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映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督 6
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ドロン・パズ ヨアブ・パズ「復讐者たち」シネ・リーブル神戸 ドイツとイスラエルの合作映画だそうです。1945年のドイツが舞台です。 「日本」では第二次世界大戦の終結は1945年の8月15日です。実はこの記事は2021年の8月15日に書いています。この日のことを「日本人」は、なぜか「終戦」などといっていますが、本当は「敗戦」、「無条件降伏」記念日というべき日ですね。 ぼくの浅学の結果ですが、たとえば5月8日が、ヨーロッパでは「戦勝記念日」になっていて、現在のドイツ連邦共和国では「解放記念日」とからしい、なんてことは皆さんはご存じなのでしょうか。ぼくは、よく知りませんでした。 「終戦」というふうに戦争の責任を、どこか他人事化している「日本」ですが、その同盟国だったナチス・ドイツは、ヒトラーがその年の4月30日に自殺し、5月8日が連合軍に降伏したわけで、その日は戦後のドイツ連邦共和国にとってはファシズムからの「解放」の日ということなのでしょうね。 「日本人」にとって、あの「戦争」は何だったのかという「問い」をホッ散らかしたまま、英霊の御霊とかいう言葉が政治の当事者の口から出てくるのを、異様な光景だと思っていますが、ナチス政権下のドイツ国民にとって「ナチス」とは何だったのか、「絶滅収容所」とは何だったのかという「わからなさ」が、やはり、ぼくには残りますね。 例えば、有名なアウシュビッツ収容所は、その年の1月にはすでに解放されています。 大陸の戦線では当然の時間差ですが、この映画は絶滅収容所から生きて帰ってきた男が家族全員の死を知り、ナチスに対する復讐の道を探るところから始まります。 舞台は敗戦直後のドイツの都市です。ようやく連合軍の各国の部隊が到着し始めた時期のベルリンかなとか思いながら見ていましたが、はっきりしたことはわかりません。主役のマックス役の俳優アウグスト・ディールに見覚えがありました。「名もなき人生」という作品でナチスによる徴兵を拒否して死んだ農夫を演じていた人です。こだわるタイプの顔つきなのでしょうね。 まあ、物語は「プランA」と呼ばれた壮大なテロ計画、「600万人の死に対して、600万人の死を」という、ユダヤ人による復讐計画の実行を巡ってのサスペンス仕立てでした。 連合軍のドイツ占領の思惑やパレスチナでの建国計画と絡んで、なかなか面白いのですが、計画事実があったかなったかという興味もさることながら、計画で終わったということは歴史的事実なわけで、映画としては、そのあたりの盛り上げ方が難しかっただろうなという感じでした。実際、アンチ・クライマックスで、平和的なラストで映画は終わります。 もっとも、計画に携わった人たちが、のちのイスラエルで、軍の高官とかになったことが、映画のエンド・ロールだったか、その字幕だったかで伝えられますが、何だか疲れました。 建国後のイスラエルという国の歴史について、無知と無責任を承知で言いますが、この映画が描く「復讐」の心情について、さほどの違和感は感じませんでした。例えば、解放後のフランスなどでも、そういうテロルがあったことを聞いたこともあります。 ただ、建国後のイスラエルの軍部の中に、その「心情」が流れ込んだかのようなニュアンスが語られたところに、なんだか微妙な違和感を感じました。 ドイツ・イスラエル合作とあるこの映画に、誰が金を出しているのか、そこのところを、ホントは知って考えた方がいいのかもしれませんね。監督 ドロン・パズ ヨアブ・パズ脚本 ドロン・パズ ヨアブ・パズ撮影 モシェ・ミシャリ美術 レナート・シュマーデラー衣装 グトルン・ライエンデッカー編集 エイナ・グレイザー=ザーヒン音楽 タル・ヤルデーニキャストアウグスト・ディール(マックス)シルビア・フークス(アンナ)マイケル・アローニニコライ・キンスキーミルトン・ウェルシュオズ・ゼハビヨエル・ローゼンキアーイーシャイ・ゴーラン2020年・110分・G・ドイツ・イスラエル合作原題「Plan A」2021・08・09‐no71 シネ・リーブル神戸no110
2021.08.18
