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朝8時過ぎ。ホテル近くのグランタクシー乗り場より、その場で出会ったドイツ人のアンドレアとベルギー人夫婦と一緒に乗り合いでヴォルビリスへ行くことになった。ヴォルビリス入り口前日の雨で、ヴォルビリス周辺にある粘土質の土が靴の裏に厚さ10CM以上でへばりつく(笑)観光客みんながこの土に苦労し、なかなかヴォルビリス遺跡内部までたどり着かない田園風景の中にぽつーんと建つヴォルビリス カラカラ帝の凱旋門「本当に世界遺産なの?」と、思わず疑いたくなるほど全く保護されていない。それがとっても面白いのだ。イスラム教が国教のモロッコだが、このヴォルビリスはローマ時代のキリスト教世界の建造物だ。それが、これほど管理されていない理由なのか?? このヴォルビリスには、なんとモザイクが昔のままの状態に保存されている!かつて2万人以上が暮らしたというこの土地。遺跡の大きさもすごい。
Mar 31, 2008
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出てきたカプチーノ「あ~~~、鬼太郎がいる!!!」喜んで騒いでいたら、ウエイトレスに言われました。「にゃんたん☆をイメージして、作ってみましたよ♪」あっ、これ、私なんだ(笑)にゃんたん☆素顔初公開。えっ?
Mar 31, 2008
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早朝着いたメクネス。びっくりするほどの大雨・・・実は、このメクネスのあるホテルで友達と再会することになっていた。大雨の中、先にチェックインし雨が止むまでしばしホテルで待つことに・・・ばっちり出るお湯をチェックしたりして時間をつぶしていると午後になって雨が止み、陽が照ってきたのだ。ということで、さっそくメクネスのメディナ探検。マンスール門 北アフリカでもっとも美しいと言われているらしい。マンスール門をくぐってすぐにある門。この門をくぐると、ムーレイ・イスマイル廟へ続く。イスラム教徒でなくても入れる墓廟だ。その後、また再びマンスール門をくぐってメディナの迷路の中へ 細い路地なんだけれど、町ごとに雰囲気が違う。グランモスクが見えてきた。木の立派な彫刻がモスクの門を飾る。迷路のような道を進むと、マラケシュとは違う庶民的なマーケットが広がっていた。 そして、この町。なんと、なんとすごくかわいいオレンジ色の町だった。「メクネスは全然たいしたことないよー」などと事前に聞いていたのだが、やっぱり自分の目で見て確かめるのは大切。私はこのオレンジの町がとっても気に入ってしまった!遠くから見ると、このメクネスのメディナはこんもりした丘が全てオレンジの建物で覆われているかんじ。それはまたそれできれい!特に夕方にその景色を見るのはお勧めだ。夕方の雨上がりの写真は、くろーーい雲に覆われていたので。。。以下は次の日の朝の写真
Mar 29, 2008
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メディナの香辛料屋さんメディナに戻り、マラケシュでお目当てのバラ水を探した。バラ水とは、バラを蒸留して作る超自然派の化粧品だ。捜していると、沢山の種類があることに気がついた。しかし普通に売っているのは、赤やピンクの色がついているもの。私が行ったこの香辛料屋さんは、バラ水などいろいろな自然化粧品も扱っていて無色透明のバラ水が売っている。本当かどうだか知らないが、店主は「これが本物だ!」と胸を張っていた(笑) オレンジジュースの屋台 街角のマーケットとにかく大きいメディナそして、なんだか少し近代的。知り合いの中では、このメディナが一番楽しい。と話す人も多かった。そして、夜行でまたまた世界遺産都市メクネスへ向かう。ここで待ち合わせていた友達とひと騒動あったのだった・・ちなみに、CMTでバスを待っていると今日はメクネス行きが出ないからと、首都ラバト行きに乗せられてしまった。ラバトから、またお金をはらって早朝便でメクネスへ向かう。うーーん、納得いかん(笑)
Mar 28, 2008
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マラケシュ博物館を出ると、、このたびで最悪の天気模様となってきたとにかく風が強い。雨もちらほら。。。にわとりも、逃げ回る。メディナのアーケードがないところは、商品が風で吹かれアーケード部分には、人が逃げ込みかなりの混み。ということで、私はメディナからちょっと離れて史跡地区をめぐることに。アグノウ門(きれいではるが、かつて罪人の打ち首をさらす場所だったという・・)アグノウ門を入ると、モロッコのひとつ前の王朝のスルタンの王の墓廟がある。入り口まで行ったが、なんとなく行かなくてもいいや~という気になりそのままスルー近くにメディナがあるとは思えないほど、のんびりしている。地元の人のための修理屋さんなどがある道が続く。そのうち王宮のための広い広場に出た。王様の居住地ではないのようだが、もちろん中には入れない。そのまま進むと、完全に住宅街に出る。学校帰り?の小学生たちが沢山いるな~と思っていたら、学校がすぐそばに。。いつのまにか、メディナの塀を出てしまったらしい。再びメディナ内へ。数分歩くと、あるのは目的地”バイア宮殿”あのアルハンブラ宮殿よりも美しい?と言われている宮殿のようだ。どっと観光客が多くなる。木の彫刻がきれい。どちらかというと、タイルよりも木の彫刻のほうが印象的だった。 実は、この宮殿。女の人たちのための宮殿だったらしい。小さいながらも豪華ではあるが、いわゆる宮殿というより素敵な居住区というかんじ。個人的には、アルハンブラ宮殿のほうがきれいに感じたかな(笑)その後、すぐ近くのダル・シ・サイドへ。ここも宮殿だったようだが、今は工芸博物館になっている。ちょっと疲れたのと、雨がひどくなったので近くのカフェへ入ろうとして。。。その隣にあった、地元の人用スナック屋さんへこれで10DH!2種類の魚数匹がそのままから揚げになったものに、パンとポテトが付く。言葉が通じなかったので、見よう見まねで頼んだもの。ひそかにおなかはすいてなかったのだが、試してみたかったのだ。でも、これが当たり!とってもおいしかった店内は、お客が食べた後ちらかしたさかなの骨とかパンくずとかが床に散らばっているけど(笑)私があまりの汚さに唖然として席を探していると(といっても10人も入れない店内)子供に命令して、全部外へ吐き出してくれたのだ!
