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翌日はいよいよプラハを発つということでしたが、連れ合いはぎりぎりまで学会の用で夕食時ぎりぎりまでかかっていました。 やっとのことでわたしと長女のいる旧市街広場で待ち合わせ、まだ連れ合いが登っていなかった時計塔にもう一度登りました。そうして沈んでいく夕日を眺め、プラハに別れを告げます。すっかり暗くなると、あたりのライトアップがみごとです。 いい街でした!塔からおりると、その近くにあるカフェテラスで最後の食事を楽しむことにしました。夕食時になると10度を切るほどの寒さなのですが、ガス灯のようなオシャレなボイラーがたかれ、椅子にはひざかけが用意されているのであまり寒さも気になりません。 座った席はどうも老舗ホテル「ホテル・U・プリンス」のカフェテラスらしく、注文したリブステーキもパスタも美味そのものでした。ウェイターも感じがよく、てきぱきしていてさすがに老舗、と思いました。 ところが、トイレに行きたくなり、ウエイターに聞くと、「これをトイレの受付に出してください。トイレの料金がいりません」と小さなカードをくれました。そちらには店の名前が印刷してありました。 なるほど、つまり、ふつうの人も利用できるけど、それには10コルナが必要。しかしカフェテラスの人は料理やお茶をして店を利用してくれているのでこのチケットをわたして無料になるわけです。つまりトイレ貸しだけでも営業している、というわけ。しかも受付の人はおつりも渡していましたよ! プラハ城みたいに、「お金がなければダメ」というよりは感じがいいです。商売がうまいですね。 ホテルの中はクラシックな内装で、ゴージャスそのもの。受付の女性がカードを回収して、それをまた再利用、というわけ。ホテルに帰って、部屋からの夜景を撮りました。
2010.10.31
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美術館から出ると、もうお昼です。きょうは以前来たときと異なり晴れているので堂々とした門が光に輝いてきれい。やけに人が集まっているな、と思ったら、お昼の衛兵交代を待っている観光客の群れでした。せっかくだから見て行こうと、カメラを構えていますと、群集の中からイケメンの衛兵たちが行進。人に押されながらもやっとの思いで撮ったのがこれ。 ストラホフ修道院まではゆるい上り坂を行けば出られるので、日本でいう参道に近そうな道を選んで登っていくと、はたしてレース屋を発見!修道院への参道。カフェやみやげ物屋が並ぶ 赤い実のついた並木がベージュの壁に映える。 絵になりそうな美しい露地。 娘は大喜びでひっくり返しながらあいそたっぷりの店員の話で、「おまけしますよ。コリアですか?チャイナですか?」と聞いてくる。「ジャパンです」と言うと、「オー、コンニチワ」と笑顔をふりまきます。結局2枚のクロスを購入。「サヨナラ、アリガト」という店主に手をふりながら店を出て、修道院の方へ歩きます。 すると、美しい建物が見えて来ました。これがストラホフ修道院らしいです。中へ入っていくと、ねぎぼうず型の屋根をした聖堂が。 赤く紅葉したシダがきれいです。 修道院のぶどう園 丘を下っていくと元のプラハ城に出ます。プラハの街が手に取るように眺められます。有名な図書館の天井画画像は「地球の歩き方」からお借りしました。
2010.10.24
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さて翌日は連れ合いが研究発表があるということで夕飯まで遊んでよし、と言われたので、娘は昨日のジョン・レノン似に教えてもらtったプラハ城近くのレース屋をさがすことにしました。 地下鉄でカレル橋の橋塔の近くに出るストロメンスカの駅で降りて、カレル橋をわたりのんびり歩いていきます。 天気がよくなったので、「プラハでもお天気がよい日があるじゃん」と娘に言うと、彼女は真顔で、「だってママがもうすぐ帰るからだよ」と言われ、そうかとひとり納得。 まずプラハ城のすぐ近くにある美術館に行き、ルーベンスの絵を見て、それから城の向かい側の丘にあるストラホフ修道院の図書館の天井画が見たいので、その途中娘のほしい手作りレースを売っている店をさがすことにしよう、と決めました。 ガイドブックを見ながら、美術館を探すと、なんと、城のすぐわきが美術館でした。それもなんというか,厳重といおうか、お役所的といおうか、全く宣伝する気がなさそうな美術館で、それが、むかしの宮殿を利用しているので、宴会場みたいなだだっぴろいホールに一人管理人がついていて、入っていくとドロボーみたいにじ~~~と見つめていて、なんか監視されているような気になります。 気にさわったので、いろいろ質問してやりました。「これは何世紀ごろの作品ですか?」「このホールで一番古いのはどの作品ですか?」「この絵は色を復元してあるのですか?」などなど。 ある部屋の管理人などは「すみませんが、今何時ですか?」と聞いてきました。(あんたの仕事、何?)こういうところはかつてパンを買うのに行列を作った旧ソ連の影響かな、と考えてしまいます。 