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明日から2度目のIHヒーリングのクラスの参加のためフロリダに行ってきます~(←走ってゆくわけではない)書類もほぼ終わって、あともう少し仕上げは必要ですがピーンチ状態は、ほぼ脱しました。今回、フロリダに行く前に準備する書類の一つとして、マチルダが「のりこ、みんなからのIHヒーリングの感想文できるだけたくさん読みたいから持ってきて」とメールで伝えてくれたので、これまでみなさんから頂いた日本語でのセッションの感想文を英語に訳していたのですが、時間がなかったのでクライアントさんに英語での感想文をお願いしました。何人かは、けっこう長い文を書いてくださって全部で何十ページにもなって、充分な量になってきたのでマチルダも喜んでくれるかなあと。創始者としては、いかにこのヒーリングがパワフルであって多くの人に素晴らしい影響を与えているかを知ることは何よりも喜びだと思うのです。今回のフロリダへのクラス参加は、私にとってはこんな素晴らしいヒーリング法を生み出したくれたマチルダへの感謝の気持ちを表したいなあという思いが大きいですから。ということで、この1、2週間は、朝から夜までセッションが入っていてゆっくり寝る時間もなくこれまでの人生でかつて、ここまで忙しかったことがあったかしら?なんて思ったのですが、おさむ曰く「のりこは、これまでも、けっこうそんな風に言っていた時あったよ」なんだそうで、私の場合、のど元過ぎれば、なんやらで過去のそういう記憶は忘れてしまうらしいですでも、今週はキネシのセッションの合間に、3回のレイキのクラスも入っていたのでおかげで、その度に私も癒されてよかったです。全神経を集中して行うキネシオロジーと比べるとやっぱり、レイキのクラスは、憩いの場みたいに感じます。そして、そんな忙しさの中でも、今週は夏至の日におさむが近くのサンセットパークに奉納に行くというので私も1時間だけ、パークに行きました。大地に寝転んで、おさむのギターを聴きながら、うとうとしていたのですがそれはもう素晴らしい癒しの時間でした。大地のエネルギー。それは、まさに地球からのギフトだなあと。そして、何よりも、今週はおさむが、すごくサポートしてくれました。かつて、彼がここまで私をサポートしてくれたことがあったかしら?と思うぐらい。(何でもすぐに忘れるので、すべてが初めての体験みたいに感じて感動する、というこの性格なのか)これまでも、優しいのは優しかったですがこんなにケアしてもらったのは、やっぱりなかったなあと。育む、ケアする、愛情をかける、そんな意識が彼の中に生まれてきているのを感じます。ということで、先日のセッション後の感想をおさむが日記に書いていましたのでちょっと抜粋いたしますね。http://plaza.rakuten.co.jp/osamusic「最後の調整『ハートで愛を感じる』からしばらく経ってから自問してみた、自分は本当に愛が欠けていたのかと、、、人間関係を見てみると、自分は調整以前から、人に対してオープンだし、人が好きだし、みんなも俺の事に好意を持ってくれ、慕ってくれていた。典子との関係も、ずっといろんな事をシェアし、互いの成長を助け合い、全てはうまくいっていたかのように思えた。そして去年の後半あたりにIHキネシオロジーで「自分の闇を見つめる」という調整をしてからは、自分の内面の闇を受け入れ、闇への恐れがなくなり、マインドの幻想から抜けた感覚はあった。が、しかし今年になって、ハイヤーセルフが俺を完全に洗いざらいマインドの幻想から抜けさせるためのセットアップをしていたようだった。感覚的にこれまでの愛と、調整後の愛を感じる感覚との違いを見てみよう。まず、調整のあとからしばらく経って、人々の愛の欠落に敏感になった事。言い換えると人の行いや言動がハートからやっているのか、エゴからやっているのかそれがよりはっきりし、人のエゴを感じるとはじめの頃は心がチクッと痛む感覚があった。それまでなら、きっとそのエゴに対して俺は、自分が傷つかないように無視したり、放っておいたりしたのだと思う。しかし今はそれが愛の欠落だと認識しているから、前より正直に自分の心を伝えたり優しく見守ったり、人の心をより深く見つめる事ができるような感覚がある。典子が俺の事をこう言っていた「前も愛はあったんだけど、愛情を注ぐ事ができなかったのよ」愛に情を注ぐ事ね。例えば俺は植物が好きで時々、観葉植物を買って部屋に置いて育てていたが、大抵はそんなに長持ちせずに枯らしてしまった。好きな気持ちはあるのだけど、愛情を持って育む事ができなかった。人間関係においても同じで、それぞれの人は好きなのだけれど、その人の光も闇もちゃんと見てあげて、そこに愛情を注ぐ事、、、それが今までの自分には欠けていたのだと感じる。この愛情を与えるという事は、グラウンディングができていないと難しいと思う。でないと安定感を持ってないから、恐れや無関心の気持ちがでてきて、人の心に向かい合う事ができないと思うから」今回のことで、おさむが人への愛情を注ぐことができるようになったことは本当に祝福だったのだなあと。一見、大変なことが起こったとしてもそれは必ず、光の道への大切なステップなのだということをあらためて感じています。(とはいえ、なるべく大変な道を通らないようにしたいですけれどね)ということで、これから明日の準備に取りかかるので、ささっと書き逃げします~~今日もここに来てくださって、読んでくださってありがとうございます行ってきま~す♪らぶ☆
2012年06月23日
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前回の日記に『非賛同者の方は、直接私にメールで送ってください』と書きましたが(これを読んだおさむ曰く「おお、これって、ちょっと外に出ろ!みたいな感じだよね」というのですが、そんなつもりは、、、)非賛同者の方からは、一人も来ていないのに、賛同者の方が何名も送ってくださいました。温かなメッセージをありがとうございます。読んでいてつくづく感じたのは、例え、この限界のある言葉を使って伝えても伝わる人にはちゃんと伝わっているということ。中には、私とおさむのことに関して、深い洞察力で感じてくださっている方もいて前回書いた「100万回書いても伝わらない」というのは、撤回します~前回の日記を書きながら「ふ~賛同者だけコメント、なんて、一体何様のつもりかしら。我ながら傲慢な態度だなあ。でもきっと伝わる人には伝わるだろうからいいかな」となどと思っていたのですが、やっぱり感じてくださっているのだなあと。私の賛同者の意味は、賛美者という意味ではないということを。前回のコメントの中に「面識もないのですが、おさむさんとの事についての記事を読むと心がざわざわしたりおさむさんに勝手な怒りを持つことがありました。でも、それを深く感じると、私の中にあるセクシャリティのブロックみたいなものや男性への恨みのような感情があるのだなと思いました。今は、フラワーエッセンスを色々とりながらこの感情と向き合っています』というのがあって、うれしくなりました。例え、ブログを読んで「おさむなんてひどい」とか(私が悪者にしちゃった?)「のりこがそんな選択をするのはおかしい」などという感覚が生まれたとしても、なぜその感覚が生まれたのかを自分の中に見出すことができる方、それが私にとって賛同者なのです。すべての答えは自分の中にしかありませんから。他には、こんなコメントも頂きました。『その方のコメントを読むだけで、 エネルギーがダウンして気分が悪くなってしまいます。 でもそれはきっと、私の中にもその方と同じ部分があるんだと思います。 自分の正当性をどこまでも主張して、戦うような・・・ それで反応してしまうんですよねきっと」ここまで気づくことができるなんて素晴らしいなあと。でも、だからと言って、あまり自分に厳しくならないでくださいね。自分の内を見つめるのは、本当の意味で自分が楽になってゆくためのものですから。読んでいて苦しいのに「う~~これは辛い、でもこれは自分の中に何かがあるからなのだ。読みたくないけど読むぞ」なんて思う必要はありませんので確かに自分の中に不要なものがなければ、ある程度、何を見ても感情的にはかき乱されなくはなりますがそれでも自分にとって、心地よい波動やエネルギーというのがありますからそういうものは、できるだけ触れないようにするのが一番だと思います。私は「あ~だめだこりゃ~」と感じると、すぐに読み飛ばしますそれにしても、賛同者というと、どうしても意見や考え方に対してという意味合いになりますし何だか、教壇に立って、賛成不賛成の票を取っているようなイメージが浮かぶので別の言葉はないものかしら。例えば、共鳴者は?何らかの感覚と共鳴している人です。ということで、賛同者ならぬ、共鳴者の方から頂いたメールを掲載の了承を頂いたのでご紹介させてくださいね。ありがとうございます。私も主人と付き合って長いのですが、5年程前にリーディングセラピーを受けたときに、セラピストの方から「あなたが主人と別れれば、もっと成長できるし、豊かになれるあなたは主人に依存している、魂が成長してして、さなぎから蝶になったらさなぎとは一緒にいられないんだ、蝶になったら蝶の仲間と暮らすようになる」と言われたことがありました。 