Mar 27, 2008
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マラケシュに到着すると、すでに暗くなっていた。とりあえず同じバスに乗っていた人とタクシーをシェアし、世界遺産マラケシュのメディナの中心地、フナ広場へ行く。そこから、その日の宿を探すのだが・・・・再び「歩き方」の地図にやられてしまった。行きたい場所へ行けるはずの道がない・・まあ、歩き方の地図表示の間違いも、この細かい道だったらしょうがないか・・様々な呼びかけをガン無視し、歩いていると・・・・勝手に先導する輩が現れた。無視して歩いていたのだが、「俺の知っているこのホテルはいい。」と勝手にホテルと交渉を始める。勝手に交渉される宿に限って満室なので(笑)、私は私のペースで歩き、疲れたところで、適当によさげな宿に決めたのだが・・・・「いいホテルを紹介してあげたから、50DHチップをくれ」と要求された。はいっ!?意味がわからない。。なんで、チップをあげなくちゃいけないの??もちろん抗議をしたけれど、なんだか疲れて持っていたコインを適当にあげた。昔だったら頑固あげないところだが。(だって、むかつくじゃん)その夜、近くでケパブを食べ、久々にインターネットカフェに行った。日本語が見れるカフェが多いところを見ると、やはり日本人旅行客が多いのだろう。そして・・・・・・次の日、朝からメディナ探検!中心地フナ広場!!ごちゃごちゃしてはいるが屋根つきの立派な商店街を抜けまずはマラケシュ博物館へ向かう。中は、ベルベル人たちがかつて使っていた生活用具や企画展示だろうか?アフリカ各地の写真展など様々であった。面白いのは展示されている場所が昔使われていたハンマム(公衆浴場?)であったり、キッチンであったりすること。いつから博物館になっているかわからないけれど、今のオープンな雰囲気の展示方法の美術館のさきがけかな・・?
Mar 25, 2008
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細い路地を歩き回っていると、たくさんの動物に出合った。 商品化するにゃんこたち ちょっと休んでいても、どこかしらににゃんこやわんこが!!この町の人は動物が好きなのだろう。いたるところに自分たちの食べ残しなどを置いて、えさを与えている。 路地にはわんこたちが普通に歩いている。そして、ときには・・・・小鳥ちゃんたちも。そんな感じで歩いていると、一軒の楽器店を見つけた。きれいなベルベルタンバリンはなく、結局買わなかったのだが店主と仲良くなって、思わず長居をしてしまった。おんなじ年だった店主。最初は、うっとおしい売り文句防止のため「韓国人」と名乗っていたのだがムスリムとして改心した話、毎年エッサヴィラで行われる音楽フェスティバル、モロッコの楽器の種類、タンバリンのたたき方などなどを聞いているうちに仲良くなったのだった。「実は日本人なの・・・」と言い出せないまま「韓国語を教えて。今度、韓国人が来たとき、韓国語で迎えてあげるんだ」と店主はメモを取り出す。。うーーん、知ってるのは「あにょはせよ~」ぐらいなんだけど。。(><)伝統的?ニット帽を売っているおじさん。この魔法使いみたいな服がジュラバそのうち、好きな音楽を聴かれた。持っているi-podで音楽を聞かせてあげた。ここでJ-popについて話し、日本人であることを伝えた。「そっかあ。日本人は自由に旅できるからうらやましいと思っていたけれど、そういうわずらわしいこともあるんだね。確かに、日本人は沢山買ってくれるイメージがあるから、みんな必要以上のセールスをしてしまうのかも。」と納得してくれた。「僕は今敬虔なムスリムだから、そういうことはしないよ」と付け加えていた。そんなことを話しながらモロカンミントティーをご馳走になって、ずいぶん長いこと話し込んでしまったのだ。そんなことをしながら、ゆっくりと気の向くまま路地を歩き回った。 再びこの路地世界遺産都市エッサヴィラ迷路が特徴的なアラブな雰囲気と、白とオレンジの色のイベリアチックな感じがミックスしているかわいい町だった。そして、芸術家や音楽家が集まると言われるこの町はもしかしたら、モロッコのお土産を求めるとき一番かわいらしいものが見つかる場所かもしれない。----------------------------その後・・・午後5時のバスで、マラケシュに戻る。今度は、朝のようなボロボロの寒いバスだと嫌なのでCMTのバスを予約していた。バスターミナルへ戻る途中のこと。。。警察官に声をかけられた。ー「どこに行くんだ?」えっ!?なに?びっくりして、慌てて説明する。「これから、バスターミナルへ行きます。」ー「いつ戻ってくるんだ?」「そのままマラケシュへ行きます」ー「今日はマラケシュに行かず、この町にとどまりなさい。」えーーーーっ!?私、なんかしたのか???そんなに汚く怪しい格好してる?ー「そして、僕の家へ来るといいよ。食事をご馳走してあげる」あーーー。そういうことね。多くのガイドブックにも載っているが、女性は地元の人にこうやって狙われるのだ。店員とかならありがちだけど、まさか警察官までもこんな感じだとは・・・女の子旅人のみなさん、お気をつけあれ。
Mar 24, 2008
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細い路地は、迷路のよう。細かい道が入り組んでいる。バブル門から展望台に向かった。海に近い細い道(スカラ通り)を進むと要塞都市だったことを思わせる大砲を配置した見張り台に出た。展望台へ向かう。展望台からは、大西洋が見渡せる。ビーチではなく岩がごつごつし出ている寒いところの海の雰囲気だ。展望台への入り口には、絵描きのおばさんが特徴的な絵を描いていた。白い民族衣装を着た人のデフォルメが象徴的に、エッサヴィラの景色に描かれている。この展望台の下といっていい場所には、アーティスト直営のお店がある。エッサヴィラ特産の寄木細工、絵画、楽器などを売っている。私は、そこで素敵な絵?を見つけた!それは、砂漠のベルベル人の文字というか印が3*3で並んだもの。