外国に自国の宣伝をする気ゼロですね。 それでも内部の作品は美しかったです。これが美術館に見えます?鉄格子ですよ~。宮殿を利用してあるので各部屋が階段で結ばれていて独立している。なので見づらいといえばやや見づらい。(管理もやりにくいでしょうね)みごとな天井画 聖者たちでしょうか。こちらも天井画こちらは室内装飾もみごと。豪華な天井画 こちらはかなり古いんですか?と聞いたら「かなり古いです」といいう答えが返ってきました。(!?) こちらは本物のルーベンスだそうですが、外の光も入っていて、こんな展示で痛まないのか、と心配になりました。こちらは大作。やはりルーベンスで大きなホールにどーんと飾ってあります。やはりこの美術館の目玉のようです。「フランダースの犬は?」と娘は笑っていました。全館デジカメ(ノーフラッシュ)OKでありがたかったです。やはりルーベンスは偉大ですね。
2010.10.24
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ホテルのコンシェルジェでもらったにはバスツアーの集合場所は旧市街広場近くのミューステックの駅を出たところのキオスクに行けばいいらしいのですが、ただ、心配なのは当日その場で申し込めるか、ということです。 むかしイギリスのネス湖行きでバス乗り場がわからなくて乗り遅れ、仕方なく電車に乗る、という失態をしましたので、今回はちゃんと行きたい。 それで、みんなで早起きして、地下鉄のミューステック近くのキオスクまで出かけました。まだ午前8時30分ごろだったので、店はしまっています。でも看板がたてかけてあり、それからすると確かにここで手続きすると乗れるようです。「すみません。予約でいっぱいです」なんて言われないか心配でした。 すると9時少し前にめがねの青年がやって来ました。「申込たいんですが」というと、すぐOKでした。ただ、バスの出発場所がそこではなくて、広場の時計塔裏のキオスク前ということでした。「言葉は英語だけどいいですか?」とめがね君は言いました。「だいじょうぶ。わたしたちは日本人だけど、英語もわかります」と言うと、「そうですか。実は僕の兄が今東京の・・大学に留学していて建築の勉強をしてるんですよ」と笑顔で答えました。こういう話を聞くと妙にうれしくなります。9時半すぎにプラハを出てから高速道路を飛ばして約3時間、12時半すぎにやっとチェスキー・クルムロフの村に着きました。 ガイドさんはすらっとしたジョン・レノン似の口ひげの青年でなんと説明を英語、スペイン語、ロシア語と3か国語で繰り返します。たいしたものです。つまり参加者もスペイン、ロシア、オーストラリア、日本というわけです。城の門で説明するガイドの青年(左の人) 郊外の駐車場からチェスキー・クロムロフの街へと入って行きます。この細い流れガヴルタヴァ川(モルダウ川)上流なんですね。お昼は白いパラソルのあるカフェで食べました。ひょうきんなカエルの噴水があります。ヨーロッパの人はカエルが好きですね。 城の塔を下から見上げたところ街の中心のスヴォルノスト広場。レストランやホテル、みやげ屋が並んでます。 独特の煉瓦のだまし絵の描かれた壁かわいい小物屋の店番かと思ったら人形でした。なにぶん行きと帰りに3時間半もかかるので、お昼の休みもあまりとれません。食事をしたあとは広場に集合なので、娘は店を見る時間がない、とぶーぶー。名産のレースを見繕いたかたらしいのですが、ガイドのジョン・レノン似に聞いたら「城を見るのにだいぶかかりますから、時間はほとんどないですね。レースならプラハ城の近くで見たら?」と言います。どうもプラハ城の近くにもレースの店があるらしい。この助言は後に役立ちました。城への道 紅葉の始まった城の門なぜか門の外側にくまが飼われています。やっと玄関です。玄関を入ってすぐのだまし絵の建物レンガに見えますが、みんなフレスコで絵にかいてあるんです。 中は写真禁止なので、写真はありませんが、日本語のパンフレットがあったので買いました。それが、これまたおもしろくってみんなで大笑いしてしまいました。日本語のパンフレットの翻訳がしかるべきチェックを受けてないようで、明らかに学生の下訳のままで印刷にかけたようで、とんでもない説明があるんですね。くまが飼われている堀の説明なんですが、「くまが生きる」というのはあまりにもせつないですよね。いずれ敷物にされてしまうのに、リアルにかわいそうなくまの人生、という哀感がありすきです。「息を引き取るときには心の優しい事だけしました」は完全に意味不明。次の「白い服を着た女の幽の霊の姿です」はどこかのコピー、ペーストの位置を間違えたのでは?しかもどこに幽霊の絵があるのかの説明がとんでいる。 指導者はもっと細かくチェックしてあげなくては。このお城のヤンという人はDVで、妻にひどい仕打ちをした人だったそうなのですが、政略結婚のため何度実家の父親に訴えても聞き入れてもらえず、夫の死の直前の最後のざんげのときに、夫は妻に許しを請うのですが、彼女は「今さら許すものか」とざんげを拒んだそうです。すると夫は彼女を呪い、その呪いのために彼女は死後も天国に行くことができず、城の中に幽霊となってさまよっているそうで、白いドレスを着た肖像画は幽霊としての彼女の絵らしいそうです。でもDVの夫のほうがよほど悪いじゃありませんか。DVをやった夫が天国へ行って、さんざんしいたげられた妻が幽霊となってさまようなんて不公平じゃありませんか! その不公平に抗議してさまよっていたりして。幽霊は最近では1996年に出たそうです。お城の塔塔から見下ろしたチェスキー・クルムロフの街 あっという間に時間がすぎ帰りは7時半すぎにプラハに帰着。旧市街広場の古風なレストランで夕食を済ませてホテルに帰りました。なかなかの大旅行でみんな爆睡でした。
