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先日からボブマーリーの映画「ONE LOVE」が上映されている。観たいなあ、ということで某有名な大手映画館のサイトで上映時間を調べたついでに(観に行くかどうかは忙しいので未定)他に何が上映されてるのか「次のページへ」をクリックした。すると、また出た!マイクロソフトWindowsディフェンダー詐欺表示。以前は紅葉情報見てたらトロイの木馬詐欺も表示されたなあ。工口いサイトを閲覧したのならともかく(僕は閲覧しないけど)映画館の上映サイトにこんなのが仕込まれていちゃたまらんね。以下の文章はMicrosoftの「詐欺に注意」みたいなサイトから抜粋。「サポート詐欺」はウイルス感染により深刻な被害が出ているように見せかけけたたましい警告音を流すことで被害者を焦らせ偽のサポートに連絡するよう誘導します。サポート画面が表示されたら落ち着いて次の対処を実施してください。キーボードの「Ctrl」「 Alt」「 Delete」の3つのキーを同時に押す。「タスクマネージャー」を起動する。「タスクの終了」をクリックする。「サポート詐欺」は実際にはウイルスには感染していないためサポート詐欺の画面を閉じる以外の対処は必要ありません。Canonがアップしてる下記のサイトをプリントアウトするかメモしてパソコンの近くに置いておくといいかも。 ⇒ 【マイクロソフトWindows詐欺】の消し方てか、ココをクリックしたら詐欺の警告表示が出たりして...。
2024年05月22日
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僕の会社は東名高速道路沿いにあるのだが今日はトラックが中央分離帯にぶつかる事故があって事故直後に偶然その事故現場を目撃した。どこの会社にもブラブラしてる人間はいるもので「お~、トラックが大破しとるじゃないか」といったん事務所に戻ってマイカメラを持ち出して事故現場の撮影をしているという怠け者がいたのである。運転手さんが無事でよかったわ。
2024年05月18日
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昨日の夕焼けブログと前後するけど数日前にも夕焼けを見に行った。その日は仕事が早く終わりそうなので妻のホンダs660で出勤。予想通りに18時前に終わって、会社の駐車場で幌を外した。オープンカーで山道を走って丘の上の駐車場へ。ちょっと急いで走って程良く夕焼けの時間に間に合った。でもその日は40点ぐらいの夕焼け。まあ風が気持ち良かったので良しとしよう。s660は左右の窓の他に後ろの小さな窓も開く。最初は「チ、邪道な!」と思っていたんだけど幌を外してオープンにした時にこの窓も開けると室内への風が抜けてオープンカー特有の巻き込み風が少なくなる。それにs660はエンジンが後ろにあるんだけどエンジン音も聞こえて来るし、曇り防止にもなるしよく考えたねえと思うのである。画像じゃ分かりにくいけど小窓を半分開けた状態。しかしサイドのプレスライン、うまく作ってあるなあ。
2024年05月14日
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今日のブログはちょっと長くなる。今日は1日中レインウェアを着て雨の中で仕事をした。夕方には晴れてくるという予報だったのに会社から帰る時間になっても空はどんよりと曇ったままだ。それでも西の空が明るくなってきたのでもしかしたら夕焼けが見れるかもという予感がして岡崎中央総合公園の丘の上に寄ってみることにした。大抵の場合は「夕焼けに間に合うか?」という状況で2車線の山道をカッ飛ばして走ることがほとんどだ。正直なところ、ココだけの内緒の話であるが50キロ制限の2車線の山道を法定速度の80キロオーバーの130キロぐらいでタイヤの限界でカーブを走る。実はこの山道を法定速度で走ったことなんぞない。(どうもすみません...)しかし今日は会社が17時に終わったので夕焼けまで時間がある。それに何かあるのではないかという第6感が働いていた。60キロぐらいでゆっくり走っていたら...いた!パトカー様である。スピード取り締まりをやっていたわけではないがいつも通りにカッ飛ばしていたら追跡されていただろう。いやあ、助かった。これでもゴールド免許なのである。月曜日は岡崎中央総合公園は休みなので全ての駐車場は閉まっている。お目当ての丘の上に行く駐車場の入り口も封鎖されていたので歩道に車を止めて歩き出した。いや、待てよ。何か嫌な予感がする。さっきパトカーがいたからな、こっちに戻って来るかも。そう感じて再び車に乗り込んで他の駐車スペースを探す。月曜日は閉鎖されているバーベキュー広場の駐車場だけがなぜだか鎖で封鎖されてなくて入ることができた。ここに車を止めて1枚写真を撮った。撮り終わってタバコを吸っていたら先程のパトカーが来た。お、インタビューされるかな?と思ったら素通りで残念。歩道を歩いて丘の上に向かう途中、ドウダンツツジが咲いていた。路上には今日の風雨で散った花がいっぱい。丘の上に向かう。空はどんより曇ったままだ。丘の上に到着したが西の空は曇っていた。残念、ハズレだったか。だけどなんか化けそうな気がするので30分待った。うわあ!きた~!丘の上にある鉄製のオブジェも赤銅色に染まる。と思ったのも束の間、また曇っちゃった。まあ今日はこんなもんか。それでもすごいことになりそうな気配がする。雨の中で働いたご褒美がきっと来る。そして間もなく...おお~、こんな夕焼けは滅多に見れんぞってレベルまで染まった。諦めて帰らなくて良かった~。しかも今日はこの公園は閉鎖中なので貸し切りじゃあないか。こんな夕焼けは久し振りっていうか、過去最高レベルだった。夕焼け見て感動したの久し振りだったわ。
2024年05月13日
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自分の車を洗車したことを妻に言ったら「え~、私の車は洗ってくれないの~?」と言われた。もはや強要、脅迫である。ということで妻のs660も洗車してワックスをかけた。s660はオープンカーなので洗うのも下半分で済むので楽だ。小さな車なのですぐに洗い終われる。エンジンフードの裏も洗っときました。(この車はエンジンが後ろ)横から見たドアのラインはなかなかの造形美だ。何となく同じホンダ車のNSXのラインと似た感じがする。というかやっぱホンダ・ビートの進化番だわな。
2024年05月07日
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今年度は町内の神社係と衛生係にダブルで任命されて(任命というか順番で回ってくるんだけどね)朝9時半から近くの神社の境内掃除に行った。よく見たらなかなか豪華な鬼瓦だなあ。町内の50人ぐらいが参加して1時間弱で掃除終了。社務所でお神酒をいただいてお土産には柏餅やお菓子。神様にお供えする前とした後ではお神酒の味が変わるって聞いたことあるけど本当かなあ?まあ僕はどうせお酒の味は分からんが。神社の境内には根元付近から3本に分かれてる木があってこれ上手に宣伝すればインスタスポットになるような。「・・・との説がある」と説明すれば結構見に来るぞ。久し振りに清々しい木々の空気を吸ってよかったわ。
2024年05月05日
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去年の5月に車をアルトワークスに乗り換えたんだけど軽自動車の5速マニュアルでターボ車が欲しかっただけでしかもその条件だと車種があまりにも少な過ぎて妥協するどころかコレでいいや、コレ下さいと買った。本当に今どきの車は白物家電のように個性がなくどれも同じようなデザインで電子制御ばかりでつまらん。そもそも軽自動車にプッシュボタンスタートやら電動格納ドアミラーやら何とか制御ボタンなんて不要なのだ。デザインは前から見ても後ろから見てもどうにも好きになれずそれは今でもそうで、街の中で見かけても「カッコ悪~」と思う。面白いのは走る性能だけである。そんなわけで買ってからそろそろ1年経つというのに洗車を1度もしていなかった、というか洗車する気にもならなかった。昔乗ってたRX-7は汚れたらすぐ洗車してワックスもかけてボンネットの裏までも洗ってたのにね。ガンメタグレーを買ったのも「洗わなくても汚れが目立たない」からで買った時から「こんなカッコ悪い車を洗うことを省くため」というまあとにかくこの自分の車には興味がないのである。だってスポーツカーじゃないんだもん。しかし毎日廃人のように自宅でぼんやりしているGWの8連休、もう既に飽きてきてやることはないのである。午前中遅くに起きて中庭に出て花を眺めながらタバコを吸い、妻の同僚にお裾分けするために挿し木したプルメリアの赤ちゃんに「さ、陽の当たる場所に出してやるからな」と独り言を言いながら小さな白いプラスチックの植木鉢を持ち上げながら「おお!花芽が出とるじゃないか」とこれまた独り言、まるで孫に初めての乳歯が出てきたのを見たように感激しそのまま庭に生えている雑草をちょいと抜きながら「よし、今日はここまで」とゴミ袋にも入れずにそのまま。要はそんな毎日を打破するために買って初めて洗車をしたのだ。1年近く洗ってないのでアルミホイールにも白サビが浮いている。これは今度サンポールを使って磨こう。洗車し始めたらとことん綺麗にやるのが自分流でシュアラスターのワックスもきれいにかけた。少し愛着が出るように改造でもしてやるかとも思うがやっぱりこのデザインを見るとその気も萎えてしまうのだ。この車のどこか良い所を見つけてあげないとなあ。あ~、しかしヘッドライトもテールランプもやっぱりカッコ悪い!