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サミュエル・マオズ Samuel Maoz「運命は踊る」(FOXTROT) シネ・リーブルの大劇場ホールで初めて映画を見ました。500席を超えるホールなので、どの席を予約していいのか困りました。行ってみると、えらい端っこでした。まあ、初めてなので仕方がありません。 監督も、俳優も、だれ一人知っている名前はあえいません。だいたいイスラエル映画なんて初めてです。 暗くなって映画が始まりました。 砂漠の中の、石ころだらけの一本道を車が走っています。カメラは、自動車のフロントガラス越しに、前方に向けて固定されています。「道」は向こう向きに延々と続いているようです。「砂漠やなあ。前の方の、あの丘を越えれば何かが見えてくるんかなあ。」 ボンヤリと映像に引き付けられていきました。同じシーンが続きます。ふっと、息をつくと、いきなりシーンが変わりました。 ドアが開いて、壁にかかった「絵」でしょうか。不思議な四辺形の図形が繰り返されるアブストラクト画がアップになります。 突如、ドアが開き、ドアの前で女が倒れました。「しもた、チラシ読んでもた。これ読んだらアカンやつや。事情がわかっちゃうやん。まあ、しょうがない、読んでもたんやし。」 映画.com 青年が砂漠の真ん中、まさに、荒野としかいいようのない検問所の路上で、踊っています。「前へ、前へ、、右へ、ストップ。後、後、左へ、ストップ。」 しなやかなカラダ、地面を滑るように踏まれるステップ。「捧げ筒」のまま、垂直に固定した自動小銃を軸にして、体が前後左右に滑っていきます。踊っているのです。「すごいなあ、このシーンだけで、この映画は見る価値があるな。続けて、もっと続けて。これか、フォックストロットって。夢の中みたいなダンスやな。」 映画の中で、運命が踊り始めたようです。 いきなり、画面にラクダが通りかかります。ヌッと出てきて、通り過ぎてゆくラクダのほかには何もやってこない、砂漠の真ん中の「検問所」です。若い兵士たちは退屈しています。 毎日、少しづつ傾き続けているコンテナの中で、4人の若い兵士が暮らしています。「傾き続けていること」をカメラは知っていますが、誰も気づいていないようです。一人の青年が、退屈しのぎにコミック画を書いています。 太った中年の女性と、スーツを着た男性が、どしょぶりの雨の中、自動車の横に立たされています。身分証明書は、なかなか返されません。雨は降り続いています。雨に濡れて立っている男とと女は何にかにおびえています。そこに漂う気配は一体なになのでしょう。兵士たちは銃を構えながら、相変わらず、退屈しています。苛立ちの気配だけが、静かに充満していくようです。 楽しく酔っぱらっているのでしょうか。車の中で騒いでいる4人連れの若者が「検問所」にやって来ます。ドアが開いて、何かが転がり落ちました。誰かが叫びました。間髪入れず、退屈していたはずの兵士たちが重機関銃を連射し、銃声が響きわたります。車は蜂の巣のようになり、車に乗っていた若者たちの死体が転がり出てきます。車の下に落ちていた缶コーヒーの空き缶が、転がっていきます。 砂漠の真ん中に立ちこめた苛立ちと不安の銃弾が、通りすがりの若者たちの「命」を奪い、若い兵士たちの「運命」を支配していきます。 シーンが変わりました。男が部屋で何か探しています。女はケーキを作っています。何故か、スポンジケーキににチョコレートを塗り付けている手が痛々しく見えます。壁にかかっていたアブストラクトは、ソファーに置かれています。時がたったのでしょうか? ドアに貼られた一枚のコミック画をめぐって男と女が語り合っています。若い女性が部屋の前を通りかかり、女が作ったケーキを一口だけ食べて、ふたりに向かって言葉をかけ、部屋を出てゆきました。 男が女にフォックストロットのスッテプを教えます。ふたりが踊りはじめました。 「前へ、前へ、、右へ、ストップ。後、後、左へ、ストップ。」 もう一度シーンが変わりました。最初のシーンにもどったのでしょうか?砂漠の中の、石ころだらけの一本道を車が走っています。コミックを書いていた青年が乗せられていて、やがて、砂漠の丘の向こうが映し出されます。突如、ラクダが現れました。ラクダを避けようとしてトラックは横転し、谷に落ちてゆきます。 ほぼ、同時に、エンドロールへと画面は暗転し、ぼくは涙を流していました。砂漠で踊る青年のステップ姿が思い浮かび、漸く、映画の題名「FOXTROT」の本当の意味に気づいた気がしました。