのような話し合いがあったかは分かりませんが、この新駅は『郡山富田駅』となったのです。すでに岩代国などの旧国名が死語となってしまった現在、いまさら、岩代富田駅ではなかったのかも知れません。

 ところで鉄道には、上りと下りがあります。これの基準は、鉄道の終点が東京に近いかどうかで決められます。例えば東北本線は、青森に向かって下り、青森から東京へは上りとなり、全く同じ理由で水郡線の上りは水戸であり、下りは安積永盛と決められています。それでは、磐越東線と西線はどうでしょうか。この決まりに沿うと、磐越東線は、『いわき駅』の方が郡山駅より東京に近いので、上りの終点は、『いわき駅』になります。そして同じ理由で、磐越西線は新津駅より郡山駅が東京に近いのです。従って磐越西線の上りの終点は、郡山駅ということになるのです。たまたまですが、磐越東線と西線は、新潟より郡山、そして『いわき』までの全線が、西から東へが『上り』になるのです。

 昭和2年、国鉄により、西若松駅と芦ノ牧温泉駅の間が開業しました。その後に路線が延伸されていき、昭和9年12月27日、会津田島駅まで延ばされましたが、この線は、昭和62年4月の国鉄分割民営化でJR東日本の路線となった後、同年7月に第三セクター鉄道に移管され、会津鉄道となりました。実は、一部の時刻表などに表記されているのですが、会津線にはちょっと不思議なルールが残っているのです。通常の鉄道路線では、前述したように東京駅に近い駅の方が上りとなるのですが、会津線内の西若松駅と会津田島駅の間だけは、東京駅から遠くにある会津若松駅行きが上り線となっているのです。これは、栃木県との県境を越える野岩鉄道の路線がまだ出来ていない時、会津線は福島県内だけを走る行き止まり路線、つまり盲腸線だったからです。つまり盲腸線の場合は、起点側の駅へ走る列車が上りとされていたためです。福島交通飯坂線も盲腸線ですが、起点である福島駅が飯坂より東京に近いので、規定通りの上下となっています。喜多方駅と熱塩駅を結んだ日中線は計画通りに米沢に達せず、また松川駅を始発駅とし常磐線への接続を予定した川俣線も、ともに盲腸線となってしまいました。しかしここも始発駅の喜多方駅、そして松川駅が東京に近かったので、規定通りの『上りと下り』になっています。





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最終更新日  2024.05.01 07:00:15
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