2024年05月04日
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GWを利用して寝室の配置換えと居間の整頓をしている。といっても僕は本来怠け者なので片付けも中途半端で「よし、今日はこれぐらいで勘弁しといてやる」と誰に対して言ってるのか分からんようなセリフを吐き捨てて中庭に出て行ってぼんやりとタバコを吸いながらクモが蜘蛛の巣を作っている様をのんびり見つめ1時間しか整頓してないのに「あ~、今日はよく働いたわい」と自分を褒めながらもうそれで集中力は途切れて作業終了である。それでもパソコンデスクの後ろに転がっていた車の部品を気力を振り絞って(ってほどでもないけど)ヤフオクに出品した。(車の部品がなぜパソコンデスクの後ろに?というのは聞かないでね)出品したのはコチラ。3連追加メーターである。これは12年前に買った車に最初からついていたものでその車は19万キロぐらいでミッションが壊れたものだからこの3連メーターやその他の売れそうなパーツを取り外してから自分が働いている中古車オークション会場に出品したのだが何と車本体はたった6000円で落札となってしまい出品手数料を引いたら赤字になってしまった。 ⇒ 【その車がコレ】で、現在その3連メーターを出品しているわけだが1円スタートで出品して昨日の時点で1円の入札がありまあそんなもんかと思って先程現在価格を確認したらあらら、結構値上がってるではないか。既に売却した車本体よりも高くなっている。(笑) ⇒ 【出品中のオオモリ3連メーター】よ~し、がんばってくれ。あと4日で終了。
2024年05月02日
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中庭にビオラとネモフィラがいっぱい咲いている。西日に当たって薄紫色に光っているのだが我が家のネモフィラはちょっと変わった花びらだ。今回のGWは8連休だが初日はインドネシア・フェスティバル、2日目の昨日は妻の両親の墓参り、今日はネット販売の出品作業、明日(5月1日)は娘が来て居間の掃除と配置換え、2日、3日、4日は多分フリー、5日は町内役員の集まりと結局は正味3日間の自由な時間しかないのだがさて、どこかに行こうかな?と思っていたら毎年恒例の重大な激務を忘れておった。庭木の剪定作業である。ついでにこの写真の背景にボーボーと生えている雑草を抜かないと。
2024年04月30日
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今日は民間業者による不用品無料回収があった。パソコン、扇風機などの日用品から錆びた工具など金属類の不用品なら何でも引き取ってくれるということだ。最近は金の暴騰と共に銀も銅も高くなってるので鉄の相場も少しずつ上がって行くのではないだろうか。リサイクル業者は日用品から鉄を分別する作業代が大変だよなあ。我が家には使わなくなったパソコンが4台あった。パソコン本体は粗大ごみとして出せないし、メーカーに連絡してリサイクル料金を払ってからの処分になるので何か面倒でパソコンを買い替えても処分せず放置してあったのだ。いつか処分しなきゃと思いながらも部屋に置いたままだったが遂に無料回収の機会がやって来たので処分した。だがパソコンの中にはハードディスクというデータ集積パーツがある。そのハードディスク内のデータを消去してからの処分でないともし復元されたらパスワードなどの個人情報(それだけならまだいい)下手すれば銀行口座にアクセスされて引き出される可能性も有り得る。ということでまずはパソコンをバラしてハードディスクを取り出した。「ハードディスクの外し方」と検索すれば動画も出てくる。で、これがハードディスク(四角い大きいの)とメモリー(手前の板)パソコンを4つも分解したら「ふむふむ、そういうことか」と何となく取り外し方とか構造やらが分かってきた。こりゃ今度は大容量パーツを買って来て自作パソコン作れそうだ。てか、外したパーツを新しいのに交換すりゃいいだけだが。外したハードディスクの緑色の基盤は簡単に壊せるのでそれを再生不能になるよう切り刻んで不燃ゴミの日に出そうっと。それにしても基盤をアップで見たらすげえな。なんかジオラマの町みたいだな。よくこんな物を開発できたなあ。ここにデータが集積されるとはすげえなあ。
2024年04月29日
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豊田スタジアムでインドネシア・フェスティバルがあることを同僚のインドネシア人が教えてくれたので行ってみた。家から豊田スタジアムまで248号線を走って30分弱で到着。実は豊田スタジアムに行くのは今回が初めてだ。高速道路から外観は見たことがあるのだが近くで見るとなかなか現代的な造形になっている。スタジアム北西にある橋の歩道からの写真。ちなみに昨日からTOYOTAは大型連休に入っており道路という道路は渋滞のはずなのにゴーストタウン状態。この橋はガウディをちょっと意識したデザインなのかな?写真の右側が自動車用の道路で、左側は歩行者用道路。橋の途中には歩道の分岐もあって、下の公園に通じている。きっと新潟や富山にお住まいの人達には写真を見ても「どういうこと?」と戸惑うかもしれないねえ。岡崎や豊田には色んな不思議があるんです。絶対に青にならない信号とか(3方向全て青矢印が出る)細い交差点では曲がって来るキャリアカーのために停止線より随分後ろで止まっておくのが暗黙の了解だったり。自動車関連の業界の人は右折時に白線より車1台分ぐらい後ろに止まるので白線手前の停止する位置で一般人の車かどうか区別がつくんですよ。あとは大雨で冠水するアンダーパスがかなり多いので雨の降り具合によって「あそこは通れんから迂回するか」は恒例で昔からそうなのに排水対策が一向にやられてないとか。名古屋なんか3車線の真ん中車線が右折レーンって道もあるしね。中央分離帯沿いにバス専用レーンがあるんで乗客は分離帯にある停留所でバスを待つんだよ。巨人から中日に移籍してきた中田翔選手も驚いてたよ。
2024年04月28日
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今日の晩ご飯はシチューだった。我が家のテレビは映らなくなって数年経つのだがテレビを見ながら食事をするよりも色んな会話をしながら食事した方が絶対に楽しい。今日は夫婦で食べながら英語の発音の話になった。どの日本人も子供の頃から「シチュー」と言っているが実は海外では「シチュー」と言っても通じないのである。英語ではSTEWと書き、発音は「ステュー」が正しい。ネパールの山奥のロッジのメニューでもSTEWがあり僕は何度もシェルパ・ステューをオーダーした。ローリング・ストーンズの1994年発売のアルバムに「Voodoo Lounge(ヴードゥー・ラウンジ)」というのがあり結構ロックしててカッコいいアルバムなんだけどそいつの別バージョンがブート(いわゆる海賊盤)で出ててそのブートのタイトルが「Voodoo Stew」というのである。正規盤よりも荒々しくて断然こっちの方がいいんだよなあ。何でこっちを正規盤にしなかったんだ?ってほどだ。ストーンズファンの人で「Voodoo Stew」を聴いたことがない人、これは聴いた方がいい、ってレベルじゃなくて絶対に聴かなければならないブートアルバムだよ。音質はサウンドボード音源で完璧。
2024年04月25日
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先日の火曜日、妻が火曜日と水曜日を間違えてて(笑)出勤日だった僕を起こすのを忘れていた。6時45分になってそのことに気付いて僕をたたき起こした。いやあ、その時間に起こしてくれてラッキーだった。起こさずにいたら僕は昼までずっと寝てただろう。朝ご飯も食べず、洗顔と歯磨きをして着替えて出発。職場までは1時間かかるのでもう間に合わない。ということで自宅から1分の岡崎ICから東名高速に乗る。上郷スマートICまでは約10分、軽自動車の料金は440円。そこから会社の駐車場までは15分。問題なく間に合いました。しかし毎日の大渋滞一般道での通勤と違って高速道路は楽だなあ。まあ問題は高速道路通勤云々ということではなくて曜日を間違えるというのはボケの始まりかもしれない。曜日の間違いならまだ良い方で、僕は先月は1ヶ月間違えていた。2月だと思っていたら3月だったのである。何かの書類にずっと2月と記入していた。2月と3月ってほら、似てるじゃん。特に今年の初めはネパールに2週間以上行ってたからその間の期間が空洞になってもいたんだろうな。しかし上には上がいるものである。職場の同僚のおっさん2人(共に70歳前後)は今は令和5年だ、いや6年だ、と話し合っていたのだ。そこにもう1人のおっさんが割って入って確か今は6年だと思ったがなあ、とスマホで調べてほらやっぱり令和6年だわ、なんて会話をしていた。しかも驚くことに「令和6年は確か昭和99年だ」とそこまで昭和を引きずっているのもある意味すごいぞ。
2024年04月24日
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我が家の2階の南側の部屋は熱帯植物に占められている。家の中で一番日当たりの良い部屋でベランダもある。ここにプルメリアを育てている鉢が幾つかあるのだが毎年この時期になると部屋の中からベランダに出してやる。そのうちの2つは背丈もデカくなり過ぎていて重さでベランダが抜け落ちやしないかと心配になってきた。ということで中庭で育てようと思ったがもはや1つは運ぶことが不可能なほどになっていた。せめて1つは中庭に下ろそうと思ってがんばってみた。階段の幅ギリギリだしとにかく重かったが何とか運べた。ビオラや花サンゴ、バラなどの鉢を移動させてとりあえず陽の当たる時間が多い場所にセットした。もうこれで冬になっても家の中にしまうことは困難になった。今年の冬からは外で寒さに耐えてがんばって育ってくれたまえ。それにしても中庭は花が無秩序に植えてありすぎる。これは雛壇タイプのプランター台を買わないと。玄関側の庭はボケとかキンモクセイの木があるがこちらも無節操な配置なので何とかしたいなあ。これを妻が読んだらきっとこう言うだろう。「GWは8連休でしょ?よかったね、やることが見つかって」
2024年04月17日
