『福島の歴史物語」

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2024.06.01
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カテゴリ: 鉄道のものがたり
昭和二十一年二月、東北本線に進駐軍専用列車が定期的に運行されるようになりました。私はそれを郡山の駅で見たのかどうかの記憶ははっきりしませんが、満員で押し合いながら乗り、果ては客車の屋根にへばり付いて乗った列車の中から、幼稚園くらいの女の子であろうか、可愛いい服で着飾ったその子を連れたアメリカ軍人の家族三人が、客車一両を独占して楽しそうに遊んでいたのを思い出します。幼いながらも私は、駅で汽車の来るのを待つ度に、そしてこのような客車を見るたびに、敗戦国の哀れさを感じたものでした。

 戦後、白河と棚倉間を走っていた白棚線の復活は検討されたものの、最終的に鉄道としての復活が断念されました。しかし線路敷を専用道路に転用し、バスによる国鉄白棚線として復活しました。現在もJR東日本により、蒸気機関車がラッピングされたバスが運行されています。評論家の戸塚文子さんが、国鉄時代の昭和三十二年六月七日の日本経済新聞の『行楽』欄に掲載された随想が残されています。
『中村メイコさんの「田舎のバスはオンボロ車・タイヤはつぎだらけ・窓は閉まらない」という歌でおなじみだが、どういたしまして、ここではチョット都会でも目立つくらいのスマートな新車が走っている。続いて「デコボコ道をガタゴト走る」という文句にも例外はある。それが東北本線白河から水郡線磐城棚倉へ最近開通した国鉄バスの白棚高速線である』
 この歌の内容にも、一理ありました、当時は舗装された道路が少なくそれも市街地に限られ、それこそ田舎の道には、時折、砂利が敷かれて補修はされましたが、雨が降れば泥水の池がそこここに出来、歩くのもままならぬ状態だったのです。国鉄バスが通るために舗装され、しかも直線が多いこの道は、周辺地域の垂涎の的だったのです。

 国鉄以外で廃線とされたものに、伐採をした材木を運ぶ目的であった森林軌道の本宮〜大玉間、小野新町〜川内間、浪江〜葛尾間を結んでいましたが、その他にも、磐越東線の神俣駅と大滝根山からのセメントの原料となる石灰石を運んでいたロープウェイが消えていきました。戦後はマイカーの普及とそれに伴う国鉄分割民営化により、廃線が相次いでいます。

 昭和二十五年六月二十五日、突如、北朝鮮が韓国に攻め入り、アメリカ軍を主体とする国連軍がこれに応戦する事態が発生しました。いわゆる朝鮮戦争です。国内では、国連軍の発注する食料や物品、そして戦いで破損した戦車や武器の修理などの仕事が増え、国内経済が潤いました。朝鮮特需と言われた好景気です。この戦いは昭和二十八年まで続いたのち、現在も休戦状態となっています。そのようななかで、国鉄も復興に取り組むことになり、東北本線も、複線化や電化への動きが加速されることになります。

 郡山は、暴力団抗争などが相次いで起こることから、治安の悪い街『東北のシカゴ』という不名誉な異名が広がっていました。その悪名をなんとか払拭しようとして考えられたのが音楽であり、『東北のウェーン』を目指す運動が高まりました。昭和二十四年、郡山音楽協会が発足し、女性合唱団や男性合唱団が結成され、市民の音楽活動が活発化します。昭和二十九年には、国鉄郡山工場大食堂で『NHK交響楽団郡山公演』が開催され、その後も『ウェーン少年合唱団』や『ドンコサック合唱団』などの来演が相次ぎ、それが契機となって『十万人のコーラス運動』に発展しました。このような市民が一丸となった運動により、音楽都市が郡山の代名詞となりました。しかしこの時代、郡山には、オーケストラの演奏会ができるような大きな公共施設がありませんでした。そのため会場は、国鉄郡山工場の大食堂が使用されたのです。

 昭和三十年十一月、国鉄は主要幹線を十年で電化することになり、上野駅と盛岡駅聞が、第一期計画に編入されました。そして翌年の八月三日、大宮駅と宇都宮駅間の直流電化の起工式が行われました、

 昭和三十五年三月、黒磯駅を宇都宮駅までの直流とその先の駅の交流区間との接点駅として工事を進め、黒磯駅と福島駅の間が交流による電化が完成しました。さらに十一月二十二日、郡山駅と安積永盛駅の間が複線化されたのを皮切りに、県内全線の複線化工事がはじまり、七年後の昭和四十二年九月二日、県内の全てが複線化されました。