砂漠ですっかりベルベルファンになった私はとても欲しかったのだが・・・最初は値段を聞いて・・・この時はまだ買わず、後からまた行って言い値の半値以下の60DHで購入した。 いい時間帯になったので、西側にある魚料理の屋台が広がるムーレイ・エル・ハッサン広場に出た。船で漁業が盛んなことがわかる。意外にいろんな海産物がある。日本でもおなじみのものが多い。実はこれはレストランのメニュー 適当に食べたいものを選んで、席で待っていると選んだ魚が運ばれてくる。これで100DH。高いぞっ!!料理の仕方は、いたってシンプル。オリーブオイルを魚にぶっかけて、網ではさんで焼くだけ。あとで塩コショウで味付けだ。しかも、焼きは、ダンボールをちぎったもので風を送っている。夏だったら、私うちわ持ち歩いてるのにな~~。あげたかったな。。。。朝に地図をもらいにいったインフォメーションセンターへ再び行った。インフォメーションセンター向かいのビルは、吹き抜けのホールがある典型的なモロッコ?イスラム建築なのだが、その壁にほどよい数の写真が飾られていたからだ。お店は大通りだけではなく小道にも広がっていた。私は興味があった、ベルベルタンバリンを探しに楽器店を探して歩いた。
Mar 23, 2008
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早朝のマラケシュからの民営バスは、びっくりするほどボロボロだった。雨漏りしまくりで、バスの中でカッパを着なくてはいけないほど(笑)そして、世界遺産都市エッサヴィラに到着した。ポルトガル当地時代に作られたという城壁に囲まれたエッサヴィラバスターミナルから近いドゥカラ門より入る。門をくぐると・・・・ぐっと中東な雰囲気が漂う。そして、大通りを外れると、、、そこは路地裏天国路地裏好きにはたまらない多くの外国人旅行者、そしてモロッコ人も、一度は訪れてみたいという気持ちがわかった。 早朝のエッサヴィラは、沢山のお土産屋さんが開店準備をしている中、地元の人のための小さなマーケットがにぎわっている。おばさんが、おもしろいパンケーキを焼いている。ハチミツをたっぷりつけて、ちょっと厚いクレープという感じのパンケーキを食べ歩くことにした。そのうち。。現地の人でにぎわうカフェに遭遇。細い路地裏のちょっとした場所にある。モロカンミントティーを飲んでいたのだけれど、相席のおじさんに勧められて...パンケーキ追加。超おなかいっぱい(笑)観光客としては残念だが、、これ以降モロッコの都市で写真を撮らせてくれる人はとても少なかった。何気なく風景の一部として人を入れる写真でも、嫌がる人がいた。ということで、このカフェのかわいらしいキッチンの様子やおばさんの写真は撮れず・・・そのかわり、カフェの席から上を見上げると・・・かもめ!!砂漠から海へ出てきたんだな~~~。
Mar 22, 2008
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ザゴラでの一日を満喫し、夜行バスでマラケシュへ向かう。CMTのマラケシュ直通バスを予約したかったのだが、すでに満席。(ザゴラ~ワルザザード、ワルザザード~マラケシュという乗り継ぎ便のほうがすいているらしい)ということで、民間のバスのチケットを買った。夜行だったので少し心配だったのだが、日程を優先させたのだ。出発は夕方7時前。予想通りのぼろぼろのバスに、荷物は全部バスの天井へ乗せて運ぶという恐ろしい形態だった。(なぜなら、ザゴラからマラケシュはアトラス山脈を越えて行くので、荷物が振り落とされるんじゃないか、、バスが横転するんじゃないか、、、と心配だったのだ)出発後、マラケシュ方面へすぐには向かわない。民間バスは、ちょっと離れたところにあるいくつかの集落に寄りながらマラケシュへ向かうのだ。ここで問題が発生した。ある集落で乗った乗客と、すでに乗った乗客が争い始めた。そのうち・・・・私の後ろのおじさんが、いきなり大声でつばを飛ばしながら何か怒鳴り始めた。そして、車内中の人がおじさんと同じように立ち上がって何かに怒っている。しかも、本気で。。。。。すでに、誰が当事者なのか不明な状態になっていた。後ろや前の席のおじさんもますますヒートアップする。車内のおっさんたちが怒鳴りまくっている。こえ~~~~~よ~~~~~私の席の、通路挟んだ反対側にはこれから大学に戻るのか。。というくらい若い子達がいた。おもしろいのは、車内の若い子たちが怒るおじさんをなだめている。若い子達は、この言い争いの理由が「座席の二重発行」だと説明してくれた。怒り狂うおじさん VS 冷静な若い子日本では考えられない面白い構図が車内で展開された(笑)しかし、この「言い争い」は思わぬことで収束された。この喧嘩が10分ほど?続いたときのこと。突然バスの後ろのほうから歌が聞こえてきた。その歌に参加する歌声がだんだん多くなる。そして。。。短い歌が終わると、小さな拍手が起こり言い争いは収束した。。。。なんだ!?なんだ!?なんなんだ!?私が勝手に予想するに、この歌の歌詞は「けんかはやめて、なかよくしよう♪そしたら、いいことあるってアッラーが言ってるよ~♪♪」大人があんなに声をあららげるなんて、日本じゃ滅多に見かけない。しかし、この事態を収束するきっかけを、このバスの乗客も待ち望んでいたのかも。それでも収束の仕方が、「歌」だなんて!!平和だな~~~~って思ってしまった。そんな珍事がありつつ、バスの中なのに、外にいるんじゃないか?と思うほど寒い車内に耐え抜き夜中4時前にはマラケシュの民間バスターミナルに到着。マラケシュの観光のためターミナルで数時間待つよりもこのまま移動したほうがいいと思いそのまま早朝のバスで世界遺産都市のエッサヴィラに移動した。
Mar 21, 2008