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4月13日の夜(日本時間)はスリランカの新年だった。明けた14日、名古屋市港区の公園で新年パーティーがあった。集まったスリランカ人は数百人で僕も呼ばれて参加した。ちなみに皆さん知らないかもしれないが僕はスリランカ人ではない。白状すると日本人である。僕は覚えてないけど、僕のことを覚えてるスリランカ人達から「あけましておめでとう。サイトーさん久し振りねえ」と次から次へと声を掛けられるが、正直「アナタ誰?」である。でも僕の名前を知ってるってことは会ったことあるんだろうなあ。みんなで持ち寄ったスリランカ料理を食べてワイワイ過ごす。公園の中でタバコ吸っちゃいかんと思って用水路脇で吸った。水面には遅咲きの八重桜が映り込んで揺れている。桜の花びらが下流に向かって流れて行く。流れて行く花びらを見ていたら自分がすごく小さくなって花びらという舟に乗って流されて行くイメージが湧いてきた。これは用水路ではなく大河なのだ。水面を覗き見れば岸に咲く花が映っていて舟はどんどん海に向かって進んでいる。きれいな景色は一期一会で通り過ぎてゆく。舟は幾つも浮いていて、どの舟も最終目的地の海まで自分の意思とは関係なく、運命という名の風によって運ばれて行く。途中で小さな魚が浮き出て来て波紋を作るだけで舟の進路は変わって速い流れに乗ったり停滞したりする。海まで辿り着けずに岸辺で朽ちていく舟もある。桜の花びらも人間も同じなんだなあ。「ああ、サイトーさん、ここにいましたか」とスリランカ人が橋の上から声を掛けて来て我に返った。僕のことを大好きだというスリランカ人の女の子がいて(好きといっても恋愛感情ではなく)スリランカ政府内の事務所で働いていた聡明な女性で日本で働いているスリランカ人のご主人さんと1年以上前に結婚して来日したんだが言葉や文化など全然分からない。最初に会った時に妊娠中だと分かったので気遣ってたんだけど(説明するまでもないけど僕の子供を妊娠中ではナイ)「サイトーさんは知ってる日本人の中で一番優しい」とそれ以来いつも僕の横にくっついてるんだけどあんまり仲良いとご主人さんが嫉妬するといけないので着かず離れずの距離を取っているのである。昨日は2ヵ月前に生まれた赤ちゃんを連れて来てくれた。「サイトーさんに見せたかった」と言ってたけど繰り返すが決して僕との子供ではない。「あ、頭のグリグリが2つあるじゃん、天才になるよ」(グリグリって”つむじ”のことね)「オレもグリグリ2つだからさ」と言ったら笑っていた。僕は彼女のことを「ナンギ」と呼んでいる。難儀ではない、スリランカのシンハラ語で”妹”の意味だ。”妹”と言っても本当の妹という意味ではなく日本語で言ったら”ヘイ彼女~”みたいなっていうかつまり血縁の妹ではない、年下の親愛なる女性(恋愛感情のない)そんなニュアンスのシンハラ語がこれまた使えるのである。昨日の公園青空パーティーでも初めて会った女性達に「ハイ、ナンギ、アケマシテ オメデトウ、Happy new year」と軽く挨拶するだけで仲良くなれるのだ。そうやってスリランカ人の友達はどんどん増えていくけどなんで日本人女性とはさっぱり仲良くなれないんでしょうかねえ?ちなみに今週末はインドネシア・フェスティバルに誘われているよ。
2024年04月15日
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はままつフラワーパークの大温室クリスタルパレスでは熱帯植物が育てられていてレイアウトも良かった。入り口にはまず切り花が水に浮かべられていた。色彩が見事でまずはみんなここで感嘆の声をあげる。正面にはブルーの胡蝶蘭が飾られていてほとんどの人はこれをバックに記念撮影。クリスタルパレス内ではバリ島のオブジェが飾られていてヤシの木やらバナナの木やら南国気分満載。出口に向かって行くと今度はメキシココーナー。サボテンがぎっしり展示されていた。いやあ、ココで滑って転びたくねえな...。外に出たら大道芸人がマジックショーをやっていた。フラワーパークは外国人の入場者も多かったけど国籍を問わずとにかく楽しめる場所だった。で、僕個人的にはこんな景色が好きだ。散った椿と桜の花びらのコラボ。全ては儚い夢なんだよ、と語りかけてくる滅びゆく美しさ。自分もとっくに人生を逆算して生きる年齢だ。生き急がないと後悔して死んでいくぞ。人は苦しむために生きているのではない。人生を謳歌するために生まれてきたのだ。散る前に自分の人生を生きろ。身体が動かなくなった時にはもう遅いぞ。今年やりたいことは今年やっておけ。地面に散らばった花の死骸からのメッセージだ。僕は花が好きなわけではない。メッセージを読み取るために花を見るのだ。
2024年04月13日
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はままつフラワーパークの芝生広場にいい場所があった。なだらかな芝生広場の斜面の上に大きな木が数本あってその木陰でお昼ご飯を食べたんだけど気持ちが良かった。この景色を見てビートルズのファンならば「むむ、どっかで見たことあるような」と思うかもしれない。そう、ビートルズ解散後のジョン・レノンのソロアルバム、「ジョンの魂」のアルバムジャケットの景色に似ているのだ。ジョン・レノンのソロの曲といえば「イマジン」が有名だけど僕はこのアルバムに収録されている「Working class hero」が好きだ。「イマジン」のシングルレコードのB面(懐かしい言葉)にはその曲がカップリングされていて、日本タイトルは「労働者階級の英雄」。シングルレコードがまだ500円の時に買ったレアなレコードだったけどこれもお金に困った時に泣く泣く売ってしまった...。「ジョンの魂」の中には究極のきれいなラブソングも収録されており曲名もズバリ「Love」という。静かなピアノだけの伴奏で歌詞もすげえシンプルだ。”Love is real, Real is love” から始まって特に盛り上がりもなく終わるのだが心に沁みる名曲中の名曲だ。まあヒマな人はyoutubeで聴いてみてください。本当に静かないい曲。ビートルズやジョンのことになると文字数オーバーになるので以下略。ということで真似して妻に撮ってもらったんだけどやっぱ似てねえか...。
2024年04月12日
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4月10日は結婚記念日ということで夫婦で休みを合わせ浜松市の「はままつフラワーパーク」に行った。本当は桜とチューリップのコラボを見たかったが前日の強風のため桜は一気に散ってしまった。東名高速道路を使って1時間弱でフラワーパークに到着。平日なのに人がいっぱいだ。高齢者には平日も休日もないのである。予想通り桜はダメだったがチューリップが満開。この季節にここに来て正解だった。植え込みの色も赤系、黄色系、白系、青系、パステル系など上手くまとめられていてアクセントの色の配置もあって素晴らしい。花壇を真上から見ると前日の風で散った桜吹雪が地面を覆っていてその自然の演出もきれいだった。こども広場の観覧車に乗った。1人200円。これは平日だったので貸し切りだった。あ、降りる頃におっさんが独りで観覧車乗ったわ。日曜日だったら家族連れが多いだろうな。キッチンカーで定番の焼きそばを買った。500円。テーブルで食べるのは趣きがないので芝生広場で食べた。この後に入った大温室クリスタルパレスはすごかった。 (つづく)
2024年04月11日
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昨夜は半年に1度の高校時代の女子会に参加してきた。仕事を17時で切り上げて自宅に戻ったのが18時、岡崎城周辺の桜が満開でライトアップもされるのでどの道路も2車線や3車線がぎっちり渋滞していた。きっと臨時駐車場に入るのも長時間待ちなんだろうな。そんな周辺を通って女子会会場に行くのだから当然集合時間には間に合わず20分遅れで到着。僕の両脇には”あけちゃん”と”ふみちゃん”がいてお正面にはお美人の”お田中”がいるおVIPシートだ。”お田中”は高校時代から品のあるお嬢様っぽい雰囲気だったので田中っていうんだけど”お田中”と呼ばれておられた。もしかしたら漢字で書くと”御田中”になるのかな?謎である。まあアニメのキャラでいえば”お蝶夫人”といったところか。高校生なのに”夫人”ってどうかとも思うが...。そんな”お田中”は今夜もお美しいお姿をおドレスアップしておアクセサリーもおつけになられて僕のお正面にお座りになっている。おドイツのおベンツにお乗りになられていて高校時代からのオーラはそのままにされておる。左に座っている”ふみちゃん”は落第崖っぷちの僕を”ともちゃん”と一緒に救ってくれた恩人だし斜め前に座っている”ふたえ”は、僕と”みさ”を付き合わせた恩人だ。10年ほど前に1人が逝ってしまったので今は7人メンバーで僕だけが男性のゲストメンバーとなる。半年に1度の女子会だが、あと何回みんなと会えることやら。 (画像と本文はあんまり関係ありません) ⇒ 【リンク~先回の女子会】
2024年04月07日
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通勤途中にある行福寺の桜が満開である。仕事帰りに西の空が夕焼けになっていたので程良いタイミングと思って寄ってみた。やはりお寺に行くのは夕暮れがいいな。鐘が鳴っていれば尚いいんだけどなあ。
2024年04月04日
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パタン最終日の朝も裏通りの一口パンの店に行ってゲストハウスの屋上に戻って食べた。1個4円という安さに惹かれたのも確かだが早朝の食べ物屋さんは甘いパン屋しか開いてないしこの一口パンが絶妙な塩味がして美味しいのだ。薄い朝靄の向こうから太陽が昇って来てipadで日本のニュースなどを見て寛いでいるとゲストハウスのオーナーが上がってきた。昨日は一緒に彼の自宅に行ったが今日は彼が買った築100年以上の古民家を見に行った。外観はそのままにして内装だけリフォームしてゲストハウスにするらしいがすごい裏通りにあって究極の隠れ家的ゲストハウスになるのは間違いない。だが僕のような人間なら宿泊するだろうが一般的な旅行者からは見向きもされないかもな。階段が急過ぎる、間口に頭を打ちそうになる、窓を開けても隣家の壁しか見えない、暗さと閉塞感がある印象なので旅行者には向いてない。マリファナバーにした方がいいだろうな。昼前にアクセサリー問屋で買い付けをした。日本はデフレ、ネパールはインフレなので仕入れのメリットがないので少量だけ買う。紅茶屋さんでお土産としてマサラティーを買う。数日前から目をつけておいたアンティークショップで仏像仏具関連の仕入れをする。置き型マニ車は日本じゃ売れなさそうなので却下。僕の自宅の玄関にはあるんだけどね。毎朝クルクル回してから家を出るのが日常になっている。宿に戻ってホットシャワーを浴びてチェックアウト。空港に行く時間までまだまだ時間があるので荷物はロビーに置いておいていいよと言われる。フロントでマサラコーラを飲む。夕方近くに空港行きのタクシーを呼んでくれた。来る時は1000ルピーだったタクシーは帰りは500ルピー。ネパールのトリブヴァン空港は30年前は出発ゲートは2つだけで10年前は9ゲートまでだったのが大改装後はドデカくなっておりもはや名古屋のセントレア空港よりも広いぐらいだ。ただ免税店などのショップは非常に少ない。僕には無縁であるので関係ないけど。そして離陸。さよならネパール。昔は裸電球が薄暗く点いていたいただけのカトマンズの夜景は今やエレクトリックシティーに様変わりした。どこまでも夜景が続いている。 ⇒ 【カトマンズの夜景 機内から ~1分50秒動画】今回の旅もすごくいい体験をした。またきっと再訪するだろう。