当時は娘が生まれたばかりで、家族3人で幸せになるには?と質問したのですが。 家族3人でというのがもうすでに依存なのだと。 涙がとまりませんでした。泣いている私に「とても怒りを感じる」とか質問すると反論処理のようなやり取りで。全く愛がかんじられませんでした。 とてもショックでしたが、自由意志でもちろん主人とは別れずでも自分自身の内観とヒーリングをして最近わかったことは主人はスピリチュアルなことなんて全く興味もなく、学んでいないのにいつも愛や優しさを実践していてスゴイ!!ということです。今ではとても主人を尊敬していますそして今では家族3人でいることをとても幸せに感じます。 これを読んで、みなさまはどのように感じられるでしょうか?セッションでいろんな方のお話をうかがっているとこのような経験がある方はけっこう多いのです。この方の場合は、自分自身で最善の決断されてほんとよかったなあと思いますがこういうリーディングを受けて逆に迷ったり、後から後悔するようなことになってしまう方も少なくありません。もちろん、迷ってしまった本人の責任であって、そこから学ぶ必要もあったからなのでしょうがなぜこんなことが起こるのかなあ、とそういうお話を聞く度に思っていました。本来、愛を伝えるためのアドバイスやリーディングなのですから。このリーディングを行う人自身が、愛に満たされていたらこんなリーディングにはけしてなりません。実際、本当に愛のあるリーディングやアドバイスをできる人はそれほど多くはないと感じます。では、どんなリーディングやアドバイスが愛のあるものかというと「あなたは、きっとこれから~~になります」とか「このままで行くと~~なりますよ」など、これから先のことについて(特に本人が望んでいないことについて)一切言わないものだなあと思うのです。でも、先のことが知りたいから、受けるのだしこれからのことを聞けないのだったら、何のために受けるの?ということなのですが私が以前、受けてよかったなあと思ったリーディングのことをご紹介しますね。これは何年か前、最初にシャスタに行った時に受けたリーディングのことです。当時の私の一番の興味は「アセンションできるかどうか?」でした。アセンションすることが今生での目的だと思っていたのでアセンションできるのなら、明日でも地球を離れる覚悟オッケーぐらいの勢いでした。(これだけでも、いかに私がグラウンディングできていなかったかがわかりますよね~)もちろん、悟りを求めている間は悟れない、などということは頭ではわかっていたのでアセンションを求めても仕方ないとはわかっていたのですがそれでもやっぱりマインドは、アセンションしたい、と(笑)ということで、リーディングを受けた時に彼女に一番先に聞いたことは「私は今生でアセンションできるのか?」ということでした。彼女は、しばらく私のガイドとコンタクトしていて、それから私に伝えたのは「あなたは、過去(過去生)にすでに何度もアセンションしていますよ。だから、今生では、アセンションすることが目標ではなくそれに向かっていく他の人たちをサポートすることなのです」その言葉を聞いた途端、私の中で何がふ~~と軽くなってゆくのを感じました。「あ~そうなんだ~もう今生ではアセンションしなくてもいいんだ」なんと単純な(もともと超単純な人なのだけど)それから、もうアセションしたいという欲はすっかりなくなってしまいました。(もっとも、他の人をサポートしなければ、という妙な使命感は強くなってしまったので、それはまた後に手放すことになるのですが)彼女はただの一言も「あなたはこのままではアセンションできませんよ」とも「あなたは今生でアセンションしますよ」とも先のことは一言も言わなかったのに私はもう安心して、その問題はなくなったのです。今となっては、彼女が本当に真実を見ていたのかどうか?なんてどうでもいいことです。どちらにしても、そんなものは証明しようもありませんから。でも、愛のあるリーディングやアドバイスは、人を安心させたり癒したりするのだなあ、とその時に感じました。私の場合、愛のないリーディングを受けたことはほとんどなかったのでたいていの場合、伝えられるのは「すべては完璧にやって来ていますよ~」とか「そのままやりたいことをやっていけばいいですよ」とか「天使たちが見守っていますよ~」などというようなことで、何一つ先のことは伝えられなかったですし結局、すべて自分自身で決断してきたわけです。だから、最近ではリーディングを受ける必要性自体を全く感じなくなりました。キネシオロジーやヒーリングは、どちらに行ったらいいか迷った時に決めてくれるためにあるのではなく、魂からの声を受け取り自分を信頼して決断してゆくことができる自分になるためにあります。でも、人によっては、迷ったり、落ち込んだりした時にそういう愛のあるリーディングを受けたら、安心したり、勇気が湧いてくることもありますから、そういうものなら受けるのもいいのではないかなあと思います。ですから、もしそういうリーディングやアドバイスを受ける場合はその人が愛とつながっている人であるかどうか、しっかりと自分で感じてくださいね。もし、愛がないと感じたなら、いくら何と言われたとしてもさっさと忘れて、自分の中に取り入れないことだなあと。それが、例え、友人であってもです。私たちは、お互いにサポートし合うようにできているので辛いことがあったら、一人で抱え込まずに周りにシェアしていくことは大切ですがその時に、あなたに「こうしないとこうなる」とか「このままでいくとだめになる」などのことを言う人ではなく、あなたの決断や選択の力を信頼し「うんうん、大変だったね」とか「よくやったね」などとただあなたの話を聞いてくれる人に伝えることができたらいいですね。今回、温かなコメントやメールを頂いて、あらためて自分の持っていた幻想にも気づきました。私はハートを開いて愛を伝えていたつもりでしたが結局、愛を与えられ、支えられていたのは私の方だったのですから。だから、自分の感覚や気持ちを周りとハートでシェアしてゆくことをこれからも恐れないでいたいなあと。多くの人がハートが開いてきているのを感じます。Love今日は新月。明日は夏至ですね。今、おさむがサウンドヒーリングのセレモニーを行っています。みなさま、素敵な夏至の日を過ごされますようにPS今週末のフロリダ出発までに、作成しなければならない書類が全然できていなくて、久々のピ~ンチ(ってこれ書いてる暇あったら、さっさとやれって感じなのだけれど、どうしても書きたくなったの)ということで、これから出発まで時間がないのでもしコメントやメールを頂いても(セッションの予約などのメール以外は)お返事が遅くなってしまうかもしれません。ごめんなさい~。
2012年06月19日
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コメント欄にお返事しようと思いつつ、また次の日記を書いている私です。(しかも頂いているメールでのお返事もまだ進んでいない)すみません!!でも、みなさんからの愛はちゃんと伝わっていますよ~何人かのお言葉が、びんびんとハートに響いてきてああ、やっぱり伝わる人には伝わっているのだな~と涙が出てきます。本当にありがとうございますAkiyoさんが伝えてくださったように私はわかってもらいたくて書いていたわけではないのです。なんというか、ただそこにあるエネルギーを流している、そんな感じです。私の友人の中には「スピリチュアルなことを言葉にしても、伝わらないからこういうものは書かない」という人もいます。確かに、意識やエネルギーのことを言葉で伝えようとしているのですから無理があります。私もブログで伝えるなんて意味ないかな~と思ったこともありました。でも、言葉は限界はあるけれど、エネルギーの一つであることは間違いないのです。みゅうさんが言われているように、テレパシーを使えない限り言葉を使ってゆくしか、手だてはありません。例え100%伝わらなくて、ほんの小さなさざ波のようなエネルギーであっても何かを感じてもらえればいいなあ、そんな気持ちでいます。例えば、本当は私とおさむのプライベートなことなんてここで100万回書いても伝わらないのは当たり前のことであってそれは18年間の二人の間で様々なことがあり簡単に説明できるようなものでもないですし、ましてや私たちと会ったこともなければ、全く伝わらない可能性の方が大きいです。みゅうさんが捉えたように捉える方も多いだろうなあというのも、よくわかります。それは一般的にはこうだ、という捉え方から見れば、全くその通りだからです。でも、もし私に恐れがあったなら、彼の魂レベルでの愛を信頼できずに別れる選択をしたでしょうし今の私とおさむは「別れるのが恐いから別れることをやめる」というステージにはいないので、例え、人からそう言われてもその言葉自体からは傷つかなかったのですが私が傷ついたのは、いくら私がハートを開いて伝えてもやっぱり伝わらないのだ、という深い悲しみの感情がそれを読んだ時にわき上がってきたからです。