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ホテルを出て、市街地へ向かう。全く水のない川を越えて歩いていたところ、地元の子が近道を教えてくれた。それは、水のない川を通ってそのまま昔の住宅街を突き抜ける道。タクシーでさえ結構かかったCTMバスターミナル近くまで徒歩で10分ちょっとで行けた。荷物を自転車で運んでもらい、義理でその子の父親がやっているお土産屋さんへ。お店に近づくにつ入れ、他のお店の色々な売り子が話しかけてくる。たいがいどこの国でもそうだが「こんにちはー」「日本人?」と話しかけられる。うっとおしいとき、私は「韓国人」とに答える。たまに、「アニョハセヨー」と返されびっくりすることもあるが(今、韓国人や中国人のほうがお金持って旅してるし(笑))ここ、モロッコでは「わたし、韓国人」というのは使えた!!まだまだモロッコを旅する韓国人は少ないらしくこのたびでは、それ以上しつこくセールスされることはなかった、中には、「北か?南か?」なんてことを聞いてくる人もいた(笑)もちろん、「北なわけないじゃん」って思いながら「北」って答えたけど。(逆に、日本人に間違えられて話しかけられる韓国の旅人は、もっとうっとおしく感じてるのだろうなあ~~)とりあえず、運んでくれた子の兄がやっているというレストランでアメリカンなランチを食べる。マヨネーズやケチャップがなぜかものすごく甘い。その後、、、、私は全く買う気がないけれど、鴨とにらんだのか私を離さない。私も私でそれを利用することにしてバイクで町中を走り回ってもらった。ちょっと市街地から離れた場所に、町の人が多く住む地区がある。水路も整備され(水はなかったけれど)現在も健在のカスパに住民は住んでいる。ザゴラの町を見下ろす小高い岩山
Mar 20, 2008
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寒い寒い夜が去って、空が明るくなってきた。砂丘に登って、日の出を待つ。風に吹かれて、くるくる形を変える砂丘を見ると「砂漠は生きている」とはよく言ったものだ、と思う。砂丘から見る砂漠ホテル朝食を食べ終わるころには、日は完全に昇り気温も暖かくなってきた。この砂漠ホテルに泊まった人みんなが、「寒すぎて眠れなかった」と話していた。遠くに、らくだのキャラバン隊が行く食事が済むと、帰り支度を始める。寒かったけれど、とっても素敵な夜だった。いろいろあったけど、それは内緒(笑)再び、道なき道を進む。前日とは違う道を進み、すぐ砂漠地帯になってしまう最果ての村「マミアド」を抜けてきた。このマミアドは、ザゴラから約100KM。ここで、前日の旅行会社が行った「遠すぎてシェガガまでは半日以上かかる」というのは嘘だと実感した。このマミアド周辺にも、大きなホテルがいくつかある。この村から出発する砂漠ツアーも多いらしい。帰りは、マミアドからアスファルトの道をまっすぐ進む。途中、タムグルートというかつてイスラムの大きな神学校があった村によった。(タムグルートの図書館)小さな村なのに、メッカから持ち帰った4000冊の本が納められた図書館がある。ザゴラのホテルに着いたのは、午前11時前後。ここで、ツアーメンバーとはお別れ。その後、近くのホテルのハンマムへのオプションツアー(?)もあったが私は、ホテルのシャワーを借りてゆっくり荷物の整理をした。
Mar 19, 2008
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日の入り後・・・砂漠ホテルへ戻る。夕食まで時間があったのと、あまりの寒さで火のある砂漠ホテル従業員(?)テントへ。モロッコミントティーとピーナッツを食べながら雑談をする。ここの人たちのほとんどは、フランス語のみ話せた。ということで、私は友達の通訳を介して話す。しかし!どこの国でもそうなのか、、一人アジィズという若い子だけは、英語が話せたので、私は直接話すことができた!夕食は、大きな中央テントで、私たちと一緒だったスペイン人集団のほか、ドイツ人3人とフランス人2人とともに食べることとなった。メニューはハリラ(スープ)、チキンのタジン(煮込み)など。そのうち、ベルベル人ミュージシャンたちの演奏が始まった。私たちも、彼らの言うとおり音頭をとる。音頭は「ダー」その後、スペイン人たちがワインをくれた。とってもよいスペインワインらしい。そこで、新年の過ごし方を教えてもらった。スペインでは、年明け12回ベルが鳴るらしい。そのベルに合わせて、12個のぶどうを食べるのが習慣とのこと日本では?と聞かれ、年末に108回除夜の鐘がなり、年越しそばを食べると教えたところ。。「108回も鐘がなるの!?」と驚いていた(笑)(どちらかというと、日本では一年の終わりのほうを大切にするのかな・・)夕食後は、外の焚き火の周りで宴を続ける。最初はベルベルの音楽を歌っていたのだがそのうち、スペイン、ドイツ、フランスの歌も歌う。ここで、日本の歌を。。。と言われて困った。。こういう時、簡単に歌える歌って何があるだろう。。。!?!?その後、ベルベル人たちと一緒に砂丘のほうへ星を見に行った。すでに私たちには、方角が全くわからない。しかし、彼らは慣れからか、星の位置からかポイントを探す。彼らがドームと呼んだ、砂丘と砂丘の間の谷間で星を見る。その谷間は、ずぼりと足が埋まるような砂はなく硬いコンクリートのような地面だった。今は枯れている植物を焚き火の材料として暖をとる。そこで流れていく星を見ることになった。エアーズロックで見たような壮大な星空とはまた違い砂丘と砂丘の間にくっきり見える星は、なんだか絵のようだった。満ち足りた気分でテントに戻った私たちだったが・・・・・その後、あまりの寒さで眠ることが出来ず。。。。(一体、気温はどのくらいだったのだろう。。。)見ることを楽しみにしていた砂漠での日の出が、ただ見たいというだけではなく、暖かさをもたらしてくれるものとして心の底から待ち望んでしまうものとなった。
Mar 18, 2008