2024年03月31日
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トレッキングから帰って来てから結局パタンに4日滞在した。明日は夕方の6時にカトマンズの空港に行けば良い。パタン最後の夜は寺院群が見渡せるルーフトップカフェで最後の晩餐を楽しむことにした。その店はちょうど10年前にも行ったことがある。今回も最上階の完璧な場所が空いていた。夕暮れの寺院群はライトアップで金色に輝いている。食事と飲み物で500円ぐらいだったのだがこの景色を見るだけでも価値のある場所と食事代だ。ツアーでパタンに来たらこんな景色は見られない。個人旅行で自分の思うままに行動すれば自分だけの特別な体験ができるのだ。食事を終えて寺院群の中を散歩する。全てが黄金色で、空気は少しひんやりしていてどこかからネパール音楽が流れていてまさに極楽を散策しているような至福の時間だ。世界遺産の真ん中を独りで歩くが全く寂しくもない。パタンの夕暮れは人生の体験の中でも指折りに素晴らしい時間だ。ああ、明日で旅も終わりか。ゲストハウスに帰って静かな眠りについた。
2024年03月29日
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パタンは職人の村でもある。裏通りには仏像の工房が多くあって見学もできる。見学できるっていうと大袈裟だな、軒先で作ってるので歩いてれば普通に見れる。お土産屋でいっぱい売ってる仏像も仕上げは手作業なのでよく見れば全てが微妙に違う。こちらはちょっと高級な仏像。こちらは中級の仏像。真ん中でポーズとってる仏像はなんかタイの神様みたい。コレは売れんだろ。100円ライターぐらいのサイズの豆仏像から人間よりも大きいサイズまで色々売っている。アジアで買い物をする時は値段交渉となるのだが仏像も交渉すればかなり安くなる。アジアでの値段交渉の会話の流れを説明しよう。大抵は買い物客が冷やかし半分で薄暗い店に入ることから始まる。すると店主が店内の電気を順番につけながら寄って来る。インドであったならば「ノー高いネ」と言いながらぼったくって来るのがお約束であるがネパール人はシャイなので買い物を強要してくることはない。値段もインドのように適正価格の10倍を言ってくることはない。ただ気を付けなければならない点がある。こちらが「How much?」と訊いた後に店側は「〇〇ルピー」と言って来ることもあれば逆に「How much you want?」と逆質問してくることがあるがここで「〇〇ルピーなら買う」と言ってはならない。それが妥当な金額だったとしても店側はわざと鼻で笑いながら「Oh! can not! This is very good quality」と言うからである。「How much you want?」と言われたら逆に「How much you sell?」と言おう。多くの場合、先に値段を提示した方が「負け」なのである。店側がこちらの質問に対して「〇〇ルピー」と答えたらこちらが鼻で笑って「Oh! can not pay」と言えばまたそこからがお互いの腹の探り合いとなるのだ。たとえば店側が1万ルピーと言ったとする。こちらが7000ルピーにまけて、と言った時点で「あ、コイツは適正相場を知らねえな」と知られたらもう7000ルピーにはならないのである。「Good for each ether」と言われて8000ルピーになるか「OK, it's special price」だとか何とか言われて7000ルピーに”してくれる”ことで決着となる。つまりこちらが値段を提示したらそれ以上は安くならない。相手が先に値段提示したら”帰るフリ作戦”もある。「そうか、予算オーバーだ。他の店を回ってみるよ」と言えば「ジャスト・ア・モルメント、ブラザル(Just a moment, brother)」と交渉テーブルに優位につけるのである。まあ安く買うことが全てではないし後で他の店の方が安く売ってたとしてもさっき自分が納得して買ったではないか、だしとにかく気持ち良く買い物をするのが一番だわな。
2024年03月26日
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パタンの中心部であるダルバール広場から南に向かうと日用雑貨店の商店が立ち並んでいる。更に南に向かうとバスターミナルがあるのだが観光客にとっては大した見どころもなく面白みに欠ける。折り返して戻って来て今度は東に向かって歩く。こちらも一般住宅が多いが所々に小さな寺院や祠がある。こんなカラフルな寺院の門を発見。一般住宅の迷路をくねくね曲がりながら迷子になる。地面に置かれたお供え物。ガネーシャが祀られた小さな祠。赤い朱印が信仰の深さを感じさせる。こんなレストランの看板を発見。いやあ、これはよく考えたなあ。BEATLESってやっぱ世界的に有名なんだな。わざと迷って色々歩き回ったけれども結局ダルバール広場の近くまで戻って来てしまった。釈迦の掌からは抜け出せない。
2024年03月24日
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パタン博物館には実に多くの作品が展示されている。レイアウトがオシャレな木彫りコーナー。四角い枠を使って彫ってある神様像はバリ島のマス村の木彫り作品と驚くほど似ている。これは新しい作品っぽいので多分レプリカだと思う。この彫刻は多分オリジナル。相当古くて土着的だ。これもオリジナルか。よく見ると彩色の名残りあり。インドの影響を受けていると思う。下の写真は昔の井戸。石で彫られた彫刻が素晴らしい。30年以上前に初めてパタンに来てこれを見た時はまだパタン博物館はこんなに充実していなかった。この井戸を見るには普通に軒先を潜ればそのまま見れた。僕の大好きな日本のロックバンド「ストリート・スライダーズ」の「スクリュー・ドライバー」ってアルバムの内ジャケットにメンバー達がこの井戸と一緒に写っててまあ僕の方が先にパタンに行っていたんだけど「おお!スライダーズもパタンに行ったのか!」と思った。スライダーズのファンの皆さん、パタンは聖地ですぞ。この井戸は芸術性も素晴らしいが、そういうことも含めて僕はこれで4度目の井戸見学となった。まあ関係ないけどスライダーズの1stと2ndアルバムは日本のロック史上最高のアルバムだな。オープンGの5弦テレキャスター+アンペグってのはストーンズのキース・リチャーズと同じで.....(以下略)あかん、このへんの解説したら完全に文字オーバー、徹夜になるわ。30年前にはこの井戸の彫刻は盗難のため歯抜けが多かったのでこれらのほとんどはリメイクされたものだ。下の写真の左下部分みたいに彫刻が無くなってる箇所が多かった。パタン博物館の3階の窓から見たお向かいのクリシュナ寺院。クリシュナ寺院は赤い民族衣装をまとった人達が朝早くから夜遅くまでバジャンを歌っている。 ⇒ 【パタン博物館の中庭~動画26秒】この中庭の中央にこの石の井戸がある。
2024年03月21日
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パタン博物館はダルバール広場にある。入り口で順調にネパール人と間違われながら入場。パタンの彫刻物はネパール大地震で壊れたものが多くリメイクされた仏像も多いが、パタン博物館の敷地内は昔からのオリジナルで構成されている。博物館の梁も土着的なガネーシャ像や女神で飾られている。戸口の門の上の彫刻は木製ではなく金属製。銅なのか鉄なのか分からないが見事な彫金だ。金色の部分は真鍮製なのか金箔なのか不明。1つ1つの仏像は恐ろしく緻密だ。とにかく全て手彫りだし梁のどれもが違う神様で1つとして同じ仏像がないので感嘆するばかりだ。外側だけでこんなに時間をかけて見ていたら日が暮れてしまう。まだ博物館の中にすら入っていないのだ。パタンの中でも異色の建造物のこの三重の塔はチベットというより中国の影響を受けていると思われる。パタン入村料1000ルピーを払うとパスカードをくれるが博物館の入場も含まれてるのでこれを提示すれば無料。しかし日付が2022年12月28日になってるけど...。確か1週間有効じゃなかったかな。博物館へは何度入場してもOK。博物館の入り口ではカラー(24ページ)の冊子も貰える。これで1000円程度とはあまりにも安い。
2024年03月20日
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ゲストハウスの屋上で日の出を見たが薄い靄がかかっていて綺麗な日の出にはならなかった。盆地に位置するカトマンズやパタンの朝はいつもそうだ。パタンのレストランやお土産物屋は開店時間が遅い。しかし現地の人達を相手にした食べ物屋さんは早朝まだ太陽が低いうちから営業している。そんな中を当てもなくぶらぶら歩くのは楽しい。裏通りの安食堂に入ってチャイと一口揚げパンを注文する。カフェでは一杯150ルピーするチャイもここでは20ルピー。小さな揚げパンは1個4ルピー(4円)と安い。店の中では相席だ。おじさんがネパール語で話し掛けてくる。何言ってるのか分からないので「マ・ジャパニ・フゥム」と言うとゼスチャーで「ネパール人の顔だ」と言われる。最初から「日本人か?」と言われたのは今回1回だけだった。裏通りでは肉を捌いている。ヤギの頭や足が転がっている店もある。こちらの甘いパンは3個で100ルピー。ゲストハウスの屋上に持って帰って一服しながら食べる。屋上に置いてあるネパールの卓上カレンダー。ちなみにネパールは日曜日ではなく土曜日が休日。そういえばデパートでアジア雑貨屋をやってた時はネパールの神様カレンダーめちゃくちゃ売れたなあ。ゲストハウスに一番近い裏通りの四つ角に祠があってこの祠は夜明けも夕暮れ時も多くの人がロウソクを持って列を作ってお祈りをしていたが何の神様なんだろう?ロウソクっていうか、こんな感じのやつ。10ルピー。しかしネパールはヤバいね。今が西暦何年とか、ネパールに来てどれぐらい経つとか帰りの飛行機のこととか分からなくなる。というかそんなことを考えることもなくなる。
2024年03月19日