人に認めてもらおう、とか、自分をわかってもらいたいという思いはもう随分昔にワークして、今はないので(というより潜在的に「すでに認められている」と感じているので)だからこそ、こうして、個人的なヘビーな?ことであってもありのままにシェアしてゆくことができます。もちろんヒーリングは、ハッピーになるためのものですがそれを行うまでや、途中での手放す時のプロセスは、しっかりと自分と向き合ってゆく過程でありそれは必ずしも楽な道とは限らないのです。そういうヒーリングを真摯に綴ってゆけたらいいなあと。多くのヒーラーが、けして言わないようなところまで書いていきたいなあと思っていました。だから、例え私の個人的なことであってもハートを全開にして伝えていこうと。でも、心ないコメントを読むと、やはりハートは傷ついてしまいそれは、もちろん、その方のせいではなく私がこれまで、ハートを開いて人と接してきた中で何度も愛を受け入れてもらえず、傷ついてきたからであってそれは、前回お話した、深い孤独感につながっていました。そして、もちろん、その傷も幻想であることはわかっているので昨日、セッションをやって、その孤独感を完全に手放しました。ですから、その孤独感を再確認させてくださった方々には本当に感謝なのです。そして、一方では、メールを頂いた方から「のりこさんのblogを読んで、私は愛を与えているだろうかきちんと受けとれているだろうか、と思いました」というのがあって、あ~私の言葉のエネルギーはちゃんと伝わっているそう感じることができました。(他のコメントやメールでも伝えてくれてありがとう)愛って何だっただろう?愛を与えることって?愛を受け取ることって?それは一体どんな感覚?そんな風に自分の内に向かうきっかけになるのだとしたらたとえ、100人のうち95人に伝わらなくても5人の人に伝わるなら、言葉としてのエネルギーを流していくことにも意味はあるなあ、そう感じるのです。私は賛同者と非賛同者を、味方と敵に分けていません。ただ、非賛同者に対して、理解してもらおうという気はないのです。言葉のエネルギーというのは、その人の持つ意識によって感じるものです。私の言葉から、感じる人は感じるし、感じない人は何も感じません。それはどちらがいいとか悪いとか、上とか下とかではなくただ意識が違うのです。その意識の違いを言葉によって、埋めようとしても無理なのです。でも、もしかして、場所が違ったところでその方と出会えばまた時期が違って出会えばまた違った関係になるのだろうなあ、と感じます。だから、永遠に非賛同者だとは思いません。いつか、心からわかりあえる時が来るかもしれないと思います。ですが、誤解を恐れずに書けば、今の時点での非賛同者はここに来られない方がいいと思います。世の中には、たくさんの人たちが様々な考え方をブログに書かれていますが自分が賛同できないところのブログにわざわざ出かけていって、読んで気分を害する必要なんて全くないのです。ましてや、一生懸命、相手の間違いを指摘してみても何も変わりません。私は言葉によって、相手を負かそうとしている人たちと話をいくら重ねても、時間の無駄だと感じます。これはこういう理由があるのだから、自分は間違っていない恐れーエゴは、必死で自分の正当性を主張しようとします。それで認められると、とりあえずは満足しますが本当の意味での安心感はそこにはありません。常に相手の言葉が自分を認めているものかどうか?をチェックしなければならなくなるのです。そしてまた、相手のエゴを指摘していること自体が、エゴの仕業です。私は相手に愛がないことをお伝えすることが、私のエゴから来ていることもわかっています。でも、それでもあえてそれを行うことがあります。もしエゴを完全になくせば、私はこのブログ自体を書くことをやめるでしょう。言葉によって愛のエネルギーを流したい、というのもエゴと言えますから。エゴがあるのが悪いのではなく、エゴに気づいていないことが問題なのです。私があえて、相手のエゴを指摘したのは気づきの可能性にかけたからです。私の本質は、そんなことどうでもいいのです。深いレベルで見れば、その方が素晴らしい人であるということはよくわかっていますから。例え、出てくるものが何であっても魂レベルでは、誰もが素晴らしい叡智であり、愛そのものです。私が本当に相手の方にお伝えしたいことは、エゴを指摘することではなく「自分の正当性を主張しなくても大丈夫なんだよすでにあなたは認められているし、受け入れられている存在なんだよ」ということです。コメント欄に書くのは、何を書いても自由ではありません。そう思っている人は、いわゆる「荒らし」と言うものになります。(あ、もちろん、みゅうさんは、荒らしではありませんよ!)こういうブログの匿名の世界だけで、自分の不満やうさをはらそうとする人たちです。そういう方は、自分の名前や素性を明かした状態ではそのことを相手に伝えることはできません。だから、多くのブロガーはコメント欄を承認制にするのです。愛という観点で言えば、コメント欄に書いていいのは例え「直接相手に会って伝えるとしても、これを伝えたい」と感じることのみです。もし、これを直接知っている友人に対してもしくは初めて出会った人に対して伝えたいと思うだろうか?心から信頼する友人として伝えることだろうか?という気持ちを感じてみてノーなら、それは愛から伝えているわけではないと私は感じます。(あ、だからと言って、コメント欄に書くのに名前を明かす必要はありませんので。ただそんな気持ちなら、という意味です)ということで、ここからは、ちょっと強硬手段なのですが(は~さらに誤解されるのを覚悟の上です)私のブログのコメント欄に書くのは、賛同者のみでお願いします。逃げとか傲慢とか思われるかもしれませんが非賛同者に賛同してもらえるように、あれこれと時間と労力をかけている時間が今の私には全くないのです。以前は、そのプロセスからも学ぶことがあったのですがもうそのプロセスは卒業したので、もう必要ないなあと。私は愛の人ではいたいと思いますが、いい人でいたいとは思いませんから。もちろん、賛同者というのは、私の言うことの全部を賛同しているという意味ではなくいくつか理解できない、賛同できないところがあったとしても基本的に私の感覚と共鳴している人、という意味です。もし、非賛同者がコメントされても、ある程度はそのまま残しておきますが私からのお返事はいたしません。また、ある程度の限度を越えた場合低い波動を感じた場合は、削除させて頂くかもしれません。私は何を書かれても大丈夫なのですがこれを読んでくださっている方々の中には否定的なコメントを読むだけで、気分が悪くなったりエネルギーがダウンしてしまう人もいますから。もしどうしても、否定的なコメントをしたい場合は私のメールアドレスまで、直接、実名で送ってください。norico1@earthlink.net愛とつながるのがどういう状態なのか?を言葉で説明するのは不可能です。愛をつながっている人には感じられても人生のほとんどを愛とつながっていない状態でいた人に愛を感じなさい、と言われてもそれは到底、無理な話なのです。昨日、おさむに「愛とつながるセッションの後、どういう変化を感じている?」と聞いてみました。そうしたら、彼の答えは「いろんな変化を感じているけど、一番最初に感じたのは愛のない人がそばにいると、とても苦しく感じるということなんだ。例え、その人が「俺はこんなにすごいんだぞ~」と自分のすごさを見せつけていたとしても、そこにある自分には愛が充分にないという心の叫びを感じてしまって、胸が苦しくなったよ。でも、これはたぶん、2、3週間して完全に統合されれば落ち着くのだろうね」本当にそうなのです。愛とつながっている状態だと、他の人の心の叫びを自分の痛みとして感じてしまうので、とても苦しくなるのです。だから、しっかりグラウンディングできていない状態でハートを開けば、間違いなく傷つきます。私が昔は、そういう人たちの中にいるのが辛かったのはハートは開いているのに、グラウンンディングできていなかったからです。だから、人の多いところでは、あえてハートを閉じることもありました。今は、かなりグラウンディングができてきたので大丈夫になったのですが。愛とつながれない人というのは、傷つかないようにプロテクションのために無意識でそうなってしまっただけなのです。人生のほとんどを愛を感じることができないで過ごしていれば頭で考える愛でしかなくなります。自分の言葉が愛からなのかどうなのかさえ、わからなくなってゆきます。そして、実際、それは愛とはかけ離れたものになってしまいます。ヒーリングは、愛に戻ってゆくプロセスです。私たちの本質は愛そのものですから。ここで私が流す言葉のエネルギーがほんの少しでも、何かのきっかけにつながるのならこれからも、ありのままに綴ってゆきたいなあと感じます。たくさんの愛とサポートをありがとう~~私の深い深い意識のレベルで、あなたを愛しています。インラケチ
2012年06月16日