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砂漠ツアーの出発はお昼の12時。朝晩寒かったザゴラも、昼間はからりと暖かい。午前中に干しておいた洗濯物は乾いていた。砂漠でおなじみのTOYOTA車には、スペイン人2人(もう一台に6人)と地元のミュージシャンが乗った。運転手のおじさんは、フランス語とスペイン語と英語が少々。ということで、私はあんまり話すことができなかったが一生懸命説明してくれるいいおじさんだった。ザゴラの町を出ると、すぐに乾燥した土地が続く。 そのうち小高い台形方の山が見えてくる。この山を越えると、サハラだ。アスファルトの道をはずれて、砂地に入っていくと。。。 カスパが点在している。もちろんカスパという住民の町の周りは、オアシス!たくさんの椰子が生えている。一度アスファルトの道にもどり、水を買ってからふたたび砂の道なき道へ。交通のメインはらくだ!?砂漠の中のカスパや、観光客用テントへと荷物を運ぶのだ。どんどん道が悪くなっていく。どこかにつかまっていないと、車の外へ振り落とされそうな勢いだ。途中、砂丘をひとつ歩いて越えることになった。こんなことを繰り返しながら、その日の宿泊ホテルへついた。砂漠のホテル!?このホテル。中心にはその日の宿泊客の食事を取る大きなテントがありその周りには、ベッドが置かれた小さなテントが設置されている。ちょっと離れた場所には、トイレ&洗面所があるテントもある。予想の野宿な感じとは違い、拍子抜けするほど快適な場所だった。(ちょっとがっかりなような、嬉しいような・・笑)砂丘へ登り、夕日を待つ。太陽が沈むのにあわせ、砂の日向、日陰部分がくるくる変わる。そして、日が当たっている場所は暖かく、日陰部分は冷たい、、というような砂漠独特の感じを、手で触って確かめる。こうして、この年最後の夕日を砂漠で眺めることになった。日が沈むと一気に寒くなる。
Mar 17, 2008
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再び酔いまくった先に着いたザゴラ今までのアフリカンラッキーがなくなったのか・・・観光地にありがちの強烈な客呼び込みでもみくちゃにされて転ぶ始末。。。ということで、心身ともに疲れてホテル内に砂漠ツアーを持っている「オテル・ラ・フィブル・ドラア」へタクシーで直行した。(このホテルのある場所はバスターミナルに近い市街地から離れているこのホテルに目はつけていたものの、BT近くのホテルを物色してから・・と、最初は思っていたのだ)ザゴラで最初のホテルという「オテル・ラ・フィブル・ドラア」「ツアーの申し込みやすさ」と「たっぶりのお湯」に惹かれて行っただけだったのだが。。やしの木林に囲まれたこのホテルは、まるでアラビアンナイト!?多少、歩き方表示よりも値段が高くなっていたが、ネゴシエーションにより、食事2食付+砂漠ツアー後のシャワー付きで450DH。そして、1泊二日のシェガガ砂漠ツアーは800DH.(これはもっと値切れたはず)実は、このホテル近くにキャラバン・デュ・スッドという旅行会社がある。ここは信頼できる・・と紹介されている場所だったが、それは間違い!!最悪の旅行会社だ。(あくまで個人的印象)シェガガは遠い。TOYOTAの4WDで安心。音楽隊も用意するから。今予約しないと、明日じゃ遅い。あなたのホテルのツアーはシェガガまで行かない。本当に行くのは俺の会社だけだ。普通は3000DHだけれど特別一人2000DHにしてあげる・・・・・・・・・典型的な悪徳会社の言葉使い。こいつ絶対信用できない!!やっぱりホテルのツアーに決めよう!!(とはいえ、焦ってホテルの人に「本当にシェガガ行く?」って聞いてしまったけれど)旅行会社の引きとめ作戦をふりきった私たち。その疲れを癒すのは。。。。食事だ。離れのレストラン。猫もどこからか、やってきて。。。まさに、雰囲気はアラビアンナイト(アラビアじゃないけど。。。モロッコ一応アラビア系か。)日本にも沢山企画系のレストランがあるけれど、やっぱり本物は本物だ。。。と、テンションがあがってしまったのだ。食事は、前菜、前菜、メイン、デザートをそれぞれ4種類から選ぶというもの。とりあえず砂漠をめざしてきた私たちは、やっと味わえるモロッコ料理だった。 ハリラ 肉団子風プロシェットタジンそして、始まるベルベル人のダンスなんだか不思議なリズムとダンス自然と、砂漠と月を連想する。次の日の砂漠ツアーが楽しみになってきた。 女性ダンサーばかり写真撮っていたら、、「俺たちも撮ってくれ」と太鼓隊がやってきた(笑) 砂漠のアラビアンな雰囲気のこのホテル二つ星とは思えないほど、とっても過ごしやすくかわいらしいところだった!(とはいえ、バッカーたびの時にはYHレベル中心だから、ホテルの星を批評できないけれど・・笑)
Mar 16, 2008
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ひとつの家の説明が終わると、今度はカスパの頂上を目指す。昔は20家族以上住んでいたこのカスパ。広さもひとつの村といっても過言ではない。カスパの近くには、ワジという半年だけ水が流れる川が流れている。しかし、残念ながら塩気が強くて人間・動物の飲み水にはならないらしい。坂道をどんどん登っていく。ここで、このアイド・ベン・ハッドゥの入り口がいくつかあるらしいことに気が付いた。私が登ってきたエントランスでは、全く人がいなかったのに四方八方から観光客がわいてきたのだ。みんな、頂上を目指す。洗濯物を見ると、なんだか世界「遺産」と言うのがもったいない気がする。人が住んでいることをあらためて感じる。川向こうの建物は新しい。「アラビアのロレンス」などの、映画のセットらしい。もちろん、遠くに見えるのは「アトラス」中腹部にはおみやげ物屋が多い。ターバンや絵画、そしてこのドアの模様・・・それは、虫眼鏡で焼きつけて絵を描くアート。とっても欲しかったが、そのとき小さいものは売り切れ。小さいものじゃないと、これからのたびで邪魔になるし。。。ターバンを巻いてくれたとき、彼はアイド・ベン・ハッドゥ付近ではターバン類が安いと言っていた。(かといって、「このお店がいい」とかガイドにありがちの発言は全くなかった。)次の日から砂漠に行くつもりだったし、必要だ!と思っていた私はターバンを購入してみた。買い物途中、彼は店の外で待っていた。ひそかにいけめん!?!?アイド・ベン・ハッドゥ内を歩いていた2時間近く彼はずっとついてきてガイドしてくれた。うっとうしい呼び込みもなかったことはおろか、彼のさりげない説明は役に立った。これだったら、お金を請求されたら払ってもいいと思っていた。しかし、彼はエルフーガでのガイド名刺をくれて(これ、なくしちゃったんだけど。。しかも、私の行く予定の砂漠はエルフーガじゃないから、ガイド彼に頼めないんだけどなあ。。。)お金を請求せずに、最後までにこりともしない感じで「じゃーね」と去っていった。こういう時、チップ制度のない日本人の私は困る。これでお金を払ったら、彼の親切心をふみにじるようで悪い気がするしかといって、普通はお金を払うべきだったのかもしれない。(まあ、見るからに貧乏そうな私についてきたのだから(笑)、お金を請求するつもりはなかったのだろう。。と勝手によい解釈)まっ、プチいい出会いだったな♪そんなことを思いながら近くのカフェでお茶をして、迎に来てくれたタクシーでワルザザードへ戻った。