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夜のパタンのダルバール広場は寺院群がライトアップされる。世界遺産として訪問する観光客は昼間は多いけれども大抵は日帰り観光で帰ってしまうようで夜になると地元のネパール人は多いが外国人は意外に少ない。大きな寺院は2層目も3層目もライトアップされ梁の神様の彫刻が見事に浮かび上がる。黄金色に照らされた寺院群を見ずに帰ってしまうとは実に惜しい。或いはライトアップされることを知らないのかもしれない。パタンに宿泊する人だけに与えられた特権のようでもある。寺院の土台に座っているのはほぼ全員ネパール人でここが集まりの場になっているようである。昼間のお土産物の露天商は夕方には店を片付け代わりにロウソクや献花などを売る店が出る。店といっても地面に直接置いただけの個人ばかりだ。体重計を地面に置いて通行人相手に商売する計測屋もいるがこれが意外と人気があったりする。路地裏の寺院の照明は薄暗いけれども男女が対になった神様が更に官能的に見える効果をもたらす。もはやこれらは材木によるただの彫刻ではない。神が宿った彫刻からは息づかいを感じるほどだ。こちらは固唾を呑んで立ち尽くしてしまう。暗黙に合法化されたマリファナ効果で感受性が増幅されているがそれを吸っていなくとも堪能できる芸術作品が無数にある。これは実際に訪問して体験して欲しい。インドネシアのボロブドゥール遺跡とかカンボジアのアンコールワット遺跡とかインドのエローラ石窟遺跡とかは有名なのにパタンのダルバール広場の知名度は小さい。こんな緻密な芸術作品が驚くほど多いのになぜそんなに有名ではないのだろうか?それはおそらく、遺跡には既に人間が生活していないからだろう。前述の遺跡は文字通り「遺跡」であり「人のいない建造物」だ。対してパタンは人間と寺院群が現在進行中で共存しており生活の中に神様や寺院が当たり前に存在しているからだと思う。当たり前過ぎて有り難さが薄らいでいるのではないだろうか?もしパタンが住むのを放棄された廃墟となったならばここの寺院群は「遺跡」となり、やっと認知されるのかもしれない。ひっそりと佇む芸術的な寺院の向こうに見えるカフェからはポップスが流れていて人々はモバイルを触りながら食べたり飲んだり。世界遺産の寺院がそれらのカフェの明かりに照らされているのは何だか矛盾というか皮肉というか、奇妙な感じになるのだった。そして僕を含めた人達が落としてゆくお金によってそれがパタンの収入源となり循環しているのである。
2024年03月17日
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パタンの家々はレンガと木材で出来ておりこんな古い建物に人々は普通に暮らしている。緻密に装飾された窓枠とカーテンがミスマッチだ。しかも僕がゲストハウスの屋上でipadを開くとwifiを使っているネットワークがいっぱい表示される。倒壊しそうな家。1階部分の水色の木戸は商店をやっていたようだ。しかしこんなつっかえ棒で大丈夫なの?街角の祠のガネーシャ。商売の神と崇められている。ネパールというかインドっぽい色彩だ。2015年のネパール大地震の爪痕。屋根瓦が崩れたようだ。世界遺産のすぐ横にこんな民家が建っている。パタンは屋上にカフェがあることが多い。屋上からパタンの街並みを眺める。パタン博物館は現在外装修理中。中の展示物は正常に公開展示されている。ルーフトップカフェでチャイとフライドライスを注文した。ネパール人のボーイは流暢な英語で「ようこそルーフトップカフェへ。世界遺産の展望をお楽しみ下さい」とまるで高級ホテルの屋上のカフェで使うようなキザなセリフを言う。例のタバコで味覚が異常に敏感になっているのでこのフライドライスがめちゃくちゃ美味く感じられ飲み込んでしまうのが惜しいほどに噛みしめて食べる。これだけ食べるのに1時間かかりました。チャイとフライドライス合わせて350円ぐらい。
2024年03月16日
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パタンのダルバール広場をはじめとする寺院群は毎晩夜9時までライトアップされる。観光客は皆スマホやデジカメでそれらを撮っている。パタンの1月初旬の気温は日本の秋と同じぐらい。少し肌寒い程度でジャケットを着ていてちょうど良い。手袋やマフラーは要らない感じだ。陽が沈んでしばらくするとブルーアワーとなり金色に輝く寺院が更にきらびやかに見える。左がクリシュナ寺院、右がチャー・ナラヤン寺院。【10年前はこのクリシュナ寺院を見下ろすホテルに泊まったなあ】食堂はもう閉まっていたので晩ご飯を食べ損ねた。ダルバール広場で落花生を売ってるおばさんがいたので1袋70ルピーで買ってゲストハウスの部屋で食べた。多過ぎて全然減って行かないのだが独りで部屋の中で落花生の殻を剥いて食べてるって何かすげえ寂しくて虚しく感じたなあ。カーテンを閉めて真っ暗な無音の中で寝た。
2024年03月14日
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世界遺産のパタンは正式名はラリトプル、ネパール語ではヤラ。数々の寺院が立ち並ぶパタンの中心部はダルバール広場で各寺院の柱や壁や門などには神々のレリーフが彫られている。その芸術度はとんでもないほどに素晴らしい。ほとんどの寺院の入り口の門の上には木製のレリーフがある。これは縦1メートル、横2メートル程の装飾。この1点を見るだけで立ち尽くしてしまう。梁にも神様のレリーフがあるが梁はなぜか男女ペアの神様が多い。柱の彫刻もすごい。古代ギリシャの建造彫刻よりも緻密だと思う。これは一般のアパートの壁面。このガネーシャ像のレリーフは木製ではなく金属製。パタンにはこんな彫刻が溢れ返っていて建物の門や柱や外壁の1つ1つだけで美術品だ。仏教美術やヒンドゥー美術が好きな人はカトマンズ市内よりもパタン観光に重点を置くことをお勧めする。お勧めとお薦めの違いがイマイチ分からんな...。
2024年03月13日
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K.B.Guest houseはパタンのダルバール広場の西にある。誰も通らないような細道にあるので静かだ。僕の部屋の窓からの景色。屋上から下を見るとこんなふうに汚い。夕方になってゲストハウスを出て東に向かうとパン屋やレストランが並ぶ細道があるがちょうど10年前に来た時にはなかったカフェがいっぱいある。ブラックライトに照らされてヤバさ満点のカフェ。カフェかパブか分からんがさすがに独りじゃ行けんな。夕方のパタンのダルバール広場はいつ見ても夢のようだ。20代後半に初めて訪れてから僕はパタンが大好きになった。アジア雑貨屋を始めるにあたって初めての仕入れはここパタンで天然石シルバーリングを数十個買ったのだ。初めて来た時はパタン入村料なんて徴収されなかったが10年前に妻と次男と一緒に来た時は入村料が必要で1週間滞在可能のパスカードが1000ルピーだった。そのパスカードがあればほとんど全ての寺院などが入場無料。 ⇒ 【パタンのダルバール広場の夕暮れ風景~25秒動画】日本では禁止のタバコを吸って夢気分になっていたのでいや、吸ってなかったとしても夢のような異国の風景だ。暗くなってからゲストハウスに戻った。これがK.B.Guesthouseのある路地。真ん中の四角いオレンジ色の看板が宿の入り口。2015年のネパール大地震の爪痕はここパタンでも甚大で未だに寺院の修復がされている。ゲストハウス近くの路地が工事をしていたがこれは地震の復興作業かただ単に舗装工事かは不明。
2024年03月12日
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幸いにも僕の胃腸は鋼のように頑丈にできているらしくアジアの旅でいわゆるイニシエーションと呼ばれている下痢の洗礼を受けたことはないのである。今回もヒマラヤを歩いていて川の水も飲んでいたが皆さん「ひぇ、川の水なんて...」と思うだろうけど僕の考えではむしろ川の水の方が天然で安全と感じる。市販のペットボトルの水のようにカルキの味もしないしミネラルたっぷりだし実際にロバくんも飲んでいるではないか。日本でも槍穂高あたりで川の水を飲んだ後に天然水のペットボトルを飲み比べてみるともうペットボトルの水なんか飲みたくなくなる程に不味い。ただし、川の水といってもガンジス川やチャオプラヤー川、バグマティ川のような生活廃水の混じった川の水は飲まない。あくまでも上流に人間の生活廃水がない湧き水や雪解け水、或いは満月前後以外の井戸水なら飲んでも問題ないのである。ということでアジアでトイレに駆け込むということはない。アジアで氷の入った飲み物を飲んでも僕は問題はない。これは旅をする際に絶対的に有利である。では今回のネパールの旅で出会ったトイレを解説していこう。まずはカトマンズの安宿の紙も流せる水洗トイレ。人間的で全く問題はありませんな。次はナムチェバザールより麓のパクディンあたりの田舎のトイレ。ちゃんと電灯の光が入るように設計されてるところがニクいね。で、ドアを開けると...。なんですか、これは? どういうコトですか?枯れ葉の混じった腐葉土をかぶせておけってことですか?まあいわゆるバイオトイレね。僕はココでおしっこしただけなんだけど、そういやあ無臭だったな。次はナムチェバザールより上のデボチェのロッジのトイレ。標高3800メートルの12月末ってことで水の表面が凍ってて水色の大きなバケツの氷水を右上の紫色の柄杓ですくってガラガラガラとウンコと氷を一緒に流すタイプ。使った紙は右上の白いバケツの中に。寒過ぎて匂わないから問題ないんだけど便器周りがツルツルに凍ってるので転倒のリスク有り。次は同じく標高4000メートルぐらいの公衆トイレ。これもバイオトイレですな。匂いません。僕はおしっこのみで使用。同行して歩いてたメリーは中々出てこなかったので多分右隅にある棒を使って攪拌してたんでしょうな。そして最後はパタンのゲストハウスのトイレ。ドアに隠れて見えないけどバケツと柄杓が置いてあっていわゆる半自動の水洗トイレ。ティッシュペーパーはNGだけどトイレットペーパーなら溶けるから流しても大丈夫だけど一気に大量はいけませんよ。このテはタイやインドネシアなどアジアの一般的なトイレ。ただししゃがむ方向が日本の和式の逆だからね。オレンジ色の短過ぎるホースの用途は不明。ちなみに僕はパタンまで下りて来てこのゲストハウスで12日振りにシャワーと洗髪をしたんだけど髪の毛は石鹸で洗っても泡立たんしホットシャワーと言っときながら温度調整がイマイチで25度から60度までランダムに温度が変化するのでつめて!あっつ!の繰り返しだったのがご愛嬌だった。これもアジアのホットシャワーあるあるですね。暖かいお湯が出ること自体がありがたいので文句言うな。ここでシャワーを浴びるまではウエットティッシュで頭やら身体を拭いてたんだけど冷たかったなあ。以上、参考になりましたでしょうか?