2010.10.22
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昨夜、ホテルに着くと娘がガイドブックをめくりながら「あたし、ここにはどうしても行きたい」といいます。「どこ?」と覗き込むと、「チェスキー・クロムロフ」という記事が。「世界遺産だし、ここに行きたいからついて来たんだよ」というので「ふーん、でもオーストリアとの国境近くだから1日がかりで行かないと、パパが仕事中に二人だけでまる1日じゅう出かけていくのも気の毒だし。パパが空いている日があるかな?」ということで聞いてみると、翌日は何とかまるまるあけられる、とのこと。 だけど問題はバスツアーがその日にあるかということで、「世界遺産ほどの場所ならツアーはいっぱいあるんじゃない?」とホテルのコンシェルジェに聞いてみたら、パンフレットにありました。旧市街広場が集合場所になっているバスツアーが。「出発時刻が9:30となっているわ」と娘。 これで明日の予定はOKで、今日は画家ミュシャの美術館とカレル橋の塔に行くことに。 それで翌日を楽しみにでかけることにしました。ポストカード【アート】アルフォンス・ミュシャ (Alphonse Mucha) / The Flowerこちらはカメラは全て禁止なので見るだけ。それでもポストカードは買ってきました。わが家の玄関にもミュシャのポスターが飾ってあるのですが、レトロな雰囲気がいい画家で、気に入っています。 チェコ語の発音では「ムハ」と言うそうです。ところが、彼の作品は広告関係も多くあるせいか、この美術館の絵は数としては少ない印象を持ちました。 ムハ美術館を見てから、小雨の中をカレル橋の塔に向かいました。しつこくぱらついています。 カレル橋の塔の眺めは最高でした。この塔に乗らない手はありません。プラハ城、聖ヴィート教会、その向いの山の上のストラホフ修道院、ヴルタヴァ川(モルダウ川)が一望できます。ここであの「モルダウ」のメロディーなど口ずさみたくなります。モルダウのしらべ塔への登り口です。 古めかしいい窓から明るい橋を行きかう人々を見下ろす 中に展示された中世の衣装 カレル4世の像です。キリスト教や教会を税制面で優遇したので、プラハの宗教建築がこれほど豪華けんらんになったそうです。王冠。レプリカでしょうが。橋門の塔の頂上。狭くてすれ違うのがやっと。頂上から見た教会眼下を派手な広告をつけたトラムが走ります。橋をわたる船と人と。にぎやかで幸せそう。王様はこの景色が気に入っていたのでは。橋門のたもとにある建国の父ヴァーツラフ2世像船のクルーズの船員さんたちがお客を集めていました。(でもちょっと寒そう)待ち合わせ場所にもなっているよう。橋の付近の美しい街並この重厚な建物の中に実はスターバックスがあるんです。グリーンのランプが見えるでしょう? 連れ合いから長女の携帯に連絡がありました。(この二人は世界携帯の家族割に入っているのです。わたしと次女と長男は別の会社の家族割というわけ)「会議終わったからウマの前で待ち合わせよう」と言います。「ウマの前?」と長女が答えると「そう。旧市街広場の裏手に馬車が止まるところがあるだろ?あそこ」というわけで二人してウマの前で待っていましたが、暇なのでウマが首を振ったり、フンをしたりするのを御者がフン取りのひしゃくのような道具でひょいとすくい上げるのを感心して眺めていると、連れ合い登場。 露地の奥に入った古風なカフェでパスタとシーフードリゾットですませました。なにぶんホテルの付近は住宅街でほとんどレストランや店がないので連れ合いと待ち合わせて夕食を食べて地下鉄でいっしょにまたホテルまで帰るというパターンが便利なようです。 明日はチェスキー・クルムロフに行くから早起きしよう、と約束して3人とも休みました。
2010.10.22