Mar 13, 2008
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アイド・ベン・ハッドゥこれはベルベル人の要塞化された住居カスパだ。ものすごい眺めだ。ひとつの町であるのに、あまりにもいかつい。ここには、まだ6家族ほどが住んでいるとのこと。ぐるぐると概観を眺めていると、ベルベル人らしきターバンを巻いたお兄さんが話しかけてきた。「入り口はこっちだ」彼の案内の方向に従いながら、私は先手を打つ。「私、ガイドいらないから」彼は言う「僕はガイドじゃない」庭のようなやしの木林を抜けて、入り口に立つ。ここで、入場料として20DH払う。チケットはない。そのことを聞いてみると、「ここは住居だ。中を見せるのだから、住民へのチップだ」そうだよな。。。妙に納得。世界的に貴重な場所だけれど、住民にとっては代々住んでいる家。毎日毎日知らない人が見に来るのだから、謝礼くらいもらってもいいはず。中に入っても、私につかず離れずお兄さんが付いてくる。にこりともしない雰囲気がガイドっぽくなかったのだがそのうち色々説明してくれ始めた。ここはみんなが集まるリビング暗い階段を登ってベッドルームや個人部屋にも案内してくれた。彼の部屋なのだろうか?彼がエルフーガの砂漠でガイドをしている写真がたくさんあるアルバムを見せてくれたりした。土というか砂の家であるけれど、コンクリートか?と思うほど建物は硬い。井戸も完備。 その横には調理場がある。いくつかの家族でシェアして使っているらしい。ドアには、日本で言う家紋がくいで飾られている。これ、な~んだ?そういわれて、私は見たまま「くし」と答えたが・・・実はこれは、ドアの鍵。ベルベルの鍵はこのようなくしの形になっている。 階段を登り、カスパの上のほうへ移動していく。遠くから全体を見ていたものを、近くのパーツを見るのは楽しい。 ちょっとした広場に出た。といってもまだカスパの中腹。そこには、、「つぼ」が沢山置いてある。雨水をためるものらしい。しかも、この「つぼ」なんと「ニジェール産」とのこと。おお、ニジェールにも輸出できるものがあったのか!!と嬉しくなった(笑)ここは写真スポットらしく、、、ベルベル式のターバンを巻いて記念撮影。ターバンの巻き方を教えてくれたが、どうもむずかしい。。。
Mar 12, 2008
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ワルザザードの朝。砂漠とはいえ、、、冬。めちゃくちゃ寒い。宿の主人に、アイドゥ・ベン・ハッドゥやザゴラへの行き方や時間を聞きまだ時間が早そうだったので、ワルザザード内を少し歩いた。これからより寒くなることを予想し、ベルベル人のおじさんたちが着ている魔法使いみたいな服を買おうかとお店をのぞいてみる。(この服の写真はまた今度)日本じゃ絶対使えなさそうだけれど、どうしよ~~と悩んでいたが・・・おもいっきりぼられてる感じだったので、このお店での購入はあきらめた。グランタクシー乗り場に戻る。町の奥には、雪山のアトラス山脈が見える。グランタクシー乗り場で、おばさんに話しかけられた。「もしかして、アイドゥ・ベン・ハッドゥに行く?行くならタクシー乗り合いしない?」ラッキー♪と、フランス人のおばさんが捕まえていたスペイン人のお兄さんと一緒に値段交渉をしようとしたが。。。彼らは、厳しい。このタクシーに6人で乗って、一人片道20DHで行くつもりだ。もちろん私も安いに越したことはないが、こちらは日本人。Time Is Moneyだったりもする。1時出発のザゴラ行きバスに乗りたいのだ。彼らはまだまだ待つつもりだったが・・・足りない分を私たちでまかなうことにした。つまり、フランス人おばさんとスペイン人お兄さんは20DH払い私たちは40DHづつ払った。そして、出発。タクシーで行くいいところは、好きなところで止めてくれるし、近くの小さな村やカスパに寄ってくれるところだ。30分程度走ったところで、アイド・ベン・ハッドゥが見えてきた。ちなみに100DHで2時間半後、このタクシーが迎えにきてくれることになった。歩き方には「往復300DHで手を打て」、と書いてあったが、私は往復200DHで十分と見た。
Mar 12, 2008
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ニアメからカサブランカへ出発は夜中の3時だ。なぜにアフリカ便は夜中なのだろう・・・ニアメ空港でアミーナ一押しのヨーグルトを食べて待っているとザンデールのレストランで出会った面白いスペイン人がたまたま同じ便に乗ることがわかった。日本のパスポートを見せるかわりに、スペインのパスポートを見せてもらった。パスポート一頁ごとに世界の珍しい動物が描かれているスペインのパスポートは見ていて飽きない。帰りの空港って、もう現地国じゃない気がする。空港に入ったとたん、もう出国したような感じ。なんだか名残惜しい気がしたが、ニジェールともおさらば。そして、、、、これからモロッコのたびが始まるのだ!早朝、とりあえず今日行くべき都市を決める。遠い場所から先に行け!という私の中のたびの法則に従い、行く都市を決めた。カサブランカ空港では、なぜかPLUSのカードが使えない。またか!!と焦ったが、カサブランカ駅付近の銀行のATMでは無事通貨をおろせた。そこから、一気にマラケシュへ。 印象は、、、緑が多い!日本から直接行ったのであれば、緑が少ないな~って思うのだろうが砂漠のニジェールから行ったので、この緑にはほっとする。目の前の赤ちゃん不機嫌!!(笑)マラケシュ行きのチケットを買ったはずなのに、フェズ行きのチケットになっていた。