2024年03月10日
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ルクラからカトマンズの空港に着いてからタクシーカウンターでパタン行きのチケットを買った。ヒマラヤの奥地にしばらく滞在してたのでもう喧騒のカトマンズには戻りたくなかった。空港からパタンまでは1000ルピー。高いがタクシーだから仕方がない。いつものように空港を出てすぐの通りを走っている市バスを長いこと待ってぎゅうぎゅうに揉まれる気力はなかった。タクシーの運転手は名古屋で働いたことのある人でもう日本語は忘れてしまったけど仕事は辛かったな、お金なんて残らなかった、としみじみと話してくれた。宿を探しながら歩くからパタンゲートで降ろしてくれと頼んだ。パタンゲート、懐かしいなあ。20代の時にパタンゲート脇の雑貨屋で働いていたシャンティーが僕を誘って自分の部屋まで連れてってくれて、まあいいや、彼女も今では50歳ぐらいか。パタンのダルバール広場あたりで宿を探したがどこも2500ルピーから3000ルピーぐらいでひゃあ、今じゃここらの宿は日本円換算で3000円もするのか!と諦めかけていたところに裏通りの宿を見つけた。K.B.guesthouseか、安宿に有りがちな名前だ。1階のレセプションには「30分ぐらいで戻る」の張り紙。いいねえ、こういう宿は安くて何かありそうな気配だ。椅子に座って待っていたら掃除のおじさんが来て「オーナーはルーフトップにいる」と教えてくれた。ルーフトップ、いい響きだ。ビートルズのGET BACKセッションを思い描くぜ。階段を上って屋上に行くと若いオーナーが友人達と日本では禁止されているタバコを吸っていた。「空き部屋はある?」「あるよ。1500ルピー」「OK、3連泊するよ」 「吸う?」「ああ、いただく」部屋のキーをもらう前に一服してフラフラだ。屋上からは街並みが一望できた。すぐ横には寺院の屋根瓦が見える。タバコの効果で瓦の合わせ具合が芸術的に見えて感動する。これは神が作ったに違いない。部屋は広くてホットシャワーもトイレもあって申し分なかった。ベッドに寝転んでいると遠くの音や声や動物の鳴き声がまるで耳元で聞こえるかのように響く。例のタバコによる効果で神経が過敏になっている。何か食べに行こう、と階段を下りる。あれれ?いつまで歩いても1階に着かないぞ。近くのパン屋で甘い物を買って屋上に戻って食べた。こりゃいかん、美味過ぎる。これで100ルピーとは。これは神が作ったパンに違いない。それが証拠にパンから蜂蜜が染み出てるじゃないか。そんな感じでパタンに着いて早々、沈没しました。
2024年03月08日
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早朝にルクラのテンジン・ヒラリー空港に向かう。リンジ・シェルパとK2ロッジのオーナーも来てくれた。搭乗手続きはK2ロッジのオーナーがやってくれた。さすがルクラのブッキング・ボスだ。リンジの安い靴が古くなっていたので空港で「新しい靴を買ってね」と追加のチップをあげた。コールマンのサングラスもあげた。僕が搭乗待合室に入ると彼らは見送りデッキに上がって行った。そんなことしてくれなくてもさっさと帰ってもいいのに。冬の標高2800メートルの朝のルクラは寒いのに。待合室では各国のトレッカー達が飛行機が来るのを待っている。第1便の始発はカトマンズから飛んで来てからピストン飛行する。今日の飛行機は本当に飛ぶのだろうか?やがていきなり轟音がして飛行機が到着。「来た~!」と待合室の中は大歓声だ。第1便というのは最も欠航の割合が少ないのである。朝一の第1便を飛ばしてみて天候が不安定だったら第2便以降は欠航となることが多いからだ。つまり第1便というのはその日の試験飛行も兼ねている。さすがに「ああ、第1便やっぱダメでしたね、墜落しましたね」なんてことはないだろうけど...。滑走路を歩いて小型飛行機まで行き5段しかないタラップから乗機。ちなみに座席番号の指定はないので早い者順で席を選べる。右側に座ればヒマラヤが見れるので僕はそっち側に座る。 ⇒ 【機内に乗り込む際の動画~10秒】機内からは空港の見送りデッキにいる人の顔は判別できない。さよならリンジ。ありがとう。数少ないリンジとの2ショット写真。背景の左側の山はエヴェレスト、右側の山はヌプツェ。飛行機が動き出す。座席数は縦に1列ずつの7席、計14席。世界一危険な空港は坂道を利用して離発着する。滑走路は崖の近くにあって短いので再トライは不可能。 ⇒ 【離陸の瞬間の動画~1分6秒】機内の右側の乗客は窓からヒマラヤを眺めている。左側の乗客は見れないので不公平だ。これで同一料金ってのはかわいそうだよなあ。半額にするとかさ。 ⇒ 【飛行中の景色の動画 ずっとヒマラヤが見える~48秒】このマウンテンフライトは絶景だった。眼下の谷間は雲に覆われている。30分から40分の素晴らしい時間を過ごした。やがてカトマンズの街並みが見えてきた。四角い家ばかりで味気ないがどの家にも屋上がある。給水タンク置き場というのが本来の目的だけど屋上に椅子やテーブルを置いて寛ぎの場にもなっている。カトマンズに到着。OK、墜落しなかった。今回の旅は自分の中で3つに分けられる。第1章はカトマンズからジープでの悪路の旅。第2章はヒマラヤのトレッキングの旅。そして下山していよいよ第3章の始まりだ。
2024年03月07日
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ルクラではK2ロッジという宿に泊まった。このK2ロッジのオーナーは登山家で、様々な山に登頂している。昨日はリンジがこのオーナーに連絡をしてくれて僕が乗るカトマンズ行きの第1便をキープしてくれたのだ。ロッジの宿泊費は500ネパーリー・ルピー。(約500円)部屋にはお湯の出るシャワールームがあるがいくらホットシャワーといえども服を脱ぐのも嫌な寒さだ。ウェットティッシュを使って身体を拭くのですら辛い。リンジへのポーター代27000ルピーを払うためにルクラの町中を回ったが日本円は交換できない。日本円の価値が凋落しているのは分かっているがユーロや中国元さえもルクラでは使えない。ネパーリー・ルピーと米ドルとクレジットカードのみが使える。ルクラとカトマンズ間のフライトは天候による欠航が多い。酷ければ2週間飛ばないこともあるという。飛行機待ちをする外国人がお金を使い果たすことが多いので町の中にはクレジットカードのATMをよく見かける。そういう事情で他国通貨は使えないらしい。日本人が経営しているお土産屋さんでやっと両替できた。日本円の5万円をネパーリー・ルピーに交換した。40000ネパーリー・ルピーを受け取る。両替レートは悪いが仕方がない。そのままリンジに40000ルピーを支払う。40000-27000=13000ルピー。13000ルピーはチップだ。リンジは驚いて大喜びだった。ルクラは石畳で整備されていて犬がやたらと多い。これがネパールで撮った最後の自分の写真。リンジが撮ってくれた。
2024年03月06日
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カイラスロッジを出発する際にオーナー夫婦から白いスカーフを首に巻かれた。これは親しい人が旅立つ時にその人の無事を祝うものだ。テレビの紀行番組で見たことある人もいるんじゃないかな。ロッジを出発してナムチェバザールの出入り口まで来るともうヒマラヤの山は隠れて見えなくなる。ああ、これで下山しちゃうんだなあ。モンジョまでの山道を下る途中に大きな吊り橋がある。下から見るとまるで宙に浮く吊り橋だ。サガルマータ国立公園のチェックポストを抜けて往路時に泊まったパクディンのロッジで昼食。ここでリンジ・シェルパと出会ったのだった。ロッジの2階のダイニングルームからの景色。昼食後は再び山道を下りる。ロバのキャラバンと一緒に歩いた動画はこちら。 ⇒ 【ナムチェからルクラの途中の道~20秒動画】可能なら明日のフライトでカトマンズに戻りたい。パタンでのんびりと買い付けをしたいからだ。そうリンジに伝えると空港の責任者に電話をしてくれた。そんなツテがあるとはさすがスーパーシェルパだ。空港責任者はカトマンズに出張中ということで不在だったが次にルクラのブッキングボスと言われる人物に電話。「OK、明日の第1便の飛行機の席を確保できたよ」おお、何というコネクション。この山道はナムチェとルクラ間のルートだけあって色んな人が「リンジ・シェルパじゃないですか!」と声を掛けて来る。「今回は日本人の個人旅行者と一緒でね」みたいに答えている。改めてリンジの顔の広さ、有名さが分かった。ごく普通のおっさんなんだけどね。「1日でルクラまで行けるかはあなたの足次第」と僕に言ったのにリンジ・シェルパの方が先に足をやられた。彼の足は腫れあがってしまっている。ディンボチェからナムチェバザールまで一気に下りて来て今日はルクラまでの20kmの道をハイペースで歩いているのだ。僕の足は何ともない。息も切れてない。他のシェルパ達も「お前はジャパニーズ・シェルパだ」と笑いながら感心している。「シェルパ・ブラザル(Sherpa brother)」だなんて言っている。ヒマラヤのコンビニで一服休憩。夕方にルクラに到着。20kmを昼食や休憩込みで8時間か、まあまあのペースかな。町には無数のタルチョーが飾られていた。
2024年03月04日
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カイラスロッジに戻って来たら今夜は誰も泊まっていなかった。オーナー夫婦とリンジ・シェルパと僕の4人だけで薪ストーブを囲んでのんびりとした夜を過ごした。日本では能登地震が起こって大騒ぎだった。ipadで能登地震や羽田空港の自衛隊機衝突事故の動画ニュースを一緒に見たりした。往路の時にこのロッジで高山病の韓国人女性を介抱したが2日前に他の7人の仲間が下山してきて合流したようで「ジャパニーズ・ガイが薬をくれたりして助けてくれた」とみんなに僕のことを話していたそうだ。お互いの国を思う印象がこうやって少しずつ良くなればいいな。ナムチェバザールは夜になっても街路灯で明るい。せっかくヒマラヤの星空を見ようとしても見れない。部屋の窓を開けるとナムチェバザールの夜景が見えた。その夜は屋根裏のネズミ達も静かだったのでよく眠れた。朝になってコンデリの山に朝陽が当たっていた。しまった、寝過ぎた。朝焼けを見れなかった。それにしても絶壁と氷河がすごい。登ってみたくなる。ロッジの外に出て路地でタバコを吸う。石畳が異国を感じさせてくれる。ネパール音楽がかすかに聞こえている。ダイニングルームで朝食を食べる。貸し切りは何だか切ない。顔を洗って無精ひげを剃って荷物をまとめる。寒いのでさすがに頭は洗えないのでボサボサのままだ。さて、今日はルクラまで20kmの道のりを一気に下る。辿り着けなかったらパクディン泊まりだ。