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なんとかビッチ君の好意(!?)でわたしたちはカレル橋だけでは物足らず、どんどん丘の上のプラハ城へと進んでいくのでしたが、わたしはどうしても「お二人とももう疲れていらっしゃるのでは?」と言い出せず、ひたすら心配していました。 ところが、普段からエネルギッシュなトニーはヴィヴィアンの体調など全く意に関せずといった様子で、どんどんなんとかビッチ君について行きます。エネルギーいっぱいで、一旦思いつくとがんがん進んでいくのは連れ合いと似ています。やはり学者というのはマニアックというか一点集中型の人が多いようです。 すると、なんとかビッチ君がみんなの方をくるりと振り向いて言いました。「この時刻では、プラハ城の主な建物は閉まっていますが、外側は見ることはできますが、行きますか」 わたしは、ヴィヴィアンが「もう引き返しましょう」と言うかと思い、彼女の方を見ました。ところが、彼女は黙っています。すると、トニーが答えました。「せっかく来たから外側だけでも見ようや」ヴィヴィアンは相変わらず沈黙を保っています。トニーを愛しているので、自分は多少疲れていても彼の判断に従おうと思っているのか、それとも彼女がとりわけ負けず嫌いで、年寄り扱いされるのがどうしてもイヤなのか、どちらかでしょう。 それを聞いてなんとかビッチ君は再び歩き出しました。 わたしはふだん多少ウオーキングなどしているので歩くのはなんとかなりましたが、それでもそれなりに疲れてきたので、ヴィヴィアンの体調が気になりました。 やがて、しだいに日が暮れて来て、あたりが薄暗くなって来たころにプラハ城に着きました。旧市街広場の時計塔から遥かに見えるプラハ城なんとかビッチ君はせっかく来たから聖ヴィート教会の中を見られないか、と受付の人と交渉していました。が、まもなく残念そうな顔をしてこちらを向きました。 もちろんわたしたちはもうすでに中を見てしまっているのですがトニーたちはまだのようだったんです。 聖ヴィート教会のパイプオルガン教会内の優美な回廊「残念ですが、今教会の行事をやっていて30分ぐらいたったら中は見られるそうですが、どうしますか?」「ま、それじゃあしょうがいないだろう。外だけ見ようか」トニーがそう言ったので、わたしたちは聖ヴィート教会の外側だけ見て丘を下り始めました。ここを降りればマルストランスカの地下鉄の駅です。 わたしたちが城の裏門に出た駅です。 ところが、旅先の夕暮れの雰囲気にとてもハイになっているふうのトニーは先頭に立ってどんどん歩いて行きます。そうして、「せっかくだからこのあたりの店で一杯どうかね」と言います。知った店があるのか、予約を入れているのでしょうか。実は連れ合いはアルコールにアレルギーで、少しでも飲んだら倒れてしまうほどなんですが、私はアルコール大好き人間なので、「いいですねー」とひたすら同意。なんとかビッチ君もまんざらでもなさそうです。 そういいながらマルストランスカの駅を通り過ぎてしまいました。(彼が飲みたい店はこの近くなのかしら?)といぶかしく思いながら彼を追います。 ところが彼はどんどん歩いていき、露地を入って行きます。やがて、カレル橋近くのレストランに入りました。 ところが、彼が予約しておいたレストランがオーダーストップだったようで、結局中で飲むことも食べることもできませんでした。城まででかけて行ったことがあだになったようです。「悪いが今日は遅くなりすぎたようだ。今日はここまでにしておこう。悪かったね」と彼は言い、そこで飲み会は中止ということになりました。 彼らはそこでタクシーでも呼ぶことにしたのでしょうか。謎です。結局なんとかビッチ君は彼女とともにおやすみを言って解散となりました。「おなかすいたー」という長女を連れて、我々は旧市街広場の近くのレストランで食事。 幸いこの店にはパスタがあったので、あっさりしたシーフードパスタを注文することができました。 連れ合いはすっかり疲れてこっくりこっくりするし、娘はたらふく食べて満足の様子。やっとのことで地下鉄に乗りホテルに帰りました。 きっと今夜トニーはヴィヴィアンにこっぴどくどやされることでしょう。「あなた、ノリノリになるのも限度ってものがあるでしょう?」って。
2010.10.22
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さて、この街にはいろいろ塔があり、楽しみでうずうずするのですが、たまたま目についた塔に登ることにしました。始めはプラハ城の火薬庫(パウダー・タワー)と思っていたのですが、そうではなくて鐘の塔(ベルタワー)だったようです。おもしろいのはこのなかがレストランやギャラリーとして今もちゃんと使用されており、しかもエレベータもちゃんとついている、ということでした。エレベータを上がると後は木の階段外を見るとタイムスリップした感。木の内装がぷんと匂います。古きよき時代の匂い。壁には昔のプラハの写真が。塔の頂上からながめたプラハの街並。 そうこうするうちにお昼になり、昼食はどうしようかと頭を悩ませます。なにぶん量が多いうえに思い切りこってりしていて、これが注文するとときにあまり大量だと食べきれないし、残すのももったいないし、出してくれた人にも悪いし、環境にもよくないし...というわけで結局娘とケンタッキーフライドチキンで食べたのですが、娘とわたしの好きな「ツイスター」を注文したら量としてはちょうどよかったのです。 ところが、注文しているわきで娘が突然「フライドポテトもね」といわれたので、反射的に「フライド・ポテト・プリーズ」と言っちゃったんですね。あんなに普段生徒には「フレンチ・フライズといわなきゃ通じないよ」と教えているのに。