 昭和四十年、郡山機関区は貨物の取扱を開始し、傘下の郡山操車場が郡山貨物ターミナル駅に昇格しました。郡山市はこれを契機に、安積郡九町村及び田村郡三町村を吸収合併、人口約二十二万人を数える全国有数の広域都市となったのです。

 昭和四十二年十月、国鉄は東北本線の始発駅を東京とする時刻改正を行い、これまですべての東北本線の列車が上野止まりであったものを、二往復ではありましたが、東京駅始発としました。これにより、ようやく東北本線が東京駅始発という本来の姿に戻りはじめたのです。

 昭和四十三年九月、国鉄諮問委員会が提出した意見書により、『使命を終えた』として廃止、もしくはバス転換を促す国鉄のローカル線への取組みがはじめられました。国鉄の赤字線は、昭和三十六年度に百九十六線で赤字総額が四百十四億円であったのに対して、四十一年度には二百二十八線、千三百四十七億円に膨れ上がっていたのです。この『使命を終えた』との基準により、全国で八十三線が選定され、国鉄は翌年から地元との廃止協議に入ったのですが、各地で反対運動が起こったため進捗は滞り、廃止協議すらままならない線路も多く、難航しました。県内でも、第二次特定地方交通線に指定された川俣線と日中線の廃止が決定され、会津線の西若松駅と会津滝ノ原駅の間も廃止が決まりました。しかしこの鉄道は会津鉄道株式会社の会津線に転換することで、生き残ることになります。

 昭和四十七年五月、JR松川〜岩代川俣間の川俣線が廃止されました。川俣線は延伸して常磐線に接続する予定であったのですが、不発となってしまいました。そして七月一日、磐越西線の郡山駅から喜多方駅までが電化されました。

 昭和四十九年十月、喜多方〜熱塩間の日中線が廃止されました。日中線は米沢まで伸ばし、会津線と東武日光線を経由して東京までつなごうとしていた鉄道だったのです。

 昭和五十七年、東北新幹線が大宮駅と盛岡駅間で暫定開業をし、上野駅と大宮駅の間には新幹線リレー号が運行されました。

 昭和六十年三月、東北新幹線の上野駅と大宮駅間が開業しました。これにより、大宮駅での新幹線リレー号への乗り換えが不要になったのです。

 昭和六十一年七月、JR丸森線が廃止され、福島と宮城両県と沿線の市町は第三セクター鉄道への転換を選択し、丸森線を引き継ぐ阿武隈急行株式会社を設立しました。阿武隈急行線の全線開通および電化は昭和六十三年に完成し、地元では『あぶきゅう』の愛称で親しまれています。

 昭和六十二年四月一日、国鉄の分割民営化が実施されました。国鉄はJapan Railway JRとして、北海道旅客鉄道・東日本旅客鉄道・東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道・四国旅客鉄道・九州旅客鉄道・日本貨物鉄道に分割されて民営化されました。

 平成三年六月、東北新幹線は東京駅と上野駅間が開業し、東京駅が東北新幹線の始発駅となりました。そしてこの七月、JR会津線を引き継いだ会津鉄道会津線、西若松〜会津高原尾瀬口駅間は、野岩鉄道鬼怒川線を経て東京の浅草へつながったのです。

 平成五年十二月、郡山貨物ターミナル駅と郡山貨車区が統合され、郡山総合鉄道部が設置されました。

 平成十年、郡山操車場の跡地に、福島県産業交流館、通称『ビッグパレットふくしま』が建設されました。

 さて日本では、二〇二七年を目処に、品川駅と名古屋駅の間を結ぶ、リニアモーターカーによる中央新幹線の営業運転開始を目指しています。その距離286キロメートルを、40分で走るとされています。新幹線に続いてのこの鉄道は、大きな夢を描かせるものとして期待されているものです。なおリニアモーターとは、軸のない電気モーターのことで、一般的なモーターが回転運動をするのに対し、基本的に直線運動をするモーターのことです。超電導リニアの最初の開発者であり、『リニアの父』と言われた京谷好泰(きょうたによしひろ)氏が名付けたのがこの和製英語でした。








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最終更新日  2024.06.01 07:20:08
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