2024年03月02日
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ヒマラヤ街道は物資を運ぶロバやゾッキョが多い。厳冬期はキャラバンの数も少ないので問題はないがハイシーズンは「ドンキー・トラフィック」と呼ばれるロバによる渋滞も頻繁に起こるようだ。実際に長い吊り橋でキャラバンと出くわしたら僕達人間はせっかくもう少しで渡り終える吊り橋なのにUターンして引き返さねばならない。ロバくん達はバックしないのである。ロバがいっぱい歩いているということは当然彼らの落とし物もいっぱいあるのだ。この写真はロバくんのじゃなくてゾッキョのモノかな。乾燥させれば貴重な燃料となるので糞を拾って集めるのを仕事にしている人達もいる。ディンボチェからナムチェに戻る途中でこの旅で初めて日本人に会った。12日振りに日本語を話した。今回僕は何度も、いや何十回もネパール人に間違われた。「え?日本の方ですか!」といつも驚かれた。夕方前にナムチェに到着。カイラスロッジに戻って来た。
2024年02月29日
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ディンボチェからタンボチェまで休憩なしで歩き続けた。タンボチェ僧院の外回りにはたくさんのマニ車がある。それらをガラガラ回しながら歩く。マニ車を1周回すとお経を1回唱えたことになるという。大きな荷物を背負って歩くポーター。日本でいう宅配便の仕事だ。20kgまでは1日3000ルピー(約3000円)、中には100kg以上の鉄骨を担いでいるポーターもいるがそれだと1日8000ルピーぐらいの収入だそうだ。タンボチェ山門の内部壁面。同じく天井画のマンダラ(曼荼羅)は物凄い。美術館に展示してあるような美術品が普通に存在している。
2024年02月28日
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厳冬期のヒマラヤでは川も凍る。デボチェという村は標高3820mでディンボチェより600m低い。この辺りの標高が森林限界かな。大体この辺りから水が凍り始める。村の近くを流れる川。もはや流れてません。カチンカチンのツルツルです。対岸のアマダブラム側を見ると全ての滝は凍っている。これはズームで撮ったんだけど間近で見たら凄いだろうな。アイスクライミングやる人はこれらの無名の滝ですら「何じゃこりゃあ!」と思うだろう。タンボチェ僧院の近くにある森。苔だらけの岩が多くて神秘的。この辺りの集落の家はこんな感じ。この日も午後からは雲が広がった。朝までいたディンボチェ方面は雲の中だろう。雲一つない晴天だったら下山してきたことが悔やまれるがこうやって雲が広がってるのを見ると「下山は正解だったな」と負け惜しみを正当化できる。
2024年02月27日
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ディンボチェからナムチェバザールまで1日で戻るのだがよくもまあこんな山肌を削る道を作ったものだ。それにしてもヘリコプターがたくさん飛んでいる。最初は「高山病などの救助搬送ヘリか」と思っていたがヘリに乗ってエヴェレスト・ベースキャンプやカラパタールまで一気に行く”ヘリツアー”が多いそうだ。そこで記念写真を撮ってすぐ帰りのヘリに乗るというものでインスタやSNSにアップする旅行客が利用するんじゃないかな。5万円程度で簡単に5000m以上の山に行けるのである。そして高山病にならないうちにさっさと麓に戻る。金の使い方でそういうツアーも可能なのだ。シェルパやガイドを雇って10数日かけて登ると宿泊代や食事代やガイド代も結構かかるわけでヘリで半日を割いて行ってきた方が安く済むらしい。一般ツアー客ならば特に抵抗はないだろう。お金を払って見晴らしの良い場所に行く、それは当たり前のことなのだから。しかし山登りが好きな人達からは物凄く邪道に感じる。歩いて登ってこそ山だ、ヒマラヤを観光名所と一緒にするな、そんな楽で卑怯なことするな、など色んなことを感じるだろう。でもヘリ遊覧なんだから卑怯でも何でもない。別にそこまで苦しい思いして山に行きたくねえし。インスタやSNSにアップするのが目的なだけだし。だからどちらが正解だなんてことはない、どちらでも良いのだ。乗鞍の雪の壁見学バスツアーは邪道なの?麓から苦しんで何日もかけて登らなきゃいけないの?恋愛のプロセスを経てエッチをする、風俗店で金を払ってエッチをする、どちらも行為自体は同じだ。トレッキングとソレとを混同するのも極端だけど僕にはヘリを使って5000mに行く選択肢は有り得なかった。登山道を歩いた後に辿り着くという行程を楽しみたいからだ。標高5000mまでの苦労をカットするのがNGなの?じゃあ4000mまでは? 3000mまでは?2800mまでのルクラまでなら飛行機OKなの?日本からカトマンズまでの飛行機はOKなの?本人の自由なのだ。どんな手段を使って山に行ったっていいのだ。自分のやりたい方を選べばいいのだ。僕は歩いて行きたいから歩いただけだ。個人的な考えでヘリツアーを選ばないだけだ。ヘリで簡単に目的地の絶景を見るよりも色んな集落に泊まって色んな人に会って色んな体験をしたいから歩いて往復するのだ。こんな無意味な思いを堂々巡りしている間もヘリコプターは僕達の頭上を通り過ぎて行った。こちらは多分緊急搬送ヘリな。ちなみに日本の山の保険では救助ヘリ保険というのがあって掛け捨てで5000円だったかな?を払えば万一の遭難の時に1時間70万円もする民間救助ヘリの費用に保険が適用されて無料になるというものがあるらしいが(県警ヘリなら無料だとかも聞くがそのへんはよく分からん)海外旅行保険のヒマラヤでのヘリ保険は認められないと聞いた。下山時に仮病を使ってヘリ遊覧飛行を楽しむヤツがいるそうで...。まあ僕は海外に行く時も保険に入らないのでどうでもいいけど。妻からは「墜落して死んだら慰謝料が多く入る飛行機に乗れや」「中国東方航空に乗った時は墜落して死ぬんじゃねえぞ」とごもっともな恫喝を受けていることはココでは割愛しておく。
2024年02月25日
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ディンボチェ最後の朝。ヒマラヤの山がピンクに染まった。今からナムチェバザールに戻ると思うと何か感慨深いものがある。朝8時頃の気温は-10度ぐらい。背景の山はすっかり太陽に照らされているのにこの気温。明け方はもう少し気温は低かっただろう。2泊したディンボチェのロッジはこんな感じで僕の部屋の向こうの窓からはアマダブラムが大きく見えていた。2日前にチェックインした日は宿泊客がいなく貸し切りだったので好きな部屋を選べたのだった。昨日はアルゼンチンからのトレッカーが1人。「アーヘンティーナ」というスペイン語で自己紹介されて「え?どこ?」と尋ねたら「メッシ!メッシ!」と言うのであ~、アルゼンチンか~、と分かった。昨夜は彼と一緒に食事をした。これがロッジのメニュー。ネパーリー・ルピーのRs.400は大体400円ちょい。さて、いよいよ出発。偶然に同じタイミングでメリーとカルマ・シェルパがお向かいのロッジから出てきた。メリーとギュッと抱き合う。お互いに「楽しかったよ、ありがとう」と言い合ってメリー達はエヴェレスト・ベースキャンプに向かって歩き出した。しかしメリーは楽しいやつだったな。「カトマンズから飛行機がなくてチョッパーで来たのよ」とか屋根裏のネズミに向かって「シャラップ!」と怒鳴ったりこのネパールの続きで中国に飛んでハーフマラソンに出るとかおいおい、イギリスの警察官の仕事ってそんなに長く休暇とれるの?リンジ・シェルパが荷物を背負って言う。「私達も出発しようか。今日はタフな日になる」今日は一気にナムチェバザールへ。
2024年02月22日
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今回の厳冬期ヒマラヤトレッキングには上から下まで全てワークマンで買った服を着て行った。カトマンズやパタンの下界から標高4000mぐらいまでは常にこんな服装でも寒くもなく快適に過ごした。上の赤っぽい服は980円だがめちゃ暖かい。色違いで3着も持っている。内側がこんなんなってて暖かい空気を逃さない。ズボンは裏ボアの2900円のもの。職場ではコレ履いてる人いっぱいいる屋外作業者必須アイテム。マフラーはチェンマイで300円弱で買ったもの。夫婦で各2本を全部色違いで買ったんだけど今回は妻の使ってる赤系統の色をチョイス。これを持って行って大正解だった。イスラム教のように頭から被ったりもできるし気温によって鼻まで隠したり緩く巻いたり砂埃対策にもなったりで、今回一番活躍したアイテム。防寒ジャケットはバートルの黒いジャケットも持ってて(カメラマンやってる会社がタダで支給してくれたもの)すごく暖かいので雪山ピクニックの時にいつも着て行くんだけど今回は「ヒッピーっぽい放浪」をテーマにしてたのでこれまたワークマンで10年以上前に買ってボロボロになってるいわゆるドカジャン(コットン製で裏ボア)を選択。ちなみにドカジャンとは土方の人が着るジャンバーの略だ。撥水性のないコットン製だが、雨は降らんだろうという前提でもはや色褪せて裾もちぎれてるんだが気に入っているコレで行った。これが実に暖かいのだ。このブログを読んでくれてるかもしれない同僚からすれば「ははは、いつも仕事してる恰好のままじゃん」と思うだろうがそうなんだよ、いつものままの服装でヒマラヤ行ってきました。このボロジャケットで平気で地面に寝転がってたよ。黒いズボンはこれまたワークマンで1900円で買ったやつな。シューズだけは奮発してメレル。防寒と靴擦れ保護のため靴下は2枚履き。さて、ディンボチェのロッジに戻って来て何気なくお向かいのロッジの方を見たらカルマ・シェルパも偶然2階の窓から外を見てて目が合って驚いてお互いの手を振った。まさかお向かいのロッジに泊まってたとは。カルマが急いで外に出てきて再会を喜び合った。「メリーも2階のダイニングにいるよ」と言われたけど泊ってもない別のロッジにわざわざお邪魔するのもなあ、ということで遠慮しておいた。「サイトーは明日下山しちゃうんだよな。 もし良かったらロッジで履いてたルームシューズ、 年老いた父親にあげたいんだが売ってくれないか?」ナムチェでもロブチェでもロッジの中で僕が履いてたやつだ。「今夜は使うから明日の朝な」「やっぱり日本製のは品質がいいからね。 ネパール国内で売ってるのは中国製で裏底も良くないんだ」ネパールでも「クオリティ・コントロール神話」が根強いのだ。その夜、僕は持って来たヴィクトリノックスの小さなナイフでこのルームシューズの内側のタグを切り取った。そう、MADE IN CHINAの部分だけを。(笑)翌朝カルマと別れの挨拶の時に渡した。カ「いくらだい?」僕「お金は要らないよ、あなたのお父さんへのギフトだ」カ「いやいや、こんな高価な物をタダで貰うなんて」僕「俺のために杖になる丈夫な木の枝を拾ってくれたじゃないか」カ「じゃあせめてチャイを1杯おごらせてくれ」買って数度しか履いてない980円のルームシューズだがあげてしまうことに何の抵抗もなかった。むしろあげられる人を見つけて嬉しかった。僕が履くよりも大切に喜んで履いてくれるだろう。下山時の荷物も少しは軽くなるしな。