「コミック」の悪戯書きで時間をつぶし、重機関銃を連射した青年は兵役の終わる日に谷底で命を失ったのです。父と母は遺品になった悪戯書きを受け取り、二人で静かに踊り始めるのでした。 受付で、パンフレットを買ってしました。劇場から出ると、台風の去った空は青空で、ぼくは、繰り返し「前へ、前へ、、右へ、ストップ。後、後、左へ、ストップ。」と、独り言を言いながら、神戸駅まで歩きまし。誰かが、そばで見ていたら、確実に危ない徘徊老人だったとおもいます。でも、無性にうれしかったのです。 もう、日が暮れていましたが、垂水から自宅まで歩きました。「また、メモなしやん。どこいってたん?」「でも、垂水から歩いてんで。」「はいはい、映画行ってたん?パルシネマ?」「いや、シネ・リーブル。、今日のは最高やで。観にいきや。話はな、あっ、いう たらあかんな。結構、オーソドックスな、映画!っていう感じやねんけど。うん最後まで謎があって。でも、アメリカの映画の感じとは違うな。」「怖いん?辛いん?哀しいん?どれ?」「うん、まあ、哀しいかな?泣いたな。でも、最近、すぐ泣くからな。途中、大丈夫、これは泣かんなやつやと思ってたら、泣かされた。アンナ、このチラシのこの子が踊るねん、砂漠の真ん中で、めちゃめちゃかっこええねん。ムーンウオークみたいなん。」「ダンスなん?そういうの好きやわ。行こうかな。」「うん、いきいき。アッ、でもチラシも読んだらあかんで。」「エッ、読んでもた。」「しゃーないな。」 スジ無しで、感想をいうのは、なかなかムズカシイ。ヤレヤレ・・・・監督・脚本 サミュエル・マオス 撮影 ジオラ・ビヤック 美術 アラド・サワット 衣装 ヒラ・バルギエル 編集 アリック・レイボビッチ ガイ・ネメシュ 音楽 オフィル・レイボビッチ アミト・ポツナンスキー キャスト リオル・アシュケナージ(ミハエル) サラ・アドラー(ダフナ) ヨナタン・シライ(ヨナタン) ゲフェン・バルカイ(軍の司令官) デケル・アディン(缶を転がす兵士) 原題「Foxtrot」 2017年 イスラエル・ドイツ・フランス・スイス合作 113分2018・10・01・シネリーブル神戸no32追記2019・09・22 一年前に見た映画だが、いかにも映画らしい映画だった。一人の青年が、銃を抱えながら踊るシーンが、何よりも素晴らしい。 自動車で通りかかっただけの若者たちや、検問所で「勤務」している青年たちの「運命」を待っていたのは「戦場」の「事故」でした。 あらゆる戦場が、「事故」と呼ばれる苛酷な、そして悲劇的な出来事を、何故、引き起こすのか。 それは偶然の結果ではないことを突き付けられた映画でした。ボタン押してね!
2019.09.29
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サミュエル・マオズ 「運命は踊る」(FOXTROT)シネ・リーブル神戸 シネ・リーブルの大劇場ホールで初めて映画を見ました。500席を超えるホールなので、どの席を予約していいのか困りました。行ってみると、えらい端っこというわけでした。 監督も、俳優も、だれ一人知っている名前はありません。だいたいイスラエル映画なんて初めてです。「しまった、チラシ読んでもた。これ読んだらアカンやつや。事情がわかっちゃうやん。まあ、しかたがない、読んじゃったんやし。」 暗くなって映画が始まりました。 砂漠の中の、石ころだらけの一本道を車が走っています。カメラは前方に向けて固定されています。道は向こう向きに延々と続いています。「前の方の、あの丘、あれ越えたら、何か見えてくるんかなあ。砂と石か。荒涼としとんなあ。」 ボンヤリと映像に引き付けられていきました。同じシーンが続いています。ふっと、息をつくと、いきなりシーンが変わりました。 ドアが開いて、壁にかかった不思議な四辺形の図形が繰り返されるアブストラクト画がアップで映し出されます。突如、ドアが開き、ドアの前で女が倒れました。 シーンが変わっれ、青年が砂漠の真ん中、まさに、荒野としかいいようのない検問所の路上で、踊っています。前へ、前へ、、右へ、ストップ。後、後、左へ、ストップ。 身体がしなやかに動きます。地面を滑るように踏まれるステップ。「捧げつつ」のまま固定した自動小銃を軸にして、体が前後左右に滑っていくのです。「すごいなあ、このシーンだけで、この映画は見る価値があるな。続けて、もっと続けて。」