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実家を久しぶりに訪ねたら、「借りていた畑ね、返すことになったの」と母がさびしそうに言いました。もう20年以上借りて老夫婦二人で毎日耕していた畑です。そこにその家の息子さんが事務所か何かを建てることになったとか。 先日電話したら、もうコンクリートを入れて基礎を造ったそうです。毎日毎日耕し、肥やしを入れて近所の人が「見事だねえ」と言うほど立派なきゅうりやトマトを作っていた畑でした。よく超えた黒土で、触るといいにおいがしたものです。もちろん、所有者は地主さんですから、当然の権利を行使したまでで、地主さんが悪いわけではないし、その方を責めるつもりはありません。 それでも、よく超えた土というのは1年や2年では作れない。少なくとも土地というものはそれを大切に使ってきた人には何億円もの価値があるものだと思うのです。それを繁華街の貸しビルみたいにがんがんコンクリートを流しこんで1週間もしないうちに建物の土台だけにしてしまう。 何かやりきれません。 日本の食糧自給率とか、いろいろ言われているけれど、耕し続けた土地というものはもっと大切にされてもいいんじゃないか、とも思います。 駅の近くの土地がどんどん宅地になっていて、家に変わっているのですが、わたしの両親のようにほんとうに耕作を楽しんでいる人が耕作をやめなければいけないって、どこかおかしい、と思えてなりません。 ほんとに農業をやりたい人が、ほんとに土の扱いを知っている人が土地や土を得ることができない。それが矛盾しています。 土が嫌いな人ってほんとにいるもので、家を建てるとすみからすみまでコンクリートを入れてしまう人がいるんですね。「なぜ?」と聞くと、「草取りがめんどくさいから」と言う。案外そういう人が広い土地をじっと握っているんです。今の日本ってそういうことが多いんです。 外国に行くと、田舎も都会も美しい。でも日本の土地は利権の塊で、土地=お金の元という感覚がある。 わたしの両親は本当に土の扱い方をよく知っているのに…。毎日耕され続けた土がさよならを言っているような気がします。ああ、自然にとって大きな損失だと思う。一種の自然破壊だと思う。ほんとに土を愛する人がそういう土地を持てないなんて。 結果として、両親はまた別のところで畑を借りて農園をやり始めたのですから、それはそれでよかったのでしょうが、わたしは日本人として、こういう土地のあり方にとても矛盾を感じているんです。
2010.01.22
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少し前になりますが、クリスマスすぎにブルーボネットを訪ねたときの写真です。冬の名古屋港はすごく寒かったですが、花がきれいで、それだけでも癒されました。名古屋港の対岸をのぞむ。観覧車やポートビルが見えます。 これはその前に立ち寄った名古屋駅のタワーズの高島屋にあるのっぽツリー。まだクリスマス前でした。 ブルーボネットでライトアップされたオレンジ色のばら。ばらってほんとに丈夫です。きれいでいつも丈夫で、こういう女性になりたいものです。 あこがれのコンサバトリー。ここは冷暖房完備で、中でお茶やケーキが楽しめます。もちろん食事もOK.で、連れ合いはここのお茶をいつも愉しみにしています。(それはお前の方だろ、といわれそうですが) イギリスの有名ガーデン・デザイナーであるジョン・ブルックスがデザインしたホワイトガーデン「クール・ブリタニア」にある白いばらがライトで浮かび上がっています。植え込みの根元には小さな噴水があるんです。まるで秘密の泉みたいです。 さまざまな形に刈り込まれて、ライトアップされたコニファーのガーデン。 ばらの根元の小さな噴水。今は水が止めてあるのかな。きのこみたいなライトがかわいい夕闇迫る庭。 観覧車の照明が次々に変化して楽しいです。
2010.01.21
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