2024年02月21日
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昨日はメリーとカルマ・シェルパと離れ離れになった。2人はこの集落のどこかのロッジに泊まっているはずなのでリンジ・シェルパと探してみたが見つからなかった。明日には僕達2人はここから下山する。今日は最後の見納めのために近くの山に登った。山というよりピークが幾つもある稜線なのでどこかで見切りをつけてロッジまで戻って来る程度の散歩だ。今日の僕は酷く体調不良だった。寝不足、咳、鼻水、少し歩くだけで息切れ。どこの山に登ってもこんなことは今までなかった。現在の標高は4700m程度だ。これが高山病なのか?あとで気付いたのだが明らかに水分不足だった。シェルパはほとんど水を飲まない。僕も山では水分をほとんど摂らない。3000m級の山歩きで1日500ccから1リットル程度だ。ヒマラヤの乾燥した空気の中でのトレッキングでは1日3リットル前後の水分補給をすること、とあったが僕は1日500ccぐらいしか飲んでいなかった。そんな中で標高4400mから更に登っていた。1つのピークを過ぎるとまた向こうに次のピークが見える。キリがない。どこかのタイミングで戻ろう。ひとつの山を越えたらまた次の山があるだけで結局は終点になんて永遠に辿り着けないものなのかもしれない。それなのに何で山を歩くのだろう?「リンジ、先にロッジに戻ってて。俺はここでのんびりしていく」彼が下って行った後、岩にもたれてヒマラヤの山々を眺めた。何の音もしない世界。誰も通らない場所だ。慰霊碑がいくつも建っていた。ふと気がつくと黄緑色のジャケットを着た欧米人男性がいた。ドキリとして挨拶をしたが返事がない。「キットカット食べる?」と声を掛けたら手を差し出して来た。左斜め前の岩の陰から黄色いジャケットの金髪の女性が出て来た。這ってくる。両足が伸び切ったままで歩けないようだ。「足どうしたの?」と言った途端に2人の姿は消えた。白昼夢? 幻覚? めちゃくちゃリアルだった。まさか真っ昼間から霊じゃあるまいし。しばらくそこでぼんやりとヒマラヤの山々を仰ぎ見る。すごいヒマラヤ襞だ。ずっと見ていても全く飽きない。さあ...、ロッジに戻ろう。四方のどこを向いても荒涼とした雄大な世界。みんな何を求めてこんなとこに来るんだろう?空と山と地面しかないじゃないか。
2024年02月20日
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昨夜は星を何度も見にロッジの外に出たりしていたしベッドに入って温まると咳が止まらなかったので明らかな寝不足だったが体調不良というわけではなかった。軒先に置いておいた100均の温度計はマイナス9度。想定していたよりもずいぶんと暖かい。明け方は室内のペットボトルも凍っていて振るとシャーベットのように飲めるようになった。朝食の後にディンボチェの集落を散歩した。西の空に月が沈んで行く。何だか地球以外の別の惑星にいるように思えた。本当ならカラパタールに向かうための高所順応としてこのディンボチェに連泊するつもりだった。でも諸事情でこの先の奥にはもう行かない。ここディンボチェで引き返すのだ。名残惜しいので予定通りここで連泊する。その代わり明日からは猛スピードで下山する。壮大な風景。ずっと見ていても飽きない。明日で見納めか...。
2024年02月18日
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標高4410mのディンボチェに到着。僕とリンジ・シェルパの歩くペースが速いのでメリーとカルマ・シェルパは追い付いて来れなかった。数日前から夕方前になると雲が多くなっていた。右側のピラミッドみたいな山はアイランドピーク。左側の山は何だったかな?どこかのサイトの画像だけどアイランドピークすげえな。こんな場所から滑り落ちたらヒザ擦りむくぞ。リンジの馴染みのロッジにチェックインしたがメリーとカルマは別のロッジにチェックインしたようでその夜は彼らとは会えなかった。宿泊客は僕達の他にはいなかった。いよいよ完全なオフシーズンか。ロッジのオーナーが薪ストーブをつけてくれた。燃料が薪の時は煙も多くて少々目が痛かったが乾燥させた牛の糞に変えたら急に暖かくなった。牛の糞は匂いもない。その夜は眠れなかった。時々窓の外を見るものの空は厚い雲に覆われていた。夜中に苦しくて目が覚めた。とうとう高山病の症状が出てきたのか?布団をめくろうとしたが腕が重くて上がらない。咳も出る。鼻水も出る。風邪か?おしっこに行こうと外に出たら月明かりの中に星が出ていた。Canonのデジカメs120を取りに戻る。うわあ、すごい星だ。西に沈みゆくオリオン座を撮影。月が出てなかったらもっと星がたくさん見えただろうに。凛とした静かな夜にたった独りでディンボチェを散歩した。日本のことも人間のことも忘れ、欲も煩悩も何もかも忘れただただ宇宙を見て至福の夜を過ごした。
2024年02月16日
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デボチェからディンボチェまでは楽な道だった。右手に美しいアマダブラムが終始見えている。圧巻だ。こんな山に登るなんて想像を絶する。途中には土着的なストゥーパが建っている。振り返るとコンデリの山々。画像左下にはタンボチェ僧院が見える。それにしてもこのエリアの信仰心はすごい。石にはびっしりと経文が彫られている。彫られているのではなく経文が浮き彫りなのだ。一体どれだけの時間、労力、集中力を要することか。こんな芸術品が山道にゴロゴロと無数にあるのだ。お土産に持って帰りたいがそれはやっちゃいかんし。それに重いし。ヒマラヤ街道にはゴミ箱も設置されている。燃えるものとプラ・ペットボトルを分別。山道に沿って風除けというかガードレールの代わりというか50cmから70cmぐらいの高さに岩が積まれているのだがこれはシェルパが荷物を楽に下ろせる配慮のためじゃないかな。トレッカー達も座って休憩するんだけどこういう場所で交流できたりするんだよね。ちなみにカトマンズを発ったクリスマスの時からこの元旦まで1日もシャワーも浴びてないし髪も洗ってない。水は貴重だし、こんな気温で洗髪したら風邪ひくしね。ということで僕の髪はボサボサになっているので記念に撮影。あ、いつもとそんなに変わらんかった。メリーとカルマ・シェルパが追い付いてくるのを待って途中のティーハウスで昼食にする。ベーコンポテトとマサラチャイ。マサラチャイかジンジャー・ハニー・レモンティーが定番になった。シェルパティーと呼ばれるものはどうにも不味くて好きになれない。紅茶にバターと塩を入れるなんて...。まあその組み合わせが高所での栄養補給には合ってるだろうけど。現在地は標高4040m、高山病の症状は皆無。今日のこのエリアが一番楽で眺望も良かった。
2024年02月14日
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2024年の元旦は夜明けに目が覚めた。高山病の予防薬ダイアモックスを半錠飲んだせいか夜中に2回おしっこに行ってウトウトしていた。窓は凍っているが外が何だか色づいている。ロッジの外に出てみるとヒマラヤが赤く染まっていた。室内気温はマイナス2度。この温度計は日本を出る前に100均で買った物。ブログネタの小道具ってワケですわ。窓ガラスは氷の結晶アート。今日のみんなとの朝の挨拶は「Happy new year」だ。ダイニングルームでみんなで食事。窓辺には経典が置いてあった。食後に薪ストーブを囲んでマサラチャイ。今日は標高4400mの村、ディンボチェまで。横にはヒマラヤの雪を源流とする川が流れている。画像右下に見える吊り橋を渡るとガレ場になっておりアマ・ダブラムのベースキャンプに続いている。こんな丘でテント張ってのんびりしたいなあ。
2024年02月12日
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デボチェの宿泊先は僕達4人しかいなかった。川の近くに建つロッジは水力発電のためキッチンにもLEDライトが煌々と光っていた。モモを注文。これだけで腹一杯になる。晩ご飯の後はみんなでストーブを囲んでの会話。リンジ・シェルパと今後の日程について話す。天候はだんだんと下り坂に向かっている。ここ数日は昼過ぎから雲が広がってきて夕方には曇る。夜に星空は出るもののそれも長く続かない。朝から午後2時ぐらいまでは快晴なのだが3日後ぐらいから雪が降り始めるらしい。これでは4日後に到着予定のカラパタールまで行ってもエヴェレストやウォーターフォール、クンブ氷河は見れない。僕とリンジ・シェルパの脚力では余裕で到着可能だがカラパタール周辺で天候による停滞をする時間の余裕はないし折り返してルクラまで下りた時に飛行機がすぐに飛ぶか分からない。世界一危険だといわれているルクラの空港は同時に世界一欠航や事故の多い空港ともいわれている。もし欠航になったら往路と同じでジープを使うのだがジープでカトマンズに帰ったら日本行きの飛行機に間に合わない。「リンジ、ディンボチェまで行ったら下山するよ」「それは良い判断だと思う」とリンジ・シェルパが答える。「ディンボチェに2泊した後、ルクラまで2日で下りれるか?」「私は可能です。問題はあなたの足次第です」「よし、ベストを尽くそう」それを聞いたメリーは絶句している。「このまま一緒にトレッキングすると思ってたのに...」寝る前に星を見に行くと言ったらメリーが「私も行く」と言って2人でロッジの外の真っ暗な場所まで歩いた。外に出た途端に満天の星空が見えた。メリーが「・・・アンビリーバボー・・・」と言葉を失う。「ロンドンでは絶対に無理。今までに見たことのない星だわ」もう日本は2024年を迎えている時間だ。wifiもなく聞こえる音もない真っ暗なネパールの山の中で僕はイギリス人女性と2人で星空を眺めていた。それは星空というより「宇宙」だった。
2024年02月11日
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