「これか、フォックストロットって。夢の中みたいなダンスや。砂漠の真ん中やで。」 ラクダが通りかかります。ほかには何もやって来ません。兵士たちは退屈しています。4人の若い兵士が、毎日、少しづつ傾き続けているコンテナの中で暮らしています。国境でしょうか、検問所の休憩所です。一人の青年が、退屈しのぎにコミック画を書いています。 太った中年の女性と、スーツを着た男性が、どしょぶりの雨の中、自動車の横に立たされています。手渡した身分証明書はなかなか返されません。雨は降り続いています。雨に濡れて立っている男とと女は何にかにおびえているようです。「ここに漂う気配はなんだろう?」 兵士たちは、やはり、退屈していて、不機嫌です。「何に苛立っているのだろう?」 酔っているのだろうか、車の中で騒いでいる4人連れの若者が通りかかります。ドアが開いて、何かが転がり落ちました。車の中の誰かが叫びます。いきなり重機関銃が連射され、車は蜂の巣のようになりました。 惨劇のあとには缶コーヒーの空き缶が落ちていました。 シーンが変わって、男が部屋で何か探している。女はケーキを作っている。スポンジにチョコレートを塗り付けている手が痛々しい。壁にかかっていたアブストラクトは、ソファーに置かれている。時がたったのか? ドアに貼られた一枚のコミック画をめぐって男と女が語り合っています。若い女性が部屋の前を通りかかり、女が作ったケーキを一口だけ食べて、ふたりに向かって言葉をかけ、部屋を出てゆきました。 二人になった男と女。男が女にフォックス・トロットのスッテプを教えています。二人は踊りはじめます。前へ、前へ、、右へ、ストップ。後、後、左へ、ストップ。 もう一度シーンが変わりました。最初のシーンの繰り返しのようです。砂漠の中の、石ころだらけの一本道を車が走っています。やがて、砂漠の丘の向こうが映し出されます。 映し出されると、ほぼ、同時に、エンドロールへと画面は暗転し、ぼくは涙を流していました。砂漠で踊る青年のステップ姿が思い浮かび、漸く、映画の題名「FOXTROT」の本当の意味に気づいた気がしました。 受付で、パンフレットを買ってしまいました。 劇場から出ると、台風の去った空は青空で、ぼくは、繰り返し「前へ、前へ、、右へ、ストップ。後、後、左へ、ストップ。」 と、独り言を言いながら、神戸駅まで歩いきました。誰かが、そばで見ていたら、確実に危ない徘徊老人だったでしょう。でも、無性にうれしかったのです。 もう、日が暮れていましたが、垂水から自宅まで歩きました。「また、メモなしやん。どこいってたん?」「でも、垂水から歩いてんで。」「はいはい、映画行ってたん?パルシネマ?」「いや、シネ・リーブル。今日のは最高やで。観にいきや。話はな、あっ、いうたらあかんな。結構、オーソドックスな、映画!っていう感じやねんけど。うん最後まで謎があって。でも、アメリカの映画の感じとは違うな。」「怖いん?辛いん?哀しいん?どれ?」「うん、まあ、哀しいかな?泣いたな。でも、最近、すぐ泣くからな。途中、大丈夫、これは泣かんなやつやと思ってたら、泣かされた。アンナ、このチラシのこの子が踊るねん、砂漠の真ん中で、めちゃめちゃかっこええねん。ムーンウオークみたいなん。」「ダンスなん?そういうの好きやわ。行こうかな。」「うん、いきいき。アッ、でもチラシも読んだらあかんで。」「エッ、読んでもた。」「しゃーないな。」 スジ無しで、感想をいうのは、なかなかムズカシイ。 ヤレヤレ・・・・監督 サミュエル・マオスSamuelMaoz 製作 ミヒャエル・ベバー ビオラ・フーゲン エイタン・マンスーリ チェドミール・コラール脚本 サミュエル・マオス撮影 ジオラ・ビヤック美術 アラド・サワット衣装 ヒラ・バルギエル編集 アリック・レイボビッチ ガイ・ネメシュ音楽 オフィル・レイボビッチ アミト・ポツナンスキーキャスト リオル・アシュケナージ(ミハエル) サラ・アドラー(ダフナ) ヨナタン・シライ(ヨナタン) ゲフェン・バルカイ(軍の司令官) デケル・アディン(缶を転がす兵士) 原題「Foxtrot」 2017年 イスラエル・ドイツ・フランス・スイス合作 113分2018・10・01・シネリーブル no14ボタン押してネ!にほんブログ村運命は踊る [ リオール・アシュケナージー ]
2019.06.17
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