車掌に変えてもらえるだろうとたかをくくっていたのにフェズ行きのチケットを買えといわれる。マラケシュで駅長に事情を話すと、払い戻しは効かず銀行振り込みとなった。日本の銀行ので大丈夫か?と念を押し、大丈夫とのことだったのにいまだに振り込まれた気配はない・・・・とはいえ、交渉できただけでもよかった。アミーナがいてくれたおかげでフランス語が使えたからだ。フランス語を使えないと、モロッコでも少し苦労しそうだ。そのまま、CMTのバスターミナルを探す。「地球の歩き方」は時々情報が間違っている。特に地図には要注意で、現地で場所の確認は必要だ。ということで、、、今回、場所の確認を怠ったことで歩き方にやられてしまった。CMTの場所は全く違う場所に変更されていたのだ。やっとのことでCMTの場所を見つけ、そのままバスでワルザザードへ向かう。このワルザザードへは、アトラス山脈を越えなければならない。景色がきれいなところとして有名なアトラス山脈の山道だが。。。超きもちわるい。。。酔いまくってしまい、景色どころじゃないままワルザザードへ着いた。
Mar 11, 2008
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昼食の後は、ニアメ(というか国)唯一の博物館へ。ここには歴史博物館、動物園、そしてお土産生産所がある。時間の関係でニアメ90KM範囲にいるはずのキリンやカバが見れない代わりになんと・・恐竜だ!!砂漠に恐竜の骨が埋まっているらしい。そのほかは、動物園といっても多くの動物がいるわけではない。 面白いことに、チャド人もナイジェリア人も、そしてこのニジェール人も「国には動物園があって、動物園に行けばいろんな動物がいる!」と豪語していた。(砂漠のチャドやニジェールはともかく、ナイジェリアも。。。。)そりゃそうだけど、、、アフリカといったら動物天国のイメージがある私としては、なんだか変な気分。そう考えると、ニジェール人が豪語していた動物園に来たこと自体なんだか面白かった。その後、アミーナたち一押しのレストランへ。その高台のレストランからは。。。。ニジェール川が見える!!ずっと砂漠にいたので、なんとなく感動~。ニジェールにも川があったんだ!!この川があるがために、フランスはニアメに首都を移動したのだ。このレストランで、「キリンビール」を飲み串焼きを食べ、バオバブの乾燥実を食べニジェール最後の夜を満喫したのだった。
Mar 9, 2008
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首都のニアメ周辺には、砂漠の土地ザンデールにはいないキリンやサイなどといった動物を見ることができる。あいにく私の行った冬の乾期では、4WDで奥地に行かなければならないが夏に行けば、長距離バスからもキリンが普通に見れるらしい。会いたかったな。。キリン。まず、私がニアメでやらねばらないことは現金の引き落とし!!!前の記事にも書いたとおり銀細工を買ったことで、現金をアミーナから借りていたのだもちろんPLUS機能が使えるATMはない。こうなったらものを買う形で直接VISAで引き落としだ。銀行は、ニアメの中心地に集まっている。さすがに、ニアメの中心地ともなると車が多い。マナーはとびきり悪いけど。どのくらい悪いかと言うと、右折の際、右側の土地が開いていたら勝手に4車線ぐらいになって、我先に右折しようとするくらいだ。さて、銀行はかなり近代的な建物。ほぼ日本の銀行と変わらない。コンシェルジュっぽい人に2階だと言われてカード引き落とし口へ。私が足りなかったのは、ニアメで使うだろう分も含めて30,000FS。しかし!手数料は一律10,000FSだと言うのだ!!ばからしくない?引き出したい金額の三分の一が手数料だなんて。。。。ちなみに、日本円でも2000円くらい。こちらの物価にしたら一万円以上の価値なのに!!こういう時はおなかに何かを入れるに限る。憤慨しながら、アミーナと一緒にアミーナの友達お勧めの町の屋台へ。。最初は、タイでさえも抵抗があった道端の屋台。アミーナの友達のお勧めということで、ここは挑戦だ。プラスチックのお皿が、バケツの水につけるだけで使いまわしというはとっても気になったが。。。ちょっと辛目のソースにまじったタロイモは、結構おいしくいただけたのだ。
Mar 7, 2008
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ベッシー私はこれほど有能な犬をいまだかつて見たことがない。アミーナの家に住んでいるベッシーのことだ。アミーナの家の前の住人のフランス人の犬がそのままこの家の番犬として住んでいる。外国人街の家には、びっくりするほど高い塀で囲まれていて大きな鍵つきの扉をあけなければ家の庭に入れない。ベッシーは、たいがい家のドアの前か庭の真ん中にいるのだが(庭は広い)誰かが扉の前を通ると、ワンワン吠える。誰から扉を開けようとすると、その扉に近づいていって吠える。だから、家の中にいても人が来たことがすぐにわかるのだ。その上、来客が黒人男性だと容赦はしない。(そういう訓練を受けていたのか・・)アミーナの友達だったとしても、アミーナが命令しないと彼らの足にがぶりと噛み付くのだ!(女性だったら大丈夫)なんて、賢いんだろう!!!幸いなことに、私は短期だったがおなかを見せてくれるほどになついてくれた。なついた人には、頭を押し付けてなでてくれとせがむ本当にかわいい女の子(メス)の一面もある。ガードマンのサニーが言うには、前の飼い主だったフランス人の奥さんがフィリピン人だったので、アジアの女の人には慣れているということだ。しかし、仲良くなったジェシーやサニーともお別れの時が来てしまった。首都ニアメに戻り、モロッコへと旅たつことに。ニアメ発のバスは早朝5時30分。今度は国立のSNTVというバス会社ではなく、RTVという民間バスを使うこととなった。なぜなら、RTVのほうが3時間ぐらい早く着くからだ。さすが民間!!!(といっても11時間かかるが)民間バスは、SNTVのときのようなコッサム(氷ヨーグルト)ふたつではなくコッサムとお菓子、そして水袋2つという気が利いたものだった。ニアメにて。鳥屋さん!?