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前の日記にコメントくださった方、ありがとうございます~♪コメントのお返事は、後で必ずいたしますのでお待ちくださいね。とりあえず、今は、これを先に書きたい気分なので。昨日、私とおさむのことを書いてから、何人かの方に温かなメールを頂いたりセッションでお言葉をかけてくださって、もう涙が出るぐらいうれしかったですが中には心配してくださっている方もいて、こうして言葉にして説明すると、もしかしてヘビーな感じになっちゃったかしらん?と。まるで、私がおさむから愛されないのに耐えていたかのような?または一方的におさむが私に甘えているかのような印象を与えてしまっていたらそれは全く違うので、ごめんなさい!私とおさむを直接ご存知の方は、よく知っていらっしゃるのですが私は全くがまんしたりしない方なので、言いたいことをバンバン言ってどちらかと言えば、おさむに甘えていることも多いですしそういう意味では、これまでもよく支えてもらっています。今回のことは、おさむ曰くマヤメキシコの旅から戻った直後から私への愛が見えなくなってしまって「俺は、マヤに取り憑かれていた」状態だったのだそうで彼の深いところにある闇を表に引き出すために、一旦そんな状態になったのかなあと。(一応「マヤのせいにするな~」と、どついておきましたが)おさむのために弁解しておきますが、彼が愛を与えれないと言ってもごく普通にやさしいですし、感動して一緒に泣いたりすることもあるし私はこれまで全く不満はなかったわけです。今回のことは、彼の場合は、本当に彼のコアな部分の変容を魂レベルで求められているという感じで、これは、もうかなりヒーリングが進んできたということ。クライアントさんでも「愛とつながる」などというテーマが上がってくる人はヒーラーになりたい人や、これから癒しの仕事を行っていきたいと思っている人ですしまずは、自分を無条件に愛するとか、自分の存在価値を受け入れる、とか価値判断を手放す、人に対する完全な安心感、などができていなければ愛とつながることは優先テーマとしては上がって来ませんから。さて、今回のセッションの後、晴れて私はおさむから、女性として愛されるようになりました~~というより、おさむは私だけでなく女性自体を愛することができていなかったわけですが(←かといって男性を愛していたわけではない)そのセッションの後、おさむは急にタントラを学びたいと言い出しまたこれから新たな変化がありそうです。タントラは、私は去年のはじめにタントラマスターのコースを取っておさむと一緒にやろうとしたのですが、おさむの方はなかなか乗り気ではなくタントラマスターであるカーラが「女性が男性にタントラを教えるのは、難しいのよ」と言っていたように、やはり私がおさむに教えるのは無理かなあと思っていました。かといって、おさむは他でタントラを学びに行く気は全くない様子でそうなると、私としては、一度タントラの喜びを知ってしまった後では普通のセックスには、全く魅力を感じることはできないしう~ん、これはどうしたものかなあ、と解決策が見つからないでいました。でも、今回のセッションの後、女性を女性として愛することができるようになったおさむは女性性と男性性の統合であるタントラに一気に興味が出てきたそうで来月には一緒にタントラ個人セッションを受けることになりそうです。これで、ようやくタントラカップルになれるかも~~~素敵なエロカップルになれるよう、がんばりたいと思いますあ、そうそう、ついでに、前のコメントに、おさむと私は別れた方がいいその方がこれから上手くいくみたいなものがありましたが私たちにとって大切なのは、今、この瞬間に二人が一緒にいたいかどうか?お互いに今、信頼しあって、愛し合っているかどうか?だけであってこの先にどうなるか?には全く興味がないのです。どんなことにしても、先のことは何一つわからないわけですから。さて、この一連の出来事の最中に私は、今月末から、フロリダで行なわれるIHヒーリングのクラスに1週間、参加することに決めました。私は今回でIHヒーリングのクラスは、2回目の参加になりますがIHヒーリングのクラスは、2回、3回と受ける方が多く20年近く、キネシオロジーをやっている方でも新たな発見があると言われていたので、私ももう一度受けようと思っていたもののこれまでもタイミングが合わなかったこともあって、参加しないでいました。でも、急に今回のフロリダでのクラスを逃したらもう永遠に受けないような気がしたのでふっと気になって調べてみたら、私が最初にIHのクラスを受けたのが2010年のボストンで6月24日だったのですが今回のフロリダでのクラスが6月25日。これは、ちょうど2年の区切りでタイミングがいいなあとでも、クラスの申し込み締め切りの前日まで、迷っていました。とてもありがたいことに、最近、さらにセッションの予約が増えて今の時点で、6月も7月も予約は全部埋まっていてキャンセル待ちの方も20人ぐらいいらっしゃる状況なのでここでもし1週間行かなければ、その方たちの予約を入れることもできるしそこまでクラスは必要ないかも~やっぱりやめようかなあと何度も思ったのですが、試しに、何度かオラクルカードを引いてみたら、その度にGOのサイン。「あなたは、このカードを確認のために引いたのでしょう。そうです、あなたの直感は正しいです。あなたの直感に従って、進みなさい」というカードのお答えと、2年の区切りということで思い切って行ってくることにしました。新たな発見があるかどうかはわからないのですがマチルダにも会いたいし、フロリダのビーチの近くでクラスというのもいいなあと。といっても、クラスの終了する次の日からセッションが入っていてトンボ帰りなので、ビーチに行く時間はなさそうですが。この2年間で、IHキネシオロジーのセッションは2000回ぐらいやりました。本当に私のセッションの方向性が確立してきたのは1000回を越えてからです。本間先生は以前、1000回セッションをやったら一人前と言われていましたがやはり何でも数をこなさなければ、見えてこないことは多いなあと。ここまで私がやれたのは、他のヒーリングではやれなかったでしょうしやっぱりIHの魅力だなあと感じます。他のヒーリングは、続けてゆくと必ずこれで到達できるのはここまで、という限界が見えてきますがIHは、私の意識の変容にしたがって、どこまででも深く行くことができるしまだ限界を感じたことがないのです。ということで、最近は2、3年分の意識の変化を数日で終わらせて、次に進んでいる感じです。昔、スマップの番組だったか覚えていないのですが「急展開ドラマ」というがあって、もうむちゃくちゃな急展開で進んでゆくドラマというコントなのですが、ちょっとそんな感じかも。これから、平穏な幸せに意識を変容させてゆけばもう少し、ゆっくりになるかしらん多くの方からの愛に感謝で一杯です~~
2012年06月14日
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おさむが、先日のセッションのことを彼の日記に書いているのですがこの日のセッションは、いろんな気づきも大きかったですがとても辛いもので、たぶん、こんなセッションは、私の人生の中で二度とないだろうなあと。10日ほど前のことでした。突然、おさむから、家を出て行こうかと思っている私と別れようかどうしようかと迷っている、ということを伝えられました。なぜ、そんな風に彼が迷い始めたかというのは、いろいろな経過があって、簡単には説明できないのですがそれはメキシコの旅の後から起こったことは、彼も気づいていたものの彼自身も自分の気持ちがよくわからなくなっていました。私は最近の彼の不調は、てっきりセッションの好転反応だと思っていたのでそんなことが彼の中に起こっていたなんて全く気づかず。二人の関係が今のように戻ってからはこんな風に離婚の話になったのは初めてのことです。そのことを彼から伝えられた直後に、私はその日最後の予約が入っていて感情の解放を行う時間もないまま、そのセッションに望むことになってしまいました。たまたま、それは、ずっと前から来てくださっている方でクライアントさんというより、友人に近い方でしたから彼女は、何か普通ではないエネルギーに気づいてくれて私はついさきほど起こったことを正直に話し、そしてわんわん泣いて結局、その日は、セッションはできず。これまでヒーリングのセッションを行う時に私の感情が不安定だったことはなかったのですがやはり、ヒーラーの感情が安定していなければ人へのヒーリングはできないなあと。もちろん、感情を抑えて行うこともできたかもしれませんがヒーリングは、ただ道具やテクニックではなくて私の存在すべて、私のエネルギーすべてで行うものですからそういう状態では、きっとよいセッションはできなかったでしょう。彼女には申し訳なかったですが甘えさせてもらえて、よかったです。こういう何か悲しいことや辛いことが起こった時に大切なことは、すぐに達観したり、頭で納得したりせず一旦、その悲しさや辛さを感じきって例え、落ち込んで、泣きわめいても感情をすべて解放してゆくということ。そうしないと、その感情は潜在意識の奥に残ってしまいます。私は昔から、感情の解放に関しては、けしてがまんしたりしないのでこの日の夜も、わんわん泣いて泣いてその後は怒りも湧いてきて、怒りも感じきりそれが収まると、す~っと私の中心に戻ってきてさて、私はここから何を学ぶ必要があるのかしら?