はたして、出てきたのはアイスクリームのカップのような容器と小さいスプーン。(何がはいってるんだろう?)おそるおそるフタをあけると、「マッシュポテトにグレービーソースがかかったもの」でした。思わず「へ~~~」と娘とわたし。こっちはじゃがいもはこうなってるのがポピュラーなんだ!!」 そのうち、連れ合いから電話が入り、旧市街広場のヤン・フスの銅像の周りで待ち合わせということになりました宗教改革の発端となったフスの像。。「トニーとヴィヴィアン(仮名です)も来てるからいっしょに来たいそうだよ。それからチェコの大学院生もいっしょだから」「わーうれしいわ。なつかしい。また会えるのね」トニーとヴィヴィアンはアメリカの学者で、昨年わたしが名古屋を案内した熟年カップルです。トニーは連れ合いの共同研究者でもあるのです。 はたして、彼らとフス像の前で待ち合わせました。感激の再会ののち、チェコ人の大学院生の「なんとかビッチ」さんが(発音がむずかしくてよくわからないから、適当に覚えていいです、と言っていました)「せっかくだからチェコの名所を案内しますよ」と言ってくれました。彼は美人の彼女もいっしょに連れてきていて、彼女の英語もとてもきれいで、聞きやすいものでした。まずは彼はフスの説明から始めましたが、わたしが「フスは日本の世界史の教科書にものってるわよ」と言うと「あなたはすごい!!」と妙に感心されましたが、ほんとにのってますよね。彼自身うれしかったのでしょうね。チェコ人として。 それから我々はカレル橋へと進んで行きました。橋の上には数々の彫刻が飾ってあります。ピンヒールのハイヒールを入ったなんとかビッチさんの彼女はごろごろした大きな石を敷き詰めた石畳の上でほんとに歩きにくそうだったので、「ここの道路はハイヒールには向いてないわね」と話しかけると、「ほんとに、靴は傷むわ」と答えました。カレル橋の橋門。この門の向こうから橋が始まる。この橋を渡ったあと、もう帰るつもりだったのに、なんとかビッチ君は立ち止まりません。どんどんプラハ城方向へ登って行きます。ええ、これだけ歩いてけっこう疲れたのに、齢70うん歳を越えたトニーとヴィヴィアンは大丈夫なのでしょうか?特にヴィヴィアンは名古屋に来たときは「わたしは膝が悪いの」と言っていたので、ほとんど歩かせなかったのですが…。 それでも彼女が「帰ろう」といわない限りはついていくべきなのか…意気揚々と名ガイドぶりを発揮するなんとかビッチ君の好意も無にはできないし…悶々とするわたしでした…つづく。
2010.10.21
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またもや雨です。連れ合いは昼すぎから日程があくと言っていたので、かさを持って地下鉄で再びムゼウムまででかけました。 悪天候をぐちっても自分のせいなので(!?)始まりませんので、とりあえずおもしろそうな建物を制覇しよう、ということで、旧市街広場でもっとも高い時計塔に登ろうか、と娘と話し合い、塔に登りました。 以前ケルン大聖堂にも登ったのですが、もともと高いところはどこでも大好きなので、高いときけば登ってみるのですが、ケルンの場合はずう~~~とらせん階段が続いて、目は回るわ足腰はいたくなるは、狭いところは苦手なのでくらくら眩暈もしてきて大変でしたが、それでも登れてうれしかったのです。 ところがこの時計塔はガイドブックによれば内部にエレベータがついていて、最上階までらくらく登れる、とあります。これはぜ~~~ったい登らなくては、とチケット売り場に並びました。値段は100コルナですが、係員が唐突に「あなたはどこから来ましたか」というので「ジャパンです」というと「はい、これ」と細長い紙片をくれました。見ると、日本語で「ここを出てガラスのドアを入り、奥まですすんでから右に曲がってください」と印刷してあります。 そうか。入り口がわかりにくいので、こういうのをわたしているわけね。おもしろいアイディアです。1階から3階まで行く普通サイズのエレベータ いよいよエレベータの前へ。3階でそのエレベータを降りると、今度は広いホールに出ました。そこでチケットが回収され、数段の階段を登ると、今度は5人乗りぐらいの円筒型のエレベータが目の前にありました。このアミ状の鉄筋の間を円筒型のエレベータが上り下りします。まわりにあるのは下り用のスロープ。ゆるい坂でらくらく下りられます。 そこを降りると、はたして最上階の回廊の中心につきました。それがほんとに中世のままで、鉄骨のてすりがついているだけで、風防ガラスも何もなく、小さな子なんかは身を乗り出すとおっこちそう。6時とか7時とか正時きっかりに鐘が鳴り、ラッパ吹きの青年が中世そのままの衣装で上半身を乗り出して独特の曲を吹き、時を知らせます。 ラッパ吹きの青年。観光客のカメラの相手にひっぱりだこ。ここまで身を乗り出して吹く。しかも3つの方角に向けて3回移動しながら吹く。よく怖くないな~。それでも、彼が吹くたびに下の群集が「オー」と歓声を上げて大きな拍手。確かにこれではやみつきになるでしょう。ラッパ主の名演奏と聴衆時計塔の上からラッパ手を撮った動画(た、高い…) 時計塔の動画 眼下には馬車が…。このような怖さ。 下ではみんなが時報を待っている。