Mar 6, 2008
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観光省で通行手形を発行していたとき地元の旅行会社経営の人と仲良くなった。その旅行会社の彼が自分の家に私たちを招待をしてくれた。彼の家はそう遠くはない。外国人住宅街にあるので、それなりにお金持ちなのだと思う。彼は、トゥワレフ族。奥さんは地元ハウサ族の人だ。彼は少しだけ英語が話せる。(彼の中学生か高校生ぐらいの長男も父親以上に話せる)フランス語が流暢なアミーナも一緒だったので、英語少しとフランス語(アミーナ通訳)での会話となった。小一時間ほど彼らの子供たちと遊んだり彼の仕事の写真を見たり今後のビジョンを聞いたりしていると。。。奥さんが食事を運んできてくれた。その食事は。。。。これ!!一瞬、目を疑った。歯らしいものがあるぞ。。。あれ、、、これって頭!?!?そう、羊の頭だったのだ。もちろん地元の人は大好物。滅多に食べられないものを私たちに振る舞ってくれたのでここは気持ちを受け取らねばなるまい。。。が、こえ~~~~~~~~~よ~~~彼は、「ここがおいしいんだ」と脳みそ、後頭部首のつけねのあたりのお肉、そして舌をちぎってくれた。加えて、奥さんが好きだという耳も。奥さんは、足の骨をしゃぶっていた。もしかして、私たちにおいしいところをくれて、自分は足の骨なのかな。。。ともうわけなくなったが、一応足の骨は彼女の大好物で、おいしいところらしい。なんでだろう。普通にお肉は食べられるのに(焼き肉、大好物だし)頭の形そのままが出てくると、なぜかその動物に申し訳なくなる。私って勝手です。。。
Mar 4, 2008
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近くのボロロ族の女の子観光省のディレクターたちと食事を食べにいったときのこと。いい意味で井の中の蛙である地元の人たちとは違い海外に行ったり、外国人と接する機会のある彼らはムスリムだがビールをたしなむと前にも書いた。彼らはミッションとして、ザンデール以東を観光地化したいという思いがある。その中で必要なのは、首都から遠いザンデールに空港をつくる必要性があるということだ。街中の女の子たちしかしながら、援助金といえば役人の懐に入り、そんな予算はない。加えて人々も、いわゆるテクノロジー化されたという意味で発展した生活を望んでいるわけではない。(というか、そういう生活を知らない)そういう国で、いくら発展のチャンスであろうと観光化にはインフラが必要です!みたいなものは通用しない。(その割に、外国から流れてきた”正しいガイド養成しよう!”運動はあるが。)ちなみに現在全く設備がないのかというとそうではなく、例のTERMIT地区の空港写真を見ると小さな飛行場がある。しかし、一部お金持ちが自家用セスナで使うためのものでしかないとのことだ。ニジェールはもっと変わる必要がある!!とディレクターや職員が口をそろえて訴える。が、、しかし。彼らのいきつく所は「でもね、でもね、妻もいるし、子供もいるし、毎日ご飯も食べれるし僕たちすっごい幸せなんだ。だからニジェールでの生活は今のままでいいよ」実は、このように海外を見ている役人から一般市民までほとんどのが同じ考え。じゃっ、いいんじゃん!?無理して経済のみちに走らなくても。他の国が、ニジェールに援助しても富国強兵に燃えたかつての日本や、ちょっと前の東南アジアのように自分たちもがんばろー!という機運は全くなく外国が自分たちのために色々してくれるのは自分たちが毎日アッラーに祈ってるからだ。くらいにしか思ってない。だって、彼らは幸せなんだもん。再びこの子。私のお気に入り。developmentって開発じゃなくて進展でもある。彼らは彼らの進展ってもんがある。観光開発って単純に100%いいものだと信じてたふしがあったけれどなんだか考えさせられる出来事だった。みんなが捨てるごみは道端にたまる。。
Mar 2, 2008
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ボロロ族のダンスは、だいたい秋に行われるらしい。真意のほどは不明だが家畜が子供を生む時期に合わせるのだと聞いた。私が滞在した時は、すでにダンスの時期は過ぎていたのだが私にも彼らのダンスを見るチャンスが訪れた!!!アミーナの友達のボロロ族の男の子が、友達の結婚式でダンスを披露することになり私たちも招いてくれたのだ。しかし、ここからボロロに振り回されてしまった。午前11時に家に迎えに来てくれるはずが。。。。12時過ぎに彼が来る。12時半に、CCF(学校)で待ち合わせにしてほしいと彼に言われる。12時半に学校に行くと。。。。1時ごろ彼が来る。彼と一緒に彼の友達の豪邸へ行くと。。。人は集まっているが何も行われていない。実は、豪邸の主の結婚披露宴パーティが始まるようなのだが。。(ちなみに披露宴パーティは、新郎だけが周りの人にあいさつするもの。新婦は昼間は人に見られてはいけない。多くの人が集まり始めたが、一向にパーティは始まる気配はない)そしてボロロ族の仲間も来ず、彼が迎えに行くという。。。彼が出て行ったまま炎天下の中2時間ほど待ち、4時前。。。アミーナに用事があったので、私たちは退散することにした。。。アミーナいわく、こういうことはしょっちゅうらしい。(実はアミーナは秋にも同じことがあり、それについて怒っていた。)しかしその夜再び彼から連絡があった。町の外国人クラブで再びダンスをするという。アミーナは本当か?と疑っていたが、今メンバーも集まったしぜひ来てほしいという。何度目かの正直。。ということで、私たちも行くことにした。なんだか場違い・・・と思ったら例の豪邸の主である彼のパーティが場所を変えて続いていた。ボロロのダンスは余興だったのだ!お化粧中リーゼント系の髪型のボロロの女の子たち彼らの歌とダンスが始まった。余興でやるので、はずかしそ~うに歌い踊る彼ら(笑)それでも、間近で見る彼らのダンスはなんとも言えぬ雰囲気が漂っていた。
Mar 1, 2008
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