という意識に転換してゆきました。でも考えても仕方ないし、ただ流れに任せようと。おさむの決断に任せるのではなく、流れに任せる。例え、今は辛い結果になったとしても、後から振り返ればやっぱりこれがベストだったと思えるようになるということは経験的によくわかっていますし私の人生にとって、すべては必要なプロセスであることは完全に信頼していましたから。それで、次の日の夜、おさむと話していてわかったのは彼は、あまりにも傷つくことを恐れてしまっていて全く愛とつながっていないということでした。あ~だめだこりゃ~~「愛を与えることが幸せなのではなくて与えた愛を受け取ってもらえたということが幸せなのだ」という言葉を、中山康直さんのニュースレターで読んで深く共感したのですが私の愛を彼はハートレベルでは受け取っていなかったことがショックでした。そして、おさむは、自分から別れたいと言い出した後で私と別れるということがどういうことなのか、実感として感じ始め「やはりそれは嫌だ。のりこのセッションを受けてなぜ俺が愛を見失ってしまったのかを知りたい」と言い出しました。それで、IHキネシオロジーのセッションを行ってわかったのは3歳頃、おさむの両親の不和などから、おさむが感情的に受けた傷や予防接種(幼い頃の注射や薬によって、感情的なバランスを失うケースはよくあります)などの要因が上がってきました。3歳までに、そういう感情的な傷があれば、もう傷つかないように、無意識にプロテクションしてしまいますしそれが、愛とつながれないことになってしまいます。彼の場合は地球や自然や宇宙に対する深い愛はあっても人に対する愛を感じる力、愛情が欠けていたのです。だから、ある意味では、全くそれはおさむのせいではないわけでこれがクライアントさんへのセッションなら「ああ、そんな小さな頃に傷ついたんだね、本当に大変だったね」という気持ちが湧いてきますがおさむの場合は、私との関係であってこれまで私へのハートレベルでの愛はなかった、ということがクリアになるにつれて私は湧いてくる悲しみを抑えることができませんでした。しかも、今回、あらためてわかったのはおさむの身体は「のりこを女性として愛します」に反応していて先日「のりこは前世では俺のお父さんだったんだよ」なんて言っていたのが全く冗談ではなかったんだ~とショックでも、私がショックを見せた途端おさむの身体は「罪悪感」「自分への怒り」などに反応し始めるのであ~だめだ、私が感情を出したら、セッションはできないなあと。でも、私の気持ちはどうなるの?こんなセッションはもうやめるべきじゃない?と葛藤しつつも一方で、これは私にしかできないセッションだということもわかっていたので途中から、私の個人的な想いは消しました。もちろん、その後で自分へのヒーリングをすれば大丈夫なのですがそれでもハードなセッションでした。彼が愛を与えれない人であることはどこかでよくわかっていたことだったのですが彼にこれまで多くのセッションを行ってきてそんな根源的な問題にアクセスできなかったのは私自身がその事実を受け入れたくなかったからなのだなあと。愛と恐れは、けして共存できないもの。傷つくことへの恐れ、自分が受け入れられていないことへの恐れ愛されていないことへの恐れどんな恐れがあっても、愛とは離れていってしまうのです。今回、おさむに「のりこは本当に傷つくことを恐れない人なんだなあ」と言われたのですが確かに、私は傷つかない人なのではなく、傷つくことを恐れていない人だと言えるのかなあと。傷つくことが恐くないから、ハートを開いてゆくことができる。それは、魂レベルでは何も傷ついていないということもわかっているし例え、潜在意識の中では傷ついたとしてもたくさん涙を流して、ちゃんとそれを癒していけばその癒された傷は、やさしく私の心に色を添えてゆくものなのだということをヒーリングを知る前から、知っていたように感じるのです。そして、この「愛とつながる」というテーマでおさむのセッションをやってからその後、クライアントさんにも、続けて2人の人がほぼ同じテーマが上がってきてやはり、私の意識とクライアントさんとはシンクロしているのだなあ、と。そして、今回、この問題が上がってきたのは、マヤメキシコの浄化の一つだったということもわかってきました。ペカン遺跡で、女性性と男性性の統合のセレモニーを行ったことがおさむにコントロールしようがないような感情を抱かせ彼が潜在的に持っていた闇を強烈に浮かび上がらせることになっていました。いや~もう次の旅は、巡礼や浄化ではなくて絶対にバカンスの旅にしようさて、こういう風に書くと、まるでおさむの持っていた問題だけが要因だったかのように見えますが、実際は、私は被害者ではなく私たちに起こることのすべては、自分自身が(といっても、意識できないレベルで)生み出している現実、いや幻想です。それでは、私の中のどんな意識が、今回の幻想を生み出したのだろう?と。今回、彼から別れを持ち出された時に私が最初に感じた感覚は、深い孤独感でした。その孤独感は、私は昔からずっと持っていてそれは、おさむと一緒にいてもどこかにはあったのですがここ何年もその感覚は、すっかり忘れてしまっていてもうなくなったかのように感じていました。その孤独感は、誰かと一緒にいるとか、信頼する友人がいるとかそんな現実的なことで解決できるようなものではなくもっと、深いところにある孤独感。それが、今回のおさむが別れを持ち出した時に浮かびあがってきたのを感じました。だから、私の中のその孤独感を浮かび上がらせるためにおさむを通じて、私自身がどこかで生み出したとも言えるのかもなあと。今週中には、私へのセッションを行ってそれがどこから来ているのか、見てゆこうと思っています。それと、もう一つ気づいたことは先日のクライアントさんへのセッションでFESのフラワーエッセンスの一つが選ばれたのですが、その効能が「トラウマライフ」中毒人生に劇的なドラマを生み出さなければ気がすまない人のためのエッセンスというのを見た時にあ~私も昔、そういうのがあったなあと、思い出しました。そして、もしかして、まだそういうものが潜在意識のどこかにもあるのかも?と。私は昔からジェットコースターみたいな人生で当時はリチャードバックの「人生で最も最悪なのは、何も起こらないということだ」というのが座右の銘だったように本当に波瀾万丈の人生を送ってきました。これは、アーティストや俳優などクリエイティブなワークに携わっている人の多くが持っている傾向でそういう劇的な人生を送ることで、感動を生み出すアートや音楽を生み出そうとする意識がどこかにあったりします。それで、思い出したのが、24、5歳の頃に大学時代からずっとつきあっていた彼と結婚しようということになって新居を構えて、家具も取り揃えた後で、その彼が「やっぱり、俺はまだ結婚なんて考えられない」と言い出して出ていってしまい、別れたことがあったのですがその時に、傷ついて、とても悲しかったにも関わらず意識のどこかでは「あ~これで、私の人生は決まってしまわなくて済んだ。まだこれからどう変化するかわからない、無限の可能性に満ちている」という、わくわく感に近いものを感じたことを思い出しました。つまり私は昔から、変化を恐れない、傷つくことは恐れなかったのですが安定することを恐れていたのかもと。安定=つまらない人生、という図式が私の潜在意識の中にはあったのかもしれません。もちろん最近は、そんな波瀾万丈に生きたいなんて意識では思っていなかったし感情的にも精神的にも、穏やかでいたのでそんな意識もなくなっていたかのように思っていたのですがまだそれがどこかにあって、こういう現実を生み出したのかも?と今回のことを通じて、感じました。つい先日もアメリカ人の俳優の方のセッションで彼もまた波瀾万丈の人生だったのですが筋反射テストで出てきた結果をこんな風にお伝えしました。「あなたの意識では幸せになりたいと思っていても潜在意識では、簡単に幸せになるのは嫌だ困難な道がいい、ドラマチックな人生が必要だ、と伝えていますよ~」すると彼は「オーマイゴッド!誰がボスなんだ!その潜在意識に、今日限りもうクビだと伝えてくれ!』と言うので、笑いました。確かに、潜在意識に人生をコントロールされてしまって本当のボス(魂)が望んでいる生き方ができなくなってしまっているのですものね。ということで、私へのセッションをやってみないとわかりませんがもし私に「劇的な人生中毒」の潜在意識が見つかったならその日限り、その潜在意識にはクビを言い渡してこれからは、劇的で幸せな人生ではなく平穏で幸せな人生にしようと思います~~
2012年06月13日