2010.10.10
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もともとオカルトやゴシック・ロマンが大好きなわたしなので、ロウ人形館の看板を見て飛びついてしまいました。前にイギリスに行ったときには目的地がグラスゴーだったので直接スコットランドに入ったので、ロンドンに立ち寄れませんでした。 それで、有名なマダム・タッソーのロウ人形館トカ、ロンドン塔もまだ見ていないので、こういうアヤシイものは見たくてうずうずします。 さて、中はといえばあくまで健全で身の毛もよだつような見世物はありませんでしたが、なかなか興味深かったです。 ちょっと無表情なマイケル・ジャクソンマザー・テレサダライ・ラマテニスのナブラチロワ。そういえばチェコ出身でした。ダイアナ元妃。ミラーと反射光を使った仕掛けで闇の中から突然現れるというびっくり。いろいろ言いたいこともあるのでしょうね……。「クイーン」のボーカル、フレディ・マーキュリーとマイケルスターリンとレーニン。チェコとしてはこの二人にはよい感情はもっていないのでは?単に展示物として扱っているだけなのでしょうか?プラハと縁が深いモーツアルト。彼のオペラはプラハの貴族に愛されプラハの滞在も長かったそうです。チェコを代表する画家、アルフォンス・ミュシャなぜかガンジーとヨハネ・パウロ2世が隣り合わせに。2人の偉人の叡智で世界平和を実現してほしいものです。
2010.10.10
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連れ合いの予定がこの日は午後3時からだったので早朝から起きてプラハ城へでかけました。時差のおかげで深夜12時と朝4じごろには必ず目がさめてしまいますが、かえって早朝からでかけやすくて好都合です。 しかし、雨女のわたしが行くのですから、やはり大雨です。長女のガイドブックから地下鉄の1日券というのがあることがわかって、その券だと乗り換えのありなしの制限もないらしいので、便利です。地図から見ると、マロストランスカという駅でおりて、丘を渡ると頂上にあるようです。ところが、駅でおりてもそれらしき標識が見つからず、キオスクのおじさんに聞くと、「ここを登ればいいよ」とのこと。観光案内にはでーんと大きな城が見えるのに変だなーと歩いていくと、母親には似ず、土地勘では天才的なひらめきを持つ長女が「あ、ここに標識があるよ」と目ざとく小さな目印を発見。「プラハ城への近道」とあります。そこでとことこ登っていったのですが、石畳のゆるい道とはいえ坂道は中年のわたしにはこたえること。やっと城の門を見つけました。いちおう衛兵が二人立っています。 「ほんとにこれがお城?ガイドブックとちがうじゃん!人も少ないし」と中へ入ると、入場券売り場もなにもありません。 する巨大なゴシックの聖堂が眼前に出現。しかし玄関がありません。その様子を見てはたと納得。 それは裏側だったんです。裏門から入って来たんですね。 もっと進んでいくと、やがて団体客のグループが嵐のようにざわめいているのが目に入りました。その数のすごさと言ったら、世界中からやってきているようで、聞こえて来るツアーガイドさんの言葉も中国語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、そして日本語……。「これが聖ヴィート教会です」という日本語の団体客のうしろを通りながらこっそり解説を盗み聞きしたりして。 ところが入場券売り場が見当たりません。近くの人に英語で聞くと、聖堂前の小さなドアを指さしました。そこも王宮の一部のようです。 そこで列を作ってチケットを買います。 寒いので、見学の前にトイレに行っておこうと尋ねると、聖堂の隣りだと教えられたので、長女を暖かい室内に待たせて我々はトイレに。 と、そこに怖~い顔をしたオバさんが立っています。「一人10コルナをこの箱に入れてください」とのこと。 財布をのぞくと、いつのまにかコインがない!今まで入ったトイレはレストランだったのでトイレはただ。うっかりしてトイレ用に多めの小銭を作ってないんです。「おつりはないですか?」ときくと、「ないです」と鬼ババは言います。 わたしの後ろに来た中国人も困っている様子でした。 それで、入場券売り場に行って、事情を話しました。「すみませんが、もう小銭が全部なくなってしまったんです。ぜんぜんないです」とのこと。もう頭にきていたわたしは鬼ババをつかまえて言いました。「両替したいけどあっちも小銭がないそうなんです。おつりを出してくれませんか」「おつりはないですからダメです」こいつめ~キックしてやろ~か。と怒り心頭。しかたなく財布をじゃらじゃらやると5コルナと1コルナ硬貨が5枚あることを発見。「僕はいいよ,入って来たら?」と連れ合い。「いいわよ。あたしは聖堂に入る前に念のため行っとこう、と思っただけだから。さっき見たカフェに入ればお金こわせるだろうから、あとでいいわ」「いや、いいから」鬼ババの前でこれ見よがしに譲り合い、にらみつけてやりました。