ワルディーの京都案内

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2016/03/30
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テーマ: 癌(3513)
カテゴリ: 癌治療情報
 朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。

≪2015年12月17日の記事≫ 

 精巣がんを摘出した東京都の大久保淳一さん(51)は2007年3月下旬、腹部や肺などに転移していることを、医師に告げられた。東京慈恵会医科大付属病院(東京都港区)に改めて入院し、抗がん剤治療を受け始めた。

 早く退院して職場復帰したいという願いは、かなわなかった。

 「もう元気で活躍することはできないだろう。自分の人生のピークは、終わってしまった……」

 そう思い詰めた。

 病棟の通路の窓からは、六本木ヒルズが見えた。勤務先の外資系証券会社が入るビルだ。

 「自分はこれまで、仕事を通して社会とつながっていたんだ」

 会社に行けなくなって初めて、そう思い知った。六本木ヒルズを眺めているうちに、涙が出てきた。

 がんを乗り越えて社会復帰した俳優や歌手の名前をネットなどで調べてはノートに書き出し、闘病の励みにするようになった。「あせるな! 大丈夫」「必ずうまくいく!」。自分を励ます言葉を紙に書き、病室の壁に貼った。

 吐き気などの副作用に悩まされた抗がん剤治療は6月に終わったが、その後も試練が続いた。CT検査の結果、腫瘍(しゅよう)らしき影が、腹部にまだ2カ所残っているという。再び入院し、腹部のリンパ節を47個取り出して転移の状況を調べる手術を受けた。

 15時間にわたる大手術から5日後、リンパ節の腫瘍は全て壊死(えし)していることが分かった。8月下旬に退院。これで、一連の治療を終えるはずだった。

 ところが10月中旬、風邪をひいたのをきっかけに、ひどくせき込むようになった。抗がん剤の副作用による「間質性肺炎」だった。3カ月ほど前から指摘されて気になっていたが、その症状が急激に悪化していた。

 10月下旬、風呂場でシャワーを浴びている最中に、強烈な発作に襲われた。激しいせきが止まらない。窒息しそうになり、命の危険を感じた。

 治療のため、11月末までまた入院せざるを得なかった。勤務先に少しずつ通えるようになったのは08年の春。骨折による最初の入院から、1年余り経っていた。


入院中の病室には自らを励ます言葉を紙に書いて貼った
3.jpg




 私が抗がん剤で入院した病院から以前勤務していた会社の社屋が見えました(六本木ヒルズのように高くないですが)。再就職先の皆さんもお見舞いに来てくださいました。しかし、私は仮に社会復帰できるようになっても、会社勤めに戻るよりは、もともと現役を引退したらやりたいと思っていたことに早めにチャレンジしたいと思うようになりました。そのためにはまだ死ねない。今から思うと、そういう気持ちが病気に立ち向かう原動力になっていたような気がします。


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最終更新日  2018/07/19 01:05:55 AM
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