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先日、このコメント欄に「何か行動を起こそうとしても、どうしてもうまくいかないとき、それは自分の使命に反することで絶対に変えられないことなのか、潜在意識の恐れから来るブロックなのかを見分ける方法はあるのでしょうか?」というご質問を頂きました。こういう質問に対して、正しい答えとか間違っている答えなんてないですし人それぞれにとっての捉え方があると思います。ただ、この質問から、ちょっと感じることがあったので書いてみますね。あくまでも、こんな捉え方もあるんだ~という感じで聞いてくださったらうれしいです。まず、使命という言葉ですが、ちょっと勘違いしやすい概念だなあと感じます。使命は「人のために行う行為、お役目」という意味を含んでいますが「これがあなたの使命です」というのを知りたいと思っている方は案外とても多いです。だから、例えばリーディングなどで、「前世はあなたはこうでした。だから今生はこれを行うことが使命です」なんて言われると、それに従っていけば安心、という感じがしてしまうのです。でも、その「使命」によって、実は本当に魂の導きに従えなくなってしまうことがあります。私が、日々のセッションを通じて、いろんな方の魂の声を聴いていて感じることは私たちに誰もが与えられている使命は、ただ一つ。「幸せに生きること」それだけです。他の人のために自分を犠牲にする生き方は、天は望んでいません。だから、やりたくないことをやるのは、使命ではないのです。本当に自分がやりたいと感じること、心から幸せに感じることをやってそれがさらに他の人のためにもなること、それが「使命」だと私は捉えています。ですから、今日の使命が、明日の使命とは限りません。自分の幸せに感じることが変化するように、使命も刻一刻と変化してゆくのです。なので、やりたいことを行動に起こして、上手く行かないのは使命に反しているから、ということになれば使命というものの捉え方が、私とは違っていると感じます。さて、やりたいことを行動に起こしても上手く行かない理由としていくつか考えられます。例えば、前回の例で取り上げたような彼に暴力をふるわれている、というような極端な例ではなくても「彼と別れた方がいいかどうか?」というケースで彼と別れようと行動を起こしてみるのだけれど、どうしてももとに戻ってしまう、という問題があったとします。この時に考えられるのは一つは、前にも書いたように、彼と別れたら私は誰も愛してもらえないのではないか?という潜在意識の恐れがあるから、また戻ってしまう、というような要因。そして、もう一つは、彼と別れたいと思うこと自体に何か問題があるということもあり得ます。例えば、自分の中で「人を信頼できない」とか「いつか彼に裏切られるのが恐い」なので、今のうちに彼と別れて、傷つかないようにしよう、というような意識です。どちらも、魂レベルの自分のやりたいこととを防ぐ、潜在意識の作用です。つまり「何かをしたい」と思っていることそのものが実は潜在意識のプロックからだったということも考えられるのです。例えば、今の仕事が嫌いだ、もっと楽な仕事をしたい、そういう意識から、では「ヒーリングのクラスを受けてヒーラーになりたい」などと思ってやってみたけれど、やっぱりそれも上手くいかなかったなどというケースです。ですから、私は何かをやりたい、と思った時にそれがどこから来ているのか、自分の内をしっかりと確かめる必要があります。もし、私が「まだ私は充分ではない、今の自分に満足できない」または「人に認められるためには、これが必要だ」などという意識から、それをやりたいと思っていたとしたらそれは私にとっての、魂の導きには添いませんから。(でも人生の中である段階までは、そういうことも必要だったりするのですが)使命は、まずは、それがお金や自分が認められるためや何かから逃れるためではなく純粋にただやりたいと感じるものであることが、第一だなあと。(そうでなければ、それをやるための情熱は湧いてこないので何か上手くいかないことがあれば、挫折してしまいますから)では「潜在意識に全く恐れや不安がなく、それに対して行動を起こしているのに上手く行かないということはないのか?」なのですが、これはあります。これが宇宙の流れであって、大きな意味で言えば、やはり私たちの魂の導きです。私たちの人生では、上手く行かないことで、そこから何かを学び、知ってゆく必要があることもあるのです。例えば、ある店を開きたいと思い、そのための準備も充分に行ったし上手くやってゆく自信もある、でも、なぜか店舗が見つからなかったり、流れがそこに向かわないなどというケースで、その方の中にある潜在的なブロックでなければ「今はよいタイミングではない、時期を待ちなさい」というお知らせだったりします。そして、そのタイミングになれば、とんとん拍子に上手く行ったりするのです。そして、後から思えば、やはりあの時期ではなく、今、このタイミングで開くことが必要だったのだなあとわかったりします。または、上手く行かなかったことで、実は、店を開くことよりもっと自分の使命だと感じれるものに、出会ったりするかもしれません。潜在意識の中に恐れや不安がなくそれをやってみたい、やらずにはいられない、と感じたとしてそれが本当に私の魂の導きに添っていることかどうかは、タイミングでわかります。例えば、私があるヒーリングのワークショップを受けたいなあと思っていてもどうしても、日程が合わない、などということになったとしたら今は受けるタイミングではないまたは、永遠にそれを受ける必要はない、ということです。この場合、大切なのは、私の中に例えば、新しいことにチャレンジする恐れなどがないということです。もし恐れがあって、タイミングが合わないのだったら、それは潜在意識のブロックですが私の中に全く恐れがないにも関わらず、その流れにならないということになればそれは魂レベルの私が望んでいることではないということです。ですから、見分ける方法というのは、自分自身の潜在意識の中に恐れや不安などの感情や、不要な思い込みがない場合はすべてタイミングと内なる感覚が知らせてくれるので、とてもシンプルなのですがほとんどの方は、潜在意識の中にいろんなものを抱えていますからそれを見分けることは難しくなります。ですから、キネシオロジーのようなヒーリングやセラピーが必要なのです。こういったヒーリングによって自分の中の不要な思い込みや感情が取り除かれてくれば魂の導き、宇宙の流れに従えるようになってきますしそうなれば、必ず道はどんどん開けてきます。ということで、見分ける方法は自分の内に向かってゆくこと、自分のネガティブな部分をきちんと受け入れることそして、不要な感情や思い込みを手放してゆくことつまり、本来の自分に戻ってゆくしか道はないと思います。自分が変わらない限り、問題は形を変え、何度でもやってきますから。日々、セッションに来られる方たちが魂の導きに従って生きていくことができるように、IHキネシオロジーを行っているわけなのですが私自身も、まだ自分自身の内面の奥深くに隠れていたブロックに気づかされることもあります。完全に魂レベルの意識のみで生きれるようになるまでそのプロセスを楽しんでいくのだなあと。(それが起こっている最中は、けして楽しいとは感じれないこともありますけれどね)と、こんな内容で、答えになるかしら読んでくださって、ありがとうございます。
2012年06月09日
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最近、怒濤のようにいろんなことが起こっています。書きたいことは山ほどあって、一体何から書いたらいいのかしらと。とりあえず、昨日はヴィーナス・トランジットだったので、それに関する話題を。おさむが、昨日の彼のブログにそのことを書いていますがそのせいなのか、セッションの中でも女性性やセックスに関する問題や男女の関係に関する問題を持って来られる方が、最近多かったです。こういうのは宇宙のエネルギー的な流れもあるのかしら。女性性について、最近、セッションを受けられた方が感想を送ってくだったのでまたシェアいたしますね。シェアしてくださって、ありがとうございます!今日はセッションして頂き、どうもありがとうございました。これからくるであろう、好転反応の前の静けさ(笑)の内に、感謝の気持ちを伝えたいのでメールする事にしました。(といいつつ、セッション後すぐ意識もうろう状態になりましたが。。)今日の問題については結構前から気づいていましたが、キネシを知る前は、これが私なんだから、この状態を受け入れて生きていくしかないと思っていました。一才の頃からサバイバル状態で生きてきた(?)のですか。。実は、男性との関係に関して、女性性を発揮するどころか、本当に恐怖から身を守る状態に近かったな~と思うと、サバイバルプログラムが出てきてかなり納得。男性を目の前にして、戦闘態勢でしたから、そんな状態でどうやって関係を築いていけるのか、長===い事闇の中を歩いてきました。そして、11歳の頃の記憶、忘れていたけれど、言われてすぐにその事が思い出されました!あ、、、そうか!! と。 あの当時、かなりショックを受け、恐怖も感じました。他にも色々気づきがありました。それにしても、かなり強力なプログラムを持っていたんですね(笑)そんなぶっとく頑固なプログラムが排除されたと思うと、本当に嬉しくて嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいです!!!! この問題は、のりこさんにやってもらうんだ!!!って決めてましたから。そして、やっとここの問題を見つめて取り組もうと思えた自分を褒めてあげようと思います♪長かった・・・・・・・・好転反応なんて怖くないです。