結局、連れ合いが10コルナを払ってトイレへ。 けれども聖堂の中はそういうごたごたを忘れさせてくれるほど素晴らしいものでした。聖堂の正面 パイプオルガンこのステンドグラスはチェコ出身の有名な画家ミュシャの晩年の作品です。 娘が「カフカの生家がここにあるらしいよ」というので、黄金小路のほうへ行ったのですが、改修中でした。 ランチは城の敷地内のカフェですませましたが、簡単なカフェなのに量はめちゃめちゃ多くて、連れ合いはホットドッグとカプチーノ、わたしと娘はチキンのチャパタ・サンドとカプチーノ、ホットチョコレートをそれぞれたのんだのですが、日本の倍の大きさで仕方なく残してしまいました。注文したときに半分にすればよかったのですが、娘は若いし、やせてるわりにけっこう大食らいなので、そんなわけにもいきません。 プラハ城というのはひとつの町といってもいいほどの構成で、その中に聖ヴィート教会や庭園や王宮もあるわけで、広大な敷地の上に立っています。やっと城の中を見てから最後の棟を出ると、さっきの団体客の倍の数の団体客がひしめいていました。城の正門に出たのです。 正門は鉄と黄金の装飾がついた細工の柵に囲まれ、両脇には衛兵が立っています。 そこから城を出て門前町の町並みのほうへ降りていきました。ふつうの逆のルートをたどったので妙なものです。 美しい建物にカメラを構えながらもかさが邪魔だなあ、と文句を言いつつ丘を下っていくと、やがて川に出て、有名なカレル橋に出ました。カレル橋の橋塔橋の塔。上に登れるらしい。橋にはたくさんのカトリックの聖者の彫刻が飾られていて、なんと30体もある。これは触るとご利益があるという聖ネポムツキーの像。「カレル橋」の銘板 かなりの幅の川で、520mもあるらしいです。歴代の王様の戴冠式の行進に使われたという由緒正しい「王の道」だそう。橋の幅も広く、10mもあるので、橋上では大道芸人がバイオリンをひいたり、芸術家たちが絵画やアクセサリー、小物などの市を開いていてにぎやかです。橋の両岸と川の中州にはカフェやレストラン、しゃれた小さなホテルやみやげ物屋が立ち並び、観光用のボートが行きかっていて華やか。日本にもこういう世界から人が集まって来るような華やかな場所があってほしい。 橋を渡ると連れ合いが急に早足になりました。3時の会合にまにあわせなくてはならないのです。 カレル橋をわたると地下鉄のストラメンスカの駅があり、そこからホテルへもどりました。ストロメンスカの駅の表示 その日の夜は立食パーティでした。わたしたちは以前に名古屋をガイドした連れ合いの研究パートナーのアメリカ人のカップルに会い、ひさびさの再会を喜び合いました。
2010.10.08
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そもそもわたしは雨女なので、どこへ移動しても雨になる、とは連れ合いのいつも言っていることなのですが、やっぱり雨です。それもどしゃぶりに近い台風なみ。インターネットでのプラハの天気予報はずっと雨だそうで、ため息が出ます。長女ははいてきた靴がオンボロのために雨が入るとブーブー文句を言うので、ホテルの近くで店を探してみることにしました。郊外の中級ホテルのせいかテナントの店がないのです。 そのうえ、わたしも折りたたみかさをうっかり日本に置いてきてしまったことに気づき、大きなホテルをぐるっと一周しましたが、住宅や集合住宅ばかりでひとつも店がない。「コンビニというものが、こっちはないかしらねえ」と歩いていると、長女が「あ、もう水が入って来た。限界!」ということで、店があるかもしれない、と向かいにあるもうひとつのホテルに行ってみましたが、コンシェルジェに聞くと、「あ、このへんは店はないです」と断言。「靴でしたら中心部へ行かれるなら買えますが」というので思い切って出ることにしました。ところが地下鉄の切符の買い方がさっぱりわかりません。「どれどれ」と長女がガイドブックを広げると、ちゃんと写真つきで「ここは片道乗り換えなし切符用。ここは乗り換えあり切符用。そこは1日券」と矢印つきで解説がしてあります。 そこでコインを投入すると何度入れてももどってきてしまいます。上部に「いくらのコインなら今投入してOKか」がディスプレイに出る、というお役所仕事の機械なんですが、表示ではOKのはずなのに戻ってくる。頭にきましたが、なんと窓口がなく職員もいない。ただキオスクがあり、そこにおばあちゃんが一人雑誌を読みながらすわっている。「あのー、この機械こわれてるんですけど」「さーあたしにはわからんねー」という返事。「こちらで切符買えますか?」「いいですよー」と窓口で購入。田舎の民家で切手を売ってたりするあのシステムみたい。ここで安いおりたたみかさを発見、ゲットしました。でもさすがに靴までは売っていません。とりあえず買った切符を改札機に入れて自動スタンプを押して、直接ホームに出る、とガイドブックどおりにやってみました。駅員はいないけど、ごまかすと時々秘密諜報員みたいな改札の人が回ってきて、みつかると外国人でもかまわずすごい罰金を取るらしい。コンシェルジェが言っていた繁華街「ムゼウム」で下車。