受けて立つ準備万端。しっかりうけとめて、これから自分がセッションをさせて頂くクライアントさんが、今後、私のしたセッション後に起こりうること、全て私が身を持って体験していきます。これからも、どんどん自分の要らないものを排除し、どんどん色んな気づきを得て本来のなりたい自分になり、回りにシェアできたらと思います。長くなりましたが、読んで頂いてどうもありがとうございました!統合後の自分が楽しみです☆「好転反応なんて、恐くない」頼もしい~~♪最近、好転反応についてここで何度か書いたこともあったせいかだんだん、好転反応について、みなさんが特に恐れを持たなくなってきているのは私としてはうれしいです。これは好転反応に限らずなのですが、必ず、そこから抜けることがわかっていれば何も恐れることはないのですから。彼女は、ヒーラーの卵さんなのですがこんな風に真摯に自分の内に向かっているのは素晴らしいなあと。それがきっとこれから、自分にも周りにも素晴らしい影響をもたらされてゆかれるでしょうね。さて、この方は男性と深く関わっていくことができないという問題を持って来られたのですが、それは幼児期からの母との関係に加えて11歳の頃のある出来事が問題となっていました。11歳の男の子のちょっとした行動が原因だったのですがそれは、たぶん子供のたわいない行動であって一般的には大きな問題だとは、捉えられないかもしれませんが一方で、大人の社会で抑圧された性の問題が、子供に投影されて起こったことだとも言えます。例え男の子にとっては「何でもないこと」であったとしても女の子にとっては、それは恐怖であってそれは潜在意識の奥に残り、男性に対するブロックとなってしまいます。身体的に弱い立場である「女性を守る」ということや性に対する教育がきちんとなされておらず、むしろひずんでしまっている社会では様々な問題を生み出しているなあといろんな場面で感じます。今回のヴィーナストランジットがそういう過去のエネルギーを変容させることになるのか、私にはまだわからないのですがそう心から祈ります。それには、私たち一人一人の性に対する意識の変容が何よりも大切だなあと。そういう意味でも、私もあらためてセックスやタントラについてのワークをやっていきたいなあと思っています。さて、おさむの日記に書いてあるように昨日、おさむのセッションを行ったのですがもう壮絶なセッションで、これまでのセッションの中で私にとっては、最も辛いものとなりましたそれは、私とおさむとの関係にも関している問題で普通なら私がやるべきセッションではない内容だったからなのですが一方で、私にしかやれないセッションでもありました。それについては、おさむがまだreadyでないので書けないのですがいつかここでシェアしたいなあと。私たちが経てきた問題をここでオープンにしていくことが、誰かの何らかの参考になるかもしれませんしね。(何の参考にもならない可能性もあり)この変容が私たちだけでなく、周りの多くの人に起こっているのをひしひしと感じます。最近、セッションの予約が前にも増して増えてきているのも多くの方の意識の変容を宇宙的な流れで促していることもあるのかなあと。私たちが、あらゆる恐れ、コントロールを手放しそれぞれの魂にとって最善の道を歩いていけますように
2012年06月06日
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前回のブログで、私がクライアントさんが泣くのを説得するような形になる、と書いたことで、『ヒーラーがクライアントの意に反することを行う」というコメントをくださった方がいました。こういう率直なご意見を頂くとなるほど、こういう言葉を使えば、こういう風に人から受け取られるのだなあと私自身の気づきになります。言葉というのは、限定されたものなので共通の認識がある場合は、何をどう書いても伝わるものですがそうでなければ、伝わりません。極端な例で言うと、アフリカの森の中で暮らしている原住民に私のブログの内容を、例えその言語で訳して伝えても、全く伝わらないわけです。(でも、もし実際に会って、私のエネルギーとして感じてもらえれば伝わります)こういったブログの内容は、セッションを受けられたことがあったりヒーリングを知っている方には、そのまま伝わっても(感じれても)もし、全く共通の認識がなければ受け取り手の言葉の定義に限定されて伝わります。どちらがいいとか悪いとかの問題ではなく、それは言葉の持つ性質であり限界です。ですが、できる限り伝わるように工夫することもできるわけですからまた、ここでちょっと補足させてくださいね。気づきをありがとうございますグラウンディングというテーマは、ヒーリングを知らないとなかなかピンと来ないテーマですから、もっとわかりやすいテーマでお話しますね。セッションでの調整は、顕在意識での理解が必要と書きましたが例えば、夫に暴力をふるわれているような状況で、誰がどう考えてもそんな男とは別れた方がいいと思えるような状況だったとしてもその本人が「彼と一緒にいたい」と思っていればその彼と別れることがテーマだとはあがってきません。彼女が「もう別れたい」もしくは「もう別れた方がいいのではないかしら」と思わない限り、別れることがテーマだとは出て来ないのです。ただ「もう彼と別れたい、別れた方が自分のためだ」とわかっていても別れられないという事実があれば、それは何か別れたくない要因が潜在意識の中にあるということです。例えば「(暴力をふるう彼でも)自分を愛してくれているのではないか?」「彼を失ったら、私を愛してくれる人はもういないのではないか?」などという恐れです。意識のどこかでは別れたいと思っているのですから例えば、セッションで「彼と別れる」が、テーマとしてあがってきても大抵の方は「ああ、やっぱりそうか」と納得します。でも、実際にそれが目標として選ばれた時に、その別れたくない要因が表に浮上してくることがあるのです。「やっぱりあんな男とは別れた方がいいのはわかっているのだけれど。でも彼は優しいところもあったし、あの時はこんなこともやってくれたし」というような感情が湧き出てきたりします。そうすると一時的に「別れたくない」という感情の部分が強く出てくるのです。本人に全く別れる気がなければ、テーマとしてあがってこないので私が「暴力をふるう男とは別れた方がいい」なんて説得することはないわけですがでも、本当は「別れた方がいい、別れたい」と思っていても一時的に別れたくないという感情が浮上してきた場合は私が、セッション中に、その方が心からそうしたいと思えるように話合ってゆく必要が出てきます。心からそうしたいと思っても、潜在意識の中ではその恐れはありますから身体は抵抗を示しますが、まずは、顕在意識で深く納得していることが大切なのです。ですから、グラウンディングの問題で言えばその方の顕在意識でも「グラウンディングすることが必要だ安心して生きていきたい」と思っていても一方では「現実社会なんて見たくない、ふわふわして生きていたい」という気持ちがどこかにありますからセッション中に「やっぱりグランディングしたくない、恐い」という感情が出てくることがあるのです。ですから、そこで再度、なぜグラウンディングが必要なのかを私がお話してやっぱりそうしたいという意思を確認する必要があります。説得するような形になる、と書いたのは、一見、話し合いがそんな形になるというだけで実際は、説得しているわけではないことは、クライアントさん本人もわかるので私も安心してお話できるわけです。セッションでは、クライアントさんが、本当に自分がやりたかったこと、どうなりたかったのかを、顕在意識で明確にしてゆくことができるよう、私が導いていく必要が出てきます。これが、キネシオロジーのセッションにおけるカウンセリングです。キネシオロジストとしてやっていけるかどうかの大きな要因の一つがこのカウンセリングの力だと感じます。(私は英語でのセッションになると、このカウンセリングの力が弱くなってしまうのですが)もっとも、セッション中に私が思わず一緒に泣いてしまう本当の理由は、クライアントさんが抵抗するからではなく「よくこれまでがんばってきたね。グランディングしないでここまで生きてきたのは、大変だったよね」という思いが湧いてくるからです。グラウンディングできていない状態では、意識、無意識レベルでどれだけ大変なことなのかがわかりますから。それと同時に、やっと今日でそれを手放せるね、という喜びの涙でもあります。これはカウンセリングの力とは関係ないのですがたぶん、私がセッションの中で、クライアントさんと一緒に「感じていきたい」タイプのヒーラーだからかなあと。ということで、少なくともキネシオロジーにおいて、キネシオロジストがクライアントの意に添わないことをやることはないのです。キネシオロジストとして、最も大きな責任は筋反射を100%正確に取る、絶対に魂からの声を間違えないということです。そして、その声をクライアントさんに伝えてゆくだけなのです。もちろん、全く予想もしなかったことが、テーマに上がってくることもよくありますがそれが上がってくるということは、どこかでは気づいているということでそれをお伝えすると、ああ、なるほどね~と納得できるものが上がってきます。