ムゼウムとは博物館の意味で、博物館のすぐ前に出るそう。 ムゼウムの駅の表示 ホームにはもちろん改札の人はいないので、みんなさっさと外へ出ていきます。ま、こういうやり方も人件費がかからなくて便利なのかも。でも雇用の刺激にはならないですね。地下鉄のホーム。エスカレータがとてもごつい構造で、ガーンガーンと大音響をたてながら動きます。 さて外へ出て地上へ。あいかわらず雨は強く、しかも由緒正しく優雅なプラハの石畳もすべりやすく、水たまりばかりでいただけません。 「ムゼウム」の建物 やっとこさ、「H&M」を見つけましたが、ヒール靴ばかりで、もう少し歩いて次の「ムーステック」の駅まで歩くと、そこに「ニューヨーカー」を発見。手ごろな靴をやっと手に入れました。大雨のヴァーツラフ広場。広場というより大通り。本降りでもかさをささない人がいるのはさすがヨーロッパ。建国の父ヴァーツラフ1世の銅像建物の彫刻が美しい街頭でパンのようなものを焼いて売っている。この寒いのにカフェでくつろぐ人もいるらしい。「さむー」と言いながら来た道をもどり、スターバックスにはいり、暖かいカフェラテを抱えて一息。 さて、ほっとするとトイレに行きたくなり、トイレに入ると、なんとドアに「暗証番号のキー」が取り付けてあるんです!え、えー!こんなの初めてみました。 ぎょっとして見つめていると、店員が掃除道具を抱えて入って来て、再びぎくり。それでも、勇気を出して、聞きました。「これってどうやってあけるのですか?」「商品を買ったレシートに書いてある暗証番号を打ち込むんです」「でも、テーブルの上においてきてしまったんだけど」「あ、それじゃあ、○×△○◎ と押してください。とやおら意味のない番号を言うんです。 そんなー。英語の番号の5桁以上なんておぼえられなーい。わたしは日本語の番号でもゴロ合わせでないと覚えられない人間なんです。でも覚えないと、トイレにはいれなーい。わたしは脳みそをフル回転させてそのナンバーを覚えました。「××△○◎ですね?」「ちがいます……○×△○◎です」「あ、そうですか。○×……」わたしは口の中でその番号をお経のように唱えてドアを開けました。そして無事すませました。 ムゼウム駅前のスターバックスの2階 そのあと、学会のミーティングが終わる予定の連れ合いからの連絡を待ちましたが、なかなか連絡が来ないので、しびれを切らせて長女が電話をして、3時ごろやっと待ち合わせ。中世の雰囲気たっぷりのチェコ料理のレストランに入りました。ウェイターが騎士の扮装で出向いてくれるのです。初めて食べたチェコ料理。ビーフシチューにジャムと生クリームが添えてありハーブを練りこんだ蒸しパンとともに食べます。添え物はほかにもつぶしたじゃがいものダンプリング(団子)がついていました。こんなに量があることを予想せず、しかもパスタまで注文してしまったので、食べきれず残してしまったのは惜しかったです。 帰りにちょっとしたアクシデントがあり、ちょうど地下鉄の車両が発車するところに連れ合いと長女が駆け込み乗車をしてしまい、わたしだけが乗り遅れて、やれやれと思っていると、突然、二人がホテルと反対方向への列車に乗ったことに気づき、「ばーか、ばーか」とひとり嘲笑しながら、ホテルのある駅のホームでひと電車を待ってやったのでした。 するとふた電車あとに二人が降りて来て、長女は、顔を見るなり「よかった。ママ無事についていたんだね」といいます。「方向音痴のママだから、きっと間違えて反対方向の終点までいっちゃうんじゃないかってパパと心配していたの。だからひと電車遅らせてホームで待ったんだけど、次の電車に乗ってないから、ああ正しい方向に乗ってったんだな、と思った」と。 わたしの方向音痴はそれほどひどいものなのです。
2010.10.07
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名古屋空港セントレア11時ちょうど発のフィンランド航空に乗りました。ところがなぜか最終案内が10時30分ごろからあわただしく流され、結局離陸は10時45分。台風が近づいているとかで早めの出発をねらったのでしょうか。長女が「あのCAの人がしているムーミンのエプロンがカワイイ!」と絶賛していましたが、フィンエアの制服はかわいいですね。それに各席にディスプレイ画面がついていて映画もゲームもパーソナルで操作できるのがいい。おまけに足元もルフトハンザよりゆったりしていました。今飛行機がどこにいるかも知ることができます。ゲームに映画にと退屈しないフィンエアの機内 ヘルシンキでEU諸国への入国手続きもスムーズにいきましたが、わたしの担当の人がガムをくちゃくちゃしながら上目づかいに人を見る男性で、イヤな感じでしたが、長女は、「あの人、この前に来たときもそうだったよ」と言っていました。さすがデザイン王国北欧の飛行機。デザインも洗練されています。乗り継ぎでおりたヘルシンキ空港のカフェと売店下のほうに「マリメッコ」の鮮やかな花模様の手提げ袋が下がっています。
2010.10.06
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