なるほどね~と頭で納得しても、潜在意識はそれに対する様々な抵抗(恐れ)がありますから、身体は抵抗します。ですから、それを外してゆく必要があります。なぜ、潜在意識の抵抗を外す必要があるかと言えばそれを外さない限り、本質的には何もヒーリングされないし何も変わらないからです。でも、それが上がってくるタイミングというのがあって本当にそれを手放すことに抵抗して、まだまだそれを手放す準備ができていない時には問題として上がって来ないのです。例えば「価値判断をする」というのは多くの人が抱えている問題です。あれがいい、これはだめだ、あんなことを言うなんてだめだなど、人はいろんなジャッジをしています。そのジャッジによって、例え本人は意識では気づいていなくても様々な問題を生み出してしまっています。実はジャッジをするというのも、潜在意識のプロテクションの一つであってジャッジをしてしまう要因となっているものが、必ず潜在的にあるのですが「価値判断」で身体が反応したということはもうそれをどこかの意識では、手放したい、これからの自分には必要のないものだ、と感じ始めているということです。だから、価値判断を手放す、なんてテーマがあがってきたということはその方が、それを手放すための意識レベルまで到達しているということを意味します。例えば、絶対にグラウンディングなんてしたくないと思っていれば、その問題はあがってきませんしその意識が強い方は、私のところにセッションに受けに来られることもありません。本当にその問題を持ち続けていたい人は、けしてセッションには来れないのです。初回の方の直前のキャンセルが、たまにあるのはそのためです。1回でもセッションを受けたことがあれば、問題を手放すことは何も恐いことではないこともわかりますが1回も受けたことがないと、潜在的にも、また意識的にも受けるのが嫌だと感じ始めて、一度予約をしたにも関わらず急にキャンセルされたりします。本当に病気でキャンセルしたのか、セッションへの抵抗が起こっているのかはだいたいメールを読めばわかりますし初回のセッションをキャンセルして、もう再び予約しないというのは、まだ、その問題を手放す準備ができていないということ。私としては、その方が手放す準備ができてから来られればと思っているので例え、その抵抗に気づいていても、そのことをお伝えすることはありません。その方が、本当に問題を手放したくなるのは、何週間後かはたまた何年後かはわかりませんがその問題を持ち続けている限り精神的、感情的、肉体的、経済的、あらゆるレベルで問題は起こり続けます。私たちの本質、ハイヤーセルフは、いつも私たちに「もうその問題に気づく時期ですよ~」とメッセージを送り続けてくれるのです。問題を手放す時期は、人それぞれです。たくさんの問題を抱えて来られる方もいらっしゃれば現実的な問題がほとんどなく、メインテナンス感覚で、セッションに来られる方も多いです。特に各種セラピスト、コーチング、ボディワーカー、ヒーラーなどの方々はやはり解放されている方が多いので最初のテーマ選びから一苦労になってきます。これまでのセッションで、問題やテーマが見つからなかった人というのはまだ一人もいないのですが、いずれそういう方も出てくるのかも。今日もずっとここに定期的に来てくださっているヨガティーチャーの方のセッションでしたが顕在意識でわかっている問題は、かなりなくなって来られているので今回は、かなり深い要因を探っていくことになって、私にとってもあ~やっぱりこうなんだなあとあらためて確認できたことがありました。つい先日にも、別のヨガティーチャーの方が私のセッションをブログに紹介してくださっていて、うれしかったです。こちらは、とても素敵なヨガのティーチャー、SHOKOさんのブログありがとうございますどんなヒーリングやセラピーであっても、基本的にクライアントさんはヒーラーの意識レベル以上には行けないので私は、さらに自分を解放してゆくことが求められるなあと。そして、つい先日もその機会が訪れました。それについては、また~~
2012年06月04日
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最近、グラウンディングのことをよく書いていますが相変わらずグラウンディングの問題は、セッションの中で出てくることが多くて特に先日このブログに書いてから、さらに増えている感があります。これはシンクロなのかしら。特に20代後半から30代の方は多いです。たまに40代以降。私のところは、最近男性が増えてきたもののやはり女性のクライアントさんが大半ですがもしかすると、この年代の男性でも多いのかもしれません。この年代のグラウンディングできていない方の苦手なものは、仕事、お金、人とのコミュニケーション(動物はオッケー)グループ、社会。自然の中に触れるのは好きでも、この世界にはいたくないと感じています。エネルギーにものすごく敏感なので、野心的な人やエゴの強い人は超苦手。そばにいるだけで、そういうエネルギーを受けて、疲れてしまったり人によっては、相手のことが何も言わなくてもわかるので人への安心感や信頼を失ってしまいます。なので、うつ病にようになったり引きこもりになる方も少なくありません。彼女たちを一言で表すなら、ピュア。とにかく、エネルギーがピュアすぎるのです。最近は、このブログを読んでくださったりまたは自分でもグラウンディングの問題があると感じて、それを調整したいと来られる方も増えてきたので、そういう場合はセッションがスムーズに行くこともありますが(だから何でも書いてみるものなのよね~)それでも、その日のテーマに、グラウンディングを身体が選んだりするとグラウンディングーこの現実社会に対応して生きるということに顕在意識でもすごい抵抗を感じて、「グラウンディングなんてしたくない」と泣き出す方も少なくありません。グラウンディングするということがまるで、スピリチュアルじゃなくなったりこの物質社会にまみれてしまったり、社会の常識に合わせて生きなければならなくなるように感じてしまって、恐くなってしまうのです。そういう時に、私はグラウンディングすることの大切さを話す役割になってしまうわけですが、まるで何かピュアな子供を、汚い大人の社会に無理矢理対応させようとしている悪代官のような気持ちになりますもちろん、その方の身体が魂が望んでいる目標であって私が望んでいるわけではないのですがいくら魂でその目標が選ばれても、顕在意識で納得しなければセッションはできませんし、魂の声の翻訳家としては、その方の魂の声を伝えなくてはいけないのでセッションの中で、まるで私が、説得しているかのような感じになってしまうのがちょっと辛いところ。私の方が泣きたい気分になります。(たまに一緒に泣いています)グラウンディングすることは、けして『汚い』大人の社会で上手くやっていくための処世術ではないですし社会の常識にとらわれることでもなく、それぞれのいる場所で自分の居場所を見つけて、しっかりと自己実現していくということ。そして、この世界で安心して、自由に楽に生きてゆくために必要なことなのです。グラウンディングしていないと、無意識に余分なエネルギーを使っていますから日々の生活がとても疲れてしまいます。そういう方たちの多くは、野心やジャラシーや欲望や競争意識など人のピュアじゃない部分を見たくないと潜在的に感じています。でも、魂レベルでいえば、ピュアじゃない人なんて、一人もいないわけです。どんなに野心的な人であってもどんなに欲望をギラギラさせている人であってもどんなに競争意識を持っている人であってもまたは、ジャラシーやねたみなどの感情を持っている人であってもそれはただただ、癒されていないだけなのです。その人が本当に癒されたら、野心も欲望も競争意識もジャラシーもすべてはなくなってゆきます。グラウンディングしたくない方たちは、人のエネルギーを感じる力は強いのですが本質的なものー魂レベルーのものを見る力は、まだ弱くてそれがセッションによって、変化してゆきます。感性はするどいのですが、一方でマインドも強くて一旦、これは嫌だと感じると、かたくなに抵抗する方が多いです。でも、意識のどこかでは、それが自分のマインドであることもちゃんと理解していてこの世界に何らかの目的を持って、自分がやってきたということもどこかでわかっています。でも、その何らかの目的が何なのかが、まだわからなくて模索している方も多いです。人によっては、1回のセッションで、一気にいろんな能力が開花する方もいてびっくりすることがあります。例え、この今の社会に上手く対応できていなくても潜在的に備わっている力としては、とても優れた力を持っている方が多いです。こういう方たちが、これからしっかりグラウンディングできてきたら本当に社会は変わると感じます。最近、そういう方がここに来られるのが、増えてきているというのは私の今のお役目の一つなのかなあ、なんて漠然と感じているのですが。だからね、グラウンディングはけして恐くないんだよ~~(って、怪しいおばちゃん?)
2012年06月02日
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